マンホールの中


 

1部分:第一章


第一章

                    マンホールの中
 この時富永昇はただ雨の道を歩いていただけだった。隣には幼稚園からの親友である金口翔がいる。背は昇の方が高くそれがやや目立っている。翔は長い黒髪に少し白くメッシュを入れたうえで伸ばしている。昇はそれに対して黒髪を短く刈っていた。
 顔は昇が精悍な感じなのに対して翔は何処か女性的だ。しかし二人共詰襟の黒い学生服を着ているのでそれで嫌が応でも学生だとわかる。
 その中でであった。昇がふと翔に言ってきた。
「なあ」
「んっ、何だ?」
「この前聞いた話だけれどな」
 笠を右手にさしたまま自分の右手にいる翔に言ってきていた。
「マンホールあるだろ」
「これ取って鉄板にして焼肉でも焼くのか?」
「おい、何でそんな話になるんだよ」
 昇は今の翔の言葉に顔を向けて言い返した。
「それ大体なんだよ」
「昔の漫画であった」
 翔はすぐに昇に答えた。
「確か花の応援団だったな」
「随分古い漫画だな、それって」
 昇は翔の話を聞いて思わず言い返した。
「っていうか御前がそんな漫画を読んでるのか」
「おかしいか?」
「おかしいも何もキャラじゃないだろ」
 昇は翔のその顔を見て言うのだった。
「御前がそんな漫画読むなんてよ」
「おかしいか」
「だからキャラじゃないんだよ」
 彼はまた翔に言う。
「それも全然な」
「そうか。だが俺は読んだことがある」
「そうなのかよ」
「お好み焼き屋でだ」
 読んだ場所まで述べるのだった。
「そこで読んだ」
「少なくともお好み焼き屋で飯食いながら読む漫画じゃねえな」
 昇もまたその漫画のことがよくわかっているようである。
「あれはな」
「そうか?お好み焼きは関西であの漫画も関西だからな」
 翔はいいと言うのである。
「俺はそう思う」
「全然違うからよ。まあとにかくだよ」
 昇はとりあえず話を戻してきた。
「それでマンホールだけれどな」
「どうしたんだ、それでそのマンホールが」
「それで話を聞いたんだよ」
 こう話すのであった。
「マンホールを開けるとそこには別の世界があるんだよ」
「初耳だぞ」
 翔はそれを聞いてその女性的に細く流麗な眉を少し動かした。
「それは」
「ああ、俺もそうなんだよ」
 そしてそれは昇も同じなのであった。
「俺もな。この前はじめて聞いたんだよ」
「そうだったのか。それでそれは何処で聞いたんだ?」
「ネットでな。それでマンホールを開けるとだよ」
「ああ」
「そこにマンホール人間の世界があってな」
 これまた翔にとってはかなり心外な話であった。
「皆そこで楽しく暮らしているんだよ」
「楽しくか」
「ああ、楽しくな」
 また翔に話す。そのマンホールを見ながら。そうしてそのうえでマンホールを見ている。マンホールを見ながら話をしていくのだった。
「暮らしてるらしいんだよ」
「何だそれは」
 翔はその話を聞いて眉を顰めさせた。またその流麗な眉をだ。
「マンホールの下にそんな世界があるものか。あるのは下水道だけだ」
「そうだよな。やっぱりな」
 昇もその言葉に頷きはする。
「それは普通に有り得ないよな」
「有り得ないっていうか何ていうかだ」
 翔もさらに言う。
「作り話にしても出来が悪いな」
「ああ、やっぱりか」
「ネットの与太話か?」
「そうだ、与太話だ」
 翔にしてはまさにそうであった。
「どう考えてもな」
「夢がない言い方だよな、それって」
 昇は翔のその言葉に不満な顔を見せてきた。
「あるとか思わないのか?ちょっとは」
「だったらそういうふうに思ってろ」
 翔はそんな昇を突き放すのだった。
 

 

2部分:第二章


第二章

「御前一人でな」
「何か引っ掛かる言い方だな」
「事実を言っただけだ」
 しかし翔の態度は変わらない。その言葉も。
「そのままな」
「じゃあ本当にマンホールの中に世界があったらどうするんだよ」
 昇も引かない。殆ど売り言葉に買い言葉になっていた。
「その場合はよ」
「その場合はか」
「そうだよ。どうするんだよ」
「その時は一緒に行ってやる」
 こう言う翔だった。
「そのマンホールの中にな」
「言ったな、じゃあ本当にだぞ」
「もっともそんなものがある筈がないがな」
 この考えは不変だといった言葉だった。
「絶対にな」
「じゃああった時に楽しみにしてろ」
 昇もまたその言葉を変えはしない。最早殆ど喧嘩であった。
「絶対にな」
 こんな話をしていた。そんな雨の日の下校時間だった。そしてこれから数日後だった。彼等はまた一緒に下校していた。この日もまた雨だった。
「最近雨が多いな」
「全くだ」
 翔はこの日は穏やかに彼の言葉に頷いていた。
「いい加減嫌になってくるよな」
「雨も多過ぎると鬱陶しいだけだ」
 二人もここでは意見は一致していた。
「どうにかならないものかな」
「まあ仕方ないよな」
 しかし昇はそれを受けたようにして言葉を出した。
「雨が多いのもな」
「仕方ないか」
「天気なんてそれこそ誰にもどうにかすることなんてできないさ」 
 そしてまた言う昇だった。
「だからな。あれこれ言っても仕方ないな」
「随分と物分りがいいな」
 翔はそんな昇の言葉を聞いて述べた。やや嫌味さがあるがそれでも昇はそれについては何も言わずそのまま言葉を続けるのであった。
「この前はあんな馬鹿なことを言っていたのにな」
「マンホールのことかよ」
 昇はすぐに彼が何のことを言っているのか察した。
「この前っていえばよ」
「そうだ。高校でも言っていたな」
 二人が通うその高校でも言っているのだった。昇はもうそのマンホールの中の世界のことばかり言うようになってしまっているのである。
「今日もだったな」
「今日もそうだし昨日もだったよな」
 昇は自分のことを振り返りながらそう述べた。
「そういえば」
「おかしいとは思わないのか?」
 真顔で昇に問うてきた。
「それが。そんなありもしないことで」
「あるかも知れないだろ」
 しかし昇はまだ言うのだった。諦めることのないように。
「そうだよ。それであれからもまだ調べたんだよ」
「ネットでか」
「そうさ。それでまた一つわかったんだよ」
 そのマンホールのことをまた話すのだった。
「面白いことがな」
「それで何がわかったんだ」
 信じてはいないが馬鹿にはしていない顔で昇に問うてみせた。
「ネットで」
「マンホールの世界に入れるのはな。普通の日じゃないんだよ」
 彼が言うのはこのことだった。
「普通の日じゃな」
「じゃあどういう日なんだ?」
「雨が降ってな」
 まずは雨だった。
「激しい雨が数日降ってそれからマンホールを開くとな」
「行けるのか」
「ネットじゃそう書いてあったぜ」
 誇らしげにこう翔に語るのだった。
「そうな」
「そうか。よかったな」
 ここまで聞いて如何にも信じていないという表情を見せるのだった。
 

 

3部分:第三章


第三章

「それはな」
「全然信じていないんだな」
「激しい雨が数日だな」
 翔は今度はこのことを指摘してきた。
「ネットではそう書いてるんだな」
「ああ、そうさ」
 また答える昇だった。
「そう書いてあったんだよ」
「じゃあ今日開けたらどうだ」
 こう昇に提案する。
「今ここでな」
「ここでか」
「そうだ。もう何日も激しい雨が降っている」
 これはその通りだった。もう数日も雨が止まない。先程二人が話していることそのままである。とにかく雨は止まず降り続いているのだ。
「それだと丁度いいな。マンホールを開ければその世界に行くことができるぞ」
「開けろっていうのかよ」
「そこにあるしな」
 翔が指差したそこにあった。そのマンホールが。
「あれを開ければ行ける筈だぞ」
「じゃあ今から開けるぞ」
「勝手にしろ」
 翔は開けるにしろ好きなようにしろと告げた。
「御前が信じるんならな」
「よし、それじゃあな」
 昇は笠をさしたままであったがそれでもマンホールに向かいそこにしゃがんだ。そうしてそのままマンホールに手をかける。その間翔はそっと彼の側に来てその笠を左手に持ちそれで雨がかからないようにした。そうしてそのうえで彼がマンホールを開けるのを見るのだった。
 マンホールは程なくして開いた。その中には。
「何か見えたか?」
「いや」
 昇は開けたマンホールの中を覗きながら答えた。
「何も」
「だろうな」
 翔は昇のその言葉を聞いて述べた。
「そんなことだと思った」
「最初から信じていなかったのかよ」
「じゃあどうやって信じろというんだ?」
 顰めさせた顔で返した言葉だった。
「そんな話。一体どうやって」
「けれどな。実際に書いてあったんだよ」
 それでも昇としては反論せずにいられなかった。そのマンホールを開けたまま。
「本当なんだぞ」
「書いてあることだけが真実じゃない」
 翔の言葉はそのまま真理であった。
「むしろ嘘の方が圧倒的に多い」
「そんなものかよ」
「特にネットだろ。ネットはそれこそ嘘と真実が入り混じってる」
 しかも複雑にである。それがインターネットというものだ。
「それでどうしてそんな書き込みが信じられるんだ」
「けれど本当だろ?」
 それでも昇は言うのだった。まだそれでも。
「俺はそう思うんだけれどよ」
「本当だったら今マンホールから何か出て来るな」
 翔はここでもまたはっきりと言うのだった。
「違うか?それは」
「出るかも知れないだろ?」
 彼も引かなかった。引けなくなったと言ってもいいが。
「ひょっとしたらよ」
「じゃあ俺も覗いてやる」
 翔もここで彼を完全に諦めさせるつもりになっていた。それで前に出たのだった。
 今度は二人でそのマンホールの中を覗き込む。そこは相変わらず真っ暗闇で中には何も見えることはない。そう、その筈であった。 
 だが二人が同時に覗き込んだその瞬間にであった。不意にマンホールからやたらと目の大きいぶよぶよとしたものが出て来たのであった。
「んっ!?」
「何だこいつは」
「いやあ、どうもどうも」
 それはよく見たら人間に似ていた。しかし顔はやけに大きくかなりたるんでいる。それを見る限りあまり人間には見えはしなかった。
「お客さんですか?これはまた」
「お客さんってまさか」
「俺達のことか」
「違うんですか?」
 そのぶよぶよとした人間のようなものはまた二人に言ってきた。
 

 

4部分:第四章


第四章

「お客さんじゃないんですか?」
「いや、お客さんって」
「俺達はだ」
 ここで彼等は自分達の事情をこの怪しい何かに対して語るのだった。
「マンホールの中に何かがいるって聞いて」
「それで開けただけだが」
「ああ、じゃあ私達のことですね」
 この怪しい存在は今度は二人の言葉に頷いてきたのだった。
「私達の」
「私達って!?」
「じゃああんた達はまさか」
「そうですよ、マンホール人ですよ」
 楽しそうに笑いながら二人に対して言ってきた。
「そのマンホールの中に住んでいる。私達がですよ」
「ほら見ろ」
 昇はここまで聞いて笑顔で翔に対して言ってきた。
「マンホール人は本当にいただろ?本当にな」
「そんな筈がない」
 しかし翔は実際にそれを見てもまだ信じようとはしなかった。
「マンホール人なんてそんな馬鹿な存在がいる筈がない」
「けれど実際にこの人がそう言ってるじゃないか」
「大体どうしてマンホールの中に人が住んでいるんだ?」
 彼は現実的な視点からこう語るのだった。
「大体。どうしてなんだ」
「ああ、そういえばそうだよな」
 そして昇は今それに気付いたような顔を見せてきた。
「考えてみれば。おかしいよな」
「そんな筈があるか」
 翔はまた言うのだった。
「マンホールの中に人が住んでいるなんてな」
「まあまあ落ち着いて下さい」
 しかしマンホール人は温厚そうな笑みを浮かべてそんな翔に対して言ってきたのだった。
「百聞は一見にしかずですよ」
「百聞はか」
「何なら私達の世界に来て下さいよ」
 そしてその短く太い指がある手を振ってきて言うのだった。とりあえずその指は五本あって一応は人間であると説明できはした。
「私達の世界に。それだと納得できるでしょう?」
「見たらな」
 見ても信じていなかったがそれでもこう言うのだった。
「信じるかもな」
「じゃあ決まりですね。どうぞ」
「よし、行くか」
 もう昇は最初からそのつもりだった。すぐに翔に対して声をかけた。
「いざマンホールの世界にだぜ」
「本当に行くのか」
 しかし翔はそれでも戸惑うものを見せていた。
「マンホールの中に」
「ここまで来て何言ってんだよ、早く行くぜ」
「ああ、わかった」
 こうして彼等はそのマンホールの中に入っていった。マンホールの中に入るとだった。もうそこは完全に別世界であり彼等の見たこともない世界が広がっていた。
 街があった。小さく丸い家が立ち並ぶ街が。遠くに見えるビルも同じでやはり丸い。それはドームのような形をして家々と同じく居並んでいた。 
 行き交う人々は小さく丸々と太っている。そして目がやけに大きい。しかしとてもにこやかに笑い何の悩みもないようだった。着ている服は毛皮だった。
「あれっ、そういえば服は」
「鼠の毛なんですよ」
 彼等に最初に会ったマンホール人が答えてきた。
「私達の服は」
「鼠の毛を服に」
「他には皮も使いますよ」
 こう昇に答えるのだった。
「皮もね」
「そうなのか」
 翔はそれを聞いてとりあえずはそれがどうしてか察しをつけた。
「増えやすいからか」
「そうなんですよ。何しろネズミ算といいますから」
 地上の言葉がまた出て来た。
「だからそれを使って服にしてるんですよ、昔から」
「成程な」
 翔はそれを聞いてあらためて頷いた。
 

 

5部分:第五章


第五章

「そういうことか」
「勿論鼠の皮は小さいですからね」
 こういう前置きはつきはした。
「ですから縫い合わせはしていますよ、糸で」
「そうやって使うのか」
 昇が応えると言葉はさらに続いた。
「あとは鰐の皮も使いますし」
「鰐の?」
「はい、鰐の皮です」
 マンホール人は答えた。
「それも服にできますよ。勿論下着とかは無理ですけれどね」
「鰐の皮も服に使えるんだ」
「工夫次第で」
 それによりというのは述べられた。
「できますよ」
「そうだったのか」
「ええ。それで下着なんかは毛皮を工夫してそちらの綿みたいにしてですね」
 そうした服の事情が話されていく。
「そうやって使ってますよ」
「あんた達も結構苦労してるんだな」
「いえ、それが全然」
 しかしマンホール人は翔の今の言葉は笑って否定した。
「そうじゃありませんよ」
「そうなのか?」
「私達はかなり楽しくやってますから」
 そのぶよぶよとした顔で笑ってみせる。しかしその顔はやたらと愛嬌があるものだった。
「何の悩みも苦しみもなる」
「ああ、そういえば」
 昇はここで自分の周りを行き交う他のマンホール人達を見て言った。見ればどの人達も楽しく笑っていて表情に屈託がない。悩みも苦しみもない証拠だった。
「そうだよな。ここの人達って」
「幸せに暮らしているのか」
「食べ物にも困らないし」
 それにも困らないというのである。
「鼠もいるし端っこにある草は幾らでもあるし」
「草を食べてるのか」
「これが柔らかくて食べやすいんですよ」
 見ればどの家や建物の端にもその緑色の草が生えている。人々の中にはそれを引っこ抜いている者もいる。しかし草はそのはしから次々に生えてきていた。
「とてもね」
「それを食べているのか」
「あとはです」
 今度は翔に答えるマンホール人だった。
「鰐ですけれど」
「ああ、その鰐か」
 昇はその鰐の話に気付いた。
「鰐だよな、その皮を使ってる」
「これがまた美味しくて」
「けれどどうして鰐なんかがこんなところに?」
 昇は少し考えてから述べた。
「いるんだろうな」
「白い鰐か?」
 しかしその彼に翔が答えた。
「あれか」
「あっ、御存知でしたか」
「ああ」
 翔は嬉しそうに声をあげたマンホール人に対して答えた。
「それだな。あの白い鰐だな」
「はい、そうなんですよ」
 彼は笑顔でまた翔に答える。
「あの鰐なんですよ、実は」
「そうだな。やっぱりあの鰐か」
「そういうことです」
「!?何だその白い鰐って」
 だが一人だけ話がわからない昇は怪訝な顔と声で翔に問うだけだった。
「この世界にいるの知ってるのかよ」
「下水道に捨てられた鰐だ」
 翔はこう彼に対して話をはじめた。
「それが大きくなってな。日に当たっていないからそうして白くなった鰐だ」
「へえ、下水道にも鰐がいるのかよ」
「そうなんですよ。それを捕まえて養殖しまして」
 マンホール人はその鰐のことも話すのだった。
 

 

6部分:第六章


第六章

「それを食べてるんですよ。ステーキとかにして」「
「鰐のステーキ」
 昇はそれを聞いて少し興味深そうな顔を見せた。
「何かよさそうかも」
「ああ、宜しければどうぞ」
 また笑顔で話すマンホール人だった。
「御馳走しますよ、是非」
「あっ、食べさせてくれるのかよ」
「ええ、御二人共」
 マンホール人は翔に対しても言ってきた。
「宜しければどうぞ。他には茸もたっぷりとありますよ」
「よし、じゃあ御言葉に甘えて」
 昇は満面の笑顔でその話に乗った。
「そうさせてもらおうかな」
「ええ、どうぞ」
「それで翔」
 今度は昇が彼に声をかけてきた。
「御前はどうするんだ?」
「俺か」
「そうだよ。やっぱり鰐のステーキ食べるのかよ」
「そうだな」
 彼は昇の言葉にあらためて考える顔になった。
「悪い人じゃないしな。言葉に甘えるか」
「よし、じゃあそれで決まりだな」
「そうですね。それじゃあ」
 マンホール人は満面の笑みのまま二人に告げてきた。
「私の家にどうぞ」
「よし、それじゃあ」
「甘えさせてもらう」
 こうして二人は御馳走になったのだった。その鰐のステーキも茸や草もとても美味かった。鼠もだ。二人はそうした食べ物を心ゆくまで堪能しそのうえで。彼等の世界に変えることになった。
 もう結構時間が経ったのにそれでもだった。世界は明るいままだ。翔はそれを見て今度は彼等を帰り道にまで案内してくれている親切なマンホール人に対して尋ねるのだった。
「ここは太陽はないな」
「はい、そうです」
 マンホール人もそれは認めた。
「地下の世界ですから」
「ではどうしてこんなに明るい?」
 いぶかしむ顔で問うた言葉だった。
「この中は。地下だというのに」
「おお、いいところに気付かれましたね」
「あっ、そういえば」
 ここでやっと昇も気付いたのだった。
「この中って随分明るいな。どうしてなんだ?」
「それはですね。ヒカリゴケのせいですよ」
「コケか」
「はい、それです」
 マンホール人はまた笑って話すのだった。
「それがこの世界を照らしてくれてるんですよ。昼も夜も」
「じゃあいつも明るい世界なんだな」
「そうなるな」
 昇と翔はそれぞれ話す。
「何か地下にあるっていうのにな」
「意外、いや信じられないな」
「ですが実際にこうして明るいですよね」
 マンホール人はまだ信じられないといった顔の二人に対してまた話すのだった。
「そういうことですよ」
「何か別の世界にいるみたいだ」
「はい、別世界です」
 今度の昇への言葉はこれであった。
「この世界は別世界ですから」
「そうなるな」
 そしてそれに頷く翔だった。
「やっぱりな。この世界は」
「おわかりになられましたね」
「最初マンホールを開けた時は信じられなかったがな」
 翔はまた言った。
「それでも。こういうのを見たらな」
「百聞は一見にしかず」
 またマンホール人の楽しそうな言葉が出された。
「おわかりですね。これで」
「だよなあ。それでこっちに来た方法だけれどさ」
「何日も雨が降った日にマンホールを開けたんだよ」
 昇はそのまま自分がやったことをマンホール人に告げた。
 

 

7部分:第七章


第七章

「そうやって来たんだけれどさ、ここに」
「ええ、そのやり方で来られますよ」
 マンホール人も彼の言葉に頷いた。三人は並んでこの世界を歩いている。その歩いている世界ではやはり多くのマンホール人達がにこにこと笑って行き交うのが見える。
「ここには」
「じゃあこれからも」
「はい、その日に来ることができます」
 彼もまた他のマンホール人達と同じくにこにこと笑っていた。
「その日には何時でも」
「じゃあこれからもこうして」
「ええ、何時でも来て下さい」
 にこにことした言葉が続く。
「何時でも。どうぞ」
「それはいいが」
 しかしここで翔が尋ねるのだった。
「問題はだ」
「問題って?」
「何かありますか?」
 昇とマンホール人はそこを尋ねるのだった。彼の言葉を。
「だからだ。ここから俺達の世界に帰る方法だ」
「ああ、それか」
「それですね」
 ここでまた気付いた二人だった。
「そういえばこっちにまた来るには一旦俺達の世界に戻らないとな」
「やっぱり元の世界に戻りたいですよね」
「当たり前だ。それにおい」
 翔はマンホール人の言葉に応えると共に昇に顔を向けた。そうして彼に対して言うのだった。
「御前がそれを考えていないのはおかしいと思わないのか」
「まあそうだよな」
 言われても自覚のない感じの昇だった。
「言われてみればな」
「若し戻れなかったらどうするんだ?」
「いや、戻れるだろ?」
 昇はやはりあまり深く考えていないがそれでも言うのだった。
「普通にな」
「その能天気さは何処から来る」
「元からだよ。それでマンホールさん」
「はい」
 何時の間にか仇名まで決まっていた。そうして彼もそれに応える。
「ここから戻る方法は何なんだい?」
「ああ、それは簡単ですよ」
 マンホール人は明るく笑って話をするのだった。
「ここにマンホールがありますよね」
「ああ」
「これだな」
 この世界にもマンホールがあった。道にそれがある。二人はマンホール人の言葉を受けてそのマンホールを見る。彼等の世界のものと全く同じマンホールだった。
「このマンホールを開けばいいんですよ」
「あれっ、俺達の世界のと似てるな」
「そうだな、殆ど同じだな」
 二人はマンホール人の話を聞きながらそのマンホールを見るのだった。
「じゃあこれを開ければ」
「俺達の世界に戻れるんだな」
「そうです。ここから何時でも帰られますよ」
「それじゃあ早速」
「帰らせてもらうか」
 二人は早速屈みそのうえでマンホールに手をかけた。マンホール人はそれを見て意外といったように彼等に言うのだった。
「あれっ、もう帰られるんですか?」
「早く帰らないとさ。家族が五月蝿いからさ」
「それでな」
 二人はそれぞれ話すのだった。
「それでなんだよ。だからな」
「これで帰らせてもらう」
 こう話すのだった。
「悪いな、またな」
「これで帰らせてもらう」
「また来て下さいね」
 マンホール人は明るく笑って話すのだった。
「また雨が何日も降れば何時でも来ることができますからね」
「わかったよ、じゃあな」
「二人でな」
 こうして二人でマンホールの中に入っていく。マンホール人に別れを告げて。
 二人がマンホールの中に入るとほぼその瞬間だった。元の世界に戻っていた。傘は道の真ん中に置いていて二人は雨の道の中に立ち尽くしていたのだった。
「戻ってきたみたいだな」
「そうだな」
 二人で顔を見合わせて言い合う。そしてすぐに傘を拾ってそれをさしながらとりあえずはマンホールの蓋を閉じたのだった。世界はまだ明るく時間は殆ど経っていないようである。
「戻ってきたけれどな」
「面白い世界だったな」
 昇は楽しそうに笑って翔に告げた。
「あっちの世界もな」
「そうだな。本当にあるとは思わなかったがな」
「それでも。よかっただろ」
「ああ」
 翔は照れ臭いのか表情は変えない。しかし声は微かに笑っていた。
「また行くか」
「そうだな、またな」
 昇は彼の言葉に応えながら上を見上げる。雨はまだ強く降り続けていた。まるで止まることなぞ最初から全く考えていないように。
「行こうぜ、二人でな」
「雨は有り難いものだ」
 翔は今度はこんなことを言った。
「時としてな」
「ただ水をくれるだけじゃないんだな」
 二人は微笑んで話し合いマンホールを見下ろしていた。そこを開ければ彼等がいることを心で確かめながら。そうしてそのマンホールの向こうにある。楽しい世界のことを思い浮かべてもいた。またその世界に行くことも。


マンホールの中   完


                 2009・6・2