ストライクウィッチーズ1995~時を越えた出会い~


 

第一話 1995年

 
前書き
タイムスリップ系のストパンSSです。
アニメも劇場版も終わったのにいまさら何を、って感じですが、よろしければお付き合いください。
あ、ストパンのラジオはまだやってるんですよ! 

 
 ――1995年4月 扶桑皇国、小美玉市。

 春先の爽やかな風が、満開の桜を吹雪かせて流れてゆく。
 首都東京からそう遠くない距離にある茨城県小美玉市。そこにある、扶桑皇国空軍基地――百里基地。民間機の乗り入れをも認めた珍しい形態で知られるこの飛行場に、目を眇めて満開の桜を眺める少女が一人。

「……うん、いい風だ」

 風に揺れる黒髪を片手で抑えながら言う彼女の名は『沖田和音』
 扶桑皇国空軍第7航空団第305飛行隊所属の航空魔女である。

「今日は気持ちよく飛べそうだな」

 扶桑海事変より半世紀以上、欧州を中心に繰り広げられた第二次ネウロイ大戦から数えても決して短くない年月が過ぎた現在。数々のエースウィッチを輩出してきた扶桑皇国の在り方は、長い年月の間に随分と様変わりしていた。
 扶桑海事変や第二次ネウロイ大戦を戦った人物らが一線を退き、その息子や孫たちが活躍するようになった時代。街並みや服装といった庶民的な面はもとより、既存の陸海軍に加えて空軍が誕生したのも社会の大きな変化であったといえるだろう。
 かつて空を支配した、宮藤理論の申し子であるレシプロストライカーは姿を消し、今や超音速で風を切り裂くジェットストライカーが主流となっている、そんな時代。

「午後はリベリオンとの合同演習だっけ……久々にF-14とかF-18が見られるといいな」

 そしてもう一つ。
 何よりも大きな変化が、ネウロイという脅威が既に過去の物として忘れられかけている事だった。
 無論、ネウロイの脅威は未だ地球上から消えていない。
 しかし、主戦場が扶桑になることなく半世紀以上が過ぎ、積極的な支援を行った第二次ネウロイ大戦もほぼ終結し、今や復興と発展の時代だ。残るネウロイの脅威は、南アフリカの一部地域と、太平洋上の群島に位置する小規模な拠点が数か所。それから南アメリカの一画に小規模な巣があるという程度だ。
 こういう言い方をすべきではないのかもしれないが、扶桑に生きる人間にとっては、たとえ知識として有してはいても、所詮は海の向こうの他人事としか感じられなくなっていたのである。

「そろそろ休憩時間も終わりかな? 急いで戻らなきゃ」

 訓練の合間に設けられた休憩時間もそろそろ終わりだ。腕時計で時間を確認した和音は、芝生の上に置きっぱなしだった愛読書を拾って立ち上がる。午後からは友好国であるリベリオンとの合同演習だ。

「今回は何機撃墜判定を出せるかな……フフン。扶桑の力を見せつけてやるんだから」

 空軍の所属であることを示す軍服をはためかせながら駆ける和音。既に訓練生ではなく一人前のウィッチであるが、未だ実戦の経験はない。それどころか、教官の中にだって実戦を経験していない人間がいる時代なのだ。

『――百里基地第305飛行隊各員へ。本日の合同演習は予定通り行われる。速やかに所定の場所へ移動するように。繰り返す――』

 基地から響くアナウンスが、訓練開始の時刻が迫った事を教えている。
 空を飛ぶ喜びに胸を膨らませながら、和音は基地の格納庫へと駆けて行った。





 ――百里基地 ストライカーユニット格納庫前

 首都防空を主任務とする第305飛行隊は、必然的に要撃任務を意識した訓練が多くなる。しかし、それだけではなく他国の軍とも共同で訓練を行う事がある。
 今回の訓練は、ウィッチ同士による模擬戦闘と、編隊飛行訓練、要撃訓練が主体になる。
 まず、訓練に協力してくれたリベリオン海軍の空母からウィッチが発進。それを百里基地から発進した和音らが迎え撃つ、という形だ。所定高度への到達時間や、編隊飛行の練度、各種兵装の訓練射撃を行った後、実戦的な模擬戦へと移るのである。

「ふむ、沖田少尉は随分とヤル気のようだな、ん?」
「い、いえ! そのようなことは……」

 今や遅しと出番を待っていた和音の隣にやって来たのは、第305飛行隊の隊長であった。厳しくも優しい、細かいことを気にしない彼女を慕う隊員は多く、バレンタインや誕生日ともなれば部隊員のみならず一般の男性兵士からも贈り物が届くという。

「ははあ、さてはまた相手を叩きのめす気だな?」
「もちろんです! 扶桑皇国魔女の力を見せてやります!」

 模擬戦での勝率が高いのはウィッチとして優秀な証だ。少なくとも和音はそう思っている。
 実戦経験こそないものの、和音の訓練における成績は優秀であった。
 使用するユニットは『F-15J』である。元々はリベリオン製のジェットストライカーであり、それを扶桑の実情に合わせて改修したものだ。開発から二十年近い年月が経つにもかかわらず、堅実かつ拡張性の高い設計と、優秀な基本性能が評価される傑作機である。

「威勢が良くて結構。だがしかし、油断と慢心は命取りだぞ? それを忘れるな」

 この隊長も実戦を知らない世代だが、自身の祖母が扶桑海事変以降の大戦でその名を轟かせたエースであったのだという。彼女の口から語られる教訓は、他の教官や上官以上の説得力があった。

「空を飛ぶ人間は常に空を畏れるべきだ。それを忘れたら最期、無惨に地面へと叩きつけられる」

 どこぞの蝋の翼と同じさ、と付け加えると、隊長はほおを緩めて語りだす。

「だが、ウィッチにとって空は第二の故郷だ。自分の体で風を切って飛ぶあの感覚は、それは気持ちいいものだ。陽光に煌めく海の蒼など、もう言葉では言い表せないな」

 不意に照れくさそうな笑みを浮かべて隊長は言う。

「……コホン。まあ、なんだ。常に油断せず、思いっきり飛んで来いと言う事だ。期待している」
「はい! ありがとうございました、隊長!」
『沖田少尉! 発進準備!』

 格納庫中に響き渡る指示に、和音はあわてて愛機に飛びつく。
 魔法力が体の内を駆け巡り、大切な相棒たる使い魔を憑依させる。和音の使い魔はオオワシだった。魔法力の発現とともに、側頭部からは雄々しい羽が、臀部からも可愛らしい尾羽が飛び出てくる。
 基地の人間は和音の事を指して〝オオワシ使いのF-15乗り〟と呼んでいるが、なかなかにうまい表現かもしれない。

「さあ、待ちに待った出番だ。行ってこい、沖田!」
「はい!」

 開け放たれた格納庫の扉から滑走路に進入し、所定の位置につく。
 すでに相手のウィッチは発艦してきている。つまりはスクランブルを想定しているわけだ。

「こちら沖田。発進準備完了。いつでも行けます!」

 管制官に無線を送る和音。スクランブル発進はスピードが命だ。

『了解。沖田少尉、発進どうぞ』
「行きます――――ッ!!!!」

 魔道エンジンに目一杯魔法力を流入させ、蒼海を臨む滑走路を滑り出す。
 かかる加速に歯を食いしばり、十分に機速を稼いだところで一気に上昇に転じた。

「はあぁぁッ!!」

 気合の叫びも高らかに上昇し、先に発進した隊の仲間と合流する。そのまま編隊を維持し、発艦してきたリベリオンのウィッチを迎え撃つ。ここからが――本番だ。

『所定高度への到達を確認。両ウィッチ部隊は模擬戦闘を開始せよ』

(――来た!!)

 要撃訓練である以上、当然〝迎え撃つ〟ことも要求される。
 つまり、模擬戦闘というワケだ。

(扶桑魔女の力を見せてやる!!)

 和音がそう勢い込み、主武装である『JM61A1』を構えようとした、まさにその時だった。

「あ――れ……?」

 おかしい。体に力が入らない。
 視界がグルグルとまわりだし、酷い吐き気がこみ上げてくる。
 チカチカと視界が明滅し、眩暈に体がふらついてしまう。

(そんな、体調不良はなかったはずなのに……)

 緊張の所為だろうか? いや、違う。
 眩暈はますます酷くなり、目を開けている事すら辛くなってくるほどだ。
 不意に、和音の意識が遠のき始めた。その感覚はちょうど、眠りに落ちるというべきか、はたまた水底に沈むようなというべきか、ともかく全く奇妙な感覚であった。
 しかし、飛行中に意識を失うことは死に直結する。如何なウィッチといえど、上空から真っ逆さまに落下して無事でいられる保証などあるわけがない。
 だというのに、文字通り真っ逆さまに落ちてゆく和音の頭にそんな危機感は欠片もなかった。むしろ安らかさと優しさを感じるほどだ。何故だろうか、恐怖感など微塵も感じないのだ。

(ああ……なんて、気持ちいい……)

 ――最後に。
 視界を埋め尽くす空の蒼に恋い焦がれながら、和音はゆっくりと自らの意識を手放した。


 それが、和音にとって大きな運命の分かれ道であるとも知らずに――
 
 

 
後書き
【設定・用語解説】 作中における設定などを解説しようかなぁ、と。

『F-15J』
お察しの通り元ネタは空自のF-15J。
ここではリベリオンのジェットストライカーをライセンス生産した、という扱い。
ミサイルの類はユニット内部の異空間に格納しているという設定です。 

 

第二話 タイムスリップ

 
前書き
一話だけでは何とも寂しいので連続投下。
書き溜めてあるとはいえ、諸事情で更新は不定期気味でありまする。 

 
 ――1945年 春

「くっ……! ネウロイ確認! 距離12,000!!」
「さ、坂本さん!」

 欧州ヴェネツィアへと向かう二式飛行艇の中で、坂本美緒と宮藤芳佳は激しい衝撃に歯を食いしばっていた。
ブリタニアでの激しい戦いから約半年。ようやくガリアに平和が訪れたと思った矢先、ヴェネツィア上空に新たなネウロイの巣が出現したのだ。
これを受けた扶桑皇国海軍は、直ちに緊急支援作戦を決定。坂本美緒と宮藤芳佳を乗せた二式飛行艇がロマーニャへと向かっていたのだが、到着目前というところでネウロイに捕捉されたのである。

「くそぅ……奴ら、エンジンを狙ってやがる……!!」
「今は退避だ!! 急降下して振り切れ!」
「やってみます!」

 こちらを獲物と見定めた大型航空ネウロイが執拗に攻撃を浴びせてくる。
 空の要塞と謳われた二式飛行艇であっても、ネウロイの攻撃ではひとたまりもない。
 むしろ、エンジンを一基潰されてなお飛んでいられることが僥倖といえる。

「土方、近隣のウィッチ隊に増援を要請しろ!」
「ダメです! 第504部隊は先日の戦いで戦力を消耗、ヴェネツィアからは航続距離不足との回答が……」
「航続距離不足……だと……!?」

 歯噛みする坂本。このままではジリ貧ではないか。
 ブリタニアでの戦いの折、シールド能力の減衰が顕著となった坂本が空戦を挑むわけにはいかない。小型相手ならいざ知らず、弩級の大型ネウロイが相手では勝負など最初から見えている。
 近隣部隊からの救援は期待できず、飛行艇である二式飛行艇にまともな攻撃力などない。ウィッチである坂本もシールドが張れないのでは満足に戦うことができない――

「坂本さん! 私が行きます!」
「宮藤……ダメだ、お前一人では危険すぎる」
「でも、私は守りたいんです! この力でたくさんの人を守るって決めたんです!」

 依然としてネウロイの猛攻は続いている。必死に機体を振って射線から逃れるのもそろそろ限界に近い。操縦士の腕によって永らえてはいるが、いつ撃墜されるかは分からないのだ。

「……わかった。ただし、無理だと思ったら退け。絶対に……死なないでくれ、宮藤」
「はい! 任せてください、坂本さん!」

 縋るような瞳の坂本に大きく頷くと、宮藤は積んであったストライカーユニット――零式艦上戦闘脚に脚を突っ込み、魔法力を解放する。使い魔を憑依させ、舞うようにして大空へと身を躍らせる。

「行きます!!」

 無骨な20mm機銃を腰だめに構える宮藤。雨のように降り注ぐネウロイのビームをシールドで捌きつつ、隙をついて反撃する。既に一人前といっていい見事な機動も、かなしいかな、如何せん火力が足りない。あれだけのネウロイを相手にするのであれば更なる攻撃力が必要だ。

「守ったら負ける……攻めるんだ!!」

 シールドにかかる重圧を跳ね除け、再度反撃する宮藤。
 背後には無防備な二式飛行艇をかかえた中で、見事といっていい戦いぶりだった。
 しかし――

「――ッ!! 宮藤、後ろだッ!!」
「え!? きゃあああ――――っ!!!!」

 一瞬の意識の乱れを突かれた宮藤は、背後から放たれたビームを捌き切る事が出来なかった。
 正面からまともにビームの直撃を浴び、たまらず宮藤の小さな体が吹き飛ばされてしまう。

「宮藤ィ――――ッ!!!!」

 突風に弄ばれる木の葉のように落ちてゆく宮藤の体を、坂本は背筋が凍りつくような思いで見ている事しかできなかった。何もかもが緩慢で、堕ちてゆく宮藤の顔さえあんなにはっきり見えるというのに、自分は何一つしてやる事が出来ない――

(誰でもいい……)

 ネウロイの巨躯が再生によって回復してゆく。
 驚異的な再生力の前では艦砲射撃ですらただの玩具に成り下がる。

(誰でもいいんだ……あいつを、宮藤を……ッ!!)

 唇を噛み切らんばかりに悔しがる坂本の絶叫が空に響く。

「誰かあいつを助けてくれ――――ッ!!!!!!」





「う……ぁ……」

 耳元で風が轟々と鳴っている。腹の底が抜けたような加速感。
 それは、航空ウィッチが最も嫌う感覚であり状態だった。

(――落ちている!?)

 目を開けるよりも早く自分が自由落下していることを悟ったのは、まさしく空に生きる者の本能であったと言えるだろう。もっとも、辺り一面雲だらけで、ここがどこなのかは全く分からなかったのだが。

「ここは……一体……!?」

 ストライカーのエンジンが停止している。装備状態が勝手に解除されないよう緊急装置が働いたらしい。が、このままでは姿勢を立て直すことすら叶わずに墜落死するだけだ。

「魔道エンジン再始動!! 緊急停止装置を解除、制御を使用者に移行!!」
 
 叫ぶように言い放つと、自身の両脚を包む愛機が息を吹き返してくるのを感じた。
 和音の頭が覚醒し始め、同時に冷静さが戻ってくる。ユニットがまだ生きているのであれば、絶対に希望を捨てないこと。訓練生時代に叩きこまれた鉄則である。

「お願い……動いて!!」

 その願いを聞き届けたのか、和音の愛機であるF-15Jが頼もしい唸りを返してくれる。魔道エンジンの再始動に成功したのだ。これで墜落の心配はない。魔法力によって形成されたシールドが風圧を和らげ、体に活力を与えてくれる。

「それにしても、此処は一体どこなんだろう……?」

 見たところ雲の上のようだが、と和音は首を捻る。今回の要撃訓練では事前に天候のチェックが行われていて、雲はないと伝えられていた筈だ。だとするなら、自分が訓練空域からはみ出したのか。それならそれで基地からの通信があっていいようなものだろうに……

「ダメだ……通信もGPSも軒並み使い物にならなくなってる……」

 正確には、通信は生きているものの拾える周波数が送られてきていないようであり、GPSは信号をキャッチできていないようなのである。レーダーは一応のところ機能しているようだが、現在位置を特定するには情報不足だった。

「ユニットは問題なし、武装と火器管制もオールグリーン……ダメなのは電装系? でも機体コントロールと火器管制に異常はないし……」

 ともかく、一刻も早く訓練に戻らねば。仮にここが民間人の住宅街の上空だとしたら後々面倒である。和音は耳元のインカムを片手で抑え、周波数を全周波に切り替えて通信を飛ばす。

「こちら、扶桑皇国空軍第7航空団第305飛行隊所属、沖田和音少尉。百里基地、聞こえますか?」
『………………………………』
(おかしい……応答がない? そんな馬鹿な)

 基地の無線が捉えられないような場所にいるとでもいうのだろうか?
 訝しげな表情を浮かべた和音は再度通信を試みる。

「こちら、扶桑皇国空軍第7航空団第305飛行隊所属、沖田和音少尉。百里基地、聞こえますか? リベリオンウィッチ隊、応答してください」
『……ら、扶桑……軍…所属、坂……少佐……在、ネウロイ……救援を……』
「っ!?」


 耳元のインカムに途切れ途切れな通信が届く。しかし、この切迫した雰囲気は何だ?
 和音が眉を寄せたのも無理はない。途切れがちな通信の中で、相手ははっきりと『ネウロイ』という単語を口にした。これではまるで本当にネウロイが攻めてきているみたいではないか。ネウロイ大戦など既に終結した過去の記録に過ぎず、いかに演習とは言えそこまでの演出をしようものなら逆に文句を言われるはずだ。
おまけにいったいいつの時代の通信機を使っているのか、音質も最悪だ。1940年代ならいざ知らず、ニュー・ミレニアムを目前とした90年代のウィッチとは思えないほどお粗末だ。倉庫で埃をかぶっているような訓練機だってもう少しマシな筈だ。

(いったいどこの訓練生なの? まさか訓練中に空域に入ってきた?)

 機位を逸したどこかの訓練生が、合同演習の空域に紛れ込んできたに違いない。いらだちも露わにした和音が、魔道エンジンを大きく吹かして急降下する。
 雲の上では一向に位置がつかめない。ともかく、周囲を見渡せる雲の下に出なくてはどうにもならない。依然として耳に響く通信を聞き流しながら、和音はぐんぐん高度を下げていった。

 ――そして彼女は出会う事となる。
 遠い時の果てに忘れられた、儚くも勇敢で美しい、伝説の魔女たちと。
 
 

 
後書き
【設定・用語解説】 今回は主人公のお話

主人公:沖田和音(おきたかずね) 
年齢:14歳 
使い魔:オオワシ
所属:扶桑皇国空軍第7航空団第305飛行隊所属
固有魔法:魔眼(感知系魔法の一種。遠距離視と夜間視の複合型)
使用ユニット:F-15J


……とまあこんな感じでございまする。 

 

第三話 邂逅

 
前書き
妄想IFが炸裂しておりまする。
 

 
「こちら、扶桑海軍所属の坂本美緒少佐。現在、ネウロイの襲撃を受けている。至急、救援を求む! 繰り返す。こちら、扶桑海軍所属――」
「少佐! 宮藤さんが!!」

 藁にも縋るような思いで通信機に怒鳴り続ける坂本。見る見るうちに近づいてゆく海面は、そのまま宮藤の死を意味していた。シールドもなしに海面に叩きつけられればどうなるか。自分の教え子がそんな風になるところなど、考えたくもない。
 ――その時だった。

『こちら……扶桑、軍所属……第7航空……05飛行隊所属……沖田…尉』
「ッ!! 救援か!?」

 僅かに入った通信が希望をつなぐ。
 付近を哨戒中のウィッチだろうか? まさしく僥倖ともいうべき天の助けだ。

「哨戒中のウィッチへ! こちらは扶桑海軍の坂本少佐である! 現在ネウロイと戦闘中。至急、救援を求む!」

 はたしてその祈りが通じたのか、宮藤を狙うネウロイの直上の雲が裂け、矢のようにして急降下してくる機影があった。坂本は右目を覆う眼帯を払い除け、目を凝らした。〝魔眼〟と呼ばれる彼女の右目は、はるか遠くの物体であろうと手に取るようにはっきり映し出すことを可能とする。
 固唾をのんで見守る坂本の目に映ったのは、両の足にユニットを装備した、紛れもない航空ウィッチの姿。脚に履いたユニットには、見慣れた扶桑の紋章がある。

「救援か!」

 坂本は小さく拳を握りしめて叫んだ。
 見る見るうちに距離を詰めてゆく名も知らぬウィッチの軌跡を、その魔眼に焼き付けながら――





「ここは……いったい……?」

 雲を突き抜けた先、和音の視界に飛び込んできたのは、一面見渡すばかりの海の蒼。自らが飛び立った基地はおろか、ともに訓練に参加していた筈の同僚たちやリベリオンのウィッチらの姿もない。茫漠と広がる海だけが、和音の眼前にあった。

「あ、あれは!!」

 ――いや、その表現は正しくないだろう。
 より正確に言い表すならば、茫漠と広がる青い海と、黒光りする謎の巨体が和音の眼前にあった。

「まさか、本当にネウロイなの!?」

 どうしてこんな扶桑の近海に……と和音は呆然と呟く。和音にとってネウロイとは、記録の中だけでしか見る事の無い、遠い昔の存在だった。だがしかし、今目の前で悠然と飛翔するそれは、どこからどう見てもネウロイではないのか。
 そしてさらに、目を凝らせば着水したまま動かない飛行艇と、まさに海面に叩きつけられようとしているウィッチがいるではないか。たとえ状況が理解できずとも、扶桑のウィッチとして取るべき行動はただ一つだった。

「間に合え――――っ!!!!」

 エンジンを目一杯吹かし、パワーにモノを言わせて急降下する。ネウロイ……らしきアレはまだこちらに気がついていない。ならば、横ざまからあの落下するウィッチを救出することができるはずだ。

「行けえぇぇッ!!」

 エンジンの爆音を轟かせ、和音は黒いナニかの脇を高速ですり抜け、まさに海面スレスレまで落下してきていた小柄なウィッチを抱き留める。訓練などでもやった事の無い、ある意味奇跡的な救出劇だった。

「よかった……無事みたい……」

 安堵の息を吐く和音。あまりに必死過ぎたせいか、はたまた極度の緊張と集中から解放されたせいか、腕に抱えたウィッチのストライカーがどう見てもレシプロなことや、今では使われなくなった下士官用の制服を着ていることなどこれっぽっちも気がつかない。

『馬鹿者ッ!! 何をしている、さっさと避けろッ!!』
「え……うわあっ!?」

 突然、耳元で雷のような怒号が炸裂し、和音は反射的に抱き留めたウィッチを抱えたまま体を大きく横に投げ打っていた。
 瞬間、今まさに和音がいた空間を、赤い光が薙ぎ払っていったではないか。

「そんな……まさか、本当に……?」

 愕然とした和音が上空を仰ぎ見れば、体表面を赤く発光させた黒鉄の巨体――ネウロイが、とてつもない威圧感と共に和音を追ってきているではないか。

(…………やるしか、ない!)

 和音は実戦を知らない世代だ。そんな彼女が、素早く判断を切り替えられたことは驚嘆に値しよう。海面スレスレを這うように飛ぶ和音は、機速を稼ぎつつ武装の確認と安全装置の解除を行う。

(安全装置解除……全システムオールグリーン……行ける!)

 訓練を思い出せ、と念仏のように頭の中で繰り返す和音。

「JM61A1バルカン……よし……AIM-9サイドワインダー……よし!」

 信を託す武装の状態を確認し、腹の底で深く深呼吸をすると、和音は覚悟を決めた。
 人間一人を抱えている以上、手持ち武装であるバルカンを使うことはできない。
 ――ならば。

「……いけ、AIM-9サイドワインダー発射!!」

 途端、ユニットの側面が展開し、主翼下から勢いよく筒状の何かが射出された。
 これぞジェットストライカーの主兵装にして代名詞――短距離誘導ミサイル『AIM-9サイドワインダー』である。
 放たれたそれは、やおら空中で反転すると上昇に転じ、上空を塞ぐようにして飛翔するネウロイに向けて殺到する。その数4発。

「あたれ!!」

 はたして独特の軌跡を描いて飛ぶ弾頭は、狙い過たずネウロイの巨躯を直撃した。
 盛大に爆発したミサイルは、その破壊力を如何なく発揮し、大型ネウロイの体を木っ端みじんに粉砕した。

「はぁ……はぁ……勝った、の……?」

 粉雪のような破片になって降り注ぐネウロイの残骸を見て、和音の口から力ない呟きが零れた。腕に抱えたウィッチが急激に重くなったように感じる。知らずこわばっていた肩の力を抜いて、和音は大きく息をついたのだった。






「……どうやら2人とも無事らしいな。しかし、今の攻撃は一体なんだ?」

 戦闘の様子を着水した二式飛行艇の翼面から見守っていた坂本は、魔眼に眼帯をつけなおして安堵の息を吐いた。しかし、安堵と同時に疑念が頭をもたげてくる。今しがたネウロイを撃墜したあのロケット砲のような兵器、あんなものは今まで見たことがない。

(海軍の試作兵器か?)

 救援に駆けつけてくれたらしい名も知らぬウィッチは、上空で待機した状態であたりをきょろきょろと見回している。坂本が手を振ってやると、どうやら気がついたようでまっすぐこちらに向かってきた。
 と、そこへ――

『こちらカールスラント空軍所属、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐。美緒、聞こえる?』
「この声! ミーナか!?」

 坂本の耳に懐かしい戦友の声が飛び込んでくる。
 驚きとともに空を仰ぐと、果たしてそこにはかつて肩を並べて戦った、第501統合戦闘航空団のメンバーらが飛んでいた。どうやら、救援にやって来てくれたらしい。

『ごめんなさい、美緒。救援に遅れてしまって……』
「いや、いい。どうやらあそこにいるウィッチに助けられたようだからな」
『……?』

 そうこうするうちに、名も知らぬウィッチがぐんぐん近づいてくる。
 位置を示すように手を振る坂本は、この後に待ち受ける衝撃を知らないでいた――






「えっと……?」

 ともかく、どこかに降りて状況を掴まないと。
 緊張から解放されて呆然としていた和音の頭に浮かんだのはそれだった。加えて、気を失っているらしいこの小柄なウィッチもどうにかしないといけない。

「……って、なんで今時レシプロストライカーなんて履いてるんだろう?」

 たしかに、新人訓練の過程で使われないことがないわけではないが……
 それに、先ほど戦ったのは間違いなくネウロイではないか?
 そもそも、ここは一体どこだというのだ?

(ダメダメ、冷静にならなくちゃ)

 ともかく、誰か人はいないか。
 きょろきょろとあたりを見渡すと、着水した飛行艇の翼面に立つ誰かが大きく手を振っている。どうやらこちらに来いと言う事らしい。さらに、その向こうからは9人ほどのウィッチとおぼしき人影が近づいてきている。

(そうだ、あの人に事情を説明してみよう)

 和音はそう思い、速度を緩めて飛行艇に近づいてゆく。
 距離が縮まるにつれて、翼面に立つ人の顔が徐々にだがみえてくる。

「………え?」

 そこで、奇妙な違和感を覚えた。
 和音は思い出す。自分は、あそこに立つ女性を――ウィッチを知っている。
 面識などない。それでも、その顔には見覚えがあったのだ。

(まさか……いや、でも……そんなことが)

 不意に、和音の脳裏にとんでもなく突飛で馬鹿げた仮説が浮かび上がった。
 だがしかし、それは決してありえない、あり得る筈のない状況の筈だ。
 まさか、自分は――

「おーい! おーい!」

 大きく手を振る女性。すでにその顔は和音にもはっきりと見えていた。

「さ……坂本……美緒……少将……」

 扶桑ウィッチに知らぬ者はいない伝説の戦乙女。
 〝リバウの三羽烏〟そして〝大空のサムライ〟と呼ばれた大エース。大戦初期から常に第一線で活躍し、その勲功は扶桑随一と謳われた扶桑の英雄。ガリア、そしてヴェネツィアを解放した第501統合戦闘航空団の戦闘隊長であり、そののち欧州駐在武官を経て扶桑本国で空軍の設立に尽力した、和音にとっては憧れでもあったウィッチの1人――
 だがそれは、記録の中にしか存在せず、すでに歴史、過去となった人物であるはずだった。
 しかし、和音の目の前に、確かにいる。

「救援感謝する。私は、扶桑海軍所属の坂本美緒少佐だ。すまないが、所属と階級を教えてもらえないか?」
「あぁ……ええっと……その……」

 混乱し、しどろもどろになる和音。
 何やら訝しげに表情を歪める坂本は、しかしそこにやって来た新たな人影を認めて頬を緩めた。

「美緒!」
「ミーナ! 久しぶりだな」

 やって来たのは、赤い髪をなびかせた、レシプロユニットを装備したウィッチだった。
 さらにその後ろには、まだ8人ほど、同様にレシプロユニットを履いたウィッチが待機している。彼女らの顔を1人ずつ見たその時、遂に和音の頭の中にあった違和感が確信へと変わった。

「貴方が美緒を助けてくれたのね……感謝するわ。私は、カールスラント空軍所属、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐です。貴女がいなければ2人がどうなっていたかわからないわ。本当に、ありがとう」

 上品な微笑みと共に手を差し出され、半ば夢心地でそれを握る和音
 ひょっとしたら夢ではないかという淡い望みは、確かな温かさと掌の柔らかさによってあっさりと突き崩されてしまった。

(ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中将……そんな、どうして……)

 元第501統合戦闘航空団隊長にして、現カールスラント空軍中将。アドルフィーネ・ガランド大将らと共に、ジェットストライカー技術と運用法を確立させた立役者。〝カールスラントの女侯爵〟とまで謳われた伝説のウィッチが、今和音の目の前にいる。だがそれも、本来ならばすでに歴史となったはずの人物だ。

「そういえば、随分変わったユニットね。扶桑の新型機かしら?」
「ふむ……いつかヘルマ曹長が言っていたジェットストライカーのようにも見えるな。実物は見たことがないが、完成していたのか?」
「え~? もう完成してたの? ウルスラからな~んも聞いてないよ?」

 混乱する和音を置き去りにしてしげしげとユニットを見つめる3人組。
 和音は自分の所属を告げることも忘れて、思わず上ずった声を上げていた。

「み、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐!!」
「な、なにかしら?」

 いきなり珍妙な叫び声を上げた和音に驚きつつ、ミーナは先を促してくれた。

「し、失礼ではありますが、現在は西暦何年の何月何日でありますか!?」

 もし、万が一、和音の脳裏に浮かんだ仮説が正しければ、今現在の時間は――

「貴女、もしかして扶桑のウィッチかしら? ふふっ……宮藤さんといい、美緒といい、扶桑のウィッチは本当に面白い人たちばっかりね」

 育ちの良さを感じさせる柔らかな微笑みを浮かべるミーナ。向き合うもの皆を安心させる聖母の如き微笑みは、しかし今の和音を安心させるにはいささか力不足だった。いや、むしろ逆効果だったかもしれない。

「今日は1945年の4月3日よ? 面白いことを聞くのね」

 ああ、神様――
 自分の脳裏に浮かんだ仮説がこの上なく正しかったことを悟った和音は、どうしようもない虚無感から体中の力が抜け出てしまった。

「お、おい! 大丈夫か?」
「うわ! この子飛びながら気絶してるよ、トゥルーデ!」

 徐々に暗くなってゆく視界のなかに、いつか教本で見たウィッチらの顔が写りこむ。
 そして和音は確信した。
 

ああ――自分は過去の世界にやってきてしまったのだ、と。





「よっと……む、意外と重いぞ……?」
「ダメよトゥルーデ、そんなこと言っちゃ」
「でもすごく大きなユニットだね。私たちのより二回りくらい大きいんじゃない?」

 ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケとゲルトルート・バルクホルン、それにエーリカ・ハルトマンの三人は、器用にも飛んだまま気絶するという珍芸を成し遂げた和音を、半ば抱きかかえるような格好で、着水していた二式飛行艇に降り立った。顔立ちや口調から扶桑人であると判断したためである。扶桑人の扱いなら、同じ扶桑人である坂本に任せるのがよいと思ったのだ。

「どうかしら、美緒。何か分かりそう?」
「……いや、ダメだな。少なくとも私と同じ海軍の所属ではなさそうだ」

 二式飛行艇の翼面に寝かされた和音を囲む十二人のウィッチたち。
 彼女らの中で、和音が未来人であると気がついている人間は皆無だった。

「なぁ少佐。このまま海上に留まるのは危険だ。とりあえず、基地に帰還してから考えないか?」

 豊かな胸を揺らしながら言ったのはシャーロット・E・イェーガー大尉。彼女もまた、和音の時代では伝説的なウィッチである。

「それもそうか……土方、二式で基地まで飛行は可能か?」
「問題ありません。中へお入りください」

 その言葉を受けて飛行艇に乗り込むウィッチたち。エンジンのうち一基が潰されているとはいえ、単純な飛行だけならば問題ない損傷だった。
 和音と第501統合戦闘航空団の面々を乗せた二式飛行艇がゆっくりと海面を滑り出し、やがてその巨体を宙に舞いあがらせる。目指すは欧州ヴェネツィアのロマーニャ基地。
 時空を超えた迷子を乗せた二式飛行艇は、ゆっくりと夕焼けに染まった空を飛翔してゆくのだった――
 

 

第四話 ロマーニャ基地①

 
前書き
ルビの振り方がイマイチよーわからん。
まあ、ないなら内で仕方がないのだけれども。

そういえば、ギルティギアの新作が決定したとか。
まったくこれっぽっちもストパンと関係ないですが、個人的にはめちゃめちゃテンションが上がる今日この頃です。 

 

――ロマーニャ基地 基地司令室

 基地に飛行艇が到着してから数時間。辺りはすっかり暗くなり、夕食と入浴を終えたウィッチらは、自室で思い思いに消灯までの時間を過ごしていた。
 そんなロマーニャ基地の司令室に、なにやら深刻そうな面持ちで集まる面々がいる。隊長であるミーナと、戦闘隊長である坂本。それから、隊の中核戦力を成すバルクホルンとシャーリーの両大尉だった。

「……さて、一体どうしたものかな」
「やっぱり、美緒と同じ扶桑のウィッチだと思うのだけれど……」

 話題となっているのは、当然のことながら和音の事だった。意味不明な問いを発して気絶した和音をそのままにしておくこともできず、ひとまずここロマーニャ基地に運び込んだのだが、その後からはちょっとした騒動だったと言っていい。

「扶桑人であることは確かだろうが、海軍でも陸軍でもないな。それに、あんなユニットは見たこともない」

 気絶した和音を医務室に運び、さて身元は何処だろうという話になったのだが、これが一向に判らない。少なくとも扶桑人であることは確かだが、着ている服も現行の陸軍や海軍とは全く違うものだ。
 そして極め付けがストライカーユニットだ。それとなく整備班に触らせたところ、どう考えても現行の技術で作られたユニットではない、などという前代未聞の返事が返って来たのである。

「ところでリベリアン。帰って来てからあの未知のユニットを弄り回していたようだが、何か分かったのか?」

 腕組みをしたバルクホルンが言うと、いつもは朗らかなシャーリーが珍しく気まずげに答えた。ウィッチでありながら自身のユニットに独自の改良を加えるなど、ユニット関連の技術に一家言持つシャーリーは、整備班と共に和音のユニットを弄っていたのだ。
 が、しかし。

「いやそれがさぁ、見た目は確かにジェットストライカーっぽいんだけど……」
「ふむ、それで?」
「正直言うと、よく分かんないんだ」

 あんなユニット見たことないよ、と付け加えるシャーリー。
 自身のユニットをカリカリにチューンしているシャーリーである。大抵のユニットは触ればある程度の事がわかるものなのだが、今回に限っては全く手ごたえがなかったという。

「ジェットストライカーはまだ開発中の軍事機密よ。カールスラント以外で理論の完成があったとは聞いていないのだけれど、どうして扶桑のウィッチが?」
「私に訊かないでくれ、ミーナ。さすがにまだ扶桑でもジェットストライカーの開発はしていないはずだぞ? 開発されるとしたらもっと先の話だろうな」

 ミーナは坂本に対して話を振るが、こちらも心当たりがないらしい。
 こうなってくるとますます身元や出自が分からない。扱いにも困ろうというものだ。

「シャーリーと一緒に私もみたんだが、あんなユニットを開発できる国があるとは思えん」

 さながら未来のユニットのようだ、とは立ち会った整備士の弁である。

「未来だと? まさか、そんな話があるものか」

 バルクホルンが一蹴する。まあ、それがごく当然の反応だろう。
 よもや本当に未来からの迷子であるなどだれが予想できようか。

「ははっ! 未来のユニットか。もしそうだったら面白いよな。実はさ、リベリオンでもそういう映画があるんだよ。ちょっと変わった科学者が車を改造してタイムマシンを作るんだけどさ、実験の途中に知り合いの男の子を巻き込んで――」
「はいはい、そこまでよシャーリーさん」

 さすがに冗談ばかり言ってもいられない。彼女がウィッチである以上、所属があることは明らかだ。早く身元を特定せねばならないのである。……もっとも、無駄な努力ではあるのだが。

「ああ、そうそう。一応ドックタグみたいなものはあったぞ?」

 思い出したように言うシャーリーが、小さな金属片を坂本に手渡す。

「首にかかってたんだ。だけど、扶桑語は難しくて読めないんだよ。少佐ならわかるだろ?」

 坂本はそれを受け取ると、ミーナに軽く目配せをしてから部屋を出た。





 自室へと足早に戻ってきた坂本は、急いで机の明かりをつけると受け取ったドッグタグを見る。本人とも話が出来ず、ユニットの解析もお手上げとなっては、唯一これだけが手がかりなのだ。ともかく所属と名前くらいは分かるだろうと思い、坂本はシャーリーから受け取ったドックタグを調べてみる。

「む……暗くてよく見えんな……」

 明かりに近づけて目を凝らす。と、そこには――


 氏名:沖田 和音
 年齢:14歳
 所属:扶桑皇国空軍第7航空団第305飛行隊
 階級:少尉
 生年月日:1981年3月14日


「なん……だと……!?」

 決してありえないはずの生年月日を見てしまった瞬間、坂本の脳裏にある可能性が浮かんだ。到底信じられないようなそれは、しかし何もかも辻褄が合うし、実際問題として正解である。背中を嫌な背が伝い、坂本はそっと明かりを絞って布団に倒れ込んだ。

(いかんな……今日はどうにも疲れているらしい……)

 まだ本当かどうかは分からない。しかし、普段冷静な坂本が動揺するのには十分な衝撃をそのドッグタグは与えたのだった。

「沖田和音……お前は、まさか……」

 ――本当に未来からやって来たのか?

 声になる事の無かった問いを飲み込んで、坂本はゆっくりと眠りに落ちていった。








 ……――いいかい和音? 空は決して優しくない。それを覚えておくんだよ

 いつの頃だっただろうか、覚えている限りではまだ自分が10歳にもならなかった頃。
 小さな池のある庭の縁側で、よく祖母からウィッチの話を聞いた。
 そんなとき、決まって祖母はそう言って私の瞳を覗き込んでいた。

 ……なんで? 空を飛ぶの、楽しくないの?

 私の魔法力が現れたのは8歳の頃だった。血沸き肉躍る冒険譚などが大好きだった私は、かつてネウロイと戦ったエースウィッチの自伝や記録を読むのが好きだった。
 ある意味では、それが私をウィッチとしての道に歩ませた原点である。

 ……――そうさねぇ、楽しくはあったさ。ただ、それだけじゃあないんだよ。

 趣味で集めていた風車を回しながら祖母は言った。
 元々、祖母は軍人一家の出だったらしい。けど、そんなお堅い一族の出身とは思えないほど柔軟で優しい人だった。上がりを迎えて結婚し、私のお母さんを産んで育て、嫁に出すことも全然躊躇しなかったという。おかげで私はごく普通の一家に生まれ育った。

 ……――空ってのはね、人がいちゃいけない世界なんだよ。だからとっても怖い場所だよ。
 ……お空は怖いところなの?
 ……――ああ、もちろんさね。だけどね、それでも空を愛してあげられるようなきれいな心の娘には、それはそれは素晴らしい贈り物をしてくれるんだよ。

 かつてはウィッチであり、今は魔法力を失った祖母は、よくそんな話をしてくれた。
 家族のだれもがウィッチになるのを反対した中で、祖母だけが賛成してくれたのだ。

 ……――ウィッチってのはね、成るか成らないかの世界じゃないのさ。空に惹かれる子は自然と空に行くようになるんだよ……まあ、そういう星の下に生まれついたんだろうさ……

 普段は穏和な母が激昂してまでウィッチになるのを反対した時、祖母はそう言って頭を撫でてくれたのだ。その優しさは、今でも春の日の温かさのように胸の中に残っている。
 だけどその時、祖母は何時になく真剣な瞳で言ったのだ。

 ……――いいかい和音? 空は決して優しくない。それを覚えておくんだよ、と。

 それから私はウィッチになる決意を固め、両親を説得した。
 ウィッチの養成校に入る時、今まで会った事もないような人がいっぱい来て、祖母が昔は凄いウィッチだったことをそこで初めて知らされた。祖母は、自分の事をあまり話さない人だったから、なんだかとても不思議な気分だった。

 ……貴方が、――さんのお孫さん? へぇ、いい顔をしてるわね

 そこで会った女の人は、昔の祖母を知る人だった……らしい。
 〝空を飛んでみたくない?〟というその人の言葉に、私はほぼ無意識で頷いていたと思う。

 あれから私はウィッチになり、そして――――






「はっ!? …………夢、か」

 驚きで目を覚ますと、そこはまるで見覚えのない場所だった。
 背中には柔らかい毛布の感触がある。首だけを動かして薄暗い部屋を見回してみると、どうやら医務室か何かのようである。自分はそこに寝かされているらしい。

「あれ、わたしはどうして……?」

 未だ覚醒しきっていない頭を振って、何とか記憶を引きずり出す。
 そうだ、私は訓練の途中で気が遠くなって、それから、それから――

「あの、起きてますか?」

 そこまで考えた時、コンコンと扉がノックされ、外から声を掛けられた。
 声の主が扶桑語であったと言う事は、ここはやはり扶桑なのだろうか?

「あ、はい。どうぞ」

 自分の部屋でもないのにどうぞも何もあったものではないが、とりあえずそう言っておく。
 カチャリ、と音がしてドアノブが回ると、ゆっくりと扉が開いた。ようやくできた人1人分の隙間から入って来たのは、多分自分と同い年くらいの少女だった。
 なんというか、小動物然とした愛嬌のある顔立ちだ。小型犬みたい。

「あ、もう起きてたんだね。お腹空いてない?」
「えっ? ああ、はい。……一応は」

 言われてみれば、とお腹をさする。今の今まで気がつかなかったが、すっかりお腹が空いてしまっていた。どうしようかと思ったところで、目の前にコトン、っとお椀の載った盆が置かれた。……お粥?

「はい、リーネちゃんと私で作ったお粥だよ。ちゃんと食べてね」
「あ、ありがとうございます……?」

 そのリーネちゃんとやらがいったい誰なのか気になったが、とりあえずそれを無視してお粥をすする。程よい暖かさのそれは、どうやら卵粥のようだった。我ながら胃袋というのは実に正直なもので、呑気にお粥を啜っている場合ではないというのに、絶妙な出汁と卵の味わいにあっさりと白旗を上げてしまっていた。

「……えっと、沖田和音さん、だよね?」
「どうして私の名前を?」

 お粥をすする私を見ながら、名前も知らない少女がそう言ってきた。

「ついさっき、坂本さんに聞きました。お話しするときに名前を知らないと不便かな、って」
「はぁ、そうでしたか……」

 きょとん、と小首をかしげて見せる。なんというか、動作の一つ一つが凄く可愛らしい。童顔であるという点もそうだが、保護欲を掻き立てられそうな感じがするのだ。
 そんな私に構うことなく、彼女が話を続ける。

「昨日は凄かったんですよ~! 基地中が沖田さんの事でもちきりでした」

 ――そうだ。
 私は唐突に思い出した。ここで、確かめなくてはいけないこと。

「あ、あの!」
「……?」
「失礼ですが、お名前と、それから今日の日付を教えていただけますか?」

 今更な悪あがきかも知れないが、それでも重要なことなのだ。
 少なくとも、私にとっては。

「あ、自己紹介がまだですよね。ごめんなさい」

 あはは、笑顔を浮かべて彼女は言った。

「私、宮藤芳佳です! 階級は、えっと……軍曹、だったかな? お料理とか得意ですよ! ちなみに今日は1945年の4月4日です。時間は……あ、ちょうど朝の9時ですね」

 ……どうやら、本当にここは過去の世界らしい。
 嘘をついているようには見えないし、壁のカレンダーを見てもそうだ。おまけに寝ている間に日付が変わっていたらしい。と言う事は今は朝なのか。カーテンがしてあるからわからなかった。朝の9時という事は、おそらく起きたであろうことを見越して朝ご飯を持って来てくれたのだろう。
 だがしかし、そんなことよりも私の頭は他の事でいっぱいだった。

(宮藤先生……若いころはこうだったんだ……)

 ――宮藤芳佳
 扶桑海軍史上最大の問題児かつ功労者。
 魔法医療の第一人者であり、宮藤一郎博士を父に持つ扶桑海軍の伝説的なウィッチ。
 戦後、欧州で医学を学び、実家の診療所を発展させた医学校を設立した医学の母として知らぬ者はいない有名人。
 ガリア、ヴェネツィア両都市解放の戦功を賞して勲章を授与される予定だったにもかかわらず、当時の海軍大将に向かって「あ、今日は往診の日です」と言い放ち、輝かしい勲章などには見向きもせず往診鞄を持って行ってしまったという途方もない逸話の持ち主だ。
 おまけに、式典の会場にあったユニットを「ちょっと失礼します」といって強引に借りて飛んで行ってしまったというのだからすごい。

(こんな人だったんだ……)

 フルネームを聞いてようやく思い出す事ができた。
 若いころの姿を知らない私だが、たしかに面影があるかもしれない。

「ああ! 大事なこと思い出しました!」
「な、なんでしょう?」
「坂本さんが、起きられるようなら司令室に来いって言ってました」

 なるほど。当然だろう。寝ている間に身元を調べたのかもしれないが、分かるはずがない。さりとて未来人である……なんてことは思わないだろうしなぁ。

「じゃあ、食器はそこに置いといてくださいね」
「あ、宮藤先……じゃなくて、宮藤さん!」

私は慌てて宮藤さんを呼び止めた。

「その……色々ありがとうございました」

 すると、嬉しかったの恥ずかしかったのか、宮藤さんは頬を赤く染めてこういった。

「ううん、気にしないで。あと、私の事は芳佳でいいよ」

 そう言うと、宮藤さんはそのまま走り去ってしまった。
 私も、そろそろ起き上がって司令室とやらに行かないと。






 ――ロマーニャ基地 司令室

「失礼します……沖田和音、参りました」

 朝方、とは言っても既に9時過ぎなわけだが、明るくなった基地の廊下を通って、和音は基地の司令室にやって来ていた。
 待っていたのは坂本美緒、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケの両名である。

「いらっしゃい。よく眠れたかしら?」
「はい、おかげさまで」

 ミーナの優しい微笑みにつられて笑いながら和音が答える。
 もっと厳しい尋問でもされるかと思っていたので、内心ほっとしていたのだ。

「私は、ここ第501統合戦闘航空団の隊長を務めるミーナ・ディートリンデ・ヴィルケよ。階級は中佐。見ての通り、カールスラントの出身ね」

 羽ペンをクルクルと回しながら自己紹介をするミーナ。
 同時に、傍らに立つ坂本に目で合図を送る。

「……コホン。あー、私は扶桑海軍所属の坂本美緒だ。今は501の戦闘隊長を務めている」

 自前の軍刀を床に突きながら、坂本はやや言いにくそうに、チラチラとミーナの方に視線を送りながら言葉を紡ぐ。

「申し訳ないが、お前が寝ている間に少し身元を調べさせてもらった。もらったんだが……」
「……結局わからなかった、と言う事ではありませんか?」

 先回りして和音が言うと、驚いたようにミーナと坂本が目を見張る。
 さすがにそこまで事態を把握しているとは思っていなかったのだろう。
 しかし、そこは現役の司令官。すぐさま表情を戻すと、先ほどよりも強い調子で続けた。

「そうか、お前もそこまでわかっていたか……ならば話は早い。単刀直入に訊く。――お前はいったい何者だ?」
「…………」

 鋭い刃のような視線を向けられて和音は思わずたじろいだ。答えなくてはいけないのに、口を開く事ができない。言い知れぬ威圧感が全身を縛っていた。

「ウチの整備班に貴方のユニットを調べてもらったのだけれど、あれはジェットストライカー、それもかなり高性能なものだわ。だけど、ジェットストライカーはまだ本国でも開発中の筈なの。それをどうして貴方が持っているのかしら?」

 ミーナもまた、強い疑念の色を浮かべて訊いてくる。

「大丈夫。貴女の身の安全は保障するし、取って食べちゃうようなことはしないわ」

 だからお願い、と言われ、和音もまた覚悟を決める。
 一度大きく深呼吸をして正面から2人を見つめると、和音はよく通る声で話し始めた。

「私は、扶桑皇国空軍第7航空団第305飛行隊所属、沖田和音です。年齢は14歳で、階級は少尉であります」
「「……………………」」
「ユニットを調べたのであればお気づきかも知れませんが、私はこの時代の人間ではありません」
「「――――っ!!」」

 無言のまま小さく息を呑む2人。それに構わず和音は先を続けた。

「私が生まれたのは1981年です。つまり――」



「――お2人から見て、私は未来の時代の人間と言う事になります」

 告げられた真実に、彫像のように固まったまま動かない2人。
 これが、時代を越えたウィッチらの邂逅であった――



 続く
 
 

 
後書き
一向に話が進んでなくて申し訳ないッス。
多分、そのうち、きっと、戦闘パートに入ります。(汗) 

 

第五話 ロマーニャ基地②

 
前書き
最近忙しくてあんまり寝れてないなぁ、とか思っていたら風邪をひいて熱を出しました。
なかなかどうして侮れないもので、夏風邪ってのは長引きやすいんですね。

と、いうわけで少々更新が滞り気味になるやもしれませぬ。
一応、現在は第九話まで書き溜めてあるので、調子のいい時を見計らって投下しまする。 

 
 ――ロマーニャ基地 食堂


 すっかり日も高く昇った午前。ロマーニャ基地はちょうど昼食時であった。食堂の大きなテーブルには、所狭しとおいしそうな料理が並んでいる。それをみんなで食べるのが501部隊のしきたりなのだが、本日はそこに若干1名の新入りが混じりこんでいる。

「はい、みんな注目。今日からここで生活することになる、沖田和音少尉よ」
「お、沖田和音です! 今日からお世話になります」

パン、っと手を打ったミーナが食卓の全員を制し、皆に対して和音を紹介する。
さて、大まかにここまでの経緯を説明しよう。
 司令室でミーナと坂本相手にあれこれと質問を重ね、所持品などを見せ、さらにはユニットの解説や整備班の見解などを総合的に鑑みた結果、どうやら和音は本当に未来からやって来た扶桑のウィッチである、という結論がだされた。
 となれば、当面の生活について一定の目途を立てなくてはなるまい。さてどうしようかとなった時、ミーナは満面の笑みを浮かべてこう言ったのだ。

『今すぐに結論は出せないわ。しばらくは此処に居ていいのだし、色々お話を聞かせて頂戴ね?』

 それはつまり、和音に対してここ第501統合戦闘航空団に――半ば居候ではあるが――入れ、と言っているのと同じことだった。行く当てもない和音に他の道がある筈もないことは火を見るよりも明らかである。和音の501逗留は、トントン拍子で話がついた。その後『部隊の皆に貴方を紹介しないとね』といって食堂に連れてこられて今に至るのである。

(ここが、第501統合戦闘航空団なんだ……)

 緊張でガチガチになりながら頭を下げる和音。
 自分が過去にタイムスリップしてしまった事も勿論だが、自分が今かの有名な第501統合戦闘航空団に居ると言う事が信じられない。

「あ、沖田さん。もう体は大丈夫なんですか?」

 厨房から割烹着姿の宮藤がやって来て言う。軍人の癖に割烹着が似合うというのもなかなかに奇妙な話だが、宮藤が着ると不思議としっくりくる。

「はい、もう大丈夫です。宮藤さん」

 どうぞ、と差し出された湯呑を受け取りつつ、ミーナに促されて席に座る。ちなみに、和音が未来からやって来た、という事情は既に基地の整備班を含むほぼ全員に知れ渡っている。無論、箝口令が敷かれたうえでの話で、基地の外には漏れないよう配慮してある。

「あの……沖田さんは、本当に未来から来たんですか?」

 遠慮がちにそう訊いてきたのは、今日も今日とて料理に腕を振るうリネット・ビショップであった。事情をミーナから聞いているとはいえ、大多数が半信半疑なのだ。

「あ、ごめんなさい。自己紹介がまだでしたね。私はリネット・ビショップです。よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくお願いします」

 にこやかに笑顔を浮かべつつ全員に給仕をするさまは、ウィッチというよりメイドさんのようだ。

「それでその、沖田さんは本当に未来から来たんですか?」
「ええ、まあ来たというか、来てしまったというか……?」

 とどのつまりは壮大な迷子なので、実際問題あまり格好のいい話ではない。が、本当に未来からやって来たのだと分かると、居並ぶ一同は俄然和音に対して興味がわいたらしい。食事の手を止めて、ジーっと和音の方を注目する。

「まさか、リベリアンの冗談がそのまま真実だったとはな」
「申し訳ありませんバルクホルン大尉。私もまだ現実が信じられなくて……」
「なに、気にすることはないさ。同じウィッチである以上、我々は何時だって同志だ。よろしく頼むぞ、沖田少尉」
「は、はい!」
「なに言ってるんだバルクホルン。これは凄い事じゃないか。まるで映画みたいだよ!」

 呆れ半分、驚き半分で言うのがゲルトルート・バルクホルン大尉。カールスラント空軍きってのエースであり、規律と規則に大変うるさい厳格な人物である。そして横から茶々を入れるのがリベリオン出身のシャーロット・E・イェーガー大尉。両人とも和音の時代では英雄である。

「どうしてこう扶桑のウィッチと云うのはいつもいつも厄介ごとを持ち込みますの!?」

 と、そういうのはガリア貴族の出であるペリーヌ・クロステルマン中尉。日頃ツンツンしているくせに、根っこの部分でお人好しなのは、既に部隊の誰もが知るところだ。「……ほう? 私も扶桑のウィッチだぞ?」と坂本にジト目で睨まれて沈黙するところが何とも可笑しい。

(すごいなぁ……どうして私はこんなところに来ちゃったんだろう?)

 歴史の教本にその名を残すような偉人、超人を前にして、和音は何とも言えない微妙な気持ちで昼食のパスタを口に運ぶ。

「あ、これ美味しい……」
「ね! ね!? やっぱりロマーニャの料理は最高だよね!」
「う、うわあ!?」

 トマトの酸味が程よく効いたミートソースに笑顔を浮かべた瞬間、テーブルの下からなにやらすごい勢いで小さな塊が和音の胸に飛び込んできた。

「フランチェスカ・ルッキーニだよ! 階級は少尉で、えーと、えーと……よろしくね!」
「あ、はい。ご丁寧にどうも……って!」

 ――モニュモニュ

「ななな、何をしているんですか!?」
「何って、おっぱいを揉んでるんだよ?」

 胸をまさぐる手の感触に、あわててルッキーニを引き剥がす和音。かたやルッキーニの方は、そんなことも分からないの? と言いたげな表情で首をかしげている。あげく、しばらく掌を動かし続けた結果、なにやら悟ったような表情でうんうんと頷いて見せる。

(この人が、本当にあのルッキーニ中佐なのぉ……?)

 ロマーニャ最高の戦力と言われ、時のマリア姫とも親交があったエースウィッチ。
 太陽のように明るく朗らかで、それでいて戦闘では常に思慮深く、何よりも仲間の生存を第一とした在り方は、当時から高く評価されていた……ハズなのだが。

「うーん、芳佳やペリーヌよりは大きいかな!」
「「なっ!?」」

 目の前に居る本人はどうか。これではただの悪戯っ娘ではないか。
 他人のおっぱいを揉んで品定めしていたなどと、果たして後世の誰が知るだろう。
 加えて、隅の方ではなにやら打ちのめされた様な悲痛な面持ちで崩れ落ちる2人がいたりする。

(第501統合戦闘航空団っていったい……)

 未だ掌の感触が残る胸を抑えつつ、何故そんなに手馴れているのだと言い知れぬ恐怖を感じる和音。と、そこへシャーリーがやって来てルッキーニを抱き寄せる。

「こら、ルッキーニ。食事中にそういうことをするなって言っただろ?」
「で、でもぉ……」
「ダメだ。ほら、ちゃんとごめんなさいを言うんだぞ?」
「うじゅー……ご、ごめんなさーいっ!!」

 ムスッとした表情のルッキーニをあやしながら、シャーリーは膝の上で髪を撫でてやっている。その様はなんだか本当の親子のようで、実際、部隊でも姉妹か親子のようだと認識されていたりする。

「ええっと、沖田少尉だっけか? ルッキーニが迷惑をかけてごめんな。まだ見ての通り小さいんだ。許してやってくれないか?」
「いえ、私は大丈夫ですので。気にしないでくださいイェーガー大尉」
「そんなに堅苦しくなくていいよ。わたしのことはシャーリーって呼んで。ここじゃあみんなそうなんだ」

 バチーン、とウィンクを決めて魅せるシャーリーに、和音は思わず、ほうっと見とれてしまった。

(あれがシャーロット・E・イェーガー大尉かぁ……すっごく、大きい……)

 ウィッチになる以前はレーサーとして活躍し、その後は501部隊でも活躍。非公式ではあるものの、人類初の音速突破を成し遂げたウィッチとしても有名だ。退役後は故郷へ戻り、再びスピードレーサーの道へ。なによりも速さを求めることに生き甲斐を感じ、後年実用化されたジェットストライカーの試作機に対し、「速さが足りない」とダメ出しした逸話は今なお有名だ。

「おかわり欲しい人いますか~?」

 厨房から顔をのぞかせるリーネと宮藤。2人の料理は部隊でも好評のようで、あっちこっちからおかわりの声が上がる。

「沖田さんはどうしますか?」
「えーと……じゃあ、お願いします」
「はい。ちょっと待っててくださいね」

 満面の笑みで皿を受け取ったリーネにつられて笑いながら、和音は賑やかで楽しい昼食を過ごしたのだった。





「「「ごちそうさまでしたっ!!!!」」」

 東は扶桑、西はリベリオン、果ては欧州諸国を含めた世界各国のウィッチらが、皆一様にごちそうさまでしたをする光景は、和音にとっては実に意外だった。多国籍の部隊というのは、もっとこう、なんというか機械的な気がしていたのだが、どうやらそうではないらしい。

「宮藤さん、リーネさん」

 食器の片づけをしようとした宮藤とリーネを、ミーナが思い出したように呼び止める。
 くるりと振り返った2人に向けて、ミーナはにこやかにほほ笑みながら言った。

「一応、沖田さんの部屋を用意したの。2人が案内してくれるかしら?」
「「わかりました!」」

 驚いたような表情をする和音に対し、坂本とミーナは泰然とソファに身を沈めたままだ。昨日の今日だというのにこの手際の良さ。統合戦闘航空団の隊長は伊達ではないということか。

「ああ、それからもう1つ。沖田、このあと少し時間はあるか?」
「は、はい。問題ありませんが……」

 時間など腐るほどあるくらいだ。困ることなど何もない。が、肝心の仕事や何やらが何もないのだからどうしようもない。

「お前のユニットについて少し話を聞きたい。基地の案内が終わってからで構わんから、格納庫の方に顔を出してくれ」
「了解しました!」

 頼んだぞ、と言い残して食堂を出ていく坂本を見送ると、食器の片づけを終えたらしい宮藤とリーネがやって来て言う。

「行こう、沖田さん。基地の中を案内するよ!」
「ここの基地、ものすごく広いんですよ。地下には洞窟もあるんです」
「そうなんですか!?」

 驚いて目を丸くする和音の手を取ると、リーネと宮藤の2人は駆け出して行った。






「えっと、改めて宜しくお願いします。リーネさん、宮藤さん」
「ううん。そんなに気にしなくてもいいよ」
「同じウィッチですから」

 出身国も、生まれた時代も、何もかもが違うというのに、不思議と2人は和音を温かく迎え入れてくれた。食堂を出て、談話室を抜けた後、3人は長い石造りの廊下を歩いていた。

「あ、滑走路……ここ、海が見えるんですね」
「そうだよ。なんだか横須賀を思い出しちゃうなぁ」
「芳佳ちゃんも海の傍に住んでたんだよね。あ、ここから見えるのはアドリア海ですよ」
「なるほど、これが……」

 和音も欧州の海を見るのは初めてだ。なんというか、扶桑の海よりもなお一層濃く蒼い気がする。

「ねぇねぇ、和音ちゃんってさ――」
「か、和音ちゃん!?」

 唐突に、宮藤が和音の顔を覗き込むようにして話しかけてくる。と、和音は思わず宮藤の口から洩れた「和音ちゃん」なる一言に耳ざとく反応してしまう。

「うん。和音ちゃん。だって私たち友達でしょ?」
「友達……」
「そうだね。私の事もリーネ、って呼び捨てにしてくれていいんですよ?」

 うぅ、といつになく狼狽する和音。3度の飯より空が好き。男勝りに飛ぶことだけを追い求めてきた空戦馬鹿だ。こういう〝女の子らしい〟会話をしたことというのは、思えばあんまりなかったのである。

「あ、そうだ」
「なんでしょうか、宮藤さん」

 ポン、っと手を打った宮藤が思い出したように言う。

「和音ちゃんはさ、未来から来たんだよね? じゃあ和音ちゃんが生まれたのっていつ?」
「あ、私もちょっと気になるかも……」

 屈託のないその笑みには、個人の事情を掘り返して悦ぼうなどという無粋な気持ちは微塵もなく、ただ未来の自分がどうなっているかが気になるという、純粋な好奇心だけがあった。

「ええっと、ですね……」
「「うんうん」」

 和音が頭の中の記憶を辿りながら話し始めると、宮藤とリーネがグイッと顔を寄せてくる。

「今この時代が1945年で、ここへ来る前の時代は1995年でした。なので、今から数えると――」
「大体50年くらい、ってことだよね」
「私も芳佳ちゃんもきっとお婆ちゃんになってるね」
「リーネちゃんはおとぎ話の魔法使いのおばあさんみたいになってそうだなぁ」
「ええ~!?」

 自分の未来を想像して笑い合う二人。その様子は実に楽しげだった。

「あれ、そう言えば和音ちゃんは何歳なの?」
「私ですか? 今年で14歳になりました」
「「じ、14歳!?」」

 ちなみに、芳かとリーネはそれぞれ15歳で、部隊における最年少はルッキーニの13歳だ。ということは、和音は501部隊内でルッキーニに次ぐ年少組という事だ。――が、しかし。

「……リーネちゃん、和音ちゃんって14歳に見える?」
「……ううん。なんか、すっごくしっかりしてそうだよね」
「え、ええっと……??」

 なにやらヒソヒソと話し合うリーネと宮藤。と、そうこうしている間に、ミーナによって割り当てられた和音の部屋の前まで来た。年季の入った木製の扉が和音たちを出迎える。

「はい。ここが和音ちゃんのお部屋だよ。お手洗いがあっちの奥で、お風呂は少し離れたところにあるんだ」
「分からないことがあったら何でも聞いてね」

 ガチャリ、とドアノブを回して部屋の中に入ってみる。落ち着いた洋風の個室は、窓から射す陽光のおかげで随分と明るかった。惜しむらくは、荷物も私物もないが故に少々殺風景極まりないところか。まあ、こればっかりは仕方がないと諦めるしかなさそうだ。

「間取りは私や芳佳ちゃん達と一緒なんだね」
「あぁ~フッカフカのベッドだぁ~」
「み、宮藤さん!?」

 ここが基地の個室なのか、と感慨に浸る和音の横で、にへら、とだらしなく笑った宮藤がベッドに上に倒れ込む。食後の昼寝でもする気だろうか。

「ねえ和音ちゃん」
「なんでしょうか?」
「50年後の私たちってどうなってるの?」
「芳佳ちゃん、さすがにそれは……」

 宮藤の浮かべる笑みは本当に屈託がなかった。本能的に、和音は未来の事象を伝えるべきではないのかもしれないとも思ったが、この2人になら平気だろうと快諾した。

「そうですね……誰の話がいいですか?」
「どうするリーネちゃん」
「全員聞いてみたい気もするよね」

 宮藤同様、ベッドに上に川の字を作りながら話す3人。
 昨日の今日で挨拶を交わした者同士とは思えない。

「はいはい! じゃあ、坂本さんの話が聞きたい!」

 勢いよく言ったのは宮藤だった。それを聞いて和音は小さく頷いてから話し始める。

「坂本少佐ですか……たしか、魔法力がなくなってもしばらくは退役せずに前線に留まって、新人の教練や戦闘指揮にあたったそうです」
「へぇ……なんというか、今とやってることが同じだね」
「坂本少佐らしいね、芳佳ちゃん」

 記憶の糸を手繰りながら和音が続ける。

「その後、本国に戻ってあと、既存の海軍・陸軍に加えて、新たに空軍の設立に尽力されました。ジェットストライカーにも興味を示されたそうです」
「へぇ~そうなんだ」
「空軍って、たしか和音ちゃんの時代だと扶桑にも空軍があるんだよね?」

 ブリタニアにはこの時代でも既に空軍が存在するが、扶桑はいまだ海軍と陸軍の二軍制だ。空軍の設立はこれよりだいぶ先の事であり、これによって扶桑皇国軍の構造は大きく変わることになる。

「一応、私も空軍の所属ですので。あ、あと坂本少佐……私の時代では少将ですが、剣道の道場を開いていましたよ」
「そうなの?」
「はい。それはもう凄く厳しい道場だそうで、門下生を片っ端から叩きのめして鍛えあげていたそうです。あまりにも厳しいので、〝門限を破ると坂本送りだぞ〟なんて冗談ができたくらいです」

 本来、ウィッチの養成校では何かしらの武術をやるのだが、和音は柔術を選択していた。なので、坂本に剣術を教わったことはない。が、坂本に剣を学んでいた友人の事はよくおぼえている。門下生たちを引き連れて歩くその様は、さながら忠臣蔵の討ち入りもかくやと言う迫力があった。

「あ、あはは……なんだかすっごく坂本さんらしいや……」
「はっきりと想像できるところが凄いよね」

 必死に笑いをこらえつつ身もだえする2人。直接教えを叩きこまれている2人からすればかなり面白いのだろう。

「私は剣術が苦手なので、正直坂本少将の道場に行かずに済んでホッとしていました」
「あ~、わかるわかる。私も竹刀を持つとすぐに腕が痺れちゃうんだよね」
「ダメだよ、芳佳ちゃん。坂本少佐の訓練はちゃんと受けなきゃ」
「え~、わたしは訓練よりお昼寝の方が好きだなぁ」

 と、3人が顔を見合わせて笑ったまさにその時だった。



「――――ほう? なにやら面白そうな話をしているな、3人とも」



「「「うわあ!?!?」」」

 びっくりしてベッドから飛び上がると、果たして何時から其処に居たのか、竹刀を片手にこめかみをピクピクと震わせた坂本が立っていた。噂をすればなんとやら、である。

「あ、あの! 坂本少佐、これはその……ええっと……」

 慌てふためきしどろもどろになる和音。そんな和音の横で小さくなるリーネと宮藤。

「なあ、沖田」
「は、はいっ!」
「せっかくの機会だ。お前にも稽古をつけてやろう」
「……ゑ?」

 それは稽古ではなくもう何か別のものである気がしないでもなかったが、ひよっこ少尉の和音はビビッて何も言えなくなっていた。

「あとで格納庫に来いと言っておいたのに、いつまでたっても来ないから迎えに来てみれば昼寝だと……? そんなに退屈なら私が剣の稽古をつけてやる!」

 パシィン、と床を竹刀で叩く坂本。よもや50年後も全く同じことをしていようとは、さすがにこの時代の誰もが想像しなかっただろう。60歳を過ぎてなお力量は衰えず、道場で現役のウィッチをバッタバッタと斬り倒すその姿は、ある種の都市伝説と化したほどだ。

「……がんばってね、和音ちゃん」

 ボソ、っと宮藤が呟く。がしかし、坂本がそんな呟きを聞きのがす筈がなく……

「何を弛んでいるか! お前たち3人全員だ! さあ今すぐ外に出ろ! ウィッチたるもの、一に訓練二に訓練だ!」
「「「ええええ――――っ!!!!」」」

 こうして、3人とも夕ご飯まで延々竹刀を振らされる嵌めになったのだが、それはまた別のお話である。
 
 

 
後書き
熱の所為で頭がおかしいのか、作中におけるズボンがパンツに見えて仕方がない今日この頃です(汗)
 

 

第六話 未来のユニット

 
前書き
恐るべき夏風邪の脅威・・・
未だ熱は下がらず下痢が止まらない日々。滅多に風なんてひかないのですがねぇ・・・ 

 
 ――ロマーニャ基地 格納庫


「まったく、あれしきの事で情けない。もっと精進するんだぞ、沖田」
「は、はい。肝に銘じておきます……うぅ」

 宮藤が腕によりをかけて作ってくれた夕飯に舌鼓を打った後、すっかり全身が筋肉痛になってしまった和音は、坂本と一緒に基地の格納庫までやってきていた。目的は勿論、和音のユニットについて、である。

「まあいい。それよりも、整備班たちが待っている。急ぐとしよう」
「わかりました」

 格納庫は食堂を出た廊下をまっすぐ行った突き当りだった。今は閉まっている正面の巨大な扉は、開けるとそのまま滑走路に通じていて、有事にはここから素早く発進することになるのだという。

「あまり人目に触れてしまうのもどうかと思ってな。普段は使わない格納庫の奥に安置してある。ああ、ここの人間は口も堅いし信用できる。安心してくれて構わないぞ」
「はい、ありがとうございます、坂本少佐」

 硬質な足音を響かせて格納庫を進んでいく。夕食後と言う事もあって、格納庫の中は人も少なく暗かった。ここ501部隊では、基本的な整備などは昼間のうちに終わらせて、あとはスクランブルに備えて当直の人間が待機しているのである。

「着いたぞ。ここだ」
「わぁ、広い……」

 だいぶ奥まった所まで来ただろうか、坂本が指さす先、機械油の独特な匂いが漂うそこに、和音の愛機――F-15Jが安置されていた。みたところ、傷や汚れはないようだ。丁寧に扱ってもらえたことに和音は安堵した。

「坂本少佐、お疲れ様です。例のユニットの件ですか?」
「うむ。沖田、彼らが501部隊で使用されるユニットの整備を一手に引き受ける技術部の人間だ」
「はじめまして。沖田和音少尉であります」

 ぺこり、と頭を下げる和音。事情は既にわかっているのか、特段驚いたり疑問に思ったりする様子もなかった。

「さっそくですまんが、沖田。このユニットについての説明を頼めるか?」
「あ、はい。わかりました」

 おそらくレシプロユニット用の固定ボルトなのだろう。規格があっていないために半分宙吊り状態になっている愛機の傍に立つと、和音は坂本と整備兵を交互に見ながら口を開いた。

「機体の名称は『F-15J』といいます。現在……あ、あくまで私の時代で、という意味ですが、扶桑空軍の主力ストライカーとなっている機体です。見ていただいたのでわかるとは思いますが、レシプロではなくジェットストライカーです。もっとも、これに限らず既に私の時代では主力がジェットストライカーなのですが……それと、本機を開発したのは扶桑ではなくリベリオンです。それを扶桑の運用方針に合わせて細部を改修したのがこの機体ですね」

 スラスラと淀みなく解説をしてみせる和音。時折頷きつつ坂本が先を促し、隣に立つ整備兵がなにやら素早くメモを取りながら手に持っていた書類と照らし合わせていく。彼らからすれば全く未知の産物だ。この反応も当然だろう。

「リベリオン製? カールスラントではなくてか?」
「はい。ジェットストライカーの製造と運用に関しては、リベリオンとカールスラントが他国と比較して一歩も二歩も先を行っています。扶桑では友好国であるリベリオンの機体を参考にし、欧州ではカールスラントの機体が主力ですね。もちろん、独自開発された機体もありますが」

 扶桑においても、国産ジェットストライカーの研究は進んでいる。
 たとえば、『F-2』がそれにあたるのだが、本格的な運用と量産は和音がこの時代に飛ばされるより以後の事となるため、まだ和音に詳しい知識はなかった。

「なるほど、そういうモノなのか……して、採用年はいつ頃の物なんだ?」

 これは最も気になる部分だろう。和音は冷静に記憶を辿りつつ答えを返す。

「たしか……本格的な運用が始まったのは1976年だったかと。それが扶桑において改修され、私のF-15J型となったのが1980年前後だった筈です」

 原型機となったF-15の完成から、改修型の本格運用まで約5年。ジェットストライカーという高い技術レベルを要求されるユニットでこの年数は驚異的だ。

「ふむ――整備班ではどのような見解が出ている?」
「はっ! やはり、現行の技術水準をはるかに上回る物であることに間違いはありません。採用年を聞く限りではおおよそ30年~40年後の機体ということになりますが、我々では想像できませんね……」
「そうか、わかった」

 至って冷静な風を装う坂本だが、内心は非常に驚いている。技術の進歩は時として凄まじい速さで進むことがあるが、その実例をこのような形で見ることになるとは思わなかったのだ。

(いや、案外これが普通なのかもしれんな)

 しかし、坂本はふと思い出す。
 思えばまだ自分が新米だった頃。宮藤理論が確立される以前は、背中に発動機を背負うユニットが主流だったのだ。それがあっという間に宮藤理論によって開発された新型機に交換され、いまや研究段階であるとはいえジェットストライカーの開発も始まっている。それも、わずかに10年程度の範囲でのことだ。
 だとすれば、30年も経つ頃にはきっとこれが主流なのだろう。そう考えれば、何もおかしいことはないのではないだろうか?

「武装はどうなっている? そこにあるのは……盾と一体化したガトリング銃のようにも見えるが……?」
「ああ、これのことですね」

 武装についての話になって、坂本は不思議そうな表情でユニットの横に安置された長大な重火器に目を向けた。パッと見の話で言うのなら、それは小型の盾にガトリングをぶら下げたような珍妙かつ無骨な代物であった。

「これは、『JM61A1-バルカン』です。口径は20mm。見ての通りガトリング砲です」
「ガトリングだと? そんなものを扱えるのか?」
「はい。弾倉への被弾と誘爆を防止するため、小型の盾が標準で装備されていて、現場では〝防盾砲〟なんて呼ばれてましたね。リベリオンでは〝シールド・ガトリング〟と呼ばれているそうです」

 不思議な話ではあるが、この時代――つまりは1945年時点においては、ガトリング砲など時代遅れもいいところな産廃兵器でしかなかった。それというのも、工業技術の発達が大きく関係している。
 もっとも初期のガトリング砲の作動方式は、射手が一定の速度でクランクを回すことによって砲身の回転と給弾を行うもので、非常に手間がかかるものだった。のちに電動のモーターに切り替わるものの、当時はまだバッテリーの小型化や出力の向上が進んでおらず、結果的に重く嵩張るだけになってしまったのだ。

「ウィッチの主兵装は機関銃の類だと思っていたが、随分様変わりしたのだな」
「いえ、機関銃もまだまだ主力です。時と場合によりますが、使われなくなったわけではありません」

 結果、重いし、嵩張るし、無駄に構造は複雑だし、という諸々の理由からガトリング銃は廃れ、ウィッチの主力は機関銃になっていったのだ。これが劇的に変わるのは、ひとえに工業技術の発達のおかげである。
バッテリーやモーターの改良も進み、問題点は改善された。これをうけて兵装の一大転換が起きたのである。外部動力による発射のため、不発が発生しても強制排莢して射撃が持続でき、砲身1本当たりの発射頻度は低くて済む。

「技術の進歩とはすさまじいものだな……そう言えば、〝アレ〟はないのか?」
「……? 〝アレ〟というのは何でしょうか、少佐」

 感心したようにうなずいていた坂本が、何やら思い出したように言う。
 が、名前を知らないのでアレとしか言いようがない。

「ほら、以前ネウロイを撃墜した蛇のように飛ぶロケット砲の事だ」
「ああ、あれはロケットではなく『ミサイル』です。正確には、空対空ミサイルですが」
「みさいる? なんだそれは?」
(そうか、ミサイルそれ自体がまだ実用化されてないんだ……)

 う~ん、と頭を捻る和音。ミサイルと一口に言っても、種別や形式を問うとキリがない。基本的にウィッチが、ひいてはストライカーユニットが装備・運用するのは〝空対空ミサイル〟と呼ばれるものだ。

「ええっと、簡単なイメージで言えば坂本少佐の言う通り『蛇のように飛ぶロケット砲』で間違いはないです。目標の熱などを探知して、自動で誘導する兵器です」
「自動で誘導だと!? そんな凄まじいモノがあるというのか!?」

 たしかに、機銃一丁でネウロイと戦ってきた身からすればとんでもない兵器だろう。
 が、うまい話はないもので、ミサイルにはミサイルの弱点、ないしは運用上の弱点や欠点が当然ある。
 まず第一に、重い。そして嵩張る。結果的にあまり数を携行できない。加えて言うと構造が複雑なので製造や整備に手間がかかる。おまけに誘導するとは言っても100%命中するわけではないのだ。開発初期こそ『ミサイル万能論』がまことしやかに囁かれたが、実戦の結果机上の空論に過ぎないことが証明されている。

「……そうか。夜遅くにすまなかったな、沖田。おかげでだいぶユニットについても理解できた」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。私なんて只の余所者なのに……」
「はっはっはっは!! 何を言っているんだ、沖田。扶桑のウィッチは皆仲間だ。余所者扱いなどするわけがないだろう?」

 持ち前の豪快さで笑い飛ばす坂本。
 さっそくメモをまとめたらしい整備兵を先に帰すと、坂本と和音も格納庫を後にする。

「そうだ、沖田」
「なんでしょうか?」
「明日から訓練に参加する気はないか? なに、どのみち今のままでは暇なだけだ。おいそれとジェットストライカーを飛ばすわけにはいかんが、レシプロのユニットを扱ってみるのも悪くはないだろう?」
「よろしいのですか!?」

 それは和音にとって願ってもない相談だった。故意ではない、それも運命に流されるままここへたどり着いてしまった和音ではあるが、このまま何もせずにいていいわけがないし、和音自身もそれは嫌だった。しかし、まだ実用段階にない筈のジェットストライカーをおいそれと飛ばすわけにもいかない。

「あのストライカーの処遇はミーナとこれから考えるとして、お前自身もどうするかを決めねばな」

 それはつまり、ウィッチとして戦うかどうか、ということと同義だ。
 力を持ち、守るべきものがあるならば、和音の答えは最初から一つだ。

「ぜひお願いします、坂本少佐」
「うむ。いい心がけだ、沖田。はっはっは!!」




 ――ロマーニャ基地 司令室


「はい……ええ、どうやら事実のようです……はい……本人の証言もはっきりしています……はい、ええ……ですが、よろしいのですか? ……はい、了解しました。では、そのように」

 ガチャン、と電話の受話器を置いたのは、赤い髪を揺らしたミーナであった。
 坂本と和音がユニットを相手にしている頃、彼女はカールスラント本国に対し電話を掛けていたのだ。無論、内密の話であるからして、電話の相手が誰なのかは内緒である。

「はぁ……沖田少尉の処遇をどうにかしないといけないわね……」

 隊長として、一人のウィッチとして、彼女をこのまま放っておくことはできない。
 が、だからといって自分の思うままにできるほど世の中が単純ではないことも重々承知している。くわえて、彼女は現段階で試作にすら漕ぎ着けていない最新鋭兵器――ジェットストライカーの保有者なのだ。万が一軍の上層部にでも知られれば、ただ事ではなくなってしまう。

「なんとかした護ってあげたいのだけれど……うまくいくかしら?」

 司令官として時に非情な判断を迫られることもあるミーナだが、心根は優しく、思いやりに溢れた人間である。部隊にとって有益か否かという即物的な事情を除いてでも、ミーナは和音の事を護ってやりたいと考えていた。ついさっきの電話はそのための布石である。

「――らしくないぞ、ミーナ。少し疲れているんじゃないのか?」

 はぁ、とため息をついたミーナの背後から、良く通る声がした。
 振り返るまでもない。声の主が誰であるか、ミーナは見るまでもなく判断できる。

「あら、トゥルーデ。何時から居たの?」
「珍しくドアが開けっぱなしだったからな。何かあったのかと心配で見に来たんだ」

 やって来たのは、マグカップを二つ持ったバルクホルンだった。
 もう自室でベッドに入っていてもいい時間である。いかにも偶然通りかかった、という風を装っているが、大方わざわざ心配で見に来ていたのだろう。口にこそ出さないが、こういう細かい気配りのできる人間なのだ。

「まあ、これでも飲んで一息つけ。温まるぞ」
「ふふ、ありがとうトゥルーデ」

 マグカップに満たされていたのは温かいコーヒーだった。司令室の中に香ばしいコーヒーの香りが漂う。

「……ちゃんとお砂糖入れてくれたかしら?」
「もちろんだ。砂糖とミルク、どっちもたっぷりなのがいいんだろう?」

 実はコーヒーをブラックで飲めないミーナなのだが、そこは付き合いの長い戦友である。ちゃんと砂糖とミルクを入れてきてくれていた。ちなみにこの事を知っているのはバルクホルンとエーリカだけである。以前、抹茶を点ててくれたことがあったのだが、ミーナは結局、砂糖とミルクを入れて飲んでいた。坂本は露骨に渋い顔をしたのだが、それはまた別のお話。

「それで、悩んでいたのは沖田少尉の事か?」
「ええ……このまま隠し通すことはできないでしょうし、上層部に弄ばれるようなことにはなってほしくないわ」

 マグカップで掌を温めつつ、本音を吐露するミーナ。
 もちろん、バルクホルンとて思いは同じだ。

「そうだな……できれば共に戦えればいいんだが、難しいだろうな」
「空戦の技術はあるでしょうけど、問題は上をどう納得させるか、ね」

 正直な話をすると、軍に限らず組織というのは上に行けばいくほど腐ってゆく。
 これが権力だのなんだのと関わり合うとロクなことにならない。軍という組織などその典型といってもいいだろう。ジェットストライカー開発に躍起になっていることを鑑みれば、どうあっても本国に事実を暴露するわけにはいかないのだ。

「ところで、さっきは誰に電話をしていたんだ?」
「あぁ、私の頼れる上司よ。多分、今の私たちが一番信用出来て、一番頼れる人ね」
「……? どういう意味だ、ミーナ」

 怪訝そうな表情をするバルクホルンに、ミーナはそっと微笑んで言った。

「そのうち分かる時が来るわ。だから今はまだ内緒。ね?」
「……まあ、ミーナがそう言うなら問題はないのだろうな」

 そう言ってバルクホルンも引き下がる。

「さぁ、今日はもう寝ましょう。体を休めることもウィッチの仕事よ」
「そうしよう。――おやすみ、ミーナ」
「おやすみなさい、トゥルーデ」

 そう言ってバルクホルンは司令室を出ていき、ミーナもまた自室に戻ってベッドに潜り込む。
 緩やかに夢の世界へと落ちてゆく彼女たちを、月だけがそっと見守っていた――
 
 

 
後書き
ところで、最近、某格ゲーのラジオで「夢盛り」なる迷言が生まれました。
う~ん、これは大いに使っていきたい・・・ 

 

第七話 ネウロイとの戦い

 
前書き
ようやくまともな戦闘パートに。
倭数ばかりを無駄に浪費している気がしないでもない・・・ヤヴァイ! 

 
 和音に対する訓練と飛行許可が下りたのは、和音がこの時代にやって来て5日目の事だった。
 もうすっかり馴染んだ朝食の席で、和音はミーナと坂本に呼ばれ、そこで正式な辞令と真新しい階級章を渡されたのだ。たった5日しかたっていないというのに、驚くほど手際がいい。

「沖田和音少尉、貴官を本日現時刻を以て第501統合戦闘航空団の隊員として任命します」
「はっ! 沖田和音少尉、拝命いたします」

 略式の、それもほぼ形だけのものではあったものの着任式が執り行われ、そのあとはいつも通りの砕けた朝食となったのだが、なぜかミーナと坂本は終始ご機嫌であった。
 そして今日の午後から訓練に参加することが全員に伝えられ、さっそくストライカー選びをしよう、ということになったのである。

「じゃあ、和音ちゃんはレシプロストライカーを使ったことがないんだ」
「はい。私の時代では、一部が訓練と偵察などで使用される以外は全て退役していますから」

 コツコツと乾いた足音を響かせて格納庫へ続く廊下を歩く宮藤と和音。本来なら朝食の片づけがあったのだが、「私がやっておくから、芳佳ちゃんは和音ちゃんを手伝ってあげて」とリーネが気を利かせてくれたのである。

「えっと、格納庫で坂本さんが待ってるって言ってたんだけど……」
「いらっしゃらないようですね……」

 あとで格納庫へ来るように、との指示を受けてやって来た二人だが、なぜか呼んだ本人である坂本がいない。一体どこだろうかとあたりを見回していると――

「いや、すまんな遅れてしまって」
「あ、坂本さん!」
「只今参りました」

 格納庫の奥から、数名の整備兵らと共にユニットの固定ボルトを引っ張ってきた坂本が出てきた。

「余っているユニットを探していてな。遅れてしまった」
「坂本さん、それが和音ちゃんのユニットですか?」

 ガコン、と大きな音を響かせて格納庫の真ん中に降ろされた固定ボルトには、暗緑色に塗装されたレシプロストライカーが一機、しっかりと固定されている。

「坂本少佐、それは一体なんでしょうか?」
「ん? そうか、お前の時代ではすでに退役していたのだったな……こいつは扶桑海軍のユニットでな、『紫電改』という。私はあまり好きではないんだが、ひとまずコイツを使ってみろ」

 ――『紫電改』
 零式艦上戦闘脚と並ぶ、扶桑皇国の代表的なユニットの一つだ。
 運動性能を重視した零戦と対照的に、高速性能に優れ、一撃離脱戦法に適していたとされる。

(これが、紫電改……初めて見る……)

 教本の挿絵で見たことはあっても、飛行可能な実機を直接見るのは初めてだった。

「使い方は分かるか?」
「やってみれば、何とか」

 それを聞くと、坂本は整備兵らに何事かを耳打ちし、格納庫正面の大扉を開けさせる。
 アドリア海を臨む滑走路から、潮の香の漂う海風が吹き込んでくる。

「よし、宮藤と一緒に上がってみろ。宮藤、うまく誘導してやれよ?」
「ええっ!? 私がやるんですか!?」
「何を言っている。お前がやらないでだれがやるんだ!」

 どうやら二機編隊を組んで飛行訓練をやって見せろ、ということらしい。
 望むところだ、と和音は気合を入れる。

「では少尉、ユニットを装着してみてください」
「了解です」

 整備兵に促され、さっそく紫電改に脚を通す和音。あくまで感触をつかむだけなので、武装の類は持っていない。今回は単純に飛ぶだけだ。細かいことは坂本が地上から指示を出し、何かあれば宮藤がフォローに入る、という形だ。

「よし、まずは先に沖田が発進してみろ」
「了解! ――行きますっ!!」

 使い魔を憑依させ、魔法力を発現させる。
 全身を駆け巡る魔法力の流れをユニットに流し込んでゆく――が、何かがおかしい。

「あ、あれ……? なんで急にエンジンが……」

 いざ発進しようとしたその瞬間、勢いよくまわっていたエンジンが急に止まってしまったのだ。

「む……沖田、始動の時は魔法力の流入量を絞れ。そんなことをしたら焼けついてしまうぞ?」
「ええっ!? そうなのでありますか?」
「当たり前だ、馬鹿者ッ!!」

 素っ頓狂な声を出した和音を坂本が一喝する。
 どうやら午後の訓練は相当にハードなものになりそうだった。






《まったく……魔道エンジン始動の基本すら知らなかったとはな……》
「も、申し訳ありません、坂本少佐……」

 結局、エンジンが停止してしまったのは魔法力の過剰供給が原因であった。
 そもそも、ジェットストライカーと同じ感覚でレシプロストライカーを起動させようとすればどうなるか。冷静に考えればわかるはずだったのだが、感覚を優先させてしまった結果である。

《まあいい。それより、調子はどうだ? 何か問題はあるか?》
「いえ、問題はありません。ユニットの調子は良好です」

 発進に際してトラブルはあったものの、離陸はスムーズに行われ、飛行それ自体も安定している。坂本の目から見ても、それなり以上の空戦技術があった。

《よし、では宮藤について飛んでみろ。宮藤、しっかり誘導するんだぞ?》
「よろしくお願いします、宮藤さん」
「あ、あはは……お手柔らかにね、和音ちゃん」

 坂本が地上から合図を送ると、二人は並んで飛行を開始する。
 まずは直進し、その後上昇。機体を左右に振りつつ降下し、大きく宙返りを決めて魅せる。
 蛇行するように飛んだと思えば、今度は鋭く旋回してみる。
 いずれの軌道にも、やや出遅れる場面はあったもののしっかりと和音はついていった。

「わぁ、上手なんですね、和音ちゃん」
「なんだ、リーネか」

 目を眇めて空を仰ぎ見る坂本は、ふと隣から聞こえた声に気付いて視線を向ける。
 と、其処に居たのはリーネだった。……エプロン姿の。

「なんて恰好をしてるんだ、リーネ。もう少し慎みを持て」
「お洗濯の途中に、芳佳ちゃん達が飛んでるのが見えたんです。それで、思わず見に来てしまって」

 エプロンの裾を風に揺らしつつ、リーネが空に白い軌跡を描く二人を指さす。
 小脇に編み籠を抱えているのは、きっとさっきまで洗濯物を干していた所為だろう。

「すごいなぁ……模擬戦をやったら負けちゃうかもしれない」
「ふむ……そうだな、ペリーヌを呼んで来ればちょうど4人になるか」

 それはそれでおもしろそうだ、と思案する坂本。

「はじめはちゃんと飛べるのか不安だったけど、楽しそうでよかったです!」
「はっはっは! 当たり前だろう。なにせ、あいつも扶桑のウィッチだからな! ウィッチに不可能はない!」

 大笑して言う坂本。なんだかんだで新人の教練が生き甲斐だったりするのだ。
 リーネとしても、〝友達〟が楽しそうに空を飛んでいるのを見るのは嬉しいのである。

《坂本少佐、そろそろ着陸してよろしいですか?》
「ん……よし、2人とも今日はここまでだ。降りて来い」
《了解です》

 坂本が指示を送ると、2人の機影がみるみる地上に近づいてきて滑走路に着陸した。
 発進の時とちがい、今度は特にトラブルもなく成功させる。

「お疲れ様、和音ちゃん」
「お疲れ様でした、宮藤さん」
「芳佳ちゃん! 和音ちゃん!」

 整備兵たちにユニットを預けた和音と宮藤が格納庫から出てくる。久しぶりに空を飛べたおかげか、その表情は実に清々しいものであった。
そんな二人を、笑顔を浮かべたリーネが走って迎えに行こうとした、その時だった。


 ウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――……


「敵襲か!?」
「ネウロイだ!!」

 基地中にけたたましいサイレンの音が鳴り響き、あたりが騒然となる。

「宮藤ッ!! お前は沖田を連れて基地の中に戻れ! リーネは直ちに迎撃に出ろ!」
「了解!」
「すぐに宮藤とペリーヌを向かわせる。無理はするな!」

 坂本が素早く指示を出し、リーネが格納庫へと取って返す。

「こっち、和音ちゃん!!」
「え、あっ! 宮藤さん!!」

 呆然と立ち尽くしていた和音は、必死に手を引っ張る宮藤の声で我に返った。
 手をひかれるままに脚を動かし、基地の方へと駆け戻る。

(これが現実……この人たちは、本当にネウロイと戦っているんだ……)

 和音は、ネウロイと直接戦ったことなどない。それどころか、実物を見たのだってこの時代にやって来たあの時が最初だった。
 この時代にやって来た今だって、ネウロイという存在をどこか遠くのおとぎ話のようなものだとさえ思っていた。……そう、今の今までは。

「滑走路をあけろ!! 緊急発進だ!!」
「当基地より南西180kmにネウロイの反応! 海上から一気に接近してきます!」
「沖合からだと!? 観測班は何をしていたッ!!」

 たちまち格納庫は怒号に包まれ、よろめきながら手を引かれて走る和音の横を、対装甲ライフルを抱えたリーネが発進していく。訓練ではない、本物のスクランブルだ。僅かに遅れて発進していったのは、ペリーヌ・クロステルマン中尉だった。

(戦争……本当に戦争をやっているんだ……)

 今目の前で広がる光景は、決して銀幕の中の幻灯ではない。
 どうじようもない、現実だ。

「和音ちゃん!」
「は、はいっ!」

 どうすればいいのかわからず立ち尽くす和音に、真剣な表情をした宮藤が言った。
 すでに手には20mm機関銃を抱え、両脚にはユニットを装備していた。

「絶対に、自分の部屋から出ちゃダメだからね! 和音ちゃんは私が守るから!」
「宮藤さん……」
「これを持ってて。これがあれば、私たちは一緒だから」
「…………?」

 そう言って宮藤が差し出したのは、和音から見れば前時代もいいところなインカムだった。
 501部隊のマークが描かれたそれを、宮藤はそっと和音の耳に当てる。

「大丈夫、心配しないで」
「ぁ……ぅ……」

 この世界では、こんなことは日常茶飯事なのだ。
 さっきまでにこやかに笑い合っていられたのに、ひとたびサイレンが鳴り響けば銃を抱えて空に上がって、死ぬかもしれない戦いに身を投じる。生きて帰ってこられる保証など、どこにもないというのに。
 じゃあね、と言って、そのまま宮藤は滑走路に向かって行ってしまった。
 徐々に小さくなってゆくその背中を、和音は何もできずに見つめていた。





《リーネさん、聞こえる? 現在宮藤さんとペリーヌさんがそちらに向かっているわ。先行して敵を引きつけて》
「了解!」

 いち早く空に上がったのはリーネだった。基地から発せられる無線に答えを返すと、徐々に大きくなってくる黒点に向けてライフル――『ボーイズMkⅠ』を構える。

「ネウロイ確認! 距離3,000! 高速の中型が一機!」

 基地へ状況を知らせつつ、基地へ向かわせまいと狙撃で牽制する。
 大型ネウロイの装甲すら抉り撃つ大型ライフルの一撃だ。自らが狙われていると知るや否や、ネウロイは進路を大きく変え、上昇して振り切ろうとする。

「追撃しますわよ、リーネさん!」
「お待たせ、リーネちゃん!」
「ペリーヌさん、芳佳ちゃん!」

 空になった弾倉を素早く交換するそこへ、基地から飛び立ったペリーヌと宮藤が合流する。

「前衛をわたくしと宮藤さんが、後衛をリーネさんに頼みますわ!」

 素早くペリーヌが指示を飛ばし、三機編隊を組んで逃げたネウロイを追撃する。
 反転して逃げようとするネウロイに追いすがり、宮藤とペリーヌが機銃の雨を浴びせかける。
 たまらず離脱しようとするも、リーネの絶妙な狙撃がそれを許さない。

「見えた! コアだ!」

 粘り強い攻撃の果てに、遂にネウロイのコアが露出する。
 ここぞとばかりに火力を集中させ、ネウロイのコアを木端微塵に吹き飛ばそうとした、まさにその時だった。

「――――っ!! ダメ、芳佳ちゃん、ペリーヌさん、避けて!!」
「えっ……!?」
「な、なんですのこれは!?」

 槍の穂先のような形状のネウロイが、突然真っ二つに折れたのだ。
 ――いや、折れたのではない。これは〝分裂〟だ。

「囲まれる……二人とも離れて!!」
「くっ……引きますわよ、宮藤さん!」

 包囲されることの不利を悟ったリーネが、狙撃で一体を牽制し二人から引き剥がす。
 しかし、不意を突かれた二人が安全圏まで離脱して体勢を立て直すには、リーネの狙撃だけでは不十分であった。
 分裂した二体のネウロイは、やおら反転して向きを変えると、先ほどまでのお返しとばかりに情け容赦のない攻撃を仕掛けてくる。思えば、はじめからこれも計算のうちだったのかもしれない。先ほどまでの優勢は失われ、今や3人は間断なく浴びせられる火線に捉えられてしまっていた。
 シールドでネウロイのビームを捌き続けるにも限界がある。そして不意を突かれれば突かれるほど、その限界は自ずと早くやってくる。そして遂に、捌ききれなかったネウロイのビームがシールドを貫通し、宮藤のユニットを直撃した。

「きゃああぁぁッ!!」
「宮藤さん!?」
「そんな、芳佳ちゃん!!」

 右足のユニットが黒煙を噴き上げ爆発し、小柄な宮藤の体が海面に向けて落下してゆく。
 それを好機と見たか、二機のネウロイが猛然と追撃をかける。

「間に合え――――っ!!!!」
「お願い、目を覚まして芳佳ちゃん!!」






《きゃああぁぁッ!!》
「そんな、宮藤さん!!」

 和音は、耳にはめたインカムから流れ込む宮藤の悲鳴を聞いてしまった。
 ――撃たれたのだ。他ならぬ、あのネウロイによって。

(宮藤さん、どうして……)

 ほんの十数分前まで笑っていられたあの人が、どうして……
 和音の手足が知らず震えていた。訓練ではない、本当に撃たれて死んでしまう現実が、今目の前で起きているのだ。

(こんなとき、私はいったいどうすればいいの……?)

 自分の無力がどうしようもなく悔しい。
 ウィッチとして戦う力を持ちながら、目の前で傷つく人を救えないなど――

「――――嫌だ」

 こんなところで、膝を抱えて泣いているなんて絶対に嫌だ。
 自分がウィッチになったのは何のためだ? 誰かを護れるからではなかったのか?
 だとするなら今自分がやるべきことは何だ?

(でも……だけど……)

 ドアノブに掛けた手が止まる。
 本来なら、和音はこの時代に存在しない異分子だ。イレギュラーだ。
ここで手を出せば、ひょっとしたら未来が変わってしまうかもしれない。
 傷つかなくてもいい人が傷ついてしまうのかもしれない。
 たとえ何があろうとも、けっして過去に干渉してはいけないのかもしれない。

(どうしよう……どうすればいいの……)

 ――助けに行きたい。しかし、助けに行ってはいけないのかもしれない。
 その葛藤が、和音の心を締めあげる。

(こんな時、お祖母ちゃんだったらどうしただろう……)

 優しく暖かかった祖母。同じようにウィッチとして飛んだ祖母なら、どうしただろうか?
 我が身可愛さに他人を見捨てだろうか? 目の前で苦しむ人を見捨てただろうか?

(……ううん。お祖母ちゃんなら、きっとそんなことはしなかった)

 自分は誇り高い扶桑のウィッチだ。目の前で苦しむ人を見捨てるような人間に、ウィッチでいる資格などない。
和音はドアを蹴破るような勢いで開け放つと、弾丸のような勢いで廊下を駆けてゆく。転げ落ちるように階段を降りると、そのままの勢いで格納庫へと飛び込んだ。

「何をしている、沖田! 自室で待機していろと宮藤から――」
「申し訳ありません、坂本少佐。命令違反をお許しください!!」
「なんだと!?」

 無線機を握る坂本の制止を振り切って、和音は自らの愛機――F-15Jに飛びつく。
 両足をユニットに突っ込み、魔法力を流入させる。オオワシの翼と尾羽が顕れ、格納庫を魔方陣の淡い燐光が照らし出す。

「自室禁錮でも始末書でも営倉でもなんでもします!! だから、行かせてください!!」
「沖田、お前は……」

 だがしかし、その先を坂本が言うことはなかった。
 何かを悟ったように小さく笑った坂本は、呆れたようにかぶりを振ると作業員たちに告げた。

「……まったく、この大馬鹿者め。――格納庫正面の扉を開けろっ!! 沖田が出るぞ! 総員、ジェットストライカーの余波に備えて退避!」

 応! と頼もしい声で整備班らの兵士らが答え、正面の大扉が開いてゆく。
 魔法力を得た魔導ターボファンエンジンが唸りをあげ、その暴力を解き放たんと身を震わせる。

「行ってこい、沖田!」
「はい!」

 固定ボルトが解除され、和音の手にJM61A-バルカンが握られる。
 眼前には開け放たれた滑走路。火器、電装系、あらゆる箇所に異常はない。

「沖田和音、行きます――――っ!!!!」

 轟雷の如き爆音を轟かせ加速するF-15Jは、瞬く間に滑走路を突破し空へと身を躍らせる。重力の縛りを嘲笑うかのように力強く上昇してゆくその様はどこまでも頼もしかった。

「頼んだぞ、沖田……」





「リーネさん、宮藤さんを連れて離脱して! ここはわたくしが!」
「でも、ペリーヌさんを置いていくなんて……!」

 リーネとペリーヌは、意識を失った宮藤を護りながら戦線を離脱しようとしていた。しかし、宮藤を抱えるリーネは攻撃ができないばかりか機速も稼げず、さらにそれを護るペリーヌの負担はもはや限界に達しかけていた。

「くっ……トネール!!」

 ペリーヌの隠し玉である固有魔法『トネール』
 本人の魔法力を雷撃に変換し、ネウロイを攻撃できるそれも、疲弊しきった今では十分な威力を発揮できなかった。

(たとえわたくしが墜ちようとも、宮藤さんとリーネさんだけはやらせませんわ!)

 必死にシールドを張ってビームをはじくペリーヌ。なんとか隙を見つけて離脱しようとするも、二機の同時攻撃はそれを許さぬ苛烈さがあった。

「もう……ダメ……」

 シールドが見る間に薄くなり、ユニットのプロペラが切れかけの電灯のように明滅し出す。
 魔法力の限界がすぐそこまで迫っている証拠だった。

(ここまで……ですの……?)

 視界を覆い尽くす赤いビームがシールドを容赦なく削り落とす。
 その猛攻の前に、ついにペリーヌは死を覚悟した。なけなしの勇気を振り絞り、たとえ自分が死んだとしても後ろの二人をやらせまいと、大きく腕を広げて立ちはだかる。

「ペリーヌさん!!」

 リーネが絶叫し手を伸ばす。
 もはや何もかもが手遅れに思えた、永遠にも似た一瞬。
 しかし――

「…………?」

 〝その瞬間〟は、いつまでたってもやってこなかった。
 かわって聞こえてきたのは、天を裂くような凄まじい排気音。

「ま、まさか!?」

 恐る恐る目を開けたペリーヌは、己の予感が正しかったことを知る。

《クロステルマン中尉、リーネさん、宮藤さんを連れて離脱してください!》
「あ、貴女は基地に居たはずでは!? それにそのユニットは――」
《話はあとです! 援護します!》

 音速で飛来するF-15J型。新たな脅威の出現に、ネウロイが散開して距離をとる。
 猛然と加速してネウロイに挑みかかる和音の姿を、ペリーヌとリーネは呆然と眺めていた――





「見つけた! あれが、ネウロイ……!」

 基地から飛び立った瞬間、既に和音の目はネウロイの姿を捉えていた。
 和音の固有魔法である『魔眼』のなせる業だ。〝鷹の眼〟とも評される遠距離視は、水平線の果てまでをも見通してみせる。
 最大推力で飛ぶ和音の目には、3人を容赦なく追いつめるネウロイの姿がはっきり映っていた。巨大で、無機質で、得体のしれない禍々しい人類の敵。その姿を見るだけで、本能的に恐怖が背筋を駆け抜ける。
 しかし――

「沖田和音、交戦開始ッ!!」

 助けたい人がいる。守りたい人がいる。
 それを思えば、この程度の恐怖なぞどうという事はない。

(AIM7スパロー、AIM9サイドワインダー、JM61A1バルカン、全兵装オールグリーン……!!)

「行くぞ――イーグルⅡ、FOX1!!」

 無意識にかつての自分のコールサインを叫び、中距離誘導ミサイルを発射する。
 大気を裂いて飛ぶミサイルが、急降下して退避するネウロイを猛追し命中する。爆散したネウロイの装甲は、しかしたちどころに再生して露出したコアを隠してしまう。

「だったら……これでどうだッ!!」

 和音は両手に握るJM61A1バルカンを構える。最大で毎分12,000発という凶悪な発射速度を誇るバルカンの前では、たとえネウロイの装甲といえども紙屑同然に粉砕する。

「もらった!!」

 上空から、さながら獲物を見つけた鷹の如く急降下する和音。
 和音が最も得意とする一撃離脱戦法――〝ズーム・イン・ダイブ〟と呼ばれる戦法だ。
 無防備に背中を見せるネウロイに向け、JM61A1が金切り声をあげて弾丸を叩き込む。吐き出された弾丸は容赦なくネウロイの体表面を抉り撃ち、回復させる暇を与えず木端微塵に粉砕した。

(まずは一機……ッ!?)

 極限まで研ぎ澄まされた第六感が本能的に体を横滑りさせていた。
 その瞬間、和音の死角からもう一機のネウロイがビームを放って接近してくる。

「まだまだァ!!」

 シールドを展開してビームを正面から弾き飛ばす和音。堅実な設計が功を奏し、F-15のシールド能力は非常に高い。この程度の火力であればまるで脅威にならないほどだ。
 急降下して稼いだ機速を活かし再度上昇。追ってくるネウロイを視界に収めつつ、鋭く宙返りして背後をとる。

「イーグルⅡ、FOX2!!」

 放たれたAIM9サイドワインダーがネウロイを捉え、背後から命中し爆散させる。コアが硬質な音を立てて砕け散り、それに連鎖するようにネウロイの体が崩壊し、細かな破片となって消えていった。

「はぁ……はぁ……敵戦力の撃墜を確認。クロステルマン中尉、リーネさん、無事ですか?」

 和音の呼びかけにはっとしたペリーヌらは、ここに至ってようやく自分たちが助かったのだと実感した。しかし、決して楽観視できる状況ではない。

「み、宮藤さんが……」
「分かりました。急いで基地まで運びます。ジェットストライカーのほうが速いです」

 言うが早いか和音は宮藤を抱きかかえ、手持ちのバルカンを腰の後ろにマウントすると、魔法力切れの迫ったペリーヌとリーネをも強引に抱き寄せる。ペリーヌに至っては抱きかかえるというよりもしがみつくという方が正しかったが、そんなことを気にする余裕などなかった。

「お、沖田さん!? いったいなにを……」
「少し揺れますよ。しっかり掴まっててくださいね、中尉」
「え? ええっ!?」

 途端、凄まじい加速がかかる。アフターバーナーを点火したのだ。
 生身であれば到底耐えられない音速の衝撃波も、今は和音のシールドによって守られている。

(これが、ジェットストライカーの力ですの……?)

 治癒魔法の使い手がいない以上、一刻も早く基地に帰還しなくてはならない。
 推力にモノを言わせた和音は、わずか数分でロマーニャ基地上空まで到達し、負傷した宮藤を気遣って揺れと衝撃を最大限に抑えながら着陸を成功させた。

「しっかりしてください、宮藤さん!!」
「目を開けなさい、宮藤芳佳! 勝手に死ぬなんて許しませんわよ!」
「おねがい、返事をして芳佳ちゃん!」

 ユニットから弾かれるようにして基地に降り立った和音は、しっかりと腕に宮藤を抱きかかえ、基地から駆け出してきた医師に託す。その横には、真っ青な顔をしたミーナや坂本らの姿もあった。

「うぅ……和音、ちゃん……?」
「気がついたんですね、宮藤さん!」

 担架に乗せて運ばれるその時、宮藤の口から呻き声が洩れた。
 弱々しくはあったものの、宮藤ははっきりと和音を見つめて笑顔を浮かべた。

「あはは……また助けてもらっちゃったね……あり、がと、う……」
「芳佳ちゃん!」
「宮藤さん!」

 それっきり再び意識を失う宮藤。
 基地の医療スタッフらが素早く担架を運んでゆく。

「急げ! まだ希望はある。何としても助けるんだ!」
「すぐに治療の用意を!」

 その姿を呆然としたまま見送った和音は、極度の緊張と恐怖から解放された反動からか、急速に体から力が抜けてゆくのを自覚した。先ほどまで体に満ちていた魔法力さえ抜け出ていくようだ。

「宮藤さん……無事で、良かった……」
「和音ちゃん!? しっかりして!」

 視界が反転し、そのまま崩れ落ちる和音。誰かに抱き留められる感触を感じながら、そのまま和音は意識を手放したのだった。

 
 

 
後書き
そう言えば、今日久々に大宮でブレイブルーをプレイしてきました。
・・・なんというか、大宮のゲーセンのマナーの悪さが昔以上に悪化していてビビったり(笑)
たぶん、関東で一番初心者に優しくない地区が大宮・浦和あたりなんだろうなぁ。 

 

第八話 カモミールティー

 
前書き
影絵PVで有名な「Bad Apple!!」のアレンジバージョンが、某有名SF小説に引用されてビックリした今日。
最近読んでる本がSFばっかりな気がしないでもなかったり・・・
あ、8月は少し更新が途切れがちかもしれません。墓参りとかもあるので。 

 
「ん……あれ、わたしは……?」

 目が覚めてみると、そこは基地の医務室だった。
 清潔なシーツと、鼻の奥がツンとする薬の匂い。壁にかかった古めかしい振り子時計は、ちょうど七時を指していた。窓の外はすっかり暗くなっていて、今が夜だという事を和音に教えてくれる。

「そっか……わたし、魔法力切れで倒れたんだ」

 徐々に和音の頭が覚醒し、記憶が蘇ってくる。
 アフターバーナーを全開にして基地に帰投した和音は、極度の疲労と魔法力の消耗によって意識を失ってしまったのだ。
 誰かいないのだろうかと和音が辺りを覗った時、不意に医務室のドアがノックされて、お盆を手にした一人のウィッチが入って来た。

「――ようやく気がついたんですのね。まったく、扶桑のウィッチはお寝坊さんですこと」
「あ、クロステルマン中尉……」

 やってきたのは、お盆を手にしたペリーヌだった。そういえば、いつかもこんな風なことがあったなぁ、と思い返しながら、和音はベッドから起き上がろうとする。

「病み上がりの体で無理をするものではありませんわよ」
「ですが、クロステルマン中尉……」

 なおも和音が食い下がると、ペリーヌはフッと微笑んでから言った。

「ペリーヌ、で構いませんわ」
「あっ……ええっと、それは、その……」
「あら? それとも命令される方がお好みかしら?」
「……いえ、結構です、ペリーヌさん」

 素直でよろしい、と頷いて、ペリーヌはベッド脇のサイドテーブルに盆を乗せる。よく見ると、そこに乗っていたのは見るからに高級そうなティーセットだった。

「……昼間は、貴女に助けられてしまいましたわね」
「えっ?」
「正直、あのままでは共倒れでしたわ。本当にありがとう」

 涼やかな眼差しが和音を覗き込み、そっと微笑んで和音の髪を撫でた。

(わ! わわわっ!! ペリーヌ中尉!?)

 ベッドで半身を起こしたままの和音は思わず頬を赤くしてしまう。が、幸いにも室内は薄暗く、ペリーヌが気がついた様子はなかった。

「あ、あの! 宮藤さんはどうなりましたか?」
「もちろん無事ですわ。まったく、野生動物のような生命力ですのね、貴女よりも早く目を覚ましましたわよ?」

 そう言うと、ペリーヌは慣れた手つきでティーセットを取り上げ、凝った装飾の施されたポットから、温かな湯気の立つ何かをカップに注ぐ。一体なんだろう、と首をかしげる和音に、ペリーヌはカップを差し出した。

「ペリーヌさん、これは?」
「カモミールティーですわ。実家のハーブ園から取り寄せましたの」
「なんというか、かわったお茶ですね」

 手渡されたカップをおっかなびっくりで受け取り、「これ一杯で一体いくらするんだろう?」などという庶民臭さあふれる感慨に浸りつつ、促されるままに一口飲んでみる。

「あ……すごい」

 喉を伝い落ちて胃におさまった瞬間、優しい温かさがじんわりと体を包んでゆくではないか。
 ハーブティーにある種の薬効があるという事は、知識としては知っているものの、体験するのはこれが初めてであった。

「カモミールティーには安眠の効果がありますのよ。今日は疲れたでしょう? もうお休みなさい」
「ぁ……はぃ……」

 早くもリラックス効果が出始めたか、それとも溜まりに溜まった疲労の所為か、和音の瞳がトロンとしてくる。それを見たペリーヌが、さりげない仕草で和音をベッドに横たえ、そっと毛布を掛け直してやる。

「――お休みなさい、沖田さん。よい夢を」
「………………」

 安らかな寝息をたてはじめた和音を見て安心したのか、ペリーヌはカップを片付けてそっと医務室を後にする。一部の隙も無いその立ち居振る舞いは、まさしく貴族の鑑であるかのようだった。





 ――翌朝

「おはよう、和音ちゃん」
「おはようございます、宮藤さん」

 すっかり体力を回復した和音は、朝食を摂りに食堂へとやって来ていた。
 本日の朝食は和食のようで、食堂には味噌汁の香りが漂っている。おまけに箸まで全員分が用意されていて、扶桑人ではないのに箸が使えるのか、と和音は軽く衝撃を受けた。

「気分はどうかしら? 沖田さん」
「あ、ペリーヌさん」

 先に食堂に来ていたと思われるペリーヌが、見事な金髪をかき上げながら挨拶する。
 てっきり洋食贔屓と思っていた和音だが、ちゃっかり「ぺりぃぬ」と書かれた湯呑を手にしている辺り、和食も嫌いではないのかもしれない。もっとも、湯呑に入っているのは紅茶なのだが。

「昨夜はありがとうございました。カモミールティー、美味しかったです」
「べ、別に! 部隊の一員として当然の事をしたまでですわ! これも高貴なる者の義務でしてよ!」

 ぺこり、と頭を下げた和音に、ペリーヌは頬を赤く染めてそっぽを向いてしまう。滅多に見せないペリーヌの姿に、居並ぶ一同は唖然とするが、当事者である2人は全く気がついていない。

「む、沖田少尉。体はもう平気なのか?」
「バルクホルン大尉、おはようございます。体はもう平気です」

 和音が席に着くと同時に、バルクホルンが食堂に入ってくる。早寝早起きを信条とする彼女にしては珍しく遅いが、その原因は彼女の小脇にがっしりと抱えられていた。

「う~、まだ眠いよトゥルーデ……あと72時間……」
「何を言っているハルトマン! もう朝だ! いい加減起きろ。ほら、せっかくの朝食だぞ?」
「……朝ご飯じゃなくて朝お菓子がいい」

 ぬぼー、っとした表情のままバルクホルンに抱えられているのはエーリカだった。
 これで全員が食堂に揃ったことになる。

(あれ……?)

 しかし、そこで和音はふと奇妙な違和感に気がついた。
 和音の記憶が確かなら、第501統合戦闘航空団の隊員数は11名だった筈だ。なのに、今ココには自分を除いて9人しかいない。――2人足りないのである。

「あの、坂本少佐」
「どうした、なにか気になるのか? 沖田」
「ええっとですね、人数が足りないような気がするんですが……」

 やや遠慮気味に和音がそう言うと、坂本は一瞬面食らったように眉を寄せ、ややあってから合点がいったように小さく頷いた。

「ああ、それはエイラとサーニャだな」
「えいらとさーにゃ?」

 なにそれ絵本? と思った和音は首を捻る。
 すると、横からミーナが助け舟を出してくれた。なぜだろう、ミーナもペリーヌと同様に「みぃな」と書かれた湯呑を手にしている。……流行り、なのだろうか?

「スオムス出身のエイラ・イルマタル・ユーティライネン中尉と、オラーシャ出身のナイトウィッチ、サーニャ・V・リドビャク中尉ね。主に夜間哨戒を担当してもらっているから、この時間には起きてこないのよ。沖田さんは、まだ会ったことがなかったかしら?」
「はい、お名前だけなら存じ上げているのですが……」

 活動時間帯のズレに加え、和音がこちらの時代に来てからわずか一週間程度。
 さすがに夜間哨戒組と直接顔を合わせる機会はなかった。

「まあ、サーニャとエイラに会うのは当分先だろうな。ところで沖田。今日はお前に客が来ることになっているぞ」
「わたしに、でありますか?」

 意外そうな顔をする和音。それはそうだろう。知り合いも血縁もいないこの時代に和音を訪ねてくる人間など、憲兵団くらいしか思いつかないのだから。

「心配しなくても平気よ。来るのは私の上司だから」
「ミーナ中佐の上司、というと……」

 部隊の隊長がミーナである以上、その上官となれば必然的に軍の上層部に絞られてくる。あまり関わり合いになりたくない類の人間がウヨウヨしているところだ。が、坂本とミーナの顔に不安そうな色はない。

「なに、お前のジェットストライカーの事で相談があるだけだ。安心しろ」
「はぁ……」
「午後にはこちらへ到着の予定だ。今日はネウロイの襲撃予報も出ていない。各自、好きに過ごしてくれ」

 そう言って坂本が締めくくる。
 炊き立てのご飯を味わいながら、和音はやってくる『お客』の事ばかりを考えていた。





 ――ロマーニャ基地 司令室

「沖田和音少尉、参りました」
「どうぞ、開いているわ」

 午前の訓練を終え、シャワーを浴びて身だしなみを整えた和音は、やってくる『お客』のため基地の司令室にやって来ていた。特に心配する必要はないといわれてはいたが、それでもやはり不安は募る。

「もうじきいらっしゃる筈よ。しばらくそこで待って居て頂戴ね」
「は、はい……」

 所在なさげに室内を見渡す和音。落ち着いた調度品で飾られた司令室は、きっとミーナの趣味だろう。机に山と積まれた書類の束が、隊長職の重責と苦労を無言で物語っている。
 いったいどれくらいそうしていただろうか、にわかに扉の向こうが騒がしくなり、司令室の扉がノックされる。

「ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐、ご在室でしょうか? 閣下が到着されました」

 扉の向こうから聞こえたのは若い男の声だった。従卒か、あるいは衛兵の誰かだろう。カリカリと書類にペンを奔らせていたミーナが顔を上げ、「すぐにお通しして」と告げる。僅かな沈黙があった後、今度はノックもなしに大きく扉が開け放たれた。



「――やぁ、君がミーナの言っていた〝未来から来たウィッチ〟かい?」



(こ、この人は……まさか!?)

 地厚のフライトジャケットに黒のレザーパンツ。
 切れ長の眼差しを優しげに眇めながら、首から提げたライフルスコープを弄ぶ。
 一目しただけでエースと分かるほどの風格を漂わせているのに、一切の力みを感じさせないその立ち居振る舞いは、まるで女優か何かのようだ。

「初めまして。カールスタント空軍中将、アドルフィーネ・ガランドだ。よろしく頼むよ、沖田和音少尉殿」

 さりげなく差し出された手を夢心地で握りつつ、和音はまるで幽霊にでも出会ったかのように呆然としたまま、促されるままに席に座る。


 ――カールスラント空軍ウィッチ隊総監 アドルフィーネ・ガランド中将
 それが、和音を訪ねてやって来た『お客』の正体だった。
 
 

 
後書き
【元ネタ&用語解説】 めちゃくちゃ久しぶりのコーナー。今回はガランドさん。

『アドルフィーネ・ガランド』

カールスラント空軍ウィッチ隊総監にして、第44戦闘団司令。階級は少将。
多くの撃墜スコアを持つエースであると同時に、現場の状況を気にかけてやれる有能な指揮官。
ウィッチの中でも最も高い地位に居る人といえばこの人。ちなみに坂本に魔眼の扱いを教えた人でもあったり。アニメ第2期での501歳結成に際して大きく便宜を図ってくれた。
ジェットストライカーに興味があり、わざわざそのために部隊を指揮下に置いている。
なぜかリーネにご執心らしく、隙あらば貰おうとしているのだとか。
元ネタは元ドイツ空軍のパイロット「アドルフ・ヨーゼフ・フェルナント・ガランド」
ナチス色が少なく、戦後も悠々自適の生活を送った生粋の飛行機乗りだったそうな。 

 

第九話 アドルフィーネ・ガランド

 
前書き
BF3の戦闘機操作は難しい・・・背後をとって機銃を当てるのがいかに大変か。
ウィッチはいとも簡単にやってますが、ある種神業的なテクニックなのかも。

ところで艦これを始めようとしたら新規受付を中止せざるを得ないほどアクセスが集中してるとか。
ドンだけ人気なのやらw拙者も早いところ島風ちゃんペロペロしたいれす^p^ 

 

 ――アドルフィーネ・ガランド

 カールスラントはもとより、扶桑においてもその名を轟かせる大エース。
世界各国のエースらと比較しても決して遜色ない戦果を持つだけでなく、現場の意見や状況を的確に判断できる優秀な指揮官として数々の激戦を戦い抜いた。ジェットストライカーに対して並々ならぬ関心を抱き、一線を退いた後も自身の創設した部隊で積極的に試験を行ったという、後世における影響も大きかった偉大なウィッチ。
 まさに雲の上のような存在が、今和音の目の前に立っていた。

「久しぶりだね、ミーナ。それに坂本も。魔眼の扱いが随分巧くなったみたいじゃないか」
「お久しぶりです、ガランド少将」
「その節は大変お世話になりました」

 それだけではない。
 かの有名な501部隊の隊長格2名を前にして、緊張するどころかまるで自室のようにリラックスしているではないか。まるで友人と雑談でもしているかのような気負いの無さに、和音は驚きを通り越して眩暈さえ覚えたほどだ。

「紹介が遅れたわね。こちらはアドルフィーネ・ガランド少将。私と同じカールスラント空軍のウィッチで、501の再結成にも力を貸してくれたの」
「お、沖田和音であります! 扶桑皇国出身で、階級は少尉です!」
「あっはっは! 元気があっていいじゃないか。噂通り、面白そうな素材のようだ」

 快活に笑うガランド。とても軍の上級将校とは思えない。
 この気さくさと、経験に裏打ちされた指揮能力こそが、彼女を人望ある将校へと押し上げている。

「……ふぅん、話に聞いたときは宇宙人か何かを想像したんだが、案外かわいい子じゃないか」
「へっ!?」

 興味深そうにしげしげと和音の顔を覗き込んでいたガランドはそう言うと、パンパンと手を叩いてミーナを呼んだ。さすがに少将というだけあってその態度も堂に入ったものだ。

「あー、沖田。今日ガランド少将に来てもらったのは他でもない。お前と、お前のユニットの処遇についてだ」
「なにか、決まったんですか?」

 咳払いをした坂本が言う。上層部に話が言っているという事なら、なにがしかの処遇が決定され、それを伝えに来たのだろう。和音はそう思った。

「それについてはガランド少将から直接お話してもらう。……少将、よろしいですか?」
「ああ、かまわないよ坂本」

 普段はミーナが座るソファにどっかりを腰を沈めてガランドは言った。おもむろにジャケットのポケットを探って煙草を取り出すと、ちらりとミーナに視線をやってからマッチの火を近づける。大きく一服して紫煙を吐き出したところで、ガランドはようやく和音に向き直った。

「――さて、沖田和音少尉、だったかな?」
「はい」
「君の事は一応ミーナと坂本から聞いているよ。未来から来たウィッチ、だとね」
「………………」

 泰然と座るガランドに向き合う和音。ただ向き合っているだけなのに、感じるプレッシャーに押しつぶされそうだった。

「正直なところ、君の処遇に関して私も取るべき道を決めかねている」
「――――っ!!」
「なにしろ、君が未来人であるという決定的な証拠はないんだ。……ただ一つ、あのユニットを除いてはね」
「……ジェットストライカー、ですね」
「その通り。機体に関しての報告も受けているが、アレだけはどう考えても現行技術の産物ではないだろう。そもそも、ジェットストライカーだってようやくエンジンの開発にめどがついたところだ」

 口元の煙草をくゆらせながら言うガランド。何か言いたげなミーナを視線だけで黙らせると、やおらガランドは身を乗り出してこう和音に持ち掛けた。

「そこで、だ。わたしから君に提案がある」

 そう言ってガランドは一旦言葉を切ると、和音の反応を窺うように言った。

「――君の処遇を、君自身で決めてみる気はないか?」
「はい……?」

 これには流石の和音も瞠目した。どんな通告をされても受け入れる覚悟を固めていたつもりだったが、まさか逆に自分自身で処遇を決めろなどとは……しかし、そこまで考えた時に和音は気がついた。
 
結局のところ、自分はこの時代でどうしたいのだろうか――

 何よりも大切な筈のそれを、思えば一度も考えていなかった。
 だから、和音はガランドの提案に対し咄嗟に答える事ができなかった。

「おや、まさか自分がこの先どうしたいのかを考えていなかったわけかい? そんなことはないだろう?」
「そ、それは……」

 まるで和音を試すように鋭く追及してくるガランド。
 坂本とミーナは依然として何か言いたげな表情だが、ガランドは決して口を挟ませない。
 
(わたしは……わたしは……)

 みんなを守りたくて、自分はウィッチになった。
 だけど、この時代に、和音が守ろうと思った〝みんな〟はいない。
 同時に、ともすれば未来を変えてしまいかねないイレギュラーでさえある。

「君のこれからは君自身が選ぶんだ。わたしは、何も強制するつもりはないよ」
「う…………」

 だけど、本当にそうだろうか? 
 和音はこの時代に来て出会った〝みんな〟を思い出す。宮藤も、リーネも、ペリーヌも、501の誰もが和音の仲間だ。それを守ろうと思うのは、ウィッチとして当然のとこではないだろうか?
 未来を変えてしまうかもしれない――だけど、それを言うなら自分はもう何度も過去に干渉している。そもそも、この時代にやって来てしまった事自体がイレギュラーなのだ。
 ――ならば。
 ウィッチとして、自分が取るべき道はただ一つだ。

「……ガランド少将」
「なにかな、沖田少尉」
「一つだけ、お願いがあります」
「――いいだろう、言ってみなさい」

 依然として鋭い眼光を向けたままガランドは言った。
 その瞳を正面から見据え、和音は大きく深呼吸してから大きな声で願いを口にする。

「どんな仕事でも引き受けます。だから、私をウィッチでいさせてくださいっ!!」

 ウィッチでいたい。誰かを守れる存在でいたい。それが、和音の本心だった。
 すると――

「あっはっはっはっは!! 合格だ、沖田少尉」
「えっ……?」
「うむ、さすがは扶桑のウィッチだな!」
「ふふっ、沖田さんらしい良い答えだわ」

 突然、痛いほどの緊張に包まれていた司令室に笑い声が弾けた。
 和音はわけがわからず慌てるばかりで、ようやく息をついたガランドがタネを明かす。

「いや、君を試すような真似をしてすまなかった。まあ座ってくれ」
「はぁ……」

 示されるまま椅子に座ると、ガランドは話し出した。

「君の処遇に関しての心配はいらない。既に坂本が手を回しているからね。だから君は、誰に何を憚ることもなく此処――第501統合戦闘航空団の一員として居ていいんだ」
「あ、ありがとうございます!!」
「今日私がここに来たのは、一つは君が信頼に足るかを確認するため。そしてもう一つがジェットストライカーについてだ」

 一旦言葉を切ったガランドの後を坂本が引き取って続ける。

「一応、お前の原隊は横須賀の海軍ウィッチ部隊にしておいた。そこから私と一緒に501に来たことになっている。痛くもない腹を探られることはないから安心しろ」

 どうやらすでに身元についての根回しは済んでいるようだった。
 残る懸案事項はジェットストライカーのみとなったが、今回の案件がどうもそれらしい。

「単刀直入に言おう。あの機体をカールスラントでテストさせてくれないか?」
「私のF-15を、ですか?」
「ああ。今後の開発に少しでも弾みをつけたいんだ」

 この提案に、和音は戸惑った。たしかに、機体のテストによって得られる情報があれば、開発に大きな弾みをつけることは可能だろう。しかし、そう簡単に渡してしまっていいモノなのかどうか。こと先端技術、それも未来の産物とあっては、利権や特権欲しさに飛びついてくる輩だって多い筈なのである。

「――知っての通り、欧州は激戦区だ。先立っての戦闘で504部隊が大きく被害した今では、501が欧州防衛に大きな役割を担っている。わたしは、使えるものならなんだって使いたいんだ」
「ガランド少将……」

 和音はしばし黙考する。この時代において、扶桑空軍の隊規や機密保持などの制約は全て意味を持たなくなってしまっているが、おいそれと渡すことはできない。理屈云々を抜きにしても、愛機を他人の手に預けるのはやはり気が引ける。ガランドを含む三人が注視する中、考えをまとめて和音は口を開いた。

「一つだけ、条件があります」
「なんだい?」
「ガランド少将が直接ご自分でテストをなさってください」

 これには流石のガランドも驚いたようだった。身を乗り出してワケを問う。

「それはつまり、わたしの部隊でテストしろ、ということかな?」
「もちろんそれもありますが、ガランド少将自身にもテストして頂きたいのです」
「……それはなぜだ?」
「一つには、直接体験したほうが得るものが多いと言う事。二つ目は、誰とも知らない人に機体を預けたくないこと。そして三つめが――」

 そこまで言って和音は少しばかり遠慮がちに言葉を継いだ。

「その、ガランド少将はやっぱり空が好きなんじゃないかなぁ、って思ったので……」

 途端、キョトンとして成り行きを見守っていたガランドが腹を抱えて爆笑する。

「はははっ!! そう来たか! うん、いいよ。私が直接テストしよう。ただ、ここでは無理だな。一度、本国の実験部隊に持ち帰らんことにはどうにもならない。なに、上の連中は私が黙らせるさ」

 どうやらガランドも納得がいったらしい。
 さっと席から立つと、煙草を灰皿に押し付けてドアの方に向かう。すぐにでも機体を持ち帰りたいのだろう。どこの馬の骨とも知れぬ将校に機体や情報を渡すのは嫌だったが、この人なら信頼できる――和音はそう思った。

「さっそくで済まないが、機体を貰っていくよ。テストが終わって、そうだな……2週間後にはひとまず君の下に返還する。それでいいかな?」
「構いません。ただ、万が一壊れた際には整備も修理も不可能です。それを理解しておいてくださいね?」

 胸に刻んでおくよ、と言い残して、ガランドは司令室を出ていった。視察や訪問に長ったらしい時間をかける文官寄りの将校とは違う、何事にも行動的な彼女の性格がそのまま表れているようでもあった。

「……渡してしまって、良かったのか?」
「はい。どのみち、いつまでも隠しては置けないでしょうから」

 坂本の問いに答える和音。

「そうか、お前がいいならそれでいい。以後の訓練では紫電改を使うとしよう」
「了解です」

 かくして、未来の産物であるF-15は、一時的にカールスラントの手に渡ることになった。
 その成果が目に見える形で和音たちの目の前に現れるのは、もう少し先の事である――
 
 

 
後書き
ちゃんとユニットは帰ってくるのでご安心を。
多分おまけつきで帰ってきます。 

 

第十話 夜間飛行①

 
前書き
友人が「面白いラノベ貸してやるよ」といって持ってきたのが「とある魔術の禁書目録」だった今日。
さりげな~く、断ったのですが、実は禁書……というか鎌池とかいう作家自体が嫌いだったり。

と、そんなことを考えていたら遂に我が家にも黒光りするGが出現しました。
あいにくと対G兵器の配備が完了してなかったので万全の体勢での迎撃ができなかったのですが、とりあえず目標を駆逐することに成功しました。・・・あれってどっから湧いて出るんだろうなぁ。 

 
「本日は編隊飛行の訓練をしつつ模擬戦を行う! いいな?」
「「「「はい!!」」」」

 雲一つない快晴の空の下、竹刀を片手に滑走路立つ坂本の前に、宮藤とリーネ、それからペリーヌに和音の4人の姿があった。もちろん、午前中の訓練である。

「宮藤はリーネと、沖田はペリーヌとペアを組んでみろ」
「あれ、今回は私とじゃないんですか?」
「前回とは少し編成を変えてみようと思ってな」

 以前、和音が初めてレシプロユニットを履いて飛行訓練を行った際は、宮藤とペアを組んでいた。通常、長機と僚機はほぼ固定の物だが、坂本は和音が十分な飛行技能を持つと判断し、敢えて他の人間と組ませることで経験値を積ませようとしているのだ。

「沖田、以前と同じ紫電改で構わんな?」
「はい、お願いします」

 和音の愛機であるF-15J型は、つい先日研究のためにガランド少将が本国へと持ち帰っている。機体を渡すことに不安がないではなかったが、ガランドならば信頼できると和音は考えていた。そのため、現在和音が扱えるユニットは基地で余っていた『紫電改』となっている。

「よし、ではペリーヌと沖田から順に発進して上空で待機しろ!」
「「「「了解!」」」」

 今回の訓練は飛行訓練だけでなく模擬戦も含んでいる。よって。4人ともペイント弾の装填された訓練用の模擬銃を手に抱えている。二機編隊を組んでの模擬戦、というワケである。

「では、訓練開始ッ!!」

 坂本の威勢のいい掛け声が、今日も滑走路に響き渡る――






「あらあら、今日も元気にやってるわね」
「む、ミーナか。わざわざ見に来るなんて珍しいな」
「トルゥーデこそ、ずいぶん熱心に訓練を見ていると思うのだけれど?」
「なっ……!!」

 談話室の窓の外。季節の花が咲く開放的なテラスに居たのは、ミーナとバルクホルンの二人だった。二人の視線の先には、雲をひいて飛ぶ和音らの姿がある。

「わ、私はただ……そう! 上官として! 上官として常に部下の行状に気を配ってだな……!」
「はいはい。顔が真っ赤よ? トゥルーデ」
「ぐぬぬ……」

 知らず夢中になっていたことを諭されて顔を真っ赤にするバルクホルン。なんだかんだ言いながら、宮藤をはじめとする年少組の事を常に気にかけていることはすでに周りにバレバレであり、知らぬは本人ばかりなり、である。

「そ、そういうミーナは何をしに来たんだ?」

 咳払いを一つして話を逸らすバルクホルン。そんな彼女に苦笑しながら、ミーナは答えを返す。

「ええ、沖田さんも含めた搭乗割を考えていたのだけれど……」
「なんだ、沖田も飛ばせるのか? 確かに飛行技術は高いが、いきなり実戦に入れられるかは別問題だぞ?」
「分かっているわ。それについては組む相手を含めて美緒と相談中よ。問題は別の事なの」
「……? どういうことだ、ミーナ」

 訝しげな顔つきになったバルクホルンがミーナに訊く。

「ここのところ、不自然にネウロイの襲撃が少ないわ。監視網にもまるでかかっていない。何かある気がしない?」
「たしかに、言われてみればそうかもしれないな」

 奇妙な話だが、ネウロイの襲撃にはある一定のパターンがある。
 これが個体差によるものなのか、それともネウロイ全体の修正なのかは研究者の間でも意見が分かれているが、戦場ではこれらの周期を計算することでネウロイの襲撃予測を立てている。がしかし、ここのところロマーニャでは不自然に襲撃が少ないのである。無論、敵が来ないのはいいことなのだが、不気味なまでの静けさに一抹の不安が残る。

「特に警戒すべきは夜間ね。私たちの行動は大きく制限されてしまうもの。そこで、サーニャさんとエイラさんに夜間哨戒の頻度を上げてもらっているのだけれど……」
「なるほど、それにも限界があると言う事か。どうりで登場割に悩んでいるわけだ」

 夜間哨戒とは、文字通り夜間に飛行して基地周辺の警戒を行う事を言う。暗闇の中を少人数で、しかも長時間飛行する夜間哨戒は、通常のウィッチではなく、専門的な技能や訓練を積んだウィッチが担当することになる。が、如何せん数が少ないので負担が重くなりがちだ。

「それでね、私は沖田さんを夜間哨戒に参加させてみようと思うの」
「本気か? まだレシプロユニットだって数えるほどしか触っていないんだぞ? 確かに直接戦闘の機会は少ないかもしれないが、夜間哨戒は危険すぎる」

 いきなりの夜間哨戒を危険視するバルクホルンに、ミーナは手を振って言った。

「ところがそうでもないらしいの」
「どういう事だ?」
「沖田さんの固有魔法――〝魔眼〟は、遠距離視と夜間視の複合型。聞いたところだと、速成ではあるものの夜間飛行の訓練も受けたそうよ」

 感知系魔法の一種に区分される「魔眼」の能力も、個々人によって大きく隔たりがある。
 例えば坂本美緒の場合、遠距離の対象を見ることは勿論、ネウロイ内部のコアを視認するなど、透視能力じみた側面も持ち合わせる。
 対して和音の場合は、時に〝鷹の眼〟とも評される精度を誇る遠距離視と、夜間でも物体を視認可能な夜間視の能力の複合型だ。
 つまり、能力的な面で言えば、和音には夜間飛行が可能なのである。

「それに、彼女の空戦技術は美緒のお墨付きよ。どう?」

 折しも模擬戦は中盤に差し掛かり、今まさに和音がリーネを撃墜したところであった。
 普段は対装甲ライフルによる狙撃役に徹しているところを、敢えて機銃で戦うというハンデを負っていたにしろ、空戦でリーネを撃墜してみせたのだ。なかなかどうして侮れないものである。

「そうか……少佐がそう言うのなら間違いはないだろうが、いつから出す気でいるんだ?」

 そう言ったバルクホルンのなにげない問いに、ミーナはにっこりと微笑んで言った。

「――さっそく、今夜にでも」






「うぅ、和音ちゃんもう少し優しくしてくれればいいのに……」
「も、申し訳ありませんでしたリーネさん。一応、ペンキはシャワーでとれましたし……」
「あはは……リーネちゃん全身真っ黄色になってたもんね」
「芳佳ちゃん!!」

 夕食後、仲良く食器を洗いながら午前中の訓練を振り返る三人。
 結局、リーネが撃墜されたところで勝敗の判定が下り、訓練はそこでお開きとなった。
 和音によって容赦なくペイント弾を浴びせられたリーネは、全身べったりとペンキだらけになっており、シャワーでそれを落とすのに苦労したほどである。その後軽く仮眠をとって夕食となり、あとは消灯時間まで自由である。

「沖田さんの空戦技術もなかなかのものですわね」
「ホントですか、ペリーヌさん!!」
「え? ええ、少なくとも、貴女の空戦技術についてはそれなりに評価していましてよ?」
「やったあ!!」

 一人テーブルで紅茶を飲みつつ読書をしているのはペリーヌだ。珍しいことに、最近ではこの4人が一緒に居ることが非常に多い。皿洗いを手伝う気は更々ないようだが、3人はちっともそんなことを気にしていない。

「――沖田、いるか?」
「あ、坂本少佐」

 そこへやって来たのは坂本だった。戦闘隊長らしく、きっちりと海軍の士官服を着こんでいる。

「ちょうどよかった。お前に少し話があってな。済まないが司令室の方まで来てくれ」
「わかりました」

 チラリ、と厨房の方を振り返ると、リーネと宮藤が〝行っておいで〟と合図をしてくれる。和音は小さく頭を下げてからエプロンを外すと、手を拭いてから司令室へと足を向けた。

(こんな夜に何だろう……まさか、ジェットストライカーに不具合が出たとか?)

 だとしたら大変だな、と不安になりながら、和音は司令室へと急いだのだった。





 ――ロマーニャ基地 司令室

「夜間哨戒、でありますか?」

 おっかなびっくりで司令室へとやって来た和音を待っていたのは、坂本とミーナ。それから見慣れない北欧系とおぼしき二人のウィッチだった。そこでミーナから言い渡されたのが、「この二人と一緒に夜間哨戒をして頂戴」ということだったのである。

「そう。ここのところ不自然にネウロイの襲撃が少ないわ。警戒は念入りにしておいた方がいいし、特に夜間は隙を突かれる可能性が高いわ。沖田さんは、夜間視が使えるのでしょう?」
「ええ、まあ。ですがその、いきなり夜間哨戒というのは……」

 和音にも、ミーナの言わんとしていることは分かる。
 奇襲を受けやすい夜間、使える人間がいるのなら使いたい、ということだろう。
 だがしかし、いきなり飛べといわれて飛べるほど夜間哨戒は簡単ではないのだ。

「安心しろ、沖田。何もお前一人で飛ぶわけではないんだ」
「……?」

 不安がる和音を、坂本が安心させるように言い含める。

「そうか、お前たちは初対面だったな。……二人とも、自己紹介しろ」

 坂本に促されて進み出たのは、やはりというべきか、北欧系の見慣れないウィッチ二人だった。雪のように白い、というのはまさにこの二人のためにあるような表現かもしれないと和音は思った。

「エイラ・イルマタル・ユーティライネン。スオムス空軍中尉。一応、サーニャと一緒に夜間哨戒を担当してるんダ。あ、でも昼間の作戦にもちゃんと参加してるからナ。よろしく頼むゾ」

 妙に抑揚のない独特の口調で挨拶したのが、北欧はスオムスが誇るスーパー・エース、エイラ・イルマタル・ユーティライネン中尉だ。未来予知という稀有な固有魔法を持ち、おかげで実戦における被弾が皆無という驚異的な戦績の持ち主である。

「……えっと、サーニャ・V・リドビャグです。階級は、エイラと同じ中尉で、オラーシャの出身です。よろしくお願いします」

 そしてもう一人。隣に立つエイラよりも頭一つ分小柄なウィッチが、オラーシャ出身のナイトウィッチ、サーニャ・V・リドビャグだ。本名はもう少し長いのだが、発音が難しいために部隊内では愛称で通していたりする。

「お、沖田和音です。よろしくお願いします」

 慌てて頭を下げる和音。初対面である、と言う事もそうだが、和音は驚きに息を呑んでいた。

(これが〝あの〟ユーティライネン少佐とリドビャグ中佐なんだ……)

 この時代の人間は当然誰も知らないが、この二人のコンビは世界的に有名であり、こと夜間戦闘と被弾率の低さにおいては並ぶものがなかったといわれている。和音の時代ではすでに退役した二人だが、サーニャは世界的なピアニストとして今も精力的に活動し、何度か扶桑へも訪れているのであった。

「沖田、お前は二人の援護をしてくれ。飛行中の判断はエイラとサーニャに従う事。いいな?」
「は、はい!」
「よし、ではさっそく哨戒に出てもらう。三人とも、頼んだぞ」





「こ、こんなに夜の空が暗いなんて……」
「なんダ、お前、ひょっとして怖いのカ?」

 ユニットを装備して滑走路に立った和音は、夜の空が思っていた以上に暗く、不気味であることに少なからず恐怖を感じていた。昼間はあんなに煌びやかだったアドリア海も、今は黒々とうねる大きな怪物のようにさえ見える。

「……沖田さん。手、繋ごうか?」
「り、リドビャグ中尉!?」

 誘導灯の明かりだけが頼りの滑走路で、サーニャがそう言って手を差し出す。
 無口なタイプだと思っていた和音は、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。

「まったく、しょうがないナー。ほら、手繋いでやるから行くゾ」
「え!? ちょ、うわ! 待って、待ってください中尉――――っ!!」

 妙に不機嫌な顔つきになったエイラが、和音の手をひいて滑走路を奔ってゆく。あわててエンジンに灯を入れてついてゆく和音。一瞬、奇妙な浮遊感を覚えたと思った時にはもう、和音は二人に引っ張られるようにして離陸を完了させていた。

(び、びっくりした……)

 無事離陸できたことに安堵する和音。見る見るうちに基地の明かりが遠のいてゆく。

「雲の上に出ましょう。エイラ、沖田さんをお願い」
「しょうがないなー。ちゃんとついて来いヨ」
「は、はい!」

 エイラに手を引かれながら高度を上げる和音。雲の上まで出ないことにはどうにもならないのだ。

「ほら、雲を抜けるゾ」
「あ……」

 じっとりと湿った塊を突き抜ける。一瞬、息が詰まるような閉塞感を覚えたあと、恐る恐る和音は目を開いた。すると――

「わぁ……綺麗……」

 遥か和音の眼下に広がる、一面銀灰色の雲の海。静かに注ぐ月明かりに照らされたそれは、まるで一幅の絵画の如き幻想の美を醸し出していた。和音は、離陸の時にあれだけ怖気づいたことも忘れ、目の前に広がる夜の美しさに目を奪われていた。

「よっと……もう平気カ?」
「あ、ユーティライネン中尉」

 おもむろに期待を寄せてきたのはエイラだった。夜間飛行にも慣れた様子で、その挙動には淀みがない。

「わたしのことはエイラ、でいいゾ。スオムスじゃイッル、って呼ばれてたんだけど、こっちじゃみんなそうなんだよナ」

 器用に背面飛行を披露しながら言うエイラ。和音は水平に飛行するのがやっとである。
 そこにサーニャがそっと近づいてきて、歪ながらも編隊を組む格好になった。

「わたしも、サーニャって呼んでもらえると嬉しいかな、沖田さん」
「えっと……じゃあ、エイラさんとサーニャさん……でいいですか?」

 コクリ、と頷いて見せるサーニャ。
 と、横からエイラがグイッと顔を寄せてくる。

「なあなあ、坂本少佐から聞いたんだけどサ、お前本当に未来から来たのカ?」
「ダメよエイラ。あんまり聞いちゃダメってミーナ隊長にも言われたでしょう?」
「だ、だって……! やっぱり気になるじゃないカ!!」

 ムスッとふくれっ面をするエイラ。その表情を見て、和音はこの二人にも自分の事情が伝わっていることを知った。ミーナからあまり触れないようにと注意を受けていた、と言う事は、それとなく今までも気を遣っていてくれたのだろう。

「ごめんなさい、沖田さん。辛い事だったら、話さなくていいから……」
「いえ、そんなことはないですよ、サーニャさん」
「そうなの?」

 申し訳なさそうに言うサーニャに、和音は苦笑しながら応じてみせる。
 思えば、異世界と言っても過言ではない過去の時代へとやって来てしまった和音だが、不思議と辛いとか苦しいとか感じたことはなかったのだ。

「エイラさんの言っていることは本当です。私は、今から50年後の扶桑で生まれましたから」

 銀色の絨毯の上を滑るように飛びながら、和音はエイラとサーニャに対して語り掛ける。

「50年後かぁ……わたしもサーニャもきっとお婆ちゃんだよナ」
「その頃のわたし達ってどうなってるんだろうね」

 ようやく和音の飛行が安定してくる。緊張がほぐれたせいだろうか?
 サーニャの魔導針にも反応はなく、哨戒は順調だといえそうだった。

「なあなあ、50年後のわたし達ってどうなってるんダ?」
「気になりますか?」
「当たり前だロ!! ちょっとでいいから教えてくれヨ~」
「エイラ、そういう事言わないの」
「え~……」

 こんなやり取りを以前もしたなぁ、と思い返しながら、和音はしばし黙考する。
 あまり未来の事を伝えてしまうのはよくないのかもしれないが、逆に伝えることによって明日を生きる希望になるかもしれない。そう思えば、未来の事を教えるのだって悪いことばかりではないはずだ。

「そうですね……私の知っている範囲でならいいですよ」
「本当カ!?」
「いいの? 沖田さん」
「はい。夜間哨戒の退屈凌ぎに、ちょっとした小話程度の物ですが」

 そう言うと、和音はコホンと咳払いを一つしてから語りだす。

「まずは……そうですね、サーニャさんから」
「わたし? なんか、ちょっと恥ずかしいかな……」

 頬を赤らめるサーニャ。〝百合〟の通り名に相応しいほどの可憐なウィッチだ。
 写真集が飛ぶように売れたというのも納得だな、と和音は思った。

「ええっとですね、サーニャさんは退役後、ピアニストとして世界各国で演奏会をされていました。なんどか扶桑にもいらっしゃって……あ、私も小さい頃サーニャさんのコンサートに行きましたよ」
「そ、そうなの?」
「サーニャのピアノは世界一だからナ!! やっぱりサーニャは凄いんダ!」

 火が出るほど顔を真っ赤にして黙ってしまうサーニャ。耳の先っぽまで赤くなっているが、使い魔であるネコの尻尾はものすごい勢いで左右に揺れている。嬉しさ半分、恥ずかしさ半分、といったところだろうか。

「それでそれで、サーニャのピアノはどうだったんダ?」
「サーニャさんにピアノですか? それはもう素晴らしかったですよ! チケットがあっという間に売り切れちゃって……」
「だ、ダメ……! それ以上は、恥ずかしいから、お願い……///」
「わぁ! 大丈夫かサーニャ!?」

 見れば、顔を真っ赤にした上にユニットの回転数さえ不規則になっていたサーニャが、目をウルウルさせながらこちらを見つめていた。

「沖田ァ!! サーニャが泣いちゃったじゃないカ!! 責任とれ!!」
「え、ええっ!? いやその、なんというか、本当に申し訳ありませんです、はい……」

 なぜか怒り出すエイラ。話題を振って来たのが自分であることなどまるっきり頭にない。

「ダメだ!! 少佐が言ってたゾ。扶桑では悪いことをしたときに、〝ハラキリ〟って儀式をやって反省するんだって」
「は、ハラキリ!?」
「そうだゾ。こうやってお腹をカタナで切って、主人に対してお詫びを言ってから、死ぬ」

(それはつまり〝切腹〟しろということでしょうかエイラさん……)

 坂本少佐もなんでそんなことを教えてるんですか~! と頭を抱える和音。
 切腹なんぞとうの昔に消えた風習で、第一そんなことでは命が幾つあっても足りやしない。

「……沖田、さん」
「な、なんですかサーニャさん」

 相も変わらず顔を赤くしたままのサーニャが、和音の袖を引っ張る。
 おもわず声が裏返ってしまった和音だが、不意に聞こえてきた奇妙な音声に気がついた。

「うん……? これは……ひょっとしてラジオですか!?」
「あーッ!! なんだよ、サーニャ! 二人だけの秘密じゃなかったのかよぅ……」

 和音が驚いていると、横を飛んでいたエイラが大声を上げた。
 どうやら、これは〝二人だけのナイショのお楽しみ〟だったらしい。

「……ごめんね、エイラ。でも、お礼がしたかったから」
「ま、まあ、サーニャがそう言うならいいんだけどサ……ありがたく聞けよナ、沖田!」
「すごいですサーニャさん! こんなにもクリアに電波が拾えるなんて!」

 耳に着けたインカムから、世界各国の電波が飛び込んでくる。
 ナイトウィッチの専門技能『魔導針』と、サーニャの固有魔法である〝全方位広域探査〟のなせる業だ。電波の送受信を可能にするこの固有魔法は、時にレーダーとして、また時にはラジオとして夜を飛ぶ彼女らの支えになっているのだ。

「夜は、空が静かになるから。いろんな国の電波が入ってくるのよ」

 そう言って、サーニャは色々な国の電波に波長を合わせてくれる。

『みなさん今晩は。今夜の放送は特別にゲストをお呼びしております。ご紹介しましょう――』
『では、明日のお天気です。ロマーニャ北東は晴れのち曇り。お出かけの際は傘を忘れずに……』

 ロマーニャや欧州各国のラジオ電波だ。
 天気予報からトークまで、種々様々な番組が流れている。と、その中に、聞き覚えのある単語が聞こえてきた。――間違いない、これは扶桑語だ。

(これって……)

『みなさんこんばんは。ラジオ東京です。今宵はいかがお過ごしでしょうか? 今夜も午前零時までの30分を――』

(扶桑だ! 扶桑の電波がロマーニャまで!!)

 信じられないといった表情で和音はサーニャを見やる。
 今はまだ1940年代である。通信技術も和音の時代に比べればまだまだ未熟だ。だというのに、遥か東の果てから確かに電波が届いている。人の息遣いがそこにある。
 そのことに、和音は深く感動した。

「夜を飛ぶナイトウィッチの間で流行っているの。扶桑からの電波だって届くのよ」
「そうなんですか……」

 いま、世界中の人々がこのラジオを聴いているのだろう。和音たちのすぐ下で、この空の下で生きている人々が、確かにそこに居るのだ。和音はラジオによって世界とつながったように感じ、はじめてそれを守るウィッチの使命の重さを実感した。

「これが、私たちの護ろうとしている人たちの息遣いなんだ……」

 和音にも、和音の使命があった。すなわち、扶桑の空を守る事だ。
 しかし、今の和音にはそれを果たす事ができない。

(でも、いつかはきっと……!!)

「沖田さん? どうしたの?」
「なんダ、腹でも痛くなったのカ?」

 和音はサーニャとエイラに声を掛けられてハッとする。
 軽く頬を叩いて気合を入れ直し、しっかりを前を見つめる。そうだ、今はとにかく目の前の事に集中しなければ……





 飛行開始からおおよそ一時間がたった。
 長時間の飛行を前提とした夜間哨戒では、一般的に航続距離の長いユニットが使用される。それでもなお足りない場合、ユニットに増槽を装備することになる。和音の紫電改も例に漏れず、ユニットの側面に涙滴型の増槽が装備され、航続距離を伸ばしている。

「夜の空は静かですね」
「うん。魔道神にも反応はないし、最近は静かね」
「まー油断してちゃダメなんだけどナ」

 三人はラジオに耳を傾けつつ、雑談に花を咲かせながら星空の下を飛んでいた。
 厳しい任務ではあるが、敵がいない限りは穏やかなものだ。
 しかし、その雰囲気が一変する。

「――っ!! 北東の方向、距離2000……中型のネウロイが一機……」
「どっちに向かってるんダ?」
「まっすぐこっちに向かってくるわ。みんな気をつけて!」

 サーニャの魔導針が敵性反応を捉える。距離2000。足の速いネウロイなら一足飛びに間合い詰めてこられる距離だ。和音は肩に背負った20mm機関銃を持ち直し、安全装置を解除し初弾の装填を確認する。
 同時に、意識を集中して視覚を〝見る〟から〝視る〟に切り替える。目に見えないもう一つの瞼を開けるように意識を向け、和音は夜間視能力を発動させた。塗り潰したような暗闇をも見通す夜間視は、遠距離視と併用することで無類の索敵能力を発揮する。
 反面、魔力の消耗も含めた負担が大きいため、使いどころを選ぶ必要がる。

「待って、これは……雲の中? ……上がってくるわ、上昇して!!」
「ついて来い、沖田!!」
「はい!!」

 サーニャの警告から間を置かずして、茫漠と広がる銀灰色の雲が裂ける。
 その中から現れたのは、まるでエイのような形をしたネウロイだった。平たい体で滑るように飛行し、見る間に距離を詰めてくる。

「私が引きつけるから、沖田は援護、サーニャがとどめを刺してくれ」
「了解です!」
「エイラ、気をつけて」

 三人の中で最も火力が高いのは、9連装のロケット砲――『フリーガーハマー』をもつサーニャだ。中型クラスの相手ならばこの火力を活かさない手はない。
 エイラの指示通り、和音はエイラの二番機に入り、サーニャは距離をとって一撃の機会をうかがう。

「行くぞ!!」

 エイラの号令一下、一斉に銃撃を開始する。
 しかし、ネウロイはそれに気を取られた様子もなく前進し、反撃のビームを放ってくる。

「こ、このッ!!」

 見た目に似合わず機動が素早く、なかなか有効打を与えられない。
 ようやく足を鈍らせたときには、すでに二人とも残弾が半分近くになっていた。

「サーニャ!!」
「あたって!!」

 その隙を見逃さず、サーニャがロケット砲を打ち込む。
 雲の向こうで盛大な爆炎が上がり、それっきりネウロイの反応は消失した。

「やったじゃないかサーニャ!!」
「……ううん。まだ、微かにだけどネウロイの反応が残ってた。逃がしたのかもしれない……」
「ということは、再び戦闘になる可能性も?」

 取り逃がしたネウロイが再び襲ってくる可能性は高い。
 ひょっとすると、今回のネウロイは偵察だったのではないだろうか? しかし、追撃を掛けようにも魔法力と残弾が心もとない。一抹の不安を滲ませつつ、三人は基地へと進路を向けたのだった。
 
 
 

 
後書き
ようやくエイラ&サーニャを登場させることができた・・・
そろそろ話しのストックがなくなりそうでヤヴァイです。 

 

第十一話 夜間飛行②

 
前書き
アイエエエエ! ニンジャ!? ニンジャナンデ!?
・・・変なこと言ってスミマセンm(__)m

未だにルビの振り方がわからなくて困っていたりするヘタレです(´・ω・`;)
誰か教えてちょーだい・・・(泣) 

 
「ネウロイを取り逃がした、だと?」
「間違いないのかしら?」

 東の空が白み始める頃、引いては押し寄せる波のような眠気に襲われつつ、和音たち三人はロマーニャ基地へと帰還した。基地に辿り着いたその足で、まずは取り逃がしたネウロイの事を報告すべく司令室へとやって来たのだが、ミーナと坂本は三人がかりで一機のネウロイを取り逃がしたことが信じられない様子だった。

「間違いないんだな? サーニャ」
「はい……微弱でしたが、まだ反応があったと思います……」
「そうか……わかった。あとはこちらで考える。ご苦労だったな」

 それっきり、坂本は腕組みをしたまま何やら難しげな表情をして黙り込んでしまう。
 ともあれ、報告すべきことは報告したのだ。これで夜間哨戒は終わり、あとは自室に戻って休むだけである。もう何度目かわからない欠伸を噛み殺しながら、和音は司令室を出た。

「じゃ、わたしはサーニャと戻るからナ。お前もきっちり休んどけヨ」
「ふぁい……お疲れ様でした、エイラさん……」

 立ったまま舩を漕ぐという器用な芸を披露しながらエイラと別れる和音。
 早くベッドに倒れ込みたいが、いつもはなんてことのない自室への道のりが果てしなく遠い。
 夜間哨戒とは斯くも過酷なものであったかと、サーニャとエイラに対する畏敬の念を覚えつつ、おぼつかない足取りで部屋に向かう和音。

(三つめの角を曲がって……そう、ここだったはず……)

 寝ぼけ眼を擦りつつ、重い気の扉を押し開ける。薄暗い部屋の中だとは言え、ベッドの位置くらいは和音にもわかった。絨毯の上を歩きながら、和音はベッドまでたどり着くと乱暴に服を脱ぎ散らかし、文字通り倒れ込むようにして横になった。

(夕食までには、起きないとな……)

 なぜか妙に柔らかくていい匂いのするベッドに体を沈み込ませながら、和音はあっという間に眠りに落ちていった。





 ペリーヌ・クロステルマンの朝は早い。
 貴族として、また誇り高いガリアのウィッチとして、一日の生活は規則正しくあらねばと思っているからだ。しかし、今朝に限ってはそんな規則正しい目覚めは迎えられそうになかった。

 ――ガチャリ……

 突然、何の前触れもなくドアノブが回ったことに気がついたペリーヌは、サイドテーブルから眼鏡をとって扉の方を見ようとし、いきなり目の前に倒れ込んできた何かに押し倒されてベッドに逆戻りしてしまう。

「な、なんですの!?」
「んぁ……」

 慌てたペリーヌが目を凝らすと、其処に居たのはなんと和音であった。
 いったいなにをどうしたのか、部屋を間違えているらしい。

「起きなさい沖田さん! ここは私の部屋でしてよ。ああもう、それになんて格好ですの!?」

 ペリーヌが怒るのももっともだ。なにしろ目の前でぐっすりと眠りこける和音は、下着にズボン一丁という裸同然の格好なのだ。見れば、部屋の床には乱暴に脱ぎ散らかされた扶桑空軍の制服が転がっている。

「これだから扶桑のウィッチは……」

 押しても引いてもビクともしない和音に呆れるペリーヌ。おまけに枕か何かと勘違いしたのか、ペリーヌの体に抱き付いたまま離れようとしない。あまつさえは頬擦りを始める始末だ。これには流石にペリーヌも焦った。いろんな意味で。

「ちょ、何をなさいまして沖田さん!? あ、そこは……んっ……あぅ、どこを……触っていらっしゃいますの!?」
「うぇへへ……」

 幸せそうな寝顔のままますます密着してくる和音。こんな細い体の一体どこにこんな力があるのかとペリーヌは不思議がる。

(さすがにまだ朝方は冷えますものね……仕方ありませんわ)

 何かを悟ったような表情を浮かべたペリーヌは、空いた片手で毛布を手繰り寄せる。
 そう言えば、昨夜は夜間哨戒に出ていたのではなかったか。ならば、多少のことは大目に見てやってもいいだろう、と。
 依然として抱き着いたまま離れない和音を苦笑しながら見やるペリーヌは、自分と和音を包むようにそっと毛布を掛けてやった。

「まったく……今日だけでしてよ」
「ぅん……」

 返事なのか寝言なのかわからない声を洩らしつつ、毛布の中で丸くなる和音。
 ペリーヌは眼鏡をサイドテーブルに戻すと、自身もまた目をつむる。

(たまには二度寝くらい許されますわよね?)

 そのまま再び眠りに落ちてゆくペリーヌ。
結局、いつまでたっても起きてこないことを心配した坂本に、和音と抱き合って眠っているところを見られてしまったというのはまた別の話である。


「……何事も程々にな、ペリーヌ」
「ち、違いますわ少佐! 待って、待ってください少佐~~!!」







「はっはっは!! なんだ、部屋を間違えただけだったのか。いやぁ、私はてっきりペリーヌと沖田がそちら側の世界の住人なのかと思ったぞ」
「し、少佐!! それは黙っていてくださいと何度も……!!」

 夕食までには起きればいいと思っていた和音だが、体の方は正直なもので、空腹を感じた時にはちょうど昼食時だった。和音は、14年の人生の中でもっとも衝撃的な目覚めを迎えた後、つとめて冷静な風を装って食堂に降りてきたのだが、既に食堂に集まっていた皆から妙に生暖かい視線を浴びせられ、坂本によってネタばらしをされていたことを知ったのだった。
 その時の恥ずかしさたるや、顔から火が出るだとかそんなチャチなものではなかった。
 部屋を間違えただけならいざ知らず、同じベッドで抱き着いたまま眠っていたなどと……

「申し訳ありませんでした、ペリーヌさん!!!!」

 光の速さで魂の土下座モードへ移行する和音。
 昼食の味さえ判然とせず、ただただ申し訳なさだけが募るばかりである。
 念のために言っておくと、和音は至ってノーマルな人間であり、決して百合の国の妖精さんではない。……まあ、中にはあの有名なカウハバのように、自分の部下をまとめてヴァルハラを築き上げる猛者もいないこともないのだが。

「ま、まあ、間違いは誰にでもある事ですわ。今度から、部屋を間違えないようにしてくださればよくってよ」
「肝に銘じておきます……」

 昼ご飯の肉じゃがを口に運びつつ小さくなる和音。なぜかミーナは大変嬉しそうな表情をしているのだが、おそらく気にしてはいけないのだろう。

「さて、昼ご飯が終わって早速だが、今回のネウロイがまたやってこないとも限らない。そこで、夜間哨戒を強化しようと思う」
「割り当ては、サーニャさんとエイラさん、それから沖田さんの三人にお願いするわ。以上三名を、当面夜間専従班とします。いいわね?」

 どうやら前もって考えてあったのだろう。搭乗割を手にしながら、ミーナと坂本はそう言った。ということは、今後も和音は夜間哨戒を続けることになるわけだ。

「夜間哨戒は負担が大きい。と、いうわけでだ」

 パシィン、と竹刀で床を叩いて坂本が言う。

「お前たちは夜に備えて寝ろ。いいな? これは命令だ」
「え、ええ――――っ!!」

 まだ起きたばっかりなのに、という和音のささやかな抵抗が却下されたことは言うまでもない。結局、かき込むようにして昼食を終えた和音は、そのまま自室に引き上げていったのであった。






「まだ起きたばっかりなのに……なにも一日中寝てなくたっていいのにな」

 わざわざカーテンまで閉めた暗い部屋の中、ブスくれた和音は枕を抱きかかえてベッドに横になっていた。せっかく起きているのであれば、宮藤やリーネと一緒に手伝いをしていたかったし、ペリーヌとお喋りしていたかったのである。が、命令とあっては仕方がない。

「あーあ、退屈だなぁ」
「――だよナ。その気持ちはよく分かるゾ」
「ですよねぇ……って、ええ!?」

 自分一人だけの筈の部屋から聞こえた声に、口から心臓が飛び出るほど驚く和音。
 バサッと毛布をめくってみると、そこに居たのはキャミソール一枚のエイラだった。

「ななな、なんて格好してるんですかエイラさん! 服! 服着てください! 色々見えてますから!!」
「恥ずかしがるなヨ!! 女同士なんだから大丈夫だロ?」
「全っ然大丈夫じゃありません!!」

 にじり寄ってくるエイラに、次第に壁際に追い詰められていく和音。……なぜか指をワキワキさせているのは、まあそう言う事なのだろう。というか、一体いつの間にこの部屋に侵入したというのだろうか。恐るべきスオムスのウィッチである。

「心配すんなっテ。ちょっと確かめるだけだからサ。……どれどれ、50年後の扶桑の魔女はどんぐらい育ってんダ?」
「や、ちょ、エイラさん……やめ……っ!! あっ……ぁぁ……うぅん……っくぅ!! どこを……触ってるんですかァ!!」
「あ゛~これだから扶桑のウィッチはやめられないんだよナ~」

 エイラの魔手に全身をくまなく弄ばれた和音。肌蹴てしまった寝間着の襟元を正しながら、和音は顔を真っ赤にして毛布を頭からひっかぶる。

「……エイラさんて、本当にいやらしい人なんですね。わたし、知りませんでした」
「お、おい、そんなに怒るなっテ。ちょっとしたスキンシップじゃないカ」

 ムスッとしてベッドの上で丸くなる和音に、今度はエイラが慌てた。先輩として、可愛い後輩を弄ってやれという悪戯心のなせる業だったのだが、ここまで不機嫌になるとは思っていなかったのだ。エイラにとって、新人の胸を揉むのは朝日が昇るのと同じくらい当然の事だったのである。

「じゃあ同じことをサーニャさんにもしてるんですか!?」
「エッ!? ば、馬鹿!! サーニャにそんなことできるわけないダロ!!」
「ほぉら出来ないんじゃないですか!!」
「そ、そんなことないゾ! 私だっていつかはサーニャの胸を……」





「――エイラ、その話、詳しく聞かせて頂戴」





「「――っ!?!?」」

 なぜここでその声がするのか。ギョッとした二人が恐る恐る振り向くと、クローゼットの影からゆらりとサーニャが姿を現す。猫ペンギンのぬいぐるみを抱いたまま立つサーニャは、しかし一種異様な存在感を醸し出している。

「さ、サーニャ……いつからそこに居たんダ……?」
「エイラが沖田さんの胸を揉み始めたあたりから、ずっと」
「最初からいたんじゃないですかっ!!」

 北欧のウィッチは不法侵入の技能を学んでいるのだろうか? いや、そんなはずはない。

「坂本少佐から、沖田さんの部屋が夜間専従班の待機部屋だって言われたから……」
「ああ、なるほど……」

 力なく頷く和音。そう言う理屈なら仕方がない。
 問題は、ガクガクと震えているエイラの方で――

「こ、これはその、違うんだサーニャ。ちゃんと、ゆっくり話し合えば分かるっテ……」
「――そうね、出撃まで時間はたっぷりあるわ。だから……」

 ニッコリと微笑んだサーニャは、小さくなって震えるエイラに向けて言った。

「ゆっくり、お話しましょう?」






 個性的なウィッチは世界に多くいるが、まさか頭に大きなタンコブを乗っけて空を飛んだことのあるウィッチなどそうはいないだろう。
 スオムスが世界に誇るスーパーエース、エイラ・イルマタル・ユーティライネンは、今まさに特大のタンコブを乗っけて夜空を飛んでいるのだった。

「なあサーニャ。悪かったよ……だから機嫌なおしてくれっテ」
「………………」
「うぅ……さ、サーニャぁ……」
「………………」

 夜間哨戒を開始してすでに一時間。終始この調子であり、そろそろエイラは涙目である。この間取り逃がしたネウロイが顕れる気配も一向になく、穏やかな(?)雰囲気のまま時間が過ぎていった。

(ほんとにエイラさんてサーニャさんにベッタリなんだなぁ……)

 いっそ告白してしまえばいいのに、と思うのは、14歳という多感なお年頃の乙女ならではの思考回路であって、そもそも女所帯のウィッチ部隊では、そちら側の世界へと旅立つ人間も少なくないのだ。もちろん、和音は「自分はノーマル」であると自負している。

(今日は何事もなく終わりそうかな……)

 夜間視の連続使用で疲れてきた目を擦りながら、和音はメモ帳に記録をつける。
 と、その時だった。

「ん……?」

 視界の隅に、何か一瞬煌めくようなものがあった。
 遠距離視を発動させ、雲の切れ間を注視する。気のせいかと思って目を離しかけたその時、見間違えるはずもない赤い光が雲の合間を駆け抜けた。

「ネウロイ発見!! 距離3000! 雲の下にいます!!」
「なんだっテ!?」
「魔導針に反応はないのに……!」

 三人の間に一気に緊張が走り、サーニャが魔導針に反応がないことを訝しむ。

(まさか、ステルス能力?)

 あり得ない話ではない。が、もしそれが本当ならば、夜間戦におけるアドバンテージは完全に向こう側に渡ってしまう。魔導針が頼れない以上、目視による戦闘に切り替えるしかないが、それでは和音以外の二人が大きく不利になってしまう。

「相手はステルス能力持ちかも知れません。注意してください!!」
「クソ、隠れてないで出で来い!!」

 いらだちと共にMG42を乱射するエイラ。しかし、中空に残影を刻む曳光弾は雲を貫くばかりでまるで手ごたえがない。

「ダメ、私には感知できないわ」
「そんな……サーニャさんでも無理だなんて……」

 こと索敵能力にかけては501部隊でもサーニャは他の追従を許さない。
 にもかかわらず、ネウロイ一匹探知できない。予想以上の強敵だった。

「サーニャさん、あの雲に向けてフリーガーハマーをありったけ撃ち込んでください。ネウロイをおびき出します!!」
「わかったわ。エイラ、沖田さんをお願い」

 言うが早いかサーニャは雲に向けてロケット砲弾を容赦なく撃ち込む。凄まじい爆炎が辺りを照らし、視界を遮る雲を吹き飛ばす。その途端、遮蔽物を失ったネウロイが飛び出て来た。

「見えたゾ!」
「やっぱり、この間のエイ型ネウロイ!!」
「今よ、エイラ!」

 如何なステルス能力持ちとはいえ、目視で捕捉してしまえば恐れることなど何もない。
 急加速して距離を詰めた和音とエイラは、逃げ惑うネウロイに向けて容赦なく機銃を打ち込んだ。黒い体表面が弾け飛び、露出したコアが甲高い音を立てて砕け散る。今度こそ、確実にネウロイを仕留めることに成功したのだ。

「ネウロイの反応、完全に消滅……やったわ」
「ふぅ、危ないところだったゾ」
「そうですね、ミーナ隊長に報告するべきでしょう」

 再び静まり返った空を、三人は基地に向けて飛行していく。
 頭上にうかぶ満月が、その背中を優しく見守っていた――
 
 

 
後書き
ナイトウィッチだからね。部屋を間違えるのは仕方ないね。
・・・ところで北欧の国では同性婚を認めてるところが多いって知ってました?

(・x・;)<ナ、ナンダッテー!? 

 

第十二話 Me262 V1

 
前書き
8月の16日あたりから、所用で北海道の方に行ってしまうので、更新ができなくなるかも。
それまでにできる限り更新&書き溜めをしておきたいですね。

・・・と言いながら艦これに浮気しようとしてるんですが(汗)
艦これのSSってあるのかしら。 

 
 ――ロマーニャ基地 格納庫

「今日もいい調子だなぁ、わたしのマーリンエンジンは!」

 まだ朝食も済んでいない朝早くから、基地の格納庫ではものすごい轟音が響き渡っていた。もっとも、この光景は501部隊ではお馴染みのもので、今更だれかが咎めに来るようなこともない。

「もう少し出力を上げてみてもいいかな……」

 音の正体は、固定ボルトにロックされたままエンジンを轟かせるストライカーユニット――『ノースリベリオン P-51』である。
 持ち主はシャーロット・E・イェーガー大尉。根っからのスピードマニアであり、自身の手でユニットをチューンすることもある彼女は、今日も今日とて朝からエンジンテストに勤しんでいたのであった。

「シャーロット・E・イェーガー大尉!! そんな格好で何をやっているんだ!!」
「む……バルクホルンか。見ての通りエンジンテストだよ」

 いや、誰も咎めに来ない、というのは誤りだろう。
 ミーナや坂本でさえ黙認するシャーリーのエンジンテストを、いつも注意しにくるウィッチが一人だけ、いる。

「まったく、今は戦闘待機中だというのに……おまけにその格好は何だ。せめてシャツくらい羽織ったらどうなんだ?」
「だって、格納庫でエンジン回すと暑いだろ? 女同士だし、別にいいじゃないか」

 腰に手を当てて注意を促すのは、規律と規則に厳しいカールスラント軍人の鑑、ゲルトルート・バルクホルン大尉だった。対して注意されたシャーリーはというと、可愛らしいレースのついた下着姿のまま、ご自慢の胸を揺らしつつあっけらかんとしている。

「お前たちはいつもいつも……もう少し慎みというものをだな……」
「へぇ、カールスラント軍人は規則に厳しいってか? いやぁ、私にはそうは見えないけどなぁ、ハルトマン?」

 ニヤリと笑ったシャーリーが言うと、ちょうどバルクホルンの後ろから、これまた下着姿のハルトマンが姿を現す。あられもないその格好にバルクホルンが口を酸っぱくして注意をするも、肝心の本人にはこれっぽっちも響いていないようであった。

「は、ハルトマン!? お前までなんて格好だ! それでもカールスラント軍人か!!」
「え? そだけど……」
「あっはっはっは!! だってさ、バルクホルン?」

 拳を握りしめて悔しがるバルクホルン。
 いつもと変わらない501の朝が、今日も訪れていた。





 ――食堂にて

「F-15J型の返還ですか? こんなに早く?」
「ああ、今朝ガランド少将から連絡があった。なんでも、理論だけは既に完成していたらしく、実機テストのおかげで試作機の完成に漕ぎ着けたらしい」

 食堂に集って朝食となった時、坂本の口から告げられたのは、和音の愛機であるF-15が返還される、という話だった。テストのためカールスラントに預けていたのだが、思いのほか早く返還されるらしい。

「午前中に連絡機が来るそうだから、おそらくそこで引き渡しになるだろう」
「そうですか……ガランド少将は、テストの結果について何かおっしゃっていましたか?」
「ん? ああ、ずいぶんと気に入ったらしいぞ。なんでも、〝天使に後押しされているようだ〟と言っていたな」

 食後の茶を啜りつつ言う坂本。約束通り、きちんと本人がテストを行ってくれたようだが、その結果も良好だったらしい。とはいえ、天使に後押しされる、というのはさすがに言い過ぎではなかろうかと思う和音であった。

「食事が終わったら、格納庫の方に顔を出してくれ」
「了解しました」

 そう言って席を立つ坂本。和音も自分の皿を片付けて席を立つと、足早に格納庫の方に向かう。なにしろ愛機が返ってくるのだ。徐々に大きく聞こえてくる連絡機のエンジン音に急かされながら、和音は格納庫へと駆けて行った。



「失礼します。沖田和音少尉でありますか?」
「はい、沖田和音は私ですが、カールスラント空軍の方ですか?」

 格納庫についたときには、すでに連絡機は着陸して、積み込んできた荷物をおろしているところだった。すると、機体の傍らに立っていた男性が和音の姿を認め、こちらに小走りで駆けてきたのである。恰好から察するに、カールスラント軍人であることは間違いないだろう。

「失礼致しました。我々は、カールスラント空軍第44戦闘団所属の者であります。ガランド少将より、少尉のユニットをお預かりしております」
「ああ、なるほど」

 見れば、今しも連絡機からゴツイ固定ボルトが降ろされ、基地の格納庫に運び込まれてゆくところだった。同時に、F-15ともう一つ、見慣れないユニットを積んだボルトが運び込まれてゆく。

「あの、今運び込まれていったのは……?」
「カールスラントで完成したジェットストライカーの試作機です。ノイエカールスラントの方から実地でのテストを行うように、と」

 どうやら運び込みは終わったらしい。
 それでは失礼します、と言って敬礼すると、男性兵士は連絡機へと駆け戻って行った。

「試作機か……誰がテストするんだろうな」

 まだ見ぬ試作機に心を躍らせつつ、和音は久しぶりに再会する愛機の下へと急いだ。





「ほう、これがカールスラントの最新型か」
「正確には、試作機ね。『Me262 V1』ジェットストライカーよ」

 和音がやって来た時、そこには既に坂本とミーナがいた。
 二人の目の前には、赤く塗られたストライカーユニットが鎮座している。
 どうやら二人で荷物の受け取りに出ていたらしい。

「む、なんだこれは。新型のユニットか?」
「ええ、今朝ガランド少将が送って来たの。沖田さんのユニットのおかげで完成したそうよ」

 おくから姿を現したのはバルクホルンだった。後ろにシャーリーが一緒なところを見るに、おそらく食事後もエンジンテストをしていたのだろう。シャーリーも今度ばかりはきちんと服を着ているが、それにしたってラフな格好である。

「まさか、研究中だったジェットストライカーか? ヘルマ曹長が言っていた、あの?」
「そうね。沖田さんのF-15Jをガランド少将が直接テストして、それをもとにエンジンがようやく完成したらしいわ」
「ほう……さっそく履いてみたいものだな」

 カールスラントの最新鋭機とあってか、バルクホルンもずいぶん期待しているらしい。
 一緒にやって来たシャーリーも、興味深そうにユニットを眺めている。

「それでミーナ。スペックはどうなっているんだ?」
「エンジン出力は従来のレシプロユニットの数倍。最高速度は950km/h以上、武装は50mmカノン砲一門と、30mm機関砲四門となっているわ。レシプロストライカーを凌駕する、新時代のユニットね」

 手にした報告書に目を落としつつ、ミーナが詳細なスペックを読み上げる。
 驚異的な性能に居並ぶ一同は瞠目したが、それ以上に反応を示したのはシャーリーだった。

「950km/hだって!? すごいじゃないか!!」

 最高速度を聞くや否や、宝物を見つけたように目をキラキラさせてユニットを撫でまわす。
 スピードマニアとしての血が騒ぐのだろう。

「なぁなぁ、この機体、わたしにテストさせてくれよ!!」

 慈しむように機体を撫でながらシャーリーが言う。苦笑しながらミーナが応じようとしたその時、バルクホルンが横から割って入った。

「ダメだ。これはカールスラントの機体だぞ? カールスラント軍人であるわたしがテストをするべきだ!」
「なんだよ、お前んじゃないだろ!」
「何を言うか。それを言うなら、お前のでもないんだぞ、リベリアン!」

 さっそく火花を散らし始める2人。シャーリーは「超音速の世界を知る私こそが!!」と胸を張り、対するバルクホルンも「カールスラントの誇りにかけて私がテストする!!」と譲らない。喧々諤々の言い争いが、いよいよ取っ組み合いかというところまで加熱した時だった。

「――せっかくですから、シャーリーさんが観測員になればいいのではありませんか?」
「お? 沖田じゃないか。お前も何とか言ってやってくれよ。この堅物軍人がさぁ……」
「こらリベリアン!! 幼気な新人にあらぬことを吹き込むな!! だいたいお前は……」
「あ、あはは……お二人とも、喧嘩はよくないですよ……?」

 やって来たのは和音だった。基地の整備班と一緒に、F-15の固定された台を運んでいたところである。
 一緒に挟み込まれていたメモには、ガランドからの直接のお礼と、使ってみての感想が書き記されていた。また、簡単ながらメンテナンスをしておいたとも書いてあり、整備や補給がほぼ不可能な状況下にある和音は、そのことに深く安堵したのだった。

「観測員か……何をすればいいんだ?」
「はい。シャーリーさんのユニットと、このジェットストライカーを同時に飛行させて、性能を試験するんです。そうすれば、どれくらいの違いがあるのかわかると思いませんか?」
「「む……」」

 それはつまり、暗に「勝負してみればわかる」ということだったのだが、シャーリーとバルクホルンは見事に和音の案に嵌まり込んだ。ピクリとこめかみを震わせると、ニヤリと笑ってユニットの固定台に駆けてゆく。

「はぁ、二人ともあっさり沖田さんに乗せられちゃって……」
「そう言うなミーナ。どのみち試験はしなければならないんだ」

 頭を抱えるミーナを坂本が慰める。元気すぎる部下も困りもの、という典型例だろう。
 とはいえテストをしないわけにもいかないのだから、和音の提案は妙案だったと言えるだろう。なかなかどうして和音も501の空気に染まってきている。

「準備はいいぞ、ミーナ!! さっそくテストだ!!」
「わたしのマーリンエンジンに勝てると思うなよ?」

 大きく溜息をつきながらも、ミーナはテストを許可した。
 今日は一日、騒がしくなりそうである。






「……シャーリーさん、12,000mで上昇が止まりました。バルクホルンさん、まだ上がっていきます」

 記録係にサーニャを引っ張り出し、いよいよテスト開始となった。
 まず始めに上昇能力のテストが行われたが、その結果はもはや従来のレシプロストライカーの比ではなかった。現行水準においては最高峰と言われるP-51をあっさりと追い抜き、そのままぐんぐん上昇してゆく。

「おいおい、マジかよ……」

 取り残されたシャーリーは呆然として呟くが、Me262の驚異的な性能はこれだけではとどまらなかった。
 続く積載重量試験でも圧倒的な性能を発揮し、50mmカノン砲と30mm機関砲を装備したまま飛行、そのうえシャーリーのP-51を寄せ付けず、標的として配置したバルーンをいとも容易く撃ち抜いて見せる。もはや比較することすら馬鹿馬鹿しいほどの圧倒的な性能差だった。

「すごい……すごいぞ!! まるで天使に後押しされているようだ!! これさえあれば戦局が変わる!!」

 掴んだ手ごたえに興奮を隠せないバルクホルン。圧倒的な性能差を見せつけられたシャーリーたちは、ただただ驚きに目を丸くするばかりだ。
 結局、この日に取れたデータをまとめるべくテストはここで一旦区切ることにし、万全の整備を行うべく機体は整備班に引き渡された。予想以上の性能に興奮を隠せないのはバルクホルンだけではなかったようで、普段は冷静なミーナでさえ心なしか浮ついているようにさえ見えたほどだった。

「さっそくデータをまとめてくれ、ミーナ。明日もテストを行うぞ。これが実用化されれば、カールスラント奪還も夢じゃない。沖田にも感謝しなければならないな」
「そうね。今回の試験でも予想を上回る結果が出ているわ。この調子でいきましょう」

 格納庫に機体を運び入れると、皆口々にジェットストライカーの凄さを褒め称えながら去って行った。その横顔は期待に満ち溢れ、試作機に対する期待と意欲を容易に感じさせるものだった。
 しかし、その陰で暗い顔をしている人間が一人だけいた。

(ダメだ……これ以上、このユニットに大尉を乗せちゃいけない……)

 まるで恐ろしい怪物を見るかのような表情で、和音は誰もいなくなった格納庫でMe262を見つめていた。この時点で、Me262の欠陥と危険性に気付けていたのは、おそらく和音ただ一人だっただろう。

「このユニットは、危険すぎる……!!」

 深刻な面持ちでそう呟いた和音は、足取りも重く自室へと引き上げていった。





 ――ロマーニャ基地 食堂

「にしても、まさかわたしのマーリンエンジンが負けるとはなぁ……」

 夕食のシチューを口に運びながら、シャーリーは悔しそうにぼやいた。
 言うまでもない。午前中のテストの事についてである。
 現行のあらゆるストライカーユニットと比較して、特に抜きんでた性能を持つ機体がP-51だ。航続距離、武装、上昇力、加速性能、最高速度、旋回性能……どれをとっても一級品であるそれを、シャーリーはさらに改造して性能を底上げしている。それを易々と下して見せたのだ。受けた衝撃は推して知るべきであろう。

「うむ、まさかカールスラントの技術力があれほどとはな」
「ウルスラも大変だったって言ってたよ?」
「そうね。まだ開発が始まったばかりだから……でも、これで大きく開発に弾みがついたわね。今後も試験を重ねて詳細なデータを本国に提出するようにしましょう」

 食卓での話題も専らジェットストライカーの事だった。
 しかし、その中でただ一人、深刻な面持ちを崩さないのが和音だった。

「あれ、どうしたの和音ちゃん。ご飯、口に合わなかった?」
「いえ、そうではないんです。宮藤さん」

 今日の配膳も宮藤とリーネが担当してくれている。口に合わないはずがない。
 
「珍しいですわね。体の具合でも悪いのかしら?」
「そういうわけでも……ないんです」

 果たして言うべきか、言わないでおくべきか……
 和音は迷っていた。これほどまでに大きく期待を寄せている機体の危険性を指摘すれば、バルクホルンやミーナは大きく衝撃を受けるだろう。しかし――

「あ、あの! ミーナ隊長」
「なにかしら、沖田さん」

 和音は意を決して口を開く。

「ジェットストライカーの件に関して、私から一つ提案があります」

 その途端、食堂の全員が和音に注目する。

「そうか、そういえばこの部隊の中で最もジェットストライカー運用の知識と経験があるのは沖田だったな。よし、何か意見があるなら言ってみろ、沖田」
「そうね、F-15を試験させてくれたのも沖田さんのおかげだし、何か考えがあるのかしら?」

 スプーンを置いて先を促す二人を見据え、和音はおもむろに席を立ってバルクホルンの下へと移動する。訝しげな表情をする皆の前で、和音ははっきりと、そして力強く言った。

「――提案というのは他でもありません。あのジェットストライカーは危険すぎます。わたしは、ジェットストライカー運用試験の即時中止と、バルクホルン大尉の飛行停止を提案します!!」

 その瞬間、食堂は文字通り凍りついたように静まり返った。
 一種異様な静寂が場を支配し、一体どうしたんだと言いたげな視線が和音に集中する。

「な、なにを言ってるんだ沖田!! あれはカールスラントの希望だ!! テストを続行するのは当然だろう!!」

 真っ先に我に返ったのはバルクホルンだった。拳を握りしめ、凄まじい剣幕で反論する。
 バルクホルンだけではない。坂本やミーナもそれに続いた。

「落ち着け沖田、それにバルクホルンも。……一体どうしてそう思うんだ、沖田?」
「私たちにとってジェットストライカーは未知の領域よ。それは分かっているけれども……どういうことなのかしら?」

 和音はそれに答えることなく、無言で右手を突き出して見せる。

「……何のつもりだ? 沖田少尉」
「握ってください」
「なに……?」

 眉根を寄せたバルクホルンに対し、和音は努めて冷静に語り掛ける。

「今の大尉が出せる精一杯の力で私の右手を握ってください」
「ふざけているのか? 私の固有魔法を知らないわけじゃないだろう?」
「そうだよ! いくらなんでも本気のトゥルーデに握られたら怪我しちゃうよ!」

 エーリカも強く反論するが、和音は耳を貸さなかった。
 やがて根負けしたのか、バルクホルンがやれやれと首を振って右手を握る。
 しかし、その表情はすぐさま驚愕の物に変わった。

「そ、そんな馬鹿な……なぜ、どうして力が入らない!?」

 精一杯、顔を真っ赤にして握っているというのに、和音は至って涼しげな表情のままだ。
 これには流石に驚いたようで、全員がバルクホルンの下に駆け寄った。

「どうしたのトゥーデ!? 体の具合が悪いの?」
「いや、そんなことはないんだ。なのに何故……」

 理解できないといった表情のバルクホルンに向けて、和音は静かに言った。

「――握れない。――どう頑張っても思うように力が入らない。そうではありませんか? バルクホルン大尉」
「どういうことなんだ、少尉。説明してくれ!」

 真剣な表情で詰め寄るバルクホルンに、和音は順を追って説明していく。それは、ジェットストライカーが主流となった時代のウィッチだからこその視点であり、警告だった。

「ジェットストライカーは、従来型のレシプロストライカーと比較して魔法力の消耗が激しいんです。大尉は今日の午前中だけで、限界高度までの上昇試験と完全装備での飛行試験を行っています。バルクホルン大尉、今の大尉の体は自分が思っている以上に消耗しているんです。一歩間違えば、魔法力を吸い尽くされていたかもしれないんですよ?」

 衝撃的な事実に、食堂は水を打ったように静まり返る。
 それが紛れもない真実であることを、力んで震えるバルクホルンの手が証明している。
 これっぽっちの力も出せないほど、操縦者の魔力を消耗させるのだ、と――

「魔法力の過剰消耗によるウィッチの損失を防ぐため、F-15J型には〝緊急停止装置〟が備わっています。加えて、ウィッチを守るために様々な工夫がされているんです。それだけじゃありません。巡航時の速度を音速以下に抑えるなど、運用には注意を払っているんです。いいですか、まだ技術的にも未完成な試作機で無茶なテストを続ければ、大尉は飛べなくなってしまうかもしれないんですよ!? それでもいいんですか!?」

 熱を込めた和音の警告は、しかし今回に限っては逆効果だったようだ。

「技術的に未完成だと……? 黙って聞いていれば好き放題言ってくれたな!! 技術的な水準の話は、あくまで未来から見ての話だろう。現状の技術レベルでは最高水準と言っていい機体だ。実戦で通用するかどうかは、私がテストして証明してみせる。そしてかならずカールスラントを奪還するんだ!!」

 ダンッ!! っと机を叩いて立ち上がると、バルクホルンはいらだちも露わに食堂から去ってしまった。後味の悪い沈黙と罪悪感に胸を苛まれながら、和音もまた食堂を後にする。

「あ、あの、和音ちゃん……」
「ごめんなさい宮藤さん、今、ちょっといっぱいっぱいなんで……」

 唇を噛みしめたまま、和音は小走りで宮藤の横を駆け抜ける。
 そうしないと、悔しさと悲しさで叫び出してしまいそうだったから。
 結局、その日の夕食は、これまでにないほど気まずいものとなってしまったのだった。






 ――夜 自室にて

「うっ……ひっく……大尉の……バルクホルン大尉のばかぁ……」

 飛び込むようにしてベッドに倒れ込んだ和音は、そのまま毛布にくるまって、堪えきれない嗚咽をそれでも必死に堪えていた。自分の思いが伝わらなかったばかりか、逆に怒らせてしまったのでは元も子もないではないか。シーツにはすっかり涙のシミができている。

「なんで、なんで怒らせるようなこと言っちゃったんだろう、私……」

 枕に顔を埋めて自責の念に囚われていると、控えめなノックの音が響いた。
 まるで部屋の中の人間を気遣うような、そんなノックの音だ。

(宮藤さんかな……)

 きっとそうだろう。だけど、今は誰にも会いたくない。
 和音は毛布を手繰り寄せ、その中に埋もれるようにして丸くなった。そうすれば、宮藤さんならそのうちあきらめて帰るだろう。そう思った。


 ――だから、勝手に部屋のドアが開いたとき、和音は心臓が飛び出るほど驚いた。


「――っ!?」
「ごめんな。ノックをしても居留守をしているみたいだから、勝手に入らせてもらったよ」

 明かりのない暗い部屋でもはっきりとわかる、ハニーブロンドの長髪。
 いつになく穏やかな声でそう言ったのは、シャーロット・E・イェーガーだった。

「し、シャーリー大尉……!!」

 驚き目元を拭う和音。そんな姿を笑うことなく、シャーリーはゆっくりと近づいてきた。

「隣、いいか?」
「……はい」

 未だ毛布に閉じこもったままの和音と、そっとベッドに腰を下ろすシャーリー。

(私って子供だな……)

 そう思っていると、シャーリーが唐突に口を開いた。

「――今日は、ありがとな」
「……え?」
「ジェットストライカーの事だよ。わたしも、アレは少しヤバいって思ってたんだ。だから、お前が勇気を出してアイツを止めようとしてくれたことが、嬉しかったんだ」
「………………」

 照れくさそうに頬をかきながら、シャーリーは続ける。

「機体のテストも大事だけど、それでウィッチが死んじまったらどうしようもないだろ」
「…………」

 何も言えずただ話を聞くばかりの和音の頭をそっと撫でて、シャーリーは颯爽とベッドから立ち上がった。普段は部隊のムードメーカー的な側面しか見せないシャーリーだが、その実彼女は思慮深く、他人の心の機微に関しては驚くほど鋭い。

「少佐や隊長にはわたしから言っておくよ。心配すんなって。――お休み、沖田」
「……はい。おやすみなさい、シャーリーさん」

 ようやく、ただそれだけを口にできたことに安堵しながら、今度こそ和音は横になった。
 不思議と涙が止んでいたことに気付く間もなく、和音は深い眠りへと落ちていった――

 

 

第十三話 芋の皮むき

 
前書き
高知に行って、それから今度は北海道・・・
夏の墓参りが遠いは勘弁ですね。旅費も時間もあっという間に消し飛んでいく。

ようやく着任した艦これも碌々進んでいなかったり。
更新遅れて大変申し訳ないですm(__)m 

 

 ――ロマーニャ基地 司令室

「はぁ……あまり、良い空気ではなかったわね……」
「夕食の席でのことか、ミーナ」
「ええ。まさか沖田さんがあそこまで強硬に主張するとは思わなかったわ……それに、トゥルーデも」

 夕食後。既に皆が自室に戻った時間に、マグカップを片手に溜息をついていたのは、膨大な書類に目を通して判を押すミーナだった。窓の傍には坂本が控え、ミーナの書類を手伝っている。しかし、今夜に限っては二人の仕事のペースも遅く、時折溜息が混じる。
 問題は他でもない。
 夕食の席で、沖田がバルクホルンに対して執拗に試験の中止を迫った事だ。



――〝いいですか、まだ技術的にも未完成な試作機で無茶なテストを続ければ、大尉は飛べなくなってしまうかもしれないんですよ!? それでもいいんですか!?〟



 いつもは温厚かつ真面目な和音が語気を荒げたことに驚いたのも一瞬、戦況を覆すほどの可能性を秘めた実験機の試験を中止するべきだなどという前代未聞の進言に、ミーナはもとより、坂本も目を丸くしたのだった。
 
「我々の中では唯一、ジェットストライカーが主流となった時代の生まれだからな……もう少し詳しく話を聞いてやるべきだったのかもしれん」

 腕組みをして言う坂本だったが、それに異を唱える声があった。

「――いや、そんなことはない。あの機体は今後も試験を続行すべきだ」
「バルクホルン……聞いていたのか」

 司令室の扉の前で、腰に手を当てて立っていたのはバルクホルンだった。
 察するに話を聞いていたらしい。

「ねぇトゥルーデ。貴女が優秀なウィッチであることは誰もが知っているわ。でも、私たちにとってジェットストライカーは未知の産物よ。沖田さんの言葉にも耳を傾けるべきじゃないかしら?」

 コトン、とカップを机に置いてミーナが言う。部隊を預かる人間として、無視できるような話ではない。
 しかし、バルクホルンの反応は頑なだった。

「アイツは技術的に未熟だといっていたが、そんなことはない。大体、未来の産物と比較して十分な技術水準にあるものを持って来いというのが土台不可能な話だろう。沖田のストライカーだって、おそらくは我々の時代から続いてきた研究の成果のはずだ。違うか、ミーナ?」
「それは……確かにそういう面は否定できないけれど……」

 実際、バルクホルンの言い分にも一理ある。
 あらゆる物事は結局のところ積み重ねであり、ジェットストライカーもその例外ではない。F-15にしたところで、各国が長年積み重ねてきた研究や試験の果てに生み出されたものであることは否定できないし、それと比較して技術レベルが低いのはむしろ当然であるのだ。

「そもそも、試験機に問題はつきものだ。どんな問題があり、どんな長所があるのか。それを調べるのが実機テストだろう? だったら私があの機体をテストすることに何も問題はない」

 きっぱりと言い切ると、バルクホルンは黙ってカップのコーヒーを飲みほし、そのまま司令室を出ていった。去り際に「おやすみ」と言う事は忘れていなかったが、やはりその横顔はどこか硬く、焦っているようでもあった。

「……ともかく、試験それ自体は続行しましょう。ただし、問題が発覚した場合は使用を即時中止し、本国に返還しましょう」
「ああ、それが妥当だろう」

 大きく溜息をついたミーナがそう言って締めくくると、坂本とミーナも自室に引き上げていく。
 しかし、ほんの十数時間後に、彼女たちは自分の判断を大きく後悔することになるのだった――






 ――ロマーニャ基地 滑走路

「では、Me262 V1の試験を開始する。バルクホルン、準備はいいか?」
「問題ない。さっそく始めてくれ、少佐」

 日も高く昇った午前。陽光に煌めく海を臨む滑走路には、Me262を装備したバルクホルンの姿があった。傍らには整備班が控え、坂本とミーナもその場に待機している。
 今回の試験は高速性能、および運動性能の試験だった。
 装備可能重量や上昇限界については先日のテストで結果が出ており、今回はそこに上記二点のデータを加えようということになっているのだった。

「トゥルーデ、あなた本当にそんなに持って飛べるの? 負担が掛かるんじゃ……」
「心配ない。このストライカーは素晴らしいからな。記録を頼むぞ、ミーナ」

 心配げに声をかけるミーナに笑って返すと、バルクホルンは発進準備に入る。

「ゲルトルート・バルクホルン、出るぞ!!」

 勇ましい掛け声とともに、魔道エンジンが唸りをあげ、凄まじい風を巻き起こす。
 やがて十分な魔法力を得たユニットが滑走路を滑り出し、勢いよく上昇に転じる。

《離陸に成功。各部異常なし。これよりテストに入る》
「こちらミーナ。通信状態も良好ね。まずは運動性能からにしましょう」
《了解した。記録を頼むぞ。高度5,000まで上昇してから開始する》

 雲をひいて上昇したバルクホルンは、そのまま緩やかに旋回しつつ、機体を左右に振り、時に水平旋転を決めて見せる。

「ほう……あれだけの速度でこの運動性能か。零戦のお株を奪われたな」

 感嘆の息を洩らす坂本。テストのために敢えて設置された発煙筒が、バルクホルンの描く軌道をはっきりと宙に刻んでいる。

「テストは順調ね……これなら問題はないのかしら?」
「そのようだ。魔法力の消耗に留意すれば、十分実用に耐えるのかもしれん」

 良好なテスト結果に唸る二人。運動性を見せつけたMe262は、いよいよ要となる高速性能試験へと移ろうとしていた。まだ誰一人として越えた事の無い音速の壁――
 それを越えられるのか否か。
 機速における優位は空戦における優位に直結する。ジェットという未知の産物が果たしてどこまで限界を越えられるのか。皆が固唾をのんで見守る中、いよいよMe262はその身に秘めた力を解放しようとしているのだった。





 ――和音の自室

「バルクホルン大尉……大丈夫かな……」

 登場割から外れ、基地待機となった和音は、何をするでもなく自室で時間を潰していた。炊事洗濯はリーネと宮藤の領分で、書類仕事などは到底手伝えない。ユニットの整備にしたところで時代の違いから知識も技術も十分でなく、おまけに今日はMe262の試験で基地は持ちきりだ。何もすることなどない。

「はぁ……暇だな……」

 ゴロリとベッドに横になる。窓からは宙に軌跡を描いて飛ぶバルクホルンの姿がはっきりと見えた。今しも曲芸飛行のような軌道を終えたバルクホルンは、一度大きく旋回するとさらに上昇し、地面と水平の姿勢のまま直進し出す。

「900km/h越えればこの時代ならいい方なんだっけ?」

 確かそうだったはず、と胡乱な頭で記憶を辿る和音。
 もっとも、900km/h程度なら和音のF-15をはじめ、たいていのジェットストライカーは出せてしまう。無論、個々の性能や運用方針は様々ではあるが。
 大気を裂いてぐんぐんと加速し始めるMe262を、知らず魔眼を使って追いかける和音。凄まじい排気音を轟かせて飛ぶそれは、「天使に後押しされる」というよりも「鬼神が追い立てている」ようにも見える。

「まだ機種転換の訓練だって十分じゃないはずなのに……凄いなぁ……」

 まだ碌に運用ノウハウもない時代である。にもかかわらず、バルクホルンはしっかりとMe262を御していた。その飛行には和音も素直に感心し、そして安心した。
 できればこのまま何事もなく終わってほしい――
 切実にそう思った和音の祈りは、しかし聞き届けられることはなかった。


 ウウウウウゥゥゥゥゥゥゥ――――――………………!!!!!!


「警報!? ネウロイ!?」

 けたたましく鳴り響いたサイレンの音に跳ね起きる和音。
 最も来て欲しくないタイミングで、最も相対したくない存在と出会ってしまう。
 慌ててジャケットを着こんだ和音はドア蹴破るようにして廊下に飛び出すと、格納庫へと駆けて行った。







「敵襲だと? よりにもよってこんなタイミングで!!」

 鳴り響いたサイレンの音は当然滑走路に居た坂本らにも聞こえていた。
 ネウロイの出撃予報から外れた日に組んだテストだったが、やはり敵は現れた。しかも不味いことにバルクホルンは基地から遠く離れてしまっている。最悪、呼び戻す途中で追いつかれかねない。

「こちらミーナ。トゥルーデ、聞こえる? 敵ネウロイが出現したわ。テストは中止、すぐに基地に戻って!!」

 通信機に向かって吼えるミーナに届いたのは、やや憔悴したバルクホルンの声だった。

《いや……それは間に合わない。こちらも目視で確認した。かなり足の速い相手だ。基地からの迎撃では間に合わない。ここで……わたしが、時間を稼ぐ。だからその間に――》
「トゥルーデ!? 聞こえているのなら応答して!! バルクホルン大尉!!」
《…………………………》

 不明瞭なノイズだけを残して沈黙してしまった通信を悲愴な面持ちで見やるミーナ。しかし、すぐさま指揮官としての自分を取り戻すと、素早く判断を下し命令を発する。

「整備班は格納庫に戻ってユニットの発進支援!! イェーガー大尉!!」
「任せとけって、隊長」
「私たちの中で一番早いのは貴女よ。すぐにバルクホルン大尉の救援とネウロイの迎撃に向かて。こちからも増援を送るわ」
「了解!!」

 部隊で最速を誇るシャーリーは、ミーナの命令を受けると同時にユニットへ足を通し、目にも止まらぬ速さで滑走路を駆け抜けていった。
 つづく増援もただちに武器とユニットの準備を終え、宮藤とリーネ、ペリーヌの三人が出撃してゆく。

「坂本少佐! ミーナ隊長!」

 そこへ駈け込んで来たのは和音だった。今しも出撃しようとしていた三人すら振り向かせるほどの剣幕で整備兵を怒鳴りつけると、有無を言わさず安置されていたF-15Jを引っ張りだす。出撃しようとしていることは明らかだった。

「もう今からじゃレシプロストライカーの速度では追いつけません。追いつけるとしたらシャーリーさんか、あとはわたしだけです!!」

 飛びつくようにユニットに脚を通し、半ば強引にエンジンを起動させる。ガランド少将によるメンテナンスが功を奏したか、心なしかエンジンの調子も良いようだった。

「バルクホルン大尉の救援にはわたしが行きます。宮藤さんたちは別働隊を警戒してください!!」

 それだけを言い捨てると、和音は返事を待たずして滑走路を爆走する。凄まじい轟音と白煙が滑走路を包み込み、そしてあっという間に離陸していった。


(バルクホルン大尉……無事でいてください……!!)





「くぅ……!! バカな……このわたしが追いつけないなどと……!!」

 単騎でネウロイの足止めを買って出たバルクホルンは、すでに満身創痍だった。
 カールスラントが世界に誇るエースは、しかし今や肩で息をするのが精いっぱいだ。矢のような速さで飛ぶネウロイを落とすことはおろか、抱えた50mmカノン砲を支えることすら覚束ない。エースとしての本能が辛うじて空戦を成り立たせているものの、その劣勢は誰の目にも明らかだった。

「聞こえるか、ミーナ!! 501基地、聞こえているのなら応答してくれ……!!」
《…………………………》

 必死に呼びかける無線から応答はなく、ただ耳障りなノイズが洩れるだけ。もどかしさにインカムを投げ捨てる。
 ――果てして、この通信の不調がネウロイの仕業であると看破できる人間がこの時代に何人いただろうか? 高速で飛翔するネウロイがふりまく雪のような小片――〝チャフ〟と呼ばれているそれが、通信を妨害している原因だった。

「はぁ、はぁ、これは……マズいな……」

 口が渇き、視界が揺れる。明らかに魔法力を消耗しすぎていた。
 和音の忠告を聞き入れなかったことを今になって後悔するバルクホルンだったが、既に後の祭りというものだった。この絶好の隙をネウロイが逃す筈もなく――


「――させるかァ!!」


 瞬間、耳に馴染んだ機関銃の発砲音が響き渡り、目前まで迫っていたネウロイが反転して距離をとった。全身の力を振り絞るようにして振り向くと、そこには憎らしくも頼もしい、部隊の戦友の姿があった。

「バルクホルン!! はやく、こっちに来い!! コイツらはわたしが引きつける。お前はさっさと離脱しろ!!」
「あ、ああ……すまない……くっ……!!」

 マーリンエンジンの性能にモノを言わせたシャーリーは、間一髪救援に間に合った。機速を落とすことなくネウロイに肉薄するシャーリーは、愛銃のM1918を雨のように浴びせかける。振り切ろうとするネウロイを逃がすことなく、シャーリーは粘り強く追撃をかけてネウロイをバルクホルンから引き離していった。

「すまない、リベリアン……」
「いいから!! ここは私に任せてさっさと――――なにっ!?」

 武装を投棄し、バルクホルンが離脱に転じようとした、まさにその時だった。
 突然ネウロイが変形し、凄まじい加速をもって反撃の転じてきたのである。

「コイツ……強いぞ……!!」

 シャーリーのP-51と互角に張り合って見せるネウロイなどそうはいない。ましてや変形能力を持つタイプなど未だ観測されたことはなかった。間違いなく、敵の新型ネウロイである。
 ここを突破させるわけにはいかない――シャーリーが猛然と追撃をかけ、背後から必殺の銃撃を見舞おうとトリガーを引き絞る。

「……って、弾詰まりかよ!!」

 カチン、カチン、と頼りない感触を返す愛銃は、ここにきて最悪の故障を迎えてしまった。生産性と耐久性を重視するあまり武装を失ったウィッチなど、もはや空飛ぶ的も同然だ。目ざとくもそれを認めたネウロイがゆっくりと反転し、為す術の無くなった二人のウィッチに狙いを定めた。

「チッ……!! こうなったら……こうしてやるっ!!」
「な、なにをする気だリベリアン!!」
「しっかり掴まってろよ!!」

 もはや敗北は避けられぬと悟ったシャーリーの行動は早かった。即座に負けを認めると、いまだ十分に機速を稼げていないバルクホルンを抱きかかえ、ありったけの魔法力をエンジンに注ぎ込む。戦えないと分かったのならば、あとは逃げるしかない。シャーリーはそう判断した。
 しかし悲しいかな、いかにP-51が優秀といえども、ウィッチを二人も抱え、うち一人はもはやただの錘でしかなくなったジェットストライカーを履いている。到底逃げ切れるはずがなかった。

「は、はなせ!! わたしの事はいい。お前だけなら助かるだろう!!」
「うるさい!! 黙ってわたしに抱えられてろってんだ!!」
「このままでは二人とも死ぬぞ!!」
「お前を――仲間を見捨てて逃げるなんてできるか!!」

 容赦なく飛んでくるネウロイのビームを必死に躱し続けながら、シャーリーは渾身の力を振り絞って基地を目指す。辿り着かなくてもいい。このまま基地に近づけば、きっと援軍が来てくれる。それだけを頼りに、決して後ろを見ることもなく飛び続ける。

 しかし、現実はどこまでも冷酷だった。
 一瞬奇妙な振動がユニットを震わせ、次の瞬間、シャーリーの右足のユニットがオイルを噴いて停止した。エンジンのオーバーヒート。空戦で決して犯してはいけない致命的なミス。
 普段の倍以上の重量を抱え、普段の倍以上の出力を出せばどうなるか――
 完全に焼けついたエンジンが奇妙な空回りをして死に、シャーリーの右足から抜け落ちてゆく。

「あ――――」

 これは終わったな……
 不思議と冷静に、シャーリーは自分の状況を判断できた。ユニットもなく、武器もなく、魔法力すらも限界に近づいて。もはや的以外の何物でもない。今の状態ならば、撃ち落とすことなど赤子を縊るよりも容易いだろう。

「ちくしょおおおおおおお!!」

 知らずバルクホルンの体を固く抱きしめながら、シャーリーは吼えた。残るすべての魔法力をつぎ込み、片肺での離脱を試みる。たとえ二度と機体が使えなくなってもいい。今はただ、生き残る事しか考えられなかった。



「――イーグルⅡ FOX1」



 視界の端をなにかが凄まじい速さで駆け抜けていった――
 そう思った時にはもう、背後に迫ったネウロイは凄まじい爆炎と共に木端微塵に吹き飛ばされていた。

「す、すげぇ……」

 まるで槍のように標的へ疾駆し、一撃で粉砕せしめるその威力。
 こんな事ができるのは、501部隊でも一人しかいない。

「沖田!!」
「シャーリーさん、バルクホルン大尉、ご無事ですか!?」

 F-15で駆けつけた和音は、よろよろと辛うじて飛行を続けるシャーリーに駆け寄る。間一髪、和音が二人の体を抱き留めた瞬間、片方だけ残っていたP-51も煙をぶすぶすと吐いて海へ落ちていった。バルクホルンのMe262に至っては執拗な攻撃に晒されあちこちが損傷してしまっている。到底、自力での飛行は不可能だった。

「……まあ、ユニット以外は無事だな。コイツはすっかり気を失っちまってるけどさ」
「宮藤さんに診てもらいましょう。基地まではわたしが送ります」
「了解。それじゃ頼むよ」
「はい。しっかり掴まっていてください」

 すっかり満身創痍となった二人を抱えると、和音はそのまま基地へ帰投していった。







 ――ロマーニャ基地 医務室

「ん……ここ、は……?」

 目が覚めた時、バルクホルンは自分の体がいやに重いことに気がついた。
 全身が鉛のように重く、指先一つまともに動かせない。正直、瞼を開けるのさえ億劫だった。

「あ、バルクホルンさん。よかったぁ……」
「気がついたのね、トゥルーデ」
「心配したんだぞ、バルクホルン」

 ぼんやりとした視界の中で、見慣れた顔が幾つも自分を覗き込んでいるのが見えた。
 そこではじめて、バルクホルンは自分が医務室に寝かされ、部隊の皆が自分の周りを心配そうに取り囲んでいることに気がついた。

「なんだお前たち……そんな顔をして、一体何があったんだ……?」
「トゥルーデ、覚えてないの?」

 心配そうに顔を覗き込みながらエーリカが言う。付き合いの長い戦友の言葉にバルクホルンはしばし黙考し、未だ醒めきらない頭の中から記憶を引きずり出す。

「トゥルーデ、あのジェットストライカーで出撃して気絶したんだよ」
「そうだ……わたしは、あのストライカーの試験の途中でネウロイと交戦して、それから、それから……?」

 そこから先を、バルクホルンは覚えていない。当然だ。魔法力切れで気絶し、今の今まで眠っていたのだから、記憶などある筈もない。

「――それから、わたしがお前のところに救援に駆けつけて、二人そろって危うく死にかけたってわけさ」
「リベリアン……」

 医務室の入り口にもたれていたシャーリーがそう言ってこれまでの経緯を説明する。
 一瞬信じられないといった風な表情をしたバルクホルンだったが、大方の事情を呑み込んだのだろう。大きく溜息をついてそのっまベッドに体を預けた。

「すまない……助けられてしまったようだな」
「礼ならわたしじゃなくて沖田に言えよ。わたしたち二人をここまで運んできたのも、ネウロイを倒したのもアイツだ」
「そうか……」

 首から上だけを動かして医務室を見渡してみるが、和音の姿はない。
 一体どこにいるのだろうかとバルクホルンが訝しんだ時、にわかに廊下の方が騒がしくなった。

「………………?」

 荒々しい足音が医務室の前で止まり、ややあってから乱暴にドアが開けられた。

「……ご無事で何よりです、バルクホルン大尉」
「あ、ああ……どうやら、助けられてしまったようだな、少尉」

 思えば、きちんと忠告を聞いていればこんなことにはならなかったのだ。その自覚がるだけに、バルクホルンは和音の顔をまともに見る事ができなかった。しかし、そんな事情に構うことなく、固い表情のまま和音はツカツカとベッドの脇まで歩み寄り――


 ――パシィン!!


「――ッ痛!!」

 容赦なくバルクホルンの頬をひっぱたいた。
 唖然とする一同に構うことなく、何事かを言いかけたバルクホルンの頬をもう一度張り飛ばす。

「なにをしてるんですか!! バルクホルン大尉!!」
「………………」
「もう少しで……もう少しで死んじゃうところだったんですよ!? わかってるんですか!!」

 普段の様子からは信じられないほどの剣幕に、さすがのミーナや坂本も割り込む隙を見つけられない。当の本人であるバルクホルンでさえ、幼子のように項垂れる事しかできないでいた。

「シャーリーさんがすぐに駆けつけてくれたからよかったものの、あんなにボロボロになるまで戦って……」
「すまない……少尉の忠告を聞くべきだったな……わたしの判断ミスだ」
「そんな事を言ってるんじゃありません!!」

 バンッ!! とサイドテーブルを叩いて和音は言う。

「どうして自分を大事にしないんですか!? ミーナ隊長やハルトマン中尉だって、大尉の大切な仲間であり家族でしょう!? ユニットなんかいくらでも替えは利きます。でも大尉の代わりはいないんですよ!?」

 その言葉に、バルクホルンはハッとして顔を上げ、ミーナたちの方を仰ぎ見た。

「沖田さんの言う通りよ、トゥルーデ。ユニットよりも貴女の方がずっと大事。私たちは家族でしょう?」
「ミーナの言うとおりだよ。トゥルーデが傷つくところを見たい人間なんていやしないよ」
「そうか……そうだな、私たちは家族だったものな」

 深い安堵の息をつくバルクホルン。今の彼女には何より休息が必要だ。
 坂本が目くばせすると、無言のまま軽くうなずいてみな部屋を出ていく。
 ベッドに横たわる彼女の口から安らかな寝息が聞こえてきたのは、そのすぐ後の事だった。






 ――ロマーニャ基地 食堂

「本ッッ当に大尉は不器用ですね。いいですか、ここをこうして……ほらできた」
「な、なるほど……くっ、意外と難しいものだな」

 隊規違反の罰則として掃除や炊事を言いつけられることは珍しくないが、今回ばかりはどうもそうではないらしい。夕食時の食堂には、それはそれは珍妙な光景が広がっていた。
 食堂には山盛りのジャガイモ。
 その脇にはナイフを片手にしたバルクホルン。
 それを監視する和音。

「な、なぁ少尉。やはりこういうのは宮藤やリーネの方が……」
「――何か仰いましたか、大尉?」
「……いや、なんでもない」

 夕食時分まで深く寝入っていたバルクホルンは、当分の飛行停止と、危険行為をとがめる意味もあって軽い罰則が科されていた。
 ――ジャガイモの皮むきである。
 加えてミーナは一計を案じ「、トゥルーデの監視は沖田さんにお願いしましょうね。いい? 今日一日貴女は必ず沖田さんの指示に従う事。いいわね?」などと言ってしまったのだからもうたまらない。

「ほら大尉。まだまだお芋はいっぱいありますからね~」
「頼む、少尉。私が悪かった。だから……手伝ってくれッ!!」

 スルスルと綺麗に皮をむいていく和音。
 ゴリゴリと実ごと削り落としてゆくバルクホルン。
 実に対照的な二人の腕前は、もはや比較する必要すらないだろう。
 ……つまるところ、バルクホルンは不器用なのだった。

「あっはっは!! 頑張れよ、バルクホルン」
「くっ!! いい気になるなよリベリアン。貴様には喰わせてやらんからな!」
「あるぇ~? そんなこと言っていいんですかぁ? ねぇ、沖田監督官殿?」

 わざとらしい口調でシャーリーが沖田を見やると、ニッコリと笑った和音が

「大尉、まだまだ反省が足りないようですね?」
「えぇ……いや、その……だからこれは……」
「そうですね。今日のお夕飯はお芋のコロッケにでもしましょうか。皮、剥いてくださいね?」

 二人の様子を爆笑しながら見守るシャーリー。さりげなく手伝ってやっているのは、彼女なりの気遣いと優しさだろう。
 結局、P-51は完全に水没。回収は不可能となったため、次の補給の際に本国から同型機を取り寄せることで合意した。
 ジェットストライカーに関しては、もはや運用試験どころではなく、危険性の指摘レポート共に本国へ送還される予定である。

「ちゃんと食べて早く元気を回復してもらいますからね、大尉」
「う、うむ。そうだな! 今はまず栄養補給を……」
「ははは!! よかったなバルクホルン。もうひとり妹ができたみたいで」
「――――っ!?!?」

 途端、芋を取り落すバルクホルン。
 意地の悪い笑みを浮かべている辺り、シャーリーも確信犯である。

「みなさ~ん。ご飯出来ましたよ~」
「今日はお芋料理をいっぱい作ってみました!」

 割烹着にエプロン姿の宮藤とリーネが大きなワゴンを押しながらやってくる。
 まずは体力回復が最優先と言う事で、今日の夕食はかなり豪華だ。
 まあ、材料の芋は今せっせと本人が皮をむいているところなのだが。

「コロッケに、ポテトサラダ、フライドポテトに、蒸かし芋もありますよ」
「お! サンキューな、宮藤」

 ひょい、と手を伸ばしてフライドポテトをほおばるシャーリー。本場の人間から見ても出来は上々のようである。

「バルクホルンさんも食べてください。食べないと元気でないですよ?」
「ああ、ありがたく戴こう」

 皮むきを中断し、食事に手を伸ばす。
 ユニットも体もすっかり傷つき消耗してしまったが、不思議と居心地は悪くなかった。

「どうですか? お口に合いますか?」
「もちろんだ。やはり宮藤は料理がうまいな。わたしも見習わねば……!!」

 真心こもる夕食を食べながら、こんなふうな思いができるのなら、今回の事件もそう悪いことばかりではなかったな……そう思ってしまうバルクホルンであった。
 

 

第十四話 ロマーニャの街①

 
前書き
アニメ本編に準拠するような流れになって来てしまいましたね。
まあ、押さえておきたい原作のポイントってのもありますし。

来週からまた出かけなくてはならなくなるため、連続更新です。
どうぞ。・・・まあ、読んでる人はそんなにいないと思いますが(・ω・`) 

 

 ――ロマーニャ基地 午前

 人騒がせなジェットストライカー『Me262』が本国に送還されて数日が経ったある日。連日のように続いた芋料理にすっかり飽き、バルクホルンの体力も回復した頃。食材や身の回りの生活雑貨を揃えるべく、街へ買い物に行こうという話が持ち上がった。

「そうねぇ、ネウロイの襲撃予報からも外れているし、この前も戦闘があったばかりだから、いいタイミングかも知れないわね」

 買い物に行こうと話を持ち出したのは、実はリーネだった。
 ジェットストライカーを回収しに来たカールスラントの連絡機が置いていった大量のジャガイモが最近のメインになっていたのだが、さすがにそれにも飽きがきて不満が出るようになっていたのだ。それならば、と言う事で、新鮮な野菜などの食材を確保しつつ、身の回り品などを揃えてはどうか、という話になったのである。

「うむ。さすがにこうまで芋続きだとなぁ、これ以上は私も正直飽きていたところだったんだ」
「す、すみません。坂本少佐……」
「リーネが気にすることじゃない。昨日の昼に出してくれたコロッケはなかなか絶品だったぞ」

 こうして、部隊長二名の承認の下、ロマーニャの町まで買い出しに行くことが決定したのだが、問題は人選である。

「とりあえず、ロマーニャを案内するためにルッキーニさん。それから、大型トラックの運転にシャーリーさんを連れていく必要があるわね」

 談話室に集まった部隊の皆を見ながら、ミーナが指示を出す。いくら非番とは言え、ピクニック気分で全員が基地を空けるわけにはいかないのだ。最低限の人間は、基地に残しておく必要がある。

「ま、トラックの運転ならわたしに任せてくれよ」
「ロマーニャはあたしが案内するからね!!」

 やる気満々の二人は置いておくとして、残るメンバーを決めなくてはならない。
 なにしろ全員分の買い物をするのだ。シャーリーとルッキーニだけでは無理がある。

「ふむ、ではあと二人を買い出し班にして、残りは基地待機にしよう」
「そうね。買い物は一度にまとめて書き出しましょう」

 坂本の提案に頷いたミーナはしばし黙考し、ややあってから顔を上げた。

「――じゃあ、沖田さんと宮藤さんに願いするわ」
「ええっ!! わたし達でいいんですか?」
「お洗濯とかあるんじゃ……」

 遠慮する二人にミーナは笑うと、

「沖田さんはまだこの基地の中しか出歩いたことがないでしょう? せっかくなんだからたまには羽を伸ばしてもいいと思うわ。それに、食材や必需品には宮藤さんが詳しいでしょう?」

 なるほど、確かにミーナの言う通りかもしれない。
 そうとなれば話は早い。さっそく確認の希望を聞きだしてメモにまとめていく。

「そうだな……うむ、せっかくだから501共用のラジオを買おう。最近はナイトウィッチ同士のラジオが流行っているらしいからな」

 と、これは坂本の希望。個人での買い物は特に無いようである。

「お菓子!! お菓子がいい!!」
「お前に必要なのは目覚まし時計だろうハルトマン!!」

 お菓子を所望するのはエーリカで、頑として却下するのはバルクホルンだ。
 苦笑いしつつ、和音はメモ帳に確認の希望をまとめていく。宮藤は厨房に戻って食材の確認をしているところだった。表ではシャーリーがトラックをガレージから出してきている。

「ピアノ! ピアノがいい!!」
「……エイラ、それはいくら何でも無茶なお願いよ」

 確認の細かい要求を何とか書き留めると、表から大きなクラクションの音がした。

「おーい、こっちは準備できたぞー!!」
「やっほー!! わたしのロマーニャ!!」

 窓から身を乗り出すルッキーニを危なげなく引き戻しながら、シャーリーが手を振っている。
 メモ帖をポケットにねじ込むと、ちょうど厨房から出てきた宮藤と一緒にトラックへ向かう和音。なぜかリーネが心配そうな顔でこちらを見ていたが、和音は特に気にしなかった。

「楽しみだね、和音ちゃん」
「そうですね。わたしもロマーニャは初めてです」
「さぁて、しっかり掴まってろよ二人ともっ!!」
「いっけぇ!! シャーリー!!」

 やがて二人を乗せたトラックは勢いよく発車し、見る間に小さくなっていく。
 安全運転とは程遠いハンドルさばきに一抹の不安を覚えつつ、坂本らは和音らを見送ったのだった。






 ――ロマーニャ市街

「うわぁ!! ロマーニャって大きいですね!!」
「すご~い!! 横須賀なんかよりずっと都会だよ!!」

 嵐のようなシャーリーの運転に耐える事数十分ほど。三途の川を渡りかけた宮藤と和音だったが、それもロマーニャの街に着くまでの事。息も絶え絶えでトラックから降りた二人は、目の前に広がる美しい街並みにしばし言葉を失った。

「ま、欧州でも有数の都市だからな。ルッキーニの故郷なんだぞ?」
「これが私のロマーニャだよ!! ね? すっごく綺麗でしょ!?」

 両手をいっぱいに広げて自慢するルッキーニだが、なるほど確かにすばらしい都市だ。これが果たして欧州有数の激戦区の都市なのだろうか? 石造りの街並みや道路、あちこちで響く呼び込みの声。人も、物も、戦時下とは思えないほど活発に行き来している。

「さぁ、今日はピクニックに来たわけじゃないんだぞ? ミーナ隊長から軍資金を預かって来たから、各自で手分けして買い物をしよう。集合場所は、あそこの噴水前だからな?」
「分かりました、シャーリーさん」
「ルッキーニちゃんをお願いしますね、シャーリーさん」

 じゃあトラックを停めてくるから、そう言い残してシャーリーとルッキーニは行ってしまった。さすがに往来のド真ん中に軍用の大型トラックを停めるわけにはいかないのである。地理の案内はルッキーニがいるから、駐車場所も見つかるだろう。

「じゃあ、二人で手分けしてさがそっか、和音ちゃん」
「いえ、それでは迷子になってしまうかもしれませんし、一緒に行きましょう」
「そうだね。行こう、和音ちゃん」
「はい!!」

 ズシリと重い軍資金の入った財布をしっかりと握りしめ、宮藤と和音は街の大通りへと入ってゆく。普段は見かけない東洋人の二人連れ―未来人が若干一名―を物珍しそうに見やる人もいたが、そこは古来よりウィッチの街。和音たちがウィッチであることを知ると、ブリタニア語で親切に道を案内してくれた。

「親切な人たちでよかったね~」
「ですね。わたしもブリタニア語を勉強してよかったです」
「あれ? 和音ちゃん語学苦手なの?」
「ええっと、その……まあ、なんと言いますか、人には向き不向きというものがありまして……」

 頬をかきつつ言う和音は、唯一語学だけが大の苦手だった過去がある。
 先ほどの道案内の際にも、スラスラと滑らかな口調でブリタニア語を操る宮藤を見て大層打ちのめされていたりするのだ。

(一体いつブリタニア語を勉強したんだろう……?)

 やはり習うより慣れろと言う事なのか……とどうでもいいことで頭を悩ませていると、宮藤が通りの向かい側で手を振っていることに気がついた。

「どうしたんですか、宮藤さん」
「あのね、さっきのおじいちゃんが、この先に青物市場があるって」
「なるほど、食材の調達ですか」

 和音はしばらく考え込む。どのみち、一度に全ての買い物を済ませることはできない。何度かトラックを往復することになるだろう。だったら、先に見つけた青物から買ってしまおう。

「じゃあ、行ってみましょうか」
「そうだね!!」

 お爺さんに礼を言って、二人は大通りを進んでいく。
 手にした編み籠を揺らしながら、二人はロマーニャの街を歩いて行った。






「この辺に駐車しておけばわかるだろ……よっと!!」

 ようやく大きなトラックを駐車できる場所を見つけたシャーリーは、ドアを開けてトラックから降りる。ちょうどそこは、集合場所の噴水広場からもよく見えるところだった。

「ねぇねぇシャーリー、鍵掛けとかなくてもいいの?」
「ん? ああ、そしたら宮藤達が入れなくなっちゃうだろ? それに、軍のトラックに堂々と盗みに入るような間抜けなんていないさ」

 ここはウィッチの街だしな、と付け加え、すっかり退屈していたらしいルッキーニを抱きかかえると、シャーリーはメモ帳を取り出して買い物を確認していく。

「えっと……食材は宮藤達で、わたし達が買いに行くのは……」

 ポケットから取り出したメモ帳を目で追おうとしたその時、ルッキーニがシャーリーのジャケットの裾を強く引っ張った。

「どうした、ルッキーニ」
「シャーリー!! あそこ!!」

 強い口調で言うルッキーニの視線の先をみると、そこには一台の高級車が停まっていた。
 滅多に見かけるものではないが、それがどうかしたのだろうかとシャーリーが訝しんだ時だった。

「あっ!! アイツら!!」
「誘拐だ!!」

 いきなり車のドアが開いたかと思うと中から一人の女の子が飛び出してくるではないか。さらにその女の子をスーツ姿の男性が3名ほど追いかけている。必死に逃げる女の子の表情からは危機感がありありと感じられた。

「わたしのロマーニャで好き勝手なことさせないんだから!!」
「あ! こら待てルッキーニ!!」

 言うが早いか、ルッキーニはまるで猫のような俊敏さで道路を横断し、女の子が走って行った路地の奥に入ってしまう。あわてて後を追いかけようとするシャーリーだったが、ちょうどそこへ荷物を満載にしたトラックが通りかかり足止めを食らってしまう。ようやく横断できるようになった時にはもう、ルッキーニも女の子もどこにも見当たらなかった。

「これはヤバいぞ……!!」

 どうにも不穏な事件に首を突っ込んでいるらしいことを直感したシャーリーは、急いでトラックへと取って返す。とりあえずルッキーニを追わなくては話にならない。もう買い物どころの騒ぎではなかった。

「宮藤達はどこだ? アイツらにも手伝ってもらわないと無理だな……」

 何しろロマーニャは広い。加えてルッキーニの故郷なのだ。家の庭も同然に勝手を知り尽くしているだろうことは想像に難くない。探すのは骨が折れそうだった。
 己のカンだけを頼りに走り出したシャーリーは、嫌な予感に胸騒ぎが止まらないでいたのだった――
 

 

第十五話 ロマーニャの街②

 
前書き
明日から23日まで、所用で家を空けてしまいます。
そのため、その間は更新がありません。

面目ないm(__)m 

 
「ルッキーニちゃんが!?」
「いなくなったぁ~!?」

 息を切らしたシャーリーから事の顛末を聞かされた二人は、ついさっき買ったばかりの野菜と果物を抱えたまま思わず大声で叫んでいた。

「そうなんだよ。なんだか怪しい男の後を凄い勢いで追いかけて行って……」
「シャーリーさんでも追いつけなかったんですか?」
「わたしがはやいのは空の上だけさ。さすがにロマーニャでルッキーニと追いかけっこしたら勝てないだろうな」

 お手上げだ、とばかりに肩をすくめてみせる。
 たしかに、地理に詳しくすばしこいルッキーニを見つけ出すのは相当に困難だろう。加えて、ルッキーニが追いかけていったという怪しい男、というのも気になるところだ。

「とにかく、手分けして探しましょう。念のため隊長にも連絡を入れた方が……」
「いや、まずはわたしたちで探してみよう。案外すぐに見つかるかもしれないだろ? あまり騒ぎを大きくしたくないんだ」

 ばさりと地図を広げると、三人は額を寄せ合ってどこに行ったのか見当をつける。
 いかにウィッチとは言え、さすがに13歳の女の子の足ではそう遠くまでは行けはしないだろう。となれば、比較的大通りに近いところか、駆け込める店や広場のあるところだろうという結論に達した。

「よし、じゃあさっそく探してみよう。見つけたらその場で待機しててくれ。場所はここだ」

 そう言うと、三人はそれぞれに散ってルッキーニを探し始める。
 大通りを歩き回り、街角の人に聞き込みをし、これとおもった店を除く。ウィッチが街を歩いていれば目立つ筈なのだが、なかなかどうして足取りを掴ませない。ようやく目撃情報を掴んだ時には、太陽は徐々に西へ傾き始めていた。

「ああ、そのお嬢さんなら小さな女の子と一緒に広場の方へ走って行ったよ」
「ほ、ほんとうですか!?」
「もちろんだとも。君と同い年くらいの、髪を二つに分けていた娘だろう? ほんの五分くらい前の事だったと思うがね」
「ありがとうございます!!」

 最初にそれを聞いたのは宮藤だった。髭を蓄えた紳士に礼を言うと、宮藤はもと来た道を駆け戻り、ロマーニャの中心部に位置する広場へと出た。待ち合わせにも多用されるこの広場は常に人通りが多く、その中から二人を探し出すのは困難だと思われた。が、しかし――

「あ、あの……本当にありがとうございました」
「いいのいいの♪ あ、それよりマリアってさぁ……」

 聞き覚えのある声にハッとして振り向くと、そこにはパフェを食べながら談笑するルッキーニの姿があるではないか。

「ルッキーニちゃん、見つけた!!」

 ようやくルッキーニを見つけた宮藤は勢いよく二人の下に駆け寄る。

「にゃ? どしたの芳佳?」
「も~、探したんだよルッキーニちゃん。勝手にいなくなっちゃうから……」
「勝手にじゃないもん!! マリアが、えっと、悪い人に追いかけられてたから、助けてあげたの!!」

 そこでようやく、宮藤は遠慮がちにパフェを突く見知らぬ女の子に目を向けた。

「えっと、わたし宮藤芳佳っていいます。扶桑の出身で、501統合戦闘航空団っていうところのウィッチです。もしかして、ルッキーニちゃんのお友達?」

 地元ならばそういう事があってもおかしくはないだろうと思った宮藤だが、予想に反して少女の返答は歯切れが悪かった。

「あ、はい……えっと、その、わたしはマリアと言います……ルッキーニさんとは、ええっと、はい。お友達、だと思います」

 まるで人目を憚るような、何かに怯えたような仕草が気になったが、今はどうしようもない。とりあえずその場はシャーリーたちを待つことにして、どうにかルッキーニの身柄は確保されたのだった。






 ――十数分後

「まったく、お前はこんなところに居たのかルッキーニ」
「だ、だってぇ……マリアが追いかけられてたからぁ……うじゅ」

 勝手に居なくなったことをシャーリーにコッテリと絞られたルッキーニは、頭に立派なタンコブを乗っけて上目づかいにシャーリーを見上げていた。隣にいるマリアという少女も、なんだか申し訳なさそうにモジモジシテいる。

「あ、あの! わたくし、マリアと申します。ご迷惑をおかけしたようで御免なさい……」

 見るからに両家の子女、といった風体の女の子だった。言葉遣いといい、物腰といい、格好といい、その辺の街の子ではないのは明らかだった。

「あのね、あのね、マリアがローマの街を見てみたいっていうから、あたしが案内してたんだよ。だけど、芳かに見つかっちゃって……」

(あれ、この子はロマーニャの子じゃないんだ?)

 和音はふと疑問に思う。ロマーニャに住む人間がロマーニャの街を見て回りたいとは妙な話である。となれば、別の街から来た観光客と言う事か。なるほど、それならばこの身なりにも納得がいくというものだ。

「まあまあ、どのみちわたし達も街をまわって買い物をする予定だったんですし、せっかくですから一緒に行けばいいのではありませんか? それに、このまま一人で放り出すわけにもいかないですし、これもウィッチの務めです」

 その場を収めるべく出された和音の提案に、しばし考え込んでいたシャーリーも頷いた。

「それもそうだな。ルッキーニ、お前は宮藤達と一緒に買い物をしててくれ。わたしはトラックの方にいるよ」

 今度こそ勝手にどこかへ行ったりするなよ? とシャーリーは念を押す。まあ、勝手にほっつき歩かせるよりは、年長者二人組がいる方が安全だと判断したのだろう。買い物のついでに街を見物できるのなら、それはそれで一石二鳥だ。

「じゃあ、一緒に買い物に行こうか!! マリアちゃん、ルッキーニちゃん」
「はい。お願いします」
「じゃあ、レッツゴー!!」

 予定よりも少し遅くはなったが、どうやら買い出しだけは無事に済みそうな三人であった。






「でねでね、あそこのお店にはね……」
「なるほど、そう言った商品も並んでいるのですね……」

 あちこちの店を覗き込みながら行く二人から少し離れて、和音と宮藤は歩いていた。
 もちろん買い物も忘れていない。食材は既に調達してトラックに積んであるし、あとは個人の嗜好品だけだ。基本的にはお菓子などの食べ物や、本やレコードといった娯楽品の類だ。幸い、501には喫煙者や酒飲みはいないので、買い物は随分と楽であった。

「ルッキーニ少尉、楽しそうですね」
「そうだね。そう言えば、501だと同い年くらいのお友達がいなかったもんね」
「たしかに、全員年上ですね。……まあ、わたしは一個しか違わないですが」

 さすがに地元というだけあって、案内してくれる店はどこも良心的で、買い物も観光も順調だった。できれば早くこの女の子の親御さんに引き合わせてあげたいと思う和音だが、そればっかりはどうしようもない。

「ねぇ、和音ちゃん」
「なんでしょうか宮藤さん?」

 隣を歩く宮藤の声に顔を向けると、宮藤が言った。

「50年後のロマーニャはちゃんと復興できてるのかな……?」
「それは……」

 なるほど、いくら活気があるとはいえ戦時下の街。
 その後どうなったかを気にかけるのは、この街を守るウィッチとしては当然だろう。

「もちろん、復興していますよ。音楽の都ウィーン、芸術の都パリ、そして歴史と遺跡の都ロマーニャ。世界中から観光客が来る大都市になっていますね。そういえば、501基地の跡地が観光地化されていたような気がします」
「ほ、ほんとに!? よかった~」

 ホッと胸をなでおろす宮藤。

「あれ? 扶桑の東京とか横須賀はあんまり大きな都市じゃないの?」
「う~ん、そうですねぇ……」

 たしかに、百貨店や何やらが立ち並ぶにぎやかな街ではあるのだが、こういう応種の都市とはまた違った雰囲気があるように思う和音。第一、和音は渋谷や新宿に繰り出したことが無かったりするのだ。

「実を言うと、あんまり東京の方には出た事が無くて……出身が茨城なもので」
「あ、そうだったんだ。和音ちゃんの出身初めて聞いたかも」

 道路の向かい側で手を振る二人に笑顔で答えつつ、これと思った露店で菓子類などを購入していく。大部分はエーリカからの要望だった。

「お花の苗がペリーヌさんで、お菓子がハルトマン中尉。それからお鍋と包丁がリーネさんで……」
「坂本さんがラジオって言ってたけど、そっちはシャーリーさんが買うって言ってたよ?」
「あ、はい。じゃああとは……エイラさんとサーニャさんですね」
「何を頼まれたの?」

 訊かれた途端、和音はお手上げとばかりに肩をすくめた。
 不思議がる宮藤にメモ帳を見せると、記載された内容を読み上げる。

「えーと……欲しいものは枕? 色は黒で赤のワンポイント付き。素材はベルベット、もしくは手触りのいい物……中綿は水鳥の羽でダウンかスモールフェザー…………なにこれ?」
「わ、わたしに言われても……」

 古今東西、果たして枕一つにこれだけ注文をつけた人間がいただろうか?
 和音に至っては枕を使ってすらいないというのに――

「エイラさん、もしかして枕がないと寂しくて眠れない人なんでしょうか……?」
「そ、そんなことはないんじゃないかな?」

 本人が聞いたら激怒しそうな話を至極真面目な顔つきで考え込む和音。
 しかし、枕がないと寂しくて眠れないエイラの姿を想像すると、これがまた奇妙なリアリティを持って迫って来るのだから不思議である。

(でもエイラさんっていつもサーニャちゃんと寝てるんじゃなかったっけ?)

 まあいいや、とメモを閉まって枕屋さんを探す宮藤。とはいっても、さすがにそう都合よく見つかるはずもなく――

「――あれ、芳佳赤ズボン隊の枕ほしいの?」
「うわぁ!! び、びっくりさせないでよルッキーニちゃん」

 精一杯背伸びをしてメモを覗き見していたらしいルッキーニがいつの間にか傍にいた。

「っていうか、赤ズボン隊の枕ってなに?」
「芳佳赤ズボン隊知らないの?」
「うん」

 ――赤ズボン隊〝パンタロー二・ロッシ〟
 ロマーニャ三軍から選ばれる皇帝直属の精鋭部隊にして、士気高揚・喧伝をも担う部隊。現在では第504統合戦闘航空団、通称『アルダーウィッチーズ』に出向し、ロマーニャを守っている部隊である。
 ……もっとも、ヴェネツィア上空に出現した新たなネウロイの巣を迎撃する際の戦闘で多くの隊員が負傷し、現在では501がその穴を埋める格好になっている。

「あのね、その枕って、赤ズボン隊のグッズなんだよ。ほら、あそこで売ってるじゃん」

 揃ってルッキーニが指さす方を見ると、観光案内所とおぼしきそこに、黒くて赤いワンポイントのついた枕が鎮座しているではないか。さらによく見ると、値札の処にはデカデカと『赤ズボン隊の勇姿を見よ!!』と書いてある。

「……エイラさん、意外とミーハーなところがあるんでしょうか?」

 一気に自分の中のエイラ像が崩れていく和音だったが、とりあえず目的のものはこれで揃った。あとはシャーリーの買ってくる機械やラジオなどが揃えば買い物は完了である。

「――本当に、ロマーニャは美しい街ですね」
「……? どうしたんですか、急に」

 ポツリと、流れゆく人々を見ながら呟いた少女――マリアの言葉に、和音は反応した。

「いえ、わたくしはこれまで自分の街がどんな街かをこの目で見た事すらありませんでしたから……本当に、もったいないことです」
「え、えーと、マリアさんはロマーニャの人なんです?」

ロマーニャに住む人間がロマーニャの街を見たことがないわけがない――
 そう思っていた和音だったが、どうもそれは違うらしい。だとすると、この娘は何者だろうか? 入院中の患者か、はたまた孤児院の子か。

「ルッキーニさんと一緒に綺麗な街を見る事ができて良かったです」
「でしょでしょ!? やっぱりロマーニャはキレイだよね!!」

 しかし、そんな細かいことをルッキーニは気にしていないらしい。
 ガシッとマリアの腕を掴むと、グイグイ引っ張って行く。

「もう一個! もう一個だけ最後に見せてあげたい場所があるんだ。あたしだけが知ってる特別な場所なんだよ?」
「ほんとうですか!?」
「うん!!」

 あまり遠くに行っちゃダメだよ、と和音が口を開きかけたその時、にわかに大通りが騒がしくなった。そして――



「――大変だ!! ネウロイだ!! ネウロイがこっちに来る!!」



 息を切らして駈け込んで来た男性が、広場につくなり大声でそう怒鳴った。
 たちまち広場は悲鳴と怒号に包まれ、街の人たちがあちこちへ一斉に走り出す。

「ネウロイだって!? いったいどうなってるんだ!!」
「しばらく襲撃はないんじゃなかったのか!!」
「さっき港に海軍の船がボロボロになって帰って来たんだ!! きっと奴らはここに来る!!」
「落ち着け!! 警報はまだ出ていないだろう。いざとなれば501統合戦闘航空団のウィッチたちが――」

 荒々しい男たちの怒号にたじろいだのも一瞬。すぐさま和音の思考は切り替わった。そしてそれは、宮藤もルッキーニも同じだった。

「……ごめん、マリア。あたし行かなきゃ」
「え……?」

 まるで彫像のように立ち尽くしていたルッキーニは、まるで自らに言い聞かせるようにつぶやくと、マリアの目を真正面から見つめていった。

「あたし、ウィッチだから!!」
「えっ!?」
「ロマーニャはあたしの故郷だから!! だから、護らなくっちゃ!!」
「る、ルッキーニさん!?」

 そのまま駆け出していくルッキーニ。そこへ、まるで示し合せたかのようにシャーリーのトラックがやって来た。いざというときのため、トラックには各人のユニットと武装が積んである。それを使う時が来たのだ。

「みんな、こっちだ!! すぐにネウロイが来るぞ!! こっちから先制して相手を叩く!!」
「わかりました」
「了解です!」
「ラジャー!!」

 勢いよく覆いを跳ね除けると、飛びつくようにしてユニットを履く。機銃の安全装置を外し、初弾の装填を確認。エンジン、油圧、全て異常なし。

「よし、行くぞ!!」
「「「了解!!」」」

シャーリーの号令一下、四人は勢いよく空へと舞いあがる。

「ウィッチだ!! ウィッチの救援が来たぞ!!」
「おい、あれは501統合戦闘航空団じゃないのか!?」
「頼んだぞ!! 俺たちのロマーニャを守ってくれ!!」
「気をつけてねー!!」

 和音らの姿を認めるや否や、逃げ惑う人々は落ち着きを取り戻し、帽子を振って口々に声援を送ってくれる。これが、ウィッチに寄せられる期待と信頼の証であり、護るべき人々の姿なのだ。

「敵ネウロイは海上から接近してくる。ロマーニャの海軍がやられてる……急ぐぞ!!」
「距離7,000、高度4,000、敵影を目視で確認しました。数、三機」

 和音の魔眼が早くも敵ネウロイの姿を捉えた。どうやら編隊を組んで一気にロマーニャを落とす気でいるらしい。だが、そんなことをさせはしない。

「ロマーニャの街は、あたしが守る!!」

 はやるルッキーニを、しかし冷静なシャーリーが諫めた。

「待つんだルッキーニ。大丈夫。お前の故郷をやらせはしないさ。みんなで力を合わせるぞ!!」
「「「了解!!」」」

 勢いよく上昇に転じ、ネウロイの眼前に躍り出る。
 反転する暇を与えることなく、シャーリーとルッキーニが先制を浴びせた。

「これで……っ!!」
「どうだ!!」

 急降下して退避しようとするネウロイ。しかし、その程度の行動などすでに読み切っている。

「逃がしませんよ!!」

 急降下を得意とする和音が追撃し、さらに下で待ち受ける宮藤が巴戦に持ち込む。巴戦になってしまえば零戦の独壇場だ。旋回性能に劣るネウロイを、瞬く間に一機撃墜してみせる。

「おっと、逃がすもんかよ!!」

 隙をついて突破を試みるネウロイをシャーリーが牽制し、ルッキーニが狙い過たずコアを粉砕する。息の合ったチームワークはネウロイを寄せ付けず、次第に沖の方へと押し返していった。

「今がチャンスだ!! 一気に畳みかけるぞ!! 行け、ルッキーニ!!」
「おりゃあああああ!!」

 遂に残り一機となり逃走を図ろうと背を向けたネウロイを四人は逃すことなく集中砲火で一網打尽にする。体表面が粉々に砕け散り、露出したコアをルッキーニが撃ち抜く。瞬間、甲高い鳴き声のような音をあげて、ネウロイの体は木端微塵に吹き飛んだ。

「ふぅ……戦闘終了。さ、ロマーニャに戻ろう」
「了解です。どうやら街の方も無事のようですね」
「よかったね、ルッキーニちゃん」

 魔眼で確認する限り、市街地への被害はゼロ。ネウロイは全機撃墜。
 和音たちの完全勝利である。

「あれ、ルッキーニちゃん?」

 しかし、無事故郷を守り抜いたルッキーニは倒したネウロイに等目もくれず、和音に「これちょっと持ってて!!」と機関銃を放り投げると、あっという間に町の広場へと急降下していってしまった。首をかしげる二人だったが、無言で頷いたシャーリーに諭され、黙って見守ることにする。

「ルッキーニさん、ウィッチーズだったんですね……」
「そうだよ、マリア。あたしはウィッチだから、みんなを守らなきゃ!!」

 その言葉に、マリアは何故か俯いた。

「そうですよね……わたくしも、本来ならば皆を守らねばならないというのに、肝心な時に何一つすることができない……」

 そんなマリアの様子を見かねたのか、ルッキーニはやおらマリアの背中に手を当てると、ひょいっと膝を抱えるようにして抱き上げる。――俗に言う、お姫様抱っこの姿勢である。

「あ、あの! ルッキーニさん!?」
「マリア、あたしのとっておきのロマーニャを見せてあげる」

 言うが早いかルッキーニはマリアを抱えたまま飛び立った。あわててマリアは目をつぶってしがみつくが、おかまいなしにどんどん高度を上げてゆく。そして、ある一定の高さまで来てルッキーニは口を開いた。

「見て、マリア。これがあたしのロマーニャだよ」
「あ…………」

 恐る恐る目を開けたそこにあったのは。
 立ち並ぶ家々。歓声を上げて帽子を振る民衆。遠く見渡す限りのロマーニャの街。
 美しいレンガ造りの町並みや、遥かな歴史を経た遺跡。煌めくアドリア海は宝石のように美しく、あれほどまで大きく見えた大聖堂すらも豆粒のようだ。

「なんて美しいのでしょう……」

 翼無き人には生涯見ることは叶わぬ絶景。その身に魔法力を宿す戦乙女だけが見ることを許されたその眺めは、マリアの心を一瞬で奪い去った。

「ね? キレイでしょ、マリア」
「ええ、そうですね。本当に、とても綺麗……これが、ルッキーニさんの見ている景色なんですね」

 自分の立つ大地がなんと小さいことか。この空の何と大きいことか。
 そしてこの小さな大地に、なんとたくさんの人の営みが詰め込まれている事か。

「――ありがとう、ルッキーニさん。わたくしも、わたくしの成すべき事をします」

 何かを悟ったような目をして、マリアは言った。
 地上に降り、迎えが来たルッキーニと別れる時もそれは変わらなかった。

「バイバ~イ!! まったね~、マリア!!」

 大きく手を振って遠ざかるトラックを見送る。彼女には彼女の居場所が、為すべきことがあるのだから。ならば、自分は――

「――殿下、こちらにいらしたのですか」
「世話を掛けましたね。戻りましょう。わたくしも、わたくしも成すべきことをせねばなりません」

 迎えに来た召使たちにそういうと、マリアは車に乗り込んだ。
 その背中は、以前よりもずっと自身に満ち溢れていることに、召使たちも気づいていたのだった。




 ――ロマーニャ基地

「なるほどな。無事だったからいいものの、何かあったらどうする気だったんだ?」
「う、うじゅ……ごめんなさい……」

 買い物を終えて基地に戻ってから、ルッキーニは単独行動の件を坂本にコッテリ絞られていた。必要な買い物は揃えられたが、一部資金を使い込んでしまっていたことも発覚したからだ。

「まあ、わたしの監督責任もあるんだし、その辺で勘弁してやってくれないか、少佐」
「むぅ、お前がそういうのなら仕方がないな。ルッキーニ、次は気をつけるんだぞ」

 厳しい口調で言うと、坂本はテーブルでラジオをセットしているミーナの傍によった。せっかく買ったラジオだ。聞くときは全員そろっていた方が良いだろうという事で、さっそく繋いでみることにしたのだ。

「あ、繋がったわ」

 ダイアルを弄り回すうち、周波数があったのか、ややざらついた音質でラジオの音声が飛び込んでくる。談笑していた隊員らも声を落とし、皆テーブルに集まった。

《……さて、本日の放送は、初めて公務の場に御出席されました、ロマーニャ皇国第一皇女、マリア殿下よりお言葉を頂きたいと思います……》

 どうやらちょうどニュースの時間に当たっていたらしい。
 ダイアルを弄ると、少しだけ音質が良くなった。

《――昨日、ロマーニャはネウロイの危機に晒されました。しかし、その危機は小さくも勇敢なウィッチの活躍によって救われたのです。わたくしは、ロマーニャを預かる者として、そのウィッチから尊く、そして大切なことを学びました。まずは、そのお礼を申し上げたいと思います》

 どこかで聞いた覚えのある声だ、と和音は思いながら、ラジオの音声に耳を傾ける。他国の皇女の演説など、滅多なことでは聞けるものではない。

《この美しいロマーニャに息づく人の営み。歴史ある街並み……それを守るためには、一人一人が今できることをやればいいのだ、と。わたくしも、今自分に出来ることを精いっぱい成し遂げ、このロマーニャを守ってゆこうと思います。ありがとう、勇敢なウィッチにして、わたくしの大切な友人――――》




《――――フランチェスカ・ルッキーニ少尉》




「へっ……!?」
「ちょっ!! おまっ……!?」

 ポカンと口を開けたまま、居並ぶ一同がルッキーニの方を見る。

「「「ええええええええええええ!?!?!?」」」


「おいおい、まさかあの女の子がロマーニャの第一皇女だったのかよ」
「どうしよう……わたし、何か失礼をしたのでは!?」
「お、落ち着いて和音ちゃん!! まだ演説は終わってないみたいだよ!?」

 慌てふためく一同を置いてけぼりに、ラジオの向こうでは朗らかなマリアの声が響いていた。

《感謝を込めて、ささやかなお礼とわたくしからの気持ちを、第501統合戦闘航空団の皆様に送ります》

 その途端、表の滑走路からすさまじい音が響いてきた。
 何事かと外へ飛び出してみると、今しも空中から輸送機が大量の木箱を投下していったところだった。マリア――いや、マリア第一皇女殿下の計らいに相違なかった。

「ルッキーニさん、貴女マリア皇女とお友達だったの?」
「いや、その。なんていうか、今日会ったばっかりなんだけど……」
「凄いじゃないですかルッキーニ少尉!! これからもロマーニャのために頑張りましょう!!」

 後年、アドリア海の聖母と謳われ、世界のその名を轟かせるようになるマリア皇女。
 そしてロマーニャ最高の戦力と評されるようになるルッキーニ。

 この二人の出会いが、ロマーニャの未来を守って行ったのだと言う事を、この時はまだ誰もが知らなかったのだった。

「ふふ、じゃあ今日はせっかくだからパーティにしましょう」
「ああ、そうだな。たまにはいいだろう」

 その日の夕食は、ルッキーニの健闘と、ロマーニャの繁栄を祈って、それはそれは豪華なものになりましたとさ。おしまい。

 

 

第十六話 折り鶴

 
前書き
長らくお待たせして申し訳ないですm(__)m

予定が長引き一拍多く北海道に滞在し、帰って来てみればPCがぶっ壊れておりました。
そのため一旦初期化する必要があり、更新に手間取りました。
今後はボチボチ更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
 

 
「えっと、ここをこうして、こうやって……できた!!」

 よく晴れた日の午後、ロマーニャ基地の食堂には、何やら小さな紙切れと格闘する和音がいた。机の上には色とりどりの紙切れがぶちまけられ、和音はそれらを相手に悪戦苦闘している。

「む、沖田少尉か。何をやっているんだ?」
「お疲れ様です、バルクホルン大尉」

 あーでもない、こーでもないと苦戦する和音に声をかけたのはバルクホルンだった。訓練を終えたばかりのようで、彼女の頬が赤く上気している。非番の時でさえ訓練を怠らないその生真面目さは驚嘆に値しよう。

「先日、ロマーニャへ買い出しに行ったときに偶然見つけたんです。見たことありませんか?」
「いや、カールスラントでは見かけないな……なにかの包み紙か?」

 机に所狭しと並べられた色紙を、不思議そうな表情で見るバルクホルン。

「おかえりトゥルーデ。はい、お茶」
「すまんなハルトマン」

 訓練から上がるのを待っていたらしいエーリカもやって来て、同様に机の上の紙に目を留めた。

「うわ、なんかいっぱいある……どうしたの、これ」
「この間の買い出しで見つけたんです。中尉もやってみますか?」
「うぇ~わたしはいいよ。なんかすごく難しそうだし」

 べーっと舌を出して苦笑いするエーリカ。するとバルクホルンは不思議そうに、

「難しい? サインの練習か何かか?」

 と訊いた。まあ、〝これ〟は見慣れない人間にはさぞや不思議に見えるだろう。

「サインじゃないですよ。これは〝折り紙〟といって、扶桑ではとてもポピュラーな遊びなんです」
「折り紙……? なんだそれは?」
「あー……そうですね、ブリタニア語で言うところのペーパー・クラフトでしょうか?」

 そう、先ほどから和音が熱中していたのは〝折り紙〟であった。
 この間の買い出しの際、海外人向けの雑貨を取り扱う店にふらりと入った和音は、そこで折り紙が売っているのを見つけたのだ。が、あくまでも買い出しは買い出し。任務を優先すべきと店を出ようとした和音だったのだが、それを店主が呼び止め、「持って行きなさい、ウィッチのお嬢さん。いつもご苦労さん」とお土産に持たせてくれたのだ。

「ほう、扶桑のペーパー・クラフトか。わたしも初めて見たな……」
「これ凄いよ、トゥルーデ。ほら、なんか今にも動き出しそう」

 興味津々といった風に見入るエーリカとバルクホルン。どうやら海外では折り紙なる文化はどうやら扶桑ほどポピュラーではないようである。

「みなさ~ん、お茶が入りましたよ~!!」
「今日はスコーンを焼いてみました。どうぞ食べてみてください」

 と、そこへお茶の準備を整えていたリーネと宮藤がやってくる。最初はリーネの趣味で始まったティータイムも、いまやすっかり501の日常に溶け込んでいる。おまけに部隊長のミーナ公認で、隊員たちのリフレッシュに役立てられているのだからすごい。お菓子やお茶の出来栄えも、喫茶店顔負けのレベルである。

「あ、もしかしてこれ折り紙? すごーい! 上手だね和音ちゃん」
「宮藤さんは折り紙得意ではないのですか?」
「あはは……あんまり手先が器用じゃないんだよね」

 真っ先に折り紙であると気がついたのは宮藤だ。同じ扶桑出身だけあって、何をしているのかは一目でわかったらしい。対するリーネは不思議そうにそれを眺めているが、ペーパー・クラフトのようなものだといわれて大凡のところは理解したようである。

「そうですね……まだまだ折り紙はいっぱいありますから、みんなでやってみませんか?」

 作りかけの作品を脇に退けると、和音はそう提案した。
 たまにはお茶を飲みながらこういう遊びに興じてみるのも悪くないと思ったのである。

「ふむ、なかなか難しそうだが、やってみるのも悪くないな」
「えー、トゥルーデ不器用じゃん……」
「そ、そんなことはない! わたしにだってこれくらいは……!」

 ジト目で見られて向きになるバルクホルン。そんな彼女に和音は何枚か色紙を渡す。

「じゃあ、とりあずこれが大尉の分です。どうぞ」
「よし、早速やってみるとしよう」
「芳佳ちゃん、これってハサミとかは使わないの?」
「そうだよ。全部手だけで折って作るんだ。おばあちゃんは上手だったんだけどなぁ」

 そうこうしているうちに、食堂にはリーネの焼き菓子とお茶を目当てにした面々が集まって来た。

「お、なんか面白そうなことやってんな沖田」
「わぁい! 見せて見せてー!!」

 と、こちらはいつも通り賑やかなシャーリー&ルッキーニの二人組。
 机の上の折り紙に気付いたようで、ルッキーニは初めて見る折り紙に興味津々である。

「なんだコレ? 扶桑人ってこういう遊びが好きなのカ?」
「……すごい、生きてるみたい」

 珍しく午前中に食堂へ降りてきたのはエイラとサーニャだ。普段は夜間哨戒の後寝てしまうが、非番の時くらいはこうして一緒におやつや食事をとったりもする。

「なんだお前たち。いったい何を騒いでいるんだ?」
「あらあら、珍しくみんな揃っているのね。どうしたのかしら?」

 話し声が廊下まで漏れていたのか、書類仕事の休憩にやって来た坂本とミーナにも聞こえていたらしい。テーブルの周りに出来た人だかりに寄って来る。

「まあ、綺麗な包み紙ね。贈り物かしら?」
「あ、ミーナ隊長。これは包装紙ではなくて、折り紙という扶桑の伝統的な遊びなんです」

 扶桑ではなんてことの無い只の紙遊びだが、なかなかどうして海外組には珍しかったらしい。
 みなしげしげと手のひら大の色紙を眺めている。

「少佐もこの〝折り紙〟というのをご存じなのですか?」
「ああ、リバウに居た頃はたまに作っていたぞ。ペリーヌには見せたことはなかったか?」
「い、いえ! 拝見したことはありませんわ」

 和音は机の上に広げた折り紙をいったん集めると、リーネの焼き菓子を並べていく。
 それぞれが席に着くのを待って、和音は口を開いた。

「せっかくですから、みんなでやってみませんか? 意外と楽しいですよ、折り紙」

 初めのうちはなかなかコツがつかめず苦労するが、コツさえつかんでしまえば楽しくなる。
 シンプルでいて奥深い、紙さえあればどこでも手軽に楽しめる遊びである。

「いいわね。たまにはこういうお国柄の見える遊びも楽しいわ」
「むぅ、わたしはあまり得意な方ではないんだが……そういえば醇子は得意だったな」

 醇子、というのは504JFWの戦闘隊長を務める竹井醇子の事だ。
 坂本とは訓練生時代からの付き合いであり、〝リバウの貴婦人〟とも評されるエースである。

「へぇ、リベリオンでもたまにこういうペーパー・クラフトやってるヤツがいたなぁ」
「シャーリー、あたしやってみたい!!」

 ついさきほど完成した作品をつまみ上げながら言うシャーリーとルッキーニ。
 ルッキーニの方は俄然興味が湧いたとみえて、早くも紙を弄り回している。

「これが扶桑の遊びですのね……なかなか興味深いですわ。ガリアにはありませんもの」
「ブリタニアでも見たことないなぁ。和音ちゃん、わたし達もやってみていい?」
「もちろんです。じゃ、今から折り紙を配りますね」

 こうして、今日のティータイムは一風変わった折り紙大会となったのであった。






「沖田、谷折りというのはこれでいいのか?」
「はい。文字通り谷を作るイメージで――」
「おお! コイツはよく飛びそうだな。ちょっと飛ばしてくる!」
「あ、シャーリーさん! それだとあんまり飛距離が――ってもういない!?」
「芳佳ちゃん上手だね~」
「えへへ、ちっちゃい頃おばあちゃんに教えてもらったんだ」

 配り終えてから十数分。たかが紙遊びと見くびるなかれ、はじめのうちこそ戸惑っていた彼女らも、いつしか目の前の小さな色紙に真剣な面持ちで向き合っていた。生憎と折り方などを記載した解説書の類はないため、和音が知っている範囲で教えてあげる格好になっている。

「くっ……! カールスラント軍人たる者、これしきの事で挫けるわけには……!!」
「うわぁ、トゥルーデって本当に不器用だね……」
「い、言うなァ!! まだだ、まだ終わったわけではないぞ!!」

 意固地になるあまり魔法力さえ発現しているバルクホルン。すっかり折り紙はぐちゃぐちゃになっているのだが、生来の負けず嫌い故なかなかあきらめようとはしない。
片や対照的なのがエーリカで、普段の茫洋とした立ち居振る舞いからは想像できない器用さで以て、すでに折り鶴を完成させている。

「すごいじゃないエーリカ。……ねぇ美緒、ここはどう折ればいいのかしら?」
「ああ、そこは折るんじゃなくて膨らませるんだ。で、それを潰して折り目をつけてやるとだな……」

 今折っているのは、扶桑でもかなり定番な部類に入る「折り鶴」だった。
 基本的な形ではあるが、意外と難しいところも多い。若干二名、早くも折り紙の難しさに挫折し、最速の紙飛行機を作ることに逃避しているウィッチがいるが、出来るようになると面白くなってくる。

「すごいぞサーニャ!! キレイに完成してるじゃないカ!!」
「エイラも上手よ。誰かに教わったの?」
「ほら、ちょっと前にカウハバに居た時、そこの扶桑人に教わったんダ。なんて言ったっけ? たしか、ナントカ・ハルカとかいうヤツだった気がするゾ」

 カウハバ――かつては統合戦闘航空団の先駆けとなるスオムス義勇独立飛行中隊(またの名を「いらん子中隊」)が存在し、現在は第507統合戦闘航空団、通称〝サイレントウィッチーズ〟が存在する場所。
 一時的にではあるが、エイラはそこに間借りしていたことがあり、その時暇つぶしにと教わったのだ。……もっとも、教わったのは「百合」の花の折り方だけであったのだが。

「宮藤さんもお上手ですね」
「そんなことないよ。和音ちゃんの方がすごくきれいに折れてると思うな」

 そういう和音の手元には、鶴だけではなく蛙や手裏剣、燕といった完成品が並んでいる。
 どれもこれもピシッと出来上がっており、他の皆とは完成の度合いが突き抜けている。

「もともと折り紙が趣味なんです。前の部隊でもよく折ってましたよ」
「……そっか、だから上手なんだね!」

 前の部隊、という単語に一瞬宮藤の表情が陰った。言った本人もおもわず口元を抑えてしまったが、お互い笑って流す。

「ほ、ほかには何が折れるの?」
「えっ? そうですね……あんまりレパートリーは多くないですけど、ちょっとした特技ならありますよ」

 話題を変えようと声を上げた宮藤に、和音はしばし考え込んでから口を開いた。
 積み上げた折り紙の中から比較的小さいサイズのものを選び出すと、それを左手に握る。

「……宮藤さんは、鶴を折れますか? それも左手だけで」
「え、左手だけ? それは絶対無理だよ。やっぱりちゃんと両手じゃないと」

 基本的にほぼすべての折り紙は両手を使う。がしかし、中には稀有な〝例外〟というものもある。

「和音ちゃんは折れるの? 左手だけで」

 にやり、と不敵に笑う和音。
 こう言っては何だが、和音は自分の折り紙の腕にそこそこの自信を持っている。
 ――例えば、左手だけで鶴が折れてしまう程度には。

「まあ見ていてください。――いきますよ」
「…………?」

 小さく深呼吸して集中を高めると、和音は左手だけを机に置いて紙を折り始めた。
 まず対角同時を折り合わせ、さらにその状態からもう一度対角を折り合わせる。そこから角を膨らませて正方形にして、開いてある方を下にして折っていく。

「おお……!!」
「鮮やかなものだな……」
「やっぱり扶桑人って器用なのね」

 いつの間にか、みんな自分の手をとめて和音の特技に見入っていた。片手だけで鶴を折る和音は、しかしその手つきに迷いはなく、鼻歌を歌いながら口元にうっすらと笑みを浮かべているほどである。

「まだまだここからです」

 寸分のズレもなく、完璧に折っていく。基本形を完成させると、そこから器用に翼になる部分を膨らませて折り返す。頭の部分を折り曲げて、指を巧く使って両の翼を広げてやると――

「――これで完成です!」
「「「おおー!!」」」

 綺麗に出来上がった鶴を見て思わず歓声が上がる。その出来栄えは、片手だけで折ったといわれても信じられないレベルだ。

「さすがですわね……見直しましたわ」
「くっ! 沖田に出来てなぜわたしには……!!」

 目に涙をためて崩れ落ちるバルクホルン。どうやら根本的に向いていないらしい。

「ずいぶんと器用なものだな。片手で鶴を折れる奴なんて聞いたことがないぞ」
「いやぁ、訓練でしょっちゅう怪我をしては医務室に担ぎ込まれて……暇つぶしに折っていたら、いつの間にかできるようになったんですよ」

 照れ笑いしながら言う和音。しかし、持ち前の器用さは中々のものである。

「あら、もうこんな時間だわ」

 ふとミーナが壁の時計に目を向けると、時計の針はすっかり動いて、あと少しで夕食というところまで来ていた。窓の外を見ると、穏やかなロマーニャの海が茜色に染まっている。どうやら随分と熱中していたらしい。

「じゃあ、折り紙片付けますね。余った分はこっちに戻しておいてください」

 出来上がった作品は食堂の出窓へ飾り、余った紙は和音が回収していく。
 夕食時も、話題は専ら折り紙についてだった。窓に飾ったそれぞれに作品を鑑賞しつつ、リーネたちの料理に舌鼓を打つ。
 非番の夜は、こうして平穏のうちに過ぎて行った――






「あと12羽か。今日はここまでにしてもう寝ようっと……」

 夕食後の夜。和音は自室に引き上げた後、机の上で無心に折り鶴を折っていた。
 部屋の床には折あげられた無数の鶴が散らばっている。その数はおそらく数百は下らないだろう。赤、黄、青、様々な色で折られたそれらは、やがて千羽鶴に成る筈の物だ。

「明日一日あれば完成かな」

 ちょうどおり上がった鶴を机の上に置くと、和音はそのままベッドに倒れ込む。

「はぁ……」

 雑貨屋で折り紙を見つけた時、和音の胸に湧きあがって来たのは懐かしさだった。
 ここへ来てからもうずいぶん経つのに、あまりにも居心地が良すぎた所為で、不思議と未来へ帰りたいという切実な衝動は襲ってこなかった。
 だというのに、なんてことの無い折り紙を見ただけで、もう自分ではどうしようもないほどの懐かしさと、本来の自分の時代へ戻りたいという衝動が湧きあがって来てしまったのだ。

「どうか、未来へ帰れますように――」

 そっと、和音はまだ完成していない千羽鶴達に向けて呟いた。
 いつになるかは分からない。そもそも帰れる保証などどこにもない。
 だけど、一度湧きあがってしまった衝動はなかなか静まってはくれなかった。

「もう寝よう。明日また、ちゃんと鶴を折るんだ……」

 明かりを消して、枕に顔を埋めて目を閉じる。
 いつも以上に寝付けない夜が、和音の心を締め付けるのだった――
 
 

 
後書き
左手で鶴を折る名シーンがある某アニメ。
元ネタがわかる人は果たして何人くらいいるかしら・・・? 

 

第十七話 高度30,000mの戦い①

 
前書き
またしても少し間隔がいてしまいました。

前篇ですが、どうぞ。
なにげに成層圏を飛行可能な軍用ジェット機って、60年代に実用化されてたんですね。 

 
「沖田、いるか?」

 コンコン、と硬質なノックの音とともに聞こえてきたのは、坂本の声だった。
 ベッドに寝転んで買い込んだ童話を読んでいた和音は、わざわざ部屋にまで訪れるだなんてどうしたのだろう、と思いながらドアを開けた。

「なにかあったんですか、坂本少佐」
「いや、これから部隊の皆を集めてブリーフィングを行うことにした。なるべく早めに談話室まで降りて来てくれ」
「はぁ、わかりました」

 心なしか坂本の表情が強張っているように見えた和音だったが、ひとまず返事をして上着を羽織る。準備といったところで、ブリーフィングであれば体があればそれで十分だろう。登場割からは外れているから、ユニットを履くことにはならないはずだ。

(こんな夜にどうしたんだろうな……)

 小走りに階段を駆け下りながら、和音は普段と違う奇妙な緊張を感じていた。






「――よし、全員揃ったようだな」

 和音が談話室に降りてきた時には、既に和音以外の全員が席についてブリーフィングの開始を待っていた。おまけにしっかりと制服を着こんでいたので、寝間着の上からジャケットを羽織っただけの和音は、恥ずかしさに小さくなりながら、そっと宮藤達の横に腰掛ける。

「何があったんですか、宮藤さん」
「あのね、急に坂本さんが〝大至急ブリーフィングをする〟って言って、皆を集めたの」
「そうだったのですか……」

 ということは、事情を呑み込めていないのはどうやら和音だけではないらしい。
 ……と思いきや、そんなことはなかったようである。

「午前中に発見した敵ネウロイへの対策ですわ。沖田さんとサーニャさん、それから宮藤さんとリーネさん以外の出撃メンバーが遭遇しましたの」
「新型のネウロイですか?」
「ええ、そうですわ。……ほら、ミーナ中佐がいらっしゃいましたわ」

 そっと耳打ちしてくれたペリーヌに小声で礼を言うと、同じタイミングで談話室にミーナが入って来た。その表情は坂本同様、やはりいつもと比べて堅い。わざわざ全員を集めて会議をするということは、それだけの難敵であるということだろう。自然、和音の緊張も高まる。

「先日、我々は敵ネウロイの子機と遭遇。これと交戦した」

 ミーナが入ると同時に、坂本が単刀直入に切り出す。

「子機はすべて破壊。が、肝心の親機が見つからなければ敵戦力は排除できない。我々は敵勢力の撃滅を目指して親機を捜索した。そこでだ」

 坂本は一旦言葉を切ると、談話室の照明を落とし、ミーナの持ってきた数枚のフィルムを投影機にかけた。天井から垂らされたスクリーンに、撮影された風景が写る。

(何も映っていない……?)

 一見すると、ただ海と山が写っているだけだ。強いて言うならば画質がやや粗いところだが、これは機材の調子の問題だろう。この写真が一体どうしたというのか。

「これはロマーニャ空軍の偵察機が撮影した写真だ。一見すると何も映っていないように見えるが――」

 やおら坂本は指示棒を伸ばすと、スクリーンのある一点を指す。

「――これだ」

 坂本が指示したのは、ノイズとも影ともつかない黒い「線」だった。
 スクリーン中央を、地表から雲を突き抜けるように伸びているそれは、どう見てもノイズにしか見えない。しかし、坂本もミーナも大真面目だ。

「まさか、その黒い線が敵ネウロイなのですか?」
「その通りだ。偵察隊および我々ウィッチ部隊も目視で確認している。この黒い棒状に見るのが、交戦した子機ネウロイの親機とみて間違いはないだろう」

 おもわず席を立って発言した和音だったが、対する坂本ははっきりとこれがネウロイであると断言した。

「さらに厄介なのが、こいつのコアの位置だ。写真でもわかる通り、こいつは地表から一直線に雲を突き抜けるタワー状のネウロイだ。で、こいつのコアの位置だが……ここだ」

 コン、と坂本がスクリーンの一点を叩く。
 指示したそこは、なんと黒い線のように見える長大なネウロイの頂点であった。さすがの和音もこれには閉口するしかない。人知を超えた存在であるネウロイだが、よもやここまで奇天烈なタイプが攻めてこようとは……

「見てのとおり、ネウロイの頂点部分にコアが存在する。わたしも直接魔眼で確かめたから間違いはない。これを破壊しない限りネウロイを撃破することはできないわけだが、位置以上にコアのある高度が問題になってくる。……ミーナ、例の物を」

 そういうと、坂本は一歩下がってミーナのために場所を開けた。するとミーナは何やら大きな掛図のようなものを抱えて前に進み出、いったん談話室の照明をつけた。

「美緒の言ったとおり、問題なのはコアのある高度よ。観測班と美緒の魔眼による情報を総合すると、敵ネウロイのコアが存在するのは高度30,000m以上。つまり、成層圏にコアが存在する計算になるわ」

 ミーナからもたらされた情報に談話室が大きくどよめく。
 それはそうだろう。高度30,000mに位置するネウロイのコアなど、大戦史上でも初の遭遇ではないだろうか? さらに、それを撃破できるかどうかという話になると――

「で、ですが! わたくし達のレシプロストライカーでは、限界高度もせいぜい10,000m前後ですわ。その3倍――成層圏にコアがあるネウロイなど、いったいどうやって迎撃するんですの!?」

 ペリーヌが動揺するのももっともだといえる。
 現在、世界各国で実用化されているレシプロストライカーだが、その性能には当然限界がある。速度・武装・航続距離・上昇限度……etc 今回大きな障壁となってくるのは高度だが、現行のレシプロユニットではおおそよ10,000m前後が限界点だ。
 爆撃機や高高度偵察機など、高高度を飛行することのみを追求した機体を限界まで底上げしたとしても、やはり12,000mあたりで限界が見えてくる。成層圏はおろか、高度20,000mでさえ夢のまた夢なのだ。
 対処方法云々以前に、そもそも迎撃しようがないのである。

「おいおい、そんな高度なんかどうやって迎撃すんだよ……これじゃあお手上げじゃないか」
「シャーリーでもできないの?」
「さすがのカールスラントもそんな怪物に対処できるようなユニットはないな……」
「どうするつもりなの、ミーナ?」

 まったく想定外の強敵の出現に、集まった一同は軒並み頭を抱える。
 敵自体は見えているというのに、こちらからはどうあがいても手出しできないのだ。地団太を踏みたくなるのも分かる。

「そんなことはないわ、ハルトマン中尉。我々はここロマーニャ防衛を担う精鋭部隊よ。そう簡単にロマーニャへネウロイの進軍を許すつもりはないわ」

 毅然とした表情で言い切るミーナ。だがしかし、今度ばかりはそれが実現するのかどうか。
 何しろ相手は高度30,000m上空、人類の限界をはるか越えたところに陣取っているのだから。

「ロマーニャ軍から寄せられた情報によると、この大型ネウロイは毎時およそ10kmという極めて緩やかなペースで移動中だそうよ。なので、すぐさま攻勢を仕掛けてくるようなことはないわ。あるとすれば、今日のように子機を飛ばしてくる程度ね」

 そういうと、ミーナは抱えてきた掛図を広げ、壁にフックに引っ掛けて吊るす。
 そこに書かれていたのは、何やら複雑な図形――もとい、設計図のような物だった。

「我々はウィッチーズだ。ウィッチに不可能はない。しかし、今回の敵はさすがに想定をはるかに超えた強敵だ、なにしろ従来型のレシプロストライカーでは迎撃それ自体が不可能なのだからな」
「そのため、今回の迎撃作戦において、我々は2つの作戦を用意しています。そのうちの1つがここにある図面なのだけれど……沖田さん」
「は、はい!!」

 唐突に名を呼ばれた和音は、思わず弾かれたように居住まいを正した。

「2つあるうちのもう1つの作戦というのは、実は貴女に直接ネウロイを攻撃してもらうことなの」
「わ、わたしがですか!?」

 仰天する和音に、坂本とミーナは大まじめにうなずいた。

「レシプロストライカーで太刀打ちできないならば、沖田のジェットストライカーならば可能ではないかと考えたんだが……どうだ?」

 なるほど、レシプロがダメならジェットで、という発想はたしかに自然な流れだったかもしれない。現在からみて遥か半世紀後の技術の産物ならば、あるいはこの状況を打破し得るのではないか――
 二人の目には、そんな淡い期待が滲んで見えた。
 しかし――

「……たしかに、わたしのF-15なら、高度30,000mへの到達も決して夢ではありませんし、事実到達した記録も存在します」
「だったら――!!」
「ですが!!」

 勢い込む坂本を制して、和音は穏やかに続けた。

「それはあくまで性能試験での話です。武装や、不要な電装系、塗装に至るまでを排除し、徹底的に軽量化させた状態での記録です。わたしのF-15が高度30,000mで戦闘行動が行えるかどうかは、まず間違いなく不可能ではないかと……」

 たしかに、〝F-15が高度30,000mに到達した記録〟は実在する。
 しかし、だからといってF-15が高度30,000mで戦闘行動を行えるのかというと、話はそう単純ではない。武装を持った状態で飛ぶだけでも相応の魔法力を消耗する上に、極限状況下におけるウィッチの生命維持にも魔法力は動員される。
 加えて、敵ネウロイの攻撃からも身を守らねばならず、仮にそれらの条件をクリアしたとしても、確実に相手を撃破できる保証はどこにもないのだ。

「そうか……」

 目に見えて落胆する坂本。声にこそ出さないが、ミーナも反応も同様だった。

「……ありがとう、沖田少尉。ならば、別のプランで作戦を遂行するだけよ。この図面に書かれているのが、今作戦においての我々の切り札よ」

 ミーナの言葉に、皆の注目が一斉に掛図へと移った。

「なんだこれは?」
「あたしも見たことない設計図だな……」

 揃って首を捻るバルクホルンとシャーリーに対し、ミーナは言った。

「これは魔道式ロケットエンジンよ。従来のレシプロストライカーよりも優れた推力を有するわ」
「では、これを使って直接ネウロイへ攻撃を掛けるんですの?」
「いや、そんな単純な話ではないはずだ。第一、ロケットエンジン一基で成層圏まで到達できるとは思えん」

 腕組みをしたバルクホルンが言うと、ミーナも頷いた。
 
「その通りよ。作戦の概要は、まず非ロケットエンジン装備組による第一次打ち上げ隊が高度10,000mまで攻撃隊を輸送。その後、第一次打ち上げ隊は離脱。それと同時にロケットエンジン装備組、つまり第二次打ち上げ隊が攻撃隊を高度20,000mまで運び、離脱。そこから先は、攻撃隊のみでネウロイへ接近、コアへの攻撃を敢行後、速やかに戦闘空域を離脱。地上へ帰還する計画よ」
「……多段打ち上げ方式というわけか。これは想像以上に困難な作戦だぞ、ミーナ」
「わかってるわ、トゥルーデ。でも今のわたし達にはこれぐらいしか対抗手段がないの」

 溜息をつきながら言うミーナ。だがしかし、彼女の言う通り対抗手段が乏しいことも事実だ。
 守るべき人々が背後にいる以上、たとえどれほど困難な道であろうとも、成し遂げなくてはならないのだ。

「概要は以上だ。次に、攻撃隊の選抜と、各員の役割分担を行いたい」

 掛図を仕舞うミーナを手伝いながら坂本が言うと、真っ先にバルクホルンが手を挙げた。

「攻撃隊にはわたしが参加しよう。この作戦は生半可な難度ではない。経験の豊富なわたしが行くべきだ」
「いいえ、貴方は打ち上げ隊に回ってもらうわ、トゥルーデ」
「なに? どういう事なんだミーナ」

 気色ばむバルクホルンに向けてミーナは諭すように言った。

「たしかに、経験豊富なウィッチを攻撃隊に当てる方法もあるわ。でも、今回の作戦に必要なのは、広範囲かつ遠距離に対して強力な火力を持ち、かつ敵ネウロイのコアをきわめて精密に探知し狙い打てる人間なの」
「……ということは、まさか!?」

 目を見開いたのはバルクホルンだけではなかった。こういう言い方をされれば、501の部隊員であれば誰だって気がつくだろう。ミーナが誰を指名しているのかを。

「その通りよ。攻撃隊にはサーニャさんに入ってもらいます」
「わ、わたしが攻撃を担当するのですか……?」
「そうよ。今回の作戦では、サーニャさんの索敵能力と攻撃力が必要不可欠だわ」
「加えて、地上との交信の問題もある。お前の固有魔法でもなければ、満足な通信はできないだろうからな。地上へ帰還する際にもサーニャの魔導針が必要だ」

 どうやらこの件については既にミーナと坂本の間である程度人選が決まっているらしい。
 打ち上げ班についても、確認の意見を聞きつつ手際よく役割を振り分けていった。

「沖田、お前は第二次打ち上げ隊だ。ユニットは紫電改を使え。いいな?」
「はい。了解しました、坂本少佐」

 どうやらF-15の出番はなさそうだと和音がホッと胸をなでおろした時、バンッ っと机を叩く音が聞こえてきた。何事かと振り返ると、そこには烈火の如く怒るエイラの姿があった。

「なんでダヨ!! サーニャが行くならわたしだってついていくゾ!!」
「無理よ。だって貴女、実戦でシールドを使ったことがないのでしょう?」
「だったら練習すればいいじゃないカ!」
「この作戦には針の先ほどの狂いも許されないの。これは命令よ、ユーティライネン中尉」
「だ、だって……!!」

 揉めていたのはエイラとミーナだった。
 攻撃隊のサーニャを守るべく、楯となるべきウィッチが必要だと告げられた時、真っ先に立候補したのはエイラだった。しかし、未来予知によってこれまで攻撃を回避することに傾倒し、実戦でのシールド展開に不安があることを指摘され、ミーナに打ち上げ班に回されたのだ。

「攻撃隊にはサーニャさんと、シールド能力に定評のある宮藤さんに入ってもらいます。いいわね、宮藤さん?」
「あ、はい! 頑張ります!!」

 確かに宮藤のシールドは他に類を見ないほど堅固なものだ。ミーナの采配にも不自然な点は見当たらない。しかし、理解と納得は別物と見え、エイラはこの采配に大層不満があるようだった。

「では、以上の割り振りで作戦に臨んでもらう。作戦の実行は明後日の早朝だ。攻撃隊の宮藤、サーニャ両名は、魔法力温存のため登場割から外す。もちろん夜間哨戒もなしだ。沖田、サーニャの代わりを頼めるか?」
「了解です。任せてください」
「その意気だ。では、これでブリーフィングを終了する。夜遅くに呼び出して済まなかったな。作戦までは各自訓練も最小限にし、十分に英気を養ってくれ。以上だ」

 坂本がそう言って締めくくると、三々五々、それぞれの部屋に戻っていく。
 今夜の夜間哨戒はなくていいと告げられた和音もまた、部屋に戻って就寝する気でいた。
 ……なのだが。

(エイラさん、大丈夫かな……)

 談話室を去る間際、そっと肩越しに振り返ると、そこにはすっかり落ち込んで意気消沈しているエイラの姿があった。未来予知による絶対無敵の回避能力。その才能が仇になるなど、いったい誰が想像しただろう。
 あまりの落ち込み様に声をかけることすら躊躇われた和音は、一抹の不安を残したまま、談話室をあとにしたのだった。
 

 

第十八話 高度30,000mの戦い②

 
前書き
9月に入るとめっきり忙しくなりますね。
更新の感覚も空いてきちゃって申し訳ないです・・・ 

 
「ほ、本当にいいんですかぁ……?」
「構いませんわ。どうぞ存分におやりになってくださいまし、リーネさん」

 ――翌日
 よく晴れた基地の空には、おっかなびっくりで対装甲ライフルを構えるリーネと、悠然と滞空するペリーヌの姿があった。そして、その二人の間には武装も何も持っていないエイラがいる。

「さあエイラさん。わたくしをサーニャさんだと思ってしっかり守ってくださいな」
「えー、お前がサーニャかヨ……」
「なっ!? もとはといえば貴方が持ちかけてきた話でしょう!! ――リーネさん、構うことはありませんわ。思いっきり撃ち込んで結構でしてよ!!」
「は、はいっ!!」

 瞬間、リーネの指が引き金を引き絞り、ボーイズMkⅠの銃口から焔が迸った。
 模擬弾でも何でもない、正真正銘の徹甲弾だ。ネウロイの体躯を抉り撃つそれを――

「よっと!」
「きゃうっ!?」
「ソーレ!!」
「くぅ……!!」
「あらよっと!!」

 リーネが狙い撃つ先、ユラユラと滞空するエイラは、次々と飛来する弾丸を驚くほど鮮やかに回避してみせる。都合六発撃ち込まれた弾丸は全て虚しく空を切り――ペリーヌのシールドを直撃した。

「ななな、なんて事なさいましてエイラさん!! これは貴女の訓練でしょう!?」
「い、いやぁ……ほら! 普段からワタシはシールド使わないから慣れてなくっテ……」
「そのための訓練でしょう!? これではわたくしのシールドが先に力尽きますわ!!」

 額に青筋を立てて怒るペリーヌ。なるほど、ペリーヌの言い分ももっともである。
 なにしろいま三人がやっているのは、エイラのシールド訓練なのだ。実戦でシールドを使用した事の無いエイラは、その点を不安視され攻撃隊から外されている。それを何とか撤回させるために急遽こうして訓練に臨んでいるのだが、結果はご覧のとおりである。

「も、もう一階だけ頼む! な、それならいいダロ?」
「……まあ、それくらいなら結構ですわ。――リーネさん、もう一度だけお願いしますわ」
「り、了解です!!」

 再び響き渡る轟音と悲鳴。
 結局、エイラのシールド訓練は午前中いっぱいまで続けられたのだった。





「あ、エイラさん」
「なんだ、沖田かヨ。いまワタシはすっごく忙しいんダ!!」

 昼食をとりに食堂へと降りて来た和音は、やや焦ったような表情を浮かべたエイラとすれ違った。せっかくのマリネも流し込むようにして食べ終えると、エイラはそのまま「ご馳走様!!」といって駆け出して行ってしまう。

(シールド、巧く張れないのかな……?)

 和音は思い出す。和音の時代――1995年に伝わるエイラ・イルマタル・ユーティライネン最大の武勇伝といえば、〝決して被弾しないこと〟であった。その武勇から、ついたあだ名が〝無傷の撃墜王〟
 実戦でシールドに頼ることなく終戦まで生き延びた、類を見ないエースウィッチとして名高い彼女だが、そんなエイラの若かりし頃にこのような試練があったなどと、いったい後世の誰が想像し得ただろうか?

(作戦の決行も近づいてきてる……このままじゃ間に合わない……)

 作戦の決行は明日の早朝。ということは、今日の夜までにシールド制御をモノに出来なければ攻撃隊への参加は事実上不可能となってしまう。
 エイラ抜きでも作戦それ自体に不備はないが、今後それを引き摺るだろうことは容易に想像がついた。

(なんとかしないと……でも、どうすればシールドを巧く張れるようになるんだろう?)

 ウィッチにとって、シールドの展開は呼吸も同然に容易く、半ば本能じみたものだ。
 それを意識的に制御し、訓練しようというのは、あまりにも当たり前すぎるが故に難しい課題となって立ちはだかってくる。

「あれは……エイラさん!?」

 外から聞こえたユニットのエンジン音に気がついて外を見ると、今しもユニットを履いたエイラがペリーヌとリーネの三人で飛び立って行くところだった。
 おそらく、午前中の特訓を繰り返す気でいるのだろう。それだけ必死なのだ。

「わたしにも何かできることはないかな……」

 しばらく考え込んでいた和音は、やがてはっとしたように顔を上げると、一目散に格納庫の方へと走って行った。





――ロマーニャ基地 格納庫

「エイラさん!! 待ってくださいエイラさんってば!!」
「あーもう!! なんダヨ!! 言っとくけど、ワタシには時間がないんだゾ!!」

 ようやく追いついた和音の手を、苛立ちも露わに払い除けるエイラ。
 訓練に使える時間が午後いっぱいである以上、今ここでシールドをモノに出来なければエイラはサーニャを守ってやる事ができない――
 それはエイラにとって計り知れないほど大きなダメージであり、ともすれば自身の根幹にかかわる一大事なのであった。

「だから、その訓練にわたしも協力させてください!!」
「な、なに言ってるんだよオマエ!?」
「細かいことはいいんです!! さぁ、早くこっちに来てください!!」

 困惑するエイラの腕を掴み、そのまま和音は格納庫の奥へとズルズル引っ張って行く。
 そこは普段使われていない、そして和音のF-15Jが保管されている区画だった。

「お、おい……こんなところに連れ込んで何するきなんダヨ……」
「いいですかエイラさん。万が一シールドコントロールをモノに出来なかったら、明日の作戦でエイラさんはサーニャさんと離ればなれなんですよ? それでもいいんですか!?」
「そ、それは……でも……だって……で、できないものは仕方がないじゃないカ!! どうせ宮藤ならサーニャをまもれるんダロ!!」
「諦めちゃダメですッ!!」
「――――っ!?」

 真剣な眼差しの和音が、エイラの頬に両手を置いていった。
 その威圧感たるや、歳も階級も上のはずのエイラが気圧されたほどだ。

「よく聞いてくださいエイラさん。実はわたしに秘策があります」
「ナ、ナンダッテ!?」
「ですが、これはかなり強引な方法ですよ? それでもやりますか?」
「……本当に、シールドが張れるようになるんダナ?」
「もちろんです!! ……たぶん、きっと」
「おい、どっちなんダヨ!!」

 詰め寄るエイラに和音は言った。

「張れるようになるというか、張れないと命に関わるというか……」

 チラチラとF-15へ視線をやりながら言う和音。そんな態度に業を煮やしたのか、エイラが和音に詰め寄る。

「ああもう!! いいからさっさと教えろヨ!!」
「実はこう言う方法を考えていてですね……」
「フムフム、それでワタシはどうすれば……」

 エイラと和音の極秘作戦会議は、こうして人知れずひっそりと行われたのだった――






 ――翌朝 作戦決行時刻

「全員よく聞け!! この作戦の成果がロマーニャ防衛を左右するものと思え!!」
「超高高度での戦闘は人類の限界をはるかに超えるわ。最終確認を入念にしなさい」

 あわただしく機材や武装がセットされ、攻撃隊打ち上げの準備が進む滑走路に、ミーナと坂本の声が響き渡った。
 二人とも、厚手のコートにマフラー、それに手袋と耳当てという出で立ちだ。比較的温暖なロマーニャではまず目にしない格好だが、これは高高度での低気温対策だ。和音の時代であればそれこそ耐圧・防寒対策を兼ね備えた衣服や、ユニットのシールドに調整を施すことでカバーできるが、この時代にそんなものは望むべくもない。

「よく似合ってるぞ、ルッキーニ」
「うぇー、暑いのやだぁ」
「バルクホルンさんのコート、ちょっとサイズが大きいかな……」
「ないよりはマシですわ。打ち上げのみとは言え、相当な高度ですのよ?」

 整備班がユニットやロケットエンジンの最終確認を行う横で、防寒装備を整えた宮藤やペリーヌたちが最後の詰めを行っていた。そんな彼女たちから少し離れたところから、心配そうな顔をして立っているのが――

「え、エイラ……これ、わたしのマフラー。使って……」
「……うん、ありがとな、サーニャ」

 スオムスから持ち込んだコートに着替えたエイラと、そしてサーニャだった。
 作戦決行直前、最後のブリーフィングを行う際、サーニャは勿論の事、501の誰もがそれとなくエイラの事を気にかけていた。エイラがサーニャを大切に思っているのは全員が知っていたし、これまで使おうともしなかったシールドの訓練に明け暮れた事も知っている。
 あのバルクホルンでさえ、ミーナに向けて「攻撃班や打ち上げ班の編成は予定通りでいいのか?」と言い、それとなく編成の見直しへ話を持って行こうとしたほどだった。

「あのね、エイラのくれたイトスギの葉、お守りにして持ってるんだよ……?」
「……うん」
「エイラ、やっぱり――」
「――サーニャ、整備班の人たちが呼んでるゾ。アタッカーなんだから頑張れよナ」
「………………」

 しかし、当のエイラはまるで別人のように気が抜けてしまって、こうしてサーニャに話しかけられても表情一つ変えない。やはり訓練は実らなかったのか――一瞬、瞳を揺らしたサーニャは、しかしそれ以上何も言うことなく整備班の方へ行ってしまった。

「…………」

 もうこうなってしまっては誰もエイラに話しかけることなどできない。
 妙に乾いた雰囲気の中、打ち上げの準備と緊張感だけが、徐々に高まっていった。






 ――そして、打ち上げの時がやって来た。

「――打ち上げまであと1分。カウント20から秒読み開始ッ!!」
「各自、ユニットに魔法力を流入させろ!!」
「「「了解ッ!!」」」

 まるで組体操のように、塔を模るかのようにして組まれた打ち上げ体勢。
 頂点にいるのは、攻撃隊を担うサーニャと宮藤。その二人を支える台に打ち上げ班には、エイラと和音が配置されていた。

「魔導エンジン始動を確認。各部異常なし。雲量、風向、ともに打ち上げに支障なし」
「観測隊より入電。敵ネウロイの動きに変化なし。打ち上げは察知されていません」
「打ち上げまで20秒!! カウント開始!!」

 続々と寄せられる整備班らの報告が、無言を貫くウィッチらの耳を駆け抜けていく。
 静かに高まるエンジンの唸りと緊張感が、今まさに命がけの攻撃を行う時が事を知らせていた。

「……18……17……16……15……14……13……12……11……打ち上げ10秒前ッ!!」

 しらず掌に滲んだ汗が腕を滴り落ちていく。
 緊張で体が強張っているのは、皆どのウィッチも一緒だった。

「9!! 8!! 7!! 6!! 5!! 4!! 3!! 2!! 1!!――――――発射ッ!!」

 瞬間、打ち上げ隊の魔導エンジンが一斉に最高出力へと達し、絶大な馬力にモノを言わせて垂直上昇を開始する。耳元で轟々と風が唸り、シールドで減衰されてもなお耐え難い風圧が体を押し付ける。
 急激に魔法力が失われていくのを感じながら、第一打ち上げ隊は無事第一次目標高度へと到達した。

「次ッ!! 第二打ち上げ班ロケットブースター点火ッ!!」
「「「了解!!」」」

 すでに魔法力が衰えつつある坂本は第一打ち上げ班に入っていた。
 緩やかに地表へ向けて降下しつつ、鋭い声で指示を飛ばす。そして――

 ――轟!!

「――っ!?」

 これまでとは比較にならないほどの急激な加速。
 自分自身が砲弾になったかのような加速に、和音は思わず目の前が暗くなりかけた。
 全身から魔法力が滝のように流れ落ちていくような虚脱感に苛まれながら、歯を食いしばってひたすらに上を目指す。叩くべき敵は、遥か上空に居るのだから。
 そして、第二打ち上げ班も当初の役割を完遂し、あとは攻撃隊を見送るのみとなった、まさにその時だった。

「――今です、エイラさん!!」
「サーニャ!! サーニャ!!」

 離脱して降下に転じる筈の和音がエイラの襟首を掴み上げ、強引に上昇を開始する。

「なにしてるのエイラ!?」
「サーニャは……サーニャはワタシが守るんだ!! いつだってワタシはサーニャの傍にいたい!! どんな目に逢ってもダ!!」
「――――っ!?」

 すでに攻撃隊の二人はロケットブースターを点火している。
 魔法力も燃料も底を突いたエイラと和音が追いつくのは無謀極まる試みと言えた。しかし。

「あがれええええええええええっ!!!!」

 乾坤一擲の全力全開。エンジンが再起不能になることも厭わぬ大出力をもって、和音はどうにかエイラをサーニャと宮藤の横に到達させた。

「あとは……頼みましたよ、エイラさん、サーニャさん、宮藤さん……!!」

 力尽きたように背面から地表に向けて降下していく和音。
 残された三人は、そのまま力強く空の向こうへと上昇していく。

「エイラ……エイラ……っ!!」
「大丈夫だよサーニャ。ワタシも頑張るから――黙ってて悪かったナ、宮藤」
「びっくりしましたよエイラさん……帰ったら怒られますよ?」
「いいんダヨ。サーニャを守れるなら、それくらい安いもんダロ」

 いつしか三人は雲を越え、空を越え、ついに高度30,000mの世界に足を踏み入れていた。
 もう、ここでは言葉は通じない。
 しかし、彼女たち三人が心を通わし合うのに、言葉などなくでも十分だった。
 小さく目配せして頷くと、三人はすばやく位置を入れ替え、眼前に聳えるネウロイの巨塔へと進路をとる。
最前衛に宮藤が、その後ろにはサーニャが、最後衛にはエイラが。
 鉄壁を誇る宮藤のシールドが敵の攻撃を尽くはじき返し、エイラの未来予知が最適な接近ルートを導き出す。まさに完璧なコンビネーションだった。

(ワタシが……ワタシがサーニャを守るんだ!!)

 知らず力を込めた掌を、そっとサーニャが握った。
 ――すでに敵のコアは目前だ。恐れるものは、何もない。

(行け!! サーニャ!!)

 心の中で精いっぱいの声援を送るエイラ。
 そんな彼女の目の前で、サーニャの白く細い指が流れるようにフリーガーハマーの安全装置を解除し、黒く詰めた引き金に指を乗せた。
 凛として見据える瞳の先には、すでに回避も迎撃もできなくなったネウロイのコア。
 ――そこから先は一瞬だった。
 流星のように尾を引いて飛ぶ9発のロケット砲弾がコアへと殺到し、一拍置いて凄まじい爆発を引き起こした。
 完全に粉砕されたコアは再生を果たすことなく塵となり、天を貫く巨塔の如き体躯が崩れ落ちていく。

「エイラ」
「エイラさん」
「ありがとな……二人とも」

 爆風から二人を守ったのは、他ならぬエイラのシールドだった。
 吹き飛ばされそうになったサーニャと宮藤を捕まえ、全ての魔法力をシールドに動員したのである。訓練の成果は、キチンとあらわれていたのだ。

「ううん。エイラがわたしの手を握ってくれたから……」
「カッコよかったですよ!! エイラさん!!」
「そ、そんなんじゃネーヨ、バカ……」

 用済みとなったブースターは既に切り離した。
 あとは、地上へ落下していくだけ。

「なあ、サーニャ。帰ったら、いっぱい謝るからさ、今だけは、勝手にこんなことしたの、許してくれないカ?」
「うん……うん……っ!!」
「わぁ、ロマーニャってこんなに小さいんだ……」

 遥か成層圏の高みから見下ろす絶景に、言葉を失う三人。

《……か!? …サーニャ、聞こえるかサーニャ!?》
「坂本少佐からの通信……? はい、聞こえています」
《よかった……全員無事だな? このままでは魔法力がもたん。急いで帰還しろ!!》
「了解です。任務達成、これより帰投します」

 そのまま一つの塊となって地上へと落下していった三人は、基地でまつ501の皆から祝福を持って迎えられた。無論、命令違反と無謀な独断専行を行った沖田とエイラには厳罰が言い渡されたが、二人はどこ吹く風と言ったふうに満足げであったことも付け加えておくべきだろう。

「ねぇ、和音ちゃん?」
「なんですか、宮藤さん」

 後日、自室禁錮を言い渡された和音に、宮藤はドアの外から聞いた。
 どうやって、エイラにシールド能力を開花させたのか、と。

「ああ、簡単なことですよ」

 クスクスと笑いながら沖田は答える。

「わたしのF-15に積んであった、模擬戦闘用の誘導ペイント弾を、実弾だといってエイラさんにありったけ撃ち込んだんです。いくら未来予知で逃げても追いかけてきますからね。見事、作戦成功です」
「………………」

 予想の右斜め遥か上をいく回答に絶句する宮藤。

「そ、それでどうなったの……?」
「当然エイラさんには〝当たったら死にますよ?〟と言ってあったので、もうすごい勢いで逃げてましたよ。最後はちゃんとシールドで受け止めてくれたので種明かししましたけど」
「………………」

 有史以来、かくも強引なウィッチの鍛錬方法があったのかどうか。
 宮藤はあまりの強引さに頭痛を覚えたほどだった。

「いやぁ、一か八かの賭けだったんですよ。これで開花しなかったら本当にどうしようかと……」
「か、和音ちゃんも、だいぶ501の空気に染まって来たよね……」
「え? 何か言いましたか、宮藤さん」
「ううん、なんでもないよ!」

 その後、無事作戦を完遂したサーニャには、ロマーニャ公が直々に叙勲を執り行い、新聞やラジオでも積極的に報道がなされた。
 なお、その際には当然エイラがシールドを使ったことも報道されたのだが、本人は痛く不満であったらしく、「ワタシは実戦でシールドを使わない主義なんダ!!」と地団太を踏んで猛抗議したというのだが、それはまた別のお話でありましたとさ――
 

 

第十九話 記念写真

 
前書き
あと数話で完結予定です。あくまで予定ですが(笑)

それにしても更新がいよいよ不定期になって来てしまったな・・・ 

 
「オークション、ですか? わたし達501統合戦闘航空団で?」
「その通りよ。軍の上層部から、戦意高揚と戦費調達のために、オークションを開催してみたらどうか、って話を持ち掛けられたの。同時に、ウィッチの活躍をアピールすることで難民を勇気づけて欲しいって」

 成層圏に陣取った巨大ネウロイの迎撃戦闘からおよそ一週間。
 命令無視に危険行為、F-15Jの無断使用という三拍子そろった馬鹿をやらかした和音とエイラの懲罰期間も過ぎ、基地は穏やかな空気を取り戻していた。
 唯一以前と違うところがあるとすれば、それは和音が妙な風格というか落ち着きを身につけた子だろうか? 自室禁錮明けだというのに、妙に飄々とした足取りで食堂にやって来てエイラとハイタッチを交した時には、さすがのミーナでさえ頭を抱えたほどである。

「意外ですね。戦時下ではこういう催しはご法度なのだと思っていましたが……」
「そんなことないわ。むしろ戦時下であるからこそ、人々の心を勇気づける機会は多い方がいいの」

 そんなある日の昼食時。久方ぶりに全員が揃った基地の食堂では、ミーナが少しばかり変わった提案をしているところだった。曰く、「501統合戦闘航空団オークションを開催しよう」ということらしい。
 戦費の調達と戦意の高揚、さらには難民らの慰安もできるだろうということで軍の上層部から持ち掛けられた話であったらしいのだが、珍しくミーナも乗り気である。

「沖田は詳しくないかもしれんが、この手の催しは割と頻繁に行われるし、軍の上層部も寛容だ。無論、それにかまけて防衛を疎かにすることはできないがな」

 純和風の昼食をモリモリ食べながら言う坂本。ちなみに本日の昼食は坂本以外も全員和食だ。
 意外なことに、ここ欧州の地でも宮藤の作る和定食は大層評判がよく、週に何度かは和食が取り入れられていたりする。さすがに納豆は出禁処分となったが、海外人が器用に箸を捌くさまは和音からするとかなりの衝撃である。

「そうなのですか……わたしはあまりそういう催しに参加したことはありませんでしたね。せいぜい基地が主催する航空祭程度でしたし」
「ほう? そんなものがあるのか」
「ええ、アクロバット飛行や模擬戦闘などを一般の観覧客の前で披露するんです。わたしが入隊する少し前は、陛下が観覧にいらして御前試合になった事もありました」

 こと戦時下では娯楽というものが極端に制限される。おまけに物資も不足しがちで、時には軍ですら困窮するほどだ。
 そんな時、資金の調達と一種の娯楽を兼ねてオークションなどが行われるのである。

「しかしだな、ミーナ。オークションを開催するのはいいが、計画はあるのか?」
「な~んにも売れそうなものなんかないよ?」

 と、オークションの開催に疑問を呈したのはエーリカとバルクホルンだった。
 そもそも物資に困っている側がオークションを開催してもあまり意味はないし、資金にしたところで大半は軍の上層部が持って行くに違いないのである。

「いっそユニットのパーツでも売るか?」
「えー、シャーリーそんなことしていいの!?」

 売るものがない、という根本的な問題はこちらも同じようだ。
 たまさか武器弾薬の類を叩き売るわけにはいかないし、ユニットはウィッチの命だ。

「ワタシも何にも売れそうなものなんか持ってないゾ?」
「……ミーナ隊長、オークション以外ではダメなんですか?」

 遠慮がちに手を挙げたのはサーニャだった。

「そうねぇ……一応、ある程度の資金を集められて、街の人たちを楽しませてあげられれば何でもいいのだけれど。――何か考えがあるのかしら、サーニャさん?」

 乗り気ではあったミーナも、正直そう綿密な計画があった訳ではない。
 いざとなればサイン入りのブロマイドでも出そうか、という程度の案しかなかったのである。

「コンサートとかはどうでしょうか? あとは、普段はナイトウィッチのみのラジオを公開録音してみるとか……」
「「「おお……!!」」」

 思ってもみなかった妙案に大きくうなずく一同。
 確かにその案なら元手はほとんどいらないし、どんな人でも楽しめるだろう。チケット代を安く抑えておけばかなり人が集まるのではないだろうか?

「いいわね。サーニャさんのピアノなら最高の演奏になるわ」
「すごいぞサーニャ!!」

 大きくうなずいてメモ用紙にペンを奔らせるミーナ。どうやらアイディアを書き留めておくつもりらしい。

「その他にもアイディアがある人はどんどん挙手してください」

 ミーナがそういうと、今度はリーネがそろ~りと手を挙げた。

「……あの、焼き菓子の販売ってどうでしょうか? 食材なら少しずつに分ければ余裕ができますし、簡単なパナンケーキくらいなら大丈夫だと思います」
「紅茶と一緒に売り出してみるのもいいかもしれないわね……お願いできるかしら?」
「はい!!」

 さすが501の台所番長。食材の管理は誰に言われるまでもなく完璧である。

「あとは写真なんてどうでしょうか?」
「あら、沖田さんにもなにか案があるのかしら?」
「いえ、そういうワケではないのですが……やっぱりこういう時の定番は写真かサインかな、って」

 洋の東西を問わず、功績を挙げたエースウィッチの写真やサインはいつだって人気がある。
 かの有名な穴吹智子は映画の主役に抜擢され、彼女をモデルにした扶桑人形ができたほどだ。
 サインをしない主義で有名なマルセイユも、ブロマイドの類はあちこちで販売されている。

「しかしなぁ沖田。いくらウィッチとはいえ、我々の写真一枚でそんなに値がつくとは思えんぞ?」
「何を仰ってるんですか坂本少佐。501部隊と言えば後世ではもはや神話ですよ?」
「む、そうなのか……」

 ググッと拳を握りしめて力説する和音。その熱意に押され、写真&サインもめでたく採用された。

「だいぶアイディアが集まって来たわね……今日中にこれを纏めて上層部に提出するわ。先日のネウロイ撃破もあった事だし、今日は一日非番とします。では解散!!」
「「「ごちそうさまでした!!」」」

 キチンとご馳走様をしてから席を立つ。
 非番と言う事もあってか、心なしか皆の足取りも軽かった。





 ――数日後

「――で、どうしてこうなったんだ? ミーナ」
「わ、わたしに聞かれても困るわ、美緒……」

 501のツートップを張る二人は、今ロマーニャの大通りで呆然と立ち尽くしていた。
 無理もなかろう。なにしろ美しいレンガ造りの町並みには、こんなポスターがデカデカと貼られているのだから。

「501統合戦闘航空団主催……」
「愛と勇気のウィッチーズコンサート……」

 501の部隊章を中央に据えたポスターには、オークションとコンサートの開催日程が記され、おまけに、【ピアノ:サーニャ・V・リドビャグ中尉 唄:ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐】と書かれている。
 実を言うと、オークションとコンサートの開催を聞きつけたロマーニャ兵たちがお祭り騒ぎを起こし、いつのまにか街中にポスターが貼られるようになったのだが、もちろんミーナたちはそんなことを知る由もない。

「いつのまにわたしが唄うことになったのかしら……」
「ま、まあいいじゃないか。ミーナの唄は素晴らしいぞ? これを機にレコードでも出したらどうだ?」
「美緒までそんな事言って……もう!!」

 どうりで街を歩いていてずっと視線を感じるわけだ。
 なにしろ5m歩けばポスターに出くわすのである。注目されないほうが不自然というものだろう。

「マリア皇女も支援してくださるそうだ。これは、少し気合を入れないといかんな」
「そうね。わたしも久しぶりに発声練習した方がいいかしら?」

 あくまで開催会場の下見に来ただけの二人だったのだが、事態は予想を超えて進んでいるのだった――




「と、いうワケでだ」
「各自出品可能なものを提出してください。サーニャさんはピアノの練習もお願いね?」
「はい、分かりました」

 下見から帰ったミーナと坂本は早速オークションに向けて動き出した。
 上層部と話をつけ、関係各所に電話を掛け、近隣部隊からも有志を募り、綿密に計画を立てる。その熱意たるや、今まで行われた作戦よりもなお熱いものがあったかもしれない。

「……はい、会場の設営はそちらで……ええ、ええ。もちろんです――」
「――ああ、醇子か? 体は平気か? ……うん……そうか、ところで相談なんだが……なに? もう知っているだと? なら話は早い。だれかそっちから……」

 かたや隊長陣を除く年少組は、さっそく出品の選定作業に入っている。

「オークションと言いますと、概して美術品の類に高値が付きますわね」
「でも、わたし達そんなもの持ってないですよ、ペリーヌさん」
「ですわね……あとは写真集や色紙、刀剣の類も人気のようですわ」
「おい、わたしの烈風丸は絶対に売らんからなっ!!」
「ペリーヌさんのティーセットとか売ったらどうです?」
「ななな、なんてこと仰いまして沖田さん!? あれは大変貴重かつ高価なもので――」
「やーいツンツンメガネが怒ったゾー」
「エイラさんは何かないんですか?」
「ン? ニシンの缶詰なら大量にあるゾ? シュールストレミングって言うんだけどナ」
「「「全力でお断りします!!」」」

 と、こっちはこっちで出品物の選定に忙しい。
 サーニャはドレスの調達に出かけてしまい、談話室ではピアノの調律中だ。

「やれやれ、まったく始める前からお祭り状態だな、これでは」
「まぁそう堅いこと言うなって。ほれ、お前もなんか選べよ」
「……そうだな。たまにはこういう催しもいいものだ」
「そうそう。じゃあ、まず手始めにバルクホルンのピンナップから――」
「 だ れ が そ こ ま で や れ と 言 っ た ?」

 ワイワイがやがやとオークションの準備を進めるその光景は、和音から見るとなんだが学園祭のようでもあり、妙に懐かしい気分にさせられた。

「いけないけない。わたしも準備しなくっちゃ……!!」

 あわてて選定作業に戻る和音。
 結局、全ての作業が終わったのは日もすっかり暮れた頃で、その日はそのまま入浴を済ませると全員疲れ切って眠ってしまったのだった。






 ――開催当日

「うわぁ……」
「これは……さすがに壮観ですわね」

 ともすればロマーニャ国民総出のイベントではないのか――
 そう思ってしまうほど、当日の人出は凄かった。
 急遽大広場に設営された会場には露店が立ち並び、501以外の呼び声も響き渡っている。
 果たしてこれが占領下にある街の姿なのだろうか?

「さ、わたくし達も持ち場に行きますわよ」
「了解です。うぅ、緊張するなぁ」

 和音がお腹をさすると、ペリーヌが苦笑しながら言う。

「これもウィッチの務めですわ。高貴なる者の義務、と言いますでしょう?」
「なるほど……そうですね!!」
「まずは販売の手伝いですわ。そろそろ宮藤さんたちの仕込みが終わる筈ですし」
「行きますか!!」

 洪水のような人通りを縫うようにして進む。途中何度も握手やサインを求められて目が回りそうだったが、それでも和音は楽しかった。さすがにサインなどは断ったが、街の人と握手をするたび、ウィッチという存在の大きさ、課せられた使命の重さを実感した。

「紅茶とパンケーキ、いかがですか?」
「扶桑のお茶もありますよ~!!」

 と、ようやく濁流のような人ごみを抜けると、宮藤とペリーヌが焼き菓子販売を行っている屋台までたどり着いた。出来具合は上々のようで、甘い香りがここまで漂ってくる。調理は二人に任せるとして、残るは呼び込みと客捌きである。と、思っていたのだが――

「――沖田さんは他にもいろいろ巡ってみると良いですわ。せっかくのローマでしょう? ここはわたくしが手伝いに入りますわ」
「あ、ありがとうございます!!」

 元気のいい宮藤とリーネの呼び声には行列ができていた。軽い休憩所のつもりだったそこは、すっかり人の山である。
 本当なら手伝いに入るところを、ペリーヌが気を利かせてくれた。和音は頭を下げてそのまま勢いよく走りだす。せっかくのチャンスだ。あちこち見て回らねば損である。

「他の皆は何をやってるのかな……」

 なにしろ出品の選定を含め、夜通しで企画を練ったのである。
 各自得意とする出し物をやろうという企画も持ち上がり、どうやったら街の人に喜んでもらえるかをそれぞれ真剣に考え抜いたのだ。その成果を確かめるべく、和音はひときわ人の集まっている一画に目を向ける。と、そこでは――


「せいやあっ!!」
「「「おおっ!!」」」
「これが扶桑の伝統武芸、その名も居合切り。さあさあ、遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ!! いざ、扶桑の神髄をご覧あれ!!」
「「「おおお~!!!!」」」

 すぐ横の一画では、袴姿の坂本が扶桑刀を手に居合を披露していた。
 坂本の一挙一動に感嘆のため息が聞こえてくる。火のついた蝋燭を一瞬で斬り飛ばす様は何度見ても凄まじい。大きな拍手と歓声に、坂本も笑顔で応えている。

(ノリノリですね、坂本少佐……最初はあんなに嫌がってたのに)

 和音も観衆に混ざって精一杯の拍手を送る。

「隊長とサーニャさんは演奏の準備だし、宮藤さん達はお菓子作り……あとは……あ!!」

 次は誰の出し物を見に行こうかと考えていると、和音の視界に一種異様な存在感を醸し出す屋台が目に入った。……もっとも、屋台というよりは小屋に近いのだが。

「なに、これ……?」

【占い食堂!! エイラにお任せ!!】

(なんだろう、強烈な不安と恐怖に胸が締めつけられそう……)

 だいたい、なんで占い「食堂」なのだ。しかもエイラにお任せと来た。
 羽毛布団を押し得る悪徳セールスマンもここまで怪しくはないだろう。

「と、とりあえずお邪魔してみようかな」

 気を取り直して和音は並んでいる列に近づいていく。ちょうどお化け屋敷のような体になっていて、入り口付近では妙にそわそわした雰囲気の人であふれていた。和音はコッソリ裏口に回ると、中から聞こえてくる声に耳を傾けた。

「あの!! 実は、前から気になっていた女の子に思い切って告白したいんですっ!!」
「その熱意、素晴らしいんダナ!!」
「お願いです。どんな風に告白したらいいか教えてくださいっ!!」

(あ、こりゃダメだ……)

 ……なんということだろうか?
 いかにも恋愛事に疎そうなエイラにこんな占いを持ち掛けてしまった時点で彼の命運は推して知るべしだろう。サーニャを前にしたときのヘタレ具合は既に周知の事実である。
 そう、エイラが出し物としてチョイスしたのは、自身の未来予知とタロットを活かした「占いの館」であった。無論、ある程度――というかかなりの率でエイラの占いは的中するのだが、事と次第によっては依頼者の精神に消えぬ傷を刻み込むことになりかねない。
 ……例えば恋愛相談とか。

(え、エイラさん……未来よりも空気を読んでくださいね、空気を!!)

「よーし、このエイラ様がお前の運命をタロットで占ってやるゾ」
「お願いしますっ!!」

 身内が裏口で聞き耳を立てていることなど露程も知らないエイラは、懐から随分と使い込まれたタロットカードを取り出し、慣れた手つきでシャッフルし始める。なるほど、その手つきだけならば確かに練達の占い師だ。

「さぁて、お前の運命はどうなってるんダ~?」
「…………!!」

 緊張する依頼者とは対照的に、エイラはごく気軽な調子で「えいやっ!!」とカードを引く。
 エイラの手に握られたカードは――

「逆位置、ダナ」

 やはりというべきか、カードは逆位置である。

(エイラさんどうして安定の逆位置なの……)

 悪い意味で引き運の良いエイラを内心詰る和音だが、問題は引いたカードである。

「う~ん、逆位置の【女教皇】かぁ……これはちょっと拙いナ……」
「ええ!? まさか、僕の告白は…………っ!!」
「ま、待て待て!! ……オッホン。逆位置の女教皇は、無計画・わがまま・勘違い・自惚れを表すカードなんダナ」

 すでに依頼者の青年は目に光が宿っていないのだが、エイラは一向に気がついていない。

(エイラさん、なぜそんな惨い仕打ちを……?)

「そ、そうですか……はは、あははは……」
「だからさ、ちゃんと計画を立てて謙虚にしてれば――ってオイ!! まだ話は終わってないゾ!!」
(いえ、もういろんな意味で終わってますよ、エイラさん)

 乾いた笑みを浮かべて、青年は小屋を出ていった。エイラは大層不満そうであったが、あれ以上追い打ちをかけるとあの青年がネウロイ化しかねないほどのダメージになるだろう。

(ああ、可哀想に……)

 一人の青年の心がダークサイドへと転落したのを見届けて、和音はそっとその場をあとにした。






「――大変長らくお待たせしました。本日のメインイベント、501統合戦闘航空団メンバーによるコンサートを開演したいと思います」

 お祭り騒ぎは午後も続き、アドリア海の向こうに夕陽が沈む頃。茜色に染まった広場の中央から、ひときわ大きな歓声と拍手が巻き起こった。本日の目玉、サーニャとミーナによるコンサートだ。

「ようやくはじまったか……!!」

 歩き疲れて歩道の花壇に腰掛けていた和音は、いまだ熱気の冷めやらぬ広場の中央に向けて歩き出した。
コンサートとはいっても、実質的には路上ライブだ。広場の噴水をバックに設えられた急造の簡素なステージにマイクがセットされている。満足な音響設備もないから、ピアノの音だって散ってしまうかもしれない。
 しかし、壇上のサーニャもミーナも一向に気に留めた様子はなく、この日のために新調したドレス姿で歓声を上げる観衆に手を振っていた。

「和音ちゃん!!」
「あ、宮藤さん」

 さすがに美人だなぁなどと考えていると、割烹着姿の宮藤が走って来た。屋台を手伝っていたリーネとペリーヌも一緒である。花柄のエプロン姿という滅多にお目にかかれないペリーヌの格好に笑いかけ、あわてて表情を引き締める。

「もうじきサーニャさんの演奏が始まりますわ」
「坂本少佐が席を取っておいてくれたんだって。一緒に行こう?」
「サーニャちゃんのドレス、すっごく綺麗だよ!!」

 なるほど、どうやら自分を探しに来てくれたらしい。

「わかりました。じゃあ、ご厚意に甘えて特等席で聴きましょうか」

 宮藤に手を引かれてきたそこは、なんの事はない。ステージに一番近い場所に、果物の空き箱を並べただけのものだった。簡素を通り越していっそ幼稚なほどだが、しかし誰一人としてそれを嗤うものはいなかった。

「おっそいぞ~宮藤。ミーナの唄が始まっちゃうじゃん」
「そう言うなハルトマン。これで全員揃ったようだな」
「オイ、サーニャのピアノは無視なのカ?」

 すでに「特等席」には檀上の二人を除く全員が集まっていた。それぞれ空き箱の上の腰かけ、演奏の開始を今か今かと待っている。

「――本日はようこそお集まりくださいました。皆様の協力によって実現した本日の催し、感謝の念に堪えません」

 マイクを取ったミーナが語りだすと、会場は水を打ったように静まり返る。

「501統合戦闘航空団からのささやかな返礼として、ピアノと唄をお贈りしたいと思います。曲目は『リリー・マルレーン』演奏はサーニャ・V・リドビャグ。唄はわたくしミーナ・ディートリンデ・ヴィルケです」

 そう言ってミーナが一礼すると、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
 自らの髪の色と同じ、真紅のドレスの裾を翻してマイクを取ると、ミーナはサーニャに目で合図を送る。
 そして――


「……兵舎の大きな門の前、街灯が立っていた。今もまだあるのなら、また会おう、並んで。そこに立とう、愛しのリリー・マルレーン――」


 『リリー・マルレーン』欧州のウィッチでこの曲を知らない者はいないだろう。
 カールスタントはもとより、ブリタニア、ロマーニャなど、欧州各国で愛される唄だ。
 流れるようなピアノの音に乗って響くミーナの唄声は、瞬く間に皆の心を奪い去った。

(ミーナ中佐……すごく綺麗……)

 生まれて初めて、真に美しいものを見た。和音はそんな気がした。
 この歌声の前には、セイレーンの誘惑でさえ霞むだろうというほどに、ミーナの唄声は美しかった。優しい電流のようなものが背中を駆け抜け、もう目を離すことすらできはしない。

「二つの影は一つに。愛し合う二人の姿。誰にでもわかる、皆に見てほしい、並ぶ姿を――」

 燃えるような夕焼けに照らされて、遠く地平線の彼方まで響くような歌声が、和音の意識を一瞬で埋め尽くす。遂に唄が終わり、サーニャとミーナが揃って礼をして檀上を辞した後も、和音はまだ夢のような気分から覚めないでいた。

(すごい!! すごいですよミーナ中佐!!)

割れんばかりの歓声と拍手の中、知らず頬を伝い落ちた涙に気がつくこともなく、いつしか和音も観衆に混じって精一杯手を打ち鳴らしていた。






「はぁ、あんなに大勢の前で唄ったのなんて何時以来かしら……」
「はっはっは!! おまけにレコードの依頼まで来てしまったな、ミーナ」
「確かに歌手を目指していたことはあったけれど……もう、わたしはウィッチなのよ?」

 すべてが終わったのは、ロマーニャの空を満天の星々が覆い尽くす頃だった。
 会場が撤去されてもまだ興奮の熱気は冷めず、あちこちのパブから威勢のいい声が聞こえてくる。この分だと明日の朝刊の一面は間違いなく501が飾るだろう。

「街の人たちを元気づけるつもりが、我々が元気づけられてしまったな」
「お菓子もいっぱい貰えたしね~ロマーニャってほんといい国だよ、トゥルーデ」

 ネウロイの監視と防空を近隣部隊が肩代わりしてくれたおかげで、和音たちはイベントが終わったあともゆっくりすることができた。ルッキーニの案内した小さな料理屋に腰を落ち着け、店主の振る舞ってくれた晩御飯に舌鼓を打っているところである。

「サーニャのピアノ、とっても綺麗だったゾ!!」
「ありがとう、エイラ。でも、こっそり撮ったわたしのドレス姿の写真は返してね?」
「え゛……」

 未来予知を駆使して最適なシャッターチャンスを覗っていたエイラの努力は、どうやら水泡に帰したらしい。まあ、演奏後の写真撮影で501部隊全員の個別写真が撮られたのだから、そのうち公式の写真集が出るのは間違いないだろう。


「――なあ、ここでもう一枚だけ写真を撮らないか?」


 そろそろ店を出て基地に帰ろうかという時だった。
 意味ありげな笑みを浮かべた坂本が、一体どこから持ってきたのか、真新しいカメラを手にそう言った。

「あら、いつの間にそんな物を用意していたの、美緒」
「これか? シャーリーが懇意にしている部品屋から貰ったらしい。せっかくだから記念写真を撮ろうと思ってな」

 珍しいこともあるものだ、と皆少なからず驚いた。
 この手の話は大抵シャーリー辺りが持ち掛けそうなものだというのに。バルクホルンがコッソリとシャーリーに目を向けると、さも白々しく肩をすくめてみせる。

「写真ならもうたくさん撮ったじゃない。たしかに、個人的な記念撮影はしていないけれど……」

 腕時計に視線を向けながらミーナが言うと、坂本は苦笑して応じた。

「いやなに、一人だけ写真を撮っていない大馬鹿者がいたからな。逃げられない今のうちにみんなで撮ってしまおうというワケだ。――なあ、沖田」

 その言葉に全員が振り向くと、今まさに和音は宮藤の背中に隠れようとしていたところだった。その隙を見逃す筈もなく、坂本が沖田の腕を掴んでグイッと引きずり出す。

「や、ちょ、痛いですってば坂本少佐!!」
「まったく世話の焼ける奴め……さりげなく部隊全員での写真撮影の時に抜け出していただろう?」
「ぇぇ……いやまあ、それはその……なんといいますか……」

 頬をかきながら視線を泳がせる和音の肩に手を置くと、坂本は正面から和音の瞳を見据えていった。

「恥ずかしいことだが、シャーリーに言われなければわたしも気がつかなかっただろうな……大方、同じ時代の人間ではないから写真に写るのは好ましくないとでも思ったのだろう?」
「――――っ!!」

 さりげなく放たれた一言に、和音の全身が硬直する。
 何故かと言えば、それが図星だったからに他ならない。この時代に存在するはずのない人間が、衆目に触れる場で存在の痕跡を残すのは拙いだろうと、和音は写真撮影には決して参加しなかったのだ。

「そんなつまらんことを気にするな。さ、せっかくなんだから写真を撮るぞ」
「で、ですから坂本少佐、それは避けた方が――――ってうわぁ!?」

 苦笑いを浮かべて抗議しようとした途端、和音の口を誰かの手が塞いだ。

「せっかくの少佐のお誘いですわ。当然、部隊員全員での記念撮影ですわね?」
「和音ちゃんを真ん中にして、芳佳ちゃんが隣に入れるようにしたらどうでしょう?」
「じゃ、ワタシとサーニャはお前らの後ろナ~」
「ふむ、ならばわたしとエーリカは後ろに入るとしようか」
「よーし、ルッキーニは肩車だな!!」
「肩車!? ヤッホ~イ!!」

 抵抗しようとした和音をあっという間に取り押さえると、混乱する本人を余所にすばやく撮影の準備を整えていく。

「ちょ、ちょっと!! こんなことしたら誰かに――――!?」

 和音がそう抗議しようとした時だった。

「あら、バレても全く困らないと思うわ?」
「ミーナと同意見だ。仲間同士の写真を持っていていったい何が悪いのだ」

 涼しいほどに白々しくそういうと、ミーナと坂本が和音の後ろに並んだ。
 和音を囲むようにリーネ、宮藤、ペリーヌの三人が立ち、さらにその後ろにはミーナや坂本たちが並ぶ。店の主人のシャッターを頼むと、気を利かせた女将がカーテンを下ろしてくれた。

「でも……だってわたしは!!」

 なおも言い募る和音の言葉を遮ったのは、バルクホルンだった。

「愚問だな。わたし達は家族だ。同じ家族なら、写真の一枚くらい撮らせてくれ」
「お、珍しく堅物が良い事言った!!」
「バルクホルン大尉まで……」

 しばし俯いた和音は、やがて諦めたように溜息をつき、そして笑った。
 こうなったら梃子でも動かないことは、「同じ部隊の一員」である和音が一番よくわかっている。

「お嬢さん方、準備の方はもういいのかね?」
「ええ、お願いいたします。――さ、皆もっと真ん中に寄って」

 代表してミーナが言うと、店主がカメラを向ける。
 頬が触れるほど密着しながら、和音は精一杯の笑みを浮かべた。きっと顔は赤くなって、目も真っ赤に泣き腫らしているだろうけれど、そんなことはこの際問題ではなかった。

「坂本少佐、ミーナ隊長……ありがとう、ございました……」
「なに、礼などいいさ。その写真、大切にとっておくんだぞ」
「きっといい思い出になるわね」

 土産を持たせてくれた店主に礼を言って店を出ると、みんなはそのままシャーリーの運転するトラックの荷台に乗り込んだ。もう辺りはすっかり暗くなって、夜道を月明かりが照らす真夜中になっていた。

「よかったね、和音ちゃん」
「……はい、宮藤さん」

 【1945年ロマーニャにて。大切な仲間と共に】
 写真の裏には、坂本やミーナ、宮藤達全員の直筆で書かれた走り書きのサインがあった。今日この日を忘れないようにとの粋な計らいだ。
 他人から見ればただの写真にしか過ぎないそれを、和音は大切に大切に自分の手帳に挟み込むと、そっと胸に抱いてそのまま顔を伏せた。

「………………」

 エンジンの音だけが響く車内に混じる嗚咽を聞き咎める者は誰もいない。
 誰もが車の揺れに身を任せ、心地よい沈黙に身を浸していた。

(ああ、501部隊の皆に逢えてよかった――)

 いったいどれくらい車を走らせただろうか?
 ゆっくりと眠りの中に意識が沈んでいくのを感じながら、和音はそっと写真を撫でる。
 この出会いに感謝しよう。たとえ他の誰に何を言われようとも、この出会いはきっと生涯の宝になる。
 いよいよ疲れ果てて眠ってしまうまで、和音は決して写真から手を離すことはなかった――
 

 

第二十話 オペレーション・マルス①

 
前書き
いよいよ20羽の大台に乗っちゃったよ・・・更新速度はダダ落ちですが(汗)
完結まではあと3話ほどの予定です。 

 

「んぁ……なんの、音……?」

 まだ日も昇っていない早朝。タオルケットを羽織って眠っていた和音は、窓の外から聞こえてきた奇妙な音で目を覚ました。なにか棒状のものを振り抜いたような鋭い風切り音と、それに合わせた誰かの気合いが聞こえてくる。騒音というほどではないが、気になってしまうとなかなか眠れない。

「こんな時間にいったい何なの……」

 基地の整備兵か誰かが騒いでいるのかもしれない。
 そう思った和音は、文句の一つでも言ってやろうと、寝ぼけ眼を擦りながら窓を開け、音の正体を探した。すると――

「せいっ!! やあっ!! はぁっ!!」

(あれは……坂本少佐?)

 和音の瞳に映ったのは、扶桑海軍の水練着一枚で素振りに明け暮れる坂本美緒だった。
 手にしているのは普段から使っている愛刀『烈風丸』に違いない。和音の魔眼のおかげで、額に汗の玉を浮かべて刀を振り続ける姿は、坂本の立つ場所からだいぶ離れた和音の部屋からもはっきり見えた。

「こんな時間から素振りをしていたなんて……坂本少佐らしい、のかな?」

 まるで実戦さながらの気迫を漂わせながら、正眼に構えた刀を振り下ろす。ヒュッ、と鋭く風が唸って、青い残光を纏って刃が駆け抜けていく。
 流石は「大空のサムライ」だな、と和音が感嘆した、その時だった。

「……ん?」

 やおら坂本は素振りをやめると、今までは正眼に構えていた刀を大上段に構え直し、静かに呼吸を整えながら精神を集中し始めた。それだけではない。何の変哲もなかったはずの刀に魔法力が流れ込み、淡い燐光を放ち始めたではないか。

(まさか、魔力斬撃!?)

 おもわず魔眼を発動させた和音は、窓から身を乗り出すようにして坂本の姿を凝視する。
 刀を大きく振りかぶった坂本は、いよいよ輝きを増した烈風丸を握りしめ、そして――

「はあぁっ!!!! 烈風斬――――ッ!!」

 瞬間、凄まじい光が刀身から迸り、振り抜いた刀の斬線上を目にも映らぬ速さで駆け抜けていった。その威力たるや凄まじく、斬撃を受けた海が一瞬割れたほどだった。

「すごい……あれが、坂本少佐の奥義……」

 呆然と見守る和音だったが、しかし当の本人である坂本は納得がいかないような素振りで己の掌を見つめ、ややあってから刀を鞘に戻すとそのまま基地の方へと戻っていってしまった。
 圧倒的な光景にすっかり目が覚めてしまった和音は、結局朝食まで眠る事ができず、坂本の謎の特訓が頭から離れなかったのだった。






「おはようございます。今朝はご飯とお豆腐のお味噌汁ですよ~」

 朝食の時間になって食堂に降りてみると、割烹着姿の宮藤とリーネが配膳をしているところだった。どうやら朝方の素振りには気がつかなかったようで、いつも通り坂本にもご飯と味噌汁の載った盆を渡していく。

「みんな、早速で悪いのだけれど、一つ重要なお知らせがあるわ」

 全員に朝食が行き渡ったのを見届けてから、ミーナが口を開いた。

「重要な作戦会議のため、わたしと坂本少佐は、これから司令部へ行くことになります。その間、部隊の指揮をバルクホルン大尉とイェーガー大尉の両名に預けます。有事の際は二人の指示に従うように。いいわね?」

 食事の前にミーナが何かお知らせをするのは珍しいことだ。
 大抵は食事が終わった後に言うし、きちんと詳細も説明してくれる。ましてや不在にするからと言って指揮権を一時的に預けたことなど一度もなかった。
 と言う事は、司令部での作戦会議とやらも極めて重大なものであることは容易に察しがつこうというものである。

「全員理解したな? では、いただきます」
「「「いただきます!!」」」

 坂本に合わせて頂きますをした和音だったが、胸の奥には妙な不安が暗雲のようにたちこめていた。





 連絡機に乗って司令部へと出発した坂本らを見送ると、基地は一気に静かになってしまった。
 ここのところ奇妙に襲撃は少なく、訓練もいつも通り。強いて話題になるニュースがあるとすれば、戦力増強を目的に扶桑海軍の艦隊がロマーニャに到着したらしい、ということぐらいだろう。

「――で、なんでわたしたちは朝からお風呂に居るんです?」
「あ、あはは……シャーリーさん達がみんなを集めて来い、って」

 そして静かになった基地では、残った十人が全員、朝から風呂に浸かっていた。
 それだけでも十分異様な光景だが、規律と規則には厳しいあのバルクホルンでさえ一緒に風呂に入っているというのだからこれはもう驚くしかない。

「バルクホルン大尉とシャーリー大尉の指示だそうですわ。今のうちに英気を養っておけ、ということでしょうね」
「どういうことです、ペリーヌさん」

 歳の割によく育ったおっぱいをバスタオルの下に押し込めながら、和音は湯船に身を沈める。
 周囲から生暖かい視線を感じたのも一瞬、湯船に体を沈めると、どこからともなくため息が漏れた。

(……聞かなかったことにしよう)

 コホンと咳払いをしてペリーヌに視線を向けると、髪をかき上げながらペリーヌが口を開いた。

「今朝、ミーナ中佐と坂本少佐が作戦会議のために司令部へと出発したでしょう? ということは、近々大規模な作戦が発動されると言う事ですわ」
「なるほど……」

 そこで両大尉が気を利かせて入浴の許可を出したということらしい。

「これは予想に過ぎんが、おそらく今回の作戦はヴェネツィア上空のネウロイの巣を直接叩く最終決戦になるはずだ。だとすれば、ここでの最後の風呂になるかもしれんからな……」

 湯船に身を沈めたままバルクホルンが言うと、宮藤やリーネがぎょっと顔を引きつらせる。

「こ、ここでの最後のお風呂って、そんな……」
「ま、待て宮藤!! いまのは……そう、例えだ。あくまでそうなるかもしれないという仮定の話であってだな……!!」

 しかし、バルクホルンの言葉に嘘や偽りはない。祖国奪還を賭けた決戦であれば、史上空前の大規模戦闘になることは間違いないのだから。その戦いに勝つことはおろか、生きて帰れる保証などありはしないのである。

「今はミーナたちが帰ってくるのを待つしかない。早ければ夕食時分に戻ってきているはずだ」

 そういうと、バルクホルンは目を閉じて湯船の岩に背中を預けた。
 蒼く澄み渡る空。陽光に煌めく広い海。
 すぐ目の前に迫った決戦の気配も、今この時ばかりは遥か遠くに感じられていたのだった――





「――司令本部からの作戦を説明します」

 すっかり日も沈んだ夜。いつになく険しい面持ちのミーナと坂本に集められた501部隊員らは、談話室の椅子にそれぞれ腰かけていた。

「司令本部はヴェネツィア上空のネウロイの巣を直接叩く総攻撃作戦を提案。作戦名は『オペレーション・マルス』に決定したわ」

 その言葉に、談話室の空気が一気に緊張する。
 ――ついに来たのだ。最後の決戦の時が。

「攻撃目標はネウロイの巣中枢に位置する球体状の本体。おそらく内部にコアを有しているわ」

 ロマーニャ全域の地図を壁に掛けてミーナは淀みない口調で作戦を説明していく。
 指揮官たるミーナの本領発揮といったところか。部隊を纏め、作戦を提案し、時に自らも前線にはせ参じる。これこそ本物のエースだろう。

「作戦には501統合戦闘航空団以外にも、扶桑海軍を中心とした各国連合艦隊が参加するわ。空と海、両方から徹底的に巣を攻撃する。これが作戦の基本骨子よ」
「待ってくれミーナ。巣を攻撃するのはいいが、決め手に欠ける。現状の戦力では不十分ではないのか?」
「いい質問ね、バルクホルン大尉」

 ミーナはそういて言葉を切ると、一瞬坂本の方を見てから言葉を継いだ。

「巣への直接攻撃を担うのは、連合艦隊旗艦の大和よ。わたしたちは大和が攻撃可能な距離に接近するまで護衛し、敵戦力を低下させるの」
「なに!? では我々は露払いと言う事か!?」

 ダンッ!! っと机を叩いて立ち上がったバルクホルンは、そう言って肩を震わせた。
 当然だろう。今日の今日まで戦い抜き、その結末が単なる露払いなど、到底認められるものではない。

「……これしか方法がないのよ。この作戦に失敗は許されない。これ以上防衛線を維持し、消耗戦を続けられるだけの余力は欧州にはないのよ」
「くっ……!!」

 そう言われれば、バルクホルンとて黙らざるを得ない。
 その現実を、バルクホルンも身に染みて知っているからだ。

「もし作戦が失敗すればロマーニャをネウロイに明け渡し……501部隊も解散になるわ」
「なんだって!? そんな馬鹿な話があるものか!! ミーナ、まさかそんな作戦に納得して帰って来たのか!?」

 今度こそ怒りを露わにしたバルクホルンを、ミーナが一喝した。
 バルクホルンですら怯む剣幕に談話室の空気が凍りつく。

「そんなわけがないでしょう!? これしか……これしか今のわたし達にはできないのよ……!!」

 ぐっと拳を握って声を絞り出すミーナからは、悔しさと無力感がありありと見て取れた。
 だがこれは事実なのだ。戦火に次ぐ戦火、過酷な撤退線をも強いられた今の欧州にこれ以上戦い続けるだけの余力はない。ここで決着をつけねば破滅への道を転がり落ちるしかないのだ。

「そ、そんなのイヤだよぅ……シャーリー……」
「大丈夫。ルッキーニの故郷をネウロイなんかに渡すもんか。必ず解放してみせるさ」
「そうですよ!! 勝てばいいんです!! わたしたち十二人ならきっと勝てます!!」
「そうだよね。勝てばいいんだもの」

 次々と溢れる言葉にバルクホルンは呆気にとられた様な顔をし、そして安堵したような、困ったような笑みを浮かべて腰を下ろした。

「そういうことだよトゥルーデ。なぁに弱気になってんのさ?」
「な!? 違うぞハルトマン!! わたしはたとえ最後の一人になっても戦うからな!!」
「あら、一人になんてさせないわ。わたしたちは十二人全員でストライクウィッチーズよ」

 たとえどんな時でも十二人全員が揃っていることに意味がある。そう言ってミーナは笑った。

「作戦の概要は以上です。作戦の発動は明日の午後。各自それまでに十分英気を養っておいてください。では解散」






 ――そして全員が寝静まった夜

「オペレーション・マルス、か……」

 その名前を知らない人間はいない。たとえウィッチでなくとも、学校の教科書をめくれば必ず出てくる言葉だ。欧州の危機を救い、戦争の膠着状態を打ち崩した一大決戦。その先鋒を担った大和の武名は、和音の時代になってさえ語り継がれている。
 和音の持っていた教科書では、連合国艦隊を率いて突撃を敢行し、対ネウロイ用徹甲弾を斉射して勝利をおさめ、負傷者の救出にあたったとされてる。

「わたしは……どうなるんだろうな」

 もし作戦が失敗すれば、間違いなくロマーニャ全土はネウロイの手に渡り、501統合戦闘航空団も解散するだろう。そうなれば、和音の居場所は無くなってしまう。
 しかし、作戦が成功したところでどうなるというのだろうか。ロマーニャを解放できた以上、各国の最精鋭をここに張り付けておく理由はない。未だ激戦の続く地域へ戦力を振り分けるだろうことは和音にも分かった。

「わたしの居場所は結局なくなっちゃうのかな……?」

 眠ってすべてを忘れてしまおうと思った和音は、部屋の明かりを消してベッドに横になる。
 静まり返った暗い部屋の中で、意識が眠りに落ちようとした時だった。

「……? この音は……もしかして」

 むくりと起き上ってカーテンを開けると、果たしてそこには今朝と同じように刀を振る坂本の姿があった。時折刀を構えたまま意識を集中し、一瞬刀身が淡い輝きを放つ。がしかし、それもあっという間に消えてしまう――それを、坂本は何度も繰り返していた。

「坂本少佐は、まさか……」

 和音は不意に直感した。あの刀身の輝きがウィッチの魔法力によるものだとすれば、この光景が意味するところは一つだけだ。――魔法力の喪失。それ以外には考えられない。

「坂本少佐……っ!!」

 いてもたってもいられなくなった和音は、タオルケットを跳ね除けて飛び起きると、そのまま部屋を飛び出してかけていった。





「なぜだ……!! 限界だというのか? このわたしの魔法力がもう限界だと……ッ!!」

 歯を食いしばる坂本は、烈風丸を握ったまま立ち尽くしていた。
 舞鶴で初めて実戦を経験して以降、戦うことこそが坂本の全てだった。空には坂本の全てがあったのだ。しかし、その根源たる魔法力がないのでは、坂本とて一人の娘に過ぎないのである。

「こんな、こんなことが認められるか……!!」

 いつか来る宿命であることはわかっていた。しかし、なぜ今なのだ。
 肩を並べた戦友たちと共に決戦の舞台に上がることすらできないというのか。

「くっ……!!」

 惨めな気持ちでいっぱいになりながら、坂本は砂浜をあとにした。誰もいない滑走路を抜け、搬入用の入り口から基地に入る。伽藍堂で物寂しい格納庫の静けさが、今の坂本にはむしろ心地よかった。

「は、ははは……所詮わたしもこの宿命からは逃れられないのか……」

 誰にも気がついてほしくない。ミーナが知れば泣いて止めるだろう。だからこそ、ずっと一人で鍛錬を積んでいた。しかし、こうなった以上はもはや飛ぶことは叶わないのか――
 そう思ったその時、坂本の視界にあるものが映った。

「これは……沖田のユニットか」

 ――F-15J。
 遥か半世紀先の技術の結晶にして、新時代の魔女の翼。レシプロなど決して寄せ付けぬ圧倒的なその性能は、初めて見たあの時から坂本の脳裏から離れない。
 そして思ってしまった。
 〝これを使えばまだ自分は戦えるのではないか?〟と。
 吸い寄せられるように指が機体のラインを撫で、今すぐにでも両脚を通したい欲望にかられる。

(少し……そう、少しだけ試すだけなんだ……)

 そう心の中で自分を正当化し、固定台に手をかけたその時だった。


「――ジェットストライカーを使っても、魔法力の減衰はどうしようもできません。坂本少佐」


「……見ていたのか、沖田」
「はい。少佐が素振りをしていた時からずっと」
「そうか……」

 それっきり、坂本は大きく肩を落として黙り込んでしまった。
 悔しさ、諦観、絶望……ないまぜになったそれらを何と呼べばいいかもわからぬまま、坂本はF-15から離れ、格納庫の外へと出た。

「――わたしが初めてウィッチになった時、まだわたしは自分の魔眼すら満足に扱えなかった」
「え……?」

 唐突に始まった独白に和音は困惑するも、坂本は月を見上げたまま続けた。

「満足な魔法技術も持たないまま扶桑海事変に突入し、それからは遣欧艦隊の一員となって戦いの中で生きてきた。戦いが、空がわたしの全てだったんだ」
「…………」
「なのに、気がつけばわたしはもう二十歳だ。魔法力が消えてしまえば、もうわたしの居場所は無くなってしまう。ミーナや宮藤たちと一緒に飛べなくなってしまう。それが、たまらなく悔しかったんだ……」

 嗚咽すら混じるその独白が終わった時。和音は寂しそうに笑った。

「……そんなこと、ないですよ」
「な――に……?」

 砂浜に腰を下ろした和音は、今までに見せた事の無い不思議な表情で語り始めた。

「少佐、わたしはこの時代の人間じゃありません。そんなわたしを迎えてくれた501があったからこそ、今わたしは生きているんです。この501こそが、今のわたしにとってはたった一つの居場所であり、存在の証明です」

 でもね、といって和音は続けた。

「もし、この501が無くなってしまったら、もうわたしはどこへも行けません。魔法力があったって、わたしの居場所は無くなってしまう。今度の作戦が成功してもしなくても、きっと501は解散するでしょう? そしたらもう、わたしはそこで終わりです。でも、坂本さんは違うじゃないですか」
「沖田、お前……」
「待っている人がいる。守りたい人がいる。守ってくれる人がいる。そういうものすべてが、坂本少佐の居場所なんじゃないんですか?」
「わたしは……」

 そうだ。空に居る時も、戦っているときも、常に自分の周りには誰かがいたのだ。
 それは、坂本美緒にとっての居場所と言ってもいいのではないだろうか?

「わたしにそんなものはありません。この時代でわたしを待っていてくれる人はいません。守ってくれる人もいません」

 一瞬袖で顔を拭った和音は無理に笑顔を取り繕って坂本に向き直った。

「こんなの可笑しいですよね。帰る場所も、戦うべき場所もある坂本さんに魔法力が無くて、帰る場所も戦うべき理由もないわたしは魔法力があるなんて……」
「沖田……泣いているのか――?」
「こんなのあんまりですよ……!! もしできるなら、坂本少佐がわたしの魔法力を全部吸い取っちゃえばいいんですよ……っ!!」

 できるわけがないと知っていながら、和音はそんな事を言った。
 肩を震わせて俯く和音を見て何を思ったか、坂本は己の掌を見つめ、そして何かを悟ったような表情になった。

「ああ――そうだな。ようやく、ようやく分かった」
「…………?」
「どんなに悔しくても、どんなに悲しくても、先生たち先達のウィッチがどうして翼を捨てられたのか」

 まだほんのり温かい砂に手を埋めて坂本は言う。

「翼を捨てるんじゃない。託すんだ。これからの時代を担う誰かに、自分の翼を託すんだ。だから、胸を張って空から降りられる」

 刀に突いた砂を払って立ち上がった坂本は、和音の方を見ずに言った。

「――なあ、沖田」
「はい……」


「――この戦いが終わったら、一緒に扶桑に来ないか?」


 その言葉に、和音は胸の奥がかき乱されるような激しい動揺を覚えた。
 願ってもいないその言葉は、しかし和音にとってはある種の死をも意味するものだから。

「お前の言葉を聞いて思った。傍にいてくれた、帰りを待っていてくれる人こそが居場所なのならば、わたしがお前の居場所になる。501が解散したら、宮藤と一緒に扶桑へ戻ろう」
「坂本少佐……」
「横須賀でも、舞鶴でも、どこでもいい。そこで――」

 その先を口にしようとして、坂本はハッとしたように口元を抑えた。
 その言葉は、絶対に口にしていけないと気がついたから。

「あはは……わたしには、できないですよ坂本少佐。わたしの生きる場所は、手の届かないずっと先にありますから」

 ――そこで生きればいい
 そう言おうとして、言ってはならないことに気がついた。言ってしまえば、それは和音の帰る場所も、護りたい人も、全てを見捨てろというのに等しいからだ。この時代に、この501以外に本当の意味での居場所がないことを、坂本も認めざるを得なかった。

 だからこそ、坂本は譲らなかった。

「――沖田、すこし目を瞑れ」
「……? はい」

 一瞬怪訝そうになるも、和音は大人しく目を閉じた。坂本はその両手を取ると、そこにある物を握らせる。

「これをお前に預ける。50年後、かならずわたしに返しに来い」
「これは……!! いけません坂本少佐!! だってこれは!!」
「いいんだ。いつかのわたしも、そうやって師から愛刀を譲り受けた」

 坂本が握らせたのは、自らの魂ともいうべき愛刀『烈風丸』だった。
 
「なあ沖田。これはただの勘なんだがな、そう遠くないうちにきっとお前は未来へ帰るだろう」
「そうでしょうか……」
「ああ、そうだ。だから、お前〝も〟諦めるな。必ず未来へ帰って、そしてもう一度わたし達501統合戦闘航空団へ帰って来い。これは命令だ。いいな?」

 その言葉に、一体どれほど心を救われたか。

「――はい。沖田和音、謹んで拝命いたします」

 踵を揃え、今までで一番きれいな敬礼を決めて見せた和音は、坂本から預かった烈風丸を大切に胸に抱いた。必ず未来へ帰るのだと、烈風丸の重さがそう思わせてくれる。

「……坂本少佐」
「なんだ、急に」
「今度の作戦、必ず勝ちましょうね」
「当たり前だ。ウィッチに不可能はないのだからな!! はっはっは!!」

 静かに燦然と輝く月を見上げながら、和音は言った。同時に、今日此処での出来事を、決して忘れる事の無いよう心に焼き付けようと誓った。今この時に確信があったワケではなかったが、それでもある種の予感めいたものは和音も感じていたのだ。
 

ここ501統合戦闘航空団で過ごす静かな夜は――今夜が最後になるのだと言う事を。


 

 

第二十一話 オペレーション・マルス② ~終幕~

 
前書き
いよいよこれで本作は完結です。
読んでくれるる方がいるのかもわからない拙作でしたが、お付き合いくださりありがとうございました。

一応最終話と言う事で、かなり長めになっております。
作者の技術がへぼいので出来栄えはぱっとしませんが、お楽しみいただければ幸いです。 

 
 









 その日のロマーニャは、未だかつてないほど重苦しく張り詰めた一日であったと人々の記憶には残っている。
 さわやかな海風はぱったりと止み、蒼く澄み渡っているはずの空には一面薄暗い雲がかかって陽光を遮っていた。祖国奪還に賭ける期待と緊張感が街を支配し、厳戒令の発令されたせいか通りには猫一匹見当たらない。
 度重なる戦乱と、奪われた故郷の奪還。
 それは、戦火に追われるまま逃げ惑うしかなかった民衆らにとって、忌むべきものでありながらも未来への唯一の希望だった。

 ――時に1945年7月。
 斯くして、ロマーニャ奪還を賭けた最終決戦――『オペレーション・マルス』が発動されたのだった。














「――我々501統合戦闘航空団は、本日現時刻よりオペレーション・マルスに参加します。ロマーニャ奪還を賭けた決戦よ。各員の奮戦に期待します。総員、出撃ッ!!」
「「「「了解!!!!」」」」

 日も高く昇った午後。ついに作戦の幕が切って落とされた。
 部隊長であるミーナの号令一下、501メンバー全員が格納庫へと殺到する。

「機材の搬出急げ!!」
「予備の燃料と武装も天城に運び込め!! 再出撃があるかもしれんぞ!!」
「連合艦隊が出るぞ……回せ――――ッ!!!!」

 部隊創設以来もっとも緊迫した空気の中で、整備班らが奥からユニットを滑走路に運び出す。運びながらエンジン各部を点検し、武装を渡すと次々に発進準備へと入る。

「連合艦隊より入電。501部隊の出撃はまだか、と言ってきています!!」
「直ちに発進すると伝えろ!! ――ミーナ中佐、いつでも行けます」

 ベテランの整備班長に促されたミーナは小さく頷くと、後ろに控える隊員らにサインを送る。
 部隊全員による全力出撃だ。基地への帰還は考えず、消耗した場合は空母天城に着艦。補給と回復を行い、必要な場合は再出撃を行うことになっている。
 どのみち、この戦いに勝てなければあとはないのだ。格納庫に収められていた備品は全て天城へと搬入され、文字通り決戦の様相を呈していた。

「わたし達の任務は連合艦隊旗艦『大和』の護衛です。ネウロイの巣を攻撃可能範囲に捉えるまで、なんとしても大和を守り抜くのよ。――全機発進!!」

 瞬間、ユニットの魔道エンジンが一斉に吹け上がり、白煙をひいて滑走路を駆け抜け空へと舞いあがった。夜を徹して行われた整備班の努力が報われ、エンジンはかつてないほど良好な反応を示している。

「ストライクウィッチーズ、行くわよ!!」
「「「了解!!」」」








「艦長、501統合戦闘航空団より入電。艦隊を目視で捕捉、援護体勢に入るとのことです」
「そうか、間に合ってくれたか……」

 空母天城で指揮を執る杉田艦長は、そう言って大きく息を吐いた。
 連合艦隊の指揮を任され、大和を切り札に仕立て、あらゆる準備を今日この日のために行ってきた。しかし、戦場に絶対はない。万全の布陣で挑む今この瞬間さえ、杉田の胸は押しつぶされそうなほどの重圧に晒されていた。

「連合軍の威信をかけた作戦だ……何としても成功させねば、我々には後がない」
「魔導ダイナモの機動が上手くいけばよいのですが、あんなものを大和に載せてよかったのですか、艦長」
「……………………」

 『魔導ダイナモ』それは、連合国が本作戦に置いて決戦兵器と位置づけた装置の名だ。
 かつてブリタニアで501統合戦闘航空団が戦っていた頃、ネウロイを人工的に制御するという試みがあった。ウォーロック計画と呼ばれたそれは、結局主導者本人の失策により頓挫するも、その後の研究でさらなる発展に成功。短時間ではあるものの、完全な制御下でネウロイ化を行えるようになったのだ。
 それが、魔導ダイナモである。

「魔導ダイナモによってネウロイ化した大和による単艦突破での主砲斉射……海軍史上でも前例のない前代未聞の作戦です」
「……言うな。もはや我々に残された道はこれしかないのだ」

 苦々しく言った杉田は、天城に曳航される大和を見る。魔導ダイナモ運用のために乗員は全て赤城へ移され、作戦海域までも天城が引っ張って行くことになる。
 あとは敵へめがけて突撃するのみだ。


「艦長、一番艦が被弾!! 敵小型ネウロイが無数に接近してきます!!」
「いよいよ始まりおったか……!!」

 帽子を深くかぶりなおした杉田は腹の底から声を張り上げる。

「全艦対空戦闘用意!! 主砲、対ネウロイ用砲弾装填急げ!! 奴らの手からヴェネツィアを奪還するのだ!!」

 ついに鳴り響いた決戦の砲火は瞬く間に海を埋め尽くし、黒煙が空を覆う。
 それはまさに、人類とネウロイの本気の潰し合がついに始まった瞬間だった。






「はじまったわね……!!」
「ああ、いよいよだな」

 隊列を組んで航行する連合艦隊が砲撃を開始したのを、ミーナは素早く察知した。
 瞬く間に辺りを埋め尽くす轟音に負けぬよう、精いっぱい声を張って指示を飛ばす。

「単独行動は絶対に避けて。二機編隊を組んで大和を護衛します!! 全機散開!!」
「「「了解!!」」」

 未だ十代の乙女とは言え、彼女らも激戦を潜り抜けた立派なエースだ。素早く戦況を読み取ると、二機編隊を組んで雲霞の如き大軍勢へと突貫していく。嵐のように激烈なネウロイのビームが空域を埋め尽くし、応戦するウィッチらの機銃が金切り声をあげて弾丸を吐き出す。

「行くぞ、ハルトマン!!」
「いつでもいいよ!!」

 先陣を切ったのはバルクホルンとエーリカだった。世界でも五指に入る屈指のエースが、果敢に敵陣へと切り込んでいく。

「なんて数だ……これほどの戦力をネウロイは持っていたのか……!!」
「全然減らないよトゥルーデ!!」
「いいから敵を倒せ。勲章が向こうから押し寄せてくると思えばいい!!」

 二人が切り開いた道に仲間たちも続いてゆく。大和を守り、可能な限り敵戦力を減衰させる。果てしなく無謀で無茶な作戦を、しかしウィッチである彼女らは決して不可能だとあきらめはしない。

「行こう、リーネちゃん!!」
「うん。援護は任せて、芳佳ちゃん!!」
「わたくしたちも後れを取るわけにはまいりませんわ!! 行きますわよ、和音さん!!」
「了解です、ペリーヌさん!!」

 突撃の瞬間を待つ大和は、その瞬間が来るまでは全くの無防備だ。
 大型戦艦の最大の死角である正面から突破を試みたネウロイを、リーネの正確無比な狙撃が片っ端から撃ち落してゆく。わずかに突破に成功したネウロイも、上空から奇襲をかけた和音とペリーヌによって尽くが撃墜された。

「大和は絶対に撃たせないんだから!!」

 もはや数える事すら馬鹿馬鹿しいほどの火線を宮藤のシールドが正面から受け止める。
 防御と回復に置いて右に出る者のいない宮藤の真価がこれ以上ないほど発揮された瞬間だった。小型ネウロイ程度の攻撃では、宮藤のシールドを貫くことは叶わない。

「援護しますわ、宮藤さん!!」
「やらせるもんかっ!!」
「芳佳ちゃん、頑張って!!」

 大和に肉薄するネウロイを四人が退けているその時、上空でも激しい戦闘が展開されていた。

「さあ、準備はいいか? 行くぞルッキーニ!!」
「まっかせなさ~い!!」

 501部隊最速を誇るシャーリーが、腕にルッキーニを抱えたままスロットル全開で敵陣へと突っ込んでいく。凄まじい風圧に敵が連携を乱したところで、シャーリーは抱えていたルッキーニを放り投げた。

「そーれ、っと!!」
「わたしのロマーニャから出ていけー!!」

 目にも止まらぬ高速戦闘と抜群のコンビネーションが、次々とネウロイを破片へと変えてゆく。しかし、それでもなお敵の戦力に変化は見られない。

「……敵ネウロイの反応、依然多数が健在。巣から増援を送っています」
「サーニャ、右に避けるゾ」
「……連合艦隊へ。敵増援多数。艦隊を密にしてください」
「サーニャ、今度は左に避けるんダナ」

 ウィッチ隊の――いや、今や連合艦隊全体の目として自らの力を十全に発揮しているのがサーニャだった。魔導針にかかったネウロイの情報を素早く共有し、かつ部隊間の通信中継までになっているのだ。
 その間、ほぼ無防備と言っていい状況にあるサーニャを守っているのが相棒であるエイラだった。彼女の未来予知による回避率の高さは誰もが認めるところであり、二人の息の合った連係はこの激戦に中にあってまだ一発も至近弾すら受けていない。

「サーニャ、辛くないカ? 何かったら言うんだゾ」
「……ええ、心配いらないわ、エイラ」

 エイラに抱きかかえられたまま飛サーニャ。目を閉じて集中しきっていることからも、エイラに寄せる全幅の信頼が覗い知れようというものだ。

「……大和突入まであと三分。みんな、持ちこたえて……!!」
「サーニャはワタシが守ってやるからナ!!」

 ついに突入まであと三分を切った。ますますネウロの反撃が激しさを増す戦場を、戦艦大和がネウロイの巣へ向けて進んでいく。魔導ダイナモ始動の瞬間が、もうすぐそこまで迫っていた。






「魔導ダイナモ始動まであと三分を切りました」
「そうか……全艦に通達。魔導ダイナモ始動後、全艦十六点回頭。対空射撃を密にしつつ、後方へ下がらせろ。空母天城に敵を近づけさせるな」
「了解しました!!」

 戦闘開始からすでに艦隊の半数が手傷を負い、撃沈された艦も少なくない。退くわけにはいかない作戦であっても、護衛艦隊だけはここで一度下げるべきだと杉田は判断した。
 どのみち、魔導ダイナモが発動してしまえば艦隊に出来ることなど何もない。ならば出来うる限り被害を抑え、ウィッチ隊の着艦する空母を守るべきだと考えたのだ。

「敵ネウロイの巣まで残り2,000。魔導ダイナモ始動まで一分を切りました!!」
「……うむ。曳航索を全て解除。魔導ダイナモ始動準備」
「魔導ダイナモ始動準備!!」
「それから、第501統合戦闘航空団へ通達するのだ。魔導ダイナモ始動は予定通り進んでいる、と」
「はっ!!」

 わずかな衝撃があって、いよいよ天城から大和が切り離される。自力での航行ができない大和は、切り札たる魔導ダイナモの発動後ネウロイ化し、天城からの遠隔操作によって巣へと直接攻撃を仕掛けるのだ。

「あとは運を天に任せるのみ……頼むぞ、大和」

 知らず握っていた拳をさらにきつく固め、杉田は遂に号令を下す。

「魔導ダイナモ、始動せよ!!」




「見ろ、天城から大和が切り離されるぞ!!」
《こちらサーニャ・V・リドビャグ中尉。ミーナ中佐へ。旗艦大和が突撃を開始します。ウィッチ隊は空母天城へと通信がありました》
「ありがとう、サーニャさん。――全員聞いたわね? 作戦は完了よ。一時空母天城へ退避します」

 凄まじい激戦だった。区別の上で言えばただの防空戦闘に過ぎなかったというのに、集まった501部隊の皆はまるで撤退線を抜けてきたのかというほどに疲弊しきっていた。武器弾薬は既に底を突き、ユニットの燃料や魔法力も危ない。
 これ以上の戦闘継続が不可能であるのは火を見るよりも明らかだった。

「大丈夫なの、美緒。無理をしないで」
「なんのこれしき。ここでへこたれては部下に示しがつかんからな」

 魔法力が減衰し始めた坂本も辛うじてまだ飛行可能だった。ミーナは坂本に肩を貸すと、全員を連れて天城へと着艦する。

「ウィッチ隊が着艦するぞ!!」
「防護柵を全部立てろ!! そう、全部だ!!」
「整備班急げ!! 手の空いているものは負傷者の応急処置に手を貸せ!!」
「衛生兵!! 衛生兵――ッ!!」

 空母天城の甲板は、野戦病院もかくやと言う混沌が支配していた。自力での航行が不可能になった艦から救助された兵士らが担架に乗せて運ばれ、武器弾薬を抱えて走る整備兵と応急処置に駆けつける衛生兵らがひっきりなしに行き交っていた。

「ミーナ中佐、ご無事でしたか」
「501部隊、帰還しました。いったい何事かしら?」
「はっ!! 杉田艦長より伝令を預かっております。 ウィッチ隊は艦内で休息し、万が一の再出撃に備えよ、と」

 それだけ言うと、伝令を預かって来た水兵は再び負傷者の救助へと駆け戻ってしまった。

「わ、わたしも治療のお手伝いなら……!!」
「ダメです宮藤さん。これ以上の魔法力消耗は命に関わります!!」
「離して和音ちゃん!! わたし、行かなきゃいけないの!!」
「落ち着くんだ宮藤。扶桑の海軍は優秀だ。これくらいの事で音を上げたりはしない。今は彼らを信じるんだ」
「坂本さん……わかり、ました……」

 ユニットを艦内に格納し、もはや甲板の上から作戦の成否を見守るのみとなった和音たち。
 そんな彼女らの前で、大和の機関部からすさまじい駆動音が響きだす。地鳴りかと思うほどのそれは、まさしく魔導ダイナモが起動した合図に他ならなかった。

「おい、大和がネウロイ化していってるぞ!!」

 いち早く気がついたシャーリーが大声を上げると、501部隊のみならず作業と救出に追われていた天城の乗員らも全員大和の方を仰ぎ見る。

「なんて兵器なんですの……」
「見ろ見ろサーニャ!!」
「もう見てるわ……」
「これが扶桑海軍の本気と言う事か……!!」

 唖然として見守る彼ら彼女らの前で、雄々しく勇壮な大和の船体が黒光りするネウロイのものへと変動していく。機関部から始まったそれは、艦橋を覆い、主砲をも変貌させ、遂に艦首から船尾までを完全にネウロイ化させた。

「これが、かつての扶桑海軍……オペレーション・マルスの本当の姿……」

 呆然と大和を仰ぎ見て呟く和音。遥か五十年後の扶桑では、作戦の成功を酷く脚色・捏造した歴史を流布していた。敵の力で勝ったことを隠蔽し、大和が捨て身の砲撃作戦を敢行して辛くも勝利したことになっているのだ。
 その実態を、いままさに和音は自分の目に焼き付けているのだった。






「魔導ダイナモ起動完了!! 各部異常なし。大和のネウロイ化、完了しました!!」
「暴走の危険はなし。艦長、ご命令を」
「………………」

 ついに訪れたその時。もはや突貫あるのみとなったそこで、杉田はわずかな追憶に目を閉じた。遠く欧州の海で幾度も戦い、そのたびに501統合戦闘航空団に助けられてきた。ここロマーニャを守って来たのも彼女らであることを、現場に立つ杉田は誰よりも理解している、
 ――だからこそ、ここで決着をつけるべきなのだ。
 終わらない戦いに勝利という形で終止符を打つべく、今ここで決断するときなのだ。

「――離水上昇急げ!! これより大和は敵ネウロイの巣へと単独突撃を敢行する!!」
「了解ッ!!」
「全艦へ通達。十六点回頭し後方へ離脱。大和の砲火に巻き込まれるなと伝えろ!!」
「大和、離水上昇開始!! 敵ネウロイの巣との距離、およそ1,000!!」
「扶桑海軍の強さを思い知らせてやれ……!! 大和、最大戦速で突撃せよ!!」






 その威容を果たしてどう形容するべきか。
 今目の前にあるこの光景が、紛れもない現実であることを受け入れられた人間がどれだけいただろうか?

「嘘だろ……?」
「戦艦が……空を飛んでいるだと!?」

 天を突き崩すかのような唸りをあげて加速した大和は、進路をネウロイの巣へと取って突撃を敢行。そしてあろうことかその巨体を宙に舞わせたのである。
 宙に浮く敵の拠点を叩くにあたって飛行能力が求められたのはうなずける。しかし、それを戦艦に実装しようなどと考える人間が有史以来果たして存在しただろうか?
 驚天動地の絶景を前に、誰一人として言葉を発することができなかった。

「すごい火力だ……あっという間に敵陣に切り込んでいくぞ」
「扶桑の海軍はデタラメだ!!」
「これならきっと勝てます!!」

 いよいよもって猛然と突貫していく大和は、全周から襲い来るネウロイを対空砲火で叩き落として驀進する。如何なる攻撃に晒されようとも、世界最強の誉れも高き大和は毛ほども傷をつけず、あまつさえは強力な再生力をもって敵陣を強引に突き進んでゆくではないか。

「これが、戦艦大和……」

 もはや手の届かない敵陣深く入り込んだ大和は、砲火の大輪を咲かせながらなおも巣へと突き進む。見ているこちらが恐ろしくさえ思えるほどの捨て身の突貫は、しかし確実にネウロイの戦力を削っていた。





「やりました艦長!! この作戦、我々の勝利です!!」
「うむ。ネウロイ化した大和は無敵だ。奴らの鼻っ柱をたたき折ってくれるわ!!」

 会心の手応えを得て喝采を上げる天城の乗員らに混じり、杉田もまた勝利を確信していた。
 防空を担う程度の小型ネウロイでは大和の進撃を阻むことなどできはしない。よしんば大型のネウロイを繰り出す事ができたとしても――もはや王手だ。

「敵ネウロイの巣まで残り300!!」
「よし、突っ込ませろ!!」

 ついに迎撃を潜り抜けた大和が艦種を高く持ち上げ、激突をも恐れぬ勢いで突き進んでゆく。そして――


 ――――ガアァァァァァァァァンン!!!!!!!!!


「う、うおおおおお!?」
「し、衝撃波だ……ッ!!」

 海面を揺らすほどの衝撃と轟音が辺りを駆け抜ける。それは大和が巣へと激突した反動と衝撃波だった。遥か遠く離れた位置にいる和音たちですら、互いにしがみついていなければ軽々と吹っ飛ばされていたかもしれない。
艦種を突き立てるように巣へと突貫を果たした大和は、今まさに絶好の攻撃チャンスであった。もはや攻撃を阻む障害は何もなく、その一撃で勝負を決することができる、唯一にして最大の好機。
 その好機を、杉田が逃す筈がなかった。

「今だッ!! 主砲最大仰角!! 撃てェ!!」
「主砲、発射ッ!!」

 杉田の命令が主砲の発射を命じ――




「なん――だと……?」
「なぜだ!? なぜ主砲が発射されない!?」

 永遠にも似た一瞬の静寂。戦闘海域に集った全ての人間が固唾をのんで見守った決着と勝利の瞬間は、しかし重苦しいほどの緊張と静寂の向こうに消えて失せた。
 ――大和は、その鼓動を完全に停止していたのだ。

「ダメです!! 衝突の衝撃で魔導ダイナモが故障!! 主砲が撃てません!!」
「…………ッ!!!! なんてザマだッ!!!!」

 血が滲むほど握った拳を渾身の力で叩きつける杉田。烈火の如きその怒りと悔しさはもはや憤死すら危ぶまれるほどに激烈な物であった。千載一遇の機を得ておきながら、事ここに至って肝心の切り札が使えないなど――

「手段は!? 他に手段はないのか!?」

 憤怒と慚愧の念に顔をゆがませた杉田が副官の肩を掴んで揺さぶる。万が一の失敗も許されぬこの状況下での魔導ダイナモの停止。それは、あってはならぬ「作戦の失敗」を意味するものに他ならない。

「こちらからの遠隔操作を受け付けません……艦長、これでは……っ!!」
「なんという失態……ッ!! なんという失策か……ッ!! 天は我々を見離したとでもいうのかッ!!」

 大粒に涙をこぼして機器を手繰る副官も、ついに認めざるを得なかった。
 もはや、人類は勝利する機会を永遠に失ったのだと――
 後悔、絶望、慚愧、悔恨、悲嘆……胸の中を駆け巡るその感情を何と形容すればいいのか。この思いだけで身を内側から焼き尽くしかねない激情が、海域に集った全ての兵士の胸を荒らしまわった。

 ――その時だった。



『まだだ!! まだ終わってなどいない!! わたしが終わらせるものか!!』



 戦闘中の全部隊の通信に響いたその声は、天城の甲板で立ち尽くしていた坂本のものだった。
 もはや敗北が明確となったその中で、しかし坂本の声には未だ勝利を手繰り寄せようとする強い覚悟と決意が溢れていた。

『わたしが大和に乗り込み――魔法力で魔導ダイナモを再起動させる!!』
「なんだと!?」
「むちゃくちゃだ!! 艦長、ウィッチ隊にこれ以上の出撃は無理です!! 撤退の決断を!!」
「むぅ……幾多の犠牲を乗り越えてここまできておきながら……!!!」

 血の滲む拳を握り、杉田はかつてない決断を迫られていた。







「わたしが大和に乗り込み――魔法力で魔導ダイナモを再起動させる!!」

 その宣言は、甲板にいたすべての人間を凍りつかせるのに十分な衝撃を持っていた。

「な、なにを言っているの、美緒……?」
「坂本さん、ダメですやめてください!! これ以上飛んだら坂本さんは……!!」
「そうですわ!! お願いですからやめてください少佐!!」

 悲壮な決意を胸にユニットへ足を通した坂本は、甲板に立ちはだかるミーナと宮藤、ペリーヌの三人、いやそれだけではない。何としてでも発艦させまいと集まった全員に向けて静かに言った。

「……聞いてくれ、みんな。魔導ダイナモが動かない以上、作戦に勝利することはできない。そうすれば、ロマーニャを奴らに渡してしまう。それだけは絶対に出来ないんだ」
「ダメよ美緒!! 貴方を飛ばすことは許さない。これは命令よ、坂本美緒少佐!!」

 分かっているのだ。誰かが再起動させなければ、あらゆる犠牲と努力が水の泡になってしまうことを。
 分かっているのだ。それができるのが、もはや魔法力のない――『犠牲になっても痛手の少ない』ウィッチである坂本しかいないと言う事を。

「絶対に、絶対に坂本さんを行かせはしません!!」
「宮藤さんの言う通りよ。諦めなさい、部隊長命令よ!!」

 刻一刻と状況が悪化していくことは誰もが分かっていた。
 ともすれば身内同士で仲間割れを起こしかねないほどに切迫していたのも無理はなかろう。
 ――だからこそ。
 だからこそ、この場に居た人間の誰もが気がつかなかった。






 ――沖田和音の姿が、いつの間にか忽然と消えていたと言う事に。









「はぁ、はぁ、はぁ……ここが、空母天城の格納庫……」

 全速力で艦内の通路を駆け抜けてきた和音は、肩で息をしながら格納庫の扉を強引に蹴破った。すでに戦闘員以外が退避したそこはもぬけの殻で、運び込まれた機材が乱雑に散らばってるに過ぎない。
 そしてその中に、和音の探し求めているモノはあった。

「ま、こういうのは誰かがやんなくちゃいけないワケだしさ」

 ――F-15J。和音が最も信頼する愛機であり、今も主の帰還を待ち続ける鋼の翼。
 この局面を打破するのであれば、これしかない。

「これがあれば、きっと大和までたどり着ける……」

 ジェットストライカーの力を持ってすれば、大和へ到達し魔導ダイナモを再起動させることも決して不可能ではないだろう。しかし、その場合まず命は助からない。片道切符の特攻になってしまう。
 その恐怖を知ってなお、和音の足は格納庫へと向かっていた。

「この時代に来てから、色々あったよね……」

 鈍い輝きを返すボディに指を這わせながら、和音はそっと呟いた。
 初めてこの時代に来てネウロイと戦った時のこと。宮藤に看病されたこと。あまりの性能に周りをびっくりさせたこと。夜間飛行でサーニャらと話をしたこと。バルクホルンの危機を救ったこと。ロマーニャで買い物をしたこと。たくさんあった。

 そんな大切な思い出をくれた人たちが、今窮地に立たされている。
 ならば、自分のすべきことは何なのか――

「お願い。わたしに力を貸して……!!」

 その声に、物言わぬ機械仕掛けの魔法の箒は何を思ったのか。
 永く使われた物には魂や神性が宿るという考え方が扶桑にはある。いま和音は、確かにこの鋼の翼にそれを感じた。自分の魂の奥に語り掛けてくるようななにかが、戦いの恐怖に折れかけていた和音の心を励ました。

「行くよ相棒――――これが、わたしの最後の出撃だから」

 脚にF-15を通し、肩には坂本から預かった烈風丸を背負う。
 残るすべての武装を無理やり引っ提げると、和音は頭上を塞ぐ昇降エレベーターを照準する。
 まるで励ますように勇ましい唸りをあげたエンジンに微笑みを返しながら、和音はエレベーターを撃ち抜いた。






 力づくでも坂本を引き留めにかかったミーナが転んだのは、甲板を吹き飛ばすような衝撃だった。なにごとかとあたりを見回すと、はるか後方、艦載機の昇降エレベーター付近からもうもうと煙が上がっている。

「いったいなにがあったの……きゃっ!!」

 動転するのはミーナばかりではなく、甲板にいた人間が消火器をもって走り寄ろうとした瞬間、凄まじい爆発が甲板の一部を吹っ飛ばした。

「誘爆か!?」
「マズいぞ……天城が沈んだら乗員が溺れちまう!!」

 おおよそ考えられる最悪の事態に戦慄した全員は、しかし立ち昇る煙の向こうから聞こえてきた声に更なる驚愕を味わうことになった。



「――いやぁ、慣れないことはするもんじゃないですね。甲板を丸っと吹っ飛ばしちゃいましたよ」



 ガコン、と無骨な響きとともに姿を現したのは、ジェットストライカーを装備し、長大なガトリング砲を抱えた和音の姿だった。それだけではない。バルクホルンのパンツァーファウストにMG42、宮藤の13mm機銃まで借用している。いずれも予備として積んであったものだ。
 その威容たるや、一人で要塞戦でもする気なのかというほどである。

「沖田……お前何をしている!! それにそのユニットは――」
「ええ、ちょっと邪魔な天井を壊して出てきました」

 涼しげな顔でそういうと、和音はさも当然と言ったふうに離陸体勢に入る。

「なにをしている沖田!! お前だって魔法力を消耗しているんだぞ!!」
「そうですね……でも、誰かがやらなければならない。違いますか? バルクホルン大尉」
「………………ッ!!!!」

 事ここに至って、ようやく全員が和音の意図を理解した。
 大和へ向けて再出撃しようとしているのだ、と――

「ダメだよ和音ちゃん!! そんなことしたら、和音ちゃんは――!!」
「そうですわ!! 長機を置いて勝手な行動は許しませんわよ!!」
「お願い和音ちゃん。行かないで!!」

 501では常に一緒だった三人に、和音はフッと笑った。
 そう言ってくれる人がいるからこそ、自分が行くのだと言って。
和音だって自分で分かっていた。足が震えてうまく歩けないことも。声が震えていて恐怖を隠せないことも。今にも泣きだしてしまいそうなほど心細いことも。
 ――同時に、自分だからこそできる役であると言う事も。

「わたしなら、確実に大和へ到達できます。――行かせてください、ミーナ隊長」
「ダメよ……そんなの、ダメよ……!!」

 ミーナにだってわかっていた。たとえどれほど止めても絶対に行ってしまうだろうことは。
 それでもなお出撃の許しを請う和音の不器用さに、ミーナは涙を抑えられなかった。

「大丈夫。死んだりなんてしませんよ。ほんの半年とは言え、501の大エースの皆さんに師事してたんですから」

 何も言えず固まっている501のメンバーにそう言って笑うと、和音は今度こそ発艦の体勢に入る。

「――待って、和音ちゃん!!」
「宮藤さん……?」
「50年後だよ」
「え……?」

 今まで見た事もない強い意志の光を宿す目にたじろぎながら、和音は訊き返した。

「わたし、待ってるから。50年後に和音ちゃんが帰ってくるのを待ってるから。だから、ちゃんと帰ってくるって約束して」
「…………」

 がっしりと肩を掴んで言うのは宮藤だけではなかった。ミーナも、坂本も、リーネもペリーヌもみんながそうだった。

「……長機を置いての無断出撃は重罪でしてよ。50年分の始末書を覚悟なさると良いですわ!!」
「あはは……それはちょっと勘弁かな、ペリーヌさん」
「かならずわたし達のところへ帰ってきなさい。これは命令よ。いいわね?」
「ミーナ隊長……必ず、帰ってきます」
「約束は覚えているな? もはや私から言うことは何もない。――生きて戻れ。それがお前の責任だ」
「――坂本少佐、かならず烈風丸を返しに行きますからね」

 一人一人と抱き合いながら、和音は己の決意を新たにした。
思えば、今はじめて自分はウィッチとしての使命に正面から挑んでいるのかもしれない。

「わたし、ずっとずっと覚えてるからね。だからきっと会いに来て……!!」
「もちろんです。ブリタニアにもきっと行きます」

 リーネの優しさに何度助けられたことか。
 抱きしめてもらった温かさは、そのまま彼女の優しさなのだろう。

「オラーシャもきっと復興しているわ。わたしも負けないから……」
「わ、ワタシだってそうだゾ!! いいか、約束だかんナ!! 帰って来いヨ? 絶対ダゾ?」
「ありがとうございます。サーニャさんのピアノ、楽しみにしています」

 そう言って、サーニャとエイラとも和音はギュッと抱き合った。

「……本来なら、こんな時こそお前を救ってやるべきだったのだがな」
「バルクホルン大尉……」
「いつもお前には助けられてばかりだったな。年長者として、なにかしてやれただろうか……」

 こんな時にすら迷い悩む実直さに思わず吹き出しながらも、和音は感謝の気持ちでいっぱいだった。生き延び方を教わり、その戦いを間近で見られただけでも十分すぎる幸福だった。

「大丈夫ですよ、大尉。そういう大尉こそ、50年後にはもう少しジャガイモの皮むき、上手くなっててくださいね?」
「な……っ!?」
「ハルトマン中尉、この堅物でシスコンの大尉をよろしく頼みます」
「もちろん。いつもトゥルーデの面倒はわたしがみてるからさ、安心しなよ。――だから、ちゃんと帰ってきなよ?」
「――もちろんです」

 そして、今まで見た事もない表情を浮かべたシャーリーとルッキーニが進み出た。

「あ、あのさ!! またマリアと一緒にロマーニャに行こうよ!! アタシも頑張ってロマーニャを取り戻すからさ、そしたら、そしたら……っ!!」
「よしよしルッキーニ。よく言えたな、偉いぞ。――なあ沖田、わたしは特に何もしてやれなかったし、助けてもらったことの方が多かったけど、お前は良い仲間だよ。だからさ、かならず無事でまた会いに来てくれ。精一杯歓迎するよ」
「ありがとうございます。シャーリーさん、ルッキーニちゃん」

 世界で最も速く、そして勇敢で、聡明で、母のような慈愛に溢れたシャーリーの事だ。なにがあっても大丈夫だろうし、だからこそ後年も活躍できたのだろう。
 ――これで思い残すことは何もない。あとはただ、己の務めを果たすだけだ。


「――それじゃあ皆さん。また、50年後の世界で」

 和音は後ろを見なかった。後ろを見たら、二度と飛べない気がしたから。
 この時、和音は確証もないというのにただ直感だけで悟っていた。この戦いが終わった時、自分はきっと未来に帰るのだろうと。
その時は、真っ先にこの501の皆に逢いに行こうと、そう固く心に誓って――


「――第501統合戦闘団所属、沖田和音。出撃しますッ!!」

 そこから先は、まさに一瞬の出来事だった。
 轟雷の如き唸りをあげる双発ターボファンエンジンが和音の体を空へと押し上げ、魔法力を全開にした和音の体からは、魔法力の残滓が淡い燐光となって溢れ出ていた。

「はああァッ!!」

 流星の如き勢いで蒼天を裂く和音の目には、比喩でも何でもなくあらゆる敵が静止して見えた。音の壁を容易く突き破り、持てる火力の全てを惜しみなくぶちまける。猛然置押し寄せる津波のような大軍勢を跳ね除け、和音は一心に大和を目指した。

(あと少し……あと少し……!!)

 今となっては惜しむ必要もないミサイルを全弾ぶちまけて前途を阻むネウロイを一掃し、なおも追いすがる残党をバルカンの斉射で薙ぎ払う。鬼神の如きその戦いぶりは、宮藤や坂本らの目にもはっきりと焼き付いた。

「邪魔を……するなッ!!」

 大和への到達を阻止せんと溢れ出るネウロイを烈風丸の抜き打ちで斬り捨てると、和音はそのままの勢いで大和の艦橋を突き破って内部に侵入する。そこはまさに魔導ダイナモの中枢であり、これを再起動させることこそが勝利への条件だった。

「いくぞ……!!」

 手にした烈風丸を魔導ダイナモに突き立てると、和音は渾身の魔法力を流入させる。
 意識が何度も飛びそうになり、そのたびに唇を噛んで引き戻す。一体どれだけの魔法力を注ぎ込んだかわからなくなったその時、魔導ダイナモの炉心に灯が入った。

「そう、いい子だからそのままだよ……」

 再び鼓動を開始した大和は、遂にその主砲をネウロイの巣へと突きつける。
 エンジンの出力が臨界へと達するその直前、和音もまた艦橋の外に躍り出て烈風丸を振りかぶっていた。

(これで、全てが終わる……!!)

 もはや絞りかすも同然の魔法力を全て烈風丸に注ぎ込む。
 大口径の主砲の斉射と、超至近距離からの魔力斬撃による多重攻撃。さしものネウロイもこの威力には耐えられまい。

「あああああああああああああ!!!!」

 遂に刀剣としての形状を視認することすら叶わなくなるほどの眩い魔力光に包まれた烈風丸を、和音は大上段に振りかぶる。
 そして――


「はあァッ!!!! 烈風斬――――ッ!!!!」

 光が奔る。風が唸る。
 天が吼え、地が叫び、海を揺らすほどの凄まじい光と衝撃が全てを覆い尽くした。
 解き放たれた渾身の魔力斬撃と大和の一斉砲撃がネウロイの巣を丸ごと呑み込んでゆく。
 凄まじい爆圧が何もかもを吹き飛ばし、海水すらも沸騰してゆくほどの光の奔流の中で、ヴェネツィア上空を占拠していたネウロイの巣は今度こそ完全にそのコアを無機質な破片へと変じさせたのだった。
 そしてその光の中で、和音は声もなくまばゆい光に身を委ねていた。

(ああ――この光は……)

 希望か、羨望か、あるいは憧憬か。
 戦場に集う全ての兵士たちが求めてやまない勝利と安息。それを具現うる勝利の輝きを、いままさに和音は己の手で解き放ったのだ。
 この上ない勝利の確信に、和音はそっと唇の端に笑みを浮かべた。

「それじゃあみんな――また、50年後に……」

 大切な仲間に向けた呟きがカタチになるよりも早く、爆発の衝撃と光が和音の意識を真っ白に蒸発させていった――
 
 

 
後書き
これにて本作は完結。本当にありがとうございました。

読んでくれていた方がどれだけいたかは分からないですが、SS一本完結させるのもなかなかに苦労のいることですね。エタらないようにするのもなかなかどうして大変です。
オリ主にしたところで、見方によっては完全にメアリ・スーになっちゃってますしね・・・(大反省)
あとはお約束の後日談を挟むかもしれません。というか挟みます(汗)

それではまたどこかで。
今までありがとうございましたm(__)m 

 

第二十二話 五十年後

 
前書き
これにて本作は完結です。
やや中途半端な感が否めないのですが・・・そこは許して!!

今までお付き合いくださり本当にありがとうございましたm(__)m
次に何をかくかは未定です。やるとしたら短編集かなぁ・・・艦これとかの(汗) 

 
「う――ん……?」

 瞼の向こうに眩しい光を感じて、わたしはうっすらと目を開けた。
 真っ白い天井が目に入り、頬を柔らかい風が撫でていくのを感じる。

「ここは……いったい……?」

 白一色で統一された無機質な個室にわたしは寝かされていた。ベッド横の窓からは、太陽の光がこれでもかと射し込んでいる。壁にかかった時計の秒針だけが音を発していて、それ以外はまるっきり無音で無個性な場所だった。

「わたしは一体どうして――っ!!」

 身体を起こそうとした途端、信じられないほどの脱力感と気持ち悪さに襲われた。たまらずベッドに体を戻したところで、わたしは初めて自分の腕に点滴の管が刺さっていることに気がついた。――どうやらここは病院らしい。

「わたしはネウロイの巣を攻撃して、それから……それから――――?」

 まだ覚醒しきっていない頭を必死で回転させ、混乱する記憶を引きずり出す。そうだ。わたしは天城から出撃して魔導ダイナモの再起動に成功し、ネウロイの巣をこの手で叩き斬った……はずだった。

「そうだ、宮藤さん達は……ッ痛!!」

 記憶を辿ろうとすると激しい頭痛に襲われて、わたしはベッドから転げ落ちてしまった。弾みで腕から点滴の針が抜けてしまい、点滴のパックを吊るしていた台ごと床に倒してしまった。

「あうっ!!」

 思いっきり額を床に打ち付けてわたしは呻いた。物凄い音が聞こえたのか、ドアの向こうがにわかに騒がしくなって看護婦のような人たちが雪崩れ込んできた。

「沖田さん!? 意識が戻ったのね!! 先生!! 先生!! 501号室の沖田さんが意識を取り戻しました!! 先生――!!」
「大丈夫? 一人ではまだ立てないわね……ここに掴まって」
「替えの点滴を急いでお願い。それからご家族と部隊の方にも連絡を」
「分かりました。すぐに用意します」

 白衣を着た看護婦さんたちにもみくちゃにされ、わたしはベッドに戻された。
 そして、看護婦さんたちの会話を聞いてわたしはようやく悟った。







 ――ここが1945年のロマーニャ基地ではないと云う事に。









「運び込まれた時はもうダメかと思いましてな……」

 嵐のように次々とやってくるお医者さんや看護婦さんたちに言われるまま、わたしは舌を出したり、目にライトを当てられたり、体温や血圧、脈拍を測られたりした。それらがすべて終わってようやく、わたしは自分の主治医をおぼしきこのおじいちゃん先生と一対一で話をすることができた。
 まだ歩くことはおろか立つことさえままならないので、わたしは個室のベッドに横になったまま、先生が座った状態である。

「なにしろ意識はない上に脈も血圧も微弱でのぅ。容体が安定した後も一向に目を覚まさんもんだから、植物状態なのかとすら言われておったわい」
「そう、ですか……」

 わたしはそこで、この老医師から事の顛末を聞く事ができた。

 リベリオンの部隊と合同訓練が行われたあの日、訓練を行っていた空域に突如として奇妙な霧が発生して、わたしはそこで通信が途切れてしまったらしい。霧が晴れてからも捜索は続いたが結局見つけることはできず、そのまま行方不明扱いになったのだという。

「親御さんもそのうち面会にいらっしゃるだろうが……なにか伝えることはあるかね?」
「いえ、特には何も……」

 事態が急展開を迎えたのは、事故発生から数えてちょうど十日後の事であったという。付近を哨戒していたウィッチが偶然海面を漂う不審物を発見し、その場で回収したところ、もはや原形を留めないほどに損傷したF-15であることが分かったのだそうだ。
 その後、事故との関連を調査するために付近の海域をくまなく捜索した結果、意識を失ったまま漂流するわたしを見つけ、病院に搬送されたということらしい。
 以上が今日より二週間ほど前の事だから、事故直後から計算すれば、わたしは正味一月ほども意識を失っていた計算になる。

「それからな、忘れるところじゃったが、お前さんを発見した時に一緒にこんなものを見つけたらしい。心当たりはあるかね?」
「…………?」

 そう言って老医師が差し出した写真に写っていたのは、引き揚げられ解体されたわたしの愛機と、刀身が半ばから折れてしまった一振りの刀だった。その刀の名前を、わたしは知っている。――『烈風丸』最後の出撃に際して預かった坂本少佐の愛刀。変わり果てたその姿に思わず息を呑んだが、わたしはどうにか答えを返した。

「……ええ、わたしの、大事な愛刀ですので……できれば誰にも触らないように、お願いします」
「ほほ、そうかそうか。ではそう計らうとしよう」

 絞り出すように答えを返したわたしは、やっとの思いでその写真を医師に突き返した。
 それ以上写真を見ていると、もうどうにかなってしまいそうだった。

「当分は絶対安静じゃの。リハビリはウィッチであってもそれなりに大変じゃ。あまり無理はせんようにの」

 そう言って、老医師はわたしの病室を出ていった。
 誰もいなくなった病室に一人取り残されたわたしは、痛いほどの静寂の中で改めて実感した。
 ここは既に慣れ親しんだロマーニャの自室ではなく、あの激しい戦いの最中にあった1945年の夏ですらない。今自分は1995年の現代へと引き戻され、どこまでも無機質で寂しい病院のベッドの上にいるのだ、と――。

「帰って、きたんだ……」

 ベッド脇に吊るされたカレンダーの日付は、1995年の4月15日だった。
 喜んでも良い筈だった。あの戦いを生き抜き、五体満足で再び自分の時代に帰ってこられたのなら、それは間違いなく奇跡なんだから。だけど、わたしの胸に真っ先に湧きあがった感情は、喜びでも安堵でもなく――寂しさと郷愁だった。
 『本来自分がいるべき場所』にあって郷愁も何もあったものではないはずなのに、ただ無性に寂しかった。

「逢いたいな……みんなに……」

 起き上がることもままならない体を恨めしく思いながら、わたしはそっと目を閉じた。








 わたしが意識を取り戻してからは、時間が流れるように過ぎて行った。
 家族は何度も面会に来たし、部隊の同僚や隊長も見舞いに来てくれた。精密検査や健康状態の把握、リハビリなども始まったおかげでずいぶん忙しくなり、何も考えずとも日々が過ぎて行くのは、ある意味では救いだったかもしれない。

「こんにちは――って、またご飯残したんですか? ちゃんと食べないと回復しないんですよ?」
「……いいです。別に、必要ないですから」
「まったくもう、ホントに頑固なんだから……」

 宮藤さんのご飯なら、きっともっと美味しかった。
 そう思うわたしは、味気ない病院食に手をつける気にもなれず、いつも完食せずに残してばかりいた。多少食べなくたって死にはしない。自分でもわかるほどに投げやりになっていたと思う。
 そんな生活に変化が訪れたのは、わたしの意識が戻って一週間がたった、ある日の事だった。









「ない……こっちにもない……どうしてなの?」

 遺憾ながら入院生活にも慣れてきたその日、わたしは看護婦に頼んで持ち込んでもらった本を片っ端から読み漁っていた。その本というのも、『オペレーション・マルスの真実』とか『第501統合戦闘航空団~栄光の軌跡~』あるいは『世界のウィッチ名鑑』だとかいう物ばかりで、わたしはその本の中にある501の記述についてあるものを探していた。
 ――すなわち、自分の痕跡である。
 最後の出撃の時、あのひとたちは必ず帰ってこいと言ってくれた。決して忘れないとも言ってくれた。だというのに、後世に残された記録や証言の中に、わたしの存在を証明するものは何も残ってはいなかった。まるで、始めからそんな人間など存在しなかったとでも言うように。

「そんな……」

 都合六冊目となる本を投げ出して、わたしは顔を両手で覆った。
 あの日々の全てが嘘のように消えていたことが信じられなかった。しかし、その一方で冷徹なほどに現実を見つめている自分もいた。
 そもそも、わたしがこの時代に帰って来たということは、時間が、ひいては歴史そのものが「本来の形」に戻ったと言う事ではないのか。だとするならば、異分子に過ぎない私の存在が歴史の修正力によって消去されていたとしても、それはおかしくもなんともないのかもしれない、と。

「沖田さん? 隊長さんが面会にいらっしゃってますよ」
「あ、そうですか……」

 軽いノックをしてドアを開けた看護婦の声で、わたしは思考の縁から意識を引きもどした。隊長が面会に来たというのであれば応じないわけにはいかない。わたしは簡素な診察衣の襟元を整えて待った。ややあってから廊下の奥から足音が響いて、わたしの病室の前で止まった。

「どうぞ。あいています」
「……失礼するぞ」

相手はやはり隊長だった。見舞い品の果物籠をベッド脇のテーブルに置くと、隊長は小さな椅子に腰かけて大きく溜息をついた。普段は滅多にそんな様子を見せないから、わたしはそれが少しだけ意外に見えた。

「久しぶりだな、沖田。身体の方はもういいのか?」
「隊長……すみません。ご心配をおかけしました」
「気にするな。お前が無事ならそれでいい」

 こうしてみると、隊長も意外と坂本少佐に似ているかもしれない。綺麗な黒髪を一つに束ねて、男勝りな口調で話す隊長の姿がそのまま坂本少佐に重なった。

「部隊の皆も心配している。今は回復に専念しろ」
「了解です。……あの、その荷物はなんでしょうか?」
「ん? ああ、これの事か」

 やや疲れの見える顔で隊長は言うと、持ってきた紙袋を掲げて見せる。パンパンに膨らんだそれは、どうやら私宛のものらしい。

「今日はお前に渡す物があって来たんだ。随分と量があるが、いいか?」
「え? ええ、構いませんが……」

 殺風景極まる病室だ。むしろ持ち込んで貰える物がある方が賑やかでいい。
 そう思ったわたしは、隊長が抱えてきた紙袋を受け取った。チラッと中を見てみると、千羽鶴や色紙、タオルや替えの下着などがこれでもかというほど入っていた。多分部隊の皆がわたしを心配して送ってくれたんだろう。入院生活で必要なものが一通り入っていた。

「わたしも上との連絡が忙しくてな。あまり長居はできないんだ。また来るよ」
「はい、今日はありがとうございました」
「きちっと回復して早く復帰しろよ」

 面会時間にも制限はある。それだけ言うと、隊長は外で待っていた看護婦に会釈をして帰っていった。きっと事後処理なんかで忙しくしているんだろう。

「――ああ、もう一つ大事なことを忘れていたよ。ほら、これだ」
「わ、わわわっ!?」

 去り際に後ろ手でドアを閉めかけた隊長は、急に何かを思い出したように立ち止まると、掌大の小包を放って寄越した。慌てて受け取ってみると、見かけによらずそれなりに重さがある。綺麗なラッピングがしてあって、ご丁寧にわたし宛に名前まで書いてあった。
 何ともおかしなことに、流麗な筆記体で書かれたわたしの名前は、扶桑語ではなくてブリタニア語であった。

「今開けてもよろしいですか?」
「ああ、構わないよ。それくらいの時間ならわたしにもある」

 隊長はそう言ってドアに寄り掛かった。
 わたしは貰った紙袋を毛布の上に置くと、中身を取り出して並べてみた。言葉通り随分な量が入っていたので、わたしのベッドはあっという間にものだらけになってしまった。

「これが千羽鶴で、こっちは替えの下着、タオルにティッシュと、これは歯ブラシか……わ、ラジオまで入ってるし。えーとあとは――」

 ゴソゴソと紙袋を漁りながら荷物を広げていると、最後に小さな封筒が出てきた。
 差出人も宛先も書いていない。とすると、親か誰かからの手紙だろうか?

「その手紙なんだがな、上のお偉いさんがその小包と一緒に送ってよこしたんだ。始末書か、はたまた召喚状かとヒヤヒヤしたんだが、どうもそうではないらしい。ま、お前宛ての物をわたしが開けるわけにもいかないだろう? せっかくだから開けてみてくれ」
「なるほど、そうだったのですか」

 隊長より上の人間――というと全く面識も心当たりもなさ過ぎてまるで見当がつかないが、ともかくあまりうれしいものではないだろう。手紙の封筒なんか白一色だし、無機質なことこの上ない。たぶん事故についての詳しい調査とかをされる旨が書いてあるんだろう。
 そう思ったわたしは、特に何の気構えをすることもなくその小包を開いた。
 すると――

「これは、その……オルゴール、ですか?」
「うむ、オルゴールのようだな。それもかなり凝った造りの」

 包みの中身は、小さなオルゴールだった。シックな木材の箱の中に演奏器が入っている。隊長の言う通り随分凝った造りだ。よく見ると、木箱自体にも何か掘り込みがされているようだった。

「ふぅん。お偉方にも粋な奴ってのはいるものだな……ま、わたしはそろそろ行くよ。沖田、あまり看護婦の手を焼かせるなよ?」
「な……っ!?」

 最後にそう言って手を振ると、今度こそ隊長は帰っていった。
 再び静かになった病室で、わたしはもう一度オルゴールを眺めてみる。

「綺麗だな……」

 まだどんな曲を奏でるのかはネジを巻いてみないと分からないけど、外装だけでも随分な凝りようだ。上の人間が一兵卒に過ぎないわたしに送るものとしてはやや行き過ぎな感さえある。

「……ん?」

 そこまで考えた時、わたしは木箱の掘り込みがいつかどこかで見たような気がしてハッとした。
 あわててカーテンを開け、明るい日差しの下に置いてみる。するとそこには――

「これって……」

 忘れてなんかやるもんか。柔らかな陽光に当てられて浮き彫りになったその模様は、ついこの間までわたしが毎日のように目にしていた大切な部隊章なのだから。

「第501統合戦闘航空団の部隊章だ……」

 澄み切った空の蒼を下地にし、五本の箒が星を描くように交差する構図と、縁を囲むように掲げられた『501 st Joint Fighter Wing』の文字。それは紛れもなくあの第501統合戦闘航空団の部隊章であった。
 震える手でオルゴールの蓋を開けると、わたしは何度もオルゴールを落としそうになりながらネジを巻いた。十分に巻いたところで手を離すと、オルゴールはその身に刻まれた音色を静かに奏で始めた。

「そんな……この曲って……本当に……?」

 『リリー・マルレーン』かつて夕焼けに燃えるロマーニャの広場でサーニャさんとミーナ中佐が披露してくれたあの曲。いまオルゴールから溢れ出てくる音色はまさしく『リリー・マルレーン』に違いなかった。それだけではない。この独特のアレンジは、サーニャさんの演奏にしかなかったはずのものだ。
 わたしは一緒に送られてきたという封筒を探し、ゆっくりと封を切った。果たして、封筒に入っていたのはすっかり色褪せてしまった一枚の写真だった。
 今時あり得ないモノクロの写真は、しかしわたしが探し求めてやまない確かな証だった。

「ここに、いたんだ……」

 ようやく見つけた確かなつながりと証に感極まっていると、やおら病室の外から凄い足音が聞こえてきた。まったく、病院の廊下を爆走するなんて一体どこの大馬鹿者なん――

「お、沖田さん!? お見舞いの方がいらしてますよ!? なんかもう下はいろいろ大変なんですから!! しっかりしてください!!」
「は、はいぃ!?」

 あろうことか、やって来たのは病院の看護婦だった。ナースハットはズレズレだし、スカートの裾も乱れまくっている。一体何がどうしたらここまで慌てられるのか不思議なほどだった。

「来るなら来るとどうして言ってくれないんです!? あぁ、サインいただけないかしら……」
「え? ちょ、あの、なにがなんだかさっぱり――」
「ええ、ええ。大丈夫です。すぐにお連れしますから、待っててくださいね!!」

 むしろ貴女が大丈夫なのかと言いたかったが、看護婦は来たときと同じようにハリケーンのような速さで去ってしまった。呆気にとられてポカンとしたまま硬直していると、またしても廊下の奥から大勢の足音が聞こえてくる。
 それも四、五人というレベルではない。おそらく十人以上いるだろう。すわヤクザの討ち入りかとわたしは焦ったがどうすることもできない。ひとまずベッドの上の荷物を脇へ退け、襟元や寝癖などを撫でつけてみる。
 そうこうしているうちに足音はどんどん近づいてきて、遂にわたしの病室の前で止まった。
 一瞬の静寂があってから、控えめなノックの音がする。

「ど、どうぞ!!」

 妙な緊張のせいで声が裏返ってしまったけれど、わたしは誰とも知れない来客に向かってそう言った。そして――













「――まったく、なんて情けない顔をしとるんだ沖田!! 気合を入れんか、気合を!!」






 そこに、居た。
 夢でも幻覚でもなく、確かな現実としてその人はたっていた。
 その眼光も、思わず居住まいを正してしまうその一喝も。全てがあの時のままだ。

「坂本――少佐……?」
「なにぃ? まさか分からんとでも言う気か? 主治医からはもう回復したと聞いていたが、どうもまだ気合が足りていないらしいな」

 扶桑空軍の制服に身を包み、トレードマークであった眼帯を外した坂本少佐がそこにいた。
 病院の中だというのに竹刀をもって、多分口答えをしたら叩かれてしまうだろう。

「まったく、少し見ない間に随分腑抜けたらしいな、沖田」
「あ、あの!! その……なんていうか……ええっと……」

 言いたいことはたくさんあった。伝えたいこともたくさんあった。
 なのに、その全てが同時に口から出ようとして結局上手く喋れない。もどかしさに息苦しささえ覚えたその時、開けっ放しになっていたドアから続々と人が入って来た。


「――ダメよ美緒。まだ病み上がりですもの。それに、病院で大声を出してはダメでしょう? ね、宮藤さん」
「そうですよ坂本さん。どうしていつも部下のお見舞いで怒鳴るんですか。もう……ここはわたしの病院なんですよ?」

 五十年。その年月は果たして長かったのか、そうでなかったのか。
 頭髪に白いものが混じり、顔に皺を刻むようになってなお、かつての風格と優しさは微塵も消えてなどいなかった。

「ミーナ中佐……宮藤さん……」
「ウフフ。今はもう中佐ではないのよ。なにしろ五十年も経ってしまったんですもの」
「ミーナ隊長ぜったい一人だけ歳とってないですよね……和音ちゃん、お久しぶりです。宮藤芳佳です。……わかるかしら?」

 美魔女という言葉がそのまま当て嵌まるようなミーナ中佐。聴診器を首に下げた宮藤さん。希望通りお医者さんになって――そうか、わたしは宮藤さんの病院に入院していたのか。どうりで白衣を着て聴診器を持っているわけだ。

「五十年の間に随分変わってしまったものね。分からなくても仕方がないわ」

 すこし寂しそうに笑って、二人はわたしの顔を覗き込んだ。息をすることさえ忘れていた私は、人形のようにカクカクと首を縦に振る。忘れるはずがない。何年経ったってわたしは絶対に覚えている。

「わたしの事分かる? 本当に? ああ、よかった。運び込まれたのがわたしの病院だったのもよかったわね。――みなさん、入って来ても大丈夫ですよ」

 そういうと、次々に懐かしい声が病室に響き渡る。そのいずれもが、かつての雰囲気をそのままに残していた。

「久しいな、少尉。ゲルトルート・バルクホルン元大尉だ。まさか忘れたとは言わんだろうな?」
「五十年ぶりだね、沖田。身体はもういいの?」
「バルクホルン大尉……ハルトマン中尉まで……!!」

 あのころは絶対に着なかったであろう、明るい色のカーディガンを羽織った二人が、柔らかな笑みを浮かべてそっと手を差し出してきた。すっかり皺くちゃになってしまった二人の手は、だけどいつかの温もりをそのまま宿しているような気がする。
 大尉たちだけじゃない。あの時の501部隊の全員が、わたしの見舞いに来てくれていたのだ。

「……エイラ・イルマタル・ユーティライネンだゾ。覚えてるよナ?」
「五十年ぶりね。サーニャ・V・リドビャグよ。覚えていてくれたかしら? オルゴールを送ったのよ」

 そうか、やっぱりあのオルゴールの演奏はサーニャさんのピアノが元だったんだ。スオムスやオラーシャからはずっと遠い国なのに、五十年たった今こうして駆けつけてくれたのか。
 相も変わらず二人はずっと一緒なのかと思うと、わたしは急に可笑しくなった。

「リネット・ビショップよ。和音ちゃん、約束覚えていてくれたかしら?」
「ペリーヌ・クロステルマンですわ。随分無茶な帰還をなさったのね。ニュースで聞きましてよ」
「ペリーヌさん、リーネさんも!!」

 いつか三人で話したように、リーネさんは本当におとぎ話に出てくる優しい魔女のおばあさんのようになっていた。片やペリーヌさんはそのままで、「青の一番」と謳われたあのころから微塵も変わってはいない。貴婦人という言葉がそのまま当て嵌まる高貴さをそのままに、落ち着きと優雅さがさらに深まったような気がして、わたしはおもわず固まってしまった。

「お? なんだわたしが一着かと思ったら違ったのか……。元気か? 沖田」
「お久しぶり。マリアからも手紙を預かったのよ。あとで読んで頂戴。返事を楽しみにしていたもの」

 一番驚いたのはシャーリーさんとルッキーニちゃんだった。
 もう七十歳になろうというのにシャーリーさんは派手なバイク用のジャケットを着ているし、ルッキーニちゃんに至っては口調も髪型もまるで別人だ。さりげなく握手のついでにおっぱいを揉んでくれなければ、きっと本物かどうかわからなかっただろう。

「ここはね、わたしの設立した病院なの。だから和音ちゃんの意識が戻ったってきいて、部隊の皆に連絡してみたのよ。坂本さん以外はすぐに連絡がついたのに……」

 宮藤さ……宮藤先生が優しそうに目をぱちくりさせながら言うと、竹刀を手にした坂本少佐はそっと目を逸らした。

「ふふ。美緒ったらね、もう七十を数えているのに「剣術修行だ!!」なんて言って富士山に行って、そのまま迷子になっちゃったのよ。終いには仙人に間違われたところをようやく見つけて連れ戻したんだから」
(なにしてるんですか坂本少佐……)

 でも、かわっていなくてよかった。そういう坂本さんらしさがそのままであったことに、わたしはとても安堵したのだ。

「わたしも芋の皮むきを練習したぞ。いまならお前にも負けはせんな」
「……嘘ばっかり。トゥルーデはね、退役したあとは保母さんになったんだよ。お姉ちゃん、お姉ちゃんって言われることに喜――っ!?」
「……コホン。ともかくだ。――帰って来てくれてうれしいぞ、沖田」

 その時初めて、わたしは「帰って来たのだ」と実感した。
 だからこそ、今ここで伝えなければいけない言葉がある。

「よいしょ……と」

 今ココに集まった十一人の仲間たちに真っ先に伝えなくてはいけないこと。
 501統合戦闘航空団の一員であったものとして、言わなくてはならないこと。
 一人で立てないのが悔しいけど、わたしはベッドの上で背筋を伸ばした。病み上がりの身でできるせめてもの誠意だ。

「……ミーナ中佐、坂本少佐、それに皆さんも」
「……………………」

この言葉を、ずっと伝えなければならないと思っていた。
いままで五十年もの間、ずっと自分の帰りを待ち続けてくれたかけがえのない仲間に向かって、わたしは精いっぱいの感謝と尊敬の念を込めて帰還を告げた。



「――第501統合戦闘航空団所属、沖田和音。ただいま帰還しました」

 その言葉に、ミーナ中佐たちも踵を揃えて敬礼の姿勢をとる。
 五十年越しのわたしの帰還を、ずっと待っていてくれたのだ。

「――ストライクウィッチーズ、全機帰還を確認。本日現時刻を以て、第501統合戦闘航空団を正式に解散します。……おかえりなさい、沖田さん」












 ――こうして、わたしの長いロマーニャでの戦いは終わりを告げた。
 後日、サーニャさんのコンサートに招待されたりして何度か会う機会があって、その後はみんな自分の故郷へと帰っていった。
 わたしも体が回復した後は部隊に復帰して、訓練に勤しむ毎日を送っている。
 そうそう、わたしが退院するのと同じ日に、坂本さんは軍籍を離れた。
 曰く、「これからは若い連中の時代だ。わたしはそれをここで眺めている」との事らしい。
 その癖道場にウィッチを呼んではシゴキ倒しているのだから、やっぱりあの人は骨の髄まで教官なのだろう。

「そこ!! 隊列乱さないで!! 戦場では一瞬の油断が命取りよ!!」
「は、はいっ!!」

 かく言うわたしも、今は先輩として後輩を指導する立場だ。
 ロマーニャでの実戦経験が功を奏し、わたしの率いる新人たちはそこそこの練度になっている。もちろん私もまだまだひよっこなワケで、これからも精進は欠かせない。
 かつては坂本さん達が戦い、そして今は一線を退いた。
 ならば、今度はわたし達の時代だ。

 先人たちに恥ずかしくないようなウィッチになるため、今日もわたしは小美玉の空を飛んでいる――