時代が違えば


 

第一章

                 時代が違えば
 オスカー=ワイルドは強気だった。知性と気品に満ちたその顔で自信満々で親しい者達に言い切ってみせた。
「例え誰であろうともだよ」
「君をだね」
「止められないんだね」
「そうだよ、私はこの世の美を追求しているのだよ」
 胸を張ってさえいた。
「それだけだ」
「しかしだよ」
 友人の一人はそのワイルドにあえて言った。
「君は実際に罪に問われている」
「同性愛にだね」
「それを考えるとだ」
「イギリスに戻ることはだね」
「止めた方がいいと思うがね」
「ははは、言ったね」
「誰もだね」
「私の芸術、美への追求は止められないよ」
 自信はそのままだった、不遜でさえある。
「教会も裁判所もね」
「では裁判にもだね」
「出る、そしてだよ」
「勝つというんだね」
「例え彼のお父上が幾ら手を回しても」
 今回の騒動の元凶だ、彼の恋人同性愛の相手の父親が力のある貴族であり彼を怒って告発したのである。
「私が負ける筈がない」
「いや、そう言うがね」
「彼のお父上は本気だよ」
「本気で君を牢獄に叩き込むつもりだ」
「君に牢獄は無理だ」
 芸術的生活と言うか優美な生活を送り続けている彼にというのだ。
「ロンドンのダウンタウンの労働者でも音を上げる場所だぞ」
「そんな場所に君が入って大丈夫な筈がない」
「間違いなく君はとんでもないことになる」
「だからイギリスには戻るな」
「お金はあるんだしこうして他の国で暮らすんだ」
「ほとぼりが冷めるまでな」
「ははは、だから心配は無用だよ」 
 周囲から見れば根拠がないとした思えない自信で以てだ、ワイルドは友人達に話した。長い黒髪を優雅に掻き分けて。垂れた目と面長な顔には耽美そのものがある。
「私はクイーンズベリー候にも真の美を話せる」
「そうなればいいがね」
「そして何もなければいいが」
「裁判に勝ってね」
「お咎めがないのなら」
 友人達は自分達の言うことを全く聞こうとしない彼に不安と心配を覚えた、そして彼等の不安と心配は見事に的中した。
 ワイルドは裁判に敗れ牢獄に入れられることになった、牢獄での日々は誰もが予想した通り彼にとってはあまりにも辛く。
 彼はすっかり打ちのめされ以前の様な自信も誇りも失い意気消沈した抜け殻の様になってしまった。そして。 
 そのまま衰弱しきる様にして世を去った、彼の友人達も世の者達も彼の寂しい葬儀の後で嘆息して言った。
「イギリスに帰らなかったら」
「そして裁判に挑まなかったなら」
「ああはならなかったのに」
「何故ああしたのか」
「同性愛は罪だというのに」
「牢獄に入れられるとわかっていたのに」
 こう言い思い彼の文才とそして無闇な無分別を惜しんだ。この世を去った彼のことを残念に思いながら。 

 

第二章

 そしてワイルド自身もだ、天国でだった。
 彼が死んだ後のイギリスを見てだ、天使の一人にこんなことを言った。彼の好きな乗馬服を着ていて頭には輪がある。
「若しもだよ」
「はい、貴方が後世にいればですね」
「私はああした晩年を過ごさなかったかな」
「そうでしょうね」
 天使はワイルドに率直な顔で答えた。
「やはり」
「やっぱりそうなんだね」
「まあ貴方のことですから」
 ワイルドの顔をよく見てだ、天使はこうも言った。
「その世の中の摂理を無視した生活は言われていたでしょうが」
「同性愛を含めてだね」
「放蕩とかデカダンスでしたからね」
 ワイルドの生活、それはというのだ。
「美、芸術至上主義はいいとしまして」
「それは私の作風にも出ているよね」
「はい、存分に」
「私の美は耽美なのだよ」
 このことをだ、ワイルドは述べた。
「それが作風なのだからね」
「生活にもですね」
「出ていたというのですね」
「それだけなんだがね」
「そのそれだけが問題なんですよ」
 ワイルドの場合はとだ、天使は彼に自身に言った。共に雲の上から下界のロンドンを眺めつつ。
「貴方はそう思っておられても」
「私は糾弾されていたんだね」
「はい、ただ同性愛は」
 彼が牢獄に叩き込まれそこから寂しく無残な晩年を送ったきっかけになったこの嗜好はというと。
「今のイギリスではです」
「多くの人が楽しんでいるね」
「ですから。私は神の僕なので認めたくないですが」
 キリスト教は同性愛を禁じているからだ、そもそもワイルドが投獄されたのもキリスト教の倫理から作られた当時の法律による。
「その通りですね」
「そうだね」
「ですから貴方もです」
「投獄されずに済んだんだね」
「はい、そうです」
「となるとやっぱりだね」
 ここまで聞いてだ、ワイルドはその形のいい顎に手を当てて述べた。
「私はああした晩年を過ごさずに済んだんだね」
「梅毒も治る病気になっていましたしね」
「そして名作を書き続けていられた」
「はい」
 まさにというのだ。
「そうなっていました」
「そうだね」
「まあ梅毒は置いておきまして」
 当時は死に至る病気でありワイルド自身も直接の死因であったこの病気のことはとだ、天使は彼に話した。
「貴方は裁判になっていませんでした」
「逆に侯爵を名誉毀損で訴えていたしね」
「そちらで勝っていたかも知れないですね」
「では私はやはりだね」
「今現在のイギリスに生まれていれば」
「逮捕もされないで」
「大作家、文豪と言われていたでしょうね」 
 彼の文才を以てすればというのだ。 

 

第三章

「少なくとも頭脳明晰で類稀なる才能があったのですから」
「ははは、そうだね」
「ただ、それはイギリスの話で」
 天使は生きていた頃の自信を見せたワイルドにこうも言った。
「貴方は日本に生まれていましたら当時でもです」
「あの国は同性愛が普通だしね」
「そのことで捕まった人間は一人もいません」
「歴史においてだね」
「そうです、それ自体で罪に問われた人間はいません」
 それこそ一人たりともというのだ。
「このことから恋愛沙汰や情痴事件になったことはありましても」
「日本では同性愛はそこまで一般だったんだね」
「同性愛のもつれで殺し合い、果ては仇討ちになったこともある位で」
「おお、それはまた見事な」
 ワイルドは天使からその話を聞いて思わず声をあげた。
「日本人は美をわかっているな」
「伊賀越とか何とかいう歌舞伎にもなっています」
「素晴らしい国だ、そこまでとは」
「貴方が日本に生まれていたら何時の時代でも捕まっていませんでした」
「では私は生まれてくる時代と国を間違えたのか」
「そうなりますかね、ただ」
 天使は考える顔になったワイルドにこうも言った。
「貴方は同性愛という大罪を犯しましたが」
「キリスト教においてはね」
 ちなみにワイルドはプロテスタントの牧師の家に生まれている、奨学金を得てそのうえでオックスフォードを首席で卒業したのだ。
「そうだね」
「しかしその文化的業績が認められてここにいますから」
「煉獄でも地獄でもなく」
「多くの人に素晴らしい作品を読ませている功績で」
「生きていればもっと書き残せたんだがね」
 ワイルドはここでまた自信を見せた。
「投獄さえされないと」
「天国にいますから、いいんじゃないですか?」
「あの時のイギリスに生まれて」
「はい、まあそれは運命ってことで」
「作品をあそこまで残せただけでもだね」
「いいんじゃないでしょうか」
「そういうものだろうか」
「貴方には地獄は合いませんよ」
 天使はワイルドにこうも言った。
「人の世の牢獄でもあれだけ打ちのめされたのに」
「あんな思いは二度としたくないね」
「では天国にいるだけで、です」
「満足すべきかね」
「ここで思いきり美を讃えて下さい」
 乗馬服とブーツ、鞭で洒落た格好をしているワイルドに言った。 

 

第四章

「何でしたら日本人の方にも行かれて」
「美を語り合ってはというんだね」
「そうされてはどうでしょうか」
「それもいいね、しかし」
「今はですね」
「書こう」
 ワイルドは天使に強い声で言った。
「そうしよう」
「はい、ただ神に変な作品を見せないで下さいね」
「私の美をかい」
「神が怒られますので」
「怒ろうとも私の芸術は至上のものだ」
 ワイルドは生前、入獄前のそれを出した。
「神ですら認める程のものじゃないか」
「ですが神は耽美はお嫌いなので」
「そちらの作品はかい」
「神にはお見せしない様に」
「若し見せればだね」
「はい、またですよ」
 天使はワイルドに眉を曇らせて話した。
「ああなりますから」
「流石にあれは私も堪えた」
 入獄、そして牢獄での生活はというのだ。
「私にとっては地獄だったよ」
「そうなりたくないですね」
「ではだね」
「はい、くれぐれもです」
「ああいう思いは死んでも二度としたくないね」
「もう死んでますし」
 天使はワイルドにこのことも突っ込みを入れた。
「ですがそうならない様に」
「わかったよ、ではね」
「はい、書かれて下さい」
 神にはそうした作品を見せない様にしてとだ、こう言ってだった。天使はワイルドに生前の様に書いてもらった。そしてワイルドも今は寛容な下界を見つつ書いた。その状況を羨ましく思いながら。


時代が違えば   完


                        2017・1・23