平気な男


 

第一章

                 平気な男
 ヘンリー=ジョンソンは彼を知る者はよくだ、顔を顰めさせてこう言う様な人物だった。
「最低の人間だよ」
「顔も見たくない」
「付き合いたくもない」
「二度と一緒に仕事をしたくない」
「関わりたくない」
「死んだ時のニュースだけ聞かせてくれ」
 こう口々に言う、とかく評判の悪い男だ。
 彼を小学校の時から知るスコットランドヤードの刑事ハリー=キャメロンもだ、ジョンソンのことを聞かれるとその聞いた相手に小声で言った。
「君は彼と付き合いがあるのかい?」
「職場の先輩ですが」
 この時聞いたのは若い女性だった、名前をアリス=メイという。豊かな金髪が風になびきはっきりとした明るい青い目を持っている。面長な顔はソバカスもなく奇麗な肌をしている。小柄であるがスタイルはいい。メイ以上の面長で額が広く茶色い髪の毛の面積が心配になってきているキャメロンとは正反対の感じの顔だ。見ればキャメロンの目は小さく灰色でしかも長身なのでそこもメイとは全く違っている。
「キャメロン警部があの人の同級生と聞いたので」
「刑事である私のところに来たということはだ」
 キャメロンはメイにこのことから応えた。
「あいつの悪事のことか」
「そこからお話をされますか」
「はっきり言う、私はあいつとは同級生だったが友人ではない」
 実に忌々しげにだ、キャメロンはメイにこう言った。署内でありプライベートは関係ない筈だが表情はプライベートなものだった。
「そう聞かれると全力で否定するところだったよ」
「そうですか」
「あいつにはいい思い出がない」
 それも全く、という言葉だった。
「ついでに言うとあいつの話は聞きたくもないがね」
「そうですか」
「プライベートならね」
 そのプライベートの顔で言う。
「そうだった、しかしだ」
「今はお仕事だからですか」
「聞こう、あいつは今度は何をやったんだい?」
「今度は、ですか」
「君も知っている通り私はあいつと長い間一緒だった」
 ミルクティーを飲むが砂糖を入れていても今は甘さを感じなかった。
「最高の腐れ縁だ」
「小学校からですね」
「はじめて制服を着た時からだよ、それからカレッジを卒業するまでだ」
「ご一緒でしたら」
「同じクラスになったのは合わせて四年だな。その四年間は特にあいつを見てきたがね」
「ではよくご存知で」
「強い者には媚び諂う」
 ジョンソンのこの資質から話した。
「そして弱い者をいじめることが大好きだ」
「今と同じですね」
「小学校から大学までそうだったよ」
 ジョンソンの性格はというのだ。
「そしてケチでガメつく図々しい、平気で嘘を言い他人を陥れ馬鹿にすることが大好きだ」
「そこも一緒ですね」
「むしろその頃より悪くなっているだろうね」
 キャメロンは彼が知るジョンソンの資質からこう推察してメイに述べた。
「私が知っている限り」
「私もそうですが」
「職場であいつを好きな人間はいないね」
「一部の幹部の人以外は」
「それはそうだ、あいつを身近に見ていればだ」
 それこそとだ、キャメロンはメイも紅茶を飲むのを見ながら述べた。 

 

第二章

「嫌いにならない筈がない」
「そうですよね」
「隠れて悪事や陰口も常だったしな」
「弱い人へのですね」
「自慢も執拗だったしな」
「とにかく嫌な人ですね」
「あいつより嫌な人間を私は見たことがない」
 こうまで言い切ったのだった。
「生まれてから今まで」
「そうした人なので」
「会社でもか」
「仰る通りです」 
 まさにというのだ。
「それで刑事的な」
「そんなこともやってここに来た」
「警察は刑事を扱う場所ですね」
「しかも私は刑事だよ」
 キャメロンは少し笑ってメイに返した。
「それなら言うまでもないね」
「はい、ではお話させて頂きます」
「あいつは何をやったんだい?」
「文書の偽造と横領です」
「如何にもやりそうなことだ」
 ジョンソンを幼い時から知る者としてだ、キャメロンは言った。
「あいつは中学時代ボクシング部にいたがね」
「その時もですか」
「仲の悪い相手の出席簿を出席したものも含めて全部欠席に改竄したり部費を使い込んだりしていた」
「その頃からそうしたことをしていましたか」
「しかし学校の教師というものはだ」
 キャメロンは今度はこの職業全体において語った。
「いい鉄は釘にはならないね」
「だからいい人もですか」
「学校の教師にはならないものだよ」
「そうした世界ですか」
「そしていつも生徒や保護者に威張っていられるからね」
 質の悪い人間がなる仕事であるだけでなく、というのだ。
「余計に悪くなる」
「そうした人が顧問だったからですか」
「普通に誤魔化せたがね、しかしそれで同級生は誤魔化せるかい?」
「無理ですね」
「それで忽ち同級生全体の嫌われ者になったよ」
「自分もそうされるかと思われて」
「弱い者には徹底的にやるタイプだからね」
 そこまで底意地の悪い輩だというのだ。
「私はその前から大嫌いだったがね、あいつは」
「そうした人だから」
「だからだね」
「その証拠を持ってきました」
「ではその証拠を匿名で提出してもらおうか」
「はい」
 早速だった、メイはその文書と帳簿を提出した。メイはキャメロンにそうしたものを提出しつつこうも言った。
「私が調査した証拠とです」
「あいつが偽造した文書や帳簿をだね」
「両方提出します」
「それは何よりだ、ただね」
「ただ?」
「あいつは、もっと言えばああした奴はだ」
 キャメロンはその細長い顔にシニカルな笑みを浮かべてこうも話した。
「どうかわかるね」
「自分の悪事の証拠はですね」
「慎重に揉み消しておくものだ」
「そうしていますね」
「悪事が完全に黒だとわかる証拠はね」
 そうしたものをというのだ。
「消しておくものだよ」
「ではこれは」
「灰色ではあるね」
 黒ではなくとだ、キャメロンは言った。 

 

第三章

「あいつが直接やったという証拠ではないからね」
「私が調べただけで」
「そう、完全な証拠ではないよ」
「ですが調べたら」
「言い繕いは何でも出来るさ」
 シニカルな笑みのままでだ、キャメロンはメイに答えた。
「悪人はそうするし特にああしたタイプの悪人はね」
「そうしますか」
「そう、そしてね」
 そのうえでというのだった。
「証拠がないと言って会社に居座るよ」
「学生時代もそうしていましたか」
「自分は部活をさぼっても相手には部活に行けという奴だよ」
 そうしたこともしていたというのだ、ジョンソンは。
「面の皮の厚さも異常でね」
「では」
「君がこの証拠を出して私が受け取る」
「刑事事件になってもですか」
「完全な証拠でないならだ」
「裁判でもですか」
「無罪になる可能性はある、いや」
 キャメロンはメイにさらに言った。
「むしろね」
「無罪になる可能性が高い」
「君のそれが偽造だと言ってあいつが腕利きの弁護士を雇えばね」
「そして弁護士さんが陪審員の人達に訴えれば」
「何とでもなるものだよ、裁判はね」
「そうしたものですか」
「何しろ完全な証拠ではないからね」
 メイが調べたうえだけでのことでしかないからだというのだ。
「もっともよく君も調べたね」
「私は会社の事務でして」
「そのうえで出席や会計をチェックしていてか」
「妙に感じて調べました、すると」
「あいつに関わることでそうなっていた」
「それでなのですが」
「そうだね、それでもね」
 さらに言うキャメロンだった。
「君が調べただけでね」
「まだ不十分ですか」
「あいつがやったことの一部を朧ろでしかないだろう、朧ろ即ち幽霊だね」
 幽霊が透けていることからの言葉だ。
「幽霊は証拠になるかい?」
「いえ」
「そういうことだよ、残念だがね」
「これを出してもですか」
「そう、あいつは有罪に出来ない」
「そうですか」
「しかし」
 ここでだ、キャメロンはニヤリとした笑みになった。そのうえでメイにこうも言ったのだった。
「あいつが終わる時が来た」
「終わり、ですか」
「しかも最悪の、あいつを知る人間全員にとっては最高の結末がはじまるね」
「有罪にはならないですが」
「いやいや、君はまだ若い」
 メイその楚々とした顔立ちを見て言う。
「その若い君が気付いたんだ」
「だからですか」
「じゃあ他の人達もだよ」
 まさにというのだ。
「気付かない筈がないからね」
「会社の中で、ですか」
「幾らあいつが悪事を隠していてそれで平気な奴でもだよ」
「それでもですか」
「あいつはもう終わりだ」
「仰る意味がわかりませんが」
 メイはキャメロンの言葉に首を傾げさせて返した。 

 

第四章

「どうにも」
「いやいや、これはね」
「これは、ですか」
「実際にだよ、あいつを嫌っているのは君だけじゃない」
「あの人の同期と後輩は大抵、部下になりますと」
「徹底的にだね」
「嫌っています」
 はっきりとだ、メイはキャメロンに答えた。
「上司の一部は違いますが」
「取引先はどうかな」
「一部の人は違いますが」
「それでもだね」
「自分の利益にならないと見た相手にはきついですから」
「すぐに意地悪いことをするね」
「そうしますから」
 やはりだった、メイの返事は決まっていた。
「弱い相手には」
「そうだね、じゃあね」
「それならですか」
「そう、普通にね」
 それこそというのです。
「あいつはやがて自業自得となるよ」
「このことが実刑にならなくても」
「そうなるよ、しかし」
「しかし?」
「この件は受理させてもらうよ」
 キャメロンは微笑んでメイに答えた。
「喜んでね」
「では」
「あいつは刑事告訴となるよ」
「ですが有罪にならないと」
「あいつはクビにはならないね」
「有罪になるまでは」
「あいつは辞めないよ、むしろ理由をつけて欠勤をしても」
 そうしてもというのだ。
「有給休暇だので金をせびってくるね」
「自分はそうします」
「他人の有給休暇にはあれこれ言ってもね」
「そうしてきます」
「そういう奴だ、本当に変わらないね」
 口の端を歪めさせて言った。
「悪い意味でね」
「本当にそうです」
「そうした奴だから辞めはしないよ、けれどね」
「有罪にならなくてもですか」
「見ているんだ、強い一撃にはなる」
 有罪にならずとも、というのだ。
「あいつのこれまで生きてきての報いへのね」
「だといいですが」
「大学を卒業してあんな奴のことは忘れたつもりだったが」
 キャメロンはここでまた口の端を歪めて言った。
「あいつが破滅したとかならず者に刺殺されたとかいうニュースだけを聞くつもりだったよ」
「では」
「その場合ならず者は捕まえないといけないがね」
 刑事としての職務上の義務でだ、犯人は捕まえないといけないのだ。
「しかしそうしたニュースだけを聞くつもりで」
「ですが有罪になれないのですよね」
「なれないがこれは効くからね」
「受けられますか」
「そうするよ」
 こう言ってだ、キャメロンはメイが出した資料を受け取ってそのうえで刑事告訴の助けになった。ジョンソンは刑事告訴となったが。
 キャメロンの指摘通り彼は仕事を辞めず健康上の理由だのあれこれ言って有給休暇を取って仕事に出なくなってだった。
 裁判においてもだ、弁護士を言いくるめて味方につけてだった。
 陪審員達を丸め込ませ無罪を勝ち取った、灰色であったが黒とはならず検事の検証も破られ裁判官も無罪と言うしかなかった。
 無罪を勝ち取ったジョンソンは胸を張って会社に戻った、だが。
 社内の誰もがだ、その彼を嫌悪の目で見て言った。 

 

第五章

「よく戻って来たな」
「絶対にやってるわよ」
「しそうな奴だし」
「というかしない筈ないし」
「また何をするかわからないぞ」
「近寄ったらセクハラ、パワハラ受けそうだし」
「もう無視しよう」
 こうしたことを言ってだった、誰もが彼を無視する様になった。
 しかしジョンソンはそれでも平気だった、平然とした顔で職場に出て取引先にも顔を出したが取引先もだ。
 彼を見てだ、陰で囁き合った。
「何であんな奴を寄越すんだ」
「文書偽造、横領をしたんだろ」
「犯罪だろ、それ」
「無罪でも絶対にやってる」
「あいつならやる」
「無罪と無実は違うからな」
「ああした奴がやってない筈がない」 
 ジョンソンの人間性を知っている囁くのだった。
「ああいう奴はな」
「絶対にやっている」
「やっていない筈がない」
「あいつの会社に言って他の人来させてもらおう」
「あいつとは仕事をしたくない」
「顔も見たくない」
 こう言ってどの取引先もジョンソンお断りとなった、だがそれでもジョンソンは平気で会社を時折さぼりつつも出勤していた、そのうえで自分より強い相手には諂おうとし弱い相手はいびろうとしたが最早誰もがだった。
 彼に近寄ろうとはしなかった、そして遂にだった。
 ジョンソンの評判があまりにも悪いのでだ、これまで彼が取り入っていた労働組合の上層部も彼の噂を聞いて思いはじめた。
「とんでもない奴みたいだな」
「会社で色々やってるそうだな」
「セクハラにパワハラか」
「文書偽造に横領」
「弱いものいじめが好き」
「しかも強い相手には媚びるか」
「最低な奴みたいだな」
 彼の正体に気付きだしたのだ。
「組合でも立場を持っているが」
「こんな奴を組合に置いておけないな」
「むしろ組合の中でも何をやってるかわからないぞ」
「文書偽造とか横領していないか?」
「こうした奴はしているぞ」
「証拠は揉み消していてもな」
 胡散臭いと思いはじめ彼等の中で調査をしたところやはり灰色でだ、刑事告訴はしないがこれを理由として組合は彼を除名とした。
 それでも彼は平気だったが。
 会社の社長もだ、組合の後ろ盾も失い評判も甚だ悪く不真面目な勤務態度が社員達から常に報告されていてだ。
 遂にだ、この決断を人事部長に告げた。
「彼は懲戒免職だ」
「そうしますか」
「あまりにも酷い」
 勤務態度も評判もというのだ。 

 

第六章

「あの件は無罪だから許したが」
「証拠はなくとも」
「組合も庇っていたからな」
 彼が取り入っていたその組織もだ。
「だが組合からも除名されたしだ」
「クビにしても文句は言われない」
「本人が弁護士なり立てて言ってきてもだ」
「その弁護士にですか」
「彼の評判を全部話す」
 社長自らというのだ。
「今度裁判になっても陪審員にもだ」
「話して」
「そしてだ」
 そのうえでというのだ。
「裁判に勝つ」
「そうされますか」
「もうああした手合いはだ」
「会社にいらないですか」
「害にしかならない」
 まさにというのだ。
「むしろ今まで諂われていた自分の不明を恥じる」
「私にも何かとへらへらしてましたが」
 人事部長もこう言った。
「それも」
「媚だったのだな」
「そういうことですね」
「ならだ」
「はい、もうですね」
「彼はクビだ」
 一言であった。
「そうするとしよう」
「では」
 こうしてだった、ジョンソンは懲戒免職となった。職がなくなった彼だがまだ失業保険とタカリ先があったが。
 これまで彼にいじめられていた者達がタカリ先を助けそちらからの収入もなくなってだった。失業保険もなくなった。
 妻は既に彼のあまりもの人間性の卑しさに嫌気がさして離婚していて完全に孤独となった、悪評は親戚中にも広まっていき。 
 遂に普通には生きていけなくなり詐欺をはじめたがだ。
 遂にそれで捕まり今度こそ実刑判決を受けてだった、刑務所に入り。
 後は言うまでもなかった、犯罪者でしかも敵ばかり多い彼に頼る先もなく浮浪者になるしかなかった。だが浮浪者達の中でもその性格が忌み嫌われ。
 街の片隅で汚れた服でいつも蹲っているだけになった、その彼をだ。
 キャメロンはたまたま捜査でロンドンの街を歩いている時に見た、鋭い剣呑な目とわざとぼさぼさにした金髪で彼だとわかったが。
 蹲っている彼をだ、キャメロンは横目で見ただけでだった。
 そのまま通り過ぎた、そして口の端を歪めてこう呟いた。
「当然の結末だな」
「警部、何か言われましたか」 
 部下の若い巡査がキャメロンに後ろから問うた。
「一体」
「何でもない」
「そうですか、しかし」
「しかし?」
「さっきの浮浪者ですが」
 彼はジョンソンを知らない、だがそれでもこう言ったのだった。
「随分と人相の悪い奴でしたね」
「あの男か」
「今は浮浪者ですが碌でもない奴みたいですね」
「そうだな、ああした奴は碌でもないことばかりしていたな」
「浮浪者といっても色々ですが」
「中にはな」
「ああした碌でもない奴が転落してなった場合もありますね
「そうだな、本当にな」
 実際にとだ、キャメロンは巡査に答えた。
「ああした奴もいるな」
「そうですね」
 巡査はジョンソンを何も知らないが彼の雰囲気を見て言った、そしてキャメロンは彼を知っていて答えた。その結末を当然のものと思いつつ。


平気な男   完


                        2016・7・17