母の罪


 

第一章

                 母の罪
 米田奈央にとって母の恵美は自慢の母だ。
 有名な大学を優秀な成績で出て就職するとキャリアウーマンとなった。
 それから夫、愛美の父と結婚し仕事を家庭を両立させている。中学生になった奈央が反抗期に入っていないのも母を尊敬しているからだ。
 顔の形も目も丸い、そして黒のポニーテールが似合う大蒜に似た鼻が目立つ顔でいつも友人達に言っていた。
「うちのお母さん凄いのよね」
「料理上手で何でも作られて」
「お掃除もお洗濯も完璧」
「それでいて会社じゃ管理職としてバリバリ」
「お父さんもちゃんと立ててるって」
「そうなの、娘の私が言うのもだけれど」
 にこにことしたまま言うのだった、いつも。
「完璧なね」
「キャリアウーマンね」
「そうだっていうのね」
「奈央いつも言ってるけれど」
「そうだっていうのね」
「私もね」
 尊敬している目で言うのだった。
「ああなりたいわ、お母さんみたいね」
「ハイスペックな人にっていうのね」
「何でも完璧にこなす人に」
「そんな人になりたいのね」
「しかも美人に」
「そうそう、私はお祖母ちゃん似だけれど」
 自分の顔のことも言う奈央だった。
「それがね」
「違うっていうのね」
「これが」
「そうだっていうのね」
「まさに」
「そう、もう三十九歳だけれど」
 それでもというのだ。
「スタイルもいいしお顔も皺一つなくて」
「美人だっていうのね」
「美魔女だって」
「そう、美魔女なのよ」 
 そうした容姿だというのだ。
「そうなりたいわ、私も」
「何か色々凄い人みたいね」
「キャリアウーマンで家事も完璧」
「しかも美人って」
「尚且つ優しくて教え上手なの」
 奈央の自慢はこうしたものも出た。
「私お母さんに教えてもらってよ」
「成績がいい」
「そうだっていうのね」
「そう、本当にね」
 実際にと言うのだった。
「お母さんに教えてもらった勉強の仕方してるから」
「成績もいい」
「あんたそのこともいつも言ってるわね」
「実際にそうだから、お母さん八条大学法学部主席よ」
 その出身大学のことも話した。
「あそこの大学法学部はかなりレベル高いっていうけれど」
「法学部と医学部はそうみたいね」
「あそこの大学文学部や社会学部は普通だけれど」
「法学部と医学部は全国でも指折りで」
「かなりレベル高いのよね」
「そこの主席だから」 
 このことも奈央の自慢だ。
「いや、本当にね」
「何でも完璧で凄い人」
「万能だっていうのね」
「そうだっていうのね」
「まさに」
「そうよ、お母さんみたいになるから」
 目をきらきらとさせての言葉だ。 

 

第二章

「完璧な人にね」
「そうなるのね」
「それじゃあ頑張ってね」
「あんたいつもお母さんの話をするけれど」
「目指すなら目指してね」
「そうなるわ」
 絶対にとだ、奈央はいつも言いそして実際にその通りにしていた。とにかく恵美は娘の彼女から見ても完璧だった。
 しかしだ、ある日曜の夜だった。
 食事前にだ、恵美は暗い顔で奈央と夫の慎吾に言った。恵美は顔は少し四角い感じだがはっきりとした目と大きめな口、それに丁寧にブローした黒髪の確かに奈央が言う通り美人だ。背は一六〇を越えていてスタイルもいい。
 慎吾は背は一七〇位で面長で丸い小さめの目を持っている、髪は短く顔立ちも雰囲気も全体的に剽軽な感じだ。仕事はチェーン店のレストランの店長だ。
 その二人にだ、恵美は目を伏せて言った。
「食事前に言っておくことがあるの」
「?どうしたのお母さん」
「何かあったのかい?」
「私は過ちを犯したわ」
 こう言うのだった、自分の席で目を伏せて。
「このことを謝っておくわ」
「過ちっておい」
 慎吾はテーブルの自分の隣の席にいる妻に驚きの顔を向けて言った。
「まさか」
「浮気!?」
 言葉は奈央が先に言った。
「ひょっとして」
「それは父さんの台詞だぞ」
 慎吾は自分の言葉を取った娘に言い返した、何処か鳥みたいな顔で、
「それは取るな」
「あっ、御免なさい」
「わかったらいい、しかしな」
「お母さんの過ちって」
「一体何なんだ」
 二人で恵美を見て言う。
「それは」
「一体」
「仕事のミスか?」
「それでクビになったとか?」
「それか?」
「それか変なことをして借金を作った」
「それもあるからな」 
 慎吾は奈央に言った。
「下手に連帯保証人になってな」
「あるわよね、そうしたお話」
「ああ、それか?」
「じゃあうちにもヤミ金屋さん来るの?」
 奈央は目を丸く、普段からそうである目をさらにそうさせて言った。
「ひょっとして」
「おいおい、ヤミ金はな」
「犯罪よね」
「だけれどいるからな」
「トイチとかの」
「ああ、ミナミの何とかさんはまだましだよ」
「ヤミ金何とかくんって本当にいるのね」
「あれはまだ人情が見られるけれどな」
 確かに悪質な犯罪者であるが借りる方も借りる方なのでどっちもどっちという見方も出来るであろうか。
「実際はヤクザだからな」
「やばいわよね」
「ヤクザだぞ」
 それならというのだ。
「関わるな」
「それが鉄則よね」
「そうだ」
 こう娘に強く言った。 

 

第三章

「そもそも借金自体がよくない」
「そうよね」
「返すあてが確かにあるならいいが」
「そうでないと」
「大変なことになるぞ」
「お母さん、じゃあ」 
 奈央は恵美を蒼白になった顔で見て問うた。
「ヤミ金に」
「ミナミの何とかか」
 夫も言う。
「まさか」
「それか」
「若しくは浮気!?」
「相手は誰だ」
「会社クビになったのか」
「悪いことをしてか」
「食べてみて」
 俯いた顔のままだ、恵美はまた慌てだした二人に言った。
「御飯」
「?御飯を」
「そうしろっていうのか」
「そうしてみて」
「どういうこと?」
 奈央は母の言葉にこれまで蒼白になっていたがそれを怪訝なものにさせてそのうえで言ったのだった。
「御飯って」
「何なんだ」
「ええと、今日は麻婆卵にね」
 豆腐ではなく中華風の卵焼きを使ったものだ。
「野菜たっぷりのフカヒレスープ」
「それとモヤシと青野菜のナムルか」
「普通じゃない」
「この料理がどうしたんだ」
「食べたらわかるから」
 母は俯いたままこう言うばかりだった、それでだった。
 奈央も夫も事情がわからないままにだった、顔を見合わせてだった。
 二人でその夕食の料理を食べはじめた、箸に取って。奈央は麻婆卵、夫はナムルを食べた。そして口に入れた瞬間にだった。
 二人共だ、この世の終わりを見た様な顔になって叫んだ。
「な、何この味!?」
「何だこれ!」
「こんな酷い味ないわよ」
「このまずさ何だ!?」
「フカヒレもナムルも」
「ああ、どれもだ」
 おかずを三つ共口に入れてみても言葉は同じだった。
「まずい!」
「味付けも火の入れ方も滅茶苦茶だぞ!」
「この味どうしたの!?」
「これ母さんが作ったのか!?」
「実は今日は風邪ひいてて」
 それでと言う母だった。
「お鼻が詰まっていて、もう匂いが全然ね」
「それでか」
「味がわからなくて」
 それでというのだ。
「お鼻の調子が少し戻ったから味見してみたら」
「こんな味か」
「そうだったのか」
「そうなの」
 こう夫に答えた。
「大失敗だったわ」
「母さんがこんな失敗をするなんて」
「うわ、御飯もベチャベチャ」
 奈央はお碗の中のそれも食べてみて言う。
「いつもは凄くいい炊き加減なのに」
「こっちもか」
「実は熱が三十九度あったの」 
 風邪のせいで、というのだ。
「何か気力でお仕事行ってお料理作ったけれど」
「三十九度って」
「駄目ね、今日のお料理は」
「いや、寝ないと」 
 奈央は母にすぐに言った。
「それだけ熱があったら」
「さっき測ったらね」 
 その体温をというのだ。 

 

第四章

「朝出勤する時とお昼にお薬飲んで楽になってね」
「それでお鼻もなの」
「ましになって測ったら三十七度五分だったわ」
「やっぱり高いじゃない」
「それである程度舌も戻って測ってみたら」
「お料理の後で」
「そう、二人を呼ぶ前にね」
「それで味見したらだったのね」
 奈央もここで事情を理解した。
「こうした味だったの」
「そうだったの」
「御免なさい、今日は」
 恵美は項垂れたまま奈央と夫に頭を下げた。
「お料理失敗したわ」
「というか浮気じゃないの」
「借金でもないのか」
「仕事でミスしたとかクビになったとか」
「犯罪をやったとか」
「違うわ、お料理がね」
 まさにそれがというのだ。
「こうしてね」
「そうだったの」
 奈央は母の説明を聞いて納得した顔になった、夫もだ。
 それでだ、今度はほっとした顔になって母に返した。
「何だと思ったわ」
「そうなの」
「ええ、お料理の失敗ならね」
「あることだからな」
 夫も言う。
「気にすることもないだろ」
「けれど今までこうしたことなかったから」
「というかそんなに熱あったら」
 それこそとだ、奈央は母に言った。
「休まないと」
「お仕事もあるし家事も」
「それでもよ、無理はしないの」
「そうだ、わし等も家族だぞ」
 夫も言うのだった。
「それならよ」
「無理はしないでいいからな」
「そうした時は私達がするから」
「何でもしょい込むな」
「会社も休んで」
「家事はわし等に任せろ」
「けれど私は課長だしお母さんだから」
 そして妻でもあるとだ、二人に言うのだった。
「しないといけないことがあるから」
「責任感はいいけれど」
 奈央はあくまで言う母に眉を顰めさせて言った。
「それでもよ、風邪だったら」
「休まないといけないの」
「今度からそうして」
 娘としてだ、母に言った。 

 

第五章

「そうしてね」
「どうしても?」
「そう、どうしてもよ」
「今日はもういいから休むんだ」
 ここでまた夫が言う。
「いいな」
「お父さんの言う通りよ、そうしてね」
「そこまで言うのなら」
 恵美も頷いた、そしてだった。
 恵美はこの日は早いうちから寝て次の日は仕事を休み家事も家族特に娘に任せて自分のベッドの中でこんこんと寝た、そうして身体を休めた。
 その後でだ、奈央はクラスメイト達にこのことを話したのだった。
「とまあそういうことでね」
「お母さんがお料理を失敗してなの」
「とんでもない味だったのね」
「風邪をひいたせいで」
「そうなったのね」
「そうなのよ、まさかね」
 奈央はクラスメイト達にしみじみとした口調になって言うのだった。
「お母さんが過ちを犯したって言って」
「びっくりしていたらお料理のミスで」
「しかもそれが凄くまずくて」
「原因は風邪だった」
「そうだったっていうのね」
「そう、何ていうかね」
 それこそと言うのだった。
「驚いたわ」
「過ちっていうとね」
「普通は浮気とかって思うからね」
「ヤミ金とか」
「家庭崩壊コースって思うわね」
「私もそうだったわ、けれどね」
 それがというのだ。
「いや、そういうのだったのよ」
「只の調理ミス」
「それも風邪のせいでのね」
「大したことなかったわね」
「別にね」
「ええ、ただお母さんも失敗するのね」
 真実をわかってからだ、奈央はこうしたことを言ったのだった。
「完璧だって思っていたら」
「まあ人間だからね」
「完璧な人っていないからね」
「奈央のお母さんも人間だし」
「そうしたこともあるわよ」
「そうね、そのことがよくわかったわ」
 今回の件でというのだ。
「けれどその失敗がかえってね」
「いいっていうの?」
「そうだっていうの?」
「だって完璧だったら何かね」
 幾らその相手が憧れている母でもというのだ。
「怖いからね」
「機械じゃないからね」
「あまりにも完璧過ぎたらね」
「愛嬌も感じられないし」
「かえってあれよね」
「そう、だからね」
 それでと言うのだった。
「何処かほっとしてるのも事実だし、お母さんにもそうした意味でかえって親しみも持てたし」
「よかったっていうのね」
「結果としてそう思ってるのね」
「ええ、やっぱり私お母さん大好きよ」
 奈央は微笑みクラスメイトに答えた。
「これからもね」
「お母さんみたいになりたい」
「そう言うのね」
「だから言ってるのよ」
 今実際にとだ、奈央はクラスメイト達にまた答えた、その答えは明るく邪気のない笑みで出されたものだった。


母の罪   完


                       2016・7・14