水の国の王は転生者


 

プロローグ

 
前書き
 初めましての方は、初めまして。にじふぁんで見ていてくれた方は、お久しぶりです。

 色々ありまして、こちらの暁さんのサイトで連載させていいただきます。

 これから、どうぞご贔屓に、よろしくお願いします。 

 
「ん・・・・・・ここは・・・・・・どこだ?」

ふと目を覚ますと真っ白な地面と灰色の空の奇妙な空間に立っていた。

「お、目を覚ましたぞ」

「覚ましたんだな」

「ケケケ・・・・・・・ようこそ、迷える子羊よ」

声がする方向を見ると、マッチョとデブをチビの三人の男が立っていた。

「ウム、お前がここに呼び出されたのはほかでもない」

「き・・・君は人間界で死んじゃったけど、輪廻の輪から外れちゃって転生できなくなっちゃったんだな」

「普通、人間に限らず死後、輪廻転生によりさまざまな生物に転生するようになっているのだよ」

いきなり現れた三人組はそれぞれ好き勝手にしゃべりだした。

「ちょっ・・・ちょっとちょっと! いきなり何なんだよ! もうちょっと分かるように説明してくれよ!!」

「なんだ、せっかちな奴め、ようするにお前はとうの昔に死んで、ほかの生物に転生しようも輪廻の輪から外れて転生できなくなったと、そう言っとるのだ!」

「え? オレ・・・・・・死んじゃったの?」

「最初からそう言ってるんだな、オツムが弱いんだな」

ほっとけ! 
内心で愚痴をこぼす。

「ククク・・・・・・このまま転生できずに消滅するしかない君に我々がよい転生先を紹介しようと思ってね」

「転生できずに消滅!?」

「そうなんだな、ただし我々の出す条件を飲めば・・・・・・の話なんだな」

「左様、『神たる我々を楽しませる事!』・・・これが条件よ!」

「神だって? あんたたちが?」

『神』と、いう言葉に納得してしまう自分がいる。
なんというか・・・・・・こいつ等の思考回路が人間を超越してしまっていると思ってしまったからだ。

「楽しませるって具体的にはどうするの? 芸でもしろっていうのか?」

「我々、神にとっての最高の娯楽とは哀れな子羊たちの波乱万丈の人生、ワインを片手に見るそれは最高の娯楽! 最高の演劇なのだよ!」

地獄に落ちろ・・・・・・内心毒気づく。

「なんだ? その箱」

不良神三人組がそれぞれ一つずつの安っぽい箱を持っている。

「この箱にはお主が転生されるフィクションの世界」

「そして我々の持つ二つの箱は生まれもって得られる各種スキルを一つずつ」

「なんだな」

「んん!? フィクション? フィクションの世界ってなんだ!?」

「そのままの意味なんだな、マンガや小説の世界ってことなんだな」

「現実世界はお主の転生を受け入れる事はできない、現実世界ではない『架空の世界』ならばお主を転生させることが出来る・・・・・・と、まあそういうことだ」

「その架空の世界であんたたちを楽しませろ・・・・・・そういうことかい?」

「ククク・・・・・・そういうことだ、くじ引きとはいえ得られる各種スキルも凡人が人生をかけて鍛錬しても届くことが出来ない超能力と呼ぶにふさわしいものばかりだ」

「・・・・・・超能力」

「要領よく立ち回れば英雄にもなれるんだな、可愛い娘もいっぱいはべらせる事も出来るんだな」

「・・・・・・英雄」

不良神三人組に煽られ乗せられていると自分の冷静な部分が警告を発するも『スーパーパワーで英雄』という甘い言葉にオレは徐々にその気になってきた。
それに現実世界のオレは死んでしまっている、引くことは出来ない、ならば・・・・・・進むしかない!

「やるよ、もう進むしかないんだろ? だったらせいぜいあんたたちを楽しませてやるよ!」

不良神三人組がいかにも『計画どうり』といった笑みを浮かべるが、三人組をギロリと睨み返す。

「ガハハハハハ!・・・神を前によい根性をしとるわ!」

「契約成立なんだな、早速くじを引くんだな」

「では最初に私のくじから引くといい、能力のくじだ」

最初はチビ神がもつ箱に手を突っ込んだ。

ダララララララララララララ!
どこからともなく安っぽいドラムロールが鳴り響く。

「よっと・・・・・・『魔力無限』って書いてあるんだけど」

野球のボールぐらいの球を掲げる

「おめでとう、その能力は読んで字のごとく『魔力が無限』・・・・・・魔法を一日中使いっぱなしにしても魔力切れを起こさない・・・・・・と、いう意味だ、おめでとう!じつにおめでとう!! ケケケケケッ」

「魔力ってどういうの?RPGでいうMPで考えればいいのか?」

「そう考えてよい」

うん・・・・・・・いいね、無限に魔法を使い続けるなんて最強では? などと考えていると、いくつか疑問点が浮かんできた。

「ところでさ、転生した先で魔法とかそういう力が・・・・・・無い世界だったらどうするんだ?」

「その場合はご愁傷様なんだな、がんばって魔法の存在する世界を引き当てるんだな」

「ええっ!?」

「付け加えると魔法の使えない種族でもだめだ」

そんなのアリかよ! 思わず抗議しようとチビ神に詰め寄ろうするとデブ神がぬぬっと割り込んできた。

「早く次を引くんだな、早くしないとキミ・・・・・・消滅しちゃうんだな」

「なっ!?」

慌てて自分の身体を確かめるとたしかに。

「透けてる!?」

「ケケケ、早くクジを引かないと何もかもオシマイだぞぉ・・・・・・ケケケケケケ!」

憎たらしく笑うチビ神。

「くっ、くそっ!」

急かされるようにチビ神の持つ箱に手を突っ込んで最初に手に触れた球を掴み引き抜いた。

「むぅ・・・・・・・『目から破壊光線』とな」

「なんだよそれっ!!」

「まぁ、これで魔法無い世界でも上手くやっていけるんだな」

「ぐぬぬぬぬ・・・・・・・」

「さぁ! 最後は転生する世界、悔いの無いようにな!」

最後にマッチョ神が箱をさし出した。
オレは消滅の恐怖から逃げるように最後の箱に手を突っ込む。

「く、くそったれ! 何でもいいからまともな世界を引いてくれぇーーーーーー!」

オレは引いた球に書いてある転生先を確認しようとした。
すると、そこに書いてあった転生先は・・・・・・







『ゼロの使い魔』 

 

第一話 王子誕生

「おぎゃあああああぁ! あぎゃあああああぁ!」

いったい何がどうなってしまったんだろう。
確かめようとするがどういうわけか目が開かない。
口が勝手に悲鳴・・・・・・・と、いうか泣き声を上げる。
辛うじて俺の鳴き声に紛れて雑音のようなものが耳に届くぐらいだ、今置かれた状況を確かめるべく雑音に耳を傾けた。

「おめでとうございます! マリアンヌ王妃殿下」

「元気な男のお子様でございます、王子様でございます」

「王太子殿下万歳! トリステイン王国万歳!!」

「まもなく国王陛下も参りましょう」

「そうね、少し休ませてもらおうかしら」

どうやら転生には成功したらしい、先ほどの会話を聞くところによるとどうも・・・・・・・トリステンだか何かの国王と王妃との間に産まれた王子様らしい。
王子様・・・・・・・そう! セレブだ! 転生させてくれたとはいえあの不良神どものおもちゃにでもされるのではないかと戦々恐々だったのだ。



ふと、誰かの手だろうか? なにか柔らかいものがオレのほほをなでる。

「はじめまして、私の赤ちゃん、私があなたのお母さんよ」

「あー、うー」

うん・・・・・・・なにかすっごく温かいものがオレの小さな身体全体を駆け巡った。

「あー、あー」

オレは母を探そうと目を開けようとするが中々まぶたは開かない。

「もうすぐ、お父様が来るから」

父ちゃんか、国王ってくらいだから立派なヒゲでも生やしているんだろうか。
カイゼルヒゲを生やすいかにも国王! って感じのおっさんを想像して脳内で吹きかけた。
その後リラックスしたのか自然とまぶたが開き、初めて母を見た時はかなりヤバかった。
いくら美しいからってさ、いくらなんでも生んでくれた母親に惚れるわけには行かないからね
すかさず目を閉じて寝たふりを決め込んだんだ。








しばらくすると何やら廊下の辺りが騒がしい。
すると、いきなり派手でハンサムガイなおっさんが部屋に入ってきた。

「ああっ! 愛しのマリアンヌ! よくがんばったね!」

「陛下! 嗚呼・・・・・・陛下、私は今日この日ほど陛下と始祖ブリミルの愛に感謝したことはございません!」

「おお・・・・・・愛しのマリアンヌ、嬉しいことを言ってくれるね・・・・・・・でもそれだけじゃ足りないよ! 始祖ブリミルと僕、そして・・・・・・・キミの愛があったればこそさ!!」

「陛下ぁ!」

「マリアンヌッ!!」

はっしと抱き合い二人は深いほうのキスをした。

『トリステイン王国万歳! 国王陛下万歳!』

『トリステイン王国万歳! 王妃殿下万歳!』

『トリステイン王国万歳! 王太子殿下万歳!』

『バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!』

『ワアァァァァァァァァァァァァァァァァァ・・・・・・・』

首は回らないがおそらく窓の方向、やたらと歓声が聴こえる。
他にも室内にいた貴族っぽい服の男たちが数名と医師一人と助産婦一人、メイドが数名、それらが万歳三唱しているのだ。
逆に恐縮してしまうのは前世が日本人だからだろうか?
それと母さん! 父さんが登場するまですごくいい感じでいかにも『良妻賢母』って感じだったのに父さん登場と同時の『母』から『女』への変貌はすっごい幻滅した!
王太子の誕生とはいえこんなに派手なものなんだろうか?


なんかこう・・・・・・この国大丈夫か?







先ほどの馬鹿騒ぎは終わり王城内は静寂に包まれ当番の衛兵ぐらいしか人影はない。
いや、確認してないけどさ。
王太子誕生で急遽祝日にしたって父ちゃんが言ってた。
母さんはクィーンサイズか分からないがかなり大きい天幕ベッドに横になっている、ちなみに『女』から『母』の顔に戻っていた。
父さんは豪華なイスに座り、ニコニコしながらオレを抱いている。
二人とも普通だ、ひょっとしていままでのは演技だったのだろうか?
ちなみに室内には父さんと母さんそしてオレの三人しかいない、家族団らんを楽しみたいそうで他の人たちは部屋の外に下がらせたようだ。
何か異常があればすぐにでも飛び込んでくるそうだが、首のすわってない赤ん坊がいるのに大丈夫だろうか?

それはそうと、オレの名前が決定した。

『マクシミリアン・ド・トリステイン』

だ、そうだ。

愛称はマックス、マクシィ、ってところか。

『トリステイン』が姓で、先に『ド』の称号が付くならトリステインって国はフランス圏の王国なんだろうか?
ま、今考えても仕方が無い、後で調べるとしよう。

「そういえば・・・・・・ヴァリエール公爵夫人も近々二人目を出産するそうだ」

「そう、カリーヌ様が・・・・・・月日の経つのははやいものね」

母さんが複雑そうな、何かを懐かしむような顔をしていたがオレには意味が分からなかった、友達だったんだろうか?

「男子ならばよき友人になってくれるだろうし、女子ならば婚約を申し込んでみようか、ハハハ」

「まぁ、陛下いささか気が早いのではないですか?」

「そうかな? ハハハハハハ」

「うふふ」

なんか勝手に人生設計を決められてるような会話が聞こえるが、オレは今、とてつもなく眠い・・・・・・・
うん、もうだめだ・・・・・・おやすみ。






『おやすみ、私たちの天使』


なにか聞こえたような気がするが・・・・・・・よい響きだったね・・・・・・うん、こんどこそおやすみ





 

 

第二話 斜陽の王国

この数年、簡単な読み書きを習いつつ出来る範囲での情報収集をするといろいろなことが分かった、まず転生先はハルケギニアという名前で地図を見ると前世のヨーロッパによく似ている。

ちなみに我がトリステイン王国はというと小国と呼ぶにふさわしい国土しかなくガリア王国と帝政ゲルマニアという二大大国にはさまれる形になっている、もしガリアとゲルマニアが戦争状態になったら通り道にされるんじゃないかと不安になる・・・いやマジで洒落にならない。

父さんの実家であるアルビオン王国とは同盟を結んでいるらしいが期待しすぎるのは危険だ、有事の際、最初は一緒に戦ってくれるだろうが旗色が悪くなれば容赦なく切り捨てられるだろう、『国家に真の友人はいない』ってやつだ、いくら父さんが現アルビオン王国国王の弟とはいえ滅亡まで付き合ってくれるはずは無いのだ。

ロマリア連合皇国だが、前世で昔あった教皇領かバチカン市国みたいなものなのだろうか? みんなは口々に光の国と言ってそれ以上のことは教えてもらえなかった。

情報集めの結果、トリステイン貴族の大半はガリアはそれなりに警戒してるみたいなんだが、ゲルマニアの場合は無警戒というか明らかに馬鹿にしている。とある貴族にいたっては過去に起こった戦争をつらつらと読み上げトリステインの栄光をことさら強調し、別の貴族などは『数千年前にも勝ったのだから、もし明日にでも戦争がおこっても我々は勝利するだろう』などと正気を疑うような事を言ったやつもいた。むしろガリア・ゲルマニア以前にトリステイン貴族の堕落っぷりをどうにかしないと。
暗澹たる未来しか今のオレには見えなかった。



ちなみに子供の演技をしながら情報を集めたせいか演技力に磨きがかかった気がする。演劇好きが行き過ぎて事あるごとに寸劇をしだす両親の血のせいなんだろうか?









先日、五歳の誕生日を迎えたことから、父さんから魔法の勉強の許可が下りた。そこで今日非番のヒポグリフ隊の練兵場を借り切っての授業を行うことになったのだが、講師役の中年男がオレにヘラヘラと愛想を振りまいている。正直ウザい。

「初めまして王太子殿下、講師役を賜りました、バレーヌです。本日は基礎的なコモンマジックの習得を予定しています」

「今日はよろしくお願いしますバレーヌ先生」

「はは~っ」

子供の演技をしながら講師役の中年男を観察する。
オレの講師役を射止めるのにいったい、いくら賄賂に使ったんだろう。かなり失礼なことを内心グチる。

「まずは『ライト』から始めます」

「ライト?」

「初歩的なコモンマジックです、ようは杖が光ればよいのです」

「杖を光らせばいいの?」

「はい」

気を取り直して深呼吸をして、先日契約した杖を振るった。

「ライト!」

「・・・・・・・」

「あれっ? ラ、ライト!」

光らない!?
焦ってうろたえるオレに。

「殿下、魔法でもっとも重要なのはイメージです、先ほどの殿下はただライトと言っただけでイメージが出来てなかったのでしょう」

イメージか、もう一度深呼吸として。
・・・・・・光る、光る、光る、イメージは前世の小学生時代での理科の実験、ポッと小さな光を灯す豆電球。
このイメージ、行けるか!?

「ライト!」

すると杖の先に小さな光が灯った。

「やった! 光った!」

「お見事です殿下!」

「次の魔法を教えてよ」

「承知いたしました、次はロックとアンロックの授業をいたしましょう」

その後、鍵付きのドアのある場所へ移動し、ロック、アンロックなどいくつかのコモンマジックの練習をして本日は終了のかたちとなった。

最初は頼りない感じだったけど指導法もよかったしよい先生だった、評価を上方修正する。




「その殿下」

「バレーヌ先生、どうしたの?」

場内へと帰る途中、先生に呼び止められた。

「殿下ほどのお歳の場合はよく自分の精神力の限界が分からず精神力切れを起こし気絶する者が頻発するため、いろいろ気を使ったのですが、なにか他に身体に異常などはありませんでしたか?」

「そうなんだ、僕はなんとも無いよ」

「どうやら気苦労だったようですね」

「先生、次は何を教えてくれるの? 僕、早く系統魔法を使いたいな」

「その前に殿下の属性を調べなければいけません」

「属性?」

「系統魔法はは、火、水、風、土、そして伝説の虚無の五つの属性であるとされています。最後の虚無は始祖ブリミル以来使い手が現れていません、ので基本的に属性は虚無以外の四つで構成されているといってよいでしょう」


「それじゃ次は僕の属性を調べるんだよね」

「はい」

その後、いつものように五歳児の演技をしながら、2,3会話して別れた。


そうだった、『魔力無限』の能力のことを忘れていた。
不良神の説明では『魔力=MP』と言っていた、ハルケギニアでは『精神力=MP』という説明だったし『精神力=魔力』ってことで適応されたのかもしれない。






数日後、二回目の魔法の授業でオレに水と風の属性が確認された。
水のトリステインと風のアルビオン,二つの王家の血を引くオレが水と風の属性だということを知った両親はいつものように寸劇で喜びを表現していた。

こうも頻繁にしかも所かまわず寸劇をするので。

『そんなに演劇が好きなら王立劇場に出演してみたらどうか?』

という(むね)を残酷で無邪気な子供の演技で皮肉を言ったら。

『もう出演した』

と答えが返ってきた。
オレが生まれる前に二人で王城を抜け出ししかも身分を隠しての出演で観客や一部のスタッフ以外だれも気がつかなかったそうだ。後日、劇場での一件がばれてもう二度と似たようなことはしないと誓約書を書かされたそうだが、二人はよい思い出話のように語っていた。


オレは呆れつつも『仕方の無い人たちだ』と肩をすくめた。


 

 

第三話 王太子と貴族

先日、オレの五歳の誕生パーティー催され数多くの貴族たちが参加した。
さすが王太子の誕生パーティーといったところでパーティーは盛大に執り行われてオレもスピーチをさせられ、『ちょっと背伸びをした子供』の演技でスピーチしたらやたらと大きな歓声を上げられた。

『王太子殿下万歳!』

『トリステイン王国万歳!』

そのときのオレの心はどんよりとして今にも雨が降りそうだった。

原因は分かる、先日の魔法の授業で水と風の属性を発現した事と、それからわずか数週間でメキメキと力をつけ五歳児ながらドットからラインに届こうかということが王城内どころか全国に広まったからだ。
この情報で今までそれなりに敬意を払いつつも、よそよそしかった連中が我先にとおべっかを使い始めた。

『殿下! 今日は言い天気ですね』

『殿下! 今日はどちらへ?』

『殿下! 王立図書館へ行くのでしたら、(わたくし)めがお供いたしましょう!』

『いや! 私が』

『是非、小生をお供に』

『私が!』『私が!』『私が!』『私が!』『私が!』『私が!』


・・・うぜぇ。


『息つく暇も無い』とはこの事であろう、自室から廊下へ一歩でも外に出ると愛想笑いをした宮廷貴族が最低でも必ず二人は現れる、情報収集と勉強のために王立図書館に行こうとすると護衛と称して5、6人の宮廷貴族がぞろぞろと着いてくるのだ、こうも四六時中監視されてるとでストレスやその他諸々の悪感情でめまいが覚える始末だった。





数日後オレは父さんの私室を訪ねた。

「よろしいでしょうか父上」

「どうした? マクシミリアン、少し顔色が悪いぞ」

「ここ最近多くの貴族の人たちが事あるごとに僕の後についてきて大変困っているのです、これではろくに勉強できません何とかならないでしょうか?」

ついに我慢しきれずに父さんに泣きついた。

「そうか辛かっただろう、もう大丈夫だよマクシミリアン」

「ありがとうございます父上」

「私が皆によく言っておくから、しっかりと勉強しておくように」

「はい、父上」

父さんが何らかの命令をしたのか、数日後潮がサーっと引くようにおべっか使いや自称護衛などが現れなくなったがどこからか視線を感じる時がある、遠くから監視されているのだろう。

完全にストーカー被害は無くなったわけではないが、オレの心の中に貴族連中に対する強烈な警戒心が残った。

(あいつら実はオレの演技に気づいていて、おべっかのためにわざと気づいていないフリをしているんじゃないか?)

(それともオレに取り入って権勢を振るうつもりか? その手は食うかよ!)

(そもそも誰が味方で誰が敵なんだ?)

(トリステインに巣食う寄生虫どもめ)

(裏で散々私腹を肥やしてるんだろうがそうは行かないぞ)

(汚物は消毒だ!)


疑心暗鬼と悪感情のスパイラル・・・というべきか。
下手に精神が大人なものだから常軌を逸した監視や接触には耐えられないんだろう。まぁ、子供でもこいつは耐えられんかもしれんが。

しかしこの一件はオレにひとつの決意をさせた。

(王太子とはいえ、たかが五歳児の権力なんて微々たるもんだ、今は力を蓄える!)



(それと信頼できる仲間、トリステイン再生の戦略、他にもやる事はあるだろうが出来るところからやっていこう、徹底的に!)









一ヵ月後、オレは水と風のラインに上がった、だがまだ通過点だ驕らずにもっと精進しないと。


『ガリア王国のシャルル王子のようだ!』

『いや! それすらも凌駕する!』

『トリステイン王国万歳!!』


相変わらず外野はうるさいが、気にしないようにする。
自室でくつろいでいると、ノックとともに両親が入ってきた。

「マクシミリアン入っていいかい?」

もう入ってるだろうに。

「どうしました? 父上、母上」

「実はだなマクシミリアン、来週、ヴァリエール公爵の誕生パーティーが催されることになってな」

「誕生パーティーですか」

「マクシミリアンももう五歳だからな家族そろって行こうという事になったのだ」


国王一家ご来訪ってやつか? そのヴァリエール公爵って今頃すごい気合入れて準備してるんじゃなかろうか

「そのヴァリエール公爵の次女の子はあなたの婚約者なのよ」

「婚約者ですか?」

「ええ、でもその子は生まれつき体が弱くて、国中の腕のよい水メイジを頼んで治してもらってるのよ」

「なにかの病気なんですか?」

「詳しいことは分からないけど。でも、マクシミリアンが会って励ましてあげればきっと良くなるわ」

「そうですか。分かりました、元気になれるよう励ましてみます」


転生後初の旅行だ、トリスタニアどころか王城の敷地内から出たことが無いからから商業地や農地など見て回れたらいいんだが、それに婚約者はどんな娘なんだろうか、可愛い娘だといいな、あと病気だと聞いたけど早く良くなるといいけど、励ますったってどういう風に励まそうか。







また一ヵ月後、ヴァリエール公爵領へ出立の日。

オレの目の前にユニコーンが繋がれた8頭立てのやたらでかくて豪華な馬車があった。ユニコーンって男は駄目なんじゃなかったっけ? 調教したのか?
そんでこんなキラキラしたヤツで行くのか? もっと他に金の使い道があるだろうに。でもまぁ、王家ってのは大勢に見られてナンボか。


すると後ろから父さんの声が聞こえた。

「おはよう、マクシミリアン昨日は良く眠れたい?」

「おはようございます、父上いつも通りに眠れたと思います」

「そうか、父さんは初めての旅行の前日はぜんぜん眠れなかった覚えがあるぞ」

「そうなんですか」

「そろそろ母さんも来るころだ。いいかい? マクシミリアン、御婦人、つまりは女の子というものは大抵遅れてくるものだ。だから婚約者の娘が遅刻したりしてもあまり怒ってはいけないよ?」


いきなり何を言い出すかと思えば。


「分かりました、父上」

「うんうん」

「宮廷とベッドの上でも女の子には『やさしく』ですね?」

「う、いったいどこでそんな言葉を」

「たしか、ストーキン男爵が言ってました」

「む、そうか、マクシミリアン、その言葉は下品だ二度と使わないようにしなさい」

「はい、父上」


ちなみにストーキン男爵ってのはオレを頻繁にストーキングしていたヤツの事だ、もっとも男爵はそんな言葉は一言も言ってない。おかげでオレの心は久々に晴れ上がった。


「お待たせしました~」


ようやく、母さんがやって来た。後から大きなカバンをいくつも持ったメイドや執事が手馴れた感じでついてくる。

「マクシミアン、母さんの荷物が積み終わったら出発するから、馬車に入ってなさい」

「はい、父上」

トテトテと、馬車に近づくと白髪の執事が子供用の足場を置いてくれた。

「どうぞ、殿下」

「ありがとう」

足場を使って車内へ入る。
内装は豪華なソファが二つ向かい合うようにして置いてあり、内壁や天井には王家の紋章である白百合か描かれていて、簡易のワインセラーも付いてる。
こんな豪華な旅が出来るなんて感動だ。最近ストーキングされて少し鬱ぎみだったけどやっぱり王家って半端ない。

窓から外を見ると父さんが魔法衛士隊の隊長らしき人になにやら指示した後、母さんを伴って車内に入ってきた。

「そろそろ出発だ」


御者側のソファに父さん、反対側のソファにオレと母さんが座る。
しばらくするとトランペットらしき金管楽器の演奏が王城中に響き渡る・・・あ、今、音程外した。

「外したな」

「外したわね」

両親も気づいたらしい。何気にこの一家、演技をはじめ芸術方面でチートだったりする。


「陛下、出発いたします」

「うむ」

白髪の執事が馬車のドアを閉めると御者席に飛び乗った、御者席には御者の人と執事の二人が座っている。





やがて馬車はゆっくりと進み始めた。


 

 

第四話 ヴァリエール公爵家

ヴァリエール公爵の誕生パーティーに参加することになった国王一行は三つある魔法衛士隊の一つグリフォン隊を伴って、王都トリスタニアのメインストリートとされるブルドンネ街を通過していた。

しかし、このブルドンネ街の道幅はわずか5メートル・・・ハルケギニアでは5メイルか、わずか5メイルしかなく沿道には国王一家を一目見ようとかなりの数の市民が詰め掛けている、国王一家専用の巨大で豪華な馬車は衛兵たちが交通整理しながらなんとか通れている状態だ。

この時オレは沿道の市民たちに笑顔で手を振っていた。
これも王家に生まれたものの義務としてこれでもかと愛想を振りまく。

「今回は、平民らへのマクシミリアンの初お披露目も兼ねているからな、こんなにも人が多いのだろう」

それだけとは思えないが・・・メインストリートにしてはこの道は狭すぎる。
王都増築、もしくは新王都建設を計画しといたほうがいいかな、でも実行に移すとしても大金が要るな。

「マクシミリアン、疲れたら止めてもいいんだよ?」

「いえ、父上大丈夫です、まだまだ頑張れます」

「そう、でもあまり無理はしないでね?」

「はい、母上」


そうこうしてるうちにグリフォン隊と国王一家を乗せた馬車は王都トリスタニアを抜け街道に出た。

ヴァリエール公爵領は馬を飛ばして二日の所にあるそうだが一行は各封建貴族の領地を歴訪しながら五日のスケジュールで向かうそうな。





馬車は街道をゆく、両親はワインセラーのワインを飲みながら談笑している、オレはというと窓の外を眺めながら前世での世界史の授業を思い出そうとしていた。

そう、たしか三圃式農法までは思い出したのだが、その後の四圃式農法・・・だったっけ? たしか、大麦、小麦、カブとあと一つは何だったっけ? それとノーなんとか農法、ノースロップだったかノーザンライトだったか・・・駄目だ思い出せない。

「マクシミリアン、何を見てるの?」

母さんが話しかけてくる、邪魔しないで欲しいけど無下にも出来ない。

「農地を見てました」

「農地? 農地になにかあるのかい?」

「平民たちがどのような作物を育てているのか気になりまして」

「そんな事知ってどうするの?」

「それは・・・」

「マクシミリアンは勉強家だからな、王立図書館に入り浸っていると聞いたぞ。何か良い案でもあれば検討してもいいな、ははは」

思っても見ないチャンス! 上手くプレゼンできれば実験用の農地を回してくれるかも! ・・・肝心の農法はまだ思い出せてないけど。

「じつh・・・」

「陛下、まだこの子には早いんじゃない?」

「そうかもな」

・・・おのれー

「父上、母上、僕はまだ小さいですがトリステインを想う気持ちは大人にも負けません。今はまだ良い案はありませんがいつの日か必ずトリステイン中が驚くような妙案を・・・」

「おお!」

「ああ!」

なんだよ!? 人が喋ってる途中になにを。

「今のを聞いたか、マリアンヌ!」

「聞きましたわ、陛下!」

ま、まさか車内で寸劇をやるのか?

「始祖ブリミルよ私たちの子はこんなにも立派に育ってくれた!」

「このような過分なご加護をありがとうございます!」

いい加減にしてくれ・・・

「マリアンヌゥゥ!」

「陛下ァァ!」


・・・天井の白百合がピンク色に見えた。






国王一行は順調にスケジュールを半分消化しヴァリエール公爵領まであと二日の所まで近づいてる。途中、休憩を入れながらの長旅、やる事といえば景色を見る事と、両親との会話に参加すること、昼寝をすることぐらいだ、いい加減オレは暇を持て余す様になった。

「今日はグラモン伯爵領で一泊する予定になっている」

「はい、父上」

今日はどうやって暇をつぶすか、ワインを試してみようかとか、今度旅行するときは本を何冊かもって行こうなど、いろいろ思案していたところに一瞬、窓に黒く大きな影が横切った。

「ん?」

「どうしたの?」

母さんが何事かと聞いてくる。

「窓に一瞬、黒いものが見えたので」

「何だって?」

今度は父さんが聞き返す。

「見間違いじゃないのか?」

「黒い影のようなものが、窓を横切ったんだ」

「鳥か何かじゃないの?」

「鳥じゃないよ、かなり大きかったから」

「・・・ちょっと待っててくれ」

何やら思案した後、父さんは席を立つと御者に指示を出し次に小窓を開け馬車と併走していたグリフォン隊の隊長に停車を命じた。

『停ぇ~車ぁ~!』

隊長の命令で馬車とグリフォン隊は停止した。グリフォンから降りた隊長は駆け足で近づいてくる。

「陛下、いかがなさいました?」

「マクシミリアンが何か窓に黒いものを見たと言っている。グリフォン隊は馬車と周辺の捜索を命ずる」

「ははっ」

隊長は一礼すると各小隊に指示するために去っていった。

「私たちは捜索の邪魔にならないように外に出ていよう・・・念のため杖を手放さないように」

「はい」

「近くに原っぱがあるからそこで待ちましょう」

先に馬車から降り原っぱへ向かう母さんの後を追う、オレのすぐ後ろを警戒しながら父さんと護衛係のグリフォン隊隊員が着いてきた。

原っぱでは御者と白髪の執事が折り畳みイスを三つ用意し終わったところだった。

「座りながら捜索結果を待とうか」

「マクシミリアンも座ってていいのよ」

「はい」

折り畳みイスに腰を下ろし、さっき見た黒い影がどのような姿かたちをしていたか思い出そうとしたが、なにせ一瞬の事だったせいか中々思い出せなかった。

30分ほど捜索したが結局怪しいものは見つからなかったため、再び出発することとなった。

(あの影はオレの見間違いだったんだろうか?)

モヤモヤしたものを抱えながら、今日の宿泊地であるグラモン伯爵の屋敷に到着した。







グラモン伯爵の屋敷に到着した国王一行は贅を尽くしたもてなしを受けた。来る途中に領地を見たがあまり手入れをしてないせいのか痩せた土地の印象だった、グラモン領の財政は大丈夫なのか?

そんな中、晩餐会の会場にてグラモン伯爵に三男のジョルジュ君を紹介された、歳はオレと同い年の五歳だそうだ。

「は、初めまして、マクシミリアン殿下、ぼ、僕はグラモン伯爵の三男ジョルジュ・ド・グラモンです!」

元気いっぱいに挨拶された。

「初めまして、マクシミリアン・ド・トリステインです、ジョルジュ君のような歳の近いの子とほとんど遊んだことが無いんで、もしよかったら友達になってくれませんか?」

「は、はい!」

なんとも良い笑顔で返された。・・・失礼だが尻尾をパタパタ振る子犬を幻視してしまうような笑顔だった。



(えん)(たけなわ)になり、(あて)がわれた寝室へ向かう、オレと両親の三人で大きめの客室を使うことになっている。グラモン伯爵はそれぞれ個室を用意しようかと提案してきたが両親は断ったようだ、オレは個室がよかったんだが。

転生してからずっと寝起きは三人一緒だ、いい加減に個室が欲しいが両親は首を縦に振ってくれない。母さんなど泣いて止めに来る始末だ。二人ともオレを愛してくれているのは分かる、分かるが故にそろそろ耐えられなくなってきたのだ。
・・・実の親にすら演技で接するオレにその資格はあるのかと、ね。

幸い五歳児の身体はより多くの睡眠時間を要求する、そしてだんだんまぶたが重くなり昼間見た黒い影のことなど忘却してしまった。






旅行五日目、ようやく目的地であるヴァリエール公爵領に入った、途中、ヴァリエール公爵自ら少数の兵を率いて国王一行と合流し、西日が馬車内に差し込むころにヴァリエール公爵の屋敷、というより城に到着した。

屋敷内は誕生パーティーに招待された貴族たちが国王一行到着を今や遅しと待ち構えていた。

ヴァリエール公爵に伴われてパーティーの催される会場に入ると会場内を埋め尽くさんばかりの拍手で向かいいれられた。

『トリステイン王国万歳! 国王陛下万歳!』

『トリステイン王国万歳! 王妃殿下万歳!』

『トリステイン王国万歳! 王太子殿下万歳!』

定番の万歳三唱、いつもありがとうございます。

父さんが壇上に立ってスピーチをしている内容はどこにでもある様なスピーチらしいスピーチだ。

ふと、ヴァリエール公爵の方を見ると公爵の隣に奇妙なオーラを放つ女性がいる、あの人がヴァリエール公爵夫人か、さらに隣には二人の少女が、金髪の娘と桃色髪の娘、背の高さから金髪の娘がお姉さんぽい。

視線を壇上に戻し父さんを見るとワイングラスを片手に乾杯の音頭を取ろうとしていた。あわてて近くにあったリンゴジュースの手に取る。

「乾杯!」

『乾杯!』

宴が始まった。




顔と名前を覚えてもらおうと寄ってくる貴族連中を適当に(さば)きながら時間をつぶしていると、父さんとヴァリエール公爵が二人の娘を伴って近づいてきた。

「マクシミリアン、パーティーを楽しんでいるか?」

「はい、とても楽しんでいます」

「紹介しよう、こちらはヴァリエール公爵」

「初めまして、マクシリアン殿下。此度(こたび)は私の誕生パーティーにご足労頂き誠にありがとうございます」

「初めまして、とても楽しいパーティーです」

とりあえず、社交辞令。
すると、公爵は後ろに控えていた、二人の娘に前に出るように促した。

「殿下に私の娘を紹介します、二人とも殿下にあいさつを」

最初に金髪の娘が一歩前に出て可愛らしく両手でスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げて一礼。

「エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールと申します。今日はマクシミリアン殿下にお会いできて大変光栄です」

ヴァリエール公爵の長女でオレの三つ年上の八歳。文句なしに可愛い。

「初めまして、マクシミリアン・ド・トリステインです、僕も会うことが出来てうれしいです」

次に桃色髪の娘が前に立つ、先ほどのエレオノール嬢と同じように一礼。次女の娘で同い年と聞いていたから、多分この娘がオレの婚約者なのだろう。

「カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。マクシミリアン殿下にお会いすることができて大変光栄です」

「初めまして、マクシミリアン・ド・トリステインです、僕と同い年だと聞きましたこれからも仲良くしましょう」

挨拶としてはこんなものかな、父さんと公爵も微笑ましそうに見ているし、今日は顔見せ程度なんだろう。

「エレオノール、カトレアは殿下とお話があるから母さんの所に一緒に行こう」

「はい、父上。では、マクシミリアン殿下、また後で」

エレオノール嬢は一礼した後、公爵とともに去っていった。

「私もマリアンヌの所に行ってくる、マクシミリアン、カトレア嬢とお互いに親交を深めるように」

父さんも去っていった。残されるオレとカトレア嬢。

「ええっと、カトレア・・・さん」

「はい、何でしょう?」

「とりあえず、何か飲む? 僕はオレンジジュースを飲もうかな」

「それでは私も同じものを」

近くにいた給仕にジュースを二つ頼む。


・・・・・・


むむむ、五歳児相手に何を話せばいいんだ。

いろいろ考えているうちに給仕がジュースを持ってきた。

「それじゃ、今日の出会いとこれからのお付き合いに・・・その、乾杯!」

「うふふ、乾杯」


杯同士が重なってチンと軽く音を立てる。


いかん、笑われた。

「そのドレスとてもよく似合うよ」

「ありがとうございます、特別に仕立ててもらったドレスで初めて着るんですが気に入ってもらえたようで嬉しいです」

「うん、カトレアの魅力をよく引き立ててるよ」

我ながら臭いセリフ。

「・・・あ」

ポッと、頬を赤く染める。どうやらバッチリよい印象をあたえた様だ。


・・・・・・


お互いにこやかに談笑していると会場内で流れていた音楽が変わる。

「カトレアはダンスは踊れるの?」

「いえ、私は身体も弱いしダンスは・・・」

むむ、そうだった彼女は身体が弱いんだった。

「それじゃ、バルコニーへ行ってみようよ、月が綺麗だよ」

「はい!」

パッとカトレアの顔が華やいだ。

オレはカトレアの手をると、その手を引いてバルコニーへ向かう。



・・・・・・



バルコニーにて。

雲ひとつ無いいい夜だ、双月の光でお互いの顔が良く見える。

「月が綺麗だね」

「はい、とっても綺麗です」

「今日はカトレアにあえて嬉しかったよ」

「私も殿下に会うことができて嬉しいです」

「それよりもカトレアのこと何か聞かせてよ」

「私のこと?」

「そう、カトレアはどういったものが好きなのか気になってね」

「私は・・・動物が好きなんです」

「動物か、何か飼っているの?」

「インコと犬を飼ってるの」

「へぇ」

「あの、殿下はどういったものが好きなんですか?」

「僕は本を読むのが好きかな」

「御本ですか?」

「うん、歴史書なんか特にね」

「難しそうです・・・」

「そうかな? 歴史を物語として読めば、すごく分かりやすいんだけど」

「そういうものなんでしょうか?」

「そう思うよ、僕は」

その後も、とりとめのない会話を続けていると彼女が病に犯されていたことを思い出した。


「そういえば、カトレア」

「はい?」

「カトレアは病気だって聞いたんだけれど」

「はい、今日は体調が良くて、殿下のおかげかも」

双月を背にクスクスと笑う。うん、可愛い。むしろドキッときた。

前世のどこかで『月明かりは少女を女に映す』って聞いたような、どこだったかな?

「バルコニーは寒いだろうしそろそろ戻ろうか」

「はい」

カトレアの手を引いてパーティー会場に戻るさいにオレはカトレアに言った。

「カトレア、いつの日か病気が治ったら一緒にダンスを踊ろう」

「あ・・・はい」

互いににっこりと笑いあった



・・・・・・



パーティー終了後、寝室として宛がわれた部屋には巨大なキングサイズのベッドが一つ置いてあり、左から父さん、オレ、母さんの順に眠っている。

真夜中、ふと誰かの話し声で目と覚ました、父さんと母さんか?

「その話は本当なんですか?」

「ああ、本当だ、ヴァリエール公にも了承を得た」

「それじゃ、あまりにも不憫じゃないですか、この子が十二歳までに病気が治らなければ婚約解消だなんて」

「わざわざ病気持ちの娘を結婚相手に選べるのものか、王家はそう安いものではない、君だって分かっているはずだろう?」

「それはそうですけど」

「なにも今すぐに婚約解消と言っている訳ではない、その期間までに治ればよいのだ」

「・・・」


婚約解消・・・か。
双月を背に微笑むカトレアを思い出し、どうにか出来ないものか、と思い再び眠りに落ちた。

 

 

第五話 真夜中の襲撃

ヴァリエール公爵家滞在の日程を終えトリスタニアへ帰ることとなった国王一行は、五日間の日程を来たルートとは別ルートの貴族を歴訪しながら帰ることとなった。

ヴァリエール公爵家を出発して三日目、国王一家の乗る馬車内では両親は相変わらずワインを飲みながら談笑を続け、オレはジュースを飲みながらぼんやりと窓の外を眺めていた。


しばらくぼんやりしていると。

「そうそう、マクシミリアン、カトレアちゃんは可愛かったでしょ?」

「え?」

「何言ってるの、ヴァリエール家のカトレアちゃんよ、パーティーの時、バルコニーで何を話したの?」

「それは、是非私にも聞かせて欲しいな」

なんと父さんも参戦してくる。

「何を話したかって、それは・・・カトレアが好きなものとかさ」

「ふむ、で?」

「カトレアちゃんは何が好きなの?」

「それは・・・動物が好きっていってた。インコと犬を飼ってるってさ」

「なるほど、マクシミリアン今度カトレアに手紙を書いてあげなさい」

「ほほほほ、仲良くしてあげてね」

この空気を何とかしたいと思っていたら、思わぬところから救いの手が現れた。

『陛下、よろしいでしょうか? 陛下』

「ほ、ほら、父上、隊長さんが呼んでるよ」

「なんだ、いいところなのに」

父さんは隊長と話すべく席を立って小窓を開けた。

「何を話してるんだろう?」

「何かしらね。あ、マクシミリアン、ジュースのお代わりは?」

「いただきます」

その後、お代わりジュースを飲んでいると父さんが帰ってきた。

「どうしたの? 父上」

「ああ、この先の廃棄された砦にトロル鬼やオーク鬼が数十頭、棲みついたと報告があってな」

「まぁ、怖い」

「どうするんですか父上、放っておくんですか?」

オレとしては近隣住民のために是非とも退治しといてほしい。

「無論、退治するようにグリフォン隊に命令した」

そう宣言するやグリフォン隊が数十騎離れていった。

「・・・陛下、護衛の半数近くが離れていきましたが」

「これだけの戦力を投入すれば夕方までには帰ってくるだろう」

(まぁ、敵を過小評価して戦力を小出しにして逆襲を食らうよりはいいかも)

そう、父さんの判断を評価して離れていくグリフォン隊を車内で見送った。






夕方、今日の宿舎になる貴族の屋敷に到着、歓待を受けていた国王一行に討伐に派遣したグリフォン隊から連絡が入った。派遣隊は隊員の使い魔に手紙を括り付けて送ってきたのだ。


『報告よりも数倍の敵が潜んでいて時間がかかったが掃討に成功、このまま帰還すれば深夜には到着するが、夜間行軍は危険なので砦で一夜を明かし、日の出前に出発し途中で合流したい』

と、いう旨の連絡が入った。

父さんは少し考えたものの結局、承諾した。

「陛下、グリフォン隊が半数しかいないのでは屋敷の警備に支障が出るのでは?」

母さんが不安を口にするが。

「なに心配は無い、この屋敷や周辺の農村からも警備にいくらかの人員を出すそうだ」

と、のんきに構えている。

『まぁ、少々不安だが大丈夫だろう』

オレを含め多くの人たちが楽観的になっていた。







真夜中。

父さんと母さんの間に挟まれるような形で寝ていたオレは尿意を覚えて目を覚ました。どうやら昼間にジュースを飲みすぎたらしい。

ベッドから降りる為にもぞもぞしていた事で父上が目を覚ました。

「マクシミリアン、どうかしたのか?」

「ちょっとトイレに」

「そうか、廊下に出るとグリフォン隊が警備をしているから、その人に言ってトイレまで案内してもらうように頼みなさい」

「はい」

そう言い終わると再び寝息を立てる。

廊下に出ようとして、杖を忘れていることに気付き取りに戻った。なぜ杖が必要かというとトイレ使用後、後に使う人のために水魔法で軽く掃除するのが癖になってしまったのだ。
汚いトイレが我慢ならない元現代日本人の悲しい(さが)である。・・・潔癖症ともいうが。

それはともかく、杖を持ったオレは廊下に出ると警備をしていたグリフォン隊隊員に声を掛けられた。

「殿下、いかがなさいましたか?」

「トイレに行きたいから誰かに案内して欲しいんだ」

「かしこまりました。少々お待ちください」

隊員は軽く一礼するとオレ達が寝ていた部屋から二部屋ほど隣の部屋へ入っていった。どうもグリフォン隊の出直室らしい。

隊員は入って一分も経たないうちに、もう一人別の隊員を伴って現れた。

「お待たせいたしました。この者に案内をさせますのでご安心を」

『ご安心を』ってどういう意味だよ。一人でトイレも行けないと思われたんだろうか? ・・・まぁ、いいけどさ。

「初めまして殿下、ミランと申します」

歳は見た感じだと二十代後半から三十代前半で筋肉モリモリマッチョマンの隊員がにっこりと微笑んで敬礼した。
別に名前なんか聞いてないんだけど・・・まぁ、いいか。

「それよりも早く案内して欲しいんだけど」

「これは失礼しました。ささ、こちらへ」

とにかく彼についていく事にした。


このミランという隊員は見た目はゴツイが話の上手い男で、トイレまで魔法のランプぐらいしか明かりの無い薄暗い廊下も明るく感じる。

「それにしても遠いな」

「この屋敷はトイレにそれほど金を掛けてないそうで。貴族用のトイレが一つしかないそうです」

「平民はどうするんだい?」

「外で用を足すのではないでしょうか」

「・・・」

改めて感じる、このハルケギニアは魔法を使えるものと使えないものの格差が酷い。

格差を無くすと言っても具体的にどうすれば良いか、思案はしているものの魔法を持つ者と持たざる者、両者の隔たりは大きすぎて良い案が浮かばない。

「はぁ・・・」

思わず、ため息が出た。

「殿下、退屈な話でしたか?」

「あ、いや、なんでもない」

「そうですか」

「うん」

妙な方向へ思考が飛んでいた。気を取り直しミランにいろいろ質問してみる。

「ミランは家族とかはいるの?」

「家族ですか? そうですね妻と養女が一人います」

「結婚してたのか、それでその奥さんはどういう人なの?」

「その・・・ですね、その妻というのは実は平民でして」

「平民を!? それはまた珍しい」

「ハハハ・・・おかげで部隊内では鼻つまみ者ですが」

驚いた、というか貴族はみんなが平民を差別していると思っていた。
『貴族の中にもこういう人がいる!』貴族と平民との関係改善に悩んでいたオレは少し救われた気がした。

「で、次の養女を言うのは?」

「妻の遠縁の娘でして、1~2年前にどこかの村で大火事がありまして、村は壊滅して命からがら遠縁の妻を頼って来たっていう娘なんです」

「それは気の毒に」

「その娘・・・ああ、アニエスって言うんですが、どういう訳かメイジを嫌っていて中々私に懐いてくれないんです」

見た目はゴツイがいい感じの好青年が悲しみに歪む。

「メイジ嫌いね」

そうしている内にトイレに到着した。昔の田舎の家みたいに野外に設置してあるタイプだった。

「では殿下、ごゆっくり」

「うん」

さっさと済ましてしまおう。




・・・ふう。

水魔法で手を洗いついでにで掃除を始める。

『殿下、よろしいでしょうか』

ドアの外から声が聞こえた待たせたかな。

「もう少しで終わるから」

『いえ、先ほどから人の気配を感じないので』

「え?」

オレは驚いてトイレから出た。

「どういう事?」

「他にも見回りが要るはずなのです・・・殿下っ!?」

「どうしたの!? うわっ!」

突然ミランに突き飛ばされた。すると無数の影がミランに降りかかりミランの姿が見えなくなった。
この時の奇襲で軍杖を落としたらしく、地面に落ちていた。

突然の事でオレは気が動転していたらしく、ろくに動くこともできなかった。
それにしても・・・何だこの黒いヤツは。

「え・・・犬?」

ミランに覆いかぶさった無数の黒い犬。するとミランは咆哮を上げながら立ち上がり、トイレの壁に覆いかぶさった無数の犬ごと自らを叩き付けた。

「ミラン!」

壁に硬化を掛けてあったのかを突き破りこそしなかったが大きくひびが入った。ミランに覆いかぶさっていた犬たちは叩きつけられた衝撃でほとんどが死ぬか地面でノビていた。

「殿下、屋外は危険そうですから屋敷内に避難しましょう」

言い終わるや足元でノビている黒犬の首を思い切り踏みつけると乾いた音が辺りに広がった。

なんとか立ち直ろうと振る舞い、ようやく『分かった』と声を絞り出すことしか出来なかった。

ミランは落とした軍杖を拾おうと手を伸ばすと、その隙を突いてノビていた黒犬たちが次々に息を吹き返し、腕や肩、両足に食らい付いて転倒させた。

「うっ!? く、殿下、早くお逃げください!」」

「う・・・」

ミランを見捨てて逃げるのか?
でも、オレだって水と風のラインだ上手くやれば撃退できるかも。

「ミラン、僕もたたか・・・」

「馬鹿なこと言わないでください!!」

ミランに一喝される。

「犬どもが私に食らいついている間に早く!」

「で、でも!」

「早く!!」

凄まじい眼力をぶつけられる。

「わ、分かった、分かったよミラン。すぐに助けを呼んでくるから!」

そう言ってオレは屋敷内へと駆け出した。




人のいる場所を探しながら廊下を走る。

突然の襲撃と死の恐怖で少しパニック状態になっていたが徐々に冷静になっていく。

「あ、フライで飛んだほうが速いだろ」

うう、なんという大ポカを。
すかさずフライのスペルを唱えようとすると、後ろから無数の床を蹴る音が聞こえる、風メイジでもある為か音や気配に敏感なのだ。

「イル・フル・デラ・ソル・ウィンデ」

フライを唱え空中を走った。しかし速度はそれほど速くない、地面を走るよりまし・・・な程度であるが。

(これじゃ追いつかれるな)

後ろから聞こえる無数の足音は少しづつ近づいてくる。

(何かいい作戦は無いものか)

ちなみに屋敷内は異変を察知したのか、あちこちで笛や鐘の音が聞こえる。

(後ろのやつらをやり過ごせば助けを呼べる)

ミランは助かるかもしれない。そう信じて鐘の鳴る方向へ飛び続けるとそこは突き当たり・・・つまりは行き止まりだった。

「へ?」

着地すると思わず体中の力が抜けた。

「なな、何で? 冗談だろ?」

呆然としながらも鐘の鳴る方を見るとそこには鐘を打ち鳴らすガーゴイル人形の姿があるだけだった。

「ちくしょう、ちくしょう。どうしてこうも・・・ついてないんだ」

半泣きになりながらも辺りを見渡す。外へ脱出するための窓も身を隠すための場所すらない。

「退路も絶たれた。身を隠す場所も無い」

徐々に近づいてくる無数の足音に恐怖でガチガチと歯が鳴るが、『やるしかない』と心に決めると、歯を食いしばり恐怖を力ずくでねじ伏せる。

「・・・ラナ・デル・ウィンデ」

エアハンマーのスペルを唱えながら敵の襲来を待つ。すると三頭の黒犬が姿を表した。

『エアハンマー!』

先手必勝! 少し遠いがエアハンマーと放つ、たっぷりと精神力を加味した不可視の大槌が黒犬たちに襲い掛かり巨大な破砕音とともに大量の瓦礫と土煙が舞い上がる。

巨大な破砕音を出すことで、周囲に人が居ることを知らせる事も目的の一つだったけど・・・

「やっぱり魔法ってすごいな」

土煙がもうもうと立ち込め、魔法のランプもいくつかが破壊さた為に暗く感じる。
瞬間、一頭の黒犬が煙の中から飛び出してオレに襲い掛かってきた。

「うわわっ!?」

オレは飛び掛ってくる黒犬を避けようと、思わず持っていた杖を盾代わりに突き出すと黒犬は杖にがっちり食らいつき、そのままオレを押し倒した。

「は、離せよ!」

馬乗りにされたオレは黒犬から杖を取り戻そうと思い切り杖を引っ張るが、所詮は五歳児の腕力か瞬く間に黒犬の力に負け思わず杖を手から離してしまった。

勢いよく飛んだ杖はどこかの壁に当たって軽く音を立て床に落ちた。・・・万事休す。

(と、言いたいところだけど)

奥の手を使う覚悟を決める。『魔力無限』と後一つ、『目から破壊光線』・・・誰かにばれたら間違いなく異端確定だ。

辺りに人の気配がないか調べたいところだがそんな暇は無い、能力を使うべく黒犬を見ると目が合った。ん? こいつ口を歪ませだぞ!

「・・・喰らえ」

その時、オレの目から『金田(かなだ)ビーム』のエフェクトで二条の光線が発射され黒犬の顔面に命中した。

黒犬はもんどり打って倒れるもすぐに起き上がったが様子がおかしい。すると頭部が煮崩れしたかのようにボロリと崩れ落ち、次に崩れ落ちた頭部がパチパチと音を立てながら線香花火のような火花を立てて灰になった。頭部を失った黒犬はピクリとも動かなくなった・・・死んだみたいだ。

「初めて撃ってみたけど・・・」

レーザーみたいに貫通するタイプじゃなくて、照射した部分を破壊して最終的に灰にする謎の光線? それにしてもどういった原理の光線なのか・・・いや、あまり考えないようにしよう。

いろいろと破壊光線の考察をしていると、がやがやと騒がしくなってきた。どうやら救援がきたらしい。

「おお~い!」

『子供の声が聞こえたぞ! 殿下ではないのか?』

オレの声に気づいたらしく足音がだんだん近づいてくる。グリフォン隊の隊員が三人、駆け足でやって来た。

「殿下、ご無事でしたか」

「おかげ様で。それよりもトイレの近くでミランがまだ戦っているはずだ」

「はっ、ミランでしたら、先ほど重症のところを発見、治療を施しているところかと」

「生きてるんだね」

「はい、命には別状は無いかと思われます」

「よかった、彼がいなかったら今の僕はなかったよ」

「殿下、陛下が心配しておられます。こちらへどうぞ」

「うん」

こうして悪夢のような夜は終わりを告げた。
その後、父さんに心配され母さんに大いに泣きつかれた、心配させてごめんなさい。

それと襲ってきた黒犬だが数はそれほど多く無くて襲われたのはトイレ付近を警備していた数人とオレ達だけだったそうだ。

うすうす感ずいてはいたが数日前に見た黒い影って多分こいつ等のことだ、あの時からずっと付いて来ていて、それで昨夜護衛の数が少ないのと目をつけていた子供が『群れ』を離れた、このチャンスを逃すことは無い・・・って事が昨夜の真相かもな。

翌早朝、使い魔を通じて国王一家襲撃を知った討伐隊は救援に向かうべく野営を中止して夜間行軍を決行、一人の脱落者もなく国王一家が滞在する屋敷に到着して、がっちりと国王一家をガードしている。

国王一家襲撃で予定されていたスケジュールは全部キャンセルになり、トリスタニアから来た竜籠に乗って帰ることになった。その後、近くの諸侯が集まって大規模な山狩りが行われることになっている。

「マクシミリアン」

「何? 父上」

帰りの竜籠内で父さんが話しかけてきた。

「ヴァリエール公爵家のカトレアの事だが」

「カトレアが何?」

「病人を婚約者にしてしまって、お前には申し訳なく思っている」

「病人といっても治らない訳じゃ無いんでしょ?」

「うん、その事なんだがな。お前が十二歳の誕生日までにカトレアが治らなければ、この婚約は無かった事になっているんだ」

ああ、ここで話しちゃうんだ。

「婚約が無くなれば次はどうなるの?」

「姉のエレオノールはすでに他の婚約者がいるからな、今のところ候補はいないが・・・」

「父上、そんな先の事で頭を悩ませることも無いですし、カトレアだって病気が治らないわけではないでしょう?」

「フム・・・それもそうだな」

他に候補がいなければ次期トリステイン王妃のイスをめぐって様々な暗闘が繰り広げられる事になるんだろう。とはいえ当分先の話だ。

「子供のお前に諭されるとはな、マクシミリアン」

「『ものごとは、なるようになる』・・・と、王立図書館の本にも書いてありましたしね、父上」

「本ばかり読むのもよいが、頭でっかちになってもらっては困るぞ」

「・・・たまには外で遊ぶようにします」

「フフフ・・・それがよかろう」

『なるようになる』といっても、何もせずに結果を受け止めるという意味ではないけどね。そう、いつ何が起こってもすぐに対処できるように努力は続けよう。

・・・ひょっとしたら、オレがカトレアを治すはめになるかもしれないから。
 

 

第六話 アンリエッタ誕生

トリステイン王国はまもなく誕生する新たな命にお祝いムード一色だ。

オレもようやく七歳になり、身長も大分高くなったが、魔法に関しては水と風のラインのままだ。これには王立図書館に入り浸っての勉強や地球から流れてきた書物の閲覧などで忙しかったと弁明させてほしい。

そう、地球から流れてきた書物・・・このハルケギニアには書物のほかにも、様々な物が流れてきているらしい。そういうのを総じて『場違いな工芸品』と呼ぶそうだ。

王立図書館に保管されている地球の書物は漫画からグラビア雑誌に専門書など様々な種類があった・・・エロ本もあった。ちなみにある日、エロ本をパラパラと流し読みしていた所を司書に見つかり後日、両親にこっぴどく怒られたことがあった。



また七歳になってオレはようやく両親から私室を持つことを許された、といっても寝室ではまだで三人一緒に寝ている・・・近々、四人もしくは五、六人になるかもしれないが。

とにかく念願の私室だ、リラックスできる空間てすごく大切だね。内装はいうとあんまり豪華すぎると落ち着かないという事で、それなりに質素な内装にしてもらった。
上機嫌でヴァリエール公爵家のカトレアからの手紙を読む・・・カトレアからの手紙といっても代筆だけど。二年前のヴァリエール公の誕生パーティー以来、会って無いがこうやって文通を続ければお互いの絆も深まるだろう・・・とは父さんの言。まぁ文通も良いかな。

ちなみに手紙の内容は・・・

『新しく動物を飼い始めた』

『部屋の窓から見える花壇が花を咲かせた』

『仲良くしていたメイドが結婚してやめてしまった』

『評判の水メイジに治療してもらったが治らなかった』

『病気を治してオレとどこかに出かけてみたい』

『両親や姉に囲まれて幸せなこと』

『早く自分で手紙を書けるようになりたい』

などが書かれていた・・・



手紙を読み終えるとオレはイスを深めに座り直した。

「う~ん」

返事はどういう風に書こうか・・・

やっぱり、新しく生まれる弟か妹の事は外せない、父さん曰く数日中には生まれるらしいけど。後は王立図書館で見つけた本の事とか、最近聞いたマンティコア隊に語り継がれる伝説の鬼隊長の事とか、後は・・・そうだな。

いろいろ手紙のネタを考えているとノックがした。

「はい、どうぞ」

入室を許可すると、おそらく二十代前半ぐらいのメイドが入ってきた。

「失礼します殿下、まもなくミラン様がお越しになる時間です」

「ああ、今日はミランが来る日だった。ありがとう、すぐに行くよ」

「え? あ、はい・・・失礼しました」

そう言ってメイドは慌てた様子で退室した。
まさか王族に『ありがとう』と返されるとは思ってなかったらしい。両親や他の貴族にもよく注意されるが、別にお礼くらいいいと思うんだけど・・・



それはそうとミランの事だけど、二年前の襲撃事件で右足を失う重症を負った事でグリフォン隊を除隊せざるを得なくなった。そのため持っていたシュヴァリエの称号は除隊したことで剥奪されてしまった。

元々ミランは弱小貴族の三男坊で土地なんて持ってない。魔法衛士隊を除隊したため普通の騎士として再仕官する様になるみたいだけど、なにかと体面にこだわるトリステインが隻脚の騎士の仕官を許すかどうか・・・

平民を妻にしているという事で隊内での評判が悪かったと聞いているから再仕官は認められずそのままトリステインから追い出される可能性も十分高い。無職になっても当然というべきか失業保険なんて有る分けないし、飼育に何かと金がかかることから手持ちのグリフィンを手放したと後で聞いた。

収入といえば、奥さんがトリスタニアで花屋をやっているらしいが、命の恩人でもあり、平民を差別しない事から何かと好感を持っていたミランを無役にするのも気が引ける。何とかできないかと父さんに相談したら魔法の講師として雇ってもらえるようになったが、シュヴァリエへの復帰は認められなかった。

ちなみに前任のバレーヌ先生は栄転という形で次の任地にホクホク顔で旅立った。少しは残念そうな素振りをすると思ったんだけど、オレは都合のいい出世の踏み台だったらしい・・・かなりヘコむ。


気を取り直して授業を受けるため部屋を出る。途中、何人かの女官やらメイドが慌ただしく歩いていたことを見ても、母さんの出産が近いことを感じさせた。







魔法衛士隊の練兵場はどこも埋まっているため、室内練習場っぽい部屋を使うことになっている。

練習場へ向かう途中で一人の貴族とその後に続く取り巻きらしき貴族連中が視界に入った。

「あいつらはたしか・・・」

先頭を歩く貴族を思い出そうと頭をひねると該当する貴族がヒットした。

「たしか・・・リッシュモン・・・伯爵だったか?」

ここ数年で頭角を現してきた貴族だ、けっこう優秀らしいがちょっと腑に落ちない所もある。

噂だから何ともいえないがリッシュモンをプッシュする連中に宗教関係者が多い事がどうも引っかかった。これは日本人特有の宗教観が作用したのかもしれない、前世のオレは無神論者をいうより日本型仏教徒だった、正月にお盆にクリスマスとそれぞれ祝ったり楽しんだりしたし、ちゃんと墓参りもしたり気が向いたら仏壇に手を合わせたりした。ようするにオレにとっては始祖ブリミルも八百万の神々の一柱なのだ。

・・・まぁ、オレの宗教観なんぞどうでもいい。
つまり教会の権力を笠に出世していくリッシュモンはとてつもなく胡散臭く思えるのだ。

肩で風を切りながら歩くリッシュモン。何もかもが上手くいく・・・そんな時期なんだろう、うらやましい事だ。

(こういう先入観は良くないのは分かるのだが・・・)

どうしても警戒してしまう。オレは無言のままリッシュモン一派が通り過ぎるのを待った。

味方にするにしても敵対するにしても、今のオレには王太子としての権威しかなく権力は持ってないんだ、これではリッシュモンの相手にならない。

情報のソースが噂だけってのも問題がある。優秀な密偵を部下にほしいな。







室内練習場に着くとすでにミランが到着していて、杖を突きながらにっこりと笑ってこちらに近づいてきた。ちなみに杖は魔法の杖としても使用できる。

「ごめん、ミラン待たせたね」

「こんにちは殿下、私も今着たばかりです」

「そうなのか、それじゃ早速始めようか」

「はい殿下」

さっきも言ったけどミランは二年前の襲撃事件で片足を失った。
そのせいか激しい運動をしなくなり以前のような筋肉モリモリマッチョマンが細くなってしまった。

以前、細くなったことや魔法衛士隊を辞めた事などを気に病んでないか聞いてみたら。

『あの体型を維持するのにかなりの額の食費が掛かりまして、隊を辞めたら浮いた食費の分、生活が楽になりましたよ』

と、おどけてみせた。

・・・そんな事言うなよ。

エリートの魔法衛士隊を辞めさせられて平気な筈ないだろ?

まぁ、そういうやり取りがあった訳で、オレとしても何とかミランの力になってやりたいと思ったわけさ。






「・・・殿下、準備はよろしいでしょうか?」

「ああ、ごめん・・・すぐに始めよう」

まず水と風のラインスペルの復習・・・次に土と火のドットスペルの練習と続くのだが。

土の系統はドットスペルを成功させていたが問題は次の火の系統だ。

・・・オレは火の系統が苦手だった。

「殿下、もう一度です」

「分かってる。・・・ウル・カーノ!」

火の系統の基本的な術、『発火』のスペルを唱えたが何の反応もない。

「ウル・カーノ!」

「・・・」

「ウル・カーノ!!」

「もっとイメージを明確に」



・・・分かってるよ、集中、集中。




・・・深呼吸して。




「イメージ、イメージ・・・」




マッチ一本を擦って小さな火を灯すイメージ。




「ウル・カーノ!!」



・・・が、火は点かない。



「・・・殿下、今日はここまでにしておきましょう」

「ああ、分かったよ」



結局、『発火』は失敗だった。イメージは完璧だと思ったんだけど、うまくいかない。

「殿下、気を落とされないよう・・・日々鍛錬です!」

「そうだね、ありがとうミラン」

ミランは慰めてはくれたけど、やっぱり悔しい。






魔法の授業が終わると次は剣の修行だ、最初の頃は魔法の授業のみで剣の修行はプログラムに含まれてなかったし、当然というべきかミランは大反対した。

だが、オレも負けてはいない。

「剣術といっても、別に剣さばきの上達だけが目的じゃないよ、俊敏な足運びを学べば入浴中や首脳会談といった杖を持ち込めない状況で賊に襲われても、逃げるなり抵抗するなりとそれなりに動けるよ」

「かと言って、王族に・・・しかも次期国王へ剣術とは。いろいろ問題でしょうし、他の者たちも黙ってはいないでしょう・・・それに無駄ではないでしょうか?」

「世の中に無駄な努力とか、無駄な技術なんて存在しないよミラン。一見無駄な技術でもめぐりめぐって思わぬところで役に立つものさ」

「・・・はあ」

「次は・・・というか、こっちが本命なんだけど」

「何なんでしょうか?」

「実はね、美食と運動不足が祟ってさ、将来とってもグラマーになるんじゃないかと心配なんだよ」

「それは・・・」

太った王様なんてかっこ悪いから、グラマーな王様よりもスリムな王様のほうが国民の支持も高そうだしね、良くも悪くも人間は見た目で判断するから。

ミランは不満そうだったが基礎的な剣術を教えて本格的な訓練は様子を見てから・・・という事で約束してくれた。
残るは両親の説得だけど、痩せてた方が国民の印象も良くなると説得したら意外とすんなりOKがもらえた。母さんは心配そうな感じだったが、父さんは『むしろ当然!』といった雰囲気だったのが以外だった。
貴族については、すでに父さんの許可を得ているから放っておく事にした。






剣の修行とはいえすぐに剣を触らせてもらえるわけじゃない、まずは基本、ここ数ヶ月体力づくりばかりやっている。
とはいえ七歳児の身体であるため、お遊びみたいなトレーニングでヘロヘロになってしまう。

オレは動きやすい服に着替えて、室内練習場を延々と走っていた。

窓からは西日が差し込み直接、陽の光が当たることで息も絶え絶えに走るオレをさらに不快にさせる。

「殿下、あと二周で終わりです。もう少しの辛抱ですからがんばって下さい」

返事をするのもおっくうでなんとか『うん』と返すだけで精一杯だった。



走り終え、クールダウンのストレッチをしているとミランが不思議そうな顔をして話しかけてきた。

「殿下は以前から運動後に、見たこともない体操をされますが、なにかの儀式か何かなのですか?」

「ああ、王立図書館で見てね・・・こうやって身体を伸ばしたりすると疲れが取れ易くなるそうだよ」

「それはよい事を聞きました、今度私もやってみますかな」

「別にいいけど、あんまり激しいと逆効果だから、気をつけてね」

「なるほど気をつけましょう」

そうやって和気あいあいと雑談していると『そろそろ時間です』と言ってミランは帰っていった。



・・・風呂に入ろうか。

疲労と汗まみれの身体を引きずる様に、室内練習場を出て風呂場へ向かった。



・・・・・・



動きやすい服のままで風呂場へ向かう途中。

さすが王宮というべきか、廊下には照明の魔法のランプが所狭しと置かれていてまるで昼の様だ。

経費節約とランプの数を減らしても問題なさそうだが。

・・・それよりも今は風呂だ。剣の修行をする様になって分かったんだけど、実は汗っかきな体質でトレーニング後に風呂に入るか水魔法で汗を洗い流す日課になってきた。

それにトレーニング後にひとっ風呂浴びてビール・・・は無理だから牛乳を一杯ってのが、ここ最近の楽しみだ。

「~♪」

む、知らず知らずのうちに鼻歌を歌ってたらしい。

そのまま鼻歌を歌いながら廊下を歩いていると何やら騒がしくなり、女官やらメイドが小走りから明らかに走ってる者がいた。

「何事だろ? どこぞの貴族が階段から落ちたのかな?」

などと、ほざきながらその光景を眺めていると、お付の執事のセバスチャンがオレを見るなり走りよってきた。

「探しましたぞ殿下」

「やぁ、セバスチャン何かあったのかい?」

まず目に付く白髪頭に立派なヒゲ、痩せ型ノッポの初老の男・・・まさに執事!

「国王陛下より取り急ぎ王妃殿下の下へお越し下さるよう仰せでございます」

「母上の所へ? うん、分かったよ」

「ウィ、殿下」

いよいよ子供が産まれるようだ。

風呂はあきらめて母さんのところへ向かった・・・






母さんはここ数日、いつでも出産に対応できるように別室で寝泊りしている。

別室前に着くと多くの貴族やら女官やらが居て、父さんが玉座のような豪華な椅子にどっしり座っていた・・・ここは廊下だろ。

「父上、母上の容態はどうでしょう?」

「おお、マクシミリアンか、もう間もなく産まれるそうだ」

そうして隣にある子供サイズの玉座モドキに触れ『ここに座りなさい』と着席を促した。

「・・・はい父上」

とりあえず玉座モドキに座って辺りの様子を伺うと、緊張した空気が別室前に漂っていた。




・・・・・・




待つこと三十分、進展が無いようなので体操服?から代えの服に着替えておく。

すると別室内がにわかに慌しくなった!

『おお!?』

『御生まれに!?』

周りの貴族たちが活気付く。


・・・・・・


別室内でなにやら聞こえる

『・・・ぁ・・・ぁぁぁ・・・』

子供の泣き声!? 産まれた!?

周りの貴族たちも一斉に歓声を上げ、にわかに廊下が騒がしくなる、すると別室から中年の女官が出てきてうやうやしく頭を下げた。

「マリアンヌ王妃殿下、無事女児を出産されました」


おおおおおおおおおおお!


歓声がさらに高まり隣に座っていた父さんは我慢の限界が来たのか別室へ突入した。


『トリステイン王国万歳!』


『トリステイン王国万歳!』


『トリステイン王国万歳!』


ところどころで万歳三唱が聞こえる。

無事、妹が生まれた事で緊張の糸が切れたのか力が抜けてしまい背もたれに身体を預けた。

別室内では父さんと母さんの寸劇が行われているんだろう、嬌声のようなものが漏れ聞こえる。

「そうだ」

カトレアへの返事の手紙は新しく生まれた妹の事を書こうかな。


・・・・・・


「・・・さて」

オレも新しい家族に会いに行こう。

力の抜けた身体を引き締めなおすと玉座モドキから立ち上がり別室へ足を進めた。



・・・後に新しく生まれた妹は『アンリエッタ』と名づけられた。

 

 

第七話 王太子の秘薬作り

 
前書き

 今回から、一人称から三人称に変更になります。 

 
ある日のトリステイン王宮。

ジョルジュ・ド・グラモンはマクシミリアン御付の執事セバスチャンに伴われてマクシミリアンの私室へ向かっていた。

ここ数年、ジョルジュは王太子の遊び相手という事でグラモン伯爵が王宮へ登城するさいに一緒に着いて行っては、よくマクシミリアンの相手をしていた。
ジョルジュとマクシミリアンは供に10歳、幼い事からよく遊びよく学ぶ、そういう訳で二人は親友関係と言っていいだろう。

「今、殿下は何をされている?」

「殿下は水魔法の練習を兼ねて秘薬の作成をされてます」

「そうか分かった」

当初、マクシミリアンの魔法の授業は広く浅くの内容だったが、今では水魔法一本に絞っている。
そのおかげか、水のトライアングルまで到達し、あと数年もせずにスクウェアにも手が届くところまで成長していた。

(僕と同い年でトライアングル・・・マクシミリアンの様なメイジになりたいな)

あこがれとちょっとした寂しさを感じつつ、ジョルジュたちはマクシミリアンの私室へ足を進めた。





                      ☆        ☆        ☆ 




所変わってマクシミリアンの私室。

マクシミリアンの私室は以前の地味な雰囲気とは大きく様変わりした。
所々に秘薬入りの小瓶の置かれた棚があり、棚にはそれぞれ『傷薬』や『栄養剤』に『殺虫剤』などが書かれた張り紙で分類してあった。
だが、部屋のスペースを最も多く占領しているのは『感染症』の棚だ。
感染症の棚には百を超える小瓶が置かれているが、実のところ完成品は三割程度で他の七割は完治はせずに症状を抑える程度の未完成品である。

そうして今日も秘薬作りをするマクシミリアン。
スクウェアスペルに到達すれば治らない病気など無い・・・そう信じて。

「・・・むむむ」

なにやら唸りながら本と小瓶を交互に見るマクシミリアン。
現在、研究中の秘薬は『悪い虫だけ殺す殺虫剤』である。

「イル・ウォータル・・・」

秘薬の小瓶を左の手のひらに乗せ、右手に持った杖を振るいながら水のスペルを唱えた。

すると・・・。

ぼふんっ・・・という音と共に白い煙が噴き出した!

「おっと」

すかさず小瓶に蓋をかぶせる。

「ふふふ・・・完成だ!」

無色透明の液体が入った小瓶を天高く掲げる。

「ダニやゴキブリ、ノミにシラミ、蚊にカメムシなど家中のいや~な虫をまるごと退治! 名づけて・・・バ○サン!」

あまりのハイテンションに歌でも歌いそうな雰囲気だ。

「以前作った殺虫剤にディテクトマジックを加える事で悪い虫だけを狙い撃ち!」

マクシミリアンはあらかた騒ぐと妙に冷静になった。

「・・・ふぅ」

鼻をポリポリと掻きながら、誰もいないことを確認する。

「・・・何やってんだろオレ」

バル○ンの小瓶を『殺虫剤』の棚に収めようとするとノックの音が聞こえた。

「どうぞ、開いてるよ」

入室を促すとジョルジュが入ってきた、後ろにはセバスチャンが控えている。

「こんにちはマクシミリアン」

「やぁ、ジョルジュこんにちは」

「今日は帝王学の講義はいいの?」

「ああ、大丈夫大丈夫、今日は無いよ」

後ろに控えていたセバスチャンは一礼すると下がってドアを閉めた、室内にはマクシミリアンとジョルジュの二人だけだ。
ちなみにマクシミリアンはジョルジュに、公式の場所以外は自分のことを呼び捨てにすることを願い出ている。

「今日は何の秘薬を作ってたんだい?」

「ああ・・・これ、殺虫剤だ」

棚に収めようとした殺虫剤をジョルジュ見せる。

「うう、また殺虫剤かい?」

「何なら、また殺虫剤を撒きに行くかい?」

思わずジョルジュは顔を青ざめた。
あれは何ヶ月前だったか、二人で王宮を抜け出してブルドンネ街やチクトンネ街に足を運び、手製の殺虫剤をばら撒いて回った時の事を思い出したのだ。
その後、こっぴどく叱られた事は言うまでもない。

全方位で叱られた時の恐怖が蘇ったジョルジュは涙目になりながらマクシミリアンに抗議した。

「ぼぼ、僕はこの間みたいなことは絶対嫌だからね! 絶対イヤだ!!」

「大丈夫大丈夫、今度はちゃんと許可を取るから」

「そういう問題じゃないよ!」

散々わめき散らすジョルジュに辟易したのかマクシミリアンは話題を変えた。

「あー・・・ところで今日は何して遊ぶ? またチェス?」

グスグスと鼻をすすりながらジョルジュは・・・

「チェスで!」

と、八つ当たり気味に叫んだ。


・・・ちなみに殺虫剤の効果はあり、トリスタニアからノミやシラミといった害虫は激減した。




                      ☆        ☆        ☆ 





さすが武門の家系のグラモン家を言うべきか。
チェスのルールを覚えたばかりのジョルジュはマクシミリアンにいいように弄ばれていたが、ここ最近はメキメキと力を付け勝率を五割近くに戻していた。

「あははは、今日も勝つよー」

一転、上機嫌になったジョルジュ、先ほどの半べそが嘘のようである。

「はいはい、お相手しますよ」

と、少々投げやり気味のマクシミリアン。

(まぁ、接待ゲームみたいなものか)

あきらめてジョルジュの相手をすることにした。

ジョルジュのプレイスタイルは攻撃よりも防御を好んだ。
そのためマクシミリアンはジョルジュの組んだ配置を破るために苦心し『ここぞ』という戦機を嗅ぎ取る嗅覚が抜群に鋭くなり、ジョルジュもマクシミリアンの思考の隙を突いた攻勢を防ぐのにさらに慎重になり抜け目無くなった。

他人から見たら、とても10歳児同士とは思えない対局は数時間続いた。
結果は1勝2敗でマクシミリアンの負け越しだったが、ジョルジュは上機嫌なのでこれで良しとすることにした。

(10歳児に負けるのは悔しいけどね)

その後もジョルジュは事あるごとにチェスの勝負を挑んでは激闘を繰り返しお互いの実力を高め合った。





                      ☆        ☆        ☆ 





そろそろいい時間なのか、ジョルジュが帰り支度しようと席を立つとノックの音が聞こえた。

『殿下、よろしいでしょうか?』

「セバスチャンか、どうしたんだい?」

『アンリエッタ姫殿下が殿下とお会いしたいと、こちらに来ておられまして』

「ああ、ちょっと待っててくれ」

マクシミリアンは入室をいったん保留すると秘薬を棚に納め、すかさず指を鳴らした。
パチン、と室内に小気味好い音が響く、すると部屋中を占領していた秘薬の棚がズズズと音を立てて奥に引っ込み、秘薬の棚があった場所の床から別の棚がせり上がった。
新しく現れた全ての棚には本がぎっしり詰め込んであり、中には日本語で書かれた本も見受けられた。

「これはいったい・・・」

ジョルジュが呆れたようにつぶやいた。

「この部屋はね『魔法』の部屋なのさ」

「いままで何もこの部屋へ来たけど、こんな仕掛けが有ったなんて・・・」

「僕も最初はこんな装置いらないと思ってたけど、アンリエッタが出入りするようになってからは、この装置はよく利用するようになったよ、イタズラされたらいろいろとヤバイ秘薬もあるしね」

と、肩をすくめる。

「まぁ、いつまでも姫様を待たせるのも悪いし、僕はそろそろ帰るよ」

「そうか、それじゃジョルジュ、またな」

「また来るよマクシミリアン」

そう言って退室するジョルジュと入れ違いにアンリエッタが入ってきた。

「おにーたまー!」

「おおっと」

可愛らしいドレスに身を包んだアンリエッタがフライングボディアタックを仕掛けてきた。
避ける訳にもいかないため、そのままアンリエッタの小さな身体を受け止める。

「ぐぶぶっ」

いくら3歳児の身体でも10歳児の身体で受け止めるのはキツイ。
しかも兄の苦労など分からないのかアンリエッタはマクシミリアンの身体にしがみ付きながらキャーキャーと騒いでいる。

「ア、アンリエッタ、今日は何をしようか?」

「えーとね、ごほんよんでほしい」

「そうか、本を読んでほしいのか」

「うん!」

元気一杯なアンリエッタを下ろして、本棚に向かう。

(アンリエッタが好きそうな本は・・・と)

今年で3歳になるアンリエッタ。
愛すべき妹が好きそうな本を探すが本棚に置いてある物は、ほとんどが秘薬用の魔道書か地球の実用書や辞書など御堅い本ばかりで児童書など数えるほどしかない。
しかもその児童書もあらかた読み尽くしてしまったため、ネタ切れになってしまっていた。

(・・・イーヴァルディの勇者か、前にも読んであげたけど今日はこれで我慢してもらおう)

マクシミリアンは本棚からイーヴァルディの勇者を取り出す、すると、後ろからアンリエッタの声が聞こえた。

「おにーたま、これなーにー?」

(なんぞ見つけたか!?)

あわてて振り返るとアンリエッタは机の上に乗っかって皮羊紙で出来たレポート用紙をベタベタと触っていた。

「ダメだよアンリエッタ、それは大切な物なんだ」

杖を振るいレビテーションでアンリエッタを浮かして机から引き離す。

「ヤダヤダッ! ヤーダー!」

空中で駄々をこねるアンリエッタにマクシミリアンは優しく諭した。

「いいかい? アンリエッタ、これはね嘆願書といって、父上・・・おとーたまにお願いするために必要なものなんだよ」

「たんがんしょ?」

「そう、とっても大切な物なんだ、よい子だからイタズラしないでおくれ」

そう言って、アンリエッタを床に下ろした。
すると、アンリエッタはジッとマクシミリアンを見る。
少し不機嫌そうだ。

「むー」

「お願いだから」

「むぅー」

「ね?」

「わかった、いいこだからイタズラしない」

パッと花が咲いた。

「ははは、よい子だなアンリエッタは」

マクシミリアンはアンリエッタを抱き寄せると、ぷにぷにの頬っぺたに軽くキスをした。

「さ、本を読んであげようか」

「うん!」

部屋の中央にあるソファに腰掛けるとアンリエッタも続いて隣に座った。

「イーヴァルディの勇者でいいよね?」

「『いいばで』でいいよ」

(いいばで・・・って)

アンリエッタの頭を撫で。
内心、突っ込みながら本を読み始めた。





                      ☆        ☆        ☆ 




アンリエッタに本を読んで聞かせて、しばらく経った頃。

「ん?」

ふと、我に返ると隣で本の朗読を聞いていたアンリエッタは寝息を立てていた。

「あらら、寝ちゃったか」

くーくーと寝息を立てるアンリエッタの髪を手櫛ですいて頭をなでる。

「だれか!」

呼び鈴を鳴らすと部屋の外で待機していたセバスチャンが入ってきた。

「アンリエッタが寝てしまったから戻しておいてくれないか?」

「ウィ、殿下」

セバスチャンは一緒に待機していたアンリエッタ付の女官にアンリエッタを任せるように指示を出した。
すやすやを眠るアンリエッタを起こさない様に抱きかかえた女官はそのまま退室した。

「他に何か御用はありますか?」

「いや、今はいいよ。下がっていい」

「では、失礼します殿下」

一礼すると、セバスチャンも退室した。

一人残されたマクシミリアン。
部屋を戻すためにイーヴァルディの勇者を本棚に返し、指を鳴らした。
今度は本棚が床に引っ込んで部屋の奥に収納されていた秘薬棚が本棚があった地点に進んだ。
ちなみに秘薬瓶がひっくり返ることは無いように作られている。

本まみれの私室が一転、秘薬だらけの部屋に変わった。
先ほどアンリエッタに本を聞かせてやったソファにドッカリと座ったマクシミリアンは嘆願書の事を思い返した。

嘆願書の内容は新農法や新肥料の作成法などが書かれてあり、その対価にどこかの領主に封じてほしい・・・という旨だった。

(王太子といってもある程度自由にできる資金があるわけじゃない)

秘薬の材料も父王に頭を下げて調達したものだった。

(トライアングルスペルじゃ、ほとんどの感染症の類は完治はできないけど、予防なら可能だ。
そのための殺虫剤散布なんだけど・・・こういった目に見えない成果では理解されない可能性が高い)

事実、王宮をはじめトリステイン中に殺虫剤を撒いて回っても、害虫駆除という観点からは感謝されても感染症の予防という観点では理解されていない。
だからこそ、領主になって手腕を発揮したほうが手っ取り早く名声と権力を得ることができる。
・・・そうマクシミリアンは考えていた。

(世知辛いけど、やっぱり金と権力が必要だなぁ・・・)

内心、ため息をつく。
大貴族を相手にそれなりに立ち回るには今のマクシミリアンはあまりにも非力だ。

(どうも父さんは、オレを次期国王として鍛え上げるつもりのようだけど。
当然といえば当然か・・・こちらとしても望むところだけどね)

とは言え、不安が無いわけではない。
マクシミリアン自身、将来、トリステインをどういった国にしたいのかビジョンが見えてこないのだ。
最初、真っ先に頭に浮かんだのは、選挙ポスターに書いてあるような『綺麗事』ばかりで、実際、政策として行うにはどうにも不安だった。

(少しずつ、少しずつ未来のトリステイン像を構築していこうか)

いずれ背負う巨大な責任にマクシミリアンは思わず身を震わせた。
 

 

第八話 少女アニエス

トリステイン王国の首都であるトリスタニアには王城と貴族の屋敷が多く立ち並ぶ貴族街と、平民たちの住む下町の間に大きな川が流れている。
マクシミリアンは定期的に王宮を抜け出しては、件の川を始めとする水場を重点的に殺菌消毒を行っていた。

そして今日も身代わりのスキルニルを置いて王宮を抜け出していた。
ちなみにスキルニルとは古い魔法人形の事で人間の血を元にその人間の外見、性格を完全に複製するマジックアイテムだ。
マクシミリアンはミランを通じて、ブルドンネ街の古物商からスキルニルを購入していた。
代金は今まで作った秘薬を売って少しづつ貯めておいた貯金を利用した。
値は張ったものの、ささやかな自由を手にいてることができた。

(おかげでミランには苦労かけた・・・)

奔走してくれたミランに感謝しつつマクシミリアンは目的地へ向かった。

あらかじめ用意しておいた粗末な平民の服を着て秘薬の入った大き目の木製の箱をリュックサックのように背負う。
大き目の箱には『秘薬アリマス』と書かれた(のぼり)が一つ立っていた。

『奉公先で散々こき使われて秘薬売りの行商をさせられる平民の少年』

と、いう設定でトリスタニアの貴族街を歩くマクシミリアン。
当然、貴人とばれる様な演技はしない。
途中、顔見知りの貴族や貴族の屋敷に出入りする平民らとすれ違っても何の反応も無かった。

「何処をどう見ても、ただの行商人だ」

上手くいったと内心、ほくそ笑んだ。

石畳の敷かれた貴族街をさらに下町方面に進み貴族街と下町の境界線の橋を渡る。
川沿い眺めながらを歩いていると後方から誰かが走って来るのを感じた。
止まって振り返ると金髪を短く切った少女が全力疾走で近づいてくる。

マクシミリアンは邪魔にならないように慌てて道の端っこに移動した。

二人がすれ違う瞬間、お互いの目が合った。

(可愛いをいうよりも綺麗な感じ。けど青い目が妙にギラギラしてて怖いな)

すれ違った少女を勝手に品定めする。

「それにしても速いな。どれくらい全力疾走してるんだ? 疲れないのか?」

少女は、あっという間に見えなくなった。





                      ☆        ☆        ☆ 





目的地の空き地に到着すると、先客がいた。
誰かと思ったら先ほどすれ違った少女がストレッチをしている。
少女がやたらと熱心にストレッチをしているため、空き地に入るかどうしようか、一瞬迷ったが意を決して少女に話しかけた。

「こんにちは、ちょっと失礼させてもらうよ」

「え?」

少女は驚いたようにマクシミリアンを見た。

「別にいいよね?」

「え、うん、別に良いけど」

許可が出たため、堂々と空き地に入った。
少女はストレッチを止め、ジッとマクシミリアンを目で追っている。
この空き地やってきた目的は先日作った秘薬と空き地の向かい側にある川の水で初の広域魔法を発動させようとしていたのだが。

(大量の水を使った大規模魔法だから、集中するためにあまり人のいる所じゃ使いたくないんだよなぁ)

イメージもしっかり出来ているから失敗する事は無いと自信を持っているが。
万が一、失敗してもよい様に周りに被害が及ばないこの空き地を選んだのだが。

あきらめて、他の場所を探す・・・と、いう案を考えたものの不採用にした。

「・・・・・・」

(他の適当な場所は知らないし・・・・・・どうしたものかなー)

マクシミリアンはどうするべきか唸っていると、背後から何かが近づいてくる気配を感じた。

「ん? 何か用?」

「えっと、何してるかと思って」

への字口をしながらも近寄ってきた少女は戸惑いながらも答えた。

「休憩をかねて弁当を取ろうかと思ってね、それでこの空き地にやって来たんだ」

「そう・・・」

街の住人にとってマクシミリアンは『知る人ぞ知る』と言った存在なのだが、少女の前では正体の事は伏せることにした。

(仕方ない、適当にあしらって、早いとこ帰ってもらおう)

ちなみにこういった時のためにカモフラージュ用の弁当を用意してある。

「ところでキミ、何て名前?」

「えっと、アニエスだけど」

「アニエスね うん、いい名前だね」

「・・・ありがと」

はにかんだ笑顔にマクシミリアンも思わずほっこりとした。

(最初は何処か陰気な娘だと思ったけど、中々どうしていい娘じゃないか)

「貴方の名前は何?」

「僕? 僕の名前は・・・」

『マクシミリアン』と、言うと、いろいろ問題があるかと思って。

「・・・ナ、ナポレオンだよ」

・・・と、偽名を使うことにした。

「そう、珍しいけどいい名前なんじゃないかしら」

「ははは、ありがとうアニエス」

「ふふふ」

(・・・それにしても、咄嗟に出た名前とは言え『ナポレオン』とはね)

マクシミリアンは思わず口元を歪めた。



                      ☆        ☆        ☆ 




当初は追っ払う目的だったが、以外に会話は弾んだ。

「ところでアニエスは・・・」

「ん?」

マクシミリアンとアニエスは二人、空き地に置いてある木材に腰を下ろして弁当の黒パンを頬張っていた。
アニエスは当初、半分にした黒パンの片方をマクシミリアンに勧められたがこれを断った。
マクシミリアンも『一人で食べるのは味気ない』と半ば無理やり押し付け、アニエスも仕方なく付き合うことにした。

「この空き地で何やってたんだ?」

「何って、身体を鍛えていたのよ」

「身体を? 何で?」

「・・・別に、貴方には関係ないでしょ」

「え?」

「言いたくないの」

「あー・・・ええっと」

「・・・・・・」

「うん、確かに・・・もう聞かないよ」

何やら危険な雰囲気を感じたマクシミリアンは引っ込むことにした。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

会話が途切れて沈黙が空き地を覆った。
人があまり寄り付かない事もあって遠くで人々の喧騒が聞こえる。

(どうしたものか)

と、いろいろ思案していた所。

「・・・ごめん」

アニエスが謝って来た。

「え? アニエス?」

「・・・本当に言いたくなかったから。ごめんなさい」

「あー・・・何だ、僕も気にしてないから」

「うん、ありがとう」

「人間、誰しも秘密があるものさ。ま、いいって事よ」

こういったやり取りで微妙な雰囲気も何処かに吹き飛んでしまった。



その後、黒パンも食い終わり二人はいろいろと駄弁っていると。

「もう帰るよ。ナポレオン」

そう言うとアニエスは立ち上がりパンパンと尻を払う。

「あら、もう帰るのか?」

「まぁ・・・ね、ナポレオンもこんな所で油を売ってたら、店の人に怒られるんじゃ?」

「おおっと、それはいけない。僕もそろそろ仕事に戻らないと」

「それじゃ、ナポレオン、また会えるかな」

「そうだね、きっと会えるよ」

「うん、わたしはこっちだから・・・じゃあね」

そう言って、アニエスは走り出し路地裏へと消えていった。

「・・・・・・」

再び静寂が空き地を覆った。

「・・・またな、アニエス」

ぽつりをつぶやくと、空き地の隅っこに置いてある木箱へ足を進め、無色透明の液体が入った秘薬瓶を取り出した。

(だいぶ時間を食ってしまった。今日はまだ寄る所があるから早いとこ済ませてしまおう)

今度は川の側まで進んで秘薬瓶の栓を抜くと、たちまち白い煙がもうもうと吹き上がった。
次にマクシミリアンは秘薬の中身を川に流して、何処からとも無く杖を取り出しルーンを唱え始めた。

「イル・ウォータル・・・」

イメージはトリスタニアに降り注ぐ霧雨。

(王宮の噴水や他の水場の水量ではトリスタニア全体を補えないから・・・ね)

そうしてルーンを唱え終え、杖を天高く掲げた。
すると川の流れがピタリと止まり、次に止まった川から大量の『(もや)』の様な物がトリスタニア上空まで上って行き空を覆った。

靄はやがて霧雨に変わり、トリスタニアへと落ちていった。






                      ☆        ☆        ☆ 




アニエスにとってメイジとは敵だ。
彼らは突如として現れ、両親を友人を隣人をそして故郷を焼いた。
故郷ダングルテールの事は、今でも・・・そしてこれからも、そう、一生アニエスの心から決して離れない出来事なのだ。
あの日以来アニエスの内側に灯った黒い火は、自分一人だけ生き残って以来、生きる屍も同然だった幼いアニエスにとって生きる力になった。

(故郷を焼いたメイジを見つけ出して恨みを晴らす)

そう、心に決めた。

(他人の手を借りず、自分の手で・・・)


平民がメイジに対抗する方法を探すために強くならなければならない。
そう思ったアニエスは、自分を養女として引き取って養父になったメイジの男の部屋に忍び込んだ。
切っ掛けは養父がトリステインの王子の家庭教師として王宮に出入りしている事を、養母から聞いたからだ。

「武器か何か有ればいいんだけど」

武器になりそうな物は無かったが、変わりに授業内容の書かれた羊皮紙を盗み見ることが出来た。
そこに書かれていた内容・・・・・・『基礎をしっかりと固める』

(そんな都合のいいものなんて無いか)

この日からアニエスは徹底的に基礎体力から鍛えることにして今に至る。




そして9歳の時、いつもの様に足腰強化のジョギング・・・と、いう名の全力疾走をしていた時に一人の少年と出会った。

(・・・何処の田舎者だろう。でもカッコいいかも)

アニエスはその少年を始めて見たときの印象はあまりよい物ではなかった。
だが、アニエスもやっぱり年頃の女の子、よく見ると少年の整った顔立ちに胸がときめいたし、同年代の友達も欲しかった。
アニエスに友達がいない原因。それは近所の子供たちは狂ったように走るアニエスを怖がって誰も友達になろうと思わなかったからだ。
・・・むしろ近づこうともしなかった。

やがてアニエスは好奇心に負け少年に近づいていった。

アニエスとナポレオン・・・と、名乗ったマクシミリアンの交流は、途中、微妙な雰囲気になったが、すんなりと仲良くなることができた。

(嫌われると思ったけど、よかった)

トリスタニアに移り住んで始めての友達にアニエスは少しの間、復讐を忘れることができた。



ナポレオンと別れた後、アニエスは迷路のような路地裏を全速力で走り抜け、自宅あるブルドンネ街を目指した
途中、何度も通行人と激突しそうになるも、持ち前の運動神経と反射神経で避けながら駆け抜けた。
ちなみにこれも修行の一環だそうだ。通行人にとっては、はた迷惑この上ない。

「あれ?」

思わず、アニエスは足を止め空を見た。
空は雲ひとつ無く太陽が燦々と輝いているのに何処からとも無く霧雨が降り注いだからだ。
言うまでもなくマクシミリアンの殺菌殺虫魔法だがアニエスの知るところではない。

(なんて気味の悪い天気)

近くの家の軒下で雨宿りしようと足を進めると、一番会いたくない人とばったり出くわしてしまった。

「あ」

「ああ、アニエスか」

養父のミランだった。
思わずアニエスは口をつぐみ目をそらす。

「こ、こんな所で偶然だな」

一方、ミランも杖に体重を掛け、腫れ物に触るかのようにアニエスに話しかける。

「・・・・・・」

黙り込むアニエスにミランは何かと話題を振るが、のれんに腕押し・・・その全てを沈黙で返される。

(わたしなんて放っておけばいいのに)

アニエスはミランを本気で嫌っている訳ではない。

(メイジは敵だ。敵でなくてはならない)

自分自身に暗示を掛ける様につぶやく。

ミランの様な奇特なメイジは希少だ。
何時しか、アニエスはメイジを憎む事で心の平静を保っているという面倒な状態になっていた。
だが一方で、アニエス自身もミランの様なメイジは滅多にいない事も理解していたため、アニエスの心の中ではメイジへの憎しみとミランへの謝罪と後悔でぐちゃぐちゃになって、混乱にさらに拍車をかけていた。

(いっそ、そこら辺にいるメイジと同類なら、こんな思いしなくてすむのに)

霧雨はいつの間にか止んでいた。




                      ☆        ☆        ☆ 





ミランこと、ジャン=ポール・ド・ミランは、魔法衛士除隊後は王太子の魔法の家庭教師的な地位だったが。
その忠勤振りからマクシミリアン直属の家臣になり、シュヴァリエに復帰、ジャン=ポール・シュヴァリエ・ド・ミランに名を改めた。
家臣になった頃からマクシミリアンの魔法の授業は水魔法にみに変更しており、しかも水魔法の授業のほとんどの時間は秘薬作りになってしまった。
たまに剣の修行があるぐらいで、割と暇になってしまったかと思われた。

しかし、ミランに息つく暇はなかった。
今度は優秀な人材を捜索する仕事が舞い込んだからだ。
おかげで家を空けることが多くなったが、妻のマノンは程好く実った胸をたたいて。

「家の事は任せて!」

と、元気良く送り出してくれた。

マノンとの間にはまだ子供は授かってないが夫婦仲は大変良好だ。

夫婦仲こそ良好だが、問題が無いわけではない。
数年前に引き取った養女のアニエスの事だ。
引き取った当初からミランには中々懐こうとせずミランの憂鬱にさせた。
マノンには良く話しかけているのを見かけるが、ミランが近寄ると顔も合わせようともせずに、そそくさと何処かへ逃げるように去っていった。
後日、マノンに嫌われた原因は何か相談してみたら、どうもアニエスはメイジが嫌いらしい。
マノン自身もミランとアニエスの仲を気に病んでいたため、さらに掘り下げて聞いてみたが結局アニエスは詳しいことは教えてくれなかった。

数週間振りにトリスタニアへ帰ってきて、突然の霧雨に辺りを見渡し雨宿りしようと近くの軒先に向かうと、アニエスとばったり出くわしてしまった。

「あ」

「ああ、アニエスか」

アニエスも驚いた顔でミランを見ている。

(何か話しかけないと)

慌てて、アニエスに話題を振るも沈黙で返される。

(どうしたものか)

以前、さらに踏み込んで接しようとした時、アニエスに激しく拒絶され、それ以来、腫れ物に触れるような対応しか出来なくなってしまった。

ふと気付くと霧雨は止んでいた。
ミランは空を見上げると、アニエスはその隙をつく様に逃げ出した。

「アニエス!」

アニエスはあっという間に見えなくなり、路地裏の軒下に一人残される形になった。

「・・・情けない」

がっくりと肩を落とす。
追おうにもこの足では追いつけそうもないし、アニエス自身、9歳とは思えなくなるほど恐ろしく足が速くなりフライで追っても追いつけない可能性が高かった。

(それにこれから寄らなければならない所もある)

アニエスを追うことを諦める事にしたミラン。
いつもの明朗活発さは鳴りを潜め、何処か暗い雰囲気が辺りに漂っていた。







                      ☆        ☆        ☆ 





トリスタニアに局地的に降った霧雨は止み、川はいつもの様な緩やかな流れを取り戻していた。

その光景を見届けたマクシミリアンは空き地に戻ろうとすると、空き地に人影を見た。
最初は『アニエスが戻ってきたのか?』と、思ったが、よく見ると平民風の服を着た痩せた老人の男だった。

「流石は殿下、お見事ですな」

老人がしわがれた声でマクシミリアンを称える。

「・・・? ええっと、どなたでしょう?」

「えへへ、こいつぁ、失礼。この格好じゃ分からなかったですな」

「?」

老人は両手で顔を撫で始める。
すると顔か粘土細工のように、ぐにゃりと崩れた。

「ううっ!?」

あまりのキモさにマクシミリアンは顔をしかめた。
顔の変形だけでなく、身体もボキボキと音を立てて変形している。

「う、うげぇぇぇぇぇ!?」

あまりの酷さにマクシミリアンは口に手を当ててうずくまった。幸い、戻してはいない。

「うぐ、思い出した。こいつはクーペ・・・ジョゼフ・ド・クーペ!」

何とか立ち直り老人の方を見ると、老人の変わりに長身の青年が立っていた。

「どうですか? 思い出していただけましたが?」

「ああ、イヤでも思い出すよ、これは」

先ほどのしわがれ老人声から打って変わって、さわやか青年声のクーペはニコリと笑った。

(声まで変わるのか)

マクシミリアンがクーペを家臣に迎えたのは数ヶ月前のことで、腕利きの密偵が欲しかったマクシミリアンはミランを通して出会ったのだが、その時は今のような青年の風体をしていた。

「信用できませんが信頼できる奴が居まして・・・」

と、要領を得ない言葉で、ミランに紹介された。

クーペは隣の大国のガリア王国から流れてきた元貴族・・・と、いう触れ込みでやって来た。ついでにクーペ直属の密偵団も一緒になってやって来たため、『ガリアのあからさまな謀略では?』と、疑わざる得なかった。

(クーペとその密偵団は喉から手が出るほど欲しい・・・)

しかし、謀略を疑って手が出せない。

(逆に考えれば、本当に仕官しにやって来たのでは?)

その後、散々迷って、マクシミリアンはクーペとその一党を家臣に加えることにした。

クーペは密偵頭として密偵団を各地に放って情報集をさせつつ、自身も変身の秘術を使って密偵として動いている。
フェイス・チェンジという顔を変える風と水のスクウェアスペルが有るが、クーペの変身は魔法なのか非魔法なのか、それすら分からない、まさに秘術と呼ぶにふさわしかった。
その気になれば幼女から老人までなんにでも変身できるそうだ。
クーペの本当の顔はもちろんの事、年齢、性別、家族構成など誰も知らない。

(・・・化け物め)

内心、つぶやくしかなかった。

「・・・所で、何しにやってきたんだ?」

マクシミリアンはクーペに聞いてみた。ちなみにクーペは先ほどの老人姿に戻っている。

「へえ、先方の皆様方はすでに到着されてまして。へぇ、それと殿下にご機嫌伺いを」

「うん、そうか、ちょっと遅れてしまったか」

「まぁ、皆様方、久々のトリスタニアですので羽を伸ばしていると思いますがね」

「早いに越したことは無い。早速、出発しよう」

「へぇ、お供します」

マクシミリアンは少々早足で次の目的地へ向かう。後ろにはクーペも着いて来ていた。

十数年前、トリステインの国政を牛耳り辣腕を振るってトリステインを大いに富ませたエスターシュ大公。
その後、大逆罪に近い罪で失脚し、官職や財産を剥奪されエスターシュ大公も自身の領地から一歩も出ることを許されなくなった。
大公の下にいた貴族の大半は他の有力貴族に吸収される形でエスターシュ派は事実上消滅した。
だが、吸収されずにトリステイン各地に散らばって細々と暮らしていた者たちもいた。
マクシミリアンはそんな彼らに目をつけ、ミランやクーペら密偵団を使って、彼らを探し出し、口説き落とした。

(残り物には福がある・・・と、いうけど。最後まで吸収されずに残った彼らこそ『本物』にちがいない)

以前、トリステイン王国発行の貴族名鑑なる、全トリステイン貴族を記録した文章を見る機会があったが、エスターシュ時代に若くして要職に就いていた貴族が、今現在、貴族名鑑の何処にも載っていない事から見て、吸収されていない事が分かった。

(それも一人や二人ではない。オレに彼らが使いこなせるか・・・)

彼らが自分の器に入りきるかどうか、一抹の不安を残しつつ、マクシミリアンとクーペは早足でその会合場所へ向かった
 

 

第九話 再び、ヴァリエール家へ

その日の真夜中、カトレアは中々眠りにつく事が出来なかった。

寝返りを、右にうっても左にうっても、睡魔はやって来ない。
気分転換をしようと、スタンド型の魔法のランプを点け、ベッドの下に置いてある籠を取ろうとモゾモゾとベッドの上を這いつくばる。
側で寝ていた動物たちの何頭かがランプの明かりで起きて、ベッドの下の籠を取って上げた。

「わ、ありがとう」

カトレアのお礼に動物たちは、小さく鳴いて答えた。

起き上がって、籠に掛けてあった布を取ると、中には何十通もの手紙の束がきっちりを収まっていた。
カトレアは手紙の束の中から、一通取り出して読み出す。
手紙の送り主は婚約者のマクシミリアンで、それぞれの手紙には劣化しないように固定化の魔法が掛けられていて、送られた当時のままの姿を保っていた。
カトレアと婚約者であるトリステインの王子マクシミリアンとも文通は今現在でも続いていた。
最近起こった事や楽しい作り話、励まし言葉などの内容で、もう、お互い何年も会っていないが、カトレアはマクシミリアンの事を考えると思わず頬が熱くなった。

だが、先日届いた手紙はいつもと違った。
手紙の最後に『カトレアの病気を診る許可が下りたので、数日中にお邪魔します』と、書かれていたのだ。
カトレアにとっては嬉しさ半分、戸惑い半分だった。
何年ぶりかの再会の嬉しさに、熱を出して家族一同を心配させたりもした。
だが、いくらマクシミリアンが10歳でトライアングルになり、近々スクウェアに到達すると噂される天才と言っても、いくらなんでも若すぎる。

(ひょっとすると・・・)

カトレアには思い当たるものがあった。
最近、両親や姉、メイドたちの一挙手一投足に何か『ふくむもの』を感じたからだ。
それでも感じた当初はそれほど気にしていなかったが・・・

それがここにきて、マクシミリアンの手紙がカトレアの心に不安を植えつけた。

(破談が近いのかも・・・)

だから両親が『最後の思い出に・・・』と、マクシミリアンを呼んだのかもしれない。

「・・・」

手紙を見ながら沈黙がおちる。
そんなカトレアを見て心配したのか、ベッドの周りで寝ていた動物たちがカトレアに寄ってきた。

「みんな・・・ありがとう。もう大丈夫だから、起こしてごめんね」

読み直していた手紙を籠の中に戻してベッドの下に置いた。
ランプを消して。カトレアは布団を被り直す。
リスや猫といった小型の動物たちが添い寝するように布団の中に潜り込むと、安心したのかカトレアにようやく睡魔が襲ってきた。

「マクシミリアンさま・・・」

一言つぶやくと、カトレアは眠りに落ちていった。






                      ☆        ☆        ☆ 







トリスタニア上空に北東へと向かう竜籠とそれを護衛する5騎のグリフォン隊の編隊があった

竜籠にはマクシミリアンと執事のセバスチャンの二人だけ乗っていて、ラ・ヴァリエール公爵領へ婚約者のカトレアの病気の治療を行うの旅の途中だった。

マクシミリアンは家臣団から提出された報告書を読んでいた。
報告書にはそれぞれの分野の改革案が書かれていて、この旅から戻り次第、父王エドゥアール1世と協議を行う事になっている。

先日、行われた元エスターシュ派の旧臣らとの会合は成功裏に終わり。マクシミリアンは優秀な政策ブレーンを手に入れることができた。
そして更なる人材の確保を目指して、密偵団を使って諜報活動がてら人材の捜索を行っている。

「殿下、何かお飲み物はいかがでございましょうか?」

一息入れようとした所、セバスチャンが聞いてくる。

「紅茶を頼むよ、ミルクたっぷりで」

本当は、コーヒーが飲みたかったが無いみたいだったから紅茶にしておく。
セバスチャンは一礼するとキッチンへと去っていった。
ちなみに、この竜籠は王家専用で簡単な料理なら出せるちょっとしたキッチンがついていた。

しばらくして。出された紅茶を飲みながら下界を眺めると、真下に川が流れているのが見えた。
下に流れている川はヴァール川といって、上流ではメイン川と呼ばれる大河で、ガリア北東を水源としてガリアとゲルマニアと流れトリステイン北部へ入ると2分岐し、ヴァール川とレッグ川になりそれぞれ海へと流れる。
上流のメイン川はゲルマニア人には『父なる川』と呼ばれ親しまれている。
ちなみに上流のガリア、ゲルマニアからの生活用水が混じって流れてきていて、下流側のトリステインでは、川の水はとても飲めるような水質ではない。
飲み水といったら大抵は井戸水だった。そのせいかトリステインは飲み水よりもワインのほうが安いため、ワインの需要が高かった。

マクシミリアンは眼下に広がるヴァール川と無数に伸びる支流を見る。

(出発前にヴァール川・レッグ川流域の開発予算を請求したけど。全額は無理でも半分は欲しいなぁ)

それはマクシミリアンが直轄地で水資源の豊富なヴァール川・レッグ川流域がほとんど手付かずだった事に目を付けて、国内での実績作りと、建設業の育成のための下準備を家臣団に命令した。
予算が下りれば、すぐにでも始められるように土木関係者に話をつけたり測量が出来る者を抜擢したりと、ミランはじめ家臣団は大わらわだった。
ちなみに測量と同時進行で正確な地図作りもさせている。

(いわゆる、ゼネコンを真似して見ようと思ったんだけど・・・)

・・・本当の所は、公共事業を同時に減税を推し進めてトリステイン国内の景気を上げたかったのだが、そこまでの権限も発言力も今のマクシミリアンには無い。
そこで財務担当の貴族を説得してみたが、良い返事をもらう事が出来なかった。
トリステイン貴族は表面上は王家に対して、絶対的な忠誠を誓っているように見えるが、自身の利権が侵されようとすると激しく抵抗してくる。
ここで無理に王家の権威を振りかざして、貴族らの利権を切り取ろうとすれば、内乱が起きてしまうかも知れない。
仕方なく減税の条件として、その貴族所属する派閥の令嬢らと会食をする羽目になってしまった。
公共事業を推し進めても重税のままだったら、この開発事業は中途半端に終わる可能性が高い。
それを心配していたマクシミリアンは、仕方なく会食を承諾した。

(貴族連中は、オレが12歳になれば婚約が解消されるのを知っているんだな)

ため息をつきながらも会食の事について考える。
婚約が解消されるのを見越して、それどれの娘たちを紹介し始めた。

(でも、綺麗どころばかりみたいだし会うくらいなら、いいかな?)

・・・と、のん気に構えながらマクシミリアンはミルクティーを楽しんだ。









                      ☆        ☆        ☆ 







ラ・ヴァリエール公爵の屋敷に到着すると。ラ・ヴァリエール公爵を始めとする家人一同が盛大に出迎えてくれた。

「ヴァリエール公爵、今回は僕のわがままを聞いてくれて、ありがとうございます」

「殿下とカトレアの仲を思えばこそでございます。どうかカトレアをよろしくお願いします」

と、公爵は一礼した。

「カリーヌ夫人とミス・エレオノールも、ご無沙汰しています。短い間ですがお世話になります」

カリーヌ夫人とエレオノールにも挨拶をする。

「この度は、お越しいただきありがとうございます。家人一同、心より歓迎いたします」

「お久しぶりでございます、マクシミリアン殿下。カトレアの事、よろしくお願いします」

カリーヌ夫人とエレオノールも優雅に返した。

「時にヴァリエール公爵、今までカトレアを治療したメイジたちのカルテ・・・治療法とか記録した物があったら参考のため、見せていただきたいのですが」

「なるほど。分かりました、用意させましょう」

「ありがとうございます。治療は明日以降になると思いますので。短い間ですがお世話になります」

公爵とカリーヌ夫人とエレオノール、マクシミリアンの四人は和気あいあいとしながら廊下を歩く。

「殿下、早速、カトレアに会っていただけないでしょうか?」

と、カリーヌ夫人が言う。

(この人はいつも妙なオーラを放ってるなぁ)

どういう訳か、マクシミリアンに会うたびに奇妙なオーラを放つカリーヌ夫人。
そのためマクシミリアンはカリーヌ夫人に『嫌われているのか?』と、思って苦手意識を持つようになった。

「もう何年も会ってないですからね。是非とも合わせて下さい」

マクシミリアンも気にしないようにしながら承諾した。

・・・・・・

そうしてカトレアの部屋へ向かう途中。

「そういえば、ルイズ=フランソワーズに機会があれば会ってみたいのですが」

以前、カトレアの手紙に書いてあった、ラ・ヴァリエール公爵家の末娘の事で今年で2歳になる。

「そういえば、ルイズは何処いるのだ?」

「メイドたちに任せたはずですけど」

「メイドは全員、殿下のお出迎えに出払ってました。ひょっとしたらカトレアの所では?」

「多分、そうなのだろう。エレオノール、すぐに見に行ってきてくれ」

何やら3人でぼそぼそと話をしているが、マクシミリアンには丸聞こえだった。

「カトレアの所に居るのでしたら、ちょうど良いです。早速会いに行きましょう」

マクシミリアンは三人を急かす様に足早にカトレアの部屋へ向かった。





                      ☆        ☆        ☆ 





結論から言うとルイズはカトレアの部屋に居た。

ヴァリエール夫妻を廊下に残して、マクシミリアンとエレオノールの二人が部屋に入ると、ルイズは絨毯座って人形遊びを、カトレアは部屋に具えてある椅子に座ってルイズを見守っていた。

「マクシミリアンさま、ようこそ御越しいただき、ありがとうございます」

「カトレアいいかしら? 殿下が是非、ルイズにもご挨拶をされたいと、おっしゃっています。少しの間、ちびル・・・コホン。ルイズを貸してもらうわよ?」

エレオノールの宣言にもルイズは我関せず。エレオノールを無視して人形と遊んでいる。
無視された事で、エレオノールのこめかみに青筋が立った。

「ちびルイズ!」

青筋を立てたエレオノールの怒鳴り声にルイズはびっくりしてカトレアの足に引っ付いた。

「まぁまぁ、ミス・エレオノール。ここは僕に任せてください」

「・・・コホン、殿下が、そう、おっしゃるのでしたら」

エレオノールをなだめて、ルイズとカトレアに向かい合う。

ルイズはカトレアに、しがみ付くように抱きついていて離れようとしない。
一方、カトレアも『あらあらうふふ』と、言いながらルイズを愛でている。

「やぁ、カトレア、久しぶりだね。とっても綺麗になったよ。またこうやって会う事ができて嬉しいよ」

マクシミリアンはさわやかに挨拶した。

「わたしも嬉しいですわ。マクシミリアンさまの手紙はいつも楽しみにしてました」

「喜んでもらえて嬉しいよ」

二人は『あははうふふ』と、笑いあう。
そうしていると、カトレアの陰でルイズがジッと、マクシミリアンを見ていることに気付いた。

「ルイズに挨拶したいから、ちょっと失礼するよ」

マクシミリアンは片膝をついてカトレアにしがみついているルイズと同じ高さの目線になる。

「始めましてルイズ、僕はマクシミリアン。これから仲良くさせてもらって良いかな?」

にこやかに挨拶する。
一方、ルイズはジッと見つめながら、うーうー唸ってカトレアの側から動こうとしない。

(まだ、2歳だし仕方ないかな)

マクシミリアンはルイズの頭を撫で、手を差し出した。

「握手してもらっても良いかな?」

「ルイズ、マクシミリアンさまにご挨拶を・・・ね?」

カトレアはルイズに、優しく挨拶するように促した。

ルイズはマクシミリアンとカトレアを交互に見ると、おずおずとカトレアから離れ、差し出されたマクシミリアンの手をペタペタと触った。
マクシミリアンはルイズに受け入れられた事に、思わず胸をなでおろす。

「よろしくね、ルイズ」

ルイズの小さな手を握りなおし握手した。
にへらと、笑うルイズ。鼻水を垂らしていた為、ハンカチで拭いてやった。

「ちょっ!? ルイズ! 申し訳ございません殿下!」

「まっ、ルイズったら。はしたないわ」

エレオノールは頭を抱えながら、カトレアは少し困ったように言う。

「まぁまぁ、まだ2歳なんですし・・・」

マクシミリアンがフォローを入れて、この場は収まった。

(何はともあれ、ルイズに受け入れてもらえたようだ)

ホッと、胸を撫で下ろした。

・・・・・・

ルイズたちは去って、部屋には二人と動物たちだけが残った。

「それにしてもカトレア、動物がまた増えたみたいだね」

以前、会ってから5年近く経っているとは言え、カトレアの部屋はまるで動物園のようだった。

「怪我をして動けなくなったり、群れからはぐれてしまったりと、そう言った子たちを引き取ってたらこんなに多くなってしまって。でも、毎日が賑やかで、とっても楽しいですわ」

カトレアは、ポンと手を合わせてにっこりと笑った。


「そうなんだ。いつもながらカトレアは優しいなぁ」

ほんわかな雰囲気で二人とも笑顔になる。それに釣られて動物たちが騒ぎ出した。

「みんな、マクシミリアンさまを歓迎しているんですわ」

わんにゃんぶーと、騒ぐ動物たち。
マクシミリアンは一頭づつ、頭を撫でてやった。

「動物たちにも気に入ってもらえたようだ」

ちょっとおどけて言うと、カトレアは口に手を当てて笑った。
その後、二人は数年ぶりの再会を喜びながら会話に花を咲かせた。


・・・・・・


楽しい時間は早く感じるもの。
あらから喋ると、少し間をおいて、カトレアは神妙は顔つきになった。

「・・・マクシミリアンさま、この度はわたしの為に時間を割いていただいて、ありがとうございます」

改めて、カトレアはマクシミリアンが自分の治療の為にわざわざやってきた事について礼をした。

「気にしなくても良いよ。カトレアの力になりたくて来たんだから。それにね、僕はカトレアが好きだから・・・病気を治して、どこか旅行に行こう」

カトレアの両手を握って、領内からほとんど出た事の無いカトレアに旅行の約束と告白をした。
すると、カトレアはびっくりした顔をすると、たちまち目に涙を浮かべた。

「ありがとうございます・・・わたしなんかの為に、ありがとうございます。実はマクシミリアンさまが、わたしの病気を治しにお越しいただくと聞いて、婚約話が解消される前にせめてもの思い出作りを・・・と、ふとそう思い当たったのです」

溜まった涙はついに零れ落ち、頬を濡らした。

「婚約が解消されてしまったら、もうマクシミリアンさまに会えない。もう・・・手紙が届く事もなくなって。いつの日かみんなに見守られて死ぬ。でも、マクシミリアンさまは、そこにはいない、そういう人生をこれから送るとも思うと、怖くて、怖くて堪らないんです」

マクシミリアンは内心、唸った。

(カトレアは感が良く働くとは聞いてたけど。どうする? 婚約解消の期限、言うべきか・・・)

とはいえ、ぽろぽろと涙を流すカトレアをそのままにしておく訳にはいかない。
涙を流すカトレアを抱き寄せた。

「泣かないでカトレア、すぐに婚約解消になるはずないよ。僕はカトレアの涙は見たくないよ」

カトレアに胸を貸しながら慰める。
二人の周りでは動物たちが心配そうにしていた。

「それにみんなも心配してるよ?」

「・・・はい」

小康状態になったカトレアを背中を優しく叩く。

「それにカトレア、僕だって遊びに来たわけじゃないよ。きっとカトレアの病気を治して見せるから、一緒に頑張ろう」

「はい、わたしも・・・頑張ります」

カトレアは、弱々しくも励ましの言葉に答えた。
カトレアとマクシミリアンはにっこり笑いあった。

・・・結局、期限の事は言い出せなかった。





                      ☆        ☆        ☆ 






夕食後、マクシミリアンは宛がわれた部屋でカトレアのカルテの読んでいた。

カトレアの治療に対して、まず最初に行った事は、今までのメイジたちの治療法をよく吟味する事だ。
そうする事で、カトレアの治療のヒントを探すつもりだった。
ペラペラとカルテのページをめくると、とあるページに行き着いた。

(精霊の涙、もうすでに試した後だったか。有名な魔法の妙薬をヴァリエール公爵が知らないわけが無いと思っていたけど・・・)

そのページに書かれていたものは、『万病に効く』と、言われる秘薬、精霊の涙の事だった。
精霊の涙とはトリステインとガリアとの間にあるラグドリアン湖に住むといわれる水の精霊の身体の一部を使って作る最高の秘薬のことだ。
ヴァリエール公爵はもう何年も前に精霊の涙を手に入れ、カトレアに使ったようだったが、カルテを見る限りでは効き目が無かったようだ。

(秘薬中の秘薬をもってしても治らない病気っていったい何なんだ?)

ヴァリエール家が精霊の涙を使ってなかったら、何とかして手に入れてカトレアに施そうと計画を練っていたが、いきなり暗礁に乗ってしまい、頭を抱えるマクシミリアン。
しかし、『頭を抱える時間は無い』と、再びカルテのページをめくる。

・・・どのくらい時間が経っただろう。
一字一句、見落としが無いように食い入るようにカルテを見る。
しかし、これといって決め手になるような治療法は思いつかない。

(焦るな焦るな・・・まだ、一年以上の時間がある。明日、カトレアから血液と体液、その他諸々を採取して、じっくり調べ上げれば良い。努力はきっと報われる。あんな良い娘がいつまでも不幸であってたまるか!)

自らを鼓舞しながらページをめくる。

「ん?」

その後もカルテを読み続けると妙なページに行き着いた。

「何この中途半端なやつ」

それはページの半分程度しか書かれていない、まるで途中で放り出されたような感じのページだった。

(どんな治療法かな?)

と、半端なページを読む、すると見る見るうちにマクシミリアンの顔が険しくった。

「これは・・・治療というより、人体実験じゃないか!?」

思わず声を荒げる。
部屋の外で警護をしていた魔法衛士が異変と勘違いしたのか、ノックをしてマクシミリアンに応答を求めた。

「殿下? どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもない。警護を続けてくれ」

「御意」

魔法衛士は警護に戻り、マクシミリアンも気を取り直して、再びカルテを見た。

(中途半端で終わっているのも、きっと途中でクビになったんだろう・・・)

そう思いながらも、何か引っかかるものを感じる。
どういった人が、この人体実験をやらかしたのか興味を持ったマクシミリアンは人名を検める。

そこにはフルネームではなく、『ワルド』と、簡単なサインが書かれてあるだけであった。
 

 

第十話 エレオノールの訪問

「はい、あーんして」

「あ、あーん」

ラ・ヴァリエール公爵家へ来て二日目。
早速、カトレアの治療を始めることになった。
まずは、午前中に簡単な検診から始め。次に採血、検尿とを行って。午後は採取した物をトライアングルスペルで出来る限りの検査をするつもりだった。

「うん、喉の腫れは無いみたい。ありがとう、もういいよ」

「……はい」

カトレアの自室内ではマクシミリアンとカトレア、ヴァリエール夫妻に助手役のセバスチャンの五人だけだった。

「次は聴診、その次に採血だ。セバスチャン、空瓶を用意しておいて」

「ウィ、殿下」

セバスチャンは片ひざを突いて、床に置いてあるクーラーボックスを開けた。
このクーラーボックス、城を抜け出したときトリスタニア市内の露天で売られていた物を買ったものだ。
魚を入れた状態でハルケギニアに飛ばされたのか、少々、生臭かったが、そこは魔法の世界、『消臭』の魔法で問題解決した。香水を使っても良かったが、持っていなかったし、そこまで気が回らなかった。

クーラーボックス内は大量の氷のうが入っていて、中のものがダメにならないようになっている。
『固定化』を使っても良かったのだが、どう変質するか分からなかった為、氷のうで冷やすようにしていた。

「え? 採血と言われますと、血を抜かれるのですか?」

声を上げたのはヴァリエール公爵だった。

「そうだよ、血液には人体の色々なデータが詰まっているからね。これを採取してカトレアの身体がどうなっているのか調べるのさ」

「し、しかし、そのような療法、大丈夫でしょうか?」

「ん? 血を抜くのは異端ではないか……って言う事ですか?」

「はい、我々も今まで様々なメイジに治療を行わせましたが、そのような療法初めてです」

「たしかに、初めてだと思います。魔法は色々と便利すぎますから。細菌とかそういった物質までは、たどり着いていないみたいですね」

昨日見たカルテには、国内外、超一流のメイジたちが名を連ねていたが、どのメイジたちもウィルスや細菌といった微生物の存在を臭わせる記述は無かった。
マクシミリアンは、ほんの最近だが微生物の存在を配下や親しいメイジらに教えることで、医療や醸造関係の世界ではちょっとした有名人になっていた。

「話がそれましたが、細菌の事でなくて、採血のことですけど、多分、大丈夫だと思いますよ?。なぜなら、彼らロマリア坊主どもはワインを『始祖ブリミルの血』と、言って毎日ガブガブ飲んでるじゃないか。それに聞くことによると、坊主どもは偉大なる始祖ブリミルの血で浴槽一杯にして風呂代わりにして遊んでいるのを聞いた事があります。坊主どもが文句を言ってきたらワイン風呂の事を引き合いに出して、『あなた方のように始祖ブリミルの血で遊ぶ事よりは、我々など可愛いものです』と、言ってやればいいのです連中、きっと黙りますよ。逆切れするかもしれませんがね」

マクシミリアンはロマリア僧侶への嫌悪感を隠さずに言い切った。

ちなみにワイン風呂の事は密偵頭のクーペから送られた情報だ。ちなみにワイン風呂の坊主は、急性アルコール中毒でぶっ倒れたそうな。

「そういう訳で、採血の件は大丈夫です。万が一、異端審問にかけようと言うのなら、カトレアは僕が責任を持って守りきって見せますよ」

そう宣言すると、夫妻はお互いの顔を見合わせながら『お願いします』と、頭を下げ。カトレアはというと顔を真っ赤にして身体をモジモジさせながら、目を潤ませていた。

「マクシミリアンさま……」

彼女はもう恋する乙女そのままの姿だった。

「と、まあ……そういう訳で次は聴診です。カトレア、胸をはだけて」

「え? 胸を……ですか?」

「そうだよ、そうしないと聴診できないからね」

「え、と、はい、分かりました」

恋の赤から羞恥の赤へ、カトレアの顔は急転直下の変化を見せた。

(……? ……ん? ……あ)

事ここに至って、ようやくマクシミリアンも今の状況を理解した。

(……リアルお医者さんごっこ)

……いろいろ台無しだった。







                      ☆        ☆        ☆ 







午後、マクシミリアンは自室にてカトレアの検診で採取した血液などを検査していた。

机の上に水の張ったボウルを置く。
ボウルの水面を杖で叩き、次に血液の入った小瓶を軽く叩くと、ボウルの水面に赤血球や白血球などが顕微鏡写真のように写った。

(……各種白血球は正常。赤血球、血小板ともに正常。その他……異常なし。)

一息つこうと杖を振るうと、ボウルの水面に写った写真が消え、透明な水面に戻った。

「うーん」

マクシミリアンはペチペチとタクト形の杖で頭を叩きながら唸った。

「何処が悪いのかさっぱり分からない」

杖を机の上において、ため息をついた。

(そもそも、精霊の涙で治らなかった病気だ、ちょっと血液を見た程度で分かるとは思っていなかったが)

他にもトライアングルスペルで出来る限りを手を尽くしたが病気の原因は分からなかった。

その後も他の治療法について、いろいろ考えていると、徐々に眠気が襲ってきた。

「あふ……」

あくびを噛み殺し、もう一度、読み直そうとカルテを取った。
夜遅くまでカルテを見ていたため、マクシミリアンは寝不足だった。

「殿下、お疲れのご様子でしたら、床を用意させますが」

「いや、そこまで眠くないよ。ちょっと小腹が空いたし軽く食べ物を。それと眠気覚ましになる物をを頼むよ」

「ウィ、殿下」

セバスチャンは一礼すると退室した。

マクシミリアンはカルテのページをペラペラと捲り、目当てのページに行き着いた。

『ワルド』と、いう人物がカトレア施した治療……というより人体実験。

『カトレアは魔法を使うと原因不明の発作を起こす』

そこに目を付けた『ワルド』は、妙な装置をカトレアに着けて魔法を使わせ、カトレアの体内でどの様な変化が起こっているのか検査する。そういう計画だった。
だが実際に、この人体実験が行われたのか、カルテには書かれていなかった……結果も書かれていない。
マクシミリアンもカトレアの発作の事は、どう扱ってよいやら悩んでいた為、この実験に関して興味を持った。

(この『ワルド』という人物。多分、ワルド子爵の事だろう。子爵の縁者かな?)

カルテを閉じ、目を瞑る。

(ともかくヴァリエール公爵に、この件について聞いてみよう……)

再びあくびを噛み殺しながら、カルテを棚に収めるとノックが聞こえた。

「ん……はい、どうぞ」

入室を許可すると、エレオノールが入ってきた。

「殿下、少しお時間をいただいてよろしいでしょうか」

「ミス・エレオノール。かまいませんよ。どうぞ」

マクシミリアンはエレオノールを日当たりの良いテーブルへと誘った。

「お疲れのところに尋ねてきてしまって、申し訳ございません」

「まぁ、気になさらずに。それでいったい何のようでしょう?」

「はい、それは……その……」

「?」

口ごもるエレオノールにマクシミリアンは不思議そうにしながらも、エレオノールが口を開くまで待ち続けた。

双方黙ったまま、五分くらいが過ぎた頃、ノックの後にカートを押したセバスチャンとヴァリエール家のメイドたちが入室してきた。

「ああ、セバスチャン、ミス・エレオノールにも何か飲み物を」

「ウィ、殿下」

メイドたちはカートに乗ったクックベリーパイを切り分けテーブルの二人に配った。

「ああ、ありがとう」

「……」

セバスチャンは紅茶を二人分淹れ、一礼するとメイドたちと供に退室した。

マクシミリアンは紅茶を一口すすると、濃い目の味で眠気が吹き飛んだ。

(……それにしても昨日、ルイズ相手に凄い剣幕で怒鳴っていたのが嘘のようだ)

テーブルの向かい側にいるエレオノールの少し物憂げな表情と、昨日の目の釣り上がったエレオノールとを脳内で比べていると。ついにエレオノールが口を開いた。

「殿下、カトレアとの婚約解消の期限はご存知でしょうか?」

「はい、知ってます。僕が12歳になったら……でしょ?」

「……そこで殿下、お願いがございます」

「……?」

「もし、カトレアと破談になったら……私と婚約して欲しいのです」

「んんっ!?」

マクシミリアンは思わず口のものを吹きそうになった。

「コホッ……本気ですか?」

「はい、本気です」

「たしか、ミス・エレオノールは他の方と婚約されてると聞いてますが? それはどうされるのですか?」

「それは……取り消してもらいます」

(それじゃ、先方は納得しないだろうに……)

エレオノールの稚拙な方法に内心呆れる。

「まあ、ミス・エレオノールの婚約話は置いておくとして。そもそも、何故そのような事を言い出したのです? ヴァリエール公爵は承知しているのですか?」

「いえ、お父様もお母様も知りません。まだ誰にも話していません」

「それなら……」

「もし、このカトレアとの婚約が破談になってしまったら、ラ・ヴァリエール公爵家はトリステイン中に恥をさらす事になります!」

いきなり怒鳴り声を上げたエレオノールに思わずびっくりしてしまった。

「ミス・エレオノール、落ち着いて……」

「私は、私はそれを避けたいんです!」

「……」

その後も、散々まくし立てるエレオノール、その口調も徐々に早口になる。
マクシミリアンはエレオノールに落ち着くよう説得しようとしたが、間に割り込む隙が無いままエレオノールの独演会になりかけていた。
しかし、息継ぎ無しで一気にまくし立てたため、エレオノールの独演会は終了、苦しそうに息を整える。
マクシミリアンはこの機を逃さず、話に割り込んだ。

「ミス・エレオノール」

「っく、は、はい」

「ミス・エレオノール、先ほどから聞いていれば、貴女は自分の事しか考えてないように聞こえます」

「それは……」

「ラ・ヴァリエール公爵家を救うために我が身を犠牲にする。貴族の娘として、大変、結構な事と思いますが……」

「……」

「もし、ミス・エレオノールと婚約したら、他の貴族は黙ってはいないでしょう。嫉妬に狂って『王権の私物化だ!』とか『ラ・ヴァリエール家の専横を許すな!』とか……散々騒ぎ立て返って、ラ・ヴァリエール公爵家とトリステイン王家を、ひいてはトリステイン王国全体を窮地に立たせかねません」

エレオノールは『ハッ』とした顔をして、マクシミリアンを見た。

「……ともかく。ミス・エレオノール、この話は聞かなかった事にしましょう。それに好きでもない男に嫁ぎたくないでしょう?」

エレオノールにウィンクして、この場を和ませようとした。






                      ☆        ☆        ☆ 








……しばらく経って。

『この話は無かった事にしよう』……そう言ったはずだった。
マクシミリアンは、目に見えて落ち込んでいるエレオノールに慰めの言葉を掛け続けていたが、無かった事にできなかったエレオノールの落ち込みっぷりは、逆に悪い事をしているのでは? と、思わせるほどだった。

(無かった事にしようって言ってるのに。真面目な人だなぁ)

マクシミリアンも、こういう、生真面目な人は嫌いじゃない。むしろ好意的に思っていた。
ともあれ、エレオノールをこのままにして置く訳にもいかない。

「ええっと、ミス・エレオノール。悲しいときは甘いものを食べると心が和らぐそうですよ」

その言葉を発した瞬間、マクシミリアンは心の中でポカポカと自分の頭を叩いていた。

(この馬鹿! もうちょっと気の利いたこと言えなかったのかよ!)

幸い、マクシミリアンの励ましに、ほんの少し元気付けられたのか。エレオノールは黙って頷きながら、モソモソとクックベリーパイを食べ始めた。

「……美味しいです」

「よかった、元気になったみたいで」

マクシミリアンもクックベリーパイを口に運んだ。

「うん、美味しい」

「……フフ」

エレオノールにようやく笑顔が戻って、マクシミリアンもホッと胸を撫で下ろした。






                      ☆        ☆        ☆ 






「……ところで、ミス・エレオノール」

「何でしょうか? 殿下」

立ち直ったエレオノールと談笑して数十分、マクシミリアンはワルド子爵の事について聞いてみる事にした。

「ミス・エレオノールは、ワルド子爵がカトレアの治療に関わっていた事を知ってましたか? もし、知っていたら、どの様な治療内容だったか教えて欲しいのですが」

「ワルド子爵がですか? ……そう……ですね。そういえば、今から何年前か忘れてしまいましたが、ワルド子爵夫人がカトレアの部屋に出入りしていた事は覚えています。ですが、治療内容までは……」

「なるほど、ワルド夫人が……ミス・エレオノール、ありがとうございました。大変、参考になりました」

「殿下のお力になる事ができて、嬉しいですわ」

『手がかりを掴んだ』……そう、実感するマクシミリアンだった。

その後も談笑を続けていると、ノックがしてセバスチャンが入ってきた。

「殿下、ラ・ヴァリエール公爵閣下がお呼びでございます」

「ヴァリエール公爵が?」

エレオノールと顔を見合わせた。

「ともかく分かったよ。すぐに行く」

「殿下、私も、そろそろお暇させていただきますね」

「ミス・エレオノール。楽しい一時でした。また今度。」

「はい、またお相手できる日をお待ちしています」

「では、途中まで一緒に行きましょうか」

「……あ、あの! マクシミリアン殿下!」

マクシミリアンがエレオノールを伴って部屋から出ようとドアの辺りまで進むと、エレオノールに呼び止められた。

「何でしょうか? ミス・エレオノール」

「カトレアの事、どうかよろしくお願いします!」

ペコリと、頭を下げた。

「殿下から手紙が届くたびに、あの子が、カトレアが、あんなに楽しそうにしているのを見て、私たち家族も、どれだけ励みになった事か。マクシミリアン殿下、どうか、どうかカトレアを救って下さい。幸せにしてあげて下さい」

再び、頭を下げ、去っていった。

「……」

エレオノールの言葉に、そして、家族の絆にマクシミリアンも思わず背筋がピンと、引き締まる思いだった。

「……任せてください。幸せにして見せますよ」

グッと拳に力をこめた。





                      ☆        ☆        ☆ 







ラ・ヴァリエール公爵に呼ばれ、公爵の私室へ向かうと、公爵の他にもう一人、見た事の無い貴族が立っていた。

「マクシミリアン殿下、わざわざお呼び出ししてしまいまして、大変、申し訳なく……」

「いえ、お気になさらずに。それよりも、そちらの方は?」

マクシミリアンが視線を貴族の男に向けると、男は一歩前に進み、一礼した。

「ご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます。私、ワルド子爵と申します。明日、我が屋敷にてパーティーを催す予定でございまして、是非、マクシミリアン王太子殿下にもご足労頂きたくお願いの使者として遣って来た次第にございます」

「私とワルド子爵とは、領地も隣接していますし軍務などで何かと一緒になる事が多いものでして……」

ヴァリエール公爵がワルド子爵との関係を説明していた。

「なるほど、では改めてまして……初めまして、ワルド子爵。パーティーの件ですが、飛び入りのようなタイミングで恐縮ですが、喜んで参加させていただきましょう」

「おお! 有り難き幸せ」

ワルド子爵とのやり取りで、肩がこりそうになったが。

(ワルド夫人に会えばカトレアの病気について何か手がかりを掴めるかも知れない。なにより渡りに船だ、利用しよう)

と、いう下心も有った為、パーティーに御呼ばれする事にした。
 

 

第十一話 ワルド夫人と虚無の復活

ラ・ヴァリエール公爵の屋敷に滞在して三日目。

ワルド子爵のパーティーに招待されたマクシミリアンは、ラ・ヴァリエール公爵と供に馬車でワルド子爵の屋敷へ向かっていた。
馬車にはマクシミリアンとラ・ヴァリエール公爵、そしてエレオノールの三人乗っていた。
ちなみにカトレアとルイズは当然不参加、カリーヌ夫人も不参加する事になった。

馬車での道中、ラ・ヴァリエール公爵にワルド夫人の治療について聞いてみる事にした。

「ヴァリエール公爵、以前、カトレアの治療を行ったワルド夫人について教えてもらいたい事があるのですが」

「ワルド夫人……で、ございますか?」

公爵が一瞬顔をしかめた。
やはり、カトレアの事で、過去に何かあったらしい。

「その様子だと、ワルド夫人に対し余り良い感情をお持ちでない様ですが」

「……お父様」

エレオノールは心配そうにラ・ヴァリエール公爵を見ている。

「いえ、殿下、私はワルド夫人に特別、悪い感情は持っていません」

ラ・ヴァリエール公爵は慌てて訂正した。

「と、言うと、どういう事ですか?」

「ワルド夫人は一部の貴族たちの中では、聖地狂い……と、余り良くない噂が立っていまして」

「聖地狂い? 聖地と、言いますと始祖ブリミルの聖地の事ですよね? どうして、そんな噂が……」

「ワルド夫人はある日を境に聖地奪還に傾倒していきまして。ですが、才女と名高いワルド夫人ならば……と、カトレアの治療を頼んでみたのですが……」

「それで……ワルド夫人の治療は行われたのでしょうか? カルテには結果が書かれていなかったものですから、気になっていまして。実の所、ワルド子爵のパーティーに参加したのは、このワルド夫人の治療内容を聞きたかったためですから」

「治療の件に関してですが……実の所、治療の途中で立ち会っていたワルド子爵が止めさせて欲しいと頭を下げてきまして。我々としても、カトレアに魔法を使わせるような事は避けたかった為、治療を途中で止めさせたのです」

「中止したのですか。……カトレアの事を思えば仕方の無い事でしょうね」

仕方が無い……と、言ったもののカトレアの病気に関しての情報が得るためにパーティーに参加したのだ。

(無駄足だったかも知れない)

マクシミリアンは何処か力が抜ける様な感覚を覚えた。

(とは言えせっかく来たんだし、会うだけ会って見よう)

馬車はマクミリアンたちを乗せ、快調に走り続けた。






                      ☆        ☆        ☆ 






その後、ワルド子爵の屋敷に到着したマクシミリアンはラ・ヴァリエール公爵らとは別の部屋を宛がわれた。

早く着きすぎたと言う事で、暇つぶしのため宛がわれた部屋で一人でチビチビと紅茶を飲んでいると、ノックと供にワルド子爵と中学生くらいの少年が入ってきた。

「マクシミリアン殿下、急なお誘いにも拘らず、御出で下さいましてありがとうございます。パーティーはもう間もなくですので、もうしばらくご辛抱して下さい」

「ありがとう、ワルド子爵。所で後ろに控えているのは子爵のご子息でしょうか? 是非、紹介してもらえないでしょうか?」

「かしこました。さ、殿下にご挨拶をしなさい」

ワルド子爵が後ろに控えていた少年に促した。

「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じ奉り上げます。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと申します……」

「初めまして、ミスタ・ジャン。僕の1・2歳ほど年上見たいな感じですが何歳でしょうか?」

「はい、今年で12歳になります」

「なるほど。僕は同年代の男の子とは付き合いが少ないから、色々と話し相手になってくれると助かります」

「ははっ、身に余る光栄!」

・・・・・・などと、世間話をしていると、時間が過ぎていった。

ジャン少年は退室して、今は子爵がマクシミリアンの相手をしている。
マクシミリアンはワルド夫人の事について切り出す事にした。

「ワルド子爵、実はお願いしたい事がありまして……」

「ははっ。何なりと申し付け下さい」

「ワルド夫人……奥方に会わせて欲しいのです。夫人がカトレアの治療を行った際のデータを見れば何かヒントになるような事が書かれてあるかもしれない。ワルド子爵。どうかお願いします」

マクシミリアンは頭を下げた。
……王子が一貴族に頭を下げる。
封建社会では決して許されない行為だった。

「お、御止め下さい殿下!」

思わずうろたえるワルド子爵。
もし、この事が誰かに漏れでもしたら、ただでは済まない。
かと言って、聖地狂いの妻をマクシミリアンに会わせる訳にも行かない。

(もし、殿下に何かあったらワルド子爵家は破滅だ……)

ワルド子爵にとって、事あるごとに『聖地へ行かねば』と喚き散らす妻の姿は、他の者には見せたくない恥部と言えるものだった。
だからこそ、外の者と接触しないように屋敷の最深部の部屋に軟禁していたのだが。
どっちに転んでもワルド子爵に角が立つ。
しかたなくワルド子爵自身も同席する事を条件に了承する事にした。








                      ☆        ☆        ☆ 








ワルド子爵に連れられ屋敷の奥へと進む。
途中、パーティーで振舞われる料理を調理しているのか、良い匂いがマクシミリアンの鼻をくすぐった。

「……」

「……」

二人とも無言のまま、屋敷を奥へ奥へと進んだ。
さらに奥へ進むと、滅多に人が来ないのだろう。ひんやりとした空気が廊下に漂っていた。

冷たい空気の中を進むと、重厚な木製の扉が二人の行く手を塞いだ。

「お待たせいたしました」

ワルド子爵がマクシミリアンに一礼して、アンロックの魔法を扉にかけた。

「……?」

「どうかしたのかい?」

「は、すでにアンロックをかけた後のようでして……」

「誰かが、もう入ったって事?」

「……おそらくは」

ワルド子爵は首をひねりながらも扉を開けると。奥から誰かが言い争う声が漏れ聞こえた。

『……! ……!!』

『……!」

誰かが言い争う声に、マクシミリアンとワルド子爵は顔を見合わせる。

「これは……!?」

「ともかく参りましょう!」

駆け出すワルド子爵の後に続いてマクシミリアンも走り出した。
人を呼ぶべきなのだろうが、二人ともそこまで思考が及ばなかった。

「ジャン・ジャック退いて! マクシミリアン殿下がお見えになられているのなら、伝えないと行けないのよ!」

「母上、いい加減にしてくれ!」

言い争う声をたどって行くと、ちょうど階段の上でジャン少年と母上……と、言っていた事から、おそらくワルド夫人がもみ合っていた。

「あれは!?」

「二人とも何をしている! マクシミリアン殿下の御前であるぞ!」

ワルド子爵が一喝すると二人はピタリと止まって、声の有った方向を見た。

「父上! マクシミリアン殿下!」

ジャン少年は何処か『助かった』と、言った表情で二人の名を呼んだ。

「ジャン・ジャック、これはどういう事か」

「はい、母上が部屋から抜け出してしまいまして……」

ジャン少年がワルド子爵に説明をしている隙を突いて、ワルド夫人がマクシミリアンに駆け寄った。

「マクシミリアン殿下、お会いしとうございました!」

「あ、ああ、こちらこそ、初めましてワルド夫人」

駆け寄って、手を握るワルド夫人にマクシミリアンも苦笑いをするしかなかった。

「実は殿下にお知らせしたき事がございます。世界は今まさに崩壊の危機に瀕しています。どうか、どうか、殿下のお力をお借し下さい」

「へっ? え、えぇ~っと、崩壊の危機……ですか?」

ぶっ飛んだ、ワルド夫人の発言に思わず、引いてしまった。
若干、引き気味のマクシミリアンを差し置いて、ワルド夫人はベラベラと持論を展開した。

年々増大する精霊に比例して地下に眠る精霊石が膨張し、最後には全世界がアルビオン大陸の様に空に浮かぶ……と、ワルド夫人は言う。
そして、それを阻止するには伝説の虚無の復活を待ち、その虚無の使い手を連れて聖地へ行かねばならない。

マクシミリアンは余りの荒唐無稽さに口を歪ませた。
それに、マクシミリアンが欲しかったのはカトレアの治療法であって、嘘か真か分からない世界の危機の情報のなど欲しくなかった。
……少なくとも、今現在の優先順位は低かった。
ふと、視線を外し、ワルド父子の方を見ると、心配そうにしながら、いつでも介入できるように構えていた。
マクシミリアンは『大丈夫』と、手で制した。

「世界の危機の事は良く分かりました。心に留めて置きましょう。……話は変わりますが……」

適当に相槌を打って話題を変える。

「ワルド夫人はヴァリエール公爵家のカトレアを治療を請け負った事があると聞いたのですが。その時の資料を是非見せていただきたいのです」

「ヴァリエール公爵のミス・カトレア……ですか。……うん」

話を変えられ、ちょっと不機嫌になったが、それは、ほんの一瞬だけ。

「ワルド夫人、何か情報があるんですか?」

「はい、ミス・カトレアの病気の思う事がありまして。……ともかく、詳しい事は私の部屋で」

そう言って、サッと踵を返すワルド夫人。
マクシミリアンら三人も、ワルド夫人の後に続いた。









                      ☆        ☆        ☆







ワルド夫人の自室では大量の本棚や妙な機材が置いてあって、何処かマクシミリアンの部屋と似ていた。

「少しだけお待ち下さい」

そう言うと、ワルド夫人は本棚の中から、折り畳んだ一枚の白の布生地を取り出した。

「ワルド夫人、それは?」

「これは、ミス・カトレアの治療を行った際に撮った物でして……」

ワルド夫人は畳んだ布生地を広げると、子供ぐらいのシルエットの魚拓ならぬ人拓……が、黄色と赤のまだら模様で描かれていた。サーモグラフィと、思えば分かりやすいと思う。

「ミス・カトレアの体内でどの様な魔力の流れになっているか測った物です」

「……カトレアの治療は中止になったと聞いてましたが」

後ろで控えていたワルド子爵に聞いてみた。

「ミス・カトレアに魔法を使わせるのは、私が止めさせましたが……」

「中止する前に、魔法を使ってない状態のミス・カトレアを撮っておいたのです」

と、ワルド夫人が続く。

「……なるほど、分かりました。それで、カトレアの病気はどの様な物なのでしょうか?」

本題のカトレアの病気について聞いてみる。

「こちらをご覧ください」

ワルド夫人はシルエットの胸の部分を指差すと、ポッカリと穴が開いたように黒くなっていた。

「この穴のような物は?」

「それはですね……」

ワルド夫人が解説を始めた。
この布は特殊なマジックアイテムでカトレアの魔力を測ったもので、布に写っている赤や黄色といった色は『魔力の強さ』という意味で、サーモグラフィと同じように赤色に近づくほど数値は高くなる……と、いう仕組みになっている。
カトレアの場合、かなり強力な魔力を持って生まれた為、普通ではありえない数値を観測し、シルエットの色が赤と黄色のみで写ってしまった。
ワルド夫人が言うには、この数値は百年に一度の大メイジだ。と、やや興奮気味に語った。

「そして、この胸の部分の穴のようなもの……部分的には心臓部ですが」

話はカトレアの病気の原因に移る

「胸の部分だけがどういう訳か魔力が測れなくなっていまして、あのマジックアイテムは普通なら、身体全体の魔力が測れるように設計されています」

「それならば、なぜあのような穴みたいなものが?」

「それは、ミス・カトレアの心臓に原因があるかと……」

「先日、カトレアを調べた際、全身をくまなく調べました。もちろん、心臓もです。その時は健康で問題なし……と、判断したんですが」

「ミス・カトレアの心臓は、強力な魔力を持って生まれた割には魔力に対しては脆弱でして……」

「強力な魔力に心臓がついていけない……そういう訳ですか?」

「それも原因一つですが、それと、これは仮説ですが……」

と、前置きしながらワルド夫人が続ける。

「先ほど言いました、精霊の増大の話。年々増え続ける精霊にミス・カトレアの心臓も何らかの反応を起こしていると、私は考えています」

「何らかの反応? 拒否反応……と、言う事ですか?」

「拒否反応かどうかまでは……中止してしまった為、分かっていません」

「……うーん」

思わず考え込むマクシミリアン。後ろのワルド父子は話について行けなくなっていた。

(脆弱な心臓が持って生まれた強力な魔力に耐えられず。そして、日に日に高まる精霊の力にも耐えられなくなっている。病巣は心臓……と、いうことか?)

マクシミリアンは考えを、まとめながらも、解決策を模索し始めた。

「……う~ん」

「殿下、何か名案を?」

と、ワルド子爵が尋ねた。

「ああ、ワルド子爵。そうだね……う~ん、ちょっと整理中……かな」

「……そうですか」

邪魔にならない様に、後ろへ下がった

「ワルド夫人、質問したい事があるんだけど」

「はい、殿下。なんなりと」

「カトレアの病気の原因は魔法に脆弱な心臓。心臓が悪さをする……と、言う事で良い訳ですよね?」

「そういう……事になります……はい」

「それなら、別の心臓に取り替える……心臓移植なら、あるいは」

ワルド親子三人はギョッと驚いた顔をしてマクシミリアンを見た。

「心臓を……取り替えるのでございますか?」

「なるほど、それならば……」

ワルド子爵は驚きながら。そして、夫人の方は『その発想は無かった』と、何やら思案をめぐらせている。

「その、殿下、代わりの心臓は何処から?」

ジャン少年はある意味核心部分を聞いてくる。

「それは、これから考えます。場合によってはクローン心臓、心臓の複製も視野に入れています」

「そのような事が可能なのですか?」

「僕は可能を考えています」

とは言え、ドナーを一から探していたら時間なんてあっという間に過ぎてしまうだろう。

(時間的にギリギリだが『複製』の魔法の研究をすぐに始めよう」

魔法を持ってすれば……難しいが不可能ではない。
そんな状況にマクシミリアンは少しだけ気が楽になった。

「それと、ワルド夫人。増大する精霊と世界の危機について、ちゃんとした報告書でまとめて提出して下さい。それと、これからは僕のほうに報告をお願いします。そして、件の事は他には絶対に漏らさないように。下手をすればパニックになりますからね」

と、ワルド夫人に釘を刺した。

「分かりました」

ワルド夫人は頭を下げ了承した。
一方、ワルド子爵が恐る恐る聞いてきた。

「殿下はその……妻の話をお信じになられるのでございますか?」

「夫人の話を聞いていましたが、彼女は十分、理性的でしたし。今まで誰にも相談出来ずに切羽詰っていたんでしょう、そのせいで狂ったと勘違いされたんだと思います。それに一応、対策はとっておかないと、後で泣きを見るのは嫌ですから」

「殿下、ありがとうございます。それともう一つ……」

ワルド夫人が話しに入る。

「トリステイン西に、かつて存在した『ブリージュ』の街跡をお調べになられたらいかがでしょうか?」

「ブリージュ……ですか」

マクシミリアンは黙考して、脳内からブリージュの情報を引き出す。
ブリージュはかつて存在したトリステイン第三の都市で何百年か前の地殻変動で崩壊。数多くの犠牲者を出した。
その後、廃都となって、元住人たちは北のアントワッペンの街に移り住んだ。
そして現在、アントワッペンはトリステイン第二の都市にまで成長している。

「ブリージュの地殻変動は精霊石の仕業。と、そう仰るので?」

「私はそう考えています」

「……分かりました。今すぐ……とまでは行きませんが、考慮しておきます」

そう言って、退室しようと振り返る。

「ああ、忘れるところだった。ワルド夫人は僕の家臣団に入れますから、軟禁を解いてあげてくださいね? ワルド子爵」

その言葉と聞いた、ワルド子爵は頭を下げ了承した。










                      ☆        ☆        ☆








ワルド子爵主催のパーティーはマクシミリアン王子の飛び入り参加で、一子爵のパーティーにしては、かなりの盛況ぶりだった。

途中、ワルド夫人も現れ、一瞬、妙な雰囲気になったものの、狂人どころか知性に溢れる立ち振る舞いで『所詮、噂だった』と、参加した貴族たちは口々に言ったため、ワルド父子は胸を撫で下ろす事が出来た。

参加した貴族たちが引っ切り無しに挨拶をして来る為、中々、食事に有り付けなくなっている所に、知らないうちにワインを渡され、何杯か飲んでしまっていた。
10歳の身体と空きっ腹にワインを飲んでしまったため、マクシミリアンはすっかり出来上がってしまった。

「やぁ、ミス・エレオノール。ご機嫌いかが?」

「こんばんは、マクシミリアン殿下、楽しんでおりますわ」

べろんべろん……とは行かないまでも顔を真っ赤にしてエレオノールに挨拶する。

「ミス・エレオノールにお知らせしたい事がありましてね」

「まあ、何でしょうか?」

「カトレアの病気を治す目処が立ちましてね、ふふふ」

「ええっ!? それは、本当でございますか!?」

「本当ですとも、期待していて下さい」

にこやかに語らう二人。
だが、エレオノールの心に何かモヤモヤした物が出来た。
エレオノールが突如、沸いた感情を持て余していると、パーティー会場の音楽が変わる。
何人かの貴族たちが会場の中央に集まってダンスを始めた。

「ミス・エレオノールも一曲いかがですか?」

「えっ!? でも……よろしいのですか?」

エレオノールは一瞬、躊躇った。
妹のカトレアと話していたとき、カトレアが『ダンスを踊る約束をした』と、マクシミリアンとの約束を楽しそうに語ったのだが。

(妹を……カトレアを差し置いて私がダンスの相手をして良いのかしら……)

と、エレオノールは悩んだ。、
今までエレオノールはマクシミリアンの事を『畏れ多いが弟のような存在』と、思っていた。
だが、先日の一件でマクシミリアンの事を『弟のような』存在に見る事が出来なくなってしまった。
三歳も年下なのに、何処か年上に諭されるような感覚にエレオノールは混乱したからだ。

今まで、エレオノールが婚約者の貴族を始め出会った同世代の男の子たちは、ラ・ヴァリエール公爵の威信に顔色を伺う者たちばかりでウンザリしていたし、エレオノール自身も、ラ・ヴァリエール公爵家の長女として母のカリーヌ夫人から、威厳に満ちた立ち振る舞いを要求されストレスが溜まっていた。
いつの間にかエレオノールは、グイグイとリードしてくれる男性を欲する様になったのは、仕方の無い事なのかもしれない。

(殿下がこういったパーティーでダンスを踊られた、と、そういった話は聞いたことないし。カトレアとの予行演習の相手を勤めると、そう思えばいいのよ)

「どうでしょう? ミス・エレオノール」

「カトレアとの予行演習……と、言う形でよろしければ、喜んでお相手させていただきます」

と、自分自身に言い聞かせる様に、ダンスの相手を勤める事を了承した。
ゆったりとした音楽に合わせ、二人も貴族たちに混じって踊る。
エレオノールはダンスを踊りながらも、いつしか心の中のモヤモヤが恋に変わる事に気がつかなかった。

 

 

第十二話 改革の芽

時は過ぎ、マクシミリアンの歳は11歳と半年、婚約破談のタイムリミットまで、後、半年にまでなっていた。

トリスタニアの王宮にて、マクシミリアンの自室ではカトレアを救う為の心臓の『複製』の研究の真っ最中だった。

自室の中は昼間でもカーテンが閉めてあって薄暗い。
そして部屋の中央に巨大な水槽が設置されていて、水槽の中にはマクシミリアンが魔法で精製した培養液と『心臓のようなもの』が、ふよふよと浮んでいた。

カトレアの細胞で心臓を複製しても同じように脆弱な心臓が出来上がる可能性が有った為。
ワルド子爵のパーティーを終えた後、ラ・ヴァリエール公爵家全員をドナーとして適正が有るかを調べたが、残念ながら適正は無し。
時間もそんなに残されてなかった為、一か八か、カトレアの細胞でトライしようと思ったいた所にダメ元で自分の適正を調べてみたらピッタリ一致。
運命……と、いう奴を信じるタイプでは無かったマクシミリアンだったが、今回ばかりはその運命に感謝したい気分だった
最大の難問は突破したと、マクシミリアンはスクウェアスペルに成るため特訓を開始。
そして特訓の末、11歳を前にスクウェアスペルに到達、周囲に貴族たちを喜ばせたが、その周囲の賞賛の声を適当にあしらって、自室に篭もり複製の研究を開始して現在に至る。

ポコポコと音を立てる水槽の中には自分自身の心臓の複製が浮んでいた。
水槽に絶えず新しい培養液を循環させる作業に没頭するマクシミリアン。
少しでも循環が滞るとクローン心臓が劣化してしまう可能性があったからだ。
ちなみに古くなった培養液は捨てるのではなく、新しい培養液に精製し直して使うようにしている。
マクシミリアンの見立てでは、後、一ヶ月もあれば完成する。

「なあ、これも採決してもらえないかな?」

「今、手が離せないんだよ、変わり採決してくれ」

「本当はこういうのダメなんだけどな……」

ぶつぶつと文句を言いながら書類に判を押すマクシミリアン。

なんと、自室には二人のマクシミリアンが居た。

「スキルニルは基本的に疲れないんだろ? だったら問題ない」

「本当にひどい奴だな」

そう、スキルニルを使って分担して作業しているのだ。
培養液を循環させているのが本物、書類の採決をしているのがスキルニルだった。
スキルニルは、その人間を外見、性格、能力すべてを完全に複製するマジックアイテムだ。
流石に魔力無限と目から破壊光線は複製できなかったが、マクシミリアンが就寝中や王家の人間としてどうしても外せない行事など、そういった時、代わりに培養液の循環をさせていた。

それ以外は、ほとんど自室に篭もりっきりで食事も睡眠も自室で行っていた。
母マリアンヌはマクシミリアンが離れて寝るようになった事を嘆いたが、たまに時間を作って機嫌をとるようにしている。
それと、この作業が外部に漏れて異端認定されるのを嫌い、父王エドゥアール1世とラ・ヴァリエール公爵夫妻ぐらいしか、この研究を知らない。
ワルド子爵らにすでに知られているが、今まで噂にすら上がらなかったことから、喋る気はないらしい。

……ともかくマクシミリアンは最後の締めを行っていた。

「……」

「……」

二人とも無言のままそれぞれの作業に没頭していた。
ぽこぽこと水槽内の培養液が循環する音と、ぺらぺらと書類をめくる音が室内を支配していた。

「ん、北部開発の報告書が来てるよ」

「順調に行ってる?」

「まあ、順調だね」

およそ一年前、ラ・ヴァリエール公爵家から帰った後、北部開発の予算が下りたため、家臣団に指示して四輪作法を始めとする新農法と公共事業を実施した。
最初に取り掛かったのは食糧問題。四輪作法の実施一年目の為、目に見える成果はまだ無い。だが、四輪作法による生産力アップと減税によって、トリステイン国民全体に食料が安く行き届くようになり、わずかに人口増加の兆しを見せている。
以前にも解説したが、四輪作法、またの名をノーフォーク農法は、大麦→クローバー→小麦→かぶの順に4年周期で行う農法だ。
マクシミリアンはロマリアから『てんさい』……またの名を砂糖大根を大量に輸入して砂糖大根の栽培を奨励させた。
これはトリステイン王国にて、新たに製糖産業を興す為でもあり、トリステイン北西部のヴァール川河口付近に建設中の新都市に製糖工場を作る計画だった。
さらに、ヴァール川に運河を建設して各河川を水運で繋げる計画もあった。
次に、四輪作法で生産力アップで家畜用の牧草も大量に賄う事が出来るようになった為、羊や牛と言った家畜もその数を急激に増やした。結果、大量の羊毛が安く市場に出回り、トリステイン第二の都市で元々縫製職人が多かったアントワッペンは被服業や織物業といった軽工業のメッカに成りつつある。
これは、マクシミリアンも家臣団も、ノータッチでアントワッペンにやり手の商人が居る事を知った。
そして、本命の公共事業の内容は、道路、河川の整備である。追加の予算が得られれば、海岸部の干拓を行う予定だ。
高額の資金が動く公共事業によって、新たに発生した雇用を求めて北部および北西部に人々が移り住むようになった。
人々が集まれば、それらを当てにした新たな商売も次々と生まれる。

(金の巡りは血の巡り……ってね)

血が勢い良く巡るようになれば、身体が熱くなる。
永らく不景気に喘いでいたトリステイン王国は少しづつだが景気が好転してきた。

「……北部開発はオレがしゃしゃり出なくても家臣団に任せておけば大丈夫だろう」

「まぁ、そうだろうね。さて次、置き薬のテストだけど誤飲が目立ってるって」

「置き薬……か」

置き薬は日本独自の医薬品販売法で、販売員が消費者の家庭や企業を訪問し、医薬品の入った箱を配置し、次回の訪問時に使用した分の代金を精算し、集金する仕組みの事だ。
医師の居ない農村など、通院することが難しい地域や、軽度の風邪などで初期医療に関わる費用を軽減できるメリットに注目して、テストの名目でトリスタニア郊外の村々に配置したが、どうも誤飲が目立っているようだ。

「原因は?」

「……字が読めなくて、うろ覚えで選んでしまった為。だ、そうだ」

「それは……盲点だったな。この手の解説はちゃんとしてあるんだろ?」

「転売禁止も含めて、その辺はしっかりと教育してるようだが。薬なんて毎日使うわけでもないし……まぁ、忘れるよな」

「うーん」

「で? どうするの?」

「……そうだな。絵で解かり易くするのはどうだろう?」

「あ、良いね。『絵で解かり易くするように』って書いとくよ」

「任せた」

「ああ」

この後、置き薬システムはトリステイン全土に行き渡たり、多くのトリステイン国民を救う事になる。

こうやってスキルニルと話しながら、マクシミリアンは思う。

(こうやってタメ口で馬鹿を言い合えるのが、スキルニルで作った自分自身だけ、というのは悲しすぎる)

以前は、グラモン家のジョルジュが付き合ってくれたが、王子にタメ口を言う光景を見た、とある貴族が。

『不敬ではないか』

と、鬼の首を討ったかのように、グラモン家に『お伺い』をしてきた為、元に戻ってしまった。
王子と貴族の子供との身分の違いを考えれば正しいのだが、前世が平凡な一市民だったマクシミリアンにとっては馬鹿を言い合える友人が余所余所しくなったと感じ、少なからずショックを受けた。

「……王族ってのは、孤独なもんだな」

「ん? 何か言った?」

「いや、なんでもない」

「そう」

誤魔化す様に言うと作業に戻った。










                      ☆        ☆        ☆ 











……二人のマクシミリアンが黙々と作業を行っていた頃。

トリステイン王国国王エドゥアール1世は執務室で執務を行っていた。
エドゥアール王は、提出された報告書の一つ一つを吟味しながら採決している。
ちなみに、この報告書は、最近、開発されたばかりの木製紙を使った物だった
そして、報告書に書かれてある内容は、主に財政関連と北部開発関連で、トリステイン王国の財政が緩やかながら回復傾向にあることを示していた。

「流石はマクシミリアン殿下。この件で、トリステイン経済も回復の兆しを見せ始めました」

エドゥアール王とは、別の声が聞こえた。
執務室にはもう一人、聖職者のよく着るような法衣を纏った痩せた男が執務の補佐をしていた。

「マザリ-ニよ、あれだけの人材、どうやって集めたかは知らないし問うつもりも無いが、予算を出したからには結果を出しくれなければ困る」

と、エドゥアール王は、何処か突き放したような言い草だったが、嬉しさを隠し切れないのか口元が緩んでいた。
マザリーニと言われた男は、そんな、エドゥアール王を見てぎこちなく微笑む。
マザリーニはロマリア出身の僧侶で、その見識の高さをエドゥアール王に見込まれ、秘書兼相談役としてその手腕を振るっている。

エドゥアール王とマザリーニは、歳が近い事と外国人でありながらトリステイン王国のために骨身を削ってきた事から、お互い共感を持ち、身分を越えた友情を築いていた。

「ともかく、この四輪作法を我が直轄地でも実行できるように対応してくれ。マザリーニ」

「御意」

マザリーニは深々と頭を下げた。

「しかし……な、ふふ」

エドゥアール王は笑い出す。

「陛下? いかがいたしましたか?」

「いやな、マザリーニ。まさかこういう形で、改革の芽が出てくるとは思わなくてな……ふふ」

エドゥアール王は笑いを噛み殺しながら言った。
彼自身、何度も改革を行おうとしたが、その度にトリステイン貴族たちの妨害で頓挫してきたのだ。
しかし、感情的になってトリステイン貴族と対立して、内乱を起こさせる訳にも行かない
エドゥアール王にとって我慢の日々が続き、その為か、即位した頃より痩せてしまった。

「まさか、息子のおかげとはな」

「マクシミリアン殿下の事はいかがいたしましょう?」

「好きにやらせよう。我々は貴族たちの妨害がマクシミリアンに及ばないようにするのだ」

「御意」

……エドゥアール王は思う。
かつて憧れだった養父フィリップ3世。その亡霊とも言うべき守旧派……と、言われるトリステイン貴族の一派。
『古き良きトリステイン』を、守る為に活動する彼らにとって、マクシミリアンの改革は面白いはずは無い。

(必ず、何らかの動きを見せる)

と、そう思っていた。
エドゥアール王は、そういった貴族たちを監視し押さえつける事でトリステイン王国を治めてきた。
アルビオン王子エドワードからトリステイン王エドゥアール1世に成って十数年経つ。
今まで、多くのトリステイン貴族とやり合って、身も心もボロボロだが。

「報われる時がきた」

と、呟く。

「陛下? いかがなさいました?」

「いやな、我々の努力が報われる日が来ようとは……な」

エドゥアール王の言葉にマザリーニも神妙に頷いた。

「……畏れながら陛下、ここで感懐に耽って気を緩めるのも、いかがなものかと」

「……その通りだ、マザリーニ。よくぞ諫言した」

「ははっ」

エドゥアール王は、緩みかけた緊張感を再び引き締めた。



 

 

第十三話 オレのカトレア

 ……一ヶ月過ぎて、予定通りクローン心臓が完成。
 早速、移植手術をする為、ラ・ヴァリエール公爵領へと向かうと、出迎えたのカリーヌ夫人だった。

「こんにちは、カリーヌ夫人。お待たせしました、ようやくカトレアを治す事ができます」

「事前にお話を聞いて、まさか……とは思っていましたが」

「……ところで、ヴァリエール公爵が居ないみたいですが」

「はい、その事ですが……」

 カリーヌ夫人はラ・ヴァリエール公爵はマクシミリアンらが進める四輪作法を自身の領地で進める為の準備、長女 エレオノールは、来年トリステイン魔法学院に入学する為の準備でそれぞれ不在である事をマクシミリアンに告げた。

「二人とも夕方までには帰ってくると思いますので」

「分かりました、我々も準備がありまして、手術は明日の行う予定でした」

「我々……? で、ございますか?」

 カリーヌ夫人が不思議そうに言う。
 今回、マクシミリアンは、お供に護衛の魔法衛士ぐらいしか連れてきてなかった。
 この時、カリーヌ夫人は屈強な魔法衛士たちがマクシミリアンの助手を務めると思っていた。
 かつて、カリーヌ夫人は女である事を隠し、魔法衛士として活躍した事があって、『烈風カリン』の異名で恐れられた。
 その事もあってカリーヌ夫人は魔法衛士という物をよく知っている。

(殿下の助手が務まるほど、専門的な知識を持った者が居るのだろうか?)

 先代フィリップ3世の気風を受け継ぐ魔法衛士隊は、良く言えば勇猛果敢、悪く言えば脳筋……そんな、彼らにマクシミリアンの助手が務まるか心配だった。
 自分の事を棚に上げているが、カリーヌ夫人も十分脳筋なのは……言わぬが花だろう

「これです、スキルニルですよ。スキルニルを使って助手をさせます」

「なるほど、スキルニルですか」

 能力や知識など、あらゆる物を複製するスキルニルを取り出す。
 これには、カリーヌ夫人も納得した。








                      ☆        ☆        ☆








 その後、マクシミリアンらは簡易手術室用にと空き部屋を借りる事にした。
 ラ・ヴァリエール公爵家のメイドたちに天井を含めた室内を掃除してもらい、室内全面に新品のシーツを張って簡易手術室とした。

 夕方になると、ラ・ヴァリエール公爵たちも帰ってきた。
 夜、夕食を御馳走になっている時、挨拶がてらに明日の予定と手術の内容を解説した。

「言うまでも無い事ですが、この件がロマリア辺りに漏れるといろいろと面倒な事になりそうなので、他言無用でお願いします」

「分かりました。この件は決して誰にも……」

 そう言って、ラ・ヴァリエール公爵は頷いた。

「本当は楽しく食事……と、言いたい所ですが、僕は明日に具えて早めに休ませてもらいます」

「分かりました。お休みなさいませ、殿下」

 ラ・ヴァリエール公爵に続いて家人たちも次々と頭を下げた。

 退室後、マクシミリアンはカトレアに人目会うべくカトレアの部屋へ向かった。

「カトレア、居るかい? 入るよ」

 ノック後、入室するとカトレアは食事中だった。

「ああ、ごめん、食事中だったか」

「マクシミリアンさま。申し訳ございません、はしたない所を……」

「気にしなくて良いよ、ちょっと顔を見に来ただけだから」

 カトレアはメイドにお願いして食事を下げさせようとしたが、マクシミリアンは『時間をかけないから』と、制した。

「カトレア、いよいよ明日は手術の日だけど気分はどう? 何か気になる事はないかな?」

「なにも。それに、どの様な結果になっても私は後悔しません」

 11歳になって、少しだけ丸みを帯びた身体に成長したカトレア。
 そして、精神的にも成長したのか、凛とした受け答えをした。

「そうか、分かった。カトレア、明日の手術、僕は必ず成功させるよ」

「マクシミリアンさま……」

 マクシミリアンはくるりと踵を返し部屋を出た。
 そして、宛がわれた寝室へ向かう途中、カトレアの事についてに思いを馳せた。
 そう、カトレアはマクシミリアンが思っていた以上に、芯が強かったのだ。

(泣いているんじゃなかろうか、怯えているんじゃかなろうか……そうやって彼女の事を過小評価していたんだな、オレは)

 だが、彼女は強かった。
 泣くどころか、怯えるどころか、『後悔しない』……そう言ってカトレアはマクシミリアンに全てを委ねてくれた。

(必ず成功させるさ。もうね、カトレアじゃ無いとダメだ)

 改めて、カトレアの事が好きなんだと再確認した。










                      ☆        ☆        ☆ 





 そして、運命の朝を迎えた。
 マクシミリアンは起きるとすぐに顔を洗い、スキルニルを二つ使って手術の準備を命じ、本体はカトレアの状態を見る為に部屋を出た。

「おはようございます、マクシミリアン殿下」

 部屋を出てしばらく廊下を歩いていると、エレオノールが挨拶をしてきた。

「ああ、おはようございます、ミス・エレオノール」

「よくお眠りになられたでしょうか?」

「ええ、おかげさまで、よく眠れましたよ。ところで、ミス・エレオノールはどちらへ?」

「お父様から殿下の様子を見てくるようにと……」

「なるほど。僕はこれからカトレアの様子を見に行くところです。途中まで一緒にどうでしょう?」

「はい……お供いたします」

 そう言って、エレオノールはマクシミリアンの斜め後ろに移動した。

「ミス・エレオノール。後ろでなく隣なら、お互い喋りやすいのでは?」

「いえ、それは、その……不敬かと思いまして」

「む、そう……ですか、それなら仕方ないですね、分かりました」

 先日のジョルジュとの一件を思い出し、ナイーブになっていた所をほじくり返された感じになり、少しだけ落ち込んだ。

 その後、エレオノールを従えたような形で廊下を進むマクシミリアン。

「そういえば、ミス・エレオノール。眼鏡にしたんですね、良く似合ってますよ。デキる女……って感じです」

「あ、ありがとうございます」

 エレオノールは眼鏡に手を当て照れながらも、嬉しそうに微笑んだ。
 その後もいろいろと、お喋りしながらカトレアの部屋を目指した。

 カトレアの部屋に到着した二人はノック後、入室した。

「おはよう、カトレア。いよいよ今日だね、緊張してるかい?」

「おはようございます、マクシミリアンさま。そうですね……特には」

「なるほど、分かったよ。それじゃ、これから手術前の検査を行うからベッドに寝てくれないかな」

「分かりました」

 そう言ってカトレアは天蓋付きのベッドの横になった。
 マクシミリアンはベッドの横で検査の準備を始めた。
 ちなみにカトレアの飼っている動物たちは雑菌が付くといけないという事で、別のところに移してある。

「あの、マクシミリアン殿下。私にも何か手伝える事は有りませんか?

 と、エレオノールが聞いてきた。

「そうですね。それじゃ、カトレアの胸をはだけるのを手伝ってあげてもらえませんでしょうか?」

 一瞬、空気が凍った、が。

「わ、分かりました」

 口元をヒクヒクさせながらもエレオノールは従った。
 一方、カトレアは顔を真っ赤にしていた。

 ……その後、検査の大半を終え、次の検査の準備をしていると、魔法衛士が二人入ってきた。どうやら手術の準備が出来たようだった。

「それじゃ、行こうか、カトレア」

「……! はい!」

 マクシミリアンは、エレオノールに会釈すると、カトレアをストレッチャーに移し、魔法衛士たちに引かせて部屋を出て行った。










                      ☆        ☆        ☆







 手術は午前中に始まり、日もとっぷりと落ちた頃に終わった。

 ……マクシミリアンは心臓移植をやり遂げたのだった。

 マクシミリアンは宛がわれた部屋にて、極度の集中を強いた為に疲労した身体を休めていた。

(もう何もする気になれない)

 窓の外には二つの月が煌々と輝いている。
 マクシミリアンは椅子にだらしなく座り、だらだらと時間をつぶした。

(そろそろ寝ようか)

 と、ベッドに入ろうかと席を立つと、ノックの後に魔法衛士は入ってきてカトレアが目覚めたと言って来た。

 マクシミリアンは起きたカトレアの様子を見る為、重い身体を動かし部屋を出た。

 カトレアの部屋に向かう途中で多くのメイドといった家人たちに深々と頭と下げられた。
 ああいう性格のおかげなのか、メイドたちに慕われているようだった。
 マクシミリアンは返事を返す少なかった為、適当に手を振って答えた。

 さて、カトレアの部屋に到着すると部屋のドアの辺りに10人近い家人が中の様子を見守っていた。
 部屋の中から、ラ・ヴァリエール公爵たちの声が漏れ聞こえた。
 どうやら、目覚めたカトレアと手術成功を喜び合っているようだった。

(家族団らんを邪魔するのは気が引けるな)

 と、クールに去るべく踵を返そうとしたら、カリーヌ夫人が部屋から出てきた、マクシミリアンが来たのが気配で分かったらしい

「殿下、お疲れ様です。カトレアが目を覚ましましたので、どうか会ってあげて下さい」

 うっすらを目に涙を浮かべながらカリーヌ夫人はマクシミリアンを部屋に向かい入れた。

 部屋の中には、カトレアの他にラ・ヴァリエール公爵とエレオノールそしてルイズが居た。
 今年で3歳になるルイズは、マクシミリアンの事を覚えていたらしく、姿を見るとヒラヒラを手を振ってきた。
 そして、マクシミリアンも手を振り返す。

……うおっほん! と、ラ・ヴァリエール公爵が咳払いする。

「殿下、この度は真にありがとうございました。我々は、すでにカトレアと話し合いましたから、後は殿下にお任せいたします。さ、みんな出よう」

 そう言うと、マクシミリアンを残し部屋から出て行った
 カトレアの方を見るとベッドの上でモジモジとしていた。
 ちなみに手術痕はヒーリングで消えている為、激しい運動をしなければある程度、動いても大丈夫だ。

「……え~っと、カトレア、気分はどうだい?」

 すると、カトレアはおもむろに胸に手を当て。

「マクシミリアンさまの心臓が動いてくれているお陰で、すごく気分が良いんです」

 と、言った。

 意図的かそれとも無意識か男心をくすぐるカトレアの言葉に思わず鳥肌が立った。

(キスしたい。唇を貪りたい)

 湧き出るような欲望に身を引き裂かれそうになったが、何とか踏み止まった。

「はははっ、そういう言い方されると。嬉しくなっちゃうよ。そこの椅子、座ってもいいかな?」

「あ、はい、どうぞ」

 マクシミリアンはベッドの横の椅子に腰掛けた。
 椅子に座って、気付かれないように息を整える、が、ドクドクとマクシミリアンの心拍数は上がる一方だ。

「激しい運動はすぐには無理だけど、一週間ほど様子を見て少しづつ身体を慣らしていこう」

「分かりました。けど、一週間が待ちどうしいです。色々な所へ行って見たいわ」

「焦る事は無いよ、カトレアにはこれから新しい生活が始まるんだ」

「うふふ、そうですね……」

「……」

「……」

 ふと、会話が止まった。

「なぁ、カトレア。隣、いいかな?」

「はい、どうぞ」

 マクシミリアンはベッドに腰掛け、カトレアと肩が触れ合うほど接近した。
 自然と、頬と頬とが触れ合う。カトレアの心臓の音がドクドクと聞こえる。

「マクシミリアンさまの心臓……ドクドクいってます」

「カトレアのも……ね。この分なら術後の検査も早く済みそうだ」

「もう! そういう事が聞きたいんじゃないんです!」

 カトレアが拗ねてしまった。

「ははは……ごめんよ、カトレア」

「マクシミリアンさま。ちゃんと言ってくれないと不安になってしまいます」

「……うん、大好きだカトレア。キス……するよ?」

 と、耳元で呟いた

「わたしも……キスしたいです」

「カトレア」

「愛してますマクシミリアンさま」

 ……触れ合う唇。

 すると、廊下から歓声が上がった。
 聞き耳を立てている事はマクシミリアンも気付いていた。
 良い様にお膳立てされたのは気に食わないが、ようやく手に入れた愛しい人を、離すまいと強めに抱き寄せ、深く深くキスをした。
 

 

第十四話 新宮殿の主

 カトレアの病を治った事で、マクシミリアンとカトレアの婚約は正式に発表された。
 多くの貴族たちはこの発表に対し祝福の言葉を送ったが、一部の貴族の中に内心、舌打ちを打った者が居たのも事実だ。
 カトレアは次期王妃として、宮廷での礼儀作法の勉強の為、中々会う事が出来なくなった。
 二人は、『お互い立派になって、また再会しよう』と、誓い合ってそれぞれの生活に戻った。

 マクシミリアン12歳。優秀であれば多少性格に問題があろうが、(すね)に傷があろうがお構い無しに登用を繰り返した結果、マクシミリアンの家臣団は50人以上もの規模に膨れ上がった。
 その結果、家臣用の住居に事欠く様になり、このままではいけないと、父王に許可を取って、トリスタニア市内にある、とある廃れた宮殿を家臣団の新しい住居とし、マクシミリアン自身も王宮からこの宮殿に移り住み、政務を行う様になった。
 この廃れた宮殿はかつて栄華を誇ったエスターシュ大公の宮殿で市民たちからは『新宮殿』と、呼ばれていたが大公が失脚した後は十数年間、空き家のままだった。
 十数年もほったらかしにされた為、宮殿内の至る所でガラス戸などが数枚を残してほとんど盗難にあっていた。ちなみに調度品の類は大公失脚後、すべて王家に没収された。

(立地条件も良いし、どうして、こんな廃墟になるまで放って置かれたんだろうか?)

 と、この疑問をミランに言ってみると、エスターシュは母マリアンヌから激しく嫌われていて、他の貴族たちはマリアンヌの不興を買いたくなかった為に、この宮殿に手を付けなかったようだ。

 優秀であれば多少の問題も構わない……そんなマクシミリアンがエスターシュを放っておくはずが無い。
 飛び切り優秀だったが、野心家かつ陰謀家、しかもみんなの嫌われ者のエスターシュを登用すべく、それとなく活動を開始したが、、先代フィリップ3世の王命で一生謹慎処分のエスターシュを登用すれば、妙な問題を抱え込んで逆にピンチになりかねない。
 メリットよりもデメリットの方が、はるかに高かったし、家臣団からも中止の換言があったため、仕方なくエスターシュ再登用は当分先送りという事になった。

 マクシミリアンは、この件で家臣団の一部から人材コレクターと、揶揄される様になった。











                      ☆        ☆        ☆







 新宮殿に移り住んで数ヶ月。
 廃墟同然だった新宮殿は、補修工事を施し今ではすっかり、かつての輝きを取り戻した。
 新宮殿は四階建ての王宮と見間違えるような大きな屋敷で、最上階をマクシミリアンの部屋として使用し、下の階のそれぞれの部屋を会議室や執務室、貴人用の客室など様々な用途に割り振った。 
 広大な土地を誇る新宮殿は、別邸と呼ばれる屋敷が無数に有り、それらの屋敷を家臣団の住居用に開放した。
 それでも、土地が余っていたため、マクシミリアンは余った土地の半分を王宮に返還し、新宮殿内にある庭園の幾つかをトリスタニア市民に無料で開放して、市民の憩いの場を提供した。

 次に、新宮殿地下の事について。
 新宮殿の暗部ともいえる地下牢や秘密の通路はマクシミリアンの命で徹底的に掃除され、十数年間、しぶとく生き続けたモンスターたちは駆逐された。
 こうしてマクシミリアンたちによって、地下施設は再利用される事になった。
 地下通路はクーペの密偵団の行き来し、トリスタニア全体をカバーする諜報網を敷くことができるようになった。
 
 新宮殿、2階の大会議室にて……

 現在、大会議室ではマクシミリアンを含めた家臣団が、北部開発の現段階での報告と、これからの方針を話し合っていた。

「北部開発、開始から現在までの達成率は約40%です」

 進行役のミランがこれまでの進行状況を報告した。

「道路、農場の整備は完了。残るは、沿岸部、河川部の整備……か。むしろここからが本番だな」

 マクシミリアンが資料を見ながら呟いた。

「具体的には堤防とダム建設が主流になるでしょう」

 文官の一人がマクシミリアンの問いに答えた。

「それでは、沿岸部、低地地帯の干拓計画はどうなっている?」

「干拓堤防と水門の建設を予定しています。北西部沿岸のみの計画ですと完成までおよそ5年を予定しております。が、トリステイン王国の全ての沿岸部を干拓いたしますと、完成まで10年以上は掛かると思われます」

「ひょっとしたら建国以来の大プロジェクトになるかも知れないな……ともかく、予算のほうは心配ないから、しっかりやってくれ」

「ははっ」

「分かりましたっ」

 文官らがマクシミリアンの激励に答えた。

「続きまして、次の案件は……」

 その後も、会議は滞りなく進み、ヴァール川河口に建設中の新都市計画に議題が移った。

「殿下、現在建設中の新都市についてですが……」

 都市建設担当の文官が計画書を読み上げる。

 新都市は主に重工業を中心に発展させる予定である事。
 製鉄所など建設し冶金技術の向上に力を入れる事。
 大規模な造船所を建設し、空海軍増強の体勢を整える事。
 基本的にフネはガリア両用艦隊のように水上でも航行出来るように設計する事。

 ……などと、他にもいろいろあったが、掻い摘んで言うと、将来的に、この新都市から工業化をトリステイン中に伝播させる予定だ。

 説明が終わると、一人の文官が発言を求め、ミランはこれを承諾した。

「マクシミリアン殿下に、ご質問がございます。先ほど新都市計画にございました、製鉄所建設の件でございますが、殿下は、平民らに鉄を作らせる事が目的なのでございましょうか?」

「その通り、平民でも鉄や鋼が作る事が出来ようにするのが僕の目的だ」

「お言葉ですが、平民に任せずとも錬金の魔法で鉄や鋼はいくらでも作り出せるのではないでしょうか?」

 と、文官が言う。
 
「言われてみれば、その通りかも」

「平民に任せずとも我々だけで十分では?」

 ざわざわと、比較的静かだった大会議室はにわかに熱を帯び始めた。

「みんな聞いて欲しい。魔法を確かに便利だ、けど魔法によって出来る鉄や鋼は個々人の能力によって品質はバラバラだ、それでは工業化は成り立たない」

 魔法は便利だが、工業化を成すには大量生産と品質の安定が絶対条件である為、魔法のみでの工業化は難しいと、マクシミリアンは考えていた。

「僕たちメイジだけでは、トリステイン王国を大きくする事は難しい、だからこそ平民たちの力を借りる。平民の方がはるかに数か多いから生産体制が整えば、メイジ以上の働きをしてくれるだろう。そして、家臣団みんなにも意識改革をして欲しい、平民は搾取する為だけの存在で無く、我々のトリステイン王国を供に大きくする為の大切なパートナーだ」

 マクシミリアンは続ける。

「6000年経った、今までのやり方では、ガリア、またはゲルマニアの国力の前にトリステインはすり潰されるだろう。みんな、もう一度良く考えて欲しい、僕たちのトリステインを外敵から守る為に、そして未来への発展の為に、そろそろ変わるべきだ……違うかい?」

 大会議室は水を打ったように静まり返った。

 ……この日、マクシミリアンの言葉は家臣団それぞれの心に深く残った。

 マクシミリアンは家臣団の面々に現在のトリステインの取り巻く状況に、常に危機意識を持つように言ってきた。

『トリステインは小国だ。だからこそ、外敵から祖国を守る為には何でも利用する……』

 マクシミリアンと家臣団との間に、この共通意識が芽生えた。







                      ☆        ☆        ☆






 今年で5歳になる妹のアンリエッタは、1週間に1回の割合で新宮殿に遊びに来る様になった。
 外はすっかり暗くなり、現在、マクシミリアンは泊まりに来たアンリエッタと一緒に風呂に入っていた。

「あ゛~……いい湯だ~」

「あ~……いいゆだー?」

 マクシミリアンは、アンリエッタと二人、湯船にどっぷりと浸かっていた。
 風呂好きで知られるマクシミリアンは、新宮殿の内装には口を出さなかったが、大浴場には口を出した。
 

「あ~、所でアンリエッタ~」

「なーにー? おにーさま?」

「アンリエッタも、もう5歳だし魔法を習おうとか、そういう話は無いのか~?」

「ん~、分かんない~」

「そ~か~」

 と、同じ色の髪をクシャクシャと撫でる。
 和気あいあいと、湯に浸かりながらアンリエッタとたわいも無い話をした。

 その後、アンリエッタは風呂に飽きたのか、早々に上がってしまい、マクシミリアン一人が大浴場に残されてしまった。

「……もう少し、年をとれば色気づいたりするのかな?」

 と、独り言を言いながら、マクシミリアンは風呂に浸かる。

(ともあれ、工業化の件は家臣団に任せるとして、肝心の大隆起の事だが……)

 工業化やその他のインフラ整備などは家臣団に任せるとして、マクシミリアンは大隆起について手を打っておこうと思っていた。
 2年前、ワルド子爵家で告げられた、ハルケギニアの大隆起に関しては、ほんの一部の人しか知らない。
 父王にも伝えるべきかマクシミリアンは未だに悩んでいた。

(下手に、大隆起の事を伝えて、狂ったと誤解されれば、最悪、地下の座敷牢なんかに入れられるかも……)

 そうなってしまえば、これまでの努力が水の泡になるかもしれない。
 マクシミリアンは大隆起に関しては、ワルド夫人を連絡を取りつつ、独力で動く事にした。

(大隆起の研究はワルド夫人の任せるとして、オレはオレで試してみたい事がある)

 マクシミリアンが試してみたい事。
 それは、大隆起が止められなかった事に対しての、最悪の状況が起こった場合の対策だった。
 マクシミリアンは脳内でシミュレートする。

(ハルケギニア全体がアルビオン大陸のように空に浮かんでしまうとなれば、それぞれの国が生存する為に土地を求めて戦争になってしまう事は、簡単に想像がつく)

 そして、小国であるトリステイン王国は、ガリア、ゲルマニアといった大国にとっては手ごろな土地……と、見られて侵攻を受ける可能性が高い。
 
(誰も死にたくないからな、ガリア・ゲルマニアの軍隊だけじゃない、それぞれの国民すらも武器を手にとって、戦争に参加するかもしれない。そうなれば国力の差、総人口の差は絶望的だ)

 トリステイン国民は皆殺しになるかもしれない。

『逆にトリステイン側から侵攻する』

 と、いう案も考えたが、現実的ではないから却下した。

『ゲルマニアに侵攻したら、ガリアから侵攻を受けた』

 と、なったら目も当てられないからだ。

(工業化して、平民も戦力化すれば独立は守られるかもしれない)

 だが、それも難しいと、マクシミリアンは考えを改めた。
 先ほども言ったが、ガリア、ゲルマニアのそれぞれの国民が生きる為に武器を持って襲い掛かってくれば、圧倒的な数、人海戦術に、数で劣るトリステインは、やがて疲れ果て押し込まれるだろう。

『アルビオン王国と同盟を組んで三竦みの状況に持っていく』

 と、いう案もあった、アルビオンにとっても自国が侵攻を受ける可能性が高い、お互いの利害が一致して二大大国に対する、防衛処置と考えれば。

(一番、現実的か……)

 と、悪くない感触だった。
 だが、距離的に考えてトリステインはアルビオンの防波堤と化してしまい、戦争になればトリステインが主戦場となり国土が荒廃する、そういう可能性を考えれば、この案はトリステイン側にとって面白くなかった。
 そして、2人の王のどちらが主導権を握るかを巡って主導権争いが起きないとも限らない。
 絶望的な状況で人間の理性に期待する……なんて、博打は打ちたくなかった。
 
 結局、マクシミリアンは大隆起が起きてしまったら、トリステインにとっては『滅亡』の二文字しか考え付かなかった。









                      ☆        ☆        ☆









 深夜、4階マクシミリアンの部屋。

 マクシミリアンはバルコニーに出て、ワインの飲みながら、二つの月を眺めていた。
 部屋の中では天蓋付きの巨大なベッドの上ではアンリエッタが寝息を立てていた。

 実の所、マクシミリアンは大隆起の際に、トリステインがとるべき方策について一つの案が有った。
 それは、マクシミリアンの前世が地球人だった事から、思い浮かんだ案だった。

(地球のヨーロッパに良く似たハルケギニア、ならばトリステインから西へ突き進めば、北米大陸に相当する陸地が有るかも知れない)

 と、いう簡単な思い付きだった。
 そして、大隆起の前にトリステイン国民全員を新大陸に移住させる。そういう案を考えたが、考えれば考えるほど穴だらけの案だった。
 最初に、そういう陸地が有るかどうかも不明だったし、道中、巨大海獣が襲ってくるかもしれない、陸地が有ったとしても先住民との交渉が上手く行くかどうかも分からない、土地を手に入れても全国民を移住させる大量のフネも必要だ、そして何より他の国が黙って移住先へ行かせるかどうか。
 逃げ場があるのなら……と、われ先にトリステインに侵攻し、何もかもが滅茶苦茶なってしまうかもしれない。
 
(……だからと言って、始める前から諦めるのは、愚か者のする事だ)

 このまま、ハルケギニアに留まっていては滅亡を待つだけ、ワルド夫人に期待したいが、逃げ場所を確保していないと博打が打てない、慎重……と、言うより小心者のマクシミリアンは新大陸捜索に乗り気だった。

 これから、気が滅入るような。綱渡り的な行動を余儀なくされるかもしれない。
 だが、そんな事はどうでも良かった。
 そして、マクシミリアンは今更ながら思い知った。

(オレはトリステインが好きなんだ)

 王家の義務とかそういう奴ではなく、国が、国民が好きなのだと気付いた。


 

 

第十五話 陰謀の都市


 トリステイン西部の大都市アントワッペン。
 このトリステイン第二の都市は、マクシミリアンの改革の波に乗って更なる発展を遂げていた。

 そしてアントワッペン市は、代々トリステイン商人の根拠地でもある。
 アントワッペン市の大通りでは、大小様々な商館が立ち並んでいた。
 多く人々が行き交い出入りの激しい商館群とは、別に人の出入りがまったく無い商館があり、その商館の扉には『差し押さえ』と、張り紙がしてあった。

 この差し押さえの商館の主、アルデベルテ商会は改革で大打撃を受け来週には解散が決まっていた。
 かつては領主以上の権力を持ち、長年トリステイン商人の総元締めと言われていたが、今では滅びの時を待つだけであった。

 マクシミリアンの改革は全ての者たちに富を与えたわけではなかった。

 これまでアルデベルテ商会は主にアルビオンから羊毛の輸入を独占していた。
 多くのトリステイン商人は、羊毛をアルデベルテ商会から買って契約した縫製職人に買った羊毛を毛織物に加工させ、出来た毛織物ををハルケギニア中に売り歩いて生計を立てていた。
 そのため、アルデベルテ商会の機嫌を損ねる事で、羊毛の供給が断たれる事を恐れた商人たちはアルデベルテ商会に頭が上がらなかった。
 トリステイン産の羊毛は数も少なく品質も悪かった、そのせいか値段も微妙に高く、好んでトリステイン産の羊毛を買うような奇特な商人は居なかった。
 だが、マクシミリアンの改革で状況は一変する、生産力アップで家畜が大幅に増加しトリステイン産の羊毛は大量に市場に出回るようになった。しかも餌の向上で品質も良くなった。
 多くの商人はトリステイン産にシフトするようになった事で、大量の在庫を抱えたアルデベルテ商会は存続の危機に陥った。
 これに危機感を募らせたアルデベルテ商会は、縫製職人に金をばら撒き、賃金アップと『今まで通りアルビオン産でないと仕事しない』と、商人らに要求するように煽った。

「いくらなんでも馬鹿にしすぎだ」

 と、一部の職人らは呆れたが、それでも半数以上の職人がアルデベルテ商会の企みに乗った。
 その後、アントワッペンの縫製職人が次々と仕事をボイコットした事で都市全体が騒然とする中、とある縫製職人の工房でが『ミシン』と呼ばれる機械が導入されると、途方にくれていた商人たちが飛びついた。

『マダム・ド・ブラン』

 と、名乗った縫製職人は、ミシンの導入で急成長を遂げ、今では『マダム・ド・ブラン』の衣類はブランド化し、世の女性の憧れとなった。

 アルデベルテ商会は性懲りもなく、ヤクザ者に金を握らせ、マダム・ド・ブランと、その関係者たち、そしてミシンの破壊を命じた。
 しかし、マダム・ド・ブランはこの襲撃を撃退し、この襲撃をネタに逆にアルデベルテ商会を告発した。
 ここにアルデベルテ商会と縫製職人らの陰謀は潰える事になったが、話はここで終わらない、職と信頼を失った職人らがアルデベルテ商会に対して逆恨みの感情を持ち、会長のアルデベルテは元職人らの襲撃を恐れて一日中、商館内に篭もっていた。
 その後、告発されことで商人としての信頼を失い、商売も上手く行かなくなり、とうとう資金ぶりに行き詰ったアルデベルテ商会は解散の運びとなった。

 そんな中、一つの情報がアルデベルテの耳に入った。

「それは本当ですか? 本当にマクシミリアン殿下がアントワッペンにお越しになると?」

 その言葉を発した痩せ型の男、アルデベルテは驚きの声を上げた。
 かつてはトリステイン商人の総元締めといわれた男、その真鍮製の眼鏡の奥は焦燥で窪み血走っていた。

「はい、数日中にお越しになるそうです」

 アルデベルテ商会の番頭の男は、まるで騎士の様に片膝をついて答えた。

 かつては100人以上の奉公人でごった返していたアルデベルテ商会の中は閑散としている。
 ほぼ全ての奉公人は故郷に帰した為、アルデベルテと番頭他、数人しかいない。

「……これは……チャンスです」

 そう言うや、アルデベルテは番頭に近づいた。

「番頭さん、大至急……」

 アルデベルテに耳打ちされた番頭は頷くと外へと出て行った。








                      ☆        ☆        ☆







 この日、マクシミリアンはアントワッペン市へ向かう為に馬車に乗っていた。
 旅の目的は、改革によってアントワッペンを更に発展させた人物に会う事と、領主であるド・フランドール伯にアントワッペンから南に十数リーグの場所にある、廃都ブリージュの捜索許可を得る為である。
 許可なんて家臣に任せればいい……と、思うかもしれない、ブリージュでかつて起こった地殻変動はハルケギニアを崩壊させると言われている大隆起の手がかりになる可能性がある。
 大隆起の事は最高機密に類する為、マクシミリアンが直接動く事にした。 

 マクシミリアンは馬車から田園風景を眺めていた。
 農作業をする平民たちの顔は良く、少なくとも食うに困っていないことが良く分かった。
 健康状態も良さそうな為、初回無料で置き薬をトリステインの全世帯に配布した為、重病以外の病は抑制されている事に手ごたえを感じていた。

「平和だなぁ……」

 ポツリとつぶやき、マクシミリアンは座席に寝転んだ。
 かなり行儀が悪いがアントワッペンまで暇だったからだ。

(カトレアは、今ごろ何をしているだろうか?)

 婚約した男女が頻繁に会うのは良くない……と、いう良く分からない『しきたり』の為、二人は結婚式まで会う事ができなくなってしまった。
 元々、これまでの遅れを取り戻す為に、厳しい勉強の真っ最中で、中々会う機会が無かった事も重なり、二人が会う機会は更に減った。
 その為、カトレアとは手紙のやり取りしかしていない。

(同年代の女の子より、スタイル良かったからなぁ……今頃、どういう風に育ってるんだろう)

 ……12歳という年代は成長が著しい。
 マクシミリアンはビキニ姿のカトレアがキャッキャウフフと浜辺を走る姿を妄想する。
 胸がバインバインと跳ねるスタイル抜群のカトレアがこれ以上無い笑顔を向けた。

「う~ん、カトレアぁ~、むちゅちゅ~♪」

 妄想上のカトレアと、イチャイチャしながら座席の上を転がろうとして、勢い余って落ちてしまった。

 この光景をセバスチャンは馬車の御者台から見ていたが、黙っている事にした。
 見て見ぬ振りをするのも忠義だろう。










                      ☆        ☆        ☆









 その後、アントワッペン市に到着したマクシミリアンは、領主のド・フランドール伯の屋敷で催される歓迎パーティーに招待された。
 領主のド・フランドール伯はトリステイン建国以来の名家で、西部では屈指の実力を誇っていた。

 ド・フランドール伯ボードゥアンは、見た目二十台半ばの好青年で、数年前に先代の父親が亡くなり、その跡を継いでいた。

「ド・フランドール伯、この様なパーティーを開いて頂きまして、ありがとうございます」

 マクシミリアンは、にこやかに挨拶する。

「トリステイン経済を回復させた次代の名君と誉れ高いマクシミリアン殿下に、お越しいただくとは、今日という日を決して忘れる事は無いでしょう」

「いえいえ、伯爵もアントワッペンをここまで発展させた手腕を、僕も参考にしたいと思ってた所です」

 などなど、二人の会話は弾んだ。

「それと……失礼かを思われますが、なぜ、殿下は我が領内へお越しになろうと?

「……そうですね、伯爵の領内に立ち寄ったのは、訳がありまして……」

 と、マクシミリアンは旅の目的の一つのブリージュに立ち入る許可を得ようと、ド・フランドール伯に訳を話した。
 もちろん、大隆起の事は、ちゃんと誤魔化した。

「ブリージュ一帯の捜索の件は分かりました。それでしたら、我々も同行いたしましょうか?」

「いや、それには及ばないよ、行くときはちゃんとした準備をするからね。ともかく伯爵、心配してくれてありがとう」

「御意」

 そうして、ド・フランドール伯は頭を下げたが、まだ何か聞きたそうにしている。

「あの……殿下、目的はブリージュの件だけなのでしょうか?」

「うん? どういう事?」

「それは……その。ブリージュの捜索許可のみで殿下自らお越しになられるのは……その失礼ですが、おかしいと思いまして」

「その事か。いやね、トリステイン第二の都市を、一度見学したいと、常々思っていてね。良い機会だったからブリージュの件と合わせたのさ」

「左様でございましたか。大変失礼しました」

 ド・フランドール伯は納得したような素振りを見せた。が、何処か納得がいかない表情を一瞬見せた事に、マクシミリアンは気付かなかった。

 ……その後、マクシミリアンはド・フランドール伯と別れ、歓迎会に出席した貴族たちに愛想を振りまきながら時間をつぶす。
 愛想を振りまきながらも、マクシミリアンは貴族たちを観察する。

(改革によって、一番、恩恵を受けたのは平民だけど、平民たちが豊かになれば領地は豊かになり、領地は豊かになれば貴族たちも豊かになる。家臣団のみんなは分かってくれたみたいだけど……)

 参加した貴族らの表情を見れば見るほど、マクシミリアンの気分は暗くなる。
 貴族たち半数以上に、愛想を振りまきながら、意識改革とノブレス・オブリージュの徹底を説いて回ったが、のれんに腕押しで、彼らはいかに平民から搾取するか、そればかり考えていてマクシミリアンの話に耳を貸そうとしなかった。
 突如、振って沸いた好景気に便乗して己の欲望を満たそうとする姿は、さながら肉に群がる野獣を連想させた。

(貴族が聞いて呆れる……どこが貴いと言うのか。まったく……嫌だ嫌だ、早い事アントワッペン発展の鍵をつけたら帰ろう)

 その後も言い寄ってくる貴族たちの相手をしながら、時間をつぶし、パーティーはつつがなく終了した。










                      ☆        ☆        ☆







 パーティーの後、ひとっ風呂浴びたマクシミリアンは二人の魔法衛士を伴って廊下を歩いていた。
 酒に酔い風呂に入ってサッパリした為、パーティーの時の様な不機嫌さは若干和らいでいる。

「二人とも、今日はお疲れ様。僕はそろそろ休むから……」

「御意」

「お休みなさいませ」

 ド・フランドール伯に宛がわれた部屋に入ると人の気配がする。

「……ん?」

 真っ暗な部屋で目を凝らすと人影が見えた。
 人影は身動き一つしない。

「……」

「そこに居るのは誰か?」

 マクシミリアンは、杖を手に人影に尋ねる。

「畏れながら……」

 聞こえてきたのは若い女の声だった。

「女の人が僕の部屋に何の用か? 部屋を間違えたのなら、特別に不問にするから早く出て行ってもらえないかな」

 そう言って、ライトの魔法を唱えると、ハイティーンかもしくは20前後の美しい顔が映し出された。

「畏れながら殿下、私は部屋を間違えたわけでは有りません……夜伽に参りました」

「ぶふっ!」

 女の告白に、マクシミリアンは思わず噴き出した。

「よ……夜伽ぃ!?」

「御意」

 よく見ると女の格好は、とても『まともな』格好ではなかった。
 男を誘う為に作られた様な、布の面積の少ない服を着ていたからだ。

「そ、それは、その、誰に頼まれたのか? ド・フランドール伯か?」

「……御意」

 平静を保とうと、女に話しかけると、夜伽を命じたのはド・フランドール伯だと、答えが返ってきた。

「……ド・フランドール伯も意外と下衆な事をする」

 昼間の好青年のイメージがボロボロと崩れ落ちた。

「殿下、お情けを……頂けませんでしょうか?」

 女は急かす様に誘う。

 ……ゴクリ。

 と、思わず生唾を飲み込んだ。
 マクシミリアンは現在12歳半ばで精通はすでに済ませてあるし、性知識は前世の記憶を含めてしっかり備わっている。
 しかも、帝王学の一環に代々王家に伝わる、あっち関係の技術も叩き込まれた……実践はしてないが。

(実践のチャンスでは!?)

 と、本音では、この誘惑に乗りたかった。
 だが、あからさまな謀略への警戒心を抱き、徐々に冷静さを取り戻した。

「……」

 女は黙ってマクシミリアンを見ている。

 一方、マクシミリアンの脳裏に、カトレアの顔がよぎった。

(結婚前だ。せめて、操を立てよう)

 ついに女を抱く気が失せた。

 深呼吸して気分を落ち着ける。

「ごめん、取り乱してた」

「……いえ、お気になさらずに」

「まあ、何だ。抱かずに帰すって、選択肢は無いのかな?」

「それでは、私がお叱りを受けてします」

「それなら……」

 マクシミリアンは部屋の片隅に置いてあったワインボトルを手に取った。

「付き合ってくれないかな?」

「……それでしたら、お相手いたします」

 女は何処かホッとした様な雰囲気を出した。

(なんだ、やっぱり抱かれたくなかったんじゃないか)

 女の本音が少し見えた事で、気が楽になると別の疑問が浮かんできた。

(そういえば、護衛の魔法衛士が入ってこないな)

 いつもなら、部屋の異変を感じて一声かけるのだが、今回はそれが無い。

「ちょっと、待ってて、魔法衛士に話をつけるから。ミス……え~っと……名前を聞いてない」

「失礼いたしました、フランシーヌです。フランシーヌ・ド・フランドール」

「フランドール!?」

 マクシミリアンが驚きの声を上げると同時に、廊下側のドアから、見た事の無い男が数人ほど入ってきた。

「誰だ!」

 マクシミリアンが声を上げる杖を向けようとすると、雲のような物がマクシミリアンの周りを覆った。

「うう!? スリープ……クラウド」

 そう言ってマクシミリアンは昏倒した。
 昏倒する直前、杖を持ったフランシーヌが無機質ながらも何処か申し訳なさそうな顔が目に焼きついた。



 

 

第十六話 王子誘拐


「んん?」

 眠らされたマクシミリアンが、目を覚ましたのは空が白みがかる頃だった。

「お目覚めの様ですね……殿下」

 声のした方向を見ると、ド・フランドール伯が、にやにやと下卑た顔で笑っていた。
 さらに辺りを見渡すと、窓も何も無い小さな部屋に運ばれたようだった。
 動こうとするが、ロープでがっちりと縛られていて動けない。

「ド・フランドール伯。これはいったい何の真似か」

「何の真似かと申されますと、マクシミリアン殿下、貴方はやり過ぎたのですよ」

「やりすぎた? ……何をだ」

「お気づきになられないとは……ならば、お教えいたしましょう。マクシミリアン殿下、貴方が行った改革は多くの友人を路頭に迷わせる事になってしまったのです」

 ド・フランドール伯はチラリと後ろに控える男に目を向けた。
 マクシミリアンは知らないが、この男はアルデベルテ商会の番頭だ。

(それって、逆恨みじゃないのか?)

 マクシミリアンはゲンナリした顔でため息をついた。

「……はぁ、僕を捕まえて何をしようって言うのさ」

「殿下は、しばらくの間、アントワッペンに住んで頂きます」
 
「人質……って訳か。その後はどうするんだい? ガリアかアルビオンに鞍替えするつもりなのかい?」

 ド・フランドール伯の領地が、大都市アントワッペンがそっくりそのままガリア領、もしくはアルビオン領になったら、経済的にも国防的にも大打撃だ。

「鞍替え? ははっ、とんでもない……」

「それじゃ、目的は何なんだ?」

「殿下には関係の無い事です。おい、しっかりと見張っているんだ。間違って傷つけないように」

 ド・フランドール伯は、人相の悪い男数人に命じると部屋から出て行った。







                      ☆        ☆        ☆







 ド・フランドール伯が去った後、人相の悪い連中と取り残されたマクシミリアンは脱出方法について思案を巡らせていた。
 狭い部屋の中で後ろ手に縛られ、床に転がされた状態のマクシミリアンを、人相の悪い男たちはニヤニヤと見ている。

「天才と謳われたマクシミリアン殿下が、今では俺たちみたいなロクデナシの虜囚に落ちるとは、人生ってのは何が起こるか分かりませんなぁ? そうは思いませんか? 殿下?」

「……」

「へへへ……怯えてるんですか? 殿下?」

「……」

 この男たちは、どうやら平民らしく、手に持った前装式のピストルを、抵抗できないマクシミリアンにチラつかせて、強者の感覚に酔っている様だった。

(杖も何処かに持って行かれたみたいだし、どうやって、外部と連絡を取ろう……)

 と、脱出方法を考えていると、一つ、忘れていた事を思い出した。

「そうだ、キミたち。護衛の魔法衛士が二人居たはずだが、彼らもこの屋敷の何処かに捕まっているのかい?」

 と、刺激しないように、やんわりと聞いた。

「ガッハハハハ! やっぱり温室育ちの王子サマは一人じゃ何も出来ないみたいだなぁ~!」

(コイツは一体何なんだ)

 執拗に絡んでくる男たちに辟易するマクシミリアン。
 しかし、魔法衛士たちに安否が分からない為、何とかして聞き出そうと不本意ながらも、自慢の演技で聞き出そうと試みた。

「ううっ、ぐすっ」

「あーあー、泣かすなよ、後でどやされるぞ」

「うるせぇな、傷を付けるとは言ったが、泣かすなとは言ってねぇだろ!」

「ううっ、怖いよう怖いよう、誰か助けに来て……」

 ちょっと、子供っぽかったかな? と、思いつつも人間の加虐心に訴えかける様な演技に男たちは見事に引っかかった。

「ひひひ、王子サマ、残念だが助けは来ないぜ。アンタを守る魔法衛士はみんなヴァルハラへ旅立ったからな」

「ええっ!?」

「そうさ、誰も助けに来ないからな。せいぜい大人しくしてるんだな」

「うう、そんな……」

 演技をしながらも、マクシミリアンの腹の中は怒りと殺意でで真っ黒だった。

(よくも、優秀な人材を……)

 激情のまま、目の前の男たちを殺そうとしたが、何とか思いとどまった。

(こいつらはいつでも殺せる。今は状況の整理をしないと……)

 マクシミリアンは心に決める。

 ……しばらくして、人相の悪い連中は退屈したのか、色々とぼやき始めた。

「他の平民連中は、口を開けば、王子様王子様と……飼い慣らされやがって」

「こっちは王子サマのおかげで商売上がったりだぜ。糞が」

 どうやら、アンダーグランドの連中もマクシミリアンの改革で被害を被った様だ。

(そういえば、クーペの密偵団にマフィア等の反社会的勢力の監視と排除を指示してたっけ)

 マクシミリアンは、この誘拐事件の背後関係がおぼろげながら見えてきた気がした。

(オレの改革で職を奪われたり被害を受けたり。と、そういった連中が一発逆転の賭けて誘拐したって言うのか?)

 しかし、別の疑問も浮かぶ。

(それじゃ、何でド・フランドール伯はこの誘拐事件に関わったんだろう? アントワッペン市が潤えば領主のド・フランドール伯も、その恩恵に与れるはず……)

 色々と仮説が思い浮かんだが、直接聞いてみないことには何も分からない。

(直接、聞いてみるしかないな……)

 そう、決意して実行する事にした。
 まずマクシミリアンは最後通牒のつもりで、男たちをこちら側に引き込むことにした。

「キミたち」

「ああ?」

「何だよ王子サマ」

「キミたち。今、僕を開放すれば、キミたち二人は不問にしよう。

「何? なに言ってんだ? コイツ」

「ついに、恐怖で頭がおかしくなったか?」

「最後通牒だ。この要求が受け入れられない場合、非常手段を持ってキミたちを排除しよう」

「杖の無いメイジに何が出来るっていうんだ」

「王子サマよ。この銃が見えないのか?」

「要求は受け入れられないと?」

「当たり前だろ?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ!」

「……残念だ」

 瞬間、マクシミリアンの目が光った!

「おおおおぅ!?」

 最初に、ピストルを手に持っている男を狙う。
 哀れ、男は足首から下を残し、紫色の灰になった。

「ま、魔法!? 何で???」

「キミで終わりだ」

「糞があああああああ!」

 もう一人の男は、腰に挿したピストルを取ろうと腰に手をかけたがそこまでだった。
 二つの光線を胸に受けた男は、この世のものとは思えない悲鳴を上げながら灰になった。

 久々に破壊光線を放ったマクシミリアンの顔は青くなっていた。

「うっ……に、人間の死に方じゃない」

 破壊光線を人間に放つのは初めてだったマクシミリアン。
 そして、人を殺めるのも初めてだった。
 嘔吐感を堪えながら、部屋の中を見渡すとロープが切れそうな包丁を見つけた。

「今更、人を殺したからって、何を吐きそうになってるんだ。今まで何人も間接的に殺してるだろうに……」

 と、包丁をロープを切りながら、マクシミリアンは呟いた。
 今までも、そしてこれからも、王家として為政者として、間接的に殺すであろう人々の数は星の数に上るかもしれない。
 殺すのが嫌だ。と言って、歩みを止めてしまったら、責任を放棄してしまったら、更に多くの人々を死なせる事になるだろう。

(引いても、止まっても、進んでも、間接的に人々を殺し続ける。人を殺さないやり方なんて無い。ならば……)

 そう、ならば。

『ならば進もう。死んでいった人々を背負ってトリステインを強くしよう……』

 そう、心に決めマクシミリアンは部屋から出て行った。

「あ、待てよ?」

 マクシミリアンは部屋に引き返すと、男たちが持っていた二丁のピストルと包丁一つを持って帰ってきた。

「……あんまり、急進的なのも考え物かもね」

 そう、ひとりごちた。

 

 

第十七話 アントワッペン騒乱

 時間は前後して、マクシミリアンが別室で眠っている頃。
 ド・フランドール伯の自室では、王子誘拐事件に賛同した人々が集まっていた。
 顔ぶれはド・フランドール伯を始め、アントワッペン市の裏社会に君臨して来た者たちが集まる層々たるメンバーだ。

「アルデベルテさんは、参加してない様だが……」

 一人の男が発言した

「そもそも、アルデベルテが音頭を取ったと言うのに……」

「仕方あるまい。先の騒動と襲撃で奴はアントワッペン中の縫製職人から恨まれているからな。商会から出て来れないのであろう」

 この発言に、一同、大笑いだった。
 いつもなら利権を奪い合う敵同士だった彼ら裏社会の重鎮たちはマクシミリアンの改革で損害を受け存続の危機に立たされた、だがアルデベルテの弁舌とそれぞれの思惑が見事に一致して誘拐作戦は発動される事になったのだ。

「……」

 ワインを飲みながら笑いあう、重鎮たちを尻目にド・フランドール伯はチビチビと飲んでいた。

(どうして、こんな事になってしまったんだろう……)

 ド・フランドール伯は今更ながら、王子誘拐の後の事を想像して恐怖を覚えた。

 トリステイン第二の都市アントワッペンを首府にする、ド・フランドール伯爵家はトリステイン王国建国以来の名家だという事は前々回に解説した。
 しかし、アントワッペンをここまで大きくしたのは、歴代のド・フランドール伯爵の力では無く、名も無き多くの商人なのだ。
 だからこそ、『商人の都市』などと言われていたが、それまで歴代のド・フランドール伯は何をしていたかと言うと……何もしていなかった。
 正確には何もさせて貰えなかった。が、正しい。
 歴代のド・フランドール伯は商人たちの接待漬けで政治への意欲を失わされていた。
 そうしている内に、数千年経ち、先々代あたりには裏社会の人間や商人たちとの利権構造でガッチガチにされ政治意欲もを失い弱みも握られ、そして今の代で、マクシミリアンの改革によって破滅を迎える事になる。
 ド・フランドール伯は生き残りを図る為、商人たちを切り捨てようとしたが、ご禁制品の密輸や人身売買などの先祖代々から続く弱みを握られているためそれも適わず、一蓮托生の状態になってしまった。

(あわよくば、フランシーヌを寵姫に送り込んで生き残りを図ろうと思ったが……)

 妹のフランシーヌに、夜伽を命じたがマクシミリアンは、これを断った。

(どうして、どうして、僕の代なんだ)

 歴代の当主たちは、豪華絢爛、贅沢に次ぐ贅沢で生を全うしてきた。
 だからこそ、『なぜ、自分なのだ』と、自分の運命に理不尽さを覚えた。
 しかし、今更嘆こうと、すでに賽は投げられたのだ。

「しかし、上手く事は運びますかね?」

 ド・フランドール伯は、重鎮たちに話を振った。

「マクシミリアン王子を手中に収めておけば、トリステインは手出しは出来まい。そうやって時間稼ぎをして、ガリアからの援軍を待てば、悠々と独立が出来ましょう」

「ガリアへの使者は誰を使わせたのか?」

「我々の手先の中から選りすぐりの者を送りました」

 重鎮は自信満々に言う。

 彼らはアントワッペン市を、一種の自由都市として独立させる事が目的だった。
 しかし、ド・フランドール伯は、この陰謀が上手く行くとは思っていなかった。
 大国ガリアが約束を守るとは思えなかったからだ。

(ガリアが援軍を寄越すとは思えないし、たとえ、寄越したとしても、そのまま居座って、独立を許さないかもしれない)

 様々なしがらみに縛られ、未来に絶望し引く事も出来なくなったド・フランドール伯は、事ここに至り……

(滅ぶのならば、いっその事……)
 
 弱気になった心を黒い感情で塗りつぶす。

(王子を巻き込み、コイツ等を巻き込み……盛大に滅んでやろう!)

 ついに、滅びの美学とは違う、何か別の境地に行き着き、ド・フランドール伯は黒い笑みを浮かべた。







                      ☆        ☆        ☆






 ……夜が明けた。
 アントワッペン市内にある、マダム・ド・ブランの工場では、朝早くから羊毛を積んだ馬車が引っ切り無しに行き来していた。

「皆さん、おはよう。今日は王子様が工場見学にお越しになる予定よ、普段道理で良いって仰っているみたいだけど、みんな粗相のないようにね?」

 そう発言したのは、マダム・ド・ブランの元締め、ド・ブラン夫人だ。
 彼女、ド・ブラン夫人の一度聞いたら忘れられない声が朝礼中の室内に響いた。
 もし、マクシミリアンがこの特徴のある声を聞いたら。

『先代の猫型ロボットみたいだ』

 と、評しただろう。

 声だけでは無い。
 ド・ブラン夫人は容姿も異形だった。
 歳は四十過ぎだが身長は130サントも満たない、横も広い、そして三頭身だ。
 そんな異形の容姿でも、機を見るに敏で、マクシミリアンの改革にいち早く対応して一財産築き上げた。

「……そんな所かしら。それじゃ皆さん、今日も怪我の無いようにね」

 朝礼が終わると、従業員たちがそれぞれの仕事場に移った。
 従業員の何人かを見ると女性が多く、男女比は半々だ。

 これは先の騒動。
 アントワッペン中の縫製職人が、大商人アルデベルテの口車に乗って一種のストライキを起こした時の事だ。
 ド・ブラン夫人はこの騒動に乗じてミシン機を使い、アントワッペンに於ける縫製事業のシェアの奪う為、行動を起こそうとしたが人が足りない。
 ここで、ド・ブラン夫人は知り合いの平民の主婦層に片っ端から声を掛けて、人集めをしたからだ。
 かくして、女性比の高いマダム・ド・ブランはントワッペンに於ける縫製事業のシェアをごっそり奪う事ができた。
 特にミシン機の性能は素晴らしく、ちょっと職業訓練した程度の者が、熟練の縫製職人にしか出来ない様な早さの仕事をこなせる様になったのは革命的だった。
 レースと言ったミシンでは加工できない様な物は熟練の手を借りなければならなかったが、ともかく、マダム・ド・ブランはアントワッペンで一番の縫製工場になった。
 だが、困った事もあった。それでも大多数の縫製職人が職を失ってしまったのだ。
 失業の恨みが従業員に向けられる事を恐れた、ド・ブラン夫人は職を失った縫製職人の何人かに声を掛け、マダム・ド・ブランに再就職するする様に進言した。
 何人かの職人は再就職したが、その他の職人は受け入れなかった。
 幸い、縫製職人の恨みは、この騒動を煽ったアルデベルテ商会に向けられるようになった。

 これで一件落着……と、なれば大変良かったが、そうは成らなかった。
 大商人アルデベルテが、十数名のヤクザ者を使って、マダム・ド・ブランの工場を襲撃してきたのだ。
 そんな時、『彼』の存在がなければマダム・ド・ブランとミシン機は破壊されていただろう。

ド・ブラン夫人は、三頭身の身体を揺らしながら工場から外に出て、離れの小屋に居る、件の『彼』に朝食を渡すべく、鼻歌を歌いながら向かった。

「おはよう、聞いていると思うけど、今日、トリステインの王子様が御出でになるの」

「……ああ」

 『彼』は、なにやら研究に没頭していた。

「朝食、ここに置いておくわ」

 ド・ブラン夫人は朝食の乗った盆をを空いていた机に置いた。

 彼こそ、ミシン機を発明し、アルデベルテ商会の襲撃を退ける武器を作り撃退の指揮を取った男、名前をラザールといった。
 名前はラザールのみ姓は無い。そう、彼は平民だった。
 ラザールは、科学者であり化学者、数学者で軍事にも明るい、謂わば万能の天才と呼ばれる男だった。
 出身地のカルノ村から取って、『カルノ村のラザール』と、名乗っていた。
 しかし、カルノ村では、変人のレッテルを貼られ、村はずれの小屋で細々と研究をしていたところをド・ブラン夫人に見出された。
 ラザールはド・ブラン夫人に囲われる様になったおかげで、研究に没頭できる様になった。
 一日に三回、ちゃんと食事が出るので、一種の生活破綻者であるラザールには大変助かった。
 カルノ村では、今日の糧を得る為に、研究を中断して慣れない野良仕事をしなければならなかったからだ。
 そういう事で、ラザールはド・ブラン夫人に感謝していた。
 ド・ブラン夫人の方はというと、『夫人』という様に既婚者だったが、夫に先立たれ、残った遺産をどう使おうかと悩んでいたときにラザールに出会ったのだ。
  ラザールは発明品などを提供し、ド・ブラン夫人は住居と食事を提供する、二人は恋愛感情の無いギブ&テイクの淡白な関係だった。

「奥様……先ほど、マクシミリアン殿下がお越しになられると聞きましたが」

「ええ、何でも、ミシン機を是非見たいと仰ってらしたわ」

「なるほど、ミシン機を……」

「粗相が無いように気をつけてね」

「努力はしますよ」

 などと、語らっていると、外からド・ブラン夫人を呼ぶ声が聞こえた。

「何かしら? ちょっと行って来るから朝食、食べててね」

 そう言って、小屋を出た。

 ド・ブラン夫人が小屋から出ると、従業員の一人が息せき切って駆けて来る。

「どうしたの? そんなに慌てて……」

「大変です、元締め。門が……どういう訳か街の門全てが閉じられたって、大騒ぎになっています!」

「なんですって!?」

 思わず、ド・ブラン夫人は声を上げた。










                      ☆        ☆        ☆









 ハルケギニアの都市は、基本的に都市の周りを城壁で囲み、正門や裏門といった門からしか行き来できないような構造になっている。
 衛兵が、、朝になれば門を開け、夜になれば門を閉じる。
 旅人や行商人は、何とか日暮れまでに衛兵から許可を得て都市に入らなければ、門の前で夜を明かさなければならなくなるのだ。
 その門が、日も出ているというのに閉じたまま、という事は、明らかに異変を現していた。

 事件は、アントワッペン市正門で起こった。
 普段なら市内の大聖堂の鐘が鳴ると、それを合図に正門と裏門が開けられる。
 だが、大聖堂の鐘が鳴っても門が開く気配が無かった。
 人々、特に商人たちは口々に『おかしいおかしい』と、言い合っている。
 痺れを切らした商人の何人かは反対側の裏門から出ようと、馬車を引いて裏門ヘ向かったが、裏門でも同じ事が起こっていた。

「衛兵は何してるんだ! 早く開けろ!」

「今日中に納品しないと大損害なんだ!」

 怒りが頂点に達した。
 正門前では千人を超す人々が集まり、暴動寸前だった。
 一方、門の外でも、アントワッペンに入城する為に夜を明かした人々で混雑が出来始めていた。

「なぁ? どうして開けちゃダメなんだ?」

「領主様が、何があっても絶対に開けるな……って、御触れが来てるんだよ」

 衛兵たちも、この異常事態にどうするべきか苦慮していた。
 このまま、いたずらに時間を浪費すれば、暴動になりかねない……一人の衛兵が屋敷へ走ろうとした時に異変は起こった。

「おらっ! 今日は門は開かない事になったんだ、散れ散れ!」

「なんだお前ら!? こっちは忙しいんだよ! お前らこそ退けよ!」

 門の内側では、人相の悪い男たちが門の前に割り込んで『門は開かない』と、触れ回り、気が立っていた商人たちと一食触発になる。

「おい! 何やってんだ、さっさと退け!」

 怒りは波のように他の人々に伝染して行き、所々でケンカが始まった。

「……ケンカが始まった」

「なあ? 俺たち、止めなくて良いのか?」

「ば、馬鹿、俺たち二人だけで何するって言うんだ」

 衛兵たちは、止めるべきか迷っていると。

 ……パァン!

 と、銃声が響いた。

 一瞬の静寂が辺りを包み、銃声がした方向を、この場に居合わせた全員が見た。
 そこには、ケンカでしこたま殴られたせいか、顔中に青タンを作った人相の悪い男が、肩で息をしながら銃を構えていた。
 一方で、商人風の男が地面に倒れている、顔を見ると目を見開いたままピクリとも動かない。

「ひ、人殺しだぁ~~!」

 この言葉をきっかけに、正門前はパニックに陥った。
 響く怒声、悲鳴があちこちで起き、逃げ惑う人々が押し合いへし合い、誤って倒れた人を踏み殺す事でパニックを更に助長させた。

 アントワッペンの最も長い一日はこうして幕を開けた。
 

 

第十八話 王子の目

 マクシミリアンが監禁されていた部屋を出て窓から外を見ると、太陽は真上辺りにまで昇っていた。

「……ド・フランドール伯は何処にいるんだ?」

 周囲に気を張りつつ廊下を進む。

「それにしても……くそっ」

 マクシミリアンは耐えられなくなって目をこすった。
 実は部屋を出た辺りから、目の奥がヒリヒリと軽い痛みを覚えていた。
 この症状に心当たりがあるとしたら、やはり破壊光線だろう。

(さっき、連発したせいなのか?)

 と、分析したが、今、真相を調べる状況ではない。
 破壊光線でこの場を切り開こうとした矢先に、この目の違和感にマクシミリアンは危機感を募らせた。
 魔法で治そうにも杖を奪われた状況では、不可能と言わざるをえない。

(武器はチンピラから奪ったピストル二挺と包丁一丁か)

 見つからない様に、空き部屋の隅に隠れて、痛みが引くのを待っていると、幸い30分程度で痛みは引いた。

(これからは、連発は禁止……だな)

 そう、心に決め。部屋を出ようとドアへ向かうと誰かの足音が聞こえる。どうやらこの部屋の主人のようだ。
 慌てて、クローゼット中に隠れると、女の声が聞こえてきた。

(あっ、この声は)

 昨日、夜伽にやって来たフランシーヌという女の声だ。

(たしか、ド・フランドールを名乗っていたな。伯爵の縁者か?)

 疑問に自問自答していると、フランシーヌはお付のメイドに。

「一人で着替えるから外で待ってて」

 と、言ってメイドたちを部屋の外に待たせ、部屋に入ってきた。どうやらフランシーヌの私室の様だ。
 フランシーヌはマクシミリアンが隠れているとも知らずに着替え始めた。
 クローゼットの隙間から覗いて見ると、程よく実った胸と、白いレースの下着が艶かしい。

(コイツは眼福だな……)

 などと、興に浸っているとフランシーヌがマクシミリアンが隠れているクローゼットに近づいてきた。

(おっと、サービスタイムは終了か)

 内心つぶやき、いつでも動けるように待ち構えた。見たところ下着のみで杖を持っていない。

 フランシーヌがクローゼットを開けると、待ち構えていたマクシミリアンと目が合う。
 驚きの声を上げようとした瞬間、ピストルの銃口を無理やり口に捻じ込まれ声をあげる事ができない。
 そしてマクシミリアンは銃口を銜えさせた状態でフランシーヌを無理やりクローゼットに引きずり込み、すかさずクローゼットの戸を閉めた。
 狭い空間に密着した状態の二人は、別々の反応を見せた。
 フランシーヌはとにかく驚きの表情を、マクシミリアンは無表情に見えるが目が据わっていた。

「え、えんは」

 殿下……と、言いたかったのだろう。

「こんにちは、ミス・フランドール。昨夜はよく眠れましたよ。

 皮肉を言いつつ、ニヤリと笑った。

「いろいろ、聞きたいことがあったんですよミス・フランドール」

「……うぐ」

「ド・フランドール伯は何を企んでいるのか、知っていたら是非教えて欲しいですね」

 マクシミリアンは、にっこりと笑った。

 一方、部屋の外では一向に出てこないフランシーヌを心配してメイドがノック後に入室してきた。
 しかし、室内には誰も居ない。慌てた、メイドはフランシーヌの名を呼んでも返事は返ってこなかった。

「妙な真似をしたら、この引き金が重いかそれとも軽いか……試してみる事になりますがよろしいですか?」

 座った目のままフランシーヌに聞いてみた。
 マクシミリアンの演技力が加味されたこの脅しに、フランシーヌは目じりに涙を浮かべ、首を小刻みに縦に振った。
 メイドは声を掛けるだけで室内を詳しく調べる事はせず、他の場所へ行ってしまった。

「早々に引き上げたな。信頼されているのか……それとも……ふふ」

「……うう」

「それとも、部屋のものに触ったら鞭で打つ……とでも言ってたのか?」

 なじる様にフランシーヌに問う。
 マクシミリアンは、味方と判断した者には優しく、敵と判断した者には、たとえ女であっても容赦しなかった。

 メイドの気配が完全に無くなったのを確認すると、ピストルを咥えさせた状態クローゼットの外に出てドアに鍵を掛けた。

 ここでようやくフランシーヌを解放した。
 フランシーヌは、床にへたり込んでゴホゴホと咳き込み、ついには泣き出してしまった。
 罪悪感がマクシミリアンを襲うが、心を鬼にして最後に仕上げに取り掛かった。

「ミス・フランドール」

「あっ」

 マクシミリアンは、にっこり笑うとフランシーヌの頭を抱き寄せ。

「ごめんね、本当にごめん。僕の本意ではなかったんだよ」

 ささやく様に耳元につぶやく。
 突然訪れた、死の恐怖に混乱したフランシーヌの心に優しい言葉を掛ける。
 飴と鞭……と、言うべきか。もしくは下げてから上げる、人身掌握術を披露した。
 幸い、効果は有った様で、フランシーヌは落ち着きを取り戻した。

「大丈夫だよ、フランアシーヌ。僕に任せておけば、万事大丈夫だ」

「殿下……」

 何が、どう大丈夫なのか……具体的に説明しない。
 だが、フランシーヌはそこまで考えが行き届かず、マクシミリアンを信用しきった様な顔を……
 地獄の中で仏に出会った様な顔を向けた。
 目の前に居る仏こそ地獄に突き落とした張本人なのだがフランシーヌは気付かない。

「人質である僕が逃げた事で、ド・フランドール伯の計画は頓挫してしまった」

「……」

「こうなってしまった以上、トリステイン王国は、決してド・フランドール伯を許さないだろうね」

「……」

 フランシーヌは黙ったままだが、徐々に未来へ絶望したような顔になる。

「フランシーヌはこの計画には反対じゃなかったのかな? ド・フランドール伯の命令で夜伽までさせられてさ」

「……殿下、私は」

 怯えるフランシーヌに逃げ場所を用意する。

「だから、フランシーヌは僕に協力してくれないかな? みんな、ド・フランドール伯が悪かった……そうだろ?」

「うう、殿下、マクシミリアン殿下! 申し訳ございませんでした!」

 フランシーヌは懺悔をしだした!
 ボロボロと涙と流すフランシーヌにマクシミリアンは……

(計画通り!)

 と、内心ほくそ笑んだものの……
 フランシーヌの、まるで神を見るような眼差しに。

(薬が効きすぎたか?)

 と、少しだけ後悔した。

「と、ともかく、事件解決に協力してくれれば、ド・フランドール伯は無理でもフランシーヌだけは助かるように執り成しますから。いわゆる司法取引という奴です」

「兄上は、助からないのですか?」

「兄上? やっぱり兄妹だったんだ。さっきも言ったけど、ド・フランドール伯の事は、こういう事になってしまった以上、極刑は免れないでしょう。ですが、フランシーヌが生き残ればド・フランドールの血は残ります」

「そう……ですか」

 フランシーヌは、そのまま黙り込んだ。








                      ☆        ☆        ☆







 多少問題があったが、フランシーヌの協力を取り付けたマクシミリアンは、情報収集を行った。

「それじゃ、昨日のパーティーに参加した、貴族たちは皆人質に?」

「はい、パーティー会場の大ホールに全員集められているようです。随伴の魔法衛士たちもそこに集められていると聞いています」

「殺されたのは、直接護衛していた二人だけだったのは、不幸中の幸いか」

「申し訳ございません。魔法衛士の皆様には、弁解の使用も無く……」

 そうして、ひたすら平謝りするフランシーヌに、いい加減、辟易してきたマクシミリアンは……

「ド・フランドール伯の責任であってフランソーヌの責任じゃないよ。それと、そう何度も頭を下げるのも無し……いいね?」

「……分かりました」

 フランシーヌは、そう言ってまた頭を下げた。

「……まぁ、ともかく」

 マクシミリアンは咳払いを一つした。

「まずは人質の救出が先だね、僕の杖は何処にあるか分かりますか?」

「殿下の杖の在り処は分かりませんが、人質たちの杖の場所は知っています」

「ひょっとしたら、僕の杖も一緒かも知れないね。案内してもらえますか?」

「分かりました。付いて来て下さい」

 そして、マクシミリアンはフランシーヌの後を付いて行った。

「そういえば……」

「何でございましょう?」

 警戒しながら、杖のある場所へ向かう途中、マクシミリアンは気になっていることを尋ねてみた。

「フランシーヌって、背が高いよね、一体どれくらいあるの?」

 と、失礼と思ったが質問した。

「前に測った時は、180サント程……でした」

 フランシーヌは顔を真っ赤にしながら答えた。
 だが、マクシミリアンは違和感を感じた。照れの赤ではなく羞恥の赤だったからだ。

(スーパーモデル並の体系なのに……)

 と、マクシミリアンは首を傾げたが、答えはすぐにフランシーヌの口から出た。

「やっぱり、おかしいですよね、私って……」

「どういうことですか?」

「実は私、今年で14なんです」

「えっ!?」

 マクシミリアンは思わず声を上げた。
 てっきり、20歳前後だと思っていたからだ。
 ちなみにマクシミリアンの身長は165サントだ。

「14なのに、こんなに大きくて……殿下、やっぱり、私っておかしいのでしょうか?」
 
「……ええっと」

 マクシミリアンは少し考え……

「世界中にはいろんな人が居ますから。フランシーヌの場合はむしろセクシーで羨ましいって思われるんじゃないかな?」

「そうでしょうか?」

「フランシーヌの事をおかしいって言う人が居たら、その人の見る目が無いのか、もしくは小さい子が好きなんだよ!」

「……」

 フランシーヌは黙って頷くと、

「ありがとう……ございます。少し元気が出ました」

 そう言って、ニコリと微笑んだ。
 あらゆる男を魅了して止まない色気と、何処が儚げな雰囲気とを持つアンバランスな少女に、マクシミリアンは目が離せなかった。










                      ☆        ☆        ☆





 フランシーヌに服を着せると、杖を保管している場所へと先導してもらう。
 途中、警護のヤクザ者をやり過ごし、運悪く、ばったりと出くわしたヤクザ者には、フランシーヌがスリープクラウドで眠らせた後、見つからないように近くの空き部屋に放り込んでおいた。

「そう言えば、あの人相の悪い連中。前々から付き合いがあったのか?」

「私も詳しい事は分かりません。ですが、以前ドレスを仕立ててもらった商人が、みかじめ料が高いとか何とか……そう言っていたのを覚えています」

「そうか、ショバ代を……ね」

「ショバ代?」

「ああ、こっちの話」

 マクシミリアンの脳内では、この状況を利用してアントワッペン内のヤクザ者を一掃させる事を考えていた。

「もうすぐ着きます」

 マクシミリアンが暴力団殲滅計画を練っていると、フランシーヌが到着した事を知らせてくれた。
 人気のまったく無い区画で、目的の部屋には人の気配がする。

「それじゃ、突入する前に室内の状況を調べよう」

 マクシミリアンは、ピストル2挺と包丁1本の他に、眠らせたヤクザ者から、さらにピストル1挺とダガーナイフを1本を奪っていた。

「殿下自ら戦わずとも良いのでは?」

「まだそんな事、言ってるのか。戦力は多いほうが良いだろう? それに……もう僕は、人を何人か殺してるんだ、この期に及んで、戦うなとか言うな」

 すこし怒気を孕んで言う。

「も、ももももも申し訳ございません!」

 フランシーヌは土下座しだした!

「ちょっと!? 声、声が大きいよ」

 マクシミリアンはオロオロとうろたえ、フランシーヌは顔を青くしたまま固まっている。

『ん? なんだ? 声が聞こえたぞ』

『ちょっと、見てきます』

 ヤクザ者の声が聞こえた。
 思いっきりばれたようだ。

(ヤバイヤバイ)

 辺りを見渡すと隠れられそうな部屋は無い、マクシミリアンは決断を迫られた。

(こうなったら!)

 トトトト……と、音を立てないように小走りで駆けると、近くのドアが開いて男が顔を出した。
 マクシミリアンは、立ち止まらずに腰に挿したダガーナイフを、男の右目、目掛けて付き立てた!

「うおっ……!」

 しかし、付き立てたダガーナイフは目標を外れ、両目の間の部分に刺った。
 ガキリと、骨の感触がナイフの柄から感じ取れた、だが勢いに乗ったナイフは骨をズルリと滑り、右目の奥へ奥へと突き刺さった!

(脳まで達した!)

 マクシミリアンは、刺さったダガーナイフの柄を、ぐるりと回転させ脳を破壊した。
 崩れ落ちた男は、びくんびくんと痙攣している、もう助からないし助けるつもりも無い。

「だ、誰だてめぇ!」

 もう一人の男は、絶叫に近い声を上げた。

(声は一つしかしなかった!)

 一応、絶対音感の持ち主のマクシミリアンは、男の声の他に別の声を感じなかった。

(見張りはこの二人だけだ!)

 瞬間、マクシミリアンの目が光った!
 本日、三回目の破壊光線である。
 二条の破壊光線は男の腹に当たり、絶叫を上げながら灰になった。

「……」

 室内に入ったマクシミリアンは周囲に気を張った。

「……」

 読み通り見張りは二人だけで、室内には人の気配は無い。

「殿下……」

「ああ、フランシーヌ。杖はこの部屋でいいのかい?」

「その……平気……なんですか?」

「平気? ん~……ああ、人殺して平気って意味か。そうだね……」

 マクシミリアンは少し考える素振りをした。

「相手の脳をえぐった感触は、まだ手に残っているよ。平気かって言われれば、そうだね……平気じゃない……かな」

 マクシミリアンは震える右手を押さえつけながら答えると、フランシーヌの後ろから抱きしめられた。

「ちょっと、なにしてんの?」

「殿下、泣いています」

「え?」

 マクシミリアンは、自分の頬を撫でると確かに涙が流れていた。

「あれ? 何で涙が?」

 涙と供に次第に痛みがぶり返してきて、目を開けることが出来なくなってしまった。

「お優しい殿下の御手を血で汚してしまうなんて……なんと、お詫びしたらよいか」

「いやいや、別に悲しいから泣いてるんじゃないから! 目にゴミが入っただけだから!」

 マクシミリアンは、この涙と痛みは破壊光線の副作用だろうと、結論付けた。
 幸い、先の大立ち回りのとき、最後に放った破壊光線はフランシーヌには見えてなかったようだが、だからと言って『破壊光線のせいです』……とは言えない。

「それよりも、ヒーリングは使えるかな? 使えたら、僕の目にかけて欲しいんだ」

 誤魔化しながら、フランシーヌに頼み込んだが……

「申し訳ございませんが、ヒーリング用の秘薬がありません」

「あら、それじゃいいや。時間が経てば治るからさ」

「差し出がましいかと思われますが……」

 妙に艶っぽく笑ったフランシーヌは、マクシミリアンの正面に立ち……

「じっとしていて下さいね……」

 マクシミリアンの、頭を固定して、目をぺろりと舐めた!

「な、なにすんの!?」

「目にゴミが入ったと仰ったので私の舌で清めようと……」

 フランシーヌのやわらかい舌が目蓋の中へと進入して眼球を撫でた。

「おおう。こ、これは……」

 マクシミリアンは、未知の感触に悶えてしまった。
 痛いかと思ったが痛くない。むしろ、マッサージみたいで気持ちいい。
 時間にすると10分程度、フランシーヌの舌はマクシミリアンの両眼を優しく洗い清めた。
 どういう訳か、痛みと涙はピタリと止まり、違和感も無くなった。

「……ックン。ご馳走様でした」

 マクシミリアンの涙は舐め取ったフランシーヌは満足そうに淫靡に微笑んだ。

「あ、ありがとうフランシーヌ」

「どうしたしまして、殿下のお役に立てて嬉しいです」

「でも……なんだ。嫁入り前の若い娘が、こういった事するのは、いかがなものかと」

「殿下がお困りのようでしたので……それに殿下の為なら、私……」

「……」

 フランシーヌは、何かのスイッチが入ったように積極的になり、匂い立つような色気を発した。

(このままでは非常にまずい)

 押さえが利かなくなってしまう……
 泣きそうなカトレアの姿を脳内に作り出し煩悩を押さえ込んだ。

「ととっ、ともかく! 人質のみんなを助ける為にも、杖を探そう!」

「……そうですね」

 何処か残念そうな顔をしながらマクシミリアンに続いた。

(フランシーヌって、こういう娘だったのか?)

 女の子って生き物が、ますます分からなくなった。


 

 

第十九話 風穴のジャコブ


「逃げられただと!? 見張りは一体何をやっていたんだ!」

 怒声が室内に響き渡った。

 マクシミリアンに逃げられた事を知ったド・フランドール伯は辺りに居た家人たちを散々罵倒して、一時は杖を抜きかねないほどだった。

「まぁまぁ、伯爵様、直接関係の無い彼らを責めても仕方の無い事でしょう。」

「そうですとも、まんまと逃がした連中はどうなったのですか?」

「それが……」

 報告に来た男は、不可解そうにしながらも、奇妙な色の灰しか残っていなかった事を告げた。

「……?」

「どういうことだ? 王子の杖は奪ったのだろう?」

「分かりません、ひょっとしたら見張っていた連中、逃げ出したのかも……」

「たしか、灰の中にフィリップの野郎の足がありました」

「それじゃ、王子は予備の杖を持っていたってのか?」

「おいおい、キミぃ、それを見逃したって事は、それじゃ責任問題になるぞ」

「責任問題だと!? お前、よくそんな事、俺に言えるな」

 たちまち言い争いが始まった。
 元々、自分が気に入らなければ腕力で解決してきたような、協調性の欠片も無い連中の集まりだ。
 ……烏合の衆と言ってよい。

(こんな奴らと運命を共にしなければならないとは!)

 ド・フランドール伯は、呆れつつもこの騒ぎを収めようとすると……

「いい加減にしろ!」

 と、聞いた事の無い声が室内に響きこの騒ぎを収めた。
 一喝した声の方を見ると、杖で机を叩きながら、鼻の長い、いかにも悪そうな男が不敵な笑みを浮かべていた。

「あの男、誰ですか?」

「風穴のジャコブっていう凄腕のメイジですよ。なんでも昔はトリステイン王国の騎士だったそうですが、上司を殺したついでに公金を奪って逃げ盗賊に身を落としたって、そういう触れ込みでした」

「そんな男が……」

「元騎士ですから、軍事にも明るいらしく独立が成った暁には、部隊を任せようっていう話を聞きましたよ」

 隣に居た、比較的まともそうな男が語った。

「おお! 風穴の旦那」

「この様な下らない事で仲間割れなどと、困りますな。もしよろしければ、王子捜索は、ワタクシにお任せいただけませんか?」

「風穴のジャコブなら大いに期待できるでしょう」

「私も賛成です」

 裏の重鎮たちは口々に、賛成を表明する。

「それでは、ジャコブ殿には王子捜索の任務に当たってもらう」

「了解した。なるべく穏便に済ませる為、努力します」

「頼みましたぞ」

「吉報をお待ち下さい」

 そう言って、ジャコブは部屋を出て行った。

 残された、重鎮たちは『彼ならば大丈夫だろう』と、異口同音に語り合う。ド・フランドール伯も、その一人だった。









                      ☆        ☆        ☆







 マクシミリアンは自身の杖を取り戻し、フランシーヌを伴って、多数の人質が居る大ホールを目指していた。

「この通路を行けば大ホールが一望できる場所へ行けます」

 フランシーヌに道案内を任せて二人は廊下を進む。
 先ほどのアブノーマルな雰囲気は消え去っていた。

 そして、マクシミリアンたちは大ホールを一望できる場所へと行き着いた。
 ここは、大ホールで演劇などを行う際に使う魔法の舞台装置を操作する場所で、数人の見張りが居たが、スリープクラウドで一網打尽にした。
 眠らせた見張りは、ロープでぐるぐる巻きにして部屋の隅に転がしておく。

「ここからなら、大ホールが一望できるのか?」

「はい、それと踏み込む場合は、隣に下へ降りる階段がございますので」

「フライで飛び降りればいいさ」

「そうですね」

 マクシミリアンとフランシーヌは、部屋についてある小窓から大ホールを覗き込むと、二十人ぐらいの武装したヤクザ者と五人のメイジ、少しは離れた所に十人近い貴族が縛られていた。

「よかった、セバスチャンと他の魔法衛士も居る」

 ひとまず無事を確認して胸を撫で下ろした。

「フランシーヌ。キミと僕のスリープクラウドで、あの連中全てを眠らせることは出来ると思うかい?」

「……そうですね。大ホール全体に散らばっているので、難しいのではないですか?」

「そうか……」

 無力化するのなら一網打尽に……しくじれば人質に被害が及ぶかもしれない。
 ……マクシミリアンは迷った。

「殿下、あれを……」

 フランシーヌが指差す方向を見ると、大ホールの隅の方で血まみれの貴族が二人倒れていた。

「あれは一体……何があったんだ?」

「私には分かりかねます……すみません」

「もしかしたら、見せしめかも」

 二人で血まみれの貴族について意見を出し合っていると。

「あれはですね……やれ開放しろ! だの、やれ不届き者! など散々、喚き散らしたものだから、リンチにされたんですよ」

 あらぬ方向から可愛らしい声がした瞬間、マクシミリアンは杖を抜いて戦闘状態に入った。

「ちょっとちょっと! 殿下、お待ち下さい」

 声の方向を見ると、メイドの少女が両手を上げて、無抵抗をアピールしていた。

「貴女、こんな所で何をしているの?」

「知り合いか?」

「わたし付きのメイドです。でも、こんな所で……何をやっていたの?」

 フランシーヌは責める様にメイドに言う。

「あはは、勘違いしないでいただきたいですね、ミス・フランドール。私ですよ、殿下」

 メイドはフランシーヌをあしらうと、悪びれもせず自分の鼻をグニグニを折り曲げた。

「その鼻。お前……クーペか?」

「正解です殿下♪」

 誰あろう、密偵頭のクーペだった。

「殿下のお知り合いですか?」

「直属の密偵頭クーペだ。彼? いや彼女か? ……とにかくコイツは変装の名人でね」

「……そうなのですか」

「ちなみに、この顔の少女は、ちょっと別室で眠っててもらってます。同じ顔の人間が二人もほっつき歩いていたら、色々面倒ですんでね」

「そうか……ともかく、お前が自ら動いたって事は、何かあったのか?」

「何かがあったも何も、殿下が捕まってしまってたじゃないですか。それで私自ら救出に動いたんですよ」

 自分の事などお構い無しの、マクシミリアンに流石のクーペも少々呆れ気味だ。

「それにしては、動くのはずいぶん早かったな、ひょっとしてド・フランドール伯のこと……何か掴んでいたのか?」

「いえね、私たち密偵団はアントワッペンの裏事業の連中を見張っていたんですが、まさか表のド・フランドール伯爵を使って堂々と、しかもこんな短いの準備期間で反乱を起こそうとは……いやいや、私も一本取られましたよ」

 ははは、と笑うクーペにマクシミリアンは違和感を感じた。

「ド・フランドール伯爵を使って……って、黒幕が他に居るのか?」

「ええ、居ますよ、大物が……もっとも、今では風前の灯ですが」

 クーペは、大商人アルデベルテが以前起こった騒動の事と、そのアルデベルテが裏家業の連中と連絡を取り合っていた事について説明した。

「それじゃ、この事件はアルデベルテっていう奴が、プロデュースしたって事か」

「左様でございます」

「この事をフランシーヌは……」

 マクシミリアンはフランシーヌに、この事について知っているか聞いてみようと思ったがが思いとどまった。
 フランシーヌは俯いていて表情こそ見えなかったが、明らかに怒りで震えていたからだ、

「コホン……この件の黒幕は分かった。話は変わるけど、人質の彼らはどうやって救出する?」

「密偵団が5人ほど屋敷を取り囲んでいて、突入のタイミングを計っています」

「5人か、少々心許無いな」

「何分、昨日の今日ですので……ですが、トリスタニアや周辺の貴族領には既に報告が届いている頃でしょうし、夜になれば密偵団が10人ほど、増援にやってくる事でしょう」

「潜んでいる密偵団員の練度は?」

「皆メイジですが、潜入や諜報といった事が専門ですので、荒事には向いていません」

「……そうか、余り無茶な事は出来ないな」

 ここは、大事を取って夜まで待とう……と、案を練っていると……

「それともう一つ、重大なことが有ります。現在、アントワッペン市内では市民による暴動が起こっています」

「なんだって!? 暴動って……何がどうなっているのさ?」

「市内の全ての門を閉鎖して、外部との連絡を絶とうとしたのでしょう」

「そ、そんな事をすれば、町中の商人は黙っていないでしょう!」

 フランシーヌが驚いたように声を上げた。

「……早い事、暴動を鎮圧しないと。クーペ、屋敷を囲っている密偵団員に暴徒鎮圧を命じてくれ」

「……彼ら、人質の事はよろしいのですか?」

「僕たちだけで人質救出に動いても、人員が少なすぎて手が回らず人質に被害が出るかもしれない。上手く立ち回れば良いんだろうが、そんな綱渡りみたいな……博打じみた事はできないよ」」

「……なるほど、状況が動かない人質救出よりも、早急な対処が必要な暴徒鎮圧を……」

「そんな所だ……それと、肝心な事を聞き忘れてたけど、団員はスリープクラウドとか魔法の道具とか使えるんだよね?」

「もちろんでございます」

 その後、マクシミリアンとクーペは、暴徒鎮圧について詰めの協議を行っている間、フランシーヌは大ホールを見張っていてもらっていると……

「あのっ、殿下、誰か来ます」

 と、フランシーヌが告げる。

「誰だ?」

「メイジみたいです」

 三人は小窓から覗き込むと、長い鼻のメイジが取り巻きと思われるメイジ数人と供に、警備の責任者と何やら話していた。

「まずいな、メイジの数が増えたぞ」

「いかがいたしましょう?」

「そうだな……」

 三人は小窓から離れ、マクシミリアンとフランシーヌが、増えたメイジたちについて思案を巡らせている、一方で、クーペは可愛いメイドの顔で難しそうな顔をしていた。

「どうしたクーペ」

「いえね、殿下。あの長鼻の男、多分ですが、風穴のジャコブっていう奴ですよ」

「かざあな? ああ、二つ名か」

「そうです、風穴の。あの男は以前トリステインの騎士だったそうですが……まあ、それと知れた悪党ですよ」

 クーペは、風穴のジャコブについて、上司殺しと公金横領等々を説明した。
 
「……そんな奴が居たのか」

「相手は腕利きです」

「う~ん……」

 マクシミリアンが小窓から、もう一度ジャコブを覗くと……

「あっ!?」

 突如、ジャコブは人質の貴族一人の頭を魔法で打ち抜いた!

「キャアアアア!」

「な、なんで?」

 人質たちの悲鳴が大ホールに響いた。

「王子! マクシミリアン王子! 聞こえるか!」

「あいつ……なんて事を!」

「そこから大ホールを見ているのは分かっている! 人質を殺されたくなくば速やかに出て来い! 王子一人が身代わりになればここに居る人質全員を解放すると約束しよう! ……しかし!」

 ジャコブは、もう一人の人質を魔法で打ち抜いた。
 再び、悲鳴が大ホールに響く。

「下手に、時間を稼ごうとすれば人質を一人ずつ殺していこう! 時間は無いぞ! 決断しろ!」

 ジャコブは、三度人質を殺そうと杖を少女に向けた。

「く……待て!」

 マクシミリアンは思わず声を上げた。

「すぐにそこへ行く! だから、その娘は殺すな!」

 マクシミリアンは控えている二人に目を向けた。
 だが、クーペは不満そうだった。

「殿下、言っては何ですが。たかが一貴族の命と王家の……しかも、王位継承権1位の命では重さが違うでしょう」

 クーペは苦言を呈したが、マクシミリアンは取り合わなかった。

「緊急事態だ。……後は頼む」

 一方的にそう告げて、マクシミリアンは部屋を出た。


 

 

第二十話 王子の願い


 人質を殺すと脅されたマクシミリアンは、風穴のジャコブの警告に従う事にした。

「これはこれは、マクシミリアン殿下、お初にお目にかかります」

「約束通り人質は開放してもらうぞ」

「もちろんです。ですが、その前に杖を出して頂きましょうか」

「……」

 マクシミリアンは無言のまま、金ピカの杖をジャコブの足元に放り投げた。

「……ふふ」

 ジャコブはニヤリと笑い、金ピカの杖を拾った。

「殊勝な心がけです……おい、お連れしろ」

「ははっ」

 マクシミリアンは取り巻きに四方を囲まれ、連れて行かれようとした所……

「ちょっと待て」

 と、ジャコブに呼び止められた。

「ひょっとしたら、この杖は偽物で本物を隠し身っているかもしれん。全身を踏まなく探せ」

「疑り深いんじゃないか? まあ、調べてもいいけど」

「自信がお有りの様で」

「当然だろう? 下手な事をすれば人質の命が危ないからな。それと……もう一度言うが人質は解放してくれよ」

「約束しましょう。ですが、彼ら魔法衛士の解放は認められない」

 魔法衛士は杖なしでも戦力になることが予想されるからであろう。

「……分かった。用件を飲もう」

「結構です。おい、よく調べろ」

「ははっ」

 取り巻きのメイジが服を脱がし杖を隠し持っていないかそ調べ始めた。
 だが、いくら探しても、杖は見つからなかった。

「これで、信用してもらえたかな?」

「ふむ……約束通り、人質は解放しましょう」

 取り巻きの一人がジャコブに駆け寄ってきた。

「ですが、よろしいのでしょうか? 勝手に開放してしまって」

「我々の任務は王子の捜索を確保だ。それにあの豚どもを永く飼っていたら、余りの五月蝿さについ皆殺しにしかねないからな……ふふ」

「そ、そうですか」

 取り巻きは思わず後ずさった。

 一方、マクシミリアンは貴族たちの所へ行き気遣いの言葉をかけていた……

「皆の解放を約束した。これで家に帰れるから、皆、希望を持とう」

「殿下!」

「嗚呼、マクシミリアン殿下……」

 人質の貴族たちが心配そうに見ている。

「大丈夫さ、よもや殺しはしないだろう」

 そう言って、貴族たちに愛想を振りまいていると、一人の少女が申し訳なさそうに現れた。

「キミはさっきの……」

「マクシミリアン殿下、ごめんなさい」

 その少女は、先ほどジャコブに殺されかけた少女だった。
 見た目の年齢はマクシミリアンと同じぐらいだろうか。

「キミ、名前は?」

「ミシェルの申します」

「よし、それじゃミシェル。ミシェルは、一度、死に掛けたが命を拾った。この幸運を胸に、今までのような貴族らしい貴族ではなく、別の……まったく新しい貴族を目指すようにして欲しい」

「新しい貴族とは何なのでしょうか?」

「新しい貴族とは……そうだね」

 マクシミリアンは少し考えて……

「僕の考える新しい貴族、それは『ノブレス・オブリージュ』……高貴さは義務を強制する。権力の上に胡坐を掻かず、社会的地位に見合った行動もしくは責任を自分自身に課す……と、言った所かな」

「???」

 ミシェルは理解できていないようだった。

「そうだね……要するに、貴族に生まれたからには、貴族であるからには、グータラな生活は許されない……って所かな」

 少し違うかな?……と、思いつつもミシェルに説明した。

「たくさん勉強すれば、いいのかしら」

「そうだね、それと社会奉仕とかもね」

 とりあえずミシェルに言い聞かせる。

「ミシェルだけじゃない! ここに居るみんなに、もう一度聞いて欲しい!」

 人質の貴族に向かって声を上げた。

(昨日はろくに取り合って貰えなかったが……)

 マクシミリアンは人質の貴族たちにもノブレス・オブリージュを説いたが、今回の貴族たちの反応はまちまちだった。

(昨日よりは上々の反応だったが……)

 マクシミリアンは心を静める。

(もし……これで変われなかったら。残念だが……もう駄目だ)

 粛清リスト入りである。

 マクシミリアンは、貴族たちがトリステインに有用な人材に成れるのであればチャンスを与えたかった。
 可哀想だから……と、いう意味ではなく。

(貴族ぐらいしかキチンとした教育を受けていないからな)

 という理由があった。

 現在、ちゃんとした教育を受けているのは貴族ぐらいで、平民にいたっては奇特な領主が読み書き程度の教育を施すぐらいだ。
 将来的に平民に教育を施す様に改革しても人材として使い物になるのは、例外を除いては数年、十数年先だと睨んでいた。
 トリステインは永い不況からようやく脱する事ができた。だが、もっと高く、もっと先へ行くには、もっともっと人材が必要だ。

(変われるなら変わって欲しい……)

 マクシミリアンの願いが彼らに届くかは神のみぞ知る。






 この光景を見ていたジャコブは長い鼻を揺らしながら寄って来た。

「見事な演説でしたな、殿下」

「……フン。そう思うんだったら、名演説に免じて僕も開放して欲しいものだね」

「それは聞けませんね。開放なんかしたら、それこそマヌケだ」

「そんな、マヌケじゃない貴方が、何故こんな失敗すると分かっている蜂起に手を貸したんだ?」

「別にどうもしませんよ。分け前が良かった。……それだけですよ」

「金が欲しかったら、僕の所へ来ないか? 働き次第では、懐も温まるし指名手配も消してやろう」

「ははは……止めておきましょう。実の所『こちら側』の水が合ってましてね」

「それは残念」

 承諾しない事を予想していたのか、マクシミリアンはあっさり引っ込んだ。

「さ、おしゃべりはここまで。……おい、お前ら連れて行け」

 マクシミリアンはジャコブを含めた取り巻き達に連れられて行かれた。

「……あ、そうそう」

 途中、四方を囲まれたマクシミリアンは何かを思い出したように言葉を発した。

「何かしましたか? 殿下」

「名前を聞いてなかった。なんていうんだい?」

「ジャコブと申します。巷では風穴のジャコブと云われていますよ」

「なるほど覚えておくよ。……最後にもう一つ」

「注文が多いですな」

「実は朝から何も食べてないんだよね。何か食べさせてよ」

「……分かりました。おい、お前、厨房にひとっ走りして、何か持ってこさせろ」

 ジャコブはそう言って、ヤクザ者数人を走らせた。






                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンを見送るしかなかったクーペとフランシーヌは、一度、屋敷から撤退する事を決めた。
 屋敷から脱出した二人は、途中、密偵団員5人を合流、その内2人を屋敷の監視用に残し街中に消えていった。

「あの、えっと、ミスタ……で良かったのかしら? ミスタ・クーペ?」

「ええ、結構でございますよ、ミス・フランドール」

 傍から見れば貴族の令嬢とお付のメイドの関係だった。

「それで、ミスタ・クーペ。これからどうするのですか?」

「まずは市内の暴動を鎮圧しましょう。その際に力を借りたい人たちが居まして、これからその人たちの所へ向かいます。上手くすれば殿下救出にも力を貸してくれるかもしれません」

「その人たちって、どの様な人たちのですか?」

「ミス・フランドールも、よくご存知でしょう。マダム・ド・ブランの皆さんですよ」

「マダム・ド・ブラン……ですか? たしか最近急成長した所と聞いていましたが……」

「まあ、詳しい話は道すがら説明しましょう」

 密偵団員を含めた5人は騒然とする街中を進んだ。



 ……しばらく街中を行くと、フランシーヌはモクモクと空へと昇る黒煙を見た。

「煙? 火事かしら?」

 フランシーヌは黒煙の昇る方向を指差した。

「あらら、あの方向はひょっとしたら……」

「なにか心当たりでも?」

「ええ、あの方向はアルデベルテ商会の方向ですよ」

「ええっ!? 一体何が……」

 驚くフランシーヌ。だが、クーペは何処かこの状況を予想していたようだ。

「アルデベルテ商会が、この街の縫製職人から恨みを買っていたのは、知っていますよね?」

「はい、聞きました」

「この暴動のドサクサに紛れて、商会を襲撃したんでしょうね」

「だとしたら……」

 フランシーヌは思わず息を呑んだ。
 この反乱を画策した、男のあっけない末路にやるせなさを感じたのだ。

「いきなりですが、予定を変更してアルデベルテ商会まで行きましょう。生きていたら身柄を確保したいので……」

「裁判にかけるつもりかしら?」

「いえ、アルデベルテの弁舌の才は、是非とも欲しいと常々思っておりまして。身柄を確保したら殿下に推挙しようかと……」

「黒幕を味方に引き入れようって言うの!?」

 元凶を生かし、あまつさえマクシミリアンの家臣にしようと画策するクーペに、フランシーヌは不信感を顕わにした。

「殿下も、同じ事をお考えなさると私は思っていますがね。要は優秀か否かの違いでしかありません」

「だ、だからと言って……」

「ミス・フランドールも殿下のご寵愛を受けたいのでしたら、それなりに有能でなくてはいけません」

「……それとこれとは」

 論点をずらされたフランシーヌは顔を真っ赤にして俯くしかなかった。




 黒煙の昇る方向へ走ると、燃え盛る建物を群集が取り囲んでいた。
 更に群集が固まっている方向を見ると悲鳴の様な声が聞こえた。

「どうやら、アルデベルテ氏は生きているようです。早く助けましょう」

「……その様ですね……悪運の強い奴」

 フランシーヌは不穏な事を言っていた。

「よし、スープクラウドを」

 クーペが命令すると、3人の密偵団員が一斉にルーンを唱え始めた。
 たちまちスリープクラウドの雲が発生し、群集の周りを漂う。

「ん?」

「なんだこれ!?」

「うう、眠くなってきた」

 3人のスリープクラウドで群集はバタバタと倒れ、残されたアルデベルテは虫の息ながらも生きていた。

「彼に水の秘薬を」

「分かりました」

 団員がテキパキをアルデベルテに治療を施した。

 それに対して、アルデベルテに思うところのある、フランシーヌは遠巻きから見ているだけだ。

「おい! おまえら、なに勝手な事してんだ!」

「コイツは八つ裂きにされたって、文句は言えないんだよ!」

 スリープクラウドの範囲外だった群衆たちがアルデベルテを奪還しようとして、たちまちクーペたちを取り囲んだ。

「……ど、どうしよう」

 フランシーヌは遠巻きから見ていたおかげで、巻き込まれなかったが、このままにしては置けない。

「もう一度、スリープクラウドで……」

 そう言って杖を取り出すと……

「ちょっと、お嬢さん。これは一体どういう事? どうして火を消さないの?」

 と、後ろから奇妙な声が聞こえた。

 フランシーヌは声の方向へ振り向くと、そこには背が低く奇妙な体系の女と5台ほどの鉄張りの馬車があった。


 

 

第二十一話 反撃の炎

 燃え盛るアルデベルテ商会を目指してやってきたフランシーヌたち5人は、市民にリンチに遭っていたアルデベルテを救出したが、逆にクーペたちは取り囲まれてしまった。
 そこに登場した、奇妙な女性は何者であろうか?

「貴女はたしか……」

 奇妙な女は身体を揺らしながら、フランシーヌの前までやって来た。

「お嬢さん! 早く火を消さないと、周りに燃え広がっちゃうわ!」

 小さくでっぷりした身体で、身振り手振りで表現する姿は実にコミカルでフランシーヌは思わず笑いそうになるが、ここはグッと堪える。

「そ、そうです! 申し訳ございません! 後ろの方達の力を貸して貰えないでしょうか?」

 フランシーヌは鉄張りの馬車に乗っていた、屈強な男達に助けを求めた。

「あの火事を消すのね?」

「あ、いえ、それも大切ですが、私の連れが危ない事にに囲まれてしまいまして」

「連れ……って、あの人たちの事かしら? 大丈夫みたいだけど?」

「ええっ!?」

 フランシーヌはクーペたちの方を見ると、そこには寝息を立てている群衆とクーペらが居た。

「あれっ?」

「ミス・フランドール。我々はこれでもプロですよ、そうそう平民に後れを取りません」

 そういって、パンパンと手の埃を払うクーペ。
 外見は可愛らしいメイドの姿だが、妙に様になっていた。

「おや、そこのご夫人はもしやド・ブラン夫人では?」

「そういう、貴女は誰かしら? 初対面じゃなくて?」

 奇妙な女性……ド・ブラン夫人は逆にメイド姿のクーペに尋ねた。

「申し遅れました。私はマクシミリアン王太子殿下直属の密偵頭、ジョゼフ・ド・クーペにございます。以後、お見知りおきを……」

 クーペは、礼儀作法を完璧にこなして自己紹介をした。

「あら、王子様の……それにジョゼフって言うから男なのかしら?」

「一応は男を名乗らせていただいております」

「それじゃ、女なの?」

「いえ……『付いている日』もあれば『付いてない日』もございます。

「……性別不詳で通したいのね。まぁいいわ」

「理解していただきありがとうございます」

 二人の奇妙なやり取りを外野で見ていたフランシーヌはハッと正気に戻った。

「ああっ!? あのっ、火事を……火を消さなくて良いんですか?」

 その一言で周りの者達も正気に戻り、それぞれ道具を持ち寄ってアルデベルテ商会の火事の消火活動を始めた。




「市内の暴動なら私達が鎮圧したわ」

 消火活動を終え、次の暴動鎮圧の為の力を借りようと、ド・ブラン夫人に話を持ちかけると『鎮圧した』と、答えが返ってきた。

「おや、それは手間が省けました。お疲れ様でした」

「なんてこと無いわ。私達の街ですもの」

 フフンッ! と、ド・ブラン夫人は鼻息荒く胸を張った。

「折り入ってド・ブラン夫人にお頼みしたい事がございます」

 クーペはマクシミリアン救出の助力を願い出た。

「まぁ! 王子様が!? ……分かったわ、協力しましょう」

 そう言ってマクシミリアン救出を承諾してくれた。

 クーぺたちは、ド・ブラン夫人に紹介されたラザールと供に、マクシミリアン救出の作戦を練り始めた。
 ……日は西へと傾き夜が迫っていた。




 ……日は落ち、夜がやって来た。

 10人の増援は予定より早く到着し、クーペの指揮下に入っている。

 そして、フランシーヌたちはド・フランドール伯の屋敷にカチこむ為、ド・ブラン夫人の用意した馬車に乗り込んでいた。

「増援が来たとしても、密偵団員と私達、そしてド・ブラン夫人の私兵を合わせて50人程度、それで大丈夫なのかしら……」

 フランシーヌが心配そうにつぶやくと、向かい側に座っていたド・ブラン夫人が前を走っている鉄張りの馬車を指差した。

「大丈夫よ、ほら、あの鉄張りの馬車には、うちのラザールが作った色々な道具が入っているの」

「ラザール……さん……ですか? 一体どういう人なんです?」

「そうね……平民だけど独学で字を覚えた程の頭脳の持ち主ね。時々、よく分からないものを発明したり、道を歩いていたら、突然、地面に数字を書いたりして……チョメチョメと天才は紙一重って奴ね」

「は、はぁ……」

 フランシーヌは何と言ってよいか分からなくなり、米神辺りから汗を垂らして相槌を打った。

「あの馬車にはどういった物が乗っているんですか」

「火薬の詰まった細長いものよ。火をつけると飛ぶのよ」

「そのラザールさんはどうしてそんな物を作ろうと?」

「そう言えば、前に言っていたわね」

「何をですか?」

「何でも子供の頃、火薬の詰まった柱とそれを積んだ、馬を使わず進む馬車を見た事あるって」

「馬を使わない馬車って……どうやって進むのかしら」

「ラザール本人もどうやって進んだのか分からないって言ってたわ」

「フネみたいに、風に乗るのかしら?」

「さぁ? しかも、火薬の詰まった柱を荷台に積んでいて、その柱は火を噴いて飛んでオーク鬼を一撃で粉砕したって」

「火を噴いて飛ぶ柱って……」

 ついに許容範囲を超えたラザールの話に……

(狂ってるのかしら……)

 と、フランシーヌは、思わずそう評した。

「でも、その出来事が切欠でこっちの道に進んだって言ってたわ。いつの日か、その馬車と同じ物を作るって息巻いてたわ」

「あの鉄張りの馬車が、目標の馬車って事なのですか?」

「ラザールは『あんな物じゃなかった』って、言ってたけど、私としちゃ十分凄いと思うわよ」

「どういう物なのでしょう?」

「そこ答えは屋敷に仕掛ける時まで取っといて。それよりも……」

 ド・ブラン夫人はフランシーヌの全身を嘗め回すように見た。

「なな、何か?」

「貴女、スタイル良いわね。どう? 今度、私の新作のモデルになる気はない?」

 と、フランシーヌをスカウトしだした!

「モデルッ!? ……モデルって何ですか?」

「フフン、モデルっていうのはね、衣服や装飾品を身に付けて人前に出て、着ている衣服や装飾品を買って貰えるように世間に売り込む為の職業よ。で、どう? やってみる気ある?」

 ド・ブラン夫人は鼻息荒くフランシーヌに詰め寄った。

「え、でも私、人前に出るのはちょっと……それに私、身体が大きすぎてサイズに合うのが有るかどうか……」

 と、コンプレックスを刺激され消極的に拒絶するが、ド・ブラン夫人は何処吹く風だ。
 
「……君は実にバカだな。身体が大きいってことは恥じるような事じゃないのよ?」

「14歳で180サント越えなんて……」

 フランシーヌはこのやり取りをしながらマクシミリアンに励まされた事を思い出していた。

(マクシミリアン殿下も同じように励ましていただいたけど……)

 再びド・ブラン夫人にも励まされた事で、わずかだが自信に繋がった。

「関係ないわよ。綺麗なのは正義なんだから」

「あの……ちょっと考えさせて下さい」

「そう、分かったわ。私はピッタリだと思っているし自信も付くから、良い返事を期待してるわね」

「はい」

 などと一人足りないが二人が姦しく喋っている一方、御者台ではメイド姿のクーペとラザールが乗っていて、手綱はクーペが持っていた。

「ああいう事、言ってますが本当の事なんですかね?」

「少々、誇張がありますが概ね奥様の言う通りです」

 車内の会話はまる聞こえだった。

「でも、面白い話ですね。馬を使わず進む馬車に火を噴いて飛ぶ柱でですか……ふむ」

「こんな与太話を信じておいでですか?」

「夢や与太話で済ますには、あの鉄張りの馬車は大掛かり過ぎる。で、実際どういう状況だったんですか? 是非、聞かせて欲しいですね」

「先ほどの奥様の話と大して変わりませんよ。子供の頃、故郷の村でオーク鬼が群れで出たって話で……」

 ラザールは、例の謎の馬車の事について話し始めた。

 ラザールが子供の頃、故郷のカルノ村の森でオーク鬼が多数目撃されたと噂になった事で、オーク鬼を恐れて森へキノコや木の実といった食料を採りに行けなくなり、村全体が困窮するようになってしまった。
 ラザール少年は、家族に良いものを食べさせたいが為に、森の中に足を踏み入れ不思議な体験をした。
 森の中をしばらく歩き、そして見たものは、鉄で出来ていて馬で引いても居ないのに前に進む奇妙な馬車と、10を超えるオーク鬼の群れだった。
 奇妙な馬車に襲い掛かるオーク鬼たちに、荷台に積んであった見た事も無い装置から、甲高い音を立てて棒のような柱のような細長いモノが飛び出すと、オーク鬼目掛けて殺到し大爆発を起こした。
 オーク鬼の群れは文字通り粉砕されて森に静寂が戻った。
 呆然としていたラザール少年を尻目に、奇妙な馬車は何処かへと去っていって、その後の行方は知れない。

 その後、村へ戻ったラザール少年は大人たちに森での出来事を語ったが、誰にも信じて貰えず逆に嘘つき呼ばわりされてしまった。
 あの日の出来事が忘れられないラザール少年は、『信じて貰えないなら自分で作ろう!』と、村で唯一、字が読める村長に懇願して字を教えて貰い、独学で勉強をはじめるようになった。
 
「その後の事は、敢えて言うまでもないでしょう。奥様に見出されて、マダム・ド・ブランの発展に貢献するようになった」

「なるほど、実に面白い」

「信じるおつもりですか?」

「信じるに足る、実力をお持ちになった。そこで相談があるのですが、ミスタ・ラザール、マクシミリアン殿下の下で働いてみませんか?」」

 案の定、勧誘を始めた。

「マクシミリアン殿下の下で……ですか。大変、魅力的ですが拾って貰った奥様に恩がありますので、よく考えてから返事を出したいと思っております……待ってもらってよろしいですか?」

「分かりました」







                      ☆        ☆        ☆








 日はすでに暮れて数台の馬車は、夜のアントワッペン市を疾走していた。

「奥様! ミスタ・クーペ! 前の方に大量のかがり火が!」

 ラザールの声で一同は緊張状態になった。

「おお~い! 俺達も連れてってくれ~!」

 敵かと思ったら、マクシミリアンが捕まったと聞いて居ても立っても居られなくなった市民100人程だった。

「あら、どうしようかしら?」

「ド・ブラン夫人、私としては少しでも数が多いほうがいい。彼らを参加させるのに賛成です」

「そう、分かったわ。参加を認めましょう」

「ありがてぇ!」

「俺達の手で、王子様を助けるんだ!」

『おお~!』

 そんな、やり取りをして市民達は馬車に続くように追ってきた。

 やがて、従う市民の数が徐々に増えて、1000人を超えるようになった!

「ずいぶんと増えましたね」

「でも、助かったわ、私達だけじゃ心もとなかったもの」

 フランシーヌとド・ブラン夫人が、車窓を開けて様々な歓声を上げる市民達を見て感想を述べた。
 そこに、クーペが車窓から顔を出した。

「屋敷から密偵が戻りましたよ」

「え? なにか状況が動いたの?」

「はい、報告は二つ。まず、人質の貴族の皆さんが開放されるみたいです。人質の半数が荷馬車に乗せられているのが確認されました」

「それは、良い報告……と、言って良いのかしら」

「盾にされるよりはマシでしょう。それと、もう一つ、これは悪いニュースですが、向こうの兵隊はヤクザ者だけかと思っていましたが、それとは別にヘルヴェティア傭兵を100人以上雇ったみたいです」

「ヘルヴェティア傭兵?」

 フランシーヌの問いにド・ブラン夫人が答えた。

「ヘルヴェティア傭兵っていうのはね、ゲルマニア南西部の山岳地帯ヘルヴェティア辺境伯領が、外貨を稼ぐ為に行っている輸出産業のことよ」

「輸出産業? 人を輸出しているんですか?」

「そう、ヘルヴェティア辺境伯領は、山々の間にある高地地帯なものだから農業は余り発達してなくてね、外貨を稼ぐ為にゲルマニア皇帝から許可を得て傭兵として外国に出稼ぎに行ってるのよ」

「メイジが出稼ぎをしているってことですか?」

「そういう事ね、精強だけど普通の傭兵の5倍以上は費用がかかるって言うわ」

(そんな、ヘルヴェティア傭兵が100人も……)

 フランシーヌは思わずうつむいてしまった。

「風穴のジャコブも居るし、無謀なんじゃ……」

 と、弱音を吐いてしまう。

「今更、弱音を吐いても仕方が無いわ、もう後戻りは出来ない、行くところまで行くしかないのよ」

 ド・ブラン夫人はフランシーヌを叱咤した。

 一方、クーペとラザールは救出作戦の修正を協議していた。

「市民1000人で屋敷に雪崩れ込んでも、ヘルヴェティア傭兵に蹴散らされるのがオチですね」

「ミスタ・ラザール。なにか策はお有りで?」

「正面からぶつかっても勝ち目は無いですから……それに1000人の市民が逆に機動性を重くしている。」

「それならば、二手に分かれましょうか? 屋敷を包囲する部隊と潜入する部隊に」

「妥当な所でしょう。ミスタ・クーペが潜入部隊、我々が包囲部隊……と、いったところでしょう」

「分かりました……それと、人質の皆さんの事ですが、お任せしてもよろしいでしょうか?」

「気位の高い貴族様の相手をですか。正直、勘弁願いたいですね」

 ラザールは不満気だ。

「貴族の相手なら私に任せて、ラザールは指揮に専念して」

 ド・ブラン夫人が窓から顔を出し協議に加わった。

「あ、あの! 私も! 私も連れてって下さい!」

 フランシーヌもひょっこりと顔を出した。

「本当にいいの? 場合によっては貴女の屋敷もただでは済まないでしょ?」

「それに兄君の事も……」

「心配無用です。こうなってしまってはド・フランドールの家を失う事も覚悟の上です」

「……分かりました。ミス・フランドールは潜入部隊として密偵団と同行していただきます」

 一同は頷きあった。





 


                      ☆        ☆        ☆





 ド・フランドール伯の屋敷では、人質の貴族達が馬車に乗せられていた。

「痛い痛い、もう少し優しく乗せてくれたまえ」

 痛がる貴族を無理やり馬車に乗せた。

「それで最後だな」

「なぁ? 本当に開放していいのか?」

「心配ねぇよ、王子を捕まえれば他の連中は用済みだって、お上の連中が行ってたしな!」

「用済みって、まさか! 私達を殺すつもり!?」

「なんて奴だ! 殿下との約束を破るのか!」

 ヤクザ者の話を聞いていた、貴族達が騒ぎ始めた!
 反抗しようにも、貴族達は手足を縛られ荷馬車の荷台に放り込まれた状態なため、それもできない。

「だが、王子との約束もあるからな、生きて帰れるかはお前達の運次第だ。おい、やれ!」

「ハハッ」

 解放の指揮を取っていたジャコブが指示を出すと、ヤクザ者らが大量の麦わらを馬車に積まれた貴族達の上に積み始めた。

「これはいったい何の真似だ!」

「ただ、殺した後、解放するのでは芸が無いからな、麦わらに火を放って燃やした状態でお前達を解放すれば、きっと、賑やかな事になるだろう」

 貴族達の顔から血の気が失せた。

「なんて奴だ!」

「馬鹿め! 人質をすんなり解放するものか!」

 ジャコブは杖を手に取ると、同時に市内の方向から一発のファイアー・ボールが闇夜へと昇っていった。

「何だ!?」

「わ、分かりません!」

 この一瞬の隙を突いて、何者かが茂みから小瓶のようなものを放り投げた。
 放たれた小瓶が石畳で割れると中に入っていた液体が大量の煙幕を発生させた。

「何だと!?」

 ジャコブたちが煙幕に戸惑っている隙に、何者かは荷馬車の御者台へ飛び乗るとすぐさま発進させた!

「そう易々と逃がすか!」

 ジャコブは杖を振るい『ウィンド』を唱え、煙幕を払おうとしたが、どういう訳かウィンドに吹かれても煙幕は掻き消される様な事にはならなかった。

「何なんだ!? この煙は!」

 謎の人物、言わずもがな密偵団員が投じた小瓶は、マクシミリアンが開発した煙幕の秘薬で、よほど強力な風でないと掻き消えるような事はない特殊な煙幕だ。

 煙幕のせいで、混乱したヤクザ者達は四方に発砲し、同士討ちを始めてしまった。

「撃つな! 止めろ!」

 ジャコブが怒声を発し同士討ちを止めている内に、荷馬車は悠々と去っていった。
 そして、煙幕を発生させる液体も全て無くなった事で、ようやく煙幕も晴れた。

 だが、攻撃の手は止まる事はない。

「あれは!?」

 一人のヤクザ者が空を指差すと、そこには100を下らない大量の発光体が甲高い音を立てて屋敷目掛けて降り注ごうとしていた。

「ファ、ファイアー・ボールの一斉発射!? トリステインの援軍が到着したのか?」

 ジャコブは思わずつぶやく。

「くっ! 戦闘準備だ! 傭兵の連中を呼んで来い!」

 指示を飛ばし、物陰に隠れると、空から降り注ぐ発光体がついに着弾、小爆発を起こし屋敷の一部を燃やし始めた。

「ファイアー・ボールではない!?」

 ファイアー・ボールと思われた発光体の着弾点へと足を進めると、火薬の臭いが漂い、何かの燃えカスが散らばっていた。
 これこそ、かつてラザールが見た物を見よう見まねで再現した、ハルケギニア版多弾装ロケット砲だ。
 しかし、肝心の威力はというと、オモチャのロケット花火を少々強力にした程度に過ぎない。

「また来るぞ!」

 その言葉で、ハッとなったジャコブは再び物陰に避難すると、所々で爆発炎上し何人かのヤクザ者も巻き込まれていた。

「これじゃ、どうする事もできないぞ」

 そう言って、屋敷を見るをジャコブに、ハッと気付かせるものがあった。

「屋敷のほうには火の手は少ない、もしやこのファイアー・ボールもどきは囮で本命は王子奪還か!?」

 そう、答えを得るや否や、ジャコブは屋敷内へと駆け出した。




 

 

第二十二話 アントワッペン市街戦・前編


 時間は少し遡る。

 ジャコブに投降したマクシミリアンは、ヤクザ者たちに連れられて、二階の大広間の様な大き目の部屋に来た。
 そこには、ド・フランドール伯を始め、いかにも『裏社会の重鎮』と、いった者達が揃っていた。

「また、お会いしましたね、ド・フランドール伯。彼らが貴方の言う大切なお友達ですか?」

「よくもまぁ……ぬけぬけと!」

 『重鎮』の一人は、顔を歪ませた。

「マクシミリアン殿下、我々としては手荒な事はしたくないのですが、こうも好き勝手をやられると看過して置けません」

「どうするつもりだい?」

「この中に入っていただきます」

 パチンと、指を鳴らすと一人のヤクザ者が部屋の隅っこに有ったシーツを引っ張ると、そこに現れたのは、1メイル程度の小さな檻だった。

「……僕は獣かい?」

 さすがのマクシミリアンも米神をヒクヒクさせた。

「殿下が悪さをしないためです。さ、お入り下さい」

「分かったよ」

 マクシミリアンはため息をついて、檻の中に入った。

「やれやれ」

 と、マクシミリアンが檻の中で胡坐をかいていると、ヤクザ者が料理を持ってやって来た。

「どうした。だれも食事を頼んでないぞ」

 重鎮の一人が言うと、マクシミリアンが

「ああ、僕が頼んだ」

 と、答えた。

 室内では舌打ちの大合唱が聞こえる。

「さて、いただきます」

 重鎮達から嫌味たっぷりの視線を受けつつ、マクシミリアンは料理に手を付けた。
 献立は、温めたシチューにプレーンオムレツと白パン2個、水をコップ一杯だけだ。

「オムレツは好物なんだ」

「そうですか、良かったですね」

 あまりのふてぶてしさに、ド・フランドール伯も呆れ顔だ。
 マクシミリアンはナイフとフォークでオムレツの解体を始めると、ナイフに妙な手ごたえを感じた。

(……おや?)

 他の連中にばれないように、異物を検めると、オムレツの中か紙が出てきた。
 紙に書かれた内容は、これから起こる反抗作戦の詳細が簡単に書かれてあった。
 おそらく、密偵団が料理の中に混ぜたのだろう。

(……むぐぐ)

 マクシミリアンは証拠隠滅のため作戦書を食べ物と一緒に飲み込んだ。
 そして、水で流しこみ何食わぬ顔で他の料理に手を付けた。

 結局、この行動は不審に思われることは無く、マクシミリアンは反抗作戦開始まで待つことにした。


 ……


 ……待つこと数時間。
 重鎮達は、しばしば檻に入ったマクシミリアンを興に入った目で眺めていた。

「檻に入った僕は、そんなに珍しいかい?」

「トリステインの長い歴史の中で、檻に入れられた王子なんて聞いたこと無いですよね? ひょっとしたら初めての快挙なのでは?」

「悪趣味だな」

「お褒めに預かり恐悦至極……」

「ちぇっ」

 などと、嫌味合戦をしながら時間とつぶしていると、その時がやって来た。

 パンパンパンと、破裂音が何度も聞こえ屋敷周辺が騒然とし始めた。

「何の騒ぎだ?」

「どうした!?」

「お前ちょっと聞いて来い」

 大広間でも外の騒ぎが漏れ聞こえたのか、騒ぎになり始めていた。

(さて……オレもそろそろ動くか)

 マクシミリアンは一つ深呼吸すると、フォークを逆手に持って自分の左腕に突き刺した!

「お……おい、何やってんだ!」

「気が狂ったか!?」

「止めろ止めろ!」

 突然の行動に重鎮達はマクシミリアンの正気を疑った。

 ザクッザクッと、目じりに涙を溜めながらフォークを突き立てた。もう左腕は血まみれだ!
 そして、マクシミリアンは指を傷口に突っ込むと何かを引き抜いた。

「ああっ!?」

 左腕の中から引き抜いたもの。
 ……それは、タクト型の杖だった。
 マクシミリアンは投降する前に自分の杖を左腕の中に埋め込んでいたのだ。

「狂ってる!」

 唖然とする重鎮の一人は、率直な感想を言った。

「僕もそう思うよ。けどね、お前らの裏をかくには正気じゃ駄目なのさ」

 ヒーリングで左腕を治しながら言った。

「そして!」

 マクシミリアンは杖を振るうと、突如、室内に突風が吹きすさび、室内の調度品を滅茶苦茶にし、全ての窓ガラスを粉砕、ド・フランドール伯を含めた重鎮全員が壁に叩きつけられた。

「こんなふざけた反乱。とっとと終わらせるべきなのさ」

 『アンロック』で檻を開け、悠々と外に出ると、扉のところに風穴のジャコブが立っていた。

「やってくれましたな殿下。まんまと騙されましたよ」

「たしか、ジャコブだったか」

「覚えて御出ででしたか……それよりも」

 ジャコブはチラッと、壁に叩きつけられてノビている重鎮たちを見た。

「見事な『ストーム』ですな」

「ストーム? フフ、ちがうな!」

「?」

「さっきのは『ウィンド』だ!」

 啖呵を切ったマクシミリアンに、ジャコブはフハッと噴き出すと楽しそうに杖を向けた。






                      ☆        ☆        ☆





 ……所変わって。

 ド・フランドール伯の屋敷と市街地との間には大きな広場がある。

 ラザールが取った作戦はヘルヴェティア傭兵やヤクザ者達を遮蔽物の広場に誘き寄せ、クーペたち潜入部隊の屋敷内の活動を容易にする事が一つ。
 もう一つが、傭兵らを遮蔽物の少ない広場に誘き寄せ、自分達は住宅や鉄張りの馬車などを陣地化させて、陣地防御によって敵の数を減らしておく計画など。
 そして最後に、陣地を蜂起した後、狭い路地裏に誘き寄せゲリラ戦で疲れさせ包囲殲滅する事などの三項目を作戦に採用した。

「ミスタ! 『蜂の巣』は弾はこれで最後です!」

「ミスタ・ラザール、近隣住民の全員退去、終わりましたよ」

「ご苦労様、今度は罠を仕掛けるのを手伝ってくれ」

「分かりました」

 そう言って、去っていく市民達。
 ちなみに『蜂の巣』とは、ラザールが作った、ハルケギニア版多弾装ロケット砲の事で蜂の巣に似ていた事から名づけられた。

「後ろから出るガスに注意しろ」

「撃て!」

 『蜂の巣』のロケット弾十数発が、甲高い音を立てて、空へと昇っていく。
 空は厚い雲で双月の光は地上へ届かず、市内は真っ暗闇で『蜂の巣』のロケット弾の爆発で発生した炎が唯一の光だった。
 
「ミスタ・ラザール、話がしたいという連中が来てるんですが」

「話を? 何と言ってるんだ?」

「分かりません。ただ、責任者に会わせろと……どういう用件か聞いても、とにかく合わせろの一点張りで」

「この忙しいときに……分かった、とにかく会おう」

 ラザールが持ち場を離れ、会いたいという連中に会ってみると、10人程度の男達がラザールに詰め寄ってきた。

「お前が関係者か! お前は一体何を考えてるんだ! 俺達は王子様を助ける為に手を貸したんだ! なのに何でこんな所で油売ってるんだ!!」

 いきなりまくし立てられた!
 要はさっさとマクシミリアン奪還のために屋敷に突入すべきだ! という用件だった。
 戦略戦術が分からずに情熱だけで参加した市民たちに、ラザールはなるべく分かりやすく作戦を説明したが、理解できないのか市民達は不満げだ。

「相手はメイジです。メイジの恐ろしさは皆さんがよく知っている事でしょう? ですから作戦成功の為にも皆さんの力が必要なのです。王子様奪還の為にもどうか私の指示に従ってください」

 ラザールは重ねてお願いした。
 市民達も『もう一押し』と、いった感触だったが、ここで凶報が届いた。

「ラザールさん! 敵が来ましたよ!」

 息せき切って男がやって来た。

「……他の皆に戦闘準備を。それと皆さん、どうかよろしくお願いします」

「……ああ」

 文句を言いにきた連中は不承不承で頷き戻ったものの、不安を残しながらラザールは持ち場に戻った。








                      ☆        ☆        ☆





 暗闇の中で、今まさに戦闘が始まろうとしていた。
 指揮所代わりに借りた、二階建ての宿屋の屋根裏部屋にラザールは戻った。
 ここならば、戦場になる広場が一望できる。

「どうでしたか? どのくらいの数がいましたか?」

「それが……予想では100か200ぐらいと聞いていたんですが、それ以上の人影が見えました」

「まだ敵は戦力を隠し持っていたのか?」

 ラザールは唸った。
 その時、暗闇の先で何かが動いた。

「何か来る!」

「戦闘配置は?」

「完了しています」

 やがて夜目が利いてくると、敵の姿が分かるようになった。

「あれは……」

 ガチッガチッと、規則正しく行進する敵の姿はというと……

「ゴーレムだ! 人間と同じくらいの大きさのゴーレムが……500以上は居る!?」

 ヘルヴェティア傭兵が作り出した人間大の鉄製ゴーレムが500~1000体、戦列を組んで行進してきた。
 ゴーレム一体一体のデザインは違うが、全てのゴーレムに5メイル以上の長大な槍『パイク』を持たせていた。

「ゴーレムが多すぎる! ミスタ! あのゴーレムは術者を殺れば消えるんだよな!?」

 狙撃手役の男がマスケット銃を片手に効いてきた。

「おそらくは……ただ、この暗闇では誰が誰だか分からない」

「ん? あ! あいつら!」

 狙撃手役の男が声を上げ指差した。
 指先の向こう側には、市民兵100人程がゴーレムに突撃をかけ様としていた。
 その中に先ほど、ラザールに文句を言いにきた男たちも含まれていた。
 いや、むしろこの暴走を先導していた。

「何を勝手な事を! 今すぐ連れ戻すんだ!」

 しかし、時すでに遅し。
 突撃を察知したゴーレムたちは陣形を密集方陣に変えた。

 大量の槍衾に守られたヘルヴェティア傭兵に、真正面から突撃した市民達。
 先頭を走っていた一人の市民が、大量の槍衾に怖気づき足を止めてしまった。
 人は急に止まれない……なんて言葉があるように、後続の市民に押された形になった男はそのままパイクに串刺しになって死んだ。
 その後も、ある者はパイクで叩かれ死に、ある者は突かれ死んでいった。
 辛うじて生きながらえた者達も逃げる途中に、密集方陣の内側からのファイアー・ボールやエア・カッターで死んでいった。

 援護をしようと、屋根裏部屋からマスケット銃を方陣の内側に向けて放ったが、内側はエア・シールドに守られ効果を得なかった。
 外側は鉄製ゴーレムでガッチリと固めて内側のメイジたちへの侵入を防ぎ、状況に応じてヒーリングやエア・シールドなど魔法を駆使して補助する。
 彼らヘルヴェティア傭兵の中に勇者は居ない、ここで言う個人は組織という名の機械の歯車の一つでしかない。
 この鉄壁の布陣を前に暴走した市民は皆殺しにされ、メイジの放ったフレイム・ボールが次々と家屋やバリケードを燃やし破壊した。

「……」

「……」

 この一方的な光景に屋根裏部屋には沈黙が落ちた。

「やはり、メイジに勝つのは無理だ」

 ポツリと誰かがつぶやいた。
 この言葉が次々と伝染して行き見る見るうちに士気が下がっていく。

「みんな、戦いは始まったばかりだ。それに、あのヘルヴェティア傭兵の陣形に、何の備えも無く情熱のまま突っ込んだ彼らはハッキリ言えば愚かだ! だが、私は違う、あの陣形を破る方法を知っている、諦める前に私に指示に従って欲しい」

 ラザールの鼓舞で辛うじて崩壊は回避した。

「で、あの陣形を破る方法とは?」

「大して難しい事じゃない。あの広場だからこそあの陣形を張る事ができたんだ、陣形を張る事ができない路地裏に誘い込む。つまりは作戦の第三段階に移行するように各部署に通達を、バリケードは誘引用意外は放棄を」

 ラザールの言葉に活気を取り戻すと、市民達は伝達のために各部署へ散って行った。

 まだ戦いは始まったばかりだ。






                      ☆        ☆        ☆






 ド・フランドール伯の屋敷から脱出した、貴族達を積んだ荷馬車は降り注ぐロケット弾を、避けるように進路を取り無事に安全圏に退避した。

「皆様、大変ご苦労様でした」

 応対したド・ブラン夫人はユーモラスに一人一人に声を掛けた。
 気位の高い貴族の逆鱗に触れないように言葉を選ぶ。

「皆様の杖も取り戻しておきました……」

 奪われた杖を返した。

「まったく、あの不届き者ども……どうしてくれようか。後で首を切ってくれよう」

「それよりも、早くお風呂に入りたいわ」

「そうだな、なにかワインに合うものを食べたいな」

 死の危険から遠ざかった事で、好き勝手な事を言い始めた。

 一人の少女を除いては……

「ちょっと! ちょっと待ってよ!」

 少女が貴族達に言い寄った。

「今、マクシミリアン殿下を助ける為に民衆が命を賭けて戦っているのよ! それなら、貴族である私達も彼らに協力すべきよ!」

 声を荒げた少女は、マクシミリアンに命を助けられた少女ミシェルだった。

「この娘は何を言っているんだ?」

「この者はマクシミリアン殿下にお声を掛けられた少女では?」

「まあまあ、彼女はマクシミリアン殿下に直接お声を掛けて頂いた事で舞い上がっているのでしょう」

「若い者は、何かと新し物好きですから。殿下のあのような言葉を本気にしてしまったのでは?」

「まったく、殿下にも困ったものだ」

「まったくです」

 ベラベラと喋る貴族達に、ミシェルはわなわなと震え、その怒りは頂点に達した。

「貴方達は……貴方達は一体今まで何をやってたんですか!」

「いきなり何を……」

「さっきまでは、殿下の前では神妙そうに話を聞いていたのに! あれは嘘だったのかっ!!」

 ミシェルの言葉に徐々に剣呑になる貴族達。

「何処の木っ端貴族の娘か分からんが、無礼な!」

「何が無礼なもんか!」

「お嬢さん、そういう口の利き方は良くないよ」

 口の利き方をたしなめられながらも、ミシェルは民衆を助けようと説得をしたものの、多勢に無勢だった。

「……もういい! こうなったら私一人でも助けに行く!」

 痺れを切らしたミシェルが単騎での突撃を言い出した!

「え!? ちょっと待って」

「もう待たない! そこの人! 空いている馬か何か有りませんか?」

 ミシェルはド・ブラン夫人に聞いた。

「そうねえ、あの馬なんかどうかしら?」

 そう言って、馬小屋に繋がれている、数頭の馬を指差した。

「ありがとう!」

「けど、お勧めしないわ。死にに行くようなものよ?」

「こういう時こそ貴族の真価が問われるのよ。このまま民衆を見捨てたら貴族を名乗る資格は無いわ!」

「ちなみに馬には乗れるの?」

「たしなみ程度に!」

「そう、分かったわ。それと私も行くから」

「その身体で乗れるんですか?」

「貴女の後ろに乗せて貰うわ」

 身長が130サントぐらいででっぷりした身体では馬には乗れない。

「分かりました」

 手ごろな馬を引いてきたミシェルは、卸したてのドレスのスカートの裾を破って馬にまたがった。
 ド・ブラン夫人は杖を出してレビテーションで浮かびミシェルの後ろに乗った。

「僭越ながら、私めも連れて行ってはいただけませんか?」

 声を上げたのはマクシミリアン付きの執事セバスチャンだった。
 セバスチャンは前装ピストル2丁と銃剣を付けたマスケット銃で武装していた。

「心強いわ、ミスタ」

「失礼ですが、鉄砲を撃った事は?」

「若い頃はメイジ殺しとして、それなりに名前を売っていましたので力になれるかと……」

 そう言いながらセバスチャンも馬小屋から馬を引いて来た。

「分かりました、おねがいします……マクシミリアン殿下のお言葉が心に響いたのなら私に続け!」

 ミシェルは杖を天高く上げて叫んだ。

「民衆を救う事に古いも新しいもない! 貴族としての義務を果たすまでだ!」

 ミシェルの演説に心が動いた貴族が一人二人と現れた。

「ありがとう……行こう! 民衆を救う為に!」

 ミシェルとド・ブラン夫人を乗せた馬は駆け出す。
 それに続くセバスチャンと一部の貴族達……空はまだ暗いが少しづつ白みがかってきた。

 後に、マクシミリアン旗下で猛将と名を轟かす、ミシェル・ド・ネルの若き日の姿があった。

 

 

第二十三話 アントワッペン市街戦・後編

「軍師殿、追撃しようと思うんだが」

 ヘルヴェティア傭兵の本陣では、雇い主である重鎮の一人が追撃の相談をしていた。

「どう思う? アントワーヌ」

「わざわざ、不敗の陣形を崩すなんて馬鹿げてるよ、アンリ」

「うん、ぼくもそう思うよ、アントワーヌ」

『と、いう訳でボス。追撃はなりません』

 ヘルヴェティア傭兵の軍師、兄のアントワーヌ、弟のアンリの優男風のジェミニ兄弟は双子の特殊能力なのか見事にハモり、重鎮の案を否定した。

「なぁ!? 何故だ!?」

『陣形を崩すのは大変危険です』

「だが、相手は所詮平民だ、押し切れば問題なかろう」

 自身も平民なのを棚に上げて重鎮は言った。

『あの、ファイアー・ボールもどきの事もあります、平民と侮って力押しすれば痛い目を見る事になるやも知れません』

 長文も見事にハモった。

 普通なら傭兵隊長と呼ばれる者が傭兵らを指揮するはずだが、たまに傭兵を指揮して将軍気分を味わいたい雇い主が居た。
 そういう場合は軍師役の人物を同行させ、その軍師に様々な助言や編成、補給の手配など、その他諸々を行わせていて、その場合の費用は数倍高く設定されていた。
 これが割りと好評で、軍事に無知な雇い主は大抵、軍師の助言をそのまま取り入れた。こういう雇い主は傭兵にとってはありがたい存在で懐的にも美味しい相手だったが、下手に軍事をかじった雇い主は危険な存在だった。
 何かと自分の描いた戦法で戦いたがる雇い主のヘソを曲げさせないようにするために、軍師役には戦略や戦術以外に弁舌の能力が必要不可欠だった。

 しかし、ジェミニ兄弟は
戦略や戦術は超一流なのだが肝心の弁舌は壊滅的に駄目だった。

『そういう訳で陣形を崩すのは駄目です』

「……ぐぬぬ」

『何ですか? 分からないんですか? 1から10まで説明しないと駄目ですか?』

 プルプル震える重鎮を、再三なじるジェミニ兄弟についに我慢の限界が来た。

『ですが、我々に良い案が……』

「うるさいわっ! おっおのれーっ! ……クビだぁー! クビッ! クビィーッ!」

 ついに爆発した重鎮はクビをジェミニ兄弟に告げた。

『あっ』

 と、いう間に事態は急変した。
 クビになったジェミニ兄弟を置いて、ヘルヴェティア傭兵は陣形を崩し市内に突入した。

「また、やってしまったな、アントワーヌ」

「これからどうしようか? アンリ」

『はぁ……』

 ため息が漏れた。

「あ、そうだ、アンリ」

「どうしたんだい? アントワーヌ」

「聞くところによると、トリステインの王子は多少問題があっても有能なら雇ってくれるらしいよ、アンリ」

「聞いたことがあるよ、アントワーヌ」

『僕らを売り込みにいこうか』

 そう言ってジェミニ兄弟は屋敷の方向へ足を進めた。




                      ☆        ☆        ☆





 広場から去ったラザールたちは、ヘルヴェティア傭兵の追撃を今か今かと手ぐすね引いて待っていた。

「……さて、来てくれるかな?」

 ラザールは一人、明かりの無い部屋の中でつぶやいた。

「ミスタ、物見からの報告で、傭兵連中が来たそうです。陣形も崩しているようです」

「うん、それでは手はず通りに」

「はい」

 男は去っていき、再びラザール一人になった。

「上手くいってくれれば良いが……」

 ゆっくりと歩き窓を開けた。
 すると、暗い空の下、何処かの路地裏で閃光が走った。

「始まった!」

 ラザールは窓を閉め足早に部屋を出て行った。






                      ☆        ☆        ☆





 閃光が走り、数名のメイジが爆風で、壁に叩きつけられ動かなくなった。

「何があった!」

「分かりません、いきなり爆発して……」

 ジェミニ兄弟をクビにして市街地に突入したヘルヴェティア傭兵は、当初は何の抵抗も無く前進し続けた。
 しかし、迷路の様な市街地に気付かないうちに、兵力を分散していった。
 そして、先ほどの爆発でヘルヴェティア傭兵たちは悟った。

『自分達は罠にはまったのだ』

 だが、今更悔いても遅い。
 ヘルヴェティア傭兵は暗闇とトラップとゲリラ戦術の地獄の釜に放り込まれた。
 
 ……一方、別の場所では。

「誰かライトだ、ライトを使え、こう暗くちゃ何も分からん」

「了解だ」

 一人の傭兵がライトのルーンを唱えると、パッと、路地裏が明るくなった。
 だが、『それを待っていた』と、言わんばかりに、積まれた樽の影や塀の上や屋根の上などから銃撃やレンガ、家財道具が傭兵達へと降りそそいだ。 

「エア・シールド!」

「アース・ウォール!」

 傭兵達は魔法で防御してしのいだ。

「退け!」

 市民達はすかさず逃走した。

「逃がすな!」

「追え!」

 傭兵達も逃げる市民を追撃した。
 しかし、積まれた樽を通り過ぎようとすると、樽は大爆発を起こした!

「ぎゃああああ!」

「退けっ、罠だ!」

 数人は爆発に巻き込まれたり、別の数人は爆発で崩れた家屋の下敷きになった。

 こういった事は、路地裏のいたる所で起こった。

 ラザールの作った特製火薬にド・ブラン夫人がディテクトマジックを付加する事で完成した、この地雷はディテクトマジックの効力で人が近づくと作動する仕組みになっていた。
 主に樽や防火用の水桶などに中身を取り出し火薬を入れて地雷をすることにした。
 中には釘や針などを混ぜて即席の対人地雷にしたものもあった。

 街のあちこちで爆音が響き、メイジ相手に有利に戦えていた。

 ……しかし、数千年間、平民らを支配し続けていたメイジは、そう甘くは無かった。
 戦闘のプロは伊達ではないのか、緒戦の混乱から回復すると傭兵軍は徐々に反撃に転じ始めた。
 ファイア・ボールやフレイム・ボールが家屋を焼き、エア・カッターが逃げ遅れた市民を切り裂いた。
 そして、極めつけは……

「あれを見ろ!」

 一人の市民が窓から指を刺すと、そこには10メイル超の巨大なゴーレムが居た。
 ゴーレムはレンガ造りの家屋を次々と破壊して周り、家屋の中で待機していた市民も巻き込まれた。
 
「おい! 止めろ! 止めるんだ!」

 ゴーレムの足元辺りで重鎮が騒いでいた。

「こんなに壊したら、独立しても旨みが無いじゃないか!」

 独立後の事を考えて、なるべく都市を無傷のままで手に入れたかったらしい。

「止めろっ……止めろーっ!」

 重鎮はゴーレムの足にへばり付こうと飛びついたが、ゴーレムが足を上げたことで重鎮の身体は宙に舞った。

「ゴフッ、おお? 止め……!」

 そして、地面にキスした重鎮はゴーレムの足によって踏み潰され死んだ。

 現場は大混乱になった。
 巨大ゴーレムが暴れ周り、メイジの魔法が四方に飛んで家々を焼き、市民達は逃げ惑った。

「まずいな、これでは戦闘どころではない」

「ミスタ、大多数の傭兵は戦闘不能にしましがた、あのゴーレムのせいで現場は混乱。相手は降伏する気配はありません」

 傭兵を言うものは、良くも悪くも利に聡い人種だ、自分達が不利になれば、撤退などの何らかのアクションを起こすはずだったが、混乱の性でそれは見られない。
 ラザールは知らないが、傭兵軍はジェミニ兄弟をクビにした後、後任を任命することなく市内へ突入して、総大将の重鎮が死んでしまったために指揮系統が喪失して末端の傭兵達は状況が分からず独自の判断で行動していた。

 ラザールは少し考えて……

「あの、巨大ゴーレムを倒せば相手の戦意を挫く事が出来るかも……すまないが、みんなに頼んでありったけの火薬を用意するように伝えてくれ、場所はマダム・ド・ブランの裏倉庫にあるはずだ」

 と言った。

「分かりました」

 市民数人が去っていった。

「これだけ暴れれば、奥様も気付くはずだが……貴族達の相手に手間取っておられるのであろうか」






                      ☆        ☆        ☆






 一方、ミシェルやド・ブラン夫人の一団は市民達の救援のために馬を走らせていた。

「大変な事になっているみたいね」

「あのゴーレム……私達の力を結集すれば倒すことが出来るんでしょうか?」

 ミシェルが目を向けた先には、燃え盛る多くの家屋を背に暴れ回るゴーレムの姿だった。

「ゴーレムのことについては私に任せて、ミス・ネルは他のみんなと協力して市民達の救援を」

 ド・ブラン夫人はミシェルに言い聞かせ後ろを振り返ると、セバスチャンの他におよそ10騎のメイジが付き従っていた。

 時代が変わりつつある……
 今まで民衆の為、平民の為にと命を賭けようとする貴族は皆無だった。
 マクシミリアンの登場とその行動で、貴族の中に新たな価値観が生まれ始めた。
 ド・ブラン夫人は、時代の変革に立ち会うことが出来た感動に、思わず目を潤ませた。

「さぁ! 行くわよ…」

 ド・ブラン夫人はルーンを唱え杖を振るうと巨大なゴーレムが現れた。

「おお!」

「これなら!」

「さ、みんな、あのゴーレムは私に任せて!」

 ド・ブラン夫人はレビテーションを唱えて巨大ゴーレムの頭頂部に飛び乗った。

「ミス・ネル! 後は任せたわよ!」

「はい、みんな行こう!」

『おおーっ!』

 ミシェルたちはゴーレムに踏まれないように馬を駆り市民達の救援へと向かった。

「行ったわね、さぁ! あのゴーレムをやっつけるのよ!」

 地響きを立ててド・ブラン夫人のゴーレムは敵のゴーレムに襲い掛かった!

 ド・ブラン夫人のゴーレムは、敵ゴーレムに右のストレートを繰り出した。
 敵ゴーレムは、まともに食らいバランスを崩して瓦礫後に尻餅をついた。
 ド・ブラン夫人のゴーレムはそのまま組み付いた。

「うわぁ!」

「危ないぞ!」

 舞い散る砂埃や土砂に辺りの多くの市民達は巻き込まれそうになったが難を逃れた。
 組み付いた状態で敵ゴーレムを何度も殴ったがすぐに再生して決定打を与えられない。

「奥様! そのまま取り押さえておいて下さい!」

 ラザールが家屋の隅から現れて手を振ると、大きめの樽を抱えた市民達がワラワラを現れ組み付いた2体のゴーレムへと殺到した。

「分かったわ、ラザール! それと、私達の援軍に貴族のみんなが来てくれるわ! だからそれまで持たせて!」

「貴族が!? 援軍に!?」

「そうよ! 貴族が平民のために来てくれるのよ!」

 ザワ……と、その場の空気が変わった。

「本当か?」

「貴族が俺達のために?」

 市民も困惑気味だ。
 無理も無い、今までの貴族は平民にとって恐怖の対象でしかなかった。

(貴族が援軍に? 本当に来るのか?)

 市民達は困惑しながらも援軍を待つことにした。

 話は戻り、敵ゴーレムはド・ブラン夫人のゴーレムにガッチリと組み付かれた状態で動けない。

「お前ら! 根性入れろ! 行くぞぉぉぉぉ!」

『おお~っ!』

 工兵組の監督役が檄を飛ばし、多くの火薬樽を持った市民達もそれに続いて、2体のゴーレムの側までに近づくと火薬樽の設置を開始した。
 それを阻止しようと他の傭兵達が攻撃を開始、傭兵は数こそ少ないものの下手に火魔法を使われて火薬樽に誘爆されたら作戦は失敗だ。

 市民達は物陰に隠れながらもマスケット銃で応戦を開始し、傭兵との間で最後の戦闘が始まった。

「撃て撃て!」

「弾持ってこい、弾!」

 そんな中、悲鳴と怒号と銃声が飛び交う戦場に颯爽と現れた集団があった。

「よし、みんな市民を救うんだ!」

 ミシェル達、貴族がようやく到着したのだ。

「本当だ! 本当に来た!」

「うおおおお! トリステイン万歳!」

 喜びを爆発させた市民達。
 一方、貴族らはそれぞれ魔法を放ち傭兵らを追い詰める。
 12歳と幼少ながらも実質、貴族達を説得し、救援部隊の隊長として振舞った、ミシェルもドットスペルながらも奮戦した。
 元メイジ殺しのセバスチャンは2丁のピストルを2丁拳銃のように馬上で放ち、二人の傭兵の頭を打ち抜く離れ業を披露した。

 ……そして。

「設置完了だ! みんな離れろ!」

 火薬の設置を終えた工兵組がワラワラと離れ、ド・ブラン夫人を始め多くの市民が物陰に隠れた。

「あれ? どうしたんだ?」

 事情を知らないミシェルたちは取り残され、キョトンとした顔をしている。

「貴族様! こっちこっち!」

 何人かの市民が物陰から飛び出し、ミシェルらの馬を引いて退避を促した。

「何があったんだ?」

「貴族様、それよりも今は耳を塞いでいた方がいいでしょう」

「……!? こうか?」

 ミシェルが両耳を左右の手で塞ぐと同時に、大量に積まれた火薬樽は大爆発を起こしド・ブラン夫人のゴーレム諸共、敵ゴーレムを吹き飛ばした。

 キノコ雲が漆黒の空へと舞い上がる。

「……私たち何しに来たんだろう」

 ミシェルがポカンと口を開けていた後、ほどなく傭兵達は降伏した。

 ……

 ……そして戦闘後。

 路上には死亡した市民や傭兵達の遺体が並べられ、傷の手当のために降伏した傭兵の中からも水メイジを動員して治療に当たらせていた。
 ラザールは貴族達と供にド・フランドール伯の屋敷へ再突入するための編成を作戦立案に追われていた。

 とある路地裏では。

「ミス・ネル。本当にお疲れ様、気分はどう?」

 一人、空を見上げて呆けるミシェルにド・ブラン夫人は労いの言葉をかけた。

「ああ、ありがとうございます。気分は……ちょっと気が抜けちゃいました」

 そう言ってミシェルは年相応の笑顔を見せた。

「それにしても、あの頭の固い貴族連中相手によくもまぁ……あれだけの啖呵を切れたものだと感心したわ」

「あれはちょっと……我ながら出来すぎと言うか。きっと殿下が後押ししてくれたんだと思います。昨日までの私は死んで、今日別の私が生まれたんだと思います」

 数時間前に、風穴のジャコブによって死の淵に立たされていた事を思い出した。

(あの時、古い私は死んで、新しい私が生まれたんだ)

 そう思うと、何でも出来そうな気がする。

「きっと時代が変わろうとしているのね」

「時代が?」

「そうよ、今まで平民のために命を賭ける貴族なんて、皆無……とは言わないけど今までの人生じゃ5本の指で数える程度だったわ」

「……」

「それが、今日だけで10人近くも……こんな事、今まで無かったわ。だからよ、時代が変わるんじゃないかって、そう思ったのよ」」

 ド・ブラン夫人も空を見上げた。

「殿下が、マクシミリアン殿下が現れたからでしょうか?」

「ん~……分からないわね。時代が変わるためにあの方を生んだのか、あの方が生まれたから時代が変わろうとしているのか。そんな事、始祖ブリミルでなければ分からないわ」

「……そうね、そうですよね」

 結局答えは見つからず、二人して何も見えない空を見上げ続けた。


 

 

第二十四話 決闘

 ド・フランドール伯の屋敷は、驚くほどの静寂に包まれていた。
 コツコツと足音を響かせながら、廊下を歩くのは風穴のジャコブだった。

「……」

 何故、こういう状況になったかと言うと、マクシミリアンとジャコブが対峙した時、開幕一番にマクシミリアンが何処かへ逃げ出したのだ。
 一対一の決闘かと思った矢先にいきなり逃げ出すものだから、流石のジャコブも虚を付かれた形になった。
 ジャコブは四方を警戒しながらも、マクシミリアンを求めて歩く。

「ふっ!」

 突如、ジャコブが伏せると、頭があった部分に細い線の様な物が走った。
 すかさず杖を振るい細い線が放たれた空き室の隅をエア・ハンマーで破壊した。
 しかし、別の場所から同じ細い線が走り、ジャコブは無茶な回避行動を取らざるを得なかった。

「奇妙な魔法を使う!」

 多少、不恰好ながらも床に着地したジャコブは自分の二つ名、『風穴』の代名詞ともいえる『エア・バレット』を指から放ち、細い線を放った『水玉』を打ち抜いた。

 一息ついたジャコブは、再び四方を警戒しながら廊下を進んだ。

「子供と思ったら中々どうして……手ごわい」

 ジャコブはつぶやいた。

 ……

「反応が消えた……チッ、失敗か」

 一方、とある空き室ではマクシミリアンが舌打ちを打った。

「もう一度、作ろう……イル・ウォータル……」

 ルーンを唱え杖を振るうと、ソフトボール大の水玉が二つ現れた。
 この水玉は『ウォーター・ビット』という魔法で、某ロボットアニメの無線砲台を参考に、マクシミリアンガ編み出した新魔法だ。
 このウォーター・ビット一つ一つをコントロールするのは不可能な為、風の『ユビキタス』を参考にして、ビットに思考を持たせることに成功した。
 言わば、ウォーター・ビット一つ一つが、小マクシミリアンとして思考し活動する魔法だ。

 次にウォーター・ボールが放った細い線は『ウォーター・ショット』という水鉄砲の様に水流を放つ魔法だが、魔力無限というチート能力から生まれる膨大な精神力を加味したため、超圧縮から放たれた水流は簡単に肉を削ぎ骨を絶つ程の威力だ。

 ウォーター・ビットはウォーター・ショットを5発撃つと大抵、精神力切れを起こし消滅する。ただ浮遊し続けるだけでも精神力を消費するが、マクシミリアンの半径10メイル以内では魔力無限の恩恵のおかげか、精神力=魔力が供給され続けて、半径10メイル以内なら何発撃っても消滅しないようになっている。
 現在、ウォーター・ビットは残り精神力が少なくなると10メイル圏内に戻っては、精神力を補給し再び任務に行く、行動を取っていた。
 将来的にはこの10メイルの範囲をさらに伸ばしたいと鋭意研究中だ。

 そして、マクシミリアンはウォーター・ビットに対しウォーター・ショット以外の魔法も使えるようにしたり、1基のウォーター・ビットが探知した情報を全てのウォーター・ビットが共有できるシステム、いわゆるデータリンクなどの組織的な運用法なども研究中だった。

 他のウォーター・ビットの効果として、フライ中に他の魔法が使えないように、通常は同時に二つ以上の魔法は使えないが、風の『ユビキタス』の様に、あらかじめウォーター・ビットを展開しておけば、マクシミリアン自身も魔法の使用が可能だった。

 マクシミリアンはウォーター・ビットを最大8基まで作り出す事ができる。
 現在、マクシミリアンの周りには先ほど作った2基と含めた8基のウォーター・ビットが展開中だ。
 マクシミリアンはウォーター・ビットの8基の内、護衛の2基を残して6基にジャコブ襲撃を命令すると、6基のウォーター・ビットは浮遊しながら部屋から出て行った

 なぜこういった方法と取ったかというと、マクシミリアンとジャコブとでは戦闘技術の差が激しすぎて、まともに戦っても勝ち目が無いからだ。

(まともにやり合ったら、あの不可視の弾丸に打ち抜かれるのがオチだ)

 その為、自身は安全な場所に身を隠して、ウォーター・ビットでゲリラ戦をする戦術を採用した。

 ……

 30分程経ったが、部屋の外では何の音も聞こえない。どうやらウォーター・ビット達はジャコブを探しているようだ。
 マクシミリアンとウォーター・ビットとの間には『消えたか消えてないか』程度の感覚しか通っていない。
 例えれば、敵に攻撃されてウォーター・ビットが消滅しないと、敵と接触した事が分からないという欠点があった。
 それにウォーター・ビットは喋る事が出来ないため、更なるの研究が急務だった。

「……むむ」

 護衛のウォーター・ビットが『何か』に反応した。
 マクシミリアン自身も、首の裏がチリチリして危険を直感した。

(何か来る!)

 この時のマクシミリアンの行動は早かった。
 ウォーター・ビットがウォーター・ショットを放つと同時にエア・ハンマーで部屋の壁に穴を開け、そこに飛び込んだ!
 破砕音がド・フランドール伯の屋敷に響き、もうもうと土煙が廊下にまで舞った。
 パラパラと破片が落ち、土煙が廊下全体を覆う、その土煙の中からマクシミリアンがフライで飛びながら現れた。

「うおおおおっ!」

 マクシミリアンは素早く物陰に隠れると、今まで居た場所の床に無数の風穴が開いた。
 不可視の弾丸、風穴のジャコブの代名詞『エア・バレット』だ。

「殿下~、逃げないで下さいよぉ~」

 ジャコブは、ようやくマクシミリアンを見つけた喜びでハイテンションだ。

 コツコツとジャコブの足音が近づいてくる、ウォーター・ビット1基が物陰から出てウォーター・ショットを放ったが、エア・バレットで撃ち抜かれ、ウォーター・ビットは水に戻って床を濡らした。

(他のウォーター・ビットは、まだ帰ってこないのか……くっ)

 襲撃の為、出て行った6基の『ウォーター・ビット』はまだ帰ってこない。

「ラグーズ・ウォータル・イス……」

 マクシミリアンはルーンを唱える。

『ウィンディ・アイシクル!』

 無数の氷の矢がジャコブに襲い掛かった。

「ははっ……はははっ!」

 しかし、ジャコブは直撃コースの『ウィンディ・アイシクル』を『エア・バレット』で迎撃、傷一つ負わせる事も出来なかった。

「まだまだ! ……エア・カッター!」

『エア・シールドッ!』

 無数のエア・カッターは空気の壁に阻まれた。

「ならばこれで!」

 マクシミリアンはクリエイト・ゴーレムで、上半身は重騎士、下半身は軍馬の3メイル程の人馬ゴーレムを作成した。
 人馬ゴーレムは、左に盾を構え右に大型ランスを脇に抱える様に持ち、ランスの穂先をジャコブへ向けた。

「チャアアアァァァーーーージッ!!」

 マクシミリアンの号令で人馬ゴーレムは瞬時に加速、ランスチャージを敢行した。

『エア・バレット!』

 ジャコブのエア・バレットが人馬ゴーレムに当たったが、表面を数サント程削っただけだった。

「な!?」
 
 ジャコブはランスの穂先と巨弾と化した人馬ゴーレムを避けると、すれ違いざまに両前足の関節部分を打ち抜いた。

 前のめりに倒れた人馬ゴーレムは、調度品を巻き込みながら壁に激突すると、大量の瓦礫に埋まってしまい起き上がることが出来なくなった。

「危ない危ない……水、風、土、次は火の魔法ですか?」

「……」

 マクシミリアンは無言で返した。
 実はマクシミリアンは火の魔法がまったく使えない。
 いくら、特訓してもうんともすんとも反応が無いのだ。
 水はスクウェア、風はトライアングル、土はラインが、現在マクシミリアンが使える魔法だ。

「ふっ!」

 マクシミリアンは『エア・ハンマー』のルーンを唱えたが、ジャコブは難なく退けた。

 その後も、次々と魔法を放つがジャコブは巧みに退ける。
 絶望的な技術の差を補う為に火力と手数で勝負するものの、決定打を与えられない。

「しかし殿下、あれだけ魔法を連発しても精神力切れを起こさないのは、異常ですな」

「伊達に天才なんて言われてないからね! さぁ! コイツは強烈だぞ!」

 と、ウォーター・ショットのルーンを唱えた。
 マクシミリアン本人が唱えるウォーター・ショットは、ウォーター・ビットが放つ細い線の様なものではなく、まるで大砲の様な威力だ。
 圧縮させた水に、更にライフリングを加えるように回転させる。

『ウォーター・ショット!』

 ズガァァーーン!

 爆発音と同時に、錐揉み回転したウォーター・ショットが、ジャコブごと屋敷の一郭が吹き飛ばした。ウォーター・ショットが通った屋敷の壁には、ポッカリと穴が開き、瓦礫の外から深夜特有の冷たい空気が流れ込んできた。

「さしずめ、ウォーター・キャノン……と、言った所かな」

 フフン! ……と、鼻息を荒くした。

 屋敷は半壊、パラパラと破片が落ち、今にも崩れそうなほど危険な状態だ。
 マクシミリアンは、落ちてくる破片を気にしつつジャコブを仕留めたかどうか様子を伺おうとすると、

 ズドン!

 いきなり頭に衝撃を受けた。

「……う?」

 衝撃を受けた部分を手でさするとビショビショに濡れている。
 おもむろに濡れた手を見るとベッタリと血が付いていた。





                      ☆        ☆        ☆




 ゴトリと、マクシミリアンはうつぶせに倒れると、瓦礫の影から息も絶え絶えにジャコブが現れた。
 ジャコブは、遠目からマクシミリアンの頭に小さな穴が一つ付いている事を確認した。
 言うまでも無く、ジャコブの『エア・バレット』の弾痕だ。

「はははっ……殺っちまった」

 手ごたえを感じたジャコブは、殺したと確信した。

「トリステイン王家の報復は怖くないが、四六時中、命を狙われるのは億劫だ、何処か外国辺りでほとぼりが冷めるまで隠れていよう」

 市街地の方向を見ると巨大ゴーレムが暴れている。
 この混乱に乗じて逃げる為にジャコブが踵を返すと、6基のウォーター・ボールが囲むようにジャコブの周りを漂っていた。

「なん……だと!?」

 瞬間、ウォーター・ボールの集中攻撃にさらされたジャコブは、神業的な回避で致命傷こそ避けた物の身体中は裂傷で血まみれだ。

「クソッ!」

 反撃する事もできずに回避し続けていると、死んだはずのマクシミリアンがムクリと起き上がった。
 ウォーター・ボールの攻撃が止み、マクシミリアンの周りを守るように囲んでいる、

「上手い事、お前の注意を逸らす事ができたよ」

「……殺したと思ったんですが、一体、どんな魔法を?」

 身体中の傷を負ったジャコブは、息も絶え絶え質問した。

「水の秘法『水化』だ」

 『水化』とは身体を水のように変幻自在の変化させる魔法だ。
 某ターミ○ーター2の敵役をイメージして作った。

「水化? ……そんなバカな」

 ジャコブがいぶかしむのも無理は無い。
 そんな事が出来るのは、伝説の水の精霊ぐらいで人間が精霊の様に『水化』出来るとは到底思えない。

 『水化』の魔法自体は昔から良く知られていて、一種の戒めとしてハルケギニアに知られる有名な逸話があった。

 かつて大メイジと呼ばれた男が、マクシミリアンと同じように『水化』の魔法を編み出し、実験として『水化』を唱えたことがある、だがその男は水に変化する事には成功したが、精神力切れを起こし気絶、意識が戻る事無く永遠に水のままだった。

 という話だ。

 ジャコブはその逸話を思い出した。

 理論は出来ていても、実践すれば、たちまち精神切れを起こす机上の空論。

 ハルケギニアの全メイジを見渡しても、マクシミリアンにしか出来ない秘術。水化して元に戻る事ができる魔力無限の能力が可能にした、正に『秘法』だった。

 とは言え、問題もあった。

「今の僕じゃまだ未熟でね、身体の一部分しか水化できないから、どの部分が狙われるか迷いに迷ったけど……最後はジャコブ、君のプロ意識に助けられたよ」

 マクシミリアンは、杖で頭の弾痕を突くと波紋が顔中に広がり見る見るうちに弾痕が塞がった。

「プロ意識の高いジャコブなら、確実に仕留める為に頭を狙うと思っていたからね」

「……」

 黙ったジャコブにマクシミリアンは、止めを刺そうとルーンを唱えると、遥か市街地で大爆発が起こった。

「!?」

 マクシミリアンやウォーター・ボール全基が、ほんの一瞬、注意を市街地に取られると、ジャコブはチャンスとばかりに逃げ出した。

「ああっ!? ウォーター・ボール!」

 ウォーター・ボールに指令を出すと、ウォーター・ショットで逃げるジャコブを撃った。
 しかし、怪我を負いながらも巧みに避け続けたジャコブは、屋敷の外へ出ると『エア・ハンマー』で石畳の地面を破壊した。
 ぽっかり開いた地面の下は下水道になっていて、勢いよく汚水が流れていた。
 ジャコブは躊躇する事なく汚水に飛び込んだ。

「あいつ……!」

 ジャコブを追って穴の近くまで来たマクシミリアンは、ぽっかり空いた穴を覗き込むと漂う異臭に顔をしかめた。

「臭いはともかく、流れが早すぎる……このままでは逃げられるぞ」

 数秒ほど考えて、マクシミリアンは杖を振るった。

「ひどい、死に方をしてもらう!」

 ……

 一方、下水の流れに乗って逃亡に成功したジャコブは、逃走した後のプランを練っていた。

「何処かで傷を癒した後、外国でほとぼりが冷めるのを待つ……まぁ、当初の予定通りだな」

 そう言いながら流れに乗っていると、身体中がチリチリと痛い。

「うくっ……早く傷を癒さないと」

 ジャコブは、チリチリする痛みは傷から来る痛みかと思っていたが、時間がたつにつれ、それは勘違いだと思い知らされた。

「痛っ!? 熱い!? 何だこれは!」

 もがくジャコブは、自分の左腕を見るとドロドロに爛れている。
 パニックになったジャコブは、悲鳴を上げながら汚水と供に流れていった。
 
『塩酸』

 そう、マクシミリアンは汚水を塩酸に変えた。風穴のジャコブは生きながら塩酸に溶かされた。


 戦闘後。
 マクシミリアンは下水道に重曹を混ぜた水を流し塩酸を中和させる作業を行っていた。

「殿下! ご無事ですか!?」

 声の方向を見ると、クーぺや密偵団、魔法衛士たちが居た。

「皆、無事だったか」

「殿下、それどころではありません。あれをご覧下さい」

 クーペが指差す方向を見ると、フネが帆を立てて遠ざかるのが見えた。

「あれは? ……援軍が来たのか?」

「いえ、違います。首謀者連中は、あのフネで逃げようとしています」


 

 

第二十五話 断罪の剣

 時間は少しさかのぼる。

 マクシミリアンとジャコブが去った大広間は、嵐が去った後のように机や椅子などが滅茶苦茶に散らばっていた。

「……うう」

「おい、大丈夫か」

 マクシミリアンの『ウィンド』で、ノビていた重鎮たちが目を覚ました。

「……」

「貴族様も無事ですかい?」

 重鎮の一人が呆然としていた、ド・フランドール伯に呼びかけたが返事はない。

「貴族様? 何処か怪我は?」

「……」

「チッ、なんでぇ、人がせっかく声を掛けてやったってのに」

 重鎮はド・フランドール伯を無視して、その場を離れようとした所、ド・フランドール伯がゆっくりと立ち上がりルーンを唱え始めた。

「ん?」

「なんだなんだ?」

 ド・フランドール伯の不可思議な行動に、他の重鎮達も気が付きはじめる。

「ドイツもコイツも……ふざけるな……だから僕は反対だったんだ」

 ブツブツと独り言を言い出したド・フランドール伯はルーンを唱え終えると杖を振るった。

「ぎゃああああ!」

 悲鳴が大広間に響いた。
 一瞬の静寂の後、騒然になる大広間のその中心に『エア・カッター』で裂かれた重鎮の死体が転がっていた。

「ななっ、何をする!」

「コイツ、切れちまった」

「うるさい! ドイツもコイツも好き勝手しやがって!!」

 首が飛び、もう一つ死体ができた。





                      ☆        ☆        ☆







 クーペたち密偵団とフランシーヌは、マクシミリアン救出の為にド・フランドール伯の屋敷に潜入しのだったが……

 屋敷のいたる所で破砕音が聞こえ、調度品は滅茶苦茶だ。

 密偵団は、この混乱に乗じて捕まっていた魔法衛士の救出に成功した。
 魔法衛士はクーペらに同行して、ド・フランドール伯たちを求めて屋敷内を進んでいる。

 クーペはこの反乱をどういう形で終わらせるか考えていた。

 本当の黒幕である商人のアルデベルテでは黒幕としてはパンチが弱い、黒幕として周囲が納得するような、ビッグな黒幕を用意する必要があった。
 そういう訳で、代わりの……黒幕として遜色ない首謀者を用意したかった。

 そこでド・フランドール伯の名前が挙がった、建国以来の名家であるド・フランドール伯なら黒幕として申し分ないし、どの道、実行犯として極刑は免れない。

 クーペはフランシーヌの方をチラリと見た。

「? なんですか?」

「いえね、大変お綺麗ですのでね。目の保養ににと、ね」

「……」

 フランシーヌは恥ずかしそうに身をよじった。

 ……クーペはフランシーヌの兄のド・フランドール伯を生きたまま確保したかった。

 増援の密偵からもたらされた情報によると、アントワッペン市の反乱とマクシミリアン捕虜は、王家をはじめトリステイン王国全体に動揺をあたえた。
 ド・フランドール伯を捕らえ、『黒幕はド・フランドール伯とドコドコのダレダレでござ~い』と公表すれば、たとえ証拠が無くても、貴族や民衆、全トリステイン国民は支持するだろう。

 ド・フランドール伯の身柄は政敵を葬り去る強力なカードになる……と、クーペは確信していた。
 無法は百も承知だが、これからの改革の……いや、マクシミリアンの円滑な政治生活の為にも、是非とも手に入れたいカードだった。

(この事は、ミス・フランシーヌはもちろん殿下にも言うつもりはないですが)

 マクシミリアンには謀略などの黒い部分はあまり見せたくない……と、言うのがクーペなりの気の使い方だった。
 クーペはクーペなりにマクシミリアンに忠誠を誓っていた。

 ……

 クーペら密偵団が大広間に到着したときには、中は血を肉で滅茶苦茶な状態だった。

「これは……」

 フランシーヌは口を押さえ部屋の隅で喘いでいる。
 一方、クーペら密偵団は遺体を一つ一つ調べていた。

「ド・フランドール伯の遺体は無いですね。おや、この男は」

「知り合いですか?」

 魔法衛士の一人が聞いてくる。

「アルデベルテ商会の番頭ですよ。おそらく連絡役だったんでしょう」

 クーペは説明した。

「クーペ殿、暖炉の下にハシゴがあります」

 もう一人の魔法衛士が、暖炉の中に巧妙にハシゴが隠されてあった事を突き止めた。

「たしか屋敷の中には何処かに通じている秘密通路があると聞いたことがあります」

 フランシーヌが、口元を押さえながら言う。

「追いましょう。密偵団は残って屋敷内の制圧を」

 クーペの提案に一同頷いた。

 ……

 密偵団を置いて、クーペとフランシーヌと魔法衛士二人は隠し通路を『ライト』で照らしながら進む。

「少々、カビ臭いですね」

「私の知る限りでは、何年も使ってないです」

 クーペとフランシーヌの何気ない会話が通路内に響いた。
 さらに隠し通路を進むと、ド・フランドール伯に追いついた。

「兄上!」

 フランシーヌの呼びかけに、ド・フランドール伯は振り向くとその血走った目に思わず絶句した。

「フランシーヌか、この裏切り者……どのツラ下げて!」

 そう、毒気づいてフランシーヌの腕を掴んで引き込んだ。

「ふっ!」

 パァン! と、乾いた音が響く、フランシーヌの頬を張ったのだ。

「うう……」

「伯爵、お止めなさい。ご自分の妹君になんて事を!」

 魔法衛士がド・フランドール伯に抗議したが鼻で笑われた。

「ド・フランドール伯、諦めて降伏しなさい。あなた方が、ガリアへ送った使者は全員土の中ですよ」

「ミスタ! こいつの目は普通じゃない。早々に制圧すべきだ!」

 二人の魔法衛士が割り込むように前に出た。

「はははっ!」

 だが、ド・フランドール伯は一笑に付すと、壁に付いた出っ張りの様なものを押した。

 すると、魔法衛士の真上の天井が崩れ落ちた。

「危ない! 崩れるぞ!」

 魔法衛士が一人巻き込まれ、ド・フランドール伯はフランシーヌと供に奥へと消えた。

「通路が崩れ先に進めないし、この通路も危ない、こうなったら一度、戻りましょう」

 巻き込まれた魔法衛士を助けると秘密通路の入り口へと戻った。







                      ☆        ☆        ☆






 そして、時間は現在に戻る。
 クーペら密偵団と魔法衛士をと合流したマクシミリアンは、遁走するフネの説明を受けた。

「あのフネにド・フランドール伯とフランシーヌが乗っている訳ね」

「その事ですがド・フランドール伯は生かして捕らえたいのですが……」

「駄目だクーペ、そんな悠長な事やっていたら逃げられてしまう。もうフネは、城壁を超え街の外に出ているんだ」

 ド・フランドール伯らを乗せたフネは西へ進路を取り、海へと到達していた。
 これでは陸からの追跡は難しいし、雲で月明かりのない深夜の為、見失う可能性も高い。

「……やむを得ないですか、逃げられたら元も子もないでしょうし、ね」

 クーペは少し考えると、自身の企みを泣く泣く捨てた。

「……クーペ、後で何を企んでいたか聞かせてくれ」

「……殿下には、汚れ仕事は相応しくないのです。考え直しては頂けませんでしょうか?」

「クーペ、これからの将来、場合によっては謀略の一つも出来ないと生き残れない……と、そう思っている、クーペには僕の謀略の師となって貰いたいんだがね」

「ご冗談を殿下、先ほど言いましたが殿下には汚れ仕事は相応しくない」

「……はぁ、ともかく時間がない。後からついて来てくれ」

 埒が明かないと、マクシミリアンは会話を打ち切り、後の指示を出すとフライで城壁まで飛んだ。

 風切りながら、城壁まで飛んでいると眼下に破壊された市街地が見えた。

(復興するのに、いくらくらいの金がかかるやら……こんなふざけた反乱さっさと終わらせよう)

 その後、城壁へとたどり着いたものの、フネは遥かかなたに行ってしまい追跡には竜騎兵の力が必要だった。

(このまま逃がしてしまったら、後々まで禍根を残すだろう。フランシーヌは可哀想だが……)

 マクシミリアンは迷ったものの、答えを出すと『ブレイド』のルーンを唱えだした。
 流れる様にルーンを唱え、杖を空へと向ける。

 元になった魔法こそ、ただの『ブレイド』だが、マクシミリアンの無限の魔力だからこそ可能な、単純だが、マクシミリアンの使う中で最強の魔法。

『ギロチン』

 マクシミリアンの杖から眩いほどの青白い光の柱が天へと昇っていった。

 





                      ☆        ☆        ☆







 アントワッペン市から逃走する、ド・フランドール伯のフネからも確認できた。
 ド・フランドール伯が用意したフネは『ブリッグ』と呼ばれる2本マストのフネでド・フランドール伯は軍艦として使用していた。
 そのブリッグ艦船員たちは、後方の天へと昇る光の柱を見て騒いでいる。

 フランシーヌを別室に閉じ込めて尋問していると、ド・フランドール伯は報告を受けた。

「何事だ、騒がしい」

「とにかく見てください。凄い事になってるんです」

「……フランシーヌ、少し席をはずすが、お前への尋問はまだ終わらないからな」

 椅子に縛られたフランシーヌに顔を近づけて……

「覚悟しておくがいい!」

 と、脅した。

 ド・フランドール伯は去るとドアに鍵を掛けられフランシーヌ一人が残された。
 兄妹の仲はお世辞にも良くなかったが、兄の変貌にフランシーヌは悲しくなった。

(兄上は狂ってしまった。もう私の知っている兄上はいないのね」

 子供の頃を思い出しながら、自分自身の心に整理を付け始めた。

(兄上は嫌いではないけれど、このまま道連れにされたらたまった物じゃないわ)

 脱出を心に決めたフランシーヌ、しかし、杖を奪われロープで椅子に縛られた状態では、脱出もままならない。
 フランシーヌは部屋の中を見渡すとロープが切れそうな尖った調度品を発見した。
 

 ……


 ド・フランドール伯が甲板に出ると、その光の柱を見て絶句した。
 いや、絶句というよりもむしろ、恐怖を覚えた。

「逃がさない……逃がさないというのか! この僕を!!」

 光の柱へ向かって吼えたド・フランドール伯。
 その光の柱がゆっくりとド・フランドール伯のフネへと倒れ始めた。

「倒れるぞ……俺たちのフネに倒れてくる!」

 甲板上は、船員達が喚き散らしながら右往左往している。

 光の柱が厚い雲にまで届いていたのか、倒れる際に雲に亀裂を作るとその隙間から双月の光が漏れて地上を照らした。
 余りにも幻想的な光景は、深夜にも関わらずに起きていた、アントワッペン市民にも目撃された。

「……月の光が」

「すごい……綺麗」

 魔法こそ、ただの『ブレイド』だったが、闇夜を照らすその光は、反乱による破壊によって明日への不安を持っていた住人にとって、大変心強い、希望の光に思えた。

 一方、ド・フランドール伯たちにとって、その光は断罪の光だった。
 恐慌状態に陥ったブリッグ艦の船員達は、ある者は神に許しを請い、またある者は空中を航行しているにもかかわらずフネから飛び降りた。

 ド・フランドール伯には、ゆっくりした時間に思えた。
 光の柱がゆっくりと確実に自分に倒れ掛かってくるのだ、ド・フランドール伯も船員たちに習って逃げ出したかったが、狂っても僅かに残っていた貴族の誇りがそれを許さなかった。

「来るならこい!」

 ド・フランドール伯は『エア・シールド』で迎え撃ったが無意味な行動であった。
 光の柱は艦尾に立ったド・フランドール伯ごとブリッグ艦を両断した。

 艦首から艦尾へ綺麗に斬られたブリッグ艦。
 中に居たフランシーヌは、丁度縄を切って自由になったばかりだった。
 通路に出ようとした所に、ガクンと船体が揺れて思わず倒れそうになりながらも、何とか外に出ると通路が無かった。
 正確には、通路部分は光の柱によってブリッグ艦が斬られた際に消滅していた。
 それを知らないフランシーヌは勢い良く通路側に飛び出したものの、当然、通路側は無く、空中に飛び出した形になった。

「ええええっ!?」

 真っ二つにされたブリッグ艦はバラバラになって落下し、フランシーヌも混じって落ちていった。
 落ちてゆく時間が妙にゆっくりと感じながら、海の方向を見ると水の玉が数個見えた。
 水の玉……ウォーター・ボールは、フランシーヌの落下コースを読んで待機していたのだ。
 一つ目のウォーター・ボールが、フランシーヌにあたると破裂音と共に弾け、フランシーヌの落下速度を緩めた。
 そして、二つ三つ四つ五つ六つと、連続で弾けた為、落下速度は人が死ぬような速度ではなくなり、七つ八つで怪我も無くフランシーヌは海に着水した。

 その後、フランシーヌは海に浮かぶブリッグ艦の残骸によじ登り辺りを見渡した。
 バラバラになったフネの残骸と海に叩きつけられた船員の遺体が浮かんでいるのを見て、兄は死んだ事を直感した。
 厚い雲に隠れていたはずの双月が雲の隙間から見え、降り注ぐ月光の美しさにフランシーヌは知らず知らずのうちに涙を零した。

 

 

第二十六話 アントワッペン始末

 2週間後、トリステインを揺るがしたアントワッペンの事件は収束を迎えた。

 近隣の領地から次々と援軍がやってきたものの、当事者が一部を除いて殆どが死亡した為、事後の処理に何かと手間取ったが首謀者のド・フランドール伯の妹、フランシーヌが……

『全ては、兄とアントワッペン市の裏社会の重鎮らが企てたもの』

 と、証言した為にド・フランドール伯に責任を全て被せる形になった。

 ……

「そして、ド・フランドール伯爵家は取り潰し……か」

「御意」

 トリスタニアの新宮殿の自室にて、マクシミリアンはその後の報告を受けた。
 ちなみに報告している者はミランだった。

「で、ド・フランドール伯爵領は王領になるのかい?」

「王宮ではその様に手続きを取っているそうです。もう一つ、アントワッペンの件で報告がございます。一部のアントワッペン市民が現在、北西部に建設中の新都市への移住を求めています」

「まあ、あんな事件があった後だ、無理もない……移住の件は了承すると伝えてくれ」

「御意、報告は以上でございます」

「そうか、下がってよい。久々のトリステインだ、奥さんや娘さんにサービスしておく事だね」

「……ありがとうございます」

 ミランは踵を正すとキビキビと去っていった。
 杖無しではまともに歩く事もできなかったミランだったが、マクシミリアンの『複製』で新たな足を手に入れた。
 ミランは感激の余りに男泣きして、今まで以上に絶対の忠誠を誓った。

 クーペの報告でミランの養女が以前会って友人になった少女アニエスだった事も知ったし、親子間が上手くいってないことも知った。
 現在、ミランは人柄の好さを買われ官房長官的な役職に就いている。各部局の調整役でトリスタニアを離れる事が多く家にはろくに帰っていない。
 個人的な事柄なので口に出したりはしないが、マクシミリアンはあの親子が仲良くなる事を望んでいた。

 そして、アニエスの出身地のダングルテールで何が起こったか追加の探索も命じてある。

 ミランが去った後、マクシミリアンは席を立ち自室とは別の部屋の様子を伺った。
 現在、この部屋には妹のアンリエッタが魔法の勉強を行っているのだ。

 ……事は、数日前にさかのぼる。
 アンリエッタは何を思ったかマクシミリアンに……

『おにーさまに魔法を教えてほしい』

 と、言ってきたのだ。
 アンリエッタも5歳なのでマクシミリアンも、『そろそろ良い年頃かな?』 と思い父王にお伺いを立てると『承諾』と帰ってきた。

 アンリエッタは別室でライトの練習を行っているはずだ、マクシミリアンは別室の様子を伺ってみると、中からグスグスと鼻をすする音が聞こえる。
 実はこの部屋の中は暗室になっていて、しかも鍵が掛けられてあるのだ。

『怖い思いをしたほうが早く覚える』

 と、いう持論を実践中で、アンリエッタは暗闇に怯えながら必死に『ライト』を唱えていた。
 この部屋から出るには、『ライト』を唱えて部屋の何処かにある鍵を探すか、または『アンロック』を唱えて出るかの二つしかない。
 期限もあり、夕暮れまでに出られなければ、その日の夜はマクシミリアンとは別々の部屋で一人で寝なければならない。
 意外とマクシミリアンはスパルタだった。
 時折、『おにーさま助けて』、とか『暗いよう』とか、声が聞こえて、マクシミリアンは助けるべきかと大いに迷ったが何とか思いとどまった。

 ……しばらく時間がたったが、夕暮れまではまだ時間がある。
 マクシミリアンはドアの側に机を椅子を持ち出して政務を行い、時折、耳を澄まして、部屋の中を伺っていた。

「アンリエッタ、許してくれ。嗚呼、可哀想なアンリエッタ……アンリエッタェ……」

 ぶつぶつと独り言をしながら政務を行う、まったく仕事が手につかない。
 数十分後、ドアがガチャリと開いてポロポロ涙を流すアンリエッタが出てきた。

「おにーさま、『ライト』出来ましたぁ~」

「お、お、おぉぉーーーーっ、良くやったなアンリエッタ! よぉ~~~し、よしよしよしよしよしよしよしよしよしよし!」

「ぶえぇぇぇぇ~~~ん! おにーさまーーー!!」

「立派だぞアンリエッタ!!」

 泣きじゃくるアンリエッタを猫かわいがりするマクシミリアン。

「ぐすっ、今日はこれで終わり?」

「いや、今度は図書室で勉強だ」

「ふえぇ~……」

「大丈夫だよ、今度は僕も一緒にいるから」

「本当に? 一人にしない?」

「本当だよ、今日は一緒にいよう」

 アンリエッタを抱き寄せ頬にキスをした。

 ……

 アンリエッタの手を引いて新宮殿にある大図書室へ向かうと先客が居た。

『マクシミリアン殿下、アンリエッタ姫殿下、ご機嫌麗しゅう』

 見事にハモって二人に話しかけてきたのは、兄アントワーヌと弟アンリのジェミニ兄弟だ。
 アントワッペンでの一件では、ヘルヴェティア傭兵の軍師だったが、雇い主だった男に嫌われてクビになり、屋敷前でウロウロしていた所をマクシミリアンに拾われた。
 ゲルマニアに帰るか聞いてみたが、帰らずにマクシミリアンの家臣団へ仕官を願い出てきた。
 もちろん、マクシミリアンは二つ返事で承諾し、参謀本部にまわす予定だ。

「何を読んでたんだ?」

『実は禁書室を利用させていただきました』

「ん、そうか、しっかり知識を吸収してトリステインのために役立ててくれ」

 禁書室とは大図書室の奥にある階段で地下に降りた場所にある別室の事で、地球の書物をマクシミリアンが翻訳した書物が無数置かれている。
 誰でも閲覧できるという訳ではなく、家臣団の一員である事が絶対条件で二重三重もの『ディテクトマジック』が掛けられた通路を通らなければならなく、しかも、持ち出し禁止で、禁書を持ち出そうものなら『ディテクトマジック』の魔法が作動し、サイレンが鳴って衛兵が駆けつける仕掛けになっていて、最悪の場合、通路が崩れ落ちる仕掛けにもなっている。
 そして、一度でも禁書室に足を踏み入れた者が、他国に走ったりすれば漏れなく暗殺という惨めな末路が待っている。
 
「それにしても、カール・フォン・クラウゼヴィッツというゲルマニア人は聞いた事がないですが、会う機会がありましたら、是非ご一報を……」

「何日でも語り合いたいですね」

 ジェミニ兄弟が読んでいたのは、クラウゼヴィッツ著の『戦争論』のようだ。

「……ははは」

 マクシミリアンは乾いた笑いを浮かべた。

「他に誰か禁書室に居るのか?」

『はい、例のごとく、ミスタ・ラザールです』

 と、見事にハモり、『失礼します』と一礼して去っていった。

「……またか」

「おにーさま、お勉強しないの?」

「ああ、ごめん、行こうか」

「うん!」

 アンリエッタの手を引いて簡単な読み書きの出来る幼児向けの区画へ向かった。

(それにしても、よく身体がもつ物だ)

 アントワッペンの一件でもう一人家臣団入りした者が件の男ラザールで、平民出身だがあらゆる分野に精通する、万能の天才だった。
 発明家でもあるラザールに蒸気機関の研究をして貰おうと思ったものの、ここ1週間、禁書室に篭もって、様々な書物を読み漁っていた。
 身の回りの世話を殆ど省みないで読書に没頭していた為、せっかく登用したのに餓死されたら困ると、お付のメイドを一人置いて身の回りの世話をさせていた。

(ともあれ、仕事に取り掛かるまで、もう少し様子を見よう。天才と○○は紙一重っていうからね、束縛せずに好きにやらせていれば、面白い結果を生むかもしれない)

 後にマクシミリアンの予想は的中する事になる。

 アンリエッタに勉強を教えるわけになったのだが、勉強以上にアンリエッタに『王族たる者、進んで義務と責任を引き受けなければならない』と、マクシミリアンはフン族のアッティラ王の訓戒を少し改造した物を教えようと思っていた。

(国民の模範になるように、王族には貴族以上の責任が課せられる事を、アンリエッタにもしっかりと教えないとね)








                      ☆        ☆        ☆





 アントワッペンの一件で、判明した二つの能力の一つ破壊光線の不具合を新宮殿に帰った後に研究してみた。
 人目につかない様に、無数有る地下室で研究を開始した。
 まず一つ、破壊光線は一発撃つごとに10分ほど間隔を開ければ、不具合は起こらずに何度でも撃てる事。
 もう一つ、破壊光線を連発したときに起こる、眼球の異変時にヒーリングを掛けてみると、どういう訳か治りが遅かった。
 最後に、眼球の異変が起こった際にフランシーヌが眼球を舐めたらたちどころに治った……と、何ともコメント辛い件を研究するべく、とあるメイドに協力して貰う事になった。
 ただの平民のメイドが、トリステインの王子に『眼球を舐めろ』と言われて抗えるはずもなく……
 この日以来、メイドたちのマクシミリアンを見る目が変わった。

(アホみたいな設定をつけやがって……)

 マクシミリアンは三馬鹿神に唾を吐きかけたくなった。

 ともあれ、実験の成果もあった。
 実際、眼球の異変が起こった状態で眼球を舐めて貰ったら、たちまちに異変が治った。
 次に男に舐めて貰ったらどういう結果になるか、実験すべきだったが止めておいた。マクシミリアンにそっちの『ケ』は無いからである。

 ……

 数日後、密偵頭のクーペがアントワッペンから帰ってきた。

「お帰り、クーペ。アントワッペンの復興は順調だったかい?」

 執務室で青年姿のクーペを労った。

「ありがとうございます。商人という生き物は何かと強かなモノでした。我々が口に出さなくても、見る見るうちに復興が進んでましたよ」

 クーペの様子だと復興は順調のようだ。

「アルデベルテを北部開発の労役に送ったと聞いたのですが」

「ああ、無罪放免とは行かなかったからな、3年の労役後に家臣団入りで手を打った」

 クーペは、黒幕の大商人アルデベルテの弁舌の才を惜しんで家臣団にスカウトしたが、流石に無罪放免では示しがつかないという事で、マクシミリアンは労働力として3年間の労役を指示した。

「その事ですが、先の反乱に参加したヤクザ者の大半は労役刑に処されてますので、下手に顔を合わせたらアルデベルテは報復されるのではないでしょうか?」

「その心配はないよ、顔を合わせない為に別々にするようにと言ってある」

「それは、差し出がましい事をしました」

 数年後、無事刑期を終えてアルデベルテは家臣団入りする事になる。

「うん……話は変わるけど、彼女は元気だったかい?」

 マクシミリアンは話題をフランシーヌの件に変えた。
 ド・フランドール伯爵家は改易され平民落ちしたフランシーヌは、その後、マダム・ド・ブランのド・ブラン夫人勧めで夫人の養女になった。

「ド・ブラン夫人の下で経営の勉強をしているそうですよ」

「そうか、幸せになってくれればいいね」

「それにしても以外でしたね」

「何がさ」

「ミス・フランシーヌを妾に向かい入れなかったなかった事ですよ」

「そうか? そんなに以外か?」

「気に入っておられたと、思っていたので」

「まぁ……色々と助けて貰ったし、嫌いじゃないけどさ、まぁ……縁が無かったんだよ」

「そうですか……」

 クーぺはそれ以上言わなかった。

 かくして、アントワッペンの反乱は幕を閉じた。

 都市が破壊されたことで、アントワッペンを去る人々も出たが、『返って団結力がついた』と言って残る者の方が多かった。
 何より、王領になった事で、直接、改革に口を出せるようになった。
 マクシミリアンは、商人達に聖地経由で綿花と桑の苗の輸入と栽培を命じた。
 縫製業といった軽工業が発達したアントワッペンで綿畑を作らせて綿織物を製造させ、次の桑の苗は予め桑畑を作らせ、後で『蚕』を輸入飼育し絹織物を製造させる予定だった。
 綿織物や特に絹織物はハルケギニアではまったくと言っていいほど見た事がなかった為、トリステイン随一の名産にさせるべく力を入れる予定だ。

 ひどい目にあったマクシミリアンだが、『結果的には良い方向へ向かう事が出来た』と活論付けた。



 

 

第二十七話 マクシミリアン・シンドローム

 マクシミリアンは13歳の誕生日を迎える頃には、トリステイン王国は空前の好景気に沸いていた。

 公共事業によって生まれた雇用で失業者は減り。農業改革によって食物が多く採れて、値段が下がり餓死者は減った。

 しかし、それはあくまで王領や改革に肯定的な貴族達の領地での出来事だった。
 マクシミリアンの改革を良しとしない一部の貴族たちは、未だに重税を課して領民を苦しめていた。
 絶えかねた領民の一部は、先祖から受け継いだ田畑を捨て、王領……取り分け王都トリスタニアを目指した。

 そういった訳で、現在、トリスタニアでは大量の流民が問題になっていた。

 トリスタニアの城壁前ではトリステイン全土からやって来た大多数の流民がテントを張り生活していて、大貧民街といっても差し支えないほどの規模に膨れ上がっていた。
 マクシミリアンは父王エドゥアール1世と協力して、炊き出しの準備と移住先を探す様に指示した。
 ……と、言っても移住先は半ば決まっており、深刻な労働力不足の北部開発地区に人夫として移住させる予定だが、受け入れ準備が整うまで城門前に置く事になった。
 炊き出し用の備蓄は全員分に行き届くか微妙だったが、幸いな事に貴族の一部に炊き出しの援助をしたりする者が現れた事で無事、流民全員を賄うほどの食糧が確保できた。
 彼らは全てマクシミリアンの『ノブレス・オブリージュ』に感化された者達で、その数は日に日に増えていった。

 ……

 トリスタニア市内にある王立劇場では、先代のフィリップ3世の活躍を劇にした出し物が上演されていた。
 演目は『英雄王のロレーヌ戦役』で、永らくゲルマニアと領土問題になっていたロレーヌ地方に侵攻したゲルマニア軍に対し、それに立ち向かう英雄王フィリップ3世と屈強な魔法衛士たちの活躍を描いたものだ。

 劇場内の来賓室には、豪華な椅子に座って演劇を楽しむ老齢の貴族が5人居た。

「先代フィリップ3世陛下が崩御されて幾分か経ったが、最近の若い連中の現状を先王陛下がご覧になられたら、なんと御思いになられるか」

「本当に嘆かわしい。平民どもに媚を売る貴族のなんと多い事か……まったく、トリステイン貴族の風上にも置けん」

 最近、増えている『軟弱な貴族』を心底嫌い、こうやって集まっては愚痴を言い合っていた。
 彼らは自らを『古き良きトリステイン貴族』を守る貴族の中の貴族、と位置づけていてマクシミリアンの改革に何かと口を挟んで来たし、昨今増えているマクシミリアンに感化された者たちを『軟弱で精神のイカレた奴ら』といって嫌っていた。
 もっとも、マクシミリアンにとって彼らは『声のでかい老害』でゆくゆくは排除すべき存在だち考えていた。

「しかし、このままではフィリップ3世陛下が愛されたトリステイン王国は滅んでしまうぞ。何とかしなければ」

「甥の領地では平民どもが一家総出で逃げ出して、税の取立てに難儀しているそうな」

「まったく、甘やかすからこうなるのだ、見せしめに、二、三人殺せば平民どもも黙るだろう」

「おお、そろそろフィリップ3世陛下の突撃の場面だぞ」

「ああ、これを見ないと始まらないな」

 演劇は佳境に入っていた。

 彼らは先代のフィリップ3世の精神的後継者も名乗っていた。
 『古き良きトリステイン国王と貴族』を体現した先王とそれに付き従う魔法衛士達の姿は、先王死後、十数年経った今でも色あせる事は無く、彼らの心の中に今だに生き続けていた。

 演劇の題目になっている『ロレーヌ戦役』は2回あり、いずれも大勝利を収めたが、あくまで局地戦での勝利で、賠償金は取れず、戦後、財政を悪化させてしまった。1回目は宰相として辣腕を振るったエスターシュ大公の手腕で破綻は免れたものの、大公失脚後の2回目では財政破綻寸前の所を、後のクルデンホルフ大公が大量の持参金を持って支援し、その功績でクルデンホルフ大公国を誕生させてしまった。

 何よりロレーヌ地方を完全に統一したわけではなく、帝政ゲルマニアは東ロレーヌを『ロートリンゲン』と呼称していて、数万の軍と空軍を駐留させ虎視眈々と西側の動向をを伺っていた。
 一方トリステイン側も、統一をさせまいと少ない領地で孤軍奮闘していた『風の大家』のロレーヌ公爵に対し大幅に加増をしてゲルマニアに対抗していた。

 マクシミリアンにとっては、祖父である英雄王フィリップ3世は、そのカリスマ性を含めても一定の評価はしていたが、クルデンホルフ大公国など多大な負債を後の世に残し、死んでも影響を与え続ける大変厄介な存在である事などから常々苦々しく思っていた。

『生者が死者に勝つには何をすればいいのだろう……』

 というテーマが、最近のマクシミリアンの悩みだった。

 ……話を戻そう。

「さて……そこで、わしに良い考えがあるのだが……」

 一人の老害がしたり顔で、周りの老害たちと顔を寄せ合った。
 
「実はな……数日後に城壁前の流民どもをマクシミリアン殿下自らが視察される」

「うん」

「そこで哀れなマクシミリアン殿下は、流民の中に紛れていた暴漢に襲われて重症を負われるのだ」

「おお!」

「重症の度合いにもよるが、何らかの形で廃嫡できれば、我々はアンリエッタ姫殿下を擁立して……」

「そこまでだ! マクシミリアン殿下襲撃の協議の現行犯で逮捕する!」

 老害の陰謀は最後まで語られる事はなかった。
 突如、来賓室のドアが破られ、10人ほどの男達が雪崩れ込んできて老害5人をあっという間に拘束した。

「何者だ! 我々を誰だと思っている」

「そんな、聞かれていた!?」

「貴方達がどういう者か良く知っている、後は王宮の地下牢で聞こうか……連れて行け」

「待ってくれ! 高等法院に連絡を……」

「その必要は無い」

「横暴だ!」

「おお、おのれぇ~!」

 後日、老害たちの家は揃って取り潰しになった。
 マクシミリアンは改革する、一方で密偵団を強化して陰謀を未然に阻止する事にも力を入れていた。
 この一件は、ほんの一部……少しずつだが不貞貴族はその姿を消していった。






                      ☆        ☆        ☆





「経済は順調、次は富国強兵だ」

 マクシミリアンの命令でトリステイン中の銃職人が新宮殿に呼ばれ、とある一室に集められた、銃職人達に対してマクシミリアンは熱弁をふるった。

「みんな、僕の呼びかけに答えてくれてありがとう。みんなに集まって貰ったのは他でもない、新型の銃の製作を命じたいのだが、早速だがこれを見て欲しい」

 マクシミリアンの前には質素なテーブル置いてあり、そのテーブルの上には、これまで集めた『場違いな工芸品』が並べられていた。
 マクシミリアンは『場違いな工芸品』の中から一つの小銃を選んで職人たちに見せた。
 この小銃は『Kar98k』といって、地球では主にドイツ軍が使用したボルトアクションライフルの傑作だ。
 他にも『M1ガーランド』『ブローニングBAR』『RPD軽機関銃』などが置かれていた。

「この小銃と、皆が作っているマスケット銃を良く見比べてくれ、この小銃とマスケット銃、何がどう違うのか、良く観察・研究して少しでもこの『場違いな工芸品』に近づけるようにして欲しい。もちろん報酬は弾むし出来うる限りの支援は約束しよう、しかし、技術を他国に売り渡すような真似だけは止めてほしい」

 最後に『出来るだろうか?』と聞くと、職人達も魔法至上主義のトリステインで冷や飯食らい生活だった為に、やりがいのある仕事に飢えていてのだ。職人達は、既にやる気十分で二つ返事で引き受けてくれた。

 ……

 王立劇場での、マクシミリアン襲撃計画の発覚で未然に防いだものの、未だに、きな臭い感じのトリスタニアでは、マクシミリアンの安全を考慮して流民への視察は無期限の延期になった。
 執務室でマクシミリアンはクーペと流民の件で協議していた。

「例の襲撃計画、未然に防ぐ事ができてよかったです」

「おかげで民衆と触れ合う機会が無くなったよ」

「ですが、流民の数が多すぎて正確な数すら把握できていません。正直なところ視察が無期延期になってよかったですよ」

「流民の中にスパイが居る可能性があるって事か……その辺は上手くやってくれ」

「御意」

「ああ、例の計画書、読んだか?」

「トリスタニアのアンダーグラウンドを一掃する計画……でしたね」

「うん、アントワッペンの一件もそうだけど、ああいった連中が不貞貴族の手足となって、悪さをするのが通例だからね、だったら手足を切り取ってしまえば、そうそう悪さも出来ない」

「実は、殿下の御言いつけ通りに、現在、詰めの作業を行っているところです。朗報をお待ち下さい」

「そうか採用したのか、任せたよ」

「御意」

 数週間後、全密偵団員を動員してトリスタニアの『掃除』が行われる事になる。








                      ☆        ☆        ☆





 ひとまず、流民たちの受け入れの準備が出来たと報告があり、エドゥアール王は王軍の一部を護衛に付けさせた。
 この護衛には、マクシミリアンに感化された貴族……『マクシミリアン派』とでも言おうか、彼らも同行して事で貴族と民衆との間も狭まったように思えた。

 ミシェル・ド・ネルはアントワッペンの反乱以来、マクシミリアンの提唱する『ノブレス・オブリージュ』に傾倒し、勉強や魔法の鍛錬に明け暮れ、時間が空けば家人たちを連れて奉仕活動をしていた。
 当然、今回の流民騒ぎをミシェルは黙っているはずも無く、父に頼み倒して僅かな備蓄を持って駆けつけ炊き出しの指揮を取った。

「貴族様、大変ありがとうございます」

「ありがとうございました」

「ありがとう、貴族様!」

「そ、そうか、皆、向こうでも元気で」

 動き安いようにと男装姿のミシェルは、王軍に護衛され、新しい土地へと去って行く流民を眺めていると、老若男女、様々な人々から感謝の言葉を贈られた。
 照れながらも、手を振り返すミシェルに注がれる視線は暖かかった。

(私は間違ってはいなかった!)

 内心、握りこぶしを握っているとミシェルを呼ぶ声が聞こえた。

「ミス・ネルでございましょうか? 殿下がお会いしたいと仰っております。至急、新宮殿までお越し下さい」

「え? 殿下が……でございますか。分かりました、すぐに参ります」

 ミシェルは家人たちに後の事を任せると、持ってきた馬に飛び乗り新宮殿へと向かった。

 ……

 新宮殿に到着したミシェルは、謁見の間へ通された。

 謁見の間には、炊き出しに参加した貴族が数人居てお互い会釈をし合った。炊き出しの最中、友誼を結んだ者が居たからだ。

「マクシミリアン王太子殿下、ご入来!」

 家臣がマクシミリアンの入来を告げると、ミシェルを含めた貴族たちは一斉に頭を下げた。

「皆、この度の一件、真に大儀だった。民衆の護衛の為にこの場に居ない者たちを含めて、このマクシミリアンこの場を借りて礼を言おう」

 静寂が謁見の間を包み、マクシミリアンは続けた。

「多くの貴族が私財を提供してくれたおかげで、民衆は飢えることはなかった。父、エドゥアール1世陛下も大層お喜びだ。そして、その献身と忠誠に報いる為に諸君への謝状と金一封を預かっている。略式で恐縮だが、名前を呼ばれた者は、前に出て受け取って欲しい」

『ハハッ、ありがたき幸せにございます』

 家臣が一人一人名前を呼んで、マクシミリアンが謝状と金一封を渡した。

 入室したのが最後だった事で一番最後に呼ばれたミシェルは、ぎこちなくもマクシミリアンの前に出た。

「あの日以来だが、元気そうで良かったよ」

 ぼそっと周りに聞こえないように喋り、謝状と金一封を渡した。
 一方、ミシェルはマクシミリアンが覚えていてくれた事に感激する余り、それから後の事は覚えていなかった。

 この日以来、マクシミリアンに感化するものが更に増える事になった。
 当然、この状況を面白く思わない者も居るだろう。
 それらをいかに排除するか、マクシミリアンと彼の思想に傾倒した者達の奮闘は続く……

 

 

第二十八話 魅惑の妖精亭にて

 ある日のトリスタニア。

 執務室で政務を行っていたマクシミリアンは、婚約者のカトレアから手紙が届いた。
 ホクホク顔で届いた手紙を読むと奇妙な事が書かれていた。

 カトレアの妹のルイズ・フランソワーズが、今年、魔法の練習を始めたのだが、奇妙な事に唱える魔法全てが爆発するというのだ。
 これにマクシミリアンも大いに首を傾げた。

(失敗するのなら、普通は何の反応も無いはずだ)

 マクシミリアンの場合は火のルーンを唱えても何の反応も無い、その事と比べてもルイズの現象はまったく説明できない不可思議な現象だった。

(弱ったな、詳しく調べてみないと何も分からないぞ)

 どうした物かと頭をひねる。

(あ、ルイズを口実にカトレアに会いに行こうか)

 不届きな事を考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

「失礼します」

 入室したのは、ワルド夫人だった。
 彼女は、虚無と大隆起の研究を一任されて、謎の隆起によって永らく廃都になっていたブリージュへの捜索チームに同行していた。

「ご苦労様、ブリージュの旅は如何でしたか?」

「地下を掘り進んでいましたら、大変、興味深い物が見つかりましたわ」

「へぇ、どういったものです?」

「3メイルはあろう巨大な風石です。余りに巨大なので運搬に難儀しておりまして、トリスタニアに到着するのは数日後の予定です」

「では、その巨大風石が大隆起の?」

「詳しく調べない事には何とも……ともかく、風石が到着次第、研究を始めたいと思います」

「ハルケギニアの未来がかかっています。どうか、手抜かりの無いよう、おねがいします」

「御意にございます」

 ワルド夫人が退出しようとすると、マクシミリアンは何かを思い出したように、夫人を呼び止めた。

「ああ、そうだ。ワルド夫人は、以前、王立魔法研究所に勤めていたのでしたよね?」

「はい、おっしゃる通りでございます」

「意見を聞きたい事がありまして。実は……」

 マクシミリアンはカトレアの妹、ルイズの謎の爆発について意見を求めた。
 ワルド夫人は、数分考えると口を開いた。

「詳しく調べた訳ではないですから、何とも言えませんが……もしかしたら、ミス・ルイズには何か秘められた力があるのかも知れません。例えば、まったく新しい系統、もしくは……虚無」

「虚無!?」

 マクシミリアンは驚きの声を上げた。

「以前、夫人は虚無が復活すると言っていましたが……よりによってルイズに?」

「ですが、まだ覚醒していない様に思われます」

「……とにかく様子を見よう、夫人は風石の調査と平行して虚無の研究をしてもらう。それと、この一件は口外しないように、もちろんルイズ本人にも」

「御意」

 ワルド夫人は一礼して執務室を退室した。

(どうしようか、大隆起を止める鍵になる虚無。その使い手の可能性のあるルイズを保護すべきか……う~ん)

 ルイズを手元に置くべきか、何よりワルド夫人の言葉を信じるか、散々悩むと、カトレアへの返事にルイズが虚無の使い手である事を匂わせる様に書いた。勘の鋭いカトレアなら気付くだろう。それと、ルイズの事を色々フォローするように付け加えた。
 返事を書き終わると無意識に窓から空を見上げた。

「虚無かぁ……はぁ、今のオレには虚無よりもカトレアだよ」

 手紙のやり取りはしていても、もう1年以上も会ってない。
 時間が空くと、空を見ながら溜め息をつく回数と比例して、酒量も多くなり家臣たちを心配させていた。








                      ☆        ☆        ☆






 数週間後、以前から計画されていた、トリスタニアの大掃除が決行された。

 最初に目を付けられたのは、裏通りのチクトンネ街。
 多数の酒場や賭博場に、たむろするヤクザ者を次々と取り締まり、他にも無届の娼館、ご禁制の秘薬を売る露天商等々を摘発していった。
 また、ホームレスといった者達もターゲットにされた。

 特に無届の娼館は、安く女を抱かせてくれる為、労働者には好評だったが、軒並み潰されてしまい一部の労働者から怨嗟の声が上がった。
 娼館で働いていた女達は、故郷に帰すか別の働き口を紹介した。

 この大掃除でヤクザ者と裏で繋がっていた不貞貴族も、ある程度摘発する事ができたが、ほとんどは脇の甘い連中ばかりで、大物を釣り上げる事は出来なかった。
 ちなみに捕まったヤクザ者やホームレスは、労働力として北部開発区の人足寄せ場に放り込まれた。
 人足寄せ場とは、犯罪者などを社会復帰させるために職業訓練を行う場所だ。

 少量の血が流れる事を覚悟していたが、その様な事は起こらず、結果的に、ヤクザ者や一部の不貞貴族を排除した事で、トリスタニアのアンダーグランドは人畜無害な連中ばかりになった。
 一方、民衆の反応はいうと、ヤクザ者と手を組んで儲けていた者も居たし、少々苛烈だった為か評価は半々だった。

 ともかく、不貞貴族の手足となる者たちは排除された。

 ……

 この日、マクシミリアンはチクトンネ街にある大衆酒場兼宿場『魅惑の妖精』亭の前に居た。
 この時はまだ『大掃除』の真っ最中で、市民に扮した密偵団員が秘密警察宜しくトリスタニア市内を歩き回っていた。

 マクシミリアンは『水化』の魔法を応用して、何処にでもいる様な普通の青年に姿を変えていた。

 何故、この様な所に居るかというと、カトレアに中々会えない寂しさを紛らわす為の気晴らしだった。

「あら~♪ ナポレオンちゃんいらっしゃ~い♪」

 『魅惑の妖精』亭の店主スカロンが、自慢の肉体をクネクネさせながら入店したマクシミリアンを迎え入れた。

下町(ブルドンネ)のナポレオン』

 と名乗り、マクシミリアンは『魅惑の妖精』亭の常連になっていた。

「こんにちは店長、今日も楽しませて貰うよ。コレ、ジェシカちゃんに渡してあげて」

 マクシミリアンはスカロンに安物のぬいぐるみを渡した。ちなみにジェシカとはスカロンの娘で今年で5歳になる。ルイズと同い年だ。

「トレビアァ~ン! ありがとうねぇ~ん、ジェシカも喜ぶわぁ~♪」

 先月、スカロンは妻を亡くし、その日以来オカマな物腰と言動の変態になってしまった。
 ジェシカも母を亡くしたショックで一時、塞ぎこんでいたが、生来の芯が強さとスカロンたちの励ましで、現在は元気を取り戻していた。

「いらっしゃいませ~、お席へどうぞ」

 スカロンと別れ、見目麗しい店員に案内されたマクシミリアンは一時の安息を楽しむ事にした。

 ……

「最近ね、チクトンネ街にマダム・ド・ブランの洋服を扱う店が出来たの」

 マクシミリアンに宛がわれた女の子は、マリーという名前で抜群のプロポーションを持ち、店では5本の指に数えられるほどの人気を誇っていた。
 ちなみにマクシミリアンは、ポケットマネーから酒代を出している。

「マダム・ド・ブランか、最近良く効く名前だな、そんなに良い服を扱っているのか?」

「なんでも、何人かの芸術家のパトロンをやっていて。その芸術家達にデザインを任せているそうよ」

「へー」

「ねぇ、ナポレオンさん、今度、その店を見に行かない?」

(要するに買えということか)

 もとよりマクシミリアンは、火遊びはするつもりは無い。

「そうだな~、どうしようかな」

 考えるそぶりをした。
 マリーを始めこの店の女は男を相手にするプロだ、この言葉で脈が無い、と踏んだ。

「あ、他のお客さんが呼んでるから、また指名してね」

「あらら、ふられちゃった」

 マリーは去り、マクシミリアンは一人酒をしていると、スカロンの娘ジェシカが寄って来た。

「おお、ジェシカ。元気になったみたいだな、お兄さん嬉しいよ」

「ナポレオンの兄さん、人形ありがとう、大事にするわ」

 ハルケギニアでは珍しい黒髪をなびかせ、ジェシカはマクシミリアンの隣に座った。

「お酌するわ」

「お、ありがとう」

 空になった木杯にワインを注いだ。

「美味しい?」

「……うん、美味いよ、何処のワイン?」

「タルブ村、私の実家がある所よ」

 相手は五歳という事もあって、ママゴトの延長みたいな酒の相手だったが、ジェシカは甲斐甲斐しくマクシミリアンの相手をした。傍から見れば年の離れた夫の世話を焼く幼な妻に見えたかもしれない。

 ……

 マクシミリアンが『魅惑の妖精』亭に出入りする様になった時期は、ちょうどジェシカの母が亡くなり塞ぎこんでいた頃だった。
 『水化』で変身して、酒の飲める場所を探していると、『魅惑の妖精』亭の前で一人の少女に出会った。

「そこのお嬢ちゃん、この店は飯も食えて酒も飲めるのか?」

「そうよ、看板見れば分かるでしょ。『魅惑の妖精』亭……何百年と続く店よ」

「そうか、ありがとう……ところで、何でそんなに暗い顔をしてるんだ?」

「別にどうもしないわ」

 目の前で泣きそうな娘が居たら、放っておけない性質のマクシミリアン。
 少女を励ます為に、水の魔法で作ったシャボン液と、道端に咲いていたタンポポの茎で作ったストローをプレゼントした。

「なにこれ?」

「シャボン玉だ、遊び方はこうやって……」

 シャボン液をそこら辺に転がっていた木杯に入れ、ストローでかき回した。
 マクシミリアンは、ストローを吹くとシャボン玉が屋根まで飛んだ。

「わぁ……」

 ジェシカは驚きの声を上げた。

「遊び方は分かったろう? ほら、あげる」

「いいの?」

「かまいやしないよ」

「ありがとう!」

 にっこりと子供らしい笑顔になった。

「名前教えて、『魅惑の妖精』亭で食べるんだったらサービスしてあげる。私、ジェシカ。この店の娘だから」

「親御さんに悪くないか? まあ……いいか、オレは下町(ブルドンネ)のナポレオンだ」

「変な名前」

「ほっとけ」

 ハハハ、と笑いあい。ジェシカはシャボン玉を吹こうとタンポポのストローに口をつけた。

「関節キスだね」

「ませた娘だな」

 ジェシカが作ったシャボン玉は、狭い路地裏から青い空へと昇っていった。

「……お母さんの所へ届くといいな」

 とつぶやいた事を、1ヶ月経った今でも覚えている。

 十分に料理と酒、女の子(幼女)を堪能したマクシミリアンは、支払いを済ませ『魅惑の妖精』亭を出た。

 店を出る際に、酒の相手をしてくれたジェシカにチップとしてエキュー金貨を1枚渡した。

「ほら、チップだ」

「ありがとう、また来てね、待ってるから」

「ああ、またな」

 ジェシカはマクシミリアンの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。





                      ☆        ☆        ☆





 ほろ酔い気分でブルドンネ街を歩いていると、市民達が集まり騒ぎになっていた。

「あれはいったい、何の騒ぎだ?」

 遠巻きに見ていた市民達に聞いてみる。

「ついさっきまで、大捕り物があったんだ」

「いや、凄かった、まるで獣みたいな女の子だったよ」

「女の子?」

「ああ、散々暴れてな。大人数で押しつぶされて、あの馬車に放り込まれた」

「こっちに来る」

 人だかりを掻き分け、馬車が近づいてきた。
 マクシミリアンが、御者座を見ると知っている者が乗っていた。

(やっぱり『大掃除』に関係してるのか)

 そう判断し荷台の方を見ると、思わず目を疑った。

「あの女の子、アニエスか!?」

 ボロボロの擦り傷だらけだったが、見覚えのある短い金髪だった。

「おお~い! そこの馬車、待ってくれぇ~!」

 マクシミリアンは路上に飛び出し、馬車を止めようと前に躍り出た。

「おおおお! 馬鹿野郎! 死にたいか!」

 辛うじて止まった馬車。
 当然、御者はマクシミリアンを怒鳴りつけた。

「そこの女の子は、僕の知り合いだ、逮捕は待ってくれないか?」

「お前が誰かは知らんが、引き渡すわけにはいかん。ついでにお前もしょっ引くぞ」

 マクシミリアンは『水化』で変身中なのを思い出し懐中から杖を出して自分の頭を叩いた。
 叩いた箇所から波紋が発生し、元の姿に戻った。

「でで、殿下! 何故この様な所に!?」

 周囲の人々は驚いた顔で、マクシミリアンを見た。
 何よりアニエスの驚愕振りは凄まじい物だった。

 

 

第二十九話 思わぬ再会


 あの後、マクシミリアンは、アニエスを連れて新宮殿に戻った。
 道中、アニエスは一言、『王子だなんて』と呟くと、それから後は何も喋らず、マクシミリアンの後を付いて行くだけだった。

 尋問する別室に連れて行かれる前に、アニエスは服を脱がされ身を清められ傷も治療された。

「で、どうしてアニエスはヤクザ者と一緒に居たんだ?」

 別室では、真新しい服に着替えさせられたアニエスをマクシミリアンが問いただしていた。

「……」

「アニエスどうして何も喋らない」

「……」

 マクシミリアンはため息を吐き、控えていた家臣に報告をさせた。

「ヤクザ者たちを締め上げて聞き出した事によりますと、この少女はしばしば、ヤクザ者の溜まり場に顔を出し銃や剣の修行をしていたようです」

「銃や剣の?」

「御意」

「アニエス? 君は一体何をしようとしてたんだ?」

「……」

 だが、アニエスは喋らない。

「おい、殿下が聞いておられるのだ、言われた事はちゃんと答えろ」

 態度の悪いアニエスに家臣が注意した。

「まあ、彼女もこんな所に連れて来られて混乱してるんだろう」

 マクシミリアンはフォローを入れた。

(だが、どうしたものか……)

 と頭を捻っているとミランが息せき切って入ってきた。

 ミランが遅れたのは憲兵本部や密偵団に顔を出して平謝りしてきて遅れたからだ。

「殿下、このたびは、わが娘の不始末に対し……弁解の使用もありません。しばらく謹慎したく思います……許可を頂けませんでしょうか」

 ミランは沈んだ声で謹慎を申し出た。

「こんな大事な時期に馬鹿を言うな。まぁ……一先ず席に着け。で、アニエス、どうするつもりだ、このままでは埒が明かない」

「……」

「ならば……ダングルテールの大火の一件と何か関係あるのか?」

 マクシミリアンの問いに、アニエスはようやく重い口を開いた。

「あれは大火じゃ、大火事なんかじゃない!」

「お、ようやく喋ってくれたな。で、いったい何があったんだ」

「虐殺だ! 家族もみんな殺された!」

「……うん」

「それは本当か!?」

 ミランが驚きの声を上げた。
 アニエスはダングルテールで起こった事を語りだした。
 ダングルテールを突如襲った、謎の集団によって全滅した事等々、今まで溜め込んだモノを吐き出すように語った。

「……で、アニエスは故郷を全滅させた奴への復讐の為に剣や銃の鍛錬をしていたって事か」

「……」

 アニエスは俯いたまま、コクンと頷いた。

「ミランに、父親にこの事を相談せずに、事を始めたのか?」

「メイジは敵だから」

「アニエス……」

 ミランは悲しそうな顔をした。

「アニエス、君は復讐を諦めるつもりはないのか?」

「無いわ」

 ハッキリと言った。

「う~ん」

 マクシミリアンは椅子に深々と座り直した。
 妙に落ち着きを払っていたのは、予めクーペからダングルテールの件で報告書が届いていたからだ。

 報告書では王立魔法研究所(アカデミー)直属の『実験小隊』と呼ばれる特殊部隊が、新教徒狩りの為にダングルテールで虐殺行為を行った……と書かれていた。

 首謀者はリッシュモン伯爵でロマリアからの要請で行われた。この虐殺によってロマリアから多額の献金がリッシュモンに送られ、この金で高等法院の院長の椅子を買い、多数派の派閥の長になった。

(この情報は、リッシュモンの派閥を切り崩す武器になるんだが……)

 マクシミリアンは迷った。本心はアニエスの復讐の手助けをしてやりたいが、余りにも相手は巨大だ。下手に藪を突けば蛇が出てトリステインを二つに割るかもしれない。

 だからこそ、不貞貴族を取り締まり、リッシュモンら不貞貴族達権力をの少しずつ削って、いずれはトリステインに出血を課さない改革、もしくは少量の出血での改革がしたかった。

「はぁ……今日は、もう遅い。ここまでにしてまた明日にしよう」

 窓の外は暗くなっていた。
 結局、マクシミリアンは決断は出来なかった。

「アニエスを客室に通してくれ。それと、ミランは残ってくれ。では、解散」

 家臣たちは次々と退室して、アニエスも逃げないようにガッチリ警備されて退室した。
 部屋を出る途中、一瞬、マクシミリアンと目が合った。

 皆、退室し、部屋は二人だけになった。

「監督不行き届きだなミラン」

「……弁明の言葉もありません」

「それにまだ、仲良く出来てないか」

「どうも、嫌われているようでして」

「はぁ……、まぁいい、一つ聞きたいんだが、ミランはアニエスの復讐を手助けするつもりなのか?」

「私は……あの娘のためなら命を厭いません。許可を頂けるのでしたら、助太刀するつもりです」

 マクシミリアンは、意外に思った。てっきり復讐に反対かと思ったからだ。

「お前は要職についている、助太刀は許されないよ、やるなら彼女一人でだ。だけど今、リッシュモンを殺したら不貞貴族どもが反乱を起こすんじゃないか、僕はそれを懸念してる。」

 そして、『それに、今の彼女では返り討ちされるのがオチだ』と付け加えた。

「……」

「今、リッシュモンを殺るのは危険だ。もっと奴らの権力を削がないと」

「はい」

「そこでだ、しばらくアニエスを新宮殿に住まわせようと思う。これは彼女に勝手な事をさせない為の処置だ」

「……分かりました。アニエスの事、宜しくお願いします」

「ああ」

「アニエスが本懐を遂げましたら、後はあの子の好きなようにさせては頂けませんでしょうか?」

「ん、いいだろう、仕官でも婿探しでも、彼女の望みは叶えよう」

「ありがとうございます。世間一般ではわが子が復讐に燃えているのなら止めてやるのが筋でしょうが、私は背中を押してやる事を決めました、罰を受けるのならば家族一緒に受けます。どの様な結末になってもあの子は私達夫婦の娘ですから」

「君たち親子が、和解する事を祈っているよ」

 話も終わり、席を立とうとすると。

「……あの殿下、一つお聞きしてよろしいでしょうか?」

 ミランは質問を求めてきた。

「ああいいよ」

「前々から疑問に思っていたのですが、殿下はアニエスの事を知っておられるのですか?」

「ん? ああ……知ってるよ。ちょっと市内を探索していた時に、ね」

「そうでございましたか」

「アニエスは友達さ、だから何とかしてやりたいと思っている。浪花節で政治をするのは危険だがね」

「ナニワブシ?」

「ああ、こっちの話」

 



                      ☆        ☆        ☆ 





 夜は深まり新宮殿を始めトリスタニアの殆どの者が寝静まっていた。

 マクシミリアンの自室では、遊びと勉強に来ていたアンリエッタが、くーくーと寝息を立てていた。

 マクシミリアン本人はというと、バルコニーに出て『Marines' Hymn(アメリカ海兵隊賛歌)』を鼻歌で歌い、片手にワイングラスを持ワインを楽しんでいた。昼間に散々飲んだのにまだ飲み足りなかった。

 マクシミリアンは、ほろ酔い気分で歌を歌い夜風に涼んでいると、バルコニーの下の方から何かが落ちる音を聞いた。

 下の方を覗いてみると、何か黒い影が走って遠ざかっているのが見えた。
 マクシミリアンは、『ライト』を唱えたが、四階建ての高さからでは光は地上まで届かない。
 次にマクシミリアンは、『目からサーチライト』を発した。

 『目からサーチライト』とは『目から破壊光線』の応用で、その名のごとく目からサーチライトを出す事ができて、目にも優しい為、ちょっとした明かりが欲しい時など大変便利だった。

 走り去る影にサーチライトを当てると、そこの居たのはアニエスだった。

「あの馬鹿!」

 捕まって早々に逃げだしたアニエスに、マクシミリアンは呆れた。
 マクシミリアンは杖を出して、走るアニエスに対し『レビテーション』を唱えると、アニエスは走った状態で足をバタバタさせながら浮かんだ。

「離せ! 離せ!」

 アニエスはマクシミリアンの居る4階のバルコニーまで運ばれ、『レビテーション』を切ると、お尻から落ちた。

「痛たた」

「アニエス、馬鹿かお前は」

「ナポレ……!」

 痛そうにお尻をさするアニエスの前にしゃがみこみ、にらめ付ける様に目線を合わせた。

「せっかく丸く治めようってのに、僕を親父さんの努力を無駄にするつもりか」

「……どうして」

「ん?」

「どうして、メイジだって……よりよって王子だって黙ってたんだ。嘘を疲れてショックだった」

「それは……ん~、騙すつもりはなかったけど、結果的に騙す事になってしまった。ごめん」

「私は、私は嘘が嫌いなんだ」

「ああ」

「嫌いなんだ」

 アニエスはポロポロと涙をこぼした。

「……ごめん」

 マクシミリアンは胸を貸してると、アニエスは押し殺すようにマクシミリアンの胸の中で泣いた。

「なあ、アニエス」

「うん」

「聞いたよ、メイジが嫌いなんだって?」

「……うん」

「今までのメイジは、ろくでもない連中ばかりだったけど、最近のメイジは違うだろ? 平民を大事にする者たちも増えてきている、たとえばアニエスの親父さんとかさ……」

「……本当は嫌いじゃない」

「うん?」

「あの人の事、本当は嫌いじゃない」

「そうか、それなら仲直りできるよな?」

「……それは」

「今更、仲直りできないって言うのか?」

「きっと、あの人、私のこと嫌ってると思う」

(何なんだ、この親娘)

 マクシミリアンは思わず頭を抱えた。

「ミランはさ、アニエスが復讐に走る事を止めなかった。それどころか、積極的に支援したいってさ」

「……あの人が」

「それに、『どの様な結末になってもあの子は私達夫婦の娘ですから』だってさ良い親じゃないか」

「……」

「もう、この際だからはっきり言うけどさ、いい加減にお前ら仲直りしろ」

 キッパリと言った。

「……でも、あの人が」

「さっきから、あの人あの人って、うるせーよ! パパなり、お父さんなり言え」

「……ごめん」

「まったく……オレに謝るなっつーの。後で謝っておくようにな」

「分かったよ」

 マクシミリアンは、コホン、と一つ咳をした。

「話は戻るが、アニエスの言う『仇』だがな、僕達はその情報を掴んでいる」

「本当か!!」

「シッ、アンリエッタが起きる」

 マクシミリアンは人差し指を口に当てた。

「ご、ごめん」

「アニエスの仇は何人か候補が居る。一人目はロマリア教皇、『ダングルテールの虐殺』はロマリアの新教徒狩りが本来の目的だからな。二人目はトリステインのリッシュモン伯爵、この男がロマリアからの以来を受け『ダングルテールの虐殺』を首謀した男だ。三人目は魔法研究所(アカデミー)の実験小隊隊長コルベール。この男が『ダングルテールの虐殺』の実行犯だな」

「……」

 アニエスはギリリと歯噛みした。

「アニエスは誰を仇にするつもりだ? トリステインの王子として言わせてもらうがロマリア教皇を仇にするのは止めてほしいね。ロマリア教の腐敗振りはトリステインの貴族以上にひどいが、その権力は健在だ」

「実験小隊隊長コルベールという男。薄っすらだけど覚えがあるわ」

「コルベールの事だがな。虐殺後、小隊を脱走し世間から隠れるように魔法学院の教師をしているそうだ」

「脱走を?」

「そう、脱走。どうも(やっこ)さん、作戦内容を知らされてなかったらしい」

「……」

「自分のした事に、良心の呵責を覚えたのかもな。アニエスはどう思う?」

「私はあの日、誰かにおぶさっていた記憶があるわ」

「ひょっとしたら、アニエスをおぶっていた者はコルベールかもな」

「分からないわ」

「で、どうする? コルベールを仇に決めるかい? 実行犯だぞ」

「……最後の一人はどういう奴なの」

「最後のリッシュモン伯爵は、虐殺によってロマリアから多大な献金を受け取って自身の権力増大に役立てたやり手だな。現在、高等法院の院長で多数の貴族達を従えている、トリステイン切っての権力者だな。僕でも早々手出しできない」

「……リッシュモン!」

「今は無理だが、行く行くは仇討ちの機会を作ってやろう。どうするアニエス? どうしても今すぐ仇討ちがしたければ懺悔しているコルベールで手を打っておくか?」

「コルベールは、今でもあの日の事を悔やんでいるんでしょ? 私を試すような事言わないで」

「そうだったな」

「……リッシュモン、その男が」

 アニエスは討つべき相手を定めた。

 ……

「私はこれからどうなるの?」

「しばらくは新宮殿で寝泊りして貰う。希望するなら銃や剣の鍛錬に指導者を就けてもいい、以前にヤクザ者から教わっていても所詮は素人戦法だからな」

「うん、ありがとう……助かる」

「礼なんか言うなよ。勝手なことをしないように僕達の都合で引き入れたんだから」

「ナポレオン……じゃない。ええっと」

「マクシミリアンだ」

「その、マクシミリアン……殿下は、私の仇討ちに対してどう思われて……オラレルノデスカ?」

「そう畏まらなくて良いよ。そうだな友達が復讐に燃えているのは悲しいけど、何とかしてやりたいって思うよ」

「そう……」

「でもさ、アニエスが本懐を遂げたら、後はどうするんだ?」

「え? それは……考えた事もなかった」

「読み書きは出来るのか? 他に何か生活の糧になる特技はあるのか?」

「な、なにも」

「復讐に成功しても後の人生のダメダメなら、意味無いだろう。いい機会だから、貴婦人修行も予定に入れよう」

「い、いらないよそんなの」

「はっきり言うけどさ。アニエスは器量良しだぞ、きっと美人になる、保障するよ。その美人が口を開いた途端、メスゴリラに成るなんて、僕は耐えられないよ」

「メスゴリラが何か分からないけど、多分、馬鹿にされてるんだと思う」

「ははっ、それはさて置き、読み書き、計算、貴婦人修行を全部予定に入れるからな。真っ当な人間に戻ってもらわないとな」

「ええ~っ」

 そこには、復讐に人生を捧げた少女の姿は無く。何処にでも居る年頃の少女の姿があった。 

 

第三十話 アニエスの新生活


 次の日、新宮殿で寝泊りすることになったアニエスはメイドに案内され、とある部屋に到着した。

 部屋えはアンリエッタが椅子に座り足をパタパタさせ誰かを待っているようだった。

「おはよーございます。あなた誰?」

「お、おはようございます。アニエスと申し……マス」

「わたし、アンリエッタ!」

 元気良く言った。

「お、揃ってるな」

 遅れてマクシミリアンがやって来た。

「おにーさま、おは! よー! ございます!」

「おはよう、アンリエッタ。アニエスもな、おはよう」

「お、おはようございます」

「早速だが勉強会を始めよう。今日から一緒に勉強する事になったアニエスだ」

「よ、よろしくお願いします!」

「よろしくおねがいしまーす」

「うん、二人とも仲良くな。さて、アニエスが加わった事で授業内容を変更して、初歩的な読み書きに戻る。アンリエッタは前に習っていた箇所だけど、しっかり勉強していれば分かるはずだ。さ、始めよう」

 マクシミリアンは、パン、と拍手(かしわで)を打つと授業に取り掛かった。






                      ☆        ☆        ☆






 アニエスが新宮殿に住む様になり数日が経った。

 アンリエッタと仲良くなる事ができ、ある程度は読み書きが出来る様になったが、アニエスは不満だった。
 元々、仇討ちに必要な技術を得る為に、新宮殿に住むようになった筈だったが、一度も剣や銃の鍛錬の時間は割り当てられた事は無かった。
 仕方なく、空いた時間をジョギングなどの軽い運動に当てて身体が鈍るのを防いでいた。

「ミス・ミランは居られますかな?」

 マクシミリアンお付の執事、セバスチャンがアニエスの部屋にやって来た。
 最初、『ミス・ミラン』が誰か分からず、ポカンとしていたが、自分の事と分かるまで数秒掛かった。

「あ、スミマセン! 何か御用でしょうか?」

 多少の礼儀作法も叩き込まれていた。

「午後の予定ですが、マクシミリアン殿下は急遽、王宮へ向かう予定が入りまして、午後の勉強会は中止となりました」

「あ、そうですか。わざわざ、ありがとうございます」

「そこで、マクシミリアン殿下より、ミス・ミランを演習場へ案内するように仰せつかっております」

 セバスチャンの言葉に、アニエスは顔に喜色を浮かべた。

「いよいよ鍛錬させてもらえるんですか?」

「はい、動きやすい格好でお願いします。詳しい事は正面玄関前で説明いたします……では失礼します」

 それだけ言うと、セバスチャンは退室した。

 ……

 午後、新宮殿の正面玄関前で、アニエスは言われたとおりに、動きやすい格好でセバスチャンを待っていた。

 新宮殿はそれ自体が町の様なもので、大小、様々な建物が建っていた。
 立ち並ぶ建物の中で、一つだけモクモクと黒煙が昇る異彩を放つ建物があった。
 
「煙の昇ってる建物、ひょっとして火事なんじゃないですか?」

 アニエスは門の前に立っている衛兵に聞いてみたが、銅像の様にピクリとも動かない。

「あの建物は、ミスタ・ラザールの研究所です。火事ではありません」

 答えたのは、セバスチャンだった。
 セバスチャンは、一頭立ての小さな馬車に乗ってやって来た。

「研究所……ですか?」

「日々、怪しい研究が行われていると、もっぱらの噂です」

「大丈夫なんですか?」

「まぁ、『知らぬがブリミル』と殿下も申しておられましたし、我々が知る事ではないのでしょう。さ、早速参りましょう」

「はい」

 アニエスは助手席に座り、馬車は目的地に向かって走り出した。

 後にラザールの研究所は、『水蒸気機関』や『TNT火薬』など、様々な異色の発明品を魔法の世界に送り出す事になる。

 ……

 アニエス達を乗せた馬車は広い新宮殿の敷地を進む。

 敷地内にある広大な練兵場では、軍楽隊の行進曲(マーチ)に合わせて小銃を担いだ歩兵が行進していた。
 ちなみに行進曲は、マクシミリアンが前世で好きだった『La Victoire est a nous(勝利は我がもの)』を、持ち前の絶対音感で耳コピして発表していた。
 現在、『Kar98k』のコピー銃を作成中だが、時間がかかるため『つなぎ』として、既存のマスケット銃に改造が加えられた。
 改造例として、銃身内にライフリングが施され、円錐型の銃弾を採用し、地球で言う『ミニエー銃』に改造された。
 この改造によって、以前のマスケット銃では100メイルほどの射程だったが、ミニエー銃では400~500メイルに向上した。

 馬車は練兵場を過ぎて敷地の奥へ奥へと進む。

「……?」

 アニエスは不審に思った。
 先ほどから、すれ違う人がまったく居なくなったからだ。

「ここから先は、無断に入れば命の無い、トリステイン王国の秘密区画です」

「秘密区画……」

「ミス・ミラン。許可を出したマクシミリアン殿下の信頼を裏切るような行動は、どうか慎んで頂きたい」

「……」

 セバスチャンの言葉にアニエスは無言で頷いた。

 ……

 更に馬車は進み、地球で言う倉庫の様な巨大な施設に到着した。

「ここです」

 セバスチャンは馬車から降りると、倉庫前に行き、アニエスも慌てて後を追った。

 分厚い鉄製の扉の前では、7メイルほどの大型ゴーレムが衛兵を務めていた。
 アニエスたちが近づくと、ゴーレムは引き戸式の鉄扉を開け中に入るように促した。

「ミス・ミラン。ここから先はお一人で……」

「分かりました。ここまでの案内、ありがとうございました」
 
 アニエスは頭を下げると中に入っていった。
 倉庫の中は、地球で言うアスレチック施設の様なものがあり、何人かの男達がロープ渡りや、CQBなどの訓練を行っていた。
 だが、アニエスにはこれらが何の為の訓練なのか分からない。

「お、良く来たな、話は聞いている」

 近代的な軍服に身を包んだ、男がアニエスに近づいてきた。

「俺はコマンド隊隊長のド・ラ・レイだ」

「よ、よろしくお願いします!」

 前年のアントワッペンでの失敗を糧に、マクシミリアンの肝いりで結成された『コマンド』は隊員数僅か30名弱の小さな規模だが全員が『場違いな工芸品』で武装された特殊部隊だ。
 主な任務は、空挺作戦による強襲・後方かく乱・要人救出など、状況に応じて様々な任務が課せられる。

「さて、自己紹介は追々やるとして、まずは体力訓練から始めようか。ロープ渡り、ロープ登り等々、室内の施設を使って延々体力づくりだ」

「銃は撃たせて貰えないんですか?」

「いきなり、銃を撃たせるわけないだろ。それと、訓練期間中は俺の指示には絶対服従だ、一切の反論は許さない。分かったらさっさと始めろ時間が惜しい!」

「は、はい!」

「ここじゃ『はい』じゃなく『コマンドー』だ」

「え!? コマンドー?」

「つべこべ言うな、コマンドーだ」

「コ、コマンドー」

「声が小さい!」

「コマンドー!」

「もっと強く!」

「コマンドー!!」

「よし行け!」

「コマンドー!!」

 かくして、アニエスの地獄の訓練生活が幕を開けた。
 
 この倉庫の様な施設は秘密主義が徹底され、周辺を衛兵やメイジたちが巡回し、銃声などの音が外に漏れないように『サイレンス』が24時間かけられていた。
 他にも地下射撃場や地下演習場に『場違いな工芸品』の倉庫が有った。

 参謀本部は火器の高性能化によって、将来的に戦列歩兵といった密集陣形は廃れると判断し、軽歩兵による近代的な戦術の研究が求められた。
 マクシミリアンが地球から流れてきた歩兵操典の何冊かを翻訳すると、参謀本部によって研究は進められ、地下演習場ではメイジと『場違いな工芸品』とを共同で用いた新戦術の研究が行われていた。

 ……

 地下の演習場にて様々な研究が行われているとは、夢にも思っていないアニエスは息を切らせながら訓練を行っていた。
 今までのアニエスは、いわば瞬発力重視で耐久性は全く無く、訓練開始1時間で息切れを起こしていた。

「どうした! もっと気合を入れろ!」

「コ、コマンド~」

「声が小さい!」

「コマンドー!」

 ロープ渡りの最中、他の隊員はアニエスを追い抜く度に『コマンドー!』と元気付けてくれたが、今のアニエスにはそれすら苦痛だった。

 ……どれほど時間が経っただろうか。
 窓の無い室内の為、時間の感覚が分からずアニエスは、ひたすら訓練に没頭した。

「よし、今日はここまでだ」

「コ、コマンドー!」

 ド・ラ・レイ隊長は訓練の終了を告げ、アニエスは足をガクガクさせ、辛うじて立っているのがやっとだった。

「明日も同じ時間帯にまた来るがいい。では、解散」

「コマンド~!」

 アニエスは帰ろうと、疲労で重い身体を引きずりながら出口へ向かうと後ろから、ド・ラ・レイ隊長の声がかかった。

「キミの仇討ちが成功する事を願っている。では、また明日」

 それだけ言うとド・ラ・レイ隊長は踵を返し訓練に戻っていった。

「……」

 アニエスは何も言えなかった。
 今まで、アニエスは貴族を毛嫌いしていたものの、新宮殿に出入りする貴族の殆どがアニエスに対し好意的だった。
 
「……良い貴族も居るって事か」

 アニエスが倉庫を出ると、日は西に沈み掛かっていて、セバスチャンの乗った馬車が他の者の邪魔にならないように道の端っこに寄せられていた。

「ずっと、待っていてくれたんですか?」

「いえ、私も所用がありましたので。さ、帰りましょう」

 アニエスは行きと同じように助手席に乗った。

 馬車が発車すると、途端に眠気が襲ってきて、ヘトヘトに疲れていたアニエスは抗うことが出来ず眠りへと落ちていった。

 ……

「ミス・ミラン。起きて下さい」

「ふぇ?」

 どれ位寝たのだろうか、アニエスがセバスチャンの声で目を覚ますと、馬車は新宮殿の正門前に着いていた。

「馬車を戻しに行きますので、降りて貰えますか?」

「はい、ありがとうございました」

 馬車から降りると、疲労で身体が重く感じた。

「明日も今日と同じ時間にお願いします。失礼します」

「はい」

 セバスチャンは去り、アニエスは重い身体を引きずって新宮殿内に入った。

 新宮殿内では、家人たちが右へ左へ慌しく働いていたが、いつもと違い妙な熱気に包まれていた事に気付いた。

「……何かあったか知らないけど、今は何か食べたい」

 空腹を抑えてアニエスは食堂へ向かった。

 ……食堂に到着すると、数人のメイドが話をしていて、その内容が漏れ聞こえた。

「マクシミリアン殿下の御成婚の日時が本決まりですって」

「ホント? いついつ?」

「聞いた話じゃ3ヵ月後だったけど……」

 アニエスは、それ以上話を聞く事ができなかった。

「……結婚するんだ」

 アニエスは座席に座ると、天井のシャンデリアを見つめた。

 いつしかアニエスの空腹は消し飛んでいた。
 

 

第三十一話 リッシュモンの反撃


 真綿で首を絞めるが如く……

 高等法院院長リッシュモン伯爵の、今置かれた状況を表す言葉を捜せばこの言葉が上げられるだろう。

 マクシミリアンの『大掃除』でリッシュモンの手足となる者は粗方検挙された。
 高等法院とは、言わば貴族階級の特権を擁護する機関で、公平な裁判をする場所ではない。
 事ある事に高等法院の存在を無視した裁きにリッシュモンの怒りは最高潮に達していた。

 リッシュモンは生き残りの為、マクシミリアン失脚の為、トリスタニア市内の自分の屋敷にて次に打つ手を模索していた。

 そんな中、ノックの音が聞こえた。

「旦那様、平民の女が是非、旦那様にお会いしたいとそう申しているのですがいかがいたしましょう?」

 屋敷の執事がリッシュモンに報告してきた。

「馬鹿を言うな。なぜ、平民ごときに会わねばならんのだ。追い返せ」

「は、ですが女が言うには、『自分は新宮殿に奉公してるメイドだ、伯爵様に役立つ情報がある』と申しております」

「新宮殿だ?」

 リッシュモンは聞き返した。
 新宮殿といえば憎きマクシミリアンの住まいだ。

「何か面白い話を持って来たのかも知れないな。分かった会おう」

 リッシュモンは女に会うことにした。

 ……

 リッシュモンが女と顔を合わせてみると、顔は中の下だったが平民とは思えないほどの清潔な身なりをしていた。

(平民ごときを甘やかせおって)

 内心、苦々しく思いながらも応接室へ迎え入れた。

「で、このリッシュモンに役立つ情報とはなんだ。場合によっては褒美をやろう」

「は、はい実は……」

 女が言うには最近、平民の少女が新宮殿に寝泊りする様になり、しかも貴族と同等の扱いを受けているそうだ。

(つまらん、要はただの嫉妬か)

 リッシュモンの出した答えは正しかった。
 このメイドは自分は毎日汗水流して働いているのに、いきなりやって来て貴族と同等の扱いを受けている平民の少女に不公平感を覚え少女を追い出す為にリッシュモンの屋敷の裏口の戸を叩いたのだ。

「他には何か情報はあるか?」

「はい、もう一つ。しかもマクシミリアン殿下はアニエス……あ、これは平民の女の名前でして。そのアニエスとアンリエッタ姫殿下を同じ部屋で共に勉強を学ばせていまして……」

 瞬間、リッシュモンの背筋を電撃が走った!

(コレだ!)

 リッシュモンはマクシミリアン追い落としの策を閃いた。

「うんうん、これは良い事を聞いた」

「如何でしたでしょうか?」

「よろしい、誰か、この勇気ある者に褒美を……」

「ありがとうございます!」

「よしよし、まずはこのワインを楽しむがいい。中々手に入らぬ銘柄だぞ」

「は、はい」

 女は大事そうに両手でワイングラスを持つと、そのまま呷った。

「……う」

 呷った状態で後ろに倒れた女は、ピクリとも動かなくなった。

「どうだ、死ぬほど美味かっただろう?」

 毒ワインで死んだ女を蹴り付け、『ふん』と吐き捨てた。

「コレを王子の手の者に見つからない様に処分せよ。それと急ぎ馬車の準備を、これより登城する」

 リッシュモンはニヤリと笑い執事に命じた。






                      ☆        ☆        ☆





 王妃マリアンヌは退屈な毎日を過ごしていた。

 息子のマクシミリアンが新宮殿に移り住んで1年以上経ったが、マクシミリアンの後を追って娘のアンリエッタも新宮殿に入り浸るようになった。
 家族団らんで過ごす事も1年に数回程度になり。もっと子供達と遊びたいマリアンヌはそれが気に入らなかった。

(どうして二人とも、あんな屋敷に居られるのかしら)

 エスターシュ嫌いの急先鋒で知られるマリアンヌはエスターシュが建てた新宮殿すら嫌っていた。
 出来る事なら今すぐにでも、悪しき新宮殿から息子と娘を助け出したかった。

 そして、また家族4人で一つのベッドで寝る事を望んでいた。

「あ、5人も悪くないわね……フフフ」

 ちょうど今日、マクシミリアンとカトレアの結婚の日時が決定して、マクシミリアンは報告を聞きに登城していた。

「でも、5人で寝るとなると新婚生活を邪魔する事になっちゃうわね」

 数ヵ月後に加わる新たな家族にマリアンヌは少し機嫌を直した。

 そんな時だ、高等法院院長リッシュモン伯がマリアンヌに火急の面会を求めたのは……

 ……

「火急の面会をご承諾して頂きありがとうございます」

「今日は吉日。多少の事は目を瞑りましょう。それで、用件は?」

「はい、実は……」

 リッシュモンは新宮殿に現れた平民の少女が、愛するマリアンヌの子供達に近づいた事を、リッシュモンの都合の良いように言った。なるべくマリアンヌが激高するように。

「平民の娘が、易々と王家の者に声を掛けるなど由々しき事態です。アンリエッタ姫殿下の新宮殿の出入りを禁止すべきではないでしょうか?」

「そうね、アンリエッタは禁止すればそれで済むでしょう。ですが、マクシミリアンは? あの屋敷は、あの子の住まいなのよ?」

「そこは不肖、リッシュモンにお任せ下さい。必ずやマクシミリアン殿下を、マリアンヌ王妃殿下の下へお返し致しましょう。『リッシュモンに任す』、ただその一言でよいのです。どうか……どうか」

 リッシュモンは片膝を付き、頭を深々と下げた。

「……」

「……」

「……分かりました。リッシュモンに任せます。あの子を助けてあげて」

「御意」

 この時、リッシュモンは頭を深々と垂れながらほくそ笑んだ。







                      ☆        ☆        ☆






 1週間経った。

 マクシミリアンは3ヵ月後に控えたカトレアとの結婚式の為、各方面からのお祝いの手紙の返事を書いていた。

「マクシミリアン殿下、一大事です!」

 密偵頭のクーペが、ノックの後、執務室に入ってきた。

「クーペか、どうした?」

「はい、今入った情報によりますと、王宮にて貴族達が殿下を弾劾を叫んでいるとの事!」

「弾劾? 僕を?」

「しかも、マリアンヌ王妃殿下のお墨付きを得たとも叫んでいるそうです」

「母上のお墨付き?」

「はい」

「バカな……母上が政治的な事をするとは思えない。誰かに乗せられているんじゃないか? クーペ、急ぎ情報収集を。僕も急ぎ登城する」

「御意」

 クーペは一礼すると小走りに去っていった。

 マリアンヌは政治にまったく興味を持たず、本来なら先代フィリップ3世が崩御した後、女王に即位して夫のアルビオンのエドワードを宰相に就ける予定だったが、本人は即位を嫌がり急遽エドワードをエドゥアール王として即位させマリアンヌは王妃に納まった経緯がある。

「誰か、ダグー警備隊長とコマンド隊のド・ラ・レイ隊長を呼んでくれ。それとラザールにも」

 数分後、二人の男がマクシミリアンの前に居た。

「揃ったな、状況を説明する」

 マクシミリアンが王宮での異変を説明した。

「ダグー隊長は、僕の常備軍500人を指揮して新宮殿周辺を固めてくれ」

「御意」

 分厚い眼鏡で見えないが、常に仏教面のダグーはマクシミリアンの命令を了承した。

「殿下、質問の許可をお願いします」

「ん、許可する」

「王宮の軍勢がやって来た場合、先制攻撃の許可を頂けませんでしょうか?」

「……駄目だ、許可できない」

「御意。では、門は如何いたしましょう、全て閉めますか?」

「……門も閉めてはならない。王宮に間違ったメッセージを送る可能性がある。歩兵達も周囲から見えないように伏せさせてくれ」

「御意」

 それきりダグーは黙った。
 現在、最新の『ミニエー銃』を持つ軍勢はダグーに指揮権を譲ったマクシミリアン旗下の常備軍500名しか居ない。
 一応、王宮にも1千挺を献上したが、王軍の将軍たちには見向きされずに武器庫の中で眠っているそうだ。

「ド・ラ・レイ隊長はコマンド隊に出動準備を。命令があったらすぐに出られるように待機してくれ」

「御意。場合によっては例の少女も出しますがよろしいですか?」

「……僕の関知する事ではない」

「御意」

「話は以上だ。解散」

 二人とも一礼してそれぞれの持ち場に帰った。

 十数分後、ヒゲ塗れ垢塗れのラザールが遅れてやってきた。

「申し訳ございません。遅刻してしまいました」

「今回の様な不慮の事態に遅れては困るよ。まったく」

「面目ないです」

「次は頼むよ。あと、風呂は毎日とは言わないが、最低でも三日おきに入る事、いいね」

「分かりました」

「コホン……用件だが現在、王宮と緊張状態に入っている。念のためロケット砲の準備を命ずる」

「御意……して、照準は王宮でよろしいでございましょうか?」

(……血の気多い連中ばかりだ)

 内心、ため息を吐く。
 真っ先に戦闘準備を命じた自分の事はお構いなしだ。
 ちなみに当初、ロケット花火の王様の様だったラザールの多連装ロケット砲は新型火薬と大型化によって、口径約8サント、射程4~5リーグの強力な兵器に進化した

「却下、そもそも、王宮まで届かないだろうに。準備だけしていてくれ」

「御意」

 ラザールが退室するのと入れ違いに家人が入ってきた。

「で、殿下! 王宮から使者が参りました!」

「これから登城しようという矢先に……使者というなら無下にはできない、謁見の間に通してくれ」

「御意」

 マクシミリアンは、こうも早く使者がやって来た事に胸騒ぎを覚えていた。


 

 

第三十二話 改革の反動

 マリアンヌ王妃のお墨付きを得たリッシュモンは、早速、各地の諸侯に手紙を書いた。

 曰く、『王子追放の為に力を貸してほしい』と。

 そう、追放だ。

 リッシュモンはマリアンヌの願いを歪曲し、政敵マクシミリアンを中央政界から追放する腹積もりだった。

 密告者から、王族と平民が同じ部屋で勉強をする……と情報を得たリッシュモンは『この行為は身分制度の崩壊を意味する!』と諸侯達を煽りに煽ったがマクシミリアン追放の根拠としては弱い。
 精々、マクシミリアンからアンリエッタを引き離すぐらいが限界だ。

 そこでリッシュモンは、事の問題をマクシミリアンの改革そのものにすり替えた。
 マクシミリアンの改革は、トリステインの経済を回復させ各諸侯もその恩恵に与っていた。

 しかし、改革は徐々にエスカレートして行き、ついには『ノブレス・オブリージュ』を叫び出した。
 しかも、マクシミリアンの言葉に影響され、平民達に慈善活動をする貴族までも現れた。

 この改革は貴族と平民との絶対的な壁を打ち破りかねないと、諸侯の反応は警戒へと変わって行った事をリッシュモンは敏感に察知した。

 なにより、マクシミリアン自身も王族と貴族、平民との身分の違いに『ケジメ』とつける事を怠っていた。
 
 内心では追放ではなく殺してしまいたかったが、『王子を殺す』と言えば誰も支持しない。
 マリアンヌ王妃のお墨付きを盾にしての『罰』という形なら支持した諸侯の罪悪感は薄れる。上手く立ち回れば廃嫡の可能性もあるが、それはアンリエッタを擁立し時間をかけて空気作りをする予定だった。
 
 リッシュモン派閥の貴族を使って、改革に懐疑的な貴族を選んで手紙を送った。
 数年前まで『虚栄と怠惰』が支配していたトリステイン貴族は、『ノブレス・オブリージュ』を本音では嫌っていたが、マクシミリアンの手前、いい顔をして嵐が過ぎるのを待っていただけだった。
 誰も好き好んで責任など負いたくないし、平民に良い顔をしても煩わしいだけだ。
 他にも魔法至上主義のトリステインで、最新の火器を使用した軍を編成している事も一部の将軍から反感を買っていた。

 結果、多くのトリステイン貴族がマクシミリアン追放を支持した。

 人間は簡単には変わらない。
 明らかにマクシミリアンは、『やりすぎた』






                      ☆        ☆        ☆





 リッシュモンは思わずほくそ笑んだ。。
 マクシミリアン追放の為に、改革に懐疑的だったトリステイン貴族に協力を取り付けるはずだったが、予想通り、半数以上の七割の協力を取り付けることが出来た。

 計画ではゲルマニアとの間にロレーヌ地方など領土問題を持つトリステインの足元を見て、反乱のカードをチラつかせエドゥアール王に要求を飲ませるつもりだった。

「この数ならば、要求を飲ませられる。ククク」

 リッシュモンは湧き出す笑いを止められなかった。
 ちなみにリッシュモンはエドゥアール王に忠誠心も、ましてや愛国心も持っていない。有るのは自身の栄達と金銭への欲求が目的の売国奴だ。トリステインの永い歴史を紐解けば、貴族が連合して意にそぐわない王を無理矢理退位させた例は何度もある。

 しかし、危惧している事もある。
 リッシュモンは、相手が信用できるか否かを見極めて協力を要請したが、一部の貴族が怖気づいて政庁へ通報する事を危惧していた。

「……時間をかけたせいで、時期を逸するのも面白くない。ここは早急に事を始めよう」

 リッシュモンの決断は早かった。

 ……

「陛下ご決断を。これほどの貴族が殿下の改革に反対をしているのです。このままでは流石の私も暴発を止められません」

 リッシュモンはエドゥアール王に二人きりでの面会を求めると、トリステインの貴族の七割がマクシミリアン追放を要求している事を告げた。
 王宮ではリッシュモン派閥の貴族が、マクシミリアン追放と王妃マリアンヌのお墨付きを叫んでいた。

 もちろん、これらの事柄は全て事前に打ち合わせをしている。

「……」

 しかし、エドゥアール王は何も喋らない。
 リッシュモンは不審に思いながらも、エドゥアール王を脅すように語った。

「陛下、我々もこの様な事になるのを、残念に思っています。ですが、事は重大。このまま、行き過ぎた改革を進めれば、栄光あるトリステイン王国は、身分を弁えぬ憎き共和主義者の手に落ちてしまいかねません」

「……」

 まだ、エドゥアール王は何も言わない。

(何を考えているのだ、全貴族の七割が敵に回ろうとしているんだぞ?」

「幸い、殿下はまだ13歳でございます。政治や身分とはどういうものか、外国が何処かでゆっくり勉強を……」

「……もう十分、喋っただろう」

 エドゥアール王が手を上げると、衛兵達がドッと部屋の中へ雪崩れ込んできた。 

「な、何だお前達!」

「リッシュモンを逮捕せよ」

「ははっ」

 命令を受けた衛兵達はリッシュモンに詰めより、あっという間に拘束してしまった。

「な、何を考えていいる。反乱が怖くないのか」

 王に対して暴言を発している事にも気付かずに、リッシュモンは問うた。

「反乱か……フフ、マクシミリアンなどはお前達が暴発するのを極度に恐れていたようだが。私は違う……私はこの時を待っていた」

「……どういう意味でございますか!?」

「もう一度言わんと分からんか? 『この時を待っていた』と言ったのだ!」

 ようやく、リッシュモンは、自分が釣られた事に気がついた。

「なっ、まさか、王子を囮に!?」

「君が釣られたおかげで、不貞貴族を一掃出来る」

「勝てると思っているのか!? それにゲ、ゲルマニアが黙っていないぞ」

「チェルノボークへ送られる君が心配する事ではない」

「ぐうう……」

「現実に目を向けず理想のまま進めばどういう事なるか、マクシミリアンには良い勉強になっただろう。その点に関してはお前達に感謝する」

 エドゥアール王は最近のマクシミリアンを見て、一言注意しようと思っていた所だったが、リッシュモンの行動は息子にとって良い薬になると思っていた。
 もっとも、王妃マリアンヌの行動は読めなかったが。

「ああ、忘れていた」

 とエドゥアール王は、数枚の紙を取り出した。

「これは、君がロマリアとの密約で得た多額の献金の証拠だ」

「う!?」

 リッシュモンは再びうろたえた。
 まさか、ここまで緻密に調べられていた事に驚愕した。

「連れて行け」

「御意」

「おのれ~」

 リッシュモンは怨嗟の声を上げながら連れて行かれた。

「王宮内で乱痴気騒ぎをしている連中も全員逮捕しろ」

「ハハッ」

「王軍及び各諸侯に動員令を出せ。この期に乗じて反乱貴族を一掃する。それとマクシミリアンの所にも使者を送れ、事の成り行きを伝えろ、名誉挽回の機会を与える。とな……ああ、人選はマザリーニを、たしか初対面だったはずだ」

「御意!」

 エドゥアール王は、図らずも事件の中心人物になった王妃マリアンヌの元へ赴こうとした時、不意に耳鳴りと激しい頭痛がエドゥアール王を襲った。

「んんっ!」

「陛下!?」

「陛下! 誰か典医殿を!」

 家臣たちが騒ぐ中、エドゥアール王が頭を抑えて低く呻いていると、しばらくして耳鳴りと頭痛は嘘のように治まった。

「大事ない、収まったようだ」

 突然の苦痛に解放されたエドゥアール王と家臣達はホッとため息をついた。

「念のため、典医の診察を受けよう。その様に取り計らってくれ」

「御意」

 その後、典医の診察を受けると軽い過労と診察された。
 エドゥアール王も、後に控える討伐軍編成の忙しさに、やがて頭痛と耳鳴りの事は忘れてしまった。






                      ☆        ☆        ☆






「マクシミリアン殿下の御尊顔を配し恐悦至極……私はマザリーニと申します」

「前置きはいい、用件を伝えてくれ。これから登城しなければならない」

 王宮での異変を聞いたマクシミリアンは、登城する準備を進めていたが王宮からの使者がやって来た為、仕方なく謁見の間に向かい入れた。

「国王陛下より今日、王宮にて起こった事件の仔細を説明するように命令を受けております」

「うん」

「今日、王宮にてリッシュモンとその派閥の貴族達が王宮にて……」

 マザリーニは王宮でリッシュモンが起こした事件を説明した。

 ザワ……と謁見の間は、にわかに熱気に包まれた。

 マクシミリアンは片手を上げ、家臣団に落ち着くようにジェスチャーを送った。

「つまりだ、リッシュモンは僕を失脚させる為に陰謀をめぐらせた、と」

「御意にございます。ですが国王陛下はリッシュモンを逮捕し、反乱貴族を討伐する為、各地に動員令を発しました」

「僕にも参戦する様にと、国王陛下は申したのか?」

「御意、『名誉挽回の機会を与える』との事でございます」

「……謹んでお受けすると、国王陛下に伝えて欲しい」

「御意」

 マザリーニは一礼して去っていった。

「……」

「殿下」

 控えていたミランが声をかけてきた。

「ああ、すまない。防衛体制も解除だ、各部隊に伝えてくれ」

「御意」

「参謀本部には反乱貴族討伐の作戦案を提出させてくれ。後は任せる、解散」

「ははっ」

 それだけ言うとマクシミリアンは謁見の間を出て、自室に引き篭もってしまった。

 マザリーニに聞かされた、今回の事件の経緯を知りショックを受けた。トリステインにとって良いことだと信じてここまでやって来たが、貴族達にとっては大きなお世話だったのだ。
 いや、全ての改革が歓迎されるはずはない、と理解していたつもりだったが、過半数の貴族が反乱に回った事を知るのはショックだった。

 足元がグラつく様な感覚を覚えたマクシミリアンは、来ていた服を全部取っ払うとベッドに身体を放り投げた。

 しばらくの時間、目を瞑っていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

「殿下、お休み中申し訳ございません。クーペでございます」

 声の主はクーペで、外を見ると既に暗くなっていた。

「入っていいよ」

 入室を許可すると メイド姿のクーペが入ってきた。

「ああ、クーペ何か分かったのか?」

 マクシミリアンは指を弾き、魔法のランプを灯した。

「半日、調べた程度で完全には把握できませんが、ある程度は……」

「聞こうか」

「御意」

 クーペは、情報収集の成果を聞かせた。
 内容は、この事件の切欠になった、アンリエッタとアニエスを同じ部屋で勉強させた事などで、メイドが一人、行方不明になっている事も知った。

「ああ、ありがとう。調査を続けてくれ」

「御意」

 クーペは去ると、マクシミリンは杖を振るい、青銅のゴーレムを一体作り出すと、そのゴーレムを思い切り殴りつけた。
 青銅ゴーレムには傷ひとつ無かったが、拳の骨は折れ外に飛び出るほどの重傷だった。
 痛みを感じない位マクシミリアンは(はらわた)が煮え繰り返りそうな程、怒りに震えていた。

(結局、オレの失策が原因じゃないか!)

 自分の甘さが迂闊さが、事件の引き金だった事を知り、マクシミリアンの心はどん底に叩き落された。
 重傷を負った拳にヒーリングを掛けると、ベッドに飛び込み布団の中に包まった。

(……今日はこのまま寝てしまおう。明日になればきっと立ち直るさ)

 明日から反乱貴族討伐の為の忙しい日々が始まる。
 一晩寝ればショックも薄れる事を期待して、そして決して今日の失敗を忘れないようにと心に決めたマクシミリアンは目を閉じた。


 

 

特別篇その1 王子の初陣


 マクシミリアンの改革の反動は、リッシュモン伯爵の謀略で内乱という形で現れた。
 だが、内乱の旗振り役のリッシュモンはエドゥアール王によって捕まり、旗振り役を失った反動貴族達は蜂起しトリステイン内乱が勃発した。

 トリステイン内乱は、実際のところはエドゥアール王の策謀で、まだ戦いの準備が出来ていない反乱貴族達は、準備不足のまま一斉に反乱の狼煙を上げさせられてしまった。

 この時、マクシミリアン本人は気が付かなかったが、マクシミリアンとエドゥアール王との、共同での粛清の幕開けともいえた。

 この日、王都トリスタニアの新宮殿内の練兵場には1千人を越す人々が集められていた。

「王太子殿下、警備隊と常備軍および予備役全員集合いたしました!」

「分かった。直ちに出発させてくれ。それとダグー、『警備隊と常備軍および予備役の軍』では締りが悪い、これからは『マクシミリアン軍』と呼称するように」

「御意! 『マクシミリアン軍』出発!」

 ダラララララ……ダン! ダダン!

 軍楽隊が一斉に太鼓を鳴らし、太鼓のリズムに合わせてマクシミリアン軍の歩兵1500人が、列を作って前に進み始めた。

「時間こそ僕達の最大の敵だ、快速を持って進軍せよ」

「御意!」

 馬に跨ったダグーが敬礼すると歩兵隊と共に大通りに出た。
 歩兵隊が去ると、次は6頭立ての馬車の荷台ににロケット砲を積んだハルケギニア版自走ロケット砲が現れた。

「ラザール。キミのロケット砲は僕達の切り札だ」

「ありがとうございます殿下。ですが、新型火薬の製造法は難しく、ロケット砲弾はあまり数も確保できませんでしたが、信頼に添えるよう努力いたします」

 ラザールは手をかざすと、自走ロケット隊は動き出し歩兵隊の後に続いて行軍を始めた。

 歩兵隊の先頭がチクトンネ街の大通りに入ったのか、大きなどよめきが新宮殿の方にも届いた。

「次に補給隊、最後に僕達の司令部だ。市民達にその勇姿を見せつけ、無用な心配をさせないように勤めてくれ」

「御意にございます。ラザール隊進め」

 ラザールは一礼すると馬車に乗り込み出発の命令を告げた。

 ラザール隊を新宮殿の敷地から出ると、馬上のマクシミリアンは杖を取り出しスペルを唱えだした。

 『クリエイト・ゴーレム』によって作られた人馬ゴーレム20体は、王を守護するかのように、マクシミリアンの周りに現れた。

「セバスチャン。出発するがよろしいな?」

「ウィ、殿下。既に準備は整っております」

 御付の執事であり、同時に凄腕の護衛でもあるセバスチャンは、自分の得物である『場違いな工芸品』の幾つかを木箱に入れ、1頭立ての馬車の荷台に納めてあった。

「結構……往こうみんな。トリステイン王国は今日変わる。出立!」

 人馬ゴーレムに守られたマクシミリアンは、住まいである新宮殿に別れを告げた。

 ……

 チクトンネ街の大通りは、多くの市民が列を成してきたマクシミリアン軍に驚き道を開けた。

「あれは何処の軍だ?」

「黒布に金の獅子は、マクシミリアン王太子殿下の旗だった筈だ」

「何々? 何が起こったの?」

「これじゃ商売上がったりだ」

 市民は戸惑いの声を挙げた。
 無理も無い。それほど広くない大通りにミニエー銃を担いだ歩兵隊が列を成して現れたからだ。
 そして、ほんの一日前に、このトリステインで内乱が勃発したという情報を、市民達は誰も知らないからだ。

 歩兵隊の次は自走ロケット隊、次に補給隊、そして最後に30騎の人馬ゴーレムに守られたマクシミリアンが現れると市民の喧騒は最高潮に達した。

「おお! 王子様だ!」

「まさか、王子様自らご出馬されるのか?」

「何処かと戦争をするのかのう……」

「戦争の噂なんて聞いたこと無いぜ?」

 市民は口々に噂をし始めた。
 ガチャガチャと音を立てながら人馬ゴーレムは行進し、それに続くマクシミリアンは手を振って応えた。

 ……

「いくらなんでも早すぎる!」

 トリスタニア市内に潜り込ませた有力反乱貴族のスパイは目の前の光景を見て驚いた。
 雇い主の命を受け、市内に潜入したその日に、もう反乱鎮圧の軍隊が出動をしたのだ。

「急いで知らせねば!」

 物乞いに変装していたスパイは、急いで路地裏に身を隠しトリスタニアから脱出を図ろうとした。
 だが、『ガクン』という音と共に、何かが自分の身体が空中で制止させた。

「あ、ぐ……?」

 細く見えない鉄糸が路地裏に張り巡らされていて、スパイはボンレスハムの様に鉄糸で雁字搦めにされ宙吊りになっていた。

「だ、誰か……」

 助けを求めようと大声を上げるが、声はハエの飛翔音並みの小さな声しか出ず、それ所か無理な体勢が祟って息も苦しくなって来た。

「……が、かはっ」

 鉄糸が身体に食い込み血が滴り落ちる。幸いにもスパイの苦しみが永遠に続くことは無かった。

「……」

 路地裏に居た『誰か』が鉄糸の一本を弦楽器の様に『ビン』と音を鳴らすと、鉄糸は凶器となって身体に食い込み、スパイは一瞬でミンチになってしまった。

 血煙が舞う路地の陰から現れたのは、下町辺りで地べたに座っていそうな、よぼよぼの老人だった。

 老人の枯れ木の様な指一本一本に指輪が嵌められていて、パチンと指を鳴らすと鉄糸は全て指輪の中に納まった。
 この惨劇の主犯はこの老人だった。
 そんな異常な空間に町人風の男がやって来た。
 男に気付いた老人は、歯の抜けた口でカラカラと笑った。

「やあ、ご苦労様。他に市内に入り込んだ連中の始末はどうなっておる」

「クーペ隊長。市内の掃除は滞りなく進んでおります」

 老人の正体はクーペだった。
 かつて『荒事は向かない』と言っていたが、それは貴族が好む正々堂々の戦いが苦手であって、逆に鉄糸を使った暗殺術を得意としていた。

「他にも紛れ込んでいるかも知れない。わしは他の所を回ろうと思う。悪いが後片付けを頼む」

「了解」

 老人に化けたクーペは、後片付けを部下達に任せると、他の路地裏へを姿を消した。

 結局、市内に潜り込んだスパイは、反乱貴族と他国の者を合わせて十人ほどで、情報の供給源を絶たれた反乱貴族にとっては、マクシミリアン率いる討伐軍の情報を得られなくなり、それが彼ら命取りになる。






                      ☆        ☆        ☆





 トリスタニアを出たマクシミリアン軍は、反乱貴族を求め南下を始めた。

 目指すはブラバンド公爵という貴族の領地で、クーペから早々にブラバンド公爵が傭兵を集めていると聞き、速攻で片を付けるために軍を進めた。

「で、ブラバンド公は、領内にて我がトリステインの旗を逆さに掲げ、叛意を示しているのだな?」

「御意にございます。さらに大勢の傭兵を集めており、既に五百を越す軍勢に膨れ上がっているそうにございます」

 マクシミリアンは密偵からの報告を受けると、『サイレント』が付加されたマジックアイテムの『防音テント』にダグーや参謀らを集め、作戦会議は執り行われる事になった。


「殿下、このまま手を拱いていれば、反乱軍はさらに数を増すことでしょう」

「ダグー殿の言う通りでございます。敵に時間を与えれば、景気付けにと周辺の村々を略奪して回る事も十分予想されます。早々に鎮圧するべきです」

 ダグーとラザールがそれぞれの考えを述べた。

「そうだな……ブラバンド公の軍勢は今何処にいる?」

 マクシミリアンは参謀のジェミニ兄弟に詳細を聞いた。

「傭兵団は無能にもブラバンド公から離れ」

「全軍の五百名が単独行動をとっております」

 交互に喋るジェミニ兄弟の報告を聞いて、ダグーが激高した。

「早速、略奪を働こうとしているに違いありません!」

「どうやらそのようだな……よし、敵の略奪をみすみす見逃す手は無いし、各個撃破のチャンスだ。急ぎ攻撃計画を練ってくれ」

「御意」

 ダグーはの部隊に帰り、ラザールとジェミニ兄弟ら参謀陣は攻撃計画を練るために防音テントに残った。
 マクシミリアンは『後学のために』と、テントに残り参謀達を見学する事にした。

「実はというとですね殿下」

「ん? どうしたんだ?」

 ジェミニ兄弟がマクシミリアンに語りだした。

「僕達、兄弟としては傭兵の略奪をある程度は見逃して」

「反乱軍の非道を国内に宣伝すべきと思うんですよ」

 などとジェミニ兄弟は言い出した。

「プロパガンダをやろうってのか? 残念だが却下だよ」

「殿下なら、そう仰ると思い」

「会議の場では言わなかったのですよ」

 ジェミニ兄弟は双子らしく同じ動作、同じタイミングで頭をかいた。

「私としても、『勝つだけ』なら同じような案も考えましたが、何にせよ採用しなくて良かったと思いますよ」

 平民出身のラザールも、この手のプロパガンダには反対だったようだ。

「そういう事だ。他国ならともかく自国内でそのような手をとる訳には行かない。参謀に皆には迅速に傭兵を倒す戦術を練ってほしい」

「御意」





                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンが目標とする傭兵団は、その欲望を満たす為にブラバンド公爵の下から離れ、獲物を探すべく辺りをうろついていた。

「公爵サマも太っ腹だぜ!」

「まったくだ。自分の領内なのに略奪の許可をくれるんだからよ」

「ぎゃはははは」

 傭兵と言っても、戦争がなければ山賊と大して代わらない。
 腹を満たす為に略奪も平気でするし、道路のど真ん中に陣取って商人から通行料をせしめる事など平気でする。
 そこらの山賊よりは戦慣れしている為、山賊よりはタチが悪かった。
  
 ブラバンド公爵は彼ら傭兵を雇うと、トリステインの治世が上手く行っていない事を喧伝する為に公爵領内の村々に略奪を命した。
 自分の領地を略奪させるなど、タコが自分の手足を食うような愚かな行為だったが、ブラバンド公爵自身が玉座に座る為には何でもする積りだった。
 ブラバンド公が玉座に野心を持ったのは、リッシュモンに(そそのか)された訳でなく、純粋な野心からだった。
 この内乱自体、反乱貴族を燻り出し粛清する為のエドゥアール王の謀略だったが、とうのブラバンド公爵はエドゥアール王の手の平の上で踊っている事を知るよしもなかった

 獲物を求めてさまよう傭兵団は、遂に中規模の村を見つけた。

「お、美味しそうな村をはっけ~ん」

「いいか? 男は殺しても構わんが女は殺すなよ、後のお楽しみって奴だ」

「分かってるって!」

「金目の物は全員で山分けだ。行くぜぇ!」

『ひゃっは~~!!』

 傭兵達は、それぞれの得物を取り出すと舌なめずりをすると、村に向かって突撃した。

「ん?」

「なんだべ?」

 農作業をしていた村民達は、歓声の上がった方を見ると、傭兵達が大挙して押し寄せてきた。

『ヒャッハァ~~~!!』

「とと、盗賊だ!!」

「逃げろ!」

 農具を捨てて農民たちは逃げ出した。

「おらぁ! 殺せ殺せ!」

 それを追う傭兵達の横腹を突くように、丘の上から『La victoire a nous』の行進曲が流れると、ダグーら歩兵隊が現れ新型のミニエー銃で攻撃を加えた。

「ぎゃああああああ!!」

「なにぃ!?」

「何処の軍だ!?」

「糞が、撃ち返せ!」

 パパパパン、と傭兵達もマスケット銃を始めとする旧式銃で応戦したが、銃弾のほとんどは丘の上の歩兵隊に届かず地面に落ちた。

 前装式ながらもライフリングが施され、ドングリ型の銃弾を採用しているミニエー銃は、飛距離と命中率に優れ、傭兵の旧式銃を圧倒した。

「うわあ!」

 傭兵がいくら撃っても弾は歩兵隊に届くことはなく、一方的にミニエー銃弾に晒され、一人また一人と傭兵は倒れていった。

「弾が当たらないなら、丘まで駆け上がれ! 突撃っ突撃ぃ~~!」

 首領各の中年傭兵が、怒鳴り散らしながら丘への突撃を命令すると、他の傭兵達は不承不承ながらも丘の歩兵隊目掛けて死のマラソンを始めた。

『わあああぁぁ~~~!』

 剣や斧を持った傭兵達は、半ばヤケクソ気味に叫びながら丘まで駆け上がる。
 その傭兵達にダグーら歩兵隊は容赦なく銃撃を加え、小さな丘を血に染めた。

「ひるむな! 突撃、突撃だ!」

 首領各の中年傭兵は声を張り上げ突撃を命令した。
 だが、一発の銃弾が中年傭兵の脳天を撃ち抜くと、中年傭兵は草原の上で大の字になって倒れそのまま動かなくなった。
 丘の上では、スコープ付きのKar98kの持った執事のセバスチャンが居た。
 言わずもがな彼が中年傭兵を狙撃したのだ。

 指揮官が死んだ事で、丘への突撃は誰が決めた訳でもなく止まった。

「敵は止まったぞ、一斉射撃!」

 突撃が止まった所に歩兵隊の一斉射が放たれ、小さな丘には無数の死体が転がった。

「や、やべぇ……逃げろ!」

「勝てる訳無ぇ!」

 この一斉射で一部の傭兵の士気が崩壊し、傭兵達の中から逃げ出す者が現れた。

「おい、逃げるな!」

「やべぇ、俺も逃げるぜ……」

 士気の崩壊は瞬く間に傭兵団全体に伝染し、遂に全面敗走へと陥った。

 ……

「敵軍の戦線、崩壊します」

「オオ!」

「やったな!」

 小高い丘の上で、歩兵隊と傭兵団の戦闘を眺めていたマクシミリアンら司令部スタッフは、傭兵団の敗走を見て歓声を上げた。

「結構、追撃に移るがよろしいか?」

「殿下、追撃と言われましても、我々に竜騎兵などの機動戦力は持ち合わせてはおりません」

 マクシミリアンが追撃を提案するが、ラザールが追撃用の機動戦力が無い事を説明した。
 マクシミリアン軍は歩兵と砲兵、補給隊のみで編成されていて、騎兵と言った機動戦力が無い。

「僕の人馬ゴーレムを騎兵代わりに使う。それなら問題ないだろう?」

 マクシミリアンとラザールが話していると、ジェミニ兄弟が会話に入ってきた

『我らジェミニ兄弟は、殿下の案を指示いたします』

「だ、そうだ。ラザールどうする?」

「……分かりました。私も殿下の案を指示いたしましょう」

「ありがとう! 人馬ゴーレム達、追撃戦に移れ!」

 マクシミリアンが指令を出すと、上半身がウィング・フッサー、下半身が馬の人馬ゴーレム達は無言のまま丘の上に横一列に立ち、逃げる傭兵目掛けて逆落としを行った!

 逃げる傭兵達に追撃を行った10騎の人馬ゴーレムは、青銅製の羽飾りをジャラジャラ鳴らしながら一気に丘を駆け下りる。
 その速度はサラブレットよりは遅いものの、人間の足よりは遥かに速かった。

「何だあれは!?」

「追撃だ! 逃げろ逃げろ!」

 羽飾りの音と全長3メイルの人馬ゴーレムの姿は心理的効果抜群だった。

「敵の数が多すぎる。足や腰を狙って倒す事よりも動けなくする事を目的にするんだ!」

『……』

 人馬ゴーレムは、忠実な騎士の様にマクシミリアンの命令に従い、無言のまま得物をランスからサーベルに持ち替えると、逃げ遅れた傭兵の頭に振り下ろした。

「ぐえぇ!」

「ぎゃああああ!」

 傭兵達の悲鳴と、馬蹄が大地を蹴る音だけが、この小さな丘のBGMだった。

 武器はサーベルだけではない。
 ランスのまま、逃げる傭兵の背中を突き上げ空中へ放り上げられたり、青銅の馬蹄で背骨や頭蓋を砕かれたりして、傭兵たちは命を落としていった。

 ランスや馬蹄の一撃で即死できれば幸運で、死ねなければそのまま空中へ放り上げられ、何処かの骨を折って動けなくなった所を、遅れて追撃に来た歩兵隊に殺された。

 マクシミリアンの初陣は、ミニエー銃の性能で終始傭兵団を圧倒し、死者はゼロ、負傷者は射程距離を越え殺傷力の無くなったマスケット銃の銃弾でたんこぶを作ったり、転んで足の骨を折ったりと数人が負傷しただけだった。

 ……

 傭兵団は壊滅し、小さな村は間一髪のところを救われた。

 およそ三時間後。
 マクシミリアン軍が丘から去ると、次に動き出したのは今まで羊の様に怯えていた村人達だ。

 30人足らずの村人達は、国から支給された鉄製の農業フォークといった農具や斧を手に、落ち武者狩りに動き出した。

「おめぇら用意はいいだな?」

「早いとこいくべ。隣村の連中が、こっちに向かっているって聞いただ」

「酷い目にあったのはオラ達だ」

「そうだそうだ。全部オラ達のだ!」

 村人達はお互いに頷き合うと、数時間前まで戦闘がおこなれていた丘へと昇っていった。

 およそ20分。
 村人達が丘を昇ると、無数の傭兵達の死体が丘の所々に転がっていた。

「ひゃあ! こりゃいっぱい有るだな」

「服に鉄砲により取り見取りだ」

 村人達は一斉に傭兵達の死体に群がり、服や鎧、剣に槍にマスケット銃と死体から剥ぎ取り、下着まで剥ぎ取られた死体まであった。

「おおい! こっちに来てくれ!」

 一人の村人が声を上げた。

「どうしただ?」

「ホレ、見てみろ」

 何人かの村人が声の主の所へ行くと……

「はぁ……はぁ……ひぃ!」

 足の骨を折れたが運良くマクシミリアン軍に殺されなかった傭兵が、地面を這い蹲るように丘から逃げようとしていた。

「たまげた。生きとるわ」

「どうするべ?」

「知れたことだべ」

 村人達は『ニィ……』と笑いあい、這い蹲る傭兵へ一歩二歩と近づいていった。

 あの傭兵がどうなったか語るまでもないだろう。






                      ☆        ☆        ☆





 傭兵団を屠ったマクシミリアン軍は返す刀で、反乱を起こしたブラバンド公爵の立て篭もる屋敷に歩を進めた。

「ロケット砲の出番だな、ラザールの活躍に期待する」

「必ずや殿下のご期待に応えて見せましょう」

 屋敷を包囲し、虎の子の自走ロケット隊に砲撃準備を整えさせていると、屋敷から白旗を持った男がやって来た。

「降伏の申し出?」

「主力となる傭兵団が壊滅した為、勝ち目が無いと思ったのでしょう」

 マクシミリアンの疑問にダグーが答えた。

「……降伏するなら、始めから反乱など起こすなよ」

 声のトーンはいつも通りだったが、マクシミリアンは明らかに怒っていた。

「では、降伏の申し出を蹴って、攻撃を開始しましょうか?」

「僕は見せしめの為に、皆殺しにしたい気分なんだ」

 敵と判断した相手には一切容赦しない、マクシミリアンの冷酷な部分がここで現れた。

「お、お待ち下さい!」

 マクシミリアンとダグーの会話に、ラザールが慌てて入ってきた。

「確かにブラバンド公は反乱を起こし、あまつさえ自分の領土の民衆を殺害しようとしました。ですが降伏して来た者を赦さず殺してしまっては、これ以降、殿下に降伏せず死力を尽くして抵抗する者も現れましょう。早期鎮圧の為にもここは降伏を受け入れるべきでは……」

 マクシミリアンは少し黙考に入ると

「……ち」

 と舌打ちをした。

「ラザールいう事はもっともだ。使者に、『武装解除して屋敷から退去するに』と伝えろ」

「御意」

「ダグーは歩兵隊の何人かを同行させ、屋敷の接収しろ。『置き土産』の可能性もあるから、グリアルモントら工兵隊も連れて行け」

「御意」

「ラザール、トリスタニアに鷹便を送り、ブラバンド公爵が降伏した事を伝えろ」

「御意」

「重ねて二つ、降伏したブラバンド公爵一家の受け入れと、ブラバンド公爵領を守護する部隊を至急まわして欲しいとも伝えてくれ」

「御意にございます」

「ジェミニ兄弟、ブラバンド公が自領の民衆を殺そうとし、マクシミリアン軍に阻止された事を周辺の村々に宣伝し、反乱軍に大儀が無い事を大いに伝えろ」

『御意』

 かくしてブラバンド公爵は武装解除し降伏は受け入れられた。

 ……

 数時間後、トリスタニアから引継ぎの部隊が到着し、ブラバンド公爵一家もトリスタニアに移送される事になった。
 ブラバンド公爵は、見た目は四十過ぎの痩せ型の男で、逃げ出す事ができないように、魔法封じの手錠をはめられ、魔法封じの特殊な牢が付けられた馬車に入れられることになった。
 当然、杖を奪われているが、用心に越しての事だ。

 牢に入れられる際に、マクシミリアンの姿を見つけると、形振り構わず助命を乞うてきた。

「殿下、でんかぁ~! どうかお願いします。どうか命だけはお助け下さい。何でしたら我が娘と妻を差し上げます。どうか、どうか命だけはぁ~~~~~~!!」

 すぐ後ろで入牢の順番待ちをしていた妻と娘は、夫と父の醜態に当然ショックを受けていた。

「あなた……」

「お父様……」

 公爵家に嫁ぐぐらいだから、妻は美しく、娘も10歳前後と幼いながらも将来が楽しみな容姿だった。

 マクシミリアンはブラバンド公爵を汚物を見る様に見て、サッと手を振り払った。
 『さっさと連れて行け』というジェスチャーだ。

 ブラバンド公爵一家は牢付きの馬車に乗せられ、トリスタニアへと去った。

「胸糞悪りぃ」

「は、何か仰いましたか?」

「いや、なんでもない。直ちに出発すると全部隊に伝えてくれ」

「ウィ、殿下」

 セバスチャンは、マクシミリアンからの命令をダグーらに伝える為に離れた。

「あの母子、どうなるんだろ……」

 ブラバンド公爵の改易は確定だが、あの美しい母と娘があの後どういう人生を歩むか、少し心配になった。

「だからと言って囲うわけにも行かないし……ま、死ぬことは無いだろうから、彼女達に始祖ブリミルのご加護が在ることを祈ろうかね」

 移動の準備が出来たマクシミリアン軍は、次の獲物を求め移動を開始した。

 トリステイン内乱はまだ始まったばかりだ。

 

 

第三十三話 ラ・ロシェール強襲


 ……ヒュンヒュンと、ロケット砲の甲高い音が大空に響く。
 空高く昇ったロケットは、小高い丘の上に建つ石造りの城の城壁を飛び越え場内へと降り注ぎ爆炎を上げた。

「殿下、敵方の城より白旗が掲げられました」

「分かった。攻撃停止、降伏を受け入れると使いを送れ」

「御意」

 マクシミリアンの失策を利用し国内の反乱分子を炙り出したエドゥアール王は、各諸侯に動員令を発した。
 かくして、マクシミリアン婚礼三ヶ月前という微妙な時期にトリステイン王国の内乱は幕を開けた。

 先手を取ったのはトリステイン王党側で、マクシミリアンの常備軍500と王宮の地下で埃を被っていた『ミニエー銃』1000挺を予備兵に渡し、急遽1500の歩兵連隊を編成、ラザールのロケット砲部隊や工兵隊、補給隊など集めた『マクシミリアン軍』は、常備軍が無くまだ準備の整っていない有力反乱貴族に対し各個撃破して回った。

 電光石火、開戦2週間で多くの貴族は降伏し、マクシミリアンの武名を恐れて戦わずに降伏貴族も現れた。
 と、いってもマクシミリアンが軍を指揮している訳ではない。マクシミリアンは言わば『御輿(みこし)』で、軍はダグーら家臣団が指揮している。

 同じ頃、王軍も編成を終えて、各地の反乱軍討伐に加わっていた。
 一方、反乱軍はお粗末で大して戦略を持たずに、リッシュモンの言われるままに蜂起してしまった為、連携が取れず各個撃破の標的になった。
 本気で反乱を起こす気の無い貴族は、自分達が反乱軍に名を連ねている事に驚き、王党軍に組している親しい貴族を通じて恭順の意を伝えてくる者もいた。とはいえ、恭順を受け入れられた貴族は少数で、大半は赦されずに取り潰された。

「将軍、この場はお任せしても宜しいでしょうか?」

「御意にございます」

 幸い死傷者は無く、マクシミリアンは同行していた王軍の将軍に後始末を任せると、次の戦場へと移動を開始した。







                      ☆        ☆        ☆







 転戦、転戦、また転戦。

 開戦1ヶ月で、マクシミリアンは多くの戦場を経験した。
 ラザールのロケット砲は、どの戦場でも抜群の威力を発揮し、ダグー警備隊長改め連隊長に指揮された歩兵連隊も『ミニエー銃』の威力で連戦連勝を繰り返した。
 しかも反乱貴族側は兵の集まりが悪く、組織的な反撃が出来ない状態で、平民に人気のあるマクシミリアンと戦いたくない、という理由で徴兵を拒否して逃げ出す者が多発していた。

 マクシミリアンらの活躍で反乱貴族の中にも戦線離脱する者も増えだした。元々、烏合の衆に近い連中だったから尚更だ。

 そんな中、凶報がマクシミリアンらに知らされた。

 反乱首謀者のリッシュモンがチェルノボーグへ移送中に反乱貴族に奪還されたというのだ。
 エドゥアール王は、マクシミリアンを介して密偵団に対し、直ちにリッシュモンの行方を探す様に指示し、密偵団だけでなく王宮からも人を出して捜索に当たらせていた。

 その甲斐あってか、密偵団がリッシュモンの居場所を掴む事ができた。

 場所はトリステイン南部の町ラ・ロシェールで、山間の街で世界樹(イグドラシル)を桟橋代わりに利用した港町だ。
 どうやら、リッシュモンはフネでロマリアに逃げ込むようだった。

 転戦中にこの事を知ったマクシミリアンは、新宮殿で待機しているコマンド隊にリッシュモン追跡を命じた。

 ……

 コマンド隊を乗せたフネはラ・ロシェールへを目指して進路を南に向けた。

 船内では、詰めのミーティングが行われていて、その中にアニエスの姿があった。
 アニエスはこの内乱の引き金が自分にあったことを知らない。

『あえて、知らせる必要はない』

 と、隊長のド・ラ・レイは判断した。

 開戦から1ヶ月、地獄の訓練に耐えた結果、何とか実戦に耐えられる練度を判断され、アニエスに初陣の機会が回ってきた。
 ……とはいえ、下っ端でだが。

「密偵団からの情報では、ラ・ロシェール内の『女神の杵』亭に宿泊しているとの事、目標の捕縛もしくは殺害が許可されている。護衛のメイジは5人以上を確認。各員、気を抜かないように」

「降下予定地点はラ・ロシェールを10リーグ下った場所だ。これは敵に我々を察知されないための処置でもある」

「コマンドー!」

「1時間後に予定空域に到着する。全員降下準備後、待機だ」

「コマンドー!」

 各隊員は準備に取り掛かった。

 アニエスが準備をしていると、一人の男が声を掛けてきた。

「よう、アニエス。」

「ヒューゴさん」

 この男は、名前をヒューゴといって、アニエスが入隊するまでは一番年下の下っ端で、アニエスが入隊した事で下っ端から解放され、それ以来何かとアニエスに絡んでくる男だった。悪い男ではなく、愛嬌と菓子を奢ってやる程度の気前の良さをもっていた。

「意外だったな。一番下っ端のお前を連れてくるなんて」

「今まで訓練の手を抜いた事はありませんよ。多分、隊長もその辺を見ていてくれたんだと思います」

「まぁ、いつかは初陣を張らなきゃならないしな」

「がんばります」

 2人で、ワイワイやっていると。

「おい! お前ら早く仕度しろ!」

「ゲッ、副隊長!」

「すみません!」

 2人でくっちゃべっている所を、副隊長に見つかり怒られた。

 ……

 時間は深夜を少し回った頃だろう。
 降下予定空域上空に入ったフネはパラシュート降下に移ろうとしていた。

 隊員達はパラシュートを収納したリュックを背負い、それぞれ支給された。『場違いな工芸品』を持ち整列していた。

「時間だ。各員直ちに降下し、目標を確保せよ」

「コマンドー!」

「よし、行け!」

 次々とフネから飛び降りたコマンド隊隊員。
 ついにアニエスの番になった。アニエスには.38口径のリボルバーが支給されていた。訓練しているとはいえ12歳の女の子、ライフルを撃つのは無理と判断された結果だ。
 そして、実戦に耐えられるといっても、あくまで伝令役や給弾係などが主任務だった。

「よし、次!」

「コ、コマンドー!」

 アニエスは意を決して夜の空へと飛び出した。

 山間部ながらも幸い風も弱くアニエスは予定通りの場所へ着地し、素早くパラシュートを回収すると、他の隊員に混じって、ラ・ロシェールの街へと山道を登っていった。

 ……

 コマンド隊は『女神の杵』亭を囲むように配置を完了させた。

 後方で指揮を取る隊長のド・ラ・レイは、突入部隊を指揮する副隊長に使い魔の猿のボーマンを同行させた。
 使い魔のボーマンは字を書く事ができて、主人と使い魔との間にできる感覚の共有を組み合わせる事で、離れている隊長と隊員との意思の疎通が出来た。

「突入準備完了。目標の部屋割りも把握しています」

 副隊長が準備完了を使い魔のボーマンにいうと、ボーマン通じてド・ラ・レイに伝わった。

「よし、始めろ」

 ド・ラ・レイが作新開始を命じた。ちなみにアニエスは伝令役をしてド・ラ・レイの後ろに控えていた。

『ハジメロ』

 使い魔のボーマンの書いた文字を見て、一人の隊員がフクロウの鳴き真似で作戦開始を全隊員に伝えた。

 『女神の杵』亭はラ・ロシェールで一番上等な宿屋兼酒場で、1階部分が酒場、二階部分が宿屋になっていた。
 しかも深夜で内乱中とあって、客足は疎らで戦乱を嫌って国外に逃げる商人が数人居た位だったが、数人の貴族が商人を追っ払っていた為、店内には護衛の数人の貴族と店主しかいなかった。

 1階と2階、同時に突入しようとした矢先、酔った貴族が店の外へ出ようと席を出た。

『ホー、ホー』

 異常を察した鳴き役の隊員がハトの鳴き真似をした。ハトの鳴き真似は『待て』の意味が含まれて、間一髪、突入を踏み止まった。

 酔った貴族は店を出て、夜風に当たりながら散歩を洒落込もうとしていた。
 周りには誰もいない、一人だけだ。副隊長はアイコンタクトで隊員に貴族の始末を命じた。

 隠れている茂みから貴族までは50メイルと離れている。
 銃を使えば銃声であっという間にコマンド隊の存在を知られてしまう。サイレンサーなんて洒落た物は持っていない。そこで隊員はクロスボウと取り出した。
 無音武器のクロスボウなら気付かれずに殺る事ができる。隊員は散歩中の貴族を狙い、そして放った。

 (ボルト)は首の裏、延髄に刺さり、呻き声一つ出さずに道端に倒れ、すかさず別の隊員が死体を茂みの中に隠した。

「よし、いいな。突入」

 再び、『行け』もしくは『作戦開始』の意味を持つフクロウの鳴き真似をすると、コマンド隊員は一斉に『女神の杵』亭の1階、2階の両方に同時に突入した。

 1階の酒場に突入したコマンド隊に対し、酒を飲んでいた護衛の貴族達は咄嗟に反応できなかった。

「なっ!?」

 『何だお前ら!?』と言う事も出来ずに一人の貴族はトンプソン短機関銃で蜂の巣にされ息絶え、他の貴族全員も同じような末路をたどった。

「ひいい……」

 カウンターの裏で震えていた店主。

「すまない店主。請求は王宮までよろしく頼む」

「は、はい」

 2階でも始まったらしく、銃声と女の悲鳴が聞こえた。

 2階でもコマンド隊が突入。
 ロープの反動で窓ガラスを割って中に入り、ベッドで寝ていた貴族を拳銃やナイフで殺した。

 全ては順調……と思いきやトラブルが起きた。

「副隊長、大変です!」

「どうした」

「2階にて多数の民間人が……」

「民間人? 宿帳には貴族と商人以外、他に名前が無かったぞ」

 ちなみに商人たちは事前に退避させてある。

「どうも娼婦のようで、どうやら貴族の相手をしていた様です」

「娼婦か……このまま作戦領域内に居ても邪魔なだけだ、速やかに退去してもらおう」

 副隊長が、隊長と感覚を共有させる使い魔のボーマンに言うと、ボーマンが『ゴエイ、オクル』と書いた。
 娼婦を退去させるための護衛を送るらしい。

 数分後、アニエスを含む4人のコマンド隊員が遣わされた。

 ……

「まったく、ひどったらありゃしないわ。内乱が起こって以来の久々の上客だったのに」

 作戦領域外への道中、4人の娼婦の内の一人が隊員たちに向かって、延々と愚痴を漏らしていた。

「我々も、大変心苦しく思っております」

「だったら兵隊さん、私を買わない? 安くしとくわよ」

「勤務外でしたら嬉しかったのですが、残念ながら勤務中ですので遠慮しておきます」

「ケチ!」

 幸い、口の回る隊員が居て娼婦の相手になってくれていた。
 和気あいあいの一歩前の様な、和やかな雰囲気だった。

「なあ、あの姉ちゃんおかしくないか?」

 同僚のヒューゴがアニエスに寄って、異変を伝えた。

「あの姉ちゃん……て、どの人ですか?」

「一番右っ側の姉ちゃんだよ。あの分厚いバスローブを羽織った姉ちゃん」

 4人の娼婦は横並びで歩いていて、アニエスは後ろから見て右側の娼婦を見た。

「綺麗な人ですね」

「だろ? 綺麗なんだけど何か違うんだよ」

「どう違うんですか?」

「うなじが、さ……うなじが、そそらないんだ」

「はぁ?」

「おかしいだろ? あんなに美人なのに、もしかして顔から下は別人じゃないのか?」

 ヒューゴはヘラヘラ笑いながら喋っていたが、場の空気が妙な方向へ変わっていった。

「……」

「……」

 ベラベラ喋っていた娼婦は急に黙り込み、他の2人の娼婦も明らかに挙動がおかしい。
 不穏な空気を察した別の二人の隊員が腰に挿した銃に手をかけた。

「そこの人、ちょっといいか?」

「……」

「手を頭の後ろに」

「……」

「駄目よ! みんな逃げて!」

「助けて!」

 娼婦達の絶叫と同時に『おかしな娼婦』が魔法を放った。

 爆炎が周囲を包み、二人の隊員は炎に包まれアニエスたちも爆発の衝撃波で地面に叩きつけられた。
 3人の娼婦も衝撃波で倒れたが、見た限りでは気絶しただけだった。

「馬鹿共め!」

 『おかしな娼婦』は吐き捨てるように言うと、走り去っていった。

「おい、アニエス動けるか?」

「な、何とか。ヒューゴさんは?」

「俺は、足が折れたみたいだ。ドンさんとペリーさんも追えそうにない」

 ドンとペリーと呼ばれた二人の隊員は、全身に大火傷を負い、危険な状態だ。

「前に聞いた事がある、『フェイスチェンジ』って奴だ。多分中身は男だよ」

「え、男!?」

「アニエスは奴を追うんだ。ひょっとしたら大物かもしれない」

「わ、分かりました。後の事はお願いします!」

「おう」

 アニエスは全身の痛みを堪え立ち上がると、逃げた娼婦を追って走り出した。

 ……

 逃げた娼婦を追って、山道下っていくと、暗闇の中薄っすらと娼婦の後姿が見えた。

 アニエスは腰の.38口径の残弾を確認し、娼婦に向けて発砲した。
 弾は娼婦の足元に着弾した。

「おのれ!」

 娼婦は振り向きざまに『ファイア・ボール』を放った。

 アニエスは近くの岩陰に避難すると『ファイア・ボール』が岩を焦がした。
 すかさず.38口径で反撃、3発中1発が娼婦の手に当たった。
 幸運にも、マジックアイテムを破壊したのか、娼婦の顔が見る見るうちに男の顔に変わった。

「おのれ、よくも『フェイスチェンジの指輪』を」

「あの顔、たしか……」

 かつて、新宮殿で仇のリッシュモンの似顔絵を見せて貰った時の事を思い出した。

「リッシュモン!」

 『フェイスチェンジの指輪』を破壊されただけでなく手も負傷したリッシュモンは杖を持ち替え、再び『ファイア・ボール』を放った。

 先ほどと同じように岩陰に隠れ『ファイア・ボール』をしのぐと、また反撃したが、これは当たらなかった。
 
「くっ!」

 .38口径の給弾を手早く済ませ、3発発砲。が、当たらない。

「落ち着け落ち着け落ち着け」

 ブツブツと独り言を呟くアニエス。
 仇の男をこの手で殺す願ってもいない状況に恵まれた事で焦りが生まれていた。

「もう少し近づかないと」

 自分が焦っている事に気付かないアニエスは強硬手段を取ろうとしていた。

「魔法を撃ったら全速力……よし!」

 『ファイア・ボール』が岩に着弾したタイミングでアニエスは岩陰から出て全速力でリッシュモンに迫った。

「はああああっ!」

「子供か!」

 パンパンと.38口径を撃ちながらアニエスはリッシュモンに迫った。
 リッシュモンは腕や腹に銃弾を受けても、スペルを唱え続けた。全弾撃ちつくしたアニエスは.38口径を捨ててナイフを取り出しリッシュモンへ突き立てた。

 だが、アニエスのナイフが仇の身体に食い込む前に、リッシュモンは『ファイア・ボール』のスペルを唱え終えた。

「死ね!」

 杖から火球が発生しアニエスの身体を燃やした。

「うわああぁ!」

 アニエスの身体は炎に包まれ、炎を消す為に地面を転がった。。

 リッシュモンは転がるアニエスの元へ近づき、腹をつま先で蹴りつけた。

「ぐふっ」

「平民風情が調子に乗りおって! このっ、死ね!」

 ガスガスと何度も蹴りつけられ、アニエスは遂に動けなくなった。

「ううう……」

 動けなくなったが、まだアニエスは諦めてはいなかった。

「手間を取らせおって、今すぐ殺してやる」

 リッシュモンは杖を掲げ止めを刺そうとした瞬間。

 パァン!

 という音の後、杖を持ったリッシュモンの腕が吹き飛んだ。

「うぐおおぉぉ!」
 
「アニエス!」

 声の先にド・ラ・レイと数人のコマンド隊員が居た。
 先ほどの攻撃はド・ラ・レイの隣に.308口径の狙撃銃を持った隊員が放った一発だった。
 そして、次々と空へ向かって照明弾が打ち上げられ。さらに数人のコマンド隊が応援に駆けつけてくれた。

(チャンスは今しかない!)

 肘から先が吹き飛んだリッシュモンは、どうしたら良いかうろたえるばかりだった。その光景を見てアニエスは最後の力を振り絞って、身体ごとナイフをリッシュモンにぶつけた!

「うわああああああ!!」

 アニエスは吼え、ナイフはリッシュモンの胸に深々と刺さり、二人は転がるように緩やかな崖へと落ちていった。

 ……

「ん……あれ?」

 何かに揺られる様な感覚に、目を覚ますと、アニエスは担架に寝かされラ・ロシェールへ戻る道中だった。

「起きたか」

「隊長」

 ド・ラ・レイはアニエスのすぐ隣に歩調を合わせるように歩いていた。

「あの……リッシュモンはどうなりましたか?」

「死んだよ。心臓を一突きだ」

「そうですか」

 アニエスは全身の力が抜ける様な感覚を覚えた。
 アニエスからは見えないが、リッシュモンの死体は死体袋に入れられ隊員が運んでいる。

「あの他の人たちは、どうなったのでしょう?」

「ドンとペリーは重傷だが、命に別状はない。民間人3人は軽傷だ」

「あの、ヒューゴさんは?」

「ヒューゴの奴は足を捻挫しただけだ。本人は骨折したと言っていたが副隊長にどやされるとすぐさま起き上がって持ち場へ帰って行ったぞ」

「ハハハ……」

 乾いた笑いがアニエスから漏れた。

「さて……」

 ド・ラ・レイは神妙な顔つきになった。

「見事、本懐を遂げた訳だが、これからどうする? 除隊するか?」

「え……」

「マクシミリアン殿下からは、敵討ちの為の力を授けてほしいと、直々にお願いされていたからな」

「……」

「まぁ、答えを出すのは、今すぐでなくてもいい」

「いえ、答えはもう出してあります……もうしばらく、コマンド隊にご厄介させて貰えませんか?」

「断る理由が無い」

「これからも宜しくお願いします」

「うむ」

 アニエスは全身の虚脱感に身を任せ、そのまま眠りについた。


 

 

第三十四話 カトレアの家出


 内乱発生から1ヶ月。
 ラ・ヴァリエール公爵家はというと、当然と言うべきか、王党側に属しゲルマニアが介入しないように国境線に目を光らせていた。

 ラ・ヴァリエール公爵は毎日のように軍議を開き、積極的に中央と連絡を取り合っていた。
 カトレアの嫁入りも無期延期になり。ここ数日は、妹のルイズの面倒を見て1日を過ごしていた。

 現在、カトレアは動物達と共に遠乗りに出ていた。
 内乱中にも拘らず外出したのは、領民を不安にさせない為の配慮と今まで飼っていた動物達を自然に帰す為だった。
 内乱が王党側の勝利に終われば、予定通り王家に嫁入りする事になるが動物達も一緒に嫁入りするわけにはいかず、時間を見つけては動物達を野生に帰す活動をしていた。

 麦畑の沿道を馬に乗って進むカトレア。
 後には、多くの鹿、狐、鷹、熊、狼、等の猛獣が、土煙を上げ後を追う光景は、さながら百鬼夜行に思えた。

「おお、カトレア様じゃ」

「ウチの母ちゃんを治していただき、ありがとうございます」

 農民達が作業を止め、頭を下げてカトレア一行を見送る。カトレアもニッコリと微笑み返した。
 カトレアは時間を見つけては、薬箱では治せないような重病者を治して回る活動もしていた。
 そんな事もあって、心優しいカトレアは領民に女神の様に慕われていた。

 そんなカトレアがやがて王家に嫁ぐ。領民達は祝福しつつも、何処か寂しさを覚えていた。

 ……

 鬱蒼とした森林へと足を踏み入れたカトレアと動物達一行。

 カトレアは動物達の頭を撫で、森に帰るように促すと。一頭、また一頭と動物達はカトレアの方を何度も振り向きながら森の中へ帰っていった。

 やがて、最後の一頭が森へと帰りカトレアと馬だけになった。

「さようなら……」

 ポツリと呟き、ため息をついた。
 結婚式が内乱によって無期延期になった事は、カトレアにとって衝撃だった。
 そして、動物達との別れ……カトレアがこの森へ来る理由は領民を不安にさせない為の配慮と動物を自然に帰すこと、そして、もう一つの目的はこの森の中でで一人泣く事だった。

 カトレアは馬から降り、近くの大きな木の下にすがり付く様に膝をつき、そして……
 
「……会いたい、会いたいです、マクシミリアンさま」

 次期王妃の為の訓練の中で、人前では涙を決して見せてはならない。どうしても泣きたい時は国民の為に涙を流さなくてはならない。個人的な事でに泣く等持っての他。と強く言い聞かされていたカトレア。
 13歳の少女には無体な要求だったが、カトレアはそれを実践しようと努力していた。

 グッと声を押し殺して一頻り泣いたカトレアは屋敷に帰ろうと振り返ると、あらぬ方向から声がかかった。

「おっと、カトレアお嬢様。こんな所にお一人とは無用心ですな」

「フヒヒ……本当に居たな」

 カトレアが振り返ると木陰から2人の男が現れた。一人はよれよれの服を着た貴族、もう一人も貴族で友好的とは言いがたい雰囲気だ。

「……貴方がたは?」

「我々は、貴女の婚約者の卑怯な不意打ちによって、領地を追われた者ですよ。早速ですが我々と付き合っていただきます」

「まぁ、私を人質にしようと?」

「その通り!」

「でも、わたしが居なくなるとみんなが困るから遠慮しておくわ」

「そう遠慮せずとも、みんな仲良くしてくれますよ?」

「でも、駄目よ。私に何かあったら貴方達が危険だわ」

「……どういう事だ?」

 落ち武者ならぬ落ち貴族がカトレアに聞き返した。

「だ、旦那……」

「うるさいな、後にしろ」

「でも、旦那」

「何か後ろが……ヤバイ感じ」

「ああ~ん?」

 落ち貴族が後ろを振り返ると、鬱蒼とした暗い森の向こうから数百もの光る目がジッと落ち貴族達を見ていた。

「旦那、やっぱりマズイよ。逃げやしょう?」

「き、きき、気にしない! トリステイン貴族はうろたえない!」

 徐々に光る目は近づきさらに数を増やした。
 暗い森の先から見える数百の光の目は、まるで森その物が巨大な化け物の様に感じた。
 怯える2人を目掛けて、森の中から2頭の巨大な狼が落ち貴族に襲い掛かった。

「ア、アッー!」

「ああっ、旦那!?」

『グワォォァーーーッ!』

「ひぃーーー!」

 あわや、2体の惨殺死体が出来ると思われたが、カトレアが待ったをかけた。

「誘拐犯さん、こういう事言うと脅している様に思われるけど、私のお願い……聞いてくれないかしら?」

 カトレアは申し訳なさそうに、落ち貴族改め誘拐犯に頼み事をした。

「い、命だけは……」

「ガウワウ!」

「ヒィィーーッ!」

「駄目よ。みんな、お願い言う事聞いて」

 カトレアが誘拐犯の間に入る事で狼達は威嚇する事を止めた。

 ……

 カトレアは元々思慮深い少女だ。
 いつもなら森の中で一頻り泣いて、マクシミリアンへの気持ちを整理してから日常へと戻っていったが今回は違った。誘拐犯という非日常がやって来た事で上手く気持ちの整理がつかず、カトレア自身、思っても居なかった事を口走ってしまった。

 カトレア曰く、

「わたしをマクシミリアンさまの所へ連れて行って」

 口にした瞬間、『何て事を』と思ったが、不思議と後悔は無かった。それどころか、ダムが決壊するようにマクシミリアンへの気持ちが溢れ出て、自分自身を押さえ切れなかった。

「ええっ!? って、マクシミリアンってトリステイン王子のことだよな?」

「他にそんな珍しい名前知らないぜ?」

 カトレアの願いに毒気を抜かれた2人は、顔を向け合って、『どうしたものか』と考え込んだ。
 元々、虚栄心の高いトリステイン貴族だ。『可憐な少女の願いには何とか応えてやらねば男の恥』……と思ってしまうのは悲しき習性かも知れない。

 誘拐犯2人の後ろでは、2頭の狼が2人の頭を噛み砕くのを、今か今かと涎を垂らしながら待っている。

 下手に断れば待っているのは無残な死だ。事ここにいたり、誘拐犯たちはカトレアの願いを受け入れることにした。

「わ、分かりました。ミス、貴女の願いを叶えましょう」

 ちょっとキザな誘拐犯Aは怯えながらもキザったらしく言った。

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 ぽん、と手を合わせ、これ以上無い笑顔で喜びを表現した。

「かかっ……可憐だなぁ」

 ちょっと気弱な誘拐犯Bは、可憐な少女に恋をした。

 『婚約した男女は頻繁に会ってはならない』……なんて『しきたり』は、今のカトレアにとっては関係の無い事だった。

 動物達の盛大な見送りを得て森を出た一行は、近くを歩いていた農夫に『マクシミリアンさまの所に行って来ます。ごめんなさい』と書かれた手紙をラ・ヴァリーエル公爵家の屋敷へ渡すように頼み、心付けに1スゥ銀貨数枚を渡した。
 当然、その手紙を受け取ったラ・ヴァリーエル公爵家の面々は大騒ぎで追跡の部隊を送ったのは言うまでもない。

 かくしてカトレアとその乗馬、誘拐犯2人とお目付け役の狼2頭の奇妙な旅が始まった。








                      ☆        ☆        ☆






 カトレア一行が、ラ・ヴァリエール公爵領の首府ユトレイトから進路を南に取り3日経った。

 途中、2人の誘拐犯の為に馬を2頭買った。路銀は何かあったときの為に多少持っていたから問題なかった。

 誘拐犯2人は、道中何度も逃げ出すチャンスが有ったがどういう訳か、カトレアに従順だった。彼らが何故逃げなかったというと、お目付け役の狼達に命を狙われている事もあるが、旅の途中で反乱軍の連戦連敗の噂を聞いているうちに、『身の振り方を改めるべき』、と思い立ったからだ。上手くカトレアに協力すれば、その功績で領地を取り戻せるかもしれない……といった打算も働いたが、元々お気楽な性格なのか、美少女のカトレアと旅をするのが楽しくてたまらない感じだった。

 ラ・ヴァリエール公爵領を無事脱出して、初めて寄った宿場町で、マクシミリアンの居場所の情報収集をするとマクシミリアンはトリステイン東部の都市『リュエージュ』に駐屯している事が分かった。

「リュエージュはどの位の日数で到着するような距離なんですか?」

「馬で飛ばせば5日と掛からない距離ですが、なにせ内乱中です。検問やら何やら張っている事は十分考えられるでしょう。遅くも見積もっても10日以内には何とか……」

「それじゃ、早く出発しましょう」

 カトレアは、遅くとも10日でマクシミリアンに会えることが嬉しくて、他のみんなを急かした。

「今から出発すれば、日が暮れる頃には次の宿場町に着きます」

「喉が渇いたんだけど。少し休んでいかない?」

 のん気な誘拐犯Bが、休息を要求したが、

「今、休んでいたら日暮れまでに着かないだろ。早くいくぞ」

 と誘拐犯Aににべも無く却下された。

 日は西に落ちつつあったが、まだ日は高い。

 一行は次の宿場町に向けて出発した。

 ……

 カトレアは幸せだった。

 今までは病気や勉強で領内に篭もりっきりで、旅行の一つもできなかったが。こうして知らない土地の風景や人々に触れ合う事ができて、言いつけを破ってでも旅を出た価値はあったと思っていた。

 内乱中にも関わらず、国民達の顔に悲観的な色はなかった。
 物価も安定していて、行く先々で食料品といった必需品の価格は安定していた。こういった非常時に必需品を買い占めて価格を吊り上げようとする不届きな奴も居たが、家臣団が価格の安定に力を入れたおかげで、相場は変動せず逆に買い占めた者が大損した例があった。こういった所にも当局の努力の後が伺えた。

 マクシミリアンが駐屯しているというリュエージュへ向けて旅を続ける一行だが、日暮れまでに次の宿場町に着く事が出来ずに野宿する羽目になってしまった。
 カトレアは野宿すら楽しいのか目をキラキラさせて、夕食の準備の為に鍋の中に魔法で作った水を入れ、塩を香草とキャベツと干し肉をぶち込み、火魔法でコトコト煮始めた

「御嬢、料理出来るんで?」

「屋敷じゃ厨房に立たせてくれなくて。わたし料理って一度でいいからしてみたかったの」

「え? じゃあ、料理は初めてなんですか?」

「そうなの」

 カトレアはニッコリ笑い、狼達とじゃれ合いながら鍋をかき混ぜた。

「……」

「……」

「♪~」

 無言の誘拐犯とは対照的にカトレアは鼻歌を歌いながら料理を続けた。

 そして、十数分後カトレアのスープが出来上がった。

「さぁ、召し上がれ♪」

 カトレアは木椀にスープを盛り誘拐犯らに振舞った。ちなみに鍋や木椀といった道具は誘拐犯の所有物だ。

「い、いただきます」

「においは良さそう」

 誘拐犯たちは同時にスープを呷った。

「どうかしら?」

「……」

「……マズ」

 微妙な味だったらしい。

『ガウワウ!』

 後ろに控えていた狼達が、歯をガチガチ鳴らして『喰え』と脅し、2人は涙を流しながらスープを飲み干した。

「わたしもいただくわ」

 カトレアもスープ飲むと、ニコニコ顔が消えた。

「……余り美味しくないわ」

 不味いからといって捨てるつもりは無い。眉毛を『八の字』にして、残ったスープを飲み干した。
 カトレアの動物好きは有名だが、だからといって肉を一切食べない訳ではない。動物が好きだからこそ、食材になってくれた動植物に感謝して好き嫌いせずに何でも食べるのがカトレアのポリシーだった。

「ごめんなさい、余り美味しくなかったわね」

「まぁ、御嬢。気にせずに……」

「初めての料理なんでしょう? 次はがんばりましょう」

「ありがとう。がんばるわ」

 その後、残ったスープを3人で平らげ。明日の日の出と共に出発しようと早めに床に就く事にした。

 カトレアは護衛兼毛布代わりに狼達に包まって眠ることにした。
 誘拐犯2人は交代で1人が火の番をして、もう1人が休む事になった。

 ……数時間経っただろうか。

 誘拐犯Bが火の番をしていると、一行の頭上を何か『速いもの』が通過した。

「御嬢、起きて! 旦那も起きて!」

 誘拐犯Bはカトレアに声を掛け。誘拐犯Aを蹴飛ばして無理やり起こした。

「なにかしら?」

 のん気に呟き、カトレアは目を覚ました。傍らに居た狼たちは空に向けて唸っている。

 『速いもの』はカトレア一行の上空を数回ほど旋回すると、カトレアの前に降り立った。

 マンティコアに乗った仮面にピンクブロンドのメイジは仮面越しにカトレアをジッと見ていた。

 一方、カトレアは仮面のメイジの正体に気付いたのか、驚いたように、

「お母様!」

 と仮面の騎士に向かって叫んだ。 

 

第三十五話 母と娘


 誘拐犯を巻き込んでのカトレアの家出は、思わぬ形で佳境に入っていた。

 国境を守るラ・ヴァリエール公爵家は、農民を介して届けられたカトレアからの手紙に蜂の巣をつついた様な騒ぎになった。
 内乱発生で延期になったものの、婚礼前の花嫁が、しかも次期王妃が家出をしたのだ無理は無い。
 当然、追跡の部隊を出すべきだが、国境に睨みを利かせる為に、多くの人員を割く訳にはいかない。そこでラ・ヴァリエール公爵夫人のカリーヌが自ら出張ってカトレア追跡の任に就く事になった。

 カリーヌ夫人は自らマンティコアを駆り、カトレアを捜索して数日、遂にカトレアと貴族と思しき2人の男を発見した。

 カトレアの前に降り立ったカリーヌ夫人は、まずカトレアが乱暴された形跡は無いか調べたが、外見から見た限りではその形跡は無くホッと胸を撫で下ろした。

「カトレア。あの手紙は何なのですか。今、大事な時期なのは貴女にも分かっているでしょう」

「お母様。わたし帰りません。マクシミリアンさまに一目だけでもいい……お会いしたいんです」

 懇願するようなカトレアにカリーヌ夫人は仮面の裏で一つため息をついた。

「我侭を言ってはいけません」

「リュエージュは目の前なんです。せっかくここまで来たのに何もせずに帰るなんて嫌です」

「くどいですよカトレア。さ、帰りますよ。お父様にもきつくお叱りを頂かないと」

「……嫌です。マクシミリアンさまの下へ行かせてください」

 今度は懇願ではなくキッパリとカリーヌ夫人に言った。

「……ならば、強引にでも連れ戻す」

 カリーヌ夫人は、冷たくそして同時にマグマの様な熱を内封した声色で杖を実の娘であるカトレアに向けた。

「……」

 カトレアも両手に持った杖で祈るようにして胸の前に置き、そして杖の先をカリーヌ夫人に向けた。

 母と娘の戦いはこうして幕を開けた。

 ……

 日の暮れた街道近くの森の中では母と娘。2人のメイジの戦いが繰り広げられていた。暴風で木々は薙ぎ倒され。森の動物達は我先に逃げ惑っていた。

 2人の誘拐犯とカリーヌ夫人が乗って来たマンティコアも含めた動物達は薙ぎ倒された木の陰に隠れて2人の闘争が終わるのを待っていた。

「何てことだ。まるでこの世の終わりだ」

 誘拐犯Aは頭を抱えながら2人の戦いを見ていた。

 戦況はというと、何とカトレアの有利に思えた。
 風のラインメイジであるカトレアは短い詠唱の『ウィンド』や『ウィンド・ブレイク』などの手数でカリーヌ夫人を圧倒していた。

 元々、カトレアは魔法においては100年に一人の逸材だ、その強力すぎる魔力で心臓を病みマクシミリアンの心臓移植で救われた事は知る人ぞ知る。

 風のラインとはいえ、その膨大な魔力から発せられる魔法は強力で、瞬間的な爆発力においてはマクシミリアンをも上回った。

 一方、カリーヌ夫人はというと、流石は『烈風カリン』というべきか、カトレアの杖から発せられる暴風を見事に避けながら反撃の機会をうかがっていた。

「なるべく穏便に……怪我の無いように済ますつもりでしたが……しかたない」

 遂にカリーヌ夫人も反撃を開始した。
 杖から発せられた『ウィンド』は、カトレアの『ウィンド』と空中でぶつかり、空気の壁の様なものが出来た。

「ううっ」

「はあっ!」

 ぶつかり合う魔力。
 やがて壁は一つの圧縮された空気の塊になった。

 2つの『ウィンド』のぶつかり合いは『鍔迫り合い』にも似た状況で、圧縮された空気の塊は更に圧縮され、素人目にも2人の間に空間の揺らぎの様な空気の塊が見えた。

 数分ほど『鍔迫り合い』は続き、空気の塊の周りにつむじ風が発生しやがて竜巻にまで成長した。

「ひいいっ」

「これじゃ、俺達もお陀仏だ」

 竜巻は薙ぎ倒された木々を巻き込み空中へ放り上げた。
 逃げ場所を失った誘拐犯らは魔法で地面に穴を掘り始めた。穴の中に避難する為だ。

 やがて、5メイルほどの深さに掘り誘拐犯たちはその中に非難した。

「おい! お前達も中に入るんだ!」

 誘拐犯Aは動物達にも中に入るように言った。
 狼達や馬にマンティコアが、中に入ろうとするが狭くて全員は入らない。しかも、周辺の棲んでいた他の動物達も避難を求めてやってきた。

「もっと深く、広くだ!」

「分かってるよ!」

 誘拐犯Bは魔法でどんどん穴を深く広く広げていった。
 おかげで精神切れで倒れる頃には、穴は全員が避難できる広さと深さにまでなった。

「入れ入れ!」

 動物達はゾロゾロと穴の中に避難して行った。
 全員入りきった事を確認した誘拐犯Aは、穴の口からカトレアたちの対決を眺める事にした。他の動物たちも穴の口から頭だけ出した。

 カトレアとカリーヌ夫人の『鍔迫り合い』は、まだ続いていた。両者の間に発生した空気の塊を包むように竜巻も発生しそれは天をも衝かんばかりに成長していた。

「カトレア。いい加減に諦めなさい」

「……ッ、嫌ですお母様。わたしはマクシミリアンさまに会いたいんです。その為にここまでやって来たんです!」

 地力の差か。カトレアは徐々に押され気味になっていった。
 『鍔迫り合い』で両者の間に発生した空気の塊は巨大化しと竜巻は大災害レベルにまで成長していた。
 もし、どちらかが精神切れを起こすなりして『鍔迫り合い』を止めれば、超圧縮によって固められた空気の塊は力の行き場を失い大爆発を起こす可能性が高かった。
 そうなれば両者、ただでは済まないだろう。

 危険を感じたカリーヌ夫人はカトレアに警告を発した。

「カトレア! 気をしっかり持ちなさい! 少しづつ力を弱めて!」

 凄まじいまでの暴風はカリーヌ夫人の仮面を剥ぎ取り、その素顔をさらした。
 カトレアは魔法を最大出力で放つのはこれが初めてだった。そのせいか、徐々にカトレアは魔力のコントロールを失い制御不能に陥っていた。

「……うう!」

「しっかりしなさいカトレア!」

 このままでは膨大な魔力を放出し続け精神切れを起こし気絶してしまう。最早、決闘どころではなかった。

「もう一度言うわ! 精神を集中させて!!」

 カトレアに集中する様に伝えると、カトレアも目を瞑り集中し始めた。

 暴風は依然2人の周りを暴れ周り、カトレアの身体は細かい木によって出来た小さな傷で一杯だった。

「……はぁ……はぁ……ふぅ」

「いいですかカトレア。私が合図したら、あの空気の塊を空に向かって放り上げるのです」

 カトレアが息を整えたのを確認したカリーヌ夫人は、次にやるべき事を指示した。

「分かりました。お母様」

「よろしい。では行きますよ……3・2・1!」

『ハッ!』

 2人は同時に杖を上げると、間にあった空気の塊は空に向かって猛スピードで昇っていった。

 空に昇った空気の塊は、高度1万メイル上空で圧縮された力を解放した。

 ドォォォォン!

 凄まじい爆音が夜の空に轟く。衝撃波が地上に届くほどの威力だった。もし、地上付近で爆発させていたら大惨事になっれいただろう。

 空気の塊が空へと昇っていった事で竜巻も弱まりやがて消えていき、精根尽き果てたカトレアはその場に倒れた。









                      ☆        ☆        ☆









 カトレアらが戦った周りは木々が軒並み倒れ辺り一面更地の様な状態だった。
 その更地では戦闘は終わり再び静寂が訪れた。カリーヌ夫人は急ぎ倒れたカトレアの下へ寄って抱き起こした。

 カリーヌ夫人はカトレアのピンクブロンドの髪を手櫛ですいてやると、

「…・・・マクシミリアンさま」

 とむず痒そうに寝言を言った。

 夢の中までマクシミリアンの事を想っているカトレアに母親らしい微笑を向けた。

 だが、その微笑みは一瞬の事。
 再び、仏頂面に戻った。カリーヌ夫人は穴から顔を出してこちらの様子を伺っている1人の男に目を向けた。

「そこのお前! …・・・お前達がカトレアに妙な事を吹き込んだのか?」

 絶対零度の声色で誘拐犯にゆっくりと近づく。

「え? え?」

 誘拐犯Aは、いきなり殺気を向けられ混乱した。ちなみに誘拐犯Bは精神切れで気絶したままだ。

「お前がカトレアに家出するように吹き込んだのかと聞いている」

 誘拐犯Aは、冷や汗をだらだら垂らしながら、どう取り繕うか考えた。

(このままでは殺される…・・・!)

 考え抜いた末に誘拐犯Aは、カリーヌ夫人に土下座して釈明する事にした。
 逃げても追い付かれるだろうし、下手に抵抗しても返り討ちに遭う事は先ほどの戦闘で容易に想像できた。

「実はその事についてですが……」

 誘拐犯Aは土下座して事の成り行きを説明した。

「……で。カトレアの言うままに今まで供をしていたと?」

「そ、そのとおりでございます。マダム」

「お前にマダムと言われる筋合いは無い」

 低い声でカリーヌ夫人は言った。

「あ、いや、その……どうか命ばかりはご勘弁を」

 土下座した状態の誘拐犯Aは、額を地面にこすり付ける様に謝った。

「……フン、何処の木っ端貴族かは知らんが命だけは助けてやろう」

「あ、ありがとうございます!」

 カリーヌ夫人は路上の石ころを見るように誘拐犯Aを見ると、指笛を吹いて自分のマンティコアを呼び気絶したカトレアをマンティコアの背に乗せた。

「お、お待ち下さい! 御嬢……」

「御嬢?」

「いえ、カトレア殿を連れ戻すのは、どうか、どうかご勘弁願います! カトレア殿は王子に会いたい一心で、禁を破りここまでやって来たのです。どうか彼女の気持ちを汲んでください。それに……」

「それに? ……続けなさい」

 誘拐犯Aは、言うか言うまいか迷ったが、結局言う事にした。

「はい、実は我々と出会ったとき、カトレア殿は森の中で泣いていました」

「泣いていた? カトレアが?」

「はい、このまま有無を言わさず連れ帰るのは余りにも可哀想です。どうか彼女の願いをお聞き届けを……」

「……」

 カリーヌ夫人は沈黙した。

 カリーヌ夫人の様子を伺っていると、誘拐犯Aの両隣に気配を感じた。

「お前達……!」

 気配の正体はお供の狼達だった。
 2頭の狼は『伏せ』をした。どうやら土下座のつもりらしい。
 狼達だけではない。穴の中に非難していた動物達も恩を返そうというのか、誘拐犯Aの周りに集まり懇願する様にジッとカリーヌ夫人を見た。

「……ふぅ」

 カリーヌ夫人はため息をつき、空を見上げた。

「どうやら時間切れのようだ」

 そのセリフの後、5騎の軽竜騎兵がカリーヌ夫人らの上空を通過し、再び舞い戻って照明弾を投下した。

 軽竜騎兵とは風竜にスピード重視の為に軽装のメイジを乗せた竜騎兵で、主に遊撃や追撃、偵察などが任務だ。

 無数の照明弾が夜空を明るく照らし、5騎の旋回している竜騎兵のメイジらは地上のカリーヌたちを見ていた。
 カリーヌ夫人は上空の軽竜騎兵が黒地に金の獅子のエンブレムを着けている事を確認した。黒地に金の獅子の紋章はマクシミリアンの軍が使用している。
 あれだけの天変地異を起こしたからか、当然偵察を出したのだろう。カリーヌ夫人は上空の竜騎兵に手を挙げ降りて来るようにジェスチャーを送った。








                      ☆        ☆        ☆







 カトレアが目を覚ますと、知らない部屋のベッドに寝かされていた。

「ここは?」

 部屋の中を見渡すと、少し離れた所で椅子に座ったマクシミリアンが船を漕いでいた。

「マクシミリアンさま……!」

 カトレアの胸は高まった。およそ2年ぶりに再会した愛しい人は自分の想像以上に逞しく成長していて嬉しくなった。だが良く見てみると少しやつれ気味なのが気になった。

「少し、やつれた様な……」

 気絶している間に着替えさせられたのだろう、カトレアは寝巻き姿でベッドから降りマクシミリアンに近づいた。

 眠るマクシミリアンの頬に触れようと手を伸ばすと、マクシミリアンの手がカトレアの腕を掴み引っ張られるように引き寄せられ、カトレアはマクシミリアンの胸の中に納まった。

「きゃぁ!?」

「ん……カトレア、会いたかったよ」

「はい、カトレアです。マクシミリアンさま。起きていらしたのですね?」

「ついさっき起きたんだ。それでちょっとイタズラをしたくなってね」

「もう! びっくりしましたわ!」

「ごめんごめん。それにしてもカトレア……綺麗になった」

「マクシミリアンさまも逞しくなられなられましたわ」

「……」

「……」

 色々、話そうと思っていても、いざとその時となると話題が見つからない。
 カトレアも同じなのか、言いよどんでいた。

 今は言葉は要らない。2人は引き寄せられるようにキスをした。
 約2年の空白を埋めるように2人のキスは激しさを増していった。

「……ん……うう……ちゅ……」

 カトレアは顔を真っ赤にしながらキスをしている。

 マクシミリアンはむさぼる様にカトレアの舌を求める。カトレアもマクシミリアンの求めに応えようと舌を絡めた。

 やがて2人は熱を帯びていき、マクシミリアンはカトレアの寝巻きに手をかけた。カトレアも嫌がるそぶりを見せなかった。

 ……だがしかし。

「コラァァァーーーーーッ!!」

 カリーヌ夫人がドアを蹴破って入ってきた。

「お母様!」

「チッ、いい所だったのに」

「結婚もしてないのに、そういった関係に成るのは駄目です!」

「無粋ですよカリーヌ夫人」

「だまらっしゃい!」

 マクシミリアンは怒られてしまった。
 カトレアも勇気を出してこれからという所で邪魔が入り涙目になってカリーヌに詰め寄った。

「ひどいわ、お母様」

「カトレアも! そう簡単に身体を許してはいけません!」

「カトレアに子供が授かればトリステインも安泰だろうに……」

 口を『3の字』にして、不貞腐れたようにマクシミリアンが呟いた

「だまらっしゃい!」

 2度の『だまらっしゃい』を落としたカリーヌ夫人は、2人の間に割って入り2時間ほど姑のように説教をした。

 

 

第三十六話 要塞都市リュエージュ

 内乱発生から1ヶ月。
 反乱貴族が動員を完成させつつある事から、マクシミリアン軍は初戦の様な各個撃破戦術からゲリラ戦術に変更し反乱軍に出血を強いていた。
 森や、或いは岩場などに待ち伏せして、近づいてきた反乱軍に『ミニエー銃』で武装した歩兵連隊が一斉射撃し敵兵が混乱している中、指揮官である貴族を討ち取り、指揮官が居なくなった敵軍を吸収する方法を取っていた。
 元々、同じトリステイン人だ。同胞同士が戦う事を嫌ったマクシミリアンが提案した作戦だった。
 幸い、敵兵は無理やり徴兵されたり、兵達の給料が未払いだった事などから、吸収にすんなり従ってくれた。
 いつしかマクシミリアン軍の規模を大きくなり7千を超える軍勢に膨れ上がった。

 膨れ上がったマクシミリアン軍は、家臣団や吸収した軍から、マクシミリアンの人材センサー(仮)に引っ掛かった優秀な人材を登用して仕官や下士官を当てた。

 しかし、規模が大きくなった分、補給に困る事になった。
 反乱軍討伐を大儀に掲げるマクシミリアン軍にとって現地調達はもってのほか。大至急トリスタニアから補給物資を届けさせる事になった。
 その間、マクシミリアン軍がまったく動けなくなる事を嫌ったマクシミリアンは、新型銃を装備した主力歩兵連隊と一部の砲兵、工兵、補給兵を独立軍として切り離し、ダグーを独立軍の将軍に抜擢して再びゲリラ戦に投入することにした。

 ……

 トリステイン東部、ゲルマニアとの国境に近い、中規模都市『リュエージュ』にマクシミリアン軍は駐屯していた。

 リュエージュ市は古くからゲルマニアとの最前線だ。
 過去、ゲルマニアはトリステインへ3つのルートで侵攻してきた。
 1つはラ・ヴァリエール公爵領からの北東ルート。2つはロレーヌ公爵領からの南東ルート。そして最後のリュエージュからの東ルートだ。

 その為、リュエージュには対ゲルマニア用の堅牢な城壁がそびえ立っていて、城壁都市として名を馳せていた。

 現在、マクシミリアン軍は再編成の真っ最中である。軍隊が街中に駐屯する事を住民が不安がると思い、郊外の古城に駐屯していた。

 戦争は破壊とは別に時に特需を生む。
 一部の商魂たくましいリュエージュ市民は都市から徒歩数時間の道のりを歩き、古城に駐屯したマクシミリアン軍の兵士を相手に商売を始めた。
 兵士も金を落とす場所を求めていた事からリュエージュの街は7千人近い兵士達の落とした金で好景気に沸いていた。吸収した兵にも給料がしっかり払われていた事もこの特需を押し出す要因にもなった。

「兵が落とす金で景気が沸くならそれに越した事はないけど、妙なトラブルを起こさない様に目を光らせてくれ」

 マクシミリアンは軍の憲兵隊や士官、下士官に綱紀粛正を支持した。

 その甲斐あってかトラブルは無く、内乱中とは思えない平穏な時間をすごした。

 ……

 内乱発生から2ヶ月すると戦況は王党側に傾いていた。

 初戦でマクシミリアン軍が有力貴族を倒して回った為、連戦連敗の反乱軍に組しようという奇特な者は無く反乱軍の敗北は決定的になっていた。

 追い詰められた反乱軍を討伐すべく王軍も出動し各地での戦闘で反乱貴族の領地は全て占領された。
 その為、反乱軍は拠点になるものを失い各地で盗賊紛いの略奪を行い、討伐に来た王軍に蹴散らされ逃げ回っている始末だった。
 逃げ回っていても、依然反乱軍は有力な軍隊を有しており内乱が長引けば諸外国が介入してくる可能性もあり、早急に鎮圧する必要があった。

 そんな現在、マクシミリアン軍は編成を終えたものの、未だにリュエージュに駐屯中だ。
 内乱の隙を付いて国境のゲルマニア軍がそろそろ動き出しそうな雰囲気の為、国境の防衛という王宮側から正式な命令が届いた。

 別の見方をすれば、マクシミリアン軍は反乱鎮圧のメンバーから外されたとも言える。

 王子が頻繁に戦場に立つのは好まないと言った思惑が絡んだのだろうし、王軍の将軍達からすれば、自分達の活躍の場が奪われるのを懸念したのだろう。

 そこでマクシミリアンはこの期に、国境近くの要衝の街であるリュエージュに近代的な要塞を建設する事を打診し、王宮もこれを承諾し、建設用の物資を送ると通達があった。

 リュエージュ要塞建設の指揮を取るのは工兵隊隊長のグリアルモントという男だ。
 この男はかつてトリステイン全土を要塞化させようと王宮に陳情したが、突っぱねられてしまい、へそを曲げて軍を退役。軍事関係の同人誌を書いていた所をマクシミリアンの人材センサーに引っ掛かり工兵隊隊長として迎え入れられた経緯があった。

 現在の要塞建設の進行状況は0%で、計画に基ずいて縄張りの真っ最中だった。

 グリアルモントの計画ではリュエージュ市の周りに無数の要塞を立て、地下通路などでネットワークを構築し縦深防御を可能にする予定で、完成まで5~10年以上掛かると言われた。
 また、要塞建設に伴い地質調査をした結果、リュエージュ周辺は豊富な地下資源が眠っていることが分かった。
 以前から鉱山の可能性有りと報告は上がっていたが、かつての魔法至上主義のトリステインでは見向きされなかった。
 だがそれは昔の話。
 マクシミリアンの音頭で、要塞建設に利用される物資の調達の為、鉄の精錬や金属加工といった工業化が進み、戦後リュエージュは城塞都市と同時にトリステインでも指折りの工業都市として知られるようになる。







                      ☆        ☆        ☆






『反乱軍およそ2万、リュエージュに接近中』

 マクシミリアンの下に急報が届けられたのは、参謀らと共に古城の一室で会議を開いている時だった。

「本当か!? 誤報ではないな?」

「はい! 間違いありません!」

 兵士の話では、偵察の軽竜騎兵がリュエージュに近づく反乱軍と思しき所属不明の軍勢を発見したという。

「それにしても2万は多くないか? それだと反乱軍の総兵力になるけど」

『おそらく総兵力を投入したのでしょう』

「何の為に?」

『連戦連敗の反乱軍は、マクシミリアン殿下を人質にして講和に持ち込もうと思っているのでしょう』

 会議に参加していたジェミニ兄弟がマクシミリアンの疑問に答えた。

「反乱軍はそんなに追い詰められているのか」

『初戦で殿下に有力貴族の殆どを潰されましたからね。その性で反乱軍の評判はガタ落ち。負けると分かっている者に協力するような酔狂なものは居ませんよ。拠点の無い反乱軍にとって、今回の進軍は乾坤一擲の大博打であり、初戦の殿下への趣旨返しもあるのでしょう』

 ジェミニ兄弟は長文にもかかわらず、見事にハモって進言をやり通した。

「そうか……でも、これはチャンスだな」

「チャンス……ですか?」

 発言したのはカリーヌ夫人で、彼女も会議に参加をしていた。
 カトレアも同行してリュエージュ郊外の古城にカリーヌの監視付きで、さながら婚前旅行の様にマクシミリアンと同じ部屋で滞在していた。

『はい、この軍勢を打ち破れば、内乱は我らトリステイン王国の勝利です』

 だが、現在のマクシミリアン軍は独立軍を編成して切り離してしまった為、5千にも満たない。

「5千にも満たない軍勢で2万を迎え撃つのは……」

「迎え撃つ準備をする、至急グリアルモントを呼んでくれ。それと、この事を王宮と諸侯軍にも知らせ援軍を送るように要請を、上手く行けば反乱軍を逆に包囲殲滅する事ができる」

「御意」

 十数分後、工兵隊隊長のグリアルモントが会議室にやって来た。

「グリアルモント。話は聞いていると思うけど、反乱軍の軍勢2万がリュエージュに接近中だ。僕達はこれを迎え撃つ。そこでグリアルモントには防衛陣地の構築の指揮を執ってもらいたい」

「御意にございます」

「敵は数日中に来る。時間的に難しいから僕も協力しよう、扱き使ってくれ」

 王族である自分を扱き使うように命令した。

「早速ですが殿下……」

「ああ」

 普通の将官なら恐縮して何もさせようとしないが、気骨のあるグリアルモントは一瞬のためらいも無く防衛計画について語り始めた。

 ……

 その後、マクシミリアンはグリアルモントに着いて行き駐屯地の古城の外郭部分にやって来た。古城の城壁は朽ち果て城壁としての効果は失っていた。
 そこでは工兵隊の隊員達が金網と布で出来た『折り重なった奇妙なもの』を用意していた。

「これは?」

「これは『ヘスコ防壁』です。以前、地下図書室でこの存在を知って作らせておきました」

「そういえばそういった物も翻訳した覚えがある」

「これから城壁の変わりに『ヘスコ防壁』を作りますので、あの金網と布の箱の中にレビテーションなどで土砂を入れてください。それと他のメイジにも協力して貰いたいのですが」

「確かコンクリートは実用化されているはずだが」

「べトン(コンクリートの事)では、乾くのに時間が掛かります。よってこの方法で防壁を作ろうと思います」

「分かった。僕の名で命令を出しておこう」

「ありがとうございます。時間が無いので早速始めましょう」

 マクシミリアンの命令で各メイジも動員させ防衛陣地建設が開始された。

 マクシミリアンの命令で『手すきのメイジ全て』と明言された為、カリーヌ夫人やカトレアも駆り出される事なった。

「この箱の中に『レビテーション』で土を入れればいいのね?」

「はい、宜しくおねがいします」

 工兵の指示に従ってカトレアは『レビテーション』を唱え土砂を持ち上げた。

「カトレア。貴女は魔法の力は凄まじいですが細かいコントロールは下手です。いい機会ですから、この作業を利用して練習しなさい」

「はい、お母様」

 カリーヌ夫人も作業の傍らカトレアに目をかけていた。そしてカトレアは初めての経験に何処か嬉しそうだった。

『レビテーション!』

「おお~!」

「さすが貴族様」

 カトレアの『レビテーション』で巨大な土の塊が浮き上がった。全長20メイル近いの土の塊が浮かんだ事で工兵や兵士達がカトレアを称えた。

「カトレア。大きすぎです。これでは箱の中に入りません、もう少し力を弱めて」

「はいっ」

 カリーヌ夫人に駄目出しされたカトレアは魔力を調整し土の塊を小さくすると、それをヘスコの箱の中に流し込んだ。

「一先ず成功ですね。それにしてもカトレア。貴女は領民の治療に出張っていると耳にしましたが風メイジなのに水魔法の方が魔力の調整が上手いと言うのはどういうことですか」

「あれは、秘薬を媒体にしてますから上手く行くんです」

「まったく、今まで礼儀作法を重点に置いてましたが。やはり貴族は魔法が本分。帰ったらみっちり特訓しますよ」

「魔法は大事ですが、だからと言って結婚相手までも魔法で決めるわけではないでしょう。聞くところに寄ればエレオノールお姉様の婚約もこの内乱でご破算になったと聞きました。言いたくはありませんが完璧を着そうと鍛錬すればするほど、男の人は離れてゆくんじゃないかと心配になるんです」

「お黙りなさいカトレア。この話にエレオノールは関係ありません。それと王妃に成ろうとする者が魔法もろくに使えないでは諸外国から侮られますよ」

「……分かりましたお母様」

 カリーヌ夫人の威圧にカトレアはシュンとして小さくなった。

 その光景を遠目で見ていたマクシミリアンは『レビテーション』で土砂を持ち上げ、開かれた箱の中に適量の土砂を流し込んだ。

 『ヘスコ防壁』とは、分かりやすくいえば土嚢を巨大化させたものだ。金網と布で出来た底の無い箱に土砂を入れて、それを数珠繋ぎに設置して防壁にする。設置が簡単で、爆発に対してはコンクリート壁より強だ。

 城壁は見る見る内に完成していった。作業は深夜になっても続いていて、多くのメイジが精神切れを起こさない様にシフトを組んで当たらせた。

 古城の周りの堀は更に深く掘られ、敵に対し効果が期待された。
 平民の兵士達もメイジや工兵のアシストに回ったおかげで夜明けまでには堅牢な城砦へと姿を変えた。

 






                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンはグリアルモントに今後の防衛計画の説明を受けていた。

「この完成した古城で反乱軍を迎え撃つのか?」

「いえ、この古城はあくまで支城で砲撃陣地として利用します。高い城壁を持つリュエージュに殿下と司令部は移っていただきます」

「と言う事は軍を分けるのか?」

「リュエージュ内にも砲撃陣地を構築し、相互に支援しあう事で敵を撃退する予定です」

「そうか……まぁ、いちいち口は挟まないよ。上手くやってくれ」

「御意」

 翌日、古城の城壁になるヘスコ防壁を完成させたマクシミリアン軍は古城にロケット砲撃陣地を構築し、ラザールを守将に置いた。

 マクシミリアンはラ・ヴァリエール母娘と共にリュエージュに移り司令部と本隊も移った。
 古城には守将にラザールとロケット砲部隊と1500の兵が残り計画通り相互に防衛しあう事になった。

 マクシミリアンはリュエージュ市民に戦場になるため何処かに避難することを勧めたが、市民達は拒否し逆に蓄えの食糧や武具を軍に提供した。

 これに対しマクシミリアンは

「ありがたいけど、大丈夫なのかな?」

 と呟き家臣に、戦後ある程度保障してやるように伝えた。

 ……

 リュエージュに移ったマクシミリアンに朗報がもたらされた。
 トリスタニアで新型銃を作成していた銃職人達がミニエー銃1000挺を持って応援に駆けつけたのだ。すぐさまミニエー銃を配備させマクシミリアン軍のリュエージュ防衛には、その威力を発揮すると期待された。
 銃職人たちは市内の鍛冶屋の工房を借りて既存のマスケット銃をミニエー銃に改造する作業に取り掛かった。1日20挺のペースでミニエー銃がもたらされおかげで時間が経てば経つほどマクシミリアン軍に有利にいくはずだ。
 ちなみに戦後、銃職人達はそのままリュエージュに残り新型銃の作成に取り掛かることになり、後に彼ら銃職人の協力で郊外に国営の兵器製造工場が建設される事になる。

 リュエージュ内にもに2000の兵を配備し、ロケット砲陣地を構築したマクシミリアンは軍に決戦前の休養を命じた。

 リュエージュは決戦前にも関わらず活気付き露天商が景気良く商売をしていた。

 マクシミリアンは、軍務で今まで余りかまってやれなかったカトレアを連れ出し、決戦前のデートと洒落込んでいた。
 とはいえ、王子の姿のままでは色々問題があろうと思われたため、マクシミリアンは『水化』で姿を変え、カトレアも『フェイスチェンジの指輪』で顔を変えていた。

「こうやって2人でデートするのは初めてだな」

「でもこんな時に悠長にデートなんて良いんでしょうか?」

「構わないさ。やる事はやったから、敵が来るまで暇なんだし、緊張を張り詰めてたら敵が来る前にばててしまうよ」

「うふふ……そうですね。それじゃ楽しみましょう」

 マクシミリアンはカトレアの手をとってエスコートにした。、
 カトレアも嬉しそうにマクシミリアンの手を握られたまま隣に立ち、露天をのぞいて回った。

「この店は手作りのアクセサリーを扱っているようだ」

「綺麗ですね。この指輪お揃いですよ」

「宝石にしては濁っているし石にしては綺麗な色だ、この石、何て言うの?」

「ウチの故郷で採れる石だけど、何の石かはよく分からないんだ。故郷じゃ恋人とかが、よく身に着けて歩いているよ」

 露天商の男は景気よく言った。

「いいね。お兄ちゃん、この指輪2つ」

「ヘイ! 毎度」

 露天商の男は代金を受け取り、よく分からない石を加工した指輪を2つマクシミリアンに手渡した。

「カトレア。指輪はめても良いかな?」

「はい、お願いします」

「左の薬指はめるけどいい?」

「? よろしくお願いします」

 キョトンとするカトレアにマクシミリアンは左の薬指に指輪をはめた。
 どうやらハルケギニアは婚約や結婚の際に左の薬指に指輪をはめる習慣が無いらしい。そういう訳でマクシミリアンは流行らす事にした。

「左手の薬指は心臓に一番近いっていうから、『あなたを生涯愛します』って意味で婚約・結婚の証とも愛の証しとも言うらしいね」

「まぁ……マクシミリアンさま」

 顔を真っ赤にしながら嬉しそうに微笑んだ。

「上等な宝石でも良かったんだけど、あんまり気負うのもあれかなと思ったんだ」

「わはしは気にしませんよ。マクシミリアンさまの指にも……」

「ああ、よろしく頼むよ」

 カトレアはマクシミリアンの左の薬指に指輪をはめた。

「はは、ありがとうカトレア。似合うかな?」

「よく似合ってますよ」

「アハハ」

「ウフフ」

 この時、2人の間から何ともいえない、砂糖を吐きそうな雰囲気が放出された。キャッキャウフフと笑いあう2人を微笑ましそうに羨ましそうに爆発して欲しそうに通行人は避けて歩いた。

 その後も2人は露天を見て回ったり、屋台で買い食いしたりと楽しいひと時を過ごした。

 そして夕方、宿舎になっていた、ホテルに戻る道中にマクシミリアンはカトレアに言った。

「明日明後日にもリュエージュは戦場になるだろう。カトレア、本当に帰らないつもりなのか?」

「マクシミリアンさまに、もしもの事があればわたしも生きていられません」

「……男としてこれほど嬉しい言葉を掛けられるとは、ね。分かったよカトレア。僕が勝つところを見ててくれ」

「はい、マクシミリアンさま」

 ギュッと、2人は手をつなぎ、マクシミリアンは勝利の女神を手放すまいと手に力を込めた。

 

 

第三十七話 リュエージュ防衛戦・前編

 反乱軍の軍勢がリュエージュに到着したのは、マクシミリアンとカトレアの2人がデートした日から1週間後の事だった。

 マクシミリアンは参謀のジェミニ兄弟をお供に、リュエージュ市自慢の高い城壁に上り、遥か彼方に見える行軍する反乱軍の砂塵を見ていた。

「思ったより遅かったな」

「反乱軍が遅れた理由ですが、独立軍のダグー連隊長が頻繁に遅延攻撃を行ったからだそうです」

「流石はダグーだな。陰気だけどやる事にソツが無い」

「……コホン。お陰でリュエージュの防衛体制は完璧です」

「今、ダグーの独立軍は何をしている?」

「現在、補給休養中です。他の援軍が来援するまで待機して、援軍が来援すればそれに呼応して攻撃に加わるとの事です」

「3000弱の軍勢では、いくらミニエー銃を有していても、数の差で苦戦は免れないしな」

『御意』

「よろしい。それと肝心の王軍と諸侯軍の動きは?」

「国王陛下御自ら御出馬されたと、戻った伝令が申しておりました。諸侯軍につきましてはグラモン伯爵の軍勢が強行軍でこちらに向っているとの事」

「来援した時には、精根尽き果てていた……なんて冗談じゃないから、少し行軍スピードを緩めるように伝えてくれ」

「それにつきましては、参謀本部が既に伝えていたようです」

「そうか。話は戻るが、後の無い反乱軍は間違いなく力攻めで来るだろう。各部署に伝令を、敵の第一撃を退ければこちらが有利になる、皆の健闘に期待すると、そう伝えてくれ」

『御意』

「それと市民の避難はどうなっている?」

「城塞都市と言うだけあって、各家々に避難用の地下室があるそうです」

「そういう訳で、市民は地下室に避難をしていると思われます」

 兄のアントワーヌと弟のアンリが、交互に解説した。

 間もなく戦いの火蓋は切られようとしていた。







                      ☆        ☆        ☆







 遂にリュエージュに到着した反乱軍は、十数リーグ先に陣取り、降伏の使者を送ってきた。

『マクシミリアン王太子殿下にご進言申す! 我が方の精兵はリュエージュ市を包囲せんとしている! トリステイン王国の未来の為にも潔く降伏されよ!』

 使者のメイジが『拡声』の魔法で、リュエージュ城塞内のマクシミリアン軍へ降伏勧告を行った。
 その降伏勧告に、マクシミリアン自ら城壁に昇り、同じく『拡声』の魔法で使者に反論した。

『馬鹿を言うな賊軍めら! 乱を引き起こした貴様ら全員、二度と太陽を拝む事は出来ないだろう……帰ってそう伝えろ!』

 いつもの口調と違い、相手を威圧するような口調で、使者に畳み掛ける。

『いくら王太子殿下とはいえ、我らを賊軍とは無礼ですぞ! 我らは道を踏み外した王国を正しき道へと戻す為に挙兵したのです! 言わば我らは世直しの為の正義の軍勢である!』

『正義の軍とは恐れ入る! その正義の軍はここまで連戦連敗、負けに負けて負け続け、略奪行為をするまでに落ちぶれた。そんな貴様らを支援しようと、どれ程の者が集まったか! 見ればガラの悪い傭兵ばかりではないか! 世直しの軍が聞いて呆れる! さあ皆! 笑ってやれ!』

 舌戦の総仕上げにマクシミリアンが、城壁の兵士達に促すと、数百人もの兵から反乱軍への侮蔑の笑い声が響いた。

『ハァ~ハッハッハッハ!』

『ウェヒヒッ』

『m9(^Д^)プギャーwww』

「おのれ! 言わせておけば! 首を洗って待っていろ!!」

 マクシミリアン軍の兵達に散々笑われた使者は、怒り心頭のまま馬を翻し敵本陣へと戻っていった。

「さぁ、来るぞ……戦闘準備!」

「御意! 殿下は安全な場所へお下がり下さい」

「早々に後ろへ下がったら士気に関わると思うんだがね……まぁ、ともかく後は任せたよ」

「御意」

 マクシミリアンは後方の見晴らしのよい塔に移動すると、塔の見張り台の所で執事のセバスチャンが対戦車ライフルに二脚(バイポット)を取り付けて狙撃の準備を行っていた。

「セバスチャン。指揮官を優先的に狙ってくれ」

「ウィ、殿下、お任せ下さい」

 マクシミリアンは食料や予備のライフルが入った木箱の上に乗り胡坐をかくと、それと同時にリュエージュ市内の鐘という鐘が一斉に鳴り響いた。

「いよいよ戦闘開始か。それにしてもうるさい」

 誰に聞かせる訳でもなく、マクシミリアンは独り言を言った。

 リュエージュの守将に抜擢されたグリアルモントは戦闘開始の号令を発すると、正門正面の陣取った反乱軍も20メイルの巨大ゴーレム5体が出現させた。

「ゴーレムだ! でっかい岩を持っている!」

 城壁の兵士達からどよめきが起こった

「先手必勝だ! 撃てぇーっ!」

「了解、一斉発射!」

 高い城壁の上に設置された前装24リーブル砲が次々にが火を噴き、数発の砲弾はゴーレムの足へ直撃し1体がバランスと崩し転倒した。ちなみに砲弾は、現代の様な爆発する特殊な砲弾ではなく、旧式のただの丸い鉛玉だ。

 転倒したゴーレムを除く4体のゴーレムはオーバーハンドの投球フォームで、手に持った岩を城壁目掛けて放り投げた。

「来るぞ!」

 兵士が声を上げると、岩は硬い城壁ぶつかったが城壁はびくともせず岩は砕け落ちた。

「弾込め急げ!」

 砲手は手馴れた手つきで再装填を行った。
 前装砲の為、普通なら時間が掛かるが、反乱軍が遅れたお陰か訓練時間を多く取る事ができた。

「撃てっ!」

 再び轟音。
 砲弾はゴーレムを外し地面をバウンド。後ろに控えていた敵戦列歩兵は地煙を上げて蹴散らされた。

「ギャーッ!」

「うわああ!」

 戦列を崩した兵士に代わり後ろに並んでいた兵士が、最前列に進み戦列を組み直した。

「前進!」

 巨大ゴーレムは投石器代わりに岩を投げ続け、後方の戦列歩兵はリュエージュ城壁に肉薄せんと前進を開始した。

 反乱軍は予想通りに、数に物を言わせて力攻めで来た。

 マクシミリアンは、リュエージュで最も高い塔に登り戦いの成り行きを見守っていた。

「敵は馬鹿か? あのゴーレムも一緒に前進させて弾除けに使えば効果的だと思うんだが」

『魔法至上主義の彼らでは、平民こそ弾除けにしかならないのでしょう』

 ジェミニ兄弟が塔にやって来て現状の報告を行っていた。

「敵失は歓迎すべきだな。ロケット砲陣地はどうなっている?」

『守将のラザール殿の判断で支援砲撃を行う予定です。』

「そうか」

『それと、間もなく300リーブル砲が発射準備を終えるそうです』

「あの1門しかないアホ大砲か」

 300リーブル砲とはリュエージュ防衛の切り札で、砲弾が300リーブル……140kg前後の巨大砲弾を打ち出す超重砲だ。
 数百年前、名のある土メイジがリュエージュ防衛用に作り、侵攻してきたゲルマニアの巨大ゴーレムを一撃で粉砕した戦果がある。それ以来、百年間この大砲を撃った記録は無く、一応は抑止力として機能していたようだ。
 
 対ゲルマニア用に東門に設置されていた300リーブル砲は、その向きを変え正門である南門からやってくる反乱軍に対し、轟音と共にその巨弾を撃ち出した。

 圧倒的な轟音が周辺に鳴り響き、衝撃波がリュエージュの家々を揺らした。

 300リーブルの砲弾は城壁を乗り越え反乱軍ゴーレムに迫った。しかし巨弾はゴーレムを外しあらぬ方向へ落ちて巨大な土煙を上げた。

(やっぱり使えない)

 マクシミリアンはそう思ったが、

「な、何だ今のは……」

「さ、300リーブル砲だ! あの砲が俺たちを狙っている……!」

 反乱軍に対してのプレッシャーは相当なもので、敵の士気を挫く事に十分な働きを見せた。

 城壁の上には砲兵の他にミニエー銃を持った兵士が詰めていて、すかさず敵の戦列歩兵に対して発砲を行った。

 既存のマスケット銃よりも数倍の射程距離を誇るミニエー銃はここでも抜群の威力を発揮した。とはいえ前装式の為、装填に時間がかかるが、その弱点を引いて余りあるほどの性能だった。

「ぎゃあ!」

「あんな所から届く鉄砲なんて聞いたことが無いぞ!」

「あんな新兵器があるなんて聞いてない!」

 動揺は広がり、やがて混乱になった。

「待て! 逃げるな!」

 指揮官の貴族の制止も聞かず、敵戦列歩兵は列を乱し壊走していった。

『意外と使い物になったようですね、あの大砲』

「そのようだね」

 マクシミリアンが率直な感想を述べていると、指揮官の貴族が杖を振り上げた。どうやら、逃亡を阻止する為に督戦しようとしているようだ。

「この腰抜けどもめ! 敵前逃亡がどうなるか思い知らせてやる!」

 督戦の貴族は杖を振り上げた……しかし、貴族の魔法は放たれる事はなかった。

 『パァン』という音の後、貴族は杖を振り上げた状態で仰向けに倒れた。

 狙撃は塔の上から行われ、スコープ付きKar98kを持った執事のセバスチャンが、無言のまま排莢を行い次の獲物を探した。
 
「見事な腕前だ!」

「ありがとうございます殿下。更なる戦果にご期待下さい」

 側に居たマクシミリアンは拍手で称えると、伏せ撃ち状態セバスチャンは一度立ち上がりマクシミリアンの方を向いて一礼すると再び戦闘へと戻っていった。

 督戦しようとした貴族を狙撃した結果。壊走する戦列歩兵を止める事はできずに多くの兵の逃亡を許した。
 戦後、逃亡兵が国境を越えてゲルマニア側で略奪行為を行いゲルマニアの政情不安に一躍買うことになる。

 結局、この日の反乱軍は大砲の射程距離外までゴーレム共々軍を退くと、日没による戦闘終了までマクシミリアン軍と睨み合いが続いた。

 ……

 日は西に沈み今日の戦闘をお開きになった。
 ハルケギニアでは滅多な事では夜戦は行われず、日没による戦闘終了は暗黙の領域になっていた。

 土メイジ数人は敵ゴーレムからの投石で崩れた城壁の修復の為に城外へ出て修復作業を行い。他のメイジたちも火薬の錬金や秘薬の作成などそれぞれの作業を行っていた。

 マクシミリアンら司令部は、リュエージュで最も大きな宿屋「山の翁」亭を宿舎兼司令部に借りていた。

「初日は僕達の有利で終わったようだね」

「左様にございます。ですが敵がどの様な策をろうじてくるか分かりません」

 マクシミリアンと守将のグリアルモントは、今日の戦況を話し合いながら宿舎に戻るとカトレアが出迎えてくれた。

「マクシミリアンさま、ご苦労様でした」

「僕は何もしてないけどね。カトレアは何をしていたんだ?」

「包帯の巻き方を教わっていました」

 カトレアも何かの役に立とうと、色々な事に挑戦していた。

「そうか、僕はそれから司令部に顔を出すから、後で夕食をとろう」

「はい、マクシミリアンさま」

 カトレアと夕食の約束をとり、マクシミリアンはグリアルモントと司令部ある部屋に向かった。

 司令室には数人の参謀が詰めていて、マクシミリアンが部屋に入ると、全員起立して礼をした。

「殿下」

「殿下、ご苦労様です」

「みんなご苦労様。反乱軍は大攻勢をかける事無く妙に消極的だったことが気になるんだけど。ひょっとしたら連中、リュエージュに対し何らかの工作を行っているのかもしれない。至急、探りを入れてくれ」

「工作ですか……」

「地面の下をトンネルで掘り進んで城壁を突破するとか色々ある。ともかく調べておいてくれ」

「御意」

「ご苦労様でした」

 マクシミリアンは気になっていた事を伝えると、食事を取る為に司令室を出た。

「これは殿下」

「こんばんは、カリーヌ夫人」

 食堂に向かう途中、カリーヌ夫人にばったり会った。

「殿下、少々、お話したい事があります」

 偶然の出会いではなかったようだ。

「何でしょうか? カトレアは結婚するまで手を出しませんよ」

「そういう事ではありません、今日の戦闘の事です。殿下は私がかつて『烈風カリン』を呼ばれていた事をご存知でございましょうか?」

「はい、知っていますよ」

「それならば話は早いです。明日の戦闘ですが、私の参戦を承諾して頂きたい」

「烈風カリンの力を持ってすれば、あの程度の軍勢など訳も無い……と言う事ですか?」

「御意」

「……う~ん」

 マクシミリアンは腕を組んで悩んだ。

「何故、迷う必要はあります?」

「ただ、『勝つ』だけなら、カリーヌ夫人の手を煩わさずとも、僕が何とかしてましたよ」

「他に何か『企み』がお有りで?」

「企み……というほどの物かは分かりませんが、圧倒的魔力で勝利してもそれは『個人的勝利』にしかならないと思っています。一握りの強力なメイジが戦局を左右する……だからこそ、始祖ブリミル以来6000年、ろくに変化せずにここまでやって来れたのしょう」

「では殿下は、この内乱を利用して何らかの変化を起こそうと?」

「それもありますが、僕はこの内乱を利用して貴族と平民。二つの身分との間にある負の関係と言うべきか、上手く言葉に言い表せないんですが……例えば貴族は平民を奴隷のように扱ったりする者が居ますが、僕は今回の内乱を利用して、二つの身分が協力し合い、行く行くはそれらの奴隷と主人の様な関係を正すようにしたいんです。だからこそ、この内乱を僕やカリーヌ夫人の勝利ではなく、トリステイン王国の勝利で終わらせたいのです」

「殿下が日ごろ言っているノブレス・オブリージュ……ですか?」

「僕の思うノブレス・オブリージュは、『貴族や金持ちはモラルを持ち、大衆の啓蒙を行って欲しい』という意味なんです」

「私は、正直なところ殿下の理念には大いに賛同しますが、部分的ですが反対の立場を取らせて頂いてます。反乱軍の様に平民を弾除けに使う訳ではありませんが、無学な平民はある程度貴族が教え導かねばならないと思っています。だからと言って平民と馴れ合う積りはありませんが……」

「う……」

 カリーヌ夫人はアニエスの事を言っているのだろう。

 マクシミリアンは良かれと思って、アニエスとアンリエッタを会わせ、同じ教育を施そうとしたが、それが原因で今回の内乱が発生した事に少なからずショックを受けていた。

 マクシミリアンは、ノブレス・オブリージュの名の下に平民を奴隷の様な解放すればそれは近代化か? と内乱勃発以来ずっと悩んでいた。
 カリーヌ夫人の言うように、無学な平民が大多数のトリステインでは、いきなり平民に権利を与えても上手く国が回るとは思えなかったからだ。
 数が月前のアントワッペンの一件で、貴族と平民がお互い助け合った事を聞いて、それをトリステイン中に広めたいと思っていたが……。

(何事も順序があるし、僕も急ぎすぎたか。う~ん)

 マクシミリアンが黙考に入った。
 こうなると中々、マクシミリアンは現実に戻ってこない。

「……か! でんか!」

「ハッ!?」

 カリーヌ夫人の大きな声で現実に引き戻された。

「ああ、カリーヌ夫人。失礼しました」

「それで殿下。明日の出撃は許可を頂けますでしょうか?」

「……条件が有ります。烈風カリンが投入されるのは戦闘終盤です。全面壊走する反乱軍に対しての追撃のみ許可します。それまで僕の軍だけで対応します」

「……分かりました」

 顔には出さなかったが不肖具象ながらもカリーヌ夫人は承諾し、マクシミリアンから去っていった。

 その後、マクシミリアンはカトレア一緒に夕食を取ったが……

「マクシミリアンさま、このスープ美味しいですね」

「……ああ」

「マクシミリアンさま、今日色々な事がありました」

「……そう、大変だったね」

 何処か上の空のマクシミリアンにカトレアが口を尖らせたのは別の話。

 

 

第三十八話 リュエージュ防衛戦・後編


 夜も開け切らない頃、リュエージュ市とそれを包囲する反乱軍との間の地中では、反乱軍がジャイアント・モールを呼ばれる巨大モグラを使役してリュエージュ地下に大きなトンネルを掘らせていた。

「よしよし、どんどん掘れ」

『ブキュ』

 マクシミリアンが指摘した通り反乱軍の工作部隊が、昼間の戦闘後にトンネルの掘削作業を開始し、日にちが変わる頃にはリュエージュ自慢の城壁まで数メイルまで迫っていた。

 だが、マクシミリアンはその工作作業を察知し早速工作部隊への襲撃を命じた。

 ゆっくりと城門が開けられ、十数名の襲撃部隊が出てくると、地面の下の僅かな音も逃さないように地面に耳を当て始めた。

「……何か聞こえるか」

「僅かですが聞こえます……真下です!」

「よし、直ちに攻撃開始!」

 襲撃部隊兵士は、魔法やスコップで地面に穴を掘り始めた。

 数分足らずで真下のトンネルにたどり着くと、それぞれの穴に松明と硫黄の入った袋を放り投げた。

 たちまちトンネル内に有毒なガスが充満し始める。

「ぐはぁっ! げほげほ!」

「目が、目がぁ~!」

 有毒ガスに耐えられなくなった敵工作隊は、襲撃部隊が掘った穴から一斉に顔を出した。

 顔を出した敵に襲撃部隊はスコップや大槌で殴りかかった……死のもぐら叩きの始まりだ。

「オラ、死ね!」

「ぎゃあ!」

 人間とは一方的な状況になると何処までも残忍になれる。
 襲撃部隊は愉しむように、死のもぐら叩きを続ける。
 その襲撃部隊には、先日カリーヌ夫人がカトレアと共に連れて来た元誘拐犯二人が居た。

「よし、この作戦の戦功で。かつての領地を取り戻すぞ!」

「おぉぉ~っ!」

「あわよくば褒美も貰おう。」

「皮算用だけど問題ないよね」

 2人はリュエージュ市に連れて来られたものの、何もすることが無く暇を持て余していた。このままではフェードアウトしてしまうと、危機感を募らせ今回の作戦に志願した次第だった。

『プギ?』

「あ、ジャイアント・モールだ!」

「大物だ! 殺れ!」

『プギィーッ!』

 ジャイアント・モールの悲鳴が闇夜に響く、哀れな工作部隊は穴からか頭を出して殴り殺されるか、トンネル内で松明の煙と硫黄で中毒にかかって死ぬかの二つしかなく、逃げ出せたものは一人も無く、襲撃部隊にジャイアント・モール共々血祭りに上げられた。

 ……

 反乱軍の企みに潰したマクシミリアン軍は、そのまま睨み合った状態で時間だけが経った。その間、マクシミリアン軍は城壁の修繕を終え、初戦での勝利とトンネル作戦を潰した事で兵の士気も高かった。

 そんな中、一向に動こうとしなかった反乱軍が突如動いたのは5日後の事だった。

 反乱軍は初戦の攻勢で多くの逃亡兵を出したが、未だに規模は大きく、マクシミリアン軍に最後の戦いを挑んできた形になった。

 反乱軍が動いたと聞いたマクシミリアンは、すぐさま司令部に顔を出すとグリアルモントが参謀らと協議を行っていた。

「敵の状況は?」

「反乱軍は西門方向に回り込み、大攻勢の様相を呈しています」

「大攻勢? 具体的には?」

「軽竜騎兵で偵察した所、反乱軍は航空兵力を全てを投入して、文字通りの大攻勢をかけてきました」

「敵は全兵力を投入したのか」

「御意。さらに敵は周辺の商人と接触して、竜や幻獣に食わせる食料の買い付けを行ったと、クーペ殿のスパイ網から報告が上がりました。その為、敵竜騎兵の士気は旺盛で、さらに精鋭を投入すると予想されます」

「詳細は分かった。それで我が軍の対策は?」

 マクシミリアンの問いにグリアルモントが答えた。

「敵の飛行を邪魔する為に、ラザール殿の協力を得て閉塞気球なるものを急遽作らせました」

 閉塞気球とは、航空機の針路を邪魔する為のアドバルーンの様なものだ。

「だが飛行の邪魔をするだけだろ?」

「ご安心下さい、閉塞気球を巧みに配置し、一部の閉塞気球に探知(ディテクトマジック)を施し敵が近づいたら爆発する実験兵器もございます。私に良い策がございますし、そして何より、我が軍の竜騎兵隊の士気は旺盛でございます」

「負ける要素は無いという事か」

「敵は侮ることは厳禁ですが、我が方の負ける要素はございません」

「結構……これが最後の戦いになるだろう。この戦いが我々の勝利に終われば新しい時代が来る。その為にも皆の奮闘努力を期待する」

『御意!』

 ……

 反乱軍は、情報どおり航空戦力で攻勢を仕掛けてきた。
 風竜や火竜にグリフォン、レアな物だとワイアームといった幻獣に乗って攻勢を仕掛けてきた貴族達。
 見た目は、いかにも大攻勢な雰囲気だったが、高スピードの風竜の隣に鈍重なバジリクスが平行して飛んでいるの見てマクシミリアンは、

「あれでは烏合の衆だ」

 と呟いた。

「その様ですね……直ちに迎撃を」

 グリアルモントは、相槌を打ち部下達に迎撃の命令を出した。

 対するマクシミリアン軍は、数では反乱軍に劣るものの、火竜と風竜を分けて編成し、風竜を駆る軽竜騎兵で撹乱し火竜や各幻獣を駆るメイジと地上の部隊とで攻撃する戦法を取った。

「あれは……」

 マクシミリアンが見た先には、先日と同じ塔に執事のセバスチャンが居た。彼が手に持っている銃は先日塔に配置していた対戦車ライフルだった。。
 マクシミリアンは知らなかったが、セバスチャンの得物は『ボーイズ対戦車ライフル』という場違いな工芸品で、.55口径のモンスターライフルだ。
 セバスチャンはあの対戦車ライフルで敵の航空戦力を狙撃するつもりのようだった。

 ……

 リュエージュ上空で、本日最初の戦闘が開始された。

 囮役の軽竜騎兵が、一撃離脱戦法を慣行すると、反乱軍は軽竜騎兵に釣られる形になり軽竜騎兵を追撃した。

「竜を任されているのに、早々に逃げ出すとは見下げ果てた奴らだ」

 敵竜騎兵が逃げ出した軽竜騎兵達を嗤った。
 空軍の花形である竜騎兵は、誰もがプライドが高く、指揮官の命令も平気で破る事も多々あった。
 マクシミリアンの編成した軽竜騎兵は、屈強さや魔法のレベルで選ばれたわけではなく、第一にいかなる命令にも服従する絶対的な忠誠心が必要とされた。

 軽竜騎兵は、リュエージュ上空に上げられた閉塞気球を避けながらある空域へ誘導する。
 敵航空戦力は、高い錬度を誇っていて閉塞気球を難なく避けて軽竜騎兵を追った。

 そんな時、敵の火竜騎兵が一つの閉塞気球を避けると、探知(ディテクトマジック)の施された閉塞気球が大爆発を起こした。

「うおおお!」

「なんだ!」

 爆風に巻き込まれた敵航空戦力はの一部は、リュエージュ市の塔や建物に激突し市内に被害が出てしまった。

「ちょ……」

「火薬が多すぎましたな。後でラザール殿に報告しないと」

 絶句するマクシミリアンの側で、グリアルモントは紙にレポートを書いた。

「被害が出たぞ、どうするんだこれ!」

「市内に被害が出たのは遺憾です」

「遺憾って……」

「お言葉ですが、一切被害を出さずに戦争に勝つなど不可能にございます」

「言ってる事は分かるが、僕達の過失で市内に被害を出しては信用に関わるだろうに」

「殿下、間もなく敵が我らの用意した罠に飛び込みますぞ」

(コイツ……)

 話を逸らしたグリアルモントに、内心舌打ちを打ったマクシミリアンは、視線を敵が飛び込んだ東門に向けた。

「グリアルモント、お前の言う秘策って何なんだ?」

「逆にお聞きしますが、殿下は東門に何がおありか覚えておいででしょうか?」

「東門というと……ああ、300リーブル砲か」

 グリアルモントは頷くと、マクシミリアンと同じように東門に目をやった。

 ……

 東門の城壁は、他の城壁より厚く作りがしっかりしている。
 その理由は300リーブル砲の巨砲の衝撃に耐えられるように設計されているからだ。

 その300リーブル砲の周りでは、すぐにでも発砲できるように砲兵達が物陰に隠れていた。

「敵、間もなく予定空域に到着します」

「仰角も全て計算どおりです」

「打ち合わせじゃ、味方の竜騎兵が急上昇したら発砲だ」

「了解」

 ジリジリとした焦燥感が砲兵達を襲う。
 そして、味方の軽竜騎兵が急上昇をして、敵航空戦力が300リーブル砲の射程内に現れた。

「撃てぇぇぇぇぇーーーー!」

 ズガァァァーーン! と腹の底が押し上げられるような衝撃が砲兵達を襲った。

 300リーブル砲の巨砲から放たれた砲弾は、『ぶどう弾』と呼ばれる一種の散弾で、マスケット銃の小弾が詰まっている様がぶどうに似ている事からそう呼ばれ、本来は近距離用の対人兵器でだった。

 大量の小弾は、空中の風竜やグリフォンなどの比較的外皮の薄い幻獣には効果覿面で、殆どの高スピード低装甲の幻獣が撃ち落された。

「よし、次のステップに入る」

 グリアルモントが命令を出すと、今まで逃げ回っていた軽竜騎兵が空中を返す刀で急降下し、混乱した敵の航空戦力に襲い掛かった。

 軽竜騎兵が襲撃を加えると、ミニエー銃を持った歩兵達が軽竜騎兵の攻撃の合間をぬって発砲し、息つく暇もない攻撃に戦力を減らしていった。

 セバスチャンの対戦車ライフルも火を噴いた。

 最初の標的は、鈍重で装甲の厚そうな巨大ドラゴンだ。他の幻獣とは一線を画しており、おそらく火竜種だと思われるがとても巨大だった。
 轟音と共に放たれた徹甲弾は、乗っていた貴族諸共ドラゴンを易々と貫通した。落ちてゆく貴族の上半身は無い、即死だろう。
 他にも数発、幻獣ごと貴族を狙撃するとマガジン内の弾を撃ち尽くしたのか『ボーイズ対戦車ライフル』を置き、別の大型ライフルを取り出した。場違いな工芸品は『拾い物』で、予備の弾薬は無く作る技術も確立されていない為、基本的に使い捨てだった。
 新たに取り出した場違いな工芸品は『デグチャレフPTRD1941』、地球の旧ソヴィエト製の対戦車ライフルだ。
 セバスチャンは先ほどを同じように全弾撃ち尽くしては、新たなライフルに変えて戦い続けた。

 各員の奮闘のおかげで、散々に打ちのめされた反乱軍は、退却しようにも軽竜騎兵が追撃を掛け、それぞれの魔法と銃身の短いカービン銃(非ライフリング)で反乱軍の航空戦力は完全に壊滅した。

 地上、空中の見事な連携にマクシミリアンもご満悦だった。

「お見事、と言っておこう」

「この戦闘で敵の航空戦力は壊滅したようです」

「これでリュエージュ市内に直接攻撃される事は無くなったな」

「御意」

「市内への被害の事だが、グリアルモントのいう事にも一理ある。よって被害に関しては王国の名の下に保障させる。これからもその辣腕を振るってくれ」

「ありがとうございます」





                      ☆        ☆        ☆







 翌日、航空戦力を失った反乱軍は、全ての軍勢を投入してきた。
 駆け足で城壁まで迫る敵兵達は、最早戦術も糞もなく何が何でも城壁にたどり着こうという、反乱軍司令官の思考放棄にすら見えた。

 そして、それを虎視眈々に待つマクシミリアン軍。そんな彼ら戦闘前カップ一杯のワインとドーナツが支給された。
 戦闘前だが少量のアルコールを摂取して、緊張を和らげる事が狙いだった。ドーナツは小麦で作った白パンを油で揚げ砂糖をまぶした簡単なものだ。
 兵士達の中には貧農出身の者も多く、祭りの時ぐらいしか甘いものが食べられない者も居た。その為、大変好評で士気も大いに高まった。

 いよいよ近づく反乱軍にマクシミリアン軍の戦意は上々だ。

「いいか、敵は絶え間なく突撃してくる。射程内に入り次第発砲せよ」

「了解!」

 下士官の命令に兵たちは応えたが、一部の兵士達は少し緊張していた。アルコールの力を持ってしても緊張とは無縁ではいられない様だった。

「そろそろだ。射撃用意っ」

 ……ゴクリ。と誰かが喉を鳴らした。

 土煙上げ駆け足でさらに近づく反乱軍。

「よし! 撃てーっ!」

 パパパパパン!

 ミニエー銃が一斉に火を噴いた。

「うわっ」

「ぐうっ」

 バタバタと倒れる敵兵達、しかし後ろから次々と別の兵士が迫ってきた。

「撃て撃て!」

 ……倒しても倒しても、次々を現れる敵兵。

 何度も言ったが、ミニエー銃は前装銃の為に連発は出来ない。
 そこで、マクシミリアンが、三段撃ちの戦法をグリアルモンドに提案した。

 リュエージュ城壁では、ミニエー銃を持った兵士が列をなしており、城壁や銃眼から発砲した兵士は最後尾に移動すると、後ろに控えていた第二列の兵士が前に出て発砲。第三列、第四列と、最終的に第六列まで戦列を作って攻撃させた。
 ライムラグの少ない射撃が、次々と火を噴き、敵兵が倒れていった。

 反乱軍も負けじと、倒しても倒しても次々兵士がと現れ、城壁との間隔は徐々に狭まってきた。

「メイジ隊、準備!」

 グリアルモントの命令で、メイジたちが銃兵の後ろに控えた。

「メイジ隊、『ファイヤー・ボール』詠唱始め!」

 メイジ達が一斉に『ファイヤー・ボール』の詠唱を始めた。

「次の銃兵の発砲後、敵最前列に対し『ファイヤー・ボール』一斉射!」

 パパパンッ!

 と銃兵が発砲を終え、控えていたメイジ達が前に出た。

「よし、『ファイヤー・ボール』放て!」

『ファイヤー・ボール!』

 放たれた魔法は駆け足で迫る敵兵に次々と直撃、多くの兵士が火達磨になった。

「我らもゴーレムを!」

 これに対抗して反乱軍側も5体の巨大ゴーレムを作り突撃させた。

「敵ゴーレム5体!」

「300リーブル砲は?」

「東門の300リーブル砲を、反対方向の西門へ向けて撃つのは無理だそうです」

「ならば24リーブル砲の水平反射を!」

「既に砲撃準備は整っています」

「では、砲撃開始!」

 24リーブル砲が次々と発射された。
 砲弾は8割がたゴーレムに当たったが、身体の一部が軽く崩れただけですぐに再生してしまった。

「駄目か!?」

「敵ゴーレム更に近づきます!」

「メイジ隊は『エア・シールド』で敵ゴーレムの城壁への到達を妨害せよ!」

『エア・シールド!』

 メイジ隊が共同詠唱で無数のエア・シールドを張り、敵ゴーレムが城壁に取り付く事を阻んだ。

「おお!」

「流石、貴族様」

「がんばれ! 貴族様!」

 やんややんやと兵士が、メイジ隊を応援した。

 以前のトリステイン、いやハルケギニアでは一切見られない光景だった。

 ゴーレムは城壁に取り付かこうと、エア・シールドで出来た空気の壁を押し潰そうと、押し合い圧し合いしていると一発の銃声が鳴り響いた。

 銃声の後、城壁に取り付こうとしたゴーレムを音を立てて崩れ落ちた。
 崩れた巨大ゴーレムの近くに、ゴーレムを作り出したメイジなのだろう。派手な服を着た男の死体が土山の隣に転がっていた。

「どうした!?」

「グリアルモント殿! あれを!」

 仕官の1人が市内の塔を指差すと、そこにマクシミリアンと執事のセバスチャンが居た。そしてセバスチャンの手には別の対戦車ライフルが持たれていた。対戦車ライフルで、しかも徹甲弾で人を撃つなど勿体無いし外道極まりない気もするが、先日使用していたスコープ付きKar98kは弾を撃ちつくしてしまい、他に狙撃できる銃が無かったからだった。

「先ほどの銃声は誰が?」

「執事のセバスチャン殿だろう。いやはや流石は元メイジ殺し、凄い腕前だ」

 セバスチャンは、次々とゴーレムを作ったメイジを狙撃した結果。5体居た巨大ゴーレムは全て土に戻った

「いいぞセバスチャン。これで敵ゴーレムは全滅だ」

「お褒めに預かり、恐悦至極……」

 塔の上のセバスチャンはマクシミリアンに向け一礼をした。

 マクシミリアンが塔の上から反乱軍の状況を見てみると、指揮官と思しき貴族達が動揺していた。

 どうやらあの5人のメイジは彼らにとっての切り札だったようだ。

「敵は浮き足立っている、畳み掛けるチャンスかも……」

 マクシミリアンは呟いた。

「殿下、例のロケット砲陣地より、狼煙が……」

「ラザールか、この状況を見て畳み掛けるつもりのようだな」

 マクシミリアンの言うとおり、地平線の先のロケット砲陣地から無数の煙が打ち上げられると、その煙は空中で弧を描く。
 ヒューヒューヒューと、甲高い唸り声を上げて百を越すロケット砲弾が反乱軍に向けて雨の様に降りかかってきた。

「うわぁぁぁぁーーーーっ!!」

「ぎゃぁぁぁぁーーーーっ!」

 『地獄』という言葉がこれほど似合う光景は無いだろう

 逃げようにも、ロケット弾の飽和攻撃に反乱軍は為す術もなく、ロケット弾の雨は、2万の反乱軍を貴賎問わず平等に肉片へと変えた。

 マクシミリアン軍が、目の前の惨状に呆然としている頃、グラモン伯爵に指揮された王党側の諸侯軍が来援した。

「諸侯軍参上! 栄光あるトリステイン王国に弓引く反乱軍ども! このグラモン伯が相手になるぞ覚悟は良いな!」

 と威勢よく口上を垂れたが、目の前の光景に振り上げた腕で頭を掻いた。

「……これでは、我々の出番が無いではないか」

 グラモン伯だけではない。
 モンモランシ、グランドプレ等々、王党側についた諸侯の面々がこの光景を見ていた。

「あれは魔法なのかね? グラモン伯」

 モンモランシ伯がグラモン伯に問うた。

「あれは魔法では無い。確か、『カガク』と言ったか」

「ううむ、凄まじい威力だが少々やり過ぎではなかろうか」

「……忌々しいが時代が変わったということか」

 困った顔でグラモン伯はそう答えた。

 諸侯軍が、反乱軍の状況を遠くから見て、手を(こまね)いていた時、援軍の来援を待っていたマクシミリアン軍の別働隊が攻勢をかけた。
 ダグーに率いられた別働隊は、6リーブル騎兵砲8門を素早く展開し、大混乱に陥っている反乱軍に砲撃を加えた。
 反乱軍にとっては泣きっ面に蜂だろう。

 ここでロケット砲陣地の放火が止んだ。どうやら備蓄のロケットを全て撃ち尽くした様だった。そこに、ダグーの絶妙のタイミングで、反乱軍に銃撃をかけた。

 地獄から開放されたと思った矢先の銃撃に、最早反乱軍に規律は存在しなかった。

 ……

「降伏だ! 降伏しよう!」

「何を勝手に降伏しようとしている! 我らはまだ戦えるぞ!」

「いやいや、ここはまず、逃げ……後退すべきだろう」

 元々、大して戦略も無く、無理やり蜂起させられた感のある反乱軍。軍内は常に意思の不一致が見られた。

「そもそも私は反乱なぞしたくなかったんだ!」

「何を今更! 栄光あるトリステイン貴族なら覚悟を決めろ!」

「何か食い物は無いか? ここ数日何も食べてないんだ」

 完全にグダグダの反乱軍。

「みんな、お前らの責任だ! 責任を取れ責任を!!」

 一人の貴族が杖を振るった。

「ぐわぁ!? 何をする!」

 そんな反乱軍幹部は、遂には内ゲバを始めた。

「……何やってんだ、あいつら」

 遠くから反乱軍の同士討ちを見て、思わず呟いたマクシミリアン。

「殿下、これは好機では?」

「これは、カリーヌ夫人」

 マクシミリアンの居る塔の天辺に、カリーヌ夫人がマンティコアを駆って現れた。

「そうですね……諸侯軍や別働隊も来ていますし、僕も好機だとは思います。ですが、この戦闘の責任者はグリアルモントです。彼の意見を聞きましょう」

「御意」

 マクシミリアンは、セバスチャンらを連れグリアルモントの居る司令部に移動した。

 司令部ではグリアルモントやジェミニ兄弟たち参謀らが追撃の為の協議をしていた所だった。

「これは殿下」

「状況は?」

「現在、敵追撃の編成中です」

「僕が言わずとも追撃するつもりの様だったね」

 そこに一人の家臣がやって来た。

「報告します! 王軍が来援! 国王陛下御自ら指揮されておられるようです!」

「父上まで来たか。グリアルモント!」

「御意、直ちに我々も打って出ましょう」

 いよいよ、戦闘は最終局面に入った。

 ……

 ロケット弾の飽和攻撃で大混乱に陥った反乱軍に、諸侯軍と王軍が雪崩れ込み、そこに烈風カリンと、リュエージュ市に篭もっていたマクシミリアン軍も加わった。

「賊軍よ! 王太子殿下の名の下に、我が杖によって成敗されるが良い!」

 仮面を被ったカリーヌ夫人はマクシミリアン軍の先鋒を請け負った。その状況を一言で現せば、それは『蹂躙(じゅうりん)』だった。

「うーむ、カリーヌ夫人張り切ってるな」

「お母様も今までの鬱憤が溜まっていたのでしょう」

 マクシミリアンが塔の上でカリーヌ夫人の武勇を見ていると白衣姿のカトレアが現れた。

「カトレア」

「申し訳ございませんマクシミリアンさま。駄目と言われているのに来てしまいました」

「ま、気持ちは分かるよ、僕も何度か会いに行きたかった事もある」

 クシミリアンは、自分が座る木箱の隣にハンカチを置いて、カトレアに座るように促した。

「お隣失礼いたします」

 カトレアはちょこんとマクシミリアンの隣に座った。

「僕らの結婚式は内乱のせいで延期になったけど、この戦いが終われば一緒になれるよ」

「そうですね。でも……」

 カトレアは、烈風カリンに蹴散らされる敵兵を見て悲しそうな顔をした。

「どうしたカトレア。人が死ぬところを見て気分が悪くなったか?」

「いいえ、マクシミリアンさま。この戦争は避けられなかったものなのか、それが気になりまして」

「う~ん、それは分からないな。そもそもこの戦争の発端は僕の責任だけど、だからと言って回避できたとは思えない。起こるべくして起きた……そう僕は思っている」

「避けられなかった戦争ですか?」

「まあね……敵もトリステインを愛していたんだ。彼らの犠牲は無駄にはしない」

 実際、反乱軍の幹部がトリステインを愛していたかは議論の余地があるが、マクシミリアンは敵の名誉のためにそういう事にしておいた。

 その間にも、烈風カリンの『カッター・トルネード』で兵士達は薙ぎ払われ、逃げようにも周りを王軍と諸侯軍に囲まれて逃げられない。

 完全に包囲された反乱軍は、貴族幹部は殆どが討ち死し、捕虜になった兵士達は、戦後労働力として例の如く北部開発区へと入れられた。
 一部の貴族は降伏してきたが裏切り者は赦される事は無く、結局処刑されこうしてトリステイン内乱は終わった。

 

 

第三十九話 蒔かれた種


 貴族の反乱軍はが鎮圧されトリステイン内乱は2ヶ月ほどで終わった。

 反乱軍に組した貴族は軒並み取り潰され、領地は王領になり、財産も没収され様々な事業の資金に回された。

 いわゆる、反抗勢力が全滅した為、エドゥアール王とマクシミリアンは、この期に様々な改革を断行した。

 その一つが軍制改革だ。
 傭兵に頼らない常備軍の編成や、王軍や諸侯軍と言った物を廃止し近代的な軍隊の編成を目指した。
 新たな部隊単位として『師団』を採用し編成に入った。ついでに反乱軍に組しなかった者で、人格、能力に問題のある将軍や法衣貴族を粛清し、閑職に置いた。
 貴族達は内乱では王党軍に味方したにもかかわらず、自分達に粛清の刃が振り下ろされると思わなかった。
 反抗しようにも、対抗勢力だった反乱軍は粛清され、結果王宮の権勢には逆らえず、泣く泣く首を縦に振った。
 これにより、中央集権化は急速に進む事になった。

 マクシミリアンがカトレアらと別れ、トリスタニアに帰還後、王宮に顔を出すと母のマリアンヌ王妃が泣きながら抱きついていた。
 貴族達にお墨付きを与えた事をエドゥアール王に、こっ酷く怒られたようで深く反省しているようだった。

「母上」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 すがり付くように泣くマリアンヌ。

「母上お気になさらずに、結果論ですが反乱が起こったことでトリステインの不安材料を減りました。これからは僕達の時代です」

 と謝り続けるマリアンヌ王妃を慰めると、エドゥアール王の下へ向かった。

 エドゥアール王と面会すると開口一番に、

「結婚式は来年にしよう」

 と言われた。

 一瞬、何の事か分からずに

「誰の結婚式ですか?」

 と答えてしまった。

「何を言っている? お前とカトレア嬢との結婚式だろう」

「え? ああ、そうでしたね。国内の貴族が半分以上減ったので、それらの事ばかり考えてすっかり忘れていました」

「内政の事も大切だが、伴侶をほったらかしにするのも考え物だぞ」

「肝に銘じていきます」

 そういう訳で、内乱で延期になったものの、来年2人は結婚する事になった。

 話題はアンリエッタの事に移った。

「それと、アンリエッタの事だが、結婚するに当たって、今までの様に毎日の様に入り浸るのも良くないし、精々、週に一回が妥当だろうと思うのだが?」

「そうですね」

「もう一つ、アンリエッタも来年で七歳だ。誰か友人になれる様な、同じくらいの年代の者を誰か知っているか?」

 マクシミリアンがグラモン家の三男ジョルジュと友人になったのと同じように、アンリエッタに友人を宛がいたいらしい。

「それなら、ラ・ヴァリエール家の三女ルイズ・フランソワーズなどは如何でしょう? 来年で六歳になります」

「もう、そんな歳か。しかし、あまりラ・ヴァリエール公爵に入れ込むと、よからぬ嫉妬を覚える輩も現れかねない。今回の内乱で多くの貴族を排除したとしても、な」

「そういう物ですか」

「そういう物だ。ともかく友人候補の件は保留にしよう」

「分かりました。とはいえ、結婚すればルイズは義理の妹になります。アンリエッタとは、まったく顔を合わさないようにする事は出来ませんし、子供同士、すんなりと仲良くなるかもしれません」

「我々が、どうこうするよりも、本人次第という訳か」

「そうですね」

 ……話題は変わり。

「父上、実は面白いものが手に入ったのです」

「面白いものとは一体なんだ?」

「これをご覧ください」

 マクシミリアンは数枚の羊皮紙をエドゥアール王に渡した。

「……これは」

「クルデンホルフ大公が反乱軍に献金していた動かぬ証拠ですよ」

「良く見つける事ができたな」

「先日逮捕した、魔法研究所(アカデミー)のゴンドランが責め立てたら、そいつの場所を吐きました」

「拷問したのか?」

「痛覚を消しダルマになった姿を鏡で見せたら、狂ったように吐きましたよ。後でちゃんと複製(クローン)で手足を元に戻しましたがね」

「……悪趣味だな」

「僕も一時は危なかったんです。『おあいこ』ですよ」

 敵には一切容赦しない。
 エドゥアール王は、息子にその片鱗を見て、少し心配になった。
 とはいえ、その気質のお陰で、有力諸侯の弱みを見つけることが出来て、マクシミリアンに強いことが言えなかった。

「それで、クルデンホルフ大公は取り潰すのか」

「それも一時は考えましたが。相手は一代で大公まで登り詰めた男です。取り潰して諸外国に流出させるより、潰さずに完全な従属国とし、徹底的に絞り尽くすのが妥当でしょう」

「具体的には?」

「年に数千万エキューの上納金。まぁ、上納金の正確な額はクルデンホルフ大公国の帳簿などを拝見して決めるとして、他に空中装甲騎士団など軍隊を解体させ、代わりにトリステイン軍の駐留させます。駐留しているトリステイン軍の維持費はクルデンホルフ大公国に支払わせます。万が一大公が不穏な動きを起こせばそれを口実に攻め滅ぼしましょう」

「それは……やりすぎではないか?」

 エドゥアール王は呆れたように言った。

「動かぬ証拠はこちらが掴んでいますし、『敵』には一切の容赦も必要ないでしょう、問題ありません。話は戻りますが、大公に誰か縁者を人質として要求しますか?」

「……」

 後日、クルデンホルフ大公はマクシミリアンの要求を泣く泣く受け入れた。代わりに反乱軍への献金は決して表に出る事はなかった。
 今までは独立国の色が強く形式上の属国だったクルデンホルフ大公国だったが、多額の上納金と軍隊の解体と廃止で事実上トリステイン王国の完全な属国へと成り下がった。





                      ☆        ☆        ☆






 とある日、マクシミリアンが新宮殿の執務室で政務を行っているとノックの音が聞こえた。

「誰だ」

「クーペでございます」

「おお、お帰り。入ってくれ」

 入室を許可すると、旅装姿の青年に変身したクーペが入ってきた。

「ご苦労様。首尾はどうかな?」

「上々でございます」

「そうか」

 反乱中、マクシミリアンはクーペにゲルマニア介入を妨害する為の工作を命じていた。
 その甲斐あってか、ゲルマニアは介入してこなかった。

 それともう一つ、クーペに命じた事があった。

 それはゲルマニアの内部分裂を引き起こす事だった。
 将来的にロレーヌ地方の統一と、巨大国家ゲルマニアと陸続きでいるという事は安全保障上看過できない問題で分裂が無理なら、せめて力を削ぎたいと思っていた。

 工作内容を説明する前に、帝政ゲルマニアのルーツを辿らなければならない。

 元々、ゲルマニア人はゲルマニア地方を含めたの広大な土地に、非ブリミル教の大小様々な部族が分布していた。
 だが、数千年前に東方から騎馬民族が流入し、東ゲルマニアは荒らされ、そこに住んでいた東ゲルマニア諸部族は西へ西へと逃げていった。

 これを、ゲルマニア民族の大移動という。

 危機感を募らせた、ゲルマニア西部の部族の族長らは、ガリアやトリステインといったブリミル教国家にブリミル教への帰依を条件に援軍を要請した。
 大量の帰依者を出す事からロマリアからの強い後押しもあり、ガリア王国・トリステイン王国は渋々快諾、かくしてブリミル教国家とゲルマン諸部族の連合軍と騎馬民族との会戦で騎馬民族を撃退することに成功した。

 魔法の威力をその目に焼き付けたゲルマニア諸部族は、魔法を得る為に貴族や元貴族との婚姻を奨励し、永い時間をかけて魔法を使えるようになりゲルマニア貴族が誕生した。部族はやがて都市国家になり、それら都市国家が集まることで現在の帝政ゲルマニアになった。
 この時の形振り構わない婚姻政策で、後に『ゲルマニア人は好色で多情』と言われる原因にもなった。

 撃退から千年後、帝政ゲルマニアは騎馬民族によって奪われた東ゲルマニアの奪還を目指したが、かつての自分達の土地には別の民族が住んでいた。
 彼らはスラヴ人といって、北方から流入してきた非ゲルマン民族で、騎馬民族が去り空白地帯となった東ゲルマニアを始め様々な土地に移り住み自分達の土地としていた。
 帝政ゲルマニアは彼らを征服しブリミル教徒化を行い、そしてかつて自分達が行ったようにスラヴ族の族長らに婚姻させゲルマニア化を図った。
 現在、スラヴ人はゲルマニア人として今を生きている。

 マクシミリアンは多民族国家であるゲルマニアの分裂を図る為、かつてのスラヴ人たちに民族主義を植え付けようとクーペを送り込んだ次第だった。

「今にもゲルマニアからの分離独立を図ろうとする者達ですが……」

「うん、どういった連中なのかな?」

「まず、現ゲルマニアの帝都が置かれます。帝都プラーカのスラヴ系チェック人」

「帝都が置かれている位だから、いい生活が出来ていると思っていたが」

「むしろ逆で、皇帝のお膝元だからこそ、ゲルマニア化してもスラヴ系とゲルマニア系で区別されているようです」

「なるほど」

「次にポラン地方のスラヴ系ポラン人」

「ヒポグリフの名産地で、軍事的にはヒポグリフを駆ったポラン騎兵が有名だな」

 スラヴ人と一言に言っても様々な部族があり、それぞれの部族は独立独歩の精神が強い。

「御意……続きまして、パンノニア及びダルマチア方面のスラヴ人も良い返答が頂けました」

「拡張主義も困ったものだな」

 パンノニア及びダルマチア方面は地球でいうバルカン半島辺りを指す。

「と言うより、彼らスラヴ人事態は同族同士が対立しあう気性が激しい部分があります。そんな彼らがいつまでもゲルマニアの支配に黙っているはずも無く、度々反乱を起こしては鎮圧される、といった事をここ数百年続けていたようです」

「そうか……また彼らが爆発しても僕達は動くことはできないし、さっきの話の様に爆発は小規模ですぐに鎮圧されると予想される。時間をかけて確実に、連鎖的に大爆発するように仕向けてくれ」

「スラヴ人たちの支援をなさいますか?」

「資金の援助のみね、武器は足がつくから駄目だ。ゲルマニア人とスラヴ人がお互い憎しみ合ってくれればトリステインの益になる」

「御意」

「言わずもがな、撲たちが工作した証拠は絶対に残さないように。資金もよく洗浄してトリステインから流れてきた証拠を掴ませない様にね」

「御意、お任せ下さい」

「国内の分離主義者は排除するが、外国の分離主義者は大いに支援する。でも、僕達自身は彼らスラヴ人とは関わりあいたくないのが本音だ。その辺は上手くやってくれ」

「フフフ……では失礼します」

 クーペはニヤリと笑い退室した。
 これらの蒔かれた種は数年後芽吹き、ゲルマニア分裂へと繋がる。

 マクシミリアンはクーペが退室した後、政務を行いながら、

「これは地獄行きだな」

 と呟いた。

 だが同時に

『為政者として正しい事だ』

 と自信を持って言えた。

 マクシミリアンは、世界平和なんて見えない物の為に、陰謀や軍備を怠り自国民を犠牲にするぐらいなら、陰謀を駆使して他国民を犠牲にし、自国民の利益に繋げる腹積もりだった。
 誰の言葉だったか忘れたが、為政者が天国へ行きたがって陰謀や軍備を怠れば、代わりにに国民が地獄を見る事になる。逆に為政者が地獄に落ちる覚悟で、事に及べば国民は天国を見ることがが出来る。

 例外もあるだろうが、マクシミリアンはこの言葉が頭から離れなかった。

 政務も粗方終わり、一息入れようとベランダに出ると、珍しいものを見た。

 新宮殿の敷地内をアニエスと養父のミランが並んで歩いていたからだ。

「……仲直りしたようだな」

 ウンウンと頷き、メイドに紅茶とワインを頼んでワインの紅茶割りを楽しむことにした。






                      ☆        ☆        ☆




 帝政ゲルマニアの帝都プラーカは、チェック人と呼ばれるスラヴ系の部族の集落が始まりと言われている。

 ゲルマニアに征服された後、選帝侯の一つ、ボヘニア王の首府としてプラーカは整備され、やがて『黄金のプラーカ』と呼ばれるまでに大都市に成長した。

 現ゲルマニア皇帝が風邪を拗らせ一時危篤状態に陥ったと聞き、皇帝の居城であるプラーカ城には珍しく選帝侯が勢ぞろいする事になった。

 選帝侯とは『皇帝を選ぶ為に選挙権を得た諸侯』の意味で、皇帝が死んだ場合、7つの選帝侯から一人、次期皇帝として選挙で選ぶ事になっている。
 元々、都市国家が集まって今のゲルマニアが出来た事情から、誰が一番偉いという訳ではなくその時その時代に最も強大な権力、国力を持つ選帝侯が大抵の場合、皇帝に選ばれていた。

 プラーカ城のとある一室には、6人の選帝侯が集まっていた。

 ゲルマニア皇帝でありボヘニア王を兼任するコンラート6世は今年78歳、80前の老人が風邪を引いたとなれば、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
 コンラート6世を除く6人の選帝侯はは長机を囲み、それぞれ難しそうな顔をしていた。
 オーストリ大公アルブレヒトは次期皇帝選挙の票集めの為、何より各選帝侯の出方を伺う為、プラーカにやって来た。
 オーストリ大公領の首府ヴィンドボナは帝都プラーカよりも栄えているという事で次期皇帝の最有力候補を言われていた。
 そのアルブレヒトの皇帝選出に待ったをかけるのは、北東部の雄ブランデルブルク辺境伯だった。
 彼の領地の北部はヴィンドボナのある南部と違って寒冷地という事もあり土地は痩せていて貧しかったが、ゲルマニア最強と名高いゲルマニア騎士団を配下にし、最も強大な軍事力を有していた。 

 二つの選帝侯が火花を散らしていた頃、不機嫌な選帝侯も存在した。

 それは、西部の雄フランケン大公だ。最も古いゲルマニア貴族で、多くの皇帝を輩出した名家だ。
 領地が西部であり、ガリアやトリステインと領地が隣接している事から、戦争になったら先鋒を務めることが多く、『ゲルマニアの壁』などと呼ばれる武門の家柄と言えた。

 そんな彼の機嫌が悪いのは、隣のトリステイン王国で内乱が発生した為、介入しようとした矢先に首府のオーノルツバッハで大火事が発生し都市の6割が消失した為、再建までの間フランケン大公領第二の都市フランクヴルトを仮の首府して、遷都の手続きが思いのほか手間取った事が一つ目の不機嫌の原因。
 二つ目、三つ目が、トリステイン内乱で逃げ出した逃亡兵が山賊化し領内を荒らしまわっていたり、妻が突然占い師に傾倒し、訳の分からないお告げを鵜呑みにして相手をするのに手間取ったりと、様々な出来事が連続して起きて介入どころでは無かったからだ。
 おかげでトリステイン内乱は鎮圧され、絶好の機会を失い面目も失った。

 選帝侯の一人、ザクソン大公はゲルマニア中央部から北西部までの広大な領地を持ち、トリステイン王国の有力貴族ラ・ヴァリエール公爵の宿敵ツェツプストー辺境伯はザクソン大公の分家筋に当たり、褐色の肌と赤い燃えるような髪が印象的だった。
 ザクソン大公は皇帝には興味は無く、オーストリ大公とブランデルブルク辺境泊のどちらに付くべきか品定めの真っ最中だった。

 選帝侯の一人、バウァリア大公は隣のオーストリ大公の繁栄のお零れに預かる事で繁栄してきた経緯から、オーストリ大公に頭が上がらず、いざ選挙となればオーストリ大公に票を手筈になっていた
 バウァリア大公は、プライドを捨ててまで繁栄させた首府ミュンヘを、いかにして戦火から守るかそればかり考えていた。  

 最後、6人目の選帝侯、メインツ大司教はゲルマニア貴族ではなくロマリアから派遣された大司教で、大司教区と呼ばれる土地の裁治権および統治権を有していた。メインツ大司教はゲルマニアにおける最高位の聖職者でロマリア教皇の代理人とされていた。
 ゲルマニア国内でロマリア教の影響力を保持する為に、ロマリアがマインツ大司教を無理矢理選帝侯に捻じ込んだ経緯があった。
 ゲルマニア貴族は、その決定を受け入れるしかなかった。強大な権力を持つロマリアを蔑ろにする事は出来なかったからだ。
 だが、ロマリア教の腐敗は年を重ねるほどに酷くなり、もっとも多くの『お布施』をした選帝侯に票を入れるのが通例になっていた。今ではロマリアの顔を立てるために設けられた接待用の席でしかない。
 
 この場には無く、城の奥で生死の境を彷徨っている7人目の選帝侯。
 ゲルマニア皇帝兼ボヘニア国王のコンラート6世を入れて7人がゲルマニア選帝侯だった。

 ……

 久しぶりに6人の選帝侯が集まったが、室内は重苦しい雰囲気に包まれていた。

「皇帝陛下はご無事だろうか……

「もしものときの事も考えておなければならない。これから我らは、どうするべきか……」

 皇帝の安否を心配しているのは、オーストリ大公とブランデルブルク辺境伯だった。

 表面上は深刻そうに心配している様に見えるが、本当は皇帝死後、次の皇帝選挙の際の腹の探りあいをしている事は他の選帝侯は知っていた。

「ったく、白々しい」

 吐き捨てたのはザクソン大公で、褐色の肌と燃え上がるような赤い髪が特徴の偉丈夫だった。

「皇帝陛下のご回復を我々で祈りましょう」

 でっぷり肥えた腹を揺らしメインツ大司教は言った。

売僧(まいす)も、いちいち五月蝿い」

 聞こえないようにザクソン大公は呟いた。

 バウァリア大公はヘラヘラと愛想を振りまいていた。彼は彼で頑張っているが印象が薄かった。

 一方、我関せずで、ブツブツと不機嫌に独り言を言いながら貧乏ゆすりをしている2メイルの大男はフランケン大公。
 戦場に出れば勇猛果敢で、かの烈風カリンと互角に渡り合ったという猛者だったが、戦場以外だとパッとせず、しかも恐妻家で知られていた。
 彼は、領内で起きた大火事や山賊被害に妻の事等々で事で頭が一杯で、選挙どころではなかった。

 コンラート6世の治世は60年以上で、息子の皇太子も子供を残すことなく親より先に死んでしまい、ボヘニア王家は断絶の危機にあった。
 野心家達にとって、これ以上無い好機だった。

「申し上げます!」

 家臣が部屋に駆け込んできた。

「どうした!」

 とうとう死んだか……とは言わない。

「典医殿のお話では、皇帝陛下は峠と超えたとの事」

「おおそうか、それは良かった」

 いい加減しぶとい……とは思っても言わない。

「ともかく、皇帝陛下のご回復を祝って一杯飲ろうではないか」

『おおーっ!』

 次期皇帝の駆け引きを続ける選帝侯の中で、マクシミリアンが内乱の種を蒔いた事に気付く者は誰も居なかった。

 

 

第四十話 結婚前

 内乱鎮圧から数ヵ月後、14歳になったマクシミリアンは、1週間後いよいよカトレアと結婚を迎える。

 王都トリスタニアは、内乱の影響もなんのその、次代の王妃の誕生にお祭り騒ぎだった。

 一方、マクシミリアンはというと、妹のアンリエッタの機嫌を直す事に全神経を注いでいた。
 原因は、新宮殿に遊びに来る事を週に一回に制限された事と、カトレアにマクシミリアンを取られると勘違いし嫉妬したのだろう。

「私、カトレアって人嫌いよ。お兄様を独り占めするつもりなんだもの」

 とアンリエッタは、頬を膨らませてプリプリと怒っている。

「そう怒らないでよアンリエッタ。カトレアはとっても優しい娘だからアンリエッタとも仲良く出来るよ」

「知らない! お兄様なんて嫌いよ!!」

「今日はアンリエッタをずっと一緒に居るから、機嫌を直してよ」

「むぅ~」

「ね?」

 これ以上無いほど頬を膨らませて

「それじゃ、ドムやって」

「ドム?」

「足から、ゴーゴーするやつ」

「ゴーゴー? ……ああ『エア・ジェット』の事か」

 『エア・ジェット』とは、マクシミリアンが『フライ』より速く飛ぶ方法を研究していたときに、試しに足の裏に空気の塊を発生させて、それを噴射して空を飛ぶ魔法の事だ。。
 最初は上手く飛べずに、ホバー走行みたいな感じになっていた時に『ドムみたいだ』と呟いたのがアンリエッタの耳に入ったのだろう。

「でも、『エア・ジェット』を使った後だと靴が駄目になるんだ」

「ヤダ! ヤダヤダ! ドムやって! ドムやって! ドムやって!」

 アンリエッタは床に倒れこんで手足をジタバタしだした。

「アンリエッタ……ドロワが丸見えだ」

 アンリエッタを諌めたが、聞く耳を持たない。

「ヤーダ! ヤーダ!」

「まいったなぁ」

 どうしたものか、と顔に手を当て改めてアンリエッタの方を見ると、アンリエッタをジタバタしながら、一瞬マクシミリアンをチラッと見た。

(……ん?)

 そしてもう一度、チラッとマクシミリアンを見た。明らかに様子を伺っている。

(コイツもしかして……)

 子供ゆえのしたたかさかアンリエッタは、演技で我侭に振舞うことでマクシミリアンに何らかの譲歩を引き出そうしている事に気付いた。

「アンリエッタ! 知らない間にずる賢くなったな!」

 マクシミリアンはアンリエッタの頭を掴むと『ウメボシ』をした。

「いやいや!  お兄様何するの!?」

「小賢しいぞ、アンリエッタ!」

 軽めだがグリグリと米神を責めると。

「うわーん! お兄様ごめんなさい!」

 と泣いて謝って来た。

 ……

 アンリエッタを『教育』したものの、身内に甘いマクシミリアンは結局アンリエッタに『エア・ジェット』の魔法で遊んでやる事にした。
 遊ぶと言ってもアンリエッタを肩車してホバー走行するだけなのだが。

 2人して新宮殿を出て練兵場向かう途中、軍服姿のアニエスに出くわした。

「あ! アニエスだ! おーいアニエスぅ~!」

 アンリエッタがアニエスを呼び止めた。

「これは、アンリエッタ姫殿下、それに王太子殿下も……」

 アニエスは敵討ちを遂げた後、コマンド隊に残り訓練の傍ら、礼儀作法など色々叩き込まれていた。

「アニエスも訓練ご苦労様」

「また、アニエスと一緒にお勉強できるの? お兄様?」

「それは、ちょっと難しいな」

「えー」

 王族と平民、その辺のケジメを曖昧にしてしまい、内乱を発生させてしまった事から、マクシミリアンは大いに反省し勉強会は中止ということになった。

「悪いねアニエス。色々としがらみって物があってね」

「気になさらないで下さい。私は気にしていません」

「そう言ってもらえると助かるよ」

「アンリエッタ姫殿下も、私のことなど忘れて勉強をがんばって下さい」

「つまんないわ。せっかくアニエスとお友達になれたのに、お兄様何とかならないの?」

「さっきも言ったように、しがらみとか色々あるんだよ。先の内乱で僕たちが勝っても、貴族と平民の確執が一掃された訳ではないんだ、人間、そう簡単に変わらないって事で、王族、貴族と平民が一つ屋根の下で勉強するようになるのは、もう少し時間が掛かると思う」

「お兄様の話は難しすぎるわ」

「ごめんなアニエス。いくらミラン家の養女でも、アニエスだけを特別扱いする訳にはいかないんだ」

「気になさらないで下さい。今の生活はとても充実しています。今のままで十分です」

 その後、アニエスは『訓練がありますので』と、一礼して去っていった。
 アニエスの背中を二人で眺めながら、アンリエッタがマクシミリアンを責める様に言い出した。

「お兄様の意気地無し。どうせならアニエスも一緒にお嫁にもらっちゃえば良かったのよ」

「人を物みたいに言うな。それにアニエスにも選ぶ権利もあるだろう」

「最近読んだ本だと、こういうの『忍ぶ恋』って言うのかしら」

「何を言ってるんだ?」

 7歳になったアンリエッタは、様々な本を読んできた結果、少々マセてきた。

「まぁいいか。行くぞアンリエッタ」

「はーい」

 マクシミリアンとアンリエッタは手をつないで練兵場へと向かった。







                      ☆        ☆        ☆






 所変わって、ここはラ・ヴァリエール公爵の館。

 屋敷ではメイドや召使いといった屋敷の住人が、総出で一人の少女の名前を呼んでいた。

「ルイズ、ルイズ、何処へ隠れたのです。いい加減に出てきなさい!」

 カリーヌ夫人もラ・ヴァリエール公爵の三女、ルイズ・フランソワーズの名を叫んだ。

 6歳になったルイズは、カリーヌ夫人らの英才教育を受けたが魔法に関しては、全く効果が見られず爆発ばかり起こして、その度に叱られるといった事を何度も繰り返していた。
 そして今回の様に度々姿をくらまし、ラ・ヴァリエール公爵家の人々を困らせていた。

「ルイズ様にも困ったものだ」

「本当に……カトレア様が来週には結婚式だというのに」

「そのルイズ様だが、最後までご結婚に反対されていたそうな」

「困ったお方だ。魔法も上手く行かず、爆発させては部屋や庭園を滅茶苦茶するお陰で仕事が増えるばかりだ」

「今日の仕事が残っているというのに、仕事そっちのけで探さなければならないとは」

「こうしていられん、早く探さなければ仕事に戻れないぞ」

「仕事が遅れれば旦那様に叱られる……」

 家人達が愚痴を言いながらもルイズを探していた。

 そのルイズはというと……
 ルイズは『秘密の場所』と呼んでいる中庭の池に浮かぶ一艘の小船の上で涙に濡れていた。

「うううっ、嫌い嫌いみんな嫌いよ」

 ルイズは悲しかった。毎日毎日、魔法の練習をしても失敗ばかりでその度、母に叱られ召使達には陰口を叩かれる。そんなルイズを優しく慰めてくれたのは姉のカトレアだけだった。
 その、大好きなカトレアが……『ちいねえさま』が、結婚して屋敷を出ると聞きルイズは絶望した。

(ちいねえさまが居なくなったら。一人ぼっちになっちゃう!)

 そして、一人になったルイズは、肉親からも家人からも嫌われ見捨てられ、暗い部屋の中で一人寂しく老いて死ぬのよ! ……と妄想するようになった。

 小船の上でグスグスと鼻をすすっていると、ルイズに影が差した。

「やっぱりここだったのねルイズ」

「……ちいねえさま」

 カトレアは『レビテーション』で空中に浮き、小船のルイズを見下ろしていた。

「ちいねえさま、どうして……」

「トリスタニアに行く前に、ゆっくりルイズとお話がしたかったのよ」

「ちいねえさま……」

「ルイズ、一緒に乗っていいかしら?」

「あ、はい、ちいねえさま!」

 ルイズは、グシグシと涙にまみれた顔を、服の裾でぬぐった。

「っと」

 カトレアの魔法のコントロールは相変わらずだが、今回は綺麗に小船に乗れた。

「ちいねえさま、わたし……」

「ルイズ。何が悲しくて泣いていたの? お母様に怒られたから?」

「ううっ、ちいねえさま!」

 ルイズは泣きながらカトレアの胸に飛び込んだ。

「ルイズ……」

「ちいねえさま! 行かないで! 結婚しないで! 一人にしないで!」

 ルイズは一気にまくし立てた。

「わたしがお嫁に行ってもお母様やお父様、エレオノール姉様もいらっしゃるわ。決して一人じゃないわ」

「嘘よ! 嘘嘘! きっと嘘! みんな私のこと嫌いなのよ! 魔法も失敗ばかりで痩せっぽちな私なんて! みんな影で馬鹿にして! 魔法が出来ない落ちこぼれって思ってるのよ! うわぁぁぁぁ~~ん!!」

 ルイズは、カトレアの胸の中で一気にまくし立て遂に大声で泣き出した。

 カトレアは迷った。マクシミリアンからの手紙ではルイズが伝説の虚無の系統かも知れないと書かれていたが、事が事だけに誰にも相談できずにいた。
 ルイズに虚無の可能性があることを伝えるべきか。
 マクシミリアンは、知らせずにフォローしてくれと言ったがそれに従うか否か。

「聞いてルイズ。ルイズはまだ自分の本当の系統に目覚めていないだけなの。ルイズが大きくなれば、わたしよりも凄いメイジに成れるわ。」

 カトレアはキュッとルイズを抱きしめた。

「ちいねえさまより、凄いメイジに? 私が?」

「そうよ、だからお願い絶望しないで」

「……ちいねえさま」

 ルイズはカトレア胸により強く顔を押し付けた。
 カトレアの甘い香りを肺一杯に吸い、ルイズに少しだけゆとりが出来き、いつの間にか涙は止まっていた。

「……ちいねえさま。わたしの我侭聞いて下さい」

「なぁに?」

「わたし、一杯一杯、勉強して手紙を書きます。ですから、ちいねえさまもお返事ください」

「もちろんよルイズ、約束よ。さ、お母様の所へ行きましょう、一緒に叱られてあげるわ」

「……はい。ちいねえさま、さっきはごめんなさい」

「気にしてないわ」

「幸せになって下さい、ちいねえさま」

「ありがとう、ルイズ」

「きっと手紙書きます。勉強もします!」

「応援してるわ。でも無理はしないでね」

 カトレアは妖精すら見とれる笑顔でルイズに頬ずりした。
 

 

第四十一話 二人の結婚

 マクシミリアンとカトレアの結婚式当日。
 天気は雲がどんよりとした生憎の空模様だったが、王都トリスタニアは多くの人々でごった返していた。

 新たに王太子妃になるカトレアは、ラ・ヴァリエール公爵家族と共に新たに編成された近衛軍に守られトリスタニアに到着し、トリスタニア市内の公爵の別邸にて挙式当日を待つことになった。
 
 各国の国賓も入国しており、アルビオン王国は国王のジェームズ王が、ガリア王国は国王が老齢と言う理由で、変わりに2人の王子がやって来た。ゲルマニアからは招待状を送ったが断りの返事が届いた。密偵団改め諜報部の調べでは、次期皇帝を選出する選帝侯の間で駆け引きが続いて、位の低い者を国賓として送ればゲルマニアの威信に関わるという事で、丁重に断ったとマクシミリアンは知った。

(むしろ、使者を送らないことが、威信に関わると思うんだけど……)

 と思ったが、所詮よそ様の事だ。関わらない事にした。

 現在、マクシミリアンは、トリスタニア市内にあるトリスタニア大聖堂で結婚式の打ち合わせをしていた。
 大聖堂で式を挙げ、馬車に乗って市内をパレード、王宮でパーティーといったスケジュールになっている。パーティーに至っては三日間続けられる予定だ。
 ちなみに、トリスタニア大聖堂に赴任している大司教も、ご多聞にもれず腐っているので、妙な事をロマリア本国に報告しないように酒と女漬けにして手懐けている。

 ハルケギニア屈指の権威を誇るロマリアが居る手前、マクシミリアンは宗教改革は時期尚早と考えていた。

 別邸に滞在していたカトレアらも、大聖堂の別室でウェディングドレスに身を包んで、式が始まるのを今か今かと待っているはずだ。

 打ち合わせを終えたマクシミリアンは、カトレアが居る別室へと向かった。

「カトレア居るかい?」

「あ、マクシミリアンさま」

 別室には、カトレアの他にカリーヌ夫人と長女のエレオノールが居た。

「殿下、ご機嫌麗しゅう」

「この度は、ご結婚おめでとうございます」

「カリーヌ夫人もミス・エレオノールも、今日はありがとうございます」

 先の内乱で、エレオノールの婚約者の家が反乱軍側に組した為、婚約者の家は取り潰され婚約は解消された。
 その為、エレオノールの機嫌は悪いが妹の晴れの舞台だ、決して表に出さないように勤めた。

「所でルイズ・フランソワーズも一緒だと聞いてるんだけど」

「ルイズは、大聖堂の外でアンリエッタ姫殿下と、遊んでいると思われますわ」

「そうか、結局仲良くなったんだな」

 マクシミリアンたちが、どうこうと頭を悩ませる必要も無くアンリエッタとルイズは友達になった。

「私達は部屋の外に出てますので、時間までカトレアと一緒に居てあげてください」

「ありがとう、カリーヌ夫人」

 カリーヌ夫人とエレオノールは部屋を出て行った。

「マクシミリアンさま、如何でしょうか、綺麗ですか?」

「カトレア、とっても綺麗だよ」

「ありがとうございます、マクシミリアンさま」

 カトレアは、ウェディングドレス姿で椅子に座り嬉しそうにはにかんだ。
 このウェディングドレスは、アントワッペンのマダム・ド・ブランの新作で、上等なシルクがふんだんに使われている。

「ここまで来るのに色々あったけど。ようやく、ここまで漕ぎつけたよ」

「わたし、もう……幸せすぎて、涙が出そうです」

「絶対に幸せにしてみせるよ」

「はい、幸せにして下さい」

 そう言って、軽くキスをした。

 そして、式の内容などスケジュールをカトレアと話していると、ノックと共に神官が入ってきた。いよいよ、二人の結婚式が始まる。
 







                      ☆        ☆        ☆







 厳かな雰囲気で結婚式は始まった。

 大聖堂には、エドゥアール王とマリアンヌ王妃のトリステイン国王夫妻と、アルビオン国王ジェームズ1世、ガリア王国の2人の王子を始め、多くの貴族が参列した。
 先の内乱で、大幅にその数を減らしたトリステイン貴族だったが、未だ多くの貴族が居た。
 もっとも、生き残った貴族のほぼ全ては、この結婚式に欠席して王家の不興を買いたくない一心で、この結婚式に参加した者ばかりだった。
 一方、国賓の者たちは、傾いた財政を復活させ、しかも大胆な改革を成功させ、先の内乱で雷名を轟かせたマクシミリアン『賢王子』に興味を示して、どういう人物は見定めようという目的で乗り込んできた。
 ちなみに『賢王子』とは、マクシミリアンに付いた二つ名だ。

 アンリエッタとルイズは、席を隣にして結婚式に参加していた。

「悔しいけど綺麗だわ」

「当たり前よ。何てったって、わたしのちいねえさまだからね」

 ルイズは、自分の事の様にフフンと無い胸を張り上げた。

「何よ、お兄様だってすごくカッコいいわよ!」

 とルイズの左右の頬を掴み横へと引っ張った。

「はいふうの!」

 何するの、と言いたかった様だ。
 アンリエッタとルイズは、ポカポカと可愛い殴り合いと始めた。

『いい加減になさい!』

 後ろに控えていたカリーヌ夫人が、二人の頭を掴み声を抑えながら少量の殺気を放ち二人を諌めた。

「ひい!」

「ごめんなさいお母様、ごめんなさいお母様、ごめんなさいお母様」

 生まれて初めて殺気という物を受けたアンリエッタは涙目で黙り込み、ルイズは念仏を唱えるように、ごめんなさいを言い続けた。

「ルイズ。カトレアの、貴女の姉の晴れ姿ですよ、無様な真似は止めなさい」

「ごめんな……は、はひ、お母様」

 ルイズは涙目ながらも復活し、結婚式は恙無く進行した。

「それでは、指輪の交換を……」

 アル中だったが無理矢理正常に戻された大司教は、長い口上を終えると、二人に指輪の交換を指示し、マクシミリアンはカトレアは言われたとおりに、それぞれの薬指に指輪をはめた。

「では最後に誓いのくちづけを……」

 マクシミリアンは、カトレアに顔を近づけ……

「この日を夢見てきてきたよ」

「わたしもです」

 周りに聞こえないように、ボソボソッとしゃべった後、二人はキスをした。

 ……

 式が終わると次は王宮までのパレードだ。
 沿道にはトリステイン各地から新しい王太子妃を一目見ようと多くの人々が詰め掛けて交通整理をする衛兵達を困らせていた。
 内乱の混乱は経済に打撃を与える事も無く、むしろ内乱を長引かせず、手早く老廃物の除去を行った事で、トリステインの経済は右肩上がりだった。
 その為、王都トリスタニアのメインストリートなどは、常に人でごった返していて大変不便で、新たな都市計画が求められた。

『トリステイン王国万歳!』

『マクシミリアン王太子殿下万歳!』

『カトレア王太子妃殿下万歳!』

 歓声が上がり、馬車に乗ったマクシミリアンとカトレアは、沿道の市民達に手を振って返した。

「カトレア大丈夫? 緊張してない?」

「わたしは大丈夫です」

「見世物になるのも王家の仕事だから」

「それは……うふふ、望むところですわ」

 そう言って、ニッコリ笑い沿道の市民へ手を振り返した。

(頼もしいねぇ)

 マクシミリアンも内心呟いて手を振り返した。王宮に到着するまで、市民の列は途絶える事はなく、多くの市民が二人を沿道から祝福した。





                      ☆        ☆        ☆







 その日の夜、王宮にて大々的なパーティーが開かれた。

 国賓の他にも、多くのトリステイン貴族がそれぞれ着飾り参加していた。

 その国賓の中で一際騒がしい男が居た。

「いや、めでたい。実にめでたい!」

 ガリア王家特有の青い髪の偉丈夫が、ワインを飲みながらでかい声で騒いでいた。
 ガリア王国第一王子ジョゼフ・ド・ガリアは、魔法が全く使えない事から、巷では『無能王子』と呼ばれガリア貴族から侮蔑の眼差しを受けていた。

「マクシミリアン王子、結婚おめでとう!」

「ありがとうございます、ジョゼフ王子」

「カトレア殿もおめでとう!」

「ありがとうございます」

 パーティーが始まって、マクシミリアンとカトレアは、アルビオンのジェームズ王など国賓に礼を言って回っていたが、途中ジョゼフに捕まり、子一時間ジョゼフのおしゃべりに付き合わされていた。

「先の戦いでの、マクシミリアン王子の電光石火の用兵には、このジョゼフ関心いたしましたぞ!」

「あはは、ありがとうございます」

「是非、この『無能王子』めに『賢王子』の成功の秘訣をご教授願いたいのだが」

「それは……」

 次から次へと尽きる事のない話題に、辟易し始めたが、マクシミリアンに助け舟をした者がいた。ガリア王国第二王子のオルレアン公シャルルだった。

「兄上、マクシミリアン王子が困っています。そろそろこの辺りにしては如何でしょう?」

「おお、シャルルか! これはマクシミリアン王子の事も考えずに失礼した。何しろ『無能王子』ゆえに、その辺の事が分からなかったのだ。マクシミリアン王子、申し訳なかった! ハハハハハハ!」

「いえ、お気になさらずに。大変面白いお話でした」

 何かにつけ自分の事を『無能王子』と卑下するジョゼフに違和感を感じながらも、当たり障りの無い返事を返した。

 ジョゼフは、ガハハと笑いながら去っていった。

「すまなかったね、マクシミリアン王子」

「オルレアン公」

「兄上は、先のトリステインの内乱でのマクシミリアン王子の活躍を聞いてから、何かと気にかけるようになってね」

 そう言ってジョゼフの方を見た。
 ジョゼフは、エドゥアール王やアルビオンのジェームズ王達と何やら楽しそうに話していたが、その一挙手一投足に王家としての教養は感じられず、周りにいた貴族達はジョゼフの行動を卑しそうに見ていた。

「……」

 マクシミリアンは、またも違和感を感じた。まるでサーカスのピエロの様に笑われることを目的としているように思えたからだ。
 そこから導き出された一つの人物像。若い頃は『うつけ』と言われ、後に大勢力までのし上がり、天下統一まで、あと一歩まで近づいたが部下の裏切りで非業の死を遂げた、マクシミリアンが大好き男。マクシミリアンはジョゼフが若い頃の織田信長の姿にダブって見えた。

 マクシミリアンは、ジョゼフへの警戒を一段階引き上げる。
 急に黙ったマクシミリアンに、心配そうな顔をしたカトレアが話しかけてきた。

「マクシミリアンさま?」

「ああ、ごめんカトレア」

「兄上がどうかしたのかな?」

「オルレアン公。ジョゼフ王子は、いつもああいう感じなのですか?」

「四六時中……という訳ではないけどね。けど勘違いしないで欲しいな。兄上は魔法こそ使えないが、皆が言うような『無能王子』などでは無いよ」

「そうなのですか?」

「ああ、本当は兄上は凄い人なんだよ」

「……そうなんですか」

「兄上が、いつの日か認められると確信しているよ。では、僕はこの辺で……」

「はい、パーティーを楽しんで下さい」

「ありがとう、二人ともお幸せに」

 そう言ってシャルルは、貴族達の中に消えた。

 暫く二人はパーティーを愉しんでいると、会場に流れていた音楽が変わった。
 これはダンスの合図だ、貴族の、取り分け男達は貴婦人らにダンスの申し込みをし始めた。

 このパーティーの主役であるマクシミリアンとカトレアは、次から次へと挨拶に来る貴族達の相手をしていた為かヘトヘトだった。

「カトレア、いつぞやの約束を果たそうか」

 マクシミリアンは仰々しくカトレアの前に立ち、

「僕とダンスを踊ってくれませんか?」

 と言った。

「喜んで……お受けいたしますわ」

 カトレアの目が少し潤んだ。

「泣くなよ」

「ごめんなさい、でも嬉しくて」

(結婚式では泣かなかったのに)

 そんなカトレアをマクシミリアンは、ますます好きになった。

「行こうカトレア。これから、もっと幸せになろう」

「はい、マクシミリアンさま」

 カトレアは差し出されたマクシミリアンの手をとった。

 ……

 ザワッ

 マクシミリアンが、カトレアの手を引いてダンスの輪に加わると場内の雰囲気が変わった。

 二人のダンスは完璧で、他の貴族達のダンスが霞むほどだった。

「上手いなカトレア」

「マクシミリアンさまこそ、大変お上手ですわ」

 ダンスを踊る二人を、周りの人々は羨む様に眺めた。

「仲の良い事だな」

 エドゥアール王は、遠巻きに見ながら言った。

「エドワード様、私達も二人の結婚を祝って、ダンスに参加しましょうか」

 隣のマリアンヌ王妃がダンスに誘った。

「うん……そうだな、久々に踊ろうか」

 ワッ、と貴族達から驚きの声が上がった。国王夫妻がダンスに参加したからだ。

「父上!?」

「マクシミリアン。我々も混ざろう」

「マリアンヌ王妃殿下!?」

「お養母様と呼んでもいいのよ?」

 他の貴族達は、4人の見事なダンスに拍手喝采だった。
 その後もパーティーが終わるまで4人は踊り続けた。
 







                      ☆        ☆        ☆







 パーティーが終わり、新居となる新宮殿へ戻ったマクシミリアンとカトレアの二人は、ダンスによる疲労とワインの酔いでフラフラになりながらも4階の自室へ戻った。
 自室のすみには、カトレアの嫁入り用に豪華な鏡台が新しく置かれていた

「いやはや、しこたま飲まされた上に子一時間のダンスは流石に無理があった。カトレア、疲れてない?」

「すごく疲れましたけど、とても楽しいひと時でした」

「そうか、良かった」

 着替えるのも億劫だった二人は、何とか服を脱ぐと、全裸に近い姿で巨大なベッドの上に寝転んだ。
 火照った身体にひんやりとしたシーツの冷たさが気持ちいい。

「よっと」

 マクシミリアンはカトレアの側まで近づくと、カトレアのピンクブロンドの髪に触れて指の間にからめて弄んだ。

「すごく綺麗な髪だよ」

「マクシミリアンさまも……」

 カトレアもお返しとばかりに、マクシミリアンの紫色の髪に触れた。

「汗で濡れてないかな」

「気にしませんよ」

 そして二人は合図が合ったわけでもなく、自然に抱き合った。

 胸と胸が重なり合いお互いの心音が感じられた。

「この心臓のお陰で、わたしは今も生きていられるんです」

「うん」

 その後も、二人は胸と胸とを重ねあい、お互いの心臓の鼓動を確かめ合った。
 例えれば子供の事、横断歩道の白い部分を踏まないように歩く遊戯的なものだったが、二人にとっては神聖な儀式の様に感じられた。
 二つの鼓動は違うリズムを刻んでいたが、いつしか同じリズムへと変化していった。

 やがて、二人から寝息が漏れ聞こえた。
 初夜にしては色気が無かったが、仲睦まじく二人は抱き合って寝た。

 

 

第四十二話 竜の羽衣

 マクシミリアンがカトレアと結婚して1週間、カトレアは新宮殿にて家臣やメイドたちと顔合わせを済ませ、王太子妃としての生活をスタートさせた。
 カトレアは典型的な貴族の様な偉ぶった所は無く、家臣たちの評判は上々だ。
 その噂はトリスタニア市内まで届き、市民の反応も良かった。

 この日、マクシミリアンは新宮殿の敷地にあるジョウスト場で、新魔法の訓練をしていた。
 新魔法とは『クリエイト・ゴーレム』の事で、マクシミリアンが土の系統のトライアングルに進んだことから、以前までの人馬ゴーレムの更に洗練させた。材質は鉄製になり上半身はウイング・フッサー、下半身が関節部分を強化した軍馬の形をした、新・人馬ゴーレムの作り出した。
 ジョウスト場の両端には、マクシミリアンが作り出した、それぞれ1体づつ配置されていた。

「よし、チャージ!」

 マクシミリアンの号令と同時に、2体の人馬ゴーレムは土を蹴り上げ駆け出した。
 新しい人馬ゴーレムは6メイルもある長大なランスを持ち、鉄製の羽飾りをジャラジャラ鳴らしながら、2体の人馬ゴーレムは見る見るうちに近づく。
 そして、スピードに乗った2体の人馬ゴーレムは同時にランスを突き立てた。

 ドガン!

 と車と車が正面衝突したような凄い音がジョウスト場に鳴り響き、重なった状態の2体の人馬ゴーレムの胸には6メイルのランスが深々と突き刺さり、2体とも鉄の身体はひしゃげ動かなくなった。
 結果は相打ちだった。

「う~ん、改良の余地有り……かな」

 マクシミリアンは、杖を振るうと2体の人馬ゴーレムはジョウスト場の土へと戻った。

「マクシミリアンさま~」

 手を振りながらカトレアが、バスケットを持ったメイド数人を伴ってジョウスト場やって来た。

「どうしたんだ、カトレア」

「そろそろ、お昼と思って昼食をお持ちしました」

「もうそんな時間か……ありがとう、いただこうか」

 メイドたちは、ジョウスト場の隣の芝生に、何処から持ち出したのか椅子とテーブルを設置し始めた。
 流石はプロと言ったところか、瞬く間に設置しテーブルクロスを掛けて終わりだ。

「みなさん、ありがとう。さ、マクシミリアンさま」

 マクシミリアンとカトレアは席に付き、持ってきたバスケットを開いた。天気も良いので絶好のランチ日和だ。
 バスケットの中にはオムレツに羊肉のソーセージに野菜サラダにチーズ、そして白パンとワインが付いていた

「マクシミリアンさまは、オムレツが好物でしたので厨房を使わせて貰って作ってみたんです」

 どうやらオムレツはカトレアの手作りのようだ。

「カトレアの手作りか。いいね美味しそうだ」

「いただきましょう」

「いただきますか」

 マクシミリアンとカトレアは食事をはじめた。

「早速、オムレツをいただこうかな」

「感想聞かせて下さいね」

 マクシミリアンはナイフとフォークでオムレツを切り分け口に運んだ。

「……」

「どうかしら?」

(これは……オムレツというより卵焼きだ)

 カトレアの作ったオムレツは、外も中も良く火の通ったオムレツ、というより卵焼きで、外はふんわり中はトロトロな一流シェフのオムレツばかり食べてきたせいか、マクシミリアンには残念な出来に感じられた。
 だが、『愛情』という調味料が入っていると無理やり自分を納得させオムレツを一気に平らげた

「どうかしら?」

 カトレアは心配そうに感想を聞いてきた。

「まぁ、次第点かな、不味くは無かったよ」

「そう……ですか」

 しょぼーん、とカトレアが小さくなったように見えた。

「次はがんばろうよ」

「そうですね。次こそは、マクシミリアンさまを唸らせて見せますわ」

 マクシミリアンの励ましで元気になったカトレアは雪辱を誓った。

 ……

 昼食を食べ終え、二人は食後のデザートを楽しんでいた。

「そう言えばカトレア」

「何でしょう?」

「明日か明後日に、地方の視察に行くんだけど。カトレアは着いて来る?」

「着いて行きますわ」

 カトレアは即答した。

「それじゃ、そのように伝えておくよ」

「それで、何処を視察されるんですか?」

「タルブ村、って所だ。あそこはワインの産地として知られているけど。新たにブランデーっていう酒の蒸留を年明けあたりから始めたんだ。今回の視察は、これらの進み具合を見学する為の視察なんだよ」

 マクシミリアンは、ハルケギニアにおいて酒と呼べるものは、ワインとエールが主流で、他にはリキュールなどが在ったが、それほど流通していなかった。
 これに目をつけ、ブランデーやウィスキー、ビールなどを開発して新たな産業にと目論んでいた。
 何より、酒飲みのマクシミリアン自身が飲みたいと思っていた。






                      ☆        ☆        ☆






「お、おお……王太子夫妻が、このタルブ村に!?」

 タルブ村の村長は、突如降って沸いたマクシミリアンらの視察に驚きの声を上げた。

「視察というから、てっきり官僚とかその辺りが来ると思ったのに」

「あの……村長、領主様にはどの様に報告を?」

 村長が、小間使いとして使っている男が申し訳なさそうに聞いてきた

「忘れたのか? 領主様は先の内乱で反乱軍側に付き、御家を取り潰されて、今では直轄地だということを」

「そうでした」

「と、ともかく大至急、全ての家々に連絡して歓迎の準備を! 若い衆にも声を掛けるんだ!」

「わ、分かりました村長。それと王太子夫妻は、この村にお泊りになられるのですか?」

「……え、日帰りでは無いのか……何処か一泊されるに相応しい場所を探さないと。馬小屋なんかに泊めたら打ち首だぞ」

 村長は顔を青くして頭を抱えた。

「前の領主様の館が空き家になってますが」

「そこだ! 王太子夫妻が寝泊りできるように今日明日中に大掃除を!」

 こうしてタルブ村の住人総出で、王太子夫妻の歓迎準備に取り掛かった。

 ……

 マクシミリアンとカトレアは、仕事目的という事で、馬車ではなく竜籠を使ってタルブ村まで行く事になった。
 竜籠の上でも二人はイチャイチャラブラブで、回りの者達はそんな若い夫婦を微笑ましく眺めていた。

 竜籠がタルブ村上空の到着すると、マクシミリアンは驚きの声を上げた。

「なんだあれ?」

「あれは……文字ですか?」

 カトレアが言った。

「まさか、こんな歓迎の仕方とは……」

 タルブの平原には、百人を超す多くの人々が人文字で

『トリステイン万歳』

 と、なるように立っていた。
 それも、一人一人が竜籠に向かって引きつった笑顔で手を振っている

「マスゲームなんて、何処の独裁者だよ」

 マクシミリアンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
 マクシミリアンは知らなかったが、ここ最近、マクシミリアンの名声は本人の意思とは関係なく一人歩きし、貴族をはじめ多くの人々、特に政府関係者には畏怖を持って知られた。

 とある貴族曰く。

『マクシミリアン殿下に、ご不興を買おう物なら粛清される』

『先の内乱は、殿下御自らが囮となって反乱貴族を罠に嵌めたらしい』

『赦された一部の貴族は、トリスタニアにある秘密の地下室で人格を調整され以前とは別人の様になったらしい』

 等々、悪名を全て紹介したらキリが無い。

 そうこうしている内に、マクシミリアンらを乗せた竜籠は平原に着陸すると、村長を始めとする、タルブ村のお偉方がマクシミリアンらを出迎えた。

「遠路ご足労いただきありがとうございます。タルブ村の村長にございます」

「あのような歓迎は初めて見ました。」

 当たり障りの無い返答をしておく。

「気に入って頂き恐悦し至極です」

「ですが、観光で来た訳ではありませんので。早速、ブランデー関連の視察を始めたいんですが」

「かしこまりました。馬車を用意させます」

「いや、天気も良いし歩いて行こうと思う。いいよね? カトレア」

「わたしはかまいません。それと村長さん、いつまでも、あの人たちに手を振らせ続けるのは可哀想です。帰しても良いですよね?」

 カトレアの視線の向こうには、人文字を作りながら延々と手を振り続けるタルブ村の住人が居た。

「も、申し訳ござません、直ちに!」

 村長は、若い衆を伝令として送り、下手なマスゲームは終了を迎えた。

 ……

 試験目的だったがブランデー工場は順調だった。

「数年寝かせば、商品化にこぎつけるだろう。各蔵元のみんなにはがんばってほしい」

 とタルブ村中の蔵元の従業員を激励すると、それぞれの蔵元に特別ボーナスを渡し、視察は3時間程で終了した。
 タルブ村には大小様々なワイナリーがあり、腕の良いワイン職人達が日々精進していた。
 マクシミリアンの肝いりで行われた、ブランデー作りだったが、大手のワイナリーの職人達はあまり乗り気ではなく。比較的小さな蔵元が名乗りを上げていた。
 後に小さなワイン職人数名が、ハルケギニア有数のブランデー職人となり名声を得る事になる。

 視察を終え、宿泊先のかつての領主の館に向かう途中に奇妙なオブジェを見つけた。

 マクシミリアンが見たもの、それはこのハルケギニアには明らかにミスマッチな鳥居だった。

「村長、あの建物は誰が建てたんだ?」

 村長に聞いてみると、

「あの建物は、60年以上前に『竜の羽衣』と呼ばれる空飛ぶマジックアイテムに乗って来た男が建てた、え~と、たしか『トリイ』だったと思います」

 マクシミリアンは『もしや、日本人が建てたのでは?』と思い、詳細を聞いてみることにした。

「それで、その男の人は今もご健在か?」

「残念ですが、もう何十年も前に死にました」

「そうか……すまないが村長。あの建物を見学したいのだが良いだろうか?」

「は、はい、かしこまりました。ご案内いたします」

 突然の予定変更に村長は少し戸惑ったが、それをおくびに出さず村長はマクシミリアン夫妻を先導し、鳥居のある場所へ到着した。
 道中、村長は『竜の羽衣』と呼ばれる御神体について説明して、粗方の事情は理解した。

「それで、先の寺院には『竜の羽衣』と呼ばれる物が置いてあって、寺院を建てた男が60年前に空から舞い降りたと?」

「何しろ古い話でして、私も父から聞かされて詳しい事は分かりません。口の悪い村民などは、嘘ではないかと何度も急かして、男に竜の羽衣を飛ばせようとしましたが、結局飛ぶ事はなかったそうです」

「その後、その男の人はどうなったんですか?」

 カトレアが会話に加わった。

「一部の村民からは嘘つき呼ばわりされていましたが、働き者でしたので村に溶け込み、静かに余生を過ごしたそうです」

「……」

 マクシミリアンは無言で鳥居とその奥に建てられている寺院を見ていた。
 その寺院は木製で、外観は日本の神社に良く似ていた。

「で、殿下。何か気に入らない所がおありで?」

「いや、あの神社……じゃない。寺院の中も見学してもいいかな?」

「はい、かまいません」

「ありがとう村長。行こうかカトレア」

「はい、マクシミリアンさま」

 マクシミリアンに続くようにカトレアも、鳥居を潜り寺院の中に入った。

「あっ!」

 寺院内に入ってすぐに、『ある物』がマクシミリアンの目に入り思わず驚きの声を上げた。

「どうされたんですか?」

「あれ……あの緑色のヤツ」

「変わった物ですね。鳥か何かのオブジェ、あれが竜の羽衣でしょうか?」

「いや、これは……」

 マクシミリアンは、駆ける様に鳥のオブジェに近づいた。
 それは濃緑色の飛行機で、マクシミリアンはこの飛行機に見覚えがあった。

(この飛行機、見た事ある……翼の日の丸。そう、たしかゼロ戦だっけ?)

 マクシミリアンが、ゼロ戦に手を触れると、永い間眠っていた為かヒンヤリと冷たかった。

「村長!」

「は、はい!」

 後ろに控えていた村長が、ビクリと背筋を伸ばした。

「この竜の羽衣。僕に売っては貰えないでしょうか?」

 ……

 マクシミリアンの申し出を、村長は快く承諾した。

 ……と言うよりも、断りでもしたらどんな目に合わされるか怖くて、首を縦に振ったのが真相だった。

「竜の羽衣を、マクシミリアン殿下に売ることになってしまった。事後承諾になってしまったが、この通り、 承諾して欲しい!」

 村長は、竜の羽衣に乗って来たという男の子孫の家に出向き事の説明をした。

「頭を上げてくれよ村長。正直なところ竜の羽衣なんて俺は今まで忘れていたんだ。欲しいって言うんだったら、俺は構わないぜ。良いだろ? 母ちゃん」

「あたしも構わないよ。売るっていうんだったら、王子様はいくらで買ってくれるんだい?」

 時刻は夕方になり、男の子孫の家では夕飯の支度で女房やその子供たちが忙しそうにしていた。

「いやそれが……」

「言い値で買おう」

 出入り口から、手をヒラヒラさせてマクシミリアンとカトレアが現れた。

「どちらさんで?」

「ば、馬鹿! マクシミリアン王太子殿下とカトレア王太子妃殿下だ!」

『え、えぇぇ~~~!?』

 ドドッ、とそんなに大きくない民家の中は悲鳴に近い声が上がった。

『ははぁ~~!』

 家族全員がマクシミリアンらに土下座した。何故か村長も土下座に加わっていた。

「礼はいらないから顔を上げてくれ」

 マクシミリアンの言葉で一同顔を上げた。

(ムムッ)

 家族の中にハルケギニアでは珍しい黒髪の女の子を見つけた。

(あの黒髪……本当に日本人の末裔なのか)

 『魅惑の妖精』亭のジェシカが、『タルブ村に実家がある』と言っていた事を思い出し、

(彼女も日本人の末裔だったのか)

 と勝手に納得した。

 黒髪の少女と目が合い、マクシミリアンはニコリと微笑んだ。

「さっきも言ったけど言い値で構わない」

「は、はい……でしたら10エキューで……良いよな? 母ちゃん」

 最後の部分を小声で言い、女房はコクコクと小刻みに頷いた。

「安いな、本当に良いのか?」

「税も軽くなり十分に食べて行けます。なにより殿下のお陰でございます」

「欲が無いね。それじゃ、10エキュー、少し色を付けておいたから」

「ありがとうございます」

 マクシミリアンは懐から財布を出しエキュー金貨の入った布袋を木製のテーブルの上に置いた。

「マクシミリアンさま。余り長居するのも良くないかと思いますわ」

「そうだなカトレア。そろそろお(いとま)するよ」

 とマクシミリンは言ったものの、家の中から漂ってくる懐かしい匂いに帰る足も鈍った。
 永らくハルケギニアの生活に慣れ親しんできたが、魂に刻まれた『日本人的なもの』が醤油の匂いを嗅ぎ分けたのだ。

「いい匂いがするね。どんな調味料を使っているのか教えて欲しい」

「ウチのひい爺さんが作った調味料で、我が家に代々受け継がれた物です」

「その調味料の製法。これぐらいで売ってくれないか?」

 マクシミリアンは、財布からさっきの倍のエキュー金貨を鷲掴みして布袋の隣に置いた。







                      ☆        ☆        ☆





 夜になってマクシミリアンたちは、宿舎となる前の領主の館に泊まる事になり。そこで出された地元の名物の『ヨシェナヴェ』を食べる事になった。

「とっても美味しいですね」

 カトレアは、ニコニコしてヨシェナヴェに舌鼓を打っていた。
 一方、マクシミリアンは無言のまま黙々と食べていた。

「どうされたんですか? マクシミリアンさま。口に合わなかったのですか?」

「ん? ……ああ、美味しいよ」

「?」

 首を傾げたカトレアに、マクシミリアンは別の話題を挟んだ。

「タルブのワインは気に入った?」

「わたし、ワインを余り飲まないんですけど。とっても飲みやすくて美味しかったですわ」

「良かった。それじゃ、これからも贔屓にしようか」

「はい、マクシミリアンさま」

 賑やかさを取り戻し、マクシミリアンとカトレアは夕食を楽しんだ。

 ……

 床に入ったマクシミリアンとカトレアだったが、マクシミリアンはカトレアの胸に抱きつくようにして寝ていた。

「マクシミリアンさま如何されたんですか? 夕食辺りから何か変ですよ?」

「ごめん、カトレア。この夜だけは、このままにしておいてくれないかな。明日になればいつもの僕に戻っているから」

 14歳ながら見事なプロポーションのカトレアの胸の中でそう応えるだけだった。

 マクシミリアンの異変。それはホームシックだった。

 竜の羽衣に日本人の末裔、そして醤油ベースのヨシェナヴェと食べて、日本人だった前世をはっきりと思い出したからだ。

(カトレアの前だって言うのに情けない……ああもう、クソッタレ!)

 胸の中で唸っていると、ふわりと何かがマクシミリアンの頭を撫でた。

「カトレア?」

「夫婦なんですから相談の一つもして欲しかったですけど。何があったのかは聞きません。マクシミリアンさまが眠るまで、こうやって頭を撫でてますね」

「ああ、カトレア。愛してる」

「わたしもです。ずっと前から愛していました」

 カトレアの柔らかい手が、マクシミリアンの頭を撫でる度に、日本への恋しさと心の底から沸き上がる不安が和らいだ。

「マクシミリアンさま? 眠られましたか?」

「……」

 1時間ほど頭を撫で続けていると、マクシミリアンはカトレアの胸の中で寝息を立てていた。

「寂しかったのですね。マクシミリアンさま」

 カトレアは勘の鋭い少女だ。昼間の竜の羽衣を見た当たりから。マクシミリアンの妙な反応に気付いていたし、調味料の製法を買い取った辺りでは、物珍しさではなく懐かしさで行動していたのを感じ取った。
 そして夕食のヨシェナヴェで、遂に感情のダムが決壊した事を、これもカトレアは感付いたが、何故、トリステインの王子であるマクシミリアンが、異国の物に懐かしさを感じていた事までは分からなかった。

「マクシミリアンさま……」

 日中カトレアは、マクシミリアンに原因を聞こうと思ったが、虫が知らせたのか止めて置いた。

「マクシミリアンさまはマクシミリアンさまです。原因が何であってもわたしは絶対に気にしません」

 そういって包み込むようにマクシミリアンの頭を抱き、カトレアは目を瞑った。

(何故ならわたしは、あなたの妻なのですから……)

 やがて、カトレアも寝息を立て眠りだした。 

 

第四十三話 コルベール現る

 この日、マクシミリアンは王宮に訪れエドゥアール王に面会を求めると、政務を行っている執務室まで通された。

「どうしたのだマクシミリアン」

「来月の初め辺りに、カトレアと新婚旅行に行こうと思いまして。その報告に参上しました」

「シンコンリョコウ……とは何だ?」

「結婚した二人が、更なる愛を育む事を名目に旅行する事ですよ」

「また変わった事を……まあ、よかろう。で、何処に旅行するつもりなのだ?」

「アルビオン王国を予定しております」

「アルビオン……か」

 エドゥアール王にとってはかつての故国だが、妙に歯切れが悪い。

「どうかされましたか?」

「お前の事だから掴んでいるのだろう? 現在、アルビオン王国内部で反トリステインの機運が高まっている事に」

 先年のアントワッペンの反乱の原因の一つに、アルビオン産羊毛がトリステイン産羊毛に取って代わられ、輸入していた商人が大打撃を受けた。という物だった
 当然、アルビオンの輸出産業にも大打撃を与え、しかも最近のトリステインの好景気に押され、安くて品質の良いトリステイン産が幅を利かせるようになり。アルビオンの産業は停滞し経済摩擦になっていて、食べていけなくなった農民などは田畑を捨て都市部に流入して犯罪の温床になっていた。
 止めとばかりに、トリステインの資本がアルビオンに侵食を始め、アルビオンの国力を下げていた。
 トリステインとアルビオンとの間に交わされた同盟関係も、国力の差から以前はアルビオンが主導権を握っていたが、ここ数年で逆転しアルビオン貴族達から反トリステインの機運が高まっていた。

「はい、その情報は掴んでいます。ですから今回のアルビオンへの旅行も、その辺に釘を刺す為の旅行でもあります」

「掴んでいるのなら良いが、具体的にどうやって釘を刺すつもりなのだ?」

「先日、進水したフネを使わせて下さい」

「たしか、蒸気船だったか。お前の肝いりで建造されたフネだ、好きに使うといい」

「ありがとうございます」

 トリステイン北部のヴァール川河口に建設が進められた新都市は、好景気も合わさって僅か数年で大都市に成長した。
 家臣や官僚たちは、都市の名前を考える際、マクシミリアンの名を取って『マクシミリアム』と名付けられそうになったが、マクシミリアン本人が嫌がって代わりに別の案を提供した。マクシミリアンの案とは、ヴァール川に無数建てられたダムや閘門等といった物と合わせて、『ヴァールダム』という名前で提出した。官僚たちはこれを採用し、新都市の名は『ヴァールダム』となった。

 先日、ヴァールダムの造船場で1隻のフネが進水した。
 このフネは、蒸気機関を搭載した全長50メイルほどの木造のコルベット艦で、三本マストと空中と海上で併用して使えるように艦尾にスクリューとプロペラの両方をを取り付けた。いってみれば日本の咸臨丸の艦尾にプロペラを取り付けた容姿をしていた。
 プロペラに関しては、先日マクシミリアンがタルブ村で買い取った零戦のプロペラをモデルに作成した。

 艦名は『ベルギカ号』に決定し、近代的な軍組織に改革される空軍に練習艦として編入される事になっている。

 マクシミリアンはこの新造艦でアルビオンへ向かうつもりだった。






                      ☆        ☆        ☆





 王太子夫妻がアルビオンへ外遊すると発表があり。ベルギカ号の乗組員は僅か1ヶ月程度の短い期間でまともな操船が出来るように猛訓練が命じられた。しかも、ベルギカ号は進水したばかりで艤装もされていない状態だった。

 新都市ヴァールダムにある空軍の施設のとある一室にて、見た目は風采の上がらない青年のド・ローテルは訓練計画を立てながら、過密なスケジュールに頭を悩ませていた。
 ベルギカ号の艦長に就任した、ド・ローテルはこの無茶な命令に応えなければならなかった。

「乗組員を集めて風石に石炭、食料、衣料品、あと毛布、そうだ最低限の艤装もしないと。それらを終えるのに2週間以上掛かるぞ。出航したとしても訓練期間は精々1週間……」

 ぐしぐしと紙に書いては丸めゴミ箱へ捨てる。このサイクルを何度も繰り返していた。

「足りない、とてもじゃないが足りない!」

 当初、これまでに無い全く新しい新造艦の艦長に就任したときは、これ以上無いほどの有頂天だったが、王太子夫妻の外遊にベルギカ号を使う為、乗組員を使い物にしなくてはならなくなり、今では辞表を出して田舎に引っ込みたくて仕方が無かった。

「艦長。トランプ提督がお見えです」

 守衛が報告してきた。

「入らせて貰うよ」

 ひょっこりと白髪の混じった灰色の頭が入ってきた。

「トランプ提督、助けて下さい! こんな無茶苦茶なスケジュールどうやったって無理ですよ!」

「苦労していると思ってな、お邪魔させて貰った。」

 若いド・ローテルと、いかにもベテランといったトランプ。二人の関係はいわゆる師弟関係だった。

「そう思うんだったら、何とかして下さいよ」

「心配するな。風石に石炭、その他諸々1週間以内に出航できるように手配してある」

「助かります!」

 心底助かった様子で、ド・ローテルは頭をボリボリとかいた後、何度も頭を下げた。こうして、ベルギカ号の慣熟訓練の目処は立った。
 ド・ローテルは、戦略や戦術など『いかにして勝つか』の方法を実践するのは得意だったが、デスクワークは苦手だった。
 






                      ☆        ☆        ☆






 アルビオンへの新婚旅行出発まで1週間を切ったある日の事。
 マクシミリアンは、タルブ村で買い取った零戦の状況を見るために、新宮殿の敷地内にあるラザールの工房に足を運んだ。
 ハルケギニア初の蒸気機関が開発されたラザールの工房は、中小企業の工場を連想させる2階建てのレンガ造りの建物で、8割を巨大な工房に割り当てた構造になっていた。

 マクシミリアンは工房内に入ると、作業中に煙が篭もらない様に2階部分が無い高い天井が目を惹き、工場特有の鉄と油の臭いが鼻を突いた。他にも天井まで届く長い煙突とその下に、鉄を溶かす高炉らしきものや蒸気機関を動力とする作業機械がが見えた。
 ラザールの姿はすぐに見つかった。広い作業場の中央に置かれた零戦に張り付いて、新宮殿では見ない助手らしき男と何やら作業をしていた。

「ラザール、竜の羽衣はどの位調べた?」

「……あれでもない」

「……これでもないですぞ」

 マクシミリアンはラザールに声を掛けたが、助手の男共々、一心不乱に零戦を調べていた。
 
「邪魔するのも悪いか」

 マクシミリアンは、ガラクタらしき鉄屑に腰を下ろし二人の作業を見守ることにした。

「ミスタ・コルベール。竜の羽衣が何で動いていたか分かりましたか?」

「ミルタ・ラザール。これを……」

 助手の男はコルベールという名前で、髪が戦略的撤退をし始めた風采の上がらない男だった。コルベールは側においてあったカップに杖を振ると独特の臭いのするガソリンを錬金した。コルベールは燃料タンクの中に残っていた臭いや微量のガソリンなどを研究した結果、ガソリンの錬金に成功しのだった。

「素晴らしい! これで竜の羽衣は空を飛ぶ事ができるのですね」

「そうですね、早く動かしてみましょう。楽しみですなぁ!」

 二人は、マクシミリアンが見ているのも知らず、和気あいあいと零戦の燃料タンクに錬金したガソリンを注いだ。

(コルベール? 何処かで聞いた名前だが……)

 マクシミリアンは、記憶の中から該当する名前を捻り出した。

(そうだ、たしか魔法研究所(アカデミー)の実験小隊の……でも何でここに居るんだ? 魔法学院の教師じゃなかったっけ?)

 マクシミリアンが、黙々と考えていると、コルベールがマクシミリアンが居る事にようやく気付いた。

「もしや、マクシミリアン王太子殿下なので?」

「やあ、ようやく気付いたね」

 ガラクタの上で胡坐をかき、コルベールに向かって手を挙げた。

「ミスタ・ラザール! 王太子殿下が御出でですよ!」

 コルベールの声で、マクシミリアンが来ている事にようやく気づいたラザールは、マクシミリアンを零戦の前まで導いた。

「ようこそ殿下! 見て下さい。竜の羽衣はいよいよ飛ぶことが出来ますよ!」

 ラザールは年甲斐も無オくモチャを見せびらかす子供のようにウキウキしながら、マクシミリアンにあれこれ説明を始めた。

「その話の前に、こちらの人はどちらで? 良かったら紹介して欲しい」

 コルベールの方を見てマクシミリアンは言った。

「このお方は……」

「ミルタ・ラザール。私に言わせてください」

 コルベールは、礼に則って自己紹介を始めた。

「ジャン・コルベールを申します。トリステイン魔法学院にて教師をしております」

(やっぱりそうだったのか……)

「ミスタ・コルベールは、わざわざ魔法学院から暇を見ては、ウチの工房へ足を運んで私の研究を手伝ってくれるのです」

 ラザールが細かい事を説明してくれた。

「なるほど、事情は分かったよ。二人とも、トリステインの為にその才を貸して欲しい」

「御意」

「畏まりました」

 二人はマクシミリアンに膝をついた。

 ……

「ところで竜の羽衣の解析は済んだのか?」

「はい、一度分解して、今日ようやく復元が終わり。エンジンを動かそうと思っていたところに、殿下が参られたのです」

「良いタイミングだったという事か。僕も見物させて貰おう」

 ラザールは、零戦の風防を外し自らコックピットに乗り込み操縦桿を握った。

「ミスタ・コルベール。プロペラを回して下さい」

「承知しました」

「ラザールが乗るのか?」

「左様です殿下。危ないですので、少しばかり下がっていてください」

「分かった」

「ミスタ・ラザール。準備できました」

 コルベールは魔法でプロペラを回した。

「よし、行きます!」

 ラザールは元気良く宣言したが……

「……」

「……はて?」

「動かないのか?」

 零戦のエンジンは動かなかった。

「どどど、どういう事だ? 復元を間違えたか!?」

「ミスタ・ラザール。落ち着いて」

「こうしてはいられない! もう一度分解して復元のやり直しを」

「燃料は入ってたんだよね?」

「はい、殿下。燃料もちゃんと入っています」

「何が原因なのでしょう」

「分かりません。ともかくもう一度、良く調べて見ます」

「失敗は成功の母だ。ラザール、気を落とさないように」

「もちろんです殿下。この程度で気を落とすほどヤワではありませんぞ」

「頼もしい言葉だ」

 ……

 結局、ラザールは夜通し点検に図る事になった。
 マクシミリアンはお(いとま)し、コルベールも残りたがったが、魔法学院へ戻らなければならなかった為、泣く泣く工房を後にした。

「ミスタ・コルベール。途中まで一緒に行かないか? 色々話したいことがある」

「畏まりました。僭越ながらお相手いたします」

 マクシミリアンとコルベールは、新宮殿の門まで歩く事になった。

「ミスタ・コルベール。貴方と一度話がしたかった」

「恐縮でございます」

「何故、貴方ほどの人が、魔法学院の教師に甘んじているのか。ミスタ・コルベールが良かったらエリート街道への復帰の手続きをしてもいい」

 マクシミリアンの人材センサーはビンビンに反応していて、彼を手放すつもりは無かったが、コルベールは首を横に振った。

「ありがたき申し出ですが、私はもう中央に戻るつもりはありません。無礼を承知で言わせてもらえば、もう自分の魔法で家や人々を焼くのはウンザリなんです」

「ダングルテールの一件の調べは付いている。だがあれは偽情報とはいえ命令で行った事なのだろう? 命令に基づいて行動した貴方が責任を感じる事はない」

「……」

「ロマリアと共謀したリッシュモンの責任であり。ミスタの責任じゃない。そもそも軍隊という所はそういうものでは?」

「……確かにその通りです。ですが私は自分自身を許すことが出来ないのです」

 コルベールはそう言って目を瞑った。

「ふう……そうか、ミスタの人生だ、とやかく言わないさ。過去を振り返るのも悪くは無い。けどね、過去を振り返る事と過去に囚われる事はまったく別のじゃないかな?」

「殿下……」

「僕はなるべく未来を見たい。たまに過去を振り返って後悔する事もあるだろうけどね。もっとも、後悔しても止まることはないだろうけど。どうせなら僕に、王家に責任を擦り付けて楽になった方が良いよ」

 話しているうちに二人は、門の所まで到着した。

「ミスタ・コルベール。貴方はダングルテールで一人の少女を救った事を覚えておいでか?」

「覚えています。彼女の事は故郷を燃やしてしまった事へのせめてもの罪滅ぼしでした。もっとも彼女は今でも恨んでいることでしょうが」

「その事だがな、彼女は恨んでいない。もっとも、当初は全方位に恨みを振りまいていたが、彼女は仇討ちを果たし新しい人生をスタートさせた」

「仇討ち……ですか。あの娘が」

「ミスタ・コルベール。貴方が責任を感じる必要は無い。正直言うと彼女を仇討ちへと誘導したのは僕さ、認めるよ。けどね、仇討ちを止めて延々と恨みを腹の中に飼い続けるより、スパッと仇討ちをさせて再スタートをさせたほうが良かったと思ったんだ」

 そして最後にこう付け加えた。

「もし今後、リッシュモンの縁者を名乗る者が現れて、アニエス……その娘の名前ね。そのアニエスに仇討ちを仕掛けようとすれば、その時はそういう風に誘導した僕の責任で彼女を守るよ」

「う、ふふふ……いや、これは失礼しました。それでは愛の告白ですね」

「ん……そうか? そんなつもりは無いんだが」

「殿下、結婚したばかりだと言うのにそれではいけません」

「だから、そんなつもりは無いと言っているだろうに」

 ムスッと、眉間にしわを寄せた。

「そろそろ日も暮れてきたので、失礼させていただきます」

「そうか、また来て欲しい。ラザールも同類を見つけて嬉しそうだった」

「ありがとうございます。お言葉に甘えまして、これからも顔を出したいと思っています。魔法をもっと人々の役つことに使いたい。それが私の新しい人生のテーマなのですから」

「そうか、今度来たらアニエスに会わせようか?」

「それはご勘弁下さい。彼女も新しい人生をスタートさせたと聞きました。今更、顔を合わせても気まずいだけでしょう」

「そうか」

「では、失礼いたします」

 コルベールは礼をすると、学院から乗って来た馬に跨り夕日の中を駆けて行った。

「流石は元実験小隊隊長、馬が上手いな」

「ぶふっ!」

 門を守っていた衛兵が噴き出した。

(その程度の駄洒落で噴き出すなよな)

 何とも締まらない顔で、コルベールが去った方向を見続けた。
 

 

第四十四話 白の国へ

 ヴァール川河口に建設された新都市ヴァールダムは、大規模な造船業の他にも製鉄業や製糖業でハルケギニアで指折りの都市だ。
 現在進行中の北部開発で使用する物資の集積や、そこで働く労働者のベッドタウンとしての側面もあった。
 ヴァールダムからトリステインの各主要都市への道路も整備され、その道路を行き来するヒトやモノ、そしてカネが途絶える事はない。

 潮の香りが漂うヴァールダムの船着場では、一隻のフネが煙突から黒煙を上げ出航準備に取り掛かっていた。
 このフネは、アルビオンへ新婚旅行する為に、王太子夫妻の御召し艦として利用する事になったベルギカ号だ。

「ようこそ御出でくださいました。ベルギカ号の艦長、ド・ローテルです」

「艦長、進水から今日まで無茶なスケジュールだったと聞いている。ご苦労様」

「そのお言葉で十分でございます。出航まで時間がございますので、艦内をご案内いたします」

「ありがとうございます。艦長」

 マクシミリアンの側に控えていたカトレアが礼を言った。

 マクシミリアンとカトレアは、全長50メイルほどのベルギカ号の艦内を案内され、二人が利用する部屋に入った。

 内装は豪華とは程遠く。床には敷き物は無く申し訳程度のベッドと小さなテーブルと椅子、その他家具が置いてあるだけだった。

「申し訳ございません。何分、急な通達でしたので、御召し艦として相応しい内装に出来ませんでした」

「気にする事はない。元はといえば、僕が無茶な命令を出したのが悪い。艦長はベストを尽くした。それを称える事はあっても責めたりはしない。そうだよな? カトレア」

「その通りですわ。あまりお気になされないよう」

「ありがとうございます。それでは私は出航の準備がありますので失礼させていただきます。ごゆっくりとお寛ぎ下さい」

「ありがとう艦長。少し寛いだら甲板に出てても良いかな?」

「護衛と身の回りの世話に水兵を一人付けますので、その者にお命じ下さい」

「セバスチャンやメイド数人も乗り込んでいるし、その必要は無いと思うが艦長の言う通りにするよ」

「御意」

 ド・ローテルは、一礼すると去っていった。

 ……

 マクシミリアン達が、宛がわれた船室で寛いでいると出航を知らせる鐘の音が聞こえてきた。

「マクシミリアンさま! 出航するみたいですよ。甲板まで出ましょう!」

 カトレアは、マクシミリアンの手を引いて甲板に出るように誘った。

「そうだな、行こうか」

「行きましょう、早く早く! うふふふっ」

 はしゃぐカトレアに引っ張られ、マクシミリアンたちは部屋を出た。

「セバスチャンたちも護衛よろしく」

「ウィ、殿下」

 執事のセバスチャンをはじめ、見目麗しいメイドが二人マクシミリアンたちの後に続いた。

 狭い艦内を駆け甲板に出ると潮の香りが二人の鼻をついた。
 ベルギカ号は、蒸気機関の力でスクリューを回転させゆっくりと船着場を離れた。

「すごいですわ! フネが自分で動いている!」

 カモメがニャアニャアと鳴きながらベルギカ号の周りを飛び交い、カトレアの側を飛びぬけた。

「きゃあ!」

「大丈夫か? カトレア」

「大丈夫ですわ、マクシミリアンさま。でもちょっとビックリしました」

 マクシミリアンはカトレアの腰に手を回し抱き寄せた。

「これが、マクシミリアンさまの作ったフネなんですか?」

「僕が作ったわけじゃないけど、まあ……理論を提供したのは僕かな」

 ベルギカ号は、見る見るうちに沖へと進んだ。

 カトレアは、抱き寄せられながらマクシミリアンの手を撫で、遠くなるヴァールダムを見た。

「カトレア、不安かい?」

「不安半分、好奇半分を言った所でしょうか。アルビオン王国は確か『白の国』と呼ばれていましたわよね?」

「そうそう、浮遊大陸から流れ落ちた水が、白い霧となって見える事からそう呼ばれるようになったと聞いている」

「早く見てみたいですわ」

 しばらくマクシミリアンとカトレアは甲板で行き交う海鳥を見ていた。だいぶ沖まで船は進み、連絡役の若い水夫がやって来た。

「お楽しみの中、申し訳ございません。本艦は間もなく離水いたしますので、一度部屋に戻られますようお願い申し上げます」

「分かった。行こうかカトレア」

「はい、マクシミリアンさま。水夫さんご苦労様です」

「ありがとうございます! 王太子妃殿下も大変お美しいです!」

 そう言って、平民出身の水夫はカトレアの笑みに顔を真っ赤にして去っていった。

「……」

「もしかしたら妬きました?」

「バーロー、違うわい」

「ウフフ、妬いてくれて嬉しいです。妬かれもしなかったら、とても悲しいですから」

 そう言って、カトレアはマクシミリアンの腕に手を回し、腕に当たる胸の感触がマクシミリアンの脳を直撃した。

「おいおい、人が見てる」

「うふふふ」

 人目をはばからない若い夫婦を冷やかす様に海鳥達は空を舞い続けた。





                      ☆        ☆        ☆ 





 ベルギカ号で一泊したマクシミリアンとカトレアは、朝食に最近開発され、軍隊食としてトリステイン陸空軍に支給されるようになったポークビーンズの缶詰を試してみた。

『王族が食べるには不釣合いです』

 と、ド・ローテルは最初断ったがマクシミリンたっての願いで朝食に出された。
 ポークビーンズは、普通の献立ではトマトを使うがハルケギニアではトマトは無い為、他の食材で作られる事になった。

「うん、いける。カトレアはどう? 口に合うかい?」

「美味しいですけど、ちょっと味が濃いですね」

 カトレアの口にも、そこそこ合った様だった。

「セバスチャン。ロサイス港にはいつ頃着くだろうか?」

「予定では昼前には到着するとの事でございます」

「そうか、朝食が終わったら、また甲板に出ていようかと思っている」

「では、艦長殿にはそのように報告をさせておきます」

「うん、任せた」

 マクシミリアンは、早々にポークビーンズを平らげ、ナプキンで口元を拭いた。

「マクシミリアンさま、早いですわ」

「僕は、紅茶を飲んでいるからゆっくりと食べててよ」

「そうさせていただきますわ」

 カトレアは食事を続けた。

 ……

 カトレアも食べ終わり、二人で食後の紅茶を楽しんでいると、何やら艦内全体が騒がしくなり、ついには異常を知らせる鐘の音が鳴り響いた。

「マクシミリアンさま。これは……」

「何かあったようだ」

「王太子殿下、様子を見てきますので部屋でお待ちください」

「分かったセバスチャン。頼んだよ」

 セバスチャンは一礼すると部屋を出て行った。
 室内にはマクシミリアンとカトレア、そしてカトレアのメイドの二人が残された。

「何があったのでしょう……」

「分からないが、ただ事ではなさそうだ」

 10分ほど待っていると、セバスチャンが戻ってきた。

「どうだった?」

「大艦隊が我々の行く手を塞いでいる様でございます」

「大艦隊? アルビオン艦隊か?」

「おそらくは……」

「よし、甲板まで上がる」

「マクシミリアンさま。わたしも着いて行きます」

「分かった。行こうカトレア」

 二人は部屋を出て行くと、セバスチャンとメイド二人も後に続いた。

 甲板に出た二人は、ド・ローテルの姿を探すと彼は下士官達に指示を出していた。

「艦長! 先ほどの鐘は何事か!?」

「これは殿下。艦首前方をご覧下さい」

「あれは……」

 ベルギカ号の行く手には、大小合わせて100隻を越すアルビオン王国自慢の大艦隊が浮遊していた。

「すごい数ですね……」

「艦長、あの大艦隊の中、一際目を惹く巨艦。たしか『ロイヤル・ソヴリン号』だったな?」

「その通りにございます。ハルケギニア広しといえども、200メイルを越すあれほどの巨艦。まさしくロイヤル・ソヴリンに相違ないかと」

「雰囲気からして表面上は歓迎の形を取っているが、その本音は……」

「王太子殿下に対し、アルビオンの武威を示そうとしているのでしょう」

「やはりな……」

 マクシミリアンはニヤリと笑った。
 最近のトリステインとアルビオンの関係からして、

『血の気の多い貴族連中ならやりかねない』

 とある程度読んでいた。

 もっともアルビオン王国全体の姿勢とまでは思っていなかったが。

「艦長。『もし』……そう、もしロイヤル・ソヴリン号と一戦交えるとしたらどう戦う?」

「それは……」

 ド・ローレルは、あごに指を当て少し考え、そして……

「あの巨艦といえども所詮は木造です。火の魔法か、もしくは……」

 ド・ローレルは甲板に設置してある、とある装置に目を向けた。

「ロイヤル・ソヴリン号は見た目は大きくとても恐ろしく感じますが所詮は鈍足な帆走戦列艦。大砲の射程も短く既存の戦列艦では数を用意しないと攻略は難しいでしょう。しかし我がベルギカ号ならば、水蒸気機関の快速を生かして射程内に入らないよう翻弄し、本艦最大の牙である多弾装ロケット砲で敵の射程外から攻撃し続ければ、あの木造艦は良く燃えることでしょう」

「では竜巣艦からの竜騎兵が、ガッチリとロイヤル・ソヴリン号を守っていた場合はどうする?」

「その場合はお手上げです尻尾巻いて逃げます。あくまで艦と艦の一騎打ちという戦場では滅多にない状況での事ですので」

「そうか……」

 マクシミリアンとド・ローテルは、向かい合って苦笑いを浮かべた。

「あの、この状況、どうするつもりなんですか?」

 蚊帳の外だったカトレアが心配そうに言った。

「どうもしないよ、カトレア。敵はあくまで威圧のみだ。攻撃なんてしてこないよ。一発でも大砲を撃とう物ならそれこそ戦争だ。『一発だけなら誤射かもしれない』なんて寝言通じないよ」

「ですが、先ほど尻尾を巻いて逃げると艦長が……」

「王太子妃殿下。この状況でその様な戦闘状態に陥れば、アルビオン王国は全世界に恥をさらすことになります。国賓である王族を寄って集って攻撃するような国など、どの国も国交を結ぼうとは思わないでしょう? それどころか世界を敵に回しかねません」

「そういう事だカトレア。安心したかい?」

「はい、でもやっぱり怖いです」

「僕なんかワクワクするけどね」

「でしたら王太子妃殿下は部屋にお戻りになられたほうが……」

「そうだな、セバスチャン。カトレアを頼む」

「ウィ、殿下」

 カトレアはセバスチャンとメイドらに伴われ自室へ戻っていった。

「せっかく、アルビオン大陸に掛かる霧を、一緒に見られると思ったのに」

「心中、お察しいたします」

「ありがとう。でも、このままやられっぱなしなのは性にあわない」

「王太子殿下には、何やら秘策が御有りのようですが」

「艦長、知ってのとおり僕がアルビオンに来た理由は、表向きは新婚旅行だが、本当の理由はアルビオンに対し釘を刺すことだ。この様な真似を二度としないように、ね」

 そう言ってマクシミリアンはマストの天辺に付いている旗を見た。

「風が変わったようだ。ベルギカ号からは向かい風だな」

 呟くように言い、そして……

「艦長! ここは一つ、アルビオン艦隊の度肝を抜いてやるとしよう。風に逆らい全速力でアルビオン艦隊のど真ん中を突っ切る。出来るな?」

「もちろんにございます。あの連中の驚く顔が目に浮かびます。機関室に連絡、最大戦速だ!」

 ド・ローテルは不敵に笑い、下士官に命令を出した。







                      ☆        ☆        ☆






 アルビオン王立空軍に所属する64門戦列艦アガメムノン号の副長ヘンリ・ボーウッドは不審な報告を受けた。トリステインのフネから大量の黒煙が出たと報告が上がったのだ。

「火事を起こしたのか?」

「現在調査中ですが、そうとしか見えませんでした」

「分かった。下がってよい」

 報告を持ってきた水夫は、敬礼をして去っていった。

「艦長に報告しないと」

 ボーウッドは、最近トリステインから輸入されるようになった紙に報告内容を書き写し艦長室へと向かうべく甲板に上がった。

「これは艦長。甲板に出ておりましたか」

 艦長室へ向かう途中、アガメムノン艦長のネルトンは甲板から身を乗り出し黒煙を上げて進むベルギカ号を見ていた。

「ボーウッド、あれを見ろ」

 ボーウッドの方を見ずにベルギカ号を指差した。

「トリステインのフネですね。黒煙が上がっていると報告に上がろうと艦長室に向かう途中でした」

「手間が省けたな。それよりも……」

 ネルトン艦長は、ようやくボーウッドの方を顔を向けた。

「あのフネ、風に逆らって進んでいる」

「えっ!?」

 ボーウッドは思わず声を上げた。
 ネルトンの言うとおり、ベルギカ号は向かい風の中、アルビオン艦隊に向け進み続けていた。しかもかなり速い。

「本当だ、一体どうやって……」

「風魔法で進んでいる訳でもなさそうだ」

 風に逆らって進むベルギカ号に、アガメムノン号を始めアルビオン艦隊の各艦艇からも驚きの声が上がっていた。

『何がどうなっているのだ!?』

『魔法だろうよ。そうでないと説明がつかない』

『マストを見てみろ帆が張ってないぞ』

『それじゃ、どうやって進んでいるんだ?』

 アルビオン艦隊のど真ん中を、黒煙を上げて進むベルギカ号をアルビオン艦隊の全将兵は固唾を呑んで見守っていた。マクシミリアンの狙い通りアルビオン艦隊の度肝を抜く事に成功した。

「マクシミリアン賢王子、そしてトリステイン王国、侮ってはいかんと言う訳でしょうか」

「ボーウッド。後であのフネの秘密を聞きに言ったら教えてくれるだろうか?」

「艦長、それは無理でしょう」

「う~ん、俺も乗ってみたいな、あのフネ」

 ネルトンは、既存のフネとは違う全く新しいフネに興味心身だ。

「トリステイン王国に、我がアルビオン空軍の武威を示すつもりが。トリステインの最新鋭のフネにいい所を持って行かれてしまいました」

「そもそも、俺はこんな計画など大反対だったのだ。第一、やる事がせせこましいではないか」

「空軍卿(空軍大臣)自ら、計画を立てたそうですね」

「あの老人は、羊毛の商いで大損をしたからな。トリステインへの恨みも大きい」

「それは、逆恨みでしょう」

「まったくだ」

 ベルギカ号はアルビオン艦隊を突っ切ると無事ロサイス港に寄港し、マクシミリアンとカトレアの新婚旅行はこうして幕を開けた。

 

 

第四十五話 新婚旅行

 アルビオン王国に到着したマクシミリアンとカトレアは、アルビオン各地を歴訪しながら王都のロンディニウムを目指した。

 ロサイス港に停泊したベルギカ号の周辺には、機密漏えいを防ぐ為、諜報部を始めとする厳重な警備体制が敷かれ、使い魔一匹侵入する余地は無い。

 ロンディニウムへ向かう道中、用意された馬車の中でマクシミリアンは農地を眺めていた。

「マクシミリアンさま、何か気になることがおありで?」

「農地を見ていた。このアルビオン大陸は浮遊大陸という環境の為か、麦の背が低く余り育ちが良くないようだ」

「まあ、それでは農民の人たちは苦労している事でしょう」

「食糧事情も悪いようだ。まあ、そのお陰でアルビオンへの食料品輸出で、僕達のトリステインが潤うんだけどね」

「何とかならないんでしょうか。トリステインが支援か何か出来るように」

「悲しいけど、それは難しいな。僕と結婚した事でカトレアも王族に成ったんだ。僕達を養ってくれる国民の為にもなるべくトリステインの利益のなる様な事をすべきでは?」

「それでは、あまりにも……」

「ひどいと思うかい?」

「はい……マクシミリアンさま、どうにかならないんですか?」

「その国の民が苦しんでいるのは、その国の為政者の責任だ。僕達が、『これこれ、これが良い』と口を出せば、一部の者は有り難がるだろうが、そんなの全員じゃない。それを恥と思って僕達を恨む者が出るだろう。そして、なにより内政干渉になる」

「……はい」

「カトレアの、民を想う気持ちは万国共通と言ったところか……おいでカトレア」

 カトレアを抱き寄せ、柔らかい唇を吸った。

「優しいなカトレアは、そんな所も僕は大好きだ」

「マクシミリアンさま……」

 カトレアは、うっとりしながらマクシミリアンに、もたれ掛かった。

 そんなカトレアの頭を愛おしそうに撫でた。だが、その心中はと言うと……

(かつてのトリステインほどではないけど、アルビオンの貴族も大概の様だ。これらの内政の不備を放置し続けてくれれば、その分、トリステインのお得意様であり続ける……まあ、虫のいい話だがね)

 ちょっと黒い事を考えつつ、カトレアの体温を感じていた。







                      ☆        ☆        ☆






 王都ロンディニウムに到着したマクシミリアン一行は、アルビオン王ジェームズ1世に手厚く歓迎を受けた。

 ジェームズ王は、トリステイン王太子夫婦を自室へ招きアルビオン王としての威厳をたっぶり漂わせ、アルビオン製の紅茶と菓子を振舞った。

「マクシミリアン王子。遠路遥々ご苦労であった。我がアルビオン自慢の紅茶を堪能して欲しい」

「ありがとうございます、ジェームス陛下。大変、美味しいです」

「お菓子も、甘くてとても美味しいですわ」

 マクシミリアンとカトレアは、気に入ったようだった。
 ジェームス王と若い夫婦との間は、和やかな雰囲気になり会話も大いに弾んだ。だが、先の『盛大なお出迎え』の話題になるとジェームズ王は神妙な顔になった。

「王子、先日の、我がアルビオン空軍の無礼、この場を借りてお詫びしたい。申し訳なかった」

 そう言って頭を下げた。

「陛下、頭をお上げください」

「しかし、この無礼、捨て置くわけには行かない。早速、先の計画を立てた空軍卿を解任させたいと思う」

「最近、トリステインとアルビオンとの関係がギクシャクしている事を考えますと、もし解任された、アルビオン貴族内の反トリステインが一気に燃え上がりかねません。僕としてはそれは避けたい」

「王子はそれで良いかも知れぬが、それでは、示しがつかぬ」

「栄光あるアルビオン空軍に、汚点を残すような真似は、僕としても避けたいのです。アルビオン空軍はトリステイン空軍の目標ですから」

「……王子がそこまで言うのならば分かった。今回は訓告のみで済ませることにしよう」

「ありがとうございます」

 マクシミリアンは頭を下げた。

 ……実はこの話には裏がある。
 旅立ちの前に、諜報部に命じてアルビオン王国の各閣僚の情報を調べさせていたのだ。
 その情報によれば、空軍卿はハッキリ言えば無能で、政敵になりそうな者を蹴落としたり旧態依然とした人材を周辺に置いたりと、自分の権威の強化に腐心していた。
 現在、トリステイン空軍は再編の真っ最中である。優秀な人材なら平民でも艦長になれるよう取り計らったし、既存の戦列艦やフリゲート艦、その他の補助艦には、蒸気機関を取り付ける為に随時ドック入りし、昼夜問わず改装が行われていた。
 同盟関係とはいえ、ただでさえ強力なアルビオン空軍とトリステイン空軍とでは、艦艇の数に差がありすぎる。

 数の差を性能で補う為に、今回の空軍卿の解任を阻止したのは時間稼ぎの部分が大きい。

(器が小さいと言わば言え。トリステインの為なら、どんなセコイ事だってするさ)

 とマクシミリアンは開き直った。

 空軍卿は、マクシミリアンとジェームズ王の計らいで罪に問われる事はなかった。

 同盟関係とは、利害が一致した国と国が一時的に手を組んだ関係でしかなく、永遠に続くものではない。

 マクシミリアンにとって同盟国アルビオンですら仮想敵だった。

 ……

 ロンディニウムに到着したその日の夜。ジェームズ王は盛大な歓迎パーティーを催した。

 もちろん主役はマクシミリアンとカトレアだった。
 アルビオン貴族から発せられる、敵意の眼差し無視してカトレアとパーティーを楽しむつもりだったが、思わぬ人物の登場にその計画は脆くも崩れ去った。

「マクシミリアン殿! お聞きしたい事があります!」」

「これはウェールズ王子」

 ジェームズ王の息子のウェールズ皇太子が、マクシミリアンの事をまるで物語の中から現れた人物の様に偶像化させ、マクシミリアンの側から離れなかった。
 ウェールズはこの時、小学校低学年くらいの年齢で、妹のアンリエッタと大して年が変わらなかった。

「先の戦乱において、マクシミリアン殿の指揮する軍勢は電光石火の用兵で、並み居る反乱軍を蹴散らしたと聞きましたが、その時はどの様な事を考えていたのですか?」

「それはですね……」

 色々と尾ひれが付いて、どういう訳かマクシミリアンが指揮していた事になっていた。

「それとですね! ああ! せっかくお会いできたのに、聞きたいことが多すぎるっ!」

 ウェールズは、『嬉しさを抑えきれない』といった風に自慢の金髪をかき混ぜた。

「ウェールズ王子、時間はまだありますよ。落ち着いて」

「はい! ありがとうございます!」

「カトレア。そういう訳だから何処かで時間を……あれ?」

 マクシミリアンはカトレアの姿を探すと、離れた場所でカトレアは緑色の髪の少女をおしゃべりをしていた。

(そう言えばカトレアの同年代の友人の話は聞かないな)

 そう思い出して。楽しそうに語らうカトレアを温かく見守る事にした。

「あの! マクシミリアン殿!」

「ああ、ごめん。ウェールズ王子」

「実はお願いがあります!」

「僕に出来る事ならば良いけど」

「その……」

「……?」

「兄上と呼んで良いですか?」

「……へ?」

 素っ頓狂な声で、マクシミリアンは聞き返した。

「その、従兄弟同士ですし、僕には兄弟がいませんし、良いかな? と思ったんです」

「ああ、そういう事……うん、分かった。それじゃ僕もウェールズを呼んでも良いかな?」

「はい! もちろんです兄上!」

 そういう訳で、ウェールズはマクシミリアンの事を兄上と呼ぶようになった。

 その後も、ウェールズの相手をし続けたマクシミリアン。ウェールズは夜も遅いという事で引き上げてしまった。

 ようやく、解放されパーティー会場を見渡すと、周りの貴族達はマクシミリアンと一定の距離を取っていて中々近づいてこなかった。
 その周囲の空気を全く読まず、二人の男がマクシミリアンに近づいてきた。

「こんばんは! マクシミリアン王太子殿下!」

「こんばんは、初めてお会いしますよね?」

「これは、失礼しました! アルビオン空軍所属、戦列艦アガメムノン号艦長のホレイショ・ネルトンと申します。以後お見知りおきを」

「その副官のヘンリーボーウッドです」

「……よろしく」

 マクシミリアンは、先日の『盛大な出迎え』に関係していて、自分にケンカを売って来たと予想した。

「単刀直入に申し上げます、王太子殿下。あの煙を上げて進むフネに、一度で良いですから乗せて欲しいのです!」

 ……が、その予想は外れた。

「え~っと」

「是非、乗せて下さい。お願いします!」

 マクシミリアンは、自分の両手を握って迫るネルトンに、一瞬たじろいだ。

「ダメ」

 が、一言で突っぱねた。

「何故ですか! 嫌ですよ乗せて下さい」

「嫌って何だよ嫌って」

「一度で良いんです! ほんのちょっと!」

「機密なんだからダメ」

「艦長、いい加減に諦めましょうよ。これ以上は、外交問題になりかねません」

「うううう」

「ミスタ・ネルトン。どうしても乗りかかったらトリステインに鞍替えしますか? それなら乗れるようになります」

「むむ……それは」

 流石にネルトンは躊躇した。

「そちらの、ミスタ・ボーウッドもどうでしょう? 我がトリステイン王国は、優秀な人材を随時募集しています。国内外から老若男女、貴賎を問わず、ね」

「貴賎を問わず?」

「そうです、ミスタ・ボーウッド。優秀ならば平民でも艦長になれますよ」

「ううむ、どうしようか」

「ちょっ、艦長! マクシミリアン殿下、大変失礼しました。我々はこれで……」

 ボーウッドは、傾きかけたネルトンを羽交い絞めにして、マクシミリアンの前から去っていった。

「……もうちょっと、突っ込めば良かったかな?」

 優秀な人材を引き抜くことに失敗したマクシミリアンだったが、それほど気にしてなさそうだった。

 ……

 台風一過、人ごみから離れ、一人でアルビオンワインを傾けていると、カトレアと緑色の髪の少女が近寄ってきた。

「楽しんでるようだね、カトレア」

「マクシミリアンさま。ご紹介しますわ。こちら、サウスゴータ家の令嬢、マチルダ・オブ・サウスゴータさんです」

「ご紹介を賜りました、マチルダ・オブ・サウスゴータです。賢王子と名高いマクシミリアン殿下とお会いすることが出来て、大変、光栄です」

 マチルダは恭しく頭を下げた。

「よろしく、ミス・サウスゴータ。これからもカトレアと仲良くしてやってください」

「はい」

「マチルダさんとは、ファッション等、アルビオンで流行っている物を教えてただきましたわ」

「そうか、ありがとうミス・サウスゴータ」

「恐縮でございます。マクシミリアン殿下もカトレア様も、機会がありましたらシティ・オブ・サウスゴータへ是非お越しください」

「ありがとうございます、マチルダさん」

「たしか、この旅行の終盤にモード大公の領地に立ち寄るから、その時に寄らせてもらおう」

「まあ、そうでしたの。それじゃ、マチルダさん、お邪魔させていただこうかしら」

「お待ちしております」

 3人の談笑はパーティーが終わるまで続いた。

 

 

第四十六話 月に一番近い場所

 新婚旅行のスケジュールも順調に消化し、マクシミリアン一行は、最後の訪問地であるモード大公の領地に行く前に、シティ・オブ・サウスゴータに立ち寄った。

 始祖ブリミルが、アルビオン大陸の土を初めて踏んだ地が、このシティ・オブ・サウスゴータだと伝承にはある。

 先日の約束を果たす為か、マチルダはシティ・オブ・サウスゴータの案内を自ら買って出て、カトレアと市内の観光を楽しんでいた。
 一方、マクシミリアンは政務としてサウスゴータ家の屋敷に訪問した。
 用向きは、シティ・オブ・サウスゴータの近くにある山脈を地質調査する為の訪問だった。
 会談は一応は成功。鉄鉱山が眠っていることが分かり、採掘にも、一口かませてもらえる様になった。

 その後、アルビオン国内で、冷や飯を食らっていた優秀な人材のヘッドハンティングをした。
 職種は様々で、元アルビオン空軍の平民の下士官や、銃職人、元詐欺師といった者までも、マクシミリアンの誘いに応じた。

『トリステインは、平民でも出世できる』

 最近良く比較されるようになったトリステインとゲルマニアとの違いは、ゲルマニアは平民でも金さえ払えば貴族に成れるが、その恩恵に与る事が出来るのは、あくまで成功者のみで、能力があっても金の無い平民は対象外だった。この噂を聞きつけ、アルビオンのみならず、ガリア、ロマリア、そしてゲルマニアからトリステインで一旗揚げようと平民が押しかけてきた。
 当然、入国した人々の中には、ろくでもない者もいたし、弱い者を食い物にして利益を得ようとした下種野郎どもは、貴賎を問わず平等に土の中に埋まって貰った。

 ……

 シティ・オブ・サウスゴータを観光するカトレアは、マチルダに案内されるように市内を散策していた。

「シティ・オブ・サウスゴータは、始祖ブリミルがアルビオン大陸に最初に降り立った都市として知られています」

 マチルダは、カトレアにシティ・オブ・サウスゴータの説明した。

「アルビオン有数の大都市と聞いてますが、何処かのどかな雰囲気ですね」

 カトレアも、異国の街での散策を楽しんでいるようだった。

「カトレア妃殿下も、大変喜んでおられるようで、良かったわ」

「そうかしら? 私にはそういう風には見えないわ」

 カトレアたちの後ろには、二人のメイドが付き従っていた。
 前者の髪の長いメイドをベティ。後者の髪の短いメイドをフランカという名前で、このメイドたちは、王太子妃専用のメイドで、数ヶ月ほどコマンド隊に入隊して徹底的に訓練し、『場違いな工芸品』の携帯を許可され、『コルト・ガバメント』の名で知られるM1911自動拳銃を一丁ずつ長いスカートの裏に隠し持っており、場合によってはMG42汎用機関銃を振り回すトリステイン最強のメイドコンビだ。

 髪の短いフランカの言うとおり、カトレアは観光を楽しみながらも、心の奥底は沈んでいた。
 愛するマクシミリアンが、側に居ない事も原因の一つだが、先日のやり取りでマクシミリアンがアルビオンの内情に冷淡だったことにショックを受けたのだった。
 自分を救ってくれたマクシミリアンが、きっとハルケギニア全体をも救うと思っていたが、彼の優しさは、トリステインにのみ注がれる事を知り、それがとても悲しかった。内政干渉の問題で、トリステインは何も出来ないのは、カトレアも分かっていた。ならば、内政干渉せずに救う方法は無いか、カトレアは頭を捻らせていた。

「いい雰囲気のカッフェね」

「休んでいかれますか?」

「そうさせてもらいますわ」

 途中、良い雰囲気のカッフェを見つけ二人は、アルビオン自慢の紅茶を楽しんだ。
 これが気晴らしになったのか、マクシミリアンと合流する頃には、カトレアの沈んだ心も表面上だが元に戻っていた。







                      ☆        ☆        ☆





 

 シティ・オブ・サウスゴータでの観光を終えたマクシミリアン一行は、最後の宿泊地であるモード大公の城に到着した。
 モード大公の城で、まず目に付くのは、西、中央、東の3方向に聳え立つ3本の高い塔で、城下ではこの城の事を『塔の城』をいう異名で呼ばれていた。

「高い塔ですね」

「そうだな、何メイルぐらいあるかな~?」

 馬車は城門をくぐり、場内へと入っていった。

「良く来てくれたマクシミリアン殿」

「お初にお目にかかります叔父上。妻のカトレア共々、お世話になります」

「お世話になります」

 モード大公自ら、マクシミリアンらを出迎えた。

「一晩だけだが、自分の城を思ってゆっくりして欲しい」

「ありがとうございます。早速ですが、あの塔に登ってみたいのですが」

「んむう……そうだな。三つある塔の内、東側の塔には登らないと約束するなら許可しましょう」

「? ……分かりました。その様にします」

「それでは、部屋に案内させしょう。連日のパーティーで疲れているでしょうが、我が城においても歓迎パーティーを執り行う事になっています」

 マクシミリアンとカトレアは、城のメイドに案内され、宛がわれた部屋に入った。
 何故、東側の塔は立ち入りを禁じられているのか気になったが、この城のルールだと判断し、特に気にも留めなかった。

 連日のパーティーで疲れた二人は、メイドたちに『パーティーが始まるまでまで休む』と言い残し部屋の中へと消えた。

「こう毎日、歓迎パーティーばかりだと、心休まる時が無いよ」

「これも王族の役目……と言っていたのは、マクシミリアンさまですわ」

「そうだったかな」

「そうですよ」

「あはは」

「うふふ」

 二人は、天蓋付きキングサイズのベッドに横になった。

「あ~……いい気持ちだ」

 仕事帰りに馬車に揺られ、ようやく一息つけたマクシミリアンだったが、カトレアは、くつろぐ夫の姿に可笑しそうに手を口に当てて笑った。

「うふふ……まるで、お年寄りみたい」

「おいおい、そりゃないよ」

 マクシミリアンは、口を膨らませた。

「パーティーまで、時間もありますし、少しお眠りになられますか?」

「ん……そうだな、そうしようかな」

「添い寝してあげますね」

「お願いしようかな」

「マクシミリアンさま、おやすみなさい」

「ああ、お休みカトレア」

 こうして、マクシミリアンはカトレアに添い寝される事になった。

 ……

 一休みした二人はパーティーに予定通り参加し、程なくパーティーは終了した。

 ロンディニウムのパーティーで、カトレアと友達になったマチルダも参加して盛大に執り行われた。

 このパーティーでは、モード大公が気を利かせたのか、反トリステイン色の強い貴族は参加せずマクシミリアンは親トリステイン派の貴族と親睦を深める事が出来た。

 時刻は、もう深夜だがマクシミリアンたちは、昼寝をした為それほど眠くない。日中、塔に登る約束をしていたし、なにより双月が綺麗だった。

 マクシミリアンが昇ったのは、中央の塔で、アルビオンワインの瓶とグラスを二つ持ち、深夜の探検と洒落込もうも思った。

「こういう、深夜の探検も面白そうですね」

 カトレアは、わくわくしながら、マクシミリアンの後に続いた。

 塔の入り口には誰のいなかった。無用心に思いつつマクシミリアンが中に入ると、中は何も無く石造りの壁に沿って螺旋状の階段があるだけだった。

「中は、ガランドウだ」

「誰もいないなんて無用心ですね」

「歓迎パーティーで衛兵達にも、何かご馳走が振舞われていた様だったし……誰にも邪魔されずに、二人っきりなれるから別に良いだろ?」

「もう、マクシミリアンさまったら」

 カトレアも満更でもなさそうだった。

「ちょっと暗いな、『ライト』」

 塔内部は、申し訳程度の魔法のランプしか明かり無く、マクシミリアンはライトの魔法を唱え、螺旋状の階段の上っていった。

 階段を上り続けること十数分、二人はようやく最上階にたどり着いた。

「ふう、ふう……運動不足かな」

 マクシミリアンは息切れしながら、ようやく上りきった。
 最上階はちょっとした展望室の様になっていて、空一杯に双月と無数の星々がまるで二人に降って来る様だった。

「マクシミリアンさま! すごいですよ、今にも星も月も手に届きそうで!」

 一方、カトレアは息切れ一つせず、星空の下、両手を広げてくるくると回っていた。

「……ああ、とっても綺麗だ」

 月と星と愛する妻が、同時に目に飛び込んできて、マクシミリアンは言葉を失い、思わずくるくると回るカトレアを抱きとめ、その唇を奪った。

「ん……わたし、アルビオンに来て良かったです」

「喜んでもらえて嬉しいよ」

「聞いて下さいマクシミリアンさま、実は今日……」

「なんだい?」

 二人は、備え付けられたベンチに座り、持ってきたワイングラスを傾け、新婚旅行の思い出を語り合った。

 ちなみに、執事のセバスチャンとベティとフランカのメイドコンビは、西側の塔から二人に危害を加える者が無いように、MG42を固定させ目を光らせていた。役割はベティが射手フランカが給弾手、セバスチャンは周囲の警戒を担当していた。

「あんなに仲睦まじそうに……」

「私も彼氏欲しいな……」

「……」

 年頃の女の子らしく、二人は羨んでいた。一方のセバスチャンは、任務に忠実で黙ったまま周囲の警戒を行っていた。

 そうとも知らず、ワインとおしゃべりを楽しむマクシミリアンとカトレアだった。

 ……

 一時間ほど経ち、マクシミリアンとカトレアは、ベンチに座り夜空を眺め続けていた。

「カトレアは……さ」

「はい」

「あの星々の中に、僕たちの様に人間が、生命がいる星があると思う?」

「……あると思います」

「それはどうして?」

「わたし達が、こうしてここに居るんですもの。わたし達だけしか、この世界に居ない……なんて事は無いと思います」

「そうか……そう言ってくれるか。カトレア、実は……」

 マクシミリアンは、これまで何度も自分の正体について打ち明けようか迷ったが、打ち明けることが出来なかった。カトレアなら自分を受け入れてくれる決心し、新婚旅行の最後の訪問地で、ついに正体を明かそうと計画し実行しようとした……しかし。

「マクシミリアンさま」

「ん?」

 珍しくカトレアはマクシミリアンを遮った。

「マクシミリアンさまはトリステイン王国の王子様で、わたしの愛する御方です。」

「カトレア……」

「わたしも気にはなっていました。でも、そんな事はどうでもよくなったんです」

「それは何故?」

「貴方が何処から来たとしても関係無い。マクシミリアンさまに、初めて恋をした時の感情は嘘じゃない……愛する感情は嘘じゃない、そういう結論に行き着いたんです」

「そうか、うん……」

 マクシミリアンは一度深呼吸して気持ちを入れ替える。

「マクシミリアンさま……」

「なんでもないよ」

「でも、これで、本当の夫婦に成れたんですね」

「ああ、そうだな、これで夫婦に成れたんだな。愛してるカトレア。君で良かった」

「わたしも、愛しています」

 ……

 もうしばらく二人は夜空を観賞していた。するとマクシミリアンが、地球のジャズのとあるスタンダードナンバーを歌い始めた。新世紀に人造人間に乗って戦うTV版のED曲の超大御所Verだ。

「聴いた事のない歌ですね」

「あの、無数の星々の中にある、何処かの星の歌さ」

「素敵な歌です」

「あの月へは行く事は無理だけど、ここは月に一番近い場所だよ」

「マクシミリアンさま……」

 カトレアはうっとりと目を潤ませ、マクシミリアンにもたれ掛った。

 歌い終わっても、二人は部屋に戻ろうとしない。地球で言う午前二時は当に過ぎていた。

 この夜空の下、行為に及ぶのも悪くない……と、舌を絡めあう深い方のキスをした。

 そして、お互い高まりあい、行為に及ぼう……とした時、不意に気配を感じた。

「誰だっ!」

『ひぃ!』

 マクシミリアンが、気配の方へ怒鳴りつけると、可愛い悲鳴が聞こえた。

(……糞っ! またかよ!)

 せっかくの美味しい所を邪魔され、マクシミリアンが毒気付く。

「もう! マクシミリアンさま、びっくりしましたわ」

「悪かったよ、怒鳴って」

「先ほどの声、女の子の声でしたわ」

「ひん……ひん……」

 階段の方向からすすり泣く声が聞こえる。

「こんな夜中に……」

「大丈夫よ。怖くないから出てきて?」

 カトレアが優しい声で、女の子と思しき影のある階段の方向と語りかけた。

「……」

 階段の向こうから息を飲む気配を感じた。
 そして、薄っすらと少女のシルエットが現れた。

「どこの子だろう? ……ん? んん~?」

 頭の部分のシルエットが、普通の人間とは違う事に気付いた。

(あの尖がった耳……まさか)

「あら、あの耳」

 カトレアも気付いたようだった。

「……エルフ、か?」

 少女の耳は、エルフの様に尖っていた。
 

 

第四十七話 ハーフエルフの少女

 ……時間は少し遡る。

 城の者は、上るどころか近づく事すら許されない、東の塔。
 その東の塔の隠し部屋にて、何処からとも無く流れてきた歌声に、少女が目を覚ましたのは、城の誰もが寝静まった時刻だった。

 少女はむくりと起き上がり、何処からとも無く聞こえてくる歌声がとても気になった。

「変わった歌。どこで歌ってるんだろう……」

 この不思議な歌を側で聞いてみたい……少女は思ったが、隣のベッドで寝息を立てている母の言いつけを思い出した。

『いい? ティファニア。何があっても、この塔から出てはいけないわよ?』

 母が口を酸っぱくして、少女改めティファニアに言い聞かせていた。
 ティファニアは、親の躾が行き届いているのか、聞き分けの良い少女だったが、聞いた事の無い不思議な歌声に、好奇心が勝ってしまった。

 隣で寝る母に『ごめんなさい』と謝るとベッドから降りて窓を開けると、歌声は隣の塔から聞こえていた事に気付いた。
 ティファニアは、恐る恐る、部屋から出ようとドアを開けた。
 隠し部屋であるため、衛兵の類はいない。

(今なら、みんな寝てて、誰にも気付かれないかもしれない)

 ティファニアは、意を決して歌声の聞こえる中央の塔へと走り出した。

 自分の存在が、異端であることも知らずに……






                      ☆        ☆        ☆






 ……時間は、マクシミリアンとカトレアが、エルフと思しき少女ティファニアと遭遇した所まで戻る。

「エルフ……か?」

 戸惑うマクシミリアン。

「……ひう……ひう」

「大丈夫よ、怖くないから……」」

 一方、怯えるティファニアに、カトレアは優しい言葉を掛けた。

「カトレア。エルフかもしれないんだぞ?」

「でも、怯えていますわ。それにこんな子供が脅威とお思いですか?」

「それは、まあ……そうだな」

 カトレアに説得され、マクシミリアンもティファニアへの態度を軟化させた。

「キミ、名前は何ていうのかい?」

「大丈夫よ、このお兄さんも怖くないから……」

「……ティファニア」

「そう、良い名前ね、ティファニア」

「あ……えへへ」

 その場の雰囲気も良くなり、ティファニアに笑顔が戻った。

「ほら、危険なんて無かったでしょ? マクシミリアンさま」

「分かった分かった。悪かったよ、カトレア」

 階段付近に隠れていたティファニアは、マクシミリアン達に近づこうとしたその時、西側の塔から殺気が放たれた。

「!」

 マクシミリアンの背中、チリリと電気の様なものが走った。
 カトレアとティファニアは気付かなかったが、マクシミリアンはその殺気がティファニアに向けられている事に気付いた。
 瞬間、マクシミリアンらの上空に照明弾が放たれた。

「危ない!」

 マクシミリアンのエア・シールドと、西の塔頂上でマズルフラッシュの閃光が走ったのは、ほぼ同時だった。

 ……

 西の塔で、不審者に目を光らせていたセバスチャン達が、闖入者のティファニアを見逃すはずは無く。グロスフスMG42で攻撃の機会を窺っていた

「ミスタ・セバスチャン。何があったのですか?」

「暗くて何も見えないよ」

「うぅんむ……あの耳はまさか……」

 夜目の利くセバスチャンは、ティファニアの尖った耳を確認し思わず唸った。
 ベテランのセバスチャンが唸るのも仕方が無い。ハルケギニアの常識では、エルフは悪魔と同意語だ。

「エルフの少女に化けた暗殺者……かもしれない」

「エ、エルフ!?」

「それって、ヤバイんじゃないの!?」

 事情を知らないセバスチャン達は決断を迫られた。

「両殿下に何か有っては一大事、ここは撃とう」

 そう言って、セバスチャンはベティと射手を入れ替わり、ティファニアに照準を向け必中をこめて発砲した。

 ……

 ババババババババン!

「マクシミリアンさま!!」

『エア・シールドッ!』

 自然にマクシミリアンの身体が動いた。

 マクシミリアンは、ティファニアへと駆け、そのまま抱き寄せると『エア・シールド』を放った。

 山なり弾道で迫る銃弾は『エア・シールド』にぶつかると、『ぼふん』気の抜けるような音で出し『エア・シールド』を貫通した。

「やばっ!?」

 幸い銃弾はマクシミリアンとティファニアには当たらなかったが、二人のすぐ側を空気を裂く音と共に抜けていった。

「マクシミリアンさま!」

「来るな!」

 マクシミリアンはカトレアを制止した。

「嫌です!」

 カトレアは、マクシミリアンの制止を振り切って二人の側まで近づき、同じように『エア・シールド』を唱えた。
 一枚目のエア・シールドで減速した銃弾は二枚目のエア・シールドで弾かれた。
 二枚重ねのエア・シールドは、辛うじて銃弾を防ぐ事が出来た。

「ひううっ! ひうううっ!」

「よしよし、ティファニア、もう大丈夫だ」

 突如、降りかかった命の危険にティファニアは、マクシミリアンにしがみ付く様に泣きじゃくり、マクシミリアンは、そんなティファニアの頭を撫でて慰めた。
 やがて、銃撃は止み、静寂が訪れた。

「今の攻撃は、わたし達を狙った攻撃ではありませんでしたよ」

「ああ、分かっている。大方、ティファニアを有害なエルフと勘違いしたんだろう。カトレア、ティファニアを頼む」

「頼まれますけど。どうなさるつもりですか?」

「攻撃してきた奴と話をつける……今の攻撃はウチの連中だろう。それに……」

 先ほどの銃声でなのか、場内がにわかに騒々しくなってきた。

「騒ぎになったら色々とマズイな。カトレアはティファニアを……って、ティファニア。ティファニアは何処から来たんだい?」

「うう、ひぐ……ええっと、あっち」

 涙を流すティファニアは、東の塔を指差した。

「立ち入り禁止の東の塔か。なるほど……」

 マクシミリアンは、このティファニアがモード大公の縁者である事を直感した。

「カトレアはティファニアを、東の塔へ帰してやってくれ。衛兵に見られたら大問題だ」

「はい、マクシミリアンさま。ティファニア行きましょう?」

「うん」

「それじゃ、僕は西の塔へ行く」

 そう言ってマクシミリアンは『フライ』で空を飛び、西の塔へ向かった。
 二人の探検は可愛い闖入者の登場でお開きとなった。
 






                      ☆        ☆        ☆







 その後、ティファニアは無事に東の塔へ帰り、セバスチャンらの発砲も有耶無耶にして夜が明けた。

 城内はいつもと変わらず、衛兵や文官、メイドがそれぞれの仕事に行き来し、喧騒に包まれていた。
 しかし、その喧騒とは無縁の場所が城内に存在した。
 その場所とは、モード大公の執務室で、モード大公とマクシミリアンの二人だけしか居なかった。
 マクシミリアンは、帰国の前に昨夜の出来事を報告する為、モード大公に秘密の会談を申し入れ、それが承諾されたのだ。

 マクシミリアンは、予め『サイレント』を唱えておき、執務室から漏れる音は一切無くなった。

「さて……モード大公、昨夜の事ですが……」

 あえて、『叔父上』ではなく『モード大公』と呼んだ。

「分かっている。見たのだろう? あの子を」

「はい、ティファニアと名乗りました」

「あの子は、エルフの女との間に生まれた、私の娘だ」

「ハーフエルフ……という事ですか?」

「そういう事になる」

「しかし、わざわざエルフを囲うとは酔狂な……この事をロンディニウムのジェームズ王は?」

「知らない。知らせる訳にはいかない」

 当然だろう、悪魔と同意語のエルフを囲い、あまつさえ子供まで生まれてしまい、そしてその子はアルビオン王家の血を引いている……発覚したら醜聞どころではない、モード大公どころかアルビオンそのものもただでは済まない。

「知ってしまった僕とカトレアは、どうなるんでしょう? 口封じに殺されるのでしょうか?」

 マクシミリアンの周りの雰囲気が剣呑になった。
 彼としても、口封じの為にむざむざ殺される訳には行かない。
 この場に居ないカトレアの周辺には、セバスチャンと二人のメイドが武装して控えていて、血路を切り開く準備も出来ているし、最悪の場合、マクシミリアンとカトレアを逃がす為に殿(しんがり)も辞さない。

「ま、まあ、待ってくれ。私が口封じをする積もりなら、会談を承諾したりしない」

「そう思わせて……という場合もあります」

「絶対にそれは無い。最早、私達の運命を握っているのは、マクシミリアン殿なのだ」

「……ちょっと、脅かし過ぎましたか。申し訳ございませんでした」

 そう言うと、頭を下げるとマクシミリアンの雰囲気は和らいだ。

「ふう、勘弁して欲しい」

「すみませんね。さて、本題に入りましょうか。モード大公は、このままティファニアとその母親を隠し通せるとお思いですか?」

「昨夜の様な事が、また起きるとも限らない。正直な所、隠し通すのは無理だと思っている」

 モード大公が、エルフを匿っていた事が知れれば、これ程のスキャンダルは無い。

『アルビオンの王族がエルフと関係を持っていた』

 などと馬鹿正直に発表出来るはずもない。秘密裏に大公を謀殺する事も十分有りえた。
 そして、モード大公の命運を握るのはマクシミリアン。

(これをネタに脅して、モード大公を意のままに操ろうか……)

 マクシミリアンは黙考に入った。

(それとも、大公を謀殺させ、アルビオンの内情不安を煽り、それをトリステインの利益を引き出すことは可能だろうか……)

 マクシミリアンは黒い黙考は続く。

(オレにもアルビオン王家の血が流れている。上手く立ち回れば(ある)いは……)

 ……アルビオンを乗っ取る事が出来るかもしれない。

 徐々に妄想はエスカレートして行ったが、次の瞬間、マクシミリアンの脳裏にカトレアの憂いに満ちた表情が走った。

(……いかんいかん。オレは一体何を考えていたんだ)

 ブンブンと頭を振った。

「……何か?」

 モード大公は、不思議そうな顔をしていた。

「失礼しました。僕としての考えは、このまま城内に隠し通すのは無理だという事です。何処から漏れるか分かったものではないですからね」

「それでは、何処か別の場所に隠すと、そういう事、か。う~む」

「そうですね、問題は何処に隠すか……ですが。う~ん」

 お互いソファに座るモード大公とマクシミリアンは、同時に足を組み直した。

「隠し場所については、私に考えがある」

 モード大公が何らかの案を持っていた。

「何処か良い所がありますか」

「うむ、『ウェストウッド』という、人の行き来が余り無い寂れた村がある。そこに二人を隠そうと思う」

「良いと思います。この城に隠し続けていても、東の塔のみ立ち入り禁止という決まりが異質でしたから。何時ばれるか時間の問題でしたでしょう。客である僕ですら、おかしいと思っていたのです。城の者が気付かない筈はないでしょうしね」

「二人を移すにしても、何時ごろが良いだろうか?」

「なるべく、早い方が良いでしょう」

「そうか」

「それと、僕も適当な隠し場所を探しておきましょう。そのウェストウッドも、怪しくなったら新しい所に移すような感じで」

「うむ、よろしくお願いする」

 話はこれで終わり、とマクシミリアンは姿勢を崩した。
 一方のモード大公は、エルフの妾に未練があるのか、その表情は硬い。

「叔父上、お互い生きていれば、再会の機会は何時でもあるじゃないですか?」

「そうか、そうだな」

「そうですよ……さて、共犯者同士のお近づきの印に一杯、()りましょう」

 マクシミリアンは、懐から一本の瓶を取り出した。

「なんだろうか、ワインとは違う色のようだが」

「これはウィスキーという蒸留酒ですよ。僕としてはこの製法を叔父上に提供する用意があります」

「何が目的ですかな?」

「叔父上とは、これからも良い付き合いをしたい、という事です。この酒盃使ってもよろしいですよね?」

「構わないが……」

 許可を得たマクシミリアンは、執務室の端に備え付けられたミニバーからワイングラスではなく、銀製の酒盃を二つ取り出し、テーブルで待つモード大公の前に置いた。

「杖、失礼しますね」

 マクシミリアンは、杖を振るい水魔法で氷を作り出し、それぞれの酒盃に入れ、ウィスキーを注いだ。
 このウィスキーは、水魔法で無理やり蒸留させた代物だったが、酒飲みのマクシミリアンは魔法で酒を作る事を邪道だと思っていた。

「氷を入れて飲むものなのか」

「他にも色々と飲み方が在りますが、僕はロックが好みですね」

「そういう物なのか」

「それでは乾杯といきましょう」

「そうだな、乾杯」

「乾杯」

 二人をほぼ同時に酒盃を呷った。

「ごふぁあ!!」

 そして、モード大公はアルコール度数の強さに噴き出してしまった。

 マクシミリアンから、モルト・ウィスキーの製法を教わったモード大公は、早速、製造を開始し数年後には『モード・ウィスキー』の名でハルケギニア中に広まった。

 後日、ティファニアとその母親シャジャルは、ウェストウッド村へと落ち延び、一先(ひとま)ずの安息を得た。








                      ☆        ☆        ☆







 モード大公領からロサイス港に到着したマクシミリアン一行は、来た時と同じようにベルギカ号に乗艦し、後は出航を待つだけとなった。

 懸念された、モード大公の口封じも、マクシミリアンとモード大公の密約(?)で回避され、平穏無事に帰国する事が出来そうだった。

 マクシミリアンは、ド・ローテル艦長の下に行っており。カトレアは、来た時と同じ客室でメイドコンビが淹れた紅茶を飲みながら昨夜の事を思い出した。

 それは、ティファニアを抱えて、東の塔へ行った時、窓を開け優しく出迎えたくれたティファニアの母シャジャルが、カトレアの中にあったエルフ像を粉々に打ち砕いた。
 一言、二言しか喋る事が出来なかったが、感の良いカトレアはシャジャルの人柄を読み取り好感の持てる人物と判断した。
 そして、一つの夢に近い理想を持つようになった。それは……

(ひょっとしたら、ヒトとエルフとの和解が可能かもしれない……)

 数千年間、争い続けた二つの種族を和解させる可能性が、カトレアには見えた。

 暫くしてマクシミリアンが部屋に帰ってきた。

「おかえりなさいませ、マクシミリアンさま」

「やあ、カトレア。僕にも紅茶を」

「畏まりました」

 メイドコンビのフランカが、マクシミリアンの分の紅茶をカップに注いだ。

「新婚旅行も、とうとう終わりだ。カトレア、楽しんでもらえたかな?」

「はい、マクシミリアンさま。大変、有意義な旅でしたわ」

「よかった。喜んでもらえて嬉しいよ」

「マクシミリアンさまは、どうでしたでしょうか? わたしだけ楽しんだら、新婚旅行の意味がありませんわ」

「それもそうだ、まあ僕も楽しめたよ。色々な人材も手に入ったしね」

「まあ! ここでもお仕事ですか?」

「もちろん、カトレアとの旅が一番だったさ」

「お上手ですわね」

「本当の事だよ」

 二人は、テーブルを囲んで談笑に入った。

「実は、マクシミリアンさま、昨夜、例のシャジャルさんとお会いしました」

 ロサイス港を出航し暫くして、カトレアは語りだした。

「確かティファニアの母親だったな。どういう人だった?」

「わたし、今までエルフは、もっと怖い人々と思っていましたが、シャジャルさんは、優しそうな人でした」

「そうだったのか、まあ、ティファニアがあんな感じだったし、その母親もいい人っぽいと予想できたけどね」

「その時、わたしは思ったんです。ヒトとエルフの和解は可能なのではないか、と」

「エルフと和解か、う~~ん」

「何か気になる事が?」

「シャジャルさんのみ見て、全てのエルフもシャジャルさんの様だ、と断定するのは早計じゃないかな。ひょっとしたら、シャジャルさんが特別だっていう可能性もある」

 マクシミリアンは、諜報部員の何名かを、ブリミル教圏とサハラとの境界に在る自由都市ビザンティオンに派遣し、商人として交易を行う傍ら、諜報活動を行わせていた。当然、発覚すると色々と面倒な為、一部の者以外、秘密にしてあるが、ビザンテイオンから届いてくるエルフ像は、皆が皆、ヒトの事を『蛮人』と(あざけ)っている事だった。

「そうでしょうか……」

「そんな悲しい顔しないでよ。カトレアの言っている事は、とても大事なことだから。延々と憎みあうのは、非生産的だ。何らかの形で和解したいと、僕も思ってはいたさ……けどね」

「ブリミル教、取り分けロマリアは、エルフが占拠し続けている聖地を諦める事は無い、そういう事ですね?」

「そういう事、それに今更『エルフと仲良くしましょう』と言ったって、今の状況ではどれ位の人々が賛同してくれるか……最悪、ロマリアから破門宣告も有り得るし、各国から袋叩きになる可能性も高い。カトレア、悪いけど、この事は心に閉まって置いてくれ。けっして誰かに言ってはいけない。セバスチャンとメイドコンビもだ、この事は絶対に秘密だ、いいね?」

「ウィ、殿下。この事は決して誰にも漏らしません」

「わわっ、分かりました!」

「決して、秘密を口外しません」

 三人は、秘密を守ると誓った。

「モード大公の秘密を共有するのは、僕ら五人だけだ。事が事だけに、諜報部以外に情報の拡散をしないつもりだ。今後、アルビオンのエルフ関係でセバスチャンやキミ達メイドコンビにもアルビオンに飛んで貰う事もあり得るから。その辺の心構えはしておいてくれ」

「ベティもフランカも、わたしの事は気にせず、あの母子の為にどうか屈力して下さい」

『分かりました』

 ベティとフランカは、異口同音に了承した。

 こうして、新たな問題を抱えながらも、マクシミリアンらを乗せたベルギカ号はトリステインへと進路を向け出航した。

 

 

第四十八話 アトラス計画

 季節は廻り、マクシミリアンとカトレアは15歳になった。

 二人が結婚してから、もうすぐ一年が経とうとしてるが、夫婦仲は大変良好、仲睦まじい姿が度々目撃された。

 朝、カトレアは、新宮殿4階の寝室にてメイドコンビの一人、ベティに櫛で髪を梳かされていた。
 4階の寝室は、マクシミリアンとカトレアの二人が寝起きする場所だったが、マクシミリアンは仕事の為、早朝から王宮の方へ出張っていて、カトレア一人で朝を迎えていた。

「カトレア様の御髪(おぐし)は、とても長くて綺麗でございます」

「ベティの髪も長くて綺麗よ?」

「私の髪は、癖が強すぎますので、カトレア様がとても羨ましいです」

「そう、話は変わるけれど、フランカから連絡はあったかしら?」

「手紙の類は厳しく規制されていますので、『便りがないのは良い便り』言う事で心配はしていません」

「アルビオンは遠いわね。一人だと何かと手が回らない事もあるから、その時は相談してね」

「ありがとうございます、カトレア様」

 メイドコンビのフランカは、ティファニアとその母シャジャルの護衛の為、アルビオンへ主張中だった。
 モード大公も、もっと人員を派遣したかったが、信頼できる人材が居なかった為、トリステインが護衛を派遣する形になった。

「終わりました、カトレア様」

「ありがとう、ベティ。下がって良いわ」

「はい、失礼いたします、何か御用がございましたら、また、および下さい」

 そう言ってベティは退室した。

 カトレアはベランダに出て、活気に溢れる前のトリスタニア市内を一望した。

「今日も良い天気になりそう」

 そう言って、数枚の紙を取り出し、テーブルの上で広げた。
 それは、トリステイン魔法学院の詳細が書かれたレポートだった。
 実は前からカトレアは、学園生活という物を経験したくて、人を使って詳細を集めさせていたのだ。
 だが、カトレアは王族だ、王族に成った。過去、トリステインの王族がトリステイン魔法学院に通った記録は無い……否、訂正すれば『記録上』は無い。

「無理かもしれないけど、魔法学院の件、一度マクシミリアンさまにお願いしてみようかしら」

 そして、出来れば夫婦一緒に……

 カトレアの脳内では、魔法学院の制服を来て一緒に登校する、マクシミリアンとカトレアの姿が映し出された。





                      ☆        ☆        ☆




 所変わってトリステイン王宮では、エドゥアール王が参加しての御前会議が執り行われ、マクシミリアン王子から驚くべき議題が上がった。

「マクシミリアン、本気でこの計画を実行するつもりなのか?」

 エドゥアール王が、驚きと呆れが半分づつ入り混じった顔で、発案者のマクシミリアンに聞き返した
 マクシミリアンが上げた計画。それは『アトラス計画』と呼ばれ、アトランティクス洋(大西洋)を横断して北米大陸を目指す、壮大な計画だった。

「本気も本気です。我がトリステインは、好景気の真っ只中でありますが、他の国々よりも国土は狭く、あと、数十年もすれば国内は開発し尽くすと予想されます。ならば、海外に領土を置き、それぞれの地域から産出される珍しい品々取り寄せ、国内で加工し売買すれば、トリステインの富は永く続くことが出来るでしょう」

 参加した大臣、文官らが、ザワザワと話す声で、御前会議が一時中断してしまった。

「静粛に! 陛下の御前にあらせられるぞ!」

 会議の進行役を仰せ付かったマザリーニが、声を張り上げると会議室はシーンと水を打った様な静けさになった。

「質問がございます。よろしいでしょうか?」

 文官の一人が挙手して、質問を求めた。

 マザリーニはチラリとエドゥアール王に目配せした。

「うむ、発言を許す。良いな? マクシミリアン」

「はい、質問とは何でしょうか?」

「ありがとうございます。海外に領地を持つと言われましたが、どの様にして統治なさるおつもりなのでしょうか?」

「お答えします。適当な土地が見つかった場合、トリステイン国内で移民の募集をします。統治方法は、海外ということで直接統治は難しいと思われますので、誰か適当な人を総督に置いて統治します……以上です」

「ありがとうございました」

 質問の終わった文官は着席した。

「他に質問は? ……他に無いようでしたら陛下、ご採択を」

「うむ、余はこのアトラス計画の承認をここに宣言する」

 エドゥアール王は、高らかに宣言した。

 ……

 御前会議終了後、マクシミリアンはエドゥアール王の執務室に呼ばれた。

「父上、失礼いたします」

「よく来た、マクシミリアン。先の会議の事だが、あのまま終わらせて本当に良かったのか?」

「もちろんですとも、アトラス計画に、僕自ら参加すると聞けば、必ず反対する者が現れましょう」

「正直なところ、私も反対なのだが」

「その事については、事前に説明しましたでしょう? 未知の土地で、どの様な怪物や疫病が存在するか分かりません。この僕、マクシミリアン・ド・トリステインは、事、水魔法に関しては、ハルケギニアでもでも屈指の実力者と自負しております。僕が居なければこの計画は成功しないと思っております」

「分かってはいる。だが、お前の妻、カトレア殿はどうするのだ、長期間の不在は避けられないぞ? もしや連れて行くつもりか?」

「それは……」

 マクシミリアンは、言いよどんだ。

「それは?」

「連れて……連れて行かないつもりです。この計画は失敗の許されない、トリステインの未来の為にも、絶対に成功させなければならない部類のものです」

「報告にあった『大隆起』の事か、報告書を見たが、正直なところ眉唾モノなのだが……」

「何かあってからでは遅いのです。海外から得られる利益も大事ですが、本当に大隆起が起こった場合の為に、移住先を確保しておかなければならない」

 その後、マクシミリアンの説得に、エドゥアール王も徐々に傾き始めた。

「……分かった。お前の計画参加は認めよう。だが、カトレア殿の説得はお前自身がするんだ」

「承知しました」

 マクシミリアンは退室し廊下へ出た。

(カトレアの説得。むしろ、こちらの方が難題かも……)

 頑固な所のあるカトレアの説得に悩んだ。

(カトレアは笑顔で送り出してくれるだろうか?)

 それとも……と難しい顔で廊下を歩いていると、

「お兄様遊んでっ!」

 と、アンリエッタが胴タックルをかましてきた。

「ぅぐほぉっ!」

 声にならない声を上げ、マクシミリアンはマウントポジションを取られた。

「お兄様遊んで! お兄様~っ!」

「ぅぐっ、げほっげほっ、アンリエッタ、ちょっとどいて……」

「は~い☆」

 悪気は無かった様で、アンリエッタは素直にどいた。

(それにしても、アンリエッタが大きくなる度に、胴タックルの鋭さが増しているような)

 今年、8歳になるアンリエッタは、ますます、お転婆に磨きが掛かっていた。
 幸い、勉強はしっかりと行っている様で、魔法の成績も8歳で水のドットになり、更なる成長が見込まれた。

「どいたから遊んでくれる?」

「今は駄目。ちゃんと勉強したら遊んであげるよ」

「本当に? 勉強したら遊んでくれるのお兄様?」

「本当だよ、だから、しっかり勉強してね?」

「はぁ~い、お義姉様にもよろしくね」

 アンリエッタは、パタパタと走り去り、マクシミリアンはホッと息を吐いた。

(もし、オレに万が一の事があっても、アンリエッタがしっかりしてくれれば、トリステインは安泰だ)

 だが、今のアンリエッタを見ると、不安になる部分もあった。

「まだ、子供とはいえ、アンリエッタにも困ったものだ。王族としての心構えを覚えて貰わないと」

 『お前が言うな』と、何処からか聞こえてきそうだった。

「帰ろう……さて、カトレアにどう切り出したものか……」

 マクシミリアンが、少し早足でこの場を去ろうとすると、

「あら、マクシミリアン。せっかく来たのだし遊んでいかない?」

 アンリエッタが去った反対方向から現れたのは、母のマリアンヌだった。

「それとも、カトレアさんを呼んで、家族一緒に劇場まで足を伸ばさない?」

「母上……」

 アンリエッタとマリアンヌ……『母と娘はこうも似るものなのか』と、マクシミリアンは考えさせられた。





                      ☆        ☆        ☆





 その日の夜。マクシミリアンはカトレアとテーブルを囲んで夕食をとっていた。
 献立は、メインは鴨肉のオレンジソース掛けで、他に牡蠣のスープ、野菜サラダなどだ。

「マクシミリアンさま。実はお願いがあるのですが……」

「お願い? 何んだろ?」

 ナイフとフォークを置いて、カトレアは切り出した。

「わたし達、もう15歳ですので、トリステイン魔法学院に通ってみたいな……なんて思いまして。マクシミリアンさま、ご一緒に入学しませんか?」

「魔法学院か……う~ん」

 マクシミリアンも、ナイフとフォークを置き、ワインを呷って考えた。

「如何でしょうか? マクシミリアンさまも、同年代の皆さんと交友をもたれては?」

「まあ、王族が魔法学院に入っていけない、なんて法は無いし……」

「それではっ!」

 カトレアの顔がパッと華やいだ。

「けど、僕は駄目だ入学しない」

「え……」

 絶句したように、言葉につまるカトレア。

「実はカトレア。僕は近いうちに、トリステインから離れる事になったんだ」

 マクシミリアンは、ここで切り出すことにした。

「また、外遊でしょうか? それなら、わたしも……」

「カトレアは、連れて行くつもりは無かったんだ。任地は遠い外国……少なく見積もっても一年以上は不在になると思う」

「外国? 一年以上? マクシミリアンさま、ちょっと待って下さい。何がなんだか……ちゃんと説明して下さい」

「すまない、カトレア。ちょっと焦り過ぎた。ともかく、今は食事中だ夕食後に、ちゃんと説明するよ」

「分かりました。

 二人は食事を再開したが、カトレアは、突如、降って沸いた夫の不在の話に、気が動転して夕食の味が分からなくなっていた。

 ……

 夕食後、自室にてマクシミリアンは、カトレアにアトラス計画の詳細を掻い摘んで説明した。
 『大隆起』の事は話さなかったが、いずれは話すつもりだ。

「詳細は、分かりました。マクシミリアンさま自ら、この壮大な旅に参加されるというのですね?」

「そういう事だ。そういう訳で、カトレアには留守を預かって貰いたかったんだが……」

「留守を守る……ですか」

 一緒にいるだけが夫婦ではない。
 夫の不在の間、家を守る事も妻の務めである事を、カトレアは知ったが、魔法学院に共に通いたかったのは別の思惑があったからだ。

「魔法学院に入りたかったのなら、入学できるように僕が話をつけておこう」

「でも、マクシミリアンさま不在の新宮殿を留守を預かる事になれば、わたしだけが、おいそれと魔法学院に入学するわけにも……」

「父上や母上、それにアンリエッタが居るとはいえ、カトレアを、新宮殿に一人するのは忍びないと思っていたんだ……それに……」

「それに……?」

「カトレアは、王太子妃、行く行くは王妃だ。人生の大半を国の為、国民の為に捧げて貰う事になるだろうけど、今はまだ15歳の女の子だ。これを期に、休暇みたいなのを取って貰おうと思ったんだ」

 それと、マクシミリアンには気になる事があった。
 カトレアの幼年期は、病気の性で外には出られず、病気が治っても、今度は王太子妃として過密なスケジュールの中での勉強や礼儀作法の訓練などで、同年代の友人を作る暇など無かった。
 前年の新婚旅行の時に、マチルダと友人関係を作れたが、あくまで彼女は外国人、トリステイン国内で友人と呼べる者をマクシミリアンは知らなかった。

(これと期に、もっと友人と呼べる人々と縁を育んで欲しい。まあ、大きなお世話かもしれないけど、ね)

 マクシミリアンの想いとは別に、カトレアは今にも泣きそうな顔になった

「マクシミリアンさま……わたしの事はどうでも良いんです。わたしが、マクシミリアンさまと一緒に魔法学院に通いたかったのは、マクシミリアンさまに少しでも政務から離れて頂きたかったからです」

「え? 僕にかい?」

「だってそうじゃありませんか! わたしと同じ15歳なのに、幼い頃から政務に携わっていて! 毎日毎日、お忙しく、同じ年代の男の子と混じって遊ぶ時間も無くて! 軍歴もあって、巷では『賢王子』と呼ばれている! 素晴らしい為政者だと思います。ですが異常です! 15歳で遊ぶ事もせずに、政務を続けるなんて普通じゃないです!!」

 初めて見る、声を張り上げるカトレア。その両眼から涙がこぼれ出した。

「カトレア!? ほ、ほら、カトレアだって知っているんだろう? 僕がどういう人間なのかを?」

「だから……だから、どうだって言うんですか! 本当は、マクシミリアンさまに休暇を取って欲しくて魔法学院にお誘いしたのに! トリステインの為とはいえ、死ぬかもしれない旅に同行されるなんて! こんな、働きづめのガーゴイルみたいな人生あんまりだわ!!」

 カトレアは遂に泣き出した。
 カトレアの涙。それは、人生の全てをトリステインに捧げようとする、マクシミリアンへの慟哭だった。

『毎日、忙しい夫を無理矢理にでも休ませる為に……』

 それが、カトレアが魔法学院に通わせる為の真相だった。
 そして、カトレアの放った『ガーゴイルの様な人生』という言葉にマクシミリアンは。頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

(ガーゴイルみないな……か。まいったな、でも言い得て妙かも)

 脇目もふらずトリステインの発展の為に尽力してきたのに、その結果が『ガーゴイルの様な人生』と評されたのがショックだった。だが、それ以上にカトレアの自分を心配する気持ちが嬉しかった。

(思えば、傾いたトリステインを立て直すために、ここまでやって来たんだっけか」

 以前の様な、貴族が平民を虐げるトリステイン王国は既に過去のもので、平民でも努力すれば報われる国へと変わった。
 その事に関しては、マクシミリアンは胸を張れた。

「カトレアは、僕に休めと、そう言いたいんだね?」

「そうです、お休みになられて下さい。今のマクシミリアンさまは、まるで生き急いでいるみたいです」

 カトレアは、マクシミリアンの胸に顔を埋め、マクシミリアンもそれを受け止めた。
 そして、マクシミリアンはカトレアの両耳を塞ぐように頭を持ち、軽くキスをした。

「約束をしよう。僕がこの旅から帰ってきたら、休むようにするから。今回ばかりは行かせて欲しい」

「約束……ですよ? マクシミリアンさまに、もしもの事があれば、わたしも生きて入られないのですから」

「ああ、絶対に……絶対帰ってくるよ」

「絶対ですよ? 帰ったら、ちゃんとした休暇を取って貰います。仕事も一切させません」

 マクシミリアンとカトレアは抱き合った。

 初めての夫婦喧嘩。
 色々あったが、カトレアはマクシミリアンの旅を認めてくれた。

 

 

第四十九話 カトレアの旅立ち

「う~~ん。朝か……ん?」

 朝、マクシミリアンが目を覚ますと、目の前にカトレアの顔があった。

「おはようございます、マクシミリアンさま」

「おはよう、カトレア」

 天蓋付きのベッドの上で仰向けのマクシミリアンに、覆いかぶさる形でカトレアが挨拶をした。
 二人とも、半裸状態だ。

「と言っても、もうお昼ですけどね」

「そんなに寝てたか」

 今日、カトレアは魔法学院の寮に入寮する為、新宮殿を離れる。
 昨夜は、二人が一年以上離れ離れになる事から、明け方まで求め合っていた。

「魔法学院には、いつごろ出立だっけ?」

「本当は、お昼前に出立の予定だったのですが……」

「あちゃ~、皆には申し訳ないことをしたな」

「家臣の皆さんに合わせようとするのは、とても、マクシミリアンさまらしいと思います」

「このまま待たす訳にもいかない。出立の準備をしようか」

「マクシミリアンさま、もう少しこのままで……」

 カトレアは、名残惜しそうに、舌先でマクシミリアンの胸板をツツツ、と走らせた。

「くすぐったいよ、カトレア」

「うふふ……マクシミリアンさま、可愛いです」

「カトレアも、『ツボ』を心得る様になった」

「何も知らなかったわたしに、色々な事を教えたのはマクシミリアンさまですよ?」

 普段は可憐なカトレアが、この時ばかりは百戦錬磨の娼婦に見えた。

「この淫乱ピンクめ! もう辛抱たまらん、ウオオオオオッ!」

「きゃ~っ、マクシミリアンさま~っ!」

 結局、この日は終日までイチャイチャしていて、カトレアの出立は次の日に延期になってしまった。

 ……

 改めて次の日、カトレアはエドゥアール王に挨拶をした後、新宮殿に一度戻り、魔法学院に出立する事になった。
 見送りは、マクシミリアンとアンリエッタに、数十人のメイドたちだ。

「カトレア義姉様。魔法学院でもお元気で」

 アンリエッタが、カトレアに言う。

 カトレアの人となりのお陰か、アンリエッタはカトレアに良く懐いていた。

「アンリエッタもお元気で。余り、我がままを言って、皆を困らせては駄目よ?」

「もう、分かってますよ、カトレア義姉様」

 同じような台詞は、兄のマクシミリアンに、いつも言い聞かせられた為、少し不機嫌になった。

「アンリエッタ。カトレアはお前を心配して言ってくれるんだぞ?」

「お兄様も、わたしの事より、義姉様の事を気になされば良いのに」

 マクシミリアンの言葉にも、アンリエッタは口を尖らせ、そっぽを向いてしまった。

「ごめんなさいね、怒らせちゃったかしら」

「カトレア。アンリエッタを余り、甘やかせないように。この娘はかなりしたたかだ」

「ひどいわ、お兄様!」

「あははは」

「うふふふ」

「むー!」

 頬を膨らませるアンリエッタを見て、マクシミリアンとカトレアは愛おしそうに笑いあった。

 ……

 楽しかった三人のお喋りも終わりを向かえ、カトレアが出立する時間になった。
 
「それじゃ、カトレア。魔法学院でも元気で、風邪など惹かない様にね」

「マクシミリアンさまも、お身体にお気をつけて。あまり、お酒も御召過ぎないように……」

「う、分かったよ」

「それとですね……」

「まだあるの?」

「離れ離れになっても、わたしたち夫婦はいつも心は一緒ですよ」

 カトレアは、マクシミリアンの手をとって自分の胸に当てた。

「……もちろんさ」

 マクシミリアンは、カトレアの胸を名残惜しそうに離した。

「それでは、いってきます」

「いってらっしゃい、カトレア。僕も二週間後に出発だ」

「ちょうど入学式の頃でしょうか」

「多分、そうだね」

「義姉様、わたしも!」

「アンリエッタも元気でね」

「はい、カトレア義姉様」

 カトレアは、二人に一礼すると、馬車の待つ正門まで進んだ。

『王太子妃殿下、いってらっしゃいませ』

 新宮殿正門前では数十人のメイドたちが列を二つ作り一斉に頭を下げた。
 カトレアは、メイドたちに向かい、にこやかに手を振りながら二つの列の間を歩き、王家御用達の豪華な馬車に乗った。

 馬車の窓からカトレアは手を振り、マクシミリアンとアンリエッタも手を振り返した。

 カトレアを乗せた馬車は、ゆっくりと走り出し、新宮殿から離れていき、ついには見えなくなった。

「さ、みんなご苦労様。仕事に戻ってくれ」

 残されたメイドたちに、仕事に戻るように命じた。

「承知いたしました」

 メイドたちが、一人一人頭を下げ仕事に戻っていき。マクシミリアンとアンリエッタだけが残された。

「ねえ、お兄様。わたし達も戻りましょ?」

「そうだな、戻ろうか」

 すると、アンリエッタがマクシミリンの腕に抱きついてきた。

「お兄様! 今日、お泊りしてもいい?」

「そうだな……」

「良いでしょ、お兄様。お願いよ」

 アンリエッタは、マクシミリアンの腕にしがみ付き、空中で足をバタバタさせた。

「分かった分かった。今日はアンリエッタはお泊りという事で王宮に使いを出してくよ。これで良いかい?」

「わ~い。お兄様、大好き!」

「やれやれ」

「お兄様、一緒に寝よ? 一緒にお風呂に入ろう?」

「分かった分かった。人の身体によじ登るな」

 旅立ったカトレアの感傷に浸る暇も無く。マクシミリアンはアンリエッタに振り回される事になった。







                      ☆        ☆        ☆







 カトレアを乗せた王家御用達の馬車は、数時間でトリステイン魔法学院に到着した。

 トリステイン魔法学院は、本塔と周囲を囲む壁と、魔法の象徴である5つの属性、水・土・火・風、そして虚無を表す5つの塔からなる。長い歴史を誇る由緒正しい魔法学校である。

『魔法学院では、王家の人間ではなく一生徒として扱う事』

 マクシミリアンが、事前に通達していた事から、出迎えもそれほどの人数ではなかった。

「ようこそ、御出で下さいました。学園長のオスマンで御座います」

 学園長のオールド・オスマンがわざわざ出迎えてくれた。

「始めましてオールド・オスマン。御高名はかねがね承っております。三年間の短い期間ですか、お世話になります」

「恐縮で御座います。王家の者としてではなく、一生徒として扱うよう、王太子殿下より承っております」

「わたしとしても、その様に扱っていただけると、気が楽になりますわ」

「まずは、女子寮のほうまでご案内いたします。誰か、王太子妃殿下を部屋までご案内するように」

 オスマンは、メイドに女子寮まで案内するように命じた。
 メイドに付き従われ部屋へと向かう際、カトレアは小さなネズミを踏みそうになったが、踏んでしまっては可哀想と、跨いで通った。
 その時、オールド・オスマンが、これ以上無い笑みを浮かべたが、気付くものは居なかった。

 ……

『王太子妃殿下が、魔法学院に入学するらしい』

 トリステイン魔法学院では、その話で持ち切りだった。

 女子寮の、最も奥の部屋を割り当てられたカトレアは、道すがら自分の事を好奇の目で見る生徒達に優しく微笑み手を振った。
 手を振られた生徒達は、次々に頭を下げ、逃げるように去って行った。

「嫌われているのかしら?」

「きっと、恥ずかしがっているのでしょう」

 カトレアの問いに答えたのは、メイドコンビの一人フランカだった。彼女も御付のメイド兼、護衛として魔法学院にやって来た。もう一人のベティは、アルビオンのティファニア母子の下にに派遣されている。

「そうかしら?」

「そうですよ、王太子妃殿下」

 などとお喋りをしているうちに、カトレア達は部屋にたどり着いた。

「たしか、内装は前日に運び入れていたのね?」

「はい、王太子妃殿下」

 部屋に入ると、これから三年間、王太子妃として劣らない豪華なベッドや調度品が置かれていて、荷解きも既に済ませてあった。

「荷解きをする必要は無さそうね」

「はい、万事、取り揃えております」

 荷解きをする予定がすることもなかった為、カトレアは魔法学院の制服に着替えた。

「この制服って、スカートの丈が短いわね」

「大変、よくお似合いですよ」

「ありがとう、フランカ。やる事もないし、一息入れようかしら」

「それでは、厨房で紅茶を貰って来ます。王太子妃殿下は、いかがなさいますか?」

「お隣様に挨拶をしてくるわ。ついでにお隣様をお茶に招待しようと思うの」

「では、多めに貰って来ます」

「お願いね」

 フランカが部屋を出た後、カトレアはお隣の生徒をお茶に誘うべく廊下に出た。
 いくら、入学式前とはいえ、人の気配の無い寮内は異様だった。

「みんな、何処かに出かけているのかしら?」

 不審に思いつつ、隣の部屋のドアをノックした。

「……」

 が、返事は無く、再度ノックしたが、これも返事が無かった。

「……留守かしら?」

 諦めて部屋に戻ろうとした時、フランカが戻ってきた。

「おかえりなさい、ずいぶん早かったですね」

「王太子妃殿下、食堂にて新入生が集まっていましたので、報告にと急ぎ戻ってまいりました」

「あら、だからみんな居なかったのね。それじゃ、わたしも顔を出そうかしら」

「紅茶はいかがいたしましょう?」

「もったいないけど、キャンセルでお願いね」

「畏まりました」





                      ☆        ☆        ☆






 トリステイン魔法学院の食堂では、今年入学する男女、十数人が集まって騒いでいた。

「諸君! 集まってくれてありがとう。今日のこの出会いを大切にしようではないか!」

 長テーブルに上り、エセ演説をぶつのはグラモン家の三男ジョルジュだ。

「何だよジョルジュ。僕らを呼んで何しようっていうんだ?」

「大方、この集まりを口実に、女の子を口説くつもりだろ」

「そうよ、貴方、いつからそんなに偉くなったのよ」

「ジョルジュ。この前、私を口説いていたけど。他の子も口説いていたそうね。どういうことよ?」

 四方から野次が飛ぶ。
 新入生だけで食堂に集まり、親交を暖めようと、この企画を実行したのはジョルジュだった。
 入寮してこの方、ジョルジュは片っ端から女の子に言い寄り、その都度、撃沈してきた事から、周りからお調子者の評価を受けていた。

「ま、まあまあ。それは置いといて、今日集まって貰ったのは他でもない。王太子妃殿下の事だ」

 カトレアの事が話題に上がると、野次を飛ばしていた連中は一斉に押し黙った。

「それは……」

「私達にとっては、雲の上の存在だから。どの様に接すれば良いか分からないわ」

 やはり、カトレアの事で、皆、戸惑っているようだった。

「つい先ほど、王太子妃殿下のメイドが、僕達を見て報告に戻った事から、まもなく王太子妃殿下も食堂に、お見えになられると思う。そこで皆で、盛大に歓迎しようと思う」

 ジョルジュの言葉に、一同が顔を見合わせた。

「良い考えだわ、私は賛成よ」

 一人の少女が立ち上がった。

「貴女は確か……」

「ミシェルよ。ミシェル・ド・ネル」

 かつて、アントワッペンの騒乱で、マクシミリアンに協力した少女ミシェルだった。

「ありがとう、ミス・ネル。トリステイン魔法学院では、全ての生徒は階級の上下も無く、一生徒として扱われるから、僕達のそれに習うべきでは?」

「しかし、カトレア王太子妃殿下を一生徒として扱えば、マクシミリアン王太子殿下に目を付けられて、実家が取り潰されるかも……」

 一人の男子生徒の発言で、食堂の温度は急降下した。

「た、たしかに……カトレア妃殿下の良い評判は聞くけど。王太子殿下は、恐ろしい評判しか聞かない」

「俺……前の内乱で、反乱軍に組した貴族は、王太子殿下の秘薬のモルモットになったって聞いた」

「私は、多すぎるトリステイン貴族を間引きする為に、ワザと反乱を起こさせたって聞いたわ」

「あ、それ、俺も聞いた」

「私も!」

 食堂は、マクシミリアンの悪名品評会になりかけた。

「いい加減にしたらどうかね?」

 だが、この流れに待ったをかけた者が居た。

「これは、ワルド子爵」

 ジョルジュが、ワルド子爵と呼んだ少年は、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだった。

 ジャンの父で先代のワルド子爵は、先の内乱の際に病で陣没し、その息子のジャンが新たなワルド子爵に就任したのだ。
 ここ、一昨年は、ワルド子爵領の内政や、その他の引継ぎの為、魔法学院への入学が遅れていたが、今年17歳にしてようやく入学が適ったのだった。

「粛清された貴族が、何故滅んだのか……それは、彼らが無能だったからだ。根も葉もない悪名に恐れを抱くより、大いに精進して、王太子殿下のお眼鏡に適えばよいのだ。これからのトリステインは、生まれの違いで評価されるのではなく。トリステインにとって有用か無用か、それで決まるのだからな」

「たしかに、ワルド子爵の言うとおりだ。今までのトリステイン王国の場合は、僕なんか伯爵の三男坊なものだから、何処か養子先を探さなきゃいけなかったけど、これからのトリステイン王国は、能力次第なら公爵だって夢じゃない」

 ジョルジュはワルドの言葉を聞き、頭をかいた。

「マクシミリアン殿下は気さくな御方です。よほど無礼を働かなければ、手打ちになることも無いですよ」

 悪名品評会になりかけた流れを変えるべく、ミシェルがフォローを入れた。

「それは、謝状を頂いた時にお会いした経験からかな?」

「そうです。良くご存知でしたね」

 ミシェルの企みに乗る形で、ワルドがミシェルに聞いた。

「謝状ってどういう事? ミス・ネル」

「あ、私も聞きたい!」

 マクシミリアンの悪名の話など何処かに飛んで行き、ワイワイと、ミシェルの話題で食堂は盛り上がった。

「どうやら、お見えになられたようだ」

 ワルドの言葉に、皆が一斉に食堂の出入り口を見ると、カトレアが中の様子を伺っていた。

「ようこそ、王太子妃殿下!」

「こちらへ、いらして下さい!」

 十数名の新入生は、温かくカトレアを迎え入れた。

「お邪魔じゃなかったかしら?」

「とんでもございません。これから声を掛けに行くところでした」

「これから、僕達は一緒に学ぶ仲間なんですから、遠慮なんて無用ですよ」

「そうですよ。王太子妃殿下」

「仲間……ですか。それじゃ、『王太子妃殿下』は止めて『カトレア』と呼んで下さい」

「呼び捨ては畏れ多いので、『カトレア様』でよろしいですか?」

「はい、皆さん、それから仲良くしましょうね?」

「は~い」

 いつしか、カトレアを中心に、ジョルジュ、ミシェル、ワルドや他の新入生達の輪が出来ていた。

 

 

第五十話 父と子

 王都トリスタニアに在るとある花屋。その店はアニエスの養母が営んでいた。
 養女のアニエスは、ここ数年、新宮殿で寝泊りしていて、週に一回の割合で、実家とも言えるこの花屋に帰っていた。

「た、ただいま」

「おかえり、アニエス」

 店先で養母のマノンが、笑顔でアニエスを出迎えた。

「洗濯物、持って帰ってきたんでしょ?」

「いつもすみません」

「いいのよ、親子なんだから」

 アニエスが週に一度、帰ってくるたびに下着などの洗濯物を持って帰ってきていた。

『新宮殿で洗濯してもらえばいいのに』

 と、同僚に言われたが、実家から足が遠のくのが嫌で実家に帰る口実にこういった処置をしたのだった。

「おばさん、後で話があるんだけど」

「話? 店があるから、終わったら聞くわ。そう言えば、近所に公衆浴場が出来たそうよ。疲れているでしょうから、入ってきなさい」

「うん」

 アニエスは、溜まりに溜まった洗濯物を洗濯場に置くと花屋を出て行った。

 ……

 その夜、養父のミランが珍しく帰ってきて三人でテーブルを囲って夕食を楽しんだ。
 養父のミランとの関係も修復し、少しづつであったが親子らしい会話もするようになっていた。

「その、おばさん、おじさん。聞いて欲しいことがあるんだ」

「そういえば昼間に、何か話があるって聞いたけど、その事?」

「実は……」

 アニエスは、スプーンを置いてマノンとミランを交互に見た。

「王太子殿下のアトラス計画に、コマンド隊も派遣される事になって、私も参加する事になったんだ……」

「待て、アトラス計画への参加は志願制と聞いたぞ」

 と、ミランが口を挟んだ。
 前人未到の海原を行く大冒険の為、参加者は原則、志願しなければならないはずだった。

「私……志願したんだ」

「どうして志願なんて、今の暮らしに不満があるのか?」

 ハルケギニアの人々にとって、海とはエルフと同等か、それ以上に恐怖の対象であり、無意識に避けていた。
 その為、海を渡る、という行為に恐れを抱く者や、遠く故郷を離れる為にホームシックに掛かって、本来の能力が発揮できない場合を踏まえ、能力以外にも心身ともに強い者を選定する為にマクシミリアンは志願制にした。

「不満は無いよ。けど、海の向こうに行ってみたいんだ」

「行ってみたいって。ピクニックに行く訳じゃないぞ?」

「分かってるよ」

「ううむ」

 ミランは、言葉につまった。
 ようやく、ちゃんとした会話が出来るようになって、ミランは公私共に充実していた時期だっただけに、アニエスが遠くへ行ってしまう事が怖かった。

「アトラス計画って、なぁに?」

 一人、蚊帳の外だったマノンが、二人に聞いてきた。
 庶民はこの計画の事を知らない。諸外国はアトラス計画はフネの海上運用法の実験航海と、諜報部がニセの情報を掴ませていた。
 庶民に真実を知らせないのは、庶民に広がった噂がロマリアに飛び、『布教したいから、同行させろ』と言う無理難題を吹っかけられるのを防ぐ為だ。
 
「それは……悪いがマノン。機密で詳細は言えないんだ」

「……まあ、お上のやる事に口出しするつもりも無いけど。最低限、相談して欲しいわ」

「すまないな、マノン」

「いいわよ。それで、アニエスの事だけど……」

 マノンはアニエスを見た。
 アニエスは、濡れそぼった猫の様に、心配そうにミランとマノンを交互に見ていた。
 その様子をも見て、マノンの脳裏には、アニエスがアトラス計画に、何故、参加しようとしたのか真相が見えた。

(海の向こうに行って見たい。と言ったけど、それは嘘のようね)

 そして、マノンが導き出した答え……それは『恋』だった。

(気になる人が、その計画に参加するから自分も着いて行きたいのね)

 マノンは、ホッと胸を撫で下ろしたい気分になった。
 コマンド隊に配属され数年。男所帯の職場に押し込まれ、『年頃の少女から懸け離れた性格になるのでは?』と心配していただけに、同じ女として、何より養女のアニエスの恋を応援したくなった。

「おばさん……」

「そうね、私は賛成という事にしておこうかしら」

「いいのか?」

「本人が行きたいと言ってるんだから」

「ありがとう、おばさん!」

「代わりに、私達のことを、お父さん、お母さんと言いなさい、ね?」

 マノンは、アニエスにウィンクをした。

「え、えええっ!?」

「早く早く!」

「ううう」

 アタフタとするアニエスに、マノンは更に迫った。

「さあさあ!」

「その……ありがとうございます。お養父さん(とう)、お養母さん(かあ)」

 アニエスは、顔を真っ赤にして言った。

「合格点には物足りない所だけど、、まあ十分ね。」

 マノンは満足したように、にっこりと微笑んだ。

「それじゃあ……!」

「いいわよ、行ってらっしゃいアニエス」

「おいおい、俺をほったらかしにして話を進めないでくれ」

 今度は、自分が蚊帳の外にされたミランが口を挟んだ。

「あら、いいじゃない。『可愛い子には旅をさせろ』と昔から言うじゃないの」

「少なくとも、私は聞いたことが無い」

 ミランは難色を示した。
 アニエスは、養父をどう説得するか、思案に移ろうとすると、マノンが耳打ちをしてきた。

「なんだ一体、何か悪巧みをしているのか?」

 ミランは、警戒しつつ二人を見た。

「あの、その、お養父さん、お願い行かせて下さい」

 アニエスは、両手を組み神に祈るようにしてミランに懇願した。
 その声色は、凛々しい雰囲気のアニエスとは真逆の、花も恥らう乙女を連想させた。

「うっうおっ、アニエス……何て可愛らしい……」

 親バカな所のあるミランには、効果はバツグンだ!

「う、うぉっほん! 仕方ないな、参加を許そう」

「ありがとう、お養父さん!」

 なし崩し的に折れたミランにアニエスは抱きついた。

(二人とも仲良くなれて本当に良かったわ……)

 マノンは、じゃれ合う二人を見てホッと胸を撫で下ろした。
 こうして、アニエスは養父母にアトラス計画参加を許されることになった。
 
 ちなみに、養母マノンはアニエスの想い人を聞こうと思ったが、野暮と思い聞く事が出来なかった。







                      ☆        ☆        ☆





 ……所変わって王宮では。

 マクシミリアンは、所用で応急に出向き、エドゥアール王の執務室で談笑をしていた。話の内容はマクシミリアンとカトレアとのちょっとした夫婦喧嘩の事だ。

「……と、いう事がありましてね、カトレアに泣かれてしまいました」

「そう言われて始めて気が付いた。幼い頃からお前を働かせてばかりだったな」

「僕は好きでやってる事なんですがね」

「いくら、王太子が、次期国王が私事(わたくしごと)を捨て、王国に尽くさねばならないとは言え、10も満たない歳から政治に参加させている事を許容したのは、大人として、何より父としての無能を痛感している」

 と、エドゥアール王は自嘲した。

「そう言わないで下さい。僕としては、好きにやらせてくれた事に感謝してますよ。自惚れるつもりはありませんが、そのお陰でトリステインは持ち直し、列強への階段を順調に上っています」

「そう言ってくれるか、マクシミリアン」

「歴史は父上を中興の(ちゅうこうのそ)を称えるでしょう」

「その名声は、お前にこそ、相応しいと思うが……」

「……?」

 妙に元気の無い父王に、マクシミリアンは気が付いた。

「父上、何処かお身体が悪いのですか?」

「ん? どうしてだ?」

「覇気と言いましょうか。とにかく生命力が薄く感じるのです」

「ハハハ、何だそれは。マクシミリアンよく見ろ、こうして父は生きているぞ?」

 エドゥアール王は、右腕で大して大きくもない力瘤(ちからこぶ)を作った。

「そうですか……とりあえず、滋養強壮の秘薬を出して置きますから、後で飲んで下さいね」

「分かった分かった」

 ……

 時は経ち、執務室の窓から西日が差し始めた。

「……さあ。出来たぞ」

「ありがとうございます」

 マクシミリアンが受け取った物。それは、新大陸が発見された場合に現地での、政治、軍事、外交と執り行うの全権委任状だった。
 言わば、マクシミリアンは新大陸の初代総督に任命された事になった。

「しかし、海の向こうに大陸があるのだろうか?」

「それは、何とも言えませんが、無ければ我がトリステイン王国は逃げ場を失います」

「大地の大隆起か……いつ聞いても眉唾物だな」

「大隆起の研究は、ワルド子爵の母君が責任者となって、日々研究を行っている所ですが、発生条件など、未だに分かっていません」

「そうか……とにかく無事に帰ってきてくれ」

「分かっていますよ。カトレアを早々に未亡人にするつもりはありません」

 マクシミリアンは力強く言った。
 
「……所で、出発は来週だったか。今日はどうするんだ。泊まって行くか?」」

「カトレアは居ませんし、一家団欒というのも悪くないですね」

「そうか、アンリエッタとマリアンヌも喜ぶだろう」

「一晩泊まって、明日、ヴァールダムへ発ち、出航まで、かの地で過ごします」

「では、今日明日でお前の顔も見納めか」

「母上やアンリエッタも大事ですが、僕は父上からアドバイスを頂けたら、大変助かります。新大陸を発見した場合に、総督として、何かと決断しなければならない事もあるでしょうしね」

「大したアドバイスは出来ないだろうが、私の経験談でよければ聞かせよう」

「ありがとうございます、父上」

 マクシミリアンとエドゥアール王は深夜まで語り合った。その間、アンリエッタとマリアンヌが、かまって欲しそうに、ちょっかいを掛けて来て、その度、中断してしまったが、父と子の語らいでマクシミリアンは多くのことを学んだ。






                      ☆        ☆        ☆





 そして次の日、マクシミリアンはトリスタニアを離れ、フネの待つヴァールダムへと発つ。
 一週間ほど、ヴァールダムで最後の調整をしてから、新大陸探索の旅へ出発するスケジュールだ。

「父上、母上、それにアンリエッタ、お元気で」

「達者でな、マクシミリアン」

「元気でね、危なくなったらすぐに帰ってくるのよ?」

 エドゥアール王をマリアンヌが別れの言葉をマクシミリアンに掛けた。特にマリアンヌは名残惜しそうにマクシミリアンの手を掴んで離さない。

「お兄様……」

「アンリエッタも、僕が居なくてもしっかりと勉強をして、僕が帰って来たら立派になった姿を見せて欲しい」

「……はい」

 目じりに涙と溜めたアンリエッタに、キスをしようとしたがマリアンヌが離してくれない。

「ちょ、母上離して」

「私にもキスして」

「ふぇっ!?」

 マリアンヌの言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「じゃないと離さないから」

「ぐぬぬ……」

 アンリエッタの方を見ると、今にも涙がこぼれそうで、早く慰めないとと気が(はや)る。
 続けて、エドゥアール王の方を見ると、苦笑いをしていてマリアンヌを止める気配は無い。

(仕方ない)

 マクシミリアンは、マリアンヌに掴まれた手を口元まで持って行き、マリアンヌの手の甲に軽くキスをした。

「頬が良かったのに……」

「贅沢を言わないで下さい」

 マクシミリアンは掴まれた手をやんわりと解いた。

「さ、アンリエッタ」

 マクシミリアンは片膝を付いてアンリエッタを抱き寄せた。

「お兄様……」

「よしよし……アンリエッタ。別れが悲しいのは分かるけど、泣いてしまったら、せっかくの可愛い顔を台無しだぞ?」

「でもでも、ずっと会えなくなるなんて……」

「永遠に会えなくなる訳じゃないよ。精々、一年か二年か……とにかく、絶対帰ってくるから。それまで父上と母上を困らせるような事はしないように、な?」

「……はい、お兄様、アンリエッタは良い子にしています」

 何とか、愚図るアンリエッタを説得したマクシミリアン。

「では、改めて父上、母上、アンリエッタ、言って来ます」

 そう言ってマクシミリアンは竜籠に飛び乗った。

「達者でな、マクシミリアン」

「父上も。執務室に強壮の秘薬を置いておきましたので、、後で飲んでくださいね」

「心配かけてすまなかったな」

「父上も、ご自愛を……」

 ゆっくりと浮かぶ竜籠に多くの家臣たちが手を振って見送った。
 マクシミリアンも手を振り返し、やがて竜籠は空の彼方へと消えていった。

 これが父と子、二人の永遠の別れである事など誰も知るよしはない。

 

 

第五十一話 王子の旅立ち


 トリスタニアを発した次の日。
 ヴァールダムに到着したマクシミリアンは、その足で埠頭に停泊しているベルギカ号へ移った。
 一週間後の出航までに、宛がわれた自室に秘薬作成用の機材を入れる為、その指揮を取らなければならなかった。

「およそ、一年ぶりかな艦長。また厄介になる」

 艦長室に出向いたマクシミリアンは、艦長のド・ローテルに挨拶をした。
 艦長室の内装はマクシミリアンの宛がわれた部屋よりも豪華だった。
 これについて、マクシミリアンは特に言う事はない。何故ならば、このベルギカ号で一番偉いのは艦長で、マクシミリアンは『お客様』に過ぎない。指揮系統を一本化するために、国王だろうが教皇だろうが、艦長の指示に従わなくてはならないのが、新トリステイン空海軍の流儀だった。

「こちらこそ、王太子殿下」

「早速、仕事の話に移りたいのだが、通達しておいた物資は取り寄せて貰えたか?」

「キャベツの酢漬け(ザワークラフト)の他、多種多様な缶詰に乾パンに乾燥パスタ。日持ちしそうな食べ物は粗方、取り寄せていまして、現在、積み込みの真っ最中でございます」

「うん、結構。この旅は長期間の航海に発生する様々な事例を、実験検証する為の旅でもあるからね」

 長期の航海中に発生する病の代表格である壊血病は、地球の大航海時代においては原因不明の病で知られ、船乗り達の間では壊血病を海賊以上に恐れられていた。
 時代が下るにつれ壊血病の研究は進められ、イギリス海軍は壊血病予防の為にライムジュースを服用していた事から『ライム野郎(ライミー)』のスラングで呼ばれていた。ビタミンC不足と壊血病の関係が明らかになったのは1932年で、それまで決定的な原因究明は出来なかった。
 壊血病の他、脚気など、船の上という環境で起こりうる様々な病気を研究、治療するのがベルギカ号に於けるマクシミリアンの仕事だった。
 とはいえ、それらの病気は魔法使えば、たちどころに治ってしまうのだが、後学の為に死にいたる病以外に多用するつもりは無かった。

(魔法というものは本当に便利だ……しかし、あまり魔法に頼り切るのも良くはない。その辺のバランスがとても難しい)

 秘薬を使わない『医学』という分野が、急激に成長をしているのが現在のトリステインだ。
 急成長といっても魔法に比べたら児戯に等しかったが、将来の発展の為に保護してやる必要があり、このベルギカ号にも『医師の卵』というべき者達が数人乗り込んでいた。


「最後に、殿下の言いつけ通りに、ベルギカ号の一室を浴場に改造しておきました」

「貴重な部屋を、使わせてもらってありがとう。」

「失礼かと思われますが、殿下お一人で?」

「まさか、全乗組員に解放するよ。清潔にして、栄養を確り取っていれば、大抵の病気は寄って来ないからね」

「航海中は食事ぐらいしか、娯楽がありませんので、乗組員達には気晴らしになるでしょう」

「水に関してだが心配は無いよ。海水に魔法をかけて塩分を抜き取れば、飲料水としても使える」

「それでしたら、航海中の水の心配は要りませんね」

 マクシミリアンは舌の根の乾かないうちに、魔法に頼ってしまうだったが、

『魔法無しでは、この旅を成功させるのは不可能』

 とも思っていた。

「様はバランスなのだ」

「? 殿下、なにか仰いましたでしょうか?」

「なんでもない。所で冷凍室は作った?」

「言いつけ通りに作っておきました。先ほども言いましたが、この旅は実験的な要素も含まれますので、缶詰等の保存食で航海を進めますので、冷凍室は、精々釣った魚を保存するぐらいにしか使われないかと。あ、後はソーセージなど吊るしておきましょうか」

 ちなみ、冷凍室は魔法で部屋一面に氷を張らせ冷凍保存する仕組みになっていた。

「なるほど、分かった。ありがとう艦長、仕事に戻ってくれ」

「御意」

「……本当に魔法は便利すぎる。科学技術が魔法と肩を並べるには、まだ時間が掛かりそうだ」

 そう言ってマクシミリアンは艦長室を出た。






                      ☆        ☆        ☆







 先の内乱以降、大多数のトリステイン貴族が粛清された、過半数の反乱貴族は、戦死するか処刑されたりしたが、中には命は助かったものの『家名』と『領地』を失った元貴族が多く出た。
 今だ文字の読めない平民が大多数のトリステインにでは、依然、知識階級の元貴族を遊ばせておく余裕も無く、元貴族達には再就職先を斡旋してやった。もちろん、監視付きだが。
 そんな元貴族の中には、領地と階級を失ったことで、領地経営や他の貴族に見得を張る事から解放された事で、空いた時間を趣味に専念し大成した者も居た。

 出航三日前、元貴族で現在は学者の団体が、ベルギカ号に乗り込んできた。アトラス計画参加の為である。
 
「諸君、よく来てくれた」

 タラップの前で、マクシミリアンが学者達を出迎えた。

「王太子殿下、御自ら出迎えて頂けるとは光栄の至りです」

 元貴族の動物学者に植物学者、地理、地質、等々……各種様々な学者達が一斉に頭を下げた。

「この旅の為に、編成されたこの学術団の意義はとても大きい。その知識を大いに役立てて欲しい」

「御意。王太子殿下のご期待に沿えるよう、一掃努力いたします」

「詳しい部屋割りは、艦長に聞いて欲しい。案内するよ」

「殿下にご足労をお掛けするとは光栄の至り」

「気にするな」

 マクシミリアンは学術団も伴って、ベルギカ号は乗船した。

 軍艦であるベルギカ号には、最低限の空き室しかなく、十名近い学術団はいくつかの狭い部屋にギュウギュウ詰めに押し込まれる事になったが、その辺はマクシミリアンがフォローする事にした。

 ……

「それにしても……」

 学術団を伴って歩いている時、マクシミリアンは周りに聞こえないように呟いた。

(なんで、ミス・エレオノールが居るんだ?)

 学術団の中にカトレアの姉、そしてマクシミリアンにとっても義姉のエレオノールが居た。
 本人は、マクシミリアンの目に付かないように陰に居た積もりなのだろうが、その美貌は隠せなかった。

(オレへの当て付けか? と、言うよりラ・ヴァリエール家はこの事を把握しているのか?)

 マクシミリアンはカトレアから、エレオノールが過去三回、婚約を解消したと聞いていた。それも全て粛清の(あお)りを受けての婚約解消だった。
 婚約相手の家が、ことごとく取り潰され魔法学院を卒業しても嫁の貰い手が無く、屋敷で悶々とした生活を送っていた。地球風に言えばニートである。だからこそ、一瞬、当て付けと考えてしまった。

(ミス・エレオノールには悪い事をした……ひょっとしたら、僕の事を恨んでいるかも)

 だからと言って、粛清を悔いる積もりはマクシミリアンには無かった。

 学者達を連れたマクシミリアン一行は、カツカツと音を立てて廊下を歩き、学者達とド・ローテルを会わす為に艦長室へと目指した。

「ずいぶんと狭い廊下だな」

「……それに無骨な内装だな」

「軍艦だから仕方ないだろう」

 学者達は、物珍しそうに廊下などあちこちを見ていた。
 彼らの知的好奇心は旺盛である。

「さ、艦長室に着いた。僕を下がるが長い航海だ、お互い仲良くやっていこう」

「恐縮で御座います。殿下」

 リーダー格の学者が頭を下げた。
 マクシミリアンは、自室へ戻るべく足を進め、エレオノールとすれ違った。

 すれ違いざま、目と目が合わさったマクシミリアンとエレオノール。
 マクシミリアンはエレオノールにウィンクすると、エレオノールは恥ずかしそうに目を逸らした。

(今の反応だと、恨んでは居なさそうだ。ちょっと安心)








                      ☆        ☆        ☆








 出航が明日へと近づき、人夫が忙しそうにベルギカ号へ物資を積み込んでいた。
 その様子を、マクシミリアンとド・ローテルは甲板で見ていた。

「物資の積み込みは今日中に終わる予定です」

「それは良かった。ちなみにどれ程、積み込んだのかな?」

「それはですね。食料を六ヶ月分と水を一週間分ですね。後は風石に石炭、弾薬といった所です」

「水と石炭に関しては、学術団が協力してくれる手筈になっている。無論、僕も協力するけどね」

 前出したが、魔法で海水を飲料水に変える事で水の心配は要らなくなった。そして、蒸気機関に必要な石炭は『錬金』で作り出すことが可能だ。
 火の魔法の使えないマクシミリアンは、海水を飲料水に変えることは出来ても、水をお湯に変えることは出来ないし、鋼を錬金することが出来ても石炭は錬金することが出来なかった。
 魔力無限をいうチート能力でも、その辺りの事情は如何ともし難たかった。

「お陰で開いたスペースを食料に割り振ることが出来ました」

「未知の領域を旅する計画だからね。食料は大いに越したことは無い」

「そうですね」

 そんな時、マクシミリアンの目に奇妙なものが移った。

「ん? あれは馬か?」

 マクシミリアンが指差す方には、二頭の馬が人夫に手綱を引かれてタラップを上っていた。

「はい、馬も乗せます。陸では荷馬や馬車を引かせますし、場合によっては非常食として利用します」

「なるほど馬車も」

「御意」

 馬はベルギカ号の最深部に設けられた飼育室に入れられた。
 馬の他にも乳牛などの家畜も乗り込み、これで毎朝ミルクにありつける事が出来る。
 満足したマクシミリアンは自室に戻ろうとすると、見知った金髪頭が数人の男達と共にタラップを昇っているのを見た。

(あの金髪はアニエスか?)

「コマンド隊の面々ですね。任務は殿下の護衛と陸上での偵察と聞いております」

 マクシミリアンがタラップの方を見ているのを察し、ド・ローテルがマクシミリアンに教えた。

「僕の護衛? セバスチャンも居るから不用だと思うんだが……まあいいや、会ってみよう」

「では、その様に取り計らいます」

「任せるよ。しかし何だな。艦長もフネの仕事があるというのに、僕の秘書官みたいな事もさせて申し訳なく思っている」

「私は気にしていません。どうかお気になさらずに」

「すまない」

 こうして、出航前の喧騒は過ぎていった。
 マクシミリアン一行は、ベルギカ号に乗り、逃げ場所を探す為にアトランティウム洋を渡る旅はこうして始まる。

 

 

第五十二話 ドゥカーバンクの戦い・前編

 ヴァールダムを出航したベルギカ号は、進路を北西に取っていた。

 水兵たちが、いそいそと艦上勤務をしている中、『男子禁制』を書かれた看板が掲げていた部屋があった。
 この部屋は女性部屋で、出航の際、男所帯のベルギカ号に、アニエスやエレオノールが乗船した事から、ド・ローテル艦長は急遽女性用の部屋を設けた。
 女性部屋の中では、アニエスが一人ラフな格好で、ベッドの上で胡坐をかきながら銃を磨いていた。
 銃は、『場違いな工芸品』の銃ではなく、雷管を採用したハルケギニア初の後装式ライフルで、試験的にコマンド隊に配備されていた。ただ、真鍮製の薬莢はまだ開発中だった為、紙薬莢もままで更なる改良が求められた。他にも愛用の38口径リボルバーも持って来ている。

「……はあ」

 思わずため息が出た。

 実はアニエスは雑念を振り払う為に、いつもより入念に銃の掃除を行っていたが、雑念はそんな事お構い無しにアニエスに、ため息を吐かせた。

「私、何やってるんだろ……」

 王子様との身分違いの恋。などと言うのは、年頃の女の子が誰もが一度は描く夢想だったが、『男勝り』と養父母を心配させたアニエスにもその素養はあった。
 アニエスの場合は、その王子様が変装して町を散策中に出会い、友達の様に言葉まで交わした……これで夢想するな、と言うのが無理な話だ。
 だが、アニエスの恋は始まる前に終わっていた。王子様には将来を誓い合った女性が居たのだ。
 しかも、その女性は病に犯されていて、王子様は病を治す為に東奔西走。その結果、女性の病は治り、二人は永遠の愛を誓い合った……

 世の女性達はこの話を羨んだが、一方のアニエスのショックは言うまでも無い。

 その後、紆余曲折がありアニエスは、着かず離れず後ろからマクシミリアンを見ていた。たとえ、実らぬ恋でも後ろから見続けられれば満足、という心境へ変わったのだ。

 アニエスがベルギカ号に乗った理由は、未だマクシミリアンを諦めきれない部分がこの行動を起こした、と今になって気付き自己嫌悪に陥っていた。

「乗ってしまったのは仕方が無いし、腹を括ろうか」

 およそ、14歳とは思えない言葉がアニエスの口からこぼれた。これもコマンド隊での猛訓練の賜物か……

 アニエスが銃の掃除を再会して数十分後、女性部屋にエレオノールとエレオノールの雇い主『赤土』のシュヴルーズが入ってきた。二人とも髪が湿っていて風呂上りだった。

「おかえりなさい、お風呂どうでした?」

「ミス・ミラン。思っていたよりも広くて、ゆったり出来たわ。フネの中でお風呂に入れるなんて、殿下も女心が分かっているわね」

 シュヴルーズは、学者、著述家としては優秀で、好奇心はそれほど旺盛ではなかったが、先の粛清の呷りを食らって家を失い、再起の為にこのベルギカ号に乗り込んできた経緯があった。
 もし、粛清も無く、悠々自適に貴族生活を過ごしていたら、適当に結婚して学校の教師にでも納まっていたことだろう。
 アニエスは、気さくに話せるシュヴルーズに気を許していた。

 一方のエレオノールはというと……

「それにしても、召使いが居ないから、自分で着付けをしなくちゃいけないなんて不便だわ」

 と、不機嫌そうにベッドに腰を掛け、櫛で自分の長い髪をすいていた。
 ベルギカ号に乗っているのは女性はこの三人だけだった。

(この人は苦手だ)

 一昔前の貴族を、そのまま体現したようなエレオノールに、アニエスはシュヴルーズとは逆に苦手意識を持った。貴族嫌いの虫が騒いでケンカにならなかったのは成長の証しか。

「そういえば、ミス・ミラン」

「え、あ、はい?」

 エレオノールの声にアニエスは一瞬、身をたじろいだ。心の中を読まれたかと思ったからだ。

「コマンド隊は、会議室に集まるように通達があったわ」

「あ、ありがとうございます。すぐに向かいます」

 アニエスは銃を木製のケースにしまうと、逃げるように部屋を出て行った。

「……変な子ね」

 エレオノールは首を傾げた。

「緊張しているのよ。ミス・ヴァリエールは、語気が強すぎて相手を怖がらせてしまうのよ。もうちょっと、おっとり喋ればきっといい人にもめぐり合えるわ」

 エレオノールとシュヴルーズは、歳は10歳ぐらいしか違わないが、人生の先輩としてシュヴルーズはエレオノールにアドバイスをした。
 
「前慮はします」

 面と向かって言われるのか気に入らないのか、エレオノールは不機嫌になった。







                      ☆        ☆        ☆







 ベルギカ号内にある会議室では、マクシミリアンの他、艦長のド・ローテルにアニエス以外のコマンド隊隊員にベルギカ号の士官達が集まっていた。

「殿下。このまま、海を進み続けば海獣に襲われる危険がございます。浮上を提案いたします」

 士官の一人が、マクシミリアンに提案した。

「トリステインの北西の海域は、海獣の餌場なのか、度々海獣が目撃されていて、我が艦も襲われたことがございます」

 ド・ローテルが付け加えた。

「その時の被害は?」

「浮上する事で、海獣の攻撃を避ける事がが出来ました。被害はございません」

「それは良かった」

 ド・ローテルの答えにマクシミリアンは安心したように頷いた。
 海獣は基本的に海上を進む物しか襲わず、フネの様に空を進むを物は襲わなかった。

「……さて、僕の考えを言おう。新大陸探索の行きがけの駄賃として、この海獣問題を何とかしようと思う」

 マクシミリアンの言葉に会議室はザワついた。

「海獣が餌場とする海域は、逆に言えば豊富な漁場としてトリステイン財政と国民の胃袋を支えることになるだろう」

「海獣退治をなさろうと言うのですか? 具体的にはどの様に……」

 ド・ローテルはおずおずとマクシミリアンに聞いた。

「僕に考えがある。海獣を見つけたらベルギカ号は空に退避していてくれ」

「お待ちください! 殿下御一人で海獣に立ち向おうと仰るのですか?」

「無論だ」

「どうか、考え直して下さい。殿下に、もしもの事があれば、我々は国王陛下に顔向けできません」

 士官達は懇願するように、マクシミリアンを説得するが効果は見られない。

「大丈夫だ。僕に任せて欲しい」

「殿下の実力は、知らぬ者は居ません。ですが……」

「では聞くが、どうやって海獣を退ける? ベルギカ号のロケット砲で海獣を倒すことが出来るか怪しいし、ロケット弾の補給はトリステインに戻らなくては不可能ではないか? 言っておくが、僕は火薬の錬金は出来ない」

「ロケット弾は、時間は掛かりますが、我々が何とかして見せます。ですから、どうか無謀な事は……」

 ド・ローテルは何とか食い下がろうとするが、マクシミリアンの心は動かせない。

「海獣問題を解決しなければ、フネが自由に航行できないじゃないか」

「それは、時間を掛けて解決すればよろしいかと」

「クドイなぁ……」

 話し合いは傾向線をたどろうとしていた時、幸か不幸かアニエスが入室してきた。

「あ、失礼します」

「……」

「……」

 アニエスの登場は、話に水を指す形になった。

「そういう訳だから、ベルギカ号浮上の後は任せた」

「あ、殿下!」

 マクシミリアンは、席を立ち会議室を出て行く際に、アニエスとすれ違った。

「助かったよアニエス」

「あ……」

 僅か、それだけのやり取りだったが、アニエスの胸を大いに高鳴った。

 逃げ去る形でマクシミリアンは出て行き、艦長以下、士官達は重苦しい雰囲気に包まれていた。

「とりあえずは……浮上後の防衛体制の確認をしておこう」

「……了解です」

 結局、マクシミリアンの提言どおりに進め、ベルギカ号クルーは最低限サポートすることになった。

「場合によっては、殿下のお叱りを覚悟に介入もしよう。介入についてだが、コマンド隊に任せたいのだが」

「我ら、コマンド隊にお任せあれ」

 コマンド隊の派遣部隊隊長の、デヴィットという男が敬礼をして答えた。

「おい、アニエス、突っ立ってないで早く座れ」

 先輩格のヒューゴが、蚊帳の外のアニエスに手招いて席に座るように促した。

「りょ、了解」

 アニエスは、そそくさと空いた席に滑り込んだ。






                      ☆        ☆        ☆






 ベルギカ号は遂に海獣の領域とされる海域に到達した。

 水兵たちは、マストに登ったり海面を凝視したりと、海上及び海中の敵の襲撃を警戒していた。

 一方、マクシミリンはというと……

「いっちに~さんしっ、に~にっさんしっ」

 水着に着替え、艦尾で準備体操をしていた。
 そこに、アニエスを含めたコマンド隊の4人が現れた。

「諸君、お疲れ様」

「殿下、我々は既に問題の海域に入っています」

「分かった」

 マクシミリアンは、杖を取り出した。

『ウォーター・ビット!』

 マクシミリアンの唱えた『ウォーター・ビット』は、かつての8基から大幅に増え32基がマクシミリアンの周りを展開していた。

「ベルギカ号の周辺を警戒せよ」

 マクシミリアンの命令で、32基のウォーター・ビットが周辺の空域へ散って行った。

「これでよし、コマンド隊はすぐにでも浮上できるように、準備はしておいてくれ」

「了解です。アニエス、お前は殿下に着いていろ。我々は周囲の警戒をしてくる」

「了解」

 他の隊員は去り、アニエスとマクシミリアンだけになった。
 と言っても色気のある会話など無い。

「とりあえず、アニエスは見物していてくれ」

「……分かりました」

 アニエスも、色気のある会話を期待していたわけではないが、当てが外れ少し気が沈んだ。
 アニエスの変化に気づかないマクシミリアンは、おもむろに釣竿を取り出した。

「それは……?」

「海中の敵を探知する、魔法の釣竿だ」

 釣り針の変わりに丸い石のような物がぶら下がっていた。

『イル・ウォータル……』

 スペルを詠唱すると、釣竿を操作して丸い石を海中へ落とした。

「……」

 目を瞑って釣竿を垂らす姿は、何処かの釣り人のようだった。

「あの……」

「ごめん、ちょっと静かにしていてくれ」

「……あ、ごめんなさい」

 沈黙に耐えられなくなったアニエスは、マクシミリアンに話しかけたが怒られてしまった。

 マクシミリアンの魔法は、『ディテクトマジック』を応用して一種のソナーを模した魔法で、これで海中の敵を探すつもりだった。

「……」

 ソナーで得られた情報は、マクシミリアンの脳内で映像化されていた。

(すごいな、魚で一杯だ)

 数十万数百万もの魚が遊泳している姿がマクシミリアンの脳内に映し出された。
 魔法は魚群探知機の役割も持っていた。

「……」

「……」

 その後も、魔法で探索を続けるマクシミリアンにアニエスは、後ろに控え続けていた。

「あの……殿下」

「……ん?」

「寒くないですか?」

 水着姿で数時間いた為、アニエスはマクシミリアンを労わった。

「寒くはあるけど、我慢出来ないほどではないよ」

「それじゃあ……」

 アニエスは、近代的な軍服の上着を脱いでマクシミリアンの肩に着せた。アニエスは軍服に下に白い綿製のTシャツに似たインナーを着ていた。

「ありがとう、アニエス」

「いえ……」

 アニエスの残り香が残った上着を着て、釣り糸を垂らし続けると、ソナーは高速でこちらに殺到する無数の反応を察知した。

「これは……敵だ! 海獣だ!!」

「えっ!?」

 突然、大声を上げたマクシミリアンに、アニエスは驚きの声を上げた。

「敵だ! 艦長に急速浮上を要請! 急げ!」

「りょ、了解!」

 マクシミリアンがアニエスにせっつくと、彼女は艦長の元へと走っていった。

「間に合わないかもしれない」

 ベルギカ号の浮上と、魚雷の様な敵の突撃のスピードとを計算し間に合わないと判断した。

「ウォーター・ボール! 海面から飛び出した敵を狙い打て!」

 ウォーター・ボール達に命令したマクシミリアンは、アニエスの上着を甲板に置くと秘薬の入った瓶を呷った。
 この秘薬は、口の中に含み続ければ絶えず酸素を放出し続ける秘薬で、海中でも呼吸が可能だった。

「殿下!」

 士官の一人が、マクシミリアンに駆け寄ってきた。

「敵が来る。さっき艦長に使いは出したが、大至急浮上してくれ」

「あ、殿下、お待ちを!」
 
 仕官の制止を無視する形で、マクシミリアンは海に飛び込んだ。





                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンが海中に入ると、海獣達はベルギカ号まで数百メイルの距離まで接近していた。

「こっちだ!」

 マクシミリアンは杖を振るい、スペルを唱えた。

『アイシクル・トーピード!』

 氷で出来た『トーピード』、すなわち氷の魚雷が10匹の海獣へ向けて発射された。
 アイシクル・トーピードは、水魔法の『ジャベリン』の応用で、1メイル程の氷の槍を生成し石突きの部分から水を放出する事で前進する水中専用の魔法だ。
 しかも、追尾性能もあり、6つの氷の槍は10匹の海獣の内、6匹に全弾命中した。
 命中と言っても爆発するわけでもなく、氷の槍は深々と海獣に突き刺さり10匹中6匹が脱落した。

 ベルギカ号に体当たりをかまそうとした4匹の海獣達は、邪魔されたのを怒ったのかマクシミリアンに狙いを定め進路を変えた。

(好都合だ!)

 杖を振るいスペルを唱える。秘薬のお陰で海中での呼吸や詠唱も可能だった。

『ウォーター・ジェット!』

 『ウォーター・ジェット』は『エア・ジェット』の応用で足裏から水を噴射することで、高速で水中を進むことが出来る魔法だ。

(着いて来い!)

 マクシミリアンは、なるべくベルギカ号から引き離そうと逆の方向へ進んだ。

(それにしても、あれが海獣か)

 マクシミリアンを追う怪獣を観察すると、地球で言う『イッカク』の様な外見で、3メイル程の巨大な角を一本生やし、身体の部分は2メイル程と角よりも小さい。だが海中でのスピードは時速80リーグとかなりの高速で、海の槍騎兵と呼ぶに相応しかった。

(イッカクのようでイッカクではない。これはもうイッカクモドキだな、うん、決めた)

 海獣達はイッカクモドキと名づけられた。
 その間にも、マクシミリアンを猛追する4匹のイッカクモドキとも差は、徐々に縮まっていた。

(流石に、向こうの方に分があるか)

 ジリジリと差を縮めるイッカクモドキに、マクシミリアンは次第に焦りの色が出始めた。

(一度に二つの魔法を使うことが出来ないから、敵に攻撃魔法をかけるには、ウォーター・ジェットを止めなければならない。だが、そんな事をすればたちまち、あの角の串刺しだ)

 術者から独立して行動する『ウォーター・ボール』はその性質上、水中では運用できない為、今のマクシミリアンに出来る事は逃げて時間を稼ぐ事だけだった。

(最後の頼みは『目から破壊光線』か……水中で使ったことが無いから、ぶっつけ本番は怖くて出来ないし連発も不可能だ)

 その間もマクシミリアンとイッカクモドキとの差は縮まるばかりだ。
 まるで刺客の様に、逃げるマクシミリアンを追い詰める。

 その時、ふと明暗が閃いた。

(これなら……!)

 マクシミリアンは、猛追するイッカクモドキの目を見る。そして、マクシミリアンの両眼が光った!

 カッ!

『グワワワッ!』

 一匹のイッカクモドキが、悲鳴を上げて追撃から脱落した。

(いけるぞ!)

 マクシミリアンの名案とは、『目から破壊光線』の応用、『目からサーチライト』をイッカクモドキの目に直接、叩き込むことだった。
 いくら攻撃力が無くても、一瞬の隙は作れる。マクシミリアンは残りのイッカクモドキの目にも『目からサーチライト』を叩き込んだ。
 残りのイッカクモドキも、次々と追撃から脱落していき、中には勢い余って他のイッカクモドキに突き刺さったものまでいた。

(よし、反撃だ!)

 海中で、のた打ち回るイッカクモドキに対し『ウォーター・ジェット』を止め、反撃のスペルを詠唱した。

大渦巻(メイルシュトローム)!!』

 マクシミリアンの魔法によって海流が変わり、この海域では有り得ない数リーグは在ろうかという巨大な渦巻きが発生した。
 余りの巨大さに遊泳していた魚達は危険を察知し我先に逃げたした。

 海中を、のた打ち回っていた5匹のイッカクモドキは、その大渦巻きの中心にて圧倒的な海流に揉まれ続けた。

『&%$#!』

 4匹のイッカクモドキは、大渦巻の海流でお互いの角で傷つけ合い、声にならない声を上げた。
 血塗れ傷だらけのイッカクモドキ達は、大渦巻の中心で哀れミンチになってしまった。

 だが、マクシミリアンにも代償はあった。

(ぐおおおぉ……頭がクラクラする)

 海中に居たマクシミリアンも、大渦巻の影響を受けて、身体を揉みくちゃにされた三半規管が滅茶苦茶になったのだ。

 耐えられなくなったマクシミリアンは大渦巻を止めた。暫くすれば海流は元に戻るだろう。

 次に状況を知る為に『ヒーリング』で狂った三半規管を治し、次に杖を振るいソナーで索敵をした。

(……海面にベルギカ号の反応は無し。無事に浮上したようだ……ん?)

 ソナーは、遥か遠方からマクシミリアンに近づく大きな魚群を探知した。
 入念にぞの魚群を調べると、魚群に守られる様に隠れていた巨大な影も探知した。

(デカイ! 200メイルはあるぞ!)

 暗い海の底から何か巨大なモノが、数千もの臣下を従えて、ゆっくりとマクシミリアンに近づくその姿は、王の行進と言うに相応しかった。

 ……北海の王が姿を現したのだ。

 

 

第五十三話 ドゥカーバンクの戦い・中編

 浮上したベルギカ号の甲板上は騒然としていた。

 すぐ下の大海原が突如荒れ、巨大な渦を作り出したのだ。

「各部署、被害を知らせ!」

 艦長のド・ローテルが士官たちに命令を出していた。

「一体、何がどうなっているのだ」

「艦長!」

「どうした!」

「殿下のお姿が見当たらないそうです!」

「むむ! という事はあの渦は殿下が!?」

 ド・ローテルは甲板から渦の渦巻く海を見下ろした。
 暫くして、数リーグ及ぶ大渦は小さくなって行きやがて消えてなくなった。

「これは、殿下はご無事であろうか……」

「艦長!」

「今度は何だ!」

 伝令の仕官が、ド・ローテルの下へ駆け寄ってきた。

「北の方角、水平線の向こう側で海獣と思しき物体を多数発見したとの事です」

「なんだとぉ!?」

 ド・ローテルは驚きの声を上げた。

「こうしてはいられない、戦闘準備だ!」

「了解!」

 ド・ローテルの命令で、仕官や水兵たちは別の生き物の様に顔付きが変わり艦内を走り回った。ベルギカ号は戦うフネに様変わりした。

「右舷全砲発射準備良し!」

「左舷も全砲発射準備良し!」

 次々と報告がド・ローテルに上がってきた。
 ベルギカ号には左右に8門づつの計16門の24リーブル前装砲が配備されている。大砲こそ旧式の前装砲だが冶金技術の向上で頑丈になり、より強力な火薬で遠くに砲弾を飛ばせるようになった。

「ロケット砲は?」

「現在、鋭意準備中との事です」

「急がせろ」

「了解!」

 ド・ローテルが水平線の向こうに視線を戻すと、数百もの海獣が白い尾を引いて海上を航行しているのが見えた。
 海獣一つ一つが全長は30メイルは下らない巨体を誇っている。

「これは……!」

 思わず生唾を飲み込んでしまう。
 あれだけの数を、相手にしなければならない事に、一瞬、絶望を覚えた。

 ……

 戦闘準備を示す鐘が、引っ切り無しに鳴らされていた。

「何かあったのかしら?」

 女性部屋に居たエレオノールは、ドアから顔を出して廊下の様子を伺っていた。

「何か異変が起こった様ね。私達は部屋に居て何らかの指示を待ちましょう」

 一方のシュヴルーズはというと、のん気に日記を書いていた。

「すみません! 失礼しますっ!」

 アニエスがノックも無く部屋に入ってきて、ベッドの側に置いてあった木製の武器ケースからライフル銃を取り出した。

「ミス・ミラン、この騒ぎは何? 何があったというの?」

「戦闘です! 皆さんは学術団の皆さんと一緒に、食堂で待機する様にお願いします」

「戦闘!? 一体何がどうなっているの?」

「詳しい事は食堂で。私はすぐに戻らないといけないので、すみませんが、早目に移動をお願いします」

 そう言って、アニエスはライフル銃を抱えて部屋を出て行った。

「……ああ、行ってしまったわ」

「兎も角。ミス・ヴァリエール、私達も移動しましょう」

 シュヴルーズは、書いていた日記を小脇に抱え、いそいそと必要な物をポケットに突っ込んでいた。







                      ☆        ☆        ☆







 先に戦端を開いたのは、海獣でもなくベルギカ号でもなく、ベルギカ号の周りを警戒していたウォーター・ビット達だった。
 ウォーター・ビット達は、一部をベルギカ号に護衛に残し、海獣の集団へと飛び去り海上を航行する海獣達に『ウォーター・ショット』を放った。

「ギャオオオオオッ!」

 最初の獲物はシー・サーペントで、ウォーターショットの集中砲火を浴び、血塗れになって海に没した。
 だが、海上を航行する海獣は今だ膨大で更に多種多様だった。前出のシー・サーペントもまだまだ数は多く、30メイルもあろうかという巨大なサメまで確認された。他にも魚型やトドに良く似た海獣も多く居た。海中で見えないが先ほどのイッカクモドキも、かなりの数が居た。

 ウォーター・ビット達はもぐら叩きの様に海上に現れた怪獣を片っ端から打ち抜いていった。

 しかし、多勢に無勢。一向に海獣の数は減らなかった。
 基本的に海獣は空を飛べない為、上空から一方的に攻撃する事が出来た。だが、マクシミリアンからの魔力供給も無く戦い続けた結果、一つまた一つとウォーター・ビットは魔力切れを起こし、ただの水に戻っていった。

 そんな時だった。
 海上に100メイル弱の氷山が現れたのは。

 突如、進行方向に氷山が現れた為、シー・サーペントの一匹が氷山に乗り上げてしまった。

「待たせたな。ここがお前達の墓場だ!」

 声の主はマクシミリアンだった。
 マクシミリアンは、氷山の中央の山頂付近に立ち、海獣達を挑発した。
 この氷山を作り出したのは彼だった。足場を作る事と自ら囮になることで、ベルギカ号に追っ手を差し向けさせない為でもある。
 新たにウォーター・ビットを唱えなおし、マクシミリアンの周りにはウォーター・ビットが近衛兵の様に周りを固めていた。しかもマクシミリアンからの魔力供給のお陰で魔力切れを起こす事はない。

 氷山に乗り上げたシー・サーペントは、突然の出来事で気が動転したのか、氷山の上で暴れ回っていた。

「せっかく作ったのに、壊れてしまうじゃないか」

 マクシミリアンは、スペルを唱え『アイス・ストーム』をシー・サーペントに放った。

 シー・サーペントは、アイス・ストームの暴風に巻き込まれると、氷の粒で傷つけられ、るとその巨体を空高く放り上げられてしまった。そして海に落ちる頃には既に絶命していた。

 それが呼び水だったのか、怪獣達は一斉にマクシミリアンの居る氷山へ襲い掛かった。

「ウォーター・ビットは、各個に迎撃!」

 マクシミリアンの指令でウォーター・ビット達は、近づく海獣達を狙撃した。

 ビシュッビシュッビシュッ!

 ウォーターショットの細い線が、氷山へと迫る海獣の頭や背びれに突き刺さる。
 海獣達は次々と脱落して行ったが、中には噴水の様に血を噴き出しながらも果敢に迫る魚型海獣が居た。

「魚の癖にいい根性をしているな!」

 マクシミリアンは、右手で杖を振るいスペルを唱え、左手でピストルの形を作った。

『ウォーター・ショット』

 『ズガン!』という、空気が爆発する音と共に強烈な水流が近くの海獣諸共、魚型海獣を襲った。
 マクシミリアン版ウォーター・ショット、別名ウォーター・キャノンの通った後には、原形を留めない肉塊だけが海上に漂い、氷山周辺の海は血に染まった。

 ……

 この時、上空のベルギカ号の甲板では、大きな歓声が上がっていた。

「圧倒的だ!」

「かの『烈風カリン』と良い勝負なのでは?」

「トリステイン王国万歳!」

 水兵達は、マクシミリアンの勇姿に拍手喝采だった。

 コマンド隊の面々もこの光景を見ていた。

「我々は必要ないのでは?」

 派遣部隊隊長のデヴィットがポツリと呟いた。

「殿下が特別なのですよ。全てのメイジがあの域に達する事は無いでしょう。そうですとも!」

 派遣部隊のムードメーカーのヒューゴが、鼻息荒く言った。
 もう一人、狙撃銃を持ちメインマストのてっぺんで執事のセバスチャンと周囲の警戒をしてる男が居た。彼はジャックという平民出身の元猟師で、ストイックな性格で取っ付きにくいがコマンド隊でも屈指の射撃、取り分け狙撃の名手だった。
 ジャックは、アニエスの様にトリステイン製ライフルを持たず『場違いな工芸品』で完全武装していた。トリステイン・ライフルは、まだ実験段階の言わば初期ロットで、予想される故障を嫌っての行動だった。
 彼ら三人とアニエスを加えての、計四名がコマンド隊の派遣部隊のメンバーだった。

 一方のアニエスはというと、水兵に混じってマクシミリアンの戦いを心配そうに見ていた。

「……がんばれ」

 言葉が口から漏れた事気付き周りを見る。幸い誰かの耳には入らなかったようだ。
 アニエスは、氷山の上で戦うマクシミリアンを祈るような目で見続けた。

『ウォォォーーッ!』

 ベルギカ号で、再び歓声が上がった。
 我らの王子様が、また巨大海獣を屠ったからだ。
 マクシミリアンは、20メイルもの巨大トドを『ジャベリン』の氷の槍でハリネズミにした。

 それでも海獣の数は一向に減らない。

「危ない!」

 アニエスは甲板から身を乗り出して叫んだ。
 マクシミリアンの居る氷山の真下に、不穏な黒い影を見たからだ。

 聴こえたのかどうかは定かではない。戦っていたマクシミリアンは真下を見ると、足の下から空気を噴き出して空へと逃げた。
 それと同時に、足場にしていた氷山が粉々に割れ、巨大な竜が飛び出してきた。

 海獣の中でも屈指の実力を持つ『水竜』が、マクシミリアンの前に現れたのだ。







                      ☆        ☆        ☆






 足下の氷山の下から殺気を感じたマクシミリアンは『エア・ジェット』で空へと逃げた。

 その直感は正しかった様で、氷山から離れると同時に粉々になり、巨大な竜が飛び出してきた。
 空へと逃げたマクシミリアンは、VTOL機の様に『エア・ジェット』によるホバリング状態で空中に立っていた。

「何だあれ!?」

 突如、現れた巨大な竜を見て驚いた。見た事も聞いた事もの無い種類の竜だったからだ

 水竜は、上空のマクシミリアンを、恐ろしい眼光を放ち睨みつけると、あんぐりと、その巨大な口を開くと細い水の線を放った。

「うおっ?」

 凄まじい水流が、マクシミリアンを襲い、マクシミリアンは更に上空へ吹き飛ばされてしまった。

(ウォーター・ショットと同じ原理か、だが肉を削ぐほどじゃない!)

 ここで再び、『エア・ジェット』を唱えたマクシミリアンは、空中でバランスを整え再びホバリング状態になった。

 海上の水竜は『こっちへ来い』と言わんばかりに、マクシミリアンに向け口をパクパクさせている。

「ウォーター・ビット!」

 マクシミリアンが号令を出すと、ベルギカ号の護衛を含めた32基、全てのウォーター・ビットがマクシミリアンの周りに展開した。

「一斉射!」

 ビシュシュッ!

 32の細い線が、一斉に水竜へ向けて放たれた。

 が、水竜の硬い皮膚に阻まれ効果は得られない。

「効かない!?」

 マクシミリアンのうろたえた顔を見て、気を良くした水竜がまた口を開けて水のブレスを吐いた。

「同じ手は食わない!」

 『エア・ジェット』で急加速したマクシミリアンは、水のブレスを難なく避けた。この間にもウォーター・ビット達は水竜に向けウォーター・ショットのつるべ撃ちで牽制する。

 だが、またも水竜の硬い皮膚に対しては傷一つ付かない。

「チッ」

 思わず舌打ちをした。

 チラリと上空のベルギカ号へ視線を向けると、甲板には多くの水兵や士官達がこの戦いを固唾を呑んで見守っていた。

「……よし!」

 事ここに至ってマクシミリアンは決心した。

「余り時間も掛けられない。オレ達の旅は始まったばかりだし、それに……」

 マクシミリアンは何を思ったのか、いきなり海面へ向けて急降下を始めた!

「寒いからな!」

 エア・ジェットを吹かして急行下したマクシミリアン。

 ドオオオォォォン!

 空気を裂く轟音が周辺に轟いた。音の壁を越えたマクシミリアンは更に速度を速める。
 急降下中のマクシミリアンは、あわや海面に激突する寸前に、水竜の方に方向を変えた。

 瞬間、凄まじい高さの水柱が起き、天高く跳ね上げられた海水は細かく空中に散らばって太陽光で蒸発し、霧の様な現象になった。

「何だこの霧!」

「見えないぞ!」

 上空のベルギカ号では、突如起こった異変に右往左往していた。

 この間にも、海面ギリギリをエア・ジェットへ滑空するマクシミリアン。
 水竜は、水のブレスを海水をマクシミリアンに放つが、既に見切られたのか、最小限の動きで難なくかわされた。

 獲物が海面に来たとあっては、他の海獣も黙ってはいない。
 マクシミリアンと水竜との間の海が突如盛り上がり、30メイルの巨大なサメが、鯨のブリーチングの様に海面に飛び上がり、迫るマクシミリアンに向け巨大な顎を開き捕食しようした。

「ウォーター・ビット!」

 マクシミリアンの後を追っていたウォーター・ビット達は、マクシミリアンの左右斜め上に展開しウォーター・ショットを発射、マクシミリアンの前方にウォーター・ショットで『網目』を作った。その『網目』に巨大なサメが突っ込んできて、哀れ巨大ザメは『ところてん』になる形で絶命した。

 血煙が舞い、マクシミリアンは血煙から飛び出す様に水竜へと迫る。

 水竜の長い首がボコリと風船の様に膨らんだ。最大出力の水のブレスを吐くつもりのようだ。

「!」

 マクシミリアンも水竜の意図を察し更に加速。ウォーター・ビット達は着いて行けなり、マクシミリアンとウォーター・ビットとの差が開いた。

 水竜の喉の膨らみは頂点に達し、遂に暴流ともいえる水のブレスを吐いた。
 
「ぐうううっ!」

 マクシミリアンは、身体を思い切り捻り回避しようとした。
 その際、回避する為に無茶な体勢をしてしまい、強烈なGを受け全身の骨という骨がが軋む。

「うおおおっ!!」

 痛い思いをしたお陰か、触れるもの全てを削ぎ落とす水のブレスは、マクシミリアンを掠め巨大な水柱を上げるだけに留まった。

 水竜の懐へと侵入したマクシミリアン。水竜を睨みつけると目と目が合った。

「悪いな……これも、トリステインの為だ、恨んでくれ!」

 マクシミリアンの両眼が光った。『伝家の宝刀』の二つの光線が水竜の顎に直撃。分厚い皮膚を灰にする。

「まだまだ!」

 さらに長く照射すると、破壊光線は周りの皮膚をじわじわと灰にし、内部の肉にまで達した。
 悲鳴を上げる機能すら灰になったのか、声を上げる事も無く水竜の頭部は灰となって崩れ落ち大海原へ散っていった。

 頭部を失った水竜は海へと沈んでいく。
 それを見て戦意を失ったのか定かではないが、海獣達が退いていった。

「……終わりか?」

 マクシミリアンは『エア・ジェット』を切って杖を振るい、足場となる1メイル程の小さな氷山を作ると、氷山の上に乗り腰を下ろした。 辺りには、強風をもいえる強い風が吹き、血で赤く染まった海と多くの海獣の死体が浮かんでいて、その光景と辺りに漂う強烈な血の臭いが、先ほどの死闘が夢ではない事を思い起こさせた。

(まだ、辺りに潜んでいるかもしれない)

 マクシミリアンは、左足を海に沈め目を瞑るとソナーを唱えた。

 左足からピンガーを発し、帰ってきた音が脳内で映像化される。

「……!」

 マクシミリアンの顔はみるみる青くなった。
 彼の真下に、200メイルもの巨大な物体を感じた。しかも、脳内に映った映像は、200メイルもの鯨がこちらに向けて巨大な口を開け氷山ごとマクシミリアンを飲み込もうと浮かび上がっている映像だった。

「ヤバイ!」

 瞬間。氷山も周りの海面から二つの顎が飛び出した。
 エア・ジェットで緊急離脱するが間に合わず、口だけでも数十メイルもある巨大な口にマクシミリアンは飲み込まれてしまった。
 
 

 

第五十四話 ドゥカーバンクの戦い・後編その1

 北の海には『王』が存在していた。

 『王』が精霊の力を使い周辺の海を制圧してから、およそ数千年。回遊魚達が出ていっては戻り、戻っては出てゆく事を何千回と繰り返し、『王』とその家臣達は栄華を極めていた。
 たまに迷いこんで来たモノも居たが、大抵は脅かせば怖がって近寄ってこなくなった。だが、ここ最近、堂々と侵入してきたモノ達がいた。

 いつもの様に、取り巻きを派遣し追っ払ってこれで解決、と思ったが再び奴らはやって来た。

『……今度も同じ目に遭わせてやろう』

 『王』は再び家臣達を派遣し、侵入者達を懲らしめようとしたが、今回は逃げる所か歯向かって来た。

 『王』は不思議に思った。
 今まで、この様な事態は一切無かったからだ。

 『王』は様子見を考えていたが、家臣達は『侵入者を討つべし!』と騒ぎたて、何度も『王』の周りを泳ぎ回った。
 硬い鱗を持ち、最も凶暴な家臣(水竜)は、本能のままに侵入者達に襲い掛かり、流されやすい家臣達もそれに釣られる様に侵入者の討伐に出て行ってしまった。あの凶暴な家臣は、度々問題を起こし『王』を悩ませていたが、実力は折り紙つきだった。

 ……だが、相手はさらに強かった。
 優秀な家臣達はことごとく侵入者に屠られ、凶暴な家臣も無残な死に方をした。

 この時、『王』は海底の奥底で、家臣と侵入者の戦いを『精霊』を通して見ていた。
 侵入者が放った光で家臣は死んでしまったが、同時に中継していた『精霊』も、あの光によって消滅してしまった。

『……アレは危険だ』

 空に海に大地に、太古の昔から存在し続ける不滅の存在であるはずの『精霊』を殺す謎の光……『王』はあの光を危険視し、侵入者を追い返すのではなく葬ろうと決意した。

 そこからの『王』のは早かった。
 海底に鎮座していた200メイルもの巨体を動かし、海面へと急浮上をする。
 そして、『王』は海面付近に居た侵入者を、その巨大な口で飲み込んでしまった。
 海面には何も残っていなかった。







                      ☆        ☆        ☆






 『王』に呑み込まれてしまったマクシミリアン。さながらウォータースライダーの様に食道を滑り落ち胃袋に転がり込んで、勢い余って胃の内容物に顔面から飛び込んでしまった。

「うぉぇっ、ぺっぺっ。何だこれ?」

 顔についたネバネバした内容物を取り払い、顔を洗おうと杖を探す。
 幸い、杖は落とす事は無く、一緒に胃袋に流れ聞いて、杖を探し当てると『コンデンセイション』で水を作り出し顔を洗った。

「……しかし、ここは何処だ? 飲み込まれたって事は胃袋の中なのか?」

 辺りを見ても真っ暗で生臭く、素足を通して床がビクンビクンと波打つのを感じた。
 マクシミリアンは、『ウォーター・ビット』を8基作り出し、次に『ライト』を唱えた。

 『ライト』によって辺りが明るくなり、マクシミリアンは胃袋内を見渡す事が出来た。

「……あ~。ピンクやら白いモノが辺り一面に……最悪」

 胃袋内の広さは小さな体育館程度で、肉の壁が『ライト』の反射で、てらてらと光るのがとても気持ち悪い。

「こんな所とは、早くおさらばしよう」

 杖をくるりと手の平の上で回す。

「……と、思ったけど良い事考えた」

 マクシミリアンは、悪い笑顔をした。

「まず、最初に血液を調べて……」

 マクシミリアンは、落ちていた魚の小骨で胃袋を引っかき血を出した。
 そして、採取した血液を『ディテクトマジック』で徹底的に調べ上げ、遺伝子情報を脳内に詰め込んだ。

「来い、ウォーター・ビット」

 ウォーター・ビットが8基全てが、マクシミリアンに近づき手の平の上に浮かぶ

「イル・ウォータル……」

 マクシミリアンがスペルを唱えると、手の上のウォーター・ボール達が『パン』と弾け水に戻ると、やがて血の様に赤く染まった。
 血の様な……と言ったが、これは血だ。しかも『王』の血だ。マクシミリアンが採取した血液から水魔法で『王』の血を作り出した。
 意思を持つウォーター・ボールから作り出した血を脳に送りこみ、どこぞの寄生虫の様にコントロールする。これがマクシミリアンが考え出した作戦だった。

(恐らく、オレを飲み込んだこの海獣は、この海域の(ぬし)なのだろう。殺すのは容易いが、殺せば別の海獣が主に納まってトリステインなりアルビオンなりのフネを荒らす。新たに討伐軍の編成をする、また別の海獣が主に納まる、そして、また討伐……無駄なサイクルを繰り返す事を考えれば、殺さずにコントロールした方が良い。最悪、コントロール出来なくても、トリステイン国籍のフネを襲わないように洗脳すれば、この海域の漁場を独占できる)

 黙考に入ったマクシミリアンは、何度もウンウンと頷いた。
 だが、黙考中のマクシミリアンを冷やかす様に、何でも溶かす胃液が胃袋内に浸み出してきた。

「んん?」

 胃液に気付いたマクシミリアン。

「なんというお約束!」

 こうしている間にも、胃液は辺りの内容物を溶かしマクシミリアンに迫り、有毒なガスまでも放出しだした。

「グズグズしている暇は無い……行け!」

 マクシミリアンの魔法で、『王』の血液となったウォーター・ビット達は、血を採取した時の傷口から入っていった。ウォーター・ビットは血管へと浸透し、血管を通って脳を目指す手はずだ。

「後はウォーター・ビット達に任せて、オレも脱出だ」

 マクシミリアンは杖を振るうと、『水化』のスペルを唱えた。
 マクシミリアンの身体が杖ごとスライムの様なゼリー状になり、やがて完全な水に変化した。
 だが、そこで終わらない。水化したマクシミリアンの色が、血の色へと変化した。先ほどのウォーター・ビットもそうだが、血に変化すれば拒否反応を出さずに体内を移動できた。

 やがて、マクシミリアンも傷口から浸透して行き、胃袋内にはマクシミリアンが履いていた海パンのみが残され、それもやがて胃液に溶かされてしまった。






                      ☆        ☆        ☆






 この時ベルギカ号は、飲み込まれたマクミリアンの復讐戦の為、『王』に対し砲火を交えようとしていた。

「右舷砲戦開始、撃てーっ!」

 ベルギカ号右舷から無数の砲煙が上がった。
 放たれた8発の砲弾は、海上に居座り続ける『王』へ吸い込まれる様に飛んでいった。
 だが、砲弾は『王』の周りの目に見えないバリアの様な力が働き、砲弾はベルギカ号へと跳ね返されてしまった。『王』は、周辺の精霊と契約し精霊魔法の『反射』を使ったのだ。
 幸い、ベルギカ号は空中を全速力で進んでいた為、跳ね返された砲弾は後方へ逸れ、一発も当たる事はなかった。

「もしかして、さっきの……」

「せ、先住魔法か!?」

 艦長のド・ローテルを始め、士官達は驚きの声を上げた。

「文献でしか見たことが無かったが、あの海獣は先住魔法を……」

 早々に『王』を倒し、マクシミリアンの救助活動の為にコマンド隊に準備をさせていたが、その目論見は脆くも崩れ去った。

「先住魔法が相手では、我々だけでは敵わないかも知れない……」

「諦めるな! ロケット砲の飽和攻撃ならば先住魔法を破られるかもしれない! 幸い、他の海獣引っ込んだまま出てこない。このチャンスを逃がすな!」

 ド・ローテルは、弱音を吐く士官達を一喝した。

「も、申し訳ありません!」

「直ちに攻撃開始だ! 気張れよ!」

 ド・ローテルの檄で、士気の高まった士官達は各部署へ散って行った。

 その間にもベルギカ号は、黒煙を上げながら空中を行く。
 コマンド隊の面々は、ベルギカ号艦首に集まりマクシミリアン救出作戦の準備に取り掛かっていた。

「救出作戦って言ったって、近づけなきゃ意味が無いだろ?」

 ヒューゴが、一人愚痴った。コマンド隊の面々も先ほどの『王』の反射を見ていた。

「愚痴るな。敵海獣への攻撃が上手く行けば、救出への算段がつく。準備を怠るな」

「了解」

 ヒューゴとアニエスが敬礼して答えた。

「ジャック。海獣の様子はどうだ?」

 一人、バウスプリット(船首に付いている棒みたいな奴)に乗り、下方の『王』の警戒をしているジャックに聞いた。

「どうも、嫌な『空気』がします」

「空気が? 嫌な感じという意味か?」

「攻撃が近いかと……」

 曖昧な予想だった。だが、コマンド隊の入る前は猟師として森を駆け、旧式マスケット銃一丁でオーク鬼と渡り合った経歴を持つジャックをデヴィットは信頼していた。

「……そうか、アニエス!」

「はい!」

「ひとっ走りして、艦長の海獣の攻撃が近い事を知らせろ!」

「了解!」

 アニエスが、ド・ローテルの下へ走ってすぐにベルギカ号は慌しくなった。そして……
 
『敵海獣の周辺に異変!』

 物見からの報告で、ベルギカ号は大きく舵を切った。回避行動の為である。
 それと同時に、『王』の周辺の気温が急降下し、空中には、バスケットボール大の氷の塊が浮遊しベルギカ号の狙いを定めた。これは、『王』が精霊の力を借りて起こした現象だ。

「攻撃来るぞ! メイジ組はエア・シールドを貼り機関を守れ!」

 ついに、百を越す大量の氷の塊が、ベルギカ号に向けて放たれた。
 メイジ達は、攻撃に対し蒸気機関を守るように『エア・シールド』を展開した。

「機関室、もっと石炭を食わせろ!」

「やってます!」

 ベルギカ号の要。機関室では、若い水兵達が煤塗れになりながらも、せっせと石炭を火室に放り込んでいた。
 煙突から黒煙が上がると、艦尾のプロペラが勢い良く回り、ベルギカ号は更に加速した。

 クククンッ!

 スピードに乗ったベルギカ号は、無事、回避したと思ったが、氷の塊はカーブを描き艦尾に殺到した。

「氷弾来まーーす!」

「曲がっただと!?」

 ガガガガガガン!

 氷の塊は艦尾を蜂の巣にし、氷の塊や壊れた木片で、作業をしていた水兵に負傷者を出した。

「艦尾に被弾っ! 負傷者多数!」

「直ちに負傷者の収容と、艦尾の応急処置を」

「了解!」

 ド・ローテルの周辺では、士官達が慌しく行き来していた。

「艦長。ロケット砲の準備が整いました」

「よし、直ちに発射せよ」

 ベルギカ号最大の牙。24連装ロケット砲が『王』に照準を合わせた。

 ……

『海上の目標に対しての攻撃だ。これより本艦は30度傾斜する。乗組員は何かに掴まれ』

 『拡声』の魔法で、艦内に警告を出す。

「戦闘。厳しいみたいね」

 食堂では、シュヴルーズがテーブルの下に隠れながらのん気に語った。他の学者達も各々が考えうる限りの方法で傾斜に備えていた。

「さ、さっき、血塗れの人が担がれて医務室の方へ向かっていました」

 エレオノールはガタガタと震えながら、シュヴルーズに習ってテーブルの下に隠れていた。

「怖いのかしら、ミス・ヴァリエール」

「こ、こここ、怖くないわ!」

 誰がどう見ても、やせ我慢だ。

 シュヴルーズは、(うずくま)った体勢のまま、怯えるエレオノールに接近し、おでことおでこが、くっ付くほどに近づいた。

「ごめんなさいね、ミス・ヴァリエール。私が誘ったばかりに怖い思いをさせてしまったようね」

「……ミス・シュヴルーズ」

 エレオノールを、この旅に誘ったのはシュヴルーズだ。
 シュヴルーズが、アトラス計画に参加する為の準備中だった時、寄宿舎に転がり込んで来たのを保護し助手として雇ったのが二人の出会いだった。

『女性でありながら高名な学者である、ミス・シュヴルーズのご指南を頂きたく参上いたしました!』

 何処かの時代劇の様な口上のエレオノールに、シュヴルーズは笑って迎え入れた。
 後で、エレオノールの素性を調べてシュヴルーズは引っくり返った。トリステイン王太子妃の姉で、トリステインでは『超』が付くほどの名家のラ・ヴァリエール公爵の長女だったからだ。

「富、名声、共に申し分ない名家の御長女がどうしてこんな所に……」

 とシュヴルーズは聞いた。将来的にはトリステイン王国の外戚として権力は思いのままなのに……とは口から出掛かったがそこは大人、何とか飲み込んだ。
 出航まで時間が無かった事で、結局エレオノールがラ・ヴァリエール家を出た事も説明せずに、二人はベルギカ号に飛び乗った。

 ……話を戻そう。

「ミス・ヴァリエール。この戦闘が終わったら貴女は帰りなさい。艦長には私から言っておきますから」

「だ、大丈夫です。本当に大丈夫ですから」

 エレオノールは懇願した。

「貴女……家出してきたのね」

「……私は!」

 シュヴルーズの言葉に、エレオノールは何か反論しようとしたが、ベルギカ号が傾斜を始め、反論の機会を逃してしまった。

「話は戦闘の後にしましょう」

「……はい」

 ベルギカ号は更に傾斜し、テーブルの上に乗っていた木杯や木の皿が床へと落ちた。
 食堂内の学者達は必死にテーブルなどにしがみ付いていた。

 ……

「照準良し!」

「撃て!」

 艦首中央に設置されたロケットポッドが火を噴き、24発の8サントロケット弾が『王』に向けて放たれた。
 火を噴いて進むロケット弾の金切り音が空に響く。

 しかし、24発全てのロケット弾は、『王』の先住魔法『反射』の見えない膜の様なモノにまで到達すると、爆発せずに、方向を変え四方八方へ飛んでいった。

「失敗……だと!」

 ド・ローテル周辺では、まさかの失敗に驚きの声を上げた。

「艦長! ロケット弾数発が本艦に向かっています。内一つは直撃コース!」

「いかん、緊急回避だ!」

「取ぉ~舵!」

 船員の必死の努力も回避は間に合わず。ロケット弾は艦首付近に被弾した。

 爆発はコマンド隊の近くに届き、隊員それぞれは爆発を避けるために蹲る。

「うわあぁ!」

「皆伏せろ!」

「……!」

「えっ?」

 他のコマンド隊隊員が甲板に伏せるが、アニエスは運悪く爆風に巻き込まれ、外に放り投げられた。

「うわあああああぁーーー!」

 ベルギカ号から放り投げられたアニエスは、冷たい海へと落ちていった。
 

 

第五十五話 ドゥカーバンクの戦い・後編その2

 ……『にょろり』という擬音ほど、この状況を表した言葉は無いだろう。
 『水化』したマクシミリアンが、正に『にょろり』と『王』の背中から現れた。

 スライム状のマクシミリアンは人の形になり、やがてスライムの身体は肉の身体に変わった……全裸だったが。

「……ふう」

 ようやく、外に出れて一息付こうと思ったが、状況がそれを許さなかった。
 反射で跳ね返されたロケット弾が、ベルギカ号艦首に命中しアニエスが放り出されたからだ。
 ゆっくりと落ちて行くアニエスの姿を見たマクシミリアンの身体は勝手に動いた。

 アニエスを受け止める為に『エア・ジェット』を唱え、マクシミリアンは宙に浮いた。

「うっ!?」

 突如、マクシミリアンの周りの気温が急激に氷点下へ下がった。

「寒っ!」

 全裸のマクシミリアンに、この寒さは堪えた。
 さらに、マクシミリアンを取り囲むように、3メイル程の氷の(かに)が現れた。
 氷の蟹は巨大なハサミを振り回し、マクシミリアンに襲い掛かった。

「お前らに構っている暇は無い!」

 『エア・ジェット』で天高く飛ぶと反転して急降下、氷の蟹に強烈な飛び蹴りをかました。
 しかも、足の裏には『エア・ジェット』を展開していた為、空気圧の衝撃も加味され、氷の蟹が粉々に砕け散った。
 再び、行く手を阻む蟹に急降下ドロップキックが炸裂、蟹は粉砕された。

 その間にも、アニエスは海面へと真っ逆さまに落ちている。これ以上蟹にかまって入られなかった。

「邪魔だぁぁーーーっ!!」

 カッ!

 『目から破壊光線』を最大出力で照射。
 通常なら両目から放たれる二つの光線は、一つの極太に光線に纏まり、行く手を遮っていた蟹を5体まとめて消滅し、どういう訳か包囲していて破壊光線に直接当たっていない他の蟹も消滅、『王』の背中にも噴気孔から尾びれに掛けて破壊光線の深い爪痕を残した。

 ……

『グオオオオオオ!』

 『王』は吼えた。
 噴気孔から尾びれに掛けての感覚が無い事と、先ほどの光で周辺の精霊が消滅したからだ。
 精霊が消滅した事で、周辺に張っていた反射も消失し、『王』は再び、反射を張る為に、再度精霊との契約をする羽目になった。

 この時、マクシミリアンは『王』の背中から離れ、全速力で落下するアニエスへ『エア・ジェット』を飛ばした。

『こわいよこわいよ』

『あの光はこわいよ』

 契約された精霊達が『王』の周りに集まる中、『王』には精霊達の悲鳴が伝わってきた。

『オオオ……哀れな……許さんぞ精霊殺し!』

 怒った『王』は、周辺の精霊と根こそぎ契約し、周辺の気温は更に低下した。
 『王』の皮膚の表面には氷がビッシリと張り付き、鎧の様になったと思ったら、氷の鎧は更に厚みを増し、『王』を中心に巨大な氷の塊になった。

『何千年、何万年掛かろうとも、お前を氷付けにしてやる』

 『王』の周りは、真冬の北極圏並みの気温に下がり海すらも凍っていく。
 この冷気は、やがて陸にも波及しハルケギニアは氷に包まれるであろう。
 思わぬ所から、ハルケギニアに滅亡の危機が迫っていた。





                      ☆        ☆        ☆





 海へと落下するアニエスを救う為、マクシミリアンは飛ぶ。

「あと少しだ、間に合え!」

 その時、落下するアニエスと目が合った。
 驚いた顔をしたアニエスに、マクシミリアンは手を伸ばした。

「うおおっ!」

 間一髪、海面に叩きつけられる寸での所で、アニエスを抱きとめた。

「ギリギリセーフ!」

「あ、ああ……」

 呆けた顔のアニエスに、コツンと軽く頭突きをした。両手が塞がっていた為、頬をなでるなど簡単なコミュニケーションを取る事が出来なかったからだ。

「痛っ、ありがとう……ございます」

「気にするな。とにかくアニエスが無事でよかった」

 間一髪、助けられたアニエスだったが、太ももに妙な感触を覚えた。

「この感触は……?」

 アニエスが太ももに視線を移すと、マクシミリアンが全裸だった事に気が付いた。
 しかも、マクシミリアンのシンボルが、アニエスの太ももにベッタリと触れていた。

「え、ええぇぇ~~~~!?」

「どうした!? 敵の攻撃か?」

「いえ、その、あの……足が……」

「足?」

 マクシミリアンも、ようやく自分が全裸だった事に気付いた。

「一度、ベルギカ号に帰ろう……よっと」

 マクシミリアンは、アニエスをお姫様抱っこに変えて、上空のベルギカ号へと昇っていった。

「ちょ、離して下さい恥ずかしいです!」

「こら動くな、落としてしまうだろ!」
 
 マクシミリアンと、顔を真っ赤にしたアニエスがベルギカ号の甲板に降り立つと、水兵達が歓声をあげ、ド・ローテルが駆け寄ってきた。

「殿下、ご無事でしたか」

「艦長、心配を掛けたような」

「誰か、殿下に着る物を」

 暫くして、執事のセバスチャンがガウンを持ってきた。

「あの、下ろして下さい」

 公衆の面前で、お姫様抱っこされるのが恥ずかしくなったのか、アニエスは下ろすよう言った。

「ああ、悪かった」

 アニエスを下ろすと、セバスチャンが目にも留まらぬ早さでガウンを着せ、マクシミリアンは全裸から解放された。

「……さて、一息つきたい所だが戦闘中だ、被害はどれくらい出た?」

「幸い、死者は出ていませんが、重傷者が5人ほど……」

「そうか、後で特製の秘薬を作ろう」

「兵も喜ぶでしょう。それと、もう一つ報告がございます」

「なにか?」

「あの海獣は、先住魔法を使います。我々の攻撃は悉く跳ね返されてしまいました」

 ド・ローテルは先の戦闘の詳細を語った。

「先住魔法か、う~ん」

「このままでは(らち)が明きません。撤退を開始しますが宜しいですね?」

 ド・ローテルは、撤退する事をマクシミリアンに伝えた。
 あくまで指揮官は、ド・ローテルだからだ。

「その心配は無いよ。あの海獣はもうすぐ僕達の言いなりになる」

「それはどういう事でしょうか?」

「詳細は言えないが、海獣から脱出する際に『仕掛け』を施したんだ」

 血液に変化させたビット達が、脳に到達すればマクシミリアンの勝利だ。

「……そうですか、敵の攻撃範囲外へ退避し、仕掛けの効果が現れるまで観察に切り替えます」

「任せ……いや待て」

 マクシミリアンが『王』の方を見ると、そこには『王』の姿は無く巨大な氷の島が在った。

「これは……」

 氷の島は見る見るうちに大きくなり、3リーグを越す程の大きさに成長していた。

「艦長!」

 仕官が大慌てで、ド・ローテルへ報告に来た。

「どうした?」

「艦の底が凍りついています!」

「何だと?」

 余りの寒さに空中のベルギカ号まで影響を受けていた。

「確かにこの寒さを異常だぞ?」

「殿下、ガウンだけでは寒いでしょう、何か羽織るものを持ってきます」

 セバスチャンが、船室に戻っていった。
 他の水兵達も寒そうに身を震わせている。

「アニエスは寒くないか?」

「大丈夫です」

 マクシミリアンはアニエスを気遣った。そこに、別の仕官が報告に来た。

「艦長、報告が!」

「今度は何だ?」

「機関室より報告、急激な気温の低下で蒸気機関が不調に陥ったとのことです!」

「何にぃ?」

 ド・ローテルは、驚きの声を上げた。

(この気温の低下で、海獣の血流が滞っているのかも)

 そうなれば、血液に変化したウォーター・ビットは、血流が滞る事で脳に届く事は無く魔力切れを起こしマクシミリアンの『仕込み』も不発に終わる可能性が高かった。
 マクシミリアンの予想通り、既にウォーター・ビットは魔力切れを起こし、ただの水に戻ってしまっていた。

 そして何より……

「あの海獣をどうにかしなければ、僕達の旅もここで終わりだ」

「何か策が御有りで?」

「ある事はある……再びロケット砲の用意と、二、三分程時間をくれ」

 そう言ってマクシミリアンは、アニエスの手を引いて人気の無い所へ連れて行った






                      ☆        ☆        ☆






 人気の無い所に着いたマクシミリアンは開口一番に……

「僕の目を舐めてくれ」

 と、言った。

「は……はああぁぁぁぁ!? アンタ、何言ってんの!?」

 アニエスは、思わず素が出た。

「……」

「あ……も、申し訳ございません!」

 シュンとなるアニエス。だが、マクシミリアンは気にしなかった。

「年頃の女の子に、こんな事をさせるのを僕も申し訳なく思っている。けど、時間が無いんだ、頼むアニエス」

「どうしてそんな事を」

「詳しい事は言えないけど。この状況を打開する為には必要な事なんだ」

 精霊魔法を使う海獣に対抗するには、『目から破壊光線』の力が必要だとマクシミリアンは思った。

(アニエスを救う為に、海獣の背中から飛び出した時は気付かなかったが、あの時、破壊光線に当たっていない蟹もどういう訳か消滅した。ひょっとしたら破壊光線は先住魔法に効果があるのかも……)

 まだ仮説の段階だったが、マクシミリアンは試してみるつもりだった。
 破壊光線照射から10分は、とうに過ぎていたが最大出力での照射だった為、保険の為に女性に眼球を舐めてもらう事にした。

「……うう」

「頼むよ」

 悩むアニエスに、マクシミリアンは懇願した。

「……分かりました。危ない所を助けていただいた恩もあります」

「ありがとう、アニエス」

「っと、よろしいでしょうか?」

「ん、いいよ」

 アニエスは、マクシミリアンに顔を近づけた。
 目と目が合い、アニエスの血圧が急激に上昇し、恥ずかしさの余り目じりに薄っすらと涙が溜まる。

「行きます!」

「大声を掛けなくても聞こえているよ」

「分かっています! 気合を入れただけです!」

 アニエスは、ガシッとマクシミリアンの頭を抑え、ピンク色の舌を震わせて目に近づけた。

「ンンッ」

 ペロッ

 アニエスの舌がマクシミリアンの右目を優しく撫でた。

「おおえふか(どうですか)?」

「もうちょっと、舌で眼球をマッサージする様に」

「ふぁい」

 アニエスは言われたとおりにマッサージする様にマクシミリアンの眼球を舐めた。
 この時、マクシミリアンは目を踏むってアニエスに身を委ねていた。

(……可愛い)

 アニエスは今、羞恥心の余り顔を真っ赤にしながらも献身的に奉仕している姿が、目で見なくても分かった。それがマクシミリアンには愛おしく思えた。

 時間は2分ほどだった。

「……あの、終わりました」

「ありがとうアニエス。これを取っておいてくれ」

 そう言って秘薬の瓶をアニエスに手渡した。

「……これは?」

「嫌なモノを舐めただろう? うがい用の秘薬さ」

「いえ、私はその様な事は……」

「まあまあ、取っておけって」

 そう言って、秘薬を返そうとするアニエスの手に無理矢理捻じ込んだ。

「あっ」

「それじゃ、僕は行くよ。アニエスのお陰でトリステインは助かる」

 それだけ言って、マクシミリアンは逃げるようにして去った。
 アニエスが頑張ってくれたというのに、いささか冷たいのでは? と、マクシミリアンも十分に理解していたが、妻がいるにも関わらず、アニエスにときめいてしまった自分が許せなかったからだ。

(オレって多情なのかも……)

 マクシミリアンの本心はカトレア一筋だが、この性質がトリステイン王家の血の宿命なのか、それとも呪いなのか……この後も様々な女性関係はマクシミリアンを悩ませる事になる。






                      ☆        ☆        ☆





 ガウンから動きやすい服に着替えたマクシミリアンは、颯爽とベルギカ号から飛び降りた。

「さ、寒っ!」

 だが、眼下の大海原は『王』の精霊魔法に寄って、氷の大地と化していた。気温はマイナス50度は下回っているだろう。
 風雪はこの海域では考えられないほど吹雪き、マクシミリアンは氷の大地へと降りていった。

 氷の大地へ降り立つと、何処からとも無く声が聞こえてきた。

『待っていたぞ精霊殺し』

「!」

 マクシミリアンは戦闘体勢を取った。
 周辺を警戒するが、謎の声は全方位360度から響いてきて、声の主が何処にいるか分からない。
 『王』は精霊の力を使いテレパシーに似た能力で、マクシミリアンに話しかけていた。

『お前にたどり着くまで、全ての物を氷に変える積りだったが手間が省けた』

「それは良かったな……一つ聞きたい。さっき言った精霊殺しとは何だ?」

『お前の事だ。お前の目から出る光は精霊を死なせる。お前はこの世に存在してはいけないのだ』

「なるほど……合点がいった」

 マクシミリアンは、自身の破壊光線が精霊魔法に対し効果的である事を確信した。

『そして、多くの家臣の敵も取らせてもらう』

「お、家臣の事を想うなんて、暴君じゃなく、意外と名君なのか」

『減らず口を、すぐにでもその口を氷漬けにしてやろう』

「オレとしても、さっさと終わらせて旅の続きがしたいんだ」

『お前を氷漬けにした暁には、海底深く沈め、二度と蘇らぬ様にしてやるぞ、精霊殺し! 』

「馬鹿が、人が蘇るか!」

 言葉のドッヂボールは終わり、『王』とマクシミリアンの戦いの幕が切って落とされた。

 ……

 氷の大地から、氷の蟹がワラワラと現れた。その数、およそ一千。

「懲りもせず、また氷の蟹か!」

 マクシミリアンが杖を振るい、左手でピストルを作った。
 マクシミリアン版ウォーター・ショット、『ウォーター・キャノン』だ。

 ズドンと、空気が破裂し強烈な水流が、氷の蟹ごと氷の大地に打ち込まれ、氷の蟹が数百個粉々になり、後には巨大なクレーターが出来ただけだった。

「チッ、こんなのは不毛だ」

 マクシミリアンは、自分の不利は最初から分かっていた。
 『王』は、数リーグもの巨大な氷の大地の何処かに身を潜めているのだから。氷の蟹をいくら倒しても、マクシミリアンが有利になることは無かった。

 精霊の力で次々と生産される氷の蟹は、人海戦術でマクシミリアンに迫る。

「ウォーター・ビット!」

 マクシミリアンは、24基のビットを作り出した。

「迎撃!」

 ビット達はそれぞれウォーター・ショットを発射、蟹を水圧で粉砕、切断してゆく。

「人海戦術には人海戦術! 来い、人馬ゴーレム!」

 マクシミリアンは、杖を振るい『クリエイト・ゴーレム』を唱えると、氷の人馬ゴーレムを300騎作り出した。

「水だけは、いくらでも有るからな」

 6メイルの大型ランスを構えた人馬ゴーレム達は、スパイク付きの馬蹄で氷の地面をガリガリと削り足場を確かめた。

「チャァーーーーージッ!」

 300騎の人馬ゴーレムが、氷の大地を踏み砕き蟹の群れへと突進した。

「……」

 物言わぬ騎兵達は、6メイルの大型ランスで氷の蟹を突き砕き、馬蹄で踏み砕いた。蹂躙(じゅうりん)と言っていい。

「いいぞ、人馬ゴーレム! ウォーター・ボール達は海獣の本体を探せ!」

 ビット達は、氷の中に隠れた『王』を探す為、四方へと飛んでいった。

 その間にも人馬ゴーレムのランスチャージは氷の蟹を蹂躙し続け、その数を四分の一にまで減らした。

「……ん、これは?」

 マクシミリアンは、辺りがダイヤモンドダストに似た現象が起こって事に気付いた。
 それはダイヤモンドダストの原因は、粉砕された氷の蟹の破片で、周辺を漂い、気温を更に下げた。
 キラキラした氷の結晶が、マクシミリアンの手足に張り付き凍傷を起こさせ、徐々に強くなる吹雪が手足を凍りつかせる。
 『王』が反撃を開始した。

「これは、まずい……!」

 凍りついた手を暖める為、抱きかかえる様に姿勢を変えると、凍結が更に広がり身動きが取れなくなった。
 次に、ゴトリとビットの1基が凍りつき氷の大地に落ちた。偵察に行った他のウォーター・ビットも、次々と凍りつき地面へと落ちていった。

 吹き荒れる吹雪は、マクシミリアンの頭を除き、完全に凍結させる。

「ゴーレム達、オレを乗せて何処か退避を……!」

 だが、人馬ゴーレム達は、各関節が完全に凍りつき身動きが取れなくなった所を、生き残りの氷の蟹の鋏が次々と砕いていき、遂にマクシミリアンのみが残されてしまった。
 ワラワラと氷の蟹達が、凍結したマクシミリアンを取り囲んだ。

「ぐぅぅぅ、死んで、死んでたまるかぁぁぁーーーーっ!」

 マクシミリアンの両眼が光った。
 またも、最大出力の破壊光線を、地平線の先に向かって放った。

 囲んでいた蟹の群れは瞬時に吹き飛び、マイナス80度もの気温は現象を起こしていた精霊が、破壊光線によって死滅した為、この季節の平均的な気温へと戻り吹雪も止んだ。
 精霊が死滅した為、『王』の声は聞こえない。だが、悲鳴を上げているのは想像できた。

「オオォォッ!」

 マクシミリアンを捕らえていた氷はバリバリと崩れた。

「このチャンスは逃さない!」

 マクシミリアンは杖を天高く掲げ、そして唱えた。

『ギロチン!』

 杖から発生した光の柱が、雲を貫き天高くそびえ立った。

「島ごとぶった切る!」

 マクシミリアンは『ギロチン』を氷の大地目掛けて振り下ろした。 

 振り下ろされた光の柱は、氷の大地を到達し、ビキビキと亀裂が入る。

「うおおおおおおっ!」

 吼えるマクシミリアンに呼応するように、更に太く長くなった『ギロチン』は大地を砕き、やがて両断した。
 大量の氷と海水とが混ざり合い、巨大な渦を作り出す。『王』はその渦の中心に居た。

「ベルギカ号、今だ!」

 マクシミリアンは、即席で作った狼煙魔法を、上空のベルギカ号へ向けて放った。

 ドン!

 狼煙魔法はベルギカ号の近くで炸裂し、予め打ち合わせをしていたベルギカ号はロケット砲一斉射の為に、再び傾斜を始めた。

『撃てーっ!』

 ド・ローテルの声が、拡声の魔法で周辺に流れた。
 24連装ロケットポッドからロケット弾が全弾発射され、渦の中心でノビている『王』に殺到した。

 ズドドドドドドドドドーン!

 24発のロケット弾が、200メイルの『王』の巨体に次々と炸裂した。
 ベルギカ号からは歓声が上がり、大量の爆煙『王』の巨体を隠す。
 風が吹き爆煙が散ると、『王』の血塗れの巨体が海へと沈む姿が見えた。

 上空のベルギカ号は裏腹に、マクシミリアンは苦い顔をした。

(あの海獣を死なせたら、復讐に燃える他の海獣どもと骨肉の争いを繰り広げる事になる。何とか説得できないものか……)

 マクシミリアンは、エア・ジェットで沈む『王』に飛び乗ると、杖を振るい『ヒーリング』を唱えた。

(傷を治したからと言って、どうなるという訳でも無いが。さて、どうしたものか……)

 マクシミリアンが思案していると、脳内に『王』の声が聞こえた。

『何故、助けた』

「ん? ……ああ、喋れるようになったのか」

『再び精霊の力で、お前に話しかけている』

「なるほど、先住魔法ってのは便利だ。話を戻すが、助けた理由はお前を殺しても他の海獣が、この一体の主に納まり僕達を襲う可能性があったからな、無駄な事はしたくないし、何より……話が通じると思ったからな」

 『お前を洗脳、コントールする為だった』とは口が裂けても言えない。

『敵に情けを掛けられるとは……負けたな』

 『王』は何か染み入るように呟いた。

「この海域の主よ、一つ取引がしたい」

『取引?』

「そうだ、我々は、この付近一帯の魚資源を目に付けている。トリステイン王国の、周辺海域での漁を認めてもらいたい」

『……認めるも何も、我々のものではない。欲しければ勝手に獲っていけば良かろう』

「ならば主よ。我々の漁と航海の安全の為に南下を控えて貰いたい。その代わり、我々は貴方達の領域には決して足を踏み入れない。不可侵条約だ」

『お前との戦いで、有力な家臣は粗方死んでしまった。回復するには数百年掛かるだろう。そして、何より……我らは負け、情けを掛けられたのだ……勝者に従おう』

「ありがとう、北海の王よ!」

 こうして、トリステイン王国と北海の王との間に交わされた盟約で、ドゥカーバンク海域の安全な漁業権、航行権を得る事に成功した。

 北海の王が北へと去る際に、マクシミリンに呟いた。

『お前のその精霊を殺す光、今でも恐ろしいと、この世にあってはならぬ物だと思っている。他の精霊を統べる者たちは、お前を決して許しはしなだろう』

「……」

『さらばだ精霊殺し。二度と会うことはあるまい』

 北海の王は、傷ついた家臣達を引き連れ北の海へと去っていった。
 交わされた盟約はマクシミリアンの死後も効果を持ち続け、北極海を本拠にする北海の王は決して南下をしようとはしなかった。そして、人類も北極海を犯すことは無く、何千年経っても、北極は聖域であり続けた。 

 

第五十六話 波を掻き分けて

 北海の王との戦闘を終えたベルギカ号は、ドゥカーバンク海域に留まり、艦の修理と怪我人の治療を行っていた。
 被弾した箇所で最も被害を受けた艦尾では、ド・ローテルが修理の監督をしていた。

「では、この書簡を父上へ渡してくれ」

「御意」

 マクシミリアンは、停泊期間を利用して連絡用に飼育室に入れていた風竜を使い、北海の王との間に交わされた盟約の詳細をエドゥアール王に報告した。

「艦長、出発しますが宜しいでしょうか?」

「離艦する者はいない様だ。よろしい、出発してくれ」

「了解」

「クエーッ!」

 連絡員を乗せた風竜は一つ嘶くと、バサバサと翼を羽ばたかせ飛んでいってしまった。

「……」

 マクシミリアンは、風竜が去った空を見続けた。実は、エドゥアール王の書簡と一緒に妻のカトレアへの手紙も手渡したからだ。

「さて、これからどうしよう?」

 負傷者用の秘薬は既に作り終えてしまい、手持ち無沙汰になったマクシミリアン。

(医務室に行っても、邪魔になるだけだしなぁ)

 王子が顔を出せば、かえって気を使わせるだろう、とマクシミリアンは空気を読んだ。
 甲板では、非番の水兵達が釣竿を垂らして、楽しそうに釣りをしていた。

(あの様子だと、良く釣れるようだ)

 邪魔するのも悪いと思い、他の場所へ移ると、エレオノールが物憂げに海を眺めていた。

「こんにちは、義姉上。ご無沙汰しています」

「……殿下」

「世話話をしたくて声を掛けましてね。どうでしょう? 僕の部屋でワインでも。他にもリキュールとかもありますよ?」

「申し訳ございませんが、今は……」

「まあまあ、僕は酒を飲む口実が欲しかったので、助けると思って付き合ってくださいよ、

「……分かりました」

 エレオノールは肩をすくめて承諾した。
 こうして、マクシミリアンとエレオノールは、船室へと降りていった。






                      ☆        ☆        ☆






 エレオノールが、トリステイン魔法学院に在籍していた頃に勃発したトリステイン内乱は、僅か数ヶ月で鎮圧された。
 その時、エレオノールの婚約者の実家が反乱軍側に参加してしまった。当然、婚約は破棄され、内乱鎮圧後、婚約者のお家も改易された。
 父のラ・ヴァリエール公爵は、エレオノールの為に新しい婚約者を見つけて来たが、その新しい婚約者の実家も帳簿の不正で改易され婚約は破棄。
 また、新しい婚約者を見つけてきたが、その婚約者の実家も粛清の余波で改易された。
 改易された貴族の財産の『一部』を徴収しトリステイン経済は大いに潤ったが、学生時代のエレオノールは灰色だった。
 学院を卒業した後、トリステイン社会は何もかも変わっていた。
 魔法学院という一種の閉鎖された環境で過ごした為、世間に出た卒業生達が昨日まで正しいと信じていた貴族像は、内乱後に様変わりしていて所々で問題を起こした。

 王太子妃の姉という立場のせいか、『不甲斐ない姿は見せられない』という意気込みと、世間に取り残されたカルチャーショックとも板ばさみに、エレオノールは耐えられなくなった。

 そんな、逃げ込む先も知らない、世間知らずのエレオノールは、マクシミリアンとの酒盛りにおいて『酒』に出会ってしまった。

「だぁぁぁかぁぁぁらっ! このまま家にいらら(いたら)私ゃらめ(駄目)になると思ったんれふよぉぉ!」

 エレオノールは、早々に『出来上がって』しまった!

「なるほど、それで義姉上はベルギカ号に乗ったのですね」

 酔っ払い相手の対応は、聞き手に回るのが基本だ。

「今までしゃんじゃん(散々)ムチでビシバシ叩いて、貴族らしい貴族に私を教育してきたのに、それが無駄だったのよぉ~! だからお母しゃまには、何も言わじゅに来たのよぉーーー!!」

 遅い反抗期も、家出の動機付けに作用したようだ。

「それは……大変でしたね」

「そぉ~でしょ~? ウフ、ウフフフフフ」

 今度、エレオノールは楽しそうになり、ウィスキーのライム割りを傾けた。

「それもこれも、男の連中がしっかりしないから私が苦労するにょよ! ヴウウウゥゥッ!」
 今度は、男に責任転嫁して泣き始めた。獣の様な泣き声だった。

(なんと言うか、男運の悪い人だな。後、酒癖も)

 内心呆れて、マクシミリアンはリキュールを傾けた。

「そこの執事! もう一杯注ぎなさい」

「……あぁ~、セバスチャン。義姉上にもう一杯」

「ウィ、殿下……どうぞ、ミス」

「うふん、これこれ」

 エレオノールは、新しく注いでもらった杯をグビグビ呷った。

(うわぁ……)

 この有様では、男運だけの問題ではない……とマクシミリアンは思った。

「義姉上、大丈夫ですか?」

「らいじょーぶ(大丈夫)」

「何処まれ話したっけ? ……えぇ~っと、そう! そこれ、思ったのれすよ! 男にかまけるより仕事に生きりゅ女ににゃるって!」

「そうなんですかぁ……」

「この旅で、私は変わるのよぉーーーーーっ!!」

「はいはい」

 相槌をうって話をエレオノールに合わせた。

(残念な美人という奴か。勿体無いなぁ)

 カトレアに送った手紙には、エレオノールの事は書いておいた。
 告げ口するようで気が引けたが、書かない訳にも行かなかった。

「う~ん」

 そうしている内にエレオノールは酔いつぶれてしまった。

「あら、酔いつぶれてしまった……すまないがセバスチャン、義姉上を部屋まで運んで上げてくれないか?」

「ウィ、殿下」

「すまないな」

 こうして、酔ったエレオノールは、セバスチャンに運ばれていった。
 一人残されたマクシミリアンは、エレオノールが残した飲みかけのグラスを手に取ると、自分のグラス注ぎ、リキュールのウィスキー割りにして飲み干した





                      ☆        ☆        ☆





 数日してベルギカ号の修理は終わり。連絡係の風竜も戻ってきた。
 再び出発したベルギカ号は、数日掛けてアルビオン大陸の北方を迂回すると、今度は進路を西南西に取った。

 ベルギカ号が、アトランティウム洋を横断している頃、マクシミリアンは連絡員が持ってきた手紙の返事を読んで退屈を紛らわしていた。
 手紙は、妻のカトレアの返事と、妹のアンリエッタの手紙だった。

 アンリエッタの手紙は、ミミズが這い回ったような下手な字で書かれていたが、マクシミリアンは微笑ましく思えた。一方のカトレアの手紙はというと、字も綺麗で魔法学院での日々が書かれていて、女子寮ではミシェルと部屋が隣同士になり、よく一緒に行動するようになったそうだ。
 カトレアは、手紙の他に手編みのマフラーを同封して送ってきた。
 カトレアのピンクブロンドの髪に良く似た淡いピンクのマフラーは、不恰好ながらも気持ちの篭もっていて、マクシミリアンは大いに喜び、何かにつけてマフラーを巻いて艦内を出歩くようになった。

 ……朝、マクシミリアンはベルギカ号の大きな揺れで目を覚ました。
 ベッドから這い出すと、最早、日課となったカトレアの手編みマフラーにキスをした。
 これは、マクシミリアンの朝一番の願掛(がんか)けの様なものだった。

 だが、今日に限って妙に気分が悪い。

「うぐうっ!?」

 波のうねりに合わせて腹の中を掻き回す様な感覚になる。

「よ、酔った……」

 ヴァールダムを出航しておよそ一週間。それほど気にならない程度の波だったが、とうとう胃袋をシェイクする程の洋上特有の高い波がやって来た。

「だ、誰か……」

 枕元に置いてある呼び鈴を鳴らすと、十秒とせずにセバスチャンがノックと共に入ってきた。

「お目覚めでござございますか? 殿下」

「……うっぷ」

 セバスチャンが部屋に入ると、ベッドから転げ落ち床の上で大の字になったマクシミリアンが居た。

「これは!? 殿下、いかが為さいましたか!?」

「ふ、船酔い……桶か何かを……」

「しばしお待ちを!」

 セバスチャンは、急ぎ部屋を出て行った。
 幸い、セバスチャンが間に合ったお陰で事なきを得た。

 『マクシミリアン王太子殿下、船酔いになられる!』

 この情報は瞬く間に艦内に広まった。
 ハルケギニアの人々にとって海は、先日まで未知の領域だった。そのせいか、『船に揺られる』という事を知らないハルケギニア人は基本的に船に弱かった。
 船酔いは、学術団の面々にも広がり、医務室は酔い止めを求める人々で長い列が出来た。
 水兵達は日ごろの鍛錬の賜物か、船酔いを起こす者は皆無だったが、コマンド隊の場合は、酔い止めで辛うじて平静を保っていた。しかし、アニエスは船酔いでの衰弱が酷く、ベッドから起き上がることも出来なかった。

「……」

「……うう」

「うっぷ」

 女性部屋では、アニエス、エレオノール、シュヴルーズの三人が、それぞれのベッドの上で迫り来る嘔吐感と戦っていた。

「……ミス・ミラン、喋れる? ちゃんと、返事しないと不安になるわ」

「……」

 『死屍累々』という表現がピッタリのアニエスは喋る事もできなかった。

「ミス・ミラン?」

「……あい」

 シュヴルーズがアニエスに尋ねると、弱々しくも返事が返ってきた。
 返事を返したアニエスは、毛布を頭まで被り身動き一つしなくなった。

「……」

「うー」

「あ~」

 高い波にベルギカ号が揉まれる度に、ゾンビの様な呻き声を上げる三人。
 ……そして時間だけが流れた。

 エレオノールは、動かないアニエスが心配になった。
 どうしたものか、と頭を捻らすと妙案が浮かんだ。

「……そ、そうよ、いい事考えたわ。うぷ」

「ミス・ヴァリエール、どうしたの?」

 ベッドで横になっていたエレオノールが声を上げた。

「レビテーションよ。レビテーションで浮かべば、このムカムカから解放されるわ」

 エレオノールは杖を振るい宙に浮いた。

「そ、その発想は無かったわ!」

 シュヴルーズもエレオノールに習って『レビテーション』を唱えた。
 二人は宙に浮いて数分すると、嘔吐感が収まってきた。

「ミス・シュヴルーズ。力を貸してください」

「ん? いいわよ」

 二人はレビテーションで浮いた状態でアニエスに近づいた。

「……ミス・ヴァリエール。手伝うって、ミス・ミランを抱き起こす事?」

「そうです。ミス・ミランが、あの状態じゃ魔法も碌に使えないでしょうから」

「あ~……彼女、魔法が使えないから」

「え? どういう事ですか?」

「彼女、平民の出だから魔法が使えないのよ」

「でも、ミラン家って、ちゃんとした貴族の家ですし、彼女の父親って、王国でも屈指の出世頭ですよ?」

 どうやら、エレオノールはアニエスの事をメイジだと思っていたようだ。

「彼女は養女よ」

「……」

「ミス・ヴァリエール。彼女が平民だと知ったからって、対応を改めるような事はしないでね? じゃないと殿下に粛清されるわよ?」

「し、しませんよ、そんな事」

「そう、なら良かったわ。貴女、いい()だけど、一昔前の貴族みたいよ?」

「……ぐ、ぐぬぬ」

 エレオノールは『ぐぬぬ』と唸ると、アニエスのところまで浮いて移動した。

「……うう?」

 くぐもった声でアニエスが毛布から顔を出すと、シュヴルーズとエレオノールが二人でアニエスを抱きかかえようとしていた。

「な……何を」

「ちょっと我慢しててね。ミス・ヴァリエール、始めましょう」

「わ、分かりました」

 シュヴルーズはアニエスの肩と腰に手を回し持ち上げようとした。エレオノールもシュヴルーズの反対側を持ち宙に浮かんだ。

「こうやって、宙に浮いて暫くすれば酔いは収まるはずよ」

「……ありがとうございます。ミス・シュヴルーズ」

 だいぶ楽になったのか、アニエスの顔色は良くなってきた。

「私が考え付いたんじゃないわ、発案者はミス・ヴァリエールよ」

「そうでしたか、ありがとうございます、ミス・ヴァリエール。だいぶ楽になりました」

「べ、別にっ……貴女の為にした訳じゃないんだから!」

 ツンデレのテンプレの様な答えが返ってきた。

「それでも、ミス・シュヴルーズと一緒になって私を抱えてくれました。とても感謝してます」

「……勝手にして!」

 エレオノールは顔を真っ赤にして、ぷいっと顔をあらぬ方向へ向けた。
 照れ隠しの意味もあったが、面と向かってお礼を言われる経験が無いエレオノールは少しだけ目が潤んでしまった。しかも、おべっかの類ではなく邪気の無いお礼だ。エレオノールは今の顔を誰にも見られたくなかった。

 エレオノールの仕草が可笑しいのか、最初にシュヴルーズが笑い、釣られてアニエスも笑った。
 一方のエレオノールは二人にヘソを曲げてしまったが、このやり取りでアニエスのエレオノールへの苦手意識は無くなった。
 この日の内に、レビテーションを使ったコロンブスの卵的な酔い止め方は艦内に広まり、艦の何処彼処(どこかしこ)でメイジがレビテーションで宙に浮く奇妙な光景が見られるようになった。
 マクシミリアンもこれに習い、愛妻の編んだマフラーを首にかけながら丸一日、空中に浮き続けた。
 

 

第五十七話 新大陸を目指して

 ベルギカ号の船酔い騒ぎは、エレオノールの名案で一先(ひとま)ず解決した。

 とはいえ、普通のメイジは、マクシミリアンの様に精神力が無限に続く訳ではない為、一日に数時間ほど風石を消費してベルギカ号を浮遊させるようにした。
 石炭は、錬金で作成できるが、風石は錬金できず補給が効かない。
 その為、『なるべく風石を無駄に消費しないように』と艦長のド・ローテルは頭を悩ませた。

 船酔い騒ぎから数日が過ぎ、洋上を進むベルギカ号。
 ドゥカーバンクの戦い以来、襲撃者の影は無く、日は西に沈み夜が来ようとしていた。
 幸い天候も良く波もそれほど高く無い為、今夜は快適な安眠が出来そうだった。

 マクシミリアンは、カトレアのマフラーを首に巻き学者達の研究の発表会の見物していた。

「で、ありまして、トリステイン国内における渡り鳥の生態は……」

「……ふぁ」

 動物学者の発表を、マクシミリアンは欠伸(あくび)を噛み殺して聴いた。
 学者の話はつまらなくは無いのだが、船酔いの影響で夜も眠れず寝不足続きだった。
 眠そうにしているのはマクシミリアンだけではなく、船を漕いでいる学者もチラホラ見受けられた。

 発表会も滞りなく終わり、次に学者達と夕食をとる。
 献立は、乾燥パスタを海水で煮ただけの塩パスタにメインの羊肉のシーセージ、各種缶詰にザワークラフト(キャベツの酢漬け)だった。

「う~ん」

 まくまくと眠そうに夕食を食べていると、後ろに控えていたセバスチャンが心配そうに話しかけてきた。

「殿下、お疲れのようでしたら早めにお休みになられては?」

「そうさせて貰おうかな。ありがとうセバスチャン」

 セバスチャンの進めに従って、マクシミリアンは自室に戻りベッドに横になった。
 腹も満たされたマクシミリアンは、折からの寝不足で段々とまぶたが重くなり、そのまま寝付いてしまった。

 ……

 マクシミリアンが、窓から差し込む月明かりで目を覚ますと既に深夜、それも明け方近いのか東の水平線の向こう側が明るかった。

「ふ、風呂に入らないと」

 潔癖のマクシミリアンは、毎日の入浴を欠かさない。
 ベッドから這い出ると、半分眠っている様な足取りでフラフラと部屋を出て風呂場へ向かった。

 ベルギカ号の風呂場は、大人が三人同時に入れるほどの大きさで、お湯は火メイジが水からお湯に変えるか、機関室のボイラーを流用してお湯を調達する方式だった。

「ふぁぁ……」

 欠伸をしながら薄暗い廊下を進む。
 風呂場に到着すると先客が居るらしく灯りが点いていた。





                      ☆        ☆        ☆





 この日のアニエスの仕事は、遅番のシフトだった。
 仕事と言っても、やる事は歩哨ぐらいで、退屈に感じながらも明け方には仕事が終わった。
 エレオノールら同居人達は、当然ながら寝付いていてアニエスも寝てしまっても良かったが、寝る前に風呂に入りたかった。

(今日は、船酔いもそれ程酷くないし、ゆっくり寝られそうだ)

 地獄の様な吐き気と苦しみから解放され、アニエスは上機嫌だった。

 深夜という事もあって、風呂場には誰の姿も無くアニエスの貸し切り状態だった。

「……ふう」

 湯船に肩まで浸かり一息ついたアニエス。
 この瞬間が何よりの至福の瞬間だった。
 アニエスは、両手で湯をすくって顔に浴びせると、そのまま湯船の中に潜った。これも貸切の特権だ。
 この辺のところが、まだアニエスが14歳の少女たる所以だろう。

「……ぶくぶく」

 風呂で遊んでいると、ドアが開いて何者かが入ってきた。
 しかし、潜っていたアニエスは、これに気付かなかった。

 ガチャリと、ドアを開けて入ってきたのはマクシミリアンだった!
 全裸のマクシミリアンは、未だに『眠気まなこ』の状態だった。

「うぅーい」

 マクシミリアンは、桶にお湯をすくって頭から被ると湯船に入った。その掛け声は、まるで何処かのおっさんだ。

(う、誰か入ってきた)

 潜水していたアニエスは、誰かが湯船に入ってきた事にようやく気付いた。

(おかしいな、ちゃんと看板を掛けて置いた筈なのに)

 看板とは、『女性入浴中』と書かれている看板で、この看板が掛けてある状態で、風呂場に侵入すると厳しい罰が課せられる……訳ではなく。拘束力の無い、ただの紳士協定だが……
 ……乗組員は紳士揃いなのか、今のところ罰を受けた者は居なかった。

 チャプン……と、頭の上半分を湯船から出して隣を見ると、侵入者の正体はマクシミリアンである事に気付いた。

「ぶほっ!?」

 アニエスは思わず噴き出してしまったが、頭の下半分は湯船に浸かっていたお陰で大きな音は出なかった。

「♪~」

 幸い、マクシミリアンは、歌を歌っていて気付いていない。
 ちなみに曲名は、土曜夜八時に全員集合する番組のED曲だ。
 アニエスは、気付かれないようにマクシミリアンから遠ざかった。
 アニエスとマクシミリアンとの間には、大人一人分の微妙空間が出来た。

「むふー」

「……」

 ……どれくらい時間が経っただろう。
 マクシミリアンの独唱会に、アニエスは辟易していい加減に風呂から上がりたかったが、そんな事をしたらマクシミリアンに裸を見られてしまう。
 年頃のアニエスにとって耐えられない事だった。

 ちなみに、マクシミリアンの歌は金が取れるほど上手い。

(……早く出てってくれないかなぁ)

 と、アニエスが始祖ブリミルに願おうかと思っていると……

「はっ!?」

 マクシミリアンが、ビクッと震えると辺りを見渡した。どうやら正気に戻ったらしい。
 必然というべきか当然というべきか、隣のアニエスに気が付いてしまった。

「……」

「……」

「……」

「……」

 目と目が合い、二人は無言のまま固まった。

「……ごめん」

「……き」

「き?」

「きいいいぃぃぃやあああぁぁぁぁーーーーっ!!」

 湯船からの立ち上がりざまの右ハイキックが、マクシミリアンの左のテンプル(側頭部)を綺麗に捉えた。
 マクシミリアンは意識を刈り取られる直前に、各部が良く実ったカトレアとは別種の健康的なアニエスの裸体をハッキリと見た。

 呻き声を上げさせず、一発KOされたマクシミリアン。
 一方のアニエスは、白目をむいて倒れているマクシミリアンを見て正気に戻った。

「だ、大丈夫!?」

「きゅう……」

 慌てて近づくと、マクシミリアンは完全にノビていた
 王子を蹴り倒すなど、如何なる理由があろうとも許されるはずは無い。

「て、手討ちにされるかも……!」

 自分が仕出かした事に恐怖を覚え、アニエスはマクシミリアンを解放しようとすると、背中のドアの先、脱衣所から殺気を感じ取った。

「はっ!?」

 ドアがギギギと開くと、そこには執事のセバスチャンが立っていた。

「あうあう……」

「……」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ

 劇画調のセバスチャンの迫力に、アニエスは金縛りに掛かったように身動き一つ出来なくなった。
 その時、アニエスの脳裏にコマンド隊隊長ド・ラ・レイの言葉が浮かび上がった。
 以前、国内で誰が一番銃火器の扱いが上手いか……という内容で場が盛り上がった時にド・ラ・レイが語った内容だ。

 ド・ラ・レイ曰く。

『マクシミリアン王太子殿下御付の執事、セバスチャン殿がトリステイン一の達人だ。コマンド隊の精鋭が数人掛りでも逆に制圧されるだろう』

 と語った。

 元メイジ殺しのセバスチャンが、殺気を(ほとばし)らせアニエスの目を見据えた。

「……あの、これは」

「……」

 セバスチャンは恐怖にすくむアニエスを無視して、倒れたマクシミリアンを抱きかかえると風呂場から出ようとした。

「ミラン様」

 そして、出てゆく際にセバスチャンが言った。

「は、はい!」

「ミラン様、このたびの一件、主君に成り代わって謝罪させていただきます」

「へ? あ、いえ、手討ちにされても文句は言えませんので……」

「寝惚けていたとはいえ、ミラン様が入浴中にも関わらずに、風呂場に乱入した殿下に非がございます。この一件はお互いの為に『なかったこと』にいたしましょう……如何ですかな?」

 有無を言わせない迫力に、アニエスは自動的に首を縦に振った。

「はい、そうですね……」

「大変、嬉しく思います。では失礼いたします」

 言質を取ったセバスチャンは、最後にニッコリと笑うとマクシミリアンを抱えて風呂場を出て行った。

(た、助かった……)

 セバスチャン達が脱衣所を出て行くのを確認すると、湯船から上がり床に両膝をついてへたり込んだ。







                      ☆        ☆        ☆







 数日が経ち、マクシミリアンとアニエスとの間には微妙な空気が流れていたが、ベルギカ号は興奮の坩堝(るつぼ)と化していた。

「陸だあぁぁーーー!」

「本当に陸があった! 新大陸だ!」

 ベルギカ号の進行上には、緑色の陸地が見えていた。
 その光景を指差しながら、水兵達はお互い抱き合いその喜びを分かち合っていた。

「新大陸発見おめでとう艦長」

「こちらこそ、おめでとうございます殿下」

 艦橋ではマクシミリアンとド・ローテルが握手をしていた。

「上陸の準備をさせますが宜しいでしょうか?」

「あ、上陸前に検疫を済ませたいので、ちょっと待って欲しい」

「御意」

「手が空いた乗組員を随時、僕の部屋に尋ねさせる様に手配をお願いします。艦長を含め全員を、ね」

「畏まりました」

 ド・ローテルは恭しく一礼した。

 急遽、マクシミリアンの部屋で執り行われる事になった検疫に、乗員達は高ぶった心に腰を折られる形となったが、声に出すわけにはいかない。
 手が空いた者がマクシミリアンの部屋の前に列を成し、何時終わるか分からない検疫にヤキモキしていた。

「あの~、失礼いたします」

 水兵が一人、マクシミリアンの部屋を尋ねた。

「よく着てくれた。検疫および予防接種は、十秒と掛からない。椅子に座って楽にしていてくれ」

 マクシミリアンは、水兵に椅子に座るように促した。

「分かりました」

「イル・ウォータル……」

 早速、水兵が椅子に座ると、マクシミリアンは秘薬の瓶の蓋を開け、スペルを唱え杖を振るった。
 すると椅子に座った水兵の周りに、光の粒が煌めき舞った。

「うわあっ?」

「大丈夫だ、心配しないでくれ」

 やがて光の粒は消えてなくなった。

「はい、終わり。下がっていいよ」

「もう終わりですか? あ、いえ、失礼しました」

 夢でも見たような気持ちで水兵は去っていった。

「はい、次の人~」

「失礼します」

 次に部屋に入ってきたのはアニエスだった。
 未だにアニエスはマクシミリアンと目を合わせようとしなかった。

「よく来た。そこの椅子に座って楽にしていてくれ」

「……はい」

 アニエスは言われたとおりに椅子に座り大人しくしている。
 マクシミリアンは、さっきと同じように秘薬を持ち杖を振るった。

「イル・ウォータル……」

「……」

「所でアニエス」

「……」

「先日は、その……ごめん」

 マクシミリアンは素直に謝った。

「いえ、正直な所、私も迂闊でした」

「よかった、嫌われたかと思ったよ」

「……ですが、以前の事は『なかったこと』となっています。殿下もみだりに口に出さないよう、お願いいたします」

「うん、分かった」

 この会話中にも、アニエスの周りには光の粒が光っては弾けた。

「さて、終わった」

「ありがとうございました」

「ああ、アニエス」

 アニエスが立ち上がろうとした所を呼び止めた。

「お互い、キツイ船旅だったが、上陸してからが本番だ」

「このアニエス・ド・ミラン。粉骨砕身、殿下のお力になる事をここに誓います」

 椅子から立ち上がったアニエスは片膝を付き、(こうべ)をマクシミリアンに垂れた。

「うむ、期待している」

 芝居がかったアニエスの姿にマクシミリアンは、主君が騎士の叙任にするように杖をアニエスの肩に触れた。
 なんとなく、お互い余所余所しい雰囲気だったが、こういった芝居じみた事で仲直りできればめっけものだと、マクシミリアンは思った。

「後で発表しようと思っている事だが、新大陸探索に大いに奉献できれば、身分を問わず『シュヴァリエ』への叙任を考えている。この好機を上手く役立ててくれ」

「御意」

「うん、下がってよい」

 アニエスは一礼し部屋を出て行った。

 身分の違いを鑑みずにした結果、内乱を起こしてしまった事はマクシミリアンの苦い経験の一つだ。
 しかし、王国に多大なる貢献を与えることが出来れば、平民であろうと重用しようと決めていた。

 乗組員全員の検疫および予防接種は終了し、いよいよ上陸を前にマクシミリアンは薫陶を与えた。

 一つ。

『未知の土地である事から、常に用心に用心を重ねる事』

 一つ。

『我ら以外に味方は居ないと思い、味方同士の連携を重視し、抜け駆けは控える事』

 一つ。

『原住民と接触した場合は、即座に司令部に連絡し、原住民に対する粗暴な振る舞いを控えて、一人一人が王国の代表である事を自覚する事』

 最後に

『以上、三つの薫陶を胸にし、探索に大いに貢献した者を、身分を問わず『シュヴァリエ』に叙任させる』

 ……薫陶を言い終わったマクシミリアン。
 最後の『シュヴァリエへの叙任』に水兵や学者らは大いに奮い立った。

 ベルギカ号は大陸へ近づき、いよいよ、前人未到の土地に足を踏み入れるときが来た。
 

 

第五十八話 ヌーベルトリステイン

 遂に新大陸を発見したベルギカ号。
 マクシミリアンとセバスチャンに、アニエスらコマンド隊の4名を含めた上陸隊16名は、手漕ぎ式のカッターボートで上陸する事になった。
 予め、ウォーター・ビット32基を周辺に待機させ、コマンド隊もいつでも敵性動物の襲撃に対処できる様に完全武装していた。

「殿下、どうかご無事で」

「艦長も敵の襲撃は無いと思うが警戒はしておいてくれ。上陸したら土魔法で簡単な船着場を造っておく」

「御意」

 ド・ローテルは、頭を下げマクシミリアンを見送った。
 マクシミリアンは重武装の格好をしていた。登山に行くように何枚の服を重ね着し、カトレア色のマフラーを首巻き、背には以前に秘薬売りの行商の変装をした時に使った秘薬入れを背負っていた。愛用の杖の他に予備の杖を腰に付け、杖と同じ効果のある指輪と腕輪を嵌めていた。他にも『場違いな工芸品』の『FN ハイパワー』を隠し持っていた。

「出してくれ」

「御意」

 カッターに乗り込んだマクシミリアンは出発を命じ、沖合いに停泊しているベルギカ号から離れた。
 ベルギカ号から離れて数分して、マクシミリアンはセバスチャンに話しかけた。

「セバスチャン。陸から僕達を見ている者は居るか?」

「いえ……見当たりません」

 『場違いな工芸品』の双眼鏡を覗きながらセバスチャンは答えた。

「それでは、このまま岸へ」

「御意。お前らしっかり漕げ!」

『おお~!』

 上陸組の水兵達は、一糸乱れぬ連携でオールを漕いだ。

 ……

 岸に着いたマクシミリアン一行は、周辺の探索に向かう事になった。
 上陸地点の砂浜を抜けると、辺りは青々とした草原と遠方に林が見えた。

「僕は上空で警戒しているから、皆は探索を続けてくれ」

 そう言ってマクシミリアンは、『フライ』で空へと昇っていった。

 上空500メイルまで昇ると、手付かずの自然が地平線の彼方まで広がっていた。

「良い土地だな、これなら入植も可能だろう」

 好奇心を抑えられないマクシミリアンは、さらに上空へ行こうと思った。
 背負った秘薬入れから、ドゥカーバンクの戦いで使用した。酸素を放出する秘薬を取り出してそれを呷った。これならば更に高度を上げても酸欠になる事は無い。

 マクシミリアンは『フライ』から『エア・ジェット』に変更し、高く高く昇って行った。
 高度一万メイルにまで到達すると、マクシミリアンが上陸した場所は、東西に細長い半島である事に気付いた。
 東に目を向けると陸地は途切れ、海が広がり彼方には水平線が見えた。次に西に目を向けると、遥か彼方に地平線見えた。

「あ、これは……」

 マクシミリアンは、最初見たときは半島と思っていたが、良く観察すると半島を根っこから切り落とす様に大きな河が二つ流れていた。

「あの河の河口辺りに港を作れば、良港になるだろう」

 マクシミリアンは背中の秘薬入れから、『場違いな工芸品』の『インスタントカメラ』を取り出し航空写真よろしく撮影した。

『新しい街を作る』

 歴史に名を残す行為に、興奮を隠し切れずマクシミリアンはフィルムが無くなるまで空を飛びまわり撮影を続けた。
 後で分かった事だが、二つの河の内の一つは、実は河ではなく小さな海峡で、半島と思った上陸地点は実は島だった。
 これらを踏まえ、前世の知識からマクシミリアンが上陸した場所は、地球でいうロングアイランドで、河の河口付近はニューヨーク周辺に酷似していた。

 ……

 暫くして、マクシミリアンが捜索隊の所へ戻ると、コマンド隊のデヴィット駆け寄ってきた。

「殿下、周辺の様子は如何でございましたでしょうか?」

「それについては、これを見てくれ」

 マクシミリアンは、先ほど撮った航空写真を見せた。

「この形は、我々が上陸した場所は半島のようですね」

「そういう事だ。このまま北に向かっても海へ出るだけだから、進路を西へ変更して河に出よう」

「了解いたしました。さあ、みんな行こう!」

「了解」

「了解です」

 アニエスとヒューゴが応えた。

「ああ、言い忘れてた。野生動物が居たら捕獲をよろしく」

「野生動物ですか?」

 デヴィットが聞いてきた。

「ああ、それはだな……上陸前に予防接種したが、この未知の大陸に僕の知らないウィルスが存在する可能性があるから、未知のウィルスを宿している可能性のある野生動物を徹底的に調べようと思ったんだ」

「そういう訳でしたか、了解しました。ヒューゴ、ジャック、アニエスの三人は、道中に野生動物を見つけたら捕まえるようにしてくれ」

『了解』

 三人は敬礼して応えた。

「捕まえてきたら、僕の『スリープ・クラウド』で眠らせるから、頑張ってくれ」

「了解です。殿下の御前だ、無様な真似はしないように」

 デヴィットは、アニエスたちに頑張るように言った。

「全くの未知の土地だ。僕への忠誠心を示す為と言って、気張りすぎて怪我をしないように気をつけてな……」

 マクシミリアンは、気張るコマンド隊に、注意を促し見送った。

 ……

 野生動物を求めて探索するコマンド隊三人。中でもアニエスが妙に張り切っていた。

「狐だ! 新大陸(こっち)にも居たんだ……!」

「そんなにでかい声を出したら、狐が逃げちまうだろう?」

 声を張り上げるアニエスにヒューゴが、アニエスの口に手を当てた。

「あうあう……」

「早く捕まえないと逃げるぞ」

 周囲を警戒していたジャックが言った。

「あの狐以外に獣は他に居ないみたいですね?」

「ちょうど良いや、さっさと捕まえちまおうぜ。そういう訳でアニエス行って来い」

「私に振るんですか……まあ、いいですけど」

 アニエスは、ゆっくりと狐に近づき捕まえるタイミングを計っていた。

「よしよし逃げるなよ~」

 アニエスが手で触れようとすると、狐はサッと身を翻し逃げ出した。

「逃げた!」

「おい、逃がすな」

「なにやってんの!」

 狐と人間の追いかけっこが始まり、最終的に捕まえることが出来た。
 その後、合流しマクシミリアン達が河岸に着く頃には、十頭を越す獣が捕獲された。獣を調査した結果、目新しいウィルスは確認しなかった。捕らえられた獣達は野に放された。






                      ☆        ☆        ☆






 上陸から一ヶ月経ち、マクシミリアン一行は半島の根っこの部分に流れていた二つの河に挟まれた三角州に、港と砦を築き本拠地にしていた。
 三角州は『アルゴルキン島』と名付けられ、マクシミリアンの土魔法で砦や高い城壁が建てられ外敵からの侵入に対処した。
 城壁の各所にはベルギカ号から下ろされた24リーブル砲が16門配備されていた。
 学者達は、砦内にそれぞれの研究室を構え、日々研究に勤しんでいる。エレオノールもシュヴルーズの地質学の研究室に住み込みで暮らしている。

 港にはベルギカ号の姿は無く、彼らは入植者の派遣の要請と周辺の地図、そしてアルゴルキン島郊外に群生していたトウモロコシやカボチャ等の新種の植物をを持ってトリステインに帰国した。
 帰国の際、防衛の為に水兵を十数名降ろしたが、それでも『アルゴルキン砦』にはマクシミリアンとセバスチャン、コマンド隊にエレオノールら学術団と僅かな水兵の百名程度しか居なかった。

 これら、アルゴルキン島を中心とする入植地は、(ヌーベル)トリスタニアと命名され、後は入植者の到着を待つのみとなった。
 懸念された原住民との接触は一ヶ月経った今でも無く、奥地への探索は新トリスタニアの防衛、補給などの各体制が整ってから行う予定だった。

 ……

 この日のマクシミリアンは、アニエスとセバスチャンを伴って、農夫の様な粗末な格好でアルゴルキン島の東、地球でいうロングアイランド周辺に探索に出ていた。
 マクシミリアンはこの一帯を大規模な農地に変える積りだった。

「アニエス、セバスチャン、下がっていてくれ」

 そう言って、杖を振るいスペルを唱えると、マクシミリアンの周辺の大地が生き物の様に波打ち、ぺっぺっ、と石や小石を吐き出し始めた。
 それも一つや二つでは無い、50アルパン(およそ16キロ四方)もの広大な土地から数百万もの石が吐き出され、各地で石の塚が出来上がった。

「す、すごい」

 あまりのダイナミックな魔法にアニエスは、驚愕半分、呆れ半分といった表情でその光景を見ていた。

「よし、次。クリエイトゴーレム!」

 マクシミリアンが杖を振るうと、積み上がった石塚が人馬ゴーレムに変貌した。
 通常の上半身がウイングフッサー下半身が装甲軍馬の形ではなく、上半身は非武装で下半身は農耕馬の様な形をしていた。最大の特徴は耕作用のプラウが取り付けられ、それを牽引する事で耕作が出来るような形になっていた。

「人馬ゴーレム達、農地を耕せ」

 およそ千騎の人馬ゴーレムは、トラクターの様に農地を耕し始めた。

 その光景を見て、セバスチャンが感心したように言った。

「今までの歴史で、魔法をこの様な形で使った事は聞いたことがありません」

「そうだろうさ、今までの魔法は大抵が戦争の手段か、貴族の力を誇示する為の手段だったからな。そもそも、農作業は平民の仕事で、魔法で農地を興すなんて発想は、永い歴史の中で生まれなかったみたいだね」

 マクシミリアンが答えた。

「流石は殿下、私自身も農作業は下賎の者が行うもの、というイメージが出来上がっていたようですね。反省しなければなりません」

 セバスチャンは目を細めてマクシミリアンへ羨望のまなざしを送った。

 マクシミリアンは『気にするな』と手を払って、セバスチャンの眼差しに答えた。

 人馬ゴーレムが、広大な農地を耕し終えたのは、日が西に傾きかけた頃だった。

「次の農地の候補地に向かおうと思ったが、そろそろ日も傾く頃だし、今日はこの辺にしておこう」

「御意」

「分かりました」

 程よく耕された農地を後にして、マクシミリアンら三人はアルゴルキン砦に帰還する事になった。来たときと同じように人馬ゴーレムに馬車を引かせての帰還だった。
 岐路の途中、馬車の上でアニエスがマクシミリアンに尋ねた。

「殿下は、あの農地に何を植えられるお積りでしょう?」

「そうだな……新種のトウモロコシも良いし、本国から小麦を持って来させるのも良い、食べ物に限定せずに綿花を栽培するのも良いな」

 と、マクシミリアンは上機嫌に答えた。

「楽しそうですね」

「そりゃあ楽しいさ、このヌーベルトリステインには無限の可能性が秘めているんだ」

「ヌーベルトリステイン?」

「新しいトリステインという意味だ、アルゴルキン島周辺も(ヌーベル)トリスタニアと呼んでいるだろう?」

「そういえばそうでした……」

「まだまだ、こんな物じゃないぞ。更に版図を広げてヌーベルトリステインを大きくするんだ……今は農業か漁業ぐらいしか産業は無いが、きっと地下資源が唸るほど取れる場所だってあるだろうし絶対見つけてみせる。そうだ、それらを加工する工業だって建てないとな。ハハハ!」

 やる事が有り過ぎて、睡眠時間が削られるほどの嬉しい悲鳴だった。

 今の所、原住民との接触は無いが、文字通り無人の野を進むが如く版図を広げるのも面白い、とマクシミリアンは思っていた。
 マクシミリアンは首に巻いたカトレア色のマフラーを掴むと、アニエスにニヤリと笑った。
 その笑みは、普段の笑みとは一線を画していて、まるで肉食獣を連想させるような笑みだった。

 その後、マクシミリアンは僅か一年の間に、地球で言えばマサチューセッツ、ニュージャージー、デラウェア、コネチカット等の北米大陸の東海岸の一部をトリステイン領に組み入れた。

 トリステイン王国属州ヌーベルトリステインからの未知の交易品がハルケギニアに流れ込み、各国の経済に影響を与えるのはもう少し先の話。
 

 

第五十九話 新世界からの手紙

 マクシミリアンが西へ向かって半年が過ぎた頃。
 トリステイン魔法学院の中庭では、マントを羽織り白いブラウスとグレーのプリーツスカートのカトレア王太子妃が慣れた手付きで編み物をしていた。
 自作第一号のマフラーを夫のマクシミリアンに送って以来、カトレアは編み物に夢中になった。

「♪~」

 カトレアは、白いティーテーブルとそのテーブル同じ色の椅子に腰掛け、鼻歌を歌いながら器用に棒を操った。

「何を編んでらっしゃるのですか?」

 親友で部屋も隣同士のミシェルが、白いテーブルの反対側に座り聞いてきた。

「今はセーターに挑戦してるの」

「そうですか」

「ミシェルも編み物に挑戦してみたら?」

「私はこういった『お淑やか』なものは苦手でして……遠乗りとか、そういうものが性に合っています」

「あらあら。それもミシェルらしいかも知れないわね」

「あはははは……恐縮です」

 お互い笑い合い、和やかな昼下がりを送るはずだったが、それをぶち壊しにする者が居た。

「これはこれは、カトレア様、ご機嫌麗しゅう……」

「あら、ミスタ・グラモン」

「左様にございます。愛の奴隷、ジョルジュ・ド・グラモンにございます」

 グラモン家の三男坊、ジョルジュがバラ吹雪と共に現れた。
 彼は土メイジだが、このバラ吹雪の為に風魔法の特訓をした。

「ちょっとグラモン! あんた何、カトレア様に色目使ってんのよ!」

「はうっ!」

 ミシェルの蹴りがジョルジュを捕らえた。
 ちなみにスカートの下はスパッツだから色々大丈夫だ。

「アンタ、とんでもない命知らずね。もし殿下に知られたらタダじゃすまないわよ」

「あははは……多分大丈夫だよ、本気じゃないから」

「本気じゃないですって!?」

「あ、これは失言」

「アホッ! 無礼者! 女の敵!」

「ちょっ、同じところを蹴らないで!」

「カトレア様に! 謝るまで! 蹴るのを! 止めない!」

「ひぃ~っ」

 ガスガスガスガス!

 グラモン家の血の宿命か、ジョルジュは万事この調子で、女性と見るや老若問わずに口説いて、その都度ミシェルから制裁を受けていた。
 このやり取りは、最早魔法学院の恒例行事となっていた。

「うふふふ……あはははは」

 その光景がよほど可笑しかったのか、カトレアは腹を抱えて笑った。

「ありがとうミシェル、もう良いわ。わたしの為に怒ってくれてありがとう」

「しかし、カトレア様。この野郎はこの程度じゃ反省もしませんよ。何度でもガツンと言ってやらないと」

「いいのよミシェル。それに、いくらミスタ・グラモンが女好きと言っても、余り殿方を責めたらミスタの立つ瀬が無いわ。それに男の子というのは少しくらいエッチじゃないと……」

 以外や以外、カトレアは性にオープンだった。
 もっとも、カトレア自身夫以外に肌を晒す積りはないが……

「ちょ! いきなり何を仰るのですか!」

「流石、カトレア様、話が分かる」

「ここは、わたしに免じて……ね?」

「む……カトレア様がそう仰るのでしたら」

「ありがとうございます~、カトレア様~」

 歯が欠け、ボロボロのジュルジュがカトレアに土下座をした。

「カトレア様。私は甘いを思いますがね。今許しても、何時かまた『やらかし』ますよ?」

「大丈夫よ……そうよね? ミスタ・グラモン?」

「はい! ……はい! やっぱり、カトレア様は女神様や……」

 ジョルジュは、カトレアの手を掴んで涙を流した。

「みんな聞いてくれ! これから僕は一人の女性しか愛さない事を誓うよ!」

『オオォーッ!』

 恒例の行事を見物していた生徒達は、ジョルジュの宣言に概ね好意的だった。
 ……次の日、ジョルジュは昨日の事は忘れたかのように、他の女の子にちょっかいを出していた為、学年の女子総出で報復を受けたのは別の話。





                      ☆        ☆        ☆





 カトレアの学生生活は充実の一言だった。
 欲を言えば、隣に愛する夫が居ない事が唯一の不満だったが、愛する夫は今、国の為、未来の為の大事業の取り掛かっている。カトレア一人我がままをいう訳にも行かない。夫に合えぬ悲しみを微笑みの下に隠して学友達と語らった。

「おはようございます、カトレア様」

「カトレア様、見目麗しゅう……」

「皆さん、おはようございます」

 人徳のお陰か、カトレアの行く先々ではいつも取り巻きが出来た。
 皆でワイワイおしゃべりをしながら教室へ行く。
 カトレアは学院での成績も座学が常にトップで、魔法も多少は制御に難があるが概ね好成績だった。
 また、平民にも気兼ねなく声を掛け、コック長のマルトーという男は最初は警戒していたが今では態度を軟化させ、カトレアの料理の訓練の為に厨房を貸したりしていた。

 何もかもが順風満帆のカトレア。
 ある日、自室にて刺繍に挑戦していると、メイドコンビの一人のフランカから、ヴァールダムにベルギカ号が帰港したと知らせが入った。

「まさか、マクシミリアンさまが乗っておられるのかしら?」

「残念ながら、王太子殿下は乗っておられないそうです」

「そう……」

 カトレアの顔がパッと華やいだかと思ったら、その表情はみるみるうちに陰った。

「ですが、手紙を預かっております」

「本当!?」

 再び、カトレアに華が戻った。

「良かったですね、王太子妃殿下」

 そう言ってフランカは、カトレアに手紙を差し出した。
 手紙を受け取ったカトレアは、レターナイフでの封を切ると、手紙と一緒に写真と押し花のカードが入っていた。

「あら、これは……」

 写真には、マクシミリアンと地平線の彼方まで見える大草原が描かれていた。

 押し花は北米原産のコレオプシス・ムーンビームというキク科の花だ。
 爽やかなレモンイエローの花びらに、鼻を近づけると押し花カードの裏にはマクシミリアン直筆で『新世界より愛をこめて』と書かれていた。

「……マクシミリアンさま」

「……」

 写真と押し花カードを胸に抱くカトレアを見て、フランカはそっと部屋から出て行こうとした。

「あ、待ってフランカ」

 出て行こうとしたフランカはカトレアに呼び止められた。

「これから、お返事を書かこうと思うんだけど、ヴァールダムに寄航しているフネはどれ位まで留まっているのかしら?」

「申し訳ございませんが、そこまでは……一両日中に確かめておきますので、暫しお待ちを」

「ありがとう、よろしくね」

「畏まりました」

 フランカは深々と頭を下げると、チラリとカトレアの方を窺った。

「王太子妃殿下、報告しようか迷いましたが、一つ報告がございます」

「なにかしら?」

「アルビオンに派遣されていたベティが、数日中に帰国するそうです」

 アルビオン王家の連なるモード大公の妾、エルフの女性シャジャルとその間に生まれた少女ティファニアの秘密を知ったマクシミリアンとカトレアは、メイドコンビに隠れ場所のウェストウッド村へシャジャル母娘の護衛をとして派遣されていた。

「どういう事かしら? たしか二人は三ヶ月に一度の割合で交代するはず……ねえフランカ、交代にはまだ間があったはずよね?」

「はい、そうだった筈なのですが。ひょっとしたら、王太子殿下の手紙に何か書かれているかもしれません」

「そうね、何か書いてあるかもしれないわ」

 カトレアは、封筒に入った手紙を取り出して読み始めた。

「……」

「如何でしたか?」

「マクシミリアンさま……」

 手紙にはこれでもかと、口説き文句が書かれていて、カトレアはうっとりした顔で頬に手を当てた。

「王太子妃殿下、御気を確かに」

「あらあら、ごめんなさい」

 気を取り直して、手紙を読み直す。
 目的の文面は、しばらくして見つかった。

「……マクシミリアンさまは、シャジャルさんとティファニアちゃんを、新世界に呼び寄せる為にモード大公宛に手紙を送ったと書いてあったわ」

「王太子殿下の指図でしたか。それならば一安心ですね」

「……上手く事が運べば良いけど」

「何か不安な事がお有りで?」

「……そうねぇ」

 カトレアは押し黙り思考をめぐらせた。
 新婚旅行の際に、モード大公の人となりを持ち前の直感で読み取った時に、大公が妾のシャジャルにかなり入れ込んでいた事が分かった。カトレアの心配は、モード大公がお気に入りのシャジャルを、そう簡単に手放すかどうか不安だった。





                      ☆        ☆        ☆





 アルビオン王国内のウェストウッド村の農地では、収穫の季節を迎えていた。
 深い森の中にあるウェストウッド村は、稀にしか人の行き来がない為、人を隠すのには打ってつけの場所だった。
 メイドコンビの一人ベティは、シャジャル、ティファニア親子の護衛の傍ら収穫の手伝いをしていた。

「お疲れ様、ベティさん」

「お疲れ様です」

 採ったばかりの桃林檎をカゴに積み込んで、農婦が着る様な粗末な姿のシャジャルがベティに挨拶をした。粗末な姿でもその美しさは衰えることは無い。
 ベティも、いつものメイド服から作業着に着替えていた。

「ベティさん、麦の状態はどうでしたか?」

「あ~、芳しくありませんね~」

 今年は、例年にない冷夏のせいか、作物の生育はよろしくない。
 ウェストウッド村に隠れ住む三人は、モード大公の支援の他にも、基本的に食料を自給自足で賄っていた。お金が必要なときは、母屋(おもや)に備え付けられていた古い織機を使って毛織物を作成し、ベティかフランカが近くの町に足を運び手織物を売って生計を立てていた。

 夏を過ぎても気温は正常に戻ることは無く、アルビオンの国民全体が不安そうにしていた。

 実は、この気温の低下にはカラクリがあった。半年前にドゥカーバンク海域でマクシミリアンと北海の王が激突した時に、北海の王の精霊魔法でドィカーバンク近海の気温が氷河期クラスにまで下がった。マクシミリアンの破壊光線で精霊魔法は効果を失ったはずだったが、その時の低気温の影響が尾を引いているのか、ドゥカーバンク海域の気温は例年ほど上がらず、ハルケギニア全土で冷夏となり、各所に影響を与え始めていた。

「そう……ちゃんと冬が越せるか心配ですね」

「いざとなれば、トリステイン(ウチ)が何とかしますよ」

「ありがたいけど、そんな安請け合いして大丈夫かしら?」

「だ、大丈夫ですよぅ」

「まあ、越冬用の蓄えなら多少は有るから心配しないで。それよりも、早い所収穫を済ませてしまいましょう」

「そうですねぇ」

 にこやかに語らいながら、二人は収穫業に戻った。
 海上から三千メイルの上空を漂っているアルビオン大陸では、それほど多くの作物は採れない。
 アルビオン大陸の住人は、長年、如何にして越冬の為の糧を得るか苦心していた。

「そう言えば、ティファニアはどうしているかしら?」

「テファちゃんなら、子山羊達と遊んでましたよ」

「……ちょっと心配だから見てくるわ」

「そうですか、でしたら作業は私が進めておきますね」

「ありがとう、お願いするわ」

「分かりました~」

 ベティはニッコリを笑いシャジャルを見送った。

 ……

 シャジャルが、ティファニアの様子を見に行くと、黒いローブに身を包んだ人物がティファニアと何やら喋っていた。

「ティファニア!」

「あ、お母様」

 刺客と思い、ティファニアに駆け寄ると、ローブの人物は、フードを下げて顔をシャジャルに向けた。
 フードの人物は、モード大公その人だった。

「あ、大公様……!」

「シャジャル!」

 モード大公とシャジャルは抱き合うとキスをした。

 辺りにはモード大公の他には誰も無く、シャジャル達が暮らす母屋の方には馬が繋がれていて、お供も連れずにお忍びでウェストウッド村に来たようだった。

「大公様、お忍びで来られるなんて如何されたのです?」

「ううむ、実はな……」

 大公は、トリステインのマクシミリアンから手紙が届いた事を告げ、その中に誰にも見つからない格好の隠れ場所を見つけたと書かれてあった。そして手紙の最後に『すぐにでも二人を移して欲しい』と、締めくくられていた。
 手紙にはヌーベルトリステインの事は一言も書かれていない。いくら同盟関係でもおいそれと国家機密を漏らすわけには行かなかった。モード大公は何処かの無人島に、二人隠すとばかり思っていた。

「これは……」

「うむ、私としてもお前達を手放すのは心苦しいが、マクシミリアン殿に迷惑を掛ける訳にはいかない。数日中に村を引き払ってくれまいか。トリステインへのフネの手配は私がしておく。もっとも怪しまれないように定期便うを使う予定だが……」

「はい、準備をしておきます」

「護衛役の者は、任を解かれ帰国する事になっている。ここを発つまでに、別れを済ませておくと良い」

「畏まりました。それで、今日はお泊りになられるので?」

 シャジャルの美しい顔がほんのりと赤く染まった。

「ああ、勿論だ。その為に来たのだから」

「本当!? お父様と一緒に寝られるなんて、とっても嬉しいわ」

 ティファニアが嬉しそうに大公に抱きついた。
 この日、モード大公は自身の居城とは比較にならないほどの小さな家に泊まり、親子水入らずの時間をすごした。ちなみに部外者のベティは、空気を呼んで隣の納屋で寝た。

 数日後、シャジャルとティファニアはウェストウッド村を引き払い、フェイスチェンジの指輪をしてロサイス港からラ・ロシェールまでの定期便に乗りトリステインへと向かった。
 ベティも、ヌーベルトリステイン行きのフネが出るヴァールダムまで同行し、短い間の共同生活は終わりを告げた。
 ヴァールダムに到着した三人に、いよいよ別れの時がきた。

「テファちゃん向こうでも元気でね……」

「うん、お姉さんもさようなら」

「ベティさん、今までありがとう。フランカさんにもよろしく伝えてね」

「勿論ですよぅ」

 ベティはしんみりしながらも、手を振って二人を送り出した。シャジャルとティファニアも手を振り返し、ヴァールダム・(ヌーベル)トリスタニア間の定期便用に新造されたクリッパー船に乗り込んだ。
 定期便と言っても、ご丁寧に『新世界行き』とは書かれておらず、『アルビオン王国ロサイス行き』と書かれており、途中まではロサイスまでの航路を取るが、その後進路を変え、アルビオン大陸を北側に迂回し、新トリスタニアへの航路に入ることになっている。

 ……

 シャジャル親子が、ヴァールダムからの定期便に乗っている頃、モード大公は居城に戻り家臣達にあれこれ指示を出していた。
 実は最近、アルビオン王国では重大な出来事が起こっていた。
 反トリステインの急先鋒の空軍卿が解任されたのだ。

 解任された詳細はというと、アルビオン王国軍部、取り分け空軍卿は同盟国であるトリステインに大きく水をあけられた事を悔しがり、

『同盟の主導権を取り戻す為、アルビオン王立艦隊の栄光を取り戻す為、我々は大艦隊を作らなければならない』

 と、気は強いが頭は弱い貴族達を煽って、大規模な建艦計画を実行していた。

 だが、彼らは金の出てくる魔法の壷を持っている訳でもなく、建造の費用を当てるに際し、財務を取り仕切る大蔵卿を取り込み、無理矢理建造費を捻出させた。
 これにより国庫は空となり、更には備蓄していた食料を売ってしまい、蔵には僅かなカラス麦しか残っていない状態になった。これでは冬を越すには明らかに足りない事は子供でも分かる程度の備蓄量だった。
 国王のジェームズ1世は、国庫を省みない空軍卿の暴挙に大いに怒り空軍卿を罷免し、空軍卿は前空軍卿となり領地に蟄居される事となった。更に大蔵卿も解任され、アルビオン国内に綱紀粛正の暴風が吹き荒れた。
 建艦計画も中止されたが時すでに遅く、空っぽの国庫と僅かな備蓄、建造途中で中止となりドックに放置された船体のみの軍艦。そして貴族達の不満が残った。
 金に困れば平民から搾り取るのは、昔から変わらない権力者の習性だ。貴族達はそれぞれの領地で重税を課し、民衆は貴族とジェームズ1世の治世に怨嗟の声を上げ始めた。

 モード大公は、王室と貴族達の不和を敏感に察知し、仲裁に奔走していた。
 大公が、寵愛するシャジャルらをあっさり手放したのは、最悪の自体を想定したからだ。

(いざ内乱となれば、アルビオン国内に安全な場所など無い)

 と、そう考えての行動だった。

(お互い生きてさえいれば再会する機会は回ってくる。それまで安全なところに居てくれ、私も死力を尽くす)

 大公は自慢の塔の上から、遥かトリステインの方向を見やった。

 だが、モード大公の奮闘をあざ笑うかのように、ボロボロのアルビオンに更に追い討ちが掛かる。
 この冬、空前の大寒波がハルケギニアを襲う事をまだ誰も知らない。
 

 

第六十話 ハルケギニア大寒波

 ハルケギニアを大寒波が襲う!

 その報をマクシミリアンが知ったのは、メリーランド州に相当する地域をヌーベルトリステインに組み込んで、首府の新トリスタニアに帰還した時のことだった。

「それで詳細は? 死人はどれ位出たのか?」

 あれこれ聞いてきたマクシミリアンに、連絡員の男は詳細を聞かせた。

 連絡員の話では、大寒波はトリステインだけでなく、アルビオン、ガリア、ゲルマニアにまで及び、南に位置して比較的暖かいロマリアにすらその影響が及んでいると語った。
 詳しい死者の数は今だ不明だが、ハルケギニア全体で十万人は上回るというのが参謀本部が導き出した試算だった。

「うん、それでトリステイン国内の状況は?」

「は、国王陛下は避難所なるものを国内各所に設置し、寒波で家を失った者を住まわせる様にして衣食住を保障させております」

「流石は父上、僕がどうこう口を挟む隙は無かったようだ」

「続けてもよろしいでしょうか?」

「頼む」

「御意」

 トリステイン国内の状況は、各街道が雪に埋もれて交通網が遮断し、物資や人の行き来が滞っていた。
 だが、最大の問題はその寒さで、日中でも氷点下を下回る日が数日続いた。
 死者に関しては、ツルツルの地面で滑って転び、頭を打って死んだ者や雪の重みで家が崩れて下敷きになった者が多数出た。そして圧倒的に多いのは凍死だった。それでも他の国よりは犠牲者の数は、二桁も少ないのは幸いだった。
 食料に関しては心配は無く、四輪作法のお陰で備蓄は十分に確保出来ていた。

「念のために追加の食料を送ろう。誰か手配を頼む」

「御意」

 控えていた家臣に命じると、家臣は部屋を出て行った。
 備蓄していたトウモロコシとカボチャの他に、落花生やベニバナインゲンなどの豆類にトマトなどがハルケギニアにもたらされる事になった。

「それともう一つ、ハルケギニアに持って帰って欲しい物がある」

「畏まりました。して、その持って帰って欲しい物とは、なんでございましょうか?」

「これだ」

 マクシミリアンは大き目の麻袋の中から、ゴテゴテして不恰好な丸いものを取り出した。

「これはジャガイモという作物で、寒く痩せた土地でも育つ代物だ。これを持って帰って国を挙げて育てるように、注意事項等は後で書類にして渡す」

 マクシミリアンが、ジャガイモを見つけたのは全くの偶然だった。
 人馬ゴーレムを率いて進軍中に、ゴーレムの一体が何かに足を滑らせ転倒してしまい、『何事か……』と、転倒した地面を探るとジャガイモが埋まっていた。
 ジャガイモが地球の欧州にもたらした歴史的意義を知るマクシミリアンは狂喜した。

「御意……しかし、不細工な作物ですね」

「まぁな、だが栄養価も高い素晴らしい作物だ。今、ハルケギニアで育てても寒波の間は効果的な作付けは出来ないと思うが、その辺は上手くやってくれ。兎も角、素晴らしい作物だ、大事な事だから二度言ったぞ」

「御意」

 種芋用と救援物資用の二種類のジャガイモを受け取った連絡員は、深々と頭を垂れた。

 マクシミリアンは、水魔法でジャガイモの品種改良を進めていたが、本国の危機を聞いてGOサインを出した。

(本音は、もっと時間を掛けて品種改良をしたかったが……仕方が無い)

 こうして、ハルケギニアにもたらされた他の救援物資に混じってジャガイモは、トリステイン各地で栽培されるようになった。
 マクシミリアンは新世界の事を世間に公表せず、ジャガイモはマクシミリアンの水魔法で作り出した作物としてトリステインに送られる事になった。

 しかし、ジャガイモは当初、その不恰好な形が仇となって民衆には好まれなかった。だが意外な形で人々に受け入れられ民衆に親しまれるようになる。







                      ☆        ☆        ☆







 大寒波がハルゲギニアを襲い、一ヶ月が経った。

 トリステイン王国では、エドゥアール王の命令で各所に風雪が凌げる避難所を設置され、温かい炊き出しが振舞われた。
 これによって、大寒波で家を失った者はもちろんの事、今日の糧をすらも事欠く貧しい者たちも衣食住を得ることが出来た。
 また、今年分の納税も特別に免除され、民衆はエドゥアール王の温情に大いに感謝した。

 雲の切れ間から数日振りに日の光が差す王都トリスタニアは、一面の銀世界で市民達が雪かき雪下ろしに負われていた。
 新宮殿の敷地内でも避難所が設置され、王太子妃カトレアが虚無の曜日の休みを利用して魔法学院から応援に駆けつけていた。

「皆さん、列を作って並んで下さいね」

 と、カトレアは麦粥をよそって手渡ししていた。
 王太子妃自らが配膳をする行為に、場は騒然となった。
 当然ながら王太子妃が直接麦粥を平民に渡す事に、異議を唱える者が出た。
 こういった『うるさ型』の家臣は未だに多く、マクシミリアンも辟易していた。

「王太子妃殿下、どうかお考え直しください。王族は給仕ではないのですぞ!」

 と、カトレアに考え直す事を求めた。

 だが、カトレアは……

「お黙りなさい」

 と、にっこり笑って突っぱねた。
 顔は笑ってはいるが目が笑ってなかった事と、反論の余地を挟ませない有無を言わさぬ物言いに、『うるさ型』の家臣達は黙り込んでしまった。

 そういう事もあって、誰もカトレアのする事に口出しする者は居ない。

「ありがたや、ありがたや」

「ほんま、王太子妃様は女神様やぁ~」

 民衆の反応も良く、中でも涙を流してありがたがる者も居た。

 濛々と鍋から湯気を立ち、にこやかに麦粥を渡すカトレアの隣にはミシェルの姿があった。彼女も以前、難民問題で表彰されたことがあり、黙って見ている事が出来ず炊き出しに参加していた。
 炊き出しに並ぶ民衆の列はカトレアの他にも幾つかの列を作っていたが、圧倒的にカトレアの列が多かった。

「やっぱり、カトレア様によそって貰うのが良いのね」

「貴族様、オラにも一杯……」

「ああ、すまない」

 ミシェルは、麦粥をよそい少年に手渡した。

「ありがとうごぜえます、貴族様」

「ところで、そこの仁」

「へ? オラの事?」

「そうだ。一つ聞いたいんだが、どうしてカトレア様の列でなく私の列に入ったの?」

「うん、それは……」

「うんうん?」

「オラ、王太子妃様よりも貴族様の方が好きなんで。へぇ……」

「え? 好き? 私が? 何で?」

「前に、故郷を捨てた俺に良くして貰ったんで……」

 ミシェルは、以前の難民騒動の事を思い出した。

「ああ、あの時の……そうか、えへへ」

 『しどろもどろ』になったミシェル。
 その顔はにやけ、身体もクネクネさせた。

「よし、大盛りにしてやろう」

「あっ、ありがとうございます」

 ミシェルは少年から、麦粥の入った椀を引ったくり、更に多く盛り付けた。

「ねえ、ミシェル?」

「何ですかカトレア様?」

「何か良い事あったの?」

「え? 分かります? いやあ、私も捨てたものじゃないな、と。ええ、えへへへ」

 上機嫌のミシェルに、カトレアは首を傾げながらも『良かったわね』と、ミシェルの手を握って喜びを分かち合った。

 ……

 人々の列も一段落し、カトレアは一休みしようかと思っていた。

 多めに用意していた麦粥の鍋はその殆どが空になり、新宮殿のメイド達が片付けていた。
 次々と片付けられる鍋とは別に、濛々と湯気が上がっているのに、誰も手を付けない鍋があった。

「どうして、あの鍋のものには誰も手をつけないの?」

 カトレアは、片付け作業をしていたメイドを呼び止め聞いてみた。

「あの鍋には王太子殿下から送られた、ジャガイモという作物を蒸かしたものが入っているのですが、見た目が悪いのか、それとも見たことがない性なのか、誰も手を付けたがらないです」

「あら、そうなの。あ、ありがとう作業に戻って良いわ」

「失礼します」

 メイドは、空の鍋を持って新宮殿へ戻っていった。

「カトレア様、どうされたのですか?」

 休憩に入ろうとしたミシェルが聞いてきた。

「ねえ、ミシェル。あのジャガイモという作物は、マクシミリアンさまがこの状況で送ってきた物だから、きっと凄い作物だと思うのよ」

「???」

 話が見えないミシェルは、クエスチョンマークを幾つも作った。

「今度は、わたしがあの鍋を担当するわ」

「あ、カトレア様、休憩はよろしいので?」

「わたしは良いから、ミシェルは休んでいて」

 そう言ってカトレアは、ジャガイモの鍋へ歩いて行き、ミシェルが一人残された。

「私だけが休むわけにいかないじゃないか」

 そう言ってミシェルはカトレアの後を追った。

 さて、カトレアとミシェルがジャガイモ鍋を覗き込むと、中には蒸かしてあるが皮のむいてないジャガイモが大量に入っていた。

「これって皮ごと食べられるんでしょうかね?」

「むいた方が良いと思うわ。けど、本題はどうやってジャガイモを受け入れてもらうか、ね」

「そうですね」

「……そうねえ。うん」

 カトレアは、少し考えて答えを出した。

「何か名案が?」

「わたしに考えがあるからみんなを集めてくれないかしら?」

 そう言ってカトレアはにっこり笑った。

 ……

 ミシェルの呼びかけによって、ジャガイモ鍋の前には人だかりが出来ていた。

「なんだなんだ?」

「王太子妃様が何かするらしい」

「あの鍋は、見た事の無い食い物が入っている鍋じゃ」

「アレさ、気味が悪くて、誰も手をつけなかったんだ」

 ジャガイモ鍋を見た民衆達の反応は悪かった。
 ミシェルが、民衆の前に立ちジャガイモの売込みを始めた。

「このジャガイモは、見た目こそ悪いですが大変優れた作物です。カトレア王太子妃殿下がお勧めする新しい作物を大いに広めましょう」

「マクシミリアン王太子殿下が、トリステインの窮地を知って作って下さった作物です」

 と、カトレアが付け加えた。

「両殿下がお勧めになられるのは分かりますが……」

「んだ、得体の知れないものを、口に入れるのは怖いよ」

 しかし、民衆は初めて見るジャガイモを怖がっていた。

「……では、わたしが毒見をしますから、それなら大丈夫でしょう」

 そう言ってカトレアは、鍋からジャガイモを取り出すと、パクリと一口かじった。

「あ!」

「あ!」

 民衆達は騒然となった。

「ああ~っ!!」

 ミシェルも釣られた。

「とっても美味しいですよ」

 と、にっこり笑った。

「カトレア様、大丈夫ですか!?」

「大丈夫よミシェル。それよりも貴女がうろたえてどうするの?」

「名案って、カトレア様が自ら毒見される事だったんですか?」

「そうよ、その方が分かりやすいし、言葉だけじゃきっと受け入れて貰えないわ」

 ミシェルはワナワナと振るえ、やがて諦めたようにガックリと肩を落とした。

「言いたい事は分かりました。ですが、一言相談して欲しかったです」

「ごめんねミシェル。今度から言われたとおりにするわ」

「お願いしますよ」

 ミシェルは肩を落としてカトレアに言った。

 さて、カトレアの毒見を見た民衆はというと、効果があったのかジャガイモ鍋に集まり始めた。

「オラも試しに食べてみようかな」

「何だか美味そうだ」

「さあさあ、皆さん。まだまだ、いっぱいありますから並んで下さい」

 散々怖がっていたのに現金なもので、ジャガイモ鍋はあっという間に空になった。

 この時の出来事が口コミで広がり、ジャガイモはトリステイン国民に受け入れられるようになった。

 最終的に、ハルケギニアを襲った大寒波の犠牲者は、全ハルケギニアで約50万人で、最も犠牲者の多かった国はアルビオン王国の25万人で凍死者よりも餓死者が多かった、次いでガリアと南国なのに被害甚大なロマリアの10万人づつの計20万人、そしてゲルマニアの5万人で、最も被害の少ないトリステインでも5000人もの被害者が出た。
 トリステイン以外の国々は、大いにその国力を下げ、取り分けアルビオン王国は、物価の高騰と重税に人心は離れ国を捨てる者が万単位で出た。
 

 

第六十一話 大森林の先

 大寒波の冬は去り、季節は春を迎えようとしていた。

 ヌーベルトリステインの首府、新トリスタニアの総督府であるアルゴルキン砦では、16歳となったマクシミリアンの誕生パーティーが催されていた。

「お誕生日おめでとうございます」

「殿下、誕生日おめでとうございます」

「ありがとう、みんな」

 家臣や学者達からお祝いの言葉を受け取り、にこやかに談笑するマクシミリアン。
 『パーティー』と一言で言っても、トリステイン本国の様な盛大なパーティーではなく、アルゴルキン砦内にある食堂でのささやかで小さなパーティーだった。

「マクシィ兄さんおめでとう」

「ありがとうティファニア」

 モード大公の隠し子でハーフエルフのティファニアと、その母親のシャジャルは砦内に個室を与えられ、マクシミリアンとは家族に近い生活を送っていた。
 ヌーベルトリステインでの二人は、エルフである事を隠さずに生活を送っている。
 マクシミリアンは、『ヌーベルトリステインでは一切の人種、宗教の束縛から解放される』と訓辞を出し、エルフである事で差別する事を禁止した。
 宗教の自由も約束され、ハルケギニアで迫害されてきた新教徒の多くが新世界に移民してきた。
 もっとも、宗教の自由が約束されたとはいえ、いかがわしい新興宗教の類は真っ先に潰せるように、マクシミリアンは目を光らせていた。

「ティファニアは、何か不自由はしてないか?」

「無いよ、毎日が楽しい」

「では、何か気になることは?」

「初めて会う人には驚かれたりするけど、みんな優しくしてくれるよ」

「そうか、よかった」

 マクシミリアンは、ティファニアの頭を撫ると嬉しそうに身体をくねらせた。

「えへへ……あ! マクシィ兄さん。これ食べて」

「BLTサンドイッチか美味そうだな」

「私が作ったの」

「そうか良く頑張ったな、いただきます」

 マクシミリアンは、BLTサンドにかぶりついた。
 サクサクに焼かれたパンの香ばしさと、カリカリなベーコンの肉汁とトマトの酸味にレタスのシャキシャキ感が合わさり、思わず舌鼓を打った。

「うん、美味いよ」

「本当!?」

 ティファニアはの顔はパッと華やぎ、嬉しそうにマクシミリアンに抱きついた。

(最初、ココに来たときは引っ込み思案な所があったのに……良い傾向だな)

 ティファニアは、新世界に来たときは何時もオドオドしていて、マクシミリアンは不安だったが、エルフというだけで後ろ指を指される事が無くなった為か、ずいぶんと明るくなった。
 すっかりマクシミリアンに懐き、今では『マクシィ兄さん』とまで呼ぶようになった。

「マクシィ兄さん、シチューもあるよ、私がよそってあげる」

「シチューじゃなくて、クラムチャウダーなんだけど……まあ、似たような物か」

 『ホンビノスガイ』という、ハマグリよりも肉の大きな貝がたっぷり入ったクラムチャウダーを、ティファニアは大盛りで持って来て手渡しした。

「はい、マクシィ兄さん」

「ありがとうティファニア。立って食べるのは品が無いから、あのテーブルを囲って食べよう、ティファニアも自分の分を持ってきなさい一緒に食べよう」

「は~い」

 ティファニアはパタパタと駆けて行った。

「……」

 ティファニアがクラムチャウダーを取りに行っている間、マクシミリアンが食堂内を見渡した。
 学術団の面々や本国から派遣された家臣達が、ささやかなパーティーを楽しんでいるが、目当ての人物は見当たらない。

(シャジャルさんは、今日も『あそこ』か)

 ティファニアの母、エルフのシャジャルはパーティーに参加していない。
 マクシミリアンはパーティーに招待をしたが結局来なかったようだ。
 シャジャルは、毎日の様に砦内に設置された礼拝堂へ足を運び、大寒波に見舞われたアルビオンの民衆の為に毎日始祖ブリミルへ祈りを捧げていた。

 マクシミリアンは、報告書でアルビオンの惨状はある程度知っていて、アルビオンを捨てた元アルビオン国民をヴァールダムを経由して新世界に移民として受け入れていた。

 最初は、受け入れる予定は無く、また外国人を移民として受け入れるのには抵抗があった。だか、そうも言ってられない状況に陥ったからだ。

 建国当初、新世界の存在をぼかしながらトリステイン国内でのみ、移民を募集したが余り集まらなかった。
 原因は皮肉にもエドゥアール王とマクシミリアンが善政を布いた事によって、故郷を捨ててまで新世界へ行こうとする者が出なかったからだ。
 広大なヌーベルトリステインの土地に経営しようにも労働力不足で、いきなりマクシミリアンの事業は頓挫しかかった。が、おりしも大寒波がハルケギニアを襲い、アルビオンは空前の被害を出した。
 悲劇の報を聞いたシャジャルは、礼拝堂に毎日通っては、終日祈りを捧げるその姿に、マクシミリアンに仏心が出てしまい、自分の主張を曲げアルビオンからの難民を受け入れる様になった。
 今ではヌーベルトリステインの人口は、トリステイン人よりアルビオン人の方が多くなってしまった。

「よろしいでしょうか? 殿下」

「ミス・ヴァリエール、今日は来てくれてありがとう」

 今度はエレオノールが現れた。
 公の場では、『義姉上』ではなく『ミス・ヴァリエール』と呼ぶようにしている。

「殿下は、今日は飲まれないのですか?」

「今日は『連れ』が居るから飲まないよ」

 そう言って、背伸びをしながら鍋からクラムチャウダーをよそっているティファニアを目配せした。

「エルフ……ですか」

「ミス・ヴァリエールは、エルフというだけで差別する人だったのですか? ティファニアはとっても良い娘ですよ」

 表情を曇らせたエレオノールに釘をさした。

「……申し訳ございません」

「まあまあ、せっかくですので、ティファニアを紹介しましょう。彼女はとても優しく可愛い娘ですよ。先入観もきっと忘れますよ」

「……そうですわね」

 エレオノールも断るわけには行かないので、しぶしぶ了承した。

 ……

 マクシミリアンは、クラムチャウダーを持って帰ってきたティファニアにエレオノールを紹介した。

「ティファニア、この女の人はカトレア姉さんの姉のエレオノール姉さんだ。挨拶しなさい」

「始めまして、ティファニアです」

「始めまして、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールよ」

 二人とも挨拶をした。
 が、エレオノールは、癖なのか語尾に圧力の様なものを感じ、その圧力を敏感に感じ取ったティファニアは涙目になった。

「ふぇ……」

「ミス・ヴァリエール。小さい娘に何をやってるんですか?」

「すすす、すみません」

「ティファニアも怖がらないで」

「ふぁい」

「ティファニアちゃんごめんなさいね」

 エレオノールも言葉尻を柔らかくするように心がけ、その後、改めて挨拶しなおしその場は収まった。

 マクシミリアン、エレオノール、ティファニアの三人は、テーブルを囲んでいた。
 プライベートモードになったマクシミリアンは、エレオノールを義姉上を呼ぶようになった。
 ティファニアは、まくまくとクラムチャウダーを食べていて、たまに溢したりするが、その時はエレオノールが口を拭いたりしていた。

「義姉上、今は何をされているのですか?」

「ミス・シュヴルーズに付いて、各地で地質調査をしています」

「ミス・シュヴルーズ……といえば、先月金鉱山を発見した『あの』、シュヴルーズ?」

「はい、その通りです」

 シュヴルーズは、地質調査の為にヌーベルトリステイン各地を回り、金鉱山を始め多くの鉱山を発見し、その全てをマクシミリアンに献上した。
 マクシミリアンは、その功績からシュヴルーズを改めて貴族に封じようとしたが『学者の方が性に合っている』と辞退した。代わり研究のスポンサーになり、シュヴルーズは研究三昧の生活をしていた。

「義姉上は、ミス・シュヴルーズの助手として十分な名声を手に入れましたし、帰国を考えてはどうでしょう?」

「……何か。お母様から言われましたか?」

「ん~……」

 マクシミリアンは少し考える素振りをした。
 エレオノールの言う通り、エレオノールを帰国させるように、とカトレアからの手紙と一緒にラ・ヴァリエール公爵からの手紙が届けられたからだ。

 ……手紙には、

『新世界へ行って間もなく一年になりますし、新たに婚約者も見繕いました。どうか、エレオノールがトリステインへ帰るように殿下のお力を御貸し下さい』

 と、書かれてあった。

「そうなのですね?」

「はい、その通りです。ヴァリエール公爵から義姉上を帰す様、手紙をもらいました」

「やっぱり……! 殿下には申し訳なく思いますが、私帰りませんわ」

「なら聞きますが、どういった事をすれば帰る気になるの?」

「それは……」

 今度はエレオノールが考える素振りをした。

「……思えば、一年前のベルギカ号で、義姉上に帰るように説得すれば、公爵達も……」

「殿下は悪くありませんわ。むしろ理解を示していただいて感謝しています」

 マクシミリアンがいくら言い聞かせてもエレオノールは首を縦に振らなかった。
 すると、蚊帳の外だったティファニアがポツリと呟いた。

「二人ともケンカしてるの?」

「いやティファニア、それはケンカじゃないぞ。そうだろ義姉上?」

「そうですとも、ちょっと私が我が侭を言って殿下を困らせただけです」

「わがまま? わがまま言っちゃダメだよ」

 小さなティファニアに諭されるエレオノール。

「こんな小さな娘に……」

 とエレオノールはヘコんでしまった。

「義姉上。自立がしたいのか、それとも名声が欲しいのか。その辺りをしっかり定めておいてくれないと、僕としても公爵に報告のしようがありません」

「自立ですか、そうですわね……私は家を出れば『何か』に成れると思い、ミス・シュヴルーズの元に転がり込んだのですが。殿下、私は自立したのでしょうか? 『何か』に成れたのでしょうか?」

「……うーん」

 エレオノールの問いに、マクシミリアンは明確な答えを持っていなかった。

「何をもって自立というのかは、僕には分かりませんが、親元から離れれば自立したと定義する者も居ます。『何か』に成った、というのは、僕は義姉上ではないので答えが分かりません」

「そうですわね、雲を掴むような質問でしたわ」

「気になさらずに、それくらいの悩みなら誰でも持っていますよ」

「……ですが、これ以上殿下に迷惑を掛けるわけにはいきませんわ。一週間後にミス・シュヴルーズに付き添って北部の地質調査に出発する予定ですが、その調査が終われば、真新しい発見が有ろうと無かろうと殿下言うとおりに帰国します」

「それを聞いて安心しました」

 エレオノールから色よい返事がもらえて、マクシミリアンは胸を撫で下ろした。







                      ☆        ☆        ☆






 新トリスタニア市は、発展途上ながらも多くの店舗が軒を連ねていた。区画の殆どがマクシミリアンの魔法で整備され水道橋まで魔法で作られていた。
 とは言え、ヌーベルトリステインの住人のおよそ七割は農業に従事しており、大多数の入植者は郊外の家付きの大農園に散らばり農作業に従事していて、市内に住むものは少なかった。
 農場では牛や馬などハルケギニアから運ばれた家畜が育てられ、マクシム川から農業用水を引いて農場に当てていた。

 ちなみにマクシム川とは、地球で言うハドソン川に相当する川の名で、マクシミリアンの名から名付けられた。
 予想通り、マクシミリアンは嫌がって、ベルギカ号の艦長ド・ローテルに擦り付け……否、その栄光を譲る積りだったが、ド・ローテルは快く断り、晴れてマクシム川と呼ばれるようになった。

 誕生会から2週間後、新トリスタニアの政務を家臣に任せ、マクシミリアンは領土拡大の遠征に出発した。

 マクシミリアンに同行するのは、アニエス達のコマンド隊の面々と執事のセバスチャンに、入植してきたアルビオン人で編成された民兵が1000人の構成だった。

 マクシミリアンら遠征軍は、マクシム川を上流へと上っていき、トリステイン人居住区のあるフォート・ノワール(地球で言えばオールバニの辺り)を目指していた。

「殿下、間もなく予定のフォート・ノワールに到着いたします」

 マクシミリアンの乗った馬に自らの馬で横付けして報告をしてきた男は、元アルビオン貴族のジェームズ・ウルグといって、マクシミリアンによって民兵軍の司令官に抜擢された男だ。

 彼の人となりは『厳格』の一言に尽き、彼がヌーベルトリステインに来たのか他人に語ろうとしなかった。
 スパイの可能性を疑ってトリステイン本国の諜報部に調べさせた所、大寒波前に起こったアルビオンの粛清の際に、上司にその能力を疎まれて事実無根の罪をでっち上げられてしまい、その後に発生した粛清の余波で改易されてしまった。
 その後、ウルグは自身の潔白を訴えに、王都ロンディニウムへと出向いたが聞き入れて貰えず門前払いを喰らい、トリステインからヌーベルトリステインと流れてきたのが、これまでのウルグの経歴たっだ。

「ありがとうウルグ将軍。フォート・ノワールまであと三時間、と言った所かな」

「大雑把に計算すれば、その様な所でしょう……それにしても」

 ウルグは北西の方向を見た。
 その視線の先に雪を被った巨大な山脈の様なものが広がっていた。

「ああ……将軍は『アレ』を見るのは初めてだったな」

「その通りでございます」

「最初、アレを見た時は山だと思ったけど『遠見』で調べると、アレは山じゃなくて巨大な森だということが分かった」

「森……ですか。森にしてはとてつもなく巨大だ」

「そう100メイル級の木がウジャウジャと生い茂った巨大な森林だ、針葉樹林のジャングルと言って良い位の密度だよ。今じゃアレの事をそのまま『大森林』と呼んでいる」

「して、今回の遠征は、大森林の捜索なのですか?」

「あの一帯は進入禁止区域に指定している。詳しい事はフォート・ノワールの着いたら話す」

「御意」

 ピッタリ三時間後、マクシミリアンら民兵軍は、フォート・ノワールに入り一夜の休息を取る事になった。

 ……

 マクシム川中流のフォート・ノワールは、トリステイン人居住区としての小さな町としての役割と同時にヌーベルトリステインと未開の地との国境として機能していた。
 『フォート』という名前の通りに砦が築かれ、衛兵が絶えず周囲に目を光らせていた。

 今回の遠征は、マクシミリアン達はフォート・ノワールで一泊をし、フォート・ノワール周辺を更に広域に併合をする予定だった。

 マクシミリアンは、ウルグや兵站スタッフ達と深夜まで打ち合わせをし、ようやく床に就こうと宛がわれた部屋に向かうと、部屋の前でアニエスが守衛をしていた。

「アニエス、遅くまでお疲れ様」

「殿下も、遅くまでご苦労様です」

 アニエスに挨拶して部屋に入ろうとした時、マクシミリアンは思い出したように立ち止まった。

「確か、少し前に15歳になったんだったな。はい、誕生日おめでとう」

 マクシミリアンは、アニエスの手の平にピンク色の貝殻を置いた。

「大した物じゃないが、はいプレゼント」

「あ、ありがとうございます……凄く嬉しいです」

「それじゃお休み」

「お休みなさい」

 マクシミリアンは部屋に入り、廊下はアニエス一人だけになった。

「ん~~~~~~!!」

 アニエスは、物音を立てない様に唸った。年頃の少女らしくプレゼントを貰うのが嬉しかったようだ。

 一方、部屋の中のマクシミリアンはというと……ドアに耳を当て、アニエスの様子を伺っていた。

「喜んで貰えたようだ」

 満足したマクシミリアンは、誕生日プレゼントに送られてきた、カトレアの手編みのセーターをパジャマ代わりに着替えてベッドに寝転がると途端に睡魔が襲ってきた。

「最近、睡眠時間少なかったっけな」

 睡魔に(あらが)う事はせず、マクシミリアンは深い眠りに落ちていった。

 ……

 どれ位眠っただろうか。
 夢の中でカトレアとイチャイチャしていると、ドアをノックされ夢から現実へと呼び覚まされた。

「あー……どうぞ」

 マクシミリアンが入室を許可すると執事のセバスチャンが入ってきた。

「殿下、急ぎ報告したき事が」

「どうした?」

「シュヴルーズ博士ら地質調査団が、大森林へ向かったまま消息を絶ったと報告がございました」

「……大森林? あそこに向かったの? 事前の報告は受けて無いけど」

「ウィ、殿下」

「嗚呼、なんてこったい」

「如何いたしましょう?」

「捜索隊を編成する、ウルグ将軍に連絡を」

「そうされると思い、将軍以下、各スタッフは、会議室に集まっております」

「流石はセバスチャンだ。すぐに向かうと伝えてくれ」

「ウィ、殿下」

 マクシミリアンが視線を向けた先の大森林は、太陽の光を遮り深く闇に包まれていた。

 

 

第六十二話 未知との接触


 シュヴルーズら地質調査隊が大森林へ入ったのは、マクシミリアンら民兵軍がフォート・ノワールへ入った時刻とほぼ同時だった。
 夕方になってもシュヴルーズ達が帰って来なかった為、大森林の外で待機していた待機班が、フォート・ノワールへ急を知らせてきた。

 義姉のエレオノールの危機を感じたマクシミリアンは、捜索隊の編成を命じた。

 編成は、大人数での捜索は二次遭難の危険を嫌って、コマンド隊を中心にして100名の民兵を5班に分けて構成されていた。
 ちなみに捜索隊の中にマクシミリアンの姿は無い。

 当初、マクシミリアンも捜索隊に参加する積りだったが、

「殿下は、ヌーベルトリステインの長です。前線に立つことは控えて下さい」

 と、ウルグに大反対された。
 マクシミリアンとしてもウルグの言う事に一理あったが、何が起こるかわからない未知の領域において、『待つ』という選択肢は無かった

「駄目。この新世界は何が起こるか分からない場所だ。ウルグ将軍にはすぐに援軍を出せるようにフォート・ノワールで待機していて欲しい」

「ですが……!」

「将軍の言う事は分かるよ。だけど大海獣の様な化け物が現れないとも限らない」」

「大海獣?」

 ウルグは眉間にしわを寄せた。

「北海の王とはですね将軍……」

 コマンド隊のヒューゴがウルグに説明をした。ちなみに大海獣とは北海の王の事だ。

「100メイルを越す大海獣? しかも先住魔法を使う? 何だそれは聞いたことが無い」

「そういう訳で、殿下が同行された方が、我々が手におえない化け物が現れても安心なわけなのですよ」

「ううむ」

「ヒューゴだったか? 説明ありがとう」

「いえいえ、大した事ないですよ」

「ヒューゴ、余り調子に乗るな」

「うへっ」

 デヴィットが、お調子者のヒューゴを諌めた。

「コホン。と、まあ……そういう訳だ。僕を行かせて欲しい」

「……」

「頼む」

 ウルグは瞑った目を開きマクシミリアンに言った。

「……駄目です」

「うう、駄目か?」

「駄目です。もう一度言いますが、殿下はヌーベルトリステインの長です。総督です。いくら遭難者の中に義姉が含まれていたとしても、一兵卒の様に捜索隊に参加するのは許されません。後方で見守る事を学んでください」

「うう」

 ウルグの正論に、マクシミリアンはたじろいだ。
 そこにデヴィットが入ってきた。

「王太子殿下。どうか、我々を信用して下さい。決して殿下のご期待に背くような事はいたしません」

「手に負えない化け物現れた場合はどうする?」

「その時こそ殿下にご出馬を願います。それまでどうか、長として我々の働きを見ていてください」

「……」

「……如何でしょう?」

「分かったよ。僕はウルグと共にフォート・ノワールで待機している。その代わり『彼ら』を連れて行ってくれ」

 マクシミリアンが杖を振るうと、32基のウォーター・ビットが現れた。

「このウォーター・ビットには新たな能力が加わり、ウォーター・ビット間で通信が出来るようにした」

 マクシミリアンは、紙を一枚取り出しウォーター・ビットの下に置いた。
 すると、ウォーター・ビットから、黒い色をしたインクの様なものが噴射され、真っ白な紙に文字が書き込まれた。

「凄い!」

 見ていたスタッフ達から驚きの声が上がった。

「紙はなるべく多く持っていってくれ。」

「御意」

「後は文字のやり取りだけでなく、GPS……あ~……自分の位置を知らせる機能も付いているから、大森林の中で迷う事は無いだろう」

 正確には『GPSの様な魔法』だが……とマクシミリアンは心の中で突っ込んだ。
 次にウォーター・ビットが震えると、別の紙にインクジェットを噴射しフォート・ノワール周辺の簡単な地図が書きこまれた。しかもカラーでだ。

「殿下にここまでして頂くとは……必ずや、地質調査隊を救出してご覧にいれます」

 と、コマンド隊のデヴィットが深々と頭を下げた。

「良い報告が聞けるよう、各員の努力に期待する」

『御意!』

 デヴィット以下コマンド隊の面々と、捜索隊の士気は高い。







                      ☆        ☆        ☆






 
 ホォート・ノワールを出発した捜索隊は3時間ほどで大森林外延部に到着し、早速大森林の廃部へに入った。

 大森林に入った捜索隊は、五つの班に別れ、それぞれ護衛用と偵察用と通信用のウォーター・ボールが周りに展開し、シュヴルーズら地質調査隊を捜索を開始した。

 大森林の中は100メイル超の背の高い針葉樹が鬱蒼と生い茂り、昼間でも50メイル先も分からないほど暗かった。

「暗くて先が良く分からんな」

 捜索隊隊長のデヴィットが、目を細めて闇の先を見ようとしていたが何も見えない。

「俺がライトを唱えるから、他の者は警戒を厳に」

「了解」

 メイジであるデヴィットがライトを唱えると、薄暗かった大森林の中は眩しいばかりの光に包まれた。

「さあ進もう。でも慎重にな」

 捜索隊は大森林の中へと深く深く入っていった。

 ……どれ位進んだだろう。一時間おきに送られてくる偵察ビットの情報を参照しながら五班に分かれた捜索隊は、大森林を進み続けた。

 時折、頭上から降ってくる雪の塊を避けつつ捜索隊が進むと、太陽の光が差し込み、開けた場所に出た。

「隊長、あそこに火を焚いた後が!」

 アニエスが指を差すとその方向には、焚き火の後があった。

「何か手掛かりが有るかもしれない、周辺を調べてみよう」

「了解」

「了解です」

 捜索隊は焚き火跡とその周辺を調べる事になった。

「何か見つかったか?」

「デヴィット隊長、これを」

 デヴィットの所に民兵が空き缶を持って現れた。

「食べ終わった缶詰の空き缶が見つかりました」

「捜索隊が使った物に違いないな。他には?」

「焚き火の跡ですが、ほんの少し熱が残っていました」

「と、なると数時間前までここに居たという訳だな……よし、この事を他の捜索隊に連絡しよう」

 一つ一つが小マクシミリアンでもあるウォータービットは、直ちに他の捜索隊と本陣のフォート・ノワールに情報を転送した。

「そろそろ、出発しよう」

「了解。出発するぞぉ~!」

 ヒューゴが、民兵達に声を掛けた。
 デヴィットら捜索隊が先に進もうと準備を始めると、ウォーター・ビットから大量の情報が送られてきた。

「ああっ!」

「どうした!」

「大量の情報が……ああ、紙が足りない」

 アニエスが、いそいそを予備の紙束を用意してビットの側に置いた。
 すると、ビットは真っ白の紙に周辺の地図を描いた。

「アニエス、ちょっと見せてくれ」

「どうぞ」

 デヴィットはアニエスから地図を受け取り見てみると、地図の中心に青い点が固まっていて、それを囲むように無数の赤い点が青い点を半包囲していた。

「この青い点は我々を指している様だな」

「……では、この赤い点は何でしょう?」

「……」

「……」

 沈黙が辺りを支配した。
 その沈黙に応えるように、大森林の奥から獣の臭いが風に乗ってやって来た。

「獣の臭い!?」

「糞っ、戦闘準備だ! 他の捜索隊と本陣に敵の奇襲を受けたと連絡しろ!!」

「了解!」

 開けた場所で奇襲を受けた事に、デヴィットは奥歯を噛み鳴らし悔しがった。

 ……

『アース・ウォール!』

 デヴィットの唱えたアース・ウォールで、2メイル程の壁が盛り上がった。
 捜索隊の民兵達が、アース・ウォールの壁を盾代わりにして待ち構えていた。民兵の武装は、新型の後装ライフルが本国で出回り始めた為に旧式となった前装ミニエーライフルだ。

「配置完了です」

「命令するまで発砲は禁ずる」

「了解」

 上空から見たら凹の形を逆さにした形、正面と左右を壁で守ったに捜索隊は、既に戦闘準備を終えていた。

 木々の向こう側から、獣の臭いが漂い、地響きと共に何かが突進してくる。

「……来い!」

 アニエスは後装ライフルを構え、デヴィットの命令を待った。

 木々の間にあった茂みから、ひょっこりと毛むくじゃらの顔が現れ、こちらを見ていた

「……ゴクリ」

 誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。

「……」

「……」

 一瞬の沈黙。そして・・・・・・

「ヴオオォォォォ!!」

 毛むくじゃらの顔が吼えると、木々の向こう側から一斉に咆哮が響き、3メイル程のバイソンの群れが捜索隊の篭もる壁へと突進してきた。

「う、牛!?」

「かまわん。撃てぇぇぇぇ~~~!」

 パパパパパパン!

 と銃声が響き、先頭集団のバイソン達が血を噴き出し倒れた。だが『肉の壁』は止まらず捜索隊へと迫る。

「続けて撃て!」

 待機していた別の民兵達が発砲し、バイソン達は血にまみれた。

 一方のアニエスは、最新鋭の後装ライフルでバイソンを一頭づつ狙い撃った。

「敵が多すぎる!」

 弱音を吐くアニエスに、同僚のジャックが声をかけた。

「弱音を吐く暇があるなら、敵を撃て。銃剣を突き立てろ」

「は、はい!」

 優しさの欠片も無いジャックに、アニエスは逆に奮起したようで、腰に差した38口径リボルバーで応戦した。

 コマンド隊屈指の銃の使い手のジャックは、『場違いな工芸品』のブローニングBARを的確にバイソンの頭部に撃ち込み戦果を上げていた。
 一方のお調子者のヒューゴは、M1ガーランドを恐怖に歪んだ顔で乱射し一応の戦果を上げていた。

「あっ」

 『ピーン』という音と共にM1ガーランドのクリップが飛び出た。
 M1ガーランドは弾丸を全て撃ちつくすと、クリップが飛び出る構造になっている。
 ヒューゴは素早く装填しようとしたが、手が滑って弾装を落としてしまった。

「援護します!」

 アニエスが38口径リボルバーで援護をした。

「助かった!」

 ヒューゴは落とした弾装を拾い手早く装填し戦線に加わった。アニエスらコマンド隊は隊員同士、相互に援護する事が板についていた。

「弾はたっぷり有るから、気にせず撃ちまくれ!」

『了解!』

 先鋒だったバイソンに混じり、別の獣や亜人も混じり始めた。
 ブタのような顔のオーク鬼がぶよぶよの腹を揺らし突進してきた。

「何なんだコイツら!」

 ヒューゴが悲鳴を上げる。

「オーク鬼もコッチに居たんだな」

「ジャックさん、のん気な事を言わないで下さい」

「そうでもない。オーク鬼程度なら、何度もやり合っているから大して脅威ではない」

 ジャックは弾切れのBARを地面に置き、愛用のウィンチェスターM70で次々とオーク鬼の頭を撃ち抜いた。

「凄い……ボルトアクションなのに、あんなに早く!」

 アニエスがジャックの早業を見て呟いた。

「呆けている暇は無いぞ、撃ちまくれ!」

「了解!」

 撃っても撃っても、敵の勢いは止まらない。
 暫くすると、ビットから敵の第三波の情報が送られてきた。

「敵、第三波きます」

「次はどんなのだぁ? 裸の女なら大歓迎なんだが……」

 等とボヤキながらヒューゴが、壁から顔を出し、新手の敵を見定めようとした。

「……犬?」

 新手はコヨーテの群れだった。
 コヨーテは、先ほどのバイソンやオーク鬼とは違い俊敏な動きで壁へと迫る。

「……各隊員、銃剣を付けさせろ、白兵戦もあるぞ」

「了解、その様に通達します」

 その時、通信用ウォーター・ビットが新たな情報を描き始めた。

「ビットから新たな情報が!」

「第四波か?」

 アニエスは、新鮮な情報の描かれた紙をデヴィットに渡した。

「なんと書かれているんですか? 援軍が近いんですか?

「……後ろに敵!?」

「えっ!?」

「後ろから何か来るぞ!」

 誰かが警告を発したと同時に、後方から5メイルの巨大なクーガーが壁を乗り越え襲ってきた。

「うわぁぁぁ!」

「後ろから!? ぎゃああああ!」

 クーガーの爪は、人間など紙切れの様に切り裂き、民兵達に多数の死傷者を出した。
 巨大クーガーのその姿は、犬歯が異常に発達していて、差し詰め『サーベルクーガー』というべきだった。

「くそっ、迂回された!」

 壁の内側に乱入したサーベルクーガーは、その巨体に似合わず俊敏な動きで暴れまわった。

『シャァァァァァ!』

「コイツを何とかしろぉーーー!」

「クソッ、撃て撃てぇー!

「待てっ! 撃つな、同士討ちになる!!」

 碌な訓練の受けていない民兵は大混乱に陥った。

「負傷者を下がらせるんだ!」

「はい!」

 アニエスが、デヴィットの命で負傷者の所へ向かおうとすると、黒い巨体が目に前に振ってきた。








                      ☆        ☆        ☆






 目の前に振ってきたサーベルクーガーの目を見て、アニエスは足がすくんでしまった。

『グルル……』

「あ、ああ……」

 サーベルクーガーから放たれる未知の殺気に、今まで訓練してきた経験がそして闘志が一気に吹き飛んだ。
 怯えるアニエスを見て、サーベルクーガーは口を歪ませた。それはまるでアニエスの臆病を笑っているようだった。

「……クッ!」

 自分が笑われたことを感じ取り、アニエスはギリリと奥歯を噛み、恐怖をねじ伏せた。

 38口径リボルバー『S&W M36』を、腰のオルスターから出してサーベルクーガーへ向けて撃つのと、サーベルクーガーの前足が目に止まらぬ速さでアニエスを切り裂いたのはほぼ同時だった。

 パァン!

 乾いた銃声が混乱した現場に響き、そして鮮血も散った。

「あああああああっ!」

 アニエスの顔から鮮血が飛び、左の顎から頬まで深い裂傷が出来た。
 一方、アニエスが放った銃弾は、サーベルクーガーを外し地面の小石を跳ね上げただけだった。
 吹き飛ばされたアニエスは、地面に叩きつけられた。すぐに起き上がろうと身体に力を入れたが、全身の感覚が消え、まるでで動かない。

(あ、あれ? 身体が動かない……?)

 何とか身体を動かそうとするが、大量のアルコールを摂取したかの様に目の前がぼやけてしまった。更に痛みすら消え思考も回らない。

(あれっ? なんで私ここに居るんだっけ?)

 思考の回らないアニエスに、サーベルクーガーは前足を腹に乗せ、アニエスの身体を押さえつけた。

『美味ソウナ、『メス』ダ……!』

(あ、動物って喋れたんだ)

 舌なめずりをするサーベルクーガーに対し、アニエスの思考は定まらず、的外れな事を思った。

 サーベルクーガーの胃袋に収まるかと思われたが、アニエスの身体は戦う事を忘れていなかった。
 アニエスは自動人形の様に、手に持っていたM36の引き金を無意識に惹いた。

 パァンパァン!

 二つの銃声が響き、至近距離で放たれた銃弾はサーベルクーガーの腹に食い込んだ。

『ガアァッ! ヨクモォッ!!』

 怒ったサーベルクーガーは、引っ込めていた爪を突き出し胸を貫こうとした。
 あわや、と思ったその時、護衛のウォーター・ビットがウォーター・ショットの集中攻撃で、サーベルクーガーを蜂の巣にした。

『グワアァァァァッ!』

 蜂の巣にされたサーベルクーガーは倒れずに周囲の民兵を蹴散らすと、壁を飛び越え何処かへ逃げ去った。

「アニエス、大丈夫か!」

「あう、あ、デヴィット隊長」

「喋るんじゃない! 顔が血塗れで凄い事になっている。誰か秘薬を、大至急だ!」

 サーベルクーガーを追い払ったものの、アニエスを始め捜索隊の被害は無視できないものだった。

「誰が秘薬を!」

「早くしてくれ、血が止まらない!」

 救護班が負傷者の手当てを始める。
 遂にヒューゴがデヴィットに泣きついてきた。

「隊長、このままじゃ押し切られます。ジリ貧ですよ~」

「弱音を吐くな! もうすぐ他の部隊が救援に来る!」

 他の部隊にはウォーター・ビットを使って救援を要請している。

「そうなんですか?」

「そうだ! もうすぐだ、援軍はもうすぐ来る!」

 デヴィットは民兵達を激励しながら、『アース・ウォール』の重ね掛けすると、正面に何枚もの壁が出来た。だが、多勢に無勢。獣の軍団は『アース・ウォール』の壁に到達しつつあった。

 重傷を負ったアニエスは、地面に寝かされ救護班の治療を受けていた。幸いと言うべきか、薬の効果と疲労で眠っていた。

「眠っていて良かったよ。この傷を見たらきっと耐えられないよ。女の子なら尚更だからね」

「ああ、まだ若いのに……この傷は一生残るぞ」

 救護班は同情的な眼差しでアニエスの傷を治療した。
 アニエスの傷は、左の頬の顎から鼻までかけて鋭い爪で深く切り裂かれてた出来た傷だった。

「はあ……目覚めたら何て説明しよう」

 救護班は、ため息をついて治療を続けた。

 ……

 ドカン!

 と轟音が鳴り響き、棍棒を持ったオーク鬼が最初の壁を破壊した。
 破壊された壁の隙間から、コヨーテが侵入してきた。

「撃てっ!」

 パパパパン!

 銃声が響き、コヨーテが倒れる。

「よしっ、良いぞ。絶え間なく弾幕を貼り続けるんだ!」

 再び一斉射。
 しかし、倒しても倒しても、仲間の死体を踏み台にして獣の軍団は迫ってくる。
 壁一枚を残し、全ての壁を突破された捜索隊に未だ救援は来ない。

 事ここに至り、デヴィット決断した。

「どうも援軍は望めそうに無い。ヒューゴ、民兵と他の負傷者を集めたら大森林の外までへ退避してくれ、殿(しんがり)は俺とジャックがやる」

「ええ!? ……し、しかし」

「悪いが議論をしている時間は無い。早くしろ!」

「りょ、了解!」

 ヒューゴは、撤退準備をするべく後方へと去った。

「事後承諾になるが、ジャックも良いな?」

「もちろんです」

「……ありがとう」

 デヴィットはニヤリと笑いジャックは表情を変えず口元だけ歪める、戦友同士が発する独特の場の雰囲気が辺りを包んだ。

「ゴーレムよ!」

 デヴィットが『クリエイト・ゴーレム』を唱えると、剣と盾を持ったゴーレムが八体現れた。

「さあ来い!」

「……!」

 覚悟完了の二人に、撤退の準備に向かったはずのヒューゴが戻ってきた。

「隊長! デヴィット隊長~!」

「どうしたヒューゴ? 早く撤退準備をしないか!」

「て、撤退どころじゃないですよ。実はですね……」

 だがヒューゴの声は、敵軍のど真ん中に落ちた爆発の音によって消されてしまった

「ひゃぁ~~!」

「どうした!?」

 耳を劈く爆音に、デヴィットは耳を押さえた。

 次々と降り注ぐ死の爆発は1分ほど続き、爆発の跡には獣の軍団の死体が山積みになっていた。

「……なにがどうなったんだ?」

 火薬独特の鼻を突く匂いが辺りを漂った。

 いち早く正気に戻ったジャックが辺りを見渡すと、木々の先に馬を駆る新たな集団を見つけた。

「騎兵です、我々の方へ向かっています」

「援軍か?」

「いえ、トリステインの旗は持っていないようです」

「ならば……敵か?」

 第三の軍勢は、大森林から捜索隊の居る開けた場所へ抜け、獣の軍団へ突撃をした。

「に、人間だ! こっちにも居たんだ!」

 ヒューゴは、突如現れた謎の軍勢が人間だという事を知り驚きの声を上げた。
 謎の騎兵は、その全てが軽装で半裸に近い服を着ていた。手にはレバーアクション式の小銃を持ち、腰には手斧をぶら下げていた。
 騎兵達は銃や斧で獣の軍団を蹴散らし、堪らなくなった獣の軍団は撤退を始めた。

「こっちだ! 付いて来い!」

 騎兵の列から、半裸に近い民族衣装を服を着た女が現れデヴィット達に捲くし立てた。

「女だ、結構可愛い」

「ヒューゴ黙れ……隊長どうしますか?」

「着いて行こう。このままでは留まっていてら、獣の軍団がまたやって来るかも知れない」

「了解です」

「負傷者は丁寧に扱ってくれ。それと、本部と他の部隊に『先住民と接触した』と連絡をしてくれ」

 虎口を脱した捜索隊は、先住民達に着いて行く事にした。
 

 

第六十三話 悪霊の滝

 謎の原住民に全滅の危機を救われた捜索隊は、彼ら原住民の事や、襲って来た謎の獣の軍団の情報得る為に、原住民の後へ着いて行く事にした。
 彼ら原住民は、これから本拠地へ帰るようだった。

 道すがら原住民の少女『アワサ』から話を聞くと、彼ら原住民は言ってみれば反乱軍なのだそうだ。
 アワサは、美少女と呼べるほどの容姿で、腰まで伸びた長い髪を三つ編みにし、浅黒い肌に半裸に近い民族衣装の姿は若い民兵達に『大変』好評だった。
 アワサの話では、大森林周辺は大昔から精霊が他の生物を支配する土地で、人間は永らく他の獣の家畜同然だった。
 およそ一年前、デガナヴィダというリーダーが現れ、数百人の人々を伴って、禁断の地として足を踏み入れることを禁じられた『悪霊の滝』と呼ばれる場所に逃げ込み、今日まで戦い続けてきた。

「禁断の滝には、獣達は近づこうとしないの。お陰で今日まで戦い抜いて来られたわ」

 と、女戦士アワサが言った。

 捜索隊は基本は徒歩で、負傷者は補給物資の運搬用に持ってきた馬車に乗せられ、アニエスも馬車に乗せられていた。
 アワサは馬から下りて、デヴィットにあれこれ解説していた。

「この『雷鳴の杖』は、悪霊の滝の近くで見つけた宝具よ。この宝具のお陰で、爪や牙で劣る私達は戦い続けることができたの」

 そう言ってアワサは『雷鳴の杖』……ウィンチェスターM1866を天高く掲げた。

「雷鳴? 『場違いな工芸品』ではなく?」

 デヴィットが聞き返す。

「場違い? この杖を相手に向けて使うと、雷の音みたいな凄い音が出るから、似たような物全て雷鳴の杖と呼んでいるのよ」

「その禁断の滝に、場違い……コホン、雷鳴の杖があったと?」

「そうよ、雷鳴の杖だけじゃなく、使い方が分からない物もたくさん有るわ。さて……そろそろ見える頃よ」

「ん? 何か音が聞こえる」

 捜索隊達が大森林を抜けると、大河と呼んでよいほどの大きな河が流れていて、その下流は見た事の無い巨大な滝になっていた。

「……おお!」

 デヴィットは言葉が見つからなかった。
 目の前に広がる壮大な光景は、ハルケギニアでは見た事は無かったからだ。
 他の捜索隊の面々も同じようで、ポカンと口を開けたまま、とてつもなく巨大な滝を眺めていた。

「ようこそ、悪霊の滝へ」

 そう言って、アワサは自分の馬に飛び乗った。

 原住民の本拠地、悪霊の滝は、地球で言うナイアガラの滝の事だった。
 後で知ったことだが、微妙に形や配置は違ったがこちらの世界にも五大湖は存在していた。

 ……

 原住民の本拠地は、悪霊の滝から50メイル程の断崖絶壁を下った場所にある僅かな陸地に木造の家が密集して建てられていた。

「下まで降りるには、狭い道を降って行かなければならない。馬車をここにおいて負傷者は背負っていこう」

「了解」

 アワサに先導された民兵達は負傷者を背負って狭い道を降りていった。

「足元に注意して。滝のすぐ側だから濡れてて滑りやすいわ」

「了解だ。みんな聞いたな? せっかく拾った命だ些細なミスで落とす事は無いように」

「了解です」

 ヒューゴらは恐る恐る下って行き、眠るアニエスも民兵に背負われ、下へ下へと降りていった。

 途中、少ない陸地を利用した畑で農作業をする女達が見えた。

「農作業をしているのは女だけのようだな」

「男はみんな戦士として務めているからね」

「そういうキミは、農作業せずに戦士をしていて良いの?」

「……『杖』の扱いや馬の扱いも他の戦士には負けないわ」

「……失言だったかな?」

「構いはしないわ。よく言われることだから」

 などとデヴィットとアワサが世話話をしている内に本拠地に着いた。

 ……

「ありがとう、皆さんのお陰で助かりました。厚かましいと思われますが、負傷者を寝かせる為に、何処か場所を提供して欲しいのですが」

 デヴィットがお礼の言葉を言うと、アニエスら負傷者を寝かせる場所を用意するよう要請した。

「少し川側に下った所に空き家が有るから、負傷者はそこに寝かせて、場所は……そうね、先客に案内させるわ」

「先客?」

「あの人達の事よ」

 アワサが指差す方には、消息不明になったシュヴルーズら地質調査隊の面々が、驚いた顔で捜索隊を見ていた。

「あ、ミス・シュヴルーズ!!」

「あの人達は、あんた達みたいに森の中で襲われていたのを助け出して、ここまで連れて来たのよ」

「そうだったんですか……ミス・アワサ。一度のみならず二度も救っていただき有難うございます。マクシミリアン総督に成り代わってお礼を言わせて下さい」

 デヴィットは深々と頭を下げた。

「止してよ。たまたま襲われていた所に、出くわしただけ。それよりも、デガナヴィダに会わせるわ」

「確か反乱の長でしたな。お礼諸々、情報交換がしたい、是非会わせて下さい」

「分かったわ、着いてきて」

 そう言って、アワサは家屋の中でも最も大きな家へ向かった。

「ヒューゴは、地質調査隊と一緒に負傷者を頼む。ジャックを俺に着いて来てくれ」

「了解」

「また、除け者ですか? はあ……分かりましたよ」

「頼んだ」

 愚痴を言いながらもヒューゴは、シュヴルーズの所へ全速力で走っていった。

 ……

 デヴィットとジャックは、アワサに付き添われ、リーダーのデガナヴィダが待つ家に入った。
 家の中は閑散としていて家具の類は無く、錆び付いた小銃が5丁ほど壁に立て掛けられていた。

「デガナヴィダ。今帰ったわよ~」

 アワサが、声を掛けたが返事が無い。

「お客さんだよ、昨日助けた人達と同族の人~」

 もう一度声を掛けても返事は無かった。
 不審がってデヴィットがアワサに声を掛けた。

「居ないのか?」

「居るよ」

「だが、返事が無い」

「デガナヴィダはちょっと特殊なんだ……着いて来て」

 そう言うと、アワサは家の奥へと進んでいった。
 デヴィットとジャックは、お互い目を合わせるとアワサの後へ着いて行った。

 家の奥へと3人は進むと、会議場の様に広い部屋に出た。
 部屋の中央には、焚き火の火が煌々と輝き、見た目は30前後の青年が熊の毛皮を敷いた床に胡坐をかいていた
 青年は他の原住民と同じような半裸に近い民族衣装を着ていた。

「お初にお目にかかります。私はトリステイン王国のデヴィットという者です」

「同じく、ジャックです」

「……」

 二人は自己紹介をしたが、デガナヴィダは黙ったまま目を瞑っている。

「あの……」

「ああ! ごめんなさい忘れてたわ。デガナヴィダは四六時中、精霊を交信していて滅多なことじゃ話さないのよ」

 デガナヴィダの横に控えていたアワサが、事情を説明した。

「精霊? しかし精霊は敵だったのでは?」

「精霊にも色々なヤツが居るのよ。私達が敵対しているのは、獣を統べる『悪い精霊』の方よ」

「悪い精霊?」

「そうよ、私達を都合の良い食料か何かと勘違いしている連中。私達は獣と違って、力も弱いし素早く立ち回れない。デガナヴィダが私達を連れて悪霊の滝に逃げ込むまで、獣や亜人達に食べられない様に身を潜めるしかなかったわ」

 アワサはギリリと奥歯を噛み、憎しみに燃える瞳を輝かせた。

 無言で目を瞑っていたデガナヴィダが口も開いた。

「憎しみに支配されてはいけない『みんなきょうだい』だ」

「みんなきょうだい?」

「デガナヴィダ! たまに口を開けばいつもそれじゃない! アンタはそれで良くても獣どもは私達を襲うのを止めないわ!」

「……」

「なによ! またダンマリ!?」

「……」

 アワサは舌打ちをすると、腕を組んで壁に寄りかかった。

「デガナヴィダ。私達……少なくとも私は、アンタが喋るまで待っていられるほど暇じゃないの」

 アワサがデガナヴィダを睨み付けると、ようやくデガナヴィダは口を開いた。

「……隣人よ」

「は、はい」

「……」

 デガナヴィダの言葉にデヴィットは息を飲んだ。

「大精霊の声によれば、我らの悲願を達成するには、あなた方、隣人の力を借りねばならならない」

「大精霊?」

「左様、我々と獣達の和を望む、良き精霊です」

「良き精霊……どうぞ続けて下さい」

「ですが、悪しき精霊が獣達を守護している以上、彼らは我々の言葉に耳を貸さないでしょう。ですが、あなた方の中に精霊を倒すことが出来る者が居る、と大精霊が言っていました。悪しき精霊を破れば獣達も耳を貸すようになるでしょう、是非とも我々に力を貸していただきたい」

 デガナヴィダは胡坐をかいた状態で深々と頭を下げた。

「話は分かりました。重大な事柄ですので即答は出来ません。今度来るときは返事を持って来ます」

「……」

 デヴィットらは一礼して部屋を出て、再びダンマリを決め込んだデガナヴィダは、頭を下げ二人を見送った。

「デガナヴィダがあんなに喋るなんて初めてみたわ」

 二人を伴って玄関先まで来たアワサは、率直な感想を述べた。

「そんなに喋らないのか?」

「丸一日何も喋らなかった事もあったわ」

「それ程か……」

「まあ、そんな事より……私達を一緒に戦うの?」

「さっきも言ったが、一度本部に報告する。戦うか戦わないかの判断は上がする」

「なにそれ、そんなの自分で決めればいいじゃない」

「そういう訳には行かない。これが宮仕えという奴だ」

「面倒なのね、そのミヤヅカエって。ま、あんた達がここを去っても私達だけで戦い続けるわ」

 家を出ると、アワサは『じゃあね』と手を振り何処かへ行ってしまった。

 デガナヴィダの家の前に残されたデヴィットとジャック。

「……フォート・ノワールに連絡しよう」

「了解」

 デヴィットは、デガナヴィダの言った事をウォーター・ボールで転送した。
 フォート・ノワールからの返信は3時間後に返って来た。

 内容は、デガナヴィダら原住民との同盟を承諾した事と、同盟に関しての文官と増援を送る旨が書かれていた。






                      ☆        ☆        ☆






 アニエスが目を覚ますと、見たことの無い建物の中に居た。
 室内は獣の皮がシーツ代わりに布かれ、アニエスは負傷者と一緒に雑魚寝で寝かされていた。

「ここは……」

「ミス・ミラン起きたのね」

「え、あ?」

 声のした方へ顔を向けると、そこには行方不明になったはずのエレオノールが居た。

「ミス・ヴァリエール! っ痛!?」

「無理をしないで、ミス・ミラン」

「それよりも、無事だったんですね……良かった」

「ここの人たちに助けて貰ったのよ」

「ここの人?」

「獣達と戦っている人達よ、私達も襲われて、寸での所で助けてもらったのよ。さ、身体を拭いてあげるわ」

 エレオノールは、アニエスの所に来ると水の入った桶を床に置き、アニエスの身体を拭き始めた。

「……」

「……もう少し寝てなさい。後の事は隊長さん達がやってくれるわ」

「……分かりました」

 アニエスが眼を瞑ると、十秒をせずに睡魔が意識を刈り取った。

 眠ったアニエスの身体を拭き終わり、エレオノールは他の負傷者の世話をするべく、桶を持って立ち上がった。
 エレオノールは、同情の眼差しでアニエスを見た。

「あんな傷で……あの娘、これからどうなっちゃうのかしら」

 エレオノールの視線の向こう。アニエスの左頬には大きな絆創膏が張られていた。
 数時間前に、治療の手伝いをした際に見えてしまった絆創膏の下の傷跡……エレオノールは妹分のこれからの人生を想像して暗澹たる気持ちになった。

 ……

 次にアニエスが目を覚ましたのは、辺りが暗くなってからだった。

 上半身を起き上がらせると、十分な睡眠と治療のお陰で何の痛みも感じなかった。
 辺りを見渡すと、負傷者のうめき声が時折聞こえた。次にエレオノールの姿を探すと建物の端っこで毛布代わりの毛皮に包まって寝息を立てていた。

「外の空気が吸いたい」

 と、独り言と言って立ち上がり、眠っている他の負傷者を踏まないよう足元に気をつけながら外へと出た。

 外に出たアニエスは、目の前に飛び込んできた巨大な滝に圧倒された。

「わぁ……」

 大河の水が滝つぼに落ち、舞い上がって雫になり、双月の光に彩られて幻想的に見えた。

 アニエスは散歩がてら河の岸辺を歩いていると、後ろから気配を感じた。

「誰?」

 後ろを振り返ると、見たことの無い先住民の少女がアニエスの後を着けていた。

「私? 私はアワサ。お客さんがウロウロしてるのを見たから、注意しに来たのよ」

「注意?」

「そこの河は水量も多いし、流れも急だから、死にたくなかったら近づかないで」

「あ、ごめん」

 アニエスは岸辺から数歩後ずさった。

「私はアニエス。アニエス・ド・ミラン。貴女は?」

「アワサよ」

「それじゃ、アワサ。地質調査隊や私達を助けてくれてありがとう」

「どうって事ないわ。それにお礼なら、隊長さんからもう貰ったわ」

 アワサは手をヒラヒラさせて、照れ隠しをした。

「じゃあね、ちゃんと寝ておきなさいな」

「何処へ行くの?」

「雷鳴の杖を採り採りに行くのよ」

「雷鳴の杖?」

「えっと、あ~……確か場違いなナントカって隊長さんが言ってたわね」

「ひょっとそれ、場違いな工芸品?」

「そう、それ」

 アワサの言葉にアニエスは頭を捻らせた。

(場違いな工芸品を採る? どういう意味だろう)

 興味を持ったアニエスは着いて行って見ようと思った。

「私も着いて行って良い?」

「別に良いわよ」

「ありがとう」

 こうして、アニエスはアワサに着いて行く事になった。

 ……

 双月の光は、まるで街頭の様に二人を照らす。

 月光を頼りに、アワサは猛烈な水飛沫を上げる滝つぼへと足を進めた。

「それ以上は、進めないんじゃないの?」

「大丈夫よ」

 アワサは気にせず進み続ける。
 ついに二人は、大瀑布と目と鼻の先までたどり着いた。

「うう、びしょびしょだ」

 アニエスのTシャツ風の肌着は、水飛沫でびしょびしょになり下着まで濡れてしまった。
 一方のアワサは、半裸に近い民族衣装と腰まで伸びた三つ編みが濡れても気にしなかった。

「こっちよ」

 アワサは、行く手を阻む切り立った崖まで進んだ。

「こんな所に洞窟が」

 そう、何もないと思われた崖に、大人が5人肩を組んで入れる程度の洞穴が口を開けていた。

 アワサは何も言わず、洞穴の中に入っていった。
 アニエスも後を追うと、洞窟内は明るく地面や天井のあちこちから剥き出しになった光る鉱石が、照明代わりになっていた。

(深夜なのに、洞窟の中は明るいとはどういう事だろう?)

 などと、不思議に思いながら、アニエスはアワサの後に続いた。

 滝の裏側、真上が大河という事もあってか、洞窟内のあちこちで水滴が落ちていた。
 奥に進むと、巨大な空洞が広がっていて、かつては金属だった錆びた鉄屑や、完全に錆び付いた金属製の馬車の様な物などがそこら中に転がっていた。

「ここは……」

「私達が、悪霊の(ここ)に逃げて来た時に偶然見つけたのよ。生き残るのに必死だった私達は、何か武器になりそうな物を探して、こういった雷鳴の杖を見つけたの」

 そう言ってアワサは、愛用のウィンチェスターM1866をアニエスに見せた。

「それじゃ、私は使えそうな物がないか調べるからアンタは見物でもしてて」

「……私も見ても良い?」

「ん~、いいよ」

「ありがとう」

 アニエスもアワサに習って、使えそうな物を探し始めた。

 ……2時間ほど経っただろうか、アニエスは使えそうな場違いな工芸品を探した。
 収穫は、弾の無いブローニングM2重機関銃が1丁と、M2を車載していた軍用車両(ジープ)だった。

「え~っと、これは……コマンド隊の座学で習ったことがあったな、確か『クルマ』だっけ? あ~、でもあちこち錆びついてる」

 アニエスがあちこち調べているとアワサが声を掛けてきた。

「それは『鉄の牛』よ。動かし方が分からないし、食べられそうも無かったから放って置いたのよ」

「食べられそうって……それよりも、この場違いな工芸品……じゃなかった、雷鳴の杖の弾は?」

「それなら、みんな使って、殆ど残されて無いわ。そうしないと生きて行けなかった」

「……大変だったわね」

「ありがとうねアニエス。もう遅いし、そろそろ帰りましょ?」

「良いけど、アワサは何か収穫はあった?」

「収穫なし。一年前まではこの空洞内を山積みするほど有ったのに、僅か一年で使い果たしてしまったようね」

「それじゃあ、どうやってこれから戦うの?」

「……弾はまだ残っているし、雷鳴の杖が無くたって戦いようはあるわ。でも、きっと多くの犠牲を払う事になったでしょうけど、ね。

 アワサは、雷鳴の杖の力が無ければ自分達がいかに無力化か、戦士としての直感で読み取っていた。

「……」

「アニエス達と出会ったのも、デガナヴィダの言葉を借りれば『大精霊の思し召し』なのかも。あ、デガナヴィダってのは私達のリーダーの事ね」

「アワサ……」

「さ、帰りましょ」

「……そうね」

 洞窟へ入る時のアニエスはアワサの後に着いて行くだけだったが、出る時はアニエスはアワサは隣同士、肩を並べて出てきた。

 

 

第六十四話 大森林の精霊

 大森林内部で獣や亜人と戦う原住民と接触したヌーベルトリステインは、原住民と同盟を結び、五大湖周辺を支配する精霊との戦争に突入した。

 司令部に指定されたフォート・ノワールには、ヌーベルトリステインのほぼ全軍の一万人の民兵が集結し、新トリスタニアから運ばれる物資を貯蔵していた。

 総司令官はマクシミリアンの抜擢でウルグ将軍に決まり、マクシミリアンは軍隊では手に負えない敵が現れた場合に備え、フォート・ノワールに待機することになった。

 シュヴルーズ遭難から二週間の間、シュヴルーズら地質調査隊は悪霊の滝で過ごし、今日フォート・ノワールに護送されて帰って来た。

「ミス・シュヴルーズ、無事で何よりです」

「王太子殿下直々のお出迎え、大変恐縮に思います」

 マクシミリアンの出迎えに、シュヴルーズは頭を深く下げて礼を言った。

「地質調査隊隊員の皆もご苦労様、食堂に料理を用意してある。旅の疲れを癒して欲しい」

『王太子殿下のお心遣いに感謝いたします!』

「長い話はこれ位にして解散しよう」

『御意!』

 解散を命ずると調査隊の隊員達は一斉に食堂へ雪崩れ込んだ。

「……あれ? 義姉上が居ない」

 マクシミリアンは、地質調査隊の中にエレオノールの姿が無い事に気が付き、湯を借りようと厨房へ向かうシュヴルーズに声を掛けた。

「失礼、ミス・シュヴルーズ。ミス・ヴァリエールの姿が見えないのですが」

「ミス・ヴァリエールなら、あちらに……」

 シュヴルーズが手を向けた先に、エレオノールが何やら上の空で佇んでいた。

「……ああ見つけた。ありがとう、ミス・シュヴルーズ。呼び止めて悪かった」

「はい、失礼します」

 シュヴルーズは去り、マクシミリアンはエレオノールの所へ駆け寄った。

「お疲れ様です、義姉上」

「殿下、この度は心配をお掛けさせ、申し訳ございませんでした」

 上の空だったエレオノールは、マクシミリアンへ向き直し深々と頭を下げた。

「いえ、不運だったんです。そう畏まらないで下さい」

「……はい」

「ティファニアも心配していましたよ」

「あの子が……」

「帰ったら無事を知らせてやってください。とにかく無事でよかった」

 マクシミリアンは、エレオノールに纏わり付いていた『棘』の様なものが消え去っていた事に気が付いた。新世界への旅は、エレオノールを人間的に成長させるには、十分な経験を積む事が出来た。






                      ☆        ☆        ☆






 悪霊の滝では、分散していた他の捜索隊が合流し、補給物資を持った増援部隊とも合流した事で、捜索隊は300人を超す規模に膨れ上がった。
 そして、捜索隊から武装偵察隊……略して武偵隊という名称に改めた。
 武偵隊の任務は、ビットと連携して敵地での情報収集や斥候だった。。

 現在、アニエスら武偵隊は、アワサら原住民と別れると悪霊の滝を離れ、周辺の地形を調べフォート・ノワールに送る作戦に従事する事になった。
 アニエスは周辺の探査に出たウォーター・ビットから、大量に送られてくる地形の情報をフォート・ノワールに送る作業を捌いていた。
 アニエスは左頬の分厚い絆創膏を取り払い、その醜い傷跡を周囲に晒すと、さらに精力的に任務に従事していた。

「デヴィット隊長。半径50リーグの地形データです」

「ご苦労。この情報をフォート・ノワールに送れば移動だ。それまで休んでいろ」

「了解」

 アニエスは敬礼をして、武偵隊の本部代わりにしているテントから退出した。

 武偵隊内、取り分けコマンド隊の面々は、アニエスの左頬に刻まれた傷を見て以来、同情的な視線を送ったり、何かと気を使うようになった。。
 アニエスは、これらの視線や心遣いをありがたいと思っていたが、同時に鬱陶しくも感じていた。

 外に出たアニエスは、次に武偵隊の主計課の購買テントに顔を出した。

「こんにちは」

「アニエスさん、前に申請した物が届いてますよ」

 主計課の男が、テントの奥に高く積まれた箱の中から、一つの長い箱をアニエスの前に出した。

「早いな、助かった」

「この書類にサインを」

「分かった……って、多いな、20枚以上ある」

 アニエスは、出された書類を一つ一つ確認しながらサインをしたら、30分以上掛かってしまった。それもそうだろう、アニエスが申請した物とは『場違いな工芸品』なのだから……

 左頬の傷を付けたサーベルクーガーに対抗するには、愛用のM36では力不足だと悟った。

「……はい、確かに書類は受け取りました」

「箱のまま持って行ったら、空箱が邪魔になるから、ここで開けさせてもらうわ」

「分かりました」

 アニエスは腰に差したナイフを取り出し、箱の隙間に刺し込むと、てこの原理で箱を開けた

 箱の中には、『H&K G3アサルトライフル』が入っていて、アニエスは、緩衝材代わりの麦わらを取り除き、G3を箱から取り出す。

「これが……私の新しい武器」

 アニエスは、G3を構え銃口を天井に向け、アイアンサイトを覗き込んだ。

「固定化の魔法が施されていますから、ちょっとやそっとの衝撃じゃ壊れないし、フルオートで撃ち続けても故障しませんよ」

「ありがとう、大事にするよ」

 アニエスは新たな武器を気に入ったようだ。

「弾薬は200発……少ないな。すみません、他に弾は無いんですか?」

「弾薬も『場違いな工芸品』で発掘品扱いですから、本国の技術では、まだ再現できないそうです。残念ですが次の補給は未定です」

「そう……使いどころを考えないとな。ありがとう、補給のメドが付いたら教えて」

 そう言ってアニエスは、G3と弾薬を持ってテントから出た。

「あれ?」

 テントを出たアニエスは、武偵隊のキャンプ全体が慌しい事に気づいた。

「あ、ヒューゴさん、何かあったんですか?」

「アニエスか! ついさっき、ジャックさんから緊急連絡が届いたんだよ。『群れが動いた』ってさ!!」

「ええっ!?」

「そういう訳だから、デヴィット隊長の所へ急げ!」

「りょ、了解!」

 アニエスはG3と弾薬を抱えたまま、デヴィットのテントに走った。








                      ☆        ☆        ☆







 時間は少し遡る。
 敵地への単独潜入という特別任務を受けたコマンド隊のジャックは、道中で殺したバイソンの皮を剥ぐと、全身に動物達の糞を塗り、剥いだ皮を被って凶暴な獣が跋扈する土地へと潜入した。
 昼夜、中腰の状態で移動するジャック。途中、同じバイソンの群れと出くわしたが、仲間を勘違いして擦り寄ってきてジャックを辟易させた。

(どうも、知能は高くないらしい)

 バイソンの群れは、大森林の奥へ奥へと移動し、ジャックも幸いとばかりに、群れに紛れて大森林の奥へと潜入する事に成功した。

 大森林の奥へと進むにつれ、バイソンの他にも巨大な角を持つヘラジカなど多くの獣、亜人が集まってきて、その光景は何かの巡礼の様だった。
 道中、正体がばれない様に獣の群れに紛れながら、野草や雨や川の水で飢えを凌いだ。

 そして一週間後、日の光も届かない、方位も分からない、それほど鬱蒼とした森を進み続け、ジャックが潜む獣の群れは、巨大な湖の畔にたどり着いた。
 目の前に広がる巨大な湖の中央には、一本の巨大な大樹が天高く聳え立っていた。
 
 湖を囲むように獣や亜人達が集結していて、巨大な大樹に向かって深々と頭を垂れていた。それも数百や数千といった規模ではない。軽く数万は下らない数の獣達が大樹の周りに集まっていた。

『オオオオ……』

 何処からとも無く声が聞こえた。

 ジャックは、声のした大樹の方を見ると、樹の幹がゾロゾロと蠢き、二つの目と一つの持つ人面樹に変貌した。大樹の精霊『エント』だ。
 よく見ると、エントの枝の一本一本に、蔦で雁字搦めにされた人間のミイラがぶら下がっていた。
 しかも、そのミイラは辛うじて生きていて、蔦から体液吸い取っているようだった。
 生きたまま、体液を吸うエント。余りの悪趣味に、ジャックは胸のむかつきを覚えた。

『ニンゲンが禁断の地に逃げ込んで以来、ニンゲンの味とは遠ざかっていて、皆も苦しい思いをしているだろう』

『コイシイ! コイシイ! ニンゲンノアジ!!』

 エントの演説に獣達が応える。
 
『だが、古き友人『ウェンディゴ』が教えてくれた。我等が領土の外にニンゲンが大量に住み着いたそうだ』

『オオオォォォ!! ニンゲン! ニンゲン! ニンゲンノニク!!』

 申し合わせた様に、獣や亜人から一斉に声が上がり、凄まじい大音声で空気が震えるほどだった。
 獣達の目は爛々と光り、肉食獣のみならず草食獣すらも殺気だった目で『ニンゲンノニク!』と叫んでいた。

(……何だ?)

 ジャックは戸惑いながらも、先日の原住民のリーダー、デガナヴィダの言葉を思い出した。

(ウェンディゴ? たしか……獣達を操る悪しき精霊が居ると言っていたが……そのウェンディゴがこの獣達を?)

 だが、ジャックが答えを導く前に自体が動いた。

『我等が領土を出て、人間を狩りに行こう!』

『オオオオオ!!』

『往こう諸君! ニンゲンの血と肉で己が体毛を彩ろう!!』

『オオオオオォォォッ!!』

 先程より更に大きい大音声が空に大地に湖に響き、湖の周りに集まっていた獣達が湖から離れ何処かに向かって歩き始めた。

(もしや……)

 と、思ったジャックは、懐から革製の水筒を取り出し中身を開けた。
 水筒から流れ落ちた水は、地面で弾ける前に、ピンポン球大のウォーター・ビットに変わった。魔力節約の為のマクシミリアンが考え付いた魔力節約法だ。
 ウォーター・ビットは周辺の地図をジャックの手の甲に描く。
 地図の内容から獣達の目的地が分かった。獣達はヌーベルトリステインの前線基地フォート・ノワールへとまっすぐ進んでいた。

「大至急、この情報を本部と各部隊に送れ……群れが動いた」

 ジャックは周りに聞こえないように小さな声で命令すると ピンポン球大のウォーター・ビットは、ピクンと一瞬だけ震えた。どうやら情報を各部署に送っている様だった。
 やがて、ジャックが潜んでいるバイソンの群れも動き出し、数万の獣の群れはまるで大河の流れの様だった。
 湖の中央に聳え立っていたエントも、自分の根を多足生物の様に動かし、湖から出て獣の軍団の後に続いた。
 ジャックは、ギリギリまで群れの中に潜み、獣達の情報を送り続ける事にした。

 大地を埋め尽くす獣の群れとは別に、空には雷の色をした10メイルほどの怪鳥が一羽、エントの上空を旋回していた。





                      ☆        ☆        ☆






 『群れが動いた』の報を受け取ったマクシミリアンは、ヌーベルトリステイン全土に警報を発し、ウルグ将軍に迎撃を命じた。

「必ずや殿下のご期待に添います」

「始祖ブリミルの加護が在らん事を」

「ははっ」

 ウルグに指揮されたヌーベルトリステイン軍約一万とトリステイン本国から送られてきた新兵器たちは、フォート・ノワールを出立した。
 フォート・ノワールに残ったマクシミリアンは、ウォーター・ビットから送られてくる情報を見ているしかなかった。
 別室では参謀達が情報の整理を行い、適切な補給計画を実行していた。正直な所、ウルグには参謀を一緒にフォート・ノワールに残って作戦の立案をして貰いたかったが、他に司令官の適任者が居なかった為、ウルグを司令官にするしかなかった。
 だが、マクシミリアンのウォーター・ビットで、ウルグと参謀達との意思の疎通が出来るのは幸いだった。

「セバスチュアン、ワインを」

「ウィ、殿下」

 マクシミリアンはワインを頼むと、数秒と掛からずに、赤いタルブワインが満たされたワイングラスが現れた。

「ありがとう、下がっていいよ」

「ウィ、失礼いたします」

 個室の窓を開けると、新世界の風がマクシミリアンの髪を靡いた。
 地上の遥か先には、ウルグに指揮されたヌーベルトリステイン軍が、列を成して大森林へと入っていく光景が見えた。

「勢いで決めてしまったが、建国して一年もしない内に戦争か……はあ、予算足りるかな?」

 ため息をついて、ワイングラスを呷った。

(とにかく早期決着だな。一会戦で勝負を決めないと)

 飲み干したワイングラスをテーブルに置くと、山積みになった資料に目を通した。

(資料では、敵の規模は数万、もしかしたら十万を超えるかもしれない)

 対するヌーベルトリステイン軍は一万で非戦闘員を入れても二万を上回る程度だ。
 勝利の策はウルグらと共に用意したが、何が起こるか分からないのが戦争だ。

「みんな頼んだぞ」

 独り言を呟くと、上空を三隻の74門戦列艦が通過した。

 ル・モンテ号、モンマロー号、ラ・フランドール号の三隻の二層戦列艦は、ヌーベルトリステインの保有する数少ない空軍戦力だ。
 元々は旧式だった為、蒸気機関を搭載される事も無く売却処分される予定だったが、エドゥアール王の計らいで、新たに建国されたヌーベルトリステインの空軍に編入された。
 海上でも運用できる様に最低限の改造しか施されていないが、最新の鋳鉄製の前装砲が全砲に配備され、最新の榴弾を使用しての地上攻撃での活躍が期待された。

 ……

 出発から一週間後、ウルグらヌーベルトリステイン軍は、潜入したジャックや武偵隊から送られてくる情報を検討しながら、ヒューロー湖岸に陣取り野戦築城を開始した。
 先の獣達との遭遇戦で得た戦訓と活かした事と、敵の圧倒的な数に対抗する為にウルグが考え付いた。

 探知(ディテクトマジック)で起爆する地雷や有刺鉄線を使った鉄条網を巧みに配置し、死角となる湖には、先ほどの地雷を応用した探知機雷を沈めた。

 兵士達はスコップで塹壕を掘り、新兵器の機関銃陣地や砲撃陣地を作り、獣の軍隊の到着を待った。

 武偵隊から通信が入り、敵軍約十万を発見し、ヌーベルトリステイン軍が待ち構える陣地へと誘導を開始したと報告があった。獣の軍隊が武偵隊に誘導されながら、ヌーベルトリステイン軍の陣地に到着したのは、それから三日後の事だった。

 世に言う、ヒューロー湖畔の戦いが、始まろうとしていた。
 

 

第六十五話 ヒューロー湖畔の戦い・前編


「撃て撃て~っ!」

 パパパパン、と銃声が鳴る。
 傷だらけの獣が血塗れで倒れるが、別の獣が新たに現れ、戦線を押し上げる。押される形で武偵隊が後退する……
 このサイクルを武偵隊は、何百回と繰り返していた。

 現在、アニエスら武偵隊は、ヌーベルトリステイン軍の待ち構える陣地に、敵の軍勢を誘引する任務を受けていた。

「被害は?」

「負傷者は3名、死者は居ません。被害は軽微です」

「ここまでは順調か……敵の追撃をかわす。直ちに移動を」

「了解」

 デヴィットは、武偵隊の隊員に命令すると、物資運搬用の馬車に飛び乗った。

 その頃、アニエスは殿(しんがり)として戦っていた。
 貴重な弾薬を節約する為、G3アサルトライフルを使わずに、トリステイン製の後装ライフルで戦っていた。

「分かっていたけど、撃っても撃ってもキリが無い」

 と、辟易しながらトリガーを引いた。

 敵は俊敏なコヨーテの集団で、弾幕を絶えず張っておかないと、あっという間に距離を詰められる危険があった。

「おい、アニエス後退命令だ! 乗れ!」

 ヒューゴが、馬車に備え付けられた新兵器のガトリング砲のハンドルを回しながら、アニエスに後退を伝えた。

「後退……了解です!」

 ヒューゴに応えたアニエスは、ガトリング砲の付いた馬車に飛び乗った。

「御者に着く。アニエス変わってくれ」

「分かりました」

 ヒューゴから変わったアニエスは、ガトリング砲のハンドルを回し、追いすがる獣の達を撃ち払った。

 全ての武偵隊隊員が馬車に乗り込むと、一斉に馬車が動き出し後退を始めた。
 ガトリング砲付きの馬車は、武偵隊だけで五台配備されていて、効果的な弾幕を張りながら後退する事ができた。







                      ☆        ☆        ☆







 早朝、ヌーベルトリステイン軍の陣地には、湖畔の近くという事もあってか、乳白色の濃い濃霧が漂っていた。
 陣地の所々では、兵士達が茹でたジャガイモと缶詰で食事を取っていた。

「おはようございます、将軍」

「おはよう、早速だが敵の状況はどうなっているだろう?」

「武偵隊の誘引は成功しています。早くても今日の昼には接触します」

「分かった。それまで準備を怠らないように、各部署に通達を」

「了解」

 兵士がテントから出ると強めの風が吹き、濃霧を何処かへと吹き飛ばした。

「あっ!」

 先ほどの兵士が大声を上げると、何事かとウルグがテントから出てきた。

「何があった?」

「あ、あれを!」

 雪化粧した山々の向こう側に、距離の関係だが薄っすらと巨大な大樹が見えた。しかもその大樹は少しづつだが、時間が経つにつれ大きくなり、此方に近づいて来るのが分かった。

「報告にあった。大樹の精霊か!」

「あわわわわ……」

 騒ぎを聞きつけ、他の兵士達も遥か彼方に見えるエントの姿を見て動揺していた。

「一体、何メイルぐらいあるんだ?」

「分からんが100メイル以上ある……あんなのを相手にするのか?」

 兵士達の士気は、一目で分かるほど低下していた。

 これはいけない、と思ったウルグは士気を鼓舞した。

『うろたえるな! 我々が用意した新兵器は、大樹の化け物など物の数ではない! それに万が一、戦況が苦しくなれば。王太子殿下が救援に来て下さる!』

 ウルグは『拡声』の魔法で兵士を激励した。

「そ、そうだ。まだ俺らには王太子殿下が居られる」

「まだ、負けたわけじゃない!」

 結果、成功し士気の崩壊を防ぐことが出来た。

(だが、あの巨体では……)

 いくら、ヌーベルトリステイン軍が最新鋭の武器を揃えていても、マクシミリアンとウルグが秘策を練っていても、あの巨体は想定外だ。

「それでは、殿下に御出馬を願いましょう」

「……いや、駄目だ」

 士官の一人が、マクシミリアンの出馬を乞うたが、ウルグは突っぱねた。

「何故ですか!? 先ほどの激励では、殿下のご出馬を承諾される口ぶりでした。それに我々では『アレ』は無理です!」

 部下の言葉をウルグは黙って聞いた。そして……

「確かに、あの大樹の精霊は我々だけでは倒すのは難しいと思う。だが、いつもいつも困った時に殿下に頼っては、頼り癖が付いてしまって、兵士達の踏ん張りが利かなくなるのでは、と私は思っている」

「……」

「殿下は何時かは本国へ帰られるのだ。我々が不甲斐ないと、いざ帰国という時に殿下に御心配をお掛けしてしまう。そうしない為にも、我々は成長しなくてはならない。この魍魎跋扈する新世界で我々だけで生き抜く為にな」

 山の向こう側だったエントは、遂に山頂に到達した。
 エントの足元には、獣の軍勢が雲霞(うんか)の如く集まり、こちらの陣地へ猛進しているのが分かった。

「殿下のご出馬は最後の手段だ。まずは我々だけで何とかする。直ちに各部署の責任者を集めてくれ」

 ウルグは指令を発し、ウォーター・ビットで各部隊に召集をかけた。激突は目の前に迫っていた。






                      ☆        ☆        ☆






 太陽が真上に来る頃に、獣の軍勢は警戒ラインにまで到達し、遂に戦端は開かれた。

 ウォーター・ビットからの送られてくるデータを参考にして、小高い丘に設置された砲撃陣地から24リーブル砲が次々と火を噴いた。
 大砲こそ旧式の前装式の鉄製カノン砲だったが、弾種は最新鋭の榴弾で、別名『探知榴弾』と呼ばれていた。
 榴弾に探知(ディテクトマジック)が施されていて、地上に到達した場合や、砲弾が上空の敵に近づいた場合に探知が作動して爆発する様に、地上と対空の両方に使用できるように作られている。

 砲弾は空中で放物線を描き、敵軍先鋒のど真ん中で炸裂した。

「着弾点最良!」

 他の砲弾も次々と炸裂し、大小様々な獣を殺傷した。

『散らばるのだ!』

 砲撃を避ける為に、エントが他の獣達に散開を命令すると、次は地雷原に引っかかり爆炎が所々で上がった。

「やった~~!!」

「いいぞ!」

 広げられた塹壕網から歓声が上がった。

 戦闘開始から一時間が経過したが、獣の軍勢は未だに塹壕網にたどり着く事さえ出来なかった。
 戦闘前は絶望的と思われたが、こうも圧倒的な戦果を上げ続けると、一部の兵士の中から緊張感が無くなり、気が緩んでくるものが現れた。

『我々だけで大丈夫なのではないだろうか?』

『あのデカイ木も、さっきから全然動かないしいけるかも』

 と、いう『緩み』が伝染病の様に兵士達に蔓延し始めた。

『バカモノ! 敵を侮るな!!』

 『拡声』の魔法によって、一際大きいウルグの一喝が、陣地全体に響き、兵士達の緩んだ士気を引き締めた。

 砲撃の隙間をぬって獣達が肉薄する。
 獣の軍勢の強みの一つである、人海戦術ならぬ獣海戦術がその本領を発揮し始めた。

 迫る獣達に対し、今度は機関銃陣地に設置された10基ものガトリング砲が火を噴いた。

 猛烈な弾幕が戦場を流血で彩る。
 機関銃弾は肉切り包丁の様に獣や亜人を切り裂いた。

 鉄条網も真価を発揮した。
 ガトリング砲の弾幕を嫌って迂回しようとする獣を阻む。

『イタタ! イタイ!!』

 獣達は有刺鉄線に引っ掛かり、足が止まったところを狙い撃ちにされた。


このまま日が暮れる、と思われたその時、沈黙を保っていたエントが動いた。

『オオオオオォォ!』

 吼えたエントは、数千数百は在ろうかという、枝とブルブルと震えると、何かが破裂する音と同時に枝から小さく丸い『何か』をヌーベルトリステイン軍に吐き出した。
 無数の『何か』が一斉にヌーベルトリステインの陣地に降り注ぐ。エントが飛ばしたモノれ『木の実』だった。木の実を機関銃の様に撃ち付けて来た。

 最初に狙われたのは、機関銃陣地だった。

 ズガガガガガガガガ!!

「ヤバイぞ! 塹壕に入れ!!」

 兵士達は、ガトリング砲を放置して塹壕に飛び込むと、エントから放たれた木の実は、ガトリング砲を破壊してしまった。
 たかが木の実だと思われたが、それほどの威力だった。
 
「ああっ!? 新兵器が!」

「もったいない!」

 兵士達から悲鳴が上がった。

 エントから放たれる木の実は、陣地全体を射程内に置いていて、さながら上空からの機銃掃射の様な、猛烈な弾幕に兵士達は塹壕から出ることが出来なかった。

 一度に数百もの木の実を撃ち出すエントに対し、反撃を来る事もできなくなり、遂にヌーベルトリステインの砲撃とガトリング掃射は止んでしまった。

「敵が殺到してきます!」

「総員にマスクを着用するように通達」

 ウルグ自身も塹壕内に逃げ込み、兵士達にガスマスクを着ける様に命令した。
 マクシミリアンとウルグの策の一つ、ガス攻撃を使用する時が来た。
 死ぬガスではなく、催涙ガスの類で、マクシミリアンが調合し、ウルグに託した。

 催涙ガスの詰まった秘薬樽は、陣地の各所に配置されていて、いつでも作動可能だ。

「風向きは?」

「都合よく、我々の方が風上です」

「では、直ちに作戦開始」

 ウルグが命令を出すと、配置されていた秘薬樽の蓋が吹き飛び、無色透明のガスが噴き出した。
 催涙ガスは、風に乗って、獣達の所へと流れていき……

『グワワワアアァ!』

『メガ! メガァァァ!』』

 身体能力に優れる獣達にとって、この催涙ガスは地獄の苦しみと言っても大袈裟でないほどの痛みと苦しみを与えた。

 獣達が動けなくなった事で、塹壕への接近は阻まれた。

「一先ずは安全だが……危機的状況には変わりは無いな」

 ガスマスクを着用したウルグは、塹壕の底にへばり付いた状況で言った。
 ちなみに、このガスマスク。科学的に作られた品でなく、ただの革製のマスクにガラス眼鏡をくっ付けて『浄化』の魔法を施した一種のマジックアイテムだ。

 どれ程の木の実を放っただろう。
 エントは既に十万発もの木の実を放ち続けていたが、弾切れを起こす様子は無かった。

「将軍。総督殿下にご出馬を願い出ましょう」

「……止むを得ないか」

 そう言って、ウルグはウォーター・ビットを使って通信を始めた。
 一分と掛からずに、マクシミリアンの返信は来た。

 曰く

『三分で来る』

 と、だけ書かれていた。

「三分、か……あ、この事を各部署に連絡だ」

「了解です」

 士官がウォーター・ビットで通信を行っている時、ウルグは足元にあった缶詰の空き缶を拾うと塹壕の外へ放り投げた。
 空き缶は瞬く間に穴だらけになって、ウルグの元に戻ってきた。

「力押しを試してみようと思ったが、流石に無理か……」

 ウルグは、マクシミリアンが到着するまで抵抗を試みたが、こうも弾幕が激しくては手も足も出ない。

(……殿下が来られるまで、待機していよう)

 兵士達から犠牲者を出さないように勤める事に決めた。

 そんな時だった。
 ウルグは聞いた事の無い、『何かが蒸発する音』を聞いたのは。

「何の音だ?」

「分かりません、ですが敵の攻撃が弱まったような……」

 ウルグは隣に居た士官に聞いたが、士官も分からなかった様だ。
 二人は意を決して塹壕から顔を出すと、巨大なエントが謎の光線魔法の直撃を受けていた。
 言うまでも無くマクシミリアンの破壊光線だ。
 三分で来る……と書かれていた通りに、マクシミリアンはフォート・ノワールから、『エア・ジェット』で時間通りに飛んできた。
 
『グワアアアアアァァァ!!』

 エントは、悲鳴を上げると、青白い炎を纏って根元からボキリと折れた。
 折れたエントは、重力に惹かれて獣達の密集している所に倒れた。
 倒れたエントに押しつぶされた獣達は、大混乱を引き起こしたが、何やら様子がおかしい

「ココハ……?」

「ウウウ、メガイタイ」

 以前、マクシミリアンの破壊光線が精霊魔法を打ち払ったように、破壊光線の効果で正気を取り戻すことが出来た。

 兵士達も塹壕から顔を出し、切り株だけ残ったエントを見て大きな歓声を上げた。

『トリステイン王国万歳!』

『ヌーベルトリステイン万歳!』

 上空でホバリングをしているマクシミリアンに大歓声が向けられた。
 塹壕から出たウルグは、その光景を一瞥すると、獣達の方に視線を向けた。

「獣の連中が撤退を始めている」

「一体何があったんでしょう?」

「分からんが、我らの勝ちらしい」

「これで一件落着ですね」

「だが結局、殿下のお力を借りてしまった」

「この新世界は、何もかもが我々の常識から懸け離れていました。仕方ありません」

「そうだな……さて、後片付けをしよう」

 そう言ってウルグは、兵士達の破壊されたガトリング砲やカノン砲の後片付けをするように命令した。

 だが、これで一件落着……とは行かなかった。
 空の遥か彼方で、ゴロゴロと雷鳴が鳴るのと同時に、猛烈な電撃が上空のマクシミリアンを打った。

「殿下!!!」

 兵士達から悲鳴が上がり、マクシミリアンは真っ逆さまに湖に落ちた。
 戦闘が終わり静かになった湖面に、高い水柱が上がった。

 空の彼方から、雷色の翼を持つ雷の精霊、怪鳥『サンダーバード』が現れた。






                      ☆        ☆        ☆





 ヒューロー湖畔の戦いの一日前……
 誘引任務を終えた武偵隊は、補給の為にアワサらの居る悪霊の滝に帰還していた。
 頼み事をしにアワサに会いに集落に立ち寄ったアニエス達は、滝の近くで戦闘準備をしているアワサ達を見つけた。

「アワサ!」

「あら、アニエス。お帰りなさい」

 アニエスの姿を見つけたアワサは、手を振って応えた。

「何やってんの?」

「何って、戦闘の準備よ。元々は私達の戦いよ、アニエス達だけを戦わせる訳にはいかないわ」

 アワサは、そう言って愛用のウィンチェスターM1866で、自分の肩を叩いた。

「で、アニエスも隊長さん達を連れて何の用?」

「アニエスから聞いてな、あの滝の裏で面白いものを見たって聞いたから着いて来た」

「実はアワサに頼みがあるんだ。前に滝の裏の洞窟で『場違いな工芸品』を見ただろう? その中の鉄の牛を譲って欲しいんだ」

「鉄の牛を? 良いわよ、動かし方も分からないしね」

「嬉しいけど、アワサが決めていいの?」

「前に言ったでしょ。ここは禁断の地なのよ。最初は私以外、誰もあの洞窟に近づこうとしなかったから、あの洞窟の物は、原則私の物なのよ。デガナヴィダも認めたわ」

「そうなのか」

「そういうことよ、早速行きましょ」

 アワサは、アニエス達を洞窟へ誘う。
 洞窟内に入ったアニエス達は、真っ先に軍用車両の所に行った。

 アニエス達の目の前には、弾の無いM2重機関銃と錆び付いて動かない軍用車両が変わらず鎮座していた。

「ヒューゴ。お前の出番だ。」

「りょーかい。一時間で使えるようにしますよ」

 ヒューゴは、機械の整備や運用に精通している。お調子者だが彼もコマンド隊だった。

「あ、そうだ。デガナヴィダが隊長さんを呼んでほしいって言ってたわ」

「分かった、会いに行こう。アニエスは、重機関銃の弾を持ってきたから軍用車両の機関銃に備え付けておいてくれ」

「了解」

 数分後、デヴィットとアワサは、集落に戻るとデガナヴィダは先住民の戦士達は勢ぞろいしていた。

「これは一体……」

「あなた方のお力のお陰で、敵の本拠地は空となっています」

「そこで我らは悪霊ウェンディゴを倒す為に、敵の本拠地へ出撃する」

 戦士達がデガナヴィダの代わりに説明した。

「そのウェンディゴをどうやって倒すの?」

 アワサがウェンディゴの倒し方を聞くとデガナヴィダが応えた。
 
「大精霊の力を借りる」

「大精霊が?」

「左様、大精霊なら悪霊を倒せる」

 デガナヴィダは、言いたい事を言うと、また黙った。

「……それならば、我々も同行しても宜しいでしょうか?」

「でも隊長さん、自分達の任務は良いの?」

「誘引任務は完了して、後の部隊の方針は私に一任されている」

「そう、それなら歓迎するわ。戦力は多いに越した事はないしね」

 ヒューロー湖畔の戦いとは別に、アニエス達は新たな戦いに赴く事になった。
 

 

第六十六話 ヒューロー湖畔の戦い・中編

 大森林の中を、一台の軍用車両と数百を越す騎兵が往く。

 彼らは、亜人や獣達を狂わせた悪霊ウェンディゴを倒す為に進んでいた。

 ヒューゴの手で修理を終えた軍用車両(ジープ)は、車体の所々に錆が残っているが、デヴィットの錬金で各パーツを作り、ヒューゴは作られたパーツに、(やすり)などで細かい加工を加えて規格を調整したお陰で中身は新品同様だ。
 後は、デヴィットが錬金したガソリンを入れて動けるようになった。

 軍用車両にはアニエスとデヴィットとヒューゴの三人が乗り込んでいた。
 運転手はヒューゴで助手席にはデヴィット、後ろの銃座にはアニエスが就いていて周囲を警戒していた。

「そろそろ、敵の本拠地に着くそうよ」

 馬に乗ったアワサが並走して伝えた。

「了解……でも、他の隊員を置いてきて良かったんですかね?」

 アニエスが警戒しながらデヴィットに聞いた。

「仕方が無い。このクルマは数人しか乗れないし、馬車での移動は、何かと制約が付く」

「その点、このクルマは悪路でも問題なく進めるしな」

 と、ヒューゴが続いた。

「そういう事だ。アニエス、警戒を厳に」

「了解」

 コマンド隊とアワサら原住民の一行は、敵の本拠地に向け進み続けた。

 ……

 M2の銃座に就いていたアニエスはデヴィットと変わり、今は助手席で情報集を行っていた。

「ウォーター・ビットから情報が送られてきました。つい先ほど、我がヌーベルトリステイン軍と獣達が衝突したそうです」

「始まったか。我々も急ごう」

「りょーかい。少し飛ばします」

 ヒューゴがアクセルを踏み込むと、軍用車両のスピードが上がった。

「馬よりも早いなんて、便利ね~」

 後から続くアワサは、呑気そうに言った。

 敵の本拠地まで数リーグまで迫ると、警備の亜人がチラホラと見えるようになった。
 亜人達は、アニエス達を見つけると、飛び跳ねる様に驚き仲間を呼び始めた。

 すかさずアワサ、原住民達に突撃を号令した。

「突撃よ!!」

『ウワオォォォォッ!!』

 アワサの号令に、原住民達がオーク鬼に突撃を敢行した。

 銃声が鳴り響き、トマホークが飛ぶ。

 車上のコマンド隊の面々は呆然と見ていた。

「私達は見ているだけで良いんですか?」

「援護射撃に留める。弾は限られているからな、節約だ」

「それに、俺達の出番は無さそうだぜ?」

 ヒューゴの言うとおり、原住民達は亜人や獣達を、あっという間に蹴散らしてしまった。
 この戦闘が呼び水になった様で、5メイルもある巨大な熊とオーク鬼の群れが森林の中から現れた。

「散開!」

 アワサが声を張り上げ命令する。
 巨大な熊は、爪を振り回し原住民の密集している所に乱入し、原住民を二人切り裂いた。

「あの毛むくじゃら。トロル鬼並みのでかさだ!」

「我々も戦闘に参加しよう。アニエス、銃座変わってくれ。私は魔法で援護する」

「了解!」

 アニエスは、助手席から後部座席にスルリと移動し、M2重機関銃の銃座に着いた。
 M2の照準を熊に向ける。

「撃ちます!」

「アース・ハンドで敵の動きを止めて……よし、撃て!」

 パパパン! パパパン!

 50口径の大口径弾は、アース・ハンドに足を取られ身動きの取れない熊の剛毛とその下の肉を紙切れの様に削ぎ取った。

「うう、反動が……」

 猛訓練を受けたとはいえ、15歳の少女に重機関銃の反動はきつかった様だ。

「アニエス、辛いなら代わるか?」

「いえ、行けます!」

 デヴィットの言葉を突っぱね、アニエスはオーク鬼に照準を当て引き金を引いた。

 パパパン! パパパン!

 再び銃声が鳴り、オーク鬼は醜い肉塊に変わった。

「森の中に突入するわよ!」

 手綱を器用に操り、アワサは原住民達に命令した。

「俺達も行きましょう」

「よし、我々も続くぞ」

 アニエスらを乗せた軍用車両は、原住民達に続いた。

 ……

 アニエス達が、森の中に入って数時間。
 亜人達が現れることも無く、順調に前に進んでいた。
 そして、高い雪山とその麓に巨大な湖の広がる地域に到着した。

「ここが敵の本拠地?」

「ウェンディゴは何処に居るんだ?」

 軍用車両の上で、アニエスとヒューゴは辺りを見渡した。
 湖面は静かに波打ち、敵の存在など感じられなかった。

「そうでもない。見ろ」

 デヴィットは二人に、一枚の紙を渡した。
 そこには、ウォーター・ビットから送られてきた湖周辺の地形が描かれていて、敵を示す赤い点が湖の周辺に所々見られた。

「アワサを呼んできてくれ。原住民ともこの情報を共有すべきだろう」

「了解」

 アニエスはクルマから降りるとアワサの所へ走って行き、アワサの馬と共にやって来た。

「どうしたの?」

「情報を共有しようと思ってね。敵の配置だ」

 そう言ってデヴィットは、周辺の地図をアワサに見せた。

「……全ての敵を倒すのは効率が悪い。ウェンディゴを探し出した方が良いと思うが」

「そもそも、ウェンディゴって何なの?」

 外野で聞いていたアニエスが会話に入った。

「私もデガナヴィダから聞いただけだから、詳しい事は分からないけど。ウェンディゴ自体はそれほど力を持たない弱い精霊だそうだけど、取り憑かれた者は人間が食べたくなって仕方が無くなるそうよ」

「獣や亜人達が人間に固執するのはそれが原因が」

「それじゃ、我々も取り憑かれたら危なくないか?」

「それなら大丈夫よ。ウェンディゴは鉄を嫌うから、鉄の装飾品なり武器を装備していれば、取り憑かれる事は無いわ……多分」

「おいおい、多分って、大丈夫か?」

「実際の所、ウェンディゴがどういう奴なのか私には分からないわ。鉄が多く眠っている悪霊の滝には近づかなかった事から、そう思っただけよ」

「それじゃどうなるか分からんな」

 デヴィットとアワサの会話にアニエスも入ってきた。

「念のため。鉄製の何かを、多めに身に纏って行きましょうよ」

「そうだな……」

 アニエスを加えた3人の協議は続く。
 ヒューゴは3人の会話に入らず、ボケッと周囲を見渡していたら。思わず欠伸(あくび)が漏れた。

「ふああぁ……ん?」

 その時、何処からともなく、『ズシンズシン』と地響きが聞こえた。

「っ!?」

「この音は?」

「アニエス! 銃座に着け!」

「りょ、了解!」

 三人もこの地響きに気付き、アニエスは銃座に就いた。

 穏やかだった湖面に波紋が走り、地響きの主が森の向こうから現れた。

『やあやあ我こそは、山の戦士ダドダボ! 我らが聖地に足を踏みいてた事を後悔するが良い!』

 先ほどの熊よりも更に大きい、10メイル程の熊が二本足で立っていた。

「でかいな!」

「何か、まともっぽいけど、あれもウェンディゴに取り憑かれてるの?」

「ウェンディゴに取り憑かれても、力が強ければ、ある程度は理性を保てるそうよ」

「て、いう事は、アイツ滅茶苦茶強いって事だよな」

「ともかく、あの化け物を倒さないと先には進めないな」

 作戦会議をしていると、一行に差し込む太陽が陰った。巨大なダボダドが、太陽の光を隠したのだ。

『フゥ~ハハハハハハハ!』

 ダドダボは、前足の爪を2メイル程伸ばし、笑いながら地響きを立てて迫ってきた。
 機関銃の残弾を確認していたアニエスは、ダドダボの足元に数日前に自分の頬に傷を付けたサーベルクーガーが居る事を確認した。

「あいつは……!」

 無意識に左頬の傷に手を当てた。

 アニエスの尋常でない雰囲気に気付いたデヴィットは、キッパリとアニエスに言った。

「アニエス。ここは戦場だぞ、戦場で我を失って、一人で突っ張りれば、死ぬのはお前だけじゃない。仲間も殺す事になると、訓練で習ったはずだ」

「……! 了解、すみませんでした」

「一も二も、とにかくカバー命だ。行くぞ!」

「了解!」

 ヒューゴがアクセルを踏み込むと、軍用車両は猛スピードでダドダボへ向けて走り、アワサら原住民達の騎兵はそれに続いた。






                      ☆        ☆        ☆





「突撃ぃ~! 突撃っ!」

『ウワオォォォォッ!!』

 アワサが号令を発し、原住民達が奇声を上げながらダドダボへ迫る。

「敵に近づかずに、『雷の杖』で遠巻きに攻撃を続けるんだ」

 原住民達はそれぞれの『雷の杖』、すなわち銃で、ダボダドを発砲した。

 パパパパン!

 と、銃声が鳴り、銃弾がダボダドの身体に食い込むが、全てが厚い体毛に弾かれてしまった。

『フゥ~ハハハ! 効かん! 効かんぞぉ!!』

 2メイル程のの爪が伸びた腕を剣の様に振り回し、原住民達を蹴散らす。
 爪は『斬る』と言うよりも『叩き斬る』と言った表現がピッタリの切れ味だった。

 ドシンドシンと、ダボダドは二足歩行でアニエスらの乗った軍用車両に迫る。

「アニエス振り落とされんなよ!」

 ギャリギャリギャリ!

 軍用車両はドリフトをかまし、ダボダドの攻撃を巧みに避けた。

「ヒューゴさん流石です!」

「あたぼうよ!」

「アニエス撃て!」

「了解っ!」

 パパパパパパン!

 アニエスは、下っ腹に力を入れ、M2をフルオートで発砲。
 50口径弾は、ダボダドの身体に食い込み、足が止まった。

「効いてる!」

「囲め! 囲んで殺せ!!」

 余勢を駆った原住民達は、ダボダドを囲み、一斉にトマホークを投げつけた。
 トマホークは、ダボダドの身体にハリネズミの様に突き刺さり、ダボダドの傷を更に広げた。

『しゃらくさいわ!』

 ダボダドが吼えると、ダボダドの全身から数十もの蛇が生えてきた!

「何あれ!?」

「気持ち悪いなぁ……」

『フハハハハ、それだけではないぞ。精霊達よ!!』

 ダボダドが再び吼えると、周りの草が触手の様に伸び、原住民達を絡め取った。

「……先住魔法だ!」

「危ないぞ! 逃げろ!」

 伸びた草はアワサの方にも伸び、愛馬の足をとられると、アワサは馬上からダボダドに飛びついた。

「くっ……ハァァーー!」

「アワサ!」

 ダボダドの背中にしがみ付いたアワサは、振り落とされない様に体毛を掴んだ。
 だが、ダボダドも黙ってこのままにしておかない。

『ええい! 離せぃ!』

 身体中から生えた蛇が、アワサに襲い掛かってきた。

「このっ!」

 アワサはトマホークで襲い掛かる蛇を斬り付けた。
 
「このっ、このっ!」

 トマホークを大車輪の様に振り回し、背中から生えていた蛇は、殆ど刈り取られてしまった。
 蛇は地面に落ちて、ウネウネとうねっているが、まだ生きていた。

『ぐわぁぁぁぁ~~~!!』

 いきなり苦しみだしたダボダド。

「何が起こった?」

「分かんないけど、効いている!」

「みんな、刈っちまえ!」

 苦しむダボダドを見て、原住民達がアワサに声援を送る。
 一方、コマンド隊の面々も、その光景を見ていた。

「アニエス、援護射撃だ。身体ではなく足を狙え」

「了解!」

 パパパン!

 アニエスはM2でダボダドの足に発砲。銃弾はダボダドの足に食い込んだ。

『ぐう、ぐううう!』

 その甲斐あって、ダボダドの足を止めることに成功した。

「感謝よアニエス。これで……最後ぉ~~!」

 アワサのトマホークが最後の蛇を捉える。
 最後の蛇は、アワサのトマホークで切り取られ、空中を回転しながら地面に落ちた。

『ぐぉぉぉぉーーーーっ!!』

 今まで以上に苦しみだしたダボダドは、アワサを乗せたまま大暴れしながら木々を破壊し、沢に転がり落ちていった。

「あ、アワサ!」

「追うぞ、ヒューゴ!」

「了解っす!」

 ヒューゴがハンドルを切り、落ちたアワサを追おうと軍用車両を走らせると、何処かに潜んでいたサーベルクーガーが横から飛び掛ってきた。

「うわぁ!?」

「くっ、何かに掴まれ!」

 横から体当たりされた軍用車両は横倒しに倒れ、アニエスは車外に放り出された。

「ゴホッ、痛たた……」

「アニエス、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です」

 三人は声を掛け合い、お互いの位置を確かめた。
 デヴィットとヒューゴは軍用車両の近く。アニエスは二人を離れた場所まで飛ばされたようだった。

「アニエス! 後ろ後ろっ!」

「え!?」

 ヒューゴの警告にアニエスは辺りを見渡すと、体当たりをしてきたサーベルクーガーが、身を低くして、今まさにアニエスに飛び掛ろうとしていた。

「く……!」

『マタ、オマエカ!』

 腰のホルスターからM36リボルバーを抜いて、サーベルクーガーに向けた。

『ガウア!!』

「あっ!」

 危険を察知したアニエスは、無意識にリボルバーを引いた。
 瞬間、大きな顎が振り下ろされ、M36は噛み砕かれてしまった。手を引くのが少しでも遅かったらアニエスの手首から先は無かっただろう。

 サーベルクーガーはペッと破壊したM36を吐き出し、再びアニエスを睨みつけた。

(く、武器が……)

 内心舌打ちをし、新しい武器のG3アサルトライフルを探す。
 G3はすぐに見つかった。G3はサーベルクーガーの後ろに落ちていた。どうやらアニエスが軍用車両から放り出された時に別々に放り出されたようだ。

(どうしよう……回り込んで拾うには無理がありすぎる)

 そんな事を、目の前のサーベルクーガーが黙って見ている訳が無い。

「やるしかない……!」

 と、アニエスは腰からナイフを取り出し、中腰で構えた。

「アニエス逃げろ!」

「アニエス!」

 デヴィットとヒューゴの二人が、アニエスに声を掛けた。

(アイツに後ろを向けたら間違いなく殺される……それなら!)

 アニエスはサーベルクーガーに向け走り出した。

「あっ、馬鹿!」

 ヒューゴが驚きの声を上げた。

 駆けるアニエスは、右手に持ったナイフをクルリと回し、刃の部分を中指を人差し指で挟んだ。

「……ふっ!」

 手首のスナップを効かせて、ナイフをサーベルクーガーへ向け投げつける。

『シャラクサイ!』

 サーベルクーガーは、投げられたナイフを自慢の牙で弾き返す。

 だが、その僅かな隙を作るのが、アニエスの狙いだった。

「はぁっ!」

 十分な助走を得たアニエスは、大地を蹴って跳び上がると、体操競技で言う跳馬の様にサーベルクーガーの頭に手を付き、サーベルクーガーの上空を跳び越えた。
 しかも前転跳びのおまけ付きだ。

『ナニィ!?』

 驚くサーベルクーガー。空中のアニエスは不恰好ながらも着地、だが勢いを殺せず地面に転がり込んだ。
 アニエスは転がりながらも地面に落ちたG3を回収し安全装置を解除、銃口をサーベルクーガーに向けた。

 振り返ったサーベルクーガーは、既に構え終わったアニエスに一瞬驚いたように身体をビクリと震わせたが、驚きよりも殺意が上回ったようで、アニエスの頭を噛み砕こうとした。

『ガアアアアッ!!』

「あああああ!!」

 パパパパパパパパン!!

 吼えたアニエスは、G3をフルオートで発砲し、20発全ての弾丸はサーベルクーガーの口から体内へ入り、柔らかい肉を突き破って致命傷を負わせた。

『……グガァ』

 ボタボタと、口から大量の血を吐き出したサーベルクーガーは、一声鳴くと横倒しに倒れて動かなくなった。

「お、おおおーーーー!」

 歓声が上がり、デヴィットが走りながらアニエスに声を掛けた。

「見事だアニエス。怪我は無いか?」

「大丈夫です」

 アニエスは、尻餅をつきながら応えた。

「早いとこ、アワサを助けに行こうぜ」

 一方のヒューゴは起こした軍用車両の点検を済ませ、既に運転席に乗り込んでいた。

「デヴィット隊長、ヒューゴさん」

「手を出せ」

「ありがとうございます」

 デヴィットは、アニエスに手を貸して起き上がらせた。
 精霊魔法の効果も切れ、触手の様に絡み付いていた植物達は、通常の草花に戻った。

 戦場に静寂が訪れ、原住民達が、軍用車両の周りに集まってきた。

「アンタ達、凄かったよ」

「俺達はアワサを助けに行くぜ。あんた等はどうする?」

「助けに行くよ。我々だけでは、肝心のウェンディゴがどういう姿形(すがたかたち)か分からないからな」

 その後、デヴィットと原住民達が協議した結果、沢に落ちたアワサを救出しよう、いう事になった。

 アニエス達は、周囲を警戒しながら沢を降りていると

「お~い」

 と、声が聞こえた。

「アワサの声だ。無事だったの……か?」

 デヴィットら一行は、思わず息を飲んだ。
 アニエスたちに向かって手を振るアワサの後ろには、一緒に落ちたダボダドが地面に胡坐をかいて座っていたからだ。

「おい、後ろのそいつは大丈夫なのか?」

「ああ、彼? なんだか『頭がスッキリした』って。大丈夫みたいよ」

『そういう訳だ』

 10メイルの巨大熊が鼻息荒く、林檎といったフルーツをモシャモシャ食べていた。

「何でそんな物食ってるんだ?」

『ここ数百年、肉しか食ってなかったから、フルーティな物が食べたかったんだ』

「数百年間、ウェンディゴに取り憑かれ続けていたのか?」

『名前は知らんが、そうか……アレはウェンディゴというのか……そうかそうか』

 数百年も取り憑かれ、好き勝手にされたのだ。流石に怒ったらしい。

『ヤツの臭いなら分かる。案内しよう』

「渡りに船だな。案内して貰おう」

「ウェンディゴを倒せば私達の戦いも終わるわ」

「頑張ろうアワサ」

「頼りにしているわよ。アニエス」

 こうして、一行はウェンディゴの居る場所に案内して貰う事になった。

 最終決戦は近づきつつあった。
 

 

第六十七話 ヒューロ-湖畔の戦い・後編

 湖畔の戦いの戦況は、マクシミリアンの登場で一気にヌーベルトリステイン側に傾いた。

 懸念だった大樹の精霊エントも、掟破りの開幕破壊光線で沈んだ。

 だが突如現れた、雷の精霊サンダーバードの電撃でマクシミリアンは撃ち落され、湖へと落ちてしまった。

 セクションの違いで対空戦闘任務に従事していた三隻の戦列艦は、マクシミリアンが撃ち落されたと聞き、急いで降下してきた。

 降りてきた戦列艦乗組員が見た戦場は、200メイルものエントが根元から折れ、獣達を押し潰しながら大地に横たわっている光景だった。
 獣や亜人達はマクシミリアンの破壊光線でウェンディゴの呪縛から解放された。正気を取り戻した獣達は這々の体で逃げ出し、根元から折れたエントに押し潰され命を落とす獣も出た。
 先頭を航行する74門戦列艦ル・モンテ号は、湖上空でで優雅に上空を旋回するサンダーバードを見つけ、戦闘準備を命令した。

「あの鳥が目標だ。直ちに戦闘用意。弾種は探知榴弾」」

「了解」

「殿下のウォーター・ビットで各艦に連絡」

 ル・モンテ号艦長は、後ろに続くモンマロー号とラ・フランドール号に連絡を命じた。
 そう、マクシミリアンのウォーター・ビットは生きていた。
 即ちマクシミリアンも生きている事になり、乗組員に動揺は少なかった。

 三隻の戦列艦は、空中を単縦陣で進み風上のポジションを取ると、サンダーバードを射程内に捉えた。

「左舷砲撃用意」

 艦内では左舷砲撃の為に、船員の荷物やテーブルやハンモックなどの生活物資が右舷側に押し込められた。

「砲撃準備よし」

「砲撃開始!」

 ドドドドドドン!!

 三隻の戦列艦から一斉に砲撃が加えられた。

 サンダーバードは砲弾が見えているのか、大して予備動作をせずに砲弾を回避した。
 だが、サンダーバードが避けた砲弾はただの砲弾ではない、『探知榴弾』という特殊な砲弾だった。
 砲弾に掛けられた『探知』の魔法が、近くのサンダーバードに反応し起爆。爆風と破片がサンダーバードを揉みくちゃにした。

「やったか?」

「目標は落下中です」

「地上と連絡は取れるか? 出来るのなら怪鳥の始末を頼みたいのだが」

「連絡は出来ますが、現在は殿下の捜索中ですので恐らくは……」

 現在、地上は墜落したマクシミリアンの捜索をしていて、始末の為の人数を出せるか微妙だった。

「そうか、殿下の捜索中だったな。我々だけで止めを刺そう。各艦にも連絡を」

「了解」

 三隻の戦列艦が降下を始めると、落下中のサンダーバードが湖面ギリギリで体勢を立て直した。

「目標が体勢を立て直しました」

「探知機雷投下」

「了解!」

 戦列艦を始めとする既存の軍艦は、真下の敵を攻撃する術か無いので、機雷などを投下して攻撃するようにしている。
 ル・モンテ号船員が火薬庫から探知機雷を持ち出し、甲板後部から次々と投下しだした。

 重力に従って落ちる探知機雷を、サンダーバードはヒラリと避けると、再び『探知』が起動し機雷は爆発した。

「所詮は獣。鳥頭だな、学習能力が無い」

 ル・モンテ号艦長は勝利を確信していた。

 もうもうと、辺りを漂う煙からサンダーバードが飛び出してきた。
 サンダーバードは翼をはためかせると、その翼から猛烈な電撃が放たれ、三隻の内の一隻、モンマロー号の艦底部分に電撃が直撃した。
 戦列艦は構造上船底部分が弾薬庫になっている。その為、電撃の直撃を受けたモンマロー号は火薬庫に誘爆、さらに投下する為に後部甲板に山積みにされた探知機雷にも誘爆し大爆発を起こした。
 轟沈したモンマロー号の脱出者は確認できなかった。

「うわぁぁ!?」

「ああっ! モンマロー号が!!」

 モンマロー号爆発の衝撃波は、他の二隻の戦列艦にも伝わり、体勢を立て直す為に単縦陣を崩してしまった。

「艦長! 巨大な衝撃波の影響で舵が効きません!」

「艦長、先ほどの雷の一部がメインマストに当たり、帆が延焼しています!」

「直ちに体勢を立て直し、消火作業開始!」

 サンダーバードは翼を羽ばたかせ、残った二隻の戦列艦に止めを刺すべく、王者の様に上昇を開始した。







                      ☆        ☆        ☆







 マクシミリアンは、ヒューロー湖畔のヌーベルトリステイン軍陣地の対岸側で目を覚ました。

「うう? ここは……?」

 辺りを見渡すと、白い霧の様なものが漂っていて良く見えない。

「くそっ、何だこれ?」

 手で辺りを探りながら湖畔をうろついていると、何処からか声が聞こえた。

「人か? お~い!」

 マクシミリアンが声を返すと、数名の声が近づいてきた。

「マクシミリアン王太子殿下で在らせられますか?」

「ああ、僕がマクシミリアンだ」

 濃い霧でよく分からなかったが、黒い影が四人見えた。声からして若い兵士のようだ。

「良かった。お怪我は御座いませんか?」

「少々の打ち身とかすり傷程度だ、ヒーリングを掛けたから心配ない」

「それを聞いて安心いたしました」

「かなり高い所から落ちたので心配しました」

「心配してくれてありがとう。それよりも、鳥の化け物はどうなったんだ? 戦闘中ならすぐにでも加勢に向かいたいのだが」

「現在、空軍が対処している所です」

「空軍? そうか、この霧は地上でのみ発生しているのだな」

「? 霧……ですか?」

「……ん?」

 どうも話がかみ合わない。
 そして、マクシミリアンは違和感に気が付いた。
 四人の兵士は、数メイル先も分からない、この深い霧の中、すぐにマクシミリアンを見つける事が出来たからだ。

「一つ聞きたいんだけど、霧はかかっているよな?」

「お言葉ですが殿下。霧などかかっていません」

「え? それじゃあこの霧は?」

 マクシミリアンは自分の目を両手で覆い、また外す……その行為を何度も繰り返した。

「なんてこった。目がイカれちまった」

 と、素で呟いた。

「何処かお怪我を負われたのですか?」

「お、や、なんでもない」

 兵士達に動揺を与えないように振る舞い。この状況の原因を考えてみた。

(やっぱり、さっきの破壊光線と、あの鳥の電撃かな)

 そう結論付けた。
 それと、目に対しヒーリングを掛けたが、どういう訳か治りが遅く、最低限見える様になるまで三十分以上掛かった。

(後で調べる必要があるな)

 と、マクシミリアンが謎の目の不調の対策を練っていると、兵士の一人が木に昇って頂上付近に鉄の棒を括り付けていた。
 薄っすらとだが、何かをしているのは分かった。

「彼は何をやっているんだ?」

「ご安心下さい殿下。これで我々に雷が落ちる事はございません」

 と、リーダー格の兵士がマクシミリアンに近づき言った。

「なんだあれは?」

「あの男が発明した物で、鉄棒を建物の天辺などに付けて置くと、雷がその鉄の棒に落ちて雷の被害を防げるのです」

「ああ、避雷針か」

「流石は殿下、良くご存知で……」

「木に登っている彼が作ったのか?」

「左様でござます」

 マクシミリアンの人材センサー(仮)がピーンと反応した。

「彼の名前を聞きたいな」

「あの男はベンジャミンといいます」

「へえ、それじゃ君は?」

「ジョージといいます。後ろの二人はジョンとトマスといいます」

「姓が無いという事は平民出身なのか? その割には学がありそうだが」

「我々が、アルビオンに居た頃、雇っていた主が、平民にも学問を教えてくれる方でしたので」

「何か人に自慢できる特技か何かは有るかな?」

「ベンジャミンはあの様に発明も出来ますし、トマスなどは、前の主も舌を巻く程の抜群の頭脳を持っています。私は測量を少々……」

「なるほど……君達四人はこの戦争が終わったら。アルゴルキン砦に出仕するようにしてくれ、話は僕がつけておく」

『ええ!?』

 思わぬ出世話に、兵士改めジョージら三人は驚きの声を上げた。

「ヌーベルトリステインは、平民であっても優秀なら出世できる。何より少しでも人材が欲しいからね。このチャンスを無駄にしないで欲しい」

「御意にございます。必ずや殿下のご期待に沿って見せましょう」

 ジョージ、ジョン、トマスの三人は膝を付いてマクシミリアンに頭を垂れた。

 彼ら四人は、平民でありながら大出世する事になるが、それは本編と関係ない。

 ……

 時間が経ち、マクシミリアンの普段通りに視力は完全に回復した。

 視力が戻った時、始めてその目に映ったのはモンマロー号の轟沈の瞬間だった。

「……! なんてこった!」

 マクシミリアンは顔をしかめ、ギリリと奥歯を噛んだ。

「ああ、フネが!」

「逃げろ、破片が降ってくるぞ!」

 ジョージ達が慌てて木の陰に隠れた。
 モンマロー号の破片がボロボロと湖面に落ち水柱を上げる。
 破片の中には、黒焦げになった人の形をした物も混ざっていた。

「……なんてこった。キミ達は戦闘が終わるまで隠れていてくれ!」

「殿下はどうされるのですか?」

「決まっている。戦うんだ!」

「あっ、殿下!」

 マクシミリアンは、木陰から湖畔まで走って移動すると、魔法を唱える為に杖を取り出した。

「イル・ウィンデ……ん?」

 詠唱を始めると、ウォーター・ビットの一基が地面に何やら文字を書き始めた。何者かがウォーター・ボールで通信を送ってきたのだ。
 内容は、掻い摘んで説明すると、サンダーバードと倒す手伝いをする、というのだ。

「……なるほど、ウォーター・ビット。承諾すると返信してくれ」

 通信を粗方読み終わると、ウォーター・ビットに返信を命じた。

「さっきの通信は、あくまで保険。オレが倒しても問題ないな」

 と、独り言を言うと、再び詠唱を始める。

 16歳になったマクシミリアンの魔法は、風の属性がスクウェアクラスまで成長し、土の属性もトライアングルクラスまで成長した。だが火の属性は相変わらず使えなかった。

『エア・ストーム!』

 マクシミリアンの唱えた『エア・ストーム』で、湖畔周辺に暴風が吹き、湖の水を巻き上げた。
 湖の中に設置された探知機雷も、『エア・ストーム』の竜巻で巻き上げられ、巨大な竜巻は上昇中のサンダーバードへ迫った。

『!?』

 突如発生した竜巻に驚いたサンダーバードは、素早く翼を羽ばたかせると回避行動を取った。
 二隻の戦列艦はその隙を付いて撤退に成功した。

「よし、戦列艦は退避したな……今度はオレが相手だ!!」

 護衛用に残したウォーター・ビットが、回避行動を取るサンダーバードに一斉射を加える。
 サンダーバードは、三つのウォーター・ショットを辛うじて回避したが、体勢を崩し失速してしまい、後ろから迫る竜巻に巻き込まれてしまった。

『クァァァ!!』

 だが、サンダーバードは周囲に電撃を放ち、エア・ストームで巻き上げられた探知機雷を誤爆させるとその衝撃を利用して竜巻の外へと脱出した。

「ち、鳥頭の癖に知恵が回る!」

 舌打ちをしたマクシミリアンは、『エア・ストーム』を止め、別のスペルを詠唱する。

「ならば……『カッター・トルネード !』」

 『エア・ストーム』の竜巻は、触れるもの全てを切り裂く『カッター・トルネード 』の竜巻に変化した。
 『カッター・トルネード 』の竜巻はサンダーバードを追って湖面を走る。

 サンダーバードは、空中でクルリと方向転換すると、マクシミリアンに突っ込んできた。

「ウォーター・ビット。迎撃を!」

 マクシミリアンに命じられたウォーター・ビット三基は、ウォーター・ショットで迎撃を開始。
 サンダーバードは、滑空しながら三つのウォーター・ショットを軽々と避け電撃をマクシミリアンに放つが、ウォーター・ビット一基が盾となってこれを防ぐ。

「くそっ」

 マクシミリアンは、『カッター・トルネード 』を止め、『エア・ジェット』で逃走を図った。

 湖面をホバー走行の様に走るマクシミリアンと、それを追うサンダーバード。
 マクシミリアンに付き従うウォーター・ビットは二基で、断続的にウォーター・ショットで牽制を図っていた。
 サンダーバードの電撃が湖面を走りマクシミリアンに迫る。

「ほいっ」

 マクシミリアンは、錬金で事前に作っておいた鉄の延べ棒をポケットから取り出し後方に放り捨てると、電撃が向きを変え、鉄の延べ棒にあたると大量の火花を散らしてスパークした。
 
 反撃とばかりに懐から、『FN ブローニングハイパワー』を取り出し、サンダーバードに三発を発砲。
 だが、弾丸は避ける必要も無く、三発とも外れてしまった。

「……当たらん!」

 そう吐き捨てて、破壊光線を撃とうとしたが、先ほどの視力の低下を思い出し、止めておく事にした。

 サンダーバードは再び電撃を発射。
 マクシミリアンも鉄の延べ棒で電撃を避わし、一人と一羽のチェイスは続いた。

 その後も、湖面をホバー走行していると、対岸側のヌーベルトリステイン軍の陣地に近づいてきた。

 陣地側の岸には、兵士達がマクシミリアン達に指を差して何やら騒いでいる。

(このままじゃ、彼らを巻き込んでしまうな……仕方ない。彼の力を借りよう)

 マクシミリアンは一瞬だけ思案すると、何を思ったか『エア・ジェット』を切ってしまった。

 当然ながらマクシミリアンは湖の中へと沈んだ。

『!?』

 湖面ギリギリを滑空するサンダーバードが、マクシミリアンの姿を見失い、一瞬の隙を見せた。
 瞬間、サンダーバードの正面前方の湖面が20メイルに亘って凍り付くと、数百もの氷の槍がサンダーバードに向かって伸びてきた。

『アイス・パイク』

 マクシミリアンの即興で唱えた魔法に、隙を付かれたサンダーバードは、避ける間もなく氷の槍に突っ込み、串刺しになった。

『クウウッ……』

 串刺しになったサンダーバードは、弱々しく鳴いていた。
 だが、完全に戦闘不能になってもまだ生きていて、それどころか傷が再生を始めていた。

 ……

 戦闘不能になったサンダーバードは、『アイス・パイク』に串刺しにされながらも、その闘志を鈍らせる事は無かった。

 一方、ヌーベルトリステイン陣地とは別の湖岸では、一人の男がサンダーバードに照準を向けていた。

「……」

 男の名はコマンド隊のジャックで、潜入任務を切りの良いところで終えると、獣の群れから離れ、付かず離れず獣達を監視しては、その動向をウォーター・ビットで報告したり、指揮官らしき亜人を狙撃したりしていた。

 先ほどマクシミリアンに連絡を送ったのはジャックだった。
 辺りの草を全身に貼り付けて即席のギリースーツにしたジャックは、ウォーター・ビットをスポッターにして、周辺の各データを取り、待ち構えていた。

 愛用のウィンチェスターM60が、パイクの串刺しから逃れようとするサンダーバードを捉える。

「……」

  ウォーター・ボールから送られてきた風向きからサンダーバード周辺の気温湿度までの全てを、頭の中に叩き込み、無言のまま機械の様に引き金を引いた。

 ……タァン。

 一発の銃声が鳴り響き、吸い込まれる様に銃弾はサンダーバードの頭を撃ち抜いた。

「……」

 ジャックは排莢された薬莢の空を回収し、周辺に気を張り、敵が居ない事を確かめる。
 ウォーター・ビットからの情報でも敵の存在は確認できなかった。
 念の為、狙撃ポイントから離れようとすると、ウォーター・ビットから通信が届いた。
 差出人はマクシミリアンで、曰く……

『ビューティフォー』

 と、だけ書かれていた

「びゅーてぃふぉー?」

 訳が分からないジャックは首を傾げると、その場を立ち去った。

 余談だが、この後コマンド隊において、ヘッドショットに成功すると『びゅーてぃふぉー』と言って狙撃手を称える風潮が出来たそうな。







                      ☆        ☆        ☆




 湖畔に静寂が戻った。

 マクシミリアンは、湖から飛び出るとサンダーバードの亡骸のある氷の塊に着地した。
 サンダーバードは見事に頭を撃ち抜かれ、既に死亡している……はずだった。

「なんだと……! 生きてる!?」

 プルプルと震えるサンダーバードの死骸にマクシミリアンは戦慄を覚えた。

 マクシミリアンは懐から『FN ブローニングハイパワー』を再び取り出すと、軽く振って水気を切った。
 固定化を掛けてある為、水を被っていても、水さえ落とせば撃てる。

 水気を切り終えたハイパワー拳銃をサンダーバードに向けると、どういう訳かサンダーバードの死骸の皮のすぐ裏に盛り上がりを見せていた。

「中に何か居るのか?」

 状況が読めないマクシミリアン。

 その間もモゾモゾとサンダーバードの身体の中を『何か』蠢き、マクシミリアンは手を出せないでいた。

 五分ほど経っただろうか。まるで卵から孵化する様に、サンダーバードの身体を突き破って、『何か』が飛び出してきた。

「これは……」

 飛び出してきた『何か』は、手の平サイズの小さな雛鳥だった。
 雛鳥はサンダーバードの死骸を突き破ると、ポトリと氷の地面に落ち、辺りを見渡すそぶりを見せた。
 ……と言っても、まだ目は開いてない様だった。

『ピィピィ』

 と鳴く雛鳥。

「訳が分からん。転生でもしたって言うのか?」

 成鳥から雛鳥に孵ったサンダーバードに混乱するマクシミリアン。

 雛とはいえ、サンダーバードから生まれた雛だ、警戒するに越したことは無い。

「だが、雛とは言え、元は強力な怪鳥だ。戦列艦の仇を討たせて貰う」

 雛鳥にハイパワー拳銃の銃口を向けた
 トリガーに掛けた指に力を入れると、突如マクシミリアンと雛鳥との間に光る鏡が現れた。

「なに!?」

 目の前の光る鏡には見覚えがあった。

「サモン・サーヴァントのゲート! 誰かが召喚を!?」

 ゲートが消えると、雛鳥も消えていた。

「……召喚されたのか?」

 再び湖畔に静寂が戻った。
 その後、ウォーター・ビットから通信が届いた。
 コマンド隊が原住民と協力して、敵の黒幕に近づいているという内容だった。
 マクシミリアンはウルグに後を任せると、エア・ジェットでコマンド隊の救援に向かった。






                      ☆        ☆        ☆






 トリステイン王国のトリステイン魔法学院では、二年の進級試験として使い魔の召喚試験が行われていた。

「次はカトレア様の番ですよ」

 友人のミシェルが、芦毛の巨馬を携え、木陰に座って自分の番を待つ王太子妃カトレアに言った。

「その子がミシェルの使い魔?」

「はい、ハルケギニアでは在り得ないほどの巨馬です。名前は『グリーズ』です」

「そう、よろしくねグリーズ」

 そう言ってカトレアはグリーズの首を撫でた。
 巨馬グリーズは、ハルケギニアの遥か東のサハラ周辺で生息する品種で、昼夜気温の上下が激しい土地でも生きて行けるほど丈夫な身体を持っていて、身体も大きく足も早かった。
 ハルケギニアでは一切出回ったことの無い珍しい品種で、一部の者からサハラ種とかサハラ馬などと呼ばれていた。

「王太子妃殿下。番ですのでお越し下さい」

 少し離れた原っぱの辺りで、担任のコルベールがカトレアを呼んでいた。

「あ、呼んでるわ。ミシェルまた後でね」

「はい、カトレア様はどの様な使い魔を召喚されるのか、とても楽しみです」

「良い子だといいわ」

 カトレアは木陰を離れコルベールの所へ向かった。
 原っぱでは、同級生達がサモン・サーヴァントを唱えて使い魔を召喚していた。

「こちらでございます。王太子妃殿下」

「ミスタ・コルベール。お待たせしてごめんなさい」

「カトレア様頑張って!」

「ありがとう、頑張るわ」

 声を掛ける同級生に、カトレアはニッコリ笑って応えると、マントの裏に隠した杖を取り出した。
 カトレアの杖は、一メイルほどの長さの銀製の杖で、見事な装飾が彩られていた。
 養父のエドゥアール王が、入学祝いに下賜した特別製の杖だ。

「我が名は『カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』。五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし使い魔を召還せよ!」

 流麗な声色で、カトレアがサモン・サーヴァントを唱え終えると、目の前に光り輝くゲートが現れた。

「さあ、出てきて。わたしの、わたしだけの使い魔……」

 カトレアが言葉に呼応するように、ゲートが目も開けられないほど光り輝くと、小さな電撃を放ちながら雷色の羽毛の雛鳥が現れた。

『ピィピィ』

「まあ可愛い」

 カトレアは雛鳥を手に乗せた。
 生まれたばかりなのか、雛鳥の目は開いていなかった。

「カトレア様、お怪我はございませんか?」

「無事、使い魔を召喚されたようですね」

「変わった鳥ですね。カトレア様」

 ミシェルの他に、ワルドとジョルジュもやって来た。

「王太子妃殿下。最後にコントラクト・サーヴァントを」

「分かりましたわ、ミスタ・コルベール」

 カトレアはコントラクト・サーヴァントのスペルを唱え、手の平の上の雛鳥にキスをした。
 コントラクト・サーヴァントの影響で雛鳥が苦しみだす。

『ピィー! ピィー!』

「ごめんね、少しの間我慢してね?」

 カトレアは苦しがる雛鳥の頭を指先で撫でた。
 十秒ほど経つと使い魔のルーンは雛鳥の背中に刻まれた。

「ルーンも現れました。使い魔召喚は成功です。お疲れ様でした王太子妃殿下」

「ありがとう、ミスタ・コルベール」

 カトレアは、コルベールに礼を言うとミシェル達の居る所に戻った。

「変わった色の羽毛ですが、どの種類の鳥なんでしょうね?」

「名前は決まっておられるのですか?」

「名前は……そうねぇ……」

 カトレアは少し考えて

「うん、決めたわ。この子は『フレール』よ。これからよろしくね、フレール」

 そう言って、カトレアはフレールにキスをした。
 後に、王妃カトレアの絶対的守護者となるサンダーバードのフレールは、こうしてカトレアの使い魔になった。

 

 

第六十八話 イロコワ連邦


 アニエス達コマンド隊はダボダドの案内で、ウェンディゴの潜んでいるとある洞窟までたどり着いた。

「この洞窟がウェンディゴの住処なのか?」

「左様、ヤツの臭いはここから漂ってきおる」

 デヴィットの問いに40半ばの中年男性が言った。
 彼は精霊魔法の変化で人間化したダボダドだ。

「大人数じゃ入れないから、少ない人数で行こう。みんなは入り口を守ってて」

「分かった。アワサ」

 アワサは原住民達に入り口付近を守るように言った。

 一方、コマンド隊では……

「アニエス。我々も洞窟内に入るが、その前にこれを渡しておく」

 そう言ってデヴィットは、腰のホルスターからルガーP08を取り出してアニエスに手渡した。

「これは……?」

「前の戦闘で、お前のサイドアームが壊れたから、代わりに渡しておく」

 アニエスのM36リボルバーは、サーベルクーガーに破壊された為に、今のアニエスはG3アサルトライフルとナイフしか持ってない。

「ありがとうございます」

「言っておくが、後で返してくれよ?」

「デヴィット隊長の武器は良いんですか?」

「もう一丁持ってるし、魔法があるから問題ない……さ、突入しようか」

「了解」

 デヴィットとアニエスがアワサとダボダドに続いて中に入ろうとすると、

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。俺も行くんですか?」

 ヒューゴが焦った顔で現れた。

「……」

 デヴィットは『おまえは何を言っているんだ』、みたいな顔をした。

「何ですかその顔!」

「いや、クルマに乗ってた時は、あんなに勇ましかったのに、どうしてこうなった、とな」

「え、ヒューゴさん来てくれないんですか?」

「アニエス。なにアニエスが捨てられたような顔してんだ」

「なんですかそれ!」

「ヒューゴ。話を逸らすな。ほら、行くぞ」

「痛たたっ! 耳を引っ張らないでくださいよ。行きますよ!」

 ヒューゴは、ごねたものの結局一緒に行くことになった。

 ……

 コマンド隊三人とアワサとダボダドを含めた計10人で洞窟内を進む。
 洞窟内は、肌を切り裂くような寒さで、人が三人肩を並べて歩けるほどの広さだった。
 デヴィットはライトを唱えて照明代わりになって先に進んだ。

「くんかくんか……うん、こっちだ」

 ダボダドは、時折鼻を鳴らして、一行を先導した。

「見た目、中年のおっさんが、くんかくんかは無いよな」

「止めましょうよ。聞こえますよ?」

 ヒューゴの軽口にアニエスが困ったように返す。

「良いんだよ。先住魔法の、たしか……変化だっけ? でっかい化け物がいきなり中年のおっさんに変わった時は腰を抜かしたぜ。しかもオールヌードのオマケ付きだクソッタレ!」

「わ、忘れようとしてたのに……あうあう」

 ダボダドが変化で人間に変わった時の、全裸の姿は思春期のアニエスには刺激が強すぎた。

「むむっ、臭いが強くなってきた。近いぞ」

「よし、戦闘準備だ。お前らもそろそろ黙れ」

「了解」

「了解っす」

 デヴィットに怒られた二人は黙って洞窟の奥へ進んだ。

 奥に進むと、切り裂くような寒さは一段と酷くなり、所々に氷の結晶が壁から生えていた。

「綺麗だけど、こうも寒くちゃ感動も半減だわ」

「奥に誰か居る!」

 一行は、洞窟の奥に人影を見た。

「コマンド隊。配置に付け」

 デヴィットの号令で、アニエスとヒューゴは戦闘態勢を取った。

「……」

「……」

 全員が、そろりそろりと近づくと、洞窟の奥にはガリガリに痩せた醜い人間らしき者が居た。

「コイツがウェンディゴ?」

「そうだ」

 アワサの問いにダボダドが答えた。

 ガチャガチャ、と原住民達は一斉に雷の杖(銃)をウェンディゴに向けた。

「コイツがウェンディゴか、俺に撃たせてくれ。俺は親兄弟を、こいつのせいで殺された。」

「いや、俺に撃たせてくれ」

「いや、俺だ」

「……アンタ達、止めなさい」

 アワサの地の底から這い出たような低い声に、その場はシンと静まり返った。

「何故だアワサ!? お前だって親兄弟を殺されただろう?」

「そうだ。俺達はこの時を待っていたんだ!」

「……私、色々考えたのよ。デガナヴィダの言葉の意味を、ね」

「しかし、アワサ」

 そう言って、アワサは原住民達の声を無視して、ウェンディゴに近づいた。

「不用意に近づくと。危ないよ」

「大丈夫よ。ありがとうアニエス」

「なんなら、アワサ。私も……」

「止めとけアニエス。彼女に任せよう」

 アニエスが、アワサに着いて行こうとしたがデヴィットに制された。

「さて……初めまして、ウェンディゴ」

『……』

 アワサがウェンディゴの前に立ち軽く挨拶したが、ウェンディゴは何も応えない。

「応えたくないならそれでも良いわ。私達、アンタを殺しにきたの……」

『……』

「けど、『みんなきょうだい』……気が変わったわ。だから、命だけは助けてあげる。私達の前から消えて頂戴」

『……クヒッ、クヒヒヒヒ! ニンゲンノニクゥ!』

 ウェンディゴが突如笑い出し、アワサに襲い掛かった。

「アワサ下がれ!」

 ボパパパパン!

 洞窟内で、一斉に銃声が鳴り響き、銃の煙が洞窟内を覆い隠した。

「撃ち方止め!」

「……」

「……」

「呆気無いものだ」

「ああ」

「おい待て!」

「どうしたの、ダボダド?」

「奴め、この煙に乗じて……糞っ、逃げたぞ!」

「ええ!?」

 煙が晴れると、ウェンディゴが居た場所には誰も居なかった。

「奴は出口まで逃げた」

「しぶとい奴だ。追え!」

 一行は、急いで洞窟の入り口まで戻った。






                      ☆        ☆        ☆





『クヒィ!?』

「ああ? 何だコイツ」

 幸か不幸か、連絡を受け駆けつけたマクシミリアンとウェンディゴが、洞窟の入り口前で鉢合わせをした。

「ガリガリに痩せてるな、ちゃんと食ってるのか?」

『クヒッ』

「気味の悪い奴」

 マクシミリアンが、ウェンディゴをいぶかしんでいると、洞窟の中からアニエス達が走ってやって来た。

「お~い」

「殿下! その者がウェンディゴです!」

「何ぃ!? って、アニエス、その顔はどうした?」

「わ、私のことよりも、ウェンディゴが逃げます!」

「後で話を聞かせてもらうぞ」

 マクシミリアンが振り返ると、ウェンディゴは森の中に逃げようとしていた。

「逃がさないぞ!」

 入り口付近で待機していた原住民が、ウェンディゴの行く手を阻んだ。

『フヒヒヒヒヒ!』

 ウェンディゴが痩せ細った両手をかざすと、周囲の温度が急激に低下し土や草木が凍りついた。
 原住民達の足を凍らせ、身動きを取れなくすると、ウェンディゴは再び逃走を始めた。

「オレの目の前から逃げられると思うな!」

 マクシミリアンは、右手で杖を振りスペルを唱えると、左手をピストルの形に取った。

『ウォーター・ショット!』

 ズドン!

 という音と共に、暴力的な水流がウェンディゴを巻き込んだ。
 吹き飛ばされたウェンディゴの手足は、曲がってはいけない方向に曲がり、もんどり打って大樹に叩きつけられた。

「殺していいのか!?」

 マクシミリアンは確認を取った。

「それは……」

「……」

 アニエス達の目はアワサに集中した。

「……殺さないで」

「了解だ」

「待てよアワサ。それじゃ俺達の気が治まらない」

「みんなごめん……私のわがままを聞いて」

「……分かった。今は怒りを引っ込めておく。だが、またウェンディゴが逃げ出すような事があれば、もう俺達は止まらないぜ」

「分かったわ」

 原住民達とのやり取りを終え、アワサは再びウェンディゴの前に立った。

「ラストチャンスよ。亜人達の支配を解いたら、今後一切、私達の前に現れないで」

『……』

 マクシミリアンのウォーター・キャノンで大樹に叩きつけられたウェンディゴは、ゆっくりと起き上がるとアワサに頭を下げた。

『……』

 そして、何も言わずに、霧になってアワサ達の前から姿を消した。

「大丈夫なのか? 復讐に燃えてまたやってくるんじゃないのか?」

『問題無かろう。奴から既に敵意を感じなかった』

 ダボダドがやって来て、既にウェンディゴに敵意が無い事を説明した。

「……と、いう事は、私達の戦いも終わりなのね」

「そうだよ、やったんだ俺達!」

「ようやく、ようやく解放された……」

 アワサら原住民達は抱き合って喜びを噛み締めていた。

「おめでとうアワサ」

「ありがとうアニエス」

 二人は両手を取り合った。

「何だか、僕だけ蚊帳の外なんだが……まあ、いいか」

 空気を呼んだマクシミリアンは、二人を見守りながらデヴィットの所まで歩き始めた。

 その後、ウェンディゴの姿を見たものは居ない。
 決して満たされる事のない飢えに、苦しみながらこの広大な新世界を彷徨い続けているのか、それを確かめる術は無かった。








                      ☆        ☆        ☆







 僅か数週間で、ヌーベルトリステインと亜人達との戦争は終わりを告げた。

 先住民のリーダー、デガナヴィダは自分達の事をイロコワ族と呼称し、亜人や精霊達との共存共栄の道を勧めた。
 禁断の滝のデガナヴィダの家に、精霊や獣や亜人の代表を集め、デガナヴィダを含めた六人の代表によるの合議制で国政を進めることになった。
 彼らイロコワ族は、自分達の国をイロコワ連邦と呼ぶようになり、ヌーベルトリステインと交易を行うようになった。

 先の戦争で、ヌーベルトリステインは多くの血を流したが、そのお陰で精霊達の信頼を得ることが出来た。
 ヌーベルトリステイン13州の土地を認めさせる事も出来たし、精霊達は農作業の手伝いを無償で手を貸してくれるようになり大規模農業が行われるようになった。
 なにせ、精霊は休むことは無い。普通の場合だと、かの悪名高いプランテーション農業でしか実現できなかった大量栽培大量生産が、精霊の力で可能になった。

 人口の少ないヌーベルトリステインでは、決して無視できない被害だったが得る物は多かった。

 ヌーベルトリステインからは、衣類や食料等の各種製品、イロコワ連邦からは、木材用の樹木や琥珀、毛皮等が売買された。
 特に樹木はヌーベルトリステイン国内で木材に加工され、ハルケギニアに輸出された。

 戦争終結から一ヵ月後のアルゴルキン砦。

 マクシミリアンの部屋のドアをアニエスが叩いた。

「失礼します」

「良く来た。ささ、座ってくれ」

 マクシミリアンに促され、アニエスは木製のシンプルな椅子に座った。
 アニエスがマクシミリアンの部屋に呼ばれた理由は、左頬の傷跡を消す為だ。

「さて、整形手術を始めよう」

「お願いします」

 マクシミリアンはスペルを唱え、とある秘薬の中身を右の手の平の上に垂らすと、左手の杖を振った。

「動くなよ……」

 マクシミリアンは、右手の秘薬をアニエスの左頬に振付けた。

「うぅ」

「冷たいか?」

「はい、それにヒリヒリします」

「結構。効いている証拠だ」

 アニエスの左頬は、秘薬の効力でドロドロの粘土の様に軟らかくなった。

「……」

 マクシミリアンは、真剣な顔で左頬の傷跡を粘土細工の様に綺麗に整える。

「……」

 キスが出来るほどの距離に、アニエスの心拍数は上がりっぱなしだ。

「アニエス」

「!? あっ、はい!」

 いきなり声を掛けられアニエスは、しどろもどろになった。

「どうした?」

「いえ、なんでもありません……どうされましたか?」

「いや、な。貝のネックレスをしていたから、聞いてみたんだ」

 アニエスの首には、ピンク色の貝に紐が繋がれたネックレスの様なものが掛けられていた。

「これは、以前に殿下から頂いた貝殻を、首に掛けられるようにネックレスにしました」

「大事にしてくれて嬉しいよ」

「いえ……私こそ殿下のプレゼントに穴を開けてしまいました」

「気にする事はない。実はもう一つ渡すものがあってな」

「渡すもの? なにをでしょうか?」

「先の戦いで、武器をなくしたと聞いてな。これを渡す」

 そう言って、懐からハイパワー拳銃をアニエスに手渡した。

「あの、これは?」

「場違いな工芸品だ」

「いえ、それは見れば分かります。どうしてこれを?」

「僕が持っていても、相手にあらないからな。だからアニエスのやる」

「……よろしいのですか?」

 アニエスは不安そうな顔でマクシミリアンを見た。
 ピンクの貝殻の他に、この様な物を貰って不安になったからだ。

「構わない。さあ、治療を続けよう」

「……ありがとうございます。大切にします」

 アニエスはハイパワー拳銃を手にマクシミリアンに深々と頭を下げた。

 治療を再開したマクシミリアンは、ペタペタとアニエスの左頬を整えた。
 マクシミリアンが、ふと視線を下に向けると、戦闘服の陰からアニエスの胸元が見えた。

(そういえば、新世界に来て以来、『そっち方面』はご無沙汰だな)

 無性にカトレアの身体が恋しくなった。

「……」

 マクシミリアンはそれと無くアニエスの身体を眺める。
 一年前にアニエスの身体を見たが、さすがは年頃の女の子。戦闘服の上からもその成長が伺えた

「……どうかされましたか?」

「コホン……いや。そういえばアニエスは、戦闘服以外に何か服は持っているのか? ドレス持ってるの?」

「ええっと……れ、礼装なら持ってます!」

「礼装って、男物の軍服の奴だろう。ちゃんとしたドレスは無いのか?」

「……ないです」

 アニエスは力無く答えた。

「む、それはいけない。お前は養女とはいえ、ミラン家の令嬢なんだ、ドレスの一着や二着持ってなさい」

「で、ですが私は平民の出です」

「平民の出だろうと令嬢は令嬢だ。そうだ、明日ティファニアと市内に繰り出す予定があるんだ。お前も着いて来い。ドレスを注文しに行こう。いいか、いいな?」

「ええぇ~~~~!」

 少々強引だった間も否めないが、明日アニエスとティファニアで、新トリスタニア市内に繰り出すことになった。


 

 

第六十九話 自由の国



 戦争が終結してしばらくしたある日。新トリスタニア市内に三つの人影があった。

「ねえねえ、マクシィ兄さん。今日は何処に行くの?」

「ティファニアの服を買いに行こう。その緑の服も可愛いけど、女の子なんだから他の服も持っていた方がいいよ」

「この服気に入ってるんだけどな」

 そう言って、エルフの民族服(?)のスカートの裾を引っ張った。
 女の子としての慎みが無いティファニアに、マクシミリアンが嗜めた。

「こらこら、公衆の面前で恥ずかしい真似は止めなさい」

「ひう、ごめんなさい。マクシィ兄さん」

「気にするな」

 小さくなるティファニアの頭を撫でた。

「あう」

 恥ずかしいのか嬉しいのか、ティファニアは長い耳をピコピコと動かした。

「それと、アニエス……」

「はい」

 マクシミリアンとティファニアの、二人の後ろに控える様にしていたアニエスが、凛とした声で返した。
 先日の整形手術で、アニエスの左頬には傷跡は無い。
 今日のアニエスの服装は、上は灰色のTシャツで下は戦闘服のカーゴパンツとブーツと無骨な格好だった。

「アニエスはスカートは履かないのか?」

「任務中ですので……」

「……器量良しなのにもったいない」

 マクシミリアンはアニエスに聞こえないように呟いた。

「アニエスも無理矢理つれてきた間があったが、休暇だと思って楽しんでくれ」

「了解です」

 三人は、石畳の新トリスタニア市内を見物しながら進んだ。

 戦争終結から一ヶ月。
 市内には人間に混じって、亜人や変化の術で人間の姿になったイロコワ連邦の獣達の姿も見受けられた。
 ハルケギニアでは決して見られない光景に、アニエスは目を白黒させていた。
 一方のティファニアは、エルフ以外の人種が見かけられる様になって、とても楽しそうだった。

「ねえ、マクシィ兄さん」

「どうした、ティファニア?」

「手を握ってもいい?」

「ん? ああ、いいよ」

「やったぁ~!」

 ティファニアは嬉々としてマクシミリアンの右手を握った。

「えへへ」

 嬉しそうに笑うティファニア。

 一方のアニエスはというと……

「……」

 じ~、っと物欲しそうにマクシミリアンを見ていた。

「左手が開いてるからアニエスもどうだ?」

「けけけっ、結構です!」

 と、言った後、アニエスは後悔した。

「そんな目をしてたら、ほっとく訳にもいかんだろう。ほら」

 マクシミリアンは空いた左手でアニエスの手を取った。

「あ……」

「さて行くか」

「いこいこ!」

 両手に花のマクシミリアンは、改めて新トリスタニアに市内に繰り出した。

 ……

 所変わって、マダム・ド・ブラン、新トリスタニア支店。

「お邪魔するよ」

「これはこれは、いらっしゃいませ」

 店員の男が、『手もみ』をしながらやって来た。

「二人に似合うドレスを発注したい。それと……流行の服を二人分、何着か欲しい」

 店内に展示されている流行っぽい服を見渡して行った。

「ありがとうございます! つきましては、御二方の服の寸法を測りたいのですが、お時間は宜しいでしょうか?」

 ドレスはトリステイン本国でのオーダーメイドの為、寸法を測らなければならない。

「二人とも良いよな?」

「いいよ~」

「分かりました」

「そういう訳だ。後はよろしく」

 奥から女性の店員がやって来て、二人を別室まで連れて行った。

「お客様は、終わるまでこちらでお待ち下さい」

「ありがとう、失礼するよ」

 マクシミリアンが招かれたテーブルには温かい紅茶が置かれていた。
 椅子に座り一服するマクシミリアン。
 店内を見渡すと、年内は人間に混じってイロコワ連邦の亜人や変化した獣達で賑わっていた。

「儲かっているみたいだな」

「イロコワ連邦の方々が、衣服を大量に買い込んでくれるお陰で、大変儲かっております」

「結構結構、血を流した甲斐があった」

「と、言いますと、お客様は将校様でしたか」

「まあ、そんなものだ」

 店員は、目の前に居る男がヌーベルトリステインの総督とは気付かない様だ。
 マクシミリアンも、余り畏まられるのも調子が悪い。自分の正体を明かすつもりは無かった。

「戦争といえば、戦死され兵士の遺族の方々に遺族年金……でしたか。年金を出すように取り計らうとは、総督様には頭が下がります」

「ブフォ!?」

「どうかされましたか」

「いや、なんでもない。もう一杯頂けるか?」

「どうぞどうぞ、何杯でもございます」

 そう言って店員はマクシミリアンのカップに紅茶を注いだ。

 店員の話にあったように、戦死した兵士の遺族に毎年幾らかの金を渡すようになった。
 他にも負傷した兵士にも、幾らかの年金と再就職を斡旋を行っていた。
 それが、戦争に駆り出された兵士達へのマクシミリアンなりの責任の取り方だった。

 暫くして、テゥファニアとアニエスが、寸法を測り終えて戻ってきた。

「戻ってきたみたいだな。悪いけど二人に似合いそうな服を見繕ってくれ」

「かしこましました」

「二人とも好きな服を買って良いよ」

「ありがとう、マクシィ兄さん!」

「私までありがとうございます」

 二人は、店員の持ってきた服を試着し始めた。
 ティファニアは若草色が好きなのか、同じ色の服ばかり選んでいた。

「いろんな色も試して良いんだよ。このワンピースなんか可愛いと思うよ」

「試してみる!」

「おー、頑張れ」

 ティファニアが試着室に入っていくのを確認すると、次はアニエスの方を向いた。
 アニエスは妙にソワソワしていた。

「さて、アニエス。観念してスカートを履くんだ」

「私には、スカートは似合わないと思うんです」

「駄目だ。何時まで経っても、令嬢としての心構えを持たないで……親父に恥を掻かせるつもりか?」

「わ、分かりましたよ」

「よっしゃ!」

 マクシミリアンは、親指を立てて喜んだ。

 ……二人が着替えている間、マクシミリアンは妻のカトレアへのプレゼント探していた。
 店内を眺めていると、一番目に付くのは毛皮のコートのコーナーだった。

 イロコワ連邦から輸入された毛皮を、コートやスカーフに加工する工房が店の裏に建てられていた。
 加工された毛皮は、トリステイン本店へ送られ、上流階級向けに輸出されていた。
 ちなみに、イロコワ連邦では精霊魔法を唱えられない獣の品種は、ある程度決まっていて、それらの獣は家畜扱いされている。
 人間と精霊、獣が手を取り合うイロコワ連邦も、割りとシビアな所があった。

(毛皮か……カトレアは、毛皮のコートって余り好きじゃなさそう)

 動物好きのカトレアが、毛皮のコートを送られて喜ぶとは思えなかった。

(だからと言って、珍しい色の服を送ろうにも、一年以上も会ってないからサイズが分からん)

 政務と戦争で久しく忘れていたカトレアの身体を思い出し、マクシミリアンの鼻の下が伸びた。

(カトレアが魔法学院を卒業したら、ヌーベルトリステインに呼ぼう。ハルケギニアじゃ決して見られない、この自由の国を見てもらおう)

 そして、ため息を一つ。

(あ~……会いたいなぁ)

 一年近く会っていない愛妻を思い出した。

 結局、マクシミリアンは毛皮のコートは買わず、琥珀のペンダントを買った。

 暫くして、着替え終わった二人が出てきた。

「お待たせ、マクシィ兄さん」

「お、お待たせしました」

「おぉ、二人とも綺麗だ」

 ティファニアは白いワンピースで現れ、アニエスも流行の服を着て、スカートを気持ち悪そうにながら現れた。

「お買い上げは以上の物で、宜しかったでしょうか?」

 店員が、ティファニアとアニエスの服を畳んで持ってきた。

「あと、流行の服もいくつか欲しい」

「ご安心下さい。既に包んであります」

「流石、早いな」

「ありがとうございます」

「ドレスはいつ頃出来るか分かる?」

「トリステイン本国で作成する事になりますし、早くても二、三ヶ月は掛かるかと思います」

「分かった。出来たらアルゴルキン砦のマクシミリアン宛まで届けて置いてくれ……それじゃ出ようか」

「ありがとうございました。又のお越しをお待ちしております……ん? マクシミリアン?」

 マクシミリアンは代金を払って、マダム・ド・ブランを出た。もちろん、支払った代金はポケットマネーだ。
 マクシミリアン達が出て行った後、店員が大騒ぎするのは別の話。

 ……

「殿下、荷物は私が全部持ちます」

 店を出ると、アニエスが荷物を全て持つと言い出した。

「別にいいよ、そんなに重いものじゃないし」

「しかし、殿下に物持ちをさせるわけには行きません」

「アニエス姉さん。持つのなら私も持つわ」

 今度は、ティファニアが自分が持つと話に入ってきた。

「いやいや、ティファニアはまだ小さいから」

「私、子供だけど、物ぐらい持てるもん!」

「ティファニア様は王族の出ですので、ここは私が持つのか、当たり障りが無いと思います」

「あ~、お前ら。埒が明かないから、全員で持とう」

 マクシミリアンの発案で荷物は全員が分担で持つ事になった。

 ティファニアとアニエスの二人は買った服を着たままで市内をぶらついた。
 途中、道の正面から八メイル程の熊が二頭で大木を担いで歩いていた。

「マクシィ兄さん。あの人達(?)は何をしているの?」

「マクシム川の近くに製材所があるから、あの大木を持っていって金に換えて貰うんだろう」

「へ~、マクシィ兄さん物知り」

「これ位はな。さ、二人とも道を開けよう」

 邪魔にならないように三人は道を開けた。

『ありがとうな』

「いやいや、お仕事ご苦労です」

 お互い挨拶し合うと、熊二頭はマクシミリアンの予想通り、製材所の方向へと消えていった。

「これから、いかがいたしましょう」

「砦に帰るには、少し早いかな。近くにカフェが出来たから、そこで時間を潰そう」

「はい、マクシィ兄さん」

 三人は、小奇麗なオープンカフェに入り、野外のテラス席に座った。

「いらっしゃいませ」

「何を頼みましょう」

「この店は、ショコラとケーキで良いと思うよ」

「ショコラ?」

「新世界で見つかった、『カカオ豆』という豆を加工した飲み物だよ」

 ここでのショコラ(チョコレート)は、現代の地球で市販されている固形物ではなく飲み物だ。
 ハルケギニアでは、紅茶に変わる新しい嗜好品として、上流階級の婦女子に絶大な人気を博していた。
 精霊の力で最低限の数は供給は出来ていたが、入荷すれば数時間で完売する程の絶大な人気だった。
 その為。ハルケギニアでは常にショコラは品不足で、一般市民の口には滅多に入らなかった。

 この品不足に関して、家臣の何名かは増産の進言をしてきたが、マクシミリアンは採用しなかった。

『常に品不足にしておけば、ブランド力も上がる。何よりショコラの輸出は僕達が独占しているんだ、大量生産して単価の値段も下がることは無い。それに人間ていう生き物は、いつかは飽きる生き物だ、何時でも誰でも飲めるような物なら、何時かは飽きられてしまうよ』

 さらに、こう付け加えた。

『あくまでショコラは嗜好品だ。食べ物や衣服の様な生活必需品じゃない。生きる為に必要な物なら減税し、安く供給させるが、嗜好品や贅沢品は高く設定して減税した分の税収を補うつもりだ』

 大航海時代前の欧州において、一部の勢力が香辛料(スパイス)の流通を独占した為、コショウ一粒が宝石並みの価値を持ち大変珍重されたという。
 マクシミリアンはその歴史を倣って、ショコラの流通を操作し、カカオ豆のハルケギニアにおける価値を高める事に成功した。
 そういう訳で、ハルケギニアへ輸出されたショコラは、多少高くても金に糸目をつけない上流階級の人々に全て消費された。
 新世界から輸出される嗜好品にはタバコなども含まれて、これも流通の制限を行い、高い価値をつけることに成功した。

 ……話を戻そう。

「へ~、それじゃ私はショコラにしよう」

「アニエスは?」

「私もそれで」

「OK、ショコラ三つにケーキを適当に三つ」

「畏まりました」

 暫くして店員が、ショコラとショートケーキを持ってきた。

「美味そうだな」

「いただきまーす」

「いただきます」

 ティファニアとアニエスは、フォークでショートケーキを食べ始めた。

「いい匂い」

「あ、これは……」

 ケーキから発せられる『バニラ』の甘い香りに、ティファニアとアニエスは驚いた顔を見せた。
 バニラも精霊の協力で栽培されて、香料としてハルケギニアに輸出されている。正に精霊様様だった

「ショコラも甘くて美味しい」

「……美味しい」

 ショコラの味に ティファニアとアニエスもご満悦だった。

「所でアニエス。イロコワ族の女の子とは、まだ連絡を取り合っているのか?」

「アワサの事ですか?」

「ああ、確かそんな名前だった」

「今、アワサはイロコワ連邦の外交官として、新トリスタニアに住んでいますよ」

「そうなのか」

「外交官がてら文字の勉強をしているそうで、休暇の時は私も協力しています」

「それは結構。なんなら今度、砦に招待してはどうだろう」

「そうですね、アワサを紹介しますよ」

 こうして世話話をしながら、時間が経つのを待ち、日が西に傾く頃に三人はカフェを出て帰路に着いた。

 帰路の道中、マクシミリアンら三人は新世界ならではの光景に出くわした。

「む」

「あ」

 マクシミリアンとアニエスは、フッと西日が何かに遮られたのを見て空を見上げた。

「わあああーーーー!」

 遅れてティファニアが歓声を上げる。

 三人が見た西の空には、リョコウバトの大群が西日を遮るほどの密度で夏の営巣地である北の方角へと向かっていた。
 その数は凄まじいの一言で、西の空に大量のリョコウバトの大群が空一面に覆い、あまりの多さに空どころか地平線の先まで黒く続いて見えた。

「おお、凄い! リョコウバトの群れだ!!」

「マクシィ兄さん。リョコウバトってなに?」

 ティファニアが聞いてくる。

「渡り鳥の一種で、あの空飛ぶ黒い塊全てがリョコウバトの群れだよ。僕も話では聞いていたけど初めて見た……」

 地球においては絶滅してしまった種だが、この世界では存在した。

(地球じゃ乱獲で絶滅した種だけど。こっちの方は、農作物に余程の被害が無い限り放っておこう)

 リョコウバトの群れは、マクシミリアンらが砦に戻っても二日間途切れることなく飛び続けた。
 

 

第七十話 最後の休日

 時は経ち、王太子妃カトレアは17歳になり、魔法学院三年生に進級した。
 トリステインでは大寒波の傷は癒え、人々には平和な日々が訪れていた。

 この日、カトレアは休日を利用して、友人のミシェルと遠乗りに出かけていた。

「この間、景色が綺麗な場所を見つけたので、前々からカトレア様に見せたかったのですよ」

「そうなの、とっても楽しみだわ」

 カトレアは学院から借りた馬で、ミシェルは使い魔の巨馬のグリーズで併走しながら目的地へ向かった。
 ミシェルにとって、カトレアと二人きりの遠乗りで、今日という日を待ちわびていたのだが、そんなミシェルを不愉快にさせる者が、カトレアら二人の後ろから迫っていた。

「おお~い! 待ってくれ~~!!」

「げ、グラモン……と、ワルド卿」

 ミシェルはげんなりして後ろを振り返ると、5メイルの大きな亀と少しは離れてワルドがグリフォンに跨って飛んでいた。
 巨大な亀の甲羅の上に高価な椅子が設置されていて、ジョルジュがその椅子に座ってカトレア達に手を振っていた。

 ワルドはグリフォンを、グラモン家の三男ジョルジュはリクガメと呼ばれる陸棲の亀を使い魔として召喚した。

 亀を連想すると動きが遅いと思われがちだが、ハルケギニアのリクガメはかなり素早く。軍用として使役されたりする。

 ジョルジュはリクガメから降りると、地面に片膝を付いた。

「カトレア様。どうか、この(わたくし)めも同行を許可していただけませんか?」

「カトレア様、この様な軟弱者の言葉など聞いてはいけません」

「ミス・ネル。君には聞いていないよ」

「アンタが、とっかえひっかえ女を物色してるからカトレア様が心配なのよ!」

「とっかえひっかえとは酷いな。全ての女性に愛を振りまいているんだ」

「よくもまあそんな事言えるわね!」

 ミシェルとジョルジュが言い争いを始めた。

「王太子妃殿下、どうなさるので?」

 外野だったワルドがカトレアに聞く。

「そうねぇ、許可しましょうか」

「……カトレア様がそう仰るのでしたら。私は何も言いません」

「ありがとうございます!」

 ジョルジュのリクガメがカトレア達二人の近くによると、ジョルジュの座る豪華な椅子には、造花の薔薇が散りばめられていて、満遍なく振りかけられた香水の臭いが離れたカトレア達の所にまで漂ってきた。

「どうでしょうか、僕のアレクサンドラは、とても美しいでしょう?」

「つぶらな瞳がとっても可愛いと思いますが、薔薇の香りがとても……何と言いましょうか……」

「むせ返るほどの薔薇の香りってどういう事よ? ……はっきり言って臭いのよ!」

 カトレアは気遣うように、ミシェルはストレートに、それぞれ不満をぶちまけた。

「そら見ろ、やっぱり臭いじゃないか」

 ワルドがグリフォンの手綱を引いてやってきた。

「この香りは、高いお金を払って買った『とっておき』の香水なんだ。それを臭いだなんて酷いじゃないか」

「掛け過ぎなのよ。周りを見てみなさい、ハエが集っているわ」

「えっ!? あああっ!」

 ジョルジュが周りを見ると数匹のハエがジョルジュの周りをブンブン飛んでいた。

「あっち行け! しっしっ!」

 杖を振ってハエを追い払うジョルジュ。

「カトレア様の前で、そんな臭いを漂わせる訳にはいかないわ」

「ミスタ・グラモン。申し訳ないですけど、その臭いは余りにも……それに、フレールがミスタ・グラモンを見て警戒してます」

 上空では、翼を広げれば2メイル程にまで成長した、カトレアの使い魔のサンダーバードのフレールが異臭を嗅ぎ取ったのか、パリパリと紫電をチラつかせながらジョルジュを睨みつけていた。

「ちょちょっ!? ちょっと待ってて下さい!」

 身の危険を感じたジョルジュは、慌ててアレキサンドラの飛び乗ると、近くの川に突撃し、アレキサンドラに水を被せて臭いを洗い落とした。

 数分後。香水の臭いを洗い落としたジョルジュたちが戻ってきた。

「これなら如何でしょうか?」

「今度は臭わないわね」

「お手数かけてごめんなさいね、ワルド卿、ミスタ・グラモン。フレール、いらっしゃい」

『クェ!』

「いえいえ、それでは参りましょう。ハハハ」

「やれやれ……」

 ワルドとジョルジュを交えた四人は遠乗りを再開した。







                      ☆        ☆        ☆







 三人は遠乗りを続けていると、目的地のラグドリアン湖に着く頃には太陽が真上辺りまで来ていた。

「あらここは……」

「ラグドリアン湖ですか、良い所ですね」

 ハルケギニアでも屈指の名勝と謳われるラグドリアン湖。
 トリステインとガリアとの間にあるこの湖は、水の精霊が棲むといわれていた。

「おおっ、これは素晴らしい! 行こうアレキサンドラ!」

 アレキサンドラに乗ったジョルジュは、ラグドリアン湖に突撃し水遊びを始めた。

「やれやれ。グリーズ、貴方も遊んできていいわよ」

『グヒッ』

 ミシェルがグリーズから降りるとグリーズは湖面まで走り、ジョルジュ主従の水浴びに加わった。

「ミシェルは水浴びに加わらないの?」

「私はあんな子供じゃありません」

「そうね、うふふ……」

 カトレアも馬から降りると、湖岸を散歩し始めた。
 ミシェルとワルドは、お供の為に着いて行こうとすると……

「え!? ちょ! お~い、置いてかないで~!」

 遊んでいたジョルジュも慌てて追いかけてきた。

 フレール以外の使い魔達は水浴びをして遊び、カトレア達は散歩を楽しむ事になった。

「ラグドリアン湖は良い所ですね」

「そうねミシェル。今度マクシミリアンさまと一緒に来たいわ」

「王太子殿下は今どちらに?」

「ごめんなさいミシェル。国家機密だから外に漏らす訳にはいかないの」

「いえ、お気遣い無く、私もトリステイン貴族の端くれです。国家の命令には従いますとも」

「ごめんね」

「いえいえ……あ。ボートがありますよ。一緒にどうですか?」

「いいわね。ワルド卿たちも一緒にいかが?」

「乗ります!」

 聞いてもいないのに、ジョルジュが挙手して立候補してきた。

「グラモンには聞いていないだろうに」

 ワルドが呆れ顔で現れた。

「二人とも喧嘩しないで一緒に乗りましょう。ミシェルもいいわね?」

「カトレア様がそう仰るなら……」

 こうして四人は、遊覧用のボートを借りて湖に出た。

「オールを漕ぐ役目は、僕がいたしましょう」

「いやいや、この僕、ジョルジュ・ど・グラモンにお申し付け下さい」

「おいおい、割りと重労働だぞ? それなりに鍛えている僕ならともかく、君には荷が重いのでは?」

 オールを漕ぐ役目は、最初はワルドが立候補したが、ジョルジュがカトレアに良い所を見せたいが為に半ば無理矢理に名乗り出た。

「大丈夫さ、問題ない」

「……そうかい。まあ、頑張れ」

 ワルドはアッサリと引き、ジョルジュは左右二本のオールを手で掴むと、ボートを漕ぎ出した。

「ふんっ! ふんっ!」

「ミスタ・グラモン、頑張って」

「ハハハ、お任せ下さい!!」

 カトレアの応援で元気百倍のジョルジュだったが、その元気も10分ほどで尽きた。

「ぜぇ~はぁ~、ぐぇ~はぁ~……ぐふっ、おえっ」

「運動不足だなグラモン。だが、十分な距離を漕いだと思うよ」

 息も絶え絶えのジョルジュにワルドは労いの言葉をかけた。
 四人を乗せたボートは、湖岸から離れた所まで進んでいた。

「ご苦労様、グラモン」

「ミスタ・グラモン。お茶をどうぞ」

「ありがとうございます。カトレア様」

「さあ、皆もお茶にしましょう」

 カトレアは持ってきたバッグから『魔法のポット』を取り出した。魔法のポットとは、マジックアイテムのトリステイン版魔法瓶だ。

「今日はショコラを入れてきました」

「おお、滅多に手に入らないという、あのショコラですか」

「私、飲むの初めてなんですよね」

「先日、マクシミリアンさまから、贈られてきたのよ」

 カトレアはカップにショコラを注ごうとすると、ミシェルが割って入ってきた。

「あ、カトレア様、私が注ぎます」

「いいのよ、楽にしていて」

「しかし……」

「ボートの上では、身分は関係ないでしょ?」

 カトレアはミシェルを座らせ全員分のカップにショコラを注いだ。

 ……

 甘いショコラを楽しみながら、四人は談笑を続けていた。

「そう言えば、カトレア様は学院を卒業されたら、王太子殿下の所へ行かれるのですか?」

 ショコラの入ったカップを口から離し、ワルドがカトレアに聞いた。

「もちろん、そのつもりよ」

「私も御供をしたいのですが……」

「なんだいミシェル。卒業してもカトレア様に付き従うつもりかい?」

「何よ、悪いの? グラモン」

「こう言っては何だがね、王太子殿下との数年ぶりの再会に、着いて行こうだなんて無粋じゃないか?」

「う……なによグラモン。そういうアンタはどういう進路にするつもりなのよ?」

「父上や兄上は軍隊入りを望んでいるようだったけど、近々、トリスタニアに士官学校が出来るって聞いたし、そこに行こうと思う」

「士官学校? 軍隊じゃなくてか?」

 と、ワルドが言う。

「なんでも、軍隊の士官として、高度の教育を施す機関だそうだ。で、ワルド卿は卒業後は領地の経営に邁進するのかい?」

「僕は……そうだな。領地の経営は王宮から派遣された人に任せて、母上の手伝いをしようと思っている」

「ワルド卿の母君は何をされているのです?」

「そうだな……」

 ミシェルが聞くと、ワルドは少し考え出した。
 ワルド自身、母親がどの様な仕事に従事しているか聞かされていない。
 父親が死んで葬儀を終えて以来、狂ったように研究に没頭し一年に一度ぐらいしか家に帰ってなかった。
 少々マザコンの気があるワルドは、母親の研究に興味を持ち、その研究の手伝いがしたくて必死に勉強し、魔法学院での成績をトップクラスに維持していた。

「僕にも分からないな。だが、少なくともブリージュ市で何らかの研究をしている事は分かっている」

「ブリージュか。永い事、廃墟だったと聞いていたが、復興をしているみたいだね」

 かつて、地殻変動によって廃都となった古都ブリージュは、少しづつだが復興を始めていた。
 今では、地殻変動の原因が、後にハルケギニアで起こるとされる大隆起の何かの手がかりになればと、ワルド元夫人の指揮の下、研究が進められていた。

「ミシェル、お代わりはいかが?」

「ありがとうございます。頂きます」

「ミシェルは、卒業したらどうするの?」

「え!?」

「何を驚いているんだ?」

「なんだ? もしかして考えてなかったのか?」

「考えて無い訳じゃないけど……はあ、『実家が良い相手は見つかったか』って、五月蝿いのよ」

「結婚か……そういえば僕もそろそろ考えないとな」

 ワルドがため息を付く。

「相手なら僕が立候補するけど」

「馬鹿言ってんじゃないわよ」

 いつもの様にジョルジュとミシェルの口喧嘩が始まる。

 4人は笑いあい。卒業までの貴重な時間を分かち合った。








                      ☆        ☆        ☆






 十分に休日を楽しんだ四人は魔法学院への帰路についていた。日は西に落ち、もう間もなく夜の闇が訪れようとしていた。

「遅れちゃったわね」

「この分じゃ、夕飯は食べられそうに無いな」

「仕方ないわ、早い所戻りましょう」

 カトレア達四人は、足早に学院へと向かった。

 もう辺りは暗くなり、学院まで十数分といった所まで来ていて、学院の塔が双月の光で見ることが出来た。

「あれ?」

「人だかりがありますね」

「ひょっとして、カトレア様が遅くなっても帰ってこない事で騒ぎになったのかも」

 ミシェルの言葉で、男性陣から焦りの雰囲気がかもし出される。

「まずいな。王太子妃殿下を夜遅くまで連れ回したと、何らかの罰を受けるかもしれない」

「ゲゲ。ありうるかも……」

 ワルドのジョルジュは、お互いの顔を見合った。

「どうする?」

「どうするも何も、早く帰って謝ろう」

 こうしてカトレア達は慌てて、学院の正門まで行くと、留守番をしていたメイドコンビの二人がカトレア達を見つけると走って寄って来た。

「王太子妃殿下!」

「お探ししてましたよぉ」

「ベティにフランカ、遅くなってごめんなさい」

 そう言ってカトレアは頭を下げて謝った。

「それよりも王太子妃殿下、至急お聞かせしたき事がありまして……その」

 フランカはカトレアの後ろの三人を見た。どうも人払いがしたいらしい。

「皆は私の友人よ、問題ないわ」

「分かりました。実は先ほど王宮から急使が着まして、国王陛下が御倒れになられたとの事でございます」

「……え!?」

 いつも笑顔を絶やさないカトレアが、この時ばかりは表情を強張らせた。
 

 

第七十一話 エドゥアール王、最後の一日

 この日、エドゥアール王は、クルデンホルフ大公を王宮に招き会談を行っていた。

 会談の内容は、クルデンホルフ大公国からトリステイン王国へ送られる上納金の件と、公女のベアトリスの人質の件の二件だった。

「国王陛下、今までの上納金にさらに上乗せすれば、ベアトリスの人質の件は無かった事すると、そう仰るのでございますね?」

「左様だ、流石に人質はやり過ぎだと私は思っている」

「ありがとうございます! ありがとうございます!! 国王陛下の御慈悲に感謝の言葉のございません。一生の忠誠を誓いまする」

 大公は涙を流して礼を言った。

 先の内乱でクルデンホルフ大公が反乱軍に資金援助を行っていた証拠を、マクシミリアンと諜報部の拷問で得ることが出来たが、エドゥアール王は息子の苛烈なやり方に嫌悪感を持っていた。
 エドゥアール王は大公を赦す事で、更なる上納金と忠誠を誓わせた。

 エドゥアール王は大公には言わなかったが、マクシミリアンはいずれはクルデンホルフ大公国を完全に取り潰して、領土の併呑を狙っていた事を感じ取っていた。
 だがエドゥアール王は、大公にいらぬ懸念を与えない様に、その事は言わなかった。

 クルデンホルフ大公国はトリステイン、ガリア、ゲルマニアがそれぞれ自国の領土を主張する、アルデラ地方、ロレーヌ地方に隣接していて、三ヶ国の火薬庫とも言える地方だっただけに、エドゥアール王はクルデンホルフ大公国に一種の中立地帯としての価値を見出していた。

 ……

 会談後、軽く昼食を取ったエドゥアール王は執務室で秘書であり、政策ブレーンであり、友人のマザリーニと会っていた。

「陛下、先月の収支の報告書でございます」

「分かった。目を通しておこう。所でマザリーニ」

「何でございましょうか陛下」

「近々、ロマリアに帰るそうだな」

「はい、トリステイン経済も順調で、後進の者たちも次々と育っておりますので、頃合いと思いまして……」

「君ほどの人材を手放すのは惜しい所だが、自分が決めた事なら仕方が無い」

「申し訳ございません」

「私としては、マクシミリアンの相談役になって欲しかったのだが」

「私ごときが王太子殿下の足元に及びません」

「いや……な、私は心配なのだ。マクシミリアンは幼少の頃から手の掛からない、いや……『手の掛からなすぎる』子供だった」

「……」

「そんな、出来すぎなわが子に大して教えを施さなかったが、最近マクシミリアンのやり方に不安を覚えるようになった」

「不安……と仰いますと?」

「マクシミリアンは、やる事が苛烈すぎる所がある。昨年の新世界での戦争の事だが、勝ったから良いものの一言相談して欲しかった」

 エドゥアール王はマクシミリアンの事を、トリステインの発展の為に若くして尽くしてくれた事に、文句のつけようも無い自慢の息子だと思っている。
 だが、トリステインの発展の為には手段を選ばないその苛烈さが、いつの日か災いの種になるのではないかと心配していた。

「マクシミリアンはまだ若い。若さに任せて進み続ければ、何時か足元を掬われるかも知れない」

「お言葉ですが陛下、王太子殿下子飼いの家臣団は優秀な人材ばかりです。彼らが王太子殿下を支えてくれるでしょう」

「それは違うぞマザリーニ。たしかに彼らは優秀だが、マクシミリアンが本気で強く押せば、結局はイエスマンとなってしまうだろう。命を賭して諌言する様な者はいない」

「……」

「私は、マクシミリアンとカトレアの夫婦喧嘩の事を耳にしたのだが、何でもカトレアは一切休まずにトリステイン発展の為に仕事を続けるマクシミリアンに『ガーゴイルの様だ』と言ったそうだ。私はハッとしたよ、滅私奉公もここまで行けば異常だ。あの子には遊ばせる時間が必要だった……」

 エドゥアール王は目を瞑った。

『全速力で走り続けた結果、全身が擦り切れて命数を使い切ってしまうのでは?』

 と不安に駆られた。

「む、すまないな引き止めるような事を喋ってしまった」

 正気に返ったエドゥアール王は、ジッと待ち続けるマザリーニに謝った。

「いえ……私はこれで失礼いたします」

「そうか……トリステインを発つのはいつ頃か?」

「一週間後を予定しております」

「分かった。マザリーニの未来に幸多からん事を願っている」

「ありがとうございます」

 そう言ってマザリーニは頭を下げ、執務室を出て行った。

 椅子に深く腰掛けたエドゥアール王は、ため息を吐いて天井を見上げると、再び書類に目をやった。

 書類には、新世界からの品々が各国で付加価値を与え、トリステイン王国はかつて無いほどの黒字を出したことが書かれていた。
 新世界からもたらされた物は、大流行しているショコラを始め、バニラといった香料や、タバコなどの嗜好品。唐辛子などの香辛料など等、数えだしたらキリが無い。
 マクシミリアンは、それら新しい品々のハルゲギニアへの供給を抑える事で付加価値を与えて値を釣り上げ、巨万の富をトリステインにもたらす事に成功した。

 だが、エドゥアール王の機嫌は良くない。

「ううむ。上手く行き過ぎている」

 慎重なエドゥアール王は、この結果に眉をひそめた。
 マクシミリアンの手腕には口を挟む余地は無いが、ここ最近、成功の裏で『成金』と呼ばれる者達がかつてのトリステイン貴族の様に、市民に対し無体を行うようになり、エドゥアール王の治世に一抹の不安を与えるようになった。

「学の無い成金が、各地で問題を起こす、か」

 報告書を閉じ、目頭を指で摘む。

 かなり集中していたらしく、太陽は西に傾きかけていた。

「う!?」

 突如、頭痛に襲われたエドゥアール王は、机の引き出しから頭痛の秘薬を取り出しそれを呷った。
 秘薬の効果はすぐに現れ頭痛は治まった。ここ数年、持病の頭痛に悩まされるエドゥアール王は、秘薬を手放すことが出来なかった。

「ふう、収まった」

 頭痛が去り、エドゥアール王は思考を再開し、別の書類を手に取った。

 報告書には、彼ら成金の起こした事件が書かれていて、書類の男は一時は収監されたが、保釈金を払ったその足で、繁華街に繰り出し再び問題を起こした事が書かれていた
 彼らは、『成金貴族』、または単純に『成金』とあだ名され、一般市民にすこぶる嫌われていた。

 トリステインの大成功の裏で、別の歪みが生まれつつある事を報告書を呼んだエドゥアール王は懸念した。

「マクシミリアンが言っていたように、平民に初等教育を施す機関を作ろうか……」

 マクシミリアンが本来提示した初等教育制度は、より平民から多くの人材を得るために、初等教育を施すのが当初の目的だったが、エドゥアール王は悪知恵が働く成金達に平民達が対抗できるように、平民に教育を施そうという方向へシフトしようと考えていた。

「しかし、ロマリア教国が黙ってみているはずも無い。何か手を考えないと……」

 エドゥアール王はロマリア教への対策を練ろうと思考に入ると、エドゥアール王の脳内で何かが弾けた。

「う!」

 どういう訳か頭の中に靄が掛かったようになり思考できない。

「おえあ(これは)……?」

 思考が回らなくなったエドゥアール王は、次に呂律(ろれつ)が回らなくなり、助けを呼ぼうと席を立とうするが、今度は身体が動かなくなると、インク瓶をぶちまけて机の上に倒れこみ動かなくなった。

 数分後、家臣の一人が報告書を持って執務室に入り、倒れたエドゥアール王を発見したときには、エドゥアール王の息は無かった。

 

 

第七十二話 カトレアの決断


 双月が照らす闇の中を一頭の巨馬が疾走する。

 『国王倒れる』の報を聞いた王太子妃カトレアは、友人のミシェルに頼んで巨馬のグリーズに乗せてもらい王都トリスタニアへの道を急いだ。

「間もなくトリスタニアです!」

「ミシェル、悪いと思うけどもう少し急いで!」

「御意!」

「それと、通行人の人を轢かないように、慎重に急いでお願いね!」

「分かったなグリーズ!」

『グヒッ!』

 二人を乗せたグリーズを支援する為、カトレアは『ライト』の魔法でグリーズの前方を照らした。

 駆けるカトレア達二人の後方上空には、一匹のグリフォンが飛び、その背にはワルドとジョルジュが二人乗りで後を追った。

「しかし、ミス・ネルの使い魔は速いな、僕のグリフォンと同等の速度とは」

 ワルドが独り言を言うと、後ろのジョルジュがワルドを急かす。

「ワルド卿、トリスタニアには、まだ着かないのか?」

「もう間もなくトリスタニアの街の灯が見えるはずだ」

「そうか、でもとんでもない事に巻き込まれてしまった」

「なんだ、ミスタ・グラモン。怖気づいたなら着いて来なくても良かったのに」

「こ、国家の一大事を見て見ぬ振りする訳には行かないよ」

 ジョルジュは叫んだが、どう見てもやせ我慢の類だった。

「よく言った。それでこそ男だ。もっとも、重大な情報を持つキミを野放しにする訳にはいかないがね」

「当たり前じゃないか! って、酷いな……」

「さあ、トリスタニアの灯が見えてきたぞ」

 『国王倒れる』の報を公表していないのか、トリステイン市はいつもの賑わいを見せていた。







                      ☆        ☆        ☆ 






 市内を駆け王城にたどり着いたカトレアは、ミシェル達三人を別室で待たせ、エドゥアール王の下へ向かった。

 寝室の前では家臣やメイド達が心配そうに見守っていて、カトレアが一人、魔法学院の制服のまま早足で近づいて来るのを見ると、一斉にカトレアの下へ駆け寄ってきた。

「王太子妃殿下!」

「おお、王太子妃殿下」

「国王陛下はどちらに?」

「こちらでございます」

「ありがとう」

 カトレアは、エドゥアール王の眠る寝室に入っていった。

 寝室では、既に死亡したエドゥアール王がベッドに寝かされていて、典医が水魔法で必死の蘇生を試みていた。

 マリアンヌとアンリエッタは、エドゥアール王の枕元に居て、カトレアが入ってきたのも気付かずエドゥアール王の遺体に縋り付いていた。

「エドワード様、どうか目を御開けください!」

「お父様、目を開けて!」

 涙で濡れた王妃マリアンヌとアンリエッタが、冷たくなったエドゥアール王に縋り付くが何の反応もなかった。

「王妃様、姫様、王太子妃殿下がお見えでございます」

 典医がカトレアがやって来た事を告げると、アンリエッタのみが応えカトレアの胸に飛び込んだ。

「うわぁぁぁん! 義姉様、お父様がぁぁぁ~~!」

「アンリエッタ……」

 カトレアは泣くアンリエッタを抱きしめ、典医にエドゥアール王の死の詳細を聞いた。

「典医殿、国王陛下はどの様な病気で御隠れになられたのですか?」

「王太子妃殿下、それがその……私どもも、様々な手を尽くしたですが、『急死』としか言いようが無く……」

 カトレアの問いに典医の男は、しどろもどろに応えた。

「別に罰しようとはしません。典医殿は最善を尽くしました」

「ははっ、ありがたきお言葉にございます!」

 典医は深々と頭を下げた。

 カトレアはベッドに寝かされたエドゥアール王と対面した。
 遺体の周りには香が巻かれていて、エドゥアール王の死臭を覆い隠していた。

「どうしてこの様な事に……ううう」

「お義母様、心中お察しいたします」

 カトレアは、泣くマリアンヌにそっと近づき声を掛けるが、慰めの言葉しか見つからない。だが、何時までもメソメソしている訳にはいかない。

「お義母様。大至急、マクシミリアンさまをお呼びしましょう」

「ううう……どうして、どうして」

 この状況を打開する為に、マクシミリアンの帰国を促すが、マリアンヌは聞く耳を持たなかった。

「お義母様、しっかりしてください!」

 カトレアがマリアンヌの肩に触れようとすると、マリアンヌはカトレアの手をはねつけ、激しく拒絶した。

「嫌、嫌よ。カトレアさん、全て貴女に任せますから、どうかお願い、私とエドワード様の二人だけにして!」

「そういう訳には参りません。国王陛下がこのような状況になったのなら、せめてマクシミリアンさまが帰国されるまで、お義母様が先頭に立って政治を動かして頂かないと……」

「政治なんて真っ平よ! 私はやりたくないの!!」

「お義母様、こういう時こそ、私達が先頭に立って皆の手本になるべきです」

「王族が必要ならカトレアさんが国を回せば良いじゃない。何ならアンリエッタにやらせれば良いわ!」

「アンリエッタはまだ10歳です。まだ幼いアンリエッタに重荷を背負わせる積りですか?」

「構わないわ! お願いだからエドワード様と一緒にいさせて!」

 この瞬間、マリアンヌは王妃として母としてのの責任も放棄した。

「お母様……!」

「何てことを……!」

 その言葉に一番ショックを受けたのは、当然ながらアンリエッタだ。
 マクシミリアンの様に『特別』でない、未だ10歳のアンリエッタを先頭に立たせるには力不足だった。

「出てって! 私達二人だけにして!!」

 カトレアとアンリエッタ、そして典医を含めた全員がエドゥアール王の寝室から追い出された。

「……」

「アンリエッタ」

 家臣やメイド達が見守る中、カトレアはアンリエッタに声を掛けたが、アンリエッタはショックの為か目の照準が定まっていない。

「義母様は、今は気が動転されておられるのです。本心ではありませんよ」

「……うん」

 カトレアは、アンリエッタは力無く俯いていた。

 どうしたものかと、アンリエッタへの慰めの言葉を考えていると、家臣の一人が駆け寄ってきた。

「王太子妃殿下」

「何?」

「至急、会議室まで御越し願えないでしょうか?」

「何があったのです?」

「実は会議が紛糾しておりまして、何方かに場をお納め頂かないと収拾がつきません」

 マクシミリアン不在の今までは、エドゥアール王が王城と新宮殿の家臣団を回していたが、エドゥアール王が崩御した途端、王城と新宮殿の家臣達の間で縄張り争いを始め、空中分解をしかけていた。
 
「こんな大事なときに……分かりました、直ちに向かいます」

 次々と降りかかる問題に、カトレアはため息の一つも付きたくなったがアンリエッタの手前弱気なところを見せるわけにはいかない。

「アンリエッタ、わたしはこれから行く所が出来ました。貴女も着いて来る?」

「お義姉様、私も付いて行きたい、ここには居なくない」

「……分かったわアンリエッタ。皆は王妃殿下が変な気を起こさないように見張ってて」

「畏まりました。王太子妃殿下」

 そう家臣達に告げると、カトレアはアンリエッタを連れて会議室に向かった。







                      ☆        ☆        ☆






 王宮の会議室では、今後の対策の為の会議が行われていたが、会議の方向は王宮と新宮殿との権力争いに流れていった。

「その案件は貴方方の管轄ではありません!」

「この緊急時に、なにを言うか!」

 会議室内を飛び交う怒号に、帰国の準備を延期して『最後のご奉公』と心に決め会議に参加したマザリーニは、突如起こった権力争いに戸惑ってた。

(陛下や王太子殿下が居なければ、トリステインの誇る頭脳のなんと酷い事か……)

 いくら個々の能力が高くても、これらの人材を取り仕切る司令塔が居なければ、その結束は脆いものだった。

 会議が始まってから二時間ほど経ったが、マクシミリアン帰国の段取りすら決まっていなかった。

 そんな、マザリーニに救いの手が差し伸べられる。

「アンリエッタ姫殿下、カトレア王太子妃殿下のおなぁ~りぉ~!」

 家臣の一人がアンリエッタとカトレアの入室を告げると、王宮と新宮殿の両陣営はケンカを止め一斉に起立した。

「王太子妃殿下、アンリエッタ姫殿下も、この様な大切な時にご足労をお掛けして申し訳ございません」

「我ら家臣一同、この難局を乗り切る為に知恵を出し合っているのですが、一部にこの状況を利用しようとする者が居ります」

「それは我々の事を言っているのか!?」

「新参者が、分別を弁えないからだ」

「何だと!」

 この発言が呼び水をなって、会議室は再び怒号が飛び交うかと思われた……だが。

「お黙りなさい」

『……!』

 会議室は、カトレアの静かなる一喝で再び静寂が戻った。

「こんな大事な時に内輪揉めなどと……恥を知りなさい」

 決して声を荒げる事のないカトレアの叱責に、両陣営の人々は、うな垂れ反論しようとはしなかった。

 カトレアから発する有無を言わせぬ雰囲気に、百戦錬磨の男達は完全にの飲み込まれてしまった。

 マザリーニは、トリステインの内部崩壊を予想していたが、その予想はカトレアの登場で回避されたと思った。

(烈風カリンの血は健在だな、これで安心して帰国できる)

 安心したマザリーニは、そっと会議室を出ようとした。

「マザリーニ殿」

「は!? 何の御用でございましょうか王太子妃殿下」

 突然、カトレアに呼ばれたマザリーニは、驚いて聞き返した。

「マクシミリアンさまがご帰国されるまでの間、僭越ながらわたしがトリステインを回さなければなりません。ですがわたしは政治にことは分かりません。ですからマザリーニ殿に補佐役をお願いしたいのですが、受けて貰えますでしょうか?」

「私よりも他に適任者が居ると思われますが……」

「わたしが王宮側と新宮殿側のどちらかの者を採用すれば、選ばれなかった者の陣営が不満に思うでしょう、幸いマザリーニ殿の立ち位置は中立です。ですから、貴方を登用したいのです」

「……なるほど」

 マザリーニは少し考え、すぐさま答えを出した。

「非才の身ではございますが、承知いたしました」

 マザリーニは起立し、カトレアへ深々と頭を下げた。
 この瞬間、マザリーニは帰国を諦め、エドゥアール王が愛し自分自身も愛するトリステインに骨を埋める事を決めた。

「承知はいたしましたが、お聞かせ願いたき事がございます。王妃殿下がは如何なされたのでございましょうか?」

「その事でしたらお答えします。本来ならば、マリアンヌ王妃殿下が政治を引き継ぐことになるのですが、残念ながら、王妃殿下はそれを拒否されました。アンリエッタ姫殿下は幼い為、緊急事態という事で、王太子妃であるわたしが、マクシミリアン王太子殿下が帰国されるまでの間まで政治を治めます。他の皆様も異論はありませんね?」

 そう言ってカトレアは両陣営を見渡した。

『王太子妃殿下に従います』

 と、両陣営の家臣達は表明し、一先ずは抗争は収まった。

「お義姉様かっこいい……」

 側に居たアンリエッタはキラキラした目でカトレアを見た。
 母の拒絶とこの光景が、アンリエッタの王族の本分を目覚めさせたのかもしれない。
 

 

第七十三話 王子の帰還



 エドゥアール王崩御の二週間後、ヌーベルトリステインの新トリスタニア港に、トリステイン空海軍の汽走コルベット艦ベルギカ号が寄港した。

 ベルギカ号艦長のド・ローテルは上陸するとすぐさま、総督のマクシミリアンに面談を求め、エドゥアール王崩御を伝えた。

「……な!? 父上が? ……なんで?」

 マクシミリアンは素っ頓狂な受け答えをした。
 歳も四十前のエドゥアール王が死んだと聞き、タチの悪い冗談かと思ったのだ。

「冗談ではございません。国王陛下は最早、この世の方ではございません。急ぎご帰国の準備を」

「ん……ああ、分かった。アニエス!」

「はっ!」

 マクシミリアンが呼ぶと守衛のアニエスが部屋に入ってきた。

「緊急会議を行う。急ぎ閣僚を招集してくれ。大至急だ」

「了解!」

 走り去ったアニエスを見送ると、マクシミリアンは執務室に戻り、再びド・ローテルの前に座った。

「国内の状況はどうなのだ? 母上が国内の切り盛りをしているのか?」

「その事ですが……王妃殿下の代わりに王太子妃殿下が切り盛りをしてございます」

「はぁ? カトレアが?」

「左様にございます」

「何故だ? 母上はどうしているんだ?」

「王妃殿下は、国王陛下の御遺体に昼夜付きっきりでございまして……その、政治には興味が無いそうでございます」

 ド・ローテルの答えに、マクシミリアンは大きく息を吐く。

「そうか、母上ならさもありなんと思っていたが……艦長、話は変わるが、父上が崩御された事は公表したのか?」

「いえ、殿下が帰国されるまで公表しないと、取り決めがされました」

「ガリア、ゲルマニアの国境付近の様子は?」

「諜報部のクーペ殿が、防諜体勢を取っているお陰か、国内、国境共に平穏を保っております」

「うん、結構。一先ずは安心だが、早いところ帰らないとな」

「御意」

 一時間後、アルゴルキン砦の会議室では、緊急の会議か招集されエドゥアール王崩御の報が伝えられた。

 ザワザワと家臣達からどよめきが起こるが、それでもトリステイン本国より反応が鈍い。
 ヌーベルトリステインの者達にとって、エドゥアール王は海の向こう側にいる存在で、建国以来苦楽を共にした敬愛する総督の父親程度の認識だった。

「そういう訳で、王位継承順第一位の僕は本国へ帰らなけらばならなくなった。この会議の主題は、僕が帰国した後の政府の人事についてだ」

「御意」

 会議はおよそ三時間ほどで終了し、家臣達には次の総督が派遣されるまでの役割が与えられた。

 その間、執事のセバスチャンが帰国の準備を整えておいた。
 コマンド隊にも帰国の辞令が届き、アニエスもマクシミリアンと同じベルギカ号に同行して帰国する事になっている。

 シャジャル、ティファニア母子は、ヌーベルトリステインに残ることになった。
 多種多様な種族が共存するヌーベルトリステインが特殊なだけであって、ハルケギニアでエルフが生活するのは危険と判断された。

 テキパキと帰還の支持を出しながらも、マクシミリアンの心は晴れなかった。

 父親が死んで悲しいはずなのに、感情が凍りついたように固まり、悲しみの感情が沸いて来なかったからだ。
 マクシミリアンはそんな自分に嫌悪感を抱いた。

(本当に、ガーゴイルに成っちまったのかオレは……?)

 だが、そんな迷いも帰還の準備の忙しさで何時しか忘れていき、忙しさの余り何も考えなくて良いこの状況が心地よかった。






                      ☆        ☆        ☆






 夜になっても新トリスタニアはマクシミリアン達の帰国の準備に追われていた。
 事が事の為、家臣達は徹夜を覚悟していた。そんな家臣を労う為、シャジャルの提案で炊き出しが行われ、準備に追われる家臣達に新トリスタニア名物のクラムチャウダーが振舞われた。

 いつもは静かな深夜の新トリスタニアの埠頭は珍しく活気付いていた。

 そんな埠頭から少し外れた寂れた倉庫街に、二つの影があった。

「悪かった艦長。忙しいなか、こんな場所まで呼び出して」

「いえ殿下、お気になさらずに」

 マクシミリアンとド・ローテルが共も連れずに倉庫街に現れた。

「え~っと、この倉庫だったな。艦長着いて来てくれ」

「御意」

 マクシミリアンの先導で、二人はとあるレンガ造りの倉庫に入っていった。

 中に入ると、巨大な鉄製の扉がもう一つ付いていて二体のガーゴイルが警備に立っていた。

『……ギギギ』

 二体のガーゴイルは防衛体制をとろうとしたが、二人のうちの一人がマクシミリアンだと認めると鉄の扉を開け始めた。
 二人は開かれた扉から中に入ると、内部は真っ暗で何も見えなかった。

「中は真っ暗でです」

「問題無い、魔法のランプがある」

 マクシミリアンは、パチンと指を鳴らすと魔法のランプが一斉に光を照らした。

「うっ!?」

 目も開けていられない程の強烈な光に、ド・ローテルは思わず声を上げた。

「この光は!?」

「……」

 強い光に目が慣れたド・ローテルが薄っすらを目を開くと、黄金色のインゴットが天井までギッシリ積まれてあった。

 それも一山だけではない。金のインゴットは倉庫一杯に山積みされていて、エキューに換算すれば天文学的な金額になりそうな程の量だった。

「これは……金!?」

「新世界で採れた、まだハルケギニアに出回ってない金だ。僕の切り札だよ」

「……はあ」

 ド・ローテルはため息をついて、黄金の山を眺めた。

「呆けるな艦長」

「はっ!? 申し訳ございません」

「特別任務だ。僕を本国まで送り返したら、再びヌーベルトリステインに戻って、何往復してもいいから、ここの金を残らずトリステインに輸送してくれ、詳細は追って伝える」

「了解いたしました。して、この金を全て売りさばくお積りでしょうか?」

「いや売らない。さっきも言ったが、この金は僕の切り札で爆弾だ」

「爆弾……でございますか?」

「そう爆弾だ。戦場で兵士達を殺す爆弾ではなく、経済を破壊する爆弾と言っていい」

「……経済を」

「これ程の量の金を一斉に売りさばけば、ハルケギニアの金相場は大暴落間違いない。そういう意味での切り札であり爆弾だ。チマチマ売って富を得ようとかそういう事には使わない」

 ド・ローテルはゴクリと生唾を飲み込んだ。
 これだけの大量の金が一斉にばら撒かれれば、どの様な経済的混乱がもたらされるか想像できなかった。

「畏まりました。黄金の輸送任務に携わります」

 ド・ローテルは身なりを正し敬礼した。

「分かっていると思うが、この任務は最高レベルの超が二三個付くほどの機密だから、輸送の際の部下の選別と機密の漏洩には気を使うように、素敵な年金生活が送りたければ……ね」

「肝に銘じます」

「それでは戻ろう。ガーゴイルには顔を覚えて貰ったから、次からは僕無しでもで入れるはずだ」

「御意」

 マクシミリアンら二人は、倉庫を出てアルゴルキン砦に戻った。
 後に、これら金のインゴットは、ヴァールダム港の秘密倉庫に収められる事になり、マクシミリアンは切り札を手に入れた。





                      ☆        ☆        ☆





 夜も明ける黎明時、荷物を積み終え帰還準備が整ったベルギカ号は、煙突から黒煙を上げて出港準備に取り掛かっていた。
 ベルギカ号に乗り込む為、タラップに昇ろうとすると、寝息を立てるティファニアを抱いたシャジャルがマクシミリアンの見送りにやって来た。

「流石にティファニアは寝てしまったか」

「殿下をお見送りしようと、頑張って起きていようとしていたのですが」

「その気持ちだけで嬉しいよ。シャジャルさん、ここに居ればティファニア共々、安全は保障します。どうか御健やかに……」

「ありがとうございます殿下」

 シャジャルは小さく頭を下げた。

「そろそろ時間ですので失礼します」

「あ、殿下」

 タラップを昇ろうとしたマクシミリアンをシャジャルが呼び止めた。

「何か?」

「その、『眼』の事について一つお聞かせしたい事が」

「……! 何でしょうか?」

「精霊達の話では、殿下の眼はありとあらゆる物を破壊するそうでございます……そう、精霊すらも」

「……うん、どうぞ、続けて」

「ですが、人が持つには余りにも強力な力の為、使い続ければ、やがて失明してしまうそうでございます」

「だが、治りは遅いもののヒーリングで治ったぞ?」

「それは、あくまで気休めでございます。根本的には治っておりません、それどころか、ものすごい早さで眼が劣化しているんです」

「劣化か」

 前の戦争の最中に、突然視力の喪失に襲われたことをマクシミリアンは思い出した。

「私の指輪の力で殿下の眼を治そうと思ったのですが、精霊達が殿下の眼を怖がって言う事を聞いてくれないのです」

「気持ちだけ受け取っておくよ、ありがとうシャジャルさん」

 時間が着たのか、ベルギカ号から汽笛の音が鳴り響いた。

「そろそろ時間の様だ」

「殿下……いえ陛下。このご恩は一生忘れません」

「まだ戴冠を済ませていませんよ。あ、最後にティファニアの頭を撫でさせて貰って良いですか?」

「どうぞ殿下、帰国されてもティファニアの事を覚えていて下さると、この子も喜びます」

 マクシミリアンは、シャジャルに抱かれたティファニアに近づくと、そっと金髪を撫でた。

「姪のティファニアも、僕にとっては妹みたいなものですからね、絶対忘れる事はありませんよ」

「……ううん」

 頭を撫でられたティファニアは、むずかってシャジャルの胸に顔を押し付けた。

「……ふふ」

 マクシミリアンは愛おしそうにティファニアの寝顔を見続けた。

 そんな時、水兵の一人がやって来て、間もなく出航である事を伝えにきた。

「殿下、もう間もなく出航でございます。お急ぎご乗船をお願いいたします」

「分かった……そういう訳でシャジャルさん。これでお別れです」

「ありがとうございました。こういう事を言うのは止めて置いた方が良いとは思うんですが、どうか『あの人』の事もよろしくお願いします」

 あの人とはモード大公だろう、マクシミリアンは『あの人』の事を詳しく聞き返そうとせず、

「出来るだけの事はしましょう」

 と応えるだけでタラップを昇り始めた。

 ……

 東の水平線の先が太陽の光で明るく照らされた頃、ベルギカ号はけたたましい汽笛の音を上げて出航した。

 汽笛の音でシャジャルの胸の中で寝ていたティファニアは、驚いたようにビクリと目を覚ました

「ひうっ!?」

「ティファニア起きたのね」

「あれ、ここは!?」

「ここは港よ」

「あ! マクシィ兄さんにお別れを言わないと!」

 ティファニアはシャジャルから降りて辺りを見渡した。

「残念、殿下はもう行かれたわ」

「そんな、さよならも言ってなかったのに! お母様どうして起こしてくれなかったの!?」

「ごめんねティファニア。でも、きっとまた合えるわ」

 ポロポロと涙を流すティファニアに、シャジャルはあやすようにに抱きしめた。

 暫くの間、シャジャルの胸の中で泣いたティファニアは一つ目標を見つける。

「わたし決めたわ。大きくなったらハルケギニアに戻るの、そしてマクシィ兄さんのお嫁様になる!」

「え!? ティファニア、殿下はもうご結婚されていますよ?」

 ティファニアの子供らしい夢に、シャジャルはマクシミリアンが既婚であることを告げる。

「ええっ!?」

 とたんに表情が暗くなるティファニアに、シャジャルは一言フォローを加えた。

「でも、ひょっとしたら、一番になれなくても二番目のお嫁様にしてくれるかも……」

「本当!?」

「ティファニアが素敵なレディになれば、殿下も考えて下さるわ」

「うん、わたし頑張る!」

(ティファニアはまだ小さいから、成長して多くの人と交流を持てば殿下への恋心も忘れる事でしょう)

 シャジャルにとっては、愛娘を悲しませない為の嘘だったが、ティファニアは本気で初恋を実らせるつもりだった。

 

 

第七十四話 戴冠式

 新トリスタニアを出航したベルギカ号は、偏西風をに乗ると全速力でアトランティウム洋を突っ切り、僅か五日でトリステイン近海まで辿り着いていた。

 マクシミリアンは、船室にてド・ローテルに会っていた。

「殿下、本艦はヴァールダムに寄らずトリスタニアまで直行いたします。海面を離れる際は多少揺れますので、ご注意下さい」

「分かった。艦長、あとどの位で陸地か分かるか?」

「あと一時間もかかりません」

「そうか」

「それでは、失礼いたします」

 ド・ローテルは退室すると、マクシミリアンはベッドに横になった。
 航海中は、帰国した際に読み上げるためのスピーチの起草ぐらいしかやる事も無い為、暇で暇でしょうがなかった。
 他にやる事といえば、コマンド隊を呼んでの酒盛りぐらいだった。

「……」

 ベッドに寝転がった状態のマクシミリアンは、天井をボーっと見続けると小刻みに震えだした。

「クソッ!」

 マクシミリアンは、この震えの正体を知っている、それは不安だ。
 誰か人と会っている時は『賢王子マクシミリアン』を演じている為、問題は無いが、一人になれば『演技』をしなくてもいい為、不安が襲ってくる。
 こういう時は部屋を出て艦内を散歩するか、守衛のアニエスを呼んで適当に雑談をするか、浴びるほど酒を飲んで寝てしまうかの三通りしかない。

 この不安が気に入らないのは、『父親が死んで悲しいから不安』なのではなく、『これから国王としてトリステインを一人で背負わなければならないから不安』だからという事なのだ。

「どんなクズ人間だよオレは」

 ボソリと呟くと、ベッドから飛び起き部屋を出た。

 部屋を出るとアニエスが守衛をしていた。

「外出ですか?」

「そんな所だ」

 守衛のアニエスに一言言って、マクシミリアンは部屋を離れた。

(少なくとも、人に囲まれていれば不愉快な不安に襲われる事は無い)

 そう内心呟き、逃げるように甲板まで歩いた。
 甲板から海を眺めていると、水平線の先に薄っすらと陸地が見えた。

「……帰ってきた」

 干拓事業によって広げられた海岸線を見て、マクシミリアンは呟いた。





                      ☆        ☆        ☆





 エドゥアール王が崩御して以来、カトレアは魔法学院に休学願いを出すと王宮に泊まりこみ、マザリーニのフォローを受けながら政務を行っていた。

「王太子妃殿下、これらの書類にサインをして頂ければ、今日の仕事は終わりでございます」

「ありがとうマザリーニさん」

 多少は慣れたのか、カトレアは羽ペンを器用に動かして書類にサインをした。

「それと王太子妃殿下、先ほど連絡がございまして、ベルギカ号が海岸線を通過したそうにございます。王太子殿下はおよそ三時間ほどでトリスタニアの到着する計算になります」

「ありがとう、それまでにはこの書類を終わらせておくわ」

「御意」

「……それと、お義母様のご様子は?」

「今日も、陛下に付きっ切りでございます」

「お食事は採っておられるのかしら」

「家臣一同、王妃殿下の健康状態には一段の気を使っております」

「……わたしもお義母様のお気持ちは良く分かるつもりです。マクシミリアンさまにもしもの事があれば、わたしも平気ではいられないでしょう」

「……」

「お義母様の事、皆によろしくお伝え下さい」

「御意」

 ……

 一仕事終えたカトレアは、王宮のバルコニーに出ると西の空を見上げた。

「お義姉様!」

 先に来ていたアンリエッタが、カトレアの胸に飛び込んだ。

「アンリエッタ、先に来ていたのね」

「もうすぐお兄様が帰ってこられるのね」

「マクシミリアンさまが帰ってこられれば、お義母様も気を持ち直すわ」

「そうですね、お兄様が帰られれば、お母様もきっと……」

 エドゥアール王の死で誰が一番変わったかと言えば、それはアンリエッタだろう。

 本来なら母のマリアンヌと共に父の遺体に縋り付いて泣く事しかできなかったが、優しいカトレアの励ましで少しばかりの成長を遂げていた。
 マクシミリアンが新世界に行ってからサボリ気味だった勉強も再開し、アンリエッタに王族としての気概が生まれつつあった。

 王宮の意たる所では、家臣達がマクシミリアンの到着を今や遅しと待ち構えていた。
 一方のトリスタニア市内は、エドゥアール王の死は伏せられている為、いつもの通りの賑やかさだった。

「見えられたぞ!」

『オオッ!』

 歓声が上がり、西の空に30を越す竜騎士に守られた一隻のフネが現れた。

「あのフネにお兄様が?」

「そうですねアンリエッタ」

 空中のベルギカ号はトリスタニア上空まで到達すると、スピード緩めてやがて止まり、そして一つの人影がベルギカ号甲板から飛び降りた!

「あ! 誰か飛び降りたぞ!」

 家臣の誰かが叫んだ。

「お義姉様、大変!」

「ウフフ……こういう所は変わりませんね」

 カトレアは可笑しそうに笑った。
 夫婦の絆で分かるのか、飛び降りた人物がマクシミリアンである事をカトレアは察知した。

 王宮へと真っ逆さまに落ちるマクシミリアンは、空中でクルリと一回転すると、杖を振るって『レビテーション』を唱え、カトレアとアンリエッタの居るバルコニーに降り立った

「ただいまカトレア。どうも恥ずかしい所を見られてしまったようだね」

「お帰りなさいませマクシミリアンさま」

 マクシミリアンは、イタズラを見られた少年の様に笑ってカトレアを抱きしめた。

 取り残された形のアンリエッタは、拗ねた様にマクシミリアンに近づいた。

「お兄様、私もいるのよ!」

「もちろんだアンリエッタ。大きくなったな」

「会いたかったわ、お兄様!」

 カトレアから離れてアンリエッタを抱きしめた。
 離れる際、カトレアが一瞬名残惜しそうにしていたのはご愛嬌。

「……感動の再会は一先ず置いておいて、父上の所へ案内してくれ」

「分かりました。マクシミリアンさまこちらです」

 マクシミリアンはカトレアに着いて行き、アンリエッタも二人の後に続いた。

 ……

 エドゥアール王の遺体と対面する為、遺体の安置された王の寝室に入ると黒い喪服に身を包んだマリアンヌが居た。

「母上……そして父上、ただいま戻りました」

「お帰りなさいマクシミリアン。さ、お父様にご挨拶をなさい」

 後ろに続くカトレア達は、マリアンヌの様子が落ち着いている事をみてホッと胸を撫で下ろした。

「父上、ただいま戻りました」

 マクシミリアンは、魔法で防腐処理されたエドゥアール王の遺体に挨拶をした。
 が、当然エドゥアール王の遺体は返事をしない。

 次にマクシミリアンは、王の遺体に近づき、顔を顔を拝見した。

「……この様な結果になり、大変残念です。」

「ねえ、マクシミリアン。エドワード様が倒れられた時は、まるで眠っている様だったのよ」

「母上……」

「早く即位してエドワード様を安心させてあげて?」

「分かりました。父上の跡を立派に継いで見せましょう」

 そう言って踵を返すと、部屋を出て行った。

「マクシミリアンさま、親子の対面なのに、たったそれだけなのですか?」

 部屋の前でカトレアはマクシミリアンに詰め寄った。

「違うよカトレア。僕達は十分話し合った」

「でも、最後のお別れなんですよ?」

「父上が亡くなられて三週間以上も経っている。いい加減、他の国も感付いても良さそうだからね。今日中にも即位して戴冠式や父上の葬儀は後日執り行うようにする」

「……分かりました。すぐにマザリーニさんを呼んで協議を行いましょう」

 カトレアがマクシミリアンの後を追う形で、話を進めているとアンリエッタが難しそうな顔で入ってきた。

「お兄様!」

「ん? どうしたアンリエッタ」

「私も協議に参加してもよろしいですか?」

「別に構わないが、僕が帰ったからにはアンリエッタに煩わしい事はさせないさ。母上の側に着いているか、何処かで遊んでいても良いぞ?」

「こんな時に遊んでなんかいられません! 子ども扱いしないで下さい!」

「アンリエッタはまだ十歳だろ? 十分子供さ」

「お兄様は、十歳の時は遊んでいたの?」

「ん? それは……」

 マクシミリアンが記憶をたどると、十歳の時はカトレアの病気を治す為に奔走していたり、少しばかり政治の手伝いをしていた事を思い出した。

「カトレアの事もあったし、あまり遊んでいなかったな」

「マクシミリアンさま……」

「カトレアが気に病むことじゃない」

「でも……」

「デモもストもない」

 そう言ってカトレアの唇を吸った。

「私を無視しないで!」

「無視してないよ。アンリエッタ、王族の使命と義務に目覚めたからって、いきなり全てを抱え込む必要な無いよ。今はじっくり知識と教養を貯め込んでおくんだ」

「で、でも!」

「僕の真似をしなくても良い。アンリエッタはアンリエッタさ」

「……分かりました。お言いつけ通り、お勉強をしてきます」

 そう言ってアンリエッタは、バタバタと廊下を駆け去っていった。

「マクシミリアンさま、少し言い過ぎでは?」

「言い過ぎではないさ、行こうか」

 マクシミリアンとカトレアは会議室へと向かった。

 自室へと走り去ったアンリエッタは、部屋に鍵を掛けベッドに顔を埋めて、自分の力の無さを悔しがった。

「悔しい、お兄様はあんなに上手く出来たのに、どうして私はこんなに無能なんだろう……」

 枕を涙で濡らしたアンリエッタ。

「いつの日かお兄様のお役に立てるようになろう」

 と決意を新たにした。





                      ☆        ☆        ☆







 マクシミリアンが帰国してすぐにエドゥアール王の死が公表され、同時に王太子マクシミリアンの国王への即位も発表された。

 帰国して三日後、マクシミリアンはエドゥアール父王の遺体を歴代国王の墓地に葬り、盛大な葬儀が執り行われた。

 葬儀を済ませると、次にマクシミリアンの戴冠式がトリスタニア大聖堂で執り行われる事になった。

 急な日取りの戴冠式であった為、国賓は招かず各国の大使のみが来賓として参列した。歴代の国王の戴冠式と比べれば地味な印象だった。

 トリスタニア大聖堂で行われた戴冠式には、ラ・ヴァリエール公爵夫妻を始め全ての封建貴族や宮廷貴族が参列していた。

 戴冠式の前、マクシミリアンは一人の少年と出会う。
 少年の名はヴィットーリオ・セレヴァレといってロマリア連合皇国において、若くして枢機卿まで登り詰めた少年だった。

「陛下、お忙しい時間を割いていただき、真にありがとうございます」

「前途有望な少年と知己になる事は悪い事ではないからね」

「教皇聖下が、この戴冠式に是非出席したいと仰っておりましたが、調整がつかず代わって私が参加する事になったのです」

「それは残念でございます。早急に即位し、亡き先王を安心させたい為に、この様な急な日取りに決まったのです。教皇聖下にはヴィットーリオ殿からお詫びの言葉を伝えていただけるとありがたいです」

「教皇聖下にはその様にお伝えいたしましょう」

 ロマリア教皇が戴冠式の不参加を聞き、マクシミリアンは教皇に無理難題を吹っかけられなくて良かったと胸を撫で下ろした。
 二三会話をしマクシミリアンはヴィットーリオを好ましく思ったものの、側に居たカトレアは、持ち前の感で彼の心の中に狂気にも似た信仰心が存在する事に気が付いた。

「中々、良い人材だったな、彼の活躍で(ほこり)を被ったロマリアも少しはマシになれば良いけど」

「マクシミリアンさまは、ヴィットーリオ殿の教皇即位への支援をなさるおつもりですか?」

「まさか、藪を突いて蛇を出すような真似はしないよ」

「それを聞いて安心しましたわ。彼の事、少し怖く感じました……」」

「ん? 人の悪口なんてカトレアらしくないな。カトレア自慢の直感に何か引っかかったのか?」

「なんと言いましょうか、彼の事が怖く感じましたので」

「……ふ~ん。カトレアがそこまで言うんだったら、そういう男なのかもね」

 ヴィットーリオの件はこれで終わりとなった。
 後にヴィットーリオはロマリア教皇と成り、マクシミリアンと暗闘を繰り広出る事になるが、それはもうちょっと先の話。

 戴冠式が始まり、トリスタニア大聖堂の周りには、その光景を一目見ようとトリスタニア中から人々が集まり、軍隊が出動して整理を行う騒ぎにまで発展していた。

 大聖堂の中では戴冠式は滞りなく行われ、大主教がマクシミリアンに伝国の王冠を被せると、場内から一斉に拍手が巻き起こった。

『マクシミリアン国王陛下万歳!』

『トリステイン王国万歳!』

 王冠を頂いたマクシミリアンは、始祖の祈祷書を持ち、前々に用意しておいたスピーチ文を読み始めた。
 マクシミリアンの演説を貴族達は一字一句聞き逃さないように聞いている。

 スピーチをしながら大聖堂内を見渡すと、カトレアが居て側にアンリエッタとマリアンヌが居る。ラ・ヴァリエール公爵夫妻にエレオノールとその妹のルイズ、元帥に昇格が内定しているグラモン伯爵、治水に失敗して王家に借金を申し込んできたモンモランシ伯爵、その他大勢の貴族達、その中にミランが居て、アニエスがヌーベルトリステインで注文したドレスを着てこちらを見ている。

 そして、マクシミリアンは、日々生活を続ける全てのトリステイン国民を思い描いた。

(彼らを守らなければならない、幸せを暮らしを守らなければならない……)

 自分の器から溢れ出そうなまでの数だ。

(だが、オレがやらねば誰がやる……だな)

 フ、と一瞬笑い最後の文を読み上げた。

「……以上を持って、始祖ブリミルのご意思にしたがい、マクシミリアンはトリステイン王国を治めることを宣言する!」

『オオオォォーーーーー!』

 貴族達から、うねりにも似た歓声が上がった
 後に中興の祖と称えられるマクシミリアン1世が誕生した瞬間だった。

 

 

第七十五話 新体制

 戴冠式からおよそ一ヶ月、父である先王エドゥアール1世の葬儀を終え、息つく暇も無く新国王マクシミリアン1世は新体制を発表した。

 マクシミリアンの帰国前に王妃カトレアが代わりに政治を回した際に、素人のカトレアに助言をした功績から、マザリーニを宰相に任じ自らの片腕とした。

 各大臣職には、マザリーニとの協議で適材適所の配置を心がけた。

 貴族達は、国王の養父であるラ・ヴァリエール公爵を宰相に任じると思っていたが、僧侶であり外国人もあるマザリーニを首相任じた事に不満を持つものも居た。

 だが、マクシミリアンは……

「マザリーニのトリステインへの愛国心は本物だ。この決定に不満を持つものが居れば、僕自ら解説するから申し出てくれ」

 と言った為、声を上げる者は居なくなった。

 財務卿には、デムリという男を任じた。
 能力こそ他の官僚より劣るものの、その官僚集団をコントロールするほどの人格を持ち合わせていると判断されての登用だった。

 外務卿、いわゆる外務大臣の人事については、マクシミリアンは一人の男を登用した。

 ベリゴールと名乗るその男は先の内乱では反乱軍側に組したが、その持ち前の外交能力で王侯軍側の貴族に取り入りながら、見事マクシミリアンの粛清から逃れた程の男だった。
 初対面の際、マクシミリアンはベリゴールに諜報部長のクーペと同じ、得体の知れない雰囲気を感じたが、人材センサーがベリゴールの非凡さを探知(?)した為、登用した。優秀な人材をわざわざ見逃す手は無かった。

 他にはミランを官房長官的な役職のまま留任させ幾らかの加増を行った。
 加増と言ってもミランいわゆる宮廷貴族で土地を持つ封建貴族と違い土地を持っていない。単純に給料を上げただけで、土地を与えたわけではなかった。

 マクシミリアンは中央集権化の為に、封建貴族から土地を奪って、『貴族』と呼ばれる者達を全て宮廷貴族にするつもりだった。
 そういう意味で不良貴族の一掃の他にも、封建貴族から土地を『合法的』に奪えた先の内乱は怪我の功名ともいえた。

 逆に頭を悩ませたのは軍事面だ。

 マクシミリアン子飼いの将軍達は能力は素晴らしいが、戦闘の専門家ばかりで軍政を任せるには頭一つ飛び抜けた者が居なかった事から、陸軍大臣と総参謀長を任せる人材選びに苦労した。

 マザリーニは軍事面には疎かった為、助言は期待できなかった。

「空軍卿はトランプ提督に任せれば良いとして、問題の陸軍卿と総参謀長を誰にしよう……」

 マクシミリアンが悩んでいるとカトレアが相談に乗ってくれた。

「わたしは軍事の事は分かりませんが、ラザールさんならどの役職でも十分こなせると思いますよ?」

「ラザールは、来年開校する士官学校の校長を任せたいんだ。それに自身の研究の事もある。問題なくこなせるだろうが過労死されたら元も子もない」

 優秀な人材を失う事は、宝石を失う事よりも重大な事だとマクシミリアンは恐れた。

「ええっと、それでしたらダグーさんは?」

「ダグーも良いけど、彼にはトリスタニア駐留の近衛軍の司令官を任せたいし、もう少し経験も積ませたい」

「それなら……」

 カトレアも一緒になって悩んでいると

「僕としては、義父殿……ラ・ヴァリエール公爵を押したい所なんだけど……」

「それは、止めておいた方が良いと思います」

「うん、分かっている」

 王妃の父であり同時に強力な外戚でもあるラ・ヴァリエール公爵が中央政治に出張るような事があれば、後々災いをもたらす事になるとカトレアは危惧していた。
 トリステインの永い歴史を紐解けば、外戚が王を差し置いて政治を動かす事などいくらでも前例はあったが、カトレアは既に王家の人間だ。だからこそ、その様な自体は絶対に許すべきではないと思っていた。そういう意味でカトレアは自分の立ち位置を理解していた。

「最近、元帥に昇格したグラモン伯爵は……」

「大量の薔薇の造花などの用途不明金が計上されそうですから、止めて置いた方が良いと思います」

 中々カトレアも辛辣だった。

「仕方が無い。後任が育つまで僕が兼任しよう」

「現状では仕方ないと思います。ですが余りご無理をなさらないで下さい」

「分かっているよ。心配してくれてありがとう」

 マクシミリアンはカトレアを抱き寄せピンクブロンドの髪を撫でた。

 結局、残った総参謀長の椅子は、ラザールが兼任する事になった。

『働き過ぎないように、週一で顔を出すようにしよう……』

 優秀な人材には、とことん甘いマクシミリアンだった。







                      ☆        ☆        ☆






 国王となったマクシミリアンは、カトレアとの住居を新たに新宮殿から王宮へ変更した。

「せっかく新宮殿に慣れてきたのに残念ですね」

 カトレアが残念そうに言った。
 カトレアは魔法学院に入寮しマクシミリアンが新世界捜索の為、新宮殿を空けていた事から二人が新宮殿で暮らした時間は一年と満たなかった。

「仕方が無いさ、国王が王宮に住んでなきゃ締まらない」

「あの四階のバルコニーで、マクシミリアンさまと飲む紅茶がとても楽しみでしたわ」

「王宮でも気に入る場所が見つかるさ」

「……そうですね」

 少し寂しげなカトレアの笑顔に、マクシミリアンへ行くことを進めた。

「今日は母上の所へ行こうか」

「でも仕事の方はよろしいのですか?」

「仕事と言ったって、マザリーニ達が持ってきた書類に目を通して判を押すだけだからな。その書類が上がってくるのは大抵は午後だ。午前中はわりと暇だよ。ていうかカトレアも仕事手伝ってくれてるだろ?」

「そうでしたね。それでは行きましょうか」

 そういう訳で、午前は気分転換もかねてカトレアとマリアンヌの部屋へ向かった。

「母上、ご機嫌は如何でしょう?」

「マクシミリアンにカトレアさん、忙しい中来てくれてありがとう」

 喪服姿のマリアンヌは弱々しい笑顔で二人を労った。
 先王エドゥアールが死んで以来、マリアンヌはまるで世捨て人の様に朝起きると大聖堂に足を運んではエドゥアールの冥福を祈り、日が暮れると王宮に戻る。そんな生活を送っていた。

「紅茶とショコラの二つがあるけど、二人はどっちは良い?」

「僕は紅茶で」

「なら、わたしはショコラを」

「私はショコラにするわ、紅茶とショコラを淹れて上げて頂戴」

「畏まりました」

 マリアンヌ御付のメイドが、三人分のカップに紅茶とショコラを注ぎ三人の前に置くと頭を下げ部屋から出て行った。

「お義母様、お変わりはありませんか?」

「心配しないで、私は元気よ」

「それは何よりです。アンリエッタも心配していたしたから、後で仲直りして下さいね」

「分かっているわ、マクシミリアン。あの時はアンリエッタに酷い事を言ってしまったものね」

 エドゥアール先王の死からある程度回復したマリアンヌは、錯乱していた時に行ったアンリエッタへの仕打ちを後悔していた。

「次はアンリエッタを連れて来ましょう」

「今、アンリエッタは何をしているのかしら?」

「自室で勉強をしていますよ。母上の前で言う事ではありませんが、先の事がアンリエッタの成長を促したのでしょう」

「……駄目な母親ね私は」

 傷口に塩を塗りこむマクシミリアンの言葉に、再びマリアンヌは小さくなった。

「あんまりですマクシミリアンさま! お義母様、スコーンもいかがかしら?」

「ありがとうカトレアさん。こんな私に優しい言葉を掛けてくれるのは貴女だけよ」

 よよよ、と芝居がかって泣くマリアンヌ。

「お義母様が泣かれてしまったわ」

「嘘泣きだろう。カトレアだって分かっているんだろ?」

「お義母様は反省されいますよ。わたしには分かるんです」

「カトレア自慢の直感か。まあ、反省しているなら僕も強い事は言いませんよ」

「ありがとうカトレアさん」

 こんなやり取りをして、三人は日が暮れるまで語り合った。

 ……

 予定通り、午後は王宮の執務室で仕事だ。
 王宮の執務室は、国王の仕事場という事もあって、中々に広い部屋で、大きなガラス窓から日の光が照らされていた。

「……」

 マクシミリアンは執務室の中を見渡す。
 この執務室は、父エドゥアールが倒れた場所で、死後、内装もそのままで放置されていたが、マクシミリアンがそのまま自分の執務室として利用する事を決めた。

 ガラス窓を背にする形で、ドカリと大きな椅子に座り、目の前の机を手でさすった。

 掃除が行き届いていて、塵一つ見当たらなかった。

「これが父上が最後に見た光景か……」

 マクシミリアンは父が何を思って逝ったのか、今となっては誰も知るものは居ない。
 遺言の類は一切残さず、文字通り急死したからだ。

「……よし!」

 パァン!

 マクシミリアンは気合を入れる為に両手で自分の両頬を叩いた。
 滅入った気力を奮い立たせ、机に向かい直すとノックとともに家臣達が書類の山を運んできた。

「失礼いたします、陛下」

「今日のノルマはそれだけか?」

「左様にございます」

「結構。机の上に置いたら下がってよろしい」

「失礼いたしました」

 家臣達と入れ違いにカトレアが執務室に入ってきた。

「失礼いたします。マクシミリアンさま」

「カトレア、今日はそれほど多くないから休んでもいいんだぞ?」

「いいえ、早く仕事を終わらせれば、二人だけの時間が作れるじゃありませんか」

「そうだな、では早いところ済ませるか」

「はい、マクシミリアンさま」

 そう言ってカトレアは、机に山積みされた書類に目を通し始めた。
 王妃であるカトレアも時間があるときはマクシミリアンの仕事の手伝いをしている。

 大き机には広げられた多種多様な書類に目を通し承認の判を押す。
 そのサイクルを繰り返す事、一日数百……場合によっては千を越す日もある。

 即位から一ヶ月、単純労働ながら腱鞘炎になりそうな重労働で、実際腱鞘炎になってしまったがそこは『ヒーリング』で回復させた。
 そんな重労働もカトレアが分担してくれているので、仕事を次の日に残す事は無く、滞りなく済ます事ができた。
 他の家臣達は王妃カトレアがマクシミリアンの仕事を手伝っている事を知っていた。
 即位したばかりのマクシミリアンは、王太子時代の名声もあって、権力をマクシミリアンに集中させる成功したが、カトレアは自分が公務を手伝う事で権力がマクシミリアンとカトレアとに二分される事を恐れ、何かにつけマクシミリアンを立てた。

 その事が功を奏したのか、カトレアに取り入って中央政界に食いつこうとする野心家は居なかった。







                      ☆        ☆        ☆






 マクシミリアンの風呂好きは有名だが、それほど蓄えの無いヌーベルトリステイン時代は風呂好きは鳴りを潜め、ハルケギニアの世間一般的な王族として……の前提は着くが新国家の蓄財を心がけた。

 もっとも、本国への通達も無しに戦争を起こしたりと、マクシミリアン自身の行動には突っ込み所は多かった。

 そんなマクシミリアンもトリステインに帰ってきて、風呂好きの虫が再び湧いたのか、カトレアを伴って一日に数回程、王宮の風呂に入るようになった。

 そんなマクシミリアンを真似て、成金達は自宅に豪華な風呂場を作るのが最近の風潮になった。
 新宮殿で作らせた豪華な風呂場は高い料金設定で一般に公開され、自宅に豪華な風呂場が作れないが見栄は張りたい貴族と成金で溢れかり税収の足しになった。
 当然、風呂の客に混じってスパイが跋扈したり、反政府的なサロン化しないように諜報にも気を使っている。

 今現在、主の居ない新宮殿は改築中で、風呂場の区画と切り離して、本宮殿を軍事の中心となる国防総省(ペンタゴン)の様な役割を与えた。

 内政の中心である王宮と軍事の中心である新宮殿との間には地下通路が通っていて、地上から気付かれずに行き来が出来た。

 歴史を紐解けば、内政を司る者と軍事を司る者は仲が悪いのはよくある事で、マクシミリアンはその辺に気を使い、

「政治の柱は軍事と内政だ。その二つが噛み合って初めて国はうまく立てるんだ」

 と訓示を出した。

 その甲斐あってか、表面上は内政と軍事の関係者にトラブルが起こる事はなかった。

 ……

 国王は夜になっても忙しい。

 僅か一ヶ月の間に、何度も公務の名目でパーティーの来賓として呼ばれ、王宮へ帰るのは深夜になる事も多かった。

 今夜も来賓としてパーティーに顔を出し、一時間程談笑をして王宮へ戻ってきたのだが、カトレアの様子がおかしい。

「コホッ、コホッ」

 しきりに咳をして苦しそうにしていた。

 原因はパーティー会場内に充満したタバコの煙で、新世界からもたらされた嗜好品の中では、ショコラは女性に好まれタバコは男性に好まれた。タバコに関しての知識も喫煙マナーも未発達な為、この様な事態になった。

「カトレア、(のど)の調子はまだ悪いようだな」

「コホッ、ご心配をお掛けして申し訳ございません」

 カトレアのために秘薬を持ってきたマクシミリアン。

「これを飲めばたちどころに治るぞ」

「ええ、ですが……」

 秘薬を手渡そうとすると、何故かカトレアはむず痒そうにして嫌がった。

(……あ、これは)

 マクシミリアンはピンときた。
 これはカトレアの、『かまってほしい』のサインだ。

「それでは仕方が無いな。僕が直接飲ませてやろう」

「あ、マクシミリアンさま」

 マクシミリアンはカトレアを抱き寄せると、秘薬を自分の口の中に含んだ。

「……ん」

 カトレアの唇を奪い、口移しで秘薬を飲ませた。

 コクコクとカトレアの喉が鳴り、口の中の秘薬を全て飲ませた。

「ふう、どうだカトレア、喉は良くなったか?」

「マクシミリアンさま、わたし……」

「皆まで言うな、夜も遅いしベッドまで行こうか」

「はい、マクシミリアンさま」

 二人の夜の営みはすこぶる順調だった。


 

 

第七十六話 トリスタニア増築計画


 マクシミリアンが即位してから、間もなく一年が経とうとしている。

 18歳になったマクシミリアンは、先王エドゥアールからの仕事の引継ぎは既に済ませ、新たなマクシミリアン主導の政策を推し進めようとしていた。

 王妃カトレアは公務で魔法学院を休学していたが、ギリギリの出席日数で何とか魔法学院を卒業する事ができた。
 カトレアの友人達も共に卒業し、それぞれの人生を歩む事になった。

 親友のミシェルはカトレア付きの女官になり、メイドコンビと共に身の回りの世話をしたり、新宮殿の練兵所に顔を出して軍事教練の訓練を受けていた。
 王妃付きの女官は『なんでも』こなせるプロフェッショナルである事が求められるからだ。

 ある日、王妃カトレアがメイドコンビをお供に王宮の廊下を歩いていると、廊下の向こうからミシェルが歩いて来た。
 ミシェルはレイピア状の杖を腰にいかにも『女騎士』といった格好だった。

「こんにちわミシェル」

「これはカトレア様」

「王宮の仕事には慣れたかしら?」

「はい、たとえ悪漢がカトレア様に襲い掛かっても、軽く蹴散らす自信があります」

「うふふ、頼もしいわね」

 窓の外にはカトレアの使い魔のフレールが『オレを忘れるな』と言わんばかりに紫電を走らせた。

「フレールも期待しているわ」

『クェッ!』

 カトレアの使い魔のフレールは、カトレアが王妃として暮らす様になってから王宮の最も高い場所に留まり、カトレアが外出する以外は王宮付近を気ままに飛び回っていた。

 市民達の間では、ハルケギニアでは見られない珍しい鳥を一目見ようと、観光客が現れたりその観光客を相手する商売人が現れたりして、市民の一部から聖鳥に近い眼差しを受けていた。

 そんなフレールだったが、主のカトレアには一つだけ気がかりな事があった。

 それは、フレールが夫マクシミリアンに懐かないのだ。
 出会って最初の頃は、マクシミリアンを見かける度にフレールが紫電を走らせながら威嚇をしてカトレアが止める場面が多かった。

 いまではカトレアの躾が行き届いたのか、威嚇する事はなくなったものの、マクシミリアンの隙を窺う程度にまで収まっていた。

 フレールはただの大きな鳥ではない。サンダーバードという雷の精霊の化身だった。
 精霊はよほどの事がない限り死ぬ事は無いが例外はある。
 新世界の戦争の時に、マクシミリアンの破壊光線で大樹の精霊エントは消滅、死亡した。
 サンダーバードは頭に狙撃を受けて致命傷を負ったものの、再生し『やり直す事』で死から免れフレールとして生まれ変わった。

 フレールのマクシミリアンに対する敵意は、前世の記憶を持っているためであろう。

 場面はカトレアとミシェルに戻る。

「カトレア様、今日のご予定は?」

「ええっと、フランカ、今日の予定は何だったかしら」

「本日は、国王陛下と共に新設された士官学校の入校式の来賓として出席される予定でございます」

「そうだったわね、、ありがとうフランカ」

 カトレアはにこりと微笑んだ。同性ですら頬を赤くする微笑だった。

「士官学校といえば、グラモンの奴が入学すると聞きました」

「そういえばそんな事言ってたわね。今日の入校式に会えるかもしれないわ」

 グラモン家の三男ジョルジュは、士官学校の一期生として入学が決まっていた。

「カトレア様に無礼を働かないように私も着いて行きます」

「あまり、ミスタ・グラモンを邪険にしては駄目よミシェル」

 学院を卒業して一ヶ月と経っていないが、カトレアは友人との再会を嬉しそうにしていた。





                      ☆        ☆        ☆ 






 トリステイン王国の北部開発がいよいよ終わりに近づいている事から、マクシミリアンの音頭で新たな開発計画が計画されていた。

『トリスタニア再開発計画』

 と呼ばれたこの計画は、経済発展を続けるトリステインに対し、王都トリスタニアの規模が小さい事から、その名の通りに大規模な再開発を行う計画だった。

 予算を確保し必要な人員も揃えて、いざGOサインを出そうかと思われたとき、思わぬ所から赤信号が出た。

 その問題とは、トリスタニア地下に張り巡らされた膨大な数の排水路や地下通路で、ある程度は把握していると思っていたが、調べるたびに新たな地下通路が発見され、これら地下世界をどうにかしない限り再開発は不可能と判断された。

「そういう訳で、地下探索隊を結成することになった」

 場所はコマンド隊の訓練倉庫内。
 コマンド隊隊長のド・ラ・レイが居並ぶコマンド隊の精鋭の前で、トリスタニア地下世界の詳細を話し始めた。
 その精鋭の中に17歳になったアニエスの姿もあった。

 アニエスの身体は、引き締まった身体ながらも、今にも花を咲かせようとする若い花の様に、女性らしいふくらみを持つほどに成長していた。

「……詳細は以上だ。作戦開始は一週間後、それまで狭い地下空間を想定した訓練を行う。各分隊ごとに別れ直ちに訓練に移れ。では解散」

『了解!』

 精鋭達はド・ラ・レイに敬礼すると、訓練場所へ走り出した。

『行くぞ、コマンドー!』

「コマンドー!」

「コマンドー!」

 アニエスも声を張り上げながら訓練場所へ駆けた。

「アニエス、また同じ分隊だな」

「よろしく」

「ヒューゴさん、ジャックさん」

「分隊長はデヴィットさんだ。新世界の時と同じメンバーだな」

「アニエス、お前はヒューゴと違って見所がある」

「ジャックさぁん、なんスかそれ!?」

「ジャックさん。今度の休みの日、私の射撃を見て下さい」

「良いだろう。指導してやる」

「ありがとうございます」

「無視は酷いと思うな」

 アニエスの分隊は来るべき作戦開始の日に向けて猛訓練に入った。

 マクシミリアンが即位してから一年。アニエスは射撃の名手のジャックに銃の鍛錬を、場違いな工芸品の整備に秀でたヒューゴには整備の整備の鍛錬をそれぞれ仕込まれ、コマンド隊内で、メキメキと頭角を現し始めていた。
 アニエスの胸元にはピンク色の貝殻がネックレスの様に首から下げられ、懐にはマクシミリアンから貰った『FN ブローニングハイパワー』が収められていて、片時も手放す事はなかった。




                      ☆        ☆        ☆




 一週間後、トリスタニア地下世界探索作戦が発動された。
 新宮殿内の設けられた司令室には、国王マクシミリアンの姿があった。

「作戦開始前に、諸君には通信用のウォーター・ビットを持って行ってもらう」

「報告書を読んで知りましたが、これが魔法の革命と言われる『ウォーター・ビット』ですか」

 ド・ラ・レイは『ウォーター・ビット』が入った水筒を覗き込み言った。

「魔力の消費を節約する為に、各分隊ごとに僕のウォーター・ビットを水筒に入れて持ち運びするように」

「かしこまりました陛下」

「うん、頼んだぞ」

 ド・ラ・レイが敬礼をすると、部下数人に56個のウォーター・ビット入りの水筒を持たせて司令室を退室した。

 18歳になったマクシミリアンはウォーター・ビットを64基同時に展開できるようになり、司令室に8基を置き、後の全てをコマンド隊に提供した。

 新世界で実験的に運用されたウォーター・ビットによるGPSのような魔法と通信法は、今回の探索で地下世界のマッピングと個々の通信に活躍が期待されていた。

 ド・ラ・レイが去った司令室には、参謀陣が協議をしていてその中でジェミニ兄弟が二人でなにやら話し合っていた。他には工兵将校のグリアルモントが部下達と共にウォーター・ビット入りの水筒を覗き込んでいる。
 グリアルモントは地下捜索計画の最終段階である、地下の地盤固めの為にコマンド隊が突入した後、工作隊を伴って地下に入る予定だった。

「国王陛下」

「こちらをご覧下さい」

 ジェミニ兄弟は五メイル以上もある巨大な紙を司令室中央の大きな机の上に広げた。

「地下世界の地図だな」

『その通りにございます』

 ジェミニ兄弟は見事にハモって応えた。

「この地図は先週までの情報を、急ぎ描かせた物にございます」

 次にグリアルモントが地図の詳細を解説した。

「この地図に描かれている箇所は、全て掃除が終わっております。万が一にもモンスターが現れる心配はございません」

「だが、描かれていない場所。これから探索する箇所はなにが現れるか分からない訳だな」

「御意」

「なるほど……さて、作戦開始を前に聞いて欲しい」

 マクシミリアンの周りには参謀達が集まっていた。

「皆は地下の探索にコマンド隊を投入するのは、大袈裟だと役不足だと思っているだろう」

 マクシミリアンはこの作戦の意義を説明しだした。

「だが、数千年前に作られたとされる地下世界に、どの様な物があるか誰にも分からない。大事を取ってのコマンド隊投入だ」

 参謀達や工兵達は黙って聞いている。

「工作隊は突入しても、コマンド隊の露払いにも油断せず任務に当たってれ。以上、長々と話さない、解散」

 参謀、工兵は同時に敬礼した。

 間もなくコマンド隊、工兵隊を投入した地下探索作戦が始まる。





                      ☆        ☆        ☆





 その頃、王宮内の図書室では王妹アンリエッタがカトレアの指導の下、勉学に励んでいた。

「アンリエッタ。何か分からない所は無い?」

「大丈夫です、お義姉様」

「それじゃ、ルイズは?」

「あの、ちぃね、あう……王妃様。ここが分かりません」

 そしてもう一人、妹のルイズもラ・ヴァリエール公爵領から泊まりで王宮に遊びに来ていた。

「前の様に、ちいねえさまで良いのよ?」

「で、でも、お父様やお母様に叱られちゃう」

「他のみんなか見てない所なら良いいでしょ? さ、呼んで」

 ルイズはモジモジしながらカトレアを見て口を開いた。

「そ、それじゃ、ちいねえさま、ここが分かりません」

「そうねルイズ。ここはね……」

 ルイズにパッと笑顔が戻り、かつての仲の良い姉妹に戻った。
 楽しそうに語らうルイズとカトレアを、アンリエッタは真面目に勉強しながらもチラチラと盗み見る。

「あら、ルイズ・フランソワーズ。まるで親に甘える小鹿見たいね」

「なな、何ですってぇ~!?」

 成長したとはいえ、根っこは変わらないアンリエッタ。
 ルイズへの暴言で、たちまち二人はケンカを始めた。

「このっ! このっ!」

「バカッ! アンタなんて嫌いよ!」

 お互い、爪で引っ掻き合うルイズとアンリエッタに、カトレアは『あらあら』と言って杖を振るった。

「えっ?」

「ちいねえさま!?」

 『レビテーション』で宙に浮いた二人は、手足をジタバタしながらもがいた。

「仲良くしない子は嫌いよ」

 カトレアはもう一度杖を振るい、宙に浮く二人を引き寄せるとそのまま抱きしめた。

「お義姉様!?」

「ちいねえさま離して」

「駄目よ、二人ともちゃんと仲直りして」

「ううっ」

「でも、ちいねえさま。悪いのは……」

「仲直りして、ね?」

 カトレアは『めっ』と叱るように優しく促した。

「……分かりましたお義姉様。ルイズごめんね」

「うん、アンも、あんな酷い事言わないでね」

 仲直りした二人を見てカトレアは、にっこり微笑んだ。

 ……

 暫く勉強を続けた三人だったが、残念なことにカトレアに所用ができた為、勉強会は中止になった。

「わたしは用事が出来たから二人は何処かで遊んでいてね」

「分かりました。お義姉様」

「ちいねえさま、いってらっしゃい」

 カトレアが去ると、手持ち無沙汰になったアンリエッタが、

「退屈ね、ねえルイズ、王宮内を探検しましょうか」

「探検て言っても、アンは王宮に住んでいるんでしょ?」

「住んでいても、私が知らない所なんていっぱいあるわ」

「そうね、ちいねえさまは帰ってこないし……」

「決まりね!」

 アンリエッタはルイズの手を引っ張って部屋を飛び出すと、王宮内のとある場所へ走っていった。

 広い王宮を進むアンリエッタとルイズ。
 やがて二人は、王宮内の古い倉庫部屋にたどり着いた。

「ルイズ、こっちよこっち」

「ここは?」

「古い家具を置いておく倉庫みたいな部屋よ」

「古い家具ばかりで。楽しい場所じゃないわ」

「実はこの部屋。地下に繋がっている隠し扉があるの」

「地下? 地下に行ってなにするの?」

「前にお兄様の話を盗み聞きしてたら、今日は地下で何かやるらしいわ。私たちもその様子を見に行きましょう」

「え? でも危ないんじゃ……」

「なにルイズ、怖いの?」

 アンリエッタの挑発に、負けん気の強いルイズは顔を真っ赤にして反論した。

「こ、怖くないもん!」

「なら大丈夫でしょ。さあ、行くわよ!」

 アンリエッタは、部屋の奥にある古い暖炉の所まで行くと暖炉の中を調べ始めた。

「何やっているの?」

「確かここに……あった」

 暖炉内にあったドラゴンを模した装置を動かすと『ガコン』という音と共に、大人一人潜れるほどの穴が出来た。

 この穴は元々、王族などの貴人が不慮の際に王宮から逃げ出す為の秘密の抜け穴で、この古い倉庫部屋の他にも王宮には多くの脱出用の装置が隠されていた。
 穴は滑り台の様になっていて、滑り落ちる事で脱出する方法を取っていた。

『オオオオオ』

「ひっ」

 真っ暗な穴の先から、風の音がうめき声の様な音に聞こえ、アンリエッタは驚いて声を上げた。

「行かないの?」

 ルイズは、穴の先を覗き込むようにしているアンリエッタに肩に手を当てると、

「ひゃう!?」

 驚いたアンリエッタは素っ頓狂な声を上げバランスを崩した。
 そして何かに掴まろうと、思わずルイズの腕をつかんでしまった。

「あっ!」

「きゃああああああ~~~!!」

「ちいねえさま~~~~~!!」

 二人は絡み合いながら深い闇の中へと滑り落ちていった。
 二人が闇の中へと消えていくと、脱出用の装置に含まれる追っ手の追跡を防ぐ為の魔法装置が作動し、暖炉の装置は何事も無かったように、いつもの普通の暖炉に戻った。
 

 

第七十七話 王都の地下世界

 トリスタニア地下探索作戦が発動し、コマンド隊は未知の地下迷宮へと突入した。

 地下は石造りの通路が迷路の様になっていて、ウォーター・ビットのマッピング能力が無ければ瞬く間に迷ってしまう規模だった。

 コマンド隊全員に魔法のランプとウォーター・ビット入りの水筒が配られ、万が一部隊とはぐれても探索を続行できた。

 アニエス達の分隊も突入し、魔法のランプで通路を照らしながら進んだ。現在マッピングの真っ最中で、通信係を請け負ったアニエスは、ウォーター・ビットで得た情報を分隊長のデヴィットに報告していた。

「現在、地下50メイルの地点です。各分隊も異常なしとの事です」

「了解した。さらに奥へ進む」

「了解」

 アニエス達は奥へと進もうとすると、分隊員のジャックがピタリと足を止め天井を向いた。

「ジャックさん、どうしたんスか?」

「子供の声が聞こえた」

「なに?」

「何も聞こえませんでしたよ?」

 デヴィットとアニエスも足を止め、ジャックの方を向いた。

「聞き間違えじゃ無いんですか?」

「……いや、確かに聞こえた」

「風の音が子供の声に聞こえたとか……」

「いや、聞き間違えたりはしない」

 ヒューゴの問いにジャックは簡潔に答えた。

「念の為、本部に連絡しましょうか」

「そうだな、アニエス頼む」

「了解」

 アニエスは、ウォーター・ビット入りの水筒を取り出して、未確認情報として子供の存在を本部に知らせた。







                      ☆        ☆        ☆






 古い倉庫部屋の秘密の入り口から、地下に滑り落ちたアンリエッタとルイズは、真っ暗な通路を『ライト』で照らしながら地下へ地下へと降りていった。

 最初こそアンリエッタは怖がっていたものの、今では王宮での退屈を紛らわす大冒険に心を躍らせていた。

「さあ! 伝説の迷宮を争覇するわよ!」

「ジメジメしてて気持ち悪いわ」

 威勢よく言ったアンリエッタだったが、楽しい好奇心を満足させる探検は、時間が経ち地底深く進むにつれ二人に会話は無くなっていった。

 やがてアンリエッタに、ある問題が浮き上がった。
 アンリエッタは長時間『ライト』で迷宮を照らしていた為、精神切れを起こし始めていた。

「……はぁ、はぁ」

「……アン、大丈夫?」

「ちょっと休ませて」

 アンリエッタは床に腰を下ろすと『ライト』を切ってしまった。
 当然、通路は暗闇に包まれる。

「アン、真っ暗よ!」

「分かっているわよ。でも、休まないと私が精神切れを起こして倒れちゃうわ」

「ううう……ちいねえさまぁ」

 ルイズはアンリエッタにしがみ付いて、目を瞑って震えていた。

「何よルイズ。やっぱり怖いんじゃない」

「ううっ、うるさいわね! 怖いわよ! 怖くて仕方ないのよバカァ!!」

 ルイズは涙をこぼして喚き散らした。

「私も悪いと思ってるわよ……」

「やっぱり来るんじゃなかったわ!」

 暗闇の中、恐怖に震えながら30分程抱き合っていた。

 そんな時、ルイズが暗闇の中からあるものを見つけた。

「あ」

「どうしたのルイズ?」

「何か光が見えた」

「え!?」

 アンリエッタが辺りを見渡すと、通路の奥から薄っすらと光が見えた。

「誰かいるんだわ!」

「私たち助かるのね!?」

 二人は疲れ切った身体を押して光の方向へ走り出した。
 光はどんどん近づいてくる。

「誰か! そこに誰か居るの!?」

 通路の向こうの光が希望の光に見えたアンリエッタ達は、声を張り上げて光を追った。

 だが……

 スカッ

「誰か……あれぇ?」

 明るく広い空間に出たと思った矢先、アンリエッタ達は在る筈の地面が無いことに気が付いた。

「お、落ち……!」

「アン!」

 ルイズは落ちるアンリエッタの腕にしがみ付く、が……

「きゃあああぁぁぁ~~~!」

「また落ちるのぉぉ~~~!?」

 ルイズの細腕ではアンリエッタを支えられず、二人諸共巻き込まれて落ちていった。







                      ☆        ☆        ☆







 一方、王宮ではアンリエッタとルイズが行方不明になった事で騒然となっていた。

 用事を終えた戻ってきたカトレアは、二人の行方不明を聞き家臣達を集めて情報を集めていた。

「誰も二人を見た方は居ないのですか?」

「申し訳ございません」

「数人掛かりで二人を見張ってたのですが、いつの間にか見失ってしまい……」

 カトレアは使用人たちに二人の安否を聞いたが良い返事は得られない。

「ああ、なんていう事でしょう……」

「王妃殿下、ここは陛下に、ご報告をすべきかと思われます」

「そうですね、お願いします」

 カトレアは頭を下げると、家臣は恐縮しながら報告の為に部屋を出た。

「ルイズ、アンリエッタ……どうか無事でいて」

 カトレアは祈るように退出する家臣を見送ると、スカートの裾を持ち上げ窓際に走った。」

「王妃殿下どちらへ行かれるのです?」

「フレールに頼んで空から探してもらいます」

 カトレアが窓際までやって来ると、サンダーバードのフレールが忠臣の如く、素早く飛んで来た。

「フレールお願いね!」

『クェッ!』

 使い魔はルーンで主と繋がっている為か、直接命令しなくてもフレールは空へ舞い上がり、上空から二人を探し始めた。

「空はフレールに任せて、わたし達も二人を探しましょう」

「大至急、人を集めてきます」

「お願いねミシェル」

 ミシェルが人集めに部屋を出た。
 数十分後、フレールはトリスタニア上空を一回りするとカトレアの下へ戻ってきた。

『クェックェッ!』

「どうしたのフレール?」

『クェッ!』

 フレールの思念がルーンを通してカトレアの中に入ってくる。
 フレールは精霊を使役してトリスタニア市内を隈なく探らせると、地下でルイズとアンリエッタを見つけた、と思念を送ってきた。

「え!? 二人は地下に居るの?」

『クェッ!』

「王妃殿下、『彼』はなんと仰っているのですか」

「……二人は地下に居ると言っています。大至急、マクシミリアンさまへ続報を届けて下さい」

「畏まりました!」

 使用人が、マクシミリアンの居る新宮殿まで走り出し、カトレアもその後に続いて走り出した。

 ……

 ルイズとアンリエッタが行方不明の報と、その二人が地下に居るという二つの報は、同時に新宮殿の司令室にもたらされた。

 司令室はにわかに慌しくなり参謀達が、地下に潜ったコマンド隊の各分隊にルイズとアンリエッタが地下で行方不明になった旨を伝えた。

 マクシミリアンは行方不明の第一報を聞くと、助けに行きたくて居ても立ってもいられなくなったが、家臣達の諌言で踏みとどまった。

(ああクソッ! 王様ってメンドクセェェェ~~~~!!)

 飛んででも助けに行きたいマクシミリアンは、どうする事もできず心の中で当り散らす。

「陛下、先発のコマンド各分隊への通達完了いたしました」

「うん、ご苦労」

 内心では、嵐の様な騒ぎだったが、表面上は何事も無かったかのように返した。

「陛下。魔法衛士隊が到着しました!」

「分かった。用意が出来次第、地下に入るように命令してくれ」

「御意!」

 そして、司令室中央奥の上座に座ると、何やら考え出し動かなくなった。

「そうだ。後続の魔法衛士隊に追伸。二人を無事助け出して欲しい、各員の奮闘努力に期待する事大だ……とな」

「御意!」

「陛下のご期待に必ずや添ってご覧に入れます」

 ジェミニ兄弟やグリアルモントら司令室詰めの家臣達は、マクシミリアンに跪いた。
 参謀達は直ちに増援の準備を始め、編成はグリアルモントらの工兵と魔法衛士のマンティコア隊が突入する運びとなった。






                      ☆        ☆        ☆







 アニエスの分隊にもルイズとアンリエッタが地下迷宮で行方不明の情報が入った。

「前にジャックさんが聞いた子供の声は、聞き間違いじゃなかったんですね」

「そのようだな。ウォーター・ビットからの新しい命令書では探索を中断して、御二方を至急保護せよと言って来た」

「了解したっす」

「予備のウォーター・ビットを放ち情報収集をさせましょう」

「うむ、私もそれを考えていた。アニエス、ウォーター・ビットを3つ放て」

「了解」

 アニエスは三つの革製の水筒の封を開けた。
 水筒の口からウォーター・ビットが飛び出し、迷宮へと散って行った。

「各分隊も同じようにウォーター・ビットを放って偵察を開始したようです」

「よし、我々も王妹殿下の捜索に向かおう」

「了解」

 デヴィット達はウォーター・ビットから送られる情報を見ながらルイズ達の捜索を開始した。

 ……ルイズとアンリエッタの姿を求めて彼是三時間ほど過ぎただろうか。

 司令室では、各分隊のウォーター・ビットから得られた情報を照会しながらローラー作戦を実行し、地下迷宮の奥へ奥へを進み続けた。

「地上から100メイルの地面に到達しました」

「王妹殿下はまだ見つからないのか」

「未だ発見の情報はありません」

 デヴィットとアニエスが話していると、ジャックがまたも急に立ち止まった。

「ジャックさん。また何か聞こえましたか?」

「分からんが悲鳴だった」

「え!?」

「近いぞ」

 言うや否やジャックは駆け出し、デヴィット、アニエス、ヒューゴの三人は後に続いた

 湿気の強い通路を右へ左へ方向を変えながら進むと、薄っすらと明かりの灯る巨大な空洞へ出た。

「な、なんだここは!?」

 デヴィットは、地下の巨大な空間に呆気に取られた。
 某ドーム球場十個分の広さで、天井には数百数千を越す数の魔法のランプが立てられ照明となっていて、壁には何かの神殿の様な装飾が施されていた。

「一体、何百、いや何千年前の建物なんだ?」

「分かりません。ですが地下にこの様な場所があるとは聞いた事がないです」

 アニエス達は呆気に取られていると、

「誰か助けて!」

 と聴き覚えのある声が助けを求めていた。

「アンリエッタ様!!」

「!? アニエス? 助けてアニエス!!」

 一人正気に戻ったアニエスはアンリエッタの助けに応える。

「そうだ、王妹殿下をお救いせねば。アニエス、王妹殿下のお声は何処から聞こえた?」

「この神殿の向こう側です」

「遠いな」

 デヴィットらはアンリエッタ達を探す為に、魔法のランプで巨大な空間の対岸側を照らすが広すぎて薄っすらとしか分からなかった。

 デヴィットが先行して薄暗い神殿を進むと、迷宮と神殿を結ぶ出入り口から100メイルしない地点の床が無く、慌てて『レビテーション』を唱えなければ、奈落の底に真っ逆さまに落ちていたところだった。

「う、注意! 足元注意!」

「え? うわ!?」

 天井ばかり見ていた他の3人は、デヴィットの警告で、進行方向の床が無いことにようやく気が付いた。

 四人が立っていた場所の先に、石造りの桟橋のよう場所があり、四人は警戒しながら桟橋を進み、桟橋の切れ間から顔を出して下を覗くと『奈落』という言葉がピッタリな暗闇があった。

「そそ、底が見えない……!」

「足元に注意だ。落ちたら命が無いぞ」

「王妹殿下は?」

「……居られました。対岸側、10字の方向のやや下方に居られます」

 ジャックの言うとおり、アンリエッタとルイズは、奈落へと落ちる途中に出来た窪みの中に抱き合ってしがみ付いていた。
 だが、デヴィット達とアンリエッタ達との間には空洞一杯に広がる奈落の底があり、唯一の足場は風化して今にも壊れそうな石の桟橋しかなかった。

「一度迷宮に戻り、王妹殿下側の所へ迂回しますか?」

「この巨大な空洞を迂回するにはかなりの時間が掛かりそうだ。ヒューゴ、クロスボウの準備をしてくれ」

「了解っす」

「アニエスは本部に連絡、『アンリエッタ王妹殿下とルイズ・フランソーズ様を発見、これより救助活動を行う。また、地下迷宮内に巨大な人工物を発見、建造年数は不明だがかなり古く警戒を必要とする』だ。以上送れ」

「了解」

 アニエスは情報を本部へ送る。
 ヒューゴは、背負っていたリュックサックから、解体されたクロスボウと鋼鉄製のワイヤーロープが付いたの(ボルト)を取り出した。
 クロスボウでロープ付きの矢を対岸側へ撃ち付け、ロープを伝って二人を救助する算段だった。

「取り出しといてなんですが、デヴィット分隊長が魔法で飛んで救助したほうが手っ取り早いじゃ……」
 
「魔法を使用している時は片腕しか使えないからな。万が一、途中で落としてしまったら取り返しのつかないことになる」

「デヴィット分隊長。救助活動でしたら私が志願します。軽業は私の専門ですから」

「分かった。アニエス頼んだぞ。そういう訳だヒューゴ急いで用意してくれ」

「了解っす」

 言うやヒューゴはクロスボウを手早く組み立てると、矢を装填しアンリエッタとルイズの居る窪みの上方に放った。

 矢は二つの石ブロックの間に突き刺さり、見事固定された。

「よっ」

 ヒューゴは、矢がちゃんと固定されているか引っ張って確かめ固定されていると確認すると、足元の床に鉄製の杭を打ち込みロープを固定した。

 たちまち、アニエス達とアンリエッタ達の間にワイヤーロープが繋がった。

「こっちは準備完了だ」

「こららも準備完了です」

 アニエスの戦闘服には命綱とロープにぶら下がっても両手が使えるように鉄製のキーリングが付けられていた。

「よし、救助活動開始」

「了解!」

 アニエスはキーリングにロープを装着すると、スルスルとアンリエッタらの所へ降りていった。

 ……

 派手に動いてワイヤーロープを外さないように、慎重に降りるアニエス。
 やがてアニエスは、アンリエッタとルイズがしがみ付く窪みまで到達した。

「アンリエッタ様、ルイズ・フランソワーズ様、お待たせいたしました」

「アニエス!」

「ううう……!」

 ポロポロと涙を流す二人を抱きしめるアニエス。
 持ってきた予備のロープで二人を二重三重に固定し、後はヒューゴ達に命綱を引っ張って上げて貰うだけだった。

「固定完了です!」

「よし、引っ張るぞ!」

 デヴィットらは命綱を引っ張り、アンリエッタらを抱えたアニエスを引き上げ始めた。

「ううう」

「どうしたのルイズ? 私達助かるのよ?」

 中々泣き止まないルイズにアンリエッタは声を掛けた。

「ずっと私たちのこと見てる」

「見てる? なにが見てるの? 分からないわ?」

「ずっと下になにか居て、私たちを見てるんだもん!」

「下は真っ暗で何も見えないわ」

「でも、何かいるのよ!」

 アニエスは二人の会話を聞き奈落の底へ目を向ける。

「……」

 目を凝らしても何も見えない。
 ただ、奇妙な生臭い臭気が、奈落から漂ってくるのが分かった。

「……急ぎましょう。お二方はしっかり掴まっていて下さい」

「分かったわアニエス、ルイズもしっかり掴まっていなさい」

「……うん」

 改めて二人はアニエスの身体にしがみ付く。
 命綱を引っ張られながら、アニエスら三人は、空洞のちょうどど真ん中辺りまでたどり着いた。

 その時……

 ……ゴモォ

「……んん?」

 ロープを伝っていたアニエスは、奈落の底の空気が一段ほど競り上がった様な、変な感覚を受けた。

 その感覚はルイズやロープを引っ張っていたジャックも受けた様だった

「どうしたんですかジャックさん」

「……」

 ジャックは持っていた魔法のランプを奈落へ向けてかざした。
 だが、ランプの光は周辺を明るくするだけで奈落の底を見る事ができない。
 ジャックは魔法のランプを、奈落へ向けて放り捨てた。

「ああ、もったいない」

「二人とも何をやっているんだ。早く引っ張らんか」

「いえね、分隊長。ジャックさんが……」

 魔法のランプはゆっくりと奈落の底へ落ちて行き、そしてランプの光も遠く消えてゆく……と思われた。

「ランプの光が」

「止まった」

 暗闇の中へ落ちてゆくと思われた魔法のランプは、闇の中で突如止まった。

 再び、ゴモォという、ぬめった水音の不快な音が聞こえ、奈落の底から『奇妙なもの』浮き上がってきた。

「巨大スライム!?」

 ジャックが落とした魔法のランプで、奇妙なものの姿が見えた。

「なんだがやばそうだ。早いところ救助してしまおう」

「了解っす」

 三人は急いでロープを引っ張った。

「もう少しだ!」

 奈落から競り上がるスライムはとてつもなく巨大で、空洞一杯に広がる奈落の底全体から巨大スライムがせり上がって来た。
 
「アンリエッタ様、もう間もなくです!」

「ありがとうアニエス。私は大丈夫よ」

「ルイズ様ももう少しですから頑張って下さい」

「う、うん!」

 ようやく三人は桟橋のところにたどり着いた。

「ルイズから先に引っ張り上げてちょうだい。私は後で良いわ」

「畏まりました王妹殿下」

 アンリエッタに従いルイズから救助を開始する。

 ジャックは、アニエスの身体に固定されていたルイズを引き上げ桟橋の上に降ろした。

「次は王妹殿下です」

「うん、アニエスありがとう!」

 アンリエッタはアニエスに礼を言うと、ジャックに持ち上げられ、ルイズと同じように桟橋の上の降ろされた。

「救助完了! 直ちに脱出する」

「本部へ救助の完了と、巨大スライムの出現の報告を終えたっす」

「分かった。アニエス早く上がれ、脱出する!」

「了解!」

 アニエスが桟橋に手を着くのと、巨大スライムが粘液を飛ばし、張られたワイヤーロープを溶かすのは同時だった。

 溶けて切れたロープの残骸は重力に従って巨大スライムの上に落ち、瞬く間に溶かしてしまった。

「ヒューッ! 危ねぇ……」

「鋼鉄製のロープが溶けぞ!」

「急げ脱出だ! それと本部と各部隊に警報を出せ! 内容は『巨大スライムと会敵。触れるもの全てを溶かす』とな!」

 デヴィットは手早く指示を出した。

「ジャックとヒューゴはお二方を背負って地上へ脱出しろ。脇目を振るな、お二方の生存が最優先だ!」

「了解」

「了解っす」

 ジャックとヒューゴは、アンリエッタとルイズを負ぶって、再び迷宮へと脱出を始めた。

「アニエス達はどうするの? ちゃんと脱出するんでしょ?」

 アンリエッタが泣きそうな顔でジャックに聞いてきた。

「ご安心下さい。間もなく他の部隊が救援に駆けつけるでしょう」

「……分かりました。ルイズ共々、私の身柄をお預けいたします」

「ハッ! 地上まで送り届けて見せます」

 泣き顔から、凛とした表情に変わったアンリエッタに、普段は無口なジャックが珍しく雄弁に語った。

「来るぞぉぉ~~~っ!」

 デヴィットの声が空洞内に響く。
 奈落から這い上がってきた巨大スライムは、遂に桟橋にまで到達しアニエス達の所まで迫った。
 

 

第七十八話 6000年前の怨念



 王都トリスタニア地下を探索中に発見された謎の人工物に、有識者から強い関心が寄せられた。

「この柱の造りは、約2000年前のロタリンギア美術によく似ている……」

「かの芸術王クロヴィス2世の時代の物も多く見受けられます」

 参考にと司令室に集められた考古学者達は、ウォーター・ビットから送られてきた地下神殿の画像を見て、考古学的発見の数々に興奮冷めやらぬ様子だった。

 マクシミリアンは、考古学には興味があったが、今聞きたいのはそんな事ではない。

「君達を呼んだのは、この巨大スライムについて聞きたかったんだ。王都の地下にこんな化け物が居るなんて聞いた事がないぞ」

 マクシミリアンは、地下の空洞を這い上がる巨大スライムの描かれた画像を手の甲で叩いた。

「これは失礼いたしました。左様でございますな……」

「古代フリース人の記述に、似たような物を見た覚えがございます」

「古代フリース人?」

 マクシミリアンは鸚鵡(おうむ)返しに言った

「古代フリース人とは、トリステイン王国の開祖様がトリステイン王国を興す前に、この土地に住んでいた原住民でございます」

「ほう」

「もっともその古代フリース人は、開祖様に土地を追われ、何処かに姿を消したと言われております」

「……地下の人工物は古代フリース人の神殿だと?」

「いえ、それですと計算に合いません。先ほども言いましたが、地下の神殿の造りは、我が王国が建国して千年以上経った後の建造物でございます」

「……ふうん、興味深いな」

 マクシミリアンは唸った。
 考古学には興味があったから、巨大スライムを何とかしたら、大々的な研究を始めようと思った。

「だが、まずはこの巨大スライムを何とかしないとな。コマンド隊はどうなっている」

 マクシミリアンは近くに居た参謀Aにコマンド隊の状況を聞いた。

「はっ! 現在のコマンド隊はスライムと交戦中ですが、コマンド隊の火器がスライムに通用せず効果的な攻撃方法が見つからないとの事でございます」

「場違いな工芸品が通じないっていうのか?」

「御意にございます。報告では銃弾は全てスライムの体内で止まるか貫通するだけで、スライム本体にはダメージも無いそうでございます」

「相性が悪いって事かまずいな……地下神殿と巨大スライムの出自はこの際置いておいて、魔法衛士のマンティコア隊を差し向けろ。コマンド隊にはマンティコア隊の到着まで後退させつつ遅延戦術を指示、マンティコア隊到着後はバックアップに回らせろ」

「畏まりました」

 マクシミリアンの命令に参謀Aが応えた。
 スライムといえば、某国民的RPGのせいで、ザコキャラと思われがちだが、実はかなり手強いモンスターだったりする。

 このままではしておけない、とマクシミリアンは席を立った。

「それと、僕もこれより出陣する」

「ええっ!?」

 マクシミリアンの発言に参謀Aが声を上げて驚いた。

「場違いな工芸品の武器が効かないのなら、魔法なら効果があるかもしれないし、あんな化け物を地上に出すわけには行かない。地下にいる内に退治するべきだ」

「ですが、先ほど我々に任せると仰ったばかりではございませんか」

 参謀Aが、何とかマクシミリアンを留めようとするが、マクシミリアンは聞く耳を持たない。

「君達を信頼しているが状況が変わった。退治しようにも、100%魔法が通じるか分からないし、地下で大砲をぶっ放つ訳には行かないだろ?」

「おっしゃる通りでございますが……ああっ、王妃殿下!」

 マクシミリアンの決定に参謀Aが苦慮していると、王妃カトレアがメイドコンビとミシェルを連れてやってきた。

「マクシミリアンさま。ルイズとアンリエッタは……」

「アンリエッタ達は救助され、現在地上を目指している」

「そうですか、良かった……」

 カトレアはホッとした様に微笑んだ。

「だが、別の問題が浮上した。謎の化け物が現れんだ」

 そう言ってマクシミリアンは、紙に描かれた巨大スライムの画像をカトレアに渡した。

「……このドロドロした物はなんですか?」

「地下迷宮で発見された巨大モンスターだ。報告では鋼鉄など触れるものは何でも溶かすそうだ」

「トリスタニアの地下にこんなモンスターが……」

「この化け物を地上に出すわけには行かない。僕はこれから地下迷宮に突入するつもりだ」

「マクシミリアンさま自らですか?」

「そのとおり」

 参謀Aは、目立たないようにカトレアに近づいた。
 ミシェルはカトレアと参謀Aとの間に割って入るが、カトレアは手を振ってそれを制した。

「王妃殿下、国王陛下とお止め下さい。陛下をお止め出来るのは王妃殿下のみでございます」

 参謀Aがカトレアにマクシミリアンに止めるように乞うてきた。
 もはやマクシミリアンを止められるのはカトレアだけだとこの場に居る全ての物が思った。

「後方でふんぞり返って、事の経過を見守るのが国王なら、自ら前線に立って国民を鼓舞するのも国王だ。それに、この程度の荒事、新世界で何度も体験してきたぞ」

「マクシミリアンさま……」

 カトレアは少し俯いて考え事をすると、答えが決まったのかスッとマクシミリアンの方を見た。

「わたしも連れて行ってください!」

「ええぇぇぇ~~~~っ!?」

 参謀Aは地球で超有名な某絵画の様な叫び声を上げた。
 これぞ夫婦の阿吽の呼吸か、カトレアも一緒に地下に行くと言い出した。

「よく言ったカトレア、あんな化け物が市内に現れれば大惨事だ。一緒に来てくれるか?」

「もちろんですマクシミリアンさま」

 ボロボロ涙を流す参謀Aを尻目に、マクシミリアンとカトレアは武装したセバスチャンとメイドコンビにミシェルが、先発したマンティコア隊の後を追って地下迷宮に突入した。






                      ☆        ☆        ☆





 アンリエッタ達を救出したコマンド隊だったが、巨大スライムは地上へ出る為に迷宮へ入り込み、各迷宮で戦闘か行われていた。

「本部よりマンティコア隊到着まで遅延戦術を行うように命令が出ました」

「了解した。後退しつつ遅延戦術を行う」

 現場で指揮を取っていた隊長のド・ラ・レイは各分隊へ遅延戦術への変更の命令を出した。

「後退! 後退!」

「クソォ! こいつ銃が効かねぇ!」

 パパパパン!

 迷宮内を散発的に鳴り響く銃声。

 コマンド隊が放つ銃弾は、スライムに当たっても柔らかい身体を貫通するだけで何の効果も得らず、各迷宮に散らばるコマンド隊の必死の攻撃も空しく後退するしかなかった。

 ……ウゾゾ

 幸いスライムの動きは遅くコマンド隊の被害は皆無だが、効果的な攻撃方法が見つからなかった。

「隊長、探知榴弾を使いますか?」

「悪くないが、作られて何千年の経過した迷宮内で使えば、迷宮ごと崩れてみんな生き埋めだ」

「こんなカビと埃まみれの所で死ぬのは勘弁願いたいですね」

「もう間もなくマンティコア隊が援軍としてやってくる。魔法ならあの化け物に効くかも知れない」

「了解、もう少し踏ん張ります」

「隊長! デヴィットらの分隊が……!」

「どうした!?」

 ……

 一方のアニエス達の分隊はというと……

「大変です! 退路にスライムが!」

「何だと……!」

 アニエスらの分隊は、ルイズとアンリエッタを救助して地上に向かっていたのだったが、アニエスらの分隊のみ地下深く到達していた為に、撤退の際は各分隊と連携が取れず孤立してしまっていた。

「もう一度、地図を見て別の退路を探せ」

「了解です」

 アニエスは、ウォーター・ビットで描かれた迷宮の地図を見て退路を探す。

「アニエスまだか!? これじゃ持たないぜ!」

「もう少しです! ……ええっと右右左」

 アニエスが悪戦苦闘していた時、ジャックに負ぶさっていたアンリエッタが、

「一人で歩けますから、アニエスの手伝いをしてあげてください」

 と言ってジャックの肩を叩いた。

 ジャックはチラリとデヴィットの方を見ると、デヴィットも見ていてコクリと首を縦に振った。

「王妹殿下、すぐに逃げ出せるように準備していて下さい」

「わかりました。ルイズ、貴女も降りなさい、私達は邪魔にならないようにしていましょう」

「分かったわアン……じゃなくて姫様」

 ルイズもヒューゴから降りて、アンリエッタと共に邪魔にならないように通路の隅に寄った。

「まだか、アニエス!」

 デヴィットは怒鳴り気味にアニエスを急かした。
 その間にもスライムは距離を縮めてくる。

「最初はこの通路を右に!」

「よし、こっちだな!?」

「王妹殿下ともお早く。アニエスはお二方に着いていてくれ」

 アニエスが指示したルートを駆け、地上を目指した。
 ジャックとヒューゴが戦闘に戻った事でデヴィットの負担は減ったが孤立している事に変わりは無かった。

 ……

 一時間程かけて、アンリエッタとルイズを守りながら後退を続けたアニエスらの分隊だったが、頼みの援軍も来ず、焦燥感が増すばかりだった。

 走り続けたルイズとアンリエッタは、息も絶え絶えに通路にへたり込んだ。

「はあ、はあ……もう駄目走れない」

「私も……」

 その光景を見ていたデヴィットに焦りの色が見え出した。

「アニエス。お二方を抱えて走れるか?」

「はい、出来ます」

「よし、ならば特別任務だ。これからアニエスは、アンリエッタ王妹殿下とルイズ様を抱えてここから脱出しろ」

「隊長達はどうされるんですか?」

「お前達が逃げ切るまで殿を勤める」

「危険です! 一緒に逃げましょう!」

「馬鹿言っちゃいかんよ、お二方の命が最優先。それとミラン家のご令嬢の生還も優先事項の一つに入っているからな」

「……! 私もですか!?」

「そうだ、分かったら早く行け。そうでないと我々も逃げ遅れる」

 デヴィットは急かすように言うと、アニエスは黙って首を縦に振った。

「了解しました。デヴィット隊長、ヒューゴさん、ジャックさん。お達者で!」

 そう言うとアニエスはアンリエッタとルイズを抱えて立ち去った。

「失礼な奴だな。まるで我らが死ぬような口ぶりだ」

「俺はまだ死にたくないっすよ」

「……来るぞ」

 通路の向こうからスライムが迫る。

「奴に銃は効かない。それならば『ファイア・ボール』」

 デヴィットの杖から発生した火球がスライムに直撃し、ドロドロの身体を焼き焦がした。

「効いてる! 火に弱いぞ!」

 暗闇の中に一つの光明を見つけたデヴィットらの士気は高い。

 ……

 一方、アンリエッタとルイズを抱えるアニエスは、アンリエッタにナビゲートを頼み一目散に地上を目指した。

 アンリエッタは、11歳と10歳の子供を担いで走るアニエスに労いの言葉を掛けた。

「アニエス大丈夫?」

「大丈夫です、アンリエッタ様。鍛えてますから」

 アニエスは二人を心配させないように微笑む。

「あの、えっと……ごめんなさい」

「どうしたのルイズ?」

 一緒に担がれていたルイズが突然謝り出した。

「足手まといでごめんなさい。私達がいなければこんな目に遭わずにすぐに地上へ出る事が出来たでしょうに」

「ルイズ……それは違うわ。元はといえば、私が探検しようなんて言い出したのがいけないのよ」

「姫様は悪くないわ。悪いのは私よ」

「違うわ! 悪いのは私なの!」

「悪いのは私!」

「私よ!」

「私!」

(こんな時にケンカなんてしなくていいのに)

 いい加減ウンザリしてきたアニエスは、両成敗という事でこの場を収めようとした。

「それでしたら、アンリエッタ様とルイズ様の二人が悪かったという事で手を打ちませんか?」

「……悪くないわね」

「それで手を打ちましょう」

 二人も納得したらしく、担がれながら笑いあった。

(やれやれ……)

 アニエスは内心ため息を付いた。

 そんな時だった。
 進行方向の通路の天井が崩れだしたのは……

 ……ガラガラガラ。

「きゃあ!」

「危ない!」

 完全に退路を絶たれたアニエスに、更に追い討ちをかけるように、崩れた天井からスライムがドロリと落ちてきた。

「チィ、追いつかれた!」

「あああ……」

「何あれ……中に誰か居る」

 これまで戦ってきたスライムとは明らかに違う部類のスライムが現れた。
 それは、巨大スライムの中に無数の人影が入っているスライムだった。
 スライムが近づくにつれ、中に入った人影の正体が判明した。

「ひぃ……ガイコツ!」

「中に人の骨が……!」

 そう、巨大スライムの中に5体の人の骨が入っていた。

『……ミツケタゾ』

『アイツノニオイダ!』

『ワレラノ、コキョウヲウバッタ、アイツノニオイダ!』

 通路内に響く謎の声。

「な、何を言ってるの? あいつの臭いって何なの? それに故郷を奪われたって……」

「姫様、しっかりして!」

 アンリエッタはスライムの中のガイコツの言葉に動揺した。

『故郷を奪われた』

 というフレーズがアンリエッタの心に引っかかったのだ。

「ね、ねえ、あなた達は何処から来たの? 故郷を奪われたってどういう事?」

 アンリエッタが、詳細をスライムに聞こうとすると、その呼びかけを無視してスライムが自身の一部である溶解液をアニエスたちに向けて吐いてきた。

「あぶない!」

「きゃあ!」

「きゃん!」

 アニエスはアンリエッタルイズが怪我を負わないように横に倒れて、溶解液を寸での所で避けた。

「お二方とも降りてください」

「アニエスは、どうするのです!?」

「あの瓦礫のを越えてまっすぐ行けば、みんなの所に着きます。私が何とか敵の隙を作りますので、二人は全速力で瓦礫を通り抜けて下さい」

「む、無理よ! 私達にそんな事できないわ!」

「ですが、このまま来た道を戻っても迷うだけです」

「駄目よ!」

 出来ないと首を横に振るルイズ。

 この時の時間のロスが致命的となり、スライムの身体と瓦礫との間に僅かに空いていた退路が完全に塞がり、通路一杯にスライムの粘液が張り巡らされ退路を絶ってしまった。

(もはやこれまでか……)

 万事休すのアニエスは愛用のG3アサルトライフルをスライムに向ける。

(銃が効かないのは分かっている、だがこの二人は何としても逃がさないと!)

 その時、アニエスの脳裏に浮かんだのは養父と養母、そして片思いのマクシミリアンだった。

(復讐も果たした私には何の未練も無い。二人が無事なら、きっとあの方も褒めて下さるだろう)

 適わぬ恋慕も何もかも、目の前のスライムにぶつけ死中に活を見出す以外にアニエスは方法を見出せなかった。

 そして、リュックサック型のカバンの中の発破用に持ってきたトリステイン製ダイナマイトの位置を確かめる。

(行くぞ……!)

 最速で飛び込めるように、ググッと全身の筋肉を強張らせた。

「待って! どうしてあなた達は私達を恨んでいるのですか!?」

 飛び込もうとした瞬間、アンリエッタがアニエスの盾になるように立ちふさがった。

「下がってください、アンリエッタ様!」

「駄目よ姫様!」

 アニエスとルイズはアンリエッタを制したが、アンリエッタは制止を聞こうとしなかった。

『リユウダト?』

『オマエタチガ、アイツトオナジニオイヲシテイルカラダ』

『オモイダサセテヤル。オマエタチノツミヲ!』

 スライムの動きが止まり、彼らから6000年前の恨みが語られた。






                      ☆        ☆        ☆





 およそ6000年前、トリステイン王国が興る前のこの地には、『古代フリース人』と呼ばれる民族が住んでいた。
 もっとも、その名が付いたのは、もっと時代が下ってからの話で、彼らは自分達の事を古代フリース人などと呼称しなかったが、ここは便宜上古代フリース人と呼んでいたという事にする。

 古代フリース人は、貧しくてもそれなりに平和に暮らしていたが、異能を操る謎の民族が現れ、古代フリース人は居住地を追われてしまった。

 異能を操る謎の民族は、古代フリース人を住んでいた土地から追い出すとその地に新たな王国を興した。言わずもがなトリステイン王国の事だ。

 その後、古代フリース人はどうなったかというと、各地に散らばった古代フリース人はスライムを使役し、トリステイン王国の魔法に対抗した。
 だが、散らばった古代フリース人は連携を全く取ろうとせず、結果的に各個撃破でトリスタニアの地下深く追いやられてしまった。

 追い詰められた古代フリース人は、最後の手段を取った。
 使役していたスライムと同化し人間を止めてしまったのだ。

 それに同化と一言で表現しても、一人や二人と同化したわけではない。
 残った数千人の古代フリース人が、男も女も子供も老人も民族丸々スライムと同化して、とてつもなく巨大なスライムと化した。

 それから数千年、トリステイン王国と地下の巨大スライムとの戦いは人知れず続き、多くの犠牲を出しながら何とか巨大スライムを封印・調伏する事に成功した。
 そして、地下の奥深くに神殿を建て、二度と人が寄り付かないように迷宮を作り、好奇心で地下神殿に足を踏み入れないように記録も削除した。

 封印された巨大スライムを目覚めさせたのは、怨敵であるトリステイン王国開祖の血を引くアンリエッタとルイズが地下神殿まで迷い込んだ事が原因だった。

 ……

 スライムとなった古代フリース人の6000年前の怨念を聞き、アニエスはなんとも言えない感情に支配された。

 かつて復讐に燃えたアニエスにとって、彼ら古代フリース人は部分的には同調するし同情すべき点はある。だが、だからと言って殺されてやる義理は無い。

「そんな話、聞いたことありませんし、そんな何千年前の事で殺される謂れは無い」

 アニエスはキッパリ拒絶した。

『オマエタチノコトハ、ドウデモイイ』

『イマコソ、ウラミヲハラスゾ!』

 古代フリース人は、スライムの身体から触手の様なモノを出し、鞭の様にアニエスの盾になったアンリエッタに振るった。

「アンリエッタ様!」

 アニエスはアンリエッタを後ろから抱くと、そのままバックステップで触手を避ける。

 間一髪、触手はアンリエッタの紫色の前髪を溶かすだけで済んだ。

「ねえ、アニエス……」

「何ですかアンリエッタ様」

 アンリエッタは心ここにあらず的な声色でアニエスに問うた。

「ご先祖様の犯した罪を、今を生きる私が負わなければならないの?」

「そんな事はありません。そんな事言い出したらキリが無いじゃないですか」

「でも、あの人達あんなに私の事を憎んでいるわ」

 憎しみ、という感情を直接ぶつけられた事のないアンリエッタは、

『私が悪いんじゃないかしら? 死ぬほど罪深いんじゃないかしら?』

 と思いだした。

「馬鹿言わないで!」

「ルイズ……」

 ルイズが割って入りアンリエッタの肩を揺さぶった。

「でもルイズ、私が罪を一身に引き受けれて死ねば、あの人たちは許してくれるかも……」

「そんなわけ無いじゃない! いつも私の言う事聞かないのに、あんな化け物の言う事を聞くの!?」

 ルイズの的外れ(?)な一喝が飛んだ。

「そうですよ。ルイズ様の言うとおりです。彼らは同情すべき点があるのは分かりますが、モンスターとなって人を襲うようになった彼らに同情すべき事はありません」

「どうにかならないの?」

「……残念ですが」

 アニエスの非情の言葉を聞いた、アンリエッタは目を閉じた。

「そう、世の中って非情ね……」

「……姫様は優しいわね、私はそんな風に思えないわ」

「そんなんじゃないわよ……」

 アンリエッタは自分が憎まれるのが嫌だから、優しい顔をしているだけにすぎなかった。
 だが、幼いアンリエッタには、感情を上手くいなす知恵も口も回らなかった。

 スライムが三人のおしゃべりを放っておくはずも無く、スライムから放たれた触手が三人に伸びる。

「ああっ!?」

「下がって!」

 アニエスが二人の盾になろうとするが、その触手はアニエスに届くことは無かった。

『アアア!』

 通路の気温は一瞬で氷点下にまで落ち、スライムが悲鳴を上げながら見る見るうちに氷漬けになった。

「どうなったの?」

「……分かりません」

 何事かと、アニエス達は凍りついたスライムを見ると、凍ったスライムの向こう側からマクシミリアンが現れた。

「ギリギリ間に合ったようだな」

「お兄様!」

 アンリエッタは、マクシミリアンの声を聞くとヘナヘナと腰を抜かした。

「アニエス、よく二人を守りぬいた」

「……ありがとうございます!」

 アニエスは、颯爽と現れた片思いの人に赤くなった顔を見られないよう、俯いてマクシミリアンに応えた。

『エア・ハンマー!』

 誰かが唱えた『エア・ハンマー』が凍ったスライムを粉々に砕いた。

「みんな無事?」

 ルイズはその声を聞いた瞬間、ボロボロと涙がこぼれ落ちるのが分かった。

「ちいねえさま!」

 マクシミリアンとカトレアの、トリステイン国王夫妻が魔法衛士を従え現れた。


 

 

第七十九話 地下神殿の死闘・前編


 地下迷宮では巨大スライムに苦戦していたコマンド隊に変わって、マンティコア隊が投入されると形成は逆転した。
 銃器にめっぽう強かった巨大スライムは、逆に魔法にはめっぽう弱かったからだ。

 一方、間一髪の所でアンリエッタ達を救ったマクシミリアンとカトレアは、粉々に砕いたスライムの処理をマンティコア隊に任せ、デヴィットらを救出するために深部へ向かう事になった。

「粉々に砕けたスライムは、入念に焼いて消滅させてくれよ」

「御意!」

 マンティコア隊は狭い地下迷宮内ではマンティコアから下馬して戦っていた。

『ファイア・ボール!』

 下馬したマンティコア隊隊員は『ファイア・ボール』などで砕けたスライムの欠片を処理し始めた。

「アニエスは、アンリエッタとルイズ・フランソワーズを連れて地上へ戻ってくれ」

「畏れながら陛下。現在同僚が私達を逃がす為に殿になって戦っています。至急、援軍を送っていただけないでしょうか?」

 アニエスは、デヴィット達が殿になっていること告げる。

「分かった。部隊の同僚は任せて欲しい」

「ありがとうございます。アンリエッタ様、ルイズ様、参りましょう」

「お兄様、お義姉様、あの……」

「国王陛下、ちいねえさま、必ず戻ってきてください」

「ん? ルイズはお義兄様と言ってくれないのか?」

 マクシミリアンはルイズに顔を近づける。

「でも、無礼になるんじゃないかしら……」

「構う事は無いさ。ささ、言ってくれ」

「それでは、その……『お義兄様』」

「よしよし、二人とも応急で待っててくれ、それじゃ行って来る」

 ルイズの頭を撫で、後ろで何か言いたそうにしているアンリエッタのおでこにキスをした。

「あの! お兄様お願い、私も連れてって下さい」

「なに?」

 アンリエッタが口を開いた。
 ようやく死地を脱したというのに、着いて行きたいというアンリエッタにマクシミリアンは思わず聞き返した。

「私、あの人達の事を救いたいんです!」

「あの人達? 誰の事だ?」

「あのスライムの事です、あのスライムはトリステイン王国に……ご先祖様に家も故郷も奪われた人達なのです!」

 アンリエッタは彼らスライムがかつては人間だったことと、トリステイン王国に自分達の故郷を奪われた事を説明した。

「……古代フリース人か」

 マクシミリアンは有識者達が言っていた事を思い出した。

「着いて行ってどうするつもりだ。あいつ等はお前を襲ってきた奴らなんだぞ」

「そうですけど、何とかして苦しみから解放してやりたいのです。たとえ救うことが出来なくてもでも、あの人達がどうなるか、ちゃんとこの目で見ておきたいのです!」

 アンリエッタは、自分の気持ちをマクシミリアンにぶつけた。

「……マクシミリアンさま」

「……分かってるよカトレア」

 阿吽の呼吸か、マクシミリアンとカトレアは、一言言葉を交わしただけでお互いの意思を汲み取った。

「アンリエッタ。他の人の迷惑にならないようにしていなさい」

「ありがとうお兄様!」

「救うといっても、具体的にどうするか見当も付かないし、楽にしてやった方が救われる場合もあるから、その辺は覚悟していなさい」

「……はい!」

 アンリエッタが嬉しそうに返事をし、その後ろでは参謀Aがまたも某絵画の叫び声の様な格好をしていた。
 だがそうなると収まらない少女が独り居た。言うまでも無くルイズ・フランソワーズの事だ。

「待ってお義兄様、私も残るわ!」

「ルイズもか!?」

「私はトリステイン貴族です。貴族が王家の者や国民を置いて逃げるわけには行きません!」

「いやしかしだな……」

「私は立派な貴族になりたいんです!」

 説得しようとするマクシミリアンに、ルイズはマクシミリアンの目をジッと見て訴えた。

「……」

「……」

 一瞬の沈黙が場を支配した。

「……ふぅ」

「マクシミリアンさま?」

 沈黙を破るようにマクシミリアンが一息吐いた。

「負けたよ、ルイズはアンリエッタと一緒に居なさい、そして何が何でもアンリエッタを守れ、いいな?」

「ありがとうお義兄様!」

 ルイズは、アンリエッタの所へ行き、手を取り合って喜び合った。

「何だなカトレア。この頑固な所は、ヴァリエール家の特性か?」

「うふふ、それじゃわたしにも頑固な所があるんですか?」

「君によく似ているよ」

「あらあら」

 戦場とは思えない和やかな雰囲気が辺りを包んだ。

「……」

 笑いあう国王夫妻の光景を、アニエスはなんとも言えない顔で見ていたが、その顔を見たものは誰もいなかった。

 結局、ルイズとアンリエッタは、護衛のアニエスから離れない事の条件付きで同行を許された。

 ……

 殿に残ったデヴィットらの分隊は、分隊長のデヴィットの魔法のお陰でスライムの侵攻を塞き止める事に、辛うじてだが成功していた。

 デヴィットは精神切れギリギリの状態で、『ファイア・ボール』のスペルを唱える。

「分隊長、魔法はまだ使えるんですか? 無理はしないほうが……」

「ここで無理をしなければ、皆死んでしまうぞ」

 ヒューゴがデヴィットを労わるが、当のデヴィットはそんな事お構い無しだった。

『ファイア・ボール!』

 デヴィットの杖から放たれた火球がスライムを溶かし、スライムは後退を始めた。

「敵が後退を始めた」

「よ、よし、この隙に体勢を……ううっ」

「ちょ、分隊長!」

 遂にデヴィットは精神切れを起こし、その場に倒れてしまった。

「ジャックさん、どうしましょう?」

「分隊長を連れて、後退するべきだが……む、通信」

 ジャックはウォーター・ビットから出された通信文を読み始めた。

「どういう内容なんですか?」

 ジャックは倒れたデヴィットを抱え、少し下がった所に寝かせた。

「朗報だ、陛下御自ら援軍に参られるそうだ」

「へえ、陛下自らですか」

「それともう一つ、魔法衛士隊の投入で各迷宮でもスライムが後退を始めたそうだ」

「そりゃ良かった。ようやく一息つけそうですね」

 ヒューゴはからから笑い、空薬莢を拾って戦闘の後片付けを始めると……

「そりゃ良かった。もう一働き出来そうだな」

「え? だ、誰だ!?」

 ヒューゴ達が、声のした方を振り向くと、そこにはマクシミリアンとカトレア。そしてアニエス達が居た。

「へ、陛下!?」

「ご苦労様。諸君の決死の殿のお陰で、アンリエッタとルイズは窮地から脱する事が出来た」

「ははっ! ありがとうございます!」

 ヒューゴはマクシミリアンの前で直立不動になった。

「そこで諸君の分隊は、僕達と共にスライムを追撃してもらう。間もなく正式な辞令が届く」

 マクシミリアンが言うや、ウォーター・ビットから命令書が発想されてきた。偽造ではなく隊長のド・ラ・レイの署名が印刷されていた。

「確かに届きましたが、デヴィット分隊長は精神切れを起こし、動ける状態ではございません」

「デヴィットは連れて行かないよ。連れて行くのは君たち二人だ」

「ははっ、光栄であります!」

「……光栄でございますです」

 元気よく返事をしたのはジャックだけで、ヒューゴは生返事に近かった。

「そこの君は疲れているようだな、そんな疲れはこの秘薬を飲めばたちどころに吹っ飛ぶだろう」

 マクシミリアンは、ペカペカポーンと青狸のように滋養強壮の秘薬を取り出した。

「あ、ありがとうございます……」

 休む気満々だったヒューゴは泣く泣く秘薬を飲み干した。

「ん? おおっ、効いて来た……!」

 黄金色の液体が、ヒューゴの体内を駆け巡り、滋養強壮ついでに精力増強の効果も現れる。

 だが……

「ぶはっ!?」

 効き過ぎた秘薬の効果で、ヒューゴは噴水の様な鼻血を出しその場に倒れてしまった。

「ヒューゴさん!」

「おい、大丈夫か?」

 アニエスとジャックが駆け寄るが、既にヒューゴはノビていた。

「ん? 効き過ぎたかな……」

 結局、ヒューゴはデヴィットと共に地上へ搬送され、アニエスとジャックのみ同行することになった。






                      ☆        ☆        ☆





 各迷宮ではマンティコア隊が投入され、スライムをアンリエッタ達を救出した神殿まで押し戻していた。

 マクシミリアン達もアニエスに道案内をさせながら神殿へと向かった。

 途中、逃げ遅れたスライムが現れたがそんな時は。

「フレール、お願い!」

『クェッ』

 カトレアの肩に留まったサンダーバードのフレールが、スライムを電撃で蹴散らして行った。

「何だか僕の出番が無いな」

「お兄様が、我先に突撃してしまったら、家臣の皆が苦労するでしょうに」

「むむむ、アンリエッタに諭されてしまった」

 マクシミリアンは後衛に徹しながら、スライムが逃げ込んだ神殿を目指した。

 そして、迷宮の最深部でもある地下神殿に到着したマクシミリアンはその広さに圧倒された。

「直接目で見ると、この広さに圧倒されるな」

「陛下、各マンティコア隊が次々と地下神殿に到達して、陛下のご命令を待っております」

 参謀Aの報告を聞き、マクシミリアンが辺りを見渡すと、拾い神殿の意たる所に迷宮へと続く出入り口があって、マンティコア隊とコマンド隊が珍しそうに辺りを見回していた。

「肝心のスライムは何処へ行った?」

「目撃者の話では、巨大スライムは、下の奈落の底へと落ちていったそうにございます」

「逃げたのか?」

「申し訳ございません。私には分かりかねます」

「そうか」

 マクシミリアンは石で出来た桟橋まで進み奈落の底を『目からサーチライト』で照らした。
 事前に杖を振るう仕草をする事で、魔法と勘違いさせる偽装工作も忘れない。
 かつて、ヌーベルトリステインで、エルフのシャジャルに『目から破壊光線』の危険性を警告され、それ以来破壊光線は封印してきたが、サーチライトはかまわず使い続けていた。

 マクシミリアンが奈落の底を見ているとカトレアがやって来た。

「マクシミリアンさま、お見えに?」

「いや、何も……かなり深い大穴だな」

 奈落の底に下りるべきか、その人選はどうするか、マクシミリアンはサーチライトで地の底を見ながら思案していると、グラリと神殿が揺れ出した

「うわあ!?」

「落ち着け!」

 各部隊は壁や柱に張り付いて、揺れに耐えている。

「地震か?」

「下から何か来ます!」

 カトレアの声と同時に、奈落の底から半透明の巨大な腕が猛スピードで昇ってきて、桟橋ごと二人を砕こうとした、

「カトレア!」

 マクシミリアンは咄嗟にカトレアを抱え『エア・ジェット』で回避行動を取り巨大な腕を避けた。

「陛下!」

「陛下ぁ!」

 神殿内のあちこちから、マクシミリアンを心配する声が聞こえる。

 カトレアを抱えたマクシミリアンは、神殿中央の天井部まで昇り、内装の出っ張りを足場にした。

「怪我は無いか?」

「わたしは大丈夫です」

 カトレアの無事を確認すると、マクシミリアンは先ほどの巨大な腕を観察し始めた。

「あれはスライムだな、巨大な腕の形をしたスライムだ」

「深い地の底から伸びてきたという事でしょうか?」

「そうみたいだな……多分だが、この地の底にはとんでもない量のスライムが、あえて表現すればスライムの地底湖があると見た」

「スライムの地底湖……」

「アンリエッタの話から推測すると、古代フリース人の最後の居住地がこの地の底だったのだろう」

「追い詰められた古代フリース人は、民族ごとスライムと同化した、という話でしたね」

「数千人が丸々スライムに成ったんだ。どれ程の量のスライムが出来上がったか事か……そのスライムと数千年にわたって戦い続けた先人達には頭が下がる」

 二人がスライムについて話し合っていると、神殿内を飛んでいたフレールが二人に寄って来た。

『クェ』

「フレール」

「お前も無事でよかったな」

『クェ!』

 フレールが口ばしで、マクシミリアンのおでこを突いた

「痛っ! なにを!?」

『クェックェッ!』

 フレールは、これでもかとマクシミリアンの顔を突く。

「フレール止めて!」

『クェ』

 『めっ』と叱るカトレアに、『仕方ねえな』と言わんばかりにフレールは渋々突くのを止めた。

「おい鳥公。あんまり舐めた事してると、シャーベットにして食うぞ? あ?」

 時と場所を選ばないフレールに流石に怒ったマクシミリアンは、新しく調達したコルト・ガバメントをフレールに向けて数発発砲した。

 パンパンパン!

『クワァーッ!』

 銃の腕は壊滅的なせいか、銃弾は一発も当たらなかった。そして当然怒るフレール。

『クケェーーー!』

「上等だ! 相手になってやる!」

「フレールもマクシミリアンさまもいい加減にして下さい!」

 ……カトレアに怒られてしまった。

「ち、鳥公め、覚えてろ……」

『クケケッ』

 フレールも『テメェこそな』と鳴いた。

「……さて気を取り直して鳥公。あのスライムを叩く為に力を貸せ」

『ペッ』

 フレールは起用にくちばしから唾を吐いた。

 ビキィ!!

 どっかの不良漫画の様に、マクシミリアンの額に青筋が浮かぶ。

「フレールお願い」

『クケッ』

 ご主人様のお願いに、フレールは『仕方ねえな』と鳴いた。

 ……

 下方のミシェル達とマンティコア隊は、巨大スライムと戦闘を開始していた。

「奴には魔法が効くぞ! マンティコア隊攻撃開始!」

 ごつい体躯と厳めしい髭面の男、マンティコア隊隊長のド・ゼッサールが隊員達に攻撃を命じた。

 神殿の周辺に散らばったマンティコア隊が、破壊した桟橋にへばり付いているスライム目掛けて魔法を放った。

『ファイア・ボール!』

『フレイム・ボール!』

 ファイア・ボールにフレイム・ボールなどの多種多様な魔法の集中砲火を受けたスライムは、粘液を撒き散らしながら再び奈落へと落ちていった。

「やった!」

「マンティコア隊万歳!」

「トリステイン王国万歳!」

「万歳!」

「万歳!」

 マンティコア隊の隊員が勝利を確信して勝ち鬨を上げる。

 だが、マクシミリアンはこの手の化け物が、この程度で終わらない事を経験で知っていた。

『勝ち鬨は早い! この程度で終わるようなら、先人達は数千年も戦い続けていないぞ!』

 『拡声』の魔法で、周囲を警告すると、フレールの羽をノックするように叩いた。

「鳥公、お前の電撃を奈落へ向けて撃て」

『クェ?』

「フレールお願い、マクシミリアンさまの言うとおりにして」

 カトレアの願いを聞いたフレールは、翼を靡かせるとそのまま急行下を始め、猛烈な電撃を奈落へ向けて放った。

「きゃあ!」

「なんなの!?」

 桟橋付近に居たアンリエッタとルイズは、フレールの放った電撃の閃光に絶えられず目を瞑ってしまった。

 奈落の、ある程度底の箇所に電撃が走り、電撃の閃光で未だ奈落の底に留まる巨大スライムの姿を見せた。

『まだ敵は留まっているぞ、攻撃の手を緩めるな!』

 マクシミリアンの『拡声』が神殿内に響き、アニエスやミシェル、他の面々もスライムに対し攻撃を加えた。

『ファイア・ボール!』

 ミシェルはレイピア状の杖を操りファイア・ボールを繰り出す。

 スライムに直撃したファイア・ボールは、小爆発を起こしスライムの表面を吹き飛ばした。
 表面を吹き飛ばされたスライムは、触手をミシェルに向けて放った。

「危ない!」

「うぇ!?」

 後方支援をしていたアニエスはG3突撃ライフルで、ミシェルへ襲い掛かる触手を撃ち落す。

「ありがとう助かった」

「いえ、まだ来ますよ!」

「おっと」

 ミシェルは再びファイア・ボールで迫る触手を吹き飛ばした。

「アニエス大丈夫!?」

「アンリエッタ様、お下がり下さい」

 アニエスは駆け寄ろうとするアンリエッタを手で制した。

 数十もの魔法が四方から奈落に留まるスライムへ降り注ぎ、焦げたスライムは内部の人骨がむき出しになるほど、小さくなった。

 そろそろ敵も黙っただろう……

 と、その場に居た者たちは判断しそうになった。

『まだ、来るぞ! 敵を過小評価するな!』

 だがマクシミリアンの『拡声』の声で、緩んだ気を無理矢理引き締められた。

 マクシミリアンの言葉通り、敵スライムに異変が起こった。

 ベチョッベチョッ、と何か水っぽいものを壁に叩きつけるような音が神殿内に鳴り響いた。

「くるぞ……」

 神殿天井付近に居たマクシミリアンとカトレアは、その奇妙な音の正体を誰よりも早く見た。

 50メイルの巨人の姿をしたスライムが、スライムの粘性を利用して壁にへばり付き、奈落の底から這い上がってきた。

 『這い上がって来たモノ』

 と名付けられた巨人スライムは、肉の腐った様な臭いを噴き出しながら、怨嗟の声を挙げマクシミリアンら怨敵の子孫へ襲い掛かろうとしていた。
 

 

第八十話 地下神殿の死闘・後編


 巨人型スライム『這い上がるモノ』と、トリステイン王国のマンティコア隊とコマンド隊との戦闘が開始され、各隊はの奮闘は続いていた。

 魔力無限のチート能力を持つマクシミリアンと違い、普通のメイジは長時間魔法使い続けることは出来ない。

 マンティコア隊だけでは戦力が足りなくなる感じたマクシミリアンは司令部に連絡すると、ジェミニ兄弟によって他の魔法衛士隊のグリフォン隊とヒポグリフ隊が突入準備を整えていると申告してきた。

『事後承諾になりますが』

 と最後に締めくくられた文面を読む。

『今回は助かったが、事前に連絡はしておいてくれ』

 司令部へ返信した。

「諸君! 間もなく援軍が到着する、それまで頑張ってくれ!

『御意!』

 勇気百倍のマンティコア隊は、更なる攻撃を『這い上がるモノ』へ加えた。

 一方のコマンド隊はというと、銃弾が効かない為、持ってきたトリステイン製ダイナマイトを麻袋に入れ『這い上がるモノ』へ投擲し爆破破壊する攻撃法で戦っていた。
 何故麻袋に入れるのかは、ダイナマイトを直接投げ込んでも、スライムの粘液で導火線の火が消えてしまう事を考慮しての事だった。

「それ、放り投げろ!」

「おらぁ~~!」

 無数の麻袋が『這い上がるモノ』に投げられ、べちゃべちゃと粘性の正面にくっ付いた。

「伏せろ!」

「グレネードォー!」

 隊員の警告の数秒後、強烈な爆音と爆煙が神殿内を包む。

 濛々と神殿内を包む煙の中、マクシミリアンは『這い上がるモノ』の姿を目からサーチライトで探した。

「マクシミリアンさま、見つけられましたか?」

「ああ、巨人スライムを見つけた」

 マクシミリアンは煙の中から『這い上がるモノ』を見つけ出した。

「カトレア、風魔法で煙を除去してくれ」

「分かりましたマクシミリアンさま」

 カトレアが杖を振るうと『這い上がるモノ』の周辺の煙が四散した。

「ち、所々削れてるが、巨人スライムは健在だ」

 マクシミリアンの言うとおり、『這い上がるモノ』の身体は所々欠損していたが未だ健在で、その欠損部分も時間と共に再生していった。

「陛下! 間もなくグリフォン隊とヒポグリフ隊が到着するとの事にございます!」

 マンティコア隊隊長のド・ゼッサールが、マクシミリアン達の所へわざわざ『フライ』で飛んできて報告してきた。

「あい分かった。後詰が到着したらマンティコア隊を下がらせ休憩を取らせろ」

「御意にございます」

 そう言ってド・ゼッサールはマンティコア隊の所へ戻っていった。

「コマンド隊にも後退命令を出そう」

「それでしたら、わたしが伝えますわ」

「ウォーター・ビット通信の使い方は分かるな」

「はい」

 カトレアはコマンド隊にも後退命令を出し、地下神殿の戦闘は第二ラウンドに移ろうとしていた。







                      ☆        ☆        ☆





 マンティコア隊とコマンド隊に変わって、グリフォン隊とヒポグリフ隊が投入され、『這い上がるモノ』と戦闘が繰り広げられていた。

 マンティコア隊はコマンド隊は迷宮側に後退し、補給と手当てを受けていた。

「うう、痛てぇ……」

「傷は浅いぞしっかりしろ」

 衛生兵役のメイジは、『這い上がるモノ』の溶解液で表面が溶けたマンティコア隊隊員の腕に『ヒーリング』をかけていた。

 死者こそ居なかったものの、重傷者多数で中には手足を溶解液で欠損した者まで居て、通路内は負傷者の悲鳴と流れる血でで地獄絵図の様相を呈していた。

 着いて来たアンリエッタとルイズは青い顔をしながらその光景を遠巻きに見ていた

「なんて酷い……」

「姫様は無事なのですか?」

「大丈夫じゃないですけど、何とか手助けをしてあげたいわ」

 そう言うとアンリエッタは衛生兵の所へ行き、

「私も『ヒーリング』ぐらいなら使えます。手伝わせて下さい!」

 と言った。

 衛生兵は驚いた顔でアンリエッタの顔を見た。

「お言葉ですが王妹殿下。万一負傷した隊員が王妹殿下に無礼を働くやもしれません。王妹殿下は後方で我らの働きを見ていてくだされば我らの士気も上がりましょう」

 と否定的なニュアンスで、それとなくアンリエッタに言った。

「でも……私はみんなの役に立ちたいの」

「そのお心だけで十分でございます」

 やんわりと断る衛生兵にアンリエッタは焦りを覚えた。

(このままじゃ、押し切られちゃう……!)

 どう説得したものかと、アンリエッタは通路を見ると負傷者の数に対して衛生兵の数は少ない事に気付く。

「怪我人の数より水メイジの数が少ないです。効率を考えて私にも手伝わせて下さい!」

「それは……」

 最近のトリステインは、効率を重視する傾向だった為、この説得は効果があった。

「ううむ、分かりました。ですが精神切れを起こさないように注意をお願いします」

「もちろんです。あなた方に迷惑は掛けさせません」

「分かりました。では王妹殿下には比較的軽症の彼らを手当てして頂きます」

「分かりました」

 自分の仕事を見つけたアンリエッタは衛生兵達の輪に入った。

「アンリエッタ様、どちらへ」

「アニエス、私これから衛生兵の手伝いをするから」

「ああ!? お待ち下さい!」

 アンリエッタを放って置くわけにもいかずアニエスも衛生兵の輪の中に入った

 一方ルイズは、働ける場所を得て楽しそうなアンリエッタを寂しげな目で見ていた。

 ……

 ルイズはこの歳になっても魔法が使う事ができなかった。
 数日前、ラ・ヴァリエール家では家人達がヒソヒソとルイズの行く末を案じて話しているところを偶然聞いてしまった。

『ルイズお嬢様は今日も奥様に叱られて……』

『10歳をお過ぎになられても、魔法がお出来になられないなんて』

『王妃様はあんなに素晴らしいお方なのに……』

『なんて不憫な御方なのでしょう』

『まったくだわ……将来貰い手があるのかしら』

 日頃から王妃の妹という境遇がルイズの劣等感を刺激し、言いようの無い焦りと行き場の無い劣等感をルイズにいだかせていた。

「魔法が使えなくたって、私は貴族。逃げない事が貴族なのよ!」

 自分自身に言い聞かせて、ルイズは地下神殿へと戻っていった。
 野戦病院特有の喧騒がルイズの姿を掻き消し、彼女が地下神殿へ走り去るのに誰も気付く事がなかった。







                      ☆        ☆        ☆






 地下神殿の戦闘第二ラウンドは、グリフォン隊とヒポグリフ隊が、終始有利を保っていた。

 『這い上がるモノ』が液状である為、何らかの攻撃をしようとすればマクシミリアンの氷結魔法でたちまち凍りつかされ、『這い上がるモノ』は手も足も出ない状態だったが、トリステイン側は効果的な攻撃法が見つからず時間ばかりが無駄に過ぎていった。

「タフな敵だ、各員は精神の無駄使いに注意」

 マクシミリアンが指令を出し、膠着状態がさらに続いた。

 『這い上がるモノ』を倒す方法はあると言えばある。
 それはマクシミリアンの切り札、『目から破壊光線』だったが、シャジャルの警告以来、破壊光線を封印していた。

「マクシミリアンさま、これではきりがありませんわ」

「……カトレア、少し時間稼ぎをしてもらっていいか?」

「何か策がおありなのですか?」

「まあね」

「畏まりました。フレール!」

『クェ!』

 カトレアが呼ぶと使い魔のフレールが、電撃で『這い上がるモノ』に攻撃を加え始めた。

 一方のマクシミリアンは言うと……

『コンデンセイション』

 水魔法の初歩『コンデンセイション』で空気中の水蒸気で水を作り始めた。

「湿気が強いから、大量の水が作れそうだな」

「マクシミリアンさま、何をなさるお積りなのですか?」

「今は秘密だ。時間稼ぎ頼んだぞ」

 マクシミリアンが『コンデンセイション』で作り出した水玉が10メイルほどの大きさに育つとそれをバレーボール大まで圧縮させた。

「再びコンデンセイションで水玉を10メイルほどまで育ててまた圧縮。もう一度育ててまた圧縮……」

 圧縮圧縮また圧縮……
 圧縮を繰り返した水玉は乳白色にまで変化した。

「マクシミリアンさま……」

「静かに、最後の仕上げだ」

 最後の仕上げとして、大量の水を圧縮させた水玉に、ありったけの魔力をかけて凍らせ、凍らせた水玉の外周を5メイルほどの氷で補強する。

『アイス・ボム』

 と名付けられた超魔法を『這い上がるモノ』目掛けて投擲しようとすると、マクシミリアンはありえない者を見た。

「な!? ルイズ・フランソワーズ!?」

「え!?」

 突如現れた闖入者に、マクシミリアンとカトレアは呆気にとられた。

 ……

 悲鳴と怒号渦巻く通路を抜け、ルイズは『這い上がるモノ』によって破壊された桟橋まで到着した。
 アンリエッタとルイズは後方に下がったと聞いていた為、グリフォンとヒポグリフの各魔法衛士はルイズの侵入に気が付かなかった。

「逃げない事が貴族! 私は名門ラ・ヴァリエール家の三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ!」

 ルイズは壊れた石の桟橋の所まで行くと、集中攻撃を受けている『這い上がるモノ』に向けて杖を振るった。

『ファイア。ボール!』

 ルイズはスペルを唱え『ファイア。ボール』を『這い上がるモノ』へ向け放った。

 だが……

 ドカーン!

 火球を出ずに『這い上がるモノ』の右肩が突如爆発を起こした。

「ううううううう! 何で出ないのよ!!」

 ファイア・ボールに失敗して地団太を踏むルイズだったが、爆発の衝撃で足場となった桟橋が崩れ、ルイズは奈落の底へと落ちていった。

「え、やだ!? ちぃねえさま……!」

 落ちるルイスに『這い上がるモノ』は反撃を行おうと、残った左腕でルイズを掴もうとした。

「ルイーーーーーズ!」

 上方からカトレアが、猛スピードで降ってきて、強烈な『エア・ハンマー』放った。

 巨大な破城槌と言ってよいカトレアの『エア・ハンマー』は『這い上がるモノ』の上半身を吹き飛ばし、支えを失った『這い上がるモノ』は奈落の底へと落下して行った。

「掴まってルイズ!」

 落下するルイズにたどり着いたカトレアは、手をルイズに向けその手をとった。

『オオオオォォ!』

 落下しながらも再生を始めた『這い上がるモノ』は、ルイズとカトレアを掴もうと再び手を伸ばすが、急降下で降りてきたフレールの電撃で妨害されてしまった。

 落下しながらカトレアはルイズを抱き寄せる。

「ルイズ大丈夫? どうしてあんな無茶な事したの?」

「ちいねえさま。私、ちいねえさまの自慢の妹になりたかったの」

「そう、でも無理しちゃ駄目よ。ルイズにもしもの事があれば、みんなが心配するわ」

「みんな? お父様やお母様も?」

「それだけじゃないわルイズ。エレオノール姉様も、マクシミリアンさまも、アンリエッタもみんな心配するわ」

「ごめんなさい、ちいねえさま!」

 ぐずりながら謝るルイズをカトレアは愛おしそうに撫でた。

「姉妹のスキンシップ中に申し訳ないが、僕も回収してくれないか?」

「マクシミリアンさま!」

「お義兄様!」

 『アイス・ボム』の上に乗った状態でマクシミリアンも落下してきた。

 『アイス・ボム』を展開中のマクシミリアンはこの時一切の魔法が使えない。

 カトレアはマクシミリアンの手をとってルイズと一緒に抱き寄せた。

「あの氷の塊を何に使うお積りなのですか?」

「アレを奈落の底まで落として起爆させる」

「起爆ですか?」

「あの『アイス・ボム』はその名の通り氷の爆弾だ。火を一切使わない代わりに、超圧縮された水球を凍らせその周りを氷で覆った爆弾。圧力を解放させる事で、最新の爆弾と同程度かそれ以上の爆風を起こさせ、内封した冷気で周囲を氷漬けにし、周りを覆った氷の破片で敵を殺傷する……そういった魔法だ」

「内封した冷気で、あのスライムを氷漬けにするおつもりなのですね」

「その通り、カトレアは起爆させる瞬間、僕達を『エアシールド』で守って欲しい」

「畏まりました」

「ルイズ」

「ひゃ、ひゃい!」

 突如、マクシミリアンに振られたルイズは緊張した様子で応えた。

「言いたいことは山ほどあるがそれは後にしておこう。だが一つだけ言わせて欲しい。あまりカトレアを心配させるな」

「……はい」

 ルイズが壊れた桟橋から落ちた際、カトレアは脇目も振らず救出のために落ちていった時の事を思い出し、その時は肝が冷える想いだった。

「……間もなくだ」

 どれ程落ちただろうか。

 マクシミリアンは『目からサーチライト』で奈落の底を映し、底が近いことを悟った。

「起爆させる。頼んだぞカトレア」

「分かりましたマクシミリアンさま。ルイズもしっかり掴まっていて」

「はい、ちいねえさま」

 マクシミリアンが起爆のルーンを詠み始めると、カトレアは銀の杖を握りなおして起爆に具えた。

『アイス・ボム……デトネイト!』

 カッッ!

 瞬間眩いばかりの閃光が、真っ暗闇の奈落の底を映した。

「今だカトレア!」

「はい! エア・シールド!」

 カトレアが『エア・シールド』を展開させるのと同時に強烈な爆風と冷気が三人を襲った。

 ドゴォォォォォーーー!

 強烈な爆風は、カトレアのエア・シールドを突き破らんと、エア・シールドの見えない壁を大いに叩き付ける。

「うううう!」

「僕も『エア・シールド』を張る、もう少し耐えてくれ!」

「はい!」

 マクシミリアンら三人を覆った『エア・シールド』は『アイス・ボム』の爆風に揉みくちゃにされながらも、マクシミリアンがスペルを唱え終えるまで耐え切った。

「良く耐えたカトレア! 『エア・シールド!』」

 マクシミリアンとカトレアの多重エア・シールドは『アイス・ボム』の爆風と冷気を完全に遮断した。

『オオオ!』

「! 上から巨人スライムが!」

「無視して良い。零下100度以下の中でまともに動けるものなんて居ない」

 マクシミリアンの言うとおり、零下100度の中の『這い上がるモノ』はたちまち凍り付き、何も出来ずに落ちて行き、底に激突して砕け散った。







                      ☆        ☆        ☆







 戦闘後、奈落の底では多くの有識者で編成された調査隊が、防寒着を着て降りてきて周辺の調査を行っていた。

 奈落の底は、『アイス・ボム』の影響で一面銀世界だった。
 気温も零下30度で何か温かいものを羽織っていないと風邪を引きそうだった。
 凍ったカビがこびり付いた壁には、魔法のランプが照明代わりに着けられ一切の明かりが届かない奈落の底を明るくしていた。

「陛下、コートと温かい紅茶にございます」

「ありがとうセバスチャン」

 マクシミリアンは執事のセバスチャンから貰ったコートを羽織り、温かい紅茶を飲みながら調査隊を眺めていた。
 カトレアとルイズもコートを羽織って、メイドコンビから貰った紅茶を飲んでいた。

「ルイズ、寒くない?」

「大丈夫です。ちいねえさま」

「ここには何も無いから、カトレアとルイズは上に戻っていてくれ」

「マクシミリアンさまは、どうなさるのですか?」

「僕は調査隊を話があるから、もうちょっとここに残る」

「分かりました。行ってらっしゃいませ」

「いってらっしゃい、お義兄様」

 ルイズを抱いて地上へと戻るカトレア達にマクシミリアンは手を振って応えた。

「……さて」

 マクシミリアンが調査隊のところに行くと、何やら床を指差して議論をしている。

「どうした何かあったのか?」

「これは陛下」

「実は古代フリース人の物と思しき、人骨を発見いたしました」

 有識者が指差す方には、大小様々な人の骨が折り重なって倒れていて、有識者の言うとおり、この骨達は日の光を避けこの地で最後の時を迎えた古代フリース人の亡骸と推測された。

「トリステイン憎しで人間をやめた連中だったが、こうなってしまっては……な。丁重に弔ってやってくれ」

「……畏まりました」

 無数の人骨を弔うように命令すると、アンリエッタがミシェルに掴まって降りてきた。

「お兄様、お怪我はございませんか?」

「無事だよアンリエッタ」

「ミシェルもご苦労様」

「恐縮でございます陛下」

 奈落の底に降り立ったミシェルは、深々と頭を下げた。

「お兄様、あの人達はどうなったのですか?」

「スライムの事か? それだったら完全に凍り付いて動く事もできないだろう」

 マクシミリアンが顎でしゃくると、その先には凍り付いてバラバラになった『這い上がるモノ』が倒れていて、中の人骨があちこちに散らばっていた。

「お兄様、彼らをどうなさるのですか?」

「知れた事、二度とトリステインにあだ名す事の内容に燃やし尽くす」

「そんな! 可哀想ですお兄様。お止め下さい!」

「おいおいアンリエッタ。少し前に『楽にしてやった方が救われる場合もあるから覚悟しておけ』と言ったとき、お前は何と言った? 僕は覚えているぞ」

「そ、それは……」

「可愛い愛玩動物じゃないんだ。反論は受け付けない」

 マクシミリアンは踵を返して、魔法衛士隊に辺りのスライムを燃やし尽くすように命令を下した。

 魔法衛士隊は、たちまち散らばったスライムを燃やして回る。

 補助としてマクシミリアンは酸欠にならないように、燃やして出た二酸化炭素を酸素に変換し続けた。

 一面の銀世界は、魔法衛士隊の火魔法で溶けていき、やがてカビた奈落の底に変わっていった。

 巨大スライムは、見る見るうちに、炎で溶かされ蒸発していく。

 アンリエッタは、巨大スライムの成れの果てを見て涙を流した。

「うう、ぐすっぐすっ……」

「なあ、アンリエッタ。古代フリース人は同情すべきところもあるだろうが、そんな何千年前の恨みを、今になって晴らそうとしたのいただけないよ。そんな奴らは滅びて当然だ」

「……そんな!」

 アンリエッタはショックを受けた。
 普段はあんなに優しかった兄だったが、敵対した者には容赦の無い冷酷な面を今回初めて見たからだ。

「でも、私は助けたかったんです。みんな幸せになって欲しかった……」

「アンリエッタのやさしさは素晴らしいと思うよ。けどね、世の中善人ばかりじゃないんだ。それどころか優しいアンリエッタを利用する(やから)が現れないとも限らないから」

「……ぐすっぐすっ」

「今は分からなくても、大人になれば分かってくれると思う。けど、その優しさを失わないで欲しい。さ、アンリエッタ。上でカトレア達が待っているから早く行っておあげ」

 マクシミリアンは魔法衛士隊の『消毒』を監督する為にアンリエッタから離れていった。

 アンリエッタは、結局何も出来ずに終わった自分の不甲斐なさを悔やみ、ぽろぽろと涙を流し続けた。

 そんな時だった。
 何処からとも無く声が聞こえてきたのは……

『我々のために泣いてくれてありがとう』

「え?」

 アンリエッタは辺りを見渡すが誰も居なかった。
 幻聴だったのだろうか、その後も耳を済ませても何も聞こえなかった。

「アンリエッタ様、いかがいたしました?」

「なんでもないわミシェル。行きましょうか……」

 幻聴であろうがなんだろうが、ほんの少しだけアンリエッタの心は救われたのは確かだった。

 地下の脅威を取り除いた事で、

 工兵隊が地下迷宮に入り、地下神殿で研究価値のある物品を地上まで上げ、後日トリスタニアの美術館(ミュージアム)に移されると、地下神殿へ続く一部の通路以外は爆薬で発破したりと様々な方法で潰された。

 その後、地盤の補強の為にコンクリートが流し込まれ、トリスタニア増築計画の基礎は出来上がった。
 

 

第八十一話 初等教育開始


 地下世界での戦闘の1ヵ月後、王都トリスタニアは増築計画に基づく大開発の真っ最中で、完了を迎えつつある北部開発から多くの人員が異動・動員されて、今までに無い活気に溢れていた。

 チクトンネ街の大衆酒場兼宿場「魅惑の妖精」亭は、彼ら労働者に酒と料理を振る舞い、今日も大いに繁盛していた。

「さあ、妖精さんたち! 団体さんのご入店よ~」

『いらっしゃいませ~!』

 「魅惑の妖精」亭の店長スカロンは、いつもの様に身体をくねくねさせながら、コンパニオンの少女達に檄を入れた。

 店内は8割が増築計画の作業員で、仕事帰りの作業員が頻繁に立ち寄る事から大商いが続いていた。

 そんな「魅惑の妖精」亭の喧騒とは違って、二階のとある一室では三人の子供が、明日開校する初等学校の入学の為の準備に追われていた。

「はぁ……どうしたって、わざわざ勉強しに、こんな準備をしなくちゃいけないのかしら」

 ため息を吐いたのはスカロンの一人娘で、「魅惑の妖精」亭の看板娘だったジェシカだ。

「ジェシカは良いでしょう。私達はわざわざタルブ村から引っ張り出されてきたのよ」

「あ、でも勉強って楽しみかも」

 ジェシカの愚痴に答えたのは、ジェシカの従姉妹のシエスタとその弟のジュリアンだ。

 国王マクシミリアンは、5歳から15歳までの児童労働の禁止と、初等教育の実施をトリステイン全国に触れ込み、トリスタニアやリュエージュといった直轄地の主要都市に所等学校と子供達を住まわせる寄宿舎を建て、都市部の子供や農村部から連れて来こられた子供達を放り込み徹底的に教育する計画が立てられた。

今まで、ハルケギニアにおいて『学校』といえば、ロマリアの神官を育成する『神学校』が常識だったが、マクシミリアンは平民にも読み書き程度の学力を付けさせ、筋の良いも平民を拾い上げる事で、更なる人材の発掘育成を目的とした初等学校制度を、マザリーニを始めとする神官出身の家臣達の反対を押し切って実施した。

 マザリーニは『時期尚早』と言っていたが、マクシミリアンはそんな事は十分に分かっていた。

 だが、改革・工業化を推し進めるトリステインでも、ガリア・ゲルマニアの二大大国と比べれば、その国力の差を縮めるのはいかんともしがたい。
 だからこそ、マクシミリアンは教育を推奨し、『人財』を蓄える事で二カ国との国力の差を縮める事にしたのだ。

 トリステインの教育改革の最大の障害は、やはりロマリアだろう。

 マクシミリアンはロマリアとの関係悪化を最小限にする為、トリスタニア大聖堂を改築したり、ロマリア本国へ頻繁に使者を送って、これでもかとおべっかを使い続けた。

 お陰で、ロマリアへの接待費が本年度のトリステインの総支出の10%を占め、計画段階だったトリステイン鉄道計画は延期を余儀なくされた。

 破門回避の為とはいえ、マクシミリアンのロマニアに対する怒りは凄まじく、今までの交渉の成果をちゃぶ台にひっくり返して、ロマリアを地図から消そうかと本気で思ったが、カトレアが何とかなだめる事でことなきを得た。


 ……話を戻そう。

 初等教育で習う内容は、読み書きと計算、最低限の礼儀作法と教養を教えるのが基本で、幼稚園と小学校が一つに纏まった教育機関で、地球の様な中学校や高等学校で習うような学習内容は入っていない。
 それ以上の内容を受けたければ、成績優秀で特待生になって奨学金を貰い大学に入るか、普通の平民では手が届かないような額の学費を払って大学に入るしかない。
 児童労働の禁止が新しく定められた為、16歳になるまで卒業できないシステムになっていて、就労期間は特に定まっていない。
 悪く言えば、どんなに成績が悪かろうと16歳になれば寄宿舎を放り出されるのだ。

「じどーろーどーの禁止だっけ? それのお陰で店で働けなくなっちゃったわ」

「私も貴族様のお屋敷へご奉公に行く予定だったわ」

「僕も父さんの手伝いをするはずだったんだけどな」

 愚痴りながらも、準備の手を休めなかった。なんだかんだで、三人は学校なるものが楽しみだったからだ。
 シエスタ達が、わざわざタルブ村から王都トリスタニアの学校に入る為に来たのは、

『ジェシカちゃんてば、最近良い人が来なくなって落ち込んでるみたいだから、シエスタちゃんに励まして貰いたかったのよ。ついでにガッコーに通う事が決まったから、ジュリアンきゅんも一緒にいらっしゃいな」

 くねくねとしながら言って、スカロンが二人を呼び寄せたからだ。

「ガッコーの場所って何処だっけ?」

 ジュリアンが、シエスタ達に初等学校の場所を聞いてきた。

「国王様が前に住んでらした所よ」

「あら、そこって知ってるわ!」

 ジェシカが応えると、シエスタは目をキラキラさせた。

「どうしたの姉さん?」

「あそこの大浴場って、一度入ってみたかったの!」

 シエスタが大浴場に思いを馳せた。

「あそこはやめといた方が良いわ」

 だが、トリスタニアっ子のジェシカは否定的な意見を出した。

「どうして?」

「あそこは今。成金連中の巣窟よ。見栄っ張りな成金ばかりだって聞いたわ」

「成金てなに?」

 ジュリアンが聞いてきた。

「成金ってのは……そうねえ、前の意地の悪い貴族みたいな連中の事よ」

「貴族みたいな? 姉さん、それなら行かないほうが、いいんじゃないかな?」

 ジュリアンがシエスタに振ると、

「そっか……残念だわ」

 と、シエスタは後ろ髪を引かれながらも、大浴場を諦めた。

 そんなシエスタにジェシカが、助け舟を出した。

「安い大衆浴場なら今度連れてって上げるわよ」

「本当?」

「なんなら今行こうよ」

「良いわね行きましょうよ」

「言っとくけどジュリアン。大衆浴場は男女に分かれてるから一緒に入れないわよ」

「そ、そんなんじゃないって!」

 三人が行った大衆浴場は、それなりに綺麗でシエスタ達は旅の垢を落とす事ができた。

 こうして、入寮前の最後の夜は更けていった。






                      ☆        ☆        ☆







 次の日、三人は新宮殿の敷地内に建てられた寄宿舎に入寮する事になった。

 新築の寄宿舎は男性寮と女性寮とで分かれていて、ジュリアンはシエスタとジェシカと別れて男性寮へと入っていこうとしていた。

「それじゃ姉さん達も、お元気で」

「別にコンジョー(今生)の別れじゃあるまいし」

「あはが、またね。姉さん、ジェシカ!」

 ジュリアンは手を振って二人に別れをつげた。

「私達も行こっか」

「そうね」

 二人は新築特有の良い匂いのする領内へ入っていった。
 その途中、食堂と思しき大きなホールに着いた。

「食堂は、男子寮と女子寮の中間にあるのね」

 食堂の壁には『時間厳守!』と書かれた張り紙がしてあったが、二人とも文字が読めなかった。

「なんて書いてあるのかしら?」

「う~ん。わかんない」

 シエスタとジェシカが張り紙を見てウンウン唸っていると、一人の女性がやって来て二人に声を掛けた。

「貴女たち何をしているのかしら?」

「あ、すみません、これなんて読むんですか?」

「ああこれ、『時間厳守』よ。定められた時間を過ぎると食事が出来なくなるの」

「寝坊したらご飯が食べられなくなるのって、私んちじゃ普通だよね」

「あの、ありがとうございました。私この学校に入学する事になったシエスタです。この子はジェシカ。よろしければお名前聞かせてくれませんか?」

 年齢的にお姉さんを演じなければならないシエスタは自己紹介を始めた。

「エレオノールよ。エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。初等学校で教師をする事になっています。ひょっとしたら貴女たちを受け持つ事になるかもしれないわね」

 エレオノールはそう言うと、何処かへ行ってしまった。

「わわ、貴族様よジェシカ!」

「貴族が平民相手に教師をするなんて、この国も変わったわね。私が子供のころは横暴な奴が多かったのに……」

「今も子供だと思うわよ?」

「……ま、それはさて置き、今じゃ貴族よりも成金連中が酷いけどね」

「そうなの?」

「そうよ、シエスタも気をつけなさいよ。うかうかしてると身請けさせられちゃうわよ」

「そ、そんな事ないでしょ。今の国王様はそんな事許さないと思うわ」

 二人はぺちゃくちゃ喋りながら女子寮の受付へ足を進めた。

 ……

 受付で部屋の鍵を受け取った二人は、掃除の行き届いた廊下を通って自分達が寝泊りする部屋の前にたどり着いた。

「ここが私達の部屋ね」

「でも、同じ部屋で助かったわ」

「そうね」

 鍵を差し込みドアを開けると、一メイルほどの窓が真正面にあり、左右に二段ベッドと小さなタンスが二つの簡素な内装だった。

「見て、ベッドの上に服が置いてあるわ」

 二段ベッドの上下の段には、初等学校で使う制服が置かれていた。

 マダム・ド・ブラン製の制服だったが、字が読めない二人はそれぞれの制服を手に取った。

「可愛い!」

「早速、来て見ましょう」

 二人はわくわくさせて制服に袖を通した。
 制服は冬服と夏服の二着があり、デザインは冬服が黒いセーラー服で、夏服が白と黒のポピュラーなセーラー服だった。

「この白いの、前に店に来た水兵が着てたわ」

「でも可愛いわね」

 シエスタは冬服をジェシカは夏服をそれぞれ着て、見せ合いっこをしていた。

 バレリーナの様にクルリと回ると、ひらひらと短めのスカートが舞い上がり、二人のドロワーズを晒す。

「これで毎日過ごさなきゃならないのかしら?」

「ベッドの上に貴族様が履きそうな下着があるけど……」

「私達が履いていいのかしら?」

「二人分置いてあるんだから履いて良いんでしょ。よっと……!」

 ジェシカはドロワーズを脱ぎだした。

「看板娘が聞いて呆れるわ」

 シエスタは呆れながらも自分のドロワーズに手をかけた。






                      ☆        ☆        ☆




 エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールは、今年で21歳になった。
 かつて家出をして、王太子時代のマクシミリアンの新世界へ探索に同行し、それなりの名声を得た。

 新世界でのちょっとした冒険はエレオノールを人間的に成長させ、癇癪をある程度コントロール出来るようになった。

 ……だがしかし、彼女は未だ独身だった。

「大丈夫よエレオノール。まだ21じゃないの、チャンスなんていくらでのあるわ」

 初等学校の教員用の寮の自室にて、エレオノールは鏡に映った自分の目を見ながらつぶやいた。

 名門、ラ・ヴァリエール公爵家の長女で、妹のカトレアはトリステイン王妃。
 外戚として将来を約束された、これ以上無い優良物件だったが、これまで10件以上の婚約の解消を先方から告げられていた。

 元婚約者曰く……

『見た目は良いのに、どうしてそんなに残念なのかい?』

『なんて残念なんだ君は……本当に残念だよ』

『どうして、お酒が入るとそんなに人が変わるんだ?』

『ごめん、もう無理だ!』

 元婚約者達は悲鳴を上げながらエレオノールの前から去っていった。

 新世界から帰ってきたエレオノールだったが、人間的に成長すると同時に致命的な悪癖も持って帰ってきてしまった。

 古人曰く。

『酒は飲んでも飲まれるな』

 そう、エレオノールに新たなアビリティ『酒乱』が付与されたのだ!

 最悪な事に、飲んだ次の日の事は何も覚えていなくて、婚約者側も名門ラ・ヴァリエールと親類の国王マクシミリアンの影が怖くて何も言えず。結果、一人また一人とエレオノールから去っていった。

 自分の悪癖に気付かないエレオノールは、今では家を出て初等学校の教師として自立の道を歩き始めた。

『良い人が見つかったら、すぐ家に戻ります』

 とラ・ヴァリエール夫妻を説得して何とか許可を得た。
 大した自立の道だこと……と何処からかツッコミが来そうだった。

「そうよ、大丈夫大丈夫。私の二十代は始まったばかりなのよ!」

 気を取り直して、エレオノールはと自分自身に檄を入れると、クイッと眼鏡を上げ、腰に手を当ててポーズを決めた。
 同僚の教師陣は皆貴族で、その中から言い人を見つければ良いし、王都トリスタニアでは頻繁にパーティーが執り行われる事から、それに顔も出せば出会いがあるかもしれない。

「ふふ……決まった」

 などとほざくと、綺麗な金髪を手でなびかせ部屋を出た。

 残念な美女、エレオノールの狩りは始まったばかりだ……







                      ☆        ☆        ☆






 初等学校の入学式は、入学生が百人程度の規模で執り行われた。

 トリステインの平民教育制度は今は実験段階で、各都市に設けられた全て初等学校の入学生を合わせても千人に満たないが、マクシミリアンは10年以内に全ての平民に教育を施す為の義務化を計画していた。
 入学生の割合は5歳から15歳の男女とバラバラで、学年ごとに習う内容が決まっている訳ではなく、教師と年長者で手分けして年少者を受け持つ様な、どちらかというと、昔の日本の寺子屋の様な形態をとっていた。

 これは教師の募集をした際に、読み書きが出来る貴族がみな高給が約束された他の仕事に行ってしまった為、教師の数が不足していた事からやむなくこういう措置をとった。

 マクシミリアンは悲観せず、

『十年二十年後は平民向けの職業として定着するかもしれない』

 と言って、むしろ新たな雇用の誕生を喜んだ。

 とはいえ、単純に『雇用』と言ってもその道は厳しい。
 何せ、人を教え導く職だ。『人間』が出来上がった人間でないと勤まる仕事ではない、言ってみれば『聖職』である、とマクシミリアンと思っていた。
 ろくでもない教師に当たって子供達を不幸にする可能性がある為、振るい掛けは慎重に進めなければならない。

 もっともエレオノールをはじめとした、初等学校の教師の面々が人間が出来ているかどうかは、疑問点が付くが……

 ともかくトリステイン王国における初等教育はこうしてスタートした。

 ……

 入学式を終えたシエスタ、ジェシカ、ジュリアンの三人は、割り当てられた教室に入った。
 百人の入学生を五つに割り、一クラス二十人前後で、三人とも同じクラスだった。

 教室内で真っ先に目に付いたのは、生徒三人ほど並んで座れる長椅子と長机が並べられていて、向かい合うように黒板があり、小さな講義室を思わせる教室だった。

 教室内で騒いでいる子供たちは皆年齢がバラバラで、口悪く言えば、動物園の猿の檻の中……という言葉がピッタリな状況だった。

 そんな中、担任のエレオノールが教室に入ってきた。

「さあ皆さん。席に着きなさい!」

 馬術用のムチを片手に、生徒達に席に着くよう命令するが……

『がやがや……』

『きゃいきゃい……』

 シエスタ達は席に着いたが、他の子供たちは席に着こうとせずお喋りをして騒いでいた。

「……」

 仏頂面のエレオノールが、ぺちぺちとムチで自分の手の平を数回叩くと、

「さっさと席に着きなさい!」

 ビシィ!

 と、エレオノールはムチで、前列の机を力一杯叩いた。

『ひい……!』

『あわわ……!』

 途端に静まる教室。
 子供たちは我先に近くの席に座り、大人しくなった。

「……始めまして。私はあなたを卒業まで受け持つヴァリエールです。ヴァリエール先生と呼びなさい」

「……」

 エレオノールの自己紹介は、生徒達の畏怖の目で迎えられた。

「これから、貴方達に基礎的な読み書きに計算、その他諸々を教えます」

『……ごくり』

 生徒のほぼ全員が生唾を飲み込んだ。

「特に貴方達には、社会での生活能力をみっちり学んで貰いますから覚悟しておきなさい」

『……』

「返事は!?」

『はい!』

 シエスタ達を含めた生徒達は、大きく返事をした。

「……何だかとんでもない所に来ちゃったわね」

 ジェシカが呟くと、シエスタもウンウンと首を振る。
 こうして、シエスタ達の初等学校での日々が始まった。
 

 

第八十二話 わるいおうさま

 国王マクシミリアン19歳の春。

 トリステイン王国とアルビオン王国との間で、とある協定が結ばれた。

 世間では協定が結ばれたロサイス港から取って『ロサイス協定』などと呼ばれているが、早い話がアルビオンがアルビオン北部の領土、『オーグニー諸島』と呼ばれる浮島群を担保に、トリステインからお金と食糧援助を得るという協定だった。

 ハルケギニア大寒波のダメージに喘ぐアルビオンは、この借金のお陰で損害から立ち直りを見せ始め、国民に安堵の表情が戻りだした。

 新たな領土を得たトリステインは、早速オーグニー諸島の開発を開始し、新たな漁業拠点と『スカパー・フロー』と呼ばれる軍港の開発に着手した。

 配備される艦艇は、帆走コルベット艦などの二線級以下の小型艦艇ばかりで、アルビオンへの配慮が窺われた。

 だが配慮を見せても、腹の虫が収まらないのがアルビオンの貴族達だ。
 大事な土地を売って多額の資金と食糧援助を得たものの、トリステイン憎しの声をとアルビオン王家のへの失望の声は、日に日に大きくなっていき、トリステイン諜報局が、とある貴族が不穏な集会を開いたという情報をキャッチした。

 トリステンの裏を知る者、諜報局長のクーペが不穏な集会の情報を持って来た。
 執務中だったマクシミリアンは、執務室全体に『サイレンス』をかけ、密談の準備を整えた。

「何かあったかクーペ?」

「まずは、これをご覧下さい」

 マクシミリアンは、クーペからアルビオンでの不穏な集会の情報が書かれた紙を渡された。

「……ふむ」

「いかがいたしましょう」

「この事はアルビオンへ知らせずに、連中を泳がせておけ」

「よろしいのですか? アルビオン国内が不穏になれば、トリステインと新世界を結ぶ航路が危険に晒されますが」

「かまわない、その為のスカパー・フローだ。上手く泳がせながら、連中の暴走を利用してトリステインの利益へと持っていこう」

 アルビオン大陸は、ハルケギニアと新世界との間にできた栓の様なものだ。
 トリステイン船が大洋に出る際には、必ずアルビオン近海を通らねばならず。もしアルビオンとの間がギクシャクすれば、アルビオンは私掠船を組織して新世界からの富を妨害、略奪する可能性もあり、何かと気を使っていた。

 この危険性について、とある会議で議題に出したところ、楽観的な家臣は、

『考え過ぎではございませんでしょうか?』

 とマクシミリアンの懸念を笑って否定したが、マクシミリアンの心は晴れない。

『昨日今日までの友人が、明日には突如敵に回る事なんて、国際社会じゃそう珍しい事じゃない』

 と考えていた所にアルビオン側から借金の提案があり、マクシミリアンは外務卿のペリゴールを遣わせ、オーグニー諸島を担保に多額の資金提供を誘いアルビオン側はこれに乗った。

 そして現在アルビオン北部のオーグニー諸島を得た事により、北回り航路のシーレーン防衛に光明が差した。


「陛下も国際社会という化け物をずいぶんと心得るようになりました。このクーペ、大変うれしゅうございます」

「世辞はいいよ。僕はトリステインに必要な事をしたまでなんだ」

「して、アルビオンをどう料理なさるお積りで? 現国王のジェームズ1世陛下とウェールズ皇太子殿下、そしてモード大公の御三方を亡き者にすれば、アルビオンの王位継承権は陛下の物となりますが……」

 そう言ってクーペは『お伺い』を立てた。
 ちなみに新世界に居るハーフエルフのティファニアは、『候補に入れる必要は無い』と思い、王位継承者から除外してある。

「そこまでやる必要は無い。強くなりすぎればシーレーンを脅かす厄介な相手になるが、だからと言って弱すぎて同盟国として頼りないと困る。生かさず殺さず、常にトリステインが主導権を保ち続けるようにしよう」

「御意」

「他に報告はあるか?」

「帝政ゲルマニアに放った間者の事ですが、早くとも二三年後には、スラヴ人は爆発すると思われます」

「仕掛けは上々か。クーペ、暴発しないように、スラヴ人たちを調整と監視を怠るな」

「御意」

 ゲルマニアの仕掛けとは、ゲルマニア国内のスラヴ人と呼ばれる非ゲルマニア民族に、民族主義を植え付け反乱を起こさせる計画だった。

 マクシミリアンは、机にブランデーグラスを二つ置き、最近出回るようになったタルブ・ブランデーの栓を抜いた。

「クーペも()るか?」

「私は結構でございます」

「そうか」

 そう言ってマクシミリアンは自分の分のみをグラスに注いだ。

「仕事が残っておりますので失礼いたします」

「ん、ご苦労」

 クーペは一礼すると執務室を出て行った。

「謀略、謀略、また謀略……悪い王様ここにあり、だな」

 マクシミリアンは、ブランデーが満たされたグラスの先を覗き込むようにすると、フンと鼻で笑い、それを一気に呷った。

 ……

 執務室を出たクーペは、空き部屋に入ると周囲に誰も居ない事を確認し、用意していたメイド服を取り出すと、今まで着ていた男性用の服を脱いだ。
 中肉の男の姿だったクーペの身体は、見る見るうちに皮と骨だけになり、股の間には切り取ったのか、それとも最初から付いてなかったのか、シンボルが付いて無かった。
 次にクーペが合掌する様に両手を擦り出すと、手の平にはピンク色をしたペースト状のものが付いていて、そのペーストを身体に塗りたぐると、骨と皮だけのクーペの身体に肉が付き出した。
 石膏細工の様に身体にペーストを塗りこむと、ペーストは人の肉にそっくりに変化し、最終的にクーペは女性の身体に変化してしまった。
 用意しておいたメイド服を着ると、最後の仕上げに自分の顔を粘土細工の様に変化させ、何処にでも居るような凡庸な女性の顔に変化させ、何食わぬ顔で空き部屋を出て行った。

 これがクーペの『変化』だ。
 マクシミリアンの推測では土魔法の一種とだけしか分からない、諜報局長ジョゼフ・ド・クーペの秘術だった。

(もう一押し……)

 クーペは誰にも気付かれないように内心呟いた。

 クーペは腹の底が読めない事から、何かと誤解されがちだが、マクシミリアンへの忠誠は本物だ。

(もう一押しで、陛下は『本物』になられる)

 マクシミリアンがアルビオン王家を駆逐し、アルビオン王に君臨する決断をすれば、謂わば最後の一線を越えれば、マクシミリアンは大王としての階段のとしてのスタートラインに立てる。

 クーペはそう思っていたし願ってもいた。

(そういう決断をされれば、このクーペ、持てる全ての力で、陛下の覇業をお助けいたします)

 だが、マクシミリアンの覚醒を阻むものが居た。

 王妃のカトレアだ。

(あの女が陛下に余計な事を吹き込んだお陰で、陛下の踏ん切りが付かないのだ……!)

 外付けの良心回路ともいえるカトレアの存在に、クーペは歯噛みした。

(胎盤のみ捧げれば良いものを……)

 凍て付いた憤懣(ふんまん)を隠しながら、メイド服の女性姿のクーペは廊下を歩き去った。







                      ☆        ☆        ☆






 とある日、マクシミリアンは妻のカトレアと妹のアンリエッタ母のマリアンヌの国王一家で、トリスタニア市内のタリアリージュ・ロワイヤル座劇場にて演劇の鑑賞をした。

 演劇の演目は『英雄王のロレーヌ戦役』で、英雄王フィリップ3世の活躍を描いた演劇だが、女性陣には余り評判はよろしくなかった。

「ふぁ……つまんないわ」

「みっともないわアンリエッタ」

 などと、アンリエッタなどはおおっぴらに欠伸をして、マリアンヌにたしなめられたりもした。

 来賓室は国王一家四人と護衛の魔法衛士数人が居た。廊下へと通じるドアの外には護衛の衛兵がガッチリ警備を固めていて、警備体制に万全の注意を払っていた。

「カトレアはどうだ? 楽しくないか?」

「マクシミリアンさまとご一緒でしたら、楽しくないなんてありませんわ」

(それって、オレが居なきゃつまらない、っていう風にとらえられるんじゃね?)

 そう考えていると演劇はクライマックスに入っていた。

 ピンクブロンドの髪の二枚目俳優が、敵役の大男と一騎打ちを演じていた。

「お、烈風カリンの一騎打ちだな」

「確かお母さまは男と偽って、フィリップ3世陛下に御使えしていたのですね」

 一部の者しか烈風カリンが実は女だと知らない為、大抵の烈風カリン役は、売り出し中の二枚目俳優が演じる事になっているのが通例だった。

 チラリとマリアンヌの方を見ると、何処か懐かしそうにしていた。

 烈風カリンと大男の一騎打ちは、いよいよ佳境に入っていた。

『往くぞ! 我が杖に全てを賭けて!』

『うおおお! おのれ烈風カリン!』

 烈風カリン役のイケメン俳優が、敵役の大男を倒すと、一部の観客席から黄色い声が上がった。

「モテモテだな、キミの母君は」

「お母様も昔はやんちゃだったんですね」

「今でもヤンチャだと思うがね」

 マクシミリアンとカトレアが、笑い会っていると場内にアナウンスが流れた。

『ご来場の皆様、以上で第一幕は終了にございます。休憩時間を挟みまして、第二幕をお送りいたします』

 『拡声』の魔法で劇場内に響いた声は、休憩時間を告げると幕が降り始めた。長い演劇の為、途中で休憩時間が挟まれるのだ。

「少し劇場内を散歩しようか、カトレアは来るかい?」

「はい、御供させていただきます」

「アンリエッタはどうする?」

「私はここでりんごジュースを飲んでいますので結構です」

「そうか、それでは皆、母上とアンリエッタをよろしく頼む」

「御意!」

 護衛の魔法衛士達に声を掛け、マクシミリアンとカトレアは来賓室から出ると、廊下側に居たミシェルが近寄ってきた。

「陛下どちらへ?」

「休憩がてら散歩だ」

「ミシェルも着いて来る?」

「お二人だけにしておけませんから」

 ミシェルも二人の邪魔にならないように着いてくる事になった。

 廊下に出ると、他の来賓室に客達も休憩で廊下に出てきて、マクシミリアン達の姿を見ると驚いた顔をして頭を下げてきた。

「陛下!」

「国王陛下だ!」

「どうもどうも。ああ、畏まった礼はいいよ」

 マクシミリアンは礼が不要である事を伝えると、そそくさと立ち去った。

 10分ほど館内を散歩していると、脂ぎった商人風の男が畏まりながらマクシミリアンの側にやって来た。すかさす、ミシェルがマクシミリアン達の前に立つ。

「それ以上近づくな。畏れ多くも国王陛下の御前であるぞ」

 ミシェルが凛とした声で商人風の男を制した。

「これは失礼いたしました。私の名はロトシルトと申します。国王陛下に一目お会いしたく、無礼を承知で参りました」

 ロトシルトと名乗った男は、手もみしながらニコニコと笑顔をマクシミリアンらに向けた。
 マクシミリアンはロトシルトのいやらしい顔に内心嫌悪感を覚えるも、この手の陳情は良くある事なので、それほど気にしないようにして何食わぬ顔で応対した。

「で、そのロトシルトが僕に何の用だい? 」

「その様な大それた事ではございません。陛下を面識を持ちたくこの様な無礼を働きました」

「そうか、僕も覚えておくよ」

「ありがとうございます。そろそろ再演ですので、私は失礼させていただきます」

「ああ」

 少ないやり取りだけで、ロトシルトは一礼すると別の来賓室に去っていった。

 ……

 数日後、ロトシルトという商人風の男の事が引っかかっていたマクシミリアンは、執務室にある男を呼び出した。

「失礼いたします」

「アルデベルテよく来てくれた」

 マクシミリアン呼び出した男は、かつてアントワッペン市で権勢を誇っていた大商人のアルデベルテだった。
 アルデベルテは、アントワッペンの反乱を引き起こした黒幕の一人だったが、その弁舌と商人界隈のコネクションを買われた為、普通なら死罪の所を三年の労役で赦された。
 現在は、マクシミリアンの政策ブレーンの一人としてトリスタニアに居を構えていた。

「どうだ、トリスタニアには慣れたか?」

「はい、陛下のお陰でございます」

「ま、掛けたまえ」

 そう言って、マクシミリアンはアルデベルテにソファに座るように促した。

「ありがとうございます。今回はどの様な用件で私を呼び出したのでございましょうか?」

「その事だがな……」

 マクシミリアンは、アルデベルテに先日のタリアリージュ・ロワイヤル座劇場で出会ったロトシルトの事を話し始めた。

「ロトシルト……でございますか」

「商人に多くのコネを持っているキミなら、何か知っていると思ってな」

「そう……ですね」

 アルデベルテは少し考え込んで、

「恐らくですが、ゲルマニアのフランクヴルト市で、銀行業を執り行っているロトシルト卿の事ではないでしょうか?」

「ゲルマニアの?」

「左様にございます。陛下はゲルマニアでは金銭で領地を買い取って、貴族の位を得る事ができるのはご存知でございましょうか?」

「ああ知っている。と、いう事はロトシルトは、ゲルマニアの貴族で間違いないのだな?」

「もしくはその縁者のいう可能性も有りますが……」

「うん、分かった、後で調べさせよう。個人的な事は以上だ。それで、今日呼び出したのは、ロトシルトのことだけでは無くてな……」

 マクシミリアンは、アルデベルテの商人ネットワークの話題に入った。

 そして、数十分後。

「失礼いたしました」

 話を終えたアルデベルテが下がると、マクシミリアンは次にクーペを呼んだ。

「ロトシルトか、どういうつもりでオレの前に現れたのか、引っかかる部分もあるが……」

 タルブ・ブランデーを満たしたブランデーグラスを転がしながらマクシミリアンは独り言を言った。

 ……暫くすると、ピール腹の中年男の姿をしたクーペがやって来た。

「失礼いたします」

「よく来たクーペ。相変わらず何にでも変身出来るのだな」

「ありがとうございます」

「今日呼んだのは、先日ロトシルトと名乗るゲルマニアの貴族に出会ってな。彼の事について調べて欲しい」

「ロトシルトですか。もしやこの様な顔ではございませんでしたか?」

 そう言ってクーペは、粘土細工の様に自分の顔を捏ね回すと、マクシミリアンが知るロトシルトそっくりの顔に変化した。

「おお、そうだ、その顔だよ」

「その男でしたら既に調べは付いております」

「手際が良いな。かなりの有名人なのか?」

「御意。相手は仮想敵の帝政ゲルマニア。しかも戦争状態になれば真っ先に激突する、西の雄、フランケン大公の重鎮ですからね」

「フランケン大公……確か選帝侯だったな。話には聞いた事があるがどんな人物なのだろう」

「そうですね……陛下は『英雄王のロレーヌ戦役』という演劇をご覧になった事はございますか?」

 マクシミリアンは先日見た。演劇の事を思い出した。

「この前に見たな」

「それでしたら話は早いです。その中で、かの烈風カリンと一騎打ちをした敵役を覚えておいででしょうか?」

「あの大男の……という事はあの大男がフランケン大公だと?」

「左様にございます。もっとも、演劇では烈風カリンの勝ちでしたが、実際は引き分けでした」

「監督、脚本の都合で勝利に変わったと?」

「左様にございます。史実では、鶏が鳴く時刻に一騎打ちを始め、カラスが鳴く頃に一騎打ちを終える。そのサイクルを三日間続けても決着がつかなかったそうにございます」

「二人とも精神切れを起こさなかったというのか……」

 マクシミリアンは、魔力無限のチートを得て少々天狗になっていたが、この話を聞いて上には上がいる事を思い知らされた。

「話を戻しますが、ロトシルトはフランケン大公の下では財務卿の任に就いており、同時に銀行家としてのコネクションを生かし政商としてゲルマニア全土に影響力を持つ男です」

「なるほど、大物だな」

「御意」

「その大物がアポ無しとはいえ、僕に目通りのみ求めてきた……何か企んでいるのだろうか。それとも商売のみでトリステインに版図を広げる為だけに近づいて来たのか。その辺りを踏まえて、クーペはロトシルトがなにを企んでいるか探って欲しい」

「承知いたしました。早速行って参ります」

「いくらなんでも早すぎないか? それに局長自ら諜報活動をするのもなあ……」

「前線に出るのがお好きな陛下に諭されるのは心外でございます」

「う、ううむ。まあ、クーペ自ら活動した方が確実か」

「お褒めいただき、ありがとうございます」

 ロスシルトの顔をしたクーペは、ニッコリ笑って一礼すると執務室を出た。

「ゲルマニアで権勢を誇る男。向こうはオレを利用するつもりで近づいて来たのかも知れんが、逆にこっちが利用してやろう」

 悪い笑みを浮かべ、マクシミリアンはタルブ・ブランデーを堪能した。
 

 

第八十三話 フランクヴルトにて



 ゲルマニア西部の大都市フランクヴルト。

 フランケン大公のお膝元であるこの都市は、トリステインとゲルマニア西部に流れる大河メイン川の支流マイン川の下流に位置することからフランクヴルト・アム・マインとも呼ばれ、西部ゲルマニアにおける金融の中心地でもある。
 その金融を取り仕切るのは、フランケン大公の下で財務卿をしているロトシルトで、彼の経営する銀行はフランクヴルトの一等地に存在した。
 フランクヴルトの中心にはフランケン大公の大きな城が、都市の支配者であるかのように君臨していたが、一部の聡い市民はフランクヴルトの真の支配者は、大公の財布を支配するロトシルトである事に気付いていた。

 トリステインの諜報局長のクーペは、得意の変身を生かしてフランクヴルト各所を諜報しながら回った結果、ロトシルトは自分の屋敷を持たず普段は自分の銀行で寝泊りしている事が分かった。

 ……ある日のフランケン大公の城の広い城内では、一人のメイドがいそいそと掃除をしていた。

「ちょっとヨゼフィーネさん。次は廊下の掃除をしてちょうだい」

「はぁ~い」

「いい? しっかりと綺麗に掃除するのよ? 少しでも汚れが残っていたら奥様にどやされるわ」

「分かりました~」

 掃除を命じられた二十代前後の田舎から出て来たばかりの様な女は、ヨゼフィーネといって正体は変身したクーペだ。
 クーペは諜報活動の結果。ロトシルトはこの城内に仕事場を設けている事が分かり、その調査のために潜入した。

 メイド長の中年女性に、廊下の掃除を任されたクーペはモップとバケツを持って廊下の掃除を始めた。

 ハルケギニアには勝手に掃除をしてくれる、『魔法の(ほうき)』という便利なマジックアイテムがあるが、高価な為、大公の城ではそんな物は使わない。全て手作業だ。

 ……クーペは目立たないように、そつなく掃除をしていると、

「まったく! こんな粗相をして、ただで済むと思わない事ね!」

 何処からか、女の怒鳴り声が聞こえてきた。

「申し訳ございません、申し訳ございません!」

 十代半ばのメイドの少女が、煌びやかな服を着た中年女性にムチで叩かれている。

 よく見ると、ムチを振るう中年女性の服に、赤い染みの様な物が出来ていた。
 どうやら、メイドの少女が中年女性にワインをこぼしてしまったらしい。

 周りに居た家人達は誰も止めようとせず、ただ見守るだけであった。
 クーペとしては、下手に目立つ様な真似はせず、その光景を見守り続けた。

「はあ、はあ……これに反省したら、今度はしっかりと仕事をする事ね」

 清々したのか中年女性は息が切らして何処かに立ち去った。

 中年女性が居なくなった事を確認すると、家人達が一斉に少女へ駆け寄った。

「大丈夫か?」

「誰か水と布巾を!」

 ヨゼフィーネも駆け寄って少女の状態を診ると、メイド服はビリビリに破け、顔や身体がムチで蚯蚓(みみず)腫れで、とても見れる様な状態ではなかった。

「まずは何処かには運びましょう。男衆は手を貸してちょうだい」

 メイド長が言うと、数人の男達が少女を抱き上げ、使用人が寝泊りする区画へ去っていった。

「あの、メイド長……」

「何かしら?」

 メイド長は少女達の後を追おうとしたが、クーペに声を掛けられた。

「わたしも着いてって良いですか?」

「ここの掃除はどうするのですか?」

「ちゃんと済ませますからお願いします」

 以外と人情派なのか、メイド長はため息をついて、

「……ほんの数分だけですよ。様子を見終わったら、すぐに戻って掃除を済ませなさい」

 と、ほんの数分だけ許可してくれた。

「ありがとうございます!」

 クーペとメイド長は少女が担ぎこまれた使用人の区画へ行くと、とある部屋の前では十人くらいの使用人が、少女の安否を気遣っていた。

「ハンナも可哀想に……」

「ああ、奥様に目を付けられたぞ。どうする? 逃がしてやろうか?」

「下手に逃がしたら。俺達まで被害が及ぶぜ」

「可哀想だが、奥様が飽きるまで耐えて貰わないと……」

 運んできた男達は、寝かせた少女の方を見て何やら話し込んでいた。

「あの、奥様が飽きるまでってどういう事ですか?」

「ん? あんた見ない顔だな、新入りか?」

「そうです。ヨゼフィーネって言います」

「それなら忠告だ。五体満足でこの城から出たかったら、奥様のご不興を買わないようにな」

 使用人の男達は、忠告としてクーペに話した。

「もし買ったらどうなるんですか?」

「散々いびられて、おもちゃにされて死ぬのが関の山だ」

「やっぱり、貴族の方って怖いんですね」

「まあな、昔はあんな人じゃなかったんだがなぁ……」

 使用人の男は、昔を懐かしむように言った。

「昔はどんな方だったんですか?」

「そりゃあ、とても可憐で清楚な方だったんだが、大公様をご結婚した後にな……ほら、この(フランクヴルト)の一等地にある、でっかい銀行のお偉いさん」

 使用人の男が思い出そうとしていると別の男が入ってきた。

「ロトシルト様だよ。フランクヴルトに暮らしているんならそれくらい覚えろよ」

「そうそう、ロトシルト様だ。で、そのロトシルト様が奥様に取り入ってきてな……それ以来、贅沢を覚えて今の様に変わってしまったんだよ」

「お陰で、奥様が散財する度に、ロトシルト様の(ふところ)が肥え太るんだよ」

 ロトシルトは、だいぶ昔からフランクヴルト市で影響力を持ち続けているようだった。

「最近じゃ、妙な占い師を城に呼び出したりしてるし、いい加減にして欲しいぜ」

 男達はそれぞれ悪口を言い合うと、メイド長が部屋に入ってきた。

「さあ、皆さんお話はそれまで。ハンナさんの事は私に任せて早く仕事に戻ってください」

 メイド長がパンパンと手を数回叩くと、『ウェーイ』と声を発し、使用人たちがそれそれの仕事に戻っていった。

「ヨゼフィーネさんも、早く戻って掃除を済ませてしまいなさい」

「分かりした~」

 クーペは最後にハンナと呼ばれた少女の方を見ると、ハンナは目を覚ましたのか少しだけ目が合った。

「メイド長。彼女目を覚ましましたよ?」

「分かったわ。早く戻りなさい、奥様に見つかったら同じ目に遭わされるわ」

「はい=~」

 クーペは掃除に戻って行き、テキパキと掃除を終わらせた。
 幸い、フランケン大公夫人に目を付けられず、クーペは空いた時間を使って大公の城の諜報に専念することが出来た。






                      ☆        ☆        ☆





 夜になると、城の敷地内に大きな馬車がやって来た。

「旦那様だ! 旦那様がお戻りになられたぞ!」

「急げ急げ! 正面入り口だ!」

 使用人一同は正面玄関に相当する場所へ集められた。

 ガラガラと音を立てて四頭引きの馬車が入り口で止まった。

 通常の馬車とは明らかに違う巨大な客室のドアが開き、中から二メイルを越す巨人が降りてきた。

『お帰りなさいませ旦那様!』

『お帰りなさいませ!』

 列を作って並んだ使用人達は、口々に巨人の労をねぎらった。
 その列にはクーペも混じっていて、頭を下げて他の使用人たちに習って巨人の労をねぎらった。

(あれがフランケン大公……)

 本来の歳は五十を越えているはずだったが、巨体とそれに見合った筋肉のせいか三十代のに見えていた。

 彼、フランケン大公カール16世の逸話は多く、特に戦場での勇猛ぶりは、永らく敵対していたトリステインにも届くほどだ。
 トリステインの烈風カリンと引き分けたほどの魔法の実力者で、トリステインとゲルマニアとの間に起こった数々の紛争では、英雄王フィリップ3世の戦術を、個人的武勇で撥ね返したも一度や二度ではない。

 休戦後は、その武勇でトリステインだけでなく、もう一つの大国ガリアもけん制し、緊張状態という平和が二十年ほど続いていた。

 そんなフランケン大公だったが……

「ゾフィーは今何処にいる?」

「奥様は、ご自分のお部屋でワインをお楽しみ中にございます。お会いになられますか?」

「い、いや、止めておこう。それよりも飯を食わせてくれ、腹ペコだ」

「畏まりました」

 彼は恐妻家でも知られていた。

 戦場では怖いもの知らずの勇者も、戦場以外では、てんでだらしの無い男だった。

「あら、旦那様。せっかく帰っていらしたのに、私には挨拶も無しですか?」

「うう、ゾフィー……」

 フランケン大公夫人のゾフィーが現れた。

「ただいまは?」

「た、ただいま」

「よろしい、では食事にしましょう」

「ああ……」

 そこには、完全に家庭のイニチアティブを握られた、哀れな男の姿があった。

 クーペは使用人たちの列の中でこの光景を見ていた。
 クーペの目指す、マクシミリアンの覇道にとって、フランケン大公は無視できない存在だったが、目の前の高慢ちきな女がフランケン大公工作に利用できると感じ内心ほくそ笑んだ。






                      ☆        ☆        ☆





 深夜、使用人は一部を除いて寝静まり、城内の殆どの者が活動を休止した頃、クーペは行動を開始した。
 クーペの寝泊りする四人部屋は、狭い部屋の中に四人分のベッドが置いてあるだけでの粗末な部屋だった。
 変身の応用でヨゼフィーネそっくりの人形を作り出すと、一切の気配を消し去り使用人部屋を出た。

 昼間に間にロトシルトの執務室を探し出しておき、闇夜に紛れ執務室を目指した。

 クーペが到着すると執務室の入り口には室内には防犯用のガーゴイルが常備されていた。

『……!』

 ガーゴイルは執務室に入ってきたクーペに反応した。

 だがクーペは得意の変身でロトシルトそっくりに変身し、ガーゴイルの目を欺くと執務室に侵入する事に成功した。
 執務室の中は入り口と同じように防犯用のガーゴイルが居たが、ロトシルトそっくりに変身したクーペにはチワワの番犬以下の効果しかなかった。

 改めて執務室を見渡すと、これ見よがしに大きな宝箱が机の隣に置いてあった。

 罠の可能性がある為、慎重に宝箱を調べると、鍵こそ掛かっていたが罠も何も備え付けてなかった。

(なんという無用心)

 しめしめとクーペは右手の人差し指を突き出すと、その指を鍵穴に差し込んだ。
 これも変身の応用で、ドロドロに溶けたペースト状のモノで鍵の鋳型を取り、鋳型を使って自分の人差し指を鍵に変化させる秘術だ。
 ずぶずぶと人差し指は鍵穴に入って行き、人差し指から溶け出したペースト状のモノはやがて固まり、鍵型ピッタリに変化した。クーペが手首を捻ると宝箱はガチャリと音を立て難なく開いた。

 『アン・ロック』を使っても良かったが、アンロック対策をしてないとも限らないし、念には念を入れての方法だった。

 ギギギ、と宝箱を開けると、クーペはギョッとした。

 開けられた宝箱の蓋の裏には『アン・ロック返し』と呼ばれるマジックアイテムが取り付けられていた。
 このマジックアイテムは、『アン・ロック』の魔法をかけると、逆に警報を鳴らしたり、罠を作動させる為のアイテムだ。

(読みどおり)

 と、ほくそ笑み宝箱を検めると、中にはエキュー金貨の入った布袋が数個と、大量の帳簿だけが入っていた。

(はずれか……ん?)

 違和感を感じたクーペは、もう一度よく宝箱を調べると、微妙だが宝箱の底が数サント浅い事に気が付いた。

(もしや……)

 と思い宝箱の底を入念に調べると、『ガコ』、と宝箱の底がずれた。
 宝箱の底は二重底になっていたのだ。

 二重底の下には、帳簿とは明らかに違う別の書類が入っていた。

 クーペが書類を取り出して軽く目を通すと、その書類はロトシルトの裏の部分が書かれた書類であった。

 書類の一つには、戦場以外では役に立たないフランケン大公に成り代わり、妻のゾフィーと彼女に取り入ったロトシルトが、フランケン大公領の実権を握るの為に、どの様な人間に賄賂を送ったかのデータや、その計画書など様々な書類が入っていた。

(ロトシルトを脅迫するのに役立つが、今欲しいのはその書類ではない)

 これらの書類はロトシルトを嵌め落とすのに大いに役に立つが、クーペの本来の仕事はロトシルトがトリステインに接近した理由だ。

 クーペは100枚以上ある書類に目を通しながら、トリステインに冠する書類を捜すと、とある一枚を見つけた。

 その内容は、東部ゲルマニアの政情不安に対し、将来的に起こるであろうゲルマニアに政情不安を自分の利益のために使用する計画だった。
 内容は内乱が発生する前に、大量の食料や武器などを買い占めておき、いざ内乱が起こった際には、品不足から物資の価格が高騰するまで倉庫に溜めておいて、『売り時』と見たら放出する……と掻い摘んで言うとそういう計画だった。

(……トリステインに近づいた理由は、食料と武器の調達と失敗した際の寄生先の選定という訳か)

 そして、クーペは直感した。

(商人としてはまったく正しい。だが、この男は危険だ……!)

 自分の利益の為ならトリステインどころか自国すら食い物にする。
 フランケン大公に寄生し、散々金を吸い取った後にその触手をゲルマニア全土に広げ、宿主が危なくなるとトリステインに取り入る。

 金で買ったとはいえ、貴族にしてくれたゲルマニアに対し、内乱を止める訳でもなく、己の利益に持って行こうとする愛国心の欠片もない、金が全ての寄生虫……

「……とミランの旦那辺りなら、そう評するのだろうが……ともかく陛下に指一本触れさせはせん」

 ロトシルトの顔をしたクーペは、無表情で書類を漁った結果、近年トリステインで問題になっている成金数人にもロトシルトの手の者が接触している事も掴み取った。

 クーペは重要な書類のみ抜き取とると、マクシミリアンから託された『ウォーター・ビット』でコピーした書類を代わりに挟み、侵入の痕跡を一切残さず、音もなく執務室を出た。

 ……

 クーペが部屋を出ると、未だ城内は深夜で魔法のランプの光も少なく、不気味な雰囲気が漂っていた。

(重要な書類は手に入れたし、慎重を期して部屋に戻ろうか)

 そう考え、部屋に戻ろうとすると、廊下の先のドアから部屋の明かりが漏れているのを見た。

(おや……?)

 クーペが足音と一切の気配を消して、ドアに近づき聞き耳をあてると、フランケン大公夫人のゾフィーが大公ではない別の男となにやら話し込んでいた。

(もしや、大公妃のゾフィーに間男が居たか)

 クーペの脳髄は、この状況をいかに利用するか回転し続けた。

 10分ほど、ゾフィーと男の様子を窺っていると、男は奇妙な動物の骨を空中にばら撒き、何やらブツブツと喋っている。

(これは、間男ではなく占い師か)

 クーペが思ったとおり、男はゾフィーが傾倒している占い師で、ちょうど、信託をが終わり恐縮しながらゾフィーに頭を下げた。

「何か良い結果が出ましたか?」

「はい、ゾフィー様。今年から来年にかけて我が帝国に大いなる幸運が舞い降りると出ました」

「そう、良かったわ」

「それにつきましてゾフィー様。この聖なるウサギの足の護符を持っていれば更に幸運が舞い込みましょう」

「買いましょう。お代はいつもの口座で振り込んでおくわ」

「ありがとうございますゾフィー様。ですが、大公様この事が知られれば、私の命が危のうございます」

「平気よ。あの男は戦場以外じゃ、何も出来ない木偶の棒なのよ。例え知っても私を怖がって何も出来ないわ」

「そうですか、では私の命は……」

「大丈夫よ。決して手は出させないわ」

「……ありがとうございます。ゾフィー様!」

 そして明け方、ゾフィーの部屋から占い師の男が、辺りの様子を窺うように出てきた。
 早朝独特のひんやりした空気が城内を包み、占い師の男は誰も居ない廊下を急ぐ様に歩いた。

 ヨゼフィーネ姿のクーペは、後ろから占い師の男を観察しながら追跡した。

 クーペは占い師の男の見た目や立ち振る舞いで平民であると看破した。
 そんな胡散臭い占い師が、おいそれと大公夫人のゾフィーに近づけるような身分ではない。

(となると、手引きした者が居る……)

 この時クーペは、ゾフィーに占い師を引き合わせた人物を、おぼろげながらも特定していた。

(おそらく、いや十中八九あの男だ……)

 城を出た占い師は、クーペが追跡している事も知らず、とある場所へまっすぐ帰った。

 その場所の名はロトシルト銀行本店。
 占い師は、路地裏の本店の裏口から中に入って行き、早朝の大通りにクーペだけが残された。

 クーペの睨んだと通り、裏でロトシルトが絡んでいた。
 ロトシルトは占い師の胡散臭い占いと自身の財産を使ってゾフィーを篭絡し散財させ、実質的にフランケン大公領を自分のものにしたのだ。

(まずは、陛下に報告しに戻ろう。フランケン大公の料理は後だ)

 大通りでは、チラホラと早出の商人達が、朝市の為に集まりだした。

 クーペはメイドのヨゼフィーネの姿から、商人風の姿に変装すると、風の様に路地裏から姿を消した
 

 

第八十四話 ボヘニアのヂシュカ

 帝政ゲルマニアの帝都プラーカは、かつては古代のゲルマニア人の集落があったが、二千年ほぼ前の騎馬民族の侵入でゲルマニア人は土地を追われて西に逃げ、代わりにスラヴ人が流入して来て大規模な集落を作った。

 その後、ガリアやトリステインといった国々の貴族達と婚姻し、魔法の力を得たゲルマニア人は、騎馬民族によって捨てざるを得なかった土地を取り戻す為に東征を開始し、スラヴ人の大集落もゲルマニア人に接収され、プラーカと名を改めた。

 征服の結果、多くの都市国家が出来て、後の帝政ゲルマニアの基礎が出来ると、プラーカじゃロマリア教圏の東の要衝としてロマリア司教座が設けられる、大量のゲルマニア人が流入し、ボヘニア王の首府として繁栄、『黄金のプラーカ』と呼ばれるまで発展した。
 しかし、繁栄の裏では、スラヴ人はゲルマニア人の圧倒的な魔法の力で末席へと追いやられていった。

 現在、プラーカのゲルマニア人とスラヴ人の比率は1対4で、スラヴ人が圧倒的に多いが、社会的地位はゲルマニア人の方が高く、スラヴ系平民はゲルマニア系平民よりも低い地位で生きていた。
 この様な事例はプラーカだけでなく、『新領土(ノイエ・ラント)』と呼ばれる、東征でゲルマニア領に組み込まれたスラヴ人の土地では、大量のゲルマニア人が入植して来て、差別的な光景が随所で見られた。

 プラーカに住むスラヴ人は、自分達の事をのチェック人と名乗り、トリステインの迂回献金による資金提供を受け、来るべき独立のために暗躍していた。

 プラーカ市内にある大衆酒場「麦畑の馬蹄」亭。

 この何処にでも在る大衆酒場の一室では、5人のチェック系ゲルマニア貴族が集まり、密談を行っていた。

「皇帝の様子はどうだ?」

耄碌(もうろく)し過ぎて、自分が何者かも分からなくなったそうだぜ」

「それなら我々の仕事もやりやすくなるという物だな」

「まったくだ」

 ハハハ、と笑う貴族一同。

 彼らチェック系ゲルマニア貴族は、貴族ではあるが全てが下級貴族で、要職についている者は誰も無く、チェック人のための独立国家建設の為にトリステインのゲルマニア謀略の尖兵として暗躍していた。

「では一両日中にも行動を起こすのですな?」

「そうだ。皇帝を血祭りにしなければ、今までの苦難から解放されない」

「では、いよいよ……」

「ああ、明日未明に行動を起こす」

『ザワ……』

 大衆食堂の一室は、にわかにざわめいた。

「そうとなれば、早速蜂起の準備をしよう」

「だが、どうやって城内に潜入するんだ?」

「城内には協力者が何名か居る。皇帝の寝室まで難なくたどり着けるだろう」

「それじゃ俺は、市内の平民達に武器を渡して合図を待とう」

「よし! やるぞ!」

 チェック人貴族達が盛り上がっていると……

「待て待て!」

 今まで黙っていた一人のチェック貴族が待ったをかけた。

「ヂシュカ。もしかしてお前は俺達の義挙に反対する積りなのか?」

 別のチェック貴族が、ヂシュカと呼ばれた碧眼の男に詰め寄る。

「反対と入ってない。私はそんな行き当たりばったりでは、蜂起は失敗するといっているんだ」

「行き当たりばったりでは無い! 現に我らはこの日の為に艱難辛苦の日々に耐えてきたではないか!」

「そうだそうだ!」

「ゲルマニア皇帝の命は高齢で明日をも知れないというのに、そんなボヤボヤしてたら、皇帝に制裁を加える間に死なれてしまう」

「落ち着け! 我々の目的は皇帝を殺す事ではなく、チェック人の国家を作る事だ。目的を履き違えるな!」

「ぐ、ぬぬ……」

「た、確かに……」

 ヂシュカの説得で、場の熱気がトーンダウンした。

 さらにヂシュカは続ける。

「とにかく待って欲しい。神父様に相談したい事もあるし、他の同志達にも連絡をしなければならない。とにかく待て」

「……分かった。この場はこれでお開きにしよう」

「ありがとう」

「気にするな。神父様によろしく伝えておいてくれ」

「分かった」

 こうして「麦畑の馬蹄」亭での会合は、何の実りも無く終わった。

 ……

 帝都プラーカに西日が差し掛かる頃、市内の下町に相当する裏通りには、小さな教会が建っていて、その門前には先ほど「麦畑の馬蹄」亭で、チェック貴族の暴発を抑えた碧眼のヂシュカが訪れていた。

「神父様、居られますか?」

 ヂシュカは声を掛けたが、何処からも返事が無かった。
 教会の周りには多くの尖塔が立ち並び、西日で出来た尖塔の影が小さな教会を覆い、教会内を日没後の様に暗くしていた。

「居ない……という事は裏か」

 ヂシュカは教会の裏に回ると、裏に作られた小さな畑で、白いものが混じった髭をたらした壮年の男が、黒い神父服を泥だらけにして農作業をしていた。
 神父が育てているのは、現トリステイン国王のマクシミリアンによって、新世界からもたらされたジャガイモだ。
 ゲルマニアも先の大寒波で多くの犠牲者を出したが、寒波の影響で麦が不作になり、パンが貴族以外に出回らなくなった状況に陥ったが、神父はジャガイモを救いの食べ物として目を付け、わざわざトリステインまで足を伸ばして手に入れて育てていた。
 
 この教会の神は、昨今の聖職者では珍しい無私の人だった。

「フシネツ神父。こちらでしたか」

「やあ、ヂシュカ君。会合はどうでしたか?」

 フシネツと呼ばれた神父は、農作業をしまま、手を止めずヂシュカに応対した。

「その事ですが……」

 ヂシュカは「麦畑の馬蹄」亭でチェック貴族達が暴走する寸前だった事を説明した。

「……なるほど。ご苦労様でしたヂュシカ君。貴方のお陰で無用な血は流れずに済みました」

「ですが、ここ最近の『熱』は、私の手に負えなくなってきました」

 ヂシュカは心配そうに言った。

「ヂュシカ君お願いがあります。もう少しの間でいい、彼らを抑えて置いて下さい。私に考えがあります」

「それはもう、言われるまでもありません。今暴発しては何もかも終わりです。して、何を為さるお積りですか?」

「今の状態で蜂起しても、瞬く間に鎮圧されてしまうでしょう。ならば、ロマリアの力を借りて、独立の大義名分を得ようと思います」

「ロマリアの……ですか? 失礼ですが神父は……」

「表向きはロマリアの敬虔な神父ですが、ご存知の通り新教徒です」

 フシネツ神父は新教徒であった。
 だが最初から新教徒だった訳ではない。フシネツ神父が新教徒に趣旨替えしたのはハルケギニア大寒波の時であった。

 先の大寒波によってゲルマニアの都市部の食糧の備蓄が底を尽いた。
 だが作物を作る農村部では辛うじて一冬越せる分の食料は確保できたが、一部のゲルマニア貴族は、その噂を聞きつけ、スラヴ系の農村部において食料の徴発が行われた。
 ゲルマニア系の農村は徴発の被害にあわず、スラヴ系の農村を狙い撃ちにした為、スラヴ系の農村部では多くの餓死者を出した。しかも、この徴発行為は公表される事は無かった。

 チェック人ながらも神父であるフシネスは、ゲルマニアのスラヴ人に対する仕打ちを見て、ロマリア連合皇国にこの事を報告したが、ゲルマニア貴族と癒着のある高位の聖職者によって握りつぶされてしまった。
 後でその事を知ったフシネツ神父は、ロマリア教の現状に絶望し、チェック人の独立独歩と同時にロマリア教の改革を目指す為に新教徒に趣旨替えし、今に至るようになった。

 フシネツ神父がジャガイモの栽培を始めたのも、チェック人を始めとしたスラヴ人達のために、少しでも慰めになるようにとの思いもあった。

 ハルケギニアでのジャガイモの評判は、その不恰好な形と、ロマリア教保守派のネガティブキャンペーンのせいもあってすこぶる悪い。

 マクシミリアンは新世界からもたらされたジャガイモを、水魔法と土魔法を使った品種改良によって生成した……という事にしてハルケギニアに紹介した。他の動植物も同様である。

 幸い、新世界の存在はばれる事はなく、世間はトリステイン国王にして偉大なメイジであるマクシミリアンによって作られた食物。ジャガイモやショコラ、トウモロコシを受け入れた。

 ジャガイモは当初、その不恰好な形は大いに嫌われ、誰も食べようとはしなかったが、現在のトリステイン王妃カトレアが率先して毒見して啓蒙する事で、平民達に迎え入れられたと思われた。

 だがロマリアの旧弊な聖職者達は、教義の中で『パンは始祖ブリミルの身体』と教えている事から、ジャガイモといった新種の食物を嫌い、取り入れようとする者達を『破門』の脅しつきで妨害していた。
 その甲斐あって、トリステイン以外の諸国ではジャガイモは悪魔の実と言われ嫌われている。
 だがフシネツ神父はその脅しに屈せず、この教会の裏の僅かなスペースを使ってジャガイモを栽培していた。

 ヂシュカはその行為に感銘を受け、何かにつけフシネツ神父の教会を窺うようになった。

「確かにロマリアも変わらなければなりません。ですが、プラーカは謂わばゲルマニアにおけるロマリア旧教の総本山です。簡単に自分達の看板を下ろすはずがありません。それどころかフシネツ神父の命を……」

 ヂシュカは、フシネツ神父の安否を危ぶんだ。

 フシネツ神父は、チェック貴族のカリスマ的存在でヂシュカ自身も、他のチェック貴族も尊敬していた。
 だが、他のプラーカの聖職者にとっては目の上のたんこぶで、フシネツ神父を敵視する者も多い。

「私の事などどうでもよろしい。ところで、チェック人独立の為の資金が、外国からもたらされているのはヂシュカ君も感付いているでしょう。ですが、最後に必要なのは我らチェック人の覚悟なのです」

「確かに……急に金回りの良くなった途端に、声が大きくなった連中が増えたのは私自身気に入りません」

「ヂュシカ君も覚えておくと良い。資金を提供してきた者たちは、我らチェック人のささやかな願いなどどうでも良いのです。ただ私達が暴れる事でゲルマニアが不安定になれば良いと思っているのですよ」

「それは……」

 ヂシュカは薄っすらとは感付いていたが、謎の資金提供は彼自身渡りに船だった為に、それほど真剣に考えなかった。

「私は安易に暴れて、私達のプラーカを故郷ボヘニアの地を戦火に巻き込む事を良しとしません」

「その為に、ロマリア聖庁の力を借りようというのですね? ですが今の保守派の腐敗した連中に、なにを言っても聞く耳持たないでしょう」

「そんな事はありません。実は一ヵ月後にロマリアの教皇聖下がプラーカを訪れるそうです。私は教皇聖下に直接お会いし、チェック人を始めとするスラヴ人全体の現状を訴える積りです」

 農作業の手を止めると、フシネツ神父はヂシュカだけにこの計画を話した。

「教皇聖下に……ですか?」

「そうです。教皇聖下からお墨付きを頂ければ血を流さずに独立は成るでしょう」

「そう簡単に上手く行くでしょうか……」

 ヂシュカは不安そうすると、フシネツ神父は『心配ないですよ』と逆に励ました。

「教皇聖下は賢明な御方です。その方のお墨付きが頂ければ、皇帝も無下には出来ません」

 そう言うと、フシネツ神父はジャガイモ畑を見渡した。

「今のこの畑は種芋作りの為の畑ですが、やがてボヘニア全体の畑で、このジャガイモの子供達が採れる様になります。その時が来るまで、ヂシュカ君には血の気の多い人達を抑えるようお願いします」

 そう言うとフシネツ神父は再び農作業に戻り、ヂシュカも農作業を手伝いを始めると一時間ほど経った。

 フシネツ神父は畑の手入れを終えたのか、神父服に付いた土を払うと教会に戻ろうとして、ふと、立ち止まりヂシュカの方に向き直した。

「ああ、言い忘れるところでした」

「なんですか?」

「もしも私の企みが失敗して、処刑されそうになっても決して助けないで下さい」

「え!? 何故ですか!?」

「自分でも一滴の血を流さずに独立しようなんて、甘いとは思っています。ですので失敗したら、自分のわがままの始末は自分で付けます」

「神父様……」

「今は大切な時期です。私を救おうとして、大切な志士達を無駄死にさせるような事はしないで下さい」

 言いたい事だけ言うと、フシネツ神父は教会に入っていった。





                      ☆        ☆        ☆





 一ヶ月が過ぎ、ロマリア教皇がプラーカに来る日が近づいてきた。

 教皇来訪の目的は、老いたゲルマニア皇帝の見舞いと、皇帝の居城のプラーカ城内に建てられた聖ヴァツラフ大聖堂での大規模なミサだった。

 この時ヂシュカは、独立強硬派を抑えながらフシネツ神父の作戦成功を願っていた。

 ヂシュカはフシネツ神父がどの様に教皇に近づくか詳しい事を聞いていなかったが、ミサの時に何らかの形で教皇に接近すると予想はしていた。

 だがミサ当日、フシネツ神父は教皇の前どころか、ミサにすら顔を出さなかった。
 ヂシュカ達チェック貴族は、ゲルマニア貴族に属している為、大聖堂に入ることすら許されず、群集と共に大聖堂の庭の隅っこでミサに参加する事を強要された。
 大聖堂の庭で、中の様子を窺っても、なんの騒ぎも起きず。結局フシネツ神父は現れずミサは滞り無く終わってしまった。

 チェック人の独立とロマリア教改革に燃えていたフシネツ神父が、ミサに現れなかった事でヂシュカは状況の異常に気が付いた。

『もしかしたらフシネツ神父は日和見したのか……?』

 チェック貴族達は、そう言い合い。ヂシュカに一喝された。

 ミサから三日後。

 教皇はスケジュールを消化しロマリアへの帰路へ着くと、プラーカ全体がホッと息をつくように気が抜けたような空気が漂っていた。
 ヂシュカは消えたフシネツ神父の安否を確かめる為に、教会へ行こうと借家を出ると、同志のチェック貴族と借家の入り口付近で出くわした。

「大変だヂシュカ!」

「どうしたんだ? そんなに慌てて」

「とにかく大変なんだ! ゴホゴホ!」

 同志のチェック貴族は急いで走ってきたのか、息を切らしていた。

「何かあったのか?」

 この時ヂシュカの脳裏に嫌な予感が走った。

「フシネツ神父が捕まって火あぶりにされる! キャレル橋の方じゃ大変な事になってる!」

「何だって!?」

「お、おい!?」

 ヂシュカはチェック貴族が呼び止めるのも聞かず、キャレル橋まで走り去った。

 ……

 ヂシュカは走った。
 大国ゲルマニアの帝都というだけあって、石畳の道路はよく整備されていたが、ヂシュカは走ることすら面倒になり、『フライ』の魔法で古い建物が立ち並ぶ街中を飛び掛けた。

 プラーカの街を東から西へ両断するように流れるヴルダヴァ川。
 そのヴルダヴァ川の両岸をつなぐ巨大な橋こそキャレル橋で、そのデザインは地球で言うゴシック様式に近い。
 キャレル橋近くの広場では、多くの人だかりが出来ていて、広場に入れないように木製の柵で仕切られていた。

 『フライ』で急いできたヂシュカは、キャレル橋周辺が封鎖されている事を知ると、衛兵にばれない様に着地し人ごみの中に紛れこんだ。

『~異端者ヤン・フシネツの焚刑(火あぶりの刑)を執り行う~』

 と柵の前の立て札に簡潔に書かれていて、柵の先の広場ではフシネス神父が5メイル程の木製の柱に鎖でつながれていて、ロマリア教の異端審問官がフシネス神父が程よく焼けるように、薪と神父の著書を足元の置き、油をくべていた。

「どうなってるんだ?」

「ロマリアの異端審問官だ。とんでもない奴らが来た」

 市民達は口々に異端審問官への畏怖を語り、事の成り行きを見守っていた。

 フシネス神父のカリスマは、多くのチェック人の知るところで、独立した暁には神父にリーダーをやってもらおうという声が大変多かった。
 ヂシュカ自身も、独立運動の首魁になって導いてほしいと説得したが、フシネス神父は、けっして首を縦に振らなかった。

 ……そんなフシネス神父が、チェック人にとってかけがえのない人が、異端の一言で処刑される。

(どうする、救出するか?)

 一瞬、救出するか考えたが、すぐにそれを捨てた。

 この状況でフシネス神父を救出するのは自殺行為だからだ。

 どうしていいか判断できず、ヂシュカが手を拱いていると、異端審問官が壇上の上に立ち市民の面前に現れた。

「お集まりの皆様。ここに括りつけられている異端者は、不敬にも教皇聖下の恩前に無断で現れ、始祖ブリミルの忠実なる子羊である大司教を罵倒した罪で、この度浄化される事になった!」

 異端審問官の言葉では、教皇の前に潜入する事には成功したが、直訴の甲斐なく捕えられた様だった。

(しかし罵倒とは、汚職の図星を突かれた腹いせに火あぶりにしようってのが、本音じゃないのか?)

 ヂシュカは内心思ったが、実は大当たりでプラーカ大司教は要職である事を言い事に、汚職の限りを尽くしていた事をその場に居た教皇や枢機卿らに暴露した。
 だがフシネス神父は誤算があった。
 汚職をしていたのは大司教だけではなく、他の枢機卿までも汚職にからんでいて、多額の用途不明金がプラーカからロマリアへ送られていたのだ。

 枢機卿らは教皇に知られる事を恐れ、またプラーカ大司教は意趣返しと度重なる警告を無視してジャガイモを栽培しているフシネス神父を口封じのために消す事で利害が一致し、裁判無しで処刑できる異端認定をする事で合意した。
 哀れフシネス神父は捕えられると、いらない事を言われないように口を麻糸で縫い合わされ、今日まで冷たい地下牢に閉じ込められていた。

 木の柱に括りつけられたフシネス神父を背に、異端審問官はフシネス神父への罪状を延べ、懐から杖を取り出すと火魔法を唱えて杖の先に火を灯した。

「始祖ブリミルよ、この異端者を御赦し下さい!」

 異端審問官は、フシネス神父の周りにくべられた薪や書籍に杖の火をくべた。

『ああっ!』

 市民達から悲鳴が上がる。
 火は油まみれの薪や書籍は瞬く間に燃え広がって炎になり、炎は神父の姿を隠してしまった。

「良い人だったのに……」

「お可哀想に神父様」

 ざわざわ……と、市民達に動揺が広がった。

「市民の皆さんも、間違った教えを吹聴する不届き者が居ましたら、お近くの教会に届け出て下さい!」

 その間も異端審問官は自分達の正当性を声高らかに叫んだ。
 燃え盛る炎を背に異端審問官の演説は続き、その無残な光景と見て耐えられなくなった市民が、一人二人とその場を去っていった。

 そして、炎の中のフシネス神父は、一切悲鳴を上げず炎の中息絶えた。

 フシネス神父が最後に何を思い息絶えたのか、それを知る者は誰も居ない。

 燃え上がった炎は、濛々と黒煙を空に上がり、西に堕ちかかった太陽の光を遮った。

 ……

 日は西に落ち、キャレル橋近くの広場の刑場の人は疎らになった。
 異端審問官の姿は既に無く、十数人の教会関係者が刑場の後片付けをしていた。
 その教会関係者は、灰になって原形を留めなくなったフシネス神父だったものをヴルダヴァ川に放り捨てた。

 ヂシュカは、キャレル橋の見える酒場の二階に場所を移し、灰になったフシネス神父が川に捨てられる様を血涙を流しながら見届けた。

(よくも……よくも……これが人間のやる事か……!)

 内心では、血を吐かんばかりの慟哭を上げていたヂシュカだったが、何処にスパイが居るか分からない為、平静を装って安ワインを呷っていた。

『フシネス神父の遺志を継ぐ』

 フシネス神父の死で、否が応でもボヘニア独立を成し遂げなければ成らなくなった。

 フシネス神父が望んだ平和的な独立の道ではなく、怒りに任せて血と暴力にまみれた独立の道へと進みたくて仕方がなくなっていた。

(そうだ……! 他の皆はどうしたのだ?)

 先の火あぶりで、怒りの余り他のチェック貴族の姿が目に入る事は無かった。
 ヂシュカは、腹の底から湧き出るマグマを御しきれないせいで、今の今まで血の気の多い同志達の事をすっかり忘れていたが、情熱は人一倍ある彼らが、フシネス神父の処刑を見ていて平静へいられるとは思えない。

(ひょっとして、何かとんでもない事をしでかすのでは……いや暴走は既に始まっているかもしれない)

 ヂシュカの心配どおり、チェック貴族は今夜、歴史に残る大暴走をする。

 そして、その暴走はヂシュカを始めとするチェック人だけではなく、全てのスラヴ人とゲルマニア人を、戦乱の渦に叩き込む序章だった。


 

 

第八十五話 プラーカ窓外投擲事件


 深夜、帝政ゲルマニアの帝都プラーカのプラーカ城は、昼間のフシネツ神父火刑の喧騒が嘘の様に静まりかえっていた。

 双月は雲に隠れて、僅かなかがり火と魔法のランプの明かりが、薄っすらとプラーカ城を照らしている。

 城内の衛兵達は、『いつもの夜だ』と、眠い眼を擦りながら警備に当たっていた。

 だが、城下においては、フシネツ神父の火あぶりで、チェック貴族の怒りは頂点に達し、チェック貴族の押さえ役だったヤン・ヂシュカの予想を超えて、事態はとんでもない方向へ向かいつつあった。

 プラーカ城の周りには水を張った堀が周囲を取り囲み、唯一の出入り口である城門は固く閉ざされ、何人(なんぴと)も進入することは出来ない。
 だがプラーカ城内には、チェック貴族数人が既に潜入していて、使用人として予め潜入させていたチェック人の男にゲルマニア皇帝の寝室まで道案内をさせていた。

「皇帝の寝所はこの先だな?」

「そのとおりです貴族様。ですが、親衛隊のゲルマニア貴族が、少なくとも20人は待機しています」

 チェック人の使用人の後に続く彼らチェック貴族達は、皇帝コンラート6世の寝室まで後少しという所までたどり着いていた。
 だが、当然というべきか皇帝の警備は厳重で、親衛隊の他にも戦闘用ガーゴイルが、猫の子一匹通す事も不可能な程だった。

「多いな」

「ああ、だが、殆どの親衛隊は詰め所で眠っているようだ。寝首をかけば難しいことじゃないな」

「おっさん。案内はここまででいいから、一刻も早く城から逃げ出す事だ。もうすぐここは戦場になるぞ」

「え? あ、はい、御武運を……」

 案内のチェック人使用人が去ると、残ったチェック貴族達は不適に笑いあう。
 フシネツ神父の死で、彼らの目は既に沸点を通り越し、完全にキレた目をしていた。

「さあ、往こう。ボヘニア独立の為に……」

「ボヘニア独立の為に……!」

 彼らには、自分達の行動によって起こるであろう、後の事など範疇に無い。
 腹の底から湧き出る、悪魔的なほど魅力な暴性に身を任せる。
 そして、数人のチェック貴族達は、それぞれの持ち場に散って行った。

 ……

 人々の寝静まった深夜、親衛隊の詰め所は地獄と化した。

 詰め所のドアが開けられると、突如降り注いだ不可視の刃が、眠っていた親衛隊隊員を切り裂き、遅れて入ってきた鉄の騎士ゴーレムが、手に持ったメイスで死に底なったゲルマニア貴族を撲殺する。

 戦闘用のガーゴイルは破壊され、親衛隊のゲルマニア貴族の殆どは、自分が襲撃された事すら気づかず死んだ。

 惨劇の後、チェック貴族が二人、詰め所に入り、辺りを見渡した

「他愛の無い」

「寝首をかけば、こんなものだ……行くぞ、次は守衛部屋だ」

 チェック貴族は去り、鮮血が散った詰め所には、生きている者は誰もいなかった。

 親衛隊の詰め所で惨劇が起こっている頃、チェック貴族数人が皇帝の寝室に近づいていた。

「護衛はどの程度いる?」

「そうだな、ざっと見て二三人と言った所か」

「よし、手早く済ませよう」

 そう言って、リーダー格のチェック貴族の男『ダーボル』は、手を軽く振ると隠れていた他のチェック貴族達が新鋭隊員に襲い掛かる。

「……なにっ」

「ぐえ」

 彼らはこの時の為に襲撃の訓練をしてきたのか、貴族ながらもよく訓練された兵士の様に、手早く親衛隊員を駆逐した。

「排除したぞ」

「よし、ゆっくりと中に入れ」

 一人のチェック貴族が、巨大な扉のドアノブに触れると、それを回し音立てないようにゆっくりと扉を開けた。

 皇帝は寝室中央には巨大な天蓋付きのベッドがあり、そこには枯れ木の様な細い腕をしたゲルマニア皇帝兼ボヘニア国王コンラート6世が寝息を立てていた。

「のんきに寝てやがる……」

「どうする? どのように血祭りに上げるんだ?」

「そうだな……」

 ダーボルは、数秒ほど考えるとニヤリを不敵な笑みを浮かべた。

「この寝室の窓から、皇帝を突き落とそう」

「いいね!」

「この老人にはお似合いだな」

「フシネツ神父の(かたき)だ」

 一人、また一人と寝室に入って行き、遂には皇帝のベッドを取り囲んだ。

 コンラート6世はまだ眠っていて、自分がチェック貴族らに囲まれ、風前の灯であることに気づかない。

 チェック貴族達は、ゲルマニアの最高権力者の命が、自分達の手の平の上にある事に言いようの無い興奮に覚えた

「杖は奪ったな?」

「ああ、枕元に置いてあった」

「よし、やるぞ。我らの怒りを思い知れ」

 皇帝を囲っていたチェック貴族は一斉に襲い掛かる。

 杖が無ければただの非力な老人でしかないコンラート6世を、数人掛かりで持ち上げると寝室の窓まで移動させた。

「ふ? フガ??」

 この時、ようやく目を覚ましたコンラート6世は、事態が上手く飲み込めず、老いで濁った目を白黒させていた。

「目を覚ましたぞ」

「丁度良い。人生最後の風景だ」

 チェック貴族達は止まらない。
 寝室のガラス窓をエア・ハンマーで砕くと、持ち上げていたコンラート6世を窓から放り捨てた。

「ひゃ、ひゃあああぁぁぁぁ……」

 皇帝の寝室はプラーカ城でも比較的高い場所にあり、悲鳴を上げて落下するコンラート6世の姿が夜の闇に消えていく。
 やがて下の方で、『グチャ』という、なにか硬くて柔らかいものが潰れる音を、風メイジ数人が聞いた。

 ハルケギニア二大大国の一つであるゲルマニア皇帝は、呆気なくこの世を去った。

 主のいなくなった寝室を沈黙が支配する。

「……」

「……」

 この沈黙をダーボルが破った。

「撤収する。だがその前にプラーカ城を放火し、敵の目を欺く。火メイジの皆は放火して回ってくれ」

「承知した」

 火メイジのチェック貴族数人が、それぞれ散っていくと、予め用意しておいた火種に放火する。火は各所で燃え上がり、城内の各所で混乱が起こった。

 寝室から出て、誰も居ない廊下を走るダーボル一派は、城のあちこちで火の手が上がった事を確認した。

「火が広がっているな」

「よし、撤収だ!」

「おう!」

 チェック貴族達は、途中で詰め所襲撃の者たちと合流し、火事の混乱に乗じて撤退に成功した。

 守衛や親衛隊を予め殺害しておいた為か、プラーカ城の火事は発見が遅れ、千年の歴史を持つ皇帝の居城は炎に包まれた。







                      ☆        ☆        ☆ 






 プラーカ城の火事は、一夜明けた朝方になっても鎮火の気配を見せなかった。

 それどころか、風の乗って火の粉が堀を挟んだ他の貴族の屋敷の燃え移り、プラーカ市は大規模な火事が発生していた。

 プラーカ城の奉公するゲルマニア貴族は、せめて自分の屋敷は守ろうと、消火活動をしながらも、財産の一部を安全な風上の場所へ移動させていた。

 一方の市民達は、日が昇っても黒煙を上げるプラーカ城を不安そうな顔で見ていた。

 ダーボルに率いられたチェック貴族の暴走は第二段階に入る。

 即ち、プラーカに住まう、非ゲルマニア人全ての一斉蜂起だ。

 皇帝殺害に参加したダーボル一派は、撤収後も殆ど一睡もせず、一斉蜂起の段取りを進める為、プラーカ各所に走った。

 混乱が続くプラーカ市内の「麦畑の馬蹄」亭の一室を臨時の司令部にし、ダーボルは次々と入る蜂起の返答に朝食を取る暇も無かった。

「ふふふ、貧民街の連中は蜂起に賛成したか。よしよし」

 ダーボルは、休む暇も無い感覚を大いに楽しんでいた。

「貧民街の連中に、武器を渡してやってくれ。場所はこの羊皮紙に書いてある」

 そう言って、連絡員に武器の場所が書かれた羊皮紙を渡し、別の連絡員の報告を聞く。
 ダーボルがプラーカ城から戻ってから、このサイクルを何度も繰り返していた。

 そんな時、廊下が騒がしくなった。

「ふ、ヂシュカの奴、遅かったな」

 ダーボルの言葉と同時に、粗末な木製のドアが蹴破られ、碧眼のヂシュカが入ってきた。

「城の火事はお前達の仕業か!」

 開口一番、ダーボルに向かって吐くと、ヂシュカは掴みかかってきた。

「落ち着けヂシュカ。俺達はなにも、放火をするだけに城に潜入したわけじゃないぞ?」

「なに……? どういう意味だ」

 ヂシュカは、ダーボルの胸倉から手を離した。

「ふふ、教えてやろうか。あの城の主人は、既にこの世の者では無いわ!」

「……な、なんだと!?」

 ヂシュカは脳天から電撃を受けたような衝撃を受けた。
 だが同時に、心の何処かで重苦しい暗雲が去り、晴れやかな青空が広がった。早い話がスカッとしたのだ。

「ヂシュカ。俺と手を組まないか?」

「手を組むだと?」

「そうだ。ボヘニア独立の為にも、お前の力が欲しい」

「……むう」

 ヂシュカは考えた。

(止めようにも、既に事は起きてしまった。今こいつらを見限れば、決起は鎮圧され独立の芽は永遠に失われてしまうかもしれない)

 暴走のとはいえ、もう動き出してしまったのだ。ならば、ヂシュカのやることは一つしかない。

「……分かった。協力については承知した。これからの、具体的な独立プランを聞かせて欲しい」

「独立プラン? まずはプラーカを解放し、その余勢を駆ってボヘニア一帯を解放して回る、そんな所か」

「それだけか?」

「それだけだ。我らの気勢にゲルマニア人どもは気圧され道を開けることだろう」

 ……いくらなんでも計画がずさん過ぎる。

 ヂシュカは心の中で呟いた

「甘いぞダーボル。皇帝が死んだとなれば、次の皇帝を決めるために内乱が起こる」

「結構ではないか。我々はその隙に乗じて、ボヘニアの解放を行えば良い」

「そうはならない。何故ならば、皇帝を殺した実行犯である我々を倒さない限り、次期皇帝を名乗る事はできないからだ」

「それは……」

 黙ったダーボルにヂシュカは更に追い討ちをかけた。

「つまりは、だ。次期皇帝を狙う有力諸侯は、我らの反乱を鎮圧する事、無政府化したプラーカを『解放』する事で、新しい皇帝を名乗る大義名分を得ることが出来る」

「……馬鹿な、ボヘニアは我々の土地だ。故郷だ」

「言いたい事は分かる。昨日のフシネツ神父の件で、ゲルマニア連中に一撃食らわしたかった所に今朝の火災だ。正直スカッとした。認めるよ。だが、お前らの後先考えないやり方に、ボヘニアは窮地に立たされた」

「……念のために聞くが、ヂシュカ、お前ならどうする?」

「そうだな……」

 ヂシュカは数秒考えると、ダーボルに向けて口を開いた。

「プラーカを捨て、何処か別の場所で身を潜め時間を稼ぐ」

「なんだと!? プラーカを捨てるだと!? 血迷ったか!!」

 ダーボルは声を張り上げた。だが、ヂシュカは居たって冷静だった。

「ハッキリ言ってしまえば、ボヘニア一地方(いちちほう)だけで、ゲルマニアと真正面から戦争をするのは無謀だ。お前はさっきプラーカを解放と言ったが、早い話が占拠すると言っているような物。ゲルマニア側からしたら、敵はボヘニアのプラーカに立て篭もって居ると喧伝するようなものだ」

 ヂシュカの案にダーボルも、『むう』と唸り少し考えを改める。

「つまりはこういう事かヂシュカ。ゲルマニア正規軍と真正面から戦えば負ける……だから、プラーカを捨て、どこかに潜み、非正規戦を繰り返えして、ゲルマニアの疲弊を誘うというのか?」

 ヂシュカはダーボルの発言に、『ほう……』と心の中で唸った。まるっきり無能でも無いらしい。

「そうだ。時間が経てば、何時までも皇帝の座を空けておく訳には行かない。そうなれば、次の皇帝を選ぶ為に敵の足並みも乱れ、我らにチャンスが訪れるだろう。すぐにでもプラーカを脱出するんだ」

「し、しかし、プラーカの市民達には、蜂起の指令を出してしまった。今から中止の命令を出しても、昨日のフシテツ神父の火あぶりの件もあって、市民は殺気立ってる。止めようとしたって止まらないぞ?」

「それをどうにかするのがお前の役目だ。なにが何でも中止させて、被害を最小限にするんだ」

 ヂシュカの強い口調に、ダーボルは押され始めた。
 だが、名案が思いついたのか、したり顔になってヂシュカにその名案を話し始めた。

「ヂシュカ。いい事を思いついたんだが、プラーカ蜂起をあえて放置して、その隙に脱出すれば……」

 ダーボルは最後までその名案を言う事ができなかった。ヂシュカの鉄拳が、それを遮ったからだ

「何をする!」

「それ以上言ったら殴る」

「もう殴っているだろうに……」

 ダーボルの突込みを無視して、ヂシュカはダーボルに詰め寄った。

「いいかダーボル。フシネツ神父の遺志は、最小限の流血で独立をする事だった。それに、そんな事してみろ、プラーカ市民どころかチェック民族全てに見離されるぞ」

 ヂシュカは、ここで初めてフシネツ神父の遺言をダーボルに話した。カリスマ的人物だったフシネツ神父の遺言を聞けば、少しはダーボルの頭が冷えると思ったからだ。

「最小限の流血で独立だなんて夢みたいな事を……」

 だが、ダーボルには効果が無かった。
 言ってみただけで、それほど効果を期待してなかったヂシュカは更に続けた。

「そうだ。結局は夢見たいな話だった。だからフシネツ神父は一人で逝かれたのだ。いいかダーボル、軍事の一切を私に任せろ。勝つ事は不可能だが負けないぐらいの事は出来る。そうすれば独立のチャンスが回ってくるかも知れない。だからお前はプラーカ蜂起を是が非にでも止めろ。いいか、いいな?」

「あ、ああ、分かった」

 ヂシュカの有無を言わさぬ迫力に、ダーボルは首を縦に振り、慌てて部屋から出て行った。

 午後になると、プラーカ周辺の貴族領から、応援の兵が駆けつけ、火事は一応の鎮火を見た。

 プラーカ蜂起はダーボルの屈力で未然に防がれたが、秩序が戻ったプラーカではゲルマニア皇帝コンラート6世の遺体が発見されてしまった。
 同時に皇帝を守る守衛や親衛隊の数人が遺体で見つかり、火事の日、プラーカ城に賊が侵入した事が明るみになった。
 残された家臣達は、すぐさま捜査が開始したが、実行犯であるダーボルを始めとするチェック貴族とヂシュカはプラーカを脱出していて、余りの脱出の出際の良さに、その影を掴む事すら不可能だった。

 かくして数週間後、ゲルマニア皇帝の死はハルケギニア全土に知れ渡り、その報を聞いた野心家達が動きを見せ始める。

 ハルケギニア二大強国の一つ、帝政ゲルマニアの分裂の幕は開けられた。

 
 

 
後書き

 ストックが切れたので更新はもう少し先になります。 

 

第八十六話 野心家達の春

 ゲルマニア皇帝の死は、事件発生から僅か三日とせず、オーストリ大公アルブレヒトの首府ヴィンドボナに届いた。

 ヴィンドボナ市は、帝都プラーカに負けず劣らず、大都市として繁栄していて、多くの市民がこれから訪れる動乱に気づく事無く、日々の生活を送っていた。

 プラーカからの急使に、アルブレヒトはすぐさま面会をすると、急使の口から皇帝の死が告げられた。

「……なんと。皇帝閣下がお亡くなりになられたか」

「御意にございます」

「して、閣下の死因は? 老衰か?」

「いえ、それが……何者かによって窓から突き落とされたそうにございます」

「……なんと!」

 皇帝の死が自然死ではなく、何者かの手によるものと聴いた瞬間、アルブレヒト大公に電流が走る。

「伝令ご苦労! 一切休まずにこの報を届けてくれたのだろう。我がヴィンドボナで疲れを癒して欲しい」

 アルブレヒトは、急使に労いの言葉を送り退室させると直ちに家臣を呼び軍を召集を命令した。主の居ないプラーカを真っ先に抑える事が、次期皇帝への道だと思ったからだ。

(皇帝殺害の実行犯捜査の陣頭指揮を取る、と言えば大義名分も立つ。後はボヘニア王家の家臣らを懐柔するか、あるいは闇に葬れかすれば、皇帝の座はおのずと私の手の内に入るだろう。ついでにボヘニア王家もいただこうか)

 アルブレヒト大公は黒い思考をしながら、盟友であるバウァリア大公に手紙を送り協力を求めると、自身はヴィンドボナを守る僅かな手勢のみ率いて先発し、家臣達には動員した軍を率いさせて、先発したアルブレヒトの後を追うように命令した。

「いざプラーカへ!」

 アルブレヒトは、速さこそ、この段階でもっとも必要なものと考え、100騎も満たない僅かな軍勢で、遥かプラーカを目指してヴィンドボナを出発した。

 ……

 一方、オーストリ大公の政敵、ブランデルブルク辺境伯の首府ベルヴィンでは、プラーカからの距離の関係で、皇帝の死の報が1週間遅れて届いた

「なに、皇帝が殺された!?」

 ブランデルブルク辺境伯ヴィルヘルムが、プラーカからの急使の報告を聞き、驚きのあまり豪華な椅子から腰を浮かした。

「左様にございます」

 曲がりなりにも皇帝に対して礼儀を弁えないヴィルヘルムに、急使は難しい顔をしながらも無礼を聞き流した。

「ふむ、して、誰が皇帝を殺したのだ?」

「その事でございますが、私がプラーカを発つ時にはまだ何も分かりませんでした。ですが、距離的にも近いオーストリ大公閣下がいち早くプラーカ入りされて、陣頭指揮を取っておられると思われます」

「なんだと!!」

 オーストリ大公の名を聞いた途端、ヴィルヘルムは自慢のカイゼル髭が、Vの字に跳ね上がり、ヴィルヘルムは激高した。


「ぬうううう、出遅れたか!」

 ヴィルヘルムは犬歯をむき出しにして次期皇帝選出レースに遅れた事を悔やんだ。

 そして、これから自分が何をしなければならないか、答えを瞬時に出した。

「使者殿ご苦労! これより協議に入るため、我がベルヴィンで休まれるが良い、失礼する!」

「あ、あの……」

 急使はヴィルヘルムを呼び止めたが、頭に血が上ったヴィルヘルムの耳には届かず部屋から退室してしまった。

「はあ……ゲルマニアはどうなってしまうのだ」

 急使はため息を付いて窓の外を見た。
 窓の外には春が訪れたとはいえ、未だ寒風吹きすさぶベルヴィン市の姿が見えた。

 外出している市民は少なく、閑散とした雰囲気が市内を包んでいた。

 ベルヴィン市を始めとするブランデルブルク辺境伯領は、ハルケギニアでは北に近い位置にあるため、雪の量はそれ程でもないが、寒さで作物の育ちが悪く、土地は痩せていて、逆に南に位置するオーストリ大公のヴィンドボナは、温かく作物の育ちが良い為、国力においては天と地との差がある。

 寒村と言っても差し支えない領土ばかり有するブランデルブルク辺境伯が、次期皇帝選出レースにおいて、最有力候補者であるオーストリ大公のライバルである最大の理由は、ゲルマニア最強の軍事力であるゲルマニア騎士団を配下に持っているからである。

 急使の報告を聞いたヴィルヘルムは、家臣達を前にゲルマニア騎士団の出動を命じた。

「このままオーストリ野郎に玉座をくれてやる訳にいかん。我らもプラーカに赴くぞ。すぐに騎士団に出兵の命令を出せ、今すぐにだ!」

「か、畏まりました!」

「各領地からも動員を始めよ。ぼやぼやしている暇は無いぞ早く行け!!」

 ヴィルヘルムの怒声に家臣達は怯え、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの仕事の散った。

 家臣達が居なくなった部屋で、ヴィルヘルムは大き目の椅子に腰を掛けると、自慢のカイゼル髭を撫でた。

「まったく。使えない奴らだ」

 減らない口で、一言ヴィルヘルムが呟いた。

 カイゼル髭の中年男、ブランデルブルク辺境伯ヴィルヘルムは好戦的な男だ。

 その有り余る野心の割りに能力はそれ程でもなく、さらに激しい性格が災いして人望は無い。

 そんなヴィルヘルムが、野心を隠す事無くむき出しにしても非難を受けないのは、全て強力なゲルマニア騎士団の後ろ盾があっての事だった。






                      ☆        ☆        ☆






 ベルヴィン市からさら北に行った所に、プロイゼン地方と呼ばれる土地があり、その地はゲルマニア騎士団の本拠地である。

 ゲルマニア騎士団は、元々はゲルマニア人を中心に構成されたロマリアの聖堂騎士隊 (パラディン)の一派だったが、何百年か前の聖戦に参加して戦いに敗れたものの、プライドの高さゆえか、ロマリアに帰るのを嫌がった騎士たちが、ゲルマニアのブランデルブルク辺境伯領周辺でうろついていた所を、時のブランデルブルク辺境伯に声を掛けられ、忠誠の代わりプロイゼン地方を与えられたのが始まりとされる。

 入植したての頃のゲルマニア騎士団は、ロマリアの聖堂騎士隊(パラディン)ゆえか、傲慢な騎士が多かった。
 だが、ハルケギニアのブリミル教圏において最も北に位置する厳しい環境が、傲慢な聖堂騎士隊(パラディン)の気風を調整し、厳しい環境でも弱音を吐かずに任務を遂行し、質実剛健をそのまま形にした軍人の鑑の様な男達に変化して行った。

 そんな騎士団が、色々と問題のあるブランデルブルク辺境伯に従うのは、彼ら騎士団は『例えどの様な主君であっても忠誠を尽くすのが本物の騎士』と、自分達が作り出した『騎士像』を追求する一種の求道者でもあったからだ。

 だが、そんなゲルマニア騎士団を悪く言う声がチラホラと見られた。

 例えばこういう事があった。

 『どの様な環境でも弱音を吐かず任務を遂行するのが本物の騎士』と、猛吹雪の中、上半身裸で何十リーグも雪中行軍する訓練が恒例化していて、苦しそうな顔を少しでもすると、周りの騎士から鞭が飛んだりと、常軌を逸した訓練が有名で、訓練で死んでしまう者も少なくない。

 口が悪い者からは『ドM騎士団』と言われていたが、その勇名はハルケギニア全土に轟いている。

 いまだ雪深いプロイゼン地方のゲルマニア騎士団の居城マリエンブルグ城では、主君であるブランデルブルク辺境伯からの出動命令で、戦の準備に明け暮れていた。

 騎士達は全身に銀色に輝くフルプレートアーマーを身に纏い、白地のサーコートにはゲルマニア騎士団の紋章である黒十字(バルケンクロイツ)が描かれていた。
 ちなみにサーコートとは、鎧の上に羽織るマントの様な衣服の事をいう。

 騎士たちが、身に纏った鎧をガチャガチャ鳴らしながら準備に右往左往している中、騎士団の長である総長(ホッホマイスター)の部屋では、一人の男が出発前の準備に追われていた。

 金髪碧眼で長身の青年、ゲルマニア騎士団総長のフリードリヒは、主君のブランデルブルク辺境伯からの指令書を読み終え、指令書を木製のテーブルの上に置いた。

(いくさ)か、久々の人間相手の戦だ。腕が鳴る」

 少々高めの声色が室内に響く。
 ここ数十年のゲルマニア騎士団は、プロイゼン地方よりさらに北の寒くて人が住めない土地から侵入してきたモンスターの退治が主な任務だった。

「しかし、曲がりなりにも、公文書である指令書に、『皇帝が死んだ。オーストリ野郎を皇帝にしたく無いから手を貸せ』と、赤裸々に書くなんて……脇が甘いんじゃないですか? 叔父上」

 フリードリヒは、先代のブランデルブルク辺境伯の嫡子と生まれたが、父親の弟であるヴィルヘルムがフリードリヒの父親を謀り、暗殺すると自らが辺境伯の座を奪い、フリードリヒを追放同然にゲルマニア騎士団に入団させた。

 無理矢理、騎士団に入団させられたフリードリヒは、再び辺境伯に返り咲くべく、野心を内に隠して、表面上はヴィルヘルムに徹底した忠誠を尽くした。

 徹底した忠誠にヴィルヘルムは、フリードリヒがゲルマニア騎士団の気風に染まったと思い込み、騎士団を完全に掌握しようと、あろう事かフリードリヒを総長にさせる支援を始めた。

 元々優秀なメイジの才能持っていた事と、(かたき)の支援を最大限に利用して、フリードリヒは20代前半でゲルマニア騎士団総長に登り詰めた。

 ノックの後に、騎士が一人フリードリヒに報告してきた。

「総長、各騎士団の出動の準備が整いました」

「分かった。すぐに行く」

 フリードリヒは返答すると、テーブルの上に置かれた鉄のグレートヘルムを小脇に抱え、騎士の後に続いて部屋を出た。
 グレートヘルムのデザインは、頭部全体を包むグレートヘルムに牛の角を思わせる角が付けられていて、さらにその角には羽毛で装飾を彩られた、騎士団の総長に相応しい豪華なデザインだった。

 まだ雪の降りしきるマリエンブルグ城。
 城内に設置された練兵場には、主力を担う500人を超す完全武装した騎士たちと、彼らと共に戦う飛竜が集結していて、練兵場の外にはリヴォニヤ帯剣騎士団と呼ばれるゲルマニア騎士団の分団が800騎集結していた。
 
 フリードリヒが率いる、主力のテュートン騎士が騎乗する全ての飛竜には、鱗の薄い部分を守る鎧と、騎士たちと同じ白地に黒十字のサーコートを着ていた。
 一方のリヴォニヤ帯剣騎士は、白いサーコートは同じだが、赤い二振りの剣を交差させた紋章が描かれていた。
 ゲルマニア騎士団は、僅か1000騎程度の軍勢ながら全員がメイジで、全ての団員が一騎当千の(つわもの)だった。

「諸君、集まっているようだな」

 フリードリヒは騎士達の前に立つと、出陣の前の演説を始めた。

「ゲルマニア騎士団総出陣の今回の戦は、今までの様なモンスター相手のちっぽけな戦いではない。詳細は言えないが、我らの働き次第でゲルマニアの未来はいかようにも変わる大事な戦いだと思って欲しい!」

『オオッ!』

 騎士たちから歓声が上がる。

 騎士達の士気は上々、フリードリヒは今回の戦も勝利を確信し、フリードリヒは小脇に持ったグレートヘルムを被ると、出陣の命令を出した。

「では出陣っ! 始祖ブリミルの御照覧あれ!」

 騎士たちを乗せた飛竜たちは一斉に羽根を広げ、雪の振る大空へと飛び立つ。

 フリードリヒも自分の飛竜に乗り込むと、大空へ飛び立った。

 空をゲルマニア騎士団の主力であるテュートン騎士が500騎が行き、地上をリヴォニヤ帯剣騎士800騎が騎馬で進軍した。

 かくして、3人の野心家は、それぞれの野心を胸に帝都プラーカへ向けて進軍を開始した。

 

 

第八十七話 トリステインの選択

 ゲルマニアに動乱が訪れようとしている頃、トリステイン王国の王都トリスタニアでは、大規模な増築計画が実行されていた。その中でも一際目に付くのは、トリスタニア大聖堂の増築作業だった。

 トリステイン独自の教育制度にロマリアが怒ってマクシミリアンを破門しないように、ご機嫌取りの為に着手した大聖堂の増築だったが、増築計画の他にも、ロマリア司教達に接待攻勢をしたことで、高額の出費を出してしまった。

 別にロマリア側が接待を要求してきたわけではなく、マクシミリアンが勝手に破門を恐れての接待だった。
 接待のお陰で、ロマリアはトリステインの教育改革を、表面上は見てみぬ振りの態度にさせる事に成功したが、この出費でトリスタニア増築計画と平行して、トリステインの鉄道網の開発計画は予算が確保できなくなり延期を余儀なくされた。

 ゲルマニア皇帝殺害から三日後、マクシミリアンは王宮の執務室で、ロマリアへの行き場の無い怒りを腹の中に為ながら、政務を行っていた。

「ロマリア坊主ども、ムカつくぜぇ~~」

 未だロマリアへの怒りが腹の中に溜まっていたマクシミリアンは、グチグチとロマリアへの愚痴を呟きながら羽ペンを操り、日が傾かない内に今日の分のノルマを終わらせてしまった。

「終わってしまった……こうなったら飲まずにやってられないな」

 手持ち無沙汰なったマクシミリアンは、杖を操り『レビテーション』で、離れた棚に置かれたブランデーを引き寄せる。

 だがブランデー瓶は、白磁の様な綺麗な手に掴まってしまった。

「マクシミリアンさま。最近酒量が多くなっていますよ?」

 いつの間に執務室に入ったのか、カトレアが空中を行くブランデーの瓶と掴み、マクシミリアンに注意した。

「居たのかカトレア。今日はアンリエッタの勉強を見ているんじゃなかったのか?」

「アンリエッタの件は済ませたので、こちらに寄ったのです」

「そうか。それよりもカトレア。そのブランデーを渡してくれないか?」

「駄・目・です!」

 カトレアは強めの口調で、ブランデー瓶を渡さないように胸元に抱き寄せると、元の棚に戻してしまった。

「むう、一体なにが悪いんだ?」

「何度も言いますけど、最近のマクシミリアンさまの酒量は多すぎます。これでは御身体を悪くしてしまいます」

「酒は百薬の長を言うぞ。むしろ身体に良いんだ」

「マクシミリアンさま。わたしがそんな嘘に騙されると思っているんですか?」

「いやいや、問題ない。僕の水魔法なら、体内のアルコールを瞬時に抜く事なんて朝飯前だ」

「魔法があるからと言って、強いお酒を飲んでいたら駄目です」

「弱い酒ならいいの?」

「そういう問題ではありません!」

「どうしても駄目?」

「駄目です!」

「むう、仕方ない」

 ブランデーを諦めたマクシミリアンは、仕事を終えたばかりの机の上に、両足をドッカリ乗せて足を組んだ。すこぶる行儀が悪かった。
 そんなマクシミリアンの態度を見て、カトレアは眉をひそめる。

「マクシミリアンさま。子供じゃないんですから、そんなに拗ねないで下さい」

「……悪かったよ。ほら、これで良いだろ」

 マクシミリアンは机に乗せた両足を下ろして、お行儀良くした。

 ここ最近の夫婦のやり取りは、夫が深酒をしようとして妻がそれを諌める……そんな事ばかりだ。
 カトレアは、愛する夫がロマリア関係でストレスを溜めているのが分かっている為か、それ程強く言わない。

「お酒は駄目ですけど、紅茶はいかがですか?」

「……本当は酒が欲しかったんだけど仕方が無い、貰おうかな」

「すぐに淹れますね」

 何処から持ってきたのか、カトレアは魔法のポットと紅茶葉で紅茶を淹れ始めた。

「メイドコンビじゃなくて、カトレアが自分で淹れるのか」

「二人の足元にも及びませんが」

「いや、カトレアが淹れたのも飲んでみたいな」

「楽しみにしてて下さい」

 カトレアは、以外に手馴れた手付きで紅茶を淹れ始め、暫くしてカトレアの淹れた紅茶がマクシミリアンの前に置かれた。

「どうぞ、お口に合うか分かりませんが」

「なに、カトレアの淹れたお茶だ、不味い事は無い」

 マクシミリアンは、砂糖やミルク等は一切入れず、カトレアの紅茶を一口含んだ。

「いかがでしょう?」

 カトレアは不安げな表情でマクシミリアンを見た。

「美味しいよ」

「良かった」

 マクシミリアンの答えにカトレアはニッコリ笑った。

 一方のマクシミリアンも、カトレアの気遣いに触れ、ロマリアへの不満を忘れた。
 だが、そんなマクシミリアンを驚かせ不機嫌にさせる報せが届いたのは、夫婦のやり取りから3時間後の事だった。






                      ☆        ☆        ☆ 






 ゲルマニア皇帝がチェック貴族に殺害された第一報が届くと、トリステイン王国の各閣僚が緊急に王宮に集められ、対策の為の御前会議が行われる事になった。

 閣僚達が会議室で対策を行っている頃、マクシミリアンはカトレアとセバスチャンら使用人達に手伝って貰いながら、御前会議に出席の為の準備を行っていた。御前会議という事で、マクシミリアンは重い王冠を被った正装で出席しなければならなかったからだ。

「カトレア。今日は遅くなりそうだから先に休んでてくれ」

「分かりましたマクシミリアンさま」

 マクシミリアンが国王に即位して王宮に移ってから、マクシミリアンとカトレアの寝室は別々になってしまったが、マクシミリアンやカトレアが風邪などの体調不良で無い限り、大抵マクシミリアンはカトレアの寝室で夜を明かした。
 毎夜毎夜の営みで、周囲は人々がカトレアの懐妊が期待したが、未だにその傾向は無い。

 マクシミリアンは、コートの様に分厚いマントを羽織ると、次の日には絶対に肩の凝るほど重い王冠を被った。

「被り慣れないな……ではカトレア、行ってくる」

「はい、マクシミリアンさま。いってらっしゃいませ」

 マクシミリアンはマントを翻すと、セバスチャンと共に部屋を出た。

 腹の中のイライラをカトレアに悟られないように、廊下を進むマクシミリアン。窓の外は漆黒で、双月も厚い雲に隠れてしまっていた。

(策士、策に溺れる、って奴か? まったく……)

 と、内心毒気づいた。
 カトレアにはゲルマニアへの謀略を喋ってはいない。それどころか闇の部分に関しては一切触れさせていない。
 何故触れさせないかというと、謀略に携わっていることが知られる事で美しいカトレアが穢れると思ったからだ。

(感情を持たないガーゴイル相手ならこんな事は無かったのだが……まあ良い経験になったと思っておこう)

 無理矢理ポジティブに考え、会議室の前に立つと、守衛の兵士がマクシミリアンの到着を会議室の面々に知らせた。

「国王陛下。おなぁ~~~りぃーーーーー!」

 守衛の声に会議室の全ての臣下が一斉に起立すると、入室したマクシミリアンに礼をした。

 会議室は長机がU時を描いて設置されていて、層々たるメンバーが席について議論を交わしていた。

 会議に参加している主な閣僚は、宰相兼内務卿のマザリーニ、外務卿のペリゴール、財務卿のデムリ、空軍卿のトランプ提督、最後の陸軍卿はマクシミリアンが兼任していた為、代理に総参謀長のラザールが出席していた。
 他にも次官クラスの人材が会議に参加していたが、情報局のクーペの姿が無かった。

 入室したマクシミリアンは、会議室の上座に設置されている玉座の前に立つと、マザリーニら御前会議参加者に着席を命じた。

「着席してよい」

 ガタタ、とマクシミリアンが着席を促した事で、臣下達が一斉に、予めタイミングを計ったかのように同時に着席した。

「早速だが、今までの議論の詳細を聞かせて欲しい」

 玉座に座ったマクシミリアンは、今までの会議の内容を聞くと、会議の議事進行係を努めていたミランが立ち上がり詳細を語りだした。

 議論の結果、トリステインはゲルマニア国境を無期限の警戒態勢を発令させる事と、外務卿のペリゴール主導でゲルマニアの情報収集をさせる事と、いざ内乱となった場合に備えて、ゲルマニア国内のトリステイン人の早急な国外退去を促す事などが会議で決まった。

「以上でございます。国王陛下のご聖断を頂きたく……」

 そう言ってミランは深々と頭を下げた。

「決を下す前に、二三聞きたいことがある」

「は、何なりと」

「現段階で、トリステインが動員できる兵はどのくらいか?」

『ざわ……ざわ……』

 マクシミリアンの言葉に会議に参加していた閣僚から、ざわめいた声が上がった。

「控えぃ! 陛下の御前なるぞ!!」

 ミランが一喝すると、会議室はシンと収まった。

「ああ、勘違いしないで欲しい。別に今すぐ侵攻する訳じゃない。今のトリステインにそんな暇は無い事はわかる」

「でしたら、私が説明いたしましょう

 マクシミリアンの言葉に、ラザールが立ち上がり、動員数諸々を喋りだした。

「皆さんも知ってのとおり、トリスタニアでは増築計画が発動中で、それ程多くの兵員は動員する事は出来ません。トリステイン経済に悪影響しない動員数は、およそ2万。それ以上の動員は経済活動に悪影響が出ると、我ら参謀本部が換算いたしました」

「たったの2万か……」

 各閣僚からため息に似た声が上がった。

 近代戦とは即ち総力戦だとマクシミリアンは思っている。
 どこかの国と戦う場合は、もちろん兵力も必要だが、国民を根こそぎ動員しては経済を回す事が出来ない。

 マクシミリアンが即位してから1年。
 先のエドゥアール王の時代から工業化を推し進めるトリステインだったが、小国ゆえか、少ない人口で戦争しながら経済活動が出来るほど国力は無い。
 ギリギリの兵員動員数が僅か2万では精々一会戦分の兵力しか確保できなく話にならないと、ラザールは閣僚らの前で熱弁した。

 戦争どころではない理由は他にも在る。
 
 マクシミリアンはトリステイン軍の軍制改革に着手し、ハルケギニアでは常識だった徴兵制から志願制に少しづつシフトするように改革を進めた。
 少ない兵力しかないトリステインの苦肉の策として、少数精鋭の軍にする事が、小国であるトリステインのとる道だと参謀本部は答えを出し、マクシミリアンはその実践を始めた。

 今すぐ徴兵制から志願制に変えれば、大混乱になるのは必須な為、時間をかけての改革とはいえ、少数精鋭への道は未だ途中。今現在のトリステインの状況では、トリステイン側からゲルマニアへの侵攻など自殺行為とラザールはマクシミリアンら閣僚に説明した。

「陛下。可能な動員数については以上です。我がトリステインがゲルマニアと杖を構えた際には限界でも2万。国内の防衛に割く分を計算に入れれば、その数はもっと少なくなり、ゲルマニアに侵攻した場合、兵力不足で一ヶ月と持たないでしょう」

「ありがとう、ラザール。座ってよい」

「御意」

 ラザールが着席すると、会議室は重苦しい静寂に包まれた。
 各閣僚の顔色は悪く、夢から覚めたような顔の者がチラホラ見かれられた。
 マクシミリアンは、この光景を見て内心ほくそ笑んだ。まさに『計画通り』だった。

(よしよし、これで良い)

 何故、マクシミリアンがこの様な事をしたには理由がある。
 それはマクシミリアンが、新世界から戻ってきて、王宮を包む気の抜けた空気に気づいたからだった。
 未知の世界で常に気を張り警戒しながら暮らした経験からか、トリステインを包む浮ついた空気に、マクシミリアンは心配になって独自に分析してみた。

 分析の結果、好景気の影響の為か、それとも何をやっても大成功な影響の為か、トリステイン全体が
緩みきった気配が王宮を支配していた。古い言葉で例えればイケイケ状態と言ってよい雰囲気だった。

 数年続く好景気に、警戒心を無くした一部の閣僚から今回のゲルマニア皇帝の死に乗じて、ゲルマニア領に侵攻しようという空気を、マクシミリアンは会議室に入った瞬間感じ取った。

 そこでマクシミリアンは、緩んだ空気を払拭する為に、ゲルマニアへの侵攻がいかに無謀かラザールの口から説明させ綱紀粛正を図った。

「次、空軍卿のトランプ提督、現在の空軍の艦船の状況を報告して下さい」

「ははっ」

 ミランの催促にトランプ提督が立ち上がり、玉座のマクシミリアンに一礼した。
 空軍卿となったトランプ提督は空軍の正装で出席していて、顎から胸の辺りまで白髪で真っ白になった長い髭を垂らし、持っていた資料を読み上げた。

「今現在、空軍は既存の艦船に水蒸気機関を取り付け作業を急ピッチで進めておりますが、肝心の水蒸気機関を作成できる技術者が、ラザール殿を含めたほんの一握りしか居ない為、改修作業は遅々として進んでおりません」

「ゲルマニアと事を構えると仮定して、トリステイン空軍はどの程度の艦船を投入できる?」

 マクシミリアンがトランプ提督に聞いた。

「改修を終えた汽走戦列艦が8隻、それ以下の汽走小型艦艇20隻が投入できます」

「改装が完了した艦艇はそれだけか」

「御意。他にも改装待ちの艦船は大小あわせて30隻以上あります」

「水蒸気機関の生産数は少ないからな。ありがとうトランプ提督」

「ははっ」

 トランプ提督は一礼すると着席した。

「陛下。他に何かございますか?」

 ミランがマクシミリアンに聞くと、マクシミリアンは手を挙げて玉座から立ち上がり語り始めた。

「さて、現状の戦力ではゲルマニアへの侵攻は難しいが、等のゲルマニアがトリステインに対しどう動くか僕には分からない。そこで、ゲルマニアがトリステイン側の国境を越えても手早く対処できる様に、先日延期になった鉄道網の設置を復活させたいと思う」

 マクシミリアンの狙いは、鉄道網を整備する事で、少ない兵力を最速で最前線に送る事でゲルマニアへの備えを整えたかった。

 語り終えたマクシミリアンが座ると、マクシミリアンこの発言に財務卿のデムリがミランの許可を得ずに慌てて立ち上がった。


「お、恐れながら陛下!」

「財務卿、発言は手を挙げてから行ってください」

 ミランがデムリを注意するとマクシミリアンは『よいよい』と手で発言を許可するジェスチャーを送った。

「ははっ、本年分の予算配分は既に終了していて、新しく補正予算を組む必要があります」

「ならば、補正予算を組む様に取り計らってくれ」

 とマクシミリアンが当然の様に言う。

「ですが、昨今のロマリアへの寄付金で、わが国の経済は少なからず圧迫され、大規模な補正予算を組むには、難しいと思われます。せめて来年に持ち越しする事をご検討下さい」

「むう」

 教育改革で背負わなくてもいい重荷を背負ってしまった手前、ロマリア関係で突っ込まれるとマクシミリアンも弱い。
 だが、マクシミリアンもここで妥協する訳にはいかない。

「なにもトリステイン全土に鉄道網を敷けといっている訳じゃない。敷いて欲しいのは三つお路線だ」

「三つの路線ですか?」

 今まで会議の行く末を見ていた宰相のマザリーニが、初めて口を開いた。

「そうだ。ゲルマニアと対峙した際に考えられる三つの戦線。トリスタニアからロレーヌ、リュエージュ、ラ・ヴァリエールの三つの路線を早急に整備する。財務卿、これならば予算の確保は可能では無いか? 検討して欲しい」

「か、かしこまりました、ただちに検討いたします7」

 デムリは汗をだらだら掻きながら、マクシミリアンに一礼をした。

 その後も御前会議は滞りなく終わり、当面のトリステイン王国の行動指針は、様子見の為に中立を保つ事に決まった。
 また、会議後デムリが持ち帰ったマクシミリアンの案を、財務官僚らが検討した結果、予算が下りることになり、三つの路線の工事が進められる事になった。
 鉄道が完成すれば、大量の兵力を迅速に国境に輸送させること期待できる。
 小国だからこそ、富国強兵に一切の妥協をしないマクシミリアンの努力は続く。
 

 

第八十八話 それぞれの思惑

 御前会議は終了したのは深夜の事で、ほとんどの閣僚達はそれぞれ帰宅の徒についた。

 マクシミリアンは、自分の寝室にもカトレアの寝室にも戻らず、外務卿のペリゴールと共に執務室にて、諜報局長のクーペの帰還を待っていた。クーペはフランケン大公の領地に潜入していて、今回のチェック貴族の暴走を聞き、急いでトリスタニアへ戻る途中だった。

「陛下。陛下のご用とは、執務室で私とお茶を飲むことなのですか?」

「まあ、もう少し待て。もうすぐクーペが帰ってくる」

「諜報局長のクーペ殿がですか? そう言えば午前会議の際見かけませんでしたね。もしや、ゲルマニア関連でトリステインを空けておられたのですか?」

「そうだ。これからのゲルマニア問題は、ペリゴールが広く薄く表の情報収集をやらせて、クーペの情報局には狭く深く裏の情報収集をやらせる」

「裏と表の情報収集でしたら、何も深夜の密会の様にせずとも、後日、改めて御前会議の場で話し合えば良いのではないですか?」

「優秀な人材を深夜にまで働かせるのは、僕としても心苦しいが、外務卿。キミを僕とクーペが進める陰謀に巻き込みたいのだよ」

「陰謀……ですか?」

「その通り、詳細はクーペが来た際に話す。間もなく来ると思うから、もう少し待っていてくれ」

「御意」

 ペリゴールは一度、椅子から立ち上がると、マクシミリアンに最上級の礼をした。
 元僧侶の経歴を持つペリゴール。蓄財しか楽しみがなかった僧侶時代とは雲泥の差で、目の前の若き主君に仕える事は、自分の才覚を最大限に発揮できる絶好の機会であり、敵であった自分を外務卿という重要なポストに就けてくれた事に恩も感じていた。

 ……

 その後。マクシミリアンとペリゴールはセバスチャンが淹れた紅茶(ノンアルコール)を口に含みながらクーペを待っていると、マクシミリアンの脳内に何か反応があった。

(む、ウォーター・ビットに感。誰だ? クーペか?)

 国王に即位してからのマクシミリアンは、暗殺防止の為、周囲にウォーター・ビットを展開させ警戒を怠らないようしていたが、ウォーター・ビットの1基が深夜の執務室に近づく有機物を感知した。
 執事のセバスチャンは、執務室の外で守衛の兵士と共に居たが、ドアの向こう側の二人とは別の反応が近づいて着ていた。

 マクシミリアンが警戒しつつ、外の様子を窺っていると、ノックの後にセバスチャンが現れた。

「どうした、セバスチャン」

「クーペ殿と名乗る女性が現れまして、陛下にお目通りを願っております」

「女性? 多分、クーペが化けた姿だろう。入室を許可するように取り計らえ」

「ウィ、陛下」

 マクシミリアンが許可すると、旅装姿の若い女性の姿をしたクーペが執務室に入ってきた。
 よほど急いでいたのか、クーペのその姿は、フランクヴルトでフランケン大公の城に潜入したヨゼフィーネの姿のままだった。

「一ヶ月ぶりかクーペ。妙な事態になったものだな」

「お久しぶりにございます陛下。私も今回の件は予測不能でした」

 クーペにとっても、チェック貴族の暴走は寝耳に水だったようだ。

「明日の朝にしても良かったが、早急に対策を取るべきと僕の直感が言っているので、迷惑だろうが付き合って欲しい」

「分かりました。私としても一刻も早く、ゲルマニア対策をしたいので望むところです」

「そうか、まずは紹介しよう。知っていると思うが、外務卿のペリゴールだ。彼とも情報を共有して、トリステインの外交に役立てるように動いてもらう。いいな、クーペ」

「陛下のお心のままに。初めましてペリゴール殿。応急では何度かお目にかかった事がございます」

「直接お話しするのは初めてですな。クーペ殿」

 クーペがは了承するとペリゴールと握手をした。

「さて、お互いの親交を深めさせるのも良いが、早速本題に入ろう」

 そう言うと、マクシミリアンは杖を振るい『サイレント』の魔法を唱えた。

「御意。まずは我が諜報局が掴んだ情報を提示いたしましょう」

「よろしく頼む」

 諜報局の情報では、ゲルマニア皇帝が殺害された日の前日。スラヴ人の神父が異端審問会に掛けられ、公衆の面前で火炙りにされ死亡した事を掴んでいた。
 だが、その後のチェック貴族の行方は分からず、諜報局員がかなりの数の人員を割いて、チェック貴族の捜索に当たっていた

「スラヴ人の神父が? どの様な人物なのだ」

 マクシミリアンがクーペに問うた。

「元僧侶のペリゴール殿の前で恐縮ですが、ロマリア坊主の割りに傑物だったそうにございます。スラヴ貴族の大多数が彼に傾倒していたと報告にございました」

「なるほど、惜しい人材だったみたいだな」

「御意。話を続けますが、火炙りの次の日に皇帝が殺害されたというのは、いくらなんでも出来すぎています、十中八九、犯人はスラヴ貴族の者でしょう」

「正直、いらん事をしてくれたと吐き捨てたくなる」

「いかがいたしましょう陛下。彼らの支援を中止たしますか?」

 クーペがマクシミリアンにお伺いを掛けた。
 蚊帳の外だったペリゴールが、『支援』という言葉に反応した。

「お待ち下さい、支援ですと!?」

「ああ、ペリゴール。僕の言った陰謀とはこの事だ。彼らスラヴ人を支援して、しかるべき時にゲルマニアに混乱を起こさせ、行く行くは大国ゲルマニアを分裂させる計画だったが、彼らスラヴ人のお陰で大幅な修正を余儀なくされてしまった」

「なんと……」

 ペリゴールは絶句した様子で二人を交互に見た。

「どうだ、ペリゴール。怖気づいたか?」

 マクシミリアンがペリゴールに問うと、ペリゴールは『にやぁ』と口を三日月型にして笑った。

「いえいえ、むしろこんな面白そうな集まりに今まで誘ってくれなかった事を、逆に問いただしたいですよ」

「結構。それでは、『これから』の事について協議を始めよう」

『御意』

 クーペとペリゴールが同時にハモリ、深夜の執務室にて3人の悪巧みが始まった。

 ……

 御前会議では綱紀粛正の為にゲルマニアへの侵攻の無謀を解いたが、本来の計画では、たっぷり時間をかけて準備し、スラヴ人の蜂起祭りに託けて、東ロレーヌを含めた西ゲルマニア各地を切り取る予定だったが、こうなってしまっては、修正をせざるを得ない。

 マクシミリアンは、これからのゲルマニア工作に付いて所見を述べた。

「今、プラーカのスラヴ人を見捨てれば、これからのゲルマニア分裂工作は難しい事になるだろう。そこでプラーカの反乱を支援する為にも、他の地域のスラヴ人も蜂起させよう」

「そうですね。同時多発的に反乱を起こさせなければ、プラーカの出来事を聞いて各地のスラヴ人が勝手に蜂起する可能性は十分あります。そうなれば、反乱は各個撃破的に鎮圧されてしまうでしょう」

 新しく悪巧みに加わったペリゴールも、マクシミリアンの案に賛同した。

「クーペはどう思う?」

「各地のスラヴ人を一斉蜂起させる事には異論はありません。ですが、鎮圧させるゲルマニア側にも混乱させる『何か』が欲しいですね」

「そうだな……」

 マクシミリアンは座っていた椅子に体重を掛けると、腕を組んで何やら考え始めた。そこにペリゴールが手を挙げる。

「陛下。参考になるか分かりませんが、お耳に入れたいことがございます」

「なにか、ペリゴール」

「外交官の世界では良く知られた事なのですが、オーストリとブランデルブルク、二つ選帝侯は大変仲が悪く、何かにつけいがみ合っております」

「ふむふむ、面白い情報だな。クーペ、この情報を元に何か策は無いか」

「ペリゴール殿の言われた、二つの選帝侯を争わるのが定石でしょう。陛下、我ら諜報局に工作活動をお命じ下さい」

「分かった、工作の詳細ついてはクーペに任そう」

「お任せ下さい。スラヴ人の反乱に政情不安とゲルマニアは面白い事になるでしょう」

 ヨゼフィーネの顔をしたクーペは、田舎臭い笑顔をマクシミリアンとペリゴールに向けた。

「さて、東ゲルマニアに関してこの程度にしておくとして、問題は西ゲルマニアだ。フランケン大公がどの様な人物かは知らないが、かの烈風カリンと互角にやり合った男が、出張るとなると大公にも何か策を考えなくてはならない。クーぺ。キミは先日までフランケン大公の下に潜入していた。それを踏まえて何か策あるか?」

 マクシミリアンが、西ゲルマニアの工作についてクーペに意見を求めた。

「策はございます。しかも西ゲルマニアの雄、フランケン大公を破滅させる策が」

「ほう、それは面白そうだ」

「してクーペ殿。どの様な策を用いるのですか?」

「それはですね……」

 ペリゴールの問いかけに、クーペはマクシミリアンとペリゴールの顔に近づいて、ボソボソと耳打ちをした。

「フランケン大公は、戦場では無類の強さを見せますが、私生活では無能力者に近く、近臣の者に内政を牛耳られております」

「近臣の者とは例のロトシルトの事か?」

「その通りにございます陛下。あの男は金の為なら主君すら質に入れるでしょう。ロトシルトも、主君共々破滅させます。ご期待下さい」

「ほほう、流石はクーペ殿」

「分かった。西ゲルマニアの工作についてもクーペに任せるとしよう」

「御意にございます」

 こうして東西ゲルマニアに仕掛ける工作活動の概要は決まった。

「本来の計画では、スラヴ人の『お祭り』に(かこつ)けて、西ゲルマニアをいただく積もりだったが、現在のトリステインは人員の育成とトリスタニア増築計画等で兵に回せる労働力が無い」

「焦りは禁物です陛下。今は時間を稼ぎましょう」

「ペリゴール殿の仰るとおりです。工作活動を重点におき、ゲルマニアの弱体化を待ちましょう」

「……トリステイン王国の未来の為にも、ゲルマニアとガリアの二つの大国に挟まれたこの状況は悪夢以外の何者でもない。まずゲルマニアには幾つかの小国家に分かれてもらおう」

「そして、ガリアへの工作ですね?」

「その通りだクーペ。ガリアも二等分無いし三等分させて、トリステインへの脅威度を下げよう」

「なんとも面白い時代に生まれたものです。このペリゴール。全身全霊をかけて陛下に忠誠を誓いましょう」

「頼りにしているぞペリゴール」

 こうして3人の悪巧みは、夜が明けるまで続けられ、対ゲルマニア工作の第一段階として、東ゲルマニア各地のスラヴ人を蜂起させ資金援助を続ける事、第二段階として、オーストリ大公とブランデルブルク辺境伯を争わせゲルマニア側に混乱を誘発させる事、そしてフランケン大公への工作と、以上の三つが執行される事が決まった。






                      ☆        ☆        ☆






 ゲルマニア皇帝殺害から二週間後。

 ガリア王国の王都リュティスのとある貴族の屋敷では、盛大なパーティーが催されていて、オルレアン公シャルルも、ゲストとしてパーティーに招待されていた。

 主催者の貴族はかなり大きな屋敷で、参加者達は金に糸目をつけない贅を凝らした料理に舌鼓を打ち、魔法を使った演劇でガリアでは良く知られた劇団を呼び余興を楽しんだ。

 だがこのパーティー。表向きこそ良くある貴族のパーティーだったが、このパーティーの本当の目的は、次期ガリア国王へシャルルを推す、いわゆるシャルル派の支持者パーティーだった。

 シャルルは王位に興味が無いような素振りを見せていたが、シャルルを支持する貴族達に押されるように、王位への興味を示し始め、今ではこの手の支持者パーティーに積極的に出席するようになっていった。

 現在ガリアでは、シャルルの父である現ガリア国王が老齢という事も合って、水面下では次期ガリア国王を狙うシャルル派が、頻繁にパーティーを開いて各ガリア貴族の懐柔を行っていた。
 シャルルの兄であるジョゼフは、魔法が使えない事と彼が実行した政策が失敗続きだった事から世間では無能王子と呼ばれ、次期国王はシャルルで間違いないと、支持者達は気炎を吐いた。

 だがシャルルは、兄ジョゼフの事を何かにつけ評価するような言動をして、シャルル派の貴族達をヤキモキさせていた。

 パーティーが続く中、パーティー主催者のブルボーニュ公爵が別室で休むシャルルにご機嫌伺いをしてきた。
 ブルボーニュ公爵はシャルルのオルレアン公爵と同じ公爵だが、国王の息子という事もあって、シャルルの方が地位が高い。

「ご機嫌麗しゅうございますシャルル殿下」

「やあ、ブルボーニュ公。パーティーを楽しませてもらっているよ」

「ありがとうございます。シャルル殿下に一つお聞きしたき事がございます。何故、殿下は無能王子なぞを恐れるのです」

「キミといい皆は兄上の事を誤解しているよ。兄上は本当は凄い人なんだ。侮るなんてとんでもない事だ」

「ですが、ジョゼフ王子の政策は失敗続きで、しかも魔法が使えません。臣民の心はジョゼフ王子から離れております」

「兄上なら国王に魔法の才能は必要ないと言うだろうね」

「それは所詮負け犬の遠吠えに過ぎません」

 ブルボーニュ公は自分の屋敷という事もあってか、シャルルを前にしても手厳しい事を言う。

「魔法はともかく。だれも兄上の自由な発想を理解していなかったからだ。もし兄上の近くに兄上の自由な発想を理解できる者が居れば、きっと兄上の成功していただろう。そう、トリステイン王国のマクシミリアン王の様な方が居られれば……」

「マクシミリアン王ですか、巷では『賢王』などと呼ばれていますが、所詮は小国の王です。我がガリアの敵ではございますまい」

「その小国に、ガリアの財が吸い寄せられているのをキミは気づかないのかい?」

 トリステインを侮るブルボーニュ公をシャルルはたしなめた。

 パーティー参加している貴族達の殆どは、トリステインから輸入したタバコやショコラ、最近出回るようになった高級酒ブランデー等の嗜好品を嗜んでいて、かなりの額のお金がトリステインに吸い寄せられていた。

「確かにあの小国に多くの金が渡ったのは知っています。ですが逆に考えれば一時的に金を預けたような物でございます。あのような小国ごとき、我がガリアが一睨みすれば、小賢しい若造は尻尾を垂らして、今まで預けておいた金を利子をつけて返すことでしょう」

 などとブルボーニュ公はのたまった。大国の貴族にとって、トリステインなどこの程度の認識でしかない。

「その様な認識では困る。今までの発想とは違う観点から政策を起こし成功させたその手腕もそうだけど、ハルケギニア一と言われる魔法の腕前も特筆すべきだよ。もしも兄上とマクシミリアン王が手を結べば、私達にとって大きな障害になるだろう」

 今度はブルボーニュ公の方が弱気なシャルルを嗜めた。
 ブルボーニュ公を始めとするシャルル派貴族にとって、シャルルが王位に就いてくれなければ、無能王子ジョゼフを国王として戴けなければならなくなる。
 大国ガリアの貴族として、それだけはプライドが許さなかったし、善人のシャルルに取り入れば、美味しい汁が吸い放題という打算もあった。

「なにを弱気な。ハルケギニア随一の魔法の使い手はシャルル殿下を置いて他に居ません」

 貴族はそう言ってシャルルを慰めたが、シャルルの心は晴れない。
 マクシミリアンが登場するまで、魔法の天才といえばオルレアン公シャルルを置いて他に居なかった。
 だが、マクシミリアンの登場で、シャルルの事を魔法の天才と賞賛する声は極端に少なくなった。この名声はシャルルにとってのアイデンティティの様なもので、マクシミリアンにお株を奪われた今では、シャルルの心に一抹の焦りを不安をもたらしていた。

(兄上に勝ち次期ガリア国王の座を得るには、なにか大きな功績が必要だ。とても大きく何人(なんぴと)も異論を挟む余地の無い大きな功績が……)

 父親であるガリア国王が、何時、老いによって判断力を失うか分からない状況では、シャルルの焦りは大きくなる一方だ。

 そんな時、焦るシャルルの下に息を切らせた貴族が現れた。

「失礼いたします。シャルル殿下はこちらに!?」

「私はここだ。何かあったのか?」

「ははっ、ゲルマニアから驚くべき報せが届き、急ぎシャルル殿下の下へ駆けつけてまいりました!」

「どういった報せなのか?」

「はっ! ゲルマニア皇帝が何者かによって殺害されたとの事です!」

「な!?」

 シャルルは驚いた顔になったが、それは一瞬の事ですぐさま冷静なシャルルに戻った。
 そんなシャルルの様子を横で見ていたブルボーニュ公は、心配そうにシャルルに声を掛けた。

「シャルル殿下、如何いたしますか?」

「いや、なんでもない。伝令ご苦労、下がっても良い」

「ははっ」

 伝令の貴族は部屋を出ると、シャルルは一つため息を付いた。

「シャルル殿下。ゲルマニア皇帝が死んだと聞きましたが……」

「ああ、すまないが一人にしてくれないか。少し考え事がしたい」

「畏まりました。何か御用がございましたらウチの執事をお呼び下さい」

 伝令に続き、ブルボーニュ公も部屋を出て行った。

「ふう……」

 そして、シャルルは一人部屋に残されると、ため息を一つ付き両手で顔を覆って思案を始めた。

(ゲルマニア皇帝が殺害された事で、ゲルマニア国内は混乱が予想される。これはチャンスでは……?)

 ハルケギニアの二大大国、ガリア王国と帝政ゲルマニアは今まで何度も戦争をし、領土を取ったり取られたりと長年からのライバル関係である。
 シャルルはこの期に自らが侵攻軍の指揮を取り、西ゲルマニアの領土を切り取れば、その名声は転をも突くほどに上がり、兄であるジョゼフを差し置いて、次期ガリア王への道が開くと信じた。
 
(もし遠征に成功すれば、父上も私の事を見直すことだろう。そうすれば兄上に勝つことが出来る。やってみる価値は有るな)

 ガリアにおいては、オルレアン公シャルルは心優しい為政者として、国民の人気は高い。

 今までの名声を捨てでも諦めきれない王座への憧れが、シャルルを冒険へを駆り立てようとしていた。
 
 

 
後書き
 オルレアン公のキャラがイマイチ掴めなかったので、ほとんどオリキャラ化しております。 

 

第八十九話 ダーボル城塞


 ゲルマニア皇帝の死から一ヶ月が経ったが、未だに選帝侯による次期皇帝を選ぶ選挙は行われていなかった。

 皇帝の死を知った各選帝侯が帝都プラーカへ向け歩を進めている頃、プラーカにいち早く到着したオーストリ公アルブレヒトの軍勢とブランデルブルク辺境伯ヴィルヘルムの軍勢、その貴下のゲルマニア騎士団とが数週間に渡って延々と睨み合いを続けていた。

 このにらみ合いの発端は、ゲルマニア皇帝の死から僅か五日後。いち早くプラーカ入りしたオーストリ公アルブレヒトの行った遺言状の偽造に端を発する。

 次期皇帝最右翼のオーストリ公アルブレヒトは、プラーカ入りした後すぐに前皇帝の親族を地下牢に監禁し、自らがゲルマニア皇帝に成るべく既成事実の作成を始めた。
 アルブレヒトの辣腕に前ゲルマニア皇帝の家臣達の多くは裏返り、アルブレヒトに協力をした。当然、アルブレヒトのやり方に異議を唱える者も居たが、彼らもゲルマニア皇帝の親族同様に地下牢に入れられ、態度を決めかねていた者達は、その行為に恐れをなしアルブレヒト指示に雪崩打った。

『全ては順調。小うるさいヴィルヘルムがいくら意義を言った所で、証拠は既に出来上がっているのだ』

 などと(うそぶ)いたアルブレヒトは、前ゲルマニア皇帝コンラート6世の皇子が既に他界している事に目を付け、自らをコンラート6世の養子とする遺言状を捏造した。

 この時ヴィルヘルムの軍勢とゲルマニア騎士団は、まだ皇帝の死を知らず、全てはアルブレヒトの筋書き通りに事が運ぶはずだった。

 そう、ここまでは全てが順調だった。

 事が起こったのはアルブレヒトとオーストリ軍がプラーカ入城の三日後。
 アルブレヒトの命令で、ヴィンドボナから筆跡のコピーに長けた人材を急な出兵で用意できなかった食料を積み込んだ輜重隊(しちょうたい)に同行させていたら、突如現れたメイジを中心とした武装集団の奇襲で人材は死亡し輜重隊も大きな被害を受けてしまった。

 驚いたアルブレヒトは初めは激しく激昂したが、すぐに冷静さを取り戻し謎の武装集団が皇帝を殺した犯人だと見抜いたのは流石だった。
 アルブレヒトは遺言状の捏造を止めて、皇帝殺害の犯人を討ち次期皇帝選出の大義名分を得る事に変更すると、オーストリ軍に謎の武装集団の追跡を命じたが、武装集団は既に姿を消してしまい、その影すら踏ませる事はなかった。

 ここでアルブレヒトは無為の時間を浪費してしまい、その後すぐにブランデルブルク辺境伯が、ゲルマニア騎士団を引きつれプラーカに到着してしまった事でアルブレヒトの野望は破綻してしまった。

 そして現在、プラーカ市内では両陣営の兵士達が睨み合いを続け、プラーカ城ではいつ終わるとも知れないトップ同士の話し合いが執り行われていた。

 ……

 プラーカ城内にある巨大な会議室。
 本来は皇帝を迎えての重要な案件を話し合う為の大会議室だったが、今では二人の野心家が(しのぎ)を削る場と化していた。

 ヴィルヘルムが踏み込めばアルブレヒトは巧みに"いなし"、アルブレヒトが粗暴な行為を諌めるとヴィルヘルムは広い会議室に響く声で怒鳴り散らした。
 アルブレヒトは理論然に攻めても一向に引かないヴィルヘルムに業を煮やし、アルブレヒトは切り札の切る事にした。

「貴様、いち早くプラーカ入りして何をしていた。前の皇帝の親族連中が一向に姿を現さないのはどういう事だ。よもや、どこかに監禁したのではなかろうな?」

「何のことだ?」

(とぼ)けるな。いつもなら小うるさい親類連中が、未だ我らの前に出てこない、お前が手を打ったのであろう? なんて男だ!」

「ヴィルヘルムよ。お前が一番でプラーカ入りしても、お前だって私と同じ事をしただろう」

「む……」

 ヴィルヘルムは言葉に詰まった。
 図星だったのか、ヴィルヘルムは嫌そうな顔をして、アルブレヒトを睨みつけた。

「お前は分かりやすいからな。自分の栄光の為なら何でも利用する。邪魔と感じれば誰が何であろうとも排除する、そういう奴だ」

「ふんっ!」

「正直な所、ここでお前と不毛な議論をしても無駄な時間を浪費するだけだ。私は皇帝陛下を殺害せしめた輩の退治に向かう。お前はここで遊んでいろ」

「どういう事だ!」

「耳が遠くなったのか? 皇帝陛下を殺害せしめた犯人の討伐に行くのだ」

「何故お前が知っている!」

「知っているも何も、お前がプラーカに入る前、我が軍の一部がその犯人の軍勢を接触したのだ」

 そう言ってアルブレヒトはマントを翻し、大会議場を出ようをすると、ヴィルヘルムが待ったをかけた。

「待て! 皇帝の敵をとるのは俺だ!」

 ヴィルヘルムはそう言うや否や、護衛の家臣達と共に大会議場を出ると、自分の軍勢に出撃命令を出した。

 大会議場に残されたアルブレヒトは一人ほくそ笑む。

(ヴィルヘルムよ、だからお前は馬鹿なのだ。政治とは騙しあい嘘の付き合い……精々何処に居るか分からない賊を追って無駄な時間を潰すがいい、私はプラーカに残って他の選帝侯に対し多数派工作を取らせて貰おう)

 謎の武装集団はアルブレヒト自身無視できる存在ではなかったが、輜重隊が倒された事で出兵できる程の食料を準備するには時間が掛かった。
 それに多数派工作の前にヴィルヘルム一派をプラーカから遠ざけたかったアルブレヒトは、一芝居打つことで、ヴィルヘルムに皇帝殺害の実行犯を倒させす事を思いついた

 いくらヴィルヘルムが、武装集団を倒し次期皇帝の大義名分を主張したとしても、それを決めるのは二人を含めた七人の選帝侯で、先に多数派工作を行っていれば問題ない。

 二時間後、ヴィルヘルムを含めたブランデンブルク軍とゲルマニア騎士団はプラーカを離れ、謎の武装集団の姿を求めてボヘニア全土へ散らばっていった。

 再び、プラーカの主となったアルブレヒトは、各選帝侯へ使者を飛ばし地固めを確実の物とした。






                      ☆        ☆        ☆ 






 帝政ゲルマニア、ボヘニアのとある地方に『ダーボル』と呼ばれる地方がある。

 チェック貴族のダーボルはこの地の出身で、代々、姓をこの地から取ったいた。
 プラーカを脱出した碧眼のヂシュカを始めとする独立派の人々は、この地のダーボル城塞に身を隠し、ゲリラ戦を行いながら反撃の時を窺っていた。

「おお~い、戻ってきたぞぉ~!」

 城門で見張りをしていた男が、ゲリラ作戦から帰ってきたヂシュカを主将とする小部隊を見て、城塞内の人々に大声で知らせた。

 ヂシュカが指揮する小部隊は、オーストリ軍の輜重隊を襲撃すると、食料の奪取に成功し意気揚々とダーボル城塞に帰還した。

「よく戻って来たな!」

「しかも、戦利品付きよ!」

 襲撃部隊はダーボル城塞の門をくぐると、老若男女様々なチェック人達がヂシュカ達を称えた。
 ダーボル城塞にはチェック貴族だけでなく、チェック人の農民も多く寄せていて、敷地内でフシテツ神父の遺産であるジャガイモの栽培したり様々な雑用をしたりと、ダーボル城塞はかなりの大所帯と化していた。

 左目を眼帯で覆い、赤茶色の髪を短く切ったヂシュカは、食料を満載した馬車の前に立ち、あれこれ命令を下すと解散を命じた。
 
「よし、奪った食料を食糧倉庫に入れたら解散だ」

『うぇ~い』

 ヂシュカの命令にチェック貴族や平民の兵士も声を上げて答え、馬車に積み込んだ戦利品の食料を食料庫まで移動させる作業に入った。

 ヂシュカは後始末を部下達に任せると、城塞内に入りそのままの足で留守番のダーボルの所へ向かった。
 城主の部屋に居たダーボルは、取り巻きの貴族達とテーブルの上に無造作に山積みされたエキュー金貨で金勘定をしていた。

「今戻った……、と、それはなんだ?」

「見て分からんか? 金だ」

「いや見れば分かる。私が言いたいのは、何処からそんな大金を用意したのかだ」

 ヂシュカのもっともな答えを聞いたダーボルは、ドヤ顔をしてエキュー金貨を手に入れた経緯を話し出した。

「お前が留守の間、部下を四方へ飛ばし、資金提供を募ったその成果だ。ゲルマニアの支配を憎む者達は多く、10万エキュー以上をポンと渡してくれた者も居たぞ」

 ダーボルの説明にヂシュカは、生前のフシネツ神父が残した言葉を思い出した。

(……どうも怪しい。フシネツ神父は外国勢力がゲルマニアの混乱を望んでいて、その資本がこいつらに回っているような事を言っていた。まさか今回もそうなのか?)

 ヂシュカはその事について問いただそうと思ったが、目の前の大金はこれからの戦いに都合が良い為、喉まで出かかったこと間を飲み込んだ。

「この城塞のことを喋ったのか?」

「喋る訳ないだろう。俺を何だと思っている」

「……それはそうと、結構な額の金を集めたな」

「誤魔化したな、まあいい。この分の金があれば大量の武器を買い付ける事も出来るし、お前が奪った食料で半年以上の篭城も可能だろう」

「そうだな、後は誰かが暴走しないように、皆を統率することが大事だ」

 二人の話は続き、チェック人たちの行動指針が決められていった。

 ……

 それから数週間の時間が経ったある日、物見に出ていたチェック貴族が慌てた様子でダーボル城塞に駆け込んできた。
 
「大変だ! ゲルマニアの軍隊が近くに現れた!」

 ヂシュカはその報告を練兵場で聞くと、数十名の物見を出してゲルマニア軍の動向を徹底的に監視する体制を取った。

「どうするのだ? このままこの城塞に居ては発見されるのも時間の問題だ。逃げるか、それとも一戦交えるか……」

 ダーボルがヂシュカに聞くと、

「今見つかるわけにはいかない。どこかに身を隠そう」

「それらば、すぐに城塞を放棄させるよう命令を出す」

 ダーボルが命令を出しに行こうとすると、ヂシュカが待ったをかけた。

「いま、まて、放棄の必要は無い」

「何故だ? 身を隠すのではなかったのか?」

 クエスチョンマークがダーボルの灰色髪から出てきた。

「私に考えがある……城ごと移動すればよいのだ」

 不適に笑ったヂシュカは指揮棒型の杖を振って、魔法のスペルを唱えだした。

 瞬間、ダーボル城塞が地響きに揺れ、農作業をしていた農民達は、突如起こった異変に腰を抜かしその場から動けなくなった。

「な、何事だ……!」

 ダーボルが揺れる大地を器用に歩きながら城壁へと向かうと、城塞の基礎の部分から土で出来た巨大な足が六本生えて城塞ごと移動を始めた。

「ヂシュカ、何をした」

「せっかくジャガイモを植え、補修も終えた城塞を、このまま蜂起するのは勿体無い。そういう訳で城塞ごと逃げる事にした」

 土のスクウェアメイジであるヂシュカの魔法は、クリエイトゴーレムの応用で、ゴーレムの足だけを城塞から生やし、城塞ごと移動させる奇想天外な魔法だった。

「……城塞ごと逃げようとは」

「開いた口が塞がらんか?」

「まあな。ここから山を三つ越えた所に深い谷があったはずだ、まずはそこに身を隠そう」

「分かった。早めに移動しないと精神切れを起こす、少し揺れるが我慢するように皆に伝えてくれ」

 ダーボル城塞から生えた6本の巨大な足は、ゆっくりとだが急いで山を駆け下りた。

「……揺れるな」

 ヂシュカの魔法で、チェック人を乗せたダーボル城塞は、三つ山を越した所にある深い谷に逃げ、ゲルマニア軍の捜索を振り切ることに成功した。





                      ☆        ☆        ☆






 ゲルマニア騎士団団長のフリードリヒは、ブランデルブルク辺境伯ヴィルヘルムの命令で、前皇帝を殺害した謎の武装組織を追って、ダーボル地方まで出張っていた。

 ブランンデルブルク軍はプラーカを離れボヘニア各地に散り、本来なら決戦戦力であるゲルマニア騎士団にも捜索の命が下った形だった。

「本来ならば我々は温存して、しかるべき時に備えなければならないというのに、口惜しいです」

 火竜の背に乗り、そう愚痴をこぼすのは、フリードリヒの右手でゲルマニア騎士団副団長のシャルルンホルストという若者だった。
 ブラウン色の髪をしたこの青年は、軍才だけならフリードリヒ以上といわれる逸材で、ヴィルヘルムの支援がなければ、団長の座はフリードリヒではなく彼の物だったと、周りの物は噂し、フリードリヒもその事を認めていた。

「そう言うな。魍魎跋扈するプラーカから離れられただけでも幸運だ」

 そう諌めるのはフリードリヒで、彼は巨大な火竜の背に乗り、シャルルンホルストの火竜と大空を併走していた。

 主君であるヴィルヘルムとオーストリ大公アルブレヒトとの間に、どの様な話し合いが持たれたのかフリードリヒは知らない。

「態よくプラーカを追い払われたのだろう。そして政敵の居なくなったプラーカで、オーストリ大公が根回し工作をする事で、次期皇帝への道を確固たる物にする」

 フリードリヒにはこの後に起こることは簡単に予想できた。
 
「団長。何故、団長はその事を辺境伯に報告しなかったのですか?」

「叔父上はそういった小細工はお嫌いな方だ……それに、言ったところで、上手く立ち回れる知恵は持ってはいまい」

「……そ、そうですね」

 シャルルンホルストもヴィルヘルムの人となりは良く知っている為、多くは語らなかった。

「こうなっては手遅れ。残念だが、叔父上は皇帝になる事は出来ないだろう」

「して、団長はこの状況をどう利用されるおつもりで?」

「叔父上を追い落とす為にオーストリ大公に接近する。副団長、誰か連絡役をプラーカに派遣したいのだが、良い人材を選別して欲しい?」

「分かりました。早速、プラーカへ向かわせます」

 シャルルンホルストはすぐに命令を下し、騎士を数名プラーカに向かわせ、アルブレヒトに接近する工作を始めた。

 ……

 ゲルマニア騎士団がダーボル地方を重点的に捜索した結果、幾つかの報告がフリードリヒに上がってきた。

 その報告の中に、『昨日まで在った空き城が、夜が明けたら消えていた』、よいう不可解な報告が上がり、フリードリヒはシャルルンホルストを従えその地に赴いた。

「……ここだな? 報告にあった消えた城が在った場所は」

「そうです。土地の者に聞いたところ、朝起きたら城が消えていたとの事です」

「しかし、消えたとは不可解な報告だな、どういう意味だ」

「そのままの意味だと思われます。恐らく報告にあった空き城に例の武装集団が占拠していたのでしょう」

「土地の者には、山賊辺りが住み着いたと報告は無かったのか?」

「その辺りの事は報告にございませんでした」

「……元々は戦闘が専門の騎士か、そこまで考えが回らなかったか」

 騎士団に不得手な仕事を押し付けられた事を改めてお思い知り、フリードリヒはため息を付きたくなった。

「しかし、巨大な城を移動させたのか、それとも証拠隠滅の為に城ごと消滅させたのか、疑問はつきません」

「……ともかく、城があった場所に降りてみるか」

 フリードリヒは火竜の背から下界を覗くと、そこには何か巨大な物で大地をえぐった様な跡が残されていた。

「見事に何も無いな」

「団長見てください、微妙にですが草が重いもので踏み倒された跡があります」

 シャルルンホルストの指差す先には、何か大きなもので踏み潰された草の跡があり、それは山の向こう側にまで続いていた。

「まさか城に足が生えたとでも言うのか?」

「まさかその様な……」

「無いとも言い切れないが……よほど急いでいたのか、それとも阿呆なだけなのか、足跡を消す事を怠ったようだ」

「どうしますか? 足跡を追いましょうか?」

「そうだな……」

 シャルルンホルスト尋ねると、フリードリヒは考える素振りをした。

(徹底的に捜索すれば見つけることは可能だが、叔父上の利益になるような事はしたくないな……ん?)

 フリードリヒが空を見上げると、シャルルンホルストも釣られて空を見上げた。
 空には伝令用の飛竜を駆る騎士が、フリードリヒ達の所まで飛んできた。

「騎乗にて失礼いたします! ポラン地方で地方貴族が反乱との事です!」

「……! 伝令ご苦労!」

「ははっ!」

 伝令の騎士は一礼すると、飛竜を空中で翻し何処かへ飛んでいってしまった。

「聞いたな副団長」

「はい、ボヘニアといい、先ほどのポランといい、現在のゲルマニアは不幸続きだな」

「いかがいたしましょう? 一度、辺境伯の所に戻り指示を待ちますか? それとも、このまま巨大な足跡を追って捜索を続行しますか?」

「一度戻ろう、もはや一武装組織を倒すのとは訳が違う、大規模な反乱だ」

「分かりました。各騎士達にも帰還命令を出します」

「任せる」

 シャルルンホルストは自らの火竜に飛び乗ると、他の騎士の所まで飛んでいった。

「……私もこの状況を利用させて貰おう」

 この日を境にフリードリヒの野心に火が灯り、ヴィルヘルムの追い落としを画策するようになり、フリードリヒは身辺の騎士達を信頼の置ける者に変え、『その時』に備えだした。

 

 

第九十話 ゲルマニア分裂

 ゲルマニア分裂の切欠(きっかけ)はボヘニアの皇帝殺害事件だが、分裂の始まりはゲルマニア北東部の果て、ポラン地方からだった。

 ポラン地方の地方都市クラフクにて、スラヴ系ゲルマニア貴族が行政を司るクラフク城を占拠すると、自らをポラン人と名乗り『ポラン王国』の独立を宣言した。
 この独立宣言に、ポラン地方各地が申し合わせたかのようにポラン王国へ帰属し、一ヶ月としない内に帝政ゲルマニアにとってポラン王国は無視できない規模に拡大した。

 この一ヶ月間、何故ゲルマニアは手を拱いて見ているだけだったかというと、ブランデルブルク辺境伯ヴィルヘルムを外した他の5人の選帝侯が、ヴィルヘルムの居ない隙にオーストリ大公アルブレヒトを次の選帝侯に決めてしまったのだ。
 こうして、新皇帝アルブレヒト3世が誕生するわけだが、当然ヴィルヘルムは収まらない。
 プラーカへ向かう道中、アルブレヒトが皇帝に選出された事に怒ったヴィルヘルムは、プラーカへの攻撃を命じた。

「直ちに戦闘準備だ! プラーカを火の海にしてくれる!!」

「お待ち下さい、叔父上」

 フリードリヒが、怒るヴィルヘルムを諌めた。

「邪魔をする気か!」

「冷静になってください。今我らが攻撃を加えれば我々は逆賊です。何より我々には、長期の戦闘に耐えうる食料がありません」

「何だと、食料が!? ぐうう……!」

 この時、食糧不足の事を始めて知ったヴィルヘルムは悔しそうに唸った。

「いかがいたしましょう。大人しく帰順いたしますか?」

「馬鹿を言うな! 誰がアルブレヒトなぞに!」

「では、このまま領地に戻りましょうか」

「戻ってどうする?」

「ポラン地方で大規模な反乱が起きましたし、このボヘニアにも反乱勢力が潜んでいます。このまま我々が領地に引っ込めば、鎮圧の為の兵力は不足します」

「なるほど、反乱鎮圧に手間取れば、アルブレヒトの名声は地に落ちるな。そうすれば、いよいよ俺の出番という訳か」

「全ゲルマニアの臣民は叔父上を新皇帝に推す事でしょう」

「ふんふん、ふふふふ……」

 ヴィルヘルムの脳内には、皇帝の玉座に座った自分の姿が燦然と輝いてる姿が映った。

 その妄想したヴィルヘルムの後ろに控えていたフリードリヒは、ヴィルヘルムの姿を冷ややかな目で見ていた。

(やはりこの人は、皇帝の玉座にのみ興味があって、臣民の事はどうでも良いのだな)

 フリードリヒは改めて自分の正義を信じ直した。

 ……

 数日後、ブランデルブルク軍とゲルマニア騎士団が、領地へ帰還の徒へついた事を知った新皇帝アルブレヒト3世は驚きの顔でその報告を聞いた。

「驚いたな、ヴィルヘルムの性格なら怒り来るって攻撃を仕掛けてくると思ったが……」

 アルブレヒトは、驚きで一度上げた腰を、再び玉座に下ろし直した。

「ヴィルヘルムもそれほど阿呆ではないという事か」

「ですが、ブランデルブルク軍はともかく、ゲルマニア騎士団までも帰還してしまったら、反乱鎮圧の兵力が不足しましょう」

 それどれ発言したのは、盟友であり選帝候のザクソン公とバウァリア公で、他の選帝侯も苦い顔を押していた。

 そしてもう一人、ゲルマニア騎士団の鎧を纏った青年の、計6名だけが玉座の間に立ち入る事を許されていた。

「騎士団の、名前はなんと言ったか?」

「グナウゼナイです」

 グナウゼナイはゲルマニア騎士団副団長のシャルルンホルストが連絡役に派遣した騎士で、シャルルンホルストの弟子でもある。

「そう、グナウゼナイ。お前の持ってきた謀略では、ヴィルヘルムが反乱を起こせば、騎士団長のフリードリヒがヴィルヘルムを暗殺する手はずだった筈だが……」

「残念ながら、辺境伯は虎口を脱したようです」

 新皇帝の前で、青年騎士はぬけぬけと語った。

「曲りなりにも皇帝の前でその発言。中々の胆力と褒めてやろう。それに元々期待はしていなかった」

 玉座のアルブレヒトは、玉座の前で頭を垂れるグナウゼナイに嫌らしく言った。

「その様な小細工よりも、反乱の鎮圧に知恵を絞るべきだろう。ちがうか? 騎士殿」

「御意にございます閣下。私はお邪魔ですので、これにて失礼いたします」

 グナウゼナイは一礼すると玉座の間を出て行き、これで選帝候5人だけとなった。

 グナウゼナイが退室するのを見届けると、アルブレヒトは改めて各選帝侯の顔を見渡した。

「これからの策は何かあるのか?」

「策も何も、早急にポラン地方へ兵を送り、鎮圧しなければ反乱軍の規模は膨れるばかりであろう。そこで俺に兵を与えてくれ、一ヶ月で鎮圧してくる」」

 ザクソン公が鎮圧軍の将軍に自ら志願してきた。
 アルブレヒトは他の選帝候の出方を窺ったが、特に反対する雰囲気は無かった。

「それでは、ザクソン公に鎮圧軍の指揮を任せよう」

「謹んで拝命仕る」

 かくしてポラン地方の反乱鎮圧に、ザクソン公が自ら軍を率いて乗り込む事になった。

 続いてアルブレヒトは、フランケン大公にトリステインやガリアに対しての防衛策を講じるように命令を出した。

「あ、ああ……承知した」

 フランケン大公は承諾したが、どうも様子がおかしい。
 戦場以外では無能力者に近いフランケン大公に防衛策を講じられるか、各選帝候は不安に思ったが、

『粗方、ゾフィー大公妃に怒鳴りつけられたのだろう』

 と、ゾフィーの剣幕の強さを知っていた為、それほど重要視しなかった。

 選帝候の会議は続き、アルブレヒトは新たに空席になったボヘニア王を兼任することが決まった。

 普通なら、ボヘニア王だった前皇帝の親族が継承を主張するのだが、アルブレヒトが先手を取って親族をことごとく監禁してしまい、この決定に異議を唱えるものはいなかった。
 この決定で、アルブレヒトは票を二票手に入れ、アルブレヒトの権力は大いに増した。

 他の選帝侯がなぜアルブレヒトに従順なのかは、彼の政治力による所もあるが先のハルケギニア大寒波で、食糧不足に陥った選帝侯に肥沃な領地を持つアルブレヒトが食料を提供し、代わりに自分への支持を取り付けたためでもある。

 これにて、新皇帝と選帝候の会議は終了したが、新皇帝アルブレヒト3世に休息の時間はない。
 アルブレヒトは新皇帝の戴冠式を自らの領地の首府であるヴィンドボナで行う為、ヴィンドボナ新たな帝都に決定した。
 そして、戴冠式の招待状を各国に送ると、プラーカには5万の軍を置き、プラーカを出発帰還の徒につき他の選帝候もそれに続いた。

 アルブレヒトは無能な男ではない、その智謀はハルケギニア屈指だったが、戦場の人ではなかった。
 その軍事への無知が災いした。
 ポラン地方の反乱を軽視し、ボヘニア地方の反乱勢力を過小評価し、優秀な守将の配置を怠った。




                      ☆        ☆        ☆ 





 数日後、ヴィルヘルムとゲルマニア騎士団がベルヴィンに帰還すると、アルブレヒトが皇帝に選出された情報が届いた。

 当然ヴィルヘルムは大激怒、城の調度品をあちこち投げつけて怒りを爆発させた。

「軍だ! もう一度軍を編成して、プラーカを! ヴィンドボナを陥せ!」

 ヴィルヘルムの部屋では、怯える家臣達を尻目にヴィルヘルムは吼えながら椅子をドアに向かって投げつける。
 ドアに叩きつけられた椅子は砕け散り、散らばった椅子の欠片が辺りに散らばった。

「随分と荒れておられますね、叔父上」

 椅子に叩きつけられたドアが開き、フリードリヒが入室してきた。

「フリードリヒか! 良いところに来た、すぐに騎士団とともにプラーカを陥せ!」

 ヴィルヘルムは唾を吐きながら、フリードリヒに命令した。

「お言葉ですが叔父上。進軍しようにも騎士達に食べさせる食料がございません」

「何だと! それは本当か!」

 ヴィルヘルムは、家臣達の方へ向くと、家臣達は申し訳なさそうに首を縦に振った。

「ですが叔父上。アルブレヒト殿と事を構えるのでしたら、先にボヘニア地方のシレージェンを取りましょう。あそこは穀倉地帯として知られております」

「ふむ、穀倉地帯を確保して、それからプラーカ、ヴィンドボナと進軍しようというのだな」

「左様にございます。腹が減っては戦が出来ません」

「よし、ベルヴィン中から食料を掻き集める。お前はシレージェン攻略の準備に入れ」

「御意」

 フリードリヒは一礼すると、ヴィルヘルムの部屋から退室した。

「団長、会見は如何でしたか?」

 廊下には、副団長のシャルルンホルストが待っていた。

「シレージェン攻略の命が下った。テュートン、リヴォニヤ各騎士団に命令を出せ」

「かしこまりました」

 シャルルンホルストが去ると、フリードリヒもゆっくりと歩き出す。

(上手い事、事が進んだな。なるべく叔父上とアルブレヒト殿は、たっぷりと時間をかけて争って貰わないと……)

 先ほどの会見で、フリードリヒはヴィルヘルムに言わなかった事がある。
 それは補給を現地調達、言葉を変えれば略奪にして、ヴィンドボナを強襲すれば100%勝てる確信があったのだ。
 だが、ゲルマニア騎士団が略奪の汚名を被ってしまうし、ヴィルヘルムが皇帝の座に就いてしまう。ヴィルヘルムの追い落としを画策するフリードリヒにとっては看過出来なかった。

(今までの様な、政治闘争ではない。軍と軍とがぶつかり合う戦闘になれば、軍事力に秀でた我らが初戦は勝ち続けるだろう。だが時間をかければ国力の差でアルブレヒト殿が盛り返す。結果ベルヴィンを始めとするブランデルブルク各領地から、叔父上への怨嗟の声が上がり、晴れて私が叔父上を追い落とす大義名分を得る事が出来るというものだ……フフ)


 フリードリヒがプラーカに居た時、攻撃を支持しなったのは、万が一にでもアルブレヒトに死なれては困るからだ。
 もし死なれでもしたら、ヴィルヘルムが皇帝になってしまう可能性が高まる為、是が非にでもアルブレヒトには無事にヴィンドボナに帰ってもらう必要があった。

(だが、今は安全なヴィンドボナに居る。二人には末永く争い続けて貰おう)

 内心ほくそ笑みながら、フリードリヒは冷たい廊下を歩き続けた。

 一週間後、フリードリヒに率いられたゲルマニア騎士団はシレージェンを強襲した。

 ヂシュカらチェック人の反乱でシレージェン地方の防衛は空も同然だった。ゲルマニア騎士団の攻撃に驚いたプラーカの守将は持ち場のプラーカを離れてゲルマニア騎士団の討伐に向かってしまった。
 結果、ゲルマニア最強のゲルマニア騎士団に蹴散らされ守将は戦死してしまった。5万の軍勢も戦死、或いは逃亡で5万の軍勢は一瞬で壊滅、ボヘニア地方は軍事的空白地帯と化した。
 さらに悪い事に、戦死した守将はヴィンドボナへの伝令を一騎しか送らなかった為に、途中でヂシュカらの襲撃を受け死亡。情報はヴィンドボナに届く事はなかった。

 反乱を起こしたブランデルブルク軍は、穀倉地帯を手中に収め、これからの戦争における策源地を手に入れた。

 時同じくして、ポラン地方に続いてゲルマニア東部のスラヴ人が一斉に蜂起し、ここに帝政ゲルマニアは分裂し内乱状態となった。

 この時、奇しくも新帝都ヴィンドボナではアルブレヒトの戴冠式が執り行われていて、そこには国賓として招かれていたトリステイン王国国王マクシミリアンの姿があった。

 
 

 
後書き
 復帰を願っていただけに、突然の訃報に大変驚きました。

 ヤマグチノボル先生のご冥福をお祈りいたします。 

 

第九十一話 ヴィンドボナの日々

 時間を少し遡って、帝政ゲルマニアの新帝都ヴィンドボナ。

 都市の中央をドナヴ川が横切るゲルマニア屈指の大都市である。
 かつてのヴィンドボナは交通の要所だったが、長年大河の氾濫に悩み続けていた。しかし現在の大公アルブレヒトの治水事業によって氾濫の心配は無くなり、交易と治水を利用した農業との両輪で国力を蓄え、ゲルマニア最大の諸侯に登り詰めた。

 そのアルブレヒトは、ゲルマニア皇帝アルブレヒト3世として選出され、その権勢を内外へ知らしめ様と戴冠式を行う為に各国に使者を出した。

 トリステイン王国マクシミリアン1世は、王妃カトレアと数人のお供と共に、即位後初の外遊として、ここヴィンドボナに訪れていた。

「ゲルマニア屈指の大都市と聞いていたが、喧騒に包まれている訳でもなく、綺麗に整備されているな。うん、良い都市だな、掛け値なしに」

 ヴィンドボナ市内をマクシミリアンとカトレアを乗せた豪華な馬車が行く。
 御者席には執事のセバスチャンが手綱を握り、二台目の馬車には、外務卿ペリゴールを団長とするトリステインの使節団の馬車が続き、三台目の馬車にはベティとフランカのメイドコンビは、トリステインから持ってきたドレス等の物資を積み込んだ貨物用の馬車の御者席に座ってマクシミリアンとカトレアの馬車に続く。
 三台の馬車の周囲を、使い魔のグリーズに跨ったミシェルと、アルブレヒトの命で派遣された武装した帝国貴族が厳重に警備していた。

 本来なら、市内を行く豪華な馬車に市民の目が向けられるものだが、ヴィンドボナ市民の目は馬車の上空をゆっくりと飛ぶ、巨大な怪鳥に向けられていた。
 言うまでも無く怪鳥の正体は、カトレアの使い魔、サンダーバードのフレールだった。

「あんまり目立つのも嫌だし好都合だけどね」

「何か仰いましたか? マクシミリアンさま」

「いや、なんでもない。市民には活気があるみたいだな」

「……でもマクシミリアンさま。少しばかり物々しくないでしょうか?」

 馬車の窓から市内を覗いたカトレアは、持ち前の直感でヴィンドボナに漂う不穏な空気を感じ取った。

「物々しい……か、新皇帝の即位に反対する勢力が未だ市内に居るのかもしれないな」

 マクシミリアンは自身の謀略の影響である事を言う訳にもいかず、適当に話をあわせた。

「マクシミリアンさま。わたし達が泊まる所はどんな所なんでしょうか?」

「過去の大公が狩猟用に建てた離宮と聞いたな。名前は確か、ショーンブルン宮殿」

 マクシミリアン達はヴィンドボナ市の中心区画に入ると、真っ先に巨大な泉が抱えた広大な庭園が目に入った。
 何か水魔法を絶えず使っているのか、泉からは5メイル程の噴水が空高く噴き出されていて、水しぶきが太陽の光に合わさって綺麗な虹を空中に描いていた。

「見事な仕掛けだな、こんどトリスタニアに帰ったらやってみよう」

 ショーンブルン宮殿の区画には、噴水や庭園の他にも動物園が建てられていて、カトレアは動物園の案内用の看板から目が離せない。

「ねえ、マクシミリアンさま……」

「分かってるよ、荷を解いたら二人で行こう」

「気を使わせてしまって申し訳ございません」

「気にするなって。公務とはいえ息抜きは必要だ」

 デートの約束を交わすと、二人を乗せた馬車は庭園を通り過ぎ、宿泊場所となるショーンブルン宮殿に到着した。

 馬車から降りたマクシミリアンは、ショーンブルン宮殿の外壁を見て呆気にとられた。宮殿の外壁は金色に輝いていたのだ。

「あ、これは……」

 マクシミリアンは思わず『悪趣味な』と口を滑らせそうになったが、何とかその言葉を飲み込んだ。

「あらあら、まあまあ」

 カトレアも同じ感想の様で、ニコニコしながらも微妙に呆れ顔だ。

 マクシミリアン一行はショーンブルン宮殿内に入ると、使用人やメイドら家人達が一斉に礼をして国賓の到着を歓迎した。

「僕たちは部屋に入って休むとしよう、他の皆もそれぞれ休んで旅の疲れを癒してくれ」

『かしこまりました陛下』

 トリステイン訪問団一同が礼をした。

「ペリゴール。ゲルマニアとの通商交渉は明日からだったか。それまで休んでいてくれていい」

「御意にございます陛下」

 『行こうかカトレア』と、マクシミリアンはカトレアを伴って、国王夫妻の寝室として割り当てられたショーンブルン宮殿でもっとも豪華な部屋に入って行った。

「さて、我々も休ませて頂きましょうか。今夜は歓迎パーティーが催されると聞いています。それまでゆっくり休んで下さい、」

 マクシミリアンとカトレアが部屋に入るのを確認すると、ペリゴールが音頭を取って訪問団の部屋を割り振っていった。

 よほど疲れていたのか訪問団は次々と割り当てられた部屋に入って行き、やがて廊下には守衛の帝国貴族とショーンブルン宮殿のメイド達、そしてミシェルらマクシミリアン達を直接世話する者達しか居なくなった。

 その様子をドア越しに聞いていたマクシミリアン。

「よし、みんな休憩に入ったな。カトレア、着替えたら早速動物園に行こう」

「でもマクシミリアンさま。今出て行ったらミシェル達に気付かれてしまうのではありませんか?」

「そうなれば、護衛が付いて『二人っきり』ではなくなるな。ん、そうだ。そこの窓から外に出ようか」

 マクシミリアンが指差す先には、大きな窓がありヴィンドボナ市の建物が木々の間から覗いていた。

「まあ、マクシミリアンさまったら」

「部屋の中を無人にすれば、大騒ぎになるだろう。そこでスキルニルを身代わりに立てよう」

「でもこんな子供みたいないたずら、ワクワクしますね」

 カトレアも乗り気で、二人は予め用意しておいた一般市民が着るような服に着替えると、身代わりのスキルニルをそれぞれマクシミリアンとカトレアに変化させた。

「それじゃ留守番任せたぞ」

「分かっている。精々楽しんでくるんだな」

「何なら、カトレアのスキルニルとよろしくやっていても良いぞ?」

「馬鹿を言え、スキルニルにそんな機能付いていない」

「付いていないのか。ともかく任せた」
 スキルニルの自分自身と軽口を交わしたマクシミリアンは、既に着替え終えたカトレアと共に窓から下へ飛び降りた

「少し遅くなるかもしれませんから、その時はフォローをお願いします」

「たっぷりと遊んできて下さい」

 窓から顔を出したスキルニルのカトレアに、本物のカトレアがこれからの身代わりを労った。

 国王に即位した後のマクシミリアンは、その忙しさからカトレアとのデートは一切行っていない。
 何とか二人だけの時間を取りたかったが、政務は決して二人に自由な時間を与えなかった。

「そこで初めての外遊は、なにが何でも自由な時間を作るつもりだったんだよ!」

「マクシミリアンさま、なにもこんな所で仰らなくても……」

 マクシミリアンは動物園への道中で熱弁し、それを間近で聞いていたカトレアは嬉しさ半分気恥ずかしさ半分の心境だった。

「良いんだよ。久々の自由だろ? カトレアは嬉しくないのか?」

「それは嬉しいですけど……」

「だったら楽しもう。ほらほら!」

 マクシミリアンはカトレアの手を取ると園内を連れ回した。
 宮殿近くの動物園は、普段見られないような動物が多く飼育されていて、飼い慣らされたモンスターも見ることが出来た。

 二人は動物園内を見て周り、モンスターのトロル鬼が居る『トロル舎』の前までやって来た。
 トロル舎は10メイル以上の巨大な壁の上から、下のトロル鬼を見下ろすような構造で、頑丈な手すりが在る為か、よっぽどの事がない限り転落する事はない。

「5メイルのトロル鬼を飼うなんて、ゲルマニア人は面白い事を考えるな」

「でも、余り元気が無いみたいですよ?」

 カトレアの言うとおり、3匹いるトロル鬼は元気が無く、餌の牛の大腿骨を口でプラプラせながら地べたに座り込んでいた。

「どうしたんだろう?」

「このような狭い場所に押し込められて、気が滅入っているのではないでしょうか」

「なるほど、5メイルの巨体にこの穴は狭すぎるな」

 周りをよく見ると、元気が無いのはトロル鬼だけではない。
 トロル舎の他にもオーク鬼の入ったオーク舎にスキュラ舎、バグベアー舎があり、それらのモンスター全てが元気が無かった。

「可哀想だが、僕らが心配する事はないか、行こうかカトレア」

「……はい」

 カトレアは後ろ髪を引かれる思いで先を行くマクシミリアンに続くと、一人の不審な男がカトレアの目に止まった。

 一見、市民風のその男はベンチに座りながら、モンスター達を見ていただけの様に見えたが、勘の鋭いカトレアはその男に不穏な雰囲気を感じた。

「おーい、カトレア。どーした?」

「マクシミリアンさま。この子供連れの多い動物園に不釣合いな方が居たので……」

「なに?」

 マクシミリアンはカトレアの言った不審な男を探し辺りを見渡したがそれらしい男は見当たらなかった。

「何処だ? それらしい男は見かけなかったぞ」

「そんなはずはありません。たしかにあそこのベンチで……あら、居ない?」

 カトレアが見た不審者は、カトレアがほんの少し目を離した隙に何処か居なくなってしまった。
 マクシミリアンとしても、不審者の姿を探せばいいのだがそろそろ時間が差し迫っていた。

「カトレア。そろそろ宮殿の皆も、僕達の仕掛けに気付くころだろう。カトレアの見た男も気になるが早く帰ろう」

「……そうですね。気になりますがミシェル達に心配を掛けさせる訳にもいきません」

 二人はショーンブルン宮殿に戻り、一週間後のアルブレヒト3世の戴冠式に臨んだ。






                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンを始めとするトリステイン訪問団は順調に滞在のスケジュールを消化し、いよいよアルブレヒトの戴冠式当日になった。
 新ゲルマニア皇帝アルブレヒト3世の戴冠式は、ヴィンドボナのシンボルであるシュテファン大聖堂で戴冠し、その後アルブレヒトが居城としているホークブルク宮殿へ移動後、大々的な、トリステイン国王夫妻をはじめ多くの来賓がシュテフォン大聖堂に集まっていた。

「マクシミリアン陛下。結婚式以来ですね」

「オルレアン公……」

 オルレアン公シャルルが、高齢のガリア国王の代理として出席し、二人は数年ぶりの再開を果たす事になった。
 ここ数年のシャルルは父王の代理として精力的に各国に飛び回り、次期ガリア王として徹底的にその顔を売り込んていた。

「陛下。少々お時間よろしいでしょうか?」

「会談ですか。15分程ならいいですよ」

「ありがとうございます。マクシミリアン陛下」

 突然の会談の申し出にマクシミリアンは潔く了承した。
 シャルルがガリア王の玉座への野心を隠しながらも狙っている事を、クーペを介して知っていて、トリステインの益に利用できると思ったからだ。

 突如行われる事になったトリステインとガリアの会談はシュテフォン大聖堂のとある廊下で行われる事になった。
 二人の周辺には『サイレント』の魔法で防音に勤め、『ウォーター・ビット』を辺りに配置し護衛の代わりとした。

「オルレアン公。会談の内容とはどの様な物なのですか?」

「実は陛下。我がガリアと陛下のトリステインとの間に軍事条約を結びたいのです」

「軍事条約を……」

 マクシミリアンは目を瞑るふりをして、『ウォーター・ビット』で周囲を警戒した。
 幸い、二人の周辺の廊下には聞き耳を立てる所か、人っ子一人居ない。

「その様な重要な会談内容でしたら、廊下ではなくお互いに机をはさんで協議し合うべきですね」

「陛下のおっしゃる事はごもっともにございます。後日、改めてお話を持ってきますので、その時はよろしくお願いいたします」

「分かりました。会談の内容はそれだけですか?」

「いえもう一つ。これは個人的な事なのですが……」

「個人的の……話を聞きましょう」

「もし私に『もしも』の事がありましたら、どうかマクシミリアン陛下。我が妻子の事、よろしくお願いいたします」

「これは穏やかではありませんね。それは自分の人生を賭けてガリア王の玉座を狙うを判断してよろしいのですね?」

「……そ、それは」

「いえいえ返事は結構です。ただ僕としましても、オルレアン公の言う『もしも』の時、トリステインを危険に晒してまで、奥方とシャルロット姫殿下を助けるわけにも行きません。『考慮』に入れておくという事でよろしゅうございますね?」

「流石ですね、私の娘の名をご存知でしたか。今はそれだけで十分です。陛下に置かれましては、不躾な願いを聞き入れていただき感謝の言葉もございません」

「恐縮ですオルレアン公。もし宜しければ公女殿下の事をお聞かせ下さい」

 その後、二人は公女シャルロットの話題で盛り上がり会談は終了した。

 ……

「ふうむ」

「どうされましたか、マクシミリアンさま」

 会談後、シュテフォン大聖堂の廊下で顎をなでながら何やら考え事をしていると、マクシミリアンに代わって、アルブレヒト関係者に挨拶回りをしていたカトレアが何事かと聞いて来た。

「ああ、カトレア。挨拶回りお疲れ様。いやなに、さっきの会談で妙な事を頼まれてな」

「妙な事?」

「ああ、それと無くお茶を濁したけどね」

「オルレアン公は、どの様な事を仰ったのですか?」

「ん? 内容が内容だけに、誰が聞き耳を立てているとか分からない。ここでは話せないから後日詳しく話す。いいねカトレア?」

「その様な重大なことをオルレアン公が。分かりましたマクシミリアンさまに従います」

 シャルルの話題は終わり、二人はペリゴールらトリステイン訪問団と合流する為、大聖堂の廊下を進むと、一人の少女を取り囲むようにして少年達がアプローチ合戦を行っていた。
 その姿は、いたいけな少女が男達に言い寄られている絵ではなく、小さな女王が取り巻きをを従えている様だった。

「ミス・ツェルプストー。今夜の晩餐会。是非、僕とダンスを踊って下さい」

「いやいや、僕と踊って下さい」

「どうしようかしらねぇ」

 『ミス・ツェルプストー』と呼ばれた燃えるような赤い髪と瞳に褐色の肌をしたミドルティーンぐらいの歳の少女は思わせぶりに悩む振りをした。

「あら?」

「ん?」

 小さな女王はマクシミリアンとカトレアの姿を見つけると。『失礼』と取り巻きに断わって
二人の所に近づいてきた。

「畏れながら、マクシミリアン『賢王』陛下で在らせられますか?

「確かに、マクシミリアンは僕だがキミは?」

「失礼いたしました。わたくし、『キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー』と申します。以後お見知りおきを」

 二つ名を『微熱』と呼ばれる恋多き少女は、小さいながらも礼式に則って優雅に礼をした。

「なるほどツェルプストー辺境伯の。我がトリステインとは色々因縁があると聞いています」

「不幸な因縁ですわ」

 マクシミリアンの聞いた話では、ツェルプストー辺境伯が何かとラ・ヴァリエール公爵家にちょっかいを掛けていて、互いの家の仲はすこぶる悪いらしい。
 過去にツェルプストー家の人間がラ・ヴァリエール家の婚約者を横から掻っ攫ったりと、因縁と言っても恋愛関係に多い。
 ラ・ヴァリエール公爵からトリステイン王家に嫁いだカトレアは、先ほどから黙ったまま黙して語らず、マクシミリアンとキュルケの語らいを見守っている。

「陛下。もし陛下のご都合が付きましたら、今夜の晩餐会。是非、わたくしと踊っていただけますでしょうか?」

「妻のカトレアの後でよろしければ」

 と、カトレアへのフォローを忘れない。
 一方の取り巻き達はキュルケの発言に、殺気に似た眼差しをマクシミリアンに送った。

「それでは陛下。失礼いたします」

 ダンスの約束を取り付けたキュルケは、再び優雅に一礼すると取り巻きの中へ帰っていった。

「ツェルプストー辺境伯か……」

 マクシミリアンは独り言を呟いた。
 ツェルプストーの一人娘キュルケとお近づきになれば、ゆくゆくはゲルマニアの混乱に乗じて兆着出来るかもしれない。
 ツェルプストー辺境伯の広大な領地には、地球でいうルール工業地帯が入っていて、トリステインに組み込めば多大な恩恵を受けることが出来るし、なにより将来的にゲルマニアも鳥syテインの真似をして工業化を進めることがあれば、ゲルマニアの工業化を阻害させる可能性がある為、ツェルプストー辺境伯領が喉から手が出るほど欲しがった。

「マクシミリアンさま?」

「ああカトレア。彼女、中々面白い娘だね」

「……」

 無言のカトレアはマクシミリアンの頬を抓った。

「イタタ、何をするんだカトレア!」

「わたし、こういう人の悪口を言いたくはないのですが、ツェルプストーに人には気をつけてくださいね?」

「ああ、ラ・ヴァリエールとツェルプストーの因縁は聞いているよ。けど良い機会だし、そろそろ和解をしても良いんじゃないかな」

「……マクシミリアンさま、気が付かないんですか?」

「なにがさ?」

「わたしは二つの家の因縁の事で怒っているんじゃありません」

「それじゃ、何で?」

「それは……」

 カトレアは口ごもった。
 感情の高ぶりの原因は軽い嫉妬なのだが、王宮ではほぼ全ての女性を無自覚に魅了する夫に、何時誰がマクシミリアンに言い寄って、閨を共にするのかヤキモキした事は一度や二度ではない。

 マクシミリアンがキュルケに心を奪われるかもしれない、と心配になった。

 マクシミリアンの愛情を疑った事はないが、やはり女として他の女が愛する夫に近づくのは気が気でない。愛情の証として子供が欲しいところなのだが、マクシミリアンとの間にまだ子供が授からない。
 まだ焦る必要は無いが、少しづつカトレアに焦りが出始めていた。

「ともかくカトレア。ここでは人目につく。皆の所に戻ろうか、話しはそれからしよう」

「……分かりました」

 少し拗ねた様子のカトレアは、先を行くマクシミリアンの後に続いた。

 間もなくアルブレヒトの戴冠式が始まる。
 既に瓦解を始めた帝政ゲルマニアを背負う野心家に多くの厄災が降りかかろうとしていた。
 

 

第九十二話 アルブレヒト戴冠

 シュテフォン大聖堂で執り行われた戴冠式は滞り無く行われていて、マクシミリアンとカトレアは、国賓の座る席で戴冠式の光景を見ていた。

「いま、アルブレヒト殿は得意の絶頂の中にいるだろうな」

 国賓の席でマクシミリアンは独り言を言った。

「マクシミリアンさまも、得意の絶頂の中に居たんですか?」

 それを隣で聞いていたカトレアがマクシミリアンの独り言に応えた。

「僕の場合は違うな。父上の死からおよそ一ヶ月、とにかく早く戴冠して空白期間を無くしたい一心だったよ」

「それなら新しい皇帝閣下もその様な心境なのかもしれませんね」

「だといいけどね」

 マクシミリアンは、これからゲルマニアに襲い掛かる反乱祭りの事をカトレアには話してはいない。

 マクシミリアンが改めてシュテフォン大聖堂を見渡すと、アルブレヒトに賛同した選帝候のうち、フランケン大公とザクソン大公の姿が見えない。

 フランケン大公はゲルマニア西部の防衛の為に戴冠式を欠席していて。ザクソン大公に至っては、ポラン地方の反乱鎮圧の為に欠席、代わりに親族であるツェルプストー辺境伯を代理として戴冠式に参列させていた。

 知り合ったばかりのツェルプストー家の一人娘キュルケが、ジッとマクシミリアンに熱視線を送っていて、マクシミリアンがキュルケの視線に気付くとすかさずウィンクして、マクシミリアンの気を惹こうとした。

(本人は妖艶に決めているようだが可愛いものだ)

 マクシミリアンはそんなキュルケを『可愛い』と形容した。

「マクシミリアンさま?」

「どうしたんだカトレア?」

「先ほどからツェルプストーのあの子を見ていたようですが……」

「キュルケと言ったか、ああも大っぴらにアプローチをしてくる娘なんて、今まで居なかったから新鮮に感じてね」

「む……マクシミリアンさま」

 頬を少し膨らませたカトレアは、マクシミリアンの尻を抓った。

「イタタ、またかカトレア」

 意外と嫉妬深いカトレアの側面を見たマクシミリアン。
 だからと言って、カトレアへの愛情が無くなる訳ではないが、少々鬱陶しく感じる。

「今夜の晩餐会、ずっと一緒にいるから勘弁してくれよ」

「むう、本当にですよ?」

 二人が痴話げんかをしている間にも戴冠式は続き、いよいよクライマックスである戴冠の瞬間が訪れていた。

 あらいる謀略と政治力を駆使して、ようやく大国ゲルマニアの(いただき)に立ったアルブレヒト。
 ロマリア教皇の手によってアルブレヒトの頭に冠が被せられ、ここに新皇帝アルブレヒト3世が誕生した。

『皇帝アルブレヒト3世閣下万歳!』

『帝政ゲルマニア万歳!』

 戴冠式に参列していた帝国貴族達は、声高々にアルブレヒトの戴冠を祝った。

 アルブレヒトは帝国貴族達の歓声に応えるように手を挙げる。

 ガリア王の代理であるシャルルも人目につき易いような位置で拍手し、マクシミリアンとカトレアも拍手をしてアルブレヒトの即位を祝福した。

 ……

 戴冠式は滞りなく終わり。
 舞台は晩餐会の行われるアルブレヒトの居城ホークブルク宮殿へと移る。

 そんな時トリステイン諜報局からマクシミリアンへ一つの情報がもたらされた。

「陛下!」

「どうしたミシェル」

 ホークブルク宮殿への道中ミシェルが、マクシミリアン達の乗る馬車にグリーズを併走して横付けし急報を知らせてきた。

「トリステイン諜報局員と名乗る者からこのような物が……」

 ミシェルは胸元の鎧に挟んだ紙を取り出し、馬車の窓を開け顔を出したマクシミリアンに手渡した。

「トリステインの花押が掘られている本物だな。ありがとうミシェル下がってよい」

「御意」

 マクシミリアンは馬車の窓を閉め座席に座ると、諜報局からの急報を開いた。

「なんて書いてあるんですか?」

「まあ待て」

 マクシミリアンは急報の内容を読み始めると、無意識に眉間にしわが寄った。

 急報の内容とは選帝候の一つブランデルブルク辺境伯が、ボヘニア地方の穀倉地帯シレージェン地方に侵攻した情報だった。
 これは明らかな反乱であり地方の反乱とは訳が違う。強大な諸侯がゲルマニアに対し反旗を翻した瞬間だった。

 マクシミリアンの眉間にしわが寄ったのは何故か?
 それは先日の前ゲルマニア皇帝殺害の頃から懸念していた事だが、チェック人といい今回のシレージェン侵攻といい、ゲルマニアにおける謀略は完全にコントロール不能に陥った事の証明だった。

「となると、次に何が起こるか分からないな……」

 そして、マクシミリアンのもう一つの懸念。
 それは下手をすればゲルマニアが完全にバラバラに分裂してしまう事への懸念だった。

 マクシミリアンはゲルマニアを滅ぼすつもりは無い。
 無いが何度も『ゲルマニアに侵攻して近代化させた軍を使ってみたい』と、子供の様な誘惑に負けそうになった。

 その都度、『いや駄目だ。近代化による富国政策が最重要課題だ』と自分に言い聞かせて誘惑を封殺した。

「マクシミリアンさま。難しい顔をしてどうなされたんですか?」

 馬車の向かい側に座っていたカトレアが、マクシミリアンを不安そうな顔で見ていた。

「ああ、ちょっとね」

「それで、どの様な内容が書かれていたのですか?」

「後で知られるだろうから言うけど。ゲルマニアの諸侯が反乱を起こしたそうだ」

「まあ! なんという事でしょうか」

 カトレアは手を口に当て驚いた顔をして、一方のマクシミリアンは足を組み直すと顎に手を当てた。

「さて、この新鮮な情報。アルブレヒト殿に提供するべきかそれとも……」

「提供ですか? アルブレヒト閣下もその情報を掴んでいるのではないですか?」

「このメモに書いてあったが、ブランデルブルク軍の反乱を知らせる伝令が、ボヘニア地方を通過中に襲われてしまったそうだ」

「と言う事は、ヴィンドボナでこの情報を持つ者は、わたし達だけ……」

「ガリアの諜報は動いていないみたいだし、そういう事になるね」

「どうされるのですか、マクシミリアンさま?」

「情報提供すれば、ゲルマニア国内に間諜を放っていると言っている様なものだ。かえってに不信感を与えるかもしれない」

「では黙っているのですか?」

「所詮は他国の出来事、選択的にはベストではないがベターだと思う……」

「それなら、何方か信頼できる方にご相談されてはいかがでしょう?」

「……ふーむ。ではそうするか」

 マクシミリアンは再び馬車の窓を開けミシェルを呼んだ。

「ミシェル。悪いが使いを頼まれてくれ」

「御意にございます」

「先ほどの急報をペリゴールの所にま送って欲しい。ああ、返事は貰って来てくれ」

「畏まりました!」

 急報の紙と『ゲルマニア側に知らせるか』の質問が書かれた紙を受け取ったミシェルはグリーズを翻し、ペリゴールの乗る馬車まで駆けて行った。

「さてペリゴールはどんな答えを出すかな」

 ペリゴールの返事は10分とせず返って来た。

「戻ったか、何々?」

 ミシェルから返事を受け取ったマクシミリアンは返事を読み始める。

 返事には『公開するべきです』と簡潔ながらも書かれていた。
 後にはその理由も書かれていて、各国それぞれスパイの一人は放っていて、トリステインがゲルマニア国内にスパイが居ると知られてれば、ゲルマニアは表面上は抗議してくるが、強力な諜報網に、小国と思っていたトリステインの評価を見直す事になる……と書かれていた。

 マクシミリアンはペリゴールの助言に考え込む。

「うーん。国際社会とはそういうものか」

「どうなさるのですか?」

「うーん……」

 ゲルマニアと友好関係を結ぶなら公開するのも悪くは無い、とマクシミリアンは思う。

「だが……こちらの数年掛けて構築したゲルマニア諜報網の存在を晒すのは、10年20年後を考えると良くないと思う……よし」

 マクシミリアンはこの反乱の情報をゲルマニア側に提供しない事にした。

「後でペリゴールにも口止めをさせておこうか。カトレアも急報の件は黙っているように」

「……分かりました」

 カトレアは不承不承ながらも頷いた。

 やがて一行はホークブルク宮殿に到着し、晩餐会に向けトリステインから持ってきた礼服やドレスの着付けに入った。



 ★



 ホークブルク宮殿で行われた晩餐会は豪華の一言だった。

 昼間に戴冠式の様な堅苦しい雰囲気は無く、貴婦人達は色とりどりのドレスに身を包み、男達は着飾った彼女達をダンスに誘うべく勧誘合戦に余念が無い。

 マクシミリアンとカトレアは別室で晩餐会の進行を眺めながら、新皇帝アルブレヒトの歓待を受けていた。

「今日は我が戴冠式にお越し頂き感謝いたします」

「いえいえ、ゲルマニアとの友好の為にも来ない訳にはいきませんでした。ここ数日、ヴィンドボナ市内を見て回りましたが、よく整備された良い都市ですね新しい帝都に相応しいと思います」

「ほほ、そうですか。賢王陛下にお褒め頂くとは、多くの資金と時間を掛けただけの事はありましたか」

 演技上手のマクシミリアンの『おべっか』に、アルブレヒトもご機嫌で先ほどから酒豪のマクシミリアン以上に酒が進んでいた。

 上機嫌のアルブレヒトは、酒の勢いでマクシミリアンに一つの提案を申し出た。

「マクシミリアン陛下。折り入ってお話があるのです」

「お話? 内容にもよりますが、まずは聞きましょう」

「新しく皇帝に選出されたものの、私はまだ結婚していないのです」

「そうだったのですか」

「そこでそろそろ身を固めようと思いまして、是非、ゲルマニアとトリステインの関係強化の為に陛下の妹君を我妻に……」

「アンリエッタを、ですか……?」

 マクシミリアンには寝耳に水だった。
 アンリエッタは今年12歳。『そろそろ』と将来の結婚相手を考えなくも無いが、まだ早いと思わないでもないし、何より可愛い妹を嫁に出さずにもう少し手元において置きたい気分でもある。

「その通りです。二国間の友好が深まれば、お互いの富になりましょう」

「しかし、アンリエッタはまだ12歳になったばかり。少々早い気もします」

 マクシミリアンはお茶を濁す。
 アンリエッタを30過ぎのおっさんの下に送るのはハッキリ言えば嫌だし、ゲルマニア謀略が実を結び、各地で反乱が起こり、諜報局によってもたらされたブランデルブルク辺境伯の反乱の情報を掴んだ現在、政情不安が確実視されるゲルマニアにアンリエッタを送り込めば、万が一にアンリエッタに被害が及ぶという事も在り得る。

 そして、同時にこういう疑念も湧き上がる。
 アルブレヒトがハルケギニアの『権威』の最もたる始祖ブリミルの血を手に入れれば、割と権威に弱い国民を黙らせ政情不安を解消する可能性もあるし、同時にトリステインの王位継承権に口を挟む大義名分も与えてしまう。

(色々と面倒な事になるな、何とかして断らなければ)

 とマクシミリアンが断る為の言葉を選んでいると、今まで黙っていたカトレアが助け舟を出してきた。

「アンリエッタはまだまだ子供。アルブレヒト閣下のお眼鏡に適うにはもう少し時間が掛かりますわ。それよりも晩餐会が行われいる大ホールで足を伸ばし、未来の皇后様をお探しになられては如何でしょう?」

 折りしも晩餐会で行われている大ホールから、テンポの早い音楽が流れてきた。

「この曲はダンスの時に良く流れる曲ですね。アルブレヒト殿、我らも行きますか?」

「う、ううむ、そうですな」

 マクシミリアンの言葉に知恵者のアルブレヒトもこれ以上は無理と察したのか、控えていた家人に自分もダンスに参加する旨を伝えた。

 ……

 晩餐会が行われている大ホールでは、老若男女の貴族が色とりどりに着飾ってダンスを踊り、場の雰囲気は最高潮に達しようとしていた。

 その中で、ひと際目立つ少女が一人アンニュイな表情で佇んでいた。
 ツェルプストーのキュルケは、13歳とは思えないほどの見事な胸をギリギリまであらわにした刺激的な紫のドレスを身にまとって、ダンスを誘いに寄って来るゲルマニア貴族の少年達をあしらっていた。

「……つまらないわ」

 キュルケは晩餐会が始まって以来、お目当ての男を探して大ホール内を彷徨ったが、お目当ての男は一向に姿を現さない。
 お目当ての男とは、言わずもがなマクシミリアンの事なのだが、何故キュルケがマクシミリアンにちょっかいを掛ける様になったのかというと、因縁のラ・ヴァリエール家の次女がマクシミリアンに輿入れした事から、巷で噂になっているマクシミリアンに興味を示したのが始まりだった。

 当初はツェルプストー家とラ・ヴァリエール家の因縁に従うように、カトレアからマクシミリアンを横から掻っ攫って、ラ・ヴァリエール家を天下の笑いものにしようと企てたのだが、マクシミリアンの事を調べているうちに、キュルケはマクシミリアンの偉業を知り惹かれるようになった。

 『微熱』の二つ名を持つキュルケとはいえ、恋の火はまだ小さくラ・ヴァリエールに恥をかかせる目的の方が大きい。

「それにラ・ヴァリエールの次女は他の姉妹と違って大人しいみたいだから、突っかかってこないし張り合いが無いわ」

 マクシミリアンにモーションを掛けた時、カトレアは歴代のラ・ヴァリエール家の者と違って癇癪を起こしてキュルケ突っ掛かってくる事は無かった。
 裏では割と嫉妬深い所をマクシミリアンに披露していたのだが、それを知らないキュルケは退屈を持て余し、品定めしておいた貴族の誘いを受けようと歩を進めた。

「仕方ないわ、ストックしておいたお方とダンスを踊ろうかしら……あら?」

 キュルケは大ホールの雰囲気が変わるのを感じ取った。
 折りしも守衛の男が皇帝アルブレヒト3世が入来を宣言した

「ゲルマニア皇帝アルブレヒト3世閣下の、おなぁ~りぃ~!」

 ワッ!

 主役の登場に一斉に歓声があがり、大量の拍手に送られてアルブレヒトが現れ、アルブレヒトの後にマクシミリアンとカトレアが現れた。

「ようやく来たわね」

 キュルケはマクシミリアンを誘惑する為にダンスを踊ろうと彼に近づくが、アルブレヒトの周りに出来た取り巻きに阻まれてしまった。

「ちょ!? ちょっと退きなさいよ!」

 独身のアルブレヒトの周りには玉の輿を狙うゲルマニア婦人が取り囲み、キュルケは貴婦人を押しのけようとしたが、婦人達の強烈なパワーに押されて近づくことすら出来ない。
 見た目は麗しいゲルマニア貴婦人は、見た目に反して非情にパワフルで、13歳の小娘のキュルケには相手が悪かった。

 そうこうしている内に、マクシミリアンはカトレアの手を取ってダンスの輪の中に入って行った。

「もう! 行っちゃったじゃない!」

 キュルケはゲルマニア貴婦人らに地団太を踏むものの、結局マクシミリアンと接触できず、晩餐会は終了してしまった。



 ★



 晩餐会は終わり、マクシミリアンら一行はショーンブルン宮殿への帰途に着いた。

 時刻は既に深夜を回っており、『大勢で移動するのも住民に悪い』とマクシミリアンが少数の護衛のみと断っての道中。石畳の道路は双月は両方とも厚い雲に隠れて月光は地上に届かず、馬車に掛けられた魔法のランプが唯一の明かりだった。

 ゲルマニアでの全日程を終え、肩の荷が下りた気分のマクシミリアンは、いつも怠らない警戒をこの時ばかりは緩め、寝入ったカトレアに膝枕をしてピンクブロンドの髪を弄っていた。

「ふぁ……眠いな」

 マクシミリアンは欠伸を掻くと首をコキコキと鳴らした。

「陛下。ショーンブルン宮殿までまだ掛かりますから、横になられても構いません」

「そうか……悪いなセバスチャン。お言葉に甘えさせてもらおう」

 馬車の手綱を握るセバスチャンの言葉に従い、マクシミリアンはカトレアの膝枕をしたまま舟をこぎ出した。

「ぐー」

「くー」

 数分と立たずにマクシミリアンは寝息を立て始め、馬車内はマクシミリアンとカトレアの寝息の二重奏が奏でられた。

 御者席に座るセバスチャンは後ろを振り向き馬車内の二人の様子を見て再び向き直ると、ヴィンドボナの夜の闇を見た。

「……妙な」

 『メイジ殺し』としてのセバスチャンの直感が、夜の闇の中に溶けた獣の臭いを感じた。

 セバスチャンは魔法のランプに手を伸ばし、明かりの強度を強くすると馬車の進行方向に巨大な足を映した。

「な!?」

 流石のセバスチャンも突如現れた巨大な足に驚き、避けるために馬車を無理矢理に逸らした。
 当然、慣性の法則が働き、馬車は片輪走行をしながらも巨大な足を避ける事は出来たが大きく横転し、ヴィンドボナでも割と裕福な商家の玄関に突っ込み止った。

「どうされましたか!」

 馬車が横転した事に驚いたミシェルがグリーズで駆けて来ると、平和な街中でありえないものを見た。

「な……トロル鬼!?」

 ミシェルが見たもの。
 それはヴィンドボナのど真ん中を闊歩(かっぽ)するトロル鬼を始めとするモンスターの群れだった。 

 

第九十三話 ヴィンドボナ炎上


 ミシェルの身体はこわばった。

 暗闇の中からトロル鬼が3体表れ、横転したマクシミリアンらの乗る馬車を素通りすると、酒場兼宿屋の二階の窓を壊し、餌を求めて中の部屋を物色しだした。
 ミシェルにとっては楽しいパーティーの夜が一転、突然の出来事に身体と思考が働かず呆然と見ているだけしかできなかった。

「うわぁぁーーーー!」

「きゃぁぁぁーーー!」

 二階の宿屋部分では悲鳴が上がり、一階の酒場部分の出入り口から宿屋の客が一斉に逃げ出してきた。

「あ、市民を避難させないと……」

 思考が追いつく様になったミシェルは逃げ惑う市民を避難させようとするが、横転した馬車から這い出たセバスチャンが珍しく声を荒げてミシェルを止めた。

「ミシェル殿! まずは両陛下の安全を確保! 市民の避難はそれからでも遅くない!」

「はっ! そうだった……」

 ミシェルが気を取り直し馬車の方へ目を向けると、マクシミリアンとカトレア、そしてセバスチャンを乗せた馬車はトロル鬼の他にオーク鬼やコボルト鬼に取り囲まれセバスチャンが必死の応戦をしていた。

「護衛の方々、私に続けぇ!」

 ミシェルは呆然としていた護衛の帝国貴族に発破を掛けると、レイピア型の杖を取り出し、グリーズと共にトロル鬼の前に躍り出た。

『ブレイド!』

 赤い魔力を纏ったレイピア型の杖で、すれ違い様にトロル鬼のアキレス腱を切り裂いた。

『ヴォオオオォ!』

 トロル鬼は悲鳴を上げると家屋を巻き込み転倒し、壊れた家屋を見てミシェルから冷や汗が噴き出した。

「こんな街中じゃ、市民にも被害が……」

「止めは我らが!」

 ミシェルが追撃を躊躇すると、護衛の帝国貴族が倒れたトロル鬼に止めを刺そうと群がる。

「お任せしました。私は陛下をお助けします!」

「承った!」

 帝国貴族らがそれぞれの魔法で、倒れたトロル鬼に止めを刺すのを見届けたミシェルは、馬車を守りながら孤軍奮闘するセバスチャンの下に走った。

「どけぇぇーーーー!」

 ミシェルの感情の昂ぶりで魔力が高まると『ブレイド』が肥大化し、刀身部分が1.5メイルの大剣と化した。
 大剣化したブレイドを肩に担ぎ、ミシェルははグリーズを跳躍させトロル鬼に斬りかかった。

「はぁぁぁーーー!」

 グリーズはその巨体に似合わず5メイルの大ジャンプをし、ミシェルは5メイルのトロル鬼の首筋を切り裂いた。

『グァァァァァーー!』

 人型モンスターという事で急所も似通っているのか、首から大量の血が噴き出したトロル鬼は、出血を止めようと巨大な手で切られた首筋を押さえたが、そのまま転倒し仲間のモンスターを押しつぶした。

「やった!」

 巨大なトロル鬼を倒すと、ミシェルとグリーズgた石畳を破壊して着地した。
 着地したミシェルは群がるオーク鬼をブレイドを振り回して斬りながら、グリーズを横転した馬車まで駆けさせた。

「セバスチャン殿、ご無事ですか!?」

「私のことよりも、両陛下をお救い下さい!」

 セバスチャンはトリステイン製後装ライフルの弾を装填しながらミシェルに言った。
 流石というべきか、セバスチャンは擦り傷程度の軽症でまだまだ戦える様子だった。

 馬車まで30メイル以上あり、オーク鬼が数体、壊れた柱や看板を武器にミシェルに襲い掛かってきた。

退()け!」

 ミシェルはグリーズの胴を両足で締め上げ馬上の身体を固定すると、大剣化した『ブレイド』を大きく振りかぶり、襲い掛かる一体目のオーク鬼の肩から腰に掛けて袈裟斬りに斬り絶命させた。

「陛下! カトレア様! 今行きます!」

 反す刀で二体目のオーク鬼を『ブレイド』で斬り殺し、馬車の近くまで駆けたミシェルは、グリーズから横転した馬車に飛び移るとドアをこじ開け、中に居るであろうマクシミリアンとカトレアの名を呼んだ。

「……うう」

「陛下ですか!?」

 横転した馬車の底ではくぐもった声がして、ミシェルは『ブレイド』を消し『ライト』の魔法を唱えるとレイピア型の杖を馬車内にかざした。
 馬車内に明かりが差し込み、横転した馬車の奥にはマクシミリアンがカトレアを守るように頭を抱きながら倒れていた。

「陛下、ご無事ですか!?」

「ミシェルか、悪いがそこらに僕の杖が落ちていないか?」

「陛下。カトレア様のご容態は?」

「気を失っているだけだ。それよりも杖だ。体中が痛い」

「た、ただいま!」

 ミシェルはマクシミリアンらを踏まないように横転した馬車内に飛び降り、壊れた調度品の残骸と一緒に落ちていたマクシミリアンの杖を拾った。

 ずしりと重い、トリステイン伝国の『王家の杖』は水の力が蓄えられた水色の大きな水晶が取り付けられており、使用者の水魔法の威力を増幅する効果がある。
 王家の杖を受け取ったマクシミリアンは、『ヒーリング』は唱え、身体中の打ち身と擦り傷を治した。

「ふう、落ち着いた。ミシェル状況の説明を」

 マクシミリアンは気を失ったカトレアを開放しながらミシェルに聞いて来た。

「それが突如、モンスターの群れが襲い掛かってきて、突然の出来事だったので我々も訳が分からず……」

「モンスターが街中で、な」

 マクシミリアンは数日前、動物園で見た元気のないモンスター達を思い出した。

「……まさか動物園から逃げ出して、この騒ぎを起こしたのか? 檻に閉じ込められたモンスターが、脱出した事で野性を取り戻した?」

 マクシミリアンは色々と仮説を考えたが、結局、明確な答えは出なかった。

「ともかく、今の状況を打破しないとな。ミシェル! カトレアを頼む」

「御意!」

 マクシミリアンに代わってカトレアの介抱に移ったミシェルを届けると、マクシミリアンは『レビテーション』で横転した馬車の外に出た。

 暗い馬車内から一転、外は銃声と魔法が飛び交う戦場と化していた。
 応援に駆けつけたメイドコンビがMG42を乱射し、帝国貴族が魔法で群がるモンスターを焼く。
 馬車を死守していたセバスチャンがマクシミリアンが現れるのを見ると、戦闘を中止し(かしず)いた。

「ご無事でした陛下」

「心配を掛けたセバスチャン。まずは周辺のモンスターを一掃し、ショーンブルン宮殿と連絡をとる

 マクシミリアンは『ウォーター・ビット』のスペルと唱え杖を振るうと、馬車周辺に大量のウォーター・ビットが現れモンスターを攻撃し始めた。

 その数256基。
 いつも欠かさない魔法の鍛錬の他に王家の杖の効果も加味され、マクシミリアンの魔法の強さは劇的に上がった。
 さらにマクシミリアンの半径50メイルのウォーター・ビットはマクシミリアンから直接、魔力の供給を受け、魔力切れを起こさずウォーター・ショットを放ち続ける事ができる様になり、 
鉄壁の布陣と化したマクシミリアン周辺では、255のウォーター・ショットがモンスターを蜂の巣にしたり、或いは横なぎに払われて刃と化したウォーター・ショットでバラバラに切断されたりと瞬く間に駆逐された。
 さらに器用なことに、モンスター以外の誤射を防ぐ為、残された1基のウォーター・ビットを管制係にすると、周辺の地形をスキャンさせて他のウォーター・ビットとデータリンクし、市民が逃げ惑う街中において、誤射率0%のモンスターのみを殺す奇跡のような迎撃システムを構築した。

「しかし、このモンスターども、動物園から逃げた出した奴らが暴れているにしても、元気が良すぎだぞ。久々の人肉に野性が戻ったか?」

 独り言を言ったが、今はそれど頃ではない。
 人に危害を加えてしまった以上、駆除しなければならない。
 マクシミリアンは『レビテーション』で宙に浮き、大き目の煙突の上に立つと、鉄壁の迎撃システムと化したウォーター・ビットを広範囲に展開させ、ヴィンドボナ各地での小戦闘に介入し、最終的にヴィンドボナ市の三分の一をカバーした。

 マクシミリアンの圧倒的な実力を、その目で見ていた護衛の帝国貴族達は驚きの声を上げた。

「す、すげぇ。あれが『賢王』マクシミリアン!」

「一人で10万の軍勢を相手出来るんじゃないのか?」

 小国の王と心のどこかで侮っていた彼らは、マクシミリアンを怒らせないように心に決めた。

 ……

 突如襲ってきたモンスター群を撃退して数十分後、気を失ったカトレアが目を覚ました。

「う、ううん」

「カトレア様、お気付きになられましたか」

 カトレアの目に真っ先に入ってきたのはメイドコンビのフランカで、その後ろでベティがホッと胸を撫で下ろしたような表情をしていた。

 カトレアが身を起こし辺りを見渡すと割と豪華な部屋に寝かされていて、フランカの説明ではカトレアを休ませる為に裕福な商家に部屋を借りたそうだ。

「ネル様、カトレア様がお目覚めになられましたぁ~!」

 ベティが窓を開けてミシェルの名を呼ぶと、外で瓦礫の撤去作業を手伝っていたミシェルが作業を止め、カトレアの下へ走ってやって来た。

「ご無事でしたかカトレア様」

「一体何があったの? 突然馬車が横に倒れたかと思ったら、それから後の記憶がないの」

「それが、原因は不明ですが、街中でモンスターの群れが現れ、カトレア様の乗った馬車を襲ったのです」

「まあ、なんて事……」

 カトレアは表情を曇らせて、ミシェルの次の言葉を待った。

「ですが、陛下のお力もあり撃退に成功。現在周辺の商家や宿屋に部屋提供して貰い、陛下御自ら生成された秘薬で怪我人はみんな快方に向かっております」

 ベッドから降りたカトレアは外の景色を見ようと窓までゆっくり歩いた。
 そしてカトレアの目に映ったのは、破壊された家屋とベッドの空きが無く、石畳の道路に怪我人が寝かされた野戦病院さながら光景であった。
 その光景を恐ろしく思いながらも、カトレアは夫の姿を求めたが何処にも居ない。

「マクシミリアンさまは?」

「陛下は護衛の帝国貴族と共に、モンスターたちの掃討に向かわれました」

 カトレアの問いにミシェルが答えた。
 更にミシェルは続ける。

「国賓であらせられる陛下が行かなくても良いと、ペリゴール卿以下、大勢の方々に反対されたのですか聞き入れられず……」

「そうですか。マクシミリアンさま『らしい』と言えば『らしい』ですね。それと、この区画を守護する方々は?」

「人間の護衛は私にベティとフランカだけです。セバスチャン殿は陛下に付いて行ってしまいました」

「『人間』の? どういう意味ですか?」

「カトレア様のフレールが、この商家の屋根に止まり『睨み』を利かせているんですよ。お陰でモンスターのモの字もありません」

「そう良かったわ。あとで褒めてあげなくちゃ」

「そうしてあげて下さい」

「わたしも怪我をした人の治療を手伝いましょう」

 カトレアの提案にミシェルは内心ため息を付いた。そうなる事を予想していたし、なにより説得しても無駄だと思ったからだ。

「止めても無駄だと思いますが、念のために言っておきます。カトレア様、お止め下さい。怪我人の中にカトレア様に危害を加えるものが居ないとも限らないのですよ?」

「大丈夫ですよ。いざという時はミシェルが守ってくれるんでしょ?」

 カトレアはニッコリ笑ってミシェルを見た。
 ミシェルもカトレアにこういう顔をされると逆らえない。

「……分かりました。不届きな輩が現れてもカトレア様には指一本触れさせません!」

「ありがとうミシェル。でもその前に、この商家の持ち主の人に挨拶をしないと」

「畏まりました。直ちに案内いたします」

 カトレアは、ミシェルの後について部屋を出ると小走りで下の階に降りていった。




 ★




 一方、モンスター討伐に出発したマクシミリアンは、『ウォーター・ビット』を四方に飛ばし情報収集に取り掛かった。

 折りしも、ヴィンドボナに各市街地ではモンスターが暴れた影響で火事が起きていて、深夜のヴィンドボナを朱に染めていた。

「……これは、モンスター退治と平行して消火活動もしなければならないな。誰か、ここに残って市民を統率して消火活動を行って欲しい」

 マクシミリアンは帝国貴族に提案したが余り歓迎された様子ではない。
 かつてのトリステイン貴族ほどでは無いにしろ、貴族は戦闘による武勲こそが最上の名誉と考えている節がある。
 残って消火活動を指揮したら、他のライバルに抜け駆けを許してしまう。
 帝国貴族達はお互いの目を見て、互いに牽制し合った。

「……何をやってるんだ。この忙しいときに」

 マクシミリアンは呆れてしまい、一喝しようと空気を肺に送り込むと、思わぬところで声が掛かった。

「マクシミリアン陛下ではございませんか?」

「ん?」

 マクシミリアンが声の方へ向くと、そこにはオルレアン公シャルルが部下の貴族を数人連れてマクシミリアンの方へ手を振っていた。

「オルレアン公! どうしてここに?」

「どうしてもこうしてもありません。晩餐会の帰路、突然のモンスターの襲撃を撃退しながらここまでやって来たのです。マクシミリアン陛下は?」

「僕も同じようなもので、早急にモンスターを討伐して治安を回復しないとと思いましてね。護衛の彼らを連れて、オルレアン公に出くわしたのです」

 そう言って、マクシミリアンはお互いいがみ合う貴族達を見た。

「なるほど、お互い目的は同じという訳ですね。如何でしょう、共同戦線を組むのは?」

「二つ返事で引き受けたいところですが、同時にヴィンドボナ市の火事の消火もしなければなりません」

 シャルルは少し考える仕草をすると、マクシミリアンにある提案をしてきた。

「では我らが消火活動の指揮を取ります。マクシミリアン陛下はモンスター討伐をお任せします」

「……分かりました。消火活動の件、お任せいたします」

 シャルルのこの発言にガリア貴族達は不満そうだったが、マクシミリアンとしては好都合で
消火活動をシャルルに任せる事にした。

「分かっていただいて、ありがたく思います。さあ諸君、私に続け!」

 シャルルはガリア貴族を伴って、火が上がっている場所へ『フライ』で飛んでいった。

 

 

第九十四話 雷鳴のカトレア

 突如現れたモンスターの存在に大混乱に陥ったヴィンドボナ市。
 マクシミリアンとそれに従う帝国貴族がモンスター狩りをしている頃、とある街角の隅では一台の馬車が横転していて、その馬車の周りを周りをモンスターが群がっていた。

 街灯もない真っ暗な道端では『ゴリゴリ』と、モンスター達が馬車馬を骨ごと食らう音だけが響く。

「……ハァ……ハァ」

 だが壊れた馬車の陰で一人、息を殺す少女が居たツェルプストー家の娘キュルケだった。

 ほんの数時間前までツェルプストー自慢の護衛がお供に付いていたが、『帝都のど真ん中で敵に襲われることは無い』という油断から、バグベアーの『パラライズ・アイ』を護衛全員が直視してしまい、動けなくなった所を後から現れたモンスター達に食われて、護衛達は文字通り全滅した。

 幸いと言うべきか、キュルケの父ツェルプストー辺境伯はホークブルク宮殿に泊まり、この凶事を避けることが出来たが、代わりに娘のキュルケが被害に会ってしまった。

「だ、誰か……」

 取り巻きに囲まれた時の様な、自信たっぷりのキュルケの姿はそこには無く。年相応に怯える少女の姿がそこにあった。

 不運な事に小さな助けを求める声が車外に漏れたのか、血に濡れた石畳をひたひたと鳴らしながら犬面(いぬづら)のコボルト鬼が馬車に近づいてくる。

「……ううううう」

 息を殺しながら恐怖に耐えるキュルケ。
 トリステインのマダム・ド・ブランでオーダーメイドした絹をふんだんに使った自慢のドレスも、ボロボロに擦り切れて見る影も無い。
 
 コボルト鬼の足音がキュルケのすぐ側に来たとき、コボルト鬼の足が止まった。

『ウガ?』

「気付かれたの……!?」

 キュルケは一瞬絶望したが、どうやら違うらしい。

 耳を済ませると何処からとも無く赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

「子供、赤ん坊の声!?」

 骨をかじる音が襲撃現場を支配する中で、赤ん坊の声は良く響き、全てのモンスターが食事を止め、泣き声の主を探した。

 モンスターたちは、ほどなく赤ん坊の姿を崩れた本屋に認め、周辺のモンスター全てが本屋に押し寄せた。

 キュルケの側のコボルト鬼も例外ではなく、危機を脱したキュルケはホッと胸を撫で下ろしたが、同時に悶々としたものが胸の中に現れた。

(……このまま、あの子を見捨ててわたし一人生き残って、それで良いのかしら?)

 キュルケは赤ん坊を囮にして、自分が生き残る事に後ろめたさを感じたのだ。

(でも、わたし一人でなにが出来るというの? このまま隠れ続ければ、モンスターも何処かへ行くはず……)

 臆病が生への欲求が、赤ん坊を見捨てるようにキュルケに囁く、

「……死にたくない。けど!っ」

 歯を食いしばって死の恐怖をねじ伏せたキュルケは、胸元にしまったタクト状の杖を取り出して馬車の外に出て大声で叫んだ。

「その子に手を出させないわっ! かかってきなさい!」

 キュルケは『ファイア・ボール』のスペルを唱え杖を振るう。

 杖から放たれた火球が、一番手前に居たコボルト鬼を火達磨にした。

『ウガァ?』

 数十ものモンスターの目が一斉にキュルケを捉える。

「上等よ、かかってらっしゃい!」

 口では勇ましい事を言っても、キュルケもまだ13歳。
 爛々と光る無数のモンスターの目に無意識に足が震えた。

『ファイア・ボール!』

 キュルケは、再びファイア・ボールを唱え、モンスターにぶつける。

 だが20近い数のモンスターには焼け石に水で、モンスターたちは赤ん坊からキュルケに目標を変えキュルケに近づいてきた。

「いいわよ。コッチ来なさい!」

 キュルケは振り返って路地裏へ逃げ込む。

(私が囮になれば、あの赤ん坊も助かるかもしれないわね)

 キュルケがモンスター達を惹き付けて遠くまで逃げれば、あの赤ん坊は助かるかもしれない。
 本当は赤ん坊を連れて逃げ出したかったが、赤ん坊との距離が離れすぎていた為、こういう手を取らざるを得なかった。

 全てのモンスターが食いついてキュルケを追い、キュルケは路地裏への逃げ込もうと暗い通路へ走ると、不運にも既に先客が居た。

「あっ!」

 潜んでいた巨大な目玉のモンスター、『バグベアー』はパラライズ・アイでキュルケを睨みつけた。
 
 突然、現れたバグベアーにキュルケはまともにパラライズ・アイを見てしまい、電撃の痺れとは違う、筋肉の痙攣が身体全体に回ったような感覚を受け、立っている事も出来なくなりその場に倒れこんだ。

「う、うう……」

 パラライズ・アイで舌すらも痺れてしまい喋る事も出来なくなったキュルケ。
 キュルケを追ってきたモンスターたちは、倒れたキュルケの柔らかい肉を求めて一斉にスピードを上げた。

(……あーあ。最後の最後にとんだヘマをしちゃったわね」

 後悔は無い……といえば嘘になるが、もう少し人生を、恋を楽しみたかった。

 と、半ば諦め、目を瞑って最後の時を待った。

「……」

 パラライズ・アイで聴力にも支障が出たキュルケは、自分がどう食われるのか考えないように大人しくなった。

「……?」

 いくら待っても、キュルケに圧し掛かったり、持ち上げる様子が見られない。

 目を開けられる程度に回復したキュルケは、ゆっくりと目を開けると、20近く居たモンスター達が天から降り注ぐ白く細い『線』で蜂の巣にされる光景が目に入った。

(……雨?)

 キュルケは痺れる身体を押して空を見ると、数百を越す水の玉が上空を漂っていて、白い線を放ってモンスターを攻撃していた。
 白い線は情け容赦なくモンスター達を貫き弱いモンスターは駆逐されていく。

 最後に残ったトロル鬼は絶叫を上げて、空に居る『何か』を掴もう手を伸ばすが、手を伸ばしきった次の瞬間、トロル鬼は氷付けにされてしまった。

「ふっ」

 空に居た『何か』は不適に笑うと、凍りついたトロル鬼の手の甲に乗った。

(……あ、あの方、じゃない、あの御方は)

 キュルケはトロル鬼の手の上に立つマクシミリアンを見て、恋の炎が身体中に燃え広がった。

 最初は本気ではなく、ラ・ヴァリエール家に対する当て付けとしてマクシミリアンに近づいたはずだったが、ものの見事にキュルケはマクシミリアンに恋をした。

 ……

 つい数秒前に、一人の少女を『撃墜』した事に気付かないマクシミリアンは、王家の杖を振りかぶると、凍りついたトロル鬼を『エア・ハンマー』と殴りバラバラにさせた。

「これで市内のモンスターは駆逐したみたいだな……ん?」

 帰ろうとした矢先、マクシミリアンの脳内に、ウォーター・ビットからに足元に動けなくなった市民が居る情報が転送されてきた。

「っと、被害者が居たか。待ってろ、すぐ助ける」

 マクシミリアンは『レビテーション』でキュルケの下に降り立つと、キュルケは弱々しく微笑んで反した。

「ツェルプストーの、確かキュルケか? キミが被害に会っていたとは」

 ボロボロのドレスで半裸に近いキュルケに、マクシミリアンは羽織っていたマントを剥いでキュルケの身体に巻いてやった。

「陛下……陛下が来て下さらなかったら、今頃私……」

 マクシミリアンが倒れたキュルケを抱きかかえると、キュルケは『しな』を作ってマクシミリアンの胸に顔を寄せた。
 パラライズ・アイの効果は残っているが、首一つ動かせる程度には回復し、キュルケはここぞとばかりに攻勢を掛けて来た。

「こんな時にも関わらず、僕にアタックを掛けるのには感心するが、身体中が震えているじゃないか……んん?」

 マクシミリアンは抱き寄せたキュルケが小刻みに痙攣している事を、恐怖によるものだと勘違いしたが、すぐに間違いだと気が付いた。

「たしか駆逐したモンスターの中に『バグベアー』が居たな、身体中の痙攣はコイツのせいか。ちょっと待ってろ」

 マクシミリアンは何やら魔法のスペルを唱えると、王家の杖でキュルケを小突いた。

「あら? 身体の痺れが……」

「これで身体の痺れは取れただろう?」

「ありがとうございます陛下。私、陛下に御礼をしないと……」

 魔法で身体の麻痺が解けたキュルケは、辺りを見渡して誰も居ない事を確認すると、両足でマクシミリアンの腰をくわえ込んでロックし、いわゆる『だいしゅきホールド』をマクシミリアンに掛けた。

「おいおい、何をする」

「陛下ぁ~、私、陛下に恋しちゃったみたい」

 『微熱』のキュルケは本領を発揮しだした。

「悪いが僕は妻帯者だ」

「口惜しいですけど妾でもかまいません。もっと早く出会っていたらと、運命を呪わずにいられません」

「僕に命を助けられて、恋をしたと錯覚したんだろう。つり橋効果という奴だ、しばらくすれば収まる」

 マクシミリアンは身体に組み付いたキュルケを離そうとすると、キュルケは器用に避けて両腕でマクシミリアンの後頭部を押さえつけるとマクシミリアンの唇にキスをした。

「むぶッ!!?」

「んんー」

 ちゅるちゅるれろれろがっぽがっぽ

 キュルケの舌はマクシミリアンの前歯を舐めると、そのまま口内に侵入して散々に蹂躙した。

 まさか13歳の小娘が、高級娼婦並みの舌技を繰り出すとは思わなかったマクシミリアンは、頭が真っ白になりキュルケの行為を無抵抗のまま受け入れた。

「……」

「うふ」

 キュルケは、大人しくなったマクシミリアンから唇を離すと妖艶に舌なめずりをした。

「陛下に私のファーストキス、受け取ってもらえて大変嬉しいですわ」

「むぐ……初めてだったのか。無茶な事を」

「気が付かれたのですか陛下。そうですよ、責任とって下さりますわね?」

「……ちなみに初潮は?」

「既に済ませました」

「そうかそうか」

 イケメンが一転、鼻の下を伸ばした好色なゲス顔になったマクシミリアンは、キュルケの服を脱がせに掛かった。

「あん☆ 陛下ったらこんな所で……」

「ぐふふ、()い奴()い奴」

 巻いたマントを脱がしボロボロのドレスも脱がし終え、ショーツ一枚になったキュルケの秘密の密林へ手を伸ばそうとすると、ふとマクシミリアンは空を見上げた。

「どうされたんですかぁ、陛下?」

 あと少しの所をおあずけされたキュルケが、マクシミリアンを見て、釣られて空を見上げると、空には雷色の巨大な鳥がマクシミリアンとキュルケの上空をゆっくりと回っていた。

「? 鳥かしら?」

「……げ」

 カトレアの使い魔のフレールにマクシミリアンは戦慄を覚えた。

「鳥公……まさかカトレアも?」

 キュルケから離れたマクシミリアンは辺りを見渡すと、フレールが突如紫電を走らせた。

 稲光(いなびかり)が深夜のヴィンドボナを照らし、家屋の屋根の上に一人の女性のシルエットを映し出した。

「……あ、ああ、あのだな」

 マクシミリアンはシドロモドロになり、屋根の上の女性に弁明を始めた。

「ツェルプストーのキュルケ。キミも説得して欲しい……って何処に行く!?」

「わ、私、あの赤ん坊の母親を探してきまぁす」

 当事者の一人のキュルケは危険を察知したのか、本屋の赤ん坊と共に姿を消し、マクシミリアンには既に逃げ場は用意されていなかった。

「あ、あわわわわ」

 マクシミリアンは今まで感じたことの無いプレッシャーに襲われ、足がすくみ逃げる事すらできなくなっていた。
 屋根の上の女性は銀色の杖を振るい『ライト』の魔法を唱えた。
 今まで影になって見えなかったカトレアの顔がようやく拝めるようになったが、マクシミリアンは女性の顔を見て驚愕した。

「やっぱりカトレアだったか、って、すごい目をしているぞ!?」

 シルエットの女性は言うまでも無くカトレアだった。
 カトレアの瞳のハイライトは消え、何の感情も現していない。

 そんなカトレアの口がようやく開いたのは、マクシミリアンの足が震えだしてから3分後の事だった。

「マクシミリアンさま」

「お、おおお、カトレア。ようやく喋ってくれたか」

「わたし、マクシミリアンさまに言いましたよね? ツェルプストーには気を付けて下さいと、それなのに簡単に色香に引っ掛かって……情けないです」

「いや、な。ただの小娘なら僕も歯牙にも掛けなかったんだが、広大で尚且つ良質な鉄や石炭を吐き出す領地を持つツェルプストー家とお近づきになりたいと思ったんだよ」

「……目的は資源を持つ領土で、彼女には興味は無かったと?」

「いや、その……中々、面白い娘だったし……」

 マクシミリアンはカトレアから発するプレッシャーに最後まで弁明をいう事が出来なかった。

「……オシオキです!」

 カトレアは銀の杖を空高く掲げると、瞬く間にヴィンドボナ上空に雷雲が発生した。

 ゴロゴロ、と雷光は見えないが雲の上から雷鳴が鳴り、今にも雷が落ちてきそうだ。

「あ、待てカトレア。話せば分かる!」

「問答無用です! フレール!」

『クェェェェッ!』

 フレールが羽から紫電を雷雲に向け放つと、小さな紫電は雷雲によって巨大な雷に成長し、轟音と同時に巨大な稲妻がマクシミリアンに向かって落ちた。

「ぎゃああああああああああ!!」

 稲妻の衝撃波は強烈で、マクシミリアン周辺の窓ガラスは全て吹き飛び、稲妻の高熱が血に汚れた石畳をドロドロに溶かした。

 肝心のマクシミリアンは、稲妻が石畳に落ちた後に出来たクレーターの中心で見つかり、黒焦げになりながらも目を回しているところを護衛の帝国貴族によって発見された。

 護衛の帝国貴族は言う。

「……賢王よりも恐ろしい方がいた!」

「お、俺はこの光景を忘れない。トリステイン王妃カトレア、いや、『雷鳴(かんなり)』のカトレア!」

 カトレアの二つ名は、マクシミリアンの制裁を目撃した帝国貴族によって瞬く間に広がり、カトレアは『怒らせると怖い』と恐れられるようになった。

 ……カトレアの制裁から一時間後。市内の騒ぎを聴きつけたゲルマニア軍が、治安維持に介入したが、殆どのモンスターはマクシミリアンによって殺された後で、兎にも角にもヴィンドボナでのモンスター騒ぎは幕を閉じた。

 後日、アルブレヒトの陣頭指の下で事件の調査が執り行われ、マクシミリアンの予想通り、モンスターはヴィンドボナの動物園から逃げた出したモンスターだと断定された。
 動物園は一時閉鎖され、後日、全てのモンスター舎が閉鎖されて再開された。

 だが、謎と禍根も残った。
 モンスターたちを逃がした犯人は結局分からずじまいで、事件の調査もブランデルブルク辺境伯の反乱の情報が、遅ればせながらも商人の伝手からアルブレヒトの下にもたらされると、打ち切られてしまった。

 戴冠式のその日に起こったモンスター騒ぎは、ヴィンドボナ市民に一抹の不安を残し、更に内乱勃発によってゲルマニア諸国民には戦争税が掛けられ生活を一層苦しくさせた。

 ゲルマニア国民の試練は続く。
 

 

第九十五話 戦禍は広がる



 ポラン地方で起こったポラン系スラヴ人の反乱を鎮圧する為に、選帝候の一人、ザクソン大公に指揮された鎮圧軍10万の大軍は、ヒポグリフを駆るポラン騎兵のゲリラ戦によって消耗しながら、ポラン地方の奥へ奥へと誘いこまれてしまった。

 このゲリラ戦法は、トリステインの参謀本部がスラヴ人の軍事教練の為極秘に派遣したジェミニ兄弟によってもたらされた。
 さらにジェミニ兄弟ポラン軍の軍師としてポラン貴族軍に留まり、大軍による会戦にこだわるザクソン大公を翻弄し続けた。
 これはかなりの大問題なのだが、諜報部の防諜部隊によって守られたお陰でばれる事は無く、後に生きた戦訓も持って帰国しトリステイン軍のソフト面での増強に大いに役立つ事になった。

 さて、ポラン騎兵によって翻弄されたザクソン大公と鎮圧軍10万は、無駄に物資と時間を消耗し、ついに食糧不足に陥ってしまった。
 ザクソン大公はヴィンドボナのアルブレヒト宛に、緊急の補給要請の手紙を書きヴィンドボナに送ったものの、ポラン地方とヴィンドボナを往復するには必ずボヘニア地方を横断しなければならず、ヤン・ヂシュカらチェック人によって、補給を催促する早馬も討ち取られ、さらにヴィンドボナからザクソン大公宛の使者も討ち取られ、ザクソン大公には何の情報も得られない状態となり完全に孤立してしまった。

 ポラン地方に入っておよそ半年。
 ザクソン大公は何度も補給要請の手紙をヴィンドボナに向かって送り続けたが、その全てはボヘニア地方で消息を絶ち、鎮圧軍は攻撃か撤退かの二択を迫られるほどに追い詰められた。

 鎮圧軍の諸将は撤退の方向に傾いていたが、総大将であるザクソン大公は撤退を決して許さず、攻撃にこだわり続けた。

 とある作戦会議にて数人の武将が撤退を進言したが、ザクソン大公は、

『決戦に持ち込めば、あのような雑兵ども物の数ではないわ!』

 と、聞く耳を持たない。

 仕方なく将軍達はザクソン大公に従い続けたが、兵士達にとってはたまった物ではない。延々と敵の姿を求めて行軍に次ぐ行軍に日に日に少なくなる食事。
 一人また一人と兵士達は軍から脱走し、遂に鎮圧軍は戦わずして、5万人まで兵力を減らし、いつ壊走してもおかしくない状態にまで陥った。

 遠巻きに鎮圧軍の様子を観察していたポラン軍は、止めを刺すために決戦を決意し、かくしてタンネンベルヒと呼ばれる土地にて、ゲルマニア軍5万とポラン軍2万とが決戦と行った。

 ザクソン大公にとっては念願の会戦だったが、鎮圧軍の士気は最悪で、戦闘開始から僅か三時間で鎮圧軍は全面壊走を始め、ザクソン大公も這う這うの体でヴィンドボナに逃げ帰った。
 全面壊走した鎮圧軍に対し、ポラン騎兵の追撃は執拗を極め、ザクソン大公と共に逃げ帰ったのは僅か一万しか無く、その他の兵はポラン騎兵に討ち取られるか道に迷って野垂れ死にするかあるいは恭順するか、辛うじてボヘニア地方まで逃げ帰ってもチェック人に殺されるか等、様々な理由で屍を晒した。

 ……

「おお、ザクソン大公。よく戻られた」

 ヴィンドボナのホークブルク宮殿に命からがら戻ったザクソン大公を、皇帝となったアルブレヒトが労った。
 だがザクソン大公はアルブレヒトの労いに表情一つ変えない。

「……閣下。一つ聞きたいことがございます」

 労われたザクソン大公は剣呑な態度で、アルブレヒトが座る玉座の前で跪いた。

「なにかな? ザクソン大公」

「我々の再三の補給要請を無視し続けた理由をお聞かせ願いたい」

「補給要請? そんなの知らんぞ。それよりも、この半年、一切の連絡を寄越さなかったのは頂けない」

 アルブレヒトの言葉にザクソン大公は驚いた顔で顔を上げた。

「お待ちいただきたい。補給要請と合わせて報告書も何度も送りましたぞ!」

「いや、届いていない。敗戦の責任から逃れるために騙っているのではないか?」

「何ですと!? その様な事を言われるのは心外ですな。ならば勝手にするがよい!」

「ま、待たれよ!」

 怒ったザクソン大公は、謁見の間から立ち去ろうとすると、アルブレヒトは自分の失言を反省し、ザクソン大公をなだめた。今は失敗をなじる事よりも反乱を鎮圧す事とが先決だ。
 それにアルブレヒトは、謀略と政略は得意だが軍事は余り得意ではない。猛将として鳴らしたザクソン大公が離脱すれば、ゲルマニアの軍事力の低下は計り知れない。
 幸い、アルブレヒトの説得でザクソン大公の怒りは収まり、本題は後方かく乱を行った犯人探しへと移った。

「しかし、一切の連絡を絶たれるとは、やはり後ろで糸を引いているのはヴィルヘルムの裏切り者か」

「裏切り者? 閣下、それはどういう事ですかな?」

「それはだな……」

 ザクソン大公はアルブレヒトの口からブランデルブルク辺境伯の反乱を聞くと、苦虫を噛み潰したような顔で天井を見上げた。アルブレヒトのライバルだったブランデルブルク辺境伯が公も簡単に反乱を起こした事に、色々な意味で呆れたのだ。

「こうもあっさり反乱を起こすとはヴィルヘルムの奴め。奴には慎みというものが無いのか……いや、そんなものは無かったな」

 同じ選帝候という事もあって、ブランデルブルク辺境伯ヴィルヘルムの人となりを知るザクソン大公は、かつての同僚の行動に今回の事件の全て黒幕の可能性を感じ取った。
 もっともそれは、ザクソン大公の勘違いなのだが事態は妙な方向へ曲がりだした。

「閣下。此度のポラン地方の反乱は、ブランデルブルク辺境伯が黒幕に相違ありません」

「ザクソン大公はそう言うが、ヴィルヘルムにその様な知恵が回るとは思えん……」

「ですが、余りにもタイミングが良すぎます。ブランデルブルク辺境伯の頭から出た物ではなく、我々の知らない子飼いの知恵者が後ろに居たのでしょう」

「ううむ、ゲルマニア騎士団のフリードリヒは中々の傑物と聞く。奴が手引きしなのならそう考えるのは妥当か……」

 アルブレヒトはそう言いながらも納得がいかない様子だった。
 以前、ゲルマニア騎士団の使者とヴィルヘルム追放の謀略を練っただけに、フリードリヒが帝政ゲルマニアの内乱を誘発させるまでヴィルヘルムに肩入れするとは思えなかったのだ。

 ともかく、次々と起こった反乱を迅速に鎮圧しなければならない。
 アルブレヒトは新たな命令をザクソン大公に下した。

「ザクソン大公には、また鎮圧軍の総大将を任せたいのだが……」

 アルブレヒトは再びザクソン大公を鎮圧軍の総大将に抜擢しようとした。だが、ザクソン大公は首を縦に振らなかった。

「光栄に思いますが辞退させて頂きます。ポラン地方の反乱鎮圧に失敗して、命からがら戻ってきておいて、その日のうちに再び将を任される等、武門の出として看過できません。敗軍の将として、暫く領地にて謹慎しております」

「ううむ、どうしても駄目か?」

「残念ですが」

 ザクソン大公の意思は固く、仕方なくアルブレヒトはザクソン大公の願いを聞き入れる事にした。

「……分かった。三ヶ月間の暇を与える。その間、英気を養っておいてくれ」

「我が侭を聞いていただき、ありがとうございます」

 こうして一時の間ザクソン大公はヴィンドボナを去り、代わりに『ハルデンベルグ侯爵』という、角のついた鉄兜を被り、カイゼル髭を揺らした男を総大将にして、ブランデルブルク反乱軍の鎮圧にに当てた。

 だが相手はゲルマニア最強の精鋭ゲルマニア騎士団。
 決戦を挑むも騎士団になすすべも無く撃退され鎮圧は失敗。ハルデンベルグ侯爵も戦死してしまった。
 この敗戦でゲルマニア側は新たな軍勢を編成する為に更なる時間を浪費する事になり、早期の鎮圧に事実上失敗した。
 初戦のゲルマニアの敗戦の情報は各地に潜む反政府組織を蜂起させ、本格的な内乱の勃発は大寒波の傷が癒えないゲルマニア国民を地獄の釜へと放り込んだ。




 ★




 ……時は経ち。
 マクシミリアンが20歳の誕生日を迎えた頃。

 前年にゲルマニアの新帝都ヴィンドボナでのアルブレヒト3世戴冠式に出席したマクシミリアンとカトレアだったが、カトレアの実家のラ・ヴァリエール家と因縁のあるツェルプストー家のキュルケがマクシミリアンに言い寄り、とうのマクシミリアンの満更でもない反応をした事で、カトレアの嫉妬が爆発し文字通り『雷』を落とされてしまった。

 トリステインに戻ったマクシミリアンは、カトレアの機嫌を取る事に腐心して、毎夜毎夜、カトレアの部屋に入り浸り子作りに励んだ。

 だが、マクシミリアンの努力も空しく、カトレアが懐妊をする事は無かった。

 深夜のトリステイン王宮。
 今日もカトレアの部屋のドアを叩いたマクシミリアンに、カトレアは意を決してある頼み事を切り出した。

「……なに? 子供が出来る秘薬が欲しい?」

「……はい」

 半裸で大きなベッドの上であぐらを掻くマクシミリアンに、向かい合って座ったネグリジェ姿のカトレアは申し訳なさそうに頷いた。

「しかしなぁ、僕達、まだ20歳になったばかりだろ。焦る必要ないんじゃないかな?」

 元現代人のマクシミリアンは気に留めなかったが、ハルケギニアの常識では20歳は十分年増……カトレアとその周辺は焦りを覚え始めた。

「でも、マクシミリアンさま。結婚して6年、新世界から戻ってきて2年程ですが、そろそろ子供を授かっても良い頃なのですが、その気配はありません。わたし不安で……」

「それで秘薬の力を借りようと? うーん。分からないなぁ」

 マクシミリアンはカトレアの焦りが分からない。
 マクシミリアンは常々、『子供は授かるもの』と思っていて、革新的な改革をトリステインにもたらしながらも根っこの部分は保守的だった。
 その事が彼自身も気付かず、秘薬を使って無理矢理妊娠するような行為を忌避していた。
 だからマクシミリアンはカトレアの願いを理解できず、難しい顔をして暗に断った。

「マクシミリアンさま……」

「心配するなって、まだ20歳になったばかりだ。焦る事はない」

 そうマクシミリアンはカトレアを説得した。
 だが、カトレアは表情を綻ばせながらも心は晴れる事とは無かった
 そんなカトレア達の焦りをよそに、マクシミリアンはペリゴールをブランデルブルク辺境伯領に派遣し通商条約を締結させた。

 ブランデルブルク辺境伯は強力な軍事力を持つ割には国力は低く、反乱以前は政敵であるオーストリ大公から食料を援助して貰う事で軍を維持してきた経緯があった。

 穀倉地帯であるシレージェンを取っても、すぐに食料を得られる訳ではない。
 その為、持ち前の備蓄食料では軍を維持できなくなる事は子供でも分かる問題で、そこに目をつけたマクシミリアンは、トリステイン豊富な食料を提供する代わりに辺境伯領内でのトリステイン商人の優遇を約束させた。

 具体的には、ブランデルブルク辺境伯領とザクソン大公領との間に流れるエルペ川河口近くにある中洲の都市『ハンマブルク』を自由都市化させ、北東ゲルマニアのトリステイン商人の本拠地とさせた。
 マクシミリアンは元商人のアルデベルテを総督として派遣し、ハンマブルクのトリステイン商人達の元締めとして交易と情報収集などその他諸々を一任させた。
 その結果、ブランデルブルクのみならずポラン地方のスラヴ貴族と接触に成功し友好関係を結ぶことが出来た。

 当然、ゲルマニアは反乱勢力と接触した事を抗議してきたが、マクシミリアンはペリゴールを使ってゲルマニアの追求をいなす(・・・)と、その後ものらりくらりと交渉を引き延ばして、それとなく反乱勢力のアシストをした。

 反乱を起こしたポラン地方のスラヴ人たちは、ゲルマニア側がブランデルブルクの反乱で手一杯になり、ポラン地方を侵す事は無くなったと判断し、自分達をポラン人と名乗り、やがてポラン人の国家『ポラン王国』建国した。
 当然ながらゲルマニア側はこの独立を認めるわけも無く。
 ポラン王国討伐の軍を送り込んだが、ゲルマニア側からポラン地方に行く為には、内乱によって地獄の釜と化したボヘニア地方を通るか、反乱を起こしたブランデルブルク辺境伯領を通らねばならない。
 結局、第二次ポラン討伐軍はボヘニア地方でゲルマニア騎士団に補足され、瞬く間に蹴散らされてしまった。

 完全に無政府状態となったボヘニア地方の安定化にゲルマニアは掛かり切りになり、ポラン王国に兵を避ける状況ではなくなってしまった。
 ポラン側はこれ幸いと、トリステインの秘密の援助の下、牧畜程度しか産業が無かったポランに新たな産業を起こし国力を蓄える事になった。

 新興国ポランの登場で、ゲルマニア内乱は次のステップに進む事になる。
 

 

第九十六話 それぞれの野心

 ゲルマニアの内乱勃発で、ハルケギニアは大きな渦の中に居た。

 そんな中、トリステイン王国のラ・ロシェールにゲルマニア方面から一隻のフネが入港した。
 そのフネはゲルマニアからの難民が満載されていて、客室が満員で難民が乗れず、特別に甲板に申し訳程度のテントを張り、仮の客室にする措置をとった。

「……ここがトリステインなのか?」

「船員の話じゃそうらしい」

「助かった!」

 難民らはトリステインに到着した事を知り、甲板からラ・ロシェールの町並みを見て安堵したり、新しい暮らしに不安を覚えたりと、それぞれの感想を語り合った。

 彼ら難民の殆どはゲルマニア内乱の最大の激戦地であるチェック地方からの難民で、八割ほどがチェック人難民だった。

 彼らにとって、ヂシュカら独立派の戦いは迷惑以外の何者でもなく、先祖代々から受け継いだ田畑を耕しながら細々と暮らしてきたが、数年前の大寒波で首が回らなくなり、更に今回の内乱で追い討ちとなって田畑を捨て逃げざるを得なくなった。

 そんな彼らにマクシミリアンは手を差し伸べた。
 元はといえば、マクシミリアンの野心がゲルマニア内乱の発端だ。
 火を付けたのは自分ではないにしろ、彼らチェック人の境遇にマクシミリアンは責任を感じ、大々的な難民受け入れを表明した。

 やがて彼らを乗せたフネが、世界樹(イグドラシル)の枯れ木で作られた桟橋に取り付き、船員の案内の下、次々と下船して行った。

 ほぼ全ての難民が下船した頃、一人の中年男が遅れてラ・ロシェールの地に足を踏み入れた。

「ふう、ようやく着いたか」

 トリステイン王国の外務卿(外務大臣)のペリゴールは、長旅で疲れた身体を引きずりながらフネを降りた。

 桟橋には国王マクシミリアン付きの執事セバスチャンがペリゴールの姿を見つけ、深々と頭を下げた。

「お帰りなさいませ、外務卿。陛下がお待ちです」

「陛下が御自ら? ともかく、待たせる訳にいきませんな」

「こちらへ……」

 ペリゴールはセバスチャンに案内され、ラ・ロシェール随一の宿と言われている『女神の杵』亭にたどり着いた。

 かつて、コマンド隊が大立ち回りした『女神の杵』亭の1階は大衆酒場になっていて、難民騒ぎがあったせいか店内の客は疎らだった。

「陛下はあちらでございます」

 奥の席では商人風の格好をしたマクシミリアンが、最近出回るようになったアルビオンのモード・ウィスキーを飲んでいた。
 物憂げに窓の外を見ていて、ペリゴール達が来た事に気付くと、物憂げな表情を消し、ブランデーが満たされたグラスをペリゴールに向けて掲げた。

「ペリゴール。ポラン王国との同盟締結、ご苦労だった」

「勿体無きお言葉。骨を折った甲斐があったというものです」

「ゲルマニアの反乱軍とも不可侵条約が締結できた。東ゲルマニア方面は新皇帝が率いるゲルマニアと、ブランデルブルクのゲルマニア反乱軍、そしてポラン王国の三つ巴の形になったな」

「御意、ゲルマニア反乱軍とポラン王国が不可侵条約を結んだ事で、反乱軍は後方の心配をせずに済みますし、ポラン王国も産業育成の時間が稼ぐことが出来ます」

「しかしブランデルブルク辺境伯、良くポランと不可侵条約を結ぶ気になったな」

 マクシミリアンは呟く。
 『狂犬』という二文字がピッタリなブランデルブルク辺境伯の存在が、同盟締結の最大の障害と思っていただけに、マクシミリアンはどうも信じられなかった。

「彼の人となりを知れば、それ程不思議な事ではありません。彼にとって皇帝の玉座こそ目的であって、それ以外は眼中にありません。玉座のためならエルフとも盟を結びかねません」

「ふうん。単純だが目的のためなら手段を選ばない無い男……と評価してもいいのか?」

「よろしいと思います。ただ、ゲルマニア騎士団には注意が必要です。連中は飼い主ほど解りやすい者ではありません」

「そうか、騎士団の調査はクーペら諜報団に任せよう。反乱軍の事は置いておいて、ポラン王国の方はどうだ?」

「数百ある諸部族を纏めるのに、かなりの時間を食うと思われましたが、何とか一つに纏める事ができました。何でも陛下が考案なされた『共和制』という政体を参考にして、ポラン貴族が入れ札(投票)で王を決めたとか……」

「バラバラだった諸部族を一つに纏める必要があったからな。僕の命令で専門チームを派遣しておいた」

 せっかく蒔いた種を、チェック人らの暴走で全部台無しにする訳には行かなかったマクシミリアンは、一年以内にポラン王国を独立させる内政チームをジェミニ兄弟と一緒に派遣した。

 内政チームは、ポラン地方のスラヴ系部族を回ってポラン王国への参加を説き、短時間での王国建国までこぎつける事に成功した。

 王を投票で決めることから、本当の所ならば、『ポラン王国』ではなく『ポラン共和国』なのだが、ハルケギニアでは例のない共和国誕生で、敵を増やしたくなかったマクシミリアンとポラン政府上層部の利害は一致し、ある程度国力を蓄えるまで王国と偽る事にした。

 兎も角も、僅か数ヶ月でポラン王国は成り、ポラン系スラヴ人なら誰でもポラン王国に参加できるように門戸を大きく開いたが、その反面、急ごしらえの影響か、貴族の権力が強く、反面王の権力は弱くなってしまい、後に禍根を残す事になるが、ともかくポラン王国は短期間で反ゲルマニアの一大勢力にのし上がった。

「提出された資料では、ポラン王はピヤストとか言う中年男だそうだな」

「御意。ゲルマニア貴族時代は、ほぼ飼い殺し状態で、生活費を稼ぐために大工の棟梁をしていたとか。人を惹きつける事に長けた人物で、無能ではないようです」

「ゲルマニアの力を削って、さらにトリステインの利益になれば、誰でもいいよ」

「そういう事でしたら、ピヤスト王は陛下のご期待に添える事と思われます」

「結構、それならば我がトリステインはゲルマニアと反ゲルマニア勢力との間に立って、商売をさせてもらおうか」

 マクシミリアンは、空になったグラスにウィスキーを並々と注いで再び口につけた。
 一方のペリゴールはブランデーの満たされたグラスに手を付けずにいた。

「ん? どうしたペリゴール。ブランデーは嫌いだったか?」

「畏れながら陛下。陛下はゲルマニアに対し『事』を構える御積りなのですか?」

「事を構える? それは戦争をするかという意味なのか?」

「御意」

「うーん」

 ペリゴールの問いにマクシミリアンは何やら考え始めた。
 以前、マクシミリアンはゲルマニアの内乱に対し、家臣たちが介入するように求めた際に、戦争の無謀を解いたことがあった。
 ペリゴールはその時の事が気になり、本心ではどうなのか聞いてみたいと思った。

「そうだな……もし今のトリステインとゲルマニアが戦争になれば」

「戦争になれば……どうなのでしょうか?」

「まず、『戦闘』では勝てると思うよ」

「おお! それならば……!」

「でも、『戦争』では勝てない。トリステインの兵力では戦闘に勝っても、占領地の維持が不可能だ。少数精鋭って聞こえは良いけど、色々な弱点があるんだよ」

「むむむ」

 マクシミリアンの言葉に一喜一憂するペリゴール。
 参謀本部の見立てでは、ゲルマニア国内に侵攻してすぐに『攻撃の限界点』迎えるという。
 その為、参謀本部ではもっぱら侵攻作戦よりも、国境付近での防衛作戦が研究されている。

「ゲルマニアの内乱を煽ったのは、本来は十分な準備を整えてから混乱している最中に戦争を仕掛けて西ゲルマニアを切り取るのが初期の計画だったけど、知ってのとおり、どこかのバカどもが暴走したおかげ、大幅な修正を余儀なくされたよ。クソッタレ……」

 本心では諦めきれないのか心底悔しそうな顔をするマクシミリアン。
 ペリゴールは若き王の様子を、ブランデーを舐めながら見ていた。

(お若い……陛下ほどのお年だと当然か。若者にとっては、人生全て輝かしいものに燃えるのだろう、かつては私もそうだった……」

 ペリゴールは若い頃の事を思い出し、少し夏井かしい気持ちになった。

「そういう訳で、こっちから積極的に仕掛けると言う事はない。だからと言ってゲルマニアがトリステインを侮るというのなら、その報いは受けて貰うがな……」

 最後にマクシミリアンは、戦争のカードを手放さないことも臭わせた。

「ペリゴールは一休みしたら、今度はゲルマニアに飛んでくれ」

「御意、ゲルマニア相手にどのような交渉をなさるおつもりですか?」

 ペリゴールの問いに、マクシミリアンはニヤリと口元を歪ませた。

「盗られたものを返してもらうのさ」

「盗られたもの……なるほど、『あそこ』ですか」

「そう、東ロレーヌの返還の交渉だ」

 長年、トリステインとゲルマニアとの領土問題だったロレーヌ問題に決着をつける時が来た。




 ★




 同じ頃、ハルケギニアのもう一つの大国、ガリア王国の王都リュティス。

 ハルケギニア屈指の大都市の郊外にはガリア王の居城・ヴェルサルテイル宮殿があり、老いたガリア王が家臣らに政務を任せ、老い先短い余生を送っていた。

 大国ガリアの国力にふさわしく、一人の老人の介護のために数百人という数の人々が、ここヴェルサルテイル宮殿に詰めていた。
 今日はガリア王が二人の王子を宮殿に呼び出し、三人で国王に入ったきり一時間ほどが経過していた。

 家人やメイド達はヒソヒソと小声で噂しあった。

「陛下もお歳だろうし、今回の突然の呼び出しは、次期国王が誰か、御二方に直接言うためではないか?」

「やっぱり、次期国王はシャルル殿下じゃないかしら?」

「シャルル殿下なら、お人柄も良く、ガリアをより良き道へ導いてくださるだろう」

「ジョゼフ殿下は?」

「無能王子が選ばれることはないだろう。魔法が使えないのはもちろんの事、失政ばかりで良い点なんか一つもない」

 人々は口々にシャルルを押し、一方のジョゼフを嘲笑った。

 しばらくすると国王の私室から二人の男が出てきた。
 出てきたのは二人の王子、ジョセフとシャルルで、ジョゼフは険しい顔を、逆にシャルルはにこやかな表情をしていて、部屋の外で様子をうかがっていた家人十数名は二人の様子を見て

『これはシャルル殿下に決まったかな?』

 と、シャルルが次期国王に決まったと思った。
 
 二人の王子はヴェルサルテイル宮殿から去ると、別々の馬車に乗りそれぞれの領地に帰って行った。

 街道をゆくシャルルの馬車の中では、一人シャルルが頭を抱えながら、先ほどの会談の事を思い出していた。

「何故……どうして勝てないんだ!」

 老いたガリア王が次期国王に選んだのは、兄のジョゼフだった。

 政治の世界には魔法の私室の優劣など関係ない。
 ガリア王の意を受けて、ジョゼフは国内の反乱分子の一掃に苛烈とも取れる政策を敷いた。
 ジョゼフは自身が総長を務める『ガリア花壇警護騎士団』を広大なガリア全土に派遣し治安維持に努めさせると同時に、存在しないと言われている北花壇騎士団を秘密警察の様に使い、独自の諜報網の構築と、反乱分子を一切の慈悲もない大虐殺を行ってガリア王の信任を得た。
 一般的なガリア貴族は、王都を守る花壇騎士団を治安維持ごときに使うジョセフを批判し、一般市民は、ちょっとでも王国に対し否定的な事を口に出せば、数日後には一家諸共消える事に、言い知れぬ恐怖を感じ、誰もが口をつぐんだ。

 一般市民にとっては、ジョゼフの治安維持政策は恐怖政治以外の何物でもなかったが、視点を変えれば、大量の危険人物を検挙し、曲りなりにも結果を出したジョゼフのガリア王の覚えは良かった。

 シャルルは、自分が知らぬ位置にジョゼフが剛腕ぶりを発揮している夢にも思わず、先ほどの会談でガリア王の口からを聞かされた時は、凄まじい衝撃を受けた。

「流石は兄さん。私には絶対に出来ないような事を平然とやってのける……」

 魔法が一切使えないジョゼフは、他のガリア貴族から『無能』と言われ、大いに軽蔑を受けていたが、シャルルは前々からジョゼフの能力を認めていただけに、今回の会談で以前から燻っていた焦りが形になって表れた。

「このままではいけない。このままでは兄さんに勝てない……彼にも勝てない!」

 実のところ、シャルルの焦りは隣国トリステインのマクシミリアン王が王子時代、11歳でスクウェアに到達した事を聞いてから、薄い染みの様に出来たのが始まりだった。
 マクシミリアンが現れるまで、『魔法の天才』の座はシャルルの物であり、シャルル自身、魔法の天才という名声を最大限に利用してガリア政界に『シャルル派』と呼ばれるガリアを二分するような巨大な派閥を形成していた。
 シャルルは父であるガリア王や無能を揶揄されるジョゼフを立てて、表面上は王座に興味がないように演技しながら、父から次期ガリア王に推薦してもらおうと、『良い子』を演じていた。
 シャルル自身、元々は良識派の人間で、演技などしなくても十分に優しい貴族であり、優しい父親だったため、魔法の天才の名声と合わさって、シャルルを慕い、次期ガリア王に推す声は日に日に高まって行った。

 だがマクシミリアンが頭角を現し、『魔法の天才』の座がシャルルのもの出なくなった噂がガリアで囁かれるようになるとシャルルに余裕が無くなってきた。

 公の場などでは、他の者に自分が焦っていることを悟られないように振る舞い、それは成功していたが、一人になると途端にネガティブな思考が頭の中を占拠するようになり、愛する家族に悟られないように、部屋に籠って一人悩むことが多くなった。

「……どうする? マクシミリアン王に協力を仰いで、ガリアの改革を断行しようか」

 そうすれば、ガリアの国力が増し、ガリアもトリステインの様に飢えて死ぬ者は極端に少なくなるだろう。
 だがシャルルは、そのアイディアを首を振って消し去った。

「駄目だ。所詮はマクシミリアン王の二番煎じ。インパクトに欠けるし、貴族たちが小国と侮るトリステインに協力を仰いだことが知れれば、『トリステインごときに膝を折った』と不満が続出するだろう……そうなれば大多数の貴族の支持を失い、王位どころではなくなる」

 シャルルにとってマクシミリアンの改革は、自分が理想とする政治そのもので、大いに参考にすべきだったのだが、かつての自分が拠り所にしていた『魔法の天才』の座を渡さざるを得なくなった事と、若くして賢王と呼ばれるマクシミリアンに、シャルル自身気づかないうちに、マクシミリアンへ尊敬と嫉妬が入り混じった感情を抱くようになり、何だかんだと理由を付けて、マクシミリアンとの協力政策を不採用にしてしまった。

「もっと大きな成果が必要だ。父上も考えを改めざるを得なくなるような成果が……」

 やがてシャルルの思考は、内乱に喘ぐライバル国に向くようになった。

 焦りと嫉妬がシャルルの野心を表面化させた今、ゲルマニア内乱は新たな局面へと移ろうとしていた。



 

 

第九十七話 ガリア介入

 
前書き
 お待たせした割に、出来は良くないかも。 

 

『王になる』

 シャルルが今まで胸の中にしまい、決して表に出さず誰にも知られなかった野心は、ジョゼフが次期ガリア王に選ばれたことで表面化し、シャルルに危険な賭けを取らさざるを得ない程の焦りを生んだ。

 シャルルはオルレアン公領へ帰還すると、協力者である有力貴族たちへ手紙を書き、シャルルがこれから行う運動の支援を要請した。

 貴族たちからの返事は全てがシャルル支持で、これによりガリア最大勢力のシャルル派はシャルルをガリア王へする為に行動を開始した。

 シャルルらが真っ先に考えたのは、ガリア王がジョゼフを次期国王に指名した事実だった。

 ガリア王の決定を覆すには並大抵の実績では不可能で、ガリア王も納得するほどの巨大な功績が必要と考えた。シャルルは内乱に喘ぐゲルマニアに介入して領土を掠め取り、その戦果をもってガリア王を認めさせる結論に至った。

 こうして歴史に言う、『ガリア介入』は幕が開けられた。
 シャルルはガリア貴族の過半数がゲルマニアへの出兵を支持している事実で、老いたガリア王の説得した。

「……好きにせい」

 小さくため息をついたガリア王は、枯れ木の様に痩せ細った手で、ゲルマニア出兵の認可のサインをすると、シャルルをゲルマニア侵攻軍の総大将に任じ、居城であるヴェルサルテイル宮殿に引きこもった。

 ガリア王の許可を得たシャルルは、すぐさまガリア全土の動員令を出した。
 国民に人気のあるシャルルが音頭を取った事により、貴族はもちろんの事、通常なら徴兵逃れをしたり逃亡したりと、いつもなら芳しくない平民の動員もスムーズに進み、結果三十万もの大軍を集めることに成功した。

 ……数週間後

 ゲルマニアへの出兵が一週間後に差し迫った頃、シャルルは総大将としての多忙の合間を縫って、オルレアン公爵領の屋敷に帰還していた。

「お父様! お帰りなさい!!」

 愛娘のシャルロットが出迎え、シャルルの胸に思い切り飛び込んできた。

「ははは、シャルロット、元気にしていたようだね」

 シャルルは小さなシャルロットを抱きかかえると、シャルロットの頬に小さくキスをした。シャルロットは少しむずがゆがったが、恥ずかしいだけで嫌ではないらしい。
 シャルロットはお返しとばかりにシャルルの頬にキスをした。

「お父様。今日はおうちに居てくれるの?」

「そうだよ、シャルロットの大好きなイーヴァルディの勇者を読んであげよう」

「やったぁ~!」

 シャルロットのはしゃぎぶりに、シャルルは目を細めた。

(遠征の間は、シャルロットとは暫く会えないな)

 自分の野望の為とは言え、愛娘と離れることに少し抵抗があるようだ。

 ともかく、久々の親子のひと時にシャルルは英気を養った。

 その夜。
 シャルロットは既に眠り、シャルルは愛妻であるオルレアン公爵夫人と軽い晩酌をしていた。

 オルレアン公爵夫人は不審そうにシャルルを見ながらホットワインを口に運んでいた。

「……」

「……今回の出兵に反対の様だね」

「……はい、シャルロットも大きくなってきて、これから大事な時期だというのに、何故、離れ離れになるような事をなさるのです」

 オルレアン公爵夫人は、シャルルがゲルマニア出兵で幼いシャルロットや自分を置いていくことを責めた。
 一方、シャルルとしても、シャルロットや愛妻を置いてゆくのは忍びないが、今、このチャンスを逃せば、兄ジョゼフが王位を戴いてしまう。
 ジョゼフへの対抗心を露わにしたシャルルは、ゲルマニア出兵で勝利し、その戦功をもって老父の決定を覆さなければ、永遠にジョゼフに勝てなくなる事を直感し恐れた。

「キミは私が権力の亡者になってしまった思ったのかい?」

 愛妻家であるシャルルは公爵夫人を説得することを試みた。
 シャルルは国内に留まることを求める公爵夫人を説得する材料がある事はあったが、それはガリアのタブーに触れる事であり、シャルルたち夫婦にとっても決して忘れ得ぬ悲劇の事だった。

「キミは『あの子』の事を忘れてしまったのかい?」

「あの子……? ま、まさか……!」

 それは、双子として生まれてしまったが為に、ガリアのタブーに触れ、泣く泣く離れ離れにならねばならなかったシャルロットのもう一人の姉妹の事だった。
 シャルルが権力を欲したのは、ジョゼフへの対抗心もあるが、もう一人の娘を取り戻す為でもあった。

「正直なところ、双子を禁忌とするガリアの習慣は絶対不可侵の物であり、決して触れる事すら許されない聖域だと思っていた。だけどね、トリステインの先代エドゥアール王と現在のマクシミリアン王が、既存の概念を破壊してトリステインを繁栄させたのを外から見ていて、ガリアの常識に捕らわれてはいけないという事を痛感したんだ」

 マクシミリアンの改革は、隣国のシャルルの意識すら変えさせた。
 再び、家族四人が再開するために、ガリアの悪しき習慣を変えさせるために、シャルルは権力を欲した。

「忘れる……忘れるものですか、生まれたばかりの子供を奪われ、『獣腹』と陰口を言われる日々にどれだけ悔しい思いをしたものか……!」

 夫人は涙を流し、吐き出すように語った。

「だから私はこの戦役に勝利し、ガリアを正しい方向へ導きたいんだ」

 シャルルは震えながら俯く愛妻の肩を抱き、王になった暁には、悪しき習慣を無くし、離れ離れになったもう一人の娘を呼び出し本当の家族をやり直そうと説いた。

「分かりました。離れ離れになってしまうのは悲しいですけど、手放してしまったあの子と再会できるなら私も協力します」
 
 夫人はシャルルの出征を了承し、こうしてシャルルは、憂い無く戦役に臨むことが出来るようになった。

「私が王になった時、シャルロットに本当の事を話そう。シャルロットに双子の妹が居る事を。これから一緒に暮らすようになれる事を……」

 ベッドで眠るシャルロットの青い髪を撫で、改めてシャルルは闘志を燃やした。




 ★





 二週間後、シャルルに率いられたガリア軍は、ガリア・ゲルマニア国境であるアルデラ地方からゲルマニア国内に侵入した。
 国境には三万程のゲルマニア軍が防衛をしていたが、三十万を越すガリア軍が奇襲に近い形で攻撃を仕掛けてきたことで、ゲルマニア軍三万は瞬く間に敗走し、攻勢から僅か一カ月でゲルマニア南西部のヴュルテンベルグ地方とバーテン地方のほぼ全土を占領し、このまま北上を続けバウァリア大公の領土を抜ければ帝都ヴィンドボナは目と鼻の先であった。

 シャルルは占領した領土でガリア軍が強姦や略奪を行わないように訓示を出し、意外な事に、傲慢で知られるガリア軍で略奪行為に及ぶ者は出なかった。この事だけでもシャルルの統率力の高さが窺い知れるだろう。

 二つの地方を占領し、一定の成果を得たシャルルに新たな敵が現れた。

 この遠征の最大の障壁であるゲルマニア西部の雄・フランケン大公が満を持して動き出し、シャルル率いるガリア遠征軍を討つ為に南下を開始した。

「シャルル殿下。フランケン大公の軍勢が、わが軍に迫っているとの報が届きました」

「矢張り動いたようだね、ゲルマニアは私たちガリアが介入する事を考慮に入れていたようだ」

 攻め落とした城の一室で、シャルルはフランケン大公の軍が動いた事を知った。

「如何いたしましょう?」

「今までの様に数で押せば勝てるような相手ではない。すぐに物見を出し、フランケン大公の軍の規模と居場所を突き止めるんだ」

「御意!」

 ガリア軍は偵察を出し、フランケン大公軍の動向を掴むと、すぐさま迎撃に動いた。
 フランケン大公を倒せば、西ゲルマニアで私たちの敵になる軍勢は居なくなり、切り取り放題のボーナスゲームとなる。シャルルはガリアに大勝利をもたらす為に賭けに出た。

 占領地を発ったガリア軍は、四方に偵察を放ちながら、ゆっくりと北上を開始すると、程なくフランケン大公の軍勢を見つける事が出来た。
 フランケン大公の軍は、『黒い森』の異名を持つシュヴァルツヴァルト地方に居て、ガリア軍と同じように偵察隊を放ち、ガリア軍の動向を探っていた。

「これは……嫌なところに陣取ったな」

 急ぎ作戦会議を開いたシャルルは、大きな羊用紙に描かれたお粗末なシュヴァルツヴァルト一帯の地図を前に唸った。
 シュヴァルツヴァルトはその名の通り、鬱蒼とした森林地帯が百リーグ以上も広がる場所で、気時の間隔が狭く、太陽の光が遮られ昼でも薄暗いため、大軍が展開するには適さない地形だった。
 さらに悪い事にゲルマニア軍はシュヴァルツヴァルトの深い森の中に隠れて、どの位の規模の軍勢か分からず、何と幾つかの偵察隊がゲルマニア軍の規模を探ろうと森の中に入って行ったが帰ってくる者は居なかった。

「ゲルマニア軍も、当然私たちの位置を掴んでいるだろう」

「ゲルマニアの斥候らしき者どもを数十人を討ち果たしましたが、数人を取り逃がしてしまいました。総大将の仰る通り、ゲルマニアは我々の情報を掴んでおりましょう」

 シャルルの言葉に、ガリア遠征軍の総大将補佐的な存在であるブルボーニュ公爵も同意した。

「さて、機先を制してゲルマニア軍に速攻を駆けるべきか、それとも相手の出方を待つべきか、諸君の忌憚のない意見を聞かせてほしい」

 シャルルが会議に参加した諸将に尋ねると、将軍たちは議論を始めた。

「シャルル殿下、フランケン大公を討ち果たせば、ヴィンドボナへの道は開けたも同然です。ここは攻勢に打って出るべきです」

「否! 地の利は敵に在り、下手に攻勢を掛ければ被害を増やし、戦役そのものが継続不可になる!」

「敵は奇襲の混乱からまだ抜け出せていない。ここで軍を停止すれば、敵に迎撃態勢を取らせる時間を与えてしまう!」

「フランケン大公はすでに動き出していて、敵は奇襲の混乱から抜け出していると断定して良い。狩りの時間はは終わったと考え、早急な戦略の練り直しをするべき!」

 将軍たちの議論は攻勢と守勢と意見が真っ二つに分かれた。

「シャルル殿下、そろそろこの辺りで……」

 このままでは埒が明かない、とブルボーニュ公爵が進言すると、シャルルはコクリと頷き立ち上がった。

「皆の思いは良く分かった。遠征を始めたからには、必ず勝利を得なければならない。フランケン大公は強敵だが、討ち取ることが出来れば早期講和も可能だ。きっと降臨祭までには帰れる!」

 シャルルは攻勢にかかる事を将軍たちに宣言すると、『おおっ!』と将軍らの反応も良かった。
 ブルボーニュ公爵は、演説の効果を得たと考え、将軍らに散会を命じた。

 将軍らがそれぞれの持ち場に戻ると、ブルボーニュ公爵がシャルルに進言した。

「シャルル殿下。フランケン大公と対峙する前に、ヘルヴェティア地方の戦力を削がなくては、後方が危うくなります」

 主に傭兵を産出するヘルヴェティア辺境伯領は、ガリア、ゲルマニア、ロマリアの三カ国国境に接していたものの、山々に囲まれた辺鄙なところで戦略的に価値が無い事から、ガリア軍は侵攻の際無視する形で素通りしていた。
 ヘルヴェティア地方の守備隊はガリア軍の様子を遠くから伺うだけで、殆どちょっかいを掛けてこなかった。
 ブルボーニュ公爵は、フランケン大公と戦っている最中に背後から襲い掛かってくるのを恐れて、早急に対処する様にシャルルに進言した。

「公爵の言いたいことは良く分かった。実はヘルヴェティアの事は対処済みなんだ」

「対処済み? いったいどういう事です?」

「開戦前にヘルヴェティア辺境伯に密使を送ってね、ヘルヴェティア地方に侵攻しない代わりに、中立を保つ確約をしていたんだ」

「な、そうなのですか……!」

 帝政ゲルマニアの始まりは、数百あった都市国家が連合し、現在の形になったとされていて、早い話が寄り合い所帯で、諸侯のゲルマニアに対する忠誠心は薄い。進んで戦争に参加しようという奇特な諸侯は指で数えるくらいしかいない。
 シャルルはゲルマニアの構造を事前に調べ、戦いを回避できそうなゲルマニア貴族に片っ端から密使を送り、無駄な戦いを避けて兵の消耗を少なくさせた。

 ヘルヴェティア辺境伯もガリア軍に対峙しているふりをして、遠くから見ているだけで一切手を出そうとしなかった。

「それに、三千ほどヘルヴェティア傭兵を雇うことも出来た」

「なんと、同胞と対峙しているというのに、傭兵としてガリア軍に加わると?」

「なんでも東方を見習って、ゲルマニアからの独立をもくろんでいるらしい。したたかな連中だよ。戦後、ゲルマニア軍が逆襲をしてくるのを見越して、ガリアに独立保障を求めてきた」

「シャルル殿下は、その話を?」

「受けた。数は少ないがヘルヴェティア傭兵は精強だ。戦えば勝だろうけど下手に損害を受けたくない」

「左様でございましたか。それならば背後を襲われる心配をせずにフランケン大公と戦えますな」

「完全に信じ切れないけど、ガリア軍が優勢なうちは裏切らないだろうね」

 こうしてガリア軍は、後顧の憂い無くフランケン大公と戦える状況を得た。
 ガリアの奇襲から始まった二大大国同士の戦いは、フランケン大公の登場により、いよいよ激しさを増し、シャルルの挑戦は本格的な山場を迎えようとしていた。