強さとは


 

第一章

                       強さとは
 元代末期、中国は極めて荒れていた。
 衰退していた元王朝のこれまでの蒙古人、色目人を優遇したうえでの圧政に反抗して全土で叛乱が起こった、赤眉の乱がその中心となり。
 そしてだ、その中で乱とは別に賊も蔓延っていた。その戦乱の中で民達は苦しんでいた。
 それは山東でも同じだった、元の都である大都から近いこの辺りでも治安は乱れ兵乱に賊が次々とあちこちを荒らしていた。
「隣村はもう皆何処かに逃げたらしいぞ」
「何っ、隣村もか」
「そうらしいぞ」
 山東の海沿いの村でだ、こんな話が為されていた。
「だからここもな」
「この村もか」
「何時か賊が来るっていうんだな」
「それもすぐにでも」
「そうなんだな」
「そうかも知れないぞ」
 こうした話が出ていた。
「それじゃあな」
「どうすればいいんだ」
「兵も来るかわからない」
「それも賊ともなるとな」
「近頃の賊は酷いからな」
 兵乱で彼等を討つべき兵が来ないしだ、しかも乱で商いも田畑も荒れて彼等も食うものがない。それが為である。
 今賊はかなり凶悪になっている、その凶悪さはというと。
「田畑は全て荒らしな」
「何から何まで奪っていって」
「村も街も人は皆殺しじゃ」
「何も残さぬぞ」
「そんな連中が来ればどうなるか」
「わし等は皆殺しじゃぞ」
 まさにだ、そうなってしまうというのだ。
「大変じゃぞ」
「どうすればよいのじゃ」
「一体」
「賊が来ればな」
「どうしようぞ」
「逃げるか」
 すぐにだ、こうした言葉が出た。
「そうするか」
「それがよいか」
「殺されるよりましじゃ」
「何もかもを取られるよりはな」
「この村を捨てて何処かに行こう」
「叛徒達に入るか、わし等も」
 村人の一人がこんなことを言った。
「そうするか」
「そうじゃな、それがよいか」
「どのみち生きていけぬならな」
「わし等も叛徒に入ろう」
「叛徒になれば飯が食えるぞ」
「そうじゃ、飯をくれる」
「それならじゃ」
 食える、即ち生きることが出来るだ。それでこうした言葉が出てだった。彼等は賊に襲われて皆殺しになるよりは叛徒に入ろうと思いはじめた、しかし。
 その彼等にだ、村の長老が言った。
「いや、それも悪くないが出来る限り村に残らんか」
「村にですか」
「ぎりぎりまで、ですか」
「残るべきですか」
「うむ、確かに賊は怖いがな」 
 何しろ全てを奪ったうえに皆殺しにしてくるのだ、怖くない筈がない。
 しかしだ、それでもだというのだ。
「まだ打つ手がある」
「と、いいますと」
「何かありますか?」
「手が」
「用心棒を雇おうぞ」
 村でというのだ。 

 

第二章

「ここはな」
「用心棒を雇い」
「そして、ですか」
「賊が来ても戦ってもらいますか」
「うむ、そうしようぞ」
 長老はこう言い村で用心棒を雇うことにした、その用心棒はというと。
「この乱じゃ、流離の者もいてな」
「その中からですか」
「人を雇いますか」
「腕の確かな者が村に来ればその人を雇い守ってもらう、しかし」
「しかし、ですか」
「それでもですか」
「若しそうした人が来ないとな」
 その時はというのだ。
「もうその時は仕方がない」
「村を捨てるしかない」
「そうするしかですか」
「そうじゃ。しかしそれは最後の手段じゃ」
 村を捨ててだ、村人全体が流れ者になるか叛徒に加わるかはというのだ。
「まずは人を探すとしよう」
「用心棒になる人を」
「是非ですな」
「そうしようぞ」
 こうしてだった、村は用心棒を探して雇うことにした。村の入口に立て札を立てたりして求めた。するとだった。
 札を立ててだ、一月程してだった。村に粗末な旅人の身なりだがやたらと大きく筋骨隆々の男が来た。顔立ちは精悍であり顔は四角い。まだ二十歳程であるが眼光は強くその手に持っている大きな鞭が目立っている。
 その男がだ、村に来て問うたのだ。
「用心棒を探しておられるとか」
「はい、そうですが」
「若しや」
「それがしで宜しいか」
 こう村人達にだ、男は問うた。
「一人だけだが」
「あの、では」
「長老に会って頂けますか」
「すぐにです」
「そうして頂けますか」
「わかった、ではな」
 男は村人達の言葉に頷いた。そしてだった。
 男は長老の家に入った、そのうえで長老の前にその大柄な身体をしゃがませる様に座ってこう名乗った。
「徐達と申します」
「徐達殿と申されるか」
「はい、旅の武芸者ですが近頃は乱が多く」
「それでなのですか」
「昔馴染みの者を頼りそこに向かおうとしていましたが」
 そこで、というのだ。
「この村の入口の札をたまたま見ましたが」
「書いてある通りです」
 長老は徐達と名乗った男に項垂れる様にして答えた。
「賊が近くにいまして」
「用心棒をですな」
「探しております」
 長老は徐達に素直に答えた。
「書かれてある通りです」
「左様ですな」
「それで徐達殿は」
「はい、それに応えてです」
「村の用心棒になって頂けますか」
「そうさせて頂きます、というよりかは」
 徐達は自分からだ、長老に話した。
「ここはそれがしが自ら賊のところに向かいです」
「そしてですか」
「賊を皆退治しましょう」
「徐達殿がですか」
「はい、賊の数はどれ位ですか」
「三十程です」
「三十ですか。して得物は」 
 その手にしている武器のこともだ、徐達は長老に問うた。 

 

第三章

「どういったものでしょうか」
「刀や槍に斧だとか、弓矢はありませぬ」
「そうですか、弓矢はありませぬか」
「火薬を使ったものもです」
「ではそれがし一人で充分です」
 徐達は笑ってだ、長老に答えた。
「すぐにでも賊共を皆退治してきます」
「三十いるのですが」
「弓矢はないのですな」
「はい、襲われた村から命からがら逃げて来た者によると」
「ならば恐ることはありませぬ」
 笑ってだ、徐達は言うのだった。
「全く」
「しかし。数が」
「弓矢も火薬もないのならそれがしにとってはどうともござらん。それでは何も恐ることはござらぬ」
「左様ですか」
「ですからそれがし一人で賊のところに行ってきます」
「ですがそれでは幾らでも」
 心配だとだ、長老は言ってだった。
 それで村の若い者達に粗末な鎌や鍬等を持たせて徐達の共にしてだった。そのうえで彼に賊の征伐に行ってもらった。
 行く途中にだ、村の若い者達は口々にだ、徐達に言った。
「あの、その賊達はです」
「あまりにも凶暴で」
「人は皆殺します」
「ものも全部奪います」
「後には何も残さない」
「そうした連中です」
「だから尚更じゃ」
 徐達は平然としてだ、心配そうな村人達に答えつつ先に進むのだった。
「放ってはおけぬ」
「しかしそうした賊が三十人程もいるのです」
「確かに弓矢はありませぬが」
「その様な連中にお一人で向かわれるなぞ」
「あまりにも無謀です」
「何、恐ることはない」
 徐達の返事は変わらない、それも全く。
「御主達は見ていてくれるだけでよい」
「徐達様の戦いをですか」
「賊とのそれを」
「所詮村を襲って暴れるだけの者達、何ということもない」
「ではその鞭で、ですか」
「それだけで」
「実は弓矢なり刀を投げるなりも出来る」
 所謂飛び道具も使えるというのだ。
「そうしたこともな。しかし弓矢もない様ならな」
「別にですか」
「何もありませぬか」
「だからじゃ。見ていてくれるだけでよい」
 これが村人達への言葉だった。
「そういうことでな」
「では、ですか」
「このままですか」
「我等は見ているだけで」
「徐達様だけが」
「戦う」
 こう言ってだった、村人達の案内を受けて。
 徐達はある場所に向かった、賊達の隠れ家に。
 そこは誰もいなくなった村だった、その近くに来てだった。村人達はいよいよ怯える顔になってそして徐達に言った。
「ここです」
「ここに賊共がいます」
「では我等はです」
「ここにいていいのですな」
「賊と戦わずに」
「言った通りじゃ、見ていてくれ」
 徐達の言葉は変わらなかった、それも全く。
 そしてだ、村人達をそこに置いてだった。彼はその廃れた村今は賊達が根城としているそこに足を向けた。すると。
 彼が村に入って中をすたすたと進むとだ、柄の悪い男達がそれぞれ刀や槍を持って出て来てそのうえでだった。
 徐達を囲んでだ、凄んでみせた。 

 

第四章

「おい、何だ御前」
「俺達の仲間に入りたいのか?」
「それとも貢ぎものでも収めに来たってのか?」
「どっちでもない」
 徐達は男達に平然として答えた。
「わしは御前達を成敗しに来たのだ」
「はっ、何言ってるんだこいつ」
「俺達を成敗だと!?」
「一人でかよ」
「何言ってるんだよ」
「御前達のことは聞いている。容赦はせぬ」
「おい、たった一人でか」
「俺達を倒すっていうのか?」
 賊達は徐達の言葉を聞いて嘲笑って返した。
「冗談きついな」
「俺達は三十人だぞ」
「それを幾らガタイがいいからって一人で倒せるかよ」
「馬鹿言ってんな」
「じゃあ返り討ちにしてやるからな」
「覚悟しろよ」
 男達は笑ってだ、そのうえで。
 それぞれの得物を手にだ、徐達を囲んでだった。
 そうして襲い掛かろうとする、だが。
 賊の一人が一歩踏み出したそのところでだ、徐達は。
 その手に持っていた鉄の鞭でだ、その賊の頭をだった。
 割ってだ、そして。
 そのうえでだ、他の賊達もだった。
 鞭で次々に撃っていく、賊達は徐達の鞭の威力の前にだった。瞬く間に倒されていった。彼等は数を頼んで攻めたが。
 徐達の敵ではなかった、一人もだった。
 そしてだ、気付けばだ。
 賊達は全員倒れ伏していた、殆どの者が頭を割られこと切れている。だがかろうじて虫の息で倒れ伏している男が徐達に仰向けに倒れた状況で問うた。
「貴様、どれだけ強いのだ」
「そう言うか」
「鬼神か、俺達全員を瞬く間に倒すとは」
「どれだけ強いかというのか」
「化けものか」
「化けものではない、御主達が弱いだけだ」
 徐達は至極当然といった顔でだ、男に答えた。
「拙者が強いのではない」
「違うというのか」
「そうだ、御主達は数を頼んで暴れているだけの賊」
 それが男達だというのだ。
「その様な者弓矢だの火薬だのなければな」
「所詮はか」
「左様、何ということはない」
「三十人はいたというのに」
「所詮烏合の衆に過ぎぬ」
「では貴様は何だ」
「拙者は御主達の様に群れて得物を手に何も出来ぬ村の人達を襲いはせぬ」
 軽蔑を込めてだ、徐達は男に告げた。
「武芸を磨き兵法を学んでおるのだ」
「だからその鞭もか」
「身に着けた、御主達なぞ楽に勝てる」
「それでか」
「拙者一人で来た、何ということはなかった」
 それでだ、一瞬で倒せたというのだ。
「拙者はこれでも大志があるからな」
「その大志は何だ」
「この乱れた天下を正し泰平をもたらす」
 まさにそれがというのだ。
「御主達の様な者達に人々が苦しめられぬ人がいなくなる世に戻す為にか」
「その為に鍛えているからか」
「御主達なぞ何ということはない」
「そう言うのか」
「そうだ、これでわかったか」
「俺達程は何ということはないか」
「全くな」
 こう言ってだ、そしてだった。
 男がこと切れたのを見てだ、徐達は賊達が皆死んだことを確かめてだ。そのうえで賊達の隠れ家を去ってだった。 
 村の若い者達が待っていた場所に戻って賊達を倒したことを話した、すると。 

 

第五章

 その話を聞いてだ、村人達は驚いて言った。
「いや、まさか本当にお一人でとは」
「お一人で全員倒されるとは」
「しかもまさに一瞬で」
「行ってすぐではなかったですか」
「それで終えられるとは」
「何ということはありませんでした」
 実際に何でないといった顔でだ、徐達は言う。
「別に」
「あれだけの相手でも」
「それでもですか」
「特にですか」
「どうということもなかったのですか」
「所詮烏合の衆ですから」
 その程度の者達だったからだというのだ。
「それがし一人で充分でした」
「ですか、では」
「村に戻りましょう」
「村の皆にこのことを話さなければ」
「特に長老に」
 村人達はこう話してだった、そのうえで。
 徐達は村に戻った、するとだった。
 村に残っていた人達もその話を聞いて驚いた、小さな村が揺れる位にだ。特に長老は目を剥いてこう言った。
「何とお強い」
「ですからそれがしにとってはです」
「何ということはなかったと」
「はい」
 そうだったとだ、徐達は長老にも言った。
「別に。ああした者は拙者にとっては弱いです」
「弱い者達ですか」
「本当の強さはありませんので」
「どうということはなかったと」
「まさに」
「そうなのですか」
「左様です」
 徐達はあくまで淡々としていた、何でもないことをしたという様に。
 その徐達にだ、長老はさらに言った。
「ではお礼に」
「何か」
「宴はどうでしょうか」
「宜しいのでしょうか」
「お礼をさせて頂きたいです」
 是非にというのだ。
「村を救って頂いたのですから」
「それで、ですか」
「宜しいでしょうか」
「拙者はこの身体でかなり食べますが」
「遠慮は無用です」4
 村を救ってくれたのだからというのだ。
「この様な貧しい村ですが遠慮なさらずに」
「そこまで仰るのなら」
 断っては失礼と思いだ、徐達も答えた。
「お願いします」
「それでは」
 こうしてだった、徐達は村人達に宴でもてなしてもらってだった、次の日村人達を笑顔で別れた。その時にだ、長老は彼に尋ねた。
「これから何処に行かれますか」
「南に」
「南の方にですか」
「そこに馴染みの者がいまして」
「そこに行かれてですか」
「働くつもりです」
「南は何でもここ以上に荒れているとか」
 長老は噂をだ、徐達に話した。
「それも相当に」
「だからこそです」
「行かれるのですか」
「その乱を収めて参ります」
「そのご武勇で」
「そして兵法で。行って参ります」
「ご武運を」
 長老は徐達を気にかけながらも彼の大志を見て送ることにした、そしてだった。徐達は村を後にしそして南に向かった。
 そしてだ、あばただらけで吊り目、やけに大きな口を持つ頭の形が細長く曲がっている男に会ってだ、膝をついて言った。
「参りました」
「よく来てくれた」
 そのあばただらけの男は徐達を笑顔で迎え入れた、そしてだった。
 徐達は男の下で戦い天下を泰平にする為に大いに貢献した。明王朝最大の功臣の一人徐達の若い頃の逸話である。正史にはないが面白い話であるのでここに書き留めておく。


強さとは   完


                                  2015・4・20