英雄


 

第一章

                 英雄
 マルコ=ブチャラッティは子供の時よく両親に彼の夢を語っていた、その夢はというと。
「僕英雄になるんだ」
「そうか、英雄か」
「英雄になりたいのね」
「うん、人を助けて頑張る」 
 右手も左手も強い拳にして語るのが常だった、その黒い目を輝かせて。
「そんな英雄になりたいよ」
「シュバイツァーみたいな人だな」
 父のジュゼッペは息子の言葉を聞いてよくこの偉人の名前を出した、自分によく似た濃い茶色の縮れ毛の鳥の巣の様な髪と浅黒いそれでいて彫のある顔を見ながら。
「そんな人になりたいんだな」
「うん、そうだよ」
「それなら必死に勉強しないとな」
「そうしてお医者さんにならないとね」
 母のピラールも言う、茶色の長い髪をたなびかせ。目の色は息子に受け継がれている。見れば明るい顔立ちで紅の唇が実にいい。
「シュバイツァー博士みたいに」
「シュバイツァー博士ってお医者さんだったんだね」
「ええ、そうだったのよ」
「ううん、じゃあ英雄になるにはお医者さんにならないと駄目なの?」
「いや、そうとも限らないぞ」
 ジュゼッペはいぶかしんだ息子に笑顔で話した。
「これがな」
「っていうと?」
「英雄のあり方は一つじゃないんだ」
 人を助けるそれはというのだ。
「お医者さんだけじゃないんだ」
「っていうと?」
「軍人さんも人を助ける仕事だぞ」
 戦う筈の彼等もというのだ。
「災害があったら困っている人達を助けに行くからな」
「だからなんだ」
「そうだ、そうした人達もな」
 まさにというのだ。
「英雄なんだ」
「そうなんだ」
「そうだ、とにかく困っている人達を助けられたらな」
「英雄なんだ」
「そうだ」
 まさにとだ、父は幼い息子に話した。
「だから英雄はお医者さんじゃなくてもいいんだ」
「シュバイツァー博士みたいじゃなくても」
「シュバイツァー博士はお医者さんじゃなくてもそうしていたさ」
 人を助けに行っていたというのだ。
「だからな」
「僕もなんだ」
「お医者さんじゃなくてもいいけれどな」
「シュバイツァー博士みたいなだね」
「英雄になりたいのならそうなれ」
 こう言うのだった。
「いいな」
「うん、わかったよ」
 マルコは父のその言葉に頷いて答えた。
「僕人を助ける英雄になるよ」
「そうだ、頑張れよ」
「人を助けられることはそのことだけでとても素晴らしいことだから」
 ピラールも息子に言うのだった。
「そう思ったらね」
「うん、なるよ」
 マルコは母にも答えた、そしてだった。
 彼は子供の時に誓ってだ、それからだった。
 人を助けられる人になりたいと思いつつ頑張った、だが。
 成長するにつれて彼は自分自身に気付いたことがあった、それは何かというと。 

 

第二章

「僕医者にはなれないね」
「ああ、御前理系は駄目だからな」
「そちらはね」
「うん、そうなんだよね」
 十六の時に家で両親に話した、このことを。
「どうも」
「文系は出来てスポーツも出来るのにな」
「数学とか理科は駄目ね」
「勉強はしてるんだろ」
「それでもよね」
「うん、かなり勉強してるけれど」
 数学や理科の系統の科目もとだ、マルコは両親に難しい顔で話した。
「そちらはね」
「それはもうあれだな」 
 ジュゼッペはマルコに難しい顔で述べた。
「適性だな」
「向き不向きだね」
「御前は理系に適性がないんだ」
 要するにというのだ。
「それもかなりな」
「そうなんだね」
「それだとね」
 ピラールも息子に言った、眉を曇らせたうえで。
「あんたお医者さんになりたいって言ってるけれど」
「あっちは理系も必要だからね」
「それじゃあね」
「医学部の試験に受からないし」
「若し受かってもよ」
「理系が駄目なお医者さんなんてね」
「どうにもならないから」
 それでというのだ。
「そちらはね」
「無理なんだね、つまりは」
 マルコも眉を曇らせて言った。
「僕はお医者さんにはなれないね」
「ああ、もうな」
「諦めるしかないのね」
「シュバイツァー博士になれないんだね」 
 こうもだ、ジュゼッペは言った。
「それじゃあ」
「ああ、あの人にはな」
「そうしたお医者さんにはね」
「そうだね、困ったな」
「いや、まだ諦めるな」
「それには早いわ」
 肩を落とそうとした息子にだ、両親はすぐに言った。
「お医者さんだけじゃないって言ったな」
「他にも人を助けられるお仕事があるって」
「だからな」
「そちらになればいいのよ」
「そうなんだ、じゃああらためて考えるよ」
 マルコは両親の言葉を受けて言った。
「どういったお仕事で人を助けられるか」
「そうしろ、まだ時間はある」
「進路を決められるだけの時間がね」
「そしてそれからな」
「人の為に働くのよ」
「そうするよ、大学受験まで」
 まさにその時までというのだ。
「じっくり考えるよ」
「そういうことでな」
「そちらも頑張ってね」 
 両親はこう二人に言った、そしてだった。  

 

第三章

 マルコは理系は諦めて文系の勉強に励みその結果だった。文系の大学ならばかなりのところに行けると言われた。
 それでだ、彼は高校の先生に言われた。
「話も上手だし先生とかいいんじゃないか?将来は」
「学校の先生ですか」
「国語なり社会なりラテン語なり」
 彼の得意科目のそれでというのだ。
「そういうのでなってみるか」
「学校の先生ですか」
「君の将来への夢は聞いているよ」
 それはというのだ。
「人の役に立ちたいんだね」
「子供の頃からそう思ってます」
 マルコは先生にもこう答えた。
「本当に」
「それなら学校の先生でもいい」
「そうなんですか」
「ちょっと君に紹介したい話があるんだ」
 先生はマルコに真剣な顔で話した、髭だらけの痩せた顔で。シャツはノーネクタイだがそれが似合っている。
「日本の話で」
「日本ですか」
「その話を紹介していいか」
「はい、お願いします」
 マルコは先生に頷いて答えた、そしてだった。
 実際にその話を紹介してもらった、その話は。 
 日本が台湾を統治していた時の話だった、まだ教育が普及していなかったその地に日本から教師達が渡ってだ。
 台湾の子供達に教育を行った、しかもだ。
「何の武装もせずにですか」
「そう、銃も刀も持たずにね」
 先生はマルコに話をしてから答えた。
「そうしてね」
「まだ危険が多かった台湾に入って」
「子供達に教育を行っていたんだよ」
「それでも」
「うん、残念ながら暴漢達に襲われてね」
 そしてというのだ。
「六人の先生達が命を落としたんだ」
「悲しい話ですね」
「けれどその先生達の心が生きてね」
 そうしてというのだ。
「多くの台湾の子供達が教育を通じて救われたんだ」
「そうなんですね」
「この先生達は今でも台湾で尊敬されているよ」
 死して尚、というのだ。
「素晴らしい人達だって」
「台湾の子供達の為に尽くした」
「立派な人達だってね」
「人を助けたんですね」
「そう、人の為にね」
 まさにというのだ。
「台湾の」
「そうですよね、先生もですか」
「そう、その立ち場でもね」
「人を助けられるんですね」
「そうだよ、まあ私はね」 
 先生は自分のことはだ、苦笑いで言った。
「残念ながらこうしてね」
「イタリアにいてですか」
「しがない教師をしているけれど」
「学校の先生もですか」
「困っている人達を救えるよ」
 それが出来るというのだ。 

 

第四章

「実際にね」
「そうなんですね」
「だから先生になることを考えてもいいんじゃないか」
 人を助けたいのならというのだ。
「あと神父さんもあるね」
「神父さんですか」
「神は全ての人を救われる」
「はい、そうですね」
 マルコも先生も信仰がある、それでこのことを信じて言うのだった。
「神父になっても」
「そうだよ、ただ他の信仰も理解しないと」
「駄目ですね」
「そうだよ、本当にね」118
 そこはというのだ。
「神父になってもね」
「悪い神父になってしまいますね」
「これは先生もだよ」
「学校の先生も」
「台湾に行った日本の先生達は立派だったね」 
 このことをだ、先生はマルコに話した。
「そうだったね」
「はい、本当に」
「先生になるだけじゃないんだ」
「人格もですね」
「大事だよ」
 まさにというのだ。
「というかまずはね」
「人格ですね」
「そう、お医者さんでも学校の先生でも」
「どういった職業でも」
「性根が腐っていたら」
 それこそというのだ。
「マフィアと変わらないさ」
「そういうものですね」
「そう、警官を見るんだ」
 本来なら正義と法律、そして市民達を守るべき彼等もというのだ。
「我が国には悪質な警官も多い」
「マフィアとつながっていたり」
「そうした警官はどうだい?」
「英雄じゃないです」
 マルコは先生にきっぱりと言った。
「間違っても」
「そうだね」
「はい、とても」
「むしろ英雄に倒されるべき」
「そんな人達ですね」
「だからまずはだよ」
 何といってもというのだ。
「人格だよ」
「人を助ける為には」
「そう、わかったね」
「はい、じゃあ僕はやっていきます」
「学校の先生になるにしても」
「人格も研いていきます」
 先生に誓った、そして実際にだった。
 マルコは性格についても心掛ける様になりそちらの努力もした、そのうえで教師になる教育課程に進んでだった。
 ラテン語の教師になった、マルコはその資格を得るとすぐにだった。
 海外協力隊の事務所に行ってだ、強い声で申し出た。
「私も他の国で」
「働きたいのですか」
「はい、是非」
 事務所の受付の人に強い声で言った。 

 

第五章

「そうしたいです」
「そうなんだね」
「教師として」
 この資格を活かしてというのだ。
「困っている人達の場所に赴きたいです」
「そうですか、ではです」
「はい、すぐに願書を書かせてもらいます」
「いえ、まずはこの事務所の所長にお会いして頂けますか」
「所長さんにですか」
「そうしてくれますか?」
 受付の人はマルコにこう言った。
「まずは」
「そこで願書をですか」
「はい、お願い出来ますか」
「それでは」
 いきなり願書を書かせてもらうつもりが意外な展開になったと思った、だが所長室に案内されると三十程度のブロンドの髪の女がいた。長い睫毛に黒い瞳に紅の唇の艶やかな女だ。
 その女はだ、まずは名乗った。
「レナータ=フレーニといいます」
「ここの所長さんですね」
「はい、どうしてこちらに来られたのですか?」
「実は」
 マルコはフレーニに自分が何故ここに来たのか、そして自分のこともどうしたいのかも熱く話した。そしてだった。
 フレーニにだ、強い声で言った。
「是非僕を」
「困っている人達のところにですね」
「行かせて下さい」
 頼み込んで言った。
「そうさせて下さい」
「お気持ちはわかりました」
 フレーニはマルコの言葉を受けてまずは頷いた。
 しかしだ、すぐにこう言ったのだった。
「ですが今は協力隊で派遣する人員は足りています」
「では順番待ちですか」
「はい、そして」
「そして?」
「実は協力隊のイタリアでのスタッフが不足していまして」
「このイタリアのですか」
「派遣するべき人は足りていますが」
 満員だというのだ、そちらは。
「しかし現地のスタッフがおらず」
「事務や支援の」
「はい、そうした人達が」
「お医者さんや先生がいても事務員や作業員の人がいないんですね」
「そうした状況です」
 わかりやすく言えばというのだ。
「今現在の我々は」
「そうなのですか」
「それで貴方今お仕事は」
「まだ在学中で」
「決まっていないのですね」
「就職はこちらのつもりでした」
 協力隊で海外の困っている人達のところに行くことだったのだ。
「そうでした」
「そうでしたか、それでは」
「それでは?」
「我が協力隊のイタリアスタッフとしてです」
「就職をですか」
「されてはどうですか?」
「あの、僕は」
 どうしてもとだ、彼は難しい顔で言った。
「それは」
「そのお考えはないですか」
「僕は外に行きたいんです」
 困っている人達のところにというのだ。 

 

第六章

「ですから」
「では順番待ちの形で」
「それで、ですか」
「はい、待たれると共に」
 フレーニは何気に交渉も行った、何時かは海外に行って望みが叶えられるかもということを餌にしたのだ。マルコのその願いを。
「そうされては」
「そうですね、就職もですね」
「しないといけないですね」
「現実として」
「それならです」
 是非にというのだった。
「お考えになられては」
「わかりました」
 マルコは餌に乗った、そしてだった。 
 実際にだった、彼は海外派遣ではなくイタリアのスタッフとしての願書にサインをして就職をした。そうしてだった。
 大学を卒業してから働きだした、彼は海外に送られる若いスタッフのことについての事務を主に行った。
 その仕事は滅法忙しくてだ、若い女の子のスタッフに言った。
「事務も忙しいね」
「シェスタの時間がやっとですね」
「取られる位だね」
「そうした位ですね」
「いや、忙しいよ」
「何しろ人がです」
 そもそもというのだ。
「少ないですから」
「現地のスタッフに」
「はい、ですから」
 だからだというのだ。
「どうしてもです」
「こうして忙しいんだね」
「そうなんです、ですが」
「僕達が働かないと」
「何も出来ないです」
 スタッフは確かな声で言った。
「本当に」
「そうだね、行く人も大事だけれど」
 海外に実際にだ。
「僕達みたいな現地のスタッフもね」
「大事ですね」
「考えてみれば軍隊でもそうだよ」
 マルコはこうも言った。
「後方がしっかりしていないと」
「戦えないですね」
「我が国の軍隊は補給はしっかりしてるから」
 このことには第二次大戦の時も定評があった、よくも悪くもイタリア軍の食料事情は砂漠でもしっかりとしていた。
「そういうことからも考えると」
「やっぱり私達も必要です」
「そうなるね」
「そうです、そして」
「僕達が頑張れば」
「理想はもっと人が増えればですが」
 スタッフの娘は笑って何気に本音も出した。 

 

第七章

「それでもですね」
「そうだね、僕達がいてこそ」
「海外協力隊も動けます」
「そうだね、じゃあこれからもね」
「今のお仕事にですね」
「頑張るよ、海外協力には行きたいけれど」 
 まだこの気持ちはある、だがそれでもだった。
「僕は僕が今出来ることをね」
「されますね」
「そうしていくよ」
 こう言ってだ、彼は今の仕事にやりがいを見付けた。そうして二年三年と働いていってだ。結婚もしてだった。
 子供も生まれた、そして子供達は彼等の友人達に言うのだった。
「お父さん凄いんだぞ」
「人を助けるお仕事してるんだぞ」
「海外協力隊の人達を助けてるんだ」
「人を助ける人達を助けているんだ」
 そうしているというにだ。
「お父さんは英雄なんだ」
「英雄を助けている英雄なんだ」
「僕達も絶対にそうなる」
「大人になったらそうなるんだ」
 こう言うのだった、そしてだった。
 その話を聞いてだ、マルコは妻に笑顔で言った。
「僕は英雄になっているんだね」
「ええ、そうみたいね」
 妻のリッラは夫に笑顔で応えた。
「お義父さんとお義母さんもそう言ってるけれど」
「お父さんとお母さんも」
「ええ、あなたは英雄だって」
「シュバイツァー博士にも六士先生にもなれなかったけれどね」
 彼がかつて憧れていた彼が思う英雄達の様にはだ。
「けれど今の僕はなんだね」
「そのシュバイツァー博士や六士先生を助けている」
「そうした英雄なんだね」
「そういうことよ」
「こうした英雄もいるんだね」
 マルコはしみじみとした口調で述べた。
「いや、僕もそのことはわかっていなかったよ」
「あなた自身もなのね」
「どうにもね、けれど言われてみれば」
 確かにだった。
「それもまた英雄だね」
「そうなるわね」
「僕は英雄になっていたんだ」
 マルコの口調はしみじみとしたものになっていた。
「人を助けている」
「気付かないうちにでも」
「そうなるなんて、けれど僕がそうなら」
 それならと言うのだった。
「僕はこれからもね」
「人を助けてなのね」
「英雄を助ける英雄になるよ」
「そうなってね、じゃあね」
「これからも頑張るよ」
「そうしてね」
 リッラは見事な茶色の髪とはっきりとした目が目立つ整った顔で夫に言った、そうして子供達と共に家に夕食を食べている夫を癒した、一人の英雄を。


英雄   完


                     2017・1・14