恋愛経験のないおじさんの結婚


 

第一章

                恋愛経験のないおじさんの結婚
 八条うどん鶴橋店で勤務しているうどん職人緑谷吉郎は野暮ったい四角い顔で一七〇程の背でがっしりとしている。年齢は三十八歳で黒髪は短い。
 いつも店で黙々とうどんを作っている、彼の腕はチェーン店であり日本全国そして外国にも展開している八条うどんのうどん職員の中でも有名である。
 それで鶴橋店はいつも繁盛しているが。
「誰かと交際したことはですか」
「ないよ」
 大学生のバイトの店員である野村勇樹すらりとした長身で細い眉と切れ長の目に清潔な黒髪を短くしている彼に話した。
「これまでね」
「そうなんですか」
「高校までは柔道ずっとやってて」
 それでというのだ。
「卒業したらね」
「この会社に入って」
「ずっとうどん作って二十年近くだけれど」
 それでもというのだ。
「一度もね」
「そうですか」
「うん、こんな外見で地味な性格だし」
 緑谷は自分のそうしたところの話もした。
「だからね」
「恋愛は、ですか」
「一生縁ないかもね」
「けれどうちのチェーン店でも屈指の職人さんですし」
 だからだとだ、野村は緑谷に応えた。
「真面目で穏やかですしお金かかる趣味も持ってないですし」
「お風呂と読書とテレビゲームだね」
「それならですよ」
「どうかな」
 緑谷は野村に少し苦笑いで応えた、兎角彼は仕事一筋で女性とは彼が言うには容姿や性格のこともあってだった。
 女性に縁がないと思われた、だが。
 店の副店長として赴任してきた三十五歳の青木昭子眼鏡をかけた穏やかな顔立ちで腰まである黒髪を後ろで三つ編みにして右肩から垂らしている一六〇位のすらりとしたスタイルの彼女がだ。
 緑谷の仕事ぶりと穏やかで真面目な性格を見てだった、店に入ってすぐに彼に惚れ込んでしまいアタックをはじめたのだった。
 これにはだ、店内の誰もが驚いた。
「青木さん独身だけれど」
「まさか緑谷さんを好きになるなんてな」
「それで何度も居酒屋や映画館に誘って」
「もう告白だってしてな」
「積極的にアタックするなんて」
「驚いたな」
「本当に」
 野村も含めてこう言っていた、だが。 

 

第二章

 青木は本気で緑谷に何度も告白した、それで最初は嘘だ冷やかしだと思っていた彼も遂に折れてそうしてだった。
 交際をすることにした、しかし。
「あの、僕こうした経験は」
「私三年前まで十五年付き合っていた彼氏がいますので」
 青木は戸惑う緑谷に答えた。
「ご安心下さい」
「そうですか」
「ただ。何も経験がなくて」
 そしてというのだ。
「純粋というところもです」
「いいんですか」
「はい」
 こう緑谷に答えたのだった。
「私にとっては」
「そうですか」
「浮気とかされないので」
「まさか前の彼氏の方とは」
「ノーコメントです」 
 青木はそこから先は言わなかった。
「宜しくお願いします」
「わかりました、じゃあ僕でよかったら」
「これからもお願いします」
 青木の方から言ってだった。
 緑谷は彼女と交際していきやがて結婚した、彼はそこまで至って大学を卒業してそのまま八条うどんに正社員として入社した野村に言った。
「何でも奥さんが言うには」
「純情なんですか、緑谷さん」
「そうみたいだね」
「これまでどなたとも交際したことがなくて」
「デートの時に何をしたらいいかとか」 
 そうしたことはというのだ。
「わからなくてもね」
「副店長さん的にはですか」
「よくてむしろ真面目にね」
 それでというのだ。
「そして穏やかに働いてそうした性格なら」
「いいんですね」
「奥さんはそう言ってるよ」
「そうですか」
「いや、ずっと縁がないと思っていたよ」
 緑谷はまたこう言った。
「けれどね」
「それはですね」
「実は違うね、野暮ったくて恋愛経験がなくて」
「知識がなくても」
「性格と行動みたいだね」
 恋愛に大事な要素はというのだ。
「どうも。それじゃあ僕はお家でね」
「副店長さんとですね」
「幸せな家庭築いていくよ」
「緑谷さんと副店長さんなら大丈夫ですね」
 野村も笑顔で応えた、そうしてだった。
 恋愛の経験がなく純情なおじさんだった彼はよき夫そして優しき父親になった。妻は彼がそうなったのはその性格故だといつも語った。そして自分の夫は最高の夫であり父親であるといつも言うのだった。


恋愛経験のないおじさんの結婚   完


                      2023・9・19