岩魚法師


 

第一章

                岩魚法師
 飛騨今の岐阜県の北部に伝わる話である。山と川ばかりのこの国では今では考えられない方法で漁が為されていた。
 その話を聞いて名古屋から旅行に来た大学生である羽柴良光は思わず言った、羽柴という名前のせいか猿顔で髪型は黒髪をスポーツ刈りにしている、名前とはうって変わって背はあり一七六位ある、逞しい足腰で上半身も引き締まっている。動きやすい服装で背中には荷物を入れるリュックがある。その彼が言った。
「毒をですか」
「ああ、渓流に流してな」
 ここに古くから住む老人姉小路慎之助は羽柴に答えた、小柄で飄々とした老人で白髪はすっかり薄くなっていて顔は皺だらけだ。背中は少し曲がっているが身のこなしは山道を軽々と進む位で羽柴より軽快だ。
「そうしてな」
「魚を獲っていたんですか」
「昔はな」
「無茶苦茶なやり方ですね」 
 羽柴は顔を顰めさせて言った。
「それはまた」
「昔はそうは思わなかったんだよ」
 姉小路はその羽柴に何でもないという顔で返した。
「本当にな」
「昔はですか」
「ああ、昔はな」
「そうですか」
「今と昔じゃ何もかも違うだろ」
「まあそれは」
 羽柴も否定せずに答えた、二人で熊も猿も出そうな山の中を進みつつ話している。
「そうですね」
「それでだよ」
「昔はですか」
「川に毒を流してな」
 そのうえでというのだ。
「漁をしていたんだよ」
「それでその魚を食べていたんですか」
「ああ、毒は樹木の皮を煎じて作ってな」
 その皮を煮て、というのだ。
「それで川に流すんだよ」
「当然川の魚は死にますね」
「魚どころかそこにいる生きもの全部な」
「蟹とかたにしもですね」
「虫だってな」
 これもというのだ。
「全部死んでな」
「そこから食べられるものを獲るんですね」
「ああ、下の方に網を張ってな」
 下流にというのだ。
「まとめて捕まえて食っていたんだ」
「そうでしたか」
「今じゃ本当に出来ないな」
「やったら犯罪ですね」
「ああ、それにこうした話もあってな」
「こうした話?」
「今から話すな」
 こう前置きしてだった、姉小路は羽柴を彼が目指している山の頂上まで案内していった。そうしてその話をするのだった。 
 今ではかなり昔のことである、飛騨のある渓流でその渓流の近くの村の者達が毒流しの用意をしていた、樹木の皮を煮込んで毒を作っていたのだ。
 するとそこに一人の僧侶が来た、その僧侶を見て村人達はまずは顔を見合わせて言い合った。
「あの坊さん知ってるか?」
「いや、知らんぞ」
「わしもだ」
「この近所の坊さんか?」
「随分身なりがいいが」
「あんな坊さん見たことがないぞ」
 誰もがこう言った、そしてだった。
 村人達はいぶかしみながら坊さんに尋ねた。
「旅の坊さんですか?」
「ひょっとして」
「そうですか?」
「そんなところです」
 僧侶は村人達にこう答えた、見れば長い顔で目は顔の左右にある感じで口は小さい。頭の形はやけに細長く先が丸く尖っている感じだ。 

 

第二章

 その僧侶が村人達に言ってきた。
「一つお話があって参上しました」
「と、いいますと」
「どういったお話でしょうか」
「一体」
「これから川に毒を流して漁をされますね」
 僧侶は村人達に問うた。
「毒流しを」
「ええ、そうします」
「今から」
「それで川のものを獲って食います」
「そうします」
「それはよくないです」
 僧侶は村人達に必死の顔で言った。
「どうも」
「といいますと」
「どうしてですか?」
「それは駄目とは」
「またどうして」
「普通の漁なら獲られた魚や蟹だけが死にます」
 僧侶は滔々とした口調で話した。
「そうなります、ですが」
「それでもですか」
「毒流しは違う」
「そう言われますか」
「川の者を全部殺します」
 そうするというのだ。
「よくありません、無駄な殺生になります」
「いえ、死んだ生きものは全部食います」
「そうしますから」
「問題ないです」
「無駄な殺生ではないですか」
「いえ、食わない魚や蟹も出て」
 そしてというのだ。
「そうした命はどうなるか」
「そう言いましても」
「わし等も食わないといけません」
「どうしても」
「ですから」
 それ故にというのだ。
「ここはです」
「そうします」
「そうせずにはいられないです」
「よかったら」
 ある村人がここでだった。
 僧侶に団子を差し出した、そうして言うのだった。
「これを」
「団子ですか」
「はい、召し上がって下さい」
 これをやるから帰れというのだ。
「どうぞ」
「そうですか」
 僧侶は団子を無理に渡されたがまだ何か言いたそうだった、だがもう村人達に言っても仕方ないと思ったか。
 項垂れて帰った、村人達はその後姿を見てひそひそと話した。
「怪しいな」
「どうもな」
「見たことのない坊さんだし」
「この近くの寺にあんな坊さんいるか?」
「いないな」
「随分変わった顔だから一目見たら覚えるが」
 その左右に離れた目と尖った小さな口の顔のことも話した。
「まるで魚だからな」
「あんな顔忘れられんぞ」
「しかし近くの寺にあんな顔の坊さんはいない」
「そうだな」
「一体どんな坊さんだ」
「怪しいな」
「ここはだ」
 村人の一人がここで言った。
「後をつけてみるか」
「それがいいな」
「一体どの寺の坊さんか」
「見に行くか」 
 こう話して村人達のうち二人が僧侶の後をつけてどういった者か確かめに行った、僧侶は山の中を歩いていったが。
 不意に毒を入れることになっている淵のところで姿が消えた、このことに後をつけていた村人達は驚いた。
「何処に行った?」
「何処に行ったんだ」
「不意に消えたぞ」
「急にいなくなったぞ」
「何処に行ったというんだ」 
 村に帰ってこのことを話しても誰もが不思議がった、だが毒を流すことは決まっていたので次の日僧侶が消えた淵に毒を流した。
 そうして漁をして魚や蟹達を獲ったがその中に。
 一匹の岩魚がいた、その岩魚を見て村人達は驚いた。
「物凄い大きさだな」
「こんな大きな岩魚いないぞ」
「物凄い大きさだな」
「どんでもないな」
 毒により死んだ魚達の中にいるその岩魚を見て喜んだ、だが岩魚の美味さを知っているのでそれで彼等はすぐにこう言い出した。 

 

第三章

「この岩魚も食うか」
「ああ、焼いて食おうな」
「村に帰ってそうしよう」
「すぐにな」
 こう話してだった、他の魚や貝そして蟹達も獲ってだった。
 村人達は村に帰り食いはじめた、その岩魚もだった。
 腹を割いて内臓を取ってから焼こうとすると。その内臓の中に。
「団子?」
「これはうちの村の団子じゃないか」
「何で岩魚の腹の中にうちの村の団子があるんだ」
「どうしてなんだ」
「これは」 
 ここである者が気付いて言った。
「昨日の坊さんじゃないのか?」
「この岩魚がか」
「昨日の坊さんか」
「そうだったのか」
「ああ、昨日の坊さんが毒を流すなと言ったのはな」
 それはというと。
「自分も川の生きものも皆死ぬからだ」
「それが嫌でか」
「坊さんの姿になって村に来てか」
「毒を流さない様に頼んだのか」
「そうだろうな、こんなことがあるんだな」
 その団子を見て言った。
「世の中には」
「不思議なことだな」
「全くだな」
「岩魚が人になって言ってくるなんてな」
「こんなことがあるんだな」 
 村人達はしみじみと思った、それでその岩魚も他の死んだ川の生きもの達も今は食わず供養した。そうして以後この村では毒を使う漁をすることはなくなった。
 その話を終えてだ、姉小路は羽柴にこう言った。
「こうした話がここにはあるんだ」
「へえ、岩魚がですか」
 羽柴は目を瞬かせて応えた。
「お坊さんになってですか」
「この辺りにそんな話があるんだ」
「そうなんですね」
「それでわしはその村の生まれだ」
 姉小路は笑って羽柴にこうも言った。 

 

第四章

「実はな」
「そうだったんですか」
「そこは驚くところだろ」
「これまでの話で驚いてましたから」 
 岩魚の話でというのだ。
「ですから」
「驚かないか」
「はい、岩魚がですね」
「ああ、それでこの辺りでは今も岩魚を食うが」
「まさか」
「人になる岩魚はおらんからな」 
 姉小路は笑ってそれはないと返した。
「それは安心しろ」
「そうですか」
「普通の岩魚だけだ、あんた岩魚は食ったことあるか」
「いえ、実は」
 羽柴は自分を案内してくれる姉小路に答えた。
「川魚自体が」
「ああ、名古屋の方だったなあんた」
「そっちにいますと」
 名古屋にというのだ。
「やっぱりです」
「魚は海だな」
「川魚はあまり市場にもないですね」
 勿論スーパーや百貨店にもだ。
「海老はふんだんに」
「名古屋だからな」
「はい、ですから」
「そうか、しかしな」
「それでもですね」
「こっちは今も岩魚を食うからな」
 それでというのだ。
「キャンプ地であんたも食え、美味いぞ」
「それじゃあ」
 羽柴は姉小路の言葉に頷いた、そうしてだった。
 実際にキャンプ地に着いてそこでじっくりと焼いた岩魚を食べてみた、それは実に美味くて笑顔になった。
 そしてだ、一緒に岩魚を食べる姉小路にこう言った。
「美味いですね」
「そうだろ、それであの川がな」
 姉小路は自分達の後ろに流れる川を見て話した、見れば周りには羽柴以外のキャンプの客達がいてテントが幾つもある。
「その毒を流した川だ」
「そのお坊さんになった岩魚がいた川ですね」
「この岩魚もあの川で獲ったんだ」
「そうなんですね」
「ああ、しかし今は毒は流してないからな」
「だからですね」
「そのことは安心してくれよ」
 こう言ってだ、そして。
 姉小路は羽柴に岩魚をもう一匹差し出した、それで彼に笑顔で言った。
「どんどん食ってくれよ」
「そうさせてもらいます」
 羽柴も笑顔で応えた、そうしてその岩魚を受け取り食った。その岩魚も実に美味かった。


岩魚法師   完


                 2020・6・15