邪教、引き継ぎます


 

1.邪教、滅びる

 ロンダルキアと呼ばれる、万年雪に覆われた白銀の地。
 天に向かって塔状にそびえ立つ、石造りの大神殿が存在した。

 世界にとっては、大神官ハーゴン率いる邪教の本拠地。
 しかし、お茶くみ係として働いていた十四歳の少年・フォルにとっては、居心地のよい仕事場であると同時に、心休まる家でもあった。

 そして、そこが今、戦場となっていた――。



 神殿入り口の番・デビルロードの断末魔が響き渡ったことから始まった。
 すぐに、フォルが控えていた三階の執務室にも報告があがってきた。勇者ロトの子孫であるローレシアの王子、サマルトリアの王子、ムーンブルクの王女の三人組が、この大神殿に乗り込み、同志を斬り捨てながら進んできている、と。

 もう何年もロンダルキアの地を離れたことがないフォルも、その三人組の存在は前から知っていた。
 下界への布教のために各方面に派遣されていた何人もの支部長をはじめ、多くの同志が彼らの手にかかって死亡していると聞いていたからだ。

 単なる乱暴者たちではないか。フォルはそう思っていた。
 信じるものが違うという理由で、人や魔人、魔獣を殺戮する野蛮な行為に及ぶ。善き心を持っている人間であればそんなことをするはずがない、と。

 すぐ下の二階には、アークデーモンの族長や、デビルロードの族長、大神官ハーゴンが手懐けていたドラゴン、そしてフォルの上司である悪魔神官ハゼリオが発掘したという金属体の魔獣・キラーマシンといった、普通の人間では束になっても勝てないと思われる猛者たちがいたはずだった。

 しかし無情にも、悲鳴は断続的に続いた。
 すでに窓からだけではなく、廊下からも聞こえてくるようになってきていた。
 二階の彼らをもってしても、どうやら侵入してきた三人組をとめることはできないようだ。

 執務机に座っていたハゼリオが、フォルの淹れた茶を丁寧に飲み干した。
 この三階に残っているのは二人だけだった。他はハゼリオの指示により、一階や二階の同志を助けに向かっていた。

「このような日が来ることになろうとは」

 ハゼリオは静かにそう言うと、頭巾に灰色の髪をしまい込み、机の上に置かれていた白い仮面を顔に着けた。そして立ち上がり、壁にかけてあった杖を手に取る。赤と青の宝玉が埋め込まれ、先端に翼を広げたドラゴンの像がついた、愛用の杖であった。

(わし)が侵入者を食いとめる。上の階へ登らせはせぬ」

 彼のみに着用を許されている臙脂(えんじ)色のマントを揺らし、部屋を出ていく。

「あっ、私もお供します」

 白いローブと魔術師用の濃緑色のマントを着て執務室の隅に立っていたフォルも、慌てて仮面を着けて後に続いた。



 四階にあがる階段へとのびている廊下。
 ついに現れたロトの子孫たちの姿は、フォルにとってやや意外に映った。

 いずれも十代後半と思われるその若さにではない。輝く鎧や剣、杖にでもない。
 その精悍な表情と理知的な眼光に、だった。
 単なる荒くれ者のそれではないように見えたことに、違和感を覚えた。

 三人のうち、中央で前に出ていた、紋章の入った立派な剣を持つ男。それがローレシアの王子であることはすぐにわかった。

「俺たちは破壊神を呼び出し世界を破滅させようとしている邪教の首領、ハーゴンを討伐するためにきた。投降してそこを通してほしい」

 彼から力強い声で放たれた言葉に、フォルは混乱した。
 邪神などを信奉した覚えはなく、邪教に入信した覚えもなかったからだった。

 たしかに、大神官ハーゴンは破壊神の召喚を目指していた。しかし破壊は創造の一段階に過ぎず、破滅とはまったく性質の異なるものと聞いていた。

「私は大神官ハーゴン様の部下であり右腕、悪魔神官ハゼリオだ。ハーゴン様には指一本触れさせはせぬ」

 ややしわがれた声とともに、フォルの上司が体の前で杖を構える。

 冷たい風が、外から吹いてきた。
 ここはフォルから見て右側の壁に、窓が並んでいる。最下部が床面に接するほど大きな窓だった。晴天ゆえにロンダルキアの絶景が見えているが、もちろん今のフォルには目をやる心の余裕などはない。

「ならば仕方ない。実力で通らせてもらう」

 ローレシアの王子が、剣をその場で一振りし、構えた。
 一瞬遅れて、いま窓から吹いてきたものとは比にならないほどの風圧が、まだ十分に離れているはずの二人を襲った。
 フォルはひっくり返りそうになったが、慌てて踏ん張り前傾姿勢を作った。

 風がやむと、フォルは上司を見た。構えている杖の赤と青の宝玉が、それぞれ光っていた。

 戦いには疎いフォルだったが、それでもすぐに理解できた。ハゼリオが瞬時に魔力で緩和してくれていなければ、自分は剣圧だけで吹き飛ばされていたであろうことを。

 敵は自分が戦えるような相手ではない。そう悟ったフォルだったが、恐怖心を必死に抑え、腕を前方に伸ばした。

 ほんの少しでも、この上司の助けになるのであれば――。
 ロトの子孫たちが踏み込んできた瞬間に、最近覚えたばかりのギラの呪文をぶつけるつもりだった。

 しかしその腕が、横から伸びてきたハゼリオの手で掴まれた。

「うわっ!?」

 引き寄せられた。強い力だった。

「お前は生きろ」

 その声とともに、フォルは横の窓から外に向かって勢いよく放り投げられた。 

 

2.ロンダルキアの祠

 フォルが目をあけると、そこはベッドの上だった。

 上半身だけを起こし、そのまま部屋の中を見回した。
 石造りの建物のようだ。そこまで広くはなかった。

「やっと、起きた」

 誰もいないと思った瞬間に、やや高いが抑揚のない声がした。死角にいたようだ。
 ベッド横にやってきたのは、小さな女の子だった。
 肩に届かない程度の銀色の髪に、どこか冷めた印象の碧眼(へきがん)。顔の下部から首にかけては、白いマフラーを巻いていた。

「あの、あなたが助けてくださったのでしょうか」
「うん。倒れて雪に埋もれかけていたのを見つけたから。犬ぞりに載せてここまで運んだ。死んでなくてよかったね」

 やはり抑揚のない、平坦な話し方。口元がマフラーで隠れ気味であることもあり、表情も乏しく見えた。

 頭はまだ混乱気味だったが、フォルは状況をなんとなく理解した。大神殿から放り出されて落ちたときに失神してしまい、その後この少女に拾われたようだ。
 フォルはベッドから出ると、頭を深く下げた。

「ありがとうございました。何もお礼ができなくて申し訳ありませんが、私は急いで戻らないといけない場所があります。すみませんがここがロンダルキアのどのあたりなのか教えてください」
「戻らないといけない場所がキミらの神殿のことなら、ないよ」
「え。ない?」
「どーん、ってなって、崩れた」

 手振りで崩壊を表現する少女。

「く、崩れ……た……?」

 この世のほぼすべての呪文を使うことができた大神官ハーゴン。大神殿は彼の超人的な魔力を活かして建てられたのだと、フォルは上司である悪魔神官ハゼリオから教えられていた。

 それが崩れた?
 本当なら、ハーゴンは敗れたということになる。そしてハーゴンが敗れたということは、上司の悪魔神官ハゼリオも――。
 フォルの背中に悪寒が走る。

「邪教の大神官も、呼び出された破壊神も討たれた。世界は平和になったってさ」
「……!」

 この白い少女も、教団を邪教と呼ぶ。
 しかしロトの子孫たちに言われたときのように困惑はしなかった。
 呼び出された破壊神も討たれた、という言葉の衝撃が強すぎたためだった。

「私は教団の一員です」
「うん。知ってる」

 机の上を、少女は目で示す。
 それまで気づかなかったが、壁際にある小さな机の端に、濃緑色のローブと白い仮面がきれいに畳んで置かれていた。
 これまた初めて気づいたが、フォルは上下とも下着姿であった。

「世界を破滅させようとしていた、(よこしま)な軍団」
「……邪なものではないはずです」
「それはたぶん、キミが知らないだけ。それか、勘違いしてるだけ」

 そう返されたが、フォルはもちろん納得したわけではない。



 すぐに着替えて支度を整えたフォルは、建物の外に出ると、見送りに出てきた少女にふたたびお辞儀をした。

「本当にありがとうございました」

 少女の背後には、小さな石造りの建物。
 ここはロトの子孫たちが大神官ハーゴン討伐に向かう前に、最後に立ち寄った(ほこら)――少女からそう説明を受けた。

 ロンダルキアの地にポツンと存在する小さな建物と、小さな少女。
 違和感があるはずのその光景も、彼女がまとう不思議な雰囲気が妙な説得力を持たせていた。

「神殿、もうないのに。邪教も、もうないのに。それでも戻るんだ」
「申し訳ありません。命の恩人であるあなたを信用しないわけではありませんが」

 今からでも戻る以外の選択肢はなかった。
 あまり大神殿から出たことがないフォルでも、今の季節は雪の日が少なく、雪原は巨人族ギガンテスなどに踏み固められて歩きやすくなっているところが多いことを知っている。

 大神殿の方角は聞いた。天候もよい。ならば走れる。
 まだ大神殿が健在であれば、もしくは万一健在でないとしてもハーゴンやハゼリオが存命であるならば、これからどうすればよいのか指示を仰ぐべき。そう考えた。

「そんなに戻りたいなら、もうとめないけど。その仮面、着けないほうがいいよ。残党狩りに遭うかもしれないし、まあまあきれいな顔が見えなくなるし」

 フォルは白い仮面を右手で触った。

「お言葉ですが、野外での活動や公式の場ではこれを着けるように言われています」
「……。なんか心配になってきた。現地まで送ろうか」
「いえ、そこまで迷惑はかけられません。一人で行きます」
「あっそ。じゃあ、無事でいられるように、お守りあげる。これ着けているといいことある」
「え? あ、すみません。ありがとうございます」

 少女が背伸びして首にかけてきたのは、小さな青い宝玉の付いた簡素なネックレスだった。
 フォルはその宝玉に手をやった。ただ光を反射しているような感じではなく、ゆらめくような、不思議な輝きだった。

 少しのあいだ見入っていたが、空から鳥の声が聞こえると、ハッと我に返った。
 またまた少女に頭を下げる。

「きちんと名乗れていなくて大変失礼しました。私はフォルと言います。十四歳です。大神殿で働かせてもらっていました」
「わたしはミグア。歳は一緒だね。十四歳。今はこのロンダルキアの祠に一人で住んでる」
「この地に一人って……。あなたは何者なのですか。人間、ですよね?」

 少女はマフラーを少しだけ下にずらした。小ぶりで形のよい口が完全に露出した。

「キミとは違って、本当のことを少しだけ知っている人間」

 フォルは謎の少女のもとを辞した。 

 

3.ハーゴンの神殿

 ――おかしい。
 肌を刺すような寒さの雪原を走りながら、フォルはそう思った。

 大神殿からほとんど出たことがなかったフォルも、ロンダルキアについての知識はある程度持っている。人間にとっては極寒の地であっても、寒さに適性を持つ巨人族ギガンテスや魔族シルバーデビルなどにとっては快適な庭。一人くらいは目撃してもおかしくはないはずだった。

 誰かいれば、大神殿がどうなっているのか聞くつもりだった。
 なのに誰も見かけない。

 嫌な予感をまといながら、フォルは急いだ。



 予感は、当たることになった。

「……」

 絶句。
 巨大な神殿が、なくなっていた。
 代わりにあるのは、がれき。
 山のような積もりかたではない。小さなものから背を優に超えるような大きなものまで、さまざまながれきが、除雪されてむき出しになっていた地面の上に広く散らばっていた。

 そこから吹いてくる冷たい風には、石の匂いしか乗っていない。
 それらしき大型の鳥はもう飛んでいないが、ところどころに見えている白骨は、すでに生態系による死肉の回収まで終了していることを示していた。

 (うつ)ろな足取りで、フォルはがれきの迷路に入っていく。

 やがて、転がっているのを発見した。
 激しく折れた、赤い宝玉が埋め込まれた杖を。
 大神官ハーゴンが使用していたものだった。
 駆け寄り、あらためてそれが間違いないものだとわかると、すぐに眼は熱くなった。

 さらに探していくと、臙脂(えんじ)色のローブを見つけた。
 毎日見続けていたものだった。
 近づき、そのローブから悪魔神官ハゼリオと思われる白骨がはみ出していることを確認すると、フォルの膝は崩れた。

 彼の使っていた杖は、ほぼ無傷な状態で横に転がっていた。
 一礼してそれを拾い上げ、すでに冷え切っていた手にさらに冷たい感覚が伝わってくると、すでに熱を持っていた眼が限界に達した。
 仮面を外し、膝をついたまま冷たい青色の空を見上げた。

「わかった? キミたち、負けたの。滅ぼされたんだよ」

 突然背後から飛んできた言葉に驚いたフォルだったが、その声には聞き覚えがあった。
 慌ててローブの裾で目を拭いた。仮面を着け直してから立ち上がり、振り返る。

 背後に立っていたのは、銀髪の白い少女・ミグア。
 どうしてここに? と驚いたが、口からは勝手に別の質問が出ていた。

「あの……私たちは、こんな仕打ちを受けなければいけなかったのでしょうか」
「まあ、そうだね、きっと。邪教だから」
「……」
「邪教というのを認められないみたいだね。それとも、認めたくない、のかな」

 教団の活動そのものに疑義を抱いたことは一度たりともなかった。
 世界のために有益なことをしている。そう教わっていたし、そう信じていた。

 そして自分自身も、恩人であり第二の父親であるハゼリオや、その上司であるハーゴンのために働き続けることに疑問を持ったことはない。彼らに仕えることは喜びであり、人生そのものだった。

「キミは教団の中でどんなことをしてたの」
「決まった時間に、大神官ハーゴン様や、悪魔神官ハゼリオ様、他の幹部の皆様にお茶を出して、あとは部屋の掃除などを」
「お茶くみ係とか雑用係とか、そんな感じで言われてる仕事かな」
「はい。たぶんそうです」
「あー、だから何も知らない感じなんだ。でも変な経典が存在したとか、そういうのは気づいていたんじゃないの」
「経典は存在しません。教団の教義は簡単でわかりやすいです。この世界に必要なものは創造。それだけです。そのためにハーゴン様は破壊神の召喚を目指していたのです」
胡散(うさん)くさいし嘘くさい。必要なものは破滅、じゃなくて?」
「違います」

 フォルの声量がわずかに増すと、少女は首に巻かれた幅広で大きなマフラーを少し上方向に直した。
 そして「まあいいか」と言うと、くるっと背を向けた。

「こっちに来なよ。わかりやすいものが見られる」

 そう言って歩き出した少女。
 フォルも追った。



「はい、お亡くなりになった破壊神」

 少女は特に指し示さなかった。
 周辺の巨大ながれきでもまったく隠せていない大きさの死体は、一度もそれを見たことがないフォルにとっても一目瞭然だったからだ。

「これが……破壊神……」

 他の死体と同様に鳥についばまれ、筋肉や臓腑は消失しているようであった。だが生前の姿を想像することは容易だった。

 二本の角が生えた大きな頭部。大きく裂けていたであろう口に残る、鋭い牙。鱗に覆われた皮膚。ところどころで覗いている大きな骨。大きな爪を持つ、腕のようにも足のようにも見えるものが六本。また、尻尾の先は蛇の頭部のような形状になっていた。

「見た目、いかにもダメでしょ? 禍々しいというか」

 その問いかけでも、呆然として現実に戻されないフォル。
 少女はスッと近づき、その背中を叩いた。

「わっ」
「いや、『わっ』じゃなくてさ」

 物理的な刺激にビクンとなって我に返ったフォルに、さらに問いかけてくる。

「これから、どうするの? このとおり、神殿は崩れて、大神官も死んで、破壊神も死んだんだけど?」
「あ、はい。ええと」

 仮面を着けたまま、フォルは頭を掻いた。

「何も考えてなかったみたいだね。さすがお茶くみ。ま、混乱するのはいちおうわかるけど。はい深呼吸一回」
「え? あ、はい」

 大神殿では、どうしますかと相手に聞くことはあっても、聞かれることなどほとんどなかったのだ。
 言われたとおりに深呼吸し、考える。
 しかしわからない。

「すみません。わからないということしかわかりませんでしたが」
「あっそ」
「とりあえず、同志のかたのところに行きたいです」

 口を隠し気味に包んでいる大きなマフラーから、白い息が漏れた。
 呆れてため息が出たようだ。

「もうロンダルキアではキミ以外みんな死んだんじゃないの」
「ひょっとしたら人間の同志はそうかもしれません。しかし他種族の皆さんならば神殿の外にもいらっしゃいました。ひとまずは近くにデーモン族の住む山がありますので、そちらに行ってみます。攻めてきたのは三人だけですし、全員殺されたということはないはずですが」
「やめておいたほうがいいと思うけど。嫌な予感がする」

 少女は続けた。

「というかさ。他種族って、モンスターのことでしょ? 会いに行ってどうするの」
「聞いてみたいのです。私たちはこんな仕打ちをされるに値する教団だったのかと」
「だから、値する集団なんだってば」
「すみません。あなたを信用しないわけではありませんが」
(ほこら)を出るときと同じこと言ってるね」

 まあ、そういうことなら無理にとめないよ――。
 少女はマフラーを少し直した。

「じゃあ、さよなら」
「あ、待ってください」

 くるっと背中を向け歩き出そうとした少女を、慌ててフォルは呼び止めた。

「いろいろと、ありがとうございました。でも、なぜあなたまでここに来てくださったのです?」
「理由? なんとなく」
「なんとなくで、小さな女の子が、一人で、ここまで……。倒れていた私を助けてくださったときも、一人で来ていたのですよね? あなたはいったい何者なのですか」
「キミと違って、騙されにくい人間」

 少女はふたたび背を向けて歩き出し、フォルはその小さな背中を見送った。 

 

4.デーモン族の山

 腹部に、アークデーモンの大きな拳がめり込む。

「が……は……」

 飛ばされたフォルは、踏み固められた雪の上を転がりながらうめいた。

「何しに来た!」

 大きな声が、雪山に響く。
 形見の杖――悪魔神官ハゼリオの杖――が手から離れてしまい、慌ててそれをつかもうとしたが、その前に蹴り飛ばされ、さらに転がされた。

「ぐあっ!」
「ふざけるな! 騙しやがって!」
「ちょ、ちょっと待ってください! いったい、どういう――」
「うるせえ!」
「がはっ!」

 フォルを山道で取り囲み、怒鳴りながら暴行を加えているのは、アークデーモンの若者たちである。
 大神殿の近くには、アークデーモンたちが住んでいる山があった。アークデーモンの族長やその部下たちが“おつとめ”として大神殿に常駐していたこともあり、お茶くみ係であったフォルとしても身近な種族だった。

 まだこの山のアークデーモンたちは滅びていなかった。
 山道に入って生き残り彼らに遭遇し、うれしい気持ちになった途端に飛んできたのは、暴力。
 フォルとしてはまったく予想していなかった。

「お前たちさえこの地に来なければ!」

 フォルよりもはるかに大きく、筋肉隆々のアークデーモンたち。次々とやってきては、叩打の輪に加わっていく。
 頭部も容赦なく殴られ、仮面も外れてしまった。
 苦悶に歪んだ顔が露となり、サラサラだった黒髪も乱れて雪まみれとなっていた。

 なおも暴行は続く。
 そしてついには、

「殺してしまえ」

 という声が飛んだ。
 しかしそのとき、フォルの体が光を発した。

「なんだ?」
「光った」
「熱いぞ」
「離れろ」

 明るい山道でもはっきりとわかる謎の光。そして同時に謎の熱。
 ギラの呪文しか使えないフォルが起こしたものではない。

 考察する余裕などない本人。
 一方、もともと警戒心の強い種族であり、厳寒の環境で暮らしていたアークデーモンたちは、その光と熱により手がとまった。

「お前たち、何をしている」

 そこに、声の落ち着いたアークデーモンがあらわれた。
 顔も声も、フォルの記憶にはあった。神殿に来たことがあるアークデーモンだった。
 普通の人間であれば見分けが難しいであろうアークデーモンの顔や声の個体差も、神殿で見慣れていたフォルには容易だった。

「おぬしの顔は見覚えがある。神殿にいたお茶くみの子だな」

 まだ呼吸もままならないフォルは、地に這ったまま見上げるだけだった。
 が、そのアークデーモンは視線を受け取り、小さくうなずいた。



 フォルは薄暗い洞穴に案内され、族長の部屋に通された。
 椅子に座る慣習はないのか、敷物に座って二人のアークデーモンと向かい合うかたちとなった。

「私は族長代行だ。手荒なことをしてしまい申し訳なかった」
「俺は代行の代行だ。代行のおかげで命拾いしたな。感謝しろよ」

 態度が対照的な二人。
 この代行の代行は、先ほどフォルと一番先に対面し、腹部に拳を見舞ってきた者である。いまだその眼光が険しい。
 代行はフォルの持つ杖を見た。

「それは……。悪魔神官ハゼリオ殿が持っていた杖か」
「はい。ご遺体のそばに落ちていまして」

 自分もハゼリオとともに戦うつもりだったが、それを許されなかったこと。戻ってきたときには神殿が全壊し、死屍累々だったこと。よって自分はおそらく神殿唯一の生き残りであること。
 フォルは把握していることを簡単に説明した。
 代行はうなずきながらそれを聞いていた。すでに受けていた報告と頭の中で照合していたのかもしれない。

「なるほどな。そなたも大変だったな」

 そう穏やかに言うと、代行は続けた。

「だが、人間の若いの。たしかに我々はハーゴン殿に言われて教団に協力していたが、大神殿で討ち死にした族長をはじめ、これまでに多くの仲間が殺された。ハーゴン殿が討たれ、破壊神すらも討たれ……教団が崩壊した今、結果だけ見れば、我々は人間同士の争いに巻き込まれ莫大な被害を出した事実しかない。憤懣(ふんまん)やるかたないという者が我々の中にもいるということを理解してもらえると助かる」
「そうだ! ふざけるな! 何が理想の世界を創るだ!」
「やめろ。この者に言ったところで意味はない」

 怒鳴る代行の代行を、代行はため息をつきながら制した。
 そしてフォルもようやく理解した。

「あ、いえいえ。実はそういうのは全然考えていなくて。いま教えてもらえて初めてわかりました。たしかにアークデーモンの皆さんにとってはそのとおりですよね。申し訳ありませんでした」

 フォルは素直に思ったことを返し、頭をぺこりと下げた。
 代行の代行がふんと鼻を鳴らし、代行に目で咎められている。

「さて、では用件を聞こうかの。ここまで来たということは、何か用があってのことだろう?」
「はい」

 フォルは二人を見て、言った。

「一つ、お聞きしたくて」
「ほう、何かな」
「私たちは、いきなり下界の人間に大神殿に乗り込まれて全員虐殺されるような、そんな仕打ちを受けてしまうに値するような教団だったのでしょうか」

 その問いに、アークデーモン二人は固まったように見えた。
 数秒の静寂を破ったのは、代行の代行だった。

「何を言い出すかと思えば。ふざけたこと言ってんじゃねえよ!」
「やめろ。本人は真面目に質問しているようだ」

 近くにあった灯りの炎が激しく揺れる。
 立ち上がってフォルに詰め寄ろうとした代行の代行を制すと、代行はフォルに対し、逆に質問をしてきた。

「私は大神殿で何回もおぬしを見ているが、名を聞いたことはなかったな。なんというのだ?」
「フォルと言います」
「ではフォルよ。それを聞くためにここまで来たのか?」
「はい。気になっていまして」

 代行はやや首を傾げた。

「ハーゴン殿やハゼリオ殿のすぐ近くにいたおぬしがそのようなことを聞くのも妙な気がするが……。まあ、お茶くみなら知らぬことも不思議ではないのか……?」

 顎を触りながら少し考える素振りを見せると、やがて代行はフォルに宣告した。

「おそらく、人間側とすれば虐殺に値する教団だったのかもしれぬな」 

 

5.少女の提案

 山をおり、大神殿の跡地に戻ろうとしていたフォルは、なんとなく足を止めた。
 一つ、ため息をつく。

「肩、落ちてる」

 背中からそんな声が飛んできたので、背筋を一回伸ばしてから振りむいた。

「……またあなたですか」

 そこにいたのは、肩に届かない程度の長さの銀髪に、白いマフラー。
 ロンダルキアの祠の住人、少女ミグアである。

「せっかく洗ったローブ、汚れまみれだね」
「申し訳ありません。だいぶ汚してしまいました。で、どうしてここに?」
「キミを探してた。たぶんボコボコにされたんだろなって」
「されました」
「やっぱりね」

 少女は表情を変えないまま、一つため息をついた。

「で、わたしの言ったことが本当だって、わかった?」
「はい。残念ですが間違いではなかったようです。ムーンブルク城を私たちの教団が力攻めして全員殺害してしまった話などを聞いています」
「まあ、それが一番罪が重そうだよね」

 大神殿の中のことしか聞かされていなかった・知らかなったフォルには、驚きの事実だった。放心状態になったたため、山をおりる途中の記憶が残っていないくらいだった。

「じゃあ、これからキミはどうするの」
「また『どうする』、ですか」
「考えてないの?」
「はい。まだ考えていません」
「そういう話は出なかったんだ」
「すみません、出ていたのかもしれませんが、ちょっと気が動転していたというか」

 少女は相変わらず無表情ながらも、その碧眼の光で呆れを表現していた。

「さすがお茶くみ」
「すみません」
「わたしが教えてあげる。一番いいのは、いますぐその趣味の悪い仮面とローブを捨てること」
「……」
「それで、こんな呪われた地はさっさと去って、下界の国に戻ること」
「教団の生き残りとして出頭したほうがいいということでしょうか」
「ばかなの?」
「え?」
「邪教の一員でしたとか、そんなもの、言わなければバレない。最初は移民か浮浪者のふりをして、人間の国で、普通に暮らすの」

 謎の少女ミグアの提案は、フォルにとっては意外なものだった。

「そう、ですか」
「不満なの」

 んー、と(うな)りながら、フォルは頭を掻く。

「いえ、不満というか、なんというか。少し混乱しているので、このあと一人で少し考えたいです」
「あまりフラフラしていないほうがいいと思う。たぶんキミはまだまだ危険な目に遭うことになる」
「そうなんですか?」
「うん。だからいますぐ人間の国に帰るのが正解。キミが決断さえしてくれたら、わたしが下界まで送ってあげる」

 ロンダルキアにしては穏やかな風が吹き、汚れたローブを揺らす。
 フォルは「んー」とうなり、頭を掻く。
 そしてじっと仮面を見据えていた少女に対し、答えた。

「すみません。せっかくのお話で申し訳ありませんが、やっぱり少し考えたいです」

 マフラーから白い息が漏れる。ふたたびため息をつかれたようだ。

「あっそ。じゃあ好きにすれば」
「ごめんなさい」
「でも、きっとまた危険な目にあうよ」
「……。そろそろ教えてほしいです。あなたは何者なのですか」
「キミと違って、多少は危険に気づける人間」

 じゃあ、わたしは祠に帰るから――。
 そう言って去る少女の背中を、フォルは見送った。 

 

6.決断

 フォルは大神殿だった跡地に戻った。
 がれきと、おびただしい数の白骨死体。
 また眼がぐっと熱くなった。

 気づくと夜になった。
 敷地の外れにあって唯一崩れていなかった小さな石造りの倉庫で、朝まで過ごすことにした。
 真っ暗な室内の小さな窓から、やはり真っ暗な外を見る。

 ――お前は生きろ。

 上司であり、第二の父親とも言うべき存在であった悪魔神官ハゼリオの言葉。
 もう彼がこの世にいない以上、それが彼の最後の指示となっていることに気づいた。

 だがその意味が、フォルにとってはよくわからない。

 教団は下界でムーンブルクを力攻めしており、虐殺の限りを尽くしたという。
 下界の国々においての教団に対する評価――破壊神を使って世界を滅ぼそうとしている――が、嘘でない、またはそうなっても仕方ないという可能性がどうやら高いということも判明した。

 こんな状況で自分だけ生き残ってどうすればよいというのか。
 なぜ一緒に死なせてくれなかったのか? と思う。
 最下級の身分の魔術師でありギラの呪文しか使えない自分が戦力にならないことは、最初からわかっていた。わかっていたうえで一緒に戦おうとしていたのに。

 大神殿の生存者は、おそらく自分以外ゼロ。
 もう指示をくれる人はいない。
 どうすればよいのかわからない。 

 一つだけわかるのは、あの少女、命の恩人であるロンダルキアの祠の少女が「一番いい」と言っていた選択だけはしたくない、ということだ。
 このロンダルキアを去り、信者であったことを隠して下界で暮らす。
 それだけは嫌だった。

 なぜそう思うのか。理由はわからない。
 いや、おそらくわかっているのだろうが、頭の中で言語化できない。

 フォルは暗闇に向けて嘆息した。
 上司・悪魔神官ハゼリオ。彼が生きていたら、新たな指示を仰ぐことができるのに。

 ……。
 生きていたら?

 そうか、とフォルは思った。



 ◇



「キミさ、いったい何やってるの……」

 今日はここまでと決めていたところまで作業を終え、小さながれきにしゃがみこんで休息していると、伸びてきた長い人影からそんな声が聞こえた。

「皆さんのお墓を作っているのです。あまり立派なものではなくて申し訳ありませんが」

 フォルは立ち上がりながら振り返ると、そう答えた。
 もちろんそこに立っていたのは、ロンダルキアの祠の少女・ミグアだ。

「そんなの見ればわかる」

 呆れ声の少女。
 大神殿跡地から離れたやや小高いところが広く除雪され、小さながれきを墓石にした手作りの墓が並んでいる。

 フォルは少女を手招きし、案内した。

「あれが破壊神シドー様、あれは大神官ハーゴン様、これは悪魔神官ハゼリオ様、そちらはベリアル様、バズズ様、アトラス様……遺骨は間違っていないはずです。あ、ハーゴン様は遺体がまだ見つかっていないので、今は代わりに壊れた杖を埋めています」

 日数はもう少しかかりそうですが、遺体のぶんだけ作りたいと思います――。
 そう言って仮面を掻くフォルに、少女が大きく息を吐く。

「よくもまあ、この状況でこんなことをする発想が出るね」
「ハゼリオ様だったらどうするのかな? と考えまして」
「悪魔神官の名前だっけ」
「そうです! 私の上司で、育ての親のような存在です。覚えてくださってありがとうございます」
「……。それで?」
「はい。あのおかたなら、きっと皆さんの墓を作るに違いないと思いました」

 胡乱な目を向ける少女に対し、フォルは「あっ、いまお茶入れますから」と、椅子代わりにしていたがれきに座るように言った。



「おいしい」
「ありがとうございます。お茶の道具、ほぼ無事な状態で見つかったんですよ」

 それに対しては「ふーん」とだけ感想を述べる少女。
 二人はしばし未完成の墓地の景色を眺めていたが、やがてフォルのほうから話し始めた。

「ハゼリオ様は、私の両親の墓を作ってくださったのです」
「そうなの」
「はい。私は小さいときサマルトリアの外れに住んでいたのですが、当時伝染病が流行って両親が亡くなってしまいまして。でも病気が広まってしまうからということで誰も遺体に近づけなくて。暑い季節だったのでもう遺体は酷い状態になってしまったのですが、そんなときにハゼリオ様がやってきて、遺体を火葬して墓まで作ってくださったのです」

 これよりはずっときちんとした墓でしたけど、と、フォルは苦笑いする。

「もしかして、キミがハーゴン教団に入信したきっかけって……」
「あ、そうですよ。その場で決めました。ついていきます、って」
「それ、割とよくありそうな勧誘の手口に感じるけど」

 少女もまた、白いため息をつく。
 お茶を飲むためにマフラーを下げているので、いつもより勢いのよい白さである。

「全員のお墓を作るってことは、すぐにロンダルキアを離れる気はないということだね。キミ」
「はい。そうですね」
「危ないのに」
「仮に危なくてもそれくらいはしないと、と思っています。それに――」
「それに?」
「誰かお墓参りに来てくれるかもしれないですから」

 器を口元に運ぼうとしていた手がとまった。
 ジトっとフォルの仮面を見つめる。

「あれ、何か変なこと言いましたか?」
「キミと話していると呆れないことがない。そんなの来るわけないでしょ」
「え? そうですか?」
「というかモンスターに埋葬だとかお墓参りだとかの風習ってあるの」
「いや、ないと思いますけど」
「だよね」
「でも、私たちの組織は大きかったですよ。下界でも布教活動をしていた支部がありました。いずれ教団の人間が誰か来てくれるかもしれません」

「残念ながらそういうのはとっくの昔に壊滅済み。そもそもロトの子孫がここまで乗り込んできている時点で無事なはずないと考えるのが普通でしょ。みんな捕まって、改宗しない人は火あぶりにされたか、奴隷にでもなったか」
「……」
「でもキミは入信以来この地でずっと働いていたなら、黙っていれば信者だったってバレない。だからさっさと下界でやり直しなって言ってるのに」
「そのご提案は、覚えてはいますが」

 でも、ここでお墓を作っていたら、今までなかなか言葉にできなかった自分の思いのようなものがわかってきて、考えがまとまってきたなということがありまして――。
 そう少女に説明しようとしたときだった。

「見つけたぞ、お茶くみの魔術師。こんなところにいたのか」

 そのやや野太い、人間のものではない声。
 フォルにとっては聞き覚えのある声だった。

 現れたのは、一人のアークデーモン。
 先日フォルがアークデーモンの山に行ったときに会った、族長代行の代行だった。

 もちろん、友好的な表情ではなかった。 

 

7.ローレシア新国王

「族長代行の代行さんでしたね。先日はお世話になりました」

 現れたアークデーモンのもとへ向かうと、フォルは立礼した。

「お世話になりましたじゃねえよ」
「がはっ」

 その返礼は、やはり拳だった。
 派手に飛ばされ、杖を抱えながら除雪された地面を転がるフォル。

「ぅ……」
「この前は惨めな俺らを(わら)いに来たのか? 変な質問だけして帰りやがって。代行は優しいが俺は違う。ここでなぶり殺しにしてくれるわ」

 椅子代わりのがれきに座って観ていたミグアが、もう何度目かわからないため息をつく。
 そして口元を隠すように白いマフラーを直すと、倒れたフォルのそばにゆっくり歩いてきた。

「さっそくヤバそうな雰囲気だけど、大丈夫なの」
「ぅ……あ、はい。大丈夫です」

 少女に手を引き上げられ、空いているほうの手で腹部を押さえながらフォルは起き上がった。

「戦いってさ、負けるとこうなるんだよ。残った連中で、責任の押し付け合い、仲間割れ。例外はないって聞いた。醜いね」
「あ? なんだお前は?」

 アークデーモンがミグアを見て拳に力を入れるのを見ると、フォルは大慌てで彼女を背中に隠すようにして手を広げた。

「あっ、待ってください。このかたは襲わないで下さい」
「そいつは信者の格好してねえだろ」
「確かに教団の信者ではありませんが、このかたは私を助けて下さいました。敵ではありません」
「味方でもないけどね」
「ほら見ろ」
「えっ? あっ? いや、そのっ」

 なんとかしてこの場を収めたい、いや、そんな考えすら思いつかないほど混乱したフォルがあたふたしていると――。

「おい魔術師! お前、神殿の生き残りだな!?」

 また新しい声色。
 三人が一斉にその方角を向いた。

 少し離れた大きな岩の上に現れたのは、燃えるような赤い髪と、このロンダルキアの大地とは対照的な褐色の肌を持った女性だった。
 種族は人間ではない。
 仮面はしていないがバーサーカーだった。ロンダルキア南部の洞窟を本拠地としている種族で、大神殿にも幹部が出入りしていたため、フォルの知識にもあった。

 しかしながら、現れたこの女性バーサーカーについては記憶になかった。
 登場した方向が別だったため、どうやらアークデーモンと一緒に来たわけではないようだ……ということくらいしかわからなかった。

「よっ、と」

 フォルの背よりも優に高い岩の上から、バネのきいたジャンプで除雪された地面に降りる。
 さらにもう一回の跳躍で、フォルの目の前に移動した。

「ええと、あなたは――」
「コノヤロー!」
「ぐふぁっ!」

 見事な中段蹴りで飛ばされたフォルが転がると、なおもその赤髪を激しくなびかせながら迫ってきた。
 胸ぐらをつかみ、フォルを吊るす。人間の女性では考えられないような力だった。

「お前ら何あっさり負けてんだよ!」
「え、あっ」
「話が違うだろ!」
「うああっ」

 放り投げられ、派手に飛んで転がり、止まった先。
 またもやロンダルキアの祠の少女の前だった。

「ぅ……」

 杖を抱えてうめくフォルに対し、ふたたび小さな白い手が伸びる。

「いてて……。あ、すみません。ありがとうございます」
「あのさあ」

 向けられていたその表情はやはり、呆れ顔。

「せめて杖使って受けなって。体張って杖守ってどうすんの」
「こ、これは、大事なものですので」
「使わなきゃ意味ないでしょ」
「あ、はい」
「それ、無傷な状態だったんだよね? なら相当頑丈ってことだと思う」
「そのようですね。これは悪魔神官ハゼリオ様がハーゴン様より(たまわ)ったものです。いかずちの杖という名前だそうで」
「いやそういう話は今どうでもいいから」

 小さく白い少女は、アークデーモンとバーサーカーを一瞥し、ふたたびフォルに問いかけた。

「この状況、どうするの?」

 これも何度目かわからない、『どうする』である。

「ええと――」
「ん? 誰だそいつ。信者じゃねえな?」
「あっ、ダメです。信者ではありませんが敵ではありません。攻撃してはいけません。私はこのかたに助けていただいています」

 バーサーカーが殴りかかる雰囲気だったため、フォルが慌ててまた前に立つ。
 そして上半身だけ後ろに向けた。

「あの、ミグア様」
「様いらない」
「ではミグアさん」
「何? 名前覚えてくれててありがとう、とでも言えばいいの?」
「あ、いえ。お茶の途中だったのにすみませんが、私はこれからこの方々と話をしたいです。なので、今日は申し訳ありませんが――」
「これから話すんじゃなくて、これから一方的にタコ殴りにされるんじゃないの」
「大丈夫です。お二方とも同志なのですから」
「どうだか」
「……大丈夫です」

 少女は、フォルの仮面を見て、少し下を見た。
 そしてまた一つ、マフラーの中で息を吐いたようだ。

「あっそ。じゃあ頑張って」
「すみません。ありがとうございます」
「一つだけ言っとく。危機って立て続けに起こる。今キミが身をもって体験したとおり。そして二回で打ち止めになる保証なんてどこにもない」

 じゃ、帰る。そう言って少女はこの場を去った。






「邪魔はいなくなったか」

 少女がいなくなると、アークデーモンとバーサーカーは満を持したように距離を詰めてきた。
 口火を切ったのはアークデーモンである。

「どうせお前は下界に戻れば普通に生きていけるんだろ?」
「いや、そのつもりは」
「だが俺らはそうするわけにもいかない。いずれ人間たちが大挙してロンダルキアへ残党狩りに来るかもしれない。俺らは『討伐され待ち』だ。こんなバカな話があるかっ」
「ぐふっ」

 またまたフォルが転がる。
 バーサーカーも胸倉をつかんでフォルの体を引き上げ、続く。

「そうだ! 責任取れっ!」
「お、落ち着いてください。それより今後についてご相談を」
「うるせえ!」
「うあっ」

 またまた放り投げられる。
 その後も殴る蹴るの暴行を受け続け、ついに握力を失ったフォルの手から悪魔神官ハゼリオの杖が離れ、遠くに飛んでいった。

「あ」

 フォルが痛みをこらえながら、転がるように杖を取りに行く。

「なんだこいつ。殴られっぱなしかよ」
「やり返せないだけだ。前に俺らの山に来たときもそうだった」

 吐き捨てる二人。
 いっぽう、フォルはせき込みながら立ち上がった。

「あなたがたは、同志、です……。この先どうすればいいのか、相談を、したいです」

 そう声を絞り出した、そのときだった。

「今後の相談、か。それは聞き捨てならないな」

 遠くから、さらに新しい声がした。

 それは、若い人間の男性の声だった。
 そしてフォルにとっては、聞き覚えのある声。

 その方角、先ほどバーサーカーが現れた岩の上を、見た。

「……!」

 これまで蓄積された痛みを一瞬で忘れるほどの悪寒が、フォルの全身を駆け抜けた。

 片膝立ちからゆっくりと立ち上がり、外套を脱ぎ捨てた、体躯のよい人間。
 ゴーグルをつけた青いメットに、青い服。左手に盾を持ち、背中には剣を背負っていた。
 あのときとは恰好が少し違う。だが誰なのかはすぐわかった。

 なぜ、ここに――。

 それは、破壊神をも破壊した男。
 ローレシアの王子、いや、ローレシアの新国王であった。 

 

8.悪魔神官の杖

「ふむ? この杖が気になるのか?」
「あっ、申し訳ありません。ジロジロ見てしまって大変失礼いたしました」
「よい。何事も興味を持つのは大切なことだ。これはハーゴン様より譲り受けたもの。いかずちの杖という名が付いている」
「名前があるのですか」
「そうだ。世界に一本しかない。おそらく性能もハーゴン様の杖より上だろう」
「これも失礼で申し訳ありませんが、ハーゴン様はご自身でお使いにはならなかったのですね?」
「あのおかたは異世界との取引により、人智をはるかに超えた肉体と魔力をお持ちだ。杖など何を使っても同じ――そうお考えであり、それが事実だ」
「……」
「この杖は自分には過ぎたものかもしれぬ。しかし他の何者でもなく(わし)に渡された以上、儂はそれに応えなければならない」



 - - -



 現れたローレシア新国王は、岩から飛び降りた。
 先ほどのバーサーカーの少女とは異なり、躍動感を見せつけるような大きな跳躍ではない。
 だがその無駄が削ぎ落とされた一動作は、強い威圧感をフォルのところまで届けた。

「な、なぜ、ここに」

 門番を務めていたデビルロードの断末魔。
 次々に聞こえ、そして徐々に近づいてくる、悲鳴。
 迎え撃つべく部屋を出て行く悪魔神官ハゼリオの背中。

 フォルの人生そのものであった大神殿での毎日。
 幸せな暮らしが全て崩れ去っていく記憶が、瞬時によみがえった。

 驚愕に、恐怖に、悲哀に、望郷に。
 いろいろな感情が一気に押し寄せ固まってしまったフォルとは対照的に、アークデーモンとバーサーカーの二人は、その人間が誰なのかすら気づいていなかったようだった。

「また人間か」
「信者じゃねーよな。誰だ?」
「あっ、危ないです! この人は――」

 無防備に近づこうという両者の動きを見て、フォルは我に返った。慌てて声をかける。
 しかしローレシア王本人は、フォルの説明を待たず自分から名乗った。

「俺はローレシアの王子、ロス。いや、今はローレシアの王と言わなければならないかな」

 彼が背中の剣を抜く。晴天のロンダルキアで強い輝きを放った。

「な、何だって!?」
「ローレシアの王子!?」

 アークデーモンとバーサーカーにも動揺が走っている。

 ――どうするの。

 それを何度も問うてきたロンダルキアの(ほこら)の少女ミグアは、今この場にいない。
 しかしフォルの頭の中では、その言葉が彼女の声で聞こえてきた。

 相手は、悪魔神官ハゼリオ、アトラス、バズズ、ベリアル、大神官ハーゴン、そして召喚された破壊神シドーすらも手にかけた人物。
 今ここにいる者だけではおそらく戦えない。二人には逃げてもらわなければならないが……。

 しかし考えている間に、バーサーカーが動いた。

「なるほどな。オレのオヤジ……オレらの頭領はお前に殺されたのか。ならまずお前を血祭りにあげてやる」
「あ、ちょっと待――」

 フォルは制止は届かず、深紅の髪を乱しながらローレシア王に突進していく。

「オヤジの仇!」

 鋭く振り下ろされた斧。

「……っ!?」

 だがそれは、ローレシア王の左腕の盾でいとも簡単に受け止められた。
 そして右手に持つ剣で、カウンターの一閃。
 フォルの目では捉えられないほど鋭いものだった。

「あ゛あぁッ」

 バーサーカーはそれを、持っている円形の盾で受けた、はずだった。
 受けたはずなのに、大きな悲鳴とともにありえない距離まで吹き飛ばされていた。
 攻撃が重すぎて盾を支えきれず、その盾で自らの上半身を激しく叩打するかたちになったのである。

「だ、大丈夫ですかっ」

 フォルが転がるバーサーカーに慌てて駆け寄った。
 差し出した手を彼女は振り払ったが、その動作に力はない。立ち上がるも、直後にふらついて膝が崩れた。

 アークデーモンも、動く。

「……。なら呪文攻撃はどうだ?」

 アークデーモンは右腕をやや引いて溜めを作ると、呪文を唱える。

「イオナズン!」

 突き出された紫色の逞しい右腕、右手。その延長線上は、ローレシア王・ロス。
 きらめく多数の細い筋の光が、彼の頭上すぐのところに集まっていく。
 そして。

 光が集まってできた火球が、轟音とともに大爆発を起こした。

 ロスの姿は完全に見えなくなった。
 爆風が、フォルの汚れたローブ、バーサーカーの赤いマントを激しく舞い上げる。

「やったか?」

 だが煙が徐々に薄れていくと、その健在ぶりを誇示するようにシルエットが浮かび上がってくる。

「な……!」

 一転、驚愕の声がアークデーモンの口から漏れる。
 本来は神々が地上の人間たちに敬示を与えるために使用していたという呪文、イオナズン。
 いつしか地上でもこの呪文を使えるものが現れ始め、今に至るという。その大爆発の威力はすさまじく、何かしらの超自然的な防具を身に着けていない限り、効かない人間などいない。

 今のローレシア王がそのような防具を身に着けているようには見えない。盾だけでは防ぐことなどできないはず。なのに、体から煙を上げているだけで、悠然と立っていた。

「だめです! 戦っても勝てません。ここは逃げてください」

 フォルは二人にそう訴えた。

「逃げろだと? ふざけるな!」
「そうだ。オレは戦う!」
「お気持ちはわかります。ですが相手が悪すぎます! 死にます!」
「かまわん! 邪魔だ! どけ!」
「ど、どきません」

 この二人、教団の同志の生き残りであるこの二人は、生きのびさせたい。逃げてもらなければならない。そのための手法はともかく、気持ちだけはフォルの中で固まっていた。戦えば間違いなく死ぬ。だから戦わせてはならない。
 だが、その気持ちが二人に届きそうにない。

「残念ながら逃がすつもりはない」

 そこに追い打ちをかけるような、真正面からフォルの思考を否定せんとする言葉。
 剣を構え近づこうとしてくる青い剣士の姿に、フォルは焦る。

「わ、私が戦って、足止めをします。その間に逃げてください」

 それしか、思いつかなかった。

「馬鹿か。お前など時間稼ぎにならんわ」
「それでも私が戦います。二人とも逃げてください」
「お前に指図されるいわれはない!」
「お願いします! もう同志がバタバタ死んでいくのは嫌なんです!」

 どうする。
 また頭の中に祠の白い少女の声が響く。

 逃げようとしてくれないアークデーモンの大きな体。
 その背後には、作った墓が並んでいる墓地。
 さらに向こうには、小さな崖と、ロンダルキアを流れる川。

 奥まで行ったフォルの視線が手前に戻る。
 その途中で、一つの墓に目が留まった。一番先に作った、悪魔神官ハゼリオの墓だ。

 ……。
 悪魔神官ハゼリオ様、なら?

 思考がそこにたどり着いた。
 フォルは杖を強く握った。

 ――そうだ。あのおかたなら、きっとこうする。そして自分はそうされて生き延びた。

 フォルは祈った。
 悪魔神官ハゼリオ様、そして大神官ハーゴン様。この非力な部下に、力を――。

 細い腕で、力の限り、杖を強く握った。

「あなたがたは! 生きてください!!」

 思いっきり叫び、杖の頭の側でアークデーモンを突いた。
 フォルの腕力では本来びくともしないはずの巨体。
 しかし杖についた二つの宝玉が激しく光る。

「うぉっ!?」

 ただならぬ雰囲気に驚きの声を出すアークデーモン。

「おおぉッ――!!」

 巨体が吹き飛び、勢いよく墓の向こうへと飛んでいく。
 まるで杖から突風が吹いたような飛び方だった。
 フォルはアークデーモンの着水音を聞く前に、バーサーカーの少女にも杖を向けた。

「ああぁッ――!!」

 バーサーカーの大きな声も、急速に遠のいていった。 

 

9.楽園

 ローレシア王・ロスは、いつのまにか足をとめていた。剣先も下げている。
 その視線はフォルの杖に固定されていた。

「君は、あのときの魔術師か?」

 彼は感づいたようだった。
 フォルが、大神殿三階で悪魔神官の横にいた魔術師である、と。

「そうです」
「なるほど。もしかしたら、先にここへ寄り道した甲斐があったかもしれないな」

 肩を激しく上下させていたフォルが杖を構えても、彼の表情は落ち着いていた。
 アークデーモンとバーサーカーが逃げたことにも動じていない。否、もはやそんなものは興味の対象外と言わんばかりの雰囲気だった。

「まず言っておく。俺は君をたやすく殺せる」
「……」
「今すぐにそうしないのは、君に生かす価値があると思うからだ」

 ロンダルキアの冷たい風が吹く。彼から、フォルのほうへと。
 それがやむと、静かに告げた。

「改宗し、ローレシアに来てもらいたい」

 意外な言葉は、フォルの緊張を解くどころか、その逆だった。構えていた杖の先がさらにこわばり、わずかに上がる。
 しかしロスは、そんなフォルの仕草も意に介さなかった。

「大神官ハーゴンや破壊神シドーを討伐し、ようやく世界に平和が戻った。俺は新たに王となった者して、二度と同じような邪教を誕生させないよう努力しなければならない。そのために君たちの教団について詳しく知ることは助けになると思っている」

 彼は続けた。 

「ハーゴンの神殿にいたならば、君はロンダルキア外で出没していた教徒と違い、内部のことをよく知っているはずだ。持っている情報を提供してもらいたい。協力してくれるのであれば、ここで君の命を奪うことはしない」
「情報を、提供?」
「そうだ。大神官ハーゴンとは何だったのか。それがわかるだけでも意義は大きい」
「大神官ハーゴン様、ですか……」

 やや上方を向く、フォルの仮面。
 いつのまにか杖の先も下がっていた。

「ハーゴン様は、優しかったですよ……」
「何?」

 フォルの声が、どこか遠くなる。
 
「いつも私が毎朝淹れるお茶を『おいしい』と褒めてくださっていました。礼拝堂の掃除をすれば『ご苦労』と声をかけてくださり、ハーゴン様の新しいローブを作ったときは『よくできている』と評価してくださいました。仕事に関しては必ず温かいお言葉をくださっていたように思います。
 ぞんざいに扱われたことなんて、一度たりともありませんでした。いえ、思えば、怒られたことすらなかったかもしれません。私は割とおっちょこちょいでしたので、掃除をしているときにミスをして礼拝堂の物を壊してしまったり、祈りの途中に下の階で大きな音を立ててしまったりしたこともありました。ですが、悪魔神官ハゼリオ様に付き添っていただいてお詫びに行ったときは、いつも『よい』の一言で許してくださいました。
 私は上司として、親代わりとしてハゼリオ様を尊敬していましたが、教団の代表としてのハーゴン様も、同じように深く尊敬して――」

「もういい」

 ロスはフォルの言葉をさえぎった。

「改宗しないということか?」
「しません。するわけ、ないではありませんか」
「ハーゴンは討伐され、破壊神も討伐された以上、もしも君にとっての理想があったとしても、それは今後決して実現することはないだろう。それがわからないというのは理解に苦しむ」
「理想が実現しない? 私にとっての理想は、すでにこのロンダルキアの地にありました。大神殿では、私たち人間も、人間以外の種族も、ドラゴンなどの動物も、そしてベリアル様・バズズ様・アトラス様など異世界から来てくださったかたがたも同居し、皆さんで仲良く毎日を過ごしていました。
 人間しかいないあなたがたの城。多くの生き物が住み、出入りをしていた私たちの大神殿。どちらがこの世界の楽園だったのか。私は大神殿で一番下っ端の魔術師でしたが、その答えを間違えることはありません」
「……改宗しないならば、ここで俺と戦わなければならない」

 つまり“死”を意味する。
 それを伝えるように、ロスが剣を構え直した。

「望むところです」

 フォルも、下がっていた杖先を彼に向けた。
 魔術師フォルの仮面と、ローレシア王・ロスの青味がかった瞳が、交錯する。

 わずかな時が過ぎると、ロスは白い息を小さく吐いた。

「やはり時間の無駄だったか」

 その言葉に怒気はない。

「一瞬で終わる。長く苦しむことはないだろうから安心してほしい」

 しかしその表情や剣の輝きには、哀れみにも似た感情が乗っているようだった。 

 

10.ロンダルキアの青空

 ローレシア王・ロスが、地面を蹴って踏み込んできた。

 彼の剣筋は見えないだろう。仮に見えたとしても、自分がまともに反応するのは不可能。
 フォルはそのように考えていた。
 だから一か八か、杖を両手でしっかり握り、勘で前に出して受けるつもりだった。

 無数の場数を踏んだであろう無駄のない腰のひねり。そこから、輝く剣の斬撃が放たれる。
 それは、首を水平に薙ぐような軌道だった。
 山を掛けたところに一致した。

「……っ!」

 フォルは腕だけでなく、全身に強い衝撃を受けた。体の芯まで響く、すさまじいものだった。
 同時に高い金属音が耳から脳の奥へと刺さる。
 直後、視界の景色は何もかもが意味不明なものとなって、高速で流れていく。

 なんとか目をあけていられたはずなのに、何が起きたのかわからない。

 ふたたび全身へと響く衝撃とともに、超高速で流れた景色がロンダルキアの青空でとまった。
 その視覚情報でやっと、先ほどバーサーカーの少女がそうだったように、しっかり受けられたはずなのに体ごと吹き飛ばされたのだと理解した。

 激痛に耐えながら起き上がると、想像よりはるかに遠くにいる青い剣士。

「一瞬では、終わりませんでしたよ」

 どうやら少女バーサーカーの二倍近くは飛ばされたらしい事実を確認しながら、そうつぶやいた。呼吸が苦しく声量があがらなかったが、当の本人に聞こえなくても構わなかった。
 そして、また距離を詰めてこようとする彼に対し、フォルは杖を向ける。

「ギラ!」
「無駄だ」

 杖のおかげか、覚えたてのギラとは思えないほどの大きな火球が発せられ、彼の全身が炎に包まれた。
 しかし何も起きなかった。いや、まったく効かないことはないはずなのだが、アークデーモンがイオナズンの呪文を放ったときと同じく、何も起きていないようにしか見えなかった。

 ロスが迫ってくる。
 ふたたびフォルは、山を掛けて杖を出そうとした。今度は、右斜め上から左斜め下への斬撃を想定する。
 受けになるのか、それともならないのか、フォルにはわからない。ただ、相手の速さにまったくついていけない以上は他にやりようがない。

 これで駄目なら仕方がない、と杖を強く握って動かし始めた瞬間。

「――⁉︎」

 音もなく、青く強い光と熱が、この場を満たした。
 ローレシア王・ロスの動きがとまる。

「その宝石は……!」

 驚く声。
 フォルが祠の少女・ミグアにもらっていた、簡素なネックレス。その小さな青い宝玉が激しく光っていた。

 周囲の青い光と熱は、ネックレスの宝玉にどんどん凝縮される動きを見せていた。
 その様は、まるでロンダルキアのエネルギーすべてがこの宝玉に集まっているかのようだった。

 そして前方へと、放出――。

「う――」

 激しい光の放射に飲み込まれる、ローレシア王。
 放射の後ろにいるはずのフォルも、全身を焦がされる感覚だった。ロンダルキアのすべての雪が融けるのではないか。そう思うほどの強い熱が放たれているに違いないと思った。

 今起きている現象の機序などは一切わからないが、お守りが自分を救おうとしてくれている。
 贈り主に感謝しながら、フォルはこの機を逃すまいと、杖の先をロスへと向けた。

「ギラ!」

 青い光に絡みつくように飛んだ大きな炎が、すでに光に飲まれていたロスの全身を包む。

「ぐ……う、あぁっ――」

 耐えていた彼が、ついに何歩も後ろへと押し戻された。

 だが、そこまでだった。
 片足を引いた前傾姿勢で踏みとどまると、彼は大きな咆哮(ほうこう)をあげた。
 それはフォルの一縷の望みを絶つような、今までどの生き物からも聞いたことがないような大きな叫びだった。

 やがて、青い光がとまる。

「……過去の旅で……何度も危機はあった……」

 全身から煙をあげながら、ふたたび踏み込んできた。

「そしてそのすべてを力で打ち破ってきた!」
「うあっ!」

 また高い金属音。
 そして悲鳴とともにふたたび大きく飛ばされ、転がったフォル。

 今度はすぐに立てなかった。横向きになって腕の力だけでやっと上体を持ち上げると、胸のネックレスが目に入った。
 たたえていた揺らめく青い不思議な光は消え、無色透明となっている。
 そして見た直後、音もなく崩れ、金属の枠から消え去った。
 祠の少女がくれた、不思議なお守り。どうやら力を使い果たして消滅したようだった。

「……ぅ……」

 うめき、なんとか起き上がる。
 全身から煙を立ちのぼらせているローレシア王・ロスが、わずかによろけながらも近づいてきていた。
 フォルもよろけながら、杖を……構えようとしたが、手の中には何もなかった。奇跡的に斬撃を受けとめたであろうそれは、どこかに飛んで行ってしまったのだ。

「これで終わりだ」

 お守りの宝石もなくなった。悪魔神官ハゼリオの形見の杖も手から離れた。
 彼の言うとおり、終わりなのだろうとフォルは思った。

 心残りがないわけではない。
 だが、仇敵と遭い、あらためて自分が今もまだ信者であるということを確信できた。
 ただ単に殺されるだけでなく、二人の同志の延命と引き換えにすることもできた。
 そして自分の力ではないかもしれないが、ほんの少しだけ、大神殿唯一の生き残りとして、意地を彼に示せたかもしれない。
 悪魔神官ハゼリオ様も、大神官ハーゴン様も、この結果を責めないだろう。

 もう見ても仕方がないのかもしれない。
 しかし次の斬撃、おそらく致命傷になるであろう斬撃に対しても、フォルはギリギリまでしっかり目をあけていようと決めた。

 が――。

「――!?」

 フォルの目の前の地面、いや、ローレシア王・ロスの足元の地面が、突如大きく弾けた。
 直後に、爆音。

 イオナズンによるものではない。
 宝石も、杖もない。もう何も起きないはず。なのになぜ?
 そう思った瞬間にフォルも爆発に飲み込まれ、そのまま意識を失った。



 - - -



「うわあ、ここがロンダルキアですか」
「そうだ。ただただ、白だけが広がる世界。それがこのロンダルキアだ」
「白だけ? 青と白ではなくて、ですか?」
「……なるほど。空を世界に入れたか」
「きれいな空の色です。サマルトリアで見た青より濃いです」
「ふむ。標高の高いところほど空の色は深く、濃く見えるからな。その意味では、世界で最も空がきれいな地はこのロンダルキアなのかもしれぬ」
「素敵なところなのですね」
「まあ、吹雪(ふぶ)いて空が見えないときもあるがな……。さて、ではあそこに見える我々の大神殿まで歩くぞ。お前は私の下で働いてもらうことになる。着いたらすぐに大神官ハーゴン様のもとへあいさつに行こう」
「はい! よろしくお願いします」



 - - -



「……」

 目を覚ますと、そこに見えたのは、深く濃い青。
 ロンダルキアの空をこうやって見るのは何度目だろう。フォルはそう思った。

 立ち上がる。
 鈍い痛みが走るが、あまり新鮮な痛みではないような気がした。
 あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。そう思いながら、近くにあった大きな岩に登った。

 流れている川が見える。その手前に、作っていた墓場が見える。さらに手前には、爆発で荒れた地面が見える。
 反対側を向くと、遠くに、かつて大神殿だった無数のがれきも見える。

 ローレシア王・ロスの姿は、どの方角を見てもない。
 もう一度近くを見直す。

 ――あった。

 キラリと光るものを見つけたので、岩をおりてそこに向かった。
 いかずちの杖。

「私はまだ、生きているようです」

 一礼すると、フォルはそれを両手で拾った。 

 

11.神託

 ロンダルキア北東には、清らかな水をたたえる湖がある。
 湖の東側に浮かぶ島には小さな(ほこら)が存在し、大神官ハーゴン討伐の旅をしていたロトの子孫三人組は、神殿へ向かう前に立ち寄っていた。
 そのときの祠には神父と少女が住んでおり、二人はロトの子孫三人組に(つか)の間の休息を与えたのち、最後の戦いへと送り出している。
 ハーゴンが討伐され世界に平和が戻ったとされている現在は、少女が一人だけで住んでいる状態となっていた。

「どうぞ」

 祠の中の掃除を終えて、休んでいた銀髪の少女・ミグア。
 扉を叩く音に対し返事をすると、口元まで隠れるように巻かれた白いマフラーを一度触り、椅子から立ち上がった。
 ほぼ同時に、若干のきしむ音とともに扉が開く。

「……ずいぶん焦げてるね。アンタ、またロンダルキアに来てたんだ」

 現れたのは、全身ボロボロの姿の、一人の剣士だった。
 ローレシア王・ロスである。
 精悍(せいかん)な顔は汚れ、青色だったであろう服も全体が煤《すす》で黒ずみ、ところどころ穴が開いていた。

「来た目的は君に会うためだった」
「へえ。また引っ越しの勧めでもしに来たの」
「そうだ。『この地に現れた勇者を助けること』が、神から託された君たちの役割だと言っていたはずだ。ならばすでにハーゴンもシドーも倒された今、この祠は役目を終えている。神父がそうしたように、君もローレシアの城に来てほしい――それを改めて頼みたかった」
「過去形ってことは、今は違うのかな」
「違わないが、先に君に聞かなければならないことがある」
「何?」
「ここに来る前、ハーゴンの神殿があった場所に寄ってきた」

 その言葉で、祠の白い少女は、彼と自分が入れ違いになっていたということを知った。

「そこで生き残りの魔術師に遭ったが、討ち漏らした」
「……」
「彼の首にぶら下がっていた宝石……あれは間違いなく『祈りの指輪』のものだった。君があげたんだな?」
「まあね」
「あれは『しばらくここに残る』と言い出した君の安全のために渡したものだ。なぜ邪教の生き残りなどに?」
「わたしは自分の身は自分で守れる。でも、彼はほっとくとすぐ死ぬ。そう思ったから」
「それは、君が(・・)助けなればいけない理由になるのかな」
「なってないね。でも、そうしないといけないような気がした」

 とりあえず、もらい物を勝手に渡したことは謝る。ごめん――そう言って少女は頭を下げた。
 ロスは何か言いたそうな顔をしたが、祈りの指輪の件でそれ以上の追及はしなかった。

「その様子では、まだこの地に居続けるつもりなのか?」
「うん。そのつもり」
「新しい神託でもあったのかな」
「それはない」
「ならばなぜ」
「なんでだろ。でも、まだここにいないといけない気がするんだよね」

 しばし、両者が無言で視線を交錯させる。
 ぶつけ合っているわけではない。だが溶け合うようでもない。

「……わかった。今回は引き下がろう」

 その静寂を破ったのは、ローレシア王・ロスだった。

「アンタがボロボロなのはわたしのせいだし、少し休んでいくならここ使っていいよ」
「いや、いい。ローレシア城で空を飛ぶ不審なものが現れたという手紙をさっき鳥が届けにきた。念のためすぐ国に戻る」
「了解」
「君を連れて行くことを諦めたわけじゃない。それは忘れないでほしい」
「わたしは勝手にするから、気にしなくていいよ」
「俺の意志だ。いつかまた必ず戻ってくる」
「あっそ。まあそれもアンタの勝手だね。ご自由に」

 黒焦げの青い剣士は白い少女に背中を見せると、扉を開けた。
 そこから一歩だけ踏み出し、足を止める。

「もう一つ。邪教の残党がふたたび動き出すならば、俺はそれを潰さなければならない」

 白い少女は、それには返事をしなかった。
 木の扉が閉まるのを、ただ見ていた。



 ◇



 発見できた白骨遺体をすべて墓に納め終えたフォルは、大神殿が崩壊した場所のがれきの片づけに入っていた。
 がれきは重かった。

「ん……っ」

 フォルの細腕では、小さいがれきすら持ち上げることが難しい。

「あのときはけっこうな力が出た気がするのに……」

 大きながれきに至っては、転がすことすらできず。一人で作業しているのについぼやきが出てしまった。
 ローレシア王と戦う前、アークデーモンの若い男とバーサーカーの少女をはるか遠くに突き飛ばしている。杖の不思議な力があったとはいえ、あのときと同じくらい力が入れば動かせるはずなのに――そう思ったのである。

「それは人間で言うところの、火事場の馬鹿力というやつじゃないかのお」
「――!?」

 どこかで聞いた声がして、フォルは仮面を向けた。
 そこには、アークデーモンの姿があった。

「あれ? あなたは」

 アークデーモンの姿は見慣れていたため、一人一人の容姿の違いはわかる。現れた彼は、アークデーモン族の今現在の仮代表であるはずの、族長代行だった。
 なぜここに? と驚くフォルのもとに、ゆっくりとした足取りで歩いてくると、ピクリともしなかった大きながれきをひょいと転がした。

「ふむ。そんなに重くないのお」

 そのままゴロゴロと転がし、フォルが小さながれきを集めていた場所の近くで、丁寧にとめた。

「あっ、ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
「なんじゃ?」
「いえ『なんじゃ』ではなくてですね……」
「おぬしの力じゃ奇跡でも起きん限りこの大きさのがれきは動かんじゃろうて。だからワシがやるぞ」

 また次の大きながれきめがけて歩き出す彼の姿を見て、フォルは慌てて追いかける。

「いやいやいや、こんな作業を代行様にやらせるわけにはいきませんって」
「適材適所じゃよ。ハーゴン殿はちゃーんとその仕事に一番適した者を選んでやらせたと聞くぞ。おぬしもそれを見ておるじゃろ? 近くにいたわけじゃからな」
「近くにはいましたが、私はハーゴン様ではありません……といいますか、しゃべりかたが前と変わっていませんか?」
「こっちが素じゃ。あのときは族長代行だったからちゃんとしたしゃべり方してただけじゃよ。今もそうしてたら肩がこってかなわんわい」

 肩をぐるぐると回す老アークデーモン。
 『族長代行だった』。一拍遅れて、言葉の意味にフォルは気づいた。

「代行だった、って、もしかして……」
「そのもしかしてじゃよ? 族長代行は辞めてきたわい。今はヒラじゃ。いいタイミングじゃったし、空位だった族長はおぬしに救われた若いのに任せてきたぞよ」
「な、なぜですか!?」
「見てのとおりじゃがの? おぬしの直属の部下になるためじゃ」
「ええっ――!?」

 仮面が浮きそうなほど驚いたフォルは、慌てて両手を大きく動かした。

「それはいけませんって」
「いけなくないわい」
「いやいや、私は大神殿で一番身分が低いのですよ。あってはならぬことです」
「今は一番身分が高いじゃろ。なんせ生き残りはおぬししかいないわけだからの」
「たしかに一人ですが、そういう問題ではないと申しますか」
「ん、ワシのような老いぼれは不要ということかのお?」
「い、いえ。そんな失礼なことは考えてもいません」
「よし。ではよいな。ワシは直属の部下第一号として今後おぬしのもとにおる。そして我々の部族全体についても、おぬしにいつでも協力するということにするからの。明日からがれきの片づけも手伝わせるわい。その後も神殿再建のために好きなだけ使うといい」
「……」

 フォルの足が止まった。
 老アークデーモンの足も止まる。

「なんじゃ? 不満か? おぬし、神殿を再建するつもりなんじゃろ」
「はい。再建といいますか、頭の中で跡地に礼拝堂を作ろうと思っていましたが……なぜそれが?」
「がれきを片付けているということは、そういうことじゃろうて。神殿を再建し、教団を再建する。その気持ちが固まったのじゃろ?」

 少々行きすぎた話に、フォルはまた慌てる。

「教団の再建って……そんな大きなことまでは考えていません。しかし、やはり私は今もハーゴン様の教団の信者です。このロンダルキアで、元の生活を、信者としてあるべき生活を取り戻したいと考えています」
「同じことじゃよ。そうしたいなら、おぬしがハーゴン殿のあとを継ぐしかない」
「それは無理です。私があとを継ぐなど口にすることすらおこがましいです。それに、元の生活を取り戻したいというのは、あくまで私の夢であり、わがままです。黙ってやり続けるわけにもいかないですから相談はさせていただこうかとは思っていましたが、皆様にご迷惑をかけようとまでは――」
「そのおぬしの夢に乗っからせてほしい。そう言うておるのじゃよ」
「し、しかし」

 一つ、老アークデーモンは咳払(せきばら)いをした。

「あまり年寄りにみじめなことを言わすでないぞ。ワシらはこのままただ生きていても未来はない。神殿の生き残りであるおぬしが立って、このロンダルキアをまとめようとしてくれるなら、それに賭けさせてほしいという思いがあるのじゃ。ワシはおぬしにその器があるやもしれんと見ておる」
「えええ……」
「おぬしも頭数がいたほうがよいじゃろ? ワシらがつくのは助かるのではないかの」
「も、もちろんそれは助かりますが……。それは本当に皆様ご納得ということなのでしょうか?」
「ご納得もご納得じゃよ。ホレ」

 老アークデーモンは、顔を横に向ける。
 視線の先、やや遠くには、フォルの背丈の二倍近くはありそうな大きながれきがあった。
 その陰から、紫の肌と赤い毛が少しだけ見える。

「おい、丸わかりじゃ。いつまでそこにコソコソ隠れとるんじゃい」

 その声に、スーッと、顔、体、そして申し訳なさそうに畳まれた翼が現れた。
 そして右手で頬を()きながら、一人の若いアークデーモンがトボトボとやってきた。先日フォルがはるか遠くに飛ばして助けた彼である。

「いや、まー、なんだ、その。この前は、悪か――っ!?」

 歯切れの悪い言葉が途中で止まる。
 フォルが彼の左手を、両手で握ったからだった。

「ご無事で何よりです。うれしいです」
「……」

 目を合わせられない若アークデーモンだったが、代わりに、固く握られたフォルの両手をじっと見ていた。

「お前の手は、小せえな。けど、あったけぇ」

 そうポツリとつぶやき、そこで初めてフォルの仮面を直視した。

「まあ、なんだ。人間を信用しているわけではないが、お前のことは信じる」
「あ、ありがとうございます」

 今度はフォルがすまなそうにうつむく。

「お前はもう少し堂々としろ! 調子が狂う!」
「うわっ」
「あっ、悪ぃ。こないだのお前はこんなに軽くなかった気がするが」

 肩を叩かれてそのまま地面に転がったフォルを、慌てて若アークデーモンが引き上げる。

「とりあえずだ。さっき元代行も言っていたと思うが、お前に賭けることに決めた。俺はここと山の本拠地を行ったり来たりしながら、お前を手伝うつもりだ。嫌だとは言わさんぞ」

 そこで、老アークデーモンも口を開いた。

「まだ名を名乗ってなかったな。ワシはヒース。この若いの……じゃのうて今は族長か。ダスクという名じゃ。では、ワシらの種族をよろしく頼むぞい」
「ヒース様に、ダスク様ですね。こちらこそよろしくお願いします」
「様はいらねぇだろ……」
「あ、すみません。では今後は『さん』付けしますね。今後ともよろしく――」
「ちょっと待った! もう一種族追加だ!」

 やや上方から来た声に、一同そちらを向いた。
 フォルと若アークデーモン・ダスクの二人は、聞き覚えのある声だった。

 登場の仕方が、ローレシア王と遭遇したときとほとんど同じだった。
 大きながれきの上に立っていたのは、褐色の少女。
 ボサボサ気味な赤髪に、緑色の服。左前腕には木の盾を装着している。背中に背負ってるのは、彼女の種族が扱いを得意としている斧。
 ローレシア王・ロスと戦ったときに出会った、なぜか仮面を着けていないバーサーカーである。

「よっ、と」

 やはりあのときと同じように、フォルの背よりも高いがれきの上から、バネのきいたジャンプで地面に降りてきた。

「魔術師! お前、生きてたんだな! すぐぶっ殺されたんじゃないかと心配――!?」

 フォルが少女の手を取ると、先ほどの若アークデーモンのように言葉がとまった。
 今度はローレシア王に遭ったときのように、手を払われることはなかった。

「あなたこそ、ご無事で何よりです」
「……に、人間の手って、割とあったかいんだな……。まあ、あのときは、世話になったな」

 彼女も少しそっぽを向いたが、すぐに直った。

「それより! オレらバーサーカーの一族もお前に乗っからせろ。んでオレはここでお前に使われてやる。この前の礼だ」
「あなたは頭領様になる予定のおかたでは。こちらに居続けて大丈夫なのですか?」
「勝手に決めるなって。オレは元頭領の娘に生まれただけで、元々そんな(がら)じゃねえよ。他のやつに任せてきた」
「そ、そうですか……問題なければよいのですが」
「問題なんてない。オレの名はシェーラ。よろしくな」
「シェーラ様ですね。私はフォルと申します。こちらこそよろしくお願いします」
「様はいらねーよ!」
「すみません」

 さっきと同じじゃぞ、と部下第一号を称した老アークデーモンが笑った。 

 

12.茨の道

 この日は晴天ではなかった。
 少しだけ、ロンダルキア特有のフワフワした粉雪が降っていた。

「脚は大丈夫か? ワシらが飛行の得意な種族だったら、おぬしを抱えて移動できたのじゃが。見かけ倒しの翼ですまぬの」
「いえいえ、とんでもない! 私の速さに合わせていただいてしまって申し訳ありません」

 今は徐々に消えつつある、サイクロプスやギガンテスたちが踏み固めた道。
 フォルは老アークデーモン・ヒースとともに、大神殿跡地へ戻るために歩いていた。

「む? 誰か前を歩いておるの」

 視界が晴天のときほどよくないため、影のような見え方をしている。
 しかしそれが明らかに背の低い人間のものであったため、フォルにはそれが誰なのかすぐにわかった。

「ミグアさん!」

 小走りで近づき、祠の白い少女の背中に声をかける。
 彼女はゆっくりと振り返った。

「肩が落ちてないね。何かいいことでもあったのかな」
「はい。とても……ではなくて、です! 私はあなたをずっと探していました。何度も(ほこら)にお伺いはしたのですが、留守にされていたようでしたので」
「ふーん。なんの用」
「お礼を言わせていただきたかったのです。ローレシアの王子……ローレシアの王に遭ったときに、あのネックレスの宝石が私を守ってくださいました。ありがとうございました」

 深々と頭を下げた。

「あー、なるほど。その件ね」
「恥ずかしながら手も足も出ませんで。あれがなければ死んでいました」
「あれがあっても死ぬときは死ぬ。キミがいま生きているのは運がいい」

 ミグアは白いマフラーを直し、フォルの斜め後ろに視線を移した。

「そこのアークデーモンに説明をしたほうがいいんじゃないの」

 フォルは慌てて振り返る。

「失礼しました。ええと、このかたはロンダルキア北東に位置する祠にお住まいのかたで、信者の格好はしてらっしゃいませんが敵ではなくてですね――」
「よいよい。おぬしを見ていればすぐわかる。おぬしの敵でなければワシの敵でもないわい」

 ありがとうございます、とフォルはペコペコ頭を下げ、ふたたび少女のほうに向き直った。

「ここにいらっしゃるということは、どこかに行かれていたのでしょうか?」
「キミのところに行こうと思ってた。でもここで会ったから行かなくてもよくなったね」
「私にご用事だったのですか。なんでもおっしゃってください」
「少し言いたいことがあっただけ。でもその前に、キミがどこに行っていたのか聞いてもいい?」
「あっ、はい。今日はデビル族の皆さんがいる森と、ブリザードの皆さんがいる雪原にお邪魔してきまして」
「……」

 白い少女の澄んだ碧眼が、ほんのわずかに(かげ)った。

「何をしに行ったのだろう」
「実は、あれからいろいろとありまして……ええと、あっ! そちらも私にお話があったのですよね? ここで立ち話もなんですし、またお墓のところに来ませんか?」
「気が進まない。私は立ち話でかまわないし」
「そうおっしゃらず。ハーゴン様の遺骨、見つかったんですよ」
「あっそ。よかったね。だから何?」
「せっかくここまでいらしたのですから、ミグアさんにもハーゴン様のお墓をお参りしていただければと」
「どう考えてもわたしはしなくていいでしょ」
「まあまあ。せっかくですから、ぜひ! お茶出しますので!」
「あのさ。『いいえ』って答えても結果が変わらないなら、そもそも質問する意味あったの?」

 意外と強引じゃの。まあそれもときには大切なこと――。
 後ろで老アークデーモンが笑った。



 がれきを整形して作られた長椅子に、フォルとミグアの二人は座っていた。
 二人の後ろでは、老アークデーモン・ヒースが少し離れて見守る。

「相変わらず、おいしいね」

 彼女の手には、湯気が立ちのぼる器。フォルの淹れたお茶である。

「ありがとうございます」
「いちいち立たなくていいから」

 起立してペコリと頭を下げたフォルに対し、座るよう手を振る。

「ハーゴンの骨、どこにあったんだろう」

 座っている場所の前には、ついさっき一通り見終わった墓地。
 以前に祠の少女ミグアが見たときよりも墓石が二倍近くに増えている。

「はい。破壊神シドー様のご遺体に紛れていたようで」
「じゃあ、あの話は本当だったんだ」
「あの話?」
「ハーゴンは自分の体を生贄(いけにえ)にして破壊神を呼び出したってさ」
「ご自身を、生贄、に?」
「ローレシアの王子から直接聞いた。追い詰められて、そうしたらしい」
「……」
「泣いてるの」
「すみません。大丈夫です。ついでに大神殿の跡地を見ていきませんか?」
「それはもっと気が進まない」
「お願いします。ぜひお見せしたいです」
「だから『いいえ』って答えても結論を変えないなら聞く意味ないから」
「あああっ!」
「うるさ。今度は何」
「ミグアさんも私にお話があったのですよね。忘れていてごめんなさい。ここでお聞きします」
「……もうどうせなので、神殿跡を見てからでいいよ」



 少し高台になっているところから、大神殿跡地を眺める。

「新しい神殿を作ってるんだ」
「はい。ありがたいことにこちらのヒースさんは前の大神殿の建築工事に参加されていたそうなので、知恵をお借りしながら進めています」
「ワシも専門家ではないゆえ、一階建てのものになるがの……。じゃが以前の塔状の建物は、ロトの子孫たちのような少数精鋭の侵入者が来た場合に各個撃破されて危険じゃ。結果的には悪くないじゃろうて」

 現場では何十人ものアークデーモンとバーサーカーたちが、がれきの撤去と、新しく作る神殿の基壇となる部分の石の積み重ねを同時に進めていた。
 信者のローブを着ていない白い少女に気付き一瞬緊張を走らせる者もいたが、横に魔術師のローブを着たフォル、後ろにアークデーモンの前族長代行がいるということで、そのまま何事もないように作業を続けている。
 一人を除いて。

「お前! この前いた人間だな?」

 フォル不在中に現場監督代わりをしていた褐色の少女、バーサーカー・シェーラ。彼女が飛んできた。

「ああ、いかにも真っ先にやられそうな雰囲気だったバーサーカーか」
「なんだと?」
「あっ、ちょっと待ってください。せっかくのご縁です。仲良くいきましょう」

 つかみかかろうという勢いのシェーラの両肩を、慌てて押さえるフォル。
 彼女はまだ何か言いたげではあったが、おとなしくなった。とりあえずフォルの言うことは聞くようである。
 一方、祠の少女はそんなやりとりなど興味はないと言わんばかりに、大きなマフラーから白い吐息を漏らした。

「フォル」
「はい。名前を覚えていてくださってありがとうございます」

 そういうのはいいから――と言って少女は続けた。

「キミの口からはっきり聞きたい。キミは教団を再建しようとしている。そういうことでいいの」
「そのとおりです」
「じゃあ、今まで出かけていたのも?」
「はい。今は他の種族の生き残りの皆さんのところにごあいさつにお伺いして、協力をお願いしているところです」

 白い少女はしばし沈黙した。
 そしてバーサーカーの少女と老アークデーモンを一瞥(いちべつ)すると、ふたたびその碧眼でフォルの仮面を見据えた。

「利用されているのかな、キミは。焚き付けられたんじゃないの」
「なんだその言い方は!」
「あっ、落ち着いてくださいって」

 フォルは手振りで褐色の少女をなだめると、白い少女に言った。

「促されたのは確かです。しかし最終的には私自身が決めたことです。このままロンダルキアの同志がバラバラでは、やがて残党狩りに滅ぼされるでしょうから」
「ま、すぐじゃないだろうけど、時間の問題だろうね」
「こうなってしまったのは、大神殿がロトの子孫たちに負けてしまったからです。その生き残りが私しかいない以上、私が責任を取らないといけないというのはそのとおりだと思います。私自身にも、元の生活を取り戻したいという気持ちがありますし、大神殿の生き残りとしてこの地に残られている皆さんのお役に立ちたい気持ちもあります」
「念のために聞くよ。本気なの?」
「本気です」

 少女がスタスタとフォルに近づき、白く小さな手を伸ばす。

「ちょっと仮面取る」
「え? はい」

 仮面とフードが剥がされ、まだ少年の黒髪と素顔が(あら)わになる。
 少女は前に見たときとの差異があることを認めた。

「顔がちょっと()まってきたかな」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
「信者で居続けたいというようなことは割と最初から言ってた気がするけど……。意志が固くなったのか、いや、もともと固かったけど頭が整理できてなかっただけで、それがここにきてだんだん整理できてきたという感じか」

 白い少女は、手元の仮面をチラリと見て、続けた。

「わたしが今日キミに会って言いたかったのは、『教団の再建だけはやめたほうがいい』という忠告だった」
「……」
「キミだけなら、前にも言ったとおり、信者をやめてロンダルキアを去れば、生き延びられるから」

 フォルは大きな黒い瞳を、じっと少女に向けることで答えた。

「やっぱり、やめるつもりはない、か」
「そうですね。自分がその器だとはまったく思いませんが、このまま頑張らせていただきます」
「きっと、大変だよ」

 剥がした仮面を、少女がフォルの手に渡す。

「はい。それは、わかっているつもりです」

 フォルが一礼してそれを受け取り、着け直した。
 そして少女のほうは、顔を北に向けた。

 気づけば、雪がやんでいる。
 北の空、山際は雲が切れていた。

 いつのまにか日も落ちてきていたのか、そこから見える空の青はやや濃い。
 広がる白い峰々の間。ちょうど今、一つの光がキラリと輝き始めた。

「あそこでは、こちらの動きを見ているかもしれないよ」
「ロンダルキアを見張っていたという大灯台ですね? 今は機能していないのでは」
「人間がいたとしても、今は見ているだけで機能はしてないだろうね。でも、これからムーンブルク城復興が進んだらどうかな。わたしは連携が復活する気がする」
「ではその前に、もう監視は必要ないのでやめていただきたいということを、信者としてお願いしにいきます」

「教団再建は諦めます、とはならないんだ」
「はい。すみません」
「わたしは大灯台に行くのも反対だけど。まあ、その感じだと行ってしまうのかな」
「近いうちに行きます。教えてくださってありがとうございます」
「キミはいつでも、わたしの勧めと逆のことをしてる」
「ごめんなさい。せっかく気にかけてくださっているのに」

 ミグアの視線がフォルの胸元に行く。まだネックレスがかかっていた。
 しかしそこに、青がゆらめく宝石はない。

「……がんばれ」

 本人にも聞こえないように、白い少女はマフラーの中でつぶやいた。



 ◇



 フォルの元を辞したミグアが雪の上を祠に向かって歩いていると、背後に一つ、雪を踏む音が追いかけてきた。
 足を止め、振り返る。

「ん。殺しにでも来たの」
「そんな物騒な用件ではないわい」

 それは先ほどまで同じ場にいた、老アークデーモン・ヒースであった。

「それに、ワシではお嬢ちゃんに勝てぬだろうて。違うかの?」

 笑みを浮かべながら、そんなことを言う。

「『ワシは人を見る目がある』とか『伊達に歳は取ってないわい』とかの自慢?」
「それも違うわい」
「じゃあ何」
「心配なのじゃろ? あやつのことが」

 少女は、暗くなった曇天を見上げた。

「わたしは、ハーゴン討伐直前の、ロトの子孫三人組を見てる。あの決死の姿を」

 それに比べれば、少し変わってきたとはいっても、あの子の姿はなんと線が細く頼りないことか――少女は独り言のように言った。

「そう思うなら、お嬢ちゃんもフォルの元にいてやってはどうじゃ? あやつも心強いじゃろうて」
「……」

 白い少女は答えず、やがてくるりと向きを変えると老アークデーモンの前から消えていった。 

 

13.大灯台へ

「フォルよ。ここまでの旅は疲れたか」
「いえ、ハゼリオ様にいろいろなことを教えてもらいながらでしたし、楽しかったです」
「……の割に、顔が一段と白いのは、船酔いか」
「あ、はい。思っていたより揺れるので、少し」
「ならば船の中央のやや後方あたりに移るべきか。あちらに行こう」
「申し訳ありません」

「ここで遠くを眺めているといい」
「ありがとうございます。あ、鳥が飛んでいますね。その向こうは……あの大きいのはもしかして」
「そうだ、翼竜バピラスだ。あの個体は我々の教団の配下。ザハンの町を出たときからずっと儂らを見守ってくれている」
「ここまで全然魔物に襲われないのはどうしてかと思っていましたが、そういうことでしたか。しかし今ハゼリオ様は仮面を着けられていませんが、あのバピラスさんは人間の区別がつくのでしょうか?」
「あの翼竜は賢いからな」
「頭のよい魔物なのですね」

「ふむ。『魔物』というのはあまり正しい言い方とは言えない。我々と同じようにこの世界の動物の一種に過ぎぬからな。お前もロンダルキアに来ればそれをすぐに理解するだろう」
「はい! 気をつけます」
「ベラヌールに到着すれば、もうロンダルキアへ着いたも同然だ。船酔いもあと少しの辛抱だな」
「ロンダルキアにはベラヌールから行くのですか?」
「そうだ。ベラヌールには我々しか知らぬ旅の扉がある。そこからロンダルキアへ行けるのだ」



 - - -



 魔術師フォル、老アークデーモン・ヒース、少女バーサーカー・シェーラの三人は、大きな籠に乗り、空を飛んでいた。
 籠からのびている縄の先は、四体の翼竜・バピラス。そのコンビネーションは完璧で、揺れのほとんどない、快適な飛行となっていた。

 行き先はアレフガルドの南、ムーンブルクの西に浮かぶ島にある、大灯台。
 かつてはロンダルキアの様子を逐一ムーンブルク城へ報告していたという、その塔。今もなお陽が沈みそうになると光が灯ることから、ムーンブルク滅亡後も単独で監視を続けている可能性が高いと見られている。

 今回フォルたちが赴く目的は、その監視をやめさせ、最上階に設置されているという大望遠鏡を撤去すること。
 教団再建の時間稼ぎとして有効であると判断したのである。

「バピラスさんたち、休憩しなくて大丈夫ですか?」

 見上げて、フォルが声をかける。

「おいコラ。もうこの先ずっと下は海だぞ。休憩挟んだら籠が沈んでオレら死ぬだろ」

 シェーラの突っ込みに「あ、そうでしたね」とフォルが頭巾を掻いていると、バピラスの一体が、雄々しい声で一鳴きした。

「バピラスは休憩なしで大丈夫だと言っとるぞ」
「ヒースさんはバピラスの言葉がわかるのですね? すごいです」
「だいたい、じゃがな。もともとワシらアークデーモンの先代族長が一部のバピラスたちの指揮役をしておったのじゃ……ハーゴン殿の指示でな。がれき撤去作業で呼び出し用の笛が見つかってよかったわい」

 このバピラスたちを呼び出したのは、この老アークデーモンである。
 当初の予定ではもっと呼び出して大人数で行くはずだったのだが、すでに結構な数がロトの子孫たちや人間の兵士たちに討伐されてしまって個体数が減っている影響なのか、笛の音を聞いて応じてくれたのはこの四体だけだった。

「ハゼリオ様の研究資料も見つかりましたし、がれきのお掃除を手伝ってくださった皆さんには感謝しています」
「前にも言ったが、あの資料は少しずつでよいからしっかり読み込んでおくのじゃぞ」
「はい!」

 順調に進んだがれきの撤去作業では、大神殿にいた者たちのさまざまな遺留品を発見することになった。その中には、悪魔神官ハゼリオによる日々の業務日誌や膨大な研究記録なども含まれていた。

 フォルはとにかく自分や各種族にとっての形見の品が増えたことを喜んだ。が、老アークデーモンは、ハーゴンの右腕と称されていたハゼリオが生前に握っていた、教団の極秘情報をフォルが引き継げるということも重く見ていたのである。

「そういうのはわざわざオッサンが念を押さなくても、こいつはちゃんとやるだろ」
「ふむ。そうじゃな」
「それより、オレはこいつが大灯台でちゃんとやれるのかが心配だ」

 籠に寄り掛かり、腕を組んだままバーサーカーの少女はそんなことを言う。

「大丈夫です。バピラスさん飛ぶのがお上手ですので揺れてませんし、全然酔っていませんよ」
「いや何の話だよ……。オレが言いたいのは、お前ちゃんと戦えるのかってことだよ」
「えっ。今回は話し合いをしに行くのですよ?」
「んなもん決裂するに決まってるだろ。戦いになるから、戦って、殺して、望遠鏡とやらも壊して、全部きれいにして帰るんだよ」
「いや、最初からそんなことはあまり考えたくないと言いますか」

 バーサーカーの少女が、風でなびいていた深紅の髪を掻きむしった。

「お前なぁ。戦場ではそうやって頭の中がもたついてる奴は、問答無用で敵に斬られてあっさり死ぬぜ」
「大丈夫じゃろ。ローレシアの王子にも向かっていったくらいじゃぞ」
「そう思いたいけどよ。普段のこいつを見ていると嫌な予感しかしないぞ」
「それがよいところでもあるからの。まあハーゴン殿やハゼリオ殿とはまったく雰囲気が違うゆえ、いまだ戸惑っている者が多いのは事実じゃがな」
「ご心配をおかけしてすみません……」
「そういうヘタレなところが心配なんだっつーの」
「まあまあ。危ないときはワシらでフォルを助けるぞ」

 老アークデーモンの右手には、三つ又の槍が握られていた。この種族が最も扱いを得意としている武器である。 

 

14.静寂の塔

 大灯台の高層や中層から突入することは明らかに不可能だったが、低層には着陸可能と思われる場所があった。

 広大なバルコニー状となっているところに着陸すると、フォルはここまで三人を運んできたバピラス四体に頭を下げ、あらためて塔を眺めた。

「大きい、ですね」

 それは、塔と呼ぶにはあまりに太く、そして高すぎた。
 まっすぐ見れば、まるで城のような外観。見上げれば、高層は空を突き破っているかのようだった。はるか遠い(いただき)は霞んでいる。

「そりゃのう。ロンダルキアを見張れるくらいじゃぞ」
「でも雰囲気が変じゃないか? なんかこう、死んでる感じというか」

 老アークデーモン・ヒースは、バピラスの背を撫でながら。バーサーカーの少女・シェーラは、低層の外観を確認しながら。それぞれ感想を述べる。

 シェーラの言うとおりだった。塔全体が朽ち気味であり、外壁も崩れているところが多い。
 何よりも――。

「たしかに、そんな感じはします」

 少なくとも低層からは、生き物の気配がまったく漏れてきていないのである。物音ひとつ外に聞こえてこない。フォルの耳には、バピラスの整え中の荒い呼吸音だけが耳に入ってきていた。

 不気味さを感じながら、三人は塔の中に入っていった。



「……これ、絶対おかしいな」

 塔内部を淡々と上がってきた三人の先鋒であるバーサーカーの少女が、ついに断言に至った。

「ふむ。中も静かすぎじゃの」
「そうですね。人間が完全に管理しているのであれば別ですが、そんな感じにも見えませんし」

 高層近くまで上がっても、確認できるのはわずかな小動物のみ。誰もいない。
 人間の管理が行き届かない塔は、いろいろな種族・動物がたむろしていることが普通である。これだけ静かというのは、過去にロトの子孫たちや人間の兵による掃討があったと仮定しても考えにくいことだった。

「大きな力を持った者が、我々に先んじて上がっていったばかり――というのは考えすぎかの」

 その老アークデーモンの指摘は、フォルの体に緊張を走らせた。

「あいつだったりしてな」

 バーサーカーの少女も、斧を握る手に力を込める。
 フォルと彼女の頭の中に浮かんでいたのは、もちろん同じ人物だ。

 青い剣士。
 ロンダルキアの猛者たちを次々と殺害し、大神殿に乗り込み、大神官ハーゴンと破壊神シドーを倒したロトの子孫三人組の筆頭、ローレシア王・ロスである。

 ここに彼が現れるというのは、あまりにタイミングが合いすぎだ。だが可能性がゼロなわけではない。

「以前大神官ハーゴン殿と悪魔神官ハゼリオ殿の指示を受け、我々アークデーモンがここにグレムリン四人を遣わしていたことがある。そのときは塔の中がこんな感じという報告はなかったからのお」
「……その話、知りませんでした。なぜグレムリンさんたちを?」

 先頭を歩くシェーラが「なんで悪魔神官の部下だったお前が知らないんだよ」と振り返らずに突っ込む。

「人間の老人に化けさせて、やってくると言われていたロトの子孫たちを待ち伏せする予定だったのじゃ」
「なるほど」
「じゃが、あるときを境に連絡は途絶えてしもうた。きっとやられてしまったのじゃろうな」
「……」



 その後も、何者にも会うことはなく、何に襲われるということもなく。
 距離的には長い踏破だったが、あれよあれよという間に最終盤を迎えた。

「この上が最上階かの?」
「たぶんそろそろ一番上な感じだよな」

 上にのびている階段から吹いてくる、明らかに今までと違う風。
 それを受けながら、三人はゆっくりと上がった。

「……」

 まぶしさに、三人の目が細まる。
 そこは、今までとはまったく違う、開かれた空間だった。
 天井はあるが壁はない。等間隔の太い石柱の間からは外――空が見えていた。
 中央には、やはり等間隔の柱に囲まれた、毎日火が焚かれているのであろう大きな台がある。
 
 兵士は? と、すぐに三人の目が目的の人物を探し始めようとしたときだった。

「誰だ」

 三人が確認するよりも早く、言葉が飛んできた。
 その声は異様だった。高くも低くもなく、大きくも小さくもない。なぜか耳だけでなく頭の中にも直接響いてくるようでもあり、音は明らかにこもっているのに、はっきりとした滑舌であるように感じた。

 見ると、大きな台の陰から、くすんだ銀色の鎧に全身を覆われた剣士が現れた。
 頭部から脚に至るまで露出がなかった。声の異様さもあり、中の人物を推し量ることがまったくできない。
 その手に握られた重厚な剣も、誇示するつもりもないように剣先が下がっていた。

「あ、あの。あなたがここの――」
「魔物か」

 その剣士は、フォルの声を打ち消すような言葉と金属音を発し、近づいてきた。 

 

15.鎧の剣士、そして

 ゆっくりと近づいてくる鎧の剣士。
 その雰囲気に、フォルは気圧された。

 なんとか、他の二人よりも一歩前に出る。
 自分の気持ちを奮い立たせる意味だけではない。老アークデーモン・ヒースはともかく、最初から話し合いは困難と考えている少女バーサーカー・シェーラの暴走を懸念しているためだった。
 そんな姿勢が奏功したのか、彼女もいきなりは前に突っ込まない。

「あ、あなたが、ロンダルキアを監視されていたおかたでしたら、お願いがあります。そのために来ました」

 鎧の剣士の動きが、とまった。
 フォルは安堵した。会話にならずいきなり斬りかかられてしまうことが最悪の想定だったためだ。

「ロンダルキアの邪教を見張ること。それが神より託されし私の任務だ」
「お会いできてよかったです。ええと――」
「用件を言え。ハーゴンの使徒がなんの用だ」

 急かされると、フォルは一度頭を下げてから姿勢を正し、本題に入った。

「ロンダルキアへの監視を、中止していただきたいです。もしくは、監視を続けられる場合でも、すでにロンダルキアが世界を脅かす存在でないことを認めていただきたいのです」
「……」

 無回答。
 もちろんすんなり話が進むとはフォル自身も思っていない。

「理由も説明させてください」

 フルフェイスでまったく顔の見えない、目の部分すら陰となっている、何もうかがえない兜。
 声の異様さも相まって、鎧の剣士の言葉に込められた心情がまったく拾えなかったが、話を続けていった。

「ご存知だと思いますが、あなたがたが『ハーゴンの神殿』と呼んでいた大神殿は崩落して消滅しています」
「それはここから確認している」
「大神官ハーゴン様も、ハーゴン様が召喚された破壊神シドー様も、ロトの子孫であるローレシアの王子・サマルトリアの王子・ムーンブルクの王女の三人に討たれ、教団は壊滅しました」
「それも聞いている。大神官や邪神が滅んだことで、空は澄み、世界そのものが生き返ったようだった。だが……また何やら新しい建物ができている」
「おっしゃるとおりです」

 ここでフォルは、隠さず伝えようと思っていた言葉を口にした。

「私は大神殿の信者の生き残りです。いま、教団を再建しようとしています」

 鎧の剣士が、手にしていた重厚な剣を構えた。不気味な音がした。
 合わせるように、老アークデーモン我三つ又の槍を構え、バーサーカーの少女も斧と盾を構える。
 だがフォルは片手を後ろに向けることで、二人をあらためて制した。

「すでにロンダルキアで生き残っていた同志たちは一つにまとまり、協力して生きていくことになりました。ロンダルキアの外は……教団支部はすべて崩壊済みと聞いていますが、今もなお信仰心を捨てず、信者としての毎日に戻りたいと考えている者は必ずいるはずです。私たちはロンダルキアで教団を再建することで、その者たちに信者として帰る場所を準備させていただいたつもりです。それは他の国を滅ぼすためでもなく、世界を破滅させるためでもありません。私自身も含め、生き残った教団の同志に信者のまま生きていくという選択肢を作りたかった、ただその思いだけです」

 鎧の剣士の大剣の切っ先は下がらない。

「最初はそう言って(だま)し、戦力が回復したら方針を変えるつもりなのだろう」
「それはありません。自分たちの暮らしを守るためにどうしても戦わなければならないときもあるかもしれませんが、それ以外の無用な戦いをするつもりはありません。私たちに関係のない国に迷惑をかける意志もありません。外の世界ではロンダルキアを一番長く観てきたであろうあなたに、どうかそれをお認めいただきたいと思っています。お願いします。信じてください」

 フォルは身振り手振りも交えて、伝えた。
 あまりに必死すぎて、ロンダルキアで待つ同志の一部にまだ伝わり切れていない思いや、納得しきってもらっていないかもしれない思いまでしゃべってしまっているような気がした。だが、きっといつかは自分の考えを支持してくれると信じてもいた。ここで口にしてもかまわないと思った。

「邪教の信徒が口で何を言おうが信用できぬ」

 しかし、その必死さは厚い鎧を貫くまでには至らないようだった。
 あらためてガチャリという音とともに、鎧の剣士が構え直した

「教団再建を企てる残党の首謀者が現れたのは僥倖(ぎょうこう)なこと。ここで討つ」

 待ってください――。
 そう言う前に、鎧の剣士がフォルに斬りかかってくる。全身を鎧で固めているとは思えない速度だった。

 高い金属音がした。
 フォルの首は飛んでいない。構えた杖までも到達していない。重厚な剣は、さらに手前でとまっていた。

「もう少しこやつの話を聞いてくれぬかのお」

 剣を阻んだのは、伸びてきた三つ又の槍だった。
 しかし。

「うおっ!?」

 三つ又の槍を、鎧の剣士が払う。
 老いているとはいえ、世界の生物の中では抜群に強い力を誇るアークデーモン。なのに横に倒され、転がされてしまった。
 ふたたび両手剣がフォルを襲おうとする。

 今度はバーサーカーの少女が素早く間に入り、斧をぶつけるように出して受けた。

「なっ、なんだこのクソ(ぢから)――うあッ」

 攻撃の重さに驚きの声をあげた彼女に、やはり直後に薙ぎ払いが襲う。盾を出したが受けになっていない。石の床の上を派手に転がった。

 慌てるフォルだが、二人に声をかけることすら許されない。
 すぐに来た次の斬撃を、自身が杖で対応することになった。

「ぐっ……うっ」

 両手で支えた杖で、真正面から受ける。

「……っ……うわっ!」

 かつて悪魔神官ハゼリオが使っていたいかずちの杖は、折れない。
 だがやはり膂力(りょりょく)が違いすぎた。
 簡単に後方に押し倒されたフォルに対し、鎧の剣士は覆い被さるようにさらにその大剣に力を込めてきた。

「ぅ……!」

 押し返すことができない。
 じりじりとフォルの仮面に迫る、大剣。そして鎧の剣士の頭部。

「……!? あ、あなたは――」

 至近距離で見た兜に、違和感を抱いたフォル。しかし当然、押し付けられた大剣の力は緩まない。
 
「う……ぅあぁっ……っ!?」

 まさにフォルの仮面を割ろうとせんばかりに剣が肉薄していたが、そこでふっと重みが消えた。
 焦点が合わぬくらいに近づいていた剣も、いや、剣士そのものの姿も消える。
 直後に、大きな金属音が、一度、二度。

「大丈夫かいの」

 老アークデーモンの声。そして手首にはバーサーカーの少女の手が強く握られ、フォルは引き上げられた。

「あ、ありがとう、ございます」

 二人がかりで剣士を引き剥がし、放り投げたのだった。剣士の重厚な鎧の防御力を考えると、フォル救出のためには武器で叩くよりもよい対応だったようだ。
 柱にぶつかって倒れた剣士は、いま立ち上がったところだった。

「フォル。オレたち二人はもう本気で戦っていいな?」
「待ってください」
「まだかよ! もう結論は出たんだろ」
「いえ、このかたはおそらく――」
「また来るぞ!」

 激しい金属音がした。
 今度はバラバラではなく、老アークデーモンと少女バーサーカーの二人がそれぞれの武器を同時に出し、鎧の剣士の大剣を受け止めていた。
 力は拮抗し、互角に押し合っている。

「剣士さん! 私を信じていただきたいです。私は本気で――」
「信じぬ!」
「では信じなくてかまいません! 監視を続けていただいてかまいません!」

 何を言っている――そんな表情でシェーラが一瞬フォルを振り返る。だが力は抜かなかったようで、均衡の取れた押し合いは続く。

「信じなくて大丈夫ですので、ロンダルキアまで来て、堂々と、心置きなく監視なさってください。あなたの役割はロンダルキアを見張ることだとおっしゃいました。ならば、私のすぐそばで監視を続けてください。ここで見るよりずっとよく見えるはずです。私たちがおかしなことをしようとしていたら、他の国に報告していただいても結構ですし、その場で私を討ってくださっても結構です。何年でも、何十年でも、何百年でも。あなたにはそれができるのでしょう? だってあなたは……」

 一呼吸だけ置いて、言った。

「……もう亡くなられているのですよね?」

 えっ? と、今度はシェーラだけでなくヒースもフォルを見た。
 さすがに二人の手の力は緩んだが、鎧の剣士のほうはさらに緩んだようだった。結果的にアークデーモンとバーサーカーの二人の力が勝り、鎧の剣士を押し返し、ふたたび距離を取ることに成功した。

「なるほど。そういうことだったんだ」

 そのとき、新たな声が聞こえた。
 三人は、声に、そして声の主の存在に驚愕した。この場にもう一人いたことに、まったく気づいていなかったからだ。
 気配を消していたのだろうか。マントに身を包み、細身の剣を持った人間が、いつのまにか鎧の剣士から離れたところに立っていた。フードを深くかぶっているが、茶色がかった金髪がわずかにのぞいている。

「剣士さん。もういいんじゃないですか。神託……神との約束は、ハーゴンとシドーの死をもって、もう果たしたんじゃないでしょうか。このあとのことは、また新しい世界の話なんだと思います。だから――」

 現れたその人間の声は、若かった。男声だがやや高めで、心地よいわずかな(かす)れがあり、穏やかだった。

「あとはもう、この世の人たちに任せて、ゆっくり休んでください」

 すると、剣士の全身を覆う重厚な鎧から、穏やかな、しかしはっきりと見える白いモヤが漏れるように出た。
 そしてそのモヤが、上へと消えていく。

 すると、まず兜が外れ、石の床に乾いた音を立てて落ちた。

「……!」

 転がる兜から見えた中身は……完全に白骨化した頭部だった。
 続いて全身の防具が次々と落ちていく。やはりすべてから白骨が覗いていた。

「もう死んでおったのか。気づかなんだ」
「オレも全然気づかなかったな」

 驚く二人。
 深くフードをかぶったマント姿の男は驚きと感嘆を口にした。

「よく気づいたなあ。前に会ったときは間違いなく生身だったと思うんだけど……。責任感があまりに強すぎて、死んでからも使命を果たそうとしてたんだろうね」

 男は言い終わると、崩れ去った鎧の剣士に対し、ゆっくりと、深く頭を下げた。
 フォルも、同じように頭を下げていた。

「おいフォル、お前もその鎧野郎に頭下げるのはちょっと違うんじゃないか……」
「あ、ごめんなさい。そちらの旅のおかたへのお礼が先ですよね」

 バーサーカーの少女の指摘に、慌てて頭を下げ直した。

「あなたのお言葉でハッとしました。よく考えたら、私の提案だといつまでもこの鎧のおかたが天国に行けなかったと思います。あなたのお言葉のおかげで、このおかたは救われたと思います。ありがとうございました」
「いや、亡くなった人の魂が残り続けるのはどうなのかなと思っただけだよ。この剣士さんとは一度しか会ったことがないから、僕も正解がなんなのかはわからない。もしかしたら、亡霊のままずっと任務を果たさせてあげ続けることが、この人にとっては本当の幸せだったのかもしれなかったし。君が不正解だとは限らないと思う」

 というか、剣士さんが亡霊であることにも気づかなかった僕が出しゃばるのはよくなかったかもなあ――と付け加えながら、男はフード越しに頭を()いた。

 一方、バーサーカーの少女のフォルに対する呆れ度合いには拍車がかかったようである。

「いや、オレが言いたかったのはそういうことじゃないんだが」
「あっ、シェーラさんとヒースさんにもお礼を言わないといけないですね。ありがとうございます」
「それも違うぞ……。人間って、ついさっきまで自分を殺そうとしてた奴に頭を下げる種族なのかってことだよ」
「えっ?」
「まあまあ。それよりも、じゃ」

 噛み合わない二人の会話をおさえつつ、老アークデーモンはマントの男を見た。

「そちらの人間、ワシはただ者ではない気がするがのお」

 三人のうち、彼だけは手持ちの武器をしっかり握ったままだった。
 その人間の旅人は穏やかな声と雰囲気をしている。だが、魔術師だけならまだしもアークデーモンやバーサーカーを目の前にして、まったく恐れる素振りを見せない。その不自然さを警戒していたのである。

「自己紹介をお願いしてよいかの? あとは、敵なのか、味方なのか、それも頼むぞ」
「うん。いいよ」

 マントに身を包んだフードの男は、フォルたち三人の顔をサッと見た。
 そしてもう一度フォルを見る。今度はその仮面でなく、手元を。

「お、いま気づいた。魔術師の君のその杖、見覚えがあるよ。もしかして、あのとき悪魔神官の隣にいた? もしそうなら会うのは二回目だね。ああ、だけど、しゃべるのは初めてだから、やっぱり初めまして、かな」
「――!?」

 その言葉に、一転、フォルの全身が硬直した。

「もしや、あなたは」

 男は、フードとマントを開いた。
 開放型のヘッドギアからあふれる、茶色がかった豊かな金髪。額にセットされたゴーグル。やや垂れ気味の目。
 そして……。
 ロトの紋章が入った、緑色の服――。

「うん。そうだよ。僕はサマルトリアの王子、カイン。敵だね」 

 

16.サマルトリアの王子

 もしも遭遇してしまった場合。

 まずは、逃げられるようなら逃げること。
 やむをえず戦う場合は、仲間を呼べるなら呼ぶこと。多ければ多いほどよい。
 各個撃破されるような狭い場所では戦わず、開けた場所で、最低でも三対一以上の条件で戦うこと。一対一などはもってのほか。
 まともに斬り合うことは避け、なるべく呪文や遠隔攻撃で体力を削っていくこと。
 仮に戦いを優勢に運べていたとしても、逃げられると判断したらその時点で躊躇なく逃げること。

 教団再建中のロンダルキアでは、対ローレシア王の対策として以上の方針を共有していた。
 だが。

「僕はサマルトリアの王子、カイン。敵だね」

 この柔和な表情をした金髪の人間。
 彼に遭遇することを想定した議論はなされていなかった。

 唱えるベギラマの威力はイオナズンすらも凌駕し、猛烈な炎で敵を焼き尽くしたという。
 軽やかに振るう剣は誰よりも速く、並の剣士が一振りする間に二振りして敵を切り刻んでいたという。
 そんな伝説を残したサマルトリアの王子も、大神官ハーゴン討伐後は王位をすぐに継がず、一人旅に出たという話になっている。サマルトリアの国民ですらその行方を知る者はいないとされていた。

 能力的に穴がないとされる彼に対して有効な戦い方が、フォルにはすぐに思いつかない。逃げるにしても位置関係が悪く、逃げ切れる気がしない。

 老アークデーモン・ヒースの顔を、チラリと見る。だが彼はわずかに首を振り、硬い表情でサマルトリアの王子に視線を戻すだけだった。戦闘経験豊富であろう彼でも、妙案はすぐに浮かばないようだ。

「行方不明、と聞いていましたが」

 先ほどの汗にさらなる冷や汗が加わり、仮面の奥、顎の先から滴り落ちてきた。

「そんな噂が流れてるらしいね。でも、僕はただ、ハーゴン討伐の旅で立ち寄ったところをもう一度のんびり回っていただけだよ」

 あのときはゆっくり景色を見ることもできなかったから、とニッコリ笑った。
 不敵な笑みなどではなく、大神殿で見たときのような鋭い表情でもなかった。柔らかく、優しい笑いだった。

「この塔が静まり返ってたのはお前の仕業だったか。片っ端から殺してこの階まで上がってきたんだろ?」

 斧を構え鋭く彼を見据え、バーサーカーの少女が言う。
 すると、フォルは彼の笑みが微妙に変質したことに気がついた。やや寂しそうな色を帯びた気がした。

「一体も殺してないよ。魔物はみんな僕を見ると逃げ出すんだ。僕、そんなに怖い顔してるのかな? ここの魔物とは戦う必要を感じなかったから、剣すら抜いてないのに」

 そして彼は表情をさらに変化させる。笑みを微笑の程度まで戻し、続けた。

「でも君たちに対しては逆だね。逃がす理由がない。ハーゴン教団が復活しようとしている。しかも、どうやら君たちがそのリーダー。知ってしまったら仕方ない」

 そう言いながら背中に背負っていた盾を左手で持ち、右手で腰に差していた剣を抜く。

「やはり、先ほどの私の話は信用していただけないのですね」
「さっきの鎧さんほどは疑ってないよ。でもごめんね。ここで僕が見逃すと……あいつが、ロスが戦わないといけなくなってしまうから」

 剣は鋭い輝きを放つ細身の直剣だった。(つば)には隼の意匠が施されている。
 盾は金色で縁取られており、中央には宝石が埋め込まれていた。 

「教団再建を着手し始める前に、彼に遭いました」
「えっ。あいつにも再会してたんだ? 会話はしたの?」
「はい。改宗してローレシアに来てほしいと言われました。二度と邪教が生まれてこないようにしたいので、教団の、特にハーゴン様についての情報を提供することで協力してほしい、と」
「そのときはひとまず承諾したとか?」
「いいえ。その場で『改宗はしません』とお断りしました。私はハーゴン様がお作りになられた教団の信者で、悪魔神官ハゼリオ様の部下です。ありえません」

 サマルトリアの王子は感心したような表情も交ぜてきた。

「その答えかたをして、いま君が生きてるのって、すごいね」
「偶然がいろいろ重なりまして。戦いになりましたが、奇跡的に逃れることができました」
「それはたぶん本当に奇跡だ。でも、あいつは頑固者で、クソがつくほど真面目で、絶対にあきらめない男だよ。一国の王として、勇者ロトの子孫として、ハーゴン教団の再建なんて絶対に許さないだろうね。君たちが教団再建を目指し続ける限り、いつか必ず攻め滅ぼすつもりでいるはずだよ」
「そう、でしょうね……」
「でも僕はもう、あいつには戦ってほしくない。あいつはいつも先頭に立って敵を斬り倒してた。つらそうな顔なんて一度も僕に見せたことなかったけど、世界で一番長くあいつの背中を見てきた僕にはわかる。あれだけ体と心が強くても、戦い続けて、自分の手で命を奪い続けることは、しんどいことなんだ」

 今度は、やや遠くを見ているような微笑。
 緊張も恐怖も感じていたフォルだったが、サマルトリアの王子が見せる表情を感じ取ることができていた。

「僕はもともと、妹や父さんが何にも怯えずに暮らせるようになればいいという思いでハーゴン討伐の旅に出たけど。あいつと合流してからは、ハーゴンを倒せばあいつが戦わなくていい世界になるから、だから頑張ろうという思いも、同じくらい、いや、それ以上に強くなった気がするよ。
 旅の途中でも、あまりあいつに人殺しをさせたくないと思ったから、頑張ってマホトーンを覚えた。そうすれば信者はみんな戦わずに逃げてくれるかもしれないと思ってね。あと、あまりあいつに魔物殺しをさせたくないと思ったから、頑張って剣とベギラマの腕を磨いた。あとはそうだなあ、あいつが倒れるところは絶対に見たくないと思ったから、頑張って自己犠牲呪文(メガンテ)の呪文を覚えた……ら、絶対に使うな、死んでも使うなってメチャクチャあいつに怒られた。懐かしい」

 これから彼は自身の意思で戦おうというときに、敵であるこちらにいろいろな顔を見せてくる。でもそれらはどれも穏やかで邪気もない。不思議な人だとフォルは思った。

「さてと。無駄話を聞いてくれてありがと。戦おうか」

 彼の細身の剣が、光った。 

 

17.サマルトリアの王子(2)

 老アークデーモン・ヒースが、三つ又の槍先をサマルトリアの王子に向けたまま、前に出た。

 もし大灯台で戦闘の必要が生じた場合、三人の中で最も耐久力に優れる彼が、最もダメージを受けやすい位置取りをする。それが事前の打ち合わせだった。

 そして彼の尻尾の先が、後ろを向けたまま小さく動く。これも打ち合わせどおりで、簡易的な指示だった。
 本来は後衛であるフォルが指示役となるべきであるが、戦闘経験がローレシア王戦しかない素人である。そのため、当面は老アークデーモンが肉声または尻尾で指示をおこない、フォルはそれを見て学ぶという話になっていた。

 老アークデーモンは前にいたまま呪文攻撃と槍での攻撃。フォルは少し下がり、奥から呪文攻撃。バーサーカーの少女・シェーラは横方向に離れて遊撃に適した位置を取り、スピードとバネを生かして一撃離脱を繰り返す、ということになる。
 サマルトリアの王子の思い出話が続いていた間に、老アークデーモンも必死に考えたのだろう。万能と言われるサマルトリアの王子だが、最も警戒すべきはベギラマ。呪文を使う暇をなるべく与えないことが大切という結論のようだ。

 しかし残念ながら、そのような苦慮をあざ笑うかのような展開となった。

「マホトーン」

 サマルトリアの王子の声。それとともに、持っている細身の剣が、フォルと老アークデーモンの中間あたりの方向へと向けられた。
 通常の呪文使いは、杖または素手を向けて発動させる。両手が盾と剣で塞がってしまう彼独自のやり方なのだろう。

 同時に、フォルの体内に奇妙な拘束感が走る。
 まさかと思い、杖を向けて呪文を唱える。

「ギラ……っ!」

 何も起きない。

「ダメじゃ。武器で攻撃するしかない」

 いきなり呪文という攻撃手段が奪われた。こんなに簡単にかかるものとは聞いたことがなかったためフォルは驚いたが、杖での攻撃に頭を切り替えた。

 いかずちの杖は頭と逆側の先端が槍先のように加工されており、刺突武器としての使用も可能。目の前の強敵に通用するかどうかはともかくとして、フォルは槍に精通している種族アークデーモンであるヒースに技術を教わっているところだった。

 位置を前に直したフォルよりも早く、シェーラが三人の先陣を切るかたちでサマルトリアの王子に斬り込んでいた。その表情は鬼気迫るものがあった。
 もともとバーサーカーは仲間意識も強い種族。ロトの子孫三人組にはかなりの数の同朋がやられているため、種族全体で彼らに対する敵愾心(てきがいしん)は強い。シェーラの場合は戦死者に前頭領である父親が含まれているのでなおさらだった。

「……っ」

 斧は見切られ、空を切った。十分な気合いも当たらなければ意味がないが、彼女もサマルトリアの王子の剣の速さを警戒はしているため、二振り三振りと欲張らず、体のバネを生かし自分の攻撃が終わるやいなや後方に跳ぶ。

 ところが。
 着地した瞬間に、少女が身にまとう緑色の服の腹部の箇所が、横に大きく裂けたようにパカリと開いた。

「……!」

 サマルトリアの王子を見ると、すでに剣を振り終えている体勢だった。素早く間合いから離脱したはずのバーサーカーの少女の体を、想定を超える凄まじい速さで振り抜かれた剣が、わずかに捉えていたのだ。
 裂け目からはよく締まった褐色の腹筋がのぞいている。血は出ていない。生身まではかろうじて届かなかったようだ。

 フォルの目には何が起きたのかわからないほどの戦慄の速度だったが、恐怖心を抑えて自身も踏み込み、杖での突きを入れた。
 が、ひらりとかわされてしまう。

 そのかわし先を計算したかのように突き出された、老アークデーモンの三つ又の槍。
 正確無比。これはかわせないと判断したサマルトリアの王子は、盾で受けた。すさまじい金属音がした。

 フォルがふたたび杖を出すも、当たらない。
 体勢を立て直したバーサーカーの少女もまた飛び込んでいく、が、やはり斧は空を斬る。

 彼女は武器が斧であるため、他の二人よりも間合いを詰める必要がある。
 そこをまた狙われた。

「あぁっ!」

 今度はサマルトリアの王子の剣に捕まってしまった。
 彼女は離れ際に一振り、二振りと斬られ、盾の使用も間に合わなかった。声があがり、顔が苦悶に歪む。
 後方に着地するも、今度は胸から腹部にかけて斜めに服が大きく裂かれていた。褐色の素肌がのぞき、さらにそこから血がが線上に噴き出す。

「……うっ」
「シェーラさん!」
「大丈夫かっ」
「だ、大丈夫だ。浅いっ」

 そう言いながらもうずくまる少女。
 追撃を許すまいと老アークデーモンとフォルで時間稼ぎの手数を出すも、二人だけではサマルトリアの王子の余裕を完全に奪うことはできなかった。

 そして、来てしまった。

「ベギラマ」

 サマルトリアの王子が呪文を唱え、細身の剣をフォルたちに向けた。普通はこれだけ忙しくされると呪文はなかなか放ちづらいはずなのだが、熟練度が高くタメが少ないのだろう。すぐに細身の剣が大きな炎を帯び、そこからフォルたちに向けて発射された。

「いかん、デカいぞ」

 ここで老アークデーモンが驚きの行動に出た。
 防御体制を取らず、逆にベギラマの源に飛び込むようにサマルトリアの王子に向けて突っ込んでいったのである。

「むうぅっ」

 老アークデーモンが火だるまとなる。
 事前の想定を超える威力であることを察し、他の二人はまともに食らえば耐えられないと判断。自分の体を盾にして炎を食い止める判断をしたのである。

「むっ、むむむ、うおおっ」

 しかし、炎の威力は想定を超えた想像すらも上回った。受けきれない。
 怒涛の勢いで巨体から溢れていくベギラマが、猛烈な炎の風となって後方の二人をも襲った。

「う、うああっ」

 フォルはあわててマントで受けたが、まったく受けになっていない。身を包んだマントごと炎に巻き込まれた。
 上司であり教団で屈指の魔力を誇る悪魔神官ハゼリオのベギラマを見せてもらったことはあったが、明らかにそれよりも大きく、激しい炎。
 そしてあまりに強い火力は、そう思うことすらすぐに許さなくなった。

 炎がやむ。

「ぅ…………」

 フォルは倒れて全身を痙攣させると、すぐに気を失って動かなくなった。 

「う……くっ……」

 同じく炎にやられたバーサーカーの少女は、一度立ち上がったが、すぐに片膝をつく。

 老アークデーモンは倒れていない、が、当初の位置よりだいぶ後ろにいることが炎の圧を物語っていた。頭から尻尾まで、全身から煙をあげている。

「恐ろしい受け方するね。炎が広がる前に自分の体で止めてしまえってことか。そんなの初めてだよ」
「……ロンダルキアの未来がかかっておるからの」

 ヨロっと三つ又の槍を構える老アークデーモン。
 体力のある種族といえども、相当なダメージとなっていた。

「そんなボロボロで勝ち筋はあるのかな」
「呪文を封じられようが槍が使えなくなろうが戦うわい。勝ち筋があろうがなかろうが戦わねばならんときはある。それはおぬしもよく知っておろう」
「あ、それはそうだ。すごく失礼なことを言っちゃった。ごめんよ」

 サマルトリアの王子の剣に、ふたたび炎がまとわりつこうとしていた。

「二度目は耐えられなそうだよね。これで決まりかな。ベギ――」
「イオナズン!」
「えっ!?」

 呪文が封じられたはずの老アークデーモンの詠唱。
 サマルトリアの王子の頭上に強く輝く火球が現れ、大爆発を起こした。

「うあっ」

 爆音に交ざり、サマルトリアの王子の声も響く。
 ベギラマのものとはまた違う爆風が、大灯台最上階に吹き荒れた。

 いつの間にかシェーラが倒れたままのフォルの前で盾を構え、低い姿勢をとっていた。尻尾でイオナズン発動の合図が出ており、それを彼女がしっかりと見ていたのである。

 爆発がやみ、また静寂が戻った。
 それに遅れ、あたりを満たしていた煙も晴れていく。

「……!」

 老アークデーモンの目が見開いた。
 倒れていたサマルトリアの王子がすぐに起き上がったからだった。

「いや、まいったな」

 ほこりを払いながら、ぼやくように言う彼。
 さすがに余裕綽々という感じではないが、完全に油断していた状態でイオナズンをまともに食らったはずであり、盾で防御も間に合わなかったはず。なのに、起き上がった。ふらつきなどもない。

「マホトーンがまだ効いてるフリをしてたのか。やられた」
「ワシは耐性があるのでな。かからないか、万一かかってもすぐ解ける。まあ、予定ではこれで大逆転勝ちのはずだったのじゃが……」
「残念だったね。じゃ、接近戦でいくよ」

 大爆発を起こす魔法は至近距離では使いにくい。サマルトリアの王子がサッと距離を詰めて剣を振っていく。

「むぅっ」

 老アークデーモンも熟練した技術で対応するが、やはり速さが違いすぎる。三つ又の槍は当たらず、細身の剣は着実に大きな体を痛めつけていく。

「ぅ……」

 すでに大ダメージを負っていた体はすぐに限界を迎え、がくりと膝をついた。
 やはり斬り合いでは速度差で勝負にならない。

「まだオレも生きてるぞっ」

 横からバーサーカーの少女が斧で再参戦。それをサマルトリアの王子は盾で受けた。
 そのまま彼女は斬り合いに持ち込むも、やはりダメージ蓄積のせいで動きに精彩を欠く。

「そんな体じゃ、もうよけられないでしょ」

 そう言いながら、サマルトリアの王子が一振り、二振り。

「あっ! ああ゙っ!」

 もう一振り、二振り。どんどん斬撃をきめていく。

「ああ゙っ! あ゙ああ゙っ!!」

 メッタ斬りにされ、飛ばされる。
 着地することすらできず、石の床をゴロゴロ転がった。

「ぁ……ぅ……」

 苦しそうにあえいで体をくねらせるバーサーカーの少女。立ち上がれない。肩、胸、腹部、背中と、服のいたるところが切り裂かれており、褐色の肌を露出させていた。かなりの出血も見られる。もはや戦闘不能なのは明らかだった。

「さすがにもうダメかな……わっ」
「ワシはまだいけるぞ」

 後ろから三つ又の槍を出していった老アークデーモンだったが、気配で気付かれ、かわされた。

「そっちもそろそろ限界に見えるけどなあ」
「ぬおっ」

 老アークデーモンの体からも、血が派手に噴き出す。
 サマルトリアの王子の動きについていけていないため、斬り合えば斬り合うほど傷が増えていく。
 そしてついに。

「ぐ……」

 ドサッと巨体が倒れた。

「どっちも粘ったね。魔物って普通そんな感じじゃないと思うんだけど。一体どうなってるんだろう」

 サマルトリアの王子の視線は、床に沈んで動かないままのフォルへと向く。

「このコロッと気絶した魔術師がそんなに大事ってことかな? ということは――」

 ゆっくりと、歩きだした。

「ここで確実にとどめをさしておかないと、ロスがいつまで経っても解放されないんだろうな」

 剣を光らせながら、倒れて動かないままのフォルへ、ゆっくり近づいていく。

「い、いかん」
「フォル……!」

 老アークデーモンとバーサーカーの少女の二人は必死に体を動かそうとするも、やはり立つことすらできず。
 両者のかすれた声だけが、フォルへと飛んだ。 

 

18.サマルトリアの王子(3)

「誰じゃ? わたしの祈りを邪魔する者は」
「私です。申し訳ありません、ハーゴン様」
「……お前か。お前はいい」
「よいのですか?」
「よくはないがいい」
「?」
「昨日も下の階で物をひっくり返して師弟揃って謝りに来ていただろう。キリがないわ」
「すみません」
「別に怒っているわけではない。わたしはお前ほど上手に茶を入れる者を知らぬ。これからもハゼリオとともにわたしのために働け」
「ありがとうございます! どこまでもついていきます」
「どこまでもはついてこなくてよいわ」
「え?」

「その勢いだとあの世まで追いかけてきそうだ。そこまで気負うと余計にミスが増える。とりあえず、お前の仕事は茶を淹れることであって茶々を入れることではない。わたしが祈っているときはこの階の掃除は避け、下の階でも音を立てないこと。まずはそれだけに気をつければよい。まだ新入りで子供なのだからな」
「……」
「何かわからぬことでもあるのか」
「あ、はい。『あの世』とおっしゃいましたが、ハーゴン様も死ぬのでしょうか?」
「そこか……。当たり前だ。三百年以上生きているのは事実だが、死なないわけではない」
「そうなのですか?」
「そうだ。不老と不死は違う」
「わかりました。あの世であろうがついていきます!」
「……話が通じておらぬようだが大丈夫か」



 - - -



 意識の戻ったフォルには、天井より手前に光るものが見えた。
 それが自分に向けて落とされようとしていた剣の切っ先であることに気づき、慌てて石の床の上を転がった。

「あ、起きちゃった」

 立ちあがったフォルは慌ててサマルトリアの王子から距離を取りながら、他の二人を視界から探した。

「……!」

 いた。
 どちらも床に沈んでいる。
 周囲の床がところどころ真っ赤に着色されている。二人ともひどい出血だった。

 杖をサマルトリアの王子に向けた。
 今度は、宝玉のついた側を。

「君、そんな顔をしてたんだ。へえ」

 ベギラマの炎に焼かれたせいで、立ちあがった際に仮面やフードが外れていた。十四歳の素顔や黒髪が露になっている。

「声でなんとなく予想はついてたけど、まだ子供だ」
「ギラ!」

 無視してギラの呪文を唱えるも、やはり出ない。

「君はまだマホトーンの耐性がないみたいだね。当分はダメじゃないのかな」

 戦況は最悪だった。呪文は使えない。杖での刺突もこの相手では勝負にすらならない。

「フォル、逃げるのじゃ」
「そ、そうだ、逃げろ」
「ヒースさん、シェーラさん……」

 満身創痍(まんしんそうい)の二人から声がかかると、フォルの奥歯に力が入った。
 二人がこんなにボロボロになるまで戦っていてくれていたのに、いったい自分は何をやっているのだろうと情けなくなった。

「皆さんを置いては逃げられません」
「いかん。おぬしは今や簡単に死んではならぬ身じゃ。教団の立て直しが――」
「そうか。魔物の再集結だけならともかく、人間の信者の再集結を呼びかけるのはアークデーモンやバーサーカーでは無理だ。だから、教団の再建にはハーゴンの神殿の生き残りであるこの子が必要不可欠だということだね。納得」
「そんな言い方はやめてください。二人に失礼です」
「ごめんよ、と言いたいところだけど、事実でもあると思う。君は利用されている」
「私に少しでも利用価値があるのなら、こんなにうれしいことはありません!」

 感想を挟んでくるサマルトリアの王子を睨みつけると、フォルは床に沈んでいる二人に言った。

「二人ともごめんなさい。ここで逃げたら私はロンダルキアに帰る資格はないと思います。ハゼリオ様とハーゴン様もきっと私を見放すでしょう」
「逃がすつもりもないし、奇跡が起きない限りは君がこの場を切り抜けるのも無理だよ。だからあきらめて」
「あきらめません。奇跡に、かけます」

 フォルはふたたび杖をサマルトリアの王子に向けた。

「ギラっ!」
「出ないって」
「出すんですッ!!」

 煽られて大きな声を出してしまった瞬間、出始めた。
 炎ではなく、風が。

「ん、これは」

 サマルトリアの王子が(いぶか)し気な声をあげるなか、徐々に風が強くなっていく。
 吹き方が異様だった。杖から吹いている感じもしたが、それだけでなく、フォル周辺の空気全体が前方に吸い寄せられているかのような雰囲気もあった。
 その吸い寄せられている先は……。

「……!」

 やはり彼だった。
 サマルトリアの王子が、自らの体を見て驚く。
 胴を覆うロトの紋章が入った緑色の服、腕や脚を覆う黒色の服が、裂け始めたのである。
 そして。

「くっ」

 痛みに顔を歪める。
 ついには腕や脚から血が流れ始めた。

「バギか!? いや、それより強い……」

 顔を腕でかばうサマルトリアの王子。そしてさらに風は強まっていく。

「うああっ」

 もはやただの風と呼べるものではない。突風が大灯台の最上階に吹き荒れた。
 フォル本人も目をつぶってしまうほどだった。

 風、というものに心当たりはあった。
 ロンダルキアでローレシア王に遭ってしまったときに、若いアークデーモン・ダスクとバーサーカー・シェーラを逃がすために杖で両名を突き飛ばしたが、そのときに突風が吹いた感覚があった。

 この悪魔神官ハゼリオの遺品である杖の力に違いない。フォルは確信した。
 あのときと違うのは、どうやら今回起こした風は殺傷能力があるということである。

「……!」

 フォルが目を開けると、サマルトリアの王子が倒れていた。
 思わぬ結果に驚くが、すぐに味方二人の元へと駆け寄った。

「ヒースさん! シェーラさん! 大丈夫ですか。しっかりしてください」
「だ、大丈夫、じゃ」
「オレも、大丈……夫」
「ひどいケガです。いま薬草を……って、燃えてる……!」

 道具袋は焼けており、中の薬草も灰となっていた。

「問題ない。少し休んでいれば、動けるようには、なるわい」
「オレも平気だ。バーサーカーを、なめんなよ」

 気丈にふるまう二人ではあるが、どちらも血がドクドクと流れ出ており、危険な状態なのは明らかだった。

「すみません、私が不甲斐ないばかりに。すぐに止血を――」

 一刻の猶予もない。
 知識としては持っていても実践経験はないため、かなり怪しい手つきではあるが、止血の作業を急ぐ。

 シェーラに対しては、酷く出血している部位の心臓側を、燃え残ったローブの切れ端を使って縛っていく。彼女は服が激しく切り裂かれているため、フォルとしては直視できない部分もある。そのようなところからは目を逸らしながら、なんとか作業をおこなった。
 ヒースは体が大きく縛れないため、出血の特にひどい箇所には布を当て、手で押さえる。

 これでなんとかなったのかどうかはわからない。
 ああ、薬草が無事だったら――とフォルが天を仰いだときだった。

「?」

 何やら、ブーンというハエのような音がした。
 事前の予習で、以前この塔にドラゴンフライが住み着いていたとフォルは聞いていた。
 彼らの音だろうか? サマルトリアの王子が塔をのぼったことで離散していた個体が戻ってきたのだろうか? 
 そう思ったのだが、どうやら違うようだった。

「生き残りの魔術師くん!」

 その若い声は、外から聞こえた。
 見ると……塔のすぐ外の空中、フォルの目線より少し上方に、人が浮いていた。

「……!?」

 いや、正確には、羽がないのに羽音がする平べったい台座のようなものの上に、簡素な服装をした黒髪短髪の青年が座っており、その状態で浮いていた。
 台座の前方には青年の肩の高さくらいの棒が直立しており、彼はそれを右手で握っていた。

「あなたは……誰ですか?」
「おれは君の命の恩人。今日は君を助けるだけでなく、部下の一人に入れてもらうために来た。手みやげもあるよ。さあ、敵はどこ? あのときみたいに、これでどかーんとやれるよ」

 そう言って青年は乗っている台座の前方を、左手の人差し指で示す。よく見ると、そこには丸い筒が一対(いっつい)ついていた。
 何がなんだかさっぱりわからないフォルだったが、また敵が現れたのであれば絶望以外の何物でもなかったため、どうやらそうではないらしいことには安堵した。

「ありがとうございます。ただ、もう終わりましたけど……」
「え? あ、本当だ。あー、遅かったか。残念!!」

 アチャー、と大げさに頭を抱える青年。

「あ! それより! 薬草をお持ちではありませんか?」
「持ってる持ってる! 沢山あるから使って!」
「本当ですか!? よかった!」

 大きな道具袋を背中にかけ、今そっちに降りるから、と何やら棒を操作する。
 しかし。

「あ」

 羽音がやんだ。

「やばっ、燃料切れた!」
「えっ」

 突然青年が台座もろとも落下を始めた。
 慌ててフォルが手を伸ばすと、青年も慌てて手を伸ばす。

「わっ」

 間一髪、手がつながった。
 フォルは外に引きずり出されそうになるのをなんとか耐えると、思いっきり手に力を入れて、手前に引いた。
 折り重なるように、倒れた二人。

「ごめん。助けに来たつもりが助けられちゃった」
「いえとんでもない! ちょうど薬草がなくて困ってましたので! ものすごく助かります!」

 さっそく重傷の二人に薬草を食べさせると、謎の助っ人にフォルは深々と頭を下げた。

「本当にありがとうございました。あなたは空を飛んでいたように見えましたが……。神様か精霊様ですか」
「それは全然違う。神や精霊だったらうっかりローレシア城の上を飛んで撃ち落とされそうになったりしないって」

 ちなみに座ってたアレはたぶん今の落下で壊れただろうから、もう飛べないなあ――と青年は苦笑いする。

「ベリアル様たちのように、あなたも異世界から来たおかたですか?」
「うーん、それも正解とも正解でないとも言えるというか。ちょっと難しい話になりそうかな……あ、『手みやげ』、もう来るよ」
「え?」

 すると、足音が聞こえ始め、それが近づいてきた。
 フォルにとっては聞き覚えのある足音だった。

「あ」

 階段から現れたそれは、まぎれもなかった。
 丸みを帯びた青い金属の体。頭部には赤い一つ目が光っている。右手には大きな剣を持ち、左手には弓。重厚かつ俊敏そうな足が、四本。

「キラーマシンさん!」
「さっき、塔の裏で動いてないやつを見つけたんだ。うわー懐かしいなって思って動かしてみた」

 その個体は、肩や腕、脚の関節から植物が生えており、小さな花も咲いていた。たしかに、永く眠っていたに違いない雰囲気だった。

「彼らを動かせるのは悪魔神官ハゼリオ様と、その研究報告を受けているハーゴン様だけだったはずです。あなたはいったい――」

 呆気に取られていると、またのんびりした、だがフォルにとっては背筋の凍る声が聞こえてきた。

「いやー、まいったな」

 全員がそちらを向く。
 なんと、倒れて動かなくなっていたサマルトリアの王子が起き上がっていた。

「できることなら僕が今ここでなんとかしたかったけど、これはもう無理かな。なんか敵が増えてるし」

 さすがに服はボロボロ、血も(したた)り落ちている。

「じゃあ、また会おうね。ダメになった僕の服の代金はサマルトリアの城までよろしく」

 サマルトリアの王子はフロアの端まで行くと、微笑を残してピョンと飛び降りた。

「――!?」

 慌ててフォルが行方を確認しに行ったが、姿はもう見えなかった。 

 

19.キラーマシン

「フォル。なぜキラーマシンに頭を下げた」
「はい。右から二番目のキラーマシンさんに、昨日の雪かきでお世話になりましたので」
「一体一体の違いがわかるのか」
「はい。少し(たたず)まいに差があります」
「ふむ、そうか……」
「?」

「お前は知らないだろうが、キラーマシンたちは元々この世界のものではない」
「ベリアル様たちと同じ世界から呼ばれたのでしょうか」
「いや、また違う世界からだ」
「それでお姿が独特なのですね。ハーゴン様が呼び出されたのです?」
「召喚したのはハーゴン様ではない。はるか昔にこの世界を支配していたという大魔王、ゾーマという者だとされている」
「大魔王ゾーマ様、ですか。きっとものすごいおかただったのでしょうね」
「大きな力を持っていたのは間違いない。だが、彼は二つの点で失敗したと伝えられている」
「失敗?」

「そうだ。一つ目は、せっかく呼び出したのに、ゾーマとその部下たちには『動かし方がわからなかったこと』だ」
「え。皆さん動いていますが」
「今はな。結局ゾーマは動かし方がわからないまま、時の勇者によって倒され、キラーマシンたちは使われることなく埋もれていったという。それを発掘し、動かし、教団の戦力に加えたのは……(わし)だ」
「すごいではありませんか! ハゼリオ様が彼らをよみがえらせ、育てたなんて。まったく存じませんで失礼しました」
「まあ、それはよい。二つ目に行くぞ」
「はい」
「文献によると、このキラーマシンは元の世界ではどうやら“最も力なきもの”であり、ゾーマの二つ目の失敗は、異世界の『下っ端だけを大量に呼び出してしまったこと』だということだ」
「そうなのですか」
「このゾーマによるキラーマシン召喚の話、お前は何を思う」

「すみません。すぐには」
「そうか。まあ素直でよい。儂は今もこの件を調査・研究している。このキラーマシンが下っ端ということなら、上はとんでもない力を秘めたものがいるということになる。さらには召喚主の意図に反し下っ端だけが選択的に、かつ大量に召喚されたというのはあまりに不……ん?」
「あ。一つ、思いました」
「なんだ?」
「ハゼリオ様が育ての親ということは、キラーマシンの皆さんと私は、兄弟のようなものということですね。うれしいです!」
「……」
「?」



 - - -



「すみません、寝てしまっていました……」

 大灯台からの帰り。バピラスたちの安定した飛行がもたらす心地よい揺れにより、フォルの意識はいつのまにか飛んでいた。

「よいよい。おぬしには休息が必要じゃ。見張りなら上のバピラスたちがやってくれておる。安心して寝ておれ」

 同じ(かご)に乗っていた老アークデーモン・ヒースが笑う。

「だな。この怪しい人間の見張りはオレに任せて寝とけ」

 格好はボロボロだが体力はすっかり回復したバーサーカーの少女・シェーラも、フォルの隣に座る青年を胡乱げに見ながら、老アークデーモンに同調した。

「怪しい人間っておれのことか。ひどいなあ」

 大灯台の最上階で出会った謎の助っ人。名を聞かれタクトと名乗ったその青年は、彼女に指を差されて肩をすくめる。

「思いっきり怪しいだろ。空は飛んでたわキラーマシンは動かしてたわ……だいたい、元々信者でもなかった人間が今の時点でこっち側についてなんの得がある」

 ちなみに、彼が復活させたキラーマシンや最上階から取り外された望遠鏡、もう飛べないという台座のようなものについては、明らかに過積載であったため、同じ籠には乗っていない。大灯台の最上階で笛を吹いたら追加でバピラス三体の召集に成功したため、いまフォルたちの後ろでぶら下げられて運ばれている。
 ただし、あれだけ高く周囲に何もないところから笛を吹いて三体だけというのは、やはり相当に深刻な個体数の減少があるのではないか、というのが老アークデーモンの考察である。

「得がないからつくんだって。こういうのって不利なほうについたほうが絶対ワクワクして面白いんだから。だいたい、きみだって服がビリビリに切れてておへそ丸出しだし、もうちょっとでおっぱいも見えそうだし十分怪しいと思うよ」
「……バーサーカーは義理堅い種族だ。薬草の恩はどこかで返すが、返せ次第お前は斧でバラす」
「うわ、こわっ。じゃあここでもうちょっと恩を売っておこうかなあ」
「まだ何か持ってきてんのか」
「うん。今の話で思いついたというか。これはきみに着てもらうのがよさそうだ。背の高さもおれと同じくらいみたいだから合いそうだし。色も緑っぽいからちょうどいい」

 青年は道具袋に手を入れる。

「はい。こっちに来てからまだ一度も着てなくて清潔だから、安心して」
「なんだこれ、軽いな。少し小さくないか……って、伸びるのか。しかも妙にツルツルで薄いな」

 バーサーカーの少女に手渡されたそれは、緑色の服だった。上下には分かれていない。

「それ、おれたちの国での作業服なんだ。こっちでは戦闘服として十分使えるはず。動きやすくて、薄いけど頑丈で、自己修復機能もあるし、動いて熱くなった体を冷やす機能もあるから、戦うときの距離が近そうなきみには相性抜群だと思うよ。こうやってこのツマミを滑らせるように開けて、体を入れて、ツマミを戻していくと、スルスルッとすぐに着られるようになってるんだ。だまされたと思ってさっそく着てみて」
「フン。説明はまったくわからないが、早く着替えたかったから着てみる」

 彼女は立ち上がると、全員に反対側を向かせ、着替えた。

「……なるほど。これはよさそうだ」

 立ち上がったまま、腕や脚を動かして着心地を。自分で体を叩いて強度を確かめている。
 緑と濃紺が基調になっているその服は、首から下のほぼ全身を覆っていた。
 やはり薄そうではあるが、肩や膝などの関節部分や、首の後ろから背中の上部にかけては、何やら金属で覆われているようだ。

「でしょ。体にピタッと密着するから何も着てないのと勘違いするくらい動きやすい。あ、けど、頑丈であっても無敵というわけではないのと、たまに日差しに当てないと機能が落ちるので注意して」
「日差しが好きな服か。それはいいな。日が当たるところで堂々と暮らすのがオレたちバーサーカーの悲願だ。ありがたくもらうぞ。お前を斧でバラすのはこの恩も返してからにする」
「結局おれは斧で解体されるのか、やべえな」
「タクトよ。それ、たくさん作れたりはせんのかのお?」

 ここで質問してきたのは老アークデーモンである。
 そんなによい服なら量産して他のバーサーカーにも着させては、という提案だった。

「んー、残念ながらおれは作れないから無理なんだよね。この一着だけ」
「おいおい。一つしかないのにオレに渡していいのかよ。まあもう返す気ないけどな」
「全然かまわないよ。おれ戦いの経験はないんで、ここじゃおれが持っててももったいないだけ。それに……」

 青年は、やはりボロボロになっていたフォルの魔術師のローブを、指差した。

「それがめちゃくちゃ着てみたくてさ。部下になるんだから、おれの分も用意してくれるんだよね?」
「もちろんです。裁縫道具も無事に見つかってますので、帰ったらすぐにお作りしますよ」
「やったー。かっこいいよね、その信者服と仮面」
「ありがとうございます! そう言ってくださると、きっとハーゴン様もハゼリオ様もお喜びになると思います」
「……いや、かっこいいか? それ」

 バーサーカーの少女は、若干呆れ顔だった。

「そうだ。ロンダルキアでも停止してるキラーマシンがけっこうあるんだよね?」
「はい。残念ながら全員やられてしまいまして。魂が抜けてしまったキラーマシンさんがたくさんいらっしゃいます」
「よーし。ロンダルキアに着いたら片っ端から動かせるか試してみるよ」
「ありがたいです。有事にもぜひキラーマシンさんたちの指揮をとってくださるとうれしいです」
「おー、いいねそういうの。引き受けた! おれがキラーマシン隊の隊長! 面白そう」
「いや、お前本当に何者だよ」
「何者でもないよ。おれはただの人。でもキラーマシンはおれらのご先祖様たちが作ったものだからね。だから動かしかたと指示のしかたを知ってるだけ」

 サラッと言われた重大な事実。他の三人は体がビクンとなった。

「ふふふ。驚いてる驚いてる」

 一同、『当たり前だ』である。

「じゃあ代表フォルくん、おれに聞きたいことがあったら質問どうぞ。答えるよー」

 その空気を楽しむように、謎の青年が明るく問いかける

「すみません。いっぱいありすぎて何から聞いたらよいかわかりません……」
「ふふふ。じゃあとりあえず、フォル君の頭の中で一番はじめに浮かんだ質問だけどうぞ」
「そうですね。タクトさんはどこから来たのか、です」
「おれは、あっちから来た」

 彼が指で指し示したのは、真っ青な空だった。

「空から、ですか?」
「空の向こう、かな」
「やっぱり神様か精霊様なのですか」
「それが違うんだよなあ。残念」
「そうですか……。でもキラーマシンさんを作ってくださるようなところであれば、きっと素敵なところだったのでしょうね」
「あー、昔は知らないけど、今はクソみたいなところだ。だからおれはこっちに来たのさ」

 突然少し声が低くなったので、フォルは驚き、彼の表情をあらためて見た。

「細かい事情は話すとちょっと長くなるから、みんなひどくお疲れのときに話すもんでもないかな? いつか話すよ」

 表情までは変わっていないようだった。飄々(ひょうひょう)とした笑顔。
 ただ、どうやら故郷のことをよくは思っていないようであった。

「はい。タクトさんの気が向いたときでかまいません」
「うんうん。おれはもう君の部下。ワクワクさせてくれるうちはどこにも逃げないからね」
「ってことはワクワクしなくなったら逃げるってことか。いい度胸だな」
「うわー、こわ」

 斧に反射した日差しで顔を直射された青年が、ブルっと震えた。

「まあまあ。めでたく全員生還したわけじゃし、仲良く凱旋といこうかの」

 老アークデーモンが笑いながらなだめる。
 やるべきことは依然として山のように積まれている。だが束の間の安息を、一同空の上で楽しんだ。 

 

20.最後の巨人族

「この祠はキミたちの会議室でも相談所でもないんだけど?」

 魔術師フォル、謎の青年タクト、バーサーカーの少女シェーラの三名をテーブルに座らせたロンダルキアの祠の少女・ミグアは、ため息まじりにそう言った。

「すみません。私は人間の軍事のことがよくわからなくて。私とタクトさんを除くと、ロンダルキアにいる人間はミグアさんだけです。ご迷惑なのは重々承知ではありますが、ミグアさんはそのような分野にも詳しそうでしたので」
「こいつの相談に乗ってあげてくれ。オレもアークデーモンのオッサンも人間のことはよくわからないからな」
「そうそう。今相談に乗ってくれたらもれなく信者服と仮面を一組差し上げるよ」
「要らないから」

 フォルとタクトは、白い少女の「どっちがどっちなのかわかりづらい」という指摘により、仮面を外していた。表情や姿勢は両者対照的で、フォルは恐縮した顔で姿勢を正して座っており、タクトは片肘をテーブルの上に載せながら面白そうな顔をしている。
 ふだん行動を共にしている老アークデーモン・ヒースについては、祠の小さな扉を通ることができないため、今回は同行しないことになっている。

「予想される今後の人間側の出方と、それに対する準備、か」

 少女が大きなマフラーを直し、フォルの相談内容を復唱した。

「はい。ローレシアとサマルトリアの軍が明日にも大挙してここに押し寄せてくるのではないかと、心配なのです」
「……」
「あれ、私何かおかしなこと言ってます?」
「キミらが順調に行けばいずれはあると思うけど、すぐはないね」
「そうなんですか?」
「戦争って、とにかくお金かかる。ローレシアとサマルトリアから兵士をここまで連れてくるだけでも、途方もない食料・お金・物資が必要。下手すれば国が傾く。キミはもうただのお茶くみじゃないんだから、そういうのも少しずつ勉強していったほうがいい」
「あ、はい。頑張ります」

 ジトっとした目を受け、フォルは露出しているサラサラの黒髪を掻く。

「ロンダルキアに来るなら、少人数での暗殺隊だろうね。キミさえ殺してしまえば、って当然考えるだろうから。それが失敗したら大出費を覚悟で大軍を動かしてくるんじゃない」
「へー。暗殺対策を早急にやって、同時に大軍対策の構想を練っておかないといけないのか。さらに兵法のお勉強もやって、いかずちの杖を使いこなすための修行もやって、悪魔神官の遺した研究資料も読み込んでいくってか。大変だなあ、フォル君」
「体を鍛えることも忘れるなよ。ひ弱すぎだとオレもオッサンも困るからな」
「うわあ、暗殺される前に過労で死んじゃいそうだね」
「……そうならないようにするのがキミら部下の仕事でしょ」

 腕を組んでいるが、短髪の青年タクトは特に思案をめぐらせているようには見えない。面白そうな笑みを浮かべたままである。
 ちなみに、「よくこんな胡散臭(うさんくさ)いのを仲間にしたね」というのが、ミグアによるタクト評だった。

「ミグアさん、だったね? なんか君、頭良さそうな感じだし、いい案が色々思いつくんじゃないの。しかもなんとなくフォル君のことを心配してる雰囲気も感じるし。仲間になって手伝ってあげたりするのはどう?」

 タクト本人は知る由もないわけだが、奇しくもそれは老アークデーモン・ヒースが以前に少女にした提案の内容とほぼ同じであった。
 今度は少女の目がタクトに向けられる。

「うわー、ゴミを見るような目だ」

 大げさに体をすくめる短髪の青年。
 白い少女は特に追い打ちはせず、お茶を飲み終わって空になった器を持ち、スッと席を立った。

「教えてあげる。この地に現れし勇者を助けること――そんな神託を受けていたのがこの祠。だから神父とわたしの二人は、これからハーゴン討伐に向かうというロトの子孫三人組の世話をした」

 少女はフォルを見る。
 この祠の役割の話をきちんとフォルにするのは初めてであった。

「その意味では、ハーゴンの後を継ぐと決意した今のキミにとって、この祠は敵対的な存在になったという見方もできる。何か勘違いしているなら、今のうちに意識を直しておいたほうがいい」
「しかし大灯台にいらっしゃった剣士さんもそうでしたが、ハーゴン様やシドー様が亡くなられた時点で、神託は役割を終えているのでは」
「そうかもしれない。けど、新しい神託が下る可能性もないわけじゃないでしょ」
「新たな神託がないことを願いますが、あったとしてもあなたはいつまでも私の命の恩人です」

 少女のマフラーから白い息が漏れる。

「ま、とりあえず強力な護衛を増やすのと、誰かがロンダルキアに侵入してきたら神殿まですぐに連絡できるようにする体制を整えたらどう? あとは将来的に大軍に攻められたら地の利を生かして相手の補給線を狙う方針になると思うから、神殿で籠城できるように塁と堀を造っておくといいかもしれない。他にもできることはたくさんありそうだから、そっちで適当に考えて」



 扉の外まで送ってくれた少女に対し、フォルは深々と頭を下げた。
 タクトとバーサーカーの少女も軽く片手をあげて謝意を示し、タクトが連れてきて外でお留守番だったキラーマシン一体も剣を持ったほうの腕を少し挙げてあいさつのような動きをした。

「お邪魔しました。ありがとうございました」

 そう言って、フォルが頭を戻したときだった。

 ――ドスン、ドスン。

 異様な足音が聞こえてきた。
 フォルの背後、帰り道の方向からだった。

「ん? なんだろう」

 タクトはまだ聞いたことがない音のようだが、フォルとシェーラには聞き覚えのある音。そしてやや懐かしいものでもあった。
 どんどん音は大きくなる。
 今日は景色がよいため、すぐにその音の主が見えた。

「ギガンテスさん……」

 その大きさは、まるで大木のようであった。
 現れたのは青緑色をした一つ目の巨人、ギガンテス。
 ハーゴンの神殿崩壊後、フォルは巨人族を一度も目撃したことはない。すでに絶滅済みである可能性も覚悟していた。

 フォルは駆け寄り、手は大きすぎて握れないため指を握った。

「ご無事だったのですね! またお会いできてうれしく思います」
「きづいたら、だれもいなくなった。しんでんにいったら、きえていた。みんなをさがしにいった。いなかった。きづいたら、まよってた。やっともどってきたら、しんでんができていた。しんでんにいった。そうしたらここにいけといわれた」
「そうだったのですか。あの、他のギガンテスさんや、サイクロプスさんたちは……」
「たぶん、みんな、しんだ。いきているの、おれだけ」
「そう、ですか……。すみません、あのとき私たちがもう少し善戦できていれば」
「なくな。でも、ないてくれて、ありがとう」

 ボロボロこぼれてきてしまった涙を、フォルはローブの袖でぬぐった。

「ごめんなさい。一番泣きたいのはあなたですよね。一緒に神殿に行きましょう、いや、帰りましょう」
「おれ、はこぶ。みんなのっていけ」
「え? うわっ」

 巨大な棍棒と道具袋を置いたギガンテスが、大きな手でフォルの体を(すく)った。
 右肩の上にフォルを乗せると、続いてシェーラを左肩に乗せ、左手の上にタクトを乗せた。

 タクトが、ギガンテスの腕のきれいな青緑色の皮膚に顔を近づける。

「ねえフォル君、なんかいい匂いしない? ギガンテスって」
「あ、たしかに。父親に連れて行ってもらったサマルトリアの森に近い匂いがします」
「うんうん。これは樹の匂いだ。いいなあ」
「ハーゴンにいわれて、まいにち、からだふいて、くすりぬっている」

 ハーゴン――その名前が出てきて、フォルの顔はパーッと明るくなった。

「ミグアさん! 聞きました? ハーゴン様の教えが今も生きているようです」
「なんかいい話にしたそうだけど、別にたいしたことないでしょ、それ」

 そしてタクトの好奇心がとまらない。

「しっかしギガンテスって筋肉すっごいよなー。胸を触ってみてもいい?」
「いいぞ」
「うおー、すごいな。大きすぎて両手でも揉みきれないや。ああ、そうだ。ちんこも見ていい? 超デカそう」
「いいぞ」
「おー! 一度見てみたかったんだよねー」
「おいタクト。お前何やってんだよ……」

 バーサーカーの少女が左肩の上から突っ込むいっぽう、フォルは少し思うところがあったようである。

「ギガンテスさん、お名前はなんとおっしゃるのでしょうか?」
「おれ、リアカーン」
「リアカーンさん。すみませんが、いったん私を降ろしてもらってよいでしょうか?」
「ああ。いいぞ」

 雪の上に降りたフォルは、ギガンテス・リアカーンに対し、近くで見ている白い少女を手で示した。

「あの、あちらに立ってらっしゃるミグアさんを、今少しだけ肩に乗せていただくことはできますか?」
「いいぞ」
「ちょっと待って。なんでわたしが乗る話になってんの」
「え、でも、まだギガンテスさんに乗ったことはないですよね?」
「あるわけない」
「ならぜひ乗せてもらいませんか?」
「いや、いいって」
「そんなことおっしゃらず。なかなかこういう機会もないと思いますので」
「だからさ。『いいえ』って答えてもその後が変わらないなら聞く意味ないって」

 腕を無理やり引っ張られて連れてこられた少女ミグアが、右肩の上に乗せられた。

「どうです?」
「……悪くない」

 少女は景色を眺めながら、「強力な護衛としても、ね」と付け加えた。



 ◇



 にぎやかなフォル一行が完全に見えなくなると、ミグアは祠に戻ろうとしたがすぐ立ち止まり、近くの大きな岩に話しかけた。

「いるんでしょ。出てきたら」

 すると、岩陰から年老いたアークデーモンが姿を現した。

「さすが、鋭いのお。気配を消すのは割と得意なのじゃが」
「アンタさあ、暇なの?」
「暇じゃよ。で、どうじゃ。今のところの感想は」
「感想って、なんの」
「あやつの、じゃ」

 少女は一度ロンダルキアの青空を見上げてから、答えた。

「がんばってるんじゃないの。要所でツキもある。周りにも恵まれてる」
「そうか。そろそろおぬしもその周りに加わらないといかんのお」
「出た……ま、言うのは自由か。無視するけどね。さようなら」

 少女はマフラーを直し、祠に戻っていった。 

 

21.加護

 船室から出てきたローレシア王・ロスは、マストの見張り台にいる兵士に目をやってから、ゆっくりと甲板の縁へと歩いた。

 そこではすでに、緑色の服を着た金髪の青年が、手すりに両肘を置いて海を眺めていた。
 ロスは何も言わずに隣に立ち、同じく海を眺めた。
 天気は曇りだが、風はそこまで激しくは吹いていない。静かな波の音に、海鳥の鳴き声が心地よく交じっている。

「カイン、気分はどうだ」

 やがてロスがそう問うと、サマルトリアの王子・カインは海を見たまま反問した。

「船酔いしてないかどうかを答えるべき? それとも、またロンダルキアまで旅することになったのはどんな気持ちなのかを答えるべき? どっち?」
「任せる」

 放り投げたような言い方。
 金髪の青年は海から青い剣士の横顔に視線を移すと、柔和な顔で微笑(ほほえ)んだ。

「どっちも答えるよ。船は苦手だから、このへんがウッとくる感じ」
「相変わらずだな」

 みぞおちのあたりを軽く押さえたカインに対し、ロスは無愛想に返した。

「もう一度ロンダルキアに行くことについては……そうだね、また戦わないといけない君が気の毒だし心配だって感じかな」
「お前自身は?」
「んー、僕個人はちょっとうれしい。また友達と一緒に旅ができるから」
「変な奴だ」

 また無愛想な言い方をして、ロスは海を見る。晴れていないために遠景は灰色で何も見えないが、その顔はムーンブルク城の方向を向いていた。
 カインも、同じ方向を見る。

「ロスは迷ってたりするの? やっぱりアイリンを誘ったほうがいいのかって」

 それは、ともにハーゴンやシドーを打ち滅ぼした戦友、ムーンブルクの王女の名だった。

「迷ってはいない。今回は誘わないさ。ムーンブルク城の復興が始まったばかりみたいだからな」
「それは賛成。アイリンは僕たちと違って親もいなければ兄弟もいない。もしものことがあると、せっかく始まった復興が頓挫する」
もしものこと(・・・・・)? 何か思うところでもあるのか」
「まあね」
「聞かせてほしい」

 ロスは、敵の規模や能力を考えれば、今船に乗っている人間たちだけでも余裕のはず――という意味で言ったため、カインの口からそんな言葉が出てきたことが意外だったようだ。海を見るのをやめ、首を回した。
 金髪の青年は、それを受け止める。

「精霊ルビスや()き神々は今、僕たちの側についてくれているのかな? って思ってる」
「どういう意味だ」
「うん。僕たちはロンダルキアで無数の魔物を倒して回って、ハーゴンの神殿に乗り込んで、教祖以下ほぼ全員を打ち滅ぼしたわけでしょ。もしもルビスや神々が、すでにロンダルキアはハーゴンの悪行の報いを受け終わっていると考えていたら? その場合、まだ外の国に対して何もしていないロンダルキア新教団を討伐しようという僕たちは、ルビスや神々から見てどんな位置づけになってるんだろ」
「……そんなことを考えていたのか」

 ロスは驚きの表情を浮かべた。だがそれをすぐに戻す。

「どうであろうがやるべきことは変わらない。俺はハーゴン教団再建の動きを放っておける立場ではないからな。この先世界に(わざわい)をもたらす可能性が否定できない以上、今のうちに滅ぼさなければ国民は安心して暮らせない」

 うなずきながらも、カインは言葉を返す。

「そうだね。こうなった以上、君は人々のために、国のために、戦わなきゃいけない。だから不安なのさ。なんの加護もないのに、民に盛大に見送られ、少人数とはいえ親征として戦地に赴こうとしている――それが今の君なのかもしれない、って思うとさ」

 そして、付け加えた。

「僕はあの魔術師の首は簡単には取れないと思ってる。油断はしないようにね」



 ◇



 新しい神殿は一階建てで、狭い通路もなく、例外を除いては完全に区切られた部屋もない。広く開放的で、極めて単純な造りになっている。これは、旧大神殿でロトの子孫三人組の襲撃を受けた際、階・通路・部屋といった区切りで各個撃破された反省を生かしたものである。

 その例外が、フォルが使っている執務室であった。扉こそ大きいもののきちんと壁で囲われたその部屋では、中央やや奥に机が置かれており、壁際には本棚に悪魔神官が遺した研究資料がびっしりと詰められていた。

 机の奥のやや広い空間には、臨時でベッドが置かれていた。
 いま、一人の少年がその上で横になっている。フォルだった。

 そしてベッドの横に座り、額に手を当てて体温を診たり、手首を触って脈診をしているのは、ロンダルキアの(ほこら)の少女・ミグアである。自称キラーマシン使いのタクトが土下座して急遽来てもらっていた。

「そろそろ倒れる頃合いとは思ってたけど。キミ、こういうところは期待を裏切らないね」
「す、すみません」

 外見から受ける印象よりは根性がある。それが、杖の使い方を教えている老アークデーモン・ヒースや、体の鍛え方を教えているバーサーカーの少女・シェーラによる対フォル評の一つだった。
 が、やはり、改善しているとはいえ体力の絶対量の低さについては、なかなか気力では補い切れないようである。

「ひどい熱」
「シルバーデビルのベホマも効かんし、致命的な病じゃろうかとみんな心配しとる」
「それは多分大丈夫。過労だと思うから、休めば治ると思う」
「おお、そうか。それは安心じゃ」

 ヒースだけでなく、同じくベッドのまわりにいたシェーラやタクトも、ホッとした様子を見せた。

「ミグアちゃん、君は病気にも詳しそうだ。いいねー」
「タクト。わたしの直感ではアンタもなんとなく詳しそうな気がしたんだけど」
「うーん、おれの住んでたところでは病気がなかったからなあ。倒れた人を生で見るのは初めてでさ。本でしか知らないってやつ?」
「キラーマシンは動かせるのに?」

 そのとき、開けられていた扉から声がした。

「フォルは起きているか」
「あ、デビルロードの首領さん」

 フォルがあわてて上半身を起こした。
 中に入ってきたのは、黄白色の体毛をした猿のような体に、羽と長い尻尾を持つデビル族。デビルロードの首領だった。

「見張り台の設置はすべて終わった。可能な状態になったらでいいので確認を頼む」
「はい。大丈夫ですので。準備してすぐ行きます」

 ベッドから出ようとしたフォルの体を、白い少女が手で押さえる。

「『すぐ行きます』じゃなくてさ。寝とこうよ」
「しかし早めに戦える準備を整えないといけませんし」
「回復が遅れたら意味ない。というか、そもそもなんでここで寝てたの。神殿の外に家があるんだよね」
「あれは旧大神殿のときの倉庫をそのまま使っているものなので、狭くて皆さんが入れませんし……それにここにいないといろいろ不便といいますか」
「……。タクト」

 少女の指名に、この場の全員が彼を見た。

「ん?」
「計画は一応把握してるの?」
「まあね」
「じゃあフォル、治るまで外の仕事は彼に行ってもらって、キミは寝てるほうがいい」
「おれもそう言ったんだけどねえ」
「タクトさんには他にも仕事を頼んでまして……ちょっと申し訳ないので、やはり私が」
「却下。キミは寝て、外回りはタクト。それで決まり」
「あ、はい」
「了解ー! でも人間が一人だけじゃ心細いからね。ミグアちゃんにもついてきてもらおうかなー。もちろん言い出した以上は断らないよね?」

 タクトはニヤニヤしながら仮面を着けた。



 見張り台の設置工事。
 この地へ侵入者が現れた場合、すぐに発見し、すぐに神殿までその情報が入り、先手を取れるような体制の構築。その一環として進められていたものである。

「うん。全部大丈夫そうだね。担当も決まったし、死角のないロンダルキア常時監視体制のできあがりだ」

 完成したものを一つずつ回り、最後の見張り台の確認を終えたタクトは、振り返って満足そうに笑う。
 振り返った先は、デビルロード一人と、シルバーデビル三人、キラーマシン六体、そしてロンダルキアの少女ミグアである。

「ミグアちゃん。ずっとムスッとしてたように見えたけど、気分悪い?」
「最悪、だね」
「ふふふ。ごめんね。寒い中連れまわして」
「あのアークデーモンもそうだけど、わたしを巻き込んで既成事実を積み上げようという作戦はバレバレだからね?」
「まあまあ、そんなこと言わずに。君はこっち側についたほうが絶対面白い人生を送れるって。今日だってまあまあ楽しかったでしょ?」
「どうだか。デビルロードは嫌いだし。いつメガンテするかヒヤヒヤしてた」

 デビルロードの首領にはもちろん丸聞こえである。それを受けて彼が白い少女のほうを向いた。

「心配はいらない。メガンテはいかなる窮地においても使ってはならないとフォルに命じられている」
「あっそう」
「え! そんなこと言ってたんだ、フォル君」

 初めての話はだいたい面白そうに聞くタクト。そして興味はだいたい横に広がる。

「ねえねえ。デビルロードやシルバーデビルから見て、フォル君ってどうなの? どんな風に思ってるのか興味あるんだけど」
「腕一振りでロンダルキアの外まで飛びそうな、脆弱(ぜいじゃく)な人間だ」
「うわ、意外に辛辣(しんらつ)だね」
「事実を言った。批判したつもりはない。我々はハーゴン殿に忠誠を誓った。ならばハーゴン殿を継ぐ者にも従うことが筋だ」
「へー! 面白いなあ。じゃあ、おれのことは?」
胡散臭(うさんくさ)い人間だ」

 ロンダルキアの祠の少女が、「デビルロードは嫌いじゃなくなった」と、白い息とともにこぼした。 

 

22.ロンダルキアの目

 雪が、強く降っていた。
 ローレシア王・ロスにとっては三度目、サマルトリアの王子・カインにとっては二度目、荷物持ちの兵士たちにとっては初めてのロンダルキアの地。視界不良のなか、歩みを進めていた。

「魔物に遭遇しないな」

 風は強くないので、特にロスも声を張っていない。

「王たちの討伐により絶滅したのでしょうか?」
「激減させたのは間違いない。ただ絶滅に追い込めるほどは殺せていなかったはずだ」
「この雪が我々の姿を隠してくれているのではないでしょうか?」
「それならいいんだが」

 ロンダルキアへの洞窟でもほとんど魔物を見なかったが、抜けてからも魔物に遭わないのである。
 荷物持ちや雑用のためにロスが連れてきた五人の精鋭兵士たちは希望的観測を述べているが、一番後ろのカインは首をひねっていた。

「どうだろ。ロンダルキアに住んでいる魔物なら、雪でもある程度遠くまで見える目を持っていても驚かないけどね。不気味だよ」

 ロスはそれを受け、「いちおう警戒を強めるように」と言うと、前方を向いて歩き続ける。
 しばらくして、カインから声が届いた。

「ロス。今、何か聞こえなかった? 遠吠えみたいな」
「いや、俺には何も。だがお前が言うなら間違いなさそうだな」

 ロスが足をとめ、一同それに続く。
 しかし、しばらくその場にとどまっても何も現れなかった。

 遠吠えに聞こえたものは魔物ではなかったのかもしれない、ということで、またロスを先頭に徒歩を再開した。

 やがて。
 穏やかだった風が、突然強く吹き始めた。

「なんだ? 急に」

 穏やかな晴天がずっと続いていたハーゴン討伐時とは、明らかに違う。
 今回はロンダルキアに入ってまだそんなに経っていないのに、とてつもない悪天候がロスたちを襲っていた。

 真っ白。
 視界は不良どころの話ではない。完全にゼロとなった。
 吹き付けてくる風雪。目を開けているのも厳しい。

「もう少し固まって歩こう!」

 後ろにそう叫ぶも、耳に入るのは激しい風音。
 返事は聞こえない。

「おい! みんな! 聞こえているか!?」

 後ろの景色はただ白のまま。カインの姿も、兵士の姿も見えない。誰の姿も見えない。

「これは……」

 何も見えず、吹雪く音以外は何も聞こえない。
 完全にホワイトアウトする中で、ロスはしばし立ち尽くすと、やがて仲間の姿を求めてさまよい始めた。



 ◇



 視界が真っ白になると、サマルトリアの王子・カインは口に両手を当て、声を張り上げた。

「ロス! 兵士さん!」

 しかし返事はない。
 聞こえるのは吹雪く音だけだった。

「うわー。何も見えないな」

 ロンダルキアの天気はこんなに急変するものなのだろうかと、土地勘のないカインは驚く。

 真っ白な景色のなかを、さまよう。
 全員近くにいたはずなのに、誰も見つからない。
 とにかく何も見えず、奥行きすら感じない白。すぐに、自分がどこをどう進んでいるのかもわからなくなった。

 サマルトリアではそもそも雪が降ることがまずない。ローレシアでもそうだろう。このようなときの対処法がわからない。
 カインとしてはロスや荷物持ちの兵士たちが心配だった。
 やや焦りながら、探し歩く。

 だが、行けども行けども見つからず。

 寒さで手足の感覚がおかしくなってくる。
 もしかして下手に動かないほうがよかったのか? と思い始めたとき……。
 急に、風が弱まった。

 少し先まで見えるようになった瞬間、人影が一つ、カインの前方に見えた。
 続いてその人影の後ろにも、影がいくつか。

 その影たちは、すぐに実体となった。

「……!」

 ロスたちではなかった。
 カインの前に現れたのは、一人のバーサーカーと、二体のキラーマシンだった。

「あのときのバーサーカーかな?」
「そうだ。久しぶりだな」

 服装こそ違うが、そのバーサーカーは種族の特徴でもある独特な仮面を着けていない。
 そのため、大灯台の最上階で戦ったバーサーカーの少女だということはカインにもわかった。

「どうしたの、そのピッチピチな服」
「前の服はお前に切り刻まれてダメにされちまったからな。新しいやつを胡散臭(うさんくさ)い人間にもらったんだ」

 緑と濃紺が基調になっているその服は、首から下のほぼ全身に密着するように覆っていた。生地はいかにも薄そうだが、肩や膝などの関節部分や、首の後ろから背中の上部にかけては小さな金属で補強されている。
 まだ少女であるとわかる褐色肌の顔に、程よい長さでハリのある真紅の髪を持つ頭部。それらは一見露出しているように見える。が、カインはわずかな反射光があることや、髪に雪がまったく付着していないことを見逃さなかった。首から上は透明なガラスのようなもので覆われているようだ。

「この前の借りを返せるのは嬉しいぜ」

 そう言って斧を構える、バーサーカーの少女。

「……もしかして、僕たちが来たのってとっくの昔にバレてた? んー、ロンダルキアへの洞窟に入った時点か、抜けた時点で、連絡がそっちの本拠地まですぐに飛ぶような仕組みがあって、僕たちは待ち構えられてたってとこかな?」
「まあ、そんなとこだ」
「あんなに視界が悪かったのに僕たちの位置を正確に捕捉できたのはなんでだろ。やっぱり君たちのなかに吹雪でも遠くまで目が見える魔物がいるのかい」
「お前カンがいいな。オレも知らなかったけどキラーマシンはわかるんだとよ」

 少女は素直に、カインの察しのよさに驚きの表情を浮かべていた。

「それに、ブリザードやデビルロードたちはここの天気をだいたい当てることができる。だから大雪が降るのもわかってた。で、お前たちは何も見えないと風向きくらいしか自分が進んでいる方向の見当をつける方法はないだろ? だからお前たちの位置を把握したら、ブリザード隊に風をうまい具合に操作してもらって、お前たちをバラバラにしたってことさ」

 オレが考えた作戦じゃないけどな――と少女は付け加える。
 カインは「うーん」とうなった。

「不思議だね。魔物ってこんなに協力し合うもんだったかなあ」
「ボスが弱すぎるからな。この前も過労でぶっ倒れてたし」

 さて戦おうぜ、と、バーサーカーの少女は斧をクルっと回して構え直す。
 だがカインは左手でそれを制した。

「あ、ちょっと待って」
「なんだよ。お前この前もそうだったけどゴチャゴチャうるさいぞ」
「一つ確認したい。僕と戦う役は、君とキラーマシン二体だけ?」
「そうだよ。お前には中途半端に大人数でかかってもまとめてベギラマで丸焼きにされるだけで意味ないだろ」
「なるほど。そうかも?」

 ここでようやくカインは愛用の細身の剣――隼の剣を抜き、構えた。

「ありがと。それだけわかればいいよ」

 どうやら、このバーサーカーを早めに片付けてロスに加勢しないと危ない。
 今の情報でカインはそう判断した。

「僕を相手に君が時間稼ぎをして、その間にロスを大人数で襲うつもりだろうけど。そうはさせないよ」
「時間稼ぎ? オレはお前を倒すつもりだっ」

 剣と斧が、ぶつかり合った。 

 

23.魔術師の望み

 強い風が、収まった。
 視界を取り戻したローレシア王・ロスが前方に見たものは、おびただしい数の魔物たちであった。

 否、前方だけではなかった。
 左右、そして後ろを見ても、魔物たち。
 四方を遠巻きにされている状態だった。

 どの方角でも、キラーマシンが先頭に出ていた。その後ろに、シルバーデビル、デビルロード、アークデーモン、バーサーカー、ブリザードなどがびっしりと控えているのが見える。
 とにかく多い。ロンダルキアで生き残っていた魔物が全て集結したのではないかと思われるほどの数だった。

 前方の魔物の群れが一か所、スッと割れた。
 そこに、一人の魔術師が姿をあらわした。
 横には一体のアークデーモン、背後には一体の巨人族――ギガンテスがいた。

「君は……」
「お久しぶりです」

 ペコリと頭を下げた魔術師が手に持っているのは、悪魔神官の杖だった。
 前にハーゴンの神殿跡地近くで戦うも討ち漏らした、黒髪の少年。
 改宗を拒否し、ハーゴンの後を継いで教団の再建しようとしている、今回の旅の討伐対象――。

「遠くからですみません。私の声、聞こえますか」
「聞こえている」
「私からのお願いは、一つです。今後のロンダルキアのことは、ロンダルキアに任せていただきたいのです。それ以上は、望みません」

 ロスの耳には、魔術師の声はあのときとたいして変わらないように聞こえた。背丈もそこまでは変わっていないだろう。
 だが。
 後ろに魔物がたくさんいるからなのか、降る粉雪がそう見させているのか、それとも何か他の理由があるのか。ロスにはわからなかったが、放つ雰囲気がだいぶ異なっているように感じた。

「俺は、それを許すわけにはいかない」

 輝く剣を抜き、構えた。
 悪天候ゆえに輝きはないが、まぎれもなくハーゴンやシドーを討伐した剣である。

「君さえ討伐すれば、本当にすべてが終わるだろう」

 ロスは雪の積もる地面を蹴った。
 同時に、キラーマシンたちがロスに向けて弓矢を放つ。

 今まで一度も見たこともないキラーマシンの斉射に驚きながら、ロスは足での回避と盾での防御で、ひたすら魔術師フォルのもとを目指し進んでいく。

 射程に入ったのか、他の魔物からのイオナズンやベギラマも飛んできた。
 ロスの速度が鈍る。

「……っ」

 サマルトリアの王子・カインや兵士たちと離れ離れにされ、一人になったところで、魔物の大軍に囲まれた事実。しかも、ここは遮蔽物が一切ないような、開けた場所。
 何かしら謀られて、待ち伏せされていたのだろう。それはロスにもわかった。

 それでもかまわない――ロスはそうも思った。
 一緒に旅をしたカインのことはよく知っている。顔も性格も穏やかだが、なんでもできる魔法剣士。ロンダルキアの魔物に不覚を取る人間ではない。最悪、逃げるだけならいつでもできる能力はある。ローレシアから連れてきた荷物持ちの兵士にしても、選び抜かれた精鋭。初めてのロンダルキアとはいえ、そう簡単にやられるとは思えない。

 だから、罠にかかろうがなんだろうが、自分がここであの魔術師の首を取ればよい。
 それだけでよい。

 カインのベギラマやムーンブルクの王女・アイリンのイオナズンに比べれば、魔物たちの呪文の威力は数段劣っている。
 避けられるものは避け、避けられないものはダメージを覚悟で、ロスは進む。

 ついに距離を詰め、キラーマシン部隊までたどり着いた。
 力強く正確無比な斬撃で、魔術師までの道を塞ぐキラーマシンを一体、二体と、次々に関節を破壊して停止に追い込み、なおも進む。

「撃ち方やめ! これ以上は味方を巻き込む!」

 キラーマシン隊を抜け、シルバーデビルやデビルロード、バーサーカー、ブリザードたちを斬り飛ばし始める直前に、そんな指示が魔物の群れの奥から聞こえてきた。魔術師の声ではない。
 弓矢や魔法がぴたりとやんだ。
 代わりに、アークデーモンたちが一斉に三つ又の槍を構え、ロスの行く手を遮ろうと集まってくる。

「……」

 キラーマシンの統率が取れている。
 シルバーデビルが、負傷した他の魔物をすぐにベホマで治療している。
 デビルロードがメガンテで自爆してこない。
 バーサーカーが慎重に戦ってくる。
 アークデーモンたちの魔法と槍の構えが揃っている。

 何もかもが、ハーゴン討伐の旅では見たことがないものだった。
 それでも、進む。

 次から次へと差し込まれてくる、アークデーモンの槍。
 斜め後ろからやってきたアークデーモンの槍が、背部に刺さった。

「くっ!」

 深くはない。
 刺さった槍を掴み、抜き、力任せに振る。
 アークデーモンが飛ばされ、数体のバーサーカーが巻き込まれて一緒に転がっていった。

「……」

 前方を見る。
 遠い。
 狙いは魔術師フォルただ一人。
 だが、魔物たちの隙間からわずかに見えるその姿が、遠い。遠く見えた。

『今後のロンダルキアのことは、ロンダルキアに任せていただきたいのです』

 アークデーモンを次々と斬り飛ばしていく中、悪魔神官の杖を持った魔術師の言葉が反芻(はんすう)する。

「できるのか! 君に!」

 ロスは大きな咆哮(ほうこう)をあげ、剣を振りかざしながらさらに突進していった。 

 

24.求めるは友の姿

 間合いが離れたときだけ、キラーマシンの弓矢が飛んでくる。
 バーサーカーの少女・シェーラと交戦していたサマルトリアの王子・カインは、すぐにそのことに気づいた。

 誤射を避けるため。相手に休む時間を与えないため。そのような目的と思われたが、ハーゴン討伐の旅のときには見られなかったキラーマシンの戦い方だった。

「なんか頭良くなってない? キラーマシン」

 バーサーカーの少女が振るう斧を避けながら、感心したように言った。

「自称キラーマシン使いが調教したんだよ」

 避けきれない斧の攻撃については、盾で受ける。カインは彼女の素早さにも驚かされていた。

「君の速さも大灯台のときに比べて上がってる。頑張って鍛えた?」
「当たり前だ! ま、この服のおかげもあるけどな」

 カインの目に、斧の動きは見える。
 だが大きく間合いを取って外すと弓矢が飛んでくる。必要最小限の動きでかわすか、盾で受けるしかない。
 先にキラーマシンを始末しようにも、このバーサーカーに背を向けるわけにもいかない。

「こりゃ大変そうだ」

 器用なカインでも神経を使う戦いとなり、思わずぼやく。

「君は速いしキラーマシンは鬱陶しいし」

 カインは一段と剣の速度を上げた。まるで細身の剣がムチのようにしなって見えるほどの速さと軽やかさだった。
 次第に均衡は崩れていき、バーサーカーの少女は対応できなくなっていく。
 そしてついに。

「あ゛あっ」

 苦悶の声。胴に一撃が入った。
 彼女の体に密着している緑色を基調とした服から、火花が散る。

「ん!?」

 驚いたのはカインである。

「火花が……。しかも服が裂けてない。どうなってるんだろう。薄そうなのに」

 剣は確実に入ったのに、その箇所は若干の煙をあげているだけだった。大灯台のときのように、裂けて褐色の肌をのぞかせてはいない。

「薄いけど前の服よりずっと頑丈だ。仕組みは自称キラーマシン使いに聞いてくれ」
「優秀な仲間がいるんだね」
胡散臭(うさんくさ)い奴だけどなッ」

 斧での反撃が来るが、カインは盾を出して受けた。

「……。なるほど」

 このバーサーカーの未知の服は、脅威というほどではない。カインはすぐにそう判断した。
 一撃入ったときの少女の苦悶の声や、その直後の斧による攻撃が若干重みに欠けダメージの影響が見られたこと。それらのことから、服は単に頑丈なだけであり、衝撃や痛み自体は中の敵へ与えられていると確信したのである。

 普段どおり戦えば問題ない。致命傷を与えるのに時間はかかるのかもしれないが、この場は戦闘不能にさえ追い込めればよい。カインはそう思った。

「ロスが心配だ。すぐ片付けさせてもらうよ」

 過剰に警戒するのはやめ、踏み込んでいく。

「ああ゛っ」

 また腹部に入り、火花が散る。

「うぅっ」

 脚からも火花。
 痛みに耐えかね脚をかばうように体を折ったところを、今度は上から斬っていく。

「ぐぅあっ」

 今度は上腕。
 慌ててバーサーカーが体勢を戻そうとするも、盾を構え直される前にカインは素早く斬撃を繰り出した。

「ん゛あ゛あっ!」

 胸を斜めに斬られ、筋に沿って火花を散らす。
 ますます鋭さを増していくカインの斬撃。対して、バーサーカーの少女はダメージの蓄積でどんどん動きが鈍くなっていく。
 とうとうカインが一方的に斬るだけとなった。

「あ゛ああっ!」
「ぐぁ゛アッ!」
「ん゛ぁああッ!」

 隼の剣が密着型の服を斬り、火花を散らす音。バーサーカーの少女の苦しそうなあえぎ声。それだけが続く。

 そしてカインはひときわ深く踏み込み、仕上げのようなかたちで下から鋭く隼の剣を振った。
 全身を滅多切りにされフラフラとなっていた彼女に、避ける術はなかった。

「う゛あ゛あ゛ああああッ――!」

 強烈な振り上げだった。
 下腹部から腹部、胸部まで一直線に斬られて線状に激しく火花を散らし、体を反らしながら空中を舞うバーサーカーの少女。

 後方に墜落すると、そのまま雪の上で転がった。

「っ……はあ゛っッ……んあ゛っッ……ぁ……ぅう……」

 うつ伏せに近い状態で一度止まると、うめき声を漏らし、手足をもがくように動かし始めた。
 体に密着している服は、体の線をくっきりと浮き出させていた。必死に全身に力を入れようとしているため、肩や腕、臀部、脚の筋肉が、若さゆえの柔らかな曲線を残しながらも、かなり鍛えられているであろうことがわかる。

 が、すぐには起き上がれないように見えた。いくら鍛えようとも、いくら服が頑丈でも、それを突き抜けてくる痛みや体の奥へのダメージはどうしようもない。

「この隙に、っと」

 バーサーカーの少女が体勢を立て直す前に、カインは手際よくキラーマシンを攻撃し、停止させていく。
 あっという間だった。

 よし。これでロスのところに――。そう思ったが。

「ま、待て」

 やや弱々しかったが、声が聞こえた。

「あれ、起きあがってる」

 驚いていると、また少女が斧で襲いかかってくる。
 しかしもはや、無傷なカインの敵ではなかった。

「う゛っ……! うぐぁっッ……!」

 二回続けての軽快な斬り。胸部をクロスに斬る。
 胸から火花を散らしながらバーサーカーの少女がよろめく。

 稼働キラーマシンがいなくなったことで、間合いを取ることが可能。
 カインは後ろに飛んで距離を確保すると、とどめと言わんばかりに詠唱した。

「ベギラマ」

 その猛烈な炎は、バーサーカーの少女を直撃した。

「う゛あ゛あああっッあ゛あああああああ゛あああ゛ああああ゛あああああああ゛あ゛あっああああああああああああ゛あ゛あああああああああ゛あ゛ああああああああああああああああああ゛あああ゛あああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアッ――――――――!!」

 すさまじい業火の責め苦。
 断末魔のような声とともに、バーサーカーの少女の体が反る。
 服はいたるところで火花が、否、小爆発を起こしていた。

 炎がやむと、まるで時間がとまったかのような静寂が訪れた。
 バーサーカーの少女の体は反ったまま、顔は苦悶で歪み、目はぎゅっとつぶられている。

 やがて全身から煙をのぼらせながら、ゆっくりと、雪が融けてむき出しになった地面へ、前向きに倒れた。

「……ぁ……ん……ぅ……」

 カインの目が見開かれた。
 手足を痙攣させながらも、まだ立とうという意思を示していたからだった。

「……」

 これだけ執念を見せて戦えるバーサーカーは信じがたく、並の魔物だとは到底思えなかった。
 しかし賛辞を送っている場合ではない。
 いま一番大切なことは、一刻も早く、友達のもとへ行くこと。

 カインの足は、ロスの姿を求めて動き出していた。 

 

25.ローレシア王、死す

 包囲されながらも、行く手を阻むロンダルキアの敵を次々と吹き飛ばし続けていたローレシア王・ロス。
 ついに、その勢いが止まるときが来た。

「っ……」

 口から、声が漏れ出た。
 盾でアークデーモンの槍を正確に受けたが、同時に突きを入れてきた他のアークデーモンの槍が刺さっていた。
 今度は腹部。腰が入っていた一突きで、体重も乗っていた。深い。

 手応えありと感じたアークデーモンが、さらに槍を押し込む。

「……ぁ……ッ……」

 ロスの目が見開き、顎が上がり、口が開いた。
 背中側から三つ又の槍の槍先の一つが生えた。貫通したのだ。

 激痛でそれを理解すると、ロスは唸りとともに剣を振り、その槍の柄を叩き切った。
 アークデーモンの外側には、他の魔物たちも距離を詰めようとしていたが、一斉にビクンと止まった。

 接近戦を挑んできたアークデーモンを斬り飛ばし、ロスは魔術師を求めふたたび動き出す。
 だがその足に、すでに力強さはなかった。
 それを見て、別のアークデーモンが意を決したように近づき、三つ又の槍で突く。

「ぐ……」

 右胸近くに刺さる。やはり貫通し、背中に槍先が一つ現れた。
 これもロスは柄を叩き切ったが、そこにさらに別のアークデーモンからも槍が側腹部に刺し込まれた。
 そのアークデーモンは、刺した槍をすぐに引き抜いた。

「っ……」

 引き抜かれた箇所から、血がドロドロと流れ出した。
 ロスは虚ろになった目で、多数の魔物の奥に見える魔術師フォルを見た。
 その途端に、また次の槍が後ろから差し込まれた。

「がっ……」

 貫通まではしていないが、やはり深い。
 またアークデーモンが槍を抜く。やはりそこからも、血。
 そして。

「ゴフッ」

 ロスの口から勢いよく血が噴き出た。

 激しい吐血を見て、接近戦を挑んでいたアークデーモンが一度離れていく。距離を詰めようとしていた他の魔物たちも動きを止めて、ローレシア王・ロスの様子を見守った。

 いつのまにか、青い装備は真っ赤に染まっていた。
 三つの槍先を体から生やしたまま、ロスは雪の上をフラフラと少し歩き、やがて片足から崩れ、倒れた。

 どうやら立ち上がってくることはない――魔物たちがそう判断したのか、緊張を解いて寄ってこようとしたときだった。

 突然、ローレシア王がやってきた方向から、爆音とともに魔物たちの悲鳴が聞こえた。
 と、同時に。

「全員広がれ! 距離を取れ! 急げ!」

 アークデーモンによる指示が、戦場に響き渡る。緊迫感のある声だった。
 すっかり密となっていた魔物たちが、それぞれお互いに適度な距離を取り、広がっていく。

 さらには、悲鳴が聞こえた方向の魔物たちが、遠位から左右に分かれていった。それがすぐに軍団の内側まで伝播してゆき、広い道ができていった。
 そのような指示までは、アークデーモンから出ていない。
 原因となったのは、空間を駆けてきた数名の人間たち。いや、その先頭にいた一人の人間だった。

 ヘッドギアからあふれる茶色がかった金髪を揺らす青年。サマルトリアの王子・カインである。

 カインは、魔物に取り囲まれた空間のど真ん中にローレシア王・ロスの倒れている姿を認めると、そばまで行き、遠巻きに包囲している魔物たちを一瞥(いちべつ)してしゃがみこんだ。
 並の人間であれば、隙だらけということで一斉に襲いかかられているだろう。しかし魔物たちは武器や爪を構えたまま、その場を動かなかった。否、動けなかった。

「ザオリク」

 静かな詠唱。
 ロスが小さなうめき声をあげた。
 カインはそれを確認してわずかに微笑を浮かべると、槍先が刺さったままの彼の体を両手で抱え、立ち上がった。

「ロス、ごめん。刺さってる槍はそのままにするよ。今抜くと失血死するかもしれないから」
「へ、兵士……たち……は……」
「大丈夫。見逃してもらえてたみたい。見えてないと思うけど、全員ここにいる。ここに来る途中で会った」

 安心したロスが、その身体を完全に預けた。
 荷物持ちの兵士たちも寄ってきて、カインの身体に触れる。

 カインは魔物の群れの奥を見た。
 雪でやや白っぽく見えるが、ギガンテスの巨体の前に、魔術師・フォルの姿が確かにあった。

「お見事」

 呪文を唱える前に一言、そうつぶやく。

「ルーラ」

 一行は、空へと消えた。






 ルーラで飛んだ先は、サマルトリア城のすぐ近くだった。
 おそらくロンダルキアの祠ではないだろう――カインはそう思っていたため、意外な場所ではなかった。

 のどかな景色だった。
 丈の低い、しかし豊かな草が柔らかな日差しを浴び、ところどころに緑を付けた樹が点在していた。

 カインは、ロスを草の絨毯(じゅうたん)の上に降ろした。
 兵士たちが見守るなか、まずはベホイミで全体を回復させ、次に刺さっている槍先をゆっくり抜きながら、やはりベホイミの呪文をかけていく。
 激痛であるはずだが、ロスは顔をしかめることもなく、ぼんやりと青空を眺めながら施術を受け続けた。

「回復は無事終わったよ。もう大丈夫」

 血まで拭き終えると、カインはロス本人にではなく、(そば)にいた兵士たちに向けて言った。
 意味を察した兵士たちが、声の届かないところまで離れていく。

 風が、吹いた。
 ロンダルキアの刺すような雪風とは違う。サマルトリアのそよ風は限りなく優しかった。

「……俺は、いったい何をやっているんだろうな」

 やがて、仰向(あおむ)けのままのロスの口から、そうポツリと漏れた。
 同じくしゃがみこんだままで青空を見上げていたカインが、彼の顔に視線を移す。

「いいときもあれば、悪いときもあるさ。今までもそうだったでしょ」

 カインはロスの青いヘッドギアについているゴーグルのヒビに気づくと、両手を伸ばしてそれを取り除き、微笑(ほほえ)んだ。 

 

26.束の間の休息

「え? ハゼリオ様は竜王の曾孫に会われたことが?」
「まあ、あるな」
「すごいですね!」
「すごくはない。竜王の曾孫は今もアレフガルドにある竜王の島におり、その地を治めているからな。探さずとも竜王の城に行きさえすれば会える」
「全然知りませんでした」
「歴史上では、ある国や勢力が滅んだとき、残党がその流れを汲む勢力を作り、文化を継承していくことは珍しくない。むしろ突然完全に消滅する例のほうが少ないかもしれない。自然現象という言い方もできるだろう」
「でも変じゃないですか? ラダトームは見ているだけなのでしょうか。仲が悪かったわけですよね」
「ラダトームの王や臣民は代替わりしているからな。当時の人間で生きている者はいない。今やお互いに、敵対していたことなど昔話にすぎないのだろう」
「なるほど」
「それどころか、(わし)はそう遠くない未来に、ラダトームの城と竜王の城が交流をはじめる可能性もあると見ている」
「ええっ。まさか……」
「生きることはまさかの連続だ。お前が生きているうちに実現するかもしれない。因縁など時間の前には儚いものなのだ」



 - - -



 ロンダルキアの祠の庭部分が、きれいに除雪されている。
 大きな敷物が何枚も敷かれ、それぞれが自由に座り込んでいた。

「ふう、勝利の美酒は格別だ」

 持ち込んだ酒樽の上に座り、褐色の頬をわずかに赤く染めているのは、バーサーカーの少女・シェーラ。
 ちなみにまだ十七歳であるが、「飲めないバーサーカーなどいない」とのこと。

「……会議室代わりの次は宴会場代わり? どんだけ図々しいのキミたち」

 彼女に対し、ロンダルキアの(ほこら)の少女・ミグアが冷めた白い顔を向けた。

「堅いこと言うなって。神殿ではもう宴は済んでるんだよ。だいたい文句あるなら追い返せばよかっただろ」
「いや、この人数、どうやって追い返せばよかったの」

 今度は少女の碧眼が、この場にいる他の者たちを一巡していく。
 現教団代表者・フォル、自称キラーマシン使い・タクト、最後のギガンテス・リアカーン、フォル直属のアークデーモン・ヒース、デーモン族の族長・ダスク、デヒルロードの首領、シルバーデビルの筆頭、バーサーカーの頭領、ブリザードの代表らが座り込んでいた。現ハーゴン教団の要人たちが勢揃いしていることになる。

「申し訳ありません、ミグアさん。私だけでお伺いする予定だったのですが……まさかこんなことになるとは」

 ペコペコと頭を下げるフォル。例によって「タクトと紛らわしい」というロンダルキアの祠の少女からの苦情を受け、仮面を外している。その顔が白いままなのは、この面子の中では唯一酒が飲めないためだ。

 戦いがあったという報告をしないわけにはいかないため、神殿の祝勝会の翌日に一人で祠に行くことにしたのだが、この面々が勝手に酒樽持参でついてきてしまったのである。

「キミにはいちおう同情はする。ついてくるなとは言えないだろうから」

 白い息を漏らしながら、大きなマフラーを直す少女。そしてフォルが持参した地図に示された戦場を、あらためて見る。

「戦場に選んだ場所、だいぶ南だ。フォル、キミの決断だね、これは」
「よくわかりますね。たしかに私です」
「この祠が巻き込まれないように、いや、関与を疑われないようにそうしてくれたのかな。ありがとう」
「いえいえ、お礼を言われる話ではありませんって」
「でもこうやって勝手に祝勝会をここで始めたキミの部下たちが、そのへんを台無しにしてくれたみたいだけど……まあ誰も見てないし、いいか」

 フォルがすまなそうに黒髪を掻きながら、またペコリと頭を下げる。

「というか、シェーラって名前だったっけ? アンタ個人はボロ負けだったわけでしょ。勝利の美酒じゃなくて敗北の苦汁の間違いじゃないの」
「フン、その点は言い訳するつもりはない。もっと修行してやり返すさ」
「あっ、いえいえ、ミグアさん。シェーラさんは今回の戦いではものすごい功労者なんですよ」
「本当かな」
「本当だよ。一番大事な(おとり)の役だったわけだからね」

 タクトも話に入ってきた。

「最初君が囮をやるって言い出したとき、おれは君に自殺願望でもあるんじゃないかと思ったよ」
「私も不安で仕方なかったです」

 当初、サマルトリアの王子を引きつけ時間稼ぎをする役は、やられる前提でキラーマシンのみが担当する予定だったが、その話を聞いた瞬間にシェーラは「オレがやる」と言い出した。
 フォルもタクトも反対したのだが、この褐色少女は「キラーマシンじゃ無理だ。オレが行く」と強引に押し切っていたのである。

 実際、キラーマシンはサマルトリアの王子に瞬殺されている。そのため、結果的に彼女の言うことは当たっており、彼女が陣営に勝利を呼び込んだと言ってもよい。だが、重傷を負って気絶している彼女を発見したフォルたちが大慌てであったこともまた事実であった。

「お前たちが思ってるほどバーサーカーはヤワじゃないぞ」
「えー、本気で心配したよ? ねー! みんな! シェーラちゃんが死んだんじゃないかと思って心配した人、手あげて」

 全員が手をあげる。

「お前ら舐めてんのか」

 バーサーカーの少女は全員から目を逸らし、残った酒を一気に飲み干した。






「では今回はこれで失礼します。またお騒がせしてしまってすみませんでした」

 片づけと帰り支度を終えたフォルは、ロンダルキアの祠の少女に礼を言うと、仮面を顔に着けた。

「ローレシアとサマルトリアが次に来るときは、本気で来るだろうね。冗談抜きで大軍で来るかもしれない」
「そうかも……しれませんね」
「あとは、『ロトの子孫たちが、復活したハーゴン教団に負けて逃げ帰った』という事実は衝撃が強すぎる。全世界でその知らせが駆け巡ることになると思うけど、それを受けて世界のどこでどういう動きが起きるのか。読み切るのは難しいと思う」

 想定していないことが起きるかもしれないから、情報収集はしっかり――。
 白い少女は助言をし、フォルたちを見送った。

 そして祠の中に戻る前に、目の前にいる図体の大きな一人を見上げる。
 なぜか一人残っているのは、年老いたアークデーモン・ヒースである。

「で、なんでアンタだけ帰らないの。また勧誘?」

 若干うんざりしたように、少女は突っ込んだ。

「今回は違うぞ。ちと今のワシらに対する感想を聞きたくてのお」
「……なんか魔物たちの雰囲気が変わってきた。少し人間ぽくなってきているというか。目つきが柔らかくなってきているというか」
「ふむ。リーダーにつられてきた感じかの」
「かもね」

 ヒースは穏やかに笑った。

「この地に現れた勇者を助けること――というのが、この祠に下されていた神託と聞いたぞ」
「そうだけど?」
「神託に変更がないのであれば、今、『この地に現れた勇者』とは誰を指しているのか、と考えたことはあるかのぉ?」
「それ、勧誘でしょ」

 結局それか、とジト目を老アークデーモンに向けると、少女は中に戻っていった。