歴史クロス
歴史書(時系列)
前書き
魔法科高校と繋げるため、fate/の時代が少しずれてます。
どの話も、最初から最後まで読んだことがあるわけではないので、半分以上空想になります。
第一シリーズ(ジャンヌ・ダルク
1412年 ジャンヌ・ダルク 誕生
1424年 ジャンヌダルク(12歳)が神の声を聞く。
1429年 オルレアンにて戦争。
1430年 捕虜になる。
1431年 1月9日 異端審問裁判開始
ポワチエの聖職者とルパンが手を組み、ジャンヌダルクを替え玉と入れ替えて救出。
5月30日 ルーアンのヴィエ・マルシェ広場で、ジャンヌダルク(偽者)の公開処刑。
第一・五シリーズ(空白期
ジャンヌ処刑以後、魔女狩りの時代が続く。
1700年代後半 魔女狩りの時代が終わる。
第二シリーズ(アルセーヌ・ルパン
1874年 アルセーヌ・ルパン 誕生
1880年 ルパン(6歳)最初の事件。
1889年 ブラドVSルパン(15歳)&ジャンヌ27世
1899年 ルパン(25歳) 息子 ジャンの誕生
1914年 第一次世界大戦 勃発
1918年 第一次世界大戦 終了
1919年 モークタニア帝国スルタンを退位
第三シリーズ(ルパン三世
1937年 12月25日 銭形警部 誕生
1939年 第二次世界大戦 勃発
1940年 ルパン三世 誕生
1945年 第二次世界大戦 終了
1952年 ICPO(国際刑事警察機構)日本加盟
第四シリーズ(fate/zero
1972年 イリヤスフィール 誕生
1973年 花音(オリ主) 誕生
1977年 花音の両親 死亡(暗殺)
1978年 花音と雁夜が出逢う。
花音が雁夜の養子になる。
1980年 第四次聖杯戦争
第五シリーズ(fate/staynight
1990年 第五次聖杯戦争
第六シリーズ(緋弾のアリア
1992年 遠山キンジ 誕生
獅子神翼(第二オリ主) 誕生
1999年 魔法が一般に広まる。
2000年 ルパン三世(60歳)、峰不二子 死亡
2005年 キンジ(12歳) 中学に入る。
2009年 原作開始
第七シリーズ(fate/
1992年 花音(19歳) 息子 翼を産む。
1997年 第六次聖杯戦争
花音(24歳) 死亡
1999年 衛宮士郎(26歳) 人類滅亡の預言を実現しようとした狂信者集団による核兵器テロを阻止
第八シリーズ(魔法科高校の劣等生
未定
登場人物(第一シリーズ)
ジャンヌ・ダルク(主人公)
身長:159cm/体重:44kg
スリーサイズ:B85/W59/H86
バル公領のドンレミ村生まれ。
百戦戦争の末期のフランスに現れ、神のお告げを受けたとして十代後半の少女ながら軍を率い、フランス北部を占領していたイギリス軍と戦い、フランスを救った聖女。
レオナール・ルパン(オリ主)
ジャンヌダルクの配下で戦ったが、一切の武器を持たず、諜報や隠密行動のみに特化した人物。
軍に入っていなかったので、常に自由に動き回っていた。 ランスでの戴冠式後、現状維持を望んだシャルル王や貴族たちに反対してあくまでパリ攻略を主張していたジャンヌに一時期愛想を尽かすが、それでも最後まで忠誠を誓ってジャンヌの為に働いた。
表舞台に立つのを嫌い、素顔をジャンヌの前でもあかそうとせず、ジャンヌの配下や仲間には存在すら気づかせなかった。
二人で話す時はジャンヌの事をジャネットと呼ぶ。
情報や金で戦況を引っ掻き回し、ジャンヌの手助けをした。
オメット
ジャンヌと同じドンレミ村生まれで、ジャンヌより三、四歳年下。
とても仲が良く、ジャンヌにとって一番の親友である。
用語(第一シリーズ)
ジャンヌ・ダルクの剣はクロヴィス1世の剣
クロヴィス一世(フランスの初代国王)
466年生まれ
在位 481ー511年
511年死去
ジュワユーズ
フランスにおいては国王の王権を象徴する剣。
シャルル王が使っていた。
デュランダル
ローランが天使からシャルル王に渡すように授けられ、その後シャルル王からローランに授けられた剣。
剣の形状はロングソード(馬上では片手、徒歩では両手で使う剣)である。
778年に最も危険な後衛部隊をひきいていたローランが、味方の裏切りにあいロンスヴァルの谷イスラム軍に包囲されてしまう。孤立無援のローランは助けを求めず、王より賜った剣デュランダルで最後のひとりになっても戦った。瀕死の状態となったローランが、デュランダルが敵の手に渡ることを恐れて岩に叩きつけて折ろうとするが、剣は折れること無く岩を両断してしまった。
ローランの死後は再びシャルル王の元に戻った。
オルレアン魔術騎士団
フランス最大の魔術結社。
ジャンヌ=ダルクの人柄に惹かれ、公式の戦力としてではなく、陰ながら彼女の歩みを支える為に集まった有志によって結成された。
元々は魔術の扱いに特化した組織ではなく、「フランスを救いたい」という目的さえ持ってさえいれば、
身分や地位、家柄に関係なく肩を並べることの出来る場所であった。
しかし、1431年5月30日、ジャンヌ=ダルクが背信者として火刑になった後からは、
『ジャンヌ=ダルクの復讐』を掲げる異様な組織に変貌してしまった。
復讐を遂げる為に、ジャンヌ=ダルクが後天的に授かった『特別な声』を聞く力である、
『ダルクの神託』を求めた結果、徐々に『神秘を取り扱う集団』化。
「ダルクの力を持つ者の人工的な量産」という、『出来るはずのない実験』を数百年・何世代にもわたって繰り返していた。
時系列(第一シリーズ)
1412年 1月16日《ジャンヌ・ダルク》 誕生
両親は20ヘクタールほどの土地を所有しており、父《ジャック》は農業を営むとともに、租税徴収係と村の自警団団長も兼ねていた。
1424年 《ジャンヌダルク》(12歳)が神の声を聞く。
1428年 4月《ジャンヌダルク》(16歳)は親類の《デュラン・ラソワ》に頼み込んで「ヴォークルール」の守備隊隊長だった《ロベール・ド・ボードリクール伯》に「シノン」の仮王宮を訪れる許可を願い出た。
1429年 1月 「ヴォークルール」で《ジャンヌ》は、貴族である《ジャン・ド・メス》と《ベルトラン・ド・プーランジ》に出逢う。
三度目の訪問でようやく《ロベール・ド・ボードリクール伯》の協力を得て、6人のフランス兵を連れて「シノン」へ向かってイギリス軍の取り囲む中を突き進み、フランスの王位継承者である《シャルル王太子》に謁見する。王太子は自分の顔を見たことがない《ジャンヌ》をからかうために偽者を謁見させた。しかし、《ジャンヌ》は謁見した王太子が偽者であることをすぐさま見破り、こっそり従者たちに紛れて潜んでいた本物の王太子を探し当てて見せる。
フランスの王権の象徴であるジュワユーズと白馬を与えられた《ジャンヌ》は軍の先陣をして「オルレアン」に進軍する。
《ジャンヌ》が謁見した日から軍を進軍させるまでの間に、ルパンはデュランダルを管理していた貴族を説得してデュランダルを譲り受ける。
4月29日 「オルレアン」に《ジャンヌ》の軍が到着
5月4日 「サン・ルー要塞」攻略
5月5日 「サン・ジャン・ル・ブラン要塞」占拠
5月6日 「サン・オーギュスタン要塞」攻略
5月7日 イングランド軍主力の拠点である「レ・トゥレル」へ攻撃
《ジャンヌ》に率いられたフランス軍の戦意は高く、全戦全勝でイギリス軍に包囲されていた「オルレアン」を解放する。
《シャルル王太子》を説得して《アランソン公ジャン2世》の副官の地位につく。
6月12日 「ジャルジョー」解放
イギリス軍の重要な司令官の1人である《サフォーク伯》を捕らえた。
6月15日 「マン=シュール=ロワール」解放
6月17日 「ボージャンシー」解放
6月18日 「パテーの戦い」において、子飼いのブリトン人の騎兵2000人と弓兵800人を率いて合流した《リッシュモン大元帥》と共闘。リッシュモン軍は《ジャンヌ》の指揮下に入り、実質的な指揮を《リッシュモン大元帥》が執った。
6月29日 「ジアン=シュール=ロワール」から「ランス」へ向けてフランス軍が進軍を開始する。
7月3日 「オセール」を占領していたブルゴーニュ公国軍が条件付降伏を申し出る。
「ランス」への進軍路にあった各都市も抵抗せずにフランスに忠誠を誓う。
7月16日 フランス軍が「ランス」に入城。
7月17日 朝 《シャルル7世》の戴冠式が執り行われた。
《ジャンヌ》より《シャルル7世》へとジュワユーズが返還される。
再び進軍する時、ルパンからジュワユーズの代わりに聖剣デュランダルが与えられる。
8月15日 イングランド軍の司令官《ベッドフォード公ジョン》が率いるイングランド軍と「パリ」へ進軍するフランス軍が対峙、戦線はそのまま膠着状態となった。
9月8日 フランス軍が「パリ」へ攻撃を開始する。この戦いで《ジャンヌ》は石弓の矢が当たって脚を負傷したが、最後まで戦場に残って軍の指揮を直接執り続けた。
9月9日 朝 《ギュイーヌ伯ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ》の意を汲んだ《国王シャルル7世》からの撤退命令を受けて《ジャンヌ》は戦場を去る。
10月 《ジャンヌ》は「ン=ピエール=ル=ムイエ包囲戦」で軍に復帰した。
11月~12月 「ラ=シャリテ=シュール=ロワール包囲戦」にも従軍したがこの包囲戦は失敗している。
12月29日 《ジャンヌ》とその家族は貴族に叙せられた。
1430年 5月 《ジャンヌ》は「コンピエーニュ包囲戦」の援軍として「コンピエーニュ」へ向かった。
5月23日 《ジャンヌ》の率いる軍が「マルニー」に陣取っていたブルゴーニュ公国軍を攻撃。ブルゴーニュ公国軍に6,000人の援軍が到着したことから、《ジャンヌ》は兵士たちに「コンピエーニュ城塞」近くへの撤退を命じ、自身はしんがりとなってこの場所で戦う。孤軍奮闘の末、《ジャンヌ》はブルゴーニュ公国軍の捕虜となった。
当時は敵の手に落ちた捕虜の身内が身代金を支払って、身柄の引渡しを要求するのが普通だったが、《シャルル7世》が《ジャンヌ》の身柄引渡しに介入しなかった為、交渉自体が難しいという状況に陥った。フランスに見殺しにされたも同然の《ジャンヌ》は何度か脱走を計るが全て失敗する。最終的にイングランドが《ブルゴーニュ公フィリップ3世》に身代金を支払って《ジャンヌ》の身柄を引き取った。
1431年 1月9日 イギリスの占領統治府が置かれていた「ルーアン」で、《ジャンヌ》の異端審問裁判が開始された。
「ポワチエ」の聖職者と《ルパン》が手を組み、《ジャンヌダルク》を替え玉と入れ替えて救出。
5月30日 「ルーアンのヴィエ・マルシェ広場」で、《ジャンヌダルク(偽者)》の公開処刑。火刑の後、その遺灰はセーヌ川に流された。