子供の相撲


 

第一章

               子供の相撲
 即位した時僅か九歳であった。
 康熙帝、後にそう呼ばれる彼は子供と言うしかない年齢で即位した。当然それでは政治が行える筈もなく。
 満州族の有力は者達が実際の政治を観ることになった、その中でオボイという者が権勢を持つ様になり。
 それでだ、国政を壟断する様になった。
「やはり万歳爺が幼いとな」
「こうなってしまうか」
「まずいな、これは」
「オボイ殿のやりたい放題だ」
「折角清が中原を手に入れたのに」
「それが水泡に帰すかもな」
「オボイ殿が下手をすれば」
 その時はというのだ。
「まことにな」
「一体どうなる」
「オボイ殿を抑えられないか」
「どうしたらいいのだ」
 心ある者達はこのことを憂いた、だが。
 康熙帝を見てだ、皆項垂れた。
「しかしな」
「万歳爺はまだ子供であられる」
「それで何が出来るか」
「せめて成人されるあで何も出来ないか」
「オボイ殿に対しても」
 こう思うばかりだった、そして。
 事実康熙帝は相撲に励んでいた、まだ子供の側近達と日々相撲に励んでいた。皆それを見てこう言った。
「やはりまだ子供であられるな」
「毎日相撲に興じておられる」
「朝から晩まで」
「身体を鍛えられるのはいいことだ」
「そのこと自体はいい」
 相撲に興じること自体はというのだ。
「まことにな」
「まして万歳爺は疱瘡にかかられた」
「命の危機を乗り越えられた」
「そうして即位されたしな」
「それなら尚更だ」
「身体を鍛えられることはいいことだ」
「しかし」
 それで元だ、彼等は思うのだった。
「やはり子供だな」
「万歳爺はまだそうであられる」
「子供では何も出来ない」
「オボイ殿に対しても」
「やはりオボイ殿のやりたい放題は続くか」
「そして国はどうなる」
「この清は」
「折角中原を手中に入れたが」
 どれでもというのだ。
「オボイ殿が私の実に走ると危ういな」
「漢人の数は多い」
「二億もいるのだ」
「それに対して我等満州人は六十万」
「うかうかしていると足下をすくわれる」
「数に負けるぞ」
「今はしかと治めるべき時なのだが」
 専横を極めずとうのだ。
「オボイ殿がああではな」
「また長城の北に戻ることになるか」
「それで済めばいいが」
「果たしてどうなる」
「これでいいのか」
 心ある者達は危惧していた、誰もまだ子供である康熙帝に何かが出来ると思っていなかった。それはオボイも同じで。
 身内の者達に笑って言った、もう歳老いているが体格はしっかりしており顔にも生気がみなぎっている。 

 

第二章

「万歳爺は子供であられる」
「だからですね」
「旦那様に何も出来ないですね」
「左様ですね」
「うむ、何か出来るまでにだ」
 まさにその前にというのだ。
「わしはこの立場を確かにし」
「この清で誰も歯向かえない様にしますね」
「皇族の方であろうとも」
「そこまで至りますね」
「そうなる、では今のうちにな」
 皇帝が子供のうちにというのだ。
「我が一族の地位を確かなものにするぞ」
「わかりました」
「ではその様に進めていきましょう」
「皇室ですら逆らえないまでに」
「そこまでの地位になりましょう」
 一族の者達も頷いた、そして。
 オボイにだ、こう言ったのだった。
「万歳爺は相撲ばかりです」
「それに興じておられるばかりです」
「やはり子供ですね」
「相撲に夢中です」
「相撲は身体を鍛えるからいいが」 
 オボイもこのことを知っていて笑って話した。
「しかしそれだけだ」
「身体を鍛えるだけです」
「他の何でもありません」
「権勢とは何の関係もありません」
「どうということはないですね」
「存分に楽しんで頂く」
 その相撲をとだ、こう言ってだった。
 オボイは康熙帝がまだ子供で相撲に興じてばかりであることに何も思わなかった、彼は自身と一族の地位を盤石にすることだけを考えていた。
 国政は全て彼が仕切り彼なくして清は動かなくなっていた。それを見て誰もがこのままでは清はオボイのものになると思った。
 そしてだ、密かにこう囁いた。
「肝心な時に皇帝がご幼少だとな」
「やはり国は治まらないか」
「先帝陛下が長く生きておられれば」
「まことに残念だ」
「折角明の領地を全て手に入れたが」
「ここでその政を確かなものにすべきなのに」
「万歳爺が子供であられると」
 それだけでというのだ。
「よくないな」
「全くだ」
「やはり肝心な時は万歳爺は確かなお歳でないとな」
「そして確かな方でないと」
「ご幼少ではどうしようもない」
「出来ることはない」
「国も保てない」
「そうなるな」 
 項垂れて言う者が多かった、だが皇帝は子供の側近達と共に相撲ばかりしていた。誰もがこのままオボイが揺るぎない者になると思った。 
 だがある日だ、オボイのところに康熙帝から使者が来て言ってきた。
「相撲にか」
「はい、オボイ様もです」
 使者はオボイに話した。
「来られて」
「観る様にか」
「言われています」
「わかった」
 軽い気持ちでだ、オボイは答えた。
「ではな」
「来られますか」
「万歳爺のお誘いだ」
 表面上は忠誠を誓って答えた。
「ならな」
「来て頂けますか」
「無論だ、すぐに参上する」
「それでは」
 使者は口の端を微かに笑わせて応えた、そうしてだった。 

 

第三章

 オボイは皇帝の相撲を観に行くことになった、周りの誰もそのことについて危ういものを感じていなかった。
「ではです」
「行ってらっしゃいませ」
「何でもないことですし」
「是非」
「そうだな、さてどんな相撲か」
 笑ってだ、オボイは周りに話した。
「観させてもらうか」
「子供でも相撲は相撲です」
「やはり観るべきものがありますな」
「そうだ、だからな」 
 それでというのだ。
「楽しんで観て来る」
「それでは」
「その様に」
「今から行く」
 オボイは安心しきって皇帝の招きに応じた、そうしてだった。
 皇帝が行っている相撲の場に来た、そしてまずは玉座から観戦している皇帝の前に出て拝謁した。皇帝は彼に穏やかな声で告げた。
「よく来てくれた」
「いえ、お招き頂き恐悦至極です」
 礼儀として建前であるがこう返した。
「万歳爺にそうして頂き」
「では今からだ」
 康熙帝、少年である彼はオボイに玉座に座ったまま告げた。
「そなたには観てもらおう」
「相撲をですか」
「いや、違う」
 皇帝は表情がなかった、そのうえでの言葉だった。
「そなたの罪をだ」
「罪!?」
「かかれ」
 皇帝の右手が前に出された、すると。
 それまで相撲をしかつ休んでいた子供達がだった。
 一斉にオボイに襲い掛かった、彼等はまだ子供であったが。
 相撲で鍛えているせいか強かった、その力で群がられ。
 まだ確かな体格であったオボイも為す術もなく押さえられた、そして縛られたが皇帝はその彼に対して告げた。
「まさかと思ったな」
「万歳爺、これは一体」
「朕は考えたのだ、朕がまだ子供であるのをいいことにして好き放題するそなたをどうして抑えられるか」 
 皇帝はオボイに自分の考えを話した。
「そして信じられる者を集め相撲をさせた」
「まさか」
「そのまさかだ、朕が相撲ばかりに興じてだ」
「政に興味がないと」
「そう思わせてだ」
 そしてというのだ。
「そなたを油断させこうして来たところでだ」
「相撲で鍛えた者達で、ですか」
「そなたを捕らえようとな」
「そうでしたか」
「そこまでとは考えていなかったな」 
 オボイに対して問うた。
「とても」
「その通りであります」
「迂闊であったな、ではそなたを裁く」
 専横を極めた彼をというのだ。
「覚悟はいいな」
「こうなっては致し方ありませぬ、ただ」
「ただ、どうした」
「その若さでそこまでお考えで為されるとは」
 オボイは康熙帝の顔を見上げて言った。
「どうやら万歳爺はかなりの方ですな」
「そう思うか」
「はい、そして清は」
 王朝はというのだ。
「安泰ですか」
「これからはこの国は朕が治めるがな」
「どやから清に憂いはないですな」 
 オボイは皇帝に言った、そうしてだった。
 観念したまま裁きを受け獄死することになった、その後で。 
 清は康熙帝の統治の後で三藩の乱が起こっても平定しそれからは繁栄の時を迎え以後雍正帝乾隆帝へと続く長い黄金時代を迎えた。 
 清の繁栄はこの時にはじまった、全ては康熙帝がオボイを捕らえた時からだ。それはこうした話であった。
 相撲にかまけるふりをして油断させその相撲で鍛えた者で捕らえる、それが康熙帝がしたことであった。彼の六十一年に渡る長い治の繁栄を思えばこれはまさにはじまりであったが彼ならではと言えるであろうか。中国の歴史の一幕である。


子供の相撲   完


                2021・10・12