翡翠のエンヴレイム


 

第一話「始まりの出会い」

 
前書き
どうぞ、よろしくお願いします。
記念すべき第一話はとある少女との出会いのお話です。 

 


 それは学校が始まってから一か月と少し、五月のある日の事だった。
 いつものように学校に行き、いつものように授業を受けて、いつもの変わらない帰り道。

 嫌になるくらい晴れ渡った晴れの日、太陽の光がさんさんと街を照らす、そんな日に。

 彼は出会った。

 自分の運命を変える一人の少女に……。



 翡翠のエンヴレイム
    第一話
      「始まりの出会い」


「じゃあなー」
「おう」

 友人と別れて、いつもと同じ道を行く。
 五月にしては少し暑くてシャツ一枚でも十分なくらいだ、そんな事を考えながら歩いていると。

 ふと、一人の少女に目が行った。

 こんな暑いのに黒いコートを着ている赤髪の少女、赤髪という事よりも先に、あんな恰好をして暑くないのだろうか、という点に目が行った。
 何故そんな恰好をしているのかだなんて、突然聞く訳にもいかないし。
 赤い髪も少し気になったけれども、彼はそのまま帰り道をまっすぐ進んだ。

 そこでふと、ある異変に気が付いた。
 人が居ないのだ。

 この時間帯なら一人くらい人が居てもいいはずだ、それに不思議な事に生活音が一切しない。

「……?」

 ランドセルを背負った小学生も、ブレザーを崩して着た生意気な中学生も、今日は居ない。

 自分だけが取り残されたような感覚に陥る。これは、なんだ?
 でも、彼はそれも深く考えはしなかった、今日はたまたま“そうなった”だけなんだろうと、思考を別の方向へとひん曲げる。
 

 しかし彼は“その光景”を見て、これはたまたまそうなった訳ではないのだと知る。



―――――。



 晴れの日、住宅街の一角。


 黒い装束に身を包み、肩まで伸びた赤い髪を揺らしながら、一人の少女が小さな短剣を片手に、三メートルはあるのではないかと思われる巨体の男と激しい戦闘を繰り広げていた。
 昼過ぎの暖かな日差し、いつもと変わらない光景の中。
 とても人とは思えない巨大な男、化け物という言葉がよく似合う彼は巨木のような腕を振るう、

 少女は何食わぬ顔でその攻撃を可憐に回避すると短剣による攻撃を仕掛けた。

「これは……紅戦隊オナゴンジャーの撮影かなんかか……?」

 あまりにも場違いなその光景に、彼は特撮モノの撮影かと勘違いした。
 けれども、その化け物はあまりにもリアルでいて、それに合わせているのではないかと思えるくらいの周囲の静けさ、彼はようやくこの状況が普通ではないことに気づく。

 彼女の小さな手に握られた、桜の花びらのような装飾が施された可愛らしい短剣が風を切る。
 斬撃は鋭く素早く巨体の化け物の皮膚を裂いていく、だけどその傷は浅く化け物の表情に変化は無い。
 そんな戦闘シーンをよそに彼は周囲を見渡した、もしも、仮に特撮モノの撮影なら周囲にカメラやいろいろな道具があってもいいはずだ。
 それに、先ほどから人一人見ていない、いつもなら、いつもならこの時間帯子供達や買い物帰りの主婦が居るはずなのに。
 彼女は化け物が繰り出した大振りな攻撃を跳躍して回避すると、ようやく彼の存在に気が付いた。

「ッ!?ちょっ、逃げなさい!!」

 焦った表情を見せながら吠える彼女、化け物は大きな瞳をギョロリ、と動かすと掌を彼女に向けた。
 人を握り潰せる程に大きなその手の前に怪しげな光が浮かぶ、周囲を雲のような靄で囲み、中央の光からカシャカシャと音が聞こえてくる。
 彼女はその音を聞くなり舌打ちをして化け物の方に視線を向けた。

 だが彼女の判断より先に化け物の術の方が早かったようで、その光の奥から現れた鎖に対処できず少女は無数の鎖の突進を喰らい、所有地を囲む塀に強くたたきつけられた。

「あぐっ……ッ~~!!」

 塀に皹が入る程の勢い、砂埃が舞う中彼女は苦痛に顔を歪ませながら、歯を食いしばり。視線を彼の元へと移した。
 鎖は彼女の動きを封じるように素早く身体に巻き付いていく。
 化け物は掌の前に展開された靄と光を消すと地面を蹴り“彼”に襲いかかった。
 大きく体を揺らし3D映画では体験できないくらいの迫力を彼に与えて、その足が地面を踏むたびにズン、ズンと音が鳴り彼の体を小刻みに揺らす。

「くっそ……!!こン、のォ~~ッ!!」

 このままじゃ死ぬ――。

 急いでこの鎖を引きちぎろうとするも鎖はビクともせず、束縛から逃れられそうには無い。
 少女は力による抵抗は無駄だ、と諦めると左手に意識を集中させて、“その名”を叫んだ。


「紋章・解放(リエン・エンヴレイム)!!」


 すると彼女の左手の甲が薄紅色に光りだして手の甲に紋章のようなものが現れた。
 翼、月、十字架、それらによって描かれたどこか神々しい印象を受けるその紋章、その紋章から薄紅色の炎が噴き出し、ソレは彼女の体を包み込んだ。

 現れた炎は彼女を縛っていた鎖を跡形もなく焼き消すと次に“彼”に襲いかかる化け物に向けて勢いよく飛翔した。
「ガバゥッ!!!」
 化け物は背後から迫りくる聖なる力に反応し振り返る、炎は既に化け物の懐にまで接近しており回避は不可能だった。

 轟、と音を立てて炎は化け物の巨体を飲み込む。

 苦しむように暴れる化け物を余所に彼女は彼に近づいた。
 その表情は物凄くムスっとしていてきれいに整った顔が台無しになるくらいだった、彼女はその表情を崩さずに口を開き、イライラを抑え込むように言った。


「あんた……、なんでここに居んのよ……!!」
 その表情からは予想できなかった平凡な問い。彼は慌てて答える。
「えっと、いや……帰り道……だから……?」


 これが、新藤翠(しんどうあきら)とアケミ・ルシエードの始まりの出会い、運命の邂逅。
 そして此処から物語は始まる、幾年の時を経て“母への怨み”によって歪んだ世界の中で。


  続く。 

 

第二話「目覚める力」

 
前書き

 

 
 燃え盛る化け物、だが奴にだって化け物としてのプライドはあるのだろう、焼ける痛みをモノともしない風に装い翠とアケミに襲いかかる。
 アケミは溜まったイライラを吐き出すようにため息をつくと身体の向きを変えて迫りくる拳に短剣の切っ先を向けた、短剣の周囲に桜の花びらが集まり一つの炎の刃を形成、短剣の刃の倍はあるその炎の刃は化け物の拳に突き刺さると内部で爆発、そのまま内部から化け物の肉を焼いた。

「アッバッギョォオオオオ!!!」

 言葉に言い表せない悲鳴を上げる化け物、腕からもくもくと煙があがる。
 アケミは耳に響く化け物の悲鳴に顔を歪めると短剣を振りかざし、燃え盛るソレを振り下ろそうとした。その瞬間。

 甲高い音と共に塀に大きな穴のようなものが現れた、物凄い風と共にその穴から何かが姿を現した。
 今もだえ苦しんでいる化け物と同じ容姿、同じ外見の化け物は身体を捻らせ馬鹿でかい口を開き、叫びながら彼女に襲いかかった。

「もう一匹!?なんで……」

 小回りの利く短剣を素早くそちらの方向に向け先ほどと同じように炎の刃を形成する、だがそれを遮るかのように片腕を失った化け物が彼女に突進。
 軽い華奢な彼女の体はその倍はある化け物によって簡単に吹き飛ばされてしまった。

「ッ!!」

 勢いよく吹き飛ぶアケミ、翠は後退していた為巻き添えを喰らう事は無かったが、ピンチには変わりなかった。




 翡翠のエンヴレイム 第二話「目覚める力」――。



 
 名前も知らない少女が訳も分からない化け物に突進されて、視界から消えた。
 本当に訳が分からなかったけど、右方向から聞こえる激突音がこれを本当に起きている事なんだと、そう実感させた。
「僕は……」

 死ぬのだろうか、死亡理由が特撮モノの撮影に巻き込まれて、ってそれじゃあ全国のオナゴンジャーを楽しみにしている子供たちに申し訳が無い。
 だから、いや、それが理由ではないんだろうけども――。

「僕はッ……」

 戦う術を、幾千年より昔から存在する太古の力。男と女の交わりによって誕生したその力を、その力の結晶の名を、僕は無意識の内に叫んでいた。

 生きる為に――。

「紋章・解放(リエン・エンヴレイム)ッッ!!!」

 左手を胸の前に移動させ手の甲を化け物に向ける。
 解放の言葉は外界に振動として放たれ、世界が、僕の肉体が、その振動を浴びる。


 紋章は現れた。


―――――。


 手の甲に浮かび上がったその紋章は彼女のモノと同じ紋章だった、だけど色は無く真っ白で目が痛くなるくらいそれは光っていた。
 そこで彼は不思議に思った、化け物が襲ってこないのだ、何故だかはわからない、手の甲の光が視界を遮っているからだ。
 彼女は前方より放たれる大量の力によって目を覚ます。どうやら衝撃によって気を失っていたようだ。

「こ……れは……、解放……?あいつ、紋章の解放を行ったのね……よっし……!!」


 紋章の力を肉体に流し込む、こうすることで肉体の痛みが緩和して動けるようになる。
 彼女は肉体の自由を取り戻すとコンクリートの地面を蹴り、翠が放つ光の壁を突き抜けて、光によって身動きを封じられている化け物に炎の刃を浴びせた。
 炎の刃は化け物の皮膚を絶ち、そのまま肉を焼き切っていく。

「はぁあぁあああッ!!!」

 刃が地面に突き刺さる、肉体を裂かれた化け物はこの世界に存在出来なくなって、黒い粒子に分解され消滅。
 彼女はすぐさま黒い粒子の先に見えるもう一匹の化け物に跳びかかった。

 その速度は常人の目では追いつけない程だった。
 
 高速の速度を纏う彼女が炎の刃が届く範囲まで来た、化け物は蓄積されたダメージによって既に満身創痍、彼女の接近に対応できる程の力は残されていなかった。
 そうなればもう、彼女を阻むモノは何もない。



 そこから繰り出された“一閃”はとても美しいものだった――。




「ふう」


 黒い粒子が漂う中、一人の少女は息をつく。
 その光景は幻想的で、彼は目を奪われた。


 だけど彼女はそんな彼を見るなり表情を変え短剣の柄を強く握りしめる。

「あんた」

 ドスのきいた低い声が前方から聞こえる、女の子が出せる声じゃあないでしょう、と突っ込みを入れたくなるくらい、ソレは低かった。
「は、はい」
「なんで聖魂紋章の解放が出来る訳?しッかもバインドまで、それに闍魂領域に介入出来るレベルって、あんた本当に覚醒前のド素人?」
 良くわからない単語がぽんぽんアケミから放たれる、翠は苦笑いしながらそれに答えた。
「いや、違うと思います」
「じゃあなんで?説明しなさい役立たず」
「!?何でそこまでいわれなき「い・い・か・ら、説明なさい」

 容赦ない彼女の攻撃に翠は渋々、適当に理由を作って答えた。

「……死にたくなかったんで無我夢中で、やってみたらできちゃいました」


「……」
「……あはは」

 静寂がその場を支配した後、服が擦れる音が小さくなり、翠は逸らしていた視線を元の位置に戻すと、そこには。
 短剣の刃が彼の首元を捉えていた。
 ひんやりと冷たい感触が首を伝って全身に広がる、半端じゃない寒気が翠を襲うのであった。
「ッッひぃぃいいぃぃ!?本当だって!!」
「覚醒前のド・素人がやってみて出来たら苦労しないのよ!わかる!?あんたのせいでせっかくの休日がパーよ!あんな力があるならアーノルドもほっとけっての!!!もぉ!」
「……、何か……すんません」
 謝ったのに脛を蹴られる翠、アケミは行くわよ!と言いズンズンと住宅街の道を進んでいくのであった。

「ってて……!!行くってどこに!?」
「セイントハウンドよ!!」

 翠は脛を抑え一本足でぴょこぴょこ跳びながら彼女の後に続く。
 ふと、このボロボロになった塀とかはほっといていいのかな、と後ろを振り返る翠。

「あれ?」

 だけどそこにはボロボロになった塀などなく、瓦礫一つ無いいつもと変わらない住宅街の道があった。
 それに先ほどまでいなかったはずの人達が何食わぬ顔でそこらへんを歩いているのだ。

 首をかしげる翠、なぁんだ今のは夢だったんだ、と胸を撫で下ろす翠、だがそんな彼を現実に連れ戻すかのように彼女の罵声が響いた。

「早くしなさい!!」
「はぇっ!?はっ、はーい!!!」

 

 

第三話「セイントハウンド」

 
前書き
第三話、
ついに翡翠のエンヴレイムが。 

 

 翠が住む河瀬宮町(かせみやちょう)にある河瀬宮公園、この公園は結構な広さで多くの子供たちがこの公園で遊んでいた。
 そんな公園の中を何食わぬ顔で進んでいく赤髪の少女アケミ・ルシエード、その後に続くやつれ顔の翠。

「あのー、その“せいんとはうんど”ってのは何処にあるんでしょうか……」
「ここよ」

 肩くらいまで伸びた髪を揺らし、翠の方へと体を向けるアケミ。
 彼女の右手の指先は公園の地面を刺していた、翠はその指先を辿り地面に視線を移す。

「……ここ?」
「直に判るわ、黙ってついてきなさい」

 再び体の方向を前へと向けるアケミ、黒いコートの下のスカートが揺れる。
 そういえば、とふと翠は思った。なんでこんな暑い日にこんなコートを着ているのだろう?と、そして何故自分以外の人間はそれを不自然と思わないだろうか。
 誰も、誰もアケミに視線を向けていない、誰も彼女を不思議だと思わない。

 この赤い髪も外国ならともかくここは日本だ、少しはざわつく筈だが……。

「ここよ」

 アケミは公園の隅にある木の茂みたどり着いた。そしてその茂みに隠れている四角いコンクリートの塊のようなモノに掌をそっと当てた。
 すると何かが動く音が鳴りコンクリートの塊の近くの地面から大人五人は入ることの出来るエレベーターのような装置が姿を現した。

「乗るわよ」
「おう、ってなにこれ!」
「セイントハウンド本部に続くエレベーター、さっさと乗りなさい」

 抱いた疑問の三分の一も解決しないまま翠は恐る恐るエレベーターに入る。
 近くに子供が居るのに、彼はこのエレベーターに見向きもせず周りをきょろきょろ見渡していた、恐らく鬼ごっこか何かをしているのだろう。

 そんな子供の事など気にせずに、エレベーターは騒がしい音を立ててゆっくりと下に進んでいく。

「……何なんだ?みんなこれが普通なのか?」
「そうよ」

 アケミは翠に顔を向けずに答えた。

「そうって……俺は知らないぞ!?あんなの」
「私たちがこの町一体に“普通だと思わせる”結界を張っているからよ」
「結界……?」

 エレベーターは落ちていく、地下の地下の更に下へ。

「そう、結界。まぁ詳しい事はアーノルドに聞く事ね、めんどくさいし」
「お、おう……」

 周囲を見渡す翠、このエレベーターの周囲は下へと進み始めると同時に透明なガラスが展開されており安全性は保障されていた。
 だが、どれだけ下に行っても続くのは地面の断片図、一向に本部とやらにつく気配は無かった。

 なぁ、とアケミに話しかけようとした翠であったが、それを遮るかのように景色が一遍。広く広い白い空間に出た。
 己の眼を疑う、まさか自分がよく知る公園にこんな空間があっただなんて、と。

「これがセイントハウンド、本部よ」



 翡翠のエンヴレイム
   第三話「セイントハウンド」



 エレベーターがゆっくりと地面に着地する。
 機械音を立てて前方のドアが開く、先頭を進むアケミの後を追いながら辺りを見渡す翠。
 大きさは公園の比ではない、東京ドーム何個分とかそういう感じの話だ。
 一体セイントハウンドとは何なのか、そして彼女たちは何の為にここにいるのか。

 消える事のない問い、翠の疑問は増える一方だった。

「じゃ、あとはよろしく」

 歩くこと数分、アケミは見たこともない白い衣服を身に纏った男と数回言葉を交わした後、そんな言葉を残してすたすたとどこかへ歩いて行った。
 翠はというと、その男に連れてかれ大きな建物の中に入っていった。
「あのー、何処に向かってるんでしょうか」
「これから検査を行いますので、検査室です」
「そうですかぁ」
 翠の問いに淡泊に答える男。

 そんな男の後を追いながら長い長い通路を歩いていく、先に見える角を右に曲がりその先にある広い通路の右の部屋へと入る。
 そこには検査用のモノと思われる装置がいくつもあった。

「ではこちらに座ってください」
「わかりましたー」



 ―――――。



 此処ではない何処か。
 世界ではない世界。

 仮面を身に着けた一人の青年が居た。

「……」

 左手の甲には十字架、三日月、翼によって作られた紋章が刻まれている。
 それは緩やかに、鮮やかに、光る。翡翠色の光を。放つ。

 青年の足元には何処かの世界を映す丸い丸い鏡のようなものがあった。
 その鏡には一人の少女が映っていた。

 彼はつぶやく、彼女の名を。

「アケミ……」

 何処か悲しげな、青年の声――。





 一通りの検査を終え一息つく翠、そんな彼の肩を誰かがポン、と叩いた。
 翠は叩かれた肩の方へと顔を向ける。

 そこには少し年老いた外国人が居た、鼻が高く、髪は綺麗な金色。誰がどう見ても外国人だ。
 翠は英語が苦手だった、でも何か挨拶くらいしなくてはいけない。翠は乏しい英語力を捻って精一杯の英語を放った。
「は、はろー」
「君が新藤翠君か、出来立てほやほやの調査書は読ませてもらったよ」
 そんな翠の努力を一蹴するかのように、年老いた外国人はとても綺麗で上手な日本語で翠に話しかけた。

 きょとん、とした顔をする翠。
 つられてきょとん、とする男。

「えっと……どちら様でしょうか……」
「あぁ、そうかそうか、知らなかったか」

 肩に置いた手を離し、一礼。彼は自身の名を述べた。

「私の名はアーノルド・アリリミス、セイントハウンド本部の総司令官をやらせてもらっている」
「総司令……!僕は新藤っ」
「知ってる知ってる」

 微笑むと彼は一枚の調査書をぴらぴらと揺らして翠に見せた。

「あぁ……そういえば知ってましたね……」
「うむ、さて新藤君これからセイントハウンドの一員になって戦ってもらうわけだが……」

 うん?

「あの、恐縮ですが、今なんて……?」
「?セイントハウンドの一員として、戦ってもらうわけだが?」
「……え?」

 どうやら“紋章”と呼ばれる力に目覚めた者はここセイントハウンドで“ノーバディ”と呼ばれる敵と戦う事になっているらしい。
 でもそれは強制ではなく、先ほど翠が無意識で書いていた契約書によって決まるらしい。

 翠は唖然としていた。自分は何をしているんだと。

「な、なるほど」

 正直“契約書”を書いた以上断るわけにも行かないので、翠は黙ってアーノルドの説明を聞くことに。

 二人は検査室を出て長い廊下を歩く、アーノルドは歩きながらセイントハウンドとノーバディと呼ばれる敵について説明を始めた。


 セイントハウンドとは世界中にある霊所と呼ばれる力の空間をノーバディと呼ばれる敵から守るために作られた防衛組織。
 霊所は世界に七か所存在し、セイントハウンドも世界に七か所存在する。ここアジア・日本本部の他に北米、中南米、ヨーロッパ、オセアニア、中東、アフリカ支部が存在する。

 そしてセイントハウンドの矛となるのが“紋章使い”、左手の甲に聖魂紋章を宿した者たちである。

「紋章使い……ですか」
「そうだ、だが安心してくれ、最初から戦場に行ってもらうわけではない」

 翠のような素人には戦闘のプロである精鋭部隊か色・聖魂紋章使いが訓練の指導者として最低一人つくことになっており。
 今回翠には色・聖魂紋章使いから一人つくことになっている。

「そしてこの戦いの要となるのが、色・聖魂紋章なのだ」

 聖魂紋章とは世界の秩序を守る力“コスモス”が紋章化したモノであり、白い光を放つ。だが色・聖魂紋章は色のついた光を放つ特殊な紋章である。
 翡翠、薄紅、紫苑、刈安、瑠璃、現在は五色の光が確認されており、その力は通常の聖魂紋章の約三倍と言われている。

「へぇ……」

 正直約三倍と言われてもピン、と来ない翠であった。何せ普通の紋章使いの力というモノすらわからないのだから。
 

 だけど、彼はすぐに知る事になる。

 色を持つ聖魂紋章の力を――。


「だが先日色・聖魂紋章使いが裏切り――」
 アーノルドの話の途中。突然、床が揺れる。
 強い強い揺れ、それから数秒後警報音が翠の耳に襲いかかった。

 揺れによって床に座り込んでしまった翠は耳を塞ぎながらアーノルドに問いかけた。

「これはっ!?」
「敵襲だ……!急いでこっちにくるんだ」

 アーノルドと翠は起き上がると、赤いランプが点滅する廊下を走り。大広間の方へと向かった。
 色んなドアから人が出てくる、皆慌ただしく動き回っていて、その中にはアケミと同じ黒いコートを着た者の姿もあった。


 セイントハウンド 本部 大広間


「アーノルドッ!」
 黒いコートに身を包んだ赤髪の少女がアーノルドの名を呼ぶ。アケミだ。
「アケミ、敵は?」
「この真上よ、突然現れやがったのよ!」
「なるほど……ケリー、非戦闘員はB43のルートを通って退避させるんだ」
「畏まりました」

 いつの間にかアーノルドの傍に居た黒髪の女性は懐から通信機のようなものを取り出し非戦闘員の誘導を行った。
 通信機は全非戦闘員が装備している小型通信機と接続されており、ぞろぞろと人が大広間に集まり、B43と呼ばれるルートへと走っていった。

「……」
「さ、新藤君も行くんだ」
「俺もですか?」
「何いってんのよあんた、役立たずはいらないのよ」

「んな……!」

「……!アーノルド、さっさと避難させて、もう来るわ」

 アケミは表情一つ崩さず真上を見つめる、すると爆音と共に大広間の天井に大きな皹が入り、瞬きをした次の瞬間、そこには大きな穴が開いていた。周囲に瓦礫のようなものは無くその空間丸ごと消滅したようだった。

「きたッ!!!」
 アケミが声を上げる。
 翡翠の光が降り注ぐ、目を凝らしてやっと見える程の何かがアケミに襲いかかった。
 彼女は紙一重でそれを回避し、視線を先ほどまで居た場所に移す、どうやらアーノルドと翠は無事な様だった、それを確認するなり彼女は再び視線を天井へと戻し。その姿を捉え眉をしかめた。


 この力は見覚えがある。


「出たな、裏切り者……!!」

 穴から姿を現す青年、フードを深々と被っているため顔は窺えないが、一つだけ彼を判別する術があった。それは。
 左手の甲に輝くのは翡翠のエンヴレイムだ――。

「御剣……清蓮!!」


   続く。
 

 

第四話「翡翠のエンヴレイムを持つ者」

 

数日前、アケミは二人の聖魂紋章使いを引き連れてある人物を迎えに行くという任務を行っていた。
 その人物とは聖魂紋章の中でも特別強い力を持つ色・聖魂紋章を宿した青年――御剣清蓮(みつるぎすいれん)である。

 現段階で確認されている五つの聖魂紋章(エンヴレイム)の最後の色。翡翠。
 一体どのような人物がその力を宿したのか、基本他人に無関心のアケミが珍しく興味を示していた。

 だが。その人物は彼女たちの期待を見事に打ち破る事になる……。
 裏切りという名の刃で。

 


 翡翠のエンヴレイム
  第四話「翡翠のエンヴレイムを持つ者」



 
 どうやって本部の場所を突き止めたのか、どうやって正しいルートを使わずにここまで来たのか。そんな事は今どうでもよかった。
 まさか、まさか先日逃がした裏切り者が丁寧にご挨拶しにやってくるとは。思いもしなかった。

 アケミがニィ、と笑みを浮かべる。

 あの時の借り、今返してやるよ。そんな意思を込めた殺意を眼前の“敵”に向ける。
 薄紅色の炎がアケミの周囲に展開される、先ほどの化け物“オーガ”との戦闘で使った炎とは比べものにならない程の強い力が、その炎には込められていた。
 翡翠色の何かを纏う青年は空中で停止したまま動きを見せない、ならば、とアケミは仕掛けに行った。

 トン、と床を蹴る。すると彼女を押し出すように周囲の炎が地面に向けて噴射される。
 轟、という音を立てて、推進力を得た彼女は一気に青年との距離を縮めた。

 刀身の何倍もの爆炎を纏った短剣が勢いよく振られる。質量に見合わぬその速度。当然だ、元は小回りの利く短剣なのだから。
 だが青年は表情一つ変える事無くその炎を眺めていた。

「ッ!(避けない?生意気な奴ね、そのまま一撃喰らわせてあげるわ!」

 凄まじい破壊力を秘めている事は素人でも理解できる。それほど短剣の炎は凄まじかった。
 だが、目の前の男は回避行動一つ取ろうともせず空中で停止している。
 まさか怖いのか?この私の力が。

 そう思った、その時だった。

 翡翠色の何かが激しく蠢き、薄紅色の炎がかき乱されるかのように四方に散らばった。
「んなっ!?」思わず、そう声を上げてしまったアケミ、まさかこの力は、と鋭い眼光を青年に放つ。

「相性が良くないな、相性が」

 翡翠色の何か、それは“風”。
 青年、御剣清蓮が放つ風がアケミの炎を乱し、そこに残ったのはただの短剣。

「可愛らしい短剣だ」
「くっ」
 纏っていた炎を失った短剣が空しく宙を切る、御剣の瞳は冷やかにその刃を捉えていた。
 唇を噛むアケミ、直に炎を纏い二撃目を繰り出そうとしたが、御剣の背後で渦巻く風に視線を向け、これは無駄だ、と悟る。
 炎を御剣の方に噴射させ後退しようとするアケミ、しかし御剣の背後で渦巻いていた風が彼女に牙を向く。
 無数の小さい鎌鼬が彼女に迫る、咄嗟に炎の壁を前方に展開させ防御態勢に入ったが。鎌鼬はそれをするり、とすり抜け彼女に直撃。

「しまっ……!!(相性なんて……冗談じゃないわよ!」
 炎の壁を爆発させ御剣の視界を遮る。
 その隙に掌に炎の球を形成し、それを御剣に向けて噴射。何とか御剣との距離を置いたアケミはそのまま重力に従い落下。
 ふわり、と床に着地すると彼女と同じコートを羽織った男が彼女に状況説明を求めた、どうやらアケミを援護する為にやってきたらしい。

「アケミ!あれは何だ……?」
「裏切り者、翡翠のエンヴレイムよ」
「あれが噂の、なるほどな……」

 男は背後で群れを成している紋章使い達に手で合図をする、紋章使い達は不慣れな動きで陣形を作っていく。
 アケミのジト目が紋章使い達に突き刺さる。

「何、あれ」
「あぁ……すまんな、支部の守りを固める為に本部には新米君たちしかいないんだ」

 アケミははぁ、とため息をつくと桜の花びらの形をした炎を造り出しそれを自身の周囲で回転させる。

「アーノルド達の護衛にでも回したら?あたしの巻き添えを喰らいたく無かったらね」
 直訳すると邪魔だからどっか行け。だそうだ。男は苦笑いをすると彼女から離れ新米紋章使い達に合図を出す。

「気をつけろよアケミ」
「わかってるわよ、アンタもね。敵がコイツ一人とは限らないわ」

 上空で爆音が轟く、アケミに迫る風の刃。
 空中で停止していた御剣が動き始める、右手に翡翠色の刃を持つ刀を手にして。
 御剣が刀を振るうたびに風の刃がアケミを襲う、彼女はそれを一つ一つ丁寧に回避していき、桜の花びらの形をした炎を一つ、また一つと増やしていく。

 桜の花びらは自身の意思を持つかのように風の刃を回避し御剣に接近。

「……」

 単独行動する炎の球が御剣を翻弄、だが御剣はそれを物ともせずにアケミに迫る。
 アケミへの攻撃をさせまいと、桜の花びらが御剣の間近で爆発。彼は風の盾で炎、爆風をやり過ごす。
(今ッ!!)
 煙が彼の視界を遮る、これで死角を作り出すことに成功した――!
 僅か一秒足らずで短剣に炎を纏わせ、残り三つの桜の花びらを同時に御剣に向けて飛翔、一斉に爆発させる。
 三方向からの同時攻撃、流石にこれは対処できないだろう、そう彼女は思っていた。

「温い、温い」

 強い殺気が煙の向こうからアケミの肌を突き刺す。
 あざ笑うかのような彼の笑みとそれに相反する冷え切った瞳。彼の左手の甲に刻まれた翡翠のエンヴレイムがギラギラと光る。
 アケミは直観で危険と悟り前進を止める、彼女は体内を循環するコスモスを手の甲に集め、薄紅のエンヴレイムを強く光らせた。

 防御は万全、だが翡翠のエンヴレイムから感じたこともない力がアケミの肌をピリピリと刺激して、不安を煽る。

 御剣から放たれる力は翡翠色の風に形を変えて彼の周囲を緩やかに漂う。

「他の色に来られたら厄介だ。もう、終わらせよう」

 翡翠の風が一つの槍に姿を変え。
 翡翠の風が一つの剣に姿を変え。
 翡翠の風が一つの斧に姿を変える。


「調子にのるんじゃ……!」
 風で形成された斧がアケミの炎の壁を一撃で粉砕、防御力に関しては現段階で出せる最高の状態だった、それをまさか一撃で破壊されるとは思いもしなかったアケミ。
「そんな……」

 無防備な彼女に無情にも翡翠の剣が迫り、その形状を解放。
 剣を形成していた強く鋭い風が彼女の肉を幾度となく切りつけ、細かい風の刃を纏った突風が彼女を後方へと吹き飛ばした。

「ッ!!!あぐぅぅうッ……あぁ」

 
 砂埃が舞う、発生源はアケミが激突した壁から。
 コツン、コツンと足音が大広間に響く、全身をズタボロにされ、後頭部を強打。アケミの意識は朦朧としていた。
「ぅ……ん……」

 視界がぼやけて、よく判らない。
 けれども朦朧とする意識の中で、彼女は確かに聞いた。自身を呼ぶ――。


「アケミ……」
「アケミッ!!!!」

 二つの声を。


 続く。