立ち上がる猛牛


 

プロローグその一

                           立ち上がる猛牛
                           プロローグ
 昭和四十八年十一月。シーズンも終わり選手の年俸のことで話がもちきりになっている時期にだ。関西のプロ野球界においてだ。ある噂が流れていた。
 阪急ブレーブスの監督を十一年に渡って務めてきた西本幸雄がユニフォームを脱ぎだ。フロントに入るという話が出ていた。
 西本は戦前から野球をしてきた者であり立教大学においては主将を務めていた。そこで立教大学を六大学大会で優勝させたのだ。
 戦争中は陸軍において高射砲部隊の将校を務めていた。同時代には法政大学を出て南海で活躍した山本一人、後に南海の監督を長きに渡って務め名将と謳われた鶴岡一人と名を変える人物や早稲田大学からプロ野球契約第一号となり西鉄等五つのチームで監督を務め知将、魔術師と称された三原脩、慶応大学の花形選手であり巨人において黄金時代を築いた美将水原茂等がいた。この彼等も戦場に赴いている。
 そうした時代、我が国のプロ野球創成期の頃から野球をしていた人物だ。終戦後熊谷組に入りそこで監督兼選手として采配を振るいやはり優勝に導いている。
 プロ野球がセリーグとパリーグの二つのリーグに分裂した時にだ。誘われて毎日オリオンズに入った。そこでは最初一塁手だった。
 入団した時はもう既に三十歳だった西本は選手としては盛りを過ぎようとしていた。実際に彼は選手としては数年活躍しただけで引退してその打撃理論を買われて毎日の打撃コーチに就任した。
 ここまではさしあたって監督に縁があるとは思えない野球人生だった。しかし運命の神というものは非常に気まぐれなものでありだ。彼に思いも寄らぬ事態が起こった。
 彼の所属していた毎日と大映クリッパーズが合併してだ。大毎オリオンズとなったのだ。オーナーは大映のオーナーだった永田雅一が就任した。当時映画界において領袖の一人であった彼は野球界にも力を持っていたのだ。
 当初永田は監督には大物を就任させる予定だった。派手好きでとにかく大きなことが好きな彼はだ。とにかく名のある人物を自分のチームの監督にしたがった。
 だが偶然が重なり西本が監督になった。永田はこのことには落胆したがだ。仕方ないと諦めた。
 しかし西本は只者ではなかった。大毎の打線を鍛え上げ所謂ミサイル打線を作り上げてだ。その力でパリーグを制覇してしまった。そうしてだった。
 その力で日本シリーズに挑んだ。だがこのシリーズでは三原率いる大洋ホエールズの前に一敗地に塗れてしまった。とりわけ第二戦のスクイズ失敗が大きかった。それが大毎のシリーズ全体の敗北を決定付けてしまった。
 この采配を巡って西本は永田と対立して解任された。それから一年間解説者を務め阪急ブレーブスの打撃コーチに就任しここでも偶然が重なりだ。監督になったのだ。
 阪急においての西本は猛練習と厳しくかつ合理的な指導、サーキットトレーニングまで取り入れそのうえでだ。チームを鍛え上げ有望な若手を育てていってだ。阪急を強豪に育てた。
 そうして五度もシリーズに出場したが当時は読売ジャイアンツの極盛時だった。それではとてもだった。
 シリーズ制覇、即ち日本一は適わなかった。五度もシリーズに出てもそれでも一度も日本一になれなかったのだ。だがその中でもだ。 
 西本は選手達を育てていた。足立光宏、長池徳士、高井保弘、福本豊、加藤秀治、今井雄太郎、そして山田久志。こうした名選手達を育てあげたのだ。その育成手腕も見事だった。
 しかもその選手達から心から慕われる人物でもあった。西本は確かに厳しい。鉄拳制裁も辞さない。炎の様に恐ろしい人物であった。しかし同時にだ。
 彼は選手を、努力している人間を決して見捨てない男でもあった。死力を尽くしてプレイしそれでも武運拙く敗れた選手達をベンチで出迎えても怒ることはなかった。
 日本シリーズでも同じだ。昭和四十六年日本シリーズ第三戦、王貞治に逆転サヨナラスリーランを浴びマウンドに蹲る山田を一人迎えに言った。そのうえで泣いて謝る山田に一言言ったのだ。
「ご苦労さん」
 こう言って山田を連れて戻ったのだ。こうしたこともあった。西本は人の心も知る真の意味での名将だったのだ。だがその西本もだ。フロント側の意向によりユニフォームを脱ぐことが決まったという噂が流れていたのだ。
 その噂を聞いてだ。記者達もファン達もあれこれと話をした。 

 

プロローグその二

「次の監督は上田さんだからな」
「ウエさんか。あの人は凄いな」
「ああ、あの人は切れ者だよ」
「人格温和でな」
 西本の次の阪急の監督は上田利治になることが決まっていた。関西大学において村山実とバッテリーを組んでいた男であり球界にはその指導者としての資質を買われて入っている。その彼が阪急の監督になる。
 そして阪急を鍛え上げ五度の優勝を実現した西本は勇退することが決まっていた。そのこと自体はもう決まっていることだった。
 だがその中でだ。こんな話が出ていたのだ。
「西本さんは他のチームの監督になるんじゃないのか?」
 この話がだ。何処からか出て来ていた。こうなるとだ。
 問題はどのチームの監督になるかだ。そのことになると少しわからなかった。
「一体何処なのか」
「それがわからないぞ」
「西本さんが次にどのチームの監督になるか」
「まさか同じ関西の球団とは思えないしな」
「南海とか近鉄はな」
 その二チームはないだろうとだ。多くの者が思っていた。そしてそれが何故かはだ。その噂話をしている彼等自身が話すことだった。
「何しろどっちも親会社が関西の鉄道会社だからな」
「阪急にとってはライバル会社だからな」
「そこに西本さんが行くのはな」
「ないだろうな」
 当時のパリーグでは阪急、南海、そして近鉄とだ。関西の私鉄を親会社としているチームが三つもあった。それぞれのオーナー達の道楽として球団経営がされていたとも言われているが親会社のいい宣伝にもなっていたのは事実であった。
 オーナー、即ちそれぞれの親会社の総帥達はそれぞれ個々に交流があり関係は険悪ではなかった。しかしチームとしてはだ。
 まさにライバルといってもいい関係にあった。それは他ならぬ西本が阪急の監督であった頃に確立されてしまったものであったのだ。
 西本は阪急の監督になる前は大毎の監督であった。就任一年目にしてチームを優勝に導いた。安定した采配でミサイル打線と呼ばれた強力打線を看板に勝ち進みそのうえで優勝を果たしたのだ。このことは前述の通りだ。
 そのうえで日本シリーズに挑んだ。シリーズの相手は大洋ホエールズだった。まさかの優勝を果たした弱小チームであり戦力的には当時の大毎とは比較にならないものだった。
 誰もが戦力的な面から考えて大毎有利だと見ていた。しかしなのだった。
 大洋を指揮するのは三原だった。これまでに巨人、西鉄を率いて優勝を果たしてきた男だ。とりわけ西鉄の監督を務めていた時期には何度も水原茂いる巨人と戦い勝ってきている。野武士と言われた荒くれ者達が集る個性派集団西鉄を率いて勝ってきた彼のその手腕は恐ろしいまでであり魔術師とまで言う者がいた。彼の采配はそこまで奇抜かつ的確だったのだ。
 その魔術師と西本は戦ったのだ。結果として西本はまさかの敗北を喫した。
 第一試合の牽制球やまさかのソロアーチで相手に先勝を許しそれからだった。運命の第二試合を迎えたのである。
 第二試合で大毎ミサイル打線は大洋のエース秋山登をいよいよ打ち崩す状況にまで迫った。一死満塁、まさに一打出ればそこで決着がつく状況だった。そこでだ。
 西本はスクイズを指示した。だがそのスクイズが失敗し攻勢の機会を逸しだ。シリーズはそのまま大洋の四連勝で終わってしまった。大毎は圧倒的な戦力を有しながら大洋に敗れてしまった。そう評されるシリーズであった。 
 この結果、とりわけ第二試合のスクイズ失敗が問題になりだ。西本はオーナーである永田雅一と衝突して解任されてしまった。その相手であった大洋の監督三原がだ。近鉄の監督として西本の前に再び姿を現したのだ。人の出会いや運命といったものは実にわからないものである。だがこの時の運命はだ。西本にとっては因縁と呼ぶしかないものであった。それは近鉄と阪急、二つのチームにとっても同じことであった。
 三原は持ち前の機略で近鉄を勝利に導いていき西本は己が鍛えた選手達をオーソドックスだが堅実な采配で阪急を勝たせていく。そのうえで遂に昭和四十四年に両者は優勝を賭けて争うことになった。
 この決戦は西本が勝った。三原の機略に対して西本の采配が勝ったのだ。西本が育て上げた選手達は確かな強さを持っていた。その選手達を育てた手腕でだ。西本は三原に対して日本シリーズでの借りを返したことになったのだ。 

 

プロローグその三

 こうしたこともありだ。近鉄と阪急は同じ関西の私鉄を親会社に持つ球団という面からも何かにつけて張り合う関係になっていた。まさにパリーグを代表するライバル関係にあったのである。
 その近鉄に西本が監督として入るなぞだ。ほぼ誰も考えていないことだった。しかしなのだった。
 阪急のフロントに入ることがほぼ決定していた西本はまだ現場で戦いたかった。そこで野球をしたかったのだ。それでそのシーズンまさかの投手陣の不調により最下位に沈んでしまい監督、岩本尭が責任を取って辞任していた近鉄の監督のことについてだ。彼は近鉄に電話を入れたのだ。
「わしでよければ」
 この言葉を聞いてだ。近鉄のフロントはだ。
 最初まさかと思った。流石にこれは信じられなかった。何しろ近鉄にとって最大のライバルチームである阪急の監督から自分が監督になろうかと言ってきたのだ。それを聞いてだ。
 近鉄のオーナーであり近鉄グループの総帥であった佐伯勇もだ。信じられないといった顔で自身の側近達に問うたのだった。
「それはほんまか?あの西本が近鉄にか」
「本人が言うてます」
「確かにそう」
 側近達もだ。驚きを隠せない顔で佐伯に話すのだった。
「西本さん自身がです」
「言うてきたんですわ」
「そうか」
 佐伯はここまで聞いてだ。まずはその首を捻った。
 そのうえでだ。あらためて側近達に話すのだった。
「正直まだ信じられへんけれどな」
「それでどうしますか」
「今近鉄の監督はいませんけれど」
「渡りに舟や」
 佐伯は言った。その顔は既に決断しているものだった。
 そしてその顔でだ。彼は側近達に言い切った。
「それやったら西本や」
「西本さんを近鉄の監督にですか」
「決めたんですな」
「ああ、決めたで」
 その通りだと話すのだった。
「十一年の間西本とは敵やった」
「阪急の監督としてえらい苦しめられましたな」
「どれだけ負けたかわかりませんわ」
「鶴岡さんにもやられましたけど」
 前述の通り長年に渡って南海の監督だった人物だ。その監督としての手腕だけでなく人物としてもだ。かなりの大物だったのである。
 その鶴岡にもやられたが西本にもだ。近鉄は随分とやられてきた。敵として見てきたからだ。余計に彼のことはわかっていた。
 そのうえでだ。佐伯は決断したのだった。
 西本を近鉄の監督にする、そのことを決めてだ。すぐにだった。
 阪急側に電話をする。それを聞いてだ。
 阪急のオーナーである小林公平もだ。驚きを隠せなかった。
 それでだ。彼も己の側近達に問うたのだ。
「近鉄さんが西本さんをなあ」
「俄かには信じられへん話ですね」
「これは」
「こういう話やで」
 小林もまた首を捻りながら話す。
「巨人と阪神がお互いの監督を交換するようなことや」
「そんなんしたら暴動起きまっせ」
 すぐにだった。側近の一人が言った。
「選手でもそれは」
「まあ藤本さんは巨人の監督やったけれどな」
 そこから阪神の監督になったのだ。ただしそれは彼だけの話だ。そこまで阪神と巨人の関係には因縁がある。そして彼等の球団である阪急、そして近鉄もだ。因縁があった。やはりライバルチーム同士として意識していたのだ。南海も含めてこの三チームはだ。時代によってそれぞれのチームに戦力差はあってもだ。それでも意識し合う関係であったのだ。
 だからこそだ。小林達阪急側もいぶかしみながら話すのだった。
「けど。阪急の監督から近鉄の監督」
「それがほんまに実現するかどうか」
「正直夢みたいな話でっせ」
「どうなるやら」
 阪急側もだ。こう話すのだった。とても信じられないというのだ。 

 

プロローグその四

 だが、だ。西本はだ。肝心の彼はどうかというとだった。
 やはりだ。現場を望んでいた。しかし阪急はもうだ。
 次の監督が決まっていた。上田だ。上田に決まっていて西本はフロント入りが決まっている。そのことはどうしようもなくなっていた。
 阪急側も対応に苦慮した。その中でだ。
 小林はだ。遂に決断を下したのだった。
「西本さんの意思を尊重しよか」
「そうしますか」
「西本さんの希望をですか」
「ここはそうしますか」
「阪急をここまで強くして五回も優勝させてくれた人や」
 しかもだ。多くの選手を育ててきた。その功績を考えればだ。小林にしても彼の意思を尊重せざるを得なかった。それにだった。
 小林はだ。こんなことも話すのだった。
「それに西本さんには現場の方が似合うかも知れんな」
「フロントよりもですか」
「やっぱり監督の方が似合ってますか」
「そうですか」
「そう思うわ。まあ西本さんが近鉄の監督になれば近鉄は強くなる」
 そのことは阪急側から見れば確実と言えるものだった。何故なら西本が今の強い阪急を作り上げたからだ。かつての弱小球団だった阪急を十一年の間に五度も優勝できるチームにした。その手腕を知っているからだ。
 だがそれでもだった。小林は決断したのだ。そのうえで側近達に話した。
「近鉄さんに話しよか」
「わかりました。それでは」
「話を進めましょうか」
 彼等も納得してだ。そのうえで西本が近鉄の監督になる話を進めるのだった。
 こうしてだ。十一月十六日にだった。大阪梅田の新阪急ホテルにおいてだった。
 近鉄と阪急が共同でだ。記者会見を開くと発表したのだ。 
 そのことを聞いてだ。記者達はだ。狐に摘ままれた様な顔になってだ。それぞれ話をするのだった。
「近鉄と阪急が共同でか」
「また何やろな」
「何をするか検討がつかんな」
「ほんまやな」
 彼等にしてもだ。検討がつかない話だった。しかし記者会見を開くとなればだった。
 彼等にしても仕事だ。会見の話を受けるのだった。こうしてだった。
 その会見の場に出席し話を聞く。その場でだ。
 双方はだ。驚くべきことを発表したのだった。これには記者達もだ。 
 唖然となってだ。双方の代表にだ。問うのだった。
「それ、ほんまですか!?」
「西本さんが近鉄さんの監督にですか」
「阪急さんの監督からですか」
「近鉄さんの監督に」
「はい、そうです」
「そうなります」
 双方の代表がだ。驚く記者達に答えるのだった。
「西本さんはまだまだ現場で働きたいと仰ってるので」
「そうなりました」
「それで近鉄さんにですか」
「阪急さんから」
「ライバルチーム同士でそうなるんですか」
「それはまた」
 記者達は驚きを隠せずそして消せなかった。しかし話は事実だった。記事にせざるを得ないものだった。こうしてだった。
 次の日の新聞の一面はだ。そのニュースのことで埋め尽くされていた。西本が近鉄の監督になる、このことには誰もが目を丸くさせた。
「西本さん、今度は近鉄の監督かいな」
「またえらい話になっとるで」
「近鉄は優勝できそうで急に負けるチームやけれどな」
「どうなるかな」
 多くの者は近鉄がどうなるか想像がつかなかった。だが、だ。西本、そして近鉄をよく知る者はだ。こう確信して言うのであった。
「近鉄、絶対に強くなるで」
「そやな。西本さんがあの連中育てるんや」
「近鉄、凄くなるで」
「優勝するで」
 確信している言葉に他ならなかった。しかしそうなっている者は僅かだった。西本が近鉄の監督になろうともだ近鉄は変わらないとさえ思っている者も多かった。しかしそれでも西本が近鉄の監督に就任することは事実だった。何かがだ。確実に動こうとしていた。それは大きなうねりであった。


プロローグ   完


                        2011・5・30 

 

第一話 キャンプその一

                               立ち上がる猛牛
                            第一話  キャンプ
 西本は近鉄の監督に就任した。その彼が近鉄のユニフォームを着て最初にしたことは。
 キャンプに挑んだのだった。近鉄のキャンプからだ。彼は近鉄ナインを見ていた。
 その近鉄ナイン、そして近鉄というチームを見てだ。彼はコーチスタッフの面々、その殆んどは彼が大毎の頃から信頼し阪急を作り上げた腹心達だ。その彼等にこう話したのだった。
「似てるわ」
「そうですな、阪急にですな」
「似てますな」
 スタッフ達もだ。西本のその言葉にだ。鋭い顔と声で応えた。
 そのパリーグ最強と言っていい近鉄と去年最下位に終わった近鉄を似ていると言う。これは少し聞くととんでもないものに聞こえる。しかしであった。
 彼等の言う阪急は今の阪急ではなかった。そのだ。彼等が最初に見た阪急、それに似ているのだった。西本はグラウンドから近鉄を見てだ。こう言うのだった。
「相手として戦ってきた時は近鉄は強かったんやけれどな」
「三原さんの時もでしたね」
「あの時は結構苦しめられましたわ」
「もう少しで向こうが優勝でした」
 昭和四十四年のことである。その時阪急は近鉄と最後の最後まで争っていた。その中で最後の四連戦でだ。阪急は近鉄のエース鈴木啓示を攻略して見事優勝を勝ち取ったのである。そんなことがあった。
 そしてそれからもだ。阪急と近鉄は争ってきた。その相手としての近鉄はというとだった。
「ピッチャーがよくて中々手強かったですわ」
「打線はあまり強い印象はありませんでした」
「土井位ですか」
 土井正博である。近鉄の外野手にして主砲である。鈴木啓示と共に近鉄の看板とも言える選手だ。打線は彼が中軸なのだ。
 その土井がいた。しかし打線全体は強くはなかった。投手陣中心のチームが近鉄だったのだ。その近鉄に入ってみるとだ。
 西本もスタッフ達もだ。浮かない顔でこう言うのだった。
「覇気がないなあ」
「そうですね。去年最下位だったせいでしょうか」
「そのせいで。元気がないですわ」
「負けに慣れてますな」
 スタッフ達が話すとだ。西本は再び言うのだった。
「ほんまに。わしが入ったばっかりの阪急と同じや」
「あの弱かった頃の阪急とですな」
「それと一緒ですわ」
「最下位になったことが自信を喪失させてますか」
「そうなってますか」
「それもあるな。しかしや」
 西本はいぶかしむ顔をだ。次第にだった。
 強い顔にさせていってそのうえで、である。スタッフ達にこう話す。そうしてだ。彼が話す言葉はだ。
「まずは練習や」
「練習して力をつけますか」
「ほんまの力を」
「阪急の時と同じや」
 基本的にだ。西本のやることはオーソドックスである。三原の様に魔術的な采配や選手の起用をすることはない。その采配や起用もだ。あくまでオーソドックスなのだ。見方によっては面白くない野球である。
 しかしその野球をよく知る者にとってはだ。そうした野球こそがなのだ。
 本物の野球として認められ愛されていた。西本の野球はそうした野球だった。戦力を育てていきそのうえで確かな実力をつけて勝っていく、そうした野球を進めていっているのだ。
 その彼がだ。今の近鉄を見てだ。決意を見せたのだ。
 そしてその決意のままだ。彼はだ。
 すぐにだ。ランニング中の若い選手達にだ。こう怒鳴るのだった。
「もっと速く走るんや!歩いてても何にもならんわ!」
 早速だった。そうしたのだった。そしてだ。 
 選手達を叱咤しつつだ。自分自身もだった。
 自ら動きだ。選手達の傍まで来てトスを送りだ。打たせるのだった。このトスバッティングにだ。選手達は目を瞠った。
「監督が自分でか」
「自分でトスしてか」
「練習に付き合ってくれるんかいな」
 このことにだ。彼等は驚いたのである。 

 

第一話 キャンプその二

「何か。ちゃうぞ今度の監督は」
「ああ、自分で言うて自分で動く人やねんな」
「だから阪急を優勝させられたんか?」
「そうなんか?」
 こうだ。まずは若手からだった。
 西本を認めだしたのである。この監督は何かが違う、そのことをだ。彼等は先入観なくだ。ありのまま感じ受け入れることができたのである。
 そのキャンプの中でだ。西本はあることをした。そのどちらもだ。西本を西本たらしめているとだ。後にまで言われることをしたのである。
 梨田昌孝、そして井本隆という若手選手達を見るとだ。彼等のランニングは実にだらけたものだった。少なくとも西本にはそう見えた。
 西本はそれを見逃さずだ。すぐに彼等に対して怒鳴ったのだった。
「そこの若い奴等、ランニング中止や!」
「えっ、監督か?」
「監督怒ってるのか?」
 その走っていた彼等もだ。西本のその怒鳴り声を聞いて思わず動きを止めた。西本はその彼等に対してさらに怒鳴るのだった。
「こっち来い!ダッシュや!」
 こう叫び彼等を自分の前に来させてだ。即座にだった。
 拳が飛んだ。梨田も井本もだ。その拳を頬に受けた。その拳は。
 硬かった。まるで鉄の様だ。そして何よりも熱かった。炎よりも熱いその拳からだ。西本の彼等への想いを知ったのである。
 それからだ。彼等は二度とランニングにも手を抜かなかった。そのうえだ。
 西本はランニングだけでなくだ。キャッチボールについてもだった。実に細かく投げ方やその受ける位置まで。細かく話すのだった。
 そのことにだ。選手達は最初戸惑いを隠せなかった。
「何もこんな基本的なことまで言わなくてもな」
「わし等プロやで。こんなん言われんでもわかるわ」
「ほんまや、それで何でここまで言うんやか」
「訳わからんわ」
 彼等も戸惑いを隠せない。しかしだ。
 その基礎から、それこそランニングやキャッチボールからの西本の指導は続きだ。当然選手一人一人のバットのスイングまで見るのだった。
 その中でだ。彼は一人の大柄な若い選手を見出した。
 羽田耕一。その彼のスイングを見てだ。西本はまず彼をナインの前に出すのだった。
 そしてその羽田にだ。こう言うのだった。
「振ってみるんや」
「わしがここで、ですか?」
「そや、。振ってみるんや」
 あらためて羽田に言うのだった。羽田もそれを受けてだ。
 ナインの前でバットを振ってみる。そのスイングは唸り声を挙げ竜巻の如く何度も振られていく。そのスイングを見ながらだ。
 西本はナイン達にだ。こう言うのだった。
「どや、ええやろ」
「何か速いですな」
「しかも強い感じで」
「このスイングがええんや」
 西本は今度はナイン達に顔を向けて話す。その間も横目に羽田のそのスイングを見ながらだ。話を続けるのである。
「皆羽田のスイングを見るんや。それでこう振るんや」
 西本は羽田のスイングを見せてだ。彼等に教えるのだった。
 だがこのことに反発する者は多かった。とりわけベテランの選手達だ。それでも西本の指導は変わらない。彼は近鉄においても頑固であった。
 その西本にだ。まずは若手の野手から彼を慕う声が出て来た。ここでも彼等からだった。
 まずはその羽田だった。彼は西本に自分のスイングを褒められだ。照れ臭そうにこう同僚達に話すのだった。
「わし、あんな風に褒められたことなかったわ」
「御前引っ込み思案やからなあ」
「図体はでかいのに気は小さいからなあ」
「そやからな」
 そのプロ野球選手にはいささか不向きではないかと思えるまでにだ。羽田は心根が優しく気の小さい男であった。その為素晴しい資質があろうともだ。中々注目されなかったのだ。
 だが西本は即座に彼のスイングを見て資質を見抜きだ。そうさせたのだ。彼はこのことにだ。このうえなく喜んでだ。ナイン達に話したのである。
「わし、今の監督についていきたいわ」
「そやな。わしもな」
「わしもや」
 続いてだ。栗橋茂に佐々木恭介といった若手も言い出した。 

 

第一話 キャンプその三

「今の監督やったらひょっとしたら優勝できるかも知れんな」
「ああ、わし等をちゃんと見てくれてる人や」
「あの人は信頼できるで」
「厳しいけれど。見てくれてる」
「わし等を公平に見てくれて育ててくれる人や」
 彼等だけでなくだ。他の若手達も西本を信頼するようになっていった。有田修三、石渡治、吹石一徳といった面々も西本についていくようになった。まずは若手からだった。
 だが若手達だけでなくだ。西本は助っ人も見てだ。そのうえで指導するのだった。
 この時近鉄の助っ人にはジョーンズという男がいた。南海から移籍してきたと言えば聞こえはいいがそのバッティングの荒さから南海の監督である野村克也に放出されたのだ。その彼のバッティングを見てだ。
 西本は彼のところに来てだ。身振り手振りで細かく指導した。するとだ。
 それだけでだ。ジョーンズのバッティングが変わったのだった。彼は練習でもやたらと打つようになった。驚く記者達に西本はこう話した。
「ジョーンズは元々筋はええんや」
「パワーだけじゃなかったんですか」
「そや。問題はバッティングが荒いことだけやったんや」
 こうだ。打撃投手相手に派手なアーチを放ち続けるジョーンズを見ながらだ。記者達に話すのである。
「それを少しだけ訂正させたんや」
「それであそこまでなんですか」
「あそこまで打てるようにしたんですか」
「そや。あれは打つで」
 西本は満足した顔で話した。
「これまで以上にな」
「何か打線がかなり整いそうだな」
「そうだな」
 記者達は西本の話を聞いて次第にこう思うようになった。元々西本の打撃理論は定評があり大毎でもミサイル打線を率い阪急においても多くのバッターを育ててきている。そうしたことを知っているからこそ記者達も頷くものがあった。そしてその西本に元から近鉄にいる小川亨もだ。慕いだしたのだ。
 チームの中で比較的年配の小川はその温厚な性格と粘り強い打撃、安定した守備で知られていた。人望もありチームのまとめ役だった。その小川が西本を慕いだしたことも大きかった。
「小川さんも監督を認めたんやな」
「小川さん結構監督に怒られてるんやけれどな」
 見れば今もだ。小川は西本に怒られている。プロ野球人としては決して大柄とは言えない西本だがその怒る姿はまさに鬼の如くだ。海軍の軍服を着ればそのまま連合艦隊司令長官になれそうな風格さえある。
 その西本に怒られながらもだ。小川は西本の言うことを聞いた。そしてそのチームのまとめ役になっている小川が怒られる姿を見てだ。ナイン達も気を引き締めるのだった。 
 チームは成長が見られるだけでなくまとまりも出てきていた。西本の目指すチーム作りはキャンプからはじまっていた。それを見て近鉄は間違いなく変わると考える者も出てきていた。しかしだ。
 西本は楽観していなかった。厳しい顔でだ。グラウンドを見て呟くのだった。
「近鉄がほんまの意味で強くなるにはや」
 ブルペンで投球練習をしているある男を見ていた。その投げる球までじっくり見てだ。西本は決意していた。近鉄を本当の意味で強くする為にはだ。彼をまず何とかしなければならないとだ。


第一話   完


               2011・6・16 

 

第二話 エースとの衝突その一

                                  立ち上がる猛牛
                                第二話  エースとの衝突
 近鉄には一人の左腕がいた。その名を鈴木啓示という。
 昭和四十一年に入団し一年目から十勝を挙げ最多勝利投手にも輝いたことのある投手だ。ノーヒットノーランを達成したこともありその速球はかなりのものだ。
 それに加えて抜群のコントロールと打たれ強さを併せ持ち自己管理も徹底していた。怪我にも強く近鉄にとっては柱とも言える存在だった。
 しかしどうもその鈴木の速球に翳りが見えてきていた。度々打たれることが出て来ていたのだ。西本が近鉄の監督に就任した頃には鈴木の速球は極盛期のそれと比べて明らかに落ちていた。
 西本はその鈴木に対してだ。キャンプ開始早々彼のところに来て言ったのである。
「スズ、そこは違う」
「何が違うんですか?」
「そこは速球を投げるところやない」
 こう言うのだ。彼の武器の速球に対してだ。
「もっと緩急をつけて投げるんや」
「緩急!?」
「そうや、ゆるい球を投げるんや」
 具体的にはだ。そうしたボールを投げろというのである。
「そうしたボールを投げるのもやり方やぞ」
「そんなんあきまへんわ」
 鈴木はむっとした顔になってだ。西本にすぐに言い返した。
「わしには速球があります。それでどんなバッターでも抑えます」
「どんなバッターでもかいな」
「今までそうしてきました」
 その自負も見せる。鈴木がこれまで勝ってきたこと、そして地道に黙々と練習してきたことの積み重ね。そういったものにより培われてきた自負もだ。
「ですからこれからもです」
「そうか。そう言うねんな」
「はい、わしにはわしのやり方があります」
 あくまで言う鈴木だった。相手が監督でも引かない。
「だから。わしに任せて下さい」
 こう言うのである。これで話は終わったと思われた。少なくとも鈴木は西本の話なぞ聞きはしないとだ。多くの者が思った。しかしであった。
 西本は尚もだ。何かあれば鈴木に対して言うのだった。それもだ。
 ランニングの仕方やピッチング練習の仕方をだ。何から何まで言うのだ。西本が言う相手は投手陣ではまず鈴木だった。野手では小川だったがその小川よりも遥かにだ。鈴木に対して言うのだった。 
 その鈴木が叱られるのを見てだ。ナインは目を瞠った。
「鈴木さんはうちの看板やのにな」
「その鈴木さんにあれだけ言うて大丈夫か?」
「鈴木さんがチームを出たらうちはあかんようになるぞ」
「それでも言うんかいな」
 若し西本と鈴木の衝突が今以上に激しくなれば本当に鈴木はチームを出るかも知れないという声もあがったのだ。そしてこのことは杞憂ではなかった。
 実は鈴木はプロに入る直前に阪神からスカウトが来ていたのだ。それでドラフト指名される予定だった。だが阪神側の都合で鈴木の阪神からの指名はなくなり近鉄から指名された。そうした経緯があるのだ。
 鈴木は元々関西出身だ。そして近鉄も阪神も同じ関西の球団だ。リーグこそ違えどだ。そのことが今になって大きく影響してこようとしていた。
 鈴木がだ。阪神に行くのではないかとだ。危惧する声が出て来ていたのだ。
「西本さん何考えてるんや」
「確かに阪急は強うした」
「けれど近鉄と阪急はまた違う」
「それは西本さんが一番よおわかってる筈やけれどな」
 少なくとも西本が阪急のやり方を近鉄ナイン、ひいては鈴木に押し付けるとは誰も思っていなかった。少なくとも西本はそうしたことはしない。彼はどのチームのやり方を押し付けるのではなくだ。彼の指導を教えるのだ。彼はそうして鈴木と対していたのだ。
 そしてだ。鈴木もだ。過去に彼にとって思いだしたくもないものがあった。
 昭和四十四年のペナント終盤だ。阪急、奇しくも西本が監督を務めていたそのチームと近鉄が優勝争いをしていた。その時にだ。
 鈴木は天王山の試合で打たれた。阪急側から言えば鈴木を打った。阪急は勝ち近鉄は敗れた。このことに当時の近鉄の監督だった三原が言ったのだ。
「鈴木は稲尾や秋山と違う」
 かつて彼が率いてきた西鉄、大洋の大エース達と比べての言葉だ。
「いざという時に頼りにならん。そういうピッチャーや」
 そしてだ。こうも言ったのだった。
「鈴木がいる間は近鉄は優勝できん」
 こうした一連の言葉は鈴木の心に突き刺さった。彼にしてもチームの為に必死に投げているのだ。その彼にだ。三原は言ったのだ。
 三原にしてみればチームを優勝させなければならない。その為には絶対のエースが必要である。三原は常に絶対のエースをチームの軸に据えそこから采配を振るい勝ってきた。西鉄黄金時代も大洋の奇跡の優勝もそうしたエースがいてこそなのだ。 

 

第二話 エースとの衝突その二

 そして鈴木はその稲尾や秋山とは違うというのだ。そして彼がいる間は優勝できないとだ。こう言われてからだ。
 鈴木は何処か監督というものを信じなくなった。そして西本が来てもだ。こう思うのだった。
「やっぱり阪急の監督やった人や」
 まずはそこからだった。
「うちの敵やった人や。それにあの人も」
 そのだ。西本もだというのだ。
「結局は自分の為に選手を使うだけや。わし等は駒や」
 鈴木は西本は人ではなく駒としてだ。選手を扱うのではないかと見ていたのだ。
 それでだ。彼はだった。
 西本に対してもだ。信頼を見せずあくまで己のやり方を貫いた。元々コンディションの維持やトレーニングには気を使っている。だからそれでいけると思ったのである。
 だがその鈴木にだった。西本はあくまでだ。
 ランニングやピッチングに対してだ。言うのだった。
「ランニングはもう少し速く走るもんや」
「そんなピッチングではあかん。かえってな」
「そやからわしにはわしのやり方があります」
 このことをだ。鈴木は意固地な顔になって西本に返すのであった。
「口出し無用ですわ」
 何か言われると常にだった。西本に背を向けて己のやり方でトレーニングをしていく。しかし。
 鈴木は打たれることが増えていた。特にかつて西本が率いていた阪急相手にだ。鈴木は打たれ続けた。
 それを見てだ。マスコミもファンも言うのだった。
「鈴木はもうあかんのちゃうか?」
「そやな。結構打たれてるしな」
「あんなに速かったボールも勢い落ちてきてるしな」
「鈴木は速球投げての鈴木や」
 そうしたイメージが強かった。鈴木と言えば速球だった。彼等はこう考えていたのである。
 だが西本は違っていた。その速球派の鈴木にだった。
 来る日も来る日もだ。言うのだった。
「緩いボールや。緩急を身に着けるんや」
「緩いボールなんか役に立ちますかいな」
「ボールが遅いピッチャーは幾らでもおる」
 西本はわかっていた。このこともだ。伊達に長い間野球をしている訳ではないのだ。
「そやからや。それと変化球もや」
「変化球!?」
「御前は今カーブとフォーク投げてるやろ」
 速球に加えてだ。鈴木はそうした変化球も持っていた。如何にストレートが速くともそれだけで勝ち抜いていけるかというとそうではないのだ。
 だから鈴木はこの二つの球種も持っていた。だがその彼にだ。
 西本はだ。さらに言うのだった。
「左右の揺さぶりも覚えたらどや」
「左右の!?」
「スライダーとシュートや」
 具体的な球種についてもだ。西本は鈴木に話した。
「あれや。バッターのや」
「バッターの内角や外角をですか」
「スライダーやと右バッターは内角、左バッターは外角になる」
 鈴木は左投手だからだ。そうなるのだ。
 そしてだ。それと逆にだ。
「シュートやと右は外角、左は内角になるな」
「それを身に着けろっていうんですか」
「どや。これは武器になるで」
 左右の揺さ振りはピッチャーとして大きな武器になる。実際にこれにより名投手になった者も多い。鉄腕と謳われた稲尾和久は高速スライダーにシュートが武器だった。この二つの球種を使い勝っていったのだ。
 その彼の名前は西本は今は出さなかった。しかしだ。
 西本は鈴木にだ。あえて言った。
「どや、覚えてみるか」
「ええですわ」
 鈴木は嫌な顔をして西本にすぐに言葉を返した。
「それは」
「ええっちゅうんか」
「わしには変化球はカーブとフォークがありますし」
 変化球には変化球と言わんばかりにだ、鈴木は西本にこの二つの球種を出した。
「それに何よりもストレートがあります」
「速球か」
「やっぱりこれですわ」
 このボールだというのだ。 

 

第二話 エースとの衝突その三

「速球がバッターに一番効きます」
「それでそのストレートでか」
「どんなバッターでも三振に取るから安心して下さい」
「ほなスライダーとシュートはええんやな」
「いりません」
 またしてもはっきりとだ、鈴木は西本に答えた。
「わしには必要がありません」
「そう言うか」
「はい、このままでやっていきます」
 こう言って実際にだ、鈴木は自分のやり方でやっていっていた。西本の言葉を聞く気配は全くなかった。しかし。
 鈴木は打たれ続けた、そうしてだった。
 昭和四十九年の近鉄、西本が監督に就任して一年目はというと。 
 前年の最下位よりはましだった、だが。
 相変わらずの状況にだ、ファン達はがっかりして言った。
「名将の西本さんが来てもな」
「こんな調子やな」
「弱いわ、うちは」
「全然あかんわ」
「負けてばっかりや」
「主砲は二人になってもな」 
 これまでの主砲だった土井正博に加えてだ、南海から助っ人のジョーンズが来ていた。彼は確かにパワーはあるが荒いバッティングの為安定感に欠け三振が多かった。その為南海を自由契約にされていたのである。 
 だがその彼を見てだ、西本はこう言ったのだ。
「少しフォームを変えたらええんや」
「それで、ですか」
「安定しますか」
「今よりも」
「それ、それでや」
 フォームを改善して、というのだ。西本は周りに語った。
「うちで使えばええ」
「では獲得しますか」
「そうしますか」
「これで左の主砲も入る」
 ジョーンズが左投げ左打ちであることからの言葉だ。
「右の土井とな、これで主砲二人や」
「打線に厚みが出来ますね」
「どうもうちは打線が弱いですが」
「それならですね」
「ジョーンズ獲得ですね」
「そうする、それで後はな」 
 ここでだ、西本はグラウンドを見た。若手の選手達が練習に励んでいるがその彼等を見てそのうえでこうも言ったのだ。
「あいつ等を育てて何よりも」
 次に走っている鈴木を見て言った。
「あいつやな」
 こう言った、だが。
 その肝心の鈴木が明らかに往年よりも力を落としていた、このシーズンの鈴木は速球が衰え打たれだしていた、それでだった。
 近鉄は思う様に勝てなかった、とにかくそのエース鈴木の衰えが目立っていた。
 鈴木は速球派であり相手バッターを三振に取るピッチングだった、ホームランを打たれることも多くまた勝利数が目に見えて減り敗戦の方が多くなっていた、それでだ。
 西本は親しい者達にだ、こう言い切っていた。
「スズが復活せんとあかんわ」
「しかし鈴木はもう」
 周りはその西本に難しい顔で答えた。
「明らかに速球が衰えてきています」
「あれではどうしようもないですよ」
「速球派が速球が駄目になると終わりです」
「ですからあいつはもう」
「そっから変えればええんや」
 忠告する様に言う彼等にだ、西本はまた言った。
「速球派からな」
「技巧派ですか」
「これまでにみたいに三振を狙うのではなく」
「打たせて取る」
「鈴木にそうしたピッチャーになってもらいますか」
「そや、二十勝もええが敗戦が一桁でないとな」 
 西本はこうも言った。
「ほんまのエースちゃうわ、三振かホームランかもあかん」
 こうした考えもというのだ。 

 

第二話 エースとの衝突その四

「スズはほんまの意味でエースになれる、そやからな」
「今の鈴木をですか」
「速球派から技巧派に転換ですか」
「そっちにしていきますか」
「何としても」
「そうする、あいつが何とかならんと近鉄は勝てんわ」 
 ミスターバファローズとも言われたエースである彼がというのだ、それで西本は鈴木にことあるごとに言ったが。
 しかし鈴木は常に反発してだ、こう西本に言い返し続けた。
「わしにはわしのやり方があります」
「それでかいな」
「はい、忠告は無用ですわ」
 こう言って背を向けるばかりだった、西本は鈴木に言い続けるが鈴木は背を向けるばかりでだ。何十四年のシーズンは過ぎていった、終わってみれば前期後期合わせて五位だった。
 その順位を見てだ、ファン達はまた言った。
「あかんなあ」
「打線はましになったけどな」
「やっぱりしっかりせんわ」
「しっくりいかん」
「スズがあかん」
「あいつはもう勝てん」
 その鈴木の不調を見ての言葉だ。
「他にエースおらんしな」
「大田も仲根も育ってへんし」
 太田幸司と仲根正広、共にドラフト一位で獲得した。しかし二人共確かに思う様に勝ててはいない。
「神部民男もおるけどな」
「あいつだけやとな」
「やっぱり駒不足や」
「スズがああやと」
「やっぱり速球派は衰えたらあかん」
 その時点で、というのだ。
「それで終わりや」
「勝てんようになる」
「こら西本さんでもあかんわ」
「近鉄の優勝はないわ」
「その証拠に五位や」
「来年もあかんで」
「近鉄は優勝せんわ」
「三原さんも言うてたな」
 西本から見て二代前の監督である三原脩、西本が大毎オリオンズの監督だった時は大洋ホエールズの監督として日本シリーズで、阪急の監督だった時はこの近鉄の監督として戦った男だ。魔術師と呼ばれる名将だ。
「スズがエースの間は優勝出来ん」
「ああ、言うてたなそんなこと」
「ほなスズはエースやなくてか」
「神部とかにもっと出てもらうか」
「若い井本とかどや?」
 井本隆、右の若手投手である。
「あいつもよさそうやしな」
「太田とか仲根がなあ」
「この二人もうちょっと頑張ってくれたらな」
「どっちにしろスズはな」
「もうエースとしてあかんやろ」
 多くのファンもこう思っていた、だが。
 西本はあくまでだ、こう言った。
「やっぱりエースはスズや」
「スズを軸にしますか」
「投手陣はそういきますか」
「それでも」
「そや、あいつや」
 鈴木、彼だというのだ。
「あいつであくまでいくで」
「ですが速球がもう」
「あいつのストレートは衰えています」
「あいつは速球派ですから」
「もう」
「そやからや」
 西本はここでまたこう言った。
「あいつには変わってもらうんや」
「速球派から技巧派に」
「そちらにですか」
「スズを変える」
「スズに変わってもらいますか」
「そのつもりや、あいつにはそれが出来る」
 西本は断言もした。
「それでこれからも近鉄の柱になってくれるで」
「エースとしてですか」
「そうなってくれますか」
「そや、わしはそう見とる」
 やはり断言して言う。
「あいつやったら出来る」
「そしてあいつがそうならなですか」
「うちは優勝出来るチームにはなれん」
「そうも言うんですか」
「そや、やっぱり野球はピッチャーや」
 西本は一塁手出身だ、左投げ左打ちの内野手なのでポジションは必然的にそこになり毎日での現役時代は実際にそのポジションで優勝そして日本一も経験している。ただその現役時代左投げだが二塁手も経験している。 

 

第二話 エースとの衝突その五

 しかしだ、これまでその毎日で現役時代を過ごし大毎、阪急でコーチや監督を務めてきただけではない。中学から立教大学、ノンプロの熊谷組で野球をしてきた、大学やノンプロでは選手兼任で監督を務め優勝もさせてきた立場から言うのだ。
「ピッチャーが要でや」
「エースですか」
「確かなエースがおらな勝つことは出来ん」
「そうですな」
「これは変わらん」
 どのチームでもというのだ。
「大毎でも阪急でもそやった」
 特に彼が十一年采配を執った阪急ではそうだった、右のエース米田哲也と左のエース梶本隆夫がいた。そして彼はアンダースローのエース山田久志も育てた。
 だからこそだ、ここでもこう言うのだ。
「近鉄も同じや」
「そしてそれがスズ」
「スズしかいませんか」
「速球派のスズを技巧派に変えて」
「エースになってもらいますか」
「そうしたらうちは確実に勝てるだけやない」
 それだけではなく、というのだ。
「負ける数も減る」
「だからですか」
「スズには何としてもですか」
「技巧派になってもらう」
「是非共」
「わしはこのチームもや」
 近鉄もというのだ。
「絶対に優勝させる、やるで」
 鈴木を技巧派にするというのだ、そして実際にだった。
 西本は日々鈴木に言った、彼のピッチングについて。だが鈴木もプライドが強く衝突ばかりでだった。このシーズンは終わった。
 その五位という順位にだ、西本は言った。
「遠いのう」
「五位ですか」
「去年は最下位でしたから」
「まだましですが」
「ジョーンズはホームラン王を獲得しましたし」
「見るべきものはありましたね」
 コーチ達はその西本に言った。
「何とかです」
「最下位は脱出しましたし」
「それならですね」
「まだましで」
「これからですね」
「優勝にはまだまだや」
 西本はあえてこう言った。
「わしは近鉄を優勝させる為に来たからな」
「では五位ではですね」
「とてもですね」
「満足するものやない」
「あくまで優勝が目標ですか」
「そや、その為には練習してや」
 若手の選手達も昼も夜も練習させている、それはキャッチボールのあり方から教えていた程だ。梨田昌孝や有田修三といったキャッチャーにだ。羽田耕一、栗橋茂、佐々木恭介、石渡茂といった野手陣も鍛えていた。
 井本隆達投手陣も同じだった、だがここでだった。
 西本はブルペンで投げている鈴木を見てだ、またコーチ達に言った。
「あいつが変わってや」
「それで、ですか」
「ようやくですか」
「近鉄は確かになれる」
「ほんまの意味で優勝出来るチームになりますか」
「そや、近鉄はまずあいつや」
 鈴木、彼があってこそというのだ。
「あいつにもう一度勝てるピッチャーにさせる」
「そうですか、ほなこれからもですか」
「スズに言っていきますか」
「あいつは何言うても聞きませんが」
「それでもですか」
「わしは諦めの悪い人間や」
 ここで笑ってだ、西本は彼等に言った。
「そやからあいつ何度でも言うで」
 こう言って実際に西本はこの時も鈴木のところに来て彼に言った、だがそれでもだった。鈴木は怒った顔で彼に反発した。この日も彼はそうだった。


第二話   完


                      2016・4・19 

 

第三話 二つの過ちその一

                 第三話  二つの過ち
 昭和四十九年のシーズンが終わりその後はドラフトだった、そのドラフトにおいて。
 西本はコーチ達にだ、こう言った。
「一位は山口を獲るで」
「山口高志ですか」
「あいつ獲りますか」
「そうしますか」
「そや、山口や」 
 まさにだ、彼をというのだ。
「あいつの速球はほんまもんや、そやからな」
「あいつを手に入れてですか」
「来年は挑みますか」
「そうしますか」
「あいつが近鉄に来たら大きい」
 それ故にというのだ。
「獲りに行くで」
「はい、わかりました」
「それならです」
「一位は山口でいきましょう」
「あいつで」
「そうするで、あいつを指名する」
 こう言ってだ、実際にだった。
 西本はドラフトで山口を指名することを決定した、そのうえでドラフトに挑んだ。そしてそのドラフトの場でだった。
 西本を指名した、しかしここで。
 阪急ブレーブスの監督である上田利治も指名したのを見てだ、共に席に座るコーチ達に言った。
「これでな」
「はい、若し山口が阪急に入れば」
「鬼に金棒ですね」
「只でさえ阪急には戦力が揃ってます」
「それも投打に」
「阪急には勝てんかった」
 容易にとだ、西本も言う。何しろその阪急が彼が一から育てたチームだったからだ。当初弱小球団だった阪急を一から育てた、それ故に阪急のことをよく知っているのだ。
 だからだ、彼はこうも言った。
「今シーズン優勝したのはロッテやったがな」
「やはり一番強いのは阪急ですね」
「あのチームですね」
「阪急がダントツです」
「戦力が違います」
「確かにロッテも強かったが阪急はちゃう」 
 その長い顎に手を当ててだ、西本は言った。
「投打のバランスがええ」
「攻守もですね」
「ちゃいますね」
「そやからな」
 それ故にというのだ。
「うちも勝てんかった」
「スズを出してもでしたね」
「ほんま勝てませんでした」
「その阪急に山口がいったらどうなるか」
「言うまでもないですな」
「山口の速球はハンパやないらしい」 
 西本は山口個人のことも話した。
「キューバ相手に投げてな」
「はい、キューバの選手が全然打てんかった」
「もうどうしようもなかった」
「そんな感じやったらしいですね」
「もう球がとにかく速くて」
「手も足も出んかったっていう」
「そやからな、阪急にいかんことを祈ってな」
 そのうえでというのだ。
「こっちも指名したわ」
「はい、それで来てくれたら」
「そう祈ってですな」
「後はくじを引くだけですか」
「ドラフトは大事や」
 昭和四十一年から導入されているこのシステムについてもだ、西本は言及した。
「三人ええ選手一度に獲得したらな」
「それでチームの戦力がぐんと上がる」
「そうなりますな」
「ほんまにそれだけで」
「チームが変わりますな」
「昔はどんなことしても選手を獲得してた」 
 それこそ監督自ら有望な選手、大学生の彼等に直接会ったり栄養費としてその選手の大学の選手を通じて金を渡したり噂ではヤクザ者を使って話を斡旋したりしてだ、とかく色々な手段で選手を獲得してきた。だから金と権力を自由自在に使えた球界の悪性腫瘍にして戦後日本のモラルの荒廃と腐敗の象徴である巨人が多くの有望な選手をモラルというこの世を形成する価値観の一つを理解出来ない者達しか賛美しない様なやり方で選手達を強奪してその戦力で強くなることが出来たのだ。 

 

第三話 二つの過ちその二

「それが変わった」
「そのドラフトで、ですね」
「こっちの戦略で選手を指名出来る様になった」
「ここでどういった選手をどう指名するか」
「そうなりましたね」
「そやからここはや」
 西本は強い声で言った。
「山口獲れたらな」
「はい、獲りましょう」
「後はくじです」
「くじでうちが山口引いたら」
「それでやりましょう」 
 コーチ達も口々に言う、そしてだった。 
 くじを引く時になった、ここで見事にだった。
 近鉄は山口を引いた、これで西本は言った。
「これでええ」
「はい、山口ですね」
「山口はうちにきましたね」
「ほな後は入団交渉ですね」
「それに入りましょう」
 コーチ達も言う、西本もそのつもりで入団交渉の用意に入った、だが。
 ここでフロントの方からだ、西本にこう言って来た。
「山口君大丈夫か?」
「といいますと」
「いや、彼幾つや」
 山口の年齢を聞いてきた。
「今は」
「二十五です」
「その歳や」
 フロントの者は懐疑的な声で言ってきた。
「前から思ってたけどな」
「ルーキーにしてはですか」
「歳やろ、しかも山口君のフォームも見たが」
 ここからも言うのだった。
「あのフォームで長い間やれるか」
「それは」
「尾崎君もそやったろ」
 怪童と言われた尾崎行雄だ、東映で恐ろしい剛速球投手として知られていた。
「活躍出来たんは短かったやろ」
「尾崎は実質五年でした」
 浪商を中退して東映に入りだ。
「結局」
「尾崎君でそれやった」
「山口は尾崎と同じで速球派です」
 二人共桁が違う、その速球の。
「そやと」
「大丈夫か、彼は」
「ほなどうしますか」
 西本はフロントの者に尋ねた。
「ここは」
「折角やがな」
 これがフロントの返事だった。
「獲得出来たけどな」
「見送りますか」
「尾崎君のこともあるし歳のこともあるし」 
 フロントの者はこうも言った。
「あの体格やろ」
「一七〇いうてますけど」
 背の話がここで出たのだ、山口は野球選手にしてはどう見ても小柄だった。フロントの者はそこも指摘したのだ。西本も山口を見ているので言う。
「実際はもっと小さいですわ」
「そやな」
「はい、一六九かそれ位ですわ」
「小さい身体であんなボール投げたらな」
 恐ろしいまでの、尾崎の砂塵舞うとまで言われた剛速球と同じだけかそれ以上かも知れないボールをというのだ。
「長くできそうにもないしな」
「見送りですか」
「入っていきなり限界かも知れん」
「ほなやっぱり」
「そういうことでな」
 こう西本に言ってだ、結果としてだった。
 近鉄は山口の獲得を見送ることになった、そして彼は阪急が入団交渉を行い阪急に入団することになった。
 それを見てだ、コーチ達は西本に言った。
「フロントの言うことですけど」
「勿体ないような気もしますわ」
「やっぱりあのボールは普通やないです」
「二十五のルーキーで身体も小さいですけど」
「それでも」
「仕方ないわ」
 西本は今はこう言うしかなかった。
「わしもそれでええ思うたしな」
「ですな、ほなこのままいきますか」
「キャンプに入りますか」
「いや、その前にや」
 ここで西本はコーチ達に言った。 

 

第三話 二つの過ちその三

「ちょっとトレードしたいんや」
「トレード?」
「トレードするんですか」
「阪急を抑えられるピッチャーが欲しい」
 西本は真剣な顔でコーチ達に言った。
「あの打線をな」
「阪急ですか」
「あそこの打線をですか」
「阪急の打線は強い」
 西本は言い切った、伊達に彼が十一年間率い一から育て上げ五度のリーグ優勝を果たしてきた訳ではない。
「パリーグで一番や」
「その阪急の打線を抑えられるピッチャー」
「それが必要ですか」
「うちでそれが出来るピッチャーはや」
 それは誰かとだ、西本はコーチ達に話した。
「やっぱりな」
「スズですな」
「あいつだけですな」
「そや、けどそのスズでもや」
 エースの鈴木啓示でもというのだ。
「前のシーズンでは打たれてたやろ」
「はい、確かに」
「スズも結構打たれてました」
「あとはタミですか」
 神部民男だ、近鉄のもう一人の左腕だ。
「あいつ位ですが」
「あいつも打たれますし」
「阪急を抑えられるピッチャーは」
「うちには」
「他のチームにはおる」
 ここでこう言った西本だった。
「太平洋クラブにおるやろ」
「太平洋?」
「あのチームにですか」
「柳田豊や」
 このピッチャーだというのだ、右のサイドスローの技巧派だ。
「あいつは阪急に滅法強い、そやからな」
「その柳田を獲得しますか」
「トレードで」
「そうしますか」
「そや、あいつを獲得するで」
 山口は諦めたがというのだ、こうしてだった。
 西本は柳田の獲得を決めこのことを太平洋クラブのフロントに話した。
 その話を受けてだ、太平洋側はこう西本に話した。
「それでしたら交換で」
「交換トレードやな」
「土井をくれますか」
「土井!?」
 そう言われてだ、西本は思わず声を挙げた。
 そのうえでだ、太平洋側にすぐに問い返した。
「土井正博のことか」
「はい、その土井です」
「あいつをか」
「土井との交換でしたら」
 それならというのだ。
「柳田をそちらに」
「他の選手やないとあかんか」
「柳田は今は対して勝ってません」
 実績を挙げていないというのだ、柳田はまだ若手で無名だ。もう鈴木と並ぶ近鉄の看板選手の一人である土井とは全く違う。
「けれど実力は折り紙付きです」
「その通りや」
「その柳田を出すとなると」
 それこそというのだ。
「こちらもです」
「土井か」
「それ位の選手が欲しいです」
「そうか」
「どうされますか」
「少し考えさせてくれ」
 西本は太平洋側にこう返した。
「それから返事出すわ」
「では待たせてもらいます」
「そういうことで頼むわ」 
 西本はここから熟考した、まずはチームの打線を見た。
 そのうえでだ、コーチ陣に問うた。
「今のうちの打線どや」
「はい、やはりです」
「阪急と比べると今一つです」
「どうにも」 
 コーチ陣はすぐに西本に答えた。
「土井とジョーンズには長打がありますが」
「この二人だけです」
「羽田、佐々木、栗橋、梨田、有田、石渡、平野、吹石がいますが」
「この連中まだまだ若いですし」
「育つのはまだ先やと思います」
「しかもジョーンズは三振多いですし」 
 実は昨シーズンホームランを獲得した、だが彼は南海にいたがこの時に問題視されていたバッティングの荒らさが問題なのだ。 

 

第三話 二つの過ちその四

「信頼出来るのは土井だけです」
「土井が四番におってです」
「うちの打線は何とかです」
「前に柳田獲得するって話をしたやろ」
 西本は土井の名前を出すコーチ達にこのことから話した。
「それで交換トレード言うてきたんや、向こうに話したら」
「ひょっとして」
「太平洋さん交換の条件に土井言うてきました?」
「まさかと思いますが」
「そのまさかや」
 まさにその通りというのだ。
「言うてきたわ、柳田欲しいんやったら土井くれとな」
「柳田と土井ですか」
「飛車と桂馬位の差ちゃいます?」
「それは幾ら何でも」
「出せませんで」
「そやけど柳田は欲しい」
 阪急にかなり強い彼はというのだ。
「そやったらな」
「土井をですか」
「太平洋に出しますか」
「そうしますか」
「そうしよか、土井は一枚看板やから出したくない」
 西本の本音だ、打線の一枚看板なので出せないというのだ。
「けどや」
「柳田ですか」
「あのピッチャーが欲しいですか」
「しかも考えてみるとや」
 西本は実際に考える顔で言った。
「うちの打線は土井に頼りきりや、このままやと皆奮起せん」
「若手の発奮の為にもですか」
「あえて土井を出して」
「若手に自分がという気にさせる」
「そうしますか」
「しかも土井は打つけどや」
 しかしというのだ。
「守備が悪い」
「打球への反応もグラブ捌きも」
「足も遅いですし」
「そうですさかい」
「ジョーンズも守備は悪いしや」
 彼もというのだ。
「守備悪いの二人外野で置くとそれだけで穴や」
「はい、確かに」
「外野が悪いと辛いです」
「やっぱり守れる奴が欲しいです」
「そやから出すか」
 西本は苦い顔で言った。
「土井をな」
「そして柳田獲りますか」
「そうしますか」
「そうしよか、若手中心のチームにしていく」
 土井をあえて出してというのだ。
「内野と外野はな」
「ほな柳田を獲得して」
「土井を出しますか」
 コーチ達も言う、こうしてだった。  
 四番の土井をあえて柳田との交換トレードで太平洋に放出した、このトレードを見て誰もが驚いて言った。
「四番の土井を放出!?」
「柳田って誰だ?」
「西本さん何考えてるんだ?」
「これからどうして点取るんだ」
「来年の近鉄大丈夫か?」
 誰もがこのトレードは有り得ないと思った、幾ら土井の守備が悪くともだ。
 いぶかしむ者、失敗だと言い切る者ばかりだった。だが西本はこれでやっていくしかないと決めていた。しかし。
 その西本の下にある報告が来た、西本はその報告を聞いて仰天した。
「指名打者の導入かいな」
「はい、来シーズンからです」
 報告をする若いフロントの者も驚いた顔である。
「守らんでええ、打つだけの」
「それは土井の為の制度や」
 西本は言い切った。
「土井は打つけど守備は悪い」
「はい、ですから」
「そんな土井の為のものが出来るってわかってたらや」
 西本は痛恨の顔になっていた、そのうえで言うのだった。 

 

第三話 二つの過ちその五

「土井は出さんかった」
「そうですね」
「他の選手出してたわ」
 太平洋側を何とか説得してだ。
「そうしてたわ」
「まさか、ですから」
「しもたl、けどもう土井は出してもうた」
 西本はここでこの現実について言及した、惜しいと思えどももう土井は太平洋に出してしまった、この現実は覆ることはない。それでこう言うしかなかった。
「どうしようもないわ」
「もう出した後ですから」
「しゃあない、指名打者はジョーンズや」
 彼にするというのだ。
「それで外野は平野と小川、佐々木とそれと栗橋、軸は阿部やな」 
 阿部成宏である、巨人から移籍してきた俊足強肩の選手だ。
「このメンバーを回していくわ」
「ジョーンズを指名打者にして」
「土井が抜けた分パワーは落ちるが守備はよくなる」
「若手中心となり」
「これでいこか、内野はまず羽田と石渡を使って伊勢を一塁にしてや」
「セカンドは」
「助っ人か西村か服部か」
 西村俊二、服部敏和である。
「この顔触れでキャッチャーはや」
「やっぱりあの二人ですか」
「梨田と有田や」
 若いこの二人の併用というのだ。
「野手はこれでいくわ」
「ピッチャーは」
「大田、仲根はそのまま育てていってな」
「あと獲得した柳田と」 
 その土井を放出してまで手に入れた彼だ。
「それと」
「神部に芝池、坂東、清に井本も使う」
 若手の井本隆もというのだ、芝池博明に坂東里みる、清俊彦に加えて。
「それで軸はな」
「やっぱり」
「スズや、あいつがどうにかならな」
「うちは成り立ちませんか」
「ほんまあいつ次第や」 
 西本は強い声で若いフロントの者に言った。
「あいつはこれで終わらんからな」
「育てていくわ」
「そうしますか」
「あいつはチームの絶対の柱や」
「実績も実力も」
「これまで通りエースでいてもらう、けどな」
 鈴木についてだ、西本は語りつつだった。その顔を曇らせていった。そのうえで言うのだった。
「もうあいつは速球では勝てん」
「最近言われていますね」
 マスコミ、評論家の間でもだ。それで鈴木はもう限界ではないかとも言われているのだ。
 当然西本もこのことを知っている、だが彼はそれでも言うのだ。
「けどあいつはここで終わるピッチャーやない」
「そやからですか」
「あいつには変わってもらう、そしてや」
「これまで通りチームのエースとして」
「活躍してもらう、うちが優勝する為にはや」 
 悲願、もっと言えば誰もが見果てぬ夢だと思っているそれの為にはだ。
「あいつが絶対必要なんや」
「ほなスズのことは」
「わしに任せてくれるか」
「お願いします」
 若いフロントの者はこう答えてそのうえでオーナーである佐伯勇にも報告した、佐伯もチームのことは西本に任せることにした。
 こうして山口を獲得せず土井も放出してしまった近鉄だったがキャンプでは西本の特訓は相変わらずだった、鬼の様に厳しく鉄拳制裁すらあった。
 選手達はよく怒られ殴られた、その中でもだ。
 エースの鈴木はとかく言われた、むしろ西本は鈴木を第一に叱った。これに鈴木がどう応えたかというと。 

 

第三話 二つの過ちその六

「わしにはわしのやり方があります」
「そやからか」
「言わんで下さい」 
 こう返すばかりだった。
「これでやってきましたから」
「そうか」
 西本はいつもこれ以上は言わない、だが。
 また何か言う、これの繰り返しだった。そうしてキャンプでも若手の選手達を厳しく指導しつつ鈴木にも言っていた。
 だが鈴木の反発は強まるばかりでだ、それは次第に表面化していった。
 キャンプの取材に来た記者達もだ、異変に気付いて話をした。
「まずいな」
「ああ、西本監督と鈴木がな」
「対立しているぞ」
「監督が言ってな」
「そして鈴木が反発して」
「対立になっているぞ」
 まさにというのだ。
「監督とエースの対立か」
「これはまずいな」
「チームがバラバラになるぞ」
「西本さん鈴木にいつも言ってるからな」
「ああしろこうしろとかな」
「細かいところまでな」
「鈴木はずっとチームのエースだったんだ」 
 それこそ入団してからだ、入団して一年目から二桁勝利を挙げ常に練習し己を律して投げてきた。それが鈴木なのだ。
「そのプライドがある」
「しかも鈴木は気が強い」
「ピッチャーの中でもな」
「その鈴木にあれこれ言ってもな」
「聞くものか」
「反発しない筈がない」
「鈴木に言ってもな」
 聞く筈がなく対立につながるだけだというのだ、記者達は西本と鈴木の対立を感じ取りそこにチームの危機を見た。
 しかし西本は常にだった、鈴木に言い続けそうしてキャンプは終わった。そのままオープン戦に入ったが。
 鈴木に対する態度は変わらない、それで。
 阪神とのオープン戦で投げた鈴木は打たれた、これは鈴木の調整の常で彼はシーズン開幕に合わせて調整をしている。その為オープン戦では本調子ではなかった。
 しかしだ、その鈴木がベンチに下がってそこからロッカーに入ろうとする時にだった。
 西本は鈴木を呼び止めた、そのうえで彼にこう言った。
「スズ、マウンド見てみい」
「マウンドって何ですか」
「阪神が投げる時のマウンドを見るんや」
 こう言って鈴木を呼び止めた、すると阪神のマウンドに後に阪神のストッパーとなる左腕山本和行が投げていた。西本はその山本を指差して鈴木に言った。
「あのピッチャーは御前と同じ左腕やな」
「そうですが」
 いぶかしむ顔でだ、鈴木は答えた。
「それが何か」
「同じ左腕でも御前よりずっと球は遅い」
 急速、それがというのだ。
「けれど御前よりすいすい投げてる、緩急と技でな。そやから御前はあのピッチャーを見習うんや」
「!!」
 鈴木は西本のその言葉に表情を一変させた、それでだった。 
 ベンチからすぐに消えた、その鈴木を見てナインは誰もがこれで決裂となったと思った、西本以外は。
 鈴木はすぐに相手チームの阪神、実は幼い頃から応援していてプロ野球の世界に入る時も第一志望だったそのチームのフロントに電話をした。
「もうあのおっさんとは一緒にやれませんさかい」
「うちにですか」
「トレードで来させて下さい」
 自ら直訴したのだった、相手チームに。
「そうさせて下さい」
「それやったらそっちのフロントとも話をして」
「それで、ですか」
「こちらも受け入れの用意はありますので」
 暗に交換トレードの話を出した、実は阪神側は当時監督だった吉田義男と不仲であったエース江夏豊の放出を考えていたのだ。
「それでしたら」
「ほなこっちのフロントにも話します」
「それからお願いします」
 こうした話をしてだった、鈴木は近鉄を出る決意をした。しかし。
 近鉄のフロント、特にオーナーである佐伯は強い声で言った。 

 

第三話 二つの過ちその七

「チームのことは西本君に任せてるからな」
「そやからですか」
「西本さんが鈴木を放出せんって言ってますから」
「鈴木は出しませんか」
「そうしますか」
「西本君には西本君の考えがある」
 佐伯はフロントの面々に言い切った。
「それやったら任せる」
「ほなこのトレードの話はなしですか」
「そうしますか」
「わしも鈴木君の力は必要や思うてる」
 近鉄、彼が創設の時から観ているこのチームにというのだ。
「そやからな」
「このトレードの話は断って」
「鈴木はこれからもうちですか」
「西本さんに預けますか」
「近鉄は彼やないとあかん」
 西本、彼が監督でなければというのだ。
「優勝する為にはな」
「ですか、ほなこの話はなしで」
「鈴木のことは西本さんに任せて」
「近鉄に残ってもらう」
「そうしますか」
「鈴木は頑固やが絶対にわかる」 
 佐伯は強い表情で言い切った。
「その時まで我慢してもらう」
「わかりました」
 佐伯は球団だけでなくグループ全体の総帥だ、ワンマンと揶揄されることもあったがその経営はグループ全体から絶大な信頼を得ていた。その佐伯が言うことだったからだ。
 鈴木は残留となった、彼はこのことに強い不満を覚えたが近鉄に残るしかなかった。それで西本に言われつつも練習を続け開幕となった。
 シーズンがはじまるとやはり阪急が強かった、昨年の覇者であるロッテを退ける勢いで実際に勝ち続けていた。
 その阪急を見てだ、ファンは唸った。
「やっぱり強いわ」
「ああ、阪急は別格やな」
「西本さんが育てただけあってな」
「それで強いわ」
「強いなんてものやない」
「半端やないわ」
 それだけの強さだった。
 とかく攻守走に隙がない、投手陣もエースである山田久志をはじめとして安定した強さを誇り前期優勝に向かっていた。
 その状況を見てだ、彼等は言ったのだ。
「阪急の強さは半端やない」
「今年は阪急やろな」
「あの山口も今はちょっとあかんが」
「やがて出て来るやえろし」
「近鉄は今年もあかんかな」
「というか今の戦力やと無理やろ」
「土井は出たし山口も獲得出来んかったしや」
 この二つの失敗があってというのだ。
「優勝出来んわ」
「この二人がおったらな」
「わからんかったけど」
「こらあかんわ」
「スズもそろそろあかんやろし」
「柳田なんか役に立つんかいな」
 首を傾げさせてだった、彼等は近鉄が優勝するとは殆どのファンが思っていなかった。阪急が優勝すると思っていた。
 しかし近鉄も奮闘した、鈴木は西本に対して強い不満を露わにしていたがそれでもだった。マウンドでは日間に投げていき。
 やがてだ、鈴木は気付いてだ。親しい者達にこう漏らしだしていた。
「監督はわしにあれこれ言うけどな」
「それはですか」
「実は、ですか」
「ほんまにわしのことを思ってな」 
 そのうえでというのだ。
「言うてるんちゃうか」
「ずっとですよね」
「去年からですね」
「監督鈴木さんに言うてますよね」
「あれこれと」
「そや、もう速球だけやなくてな」
 自慢のそれだけではなく、というのだ。
「緩急つけたりしてな」
「変化球の種類も増やして」
「そのうえで」
「わしはコントロールには自信がある」
 ただ速球がいいだけで一つのチームでエースであり続けることが出来る程プロ野球は甘くはない、鈴木のもう一つの武器はこれだ。
 このことを踏まえたうえでだ、鈴木は話した。 

 

第三話 二つの過ちその八

「後緩急つけてな」
「変化球も増やせば」
「それで」
「やっぱりちゃうか」
 こう考える様になったのだ。
「確かにここんとこ速球の速度が落ちてな」
「昔程ですね」
「勝ってないですね」
「やっぱり勝ちたい」
 チームのエースとしての本能をだ、鈴木は口にした。
「絶対にな、そやったらな」
「監督の言う通りですか」
「緩急つけて」
「変化球も増やして」
「技巧派になりますか」
「そうしていきますか」
「そうしていくべきやろな」
 考える顔でこう答えた、彼と親しい面々に。
「正直あそこまで言うてくれる人これまでおらんかったわ」
「鈴木さんに」
「ここまでは」
「三原さんなんかわしが打たれた時にや」
 奇しくもその西本が率いる阪急との優勝を賭けた四連戦だ、昭和四十四年鈴木はその天王山で先発したが。
 阪急の主砲長池徳士にホームランを打たれ敗れた、その時近鉄の監督だった三原脩はその鈴木を見てから彼の親しい者達もこう言った。
「鈴木は稲尾や秋山と違う」
 三原がこれまで監督を務めてきた西鉄のエースだった稲尾和久と大洋のエースだった秋山登だ、どちらも球史に残る大投手だ。
「肝心な時に頼りにならない、鈴木がエースでいる間は近鉄は優勝出来ない」
 三原のこの言葉は鈴木の耳にも届いていた、それで鈴木は今もこの言葉を心に留めているのだ。
 それでだ、親しい者達にもこう言うのだった。
「監督は優勝出来たらええ、ピッチャーのことは考えてない」
「潰れてもですか」
「どれだけ投げさせても勝てばいい」
「そのピッチャーが潰れても優勝出来たらええ」
「そうした考えですか」
「そや」
 三原のその言葉から言うのだった。
「使い捨てみたいなもんや、稲尾さんかてな」
「あの人も急にでしたね」
「衰えましたね」
「鉄腕って言われてましたけど」
「それが」
「あれだけ投げたんや」
 その短い現役生活の中でだ。
「シリーズ全部の試合で投げたり一シーズンで四十二勝とかな」
「確かに凄い記録ですね」
「信じられない位に」
「今じゃないですね」
「もうそれこそ」
「そこまで投げさせて潰れても優勝出来たらええ」
 鈴木はまた言った。
「それが監督の考えや思うてた、けどな」
「西本さんは違いますか」
「あの人は」
「鈴木さんのことを考えてくれてる」
「それも心から」
「そうみたいやな、わしに長い間投げてもらってそれでな」
 そのうえでというのだ。
「優勝したいって考えてるみたいやな」
「この近鉄で」
「そう、ですね」
「そうみたいやな、どんな監督もピッチャーを潰す気で投げさせて優勝させて優勝出来んかったら二流扱いや」
 三原の言葉も今も思い出しての言葉だ。
「そう思うてた、けれどあの人はちゃう」
「鈴木さんのことを考えて」
「そのうえで、ですね」
「技巧派になってもらう」
「そう考えてますか」
「それやったらな」
 鈴木は決めようとしている顔だった、その顔で言った。
「やってみるか、わしも」
「緩急つけてですか」
「技巧派になる」
「変化球の球種も増やして」
「そうなってみるか」
 こうしてだった、鈴木は遂にだった。
 西本の言葉を受け入れた、そして。 

 

第三話 二つの過ちその九

 これまでカーブとフォークだけだった変化球の球種を増やした、そこにスライダーとシュートも覚え左右の揺さぶりも身に着けた。そのうえで緩急もつけるようにした。
 するとだ、これまで低迷気味だった調子がだ。
 かつての様に戻り勝てる様になった、それでだった。
 鈴木は勝てる様になりだ、確信した。
「監督はほんまにわしのこと思うて言うてくれてたんやな」
 このことを理解してだった、以後は西本と共に優勝を目指すことを誓うのだった。そして。
 近鉄はこれまでの低迷を脱却した鈴木と四番であるジョーンズを中心に勝っていった、若手もそれなりに育ってきており西本はその状況を見て言った。
「前期はあかんかったけどな」
「後期はですか」
「ひょっとしたら」
「ひょっとしたらやないで」
 笑って言うのだった。
「やるで」
「優勝ですか」
「後期の優勝ですか」
「前期は阪急が優勝した」 
 前評判通り安定した強さを発揮してだ、堂々たる優勝であった。
「けれどや」
「はい、後期はうちですか」
「近鉄が勝ちますか」
「優勝するで」
 強い声での言い切りだった。
「そしてプレーオフでも勝ってや」
「シリーズにも出ますか」
「やったるわ、それでや」 
 ここで西本は一旦言葉を止めた、そのうえでこれまで以上に強い決意を顔に見せてそのうえで周りに約束したのだった。
「日本一になるわ」
「遂にですか」
「監督が日本一の監督になるんですね」
「その時に」
「六度挑戦した」
 西本自ら言った。
「一回は大毎で、後の五回は阪急でな」
「そうでしたね」
「それで残念ながらでしたが」
「今度こそは」
「近鉄はまだ優勝してへんしな」
 リーグ優勝の経験がないのだ、ましてや日本一なぞとてもだ。それどころか長い間弱小球団であった程である。
 だがその近鉄をとだ、西本は言うのだ。
「日本一にするで」
「後期で勝って」
「そうしますか」
「阪急を倒して」
「そのうえで」
「ああ、やったるで」
 こう言ってだ、そしてだった。
 西本は後期優勝を目指しナインを率いて戦った、ナインは後期誰もが予想しなかったまでの健闘を見せた。その健闘を見てだ。 
 誰もがだ、驚きの声で言った。
「おい、ほんまにかいな」
「近鉄優勝しそうやな」
「信じられへんけど」
「後期だけにしても」
「近鉄が優勝か」
「あのチームが」
 長い間弱小と言われてきた近鉄がというのだ。
「ずっと最下位やったんやで」
「最近は数年に一回しか最下位になってなかったけどや」
「長い間最下位ばっかりやった」
「その近鉄が優勝って」
「西本さんやるんか」
「やってくれるんか」
 誰もが、それこそ長年の間近鉄を応援してきた古株のファン達ですらこのことが信じられなかった。だが。
 投に鈴木、打にジョーンズという軸を持つ近鉄は後期マジックを点灯させそのマジックを減らしていき。
 遂に優勝した、そして。
 一七〇を少し超えただけのスポーツ選手としては小さい方の西本の身体が胴上げされた、その胴上げを見てだった。
 ファンは涙した、かつて近鉄で活躍していた者達もだ。
 その胴上げを見てだ、思わず言葉を漏らした。
「嘘みたいや」
「近鉄が優勝って」
「後期にしても」
「近鉄が優勝したんか」
「嘘みたいや」
 こう口々に言った、そして。 

 

第三話 二つの過ちその十

 その西本の胴上げを見てだ、オーナーの佐伯も言った。
「こんな光景見ることになるとはな」
「思いませんでしたね」
「とても」
 他のフロントの面々も言う。
「後はプレーオフですか」
「プレーオフで阪急に勝てば」
「その時は」
「シリーズや、勝つで」
 こう言って後期制覇の喜びをよそにプレーオフに向かった、その第一戦近鉄は阪急投手陣を打ち崩し十七対三で下した。
 西本はこの一勝を大きいと思ったがこうも言ったのだった。
「あと二勝や」
「まだ一勝」
「それだけですか」
「そや、これからや」
 まだ一勝しただけと言ったのだった、そのうえでこうも言った。
「阪急は強い、一勝で浮かれられる相手やない」
「今日は大勝しましたけど」
「これで勢いには乗れん」
「そういうことですか」
「そや、あと一勝したらわからんが」 
 しかしというのだ。
「まだ一勝や、ひっくり返されるわ」
「ほな次の試合にこそ」
「意気込んでいきますか」
「そうするで」
 全く油断せずに第二戦に向かうのだった、だが。 
 その第二戦阪急の監督上田利治は山口高志、近鉄がドラフトで指名を獲得しつつも手に入れなかった彼をマウンドに送りこう言った。
「頼むで」
「はい、思いきり投げて」
「勝って来るんや」
「そうして来ます」
 一七〇あるかないかという野球選手としては小柄な身体でだった、山口は上田に応えた。そして。
 身体全体を使ったフォームで投げ込んだ、スリークォーターというのに一旦地面まで下がりそこから一気に上にホップする様なノビの速球を。
 ノビだけではない、球速は横から見えない程だった。一六〇キロは出ていると思われた。
 しかも球威も尋常ではなかった、キャッチャーのミットに入る度にドスーーーーン、という凄い音が球場に響いた。
 その剛速球を打てる者は近鉄打線にはいなかった、まさに手も足も出ずだ。
 近鉄は阪急、もっと言えば山口に敗れた。そして。
 阪急はこの勝利で勢いを得てプレーオフを一気に勝ち進みシリーズ出場を決めた。西本は喜びに湧く阪急ナインを見て言った。
「うちに山口がおったらな」
「うちが勝ってましたね」
「絶対に」
「そして土井もおったら」
 彼もというのだった。
「山口も打てた」
「山口と土井がおったら」
「それで」
「うちは勝ってた、しもたわ」
 西本は自分のミスを認めた。
「この二つのミス、忘れんわ」
「そして来年ですか」
「また」
「ああ、挑戦や」
 こう言って今年のグラウンドを去った、西本は近鉄何よりもこのチームを率いる己の力の至らなさを噛み締めつつそうしたのだった。


第三話   完


                       2016・8・24 

 

第四話 苦闘の中でその一

                 第四話  苦闘の中で
 昭和五十年のプレーオフで近鉄は力及ばず敗れた、来年こそはとなったがそう簡単に進める程野球も世の中も甘くはない。
 選手層の薄さ、それが何よりも出てだった。近鉄は翌年は四位に終わった。
「やっぱりなあ」
「去年はまぐれか」
「後期の優勝は」
「たまたまか」
 ファン達もがっかりとした。
「阪急と全然ちゃうわ」
「選手層が薄いわ」
「若くてもまだな」
「力がないわ」
「どの選手もな」
 西本が毎日教えている佐々木や平野、栗橋、石渡、吹石、島本、羽田、梨田、有田といった面々を見て言うのだった。
「何かな」
「今一つやな」
「ピッチャーも伸び悩んでるし」
「太田も仲根も」
「井本もな」
「阪急と全然ちゃうわ」
 かつて西本が率いていて同じ関西で親会社もまた鉄道会社であるというまさにライバル関係にあるといってもいいこのチームとは、というのだ。
「南海よりもあかんな」
「あそこもそこそこやしな」
 このチームも関西にあり親会社は鉄道会社だ。
「何かぱっとせんな」
「昔の万年最下位やないだけましか」
「百敗した頃よりもな」
「まだBクラスだけでな」
「ましか」
「あの時を思えば」
 こう言うのだった、結局去年のことはたまたまだと思っていた。投は鈴木打はジョーンズがいるが後が、だった。
 今一つだ、阪急との力の差は歴然と思われていた。ここでも土井を放出して山口を獲得しなかったせいだと言われた。
「あの二人がいたらな」
「違ったのにな」
「もう言うても仕方ないにしても」
「優勝出来たかもな」
「あの二人おったら」
 ぼやきさえ出ていた、とかく近鉄はまたぱっとしないチームに戻った。だが西本はそうした状況でもナイン達を叱咤し毎日激しい練習をさせた。
 そしてだ、グラウンドで厳しい顔で言うのだった。
「王や長嶋みたいな選手はそれこそ滅多におらん」
「はい、流石に」
「同じプロでもです」
「あの二人は別格です」
「決定的に違います」
「そや、あの二人はまたちゃう」
 西本はコーチ達にも記者達にも言った。
「プロ野球選手の中のプロ野球選手や、けど並の選手でもや」
「練習せんと」
「あきませんな」
「駄目なままで」
「進歩がないですか」
「練習していけばや」
 それでというのだ。
「芽が出る、人間努力せなあかん」
「そやからですね」
「毎日激しい練習して」
「キャンプでは野球漬けで」
「泥だらけになって野球してますか」
「走って投げて振ってや」
 そうしてというのだ。
「やってくしかないんや、幾ら今があかんでも」
「練習はしていく」
「絶対に」
「そうしていきますか」
「この連中には何度でも同じこと言うて同じことさせる」
 そして実際にそうしている、言ったことは必ず実行するのも西本だ。まさに頑固一徹と言っていい人間なのだ。
 彼は選手達を激しく叱咤し続け練習をさせた、その四位の中でも。
 眠ったままの巨獣だの未完のままの大器と言われた羽田もだ、昨年は殴ってでも教え込んだ。とにかく彼の教えられる全てを選手達に叩き込んだ。 

 

第四話 苦闘の中でその二

 特に梨田にだ、彼はバッターとしてだけでなくキャッチャーとしてもあらゆることを要求し教えた。
「ピッチャーのことも相手のバッターのことも見てリードせえ」
「盗塁は半分は刺せ」
「キャッチャーでも打つんや」
 何度も何度も言い彼には特に厳しかったという。
 その梨田への教育を見てだ、ファン達は言った。
「あいつは一番怒られてるな」
「何でやっていう位にな」
「あいつの尻には西本さんのスパイクの跡付いてるんちゃうか」
「キャンプの時は回し蹴り受けたらしいで」
「バッティングがあかんで」
「最初にもビンタ受けてたしな」
 ファン達の間でもこう話された、とかく梨田への教育は徹底していて彼をメインのキャッチャーで使っていこうとした。
 そしてだ、もう一人のキャッチャーである有田もだ。
 エースの鈴木と組ませだした、この組み合わせについては多くの者が首を傾げさせた。
「鈴木と有田か」
「気の強い者同士やな」
「鈴木にも梨田って思うけどな」
「ピッチャーに合わせる梨田やろ」
「何で有田なんや?」
「有田は太田とかの方がええんちゃうか」
 しかし鈴木には有田となった。
 そのうえで投げさせているとだ、鈴木本人が西本に言った。
「わしにしてもキャッチャーがアリの方がです」
「ええか」
「はい、ナシよりも」
 梨田よりも有田だというのだ。
「アリのミット見てるとカッカして燃えますねん」
「ナシはピッチャー庇うからな」
 それは何故かとだ、西本は鈴木に答えた。
「自分がリードしてピッチャーが首振って打たれてもな」
「あいつはそうします、けれどアリは」
 有田、彼はというと。
「どんどん強気のリード要求してきて」
「しかもやな」
「こっちが首振って打たれても庇いません」
「自分の言う通りにせんかったから打たれたってわしに言うわ」
 監督である西本にもというのだ。
「あいつはピッチャーを庇わん」
「それでわしが悪いことになります」
「そやから腹が立ってか」
「何くそってなります」
 有田のミットを見ているとだ。
「それで力一杯投げられますから」
「アリの方がええんやな」
「試合でバッテリー組むんやったら」
「わかった、ほなこれからも御前の女房役はアリや」
 西本は鈴木に確かな声で答えた。
「それで御前が力出せるんやったらな」
「正直腹立ちますけどそれでお願いします」
 鈴木もこう言ってだ、鈴木が投げる時のキャッチャーは有田になり普段は梨田ということでほぼ決まった。
 外野手の小川は足が遅くなってきてしかも若い外野手が成長してきたことでファーストにコンバートされ羽田がサードに定着した。石渡をショート、吹石をセカンドに置き外野は平野、佐々木、栗橋、それに島本を使い代走として藤瀬史郎が注目されだした。
 だが五十一年は前述の通り四位だった。ジョーンズは二度目のホームラン王を獲得したが三振が多く打率は悪いままだった。
 そして翌年はそのジョーンズも極度の不振に陥り打線はリーグ最低の打率でありまたしても四位となった、だが。
 このシーズンだ、西本はある者を迎えていた。
 米田哲也、西本が阪急を率いていた時の右のエースだった男だ。ガソリンタンクと呼ばれ無尽蔵とも言えるスタミナで故障することなくヨネボールという独特の変化球を武器に投げ続けた。
 阪急から阪神に移籍していたがここでだった。
 近鉄に移籍したのだ、その米田に西本は言った。
「もう御前も限界やろ」
「はい、もう今年で」
 米田も西本に答える。
「引退です」
「そやな」
「けどその前に」
「わかってる、あと二勝やな」
「それで三百五十勝です」
 大台である、米田はこれまで投げ続け歴代二位右投手としては最高の三百四十八勝を挙げている。だがあと二勝でなのだ。 

 

第四話 苦闘の中でその三

 その大台だ、それで西本にも言うのだ。
「ですから」
「やれるな」
「やります、そして何といっても最後のシーズンになりますさかい」
 それでとだ、米田は西本にこうも言った。
「監督のとこに来ました」
「わしとか」
「はい、最後の一年一緒にしたくて」
「そうか、それやったらな」
「宜しくお願いします」
「三百五十勝やるで」
 西本は微笑み米田に言った、そしてだった。
 このシーズン西本は彼も戦力に加えて戦った、さしもの米田も年齢の衰えは隠せず往年のスタミナも変化球のキレもない。
 だが一勝してだ、ファン達は言った。
「あと一勝か」
「あと一勝で三百五十勝やな」
「やってくれよ、三百五十勝」
「大台に届いてくれや」
 誰もが願う様になった、それは近鉄ファンだけでなく。
 多くの野球ファンが願った、そしてだった。
 米田は遂にもう一勝を挙げた、それがだった。
 大台、三百五十勝だった。そに勝利を掴んでだ。
 米田は男泣きした、西本はその彼を笑顔で迎えてこう声をかけた。
「ヨネ、よおやった」
「やりましたわ」
「これまでホンマによおやった」
「これで悔いはないです」
 泣きつつだ、米田は西本にこうも言った。
「引退します」
「そうするか」
「最後は近鉄で引退するなんて」
 阪急時代は敵であり多く勝ってきたし敗れもしてきた。同じ在阪球団として南海と共に思い入れのある相手だった。
「しかもそこで監督と一緒にやれたいうのも」
「縁やな」
「そうですわ」
「これも野球や」
 西本は明るい声で米田に話した。
「こうした時に一緒にやれるのもな」
「そうですな、縁ですわ」
「ほなこれからはな」
「選手とは違う形で」
「野球やるんやな」
「そうします、今まで有り難うございました」
 米田は近鉄でユニフォームを脱いだ、阪急時代はエースナンバーの十八番だったが近鉄では十一番だった。
 そのユニフォームを脱いだ、この五十二年も近鉄は四位であった。そして。
 西本は来る日も来る日も自ら動き選手達を教えていた、羽田や栗橋にトスを行いそのボールも打たせていた。
 そのうえでだ、昭和五十三年のシリーズを迎えることになるが。
 西本はキャンプを終えてだ、記者達に言った。
「スズの調子もええ、若手も育ってきた」
「ほないよいよですか」
「五十年の借り返しますか」
「優勝しますか」
「今度こそ」
「ああ、やったるで」
 こう言って開幕に挑む、実際に若手は昨年とは全く違って打つ様になり特に佐々木が好調だった。そして。
 エース鈴木は西本の言う通り好調だった、しかもただ好調なだけでなく。
「また勝ったな」
「しかも完投でや」
「どんどん勝ってくやないか」
「もうあかんって思うてたのに」
「完全復活や」
「そうなったわ」
 速球派から技巧派に完全に転向してだ、それが完全に生きだしたのだ。
 ストレートだけでなくカーブにフォーク、そこにスライダーとシュートを使った左右の揺さぶりも入れてだ。鈴木は持ち前のコントロールも生かして技を使って投げていた。
 そこに有田の強気のリードも加わってだ、完投勝利を重ねていった。
「前から山田とどっちが上かって思てたけど」
「今は鈴木の方が上やな」
「鈴木が投げたら勝てる」
「もうそうそう打たれへんで」
 こうした安心感がファンの中に生じていた、そして。
 前期は阪急が優勝したが後期は。
 西本はまずユニフォームを変えた、これまでの白地に赤と青の三色の配色は踏襲しているが細部を西本自ら変えてだ。
 これまでどのチームにもなかった様な派手なものにした、特に帽子が変わってだった。
 猛牛の、岡本太郎がデザインしたエムブレムを軸にしたその帽子を見てだった、ファンも記者も驚いた。 

 

第四話 苦闘の中でその四

「これはまた派手な」
「前から派手なユニフォームやったけど」
「また目立つな」
「随分なユニフォームにしたわ」
「気分一新か」
「それで試合に挑むんやな」
 こう解釈した、この派手なユニフォームは今も尚語り草になっている秀逸なデザインであるがこの時にはじまっている。
 そのユニフォームになって近鉄は後期を戦いはじめた、その中で。
 鈴木は後期も絶好調だった、勝率も防御率もかなりのもので明らかに彼が快進撃の原動力だった。その鈴木に引っ張られる形で。
 九月二十三日の試合となった、この時近鉄は首位にあった。二位阪急とは〇・五ゲーム差と首の皮一枚であるが首位にあり。
 この日の試合に勝てば近鉄の後期優勝が決定する、対する相手は二位である阪急因縁あるとしか言えない相手であった。
 だが西本はこう言い切っていた。
「今のスズはそうそう打てんわ」
「阪急打線でも」
「どのチームの打線でも」
「阪急のピッチャーもええが」
 相手の投手陣の話もするのだった。
「今のスズには束になっても勝てへんわ」
「そやからですね」
「試合、安心して観ていられる」
「今度の試合は」
「三年前は負けたけど」
 プレーオフの話をあえてしてみせた。
「今度はわからんで」
 こう言ってその後期最後の試合に赴くのだった、だが。
 鈴木はその最終戦を前にして緊張のあまり眠れなかった、対する阪急は山田が投げる予定だったが山田は明日打たれてもプレーオフがあると思い切り風呂に入って爆弾を抱えている膝を温めてから寝た。そして。
 その最終戦に挑む、試合がはじまる前にコーチの一人が西本に険しい顔で言った。
「監督、スズの身体がガチガチです」
「昨日緊張して寝られんかったか」
「そう言うてます」
「そうか」
 そう聞いてもだ、西本は静かに頷くだけだった。最早ここでどうこうしても何もならないとわかっているからだ。
 だから西本は鈴木の登板も変えなかった、彼以外に今の阪急に勝てるピッチャーが近鉄にいないこともわかっていたからこそ。
 相手のピッチャーは間違いなく山田が出て来る、こうした正念場はやはりどちらもエースを出して来る。ましてや阪急は三割打者が四人いる強力打線だ、人材も揃っている。しかもその人材達の中核は殆どがだった。
 山田にはじまり福本、加藤、大橋、高井、中沢、今井、足立と誰もが西本が手塩にかけて育てた選手達だ。このシーズンでは出番は減っていたが大熊と長池も然りだ。
 そこに蓑田浩二や助っ人のマルカーノ、ウィリアムス達がいて何よりもあの山口高志もいる。隙のないチームだった。そしてその隙のないチームを作ったのが西本本人なのだ。
 彼自身が作った阪急ナインは賑やかに三塁側のベンチに入った、こうした試合はどうしても緊張するものなので阪急の監督の上田利治があえてそうさせたのだ。
 上田もまた名将だ、学生時代は阪神タイガースにおいて背番号十一を背負いまさに命を燃やして投げた不世出の大投手村山実とバッテリーを組んでいた。熱くなり燃え上がる村山を冷静な頭脳でリードしてきてプロ野球でもその頭脳を買われて入りコーチ生活が長かった。
 監督になるとその頭脳と温和な性格それに人を見抜く目を以て阪急を三連覇させた、西本が作り上げた阪急を見事に率いていた。
 その上田の智略が功を奏した、阪急の力はいい具合に抜けていた。だが。
 近鉄は違っていた、大勝負を前に緊張して硬くなっていた。鈴木もそうだったがナイン全体がだ。ここで西本は気付いた。
「スズともう一人、打線を引っ張ってこうした雰囲気を破れる人間が必要や」
 だがそうした人物はいない、今思っても。西本は手持ちの戦力で戦うしかなかった。
 一回裏近鉄はその硬くなった中で山田の立ち上がりを攻めて一点を先制した。そこからさらに攻めて有田、この日はキャッチャーの座を梨田に譲り勝負強いバッティングを買われ指名打者に入っていた。その彼が勝負強さを発揮して三遊間に強打を放った。
 誰もが抜けた、と思った。しかしアナウンサーがそのプレイを見た瞬間に叫んだ。
「ショート大橋横っ飛び!」
 その絶叫と共にだった、阪急のショートである大橋譲が横に飛び有田の打球を取った、そのうえで。
 ファーストに向けて矢の様な送球を放った、間に合うかどうか微妙なタイミングだったが。 

 

第四話 苦闘の中でその五

「アウト!」
 有田はアウトになった、ファン達は一瞬有田の鈍足を呪ったが。
 その次の瞬間にわかった、そのショートを見て。
「ちゃうわ、有田の足が遅いんやないわ」
「大橋やからな」
「あんな打球大橋しか取れんわ」
「そのうえでアウトに出来るってな」
「大橋しかおらんわ」
 まさにその通りだった、一代の名ショート大橋の守備が凄過ぎたのだ。この大橋も西本が見出し東映から阪急に当時阪急のショートだった阪本敏三、奇しくも今は近鉄のベンチにいる彼と交換で獲得した選手だった。
 その大橋のファインプレイで試合が変わった、あそこで点を取れば追加点だけでなく山田を崩せるかも知れなかった。だが山田はこれで立ち直り。
 アンダースローからのストレートとシンカーで近鉄打線を抑えていく、それに対して。
 鈴木は三回に一失点、五回に遂に逆転された。鈴木は踏ん張るが打線は復調した山田を打てない。山田は実は鈴木と共に本塁打を浴びることの多いピッチャーだったがこの試合ではそれもなかった。
 途中西本は判定を巡って審判にも抗議した、その抗議が審判を怒らせ危うく試合が流れそうにもなった。西本は明らかに勝ちにいき熱くなっていた。
 しかし試合は無情だ、野球というスポーツ自体が時として。
 阪急は一点リードで迎えた八回表だった、ツーアウトだったが。
 塁に出ている福本、世界の盗塁王と呼ばれる彼に盗塁を許したこともあり気が乱れていた、そこに勝負強い四番のマルカーノを迎えていた。
 マルカーノは四番の仕事を果たした、持ち前の勝負強さを発揮して鈴木のボールをスタンドに叩き込んだ、ここに勝負はあった。
 次の長池にヒットを打たれたところで西本はマウンドに向かった、ピッチャー交代を告げてから。そのうえで鈴木に対して言った。
「スズ、ご苦労さん・・・・・・」
 肝心な時、優勝がかかっている試合に打たれたそのエースを怒らなかった。普段は常に怒る西本だがそれは選手達を思えばこそだ。
 だからこうした時には怒らない、これまで足立も山田もシリーズの正念場で打たれてきた。だがその時も西本は怒らなかった。
 昭和四十六年のシリーズ第三戦で王貞治に逆転サヨナラスリーランを浴びた山田はマウンドにうずくまり動けなくなった、その彼も西本は一人迎えに行きこう言って泣く山田をベンチまで連れて帰ったのだ。
 だから鈴木がこれまで阪急、彼が育てたチームだけあり彼が最もその強さを知っているこのチームも他のパ・リーグのチームとも首位で戦ってこれたのは彼の力故にとわかっているからだ、打たれた彼にこう言ったのだ。
 鈴木はマウンドを去った、そして藤井寺の喧騒が聴こえるロッカーの中で一人うなだれた。
「またわしはこうした時に打たれたんやな」
 振り返れば常にと思う、その西本が率いる阪急と戦っていた時もそうで今もだ。今日こそは勝ち西本を胴上げしたかった。自分を技巧派に生まれ変わらせてくれて復活させてくれた誰よりもチームのことを考えている彼を。
 だがそれが出来ず鈴木は泣いた、近鉄は一点を返したがそれまでだった。山田は完投で一五〇勝の節目を迎えた。
 この試合で最後であり近鉄ナインは球場の食堂で納会となった、勝っていればそこで優勝を祝っていたがそれはなかった。
 西本はその席で選手達だけでなく裏方のスタッフ達にまでビールを注いで回った。
「この一年有り難う」
 この時にこれまで打たれて落胆していた鈴木は西本の異変を感じ取り立ち上がって言った。
「監督、辞めんといて下さい!」
「・・・・・・・・・」
 西本は何も言わない、だが鈴木はさらに叫んだ。
「わし等見捨てんといて下さい!」
 誰もが西本が辞任を決意しているのがわかった、西本はこの時は何も言わなかったが。
 次の日のスポーツ新聞の一面には西本退団の見出しが載った、これを観たファン達は仰天した。
「辞めるって」
「そういえば体調悪いって噂あったけど」
「監督のコメントやとまた来年とか思えんってあるけそ」
「西本さんらしいにしても」
「西本さん以外に誰がおるんや」
「近鉄の監督はあの人しかおらんやろ」
 誰もがこう言った、そしてそれはフロントも同じだった。
 佐伯はフロントの重役達を本社に読んでこう言った。
「他におらん」
「西本さん以外には」
「近鉄の監督はいませんね」
「あの人しかおらん」
「他の人は考えられません」
「あの人以外の誰も監督にせん」
 佐伯はこうも言った。
「わしが行く、わしが直接西本君と話をする」 
 こう言ってだ、佐伯もフロント全体も動いてだった。西本の慰留に必死に動いた。それはナインもファン達も同じだった。
 誰もが必死に西本に訴えかけ西本も遂にだった、その辞意を撤回した。そのうえでこう言った。
「来年こそは」
 こう言って翌年、昭和五十四年のシーズンに向かうのだった。その年は近鉄のとって球団創設三十年目の節目だった。そのはじまりに西本はかつて手放した二人の選手達にも匹敵するかそれ以上の選手達を手に入れるのだった。


第四話   完


                            2016・8・28 

 

第五話 主砲とストッパーその一

                 第五話  主砲とストッパー
 西本はブルペンで投げるピッチャー達のうちで長身で目尻を決した大きな口の若い投手を見てコーチ達に言った、背番号二十九山口哲治だ。
「山口はええな」
「はい、速球も生きてますし」
「シュートの切れ味もいけます」
「あれはええピッチャーですね」
「気も強いですし」
「あいつ使っていくで」
 西本はコーチ達に言った、そして。
 昭和五十三年のシーズンは阪急は前期後期共に優勝しプレーオフもなく万全の調子で日本シリーズに挑んだ、相手は巨人の名ショートだった広岡達朗率いるヤクルトスワローズ、広岡の徹底した管理野球で長嶋巨人を見事倒し初優勝を遂げたチームだ。
 広岡は巨人についてこう言い切った。
「決して怖い相手ではない」
「あの巨人がですか」
「怖くないですか」
「長嶋君の采配にはミスが多い」
 広岡は長嶋を常に『君』付けで呼ぶ、巨人時代三遊間を組んできた同じチームの先輩だからこう呼ぶがそこには完全に飲んでいる、彼のことをわかっているという意識もあっただろうか。
「そのミスを選手達がカバーしているだけだ」
「カンピューターですか」
「ミスターの勘ですね」
「野球は勘でするものではない」
 広岡はこの持論も出した、データとセオリーを重視したうえで徹底的な選手の管理を行ったうえで戦うのが彼の野球だ。
「それではミスが多いのも当然だ」
「それで怖くないんですか」
「ミスターを選手がカバーしている」
「それだけですから」
「しかもそれが出来ているのは九連覇の選手達だけだ」
 かつての栄光の時代のというのだ。
「王君をはじめとしたな、若手は出来ていない」
「だからですか」
「巨人も恐れることはないですか」
「じゃあうちも」
「優勝出来るかも知れないですか」
「出来るかもではない、するのだ」
 広岡はそれを当然だと言い切った。
「他のチームのことも調べてある、今シーズンはヤクルトが優勝する」
「まさか」
 ヤクルトの選手達は誰もがこう思った、何しろ昨年の二位が球団創設以来の成績だったのだ。それでどうして優勝なのか。
 だが広岡は選手達を上手に使い相手のデータを調べ尽くしたうえでの攻略を行っていき巨人も実際に長嶋の采配ミスを衝いていき勝利数を増やしていき。
 遂に優勝した、そのうえで阪急とのシリーズに挑んだ。この勝負は多くの者が阪急有利と見ていた。しかし。
 阪急はこの時山口を怪我で欠いていた、このことが阪急の戦力ダウンになっていた。それでも阪急有利であったが。
 広岡は冷静に勝負を進めていった、ナインの奮起もあり勝負は第七戦にまでもつれ込んだ。その第七戦において。
 ヤクルトの主砲大杉勝男のホームランの判定を巡って上田は猛抗議した、その抗議は一時間以上続いてだった。
 コミッショナーまで出て来て上田を説得にかかったが日本一がかかっている試合だ、上田も退かない。それでコミッショナーも激怒する事態にまでなった。
 そうした騒動もあったがヤクルトは日本一になり阪急は四連覇を逃した、この抗議のこともあり上田はリーグ優勝を果たしながらも監督を辞任し後任には阪急の左のエースだった梶本隆夫が就任した。
 阪急は優勝しながらも騒動が起こったがこれは日本一になったヤクルトもだった。広岡は確かに理論派でありその理論は正確だ。そして誰よりも野球を愛している人物でもある。
 だが難を言うとあまりにも我が強いということか、とかく己の理論を引っ込めない。己の意見を言わずにはいられず監督等の要職にあるとその主張の実践をせずにいらないのだ。
 それはこの時も出ていた、後にも出るが。
 守備力を重視していることからだ、大杉と並ぶチームのパワーヒッターであるチャーリー=マニエルについてだ。 

 

第五話 主砲とストッパーその二

「あの守備は駄目だ」
 こう言ってだ、放出を主張したのだ。確かにマニエルは守備は悪いがそのバッティングを知っている多くの者が止めようとした。
 しかしだ、結局マニエルは放出することになりこの話を聞いた西本はすぐに動いた。
「マニエルがおればちゃう」
「はい、打線に厚みが出来ますね」
「栗橋や羽田も長打を安定して打てる様になりましたし」
「佐々木や平野も前よりパワーが出ました」
「キャッチャーの梨田や有田もパワーがありますけど」
「主砲となると」
「そや、あの男は主砲になるで」
 チームのというのだ。
「文句なしに四番を任せられる」
「そやからですか」
「マニエル獲得しますか」
「そうしますか」
「ああ、守備が悪くてもええ」
 何故こう言い切れるかはパリーグの事情からだった。
「指名打者があるからな」
「四番指名打者でいきますか」
「それやったら何も問題ありませんし」
「マニエルは四番指名打者」
「それでいきますか」
「ああ、そうなってもらうで」
 こう言ってだ、西本はマニエル獲得に動いた。広岡も最初からマニエルを放出するつもりであったしマニエルも自身が守備は苦手とわかっていたので願ったり叶ったりだった。
 それでマニエルの近鉄への移籍はすぐに決まった、マニエルは近鉄に入ってからすぐのキャンプで早速西本と打ち解けた。
 それでだ、記者達にこう言った。
「ミスターニシモトはメジャーでも通用する」
「そこまでの人ですか」
「西本さんは」
「そう思う、マインドがある」
 こう言うのだった。
「人間味が他の人と違う、俺はミスターニシモトの為にファイトをする」
 こう言ってだ、西本に心酔し打線の中核となった。マニエルはメジャー仕込みのバッティングを見せその人柄もありナイン達に慕われる様になり鈴木と共にチームの柱となり『マニエルおじさん』とまで呼ばれる様になった。
 キャンプの中で近鉄は昨年とは全く違う、長所をさらに伸ばし短所をカバーしているチームに変貌した。そして。
 シーズンを迎えると違った、四番のマニエルがとにかく打った。
 ホームランだけでなく安定した打率と勝負強さもありだった。ここぞという時に打ちチームを勝利に導いた。 
 しかもだった。
 マニエルが打つと他の者も打つ、打線は相乗効果を醸し出しこれまで今一つ芽が出ていないと言われていた若手達が一斉に成長したのだ。
 ここにいてまえ打線が誕生した、次から次に相手を打ち崩す長打を連続して叩き出す強力打線が姿を現した。
 投手陣も鈴木の他にだった。
 井本に村田辰美、柳田が成長して安定したものになっていた。土井を放出してまで獲得した柳田がここで完全に開花したのだ。
 今の近鉄に敵はないかと思われた、実際に近鉄は驚くまでの快進撃を続けた。前期は近鉄で決まりだと思われた。
 二位阪急に五ゲーム以上の差をつけたうえで前期マジックは一桁に迫ろうとしていた。三十四十二敗四引分という圧倒的なものだった。
 そのうえで六月九日に日生球場においてロッテとの試合を行っていた。この西本は一つの決断を下していた。
「スズをですか」
「そや、考えたけどな」
 そのうえでの判断だとだ、西本は言った。
「ちょっと治療に専念させてや」
「左腕が痺れてるんで」
「去年投げ過ぎたせいか」
 それではないかというのだ。
「利き腕に痺れがあるっていうからな、それにや」
「痛風もありますし、スズには」
「今は酒は白ワイン飲んでますけど」
「昔はビールを浴びる様に飲んでましたし」
 同じ左腕で関西の球団にいた江夏豊と親しいので二人でビールをしこたま飲んでいたのだ。ビールが痛風に悪いことは言うまでもない。 

 

第五話 主砲とストッパーその三

「その影響かそれもありますし」
「用心してですか」
「治療に専念させますか」
「ベンチにおるとどうしても投げさせてしまう」
 エースをというのだ。
「それやったらあかん、そやからな」
「スズはここで、ですか」
「二軍に落として」
「そのうえで」
「またスズが必要な時がある」 
 シーズン、後期までを見ての言葉だった。
「今は無理をさせる時やないからな」
「ほな今は打線で勝ちますか」
「打線の力で」
「そうしますか」
「ああ、うちにはもう一人柱が出来た」
 ベンチにいるマニエルを見ての言葉だ。
「スズがおらん分まで頑張ってもらうわ」
「それでは」
「今日も勝つで」
 西本はこう言って今は確実に前期優勝に向けて一つ一つ勝っていこうと考えていた、だが。
 五回裏の近鉄の攻撃の時にあってはならないことが起こった、それは。
 この回の先頭バッターはマニエルだった、その打線の中心である彼だった。その彼に対してだ。
 ロッテのピッチャー八木沢荘六は投げたがそのボールがだった。
 マニエルに向かった、その瞬間八木沢の顔がしまった、というものになった。
 ボールはマニエルの顔、それも顎に向かった。マニエルは避けようとしたが突然のことで避けられなかった。
 正面からマニエルの顎を直撃した。その瞬間顎の骨が砕ける嫌な音が球場に響いた。
 誰もが動きを止めた、明らかなデッドボールだった。だがそれで終わらないこともまた明らかだった。
 マニエルは顎から血を流しつつマウンドで呆然となっている八木沢に向かおうとした。しかし顎のダメージでしゃがみ込んでしまい。
 動けなくなった、その彼にナインが一斉に駆け寄ってだった。
 マニエルは担架で病院に担ぎ込まれた、マニエルは彼を見送る西本に言った。
「ミスターニシモト、俺は必ず戻って来る」
 このことを約束するのだった。
 そのうえでだ、顎の痛みと傷から出る血の痛さに苦しみながらも西本にさらに言った。
「それまで待っていてくれ!」
「わかった、待ってるで」
 西本も約束した、そしてだった。
 マニエルはそのまま入院した、予想通り重傷で暫く退院も出来なくなり彼は自身の病室に八木沢のユニフォームをかけてだった。
 そのうえで闘志を燃やしつつ復帰し再び近鉄の選手として戦おうとしていた。だが。
 近鉄はこの時からだった、明らかにこれまでとは変わった。
 マニエルがいなくなり鈴木もいない、そうなってだ。
 急に勝てなくなった、優勝も間近であったが。
 打たれ打てずエラーが続く、それに対して阪急はここで蘇った。エースの山田が抜群の安定感で勝利数を挙げ続け。
 近鉄とのゲーム差を縮めるどころではなかった、そこからさらにだった。
 逆に首位にさえ立った、この状況にファンは激怒した。
「マニエルおらんかったらこれか!」
「スズもおらんようになってか!」
「そういしたらこれか!」
「この有様かい!」 
 今日も負けた近鉄ナインに対して叫ぶ。
「優勝するんちゃうんか!」
「また阪急に負けるんか!」
 このことは記者達も言う、しかし。
 西本はその言葉を背中で受けて去るしかなかった、その近鉄を育ててきたのは彼自身なのだから。だが。
 対する阪急にいた西本の弟子の一人とも言える加藤は違った、彼は負けて項垂れて球場を去る近鉄ナインに対して激怒している顔で叫んだ。
「何やっとんじゃ御前等!今日も不細工な試合しおって!」
 こう彼等に叫ぶのだった。
「そんなことやっとたらこっちが勝ってまうぞ!」
 こう叫ぶ、この言葉が届いたのか。
 近鉄は何とか粘ってだった、前期最終戦の大阪球場との南海との試合に勝つか引分かで優勝となった。
 だが近鉄ナインは既に疲労の極みにあった、阪急に追いつかれる中を何とか鈴木とマニエル抜きで戦ったのだ。 
 ここまでは凌げた、だが。
 エースと主砲抜きで戦った疲労はかなりだった、その彼等を見て西本は心から思った。 

 

第五話 主砲とストッパーその四

「今日はせめてな」
「雨が降ってますし」
「中止になって欲しいですね」
「ここは何とか」
「そうなって欲しいですけれど」
「さもないとこの状況で試合をしたらや」
 そうすればというのだ。
「勝てるもんやない」
「はい、とても」
「それは無理です」
「この状況では」
「とても」
「何とか中止になって欲しい」 
 今日ばかりはというのだ。
「ほんまに思う」
「けれど何か」
「雨が弱まってきました」
「このままですと」
「もう」
 雨が止んで試合が行われるのではないかとだ、コーチ達は危惧した。そして雨は止んでしまった。だがそれでもだった。
 南海の監督であり広瀬叔久は審判にだ、こう言った。
「雨でグラウンドがびしゃびしゃで野球できへん」
「そやからですか」
「そや、今日は中止にしてくれるか」
 こう審判に申し出るのだった。
「そうしてくれるか」
「雨止んでますけど」
 審判は眉を曇らせて広瀬に返した。
「それでもですか」
「・・・・・・わかるやろ」
 ここで小声になってだ、広瀬は審判に囁いた。三塁側の近鉄ナインを見て。
「万全の状況で戦うのがや」
「スポーツ選手やから」
「お客さんが来てくれてるけど近鉄は優勝かかってるしな」
 それだけにというのだ。
「万全の状況で試合をしたい」
「ほな今日は」
「中止でな」
「わかりました」 
 審判も広瀬の心を汲んで頷いた、こうしてだった。
 試合は中止になった、双方のファン達はそう言われてまずはがっかりしたが。
 ここでだ、すぐにこう考えを切り替えた。
「明日やな」
「明日があるわ」
「明日試合があるわ」
「それ観ればええわ」
「ほな帰ろか」
 こう言って去る、その球場の中で。
 西本は思わず広瀬に仕草で礼を言った、広瀬もそれを受けてだった。そのうえで球場を後にした。
 西本はナイン達にだ、こう言った。
「今日はゆっくりと休むんや」
「わかりました」
「そうさせてもらいます」
 ナイン達も頷いてだ、そのうえで。
 近鉄ナインはこの日はゆっくりと休んだ、そしてあらためて六月二十三日に試合が行われた。その試合に西本は左腕の村田を送った。
 南海は佐々木宏一郎だった、かつて近鉄にいた完全試合も果たしたピッチャーだ。そして南海ベンチにはかつて阪急、近鉄にいた阪本がいて近鉄ベンチにいる島本は南海にいた。西本はふとこのことについても思った。
「野球は因果やな」
「佐々木ですか」
「あっちのな」
 その佐々木を見ての言葉だ。
「阪本もおるし」
「そして島本は最初あっちにいましたし」
「これがプロ野球ですな」
「ほんまに」
「流れ流れてですわ」
「ああ、ジョーンズも最初はあっちやった」
 かつての主砲のことも思い出した。 

 

第五話 主砲とストッパーその五

「そしてわしは阪急におったしな」
「ほんま巡り巡って」
「移ってきますわ」
「そういうものやな」 
 ふとこうも思うのだった、そしてだった。
 試合がはじまった、試合は息詰まる投手戦となった。近鉄が先制点として一点を挙げたが南海も追いついて同点となり。
 そのまま動かなくなった、。そして。
 試合は進んでいった、西本はその試合の状況を見ながら眉を曇らせた。そのうえでコーチ達に言った。
「村田はすいすい投げとるが」
「はい、調子はええです」
「相手に的を絞らせてません」
「ええ具合に投げてますが」
「それでも」
「状況が似とるわ」
 西本は暗い顔で言った。
「去年の最後の試合とな」
「あの時と」
「そう言われますと」
「確かに似てますわ」
「村田もスズと同じ左腕ですし」
「追加点が欲しいわ」
 西本の本音だった、偽らざる。
「ホームランか何かで」
「はい、確かに」
「追加点が欲しいです」
「それで流れが変わります」
「一気に」
「若し相手に一点でも入ったら」
 そうなればだった。
「終わりや」
「追加点が入れば」
「ここで」
 誰もがそう思いはじめた、だが。
 近鉄はここから打てなくなった、そうして試合は終盤に入り八回裏南海の攻撃となった。
 これまで好投していた村田はピンチを招いてしまった、ツーアウトだがランナーは一塁二塁。しかも二塁ランナーは定岡智秋、当時巨人にいた定岡正二の兄であり俊足の内野手として知られていた。その定岡が得点圏にいてだった。 
 バッターは新井宏昌かと思われたがここで広瀬は動いてだった。代打に阪本を送ってきた。その阪本を見てだった。
 西本はこの試合の中で最も苦い顔になった、それが何故かというと。
「あいつは左に強い」
「それがウリですし」
「こうした時はやっぱり出て来ますか」
「ここで打たれたら」
「相手の狙い通り」
「ツーアウトや」
 西本はこのことも指摘した。
「定岡はその俊足で一気にホームに行くで」
「それこそ一気に」
「進みますやろな」
「頼むで」
 祈る様な気持ちでだ、村田を見た。
「ここは」
「はい、村田に任せましょう」
「それしかないですし」
 ここは動かなかった、ピッチャー交代も考えたが村田の調子は悪くない。下手に交代させてもそのピッチャーの中継ぎが怖い。
 だからここは村田に任せることにした、だが。
 左対右の相性そして阪本の左への強さがここでは出た、阪本は村田のボールをセンター前に打った、この瞬間だった。
「終わった・・・・・・」
 近鉄ファンの誰もが思った、球場に来ていた佐伯だけでなく西本もだ。二塁ランナーの定岡はツーアウトということもあり迷っていなかった、俊足を活かして三塁を即座に回る。
 南海の貴重な勝ち越し点だ、もう九回に近鉄が得点を得る力はない、これで勝負は決まったと誰もが思った。
 だがこの時だった、センターの平野が。
 ボールに猛然と突撃しボールをグラブに収め駆ける勢いのままに。
「させるかあっ!」
 この負けたくなかった、最後の最後で負けるのはもう沢山だった。プレーオフでも後期最終戦でもそうだった。 
 死ぬ様な練習をしてきた、全ては優勝の為に。平野はここで諦めたくはなかった。
 それでだ、ボールをセンターに向かって投げた、この一球に全てを駆けた。平野は渾身の力でホームにいる梨田に投げた。
 ボールは凄まじい速さでホームに向かった、そのまま梨田のミットに収まり。
 梨田はそのミットでホームに突っ込んできた定岡にタッチした、まさにホームでのクロスプレーだった。定岡はホームに突っ込んだ。その判定は。 
 誰もが固唾を飲んだ、アウトかセーフか。誰もが主審の声を待った。
 主審の手がゆっくりと動いた、その手の動きと声は。
「アウト!」
 この瞬間大阪球場を歓声が包んだ、誰もが一点が入ったと思ったが平野はそれをすんでのところで止めたのだ。
 このバックホームが試合を決めた、九回は双方共点を入れられず引き分けとなった。この瞬間近鉄の前期優勝が決まり花吹雪が舞った。 

 

第五話 主砲とストッパーその六

 佐伯は優勝を喜ぶナイン達を見て同行している者達に問うた。
「引き分けでも優勝やな」
「はい、そうです」
「近鉄は今優勝しました」
「そうなりました」
「そやな、優勝したんやな」 
 確認の為に問うたがその通りだった、佐伯はここでようやく優勝を認識出来た。
 そしてだ、ほっとした顔で言ったのだった。
「バファローズを持ってはじめてよかったって思ったわ」
 こう言った、そして西本は優勝インタヴューでこう言った。
「マニエルおじさんの遺産をドラ息子達が食い潰したわ」
「マニエル選手のですか」
「それをですか」
「そや、折角打ちまくってくれたのにな」
 そして勝利を重ねていったがというのだ。
「そうしてもうた、けど優勝した」
「はい、おめでとうございます」
「このまま後期もいくで」
 こう言ってだ、西本はこうしたことも言った。
「けど、人間の力はやっぱり凄いわ」
「人間の、ですか」
「それが」
「そや、平野はよおやってくれた」
 そのバックホームのことを言うのだった。
「あそこで決めてくれた、ほんま人間は凄いわ」
 平野のバックホームに心から喜んでいた、近鉄は苦労しながらも何とか前期優勝を決めた。その優勝を病室のラジオで聴いてだ、マニエルも笑顔で言った。
「ミスターニシモト、おめでとう」
 必ず帰ることを決意しつつだ、優勝を心から喜んだ。
 後期の近鉄は前期何とか優勝したがそこに鈴木とマニエルも戻ってきてだった、前期の前半程ではないが好調だった。ストッパーの山口は防御率もよく若い打線も成長していてだった。エースと主砲という軸が戻ったこともあり。
 後期も優勝かと思われた、だが今度はだった。
 阪急は最終戦でだ、今度は彼等が意地を見せた。
 九回まで劣勢だった、この状況にナインは苛立っていた。ここで敗れれば阪急は後期優勝を逃し近鉄は前期後期共に優勝となりプレーオフなしで日本シリーズに行くことになる。昨年の阪急がそうした様に。 
 このことは阪急にとっては意地でも避けねばならないことだった、彼等は昨年の日本シリーズでの雪辱を晴らしたかった。
 それでだ、九回になっても劣勢である状況に苛立っていた。ここで何とかしなければという思いが蔓延していた。
 そのナインにだ、加藤はネクストバッターサークルに向かう時に言った。
「わしまで回ってくれば何とかする」
「打ってくれるか」
「そうしてくれるか」
「ヒットを打つ時やったらヒットを打つ」
 そしてだった。
「ホームランを打つ時はホームランを打つ」
「それでか」
「やってくれるんやな」
「ああ、ここで勝ってや」
 そのうえでというのだ。
「プレーオフで近鉄倒すで」
「ああ、やったろうか」
「前期は近鉄が最後の最後で決めたしな」
「今度はわし等や」
「わし等がやるで」
「ダイジョーーブ!やれるよ!」
 マルカーノがここで笑顔で言った、彼はこうした時いつもこう言ってベンチの雰囲気を明るくする。この彼の明るさもまたチームを何度も救ってきている。
「カトウさんが決めてくれる!僕達はプレーオフに行くよ!」
「ボビーの言う通りや、決めるで」
 加藤はネクストバッターボックスに入り出番を待った、そして彼の出番が来た。しかも嘘を吐かなかった。
 加藤のバットが一閃した、打球は白い流星となりスタンドに入った。逆転サヨナラスリーランとなった。
 加藤はダイアモンドを回ってだ、ホームインしてだった。ナインのところに戻って言った。
「これで決めたな」
「そやな」
「よおやってくれた」
「わし等もプレーオフ行くで」
「そして優勝や」
 阪急もまたプレーオフ出場を決めた、近鉄と阪急は再びプレーオフで激突することになった。西本の目は既にこの運命の決戦に向いていた。


第五話   完


                      2016・9・1 

 

第六話 勝利の栄冠その一

                 第六話  勝利の栄冠
 近鉄と阪急のプレーオフは十月十三日にはじまることになった、決戦の場所は収容人数とナイター設備の関係で大阪球場となった。その決戦を前にしてだ。
 双方のファンはどちらもだった、笑いながらも対抗心を出して向かい合っていた。
「今度は近鉄が勝つで」
「あほ、阪急に決まってるわ」
「こっちは今はマニエルがおるんや」
「こっちの選手層は知ってるやろ」
「うちの山口のシュートはええで」
「うちの山口の剛速球また味わうんやな」
 互いに球場の外でプレーオフを前にして言い合っていた、マスコミもどちらが勝つかと戦力を分析していた。
「近鉄有利」
「阪急有利」
 それぞれ意見が違う、だがここで重要なことは。
 これがセリーグやシリーズでは常だがセリーグの順位予想ではまるで学校の教師の手抜きで作った試験の様に毎年巨人が優勝だ。そのうえ巨人に対する北朝鮮の世襲制の独裁者への賛美の様な気色悪い礼賛が入る。ここに二十世紀末からはそのまま北朝鮮の独裁者のオーナーへの礼賛も加わる。戦後の日本は高度成長と共にモラルを失ったと言われている。それはこの巨人礼賛にこそ最も顕著に出ているのではなかろうか。
 巨人が何をしてきたのか、それは日本のマスコミが北朝鮮の悪事を隠してきたことと同じく多くのマスコミに隠されてきた。二十一世紀になってようやくテレビや新聞といったマスメディアから情報を得ているだけではかえって頭が悪くなるということが理解されだした、マスメディアの意図に乗せられ偏向を偏向と思わず鵜呑みにしてしまい知識にしてしまうからだ。
 多くの野球ファンはその為巨人の悪事を知らず巨人を応援しているのだ、選手がいいといって応援するならいい、テレビや新聞、漫画に出ているからといって巨人を応援してはそれは野球を愛することとには絶対につながらない。
 毎年毎年巨人優勝との予想が出る、それも圧倒的に多く、戦力まで無視して。これで仕事が出来るのなら何と楽なことであろうか。自称落語家である野球落語を得意と吹聴しているシャモジを持ったうえで人様の家にあがり込んで只飯を喰らうが取り柄の芸も人間性も三流、いや五流と言っても甘いそれこそ最底辺の最底辺を極めた下劣極まる卑しい輩がこの世の中には存在しているがこの輩は球界再編の時巨人そしてそのオーナーに何処ぞの悪質極まるまさに北朝鮮の機関紙の日本版と言うべきタブロイド紙と共に媚を売り異論を唱える者を嘲笑していたがこうした輩が大手を振って歩けているのが今の日本の野球ファンである。普通の国ならばこうした輩は心底軽蔑されて淘汰されるが汚物が便所の隅に残る様に存在している。これでは日本のモラルも誇れない。
 巨人一辺倒の報道によりどれだけの正義、熱戦が顧みられなかったか。この落語家モドキだけでなくテレビで常に偉そうに喚く不倫の話では浮気をされた男が悪いと言い放つガチャ目でスキンヘッドの狂人もそうであるがこうした輩に巨人以外のチームのことがわかるのだろうか。巨人以外のチームは全て憎悪しているというが結構なことである。そこまで強い憎しみを持っていればさぞかしそこにあるモラルは著しく低いであろう。そういえばこの輩も北朝鮮が大好きである様であるがどうも巨人は北朝鮮と似ている様だ。独裁体制であることは同じだ、偏向しきっていて洗脳してくる宣伝等。日本人そして野球を愛する者はまず巨人の実態を知らなくてはならない。
 だがパリーグのペナントそしてこうした決戦の時は巨人がいないのでそうした偏向はなく正当な報道が為される。だからこそ近鉄と阪急も正当に分析と評価が為されてそのうえで議論が為されていた。前述の落語家モドキやスキンヘッドの男の様に巨人しか頭にない連中にこの様なことは出来ない。尚このシーズンでは巨人は五位だった。しかし巨人がやったことを考えるとこう思う者がいるのではないだろうか。巨人には無様な負けがよく似合う。少なくとも太宰治が巨人を見ていればどう思うかは想像する価値があるだろう。倫理観は確かであり偽善を嫌いそれを見抜く目はあった。そうした人物ならば巨人を否定していたのではないだろうか。
 その十月十三日大阪球場でだ、西本は先発を誰にすべきかと考えていた。
 セオリーでいくとエースの鈴木だった、このシーズンは十勝止まりと彼にとっては不本意なシーズンだった。やはり左腕の痺れが尾を引いた。
 その鈴木にすべきか他の誰かかと考えていた、その彼にだ。 
 投手コーチの真田重蔵、かつて松竹で今もセリーグ記録となっているシーズン三十九勝の記録を達成し現役生活通算で一七八勝を挙げノーヒットノーランを二回達成している大投手だった。コーチとしては確かな指導力とピッチャーの能力を見抜く目が評価されていた。その真田が推したこの試合での先発はというと。 

 

第六話 勝利の栄冠その二

「井本がええですわ」
「あいつか」
「はい、あいつは度胸がありますし勝ち運があります」
「度胸か」
「こうした時のあいつはええです」
 こう西本に言うのだった。
「そうですから」
「そうか、そやったらな」
「井本にしますか」
「決めたで」
 こうして井本が運命の第一戦の先発となった。その近鉄に対して。
 阪急はセオリー通りエースの山田を送ってきた、この先発のカードに球場にいるファン達もラジオを聴いている者達もだ。
 いぶかしんでだ、口々に言った。
「井本か」
「井本が第一戦の先発か」
「スズやないんか」
「相手は山田やっちゅうのに」
 阪急の山田、そして近鉄の鈴木はまさにライバル関係と言っていい。エース同士の対決でよく投げ合ってきた二人でもある。
 それで多くの者は近鉄は鈴木が出ると思っていた、だが。
 近鉄は井本を出してきた、多くの者がこれは大丈夫かと思った。
「井本か」
「まさか井本が出て来るなんてな」
「確かに今シーズン十五勝してるけどな」
「こうした大勝負の経験少ないしな」
「相手が山田やし」
「位負けしてるな」
「どうしても」
 この試合は大丈夫かとさえ思われた、だが。
 いざマウンドに立つとだ、井本は真田が言ったその度胸を発揮してだった。速球主体のピッチングで阪急打線を抑えた。
 対する打線はというと。
 四回、五回、七回、八回と小刻みに得点を重ねていった。確かに山田は優れたピッチャーである。だが彼には鈴木と同じ弱点があった。
 それは長打を打たれやすいということだ、二人共とかくホームランを打たれやすい。鈴木も山田の現役生活での被本塁打数は共に歴代一位と二位でありその数は三位以降を大きく引き離している。
 その山田の弱点が出た、彼は左バッターの小川と栗橋にホームランを浴びた。近鉄は八回までに五点を入れていた。
 井本は八回途中まで阪急の強力打線を散発六安打に抑えていた、そのまま完封出来るかと思われたが。
 八回で捕まり代打笹本信二にツーベースを浴びて一点を失い尚得点圏にランナーがいる。この状況でだった。
 西本は動いた、好投していた井本をここで降板させてだった。
 山口を投入した、この山口がだった。
 続く島谷をショートゴロのダブルプレーで打ち取りピンチを脱した。九回も無事に抑え近鉄の勝利を決めた。
 近鉄は第一戦を手に入れた、だが西本はこれで喜んではいなかった。
「あと二つや」
「あと二つ勝つまで」
「油断出来ませんか」
「相手は強い」
 阪急、彼等はというのだ。
「何というてもな」
「そやからですな」
「油断は出来へん」
「あと二つ勝って優勝決めるまでは」
「その時までは」
「そや、油断出来へんで」 
 こう言ってだ、そのうえでだった。
 西本は既に次の試合のことを考えていた、第二戦にだった。
 西本はマウンドに遂に鈴木を送った、今シーズンは確かに不本意な成績であったがやはり近鉄のエースは鈴木だ。このプレーオフで一試合は絶対に先発に送るつもりだった。
 その鈴木がマウンドに立つ、対する阪急の先発は白石静生だ。このカードで試合がはじまった。
 鈴木は一回表立ち上がりを攻められ一点を奪われた、だが彼はこの後は本調子になって阪急打線を抑えた。
 そして五回にだ、打線は遂にだった。
 白石を捕らえまずは小川がホームランを打った。彼はこのプレーオフで二本目のアーチだった。
 そこからもさらに白石を攻めて一打逆転の状況となった。バッターボックスに立つのは鈴木をリードする有田だ。
「有田は勝負強いで」
「リードも強気やさかいな」
「こうした時はやってくれる」
「まさに有田の為の状況や」
 ファン達は彼ならやってくれると思った、だが。 

 

第六話 勝利の栄冠その三

 阪急はここで動いた、梶本はピッチャー交代を告げ放送がかかった。
「ピッチャー山口、背番号十四」
「出たな」
「向こうの山口が出て来たで」
 近鉄側は彼の登場に眉を顰めさせて。阪急側は強気になった。
「よし、山口やったら抑えてくれる」
「その豪速球で抑えてくれ」
 球速だけでなくノビも球威も驚異的だ、ここまで強力な剛速球はこれまでなかったと言われる程の剛速球が出て来たのだ、大砲の様なそれが。
 それで双方それぞれ思った、山口の登場に。
 抑えられる、抑える。ここでどうなるかで試合のひいてはプレーオフの流れが決まりかねない状況だった。昭和五十年のプレーオフと同じ様な状況だった。
「あの時も二試合目やった」
「山口が抑えてプレーオフの流れを決めた」
「山口が投げて阪急は勝ってきたんや」
「その剛速球でな」
 七十五年から七十八年までの阪急黄金時代は確かに人材が揃っていた、だが山田や福本、加藤、マルカーノ等だけで四連覇が出来る程当時のパリーグは甘くはなかった。そこに山口という恐るべき剛速球投手も加わってだったのだ。
 阪急は勝てた、彼がここぞという場面で相手を抑えてきたことも大きかった。その山口が出て来たのだ。
 有田は抑えられるか打つか、五十年のプレーオフでは彼も近鉄打線も手も足も出なかった。それだけにだった。
 ここはどうなるか誰もが注目した、その山口の剛速球が最も真価を発揮するのは高めだった。西本も山口の剛速球は振るなと言った程だ。余談であるがその五十年に彼はこのことを必死に山口のピッチングデータを分析したうえで決めた。山口は最初にストライクを取ってからピッチングを有利に進めるがそのストライクを取るボールが高めのストレートなのだ。
 このストレートが信じられない位の速度とノビなのだ、横からだと見えず正面から見ると一旦地面に向かいそこから一気に浮き上がる。そう見えるのだ。あまりもの速度とノビで。
 しかも球威が桁違いだ、オールスターで山本浩二が実際のボールの位置よりもずっと高い場所を振って空振りし七十六年のシリーズで彼のボールを見た後楽園の観衆と巨人ナイン、長い間巨人に向かって来る金田や村山、江夏、外木場、松岡そして時にはパリーグの試合で荒巻や尾崎の砂塵舞うだの唸り声を挙げるだの言われてきた剛速球を見てきた彼等が静まり返りその後ザワザワとなりだしたのだ。この時代はまだその目で沢村栄治やスタルヒンを見た者もいたが。
 そこまで山口の剛速球は凄まじい、だがその一球目の高めのそれはボールになるのだ。だから西本はこれには手を出すなと言った。
 それを試合中にナイン達に伝えていたがたまたまこの時ネクストバッターサークルにいた羽田は聞いておらずその一球目を振って三振してベンチに戻って西本に殴られたことがある、西本幸雄の有名な逸話の一つだ。 
 この山口をどうするか、阪急攻略の重要なポイントだった。そのポイントが今来たのだ。
 確かに有田はかつてどうしようもなく打ち取られた、だがこの時の彼とかつての彼は違っていた。それでだった。
 有田は山口の最大の武器の高めのストレート、外角へのそれをバットで一閃した。ボールが打たれる音がしてだった。
 打球は大阪球場のスタンドに入った。スリーランホームランだった。かつて打ち取られた男がここで打った。
 近鉄ファンはこの一打に沸き返った、まさにこの時こそだった。
「やったで!」
「有田が打ったで!」
「ホームランや!」
「スリーラン入ったで!」
 これで四対一だった、流れは大きく近鉄に傾いた。
 しかし阪急にも意地がある、八回にこれまで好投していた鈴木を攻めてワンアウト満塁となった。この状況を見てだった。
 西本はピッチャー交代を決めた。救援に柳田を送ったが。
 この柳田が打たれてしまった、二点タイムリーを浴び一点差になった。しかもランナー一塁二塁だ。尚且つ次のバッターは勝負強く長打もあるマルカーノだ。昨年の後期最終戦で鈴木そして近鉄にに止めを刺した彼である。
 そのマルカーノを見て西本はまた動いた、ここでもだった。
「ピッチャー山口」
 再び山口だった、彼はそのマルカーノに向かい。
 彼を打ち取り次の河村も抑えた。そして。
 八回裏の攻撃でだった、平野がツーランを放った。彼もまた山口高志に手も足も出なかったがその剛速球を打ったのだ。 
 これで試合は決まった、近鉄は遂に二勝目を挙げた。 

 

第六話 勝利の栄冠その四

「王手や」
「ここまできたな」
「あと一勝でやな」
「近鉄は優勝か」
「これまで長かったけど」
「最下位ばっかりやったけど」
 長い間弱小球団だった、この三十年の間半分近くが最下位であった。その為パリーグのお荷物とさえ呼ばれてきた。
 だがあと一勝でだ、遂になのだ。
「優勝や」
「まだ信じられへんけど」
「その時が来たんやな」
「あと一勝で優勝や」
「あの近鉄が」 
 選手達もだった、どうしてもだった。
 信じられないといった様子だ、だが。
 西本は選手達にだ、厳しい顔でこう言った。
「ええか、今日勝つんや」
「はい、今日勝てば」
「それで」
「今日勝つだけや」
 それだけだというのだ。
「全力でいくぜ」
「今日だけ、ですか」
「それでええんですか」
「そや、一つだけ勝てばいいんだ」 
 あえてこう言うのだった。
「わかったな、今日一つだけ勝てばええんや」
「ほな今日は全力でいって」
「そうしていけばええですか」
「そや、力まんといくんや」
 こう言ってだった、最後は笑顔で彼等を試合に送った。勿論西本自身もベンチに入った。そして先発あhというと。
 村田を送った、対する阪急は稲葉光雄だ。この試合で勝てば近鉄の優勝が決まるだけに近鉄は必死であったが。
 阪急も必死だ、背水の陣だからこそ余計にだ。その為試合は投手戦になった。近鉄は三回に羽田のヒット、石渡のエラー出塁で一、三塁となったところで次の小川がゲッツーを打ってしまったがその間に羽田がホームに生還した。
 ここでだ、西本はこんなことを言った。
「ゲッツーで一点入るのもな」
「野球ですな」
「これもまた」
「スペンサーが教えてくれたわ」
 阪急時代のことを思い出しての言葉だ、阪急に来た助っ人のスペンサーが西本に言ったのだ。ゲッツーの時に三塁バッターがいればノーアウトの時はダブルプレーになる間に三塁バッターがホームに突っ込めばいいとだ。併殺打は痛いがその間に一点が入りその一点が大きいとだ。
 そして今その一点が入った、これで近鉄が先制となったが。
 阪急は六回に福本が村田からホームランを放った。実は福本は俊足だけではない。守備もその足と打球反応のよさを活かして抜群の守備力を誇っている。そして安定したミートにパンチ力もありプレーボールホームランは通算で最も多い。この辺りでだった。
 村田も疲れが見えてきて七回にだった、マルカーノとウィリアムスが打ちツーアウト満塁となった、ここで西本は三度だった。  
 山口をマウンドに送った、彼はこのプレーオフで三試合連続で救援での登板となった。山口は代打の笹本をセンターフライに打ち取りピンチを凌いだ。
 だが阪急は稲葉から十回表のワンアウトから山田をマウンドに送った、もうこうなってはエースを投入して凌ぐしかなかった。第四、第五戦も山田の先発も考えられたが山口は前の試合で打たれていて不安があった。それで山田を投入したのだ。
「今井とか佐藤がまだおるしな」
「あの二人を使いますし」
「今は、ですか」
「山田や」
 梶本はこう言って山田をマウンドに送ったのだ、試合は稲葉の必死のピッチングもあり遂に延長戦となっていた。
「あと一点」
「あと一点でええのに」
「その一点が取れんな」
「どうしても」
 近鉄ファンも阪急ファンも試合を見守りつつ緊張で死にそうな顔になった、近鉄はあと一点でも入れば優勝出来る、阪急は望みをつなげる。それだけに必死だった。
 だが試合は延長に入ってしまっていたのだ、しかしその十回表にだった。
 近鉄は山田を攻めてツーアウト満塁になった、ここでまたしてもバッターボックスには小川が入った。その小川を観てファン達は言った。
「このプレーオフ小川はホームラン打ってるしな」
「一戦目でも二戦目でもな」
「この試合でも三回にゲッツーでも一点入れてる」
「妙に当たってるな」
 皆このことを言った。
「ずっと近鉄におるけど」
「それでいて地味やけどな」
「それでもこのプレーオフ渋い活躍してるわ」
「案外な」
「そやったら」
 その近鉄一筋の地味な男が若しかしたらというのだ。ファン達は小川に期待を感じた。 
 小川は山田のボールを打ったがショートの守備範囲だった、去年の後期最終戦では恐ろしいまでの名手大橋が近鉄の得点を封じたが。 

 

第六話 勝利の栄冠その五

 今ショートにいるのは大橋ではなく井上修だった、このことがあったのだろうか、
 井上はこの場面でエラーが出た、これでだった。
 近鉄は待ちに待った追加点を得た、それは同時に阪急にとっては痛恨の失点だった。後はこの一点を守りきるだけだ。
 十回裏。近鉄はこの回をセロに抑えれば優勝だ。マウンドにはそのまま山口が入った。西本も選手達もファン達も誰もがだった。
「あと三人や」
「あと三人凌いだらや」
「優勝や」
「やっと優勝や」
 誰もが固唾を飲む、その緊張の中でだった。
 山口は投げる、まずはツーアウトを取った。最後の一人となったが。
 福本はここでヒットを打った、阪急にとっては同点のランナーだ。長打が出れば福本の足なら生還出来る。そしてバッターは足だけでなく長打と流し打ちといった技も持つ蓑田だ。その後には加藤やマルカーノ、ウィリアムスといった強力なバッターが続く。
 それだけに気が抜けない、ここで打ち取っておきたかった。
 山口は投げる、だが蓑田も必死に粘り。
 七球目を投げたがファールだった、その間山口は蓑田だけでなく福本も見た。福本の代名詞となっている盗塁を警戒していたのだ。
 二塁に行かれると得点圏だ、同点にされる危険が高まる。それでだった。
 福本を警戒していたが八球目にだった、福本は遂に走り。
 梨田の当時リーグ一とも言われていた強肩をかいくぐりセーフとなった。これでツーアウトランナー二塁となった。ここで。
 度胸のいい山口も流石に青ざめたがその山口に梨田はマウンドに来て言った。
「御前の得意なシュートを思いきり投げるんや」
「それでええんですか」
「そや、わしが絶対に受けるからな」
 こう言ってだ、梨田はキャッチャーボックスに戻った。そのうえで試合再開になると。
 山口は意を決してだ、そのシュートをだった。
 渾身の力で投げた、ミート力にも定評のある蓑田だったが。
 この時は空振りした、これでだった。
 勝負は決まった、蓑田が空振りし梨田のミットにボールが収まった瞬間に。
「やった!」
「やったで!」
 近鉄ナインもファン達も誰もがだ、飛び上がらんばかりに喜んだ。 
 歓声が起こりマウンドの山口がガッツポーズをした。その山口のところに梨田がマスクを被ったまま走りこのプレーオフ見事な活躍をした小川がファーストから両手を挙げて駆け寄り。
 近鉄ベンチから選手達が一斉に飛び出る、そしてグラウンドの中で。
 西本の身体が胴上げされた、二度三度と。ファン達は涙を流し喜んでいた。
「三十年待ったけど」
「優勝したわ」
「優勝なんてうちはないやろと思ってたけど」
「それがな」
「遂にやな」
 近鉄の旗が動いていた、三十年の歴史の中で最も多く最も大きく。
 胴上げの中にはマニエルも鈴木もいた、デッドボールを受けた彼もこれまで必死に投げてきた彼も。
 そして胴上げの後でだ、西本のインタヴューだった。
「長い間辛抱してきてこの瞬間を待って下さったファンの皆さん本当に有り難う」
 こう言うのだった、
「阪急を倒すのは長く辛い道程でしたがやっと実現させることが出来ました」
「やったで!」
「遂にな!」
 ファン達の声もする。
「これも選手、コーチ、球団一緒になって努力して掴んだたまものです」
 西本の顔も満面の笑みだった、近鉄の監督になって六年目に優勝を実現したのだ。これまで幾度も苦渋を舐めてきたが。
 選手達の拍手の中佐伯と共に日本酒の樽、勝利の美酒のそれを割った。酒は飲まない西本だったがそれでもそうした。
 近鉄はようやく優勝出来た、その近鉄を観て加藤も言った。
「よおやったな」
「ああ、ほんまにな」
 福本も言う。
「あいつ等やっとやったわ」
「西本さんを胴上げしたわ」
「これで西本さんも報われた」
「近鉄に来てな」
「近鉄もな」
「報われたわ」
 誰もがというのだ、そして。
 ロッカーに向かう阪急ナインにだ、マルカーノが言っていた。
「レンシュー、レンシュー!来年に向けて!」
「ああ、そうせなあかんな」
 山田がそのマルカーノに応える。
「そして来年はな」
「うちが優勝だよ!」
 敗れた彼等だったが近鉄の優勝は笑顔で観て胸を張って去った。その球場では。
「西本さん有り難う!」
「優勝を有り難う!」
 まだファン達が叫んでいた、お荷物球団と言われ続けていた近鉄を優勝させた彼に。その声は球場に何時までも響いていた。


第六話   完


立ち上がる猛牛   完


                          2016・9・2