僕は生き残りのドラゴンに嘘をついた


 

第0話 ドラゴン、隠された穴から出てくる

 少年は〝それ〟を見ると、悲鳴をあげ、その場所で尻餅をついてしまった。

「な……なんで……」

 かすれる声で辛うじて言葉を絞り出す、亜麻色の髪の少年――ソラト。
 十五歳を迎え、ギルド登録を済ませたばかりの初級冒険者だった。


 『山頂近くに生えている薬草を採取』
 初めて受けた、その依頼。初級者用の簡単な仕事のはずだった。
 ギルドからも「今はもう安全な山なので、一人でも大丈夫」と言われていた。

 しかし……山頂近くの急斜面の下。
 少し地面が揺れたと思ったら、溜まっていた瓦礫が突然崩れ、斜面に大きな横穴が現れた。
 そして、そこから姿を見せたのは――

 かなりの前傾姿勢にもかかわらず、少年の二倍以上はあろうかという背丈。
 逆三角形の額と、厚みのある顎を持つ頭。やや長いが力強さのある首。鱗に覆われたスマートな体。
 畳まれている翼。その先端にある鉤爪。そして、長く伸びる尾。

 ドラゴンだった。  

 

第1話 ソラト、嘘をつく

「お前は人間か? なぜここに一人で……」

 現れたドラゴンは、人間の言葉を発した。
 だが、それはソラトが今まで体験したことがない、腹の中にまで響いてくるような波長の声だった。

「た、助けて……」

 すぐに逃げなければ――それはわかっていた。
 しかし、体は震えるだけで力が入らず、情けない言葉だけがソラトの口から漏れた。

 ドラゴンは日の光で鱗を妖しく光らせながら、ゆっくりと寄ってくる。
 そしてソラトのすぐ目の前で止まった。

「人間よ」
「い、いやだ……」
「これからする質問に答えよ」
「ま、まだ死にたくない……」

「聞いているのか? これからする質問に答えよ」
「し、質問……?」

「なぜ人間の子供が一人でここにいる。ここは我が同胞の地だ」
「え? いや、僕は『この山は安全だから一人で大丈夫』って……」

 ソラトは尻餅をついたままドラゴンを見上げ、声を震わせながらそう答えた。

「ここが人間にとって安全だと? そんな馬鹿な」

 ドラゴンは首を高く立て、周囲や空を見回した。
 一通り見回すと、また同じ動きで確認を繰り返した。

「同胞の姿がどこにも見当たらぬ。どういうことだ」
「ど、ドラゴンは……もういないはずなんだ……」
「いない? この山を捨てどこかに行ってしまったのか? ……魔王城への、大魔王様への報告は済んでいるのだろうか」

「だ、大魔王も……もういないんだ」
「大魔王様もいないだと?」
「う、うん……」

「同胞たちも、大魔王様も、どこかに移ったということだな? 移住先は知っているのか?」
「……」
「答えよ。行き先を知っているのか。正直に答えれば命は奪わない」

 ドラゴンは、知らないようだった。
 勇者たちによって、大魔王が倒されたということを。
 そしてドラゴンも全滅したということを。

 ソラトは、恐怖により回転しない頭で、必死に考えた。

 正直に答えれば命は奪わないと言っているが、その通り正直に答えたら、怒り狂ったドラゴンに殺されるに違いない。
 だが……。
 大魔王も他のドラゴンも、生きていることにすれば……なんとかこの場は見逃してもらえるかもしれない。

 ソラトはそう思った。

「あ……う、うん。い、一応……知ってるよ……」

 とにかく今死にたくなくて、嘘をついてしまった。
 もう、大魔王も、他のドラゴンも、この世にいないのに。


「そうか。私は合流しなければならない。どこだ?」
「ず、ずっと、遠いところ」
「それではわからぬ」
「ええと……海の向こう……」

「方角は?」
「ひ、東……」
「この大陸から東? 別の大地があるとは聞いたことがない」
「う、うん……。見えないくらい、ずっと、遠くなんだ」

 ソラトは、適当に嘘を重ねた。

「山一つ程度ならば一度も着陸することなく飛べるが。見えないくらい遠いのでは、一気に飛ぶのは難しいか……」
「……」
「人間よ。どうすれば私はそこに行けそうだ?」

 このまま適当に飛んで行って去ってくれるのではないか――その希望は、叶わなかった。

「どうした? 答えよ」

 ソラトはさらに嘘で対応しようとしたが、答えに窮した。

「……? お前はひどく震えているようだな。
 なるほど。そのような状態ではまともに答えることはできないか。
 では今日はもういい。町に帰り、一晩考えよ」

「ひ、一晩?」
「そうだ。ここから一番近い町がお前の町だろう?」
「う、うん」

 この山に一番近い、大陸南端にある町。ソラトの家はそこにあった。

「落ち着いて考え、明日またここに現れるのだ」
「わ、わかった」

「お前の名は?」
「そ、ソラト……」

「ではソラト。私は裏切者が嫌いだ。もし約束を違えて明日来なかったり、他の人間を寄越すようなことがあれば、山を下りてお前を探し出し、この爪で引き裂いて殺す。そして町を炎で焼き尽くすだろう」
「……」
「勇者さえいなければ、私だけで町の人間全員を殺せる自信はある」


 ――とんでもないことになった。

 震える両足と、止まらぬめまい。
 ソラトはヨロヨロと歩きながら、町へ降りていった。

 私は裏切者が嫌いだ――そのフレーズを、頭にループさせながら。  

 

第2話 ドラゴン、方針を決める

 ソラトは家に帰り、一人で悩んだ。

 相談しようにも、両親は三年前に既に他界しており、いない。
 この三年間、手伝いの仕事をくれて、経済面で面倒を見てくれた町長に相談……すれば、町中を巻き込んだ騒ぎになってしまうだろう。
 そうなったら、冒険者たちによる討伐隊が組まれてしまうかもしれない。

 それはまずい。
 あの自信はおそらく本物だ。討伐隊は全滅し、町は滅ぼされてしまう。
 そして何よりも、ドラゴンは裏切者のソラトを許さないだろう。惨殺されるに違いない。

 勇者とその仲間たちは、大魔王やドラゴンなどの有力な魔物を討伐したのち、その行方をくらましたとされている。
 そもそもまだ現役なのかどうかすらわからない。
 今から呼びかけ、明日来てもらって町を守ってもらうことなどは不可能だ。

 いったい、どうすれば……。

 ソラトは、朝まで眠れなかった。



***



 ソラトは翌日、言われたとおりに、また山に登った
 山頂近くの斜面の下、ドラゴンが出てきた横穴。この日は、大きめの岩で塞がれていた。
 穴の入口のそばまで行き、声をかける。

「あ、あの……来たよ」

 すると、岩がゆっくりと動き、また横穴からドラゴンが出てきた。
 今度は尻餅こそつかなかったが、ソラトの足はやはりガクガクと震えてきた。

「どうだ? どうすればよいかわかったか?」
「う、うん。わかったよ」

 結局、誰にも相談できなかった。
 ソラトは一人で朝まで考えたが、嘘をそのまま通していく以外に方法が見つからなかった。

「ふ、船で行かないと……無理なのかも」
「船?」

 ドラゴンは、船を知らなかった。
 いや、正確には船を見たことはあったようだが、海を渡るものだとは知らなかったようだ。
 ソラトは詳しく説明した。

「なるほど。同胞たちや大魔王様も、船で行ったのだろうか?」
「う、うん……そうだと聞いてるよ」

 ドラゴンは満足そうに「そうか」と納得し、次の指示を出してきた。

「ではソラト。私もそれを使って東の大地へ行く」

 ……。

 船で行ける。そう言えば、勝手に港に降りていき、適当な船を奪ってこの地を去ってくれて、一件落着となるのではないか。
 その希望も、叶わなかった。

 ソラトは困った。
 船を使って行くと言われても、すぐに調達する手段などない。

「あ、あの……」
「何だ?」
「僕、船持ってないんだ」
「そうか。船を持つ人間はどうやって入手しているのだ」

 他の人間から奪え、とは指示しないのか……。
 ソラトは少し違和感を覚えながらも、船はお金で買うものであり、現在の自分がお金を稼ぐ手段は冒険者稼業であることなどを説明した。

「なるほど。お前は冒険者。依頼をこなす仕事でお金が貯まっていく――それで間違いないのだな?」
「うん。そうだよ」

「では一番難しい依頼を受ければすぐ貯まるのか」
「そ、それは……無理なんだ。僕はまだ初級冒険者だから、受けられる依頼は簡単なものばかり。級が上がるのは少し時間がかかる」
「かまわない。私は待とう」

 ドラゴンは、依頼をできるだけたくさん受けて、級を上げるよう指示した。
 そして、こまめに報告に来ることも要求し、この日は下山するように言った。

「あ」
「なんだ」
「横穴の入口、もうちょっとしっかり隠したほうが」
「……そうか。わかった。ありがとう」

 万一他の人間に見つかり騒ぎになった場合、自分が裏切ったと勘違いされ、殺される。
 その心配から忠告をしただけだった。

 しかし、このときの「ありがとう」という言葉は、妙にソラトの頭の中に残った。  

 

第3話 ソラト、級を上げる

 ソラトはドラゴンの指示どおり、級を上げるために依頼をハイスピードでこなしていった。

「ソラト。そろそろ級は上がったか」
「中級に上がったよ。もう少しで最年少記録だったって言われた」

 ソラトは言われていたとおり、こまめに報告に来て顔を合わせていたので、足は震えなくなった。
 だいぶ慣れてきたようだ。

「これからお金が貯まりやすくなるのだな」
「うん。でも、この先はちょっと依頼がきつくなるんだ。あまり自信ない」
「冒険者とは戦う仕事でもあるのだろう? その割にお前は強そうに見えない」

 ドラゴンは、「私が鍛える。ついて来い」と言うと、ソラトを横穴に案内した。

「中、こんなに広くなってたんだ……。しかも真っ暗じゃなくて薄明るい」

 穴の奥深くは、ドーム型の広い空間になっていた。

「我々の巣の一つになっていたところだ。上に小さな穴がいくつかあり、光も入ってくる」

「ねえ、あの……あ、そうだ」
「……?」
「君に名前はあるの?」
「あるが。人間には発音できない」
「何て呼べばいいの」
「お前が勝手に決めていい」

「じゃあ……そうだな、デュラって呼ぶけどいい? 今適当に考えた名前だけど」
「ああ、かまわない」
「デュラ、君はなんで一人でここにいたの?」
「遠くの山で、勇者と戦闘になり負傷したからだ」

 かなりひどい負傷であり、同胞に抱えられてここまで運ばれた。
 ドラゴンを含め、魔物は回復魔法が使えない。
 この巣でゆっくり傷を癒せるよう、そして他のドラゴンが不在のときに人間に狙われないよう、横穴を隠され、長い眠りについていた。
 その眠りが覚め、穴から出てきたら、そこにソラトがいた。

 デュラはそのような説明をソラトにおこなった。

「では稽古を始めよう。本気でかかってきてもらってかまわない」



***



 ドラゴン……デュラの稽古は毎日続いた。

 デュラは鱗も硬いが、それ以上に爪が硬く、剣を受けるときはいつも爪で受けていた。
 そして口から炎を吐ける他、色々な魔法も使えるらしい。稽古中に風を出したり、氷を出したりもしていた。


「ふー、疲れた」

 この日の特訓は、特に厳しかった。
 ソラトは息が上がってしまって胸が苦しくなり、地面に腰を落とした。

「少し厳しくしてみたが。やはり疲れたか?」

 デュラがすぐ後ろに移動し、お腹を地面に着ける音がした。
 その直後、背中に鱗の感触があり、ソラトは驚いて首を回した。
 デュラは半円状に、ソラトの背中を包み込むように休んでいた。

 回していた首を戻すと、なんとなくソラトはそのまま体重を預けてしまった。
 特に何も、言われなかった。

「ねえ、デュラ」
「何だ?」
「僕、少しは腕上がってる?」
「そうだな。だいぶ良くなった。体つきも以前よりしっかりしてきている」

 デュラはそう言うと、包んでいる体をほんの少しだけ締めた。
 激しく動いていたからかもしれないが、デュラの鱗は、見かけのイメージよりもずっと温かかった。

「ドラゴンに稽古してもらえるって、多分、贅沢なんだろうな。しかもタダで教えてもらってる」

「私はかまわない。お前には同胞や大魔王様の居場所を教えてもらった。それに、これから船を用意してもらう。我々ドラゴンは、受ける恩に対しての対価は惜しまない。むしろ不足と考えているくらいだ」

「……そ、そうなんだ」

 急に居心地の悪さを感じ、ソラトは立ち上がった。

「じゃあ、また明日来るよ」
「ああ。待っている」

 休んで、息は整った。
 だが、ソラトの胸の苦しさは、増した。

 その恩。それがすべて、嘘だとしたら。
 デュラ、君は――  

 

第4話 ドラゴン、背中に乗せる

 ソラトは厳しい稽古によって出来上がった体で、次々と依頼をこなしていった。
 ランクは中級、上級と、順調に上がっていった。

 そして――。


「ソラト。一番上の級の冒険者になったのか」
「うん。頂級冒険者になったよ。断トツで最年少記録」
「よく頑張ったな」

「あ、そうだ。あと十六歳になった」
「そうなのか。おめでとう」

 祝いの言葉を口にして、デュラが顔を近づけてくる。

「不思議だね。もう全然怖くないや」

 ソラトは右手でデュラの顎を撫でた。

「最初はひどく震えていたな。だが毎日見ていれば、慣れるのだろう」
「ははは」

「これで、大きな依頼も受けられるようになるのか」
「うん。今日さっそく新しい依頼を受けてきたんだ。頂級用の中でもかなり難しい依頼。これを成功させれば、ちょうど船が買えるくらいのお金になると思う」
「そうか。いよいよだな」

「でもこの依頼、場所が結構離れたところなんだ。しばらくここに来ることはできないと思うよ」
「しばらくとはどれくらいだ」
「うん。目標は六十日」

 ソラトがそう言うと、デュラのまぶたが少しだけ落ちた。

「その間は戻って来られないのか。それは少し留守にしすぎだ」
「そう? じゃあ依頼を受けたのを取りやめにしようかな? ギルドには怒られるかもしれないけど」

「いや、その必要はない。私がお前を運んでやる」
「えっ。背中に乗せるってこと? いいの?」
「ああ。かまわない」

「……大魔王の部下とかは、よく乗せてたりしたんだ?」
「もちろん誰でも乗せていたわけではない。我々が背中に乗せるのは、信用できる相手だけだ。大魔王様の部下でも、一部の者しか乗せたことはない」

 ――僕は、信用されているのか。
 ソラトの胸が、ズキンと痛んだ。

「……あ、あの。やっぱり僕、歩いていくよ」
「なぜだ」
「だ、だって。デュラが飛んでるとこを見られたら、騒ぎになるから……」

「大丈夫だ。夜に飛べば見つかる可能性も低いだろう。私は星の光だけでも十分に飛べる」
「……」

 いや、そうじゃないんだ。
 僕は君に嘘をついている。だから、背中に乗る資格がないんだ。

 ……とは、やはり言えなかった。



***



 満天の星空を、飛ぶ――。
 人間でそれを体験したのは、世界で自分ただ一人。

 本来なら、嬉しいことなのかもしれない。
 一生をかけてでも、その望みを叶えたいという人はいるかもしれない。

 でも……。

「ソラト。どうだ?」
「うん。いつもより星がしっかり光ってる気がする。それに……町の灯りが、上から見るとすごく綺麗だ」

「揺れて怖くはないか?」
「いや、大丈夫だよ。怖くない」

 明らかに揺れないように配慮された飛行。
 中継地点へのフワッとした離着陸。
 そして、乗り心地を定期的にソラトに確認する、その気遣い。

 ソラトには、たまらなく申し訳なく感じた。



***



 無事に依頼も終え、お金も貯まり。デュラが乗っても沈まないような、少し大きめの船を買った。

 デュラにそれを報告したら、「これでやっと同胞や大魔王様のところに行ける」と喜んだ。
 それを聞き、ソラトの胸は、また痛んだ。

 これで全ての用意は整ったことになる。
 船にデュラを乗せ、ありもしない東の大地に向かってもらう。
 当然どこにも着かないし、騙されていたことに気づいた頃には、すでに自力で戻れる距離ではないだろう。
 ソラトは殺されなくて済む。

 ……。

 ソラトは自分のしていることが最低だという自覚があった。
 しかし、いま本当のことを言ってデュラに殺される勇気まではなかった。

 そして、「こうするしかなかったんだ」と自分の行為を正当化する思いが、心のどこかにあるのも事実だった。

 そんな自分が、心底嫌だった。 

 

第5話 ソラト、立ちふさがる

 デュラの船の準備も済み、乗ってもらう日がやってきてしまった。

 ソラトは悶々としたまま、山へ向かおうとした。
 しかし、町の入口を出ようとしたら、見張りの兵士に呼び止められてしまった。

「あの山にドラゴンらしき魔物が飛んで行ったという目撃情報が入ってな。一般人は立ち入り禁止になった。まだ生き残りがいたのかもしれない。
 町にお触れを出したら、ちょうどたまたまこの町に、行方不明だった元勇者様やそのパーティだったメンバーがいたそうで、名乗り出てくれた。もう討伐に向かっているそうだ。それが終わるまでは、頂級冒険者といえども入らないほうが安全だろう」

「――!」

 ――この前の帰り道、デュラが目撃されてしまったのか。

 ソラトは、兵士の制止を迷わず無視し、山へ急いだ。



***



「デュラ!」
「どうした? ずいぶん息を切らして」
「この前飛んでるところを見られてしまってたみたいだ! 勇者たちがここに向かってる!」

「そうか……」

 デュラはその知らせを聞くと、視線をやや上方向に外した。

「彼らは空に向かって攻撃することもできる。空でも地でも、私では到底勝てないだろう。以前は同胞がいたから、なんとか逃げることはできたが……。私の運もここまでかもしれない」

「なんとか、ならないんだ?」
「そうだな……。通じるかどうかわからないが、魔法で人型の魔物に化けてみよう。やりすごせるかはわからないが」
「えっ?」

 デュラはそう言い終えると、瞬く間に体を縮小させた。
 すると、銀色の長い髪、白い肌、豊満な胸……一糸まとわぬ若い女性の姿に変化した。耳がやや尖っているほかは、ほぼ人間と同じように見えた。

 ソラトは混乱した。

「デュラ、これはどういう……」
「私が魔法を使えるのは知っているだろう? 魔法で人型の魔物に化けることもできる。ただしごく短時間だ。魔力消費も大きいので半時ももたない」

「そうじゃなくて、その姿……もしかしてデュラはメスだったの?」
「そうだが。知らなかったのか?」
「……」

 ソラトからすれば、ドラゴンのオスとメスの区別など付くはずはない。
 衝撃の事実だった。

 その美しい姿にソラトは見とれたが、すぐにそんな場合ではないことを思い出した。

「じゃあいったんドラゴンの姿に戻って。僕は外で見張ってるから。僕以外の人間の声が聞こえてきたら、念のため変身しておいて」

 横穴の近くにある、見晴らしの良いところまで出た。
 すると、四人組の人間がすぐ近くまで来ているのが見えた。
 勇者一行だ。

 必死で入口のカモフラはしたが、相手が相手だ。どこまで通用するだろうか。



***



 勇者一行が、ソラトの前に現れた。

 四人の内訳は、青い鎧の勇者と思われる男、ピンクの鎧の女戦士、水色の法衣を着た男僧侶、緑のローブを着た壮年の男魔法使いだった。

「ん。きみは? もしかして生き残りのドラゴンか?」
「……」

 勇者と思われる若い男にそう聞かれたが、ソラトはなんと返事したらよいのかわからなかった。 

「いや、勇者殿。この者は人間ですぞ。魔物が化けているわけではないようです。ただ、すぐ近くに強力な魔物がいるのはどうも間違いないようですな」

 魔法使いがそう言うと、今度は女戦士が魔法使いに声をかけた。

「前に討伐に来たときに漏れていたのか? お前が気づかないことなんてあるんだな」
「フォッフォッフォ。ワシにもミスはあります。まあ、あの後からここにやってきたか、もしくは瀕死状態で検知できなかった可能性はありますがね」

 どうしたらよいのかわからないソラトを尻目に、魔法使いは杖を掲げ、目を瞑って集中する。

「フムフム。なるほど。あちらの斜面の中、ですかね」

 あっさりとバレた。

 ――なんでそこまでわかるんだ。魔法か?
 ソラトは焦った。

 勇者ら四人はソラトを無視し、うまく隠せているはずの横穴に近づいていく。

 ――まずい。

 デュラの変身も、この四人相手では恐らく全く無意味だ。
 ソラトは慌てて剣を抜き、四人の進行方向に立ちふさがった。

「ま、待った」  

 

第6話 ドラゴン、出てきてしまう

 四人とも、一瞬だけポカンとした。
 その後、顔を見合わせてから、勇者がソラトに向かって話しかけてきた。

「ええと。俺らがドラゴン退治をすると何か不都合が?」
「え? あ、いや、その、なんというか……」
「あ、わかった。きみ、ドラゴンに協力していたんじゃないか? だいたい、ここに一人でポツンといたのは不自然だもんな」

「いや、それは――」
「ああ、いいよ。言わなくてもわかるから。前に、村ごと魔物に脅されていた、なんてところもあったからさ。きみもドラゴンに脅されて仕方なく言うことを聞いてたんだろ?
 大丈夫。安心してくれ。俺らはドラゴンには負けないよ。だからきみも、もう言うことを聞く必要はない。このまま素直に俺らを通してくれて、なんの問題もない」

 ――!?


 あっ、そうか。
 ソラトは今、なぜかとても意外なことを聞いたような気がした。

 言われて初めて、気づいた。
 なぜ、今まで気づかなかったのだろうと思った。

 勇者一行は、ドラゴンを全滅させた実績を持っている。
 デュラ本人も、勇者には敵わないようなことを言っていた。

 つまり、ここで勇者一行にデュラを倒してもらえば、全てが解決してしまうのだ。

 もう船など必要ないではないか……。

『このまま勇者一行を通せ。勇者がドラゴンを倒せば、お前は解放される。その後は頂級冒険者として良い人生が送れるだろう』

 どこからともなく聞こえてくる、その囁き。

 ……。




 ……それで本当にいいのだろうか。

 勇者の、『脅されて仕方なく』という言葉。
 まったく違っているとは言えないが、事情を正しく表現しているとも言えない。

 こうなったのは、自分が一番最初に嘘をついたからだ。
 それも、もう取り返しのつかないような嘘を……。

 最初に会ったとき、デュラは「正直に答えれば命は奪わない」と言っていた。
 正直に答えれば殺されるだろうと勝手に判断して嘘をついたのは、自分だ。
 この状況を招いたのは、自分なのだ。

 今思えば。
 結局、自分のしてきたことは――

 自分が殺されるのが嫌だから、デュラに嘘をついた。
 自分が殺されるのが嫌だから、その嘘を通し続けた。

 そういうことだ。
 なんのことはない。自分は最初から今に至るまで、保身のためにデュラを裏切り続けていたのだ。

 それなのに、デュラは自分の嘘に疑いを持たず、それを恩だと感じてくれた。
 自分を頂級冒険者になるまで鍛えてくれたり、背中に乗せて飛んでくれたりもした。




 ……やっぱり、ダメだな。

 ここで勇者たちに全てを任せるのも、確かに一つの解決方法だろう。
 だがそれだと、一番悪いはずの自分が、一番得をしてしまう。

 嘘をつかれ裏切られていたデュラは、そのことを知らないまま死ぬ。
 勇者一行は真実を知らず勘違いしたまま、デュラを手にかける。
 そして自分は何の罰も受けず、頂級冒険者としてのうのうと生きる?

 そんなことが許されていいはずがない。

 それに……。

 勇者に言われるまで、その解決方法に気づかなかったこと。
 そして、さっき町で討伐の話を聞き、ここまで反射的に飛んで来たこと。

 もう認めるしかない。
 やっぱり自分は、デュラに死んでほしくないと思っている。
 もしかしたら、死んでも死なせたくないと思っているかもしれない。

 死ぬのが怖くてここまで騙し続けてきて、追放用の船まで用意してしまったくせに、だ。
 もう大矛盾だ。

 その矛盾は……ここで解消しなければならない。




 ソラトは、剣を仕舞った。

「どいてくれるんだ?」
「いや、どきません」
「?」

 ソラトは、ひざまずき……。
 土下座した。

「ええと。どういうことかな」

 勇者の困惑した声。

「僕は、ここにいるドラゴンと一年以上過ごしてきて、これからも生きていてほしいと思っています。自分が死んででも、生きていてほしいと思っています」

「え? そう言われてもな……。そのドラゴン、きみと一緒にいたということは、もう人間にとって無害なのかい?」
「無害かどうかは、僕にはわかりません」
「わからない?」
「はい。僕はそのドラゴンに嘘を――」

 と、その時。斜面のほうから、大きな音がした。

 勇者が斜面のほうに目を向ける。
 ソラトも頭を上げ、振り返って斜面を見た。

 大きな音は、瓦礫が崩れる音だった。

 デュラが、ドラゴンの姿のまま、外に出てきた。  

 

第7話 ソラト、やっと言える

「デュラ! どうして出てきたんだ!」

「ソラト……もういい」

 デュラはそう言って、ゆっくりとソラトのところまで歩いてこようとした。
 ソラトは慌てて駆け寄り、全身で遮った。

「ダメだって!」
「自らを危険にさらしてまで私をかばい続ける必要はない。心残りはあるが、これもまた運命だ」
「いやダメだ!」

 デュラの体は、少し震えていた。
 ドラゴンでも、自分より遥かに強い相手に向かうのは怖いのだろう。

「お前は人間だ。私が死んでも、この先普通の暮らしが――」
「デュラ! 違うんだ! そうじゃないんだ!」
「……?」
「デュラ。いいか、これから僕がする話を聞いてくれ……。あの! 勇者さん!」

 ソラトは振り返り、勇者を呼んだ。

「なんだい?」
「今から大事な話をこのドラゴンにするけど、その話のせいで僕が殺されても、それはこのドラゴンのせいじゃない。僕の自業自得だ。このドラゴンの善悪を決める判断材料には絶対にしないでください」

 勇者は少し不思議そうな顔をしたが、詳しく突っ込んでくることもなく、剣を鞘に仕舞った。

「そうか。よくわからないけど、いいよ」

 ソラトは顔をデュラのほうに戻した。
 そして、その場で正座をした。

「デュラ、僕は君に話さなければならないことと、謝らなければならないことがある」
「こんなときにか? なんだ?」

「僕はずっと君に嘘をついていたんだ」
「嘘?」
「うん。最初君に会ったとき、東の海を超えていけば他のドラゴンや大魔王に会えるって言ったよね?」
「ああ、そうだな」
「あれは……嘘だったんだ」

 すでにソラトには、デュラの表情の変化はわかるようになっていた。
 たった今、激変したことも。

「なん……だと……? それでは、同胞や大魔王様は一体どこに……?」
「みんな、死んでる。もう、この世にいないんだ」
「それは……本当なのか……?」

 ソラトは、首を縦に振った。

「……同胞たちも、大魔王様も……もうこの世に……いない……」

 デュラはそう呟いて少しふらつくと、首を空に向けた。

 そして今まで聞いたこともないような、咆哮――。
 それは、天にこだまするほど大きかった。




 デュラの首が戻ってくると、ソラトは額を地面に着け、謝罪した。

「デュラ、ずっと騙していてごめんなさい……」

 そして、そのまま、

「今この場で僕は罰を受ける。その爪で引き裂いてほしい」

 そう頼んだ。
 しかし、デュラは動かなかった。

「ソラト、顔を上げてくれ」
「……上げられない」

「上げてくれ。一年以上見てきて、お前がよい人間だというのはわかっているつもりだ。あのとき事実を話せば、私が絶望して生きる気力をなくすだろうとお前は考え――」
「違うんだ!」

 ソラトは、顔を伏せたまま、大きな声で叫んでいた。

「違うんだ。事実を話したらその場で殺されると思って、死ぬのが怖くて嘘をついただけなんだ! まだ生きてるって言えば、どっかに飛んで行ってくれると思って!
 船の話だってそうだ! 本当は東の海の向こうに陸なんてないんだ! デュラを騙して船に乗せて、そのままいなくなってくれればって思って言ったんだ!
 僕は全然いい人間なんかじゃないんだ!」

 ――やっと、言えた。

 ソラトは号泣すると、頭を下げたまま「ごめんなさい」を何度も繰り返した。

 デュラがどんな表情でそれを聞いていたのかは、ソラトにはわからない。
 しばらくすると、頭の上から「そうか、わかった」という声だけが、聞こえた。

「一思いに、殺してくれ! 僕の悪い頭じゃ、これしか思いつかなかったんだ!」

 ソラトはそう言ったが、デュラの爪が伸びてくることはなかった。

「ソラト、私もお前に嘘をついていたことになる。お前に謝らなければならない」
「え?」

 その意外な言葉に、ソラトの顔が思わず上がってしまった。

「私はお前と最初に会ったとき、『正直に答えれば命は奪わない』と言った……。あれは嘘だ。
 一年以上お前と一緒にいたから、今は聞いても大丈夫だったが、あのときお前が正直に言っていたら、間違いなく私は耐えられなかっただろう。きっとお前を殺して、町を焼き払っていたに違いない」
「……」

「嘘はお互い様だ。だからソラト、もう泣くな」

 ソラトは、一段と泣いた。 

 

最終話 二人、飛び立つ

「えーっと。もう話は終わりかな? お二人さん」

 その勇者の声で、ソラトとデュラは、二人だけの世界から現実に引き戻された。

「きみ、ソラトくんという名前なんだ?」
「……はい」
「俺、最初にもう少しきみにきちんと話を聞くべきだったかもしれないな。そんな事情があったとはなあ」

 勇者がそう言うと、女戦士、僧侶、魔法使いが次々と口を開いた。

「お前っていつもそうだよな。そそっかしいというか」
「でも、僕たちもこの世界を色々見てきたつもりではありましたが。こんなのは初めてでしたね」
「フォッフォッフォ。そうじゃな」

 みんな、穏やかな顔をしていた。

「え、じゃあ……」

「ああ。そのドラゴン、デュラって言ったね? きみのおかげなのかな……もう眼が魔物じゃないよ。こんなのを討伐するのは、少なくとも勇者の仕事じゃないと思う。一度受けた依頼であっても、俺はお断りだ」

「勇者さん……」

「今まで、俺らが解決してきた事件も、もしかしたら背景を十分知らないまま解決してしまったものが沢山あったのかも知れないな。
 勉強になったよ」
「お前、あまり話を聞かないからな」

 女戦士の突っ込みに、勇者は苦笑いした。

「ほっとけ。だいたい、もう大魔王はいないのに、俺らっていつまでこんな仕事をしないといけないんだろうな? 町の奴らで何とかしろよって感じだよ」
「お前、それはまずいだろ。『行方不明ということにして一~二年お忍びで旅をし、様子を見て大丈夫そうなら解散』って決めたのは王様だ。何かあったら進んで対応するのが筋だぞ」

「そうかもしれないけどさ。笑っちゃうよなあ。お触れ書きに『頂級冒険者もしくは同等の猛者募集』って書いてあったのにさ。俺らが名乗り出たら、集まってた他の奴らはみんな帰っちまうんだから」
「あはは、確かにそうでしたが。勇者様、町の人には口が裂けてもそんなことを言ってはダメですよ」

 言いたい放題の勇者を、女戦士や僧侶がたしなめた。

「フォッフォッフォ。しかし勇者殿、今回は町になんと報告するので?」
「もう安全だって言ってしまおう」

「大丈夫なのですか?」
「ああ。ここのソラトくんの努力次第だけどな。この山は、魔物を辞めたドラゴンと、それをしっかり管理するソラトくんのものになりました――そう言っておけばいいだろ」
「ではそれでいきますか」

 話が急速にまとめられていく。




「じゃあ、ソラトくん」
「はい、勇者さん」
「俺らはもうこれ以上タッチしないから。あとはしっかり頼むよ」

 これで、もうデュラは処分の対象にはならない……。
 ソラトは、デュラと顔を見合わせた。

「やったよデュラ! このまま一緒にいられるね」

 ソラトはデュラに抱き付いた。
 目からは、また涙が大量に吹きこぼれてきた。

「ソラトくん、そのエンブレム付けてるということは頂級冒険者だよな? こんなにビービ―泣いてばかりの頂級冒険者は初めて見たよ」

 勇者が呆れたように言う。

「だって、嬉しいから……。デュラだってそうでしょ?」
「そうだな。同胞や大魔王様にもう会えないのは残念だが……。私はここでソラトと生きていても、よいのだな」

「うん。ずっとここで暮らそう! もうデュラの同胞はいないから、子孫を残すことはできないけど――あ!」
「?」

「そうだデュラ! 僕の子供を産めばいいんだ。ドラゴンの血は半分になっちゃうかもしれないけど、完全に途絶えるよりマシだよ!」
「なんだと!? そんなことができるのか?」

「結婚すれば、きっとできるよ!」
「ケッコンとはなんだ?」
「ええと、ずっと一緒にいて、交尾したりする関係?」
「ドラゴンと人間は交尾できないだろう」

「魔法で人型の魔族になれたじゃないか。あの状態でやればできるんじゃないの?」
「そんなことで、できるようになるのか?」
「さあ? でもやってみないとわからないよ!」
「変身できる時間も短いが――」
「僕の場合は短くても大丈夫!」

「あっはっは、きみ面白いなあ」

 見ると、勇者が笑っていた。
 他の三人も、笑っていた。



 ***



 勇者一行は、町に帰っていった。
 町に報告をして、また行方不明になる予定らしい。

 ソラトとデュラは、横穴の近くの見晴らしの良い場所にいた。

 ソラトは腰を下ろし、デュラはそのすぐ後ろで、半円状で包み込むように腰を落としていた。

「ソラト、我々はフウフとやらになるのか」
「うん。人間では、夫婦は嘘や隠し事をしないことになってるんだ。だから、僕はもう二度とデュラに嘘をつかないよ」

「……では私も嘘をつかないよう気をつけよう」
「そうだね。多分デュラはついさっき、嘘ついたから」
「……?」

「さっき、最初に会ったときに僕が正直に言っていたら、僕を殺していたって言ってたよね。あれ、やっぱり嘘なんじゃないかなあ」
「そうなのか?」
「うん。きっと出来てなかったと思うよ。だってデュラ……優しいから」

 デュラは、首を回し、ソラトの体に顎をこすりつけた。

「イタタ。デュラ、ちょっと痛いかも」
「ああ、すまない」

 慌てたように頭を離れさせるデュラを見て、ソラトは笑った。

「あ、そういえばさ。買った船はもう要らないよね。とっておいても仕方ないし、売っちゃおうか」

 ソラトはそう言ったが、デュラは少し考えたのちに、違う意見を出した。

「いや、ソラト。私はまだ船というものに乗ったことがない。一度、一緒に乗ってもらえないか」
「お、いいね。よし、じゃあさっそく今から行ってこようよ。もう勇者さんから町への報告は済んでるだろうし。
 ……船をつないであるところまで、乗せていってもらってもいい?」

「ああ」

 ソラトはひょいとデュラの背中に乗った。
 今度は後ろめたい気持ちなしに乗れることが、嬉しかった。

 デュラは大きく羽ばたき、二人は空へと舞いあがった。




『僕は生き残りのドラゴンに嘘をついた』-完-  
 

 
後書き
お読みいただき本当にありがとうございました。 

 

二人で迎える、初めての新年(2018年お正月番外編)

 大陸最南端に位置するペザルという港町の、北西側にそびえたつ山。
 その頂上近くの斜面には、大きな天然の洞が存在している。

 それは……かつては人間にとって恐怖の対象であったドラゴンの群れの巣であり。
 そして現在は、『山神様』と呼ばれることに決まった、世界で最後のドラゴン――デュラの棲家であった。



 そのデュラは巣の中で腰を落とし、体をやや丸めて脱力した姿勢でくつろいでいたが……。
 今、目の前に樽が一個、ドンという音とともに置かれた。
 ほんの少し遅れて、ピチャッという波紋が生み出した音。樽には透明な液体が満たされていた。

「……さっき挨拶に来ていた人間が持ってきてくれた物のうちの一つだな。水なのか?」

 天然の洞を利用したこの巣。上部には山頂に通じている大きな穴が開いている。そこから差し込む光が、長い首の先をわずかに傾げたデュラの仕草を、逃さず照らし出していた。

 さっき挨拶に来た人間というのは、ペザルの町長以下役人たちである。役人たちはまだ恐怖心があるのか、挨拶をすると贈り物を置き、すぐに帰ってしまっていた。
 いまデュラの目の前にその樽を置いたのは、まだあどけない顔をしている亜麻色の髪の人間。今後は『山神様の管理人』と呼ばれることになった元超級冒険者――ソラトである。

「デュラ、これは水じゃなくてお酒だよ」
「オサケとは何だ」
「あ、デュラは知らないよね。ぺザルでは新年の始まりを祝って、これを飲むことになっているんだ。町長さんたちがこんなに大きな樽を持ってきてくれたということは、二人で飲んでって意味だと思うよ」

 ソラトは樽のそばに腰を下ろした。
 そして手に持ったのは小さな金属製の杯。樽の中身を八分目まで入れる。

「じゃあ乾杯。デュラは体に合う杯がないから、樽を杯にしてそのまま飲んで」

 そう言って、ゆっくりと杯に口をつけた。
 デュラは一度起き上がり姿勢を正すと、手の爪を器用に使って樽を固定し、中身を一気飲みした。

「……」

 ソラトは顔をしかめる。
 デュラも……おそらくソラト以外の人間には見分けがつかないのだろうが、表情を歪めた。

「ソラト、ひどく苦い」
「あはは。美味しくはないよね……僕もオエってなるよ。五十種類の薬草を溶かし込んだ酒だから、味はよくないんだ」
「美味しいと思わないものを飲んで祝うのか。妙な話だ」

 素直な感想を言って、また腰を落としてグテーっとなるデュラを見て、ソラトは笑う。

「そういうもんなんだよ。でも……ドラゴンでも苦いとかあるんだ。面白いね」
「面白いのか?」
「うん」
「我々にも味の好みはある。人間と同じだ」

 デュラは今でもよくドラゴンのことを「我々」と表現する。ドラゴンが世界でデュラ一匹しかいない現在では、あまり正確な表現ではなくなっているのかもしれない。だがその言葉からは何となく優しさがにじみ出ている気がして、ソラトは聞くたびに不思議と温かい気持ちになった。

「熊はおいしいの? たまに食べてるよね」
「あれはおいしい」
「ふふふ。鹿は?」
「一番好きだ」
「ふふふふふ。そうなんだ。じゃあ……あ、そうだ。人間は? ドラゴンにとっておいしかったの?」

 味の好みをしゃべるデュラを見るのが楽しくなって、ソラトはつい調子に乗って聞いてしまった。過去を責める意味などは微塵もなかったのだが、言ってから少し意地悪な質問だったかもしれないと思った。
 滑らせてしまった口を慌てて引っ張って戻す。

「あっ、これは別に嫌味とかそんなんじゃないよ? 答えたくなかったら答えなくていいからね!」

 だが、言われた本人は気にはしていないようだった。

「私は食べたことがなかったから知らないが、同胞の話では――」
「えっ? デュラは人間食べたことないんだ? 意外!」

 思わず途中で遮ってしまった。

「意外か? ドラゴンはそもそも人間を食べない生き物だ」
「へええー……」

 今までドラゴンに殺された人間は全員食われてしまったものと思っていたソラトには、それは驚くべき事実だった。
 しかし。

「いま『私は』って言ったよね。食べたことがあるお仲間さんもいたってこと?」
「ああ。同胞で食べた者は……いや、正確には食べようとした者はいた」
「どういうこと?」
「我々に滅ぼされた人間の町があるのは知っているな?」
「うん。降伏を拒んで一人残らず殺された町があるって、聞いたことあるよ」

「人間の町を襲撃したのはあれが初めてだったが……我々は殺した人間を全部食べるつもりだった」
「なんで? 普段は食べないんでしょ」
「我々なりの敬意、といったら信じるか?」
「デュラ言うことは何でも信じるよ」
「……」

 これまたソラトだけがわかる表情。そして首がスッと動いて。
 ペロリ。

「うはは。まだ話が途中でしょ」

 微妙な酒臭さは別に気にはならない。ただし顔を舐められるのはくすぐったい。身をよじってしまう。
 話の続きをどうぞということで、デュラの頬をポンと軽く叩く。

「……まあ、食べればその肉が我々の体の一部となって残るからだ。そうでなければただ殺しただけだ」
「なるほど」
「しかし、結局食べることはできなかった。とても食べられる味ではなかったそうだ」

 デュラが上から差し込む光に目を向けた。

「もしかしたら、その時点で我々の運命も決まったのかもしれない。食べ物にならぬものを大量に殺した時点でな。この世界で、食べるため生きるため以外に、わざわざ無意味な殺しをする生物などいない」
「確かに食べ物でもないのにわざわざ殺すのって、よく考えたら不自然なのかもね」

 不自然――デュラはその言葉に反応した。

「そうだ。不自然という言葉が一番合う。今思えば、我々が討伐されたのも自然界の掟に逆らった報いなのかもしれぬ。我々は大魔王様との契約があったとはいえ、大きな過ちを犯してしまったのだろう。
 人間は私の見る限り不必要に他の動物を殺すことはない。人間が生き、我々が滅びる。この世界はごく当然の答えを出したに過ぎないのだろう」
「……」

 なんと言えばよいかわからず黙ってしまったソラトの背中に対し――。

「なんで年明け早々にそんな暗い話をしてるのかなあ」
「わっ!?」

 ソラトはあぐら座りのまま飛び上がった。
 振り向くと、地味な灰色マントに身を包んだ人間たちが巣の入口からに中に入ってきていた。人数は四人。先頭の若い男は酒の樽を持っている。その樽の上はやや小ぶりな籠が乗っており……どうやら食べ物が入っているようだ。

 元冒険者、しかも一番上のランクだったのに、ソラトは誰かが近づいてくる気配にまったく気づかなかった。
 デュラのほうはというと、驚いた様子はない。だがその代わり腰を落としていた形をやめて起き上がり、意識的に姿勢を正すように、首をしっかりと起こした。

「久しぶり、ソラトくん。元気だったかな」
「久しぶり? えっと……誰だっけ?」
「ん? 俺忘れられた!? まだそんなに前の話じゃないよな? そっちのドラゴンさんはちゃんと覚えてくれているみたいなのに。ひどいなあ」
「……私は目と鼻の両方で対象を覚える。ソラトよりも気づきやすいのだと思う。その節は大変世話になった」

 そう言って長い首をペコリと下げるデュラを見て、ソラトはようやく思い当たった。

「あ! 勇者さんたち?」
「やっとわかったか。遅いよ」

 先頭の若い男が樽を一度置き、マントを払うように開く。
 見覚えのある……いや忘れもしない、勇者の青い鎧。

「ごめんなさい。マント姿だったんで分からなくて。あのときは本当にお世話になりました」
「なんでい。まったく」
「いや、だってあのとき凄いわかりやすい色と格好だったし。勇者さんは青い鎧で、女戦士さんはピンク色の水着みたいなえっちい鎧で、僧侶さんは水色の法衣で、魔法使いさんは緑のローブ――」

 ソラトは慌てて弁明したが。

「はー、色と恰好でしか覚えていないとかどうなんだ」

 どうやら一層呆れられたようである。

「あれ? 何気に私だけ、けなされたか?」
「ははは。少しは姿を変えないとお忍びの旅になりませんからね。いつもはこんな格好ですよ」
「フォッフォッフォ。大丈夫じゃソラトくん。ワシは昨日のメシもよく忘れるからの」

 勇者以外の三人も大慌てのソラトに対し、それぞれ笑いながら言葉を返してくる。そして次々とマントを開き、最初に会ったときの恰好を披露した。

「というかソラトくん。どうして巣の中で新年を祝っているんだい? 暗いところで話してるから話題も暗くなっていくんだって。酒持ってきたから、外行こうよ、外」
「おいコラ。人の家にズカズカ入ったあげく勝手に仕切り始めるな」

 女戦士は勇者をたしなめるが、ソラトはその提案を受けた。

「それはそのとおりかも。外で一緒に乾杯しましょうか。デュラいいよね?」

 デュラは穏やかな顔で首を縦に振った。



 ***



 横穴の近くに、大きく開けている場所がある。
 座っていても、麓の森や、ペザルの街並み、港、その先に果てしなく広がる海が一望できる、天然の展望台だ。

 ――人間では、夫婦は嘘や隠し事をしないことになってるんだ。だから、僕はもう二度とデュラに嘘をつかないよ。
 ――では私も嘘をつかないよう気をつけよう。

 かつてソラトとデュラが誓いを立てた、二人にとっては特別な場所だ。
 あまりの絶景のため、二人と四人は最初円形にはならず、全員がその景色のほうに向いて座った。酒の入った樽は一時的に忘れ去られ、景色に同化する。

「デュラ、見て。あそこにものすごく大きな船が見えるでしょ?」
「ああ。私がお前に乗せてもらった船よりもずっと大きい」
「だよね。しかも豪華だ。船だけじゃない。建物だって、少し前よりも立派な建物が建つようになってる。大魔王がいなくなったことで生活が脅かされなくなったから、いろいろなところに力が注げるようになってきてるんだ」
「なるほど。ソラトはよく見ているな」

「そのうち何もかもがすごい進歩して、僕ら人間は誰もがドラゴンみたいに力が有り余るようになるかもしれないよ。そうなったとき、人間も不必要に他の生き物を殺したり、世界征服とか変なこと考えたりする人が出てきちゃうかもしれないよね」
「だからー。ソラトくーん」

 もちろんその声は勇者からだ。

「あ。ごめんなさい。新年にする話じゃないですよね。あはは」
「いやいや。そのようなことを考えるのも大事じゃろうて。まあ勇者殿のように強くても頭の中がスッカラカンで野心のない者もおるからの。決して未来は悲観するものでもあるまいて」
「それほとんど悪口だろ」

 褒めているのかけなしているのかよくわからないが、言われている本人は後者に受け取ったようである。

「ははは。ところで、勇者さんたちってまだ世界を旅してるんですか?」
「そうだよ。もう少しでそれも終わるけど。早めに切り上げたかったんだけど王様がうっさくてさ。ほんっとめんどくさ」

 勇者は生あくびと両手を挙げた大きな伸び付きで、そんなことを言う。

「フォッフォ。旅は楽しい面もちゃんとあるぞ」
「え、俺はあんまりないけどな。移動が面倒なだけ」
「はは。勇者様はもともと知的好奇心がないですもんね。旅はその土地のモノを見て、それを知ることでもあります。知ることが楽しくない人には旅はつまらないものかもしれませんね」
「だな。お前いつも『勉強になった』とかいう割にはすぐ忘れるだろ」
「ほっとけ」

 三人が次々と勇者に突っ込んでいくのを見て。ソラトは安心の笑みが自然と出てきた。ああ、この四人の会話での役割も変わってないんだ。あのときのままなんだ――と。

「勉強は大事じゃぞ。特にこれからの世ではな……。もう剣ができれば良いという時代は終わりじゃからの。勇者殿は自他ともに認める勉強嫌いじゃが、ソラトくんはどうなんじゃ?」
「僕もあまり好きじゃないかも」
「旅することはどうじゃ?」
「うーん、それは嫌いじゃないですけど。ここでデュラと一緒にいるほうが楽しいです」

 言い終わる前に、デュラの首が動いていた。

「イテテ。前も言ったけど、それ鱗がちょっと痛い」
「あ、すまない」

 体にガリガリ頬をこすりつけられ、ソラトは笑いながら顔をしかめた。

「フォフォ。相変わらず仲良いのう。じゃが、お前さんたちは特にこれから、この世界の勉強が必要になるかもしれない立場じゃぞ」
「そうなんですか?」

 ソラトがそう返す横で、デュラも首を少し首をひねる。

「うむ。お前さんたちはこの世界で特別な存在となる。人間と最強の野生生物の夫婦じゃぞ? もしも子孫を残せるということになれば、下手すりゃ人間の脳とドラゴンの力を併せ持つ最強の知的生物が誕生することになるかもしれん。
 そうなったら、人間たちと、いや、この世界そのものとどう付き合っていくのかを真剣に考えなければならなくなるぞ?」

 ここでデュラも一つ大きくうなずき、口を開いた。

「私は今や人間に生かしてもらっている存在だ。ドラゴンの血を持つ者たちがこの世界に対し何ができるのか。人間に対しどのような付き合い方をすれば最高の恩返しになるのか……。それはしっかりと時間をかけて考えていかなければならないことだと思う」

「うわあ、ドラゴンってしっかりしてるんだなあ。びっくりだ」
「ははは。勇者様よりもしっかりされているかもしれませんね」
「まったくだ」
「だからいちいち俺をいじってくれなくていいっての」

 女戦士と僧侶に苦笑半分うんざり半分の顔を返す勇者。
 一方ソラトは、魔法使いやデュラの言っていることに納得するとともに、不安も覚えた。

「うーん……でも例えば今から僕らが世界をめぐって見分を広めて、というのは難しいかも。もうすぐここを離れられなくなりそうなので」
「まあ、そんな慌てる話でもない。時間をかけてゆっくり考えるとええ。じゃがここを離れられなくなるというのはなぜじゃ?」
「えっと。実はもう、デュラ身籠っているみたいで。お腹の中にできちゃってるようなんです」

「――!?」

 勇者以下四人の目が勢いよく見開かれた。そのまま飛び出すのではないかと思われるほどだった。

「……ソラトくん、そういうのは早く言おうよ。びっくりしたじゃないか。おめでとさん」
「なんと……。よかったな。二人ともおめでとう」
「交尾は成立したのですね。おめでとうございます」

 勇者、女戦士、僧侶が驚きながらも祝辞を述べていく。
 そして魔法使いは――。

「フム、めでたい。じゃがそういうことならば、課題は次の世代に託すのも悪くないんじゃないかのお」

 そんな提案をしてきた。

「生まれてくる子供たちに、ですか?」
「そうじゃ。この世界のことを勉強させるのであれば、ペザルによい学者がおる。少し偏屈で変わった奴じゃが、きっとお前さんたちの子供にぴったりの師匠になってくれるじゃろうて。紹介状なら書くぞい」
「ありがとうございます。何の先生なんですか?」
「地理学、じゃ」

「地理専門の学問なんてあるんですか。全然知らなかった」
「そうじゃ。まあワシも聞くまで知らんかったがの。その土地における自然の営み、生物の営み、人間の営み、すべてを総括した学問じゃよ。その学者は特に植物の生態、植生学が得意だそうじゃがな」
「植物のことを? そんなの研究対象になるんだ……」
「植物は足がないじゃろう? その土地の寒さや暑さ、雨の量、土の質、動物相――その土地のすべてを反映する生物じゃ。それを研究することはこの世界そのものを研究する第一歩……とその学者は言っておったぞ」
「へえ……」

 ソラトは眼前に広がる青と緑の絶景をあらためて見渡しながら、ゆっくりと魔法使いの言葉を消化した。

「じゃあデュラ、こうしようよ。いっぱい子供を作れば、一人くらいは旅も勉強も向いてるのがいると思うから、その子に勉強してもらって、そのうえで世界を見て回る旅をしてもらおう。
 そして一緒に考えてもらおうよ。僕らの子孫たちはどうやってこの世界と付き合っていけばいいのかを」
「なるほど。それはよいな。賛成だ」

「よーし。じゃあ決まり! デュラ、一人目が生まれた後も一生懸命ヤって子供をたくさん作ろう。弓と同じで数撃ちゃきっと当たるよ!」
「わかった」

「……そこは普通に『子作り頑張ろう』とでも言えばいいんじゃないか? やらしいぞ」

 女戦士が珍しく勇者以外の人間に突っ込んだ。

「ソラトくん相変わらず面白いなあ。で、話がまとまったんなら、そろそろ乾杯し直さないかい。酒の樽とつまみが仲間になりたそうにこちらを見ているよ?」

 笑いながら勇者がそう言って、ポツンと横に置かれたままになっている樽を指さした。

「あ、そうですね。すみません」

 ソラトは亜麻色の髪を掻くと、樽を抱えて六人の目の前に持ってきた。
 樽を半円状に囲むように座り直しが終わると、杯を一人一人に配る。もう樽ごと飲むことは無理そうなデュラには、ソラトが杯で飲ませることにした。
 そして勇者に乾杯の音頭をとってほしいと振る。

 勇者は「何に乾杯するのかはもう決まりだな」と笑い、杯を掲げた。

「それじゃあ。新しい命に、新しい生物に、乾杯――」