豹頭王異伝


 

第一の基点

「グイン……お願い、グイン、どうしたのか言って!
 古代機械は…貴方に、いろいろな事を教えてくれて、その通りにしているのね?」
「そうだ」
 グインは唸った。
 それから、腹を決めた。

 リンダの疑問に答え、状況を説明する為に振り向いた瞬間。
 トパーズ色の瞳に映ったのは、銀の髪と紫色の瞳を備える聖王家の予知者ではなかった。
 艶やかな黒髪と闇色の瞳を持つ暁の精霊、キタイ風の小柄な少女。
 女性特有の危うい叡智を秘めた瞳が煌き、豹頭の戦士に微笑を投げる。

「お前は、誰だ?」
 《輝ける闇》を内包した漆黒の双眸が瞬き、果てし無く深い宇宙空間を映し出す。
 グラチウスの操る黒魔道の術とは次元の異なる感覚、名状し難い戦慄が戦士の背筋を貫いた。
 アウラ・カーが追放者の脳に施した封印が解除され、膨大な量の情報が溢れる。
 グインの裡に星都追放後の記憶が甦り、走馬灯の様に《歴史》が展開された。


 約3万4千ラグ以前、時も次元も解明された天上の都を或る悲劇が襲った。
 アウラ・カーの逆鱗に触れ、トゥーラン・ツーラン星域は壊滅。
 巨大な津波が神々の惑星を覆い、大洪水時代と同様に水浸しとなった。
 ランドックの廃帝は追放刑に処され、第1次となる記憶の修正が行われた。

 彼は時を超え数億年前の過去界、ソラー星系の第5惑星に現れた。
 彼は星の霊剣を得て、<暗黒の子>を斃すが。
 青紫色の極光《オーロラ》が乱舞する世界は長い時を経て、無数の瓦礫と化した。
 今では無数の氷塵、小惑星と化した残骸が虚空を巡り名残を留めるに過ぎぬ。
 氷惑星の戦士は姿を消し、第2次となる記憶の修正が行われた。

 彼は時を超え数万年前の過去界、ソラー星系の第4惑星に現れた。
 彼は星の護符3個を得て、<火の神>を封印するが。
 獅子王の建設した巨大な運河は長い時を経て、地表に遺る痕跡と化した。
 今では無人の世界、砂の惑星が虚空を巡り名残を留めるに過ぎぬ。
 火星の戦士は姿を消し、第3次となる記憶の修正が行われた。

 彼は時を超え約3千年前の過去界、パロ闇王国の魔都クリスタルの一角に現れた。
 ヤヌス神殿に現れた異形の放浪者を、アルカンドロス大王は宰相に抜擢。
 《空から来た人》は超文明の産物を自在に操り、強大な黒魔道師達を制圧。
 パロ聖王家に服従を誓う魔道師ギルドの創建、魔道十二条の制定を実現するが。
 謎の超人アレクサンドロスは姿を消し、第4次となる記憶の修正が行われた。


 運命の瞬間に現れ、一瞬の永遠を齎した時渡り。
 暁の女神5人姉妹の統合者、《創造者》の思考が閃く。

(王よ、ノスフェラスを、めざしなさい。
 為すべき事を為し、必要な力を全て得た後、ノスフェラスをめざしなさい。
 そなたの民に守られ、鍵を開ける刻を待ちなさい。
 暁の光は、常に、王と共に在るでしょう。

 地上の闇ではなく、王の裡に在る見果てぬ闇を恐れなさい。
 そなたには、総ての光と、闇を、組み込んであります。
 光のみの道も、闇のみの道も、共に誤りと知りなさい。
 王が正しい選択に拠って進んでいる限り、そなたは其の検証として、常にノスフェラスの消息と出会うでしょう。

 ランドックの消息に遭うならば、王は、道を誤ったのです。
 では、王よ…ランドックの帝王、豹頭の追放者よ。
 アウラ・カーの名に於いて、祝福を)

 9個の思考波を組み合わせた《パスワード》が再び閃き、深層の記憶に至る経路を遮断。
「北に一匹の豹が現れ、世界を守るでろう」
 世界各地の霊域、神殿に記された予言の主。
 異世界の暁渡り、次元間移動能力者の声が途絶えた。

 永遠とも思える一瞬が過ぎ、記憶封鎖《メモリー・プロテクト》が復活。
 グインの記憶には、何も残っていなかった。
 不安を湛えた暁の瞳を瞠り、リンダが彼を見返している。




 脳裏の片隅に遺された時空超越者の置き土産、催眠暗示命令《ヒュプノ・ブロック》が起動。
 キレノア大陸全域の運命を担う異形の存在、ケイロニアの豹頭王は無意識に叫んだ。
「ランドックのグイン、アウラ・カーの名に於いて命令する!
 4人全員を乗せ、マルガに移動せよ!!」

 脳波伝達装置は精神波入力モード、レムスに憑依した竜王の黒魔道にも読み取れぬ。
 思考波を遮断する異様な銀色の頭巾、鏡の様な兜の内部に銀色の《声》が響く。

( 第十三号転送機の移動は《ランドシアⅶ》、メイン・システムの許可が必要です。
 訂正、登録名<ランドックのグイン>は<ファイナル・マスター>として登録済み。
 反重力推進機構の駆動、形状転換《トランスフォーム》を希望されますか?
 飛行形態に移行する事で、大気圏内を超音速で移動可能となります )

「許可する、飛行形態に移行せよ!」
 グインは機械特有の論理的、杓子定規な確認に怒鳴り声で応じた。


「どうなってるの、グイン!
 飛行形態って、何の事!?」
 リンダは荒れ狂う感情を抑えきれず、悲鳴を上げるが。
 アドレアン公子も驚愕の展開、理解不能な異常事態の連続に怯えていたが。
 ケイロニア王は恐慌状態(パニック)の大波を懸命に堪え、沈黙を守る若武者を見直した。

「俺にも、よくわからんが。
 古代機械ごと、マルガに行けるらしい。
 リンダ、アドレアン、そこに座れ!」

 何が起こるか分からないのは、グインも同じだ。
 指示に従って、行動するしかない。
 《コンソール》に着席した儘、スニを受け取り茶色の椅子を指さす。

 2人が着席すると伸び縮みする帯の様な物が現れ、身体を勝手に固定する。
 微かな噴射音が響き、麻酔薬を散布。
 3人が意識を喪った直後、パロ聖王宮の一角で大音響が轟いた。

 ヤーンの塔を壊さぬ様に設計された地下格納庫、秘密の通路から異世界の秘蹟が出現。
 空中浮揚の術を操る魔道師の如く、水晶の様に透き通る物体は周囲の重力場を操作。
 レムスの見た夢の中の光景と同様、円盤状に姿を変えた星の秘蹟が空を舞う。
 謎の物体は遙か彼方に消え去り、クリスタルの上空には銀色の軌跡が残された。


 グインは、丸い瞳を開いた。
 黄金と黒玉の戦士は軽く頭を振り、現実に心を引き戻す。
 ヤーンの塔に隠された超科学の秘蹟、古代機械の解答に拠れば内部。
 パロ聖王国の首都クリスタルを離れ、マルガ上空に移動した筈だが。
「ここは、何処だ?」

( マルガ郊外、星の森の上空です )
 古代機械の《声》が、グインの脳裏に送り込まれた。

 上空?
 下にいる人間からは、どんな風に見えるのだろう
 思わず生じた疑問に、機械が応えた。
 空中浮揚する光の円盤を地上から見た3次元映像が、グインの脳裏に映る。
 甦る記憶があった。

 無人島から飛び立った、光の珠。
 洞窟の奥に潜んでいた、古代機械に酷似する物体と異様な赤子。
 嵐の夜に海へ身を投じた直後、水中を魚の様に自在に動き接近してきた輝く船。
 グインを救い、『アウラ・カーの名において』と告げた光る人影。


「他の魔道師に盗聴されぬ様、アルド・ナリスと思考を交換する方法はあるか?」
 要領を掴んだ豹頭の戦士は、素直に訊いた。
 自分であれこれ考えるより、機械に聞いた方が早い。
( 精神波増幅装置の使用により、念話のコンタクトが可能です。
 盗聴を防ぐ為に第3段階の思考波スクリーン、雑音妨害(ジャミング)の併用をお勧めします )

「頼む」
 短く答えると再び、光る管の纏わり付く兜の様な物体が頭の上に降下。
( セカンド・マスター<アルド・ナリス>の精神波周波数に同期《シンクロ》完了。
 送信する思考をどうぞ )
 グインの身体は無意識の内に動き、表層の記憶に無い習熟した仕草で丸い頭に装着。
 まるで使い慣れた装置を使用する様に《思考》を閃かせ、精神接触《コンタクト》の確立を待つ。 

 

精神接触

 リリア湖畔の離宮、アルド・ナリスの寝室は昏い。
 失明寸前の視覚に掛かる負担を減らす為、窓は厚い暗幕(カーテン)で締め切られている。
 脳裏を貫く銀色の閃光が聖王家の反逆者を包む浅い眠り、混沌の如き無数の夢鏡を断ち切った。

( 第十三号転送機より、セカンド・マスター<アルド・ナリス>へ。
 ファイナル・マスター<ランドックのグイン>より、念話コンタクトが要請されています。
 念話コンタクトに、同意しますか?  )

(同意する)
 即答。
 感情の入り込む余地を持たぬ銀色の念波は、古代機械以外の物ではありえない。

 次の瞬間。
 豹頭の追放者と聖王家の思索家は、互いの精神特性と思考様式(サイコ・パターン)を認識した。


 外見の大幅に異なる両者は面識が無く、心話を交わす機会も無かった筈だが。
 奇妙な事に、双方が既視感を覚えた。
 不思議な感覚、異様な感動が共鳴する。

 言葉に置き換えると『数多の体験を共有する存在、魂の絆を有する旧友だ…』と云う所か。
 互いの精神的視野に生じた想念を同時に感知、共有する精妙にして鮮烈な感覚。
 思念波増幅装置の奇蹟、精神接触《コンタクト》に拠り新たな可能性の扉が開かれた。

 ナリスの苦痛を感じた豹頭の追放者は、反射的に膨大な活力を注入。
 パロ聖王家の正統後継者、アルシス王家の遺児に星々のエネルギーが流れ込む。
 治癒の光を遙かに凌駕する摩訶不思議な波動が全身を駆け巡り、細胞を賦活化。
 拷問を受けた後も絶え間無く蠢き、ナリスを苛み続ける後遺症の苦痛が消えた。


(古代機械、答えろ。
 ナリス殿の身体を、可及的速やかに治療する事は出来るか?)
( 片脚の再生、生命維持と運動機能の修復には松果腺刺激再生手術が有効と判断されます )
(所要時間は?)
( 手術自体は数分で完了しますが、神経細胞の修復には当惑星時間で約3日程が必要です )

(ケイロニアのグインより、神聖パロ政府首席アルド・ナリス殿に申し上げる。
 パロ聖王家の秘蔵品、古代機械を無断で借用させていただいた。
 諸般の事情に撚り認可を得られず、事後承諾の形となっってしまった事は謝る。
 必ずや何等かの形で償わせていただく故、誠に申し訳ないが御勘弁を願いたい。

 俺は聖王レムスに憑依した竜王と対面し、クリスタルが闇の迷宮と化した事を確認した。
 ヤーンの導きにより覚醒を果たした貴方の妻リンダ、カラヴィア公子も同行している。
 部下が置き去りになっている故、古代機械を使い俺は彼等の傍に転送させて貰う。
 他の部隊も黒魔道の奇襲には備えが無い、詳しい話は後にさせて貰えれば大変助かる)


(了解しました)
 詩人の魂が暴走せぬよう、ナリスは一言に返事を抑えた。
 それ以上言葉を発してしまえば、溢れ出る想念の奔流を止める事は不可能。
 グインも、ナリスが一言に止めた理由を理解していた。
 ナリスもまた、グインが己の想いを理解している事を悟っていた。

(済まぬが俺は即刻、行動に移りたい。
 3日の間に各部隊を合流させ、神聖パロ側の勢力圏に移動する心算だ)
 ナリスは精神接触を通じ一瞬で、グインと古代機械の遣り取りを《知った》。
 古代機械に関する様々な推測、理解、発見、新たな疑問が無数に発生。
 驚異の機械について捲くし立て、グインと討論を始めたい闇雲な衝動に駆られる。

 遙か東方へ赴いたグインが体験したキタイ、竜の門が支配する旧都ホータンの現状。
 聖王宮にてレムスの内部に出現した東竜王、ヤンダル・ゾックの言葉。
 魔王子アモンの同類を孕み、倉庫に隠匿され時を待っていたと思われる数多の女達。
 早急に、手を打たねばならぬ。
 中原に存在する誰よりも強く、グインの懸念をナリスも共有していた。
 グインもまた、ナリスが懸念と焦慮を共有している事を疑っておらぬ。


(古代機械は、何処に隠したら良かろうか?)
 ナリスの脳裏に、光の円盤を地上から見た3次元映像が映る。
 地上に置けば目立つ事、此の上も無い。
(俺は以前、海中を自在に動く光の船を見た事がある。
 或いは湖の奥底、水中に隠す方が良いかもしれぬ)

(わかりました、リリア湖の中に小島があります。
 隠れ邸として利用していた建物、目立たぬ別荘も。
 マルガ市街の反対側の水面下に着けていただければ、都合が良いのですが)
(了解した、貴方は話が早くて良いな。
 取り敢えず失礼するが、直接対面する時を楽しみにしているぞ)

(こちらも同じですよ豹頭王様、ランドックのグイン)
 念話のコンタクトが、切れた。
(ヴァレリウス、聞こえたか?)
 ナリスが思考すると同時に、上級魔道師の心話が飛び込んで来た。


(ナリス様、上空に正体不明の物体が出現しました!
 白く光る水晶の様な物体ですが、閉じた空間を用いて現れたのではありません。
 接近を試みましたが、我々には未知の結界が張られています。
 黒魔道の幻術《イリュージョン》ではない様ですが、竜王の新たな攻撃かも知れません。

 状況次第では閉じた空間を使用し、サラミスへ脱出する必要があるかもしれません。
 御身体に負担が掛かる事が心配ですが、竜王が関係しているとあれば猶予はありません。
 私とロルカ、ディランがヨナを連れて寝室に行きます。
 急で申し訳ありませんが、事態は一刻を争うと思われます。

 お目覚めでいらっしゃいますか?
 睡眠中であれば、話が早い。
 そのまま、閉じた空間でお連れしますからね。
 くねくねと曲がりくねった会話なんか、付き合っている余裕は無いんですから!

 こんな事、言ってる場合じゃなかった。
 今、行きますから!)
 珍しくも支離滅裂、ヴァレリウスらしからぬ非論理的な思念波。
 上級魔道師の混乱した心話を受け、ナリスは冷静さを取り戻した。


「落ち着け、ヴァレリウス。
 すると先程の心話は、私にしか聞こえなかった訳だね。
 心配は不要だ。
 未確認飛行物体の正体は、古代機械だよ。
 グインからの心話を他の者に聞かれぬ様、配慮してくれたのか。
 なかなか、役に立つ機械だね」

 普段と違い闇が凝結する手順を省き、魔道師3人とヨナが実体化した。
 黒い瞳を煌かせ、チェシャー猫の様に笑うナリス。
 魔道を超越した事態の発生に動転、決死の表情で現れた魔道師ギルド実戦部隊長。
 パロ最強の白魔道師ヴァレリウスは、思いもせぬ歓迎を受け棒立ちとなった。
 ヨナ、ロルカ、ディランも同様。
 小さな白い顔を見詰め、絶句。

 上級魔道師の理解を絶する事態だから、キタイの竜王の仕業に決まっている。
 グラチウスの可能性も、無くはないが。
 どちらにせよ、緊急事態だ。
 パロの白魔道師軍団には到底、太刀打ち出来ない。
 最悪のケースを想定して、ナリスだけは何としても逃がさなくては。
 想定外の事態に動転、切羽詰った表情《かお》でナリスの寝室へ駆け付けたのだが。

 絶体絶命の危地に陥った筈の主は、悪戯っ子の様な笑顔を見せている。
 殺気立っていた空気が呆気無く、光り輝く美貌の前に散って消えた。


「何を馬鹿みたいに突っ立って居るんだね。
 そんな表情、お前には似合わないよ」
 ナリスの光り輝く笑顔に想定外の衝撃を受け、思考停止状態に陥り凝固《フリーズ》。
 呆然自失の態で棒立ち、大きく口を開いた儘で凝視を続ける魔道師が漸く唇を閉じる。

 ヴァレリウスは名状し難い光で瞳を満たし、魂の主を睨み付けるが。
 顔面の筋肉も機能を回復、表情を取り繕い平静を装うが内心の歓喜は明白。
 満月の様に明るい輝きを投げ掛ける、悪戯猫の様な笑顔。
 拷問を受ける以前でさえ、こんな生命力に溢れる表情は見た事が無い。
 傍らのヨナと上級魔道師2人も神聖パロの総帥、ナリスの反応に思わず安堵し顔が輝いた。

「一体全体、どういう事なんですか?
 私の貧弱な脳味噌には荷が重過ぎます、全く理解できませんよ。
 あれが、古代機械ですって?
 まさかとは思いますが竜王の罠、新手の陥穽に翻弄されているんじゃないでしょうね?
 アレクサンドロスの昔から古代機械は聖都クリスタル、いや聖王宮の地面の下に在るんでしょう?
 聖王家の秘蔵品が消え失せたら、ヤヌスの塔はどうなるんです?」

「知らないよ、そんな事」
 いい加減な返事に、ヴァレリウスは爆発しそうになった。
 青ざめていた顔が、見る間に真っ赤に染まる。
 建設的とは言えない展開を省く為、ヨナが冷静沈着に割り込む。

「『先程の心話は私にしか聞こえなかった』、と仰いましたね。
 問題の物体は竜王の新たな手では無い、真の古代機械と判断される根拠をお聞かせ願えますか?」
 夜空に瞬く星の様に、ナリスの瞳が煌いた。 

 

光の船

「的確で論理的な良い質問だね、状況確認の要点を簡潔に纏めている。
 初歩的な事だよ、ヨナ君。
 竜王には夢の回廊、或いは異次元の蜘蛛しか私に直接働きかける手段が無い。
 他にも存在しているものならば、既に使用していた筈だよ。
 君達を大騒ぎさせている物体は、夢の回廊の産物でなければ異次元の蜘蛛でもない。

 未知の結界が竜王の発生させた物なら、これまで1度も見せた事が無いのも不自然だ。
 現在は今まで投入せず温存してきた切り札を、私を拉致する為に投入する様な局面ではないよ。
 古代機械を操作可能と証明されたグインを捕らえる為、竜王は全力を投入したい所だろう。
 今の私が影響を受けているとすれば、竜王は新たに開発した直後の術を使っている事になる。
 私の知性は断固として、そんな偶然は都合が良すぎると判断し認める事を拒否するね」

 精神的視野に於いてナリスは、先程の念話《コンタクト》を再現してみせた。
「古代機械は自らを転送し得る、これは<マスター>にしか明かされていない事実だがね。
 思念波に拠ればグインは、私より上級の<マスター>であるらしい。
 パロ聖王家の歴史上、同時に2人の<マスター>が存在する事は無かったのだけれども。
 それに私の身体を治せる、とか言ってたな」
「なんですって!
 何故、それを早く言わないんですか!?」

 ふくれっ面で心話を聞いていたヴァレリウスが、此処ぞとばかり大声で喚いた。
 古代機械が認める聖王家の正統後継者、アルシス家の長兄はわざとらしい仕草で耳を覆う。
 白魔道師は顔面を真紅に染め感情が其の儘、念波と化して爆発するかと見えたが。
 瞳の中に猛烈な炎が踊り、灰色の眼が凄絶な光を映す。
 ヨナとのあからさま過ぎる対応の違いに、収まりが付かない。
 ナリスがわざとやっている事は、充分理解しているのだが。

「湖の中の小島に、連れて行っておくれ。
 古代機械に入るのは、私とヨナだけだからね。
 君には竜王に気付かれぬ様、外で結界を張っていて貰おうか。
 大導師カロン、魔道師の塔が事実上パロ最強と認め全権を委任した程の男だ。
 私は赤子の様に、君を信頼している。
 大船に乗った心算で、枕を高くして眠れそうだ。
 宜しく頼むよ、大魔道師ヴァレリウス卿」
 困った様な顔で、ヨナが振り返った。
 ヴァレリウスの思考は、表記を憚られる。

 パロ魔道師軍団の精鋭達は、リリア湖の小島に厳重な結界を張った。
 竜王側から見れば古代機械、ナリスを一挙に奪う絶好の機会《チャンス》。
 イェライシャとは何故か、連絡を取れないが。
 今度こそ、失敗は許されない。

 カロン大導師の命令を受け、魔道師の塔から総勢105名が派遣された。
 上級魔道師ロルカ、ディラン、他3名が各20名の下級魔道師を統率。
 上級魔道師ギール、数名の下級魔道師も増援前から神聖パロ側だが。
 下級魔道師1名は『竜にやられた』の遠隔心話を最後に、消息を絶った。
 ランズベール城、ジェニュアを脱出の際にも黒魔道師の攻撃を受けている。
 マルガに辿り着き、タウロを倒した時の魔道師軍団は約百名。

 キタイ勢力の侵略が実証された時点で、カロン大導師も総力戦に踏み切ったが。
 3千年に渡り直積された魔道の術、知識、研究成果は竜王の操る黒魔道に通用せぬ。
 パロ聖王家の隠密部隊、魔道士の塔に所属の白魔道師達は帰還命令に応えなかった。
 1級魔道師タウロ同様に乗っ取られ竜の門、隊長クラスの黒魔道師と化した可能性が高い。

 上級魔道師12名の他は竜の門に歯が立たず、下級魔道師の実力は相当に落ちる。
 ヴァレリウスと世界三大魔道師の差には及ばないが、約半分といったところか。
 下級魔道師も魔力の強弱と扱える術の精度は異なり、数段階に格付けされている。
 1級・2級の魔道師20名は中級とも称され、上級に準じる程度の術者も含まれるが。
 3級以下の魔道師40名は格段に魔力が落ち、竜の門には手も足も出ない。
 魔道師免状を持たぬ見習い、約20名も伝令の役割を務める為に動員された。

 パロ魔道師軍団の精鋭は慎重に閉じた空間を操り、ナリスを小島の隠れ家へと運び込む。
 イシュトヴァーンとナリスが嘗て再会を果たし、運命共同体となる選択をした因縁の場所。
 ナリスの身体は幸い、グインの注ぎ込んだ活力の効果で好調を維持している。
 古代機械の認める<セカンド・マスター>が瞳を閉じ、特定の思考を閃かせる。
 鍵となる念波を魔道師達が増幅して、水面下に向け送信。
 夕陽に染まる湖岸の水面から、未知の物体が姿を現した。

 水中を魚の様に滑り進む、流線型の細く美しい船体。
 船首には猫の頭を持ち、水晶の様に輝く守護女神の像。
 やや小型の純白の翼が双つ背中に生え、ルビーの様に赤い瞳が煌く。
 通常の船と異なり、帆もマストも甲板も無い。
 微かに白く輝く透き通った船体、水晶の様な材質で出来た天板と円筒が全体を覆う。
 奇妙な古めかしい字体で右舷に書かれた金色の文字は、《ランドック》と読める。

 第一段階の思念波に続いて、ナリスが新たな思考を紡ぐ。
 代々のマスターにのみ伝授される秘法、第二段階の《パスワード》。
 何処にも入口は無いかに見えたが、水晶の壁が音も無く左右に開いた。
 古代機械の《声》が響き、魔道師達の精神障壁《サイコ・バリヤー》を易々と貫通。
( セカンド・マスター<アルド・ナリス>、お入りください。
 ファイナル・マスターより神経細胞の再生治療、松果腺刺激手術の施行が命令されました。
 本来であれば当惑星文明の公開禁止技術にランクされる為、部外者の入室は許されませんが。
 セカンド・マスターの身体機能を考慮し、1名のみ随行者の入場を許可します )

 魔道師達はナリスの車椅子、傍らに立つヨナを中心に円陣を組んだ。
 集団で魔力を統合する空中浮揚の術を駆使し、慎重に接近を試みる。
 流石に緊張を隠し切れず、強張った表情のヨナが車椅子を押す役を担当。
 古代機械の内部に足を踏み入れ、銀色の光に満ちた部屋へ歩を運ぶ。
 カラヴィア公子アドレアン、予知者リンダが椅子の上で気を喪っている。
 リンダの足元に寝かされている異種族セムの娘を見て、驚きの色が走った瞬間。
 古代機械の《声》が、ヨナの脳裏に響いた。

(  苦痛状態を緩和する為、呼吸器より全身麻酔を行います。
 登録名ヴァラキアのヨナは、操縦席《コンソール》に着席してください  )
 無用な疑問質問を挟み無駄な時間を費やす事無く、車椅子を後方に固定。
 ナリスの顔色を確認の後、銀色の水晶を思わせる操縦席に着席。
 正面の表示画面《スクリーン》を一瞥すると、『転送完了』と表示されている。

(豹頭王が部下達と合流する為、古代機械を用いて自分自身を転送したのだよ。
 グインが古代機械を操作可能だと証明された訳だが、さて竜王はどう出るかな)
 心話を受ける事は可能だが魔道師ならぬ2人に、思念波を送信する能力は備えておらぬ。
 ナリスの思念を古代機械が中継、ヨナに送り込み次の操作を促す。

(古代機械は私を見棄てず、マスターの有資格者と認めているらしいね。
 グインを《ファイナル・マスター》と認め、私を無視するんじゃないかと心配したよ)
 本気とも冗談ともつかない心話が伝達され、ヨナの緊張を解す。
 微かな音と共に空気が動き、何処からか甘い香りが漂って来る。
 唐突に意識が喪われ、視界を闇が覆った。


 ナリスとヨナが光の船に入り、姿を消してから数タルザン後。
 光の船は未知の結界を張り、魔道師の視力を以ってしても透視は不可能。
 内部に居る筈のナリス達の気も感知出来ず、気を揉むヴァレリウス以下。
 主の命令に従い忠実に結界を張り続ける魔道師達の前で、水晶の如き扉が開いた。
 心臓の高鳴りを抑え、ヴァレリウスの鋭い心話が飛ぶ。

(うろたえるな!
 念波を統合し、結界を強化せよ!
 精神生命体と称する聖王宮の魔王子、キタイの竜王に嗅ぎ付けられてはならん。
 全員、魔力を俺に同調させろ)
 上級魔道師10名が手印を結び、上級ルーン語の複雑な呪文を詠唱。
 魔力を共鳴させ、最大限に増幅。
 ゆっくりと上昇してくる水晶板の上に、ヨナの姿が見えた。

 黒い魔道師のマントが翻り、ガーガーの如く飛来。
 光の船に向け接近し慎重に高度を下げ、水晶板の上に接地。
 ヴァレリウスは掌を翳し、ヨナの気を走査《スキャン》。
 慎重に測定の後、心話を飛ばし周囲の魔道師達に伝達する。

(息はある、眠っているだけだ。
 気の異常な乱れも無い、魔道の痕跡は感知出来ない。
 何があったのか読み取れない、ヨナを目覚めさせてみるか。
 ロルカ、ディラン、気を同調してくれ。
 何か異常事態が突発した際には、直ちに対処出来る様にな。
 サルスは他の魔道師の念波を統合して、結界を維持しろ)

 ロルカとディランは万一に備え、光の船と一定の距離を保ち魔力を送信。
 ヴァレリウスが慎重に念波を絞り、ヨナを走査《スキャン》。
 手応えがあったと見え、気に変化が生じる。
(目覚めるぞ) 

 

湖の導灯

 
前書き
エピグラフ
「ろうそくのあかりが、消えようとしているわ…」
「世界が変わる時が迫っている。私は、辿り着かなくてはいけないの」
・グイン・サーガ正伝82巻『アウラの選択』、神聖パロ王妃リンダ・ アルディア・ジェイナ 

 
 水晶の様な材質の壁、古代機械の奥から更に意識の無い身体が運ばれて来た。
 銀色の髪の若い女性、憔悴し切った痩身の青年。
 侍女の装束を纏い、毛に覆われた異種の小柄な身体。
 魔道師全員に緊張が走り、結界が震える。

 ヴァレリウスは神聖パロ王妃と侍女、カラヴィア公子を無視。
 ヨナの思慮深い澄んだ瞳の開いた瞬間、心話を投射。
(内部で何があったか、思い出せるか!?)
 涼しい瞳が瞬くと同時に《気》が高まり、冷静な思考が返って来た。

(古代機械から、ナリス様の診断結果が伝達されました。
 身体機能の回復に問題はありませんが、最低3日程は必要と見込まれます。
 運動神経の再生に付随する苦痛を和らげる為、ナリス様は深層睡眠に入られました。
 万一にも竜王の魔手が及ばぬ様に夢の回廊、ヒプノスの術も遮断する独自の結界を展開中。
 無意識の状態を保ち細胞の賦活化、治療の促進に最適の環境が整っています。

 リンダ様、アドレアン公子、スニは異常ありません。
 通常の睡眠状態ですから一定の時間が経過の後、自然に目覚めます。
 グイン王は既に転送され、古代機械より立ち去りましたが転送先は不明です。
 問い質してみましたが『マスター以外の者に、答える義務は無い』と拒絶されました。
 『入室許可も必要最低限に限る』と通告されましたが、情報は提供されています。

 以前に竜王が探査を試みた際の威力偵察、念波の計測に拠り推定される総量は前例がありません。
 古代機械の許容量《キャパシティ》を凌駕する為、防御結界《バリヤー》の維持は不可能です。
 レムス王の容貌で強引に侵入を図った際は、一時的に仮死状態へ移行し突破を免れた様ですが。
 治療中に同様の事態が生じた場合の阻止は不可能、ナリス様への影響は予測出来ません。
 或いは生命活動の停止も起こり得る、と主張しています)

 ヨナの冷静な思考を読み取り、ヴァレリウスが心話で中継。
 魔道師全員が事の重大さを改めて認識、共通の理解が拡がり《気》と《念》が揺らめいた。

(ナリス様の警護は総てに優先する、なんとしても竜王の魔手を阻まなければならん!
 下級魔道師50名を割き各5名の班10個を編成、5人一組で星型の魔法陣を組む。
 常時10名が結界を張り、二重に魔法陣を重複させる。
 15タルザン毎に各5名を交代させ睡眠、待機を繰り返し集中力を保つ。
 俺を含め上級魔道師5名も結界を張り、キタイ勢力の接近を阻む。
 ヨナ、ロルカ、ディラン。
 済まないが、総て任せる。
 ケイロニア軍、ゴーラ軍への対応も含め宜しく頼む)

 ヴァレリウスの指示を受け、数人の魔道師が慌ただしく閉じた空間を創造。
 ヴァラキア出身の若き賢者は澄んだ瞳に剛い光を宿らせ、同志の手を握りしめた。

(当然の処置です、御依頼は確かに承りました。
 信頼の置ける魔道師以外は、この島に置くべきではありません。
 情勢の変化には私が、責任を持って対応します。
 ヴァレリウス様は何も心配せず、警戒に専念してください。
 ナリス様が死を免れる時、世界は新たな方向に向かう。
 大導師アグリッパの言葉を、私も信じています)


 グインは鬱蒼と生い茂る森の只中、シュクの郊外に出現していた。
 周辺に取り残された格好で主の帰還を待ち侘びている筈の旗本隊、竜の歯部隊を探す。

(古代機械を俺が操作出来ると竜王は知ったが、簡単に捕えられるとは思わぬだろう。
 アルド・ナリスの生命を脅迫の種に用い、レムスの望み通りにするとは思わんが。
 むしろ竜王の操る傀儡や異次元の魔怪より、あの王子が気になる。
 下手をすれば暗黒魔道師同盟の元締、グラチウス以上に厄介な存在かも知れぬ。

 純粋な《悪》など、想像した事も無かったが。
 先日キタイで遭遇した異次元の妖魔達より、悪意が濃いと感じられた。
 一刻も早く、クリスタルを解放し魔王子と竜王を駆逐せねばならん。
 中原各国には既に、アルド・ナリスの告発が伝わっている。

 竜の門も現れ、キタイ勢力の侵略が事実である事は証明された。
 クリスタルを解放し聖王宮を公開すれば竜王の脅威を証拠立て、遠征を開始する下地は整う。
 パロを正常化し得るか中原全体がキタイ同様の異世界となるか、ここ数日が勝負になる。
 ナリスの治療を古代機械に命じたが、先程の感触だと数週間は要するだろう。

 思わぬ展開となったが、アルド・ナリスとの精神接触《コンタクト》は収穫だった。
 キタイを解放し竜王を追い払う為、シーアンの謎を暴かねばならぬが。
 彼の知性と想像力は俺自身の謎を解く際にも、助力が期待出来そうだが。
 先ずは神聖パロ側の拠点マルガに入り、クリスタルに《光の船》で奇襲を試みるか?
 ヴァレリウスは常に俺の動きに注意すると言ったが、古代機械の転送には追い付かぬかな)

 竜の歯部隊は訓練の成果を見せ、抜かりなく周辺を偵察していた。
 数分後、グインは歩哨を発見。
 留守を預かる隊長、カリスの天幕へ案内される。
 警戒を怠らぬケイロニアの精鋭達と合流を果たし、直ちに北アルムへ伝令が疾った。

 即刻ダーナムへ向け移動を開始せよ、合流地点は後に指示を出す。
 そんな場所は存在しない、と古代機械は断言したが。
 伝令は無事ガウス以下50名の許へ到着し、ケイロンの騎士達は鍛え上げられた成果を実証。
 逡巡や躊躇を見せず、無駄の無い俊敏な動作で西方へ疾走を開始する。

 グインは抜かり無く、ワルド城に宛て救援物資の準備要請も含む詳細な指示書を作成。
 伝令役の飛燕騎士団に手渡し黒竜将軍トール、金犬将軍ゼノンの許に走らせる。
 豹頭王の率いる世界最強の騎士団、ケイロニア軍が本格的に動き出した。

 マルガでは幸いな事に、スニの眠りは短時間で解除出来た。
 ヴァレリウスは竜王の奇襲に備え、一刻も早く湖の小島に詰める予定であったのだが。
 リンダが『このまま、スニが目覚めなくなるかもしれない!』と恐慌状態に陥った。
 流石に無視は出来ず、キタイの魔道を解析し解呪の方法を探る。
 スニが目覚めた直後、リンダは感極まり歓喜の涙を見せた。

「素晴らしいわ、ヴァレリウス!
 もう二度と目を覚さないんじゃないか、そう思って、一睡もできなかったのよ!!
 ナリスの信頼する貴方は最強の魔道師、パロ聖王家の未来を切り拓く希望の光ね!」
 パロの予知姫は紫色の瞳を星の如く煌かせ、無邪気な崇拝の表情で魔道師を褒めちぎる。

「お褒めに預かり光栄至極で御座います、直ちにナリス様をお護りに参ります」
(アグリッパ、イェライシャ、グラチウスに比べれば俺なんて子供も同然ですよ!
 ナリス様と、セム族の小娘と、一体、どっちが大事なんだ!?
 パロ製王家の誇る予知者様に盾突く気は無いが、いい加減にしてくれ!!)
 ヴァレリウスは内心激昂したものの、口に出す訳には行かない。
 心話の絶叫が超絶の霊感を誇る暁の妃、パロの守り姫に届く事は無かった。

「ナリスをお願いね、私も神殿に篭ってお祈りをするわ」
 スニを抱きしめ、朗らかに返す製王家最強の予知姫。
 パロ最強の魔道師は灰色の瞳を伏せ、唇を堅く引き結び閉じた空間に消失。
 一部始終を横目で見守っていた若き賢者、ヴァラキアのヨナは何も言わなかった。

 古代機械は精神波も通さぬ未知の結界、《バリヤー》の内側に魔道師の配置を許可。
 上級魔道師3名は《甲板》の上、下級魔道師10名は周囲に円を描く様に等間隔で立つ。
 下級魔道師は斜め向かいの同僚に念波を送り、受信者も更に斜め向かいの同僚に転送。
 第一班5名が青い炎の様に見える念波を循環させ、五芒星の魔法陣が浮かび上がる。

 第一班5名の中間に立つ第二班5名は、白い炎の様な念波を循環させ星型五角形を形成。
 白い星と青い星が輝き、共鳴相乗効果で念波が増幅され魔力を強化。
 ヴァレリウスは魔法陣の真央点《センター》で結跏趺坐、結界を張り念波を統合。
 下級魔道師10名に魔力を還元、更に共鳴させ魔法陣を数倍に強化。
 古代機械の遮蔽力場を護る青白い地上の星、光の魔法陣が輝いた。

 15タルザンが経過の後、第一班の下級魔道師5名は第三班と交代。
 ヴァレリウスも第一班と共に交代、上級魔道師アイラスに後を任せ魔力回復の為に就眠。
 15タルザン後、第二班の下級魔道師5名も第四班と交代。
 アイラスも第二班と共に交代、ミードに後を任せ魔力回復の為に就眠。
 順次交代し常時11名が集中力を切らさず結界、二重五芒星の魔法陣を維持。

 パロ聖王国の命運を左右する希望の星、アルド・ナリスを護る精鋭達。
 上級魔道師3名・下級魔道師50名は総力を挙げ『守り、遮る者』を護衛。
 古代機械の認めた正統後継者、アルシス王家の遺児は固く瞼を閉じているが。
 心臓の鼓動と同調し増幅する赤い護符と同様、ルアーの目が明滅。
 一時は《ルアーの申し子》と讃えられた勇者の身体、細胞組織に活力を注ぎこむ。

 リリア湖の頭上に闇が拡がり、夜空に星が瞬き始める。
 水面は満天の星空を映し、古代機械の内部では闇と炎の王子が昏々と眠り続けた。 

 

第二の基点

 
前書き
エピグラフ
「裏切った人々の恨みをかって、悪夢にうなされた挙句に、その呪いによって無残に追い落されてゆく――奴のそんな未来を見る為に俺はヴァラキアを捨てたんじゃない。俺は、奴をあまりに深い闇の道に踏み迷わせない為にこそ、ヤーンに導かれて此のトーラスに辿り着いたのだと思っている」
・グイン・サーガ正伝67巻『風の挽歌』、モンゴール右府将軍ヴァラキアのカメロン 

 
 パロ聖王家の予知姫にも優るとも劣らぬ美貌を備え、大輪の花と讃えられた豪華な金髪の女性。
 モンゴール大公家の後継者として苦難の道を歩み、ゴーラ王妃の座を射止めた光の公女アムネリス。
 イシュトヴァーンに裏切られた彼女は絶望の淵に佇み、自力で産んだ赤子の鳴き声に耳を傾けていたが。
 エメラルド色の瞳を閉ざし、最期の、終末の刻を迎えようとしていた。

「ねえ、カメロン様…貴方は…私の事を…少しは…美しいと思っていてくれた?
 …僅かにでも、愛おしいと…」
 赤子の泣き声が弱く、小さくなった気がする。
 カメロンの裡に動物的な直感、野生の勘が閃いた。

「…美人、なのになぁ。
 アムネリス、俺は、間違ってたかも知れん。
 お前は、俺の大切な家族だ。
 なのに俺は何時もお前を大公様、アムネリス様だのと他人扱いしていたんだな」
 沿海州で最も尊敬される提督は虚飾を捨て、率直に語り始める。


「俺は海軍提督にまで取り立ててくれた恩人より、イシュトを選んだ。
 沿海州海軍を蝕む陰謀を暴く事もせず、ヴァラキア公を見捨てた裏切り者だ。
 トーラスの裁判でも、亡霊に逆上して宰相を斬ったのは俺だ。

 お前がイシュトを憎むのは尤もだが、本当に憎まれなきゃならんのは俺の方なんだよ。
 アムネリスには1人の女性として、幸せになって欲しいと俺は思うんだが。
 モンゴール大公家の体面に囚われ過ぎて、自ら不幸を招いている様に思えるよ」

 感情を激変させ癇癪を破裂させる小さい子供、心理的に不安定な世界を滅ぼす運命の孤児。
 万華鏡の如く豹変する最愛の悪魔、イシュトヴァーンに語り掛ける時の様に。
 シルヴィアの理不尽な暴言に耐える豹頭王の如く、幼児を宥める様に優しく続ける。


「ノスフェラスの戦いで、マルス伯爵が亡くなった時も同じだ。
 イシュトがお前を裏切ったんじゃない、あれはグインが授けた計略だったんだ」
 以前、イシュトヴァーンから聞いた。
 グインに申し訳無い、と思うが已むを得ない。
 心の内で詫び、アムネリスを刺激せぬ様に表現を選ぶ。

「強大な軍勢に追い詰められ、生き残る為には行動しなければならなかった。
 イシュトは自分の意志で、アムネリスを騙したんじゃない。
 グインの計略に従って動いた端役、脇役の一人に過ぎないと思うんだが」
 反応は、無い。

 初産の直後で気の昂っている光の公女、アムネリスを刺激せぬ様に。
 一言一言を区切りながら、ゆっくりと口にする。
 寝台は暗く、様子を見て取る事が出来ぬ。
 カメロンは焦る心を懸命に抑え、言葉を継いだ。


「ヴラド大公は、無辜の民が幸せに暮らして行ける様に、そう、願っていたんだろう。
 アムネリスが生まれる前、モンゴール地方は誰も欲しがらない未開拓の荒地だった。
 ルードの大森林も謎の屍喰い、灰色の喰屍鬼《グール》が棲む魔の森と畏れられていた。
 ゴーラ皇帝領として残されていたのは、自給自足も困難だったからなんだ。

 サウル皇帝の騎士、ウラド・モンゴールは元々豊かな地方を奪って独立したんじゃない。
 細々と暮らす人達の先頭に立ち、豊かな生活を送る事が出来る様に発展させた指導者だ。
 オーダイン、カダインの辺りも数十年前は鬱蒼とした密林地帯だった。
 クムもユラニアも欲しがらなかった位、見捨てられた土地だったんだよ。

 ウラド大公は単なる独裁者じゃない、自由開拓民を組織して新たな道を切り拓いた勇者だ。
 だからこそ、モンゴールの人々は絶望的な状況にも屈せず連合軍に立ち向かった。
 クム軍が黒竜戦役の最後に現れ、モンゴール軍を壊滅させた時にも。
 アムネリスを護る為に最期まで戦い、1人の脱走兵も出していない。
 

 俺は痩せた土地を協力して開拓する人々の、真っ直ぐな気性が好きだ。
 肥沃な土地に安住しているユラニア人より、モンゴール人達の方が余程好感が持てる。
 団結して困難に立ち向かう国民性だからこそ、一時は世界最強の強国にまでなったんだと思う。

 お前は、父親の志を受け継いで、祖国の復興に尽くして来た。
 とても、立派な事だと思う。

 アムネリスが力を貸してくれたら、モンゴールは必ず建て直せる。
 俺は、モンゴールの人々が、自分の国を誇りに思える方向に持って行きたい。
 モンゴールの民は素晴らしい強力な味方となって、ゴーラを助けてくれるだろうしな」

 実直なダンの顔が、心に浮かぶ。
 盲目のゴダロ、オリーの笑顔も。


「トーラスには、馴染みの居酒屋があってね。
 下町に住む人達にも、毎日を幸せに暮らして行って欲しいと願っているんだよ。
 モンゴールの人々が、幸せに日々を送れる様になる事。
 それが父上の心に適う事、なんじゃないかな」

 息を殺し、闇に包まれた寝台の様子を窺う。
 微かに、気配が変わった様な気がする。

「今すぐに気持ちを変えようなんて、思わなくて良い。
 イシュトを憎んだ儘でいても、構わない。
 ただ、少しだけ待って貰う事は出来ないかな。

 ほんの少しだけで良いから、俺に時間をくれないか。
 お前はモンゴール大公国の亡霊に呪われて、判断を誤っている様に見えるんだが。
 俺がアリの亡霊に逆上して、サイデン宰相を斬った時みたいにな」


「…私、わからない。
 …何も、わからない。
 イシュトヴァーンを憎んでいるのかどうかも、わからなくなってしまった。

 …カメロン、貴方の言いたい事は、良くわかるわ。

 何て、私は弱いんだろう。
 何て、私は愚かなんだろう。

 …私は、どうしたいんだろう…。
 何もかも、わからなくなってしまった。

 私は、また希望を持とうとしているのだろうか…。
 何度も裏切られて、もう2度と、こんな事はしない、そう、固く決めた筈なのに…」


 無意識の緊張で張り詰めた筋肉が緩み、カメロンは大きく息を吐いたが。
 己を叱咤し、慎重に気配を探る。

「アムネリス、ひとつだけ、頼みがある。
 俺を家族だとおもってくれるのなら、子供の名付け親にさせてくれないか。
 ドリアンという名は、あまりにも可哀想だ。
 お前も、お前の赤子も、俺の、大切な家族なのだから」

 沈黙が続き、カメロンは限界まで忍耐力を試される事となったが。
 数タルザン後、暗闇に覆われた部屋の奥から再び声が響いた。


「…ありがとう、カメロン。
 貴方なら、何と名付けるのかしら…」

 煙とパイプ亭を訪れた際、トーラスの下町に暮らす人々から様々な噂話を聞いた。
 モンゴール建国を果たした英雄ウラド、大公家と公女将軍を襲った悲劇の数々を。
 アムネリスの心に希望の明りを灯し、凝り固まった憎悪を解く可能性を秘める名前は何か。
 カメロンは己の推定に確信を持てず、沿海州の船乗り達が信奉する神に祈った。

 ドライドンよ、御加護を。
「ミアイル、と」



「おい、ブラン!
 トーラスへ急用が出来た、留守を頼む。
 俺が戻るまで、急病で誰にも会わんと言われた事にしとけ。
 周りが騒ぎ立てても、面会謝絶で押し通せ」

「ちょ、ちょっと、おやじさん!
 一体、どういうこってすか?
 何が何だか、さっぱり分かりませんってば!
 私にも理解出来る様に、落ち着いて話してくださいよ!!」

 気心の知れた海の兄弟が珍しくも、普段は決して出さぬであろう狼狽した声を挙げる。
 カメロンは己の振る舞いを自覚し、思わず苦笑。
 表情を綻ばせ、言葉を足した。

「トーラスに、煙とパイプ亭って居酒屋があったろう?
 グイン陛下と、お会いした所だよ。
 アムネリスが出産したんだが、精神的に不安定で何を仕出かすかわからん。
 あの一家がいてくれりゃあ、落ち着くだろう。
 世継ぎの王子様の誕生は目出度い限りだが、あまり彼方此方に知られたかねぇ話だからな。
 回りくどい手間を掛けずに俺が直接行って、話を付けちまう方が早い」

「アムネリス様に、御子が?
 でも、今、おやじさんが、イシュタールを空けちまって、大丈夫ですかね?
 他の連中にゃ、何も決められなくなっちまいませんか。
 クムが攻めて来たりでもしたら、危いんと違いますかね?」
 海の快男子は、実直な腹心の情勢判断を尊重。
 好意的な微笑を見せ、決断を下す。

「タリクに、そんな度胸は無ぇだろう。
 ユラニアも、モンゴールも言っちゃあ悪いが、実務家が揃ってるってな訳じゃねぇからな。
 下手に訳の分からん決定をされる位なら、俺が戻るまで何も決まらねぇ方が良い。
 中原を代表する美人の新生ゴーラ王妃、光の公女アムネリス様に自殺されるよりゃマシだ」

 アムネリスの幽閉場所、アムネリアの塔は精神に悪影響があると判断。
 新都イシュタールの北方、純白の小さな建物クリームヒルドの塔へ移す。
 イシュトヴァーンに王子の誕生を報らせる為、ドライドン騎士団ワン・エンを派遣。
 カメロン自身は昼夜問わず馬を駆りユラ山地を抜け、一路トーラスを目指す。

 疲労で速度が落ちたと見れば代馬に乗り換え、寝る間も惜しみ赤い街道を疾走。
 ドライドン騎士団の精鋭も、次々に脱落するが。
 カメロンは気にも留めず、目的地で合流を指示。
 体力の限界に達した従者達に休息を命じ、単騎行を選択。
 トーラスを暁の光が染める頃、下町の居酒屋に疲労困憊の騎士が駆け込んだ。


「まぁ、カメロン様!
 どうして、わざわざこんなところに来なさったんですか!?
 あれまあ、随分とお疲れの様じゃないですか!!
 今、肉まんじゅうを温めますからね、少しだけ待っててくださいまし!
 すぐ、お持ちしますから!!」

 オリーは豊穣な感情を映し、普段は和やかな眼を真ん円に見開いたが。
 盛大な絶叫で出迎え、一頻り騒ぐと急いで台所に逃げ込む。
 雄弁な溜息を吐き、古呆けた椅子に座り込むカメロン。
 寝不足の上、体力を使い果たし体中が痛い。
 グインを援けた黄金の心を持つ勇者、オロの弟が店の奥から現れる。 
 

 
後書き
 正伝『ドールの子』を覆そうと試みました。
 第86巻『運命の糸車』冒頭~90ページ第4行からスタートです。
 グイン・サーガ・ワールド収録の『草原の風』を読んでイメージが生まれました。
 アムネリスにもっと生きていてほしかった、のコメントに全く同感です。
 自殺を思い止まって貰った所、思いがけずドリアン王子の名前が変わってしまいました。
 ミアイル公子を御存知無い方には、第9巻『紅蓮の島』をお読みいただければ幸いです。 

 

煙とパイプ亭

 
前書き
エピグラフ
「オロは、俺を助けてくれた」
「彼には2回、命を助けられた。スタフォロス城が炎上する時、俺を助ける為に駆け付けてくれたのだ。彼は最期まで勇敢だった。勇敢で、善良で、そして親切だった。行きずりの、縁も所縁も無い俺を助けた事を誇りにして、俺の腕の中で死んだ」
・グイン・サーガ正伝67巻『風の挽歌』、ケイロニア黒竜将軍ランドックのグイン 

 
「済まないな、ダン。
 俺に、力を貸してくれないか」
 ダンは何故か困惑し、頻りに店の奥を気にしているが。
 カメロンは疲労の為か挙動不審に気付かす、強張った筋肉を揉み解しながら柔和な笑顔を披露。
 当たり障りの無い世辞の遣り取りに時間を浪費せず、真剣な表情で話し始める。

「アルセイスで、アムネリス様に子供が生まれたんだが。
 初めての御出産で、精神的に不安定になっている。
 無理もない、トーラスを離れて心細いんだろう」
 モンゴール独立を企てる者が、アムネリス救出を企てるかもしれぬ。
 大公家唯一の生存者を慕う人々は未だに数多い現状を忘れず万一の可能性を警戒。
 新都イシュタールでなく、旧都アルセイスと偽る用心も忘れない。

「アムネリス様に、御子が?
 そ、そりゃ、えらい事だ!
 トーラスも酷い有様になっちまって、此の先どうなるかと思ってただけども。
 わかんねえけど、おらは何をすれば良いんですか?」
 カメロンは想定通りの反応、狼狽に微笑み肝心要の用件を切り出した。

「少しの間で良いから一家揃って、アルセイスに来てくれないか。
 アムネリスは父上も弟御も失くしてしまい、家族は1人も残っていない。
 子供が生まれたらどうすれば良いか、なんて事は全く知らないんだ。
 ケイロニアの皇女タヴィアさんと同じ様に、モンゴールの大公様も普通の人間なんだよ。
 オリー母さんが傍に居てくれれば心丈夫だ、一緒に赤子の面倒を見てやってほしい。
 他に信頼出来る者が居なくてね、とても困っているんだよ」

 ダンは何と言って良いかわからず、思わず口を噤んだ。
 カメロンは温かい笑顔を見せ、太陽の如く動転と硬直を解きほぐす。

「ダンの家族も、大変だろう。
 トーラスが酷い状況になってるのは、良く分かってる。
 俺が言うのもなんだが、モンゴールは必ず建て直す。
 アムネリス様と、お生まれになったミアイル様をお守りしてね。
 新生ゴーラ王国のモンゴール大公領として、復興する様に力を尽くす。
 モンゴールの為だと思って、力を貸してほしいんだ」

「で、でも、アリスが、赤ん坊が2人も生まれちまって…。
 今、とてもじゃねえけど、アルセイスへ行くなんて…」
 ダンが辛うじて出した言葉に、今度はカメロンが仰天。
「何だって!アリスに、赤ん坊が2人?」
 カメロンは眼を閉じ、再びテーブルに突っ伏した。

 ケイロニアへ去ったマリニアの代わり、と云う訳ではないが。
 オリーも寂しがっている事だろうから、一石二鳥の妙案との下心もあった。
 だが、まさか、こちらでも子供が産まれているとは思わなかった。
 アリの一味が煙とパイプ亭を襲った際、ダンに酷い恐怖を味わわせてしまった負い目もある。
 最初の赤ん坊が産まれた直後のアリス、正真正銘の初孫を得たオリーを引き離す事は出来ない。
 重苦しい沈黙を吹き飛ばす勢いで、オリーが肉まんじゅうを持って来た。

 モンゴール大公家の一大事、アムネリスの出産。
 男児の誕生を知り、オリーは爆発した。

「アムネリス様に、お子が出来なさったのかい!
 なんて大変なこった、そりゃ、あたしがいれば、赤ん坊は大丈夫だよ!!
 あたしゃ、オロもダンも、マリニアだって風邪ひとつ引かせた事なんかなかったんだからね!
 あぁ、でも、どうしよう、アリスにゃ赤ん坊が2人もいるんだよ!!
 とっつぁんだってあたしが面倒を見なきゃなんないし、店を空ける訳にも行かないし!
 あたしゃ一体、どうすりゃいいんだろう!!」

 思考が纏まらず錯乱状態一歩手前で両手を揉み絞り、困惑と感情を矢継ぎ早に迸らせる。
 ヴァラキア随一の提督も饒舌の奔流に圧倒されるが、ダンが慣れた様子で宥め漸く舌峰も緩和。
 オリーにゴダロとアリスを呼びに行って貰い、4人が揃った所で。
 カメロンは再度、話を繰り返した。

「迷ってる暇なんざあるか、愚図愚図してねぇで行って来い!
 カメロン様の御話じゃ、アムネリス様が困っておられるそうじゃねぇか!!
 モンゴールの者が御助けしなくてどうすんだ、大公様の御役に立って来い!
 ダンを助けなすってくれた命の恩人、カメロン様の御頼みなんだぞ!!
 わしらにお返し出来る事をするなぁ当然のこった、店は何んとでもなる!
 ダンとアリスがいるんだ、何も心配する事なんかねぇだろう!!
 わしの事なんざどうだっていい、ぎゃあぎゃあ騒いでねえでとっとと行って来い!」

 盲目のゴダロは真っ赤になって怒鳴るが、オリーはおろおろと前掛けを揉み絞る。
 ダンも流石に、1人で行け、とは言い難い。
 両親を見比べ、困惑の表情で沈黙。
 思わず溜息を吐く、新生ゴーラ王家の後見人。
 カメロンの耳に、思い掛けない声が響いた。

「あたしも、連れてってください」
 子供の様に澄んだ儚い声に皆が驚き、一斉に発言者を振り返る。
 アリスは、更に、小さくなった。

「あのう、わたし、思うんです。
 タヴィア姉さんが、マリニアちゃんを産んで、オリー母さんと一緒に、育てる様子を傍で見てたけど。
 それでも、初めて、自分の子供が産まれると、全然、どうすれば良いか、何にも解らなくて。
 オリー母さんがいてくれなかったら、夜も、昼も、少しも眠れないくらいに、私、不安なんです。

 きっと、アムネリス様も、わたしより、ずっと、ずっと、不安だと思うんです。
 でも、わたしも、オリー母さんが、傍にいてくれないと、不安だし。
 タヴィア姉さんだって、マリニアちゃんを連れて、ケイロニアに行ったんだし。
 また、戻って来れるんでしょう? なら、みんな、一緒の方が、良いと思うんです。

 ダンも、オリー母さんも、ゴダロ父さんも一緒に行っちゃ駄目ですか?
 アルセイスに行った事は無いけど、カメロン様の近くなら安心だし。
 小さくてもいいから家を借りて、一緒にお店をやれたらいいなぁって思うんです」
 カメロンは新都に向け、再び馬を駆る事となった。


 安堵した事に初産直後の王妃は信頼を寄せる義父、密かに慕う快男子の帰りを待っていた。
 出産直後のミアイル王子を片時も離そうとせず、乳を与えている内に心が揺らいだらしい。
 赤子が泣き止まぬと対処する術を持たぬ新米の母親、アムネリスは狼狽の極に達した。
 光の公女も背に腹は代えられず、遠去けていた女官達へ助けを求める事も辞さなかった。
 モンゴール出身の女官長アイラニア、侍女メア達が狂喜した事は言うまでも無い。

 彼女達は騒ぎ立てながら赤子の世話を焼き、ゴーラ王妃に愛児が誕生した事実を吹聴して廻った。
 宰相不在の王宮に、口止めする者は誰もおらぬ。
 王子の誕生は瞬く間に、ゴーラ全土へ知れ渡るが。
 ドリアン、改め、ミアイル王子の誕生を囁く声と尾鰭を付けた噂の数々は。
 新生ゴーラ王国全土に重大な衝撃、思い懸けぬ波及効果をもたらす事となった。

「旧ユラニアを滅ぼし、モンゴールを血の海に沈め、戦上手の簒奪者が創り上げた新興勢力。
 神聖ゴーラ帝国ならぬ新生ゴーラ王国は一代限りの幻、泡沫の夢と消えずに続いて行くのだ…」
 言葉にすれば其の様な想いが新生ゴーラ王国、旧ユラニア領の全域を駆け巡った。
 王子の誕生を囁く声が巷に溢れ、国王夫妻と義父の肖像画が再び脚光を浴び新都の各地に掲示。
 人々は美男美女の新王家を戴いた歓喜の瞬間を想い起こし、改めて新国家の発足を実感。
 それは新生ゴーラ王国の曙、ユラニア大公家の残党も復活を諦めた最後の日かもしれなかった。


 アムネリスの無事を確認した直後、カメロンは流石に無理が祟り寝込む事になった。
「どうしたの、カメロン! こんなに憔悴して、何があったのよ!!」
 アムネリスにもそう言われた位、酷い有様ではあったのだ。
「何も心配要らない、トーラスに行って来た。
 懇意にしている一家が此処に来て、赤ん坊の面倒を一緒に見てくれる事になったよ」
 そう告げて早々に退散しても、アムネリスでさえ愚図らなかった。

 抜け目の無い宰相は鏡を見て一計を案じ、不在を巧みに隠蔽。
 面会を望む数多の人々に和タルザンと区切り、寝台に仰臥した儘で釈明。
「流行り病でえらく憔悴しているので、更に数日間の休養を取らねばならない」
 数日前から寝込んでいた、漸く快方に向かい始めたと関係者全員に納得させた。

 奇妙な事に以前から密かに抵抗する勢力が首を揃え、掌を返した様に協力の態度を表明。
 実に見事な豹変であり何等かの謀略ではないか、と思わせる程であったが。
 ブランが密かに調査、報告した内容は実に拍子抜けするものだった。
 宰相不在の間に万事が滞り、困窮した人々に突上げを喰らい進退に窮していたのだ。
 しょうも無い豹変の理由を聞かされ、カメロンは呆れ果てた。

「こんな事なら、もっと早く仮病を使ってやりゃ良かったな」
「親父さんが留守の間、連中を撃退し続けるのはえらい難渋だったんですよ!
 続けてズル休みするのは勘弁してください、今度は俺が仮病を使う番です!!」
 カメロンの人望を失墜させる為に、サポタージュが行われたのだが。
 ブランの一存で『何もかも滞らせた張本人』と噂を流し、足を引っ張る連中の名を挙げ逆襲。
 ドライドン騎士団の情報操作能力を如実に示した実績、であったのだが。
 ぼやく元船長に間髪入れず海の兄弟が返し、2人とも久々に腹を抱えて大笑いした。

 ゴーラ宰相カメロンが仮病を止め、政務に復帰して数日後。
 ドライドン騎士団の副長、ブランが執務室に駆け込んで来た。

「おやじさん、元ユディトー伯爵ユディウス・シンを名乗る者が現れました!」
「ユディトー伯ユディウス、ユラニアの誇る軍師だとぅ!?
 アキレウス大帝の毒殺を謀み、ケイロニアで処刑されたと思ってたが。
 何でまた、今頃になって出て来たんだ?」

「私に聞かれても、知りませんよ」
 ブランが呆れた様に呟き、カメロンも思わず吹き出した。 
 

 
後書き
 モンゴールといえば、煙とパイプ亭は外せません。
 カメロンには酷かと思いましたが、トーラスへ早駆けしてもらいました。
 ゴダロ一家の登場する第67巻『風の挽歌』を、お読みいただければ幸いです。 

 

最高の軍師

「そりゃそうだ、早速お通ししてくれ。
 何が何だか分からねぇが兎に角、御目通りして話を聞いてみるっきゃねえだろうな」

 ドライドン騎士団の副長、ブラン・クィーグが扉の外に姿を消した数タル後。
 旧ユラニア大公国の誇った軍師、ユディウス・シンが現れた。


「某は以前ユディトー伯の位を賜りながら、大公の期待を裏切り醜態を曝した非才の参謀。
 アキレウス大帝の暗殺を謀り、マライア皇后と共謀せし罪に裁かれ幽閉されておりました。
 ケイロニア王グイン陛下が御即位の際、ユディトーに戻る事を許され療養しておりましたが。
 ゴーラ新王の為人(ひととなり)を見聞の後、2度と野心は抱かぬ誓いを立てるに至りました。

 ユラニア領内に在る旧友の勧誘ないし説得も拒み、カメロン殿の許に馳せ参じるは自粛。
 パロ出兵と同時に北の強国より使者が来り、返答を申し上げる為サイロンへ再び赴きましたが。
 某は流血を好む僭王に仕える心を持てぬ故、再度の禁固刑に処されるも苦しからず。
 ケイロニア政府の留守を預かる聡明なる宰相、ハゾス殿の御前に参り申し上げた次第。

 宰相を御助けし新王の暴走を阻止せよ、微力を尽くす事を以って刑に代わるものとする。
 ランゴバルト選帝侯より豹頭王陛下の御伝言、御厚情を賜り再考を促され故郷へ戻った次第。
 旧ユラニア領民も王子の誕生を受け、新生ゴーラを自らの母国と誇る空気に変じつつあります。
 某も新生ゴーラ王国の領民に倣い、微力ながら御役に立つ所存にて出頭した次第に御座ります」

 バルドゥール子爵の推薦を受け黒竜騎士団に入隊した傭兵、ダニエルの面影は微塵も無い。
 炯々たる強い光を宿す黒色の瞳を一瞥した瞬間、ゴーラ宰相を務める海の男は心を決めた。

「オル・カン大公の信任厚い軍師、ユディトー伯ユディウス殿。
 御高名は以前から御聞きする、貴公の許を伺わなかったは当方の手落ちでありましたな。
 失礼の段は、平に御容赦を願いたい。
 貴公は私より、ユラニアの機微を良く御存知だろう。
 私は見ての通り些か体調を崩している故、暫く宰相代行を御願い出来ると助かるのだが」

 海千山千の交渉術を心得える海の漢、カメロンは意表を突く提案で応え朗らかに微笑。
 ユラニアの誇った軍師は思いも掛けぬ返答を受け、細い眼を見開いた。
 宰相の内心は何処にあるか思案を巡らせ、当然の疑問を表明する。


「沿海州ヴァラキアの誇る名将、カメロン提督の御高名は以前より聞き及ぶが。
 御会いするは初めての筈、些か突拍子も無き御決断かと思われる。
 初対面の某に対し、其処まで御信頼を頂ける理由を御聞かせ願いたい」

「貴公は悪名を轟かせる征服者に仕える事を拒んだ、ケイロニアの報復を覚悟の上でね。
 旧ユラニアの民が新生ゴーラを認めた故、俺が信頼に足るか否か確認に来たのだろう?
 そんな決断の出来る者が現れるとは欣快の至り、ユラニアの民を護る為に総て任せる。
 ケイロニアのグイン王が勧めてくれたとあれば、最高の身元保証人だよ。

 貴公の言葉を俺は信じる、嘘偽りがあるとすれば俺に人を見る眼が無かったと言う事だ。
 俺は貴公を信頼できると決めた、わからん事があれば何でも聞いてくれ。
 細々とした報告も不要だ、貴公の裁量に総て任せる。
 俺の耳に入れとかんとまずい、と判断した事だけ教えて貰えれば良い」

 深い光を湛え、カメロンの表情を観察する黒い瞳が瞬いた。


 ユディトー伯ユディウス・シンは、返答を静聴の後に深々と敬礼。
 ゆっくりと腰に手を伸ばし、携えた剣を抜く。
 ブランが思わず腰を浮かせ、警護の任務を果たすべく剣の柄に手を伸ばすが。
 カメロンは海の兄弟を視線で止め、訪問者に微笑。

 オル・カン大公の厚い信頼を得た軍師、サイロンに単身潜入した男は剛毅な瞳を直視。
 中原に共通する騎士の作法に則り、緩やかな動作で長剣を廻した。
 剣の柄を差し出し、切っ先を自らの胸に向け敵意の無い事を示す。
 二君に仕えぬ決意を翻し、朗々と宣誓の詞を述べた。

「新生ゴーラ王国の宰相、ヴァラキアのカメロン殿。
 君は我が剣の王、唯一の主君なり。
 我が忠誠を試さん時はその御手にて、何時なりととも我が胸を突き給え。
 我が生命は君に奉りし物にして、君が為死するは我が心よりの喜びなれば。
 我が剣の主たるを肯んじ賜わば、いざ我が剣を受け給え」

「ユディウス・シンの剣、確かに受け取った。
 これより御身を我が右腕として信頼し、御身の忠誠に応えん事を誓う」
 カメロンは刃に口付けし反対側に廻し、柄を向けて剣を渡した。
 ユディウスも剣に唇を付け、震える手で剣の上に忠誠の印を切る。

 レントの海で鍛えられた提督の瞳、ユラニアの軍師と尊称された男の誠実な黒い瞳。
 双方の眼が相手の裡に何か、信頼に足るものを見出した喜びに輝いた。
 誓いの剣を厳かに鞘へ収め、感激を噛み締める軍師ユディウス・シン。
 新ユディトー伯爵は終生カメロンの片腕となり、ゴーラの安定に力を尽くす事となる。


 新生ゴーラ王国の宰相は図らずも、ケイロニア王の計らいで有能な補佐役を得たが。
 旧ユラニア領に精通する軍師の手腕を絶賛の後、アルセイスの牢獄を訪れた。
 『アルゴンのエル、モンゴールは決して忘れぬ!』の言葉を遺した先代マルス伯爵。
 アムネリス幼少時からの御守役、厚い信頼を得た勇者と同じ青い瞳が訪問者を睨んだ。

「アムネリス様を騙し、父を焼き殺した裏切り者の同類め!
 お前と話す気は無い、消え失せろ!!」
 前モンゴール青騎士団司令官、マリウス・オーリウス伯爵。
 トーラス動乱の際、ゴーラ軍の捕虜となった幽閉者の瞳に凄絶な炎が踊る。

「アムネリス様に、男児が誕生した。
 俺が名付け親となり、ミアイル公子の継承者となって貰う心算でいる」
 下手な説得や弁明は避け、単刀直入に事実を告げる。
 感情に惑わされず、淡々と語られた言葉は真実の響きを感じさせた。

「何だと!
 アムネリス様に、男児が!?
 お前が名付け親、ミアイル公子の継承者だと?
 裏切り者イシュトヴァーンが、そんな事を許すものか!」
 新マルス伯マリウスの瞳に驚愕の色が浮かび、内心の衝撃を露呈する。

「イシュトヴァーンには、男児誕生の事実を知らせていない。
 ミアイルと名付けたのも、俺の一存だ。
 アムネリス様の自害を喰い止める為には、他の手段を思い付けなかった。
 モンゴール大公家の後継者に、とは思っているが秘密裏に事を運ばねばならん。
 お前が協力してくれなければ、どうにもならんだろうな」
 心理戦を有利に導く機会を逃さず、カメロンは一気に畳み掛けた。

 鋼鉄の強靭さを秘めた剛毅な黒い瞳、爛々と光る青い瞳が激突。
 目に見えぬ火花が散り、新マルス伯爵が叫んだ。
「頼む、アムネリス様と御子息を守ってくれ!
 モンゴールの為だ、協力する!!」

 人心収攬の練達者は無表情《ポーカー・フェイス》を貫き、冷徹な男を装っていたが。
 20代の実直な武人を更に翻弄する必要は無い、と見て破顔。
 太陽の様な微笑を見せ、無造作に鍵の束を取り出し牢屋の扉を開ける。
 するりと格子の中に足を踏み入れ、思わず後退する若者に掌を差し出す。
 クムの銀色鬼と畏怖される軍勢を破り、大公を討ち取った際の戦友と固い握手を交わした。

「感謝する、マルス伯。
 イシュトヴァーンが留守の間に、事を進めて置きたい。
 アムネリス様に会い、心を落ち着かせる一助となってくれ。
 モンゴールの騎士達を組織して、大公家の再興に備えると誓う事でな」

「そ、それは、願ったり叶ったりだが、そんな事をして、大丈夫なのか?」
「あんまり、大っぴらに動かれると困るがな。
 トーラス出身の騎士達に、クムの密偵が暗躍してないか見張らせてはいる。
 貴公の部下達にも働き掛けたいが、誰か、適任者を推薦して貰えると有難い」

「ヤヌスの戦いで殿軍の大隊を率いたダロスは、生き延びているのだろうか?
 副官を務めたドルクス、アロス、デイクスも乱戦の中ではぐれてしまった。
 黒騎士団の長官に任命された盟友アリオン、情報部隊の指揮官ダレン大佐は?
 まだ若いが俺の従兄弟、ハラス大尉も戦死していなければ力になる筈だ」

 マルス伯爵の遺児マリウスは単純と評される事もあり、朴訥な人柄であるが。
 モンゴールの人々は概して堅忍不抜、裏表の無い忍耐強く粘り強い正直者が多い。
 荒波に揉まれた凄腕の交渉人、カメロンの様な海千山千の強者とは人種が異なる。
 20代の若武者は素直に兜を脱ぎ、豹変した訳ではないが率直に答えた。

「カダイン伯爵、いや、アリオン子爵は貴公と同様に捕らえている。
 ダレン大佐も諜報活動の経験者、カダイン出身で目端の利く男だ。
 ハラス大尉の噂は聞いていないが、部下達に捜索させる。
 マルス伯が戻るまで自重しろ、と直筆の手紙を書いて貰えるかな。
 アリオンとダレンの説得が済み次第、アムネリス殿下の御前に案内するよ」

「忝い、カメロン殿!
 モンゴール大公家に忠誠を捧げる者として、御礼を申し上げる!!」
 直情径行の武人は数タルザン前と一変、青い瞳も崇敬の念が溢れんばかりに輝く。
 思わず頬が緩み失笑する寸前、カメロンは微妙に顔の筋肉を制御し若輩者の肩を抱いた。

「アリオンも俺の話を聞く耳は持たんのだが、モンゴールの為に説得してくれ。
 カダイン出身のダレンも、カダイン伯爵の彼から話を聞く方が抵抗が少なかろう。
 3人とも俺の一存で釈放、トーラスへの帰還を黙認する」
 外交官としても有能な元提督の読み通り、2人も数タルザンで翻意する事となった。

「アムネリス様、よくぞ、御無事で!
 御子息の誕生、おめでとう御座ります!!」
 光の公女アムネリス、エメラルド色の瞳を持つ赤子を一瞥した瞬間。
 モンゴール青騎士団長、二代目マルス伯爵の青い瞳から涙が溢れた。
 カダイン出身の黒騎士団長官、情報部隊の指揮官も頭を垂れる。 
 

 
後書き
 グインにはハゾスが、ナリスにはヴァレリウス(ヨナ?)がいます。
 カメロンはマルコをイシュトに取られ、ブランは出張で長期不在。
 誰か傍らで右腕と成り得る人物を探して見たら、適任者を発見しました。

 ユラニアの誇る軍師、ユディトー伯爵ユディウス・シン。
 大公の信任厚い彼は、ユラニア大公国に豊富な人脈と情報網を持っていたと思われます。
 マライア皇后絡みで囚われたものの、処刑されたとの記述は見当たりませんでした。

 カメロンに好意を持つグインが、ゴーラ国内を安定させる密命を与え釈放させたと想定。
 ひょっとしたら、『風のゆくえ』からずっとサイロンで幽閉されているのかもしれませんが(アストリアスみたいに)。
 グインは後に情報が届かずイシュタールで気を揉むカメロンを気遣い、魔道師ギールを派遣して細かい情勢を説明させています。 

 

希望の種

「マリウス、生きていたのか!?
 アリオン、ダレン、お前達も無事であったとは!!
 トーラス動乱の際、モンゴールの武将は総て討ち取られたと思っていた!
 一体どうやって、イシュタールに?
 誰か、私と会う事を手引きしてくれた者が居るのだな!?」
 アリオンとダレンは盟友に返答の機会を譲り、口を噤む。
 マリウス改め小マルス伯爵は感涙を禁じえず、海の様に青い瞳が潤んだ。

「カメロン殿の助力を得て、お目にかかる事が出来ました。
 モンゴールの民は皆、アムネリス様の身を案じております。
 先日は不覚を取り、頼りにならぬ若輩者と思し召されて当然ではありますが。
 父の遺志に沿い姫様の御守役となる為、一から鍛え直します。
 暫しお暇をいただき、モンゴールへの御帰還をお待ち申し上げる所存。
 トーラスの城門に青騎士団の精鋭を揃え、お出迎えさせていただきます」

「爺は私に、最高の贈り物を遺してくれたのだな。
 礼を言うぞ、マルス伯爵。
 騎士達を束ね、モンゴール再建の要となれ。
 私も必ず、トーラスに戻る。
 マルス伯爵の肖像画を金蠍宮に掲げ、再興の祖と讃える為に。
 私に新たな希望を与えてくれて、ありがとう」
 モンゴールの騎士達は深々と頭を下げ、クリームヒルドの塔を退出。
 ドライドン騎士団の身分証明と通行手形を与えられ、祖国に向け旅立つ事となった。


 ゴーラの要となる宰相カメロンは、ユディウスの許を訪れ一部始終を解説。
 率直に黒髪黒瞳の相談役、ゴーラ三国の内部事情に詳しい軍師に意見を乞う。

「マルス伯爵に親衛隊の白騎士団、アリオン子爵に黒騎士団の再建を任せる。
 青騎士団、黄騎士団、赤騎士団は誰が適任だろう?」

「御二方は共に青騎士団出身と聞きます故、彼等の副官に兼務させては如何でしょう。
 トーラス奪還に貢献した青騎士長官、メンティウスの遺児か親戚を探しますか?
 当面マルス伯爵の従兄弟、ハラス大尉を名目上の長官とする手もあります。
 ドライドン騎士団や飛燕騎士団と同様、伝令部隊の名目で黄騎士団を再建しましょう。
 ダレン大佐に預け諜報活動、情報戦の専門部隊として鍛えさせますか。

 ゴーラの赤い獅子、アストリアス子爵が生きておれば赤騎士団の再建者に適任ですが。
 アルド・ナリス暗殺犯として捕縛され、消息を絶った儘の筈。
 アムネリス姫を熱愛のあまり、凶行に及んだ男です。
 ノスフェラス遠征の際は兎も角、クリスタル奇襲の際は武勇も優れ忠誠心は折り紙付き。
 処刑されたとは聞いておりませんが、カメロン様は何か御存知ではありませんか?」

「ユディトー伯、あまり俺を買い被らんでくれ。
 当時は、沿海州の船乗りだったのでね!
 アルド・ナリスに直接、確認するしか無いだろうな」
 鉄仮面の男は暗殺劇を仕組んだ張本人、闇と炎の王子にも忘れ去られていたが。
 火傷を負い酷く焼け爛れた顔を隠す為、銀色の仮面を被り続ける運命を免れる事となる。


 カメロンが風の様に去った後、ゴダロ一家は臨時休業の看板を掲げた。
 トーラス出身の騎士ユエルス、ホルス、ルイが荷造りを手伝う。
 ドライドン騎士団で鍛えられた精鋭達は、一言も洩らさなかったが。
 オリーが王子誕生の一大事を黙っている、と望む方が間違っている。 
 彼女は《煙とパイプ亭》の常連客が訪れる度、大声で喋り捲った。

「暫く店を閉めさせて貰うけど、すぐ戻ってくるからね!
 アルセイスで、アムネリス様に御子がお生まれになったんだよ!
 カメロン様が名付け親になられて、ミアイル様と御名付けになったそうだ。
 ミアイル様を、モンゴールの大公になさる御心算なんだ!!

 おおっぴらにゃまだ言えないけど、カメロン様はモンゴールの味方だよ。
 うちの店を御贔屓にして下さる、心の広い御方だって事は皆も知ってるだろ?
 お忍びで来られた時に色々と打明けてくれてね、あたしゃ確かに聞いたのさ!
 必ずモンゴールを復興させる、大公様の御子が大きくなるまでの辛抱だってよ!!

 ゴーラの御世継が大公家の御世継、アムネリス様の弟君ミアイル様の名を継ぐんだよ!
 カメロン様は前の公子様を忘れちゃいないんだ、ほんとに粋な計らいじゃないか!!
 あたしの肉まんじゅうを食べさせてやりたい、って勿体無くも仰ってくれてね!
 人手を出すから暫くの間、アルセイスに来てくれないかって言うんだよ!!

 そんなこんなで、あたしらの様な者でも良かったらって事になっちまってね!
 アムネリス様とミアイル様は落ち着いたら、トーラスにお戻りになられる予定だそうだ。
 そん時にゃ、あたしらも御供して、アレナ通りへ戻ってくるからさ。
 本当に急な話で、あたしゃ目が廻りそうだよ!」

 アムネリスの愛児ミアイルが大公を継ぎ、モンゴールを復活させる事は秘密裏の決定事項。
 噂は爆発的に拡散を遂げアレナ通り、トーラスを越え尾鰭を付け国中に拡散。
 ユエルス隊長は眉を顰めたものの、オリーの饒舌を遮るには既に手遅れ。
 カメロン宛てに詳細な報告書を送り、噂の出処を詳述の上で黙認するに留めた。


「アリスも赤ん坊も一緒に、アルセイスへ行くのかい?
 それじゃ長い道中、赤子の面倒を見るのは大変だろう!
 女手も必要だろ、あたし達も連れてっておくれ!!」
 《ミアイル王子》を一目見たさに、同行を申し出る物見高い女達も次々に現れた。
 ユエルス隊長は懇願を受け困惑するが拒絶は避け、オリーと相談し太鼓判を押す者から選抜。
 カメロンに報告を送り追認を確認の後、同行者を慎重に観察し更に人数を絞り込む。

 ゴダロ一家が出発する頃には、トーラス全域から祝福の言葉を贈る為に人々が殺到。
 往時の騎士団出征を偲ばせる程の市民が集い、一家を見送る盛大な御祭り騒ぎに発展する。
「アムネリス様、万歳!
 ミアイル様、万歳!!
 モンゴール、万歳!!!」
 人々の興奮と熱量は膨張の一途を辿り、トーラス中に絶叫が鳴り響いた。

 打ち拉がれた人々の心に希望の明りを灯し、久々に明るい未来を感じさせる話の種。
 《ミアイル王子》誕生の噂は瞬く間に、モンゴール全土へ広まった。
 カメロンは2人の赤子を案じ安全な道中を優先、ユラ山地越えを諦め人口の多い平野部を選択。
 モンゴール出身の騎士達が護衛する馬車は頻繁に休憩を挟み、カダイン街道を着実に進む。
 誰もが戦乱で失明したゴダロや片足を失ったダンに友人知人を重ね、同情や激励を繰り返した。

 モンゴール南部の村々に泊まる度、お喋りな女性陣は疲れを知らず払暁まで囀り続ける。
 オリー達は自覚の無い鎮撫工作、宣伝活動を南西部カダイン・オーダイン地方で展開。
 人口の多い地方に噂は浸透し、燻り続ける反乱の火種は嘘の様に消え去った。

 一時は虫の息となった老父ゴダロも連日連夜、激励の声を掛けられ気力と体力を回復。
 ダンは安堵の溜息を吐き、神々や精霊達に感謝の祈りを捧げた。
 アリスの産んだ男女の双生児はユリア、オロと名付けられている。
 吟遊詩人マリウスの妻タヴィア、オクタヴィアの母ユリア・ユーフェミア。
 スタフォロス城で戦死した長男、オロの名を受け継いだ事は言うまでも無い。
 煙とパイプ亭の若夫婦が授かり、多くの人々に祝福された双生児。
 トーラスのオロとユリアは明るい未来の象徴、モンゴールで1番有名な赤子となった。


 ドライドン騎士団に採用された騎士、ユエルス隊長は総てを見ていた。
 ゴダロ一家の安全を保障する為、周囲を警戒する部下4人も同様である。
 トーラス出身の騎士達に抜かりは無く、情報収集も怠らなかった。
 モンゴールの治安が急速に回復する模様に驚き、詳細な報告を送っている。
 イシュタールの一角に早馬が着き、カメロンも想定外の展開に眼を瞠った。

「こいつは、しくじったな!
 トーラスを出る前に、オリーの口を止める方策を講じるべきだった。
 アムネリス付きの女官共にも緘口令を敷き忘れてるし、俺も焼きが廻ったかな?
 王子の出産は兎も角、ミアイルの名が一気に拡がっちまったのは拙い。
 イシュトが知れば、モンゴール独立を俺が画策してると勘繰りかねんぞ」

「ゴーラ王国の安定化を図る者としては、非常に有難い展開だと思われませんか?
 モンゴール領の鎮撫工作費は不要となり、警備隊の減員と駐留費の削減も可能。
 ユエルスの報告書は簡潔ですが情勢を的確に纏め、他の者から届いた報告とも符合します。
 ゴダロ一家の護送任務が済み次第、トーラスの情報工作班を指揮させては如何でしょうか。

 事後の報告とはなりますが、イシュトヴァーン陛下に不都合とも思えません。
 カメロン殿の話では、モンゴールの面倒を見るのは真っ平と仰られた筈。
 ユエルスに諸外国の介入を見張らせておけば、放置しても構いますまい。
 クムの暗躍には気を付けねばなりませんが、好都合の展開ではありませんか?」

「まあ、確かにな。
 ユディウス殿の見方は間違っていない、その通りだと思う。
 過ぎた事を言っても始まらん、建設的に話を進めるしかない。
 話を聞いて貰って、良かったよ」

 ユディウス・シンは誠意を込めた会釈で応え、カメロンも微笑。
 ドライドン騎士団の副長ブランが執務室の扉を開け、2人に酒杯を手渡した。


 オリー達お喋り連は飽きる事無く毎日毎晩、カメロンへの賛美を無限に繰り返す。
 毎晩泊まる場所と聴衆が変わり、常に熱狂的な反応に迎えられた。
 一行が出発すると噂は燎原の火、枯れ草を焼く野火と化し益々大袈裟に吹聴され拡散。
 カメロンも予見し損なった想定外の事態が生じ、モンゴール中に異様な熱気が渦巻いた。

 元提督は本人の知らぬ間に光の公女、大公家を守護する救世主とされてしまっていたが。
 一時の激情により悪魔の子、ドリアンと命名された罪無き赤子も同様である。
 父親たるゴーラの冷酷王への怨念を込め、ドールの子を意味する悪名を免れた。
 薄倖な公子ミアイルの名は、モンゴール復活の希望を象徴する運命の子へ。
 新生ゴーラの正統なる王子、光の公女アムネリスの愛児へ受け継がれる事となった。 

 

マルガの群像

「僕も、マルガに残ります。
 一緒に、戦わせて下さい」
 カラヴィア公の子息は憔悴した外見にも関わらず、強い意志を感じさせる声を出した。
「駄目よ、アドレアン!
 気持ちは嬉しいけれど、貴方は病人なのよ。
 貴方を戦いに巻き込んだりしたら、カラヴィア公に何て言えば良いの?
 クリスタルでグインを助けてくれて、本当に感謝しているわ」
 予想外の言葉に驚き、紫色の瞳を大きく瞠る神聖パロ王妃リンダ。

「私からも、感謝を申し上げます。
 衰弱された御身体にも関わらず、リンダ王妃の救出に多大な御尽力をいただきました。
 どれだけ、お礼を申し上げても足りません。
 アドレアン様の御助力により、ナリス様も健康を取り戻される事になりました。
 困難な闘いに初めて勝機が見えて来たのです、これ以上の勲功は御座いませんよ。

 御父上のアドロン様も、アドレアン様の解放を要求して兵を挙げられました。
 カラヴィア軍3万5千を率い、クリスタル南方にてレムス王配下の聖騎士団と対陣中です。
 アドレアン様には、カラヴィア軍との合流をお頼みしたいと思案しています。
 ナリス様と距離を置くアドロン様を説得し、味方に付ける事が出来るのは唯一アドレアン様のみ。
 今のマルガは危険なまでに手薄、カラヴィア軍に警備を願えれば有難いのですが」
 口数の少ない神聖パロ参謀長、ヨナ・ハンゼも傍から言葉を添える。

「おお、そうだわ!
 一刻も早く、カラヴィア公にお知らせしなくては!!
 すっかり忘れてしまっていたわね、早速伝令を出しましょう。
 アドレアン様の無事を伝えて、アドロン様に対面していただかなくては」
 カラヴィア公子の眼前で無邪気に声を弾ませる王妃、女神と崇拝する憧れの女性。
 パロの真珠と称賛された予知者に異を唱える等、以前は有り得ない事であったのだが。
 若き騎士は決意を秘めた眼の光に気付かぬ態の神聖パロ王妃、リンダの言を断固として遮った。

「僕は、マルガに残ります。
 父はナリス様を支持する事に反対でした、翻意を何度も試みても僕には説得出来なかった。
 何故、説得できなかったのか僕には解かりませんでしたが。
 リンダ様を救う為に戦うグイン陛下を見ていて、解った様な気がします。
 僕は、父に頼る事しか考えていなかった。
 自分の力で戦う覚悟なんて、全然持っていなかったんだ。

 カラヴィアの全領民に対する責任を持つ父が、そんな僕に協力する筈は無い。
 そんな事にも気付かない程、僕は未熟でした。
 僕はカラヴィア軍の武力に頼らず、自分の力で戦わなければならない。
 グイン陛下は僕に、その事を教えてくれた様な気がします。
 僕は父に頼らず自力でリンダ様をお護りする為に、此処マルガに残り皆と共に戦います」
 衰弱している外見とは裏腹に、アドレアンの言葉には以前の彼には無い剛いものがあった。

「わかりました、お志を有難く頂戴させていただきます。
 アドレアン様の御言葉を伝えます、カラヴィア公アドロン様も喜んでいただける事でしょう。
 ナリス様も数日後にはお戻りになります、今は御身体を御休めになってください。
 大変頼りになる御味方が誕生された事を、お喜びになられる事でしょう」
 張り詰めていた気が緩み、急速に意識が薄れ視野が暗転。
 ヨナの目配せを受け、下級魔道師が衰弱した若者の身体を受け止める。
 公子の潜在意識に憧憬の対象、リンダの優しい笑顔が投影された。

 リンダ聖王妃と勇敢な騎士、アドレアン公子の救出は時を移さず公表される事となった。
 古代機械の飛び去った方向が神聖パロ王国の拠点である事は、レムス側に知られている。
 マルガに集う味方の士気を上げる為にも、大いに宣伝すべきと参謀長ヨナは判断。
 離宮前で帰還を果たした聖王妃から、マルガ市民全員に向けた感謝の御言葉を賜る。
 劣勢は隠し難く重苦しい空気に包まれていた街中に、噂は瞬く間に広がり大勢の市民が歓呼。
 密かに最悪の事態を憂慮していた反動から、人々は熱狂して離宮前広場に押し掛けた。

「アドレアン公子、万歳!」
「リンダ王妃様、万歳!!」
 拳を突き上げ、絶叫を迸らせる大群衆。
 カラヴィア公子には気の毒だが、王妃の名を連呼する声が圧倒的多数を占める。
 リンダは胸を高ぶらせ、広場に集ったパロ市民に語り始めた。

「ありがとう、マルガの方々。
 私はケイロニア王グイン陛下の助けにより、此処マルガに脱出する事が出来ました。
 アル・ジェニウスは、今、新たに発見された特別な治療を受け眠っています。
 3日間は安静にしなければならないけれど、回復して元気な姿を見せてくれる筈です。
 パロに光の射す刻が、もうすぐ其処まで来ているのです。
 ヤーンよ、感謝致します」

 周囲の魔道師達が暗示波の集団催眠術を用い、リンダの声を増幅して送り出す。
 聴覚に障害を負った兵士や老人、耳に包帯を巻いた負傷者達にも明瞭な思念波が理解された。
「アル・ジェニウス、万歳!」
「神聖パロ、万歳!」
 マルガの民衆は熱狂し、叫び続けた。
 アムブラの私塾に学ぶ英才ヨナ・ハンゼ博士の盟友、カラヴィアのランも其の中の1人だった。

(あの時。
 俺達はアレクサンドロス広場で、モンゴール軍に虐殺される処だった。
 パロ聖騎士の白銀の鎧を身に纏い、アムブラの広場に颯爽と現れたナリス様。
 そして、パロは解放された。
 なんて、遠い昔の様に感じられる事だろう。
 ナリス様が御身体を回復され、指揮を執って頂ければ何とかなるかもしれない。

 到底勝ち目が無いと思っていた強大なモンゴール軍も、あの方が現れてから敗れ去った。
 世界最強のケイロニア軍も、リンダ様を救出する為に動いてくれた。
 あと、3日。
 ナリス様が健康を回復されて現れたなら。
 世界は、変わる。
 パロは再び、ナリス様の手で救われるのだ…)

 リンダの予言した奇蹟が実現した刻、世界は変わる。
 民衆義勇軍を束ねる指導者の感慨、想念は集結した人々総ての思いであったかも知れぬ。
 クリスタルで竜頭の怪物が市民を虐殺した事実は、既にパロ各地に伝わっている。
 マルガの噂と奇妙な期待感は南部パロ一帯、サラミス公領へと瞬く間に拡がった。

 アルド・ナリスが絶望視されていた身体機能の回復を果たし、人々の前に再び現れる。
 クリスタル蹂躙を許した第1次黒竜戦役の際、侵略者を追い払った救国の英雄が復活する。
 リリア湖の小島に飛来した謎の物体、光の船は数多の人々に目撃されていたが。
 奇怪な竜の騎士に対抗し得る聖王家の秘蹟、力の象徴として信仰の対象となりつつあった。

 リンダに表舞台を任せ裏方に徹する神聖パロ参謀長、ヨナは孤軍奮闘を強いられている。
 大導師カロンは高齢の魔道師達と共に、サラミスへ魔道師の塔を移転。
 ヴァレリウスは前述の通り、自分も含め最高指導者ナリスの警護に魔道師55名を割いた。
 参謀長ヨナの側で上級魔道師ロルカ、ディランが遠隔心話の送受信と護衛を兼任。
 グインの許に閉じた空間の術で移動中、上級魔道師ギールは情勢を偵察し遠隔心話を送る。

(ダーナムでは竜王に操られた聖騎士団が撃退され、逆襲に転じる気配は見受けられません。
 ゴーラ軍は食糧や医薬品が払底している為、マルガに向かう模様。
 ルナン聖騎士侯は軽傷ですが、イシュトヴァーン王に面会の直後に戦線を離脱しました)
(首脳部と兵士達の挙動に不審の点、不自然な動きや妙な気配は感じられるか?)
(観察の限りでは至って尋常な動き、魔道の気配も感知しておりません。
 クリスタル方面から聖騎士団の増派、逆襲に備え将兵は迎撃の構えを崩さず待機中。
 軍の統制を厳重に保ち、正当な代金を払って住民から食糧を購入しています)


 グインは魔宮と化した聖王宮を脱出後、竜の歯部隊50名に労いの言葉を掛け強行軍を継続。
 ゴーラ軍の一時的な駐屯地ダーナムを避け、パロ北西の要衝エルファへと向かう。
 ワルスタット侯ディモス、金犬将軍ゼノン、黒竜将軍トールに伝令を派遣。
 別行動中の各部隊に合流地点の変更を報せ、移動経路と行軍の速度を指示。
 シュク近郊の森を離れた竜の歯部隊は俊足を発揮、中立地帯を快調に疾駆。
 親衛隊を率いる豹頭の追放者、ケイロニア王グインの脳裏に鮮明な心話が響く。

(ケイロニア王グイン様、魔道師のギールです。
 ヴァレリウス宰相より、伝言をお届けに参りました)
「全軍、停止!
 この場で、小休止とする!!」
 ケイロニア国王が鍛えた直属の精鋭、1千を数える竜の歯部隊は即座に停止。
 統制の行き届いた騎士の集団は馬の汗を拭き、優しく首を撫で労いの言葉を掛ける。
 グインの前に闇色の渦巻が生じ、黒衣を纏う魔道師の姿が現れた。 
 

 
後書き
 アドロン公爵アドロン、アドレアン公子、カラヴィアのラン。
 カラヴィアの人々にも、今後の活躍を期待しています。 

 

ヨナの采配

「ギール殿、御役目御苦労。
 早速だが、伝言を聞こう」
 心話には慣れているが、グインは部下達に配慮し敢えて声を張った。
 ギールは国王に対する礼を捧げ、周囲の騎士達にも聞こえる様に魔道で音量を増幅。
 アルド・ナリス復活の希望に湧く神聖パロ、マルガからの使者が感謝の言葉を述べる。

「リンダ王妃・アドレアン公子を御救いいただき、パロ全国民が感謝しております。
 宰相ヴァレリウス以下神聖パロ一同、揃って御礼を申し上げます。
 エルファ・サラミス方面の首長達には宰相、王妃の名で貴軍に協力を要請致しました。
 私も豹頭王陛下の指揮下に入り、魔道の奇襲を警戒せよと命令を受けております。
 ケイロニア軍の邪魔にならぬ様、同行させていただく所存であります」

 心話を併用し詳細な戦況を報告する魔道師に頷き、グインは吼える様に笑った。
「大変、助かる。
 我々、ケイロニアの者は魔道に不慣れだからな。
 何よりの御申し出、有難く受けさせて頂く」

 魔道師は尋常な返答に平伏、ケイロニアの騎士達も緊張感が緩んだ。
 グインに同行した直属部隊、竜の歯部隊も魔道には疎く独特の異様な空気に慣れておらぬ。
 昨日も竜騎兵に襲われ、不安を掻き立てられている。
 豹頭王の周囲に控える者も昨晩は殆ど眠れず、かなり消耗していたのだ。

「寛大なる御返事、畏れ入ります。
 神聖パロ王アルド・ナリスは陛下の厚意により、治療中であります。
 本来であれば代理として、ヴァレリウス自ら御前に参る所でございますが。
 古代機械の警護を務め、キタイの竜王に備えております」

「その方が良いだろうな、俺も彼奴の出方は気になる。
 ヴァレリウスが詰めていてくれれば、リンダ王妃も安心だろう。
 我々も早急に合流地エルファ、サラミス街道を経由し神聖パロ本拠地マルガに向かう。
 ケイロニア軍が先行する心算だが現在只今の所、イシュトヴァーンは何処に居る?」

 竜の歯部隊1千は自ら鍛え上げた精鋭だが、ゴーラ軍3万の足止めは困難と言わざるを得ぬ。
 イシュトヴァーンが万一マルガに急行の場合、パロ北西の別動隊と合流する余裕は無い。
 以前ヴァレリウスが面会を求め現れた際、サンガラの最新状況を手土産と称し教えてくれた。
 竜の歯部隊も斥候は出し偵察を怠っておらぬが、残念ながら情報伝達能力は魔道師の方が優る。

「ゴーラ軍3万は激戦地ダーナム周辺の敵、ベック公軍を駆逐しました。
 クリスタルから派遣された聖騎士団の逆襲に備え、ダーナムに留まっておりますが。
 数日中に食糧の補充が困難となり、マルガに向かうと推測されます」
 イシュトヴァーンが逸早く動き、神聖パロ最大の拠点に直行するのではないか。
 アルド・ナリスにも劣らぬ冷徹な戦術家、口車の天才は最悪の事態を懸念していたが愁眉を開いた。

「後続部隊も直接エルファへ向かわせる故、魔道師の手配をお願い出来るかな。
 レムス側の魔道師に起因する怪異の有無、奇襲の気配を探っ頂けると助かる」
 ゼノンは魔道に疎く怪異を伴う奇襲への対処は無理、選帝侯ディモスに至っては元々軍人に非ず。
 トールも多少は慣れているが尋常な勝負は兎も角、魔道に対応する術は持ち合わせておらぬ。

「かしこまりました、下級魔道師が同行しておりますので御自由に御使いください。
 伝令の騎士様を閉じた空間で御運び申し上げ、別動隊の方々から御返事を頂戴して参ります。
 パロ魔道師軍団は陛下の恩義に報い、お役に立つ事が最優先任務と心得ております」
 烏《ガーガー》を思わせる黒衣の影、ギールの後方に魔道師の姿が現れ豹頭王に平伏。
 グインは鷹揚に頷き、ケイロニアの騎士達を動揺させぬ様に気を配る。

「魔道師の助力は何よりも有難い、宜しく頼む。
 ヴァレリウス殿には誠に申し訳無いが、ナリス殿の御帰還まで辛抱を願うと伝えてくれ」
「御配慮、かたじけなく存じます」
 グインは黒竜将軍トール、金犬将軍ゼノン、ワルスタット選帝侯ディモス宛の命令を口述。
 飛燕騎士団の鎧を纏う伝令が聞き取り、作成した書面に豹頭王の花押を捺す。
 下魔道師級ディノスが閉じた空間の術を起動させ、伝令の騎士と共に姿を消した。

 上級魔道師ギールは参謀長の護衛ロルカ、ディランに遠隔心話で状況を報告。
 グイン直率の親衛隊は総勢1千、竜の歯部隊と称し機動力に優れ最高級の精鋭を揃える。
 トール将軍の黒竜騎士団1万は傭兵主体だが、十二神将騎士団の中でも最強を争う野戦軍。
 ゼノン将軍の金犬騎士団1万も高い戦闘力を備え、ケイロニア出身者が主体で忠誠心は折り紙付き。

 後発部隊1万4千は、ワルスタット選帝侯ディモスが指揮。
 4千は一芸に秀で特殊能力を発揮する専門部隊、通常の兵1万は後輩援護を担当。
 金猿騎士団2千は飛び抜けた身の軽さ、敏捷性を身上とする忍者部隊。
 白象騎士団2千は雄渾な巨漢、幻の民ラゴンの如き豪腕怪力を誇る特殊部隊。
 公称は要害防衛用だが実際は、重量級の破城槌も軽々と操る攻城用部隊であるらしい。

 グインは聖王宮の武力制圧を視野に入れ、行軍速度の大幅に異なる両者の派遣を強行。
 ケイロニア軍は現状に満足する事無く、着々と兵制改革を進めている。
 十二騎士団も新たな時代の戦術に対応、特色に合わせ独自の編成を模索中。
 聖騎士侯ルナン以下、神聖パロ側の指揮官達は強い感銘を受けた。

 身も蓋も無く現状を認識する参謀長、ヨナ・ハンゼ博士も同様であるが。
 パロ兵は戦闘力に劣るが魔道師軍団の特殊技術、閉じた空間を最大限に活用。
 ケイロニア軍も飛燕騎士団1千が伝令として行動、緊密に連絡を取り合い互いの状況を確認。
 俊足を誇る飛燕の騎士達は情報収集の徹底を図り偵察、斥候の任務を兼ね各部隊を頻繁に循環。
 魔道絡みの奇襲攻撃を警戒、グインの指示通り怪異に即応する目的を明確に意識しているが。
 パロの魔道師達が操る移動時間短縮の切り札、閉じた空間の術には及ばぬ。

 ベック公軍と交代した約2万の新手、タラント軍は激戦地ダーナムに接近。
 イシュトヴァーンは聖騎士団の攻撃を一蹴、マルガへ向け次々に密使を走らせるが。
 ヴァラキア出身のヨナは嘗ての友、ゴーラ王の使者を拘束し返事を保留。
 遠隔心話の連絡網で各地の情報を迅速、的確に収集し直接グインに伝達。
 魔道師軍団の情報伝達速度を誇示し重要な戦力、役に立つ貴重な味方と認識を促す。

 ヨナは上級魔道師ロルカの部下、下級魔道師コームを盟友サラミス公爵の許に派遣。
 ケイロニア軍の参戦を伝え物資の調達、サラミス街道の移動に便宜を図る旨を要請。
 パロの民が敬愛する聖王家と平和の象徴、リンダの著名した書面は絶大な効果を発揮。
 サラミス公爵は直ちに食糧を集め、ケイロニア軍への協力を約束した。
 下級魔道師コームは遠隔心話で報告の後、エルファ市長の許に向け姿を消す。

 ダーナムの新生ゴーラ軍は約3万、ケイロニア軍は約2万5千だが遙か彼方の北西部を移動中。
 エルファを経て豹頭王は神聖パロ本拠に移動中、ゴーラ軍に先んじての到着は物理的に不可能。
 ヨナは睡眠から覚めた若き騎士、アドレアン公子に刻一刻と変化を遂げる状況を説明。
 ダーナムへ派遣した部隊は大半が負傷しており、マルガに残る兵は総勢1万を割る。

 イシュトヴァーンの裏切りを阻止し得る要の石、カラヴィア軍の参戦は最優先課題。
 約3万5千の軍勢が直ちに動き出せば、ゴーラ軍に先んじて当地に到着も可能と思われる。
 アルド・ナリスの要請に応えず、沈黙を守り続けた最高指揮官アドロンを動かす事は可能か?
 ヨナの率直な問いを受け、カラヴィア公子アドレアンは何故か顔を赤らめ表情を曇らせたが。
 何とも言い難い様子で逡巡の末、冴えない表情で口重く答えた。 

 

青星党の使者

 
前書き
エピグラフ
「パロ、クム、ユラニア、モンゴール、場合によっては沿海州諸国や草原諸国にも檄を飛ばし、キタイの中原侵略の意図を告発し誅伐の兵を起こす。東方最大の強国対、全中原の大戦争だ。俺は、其の軍を率いてキタイを攻める心算なのだ」
・グイン・サーガ外伝第12巻『魔王の国の戦士』、ケイロニア黒竜将軍グイン 

 
「父は、ナリス様を良く思っていません。
 アルシス王家と距離を置く為と言うより、ナリス様に含む処が有る様でした。
 身体を損なわれる以前とは異なり、聖王に相応しい御方だと何度も言ったのですが。
 …父は僕が、そのう、リンダ様の色香に迷わされていると受け取ってしまった様です。
 マルガに残ると先刻は言いましたが、父に余計な不信感を募らせたのは僕の責任ですね。
 カラヴィア軍の参陣が一刻も早く必要だと納得しました、僕が父を説得します」

「アドレアン様、状況を御理解下さり誠に助かります。
 ゴーラ軍が先に当地へ入れば、ケイロニア軍の動向に影響が出かねませんが。
 カラヴィア軍が神聖パロ本拠に入れば、ゴーラ軍も迂闊な行動は控えるでしょう」
 現時点で新生ゴーラ王国を正式に認め、国交を樹立しているのは一応盟邦の隣国のみ。
 クム大公国も現在の大公、三公子の末弟にして唯一の生存者を救われた故に他ならぬ。

 イシュトヴァーンが訪れた地は例外無く、虐殺の巷と化す。
 《炎の破壊王》と物騒な異名を奉られ、怖れられるに相応しい《実績》が存在する。
 紅都アルセイスに於ける鮮血の惨劇、クム3公子と滅亡した老大国ユラニア3公女の婚礼。
 モンゴール大公国の命脈を断ち切る簒奪者の一撃、トーラスに於ける裁判と血塗られた結末。
 幼い頃に培われた生命の恩人イシュトへの想い、感謝の念が消えた訳ではないが。
 複雑怪奇な国際情勢の対処には、幻想を抱かず身も蓋も無く現実を直視する姿勢が肝要となる。

 ナリスは嘗て中原全体に関わる事態の故、全ての国々へ使者を立てると表明。
 鎖国を続ける太古王国ハイナム、キタイの暗殺教団まで引合いに出し反応を窺ったが。
 新生ゴーラを匂わせた途端、親代わりを自認する一徹者の聖騎士侯ルナンが猛反発。
 他の皆も『他の国は兎も角、それだけは容認出来ぬ』と無言の圧力(プレッシャー)を掛けた。

「ゴーラ軍に参戦されると最も困惑するのは、我が方に他ならぬのですが」
 ヨナ自身も神聖パロ参謀長として振る舞い、血も涙も無く断言せざるを得なかった。
 アドレアン公子は衰弱を隠す為、真紅の外套(マント)を纏い崇拝する姫君に敬礼。
 上級魔道師ディランに護衛され、閉じた空間を経て息子の身を案じる伊達男の許に急行。
 数ザン後『説得は無事成功』の連絡、心話が届き神聖パロ参謀長は愁眉を開いた。

 アドロン以下の総勢3万5千は急造陣地を引き払い、マルガに向け移動を開始するが。
 カラヴィア軍が無事マルガに到着しなければ、ゴーラ軍は何を仕出かすかわからない。
 ヨナは竜王の操る異次元の怪物、竜の門に襲われ壊滅する最悪の事態も想定するが。
 冷徹(クール)に徹し優先順位を判断、熟慮の末に魔道師の増援を中止。

 グインは各部隊を一旦、エルファに集結させる模様だが。
 リンダの要請に応え、カレニア政府の支援を表明している。
 世界最強のケイロニア軍を敵に廻すとなれば、イシュトヴァーンと雖も相当な覚悟が要る。
 ゴーラ軍の将兵も二の足を踏み、移動速度が鈍ると推定し古代機械とアルド・ナリスの護衛を優先。
 心を鬼にして上級魔道師ロルカ、数名の下級魔道師は最後の切り札として残す。
 カラヴィア軍の護衛は上級魔道師ディラン、部下サルスに限り運を天に任せると決めた。

 レムス軍の約2万は第三勢力、カラヴィア軍の転進に伴い別働隊タラント軍に合流。
 クリスタルを護る態勢を崩さず、ダーナムに睨みを効かせ神聖パロ側を威圧。
 パロ北西部では竜の歯部隊が行軍を再開、レムス側の魔道士に拠る奇襲も予想されたが。
 上級魔道師ギールは姿を隠し、上空から抜かり無く周囲を警戒。
 グインが数タルザン毎に受け取る念波、心話は『異常なし』と告げる物ばかりであった。

 黒竜将軍トールの許に通常より数倍早く、伝令が到着し集結地エルファに進路を変更。
 下級魔道師ディノスは周辺を魔道で走査《スキャン》、異常が無い事を確認。
 続いて金犬将軍ゼノン、ワルスタット選帝侯ディモスの許に伝令を伴い移動。
 伝令の騎士は各部隊の指揮官から返事を預かり、ディノンの術で通常より数倍早く復命。
 エルファに入った遠征軍の最高指揮官、グインを思い掛けぬ人物が待ち受けていた。

「ユー・メイではないか!
 どうした、キタイで何かあったのか?」
 東方の魔都で暗殺教団の刺客、闇の司祭、鬼面の塔と闘った北の勇者に駆け寄る小柄な姿。
 生き別れの兄妹再会を実現した恩人、豹頭の戦士を見い出し黒曜石を思わせる瞳が輝く。
 嘗て青鱶団の戦闘班長を務めた黒い小竜、シャオロンの妹ユー・メイ。
 彼女は男の子の格好を止め、兄に良く似た端整な顔立ちを際立たせていた。

「グインさん!
 会いたかったよっ!!」
 馬から降りたグインは、小柄な少女に太い腕を差し伸べた。
 8歳になる筈の浮浪児ヴァニラ、改め少女ユー・メイが抱き付く。
「このおじいさんが、連れて来てくれたのっ」
 再び思い掛けぬ者を見出し、黄玉《トパーズ》色の眼が強い光を放った。

「イェライシャではないか!
 おぬしがユー・メイを連れて来てくれたのか?」
「元気そうで何よりだ、王よ。
 この娘をキタイから連れて来たのは、わしの意思ではないがな。
 お主の盟友とも言うべき青星党の指導者、キタイの民を束ねる大君の器を備えた若者。
 希望の星と成りつつある存在、リー・レン・レンからの使者としてな」
 ドールに追われる男、イェライシャが飄々と微笑い豹頭王に頷いた。

 魔道師の陰から特徴の有る帽子、キタラを抱える吟遊詩人が姿を表す。
 3人目の登場に驚いた素振りを見せず、グインは眼光を抑えた。
「お前もか、マリウス?
 まさか、キタイまで行って来た訳では無いだろうな?」
 サイロンを飛び出した聖王家の異端児、ササイドン伯爵は気後れした様子で表情を窺うが。
 ユラニアの青髭から鉄面皮と評された異形の豹面、特異な容貌からは何の感情も読み取れない。

「僕は、そのう、パロに向かう途中で、この人に助けて貰ったんだ。
 ユリウスが出て来てさ、グラチウスの許へ行かれそうになったんだけど。
 イェライシャの薬草を摘んだ後、グインに相談する方が良いって助言されたんだよ」
 珍しく歯切れの悪い口調で喋る饒舌の徒、ヨウィスの民を自称する聖王国の第4王位継承権者。
 マリウスは尚も何か言い掛けた途端、断固とした口調で遮られ思わず口を噤んだ。
「すまぬが、後にしてくれ。
 俺はキタイで何が起きているのか、一刻も早く知らねばならん」

 言いたい事は胸に溢れ返っているが、何から話せば良いか見当が付かない。
 ユー・メイも吟遊詩人と同様に一言も発せず、困った顔で後ろを振り向いた。
「私には上手に説明出来ない事が一杯あるから、おじいさんから話して貰って良いですか?」
 ドール教団の先代最高司祭、水竜に由来する太古王国ハイナムの神官であったかも知れぬ男。
 イェライシャは穏やかに微笑み、シャオロンの妹に安堵の表情が拡がる。
 グインが肯く仕草を確認した後、ドールに追われる男が語り始めた。

「キタイでは王の去った後、未来の大君と見込んだ若者が急速に勢力を拡大していた。
 リー・レン・レンは嘗ての青鱶団、清花団を中心に組織を拡大し青星党を名乗っている。
 家族を返せと告発する勇気を持つ者、誰もが願っている希望の代弁者が初めて現れたのだ。
 彼は望星教団の支援を受け家族の消息を求める遺族、キタイの民の希望を一身に集めた。
 竜の門共は青星党を攻撃したが、ヤン・ゲラールは王との契約を守っている。
 元青鱶団や清花団の戦士達が負傷の後、王が見込んだ少年の護衛は望星教団が引き継いだ。

 青星党と望星教団は各地に連絡を取り、シーアンから戻らぬ女達は10万を超えると判明した。
 シーアンに妻や娘を連行され、キタイの現状を憂える人々に正確な情報を与えた。
 竜王に抵抗を続ける青星党の指導者、リー・レン・レンの名は全土に知れ渡った。
 旧王家の残党や古い信仰を奉じる者達も好機と見て、家族の返還を求める運動に参加している。

 若き指導者は新都シーアンを標的に定め、キタイ各地の勢力を糾合し味方に付けた。
 ヤンダル・ゾックも聖王の遠隔操縦、古代機械の獲得を一時的に断念した模様と見える。
 リー・レン・レンを護る戦士達は執拗な攻撃を受け、決起以前に多大な犠牲を出しているが。
 戦いの様子はキタイ全土に報じられ、却って各地の反乱を激化させる事となった。

 竜王は教主ヤン・ゲラールに対し、リー・レン・レンから手を引けと最後通牒を発した。
 従わねば望星教団の信徒を一人残らず、キタイ全土から掃討すると宣告してな。
 だが暗黒魔道師連合の時と違い、ヤン・ゲラール以下の全教団員は覚悟を固めた。
 キタイの民と青星党を擁護する、と望星教団の教主は宣言したのだよ。

 シーアンに拉致された妻や娘を還せ、と求める声は各地で燃え拡がった。
 竜王が如何に強大な力を振るおうとも、キタイ全土を同時に鎮圧する事は出来ぬ。
 傀儡国家を必要とする闇の司祭、グラチウスめは絶好の機会と判断したのだな。
 彼奴めは暗黒魔道師連合を再興する為、キタイに舞い戻っておった。
 独立運動の鎮圧に当たる竜の門を各個撃破して、竜王の力を殺がんとしている」 
 

 
後書き
 外伝『魔王の国の戦士』で初めて、キタイの旧都ホータンが描写されています。
 キタイのリー・レン・レンや、ヤン・ゲラールが気掛かりです。
 ヤンダル・ゾックが遥かノスフェラスを越え、サイロンやヤガに現れると云う事は…。
 キタイの反乱は制圧され、青星党や望星教団は壊滅してしまったのでしょうか? 

 

キタイの情勢

「儂は黒魔道師の尖兵が豹頭王の使者を装い、リー・レン・レンに接近する処を発見した。
 ドール教団を率いる闇の司祭もまた、交渉の基本を心得ておる古強者だからな。
 竜王の仕業と見せかけ望星教団の信徒、青星党の若者達を戦闘不能にした上で現れたのだよ。
 放射能に肉体を蝕まれ命旦夕に迫った南の鷹、スカールに接近を図った手口と同じさ。
 若き指導者を断り様の無い立場に追み、言霊の術に必須の言質を取る寸前であった。

 《ドールに追われる男》、不倶戴天の敵としては当然グラチウスの邪魔をする事になる。
 己の不注意が招いた失態ではあるが、550年以上も電撃漬けにされていたでね。
 竜王に恨みは無いが、彼奴に思い知らせてやりたい事は幾らでもある。
 レムスの招待に応じた王が闇の回廊を抜け、クリスタルに赴いた頃であったのだな。
 古代機械に執着する竜王の注意を引いてくれて、大いに助かったよ」。

 ヤンダル・ゾックは超遠距離移動に魔力を消耗したと見え、手出しを控える事となった。
 グラチウスも想定外の仇敵、わしと戦い無駄に魔力を消耗するは下策と判断したのだろう。
 魔力を消耗した後で竜王に肝心の獲物、リー・レン・レンを掻っ攫われては堪らんからな。
 第三勢力の御膝元で死力を尽くす勝負を選択の愚は犯さず、棄て台詞を残して退散したよ。

 王には理解して貰えると思うが、3竦みの関係になっただけの事さ。
 儂が実力で闇の司祭を追い払い、リー・レン・レンを救った訳ではないのだがね。
 ヤン・ゲラール教主は王との契約に背き、恥を晒す所を救われ恩に着ると主張して譲らぬ。
 ケイロニア王の動静を問う若き指導者に、わしは中原の状況を話して聞かせる事になった。

 彼等は王が即位の後パロへ赴き、竜王の魔手に対し戦端を開いた事を知った。
 キタイ救援より自国周辺から竜王を撃退する方が先決、当然の判断だと健気にも言ってくれたよ。
 己の国を建て直すのは自国の民、他国の力を当てにしてはならぬと断言しおった。
 自力共済が本筋と戒める若き指導者に従い、一言も異を唱えぬ彼等の心意気には頭が下がる。

 手を貸してやりたいが流石に遥かな東方の大国キタイは遠い、グラチウスも条件は同じだがな。
 情勢は大体分かって貰えたと思うが、リー・レン・レンから伝言だよ。
 中原が竜王の勢力を退けた後で構わぬ、遙か遠隔の地ではあるが援軍を願いたい。
 何れ必ず何等かの形で恩義に報いる故、竜王に抵抗を続ける我等に御助力を乞う。

 儂は王に協力して、キタイへ援軍を出せる様にしてやりたいと思い一旦戻って来た。
 負傷した同胞の面倒は自分達で見るが、1人だけ使者として同行を依頼されたのだよ。
 リー・レン・レンは現地を離れる事が出来ぬ故、メイ・ファンが護衛を務めておる。
 後は魔王の恐怖に耐え希望を棄てぬ者達の想い、心情を直接ユー・メイに話って貰う方が良いだろう」
 イェライシャに促され、ユー・メイの唇から言葉が溢れた。

「グインさん、おねがいします。
 みんなを、助けてください。
 リー・レン・レンは、よその国の人に無理を言ってはいけないよって言うけれど。
 シャオロン兄ちゃんも、レンファー姉さんも竜の門と戦って酷い怪我をしているの。

 初めは怖いと思っていた望星教団の人達も大勢、死んだり怪我したりしています。
 あの夜みたいに、キタイ中が酷い事になってるみたい。
 みんな力を合わせて、頑張ってるんだけど。
 何時まで大丈夫か、わからない。

 竜の門に家を焼く払われて、諦めて故郷を捨てる人達も大勢いるみたいだけど。
 キタイを元の平和で豊かな国にするんだ、絶対に逃げ出さないって頑張ってる人も沢山います。
 グインさん、お願いです。
 みんなを、助けてください」

 注意深く聞き入っていた豹頭が頷き、丸い耳が微かに動いた。
『北に一匹の豹が現れ、世界を護るであろう』
 暁の女神アウラ・シャーに仕えるナディーヌの父親アーミス、神殿の祭司長が語った予言の対象。
 ランドック帝王の身分を証明する宝珠ルーエの三姉妹、ユーライカの瑠璃が思慕する豹頭の追放者。
 銀色に輝く天上の都から遂われた廃帝、ケイロニアの豹頭王は真摯な力強い口調で東方の使者に応えた。

「ユー・メイ、心配は要らぬ。
 俺はリー・レン・レンとお前の兄、シャオロンに約束した筈だ。
 キタイ独立の為に彼が起った、と風評が流れて来た時には俺も必ず起つ。
 必要とあれば中原各国に檄を飛ばし、竜王を討つ為の軍を起こすとな。

 リー・レン・レンは俺との約束を守り、既に竜王を敵に廻す覚悟を固め闘っているのか。
 ヤン・ゲラールも俺と交わした契約を反故にせず、誠実に彼等を守ってくれているのだな。
 俺も、約束は違えん。
 パロから竜王の勢力を一掃した後、キタイへ必ず援軍を送る。

 いや、そうではない。
 俺が軍を率い直接、キタイに乗り込む。
 ノーマンズランドで竜王と最初に心話を交わした時から予感していた。

 竜王と俺は何度も死闘を重ねる宿命にあり、その結果に拠り世界の命運は決するだろう。
 安心しろ、ユー・メイ。
 俺は約束を破らぬ、あの夜と同じだ。

 竜王の恐怖を打ち破り、キタイの民を助ける事を誓う。
 お前が兄や仲間と巡り会えた様に、圧政に苦しむ人々を救って見せる。
 彼等は俺が行くまで持ち堪えると約束した、俺も約束は忘れておらぬ。
 リー・レン・レンやシャオロン達を助け、キタイを人々の手に取り戻す為に戦うぞ」

 涙を溢れさせて縋り付く少女を抱き止め、頭を優しく撫でる中原の守護者。
 ドールに追われる男は軽く頷き、星の光を髣髴とさせる慧眼を閉じる。
 炯々と輝き叡智を湛える瞳孔が煌き、双つの水晶体から鮮烈な白光を放出。
 グインの裡に或る記憶が甦り、ヒプノスの術を用いた怨霊達の伝言が再生された。

 ドールに追われる男、イェライシャも夢の回廊を経て接触した際の思念波を補足。
 パロ魔道師ギルド特命部隊の上級魔道師ダンカン、ゴール以下20人の凝縮された念を解凍。
 上級魔道師ギール、下級魔道師ディノン、コームの面に深甚な衝撃が疾った。
 己を斃した闇の司祭グラチウスに対する恨み、怨念が存在し続ける力の拠り所ではあるが。
 使命を果たせず異国の地に果てた魂魄達、地縛霊と化した同胞の集団念波が真実を告げる。

 キタイ辺境にて謎の竜王ヤンダル・ゾックの王位簒奪、非人間的な圧制と虐殺の一旦は垣間見た。
 情報収集の使命が優先する為、途中経過を報告せず先を急ぎ何の情報も伝えられなかったが。
 沈黙を守る謎の鎖国、東方の大国キタイへ内情を探る為に派遣された魔道師達。
 はざまの世界、幽冥界に住む同志から託された《想念》と《伝言》が響き渡る。
 中原に迫る未曾有の危機を察知、母国パロの行く末を案じる愛国者の念は一段と強烈であった。

 消息を絶った特命部隊の中には先輩や弟子、同期の魔道師も含まれる。
 パロの魔道師達は動揺を禁じ得ず、常人には聴き取れぬ波長の絶叫を迸らせたが。
 イェライシャは後輩達の呻吟、感情の大波を鷹揚に受け止め微笑。
 後輩達の捧げる真摯な感謝の念に、温和な表情で応えた。

(豹頭王は帰国後に彼等の伝言を書状に記し、既に知らせておるかとも思うたが。
 わしも異国の地に果てた魔道師達から直接、パロの同胞に伝言を届ける約束をしたでね。
 魔道師ギルドとやらに期待はせぬが、死して尚も祖国を案じる勇者達の想いは確かに伝えた。
 キタイを蹂躙する竜王と戦い、豹頭王を援ける者は儂の味方でもある。
 御主達の念も未熟ではあるが、立派に成長する可能性を秘めておる。
 おや、吟遊詩人殿も勇者達の魂に贈り物を捧げたいと見えるな)

 イェライシャの心話を受け猫目石の如き豹眼、トパーズ色の瞳に澄んだ光が射す。
 涙を瞳に湛えた吟遊詩人が視線の先で、愛用の楽器(キタラ)を掲げた。
「キタイから遙々来てくれた賓客、パロの魔道師達への餞と云う訳か?
 良かろう、歌ってくれ。
 ケイロニア訪問以前の放浪中に知り合った我が友、旅芸人の吟遊詩人マリウス殿」

 数万の兵士達が口を閉ざし、興味津々の内心を押し隠しながら見守る中で。
 光と闇を繋ぐ運命の王子、アル・ディーンが愛用の楽器を奏でる。
 グインが鬼面の塔に乗り込む直前、即興で創られ青鱶党の少年達が滂沱の涙を溢れさせた歌。
 心を押し潰す恐怖と絶望と闇の力に屈せず、希望を伝える歌。
 和弦が豊かな音を奏で、エルファに集った人々の耳に旋律と波動が響き渡った。 

 

マリウスの歌

 低い音程で始まった吟遊詩人の歌声、重苦しい響きは聴衆に異様な息苦しさを感じさせた。
 イェライシャの意を受け上級魔道師ギール、下級魔道師ディノンとコームは念波を統合。
 先達の老師が発信する鮮明な映像、キタイの記憶を脳裏に再現させ懸命に増幅。
 幻術《イリュージョン》の精緻な映像、音響が数万を数える人々の心に直接波及する。

 トパーズ色の瞳が光り、パロの魔道師達が凝固し何事かを一心に念じる様子を一瞥。
 イェライシャに問い掛ける様な視線を投げ、穏やかな微笑を一瞥し無言を貫く。
 幼子の脳裏に刻まれた魔都、闇と恐怖に支配された旧都の光景が聴衆の心に映る。
 響き渡る歌が鮮明な記憶を呼び覚まし、ユー・メイの体験が再現された。

 聴衆の脳裏に異国の都を蹂躙する魑魅魍魎、怪異の跳梁跋扈する悪夢の光景が鮮明に映る。
 竜王ヤンダル・ゾックの率いる奇怪な爬虫類戦士、竜の門と称する怪物の軍勢と虐殺。
 様々な異次元の妖魔が解き放たれ、古都ホータンの夜を駆け抜ける悪夢の情景。
 グインと共に望星教団の弟136中隊に護衛され、生き残った少年少女が通り抜けた幽霊通り。
 キタイの民が竜の門に虐殺される阿鼻叫喚の地獄絵図が再現され、人々は声を喪った。

 様々な怪異が跳梁跋扈する夜の闇、竜の門に虐殺される人々の絶叫と悲鳴。
 固く閉ざした瞼の奥に蹂躙される男女の絶叫が轟き、心の底まで鳴り響く。
 不安と恐怖と絶望に重苦しく打ちひしがれ、疲れ果てた心の内部に闇が広がる。
 闇に産み出された盲目的な怒り、不安と恐怖の感情が心を隅々まで浸蝕するが
 更に鮮明な脳内映像、心象《イメージ》が精神の視野を走馬灯の様に駈け抜けた。

 血を分けた実の妹を捜し求める兄、黒い小竜シャオロンの体験した記憶の連鎖反応。
 レー・レン・レンの指導力を頼りとする青鱶党、レンファーが統率する清花団の少年少女達。
 闇と恐怖に覆われた魔都の夜を、力を合わせ懸命に生き抜いた記憶が聴衆の心へ投影される。
 凄絶な恐怖が齎す感情の大波、精神(こころ)の奥底まで打ちのめす絶望の光景。
 共に笑い共に泣いた仲間達が次々に惨殺され、貪り喰われて行く。

 恐怖と闇に覆われたキタイ最大の都、ホータンの夜に展開される悪夢の数々。
 友を餌食とする黒鬼団や赤衣党の悪党達を凌ぎ、足許にも及ばぬ竜の門が齎す凄絶な恐怖。
 冷酷非情に獲物を屠殺する抹殺者、奇怪な爬虫類の如き容貌を晒す非人間的な虐殺者。
 海の如く押し寄せる人々の群れを情け容赦無く斬り棄て、完璧に阻止する異形の怪物達。
 竜の門が支配する異国の凄惨な現状が暴露され、深甚な心理的衝撃が聴衆を震撼させた。

 想像を絶する情景が総ての感情を粉砕、完膚無きまでに打ち砕く。
『この門を潜る者、総ての希みを捨てよ』 
 キタイを蹂躙する闇の力、暗黒の人竜族を統べる冷酷王の心話音声が響き渡った。
 明日への希望を持つ事も許さぬ異世界の種族、精神集合体の宣告が心を凍らせる。
 闇黒の波動が精神を塗り潰し、多彩に煌く豊かな感情を悉く凍結させ尽くす。

 不安、恐怖、利己主義、怨嗟、憤怒、妬み。
 未練、憎悪、妄執、悔恨、卑怯、嫉み。
 己の内部に存在する事を隠さずにはいられない、醜い感情達の集積物。
 心の闇の正体、己が産み出した事を認めず否定せずにはいられない負の感情。
 目を背けたくなる醜い感情、暗い心波の渦が湧き上がった。

 精神的怪物《イド》が心の奥底に生じ、自己増殖を繰り返して心を隅々まで浸蝕する。
 自分自身から隠す為に、自ら創造する自己弁護の心理と総てを糊塗する暗幕《カーテン》。
 心の暗幕が発生する過程、隠している《もの》の正体が明らかにされる。
 見る事を拒否された感情達は、心の外に出る事も叶わずに凍り付く。
 消滅するのではなく、心の内部に存在し続ける。

 心が、重くなる。
 存在を否定された感情達の重みで、心が動けなくなる。
 心が、閉ざされて行く。
 絶望に染まりかけていた心に、マリウスの優しい歌声が語り掛けた。
 君は、1人じゃない。
 僕が、傍に居る。

 僕は決して、君を見捨てはしない。
 何時でも君の傍に、寄り添っている。
 歌が、浸透する。
 暗幕《カーテン》を透過して、温もりが伝わる。
 氷が、少し、溶けた。

 暖かい、歌声に。
 氷が、少し、融ける。
 凍り付いていた感情が、解ける。
 感情が、甦る。
 マリウスの歌声に癒され、過去の感情が昇華する。

 氷が熔けた分だけ、重さが減る。
 心の重さが減り、暗幕《カーテン》が揺らぐ。
 歌が、浸透する。
 揺らいだ暗幕《カーテン》を透過し、更に温もりが伝わる。
 氷が更に溶け、感情が昇華する。
 心が少し、軽くなる。

 暗幕《カーテン》が、揺らぐ。
 温もりが、伝わる。
 氷が溶け、感情が昇華する。
 心の重量《バランス》が、変化する。
 暗闇の幕に、隙間が生じる。

 隙間から、光が差し込む。
 優しい歌声が光となり、隠されていた感情達に届く。
 解凍、溶融、昇華。
 凍結されていた感情達が、溢れ出す。
 外へと、流れて行く。

 心が更に、軽くなる。
 闇色の幕が、翻る。
 心の変化に耐え切れず、闇が揺らぐ。
 光が、更に流れ込む。

 闇が塗り固めた漆黒の拘束衣、心の幕《カーテン》の陰に。
 光と温もりが、届く。
 解凍、溶融、昇華。
 存在を認められた感情達が、光に変換される。

 絶望に染まった心を優しく包み、希望を保ち続ける勇気と活力を注ぎ込む歌。
 マリウスの歌声が光となり絶対零度の凍気、冷酷な波動に覆われ凍り付いた心に響く。
 歌の波動が恐怖と絶望の闇を照らし、精神を浄化する透明化現象の過程を励起。
 カルラアの戦士に秘められた秘蹟の力が、心を黒く染める感情を解凍する。
 心の内部から迸る感情が、外へと溢れ出す。

 闇が、薄れる。
 光が更に、流れ込む。
 暗幕の奥に、闇の中に。
 心地良い風が吹き、闇の衣が翻る。

 何処からか暁の光が射し、漆黒の衣に覆われ隠されていた影に届く。
 光を浴びた影が異なる形態へと変貌を遂げ、多彩な想念と豊穣な感情達が実体化する。
 暖かい温もりに包まれ、氷の世界が溶け出していく。
 遙か彼方で暁の風が舞い、不可思議な声が響く。

『貴方には全ての光と、全ての闇とを共に組み込んであります。
 光のみの解答も、闇のみの道も、共に誤りだと知りなさい。
 地上の闇ではなく、貴方の内に在る見果てぬ闇をこそ恐れなさい。
 貴方は不安と恐怖を煽る他者の声、侵入者を見破り心の王国を管理する調整者。
 心の裡に育まれる数多の感情達を護り、鍵を開ける刻を待ちなさい。
 暁の光は常に、貴方と共に在るでしょう』

 心が軽くなり、心が少し透き通る。
 硬直していた心が、柔軟さを取り戻す。
 マリウスの歌声が、流れる。
 徐々に、徐々に。
 力強く、響く。

 耳に、体に、心に。
 心が感情を溶かして行くにつれ、闇が薄れていく。
 歌と共鳴して、封じ込められていた感情達が歓喜の声を響き渡らせる。
 心の暗幕《カーテン》が不要となり、心の闇が確実に薄れて行く。
 マリウスの歌声が光となり、心に差し込む。

 光が心を照らし出すと同時に、心の暗幕《カーテン》が消える。
 闇が晴れ、光が溢れる。
 嘗て魔都ホータンの夜明け、朝の訪れを予告した即興の歌。
 マリウスの歌声、希望を伝える歌を初めて聴いた子供達の様に。
 何時しか聴く者、全てが涙を流していた。

 吟遊詩人の歌を聴いていたのは、ケイロニア軍だけではなかった。
 マルガの魔道師達も念波を増幅、己の想いを乗せ能力に応じ届く限りの心へ送信。
 相乗共鳴効果が生じ、近隣の住民達にも鮮明な映像を投影。
 心象《イメージ》と歌声は、人々の心に響き渡った。

 イェライシャが送信したシャオロン、リー・レン・レンの記憶は不可思議な作用を励起。
 魔道の心得を持たぬ人々の心に灯された希望の光は、夜空に瞬く星と同様に力弱くはあったが。
 1粒の水滴が集い海へと注ぎ込む大河となる様に、寄り集まり想定外の効果を発揮。
 不安に脅える人々の心に吟遊詩人マリウス、カルラアの戦士が奏でる希望の歌が響いた。

「ディーン様」
 アルド・ナリスの死去に深い喪失感を覚え、心を蝕む絶望の闇に苛まれ戦線を離脱した従者。
 サラミスに向け深い森と山中を騎行中の聖騎士伯、リギアが呟く。
 アルシス王家の守護者、ルナン聖騎士侯の息女も直感的に悟った。

 幼い頃から兄妹の様に育ってきた《弟》、アル・ディーンの歌。
 ナリスが再会を願い続ける唯一の実弟、イシュトヴァーンに面影を重ねた半身の歌である事を。
 もう戻る事は無いと思っていた傷心の地、マルガを振り返る。
 聖騎士伯リギアの分身、愛馬マリンカが走り出した。

 ダネインへ向け南下中の剽悍な草原の民、グル族の戦士達にも歌は届いた。
 太子様は、1人じゃない。
 私が傍に居る、私は何時でも太子様と一緒。
 愛する人の心に常に寄り添い、私は太子様を護り続ける。
 草原を吹き渡る透明な風の声、運命の女が遺した《想い》を歌声が支援《フォロー》。
 死者の残留思念が生者に届き、心の奥底に沁み込んだ。

(リー・ファ、其処に居たか)
 草原の鷹、スカールの眼が霞む。
「石の都の民にも、素晴らしい歌い手がいるのだな。
 草原の信義を踏み躙る輩など1人残らず、くたばってしまえと思っていたが。
 気が変わった、今の歌に免じ今一度だけ助けてやる。
 マルガに引き返す、夜が明けぬ内に離宮へ入るぞ!」
「ウラー!!」
 一度は完全に決裂した義を弁えぬ男を援ける為、2度と足を踏み入れぬと誓った石の都へ。
 スカールが馬首を返すと草原の戦士、グル族と愛馬達も一斉に疾風と化した。 
 

 
後書き
 マリウスの歌は、外伝『鬼面の塔』に描写されています。
 投稿後、何度か書き直している内にイメージが膨らみました。
 心話で歌が放送され、パロ全土に拡がるイメージは『レンズの子ら』参照。
 両銀河系に散在する第1段階レンズマン全員と精神を同調させるアリシア人から連想しました。 

 

カルラアの翼

 マルガにも、歌は届いた。
 冷徹《クール》に戦況を読み感情を殺し最善の一手を模索する参謀長、ヴァラキアのヨナに。
 古代機械の中で眠り続ける主を護り不眠不休で結界を張る魔道師、サラエムのヴァレリウスに。
 ナリスの無事と帰還を一心に祈り続ける聖双生児、リンダの神秘的な霊能力が映像を受信。
 リンダは異母兄に良く似た黒い瞳と茶色の巻き毛を持つ華奢な男性、マリウスの姿を《視た》。
 1度も見た事の無い吟遊詩人を、出奔後の異母弟と直感的に悟る。

(見て、ナリス。
 貴方の愛する只一人の弟、アル・ディーンが歌っているのよ!
 私の脳裏に映る吟遊詩人の姿、心象《イメージ》を受け取って!!)
 パロの《予知者》は己に秘められた力を用い、湖の小島に眠る最愛の夫に精神接触を試みた。
 予知者は全身全霊を込め溢れる想いを乗せ、鮮明な映像を強力な波動に変換し投影する。

 如何なる理由に拠るものか聖王宮の一角、竜王の傀儡と化した真珠の片割れにも歌は届いた。
 ヤンダル・ゾッグは青星党と望星教団の主導する反乱を鎮める為、遙か東方に在る。
 一時的に放棄され自我の覚醒を得た竜王の傀儡、操り人形の潜在意識にも光の波動が響く。
 リンダが渾身の想いを込めて送り出した思念波、マリウスの歌が心の奥底に響き渡った。

 姉が愛する人に届けと強く念じた《歌》が、未知の次元回廊を通じ真珠の片割れに波及。
 二粒の真珠に精神の同調作用、共鳴現象が励起され聖王レムスの凍り付いた感情を融かす。
 死霊カル=モルを呼び込む原因となった間隙、心の隙間に生じた劣等感と自己否定の黒い罠。
 心を縛る黒魔道の術に優り闇の呪縛、封印を解く《力》を秘めた光の波動が心の隅々に浸透。
 聖王宮を魔宮と化す要因となった聖王の魂が根底から震え、歌声が強烈に鳴り響く。

「僕は…」
 レムスは常人の想像を絶する恐怖に直面、正気を喪った配偶者の手を取り両手で固く握った。
 パロに帰還してからの辛い日々の中で唯1人、己の味方になろうとしてくれた愛する妻。
 生ける操り人形と成り果てた王妃の手を固く握り、頭を垂れ嗚咽する若き聖王。
 歌が最大の効果を発揮したのは真珠の片割れ、弟の秘める心の闇に対してであったかもしれぬ。
 心の奥底で増幅された歌は掌を通じ、精神に異常を来たした妻の裡に吸い込まれて行く。

 パロ聖王国の貴族階級に巣食う陰湿な嫉妬と執拗な悪意、風土病と黒魔道の犠牲者。
 正気と理性を喪い廃人と化した沿海州アグラーヤ王国の姫、長姉アルミナの狂った精神の奥底に。
 マリウスの歌が響き配偶者の抱く慙愧の念、胸を灼く後悔の想いが伝わる。
 リンダと並び聖王国の命運を握る《パロ中興の祖》、《男でもあり女でもあるもの》。
 白銀の髪と紫色の瞳を持つ聖双生児、レムス・アムドロスは気付かなかった。
 感情を表す事の無くなっていた筈の聖王妃、アルミナが自ら微笑んでいる事に。

 総ての責任を引き受け重圧に押し潰されそうな事実上の最高責任者、ヨナにも歌は届いた。
 アルド・ナリスを死の淵から呼び戻す事は、総てに優先する。
 ドールに追われる男イェライシャの恩恵か、此処暫くの間は竜王の奇襲も途絶えている。
 上級魔道師ロルカ率いる数名の下級魔道師達も結界を解き、心話の増幅に魔力を投入。
 リリア湖の小島を護る最高指揮官ヴァレリウスは、強烈な念波を受信した。

 ナリスの半身とも言うべき実弟の歌と直観的に理解、心話を飛ばし魔道師達に指示。
 睡眠中の班も叩き起こされ、下級魔道師50名が古代機械の周囲に星形の魔法陣を展開。
 各5名の星型五角形、小五芳星の魔法陣10個が輝き更に大きな星を描く。
 上級魔道師達も思念を凝らし、大五芳星の真央点で魔法陣を強化。
 念波が完璧に同調され数倍に増幅され、白い星と青い星が共鳴し輝きを増す。

 茶色の巻き毛と人懐こい瞳を持つ吟遊詩人の姿と歌を、下級魔道師50名が増幅。
 リンダから届いた鮮明な映像、心象《イメージ》と音声。
 出奔した実弟の姿と声音、波動を精緻な思念波に変換し《光の船》内部へ送り込む。
 歌よ、届け。
 ナリスの、心に。

 無意識に洩らす言葉の端々から、裡に秘める激烈な想念を察知する魂の従者。
 主の《想い》を痛い程に理解する魔道師は、全身全霊を込め念波を送った。
(御聞きになられていますが、ディーン様の歌です!
 貴方が心を許す唯一の存在、最愛の弟から届いた贈り物ですよ!!)

 深層睡眠状態に在った被治療者の瞼が、微かに動いた。
 神聖パロ指導者の唇が不明瞭な音声を発し、半覚醒状態に移行した兆候を示す。
「ディーン?」
 超人アルカンドロスの遺した超科学の産物、カイサール転送機の第13号レセプター。
 古代機械の承認する聖王家の正統後継者、初級魔道師免状を持つ夢想家。
 アルド・ナリスは無意識の裡に、マリウスの歌声を聴いた。

 光の波動と歌声が絶対零度の凍気、冷酷な波動に覆われ凍り付いた感情を融かす。
 絶望に染まった心に活力を注ぎ込み、希望を無くすなと語り掛ける歌の力。
 心地良い風が吹き、闇の衣が翻る。
 何処からか暁の光が射し、漆黒の衣に覆われ隠されていた影に届く。
 光を浴びた影が異なる形態へと変貌を遂げ、多彩な想念と豊穣な感情達が実体化する。

 リンダの《想い》が、マリウスの《歌》が。
 魔道師達に増幅され、ナリスに届く。
 暖かい温もりに包まれ、氷の世界が溶ける。
 遙か彼方から暁の光と風が届き、不可思議な声が響いた。

『貴方には全ての光と、全ての闇とを共に組み込んであります。
 光のみの解答も、闇のみの道も、共に誤りだと知りなさい。
 地上の闇ではなく、王の内に在る見果てぬ闇をこそ恐れなさい。
 正しい選択に縁って進んで来ている限り、貴方は常に《風》の消息に出会うでしょう。
 貴方を慕う数多の民に護られ、鍵を開ける刻を待ちなさい。
 暁の光は常に、王と共に在るでしょう』

 重苦しくうちひしがれる歌声が、封印していた記憶を甦らせる。
 ミアイル公子の暗殺を命じ、マリウスを犯人に仕立て上げた悔恨。
 唯一人の弟の帰還を渇望しながらも、自ら会う勇気を持てずにいた真の理由。
 自分より愛する者を選んだ弟、アル・ディーンへの嫉妬。
 憎まれて当然の命令を下した罪悪感、再び捨てられる恐怖。
 吟遊詩人マリウスの歌声が、優しく語り掛ける。

 君は、1人じゃない。
 僕が、傍に居る。
 僕は決して、君を見捨てはしない。
 力強い歌声が、心の奥底に響き渡る。

 誰一人、見る者の無い《光の船》。
 ナリスが無限の興味を注ぐ聖王家の秘蹟、古代機械の中で。
 麗人の閉じた瞳から、白く光る涙が湧き出す。
 滂沱と溢れ落ちる涙は尽きる事を知らぬかの様に、何刻までも流れ続けた。

 エルファ、サラミス、マルガ、ダーナム、カレニア、マリア。
 人々の心に、歌が響く。
 カラヴィア、サラエム、シュク、アルム、ジェニュア。
 竜の門に蹂躙される聖都クリスタル、魔宮へ変貌を遂げた聖王宮の最奥にも歌が届く。
 魔道師達の紡いだ遠隔心話の連絡網《ネットワーク》に乗り、パロ全域に歌は響き渡る。
 カルラアの与えた水色の翼が輝き、パロを光に導く聖王の誕生した瞬間かもしれなかった。

(あの詩人に、こんな奇蹟(ミラクル)を引き起こす魔力が潜んでいたとは思わなんだ。
 九百年も生きておるが、この様な素晴らしい歌は聴いた事が無い。
 あの頼り無い吟遊詩人は、『光と闇を其の身体で結ぶ』存在と納得した。
 一千年を生きた《北の賢者》、ロカンドラスも惜しい事をしたものだ。
 人間の領域を超越した大導師アグリッパと異なり、人の子の感情を理解する者だからな。
 歌の力を体感すれば何かが変わり、もう少しだけ人の世を見守る気になったかも知れぬ)

(あぁ、全く同感だな。
 それに何と言うか、ホータンで聴いた時よりも《響いた》。
 おぬしや魔道師達が此の場に居てくれて良かった、パロ中に歌が届き必ず何かが変わる。
 マリウスの歌は何時も俺の心に響き、希望と勇気を取り戻してくれる特効薬なのだからな) 

 

魔道師の想念

 マリウスの歌は魔道師達に中継され、パロ全土に様々な波及効果を齎したが。
 ケイロニアの竜の歯部隊、金犬騎士団の猛者達も涙を流していた。
 我先に剣を掲げ黒魔道と竜王の脅威を掃う希望の象徴《シンボル》、豹頭王に差し出す。

(我々も絶望の闇と恐怖に脅える無辜の民を救う為、王と共に戦います!!)
 数万の瞳には強い光が宿り、心中の絶叫が仄見える。
 イェライシャの指が動き、放出された精妙な波動が空間を揺るがせた。
 ケイロンの勇者達が差し出した剣が煌き、一斉に大地を離れ頭上に浮揚。
 眼を疑う彼等の眼前で無数の武器が空中を飛翔、一点に集中し光に包まれる。

 万を越える数の剣と槍が光の中で合体を遂げ、一振りの見事な黄金の剣に変貌。
 光の剣は燦然と輝き優雅に空中を漂い、グインの眼前に静止。
 ゆっくりと黄金の剣を手に取り、唇を付ける豹頭王。
 戦士達の想いを代弁した幻の剣は一際、輝きを増す。
 次の瞬間、黄金の剣が無数に分裂。
 スナフキンの剣と同様に空を駆け抜け、戦士達の鞘へ納まった。

(公衆の面前で奇術師の如くに魔道を使い、心を惑わす行為は禁じられておるのだがな。
 1万1千振りの剣に一々、唇を付け騎士達に返す暇は有るまい。
 王は時間を節約し進軍に移る方が好都合であろう、皆も気持ち良く新たな戦いに臨める。
 わしは純粋な白魔道師ではないからな、掟破りではあるが大目に見て貰うさ)
 闇の司祭であれば珍しくも無い事だが、ドールに追われる男が意外にも軽口を叩いた。
 マリウスの歌に普段は統制されている感情の疼き、内心の動揺が仄見える。

 グインは多少、マリウスの歌に免疫が有る。
 不可思議な光の宿った穏やかな瞳が瞬き、生真面目に丸い頭を下げ老齢の魔道師に応えた。
(礼を言うぞ、イェライシャ。
 ついでと言っては何だが、もうひとつ頼みがある。
 御苦労だが再び、キタイへ赴きてくれぬか。
 リー・レン・レン達や望星教団、竜王の脅威に曝される者達を護ってやってくれぬか。
 クリスタルを陥した後に俺が遠征の準備を整え、キタイへ乗り込むまでの間だけで良い)

(王よ、少し時間を貰いたいのだが。
 わしが戻るまでの間、マルガに向け軍を進めていてくれぬか?
 ヤーンに懸けて誓うが悪い様にはせぬ、白魔道師共とは連絡を保ち何かあれば駆け付けるよ。
 わしにも多少の利害や都合と云うものがある、竜王の罠を覆す手品の種を仕込む時間も要る)
 グインの閃かせた思考を難無く読み取り、黒から白へ転向した魔道師が応えた。
 我が意を得た、さもありなんと満足気な気配が微かに漂う。

(一刻も早くパロを解放し、キタイへ赴かねばならん。
 其の為には古代機械のマスター、アルド・ナリスの力も大いに必要となる。
 マルガ入りを俺も急ぎ、クリスタル解放の戦いを可及的速やかに始める心算だ。
 リー・レン・レン達を宜しく頼む、キタイの民には強力な魔道師の援護が大いに必要となろう。
 中原に暮らす全ての国々には青星党の若者達、望星教団の戦士達を助ける義務がある。
 彼等の犠牲に拠り竜王は一時的に去り、パロの闇を掃う勝機が見えるに至ったのだからな)

 ドールに追われる男が虚空に溶け、閉じた空間を開こうとした刹那。
 老魔道師の強固な精神結界《サイコ・バリヤー》、心理学的な障壁に後輩の念波が接触。
 敵対する意志を持たぬ崇敬の思念波が許容、変換され超上級者の脳裏に声が響いた。
 同時に数多の思念を統合、凝縮した精神波動の結晶体が実体化。
 ヴァレリウスが直接心話を送信せず、ギール達を経由する非礼を詫び事情を説明する。

(誠に申し訳も御座いませぬ、イェライシャ老師様。
 心話を直接送る事で、キタイの竜に付け入る隙を与えたくありません。
 老師から見れば無用の気掛かり、取り越し苦労かも知れませんが勘弁して下さい。
 ディーン様の歌を贈って頂いた事にも深く感謝します、この御恩は一生忘れません。
 全滅した偵察隊の消息も御報せ下さり、パロ魔道師ギルドを代表して御礼を申し上げます。
 同期の者や師弟から彼等に届けたかった想い、努力を褒め称える多数の念を凝縮しました。
 寄せられた多数の想念を統合、圧縮思念を創造しましたが彼等に届ける手段がありません。
 老師の御手を煩わせる事は本意ではありませんが、御持参を願えませんか。

 キタイへ飛ぶ際、或いは帰還される際で構いませぬ。
 フェラーラ付近で果てた彼等の魂に、御渡し頂ければ真に幸いです。
 圧縮思念に篭もる想念には、彼等を成仏させる程の魔力はありませんが。
 懸命に任務を遂行し最期まで諦めなかった彼等に、報いる術が他に見当たりません。
 彼等を供養するとは申しませんが、せめて墓前いや魂に供えたいと思います。
 足手纏いとは百も承知ですが、必ず何時の日か御恩は返させて頂きます。
 パロ魔道師一同より、謹んで御願い申し上げます。
 我等の想いを、異国の地で果てた同胞へ御届け下さい)

 上級魔道師ギール、下級魔道師ディノン、コームは深く頭を垂れ数多の《想い》を中継。
 優和な微笑を見せた超上級魔道師は圧縮思念を懐に納め、閉じた空間へ闇に消えた。


 マルガで留守を預かる参謀長は、パロ領内の全騎士団が歌の力で正気に返るかと期待したが。
 レムス軍の将兵は精神支配《サイコ・コントロール》下にあり、歌から遮断されていたらしい。
 パロ魔道師軍団の中にも、催眠暗示能力者(ヒュプノ)の素質を持つ者は皆無ではないが。
 キタイの竜王が操る強力な精神操縦、後催眠の解除(リセット)は事実上不可能。

 タラント軍2万は動揺の色を見せず、レムス軍に合流。
 国王側の軍は総勢7万となるが幸い、マルガを急襲する気配は無い。
 パロ最強の魔道師は、身も蓋も無く現実的に戦況を考察。
 古代機械から片時も離れず、主を護る事に専念する。

(俺が竜王なら閉じた空間を遙に凌駕する瞬間移動の秘密を求め、古代機械の確保を図る。
 キタイの反乱なんぞ放り出して機械の操縦方法を知る唯一の存在、ナリス様を狙う。
 レムスに憑依する竜王は魔宮に豹頭王を誘い込み、捕獲する絶好の機会《チャンス》を逃した。
 ヤンダル・ゾックと云えども闇の司祭と同様、グインを圧倒するには力不足と云う事かな。

 キタイ全土に渡る規模の大規模な反乱と言っても、互いの連絡が無ければ各個撃破は容易な筈。
 ナリス様に催眠暗示を掛け古代機械を操縦させ、瞬間移動を駆使すれば形勢は一気に逆転する。
 竜王が本当に中原から一時的に撤退した場合、闇の司祭グラチウスはどう出る?
 競争相手の不在に附け込み古代機械、ナリス様を横から臆面も無くかっ掠う。

 如何にも黒魔道師の元締め、くそ爺いの好みそうな悪辣な手口じゃないか?
 魔の胞子に気付かない風を装い、俺を捨て石にしようとした恨みは忘れん。
 八百年も生きてる奴なんか、信用出来るもんか!
 俺は何が起きても此処を動かず、ナリス様の傍から一刻も離れんからな!!)

(ふん、姑息な手を使いおって。
 ゴーラの狼共の周りには、強力な結界が張り巡されておる。
 マルガの子羊共を喰らえ、と嗾けるに何の問題も無い。
 南の鷹は草原に立ち去り、カラヴィア軍の護衛は1級魔道師に過ぎぬ。
 わしには壮大な野望がある、小鳥の歌なんぞに邪魔されはせぬぞ)

(何が姑息だよ、同じ穴の狢じゃんか。
 おじじだって、アルセイスで似た様な事やっただろ?
 空にでっかく、汚い爺いの顔なんか映しちゃって。
 《石の眼》ルールバ、《矮人》エイラハに手伝わせてさ。
 どうせならもっと、マルガのお姫様みたいに綺麗な顔を映しゃ良いのに。
 まぁ、あんだけ拡大されちゃ、大抵の美形でも厳しいけどね)

(やかましい!
 おまえは黙って、くねくねしとればいいんじゃ!!
 イェライシャめ、余計な真似をしおって。
 今度とっ捕まえたら、新開発の胞子を植え込んでくれる。
 アルセイスの地下牢より遙かに強力な結界、鬼面の塔に閉じ込めた上でな!)

(ふんだ、馬鹿馬鹿しい。
 長舌ババヤガに作らせてる《魔の胞子》の変種だって、未だ出来てないくせに。
 暗黒魔道師連合なんて、大した事ないね!
 あの小汚い3匹位しか結局、使い物にならね~んじゃね~の。
 ヴァレリウスの方が、よっぽど役に立ってんジャン。
 ばーか、ばーか)

(うるさいわい。
 良い加減に、黙らんかい)
 グラチウスが心話で喚き、網状の何かを投げた。
 油断していたユリウスを頭から、すっぽり覆い尽くす。
 怒ったユリウスは、何とか外に出ようと暴れまわるが。
 見掛けに拠らず強靭な材質であるのか、破れる気配は毛頭無い。

 口の減らない古代生物を黙らせた老人の前には、透き通った水晶(クリスタル)の玉。
 ゴーラ王の天幕内部が映し出され、昼間から酒を飲んでいる3次元立体映像が投影される。
 誰かに見られているとは思いも拠らぬ情緒不安定な冷酷王、イシュトヴァーンの許へ。
 マルガに送り込んだ伝令が1人、戻って来た。 

 

ゴーラ王の憂鬱

 実の処ゴーラ軍の密使や伝令は只の1人も、マルガへは到達しておらぬ。
 何度も放たれた伝令達は魔道の結界に捕捉され、ゴーラ軍から離れた直後に拘束。
 グラチウスの催眠術、催眠暗示命令を受け昏々と眠り続けている。
 本物の記憶を完璧に封印された不運な伝令は、何も疑う事無く魔戦士の前に出頭。
 新生ゴーラ王国の最高指導者、炎の破壊王に《マルガ周辺の状況》を報告する。

「何だとぉ?
 リリア湖の上空に光輝く船、正体の知れぬ幽霊船が浮かんでるだぁ?
 馬鹿な事、言ってんじゃねえ!
 昼間っから、酒でも飲んでやがるのか!?」
 自分の事は棚に上げ、ゴーラ王イシュトヴァーンは伝令を怒鳴りつけた。
 マルコも下手に刺激してはならぬと口を噤み、暗雲が陣幕に立ち込める。

 口には決して出さぬが実の所、全く計算外だった。
 途中までは結構、上手く行っている様に見えたのだが。
 ダーナムに参戦し聖王側の正規軍、ベック公の率いる聖騎士団を蹴散らした。
 ゴーラ軍が大歓声を浴び運命共同体の待つ拠点、マルガへ入城を果たす。
 ナリスの前に颯爽と登場する筈だったのだが、読みは見事に外れた。

 パロの人々には嘗ての征服者ヴラド大公、五色騎士団に占領された屈辱が根深い。
 新生ゴーラ王国は旧ユラニア大公国が母体、モンゴールとは縁も所縁も無い新興国だ。
 クリスタルを襲った黒騎士団とは全く関係無い、と散々口を酸っぱくして説いたのだが。
 パロ人の反応は冷たく、黒竜戦役の記憶は簡単に払拭出来るものでは無いと思い知らされた。
 ダーナム防衛軍の指揮官、ルナン聖騎士侯も露骨に内心を表明。
 御座なりに謝礼の言葉を述べると早速、浅手の負傷を理由に姿を消した。

 副官は撃退された敵軍の逆襲が予想され、ダーナムを離れる訳には行かないの一点張り。
 ダーナム市民は一応歓迎してくれたが、食糧や医薬品は底を尽いている。
 とりあえずは命の恩人であるから、罵詈雑言は浴びせずに我慢するが。
 一言で言えば、早く出て行ってくれ。
 口に出しては言わないが、そんな空気が露骨に漂っていた。

 イシュトヴァーンも流石に無言の抵抗、沈黙の壁を流血の惨事で破壊する事は控えた。
 物事は自分に都合良く運ぶとは限らない、と悟らざるを得なかった。
 いや、充分、わかってはいたのだ。
 神聖パロ決起の際、ゴーラの新都には一言の連絡も無い。
 何度も密偵を送り込んだが、全く返事を寄越さなかった。

 他の者ならば手違いが有るかも知れぬが、運命共同体は魔道師の総元締め。
 クリスタル大公アルド・ナリスに限って、間違いは有り得ない。
 イシュタールを出発する遙か以前の時点から、判明していた冷徹な事実を。
 誰よりも良く理解していたのだ、断じて認める訳には行かなかったが。

(ん、待てよ?
 どっかで聞いた様な気がするけど、気のせいか??
 光の船、だって?
 なんか、引っ掛かるな。
 妙に気になるな、何か忘れてる様な気がしやがる。
 そんなもん、見た事ある筈ねぇよなぁ…)

 不意に、脳裏へ甦る光景があった。
 遙か南方、レントの海。
 海賊船《ガルムの首》。
 手すりに立ち、嵐の吹き荒れる夜の海に身を投じようとする豹頭の戦士。
 逆風にも関らず、自由自在に海上を疾駆する謎の物体。
 唐突に姿を消した、帆も櫂も無い《光の船》。

「おい、もう一度言え!
 初めっからだ、お前の仕入れて来た噂を全部言いやがれ!!
 《光の船》が一体全体、何故今頃になってマルガなんぞに現れやがったんだ?
 それで今、《光の船》はどうなってるんだって??」
 苛々した空気を吹き飛ばし、一気に豹変を遂げた嵐を呼ぶ男。
 イシュトヴァーンの真剣な眼差しに、マルコも伝令も眼を丸くした。

「は、はい。
 申し上げます!
 リリア湖上に昨日突然、光る船の様な物体が現れました。
 湖の中の小島に接岸の後、姿を消したそうです。
 クリスタルに拘束されていた筈のリンダ王妃、カラヴィア公息が光る船から現れたとか。
 聖王アルド・ナリスは3日後、治療を終えて皆の前に現れると噂されています」

 この密偵は偽りの記憶を与えられ、送り返されたに過ぎぬのだが。
 知らぬが仏の本人は哨戒線を潜り抜け危ない橋を渡り、己の眼と耳で確かめたと確信。
 闇の司祭は芸術的な手腕を披露、記憶の途切れは無く整合性も完璧。
 続きが有るか確かめようともせず、話を横取りする赤い街道の盗賊。
 吟遊詩人の噂話を横獲りする冒険児、イシュトヴァーンの面影が甦り若い顔が輝いた。

「ってこたぁ、ナリス様が明後日にゃ戻って来んだな!
 こんな貧相な街に用は無ぇ、マルガへ向かうぞ!!」
 苦虫を噛み潰した様な貌が豹変、明朗闊達に破顔する魔戦士。
 数々の実績を誇る問題児、イシュトヴァーンの暴走を懸念する実質的な新生ゴーラ運営者。
 カメロンの信頼厚い忠実な副官、海の兄弟は安堵の溜息を吐いた。

「未だ、ベック公軍は撤退していません。
 補給路を断たれる可能性は、ありませんか?」
 オルニウス号の元水夫長マルコ、提督の代理人《エージェント》は期待に応え暴れ馬を牽制。
 万一に備え最悪の事態を想定、不案内な異国の地から脱出する逃げ道の確保を暗に勧める。
 自信満々の風雲児は聡明な副官の配慮に気付かず、豪快に笑い飛ばした。

「ナリス様の調子が悪かったから返事が来なかっただけさ、そんな心配は要らねぇよ!
 光の船とやらから出て来る時、ナリス様の御前に新生ゴーラ軍3万を整列させて出迎えてやる。
 ケイロニアの力は借りねぇ、グインにゃ助力は要らねぇからとっとと帰れと言うさ。
 レムスの餓鬼なんざ追い出して神聖パロ、ゴーラの王様が手を組み中原を征服するんだ。

 ナリス様と俺は天下を取るんだ、誰にも文句なんざ言わせねぇぜ!
 豹の旦那に邪魔はさせねぇ、指を咥えて見てるしかねぇ様にしてやる。
 マルガに着いたら眠らせてやる、1ザン後に動くと全軍に伝えろ!」
 ゴーラ軍は総司令官の号令を歓迎、ダーナムを放棄し直ちに進撃を開始。
 イシュトヴァーン得意の猪突猛進に異を唱えず、マルガ街道を夜間行軍で南下する。

「ふん、そうは上手くいかんぞ。
 リー・ファの仇、取らせて貰う」
 グル族を率い北上する草原の黒太子、スカールは抜け目無く偵察を派遣。
 馬と共に暮らす草原の民が俊足を飛ばし、的確に各地の状況と最新情報を収集。
 ゴーラ軍3万を率いる仇敵、イシュトヴァーンの動向が判明し馬術の達人達は疾走。

 破壊王の異名を奉られる魔戦士の叱咤を怖れ、ゴーラ軍は不案内な異国で闇の中を進む。
 マルコの危惧が的中し精悍な騎馬の民、一騎当千の戦闘集団が繰り出す猛撃をモロに受けた。
 イシュトヴァーンは深酒が祟り、スカール相手の一騎打ちに劣勢を強いられるが。
 命辛々崖から激流に身を投じ、復仇の念に燃える南の鷹から逃走。
 遙か上空では到底、常人に聞き取る事の不可能な魔道師達の会話が飛び交っていた。

(貴様、ドールに追われる殻潰しめ!
 一体、何の真似じゃ!!
 何故、グル族の気を隠した!?
 南の鷹へ味方する理由なぞ、貴様には無い筈だぞ!!)

(性懲りも無く、出てきおったな。
 名医を装い黒魔道の術を施す偽善者め、お前に言われる筋合いは無い。
 キタイのリー・レン・レンを手に入れ損ねたので、またぞろ馬鹿な考えを起こしおって。
 アリストートスを魂返しの術で甦らせ、パワーを得る当てが外れた愚か者。
 無辜の民を血の海に沈め、怨念を己が魔力として吸収せんと図る阿呆めが。
 モンゴールの民に続き、マルガの民も黒魔道の生贄に捧げる事は許さぬ)

(キタイで邪魔しに出しゃばっただけでは飽き足らず、またも首を突っ込んで来るとはな。
 今度は、アルセイスの地下牢獄に縛されるだけでは済まんのだぞ!
 尻尾を巻いて逃げ帰るが良いわ、くそ爺いめ!
 その未練がましい細首をドールが捻じ切る前にな!!)

(退くのは、貴様の方だぞ。
 お前がキタイでリー・レン・レンにちょっかいを出した事は、北の豹に知れた。
 豹頭王の力《パワー》無くして、貴様如きが聖王宮の魔王子に対抗出来る訳が無い。
 グインが到着すれば王の力《パワー》を借り、お前を封印してくれるぞ)

(ふん、言いおるわ!
 良いとも、この場は引き上げてやるが、次に会ったが百年目だ!!
 恨み晴らさで置くべきか、素っ首を捻じ切ってやるから覚悟しておけ!
 他力本願の爺め、覚えておれよ!!)

 戦場の上空からグラチウスの気が闇に滅し、イェライシャの気も消滅。
 パロ最強の上級魔道師は古代機械から片時も離れず、南の鷹と決裂せずに済んだが。
 騎馬の民に夜襲を受け新生ゴーラ軍、中原に猛威を揮う戦闘集団は大混乱に陥った。
 破壊王の異名を持つ最高指揮者の行方は杳として知れず、身動きが取れぬ。
 留守を預かる副官も途方に暮れ、行動の見通しが立たず翌昼まで行軍停止となった。

(えい、くそ!
 飲んだくれの王めが!!
 人を恨む事しか知ろうとせず、成長しようとせぬチチアの赤子め!
 一体、何処へ消え失せおったのだ!?
 豹めが先に、マルガへと入ってしまうではないか!
 マルガを血の海に沈め、恨みの念を利用せんと計画しておったのだぞ!!
 折角、用意周到に段取りを付けてやったと云うのに!
 わしの努力が皆、無駄になってしまうではないか!!

 ユリウスの阿呆め、全く使えん奴じゃ!
 何を手間取っとるんじゃ、ヴァラキアの恨み児をとっとと連れて来んか!!
 イェライシャのくそだわけは目出度く、キタイへ厄介払いとなり竜王の餌食と化すであろうに。
 絶好の機会が到来したと云うのに、何処をほっつき歩いておるのだ?
 已むを得ん、闇の司祭様が自ら動くしかあるまい。
 己の不幸を責任転嫁する事しか考えようとせぬ餓鬼、ゴーラの馬鹿王を連れ戻すしかあるまい)

 古代生物の相棒を探し廻る事、数タルザン後。
 闇の司祭グラチウスは逃げ廻る相棒、ユリウスを発見。
 執拗に追い掛ける蛞蝓に似た妖怪、クロウラーは一撃で消滅。
 ユリウスの記憶を走査し、ヤンダル・ゾックの暗躍を知った。 
 

 
後書き
 グイン・サーガ第83巻『嵐の獅子たち』の裏舞台を想像。
 スカールが魔道師のグラチウスに気付かれず、ゴーラ軍を奇襲可能とは思えなかったので…勝手に牽強付会を試みていますが、栗本先生の描写と重なる場面は避けました。
 正伝で語られていない部分、正伝とは異なる解釈をした部分を基に話を展開しています。

・正伝で語られていない部分

 イェライシャがキタイの状況を知らせる場面は、記述されていないと思います。
 ヴァレリウスからナリスへ、心話で報告されていますけど。

 ルールバとエイラハが、サイロン上空に巨大な顔を投影した術は…。
 サウルの顔をアルセイス上空に投影した闇の司祭、グラチウスの幻術を応用?

・正伝とは異なる解釈をした部分

 スカールがグラチウスの不意を突いて、ゴーラ軍を夜襲出来たのは…。
 後にグインの気を感知不能とする術を用い、騎馬の民2千の気配をイェライシャが隠したから? 

 

指導者の帰還

 グインは黒竜騎士団、金犬騎士団、竜の歯部隊を束ね神聖パロ勢力圏を疾走。
 ゴーラ軍が立ち往生する間に秀逸な機動力を発揮、サラミス街道を駆け抜ける。
 ワルスタット選帝侯ディモス統率の部隊は機動力に劣る為、エルファに待機。
 マルガに総勢2万1千の精鋭、ケイロニア軍の勇者達が到達し盛大な歓迎を受けた。

(グラチウスが新生ゴーラ軍を操り、マルガで虐殺を引き起こさんと企んでいたがな。
 草原の鷹を手助けして来た、ゴーラ軍は導き手を見失い動きが取れぬ。
 マルガへ王が先に入り軍を展開すれば、パロの民を虐殺する事は出来ぬだろう)
 グインの脳裏に、イェライシャの遠隔心話が響く。
「礼を言うぞ、イェライシャ」
 イシュトヴァーンを出し抜き、マルガ北方の街道を抑えた豹頭王は簡潔な思考を閃かせた。

(リー・レン・レン達を護ってやれ、と王は言っておったが大丈夫か?
 グル・ヌーの星船に棲む《種子》の紡ぐ思考、強力な念波は北の賢者も理解不能であったそうだが。
 一千年の齢を数える見者ロカンドラスも遥かに及ばず、推し測る事も出来ぬ代物と驚嘆しておった。
 王も紅蓮の島にて《超越者の種子》を実見の際、力《パワー》の一端は感じ取ったと思うが。
 ノスフェラスの怨念を喰らい、糧として成長を遂げた魔王子とやらも《種子》の一族。
 グラチウスに足元を掬われるとは思わぬが、竜王の孵化させた《超越者の種子》は難物だぞ)
 大導師アグリッパの意を察し、ヴァレリウスを後援する事となった男が懸念を表明。

「それは分かっているが、何とかする心算だ。
 異世界の魔道は初見参だが魔界の剣、スナフキンの贈物に加え古代機械もある。
 闇の司祭に及ばぬとは言え、ヴァレリウス以下の魔道師達もいる。
 竜王が狙う標的《ターゲット》、リー・レン・レン達が心配だ。
 全土反乱に至る可能性の芽、キタイの明日を担うであろう若者達に万一の事があってはならぬ。
 独立運動を起こせ、と彼等に焚き付けたのは他ならぬ此の俺なのだからな」

(わかったよ、律義な王じゃな。
 ユー・メイが一緒に連れて行ってほしいと言っとるが、どうするかね)
「キタイへ戻るのは危険だと思うが、本人の希望であれば致し方あるまい」
(王の希望とあれば容れぬ訳には行かぬ、了解したよ。
 それじゃ、行って来るよ)
 ドールに追われる男、イェライシャは【笑】の感情記号を遺し閉じた空間の中に消えた。

 闇の司祭は己の操り人形として使う為、ゴーラ王に施された後催眠を入念に解析。
 竜王の催眠暗示命令は解除せず、己の意図に沿った形で利用を図る。
(ヤンダル・ゾックめが、余計な手出しをしおって!
 だが奴めも1~2年は中原へ手出しする余裕は無い、と踏んでおる様だな。
 マルガなど何時でも潰せる故、アモンとやらを先に片付ける方が得策だな。
 聖王宮を闇王国に君臨する魔都、ドールの暗黒神殿に造り変える絶好の機会。

 豹頭王は魔戦士の対応に暫く時を要する、中原の真珠を掌握するは児戯に等しい。
 チチアの子狼は捨てられる恐怖を煽り、逆恨み妃を操り狂女の如く責立てれば、豹は成す術も無い。
 キタイの竜めと強情な豹頭王を嚙み合わせ、キタイと中原の黒幕となる勝者は闇の司祭グラチウス也。
 早速クリスタルへ飛び、魔王子とやらを捻じ伏せるとするか。
 壮大な野望の成就する刻は案外に近いかも知れぬ、ヒョヒョヒョヒョヒョ)
 闇の司祭グラチウスも閉じた空間を開き、魔都に向け姿を消した。

 イシュトヴァーンは翌朝、何処からとも無く自軍の天幕に舞い戻った。
「堪忍袋の緒が切れた。
 神聖パロの奴等なんぞ、皆殺しにしてやる。
 スカールの野郎が神聖パロとつるんでる事は、わかってんだ。
 ナリス様が死んだって時に、後から出て来て竜頭の化けもんと戦ってたじゃねえか。

 マルガの弱虫共は、スカールに泣き付きやがったんだ。
 自分達は何も知りませんでしたってな顔で、しゃあしゃあと誤魔化す腹積もりでな。
 わざわざ援軍に出向いてやったってのに、やる事が汚ぇ。
 俺達ゴーラ軍を邪魔と見て、切捨てにかかりやがったんだぜ!

 ナリス様は、何も知らねえんだろうがな。
 他の奴等は一人残らず、ぶった斬ってやる。
 俺のやっちまった事をあげつらって、血に飢えた化け物扱いしやがって!
 ゴーラを舐めたマネする奴がどうなるか、教えてやる!!」

 驚く副官マルコの制止を振り切り、マルガ襲撃を命令。
 炎の破壊王は紅都アルセイス、トーラスに続き流血の惨事を実現する為に進軍を再開。
 ケイロニア王の新設した旗本隊、竜の歯部隊は黒竜騎士団・金犬騎士団と合流。
 マルガ北方《星の森》に総勢2万1千が展開、ゴーラ軍を阻止する構えを見せる。

 イシュトヴァーンは嘗ての盟友グインに使者を派遣、懐柔を試みた。
 新生ゴーラ王国は神聖パロ帝国の盟友、レムス軍を撃退する為に馳せ参じた援軍と釈明するが。
 一枚上手の老獪な交渉人《グラディエイター》、グインは懐柔に応じると見せ翌日の入城を勧告。
 イシュトヴァーンと直接対談、人払いの上で腹を割った上での密談を提案。

 紆余曲折の末に実現した会見の場で想定内の事態が突発、ヤンダル・ゾックの後催眠が発動。
 イシュトヴァーンは表情を不自然に硬直させ、グインの提案を蹴り戦端を開く。
 ゴーラ王が魔の胞子に犯されいるか否か、ギールに確認させた後で豹頭王は戦闘を開始。
 ナリスが帰還すると予知姫の告げた運命の日、パロの救世主アルド・ナリス帰還の前日。
 ゴーラ軍3万、ケイロニア軍2万1千が星の森で激突。

「早い者勝ち、とは承知していた心算だが失敗ったかな。
 奴め、逃げ切る事は出来るか?」
 グル族は約2千、ゴーラ軍3万に真正面から仕掛けては勝算が立たぬ。
 戦況を望見する黒太子スカールは呟き、顔を顰めた。

 ケイロニア軍に野盗の群れは歯が立たず、蹂躙され敗走するは確実。
 イシュトヴァーンは鼻が利く故、ケイロニア軍からも要領良く逃れる筈。
 仇敵を待ち伏せ、自由国境地帯で捕捉するしかあるまい。
「已むを得ん、北上するぞ」
 良く通る声に従い草原の民、グル族の精鋭達が一斉に騎乗。

 ノスフェラスより草原へ帰還した頃に感じた、一時の病。
 異様な脱力感とは異なるが最近、妙な悪寒を感じる。
「グラチウスから貰った薬のせいかも知れぬ、暫く控えてみるか」
 草原の鷹は数日後、闇の司祭に仕掛けられた罠に気付く事となる。

 マルガ北方、星の森付近で激突する2大勢力。
 ケイロニア軍の猛攻に、ゴーラ軍は押しまくられた。
 1ザン後に抜群の練度を誇り豹頭王に直属の旗本隊、竜の歯部隊は後方に下がった。
 ゼノンに経験を積ませる意図を秘めた采配、グインの思惑であるが。
 魔戦士は踊らされているとは夢にも思わず、反撃の好機が訪れたと錯覚し勇躍。
 逆襲に転じるが勇将ゼノン以下、金犬騎士団1万の邀撃で忽ち高揚した戦意が萎む。

 ゴーラ軍は最初の1ザンで植え付けられた恐怖が再発、勢いに陰りが生じ矛先が鈍る。
 金犬騎士団が危うくなれば、竜の歯部隊が出て来る。
 敵兵の後方に控える水竜の旗印を見て、自然に及び腰となる新生ゴーラ軍。
 戦意喪失とは言わぬが完全に委縮、攻撃も気迫に欠け容易く退けられた。
 ゼノンは命令に忠実に従い、攻撃に転じて前進する事は控える。

 トール率いる黒竜騎士団1万は逆に、圧倒的な集団戦闘の技量を披露。
 グインの意図に沿い多彩な攻撃を仕掛け、ゴーラ軍の対応能力を試す。
 迂回し想定外の方向から奇襲、或いは敗走と見せかけ誘い込んで待伏せ攻撃。
 左右両翼が見事な連係動作《コンビネーション》、時間差攻撃を実演。
 続いて中央突破と見せ掛け、密かに背後へ廻り込み包囲攻撃。
 イシュトヴァーンも挽回を図るが、ゴーラ軍は翻弄され悉く先手を取られた。

(豹の畜生め、勝てる気が全然しねぇ!
 くそったれめ、一体どうすりゃ良いんだ!?)
 日没まで突破口を見出せぬ儘、ゴーラ軍は後退。
 グインは金犬騎士団を下げ、黒竜騎士団と竜の歯部隊が夜襲に備える。
 戦の匂いを嗅ぐ予知能力者イシュトヴァーンと云えども、パロの地理は弁えぬ。
 次元の異なる戦闘能力を誇るケイロニア軍を相手に、夜襲を仕掛ける度胸は無かった。

 マルガに暁の光が訪れ、湖の小島に佇む瀟洒な館の庭を照らす。
 光の船の展開する超科学の防御力場、不可視の障壁が解除された。
 不休不眠で結界を張り続け、聖者の帰還を念じる魂の従者。
 ヴァレリウスは柄にもなく運命神ヤーンに真摯敬虔な祈りを捧げ、不安に震える心話を送信。
(ナリス様、御無事で…)
 感情の激浪に念波が乱れ、心話を形造る事も言葉にする事も出来ない。
 灰色の瞳を慄かせる魔道師の裡に、懐かしい心話が響いた。

(様々な夢を見たよ、ヴァレリウス。
 3日前には世界を護る運命の戦士、グインに会えたら死んでも良いと思っていたけれど。
 アグリッパに会った君を嘗ては死ぬ程、羨んでいたけれどもね。
 もう、そんな事はないから安心し給え。

 古代機械を使えば治療が可能、とは想像も出来なかった。
 グインに、感謝しないといけないね。
 今の私は生まれたての、赤ん坊の様なものだな。
 何もかもが、とても新鮮だよ。

 リンダとヨナに、伝えておくれ。
 私は産まれたての赤ん坊の様に、元気だとね。
 ああ、床が上昇を始めた。
 私の傍に来て、身体を支えてくれないか。
 奇蹟の帰還を果たした神聖パロの聖王が無様にも、皆の前で転倒する訳には行かないからね!) 

 

湖の波紋

「カレニア政府と神聖パロ帝国は解散する、其の様に決めた。
 諸国への通達は通常の伝令で構わない、下級魔道師も結界を強化して貰う」
 古代機械の認める《マスター》、聖王家の正統後継者は闇色の瞳を煌かせた。

 魂の従者が胸に秘める懸案事項を読み取ったかの如く、唐突に宣告する美貌の策謀家。
 アルド・ナリスが艶然と微笑み、ヴァレリウスは硬直。
 背後を振り返ると悔しい事に、ヴァラキアのヨナは至極当然と頷き表情を全く変えておらぬ。

「そんなに、無茶苦茶な事を言ったかな?
 聖王レムス1世は憑依服従の支配下に在るが、自我を保持し竜王の支配に抵抗している。
 リンダとアドレアンを救出した際、グインが確認してくれた。

 神聖パロ帝国は虚構、と言っては言い過ぎだが単なる方便に過ぎない。
 骨肉の争い、パロ聖王家の遺恨試合と見られたくなかったからだ。
 私は元々、聖王の座に興味は無いからね。

 竜の門が殺戮を繰り返した為、真実は既に明らかとなった。
 キタイを蹂躙した黒魔道師が聖王を操り、中原の真珠クリスタルを支配している。
 私の告発が真実である事は世界最強の軍勢を率いる英雄、グイン陛下の保証を得た。
 クリスタル解放の暁にはどうせ聖王国と合併して、発展的解消を遂げるのだからね。
 神聖パロ政府は形態を改め、パロ解放軍に名称を変更する。

 パロ製王国の第三勢力、カラヴィア公アドロン殿は昔から私と距離を置いている。
 リンダが色仕掛けで愛息を操り、たぶらかした訳では無いと納得させるのは至難の業だが。
 アドレアン公子を置き去りにして、セム族の娘を優先した訳ではないからね。

 冗談はさて置き聖王レムスの後ろ楯、沿海州の雄アグラーヤ王国にも特使を派遣しよう。
 レムスは憑依され傀儡となった責任は免れない為、聖王の称号を剥奪し監視下に置くが。
 竜王の影響から脱した事を証明できれば復位、統治する事には何の問題も無い。

 ボルゴ・ヴァレンの娘婿は洗脳が解けるまで拘束するが、アルミナ王妃の身分は安泰だ。
 何度でも再言するが、アルド・ナリスは聖王の座に就きたいとは思わない。
 クリスタル大公アルド・ナリスは心を入れ替え、数少ない王族の一員としての責務を果たす。
 カラヴィア侯アドロンは私を御嫌いの様だが、この線で説得すれば問題は無いと思うよ。

 何なら経験豊かな摂政として、トール・ダリウか誰かを迎えても構わない。
 私も悔い改め、忠実無私の宰相として聖王レムス1世を真摯に補佐する事を誓う。
 人材も払底しているし、そこまで言えば本気だと思って貰えるんじゃないかな。

 アルゴスにも使者を出して、スタック王を宥める必要がある。
 総ての責任は私に在る故スカール、グル族に罪は無いと納得させないと。
 草原の民に慕われる腹違いの弟を追放する絶好の機会、と判断している場合は無効だがね。

 世継ぎの王子を得た兄は、王妃に倣い愛する弟へ暗殺者を差し向ける可能性もある。
 考え様によっては、そうなれば好都合かも知れない。
 中原に名を馳せた草原の勇者、スカールは聖王家の親戚でもあるからね。
 ファーンを友と呼んだそうだし、三顧の礼で迎えたい逸材だよ。

 古代機械から出て来る前に、ケイロニア王の意向は念話で確認した。
 キタイの惨状を実見した豹頭王は、我々の味方だ。
 旧知の友、レムス救出の可能性も示唆してくれたよ。
 神聖パロ帝国の看板は外し、王位請求の形を取る方が得策とも指摘されたけどね。

 イシュトヴァーン率いる新生ゴーラ軍、グイン率いる世界最強ケイロニア軍の激突は私が阻む。
 事態収拾の秘策は運命共同体の我が友と直接、対面の機会を作り素直に謝る事だ。
 草原の民が仕掛けた夜襲、新生ゴーラに何の連絡も無かった事は総て私の責任と認めてね。
 アルド・ナリスの名に懸けて、両軍の休戦を実現してみせるよ。

 私が頭を下げて嘆願すれば、イシュトヴァーンの面子も立つ。
 ゴーラ軍の兵士達に対する格好も付くし、一部始終を見れば納得するだろう。
 イシュトは理解してくれると思うよ、個人な蟠りは私が解いて見せるからね。

 ゴーラ三国の覇権を競う潜在的な仮想敵国、クムは新大公を支えるのに精一杯の模様だが。
 カムイ湖の周辺を支配し竜の紋章を掲げ、水の国ハイナム第1王朝と共通する点が多い。
 竜の門を参考にした訳ではないだろうけど、クムの軍勢は魚鱗の如き外見の鎧を装着する。
 キタイと異なり竜王の影は感じられないが、何等かの影響を受けている可能性は否定出来ない。
 クリスタル解放を早急に実現させ、クムの内部調査も実施しなければならないね。

 二大強国の助力を得て中原の真珠クリスタルを奪還の後に、キタイ解放の戦いが始まる。
 望星教団の最高指導者ヤン・ゲラールは信頼に足る、有力な味方になるかも知れない人物だ。
 キタイの内部事情にも精通しているし、グインの名を出せば相互支援の契約も結べるだろう。
 先日にも体験させられたが望星教団、キタイの暗殺者と手は組めぬと騒ぐ連中も多い。
 北の王に音頭を取って貰い、ケイロニアを中心とする中原連合軍を組織した方が良いね。

 豹頭王の許に強国と新興国の勇者達が集い、キタイの民と青星党への援軍を組織する。
 パロの兵は残念ながら弱いからね、ヴァレリウスには魔道師部隊を率いて参加して貰いたい。
 ケイロニア兵は強いが魔道には免疫が無い、両者の協力が絶対に必要だよ。
 クリスタルの解放は通過点に過ぎない、竜王は虎視眈々と捲土重来の機会を窺い続けるからね。
 キタイ全土を竜の門から解放する事が唯一、根本的な解決となるのだよ」

「私も神聖パロ、カレニア政権の呼称は外す方が良いと考えていました。
 中原の守護者グイン王へ主役の座を譲るには良い潮時、と思います」
 言葉が出ない灰色の眼の魔道師に代わり、ヴァラキア出身の学者が冷静に応えた。
 誰よりも重い責任を担っていた神聖パロ参謀長は、痛い程に実情を理解している。

 ナリスは実質的な最高指導者の役割を務めた盟友、ヨナの苦労を思い瞑目。
 カラヴィアのラン同様、アムブラの学生達も市民達の臨時指揮官役を務め相談も出来ない。
 3日に渡り事実上1人で情勢の変化に対応して来た友に頷き、優しい眼差しを投げた。

「君はやや落ちるが、この中では人がましい方だ。
 それとも、ヨナを凌ぐ叡智の持主かね?」
 ヴァレリウスの瞳が泳ぎ、ヴァラキア出身の若者は隣で笑いを噛み殺す。

「マルガ離宮へ、連れて行っておくれ。
 ルナンやワリス達、実際に戦っている者達と対面する必要が有る。
 彼等には直接、感謝しなければいけないからね。
 おそらく彼等は内心、相当な不満が溜まっている筈だよ。

 自分達が戦闘の矢面に立っているのに、何の相談も無く物事が進んで行く事にね。
 これまでは私の身体が問題だからと無理やり、不満を押さえ込んでいたのだよ。
 或る程度まで病状が回復したと私から直接、感謝の意を伝えれば彼等も納得する。
 私も剣を取って共に戦うと宣言すれば、これまでの忍耐も報われたと思って貰えるだろう。

 次にマルガの人々へ顔見せだが、直接では無く上層階《バルコニー》からで良いね。
 リンダとヨナに横から支えて貰い、私が車椅子から立って話す所を見て貰わないと。
 大きな声は出ないから魔道で増幅、辿々しい喋り口になるだろうが逆に効果的かもしれない。
 演出次第だが御披露目を済ませ、イシュトヴァーンと会う」

「なんですって、イシュトヴァーンと会う?
 ゴーラ軍のど真ん中にいる無法者と会って、無事に帰って来られると思ってるんですか!?」
 実質的な魔道師ギルド指揮官、パロ最強の実力者が漸く呼吸を整え口を挟む。
 満面に溢れる虫も殺さぬ無邪気な微笑、幼子の素顔が透けて見える様な表情が返って来た。

「どうしたの、先刻言った事を聞いてなかったのかね?
 私と再会して感激してくれているのは良く分かるが、お前はもっと実際家だと思っていたよ。
 いやまぁ此の様な言い方は大変失礼で、私の方が悪いのだと充分に理解しているけれどね。
 実務に差し支えるよ、そろそろ何時ものお前に戻っておくれ。

 切れ者リーナスの名声を陰から支える黒子、忠臣にして権謀術策に通じた魔道王国の宰相。
 アルド・ナリスと互角に競い合う叡智を秘める名参謀、大魔道師ヴァレリウス伯爵にね。
 私の顔なんて見飽きる程に眺めて来た筈の君が、急に無口を貫くなんておかしいよ。
 そんなに、美しいかね?」

「ぶっ」
 思わず噴出してしまった後、ヴァレリウスの瞳から涙が溢れた。
 眼の廻る様な幸福感が湧き起り、感情の大波が心底から込み上げる。
 心の一部が融け、解放されて行く。

 夢じゃない。
 この方は、本当に還って来たのだ。
 もう、ゾルーガの指輪は要らない。
 縺れた感情の塊が軽く透明な気体と化し、心から流れ出て行った。 

 

新たな潮流

 アルド・ナリスが側近と密談を終えた直後、パロ魔道師ギルド総帥の遠隔心話が届いた。
 カロン大導師は竜の門と直接対決を避け、サラミスに魔道師の塔を移転した選択を釈明。
 キタイの黒魔道に対処する能力の欠如を認め、ヴァレリウスに実働部隊の指揮権を委任。
 ナリスの要請で漸く聖王家の一員リンダ、アル・ディーンの護衛に微力を尽くす旨を表明。
 次席ギルド長ミール等の下級導師達も高齢、体調不良の為に参戦を辞退している。
 厄介事を押し付けられた格好の苦労人、ヴァレリウスは深い溜息を吐いた。

 パロ魔道師軍団の総指揮官は、古代機械の周囲に展開した結界を解除。
 下級魔道師50名で各5名の班10個を編成、上級魔道師1名を配属。
 五芒星の魔法陣を組み、魔力を増幅して竜の門に対抗を試みる。
 アルド・ナリスの護衛を上級魔道師ミード、ロルカ、ディラン指揮の班が担当。
 当直、魔力回復の為に睡眠、休憩の三交代制を敷き魔法陣と結界を維持。

 カラヴィア公アドロン、カレニア伯ローリウス、聖騎士侯ルナン、ワリス、ダルカン。
 神聖パロ側の武将が率いる軍勢は陶業、パロ解放軍と称し魔道師3班が奇襲を警戒。
 ケイロニア軍の別動隊と合流する為、エルファに移動を開始。
 上記5名の指揮官に見習い魔道師1名を配属、心話の連絡や偵察の役割を担う。

 グイン直率の部隊にも上級魔道師ギールに加え、3班18名の魔道師を派遣。
 下級魔道師4名、見習い魔道師5名も加え総勢28名が豹頭王の指揮下に入る。
 上級魔道師アイラス指揮の班は緊急事態に備え、予備兵力として控置。
 下級魔道師4名、見習い魔道師も含め約40名が解放軍の総帥アルド・ナリスに同行。

 国王の留守を預かる宰相ランゴバルト侯ハゾスの許に、飛燕騎士団の伝令を派遣。
 下級魔道師ディノスが閉じた空間の術を操り、サイロンの黒曜宮に姿を現す。
 ケイロニアの騎士から口頭で最新の情勢が伝達され、花押の捺された密書を提出。
 パロ聖王を操る黒魔道師を討ち、中原の安定を図る旨が大帝に報告された。

 イシュトヴァーンの留守を預かる宰相カメロンの許には、下級魔道師コームを派遣。
 カレニア政府の首席アルド・ナリス、ケイロニア王グイン署名の密書を提出。
 ゴーラの新都イシュタールで気を揉む英雄の為、情勢を詳細に記し協力を要請。
 イシュトヴァーンとの行き違い、小競り合いは催眠術に操られた結果であり責任は問わぬ。
 ゴーラ軍にも中原の盟友として遇し、キタイ勢力の排除に賛同を促す意志を表明。

 沿海州と草原地方への密書は魔道師を使わず、騎馬の使者が赤い街道を疾走。
 アグラーヤ王ボルゴ・ヴァレンの愛娘アルミナ、娘婿レムスの御心配は無用。
 ケイロニア軍の支援を得て聖王夫妻の身柄を確保、黒魔道師の呪縛から解放する。
 聖王レムス統治の体制は不変、有能な補佐役の派遣を要請する。
 アルド・ナリスは魔道師軍団を率い、キタイ遠征に赴く旨が記されていた。
 前パロ聖王アルドロス三世の末妹、アルゴス王スタックの妻にも密書が到着。
 スカールの無断出奔を弁護、恩赦を願うと記されている。

 リンダは士気高揚の為、マルガ離宮で顔見せ後サラミスへの移動を承認。
 ナリスと共に軍の先頭に立つ、と熱弁するが最愛の夫に説得され撤回している。
 パロ全土を震撼させた歌い手マリウス、アル・ディーンも鍵を握る重要人物。
 リンダ同様に魔道師ギルド、移転した魔道師の塔が護衛を担当する旨を誓った。
 アルド・ナリスが死を免れる時、世界は新たな分岐に向けて動き出すかもしれぬ。
 嘗て大導師アグリッパの結界で語られた言葉が、ヴァレリウスの脳裏に甦る。

 レムス即位の際に聖双生児の姉、予知者リンダの視た凄惨な悪夢。
 中原の真珠パロを襲う膨大な濁流、赤い鮮血の大河を覆す希望の光。
 北の王が齎す白い血の効果を極限まで高める触媒、パロ聖王家の青い血。
 白光を放つ星々のエネルギー、種族の遺伝記憶が秘める叡智の相乗効果。
 リリア湖の小島に誕生した新たな潮流、キレノア大陸を席捲する青い嵐の萌芽。
 北の星と暁の星が瞬き、青白い極光の渦が虚空を駆け抜けた。


 カレニア政府の首脳は外交面で手を打ち、マルガ離宮に諸将を召集。
 ケイロニア軍の参戦後は待機を命じられ、手持無沙汰の騎士達が一室に集合。
 パロ聖騎士侯ルナン・ダルカス・ワリス、聖騎士伯リギア。
 市民義勇軍の代表カラヴィアのラン、カレニア伯ローニウス。
 心を躍らせ顔を揃えた勇将達の前で、アルド・ナリスが語り始めた。

「ルナン、ダルカス、ワリス、ローニウス、ラン、リギア、親愛なる戦友諸君。
 そう呼ばせて貰っても良いだろうね、もう大丈夫だよ。
 今まで散々辛い目に遭わせてしまったが、私は死の淵から帰って来た。
 心配は無用だ、大船に乗った気で安心してくれ給え。

 ランズベール侯爵を始め、貴い生命を捧げてくれた人々のお陰だ。
 絶望的な状況でも希望を棄てず戦い抜いた彼等が、私に新たな生命を与えてくれた。
 現在の私は筋肉が衰え歩行訓練の必要な状態だが、少しだけ時間を貰いたい。
 出来るだけ早く馬に乗れる状態まで回復させ、私も最前線に立ち共に戦うからね」

「何を仰いますか、ナリス様が御元気になられただけで充分です!
 リュイス達も草葉の陰で喜んでおる事でしょう、戦いは我等にお任せ下さい!!
 心配など為さらず御体の治療に御専念ください、御懸念には及びませんぞ!
 自ら先頭に立たれずとも、御尊顔を披露頂ければ充分です!!

 ナリス様の御帰還は兵達に知れ渡り、大いに戦意が上がっております!
 戦場の事は我等に御任せあれ、安心して御体の訓練に専念して下され!!」
 ルナンが年甲斐も無く拳を震わせ、滂沱と溢れる涙を拭いもせず声を張り挙げる。
 白髪のダルカスと温厚なワリスも眼を潤ませ、ローニウスの紅潮した顔も輝いた。

「困難な戦いに弱音を吐かず良く従いて来てくれた、心の底から感謝しているよ。
 戦いに身を投じてくれた全員に直接、礼を言いたい所だが魔道師が足りない。
 ケイロニア軍の参戦で今後の見通しは明るい、今までの苦闘に感謝すると伝えたい。
 残念だが已むを得ない、広場に集合して貰い語り掛ける形で勘弁して欲しい」

「何よりの御言葉です、ナリス様!
 皆、どんなに喜びます事でしょうか!!」
「そう言ってもらえると助かるな、皆を広場へ移動させてくれないか?
 整列など必要ないし市民達も一緒で構わない、共に喜びを分かち合って貰いたい。
 マルガの民達から直接、感謝の言葉を聞ける方が良いと思うのだが。
 戦っていない者達と同じ扱いは不当だと、不満に思われるだろうか?」

「そんな事はありません、そのような不心得者は1人もおりません!
 御心遣いに感謝致します、部下達も市民と共に喜びを爆発させる事になりましょう!!」
「重ねて感謝するよ、親愛なる戦友諸君。
 全ての戦友達や市民達と共に、私の挨拶を受けておくれ」
 ナリスが光り輝く微笑を見せ、各々に視線を走らせ早速行動に移る様にと指示。
 武将達は喜び勇んで、一刻も早く兵達を移動させんと部屋を駆け出して行った。

 マルガ離宮の瀟洒な建物に面する広場には、興奮気味の市民達が集い立錐の余地も見当たらぬ。
 天にも届くかと思われる熱気と興奮が渦巻き、眼に見えぬ不可視の陽炎と化し頭上へ昇華。
 古代機械内部で未知の治療を受け生命力を回復、生還後は初めて公の場に登場する指導者。
 アルド・ナリスは身体を支え切れぬ両脚、覚束無い平衡感覚を訴え左右2人の補助を要求。
 聖王家の著名人を左右から支える大役を、ヴァレリウスから取り上げると宣言。
 ヴァラキアの学究ヨナに一方を割り振り、参謀長の影響力を一気に拡大する術策を解説。

「どうして反対するのだね、絶好の機会じゃないか!
 パロの民から敬愛され信望を一身に集める聖王家の象徴、リンダは当然として。
 愛妻と並ぶ最大の側近は誰もが元宰相、ヴァレリウスと予想するだろうけれど。
 それでは面白味に欠け演出家として落第だね、隠し玉が無いと衝撃も僅少だよ。
 誰もが知る最強の魔道師を差し置いて、私の身体を支える謎の人物が初めて公の場に登場する。
 誰も知らぬ怪しい若者の正体を巡り、疑問が大爆発するのは当然だろうね。

 パロ聖王家の美男美女と並び、最大の危機に立ち向かう若造は一体何者だ?
 マルガ離宮前の広場に集う人々に強烈な印象を残し、好奇心を最大限に刺激する事が可能だ。
 沿海州ヴァラキア出身のヨナ・ハンゼ参謀長、アルド・ナリスが最も信任する側近中の側近。
 パロ解放軍の誇る参謀長、ヨナ・ハンゼ博士の御披露目には最高の舞台と思わないかな?
 今後パロ国内では頭脳明晰なる賢者、ヨナ・ハンゼ博士の名を知らぬ者は皆無だろうね。
 沿海州や草原地方を含む全中原、ノスフェラスだって大きな顔をして歩ける様になるよ!」

「駄目ですよ、ナリス様。
 私は目立ちたいと思いませんし、参謀長として影響力を行使する必要性も認めません。
 ナリス様も仰々しい聖王の座に就き、雁字搦めの因習に縛られるのは嫌だと仰った筈。
 魔道を用いて桧舞台に立たせるとあれば、お暇を頂戴してミロク教の聖都ヤガへ参ります」
 嬉々として喋り捲る『守り、遮る者』ナリスの提案は残念な事に当の本人が固辞。
 ヨナが断固として却下、再考の余地無く徹底抗戦の構えで拒絶され日の目を見ずに終わった。 

 

運命の邂逅

「ありがとう。
 マルガの、いや、パロの、全ての人々に、感謝する。
 数多の貴い犠牲が、私に、新たな生命を与えてくれた。
 私の告発が真実か否かは、クリスタルに竜の化け物が現れ、虐殺を演じた事で明白となった。
 真実は天下に明白となり、世界最強のケイロニア、豹頭王も自ら馳せ参じてくれた。
 リンダも豹頭王の助力を得て、魔都と化した聖王宮を逃れ、私を支えてくれている。
 アドリアン公子の無事も確認され、カラヴィア軍も動いた。
 アドロン率いる精鋭部隊3万が、味方として、マルガに向かっている。

 全ての勢力が此処、マルガへと結集しつつある。
 中原を覆う暗黒の夜、無明の闇が明ける刻は近い。
 多数の貴い犠牲者達が、私を死の淵から引き戻してくれた。
 パロを皆の手に取り戻す為、私も共に戦う。
 愛するパロの民よ、マルガの人々よ。
 総ての人々の力で、新たな生命を授かった。
 私は、還って来た」

 ナリスの呼吸は乱れ、声が次第に途切れ途切れとなった。
 奇蹟の帰還を遂げた指導者を傍で支える半身、予知姫リンダが眉を顰める。
 パロ中の信望を集める聖王家の象徴は意を決し、魔道師達は念波を統合。
 増幅された《声》が熱狂的な歓声を挙げる群衆の精神平面、心に響き渡った。

「みんな、ナリスを休ませてあげて。
 もう大丈夫だから、心配は要らないわ。
 これからは何時でも、アル・ジェニウスは私達と共に居るのだから。
 今は、少しだけ、休ませてあげて。
 もっと長く喋っていても平気な位にまで、回復させると約束します。
 お話しする機会は改めて作るから、勘弁して下さいね。
 私が看病して、元気になったナリスを皆の前に連れて来るから。

 ナリスを回復させる最も大きな力は、皆の想う心が与えてくれる。
 そんなに長い事は掛からない筈よ、もう何も問題は無いのだから。
 私は改めて運命神ヤーン、愛するパロの民に感謝します。
 皆の思いは充分、ナリスに伝わっているわ。少しだけ、待っていてね」
 ヴァレリウスと愛妻リンダに支えられ、希望の象徴が建物の中に姿を消す。
 群集が場所を移動した数ザン後も喝采と歓声、万雷の拍手は鳴り止まなかった。


「やれやれ、有難い!
 リンダのお陰で、助かったよ!!
 これ以上は望めない、私が喋り続ける以上に効果的だったね。
 実に素晴らしい、胸に迫る演説だ。
 人気投票を実施すれば間違い無く君が聖王家の筆頭、最高の得票者だよ!
 冗談はさて置き、君に頼みたい事がある。

 今後の動向を確認する為、ケイロニア軍を訪問したい。
 リンダには済まないが、マルガに残り私は面会謝絶だと皆に謝ってくれないかな。
 私は未だ数タルザンしか活動出来ない、と思わせて置いた方が有利だ。
 グインと会って少し話をしたら、すぐに戻るから何も心配は要らないよ。
 ヴァレリウスの他にも、40人を超える魔道師が私を護衛してくれる。

 ヨナの顔見せ、最高の演出となる機会を逃したのは実に残念だった。
 君の代役を務めて貰えた、かも知れなかったのだよ?
 一刻も早く情勢を落ち着かせ、時間を作る為に暗躍しなければならない。
 私も君も話したい事を山程、抱えているのだからね!」

 大公家の象徴《クリスタルの炎》を得て『守り、遮る者』とも称された聖王家随一の美男子。
 水晶の名を冠する聖王国の都を守る盾となるべき存在、麗人は天真爛漫な笑顔を披露。
 ヴァラキアのヨナは無言で微笑み、リンダに時間を譲る。
 仏頂面の上級魔道師ヴァレリウスは時間を惜しみ、閉じた空間の術を起動。
 ゴーラ軍が暴虐な野盗の集団に豹変する直前、マルガ郊外で撃退した援軍の許に回廊を開く。
 アルド・ナリスは最愛の妻に軽く頷き、闇の中へ溶け込む様に姿が消えた。

 ケイロニア軍の最高指揮官は魔道師の念波を受け、伝令の往来する間隙を縫い時間を確保。
 天幕の中で黄金に黒玉を鏤めた毛並み、独特の模様が異彩を放つ。
 人払いを命じた直後、天幕の内部に闇が渦巻いた。
 猫族に特有の虹彩と瞳孔の豹変、比率の反転を再現。
 微かに空間の揺らいだ異変を見逃さず、豹の眼が炯る。

「神聖パロ聖王アルド・ナリス殿、御会いするのは初めてだったかな。
 治療は無事に済んだ、と古代機械から心話を受けたが。
 何か、問題は無いだろうか?」
 トパーズ色の瞳を煌めかせた豹頭王、グインの笑みを含む声が歓迎の意を表す。
 リンダの幻視した世界を照らす《ろうそく》の炎、中原の希望を象徴する存在が応えた。

「初めまして、ケイロニア王ランドックのグイン殿。
 身体の回復は順調です、何も問題はありません。
 言葉に出来ぬ程、感謝している次第です。
 マルガに拠る神聖パロ帝国は今後、パロ解放軍と改称する事に決めました。
 今後は聖王レムスに憑依する竜王の排除、クリスタル解放を目標に掲げます。

 私は国王の器ではありませんから、パロ聖王位を請求する心算はありませんが。
 最早アルシス王家とアル=リース王家の確執、と思われる事も無いでしょう。
 公然と竜の騎士が姿を現し、世界の根幹を揺るがす事態に至っていますからね。
 リンダの愛する弟レムスを竜王から解き放った後、キタイ遠征に協力する心算です。
 彼を国王として認める事に何の蟠りも無い、王位継承権を放棄する事も考えています。

 私も多少は目を開かせて貰ったし、リンダの為にも1番良い解決だと思いますがね。
 以前の様な猜疑心、相互依存の関係は棄て真実の信頼関係を構築する様に努めますよ。
 ヴァレリウス、此処は笑う所じゃないからね」
 思わぬ奇襲を受けた魔道師は灰色の眼を白黒させ、思わず沈黙の行を破りそうになったが。
 豹頭王の疾らせた面白そうな視線を察知、辛うじて踏み止まり睨み付けるに留めた。

「真の賢者とは物事を糊塗せず、簡潔に語る術を心得ているものだな。
 そうして貰えば俺も助かる、レムスを救う可能性が皆無とも思わぬ。
 貴方が国王の器に非ずとは思わぬが、結論を性急に下す必要は無いと思うぞ。
 パロを襲う黒魔道の陰謀を阻む根本的な解決策は、キタイを竜王の圧制から解放する事だ。
 率直に語り時間を無駄にせぬ気遣い、痛み入る。恩に着るぞ、アルド・ナリス殿」

 初対面となる豹頭王より真摯な挨拶を受け、闇と炎の王子は再び一礼。
 普段は滅多に見せぬ夢見る詩人の貌を覗かせ、弟に良く似た微笑を披露する。
「古代機械を活用した超絶レベルの念話、精神接触は素晴らしい体験でした。
 パロのみならずキタイ解放も視野に入れ、行動を決定する貴方に総てを御任せします。
 元々古代機械は此の世界に属さず、不本意な番人に過ぎぬパロ聖王家の所有物に非ず。
 無限の可能性を秘めた奇蹟の機械は猫に小判、貴方と《調整者》に属する物でしょう」

 グインの瞳が煌き相手に欣快の至り、と同等の理解力を持つ相手に内心を告げる。
 旺盛な知己欲と想像力を満たす格好の相棒に巡り会い、闇色の瞳に流星が過った。
「古代機械には大いに興味がある、ナリス殿の御知恵を拝借したいと思っているが。
 リー・レン・レンが気懸り故、キタイ遠征を早急に実現する為に力を御借りしたい」
 吟遊詩人の奔放無比な饒舌を熟知する実際家は、実兄の夢想家に釘を刺し話を誘導。
 蛇の性を併せ持つ陰謀家は異を唱えず、無限に思考を拡げる事無く中原の情勢に話を戻す。

「耳に痛いですが尤もな御考え、ヴァレリウスに何時も叱られる悪い癖は封印しますよ。
 貴方と話り合いたい事柄は無数に有りますが、現在只今の対処を優先しましょう。
 問題は新生ゴーラを率いる我々共通の知人、イシュトヴァーンですね」
 再び、トパーズ色の瞳が煌いた。
 クリスタル公爵として中原の真珠を守り、キタイから殺到する真紅の激流を遮る《盾》。
 世界最大の金剛石《ダイヤモンド》、クリスタルの炎ならぬ前大公の闇色に染まる瞳。
 ある洞窟で起こった次元雪崩の際、世界を覆った黒い双つの月を興味津々の態で観察。

 グインの前で説教は流石に憚り、仏頂面で天井を見上げる魂の従者。
 嘗て魔導士の塔で導師を務めた魔道師、ロー・ダンに拾われた孤児の面影が覗く。
 ヴァレリウスは猫族の瞳に煌く無邪気な光、内心を暴露させる誘惑の罠を堪え瞑目。
 ルーンの聖句を唱え饒舌な魔道師の性、災いの元を固く締め懸命に精神を統一。
 触らぬ神に祟り無し、と祈念する苦労性の魔道師を見かねて長身の偉丈夫が言葉を継いだ。 

 

後催眠の術

「俺は彼に負い目と言うか、慙愧の念を感じる。
 已むを得ず彼に負わせた役割が、決定的な運命の分岐点となった気がしてならぬ。
 彼がゴーラの冷酷王と称されるに至った成行、運命の変転を覆す事は不可能だが。
 俺は彼が一人前の国王として、と云うより、1個人として、己を立て直して貰いたい。
 陽気な紅の傭兵に戻る機会、本来の個性を取り戻す事は出来ぬかと考えている。
 心の安らぎを得るとまでは言わぬが、多少は精神的な息抜きも必要だろう」

(流血の惨事を繰り返す赤い街道の盗賊、中原最凶の無法者に気遣いは無用ですよ!)
 咄嗟に想起した思考を隠蔽する秘術、精神障壁《サイコ・バリヤー》は展開中だが。
『修行が足りないね、何もかも御見通しだよ。
 君の心を過った声が聞こえなかった、とでも思うのかね?』
 雄弁な闇色の瞳が鉄壁の防御、グラチウスにも気配を悟らせぬ隠行の術を貫通。
 思わず集中が乱れ、表情も動揺。
 ヴァレリウスの内心が暴露され、豹頭王の髭を微かに震わせた。

「全く同感ですね、私も彼には運命的な絆を感じています。
 豹頭王の御心も解らぬではないが、現在の彼は新生ゴーラを率いる野心的な国王。
 仮想敵であり目標とする貴方に、内心を吐露する事は不可能でしょう。
 失礼して私が先に彼の許を訪れ、直に対面して話をしてみたいのですが。
 魔道師も側近も追い払い、2人だけで話せば彼の内心も聞き出せると思うのです。
 閉じた空間から覗き見する分には野生の勘を誇る魔戦士、予知能力者も気付かぬでしょう」

 リンダに降臨した謎の存在が『守り、遮る者』と告げた闇と炎の王子。
 古代機械の指名した《マスター》、アルド・ナリスは豹頭の戦士に微笑。

「ナリス殿に御足労を願う事となるが、事前工作を御願いした方が良いかもしれぬ。
 キタイから竜王の勢力を追い払う為には、イシュトヴァーンの協力も必要となるだろう。
 互いに国を背負い、色々面倒な手順を踏まねばならぬ立場には違いあるまいからな。
 彼には彼の言い分もあろうが時間が惜しい、取り敢えず対応は全面的にお任せする。
 御借りしている魔道師ギール殿の見た所、彼は何者かに操られている様だが。
 レムスと対面の際、彼の裡に竜王が顕れた。
 ナリス殿に危害の及ぶ可能性ありとすれば、俺が直接対決する方が良いかもしれぬ」

「イシュトは私の従兄弟レムスと異なり催眠術、精神支配の類と推察しています。
 カル・モルを隠れ蓑に竜王が憑依、身体を乗っ取る事が可能な状態とは思えませんが。
 万一に備え、ヴァレリウスを含む魔道師28名も同行します。
 彼の観察が済み次第に戻ります、話の続きは其の時と云う事でよろしいでしょうか?」
 古代機械の認める《マスター》、2人の対話を殊勝にも無言で見守る元魔道師宰相。
 恨みがましい視線を楽しみつつ完璧に無視、豹頭王に劣らぬ鉄面皮で微笑む元魔道大公。

「回復途上の御体には相当の御負担であろうが忝い、重ねて感謝するぞ。
 宜しく頼む、俺も何時なりと動ける様に待機しているからな」
 時が移る、折角の時機《チャンス》を逸する愚は避けねばならぬ。
 竜王不在の虚を突き、キタイ解放の戦いを可及的速やかに開始すべし。
 拙速を尊び建設的に事を進めたい、と強い口調で断言する事で言外に強調。
 2人も流石に重ねて漫才を演じる愚は犯さず、閉じた空間へ姿を消した。

(イシュト、私だ、アルド・ナリスだよ。
 大変、待たせてしまって済まないね。
 運命共同体と誓ったマルガの約束は、忘れていないよ。
 内密に話がしたい、人払いをしてくれないか)
 イシュトヴァーンの脳裏に心話が響くと、直ちに小姓達は追い払われた。
 国許で留守を預かる元提督の腹心、新王に付き従う忠実な副官の姿を求め飛び出す。

 中原の風雲児は己の思い通りにならぬ戦況に苛立ち、側仕えの小姓達は戦々恐々の毎日。
 ゴーラ王の天幕は常に緊張感が張り詰め、薄氷の如く木っ端微塵となるか誰にもわからぬ。
 小姓達は御機嫌の麗しくない主君の傍を離れ、ゴーラ陣中を駆け巡り心の中で神々に感謝。
 束の間でも解放された事を大歓迎、命令に従い誰も残らず総出で穏健な纏め役を捜索。
 僭王が多少は気を許す唯一の御気に入り、副官を務める海の兄弟マルコも例外ではない。
 神経を磨り減らす空気に心気を消耗、口実を設け離れていた所を発見され天幕へ舞い戻った。

 あからさまに安堵の表情を面に昇らせ、平伏する小姓の1人に珍しく笑顔を見せ人払いを命令。
 待ち受ける2人の前で不定形の闇が生じ、霧の中から歩み寄る人影の様に旧知の姿が現れる。
「ありがとう、イシュトヴァーン。
 すっかり遅くなってしまったね、また会えて本当に嬉しいよ」
 温かい言葉を掛けると同時に光輝く笑顔を向け、黒曜石の如き瞳が内心の感情を吐露。
 良く似た魂の共鳴に嫉妬、顔を顰める魔道師と同僚4人は完璧に無視された。

「ナリス様、立てる様になったのかよ!
 車椅子も無しで、ホントに大丈夫なのか?」
 嘗て幽霊都市ゾルーディア、氷雪諸国を巡った天性の冒険児。
 咄嗟に紅の傭兵が顔を覗かせ、思わず反射的に盟友を案じる言葉が出る。

「おかげさまでね、前に会った時より数段は良くなっている。
 まだ長時間は保たないけれど暫くすれば元通りさ、もう大丈夫だよ」
 底無しの黒い双つの瞳が、不安と猜疑を湛えたもう双つの黒い眼を覗き込む。
 闇の王子は前置き不要と判断、時間を無駄にせず核心に触れる話を始めた。

「挙兵と同時に魔道師のアルノーに密書を持たせ、イシュタールに送ったのだが。
 援軍を要請する密書を持たせたが、到着する以前に暗殺された。
 通常の伝令も数10人、派遣したが全て竜王に消されてしまったらしい。
 1人でも多くの魔道師が要る為、イシュトへの伝令は諦めざるを得なかったのだよ。
 私は奪回した古代機械で治療を受け、3昼夜に渡り意識を喪っていた。

 ヴァレリウスも結界を張る為に全精力を注ぎ、他の事まで気が廻らなくてね。
 マルガに残る者達は事情を知らず、そなたの使者に返事を出来なかった様だ。
 余計な心労を掛けてしまって本当にすまない、私とそなたは運命共同体だからね。
 一刻も早く謝りたくて、閉じた空間の術で飛んで来たのだよ」
 パロ魔道師軍団の暫定指揮官は堪らず、心話で百万言の文句を並べ立てるが。
 灰色の眼を瞑り荒れ狂う感情を懸命に鎮め、ゴーラ王の思念波を探査。

「ナリス様、あんたにはイシュタールに来てもらう。
 古代機械も一緒だ、文句は言わせねぇ」
 ナリス、ヴァレリウス、マルコは驚き、一斉にイシュトヴァーンを凝視。
 苦痛に歪む表情、無機質な据わった瞳が観察者達に真相を暴露。

「ヴァレリウス、魔の胞子は植え込まれていないか?」
 元ドール教団の最高導師、ドールに追われる男イェライシャ直伝の魔道検査。
 対象を透過し内面を走査する雷帝の術、電子風と同様に光る胞子の術を投射。
 緑色の黴を髣髴とさせる異次元の微生物、魔の胞子を輝かせる波紋が僭王を包む。
 共鳴作用を示す異次元の色彩、発光現象は励起せず術者は無念そうに首を振った。

「残念至極、不愉快極まりありませんが其の様ですね。
 光る胞子の術で透視してみましたが、反応は皆無です。
 能面の様な表情と念波の乱れ具合から判断すると、後催眠の術ですかね。
 有難い事に竜王も単なる棄て駒としか見なかった様で、気配は感じられません」
 ナリスは安堵の溜息を吐き硬直する側近、マルコに気の毒そうな視線を投げた。
 自業自得と言わんばかりに肩を聳やかす魔道師を一瞥、沈黙を命じ口を開く。

「キタイの催眠術に操られている様だが、解放する為に事前準備が要る。
 今直ぐに魔道を解けば生命に関わる可能性もあるから一旦、撤収するとしよう。
 イシュトには何も言わぬ様にね、本人には何の記憶も残っていないのだから。
 今度は確実に解放する準備を整えて再訪するからね、心配は要らないよ」
 魔道の類に親しまず、困惑の色を湛える海の兄弟に異状の原因を説明。
 カメロンの信頼する元水夫長も、確信を持つ相手に委ねた方が賢明と悟る。
 深々と頭を下げるマルコに優しく頷き、闇と炎の王子は閉じた空間の中に姿を消した。 

 

宣戦布告

 パロ解放軍の最高指導者《ファイナル・マスター》、アルド・ナリス。
 次席指揮官《セカンド・マスター》、ヴァレリウスの主従2名は援軍の天幕に直行。
 ケイロニア軍を統率する最高指揮官、グインの天幕で偵察の模様が語られた。
「彼に掛けられた催眠暗示は竜王が直接、操作している訳ではなさそうです。
 非常に強力で解除には数タルザン、いや1ザン位は必要でしょう。
 暗示命令は受動型、特定の事象や暗号で起動する物と思われます。
 ゴーラ軍の陣中から彼を誘拐する事も可能ですが、グイン殿は如何お考えでしょうか?」

 涼し気に瞬く闇色の眸が煌き、心浮かぬ表情が内心を雄弁に物語る灰色の瞳を黙殺。
 閉じた空間を用い瞬く間に帰還した両者を見比べ、トパーズ色の瞳が笑いを湛える。
「ナリス殿に礼を言う、イシュトヴァーンの思考傾向は概そ把握している心算だ。
 共に戦った事も何度かある長い付き合い故、反応を予測する事は別段困難とは思わぬ。
 貴方が戻るまでの間に俺も考えて見たが、ゴーラ軍を打ち破り実力の差を見せ付ける。
 己には俺に追い付く為に必要な何かが、決定的に不足していると悟らせる為に。
 不足しているものを身に付けねばならぬ、と考えてくれるのではないかな。
 催眠術の解除対処はお願いしたいが、安心して任せてくれて良いと思うぞ」

 黄金に黒玉を撒いた独特模様に彩られ、或いは最速やも知れぬ俊足を誇る自然の精霊。
 豹の頭部を持つ獣面人身の超戦士、世界を護る北の豹ランドックのグインが厳かに宣告。
 アルド・ナリスは我が意を得て汗顔の至り、と賛同の意を表し素直に喜んで見せた。
 闇色の瞳が微笑を湛え、黒衣を纏う白魔道師の代表は顔を顰める。
 トパーズ色の瞳に共感の光が煌き、灰色の瞳へ遺憾の意を伝達。
 当て付け構しく大袈裟な溜息を洩らし、国王に対する礼を以て応える灰色の魔道師。

「豹頭王が御自ら、イシュトヴァーンに帝王教育を施してくださるのですね。
 レムスも貴方から戴いた忠告、助言を生かせれば良かったのですが。
 イシュトに運命共同体と吹き込み、焚き付けたのは私ですからね。
 彼が現実を認め受け入れ易い様に、私も準備をして置きますよ。
 聖王家の宿命で従兄弟とは犬猿の仲ですが、彼の為には助力を惜しみません。
 そんなに嫌そうな顔をしないでおくれよ、親愛なるヴァレリウス君」

 渋面の上級魔道師を平然と眺め、しゃあしゃあと言ってのける闇と炎の王子。
 無口で控え目な性格と自称する魔道師ギルドの横紙破り、元魔道師宰相は絶句。
 パクパクと慌しく唇を開閉、唾を呑み込み無言劇を披露。
 知性に溢れた運命共同体の策謀家は、満面の笑みが溢れる純真な子供の貌で対応。
 アリシア星系第3惑星ランドックの帝王、ソラー星系第3惑星へ追放された廃帝。
 パロに襲来する赤い激流を払う力を秘めた北の王、中原の守護者が笑い出した。


 主従は内容の濃い協議を終えると、閉じた空間を経由して暫定的な拠点マルガに帰還。
 リンダを魔道師の塔に護らせる為、サラミスへの移動を納得させ解放軍の指揮官を召集。
 聖騎士侯ルナン、ダルカス、ワリス、サラミス公爵ボース、カレニア伯ローリウス。
 市民義勇軍代表カラヴィアのラン、リギアを含め数人の聖騎士伯も一室に集結。
 病は快癒したと称するが衰えた筋肉、体力は一朝一夕に回復せず自力歩行は未だ不可能。
 キタイ青星党を率いる未来の大君、リー・レン・レン同様に車椅子の指導者が喋り出す。

「時間が惜しいので、単刀直入に言うがね。
 乱暴者のゴーラ王は我が聖王レムス1世と同様、キタイ魔道師の催眠術に操られている。
 先刻ケイロニア王グインと会談の際、了解に達した。
 数ザン後ゴーラ軍と戦端を開き、イシュトヴァーンを捕らえる。
 パロの魔道師達が催眠術を解き、私が直接ゴーラ王を操縦する方向で準備を整えている。
 ゴーラ軍の最高指導者を黒幕である私が操り、クリスタルに攻め込む計画だ」

「いけません、ナリス様!
 御身体が全快された後になされませ、今は我々に御任せ下さい!!」
 案の定、老いて尚も意気盛んな頑固一徹の古強者。
 アルシス王家の忘れ形見、ナリスの養親を自負する聖騎士候ルナンが激昂。

 一旦は離脱し2度と戻らぬ覚悟を決めたが、《歌》に促され帰参した1人娘。
 聖騎士伯爵リギアは困惑、何とか父を制止しようと試みるが。
 暴走する父に手を焼く娘、一同が苦笑して見守る状況は想定内の事態。
 神聖パロ国王の座を返上、奇蹟の復活を遂げた愛国者は光り輝く笑顔が振り撒く。

「気持ちは有難いのだが、そうも言っておれぬのだよ。
 今の私は運動神経が回復しておらず、聖騎士として戦う事は出来ないがね。
 魔道大公アルド・ナリスの名に懸けて、一介の初級魔道師として戦う事は出来る。
 とは言っても何の護衛も無く、ゴーラ軍の中に単身で乗り込む心算は毛頭無いよ。

 魔道師軍団から選り秀りの精鋭、実戦部隊を同行させるから何も心配は要らない。
 キタイの催眠術に誑かされた集団、ゴーラ軍は魔道で完璧に掌握する必要がある。
 世界最強ケイロニア軍を敵に廻し、無謀な戦いを挑む盗賊上がりの無法者だよ。
 ゴーラ王は些か知恵が足りない、私が監督しなくては何を仕出かすかわからない。

 ケイロニア王グインの加勢に対する返答でもあり必要上、已むを得ぬ措置だ。
 クリスタル解放の為には、1人でも多くの魔道師が必要とされる。
 相手は邪悪な黒魔道師を率いる総元締め、キタイの強力な魔術を駆使する竜王だ。
 パロ魔道師団の総力を挙げて当たらねば、対処は出来ぬのだよ。
 私も初級免状を持つ魔道師の端くれ、パロ解放の戦に参加せぬ訳には行かない。
 戦友諸君の奮戦にも大いに期待しているが、戦う権利を取り上げないで欲しいね」

「御身体の御不自由なナリス様が自ら、ゴーラ軍に乗り込む必要はありますまい!
 催眠術を使う魔道師を派遣すれば、それで済む事ではありませんか!!
 生死の境を彷徨った重病人には長期療養が必須、文句を言う者は誰も居ません!
 ナリス様の弁舌を以てしても納得出来ません、承服致しかねます!!」
 年手塩に掛け九死に一生を得た愛児とも云うべき、アルシス王家の忘れ形見。
 総てを捧げる主君が危地へ赴く事を認めず、断固として反対する老聖騎士候。

「キタイの竜王は魔道師を巧みに騙し1級、2級の殆ど全員が乗っ取られてしまった。
 魔道士の塔へ派遣された者は皆、本人も知らぬ間に魔の胞子を植え付けられた様だ。
 クリスタルの真っ只中で公然と民衆を虐殺した怪物、竜の門へ変貌したらしい。
 魔道師の塔を統べる総元締、カロン大導師も匙を投げ雲隠れしている状況でね。
 上級魔道師12名の他は下級魔道師ばかりで、頭数が絶対的に不足しているのだよ」

 リギアの困惑を眺めて楽しむ素振りは見せず、ルナンの心理を考察し戦法を変更。
 真剣な表情を拵え聖王国の将来を憂える指導者を演じ、頑固者を口説きに掛かる。

「パロの他にも魔道師は居りましょう、ケイロニア王に従う者も数多い筈!
 この際ですから贅沢は言わず、ゴーラ領内の魔道師を動員しては如何ですか!!」
 激昂する一徹者ルナンの反応を想定通り、とばかり猫撫で声を用い更に諭すナリス。
 この儘では火に油を注ぎ風で煽り、手が付けられなくなる事は請け合いだが。
 リギアは貴公子の面を一瞬、過ぎった怪しい微笑を見逃さず何事かに思い当たった。
 開きかけた口を噤み手品の種を見破ると意気込み、細心の注意を払い策謀家を観察。

「レムス側の魔道師が全力で妨害する中、ゴーラ軍を操縦する役は他の者には無理だ。
 一刻も早く中原の真珠パロ、クリスタル解放を終わらせ次の段階へ進む必要がある。
 ケイロニアと協力して遙か彼方、ノスフェラスを越え大遠征を行わねばならぬ。
 東方の大国キタイを黒魔道師から解放する為、長く困難な戦いが始まる事になるが。
 グインが長年の不干渉政策を破り、パロ出兵を決断した真の理由を説明しよう。

 パロ魔道師軍団の全面的協力、キタイ遠征への参加を取り付ける為であったのだよ。
 豹頭王グインは総力を挙げパロ解放を実現すると確約したが無論、無償ではない。
 アルド・ナリス自ら魔道師軍団を率い、キタイ遠征軍に参加する事が条件だ。
 パロ侵略の意図を最終的に阻止する為、豹頭王の力を借り決着を付ける必要がある。
 アルド・ナリスの名に懸けて、キタイの竜王に反撃を加える刻が来たのだよ」 

 

弁論の魔術師

「キタイ解放の戦い、ですとぉ?」
 ルナンのみならず全員の表情が強張り、室内の雰囲気が一変。
 一同が想定外の言葉に固唾を呑む中、リギアは微かに柳眉を顰めた。
 闇と炎の王子は無論の事、見逃す筈も無いが優雅に微笑み平然と無視。
 奇蹟の復活を遂げた貴公子、古代機械に指名された聖王家の正統なる後継者。
 古代機械の第二種管理認定者《セカンド・マスター》、アルド・ナリスの弁舌が続く。

「私がマルガに入ってから魔道の攻撃が途絶えていたのも、偶然ではないよ。
 御膝元キタイで大規模な反乱が起きた為、竜王は中原侵略の中断を余儀無くされた。
 竜王が秘める真の狙い、古代機械と私を手に入れる野望は打ち砕かねばならない。
 クリスタル解放後も私が留まる限り、パロに第2・第3の侵略謀計が仕掛けられる。
 レムスを一時的に見棄て撤退した模様だが、反乱を鎮圧の後に再び襲来するだろう。
 邪悪な黒魔道を操る竜の門が大挙して現れ、パロ全土を蹂躙する悪夢が現実化する。

 キタイの反乱が鎮圧される前に、是が非でも遠征軍を送らねばならない。
 ケイロニア王グインは自ら軍を率い、レムスを操る黒幕の本拠を突く覚悟だ。
 黒魔道を操り虐殺を重ねる竜頭人身の怪物、竜の門を断固として追い払う為にね。
 私は噂に聞く豹頭王から直接、竜王に関する様々な事情を聞いて確信を持ったよ。
 彼がシルヴィア皇妃を救出の為、キタイへ赴いたと云う噂は真実であったのだ。
 竜王の支配するキタイの都、ホータンは化け物や怪物の跋扈する魔都と化している。

 豹頭王グインは現場で実情を体験した後、真実を公表せんと画策していた。
 中原各国に激を飛ばし、キタイ解放の戦いを始める方策を思案していたのだ。
 それ故に彼は私の告発を知り、直ちに真実と理解してくれた。
 渋るアキレウス大帝を説き伏せてまで、パロへ出兵してくれたのだよ。
 グインがケイロニアを動かしてくれなかったら、我々はどうにもならなかった。
 各国に先駆け神聖パロを承認してくれた彼の恩義に、報いぬ訳には行かない。

 彼は回復する見込みの全く無かった、私の身体を治癒する方法も発見してくれた。
 キタイへ豹頭王と共に遠征するのは他でもない、パロ聖王国を最終的に救う為だ。
 わかってくれるね、ルナン、ダルカン、ワリス、ボース、ローリウス。
 私には如何なる理由があろうとも、グインと共に戦う理由があるのだよ」

 皇女シルヴィア救出を成し遂げた風雲児、豹頭王も躊躇し公表を憚る裏の事情。
 パロ解放軍を率いる諸将達は驚愕の事実を告げられ、完全に言葉を喪った。
 豹頭王グインが助太刀に動いた真の動機は、衝撃的であった。
 流石に異議を唱える気力を持ち続け得る者は、1人もおらぬ。
 一同を覆う沈黙、重苦しい空気をまるで感じておらぬかの様に。
 室内に漂う圧迫感を撥ね退け、他人事の様に平静な指導者の声が響き渡る。

「こう言っては語弊があるが頼もしい援軍、ゴーラ軍は血に飢えた獣だからね。
 ユラニア公女とクム公子の婚礼、トーラスの裁判は流血の惨事となった。
 モンゴールを征服した私の盟友、イシュトヴァーン直属の旗本は兎も角。
 ケイロニア軍に実力の差を見せ付けられ、末端の兵士達は荒れている筈だ。

 パロの民に牙を剥く事態も時間の問題、想定外の一言では済まされない。
 ゴーラ王の権威と恐怖を借用して直接、私と魔道師達が監視と制御を行う。
 最強の切札だから温存すると褒め称え、パロ領内では控えに廻す心算だが。
 魔道にも催眠術にも弱い勇猛な戦士達、ゴーラ軍が国境の外へ出るまではね。

 ゴーラ軍は目を離せば困った事に、キタイ勢力に操られ虐殺を始めかねない。
 そんな危険な連中を野放し状態に置き、監視の眼を離す訳には行かないよ。
 魔道に弱い野蛮人の軍団は足手纏い、クリスタル解放戦には不要かも知れぬ。
 ケイロニア軍に打ち破って貰う手もあるが、却って厄介な事になる確率が高い。

 冷酷王の恐怖と言う箍≪くびき≫から、ゴーラ兵達が解き放たれてしまう。
 バラバラになった彼等は自暴自棄となり、無辜の民に牙を剥き出すだろうね。
 阿鼻叫喚の地獄絵図、多数の犠牲者が生じる事は火を見るより明らかだ。
 当然予想され得る事態を見過す訳には行かない、対策は立てて置かねばならぬ。

 ゴーラ軍と云う集団で纏めて管理し、恐怖と云う鎖で縛って置く方が安全だ。
 兵士達は末端の1人々々に至るまで、血に飢えた冷酷な王を恐れているからね。
 彼等は忠誠心からではなく恐怖心から、ゴーラを斬り従えた魔戦士に従っている。
 だからこそ不安と恐怖から逃れる為に、流血の惨事を唯々諾々として行うのだ。

 ユラニアの将兵達も内心は反発しているだろうが、ゴーラ王に決して逆らえない。
 モンゴールの将兵達も己の感情を圧し殺し、良心の声に耳を塞いでいるのだろう。
 パロの民を護り安全を図る最上の策は、ゴーラ兵の心理を利用する一手だね。
 ゴーラ軍の軍律《ルール》を厳格に維持し、ゴーラ王を通じて私が命令を下す。

 パロの民を危険に晒さぬ為、ゴーラ王の首根っ子をしっかりと掴まえる。
 流血を呼ぶ冷酷王を通じ私が軍を掌握している限り、パロの安全は保たれるのだよ。
 ゴーラ軍に連行され私は捕虜となり、人質に取られた格好となるがね。
 イシュトヴァーンの自尊心は尊重するが、彼は催眠術で御する操り人形に過ぎない。
 ゴーラ王の方が実際には捕虜となり、魔道師軍団が付き従うから私の心配は無用だ。
 これこそ最も私に相応しい戦い方、ではないかと思うのだが納得して貰えるかな」

「…わかりました、私の負けです。
 御心の儘に、聖王陛下《アル・ジェニウス》。
 アルド・ナリス様、我々は何処までも貴方に付き従います。
 我が忠誠を永遠に御身へ捧げます、我々を御導きください」

 頑固一徹の最年長者ルナン聖騎士侯も折れ、参列する全員が納得して唱和。
 ルギアの眉が更に跳ね上がり、レイピアの如く尖った視線で聖王家の魔術師を刺し貫くが。
 前クリスタル大公の瞳が煌き、上級魔道師ヴァレリウスは雄弁な溜息を吐いた。
 解放軍の最高指導者が輝く笑顔を披露した後、一同は部屋を退出し部下達の許に戻る。

 無言の儘、凄絶な一睨みを投げ足音も荒く立ち去る聖騎士伯リギア。
 微かに頬を緩める物静かな参謀長と対照的に、公然と唇を緩め満面の笑み。
 パロ解放軍の最高指導者は悪戯っ子を装い、パロ魔道師軍団の指揮官を無視。
 瞳を煌かせ挑発する闇と炎の王子に対し、雄弁な溜息を吐き灰色の瞳が瞬いた。
「貴方の様に悪知恵が廻る口車の天才、口先の魔術師は見た事がありませんね。
 改めて脱帽しますよ、パロ聖王国史上最高、いえ、中原一の詐欺師様」

「否定はしないが見た事が無いとは心外だな、君は1度も鏡を見た事が無いのかね?
 むしろ非常な賛辞と受け取り有難い、最高の褒め言葉と御礼を云おうかな」
 巧みに弁舌を操る魔術師に最大の効果を発揮する方策は、沈黙を貫く事だが。
 口から先に産まれたと噂され、イェライシャにも指摘された本性とは相容れぬ。

「貴方って方は、どうしてそう、人を騙して喜ぶ癖を止められないんですか!
 ゴーラ軍に乗り込んだら酷い目に遭いますよ、リンダ様は反対されてませんか?」
「私から直接、彼女に話して置くから余計な気は使わなくて良いよ。
 忠告は有難く受けて置くが君も大変だね、詰まらない心配していると禿げるよ」

「放っといてください、リンダ様を御呼びしますから御説明はされた方が良いですよ。
 私はさっさと失礼して情勢を確認します、御話が済んだら心話で御呼び下さい」
「夫婦水入らずの時間を作ってくれて、心底から感謝するよ。
 アムブラの件は私の指示だった、君には何の関係も無いと説明するよ。
 誤解を解いて置くから、もう一度、リギアに告白してみたら?
 結婚式を挙げる事になれば誠に喜ばしい、仲人は喜んで引き受けるからね」

「言った私が馬鹿でしたね、もう過ぎた事です、ほじくり返さないで下さい。
 一言毎に馬鹿を言うのは本当に、おやめになった方が良いですよ。
 時間の余裕が有り余っている訳では無い、と思いますがね。
 余計な事を喋る余裕が無かった以前の方が、静穏で良かったんじゃないですか。
 いえ、何でもありません、我が魂の主よ、御心の儘に。
 総て御忘れになって下さい、私は何も言ってませんから」

「愛してるよ、ヴァレリウス」
「私が、悪うございました」 

 

魔戦士の豹変

 パロ解放軍の最高指導者、アルド・ナリスの所信表明演説が実施された翌日。
 イシュタールに派遣された見習い魔道師が戻り、ゴーラ国内情勢の変化を告げた。

「アムネリスに子供が生まれ、カメロンが名付け親になったのか。
 王子にミアイルと名付けるとは、私に対する当て付けかね?」
「自業自得とは申しませんが、そんな捻くれた見方は御止めになった方が良いですよ。
 ミアイル公子の暗殺を命じたのは誰か、カメロンが知らない事は良く御存知でしょう?」

「流石は大導師アグリッパ様の御気に入り、君の千里眼は総てを御見通しだな。
 私が悪かったよ、白魔道師を代表する人類の旗手ヴァレリウス君」
「いい加減に勘弁して下さい、私は豹頭王様みたいな超人じゃないですよ!
 カメロンからの依頼については、ゴーラ王に知らせてやる義理は無いと思います」

「私としては時機を見計らい、イシュトヴァーンを動かす梃子に使えると踏んでいるのだけど。
 お前は意地悪だね、グインには知らせるが恋敵には内緒かい?」
「どっちが意地悪ですか!
 いえいえ、何でも御座いません。
 早速、仰せの通りに致します。
 ゴーラの騎士は無意識の儘で陣中へ運び、後は勝手に動いて貰いましょう」

「冷たいね、ゴーラの冷酷王イシュトヴァーンも顔負けじゃないか?
 有能な副官が傍に居てくれて、私は果報者だよ」
「あんな無法者《バスタード》と一緒にしないで下さい、私が悪うございました」


 パロ解放軍の指導者アルド・ナリス、豹頭王の接触心話を介した密談が行われた翌日。
 ケイロニア軍と先日に一敗して地に塗れ、復旧の念に燃える新生ゴーラ軍が再び激突。
 世界最強を誇る森と湖の国、ケイロニア屈指の黒竜騎士団と金犬騎士団に突撃。
 怒号する魔戦士の率いる旗本隊、元ユラニア正規軍の将兵を筆頭に雪辱戦を挑む。

 先日とは異なり集団戦闘の鉄則を遵守、各部隊の連係を保ち熟練の機動戦術に対抗。
 圧倒的な実力差を見せ付けられた屈辱的な敗戦を糧に、対策を講じ互角かと見えたが。
 練達の騎士達は豊富な経験値に基く数々の術策を披露、若き勇者達を翻弄。
 ケイロニア軍の経験値は数段も優り、懸命に喰い下がるが実力の差は埋め難い。

 ゴーラ軍は崩壊寸前に追い込まれ、イシュトヴァーンは豹頭王に一騎打ちを挑む。
 グインは鷹揚に挑戦者の意思を汲取り、決死の覚悟と目論見を評価し全面的に乗った。
 豹頭王は一騎打ちで敗れた風雲児の体面を保ち、休戦が成立。
 竜王の施した記憶封鎖《メモリー・プロテクト》、催眠暗示命令は強力無比だが。
 数ザン後に漸く解除《リセット》され、ゴーラ王は封印された記憶を回復。
 ゴーラの僭王へ登り詰めた風雲児、ヴァラキアのイシュトヴァーンが囁いた。

「竜の門とやらをやっつけて、クリスタルを取り返しに行くんだな?
 なら話は早ぇや、ゴーラ軍も同行させて貰うぜ。
 何たって俺は赤い街道の盗賊だからな、ケイロニア軍の強さの秘密を盗ませてもらう。
 嫌とは言わせねぇぜ、何なら、パロ領内を荒らし廻ってやっても良いんだからな。

 どうせゴーラの血塗れ王と後ろ指さされてんなぁ、承知の上さ。
 此の儘イシュタールにゃ戻れねぇ、手ぶらで戻りゃ此の先ゴーラに浮かぶ瀬は無ぇからな。
 ゴーラをパロとケイロニアの同盟国として、全中原に認めさせる必要があんだよ。
 その為なら何だってやってやる、失うものなんざ何も無ぇんだ。

 どうせ俺を利用して何か企んでやがるんだろうが、お前となら取引が出来ると思うんだが。
 ゴーラ軍を胸糞悪い黒魔道への盾や棄て駒にしようなんぞ、考えやしないだろうしな。
 細かい事はうだうだ言わねぇが只一つだけ条件がある、大義名分ってぇやつを考えてくれ。
 部下共が胸を張って国に帰れる様にしてくれりゃ、クリスタル解放の手助けをしてやる。

 俺にも立場ってもんがある、2度も続けて叩きのめされた儘のこのこ戻る訳にゃ行かねぇ。
 催眠術に操られて無謀な喧嘩を売った馬鹿でした、じゃあ部下共に顔向け出来ねぇんだよ。
 ゴーラ軍3万が何の疑いも無く心の底から納得する、公明正大な理屈ってやつが要るんだ。
 どうせ、お前のこった、何かこう、搦め手からの隠し玉を用意してあんだろ?
 そいつを出してくれりゃ手打ちにしてやるよ、ナリス様とは元々話がついてるしな。
 腹の虫は全然おさまらねぇが、今回だけは見逃してやる」

 相手の迷惑を顧みず自分の都合を押し付ける我儘千万、迷惑な事この上も無い理不尽な要求。
 ゴーラ国王が聞いて呆れる盗賊の理屈、駄々っ子の様な言いたい放題の放言であったが。
 魔戦士は赤い街道の盗賊を髣髴とさせる貌へ豹変を遂げ、上目遣いに様子を伺う。
 要領の良い紅の傭兵がニヤリと小狡い微笑を投げ、グインは吼える様に笑った。
「そう考えて貰えればとても助かる、買い被って貰えるのは光栄だが生憎と俺は頭が悪いのでな。
 ナリス殿なら良い知恵を貸してくれる、のではないかと思うので相談に乗って貰えるかな?」

 パロ領に入りゴーラ軍の後を追う密使、ドライドン騎士団ワン・エンの前に。
 アルド・ナリスの使者を名乗る魔道師が現れ、カメロン直筆の証明書を見せた。
 迷信深い船乗り達は魔道師を信用せず、胡散臭い占い師と見る傾向も強いが花押は偽物に非ず。
 半信半疑の儘ゴーラ軍の現在位置と合流方法を尋ねると、何時の間にか眠ってしまった。
 気付くと直ぐ新王の許へ護送され海の兄弟、ドライドン騎士団の同僚マルコと対面。
 カメロンの密書と伝言を信頼の置ける元甲板長に預け、暫く後に新王へ直接口頭で報告。

 マルコと共に王の身辺護衛を務める内、徐々に情勢が飲み込む。
 数タルザン後に新都イシュタールを預かる宰相、心服する元提督カメロン向けの密書を受領。
 ドライドン騎士団を一時離脱の盟友マルコを除き第3の男、ワン・エンに黒衣の使者が同行。
 見習い魔道師は再び意識を喪った伝令を伴い閉じた空間へ消え、イシュタールへ飛ぶ。
 ケイロニア王と新生ゴーラ王から要請を受け、パロ解放軍の指導者が動く。
 ゴーラ王イシュトヴァーンに同行、ゴーラ軍の天幕へ単身丸腰で乗り込む事となった。


「誠に申し訳も無い、ゴーラ王イシュトヴァーン殿。
 数々の伝令に対する返事の使者が到着していなかったのは、全て当方の手落ちだ。
 無用の戦闘に因り犠牲者が出てしまった咎は全て私、カレニア王アルド・ナリスにある。
 この通り、心底より謝罪を申し上げる」
 光の船より奇蹟の生還を遂げた伝説の貴公子、パロ聖王家の中でも最高の美男。
 第1次黒竜戦役を逆転勝利に導いた立役者、誉れ高い中原の英雄が頭を垂れる。

 3千年の歴史を誇る聖王国の命運を握る男、パロ聖王国の実質的な正統後継者。
 アルド・ナリスが両膝を屈し両手も地面に着け、いわゆる土下座の姿勢を披露。
 イシュトヴァーンの副官を務めるマルコ、年若いウー・リー以下は硬直《フリーズ》。
 どう反応すれば良いか全く見当が付かず、瞳を見開き息を潜め眼前の光景を凝視。
 新生ゴーラ軍の最高指揮官、中原の覇王にならんと欲する無頼漢。
 ゴーラの冷酷王と畏怖される僭王、イシュトヴァーンの面を皮肉な表情が掠め唇が歪む。

「大した面の皮だぜ、わかっててやったくせにしゃあしゃあと言ってくれるじゃねぇか!
 てめぇの言い分なんざこれっぽっちも信用しねぇぞ、スカールの野郎はどうなんだよ?
 お前等が草原から奴を呼び寄せ、俺を襲えと嗾けやがったに違いねぇ。
 やつのお陰で俺様の自慢の顔にゃ、一生、取れねぇ傷跡が残るだろうぜ」
 ナリスは土下座の姿勢を崩さず嘲笑を甘受、優雅に頭を上げ暴言を吐く無法者を見上げた。
 良く似た黒い炎を秘める瞳が真正面から絡み合い、闇色の宇宙空間を背景に火花を散らす。

「重ねて御詫びするが其の件についても当方の手落ち、私の責任だ。
 スカールは私に欺かれたと激怒した後、ダネインに向かうと言い捨てて立ち去った。
 マルガ街道で貴軍を夜襲するとは思わず、監視を緩めてしまったは当方の手落ち。
 スカールの襲撃を予測する事は出来なかったが、弁解の余地は無い。
 私の要請に応えてくれた貴軍への同士討ち、敵対行動を防げなかったは痛恨の極み。
 アルド・ナリスの責任であると痛感、陳謝する次第であります」 

 

盗賊の論理

 ゴーラの僭王イシュトヴァーンは宣誓に応えず、パロ解放軍の指導者を意図的に無視。
 計算高い光を秘めた視線を投げ周囲を見廻し、酷薄な微笑を面に疾らせ何事か値踏み。
「それであんたは、一体どうしてくれようってんだ?
 此の八方塞がり、七里結界の胸糞悪い状況をよ?
 俺みたいな田舎者、猪武者の荒くれ者にゃさっぱり見当も付かないんだがなぁ。
 何とか言ってみな、青い血を引く御偉い高貴な王子様よ?」

 傍若無人な物言いを続ける主の忠実な副官、マルコが驚いた様に視線を走らせるが。
 ゴーラ王は問い掛ける視線を無視、土下座の儘で見上げる王族から視線を外さない。
 ウー・リー以下の若者達は眼を輝かせ、格好良い事この上も無い憧れの英雄に賛嘆。
 流石は、俺達のイシュトだ。
 古臭い因習に満ちた老いぼれ共の王国を打ち壊し、新たな世界を切り拓く希望の星。
 パロの有名な王子との身分差など物ともせず、思いの儘に脅し挙げ嬲っている。

「そっちの心配は要らねぇよ、ダーナムで手合わせしたが話にゃならねぇかんな。
 あんな弱っちいのが束になって来ても無駄さ、俺達の10倍いや100倍でも負ける気はしねぇ。
 スカールの野郎だって不意を突かれさえしなきゃ、こないだみてぇな不覚は取らなかったさ。
 それより王子様にゃ、考えて貰わなきゃならねぇ事があるぜ。

 こっちは建設途中の新都イシュタールをすっぽかして、3万の軍を引き連れて援軍に来たんだ。
 しかも其方の手違いで草原の蛮族、お強い豹頭王様と戦い相当な怪我人や死人が出てんだぜ?
 ケイロニア軍が味方に付いたから用済みだ、とっととお帰りくださいって訳にゃ行かねぇよ。
 そりゃ無ぇぜ、あんまり不人情ってもんじゃねぇかと思うんだがな。
 もっとこう、誠意の見せ方ってもんがあるだろう?
 ちったぁ実のある話をしてくれねぇと、鬱陶しくて暴れたくなっちまうぜ!」

「相応の謝礼は当然、考えております。
 内容額についてお話しする前にひとつだけ、御確認したい事があるのですが」
 貴公子の顔から血の気が引き、無礼千万に振舞う乱世の雄に怯えた為とも見える。
 リギアが見れば何と言ったかは想像するまでも無く、ルナンが見れば卒倒するであろうが。
 不可視の結界から意気投合する野心家達、噴飯物の演技を見守り深い溜息を吐く上級魔道師。

 如何にも解せぬと言わんばかりの表情を見せ、マルコが口を挟む気配を察したか。
 機を見るに敏な風雲児は忠実な副官の機先を制し、鋭い一瞥を浴びせ唇を噤ませる。
「当然、だよな。
 あんたは頭が良い、話が早くて助かるぜ。
 あの魔道師宰相とか抜かす真っ黒な奴、ネズミ男は訳の分からん事しか言わねぇからな。
 だがよ、値切ろうってんなら相手が悪いぜ?
 赤い街道の盗賊をやってる時分にゃ、身代金の交渉なんざ散々経験を積んでるからな。
 お上品な王家の王子様にゃ、荷が重いと思うぜ」

『俺達のイシュトヴァーンが一睨みで、口うるさいマルコのおっさんを黙らせた』
 不良少年の面影を色濃く残す若き将軍達、ウー・リー以下の面に喜色が疾る。
 危険を嗅ぎ分ける天賦の才を備え、厚顔無恥にも予知能力と吹聴し周囲を煙に巻いた紅の傭兵。
 嵐を呼び災厄を招く魔戦士は肩を聳やかせ、先刻承知と云う口調で応えた。
 ウー・リー達が顔を輝かせ、内心を隠さず喜ぶ様を一瞥した副官の瞳に納得の色が滲む。
 イシュトヴァーンの眼が満足気に煌き『解ったかよ、海の兄弟』と無言で応える。

「当地へ御越しの際には、イーラ湖の西を迂回されたと聞き及びます。
 グイン王は単独で聖騎士団を蹴散らし、クリスタルを陥とすと豪語しておられますが。
 中原最強のゴーラ軍が味方に付いた、と噂が流れるだけで相当の効果が見込めます。
 レムス軍から大量の脱走者や内通者が現れ、寝返る者も相当な数に昇る事でしょう。
 イーラ湖の東を抜け、クリスタルからユノへ出る方が御帰国の際にも楽かと存じます。
 同行して頂ければ随分とまた、御礼の額も変わって来ますが如何でしょうか?」

 ゴーラ国王と腹心が一瞬、視線を交錯させ暗黙の了解に達した事に気付かぬ訳は無いが。
 パロ解放軍の指導者は気付いた素振りを寸毫も見せず、絵に描いた様に軟弱な王族を熱演。
 ウー・リー達は思わず金欲しさ、低劣な本性と形容されかねない物欲を暴露。
 敏感にも気配を察したと見え、イシュトヴァーンが唐突に振り返った。
 痛烈な光を帯びた瞳から背筋も凍る冷酷な視線を浴びせ、軽率な若輩者を叱責。
『がっつくなってんだ、足許をみられるじゃねえか!』
 心話とは異なる以心伝心の術、瞳の一閃と裏腹に冷酷王は陽気な声を挙げた。

「お前等、どうするよ?
 ケイロニア軍の後を拝んで馬鹿面を晒しながら、クリスタルまで行軍すっか?
 気晴らしに景気良く一暴れして、レムス軍を散々に蹴散らしてやるか?
 俺としちゃ物足りねぇが怪我人は出したくねぇしな、大人しく帰るとするかよ?」
 平穏無事な時代であれば明白な恐喝行為、発言者の意思を誤解する者が居る筈は無いが。
 乱世ならば当然の駆け引き、と強弁する後世の歴史家も存在するやも知れぬ。

「そりゃ決まってますよ、イシュト!
 パロの弱虫共を相手に怪我する阿呆なんて、1人も居やしませんって!!」
「やらせてください、俺達は2度と負けねぇって証明しなきゃ気が済まねぇ!
 ケイロニア軍が相手だって構わねぇ、パロ軍なんかじゃ全然、物足りないっすよ!!」
「見てて下さいよ、今度は期待を裏切ったりしませんからね!
 クリスタルへ一番乗りすんのは俺達だ、大暴れして存分に剣に血を吸わせてやります!!」

 ゴーラ軍の統率者は満足気に頷き、騒ぎ立てる若武者達を一瞥。
 パロ解放軍の指導者に視線を戻し、酷薄な嘲笑を浴びせる。
「やれやれ、物騒な連中だぜ。
 国王としちゃあ、欲求不満は解消させてやらねぇとなぁ。
 お宅の提案に乗ってもやっても良いが、元気の良い部下共を抑える自信は無ぇなぁ。
 戦闘にゃ参加しちまうだろうからよ、危険手当を上乗せして貰うぜ」

 土下座の姿勢から動かず眉を顰め、何事か思案を巡らせる老獪な聖王家の王子。
 上から見下ろし存分に嘲笑を浴びせ、酷薄な瞳で睨み付ける新興国の冷酷王。
「その必要は無い、と考えるのですが。
 先刻も申し上げましたが、ゴーラの勇者様方が戦闘に参加する必要は御座いますまい」
 ならず者の野盗風情に屈するものか、と怯えながらも懸命に虚勢を張る美貌の王子様。
 迫真の演技を継続する古代機械の探究者、心話で文句を言う誘惑と闘う灰色の眼の魔道師。

「無粋な事、言うもんじゃねぇぜ。
 よぅく考えな、お前に選択権なんざ無ぇんだよ。
 俺達が少しばかり暴れて見せりゃ、クリスタル解放も手っ取り早く片付くだろ?
 可愛い部下共も御覧の通り里心が付いちまっててな、早く国に帰りたくて気が立ってんだ。
 俺としても早い所、国へ帰してやりたいのは山々なんだがね。
 抑え切れなくなって部下共が暴れだしちまっても、ちょっと責任は持てねぇなぁ」

 パロ解放軍の最高責任者は唇を噛み、屈辱を堪える高貴な王族の表情を克明に演出。
 結界の裡で佇む魔道師は鮮明な心象《イメージ》を転送、ヨナ参謀長へ鬱積した感情を吐露。
「止むを得ませんね、勇猛なゴーラ軍の方々に手綱を付ける事は誰にも出来ないでしょう。
 レムス軍に与した者達も同胞ではありますが、現在只今の所は紛れも無い敵である事だし。
 飽くまでも歯向かう馬鹿共に恩情を掛ける気は無いが、降伏した兵は助命して下さいますね?
 但し万が一にも一般市民には手を出さない様、くれぐれも宜しく御願いしますよ。」

「あたぼうよ、お前さんは頭が良いぜ。
 俺達は赤い街道の盗賊でもなけりゃ、レントの海の海賊でもねぇんだからよ!
 指揮官の命令通りに動く様に厳しい訓練を積んだ、れっきとした一国の軍隊なんだぜ。
 ケイロニア軍が出るまでもねぇ、俺達ゴーラ軍だけで聖王宮を陥してやる。
 余計な心配は無用だぜ、そっちは金の工面だけ念入りにやってりゃ良いんだよ。
 細かい金額交渉は後廻し、クリスタル占領後の御楽しみって訳だ。

 パロ王族の御偉い様とはこれで手打ちだ、てめぇらも見届けたな?
 ケイロニア軍と戦う理由はもう無ぇ、クリスタルを陥せば大金持ちだぜ!
 イシュタールへ凱旋する前に、パロの王子様と謝礼の額を詰めるけどな。
 お前等の働き次第で金額の桁が違って来るって事、頭に叩き込んで置けよ。
 豹頭と話が纏まり次第に動く、伝令を遣るから直ぐに付いて来い。
 遅れたら置いてくぜ、わかったな」

「はいっ、合点承知!
 血が騒いで仕方が無ぇや、王子様の度肝を抜いてやりますぜ!!」
 ウー・リー以下、ゴーラの若き将軍達が吼えた。
 崇拝する風雲児に憧憬の眼差しを注ぎ、拳を突き上げ一斉に唱和。
 中原中が羨望する美貌の持主を愚弄、圧倒的な存在感を印象付ける指導者。
 冷酷王の御前を威勢良く辞し、大騒ぎしながら天幕を飛び出して行く。

「見事なお芝居だったね、完璧《パーフェクト》だよ。
 御機嫌麗しゅう事と存じます、ゴーラ王イシュトヴァーン陛下」
 涼やかな黒の瞳が満足気に煌めき、妖しい微笑を覗かせる闇と炎の王子。
 イシュトヴァーンがニヤニヤ笑いながら、気の毒な副官マルコの肩をどやし付けた。 
 

 
後書き
 正伝『闇の微笑』はナリスが学生達を切り捨てる決断を下し、非情な陰謀を巡らせる巻でした。
 イメージを逆転して、明るく希望に満ちた策謀をイメージしてみました。 

 

僭王の弁明

「ナリス様も、人が悪いぜ。
 お前が本当に蒼褪めるもんで、俺まで、冷や汗を掻いちまった。
 まぁ奴等が疑わずに納得してくれて、助かったけどな。

 何、鳩が豆鉄砲喰らった様な顔してんだよ。
 黙ってて悪かったけどさ、ナリス様に釘を刺されてたんだ。
 マルコは正直で顔に出てしまうから、事前には何も言わない方が良い。
 思慮深い年長者が驚く様を見れば、他の連中も疑わないってさ!
 次に芝居を打つ時は、お前を仲間外れにしねぇって!
 謝るから機嫌を直せよ、海の兄弟!!」

「他の者達には、何とでも思わせておけば良い。
 イシュトヴァーンと私は誰が何と言おうと、固い絆で結ばれた運命共同体だからね。
 ヴァレリウスは執念深いから、また愚痴の垂れ流しを聞かされるだろうけれど。
 私は決して鏡に映った様に魂の良く似た同志、イシュトヴァーンを見棄てる事は無い」
 目を白黒させる沿海州ヴァラキア出身の騎士、元オルニウス号水夫長マルコ。
 か弱い王子様を完璧に演じる役者、アルド・ナリスの面には意味深長な微苦笑。

 不可触性の力場《フィールド》、混沌の暗幕《カーテン》ならぬ白魔道の結界。
 心理誘導の磁場を張り巡らせ、不可視《ステルス》の盾に潜む術者が唇を噛む。
 天性の演戯者《プレイヤー》は華麗に舞い踊り、天幕を舞台に幕間劇を披露。
 屈託の無い純真無垢な表情を湛え、しゃあしゃあと黒子に徹する愛国者を一瞥。
 時も次元も解明された天上の都、ランドック製の第13号受送機《レセプター》。
 古代機械が認めた唯一の主、補欠管理者《セカンド・マスター》が微笑った。


「俺が本物の馬鹿なんかじぇねぇって事ぁ、お前等には解ってるだろうがよ。
 ユラニアの老いぼれ、クムの石頭みてぇな阿呆共とは出来が違うんだ。
 今回の出兵だって伊達や酔狂じゃねぇ、用意周到に計算してあったんだ。
 でなきゃ、建設中のイシュタールを放り出してまで遠征なんかしねぇ。

 ナリス王とは最初(はな)っから、ちゃんと話を付けて共闘する筈だったんだがな。
 意識不明の重態とか抜かしやがって、マルガに詰めてた他の阿呆共が邪魔しやがった。
 連中は何も知らねぇ、真のパロ王は治療中だから話が出来ねぇの一点張りでよ。
 真の悪い事に頭の弱い草原の蛮族共が何をトチ狂ったか、味方の俺達に夜襲を掛けて来やがる。

 ケイロニアの兵隊を引き連れてきた豹の野郎も、ナリス王から何も事情を聞いてねぇしな。
 ゴーラ軍は血に飢えた(けだもの)だ、なんて根も葉も無ぇ噂を真に受けやがった。
 スカールの畜生から自慢の顔に傷を付けられて、ちっとばかり(たま)に来ちまってよ。
 つい俺も頭に血が昇ってな、見境無く暴れ出さずにゃあ居られなかったのさ。

 治療とやらが終わってからも面会謝絶とか嘘付いて、ナリス王への伝令を邪魔し腐りやがって。
 マルガの馬鹿共が叱られて豹頭に詫びを入れ、ゴーラ軍と休戦するよう頼み込んだって訳だ。
 せっかく援軍に来てやった味方の筈が、ケイロニア軍や草原の蛮族共と戦わされちまった。
 マルガの弱虫共が余計な浅知恵で誤解を広めた御陰様でよ、とんでもねぇ大迷惑だぜ。

 腹の虫はおさまらねぇがカメロンから伝令が来てな、アムネリスが赤ん坊を産んだらしい。
 俺にとっちゃ初めてのガキだからな、さっさと帰国して顔を見てやりてぇんだ。
 パロなんざ放っといて一刻も早く国へ戻りてぇが、中途半端な儘で帰国する訳にも行かねぇ。
 ダーナムって辛苦臭ぇ街に入る時、レムスの手下を派手に叩いちまってるかんな。

 ハイそうですか、どうぞお帰り下さいよってな訳には行かねぇ事は解るよな?
 都合も変わっちまったしもうしょうがねぇ、腹癒せついでに竜の化物共をやっつけてやる。
 クリスタルで精々派手に暴れて鬱憤を晴らしてから、大手を振って凱旋帰国と行こうぜ。
 ケイロニア軍の同盟軍として共闘するんだ、折角の機会だから強さの秘密を盗んでやれ。

 お前等も口実を作って奴等に付き纏って、てめぇに何が足りないのか勉強しろ。
 部下共にも良く言っとけよ、ケイロニアの奴等が馬鹿みてぇに強ぇ秘訣を盗めとな。
 どうすればゴーラ軍も奴等に負けねぇ位に強くなれるのか、良く考えるんだ。
 眼の前に折角ケイロニア最強の黒竜騎士団なぁんて、世界最高の御手本があるんだからよ。

 『明日の為に、今日の屈辱に耐えろ』てな堅苦しい台詞(セリフ)を吐く気は毛頭無ぇけどな。
 俺達の方が若いし無限の可能性って奴を持ってんだ、次に会う時にゃ完璧に叩き潰してやる。
 そんな先の話じゃねぇ、そう遠くない未来にゃ俺達ゴーラ軍が世界最強になってやるんだ。
 お前達なら出来る筈だ、俺を失望させんじゃねぇぞ!」

 都合の悪い事は全て運命共同体ナリス、北の王グインに責任を押し付け平然と自己正当化。
 ゴーラ軍の若き将星を前に吼え猛り、我田引水の演説を打ち捲る野心家の運命共同体。
「応っ!」
 イシュトヴァーンの獅子吼に応え、勇者達は天地を揺るがす絶叫を轟かせた。

「1ザン後に動くぞ、間に合わねぇ奴なんざ用は無ぇ!
 真っ先に準備が出来た奴にゃ褒美をやるが、のろまは置いてくかんな!!
 一番槍は早い者勝ちだ、俺に着いて来れんなぁ誰か楽しみにしてるぜ。
 御喋りはこれまでだ、野郎共、さっさと行きやがれ!」

 互いに競争心を煽られ、鎧を激しく衝突させながら走り出す若き猛将達。
 ウー・リー達と共に喧騒が去り、静寂を回復した天幕の裡に抑制された笑い声が響く。


「そなたには、驚かされる事ばかりだよ。
 一体何処で、そんな立派な演説を勉強したのだね?」

 反体制派の遊撃兵(ゲリラ)ではなく、紅の傭兵を自称する陽気な無頼漢(バスタード)
 予知能力にも喩えられる野生の勘、動物的な危機察知能力を誇る魔戦士の運命共同体。
 大衆の心を掴む術を心得た天性の煽動者に劣らず、巧みな人心収攬術を誇る天性の策謀家。
 パロ聖王家の青い血が誕み出した芸術品、アルド・ナリスの唇が賛嘆の詞を紡いだ。

「馬鹿言ってんじゃねぇ、詐術(イカサマ)虚勢(ハッタリ)なんざ御手の物よ。
 俺だって経験の浅い若造じゃねぇ、あっちこっちで色んな経験を積んで来てんのさ!
 レントの海で海賊船に乗って暴れ回ってた時、赤い街道で盗賊やってた時だってそうさ。
 腕と度胸に加えて知恵と勇気たぁ言わねぇが、頭を使って力自慢の馬鹿共を従えたんだ。
 ましてや俺に心服してる可愛い部下共なんざチョロイもんさ、これくらい屁でも無ぇよ。
 ナリス様と初めて会った時から出来てたさ、ゴーラを切り従えたなぁ伊達じゃねぇんだぜ!」

 御世辞とは百も承知であるのだろうが、ナリスに褒められ満更でもなさそうに輝く浅黒い顔。
 イシュトヴァーンの屈託の無い表情、こんな幼児の様な笑顔を見たのは初めてかも知れない。
 この笑顔を無鉄砲な暴れ馬、野心家に無償の愛情を捧げる擁護者カメロンに見せてやりたい。
 マルコの想念は結界の中から見守る黒子、ヴァレリウスにも充分に共感の出来る物だった。

 竜王の操る異次元の怪物が襲来する悪夢、密かに危惧されていた黒魔道の攻撃は無かった。
 イシュトヴァーンに魔王子アモンを護らせる為、キタイの軍勢10万を派遣する。
 ヤンダル・ゾック自身は大規模な反乱を鎮める為、一時的に撤退を余儀なくされた。
 ゴーラ王の催眠暗示命令を素直に解釈すれば、アモンは未だ弱体と判断される。

 ナリスは魔道師を通じ遠隔心話で盟友グインと情勢を検討の後、配置転換を指示。
 カラヴィア軍と聖騎士侯2名を合流させ、パロ解放軍の警戒は魔道師軍団2班に削減。
 竜の歯部隊、黒竜騎士団、金犬騎士団、別動隊、新生ゴーラ軍に同行の《人質》にも各2班。
 6群の軍勢を魔道師12名が警戒する態勢を整え、クリスタル進軍を支援する。

 ワルスタット選帝侯ディモス率いる白象騎士団2千、金猿騎士団2千も行動を開始。
 マルガへ向かわず直接ダーナムへ進軍、グイン率いる本隊の同地制圧後に合流の指示を受諾。
 ケイロニア軍に続く世界最強の座を虎視眈々と狙う若者達、挑戦者(チャレンジャー)の軍団。
 第1次黒竜戦役の際には敵の同盟軍であった神聖ゴーラ帝国、ユラニア出身者が基幹の援軍。
 血気盛んな勇将の率いる軍団も風雲児の檄に応え、記録的な速さで出陣準備を完了。

 ゴーラ王の本陣となる天幕の裡に留まり、再び救国の英雄を演じる美しき虜囚。
 アルド・ナリスは敵を騙すには先ず味方から、の諺を実践し天賦の才を遺憾無く発揮。
 イシュトヴァーンの旧知ヨナ・ハンゼ、少年の侍従カイ等の側近も同行する事となったが。
 パロ解放軍を導き権謀術策を駆使する夢想家の脳裏に、ヴァレリウスの心話が響いた。 

 

大元帥の奪還

(ナリス様、ギールから報告!
 ベック公ファーンの身柄を、グイン殿が確保されました!!)
 ジェニュア神殿で説得を試みた後、レムスと対面する為に聖王宮へ赴いた誠実な従兄弟。
 パロ聖騎士団の総司令官、大元帥の称号を贈られた正義感の強い武人の面影が脳裏を掠める。

(グインが彼を救出してくれるとは天の助け、白状するが私も想定していなかったよ!
 豹頭の超戦士なら一片の傷も付けずに取り抑える事も可能だろうが、ファーンの状態は!?)
 魔道師の塔に所属する者の義務として、聖王家の成員を護る事は総てに優先する筈であるが。
 夢想家と異なり灰色の眼は動揺の色を見せず、冷静(クール)な思考回路に徹する心話が閃く。

(外傷は皆無ですが状況は深刻、外界に対する反応は鈍く意識の有無も確認出来ません。
 光る胞子の術で透視を試みた所、広範囲に魔の胞子が蔓延り既に相当量の脳細胞を浸蝕と推察。
 直に確認して参りたい処ですが些か簡単過ぎますね、ナリス様を誘拐する為の罠とも取れます。
 暫く経過を観察の後、処置を決めた方が良いでしょう)

「イシュトヴァーン、私の我儘を聞いて貰えないだろうか。
 誠に済まないのだがね、突発事態が生じてしまった。
 数ザン程で戻って来られると思うが、マルガに飛ぶ必要がありそうだ」
 ナリスは運命共同体の機嫌を読み隙を窺い、小休止の際に話を切り出した。

「何だよ、話が違うじゃねぇか!
 俺と一緒に来てくれるって話だったから、グインの顔を立ててやったんだぜ!!」
 突然の別行動を告げられた中原の風雲児、ゴーラ王は予想通り獰猛な唸り声を上げる。
 不機嫌な表情を隠さぬ僭王を眺め、困った様に微笑む闇と炎の王子。
 闇色の瞳が満更でも無さ気な満足気な光を湛え、黒曜石の如くに煌めいている。

「パロは嘆かわしい事に現在只今の所、大変に深刻な人材不足に陥っているのだよ。
 ベック公ファーンは数少ない聖王家の一員でね、私と同様に回復して貰わないと困る。
 万一彼が復帰出来ぬとなれば、パロ聖騎士団の指揮を執る者は私しか居なくなってしまう。
 その点では元気に充ち溢れた若者、多数の精鋭達を抱えている新興ゴーラ軍が羨ましい。
 パロ軍の指揮は他の者に執らせ、イシュトヴァーン陛下に同行する為と御理解を戴きたいね」

 聖王家随一の魔術師、実践心理学と社交会話術の達人は言葉巧みに良く似た魂の持ち主を説得。
 赤い街道の盗賊、無法者(バスタード)に相応しい論理(ロジック)を選択。
 贖罪の羊《スケープ・ゴート》に好適な人物の筆頭は、パロ聖王家の中で唯一の武人。
 真面目で素直な性格の従兄弟ベック公は、ナリスの《身代わり》に最も相応しい。
 パロ解放軍の指揮権を委ね、イシュタール訪問を実現する為の布石と強調する。

(カロン大導師は竜王の影響が懸念される、マルガを拠点とするのは避けろと言ったね。
 グインから古代機械に命令して、サラミスに自力で移動して貰おう。
 ファーンを運び魔の胞子に冒された細胞の再生を試みる為、遊撃班を派遣せよ)
 ヴァレリウスの懸念を聞き流し、アルド・ナリスは涼しい顔で遠隔心話に応えた。
 ロルカ、ディランに匹敵する上級魔道師アイラス指揮の班は緊急事態用に待機していたが。
 グインの奪還した第3王位継承権者、ベック公ファーンを護送する為に姿を消した。

 ナリスの身体は回復途上にあり、体調も安定しているが騎乗は無理で馬車に乗り行軍に同行。
 ウー・リー達は『パロの王子様は軟弱者だぜ、馬にも乗れねぇとよ!』と嘲笑するが。
 野心家達の芝居を真に受ける猪武者達は眼中に無く、ヴァレリウスも暴言を聞き流す。
 パロの策謀家達が歯牙にも掛けぬ新生ゴーラ軍の中で唯一、一目置かれる存在。
 裏の事情を多少は理解しているものの、律儀な海の兄弟マルコは黙して語らぬ。


「あんな弱いの居ても居なくても構わねぇ、俺が代わりに戦ってやるから心配なんざ要らねぇよ。
 レムスみてぇな馬鹿が国王百年早ぇんだよ、パロの王族なんざ何人居ても役に立つもんか!
 他の奴等なんざ要らねぇ、ナリス様1人で充分さ。
 取って代わろうなんて大それた事を思わねぇ様に、俺が全部まとめて片付けてやるぜ!」

「勘弁しておくれ、イシュトヴァーン!
 私と同じ感じ方を共有する世界で唯一の人物、私を理解してくれる運命の同志よ!!
 以前にも言ったが私はパロの国王になど、なりたくないのだよ!
 無理強いされたら愛する祖国を捨て、ゴーラへ逃亡しようと思っているのだがね!!」
 太陽の光を反射する水晶の鏡、光輝く湖水の如くに満面の笑顔を溢れさせる闇と炎の王子。
 絶品の殺し文句には逆らえず魔戦士、冷酷王と畏怖される不機嫌な若者の表情が緩んだ。

 思い切り、蹴飛ばしてしまいたい。
 ヴァレリウスは強烈な衝動に駆られ、強烈な念が迸った。
 五芒星の魔法陣を描く下級魔道師5名が思わず後退り、結界が乱れる。
 失態を悟った魔道師軍団の総指揮官は慌てて、沸騰する感情を鎮め精神を統一。
 魔道師としての序列では上位に位置する同僚、ロルカが微笑み念を強化。
 苦労人の魔道師は無念無想を念じ、悪戯の仕掛け人から瞳を逸らす。

「パロを護る《光の船》とやらが近頃、大層な評判を取ってるみてぇだけどよ。
 自慢じゃねぇが俺も見た事はあるぜ、とっくの昔から妙ちきりんなもんだと思ってたぜ」
 無法者の口から唐突に飛び出した放言、古代機械の代名詞として囁かれ一般に流布した表現。
 想定外の鍵言葉《キイ・ワード》を受け聖王家の夢想家、魔道師軍団の指揮官は不覚にも硬直。
 不意を突かれ思考停止状態に陥り、慌しく風雲児の思念を走査《スキャン》。
 潜在意識を覗き記憶を辿る白魔道の秘法、精神測定《サイコメトリ》の術を駆使。

 法螺話を好む元海賊の得意とする口から出た出鱈目、嘘か真か不明の噂話を誇張した類か精査。
 ヴァレリウスの思念波が普段は滅多に見せぬ驚愕、興奮の感情に彩られ魂の主に殺到。
 アルド・ナリスの面に奇妙な表情が浮かび、ゆっくりと振り返った。
 取り繕った動作を裏切り、瞳の輝きが内心の興奮を伝える。
 魔戦士は動物的な独特の勘を働かせ、ナリスの興味を掻き立てたと察知。
 災厄の運び手は得意満面でニヤリと笑い、主導権を譲った運命共同体の瞳を覗き込む。

「今回は嘘偽り無く心の底から言うが本当に、そなたには驚かされるね。
 スカールと戦った後、暫く姿を隠していた様だが。
 運命の再会を果たした場所、マルガに情報収集の網を張って置いたのかな?
 それとも新生ゴーラ軍の指揮を副官に委ね、単身リリア湖まで偵察に来ていたのだろうか?

 ヴァラキア出身で元海の兄弟となれば当然、遠泳の術には練達しているだろうけれど。
 魔道師達が協力して厳重に結界を張っていた筈だが、一体どうやって島に潜入し得たのか?
 どんな推理をすれば謎が解けるのか、皆目見当が付かないね。
 私の頭脳を以てしても御手上げと言わざるを得ない、降参だよ、イシュトヴァーン」


 無邪気な子供の様に粗野ではあるが端正な顔が綻び、得意気な表情が浮上。
 陽気な紅の傭兵、ヴァラキアのイシュトヴァーンを偲ばせる面影が過った。
「リリア湖じゃねぇ、レントの海で見たんだ。
 名前も無ぇ、無人島の近くでさ。
 俺とグイン、リンダとレムスの4人で海賊船に乗り組んでたんだが。
 そう云やぁ、セムの猿娘も一緒だったっけかな。

 黒竜戦役の最中、パロがモンゴールに占領されてた頃の話さ。
 嵐の夜、グインが海ん中に落ちちまったんだ。
 俺も危機一髪だったんだが強運の賜物、落雷に救けられて窮地を脱したんだが。
 そん時に海の中から出て来やがったんだよ、光の船ってのがさ」

 ナリスも普段は滅多に見せぬ興味深々の表情を見せ、夢中で聞き入る。
 ヴァレリウスも不本意ながら惹き付けられ、耳を澄ませ拝聴する事となった。 
 

 
後書き
 ベック公ファーンに、回復する見込みは無いのでしょうか。
 誠実な彼には、還って来てほしいです。
 スカールが友と呼んだのは、グイン、カメロン、ファーンしかいないのですから。 

 

新たな疑問

「向かい風だってのに、平気で近寄って来やがった。
 櫓も帆柱も無ぇってのに凄ぇ速さで、荒波を突っ切ってたんだぜ!
 豹の大将も後で言ってたけどな、他にも妙な事があんだよ。
 奴が甲板に落ちた時、光に包まれた人影が出て来て船の中へ引っ張り込んだらしい。
 そいつは見ちゃいねぇが無人島へ上陸した後、洞窟ん中で奇天烈な物に出くわしたぜ。
 でっかい光の塊みてぇなもんだったがよ、他にも在り得ねぇ様な化け物が出て来たっけ。

 俺達が海へ逃げ出した直後、でっかい光の玉が島を焼き払って空に消えて行っちまった。
 誰も信じちゃくれまいから言った事は無ぇが、あんなもんは後にも先にも見た事が無ぇ。
 死の都ゾルーディアに棲む不死身の怪物、氷雪の国を護る妖獣もやっつけたけどよ。
 嘘だと思うなら伝説の豹頭王グイン様に聞けよ、いつもの法螺話なんかじゃねぇからな!」

(どうやら突拍子も無い法螺話では無い様だ、大変興味深い内容だが君の意見を聞きたい。
 イシュトヴァーンの話を真実と仮定すれば、レントの海に古代機械が在った事になる。
 空の彼方へ消え失せた様だが魔道師の塔は未調査か、或いは情報を隠匿したのか?
 情勢が落ち着いた暁には、時系列を整理し一見無関係な報告も精査の必要があるね)
(当時の私は下っ端でしたが、感知していれば噂の形で流失は不可避と思われます。
 カロン大導師へ関連の疑われる情報の提供、可及的速やかな返答を要請します)

(魔道師の塔には情報を加工せず憶測、推定の類は一切入れるなと強調する様に。
 判断を邪魔する脚色は不要だ、古代機械の事を私以上に知る者は皆無だからね。
 あの機械は瞬間移動の原理を秘め隠し、私の質問を無視する生意気な奴だ。
 イシュトの話を基に誘導尋問を仕掛け、同類に関する情報を白状させてやる。
 人間と機械の知恵比べ、論理(ロジック)の決闘には快く協力して貰いたい。
 パロ最高の策謀家には詭弁の術も大いに期待する、その心算で居てくれ給え)
 貴方には逆立ちしたって敵いませんよ、と呟き掛けたが。
 ヴァレリウスは慌てて、心話の《声》を抑え込む。

「そなたの見た物は私が密かに温めていた推論、荒唐無稽な夢想を裏付けてくれそうだ。
 論理に悖る多種多様な事象を解明する重要な鍵、実に論理的な物的証拠と推察される。
 グインに聞くまでも無く非常に面白いね、今夜ゆっくりと話を聞かせてくれないか。
 もう陽が暮れる刻限も遠くない、次の行軍を終え夜営の準備に入る頃までには戻るよ。
 酒でも飲み交わしながら一晩ゆっくり語り明かそう、親愛なるイシュトヴァーン。
 そなたはやはり私の夢に翼を与え、運命の扉を開いてくれる大切な人なのだね」
 ナリスの賛辞を受け、闇夜に煌く星の如き黒い瞳が煌いた。

 ヴァレリウスは雄弁な視線に沈黙で応え、ナリスの護衛3班に同行を指示。
 ゴーラ軍の警戒は見習い魔道師、下級魔道師に委ね閉じた空間の術を起動。
 ベック公ファーンを護送後サラミスに残留、結界を張る遊撃班6名と合流。
 魔の胞子に冒された犠牲者の精神測定を試み、慎重に掌を翳し反応を見る。
 パロ最強の魔道師は灰色の眼を曇らせ、深い溜息を吐いた。

「ここまで進行した状態は、初めて見ます。
 あまりにも異質で解読不能ですが、強力な思念波を発信中。
 黒魔道の術師に距離と方角を報せる標識灯、遠隔攻撃を誘導する格好の標的となります」
「ファーンを見棄てる訳には行かないよ、一刻も早く私と同じ治療を施さないと」
 ヴァレリウスは無言の儘で接触心話を選択、ナリスと掌を合わせ従兄弟の思念波を中継。

 ナリスが常に着用する精神遮蔽の障壁、内心を窺わせぬ鉄壁の仮面も外れ表情が歪んだ。
「魔の胞子は脳細胞を喰い荒らす異次元の微生物と聞くが、ここまで酷いとは!
 精神活動が極端に低下していると覚悟していたが、正常な意識が全く感知出来ない。
 鉄仮面の男と似た様な状況なら何とかなる、と思っていたが予想を遙かに超えている。
 パロ魔道師ギルドの総力を挙げても意識の回復、治療の見込みは立たないのだね?」
 肉体を接触させる接触心話、言葉と異なり純粋な思考を偽る事は事実上不可能。
 魔道師の言葉に出来ぬ苦渋を読み取り、アルシス王家の正統後継者は次なる手段を選択。

 古代機械の認める《マスター》の権限を駆使、不可視の障壁に思念波を投射。
 《パスワード》を念じた直後、3千年を経て錆一つ無い光の船が現出。
 継ぎ目は皆無と見えた滑らかな水晶の壁、舷側の一部が扉と化し無音で左右に開いた。
 異文明の秘蹟は主《マスター》に応え光り輝き、銀色の光が溢れる内部を公開。
 勝手を知る者の強み、アルド・ナリスは光り輝く通路の奥へ悠然と歩を進める。

 何度も足を踏み入れた研究者、ヨナ・ハンゼ博士が続き立ち竦む魔道師達を先導。
 可動式の寝台に横たわる意識不明の重態者、ベック公を中心に従者達は滑る様に移動。
 鋼鉄を連想させる硬直した感触の異質な念波、機械化された思考記号が精神の視野に点滅。
 侵入者を威嚇し警告する思考元素、誤解の余地を持たぬ警戒信号の暗示波が一行を制止。

(一時に入室の可能な随行者の数は最大、非A級の場合3人までに制限されています。
 セカンド・マスターを含め人数制限を超過、該当する人員は直ちに退出してください )
「古代機械には何度も出入りしているが、こんな反応は初めてだね。
 ヨナとヴァレリウスを除き、他の者は一旦退出してくれ」
 灰色の瞳は安堵、不満を秘めた感情の渦を映すが異論を唱えず黙礼。
 上級魔道師4名、下級魔道師20名は滑る様に移動し周囲に結界を展開する。

「ベック公ファーンに、私と同じ治療を施す様に」
( 次席管理者《セカンド・マスター》の指示、命令入力は権限外の事項に相当します。
 公開適用除外指定技術《シークレット・テクノロジー》に該当の為、施術は認められません。
 パロ聖王国の代理者に認可の実行権限、公開可能な範囲の超過に該当し要請を却下。
 未開惑星調整事務局の許可、或いは同等の権限を有する担当者の承認が必須です )
 古代機械は運動神経も再生させる秘策、松果腺刺激方式の手術を完璧に拒絶。
 アルド・ナリスの顔色が急激に蒼褪め、音を立てて一瞬で血の気が引いた。

 パロ聖王家が誇る最大の資質、本人は弱点と勘違いしているが人々の心を魅了する真の美点。
 普段は秘め隠し誰にも見せぬ本当の自分、ヴァレリウスの魂を呪縛した無垢の魂が露呈。
 傲岸な仮面が消し飛び藁をも掴む必死の形相、頼り無い幼子の素顔を曝すが自覚の余裕は皆無。
 動転する主に劣らず魂の従者ヴァレリウス、古代機械に関する第2の権威ヨナも同様であるが。
 アルド・ナリスは辛うじて自制心を掻き集め、多少の震えを隠せぬ声で第二の矢を放った。
「私には既に該当する治療が行われた筈、当惑星文明には公開済みではないのか?」

( 最高管理者の指示に基き、已むを得ぬ特別の処置と認定された為です。
 繰り返しますが脳細胞の刺激、再生手術の申請は補欠管理者の権限を越えています )
 ナリスは絶対的な自信が崩壊、蒼白な表情を繕う余裕も無い。
 比較的冷静な共同研究者ヨナが、ヴァレリウスを通じ助け舟を出した。
「ファイナル・マスター、ランドックのグインと念話コンタクトを希望する」

( 超上級ランクへの念話コンタクト申請は、下級ランクに認定された権限を逸脱しています。
 特S級エマージェンシー発現、スペシャル・ケース発動には該当せず要求は却下されます )
 起死回生の奇跡を求め、一念を籠め放った第三の矢も無残に打ち砕かれた。
 ナリスは呼吸困難な風情で喉元へ手を当てヴァレリウス、ヨナが駆け寄る。
 困惑し視線を交錯させる腹心2人を見て、強引に態勢を立て直す闇と炎の王子。
 懸命に気力を奮い立たせ、反撃を試みる。

「どうやら表現を間違えた様だ、発言を訂正する。
 ファイナル・マスターに可否の判断を仰ぎたい、私が手術の許可を求めていると伝えて欲しい」
( 了解しました、セカンド・マスターの要請を受け容れます。
 ファイナル・マスターの意向を確認します、許可が下りるまでの間のみ在室を認めます )
 ナリスは想定外の拒絶を一時的に回避、時間を稼ぐ事に成功し大きく息を吐いた。 

 

暗黒の闇

(古代機械が明確に命令を拒否するとは前代未聞、3千年の歴史を誇る聖王家史上初の出来事だ!
 《マスター》とは主人を意味すると思っていたが、違うのだろうか?)
(私は初めて御目に掛かりますが、生意気な機械だ!
 閉じた空間も遙かに及ばぬ瞬間移動の術を独り占めの上、こんな差別をするんですか!?)

(訳の分からない理屈で抵抗はするけど、一応は命令に従っていたんだよ!
 生涯初とは言わないが実に画期的だね、権限を越える等と言われたのは初めてだ!!)
(《ファイナル・マスター》と《セカンド・マスター》ってのは一体、何の事でしょう?
 同じ《マスター》でもえらい違いだ、これじゃ只の助手扱いじゃないですか!)

(極めて興味深い未知の事象と言いたい所だが、流石にそんな余裕は無いな。
 こんな反応は今まで生じた例が無い、私もヨナも本当の所はわからない事だらけなのだよ。
 先日ヤーンの塔から転移した事で何か、行動を拘束する制約が解除されたのかもしれない。
 受動待機状態から活動状態への移行、休眠状態から覚醒状態への変化が生じたとも思えるが)

(何だか魔道師ギルドの最終決定権を持つ大導師と、魔道士の塔に出向中の2級魔道士みたいだ)
 魔道師の塔が構成員に課す束縛と掟に疑問を抱き、秘密裏に研鑽を積んだ実力者の本音。
 比較を絶する超科学文明に対し魔道師の抱く競争心、反感が共鳴し思わず閃いた思考が洩れる。
 想定外の事態に混乱する接触心話が瞬時に凍り付き、時が停まった。

(すみません、ナリス様!
 とんでもない事を、申し上げてしまいました!!)
 身も蓋も無く真実を言い当ててしまった魔道師、ヴァレリウスは驚愕。
 本能的な確信を糊塗する事も出来ず咄嗟に閃いた思考、心話が狼狽の極に在る内心を暴露。
 アルド・ナリスも痛烈な一撃を受け極度に動揺、感情の嵐は魂の従者に劣らぬが。
 己の直感に基き直言した魔道師を咎めず、冷徹な思考者に徹し断固として謝罪を遮った。

(実に的確な例えだ、私が長年に渡り抱いていた疑惑を見事に表現している。
 良く言ってくれた、感謝するぞ)
 ヴァレリウスは慌てて、見え透いた言い訳を並べようと焦ったが。
 ヨナも論理的な思考を閃かせ、掌に力を籠めた為に辛うじて惑乱を抑え込む。

(真実を怖れず現実を直視しなければなりませんが、断定するには情報が不足しています。
 ナリス様、古代機械に質問していただけますか。
 ファイナル・マスターとセカンド・マスターの相違点、資格条件や権限範囲を説明せよと。
 権限の適用範囲と該当する条件、認定する方法、必要とされる資格。
 古代機械の反応を見る限り、ナリス様の質問は無視せず却下の根拠を説明しています。
 少しでも多くの情報、判断材料を引き出し検討する必要が有ると思われます)

(そうだね、狼狽え騒ぐばかりでは何も解決しない、建設的に行動する方が遙かに有益だ。
 敵を知らず己を知れざれば百戦百敗、古代機械から情報を獲得する機会を逃す訳には行かない。
 三人寄れば文殊の知恵、と言うが賢者の遺した言葉は真理だな!
 対等に渡り合う術策を練る為には敵を知る事が肝要だ、早速聞いてみるよ)
 接触心話の思考は聴取不可能な筈ではあるが、まるで出鼻を挫くかの様に。
 銀色の光を思わせる古代機械の心話が、3人の脳裏に響いた。

( ファイナル・マスターの許可が下りました、被治療者を除き直ちに退室して下さい。
 手術の申請を受諾した個体の罹患部、脳細胞の大半は既に壊死状態で機能を停止しています。
 未知の腫瘍組織へ細胞の変質を確認、修復は不可能と判断され代替手段を選択。
 クローン細胞増殖及び置換を実施の後、マザー・ブレイン登録データの上書きを実施します。
 当技術は規定の公開可能レベルを大幅に逸脱しており、現地惑星住民の見学は認められません。
 退出を拒否する場合には麻酔薬を散布し意識喪失の後、搭乗口から強制的に搬送されます )

 機械的な合成音声が告げる宣告、無情な審判も或る程度までは想定の範囲内。
 問答無用で強制排除される最悪の想定を免れ、アルド・ナリスは勇気を振り絞り思考を投射。
「ファイナル・マスターの公正な判断、並びに最高責任者と連絡を付けてくれた事に礼を言う。
 貴君の指示に従うが重大な確認事項がある、質問の権限を求め再度の連絡を乞う次第である。
 ランドックのグインは必ずや御理解を賜り、例外のケースと認定するであろう。
 或いは手遅れになるやも知れぬ故、ファイナル・マスターに回答の可否を問い合わせ願う」

 ナリスの質問に答えるな、とグインが応じる確率は限り無く低い。
 ファイナル・マスターの御墨付きが有れば、古代機械も質問の回答を拒否は出来ぬ筈。
 弁舌の魔術師は本領を発揮、巧緻な論理を展開し異世界の機械に立ち向かうが。
 3人の心を冷徹な思考が貫き、鋼の感触を伝える銀色の光が複雑な迷宮の闇を照射。
 大宇宙《グレート・コスモス》の黄金律を求め、敢然と挑戦を試みる野心家。
 神々に立ち向かう人類の旗手、夢想家の期待は無情にも打ち砕かれた。

( セカンド・マスターの判断を参考とする非常事態、過去の事例は皆無ではありませんが。
 ファイナル・マスターと連絡の可能な現在只今の所、セカンド・マスターは基本的に不要。
 未開惑星原住民の質問に答える事は、当機の任務に含まれておりません。 )
 想像を遙かに超える痛烈な返答、明確な拒絶の意思を示す異世界の機械。
 ナリスの瞳から闇色の宇宙空間を背景に煌く星々の輝き、不屈の光が消えた。

 精神平面の決闘で竜王にも屈せぬ意志力の喪失、虚脱状態を如実に示す蒼白な表情。
 深層意識も激震を免れぬ強烈な衝撃、心理的打撃を受け脆弱な一面が露呈。
 パロ聖王家の青い血を引く野心家は瞳を硬く閉ざし、辛うじて自尊心を掻き集めた。
 億劫な仕草で頭を軽く振り、水晶を髣髴とさせる表示盤に呟く。
「セカンド・マスターは基本的に不要、か…了解した、勧告に従い直ちに退室する。
 ファイナル・マスターに宜しく、と伝えてくれ」

( ファイナル・マスターへの伝言、承りました。
 治療の推定時間は約20ザン、対象者の搬出時に施術後の経過と観察結果を報告します )
 相手を思い遣る心情とは無縁の音声信号、冷酷非情な銀色の思考が精神平面に波紋を描く。
 光り輝く水晶の壁が滑らかに割れ、左右に開き退出用の通路が出現。
 アルド・ナリスは想定を遙かに超える不慮の事態に遭遇、半ば放心状態であったが。
 古代機械の共同研究者と腹心の魔道師に支えられ、虹色に煌く水晶の部屋を後にした。


「レムスの奴が妙な書状を送って来やがったぜ、見てくれよ、ナリス様。
 ちょっと見ただけなんだけどさ、何だか頭がくらくらして来るんだよな。
 妙な小細工と踏んだけどよ、ヴァレリウスなんぞとは口も利きたくねぇ。
 魔道師の連中にゃ何されるか分からねぇ、何か仕込んであんのかな?」
 ヨナと別れ魔道師軍団の精鋭と共に閉じた空間を経由、ナリスが天幕に戻った直後。
 ゴーラ軍の陣中を騒がせ興奮気味の最高指揮官、イシュトヴァーンが駆け込んできた。

「確かに何等かの魔力が放出されている様だが、この文書は焼き捨てて構わないよ。
 植え付けた催眠暗示命令を発動させる文様か、鍵となる言葉が組み込んであるのだろう。
 そなたに植え付けられた催眠暗示は無効、既に解除されているのだからね。
 レムスには何も出来ないし、命令の内容も知らぬだろう。
 そなたがどんな動きをする様に仕組んであったか、解析するまでもあるまい。
 竜王の本体は本当に一時撤退を選択したと見えるが、どちらにせよ大した問題ではないよ」

「どうしちまったんだよ、ナリス様?
 昼間とはまるで違う反応じゃねぇか、あんなに調子良さそうだったのにさ。
 俺、何か悪い事したか?
 もっとゆっくり、進まなきゃいけなかったのかな?」
 パロ聖王家の正統後継者と古代機械が認める夢想家者、アルシス王家の遺児アルド・ナリス。
 ゴーラ王は素っ気無い返事を素直に受け取り、力無い微笑を見せる盟友を心配そうに覗き込む。

「私も大丈夫だと感じていたのだけれど、思ったより疲れが溜まっていたのだね。
 マルガから戻った後、急に具合が悪くなってしまったのだよ」
 実際には肉体面の負担過重に非ず、心理的な打撃から立ち直る事を得ず活力を喪失。
 意気消沈の常套句では遙かに及ばぬ暗渠の罠に陥り、精神平面の重傷を患う黒い月。
 精神集合体の竜王も一目を置く高い知性を誇り、運命に屈せぬ気概を秘めた真理の探求者。
 闇色の瞳に白い炎を秘め、聖王国を護り真紅の濁流を遮る運命の王子が物憂げに応えた。 

 

魂の共鳴

「考えてみりゃ無理も無ぇか、ほんの少し前まで車椅子から降りれなかったんだものな。
 ナリス様に元気を出して貰うにゃどうすりゃ良いかな、俺に何か出来る事は無ぇか?
 そういやぁ今夜に話す筈だったけどさ、俺は誰よりも多く海や陸の秘境って処へ行ったぜ。
 死の砂漠ノスフェラスにも行ったし、幽霊船を操る怪物クラーケンを見た事もあるんだ。
 また法螺話だと思って笑ってやがるな、本当に嘘じゃねぇんだって!
 タルーアンのヴァイキングや女戦士のニギディア、オルニウス号のカメロンも一緒だったんだ。

 死の都ゾルーディアへ潜り込んで不死身の化け物や、死の娘タニアをやっつけたりもしたよ!
 女だらけの村ヴァルハラで寝首を掻かれそうになって、命からがら逃げ出した事もあるけどな!!
 国盗りの軍資金を手に入れようってんで、氷雪の国ヨツンヘイムを護る怪物を出し抜いたりさ!
 千年生きてる氷雪の女王クリームヒルドから、見た事もねぇ財宝を貰ったりしたんだよ!!
 モンゴールで旗揚げする時の軍資金、ゴーラ王に成り上がる為の元手にしちまったけどな!
 嘘八百だと思うのも無理は無ぇけどさ、疑うんなら豹の大将に聞いてみりゃ解るだろうぜ!!」

 炎の破壊王と畏怖される魔戦士は懸命に、ナリスの気を引き立てようと喋り続けた。
 紅の傭兵ヴァラキアのイシュトヴァーン、赤い街道の盗賊と化す以前の面影が鮮やかに蘇る。
 カメロンの意を受け側近を務める元水夫長の副官マルコも、こんな海の兄弟を見た事は無い。
 イシュトヴァーンは無我夢中で喋り続け、結界に潜む魔道師達も何時しか話に魅了された。
 思いの外に流暢で聴衆を引き込む滑舌の良い語り口、講談師を髣髴とさせる冒険児の熱意。
 若く野心に満ち溢れ無鉄砲な若者の情熱が、ナリスの心に深く沁み入り徐々に染み渡った。

 暗黒大陸とも噂される南方の地、レムリア大陸の手前で繰り広げられた魔術と呪術の闘い。
 イリスの石を胸に秘め死の都ゾルーディア、地下迷宮の闇に姿を消した死の娘タニア。
 亡者を操る異次元の妖魔、北の怪物クラーケンを倒す力を秘めた銛を操る海の民。
 北方諸国タルーアン出身のヴァイキング達、氷雪の国と財宝の伝説を教えた恩人ニギディア。
 魔法の氷が創る棺に封じられ千年の時を超越、幻影を自在に操る氷雪の女王クリームヒルド。
 音痴と噂される彼は残念な事に、地獄の怪物ガルムも眠る吟遊詩人の歌は再現出来なかったが。
 3人の放浪者が繰り広げた冒険譚、氷雪の国と黒小人を巡る物語は夢想家の想像力を刺激した。

 怪異の数々は魔道師の念波に増幅され、夢想家の脳裏に立体的な映像と音響が鮮明に蘇った。
 尽きせぬ野心と好奇心の奔騰が夢想家の魂、心の琴線に触れ共鳴現象を励起。
 無限の可能性を秘めた豊穣な感情の源泉、《ワンダー・チャイルド》が蘇生する。
 宇宙生成の秘密を読み解く野望を胸に秘めた夢想家、闇雲に進化の可能性を探る選ばれし者。
 好奇心に満ちた闇色の瞳が無限に拡がる大宇宙、漆黒の闇を背景に瞬き輝く星々の光を再現。
 肉親に捨てられる恐怖に怯え、魂に刻印された傷を持つ者にしかわからぬ痛み。
 共通する心の深闇を抱える2人にしか成し得ない、深い共感と感情の相互作用が生じていた。

 ヴァレリウスも親の顔を知らず、心の傷を負った孤児。
 己が何者か確信の出来ぬ、妄執の底無し沼から未だに抜け出せぬ野心家。
 深い相互理解を有し感覚を共有するナリス、イシュトヴァーンの同類と言えなくはないが。
 強固な自己不信に裏打ちされた深甚な不安、盲目的な心の動きと深い心闇は次元を異にする。
 己の存在意義を確信出来ぬ闇の王子とゴーラの王、チチアの捨てられた赤子に共通する心の闇。
 魔道師である事に心の拠り処を得た彼とは明白な違い、隔絶の差が存在した。

 古代機械の主ではないと思い知らされ、燃え尽きたかと見えたナリスの心には。
 等質の心闇を秘めたイシュトヴァーンの熱情、ひたむきな想いこそが同じ指向性を有する。
 ヴァレリウスには到底、納得できるものではなかったが。
 意気消沈するナリスを、立ち直らせたもの。
 枯れかけたかと思える感情を蘇らせ、内的宇宙から現実へ回帰する力を与えた銀の鍵。
 心の奥底にまで深く響き他の誰よりも強く共鳴を生起させ、魂を蘇らせる奇蹟を為し得た秘訣。
 それは魂の友を本気で心配する中原の風雲児、イシュトヴァーンの心と感情の昂りであった。


(ナリス様、ケイロニア軍をゾンビーの群れが襲いました!
 グインも魔王子アモンの奇襲を受けましたが、ヒプノスの術を撃退された模様です!!)
 パロ最強の魔道師には、誠に不本意な成り行きではあったが。
 無粋な邪魔者と感じながらも瞳を輝かせて聞き入る魂の主、ナリスの脳裏に急報を送り込む。
 同じ種族に属する闇色の瞳が強い光を宿し、熱心に話し続ける風雲児の声を遮った。

「大変興味深い話を中断してすまないが、ケイロニア軍が魔道の奇襲を受けた。
 急いで部下に指示を出した方が良いが、ゾンビーを見た事はあるか?」
「魔道の奇襲?
 ゾンビーならサンガラの山中で、タルーの手下に化けてた奴等と出くわしたぜ!」

「化けていたという事は、死体が動いていた訳ではないのだね?」
「あぁ、見た目は普通の、えらい無口で生気の無い兵隊どもって感じだったよ」
「夜の闇の中で突然、動き出した死体に襲われてもゴーラ兵は大丈夫?
 魔道慣れしていない者達が、恐慌状態《パニック》に陥る心配は無い?」

 災厄の運び手は迫り来る危機を察知し、思わず腰を浮かせ表情を一変させた。
 危険の匂いを嗅いだ獣の如く、険しく鋭い視線を副官マルコと交換。
「海の兄弟が良く演る怪談の類なら笑い話で済むが、冗談じゃねぇな。
 こっちにも来んのか、ゾンビーってこたぁ手足を斬って動けなくすりゃ楽勝か?」

「逆効果だね、這い寄る死体を見て肝を潰さぬ者は滅多に居ないよ。
 切断された死体が動いて襲い掛かって来るのだ、冷静に対処しろと要求する方が間違っている。
 死人返しの術は実際の攻撃力は大して無い、幻術を併用し同士討ちを誘う心理攻撃に過ぎない。
 限り無く甦った醜悪な死体が蠢いている幻想《イメージ》を払拭すれば、実際は少数だと判る。
 火を起こして焼いてしまえば問題は無い、闇を払う効果もあるからね。
 済まないがパロの魔道師は伝令に出して手許に残っていない、ゴーラ兵に焼いて貰わないと」

「マルコ、篝火を盛大に焚かせろ、松明をありったけ用意するんだ!
 俺とお前が先頭に立って手本を見せてやりゃあ、皆も真似て後に続く。
 松明を小姓全員に持たせて、ゾンビー共を片っ端から燃やしちまえ!
 恐慌状態にならねぇ様にする、それで良いか、ナリス様?
 この天幕にゃ近寄らせやしねぇから、どっかにフケたりしないでくれよ!
 行くぞ、海の兄弟、ゾンビーなんぞ焼き尽くしてやるぜ!」
「はい、イシュト!」
 ヴァラキア出身の元水夫長は通説を裏切らず、海の主神ドライドンを崇拝する迷信深い船乗り。
 ゾンビーの類を嫌悪する性質ではあるが臆病者に非ず、黒魔道に敢然と立ち向かう意志を披露。
 超自然現象や怪奇現象の類と厭と言う程に遭遇、結果として場慣れした魔戦士に従い剣を取る。

「2手に分かれるぞ、当直の隊長は誰だ?」
 カメロンの信頼する海の兄弟は記憶を探り、誠実な騎士の面影を見出した。
「コー・エンです、ユラニア正規軍で騎士見習いをしていたとかで命令には忠実です。
 無茶はしませんし、信頼が置ける男だと思います」
「そいつは、ナリス様の護衛に残す。
 ゾンビーの事を教えてやってくれ、頼んだぜ!」
 ユラニア大公国は長年に渡り闇の司祭、グラチウスが牛耳る闇の王国であったのだが。
 ゴーラ皇帝の忠臣を標榜する簒奪者、アルセイスの支配者に仕えた騎士は魔道の心得を持たぬ。

「わかった、黒魔道相手に実戦経験を積むには良い機会だと思うよ。
 そなたが出るまでも無いかもしれないが、ゴーラ軍全体に動揺が波及すると収拾が困難だ。
 私も一緒に行きたい所だが、足手纏いになりかねないからね。
 大人しく、留守番をしているよ」
「ゾンビー共を蹴散らして戻って来たら、話の続きをしようぜ。
 話し足りない事が未だ、山の様にあるんだからさ!!」
「私もだよ、イシュトヴァーン」
 主従が脱兎の如く天幕から駆け出し、仰天する小姓達を怒鳴る声が響いた。 

 

竜と蛇の謎

(ゾンビーの話は本当か、幽霊船を操る海の怪魔を竜王が召喚したのか?
 私がイシュトの話に夢中になっているのを妬んで、邪魔した訳ではあるまいね)
(クラーケンが現れたら馬鹿を言ってる余裕は無いですよ、私にだってわかりますとも!
 些か面白くない事は認めますが、ならず者みたいに埒も無い法螺を吹く気はありません!!)
(嫉妬している訳でもないだろうが、相変わらず彼には冷たいね。
 それで、ケイロニア軍の状況は?)

(グインは自力で目覚め、ギールから夢の回廊に関する説明を受けました。
 下級魔道師を総動員して兵士達を起こし、ゾンビーを焼き払っています)
(カラヴィア軍や聖騎士団、ケイロニア軍の別働隊に奇襲の気配は無いか?
 夢の回廊を展開した念波の痕跡に、竜王の気配は混ざっていないか?)
(他の班は魔道の気配を察知しておらず、厳重に警戒中。
 グインの周囲に感知された念波の残滓は、中原では確認された事の無い物です)

(無人島で遭遇した光の船について、イシュトヴァーンの話が聞けて良かったよ。
 リンダにも聞いたが女性の話と云うのは、現実と空想の境が曖昧な場合が多くてね。
 古代機械に似ていると言ったリンダと異なり、イシュトヴァーンには光の球に見えた。
 精神接触の際にグインから受け取った心象も、光の球と光の船の類似性を指摘している。
 光が下部に移動した後、手足の無い巨大な赤ん坊の様な存在が姿を現しつつあった様だ。
 残念な事に時間が限られていたので、グインと詳細な意見交換は出来なかったのだがね。
 入神状態のリンダは飛び立つ寸前の種子を至高者と呼び、5タルザンの猶予を得た。
 リンダが王太子アモンと対面した際、レムスを通して竜王が語った内容とも符合する。

 ヒプノスの術で現れた竜王が語った、ガング島の地下洞窟に存在していた《神の種子》。
 ガング島と思われる無人島の洞窟で、グインとリンダとイシュトの見た光の球。
 その内部に潜んでいた巨大な赤ん坊の様なものが《神の種子》、《フモール》とすれば。
 スカールが禁断の地グル・ヌーで見た様に、星船の最奥部に本体が宿っていたのか?
 竜王の言を信じれば超越者の種子は、王太子アモンより遥かに無性格であったのだね。
 時至らずして飛び立ち、消滅してしまったそうだが何か痕跡が遺されていないのかな。
 無人島とヤーンの塔、グル=ヌーの他にも星船か古代機械が隠されているかもしれない。
 アグリッパは星船が飛び立ったと明言しているけれど、他に何か言及していなかった?)

 大導師は星船が何処へ飛び去ったのか、どうなったのかを明らかにしていません。
 まさかと思いますが星船の目的地は、ヤンダル・ゾックの故郷だったのでしょうか?)

(私に聞いても知らないよ、大導師アグリッパと対面を果たしたのは君だろう?
 生ける伝説と謳われる世界三大魔道師の筆頭と直接、念波を交わした奇蹟の主人公君。
 冗談はさて置き、氷雪の女王クリームヒルドの言葉も非常に興味深いね。
 北と、西と、海と、地の底に隠匿された世界を破滅させる力だって?
 グル・ヌーが地の底、ガング島が海、ヨツンヘイムが北とすると西は何処だろう?
 パロ西方は大灰色猿が棲息する秘境、カブールの大森林だが《西の果て》ではない。
 大森林の更に西には、頑なに鎖国を続ける神秘の太古王国ハイナムが在る。
 パロ魔道師ギルドは聖王家に内緒で、竜人族に関する情報を隠匿していない?

(私みたいな下っ端に魔道師の塔を統べる総帥、カロン大導師様の御心は窺い知れません。
 パロと国境の接する隣国、謎の太古王国ハイナムに関する情報は聞いた事が無いですね)

(ドールに追われる男はヴァレリウスに、ハイナムのイェライシャと名乗ったのだったね?
 九百歳を超える彼は大導師アグリッパに、カナリウムのイェライシャと名乗りを挙げた。
 水の王国ハイナム第1王朝の創始者ナーガ1世は、竜の血を引く竜王と伝えられている。
 中原の西に位置する太古王国ハイナムは果たして、キタイの竜王と無関係か?
 竜《ドラゴン》に対する偏見だ、と苦情《クレーム》を付けられるかもしれないが。
 東竜王が18年前にキタイに現れる以前、彼等は何処に居たのだろうね?

 イェライシャとヴァレリウスを招待した齢3千年の大導師、アグリッパも言及していた。
 竜王がキタイに出現する遥か以前、星船内部で蘇生した先祖が存在したのではないかと。
 星船から外に出た彼らが数世代に渡る混血を行い、竜王を産み出したのは何処だ?
 東方の大国キタイが鎖国を始めたのは、ヤンダル・ゾックが王となった事実を隠す為だ。
 他国に知られては都合の悪い事を隠し、真実を糊塗する為に鎖国が行われている。
 千年の長きに渡り鎖国を続ける神秘の太古王国、ハイナムは何を隠しているのだろう?

 レムスを幻視した際に連想した古代怪獣、ウロボロスは竜と蛇を合わせた様な姿だった。
 竜頭人身族が数世代に渡って混血を行った場所とは、古代帝国ハイナムの領域ではないか?
 世界の西は広大な海だけれど、キレノア大陸の西端は地図にも明記されていない。
 レムリア大陸の西岸は星の霊剣を得た黒鷹族の英雄を中心に、連合王国が栄えた様だがね)
(ナリス様、そんな異世界の伝説を何処から御存知になられたんですか?
 ドール教団の先代最高司祭とは聞いていますが、イェライシャ老師の出身地も謎ですね)

(太古王国ハイナムが建国され、氷雪の地にヨツンヘイムが創られたのは千年前だ。
 世界を破滅させる力を封じた偉大な魔法使い達とは、何者だ?
 北の賢者ロカンドラスが誕生したのも、千年前と云う事になる。
 イェライシャもグラチウスも誕生していない千年前に一体、何があったのだろうね?
 齢三千のアグリッパが地上から姿を消したのも、千年前の出来事と関係があったのか?
 三千年の歴史を有するパロ聖王国も幾度か王朝が交代した為、記録が遺されていない)

(魔道師ギルドの記録係を総動員して調査する様、カロン大導師様に要請します。
 大導師アグリッパと対面の際、ヨツンヘイムに関する事項は何も語りませんでした)

(パロの若い王子マリオンは何故、氷雪の国から生還する事を許されたのだろう?
 失われかけていた王国を立て直す為、《ルアーの目》を授けられた上でね。
 太陽神の名を冠する至宝は《何か》を見張る為、クリスタルに配置されたのかもしれない。
 中原の宝石パロ、聖王家が三千年も続いた要因は太古帝国ハイナムを監視する為ではないか?
 <セカンド・マスター>として管理が委託され、古代機械に仕えた代償と思えるのだがね。

 ユラニアは闇の司祭に操られて破滅し、モンゴールは竜王に操られ黒竜戦役で潰えた。
 キタイからの移民が建て竜を紋章とする第三勢力、クムのみが唯一破滅を免れている。
 紅都アルセイスは大火に襲われ、トーラスも放火や略奪の憂き目にあった。
 水の都ルーアンが唯一、戦火を免れているのは偶然だろうか?

 ハイナムの守護神は西竜王ではなく人面のくちなわ、年経て魔力を持つに至った大蛇セトだが。
 グインから聞いたキタイの旧都フェラーラの守護神、人面蛇アーナーダを連想させる。
 或いは大きいものは船ごと飲み込む、と伝えられる怪物ダネインの水蛇が原型かもしれないが。
 鎖国の陰で竜と蛇の合いの子ウロボロスが混血を重ね、竜頭人身族が誕生したのではないか?)

(カロン大導師様は実戦には参加してくれませんが、その位は調査して貰えると思います。
 イェライシャ老師は教えてくれそうにないし、豹頭王様も其の辺は御存知ではないでしょうね)
 ゴーラ軍は浮き足立ったが、恐慌状態に陥る事無く黒魔道の奇襲を切り抜る事に成功。
 早目の対処が功を奏し、ゾンビーの夜襲は殆ど実質的な被害を与える事無く撃退された。


「イシュトヴァーン、ゴーラ軍は少し後方に下がっていてくれぬかな。
 魔道の戦いとなれば、若者の多いゴーラ軍の方が動揺し易いだろう。
 俺は魔道師との戦い方も多少は心得ている故、先鋒は任せてくれぬか。
 ゴーラ軍には最も注目を浴びる檜舞台、クリスタル突入の際に活躍して貰えぬかな」

「そいつは、お断りだ。
 豹の旦那、俺はな、お前の部下じゃねぇんだ。
 思い通りに動かそうったって、そうは問屋が卸さねぇ。
 ケイロニア軍が魔道師を相手に、どうやって戦うのか拝見させて貰うぜ。
 確かに俺の部下共にゃ、化物や魔道師と戦った経験は無いけどな。
 ゴーラ軍の連中にも真近で、じっくり勉強させてやりてぇんだ。
 大いに参考にさせて貰う心算でいるから、頑張って戦ってくれよ!」

 コルドの弟子は老獪な戦士の策謀に乗らず、断固として拒絶。
 傍らで見守る野心家の同族、ナリスの瞳が輝く。
 憮然とした表情で眺める上級魔道師は無関心を装い、灰色の眼に何の感情も浮かべておらぬ。
 グインも瞳を煌かせるが、猫撫で声とも取れる優しい口調で言葉を継いだ。 

 

スカールの異変

「お前に後催眠の術を施し命令を植え付けた竜王、黒魔道師は実に厄介な敵だ。
 謎の王太子アモンを護る為、お前を利用した理由は推測しているだろう?
 キタイの竜王に敵対する戦力の削減、同士討ちを狙っている事は明白だ。
 マルガ北方の新生ゴーラ軍、ケイロニア軍の激突を再現する気は無かろう」
 穏やかな言葉と温顔にも誤魔化されず、中原の風雲児は鼻に皺を寄せ獰猛に唸った。
 仏頂面の上級魔道師は粗野な魔戦士を依怙地に無視、ナリスの顔色を横目で窺う事に専念。

「そんときゃ、そん時だ。
 ケイロニア軍だけ戦わせて、卑怯なやり方をしてると見られんのは願い下げだかんな。
 口先で上手く丸め込もうったって駄目だぜ、俺だっていろいろ考えてんだ。
 あんまり、ゴーラ軍を悪役にしねえでくれよ。
 あんたなら、わかってくれるよな。
 俺が本物の王様になろうと足掻いてんだ、って事をさ」

 昨夜に新生ゴーラ軍を襲った非常事態、ゾンビーの夜襲は早目の的確な対処が功を奏した。
 イシュトとマルコが松明で闇を照らし、兵士達の動転も冷静な指揮官を得て鎮静化。
 ゴーラ軍将兵の中には若さ故に経験が浅く、心理平面に重大な衝撃を受けた者も居るが。
 経験の浅い若武者達は雪辱を誓い、ケイロニア軍への対抗心に燃え脱落者は僅少であった。
「レムスの小僧、寝覚めの悪くなる様な厭らしい手を使いやがって。
 悪い夢を見ちまったぜ、クリスタルで逢ったら只じゃ済まさねえからな!」

「我が従兄弟殿に代わって御詫びを申し上げるよ、新たに国を興した勇猛なる国王陛下。
 誠に済まないね、イシュトヴァーン。
 キタイの竜王が動かす操り人形、若き聖王自身には何の力も無いのだが。
 レムスが豹変する所は、そなたも見た筈だが思い出せるかね?」
 イシュトヴァーンを盗み見て、ナリスが笑いながら応える。
 聖王家の麗人は親密さを誇示、ヴァレリウスは思わず渋面になり内心を暴露。

「あぁ、はっきり覚えてるさ。
 ありゃあ、レムスなんかじゃなかったさ。
 外面は、レムスだったけどな。
 あのガキにゃ、あんな迫力は出せやしねぇよ」
 パロ最高峰の知性を誇る主従の幕間劇、無言の抗議を察知する術は無い筈だが。
 予知能力者と噂される第六感を備えた紅の傭兵、魔戦士の不審気な瞳が魔道師を直視。

「そなたは、わかってくれるから助かるよ。
 レムスが竜王に乗っ取られている、と告発したのだが当初は誰も信じてくれなくてね!
 竜王の憑依から解いてしまえば、あの子は無害だよ。
 私に免じて、許してやってくれないか」
「別に構わねぇだろ、レムスなんざブッタ斬っちまってもさ!
 あんなガキは放っといて、ナリス様がパロ国王になれば良いじゃねぇか?」

 会心の微笑を披露する闇と炎の王子、肝を冷やし更に顔を顰める従者の魔道師。
 野性の勘を披露した天性の風雲児、嵐を呼ぶ男は何も気付いておらぬ。
「勘弁しておくれ、イシュトヴァーン!
 リンダに愛する弟を殺されたと恨まれ、呪い殺されてしまうじゃないか!!」
 イシュトヴァーンのみならず忠実なマルコ、当直の騎士コー・エンも爆笑。
 大袈裟に眼を剥く上級魔道師を平然と無視、韜晦と挑発を続ける闇と炎の王子。

「モンゴールの大公を戴いた左府将軍様と同様、私は聖王陛下の最高顧問で充分さ。
 因習で雁字搦めの聖王を誰が務めるかより、ゴーラの安泰を図る方が先決だ。
 ケイロニア王と新生ゴーラ王が共闘の意志を固め、パロ解放に尽力した事実は残る。
 レムスに私は感謝しているのだよ、よくぞ聖王に即位する気になってくれたとね!
 憑依から解放された後で、国王はもう懲り懲りだから嫌だと言って貰っては困る。
 そなたなら理解してもらえると思うけれど、国王なんて窮屈なものだよ!
 自由に使える時間は無くなるし、影で実権を握る方が遙かに賢明と云うものさ。
 古い因習で雁字搦めに縛られ、窮屈な聖王の役を演じる気は全く無いのだからね!」

 (ミャオ)の様に妖しく笑う悪戯っ子、ナリスの脳裏に心話が響いた。
 密かに期待していた予想と異なり、ヴァレリウスの切迫した思考が閃く。
(ナリス様、一大事です!
 スカール太子が重篤、命旦夕に迫っていると緊急の報告が入りました!!)
(何だって、スカールが!?
 イシュトヴァーンと一騎打ちの後、行方を晦ましていた筈だね?
 私も見落としていたが何故、今頃になって報告が来た?)

(スカール殿の追跡に、魔道師を割く余裕が無かったのです。
 イシュタールから帰還の途中、下級魔道師コームが気を感知しました。
 自力で立つ事も出来ぬ程、極度に衰弱していると報告しています。
 パロ北方の自由国境地帯で身動きが取れず、部下達も途方に暮れている模様)

(以前マルガで聞いた話では確か、グラチウスが治療したと言っていたね。
 魔道師ギルドの薬物を専門に扱う部署で、投与された薬の見当は付くか?
 グル=ヌーの鍵を握る重要人物、スカールの死を闇の司祭が見過ごす筈は無いが。
 ロカンドラスが太子に託した言葉の鍵《パスワード》を盗み、用済みと判断したのか?
 ゴーラ軍に私が同行する理由の一つ、イシュトを操りに闇の司祭が現れた兆候は無い。
 スカールの危機を放置する訳には行かない、グラチウスと連絡は取れないか?)

(黒魔道に使われる類の魔薬でしょうが、薬の成分は特定不可能です。
 闇の司祭は魔道師軍団の統合念波、心話に応えず気を感知する事も出来ません)
(イェライシャ老師は白魔道に転向する以前、ドール教団の最高祭司であった筈。
 闇の司祭グラチウスの先達、ドールに追われる男に協力を要請する事は可能か?)
(ナリス様の治療中に老師は豹頭王の懇請を受け、キタイへ飛び青星党を護衛中の筈。
 超遠距離心話には複数の中継班を派遣しなければならず、数日の準備が必要です)

(古代機械を用いて私と同じ治療を試みさせるのも、ひとつの手だと思う。
 ファーンの治療が終わる刻限も近い、ヨナの意見も聞く為に合流しよう)
 ナリスは何食わぬ顔で大欠伸をした後、眠気を偽装し呆けた瞳を巡らせた。
 虫も殺さぬ無邪気な微笑を投げ、ゴーラ王から暗躍に必要な自由時間を勝ち取った。

「親愛なる我が友イシュトヴァーン、済まないが少し疲れが出て来たらしい。
 昨日と同じ無様な処は見せたくないのでね、暫く休ませて貰っても良いかな?」
 <セカンド・マスター>アルド・ナリス、パロ解放軍の参謀長ヨナ・ハンゼ。
 2人を護衛する魔道師軍団の総帥、ヴァレリウスは念波を統合し閉じた空間の術を操作。
 ベック公ファーンの治療を実施中の後方拠点サラミス、古代機械の前に到着するが。
 数モータッドに渡り、方向感覚を操作する領域《テリトリー》が展開されていた。

 接近を図る者は本人も気付かぬ内に、力場の中心から逸れる方向へと誘導される。
 其処に存在する筈だが触れる事は出来ず、何度試しても光の船に接近は不可能だが。
 ナリスは有資格者のみが知る《パスワード》、思念波を組み合わせた暗号を投射。
 古代機械の《声》が、脳裏に響く。

( 治療は正常に完了しました、バリヤーの外に搬送します。
 自然に覚醒しますので肉体的刺激、及び投薬は不要です。
 反重力フィールド展開、発光《イルミネーション》の領域外へ移動してください。
 《光の船》を構成する水晶の壁が開き、奥から銀色の光が射した。

 眼を閉じた武人の身体が仰向けの侭、何の支えも無く空中を浮揚し滑る様に進む。
 意識を喪っているが血色が良くなり、顔や皮膚に艶と張りが戻って来ている。
 魔の胞子に浸蝕された痕跡は見えず、健康体の男性が普通に眠っている様だが。
 ファーンが芝生の上に音も無く接地すると同時に、通路は閉じ光の船も姿を消した。
 魔道師の結界と異なり、力場《フィールド》が光を屈折させ視界には何も映らぬ。

「パロ聖王家の一員ベック公ファーンの容態、病状に付き説明を求める。
 今後の経過観察に必要と判断される総合的な知識、情報を提供せよ」
 試行錯誤を繰り返した挙句、偶然に探し当てた聖句《キイワード》。
 銀色に輝く金属の光沢を秘めた古代機械の返答、無機質な思念波が脳裏に響く。

( 未知の胞子及び変質した脳細胞の除去、再生細胞の高速増殖/置換作業は無事終了。
 生命活動、消化器官組織、感覚神経、筋肉動作に影響は無いものと判断されます。
 ファイファ・システムより情報を補完、データを空白化した脳細胞に書込んであります。
 当惑星文明の公開可能限度を超える治療技術が使用され、記憶の改変を行いました。
 走査《スキャンニング》の結果、支障は認められず数秒後に意識が回復します。
 命令完了《コマンド・コンプリート》、セカンド・マスター入室の必要は認められません。 )

 カイサール転送機の指名した管理者、アルド・ナリスは前回の経験から学んだ。
 古代機械に異議申し立て、撤回の要求は無効であり判断が覆る可能性は皆無に等しい。
 アルシス王家の後継者は第13号レセプター、水晶の如き扉の前で踵を返した。 

 

ベック公の帰還

 古代機械に入室を拒否された<セカンド・マスター>、アルド・ナリスの前で。
 パロ聖王家の青い血を共有する従兄弟、聖騎士団を預かる実直な武人が瞳を開いた。
「ファーン、還って来てくれたのですね!
 貴方と再会が叶って、嬉しいですよ!!」
 グイン救出時には魔の胞子が脳細胞を冒し、反応を見せなかった聖騎士団の統率者。
 ベック公の顔が動き、驚愕の表情を浮かべる。

 信じ難い物を見た様に瞳を見開き、歓喜に顔を輝かせる従兄弟を凝視。
「ナリス、本当に貴方なのですか!
 信じられない、自分の足で立つ事も出来る様になったのか!?」
 自力で身を起こし、驚きの声を上げた直後。
 ファーンの誠実な瞳に、涙が溢れた。
 覚束ない足取りの従兄弟に駆け寄り、確りと支える。

「ナリス、本当に申し訳の無い事をしてしまった。
 弁解の余地は全く無い、何と言って謝れば良いか見当も付かない!
 私は何と愚かだったのだろう、貴方が言葉を尽くして引き止めてくれたのに。
 無謀にも黒魔道の術など怖れるに足りぬと見縊り、餌食となってしまった。
 《あれ》は断じて人間では無い、レムスの内身は全く別の邪悪な存在だ。
 突拍子も無い告発には一片の嘘偽りも無く、全て真実と理解した時には手遅れだった。
 私を真摯に案じてくれた貴方を信じずる事を拒み、真実を見抜けなかった罰。
 愚かな私に対する当然の報い、ヤーンの罰だと思う事しか出来なかった」

「親愛なるファーン、何も謝る事はありませんよ。
 魔道に詳しい者でなければ理解出来ぬ話を、性急に信じさせようとした私が誤っていたのです。
 何回も共に戦い従兄弟同士でありながら、充分な信頼関係を築いて来なかったのですから。
 元通りの貴方と再会を果たす願いが叶い、ヤーンに感謝しなければなりません」
 流暢に喋る策謀家の脳裏に、魔道師の遠隔心話が響いた。
 入念に精密探査を施したが異常は発見されず、闇色の瞳を満足気に細める。
 チェシャ猫の様に微笑う従兄弟と対照的に、素直な性格の武人は眩し気に瞳を瞬かせた。

「貴方は、強くなったね。
 今の貴方には以前には感じられなかった、穏やかな雰囲気を感じる。
 とても落ち着いていて、自分自身を信じているのだなと感じ取れるよ。
 今後は私が先頭に立って戦うから、貴方は身体を休めてください。
 本来であれば私が武の束ねであり、パロ大元帥として聖騎士団を率いて戦うのが当然だ。
 怪物に乗っ取られてしまった国王、レムスを追討する軍を起こさねばならないのだからね」

「御気持ちはとても嬉しいですよ、ベック。
 でも折角の御申し出に対して誠に心苦しいのだけれど、そうして頂くと都合が悪いのです。
 レムスを乗っ取ったキタイ勢力は、魔の胞子を取り除く方法は無いと信じている筈。
 ファーンが軍を率いて戦場に立てば、魔の胞子を退治する手段の存在が暴露されてしまう。
 私も光の船と化した古代機械の正統な継承者、ケイロニア王グインに命を救われました。
 長年研究を続けていましたが、古代機械に治療の機能が有るとは全く気が付きませんでした」

 大導師アグリッパも一目を置く閃き《インスピレーション》、詩人の魂を秘めた夢想家。
 ナリスの噛み砕いた説明を聞き、魔道に親しいとは言えぬ聖王家の武人は率直に驚いた。
「サイロンに赴く途中で引き返してしまい、私は未だ対面の機会を得ていないが。
 奇蹟の演出者は神話のシレノス、ケイロニアのグイン王であったのですか!」

「貴方を竜王の呪縛と追討軍の陣中から強引に拉致し、救ってくれたのも豹頭王陛下です。
 古代機械に治療せよと命令してくれた本来の主、グインに私も貴方も救われたのですよ。
 ファーンの治療に費やした数日の間に、カラヴィア軍が合流し兵力は5万を超えました。
 世界最強のケイロニアからも、豹頭王グイン自ら率いる精鋭が援軍が来ています。
 貴方が回復した事は伏せて置きたいのです、キタイ勢力を油断させる為にね。
 大変重大な用件を抱え頭を悩ませているのですが、お願いを聞いてくれませんか?」

 聖王家の武人は顔を輝かせ素直に感激を顕し、従兄弟の瀟洒な手を握り掛けたが。
 危うい所で気付き神妙な面持ちで従兄弟を見詰め、壊れ物に触る様に力を加減した。
「例え再び聖王宮へ赴けと言われても従います、武人の名誉に懸けても二言は無い。
 貴方の頼みなら何でも引き受けるとも、どんな事か教えてください」
 己と全く異なる真摯な眼差し、実直な眸に心疚しさを覚えたか否かは不明だが。
 先刻の従兄弟と同様に太陽を直視したかの如く、眩し気な瞳が闇黒の色彩を薄めた。

「前聖王アルドロス三世の弟、アルディス王子の嫡男ベック公ファーン。
 パロ聖王家の中で精神も肉体も健全な唯一の男性に、王位を継承して頂けませんか?
 レムスは黒魔道師の傀儡と化し、私も身体の回復には一定の時間が必要な状況です。
 第1王位継承権者リンダは面倒な因習が大嫌い、我が妻を説得する自信はありません。
 パロの女王として国家を再建する適任者、とも思えませんし他の人材も居ない。

 トーラスに向け黒竜戦役の債に進軍中、モンゴールの避難民と遭遇した事がありましたね。
 グル族の襲撃に曝される無辜の民を見て、心を痛めた貴方の表情は忘れていません。
 負けた側は略奪されて当然、世の常ではないかと其の時は考えましたが。
 人の痛みを理解し共感する貴方と、傲岸無知な私の何方が国王に相応しいでしょうか?

 スカールが愛妻を喪い、クリスタルに逗留した際も同じでした。
 貴方は愛する者を失った彼の信頼を得たが、私は彼の秘密を奪う事しか考えなかった。
 謹厳実直にして正義感が強く、人に対する思いやりに溢れ民からの信頼も厚い。
 問題だらけの聖王家を救う唯一の切り札、復興の立役者として適任だと思います」

 真面目な貌で唐突に即位を要請され、聖王家の第3王位継承権者は従兄弟を凝視。
 ファーンは呆気に取られた表情を隠さず、魔道師軍団の指揮官も灰色の眼を剥く。

「面倒な実務は総て頭脳明晰な宰相、ヴァレリウス魔道伯に丸投げすれば良いのですよ。
 リーナスが切れ者と尊称されたのも、こう言っては何だが黒子に徹した彼のお蔭です。
 黒竜戦役の際は私と対等に渡り合った智謀の主、パロ復活を成し遂げた真の功労者。
 経験豊富な魔道の専門家ですからね、私も御手伝いしますが御心配は無用です。
 クムや新生ゴーラ王国の無法者に対処する為、パロ軍を強化する必要もある。
 聖騎士団を束ねる聖王家の武人、第三の男が即位しても当然の状況と思います」

(いきなり急に何を言い出すんですか、ナリス様!
 ベック公を聖王に即位させる、なんて一言も聞いてませんよ!?
 束縛から逃れたい御気持は解りますが、私に面倒事を押し付ける御心算ですか!?
 それなら私だって、イェライシャ老師に弟子入りして一介の野良魔道師になりますよ!)

(おや、気が合うね、ヴァレリウス君。
 パロ聖王家と魔道師ギルドを権威主義者達に任せ、放浪の旅へ出るのも悪くないね。
 私に劣らぬ美貌と噂される望星教団の教主、ヤン=ゲラールにも会って見たい。
 キタイの魔道師は結婚して子孫を残し、優秀な血統を絶やさぬ様に配慮するそうだよ。
 大導師アグリッパのお気に入り、我が最愛の恋人よ《マイ・スイート・ハート》。
 喧嘩っ早いが姉御肌で頼りになる聖騎士伯、我が従姉と一緒になる気は無いかね?)
(魔界都市に棲む美貌の魔界医師じゃあるまいし、妙な台詞は止めて下さい!
 私の事を悪く言うのは構いませんが、好い加減にしないと怒りますよ!!

(リギアの悪口は許さない、と云う訳かな?
 恋は盲目、とは言わないが君らしくもない直情的で実に率直な思考だね!
 心話を中継して彼女に直接、その想念《おもい》を届けたらどうかな?
 表面的にはつれない態度を取っても、心の底では喜ぶと思うよ)
(ナリス様、誤魔化そうとしても駄目ですよ!
 私にだって学習能力はあります、その手にはもう引っ掛かるもんですか!!)

(やれやれ、君は真面目に過ぎるのが玉に瑕だね。
 たまには息抜きをしないと精神衛生上も良くない、ストレスを溜め込み過ぎだ。
 君と私が豹頭王主催の中原連合軍に参加せず、キタイへ同行しなければどうなる?
 パロ魔道師軍団も歯が立たぬ黒魔道の達人、竜の騎士を操る黒幕に敵う訳が無いよ!

 レムスの身柄を抑え竜王の憑依を祓い解放したとして、パロの民が納得するか?
 聖王の座に留まる事は許されないよ、リンダでさえ異を唱える気は無いだろうね。
 アルミナにも聖王妃の座を降りて貰う事になるが、アグラーヤ王には使者を立てる。
 パロの民を宥める為だ、退位は一時的な処置に留めると親書を送って納得させよう。

 人柄の良い聖王を立て国内の治安維持、パロ政府の再建を早急に進める必要がある。
 ほとぼりが冷めたら必ず復位させる、と誓約書を提出し説明すれば何とかなるさ。
 アルド・ナリスが聖王に即位する時は、ヴァレリウス超越大師の就任式も挙行する。
 魔道師ギルド再建の重責を担い、カロン大導師の嫉妬と猜疑を引き受けるかね?

 私の身体回復には相当の時間が必要、と大袈裟に吹聴しても全然不自然じゃあない。
 アグリッパも認めた私を玉座から解き放ち、自由に暗躍する権利を与えてくれないか?
 君の率いる魔道師軍団と私の悪知恵は必ずや、キタイへ殴り込む豹頭王の役に立つ。
 キタイ解放の戦を勝利に導く為の方便だよ、悪い事は言わないから眼を瞑っておくれ) 

 

聖王の候補者

「再言しますが第三王位継承権者、ベック公ファーン即位の可能性も考慮すべきと考えます。
 レムスと私と貴方は共通の祖父、前聖王アルドロス3世の直系。
 パロ聖王家の三兄弟、アルディス王子から青い血を受け継いでいます。
 アル・リース王家、アルシス王家は相性が悪く諍いを繰り返している。
 パロ再建の旗手には自ら臣下に下った第三勢力、アルディス王家の長男こそ相応しい。

 人の痛みを知り、人々の信頼も厚い第三の男が即位しても良いと思うのですが。
 そんなに、無茶苦茶な事を言いましたかね?
 決断を躊躇うのも無理はありません、結論は先に延ばして構いません。
 不肖の弟みたいに脱走されては困りますから、無理強いはしませんよ。
 スカールにも叱られましたが、くねくねと無駄口を叩いてばかりで話が進みませんね。
 パロ中興の祖となる聖王に即位の要請とは別に、お願いがあります。

 草原の民を率い援軍に馳せ参じた私達の親戚、アルゴスの黒太子は危篤状態です。
 治療の術は無いと思われていましたが、古代機械なら何とか出来るかもしれません。
 パロの誇る医療技術と魔道も通用せず、光の船に運び奇跡に頼る他の術は見当たりません。
 ウィレン越えを共に成し遂げた貴方に、草原の民を率いる頑固者の説得を頼みたいのです」
 黒竜戦役の際に天山ウィレン山脈を踏破した盟友、ベック公ファーンが眼を剥いた。

「何だって、スカール殿が!?
 それは是非とも、私から貴方にお願いしたい位だ!
 だが何も知らぬ私に、スカール殿や草原の民を説得する自信は無いな。
 私より貴方から直接、話をして貰った方が良いのではないか?」
 パロ第1位の心理学者は瞬時に表情を曇らせ、心痛を面に昇らせ聖王家の武人に応えた。

「私が草原の信義を踏み躙ったと怒り、スカールは聞く耳を持たぬのです。
 黒太子スカールに友と呼ばれた者は私の知る限り、沿海州のカメロン提督と貴方しかいません。
 魔道の類に本能的な反感を抱く草原の民、グル族へ言葉巧みに説明しても逆効果にしかならぬ。
 以前クリスタル逗留の際、わが友と呼んだ武人ファーンの言葉なら耳を傾けると思うのです」

「そんな事まで知っているのか、油断も隙も無いな!
 横言を言ってる場合ではない、スカール殿を救わなければ!!
 私で役に立てるかどうかわからないが、出来る事は何でもやらせて貰う。
 グル族には面識がある、話は聞いて貰えると思う。
 貴方の言う通りにするが、古代機械や黒魔道に関する説明は無理だ。
 スカール殿には何と伝えれば良いだろう、ナリスに同行して貰う事は可能かな?」

 率直に驚嘆の感情を吐露する従兄弟、想定通りの反応を満足気に賞味する闇と炎の王子。
 上級魔道師ヴァレリウスの冷たい視線、無言の抗議も予想通り完全に無視。

「有難う、ベック。
 私と貴方を回復させた治療を受けてほしい、とそれだけ伝えてくだされば充分です。
 後は貴方の思いをそのまま口にして貰えれば、必ず通じると思います。
 石の都に住むパロの民を信用しない草原の自由な魂にも、貴方の誠実さは通じるでしょう。
 パロ聖王家の血を伝える者は僅か5人、貴方が還って来てくれて私も肩の荷が下ります。
 3千年も続く王家になど生まれるものではありませんね、親愛なる従兄弟殿」


 ナリスの従兄弟とは思えぬ誠実な武人、ベック公ファーン帰還の翌日。
 ケイロニア軍が数日前の激戦地、廃墟と化した無人の街ダーナムに進出。
 北の勇者達は市街に入った直後、幻覚に襲われ大混乱に陥った。
 当直の魔道師6名が直ちに念波を統合、魔力を増幅する。

 グイン直属の上級魔道師ギール、下級魔道師、見習い魔道師も気と念を強化。
 休憩中の班も星型の魔法陣を描き、白い星と青い星が共鳴。
 催眠暗示波は部分的にしか解除できず、睡眠中の班も叩き起こす。
 三重の星型魔法陣が輝き、漸く強力な催眠術の相殺に成功。

 幻覚が消え、ケイロニア軍の秩序が回復した直後。
 を操る竜の門、クリスタルで無辜の民を虐殺した怪物が現れた。

 上級魔道師ギールの遠隔心話が届き、ヴァレリウスに戦況を報告。
 鮮明な画像と思念波、心話を中継し聖王家の実質的な最高指導者に伝達。
 士気の阻喪を誘う竜頭人身の敵に怯まず、心理的衝撃と恐慌状態に耐え懸命に応戦。
 北の勇者達は魔剣を秘める豹頭王の鼓舞、采配を得て精神的動揺を強引に抑え込む。

(いよいよ正念場だな、ケイロニア軍の別動隊は襲われていないか?
 グイン直率の部隊に続き黒魔道の奇襲が想定される、注意を怠らぬ様にと伝えて。
 ゾンビー程度なら助かるが、竜の門を繰り出す可能性も皆無とは言い切れない。
 見習い魔道師と睡眠中の班も動員、魔力を共鳴させ結界を展開。
 状況次第では、援軍を送る必要があるかもしれない)

(竜の怪物は、矢に眼を貫かれ生命活動を停止!
 幻覚の源となる催眠暗示波、異質な気と念も総て消滅しました!)

(脆すぎるな、竜の門はもっと強力な筈だろう?
 部下を生贄として禁断の黒魔道、竜の死骸兵《ドラゴン・ゾンビ》を造り出す魂胆か?
 昨夜は普通人のゾンビーだったから火で退治出来たが、竜騎士の死骸兵には打つ手が無い。
 グインの事だから既に察していると思うが念の為、ギールに確認させよう。
 竜の騎士を斃した後の死骸、屍は破片に至るまで全て炭化させ粉々に砕き地面へ埋める。
 埋めた場所は結界で封印、下級魔道師5名が交代で監視し翌朝まで警戒せよ。

 ファーンを今夜中に運び、スカールと明朝には対面して説得して貰わないと。
 明日の夜には私も立ち合い、古代機械に治療を開始させよう。
 残念だが今夜は、イシュトと話し込む余裕は無いな。
 済まないが眠り薬でも仕込んで、早目に御就寝を願うとするか。
 何を嬉しそうな顔をしているのだね、ヴァレリウス君?)
 パロ解放の為に行動する各部隊には幸いな事に、魔道の奇襲が加えられる事は無かった。

 広大な死の砂漠ノスフェラスの彼方、東方の大国キタイから現れた無慈悲な異形の戦士。
 パロ聖王国の真っ只中に突如として現れ、無辜の民を虐殺し何処かへ消え失せた竜の門。
 一旦は身を潜めた竜王の配下が何故、イーラ湖畔ダーナムの廃墟に現れたかは不明であるが。
 幸いな事に魔道の免疫が薄い新生ゴーラ軍、パロ義勇軍は怪異に襲われず前進と後退を実施。
 パロ北方国境で竜の門と対面の際は相手が遁走の為、小競り合いを演じた経験しか持たぬ僭王。
 サウル老帝の幻影が後継者に指名した赤い街道の盗賊、ゴーラ王イシュトヴァーンが吼えた。

 神聖パロ王国の解消を宣言した第2王位継承権者アルド・ナリス、北の王と並ぶ中原の風雲児。
 予知能力者を自称する魔戦士は底知れぬ不安を鎮める為か虚勢を張り、クリスタル急襲を宣言。
 中原の平和を護る有志連合の最右翼、魔都の解放者と各国に認知させる絶好の機会と主張。
 ケイロニア軍に一蹴された汚名を雪ぎ、ゴーラ軍の名誉を掲げる大舞台と唱え強情を張る。
 鋭い洞察力を秘めた豹頭の戦士グイン、パロ随一の詐欺師はあっさりと真相を看破。
 己の体面に拘り突っ張る猪武者は運命共同体の盟友、口車の天才に押し留められた。

「差し出がましい事とは百も承知だが、私にも出番を貰えないかな?
 正確には私の部下達、魔道師軍団の価値を認めさせる格好の機会を逃す訳には行かない。
 パロの特技を最大限に高く売り付け、対等の立場で同盟を結ぶ交渉材料を確保したい。
 もちろん私自身には何も出来ないし、危険に身を晒す心算は全く無いよ。
 ケイロニア軍だって新生ゴーラ軍と同様、魔道に対処する心得は皆無だからね。
 グインに貸しを作って置けば後々、何かと都合が良いと思わないか?」

 ダーナムの生存者は町長以下全員、エルファへ避難していた。
 ゴーラ軍が南下した以上、マルガからの援軍は望めない。
 イシュトヴァーンの統率する武装集団が進軍する先は、必ず流血の巷と化す。
 国王軍が体勢を立て直し攻め寄せて来る直前、ダーナム市民は断腸の思いで街を離れたが。
 神聖パロ王妃リンダの要請を待たず、パロ北西部中心都市エルファの人々は行動を起こした。
 ダーナムの避難民を市民総出で受け入れ、同胞に暖かい救いの手を差し伸べている。

 人々の行動には魔道師の放った遠隔感応波、マリウスの歌声も預かっていたかもしれぬ。
 負傷者には薬を与え治療を施し無償で食糧や衣服、己の家を提供し安眠出来る環境を整えた。
 エルファ周辺の住民が一致協力して、ダーナムの避難民を懸命に介抱する一部始終を。
 ワルスタット選帝侯ディモス、ケイロニア軍の別働隊を率いる指揮官が見ていた。

 太陽神ルアーの如き美貌を備える隣国の領主、ハゾスの親友は直ちに伝令を走らせた。
 ワルスタット侯の命を受け領民は備蓄の食糧、各種の支援物資を直ちに発送。
 グインの留守を預かる忠臣、ランゴバルト選帝侯ハゾスの許にも伝令は到着。
 ディモスの要請を受けた明敏な盟友、ハゾスも大帝の許可を得て行動に移る。

 フリルギア選帝侯ダイモスの協力を得て、北の都サイロンから食糧や医療品を発送。
 ケイロニア南西部フリルギア街道を経て、数多の救援物資は直接エルファに到着。
 エルファの市長は適切な援助に感謝し、ケイロニア軍の為に無償で便宜を図ると宣言。
 炊き出しに追われる住民も愁眉を開き、北の勇者達を歓迎する空気が醸成された。 

 

怪異の襲撃

 パロ解放軍は前述の経緯で、北西部の中心都市エルファに移動。
 ワルスタット選帝侯ディモス、ケイロニア軍の別働隊1万4千と合流。
 グインの指示で進軍を再開の際、人々は総出で見送り戦勝と無事の帰還を祈った。
 見送る群衆の中には戦火に故郷を追われた避難民、ダーナムの人々も加わっていた。

 エルファの市長は住民を代表して感謝の意を伝え、ケイロニア軍に再訪を懇願。
 ディモスも申し出を受け帰国前に必ず立寄る、と語り固い約束が交わされている。
 ワルスタット選帝侯領の主都、パロ北西部の中心的な街は友好関係の樹立を宣言。
 パロ内乱の終結後も、永遠に友誼の絆を結び続けるであろうと演説を行ったが。

 ダーナム奪還の翌日、ヴァレリウスを再び想定外の遠隔心話が貫いた。
 ゴーラ軍を操縦する黒幕と掌を合わせ、遠隔感応波を転換。
 立体的な脳内映像、臨場感の溢れる音響効果を体感。
 竜の歯部隊を襲った怪異が、ナリスの脳裏に再現された。
 イーラ湖に巨大な波が立ち水面から出現した怪魔、水竜の群れが勇者達を襲う。

 護衛の魔道師達は星形魔法陣で魔力を増幅させ、攻撃の念を投射するが。
 竜の怪物は軽々と集団攻撃の念を弾き返し、成す術が無い。
 白くどろりと濁った濃い霧に視界が閉ざされ、北の勇者達は数タール先も見えず行軍を停止。
 警戒態勢に入った竜の歯部隊を、グインの数倍もある竜が襲う。
 湾曲した象牙を思わせる獰猛な鋭い牙が幾重にも植わった凶悪な顎が、不運な兵を噛み砕く。
 竜の歯部隊を率いる隊長、ガウス准将から悲痛な叫び声が響いた。

「トム!」
 謎の咬竜は死体を咥えたまま後方、濃密な液体を思わせる濃霧の中に姿を消す。
「スナフキンの剣よ、出て来い!」
 グインの声に応じ右腕から青白い光が噴出、1タール程の剣と化した。
 豹頭の戦士が剣を掲げ突進すると嘘の様に、乳白色の濃霧は跳び退き一瞬で消失。
 鮮やかな緑色の森林が四周に広がり、入道雲が立ち昇り咬竜の姿は何処にも無い。

 周囲に視界を遮る物は何も無いが、後方には別の濃霧がわだかまっている。
 上級魔道師ギールは遠隔心話、状況確認を試みるが応答は無い。
 ワルスタット侯ディモス、カラヴィア公アドロン、聖騎士侯ルナン、ワリス、ダルカン。
 後方の黒竜将軍トール、金犬将軍ゼノン同行の魔道師達は沈黙。
 上空を飛翔し遠見の術を試みるが、厚い霧の壁に覆い隠され様子を伺う事も出来ぬ。

 グインは部下達を救う為、愛馬に乗り全速力で急行。
 頭上を飛ぶ魔道師を通じ、心話を送った。
(ナリス殿、グインだ。
 急で済まぬが再び、ケイロニア軍が魔道の奇襲を受けた。
 妙な濃霧に視界を塞がれ、巨大な竜の首が兵士達を襲い相当な被害が出ている模様だ。
 スナフキンの剣を試すと同時に怪し気な霧は消え失せたが、ゴーラ軍は襲われておらぬか?

 そちらは無事と魔道師から聞いたが、ゴーラ軍を霧と竜が襲う可能性もある。
 心話の伝達よりも直接、五感で体験して貰った方が良いと思ったのでな。
 身体に障るかもしれぬが、感覚的に憶えておいた方が今後に役立つだろう。
 先刻の竜は実体を備える本物か、幻術か俺には解らぬ。
 掠われ行方不明の兵も気掛かりだ、解析の結果を知りたい)

(解析の結果とは?
 今、初めて連絡を受けましたが)
(ギール殿を通じ、白い霧の出現した時点で依頼した筈だが。
 キタイ独自の術か否か、魔道師の塔に照合すると聞いた)

(何故、私に知らせなかった?
 冗談では済まされぬぞ、ヴァレリウス!)
(私は何も聞いておりません、ヤヌス十二神に誓って初耳です!
 数タルザン毎の定時連絡も怠っていませんが、そんな報告は無かった!!)
 魔道師軍団の暫定指揮官ヴァレリウス、ナリスの顔から音を立てて血の気が引いた。
 当直のロルカ、休憩中のディランも慌てて掌を合わせ互いの記憶を確認する。

(半ザン程前グイン王の依頼を受けると同時に、報告を送信しております。
 採取した念波紋《サイコ・パターン》も送付し、指示を仰ぎましたが。
 『解析結果の判明まで待機し、ケイロニア軍の安全確保を優先せよ』と命令を受領。
 下級魔道師の念を集束し結界を再編、強化した状態で維持しておりました)
 ギールの心話を受け、ヴァレリウスの背中を冷たい戦慄が疾り抜けた。

(どうやら、念波を盗まれたか。
 お前の報告した相手は、誰だ?)
 ナリスは冷静に確認を求め、思考停止状態に陥った指揮官が自動的に中継。
(ヴァレリウス様です、報告した際の《サイコ・パターン》を送信します!)
 パロ最強の魔道師は気を取り直し、ギールの思考を走査する。

(確かに符牒は一致しているが、俺は遠隔心話を受信していない!
 ロルカや部下達も総て気付かず、記憶を操作された痕跡も無い!!)
 ナリスと魔道師達の裡に言い知れぬ恐怖の影、不気味な悪寒が拡がる。
 パロ指導部の思考を建設的な方向に誘導する為、グインが割り込んだ。

(どうやら昨夜、俺の夢に現れた魔王子アモンの仕業だな。
 直感に過ぎぬが奴は恐ろしく狡知に長けた黒魔道師、超絶の催眠術師と思われる。
 巧妙に念波紋《サイコ・パターン》を偽装し、心話を遮蔽する事も可能ではないか。
 下手をすると、竜王より遥かに厄介な相手かも知れぬ。
 改めて確認するが、ゴーラ軍の周辺に白い霧や巨大な竜は来襲しておらぬのだな?)

(大丈夫です、改めて念波を統合し精査しましたが異状はありません。
 魔道師が不足であれば即刻、増援します!)
(スナフキンの剣で黒魔道の術が退いた故、こちらは何とかなりそうだ。
 俺は部下達を救助せねばならんが、そちらに何か異変が生じた場合は直ぐに連絡を頼む)

 グインは後続の黒竜騎士団を覆い隠す濃霧に到達、スナフキンの剣を一閃させるが。
 魔界の存在を斬る青白い剣が触れる寸前、白く濁った濃霧は跳び退く様に下がった。
 トール達を救う為に豹頭王が突き進み、スナフキンの剣を揮い続けると漸く濃霧は消失。
 黒竜騎士団は味方の剣、矢を受け多数の負傷者を出していた。

(陛下、私共が御運び致します!
 馬より早く到着します故、《気》を抑えていただけませぬか!?)
(礼を言うぞ、ギール!
 一刻も早く、ゼノンの所へ送ってくれ!!)

 心話に従い極力《気》を鎮め、トパーズ色の瞳を閉じる豹頭の戦士。
 逞しい肩に魔道師の掌が触れ、閉じた空間の術を起動する。
 金犬騎士団の周囲を取り巻く濃霧の脇に、闇が渦巻いた。
 黄金色に黒い斑点を鏤めた頭部が現れ、長身の偉丈夫が実体化する。

「スナフキンの剣よ、お前の力が必要だ!」
 主の召喚に応え、一旦は腕の中に引っ込んだ魔剣が再び青白い光と化して噴出。
 白濁する濃霧は切っ先が触れる寸前で退き、殺到する豹頭の戦士から逃れた。
 ゼノン達も黒竜騎士団の様に同士討ちを演じ、大勢の負傷者が出ている。

「ギール、ディモス達は無事か!?」
(部下の応答がありません、心話が遮断されています!)
「今すぐ、俺を連れて飛べ!」
(心得ました!)

 グインの獅子吼を受け、上級魔道師達が閉じた空間の術を起動。
 数タール後方で濃霧に襲われ、混乱する別動隊の脇に馬より数倍速く到達。
 ディモス、アドロン、ルナン、ワリス、ダルカン指揮の軍勢を魔術から救出するが。
 指揮系統が乱れ負傷者多数の為、数時間に渡り前進停止を余儀無くされた。

 グインの指示で各部隊は合流、魔道師軍団5班が周囲に結界を展開。
 上級魔道師エルム指揮の班を別動隊の護衛から外し、ゴーラ軍の天幕に急行させる。
 ナリスの側には黒曜宮、イシュタールから戻った下級魔道師2名も控えているが。
 ベック公ファーン護衛中の遊撃班、6名を呼び戻す余裕は無い。

 睡眠中の班を叩き起こし、見習い魔道師も含め全員が気と念を合わせ結界を展開。
 ナリスは立て板に奔流の如く捲し立て、イシュトヴァーンに状況を説明する。

「ケイロニア軍が不自然な濃霧に視界を塞がれ、巨大な竜の首に見える怪物に襲われた。
 世界最強の十二神将騎士団も痛手を被り、敵の手掛かりを全く把握できなかった。
 スナフキンの剣が無ければ、ケイロニア軍は壊滅したかもしれない。
 こちらに来る気配は感じられないが、暫く様子を見た方が良い。

 今後も魔道の奇襲が繰り返される、と考えて行動しなければ酷い目に遭う。
 考えたくも無い嫌な事は必ず起こる、そなたは既に理解していると思うが鉄則だ。
 霧が出て来たら矢を射ってはいけない、必ず味方に当たり同士討ちが発生するからね。
 1ザン待って何も起こらなければ、ケイロニア軍と合流しよう」

 ナリスの言葉が《災いを運ぶ男》、予知能力者の耳に響いた直後。
 突如として濃密な乳状の霧が視界を閉ざし、巨大な竜の顎が現れた。 

 

豹頭王の魔力

 イシュトヴァーンは魔道師を召抱えておらず、怪異に対処する術を持たぬ。
 スナフキンの剣も無く、巨大な竜の襲撃を退ける手段は無い。
 竜の顎が開き、鋭利な牙の群が露出。
 兵士達は恐怖を煽られ、随所で悲鳴が響く。
 ゴーラ軍の指揮系統は一瞬で麻痺、恐慌状態(パニック)に陥った。

 濃霧を掻き分け現れた竜の牙が一閃、アルド・ナリスを引き裂くかと見えた其の時。
 ナリスの裡に異様な感覚が生じ、グインとの精神接触(コンタクト)が再現された。
 豹頭の超戦士が秘める無尽蔵の活力(パワー)、膨大な星々のエネルギー。
 人間の許容量を遙かに超える黄金色の精気、光と熱の激流が身体中に漲る。

 ヴァレリウスは咄嗟に身体が動き、アルド・ナリスを背後に庇ったが。
 己の魔力を眼前に迫った竜に叩き付け、爆発させる寸前。
 華奢な手が伸び、身を挺して盾となった魔道師の肩を掴んだ。
 ナリスの掌を通じ黄金色の精気、想像を絶する膨大な《パワー》が流れ込む。

 豹頭の戦士を源とする激流は結界を通じ、数十名の魔道師に波及。
 ヴァレリウスはまたしても貧乏籤を引き、最大の負荷を受ける格好となったが。
 見習い魔道師も含め、全員が未曾有の衝撃に耐え懸命に意識を保持。
 ナリスの右手が閃き銀色の愛剣、レイピアを投槍の要領で叩き付ける。
 上級魔道師達が咄嗟に動き、五芒星の魔法陣を敷いた。

 4人は荒れ狂う爆流の渦に耐える最強の術者、ヴァレリウスを支援。
 アルド・ナリスの掌を通じ精神接触を経由の接触心話、大音声が脳裏に轟く。
「受け取れ、ヴァレリウス!
 俺の《パワー》を操り、黒魔道の術を破れ!!」

 エネルギーの奔流は精神接触の相手を中継して、パロ最強の魔道師に殺到。
 許容量を遙かに超える強力な気と念、波動に魂を消し飛ばされそうになった。
 ヴァレリウス、ロルカ、ディラン、ミード、エルムの顔も苦痛に歪む。
「気を失うな、魔力が暴走すれば何もかもお終いだ!」
「《自分》の意識を維持するだけで良い、気を集中させろ!」
「解ってる、そのまま、俺を支えてくれ!」

 グインから届く無尽蔵とも思える膨大な念波、生の《力》は想像を遙かに超える。
 これだけの熱量を制御する事は、世界三大魔道師にも不可能ではないかと思われたが。
 必死で念を凝らす魔道師達は気を喪わず、己の許容量(キャパシティ)を最大限に活用。
 各人が精神を集中し意識を焼く尽くす程に圧倒的な魔力、思念波の制御を試みた。

 全員の支援を得た魔道師は重圧を撥ね退け、膨大な《パワー》を懸命に制御。
 灰色の眼に殺到する巨大な竜の頭が映り、圧縮された黄金色の精気を掌から放出。
 爆発的な真紅の衝撃、強大な念動力の奔流が空気を過熱させ猛烈な炎に昇華する。

 紅都アルセイスを襲った業火、火の女神レイラの如き火焔が渦巻き一直線に飛翔。
 炎の渦を纏う輝ける真紅の竜と化し、ナリスの投じた愛剣に追い付き炎の紋章を刃に刻む。
 白い濃霧に包まれた謎の巨竜、真紅の炎を纏った竜の剣が真正面から激突。
 紅玉《ルビー》の様に輝く赤い瞳が輝き、謎の咬竜は閃光を撒き散らし虚空に消えた。


 濃密な霧も猛烈な爆風に吹き飛ばされ、跡形も無く消え失せている。
 ゴーラ軍を襲った悪夢、巨大な竜は嘘の様に消え去り何の痕跡も見当たらぬ。
 太陽の光が燦燦と降り注ぎ、頭上には見渡す限り青い空が広がる。
 パロの指導者を襲った黒魔道の術、試練は克服され全員の緊張が一気に緩んだ。

 ゴーラ軍の兵士達は安堵の息を吐き、互いに顔を見合わせる。
 パロの魔道師達も無言ではあるが、心話が交錯し念が飛び交う。
 注視を浴びながら数タール先まで歩み、優雅に膝を落とす聖王家の貴公子。
 ナリスは見慣れぬ装飾物を拾い上げ、涼しい顔で周囲を眺めた。


「これが、魔術《マジック》の種か。
 首飾り《ペンダント》を触媒として魚竜の一種、咬竜を実体化させたのかな?
 紅玉《ルビー》を嵌め込み、燃える様に輝く魔族の赤い瞳を模しているのだね。
 ケイロニア軍には気の毒だったが、新たな犠牲者が出る事は無いだろう」

 ナリスは独り言の様に呟き、従者の警告を無視して謎の宝飾品を懐に収めた。
 不可思議な衝動に駆られ、咄嗟に投じた銀色の愛剣も拾い上げる為に手を差し伸べるが。
 レイピアの刀身には見慣れぬ模様が刻まれ、異様な波動を漂わせている事に気付き背後を振り返る。
 ヴァレリウスは無言の問いに応え、慎重に掌を翳し銀色の剣が纏う波動を解析。

「我々には未知の《気》ですが、強烈だな!
 まるで太陽の様に燃え盛っていて、心の《眼》を灼き尽くされそうな気がします。
 強いて言えば糞爺、もとい、グラチウスの相棒が使う魔力に波長が近いかもしれません」

「花の精霊を統べる風魔神の眷属イタカ女王の愛人、快楽の都タイス由来の精霊と自己紹介した淫魔の事?
 グインの放出した星々のエネルギー、黄金の精気(エナジー)を喰らって破裂した後の事は知らないね。
 ユリウスが魔王子アモン、或いは同類を見た記憶も気になるけれど。
 超古代の暗黒大陸カナン由来の刻印であれば、古代生物の魔力に波長が近いかもしれないね」
 ナリスは無造作に華奢な掌で愛剣の柄を握り、軽々と振り廻してみた後で鞘に納めた。


「グイン陛下の援護射撃ですが、途轍もない《パワー》でした!
 あれだけのエネルギーを中継したのに何故、ナリス様は平気なんです?
 あの濃霧からは藻の怪物と同様、イーラ湖の匂いが嗅ぎ取れました。
 湖の底に残っていた竜王の魔力、結界を使って霧の渦を創造したのですか?」
 ヴァレリウスは荒い息を懸命に整え、朱色に染まった顔面の儘で当然の疑問を投げ掛ける。

「私にも、良く、わからないのだけどね。
 ケイロニア軍が襲われたのだから、ゴーラ軍も危ない。
 閉じた空間の術で駆け付け、スナフキンの剣を使う手は間に合うまい。
 リリア湖の小島に戻り、古代機械を操作するにも時間が足りない。
 瞬間移動の為には、転送室に入る必要があるからね。

 グイン殿は『セカンド・マスターが危機の際に即刻、精神接触せよ』と命じた。
 精神接触の相手に、エネルギーを送る事は可能と証明されている。
 私の護衛役は魔道師軍団の中でも最強を誇るから、何とかなるだろう。
 その判断が正しかった事は見事に証明され、君達は期待に応えてくれた。

 豹頭王陛下から直接、お褒めの言葉をいただいたよ。
 パロ魔道師軍団の諸君に感謝の詞を捧げ、更なる活躍を祈念する。

 竜の魔物を掻き消した聖炎の魔法、赤い激流を見て思い出したのだがね。
 《ゴーラの赤い獅子》アストリアス、鉄仮面の男は何処に居る?
 カリナエの地下牢に幽閉した儘、すっかり忘れてしまっていた。
 イシュトに対する切り札として、マルガに移したのだったかな?
 私を《暗殺》する役割は果たしたのだから、解放してやろうじゃないか。

 アムネリスを熱烈に愛する彼は、ゴーラ王妃の親衛隊長に適任だ。
 公女将軍に剣を捧げ、ノスフェラス遠征にも同行して豹頭王と戦った。
 モンゴールの赤騎士隊長として、黒竜戦役にも参加しているのだろう?
 ゴーラ軍も人材豊富とは言い難い、経験を積んだ指揮官は貴重だ。
 実戦の指揮を執った事もある筈だし、治療してやってくれないか?

 竜の消え失せた後に残った遺留品は、何を意味するのだろう?
 クム大公国家の象徴(シンボル)は、竜の紋章だが。
 大公家の至宝、竜の首飾り《ペンダント》が存在していたのだろうか?

 キタイ移民の国だから竜王の魔手が及んでいる、と短絡的に断定する気は無いが。
 パロ魔道師軍団の警戒網を欺き、クリスタル奇襲を成功させた黒幕は誰だ?
 キタイの竜王が気配隠しの術を用いた事は、カロン大導師も証言している。
 ヴラド・モンゴールを操った竜王が隣国、クムを操っていても不思議は無い。

 グインと精神接触の際、イェライシャの証言も知る事が出来た。
 ユラニアも闇の司祭グラチウスに操縦され、事実上支配されていたのだよ。
 ケイロニアは無事な様だが、まじない小路には黒白不明の魔道師達も潜んでいる。
 互いに牽制しあっているのだろうが、勢力の均衡が崩れぬ保証は無い。

 やれやれ、すっかり話が脱線してしまった。
 咬竜は時の彼方に消え去り、再び現れる事は無いだろう。
 本来であれば健康を損ない、変調を来して当然だったのだが。
 君のお陰で一定量の念波が転換され、逆流して治療を促進してくれた。
 今の一幕で相当、体力が戻って来たよ。

 親愛なる導師ヴァレリウス君に感謝の詞を捧げ、アルド・ナリスの名に懸けて誓う。
 心を入れ替え、好き嫌いを言わずに食事を採り、剣の鍛錬と精進に励む。
 パロ聖騎士の鎧を装着して、クリスタル奪還の陣頭指揮を執る為に努力する。
 今度は嘘や韜晦じゃないよ、私の誓約を信じてくれ給え」
 アルド・ナリスの笑顔が輝き、ヴァレリウスは大きな溜息を吐いた。

「魔道師軍団を代表して感謝の詞、御誓約を謹んで承ります。
 お陰で私も部下達も鍛えられましたよ、魔力が相当に強化されたみたいだ。
 対等に竜王と闘えるレベルに進化した、とは口が裂けても言いませんけどね。
 手荒い援護射撃でしたけど、グイン陛下の恩恵に感謝致します」 

 

瀕死の鷹

 赤い街道の通じる人里から遠く隔たり、自由開拓民の形跡も無い山中。
 荒涼とした風景の一角が翳り、黒い霧が湧出。
 立体的な闇の領域が濃度を増し、もやもやとした影が渦を巻く。
 影は急速に形を整え、上級魔道師アイラス以下数名が実体化。
 最後に純白の長衣と銀色の鎧を纏う騎士、ベック公ファーンが現れた。

 アルド・ナリスと異なり、聖騎士団を束ねる従兄弟は魔道に親しまぬが。
 非常事態と認識し魔道師に身を委ね、意識の無い状態で閉じた空間を運ばれた。
 気付け薬の効果で目を覚まし、魔道師の報告を受け現在位置を確認。
 草原の民と共に天山ウィレンを踏破した勇者の命令に従い、魔道師は姿を消す。
 聖王家の武人は包み隠さず、スカールの所在地と教えられた洞窟に接近。
 案の定、鋭い誰何の声が響いた。

「誰だ!?」
「密偵め、覚悟しろ!!」
 地から湧き出したかとも思える複数の影、荒くれ武者が聖王の従兄弟を取り囲むが。
 聖王家の大元帥は相手を苛立たせぬ様、沈着な声色で名乗りを上げた。
「スカール殿に従い天山ウィレン山脈を越えた者、ベック公ファーン。
 太子殿に対面を希望している、と当時を知る方々にお取次ぎを願いたい」

 スカールを慕う草原の民に天山、ウィレン越えの冒険譚を知らぬ者は無い。
 一気に緊張が解け、鮮やかな色彩の布切れを身に纏う剽悍な戦士達が刀を引く。
 本来であれば草原の風に靡き、モスの大海を泳ぐ熱帯魚の様に地を彩る装束だが。
 精悍な戦士達の表情は厳しく、グル族の衣装も色褪せて見える。
「失礼した、頭立った者を呼ぶので暫しお待ち願いたい」
 表情を和らげ、穏やかな口調で告げる見張り番の戦士達。

 無人の荒野に突如として現れ、潜伏場所へ迷う事無く歩を進める不審な男。
 石の都に住む密偵と判断して当然の侵入者だが、身に纏う雰囲気は紛い物に非ず。
 パロの民に対する本能的な警戒心、偽装を見抜く野性の勘も警報を出しておらぬ。
 草原の男は己の直感を信頼し、素直に従う術を心得ている。
 口笛の長短と音程の高低、旋律と符号の複雑な連鎖。
 念話に優るとも劣らぬ密度の情報が短時間で行き交い、1人の男が現れた。

「パロの殿方!
 如何なる術にて我等、グル族が此処に居ると御知りになられた?」
「おお、タミルか。
 久しいな、スカール殿の容態は本当に酷いのか?」
 長老グル・シンが後継者と見込み、スカールの信頼も篤い騎馬集団の副長。
 勇猛な草原の民グル族を束ねる実質的な統率者、タミルが眼を見開いた。

「私の名を、覚えておられるのですか!
 黒太子様の体調を何故、ファーン様が御知りになられた?」
「世界の屋根と謳われる天険ウィレンを共に越えた仲間、戦友の名を忘れはせぬ。
 一瞥以来だが事態は一刻を争う、スカール殿の許へ歩きながら事情を説明させて貰いたい」
 己の務めを忠実に果たす実直な忠臣、グル族の勇者は硬い表情を緩め固く手を握った。

「貴方は石造りの街に住む恩知らず共とは違う、草原の神モスが祝福する真の勇者。
 事情など聞かずとも私は貴方を信じる、黒太子様の居場所へ御案内します」
 タミルの即断即決に応え裏表の無い好漢、ベック公ファーンの瞳も感激の色を映す。
 パロ聖王家の直系に近い数少ない生存者、誠実な勇者は信頼と好意に応え言を継いだ。

「私は草原の民に助けられ、パロ解放に力を貸してくれた事を深く感謝している。
 スカール殿の病状を和らげ一片なりとも恩を返す為、お主達を訪ねて来たのだ」
 ケイロニアを凌駕すると一時は噂された大陸軍国、モンゴール軍を蹂躙した騎馬民族。
 つい先日に総勢2千騎のみで新生ゴーラ軍を襲い、3万の軍勢を大混乱に陥れた勇者達。
 グル族の次期族長タミルのみならず周囲を囲む草原の戦士達、全員の眼に涙が溢れた。

 心痛を如実に偲ばせる嗚咽の傍ら、タミルが懸命に言葉を搾り出す。
「太子様は馬に乗る所か立つ事、話す事も出来ない状態です。
 我々は知る限りの薬草を試し、自由国境地帯に住む医者にも診せたが治療の術は見当たらぬ。
 ゴーラ軍を夜襲の際、黒太子様は妻仇を討つ寸前まで追い詰めたのですが。
 イシュトヴァーンとやらは敵わぬと見て、卑怯にも一騎打ちから逃げたのです。

 数日の間は黒太子様の再来を恐れ、ゴーラ軍の陣中にも戻らず行方不明であったのですが。
 ケイロニア軍と戦闘が始まってしまった為、スカール様も一旦は襲撃を断念しました。
 ゴーラ軍がケイロニア軍に勝てる筈は無い、敗走し母国へ逃げ帰るに違いない。
 イシュタルへ向かうと読み帰路を待ち伏せ、再び襲撃する予定で我々は北へ向かいました。

 ところが自由国境地帯を行動中、太子様は急激に体調を崩し黒い血を吐血されたのです。
 他の者達には悪い風が入り気分が優れぬと言ったが、私にだけは打ち明けて下された。
 ファーン殿と再会の後に草原へ戻り、一時は病に斃れるかと思われた時の事ですが。
 太子様の治療を無償で行うと称し接近を図った黒魔道師、グラチウスの薬を断った為であると。

 オー・ラン元将軍邸を密かに訪れた後、パロ方面へ南下する途中で薬が切れてしまったのです。
 太子様は立つ事も出来なくなったのに、唯一の薬を持つ魔道師は姿を現しませんでした。
 光の船とやらの噂も聞き及んでおり、再度パロで治療を試みられてはと懇願したのですが。
 パロには2度と足を踏み入れぬと太子様は仰り、容態は悪化の一途を辿りました。

 草原の神モスの下された絶好の機会、ゴーラ王を討ち取る好機を逸したは心残りなれど。
 是もまた己が運命と太子様は既に死を覚悟し、達観しておられます。
 俺の死後はスタック王の怒りも解けようから、お前達は草原に戻れ。
 其の様に我等に命じられた後、話をする事も叶わなくなりました。

 パロの御方、お願いです。
 我等全員の命を差し出しても構わぬ、太子様を御助け下さい」
 タミルの言に草原の民は全員が唇を噛み締め、再び嗚咽と呻き声が洩れた。
 ベック公ファーンの表情も急速に曇り、魔道師達へ準備を急げと檄を飛ばす。

「そこまで、スカール殿の病状は悪化しているのか!?
 黒魔道師に頼らぬ治療の術が存在する旨、体験者の私から御説明する。
 スカール殿の気性、己の言を曲げぬ事は私も良く理解しているが。
 心配は要らぬ、必ず太子様の御生命は救って見せる」
 パロ聖王家の第3王位継承権者、クリスタルを外敵から護る聖騎士団の頭領。
 黒太子を救う可能性を秘めた来訪者、ベック公ファーンの宣言が荒野に響く。

 屈強な草原の男達が純真な子供の様に、気弱で縋る様な眼差しを向けた。
 敬愛する族長の代行者を筆頭に、グル族の戦士達は一斉に頭を下げる。
 道を開け洞窟の奥へ誘う彼等の不安を、ファーンは痛い程に感じた。
 彼等に取り黒太子は草原を見守る大神モスの化身、太陽そのものであるのだ。
 スカールを喪う事など草原の民には想像も出来ない、世界が永遠の闇に包まれるに等しい。
 だが訪問者の眼に映った黒太子は髪の毛が全て抜け落ち、幽鬼の如くに痩せ衰えていた。

 頭を持ち上げる事も叶わぬ草原の黒太子を気遣い、背後に控える従者タン・ターが動いた。
 スカールに苦痛が生じぬ様に気を配り、壊れ物を扱う様に繊細な動作で優しく慎重に支える。
 ファーンの眼が大きく見開かれ、周囲を埋める草原の民から堪え切れぬ嗚咽が漏れた。
 タミルの叱責しようとする気配を察した来訪者、ファーンの眼が制止は無用と告げる。
 グル族の統率を代行する者としての気持は痛い程に解るが到底、止める気にはなれぬ。
 念話と異なる以心伝心の共鳴作用が生じ、グル族の勇者は感謝の念を視線に込めた。

 黒太子と共に天山ウィレンを踏み越え、友と呼ばれる機会を得た聖王家の武人。
 ベック公が風雲児の正面に屈み込み、今なお剛い光を放つ鷹の瞳が旧友を直視。
 計り知れぬ苦痛を堪える鋭い眼に一瞬、驚きの色が走った。
 瞳が和らぎ微かに瞼が動くと同時に、タミルが動き来訪者の唇に耳を寄せる。
 病人の心情を汲み取り言葉に変え、重篤の病人に苦痛を与えぬ様に小声で囁く。

「ベック様はどうなられたのか、太子様はとても心配していました。
 ウィレン越えに同行した誠実な武人が、同胞を屠る竜の化物の側に立つとは考えられぬ。
 黒魔道に操られているか、悪くすれば乗っ取られ元に戻れぬ状態にされてしまったか。
 心を痛めておられたのですが、ベック様に御会い出来て嬉しいと仰っておられます」
 ファーンの瞳から、涙が溢れた。
 思わずスカールの手を取り、胸に押し当てる。

 冷たい。
 生気が、全く感じられぬ。
 だが己の身体で温め、消えかかる生命の炎を再び燃え盛らせずにはおかぬ。
 強い意志を示す動作は、草原の民にも通じた。

 パロに住む石の民は信用出来ぬ、と猜疑心を緩めぬ者も多かったのだが。
 心配も露に周囲を取り囲む草原の民、全員が勇者に尊敬の眼差しを注いだ。
 ベック公ファーンの一念が通じたか、スカールの唇が微動。
 精神感応能力者の如くに微妙な陰翳を読み解き、タミルが口を開く。

「移り病かも知れません、伝染の懸念もあるから直に触れぬ方が良い。
 御気持は有難く頂戴する故、御手を御放し下さい」
 己の肉体が自由にならぬ苦痛に耐え、友の健康を案じる草原の鷹。
 スカールの裡に秘められた優しさに触れ、ファーンの瞳から再び涙が溢れた。 
 

 
後書き
 この時点では肉体改造が進行中、とは思えませんでしたが。
 魔薬を飲まないと一気に病状が悪化する、と後に本人が証言しています。 

 

黒幕の暗躍

 ベック公ファーンが閉じた空間で護送され、スカールの許を訪れていた頃。
 中原に嵐を呼ぶ男、ゴーラ王イシュトヴァーンは不貞腐っていた。
 意外と迷信深い船乗り、ヴァラキア出身の風雲児は動物的な直感を信頼。
 予知能力者の勘は危険を避けろ、と告げており素直に従う賢明さも持ち合わせている。
 グインの爽やかな弁舌に踊らされ、功名心を煽られた態を装い自軍の天幕に帰営。
 当直を交代した魔道師が数名、災いを運ぶ男の質問攻めに遭遇する事となった。

 ゴーラ王は不運な魔道師達を解放すると、直ちに指揮官達を招集。
 急遽仕入れた魔道の知識を噛み砕き、天性の勘で操り見事な法螺話が披露された。
 イシュトヴァーンの話術は冴え渡り、生半可な魔道の知識を得意の弁舌で補強。
 若き隊長達は素直に感心、転んでも只では起きぬ総帥の見識を褒め称える。
 魔戦士は周囲を煙に巻き意気揚々と引き揚げ、得意満面で運命共同体の天幕を訪れた。

「身体の調子は徐々に良くなっているが、長年の不摂生が祟っている様だ。
 頭脳の回転は元通りだけれど持久力が無い、底無しの体力が羨ましいよ。
 そなたの気力と回復力を分けて欲しいものだが、黒魔道に類する術は禁忌だからね。
 白魔道は生憎な事に制約が多くてね、そんな便利な術は使うと魔道十二条に触れてしまう。
 黒魔道は夜と闇に親しい反面、白昼と陽光の下では威力が減衰するから昼間は宜しく頼む。
 不寝番を務める為には充分な昼寝が必要だ、申し訳無いが熟睡させて欲しいな」

 アルド・ナリスは優雅に微笑み、『数ザンの間は面会を謝絶する』と言外に表明。
 ヴァレリウス、当直を務める上級魔道師ロルカ、下級魔道師5名が念波を統合。
 閉じた空間を経由して姿を消したが、ゴーラ軍の中に察知した者は無かった。

 グインは魔道師の助言に従い警戒を徹底させ、各部隊の鎮静化を図るが。
 日没前に進軍を再開する事は出来ず、湖畔の森で野営を余儀無くされた。
 黒魔道の威力が倍増する夜間の奇襲を警戒、盛大に篝火を焚き歩哨の数も増やす。
 上級魔道師ギールを通じ、ケイロニア軍の陣中で遠隔心話を受信。
 人払いを命じた天幕の内部に闇が揺らめき、閉じた空間から複数の影が現れた。

「スカールは闇の司祭グラチウスが施した黒魔道、未知の病に冒され命旦夕に迫っていますが。
 ファーンの説得が功を奏し、古代機械の治療を受け容れる事となった模様です」
 曲がりくねった世辞の遣取り、韜晦は省略し単刀直入に要件を切り出す稀代の策謀家。
 ヴァレリウスが頭を振り『何時も、こうすれば良いのに!』と無言で雄弁に表明。
 【笑】の感情記号を映した猫族の瞳が煌き、パロ解放軍の最高指導者も眸を綻ばせる。

「アルゴスの黒太子スカール殿か、俺も彼とは何れ対面したいものと思っている。
 トーラスでカメロン殿と対面し彼に関する話を聞いて以来、一層その思いは強まった。
 ヴァレリウスが大導師アグリッパを探し当てた際、聞いたそうだが。
 ナリス殿と俺と太子が揃った時、果たして如何なる力の場が生じるのか大いに興味があるな。

 世捨て人のルカは何れ、俺は世界三大魔道師全てと会うだろうと言ってくれた。
 3千年生きたと云う大導師アグリッパには俺も直接、対面して色々と聞いてみたい事がある。
 キタイ解放の為には、ヤンダル・ゾックに対抗出来ぬ力の場を欠く訳には行かぬ。
 スカール殿は御救いせねばならんが、どうしたものかな。
 古代機械に命じてみたが、治療方法の決定には《マスター》の立会が必要であるらしい。
 俺は部下共の傍らを離れられぬ故、ナリス殿に御頼みしたい。

 おや?
 如何されたのかな。
 何故か何処となく心気が優れぬ様にお見受けするが、身体の調子が思わしくないのかな。
 古代機械から治療は順調と連絡を受けているが、何事か不具合が生じたのであろうか?」

 円形に近い瞳孔が大部分を占める猫族の丸い瞳、トパーズ色の虹彩に不審気な光が宿る。
 ナリスは先日の不愉快な記憶を蘇らせ、忌々し気に肩を竦めた。
「どうぞ、お気に為さらずに。
 お気に入りの玩具を独り占め出来なくて、拗ねているだけですから」

 ヴァレリウスは表情を変えぬが、一瞬キラリと輝いた炯眼が内心を物語る。
 長い睫毛に縁取られた瞼が瞬き、豹の眼に閃いた同質の光と煌きを糊塗。
 騎士団長の役を押し付けられたトールが見たら、蹴とばしたくなるかもしれぬ独特な豹の面。
 悪戯っ子の貌が透けて見える鉄面皮の男、芸達者な花形役者が重々しく口を開いた。

「それは困った、如何したものかな。
 ナリス殿を究極の主人、《ファイナル・マスター》に認定させる事は出来るかな。
 ケイロニア王グインは入室の最低条件、パロの民に非ず降格し権限を剥奪する。
 今後は俺の命令を聞いてはならぬ、と命令すれば良かろうか?」
 トパーズ色の瞳に笑みを湛え、大真面目に応える豹頭の戦士。
 憮然とした面持ちの貴公子、ナリスも流石に堪え切れず輝く様な笑みを浮かべた。

「貴方が大真面目な貌で冗談を言うと、笑いの発作で息が詰まりそうですよ!
 其の御髭を、抜いてしまいたくなりますね!!」
 咽返る程に心の底からの笑いを披露しつつ、冗句を捻り出し反撃を繰り出す闇と炎の王子。
 世界の命運を握る者雄の道化芝居に、苦労人の魔道師も思わず眼を細めた。

「未だ試した事は無いが、簡単に抜けるのかな。
 ナリス殿に髭を抜かれたら、痛くて泣いてしまうかもしれんな」
 悪戯好きな猫族の笑顔を見せ、余裕で応えてみせる豹頭の超戦士。
 グイン独特の捻くれた面白がり方、ユーモアに溢れる切返しが緊張を解き空気が和む。
 闇色の瞳を一瞬、綻ばせ感謝の意を示すナリス。
 何時に無く真剣な表情で豹頭の追放者を見詰め、言葉を紡ぎ出す。

「気を遣って戴き感謝に堪えませんが、古代機械はパロ聖王家の所有物ではありません。
 自らが判断を下す事を禁じられている故に代行者として、パロ聖王家を選んだに過ぎない。
 代行者の命令に条件付きで従うのは、本来の所有者が現れるまでの間のみと定められていた。
 本来の主人《マスター》が現れた今、パロ聖王家は其の役目を終えたのだと私には思えます。
 次席管理者《セカンド・マスター》の認定を取り消されても、仕方が無いと申せましょう。
 3千年に渡り操作を許されていたパロ聖王家が、どれだけ理解していたかを考えますとね」

 先刻と一転し笑みが消され、黄玉《トパーズ》色の瞳が考え深げに瞬く。
 暫し沈黙の後、鋭い牙を覗かせる猫族の唇が動いた。
「いや、其の様な事はあるまい。
 古代機械が今も尚健在であるのは間違い無く、パロ聖王家が代々保護して来た結果だろう。
 パロには超人アレクサンドロスの創った魔道師の塔、対黒魔道の組織が残り竜王に抗している。
 キタイ王家と異なり聖王家は中原随一の魔道師ギルド、白魔道師を重用した為に滅亡を免れた。
 フェラーラの守護神と聞く大蛇アーナーダが間接的に、アウラ=シャーの神殿を護った様にな。
 ホータンを護る四面神像と四巨塔もまた、王宮の地下に潜む星船の警護者だったのかも知れぬ。

 それに古代機械は、俺に『失望』したのだ。
 精神接触を行ったナリス殿には、お分かりいただけると思うが。
 頭の中を引っくり返され、記憶を突き回されて走査された様に感じた。
 失望した筈の古代機械が何故、俺を《ファイナル・マスター》と言い張るのか。
 正直、全く理解出来ぬ。
 今後も色々とパロ聖王家の知見、ナリス殿の御知恵を拝借せねばならぬと思っている」

「これはまた大層、吟遊詩人の如き私の妄想を買い被っていただいた様ですね。
 あの生意気な古代機械と話が出来るだけでも幸運、と思って想像を膨らませてみますよ。
 古代機械も尽きせぬ興味を掻き立てますが、大導師アグリッパの言葉も興味深いですね。
 竜王にも到底対抗出来ぬ力の場となれば当面の敵、謎の王太子アモンにも通用するでしょうし。
 それに私の要請に応えて参戦してくれた草原の鷹、スカールは何としても救わねばならない。
 どうせまた治療には貴方の許可が必要だ、と古代機械は言い張るのでしょうけどね!」

 黄金に黒玉の戦士は困惑の態を装い、豹頭の超戦士に似合わぬ困った貌を見せた。
 猫類の丸い瞳を泳がせて見せるが、笑いを堪えた内心を細かく震える長い髭が暴露。
「アルド・ナリスの判断に異を立てる事は許さぬ、と難癖を付けてみるかな?」
 グインの冗句(ジョーク)を受け、アルド・ナリスは満面の笑顔を見せた。 

 

鍵を握る者

「ありがとうございます、私にも論理的結論と思えますね。
 イシュトの主張する様に、一気にクリスタルを夜襲する事も可能な距離ですが。
 イーラ湖には藻の怪物を凌駕する魔物、本物の竜が棲むかもしれません。
 黒魔道の召喚する新たな怪魔の出現も想定され、魔道力は遺憾ながら圧倒的に敵が上。
 閉じた空間で我が従兄弟スカールを運び、リリア湖の小島へ到着は日没後となります。
 ファーン同様1日で完治、3人が揃い大導師の仰る《力の場》が起動するかもしれません」

 ナリスの珍しく簡潔な発言と推定に異論は無く、豹頭の追放者は微笑と共に首肯。
 白魔道師の代表は眼を円くして驚いてみせる誘惑に耐えかね、僅かに唇を震わせる。
 無邪気な幼子を髣髴とさせる屈託の無い笑顔、あどけない表情に暗雲が漂う。
 拗ねた赤ん坊の様な眸に直視され、アグリッパに彼の従者と明言した勇者は狼狽。
 咄嗟に謝罪の言葉を紡ぎ出す間を与えず、天衣無縫を装う策謀家は再び豹変。
 会心の一撃を浴びせた無二の親友に頷き、精神の障壁《サイコ・シールド》を除去。
 著しく矜持を傷付けられた表情を造り、心話で愚痴を垂れ流す魔道師軍団の統率者。
 死線を超えた勇者の横顔を盗み見た猫族の貌が笑い、再び鋭い牙が顔を覗かせた。

「ヴァレリウスが大導師アグリッパに逢い、持ち帰った助言は無駄にせぬ。
 キタイの竜王を異次元へ放逐する第一歩、事態打開の鍵は黒太子の御生命を救う事だろう。
 クリスタル解放の後に即刻キタイへ赴き、リー・レン・レン達の救出も図りたい所だが。
 何れにせよ黒魔道との戦いを避けて通る訳には行かぬ、手駒は多いに越した事は無い」

「パロの魔道師に何処まで対処できるか、迂闊に断言する事は出来ませんが。
 キタイの民を襲った悲劇と恐怖は他人事ではありません、痛い程に良く分かりますよ。
 白魔道師連盟と聖王家の名誉に懸け、パロの総力を挙げて黒魔道と戦う事は御約束します。
 そうだね、ヴァレリウス」
 無視された格好となり、些か面白くない心情の上級魔道師に抜け目無く話を振る。
 序列では上位の上級魔道師ロルカは遠慮し、仏頂面の最強実力者が宣誓。
「私は魔道師の塔を代表する第1発言者、カロン大導師じゃありませんが。
 僭越ながら魔道師軍団の名誉に懸けて、ケイロニアの御味方を御護り致します」

 ナリスの挑発に憤激した風を装い、ヴァレリウスは顔を真っ赤に染めて見せる。
 漫才が発展《エスカレート》する前に如才無く、ランドックの帝王が割り込んだ。
「礼を言うぞ、ヴァレリウス。
 口幅ったい言い草だが必ず、クリタルは奪還する。
 霧の魔道と竜の化物により無視出来ぬ損害が出た故、考えが変わった。
 部下共に無用の犠牲は出したくない。
 クリスタルを解放する為には、ケイロニア軍が進攻する必要は無い。
 俺が黒魔道師を倒せば済む話だ、一気に決着を付ける方が良いかもしれぬ。
 状況次第では単身、クリスタル・パレスに乗り込む事も考えている」

 大真面目な貌で、とんでもない事を言い出す冒険児。
 ヴァレリウスは意表を突かれ、うろたえた声を挙げた。
「そんな事、させられませんよ!
 王陛下の身に万一の事があっては、我々はアキレウス大帝に何と言えば良いですか!?」
 白魔道師軍団の実戦部隊を統括する最高指揮官、パロ最強の魔道師も些か修行が足りない。
 ナリスは対照的に、さも当然の様に言葉を継いだ。
「貴方ならやってのけるかもしれませんね、豹頭のグイン。
 中原を襲う血の濁流を払う為、私も北の王に同行させていただけますか?」

 ナリスは顔色を買え、何事か絶叫しかけた上級魔道師を強い瞳の光で制止。
 強い決意の籠る口調に失言を悟り、ヴァレリウスの顔から血の気が引く。
「いや、スカール殿の容態は一刻を争う様だ。
 先程の予定通り、太子殿の治療を優先するべきだろう。
 大導師アグリッパの言葉も有るが俺も常々、彼とは対面してみたいと思っていた。
 明日夕暮れまで黒魔道の攻撃を退け、スカール殿の合流を待とう。
 奇怪な黒魔道を操る魔王子アモンの力量も読めておらぬ故、無理押しの強行軍は避けたい。
 3人が揃い力の場を形成した上で、クリスタル攻めに向かう方が得策だろう」


「おはよう、もう夕刻かな?
 イシュトのお蔭で、快適に睡眠を取らせて貰った。
 寝る子は育つ、と云うが本当だな。
 使い物にならなかった身体も、徐々に動かせる様になって来た。

 マルガ離宮に居れば私を慕う者達が訪れ、充分な睡眠を摂れなかっただろう。
 申し訳無いが、パロの民を遮断してくれたのは貴方だからね。
 ゴーラ軍の人質を装う事で、雑務も総て他の者に押し付ける事が出来た。
 心の底から感謝しているよ、イシュトヴァーン。

 昨日は、ゾンビーの対応で一睡もしていないのだろう?
 今日も黒魔道の濃霧、巨大な竜の出現で緊張し続けている。
 ゴーラ軍の最高指揮官には負担が集中し重大な誤判断を犯す危険があった。
 夜の間は私が見張っているから、充分な睡眠を取った方が良い。

 そなたと私は互いに背中を預け、敵の集団と戦う2人の戦士の様なものだ。
 互いを信頼し合っていればこそ、安心して背中を預けて目の前の敵に集中できる。
 我々は、運命共同体だからね。
 イシュトが太陽《ルアー》で、私が月《イリス》だ。

 昼はそなたが指揮を執り、私の拙い頭脳が必要になれば私を起こす。
 夜は私が眼を光らせて、何らかの突発事態が発生すれば即座にそなたを目覚めさせる。
 イシュトの背後を守る者として、一昨日も不寝番を務めたがね。
 寝顔を拝見させて貰ったが、全然、飽きなかったよ」

 運命共同体、背後を守る者と言われて喜ぶかと思っていたが。
 イシュトヴァーンの浅黒い顔には何故か、不安と猜疑の色が見える。
「何だよ、ずっと俺の寝顔を見てたのかよ?
 趣味、悪いぜ」
 暫く逡巡してから冷酷王の雷名に全く似合わぬ、躊躇する内心を繕う余裕も無く口を開いた。
 ゴーラの僭王が見せるとは誰にも想像し得ぬであろう、頼り無い幼子の表情《かお》。

「俺、寝ている間に何か言ってなかったか?
 別に隠し事なんか無ぇんだが、夢の中で大法螺を吹いた気がしてな!」
 腹心のマルコにも見せぬ率直な問いに、ナリスが微笑む。
 ヴァレリウスを苛める時、頻繁に顔を出す悪戯っ子の表情が露出。
 聞かれもしないのに、自分から隠し事は無いと言い出す理由は只一つ。
 人に聞かれたくない秘密、隠し事がある事を隠そうとしているに違いない。

「何か心配事が有るのだね、顔に書いてあるよ?
 悪い夢でも見て魘され、寝言で何か口走ったのではないかと不安なのかな。
 重大な機密事項を洩らしてしまった、と危惧しているのだね?
 我々の様に壮大な野望を抱く冒険児、小暗い野望に胸を焦がす野心家には良く有る事だよ」
 初歩的な推理を働かせ親友の言動を分析、精神誘導の術を選択する魔道大公。
 アルド・ナリスは精神を対象とする魔道学に精通、初級魔道師の免状を持つ。

「こん畜生め、図星だぜ!
 子供じゃねぇんだからさ、そんな事言ってからかうなよ!!」
 イシュトヴァーンは思わず噴き出し、多少は吹っ切れたらしい。
 霧が晴れる様に逡巡を拭い去り、表情が一気に明るくなった。
 憮然とした表情で魔性の主と魔戦士を見守り、無言の行を貫く魔道師の守護者。
 心話で余計な口を挟めば後で数倍の返礼、性悪な仕返しをされる事請け合いである。

「俺さ、良く、うなされるんだよ。
 夢ん中で、しょっちゅう嫌な場面が出てくるんだ。
 その度に、大声を出して飛び起きるんだよ。
 冷や汗、びっしょりでさ。
 身体中、震えが止まらねえんだ。
 脂汗、なのかな。

 何が何だか全然、分からないけど凄く怖い。
 俺が悪いんじゃねえのに何もかもが皆、俺の責任にされちまってる。
 亡者共が俺に群がってくるんだけど、誰も助けてくれない。
 そんな夢なんだ」
 イシュトヴァーンの表情が曇り、痛々しい幼子の顔に変わる。
 魔戦士に批判的な魔道師、ヴァレリウスも思わず同情の念を覚えた。

「大丈夫だよ、イシュト。
 そなたの側には常に魂の似姿、運命共同体の私が居る。
 一時は私も似た様な思いを繰り返し味わい、眠れぬ夜を過ごして来た。
 他の者には分かるまいが心配は無用だ、私は何を聞いても動じないからね」
「ナリス様でも、そんな事があるのか?
 不思議だな、何だか分かんないけど呼吸が楽になった気がする」
 嘗ての紅の傭兵の瞳が強い驚きの色を湛え、良く似た双子を思わせる黒い瞳を凝視する。
 イシュトヴァーンの貌が安心した幼子の笑顔に変貌を遂げ、ナリスの胸が痛んだ。 

 

謎の病状

(ナリス様、上級魔道師アイラスの報告が届きました。
 スカールとベック公はサラミスに到着、古代機械の《説得》が必要です)
 ヴァレリウスは無粋な割り込み、心話の送信を咎められると予測。
 戦々恐々で首を竦めたが、非難の思考を浴びる事は無かった。

(わかった、想定の範囲内だね。
 古代機械には《ファイナル・マスター》、グインから《命令》して貰う。
 ギールに遠隔心話を飛ばし、事情を説明させる様に。
 グル族は、どうしている?)
 命旦夕に迫る草原の黒太子を救う為、心話に応え確認の思考が閃く。

(ベック公の誓約に草原の民は信を置き、騎馬で移動を開始中です)
 アルド・ナリスも流石に、状況は弁えている。
 お気に入りの盟友、イシュトヴァーンに向けた笑顔には微塵の変化も無い。
 パロ魔道師軍団の暫定指揮官、第一発言者は胸を撫でおろした。

(サラミスに私、ファーン、スカール、古代機械が揃う訳だね。
 レムスを操る竜王、魔王子アモンが何か仕掛けて来るかもしれない。
 魔道師は全員サラミスに移動、結界を張って貰う。
 ゴーラ軍を放置するのは気が進まないが、古代機械は頭が固い。
 公開可能範囲を超過、と言い張り我々を追い出すだろう。
 サラミスに留まり、結界を張る時間は数タルザン程度の筈だ。

 古代機械は、グインと話をしたがっている様に感じられるのだが。
 自分から進んで連絡を取る事を、禁じられているらしい。
 私に《ファイナル・マスター》と連絡を取れ、と言わせようとしているふしがある。
 擬人化し過ぎているのかもしれないけれども、ヨナがどう判断するか聞いてみよう。
 君に手抜かりは無いと思うが、グインに連絡の際は敵方の盗聴を警戒する様に。

 イシュトと楽しく話をしている時に限って、連絡が届くのは気のせいかな?
 一度じっくりと説明して貰うよ、覚悟しておきたまえ)
 ナリスが楽し気な思考を閃かせ、ヴァレリウスを閉口させた数タル後。
 パロ随一の策謀家は爽やかな笑顔を盟友、ゴーラ王に見せ言葉を継いだ。

「万一レムスが奇怪な黒魔道を仕掛けて来ても、私が眼を光らせている。
 何かあれば直ぐに起こすから、イシュトも充分な睡眠を取った方が良い。
 鍛えられた貴方が2晩や3晩、徹夜した処で何とも無い事は良くわかっているが。
 相手は思考を掻き乱し意志を奪う精神寄生体、催眠術を操る黒魔道師の類だ。

 頭脳を最高に冴えた状態に保っておかないと、惑わされてしまうよ。
 私も、人の事は言えないがね。
 混乱させて実力を発揮できぬ様に仕組むのが、黒魔道の常套手段だ。
 帝王たる者、信頼する部下の助言は素直に聞くものだよ。

 己の進言が採用されるのを見れば、人は感激して自分から進んで献身的に働いてくれる。
 小人物は何でも自分でやりたがり、俺は何でも出来るのだぞと自分の能力を誇示する。
 そんな事をすれば有能な人間は皆、離れて行ってしまうよ。
 当然だね、自分の有能さを発揮する機会を悉く奪われてしまうのだから。

 無駄話はこれくらいにしておかないと、気が付いたら朝まで喋り続けてしまいそうだ。
 私の悪い癖だね、これはと見込んだ人物が傍にいてくれると止める事が出来ない。
 面白い玩具に夢中となり、幾ら叱りつけても眠りたくないと駄々を捏ねる幼児と一緒だね。
 良くリギアが私を叱る時に用いた比喩だが、全く其の通りだよ。
 全然喋り足りないが貴方の忠実な友、マルコに寝所へ連行して貰わないといけないね。
 明朝またお喋り出来るのを楽しみにしているよ、親愛なるイシュト」

 ヴァレリウスの指示を受け、部下の魔道師が黒蓮の粉を準備。
 ゴーラ王の愛飲する火酒に混ぜ、熟睡させる。
 ナリスと魔道師全員が闇の中に姿を消し、閉じた空間を経て急行。
 昏々と眠る黒太子スカール、ベック公ファーンの前に現れるが。
 土気色の顔を覗き込み、アルド・ナリスは息を呑んだ。

「ここまで衰弱している、とは思わなかった。
 予想を遥かに超える、一刻も早く治療を施す必要がある。
 ノスフェラスで得た病は完治した、と思っていたのに」
 知らぬ間に魔の胞子を植え付けられ、ゾンビーと化す所であった魔道師。
 ヴァレリウスの額に冷たい汗が流れ、悪寒と戦慄が背筋を駆け抜ける。

「何と言っても闇の司祭、グラチウスのやる事ですからね。
 イェライシャ老師が魔の胞子を除去してくれたから、助かりましたけどね。
 ベック公と同様、私も餌食になる処でした。
 黒魔道師のやる事には皆、必ず裏がありますからね。
 相手の利益にもなるのだから、協力者である自分に害が及ぶ事は無い。
 そう考えるのは、大間違いです。
 人を騙して楽して甘い汁を吸っておきながら、利用した人間を不幸のどん底に突き落とす。
 それが黒魔道師の本性、得意技ですよ」

 ヴァレリウスの呟き、拭い切れぬ恐怖の籠った述懐に反応。
 アルド・ナリスが振り向き、灰色の瞳を覗き込む。
 豹頭の追放者にも劣らぬ鉄面皮の美貌が微笑も、冷酷《クール》な声を発する。
「どういたしまして、我が敬愛する導師《シャダイ》様。
 有難い御教訓を頂戴したが、私に対する誹謗中傷かね?
 胸に響きますよ、痛い程に」

 ヴァレリウスの顔から音を立てて、大量の血が引いた。
 蒼白となった顔色が急変、動転して泳ぐ瞳と同じ灰色に染まる。
「そんな事、言ってません!
 どうしてそう、ひねくれた受け止め方をするんですか!?」
「痛切に胸を貫く鋭い指摘、私の悪い癖を的確に表現する素晴らしい詞だと思うが。
 スカールの身体と同様、私の頭脳も古代機械に診察して貰う方が良いのかな?」

 ナリスは鉄仮面、いや、鉄面皮の表情を崩さぬ。
 ヴァレリウスの裡から迸った声にならぬ悲鳴、心話を完璧に無視。
 眉一筋も動かす事無く涼しい顔で聞き流し、パロ最強の魔道師を凝視。
 役者が違う。
 ヴァレリウスは灰色の瞳を瞑り、魂の底から搾り出す様な深い溜息を吐く。
 ヨナも思わず苦笑するが、ファーンが口を開いた。

「何の事か良く解らないが、スカール殿が心配だ。
 出来れば一刻も早く治療を施し、苦痛を取り除いて差し上げたいのだが」
「失礼しました、全く同感ですね。
 即刻、古代機械を呼び出しましょう」

 一瞬で深刻な表情に切り換え、真摯な瞳と真剣な口調で応える闇と炎の王子。
 灰色の瞳に仄見える恨めし気な視線は、完全に無視。
 ヨナが笑いを噛み殺し、ヴァレリウスを慰める。
 ナリスは無表情に腹心を眺め、キイワードを念じた。

 ベック公ファーンが驚愕の声を上げ、パロ聖王家の秘蹟を凝視。
 古代機械の指名した正統後継者の声が優しく語り掛け、従兄弟の耳に染み込む。
「驚かせてしまって申し訳も無いですが、何分にも非常事態ですから勘弁して下さいね。
 一刻も早く苦痛状態から解放する為に、スカール殿を奥へ運びましょう。
 私と一緒に入れば、全く問題はありませんよ。
 手を貸していただけませんか、ファーン」

「怖いよ、ナリス。
 申し訳無いが、私は入りたくない。
 貴方を訪れた後に聖王宮へ赴き、レムスの変貌を見た時とは正反対だが。
 何だか此の世の物とは思えない、神々し過ぎて焼き尽くされてしまいそうな気がする」
 パロ聖王家に属するとは言え魔道の造詣は皆無、極めて正常な感覚を保つ誠実な武人。
 勇敢なベック公も流石に、足を踏み出しかねた。
 武人に似合わぬ躊躇を見せ、僅かに後退する聖騎士団の大元帥。
 従兄弟の心情を慮り、ナリスは虫も殺さぬ優しい笑顔を見せる。

「謝らなければなりませんね、ファーン。
 全く当然の反応です、私が迂闊でした。
 レムスに憑依した竜王を見た際、心理的な傷を負った筈ですからね。
 古代機械を見るのも初めてですし、拒絶反応が生じるのも無理はありません。
 少しだけ待っていてくださいね、ファーン。
 数タル後には追い返され、戻って来ますよ」

 ヴァレリウス以外の魔道師は散り、周囲に結界を展開。
 ベック公は不安を顔に湛え、扉の前に残った。
 ナリスが先導を務め共同研究者ヨナ、パロ最強の魔道師が同行。
 古代機械の探究者ナリス、ヨナは慣れた様子で歩を進めるが。
 ヴァレリウスは表情が固く、内心の緊張が透けて見える。

 水晶の様に透き通り、多彩な光が縦横に疾走する透明な壁の奥。
 中枢部の制御室《コントロール・ルーム》、操作席(コンソール)の前に到達。
 ナリスが着席すると同時に、白い銀河系の映像が瞬いた。
 待機状態を示す象徴(シンボル)が消え去り、文字が表示される。 

 

非常警報

『異常無し。
 パスワードをどうぞ』
 澄明な水晶の波紋を連想させる思考が閃き、合成音声が脳裏に響く。
( 命令をどうぞ )
 複雑な事柄を言葉化する手間を省き、思念波入力モードに切り換える。

(搬入した重症患者の治療を頼む。
 未知の黒魔道が作用しており、ベック公ファーンや私とは症状が異なる。
 治療へ入る前に、診察結果を報告せよ。
 適用される治療方法から、所要時間を計算して欲しい)

 公開禁止技術に相当する故セカンド・マスターも出て行け、と言い出すのだろう?
 不貞腐れた思考を読み取られぬ為、サイコ・バリヤーを強化するが。
 アルド・ナリスの些か失礼な予測は、見事に裏切られた。

( 治療請求者には放射能症が確認され、正常な血液が循環していません。
 合成された粗悪品が全身を浸蝕変質させつつあり、人工透析が必要です。
 基礎的な細胞神経の活動が妨げられ、新陳代謝に異常が生じています。
 複製の肉体へ意識内容を移植、或いは改造体への細胞変換が必要となります。

 治療請求者の細胞が発する固有の震動周波数は、ファイナル・マスターと同一。
 両者の直接対面は論理的矛盾、時間矛盾排斥現象《タイム・パラドックス》に該当。
 時空雪崩現象《クラッシュ》、次元なだれ惹起の確率75%。
 四次元時空連続体の崩壊、時震《タイム・クェイク》誘発が懸念されます。

 報告事例に拠れば《時震》発生の際、細胞震動周波数の同一所有者は共存不可。
 エネルギー総量の少ない方が、固有の四次元時空連続体より弾き出されます。
 要治療者が当時空から排斥され、次元放浪者となる確率99.999%。
 当第十三号転送機の内部設備では、想定される事象の回避は不可能。

 複製体の製造及び意識内容の移植、改造体への細胞変換は能力を超えています。
 母船《ランドシアⅶ》の医療室への移動、関連設備の作動許可が必要ですが。
 該当作業の認可は、セカンド・マスターの権限を越えています。
 治療の実施を求める場合には、ファイナル・マスターの許可が必要です )

 最後の常套句を除き、想像を遙かに上回る衝撃的な宣告が下された。
 アルド・ナリスの顔面も蒼白となり、闇色の瞳が宙に彷徨う。
 細胞震動周波数が一致する、との説明を素直に受け取るとすれば。
 スカール、グインは同一人物とも解釈されるのではないか?

 ヴァレリウスも何と言って良いか見当も付かず、おろおろと両手を揉み絞っている。
 狼狽を隠せぬ策謀家2人の耳を、ヨナ・ハンゼの冷静な声が貫いた。

「想定外の事象が確認されたと判断し、ファイナル・マスターへ状況を説明せよ。
 其の様に命令していただくのが妥当ではないか、と思われます。
 我々に判断可能な水準を超えています、グインに決定を委ねる方が良いでしょう。
 ファイナル・マスターの関係する事柄である以上、妥当な判断と推察します」

 咄嗟に良く其処まで推察を巡らし、言葉に出来るものだ。
 灰色の瞳に讃嘆の色が浮かび、ナリスも我に返った。
 ヨナと良く似た黒い瞳が煌き、理解の光が射す。

「ヨナ、礼を言うぞ。
 早速、試してみよう。
 セカンド・マスターより、第十三号転送機へ。
 ファイナル・マスターの判断を仰ぐ必要が有る、連絡を取り状況を説明せよ。
 大至急、許可を得てほしい」

( 了解しました、ファイナル・マスターと連絡を取ります。
 暫く、お待ちください )
 スクリーンに銀色の光が輝き、白い銀河系が再び表示された。

 驚くべき己の秘密について何も知らぬまま、南の鷹は固く眼を閉ざし眠り続ける。
 3人は互いに掌を合わせ、口を使って喋る手間を省き接触心話に入るが。
 数タルザンは余裕があるだろうと踏んだが、ナリスの予想は再び覆された。

( ファイナル・マスターは応答せず、思考波も探知不能。
 意識レベル変更の命令を再試行中ですが、反応無し。
 生命反応、心拍数、共に基準値を超える異常な数値は測定されていません。
 思念波増幅装置の強度を最大に設定後も、状況は変化せず。
 ランドックのグインは睡眠状態と判断されますが、顕在意識の励起不能。
 <セカンド・マスター>アルド・ナリスに、安否確認を要請します )

 一切の弛みを許さぬ鋼鉄の如く論理的な思考が乱れ、音声が震えている様に聞こえる。
 アルド・ナリスも衝撃を受け、初めて体験する事態に声が出ない。
 ヨナも根拠の無い推測を言葉化する事は控え、ヴァレリウスは思考停止状態に陥った。

(ギールは何と言っている、心話は通じるか!?
 水晶球に映像を投影する遠隔視、千里眼の術で確認してくれ!)

(通じません、応答の気配も無し!
 全員、眠っている様に見えます!!
 歩哨は倒れていますが、外傷は見当たりません!
 ギールや他の魔道師に念波を送り込んでいますが、反応無し!!)

(夢の回廊か、或いは新手の黒魔道か?
 上級魔道師6人の意識が奪われている以上、迂闊な接近は危険だ。
 ヴァレリウス、魔道師軍団全員を連れて行け。
 状況を探るに留め、心話の接触を絶やすな)
(ロルカ、ディラン、私の3人で偵察に向かわせてください!
 足手まといの無い方が動き易い、下級魔道師達に遠隔心話を中継させます!!
 本当は私達3人が護衛に残り、他の者を偵察に差し向けるべきなんですよ!)

(私は瞬間移動で逃げ出せる、古代機械を使ってね。
 妖魔や竜の門に襲われても、大丈夫だよ。
 問答無用だ、優先順位を間違えるな。
 ケイロニア王に恩を売り、貸しを作る絶好の機会(チャンス)だ。
 グインは総ての鍵を握り、分岐の先に世界を導く《選ぶ者》。
 《一匹の豹が現れ、世界を守るであろう》と予言された男なのだからな)

(ナリス様の護衛を、カロン大導師に頼む事は構いませんね?
 命令に従い、魔道師軍団全員を連れて偵察に向かいます!
 心話で連絡を入れますから、古代機械から離れないで下さい!!)
(アルド・ナリスの名に懸け、約束は守る。
 ファーンを呼んでおくれ、古代機械も文句は言わないだろう)

 ヴァレリウスは外の魔道師達に向け、心話を飛ばし全員の念波を統合。
 灰色の眼と闇色、漆黒の瞳が瞬時交差し魔道師軍団の指揮官は退出。
 ベック公が緊急事態と聞き、畏怖の感情を懸命に抑え駆け込んで来る。

「急に呼び付けて済まない、ファーン。
 何故か不明ですが、ケイロニア軍と全く連絡が取れないのです。
 或いは新手の黒魔道を操り、奇襲が仕掛けられたのかもしれない。
 古代機械で魔道師を送り大至急、状況を確認しなければなりません。
 誠に申し訳無いが暫くの間だけ、我慢してください」

「何を言ってるんだ、私の事など構う必要は無い!
 他に何か私に出来る事があれば、何でも構わないから言って下さい。
 聖騎士団に命令し全員連れて来い、と言ってくれれば即刻クリスタルへ行く。
 貴方の思う通りにしてくれ、覚悟は出来ているよ」

「ありがとう、ファーン。
 今は此処で待機していただく事が、最も重要です。
 此の部屋に残りスカールが攫われない様に、私と一緒に見張ってください。
 相手は未知の黒魔道を操ります、不意を突いて異次元の蜘蛛が現れるかもしれない」

「わかった!
 太子は生命を賭けても救う、グル族の皆と約束を交わしたのは私だ。
 スカール殿から目を離さず、魔物の類が現れれば切り捨てる。
 それで良いのか、ナリス」

「最高の返事です、貴方は話が早くて助かりますね。
 感謝しますよ、ファーン」
 ベック公は従兄弟を護衛する役割、使命を得て精神的動揺を克服。
 ヨナは冷静に第三王位継承権者を観察、不安を拭い去る精神誘導の効果を測る。

 ヴァレリウスは魔道師軍団の指揮を執り、閉じた空間の術を起動。
 サラミス公の居城を離れ、ケイロニア軍の野営地に急ぐ。

(天幕の中に直行すれば、仕掛けられた罠に落ちるかもしれん!
 野営地の手前で、閉じた空間を出るぞ!!)
 心話が全員の脳裏に響き、イリスの光を浴びる夜景の一角に闇が渦巻いた。

 魔道師達の姿が闇の中から現れ、周囲の空気を撫でる。
 異様な気配は感知されず、異次元の怪物が召喚された痕跡も無い。

(俺1人の方が気配を消して動ける故、罠の有無を探って来る!
 他の者は此の場で待機、ロルカの指揮に従え!!) 

 

反撃の布石

(待て、ヴァレリウス!
 グインの膨大な《パワー》を浴びた者、皆が魔力を強化されている!!
 ラス、タール、キアス、マウラス、モルガン、キノス!
 お前達6人は、特に効果が顕著だ!!
 魔力を増幅する触媒として、ヴァレリウスに同行せよ!)

(かしこまりました!)
 オーラの最も強い部下6人の声、心話が同時に響いた。
 六芒星(ヘキサグラム)の魔法陣を組み、ヴァレリウスの思念波に同調。
 共鳴相乗効果で結界が輝き、青白い閃光に包まれる。

(思ったより強いな、役に立ってくれそうだ。
 このまま飛ぶぞ、気を研ぎ澄ませ!)
 パロ最強の魔道師、1級魔道師6人の姿が浮上。
 七人の魔道師が空中を滑る様に進み、ケイロニア軍の夜営地に接近。
 慎重に気を探るが黒魔道の波動、陥穽、結界は感じ取れない。


 ゾンビーや竜の門が現れた気配も無く、グインの天幕に接近。
 半身を乗り出した状態で、倒れている姿を見出したが。
 グインの思考を読み取れず、記憶の走査を試みるが精神測定の術も無効。
 傍らの上級魔道師ギール、他の魔道師達も全員が意識を喪っている。

 強めの接触心話を送り込んでみたが、反応は無い。
 ヴァレリウスは手を使わず、偉丈夫の身体を揺さぶってみた。
 グインは無事に夢の回廊、魔王子の仕掛けた罠から脱出。
 予想に反し数タル後に瞼が動き、トパーズ色の瞳が現れた。

「陛下、大丈夫ですか!?
 全員が意識を喪っていますが、何が起こったのか教えて下さい!」
「余計な気を遣わず、俺の記憶を読め。
 アモンの使った術は言葉化し難い、魔道師の視点から解説を頼む」


 グインは気を抑え、サイコ・バリヤーを弱めた。
 《何処にもない世界》に現れた魔王子の罠、シルヴィアの呪詛。
 スナフキンの剣で斬った後に姿が崩れ、意識を取り戻すまでの一部始終。
 戦慄の体験が再現され、魔道師の脳裏に再現される。

「ちょっと待ってくれ、ヴァレリウス。
 古代機械から念話が届いた、すまぬが説明は後だ。
 ナリス殿に精神接触《コンタクト》して直接、俺の記憶を見て貰う方が早い」

 賢明な魔道師は好奇心を抑え、ギールを目覚めさせ経過を確認。
 ロルカに遠隔心話を飛ばし、魔道師軍団全員に前進と合流を指示した直後。
 銀色の思考が閃き、魔道師を貫いた。


(私だ、ヴァレリウス!
 古代機械の備品《オプション》、思念波増幅装置を使っている。
 お前に同行した下級魔道師6名、ディランに中継してくれ。
 アモンが夢の回廊を操り、王妃の精神状態を悪化させた。
 即刻サイロン黒曜宮に飛び、治療を試みよ!

 本当は、君に飛んで貰いたいけどね。
 絶対に譲らないだろうから、ディランが指揮を執れ。
 サイロン市街の一角に世捨て人ルカ、白魔道師が居る。
 まじない小路を訪れ、グインの名に於いて協力を要請せよ。
 シルヴィアの錯乱状態を鎮め、昼夜問わず護衛と監視を継続して貰いたい)

 アルド・ナリスは精神接触を通じ直接、グインの体験を《知った》。
 シルヴィアの身を案じる盟友の苦悩を察し、魔道師の急派と常駐警護を提案。
 安否確認を果たした報酬として、古代機械に思念波増幅装置の使用許可を要請。
 <ファイナル・マスター>の命令には逆らえず、銀色の強力な思考が投射された。


 グイン最大の弱点、シルヴィアを護る事は総てに優先する。
 頼りになる部下6名、ディランの戦線離脱は痛いが背に腹は変えられない。
 ヴァレリウスは異を唱えず、七人の魔道師も閉じた空間の術で姿を消す。
 悪夢を統べる女神ヒプノスの名を冠する精神攻撃、呪縛の解除を試みる。

 被術者が自ら精神状態を悪化させ、底無し沼に際限なく沈んでいく魔性の罠。
 昼間の濃霧には催眠効果を助長する触媒、没薬が含まれていた。
 ケイロニア軍、パロ聖騎士団、カラヴィア軍の全員が吸い込だ事は間違いない。
 強力な睡眠薬を吸引した様に、例外なく深い眠りに就いている。
 1人ずつ身体に刺激を与え、夢から目覚めさせるしかない。

 ヴァレリウスは人手を確保する為、ケイロニア軍の警戒担当班を叩き起こした。
 ギールや他の上級魔道師達は問題無く、目覚めた直後に事態を認識するが。
 下級魔道師の大半は夢の回廊、アモンの術で受けた精神的衝撃の為か反応が鈍い。
 中には心此処に在らず、と云った風情で物憂げに首を振る者もいる。
 ディラン率いる魔道師達の到着後に漸く、人海戦術が軌道に乗り始めるが。
 揺り起こされ説明を受ける各部隊の指揮官達も、眼から力が抜けている。


 事態の収拾に追われる最高指揮官、グインの眼前に。
 遙か上空から、黒い物体が落下し地面に激突。
 濃霧の中から現れた巨大な竜と同様、首から上のみ。
 巨大な骸骨が直立、ぱっちりと眼を開き四方八方に視線を走らせる。
 豹頭の追放者を認めた直後、盛大に唾を飛ばし声高に捲し立て始めた。

「何が、パロの王太子アモンだ!
 全ての時空に接するもの、究極の門の守護者じゃないか!?
 何故あんな化け物を儂の様に善良な、か弱い老人が相手にしなければならんのじゃ!
 冗談じゃない、酷い目に遭わされた!!
 許せん、やり直しを要求する!」
「か弱い?
 善良??」
「やかましいっ!
 年寄りの言う事は黙って聞かんか!!」

「泣くな、グラチウス。
 おぬしは世界三大魔道師に名を連ね、ドール教団のみならず黒魔道師を束ねる闇の司祭。
 北の見者ロカンドラスは入寂し、大導師アグリッパは現世に介入せぬと判明した。
 現在では地上最大の魔道師とも云うべき、最も強力な魔力を行使し得る存在ではないか」
「あぁ、うぅ、気持が良い。
 いや、全然、物足りんぞ。
 偉大な魔道師グラチウス様を幾ら褒めた処で、褒め過ぎると云う事は無いのだからな。
 もっと褒めてくれ、もっと」


 異次元の扉が開いた気配を敏感に察し、グインの傍に魔道師軍団の指揮官が現れた。
 ヴァレリウスは無駄口を慎み、沈黙は金の格言に倣う。
「良い加減にせんか、グラチウス。
 貴様と掛け合い漫才、カルラアの楽しみをしている暇は無いのだぞ」
 珍しくも一瞬、闇の司祭が絶句。
 何とか体勢を立て直し、平静を繕い他人事の様に呟く。

「まぁ、当然だな。
 アモンを王が斬ってくれたおかげで、何とか閉鎖時空間から脱出できた。
 危機一髪の事態を救っていただき、誠に有難い。
 礼を言うぞ、危うく本物のミイラになる処だった」

 グラチウスは神妙な面持ちで、頭を下げる。
 首のみである事を失念、バランスを崩し無様に転倒するかと見えたが。
 其の儘、勢いを殺さず一回転し直立不動の姿勢に戻る。
 得意満面の髑髏首が歪み、ニヤリと微笑う。

「面倒な奴だ。
 いっその事その儘ミイラになってくれれば、最高の礼なのだがな」
 聞こえよがしに呟く鉄面皮の弁士、グイン。
 ヴァレリウスは肩を竦め、雄弁な溜息を吐く。
 グラチウスの唇が震え、奔流の様に言葉が溢れた。

「これこれこれ、そんな事を言うでない!
 わしが居らねば南の鷹も死に、奇蹟(ミラクル)の機会が喪われてしまうのだぞ!!
 そうじゃ、こうしてはおれぬ。
 とっくの昔に、薬が切れている筈じゃ!

 ちょっくら失礼するよ、急用があるでな。
 スカールめが、弱っておる。
 あの燃え盛るような気、生命力の波動が全く感じられん。
 放浪好きな鷹め、何処へ行きおったのだ?

 まさかと思うが、くたばってしまったのではあるまいな?
 えい、面倒な。
 奴の向かいそうな場所を、虱潰しに走査せねばならんではないか!
 暫く待っておれ、鷹に餌を与えた後に此の場へ戻って来るからな。

 ケイロニア軍2万人を叩き起こすには数ザン、かかるじゃろう。
 わしが戻るまで、クリスタルに近寄るでないぞ。
 木っ端魔道師など何百人集めた処で、物の役には立たぬ。
 豹と月と鷹を揃え、力の場とやらを作り出す他あるまい。

 北の豹、水晶の盾は既に揃っておる筈じゃな。
 闇の司祭様が鷹を連れ戻るまで、軽挙妄動するでないぞ。
 豹頭王が居れば心配は要るまい、遅れを取る事は無いだろうがな。
 わしが戻るまでしっかり見張っとれよ、ヴァレリウス。

 間違っても、アモンに、ちょっかいを出すなよ。
 《何も無い処》から首尾良く逃れるを得たは、儂なればこそじゃ。
 重大なダメージ、魔力の弱体化する程の傷を負った事は間違いなかろうが。
 木っ端魔道師など偵察に出せば、逆に乗っ取られ魔力を吸収されるがオチよ。
 では、さらばじゃ」

 髑髏首は喚き散らすと、一気に上空へ浮揚。
 数度周囲を旋回の後、心を決めかねる風情で数タルザン静止。
 イシュタールへの帰路を待伏せする、と読んだらしい。
 意を決したと見え、北に向かう軌跡が蒼い空に描かれた。 

 

波及効果

「グイン殿の御助力、御支援の数々に改めて感謝を申し上げます。
 我が主、アルド・ナリスより伝言があります」

「ああ、わかっている。
 精神接触《コンタクト》の際、古代機械に俺から命じておいた。
 闇の司祭めは、放っておけ。
 太子殿が見つからぬとなれば、慌てて戻って来る。

 グラチウスの言によれば、アモンは真に痛手を被った様だな。
 今夜は黒魔道の再攻撃は無い、と思われるが油断は禁物だ。
 パロの魔道師達にはすまぬが、クリスタル進軍は朝まで待つ。
 アモンは俺が何とかする故、シルヴィアを頼む。

 ルカに予言された最大の弱点、悲しみの乙女を見捨てる事は出来ぬ。
 何とか救ってやってくれれば、一生恩に着る」
 ヴァレリウスは、深々と頭を下げた。
 灰色の眼に誠実な光を宿らせ、トパーズ色の瞳を覗き込む。

「それ以上、仰る必要はありません。
 一生恩に着るのは、私達の方です。
 大変光栄ですが、『一生恩に着る』は禁句とされた方が宜しいですよ。
 魂を縛り、奴隷にする事が可能ですからね。

 白魔道師の私でも、言霊の術は操れます。
 ましてや黒魔道師なら、2度と呪縛から自由にはなれません。
 口が裂けても闇の司祭、黒魔道師の類には仰られぬ様に。
 魂返しの術を使い、ゾンビーにされてしまいます」

 グインが頷き、忠告を肝に銘じた其の時。
 銀色の思考が再び閃き、魔道師の脳裏を貫いた。

(御苦労だったね、ヴァレリウス。
 的確な助言も含め、君の行動は称賛に値する。
 古代機械が、精神接触の解除を要請している。
 標準規定時間を超過の為、私の意識が吸収されてしまうとね。

 精神接触を長時間、持続すると融合現象が生じるのだそうだ。
 嫉妬の故に発した警告、の可能性もあるが危ない橋を渡る気は無い。
 ヨナと一緒に、ゴーラ軍の野営地に瞬間移動する。
 イシュトヴァーンの天幕で、待っているよ)

「わかっている、ヴァレリウス。
 アルド・ナリス殿には大変感謝している、護衛を頼む」
 魔道師軍団の指揮官は再び頭を下げ、ゴーラ軍の天幕に飛んだ。


「長々と待たせてしまい申し訳ありません、何をしていたか説明します」
「いや、私が聞いた処で理解は出来ないだろう。
 魔道には疎いし、何も知らない方が良いと思う。
 洗脳された場合、情報を洩らす危険が無い訳だからね」

 魔道に馴染まぬ第三王位継承権者、ベック公ファーンには不本意な成行であったが。
 スカールの姿は数タルザン前に消え失せ、古代機械の《母船》に転送されている。
 ヨナの解説も理解している、とは言い難いが。
 聖王家の武人波紋時間の浪費を嫌い、ナリスの言葉を遮った。

「そんな事はさせませんよ、私の命に換えてもね。
 ファーンに御願いしたい事が幾つもありますので、順番に説明しましょう。
 スカールを慕う部の民、グル族の説得を最初にお願いしたい。
 古代機械の母船で治療中と話して、彼等に信じて貰えると思いますか?
 私は信用されていませんからね、草原の民を説得する事は到底不可能でしょう。

 不徳の至り、ですが貴方の他に適任者は見当たりません。
 魔道師を付けますので、サラミス近郊に草原の民を導いていただけますか。
 スカールが帰還の際に即刻、彼等と合流できる様にね。
 その後で貴方の健康回復を告げ、レムス側の聖騎士団を寝返らせるとしましょう。
 古代機械の外に出ても大丈夫です、魔道師の到着までお待ちいただけますか?」

 ベック公ファーンは頷き、ナリスの手を固く握った。
 赤や青の光が駆け巡り、水晶の様に透明な壁の一部が滑らかに動き出す。
 開口部の向こう側に通路が続き、部屋から外に出る為の誘導灯が明滅。
 聖騎士団の最高統括者は超文明の秘蹟、古代機械の外に出て漸く安堵の溜息を吐いた。

 口に出しては言わないが、理解を絶する物に惹かれる従兄弟の気が知れない。
 数タルザン後に黒衣を纏う複数の影が現れ、ベック公の前に膝を付く。
 1級魔道師バラン、下級魔道師ハンス、ドルス達が掌を合わせ結界を展開。
 閉じた空間の術が起動され、ファーンと魔道師達の姿も消えた。


 ヴァレリウスは、故意に確認を怠った訳ではないが。
 ゴーラ軍の野営地に魔道の気配は皆無、と報告を受け事実上放置。
 ケイロニア軍を一刻も早く夢の回廊、ヒプノスの術から解き放つ事を優先。
 約3万5千名の将兵を叩き起こす為、魔道師全員を投入していた。

 ナリスが瞬間移動で現れる前に、ゴーラ軍の周囲に結界を張らなければ。
 何を言われるか、わかったものではない。
 いや、想像するまでもない、見当は付く。
 大いに焦り、ゴーラ王の天幕に舞い降りた。

 遠見の術を使うまでもあるまい、と思っていたが。
 僭王は意外にも剣に貫かれ、血の海が拡がっていた。
 想定外の情景を衝撃を受け、思考が停止し凝固した其の瞬間。
 古代機械に転送され、2人が真正面に現れた。

「イシュトヴァーン!
 何事だ、アモンの奇襲か!?」
 アルド・ナリスの絶叫が響き、ヨナの瞳も衝撃の色を隠せぬ。
 ゴーラ王の負傷に動揺を隠さず、同族の野心家は思わず駆け寄った。

 ヨナは咄嗟に、負傷者の身体を揺する事は危険と判断。
 脾腹を貫いた長剣が臓器を傷付け、致命傷となる事態も考えられる。
 滅多に無い事だが、ナリスを羽交い絞めにして制止。
 パロ最強の魔道師に視線を走らせ、応急処置を要求する。

 ヴァレリウスは操り人形の様に、ギクシャクした動きで膝を付いた。
 慎重に長剣を引き抜き傷口、脇腹に掌を当て《治癒の光》を貼る。
 スカールの付けた傷跡が眼を引く浅黒い顔は、血の気が引き蒼白となっている。
 イシュトヴァーンは固く眼を閉ざし、表情は罪の意識に苛まれる男の様に険しい。

 ヨナが魔道師に掌を差し伸べ、思考の送信を要求。
 反対側の掌が動き、ナリスに接触心話を中継。
 奔流の様に釈明、動転する思考が流れ込む。
 数タル後ヴァレリウス、ナリスの面から漸く動転の色が薄れて消えた。

 ヴァラキア出身のヨナは同郷の船乗り、マルコに言葉を掛けたが。
 カメロンの腹心は何故か、反応が鈍く眼が虚ろの儘。
 ヴァレリウスが記憶を読み取り、状況が判明。
 何時の間にか異様な睡魔に襲われ、夢の回廊に引き込まれていた。

 イシュトヴァーンの軍勢も濃霧に襲われ、白蓮の粉を大量に吸っている。
 ケイロニア軍、パロ聖騎士団、カラヴィア軍と条件は同じ。
 ロルカに遠隔心話が飛び、半数の魔道師に急行を命令。
 ゴーラ軍の野営地に呼び寄せ、全将兵を叩き起こす。

(見掛けは派手ですが、心配は要りません。
 治癒の光も要らない位です、大丈夫ですよ)
 ヴァレリウスは冷静を装い、ナリスに接触心話を送信。
 ゴーラ王の額に掌を当て、慎重に記憶の解析を試みる。

(精神測定の術を用い、記憶を辿ってみましょう。
 夢の内容を復元すれば、何が生じたのか解るかもしれません)
 ナリスは無駄口を叩かず、神妙な面持を崩さぬ。
 ヴァレリウスの読み取った記憶が、接触心話を通じ脳裏に流れ込んで来る。

 ゴーラ王は懸命に隠していたが、心理的な衝撃は甚大であった。
 巨大な竜は無力化され、再び襲われる事は無さそうだが。
 物質的な破壊力は皆無の催眠術と異なり、凄絶の一言に尽きた。
 敵は強大な黒魔道を操り、次に繰り出す術は更に想像を超えるのではないか?

 緊張の域を超え怯えていた、と言っても良かったかも知れない。
 顔には出していなかったものの、憂慮し神経を張り詰めさせていた。
 元々は港町ヴァラキアに生まれ育ち、船乗りの気質に馴染んだ紅の傭兵。
 ヴァラキアのイシュトヴァーンは結構、迷信深い処も残している。

 魔戦士の名は、伊達では無い。
 ヨツンヘイムを訪れ、クリームヒルドの好意で軍資金を得る以前にも。
 タルーアンの女戦士と出会い、異次元の魔怪クラーケンを実見している。
 南の海では黒い伯爵ラドゥ・グレイ、ブードゥーの呪術師とも関わった。

 イシュトヴァーンは、災いを呼ぶ男の異名を持つ。
 実は、密かに、気に病んでいた。
 ゴーラ軍の陣中に、己が黒魔道の化物を呼び込んでしまうのではないか?
 彼としては、ナリスに総てを任せる他に打つ手は無かったのだ。

 グインに対抗心を燃やし、マルコに虚勢を張っていたが。
 黒蓮の粉を吸った事に気付かず、深い眠りに就いた。
 幸い何事も無く陽が落ちたが頼みの綱、魔道師達は戻っておらぬ。
 ナリス帰還まで何事も無い事を念じ、不寝番を務める覚悟を決めた。

 ゾンビーなら松明の炎で焼けば良いが、竜の怪物が再び現れたらどうする?
 ゴーラ王の面目は丸潰れとなるが、グインに助けを求めるしかない。
 長時間に及ぶ緊張から蓄積された疲労が、一気に襲った。
 何時の間にか、意識が失せた。 

 

悪夢の襲来

 当初は、普通の夢だった。
 懐かしい記憶が、蘇る。
 幼い彼に手練の技を仕込んだ、博打師コルド。
 チチアの王子と悪名を奉った、気の良い売春婦達。

 ヴァラキアで過ごした、幼年時代。
 今となっては一番、幸福だったと思える時代の記憶が。
 緊張を和ませ、疲労を緩和する。
 イシュトヴァーンは無意識の裡に、ゴーラの玉座を捨てると再び誓った。

 次第に、夢が変化し始めた。
 ミロク教を奉じる少年ヨナを救い、海に出てからの少年時代。
 海賊船の船長を気取り、宝物の眠る島に向かった無謀な冒険と無残な結末。
 自分を慕い冒険を共にした弟分達を襲った末路、正視に耐えない悲惨な最期。

 思い出したくない記憶が、心の底から甦る。
 全く色褪せておらぬ、鮮烈な音響と映像が増殖した。

「アルゴンのエル。
 モンゴールは、決して忘れぬ!」
 耳に焼き付いた、呪詛の声。
 紅蓮の炎に包まれる、カロイの谷。

 マルス伯爵は彼の詭計に陥り、仁王立ちの儘まま焼死した。
 モンゴールの青騎士、2千の軍勢も焼き殺された。
 アリの嫉妬を受け、ユラニアの少年は惨殺された。
 赤い街道の盗賊達もまた、ミダの森で虐殺された。

 ユラニアの紅都、アルセイスの紅玉宮で。
 モンゴールの中枢、トーラスの金蠍宮で。
 彼が王になる為、死ななければならなかった無数の犠牲者達。
 数々の秘められた過去が、甦る。

 魔戦士、災いを呼ぶ男。
 渾名の由来である嘗ての友が全て、無残な亡霊と化し彼を迎えに来ていた。
 気付かぬ内に何時の間にか、手中に心を落ち着けてくれる鋭い幅広の長剣が現れた。
 彼は剣を頼りに忘我の歓喜に酔い痴れ、亡霊を斬り捲った。

 嘗ての友を、親しかった知己達を。
 己が助かる為に、総てを切り捨てた。
 無数の亡者を屠った剣が、夥しく流れ出る血に染まり薔薇色の剣へ変化した。
 夜明けの黎明を連想させる暁の剣は深紅を通り越し、漆黒に染まった。

 黒の剣が、咆哮した。
 無数の魂を喰らい、満足の唸り声を挙げた。
 飽食した剣が、彼の手を離れた。
 血を凍らせる宣告が、冷たい剣の内部から轟いた。

 もう、充分だ。
 最後に、貴様の魂を飲み干してやる。
 宣告と共に、魂を喰らう剣が動いた。
 彼を襲い、激痛が脾腹を貫いた。


 気付くと何時の間にか、空中に吊下げられていた。
 眼下には見渡す限り、視野を埋め尽くす無数の亡者が群れ集っていた。
 朽ち果て崩れかかり、眼も当てられぬ骸達が蠢く。
 豪胆な勇者も怖気を振るう、強烈な死臭と吐き気を催す腐臭。

 彼は、本能的に悟った。
 一言でも彼等と口を利いてしまえば、彼等に同行しなければならぬ。
 たった一つの言葉から声紋、魂を識別する紋様《パターン》が刻まれる。
 彼等と共に冥府に下る契約書への、著名捺印《サイン》となる。

 怨霊達を罵り、追い払ってしまいたい衝動を。
 懸命に堪え、死に物狂いで耐え続けた。
 ナリスから聞かされた伝説の地、グル・ヌーの光景が鮮やかに甦る。
 白骨化以前の聖地は、此の様な物だったのだろうか。

 彼は不意に、気付いた。
 徐々に、身体が下がって来ている。
 眼下を埋め尽くす亡者達に、近付いている。
 妄執と恨みの念が、歓喜となって噴上げている。

 もうすぐだ。
 イシュトが、俺達の手に入る。
 俺達に謂れの無い苦痛と死を齎した、死神の手先が此処に来る。
 自らの手で引き摺り下ろし、俺達と同じ苦痛を味わわせてやれる。

 堪え切れなかった。
 恐怖と絶望。
 思わず絶叫し、罵倒する。
 同時に、悟った。

 落ちる。
 逃れる術は、無い。
 身体を支えていた何かが、失せた。
 石の様に、身体が落下する。

 みるみる、亡霊達が近付く。
 彼を迎え入れようと、頭上に伸び上がる。
 過去の悪行を清算する運命の刻、贖罪の瞬間が訪れた。
 永劫の破滅から、逃れる手段は無い。


「助けてくれ、グイン!
 カメロン、俺が悪かった!!」
 一瞬で眼下の景色が切り替わり、無数の亡霊が失せた。
 何時の間にか、落下が停止している。

 空中に吊り下げられたまま、イシュトヴァーンは。
 眼下に広がる穏やかな光景を、呆けた様に眺めた。
 艶やかな黒髪、優しい漆黒の瞳。
 まだ少女とも思える小柄な身体、年若い女性の姿。

 胸に抱いているのは、自分に生き写しの幼児。
 燃え盛る炎を秘めた黒い瞳、強烈な光を映す風雲児の貌。
 不意に、幼子が頭上を見上げた。
 イシュトヴァーンは頭の奥底に、強い衝撃を覚えた。

 感覚が擾乱する。
 五感が捻れ、全てが二重に感じられる。
 空中浮揚している自分、若い女性に抱かれる幼児の五感が同時に感じられる。
 忘れていた脾腹の激痛が不意に、彼を貫いた。


 同時刻、パロを遠く離れた湖畔に建つ粗末な小屋。

 黒髪黒瞳の幼児が、火の付いた様に泣き出した。
「どうしたの、イシュトヴァーン?」
 嘗て光の公女に仕えたお気に入りの侍女、フロリーが幼子を抱き上げる。
 幼子が力一杯、母親にしがみ付く。

「何も、怖い事は無いのよ。
 母様が、護ってあげる」
 如何なる理由に拠るものか。
 2人の間に、遠隔感応が生じていた。

 フロリーに抱きしめられる幼児、スーティ。
 夢の回廊に囚われ、己の手で脾腹を突いたゴーラの冷酷王。
 同名の2人、イシュトヴァーンの感覚が共有される。
 暖かい感触を身体の内部へ温もりを生じさせ、安心感が満ち溢れた。

(自分は、護られている。
 自分は、此処に居ても良いのだ)

 生まれて初めて得られた、自己肯定感。
 止め処無く涙が溢れ、脾腹の激痛が和らぎ遠去かって行く。
 霞む視界を透かし、懸命に女性の顔を見分けようとするが。
 スーティを抱きしめる慈母、フロリーの輪郭が霞む。

 黒い髪が透き通り、豪華な金髪に染まって行く。
 黒曜石の如き瞳が輝き、エメラルド色の瞳に変化する。
 カメロンの声が、何処からか響き懐かしい感情を蘇らせる。
 複雑に共鳴し反響する力強い声が、彼の呪縛を解いた。

「良かったな、イシュト。
 お前にも、家族が出来たんだよ。
 お前はもう、1人じゃない。
 母親と兄弟が、待っている。

 俺が父親では、役不足かもしれんがな。
 お前は、生まれ変わったんだ。
 もう、不安に怯える必要は無い。
 俺だけじゃない、ナリス様も居る。

 お前を抱きしめてくれる人が、待っている。
 お前を護ってくれる存在が、ずっと傍に居てくれる。
 もう、泣く必要は無い。
 暗黒の時代、ドールの時代は終わりを告げた。

 お前は中原を覆い尽くさんとする鮮血の流れに抗し、漆黒の闇を払う降魔の剣。
 未来を切り拓く希望の光、ルアーの剣を体現する新たな中原の守護者となれ。
 お前の心を暖めてくれる癒しの光、温もりが感じられるだろう?
 此処に、還っておいで。

 ゴーラ王イシュトヴァーンとして、じゃない。
 俺が跡継ぎと見込んだ、無鉄砲だが魅力に溢れた若者。
 オルニウス号の連中も認めた、海の兄弟。
 ヴァラキアのイシュトヴァーン、としてな」


(気付いたか、ヴァレリウス?
 母親の顔に、見覚えがある。
 あれは確かアムネリスお気に入り、親友にも等しい紹介された侍女フロリーだね。
 抱いている幼子は、本人の投影なのかな?

 それとも、イシュトが子供を産ませたか?
 カメロンの密使に拠れば、アムネリスとの間に第1子が誕生した筈。
 私生児がいる、と聞いた覚えは無いが。
 報告を受けていたにも関わらず、故意に隠していた訳ではないだろうね?)

(勘弁してください!
 私だって、初耳ですよ。
 まぁ此のならず者なら当然と言うか、本当にフロリーの子供かも知れませんが。
 正妻の目を盗んで侍女に手を付け、孕ませる位の事は日常茶飯事じゃないですかね。
 死の砂漠ノスフェラスや海賊船で放浪中、リンダ様にも手を出してたんでしょう?
 天地が鳴動する驚天動地の秘事とは全く思えません、当然起こり得る事と愚考します!)

(手厳しいね、否定は出来ないけれども。
 竜王絡みで私も手一杯だったからな、この件に関しては不問として置こうか。
 それにしても夢に現れた心象《イメージ》は結構、成長を遂げている印象だったね。
 失踪直後に産まれたと仮定しても、2歳にやっと届く位ではなかったかな。
 私の耳には入っていないが、ゴーラ国内で私生児が誕生の噂は囁かれていないか?

 ディーンの娘も、トーラスの下町で誕生している。
 宮廷の周辺に限定せず裏通りの女性も含め、隠し子の有無を調査した方が良いだろう。
 正妻との間に誕生した王子の評判、カメロンの反応も知りたい。
 グイン最大の弱点シルヴィアと異なり、アムネリスを魔王子アモンが狙う確率は低いが。
 上級魔道師1名と数名、下級魔道師を警護の為に割いて貰えるかな?) 
 

 
後書き
 イシュトヴァーンの夢はユラ山地で、グインに脾腹を刺された後に生死を彷徨った時の悪夢が元ネタです。
 『火の山』だったかな?
 アリの亡霊が手招きをしていた辺りですね。 

 

心の鍵

(グインの《洗礼》を浴びた際、中継装置となった全員の魔力が飛躍的に強化されました。
 他の魔道師達も豹頭王直属の班と順次、交代させ《特訓》の準備を整えます)
(アムネリスとは婚礼の最中に暴漢が乱入して、意識を喪った後は会っていないが。
 イシュトにもう一人の子供が居るとなれば、私にも他人事ではないよ。
 横目で私の様子を窺ったりせずに、ゴーラ王の治療に専念し給え。
 傷の深さはどうかね、生命に別状は無いのだろうね?)

(…全く、問題ありません。
 ナリス様が決闘の茶番で、アウレリアス子爵に刺させた傷みたいなもんです。
 この悪党が此の程度の傷で、大人しく永眠する訳ありませんよ。
 いっその事このままくたばってくれれば、中原は随分と平和になるんですがね)
(了解した、イシュトは古代機械に預ける。
 ティオペの秘薬と間違い、毒殺の可能性も否定出来ないからね)

(冗談ですってば!
 放っといたって死にゃしませんが、ちゃんと面倒みますよ!!
 わかってるくせに一々、茶々を入れんでください!
 このまま眠らせといた方が楽だと思いますが、この旦那は生命力が有り余っていると見える。
 覚醒すれば傷が痛むと癇癪を起こして騒ぎ出し、面倒な難癖を付けるに決まっているんだが。
 厄介な事に自力で意識を取り戻し、喚き始めそうな塩梅ですね)

(君の言い分は良くわかった、イシュトと言葉を交わしてみたい)
 仏頂面の魔道師が接触心話の送信を停止した瞬間、血の気の失せた白い顔に動きが生じる。
 ゴーラ王の長い睫が動き、ナリスに良く似た漆黒の瞳が現れた。


「あ…。
 ナリス様?
 俺…痛っ!
 ぐぁっ、何だ!?
 腹が、くそ、スカールがまた出やがったかっ!
 あ痛っ!」

「イシュト、心配は要らない。
 そなたは黒魔道の術に惑わされ、自分で自分の腹を刺してしまったのだよ。
 暫くの間、動かない方が良い。
 結界を張ったから、これ以上の攻撃は無いと思うよ。
 私の言う事が、聞こえているかね?」

「催眠術、だって?
 なんてこった!
 今のは、みぃんな、夢だったってのか?
 くそ、とんでもなく厭な夢を見たもんだぜ。
 あれが、黒魔道の術だと?
 あぅっ!」

「体に力を入れてはいけない、傷口が開いてしまう。
 応急処置はしたが、そなたが気を失うと面倒な事になる。
 私とそなたの関係を承知しているのは、忠実なマルコ1人だからね。
 今そなたに気絶されると、面倒な事になる。

 君の忠実な部下達が激高して、私に斬りかかって来るかもしれない。
 彼等は黒魔道も催眠術も知らぬ、説明しても無駄だ。
 深傷を負った君の傍に侍る私が、下手人に違い無い。
 弁明など何の意味も持たぬ、としか考えぬだろうからね」

「てめぇで、てめぇの腹を刺しちまったのかよ!
 くそったれめ、これから面白くなるってのに。
 わかった、奴等を言い包めるから痛み止めをしてくれ。
 このままじゃ、何も出来やしねぇ」

「これを飲むと良い、動く事は出来ないが多少は痛みを抑えられる。
 効いている時間は1ザン弱だ、其の間に手を打たなくては」
 魔の胞子を植え付けられた犠牲者、ベック公程ではないが。
 ゴーラ王の忠実な副官は表情が虚ろな儘で、妙に反応が鈍い。

 ナリスの思考を読み取り、ヴァレリウスが強力な暗示波を投射。
 元オルニウス号の掌帆長、マルコ本来の声が響いた。
「イシュト、私から皆に説明して良いですね?
 他に怪我をした者は皆無ですが、納得させて見せます!」

「うるせぇ、でかい声を出すな。
 傷に、響くんだよ。
 心配すんな、俺は死なねぇ。
 痛み止めの薬が切れちまう前に、頭立った者を集めろ」

 ヴァレリウスの念波が飛び、上級魔道師に中継され野営地の全域に伝播。
 下級魔道師達は揺り起こした者の思考を読み、ゴーラ軍の隊長を識別。
 ナリスの指示に従い、最高指揮官の天幕に集めるが。
 不良少年上がりの暴れん坊達も、マルコ同様に精気を欠いていた。

 イシュトヴァーンの負傷は非常な動揺、混乱を捲き起こす筈であったが。
 新生ゴーラの若き将軍達は覇気が無く、見境無く吼え捲る者もおらぬ。
 ヨナも眉を顰めるが、ゴーラ王の一喝を浴び彼等は条件反射で首を竦めた。
 魔戦士は傷の痛みに気を取られ、部下の異変に気付かず一気に喋った。

「敵の魔道師が寝込みを襲いやがって、不覚を取っちまった。
 俺が負傷したと嗅ぎ付けられちまうと面倒だ、うろたえるんじゃねぇぞ!
 今夜はもう何も起こらねぇ、朝まで寝てろ。
 マルコの指示は俺の命令だ、黙って従ってりゃ間違いねぇ。
 部下共を騒がせるなよ、解散!」

 隊長達は一言も発せず、うなだれた儘で顔を上げようともしないが。
 イシュトヴァーンは彼等の沈黙に満足して、天幕から追い出した。
 ヴァレリウスの念波が再び中継され、野営地の全域に波及。
 ゴーラ王の言葉は全軍に行き渡り、静寂が満ちた。


「助かったよ、イシュト。
 大変失礼だが、催眠術で見せられた悪夢の内容を教えて貰えないか?
 言いたくなければ、無理には聞かない。
 だが今回の攻撃が有効と敵が判断すれば、今後も同様の攻撃が繰り返される。
 ゴーラ王も負傷した有効な手口を、敵が繰り返さない保証は無い。
 常に最悪の状況を想定して、対策を講じなければ危険だ。
 親愛なるイシュト、そなたならば理解して貰えると思うのだがね」

「…条件がある。
 他の奴には、黙っててくれるか?
 絶対、他言無用だぜ。
 マルコや部下共だけじゃねぇ、グインやカメロンもだ。
 魔道師の連中にも読み取られちゃ駄目だ、吟遊詩人みてぇに喋り捲るからな。
 ナリスの他には誰にも言わねぇ、と約束してくれるか?」

「大丈夫だよ、我が魂の分身イシュト。
 アルド・ナリスの名に懸け決して口外せぬ、と固く約束するよ」
 イシュトヴァーンも弁舌の魔術師には敵し得ず、心の裡を曝け出した。
 ヴァレリウスも驚く程、素直に事細かく悪夢の内容を捲くし立てる。
 本当は脅かされた子供の様に、誰かに話を聞いて貰いたかった。
 『お前が悪いんじゃない』と、心を支えて欲しかったのだ。

「…何だか、変な感じなんだ。
 死ぬほど痛いのに、とっても嬉しいんだ。
 生まれて初めて、心の底から安心出来た様な気がする。
 この傷のおかげで生まれ変われたみたいな
 此の世界に居ていいんだ、って神様に保障してして貰った、みたいな。
 そんな感じがするんだよ。

 …母親に、会った様な気がする。
 今まで一度も、母親の事なんて思い出した事無かったんだけどな。
 赤ん坊に帰って、母さんの胸に抱き締められてさ。
 お前は一人ぼっちじゃないんだ、母さんが守ってあげる。
 お前は此処に居ていいんだよ、ってさ。
 暖かい声が聞こえて来た様な、そんな気がするんだよ」

 気の済むまで喋らせ、口を挟まず黙って聞き続ける闇と炎の王子。
 一区切り着いた所で、ナリスは暖かい微笑を披露した。

「良く、わかるよ。
 私も常日頃、同じ思いを感じていたからね。
 外傷の痛みがあった方が、生きている実感が得られる。
 普段の自分は誰かの操り人形でしかない。
 本当は私と云う存在は、実在していないんじゃないかと思える。
 自分の人生を生きているのではなく、錯覚させられているからなのだろうね。

 皆、自分を偽って生きている。
 誰かの夢と期待を背負わされ、自分の人生だと思い込まされているのだよ。
 本当に自分の人生を生きている人間は、殆どいないと思うよ。
 誰かに騙され、誰かの夢を自分の夢だと思い込まされている人間が如何に多い事か。
 誰かに駆り立てられて燃え尽きていく、真面目で責任感の強い正直者がね。
 イシュト、君は生まれ変わったのだよ。

 偽りの自分を刺し貫く事で、誤って身に着けた殻を脱ぎ捨てる事が出来たのだよ。
 古代機械のおかげで生まれ変わった私と、同様にね。
 悪夢と自傷の代償として、真実の自分自身となる事に成功したのだ。
 何も、心配は要らない。

 次に目覚めた時、君は《災いを呼ぶ男》ではなくなっている自分を発見するだろう。
 アルシス王家の亡霊から解放された私と、同じ様にね。
 今は膿を出し切った心の傷と同様に肉体の傷を癒す為、安心して眠れ。
 我が親愛なる魂の兄弟イシュトヴァーン、充分な休息を取りたまえ」


 魔道師軍団は総力を挙げ野営地の全員を目覚めさせ、結界を展開するが。
 下級魔道師の中にも妙に虚ろな表情を見せ、反応の鈍い者が多い。
 数万の将兵達は夢の回廊に引き込まれ、重大な精神的衝撃を受けた。
 現状では翌朝に進撃を再開、クリスタル奪還の目論見は潰えたに等しい。
 イーラ湖の東方に拡がる森林、野営地は闇の中に沈み込んでいる。

 魔王子アモンの操る夢の回廊は遥か北方、サイロンも射程範囲。
 白魔道の結界では夢の回廊、精神内部への直接攻撃を防ぐ事は出来ぬ。
 ナリス自身が竜王に襲われ、心理決闘を行った際に証明されている。
「マリウス。
 お前の力が、必要だ」
 グインの唇から、痛切な呟きが洩れた。 

 

闇の司祭

 ケイロニア軍の天幕、燭台に灯る炎の照明も届かぬ薄暗い一角にて。
 陽炎の様に空気が揺れ、灰色の煙が渦を巻いた。
 淡い煙は漆黒の闇へと徐々に形を変え、渦の中心から巨大な髑髏が現出。
 腐食の痕も凄まじく数百年、いや数千年もの時を経たかと思われる醜悪な面貌。
 普通の者なら肝を潰し絶叫泣き喚いて遁走する《顔》が、グインを睨み付ける。

「また、来おったか」
 豹頭王は動じる事無く、これ見よがしに深い溜息を吐くに留めた。
 首骸骨の仮装を楽しむ闇の司祭、グラチウスへの第1声。
 意外に狡猾な策士が内心の嘆声を堪え、絞り出した精一杯の皮肉である。

「やかましい、わしを謀りおって!
 偉大なる世界三大魔道師の筆頭、深遠なる真理の探究者を愚弄しおるとは!!
 人類最高の叡智を誇る超越大導師、並ぶ者とて無い至高者を蔑ろにするとは許せん!
 こら、少しは尊敬せんか!!」
 心理戦の名手は何時もの様に精神的動揺を誘い、幻術を操り出す手間を掛けぬ。
 珍しくも激情に任せ、以前から積もり積もった鬱憤を喚き散らしている。

 豹頭王の内心を盗聴する秘術、高度な精神透聴の魔道も心得ている筈だが。
 精神遮蔽《サイコ・バリヤー》を破る為には、細心の同調作業が必要となる。
 其処までの余裕は無い、と言う事か。
 鮮やかな黄金と黒玉の豹の面に、何時の間にか狡猾にして不敵な微笑が浮上。
 外面へ感情を顕さず、度重なる神経戦で研鑽を積んだ効果を披露。
 長い髭の最先端に至るまで、微塵の震えも見せぬ。

「おぬしともあろう者が、一体、何を激高している?
 盛んに喚き散らしておるが、支離滅裂だぞ。
 何が何だか、一向に訳が分からん。
 年寄りの冷や水、とは言わぬが頭を冷やしてはどうかな?
 現在只今の状況では、年寄りの戯言は不要。
 話にもならんわ、俺にも理解できる様に要領良く説明して貰いたい」

 冷静に返された巨大な髑髏は憤激の意を顕し、深紅の色に染まる。
 思わず眼を背けたくなる怪異な髑髏首が、倍の大きさに膨張。
 腐食の痕も凄惨な醜貌が睨み付けるが、豹頭の戦士は全く動揺の色を見せぬ。
 ガックリと気落ちした風情を装い、髑髏は元の大きさに戻った。

「ノスフェラスで尋常ならざる病を得た南の鷹は、命旦夕に迫っておる筈。
 一刻も早く手当てをせねば、取り返しの付かぬ事態に陥るであろう。
 わしは大変親切じゃによって草原の風雲児、スカールの窮状を看過す事は出来なんだ。
 逸早く将来の蔓延に備え対処法を探るべく、治療を試みておったのだぞ。
 彼が妻仇を討ち取る寸前まで健康を回復し得たは、グラチウス様の恩恵じゃ。
 太子に取り儂は、生命の恩人に他ならぬのだよ。

 だがあのくそだわけの魔王子アモンは掟破り、異次元の陥穽を仕掛けおった。
 定期的に施術と投薬の必要な黒太子は儂の加護を喪い、生命の危機が迫っておる。
 既に検診の間隔を過ぎ、肉体の健康を保つ秘薬も皆無の筈じゃ。
 運良く部の民を発見し記憶を読んで引き返す間に、貴重な時間を浪費してしまった。
 太子にもし万一、不測の事態が起こってしまったら何とする心算だ?
 王や賢者気取りの策謀家には到底、対処出来るレベルの事象ではないのだぞ。

 人類の歴史開闢以来の、真に稀有な特異現象であるのだからな。
 自力で何とか出来る等と愚かな考えは抱かず、全てを儂に委ねよ。
 長きに渡り真摯に魔道の研鑽を積み重ね、人類最高の領域に到達し得た叡智の持主。
 偉大なる地上最強の魔道師グラチウス様以外の何人にも、立ち向かう術は無い。
 東方の大国キタイを制圧した異次元の魔道師、パロ聖王宮に巣食う異世界の怪物。
 どちらも豹頭王が退治るは困難、グラチウス様の助力が必要不可欠であるぞよ。

 力を貸してやる故、早急に教えるが良い。
 儂にも読み取れぬは見事と褒めてやるが、スカール太子の居場所を白状せい。
 燃え盛る太陽の如くに生命力旺盛な太子の気が何故か、全く感じられぬ。
 儂の施した黒魔道の術に拠り、太子の身体は暗黒闘気を発しておる。
 他の魔道師ならばいざ知らず、施術主の儂には感知し得る筈なのだが。
 万々が一にも太子が喪われる様な事があれば、とんでもない事になるぞ。

 北の豹と南の鷹に関する伝承が発動されず、大山鳴動して鼠一匹で終わってしまう。
 百万の天球の合に匹敵する伝説の会、世紀の瞬間が生じぬとは許せん。
 無尽蔵の膨大な高次元エネルギー、奇蹟の泉を我が物とする唯一の機会なのじゃ。
 もし王の横車で永久に機会が喪われてしまったら、どうしてくれるのじゃ!
 うぬの操る星々のエネルギーも元を辿れば、かの奇蹟に由来するのであろうが?
 強情我慢の生意気な豹め、白状せい!!」

 スタフォロス城の黒伯爵に匹敵する醜貌、溶け爛れた怪異な生首が吼えた。
 巨大な骸骨が憤激の色、深紅の激情に染まる。
 鉄面皮を貫き聞き流していた長身の偉丈夫は、突如として豹変。
 トパーズ色の瞳に憤怒の炎が湧き、獰猛な牙を剥く。

「貴様にしては珍しくも、自ら腹の底をブチまけてくれたな。
 良いとも、おぬしの正直な物言いに免じて教えてやろう。
 太子は既に古代機械に診察を受け、お前の詐術は完全に見破られておるわ。
 低次元の肉体改造、及び細胞汚染が悪影響を齎し生命の危機に瀕しているとな。
 古代機械の操作に熟達する盟友、アルド・ナリス殿への連絡も済ませた。
 太子は既に《母船》とやらに転送され、治療を受けている筈だ。

 どうした、グラチウス?
 顔色が変わったぞ、生首が蒼褪めておるわ。
 何が親切だ、恩着せがましい口を利きおって!
 魔道に疎い病人を騙し、陥穽に引き摺り込んだだけの事ではないか!!
 スナフキンの剣よ、お前の力が必要だ!
 叩き斬ってやる、覚悟せい!!」

 グインの右腕から青白い光が噴き出し、魔物を斬る霊剣に変化。
 豹頭の戦士が踏み出すと同時に、巨大な髑髏が消失。
 一瞬前まで生首が占めていた宙空に、見覚えのある映像が現れた。
 大人10人は横になれそうな寝台に、子供の様な身体が横たわっている。
 栄養失調とも思える、小さな顔。
 痩せこけた頬、痛々しい印象を与える鋭く尖った顎。

「シルヴィア!」
 豹頭王の口から痛切な呻き声、鋭い絶叫が漏れた。
 映像の中に声が届いた様子は無く、何の変化も無い。
 思いがけぬ光景を見せられ、殺気と怒気が削がれた。
 スナフキンの剣が妖しく揺らめき、光が弱まる。
 映像が消え失り、髑髏が図々しく顔を出した。

「何の真似だ、グラチウス!
 今の映像は現実か、それとも俺を動揺させる為に仕組んだ詐術か!?
 返答次第では、今度こそ問答無用で叩き斬るぞ!
 最後のチャンスだ、これ以上俺を怒らせるな!!」

「ちと、頭を冷やして貰おうと思ったに過ぎぬ。
 これでは話も出来ぬ、物騒な得物を引っ込めてくれんか?
 わしも齢800有余年を数える故、その剣で斬られれば只では済まぬ。
 激情に任せ儂を斬り捨てる等、王に似合わぬ短慮だと思うぞ」
 ニンマリと微笑み、グインの表情を観察する髑髏首。
 飄々とした声が、空間に反響する。

「おけ、グラチウス。
 スナフキンの剣よ、今は必要でない故、引っ込んでおるが良い。
 こやつが無駄口を止めぬとあれば、また呼び出して今度こそ叩っ斬ってやるからな。
 どうせ数タル後には解き放つ事になるだろうが、少しの間だけ、辛抱していてくれ」

「これこれこれ、随分、随分、随分じゃな!
 何と言う言い草じゃ、失礼な!!
 そんな筈が、あるかい!
 不公平じゃ、やり直しを要求する!!」

「この剽軽者め、いい加減にしろ!
 面倒な奴だ、一向に話が進まぬではないか!!
 先刻の映像は本物か、さっさと答えろ!
 それとも魔の胞子、異次元の妖魔に頭を浸蝕され喋れなくなったのか?」

「ひどい、失敬にも程がある!
 わしゃ世界三大魔道師、現世で最強を誇る闇の司祭グラチウス様だぞ!!
 アグリッパは結界に引き籠もり、ロカンドラスは敵前逃亡した臆病者に過ぎぬ。
 宇宙生成の謎を解き明かす野望の第一人者、地上最大の魔道師は儂なのだぞ!」

「どうだかな、いや、どうでも良いが。
 今の映像が真ならば、ナリス殿の派遣した魔道師が見えぬのは何故だ?
 閉じた空間の術にて黒曜宮に飛び、シルヴィアの周囲に結界を張っている筈。
 貴様の老眼では、見究める事が出来ぬのか?」 

 

精神治療

「全く失礼な豹じゃ、愚弄する事は許さんぞ!
 木っ端魔道師なぞ、映つ価値も無いと思ったに過ぎぬ。
 グラチウス様の高度な遠隔視能力、鼻垂れ共に察知する術は無い。
 頭上の鷹に気付かず、チーチーが寝惚けておる様なものさ。

 偉大なる闇の司祭、グラチウス様の千里眼《クレアボワイヤンス》。
 遠隔視能力は強大な念動力の変形、時空間に特殊な波長の念波で干渉する秘術。
 正確無比な同調作用を施し、次元間の透視を可能とする神技であるのじゃ。
 パロの魔道師風情では闇の司祭、グラチウス様の念波を感知する事も叶わぬ。
 ましてや遠隔視の術を察知する等、到底無理と言うものよ」

「付き合いきれん、本当に面倒な奴だ。
 一言事に、己を褒め称えるのは何とかならんのか。
 まるで、加賀四郎の様だ」
「何か、言ったか?」
「そこは突っ込まんで良い所だ、聞き流せ。
 ナリス殿の派遣した魔道師が、其処に居るのであれば話がしたい。
 以前セム族の長、ロトー臨終の一部始終を看取らせて貰った。
 ラゴンの勇者ドードーとも言葉を交わしたが、同じ事が出来るか?」

「如何にも、可能であるがな。
 ひとつ約束をしてくれたら、何ザンでも話をさせてやるよ。
 『お前に従おう』等の馬鹿な事を言え、と要求する心算は毛頭無い。
 わしと手を組め、とも言わぬ。

 魔王子と名乗る怪物、アモンを退治てくれ。
 その為なら幾らでも、わしの力を貸してやる。
 あれは、とんでもない玉だ。
 わしのみでは、ちとしんどいな。
 王が己の力を使いこなしておれば兎も角、現在只今の危なっかしい状態では心許無い。

 イェライシャの阿呆も、キタイに飛んでおる。
 ヴァレリウス程度の魔力では、どうにもならぬ。
 アルド・ナリスが万一、アモンに喰われでもしたら何が起こるかわからん。
 調整者の存在を嗅ぎ当てた想像力、直感には儂も一目置いておるでな。
 現世に介入する気の無い大導師アグリッパですらも、名前を知っとる位じゃ。
 あの天才的な頭脳を悪用されたら、とんでもない事になりかねん。

 魔を斬る力を秘めし剣にて深傷を負わせ、多少の猶予を得たは勿怪の幸いであった。
 彼奴が痛手から回復する前に、何が何でも始末せねばならんのだよ。
 折角、射し初めた希望の光が、今度こそ、掻き消されてしまう。
 残念だが、楽しんでおる暇は無い。
 無駄口は叩かぬ、是非とも協力してくれ。
 な、王よ、悪い話ではなかろう?」

「無駄口を叩かぬだと?
 何処がだ、この、お喋り魔めが。
 まあ八百数十年も生きておれば、1度位は、まともな事も口にするのだな。
 アモンを退治る事は或る意味、総てに優先する。
 俺も彼奴は退治せねばならぬ、キタイの竜王を凌ぐ怪物とも感じた。
 誠に残念至極ではあるが、已むを得ぬ。
 貴様との決着は後廻しだ、腕を擦って堪えてやる」


 奇怪な髑髏は顔を綻ばせ、わざとらしく大袈裟に嘆息。
 首のみで直立するのも飽きたと見え、途方も無く年老いた骸の如き全身を現す。
 落ち窪んだ眼窩の奥に、炯炯と強い光を発する闇黒の瞳が拡がる。
 黒衣を纏う身体から異様な波動が迸り、空間を染めた。

「ありがたき幸せ、気が変わらぬうちに話を進める方が得策じゃな。
 陛下の御要望に応え、木っ端魔道師を呼び出してやるとするか。
 ほら、こ奴だよ」
 再び闇が渦巻き寝室の角、結跏趺坐の姿勢で潜み黒衣を纏う影2体を映す。
 1級魔道師ラス、タールは不意に顔を上げ慌ただしく四方に視線を走らせた。

「ほう、見られている事に感付いたか?
 ヴァレリウスの阿呆も多少は、出来る奴を送り込んだ様じゃな」
 強力な黒魔道師の気配を察し、狼狽して周囲の空間を撫で廻す魔道師達。
 唐突に動作が凝固し、驚愕の叫びが迸る。

「陛下、ケイロニアの豹頭王様ではありませんか!
 王妃様の警護中であります故、御容赦願います!!」
 国王に対する礼を捧げる余裕も無く、慌てて平伏。
 無人と見えていた寝室の角で闇が渦巻き、もうひとりの魔道師が現れる。


「貴様、どうやって、急激に基本的な魔力を数倍に高めた!?
 儂にも気配を悟らせず隠れ通す程の術、何処で身に付けたのじゃ!
 イェライシャが尻尾を巻いて逃げ戻り、密かに貴様等を鍛えでもしたか?
 対等に儂と闘えるレベルではないが、小癪な真似は許さん!」

「待たんか、グラチウス!
 シルヴィア護衛の為、魔道師を借りた依頼人(クライアント)は俺だ。
 勝手に喧嘩を売るな、闘うなら俺が相手になるぞ。
 スナフキンの剣よ、お前の」

「待て、茶番は止めだ!
 魔剣を出すなら、わしゃ逃げるぞ!!
 王の遊びには付き合いきれん、右腕が光っとるじゃないか!
 遠隔視の術も解くからな、シルヴィアの安否確認は勝手にやれ!!」

 グインは吼える様に笑い、一旦は高く掲げた逞しい腕を下した。
 グラチウスにも悟らせぬ気配隠しの術、同僚の特技を解除した魔道師に微笑。
 1級魔道師キアス、マウラス、モルガン、キノスも遠隔心話を受け寝室に集合。
 パロの魔道師達を代表して、ディランの唇が動いた。


「我等の魔力は陛下の御力にて強化され、感謝の詞を捧げる次第であります。
 1ザン程前に到着致しましたが、危うい所で御座いました。
 シルヴィア王妃殿下は錯乱状態に陥り、自暴自棄の感情に支配されております。
 周囲の制止も聞く耳を持たず、取り返しの附かぬ行動に移る寸前でありました。

 寝室に結界を張り、失礼ながら御記憶を確認させていただきました。
 陛下に斬りつけられた夢が記憶に焼き付かれ、現実と混同されています。
 負の感情を鎮める為、強力な暗示が必要と診断せざるを得ません。
 夢の回廊に関連する記憶を封じ精神の安定化、心理学的治療を試みました。

 誠に申し訳無き仕儀ながら御就寝いただき、交代で御守護申し上げております。
 王妃殿下の御心から無用な恐怖、不安を取り除く作業も慎重に進めさせて頂く所存。
 マリニア殿下の聴覚治療、心話の擬似音声を発声訓練の一助とする手筈も整えました。
 上級魔道師1名、下級魔道師3名が急行中であります」

 グインの緊張が解け、面に安堵の色が滲み出た。
 黄金の毛並みに黒玉の斑点を散らした鮮やかな色彩が波打ち、深々と太い息を吐き出す。

「感謝する、ディラン殿。
 丁寧な御説明、痛み入る。
 真に忝い、大いに安心させて貰った。
 宜しく頼む、必要な物があれば何でも言ってくれ」

「御心配には及びませぬ、宰相ハゾス閣下には既に報告し御理解を戴いております。
 心底より真摯に王妃殿下を心配されている従者、パリス殿にも格別の配慮を賜りました。
 ハゾス閣下の御判断で選帝侯アウルス・フェロン殿、ロベルト殿も事情を御承知です。
 宰相の采配宜しきを得て必要な物も全て用意していただき、誠に恐縮であります」

「侍女クララ、従者パリスか。
 迷惑を掛けてすまぬと直接、礼を言わねばならぬところだ。
 シルヴィアの相手を務める辛さは、身に滲みている。
 2人の精神的疲労も癒し、心を配ってやって貰えると助かるのだが」

「畏れ多い御言葉を賜り有難く存じます、陛下の御心遣いに感謝致します。
 陛下から直接に御言葉を掛けて頂ければ御2方とも、大変に勇気付けられる事と思います。
 大変申し上げ難い事ながら王妃殿下の御相手は、非常に精神的消耗が激しいのです。
 陛下から御二方に直接、御言葉を頂ければ私共も大変助かります」

「尤もだな、良くわかった。
 早速、2人と話せる様にしてくれ」
「畏まりました、御理解を戴き重ねて感謝を申し上げます。
 別室にて就寝中ですが、お連れ致します」

 1級魔道師モルガン、キノスの姿が消える。
 数タル後、寝室の扉が開いた。
 のっそりと歩を運ぶ武骨な大男、従者パリス。
 牛を思わせる顔は内心を窺わせず、小さな眼が寝台に注がれ気遣わしげな光が滲む。

 続いて何事か災いが生じるに違いないと決め込み、頻繁に周囲へ視線を走らせる年若い女官。
 挙動に落着きが無く不安気な風情を漂わせ、警戒心が強い印象を見る者に与える侍女クララ。
 出来る事なら王妃と極力、距離を置きたいと願う内心と蓄積された心労が露呈している。
 2人を先導した魔道師は、何も無い空間に向かい丁寧に一礼。
 手印を組み魔力を増幅させ、グインの映像を《見せた》。

 慌てて平伏する侍女、クララ。
 表情を変えず、うっそりと頭を下げる従者パリス。
 トパーズ色の瞳に応え、明瞭な発音を思念波に変換。
 2人の耳には聞き取れぬ遠隔心話、心の《声》が脳裏に響く。 

 

従者と侍女

「おぬしが、パリスか。
 以前、会った事があるな。
 あれは確か、バルドゥール子爵へ丁重に退去を願った際であったか。
 シルヴィアを何よりも大切に想い、忠誠を捧げる真摯な漢と聞いた。
 本来ならば良人の俺が、シルヴィアを支えてやらねばならぬのだが。
 誠に申し訳無い、心底から礼を言うぞ」

 深々と頭を下げ、苦渋の滲む真摯な声を絞り出す豹頭の戦士。
 大男の背後に隠れ、様子を伺う年若い侍女が眼を丸くする。
 パリスの口から聞き取り難い、潰れた低音の声が漏れた。

「王様、早く帰って来てくれ。
 俺では役不足だ、シルヴィア様には王様でなければ駄目なのだ。
 わからないのか、姫様をお救い出来るのは王様だけだ。
 何故、シルヴィア様を置き去りにしたのだ。

 一刻も早く、帰って来てくれ。
 王様が難儀をしている事は、良くわかっている。
 でも、それは承知の上で、結婚したのではなかったのか。
 頼む、姫様を不幸にしないでくれ」

 忠実な従者は誰よりも深く、シルヴィアを扱う艱難辛苦を理解している。
 果てしなく続く永劫の責苦、迷惑この上も無い困難至極な苦行であるのだ。
 グインの苦悩を理解し、共感し得る者は誰も居らぬ。
 唯一人、パリスを除いては。

「済まぬ、出来る限り早くシルヴィアの許へ戻る。
 約束する、俺が戻るまでの間だけ彼女を護ってくれ」
 豹の表情が歪んだ。
 髑髏の眼が光り、王の苦悶する様子を興味深く観察する。

 鈍重な水牛を連想させる従者の瞼が微かに動き、細い眼が光った。
 豹の丸い円瞳を大胆にも、正面から覗き込む。
 グインは眼を逸らさず、言葉にされぬ疑問を投げ掛ける視線を受け止めた。
 シルヴィアの我儘に根を上げて逃げ出し、帰国を引き延ばしている訳ではない。
 表情は変わらぬが、納得の気配が漂う。
 従者パリスは皇女の夫、グインに深々と一礼した。

 中原に於いて誰一人として知る者の居らぬ、豹頭王の試練。
 グインが中原に現れる遙か以前から、シルヴィアの八当たりを何度も体験している従者。
 共通の経験を持ち、豹頭王の試練を理解し得る唯一の男パリスの顔に同情の色が滲む。
 内心を吐露した所で何ら支障は無く、心底からの共感を得られたであろう。

 竜騎士の大群に包囲され、勝ち目の無い闘いへ身を投じる方が遙かにマシだ。
 グインは思わず閃いた思考を面に表さず、頷くに留めた。
 パロの魔道師達、侍女クララが見ている。
 彼等の前で、愚痴る訳には行かぬ。

「おぬしが、クララか。
 すまぬ、世話を掛ける。
 シルヴィアの相手をする辛さは此の俺自身が、誰よりも良く理解している心算だ。
 誠に心底から申し訳が無い、としか言い様が無い。
 この通りだ」

 豹頭王は両膝を床に付き、土下座した。
 王妃付の侍女が顔色を変え、動転し悲鳴を上げる。
 牛を思わせる大男、パリスも眼を丸くした。

「そんな、王様!
 お顔を上げてください!!
 いいんです、私は慣れてますから!
 素敵なお友達も出来て、本当に感謝しています!!

 パロの魔道師様が来て下さるまでは、誰も助けてくれませんでした。
 何で私だけが貧乏籤を引かなければならないのか、ずっと恨んでいました。
 でも、何もかも良くなりました。
 ディラン様が宰相ハゾス閣下、アキレウス大帝様にお話して下されたお蔭です。

 私も過分なお褒めの御言葉を頂いた上、今までの苦労賃と申し訳無い程の心付けも頂戴しています。
 王妃様の悪口を言触らし辛く当たっていた意地悪な女官達は全員、交代の上罰を受けました。
 シルヴィア様の専任として他の仕事は全て免除され、充分な休憩休息を頂いています。
 ヴァルーサさんに踊りを習い、愚痴を聞いて貰えるので精神状態も良くなりました。
 
 勿体無い程に分不相応な処遇をして頂いて、とても感謝しています。
 御礼を申し上げなくてはいけないのは、私の方です。
 魔道師様が来て下さったのも、王様が、パロをお救いになられた故とお聞きしています。
 本当に、ありがとうございます。

 畏れ多くも大帝アキレウス様から直々に、娘を宜しく頼むと御言葉をいただきました。
 王妃様の姉君オクダヴィア様も、私の代わりに辛い思いをさせたと涙を流して下さいました。
 私も心を入れ替え、出来る限りの事をさせていただきます。
 シルヴィア様にお幸せになっていただく為、お勤めを果たします。

 私の事は、気になさらないでください。
 王様から直接お褒めいただいただけで、身に余る程の光栄でございます!」
 平伏する侍女、クララの頭上に。
 豹頭王の本音、とも思える幻の声が響いた。

「誠に済まぬが宜しく頼む、ハゾスには給付を倍にせよと伝えておく。
 お蔭で多少安心出来た、可及的速やかに決着を付け黒曜宮に戻る心算だ。
 シルヴィアは手強いと思うが、何とか面倒を見てやってくれ。
 他に頼れる者は無い故、当分の間、パロの魔道師に常駐を御願いする。
 俺がサイロンへ戻れば、おぬしらにも交代で休んで貰う余裕が出来るだろう。
 それまでの間は辛いと思うが、相手になってやってくれ」

 グインの目配せを受け、闇の司祭が頷く。
 平伏する従者と侍女の視野から、幻影が消えた。


「もう、良いじゃろ?
 木っ端魔道師も、時には役に立つ。
 売国妃が一旦ケイロニアに破滅を齎すかどうかは、わしの口からは言えぬがね。
 王が付き添っておらずとも、問題はあるまい。
 放っといても構わん、シレノスの貝殻骨は大丈夫だよ。
 そんな事はどうでも良いから、早く、アモンをやっつけてくれ」

 駄々っ子の様に騒ぎ立てる闇の司祭、ドール教団の最高導師グラチウス。
 物騒な光を浮かべ掛けた瞳が煌き、グインは笑いを噛み殺した。

「まあ待て、次だ。
 ゴーラの宰相、カメロン殿と話をせねばならぬ。
 サイロンと同様、パロの魔道師が派遣されている筈だ。
 或いは宰相カメロン殿の許ではなく、アムネリス王妃の許かもしれぬがな。
 本来ならば闇の司祭に聞かれる等、以ての外と言いたい所だが。
 已むを得ぬ、大目に見てやる。
 アルセイス、いや、ゴーラの新都イシュタールと心話を繋いでくれ。
 それとも先刻までの遠距離心話で遂に、魔力を使い果たしてしまったかな?」

 豹頭王は黄金と黒玉の毛並み、髭1本も震わせる事無く鉄面皮で放言。
 闇黒の髑髏が憤怒の表情を昇らせ、深紅に染まる。

「何を言うか!
 グラチウス様が魔力を使い果たす等、ある訳ゃ無いわい!!
 わしの広大無辺なる神の眼、時空を超越する遠隔視の奇蹟《ミラクル》。
 千里眼《クレアボワイヤンス》の秘術を用いれば、造作も無き事よ。

 人使いの荒い豹だ、なんて横暴な奴じゃ!
 特別に披露してやるから、有難く思うが良いぞ。
 ふむ、カメロンの寝室に魔道師の波動は無いな。
 王妃の寝室を覗くのは気が引けるが、わしが見たいと思った訳ではないぞ。
 光の公女から苦情《クレーム》を付けられでもしたら、かなわん。
 王の要望に従った、それだけの事なんじゃからな!」

 黄金に黒玉の戦士、豹頭王グインは鉄面皮を崩さぬ。
 髭が微かに震え、哄笑の衝動を雄弁に語った。
「一々、横言を言うな。
 それでも世界三大魔道師の一人、齢800を越える伝説の大魔道師なのか。
 喧しい。古代生物を名乗る淫魔と同じではないか。
 全く、剽軽な奴だ」

 真紅に染まった髑髏が紫色《パープル》、空青色《スカイ・ブルー》に変化。
 変色龍《カメレオン》の如く顔色を変え、水晶の髑髏《クリスタル・スカル》に変化。

「816歳、だと思ったがね。
 何時も心は十六歳じゃよ、ヒョヒョヒョヒョヒョ。
 あぁ、やっと見つけた。
 あんまり弱い魔力なんで、よう見えなんだ。
 余りに御粗末と言うか緩い結界じゃで、気が付かんかったよ。
 いや、そうでもないか。
 一人前に、気配を消しておるのだな。
 ほら、こやつだよ」

 映像の中には健康な寝息を立てる赤子、添い寝する豪華な金髪の女性が見える。
 寝室の角に闇が渦巻き、魔道師が現れた。
 イーラ湖畔の森に居るグインの眼に視線を合わせ、拝礼。
 滑らかに唇が動き、流暢に言葉を紡ぎ出す。

「初めて御目に掛かります、ケイロニアの豹頭王グイン様。
 パロ魔道師ギルド、魔道師の塔に所属する上級魔道師エルムと申します。
 不束者でありますが拝謁の機会を賜り、光栄至極でございます。
 下級魔道師3名は情報収集等の為、カメロン宰相閣下に御預け致しました。
 1級魔道師レインと交代で誕生直後の王子、王妃の周囲に結界を張っております」
 水晶の髑髏《クリスタル・スカル》が顔を顰め、鋭く舌打ちの音を響かせた。 

 

嵐を呼ぶ男

「チッ。
 生意気にも、えらく落ち着いておるではないか。
 フン、忌々しい。
 ひとつ、脅かしてやるか?」
「やめんか、大人気ない!
 貴様の横言に付き合っていては話が進まぬ、静かにせんか!!」
 豹頭の戦士は軽く右手を挙げ、黒魔道師の独り言を遮った。

 邪険に扱われたのが不服と見え、駄々っ子の様に不貞腐れて黙り込む闇の司祭。
 何時の間にか足の爪先まで骸骨の身体を現し、全身で不機嫌を強調《アピール》。
 望星教団の教主ヤン・ゲラール、アルゴン化を遂げた右半身の如く。
 透き通る水晶と化した全身を、赤や青の光が駆け巡る。
 夜空に煌く瞬星灯《イルミネーション》の如く、多種多様な光を明滅させる巨大な髑髏。
 輝ける骸骨が大袈裟に肩を聳やかし、雄弁に不満を表現。

 対照的に、パロの魔道師は全く表情を変えぬ。
 顔面の筋肉を一筋も動かす事無く、律儀に王の言葉を待つ。
 グラチウスは梟の様に惚け、グインは溜息を付いた。
 じろりと骸骨に一睨みを呉れ、軽く咳払い。
 豹頭の戦士は困惑を払い、パロの魔道師に語り掛けた。

「早速だが、状況を確認したい。
 アムネリス王妃に夢の回廊、アモンの術は及んでおらぬだろうか?」
 上級魔道師エルムは落着き払い、神妙な面持ちで答礼。
 グインの心中を察し、何も聞こえなかったかの様に言葉を連ねる。

「世界三大魔道師に名を連ねる闇の祭司様、御高名は世界に鳴り響いております。
 遙か彼方パロの地におられる豹頭王様より、御下問をお受けするは光栄至極なれど。
 私如きの魔力にては到底不可能、グラチウス様の御助力たる秘術の賜物。
 また御下問にお答えするも叶わぬ事、重々承知しております。
 中原の守護者、ケイロニアの誇る豹頭王様に御報告させていただきます前に。
 先ずは闇の祭司グラチウス様に感謝を捧げ、御礼を申し上げます」

 齢八百を超える老魔道師が、顔を輝かせた。
 機嫌が直ったと見え、水晶の髑髏が虹色に光り輝く。

「ほう。
 木っ端魔道師にしては珍しくも、真っ当な口の利き方を心得ておるようだ。
 ヴァレリウスの阿呆めとは全く以って大違い、白魔道師にしておくのは惜しい。
 見所のある奴じゃ、精進せいよ」
 黄金に黒玉の戦士は再び、深い溜息を付いた。
 気の利いた上級魔道師は素知らぬ振りを押し通し、つるつると滑らかに報告を再開。
 自称816歳の少年は知らぬ振りを決め込み、微塵も動きを見せぬ。
 些か精神的疲労を覚えつつ、グインはエルムへ感謝の視線を投げた。

「此れ程までに使える奴を部下に持っておるとは、ヴァレリウスの阿呆めが意外じゃな。
 世界三大魔道師の筆頭、地上最強の黒魔道師グラチウス様に弟子入りせんかね?

 魔道師ギルド、白魔道師共の魔力が役に立ったか?
 修行を積み試験に合格したところで魔王子、竜の門に手も足も出んじゃないか!
 大導師カロンとやら、姑息な術策を弄する輩に騙されるな。
 組織に留まれば、折角の才能を腐らせるだけじゃ。
 若者の芽を摘み、因習で縛る事に汲々としておるに過ぎぬ。

 限界を超え偉大な魔道師の域に達する為には、集団の力に頼っていては駄目さ。
 心理誘導の巧妙な罠に嵌まり、他者に依存するがオチよ。
 魔道師の塔は聖王、レムスが竜王の奴隷と化した事を認めなかった。
 アルド・ナリスが追い詰められ、手遅れになるまで事実上放置している。
 魔の胞子や異次元の蜘蛛に手も足も出ず、魔道に全く無知の豹頭王に頼るとはな!
 イェライシャが味方に付いた途端、依存心の虜と化しておる。
 先が無い、とは思わんか?

 ヴァレリウスめは小賢しくも現実を認め、自分なりに限界を超えようとしておるがね。
 ギルドの掟を破り魔力を上げる為、足掻いておる様だが間に合わん。
 大導師と名乗る大馬鹿者カロン以下、本当に必要な時には全く使い物にならん奴等。
 木っ端魔道師なんぞ、何の役にも立たぬではないか?
 人の足を引っ張る事しか考えぬ茶坊主共、嫉妬深い奴等の妨害を退けよ。
 本当の実力を身に付ける為には地道な自己研鑽を重ね、限界を突破せにゃならんのだよ。

 数百年に渡る厳しい修練を己に課し、他者の追随を許さぬ偉大なる魔道師。
 比類無き強大な魔力を得た闇の司祭、グラチウス様を見習うが良いぞ。
 北の見者ロカンドラスの入寂は差迫る大戦乱時代を怖れ、敵前逃亡を図ったに過ぎぬ。
 現実界へ介入する気概を喪い、己の結界に引き籠る大導師アグリッパも同じ穴の狢なり。
 世界三大魔道師、が聞いて呆れる。
 風立たぬ虎、雲捲き起こらぬ竜にも等しい惨めな存在よ。
 だが人間の叡智の象徴、闇の司祭様は違う。
 人類の名誉を懸け異界からの侵略、異種の挑戦を受けて立つ。

 吹けよ風、呼べよ嵐。
 我は征くぞ、青白き頬の儘でな。
 ヤンダルだろーが、アモンだろーが、纏めて相手をしてやる。
 人類史上最強の黒魔道師、グラチウス此処《ここ》に在《あ》り!
 豹頭王と儂が組めば無敵よ、敗北の二文字は無い!!


 遠く輝く夜空の星に、我等の願いが届く時!
 銀河連邦、遙かに越えて、光と共にやって来る!!
 怪獣退治の使命を帯びて、燃える街に、あと僅か!
 轟く絶叫《さけび》を耳にして、帰って来たぞ、帰って来たぞ、豹頭王!!
 凶悪怪獣、倒す為、進め、銀河の涯《はて》までも!

 空を見ろ、星を見ろ、宇宙を見ろ!
 謎を秘め、襲い来る、侵略者!!
 力《ちから》が欲しい、と願う時!
 王の腕《かいな》が、輝いて!!
 魔剣が、噴き出す!
 グインが、戦う!!
 グイン、グイン、グイン!
 豹頭王、グイン!!

 王を呼ぶ声、響けば、王は必ず、応える!
 赤い炎を突き抜け、其処《そこ》に現れる!!
 平和を壊す敵は、此《こ》の手で叩き潰す!
 それが、王の使命!!
 それが、王の願い!
 無敵の武器を掲げ、鍛えた剣技《わざ》を揮い、倒せ、火を吐く大怪獣!!
 世界の平和を護る為、暗黒魔人をやっつけろ!

 白い砂漠の真ん中に、今日も嵐が吹き荒れる!
 掟《ルール》無用の悪党に、正義の拳《パンチ》をブチかませ!!
 草も樹《き》も無い、死の谷《グル・ヌー》に、恐怖の罠が待っている!
 白い天馬に跨《またが》って、王者の剣を振り翳《かざ》せ!!
 妖気渦巻く戦場《ジャングル》に、吼える野獣の無法者!
 縞の長衣《ガウン》を翻し、奴等の牙を折ってやれ!!
 月に代わって、お仕置きじゃあああっ!
 フハハハハ、(半音上がる)ハハハハハハハハ!!」

 髑髏の顔を持つ筋骨逞しい金色の超人、銀色の杖を揮う英雄の哄笑が響き渡る。
 黄金に黒玉を鏤めた巨大な蝙蝠《バット》が現れ、ニヤリと笑う。
 鉄壁の自制心を開錠する魔法の呪文、鍵《パスワード》が含まれていたのやもしれぬ。
 グラチウスの催眠術、宇宙空間の幻影を震撼させた裏技。
 頭の中の次元が砕ける程の爆笑、凄絶な轟音が弾けた。

 豹頭王を身体の奥底から湧き起こる衝動が掌握、笑死寸前に至り息も詰まる。
 数タルザン後に漸く哄笑の渦が鎮まり、髭を震わせながら声を絞り出す。
「新手の超心理攻撃だな、グラチウス!
 呼吸が続かぬ、俺を殺す気か!!」

「この程度で、己の息が止まる訳は無かろ?
 王は外見からは全く理解出来ぬ程に途方も無い、ひねくれた面白がり屋だ。
 ぬしの腹心、ハゾス・アンタイオスも云っておったぞ。
 ヤーンの如き凄まじい感覚《センス》、ユーモアの持ち主と」

「貴様の話に耳を傾けておれば、あっという間に数千年が経過してしまうな。
 上級魔道師エルム殿、大いに安心した。
 魔王子アモンの気配に留意し、怪しい兆候を感知したら通報してくれ。
 イシュタールに手を出す余裕は無い、と踏んでいるが逆に裏を取るかもしれぬ。

 キタイの竜王も後催眠の術を用い、イシュトヴァーンを操る気配を見せた。
 夢の回廊を完璧に遮断する術は無く、再度の精神攻撃も起こり得る。
 アムネリス王妃、誕生直後の王子が黒魔道師に狙われるやもしれぬ。
 王族の誘拐を企み、キタイに拉致した輩も眼の前に居るからな」

 猫族の瞳を細め、雄弁に横目で一瞥。
 黄金色に輝く髑髏は長い舌を突出し、笑いを誘う仕草で応えるが。
 無表情《ポーカー・フェイス》を貫く豹頭王の仕打ちに、ガックリと首を下げた。
 上級魔道師エルムは宇宙人を見る眼付きを巧みに隠し、淡々と報告を補足する。

「ゴーラ王妃と御子息は私、1級魔道師レインが交代で警護を仕ります。
 部下3名も伴い、カメロン様の御用を務めさせる様に手配致しました。
 下級魔道師カルチウス、サディスは陛下も御存知の或る家族を護送中。
 魔道師1名のみ、宰相の傍に待機しております」

「なるほど、適任だな。
 初めて子供を得た王妃も、彼等が傍らに居てくれれば安心だろう。
 カメロン殿の眼に狂いは無い、最高の人選だと思うぞ」
 豹の眼が光り、深々と頷いた。
 上級魔道師エルムは澱み無く、流暢に言葉を継ぐ。

「イシュタールに到着の直後、宰相の許に参上致しました。
 其の際、カメロン様も同様の事を仰られています。
 元ユディトー伯爵ユディウス・シンは、旧ユラニア領に精通する有能な実務家。
 グイン様の推薦で貴重な人材、最高の能吏を得られたと激賞されています」

「そんな細かい所まで、手を打っておったのか?
 全く隅に置けん、抜け目の無い豹じゃな!」
 眼球を真ん丸に見開き、驚く髑髏首。
 豹の牙が覗き、物騒な唸り声が洩れた。 
 

 
後書き
 『闇の司祭』終盤グインの哄笑で頭が割れてしまう、の苦情(クレーム)で『黄金バット』の笑い声を連想(笑) 

 

遠征準備

「アムネリス母子が無事な事は、良くわかった。
 中原全体に及ぶ事項に関し、カメロン殿と話をせねばならぬ。
 真夜中故に当然、御就寝中であろうが已むを得ぬ。
 不躾ながら即刻の面談を所望する、と伝えてくれ」

 年寄りを邪険にしおって、等とブツブツ呟く闇の司祭。
 グインに睨まれた黄金の骸骨が神妙な表情を繕い、口を噤む。
「かしこまりました」
 上級魔道師エルムは無関心を装い、丁寧に一礼。
 魔道師ギランに遠隔心話を飛ばし、カメロンに報告させる。
 イシュタール北方、クリームヒルドの塔に快男子が現れた。

「グイン殿、貴方と再びお話が出来るとは!
 これこそ、ドライドンのお恵みですな!!」
「一別以来だが、お変わりは無いか?
 壮健そうで何よりだ、御無礼の段は平にお詫びを申し上げる」
 広大な大洋を照らし出す海路の日和、輝く太陽の微笑が溢れた。

「何が壮健ですか、この憔悴し切った顔を良く御覧下さい!
 面倒な雑務を押し付けられて、眼が廻っておりますよ。
 海が恋しい、一介の船乗りに戻る夢を何度見た事か。
 こんな内陸の国なぞ放り出し、脱走して海に出たい。
 そんな思いが募り、鬱積して毎日悶々としておったのですがね。

 元ユディトー伯爵ユディウス・シンを説得してくれて、助かりましたよ。
 ユラニアの誇る軍師殿を送り込んでくれなければ、本当に逃げ出していたかもしれない。
 パロの魔道師も派遣してくれて助かりました、貴方は新生ゴーラ王国の大恩人です。
 オリー母さんが傍に居てくれれば、アムネリスも落ち着くでしょう。
 イシュトが面倒事を引き起こしてるんじゃないか、と心配なのですがね。
 ダーナムで戦った後の状況が掴めず、気を揉んでおりました」

 猫族の丸い瞳がトパーズ色に煌き、誠実な鋼鉄の瞳を覗き込む。
「イシュトヴァーンは夢の回廊、黒魔道の術に不意を突かれ負傷した。
 生死に係わる程ではないが当分の間、大人しく寝ている他は無いと思われる」
 グインは言葉を飾らず、状況を簡潔に告げる。
 カメロンは鋭く息を呑んだが余計な口は挟まず、次の言葉を待った。

「アモンと名乗る黒魔道師が異常に強力な術を用い、クリスタルを制圧している。
 カメロン殿も密偵により御存知の事と思うが、パロでは常識の通用せぬ事態が起こった。
 竜の門と称する黒魔道師、怪物が現れ無辜の民を餌食としている。

 元凶は遙か東方の大国、世界征服の野望に取り憑かれた魔道王だ。
 俺は嘗て死の砂漠ノスフェラスを超え、キタイに赴いた。
 旧都ホータンが無残に喰い荒らされ、人々の蹂躙される有り様も目の当たりにしている。
 キタイの民も親兄弟を喪い深く傷付き、パロを上回る惨状の中で苦痛に喘いでいるが。
 希望を棄てず家族を護る為に立ち、竜王を名乗る黒魔道師に抵抗する者達も多い。

 アモンを倒した後に俺は中原各国に檄を飛ばし、キタイ解放の戦いを始める心算だ。
 パロ魔道師軍団の主、アルド・ナリスも同意している。
 イシュトヴァーンも今回の負傷を経て、敵の力を理解した筈。
 ゴーラ、クム、草原諸国、沿海州諸国、中原各地の自由都市に至るまで使者を出す。
 カメロン殿にも賛同を賜り、キタイ全土の解放に向け準備を進めたいと考えている。

 パロを襲った異常事態を根本的に解決する為には、諸国の大同団結が必要とされる。
 キタイの民を救い、竜の門の恐怖より解放しなければならぬ。
 竜の騎士を実見し脅威を肌で感じた者は皆、賛同してくれている。
 ケイロニア軍も単独では打ち破れぬ故、是非とも御協力を願いたい」
 誠実な海の男は剛い光を放つ瞳を煌かせ、深々と頷いた。

「友よ、御心配は無用です。
 真摯に語る友の言葉を疑う程、私は愚か者ではない心算だ。
 以前に、言いましたね。
 グイン殿を友と呼ぶ機会に恵まれたからには、何としても幸運を死守すると。
 私は、友を裏切らぬ。
 ゴーラ王国は全面的にケイロニア王グイン殿を支持し、キタイ解放の戦いに協力する。
 イシュトヴァーンにも、文句は言わせぬ。
 カメロンの名に掛け、何としても説得して見せますよ」
 漢の確信に満ちた断言を受け、豹の顔が綻んだ。

「カメロン殿、誠に忝い。
 イシュトヴァーンを説得の必要は無い、アルド・ナリスに任せれば良い。
 俺は彼を信頼している、提督と同様にな」
 海の快男子は莞爾と微笑み、剛毅な瞳を煌かせた。

「グイン殿が信頼する、と断言している以上は何も問題は無い。
 イシュトを説得して見せる等と大見得を切らず、余計な心配は止めて丸投げします。
 代わりといっては何だが、私に出来る事があれば何でも仰って下さい。
 もっとも今の私は、陸に上がった河童ですがね。
 ユディウス殿の協力を得て、旧ユラニア領は安定しています。
 彼の献策してくれた数々の施策は実に適切、真に効果的でした。
 旧モンゴール領も、ミアイル王子の誕生で風向きが変わっています。
 クムさえ動かなければ、ゴーラ領に波風が立つ気配は僅少ですよ」

 トパーズ色の瞳が閃き、鋭い光を放った。
「ゴーラ王国の宰相としてだけではなく、カメロン殿にお願いしたい事がある。
 レントの海に其の名を馳せた提督の他に、頼める者がおらぬ。
 俺には手に余ると思われる故、誠に申し訳も無いが。
 厚意に甘え、お願いを聞き届けていただけぬだろうか」
 ヴァラキア海軍の英雄、カメロンの瞳が輝いた。

「何でも気兼ね無く言って下さい、我が友よ。
 グイン殿の出来ぬ事が、私に可能とは思えませんが。
 貴方は無用な世辞の交換、くねくねと曲がりくねった遣取りを好む方ではない。
 煙とパイプ亭では僭越ながら、タヴィアさんに助言させて貰いましたが。
 沿海州の有象無象共を黙らせる汚れ役、憎まれ役ならば喜んで引き受けますよ。
 他に思い付く事は無いが何であれ、友の役に立てるのであれば本望です」
 海の漢は一言ずつ区切り力と心を込め、落ち着いた口調で断言してのけた。

「感謝する、提督。
 中原を狙う黒魔道の蠢動を断つ為、キタイを牛耳る竜王の勢力を退治せねばならぬ。
 パロ解放は前哨戦に過ぎず、竜の門が敷く圧制を打破せねばならぬのだが。
 キタイへ赴くには、ノスフェラスを踏破する事になる。
 アルド・ナリス殿とも話し合ったが、兵站の維持は困難だ。

 古代機械と云えども、1度に転送可能な人員は僅か数人に過ぎぬ。
 竜王の軍勢を破り、キタイを解放するに充分な兵力とは成り得ぬ。
 奇怪な魔力を振るい黒魔道を駆使する輩、竜の門を破る事は出来ぬだろう。
 キタイの商人は遠路遙々、ノスファラスを経て中原を訪れる様だが。
 古代機械の転送、陸路以外の補給手段は欠かせぬものと思われる」
 元ヴァラキアの提督カメロンは話の行く先を察し、理解と納得の色を顔に昇らせた。

「なるほど!
 噂に聞く謎の古代機械は使えず、陸路は駄目。
 となれば残るは海路しかない、と云う訳ですか。
 確かにグイン殿の御手を煩わせるのは合理的じゃない、私が口を挟む余地は有る様ですね」
 我が意を得た、と云わんばかりに大きく頷く黄金に黒玉の戦士。

「流石は提督、御明察だな。
 実に迅速なる思考回路、明晰な洞察力をお持ちだ。
 沿海州諸国、キタイ商人の既得権益の侵害と唱える妨害工作も予想されるが。
 カメロン殿こそ、東方航路の開拓をお頼み出来る稀有の人材と思われる」

「年寄りをおだてた所で、何も出ませんってば!
 全くもう、貴方はとんでもない面白がり屋ですな!!
 私にも段々、わかってきましたよ。
 表情を読ませぬ御顔の奥底には突拍子も無い、えらく捻繰(ねじく)れたユーモア感覚が隠れている。
 様々な物事を密かに諧謔(おちょく)って喜び、大いに楽しんでおられるのだと。
 或る意味、イシュトと同じだ。
 無表情の仮面を被り、喜んでいる悪戯っ子の魂が透けて見えますね!」
 英雄の種族に属する超戦士、海の漢が豪快な笑い声を共鳴させた。

「パロ魔道師20名は、キタイ偵察へ赴く際に海路を選んだ。
 魔力を用いた快速船で海を渡り、怨霊海岸に上陸したと聞く。
 ホータンに向かう途中で彼等は敵に襲われ、パロへの帰還は叶わなかったが。
 志半ばで仆れた魔道師達の魂魄は地縛霊と化し、キタイの地に残留している。
 キタイの魔都フェラーラへ向かう道中で、俺は彼等の亡霊と遭遇した。
 中原連合軍が遠征の際、彼等が味方してくれるのではないか。

 魔道師20名の霊は持てる魔力を駆使し、中原の同胞を護ってくれよう。
 ヤーンの紡ぐ模様(パターン)は複雑に過ぎ、人の子には容易に読み解けぬが。
 キタイ解放の成就せし暁にこそ、彼等の魂も報われ昇天の機会を得るのではないか。
 俺は、そう、信じている」
 海の快男子は感じ入った様に深々と頷き、剛毅な瞳に敬虔な光を浮上させた。 

 

英雄の種族

「良く、わかりますよ。
 北の怪物クラーケンに操られる幽霊船姿は、私も目撃しました。
 タルーアンの女戦士、イシュトと共に闘いました。
 クラーケン消失の際、ゾンビー達が解放された事も知っている。
 彷徨える魂は解放され昇天するであろう、私は確信を持って断言する事が出来ます。

 御要望、確かに承りました。
 キタイ航路へ出張った事はありませんが、沿海州には顔馴染みも居る。
 私も、海は恋しい。
 何度、オルニウス号に乗り再び海に出る夢を見た事かわかりませんしね。
 イシュトさえ納得してくれれば、私に異存は有りません。
 直ぐにでも沿海州へ飛び、キタイに頼らぬ独自の東方航路を探索してみますよ」
 カメロンは敬虔な口調で呟き、賛同の意を表した。

「恩に着る、提督。
 イシュトヴァーンは生命に別条無いとは云え、傷が癒えるまで暫く動けぬ。
 クリスタル解放戦に参加すると言い張るだろうが、当面の間は治療に専念せざるを得ぬ。
 性急な彼と云えども、無謀な行動を起こす心配は無いものと思われる。
 パロにて負傷を癒した後に、イシュタールへ帰還する事となろう」
 グインは穏やかな口調で説明を補足し、カメロンが大きく頷いた。

「助かります、我が友よ。
 イシュトを見張るのは、えらく骨が折れますからね!
 アルド・ナリスは腹の読めぬ男、警戒を要する策謀家と認識していましたが。
 貴方が保障してくれるのであれば、心配は致しません。
 イシュトを、宜しくお願いします。
 ゴーラ国内については私より、ユディトー伯の方が詳しいですから。
 貴方の御蔭で安心して後を任せ、後顧の憂い無く沿海州に行けますよ。
 ロータス・トレヴァーン公爵は道理の分かる人物ですが、アグラーヤはどうしたものかな。
 ボルゴ・ヴァレン王の娘婿に反旗を翻した相手、アルド・ナリスに協力するとは思えません」

 カメロンの疑念に丸い耳を傾け、注意深く聞き取るグイン。
 トパーズ色の瞳に思慮深い光を浮かべ、力の籠った口調で応える。

「クリスタルで対面の際、或る程度までは置かれている状況を理解出来た。
 レムスは竜王の支配下にあるが、何とかして束縛を逃れようとしている。
 俺は彼を数日の内に捕らえ、魔道師の助力を得て解放する心算だ。
 アルミナ王妃を同時に奪還すれば、アグラーヤ王の協力も得られるのではないかな」
 有能な外交官の一面を垣間見せ、興味深い表情で新たな情報を咀嚼するカメロン。
 国際情勢に通じた実務家、グインに劣らぬ策謀家の貌が顕れた。

「アグラーヤ王ボルゴ・ヴァレンが賛同すれば、トラキア・イフリキアも動く。
 ライゴールは老獪だし、レンティアも一筋縄では行かんでしょうが。
 当面の間は静観を決め込み、表立って反対の動きは見せぬと思います。
 キタイへの遠征に重要な役割を果たすのは、タリア伯爵領ですね。

 タリア伯爵ギイ・ドルフュスの妹姫、アレン・ドルフュス。
 レントの白バラ、タリア水軍の守り姫と謳われる彼女の名は海の兄弟に知れ渡っています。
 モンゴール再興の際に彼女は軍船10隻と約2千の兵を率い、ロス港を陥としている。
 トーラスに駆け付け、アムネリスと意気投合し義姉妹の誓いを立てたと聞きます。
 アムネリスに会わせろ、と先日から打診されているのですが。
 監禁同様の王妃と合わせる訳にも行かず、突っぱねていました」

 豹頭王の面に何故か苦渋の色、気遣わし気な気配が漂った。
 心中に過ぎるは悲しみの乙女、精神的自立を忌避する王妃シルヴィアの面影か。
「王子が誕生したと聞いたが、アムネリスは監禁されているのか?」
 晴れやかな海の表情がカメロンの面に現れ、グインの憂悶を洗い流した。

「御心配は無用です、我が友よ。
 アムネリス自殺の可能性もあったのですが、何とか免れました。
 現在は母子共々、クリームヒルドの塔で静養しています。
 グイン殿が派遣してくれた魔道師の御蔭で、精神的にも落ち着いていますよ。
 オリー母さんが傍に居てくれれば、赤ん坊の扱いも安心して任せられます。
 ダンの嫁さんにも、男女の双子が産まれましてね。

 自分と同じ様に初めての赤ん坊を抱える若い母親、相談相手が側にいれば心強い筈。
 共通する悩みを持つ女性同士、良い友となってくれるのではないかな。
 親戚でも居れば良いのですが、従姉妹の姫達は処刑されてしまいましたからね。
 弟も叔父も暗殺され、モンゴール大公家は1人も生き残っていない。
 苦楽を共にしたお気に入りの侍女が居る筈ですが、何処かへ失踪してしまっている。
 魔道師に調査して貰えば、発見出来るんじゃないかと期待していますがね」
 トパーズ色の瞳が瞬き、不可思議な色が虹彩を過ぎった。

「新都イシュタール北方に面するクリームヒルドの塔か、真に良い名だ。
 氷雪の女王から受けた恩恵を、イシュトヴァーンは忘れておらぬのだな。
 ヨツンヘイムを治めるクリームヒルドは、黄金の心を持つ真の女神だ。
 辛酸を舐めた母子を守護し、幸運を齎してくれるだろう。
 千年を生きた氷の女王、クリームヒルドには俺も多大な恩恵を蒙った。
 特に、目を開かせて貰った点でな。
 彼女の叡智に満ちた助言が無ければ、俺は未だに豹面の下の素顔を求め彷徨していただろう。
 中原の人界を避け獅子国シムハラを訪ね、南方暗黒大陸へ渡っていたかもしれぬ」

 優しく温もりに満ちた笑顔、暖かい微笑を投げ掛ける氷の幻影。
 氷雪の女王クリームヒルドの光り輝く笑顔が鮮明に、グインの脳裏へと蘇った。
 王家に生を受けた女性の宿命、シルヴィアとアムネリスの心闇を克服する銀の鍵。
 己の数奇な運命を恨む事無く、明るく前向きに捉える希望の力。
 無辜の民の1人でしかなかった少女、千年女王クリームヒルド。
 絶望を希望に変える光の可能性が、彼女の生き様に体現されている。

「1人の女に出会って、運命を。
 1人の女に出会って、王冠を。
 1人の女に出会って、自分自身を見出すが良い。
 俺は或る夢の中で未知の存在に、3人の運命の女に出会うと予言された。
 最初に出会う運命の女は、パロの王女リンダを指すかと思っていたが。
 氷雪の女王クリームヒルドとの出会いこそが、己の運命を見出す発端であったかもしれぬ。

 暁の女神5人姉妹の1番末の妹、ランドシアの女神アウラ・シャーからも諭された。
 己の素顔とランドックの謎に囚われず、己を受け容れてくれる人々との縁を大切にせよとな。
 中原を守護しキタイ解放の戦いに至る軌跡は、クリームヒルドが齎してくれたものだ。
 人目を避ける豹面の俺に己の裡なる恐怖を怖れず、人の世へ一歩を踏み出す力を与えてくれた」
 豹頭王の瞳に不思議な色が過り、カメロンも頷いた。

「ヤーンは奪い給い、また与え給う。
 煙とパイプ亭で、初めてお目にかかった時を思い出しますね。
 アムネリスは肉親の姉であるかの様に、アレン・ドルフュスを慕っています。
 彼女が納得すれば実の兄、ギイ・ドルフュスも動く。
 タリア伯爵領は東方キタイ航路の要、全面的な協力が必要不可欠でしょう。
 早速、クリームヒルドの塔に招待しますよ」
 沿海州の英雄と視線を交わし、グインは重々しく頷いた。

「魔都と化した中原の真珠、クリスタルの解放は前哨戦に過ぎぬ。
 アモンを聖王宮より追放した後、真の戦いが幕を上げる。
 レムスの異変を見破った賢者、アルド・ナリスは鍵を握る存在だ。
 彼は魔道師軍団を率い、キタイ解放の戦いに全面的な支援協力を確約している。
 カメロン殿の御助力を得られれば、キタイの民に平和を齎す事も夢ではない。
 竜の門を追い払う為、キレノア大陸の東西に跨る戦いが始まるだろう。
 宜しく頼む、提督」

 信頼の置ける盟友から視線を外し、傍に頷く豹頭王。
 即座に意を察し、頭を下げる海の漢。
 中原の二大勢力を代表する政略家、英雄達の遠距離心話が途切れた。 

 

治癒の感触

 魔王子アモンの術に陥り、心を閉ざした騎士達の前で。
 アルド・ナリス最愛の弟、吟遊詩人の若者が歌い始める。

 君は、1人じゃない。
 僕が、傍に居る。
 決して、君を見捨てはしない。

 現世への関心を喪い、凍り付いた心の内部に。
 マリウスの優しい歌声、キタラの旋律が浸透する。
 アモンの施した黒魔道の術を透過して、温もりが伝わる。

 氷が、少し、溶ける。
 永久凍土の様に、総てを拒絶する鎧。
 凍り付いていた感情が、融ける。


 暖かい歌声が響き、また少し、氷が溶ける。
 感情が甦り、癒され、昇華する。
 氷の熔けた分だけ、重量が減る。

 バランスが変わり、心が微かに揺れる。
 僅かに動いた心の隙間から、歌が浸透する。
 温もりが伝わり、凍り付いていた感情が融ける。

 様々な感情の解凍、溶融、昇華。
 サイクルが繰り返され、少しずつ、闇が薄れる。
 感情が昇華し、心の重量が変化する。


 眼が見えず、耳も聴こえず、泣く事しか出来ぬ赤子。
 無限の闇に包まれた孤独な魂を温め、慰藉を与える《もの》。
 不安と恐怖の底無し沼から、赤子を救い出す唯一の手段。

 抱き締める事で《心》を癒し、護ってくれる暖かい感触の様に。
 マリウスの歌が響き、沁み込んでゆく。
 アモンの植え付けた残留思念、罠を匿す(カーテン)が揺れる。

 透明な実体を持たぬ歌の響き、マリウスの声が《心》を癒す。
 赤子を抱擁する暖かい感触の様に、凍り付いた感情を融かす優しい歌声。
 音の精霊が《心》を蝕み、縛り、凍らせる頑強な《くびき》を(ほど)き始める。


 ヤンダル・ゾックの操る黒魔道の術、異次元の微生物。
 本人も気付かぬうちに脳細胞を喰い荒し、廃人と化す《胞子》の様に。
 心を蝕み、活力を奪い、生命力を萎えさせる魔物の様に。
 心の養分を吸い取り、無限に増殖する悪性の癌。

 心の闇に潜み、他の部分にも密やかに忍び込み、浸蝕して領域を拡げる《悪の種子》。
 無限に繰り返される連鎖を創り、活力(エナジー)を奪う(マイナス)の思考回路。
 人の心を闇に導き、実体を持たず、眼に見えない精神生命体。

 誰にも気付かれず、夢の回廊を通じて植え付けられた魔術(マジック)の種。
 アモンの分身が増殖、拡散、浸蝕を繰り返した《心》の裡に。
 マリウスの歌が響き、光の波動と化し、呪縛を熔かす。


 凍り付いていた感情が蠢き、闇が薄れる。
 光の波動が増幅され、拡散して、心を隅々まで照らし出す。
 心が温かい感触、太陽の波動で満たされる。

 グラチウスが迂闊に暁の魔女、アウラの名を口にした時の様に。
 グインの裡から爆発的な《パワー》が溢れ、《生涯の檻》を吹き飛ばした時の様に。
 闇にしか棲み得ぬ無数の影、亡霊、怨霊達が消え失せた様に。
 マリウスの歌、光の波動が溢れ闇の領域を満たしていった。

 解き放たれた感情達が集い、渦巻き、心を蘇らせる。
 己の裡に引き篭もり、項を垂れていた勇者達が顔を上げる。
 この世の果て、カリンクトゥムの扉を開く鍵の様に。
 マリウスの歌が、心の扉を開く。


 深々と静まり返る深い森林を思わせる静寂の中、マリウスは一曲を歌い了えた。
 アル・ディーンの名を捨てた吟遊詩人は己の分身、キタラを抱き直す。
 豊かな音色の和音に続いて、澄んだ歌声が流れ出す。

 サリアの娘。
 誰もが知る古い民謡、中原に普遍の子守唄。
 憧れと希望、優しさと温もり。

 枯れ果てたかと思えていた豊かな感情が蘇る。
 何処までも何時までも尽きる事の無い、人を恋ゆる想い。
 明るく暖かな感情が己の裡に湧き出で、マリウスの歌と共鳴する。


 サリアの娘を歌い終わり、カルラアの化身は唇を閉ざした。
 誰もが息を殺し、声一つ立てる事の無い夜の荒野。
 喰い入る様に見詰める数万の人々の視線を物ともせず、キタラが再び掻き鳴らされる。

 ふるさとの緑の丘。
 キタイから帰国の途中、セムの村に逗留した際に披露した謡。
 中原の真珠パロよりも北の大地、ケイロニアに相応しい唄。
 生命力に溢れる豊かな森を髣髴とさせる詠唱が、心に沁みる。

 尽きる事の無い豊かな歌声が、夜の闇に響き渡る。
 魔道師達の暗示作用が齎す音響効果、共鳴と反響が波動を増幅。
 心に直接、光が注ぎ込まれる感覚。
 感情の大波が時の封土を打ち壊し、生命力に溢れる海の潮が満ちる。


 君は、1人じゃない。
 僕が、傍に居る。
 僕は決して、君を見捨てはしない。

 力強い歌声が、心の奥底に響き渡る。
 自己否定の陥穽、滅びの風へ誘う狡猾な罠。
 精神寄生体の陥穽を打破り、生命力を甦らせる希望の光が射す。

 心を震わせる歌の力、感動を呼ぶ波動の相乗作用。
 生命力と活力を齎す、光の協奏曲。
 激しく燃え盛る感情の交響曲が響き、心の琴線に触れる。


 人は皆、1人では何も出来ぬ。
 各々が足りぬ力を補い合って、初めて何事かを成し得る。
 誰しも、全くの無力ではない。
 各人は其々、何等かの力を持っている。

 或る者は、希望を持ち続ける勇気を。
 或る者は、人の幸福を祈る真心を。
 或る者は、真理を解明する知性を。
 或る者は、戦う為の実力を。
 或る者は、全体を調整する平衡感覚を。
 或る者は、冷徹な判断力を。

 或る者は、理想を追求する強い意志を。
 或る者は、人を信じる心を。
 或る者は、夢を実現する行動力を。
 或る者は、人を許す毅さを。
 或る者は、論理的思考を形造る理性を。
 或る者は、人を労る優しさを。


(我々も王と共に、キタイへ戦いに参ります!)
 戦う意志を持てぬ程、心を折られた戦士達は数万に及ぶが。
 エルファの宣誓と共に、記憶が甦る。
 心の底から溢れ出した真摯な想い、感情は偽りに非ず。
 衝動は無気力と絶望の檻、奸計と陥穽の罠を克服する原動力となった。

 豹頭王と共に黒魔道から、中原を護る事を誓った勇者達。
 ケイロニアの騎士達は再び、剣を掲げた。
 パロ聖騎士団、カラヴィア軍、ゴーラ軍。
 マリウスの歌を聴いた人々の瞳に、涙が溢れる。

 アモンが操る夢の回廊、心を腐蝕し生きる気力を打ち砕く魔術。
 深刻な打撃を被り傷付いた心を癒し、生きる希望を回復させる歌声。
 悪夢を統べる女神ヒプノス、魔王子アモンの対極に位置する存在。
 心に無限の光を注ぎ込む運命の王子、カルラアの戦士が歌の力を実証した。


 アルド・ナリスも流れる涙を拭う事を忘れ、マリウスの歌に聞き入っていた。
 異母弟の奏でる豊穣な協奏曲が記憶の扉を開き、封印していた悔恨の感情を甦らせる。
 アル・ディーンの真心を射止めた相手、ミアイル公子に対する強烈な嫉妬。
 自分を捨て、薄幸な公子と共に生きる事を選択した弟への恨み。

 唯一人の弟の帰還を渇望するも、再会の勇気を持てぬ真の理由。
 ミアイル公子の暗殺を命じ、アル・ディーンを犯人に仕立て上げた悔恨。
 憎まれて当然の命令を下したが故の、消える事の無い罪悪感。
 兄弟再会を妨げる元凶、再び捨てられる恐怖に怯える自己防衛本能。

 歌声が、優しく語りかける。
 君は1人じゃない、僕が傍に居る。
 僕は決して、君を見捨てはしない。
 力強い歌声が、心の奥底に響き渡る。


 歌を聴いていたのは、兵士達だけではなかった。
 グインの要請を受けた魔道師達は再び、思念波を同調。
 声の届く範囲の外でも、人々の心に歌を響かせていた。

 パロ、ゴーラ、ケイロニア、沿海州、草原地方、自由国境地帯。
 心話を受け取った各地の魔道師達もまた、マリウスの声を増幅して送り出す。
 己の能力に応じ、力の届く限り数多の人々に歌を贈る。

 エルファ、サラミス、マルガ、ダーナム、カレニア、マリア。
 マリウスの歌が夜の闇を貫き、数多の心に響く。
 カラヴィア、サラエム、シュク、アルム、ジェニュア。
 クリスタルの一部にまでも、歌は届いた。

 心話の連絡網(ネットワーク)に乗り、様々な場所に暮らす人々の心に、マリウスの歌が響き渡る。
 それは中原を黒魔道の闇から解き放つ暁の光、カルラアの翼かもしれなかった。 

 

老帝の祝福

 吟遊詩人マリウスの歌を聴き、決意を新たにする北の強国ケイロニアの勇者達。
 同行する新生ゴーラ王国の若き戦士達、神聖パロ改めパロ解放軍の騎士と兵士達。
 両軍を率いるゴーラの冷酷王イシュトヴァーン、パロ解放軍の指導者アルド・ナリス。
 ヨウィスの民の血を引くひばり、妾腹の王子アル・ディーンの歌は両者の心にも響き渡った。
 其処にいたのは血塗られた中原の風雲児、ゴーラの僭王イシュトヴァーンではなかった。
 心魂を揺さぶる歌は時空を超越し紅の傭兵、ヴァラキアのイシュトヴァーンを甦らせた。
 歌は魔戦士にまざまざと、或る記憶を鮮明に想い起こさせていた。

 己が王となる予言を実現するべく軍資金となる伝説の財宝を求め、氷雪の国へ挑んだ冒険の数々。
 ヨツンヘイムへの入口を塞ぐ門番≪ゲート・キーパー≫、三つの頭を持つ伝説の魔犬。
 無敵の守護獣の心を宥め、眠りへと導いた伝説の歌い手オフィウスの再来。
 氷雪の国へ赴いた3人の放浪者、豹頭の傭兵グインと冒険を共にした第3の男。
 吟遊詩人マリウスの歌声に呼び醒まされた数多の記憶が再び、脳裏に映し出された。

 賭博師クルド、気の良いヴァラキアの娼婦達。
 風変わりなミロク教徒の少年ヨナ、ふとっちょオリー。
 黒い伯爵ラドゥ・グレイ、マグノリアの娘。
 時空連続点≪クロス・ポイント≫であったかもしれぬ、ヨツンヘイムへ至る洞窟と同様。
 ヴァラキアのイシュトヴァーンは我知らず、滂沱と流れ落ちる涙を意識していなかった。
 尽きせぬ追憶の旅に誘われ、ゴーラ王たる己を忘れ去っていた。

 神聖ゴーラ最後の皇帝サウル終生の御座所たる嘗ての帝都、哀しみの城塞都市サルヴィナ。
 旧ユラニア大公国の紅都アルセイス、いや新生ゴーラ王国の新都イシュタールにも歌は届いた。
 嘗てユラニアを影から操った薄情な旧支配者、闇の司祭グラチウスの発する強力な念波。
 パロ上級魔道師エルス率いる下級魔道師達が五芒星陣を組み、遠距離心話が受信された。
 マリウスの歌は魔道師達に増幅、中継≪リレー≫されイシュタールから溢れ出す。
 奔流と化し新生ゴーラ王国の領域≪エリア≫を覆い、人々の心に共鳴し響き渡った。

 嘗てのモンゴール大公国領も例外では無く、主都トーラスの下町にも歌は響く。
 アレナ通りの人々は煙とパイプ亭に一時、身を寄せたマリウスの記憶を鮮明に甦らせた。
 人懐こく愛嬌のある茶色の瞳を煌かせ、喝采を浴び楽し気に歌う巻き毛の吟遊詩人の姿を。
 ゴダロ一家は旅の途上にあり、店は閉ざされていたが。
 ケイロニア皇女オクタヴィア、パロ王子アル=ディーンの愛娘マリニアが誕生した産院。
 粗末な産婆の家に、人々は集った。

「新王子ミアイル様も誕生され、何時の日にかアムネリス様と共にトーラスへ御越しになる。
 此の国は滅びないぞ、俺達の手で必ず復興させるんだ!
 モンゴールの為に!
 モンゴールの為に!!」
 誰からとも無く洩れた呟きは、瞬く間に居合わせた全員に広がった。
 何時しかトーラス全市を包む、巨大な唱和の声と化した。

「ふうん。
 何の裏も無い贈り物に値するのは、ダンだけじゃなかったんだな。
 此の街はもう、殺す者に命脈を絶たれた筈なんだけど。
 何とか出来る、かもしれないな」
 故郷≪ふるさと≫を愛する想い、恩賞代償を求めぬ人々の祈りを聞いたのかも知れぬ。
 たそがれの精霊、ジンの呟きが風の中に消えた。

 新たな息吹に満ちた新生ゴーラ王国の新都、イシュタールの北に位置する小さな搭。
 クリームヒルドの塔では魔道師に伴われ、2組の来客が到着しアムネリスの許を訪れた。
「まぁ、アレン御姉様!
 海から遠く隔てられた此の場所まで、駆け付けて来てくれるなんて!!」
「アムネリス、可愛い義妹!
 元気な貴女と赤子の顔が見れて嬉しいわ!!」
「本当に良い御子ですよ、私をお側にお呼び頂いたからにはもう大丈夫ですからね!
 風邪ひとつ、ひかせやしませんとも!!」

「頼もしいね、私も大船に乗ったみたいに安心して見ていられるよ。
 パロの魔道師が現れた時には何事かと思ったけど、来て良かった。
 アムネリスが援けを必要としていると聞いて、兄が止めるのを振り切って来たのだけれどね。
 此方の娘さんは双子を産んだのかい、小さな体で大したもんだね!」
「羨ましい、私も今度は双子が欲しいわ。
 女の子を2人、もう名前まで決めているのよ!」
「へぇ、気が早いね!
 何と云う名前か、聞いても良いかしら?」
「不幸にして15と17でヤーンに召された、従姉妹達の名前を貰うの。
 アエリアとマリスの分まで、私が幸せにしてみせるんだから!」

「そうですとも!
 こんなに別嬪さんなんだからね、み~んな幸せになりますとも!!
 あぁ、すみません!
 つい、無礼な口をきいちまって!!」
「そんな事は気にしないで、他人行儀な喋り方をしたら怒るわよ!
 ケイロニアの姉姫だって、『タヴィア』って呼び捨てにしていたんでしょ?
 カメロンから聞いたわ、分け隔て無く一緒に家族として暮らしていたって。
 私とも家族になってくれる、って言ったじゃないの。
 大公様なんて言わず、私の事は『ネリス』って呼びなさい!
 約束よ、オリー母さん」

 おずおずと口を開きかけたオリーの気配を、研ぎ澄まされた聴覚が察した。
 長年共に暮らし、呼吸を熟知するゴダロが機先を制し口を挟む。
「口答えするな、ばばあ。
 大公様が仰られているんだ、言われた通りにしねぇか。
 ユナス様だって伯爵なんか面倒だ、靴屋の方が気楽で良かったと仰ってただろう。
 大公様の家族になってやってくれ、とカメロン様にも頼まれたじゃねえか。
 タヴィアさんと同じだと思え、てめえも言ったろうがよ。
 『ケイロニアの姫様なんか知らないよ、あんたは私の嫁のタヴィアだともね』ってな」

「流石は、カメロンだな!
 私からも御願いするよ、是非ともアムネリスの家族になってあげてね。
 王族なんて孤独なものだからね、情けない話だけど身内が1番信用出来ない。
 パロを見て御覧よ、沿海州だって似た様な有様だけどねえ。
 ヴァラキアに人を遣って調べたんだけど、ふとっちょオリーって馬鹿な王弟が居てね。
 アンダヌスに唆されて、聡明な兄王に取って代わろうと画策してるみたいだ。

 トラキア自治領のオルロック伯爵も似た様なもんだね、怪しい動きを見せてる。
 ヴァラキア・イフリキアと並び称される兄弟国の筈だけど、イフリキアも同じだね。
 南方航路の通商権を巡り、ヴァラキア王に任命されたイフリキア総督が暗躍している。
 女アンダヌスと通称されるレンティア女王、ヨオ・イロナも一枚噛んでいるふしがある。
 カメロンに教えたら、飛び上がって驚いたよ。

『俺がゴーラで忙殺されてる間に、其処まで事態が悪化してたのかい!
 グインから連絡があったのはヤーンの慈悲、ドライドンの思し召しだったな!!
 俺は直ぐにでもヴァラキアへすっ飛んで行かにゃならん、暫く此処に逗留して貰えないか?
 アムネリスが落ち着くまで貴女に居て貰えれば、大変助かるんだが!』だってさ」

「ええっ、カメロン様は沿海州へ行かれるんですか!?」
「ああ、元々カメロンは海の男だからね。
 彼には海が似合う、私も大賛成だよ。
 私がふとっちょオリーを張り倒して、眼を覚まさせてやっても良いんだけど。
 事もあろうに私をオリー・トレヴァーンの嫁にくれないか、と云う馬鹿話があるのさ。
 交換条件としてカメロンに話を葬ってくれ、と頼んだら大笑いしてたけどね!
 当分の間は此処に居座らせて貰おうかな、と思っているのだけど構わないかしら?」
「勿論、何時までだって居てくれて構わないわ!
 サリアに誓って魂の姉妹ではあるけれど、本当の家族になって欲しいと願っているのだから!!」

 クリームヒルドの塔に集った真心の持ち主達、光の公女を囲み談笑する家族にも歌が響く。
 14歳で薄幸の生涯を閉じたミアイル公子の好む白鳥の歌、サリアの娘。
 歌は誰よりも良く、眼の見えぬゴダロの心に響き渡った。
 もう聞く事は無い、と思っていたマリウスの歌が心の奥底に沁み入る。
 初めて煙とパイプ亭を訪れた時の唄、靴屋のユナス伯爵に伴われ金蠍宮へ向かう後姿が甦る。

 ミアイル公子が暗殺された夜、煙とパイプ亭に現れた際の苦し気な表情。
 身重のオクタヴィアを伴い、再び煙とパイプ亭を訪れ再会の喜びを齎した際の笑顔。
 同じ屋根の下で暮す息子の嫁、タヴィアから誕生した孫娘マリニアの笑い声。
「寿命が、延びるな」
 ゴダロの唇から、呟きが洩れた。

 嘗てケイロニアの豹頭将軍グインが軌道を交え、訃報に接した際に黙祷を捧げた仁者。
 獅子心皇帝アキレウスが尊敬の念を込め、高い評価を贈った神聖ゴーラ帝国の皇帝。
 己の人生を捧げ、ゴーラ三大公国の人々に平和を購った真の支配者。
 サウルの温顔が遥かな高処から、3人の赤子と一家団欒の肖像を見守っていた。 

 

交渉の基本

 イーラ湖の東岸に連なり、鬱蒼と生い茂る森の中に暁の光が射す。
 水の匂いも漂う空気、静寂を破り穏やかな声が響く。
「俺が戻るまで、進軍は禁じる。
 夢の回廊を開く鍵、催眠薬の香気は薄れた。
 アモンの術は破れ、魔道師達も再度の襲撃に備えている。
 策を講じて戻り次第、一気に敵を叩く!」
 各軍の指揮官達は動揺を隠し、表情を引き締めた。
「今度は不覚を取りません、必ずや信頼に応えて見せます!」
 黒竜将軍トールが断言し選帝侯ディモス、金犬将軍ゼノン、ガウス准将も頷く。

 ゴーラ軍も動かず、深傷を負った国王の姿は陣中に無い。
「俺の部下共は、豹の大将に任せる。
 大丈夫さ、マルコ。
 ひょっとしたら、血を流す奴は出ねぇかもしれねぇな。
 奴は頭が切れやがるし、1人で敵の巣窟に乗り込むのが好きだからよ。
 あっと驚く様な手で、クリスタル全部、丸ごと片を付けちまうんじゃねぇか?
 心配は要らねぇ、そういう点じゃあ、絶対に期待を裏切らねぇ奴なんだ」

 イシュトヴァーンは冗談交じりに嘯き、マルコの目を白黒させたが。
 ゴーラ王が先陣争いに固執すれば、面倒な外交問題に発展しかねない所だった。
 パロ聖騎士団・カラヴィア軍・ケイロニア軍、ゴーラ軍の緊張は無視出来ない。
 敵に惑わされ同士討ちとなった場合、多数の犠牲者を出す確率も高い。
 無責任な放言は兎も角、イシュトヴァーンの下した判断は状況に適するものであった。

 アルド・ナリス、ヴァレリウス以下数名の魔道師達は既に姿を消している。
 数ザン前に閉じた空間の術を起動し、サラミスの古代機械に向かった。
 上級魔道師ギールと数名の部下達が念を凝らし、閉じた空間の結界を開く。
「頼むぞ。
 トール、ゼノン、ガウス、ディモス」
 微かな呟きを残し、豹頭王の姿が風の中に消えた。


「お呼び立てして申し訳ありません、グイン殿。
 重要と思われる事柄があります、リンダが思い出してくれました。
 古代機械を介した精神接触、心象《イメージ》を御覧下さい」
 唇を閉ざした儘、健気に微笑む暁の后。
 トパーズ色の瞳が煌き、感謝の視線を投げる。
 第13号カイサール転送機の備品《オプション》、念話増幅装置が輝く。
 数タルザン後、予知者の《記憶》が勇者達に託された。

「私の知らない所で、頑張ってくれたのだね。
 リンダのお陰で、必要な情報《データ》は揃った。
 クリスタル奪還の術、アモンの謎を解く鍵も」
 冷静な声が響き、リンダの瞳が輝く。

「素晴らしいわ、ナリス!
 私の頭では理解できないけれど、パロは救われるのね!!」
 リンダを抱擁する良人、グイン、ヨナ、ヴァレリウスの視線が交錯。
 北の豹、ランドックのグインが4人を代表して口火を切る。

「グラチウス、出て来い!
 どうせ結界に姿を隠し、聞き耳を立てているのだろう?
 姑息な真似はやめ、姿を現せ!!」

 痛烈な面罵にも等しい宣告に驚き、紫色の瞳を瞠る聖王妃。
 対照的に顔色を変えず、暗躍者の登場を待つ解放軍の指導者達。
 白魔道師の結界は無力、との指摘にも等しいが。
 ヴァレリウスも実力の差は弁えており、仏頂面の儘で無言を貫く。
 グインの獅子吼に応え闇の司祭、暗黒魔道師連合の総帥が登場。
 悠然と一同を見回し、豹頭の追放者を睨み付ける。

「失礼な豹めが、己には学習能力が無いのか!?
 何度も言わせるな、老人には敬意を払わんかい!
 わしは世界三大魔道師の一角、現世に留まる最強の人間じゃぞ!
 己は先刻承知かも知れんが、少し位は楽しませてくれたって良いじゃないか!!」
 八百と十四歳の若者は憤然と喚くが、年齢不詳の戦士は歯牙にも掛けぬ。
 尚も言い募ろうとする闇の司祭を遮り、一瞬で沈黙させた。

「ナリス殿と俺は魔王子アモン打倒の為、古代機械を使って聖王宮に転移する。
 お前が希望していた通り、彼奴を退治する絶好の機会《チャンス》だぞ。
 精神生命体が真に消滅したかどうか、貴様自身で確かめてはどうだ?」
 グラチウスは珍しくも咄嗟に言葉が出ず、眼を白黒させて黙り込む。
「そりゃあ願ってもない、喜んで同行するさ!
 アモンの畜生め、には煮え湯を飲まされたからな!!
 何も無い世界に放り込まれ、ユリウスの様に干乾びる所だった!
 奴が真に消え失せたか、見極めてやろうじゃないか!!」
 飄々と嘯き、気紛れな猫の様に豹変する闇の司祭。
 鉄面皮を崩さず、冷ややかに眺める豹頭の戦士グイン。
 悪戯っ子の様に微笑み、他人事の様に両者を見比べる第2王位継承権者アルド・ナリス。
 ヨナ・ハンゼは瞳を伏せ、懸命に無表情を保つ。
 ヴァレリウスは散々、煮え湯を飲まされた先達の醜態に溜飲を下げた。


「透視透聴の術を自在に操る老師なれば、既に御存知であろう。
 俺は現在只今の情勢に鑑み、古代機械の自爆命令を設定した。
 作動条件は第二管理者《セカンド・マスター》に対する精神干渉、思考操縦、意識誘導だ。
 推定影響範囲は謎の古代王国ハイナム、草原地方、ミロク教の聖地ヤガ、沿海州も含む。
 死の砂漠ノスフェラス誕生、三千年前の星船墜落と帝都カナン潰滅に匹敵する。
 古代帝国ハイナム全域も含め、キレノア大陸の西半分は死の砂漠と化すだろうな。
 キタイの竜王は道連れに出来ぬが、中原の全住民が精神寄生体の奴隷になるよりは良い。
 パロ聖王国を代表してナリス殿が提案され、新生ゴーラ王国の宰相カメロン殿にも同意を得た。
 アキレウス大帝には申し訳も無いが、ケイロニア王国に関しては俺が責任を負う。
 クム大公国や沿海州諸国、草原地方や自由国境地帯の自治領は同意を得ておらぬが已むを得ぬ。
 キタイの民を蹂躙する異世界の精神集合体を駆逐する為、別の調整者が現れるだろう。
 俺は中原を守護する調整者として面倒な精神生命体を駆除する為、相討ち共倒れを厭わぬ!」

「やめんか馬鹿たれ、おのれは限度と云う物を知らんのか!
 ナリスもナリスじゃ、掟破りの馬鹿者を嗾けてどうする!!
 虚仮脅かし《ハッタリ》や虚勢《ブラフ》の類も時と場合に拠る、好い加減にせんかい!」
 曲がりくねった杖を振り廻し怒号する齢814歳の若者、グラチウスの狂態に眼を丸くする2人。
 ヨナとヴァレリウスの観察結果を、古代機械の念話増幅装置が中継。
 ナリスの思考が閃き、グインと視線を交錯。
 パロ聖王国を代表する策謀家は優雅に首を傾げ、涼しい顔で呟く。
「白魔道師を魔道十二条に縛られる茶坊主、と宣った老師の御言葉とも思えませんね。
 ドールに剣を捧げた地上最強の黒魔道師、老師様は何時の間に転向されましたので?」
 ヴァレリウスの唇が震え、自称816歳の若者は年甲斐も無く喚いた。

「この裏切り者め、笑っとる場合か!
 貴様も魔道師ギルド、白魔道師の一員だろうが!!
 魔道十二条を破れば重大な副作用を呼び、己の身を滅ぼす事ぐらい知っとるわい!
 人の事を散々、黒魔道師の横紙破りと非難しおって!!
 腹黒い狸め、地獄に墜ちろ!」
「私は老師の足許にも及ばぬ若輩、か弱い善良な白魔道師に過ぎませんです。
 人類を代表し異世界の精神集合体、侵略者と闘う英雄に心底より敬意を払います」
 皺だらけの顔を真っ赤に染め、美の裁定者を糾弾する老魔道師。
 大先達の狂態を眺め、梟の如く惚ける魔道師軍団の実質的指揮官。

「やかましい、人の揚げ足を取って喜ぶな!
 貴様は真面目が取り柄と思っとったが、グインやナリスと変わらん!!
 世も末じゃ、まともな魔道師は儂だけじゃないか!」
 トパーズ色の瞳が煌き、豹頭の戦士は吼える様に哄笑。
 涼やかな笑い声を響かせる美の裁定者、アルド・ナリス。
 失笑を湛え、敬愛する主を注意深く見守る参謀長ヨナ・ハンゼ。
 深い溜息を吐く魔道師軍団の実質的指揮官、ヴァレリウス。

「諸々の事前準備は総て完了したもの、と愚考致します。
 この辺で茶番は御仕舞い、と致しましょうか。
 噂に高い魔王子、アモンも聖王宮の奥処から一部始終を見ていた事でしょう。
 キタイの反乱鎮圧を急ぐ竜王も、古代機械は喉から手が出る程に欲しい筈。
 現在只今より我々は聖王宮の一角、ヤヌスの塔が匿す地下格納庫に転移します。
 リンダには、マルガに残って貰いますがね。
 地上最強の魔道師殿、如何されますか?」

「ふん、返答するまでもあるまい。
 人類最強の黒魔道師、グラチウス様が退く訳には行かんよ。
 やりすぎではあるが、予防措置は有効じゃ。
 キタイの竜も、中原全域を破滅させる度胸は有るまい。
 口車の天才と精神生命体の決闘、心理戦《サイコ・バトル》は見逃せん」
 水晶の様に見える銀色の壁が滑らかに開き、リンダに退室を促す。
 ヴァレリウスの思念波、心話を受け魔道師達が陣形を整える。
 古代機械の外壁が音も無く開き、再び閉じた。

 光の船が煌き、微かな震動と共に姿を消す。
 聖王宮一帯を覆う闇の領域、結界が震えた。
「古代機械の転移、帰還に貴様が気付かぬ筈は無いだろう。
 アモン、姿を現せ!」
 グインの挑発に続き、古代機械の《声》が響く。
( 以前レムス・アルドロス1世に憑依、接近を試みた精神波を探知。
 質量の計測は不能ですが、サイコ・パターンが一致しています )
 ナリスと目配せを交わし、悠然と微笑む長身の偉丈夫。
 ヴァレリウス、ヨナも頷く。
 興味津々の態で周囲を見廻し、何も気付いておらぬ風を装う闇の司祭。
 爛々と輝く瞳は如実に擬態を裏切り、内心を暴露している。

「シルヴィア奪還の後、俺は蜃気楼の娘と遭った。
 《種子》を孵化させる為、怨霊を贄とした情報が真実であれば。
 お前の裡にも帝都カナン破滅の模様、情景が宿っているのではないか?」
 古代機械の壁が煌き青い光、赤い光の複雑精緻な模様を映す。
 ヤヌスの塔に匿された地下通路、空気が虹色に染まる。
 頭上に異様な物体、巨大な円盤状の星船が現れた。