ヘッドホン


 

彼女はアイスを咥えていた

それはとある夏の事だった。

家の近所にある寂れた神社で、ヘッドホンを耳に当て、音楽を聴いていた。
素朴な音が、耳に流れ込む。

昔から、激しい曲は好きでは無かった。
周りがアニソンやロックを大音量で流している中、僕は1人隅っこでこのヘッドホンを付けてマイナーな歌手の静かな曲を聴いていた。

「ふむふむ、それで?」

小・中学校と、特に目立たずに生きてきた。逆に言うと、目立たなすぎて友達が誰一人として作れなかった位だ。
でも、目立って目をつけられるよりはマシだろう。僕はそのせいで虐められた人を大勢見てきた。…勿論関わりたくないから、見て見ぬ振りをして生きてきたのだけど。

「ほぅ、つまり君は今まで逃げてばかりいたのか」

「そう。でも逃げるってのも人生における選択肢にはあるだろー………って
誰?君」

何時の間にか、僕の隣には白いワンピースを着た、大人しそうな少女がいた。
口にレモン味のシャーベットアイスを咥えており、茶色い大きな瞳でこちらを見つめている。
まるで天使の様な少女だ。天使を見た事はないけれども。

「でも、逃げてばかりじゃ始まらないんじゃない?」

「いや、話聞こうよ…
君は誰なの?」

2度目の質問をぶつけると、彼女はしょうがないなという顔をして、そして一言ぽつりと呟いた。

「………零」

……苗字は?と思ったがまあいい。
名前が分かっただけでも充分だ。
それにしても、さっきとはうって変わって静かになったな。

「零ちゃんっていうのか
僕は夏樹っていうんだ」

僕も名乗る。ちゃん付けしたのが気に入らなかったのか、彼女は少しむっとした顔になる。

「………零でいい。レイ、で」

彼女……いや、レイは膨れっ面をしてそう答える。

「はいはい、僕は夏樹ね。呼び方はナツキ君、でいいから」

「……思い切り呼び捨てしてやる気だった」

おいおい、この子かなりパンチ効いてないか?

「…………で、話の続きは無いのか?」

…どうやら彼女は、僕の話の続きをご所望らしい。
しょうがないな

「んじゃ、話してやるよ…続き」

 

 

逃げるというのも

「僕は目立たないし、誰の目にも止まらない程ちっぽけな人間だった。だからこそ虐められたりはしなかったし、避けられたりとかも無かった」

僕が続きを話し始めると、途端にレイの瞳が輝き始める。

「それで?周りの状況から目を背けてばかりいたお前はそれから如何したのだ?」

…この子、ズバズバ切り込んで来るなぁ。

「それから…?何もしてないよ
僕に何かを変える力なんて無いし」

僕がそう言うと、レイはやれやれと言うように首を振る。

「なんと。少しでも変えようとする努力は無いのか?そう考えるだけで何もしないのは結局何一つ変わらないだけだぞ
それに人に何かを話す時はヘッドホンを取れ!」

「あっ」

強引だ。レイはその白く細い腕で僕の頭からヘッドホンを奪い取った。

「む?この曲、小森コバトの曲じゃないか」

「えっ」

この曲を知っているどころか、歌手の名まで知っている人を初めて見た。
…いや、僕が聞いた事が無いだけで本当はいるのかも知れないが。

「む?なんだ、私がコバトの曲を知っていたらいけないとでも?」

「いや………その人を知っている人を初めて見たんだよ…」

「それは初めて見た、じゃなくて初めて知った、じゃないのか?
どうせお前が人に寄り付かないから他に聞いた事が無いだけだろう」

……この子は僕の心でも読めるのではないだろうか。さっきから突かれると痛い所ばかり突かれている。

「別に私が心を読んでいるわけではない
お前がコロコロと顔に出しすぎなんだ」

「…そんなに顔に出てる?」

「出てる」

ハンッ、とレイは笑う。

その後も彼女と話していてふと気付いたのだが、彼女は僕が初めに出会った時思った印象とはまるで違う。
天使というよりは、悪魔に近い笑みを漏らす。悪っぽく、それでも何処か魅力的な笑みを。
それに笑い方だけでなく、喋り方も気になった。
彼女の喋り方は、少し古風なのだ。
レイは、周りとは異質の力を感じる少女だった。

気付けば夕方となっていた。
レイが「帰る」というので、僕も帰ることとした。

彼女が石段を飛び降りようとする。僕はその隣で普通に石段を一段ずつ降りる……筈だった。

背中に軽い衝撃が走る。それに気付くまで約3秒間。
僕はバランスを崩す。既に下に降りていたレイがそれに気付き、こちらを見て目を見開く。

「ナツキッ!!」

彼女は凍りついたかの様にその場を動かない。当然の様に

重々しい音を立て、僕はその上へと落ちた。