塹壕の中で


 

第一章

                           塹壕の中で
 塹壕の中は今日も何もない。退屈な日々だった。
 フランス軍の兵達は浮かない顔でこんな話をしていた、寒さはコートで凌ぎ硬くなったパンをかじりながらだった。
「なあ、この戦争何時終わるんだ?」
「確か木の葉が落ちるまでとか言ってたよな」
「ああ、そんな話だったよ」
「それがどうだよ、今もじゃないか」
 こう不平を漏らすのだった。
「戦争はまだ続いてるぜ」
「死んだ奴も多いしな」
 兵士の一人がちらりと塹壕の向こう側に顔をやる。そちらには。
「ジャガイモ野郎にやられてな」
「あいつ等も随分死んでるけれどな」
 別の兵士が言った。
「まあ何ていうかな」
「嫌な戦いだよな」
「全くだよ」
 こう言ってぼやくことしきりだった。
「雨が降れば腰まで泥に浸かってな」
「水出すのも大変だよな」
「土は濡れてそこからも汚れてな」
 泥だらけになるのは言うまでもない。
「しかも飯はまずいしな」
「何だよこのパン」
 その硬いパンにも不平が出る。
「硬いな」
「しかもバターもないしな」
「ワインもないぜ」
 フランス人にとって必要なものがかなり欠けていた。
「水しかないぜ」
「おいおい、食事の時に水なんて飲めるかよ」
「全くだぜ」
 彼等はこのことに対して不満を次々に述べた。
「食事中に水を飲むのはアメリカ人か蛙だけだよ」
「俺達は蛙じゃねえよ」
「しかも肉もな」
 一応肉はあった、だがそれは。
「えらくしなびた燻製だな」
「こんな燻製イギリス人でも食わねえよ」
「しかもチーズも硬いしな」
「ライムも古いぜ」
 あるものもそんな有様だった、塹壕の中は食事も劣悪だった。
 彼等はその硬くまずい、しかも冷えた食事を口の中に無理矢理押し込んでからまたぼやく調子で話をした。
「長い戦争になってるしな」
「とりあえず今は戦線が膠着してるからいいか」
「最近戦闘もなくて死ぬ奴もいないしな」
「ここで雨とまずい飯の相手をしてやるか」
「今のところはな」
 不満を自分達で打ち消してそれで終わった、そしてだった。
 彼等は夜も昼も塹壕の中にいた、そこで向こう側の敵の動きを見るだけだった。そんな状況が続いていたが。
 冬のある日兵士の一人が同僚達に言ってきた。
「おい、何かな」
「何か?」
「何かって何だよ」
「クリスマスに政府から俺達にプレゼントがあるらしいぜ」
 それがあるというのだ。
「何かな」
「プレゼントって何だよ」
「終戦じゃねえよな」
 まずはこのことが出る、彼等が切実に願っていることだ。
「それかここから出られるのか?」
「塹壕戦も終わりか?」
「いや、戦争は終わらないさ」
 まずこのことが否定された、
「ついでに言えば俺達もこのままだってよ」
「ちぇっ、何だよそれ」
「全然よくないよ」
「こんな戦争早く終わって欲しいんだがな」
「せめて塹壕だけは出たいんだがな」
 塹壕は彼等にとって全くいい場所ではなかった。水はけは悪く泥だらけになりしかも寒い、いいことは何一つない場所だ。 

 

第二章

 そこから出られないだけで彼等は言うのだった。
「早く出たいな」
「クリスマスだけでもな」
「そしてとにかく戦争が終わって欲しいぜ」
「本当にな」
 彼等はプレゼントのことではなくそちらを言う。その彼等にだ。
 その兵士はこう言った。
「クリスマスだから特別な差し入れがあるらしいな」
「へえ、そりゃ何だ?」
「煙草かい?」
 今実際に煙草をすっている兵士の言葉だ。
「こんなしけた煙草が一日で四本か五本だけれどそれが十本になるのかい?」
「ああ、煙草な」
「俺はそれでも嬉しいぜ」
 この兵士は煙草の煙をくゆらせながら言った。
「正直なところな」
「煙草な」
「それか?」
「まあ煙草も差し入れられるんじゃないのか?」
 伝えに来た兵士もこのことは否定しなかった。
「やっぱりな」
「それだったらいいけれどな」
「とにかく差し入れはそこそこあるみたいだな」
 こう同僚達に話す。
「とりあえずはクリスマスになってからだな」
「何が差し入れられるか」
「それはか」
「それまでに何もないといいな」
 兵士達は無意識のうちに塹壕の向こう側にいる敵の陣地を見た。銃弾一つ出ない膠着状態が続いてはいる。
 だがその膠着が破れればどうなるか、彼等はこのことを考えたのだ。
「とりあえずな」
「だよな、クリスマスまではな」
「その差し入れがあるまではな」
「平穏であってくれよ」
 彼等は切実な顔で願った、冬は戦場でも進んだ。
 そしてそのクリスマスになった、幸いそれまではだった。
「こっちの攻勢も向こうの攻勢もなかったな」
「まあ平穏だったな」
「雪は降るし寒いけれどな」
 見れば戦場は一面銀世界だ、塹壕の中は一層いづらい場所になっていた。
「それでも皆生きてるな」
「無事で何よりだな、とりあえずは」
「全くだぜ」
 とりあえずこのことは喜んだ、そしてだった。
 彼等はそのクリスマスに何が差し入れされるかを話した。
「それで何が来るんだろうな」
「煙草か?」
 煙草好きの兵士は今も吸っている。しけているだけでなく根元まで短くなっているがまだ何とか吸っている。
「十本でも貰えるのかね」
「最近煙草の配給数も減ってるしな」
「パリに行ってもまともなのないらしいぜ」
「イギリスじゃものが切符で手に入れる様になったらしいしな」
「パリも今じゃ何もないらしいな」
「そんなのだからな」
 煙草も質の悪いものがさらに減るのも当然だった、そしてそんな中では。
「差し入れ、プレゼントもな」
「知れたものだろうな」
「それで何だ?硬いパンが少し柔らかくなるのかよ」
「一体何が来るんだよ」
 彼等はあまりというか殆ど期待していなかった。この状況では届けられるものもたかが知れているとしか思えなかったからだ。だからある意味達観していた。
 その彼等にプレゼントが届けられた、噂のそれが。
 それが何かと見ると彼等にしては意外なものだった。
「おいおい、これはまたな」
「意外っていうかな」
「政府も奮発してくれたな」
「こんなもの差し入れてくれたのか」
「ああ、凄いな」
 最初にこの話を彼等に伝えた兵士も言う。 

 

第三章

「クッキーかよ」
「チョコレートもあるぜ」
「それにバターもあるぜ」
「まともな燻製もな」
 肉まであった。しかもだった。
「すげえ、ワインだぜ」
「ワインもあるぜ」
「何ヶ月ぶりだろうな、ワインを見るなんてな」
「ああ、本当になかったからな」
 彼等はそのワインのボトルを見て目を輝かせていた。戦場では最初からなかった様なそれが届けられたのだ。
 兵士達はそのワインを見て言うのだった。
「いいなあ、やっぱり」
「食う時にはこれがないとな」
「それに肉もな」
「ああ、いつもと違ってな」
 普段のかなり質の悪い豚肉ではなかった、七面鳥の肉だ。
 それを燻製にしたものを見てそれで言い合うのだった。
「クリスマスだからだな」
「ああ、それでだよな」
「これもいいな」
「クリスマスっ雰囲気だな」
「しかしな」
 ここでまた言う彼等だった。そして。
 ライムも新鮮だ、こうしたものを食べながら彼等は笑顔になっていた。
 その笑顔でまた言うのだった。
「戦争が終わればずっとだよな」
「いや、パンが柔らかくて美味いものになるからな」 
 まずはパンがそうなるというのだ。
「肉だって燻製ばかりじゃなくて焼いたり煮たりとかな」
「それにシチューかポトフもついてな」
「今なんて薄いスープばかりでな」
「こんなスープでもないからな」
 スープの中には人参や玉葱が結構入っている、しかし普段は今の半分程度しか入っておらず薄いものだ。
 そのまだ薄いスープも見ながら話すのだった。
「もっとな美味いのが出るからな」
「バターもあってな」
「チーズも美味いぜ」
 今のそのコンクリートの様なチーズでもないというのだ。
「戦争が終われば全部食えるからな」
「しかもこんな塹壕じゃなくてストーブのある家の中で食えるんだよ」
 この塹壕こそが不幸の元凶だった、今の彼等にとって。
「戦争が終わればな」
「そう思うと余計に早く終わって欲しいな」
「全くだぜ」
 酒も入って余計に言う彼等だった。
 そのうえで戦争の早期の終結を願っていた、そして。
 兵士の一人でここで言ったのだった。
「サンタクロースへの願いはこれしかないな」
「戦争の終わりか?」
「それだな」
「これしかないだろ」
 こう言うのだった。戦友達に対して。
「今の俺達にとってはな」
「そうだな。戦争が終われば今よりずっと美味いものが食えてな」
 そしてだった。
「塹壕の中じゃなくて家に帰れてな」
「家族もいるぜ」
 夢は膨らんでいく、些細なものであっても。
「しかも戦死する心配もないからな」
「じゃあサンタさんにお願いするか」
「そうするか」
 こう話して実際に夜空を見上げる。夜空は戦場には不釣合いまでに澄み渡っていてそのうえで多くの星達が瞬いている。
 その星達のうちの一つ、皆無意識のうちに一際白く大きなものを見上げてそして願ったのだった。
 戦場の中のクリスマスのことだった、彼等は普段よりは豪勢な食事を楽しみながらそうしてサンタクロースに願った。
「早く戦争が終わりますように」
「一日でも早くな」
 こう祈りを捧げてクリスマスの夜を過ごした。彼等にとって今は普段よりいい一日だった、そしてその普段が終わって日常に戻ることを心から願うのだった。塹壕の中で。


塹壕の中で   完


                   2012・12・2