Re;FAIRY TAIL 星と影と……


 

EP.1 砂浜の少女

 
前書き
まずは、開いてくれてありがとうございます。
それからせっかくお気に入りや感想を書き込んでくれた方々、本当に申し訳ないです。
これからはこのようなことが無いように鋭意努力していく所存ですので、どうぞよろしくお願いします。 

 
 魔力が豊かにあふれる世界、アースランド。そこでは魔法は『文化』として人々の生活と密接に絡み合い、必要不可欠な要素として存在している。
 そこで生きる者たちは、およそ10人に1人の割合で体内に魔力の微粒子たるエーテルナノを体内に持ち、魔法を使う事が出来た。
 『魔導士』と呼ばれる彼らのほとんどはギルドに属し、個人組織問わず様々な依頼(クエスト)を受注、遂行して報酬を貰う事によって生計を立てている。

「まあ、中には例外もいるが」

 そのアースランドの、古くはイシュガルと呼ばれた大陸、その西方のとある海辺のとある小さな洞窟――というより岩壁をスプーンで抉ったかのような空間と言った方が適切か――に、ある1人の少年が横たわっていた。

 少年の名はワタル・ヤツボシ。
 髪の色と目の色は黒、それも墨のような黒だ。
 まだ10歳前後に見えるが、魔導士である。

 普通なら保護者の庇護を受けていて然るべき外見の少年が、保護者の存在なしに一人旅をしているのは当然事情があるからなのだが、今はまだ語らないでおこう。
 いつもなら野宿や木の上で眠る彼が、雨風を凌げる程度とはいえ、ねぐらを見つける事が出来なのは僥倖であった。
 安全とは言い難いがいつもよりはマシだと、歩き疲れた体を休め、うつらうつらと眠りに落ちようとしていたその時……

「――――――――――!!」
「……?」

 微かに甲高い叫び声のようなものを耳に捉えた。
 彼は意識を覚醒させると、洞窟を出て声の主を探す事にした。
 一人旅の習慣である浅い眠りは先の叫び声で目は覚めてしまっており、寝直そうにも悲鳴にも似たその声を聞いては、そんな気分にはなれなかったのだ。

「あれは……女の子、か?」

 そして、10分ほど歩いただろうか。
 浜辺に緋色の髪の少女が波打ち際に倒れているのが見えたワタルは、その子に近づいた。
 全身を海水で濡らし、余りにみすぼらしくて衣服と呼べるのかどうかすら怪しいものを身に纏う彼女は、その服に負けず劣らず身体中に傷を負っていた。

「生きてる……ま、仕方ないか」

 漂流でもしたのだろうかと、少女の口元に当てた手に感じる呼吸から生存を確認し、ワタルは安堵すると共に溜息を吐く。
 彼女をどうするかしばらく考えたが、このまま見殺しにするのは気が引けたため、ねぐらとして見つけた洞窟に担いで連れて行くことにした。

「これ、随分とお粗末な治療だが、鞭打ちの跡か? 他は……酷い傷だな、まだ子供なのに。しかも目は――だめだ、俺の手には負えないな」

 岩肌に毛布を敷いて作った簡易の布団に寝かせた少女の手当てをしたワタルだったが、少女の体には大小問わず無数の傷があり、手持ちの応急器具をほとんど使いきってしまう。
 特に眼帯の下の右目は使い物にならなくなっており、素人の手では治せるものではなかった。

「とりあえず水で洗って、薬塗って、終わりかな。さて、これからどうしたものか。……って言っても、まずはこの子が起きないとどうしようもないけど」

 一人旅の弊害か、癖になりつつある独り言に終止符を打つ。
 手当が終わっても、彼女は静かに寝息を立てるばかりで起きる気配を全く見せなかったため、予備の毛布をその子にかけると、ワタルは岩壁に寄りかかって今度こそ眠りについた。


    =  =  =


「う、ううん……ッ、ここは、ッ! あ、つぅ……!」

 翌朝、差し込む朝日の眩しさから少女は目を覚ました。
 少女はここが浜辺でない事に気が付くとすぐに慌てて毛布を跳ね除け、結果的に身体中の痛みに悶える羽目になった。

「いたた……あれ、手当されてる? 一体誰が……ッ!」

 幸か不幸か、その痛みで意識を完全に覚醒させた彼女は全身の怪我を、清潔な包帯で治療されている事に気付いた。
 軟膏でも塗ったのか、少しベトベトしているが幾分か和らいでいる身体の痛みに呻きながら首を回しては辺りを見回すが、そこは意識を失って倒れた砂浜ではなく、すぐそこに海が見えるほどに小さな洞穴。

 傍には焚火の跡と荷物と思しき大きなリュックサック、知らぬ間に手当てされた事と少女によって乱暴に跳ね除けられたこの毛布――誰かに助けられた事は明白だが、今は周りには誰もいない。
 さて、どうしたものか……状況がまるで掴めず、そう途方に暮れたその時だ。


 コツコツと岩を打つ足音が突然響いた。


 囚人、塔を建造する奴隷として生活していた彼女には、段々大きくなるその音は乱暴な看守の歩く音を連想させ、無意識に体を強張らせる。
 十中八九、自分を運んだものの足音だろうと考えた彼女は身構えた。
 
「まあ、こんなものか。……っと、目が覚めたか」
「お前は、だ、れ……」
「あー……食べながらでいいだろ、それは」

 洞窟に入ってきた少年・ワタルは果物を両手で抱えるようにして持っていた。
 少女は彼が誰なのか尋ねたが……キュゥとかわいらしい音が腹から響き、思わず赤面してしまう。

「……」
「何も入れてやしないよ。…………ほらね?」

 ワタルは思わず笑いながら少女に幾つか果物を渡す。しかし気安さを感じさせるその笑みとは対照的に、少女は警戒の表情を崩さず、食べる様子を見せない。
 それを見て内心少し傷つきながらも、彼は笑いながら彼女の腕からリンゴを1つ取ってかぶりつくのだった。

「……あ、ありがとう……ッ!」

 少女は先の失態を取り返すように礼を言うと、果物に口を付ける。
 一口かじると、随分久しぶりに――塔にいた時は果物など出されなかったのだ――口の中に広がった甘い果汁に思わず顔を綻ばせて、夢中で食べ始めた。

「たくさんあるからそんなに急がなくても……」
「ッ!? ゴホッゴホッ!」
「ほら、言わんこっちゃない……ほら、飲め」

 まるで何日も物を食べていない浮浪人のようにがっつく少女。
 その姿に何が起こるか幻視したワタルの警告通りに果物を喉に詰まらせため、水筒を少女に渡す。

「……その……すまない」
「何、気にするな。落ち着いたか?」
「ああ……その、あなたは誰なんだ?」

 慌てて飲み干し、ようやく落ち着いた少女は気まずい様子を見せながら名を尋ねた。

「俺か? 俺は――ワタル・ヤツボシ。今は……まあ、訳有って大陸中を旅している魔導士さ、君は?」

 はぐらかすように答えたワタルの問いに、少女は訝しげな表情を見せながら言葉を詰まらせたが、口を開く。

「……エルザ。エルザ――スカーレット……」

 姓を名乗るときに少し詰まったエルザの様子から『訳有りみたいだな……』と、ワタルはそれ以上踏み込まず、次の質問をする。

「そうか。じゃあエルザ、何故あんなところで倒れてたんだ?」
「それは、その……」

 俯いて、今度こそ言葉を詰まらせてしまうエルザ。
 そんな彼女にとって、次にワタルが口にした単語は聞き逃せないものだった。

「『ジェラール』」
「えっ!?」

 人名か地名か、はたまた別の何かか――そう当たりを付けてワタルが口にした単語にエルザはひどく驚き、目を見開くと険しい目つきになった。
 その名が悪い意味で特別だったのだろう、と考えたワタルは睨む彼女に溜息と共に答えた。

「図星か。寝言で言ってたぞ」
「く……」

 知らない男に寝言を聞かれていた事を知り、憮然とした表情で言葉に詰まるエルザ。
 黙り込んでしまった彼女に、ワタルは一旦話を打ち切り、別の事を聞く。

「……まあ、言いたくないなら聞かないさ。それより、これからどうする気だ?」
「待て、私にも聞かせろ。何故私を助けたんだ?」
「何故、と言われてもな」

 警戒心を見せるエルザに、ワタルは少し考えると答えた。

「ここで休んでたら叫び声を聞いてね。それで様子を見に来て、倒れている君を見つけた、という訳さ」
「だからそれを何故かと……」
「君は目の前で死にかけている同い年くらいの子供を見捨てて、その後気持ちよく過ごせるか?」
「う……」

 ワタルのそんな問いに、少女はまたもや言葉に詰まってしまう。
 きっと正義感の強い女の子なのだろう。ワタルは彼女にそんな印象を抱いた。

 だが実のところ、なぜ彼女を助けたのか、ワタルは自分でもよく分からなかった。
 怪我していたから助けたとは言ったが、放っておいて何食わぬ顔で旅を続ける事も出来たのだ。
 にもかかわらず、貴重な物資を消費してまで、なぜ彼女を助けたのか――自分のことながら、彼にはよく分からなかった。

「それは……」
「……もう一度聞こう、これからどうする?」

 心の中の疑問に蓋をして、再び質問をするワタルに対し、エルザは今度は素直に答えた。

「……妖精の尻尾(フェアリーテイル)に行こうと思う」
妖精の尻尾(フェアリーテイル)?」
「魔導士ギルドだ。そういえばお前……いや、あなたも魔導士と言ったな。妖精の尻尾を知っているか?」
「いや、聞いた事ないな。多分すぐ西にあるフィオーレ王国のギルドだとは思うが。フィオーレは永世中立国家。魔法も魔導士ギルドも盛んだしな」

 旅の魔導士。
 塔で昔妖精の尻尾にいたという、そして命の恩人でもある老魔導士の話では、魔導士はギルドに所属して一人前と認められるとの事だった。
 ロブと名乗ったその老人の最期を思い出して心が沈みそうになったが、それを思い出してエルザは口を開いた。

「あなたもどこかのギルドの一員なのか?」
「……」

 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、エルザはワタルの顔に悲しげな色が宿ったのを見た。瞬きすればその色は消えていたほどの刹那の事であり、ともすればワタル自身も気付いていないのかもしれない。

 或いは見間違いかもしれない。
 それでも、彼女にはそれが妙に気に掛かり、しかし聞くのも躊躇われたためそれ以上聞くことはできなかった。

 沈黙が狭い洞窟内を満たし、焚火で炭化した木片が崩れる音が響く。
 気まずい沈黙の原因であったワタルは頭を掻き、口火を切った。

「……一緒に行くか?」
「え?」

 急な提案に、エルザは聞き返した。
 土地勘と旅費はもちろん、2年前に住んでいた村から出た事さえ数えるほどしかなかったエルザにとって、その提案は渡りに船であった。

 しかし、だからといって二つ返事で頷くという訳では無かった。
 正義感が強く、義理堅い彼女にとって恩人を疑う事は心苦しかったが、奴隷生活長かったことと、その反乱の首謀者でもあった彼女は、この旨すぎる話に思わず警戒心を抱いてしまうのである。

「俺も西の方に行こうと思ってたんだ。行く方向が同じなら人数は一人より二人の方がいい」
「……」
「ここからフィオーレまで歩いて1ヶ月は掛かる。俺は2年くらい一人旅をしているけど、流石に女の子一人は結構危険だと思うし……それとも俺は信用できないか?」
「そんなことは……」

 答えにくい質問に再び言葉に詰まったエルザに対し、ワタルは話を進める。

「じゃあ、決まりだな。歩けるか?」
「あ、ああ……そういえば、治療の礼を言ってなかったな。ありがとう」
「気にするなよ、そんなこと。まだ痛むか?」
「いや、大丈夫、だ……」

 ワタルの言葉に自分の身体に手を当てて怪我の具合を確かめたエルザはある重要な事に気付いた。

「……その……見た、のか?」
「? 何を?」

 腕や足ならともかく、鞭で打たれた背中を治療して包帯を巻こうと思ったら、この布切れを脱がさなければならない。
 エルザの言葉は、まあそういう訳なのだが……エルザが険しい表情を赤く染めて発した言葉は目的語を欠いており、ワタルにその意図を悟らせる事は無かった。

「……なんでもない!」
「何だ? っておい、そんなに走ると傷が開くぞ!」

 エルザはますます顔を赤くして走りだし、ワタルも後を追って走る。
 こうして、半ば言い負かされる形でなし崩しにワタルとエルザの二人旅が決まり、二人はまずは情報取集と、近くの町の方に歩いて行った。






 朝日を背に砂浜を西に向かって歩く事数時間、二人は小さな港町をその視界にとらえていた。

「もうそろそろ港町だが……入る前に服を買わないとな」
「え?」
「その格好で町を歩くつもりか?」
「あ……」

 今のエルザが身に着けているものは、ボロボロの服……と呼べるかどうかすら怪しい布切れだ。
 治療に使った包帯も肌を隠すのに一役買ってはいるが、そのままだと一ヶ月持たないだろう、というのはワタルにも、そして当のエルザにも容易に見当がついた。
 そんな恰好で町を歩くなど、あまり考えたい事ではなかった。

「何か買ってくるから洞窟で待ってろ」
「お金はあるのか?」
「少しなら大丈夫だ」
「……じゃあ、頼む。ごめん……」

 気にするな、と言ってワタルは町へ歩き始め、再び見つけた小さな洞穴に残されたエルザは渡された毛布に包まりながら考え始める。

「(なんでワタルは私に色々世話してくれるんだろうか……)」

 エルザは少し前まで、カ=エルムの近海に秘密裏に建設されている塔で働く奴隷だった。
 長く苦しい奴隷生活の中で、エルザは看守たち――歴史上最悪と言われる黒魔導士・ゼレフの狂信者たちに反乱を起こした。
 神官のほとんどを討ち取り、反乱は成功したも同然だった。
 後は、自分たちのリーダー的存在とも言えるジェラールを解放しようとしたのだが……彼はゼレフの亡霊に囚われて乱心してしまっていた。

 元の優しいジェラールに戻ってくれ、私たちは自由だ。

 そう訴えるエルザだったが、聞く耳を持たないジェラールに『仮初の自由を堪能しろ』と突き放され、独り塔から放り出されてしまった。
 強いリーダーシップと正義感を持っていたジェラール。そんな彼に憧れを持っていた故に、彼が掌を返した事はエルザの心に大きな傷を残した。

 だから、エルザにはワタルの真意が分からなかった。
 見ず知らずの自分を保護、治療――それだけでなく、旅の道連れにしてくれる、と言ったワタルの事を信じてもいいのか、と。

「(信じたい。でもまた裏切られたら……)」

 ジェラールはエルザが塔に接触することはもちろん、関係する情報を外の人間に口外することも禁じた。もしかしたら、ワタルはその監視のための存在なのかもしれない。

 そんな猜疑と恩義の狭間で揺れていたエルザの胸中に、ワタルが一瞬だけ見せた表情がエルザの脳裏に浮かんだ。

「(あの顔を見た時、この人は大丈夫だ、裏切ったりしないって思えた。……なんでだろう?)」

 ほんの一瞬だけ見たワタルの表情が、なぜか心に引っ掛かる。
 エルザは、思い起こした彼の悲しそうな顔に、不謹慎だと思ったが……安心感を覚えた。
 何故、と思ったが……答えは思ったより簡単に出た。

「(そうか……同じなんだ、私と……)」

 ジェラールに裏切られた自分の心境と、ワタルの悲しげな顔が重なったのだ。

 ジェラールや仲間の事を考えると心が引き裂かれんばかりに痛む。
 もしも、この上本当に一人きりだったら正気を保てたかどうかわからないと思えるほどに、彼女の心は弱っていた。

『この人はもしかすると、自分と同じ痛みを知っているかもしれない』

 そう思う事で、乗り越えられるんじゃないか――そう錯覚したのだ。

 それはある種の傷の舐めあいなのかもしれない。
 それでも彼女の弱った心には、ワタルという存在が救いだったのだ。

 孤独よりは何倍もマシだ、と。

 そして、1時間ほど経っただろうか。

「お待たせ、買ってきたぞ」
「お、おかえり、遅かったな……」
「他にも買い物があったからな」
「そ、そうか、ごめん」

 時間がかかったのは包帯や傷薬など、消耗品を買ってきたからだ。
 自分のためだ、と彼女は分かっていたため、申し訳ない気持ちになったエルザだったが……

「だからそんな顔するなって。とりあえず、それ脱げ」
「……え?」

 恥じる様子も無く、そんな事を言いやがった少年・ワタルに、エルザは暫し思考を空白にしてしまう。
 目を点にするエルザと至って真面目な表情のワタル。沈黙が長く続く事は無く、エルザは正常な思考を取り戻す事に成功する。

「お、おおおおおまおまお前! い、いいいいいいいきなりななななななにをいうのだ!?」

 …………訂正、正常ではなかった。
 羞恥と怒りで顔を真っ赤にして、目の前の少年にビシッと指を差したエルザの口から出た言葉はしどろもどろというレベルではなかったのだが、当のワタルは不審そうな表情で口を開いた。

「なにって、治療の続きだよ」
「いいよ、そんなの!」
「いいわけないだろ。昨晩したのは応急処置だけなんだから、傷が悪化してないか調べないと。もし海水が入って化膿してたら大変だぞ。包帯も交換しないといけないし。一人で背中の様子を見られるなら話は別だけど」

 ツンと撥ねつけるようなエルザに眉間に皺を寄せたワタルは淡々と言いながら、清潔な水とタオル、消毒液や軟膏の瓶に新しい包帯を取り出して詰め寄る。

「う……」
「ほら、分かったらさっさと後ろ向いてそれ脱げ」
「わ、分かったよ……。でも、背中だけだからな」
「俺もそのつもりだ。腕と脚はエルザが自分でやればいい」

 まるで聞き分けのない子供に対する言い様に、渋々観念したエルザは背を向けて座るとボロボロの囚人服を脱いで包帯を捨てて、渡されたタオルを水で濡らして傷を洗うのだった。






「はい、終わり。化膿してるところも無いし、跡も残らないだろ」
「……どうも」

 10分後、傷口に軟膏を塗って包帯を巻き終えたワタルの言葉に安堵しながらも、エルザは疲れたように返事を返した。

 初めの方こそ顔から火が出ているかのような恥ずかしさで手元がおぼつかなかったし、背中にワタルの指が触れる度にピクリと肩を震わせていたエルザだったが、対照的に黙々と処置を進める彼の手つきは慣れた医者のそれだった。
 これでは、一方的に羞恥心を持っている自分の方が馬鹿に見えるというものだ。

 そう忸怩たる思いを胸中に覚えて憮然としていた時、肩に白い大きな布がかけられた。

「……それさ、もう着れないだろ。だから、あー……買ってきたんだ」

 先程とは打って変わった様子のワタルの言葉にエルザがそれを広げてみると、それは白いワンピースだった。いつの間に置いたのか、横にはスニーカーもある。
 確かに、今まで身に着けていた囚人服はボロボロで着れたものではない。砂浜を歩く分は構わなかったが、旅をするなら靴だって必要だ。
 加えて肌を隠す物が包帯以外ない今、身も蓋も無い言い方だがエルザは全裸なのだ。それを意識した瞬間、激しい羞恥に襲われたエルザは慌てて礼を言うとワタルがこちらに背を向けているのを確認してから服と靴を身に着け、そして声を掛けた。

「あ、ありがとう。…………もういいぞ」
「了解。ん、似合ってるじゃん」
「そ、そうか?」
「ああ、本当だ」
「似合っている、か……。そうか、そうか……」

 服を似合っている、と言われたのは初めてだったため、エルザは嬉しいやら恥ずかしいやらで顔を赤く染める。
 照れたのか、落ち着かないといった風に緋色の髪を弄り始めたエルザの様子に少しだけ息を飲んだワタルは数回だけ目を瞬かせると口を開いた。

「……まあ、いいや。それで、だ。やっぱりフィオーレには歩くと結構かかるそうだ。それでも行くんだろ?」
「ああ。フィオーレのマグノリアにあるギルド。そこが妖精の尻尾(フェアリーテイル)、ロブおじいちゃんの言っていたギルドだ」
「……マグノリアに有ってよかったな。フィオーレの東部にある町だ。というか、マグノリアにあるって知ってたんだな」
「……今思い出したんだ」

 『ロブおじいちゃん』という単語に引っ掛かったものの、エルザの沈んだ顔を見て、追及するのはやめた。
 背中の傷を見たワタルには、それが鞭打ちでできたものだと分かっていた。漂流していた事といい、どう考えても何らかの事情がある事は確実である。それ以外にも色々と疑問はあるし、それについて推測するのは容易い事ではある。

 しかし、それを口にする事は彼女の心を深く傷つけるという事を推測することもまた、簡単にできたからだ。

「そうか。……じゃあ、行こうか」

 そして荷物を背負うと、エルザに声を掛け、港町に向かうのだった。



 目的地はフィオーレのマグノリア、そして魔導士ギルド・妖精の尻尾(フェアリーテイル)
 後に数々の伝説を残し、帰るところを亡くした二人にとっては『家』とも呼べる場所になるギルドである。

 
 

 
後書き
リメイクの経緯や理由というほど大したものではないですが、活動報告に載せましたのでそちらもどうぞ。

意見感想批評などありましたらどうぞ。 

 

EP.2 ワタルの魔法

 
前書き
遅くなりましたが、リメイク版第二話です。よろしくお願いします。
4/4一部改訂 

 

「なあ、そういえば、ワタルはどんな魔法を使うんだ?」

 大陸を放浪する少年魔導士・ワタルと、彼に拾われる形で共に旅をする事になったエルザ。旅を始めてから少しの間、二人の間には少し距離があった。

 エルザからしてみれば、頼まれもしないのに怪我の治療だけでなく旅の付き添いまでするワタルは猜疑の対象なのだが、同時に恩人である彼を疑っている自分を嫌悪していた。
 ワタルにしてもそんなエルザの内心を察した訳では無いが、無理に刺激する事も無いだろうと積極的に話しかける事は無かった。
 もっとも、複雑な事情を抱える彼女への接し方が分からなかった、という対人経験の乏しさからなる事情もあったのだが。

 そんな理由があって2人には少し距離があったのだが、同じ道を歩き、同じものを食べ、同じ場所で寝るという共同生活を続けていくうちに、話す分には戸惑いが無い程にはその距離は近くなっていた。
 そして、旅をして数週間ほど過ぎていたある日、山道を歩いていたエルザはワタルが魔導士である事を思い出し、そう尋ねたのだ。

「そうだな……いや、見た方が早そうだ」

 答えようとしたワタルだったが、手でエルザに止まるように示すと、彼女を庇うように前に出た。

「どうしたんだ、いきなり? ……あ」

 急に警戒しだしたワタルにエルザは尋ねて肩越しに前を見ると、すぐに疑問は氷解した。

「坊ちゃん、嬢ちゃん……た、助けてくれ……山賊に、襲われて……」

 服のお腹の部分を真っ赤に染めた一人の男がおぼつかない足取りで現れ、助けを請い始めたのだ。

「おい、大丈夫……ワタル?」

 明らかに重症である男の様子に慌てたエルザはワタルの背後から飛び出して男に駆け寄ろうとしたが、それは叶わなかった。
 そのワタルが手でエルザを抑えていたからだ。

「た、頼むよ……。これでも私は商人なんだ。礼なら幾らでもする! だから、頼む、助けてくれ……!」
「……」
「どうしたんだ、ワタル? 今ならまだ……」

 不審そうに見るエルザをよそに、ワタルは数秒だけ赤い片手で腹を抑えながら、とうとう両膝をついて身体を丸めてしまった男の様子を観察すると、ゆっくりと呻き声を上げる男に近付き始めた。

 一歩、二歩――と歩き、男までの距離が3メートルを切ったその瞬間。


「ヘッ、かかったな、ガキ!」


 血まみれの男が突然起き上がり、隠し持っていたナイフを手にワタル目掛けて突進してきた。

 大怪我をした商人を装っての不意討ち。
 少年は殺して荷物を奪い、少女は奴隷にして売りつける。少女の方はまだ幼いが顔立ちは可愛らしい。その手の趣味の富豪なら高く買い取ってくれるだろう。
 少年の向こうに見える、突然の事に何が起こったのか分かっていない少女の顔を見て、男はそう算段を立てていた。


 しかし、だ。


「下手な演技だ」

 ワタルからすれば、それは取らぬ狸の皮算用でしかなかった。

「な……ガッ!?」

 ナイフを持つ男の右手首の内側を左手を添わせるように取ると、切っ先を身体の外へ逸らしつつ、突進の勢いを殺さぬまま、踏み出された男の左足を左足で強く払ったのだ。
 掴まれた右手を軸に男は宙を一回転。何をされたのかも分からぬまま、背中から地面に激突した。

「ぐ……このガキ、ッ!?」

 だが悲しいかな、その程度で子供が大人の男の意識を奪えるはずもない。
 投げ飛ばされた男は激昂して暴れ出そうとしたが……目を開け、視界に映ったのは自分を投げ飛ばした少年の小さな靴の底だった。

「一丁上がり、と。……雑な手入れだな、このナイフ」

 男の顔面を踏みつけたワタルは鼻柱を折られた男が意識を失ったのを確認し、投げ飛ばした際に奪ったナイフを調べ始めた。

「……ッ、大丈夫か、ワタル!?」
「そう叫ぶな。それより、お出ましだ」
「何を……?」

 ほんの数秒の事に呆気にとられていたエルザだったが我に返り、ナイフを弄っているワタルに慌てて駆け寄ってきた。そんな様子とは対照的に落ち着いているワタルの返事に、エルザは聞き返そうとしたが、両者ともそれ以上口にする事は無かった。

「これは……!?」
「ひい、ふう、みい――20か。結構多いな」

 前方から大量の山賊が現れたのだ。
 いや、前方だけではない。広いとは言えない山道の脇の林からも、さらには後方からも剣や棍棒を手にした山賊が現れ、ワタルとエルザは完全に囲まれてしまった。

 そんな中で、先の不意打ちで手っ取り早く済まそうと考えていたのか、ワタルの身長よりも大きな両手剣を手にした大柄の男が不機嫌そうな表情で前に出るとワタルに声を掛けた。

「何故わかった?」
「よくある手だ。それに殺気がダダ漏れだった。あれじゃあウサギだって逃げるさ。まあ……」

 そこで言葉を切ると、ワタルは口元を歪めて言い放った。

「アンタらにしても同じ事だが。つーか、なに? 子供二人に騙し討ちしなくちゃいけない程、おたくらは腰抜けな訳?」
「ンだとォ!?」

 エルザを後ろに庇いつつ、依然としてナイフを弄びながらのワタルの返事に、山賊たちは得物を振り上げて怒りを露わにした。頭と思われる大柄な男も、青筋を浮かべて頬をひくつかせている。

「煽ってどうするんだよ……」
「いいから任せとけ」

 包囲されただけでも危機的であるのに、その上煽るような真似をするワタルにエルザは不安になったが、当のワタルはどこ吹く風。怯えどころか動じた様子も見せない。
 それどころか、涼しげな笑みすら浮かべている。

「威勢のいいことだな、小僧。幾らか場慣れしているようだが相手が悪かったな……周りをよく見ろ! 1人や2人ならあしらえるかもしれんが、まさか20人も相手にして無事で済むとは思ってないよなぁ!?」

 歪んだ笑みを見せるリーダー格の男の言葉に同調してか、周囲の山賊たちも囃し立てたり各々の得物で地面を叩くなどしてワタル達を脅しにかかる。
 ワタルの馬鹿にしたかのような言葉に怒りの表情をしていた者もいたが、今は全員が数の差も解せない愚かな子供への嗤いをその顔に浮かべていた。

「(どうするんだ、この状況……)」

 エルザには奴隷としての強制労働で鍛えられた身体能力と反乱を起こして得た戦闘経験があったが、圧倒的とも言える数の差に不安を濃くしていた。
 そんな彼女とは対照的に、ワタルは余裕を崩すことなく依然としてナイフを弄んでいる。
 そして……何を思ったか、笑みを深めた。

「へぇ……で? それが何か問題?」

 360度から向けられる敵意と殺意など意にも介さず、山賊たちを嘲笑ってみせたのだ。

「分かったら退けウスノロども。こっちはお前ら木偶に構ってられるほど暇じゃないんだ」

 ナイフを弄り回すのをやめて切っ先をリーダー格に突き付ける。
 予想もしていないワタルの嘲笑に一瞬呆気にとられた彼らだったが、すぐに全員が憤怒に顔を歪め、怒声を上げ始める。


 心中穏やかではないのはエルザも同じだった。
 彼女たちが楽園の塔で反乱を成功させたのは、

『失敗すれば未来は無い。だが成功すれば自由を掴める』

 という背水の陣から士気が高かった事と、数的有利がこちら側に会った事が大きかったと言っていい。
 手元に武器か何かがあれば打開のしようもあったが、残念ながら武装しているのは山賊のみ。
 そんな理由があって、この状況を切り抜けるのは絶望的に思えたのだ。

「心配するな、エルザ。言っただろ、魔法を見せてやるって」

 そんなエルザの不安を見透かしたのか、あるいはただの偶然か、ワタルは振り返ることなく、あくまで余裕を崩さず、しかし力強く言ってのけた。

「こんな小物、三分もあれば終わる」



 ワタル・ヤツボシにとって、こんなもの危地の内に入らないだ、と。



 当然ながら、子供にそこまで舐められて黙っている山賊ではない。

「散々虚仮にしやがって……もういい、嬲り殺しだ! 俺たちを舐めやがって、楽に死ねると思うなよ!!」

 むしろよく我慢した方だろう。

 ワタルはそう思いながら、千切れんばかりに青筋を立てて吠える頭領の怒声を聞き流し、奪ったナイフに魔力を込めはじめる。
 そして周りからの襲撃を視覚と気配で察し、あえてナイフを前方に投擲した。

 子供の力で投げられたナイフが、荒くれ者の山賊に通用する訳がない。

 それが山賊たちと、そしてエルザの共通認識だった。
 馬鹿なガキだと嘲笑いながら、射線上にいた男がナイフを避けようとしたその瞬間……

「爆」

 ワタルの掛け声と共に、ナイフが風船のように破裂した。
 刃の鉄と柄の木が細かな破片となって、前方からワタル達に襲い掛かろうとした山賊たちに襲い掛かる。

「魔力の伝導率が低い唯のナイフならこんなもんか」

 しかし、ナイフに込めた魔力が微量だったため、爆発の規模は癇癪玉程度のもの。精々が大きな音を立てる程度で、直接破片を浴びた者も小さな切り傷ができただけだった。

 これが使用者の魔力を攻撃力に変換できる魔法剣の類ならば、もっと多くの魔力を込める事でより規模の大きな爆発を起こす事が出来たのだが、今回使ったのは何の変哲もない鉄製のナイフ。魔力を注ぐ器の小ささとワタルの未熟さゆえに不意打ち代わりに驚かせることで怯ませ、足を止めるくらいしかできない。

 だが、その程度の時間があればワタルには十分だった。

「換装」

 自然体のまま静かに口にすると、その手の周囲が光り……鎖の両端に手持ちサイズの鎌が付いた、二丁鎖鎌と呼ばれる暗器が現れた。

 “換装”とは別空間にストックしておいた道具を取り出して持ちかえる魔法だ。
 珍しい魔法ではなく、むしろポピュラーな部類に属する魔法だが、それゆえに奥深い。スピーディーな高速換装には高い練度だけではなく扱う武器に関する深い理解も必要とされるのだ。
 また、特別な武具を使うのでなければ魔力の消費が少ないのも特徴といえる。

 ナイフの爆発で出鼻を挫かれた山賊たちは更に足を止めてしまう。通常の鎖鎌は一方が鎌でもう一方には分銅が付いているのだが、もちろんそれに驚いた訳では無い。

「魔法!? こいつ魔導士か!?」

 魔導士の割合はアースランドの人口の10分の1といっていい。
 まさかこんな子供が魔法を使えるとは予想もしていなかった山賊たちは、怒り心頭だった表情を驚愕に変えて足を止めてしまう。
 だがそれは前方に限った話。ワタルとエルザの陰になってその現象が見えていない後方の山賊たちの足は止まっていない。

「屈め!」

 振り向きながら、エルザが慌ててしゃがむのを回転しながら確認し、遠心力も合わせて鎌を片方投擲する。

「な……ガハッ!?」
「何だ!?」
「魔法!?」

 風を切って飛んで行った鎌は後ろに陣取っていた山賊の一人に命中し、ワタルの魔法をようやく認識した残りの山賊を驚愕させた。

 山賊たちの驚愕はそこで留まらなかった。

「そォらよッ!」

 鎌を投げた手でしなる鎖を掴み、魔力を込めて操作。後方にいた山賊たちを一気に薙ぎ払ったのだ。
 明らかに見た目以上の長さになって襲い掛かった鎖に対応できず、山賊たちは悲鳴と共に山道の脇の林へと吹き飛ばされた。

 これは“換装”の応用。
 普段の鎖の長さは振るうのに邪魔にならないほどに留めているのだが、投擲の際は換装空間に保管している余剰分の鎖を鎖鎌へ付け足す事によって見た目以上のリーチの攻撃を可能にしているのだ。
 付け足すのが可能ならその逆の分離も然り。鎖の魔力操作で薙ぎ払った山賊を手近な樹木に縛り付けて無力化し、それに使った分だけ鎖を分離して鎌を手元に引き寄せた。

「これで5人」

 前方は足止めが成功し、まだ距離がある。後ろは拘束した。残りは左右。

 ワタルは両の鎌に魔力を込めながら眼球の動きで左右から山賊が3人ずつ迫っているのを確認すると、右足を軸に身体を捻りながら両手を振り抜いた。

「“魂威・三日月”!」

 鎌は空を切ったが、それを嗤う者は居ない。
 鎖鎌によって増幅された魔力は三日月の形になって放たれ、左右から一斉に襲い掛かろうとしていた山賊たちに直撃、その意識を飛ばしたのだから。

「11」

 気絶した山賊たちを一瞥することなく山賊に向き直ったワタルには、先程まで浮かべていた笑みは無い。

 狩られるのはお前たちだ。

 油断なく、残りの9人へ向ける視線は油断や慢心など微塵も無く、好戦的に歪められた口元がそう冷たく語っていた。






「……ッ!? クソ、なら数だ! 一気に囲んで魔法を使わせるな!!」

 あっという間に半分以上の仲間を戦闘不能にされた事に呆然としていた山賊のリーダーだったが、すぐに我に返ると命令を出した。

 頭領と同じように呆気にとられていた残りの8人が迫るが、まるで動じないワタルの背中を、その姿を目に焼き付けるようにエルザは見ていた。

「これが、ワタルの魔法、魔力……」

 エルザがこれまで見てきた魔法は、楽園の塔の魔法兵が使う攻撃魔法とゼレフに憑りつかれたジェラールの狂的とすら言えるほどどす黒い暴力だった。
 目の前には、囲まれながらも鎖で山賊の得物をいなし、或いは小柄な体躯を利用して懐に潜りながら両手の鎌を振るうワタルの殺陣。

 両者とも『相手を圧倒する力』という点では共通している。
 しかし、魔力に目覚めたばかりで魔導士としてはまだまだ未熟なエルザではあるが、ワタルからは楽園の塔で感じた魔力とは全く違う、湧水のような淀みない清廉な魔力を感じていた。

「(私もなれるだろうか?  あんな風に、強く……!)」

 山賊の一人の足首に鎖を巻きつけて、魔力による身体強化と鎖の操作で即席のチェーンハンマーとしたワタルが、巻き込みで3人ほど戦闘不能にしたのを見ながら、エルザは己の胸が静かに高揚するのを感じていた。
 豪快に、それでいてしなやかに戦うワタルの武の舞に憧れを抱いたのだ。

 そうやって見惚れていたせいだろう。さらに3分の1の戦力を失い浮き足立つ山賊の中で一人、辛うじて冷静さを保っていた者が自分の後ろに回っていた事に、エルザは気付かなかった。

「このっ!」
「キャッ! く、この……」 

 そしてエルザは山賊に捕まり、うつぶせに倒されてしまう。自分の迂闊さを呪って何とか拘束から抜け出そうとするが、短剣を喉元に突き付けられては抵抗もできない。

「へへへ、おい! 動くんじゃ、な……い……?」

 エルザを組み伏せた山賊は人質を取ったことを宣言しようとしたが、視界に嵐のごとく暴れ回り、仲間を蹴散らしていたワタルの姿が無い事に動揺して慌てて探すが……


「……そりゃこっちのセリフだ、馬鹿野郎」


 ワタルは既に、後ろにいたはずのエルザを拘束する山賊の、さらに後ろに回り込んでいた。
 状況を認識できていない山賊に構わず、魔力を十分に溜めた手をその背中に当てる。

「“魂威(こんい)”!!」

 瞬間、山賊は魔力を打ち込まれて電撃のような炸裂音とカメラのフラッシュのような閃光と共に吹っ飛び、何が起きたのかも分からないうちに気絶した。

「大丈夫か、エルザ?」
「え、……ワ、ワタル!? いつの間に……」

 ワタルの手にあるのは先ほどまでの鎖鎌ではなく、忍者刀のような鍔の無い短刀。
 そのことにも驚いたのだが、エルザの驚愕はもっと別のところにあった。

 一体どうやって、瞬間移動でもしたかのように後ろに回っていたのか、だ。

「これは特殊な魔武器でな。忍者刀(こいつ)は使用者の魔力に応じて身体能力が強化される効果がある」

 その効果で、山賊が声を出すより早く後ろに回ったという訳だ、とワタルは説明した。

「すぐに終わる。じっとしていろ」
「う、うん」

 見れば、リーダーを別にすれば山賊の残りはあと4人になっていた。
 ワタルはその中をエルザがかろうじて視認できるぐらいのスピードで縦横無尽に駆ける。

 先程までの鎖鎌の撹乱は技と身体捌きによるものだったが、今度は純粋な速さで駆け回って山賊を翻弄していく。
 忍者刀で切りつけたり、先程の強い閃光が走る度に立っている山賊の数が減っていき、リーダー格の男を残して全員が気絶、あるいは呻き声を挙げて地に伏す状況を作り出すのに、さほど時間は掛からなかった。

「さて、アンタで最後だな」
「クソが……ったくとんだ計算外だ、クソッタレ……」

 手下の山賊を全員倒し、残るはリーダー一人。
 ゆっくりと向き直るワタルに青筋をこれ以上浮かべたら切れるのではないかと心配になるほどに浮かべて、山賊の頭領は150センチはあろうかという大剣を手に、恐ろしい形相でワタルを睨む。

「とっとと観念……む」

 もう結果は見えてると言わんばかりに降伏を促そうとしたワタルだったが、リーダーが持つ大剣を見て足と言葉を止める。

「ああ、ホント計算外だ……ガキ相手にこれを使う羽目になるとはなァ!!」

 それを隙と見たのか、リーダーは両手で大剣を振りかぶり、ワタルの脳天目掛けて振り下ろした。
 怒りで必要以上に力んだ一撃は必要以上に重かったため、身体を捻れば楽に回避できる一撃だ。

「これは……チッ!」

 しかし、ワタルは余裕を持ってこれを回避。
 舌打ちと共に大きく飛び退くと、大剣が叩きつけられた地面が爆発、周囲に爆炎を撒き散らした。
 肌をなめる熱にエルザは驚き思わず声を挙げる。

「炎!? これは魔法、なのか……?」
「滅多にある物ではないが、魔法剣の中には魔水晶(ラクリマ)を埋め込む事で属性を追加したり威力を上げたりすることができる物もある。あれもその一種だ」

 軽い解説を交えたワタルの回答に、エルザはある疑問を覚えた。
 なぜ山賊がそんな代物を持っているのか、という疑問だ。

「大方、討伐依頼を受けた魔法剣士を返り討ちにでもして奪ったんだろ」
「魔導士を、山賊が?」

 楽園の塔で反乱を起こした際に鎮圧部隊として出張ってきた魔法兵を思い出したエルザは信じられない様子を見せた。あの時はショックで魔力に目覚めたから切り抜けられたが、魔法の強大な力を目の当たりにしているエルザには、魔法の使えないただの山賊が魔導士を倒せるとは思えなかったのだ。

「魔法剣は普通の剣としても使えるけど、その真価は使用者が魔力を込める事で重さ、つまり威力を調節できる点にある」

 これは魔法剣共通の性質だ、と鎖鎌を換装しながら続け、ワタルは爆発で巻き上がった砂塵と火の粉の向こうに揺らめく山賊のリーダーの影を睨みながら構える。

「分かるか? 魔力を持たない者が使うならまだしも、ああいう魔水晶(ラクリマ)でブーストする魔法剣を魔導士が使うって事は、『自分は魔力の還元も碌にできない未熟者です』って言ってるようなものなんだ」

 それを逆手にとって油断を誘う、という利点が無いではないが、そんな知恵が回るなら山賊の討伐など容易なものだろう、というのがワタルの見解だった。
 第一、懐事情に明るいとは思えない山賊稼業では、魔水晶(ラクリマ)のストックだって十分な数は用意できるはずもない。生活に使う程度のものなら安く取引されているが、戦闘での使用に耐えうる魔水晶(ラクリマ)は値が張るのだ。

「このクソガキがあああああああァ!!」

 それゆえの切り札、虎の子だったのだが、あっさり躱されてしまい、驚愕と怒りで山賊のリーダーの心境はとてもではないが穏やかとは呼べないものになっていた。

 まさか見切られたのか。ありえない、予想などできるはずがない。何故あんなガキにいいようにやられているのだ。

 怒りで支離滅裂になっている思考のまま、男は砂塵を突っ切って突撃。鎖鎌を構えるワタルに再び剣を振り下ろす。
 今度は躱せるはずがない。躱したら女に爆炎が当たる距離だ。

 男の予想した通り、ワタルは躱さなかった。

「は……?」

 思わず間抜けな声が漏れる。
 男にとって、目の前の光景はそれだけ理解しがたいものだったのだ。

 振り下ろした剣は大量に集中した魔力で淡い光を放つ鎌で防がれたが、爆発はしっかり発生した。が、その爆炎はワタルにも、後ろのエルザにも何の影響も与える事は無かったのだ。

「解析完了。逆流開始」

 動作不良かと、悪夢にも等しい光景に現実逃避する暇も無い。
 鎖で剣を固定したワタルが剣の腹に手を当てると電撃のような光が刀身に、鍔に、柄に走り、まるでひきつけを起こしたかのように剣が振動し始めたのだ。

「な、何をして……!?」
「過ぎた玩具を壊してやるだけさ」

 抵抗しようにも、いつのまにか剣は鎖でグルグル巻きにされてしまい、何が起こっているのか分からないまま、剣は……いや、柄に埋め込んだ魔水晶(ラクリマ)は爆発した。
 幸運だったとはいえ、以前自分たちを討伐に来た魔法剣士が未熟だったがゆえに返り討ちにして奪う事が出来た魔法剣をあっさりとお釈迦にされてしまい、男には呆然と重い鉄の塊と化した大剣を眺める事しかできない。

 もちろんそれを許すワタルではない。
 次の瞬間、ワタルはリーダー格の男の懐にいた。

「“魂威”!!」
「ガ、フ……!」

 男の鳩尾に手を当てて魔力を打ち込むと、男は倒れ、白目を剥いて気を失った。

「ま、相手が悪かったな。……聞いてないか」

 カモだと思っていた子供一人に全滅させられたのだ、山賊にとっては厄日以外の何物でもないだろう。
 だからと言って同情する訳ではないが、一言だけそう言うと、ワタルは男の魔法大剣を取るとエルザの方に振り返った。

「エルザ、もう大丈夫だぞ」
「う、うん……」
「……怖かったか?」
「そ、そんなことない!」
「そうか、なら良かった」

 そう言って笑ったワタルは先ほどまでの鋭い雰囲気ではなく、エルザが知るいつも通りのワタルだった。
 そのことに安心したエルザは、山賊たちをどうするのか尋ねた。

「とりあえず拘束して……近くに大きめの街があったから、そこに駐留している軍隊にでも引き渡す。話はそれから、だな」
「なんか、手慣れてないか?」
「そうか?」

 怪我を治療してくれた時も思ったが、とエルザは内心で溜息をついた。

 最初の騙し討ちの看破に始まり、先程までの戦いぶりに加え、今は気絶した山賊たちを予備の鎖で木に拘束しているワタル。
 反乱を指揮したという事もあって『戦い慣れている』という自負があったエルザだったが、彼の前では経験の厚みの差を痛感せざるを得ず、少し疎外感を抱いたのだ。

 だがそれでいい。そうでなくてはならない。

 目を閉じた時、浮かび上がるのは彼の戦う姿と清廉な魔力。戦い――いや、蹂躙と言った方がふさわしい程に圧倒的な力と、エルザが見てきた魔法とは似ても似つかない、透明な魔力。

 それは傷だらけの心に灯る道標か、それともただの幻影か…………ただ確かな事は、

『今この瞬間、ワタル・ヤツボシはエルザ・スカーレットの目標となり、憧れの対象になった』

 という事だけだろう。



    =  =  =



 山賊たちを拘束し終え、近隣の街に駐留する軍隊に連絡した二人は、久しぶりに宿に泊まっていた。
 あの山賊たちは街の悩みの種になっていたらしく、報奨金が出たのだ。

 清潔なシーツの上に寝転がりながら、エルザは尋ねる。

「それにしても、あのバシッって鳴るやつ――“魂威”、だったか? 私にも使えないのか?」
「無理だ。“魂威”は集中した魔力をそのまま放出させる技だからな」
「放出?」

 首を傾げるエルザに、ワタルは少し考えると口を開く。

「そうだな……魔力を拳に集中させるだけなら魔導士だったら誰でもできるけど、そのまま放出となると、もう努力と経験でどうにかできる物じゃなくて体質も絡んでくる。今じゃあ、使えるのは俺だけだろうさ」

 魔導士は自分の魔力を能力(アビリティー)系なら何らかの現象――炎や雷、氷などとして――具現させて、所持(ホルダー)系なら物に纏わせて魔法を使う。
 “魂威”は魔力そのものを、変換なしに純粋なままで打ち出す技のため、ある特別な体質と精密な魔力コントロールを必要とする。

 特別な体質とはすなわち、ずば抜けて高い魔力感知能力を指す。
 魔力を感知する能力は、魔導士なら大なり小なり誰でも身に着けている。それは五感の全てであると同時にどれにも当てはまらない感覚――いうなれば魔導士が持つ第六感。
 “魂威”はこの感覚で自分の内側の魔力を隅々まで感知する、言い換えれば誰よりも自分を理解し支配下に置くことが前提条件だ。
 だが魔力というものはとにかく繊細で、良し悪しを問わず感情や精神に大きく影響する。そのため、精神的に不安定な状態で無理に撃とうとすれば不発ないし暴発の危険性をはらんでいる技なのだ。

 だが、“魂威”には、そのデメリットに見合うだけのメリットがある。
 威力は高い事はもちろん、打ち出した魔力を操る事が出来れば、さらに応用力の高い技に昇華できるのだ。

「むー」
「ハハハ、むくれるなって。“換装”はお前とは相性が良いと思うし、教えてやるさ」

 魔力を空気中に軽く魔力を炸裂させて実演して見せたワタルの説明にエルザはむくれて落ち込んでしまう。が、換装は自分でも使える、さらに相性が良い、と知ると目を輝かせてワタルに詰め寄った。

「本当か!? なら教えてくれ!」
「ああ、分かった分かった。でも今日は遅いし、また明日、な」
「む、分かった。約束だぞ」
「ああ、約束だ」

 すぐに始めようとしたエルザだったが、ワタルに諭されたため、約束をすると布団に入ると、山賊との予期せぬ遭遇で疲れたのか、すぐに寝入ってしまった。






「(エルザの奴、今日はやけに機嫌が良かったな。まあ、布団付きの宿に泊まれたのは久しぶりだしな)」

 相方を起こす訳にもいかず、静かに寝息を立てるエルザの後頭部を一瞥して寝返りを打ったワタルは心の中でそう納得すると目を閉じ睡魔に身を委ねようとする。
 しかし……

「……行かな……ロブおじ……ジェラ……」

 眠りに入るその直前、か細い声が聞こえたワタルは体を起こした。
 睡眠を邪魔されたが不機嫌な様子は見られない。これまでにも何度かあった事であるし、なによりも過酷な体験をしたばかりの少女なら、悪夢に魘されるのは当たり前だと、むしろ心配していた。

 しかし、自分に何ができるというのだ。奥深く踏み込む事が、こいつのためになるのか。自分から話してくれるのを待つべきではないのか。

 そう迷いながらも自分を納得させると、自分も横になろうとしたのだが……

「――――ワタル」
「!」

 突然自分の名を呼ばれ、ハッとエルザの寝顔を見てしまう。
 悲しい夢を見ているのだろう。眼帯に覆われていない左目からは涙が滲み、片手をヨロヨロと伸ばしていた。

 おそるおそる、彼女を起こさないようにそっとその手を取ると、できるだけ穏やかに声を掛ける。

「大丈夫だ、俺はどこにも行かない。俺は……俺は此処にいるから」

 無意識に握られた彼女の手を恐る恐る握り返し、自分にも言い聞かせるように囁く。
 しばらくすると寝言は止み、心なしか彼女の顔も和らいだ。
 それに安堵すると共に急に気恥しくなったワタルは手を離すと自分の布団に入り、そして思案にふける。

「(また明日、か……。いつぶりだろう、そんなことを言うのは)」

 ずっと独りだった。この広い世界を、たった一人で、少なくとも2年生きてきた。
 大衆から疎まれ、恐れられ、そして憎まれてきたという一族出身である自分には、心を許せる者も頼れる者もできるはずも無かったのに――

「(ああ、でも……なんか安心するな)」

 そんな自分が、明日を約束できる人に、明日を望んでくれる人に会えた事が、ワタルには嬉しかった。

「おやすみ、エルザ」

 普段より穏やかな気持ちで、眠りに入ったワタル。

 そんな胸中とは裏腹に、深い眠りの中で見た夢は、赤く染まった床と、狂ったように嗤う、白髪を血に染めた男の夢だった。

 それが誰なのか、いったい何をしているのか――そんな疑問だけでなく、夢を見た事そのものも、翌日目覚めたワタルの意識に浮かぶ事は無かった。






「……!」

 翌朝、エルザは頬を赤くして目覚めた。

 幾分か余裕が出たからか、心の隙を突かれたエルザは昨晩悪夢を見た。
 その夢は最近の、楽園の塔の夢。
 傷ついた仲間たち、倒れて動かなくなったロブ、そして狂ってしまったジェラール。

 その次に見たのは……ワタルの夢だ。
 生きる指標として決めた彼も、彼らと同じようにどこか遠い、自分の届かない場所行ってしまうんじゃないか――そう思うとどうしようもなく不安になって手を伸ばすと、ワタルはその手を取って優しく笑ってくれた。

 口元が動いたような気がするが、何を言っているのかは分からなかったが、それでも何故かたまらなく嬉しく、安心した。
 目覚めた今、心に残るのは最後に夢に出たワタルの笑顔。
 自分を安心させるその笑顔に心が高鳴るのを感じたエルザが胸に手をやると、心臓の鼓動が煩い程に音を立てていた。

「ワタル……」
「なに?」
「ひゃ、ひゃい!?」

 思わず、といった風に口にしてしまった呟きに答えた者がいて、声が裏返る。見ると目の前に件の人物、ワタルその人がいてエルザはさらに慌ててしまう。

「どうしたんだ、寝ぼけてるなら……」
「な、何でもない!」
「顔が赤いぞ。熱でも――」
「何でもないったら何でもない!!」
「……分かったよ、きついようなら言ってくれよ」

「(起きてるなら言ってくれればいいのに……うう、絶対顔真っ赤だ)」

 エルザの顔を覗きこみ、心配そうな声を出すワタル。
 近い顔を押し退け、これ以上上げたらどうにかなってしまうんじゃないかと思う程に、エルザは心拍数を上げてしまう。

「朝ご飯は旅館で用意してくれたから……エルザー、聞いてるかー?」
「な、なんだ!?」
「……ホントに大丈夫?」
「平気だと言ってるだろう、しつこいな!」
「ああ、悪かった悪かった。……朝ご飯用意してくれたみたいだから食べようか」
「ああ、分かったよ……」

 顔を真っ赤に染めて否定するエルザを、ワタルは心配したが……頑固なエルザに、ワタルは何とか了解するのだった。



    =  =  =



 山賊から奪った魔法剣をエルザに与え、制御方法や魔力の運用方法などを教え、軽い修行のようなものをしながら旅を続け……1週間ほど経っただろうか。

「ここが……」
「そうみたいだな」


「「妖精の尻尾(フェアリーテイル)!」」


 一ヶ月の旅の末、“FAIRY TAIL”と書かれた看板の大きな建物の前に、二人は立っていた。
 やっと着いたという感慨と、これからどうなるかという不安を胸に秘めながら。


 
 

 
後書き
リメイク前に比べて文字数が約2倍に・・・(汗) 

 

EP.3 ギルド加入、しかし……

 
前書き
更新遅れて申し訳ないです。
リメイク版第三話、どうぞ。 

 

 山を越え谷を超え、ついでに国境も超えて、ワタルとエルザは約一ヶ月の旅の末にようやく着いたフィオーレ王国のマグノリアの街に到着した。
 街の最奥部に位置する大きな建物には妖精を模したマークが刻まれた旗が掲げられている。

 それが二人の目的地である魔導士ギルド、妖精の尻尾(フェアリーテイル)だ。

 その入り口で、ワタルは少し気圧されていた。
 理由は、入り口まで伝わる祭りのような活気と、まだ日が高いにもかかわらず漂うアルコールと紫煙の香り――まるで居酒屋のような雰囲気が未知のものだったため、という事が一つ。

 もう一つは……

「(これはまた……途方もない魔力だな)」

 体質柄、ワタルは魔力を感じ取る事に長けている。
 ギルドの中からは所属している魔導士のものと思われる魔力も幾らか感じられていたのだが、そのなかでも一番奥から感じられる魔力は凄まじいものがあった。
 魔力に対する強い感受性ゆえに、ワタルはまるで山でも目の前にしているかのような圧力を感じていたのだ。

「これはまた……凄まじい所だな、エルザ」

 口の中が渇き、唇をペロリとなめる。
 今まで感じた事の無い程の魔力に恐れをなしたのではない。むしろその逆で、ワタルは無意識に笑みを浮かべていた。

 今まで旅をして、世界は広いと思っていたけどまだまだだ。こんな力を持つ魔導士がいるなんて思ってもみなかった。自分の力はどこまでその人に通用するのだろう。自分はどこまでその高みに近付き、そしていつかは越える事が出来るのだろうか。

 そう思ったが故の笑みと正直な感想だった。

「ここが……ロブおじいちゃんのいたギルド……」
「……エルザ?」

 しかし、ワタルの言葉がまるで耳に入っていない様子でエルザは呟き、建物を見上げている。ワタルは彼女の肩を軽く叩きながら、もう一度声を掛けた。

「……な、なんだ?」
「大丈夫か? ぼおっとして……」
「大丈夫だ。まずはギルドマスターに会わないとな」

 エルザはそう言うと、ワタルの手を引きながら入り口を通ってカウンターの方へ歩いて行く。

 ワタルは慌てた。
 巨大な魔力に当てられて高揚し、思わず失念していたが、自分の出自は万人に良い顔をされる類の物ではない。それどころか、既に滅んだとはいえ、一族の者たちの行いを考えれば疎まれても仕方のないものだ。実際、立ち寄った街で偶然出自を看破された時は石を投げられ追い出された事もある。
 血で呪われた一族の末裔である自分を受け入れてくれるとは思えなかったのだ。

 だから、エルザとの旅は此処までで終わりだと、胸の内に少しの寂しさを覚えながら、足を強引に止めて手を払うと口を開いた。

「お、おい、俺はまだ入るとは……」
「入らないのか……?」

 また一人旅が始まるのかと、鬱屈した心境だったワタルは、見開かれた左目と声に込められた悲しげな色に思わず続きを飲み込んでしまいそうになる。

「おい坊主! 女の子を悲しませるのかァ?」
「そんなの男じゃねェゼ!」
「いいぞもっとやれ」

 見慣れない子供が二人入ってきて、周りで酒を飲んでいた者たちは様子を見るかのようにざわめいていたのだが、これは面白そうだと踏んだのか、畳み掛けるように囃し立て始める。

「部外者でも関係なしか、このギルドは……」

 鋭いのか、それともノリが良いだけなのか……とにかく、飛んできた様々な野次と変わらずこちらを見つめるエルザの眼差しに、結局ワタルは溜息と共に折れた。

「……ギルドマスターの許可が下りたらな」
「本当だな?」
「ああ」
「よし!」

 エルザはワタルの返事に満足したのか、歩くのを再開した。
 その後ろについて行くと野次や口笛がまた飛んだが、ワタルはもう気にしないことにする。

「(ホッとしているのか、俺は……?)」

 しかし、ワタルは沈んでいた心が軽くなったのを感じていた。

「(なぜ……いや、どうでもいいことだ。このギルドに、いやマグノリア(この街)にいられない事は変わらない。エルザとも……)」

 別れることになる。
 ワタルは妖精の尻尾(フェアリーテイル)のマスター、マカロフ・ドレアーと話している緋色の髪を見ながら、諦観と共にそう胸中で呟く。

 少し胸が痛むのが何故かは分からなかったが……1ヶ月も一緒にいたからだろう――そう思うことにした。






「そうか、ロブの知り合いか……。ロブは……今、どうしておる?」
「――その、ロブおじいちゃんは……私を庇って……」
「……そうか……悪いことを聞いたな、エルザ。じゃが、もう大丈夫じゃ。妖精の尻尾(フェアリーテイル)はお前さんを受け入れよう。今日からここが君の家であり、ギルドの仲間は君の……家族じゃ」

 何の前触れも無く現れた緋色の髪に右目に眼帯をした少女と黒髪の少年。
 エルザと名乗った少女の方からもたらされた旧友の訃報に、ギルドマスターのマカロフは一瞬悲しそうな顔を浮かべたが、温かい言葉を彼女に掛けた。
 それに同調するように、ギルドの者たちも彼女を歓迎して騒ぐ。

 話の区切りがついたのを察して、ワタルは彼女に近づいた。

「話は終わったのか、エルザ?」
「ああ。……マスター、こいつもギルドに入れたいんだが……」
「おお、今日は二人も新人が増えるのか。こりゃ、歓迎のし甲斐もあるわい……お前さん、名は何という?」
「――ワタル。ワタル・ヤツボシです」

 マカロフは嬉しそうにワタルに尋ね、ワタルも名乗ったのだが……ギルド内は水を打ったように静まり返る。
 その次の瞬間……ギルド内はハチの巣を突いたような騒ぎになった。

 ある者は驚愕し、ある者は困惑し、ある者は慌て、ある者は……ワタルを睨んでいた。
 その全ては大人の魔導士で、子供のなかにはいつもの粗雑でも陽気な様子と違う大人たちの様子に不安を隠せないように見やる者もいた。

「え……皆、一体どうしたんだ?」

 その中で一人、エルザは困惑して、ギルドの面々と無表情のワタル、そしてこころなしか険しい顔をしているマカロフを見比べた。

「エルザとやら……少しワタルを借りるが、良いか?」
「え……ワタルを、ですか?」
「俺なら大丈夫だ、エルザ。心配するな」

 エルザはワタルを心配そうに見たが、彼が少しだけ笑ったので、マカロフの頼みを了承した。

「……分かりました」
「すまんな……ちょっと来てくれるか?」
「了解です」
 
 そう言ってワタルはマカロフの後について、ギルドの奥に消えていった。
 あとに残されたのは心配そうな顔をしたエルザと、固唾を飲んで見守る大人たち、そして彼らの後ろに隠れた子供たちだった。






 ワタルがマカロフに連れてこられたのは、ギルド内の今は使われていない個室だった。

「ここなら誰にも聞かれないし、見られない。安心しなさい」
「……ありがとうございます」
「さてと、単刀直入に聞くぞ。お前さん、本当に“星族”の者か?」

 ワタルはマカロフの問いに対して、黙って右の肩口に手を当てると、提灯のような光と共に、星形の刺青が浮かび上がった。
 その答えに、マカロフは唸る。

「その刺青、事実、か……」
「旅をするにもコレのおかげでいろいろ不都合があるので、簡単な隠蔽魔法で隠していましたが……本物です」

 生まれて間もないころに刻まれた刺青は一族の証。自らの力を示すために大勢の者を殺し、その命を喰らってきた業を示すもの。
 そのルーツはイシュガル大陸の最東端。規模こそ小さいものの、魔力を感じ取る事に優れた体質を武器にした武闘派魔導士集団たる彼らは高い戦闘力だけではなく、目的のためなら命を奪う事を躊躇わない凶暴性と冷酷さも持っていた。

 彼らが君臨していた極東はフィオーレに比べると魔導士が極端に少なく、そこに住む者は星族の力を当てにして依頼をする事で、星族は魔導士ギルドのような活動をしていた。問題だったのは、彼らは仕事を選ぶ事をせず、禁止されている暗殺依頼すら断ることなく遂行していた事だ。そんな星族の活動を魔法評議院が認可するはずも無く、当然闇ギルドである。
 魔導士ギルドが多いフィオーレでは彼らが活動する事は無かったが、星族の悪名は新聞や噂話に乗って大陸全土に響き渡っていた。

「2年前を境に、その名を聞く事は無くなったが……」
「……あの日、俺は盗賊の討伐依頼を受けて本拠地を出ていました。ところが、依頼を終えて帰ってきたら――――」

 家族も仲間も、すべて死に絶えていた。出発前は当たり前に生きていた者たちが皆屍になっていた。
 魔法と戦闘の修練は積んでいたとはいえ、子供一人ではギルドの運営などできるはずも無い。壊滅の原因を解明する事も出来ず、夜逃げ同然で放浪の旅に出たのだ。

 覚えている限りで、そんな身の上話をしたワタルをマカロフはじっと見つめ、白い髭を撫でながらしばらく考えると、口を開いた。

「……はるばるこんな西方まで、何をしに来た?」

 マカロフの問いかけには、ワタルが『ある』と確信していた拒絶の意思が込められておらず少し困惑したが、答えた。

「別に何も……。一ヶ月くらい前に、このギルドに入りたいっていう女の子と会ったからここに来ただけです」
「それは、あのエルザの事じゃな?」

 マカロフは、黙して頷いたワタルの目をじっと見て、再び尋ねた。

「フム……その名(ヤツボシ)を名乗ったのは何故じゃ? よもや、その名が及ぼす影響を認識していない訳でもあるまい。隠そうとは思わんかったのか?」

 純粋な疑問だった。好悪のいかなる感情も込められていない――ワタルが未熟ゆえに読み取れないだけで込められていたのかもしれないが――マカロフのその質問から、ワタルは自分が試されているかのように感じ、少し考えると口を開いた。

「……どんなに偽ろうとも、俺が星族の末裔だって事は、誰にも何にも変える事が出来ない事実です」

 確かに星族はその存在を大衆から恐れられ、疎まれた。その力の強力さ故に、そして力を振るう事に何の躊躇いも無く、殺しすら厭わなかったために。
 その果てに滅んだのが自業自得の結末だというなら、その事実を受け入れるしかない。

 それでも……。

「長子として生を受け、一族を背負う者になるべく育てられてきた」

 星族という武闘派集団の頂点に立つために必要な力をつけるため、大人の戦士たちに叩きのめされながらも己を鍛えてきた。血反吐を吐きながら固い畳に叩きつけられ、さっさと立てと罵られる毎日に最初は不満を持ったものだが、我慢もできた。
 それは厳しい修行の中で自分の力が強くなっていくのを実感したからだけではない。
 究極の武を求め、武に生きた者たち――戦う事でしか己を表現できなかった者たちが鍛えた拳に剣、そして魔力は自らが歩んだ道程を言葉より雄弁に語っていたからだ。



 自分が為し得なかった事を、お前が為してくれ、と。



「それを偽るという事は、先人たちを侮辱して否定する事だから」

 彼らの行いは決して褒められたものではない。寧ろ100人に聞けば99人は顔を顰めるだろう。
 それは、旅の中で出会った人々の心に刻まれた傷と恐怖がはっきりと物語っている。

 けれど、その存在を否定するという事は自分の存在を否定するという事だ。
 彼らの存在なくして、自分の存在はあり得ない。故に、例え愚かと罵られようとも、他の誰が彼らと自分を否定しようとも、自分だけは彼らの存在と業を認め、受け入れなければならない。
 彼らが歩んだ道を、果たせなかった悲願と無念を忘れないために。

 自分という存在の価値の有無など問題ではない。それができるのは、もう自分しか残っていないのだから。
 故に忌み名(ヤツボシ)を名乗ったのだ。己から進んで名乗る事は無くとも、自分を偽る事だけはしたくなかったから。

「……俺をどうするかは、あなたに任せます。でもあの子の、エルザの目だけは治してやってください。……俺からは以上です」

 激しい炎のような眼の光とともに吐き出された一念から一転、ワタルは静かな口調でマカロフの判断に身を委ねる。
 マカロフはそんなワタルを見ると、微かに微笑んだ。

「そうじゃな……なら、このギルドに入りなさい」
「ッ、本気ですか? 俺を……星族の末裔をギルドに入れる意味、マスターのあなたなら分かるはずです。なのに、何故……?」

 ワタルはまさか、と目を見開くと、マカロフに理由を聞く。

 旅の途中、街の中で誤って星の刺青を見られてしまった事をワタルは思い出した。その街に解除魔導士(ディスペラー)が探し物の依頼で訪れていて、不幸にもその魔導士が偶然ワタルの隠蔽魔法を解除してしまったのが理由なのだがこの際それはいい。
 露呈した結果、人殺しと悲鳴を上げられ、家族を返せと罵倒を浴びせられ、出て行けと石を投げられた。これまで知識でしか知らなかった大衆が星族(自分たち)に抱く恐怖をその身で知り、誰かに心を許す事も頼る事も出来ずに孤独に押し潰されそうになりながら、旅をするしかなかったのだ。

 驚愕の理由はそこにある。集団が自分を受け入れるということは、彼にとって信じ難い事だったのだ。

「ギルドとは、身寄りの無いガキにとっては家みたいなものじゃ。このギルドにも何人かそういう奴がおる。そして、妖精の尻尾(フェアリーテイル)はそれが例え悪人でも受け入れる。その者がギルドに仇なし、ギルドの仲間――家族を傷つけない限りはな……」

 それに、と言ってマカロフはにやりと笑って言った。

「あのエルザという少女は随分とお前さんを慕っていたようじゃが?」
「……一目で分かる物なんですか、そういうの?」
「伊達に歳は喰ってないわい」

 マカロフはそう言うと、さらに笑みを深くした。

「……分かりました。このギルドのお世話になります」

 老人の浮かべた人懐っこい笑みにワタルは内心で溜息をつくと、内心ではまだ困惑していたが、妖精の尻尾(フェアリーテイル)に入ることを決め、マカロフにその旨を伝えた。

「ほう、良いじゃろう。ところで……」
「ところで?」

 何を言われるか、と思って心の準備をしたワタルだったが……

「エルザとは……どこまでいった?」

 予想外の質問に吹き出した。

「子供にそんなこと聞くのか、あんたは!?」
「ええじゃないか、そんなことは。……で、どうなんじゃ?」
「それこそどうでもいいじゃないですか……。それよりも、ギルドに入ったらやる事があるでしょう?」

 何とかマカロフの質問攻撃をなんとか躱しながら、話を変えるワタル。

「おお、そうじゃった、そうじゃった。ギルドの者にお前さんたちを紹介せねばな」

 少し赤い顔で話題を変えようとするワタルにマカロフは笑いながらそう言うと、ワタルと共に部屋を出たのだった。






 ワタルはギルドに入ることを決めたが、それでも心配事が消える訳ではない。

「(マスターは受け入れてくれた……。でも、他の人は?)」

 思い出されるのは、ワタルを見る大人たちの目。これまでの旅で立ち寄った街の大人たちの、ワタルを恐れ、否定する目だった。

 加入を決意したとはいえ、きっと妖精の尻尾(ココ)でもそうなるんじゃないか……。ワタルはそれを危惧していた。

「心配するな。妖精の尻尾はお前さんを受け入れる。必ずな」
「――ホント、何でもお見通しですね」
「言ったじゃろ? 伊達に歳は喰ってない、とな……」

 ワタルの悩みを見透かしているように、マカロフは優しく笑う。
 その笑顔にあてられたのか、ワタルは少し前向きに考えることにした。

 信用はそう簡単に得られるではない。なら、自分で掴み取ってみせよう、と。

「ワタル! 大丈夫だったか?」

 気が付くと元の大広間に戻っており、エルザが不安そうな色が浮かべながら話し掛けてくると、ワタルは思わず視線を逸らした。

 誰かが自分の事を心配してくれることが、少しむず痒かったのだ。

「(こいつにも、心配かけちまったみたいだな……)ああ、大丈夫だ」
「それで……」
「慌てるな。マスターの発表を待て」
「……分かった」
 
 何を聞かれるかは予想できたし、色々な意味であまり聞かれたくない事だったので、ワタルはエルザの言葉を制すと、彼女は不満そうだったがそれに従う。
 それを見ると、マカロフはらしくもなく静まったギルドの面々に向かって声を張り上げた。

「……ゴホン。さて、この妖精の尻尾に新たな仲間が増えた。エルザ・スカーレットとワタル・ヤツボシじゃ!!」
「お、お願いします」
「お世話になります」

 マカロフの紹介に、エルザとワタルは礼と共に軽く挨拶する。

 ギルドの者はエルザには大きな拍手で歓迎したが、ワタルに送られたのは疎らな反応とひそひそ声だった。

「貴様等、何じゃその反応は! もっとしっかり歓迎せんか!」
「マスター、気にしないでください。信用はこれから勝ち取ります」
「そうか……すまんな」
「いえ」

 ワタルがマカロフを宥めると、マカロフは嘆息した後で手のひらサイズのスタンプを取り出した。

「それは?」
「ギルドマークを押すスタンプじゃ。正式な妖精の尻尾のメンバーだという事を示す印じゃよ」

 身分証明のようなものかと、マカロフの説明にワタルはそんな感想を抱いた。
 このマークを入れるという事は、ギルドの名前を背負うという事だ。それはつまり、自分の行動が妖精の尻尾の行動として見られるという事。
 迂闊な事は出来ないなと、ワタルはエルザが左の二の腕に青いマークを入れてもらうのを見ながらそんな事を考えていた。


 余談だが、『あ、このギルド周りからの心象なんてどうでもいいんだ』と、評議院から送り付けられた文書の束――言うまでも無く、妖精の尻尾のメンバーが壊した物の請求書も含む――を見たワタルが思い知らされるのに、加入して一週間も経たなかった事を報告しておく。


 それはさておき、ワタルはエルザの後で左肩に黒いギルドマークを入れてもらった。星族の証である星型の刺青が右肩にあるため、それに重ならないようにするためだ。
 その後、ギルドの仕事に関する軽い説明を受けたワタルはマグノリアで暮らすためのアパートを借りるため、一度ギルドを出て行こうとしたのだが……

「おい、待てよ。新入り」

 それを遮るように、右胸に紺色の紋章を入れた黒髪の、ワタル達より一つか二つ年下と思われる少年が声を掛けた。
 黒いボクサーパンツ一丁のみという少年の身なりに少し面喰うも、ワタルは応えた。

「……何だ?」
「俺はグレイ、グレイ・フルバスターだ。俺と勝負しろ、新入り!」
「……ことわ……」

 いきなり勝負を仕掛けてきたグレイと名乗る少年の挑戦に、ワタルは答えようとしたのだが……

「人の邪魔をするな、この変態が!」
「あだッ!?」
「……お、おい、エルザ……」

 その前に、怒ったエルザの拳に殴られた。
 ワタルはいきなりの展開にさらに面喰い、エルザを宥めようと試みるも、当の彼女は少年と口喧嘩を始めている。

「痛てて……何すんだ、お前!」
「何とはこちらの台詞だ! せめて服を着てから話し掛けろ! ここは変態のギルドか?」
「服って……あー! いつの間に!?」
「無自覚か、貴様!?」

 黒いボクサーパンツ以外は何も見に着けていない少年に、エルザが怒りを強くする。
 初日にこれ以上の面倒は御免だと、ワタルはやや強引に2人の間に割り込んだ。

「落ち着けエルザ。……グレイ、と言ったか? 悪いな、長旅で疲れてるんだ。勝負は受けるが、明日でもいいか?」

 エルザを宥めてからワタルの提案に、グレイはそういう事なら、と言って引き下がった。

「分かったよ……でも、逃げるなよ!」
「誰が逃げるか、この変態が!」
「変態言うな!」
「なんでお前が言うんだ、エルザ……グレイ、逃げないから心配するな」

 ワタルはグレイにそう言うと、エルザを再び宥めながら、ギルドから出て行った。






「大丈夫なのか、マスター? あいつは……」
「そうだよ、あいつは星族の末裔だろ?」

 ワタルとエルザが出て行ってから、ギルドの大人を代表してマカオとワカバがマカロフに話しかけた。
 青い短髪の魔導士、マカオと茶髪にリーゼント、サングラスにタバコといった一昔前の不良スタイルの魔導士、ワカバは、現在の妖精の尻尾の中核をなす存在だ。

 そして、彼らの質問はギルド中の大人たちの総意でもあった。先程まで酒を飲んで騒いでいた面々も、神妙な表情で二人とマカロフのやり取りを見ている。

「心配するな。あやつは大丈夫じゃ」
「けどよ……イテッ!」
「心配するなと言っておろうが、このバカタレめ!」

 尚も言い寄るワカバに、マカロフは杖で頭を打った。そして、他の大人たちを目線で黙らせると、静かに語り始めた。

「……ワタルの目を見た。穏やかで、優しい目じゃったが、同時に『恐怖』を知っている目じゃった」
「恐怖?」

 マカオの疑問に、自分では気付いておらんようじゃがな、と答えたマカロフは言葉を続ける。

「孤独という名の恐怖じゃ。ワシらに受け入れられない事を恐れていたのじゃよ、あやつは……」

 だから、こちらが裏切らない限り心配ない。そう言い切ったマカロフに、周りの大人は、マスターがそう言うなら……、と納得して下がった。
 一人になったマカロフは思索にふける。

「(まだ、なにかあるようじゃが……嘘を言ったとも思えん)」

 マカロフが想うのは先程ワタルが吐き出した心の内。
 何かを隠しているのか、それとも何かが隠れているのか――それは分からなかったが、ワタルの心に嘘は無いと、マカロフには約80年生きてきた経験から言い切れる自信があった。
 忌み名だろうと隠さず名乗り、自分の事よりもエルザの事を案じた誠実な少年だと感じたのだ。

「(星の一族……か。存外、噂など当てにならないものじゃな)」

 星の刺青を持つ者に気を付けろ。奴等は金のためなら殺しをいとわない悪鬼だ。

 新聞でその名を見る度に、親は子供に言い聞かせたものだが、それも過去の事。
 特に魔導士ギルドの多いフィオーレでは星族が活動する事も無かった事と、闇ギルド、ゼレフの狂信者による子供狩り、そしてバラム同盟――星族以外にも魔法界が対処しなければいけない問題は多かったため、その名を口にする事も無くなっていった。
 流れる時間で記憶は風化していき、人々から星族の存在が消えようとしていたその矢先に、ヤツボシ(星族)を名乗る少年、ワタルが現れたのだ。

 伝聞でしか星族の存在を知らないマカロフはワタルを警戒したが、蓋を開けてみれば孤独におびえる少年でしかなかった。彼の話に引っ掛からない所が無い訳では無かったが、ひと月も行動を共にしていたという少女に接する態度と彼女の治療を懇願した姿を見れば、マカロフにワタルを拒絶する事など出来なかった。
 拒絶して孤独に突き落としてしまったが最期、少年の心は孤独に負けて闇に堕ちてしまう――そう感じたから。

 まったく、これのどこが悪鬼だ。世間の評判とは程遠いと、1人になったマカロフは胸中で呟くと、クックッ……と愉快そうに笑うのだった。



    =  =  =



「なあ、マスターと何を話したんだ?」
「お前が気にすることじゃないさ」

 一方、ギルドを出たワタルたちは、彼がマグノリアで暮らすための借家を探していた。



 因みに、エルザはワタルと一緒に住むつもりだったのだが、ワタルの必死の説得によって、不承不承ながらも女子寮に入ることになった。
 以下の会話がこれである。

「何故ついてくる? 女子寮があるんじゃなかったのか?」
「別にお前と一緒でもいいだろう?」
「良くない! お前は女の子だろうが。男と一緒に住む、なんて軽々しく口にするんじゃない」
「私は気にしないぞ」
「俺が気にするの!」

 エルザのあっけらかんとした言い様にワタルが叱るように言う。

「……ちぇ」
「ちぇ、じゃない。まったく……いいな?」
「分かったよ。なら、家探しは私も一緒にするからな」
「……まあ、それぐらいならいいだろ」



 まあ、そんなこんなで二人でマグノリアの不動産を回り、ワタルは家賃9万Jの一軒家で暮らすことになった。

 余談だが、その日の夜、ワタルはその家の予備の鍵が一つ無くなっていることに気が付かなかった。
 おかげで、この後何日か、朝にエルザの襲撃という名の強制訪問を受けることになったのだが……まあ、そう大した事でもないだろう。

 
 

 
後書き
またもや文字数がリメイク前の二倍弱になってますね……
感想、意見等お待ちしております。 

 

EP.4 模擬戦 VS 妖精の尻尾


 ワタル達が妖精の尻尾(フェアリーテイル)に加入した翌日の朝。
 場所はギルド前、ワタルは屈伸をしながらグレイと相対していた。
 昨日約束した通り、今日はグレイと模擬戦を行う日。周りにはギルドの面々が立っており、双方に野次を飛ばしていた。

 ワタルの耳に入ってきた中では勝敗の結果を対象とした賭け事も行われているようだが、それが酒の一杯や昼食代程度の金額でも金を賭ければ盛り上がるというのが健常な集団というもの。彼はさほど気にしていなかった。

「エルザ以外と戦うのは久しぶりだな……」

 肩を回して関節をほぐしているワタルに対して、あからさまな敵意を向ける者は昨日と比べればめっきり減っていた。
 もとより星族がフィオーレ王国内で活動していた訳でもないために家族や知り合いを殺されたものがいる訳でもなく、ギルドの大人たちがワタルに向けていた視線は嫌悪というより警戒のそれだった。
 ギルドの仲間は家族であるという強固な絆で結ばれている彼らは親であるマカロフの言葉を疑わず、ワタルに対する警戒を解いたという訳だ。

 信用は自分で勝ち取ると決意したばかりだというのに、なんだかなあ、と思いながら、野次の中に聞き慣れた声が混じっていることに気が付いたワタルはそちらに目をやる。

「負けるなワタル、そんな変態伸してしまえ!」
「変態言うな! ったく、あいつお前の連れだろ? 何とかしてくれよ」
「……服脱ぐ癖治した方がいいと思うぞ、俺も」

 軽口を叩き、ガクッと凹むグレイを見ながら、ワタルは準備運動を終え、軽く頭を振って緩んだ思考を引き締めた。

「(エルザ(あいつ)が見てるんだ。格好悪いところを見せる訳にはいかないな)」
「よし、じゃあ始めるぞ、新人!」
「いつでも」
「両者とも準備はよいな? では……始めぃ!」

 グレイも立ち直ったようで、審判であるマカロフの号令とほぼ同時に腕を水平に上げて、上に向けた掌に拳を当てて魔力を練り上げた。
 その魔力を感じ取ったワタルは、いつ走り出してもいいように足に魔力を集中させる。

「(来るか……前方、数4!)」
「まずは小手調べ……アイスメイク――“槍騎兵(ランス)”!」

 迫りくる氷の槍。数は予想通り4。軌道も想定の範囲内。ならば恐れる必要はない。
 ワタルは足に集めた魔力を爆発させて一気に駆け出して、最小限に身体を捻って躱す。

「速い!?」
「『新人』じゃない……」

 氷の槍の間をすり抜けるように駆け抜けたワタルはグレイの顔めがけ、拳を勢いよく繰り出す。

「『ワタル』、だ!」
「グッ……!」

 挨拶代わりの拳をグレイは手で防御したが、スピードの乗った拳の衝撃を完全には殺せず、少し後ろに飛ばされることになった。
 たたらを踏んで少し痺れる腕を我慢しながら、グレイは賞賛を口にする。

「く……やるじゃん、新人……いや、ワタル!」
「今のは挨拶代わりだ。今度はこっちから行くぞ!」
「ハッ、来いよ!」

 口角を上げて挑発するグレイに、ワタルは換装空間から鎖鎌を出すと片方を投げる。

「フンッ、行け!」
「武器か……なら、アイスメイク“(シールド)”!」

 それに対してグレイは氷の盾を生成し、防御。鎌を阻んだ。
 鎖を魔力で操作する暇も無く現れた盾。その生成スピードに内心舌を巻きつつ、ワタルは鎖鎌から忍者刀に換装すると氷の盾の前まで走った。

 そして次の瞬間、忍者刀の効果で上がった身体能力に任せて力強く地を蹴り、跳ぶ。

「な、どこに……!?」

 グレイには盾にぶつからんばかりの勢いで迫ってきたワタルが突然消えたように見え、驚いて周りを見る。

「(右、いない! 左もいない! なら……)上か!? アイスメイ――ぐあっ!」
「いい反応だが、遅い!」

 ワタルが氷の盾の上を跳んだ事に気付いたグレイ。
 魔法を使おうとしたが少し遅く、ワタルの踵落としが肩に入って怯んでしまった。

「まだだ!」

 膝を折って着地の衝撃を殺したワタルはその隙を見逃さず、立ち上がる勢いでグレイの腹を足の裏で蹴って吹き飛ばす。

「ぐ……なかなかやるな」
「いやいや。造形魔導士と()ったのは初めてだが、なかなか素速いじゃないか」
「ハッ、そりゃどうも……それと『お前』じゃない。『グレイ』だ」
「……そうだな、グレイ」

 少しよろめきながらも不敵な笑みのグレイ。対するワタルも、そうでなくてはと思わず好戦的な笑みを浮かべる。
 そして、さきほどと似たような掛け合いに、両者ともその笑みを深めた。

 そして……

「ハァアアアアアアアア!!」
「シッ!」

 グレイは叫び、ワタルは短く息を吐きながら……合図をした訳では無いが同時に地を駆け、拳を合わせて互いの魔力をぶつけあった。






「(いつまで手を抜いているつもりなんだ、ワタルは……)」

 一方、観客席のエルザは不満を抱いていた。
 何度かワタルと模擬戦をしていたエルザは、グレイと殴り合いを演じている彼が本気でない事に、とっくに気づいていたのだ。

「なかなかやるな、あの新人」
「ああ、グレイはウチの期待のルーキーだ。それと互角なら……」

 観客の真っただ中にいたエルザは、その声に反応し、苛立ちから声を張り上げた。

「互角なものか――こらワタル! いつまで手を抜いているつもりだ、本気でやれ!!」






 観衆から響いたエルザの声に、ワタルは頭を掻く。

「あーあ、ばれちゃった」
「お前、本気じゃなかったのか!?」

 当然グレイは、手を抜いて戦っていたというワタルに対して怒りの声を挙げた。
 それに対して、ワタルは拳をバキバキと鳴らしながら答える。

「本気じゃない、というよりはグレイの力を図っていた、というのが正確だな」
「俺の力?」

 未知の相手と戦う時、重要なのはより早く相手の情報を得る事だとワタルは考えている。
 それは相手の魔力の大きさや魔法の特徴、弱点だけではない。魔力のパターン、呼吸のリズム、視線はどこに向いているか、足の運び方に拳の握り方――そんな僅かな癖を見切る事で、相手の一歩先を行けるのだ、と。

「まあ、準備運動はこんなものでいいだろ。体も温まって来たし……ここからは本気、だ!」
「なに……ッ!?」

 瞬間、その場の空気がガラリと変わった。
 どこか遊びがあった視線は貪欲な猛禽が獲物に襲い掛かるようなものに、発する魔力は鋭く尖ったものをグレイと観衆に感じさせた。
 ギルダーツやマカロフのように山を思わせる圧力を感じている訳ではない。寧ろ、大きさは彼らに比べれば雲泥の差だ。
 だが、身体の芯に、心に、そして魂に刻み込む黒い刃(・・・)を幻視したグレイは背筋を凍りつかせた。

「(氷の魔導士が背筋を凍らせる? 何の冗談だそれは……!)」

 雰囲気に吞まれかけたグレイが少し息を吐き出したその刹那、ワタルは既にグレイの懐にいた。
 最初にやった時より多くの魔力を足に込め、その魔力を爆発させたかのように放出し、呼吸のリズムの虚をつくタイミングでグレイに迫ったのだ。

 ワタルに対し怒っていたグレイだったが、その速さに驚いても冷静さを失わなかった。
 ワタルの手に魔力が溜まっているのを感じ取ったグレイは直感的に次の攻撃を喰らったらアウトだと判断し、咄嗟に後ろに跳んびつつ拳を掌に叩きつけた。

「“槍騎兵(ランス)”!」

 十分な魔力を練り込む暇が無かったためか、生成されたのはたった一本の氷の槍。
 だが、その造形速度は今までで一番早いものだった。
 至近距離のワタルに外す事はあり得ないと、グレイは確信してそれを放った。






 自分のトップスピードに反応して後ろに跳び、カウンターの造形魔法すら放って見せたグレイに、ワタルは目を見開いた。

「(此処だ!)」

 それは驚愕でもあるが、半分以上は自分への気合だった。グレイが自分に反応して見せたなら、自分はさらに先へ行くのだと奮い立たせるものだ。

 短く息を吐いて一歩踏み込み、極限に高まった集中力が一瞬を何倍にも引き伸ばす。

「(ここを踏み越えれば……!)」

 魔力感知能力が高いワタルは魔法が発動する直前に、魔導士の体内の魔力が高まるのを感知してその軌跡をある程度予測する事が出来る。
 今からワタルが行おうとしているのはその先だ。

 人体なら急所、建物なら大黒柱といったように構造的な弱点というものはどんなものにも存在する。それは魔法も同じ事。
 感知した魔法に込められた魔力をエーテルナノレベルで解析する事でその魔法の構造的な弱所を見切る事ができれば、“魂威”による魔力で干渉し、構造を崩す事で魔法解除(ディスペル)する事は理論上ではあるが可能だ。

「(俺はもっと先へ行ける!)」

 例えるなら、魔法として具現化されたエーテルナノ構造を積木のパズルに見立てて、一つだけ積木を抜き取る事で崩すというもの。より強い力で強引に崩す事に比べて少ない魔力で魔法を打ち消す事ができるのだが、当然デメリットも存在する。

 根本的な問題であるのだが、魔法の構造を解析する優れた感知能力と、その弱所を見切って魔力を流し込む――そんな事を放たれた魔法が着弾する前に行うなど、要求される精密さは針の穴を通すというレベルではない。
 少なくとも、初見の魔法にそれができると思えるほどワタルは傲慢ではないつもりだし、挑戦した事も無い。

「魔力パターンは見切った」

 だが、一度見た技なら話は別だ。
 今グレイが放ったのはこの勝負の最初に放った氷の槍と同じもので、ワタルはそれを既に感知して構造もある程度把握している。一段階目はスキップしているも同然だ。
 ならば、後は弱所を見切り、掌の魔力を撃ち込むのみ。

 この、ごく短い瞬間の攻防で、己の限界を乗り越える……!

「ここだ!!」

 前進スピードを緩めず、自分の魔力感を信じて、ワタルは真正面から槍の切っ先に魔力を込めた掌をぶつけた。

「な……!?」

 無謀ともいえるその行為に、ワタルの手に穴が開くとグレイも観衆も息を飲んだ。
 が、その予想を裏切って、槍はワタルの掌の皮を少し破っただけで、まるでガラスのように粉々になってしまった。片手の造形は不安定というが、グレイが行ったのは両手による造形。体に染み込むまで繰り返した師の教えを間違うはずがない。
 咄嗟とはいえ完璧に造った魔法が正面から破られ、グレイは驚愕を通り越して呆気にとられてしまった。

「“魂威(こんい)”!!」
「が、は……!?」

 その隙を見逃すワタルではない。
 魔法解除(ディスペル)した方とは逆の手で、魔力を直接放出させる“魂威”が鋭い音と共にグレイの腹に炸裂、そのまま腕を振り抜いた。
 苦悶の声と共に5mほど吹き飛んだグレイは手を地面に当ててもがいていたが、起き上がれずに仰向けになった。

「ぐ……イッテェ……。クソ、ホントに本気じゃなかったんだな」
「まあな……どうする? 続けるか?」
「……いや、やめとく。動けそうにない……参った、降参だ」
「勝者、ワタル!」

 苦しそうな呼吸のグレイが降参し、マカロフが声を張り上げると、観客は騒ぎ出す。
 期待のルーキーであったグレイが敗れた事に驚きを表す者、勝者ワタルに拍手で賞賛を送る者、賭けに勝ったことを喜んだり、逆に負けて落ち込む者――観客の反応は様々だった。

 エルザも観客から飛び出し、ワタルに向かって走る。

「流石だな。でも手抜きはないだろう、手抜きは」
「様子見と言え。――ホラよ、立てるか?」

 ワタルはエルザの言葉を受け流しながら、グレイの前まで歩いて手を差し出した。

「あ、ああ、サンキュ」

 グレイはその手を取り、ふらつきながらも立ち上がった。

「おいおい、大丈夫かよ……」
「やった本人がそれを言うか……?」
「それもそうか」

 ワタルが笑って言うと、グレイも少し笑って、好戦的に言った。

「ふー、お前強いな……でも覚えとけ、次は勝つ!」
「ああ、楽しみにしてる――とっ!?」
「なっ!?」

 ワタルはグレイと右手で握手したままで、感じた魔力と悪寒に左手を横にかざして“魂威”を撃ち……飛んできた雷撃(・・)を逸らした。
 感知できなかった二人は驚きの声を上げながら、ワタルと共に雷撃が飛んできた方向を睨む。
 威力的には大した事の無い電撃だったが、不意打ちされた事そのものが癇に障ったのだ。

「へえ、今のを防ぐか。本気じゃなかったっていうのは本当みたいだな」
「……まだグレイがここにいるのに攻撃を仕掛けたのは、不意打ちじゃないと攻撃を当てられないからか、先輩?」
「ほお……言うじゃねえか、新人が」

 観客から出てきたのは、ヘッドホンをした、金髪で右目に傷を持つ15,6歳と思われる少年だった。
 ワタルの挑発に対し笑ってはいるがとても友好的な笑みではない。だがそんな事はワタルにとって些事だった。
 他者を威圧し、誰よりも強くありたいと獣のように爛々とした目はワタルの背筋を緊張させると同時に、気付けば自然と口の端が上がり笑みが浮かんでいたのだ。

 この男は強い、と。

「ラクサス! 危ねえじゃねえか!」
「ラクサス……」
 
 グレイの怒鳴り声で、ワタルは少年の名を知り、そしてその少年、ラクサスが見下すように言い返す。
 
「避けられない方が悪いんだよ。……そうだ、ラクサス・ドレアー。それが俺の名だ、新人」
「知ってると思うけど一応……ワタル・ヤツボシ。で、その新人に何の用?」
「言わなくても分かると思うがな」
「連戦なんだが……」
「よく言う。口元が歪んでるぜ」

 ラクサスの指摘通り、ワタルは無意識に好戦的な笑みを顔に貼り付けていた。
 旅の中ではこんなに多くの魔導士に会う事などなく、しかも歳の近い魔導士で自分とそう変わらない力量を持っている者がいるなど、想像もしていなかったのだ。
 これで燃えなきゃ男じゃないと、ワタルは静かに高揚していた。

「……グレイ、エルザ、下がってろ」
「そうこなくちゃ」

 マカロフを見ると、辟易とした表情をしていた。
 それを見るまでも無く、ラクサスが戦闘狂(そういう奴)であることは大体分かっていたが……自分も似たようなものかとワタルは内心苦笑した。
 流石に誰彼かまわず勝負を吹っ掛けたりするほどではないが。

 ラクサスの挑戦を受けたワタルの言葉に、グレイが頷いて観客に紛れると、同時に観客も少し下がったのが分かった。

「(なるほど、それだけコイツの魔法の威力が凄まじいって事か)」

 さっきの電撃の威力は当てにならないな、とワタルは考えて、戦術の構築を始めたが……分からない事が多すぎたため、すぐに放棄。
 ぶっつけ本番でなんとかすることにした。

「おい、ジジィ! 審判頼むぞ!」
「ハア……分かった分かった。ワタル、すまんが頼むわい」
「了解……ほら、エルザも下がれ」
「あ、ああ……でも負けるなよ。あいつ強いぞ」
「ああ、分かってるよ」

 エルザの言葉に笑って返すと、彼女はグレイを追って観客の方に下がった。

「女の相手とは、ずいぶん余裕だな、新人」
「『ワタル』だ。名前、知ってるだろ? せ・ん・ぱ・い」
「フン……認めさせてみろ。話はそれからだ」
「はいはい……」

 ラクサスはヘッドホンを外し、ワタルは気を引き締め直す。
 闘気が充満し、誰かの飲んだ唾の音さえ明瞭に聞き取れるぐらいの沈黙が訪れる。
 そして……

「では……始めぃ!!」

 マカロフの号令が響き、ワタルは走りだした。






「ハアッ!」
「フンッ!」

 ワタルの拳をラクサスは掌で防御し、カウンターの要領で雷を纏った拳を繰り出す。
 ワタルは電撃を掌の“魂威”で相殺して受け止めると、そのままラクサスの拳を捕まえた。

「力比べか、面白ェ!」
「ぐ……」

 互いが互いの拳を思い切り握りしめると、ワタルは自分の拳が悲鳴を上げるのを感じ取った。

『力勝負は不利』

 その判断にそう時間は掛からず、ワタルはラクサスの腹に魔力を集中させた蹴りを入れて距離を取る。

「ガッ!」
「痛てて……なんて力だ、まったく」
「力には自信があるんでな……行くぞ!!」

 ワタルは拳に戦闘に支障はない程度だが痛みを感じ、ラクサスの力に驚いた。
 対してラクサスは、雷を体に纏いながら距離を詰め、ワタルの脇腹目掛けて蹴りを放つ。

「オラァ!!」
「ッ! “魂威”!」

 地を這うように屈んで蹴りを躱したワタルは掌に魔力を集中させると、全身の筋肉を発条のようにして起き上がる勢いも利用しながら、ラクサス目掛けて掌底を放つ。

「何!?」

 しかし、ワタルの“魂威”はラクサスが身体を雷に変えて回避したことで外れ、周囲に炸裂音のみを響かせる。

 だが、ワタルの優れた魔力探知能力は視界から消えたラクサスを逃していなかった。

「ッ、後ろ!」
「なっ!?」

 死角となった上から後頭部への膝蹴りを、身体を捻ることで紙一重で回避。
 雷を上乗せしたラクサスの膝蹴りの勢いは恐ろしく、かすめた前髪が何本か散っていく。

 死角からの一撃を避けられたラクサスは驚いたのか隙を見せ、そして――

「セイッ!」

 カウンターで左手の“魂威”を、振り向く回転を利用してラクサスの腹に当てた。

「グッ! ……見えてるってのか!?」
「逃がすかっ――そら、受け取れッ!」

 ほんの触れただけなのに身体に走った痛みと衝撃に顔を顰めて距離を取ったラクサスに対し、ワタルは巨大な手裏剣を出して投擲。
 手裏剣は激しく回転しながら、空を裂き弧を描いて後退するラクサスにせまる。

「テメエがなっ!」

 ラクサスはこれに反応、電撃で手裏剣を弾く。
 その上電撃の勢いは弱まらず、そのままワタルを襲った。

「何!? ぐあッ!」

 ワタルは、慌てて電撃を掌の“魂威”で防御しようとしたが、収束が足りずに完全には防御できず、後ろに吹き飛ばされる。

 空中で体勢を整え、何とか着地したワタルは今までの戦闘の感触から分析し、考えた。

「(パワーはやつの方が上。スピードも雷になれる以上、瞬間的な速さも負けてる。勝ってるのは……瞬発力ぐらい、か。……一発大きいのを当てるには小技が必要だな)」

 幸い手札はある。地力で負けているため長引けば負けは必至。勝つには短期決戦だろう。

 そう考えたワタルは換装空間から鎖鎌を取り出した。

「どうした、そんなもんか!?」
「……」

 ラクサスの挑発に応えることなく、ワタルは静かに振りかぶり、左の鎌を投げた。

「喰らうかよ!」

 雷を纏った拳で鎌を弾いたラクサスは再び距離を詰め、ワタルの左脇腹に再び中段蹴りを放つ。

 今度は躱さずに、ワタルは左腕を盾にして防いだ。

「ぐ、ぅ……」
「ふん……ッ!?」

 想像以上に重い蹴りを受けた左腕がミシリと軋み、ワタルは顔を苦悶に歪める。
 確かな手応えにラクサスは笑みを浮かべたが……直後に悪寒を感じ、勘に任せて飛び退いた。

「避けられたか……」

 その直後、今までラクサスが立っていた場所を背後から鎌が襲った。
 種は簡単。弾かれた鎌を右手の鎌の鎖で操って後ろから襲わせただけだ。

「それ、魔力でも操れるのか……だが、そんな小細工が通用するかよ!」
「……みたいだな。一発切の隠し芸みたいなもんだし」

 そう言ってワタルは鎌の鎖に魔力を通すと、ギルドマークを描いて見せる。

「だが本当に通用しないかどうか――試してみるか?」
「面白ェ……やって見せろ!」

 ワタルの挑発に乗ったラクサスは獰猛な笑みを浮かべた。

「じゃあ、お構いなく……っと!」

 ワタルの右手から放たれた鎌は複雑な軌道を描いてラクサスに襲いかかる。

「もう一つ!」

 左手からも一拍遅れて鎌が放たれ、ワタルは両手で鎖を後ろ手に持つことで鎌を操った。
 ラクサスはそれを二つとも……躱さなかった。

 鎌は2つともラクサスの左右にはずれたのだ。

「ハッ、どうした、外れた……ぞ……ッ!?」

 そこでワタルの方を見た瞬間、ラクサスはハッと気づき、背筋を凍らせた。
 鎌から延びる鎖が自分とワタルを囲む、一本道を型取っていることに……。

「遅い! “二掌魂威――」

 鎖を手放し姿勢を低くして、両手を地面スレスレに這わせながら一本道を一気に駆けるワタル。
 しかし……

「一歩足りなかったな!」

 虚を突かれながらもラクサスはこれに対処。制御もそこそこに全方位に雷を放った。両手がラクサスに届く直前、ワタルは雷に飲まれてしまう。
 ワタルを襲った電撃はラクサスが急いで出した分制御が甘く、余波で砂煙が辺りを覆った。

 先のグレイとの戦いで見せた魔法解除(ディスペル)もされた様子は無い。確実に決まったとラクサスは確信していた。

「!? いない、だと?」

 しかし、砂煙が晴れた時、電撃をまともに浴びて倒れている筈のワタルの姿は無かった。

 まさか電撃が強すぎて消し飛んだのか? いや、加減はできなかったがそんな威力ではなかった。ではなぜ……?

 困惑からラクサスの頭の中でめまぐるしく疑問が渦巻く。
 一歩分だけ背後に微かな足音が聞こえたのはそんな自問自答の最中だった。

「な」
「“双槍”!!」
「ガハアッ!!」

 優れた聴覚がワタルの微かな足音を広い反応する事は出来た。
 しかし対処できず、両掌によるワタル渾身の一撃を背中に受けてラクサスは派手に吹き飛んだ。

 電撃に飲み込まれたのは二つの鎌でラクサスの注意を逸らした際にワタルが魔力で生成した変わり身(ダミー)。実体は無く、身体の表面だけを空間に映し出す幻影魔法の一種だ。
 本物のワタルはラクサスが雷を打った瞬間に跳躍して頭上を飛び越え、魔力のみで造られた変わり身は雷で掻き消えていた。咄嗟に撃った強力な電撃の閃光でそれが見えなかったラクサスは背後に回ったワタルに気付く事ができず、不意を突かれた、という訳だ。

「いっつつ……。これで、どうだ?」

 ラクサスの様子を確認しようと、ワタル左腕を抑えながら、観客と共に目を凝らして土煙の中を探った。
 鎖のコースライン、変わり身と慣れない小細工を凝らしたはいいが左腕に受けた蹴りのダメージが重かったため、これ以上続けるのは厳しいが、さてどうか……。

 そして土煙が晴れ……ラクサスは立っていた。

「っ! マジかよ……タフだな、アンタ」
「ゼェ、ゼェ……そんなもんかよ……?」

 獰猛な笑みを浮かべて挑発してはいるが、荒い息と口の端から覗く赤い筋は隠せていない。大ダメージで震える足で立っているラクサスのやせ我慢を見破るのは難しくなかった。

 だからといって自分の状況が好転する訳ではない。全力の一撃を耐えられた事にワタルは苦いものを感じた。

「ク。フフフ……」

 にもかかわらず、左腕に力が入らなかった分、威力が落ちていたと冷静に分析しつつも、ワタルは湧き上がる高揚感に口元が歪むのを止める事が出来なかった。いや、それに留まらず笑いが漏れてくる。
 妖精の尻尾(フェアリーテイル)に来るまでの旅の中でまともに戦った事は数えるほどしかない。襲ってきた盗賊の撃退に力を振るっていた程度で、その時だって全力を出すことなどなかった。

「ははは」

 年単位ぶりに全力を振るい、己と互角以上に渡り合える者と戦える――その事が愉快でたまらなかったのだ。






 これがワタルの本当の本気か。
 観衆に混じって彼とラクサスの決闘を、エルザは固唾を飲んで見ていた。

 自分に魔法と魔法剣の扱い方を教え、修練相手として手合わせをしていた。山賊と演じて見せた殺陣という名の一方的な戦いぶりも見た事がある。
 その時に感じた透明な圧力――ワタルの清廉な魔力はエルザの心に目標として刻みこまれている。

 だがそのいずれも、ワタルは真剣ではあったが本気ではなかったと認めざるを得ない。
 左腕に激痛を感じているだろうワタルの顔に浮かんでいたのは痛みの苦悶などではなく、それを覆い尽くして余りあるほどの心底楽しげな喜びだったのだから。

「……」

 少し悔しかった。ワタルが今まで自分に見せた事の無い表情を浮かばせたのが自分ではなかった事に。
 自分の未熟さは自覚しているが、それと感情の問題は別だ。

 だから――エルザは改めて、奇しくもその髪に似た色の想いを、炎のような誓いを強く心に刻んだ。



 いつか必ず、お前の隣で戦える程に強くなって見せる、と。






 もう切れる手札も打てる小細工も無い。
 ならば持てる力の全てを真正面からぶつけるのみ。
 もともとそちらの方が性に合っているのだから、望むところだ。

 心躍る時間の終わりを予感して少し名残惜しみながら、ワタルは残った魔力を右手に集中させる。
 最後の一撃を迎え撃つため、立っているのがやっとのラクサスも右手に魔力を集めて電撃を纏わせる。

 留めきれなかった余剰魔力がワタルの右手から火花か静電気のような現象となって漏れ出す。
 ワタルを一撃で葬るのに十分な威力を秘めたラクサスの電撃も空気を震わせている。

 20に満たない年齢の魔導士のものとは思えないほど強力な魔力がこの場を包み、野次を飛ばしていた観衆たちは静まりかえって年若い魔導士を見守り、そして口に出さずとも誰もが確信していた。
 この2人は将来、ギルドを背負って立つ存在になるだろう、と。



 そして魔力と闘気が充満した空間の中、ワタルは姿勢を低く、地面を抉る勢いで駆け出した。全身を発条の様にしならせて踏み込み、掌底を撃ち込む。
 迎え撃つラクサスはそれに合わせて電撃を纏った拳を振りかぶり、叩きつける。

「ああああああああああああああああああああっ!!」
「ぜやああああああああああああああああああっ!!」

 ワタルの掌底とラクサスの拳がぶつかり合い、2人の呼気と共に魔力が空間を揺さぶる。
 空気中のエーテルナノが激しく振動して、魔導士達の感覚にビリビリと突き刺さる。
 電撃と魔力が干渉し合って放電のような現象が起き、激突の衝撃で砂塵が舞う。

「(これで!)」
「(仕留める!)」

 もはや2人にはこれが模擬戦だという考えは無く、ただ相手を打ち倒すのだという気概、最後に立っているのは自分だという意地のぶつかり合いだった。
 2人にはこのせめぎ合いが永遠にも等しい時間感じられたが、実際は1秒にも満たず、当然終わりは来る。

 ワタルは突進の勢いのままラクサスの横を滑るように通り抜け、制動。息を大きく吐いて残身をとった。


「うぐっ!?」


 瞬間、ズキリと右手首が軋み、だが左手で押さえる事も出来ず、膝をつきそうになる。パワーファイターのラクサスと正面からぶつかった際に痛めでもしたのか、今すぐ転げまわりたいほどの痛みに膝をついて転げまわりたくなるが、ぐっと我慢。


 そのまま焼けた鉄棒でも押し付けられたかのような痛みに耐えていると、背後で重いものが落ちたかのような音をワタルは聞いた。
 振り返ると、ラクサスがうつぶせに倒れていた。影になってよく見えないが、血が滲んでいる口元には笑みが浮かんでいる。



「……勝者、ワタル!」



 ラクサスが倒れ、ワタルが立っている。
 どちらが勝者なのかなど、誰が見ても明らかだった。

 マカロフのコールに、これが模擬戦なのだと思い出したワタルは決着に沸き立つ周囲に構わず気が抜けて座り込んでしまう。
 ラクサスもうつ伏せから仰向けになり、苦しげに呼吸している。

「ったく、勝者が締まらねぇな」
「う、るさい、この馬鹿力が。いっつつ……」

 手首の様子を見るに、どうやら軽い捻挫で済み、折れてはいないようだった。
 ラクサスに言い返しながらその事に安堵していると呻き声が聞こえたため、再びそちらに意識を向けると姿勢が少し変わっていた。
 どうやら起き上がろうとして失敗したようだ。

 勝敗を分けたのは手数の差だろう、とワタルは考えたのだが、それでも“魂威”を3発も――しかもそのうち2発は渾身の一撃を――喰らって口を開けるのだから、ラクサスのタフネスには呆れるしかなかった。

「……ああ、クソ……正直効いたぜ、ワタル(・・・)
「名前、覚えてたんだ」
「……次は負けねえ」
「そうか……俺もだ。次も勝てるかどうかは正直分からん」
「ハッ、ぬかしやがる……」

 再戦の約束と、相手への賞賛を済ましたワタルが観客の方を向いた瞬間……

「ワタルー!」

 見覚えのある赤い塊にタックルされた……左側から。

「あ」

 ラクサスの重い蹴りをガードし、その上 “二掌魂威”にも使ったワタルの左腕の骨には……主観だがヒビが入っていた。
 そこに、心配か、或いは興奮したエルザに勢いよく抱きつかれて……


 ピシッ!


 ……嫌な音を立てて、完全に折れた(イった)

「ッ、ウギャアアアアアア!!」
「え!? お、おい、大丈夫か!?」

 左腕の骨折、全治一ヶ月。
 家賃の事を考えると相当厳しいものになりそうだと、微妙なものを見るような目で見ているラクサスをよそに、激痛の中で他人事のように思った(現実逃避とも言う)ワタルであった。

 
 

 
後書き
 感想、意見等ありましたらお願いします。 

 

EP.5 幼き想い

 
前書き
更新遅れてすみません!
今回は少し短いです、どうぞ。 

 

 黒いノースリーブ型のシャツに白いスラックス。ワタルは動きやすさのみを追求したこの二つを複数所有し、好んで着用していた。
 だが、それもギルド加入の初日までの話だ。

「窮屈だな……」

 ギルド加入三日目、つまり模擬戦の翌日、ワタルの左腕はギプスで覆われていたのだから。



 模擬戦に勝利したものの、ラクサス(とエルザ)によって怪我を負ってしまったワタル。久しく無かった本気の勝負の機会に思わず熱くなってしまった自分を戒める意味でも、そのことを恨むつもりは毛頭ない。

 ないのだが、怪我が原因で生まれてしまった問題がある。
 片腕とはいえ、骨折という駆け出しには少々厳しい怪我を負ったこの身体でどうやって食い扶持を稼ぐか、という問題だ。

「ま、大丈夫だろ」
「そうそう。探し物とか魔法教室の臨時講師とか、荒っぽくない依頼だって沢山あるからね」

 家賃の事もあるのにどうしたものか……、と頭を悩ませたワタルだったが、グレイやカナの助言を受けてあっさり解決。幸い右手は問題なく使えるため、腕が完治するまでは片腕でも支障の無い仕事を数受けてこなす、という質素だが無難な策をとることにしたのだった。

 ギルドの仕事に関して、ワタルが困惑する事は無いと言ってよかった。
 イシュガルの極東で正規ギルドではないものの魔導士ギルドのようなものに属して活動していたワタルであるが、舞い込む依頼は荒事が中心の傭兵のような依頼ばかりだった。偏に極東には魔導士ギルドが他になかったためだったのだが、そんな彼にとってギルドの初仕事なんてあってないようなものだったのだ。
 しかし、魔法教室はともかく、届け物や落し物、捜し物まで魔導士の仕事として依頼されている事に若干の違和感を覚えたのだが、そこは『所変われば品変わる』というもの。特に不満がある訳でもなし、『郷に入っては郷に従え』の精神で仕事をこなしていくのだった。

 閑話休題。



「しかし便利だな、それ」

 ワタルの愚痴を流したグレイの視線は木製のテーブルの上に立っている、ちょうど膝くらいの大きさの白い人形に向いていた。
 白一色にのっぺらぼう、あえて特徴らしい特徴を挙げるなら胸の辺りに黒い線で描かれた星の形ぐらいか。丸い手足に指は無く、幼い子供が作った粘土人形のようなそれは両手で挟んでスプーンを持ち、両手を満足に使えないワタルの口にシチューを運んでいた。

「“式神”っていったか?」
「ん……戦闘には使えないが、なかなか便利な奴だ」

 式神は魔符と呼ばれる特殊な紙に術式を刻み、使用者が魔力を込める事で使役する。しかし、特殊な物とはいえ元が紙なので耐久性に難があり、日常生活の補助に支障はないが複雑で激しい動きを必要とする戦闘には使えないのだ。
 食べつつもワタルがその旨を言えば、式神はスプーンを小脇に抱えると片手を腰について胸を反らした。

「へぇ……例えば何ができるの?」
「こいつに興味があるのか?」

 表情どころか顔も無いがどこか愛嬌を感じさせる動きに感心したのか、カナは指で式神の頭を小突きながらワタルに尋ねた。聞けば、自分の魔法である魔法の札(マジックカード)と関連性があるかも、と思ったとの事。
 仕事道具であるタロットカードを見せながらのカナの言葉に少し考えると、ワタルは口を開いた。

「あんまり関係ないと思うぞ。式神は魔法というより契約に近いし」
「契約?」
「そう。血を与える代わりに術者の命に従う存在となる――それが式神だ」
「血、って……」

 血で主を刻み、術式で用途を指定し、術者の魔力で発動する――これが式神の大まかな概要だ。
 純粋な好奇心で聞いた答えが『血』に『契約』というあまり穏やかではない言葉だったためか、カナは絶句している。

「じゃあ、命があるって事か?」

 グレイの問いはもちろん否だ。魔術において命を創り出す事は禁忌中の禁忌であり、それを侵した者は永遠の責め苦を受ける、とされている。
 式神はただ命令に従うためだけの存在。血はあくまで主人との契約に使う媒介であり、魔力で動く人形に過ぎない。

「――といっても、さっきも言ったが元が紙だから大した事は出来ないし、契約に使う血だって一滴だけ、俺の情報を与えるだけだから、そんな物騒な話でもないさ」

 改良しだいでは戦闘にも使える式神を生み出す事は可能なのかはワタルには分からない。だが仮に可能だとしても、ワタルはそれをするつもりは無いし、それを公表するつもりも無い。
 碌な使われ方がされないのが目に見えているのも理由の一つだが、ワタル自身がそういった戦法を好まないからだ。

 端的に言えば、殴らせるのではなく殴る方が好きなのだ。
 殺し合いは嫌いだが、殴り合いは好きなのだ。

 式神で戦わせることとの違いは説明が難しいのだが、そこには微妙な違いがある。
 良く言えばまっすぐ、悪く言えば脳筋的な思考である事は重々承知だが、ワタルからすれば譲れない一線なのだ。

「……そういえばエルザは? 朝から見てないけど、ワタルは知ってる?」

 そんなワタルの胸の内の考えは置いといて、興味が失せたのか、カナは話題を変えた。

「なんか、昨日マスターに呼ばれたって言ってたな」
「ふーん……仲良いの?」

 模擬戦の後にマカロフに声を掛けられたエルザの事を思い出したワタルがそれを言えば、カナは目に好奇の光を宿らせて尋ねてくる。大人と同じように魔導士として働いているが、年頃の少女である事に変わりはなく、興味を持つのは別に不思議な事ではない。

「……一ヶ月の付き合いだ。そういうのじゃない」

 ワタルは面倒そうなのに目を付けられたと内心溜息を吐きながら、食事を終えて役目を果たした式神を魔符に戻し、若干煩わしげにあしらうのだった。



    =  =  =



 ワタルがカナの追及を躱しているその頃、当のエルザはマカロフと共にマグノリアの東の森にある妖精の尻尾(フェアリーテイル)の顧問薬剤師、ポーリュシカを訪ねていた。
 人間嫌いの彼女はマカロフの古い知り合いで、魔法薬の調合を専門とした腕利きの治癒魔導士だ。

「……これまた酷い傷だねぇ」
「もう一度見えるようにはならんか?」
「問題ないよ。応急処置がされてなかったら難しいところだったが」
「そりゃあよかった。せっかく綺麗な顔をしておるのに不憫でのう……」

 拷問によって潰されたエルザの右目はワタルによって摘出され、傷口に雑菌が入らないように処置されていた。そのおかげで眼窩の奥の視神経は生きており、容易に治療できる。
 あくまで比較的(・・・)容易に、だが。
 マカロフ経由で渡された保存用魔水晶(ラクリマ)に保管された右目の損傷具合を見るに、雑菌が入って視神経が壊死していた可能性もあったのだから、不幸中の幸いというやつだ。

 それはさておき、ポーリュシカは顔を顰めてマカロフの耳を引っ張り、エルザから離して声を潜めた。

「……ちょっと来な」
「痛い痛い!」
「大きくなったら手を出すんじゃないだろうね……」
「ととと、とんでもない! あの子には好きな奴……いや、憧れか? とにかくそういうのがおるわい。目の事もそいつに頼まれたんじゃ」
「フーン……その子の名は?」
「……ワタル、じゃ。エルザと同い年くらいの少年じゃよ」

 腐れ縁の女性の剣幕にビビッて、引っ張られた耳をさすりながら個人情報(プライベート)を漏らしてしまうマカロフ。
 この女好きの老人を白眼視していたポーリュシカだったが、その言葉を聞くと目を開いて驚いた。

「応急処置もその子が? 何者なんだい?」

 エルザと同い年くらいというと、まだ10歳かそこらだろうか。
 そんな少年が、殆ど潰されていた右目を的確に応急処置したというのだからポーリュシカの驚愕は推して知るべしだろう。

「……星族の末裔じゃ」
「星族? 生き残りがいたのかい?」
「そうらしいの」
「らしい、ってあんた……」
「心配ない」

 眉を顰めたポーリュシカの言葉に、マカロフは胸を張って何の問題もないと言い切った。

 型破りで女好きで80になっても無茶を止めない馬鹿だが、本質を見抜く目は確かだ。それに言っても聞くような男でもないと、十分すぎるほど知っている。
 ポーリュシカは鼻を鳴らすとエルザに視線を遣って口を開いた。

「フン……で、あの子、どこの子だい?」
「それが……ロブの奴に世話になっていたみたいで……」
「ロブ!? あいつ、今どこに!?」
「……死んだそうじゃ」
「…………そうか」

 懐かしい名前を聞いてと驚くポーリュシカだったが、その訃報を聞くと顔を歪めたのだった。






 エルザの目の治療が始まって何日か経った。

 ポーリュシカは人嫌いで義眼の作成と薬の調合以外にエルザに関わろうとはせず、ワタルにすら完全に心を開いていないエルザにしても周りを拒絶するかのように塞ぎこんでいた。
 そのため、2人の間には問診以外の会話はなく、この何日かは静かなものだった。

 そして、全ての治療を終えたポーリュシカがエルザの目に巻いた包帯を取ると……

「どうだい?」
「……治ってる……」

 ずっと見えないままだと思っていた右目が見えるようになっていた。
 エルザは暫し呆然としていたが、込み上げる物を抑えきれずに涙を流す。
 二度と見えないと諦めていた右目は楽園の塔で受けた拷問――エルザのトラウマそのもの。それが再び見えるようになったとあっては堪えきれるものではなかった。

「見えているね?」
「は、はい」

 義眼の感触に違和感はなく、拷問で目を潰された時の醜い傷は跡も残らず綺麗さっぱりなくなっている。視力も正常で、エルザ用に調合したポーリュシカが治癒魔導士として高い技量を持っている事を示していた。

「ならさっさと出て行きな……あたしは人間が嫌いでね。ああ、そうだ。ワタルって子がアンタの目の治癒を頼んだそうだよ。帰ったら礼を言っときな」
「ワ、ワタルが!?」

 目に見えて狼狽するエルザに、ポーリュシカは彼女を連れてきたマカロフの言葉を思い出した。

「そうだ……その顔じゃ、想い人っていうのも当たりかい?」
「な、なな、なん……!?」
「落ち着きなさいな……ッ!? あんた、その目……右目だけ涙が流れていない?」

 人嫌いを自称しているポーリュシカだったが、泣きながらも真っ赤になって狼狽えるエルザの様子に微笑ましいものを感じ、からかったのだが……ある事に気付き、驚きの声を上げる。

 左目は正常に涙を流しているのに、右目には涙が浮かんですらいないのだ。

「そんなはずは……薬の調合は完璧だったし……」
「……いいんです。私は……もう半分の涙は流しきっちゃったから」

 治療に不備は無かった。義眼に拒否反応も認められないし、しっかり見えているのはエルザを見れば明らかだ。それでも何か原因があるはずだとポーリュシカは治療の際に付けた日誌を急いで見直したが、他ならぬエルザに止められた。

 赤い顔で泣きながら、しかし嬉しそうな笑顔で。

『半分の涙は流しきっちゃった』

 ポーリュシカは、彼女がそんなふうに言う程に辛いことがあったのだろうと察し、それ以上は何もせず、また何も言わなかった。
 元来彼女は他人に関わろうとしないが、かつて同じ紋章を背負った旧友の頼みを断るほど冷たい性格をしてはいない。ましてや患者は幼い少女だ。顔に傷が残る辛さは理解できる。

「……そうかい」

 妖精の尻尾の顧問薬剤師として、そして治癒魔導士としてのプライドもあった。
 だが、物憂げな表情で心を閉ざしていたはずの少女が浮かべている笑顔を止めてまで、それを押し通す気にはなれなかったのだ。

 願わくば、彼女の未来が幸せに溢れる物でありますように。

 ポーリュシカにはただそんな風に祈る事しかできなかった。



    =  =  =



 ポーリュシカに目を治癒してもらい、マグノリアに帰る森の中で、エルザは考えていた。

「(ジェラールは、その後ろ姿を見ていることしかできなかった)」

 皆のリーダーだった彼は、誰よりも前で自由を謳い未来と理想を求めた彼は仲間を庇って自分を犠牲にできるほど高潔で、いつだって皆に認められ、慕われていた。自分もその皆の内の一人だ。
 彼はいつでも、誰にでも手を差し伸べていた。一緒に行こう、と。

 でも変わってしまった。最悪の黒魔導士ゼレフの亡霊に憑かれて憎しみの赴くままに魔法の力で塔の神官を虐殺し、それを拒んだエルザに手を上げ、目を覚ましてと叫んでも『いらない』と一人海に放り出した。
 伸ばした手は届かなかったのだ。

 心が軋む。痛む。悲鳴を上げる。
 まるでこれ以上彼の事を考えるのを拒否するかのように。

 そこで、今度は自分を拾い、治療を施して魔法を教え、ここまで連れてきてくれた男の子の事を想う。

「(ワタルは私の横で歩いてくれる。隣に居てくれれば、どこまででも歩いて行けそうだ)」

 彼の隣は温かく、居心地が良かった。
 何故だろう――エルザはこの一ヶ月を振り返り、そう思う。

 何度も身体中の怪我の治療をしてくれた。一人で歩けば早いだろうに、遅い自分の歩みを合わせて歩いてくれた。眠れないときは自分が眠りにつくまで話し相手になってくれた。請えば魔法を、魔力の扱いを、剣の握り方を教えてくれた。
 そして、目を治してやってくれと頼んでくれた。悪夢の中で自分の手を取ってくれた。此処にいるからと笑いかけてくれた。

 何てことだ、自分は与えられてばかりではないか。
 心地良いのも当たり前だ、親に甘える子供と同じではないか。
 逆に自分は彼に何かをしてやれただろうか。いや、塞ぎこんで自分の殻に閉じこもっていただけだ。ぬるま湯と言ってもいい。

 ならばと、エルザはより一層決意を固くする。
 彼の隣に居ても恥ずかしくないように強くなる。魔導士としての彼は遠いところにいるけど、絶対に諦めるものか、と。

「しかし……お、想い人、か」

 ポーリュシカに指摘された単語を反芻する。
 恋愛感情なるものは、エルザにはよく分からない。楽園の塔でジェラールに抱いていた感情だって、正義感の強い彼への憧れはあったが、それが恋なのかと聞かれてもその是非を答えられないのだ。
 こそばゆいというか小っ恥ずかしいというか……恋というものに対して、エルザはそんな感覚だった。

「(時間が経てば自然と分かるのだろうか……)」

 ワタルの事を『好き』か『嫌い』なら『好き』と答えられる。それがlikeかloveなのかは分からないが。
 その断定もしたくなかった。もし違った時、ワタルとどう向き合えばいいのか皆目見当がつかなかったから。

「(それとも私くらいの歳なら分かるのが普通なのだろうか……)」

 捨てられたのか、亡くなったのか、それさえも覚えておらず、居た記憶も無い『親』というものが居れば、教えてくれるのだろうか。
 たられば言っても仕方ないとは分かっているが、両親が居て、子供狩りにも合わず、同年代の者――浮かんだのは楽園の塔で苦楽を共にした仲間やストロベリー村で過ごした面々だ――が普通に居たら、普通の少女のような話ができる友達ができたのだろうか……そんな『if(もしも)』を想像してしまう。

「…………あ」

 取り留めの無い雑多な思考をしていると、森を抜けてマグノリアの街に入り、最奥部の妖精の尻尾(フェアリーテイル)に着いてしまった。

「(考え事をしていると時間が経つのが早いな……そうだ、ワタルに礼を言わないと)」

 そんな事を思いながらもエルザが中に入ると見慣れた背中……ワタルの姿を見つける。

 その瞬間、先ほどまでの纏まりの無い考えがエルザの頭の中をグルグルと回り始める。
 何か話しかけようとするも、その声は音にならず、ただ立ち尽くしてしまう。

「ああ、エルザ。目、治ったんだな」

 そんなエルザに気付いたワタルは彼女より先に話し掛けた。
 左のギプスはそのままだが、右手の包帯は取れており、こちらに手を振っている。

 その顔には喜色に染まっていて――。

「見ないと思ったら……」
「その目、ポーリュシカのばーさんのところにいたのか?」

 カナが心配したかのように、グレイはエルザの顔をまじまじと見ながら声を掛けるが、エルザにはぼんやりとしか聞こえていなかった。

「義眼か? へぇ、よくできてるな」
「(ああ、どうして――)」



 コイツと居ると、こんなにも心が掻き乱されるのだろうか――。



    =  =  =



 右目が完治したエルザはその翌日、漸く、初仕事に出る事にした。
 結局ワタルに関する考えが纏まる事は無く、治療を頼んでくれた事の礼は伝えたが他に大した事も無く解散となってしまった。
 それが何となく申し訳ないような気がして、挽回のつもりでワタルを朝食中に誘ったのだが……ワタルは右手一本で器用に食べながら断ったのだ。
 当然、エルザは理由を聞く。

「何故だ?」
「……別にお前と行くのが嫌って訳じゃない。でも、初仕事は妖精の尻尾(フェアリーテイル)の習慣とかあるかもしれないから、よく知ってる人と行くべきだって」

 ギルドの一員、つまり、一人前と認められた魔導士になったからには、適当にやるのは拙い。
 そう考えた故の提案だったが、エルザには不満だったようだ。

「ワタルは知らないのか?」
「完全に知ってる訳じゃない。今も勉強中だよ……そういう訳だから、カナ頼む」
「えっ……わ、私!?」
「グレイでもいいが、同性の方がエルザも緊張しないで済むだろ?」
「お、おい……勝手に決めるな!」

 同席していたカナは困惑し、エルザも抗議した。もう一人同席していたグレイは我関せずのようだ。

 因みにグレイやカナとは、ギルド内で年が近いこともあり、特に怪我をしている今は一緒に仕事に出ることが多く、必然的によく話すようになったのだ。

 歳が近いと言えばラクサスもそうだが、彼はグレイらのように談笑するタイプではないため、あまり話す訳では無い。もっとも、ワタルの腕が治ったら犬歯をむき出しにして笑いながらまた戦う約束をする程度には関係は良好だが。……これって良好か?

「(やりあった時も思ったが、たいがい化け物だよな、アイツも……)」

 負かしたはずのラクサスが模擬戦の次の日には怪物退治の仕事に出かけていたのを見て、勝ったはずなのに負けたような気分になったワタルだった。
 とはいえ、今向き合っているのは彼ではなく不満げなエルザである。

「なら、エルザはこれから毎日ずっと俺と過ごすつもりか? ギルドに在籍する以上それは無理だ……っておい、どうした?」
「毎日、ずっと!? いや、そんな……でも……」

 ワタルの言葉の前半を聞いたエルザは顔を真っ赤にしてショートしてしまった。
 とりあえず元に戻すため、叩けば直るだろと言わんばかりにワタルはエルザの額をチョップで軽く小突く。

「……えい」
「いたっ! 何をする!?」
「や、こう斜め45度で叩けば直るかなと」
「私は古い機械か!?」

 エルザとの問答もそこそこに、ワタルはグレイやカナの視線が白いものに変わった事に気付き、目を向ける。

「別に……」
「エルザも大変ねぇ……仕事、行く? 」
「あ、あぁ……頼む」

 結局カナの方から申し出て、エルザがそれを受けて初仕事に行く事に。
 それを見送ったワタルは溜息と共に愚痴を漏らす。

「なんか、釈然としない……」
「自分の行動を振り返れよ」
「お前に言われたくないわ、半裸」
「あれぇ!?」

 もう当然のようにパンツ一丁になっているグレイにワタルは指摘すると、クエストボードに向かって歩き出すのだった。

 
 

 
後書き
これからもぼちぼちやってきます。
不定期更新ですが、どうぞよろしく。