いたくないっ!


 

第一章 俺のアニソン

     1
 人生で最大級の挫折を味わった。
 俺の心の傷を癒すために、誰かアニソンを作ってくれ。
 神曲キボンヌ。


 (やま)()(さだ)()はデスクトップPCのキーボードを、異様にぶっとい指で器用に叩いた。
 ネット掲示板へのコメントを打ち込んだのだ。

 ふーっ、だか、ぴゅうーっ、だか鼻笛の半分混じったような溜息を吐いたかと思うと、彼は突然、う、と声を詰まらせた。

 眼鏡を持ち上げて、シャツの袖でまぶたをゴシゴシ拭うと、ティッシュを一枚取って、ぶちびびびいっと勢いよく鼻をかんだ。

 緑色のねばっこい鼻水紙を、広げて袖机の上に置いた。
 乾かして再利用するためである。
 もったいないというより、使いきった後に新たなティッシュ箱を一階から持ってくるのが面倒なだけだ。

 ふーっ、とまた息を吐きながら、滲む涙を、指で拭った。

 さて、山田定夫はどうして泣いているのであろうか。
 もちろん理由はある。

 本日、というかつい先ほど、とてつもない百メガショックが彼を襲ったのだ。

 説明するためには、まず巷で人気のWebブラウザゲームである「(こう)(くう)(じよ)()(てい)(しん)(たい)」について語らねばなるまい。

 挺身隊とは、戦争時に銃後の雑務をこなす女性たちのことである。

 このゲームでは、戦場の人員不足、男性不足のため、挺身隊の中から素質ある女子が選ばれて、戦闘機のパイロットになって戦うのだ。

 定夫が作成し、今日まで半年もの間、育成していたのは、(よし)(ざき)かなえというパイロットだ。

 毎日毎日、三時間から四時間ほども育成していたであろうか。

 しかし、
 所属する小隊の中で、常に劣等感に悩んでいた彼女は……
 特訓と実戦を重ねて経験を積み、自身をそれなりに成長したと思い込んでいた彼女は……
 プレイヤー、つまり守護英霊である山田定夫のアドバイスを聞かず、小隊の仲間によいところを見せようと単身で仏蘭西(フランス)空軍に突っ込み、大破。
 東シナ海の藻屑と消えたのである。

 これまでずっと、一緒だったというのに。

 キャラ作成時の能力値ボーナスポイントが低目であったため、育成を頑張って取り戻そうと、高校から帰宅するとすぐにPCを起動し、東京TXテレビの「はにゅかみっ!」を観る時間以外、ずっとプレーしていたというのに。

 吉崎かなえ……地味でなんの取り柄もないおれなんかと違い、心身とも大空にはばたいていたというのに。
 能力値はちょっとアレだったけど。でも……

「畜生……」

 ずるびんっ、と鼻をすする定夫。

 小隊の仲間によいところを見せるため出撃もなにも、それは定夫が勝手に脳内空想しているドラマに過ぎないのではあるが。

 航空女子挺身隊は、守護霊が主人公にアドバイスを送る、という仕組みで進めていくゲームなのだが、主人公は霊魂の存在を認識していないため、絆値が成長しない限りはとことん勝手な行動を取るのだ。

 定夫にとっての唯一の慰めは、小隊でのライバルであり親友でもある(こん)(どう)()()()が無事であったことか。

 彼女、近藤奈々香は、仏蘭西空軍に囲まれた吉崎かなえを救出しようと、自分の生命もかえりみず単身で乗り込んできたのだ。

 かなえが見るもあっさり撃墜されて藻屑と消えたため、近藤奈々香も撤退せざるをえなかったわけだが、かなえが粘ってしまっていたら、果たしてどうなっていたことか分からない。

 席につく定夫の前には、28インチの液晶モニターが置かれている。
 そこに映っているのは、切り立った崖、そして一つの墓標。
 海に沈みかけている夕日が、周囲を幻想的なオレンジ色に染め上げている。

 「墓参り」の映像である。

 玉砕した航女の英霊を慰めるシステムが、このゲームにはあるのだ。

 プレーヤーは守護霊という設定なのに、ならば誰が墓参りをしているのか、と方々から突っ込まれている部分である。

 モニター両脇にあるスピーカーからは、波の音だけが静かに聞こえていたが、不意に、音楽が流れ始めた。

 力強くも、もの悲しい曲だ。

 山田定夫は、脂肪たっぷりのお腹をもにょんと揺らしながら椅子から立ち上がると、後ろ手に組んだ。


 (つつみ)(みね)を乗り越えて
 我が身よ我が靴 (いく)(せい)(そう)
 讃えよ 英霊 胸宿る
 父 母 姉よ 妹よ
 戻るものかと 万里まで
 勝利の鐘を鳴らすまで


「敬礼!」

 狭い自室で叫ぶと、ぴっと伸ばした指先をこめかみに当てた。
 突然、あっ、と再び感極まったように情けない呻き声をあげ、定夫は床に手をつき崩れた。
 頬を一条の涙が伝い落ちた。


 吉崎かなえの(こん)(ぱく)大和(やまと)の雲の上、永遠なれ

   2
 母、(すみ)()に階下から呼ばれた(やま)()(さだ)()は、トラック何台分のポテトチップスが詰まっているのかというような凄まじく肥満した身体を揺らしながら、ドテドテ階段を下りて玄関へと出た。

 客人来訪である。
 人数は二人。

 定夫に負けず劣らずの肥満体が、(なし)(とうげ)(けん)()(ろう)
 通称はトゲリン。
 これまた定夫と同様に、分厚い黒縁眼鏡をかけている。

 反対に、指でつまめばポッキリ折れそうなくらいガリガリに痩せているのが、()()()()(ひこ)
 通称は、(はち)(おう)()だ。

 二人とも、定夫と同じ高校に通っている友人である。

 誰が口を開くよりも先に、トゲリンこと梨峠健太郎が、おごそかな表情で定夫を見つめながら、ぴッと軍人の敬礼をした。

 定夫も表情を引き締め、敬礼を返した。

 真剣な表情で見つめ合う、デブ二人。
 なぜに二人は、かような場にてかようなことをしているのか。

 Webブラウザゲーム(こう)(くう)(じよ)()(てい)(しん)(たい)において、玉砕を遂げた山田定夫の(こう)(じよ)(よし)(ざき)かなえという名であるということと、かなえには(こん)(どう)()()()という親友がいたということ、前述したが覚えておいでだろうか。
 その近藤奈々香のプレーヤーが、トゲリンなのである。

 航女のプレー経験がない八王子こと土呂由紀彦を横に置いて、二人は一分ほども見つめ合っていたであろうか。

「山田軍曹殿、ご苦労様でありました!」

 突然トゲリンが、肥満した脂肪の奥から、甲高くネチョネチョとした大声を発した。

「こちらこそ。(なな)(てん)へのお見送り、ありがとうございました!」

 定夫も叫んだ。

 廊下の奥で定夫の母親、住江が怪訝そうな悲しそうな複雑な表情でじっと見ていた。

 そんな視線を尻目に、なおも黒縁眼鏡で見つめあうこと三十秒、二人のデブ、いや二人の帝国軍人英霊は、ようやく敬礼をといた。

「ね、もう終わった?」

 すっかり退屈といった表情を隠さず、八王子が尋ねた。

「は! おかげ様で、滞りなく終了したであります!」

 もう英霊も抜けているはずなのに、このトゲリンの喋り方。
 実は、最近の彼はいつもこんな喋り方だ。
 梨峠健太郎という自らにかしたキャラ設定により、前々から他人に対して敬語で接するところがあったが、それに加えて最近は航女の影響を多分に受けて、気分は軍人なのである。

 キャラ設定を私生活どころか学校にまで持ち込むため、クラスでは相当に気持ち悪がられているトゲリンであるが、言葉遣いはともかく性格性質として似たようなものであるため注意出来ない定夫なのであった。

 さて、
 途中で一人仲間が増えることになるが、当面はこの三人が物語の中心になるため、ここであらためて紹介をしておこう。


 まずは、(やま)()(さだ)()
 いわゆる、アニメゲームオタクである。
 ステレオタイプ通りというべきか、肥満、服装センス皆無、黒縁眼鏡、対人恐怖症、こねくるような言葉選び。
 物心のついた時には肥満であり、アニメ好きであった。
 おそらくは肥満でありアニメ好きのまま、生涯を終えるのであろう。


 続いて、(なし)(とうげ)(けん)()(ろう)
 いわゆる、アニメゲームオタクである。
 通称、トゲリン。
 定夫に負けず劣らずの肥満体だ。ネチョネチョとした、甲高く粘液質な声が特徴である。
 単純なアニメやゲームの知識量ならば、三人の中でナンバーワンであろうか。
 それと、時折無性に漫画家を目指したくなることがあり、そのためそこそこ絵が上手である。もちろん美少女キャラ限定であるが。


 最後に、()()()()(ひこ)
 いわゆる、アニメゲームオタクである。
 通称は、(はち)(おう)()
 中学生の頃にここ東京都武蔵野市に引っ越してきたのだが、「あれ、あいつ名前なんだっけ、あいつ、八王子からきたやつさあ」などと周囲からいわれているうちに、定着してしまったあだ名だ。
 八王子在住期に、学校の不良にからまれてアゴを蹴り砕かれたことがあり、それが引っ越すことになった原因だ。
 普段はおっとりのんきな彼であるが、そんな過去があるため、不良に対する嫌悪殺意は半端ではない。といっても陰で文句をいったり、処刑リストにこっそり名前を書くのが関の山ではあるが。


 なお通称ということでは、定夫は二人に自分のことをレンドルと呼ばせている。
 やまだ さだお、と、姓も名もあまりに地味であるため、自分に好きなミドルネームをつけているのだ。
 レンドルはここ一年ほどの名であり、それ以前は確か山田ミラノフ定夫であったか。

 以上、三人の簡単な紹介である。

「ま、上がれよ」

 レンドル定夫は二人の友を家の中へ招くと、二階の自室へと連れて行った。

     3
 六畳間の和室にフローリングカーペットが敷かれ、ベッドや学習机などが置かれている。

 学習机の横には同じ高さの袖机があり、またがるようにパソコン用の大きな液晶モニター。パソコン本体は机の脇、床の上。巨大なデスクトップだ。

 机とベッドだけでかなりのスペースを専有するため、残り面積は三畳分もない。
 その狭い中に(やま)()(さだ)()とトゲリンという肥満体が二人もいるものだから、当然ながら室内はぎゅうぎゅうであり、息苦しさむさ苦しさがなんとも実に凄まじい状況であった。

 当の肥満児二人も、一種犠牲者のような八王子も、すっかりと慣れきっており、まるで気にしたふうもない様子であったが。

 さて、定夫、トゲリン、八王子、この三人が集まると、始まるのがいつもの雑談だ。
 つまりは、アニメやゲームの話である。
 学校でも帰り道でも、散々に話しているのにもかかわらず。
 青春の活力は無から生じて懇々無限に沸き続ける錬金術なのである。

「……だから作監を佐々木さんがやると聞いて、おれさあ……」

 と、いま会話の主軸にしているのは、今夏から放映開始予定の深夜アニメの数々についてである。

 中でも定夫が特に期待しているのは、
 「カーバンクルゲノム」。
 女子高生がなんらかの因子を体内に取り込んで超人化してしまい、その能力を悪用しようという謎の結社に狙われる、というSF作品。
 ライトノベル、略してラノベが原作だ。

 トゲリンこと梨峠健太郎が楽しみにしている作品は、
 「ドリルくるくる」。
 ちょっとオツムの弱そうな女子中学生が、いつか地底を掘り抜いて地球の反対側にあるはずの楽園に行こうと仲間を集める話。これもラノベ原作だ。
 主人公には、実は壮絶ないじめを受けていた過去があり、原作ラストは体内の水分がなくなってミイラになるくらい泣けると評判の作品である。

 八王子こと土呂由紀彦が観たいのは、
 「大江戸サーガ2 (ごく)()殿(でん)」。
 徳川家光の時代にタイムスリップしたファンタジー好きの眼鏡女子高生が、魔王と戦うという話。
 基本はシリアスだが時折ボケる主人公や、シュールなギャグが満載らしい。

(こう)(じよ)も、アニメ化すればいいのになあ」

 定夫が、オカッパ頭を撫で上げながらぼそりぼやいた。

 そうなったところで、自分が名付け作成したキャラクターが登場するはずもないが、世界観をアニメ作品として味わうことで、ゲームをプレーするにおいても深みが出るというものである。
 イメージを押し付けられるという点は弊害かも知れないが。

 不意に、定夫はなんとも悲しい気持ちになっていた。

 もう、吉崎かなえの魂は遥か雲の上なのだ、と。
 七天の彼方なのだ、と。
 是非もなし。月月火水木金金。

「航女アニメ化、レンドル殿の意見に拙者も禿同であります。同じようなブラウザゲームの『(そう)(こう)(しよう)(じよ)』も、去年、『これは(ほう)(だん)(こん)ですか?』というタイトルでアニメ化されたのですからな」

 トゲリンが、特徴的な甲高いネチョネチョ声を張り上げた。

 まったくもってどうでもいい話であるが、そのアニメの作中には「砲弾痕」という言葉が、とにかく飛び交う。

 女性キャラの、後ろ四文字のみ抽出した音声データがネットに流れて、オタク男子たちを夜な夜なハアハアさせているという。

 特に人気なのが、主人公の親友である(かん)(ざき)もた子を演じる(くら)(しげ)()()の透明な声だ。
 既に三十を幾つか過ぎているが、「永遠の七歳」を自称する人気声優である。
 先ほどのその四文字に、さらに「元気になあれ!」という第七話での台詞を繋ぎ合せた音声が、オタク男子たちの間に出回っているとかいないとか。

 まったくもってどうでもいい話は終了、本編に戻ろう。

「アニメ化はともかくさあ、レンドルは航女の新キャラは作らないの?」

 八王子が、頭の後ろで両手を組みながら尋ねる。

 定夫の、

「そう……」

 だよなあ、を遮ったのは、

「いいっ一心同体少女隊であった吉崎かなえ二等兵のッ、あいや特進して伍長のッ、魂魄が玉砕したばかりなのでありますぞおおォ!」

 ネチョネチョ声を張り上げて、唾を機関銃のように飛ばしながら猛烈に抗議するトゲリンであった。

 愛する者を亡くした気持ちを代弁してくれているのであろうが、しかし別に、定夫としてはそこまで怒るようなことでもないのだが。
 RPGでセーブデータが消えてしまったに似た一時の虚無感こそあれ、ほとぼりがさめたら、すぐさま新キャラを作成してもよかったというのに、トゲリンのせいで始めにくくなってしまった。

 だからといって、装甲少女に鞍替えするつもりもないが。
 愛着ということだけでなく、ゲームシステムを覚え直すのも面倒だからだ。

「八王子は自分がやってないから、玉砕時のショックが分からないんだよ」

 新キャラ作りますともいえず、そうごまかす定夫なのであった。

「だってぼく、ドラ(プリ)派だもん」

 八王子が自宅で日々興じているのは、定夫たちとはまた別のネットゲーム「ドラゴンプリンセス」、略してドラ姫。いわゆる、剣と魔法ものというジャンルのものだ。

 PC専用ではあるがWebブラウザを使ったゲームではなく、専用アプリをインストールして遊ぶタイプだ。
 3Dにより描かれた緻密な世界を、ネット上の仲間とある時は協力し、ある時は反目したりして、冒険を重ね、成長していくのだ。

 現在リリースされているのはPC用だけだが、今年の秋にブレイブステーション3略してブレステ3でも発売される予定だ。

「おれは、とりあえずのところは、燃え尽きたよ。航女」

 これもまた、定夫の正直な気持ちであった。
 ほとぼりが冷めたらまたキャラ作るかも知れないが、現在はただただ空虚。ずうっと育てていたキャラを、つい先ほど失ったばかりなのだから、当然といえば当然だろう。

「『玉砕』と震える赤文字で表示された時は、脱力のあまり両肩が脱臼してぼとり床に落ちそうなくらいだったもんな」

 ぼとり落ちるのがお腹の肉なら玉砕ダイエットが出来るのだろうが、肩ではどうしようもない。

「分かります。分かりますぞ、レンドル殿ぉ! 拙者は、初プレーで初陣即玉砕だったので、作り直すにあたっての精神的葛藤はさほどではなかったとはいえ、されど気持ちはお察ししますぞお!」

 トゲリンが黒縁眼鏡のフレームをつまみながら、ネチョネチョとした声を張り上げた。

「おれの場合は、最初に作ったキャラを、今日までずーっとだったからなあ。この半年間、学校から帰ると、ひたすらずーっとやってたからな」

 東京TXテレビで放映中のアニメ「はにゅかみっ!」を観ている時以外はずーっと。
 あと、録り貯めていた「きらりらリズモ」を無性に観たくなった時以外。

「なかば放心状態のうちに、思わずごちゃんに呟いたもんな。誰かおれを慰めるアニソン作ってくれ、とかわけの分からないことをさ」

 山田定夫は(なな)(てん)つまり天国にいるであろう吉崎かなえを思い浮かべ、寂しそうな笑みを浮かべた。

「酔狂な誰かが、アニソン作ってくれてるかもよ」

 八王子が、からかうように笑う。

「まさか」

 といいつつも定夫はマウスを手に取り、先ほど書き込みをしたネット掲示板「ごちゃんねる」をチェックした。


 487
 20××/05/12/17:33 ID:246759 名前:かぶとこじ
 >>326

 こんな歌作ってみたけどどう?
 http://www.icoico.com/....
 

「おれへのレスだ。……なんか、これ開くの怖いんだけど」

 定夫は、おでこにどっと浮いた脂汗をシャツの袖でごしごしと拭いた。

 トゲリンが黒縁眼鏡のフレームをつまみながら、ふんふんと画面を覗き込んで、

「イコイコ動画のURLに相違なし、最後の拡張子もavi、基本的に安全であるとは思いますが」
「分かってるよ。そういうことでなくて」

 レスが早すぎるし、それに、匿名者が自分宛に開示しているURLなのだ、なんだか怖いと思っても不思議ではないだろう。

「そういうことじゃないんなら、別にいいじゃん。じゃ、ぼくが代わりにっ」

 八王子が、定夫の手の中にあるマウスを素早く引ったくると、画面上のそのURLをクリックした。

「なにゆえにお前が押すんだあァ! こないだもアメアニ最新号の袋綴じを許可なく勝手に開けただろーーっ!」

 無数のつばを撒き散らしながら、定夫は顔を真っ赤にして、声を裏返らせながら怒鳴った。

「まあ、別にいいじゃん」

 八王子、へえともない顔だ。

 まあ確かに、どうでもいいことだが。
 マウスをクリックされたことくらい。……あの、アメアニの一件に比べれば。
 というよりも、その件を思い出したからこそ、つい激昂してしまったのかも知れない。

 さて、八王子が勝手にリンクをクリックしたことにより、28インチの液晶モニターにブラウザが全画面表示で開いた。

 ぱ、と真っ暗な画面になった。
 下のステータスウィンドウにデータ蓄積を示すバーが伸び、しばらくすると真っ暗な画面のまま音楽が流れ始めた。
 なにかの歌の、イントロのようであった。

 画面中央に、昔のカラオケのような、荒くギザギザな黄色い文字が表示された。


 「326」氏に捧ぐアニソン


 イントロが終わり、続いて歌が始まった。
 それは爽やかな、軽快なリズムの歌であった。

 声は、男性であろうか。
 男性が高い鼻声を出しているような、そんな歌声だ。

 真っ暗な画面のまま、下段にはカラオケ式に歌詞が表示されて色が左から右へと塗り変わっていく。
 

  ♪♪♪♪♪♪

 ねえ 知ってた?
 世界は綿菓子よりも甘いってことを
 ねえ 知ってた?
 見ているだけで幸せになれる

 わたしって、天才音楽家
 かもね
 だってこんなにも
 ほらね
 ときめきのビートを刻んでる
 こんなのはじめて YEAH! YEAH!

 もしもこの世が終わるなら
 後悔なんか したくないから

 たどり着いた世界
 それ本物だと思っている
 偽物だって構わないでしょ
 自分で見つけた宝なのだから
 The world is full of treasure!!

 君と一緒にいられるなら
 どんなパワーだって出せそうだよ

 なんにもない世界、上等
 わたしと君で全部作れるから
 偽物だって構わないでしょ
 自分で見つけた宝なのだから
 The world is full of treasure!!

  ♪♪♪♪♪♪


 テレビアニメサイズ、ということか曲は一番きりでフェードインしながら終了した。

 画面から文字はすべて消え、
 残るは静寂。

 なんだか、どことなくふざけた感じの歌声であったろうか。
 おそらくは、やはり歌い手は男性であり、女子っぽい歌を男が歌うということによる照れ隠しが出ているのであろう。

 定夫は、そうした歌い方に対してちょっと不快感は覚えたものの、曲自体は悪くないのではないかと思った。
 いや、悪くないどころか、かなりいいのではないだろうか。

「これはなかなかに、秀逸な調べでありますなあ」

 トゲリンは曲そのものを素直に気に入ったようで、腕を組み目を閉じうんうん頷いている。

「さっきの今でしょう? レンドルがごちゃんに書き込んだのはさあ。凄いなあ、この人。曲が作れるだけじゃなくて、ぼくたち以上にヘビーなアニメオタクでさ、即興でイメージ浮かべてぱぱっと作り上げたんだろうね、きっと」

 淡々と、しかし楽しそうに語る八王子。

「五分ではない、四十六年と五分で作ったのだあ、とか」

 曲の提供者を中年オタと決め付けている定夫であった。

「それ、す○やま大先生の台詞でしょ?」

 日本で一番有名なRPGの、作曲家だ。ほとんど知られていないが、日本で一番有名な特撮巨大ヒーローの作曲も手がけたことのある人だ。

「そう。まあ即興などでなく、もともと作ってあった曲を提供しただけという可能性も否めはしないが」

 とはいうものの、これが自分へと捧げられた作品であることに違いはない。
 なんともこそばゆい気持ちにかられる定夫であった。

「これさあ、おれのアニソンってことで、貰っちゃっていいのかな」

 いちおう、聞いてみた。
 駄目だといわれても、どう変わるわけでもないが。

「それがしは、別段問題はないかと考えますが」

 と、ネチョネチョ声のトゲリン。

「ぼくも。……でも、こいつの照れたような歌声、バカにしてるみたいでなんかイライラするからさあ、メグで作ってみようよ」

 八王子は、いうが早いか、ニコニコ笑みを浮かべながら定夫のPCを借りた。

 (うた)()メグミ、通称メグという有名な音声合成作成ソフトを使って、テキパキと、先ほどの曲の歌声部分を作り上げていく。

 途中を聞かれるのは恥ずかしいから、とイヤホンを使って、定夫たちに聞かれないようにしながら。

 オリジナルを聞いてはメグの画面操作に戻って打ち込み、打ち込んではオリジナルを聞いて、
 それをひたすら繰り返すこと約一時間。

「できたあ!」

 八王子はイヤホンを耳から取り、ジャックから抜くと、満足げな表情で叫ぶような声を出した。

「一緒に貰ったオケだけの方と合成してみた。再生してみるね」

 と、マウスボタンをカチリ。
 また、先ほど曲いたのとまったく同じイントロが流れ始めた。

 先ほどと違うのは、イントロ後に女性の歌声が聞こえてきたことだった。
 恥ずかしくて布団の中で吹き込んでいるような、もにょもにょぼそぼそした男性の声ではなく、堂々とした歌いっぷりの、明るく元気な女性の声。

 抑揚の面など、まだ荒削りではあるものの、とりあえず上手くオケと合成音声をシンクロさせたことに、八王子はニンマリ笑顔である。

 定夫とトゲリンは、ぽかんと口を開けて、なんとも間抜けな表情になっていた。
 二人とも、すっかり聞き入ってしまっていたのだ。

 曲が終了し、
 再び、部屋には静寂が訪れた。

 それから、どれくらいが経っただろうか。

「すげえ」

 ようやく我に返った定夫は、肥満したお腹をさすりながら、こそり唇を震わせた。

「まさに……神」

 トゲリンは、なにを思ったか胸の前で十字を切った。

「いや、これ凄いな、凄くなったな、おれのアニソン。女性の声だとこうも素晴らしいとは。いい曲を貰ったよ」

 と、喜ぶ定夫であったが、

「しかし、何故なのであろうか。胸の奥に拭いきれない、そこはかとない虚無感があるのは。それはメグの声だからだろうか」

 間違いなく、一つの要因ではあるのだろう。
 もともと定夫は、ポカロ曲つまりコンピュータ合成音による歌が、あまり好きではないからだ。

 いや、好きではないどころか、確固たる否定的なポジションだ。今回は、自分へ捧げられた曲ということもあり、思わず興奮してしまったが。

 よくよく考えてみるまでもなく、メグはしょせんメグなのだ。
 唄美メグミは擬人化されて3DCGによるライブビデオなども販売されているが、定夫としては、そんなものに萌えているやつの気が知れない。

「確かに、メグでは味気ないものはある。レンドル殿に同調することに、拙者もやぶさかではない」
「だからこそ、普通のアニメキャラに萌えるわけだからな。つまりは、生身の声優が演じているからこそ」
「拙者も同意でござる」

 軍人言葉から、いつの間にかサムライ言葉になっているトゲリンであった。
 それはさておき、とにかくこのように彼らはアニメオタクであり、声に対するこだわりは半端ではなかった。
 どの声優が好きかで、掴み合いの大喧嘩に発展したこともあるくらいだ。

 だからこそ、そのくらい好きだからこそ、定夫は憂いに思うことがある。
 もしもアニメの声優が、将来すべて合成音声に置き換わってしまったら、と。

 どんなに声が天使のように可愛らしかろうとも、キーボードをカチャカチャ叩いているむさ苦しいオヤジが脳裏に浮かんでしまい、幻滅どころではないだろう。
 実際、その天使の声を、おそらくはむさ苦しいオヤジがキーボードをカチャカチャ叩いて作るわけだから、当然であるが。

 と、合成音声への不満を顔に、口に、浮かべていると、声優も好きだが合成音声も好きな八王子が、ちょっとつまらなさそうな表情で、

「べっつにメグでもいいと思うけどなあ。くそ、頑張って作ってみたのになあ。……あ、そうだ、そんだったらさあ、誰かに頼んで歌ってもらう、ってのはどう?」
「誰かに?」
「また、ごちゃんでござるか?」
「いや、匿名掲示版で頼むよりも、そういう人をこちらから探すんだよ。といっても結局はネットでだけど」
「それでは、『歌います』、『女性』、『料金』と入れて、これでどうだ」

 定夫は脂肪のつまったぶっとい指でキーを叩き、マウスクリック、検索を開始した。

 出てくる出てくる。
 これは、と思えるものを見つけるのに、さほどの時間はかからなかった。

 それは、楽譜でも鼻歌データでも、曲さえ分かれば歌います、という歌手志望二十代女性のホームページであった。
 金額は、三千円。

「ぼく、カンパしてもいいよ、千円」

 八王子がバッグから財布を取り出した。
 どうでもいいが、「はにゅかみっ!」の(こと)(のり)(こと)()の制服姿がプリントされた通販限定財布だ。

「ならば拙者は、二千両」

 トゲリンが、迷彩柄の財布から、懐かしの二千円札を出した。

「ありがとう。でも千円でいいよ。三千円だから、みんなで千円ずつだ。では……いい、いら依頼、して、みるみるかっ」

 定夫は急に焦り出して、言葉つっかえつっかえ黒縁眼鏡のフレームをつまんでカタカタ調整しながら、カチカチの表情でごくりつばを飲み込んだ。

 はたして一体どんな感じの作品に仕上がるのか、という興味や興奮もなくはないが、直接は会わないにせよ生身の女性と接点を持てることにドキドキ興奮していたのである。

     4
「せせっ静粛にっ!」

 (やま)()(さだ)()は、裁判長が木槌をカンカンと打ち下ろす真似をした。
 実際の裁判では木槌など使わないというし、どのみちトゲリンも八王子も、定夫よりよほど静かであったが、つい口や手が動いてしまったのだから是非もない。

 あれから、二週間が経過した。
 つまり、歌声収録をインターネットのサイトで依頼してからだ。

 本日、ついに製作物がCDとして届いたため、みなで定夫の部屋に集まって、(うた)()メグミの合成音声とどちらが曲に合うものであるかを聴き比べていたのである。

 まず最初に聴いたのは、メグの歌声だ。
 といっても、二週間前に八王子が一時間ほどで作成してからというもの、もう何度も何度も聴いているものであり、定夫としては「久々に聞くが、やはり曲は悪くはないよな」という程度の感想しか抱けなかった。

 メグだからというだけでなく、曲自体への慣れや飽きもあるわけであり、いまさら生身の音声を聴いたところで、やはりもうそれほどの感動は得られないのではないか。

 と、定夫はそう思っていた。
 曲を聞いてみるまでは。

 だが、
 CDをセットし、聴き飽きたはずのイントロが流れ出し、そして、続く歌声を聞いた瞬間……

 なんと形容すればよいだろうか。

 三人を包み込んだもの、そう、それは宇宙であった。
 完全たる無重力体験であった。

 ただひたすらに純。不純物どころか、そこには無すらも存在していない、そんな矛盾した表現に矛盾すら感じない、ただただ広大無限な、純であった。
 疾風怒濤の嵐のような感情が、明鏡止水の中にただ浮いていた。

 一体これは、なんということであろう。
 ただ、人が歌う。
 ただ、それだけのことで、聞き慣れた歌がかくも違うものになるのか。

「しし、しかもっ!」

 定夫は無意識に、上ずった声で独り言を発していた。

 しかも、自分の依頼によって、つまりは、自分のために歌っている曲なのだ。
 興奮するのも、無理はないであろう。

 しかも、()()が。
 しかも、にっ、にに二十代の、
 しかも、二次元ではない、しかも生身の、女性が。

 この同じ空の下、どこかに現実に存在している、どこかで自分と同じ空気を吸っている、生身の、女性が。
 地球という共同家屋の、天という名の一つ屋根の下にいながら姿を見たこともない、生身の、女性が。
 宇宙船地球号の乗組員、宇宙戦艦地球号、ぼくが古代なら、そうあなたは森っ!

 脳内ではどうでもいい言葉ぺらぺらの定夫であるが、実際には、しししかもっなどと上ずった独り言を発したきり、感極まるあまりまるで言葉など出ておらず、うっくうっくと不気味に呻いているだけであった。

 言葉が出ないのは、トゲリンも八王子も同様であった。
 トゲリンの感極まり方は、定夫とはまた別方向で不気味であった。顔も身体も微動だにしていないというのに、眼鏡のフレームだけが沸騰したヤカンの蓋のように激しく細かくカタカタカタカタ震えているのだから。

 気持ち悪さには目をつぶるしかないとして、とにかく彼らは、それほどまでに感動していたのである。

 雑談の場としてすっかり慣れきっていたこのオタ部屋に、あらたな風、あらたな歴史が刻まれた瞬間であった。

「メグよりも、こっちのが断然にいいね」

 静寂を打ち破ったのは、八王子のぼそりとした呟き声であった。メグの歌声も好きな彼であるが、この感動はまた別物ということなのであろう。

「そうですなあ」

 トゲリンは腕を組むと、カタカタ震える黒縁眼鏡の奥でそっと目を閉じうんうん頷いた。

 せせっ静粛になるまでもなく、山田レンドル定夫裁判長の判決を待つまでもなく、満場一致で決まりのようであった。

「これがおれの、いや、おれたちのアニソンだ」

 定夫は、興奮にすっかり汗ばんだ拳を、にちゃっと握りしめた。

「たちではない。拙者と八王子殿は感動のおこぼれを頂戴しただけで、これはレンドル殿のアニソンでござるよ。ささ、胸の中に収められい」
「いいんだよ。千円ずつカンパしてもらったんだし。仮にそうでなくたって、トゲリンや八王子との交流があったればこそのおれがいて、(こう)(じよ)とかやったりなんかして、玉砕してショック受けて、ごちゃんにアニソン作ってと呟くことになったんだから」
「しからば、我々三人のアニソンということで。遠慮なく共有をばさせて頂くでござる」

 などと、定夫とトゲリンが照れ合いながら所有権を云々しているところであった。
 八王子が、ある種の衝撃的な疑問を、さらりと口に出したのは。

「でもよくよく考えるとさあ、これ別にアニメじゃないからアニソンじゃないじゃん」

 その無垢な疑問に、一瞬にして凍り付く黒縁眼鏡オカッパ頭の二人組であった。

 しかし、
 しかしである。
 その八王子の発した何気ない一言こそが、この物語の始まりを告げる鐘だったのである。

 話を続けよう。

「そ、そそそそういえばっ」

 何故だかうろたえるトゲリン。

「気付かなかった。……バカだなおれ、つうか曲を作った奴もバカだよな」

 定夫は、オカッパ頭をガリガリ掻いた。
 脂ぎった頭髪にこびりついていたフケが、日本海溝のマリンスノーのようにはらはら落ちた。まったく幻想的な光景ではなかったが。

「うむ。虚しい、というかもったいない気持ちでござるなあ。せっかくの、またとない神曲であるというのに」
「まあそうだけど、でもだったらさあ……アニメを作れば、アニソンになるじゃん」

 八王子はそういうと、ふふっと笑った。

「アニメを?」

 きょとんとした顔の定夫。
 ずりん、と黒縁眼鏡がずり下がったのを、慌てて直した。

「つつっ、作るとな?」

 トゲリン。
 どんな物理法則がそこに生じているのか、黒縁眼鏡のフレームがカタカタ細かく揺れながら、ずり()()()()いった。

「そ。トゲリンは絵が上手でしょ。漫画描いてんだから。紙にでも書いてくれれば、ぼくが取り込んで修正、彩色して、スパークのデータにでもするから。で、レンドルが総監督で、あとコンテも切ったり……」

 スパークとは、簡易アニメ作成ソフトの名前である。
 無償版と有償版があり、無償版でもそこそこのものは作成可能だ。

 定夫は黒縁眼鏡の奥で、なんだかぽわんとした表情を見せていた。
 思考が定まらなかったのである。
 なにに思考すればよいのだろうか、ということすらも、定まらなかったのである。
 それで、ぽわんとした顔になってしまっていたのである。

 かつて幾多のアニメを見て、小説、というかラノベを読んできたが、創作的な活動をしたことなどほぼ皆無であったから。
 中学生の頃に、ちょっとだけ小説執筆にチャレンジしたことはあるがすぐに挫折、というその程度で。

 でも……
 だんだんと、意識がはっきりしてくる。
 思考が、定まってくる。

 確かに、トゲリンは絵が上手だ。
 美少女の絵しか見たことはないが、上手なことに違いはない。
 そもそも最近のアニメなど、美少女しかいないのだ。ならば美少女さえ描ければ充分であろう。
 どのアニメにしても、特に「主人公男子高校生モノローグ突っ込みもの」などは、美少女と、適当作画の男子キャラ、しか出てこないのだから。
 ということであるならば、描いた絵を取り込んで、曲に合わせる、というそれだけでも、そこそこのクオリティのものは出来上がるのではないか。
 だってトゲリンの描く絵は間違いなく上手であり、そして提供された曲は、間違いなく神曲なのだから。

 そうだよな。
 と、思考が明確に定まり感情が冷静になるにつれて、どんどんと興味が沸き出てきていた。

 別の方面で、どんどん冷静でなくなっていった。
 つまり、わくわくとしてきていたのである。

「じゃ、やってみるか。トゲリン、描いてくれる?」
「心得たでござる!」

 トゲリンは、すっかりずり上がりきって某カエルアニメの主人公少年のようになっていた眼鏡の位置を直した。

「さもあれば、まず最初に取り掛からねばならないのは、世界観の構築でござるな。いや、とりあえずのとりあえずは、どのような作品にしたいのか。四択くらいから搾って、そこから煮詰めていくのが筋道であるかと」
「ジャンルをどうするか、だよな。思いつくものとして、SF、現代、時代物、ファンタジー、とかかな。全部、年代と場所を示すものでしかないけど、とりあえずここから」
「まあ、現代でも、学園もの、格闘もの、ほんわか日常もの、ラノベ原作アニメ的なものを目指すとしても色々とあるからね」
「現代日本でいいと思うでござるよ」
「確かに。深く設定を考える手間もいらないし、背景についても『適当に作ってごまかす』は出来なくなるけど、いたるところに本物が存在しているわけだから、参考にするに困ることがない」
「むしろその方が、つまりモデルとなる場所を用意した方が、作品が成功した場合に聖地巡礼で盛り上がったりするしね」
「作品の成功って、どこまでを考えているんだ八王子は」
「どうせならでっかく、だよ」

 と、このようにして定夫、トゲリン、八王子の三人は、どのようなアニメーションを作るのか、相談を始めたのである。

 明日も平日、学校があるというのに、自分たちのアニメを作り上げるという興奮に話の種は尽きず、深夜近くまで話し込むことになるのであった。

     5
 かんかんかん、と足音が響いている。

 江戸時代の侍、といった風体の男が、小さな少女の手を引いて荒廃したビル街を走っている。

 二人を、目に狂気を宿した群衆が武器を手に手に追いかけている。

 「ポータブルドレイク」。深夜枠で放映中のアニメだ。

 人間が次々ゾンビと化していく世の中が舞台。
 ポータブルドレイクという特殊細胞の覚醒によって自らのゾンビ化を食い止めることが出来た男が、いずれゾンビ化していくであろう人類からの逃亡の果てに、世界の破滅と、その先にある微かな希望を知る物語だ。

 (やま)()(さだ)()は、居間のソファに肥満した肉体を沈めて、54型プラズマテレビでそのアニメを見ているところである。

 現在は夕刻。十七時四十分。
 深夜アニメであるからして、当然録画しておいたものの再生だ。

 以前利用していたレコーダーは、前番組の放送時間延長などに対応出来ず、録画されていないことが実に多かったのだが、現在の機器はしっかり追尾してくれるため取り逃しがなくて快適である。
 ころころ放送時間の変わる扱いの低さに対しての不満は、また別であるが。

 テレビアニメはリアルタイムで見てこその醍醐味である、と唱える者がいる。定夫も概ね同意ではあるが、しかし深夜アニメに関してはあてはまらない、と思っている。
 草木も眠る時間帯よりも、人間の息吹満ちる時間に見る方が絶対にいい。

 どのみち数ヶ月後にビデオを販売する目的での放映であるため、リアルタイム視聴にこだわりが生じにくく、ことさらそう思ってしまう。

 さて、画面の中では、もしかしたらゾンビウィルスに感染したかも知れないというだけで首をはねられかけた少女の手を引いて、とりあえず逃げ延びた主人公が、ビルの屋上に立っている。
 見下ろすは、ウジオカンパニーの跡地である廃工場。

 実は工場は廃棄などされておらず、地下で稼働しており、そここそがポータブルドレイクという人工細胞を開発しているところ。という情報を聞きつけて、ゾンビと人間と双方から逃げつつ、ここまで辿り着いたのだ。

 と、いうところで話は次回へ。
 あと二話で、いよいよ最終回である。

 エンディングテーマのイントロが始まった。
 続いて流れるは、スタッフロールと、()(まつ)()()の力強くも悲しい歌声、そして合間に差し込まれるチェロの旋律。

 重厚な物語の余韻にどっぷりと浸からせてくれる、素晴らしいエンディングテーマだ。
 曲とシンクロした絵もまた素晴らしい。

 自分の部屋にある小さなテレビで誰への気兼ねもなく好きに観るのもいいが、リビングの大画面で味わうのもこれはこれで格別である。アニメの世界に入り込んだような気分になれる。

「わたしは輪廻を拒む。あなたとの一瞬が唯一だからあ♪ ハァァァ♪」

 感極まって、つい裏声を張り上げる定夫。

 の姿を、ドアの陰から妹の(ゆき)()が見つめていた。
 部屋の向こうから、
 顔を半分だけ覗かせて、
 じとーーっ、と、
 最大限の軽蔑を込めたような、いや間違いなく込めている眼差しで。

 気付いた定夫は一瞬びっくりしたような表情を浮かべたが、すぐ平静を取り繕って、ポテトチップスを一枚つまんで口に放り込んだ。
「気持ちわる」

 幸美は、表情変えずにぼそり呟いた。

「き気持ち悪くないッ!」

 定夫は、黒縁眼鏡のレンズを光らせて、ばつ悪そうに声を荒らげた。

「こんなのばっか観てて、ほんっと気持ち悪い」
「うるさいんだよ。観たらダメって日本国憲法で決まってんのかよ。第何条だよ。それともホッブズのリバイアサンにでも書いてあるのかよ。マルチンルターーッ!」

 小難しい言葉を無意味に並べ立てているうちに、ますますわけの分からないことを叫んでしまう定夫であったが、幸美の軽蔑しきった表情はぴくりとも揺らぐことなかった。

「アニメ観てばっかりで外に出ないから、いつまでもデブでオタクなんだよ」
「デデっデブとオタクを結びつけるのはややめろっ! そうさ、確かにおれはデブでありオタさ。そこを認めることにやぶさかではない。しかし、その因果関係の決め付けに、なにも根拠はないだろ。せめて論拠を示せえ!」

 ついには、ポータブルゲーム機用ゲーム「ほーてー」の主人公である()()(ある)(ぞう)の真似をして、指をぴっと突きつけながら「異議あるぞーっ!」と叫んだ。

「日本語喋れ、ぶあーか」

 幸美はぷいとそっぽを向いて、中学制服のスカートを翻すと、とんとんと階段を上っていった。

 居間にぽつんと立ち尽くす定夫。
 虚しい風が吹いた。
 ころんころんと、タンブル・ウィードが転がっていく。西部劇などで荒野を転がる、枯れ草の塊である。

「また、やってしまった……」

 後悔の念にかられたように、ぼそり呟いた。

 妹の幸美は、別に取り立ててかわいい顔ではない。
 兄の贔屓目で見ても、並である。松竹梅でいう、竹というよりは、梅の上であろうか。
 鼻がもう少しダンゴでなければ、多少はかわいいかも知れないが。ほんの多少は。
 もうちょっとだけ目が大きければ、多少はかわいいかも知れないが。ほんの多少は。
 ではあるものの、しかし、せっかくの妹なのである。
 いない者にとっては、実に羨ましいシチュエーションなのである。

 オタだデブだと猛烈に嫌われてはいるが、考えようによっては、いわゆるツンデレ《の、最近広く認知されてしまっている方の意味合い》のようであり、かわいらしいというものではないか。

 分かっている。
 ああ、分かってはいるのさ。

 素晴らしきシチュエーション。「妹が腐女子なわけがない」「これから妹と○○します」「モテない兄だなんて思われたくないだけなんだからねっ!」などの主人公に、勝るとも劣らぬ境遇に身を置いているということを。

 だがしかし。
 これが性というものか。
 先ほどのように、オタクを否定されると、ついついいつも激昂してしまう。

 いや、オタの否定はいい。
 デブとの関連性を、根拠なく決め付けてくるところが許せない。

 事実はどうか分からないが、全国的な統計が取れているようなものではないわけで、ならばそれは単なる先入観による決め付け、言いがかりというものではないか。理論的ではないというものではないか。

 と、感情的になってしまうのだ。
 せっかくおれには妹がいるのに、というラノベタイトルのような状況を、まるで生かすことが出来ないのが返す返す残念でならない。

「まあ、なにがどうであれ、どのみちモーレツに嫌われていることに変わりはないわけであるが」

 脂ぎったオカッパ頭をかきあげながら、フッ、と寂しげに笑った。

 ポータブルドレイクのエンディング及び次回予告が終わったので、テレビを消した。

 さて、仕切り直しである。
 先ほどの妹とのやりとりによって、せっかくのアニメ鑑賞の感動がパーになってしまったからだ。

 冷蔵庫からコーラを取り出し大きなコップになみなみ注ぐと、リビングを出て二階へ。

 山田家の二階には、部屋が二つある。
 一つは定夫、もう一つは妹である幸美の部屋だ。

 もちろん自分の部屋の方に入った定夫は、まずはコーラをぐびり一口。開栓したのが五日前なので、単なる黒い砂糖水になってしまっていたが気にしない。

 コップを机に置くと、一昨日購入したばかりのCDを、プレイヤーにセットする。
 先ほど見ていたアニメ、「ポータブルドレイク」のオープニング曲だ。

 ダウンロード配信などもある現代だが、定夫はあまり利用しない。
 どうにも味気がないし、CDならジャケットが手に入る、つまり本当に自分の物になった気がするから。

 机の引き出しには、用途と気分に合わせて使い分けるために何種類かのイヤホンが用意してある。
 ポータブルドレイク用に、と決めているオーバーヘッドのイヤホンを頭に装着、コードをプレイヤーに接続、そして再生。


  ♪♪♪♪♪♪

 ときめきめとめと すきすきすー じゅもじゅもまほうの じゅっもっっんっっっ

  ♪♪♪♪♪♪


 パクリと訴えられそうな歌詞の、ポップな曲が流れた。

「なんだこれ!」

 鼓膜をぬろーっと舐められるような不快さ不気味さに、絶叫しながら慌ててヘッドホンを外すと、肥満した身体をぶるぶるっと震わせた。
 曲をストップし、ディスクを取り出してラベルを確認する。

 「ときめきもじゅも / cw みんなの奇跡」

 知らねえ……
 いつの間にか、ケースの中身が入れ替えられていた。

「チクショウ、きっと八王子だ」

 あいつ、確かこのアニメ好きだからな。
 よりによって、おれが嫌いで一度も観たことのない、ときめきもじゅもの歌かよ。

 まあ、あいつも別に、布教活動や洗脳活動をしているわけではないのだろう。
 単なるズボラ。人のプレイヤーで勝手に聞いて、そのまま忘れていったということなのだろう。

「いずれにせよ、変なのを聞かされたよ。せっかく仕切り直しして、失ったテンションを取り戻そうと思っていたのに」

 ポータブルドレイクのオープニング曲は、おそらく八王子が間違って、ときめきもじゅものケースに入れて持って帰ってしまったのだろう。
 仕方なく、「はにゅかみっ!」のオープニングCDをセットすると、今度は耳かけ式のイヤホンに取り替え、レッツラ再生。


  ♪♪♪♪♪♪

 君の街に行ってもいいかな
 だって抑えきれないんだもん
 恋という名の風に乗って
 ときめきの妖精 ちょんと肩に乗せて

 どんな洋服着ていこうかな
 どんな道を歩こうかな
 今日はどれだけ近づけるかな
 わたしはどれだけハッピーかな……

  ♪♪♪♪♪♪


 「はにゅかみっ!」の主題歌、「パッションエブリデイ」である。
 昔のアイドルのような爽やかポップな曲だというのに、何故だかパンクやヘビメタを聞いているかのようなノリで、オカッパ頭をバサバサ揺らしていると、突然、ブーーッブーーッ、となにかが二回、振動した。
 机の上に置いてある携帯電話だ。

 首をくいっと持ち上げ、目にかかった前髪ポジションをもとに戻した定夫は、携帯を手に取り、パチンと開いた。
 トゲリンこと(なし)(とうげ)(けん)()(ろう)からのメールがきていた。


 八王子がスパーク完成させた
 見たら驚くでござるよ、ニンニン


 と、二行きりの文章であった。
 ついこの間までは(こう)(じよ)の影響で軍人言葉であったのだが、最近なぜだかサムライ言葉に目覚め、それどころか忍者言葉も取り入れて、なんだかよく分からないトゲリンであった。どうでもいいことではあるが。

 さて、このメールであるが、これはつまり、以前からみんなで取り掛かっていた例のものが、ついに出来上がったということに他ならなかった。

 アニメのオープニングを作ろう、という話になり、みんなで背景設定を考え、定夫がコンテを切り、トゲリンがキャラをデザインし、絵を描いて、八王子がパソコンに取り込んで編集。その八王子の最終作業が、完了したのだ。


 いまみてみる


 とだけ打って返信すると、定夫はPCをスリープから復帰させて、三人で共有しているインターネット上のネットワークストレージを開いた。

 本日更新分の、動画データと思われる拡張子のファイルがある。これが例の、スパークから書き出したものだろう。

 インターネット上からの直接実行も可能であるが、念のため自分のPCへとコピーし、それを実行させた。

 画面一杯に動画プレイヤーが表示されたかと思うと、続いて映像が映り、音楽が流れ始めた。

 定夫が掲示板で嘆きを書き込んだことにより、提供を受けることになった楽曲、それに合わせて、トゲリンが描いたキャラ、赤毛の女の子が動いている。

 定夫がコンテを切って、指示をした通りに、
 総天然色の、背景の中を。

 迫力、
 というと語弊があるかも知れない。しかし、間違いなく定夫は圧倒されていた。

 28インチワイドの液晶モニター。アニメを見る用途としては、とりたてて大きなサイズではないが、それでも定夫は、その圧倒感からくる風圧に、オカッパの頭髪がバサバサとなびくような思いを感じていた。

「すげえ……」

 ぼそり、口を開いた。
 すっかり中が乾いて、粘っこくなっている口を。

 潤そうと、黒い砂糖水のなみなみ入ったコップを取ったが、手を滑らせて、もにょもにょ肥満したお腹に落として、ぶちまけてしまった。

     6
 歌のテンポやムードに合わせて、
 セーラー服の少女が、
 走ったり、
 友達とおしゃべりして笑いころげたり、
 つまづいて転んだり、
 犬に追いかけらて、転んだり、
 巫女の格好で……転んだり。
 神社で掃除していたり。

 既に何度も何度も繰り返し観たアニメであるが、三人で集まって観賞するのは今日が初めてであった。

 (やま)()(さだ)()が楽曲提供を受けたことから立案に繋がり、トゲリンがキャラクターをデザインし、絵を描き、八王子がパソコンで編集した、アニメオープニングである。

「おれたちの、オープニングだ」

 定夫は、画面をくいいるように見つめながら、感無量といった表情で呟いた。

 本編が存在しないのにオープニングというのも妙な話ではあるが、誰が見たとしても、アニメのオープニングと思うであろう、そんな作品であった。

 技術的には、取り立ててレベルの高いものではない。
 当然だ。
 作り手はみな素人なのだ。

 トゲリンは、時折漫画家を無性に目指して絵を描きたくなるというだけで、アニメーターではないから構図の知識はあっても中割りなどの知識経験などはないし、アニメ作成ソフトのスパークにしても所詮は無料のものである。

 生半可な知識技術でテレビアニメ的な動画にチャレンジしても労力が半端でないどころか、アラが目立つだけという結果になりかねないので、中割り動画は必要最小限度にとどめて、ほとんどのシーンは止め絵をスライドさせたり、画面内に別のカットを割り込ませたりして、動きを作り出している。

 その、割り切りが功を奏したということであろうか。
 トゲリンの美少女を描く才能と、八王子のスパーク編集が絶妙に噛み合って、素晴らしい作品になっていた。

 ほんわか脱力系の絵の裏に、作り手の情念を感じるような、そんな作品になっていた。

 技術的なアラに目をつぶるどころか、そもそもまったく気にならない、むしろそれが味、といったような。

 これは本当に、凄い作品を作り上げてしまったのかも知れない。

 と、興奮する定夫であるが、同時に一抹の寂しさも感じていた。
 発端は自分であるとはいえ、
 制作会議に参加した身であるとはいえ、
 現場仕事そのものに関しては完全に蚊帳の外で、関与していないからだ。

 コンテ担当で、そういったところのノウハウを本で学んでから臨んだとはいえ、ほとんどトゲリンのセンスにアレンジされてしまったし。さらに、スパークの性能に合わせて八王子にアレンジされてしまったし。
 徹夜徹夜で必死に作業していたのも、前半はトゲリン、後半は八王子だし。

 感覚的には、自分はなんにもやっていない。

 でも、いいんだ。
 こんな凄いことをやってのけてしまう友がいるというだけで、おれは幸せさ。

「でも、本当に凄いな、これ」

 ちょっと寂しい気持ちをごまかすように、また作品を褒めてみる。

「大変ではござったが、それなりの物にはなったであろうか。拙者にもっと絵心があれば、と悔しい思いもあれど」

 トゲリンはネチョネチョ声で謙遜するが、しかしその顔に浮かぶ満足感は隠しきれるものではなかった。

「ぼくも、もうちょっとセンスがあればよかったなあ。まあスパークじゃ、やりたいこと広げても手間ばかりかかって、これ以上は難しいんだろうけど」

 八王子も、百パーセント以上の仕事をやったのだ、とばかり満足げに鼻の頭をかいた。

「環境が環境だし、プロじゃないんだし、完璧な出来といっていいと思うぞ、おれは。でもあれだよな、こうも完璧な作品になっちゃうとさ、オープニングだけといわず、本編も作りたくなるな」
「お、いいでござるござるなっ」

 トゲリンは、甲高いネチョネチョ声を張り上げて、ずずずいと奉行のように定夫へと身を乗り出した。
 自分の描いた絵が、音付きで動いたということに、相当に気分高揚しているのであろう。

「作るとなると、ジャンルはどうする?」

 八王子が尋ねる。
 確かに、オープニングアニメを作成するにあたって雰囲気やキャラ設定などは相当に話し合って決めたものの、舞台背景はなにも考えていなかった。
 そもそも、主人公の名前すら付けていなかった。アニメ製作にあたっては「主人公」で問題なかったからだ。
 話を作るというのならば、背景設定をしっかりさせないと。

 ああ、おれたちのアニメが、どんどん広がっていく……

「キャキャ、キャラからするとっ、ゆるゆる学園ものかなあっ」

 自分たちの作ったキャラクターの学園生活を妄想して、ちょっと興奮気味に語るオカッパ頭の定夫であった。

「定番ではあるね。それか、なんか意表をついたものにする?」

 すっかり乗り気になったか、八王子も楽しげな笑みを浮かべて乗ってきた。

「本編全部落語形式」

 トゲリンが粘液声で。

「意表ついただけ。というか、まど〇しらべにやられちゃったろ、それはもう。王道的なものでいいと思うよ、おれは」
「じゃ、よくある普通のアニメを目指すってことで。となると舞台は現代日本しかないよね。で、キャラ設定をそのまま生かすとなると、ゆるゆる学園か、スポーツへなちょこ系、SF、退魔もの、など必然的に絞れてくるよね」
「まあ、そうだな。オープニングをほとんど修正せずに済むのは、ゆるゆる学園ものか」
「ゆるゆるであっても、ライバルキャラの存在も必要でござるな」
「そうだね。あと、主人公の名前も早めに決めときたいね」
「名前からくるインスピレーションから、話が生まれるからな」
「拙僧の個人的な好みであるが、苗字は単純な漢字で、名前はひらがなが希望」
「ひらがなかあ……最近のラノベみたく毎回ルビ振ってくれないと読めないよりは遥かにいいけど」
「まあ、アニメである以上はキャラの名前は文字ではなく音であり、読みにくさに関してはあまり気にしなくていいとは思うが、しかし設定を考える以上、拙僧の好みとしてはやはりひらがな」
「しっくりくるのが一番だから、漢字かひらがなかはまだ決めず、明日までにそれぞれ候補をいくつか考えて発表しよう」
「心得た」
「なら、いま話しときたいのは、細かな背景をある程度煮詰めることだね」
「まず拙者がアニメに何を求めるかから話すと……」

 自分たちの作品が自分たちへもたらしたこの高揚感に、そして、これから大きな作品を作るのだという夢に、みな口が止まらなくなっていた。

 そう、
 みな萌え、いや燃えていたのである。 
 

 
後書き
さあ、いよいよ始まりました。
オタク少年山田君たちの、アニメ作りが。
いったいどんな作品が出来るんでしょうね。 

 

第二章 俺たちの、アニメだ

     1
「万人と結婚出来るが、一人とすら結婚出来ないもの……とかは」
「うーん。じゃあ、じゃあ……無料で合法なドラッグ」
「まあ、実際のところ相当な金はかかるが、想うこと自体は無料だからな」

 (やま)()(さだ)()と、八王子こと()()()()(ひこ)は、学校の廊下を歩いている。

 都立武蔵野中央高等学校。
 名前の通り、東京都武蔵野市にある高校だ。
 JR三鷹駅から、都営バスで十分ほどのところにある。

「魂の咆哮」
「えー、それは『なんぞや』ではなく、単なるキャッチコピーじゃない? じゃあ……地殻変動による科学変化」
精神(コスモ)の輪廻」
「自己の再生」
「水の鏡で『水鏡』」

 「萌えとはなんぞや」という理屈を論じていたのに、いつの間かイメージを表すフレーズ合戦になってしまっていた。
 まあええわい、と構わず言葉のラリーで打ち合いを続けていると、

「イシューズだ! うつるよっ!」

 女子生徒の集団が、眉をひそめてこそこそひそひそ。廊下の片端に窮屈そうに寄って、肩を縮めながら、定夫たちとすれ違った。

 二歩、
 三歩、

 定夫は、なんとはなしに後ろを振り返ってみた。
 女子生徒たちも何人か、歩きながら振り向いてこちらを見ていた。

 一人と、視線が合った。
 ひっ、とその女子は息を呑むと、一人足早に逃げ出した。

「待ってよ!」
「やだ、もう、ほんと、あいつら!」
「きもっ」

 残る女子生徒たちも、小走りで後を追った。

 北風が吹き抜けた。
 ここは建物の中で季節は初夏だが、定夫の心の中に。

 定夫、八王子、いまここにいないがトゲリン、この三人は、女子生徒たちから、キモオタスリー、イシューズ、などと呼ばれ、忌まれ、疎まれている。

 キモオタスリーは意味聞くがごとしで理解出来るが、イシューズがなんなのかさっぱり分からない。

 女子に直接聞こうにも聞けない。
 犬のクソ食って下痢して死んだ方がマシというくらいの、あからさまな嫌悪の感情をぶつけてくる相手に、聞けるはずがない。

 仮にそこまで嫌われていないのだとしても、女子にどう話しかけてよいのかなど分からない。

 この高校での女子との会話など、「ほいプリント」「山田、キレッチョが職員室こいって」くらいしか記憶にない。会話というより、一方的に言葉を受けただけか。

 八王子も同じようなことを考えているのか、お互い無言になり、それがなんともいえない気まずさを生み出していた。

 そのような中、さらに追い打ちをかけるような出来事が。
 さらに、というか、またもやというか。

「ギャアーー、イシューズだっ!」

 先ほどとは別の女子生徒たちが、大騒ぎバカ騒ぎしながら自分たちを指さしつつ近付いてきて、すれ違う瞬間だけ廊下に張り付くようにして、騒ぎながら小走りで逃げて行ったのである。

「また、イシューズか……」

 定夫は、ぼそり呟いた。

 イシューズ。
 いしゅーず。
 異シューズ?
 いいシューズ?

 なんなんだ。
 一体なんなんだ。
 靴がどうこう、ということなのか。
 他の、物理的な、なにかなのか。

 それとも、
 石臼、意志薄、などからの連想であるとか。

 ……まあ、女子ごときに、なにを思われようと、どうでもいい。
 萌えない女子など、どうでもいい。
 お、いいなこのフレーズ。素晴らしい。
 そうだ、
 萌えない女子など女子ではない。
 「はにゅかみっ!」の(こと)(のり)(こと)()や、「サイコー」の(かん)成《なり》るる()のような、そんなヒロインから軽蔑の眼差しを受けたならば落ち込みもしようが、名のないモブキャラどもになにをいわれようが、どうでもいい。屁でもない。

 背景。そう、あんなやつらは、おれの人生の、単なる背景だ。
 まあ、やたら激しい精神攻撃を仕掛けてくる忌々しい背景ではあるが。

 ともかく、オタクであるがゆえの不利益などは、とっくに覚悟をしている。
 笑いたくば笑え。
 罵りたくば罵れ。
 オタク人生、ただ堂々としていればいい。
 天上天下唯我独尊ッッ!

 と、己が惨めさを吹き飛ばすべく脳内ハイテンションになって、右手の人差し指を天井へと立てようとした瞬間であった。

 どんっ。

 定夫のぶくぶく肥満した肉体は、四、五十キロは軽いと思われる男子生徒との衝突に、あっけなく吹っ飛ばされていた。
 そして、後頭部を廊下の床にごっちと強打した。

「うぎゅううう」
「うぎゅうじゃねえよ。てめえ、どこ見てんだよ、デブ! ブタッ!」

 罵声と同時に、脇腹を蹴飛ばされていた。

「つつっ、つっつ、ちゅみみみみ」

 定夫は驚きと激痛に混乱して、わけの分からない呻きを発した。

 その激痛の中、なんとか薄目を開けると、ぶつかった相手は(やま)(ざき)(りん)()(ろう)という隣のクラスの不良生徒であった。

「もも、申し訳ありませんでした」

 苦痛をこらえなんとか立ち上がると、山崎林太郎に深く頭を下げた。

 お辞儀をするとお腹が非常にキツイ。しかし背に腹は変えられない。もしも背に変えられたら、とんでもなくデブな背中になってしまうというだけだが。

「なにが申し訳ないだ。太ってんじゃねえよ、てめえ!」
「ぜぜ、善処する所存でございます!」
「デブがぶつかってくるから、肩を複雑骨折したじゃねえかよ。治療費出せよ、てめえ」

 吹っ飛ばされたのは定夫なのだが。

「おお、お金、ないんでむーん」

 ペコペコ頭を下げながら、いかに金がないかを伝えようと、がま口の財布を取り出す定夫。何故か言葉の語尾が、「るりりりり」に出てくる狂言回しの妖精になっていたが。

「きったねえ財布。……いくら持ってんだよ」

 山崎はひったくるなり、パチンとがま口を開いた。逆さに持っていたものだから、中身が落ちた。
 チャリンチャリンチャリンと、二、三百円ほどの小銭が廊下に落ち弾んだ。
 正確には、二百五十八円。

 「アイドルドリーム」二代目センターである()(づき)()()()のプレミア版トレーディングカードを、今日の放課後買うために、ちょうどぴったり財布に入れてきたのだ。

 通常百円のカードであるが、キャラデザイン担当である(やま)(した)(えつ)(なり)氏の特別イラストと、金の枠ということで、プレミア版なのである。

「ここ、これは、古乃美ちゃんのプレミ手ギャアア!」

 とっさにしゃがんで小銭を拾おうとした瞬間、山崎に手を踏みつけられ、ぎゅいっとねじられたのだ。

「貧乏野郎。オタク野郎。そんな気持ちの悪い金なんかいらねーよ。バーカ、デーブ」

 山崎は靴底でズビンズバンと硬貨を蹴飛ばしてあちらこちらに散らばらせると、定夫の顔にツバを吐きつけ、いかり肩で去って行った。

「たた足りないと買えなイイっ!」

 這いつくばって手足しゃかしゃかタガメのように小銭をかき集めた定夫は、硬貨の枚数を数えて無くなっていないことを確認すると、古乃美ちゃんのトレカ代を守りきった安堵と、いくばくかの惨めさの入り混じった、なんとも複雑な表情で立ち上がった。

「やま ざき りん た ろう……抹殺!」

 声の方を見ると、騒ぎの間に廊下の陰に隠れていた八王子が、「デスリスト」とマジックで書かれた大学ノートを広げて、ペンを持った手を大きく払った。
 書いた名前を、線でかき消したのであろう。

 彼、八王子は、不良生徒のことが人一倍どころか人百万倍も嫌いなのである。

 中学時代、そのような生徒に「目つきが気に入らない」という理由で集団リンチを受け、アゴを蹴り砕かれた。そのことにより、東京八王子市から逃げるように転校してきたのだから。

「あいつの髪の毛、落ちてないかな。まったく、なにが林太郎だよ、昭和みたいな名前しやがって。むーん、じゃないよバーカ。『るりりりり』かっての」

 廊下にしゃがんで、林太郎の髪の毛を探している八王子の姿に、少しくらいはおれの心配をしろよ、と思う定夫であった。

 いの一番に逃げ隠れてしまったことは、責めるつもりはないが。
 それはそれとして、むーんといっていたの、確かおれではなかったか。まあいいけど。

「うわ、キモオタスリーだ」
「今日はオタツーだね」
「ほんとキモっ」
「空気感染しちゃう」

 女子生徒が、腫れ物に触るような目つきで、ひそひそこそこそ通り過ぎていく。まるで定夫たちに円形のバリヤーが張られているかのように、肩を縮ませながら。

 林太郎の髪の毛を探していた八王子であるが、バッと勢いよく立ち上がるや否、去りゆく彼女らの背中をギロリ睨みつけた。
 手にしたノートの上で、カリカリとペンを動かしたかと思うと、大声で叫んだ。

「抹殺ッ!」
「最近、ノートに書き込むレベルが下がってないか?」

 以前は不良ヤンキー限定だったのに。

     2
「トーテムキライザーの続編が、今年の秋からだよな」

 (やま)()(さだ)()は、不意にそんな話題を口にした。

 漫画原作の、深夜アニメである。
 地方都市にある、平凡な高校が舞台。
 一人、また一人、と生徒が消えていくのに誰も気づかない。と、そんなミステリーである。

「でもね、監督と、一部キャストが変わるらしいしよ」
「八王子殿、それは本当でござるか。ひひ、(ひめ)()ちゃんの声はっ。()()()(おり)さん演じる、姫野リコちゃんの声はっ。さらには、姫野ちゃんの脳内で世に審判を降す天使ルウ、つまり()()(なお)()さんの声はっ!」
「確か、どっちも変更なしだったかな」
「うおおお!」

 トゲリンは両腕を天へと突き上げた。

 曇り空、今日も変わらぬオタトーク。
 定夫、トゲリン、八王子、三匹のオタクたちは校庭と校舎の間の道を歩きながら、いつものように熱く話し込んでいた。

 通りゆく者たちの、特に女子の、あざけりの視線をガンガンその身に受けながら。
 毎度の光景である。

 定夫たちも無感覚人間ではない。その視線の持つ意味、理解はしている。
 嫌悪の情を向けてくる気持ちは、定夫にも分からなくはない。

 確かに、地球に住む人間みんながみんなアニメ大好きでも、気持ち悪いというものだ。

 アニメキャラに置き換えて考えれば、よく分かることだ。
 つまり、「ポータブルドレイク」の(とう)()や、「サイコー」の(かん)成《なり》るる()や、「これは(ほう)(だん)(こん)ですか?」の島崎ルエルがアニメオタクだったりしたら、魅力台無しというものである。「めかまじょ」の()(とり)()()()も然り、あ……いや、こちらは魅力ちょい増しな気がしなくもない。

 とにかく、万人が好きになれるものでないにせよ、好きでなにが悪いのか、とは思う。

 そう、自分は、アニメ好き人口を増やしたいとか、アニメのよさを世に知らしめたいとか、そんな啓蒙活動をするつもりは毛頭ない。
 ただ市民権が欲しいだけなのだ。

 自分たちは自分たちで、迷惑をかけずひっそり生きていくから、ただ存在を認めて欲しいだけなのだ。
 最悪、生存権でもいい。
 せめて呼吸くらいさせてくれ、と。

「イシューズだっ!」

 と、またじろじろ舐め回すような女子たちの視線。

 構わず進むと、今度はゴキブリ見るような嫌悪の視線を受け、

 さらに進むと、女子たちが笑いながらひそひそこそこそ囁き合って逃げて行く。

 ふー。

 ここまで連発で食らうのは久し振りで、さしもの定夫もため息である。

 このモブキャラだもが、と、心に強がってみた。
 間違った、このモブキャラどもが。

 ずずるるるん、と定夫の鼻から不意に真緑のスライムが飛び出した。慌ててティッシュを取り出して、ずびずばっとかんだ。かんだティッシュはもちろん丸めてポケットの中。

 三人は、植木を円形に囲むレンガに腰をおろすと、バッグから取り出した弁当を広げた。

 冬以外雨の日以外の昼休みは、たいていここでこうしてアニメ話をしながら食事をするのである。

 たまに不良生徒がウンコ座りなどしているのを遠目から見つけると、そそくさ進路変更して教室に戻ってしまったりするが、こういうさわやかなところにあまり不良はいないので。

 八王子は、今日も母親の手作り弁当だ。

 定夫は、自分で作ったというのもはばかられるような、詰めたご飯にゴマ塩ふっただけのもの。
 学食を利用していると嘘をついて、お小遣いにしているため、自宅でこそこそ用意できる弁当だとこのくらいしかやりようがないのだ。

 同様の理由によりトゲリンも塩ご飯や醤油ご飯が多いが、本日は醤油ご飯にのりが一枚かぶせてあり、さらには隅っこに梅干もあり、豪華絢爛であった。

 余談だが、半年ほど前、みんなでキャラ弁を作って持ち寄ったことがある。
 「はにゅかみっ!」の(こと)(のり)(こと)()、「めかまじょ」の()(とり)()()()、など。

 普通の弁当も作れない料理の素人だけあって、出来はあまりにもお粗末、似ている点など皆無の代物であった。

 しかし、珠紀琴乃や小取美夜子と思い作ってしまった以上は、なんとも食べるに忍びなく、でも作っておいて食べないわけにいかず。

 まったくキャラに似ていないものの、作っている時は似せようという思いばっかりで、食材の組み合わせなどなにも考えていなかったものだから、味は激マズで、なんともむなしい気持ちのみ味わうことになったものである。

 それからは暗黙の了解的に、食事自体にアニメを持ち込むことを封印している定夫たちである。
 「はにゅかみっ!」の弁当箱でもあれば、また別なのであろうが。

 さて、腰を下ろして弁当を広げたところで、会話の続きである。

 なんだっけ、ああ、トーテムキライザーのアニメ新シリーズが放送する、という話をしていたのだった。

「そういやあ、トムキラといえば、明日、最新刊の発売日だな」

 原作漫画単行本のことである。

「あれえ、明日だっけ?」

 トゲリンでも、八王子でもない声が、定夫の言葉に反応した。

 誰かと思えば、レンガ道を女子二人に挟まれながら歩いてくる(なか)()(しゆう)()であった。

 定夫と同じ二年生。隣のクラスだ。
 さらり髪で、顔立ちの整った男子生徒である。

 二人の女子に密着されながら、ゴマ塩弁当を広げる定夫たちの前を通り過ぎて行く。

「明後日かと思ってたよ。さんきゅ」

 中井は、中指と人差し指をくっつけた手を、ひゅっと振った。

「やだー、中井くん、あんな連中が好きな漫画が好きなのー?」
「いやいや、面白いんだって」
「まあ中井くんなら許しちゃうけどお」
「全巻持ってんだ。貸してやるから、読んでみなよ」
「借りたくなあい。一緒に読みたあい」

 ベタベタしながら去っていく中井たち三人。
 訂正。トゲリンの声なみにネチョネチョしながら去っていく中井たち三人。

 定夫は、ほの暗い視線を彼らの背へと向けていた。
 もともと明るい眼光を放てるタイプではないが。

 彼、中井修也も、トーテムキライザーのファンらしい、ということは聞いたことがある。
 トムキラだけではない。
 アニメ漫画全般的に、かなり好きで詳しいらしい。という噂である。
 しかし。
 女子に囲まれて、クールにさわやかに会話をしながら去りゆく彼の後ろ姿に、定夫は思う。


 あいつは、違う。


 と。
 なんとなく。いや、絶対に違う。
 こちらとは。
 存在が。
 住む世界が。

 あいつは、容姿はまともどころか淡麗なほうだし、女子寄ってくるし、自分らと違って女子と会話を合わせることだって出来るし(というか自分らは女子と話したことすらない)、確かバスケが得意だし、英語話せるし、足も速いし、

 それに、
 それにっ、
 じょ、女子とっ、つつっ付き合ったこともあるらしい。

 あくまで、噂ではあるが。
 付き合っているのかは分からないが、実際問題、取り巻きがいたではないか。二人に密着されていたではないか。トゲリンの声みたいに、ネチョネチョしていたではないか。

 自分らは、こっち側。
 あいつは、あっち側の人間なのだ。
 デッドラインの、こっちと、あっち。
 中井は、市民権を持っている人間なのだ。

「畜生……」

 やつとおれ、どう違うというのだ。
 あ、いや、まったく違うのは間違いなく、そこを認めるにやぶさかではないが、しかし、しかしどっちも人間じゃないか。

 なのに、
 きっと、風呂に入ったばかりのおれよりも、一ヶ月入っていない彼奴(きやつ)のところへ、女子は寄るのだろう。

 くそう。
 嗅覚が狂っているのか、女子どもは。

 そんな中井がいいのか。
 ああ、確かにおれにはなにもないさ。
 中井が持っているもの、なに一つとして持っていないさ。トムキラの単行本くらいしか。

 だからなんだ。
 畜生。
 畜生。

「おれのスーパーフィンガーがゴッドに輝き叫ぶっ!」

 定夫は、突然くわっと憤怒の表情になって、立ち上がるや否や右腕を勢いよく突き上げた。

 飛んできたバレーボールが、爆熱寸前であったそのスーパーフィンガーをばちいんと弾いた。さきほど廊下で不良生徒の山崎林太郎に、ぐりぐり踏まれねじくられた手を。

「さっき踏まれたとこギャアア!」

 運もない。

     3
「ゆるい女子高生ものにすべきか」
「バトルものにするか」

 ここは(やま)()(さだ)()の自室である。
 部屋にいるのは他に、トゲリンと八王子。
 いつものオタ三人である。

 定夫は、右手にぐるぐるとテーピングをしている。
 学校で不良生徒に踏まれねじくられたのみならず、なおかつ猛スピードで飛来してきたバレーボールがばっちんと当たってしまったのである。

「神社で巫女のバイトをしている、という設定に決めた時点で、もうその二択でござろうな」
「そうだよね。奇をてらう必要はない。アニメ制作の素人が変な色気を出そうものなら、際限がなくなってわけ分からなくなるだけだし。だからむしろ王道を進むべきだと思うよ。ぼくらのエッセンスは、入れようとせずとも自然に入るから。レンドルはどう思う?」

 八王子に振られ、定夫はゴキブリのように脂ぎったオカッパ頭をなでながら、

「バトルもの、つまり退魔ものがいいかな。話にオチをつけやすいし。でもその線で行く場合は、オープニングにかなり修正加えることになるよな。まあ、それが面倒だから本当に作りたいものを変更する、というのも、なんだとは思うが」

 作品自体は、まだ二分弱のオープニングしか存在していない。
 これから作ろうという本編部分は、その十倍以上はある。
 ならば、芸術作品を残すという意味でも、また単純な作業へのモチベーションという意味でも、純粋にやりたい方を選ぶべきであろう。

 と、定夫は思ったのである。

 その単純な作業でオープニングを作ったのは八王子であり、トゲリンであり、なみ大抵の苦労ではないはずだが、

「ぼくは別に、作り直しても構わないよ。元絵はトゲリンに描いもらうことになるから、そっちの方が大変かも知れないけど。だから、トゲリンさえよければ」
「いや、拙者も別に、問題はないでござる。ゆるゆるものは、話の作り方というかテンポが意外と難しそうなので、ポイントポイントを簡単に作れるバトルものの方が、引き締まった作品が作りやすそうな気もするしね。あ、いや、気がするでござる」

 ポロリ地が出て、わざわざいい直すトゲリンであった。

「なら、バトルもので決定ってことで。おれさ、絵を描いたり動かしたりは出来ないから、他のことをなるべく担当するようにするから」

 といっても、なにをするものなのかよく分かってはいなかったが。

「頼むでござる」
「うん。で、キャラ作りの話。主人公のイメージは、もう既に絵があるし、バトルものって決まったことでかなり固まった気がするけど、あとは周囲のキャラをどうするかだな。どんな敵と戦うのか、とかも考えないと」
「そうでござるな。あと、タイトルとか、キャラの名前とか、そういったネーミング系も決めていかないとならないでござるな」
「現在の流行を意識して名付けるならば、三種類に大別か」と、八王子。「もう流行は終わりかけているけど、『おたでん』とか『のらかみ』に代表されるような、ひらがな四文字か、それか『魔法使いメルモ』や『電撃少女あおい』みたいな一種王道的なものか、最近ラノベでやたら目立つ、やたら字数の長い、けったくそ悪いの」
「けけ、けたくそ悪いいうなハアア!」

 ネチョネチョ絶叫が、室内に轟いた。
 彼、トゲリンは、「愛のままの裸足な女神にキスする僕をどんなに好きか君はまだ知らない」の大ファンなので、その怒りであろうか。

「けったくそ悪いものは、けったくそ悪いの。『勇者になろうとしたら魔軍にスカウトされて王国へ進撃してました』、とかさあ。誰か一人がやるだけならその作家の個性ってことでいいけど、まあみんなで真似しちゃって、乗っかっちゃって、プライドなさすぎ。同じバカの一つ覚えの物真似なら、ひらがな四文字の方がまだ遥かにマシだった」
「ぬぬぬうう。バカだと。(あい)(ぼく)のミキヒラちゃんをバカだとお?」

 誰もそんなことはいっていないが。

「やめろよ、もう」

 仲裁に入る定夫であるが、入りつつも余計な一言ぼそり、

「おれも長いタイトル嫌い」
「いまいう必要のあることでござるかあ!」

 ネチョネチョ声再噴火。

「ないよ。なのに勝手にタイトルの好みでバトルしてるのそっちじゃないか」
「……うむ、確かに。好み論争は、今宵チャットで論ずればよい話。八王子殿、拙者つい熱くなってしまって、真琴に、ではなく誠に、申し訳ない」

 トゲリンは手を付き深く頭を下げた。

「いや、こっちこそ。言葉が悪かった。ごめん。……あ、ちょっと待って、ぼく宛の宅配届いたって!」

 ブー、という音と振動に携帯電話をチェックをした八王子は、家族だか誰だかかのメールに声を荒らげた。

「最近グッズはなにも買ってないから、たぶんあれが届いたんだと思う。というわけで、ぼく、いったん帰るね」

 と、八王子はそそくさ定夫の家を後にした。

 届いたと思う、というのは、アニメ製作ソフト「アニさく」のことである。
 スパークというフリーソフトを駆使して見事なオープニング風アニメを作った八王子であるが、本格的な作品作りをするにあたり、ならば本格的な作成ソフトを買おうということになり、購入したものだ。

 安物ではあるが、素人からすると充分に高額であり、
 希望小売価格は、四十五万円。
 それを、学生証のコピーを提出して、アカデミー価格三十七万円で購入したのだ。

 支払いは、きっちり三人で割り勘。
 実際に使うのは八王子一人ではあるものの、だからこそである。緻密で膨大な作業をすべて任せることになるのだから。

     4 
 さて、八王子が帰宅してから、一時間ほどが経過した。

 不意に定夫とトゲリンの携帯電話が振動した。
 八王子からのメールだ。

 「例のモノ、届いてた。早速入れて起動してみた。サンプル置いたから見て」

 という文面であった。
 絵や音楽、ワープロもそうだが、データを作成するソフトには、そのソフトを使ったサンプルデータが付属していることが多い。それを、見て欲しいということである。

 定夫はすぐパソコンを起動すると、三人で共用しているクラウドのフォルダを開いた。つまり、インターネット上に存在して三人がそれぞれ自宅から開くことの出来るデータファイルの物置である。

 フォルダの中に、日付が今日のファイルが一つある。
 これだろう。

 パソコンのハードディスクにそのファイルをコピーし、ダブルクリックで実行した。

 画面全体が真っ黒になり、中央にデッサン人形のような、顔なし木彫り人形の全身が映った。

 いきなりそれが、くねくねと腰をくねらせて踊り始めた。
 アフリカ呪術のような、盆踊りのような、不気味なダンスであった。

「とりあえずは、このようなモノが作れる、というわけでござるな」
「同梱サンプルそのままなのか、八王子アレンジが施されているのか分からんが」

 などと呟いていると、また一通メールが届いた。
 共有フォルダを見ると、また一つ、新しいファイルが入っていたので、実行。

 先ほどのものとほぼ同じである。
 ただし今度のは、顔に目鼻パーツが書き込まれている。
 しかも、アニメ絵っぽい少女の顔だ。
 何故か口にヒゲが生えており、なおかつ顔の輪郭も、ボディ全体も、木彫り人形のままであるが。

「テクスチャマッピングの、サンプルを貼り付けてみた。だって」
「ああ、十五年ほど前に某3D対戦格闘ゲームで一躍有名になった技術でござるな」

 立体を計算式で描画するのがポリゴン技術であるが、あまりに構成要素のデータが足りないとダンボール細工のようにカクカク平面になってしまうし、細かく滑らかにしようとするとあまりにも要素データが膨大になってしまう。
 それを解消する技術の一つが、テクスチャマッピング。要は、ポリゴンの面に対して塗装をするのだ。模様や汚れなども表現出来るし、少ないデータ量でもリアルに見える絵を再生可能にするのだ。

「だがしかし……」

 ソフトの仕様なのか、パソコンスペックによる処理落ちなのか、くねくね動くたびに、キャラと背景との間に白がちらつく。

 それと、この絵、気持ち悪い。
 女子の顔なのにヒゲ面だから、など差し引いてもあまりある違和感はなんなのだろう。

「まあでも、本当にアニメみたいではあるな」
「確かに。まあ実際本当にアニメでござるが、しかし本当にアニメみたいでござるな」

 などと語っているうち、またメールが届いた。
 新たなファイルを実行すると、今度は、顔がもっとアニメっぽくなっていた。目が大きくなり、日本アニメ的になった。

 またきた次のファイル。
 今度は呪術のような盆踊りのようなダンスではなく、現代風のダンスになっていた。
 詳しくは分からないが、ヒップホップ系とかなんとか、そういう類のものだ。

 次のファイル。
 口ヒゲがなくなり、完全に女子の顔になった。
 何故ここから取り掛からなかったのか、八王子。

 次のファイル。
 ボディが木製デッサン人形ではなく、いや、ボディはそのままかも知れないが、その上にフリフリのアイドルのような衣装をまとった感じになった。
 ダンスのたびに、スカートが柔らかく揺れている。

 顔の輪郭が木彫り人形のままなのを差し引いても、

「おおおっ」

 定夫とトゲリンに歓喜の雄叫びをあげさせるに充分な映像クオリティであった。

「この服、サンプルにあったモノでござるのかな? かなり日本アニメ的なのに」
 「アニさく」は日本で付けられたタイトルであり、基本的には海外ソフト。なのに日本アニメファン向けのサンプルが、同梱されているものなのだろうか。という、トゲリンの疑問であろう。

「いや、ネットでアニさく用のフリー素材を見つけたので、組み合わせてみた、だって」
「うむ。まるで、最近のテレビアニメで大流行りの、エンディングCGダンスのようでござるな」
「そうだな。でもおれ、あのCGCGしたダンス大嫌いなんだよな」
「奇遇でござるな。拙者もでござる」

 どうでもいいが意見が合った。
 なにが大嫌いか。理由はいくらでもいえる。

 一つには、毎度毎度どのアニメも同じ感じで、もう飽きたということ。
 毎年毎年新作が放映されるシリーズものなど、どの作品も似たり寄ったりなエンディングになってしまって、過去の番組どれがどんなダンスで、など頑張っても思い出せない。

 曲自体も記憶曖昧だ。
 当然だろう。ダンスに合うものということで、どうしても似た曲調になるからだ。

 作り手は、そんな中でも個性を出そうと努力しているのかも知れない。しかし「固定の舞台でひたすらダンス」「ダンスに合ったノリの良い曲」という土台が変わらないものだから、振り付けを変えようとも個性が出ようはずがない。

 エンディングテーマのバラエティ性が、台無しというものである。

 本来、エンディングテーマというのは、作品のその回を締めくくる大切なものなのに。

 明るい。元気。
 楽しいけど、ちょっぴりしんみり。
 大人のムード。

 と、様々であるべきなのに。
 なのにCGダンスでは物語性が生まれない。

 夕日を見ながらどんより沈む主人公が、頭をポンと叩かれて、振り向くと家族が笑っている、とか、
 雨が降っていたが、最後に晴れ上がるとか、

 毎度ノリのよい曲に笑って踊っているだけの映像では、そんなこと出来るはずがない。

 単にCG技術を自画自賛するだけのものになってしまっている。
 そもそもCG技術など、単なる世の中の科学進歩であり、そんなものを自慢するようでは、そのアニメはもう終わりではないか。

 アニメなんざ鉛筆一本あれば描けるぜえーー。
 そんな気概を持つアニメーターはいないのか。

 などと不満をたっぷり抱えつつも、その最もたる作品を、毎日曜の朝にかかさず観ている定夫たちであるが。
 まあ、だからこその不満である。
 よい作品に、なってもらいたいからこそ。

 なお、オープニングやエンディングについて、さらに加えて不満をいうならば、作品の顔ともいえるオープニング映像を、まるまる劇場版の宣伝映像に差し替えるのもやめて頂きたい。宣伝はCMの時間にやれやバカ野郎!

 閑話休題。

「お、次のファイルがきたぞ」

 と、動画を再生する定夫であったが、
 これは、彼らを驚かすに充分なものだった。
 それが売りのソフト、と分かっており、だから購入を決めたというにもかかわらず。

 先ほどの女性アイドルのような3DCGアニメ、これが2D風、つまりはセル画アニメ風になったのである。

「これぞ、アニメ!」

 3DCGアニメが大嫌いな二人は、同時に叫んでいた。

「これは、期待出来るな。ソフト扱う八王子だけでなく、キャラを作るトゲリンも大変と思うけど」
「いやいやいや、これを見せられたら、俄然意欲が沸いたでござる」
「何故か少女の顔に口髭が復活してしまっているのがちょっとアレだが。……わざとやっているのか、八王子は」

 しかし、それすら気にならないクオリティ。
 これは、期待してもいいのでは。

 なお、彼らの考えているアニメ作りの手法や、その考えに至った経緯は、次の通りである。

 アニメ風の絵は描けるトゲリンだが、あくまで漫画やイラスト寄りであり、確固としたデッサン力はない。
 つまり、アニメ原画を描くのは能力的にちょっと厳しい。
 だが、描かなければならない絵がそれほど多くもないのであれば、デッサン力の無さは何度もやり直すことでなんとかなるのではないか。

 ということで、3Dアニメ作成ソフトを使って2Dアニメを作るのはどうか、という案が生まれた。

 まずはトゲリンが、キャラをデザインし、何点もの視点から描く。
 八王子が、それをデータ化する。
 データを元に、3Dアニメを作成する。

 その3Dアニメをトレースするようにして2Dアニメを作ろう、と考えていたところ、たまたま、「アニさく」という2D変換が売りのアニメ作成ソフトを見つけた。このソフトを使うことにより、セル画アニメ風の作品を作ることが出来るというわけだ。

 まだソフト付属のサンプルを見ているだけとはいえ、なかなかよさそうである。

 ブーーッ

「はい」

 定夫は着信に気付き、携帯電話を耳に当てた。

 八王子から、メールではなく電話がかかってきたのである。
 感想を、興奮を、期待を、生の声で聞かせて欲しいということであった。

「いいよ、このソフト。トゲリンも、頑張ってキャラを作るぞって、張り切っちゃってるよ」
「レンドル殿、その電話、拙者に貸してくれい!」

 と、トゲリンは定夫から携帯電話を引ったくった。

「八王子殿! いやはや、ソフトも秀逸なれど、実に訪れる未来におおいな期待を抱けるようなサンプルアレンジ。さすがでござる。……先ほどは、長いラノベタイトルのことで食ってっかってしまい、申し訳ないことをしてしまった。今宵から、さっそくキャラクター創造に取り掛かろうかと考えているが、ソフトの能力、限界を確認しておきたいので、試みに、拙者の共有フォルダ三番に入っているイラストの、二人のうちツインテールの……」

 熱く熱く指示を出すトゲリン。
 キャラを作るため、作品を作るための。
 そんな熱のこもったやりとりを聞きながら、定夫はつい拳をぎゅっと握り締めていた。
 アニメ制作とは、絵に生命の息吹を与えること。
 まさか自分たちが、そのようなことに関わるとは思ってもいなかった。
 果たして、どのような作品が出来上がることになるのだろうか。
 わくわくと希望に胸を膨らませる定夫であった。

     5
 それは、ミイラであった。

 いや、生きてはいる。かろうじて。
 ミイラといって過言でないほどに、げっそりとやつれて、肌もガサガサのカサカサの土気色になっていたのである。
 ()()()()(ひこ)、つまり八王子が。

 ただでさえガリガリひょろひょろ体型であったのに、それがさらに体重半分ほどになってしまっていた。

 骨と皮。

 吹けば飛ぶような、とはよく耳にする表現であるが、実際に去年の台風では傘を握り締めたまま十メートル以上の距離を吹き飛ばされた彼である。
 もしもいま、あの時ほどの強風が襲ったならば、太平洋を越えてアメリカまで行ってしまうのではないか。
 もしくは飛騨山脈や日本海を越えて北朝鮮まで。

 ここはおなじみ、(やま)()(さだ)()の部屋である。
 集まったるもおなじみのメンバー、定夫にトゲリン、八王子だ。

 出来上がった作品を一緒に視聴しよう、ということで集合したのだ。

 ネットで共有しているデータをそれぞれの自宅で観るのではなく、みんなで一緒に、と。

 なお完成データは、共有フォルダには入れておらず、八王子がわざわざディスクに焼いて持ってきた。

 機密保持のためという名目だが、単に手軽気軽に済ませたくなかったというのが八王子の本心だろう。
 なにせ、己の体重の半分を奪った作品なのだから。

 彼のその、並々ならぬ思いは定夫にも理解出来る。
 だがそれとは別に、果たしてどんな作品が出来上がってきたのか、不安でもあった。

 アニメ作成ソフトが届いてすぐに見せてもらった、あの気色の悪いサンプル、「口髭女子のアフリカ呪術ダンス」のイメージが強く残っているからだ。

 とはいえ、フリーのアニメ作成ソフトであるスパークを使って、ネット民を唸らせるような高クオリティの作品を作り上げた八王子である。きっと、そこそこどころか、もの凄いものを作ったのだろう。

 定夫は、八王子から受け取ったディスクをプレーヤーにセットした。

「八王子、お前が再生ボタン押せよ」
「いやあ、なんか恥ずかしいよ」
「恥ずかしいというならば、描いた絵を動かされる拙者もでござるよ! しからば一緒に。では、各々方」

 三人、汗ばむ手でリモコンを持ち、再生ボタンを押した。

 テレビのスピーカーから、音楽が流れ出した。
 楽曲提供を受け、ネットで依頼した女性歌手に歌ってもらい、スパークで作成したオープニング風アニメに合わせて何度も何度も聞いている、あの曲である。

 同時に、画像が映る。



 地面のアップから、くるり上回りで、坂の遥か向こうの海が見える風景と、澄み渡った青い空、映像が逆さになって山を、というカメラワーク。
 足。
 スカートの裾。

 ぱたぱたと、誰かが走っている。
 背中側から正面へ回り込むように、同時にカメラが軽く引いて、走るその全身が映った。

 学校の制服を着た、ぼさぼさ赤毛の女子。
 焦っているような表情や走り方から、遅刻しそうなのだろうな、と伺える。

 石に躓いて、転んだ。
 顔面強打の衝撃から、カラフルな無数の星が出て、そのうち一つにズームアップし、画面全体はオレンジ一色に。

 タイトルが出そうなタイミングであるが、音楽が流れるのみであるのは、まだロゴどころか作品名も主人公名も決まっていないためであろう。

 場面転換して、神社で巫女装束姿になっている赤毛の女子。 

 もやもや雲が出て、妄想シーンに。
 大皿小皿に囲まれて、高級そうな料理を美味しそうに食べているところ。

 海の中を人魚になって泳いでいるところ。
 気球に乗って地球をぐるぐる回っているところ。
 男の子のシルエットが映り、顔がぐーっと接近、
 あとちょっと、
 あとちょっとお、
 というところで、
 目が覚めた。
 がっくり。

 青い空。眼下に海の見える学校。

 教室。

 先生に怒られ、立たされ。

 校庭。体育の授業。
 駆けっこ。
 ビリ。
 跳び箱。
 飛べずに衝突。
 どんより落ち込む。

 友達に、
 囲まれて、
 二人、三人、四人。
 笑顔の花が咲いた。

 幸せに、楽しさに、抑えきれずに走り出す。
 石ころに蹴つまずいて、顔面強打。

 画像も曲もフェードアウト。
 真っ暗。



 黒縁眼鏡光らせ、暗くなった画面をなおも見つめ続ける定夫。
 彼の胸には、嵐が吹き荒れていた。
 感動、という名の嵐が。

 パイロット版の、さらにプロモーション用といった程度の、なおかつまだオープニングのみであるが、しかし、自分たちの実力を遥かに超えるようなクオリティのものを作ってしまったというのが紛う方なき事実。
 激しい波のように内からガンガン突き上げるこの感動に、涙が出そうであった。

 う、う、と隣ではトゲリンが既に泣いていた。

「せ、拙者のっ、拙者の作ったキャラが、動いているっ!」

 そもそも絵が動くのがアニメであり、アニメというならば、既に彼らは無料ソフトのスパークを使って作っている。
 しかしスパークでは、ソフトの性質上、どうしても止め絵のスライドがメインになってしまう。
 ということを踏まえると、トゲリンがこのように感激してしまうのも、まあ無理のないことなのであろう。

「専用の、専用の、ソフトを、使うだけで、拙者、拙者のキャラが、こうも違って見えるものなのか……」

 興奮に、トゲリンの眼鏡がカタカタ震えながらズリ上がって行く。

「違う、ソフトどうこうではなく、八王子の熱意の凄さだよ。あと、トゲリンだって、本格的にやろうと決めてから、すごい気迫で絵を描いていたじゃないか。いまならばスパークでも最初に作った時より遥かにいい作品が出来るはず。だから、二人が凄いってことなんだよ」

 と、ちょっといい台詞を吐きつつ、定夫は二人の肩をぽんと叩き、言葉を続ける、

「しかしこう凄いのを目の当たりにすると、『アニさく』の、あのまるで使いこなせてないサンプルはなんだったんだろうな。この作品こそ、サンプルとして付属させるべきクオリティのものだよ。次バージョンからこれを採用しろや、って、送ってみよっか」
「……どうせ送るならば、いっそ万人に……ネットに、公開してみようではござらぬか」
「ネットに……」

 定夫が、

「公開?」

 八王子が、

 そして、

「やってみるか」

 二人の声が、重なった。

     6
 トゲリンの提案により、このオープニング風アニメをネット公開することになり、
 それから数日が経過したのであるが……

 果たして、いったい世の(なん)(ぴと)が予想しえたであろうか。
 この現実を。

 彼らの作品に対しての、
 ネット民からの、
 凄まじいまでの反響を。

     7
 [ぽっと出現した例の謎アニメを語るスレ Part3]


 572
 20××/07/17/02:21 ID:766659 名前:ホのルる
 >>129

 別スレからのリンクで今来て観てみたけど確かにクオリティ高いわこれ。



 573
 20××/07/17/02:22 ID:326879 名前:こてつん

 なあにこれ?



 574
 20××/07/17/02:24 ID:887154 名前:風俗大将

 同人?



 575
 20××/07/17/02:25 ID:354267 名前:マシモフさん

 誰? こんなん作ったの。



 576
 20××/07/17/02:26 ID:887154 名前:風俗大将

 キャラ、いいじゃん。



 577
 20××/07/17/02:26 ID:286971 名前:こりこりコリン

 なにかの宣伝かな。それか大手からドカンと発表される企画が、漏れてしまっているだけとか。



 578
 20××/07/17/02:27 ID:286971 名前:こりこりコリン

 なにかの宣伝かな。それか大手からドカンと発表される企画が、漏れてしまっているだけとか。



 579
 20××/07/17/02:27 ID:466421 名前:チョコボル品田

 歌もかなり良い感じね。



 580
 20××/07/17/02:29 ID:286971 名前:こりこりコリン

 >>579
 編曲は素人っぽいけど、歌声はプロっぽい。。



 581
 20××/07/17/02:29 ID:531743 名前:むなげーる帝国

 すぐ埋まると思ふのでパート4を勃てたった



 582
 20××/07/17/02:30 ID:354267 名前:マシモフさん

 乙



 583
 20××/07/17/02:30 ID:324417 名前:浪速アサシン

 いま診た



 584
 20××/07/17/02:30 ID:945215 名前:急速エレクトロン

 イイ!


     6
 どどーん。
 どどどどーん。
 ざぱああん。

 打ち寄せる波の音を遥か下。
 オレンジの太陽が沈みかける水平線を遥か前。

 男たちは、立っていた。
 切り立つ崖、岬の先端に。

 (やま)()レンドル(さだ)()
 トゲリン、
 八王子。

 どどーん。
 どどどどーん。

 激しい、波の音を遥か下に。
 腕を組み、立っていた。
 あくまで、彼らの脳内でのイメージではあるが。



 現実の彼らは現在なにをしているかというと、アニメ本編を製作している。
 彼らが作ったアニメオープニングに対しての、あまりにも膨大なネット民からの反響にモチベーションを触発されて、本編を作ることを本気で決意し、徹夜徹夜で作業中。

 その現在の心理状況、つまり満足感や、誇らしい気持ち、存在そのものを否定され続けてきたこれまでの人生の反動、などが集約し「思わず波のどどどどーん」なわけであった。

 なお、そのアニメ本編であるが、脚本、絵コンテは総監督のレンドル定夫が担当。
 それをみんなで話し合い、つつき合い、修正したものである。

 基本的な内容は、先日の会議で決定した通り、「女子高生退魔もの」。
 めざす雰囲気としては、「なんとなく懐かしいもの」だ。

 提供された楽曲が、なんとも80年代風なので、それを生かそうという八王子の提案によるものだ。

 古きには懐かしく、若きには新鮮。
 その、旧時代的な雰囲気を、現代人のセンスにて作る。
 決して、パロディにはしない。
 90年前後のノリを、ひたすら真面目に、現代人の感性を取り入れて作るのだ。
 構成は単純で、


 オープニング。
 Aパート。
 アイキャッチ。
 Bパート。
 エンディング。


 というもの。
 まだ、エンディングに関しては、どうするかまったく決まっていない。

 それ以外には、もうコンテ作りも終了して製作活動に入っている。

 Aパートに関しては、もうほとんど完成している。

 オープニングも、ネット公開したものからかなり修正を加えている。敵や戦闘シーン、仲間、といった部分を追加したのだ。

 現在メインで取り組んでいるのは、Bパートだ。

 作っては鑑賞し、意見を述べ合い、作画の修正、場合によってはコンテ段階から修正を施していく。

 プロの現場のやり方など知らないが、おそらくかなり効率が悪い方法なのだろう。
 と、定夫は思っている。

 でもこれが、素人が妥協せずによりよいものを作るための方法なのだ。
 おれたちのアニメを、作るために。


 やがて、学校は夏休みに入った。
 二度とない高校二年生の夏休みを、定夫たちはこの作業のみに費やした。
 のみ、というか、まあ「はにゅかみっ!」などはかかさず観たが。


 二学期が始まる頃、
 ついに、彼らの活動に大きな区切りがついた。

 オープニングからエンディングテロップまでの、映像部分がすべて完成したのである。
 まだ音は入っていないが、アニメで大切なのは映像。

 彼ら三人は、短い月日で退魔少女アニメを作り上げたのだ。
 これに満足せずに、なにに満足せよというのか。



 岬の先端から、暮れ行く真っ赤な太陽を見ている三人。
 腕を組んで、潮風を浴びている。

 レンドル定夫は、右の鼻穴にガーゼを詰めている。
 疲労と眠気に襲われて、朝礼の時に直立不動のまま受身も取らず顔面から倒れて、鼻骨骨折したのだ。イメージではなく、現実に。

 腕を組み潮風を受け続ける彼ら三人の表情は、満足げ、誇らしげであった。
 満足げ、どころではない。
 自分たちの力量を遥かに上回る、素人としては完璧に近い作品を作り上げてしまったのだから。


 どどーん。
 どどどどーん。
 ざぱああん。

 遥か眼下に波の音。

 どどーん。
 ざぱああん。
 ぱああん。

 遥か眼下に波の音。 

 

第三章 敦子、目覚める

     1
 ベッドの上で、ゆーっくりと、目を開いた。
 こしこしと、寝ぼけまなこをこする。

 んー。
 なんか、納得いかない。
 低血圧お嬢様キャラのように、とろーんとした感じに起きようと思ったのに。
 なかなか難しいもんだな。

 傍から自分を見ているわけではないので、もしかしたらちゃんとやれているのかも知れない。
 でも感覚的に、どうにも納得出来なかった。

 やり直そ。

 と、(さわ)(はな)(あつ)()は、そっと目を閉じ、そして、ゆっくりと開いた。
 焦点の合わない目で、ぼんやり天井を見上げた。

 ゆっくりと、こしこし軽くまぶたをこすった。
 手のひらで、目を隠したままの敦子。
 その口元に、じんわりと笑みが浮かんでいた。

「うん、今度はいい感じに起きることが出来たあ」

 満足げな表情で上体を起こした彼女は、今度は両腕を上げて大きな伸びをした。

「あ、あ、いまのもやり直しっ」

 ばったり倒れると、ゆーっくりと上体を起こして、
 う、うーん、と、ちょっと気だるそうに、ちょっとだけ色気を出して、伸びをした。
 にんまり会心の笑みを浮かべると、

「よおし、完璧っ。合格だあーい」

 大声をあげ、ようやくベッドから降りた。
 スリッパを履いて床に立つと、学習机の上に置かれた黒縁眼鏡を手に取り、掛ける。

 くるりと身体を回転させ、日々見慣れた部屋を見回した。
 出窓の、薄桃色のカーテンの隙間からは、朝日が差し込んで、部屋の中を淡く照らしている。

 そのカーテンの下には、たくさんのかわいらしいぬいぐるみが置かれている。
 くま、うさぎ、ロボット、兵隊さん、餓○伝説2のクラ○ザー、等など。

「おはよっ、ラビくん。青い空に、ぽっかり綿菓子の雲。今日もとってもいい天気だね。彼女とは、仲直り出来たのかな。……ええっ、そうなんだあ。それは困ったね。そうだ、手紙でも書いたら? うまくいくといいね」ちょっと視線をずらして、「ルーセルくん、お勤めご苦労様です。ルーセルくんが守衛をやっているから、町のみんなが安心して暮らせているよ。立ちっ放しは大変だけど、健康に気をつけて頑張ってね。でも、たまにはお休みもらって、田舎に帰ってお母さんに顔を見せてあげたらいいんじゃないかな」さらに視線を動かして、「ロボくん、ご機嫌いかがですか? わたしね、今日はね、とってもいいことがあったんだよ。ロボくんに聞いてもらいたいな。あのね……」

 ぬいぐるみの一体一体に、丁寧に、やわらかい微笑みと、言葉を投げ掛けていく。

 先ほどまで寝ていた木目を生かしたお洒落なベッドに、ふわっふわのカーペットに、天井からぶら下がるキラキラ装飾のシャンデリア、フリルふりふり薄桃色のカーテン、と、ことごとくが洋風のこの部屋であるが、異なる点をあげるならば部屋主である敦子自身であろうか。

 やや小柄の、にきびとそばかすの混じった面に、黒縁眼鏡、どこからどう見ても東洋人というか日本人なのだから。

 顔立ちは特段褒める要素もなければ、さりとて特段けなす要素もなく、ただひたすらに、地味。
 常に微笑んでいることによる愛嬌はあるものの、これは顔の造形という基礎評価とは無関係であろう。

 敦子は、ぬいぐるみを倒さないようそっとカーテンを開けると、朝日を上半身全体に浴びながら、また大きく伸びをした。

 ここ、敦子の部屋は一軒家の二階にある。
 窓の外を見回せば、彼女にとっての本意か不本意か完全なる日本的風景。東京都武蔵野市の住宅街であり、視線を走らせればこの家と同じような家がびっしりと並んでいる。

 視線をすぐ目元に落としたところ、玄関上の屋根瓦に一羽の雀がとまっているに気がついた。

「ツバメさん、ツバメさん、もう王女様へいばらのつるは届けたの?」

 どうやら彼女の脳内では変換フィルターが働いているらしく、相当にメルヘンチックな光景になっているようである。

 と、そんな敦子を、ドアの向こうに立っている兄の(さわ)(はな)(ゆう)(いち)が、腕組みしながら胡散臭そうな表情でじーっと見ていた。

 ふと振り向いた敦子は、それに気付いてビクリと身体を震わせると、

「ちょ、なに勝手に見てんのおお! やだもう、最低兄貴! 変態兄貴! 超変態兄貴! 超兄貴!」

 顔を赤らめながら、恥ずかしさをごまかすように罵倒絶叫乱れ打ち。

「やかましい。お前がドア全開で寝てただけだろ! バカ」
「嘘だあ。絶対に閉めてたよ。さっき起きて見た時もちゃんと閉まってた、気がする。……それより、あたし着替えるんだけど」
「はいはいはい」

 祐一は、なんら照れた素振りもなく、心底どうでもいいどころかむしろげんなりといった表情で、部屋のドアをぱったん閉めた。

「うーん。ああまで全然照れのない態度をとられると、むしろなんか腹立たしいなあ。……そんなことより、兄貴に恥ずかしいところを見られてしまったな……」

 まさか、ぬいぐるみたちに話し掛けているところを見つかってしまうとは。
 アニメ好きであることや、声優を目指していることは知っている兄貴だけど、まさか妹が日々こんなことをしているなどとは思いもしなかっただろう。

 嫌いでやっているわけでもないが、とにかくこれは訓練なのだ。
 そう、アドリブ力、右脳左脳を結びつける力を養うための、特訓なのだ。
 だから仕方ないじゃないか。
 度胸つけるために電車の中で叫ぶ、とか、そういうのはさすがに無理だけど、なら、やれることをひたすらやるしかないじゃないか。
 わたしには天性の才能なんかないのだから。

 しかし、一体いつから開けっ放しにしていたのだろう。
 ひょっとして昨夜、寝る直前の、人形劇の「ピュリピュール」の声真似練習しているところも、しっかり聞かれていたりして。オイオイ、フザケンナプリプリプップップーー、とかあ。

 ま、いいや。どうでも。
 それより学校学校。
 早く着替えないと、ご飯を抜かなきゃバスに間に合わなくなっちゃう。

「サンサンソーラーパワーーッ! メイクアップー!」

 急いでいるのか余裕なのか、大声で叫びながら素早くパジャマを脱ごうとして、足をもつれさせて、転んで頭打った。

     2
「では、行ってまいる」

 いや。ちょっと違う。今日の気分はコレじゃない。こんなクールなキャラじゃない。
 では、すかんと抜けるように、

「行ってきまああっす!」

 いやいや、これも違うな。

「行ってくーるぽおおん」

 うーん。どれもこれも、なんだかしっくりこないなあ。
 ま、単に、行ってきまあす、でいいのか。
 別に奇をてらう必要はない。
 声優への道に、近道なし。

 でも、「はにゅかみっ!」の第八話で、主人公(こと)(のり)(こと)()の声優をやってる()()(ゆい)()さんが、モブキャラ女子中学生Bの声も当てていて、その時の演技が抜群によかったから、よし、そんな感じにちょっとやってみようか。

「行ってぇきまああ…いや、違うな、行って……違う、もういっちょ、行ってき…」
「敦子ーー!」
「いいから、はやく行けよ! それかせめて、玄関のドアを閉めろお! 恥ずかしいだろ!」

 朝も早くから、母と兄に怒鳴られる敦子であった。

     3
 (さわ)(はな)(あつ)()は通学カバンを手にぶらさげ、ごみごみした喧騒の中を、友達と雑談しながら歩いている。
 雑談といっても、敦子はもっぱら聞き役相槌役だが。

 ここは都立武蔵野中央高等学校。彼女の通っている学校だ。

 (はし)(もと)()()()(どう)()()(おお)(しま)(えい)()
 と、沢花敦子。
 もう学校も終わり、夕刻、仲良し四人組は、前後二人ずつの陣形で下校のため昇降口へと向かっているところである。

「そん中でもさあ、さすが新商品だけあってサワーチョップマロンコロネが、最高に美味しかったあ!」
「へええ。名前から味の想像がつくような、つかないようなだけど。そんな美味しいってんなら、あたしもハナキヤに行ってみようかなあ」
「ふふん。もうすっかり話題になっちゃってるからねー、最っ低でも一時間待ちは覚悟した方がいいよ、君い」
「うええ。なんだよお、留美もそんとき誘ってくれてればよかったのにいい」
「んなこといわれても。なんにも知らなくて、たまたまだったんだもん。やっぱ日頃の行いかにゃあ」
「にゃあじゃないよ。だいたい日頃の行いで運不運か決まるんなら、あんたとっくに車にひかれて死んでるでしょ! まあハナキヤは高いから、どのみちバイト代が入るまでは無理だけどさ。だから今日はあ、どうしようかなあ。敦子はさ、なんかリクエストある? 敦子っ」

 橋本香奈は、敦子の脇腹を肘で軽くつついた。

「どこでもいいよ、あたしは」

 敦子は、特に考えることなく即答した。

「主張しないんだからなあ」
「だって、そういうとこってよく知らないし」

 世間全般お店全般、どこが美味しいとか、どこの服がおしゃれとか。
 素っ気ないのは、それだけが原因ではない。そもそも、ごくごく普通の女子の会話自体が苦手なのである。
 じゃあどんな会話ならば得意なんだ、といわれると頭をかいてごまかすしかないのだが。

 好きなのはアニメや漫画だが、会話するには当然のこと相手が必要なわけであり、敦子は一度も熱く語ったことがない。
 アニメ好きであることを隠してはいないものの、話題が合う友達がいないためだ。
 ごくごくたまに話題を振られて答えることがある、とまあそんな程度だ。

「イシューズだ!」

 橋本香奈が、突然びくり肩を震わせたかと思うと、小さな声でこそっと叫んだ。

「うわ、ほんとだ」

 大島栄子の顔が、楽しい会話による笑顔から急転直下、不快指数百へ。

 え、なに、イシューズって?

 と、敦子がきょとんきょろきょろしていると、前方から、三人の男子生徒が肩を並べて近寄ってきた。

 あれだろうか、ひょっとして。

 三人のうち、二人はオカッパ頭で、黒縁眼鏡で、大きく仕立てた制服がそれでもはち切れてブチブチとボタンが飛びそうなくらいぶくぶく太っている。
 残る一人は反対に、二人にすべて吸い取られているのではというくらいガリガリだ。

 彼らが近づいてくるにつれて、話し声がはっきりと聞こえてきた。

「…確かに、レンドル殿の意見、いいえて妙ではあるが、しかしあそこはメニーロウを助けずに、むしろ売り飛ばすくらいのキャラ立てを発揮して欲しかったのでござるよ、拙者は」

 肥満オカッパ黒縁眼鏡の一人が、ネチョネチョ甲高い声を張り上げた。

「いやいや、世の中の暖かさに段々と変わってきたってだけだろう。種族にかかったキュルキュレムの呪いなんて嘘だって、段々と気付いてきた、ってことなんだよ」

 肥満オカッパ黒縁眼鏡のもう一人。

「いや、であればこそ、まずはそんな己への葛藤というか混乱がなければならない。論理破綻とか、そういった類のものではないにせよ、柴崎監督の作品としては、やはり整合性がとれてないとしかいいようがないでござる」
「整合性、というよりは、演出上の問題か。作品を見る人への、アラとか、辻褄だな。そのちょっとしたところによって、視聴する者への納得を与えることに失敗してしまっている。そういう意味においては、作り手の独りよがり感は否めない、か」

 アニメ作品っぽい話題について、小難しそうな日本語をわざわざ選びながら論議している。

 彼らと、敦子たちとが、すれ違う。
 敦子は教室側へと避けながら、すれ違い様に、眼鏡の奥で横目をちらり彼らへと向けた。

 ぽい、ではなく完全にアニメの話だよなあ、これは。メニーロウ、(しば)(さき)(へん)()監督、とくれば「(たそ)(がれ)のインフィニティー」しかない。
 ライトノベル原作で、現在深夜放映中のアニメ。わたしも録画して見てる。
 ストーリーは面白くないし残酷すぎて大嫌いだけど、好きな声優が何人か出ているから。

「ああ、そうそう、トゲリン、絵のことなんだけどさあ」

 一見まともそうな外見の(オカッパ二人に比べて相対的に)、ガリガリ男子。

「絵とは、すなわち仮称ほのかちゃんのことでござるかな?」
「うん。仮称ほのかちゃん、の髪型のことなんだけど、ぼくちょっと考えたんだけど、あれもう少し寝ぐせっぽくさあ……」

 歩を踏むたび、彼らの声が遠く小さくなっていく。
 須藤留美は足を止め、ため息を吐きつつ背後を振り返った。
 続いて、大島栄子、橋本香奈も。
 みんながそうするものだから、最後に敦子も、よく分かっていなかったが彼女たちの真似をしてため息を吐きつつ振り返った。

 去り行く男子三人の背中を見つめる彼女たちには一様に(敦子除く)、嫌悪、侮蔑、嘲りといった感情が満面に浮かんでいた。

「ああやだやだやだあ! イシューズとすれ違っちゃったよお!」
「フミ先輩から聞いてたけど、ほんっとに、ござるとかいってたあ! やだあ!」
「この前なんかさあ、ニンニンとかいってたよお。いいえて妙だね、とか、確かそん時もいってたあ」
「うぎゃ、キモすぎいいい! 会話で普通使わないよ、そんな言葉」
「アニオタは身不相応に学校なんかこないで、おとなしく家に引きこもってパソコンカタカタ叩いてろ!」
「制服、消毒しなきゃ消毒! ぜーったいに空気感染したあ! オタ菌がっ、オタ菌が、繊維の中にまでえ! それは、いいえて妙でござるなっニンニンッ」
「やーっ。菌を感染さないでえ!。絶対に咳しちゃダメ!」
「あーあ、あとは下校するだけだったのに、最後の最後で最低最悪な日になったあ」
「ほんとほんと。あたし今日の占いは総合運最高のはずだったのに、インチキ占いだったあ!」

 行きかう他の生徒たちの人目がなければ、唾を床に吐き捨てていたのではないか、というくらいの勢いで、三人の女子たちは口々に罵りの言葉を吐き出しまくっていた。

 敦子は、そんな彼女らの会話をまったく聞いていなかった。まったく、耳に届いていなかった。
 最初に感じた疑問が、頭の中をぐるぐる回って、それどころではなかったのだ。
 でも、いくら考えても疑問の答えが出ることはなく、やがて、ぼそり口を開き、尋ねた。

「なあに、そのイシューズって?」
「いますれ違った、チンドン屋みたいな二年生だよ。学校で有名な、キモオタ三人組。敦子、ひょっとして初めて見た? もう九月なのに見たことなかったの?」
「うん。初めて。でも、どうしてそんなふうに呼ばれているの?」
「言葉から想像つかない? 超をいくら付けても足りないくらいのアニメオタクで、だからプンプン異臭を放っているからだよ。すれ違った時、凄かったでしょ? もあむああん、って」
「特には、感じなかったかなあ」

 小難しい顔になって、ちょっと前の記憶を探ろうとする敦子。
 そんな、真面目に受け答えしようとする彼女の肩を、橋本香奈はがっしと掴んだ。

「それ敦子の鼻がおかしい! だってお風呂に入る暇があればひたすらアニメ観ているんだから、クサいに決まってるでしょ? アニメ観てない時はパソコンでエロゲームやってんだから。で、お風呂も入ってないんだから」
「仮に毎日お風呂に入ってしっかり洗っていたとしてもさ、でもアニメオタクなんだから、なんか精神的悪臭ってものがあるじゃない?」
「そうそうっ、精神的悪臭。留美、うまいこといった!」

 ボロクソである。

「敦子もアニメ好きはいいけど、ああまで堕ちちゃあダメだからね。お風呂に入っているのにプンプン漂いはじめたら、生き物としておしまいだからね」
「はあ……」

 それは加齢臭ならぬ、なに臭というのだろうか。
 まあいいや。
 におい始めたら考えよう。
 しかしさっきの二年生たち、楽しそうにアニメの話をしていたなあ。
 羨ましいな。
 わたしなんか、人生で一度もないもんな。あんな熱く、楽しそうにアニメを語るなんて。語る相手がいなかったし。

 ああ、そういえば、なんか聞いたこともないキャラの話をしていたけど、あれもアニメなのかな。
 なんだっけ、
 カショーほのかちゃん、とかなんとかいってた気がする。

 わたしが聞いたこともない作品だなんて。ここ数年のアニメの主要キャラなら、絶対にピンとくる自信あるのに。
 つまりは、主要キャラじゃない、ということなのかな。あらすじに名前が出るような、主要な。

 単なる女子高生BやCなのに、あまりに萌えてしまったので、勝手に名前を付けていたり、とか。
 それとももしかして、自主制作アニメだったりして。

 と、先ほどのアニオタ三人組にちょっと興味を持つ敦子であった。

     4
 あっはっはっはっ
 はははははーっはっはっはっはーっ
 はっはっはっはっ
 あははは
 はっはっはっはっはっ
 はっはっはっはっはっ
 はっはっはっはっはっ
 たりらりらり……っと、いけない、普通の声を出しちゃったよ、もう。


 (さわ)(はな)(あつ)()は、きりり気を引き締め直すと、再びお腹に手を当て、発声を再開した。


 あっはっはっはっ
 はははは……


 ぬいぐるみなどメルヘンチックなものに囲まれた、敦子の自室である。

 ここでいまなにをしているのか。
 腹式呼吸での、発声練習である。

 ピアノの音頭で、ボロリンはっはっはっはっはっボロリン♪ と、音階を上げていく有名なボイストレーニングがある。
 以前は真面目にそれをやっていたのだが、毎日一人でとなるとどうにも味気なく、継続させるには楽しい方がよかろうということで、もっぱら最近は敦子アレンジだ。お題曲を決めておき、それを使って腹式の発声練習をするのである。

 いまのは、今週のお題曲。日本で一番売れているRPGの、宮廷BGMだ。

 ここでなにをしているのかは、この説明で分かっていただけたであろうが、ではそもそも何故、発声練習などをしているのか。
 それは、夢のためである。
 彼女の夢は、プロの声優になることなのである。


 声優、


 敦子にとってこれほどに甘美な響きを持つ職業名は他にない。
 英雄とか、精霊とか、なんだか魅惑的幻想的響きの言葉があるが、その二つを混ぜた発音の言葉なのだ。いいとこ取り、より魅惑的に決まっている。

 言葉の響きだけでなく、仕事内容を考えても、これほど素敵な仕事はないではないか。
 だって、自分ではない色々な人物になることが出来るのだから。

 実写ドラマの吹き替えも、舞台の仕事も、大切な素晴らしい仕事だろうけど、最高なのはやはりアニメの声だ。

 ドラマなどはやはり現実という縛りから逃れることの出来ない部分があるが、アニメならばそのような束縛から完全に解き放たれて、完全にそのキャラそのものに成りきれる。
 そうした点において、アニメに勝るメディアは現在のところ存在しないのではないか。
 まさに真のRPGといって過言でない。

 そのようなことを仕事に出来るというだけでも、語り尽くせぬくらいに夢が広がるというのに、さらにプロであるからにはファンがいて、交流がある。
 ファンクラブを作ったり、サイン会、トークショーを開いたり。
 歌を出したりなんかして。

 実績を積んで知名度を上げれば、仕事の幅も広がるだろう。
 バラエティ番組に出てみたり、
 ナレーションの仕事なんかも楽しそうだ。
 動物ものとか、子供のお使いものとか。

 ほんと、ただ目指しているというだけで、ドキドキワクワクがとまらない。

 もちろんそういう世界に入ったら入ったで、厳しいことも腐るほどたくさんあるのだろう。
 リテイク百回食らって、でも監督はなにが悪いのか全然教えてくれない、とか。
 もしくは、新人でいきなり注目を浴びたわたしに嫉妬した先輩たちからの壮絶なイジメとか。

 でも、なにがあろうとも、絶対に耐えてみせる。
 どんなに辛いことだって、喜びに変えてみせる。

 声優になれないことにはどうしようもなく、なれるかどうかは分からないのだけど。
 でも、なれるという可能性を高めていくことは出来る。

 そのために、いま出来ることを頑張るだけだ。
 一人でひたすらトレーニングを積むことだけだ。
 高校を卒業したら養成所に通わせてもらうつもりだけど、いま出来ることはそれしかないのだから。学校に演劇部もないし。

 と、内面に闘志めらめら燃やしながら発声練習を終えた敦子は、次のトレーニングのため机に置いてあった一人芝居用の台本とICレコーダーを手に取った。
 録音スタートさせると、台本に書かれている台詞を、感情を込めて読み始めた。


「金子、
 お前は、本当に先生たちに迷惑をかけ続けたやつだったよ。
 人の弁当は勝手に食べる、女子のスカートはめくる、レンガが積まれてりゃ崩す、せこいことばっかりやっていたな。
 でもな、金子、覚えているか。
 修学旅行で、他校と喧嘩したこと。
 あれ、山田のためだったんだよな。大暴れしたのは。
 あいつの……親友のチョンマゲを笑われて、黙ってられなかったんだよな。
 友の悔しさを自分の悔しさに感じる、最高に優しいやつなんだよ、お前は。
 卒業、おめでとう。
 みんなより一足先に社会という荒海に出るお前だけど、きっと頑張りぬけると信じ……」


「この台本、つまんない!」

 録音停止。台本を机の上に投げ捨てた。

 誰が書いたんだ、これ。
 読んでいて、あまりに辛すぎる。
 つまらなくて辛すぎる。
 つまらなさ神憑り的だ。
 途中までとはいえ、せっかく録音したのだし、勉強は勉強だから後で聞いてはみるけれど。

 最初から、忍耐力トレーニングと書いていてくれれば、もう少しは続けられたかも知れないのに。

 しかしほんと酷い内容のテキストだったな。杜撰もいいところだ。
 卒業式、教室で生徒へかける言葉、というような場の映像は容易にイメージ出来るんだけど、感情のイメージがまったく出来ないよ、こんなんじゃ。

 ……男の先生、という設定なのかな、やっぱり。
 勝手にヤ○クミのイメージ持ってやっちゃったけど、違和感甚だしかったのはそのせいだろうか。
 演技力不足からきているというのであれば、ただ猛特訓をするだけなんだけど。

「ま、いいや。もうこんな台本二度と使わない。内容を確認してから、印刷してもらえばよかった。違うの探そっと」

 とりあえず、本日の台本読み上げによる一人芝居練習は終了!
 休憩だ。
 なんか飲み物飲んで、それから練習第二部を開始だあっ!

 昨日、宮沢賢治の朗読をやり掛けて寝ちゃったから、それからやろう。

「と、その前にトイレっと」

 敦子は階段とんとん一階へと降り、トイレへ入った。
 ばったんドアを閉じるが、思い直したように、カチャリそろーっと少しだけ開いて、便座に腰を下ろした。

 こうして、わざと半分ドアを開けたまま座ってえ、それで、ツンデレ少女カスミちゃんの金切り声でえ、

「ちょ、ちょっとなに見てんのよ!」
「つうか開けてんなよ!」 

 ちょうど通りかかってしまったばかりに最悪なところに遭遇し、心底げんなり顔の、兄、沢花祐一であった。

     5
「変態兄貴に最悪なところを見られてしまったことは忘れて、気を取り直してえ、それでは本日のキャラ10本ノック。今日のお題は『そっ、そんなんじゃないよ』、開始いいっ!」

 (さわ)(はな)(あつ)()は、自室で一人テンション高めて絶叫した。
 まずはキャラを演じる上での定番ともいえる、不良少女で、

「そ、そんなんじゃないよ!」

 次は、キャピキャピ少女で、

「そ、そんなんじゃないよ!」

 というか死語だよな、キャピキャピって。まあいいけど。
 次はとんがり眼鏡の女教師で、

「そ、そんなんじゃないよ! ……アドリブで、ザマスとかいった方がいいのかな。わよ、とか女言葉にした方がいいのかな」

 次、外車専門の整備工で、

「そ、そんなんじゃないよ! ……なんだ、この設定。外車専門って」

 天使、

「そ、そんなんじゃないよ!」

 女神、

「そ、そんなんじゃないよ!」

 モスラ、

「そ、そんなんじゃないモスー。それともザピーナッツを演じろってことなのか? 難しいぞこれは」

 ラモス、

「ジョーダンジャナイヨ!」

 タコ焼き屋の店員、

「そ、そんなんじゃないよ!」

 吸血鬼、

「そ、そんなんじゃないよ! よし、ノック、終了だ。今日のは、なんだかよく分からなかったけど、でも終了だ。はあ、ちかれた」

 十人のキャラを演じきって、すっかりバテバテぜいはあ息を切らせている敦子。
 インターネットに「(せい)(ゆう)()(しや)(しゆ)(ぎよう)」というサイトがあり、「今日のキャラ10本ノック」はその中にあるコーナーだ。「今日の」の文字通り、お題は日々更新される。

 なお、敦子自身はパソコンを持っていないので、ネット閲覧は、父のノートパソコンを勝手に持ち出して使っている。
 いまも机の上にパソコンは置かれている。

「ちょっと休憩」

 椅子に腰を下ろすと、そのノートパソコンの画面を開いた。
 ブラウザを起動させると、スタートページに設定してある検索ポータルサイトが開いた。
 たどたどしい手つきで、文字を入力。

 今日、学校の廊下ですれちがった、イシューズと呼ばれている三人組のことをふと思い出して、なんとなく調べてみようと思ったのだ。
 あの、自分の聞いたこともない、もしかしたら自主制作かも知れないアニメのことを。

 カショーほのかちゃん、とかいっていたよな。
 タイトル仮称の自主制作アニメで、主人公の名前がほのかちゃんということかな。

 そのまま打ち込んで見つかるとも思わなかったが、とりあえず、その名と、自主制作、というワードを入れ、検索してみた。
 拍子抜けするくらいにあっさりと、それらしきものがヒットした。
 自主制作アニメの掲示板で、「ほのかちゃん(仮)」、という名前が出てきたのである。

 どうやら、かなりの高評価を受けているようだ。もちろん、素人にしては、ということなのだろうが。
 掲示板に書かれている内容からして、その作品というのは、どうやら「オープニング風アニメ」のようだ。

「へえ。それで、そのアニメというのは、どこで見られるのでしょうか……あ、あ、これかな」

 上へ上へと遡っていったところに、リンクを発見した。
 クリックすると、動画プレイヤーが開き、軽快な曲に乗ってのアニメ動画がスタートした。

 中学生だか高校生だか、とにかく学校制服姿の、ぼさぼさ赤毛の女の子が走っている。


  ♪♪♪♪♪♪

 ねえ 知ってた?
 世界は綿菓子よりも甘いってことを
 ねえ 知ってた?
 見ているだけで幸せになれる……

  ♪♪♪♪♪♪


 たぶん、いや、きっとこれだ。
 あの三人が、このアニメを作ったんだ。

 かわいいな、この女の子。
 背景もしっかりしている。
 なかなか出来がいいぞ。

「おお、神っ」

 演出に引き込まれて、思わず声を出していた。
 普通の動画は難易度が高いから、ということか、止め絵を横にスライドさせるような動きが多いのであるが、そのような中にも時折キラリ光る、思わず唸ってしまいそうな素晴らしいシーンがある。

 プロに比べて当然劣る技術力を、演出によって、カバーするどころかそれ以上のものにしている。

 キャラもかわいらしい、動きも、カット切り替えの演出もしっかりしている。
 歌も、プロみたい。

 ほんと、秀逸な作品だ。
 三人だけで作ったのかな、これ。
 それとも、仲間がいるのかな。

 学校での、あの話しぶりから考えて、現在はこの作品のお話の部分を作っている、ということなのかな。

 いやあ、凄いのを発見しちゃったぞ。

 感慨深げに腕を組んだ敦子は、ふと机上の時計を見て、びくり肩を震わせ立ち上がった。

「いっけない、もう半になっちゃうよ! はじまっちゃう!」

 現在、二十二時二十八分。
 慌ててノートパソコンを閉じると、どたどた音がするのも構わず全速力で一階へとかけ降りた。
 居間へ入ると、父がソファに座ってゴルフレッスン番組を見ていたが、

「あたし見るっていってたでしょ!」

 と、金切り声を張り上げながらテーブルのリモコンを手に取り、九番ボタンを連打。
 連打の意味などない気もするが、ゴム製ボタンだとどうにも反応が鈍い感じがしてしまい、焦るとついついやってしまう。

「はじまたっ!」

 ちょうど、そのアニメが始まったところであった。
 まずはオープニング曲。ずらり揃った女性アイドルたちが、曲に合わせて華麗なダンスを見せている。

 アイドリの愛称でおなじみの、「アイドルドリーム」。正確にはその第二期である、「アイドルドリーム きらり」である。

 自室に小さなテレビはあるが、それではアイドルの華やかな世界が伝わらない。敦子はこの作品をリアルタイムで観る時は、必ず居間の46型液晶テレビで、と決めているのだ。その上でさらに自室でもう一回観るのである。

「サンサンサン、サンシャイン、ウッ、キーラキラ!」

 父、母、兄がなんとも複雑な表情でじーーっと見ているのも構わず、主題歌を主人公の()(くも)()()()たちと一緒に歌い、叫び、踊る敦子であった。

     6
 (さわ)(はな)(あつ)()は、学校の廊下を歩いている。
 (はし)(もと)()()()(どう)()()(おお)(しま)(えい)()、いつもの仲良し三人と一緒に。

「あれ確かさ、()(ぐれ)(しゆん)()が主演なんだよね」
「えー、イメージと合わない!」
「いやいや、これ以上はない配役でしょ」
「そお? で、あとは?」
「ヒロインは、(しろ)(やま)(わか)()だったかな」
「病弱のヒロイン役だよね。なら、そっちはいいんじゃない?」
「なんでよ、逆でしょ! 合うのが合わなくて合わないのが合うってさあ」
「ムキになってえ。ただ香奈が、小暮俊悟のこと好きなだけなんじゃないの?」
「う、ばれたか……」

 珍しく、漫画アニメ絡みの話題で盛り上がっていた。
 といっても、漫画アニメそのものではないが。
 「ぼくのなは」という人気漫画の実写映画化が決定したのだが、そのキャストの話で騒いでいたのである。

 原作漫画は敦子も好きで、全巻持っている。
 深夜アニメは、変にオリジナル色が強いのが好きではなかったが、一応全話チェックした。

 漫画アニメ絡みということで、珍しくも敦子主導で話が進んでおかしくない話題であるが、しかし当の敦子は普段以上に会話に参加せず、ふんふん頷き役に徹していた。

 俳優の名をよく知らないこともあるが、それよりなにより漫画アニメの実写化が大大大嫌いで、口を開けば棘あり毒ありなことばかり発言してしまいそうだからである。

 でもこれまでの人生、棘あり毒ありな言葉をぶちまけたことなど家族くらいにしかなく、他人に対してだと自分がどうなってしまうか、どんなことをいってしまうかまったく分からない。
 だから黙っていた。

 心の中だから語れることだが、本当に最近の実写化ブームには辟易する。
 たかだか十五年の人生で、最近の、などと語るのもおこがましいかも知れないが、でも本当にそう思う。

 人気漫画を別のメディアで展開したいのならば、まずは漫画と親和性の高いアニメでやればいいではないか。「ぼくのなは」はやったけど、一般的な話として。
 単純な話、漫画が動くのがアニメであり、実写化特有のキャラのミスマッチなど起こりようがないのだから。
 まあ、声優が合っているかという、別の問題は発生するが。

 だいたい実写映画って、いつもいつもただ有名なだけの役者ばかり揃える。それは結局のところ、話題性つまり集客優先というだけではないのか。
 作り手側の上層部にとっては、作品そのものなどどうでもよく、観てくれる人がいるという当たり前のことすらもどうでもよく、ただお金さえ落としてくれればいいのだろうか。

 制作現場としては、どう実写化するかということで、楽しんで、苦労して、生み出しているのかも知れないけど、それだって、作り手の独りよがり感は否めない。

 でも……それをいい出したら、実写に限らず劇場アニメも似たようなものか。
 最近だんだんとCGに違和感がなくなって、映像は文句なしに凄いものが作れているというのに、なんだって声に素人を使うの?
 プロが勢揃いして臨まなければならない商業娯楽の制作に、どうしてそこだけアマチュアを置くの?

 勝手に宣伝をしてくれるから?
 なるほど分かった。でも、それがどうした。

 作品は後世に残るものであり、芸術なんだ。そうしたことを、まったく考えていないじゃないか。
 その時その瞬間だけ客が入れば、金が入れば、それでいいのか。

 さすがにテレビアニメの劇場版は、メインキャストはそのままだけど、ゲストキャラは必ずといっていいほど素人を起用する。
 素人が一人紛れ込んでいるだけで、どれだけ作品全体の雰囲気に違和感が生じることになるか、ひょっとして分かっていないのかな? アニメ作りのプロのくせに。
 ドラマでたっぷり実績を積んだ俳優だからって、アニメの声の当て方とは技術的にまったく違うものなんだ。

 素人起用に関しての擁護派がよく発する頓珍漢な言い分も、この問題をより助長している気がする。
 「役者出身の霧元五郎さん演ずるガロンの声は、ちゃんと合っていましたがなにか?」、などという意見だ。敦子にいわせれば、そんなのはたまたまであり、アニメ声の素人をオーディションもせずに起用したことに違いない。「実際、俳優やタレントの方々の声は、ほとんどの場合が合っていませんが、なにか?」だ。
 「アメリカじゃ、役者が声優をやるの当たり前だよ。違和感ないでしょ?」なんていう意見も聞くが、これも敦子にいわせれば、「日本では絵柄も、必要とされる声も違うから、違和感ありありなんですが」。

 でもまあ、役者ならまだいい。
 百歩譲って、まだ許す。嫌いだけど。
 許せないのは、小学生役の声優に本当の小学生を使う映画。
 「リアルでしょ?」って、ちっともリアルじゃないよ! アニメのリアルはアニメに合うことがリアルでしょ! だったらこれからは絵も、小学生のキャラは小学生に描かせろー!
 というか、そういうのってもうアニメである必要ないじゃん。最初から実写で企画を作ればいいじゃん。

 ただでさえ劇場アニメは、既に素人声優だらけになっており、プロ声優の活躍の場が相当に失われているんだ。
 このままじゃあ、いずれテレビアニメまでそうなってしまうかも知れない。

 それはつまり、プロ声優の減少、獲得枠の減少を意味することに他ならない。
 プロ声優になるんだというわたしの熱く真剣な夢が、趣味で声当てを担当するだけの芸能人に破壊されてしまう。

 そんなことに、なってたまるか。
 そんな世の中に、してたまるか。
 必ず、
 必ず、プロ声優になって、
 頑張って、
 声優界を変えて……

「敦子ってば!」
「うわ、ごめん。聞いてた聞いてた。うん、別に小暮俊悟とかいう人の主演でもいいんじゃないかな」
「全然聞いてない! どこで食べてこうかって話していたのに」
「あ……ごめん」

 すっかり話題が変わっていたのか。
 自分の胸の中で、すっかり熱く熱く語ってしまっていて、聞いていなかったよ。
 熱く語るといっても、恥ずかしくて心の中でしか語れないけど。

 そういえば、イシューズさんと呼ばれていたあの二年生の三人組、己をまるで隠すことなく高らかな大声でアニメを語り合っていたよなあ。
 羨ましいな、ああいうの。

 あれから、まったく姿を見かけないなあ。
 学校で有名な三人組、とか()()はいってたけど、初めて見てそれっきりだよ。

 気になって廊下歩くとキョロキョロ探しちゃうけど、でもまーったく見かけない。

 実は誰にも視ることの出来ない、妖精さんだったのかな。
 で、たまあにふらり人間界にハイホーハイホーとあらわれて、アニメの話をして、去っていくのだ。

 ん? でもアニメの話をしたいだけの妖精さんなら、なんで人間界にくる?

  いち 妖精界にテレビがないので、そのため。
  に 人間界にアニメの素晴らしさを伝えるため。

 でもどうせならアニメの素晴らしさ以上に、プロ声優の素晴らしさ、必要性を伝えて欲しい。
 頼むよ、イシューズさん。

「敦子、聞いてんのっ!?」

 うわっ!

     6
 セカンドキッチンという名のファーストフード店に寄って、
 七時に帰宅。

 お風呂に入り、
 髪をかわかし、
 外で食べてきてしまったので、晩のおかずだけをちょっとつまんで、
 昨夜録画した、「はにゅかみっ!」を見て、
 学校の宿題と、授業の予習復習をやって、

 さあ、声優修行の開始である。

 まずは、メルヘン部屋の真ん中に立ち、お腹に手を当て発声練習。
 あーーーーー、と声出し。
 続いて、音階上げ下げしながらの腹式発声トレーニング。
 続いて、あめんぼあかいなあいうえおや、早口言葉などの滑舌トレーニング。

「……黄巻紙っ! よし、今日はいえたっ!」

 続いては、去年放送していたのを録り貯めておいた、トーテムキライザー第一期を利用して吹き替えの練習。

 今日は、第九話を再生だ。

 テレビの音量をゼロにして、ネットで拾ってきた台本を片手に、キャラに合わせて台詞を読むのだ。


「ははああん、だあって研究所に誰もいなかったじゃああん。気にしない気にしなあい。
「いや、その考えは間違っているぞ、リコ。あいつら、脳だけがすっかり気化して倒れていた。なら、それまで誰が基地にいたのか。それとも、事が起きてから、脳が消失するようなことがあったのか。例えば……
「ええええ、でもさあああ
「でもじゃない。難しい話じゃあないだろう。疑問点を抱くに値するかどうか、という点においては。
「まあルーにゃんがそういうなら、そうなんだろうねえ
「理論的に、よく考えてみよう。まず一つ目には……」


 主人公である姫野リコと、脳内に潜む別人格であるクールな天使ルウ、の掛け合いシーンを使って、演技力訓練と、吹き替えのイメージトレーニングだ。

 第二話と、この第九話は、二人だけの長尺の掛け合いが多いので、最近このようによく練習に使っている。

 以前の敦子は、その話の全体を再生して、出てくる人物すべての声当てにチャレンジしていた。より演技の勉強になるだろう、と。

 でも、実際やってみると、混乱してしまって一人一人への感情移入がおろそかになるし、いつか自分がプロ声優になっても髭面の巨漢戦士の仕事が入るはずもないし、股間蹴られて悶絶してる男性の痛みなんか分かるはずないから真に迫った演技など出来るはずないし。だから最近はもっぱら練習で演じる役を多くても二人に絞っている。

 混乱なく演じ分けることが出来れば凄いことだけど、実際、いまの実力では及ばないどころか逆効果なので、まずは簡単なことを完璧にしてから、それから幅を広げていこうと思っている。

 まだ十五歳。高校一年生。時間はたっぷりとあるのだから。
 少しずつ、コツコツと、だ。ローマの……あれ、なんだっけ。まあいいや。

 さて、吹き替え練習が終わると、テレビを完全に消した。
 気分が乗るようにBGMを流し、

 筋トレを開始である。
 まずはストレッチで軽く身体をほぐし、
 腕立て伏せ、
 腹筋、
 背筋、
 腕立て体制を維持しつつ、同時に発声練習、

「あーーーーーーーーーーー、
 かーーーーーーーーーーー、
 さーーーーーーーーーーー、
 あーーーーーーーーー」

 あいたたっ、昨日も張り切りすぎちゃったもんだから、もう腹筋が痛くなってきたよ。つりそうだ。

 でも、まだまだ。
 こんな程度の痛みに、負けてなんかいられない。

 わたしは、
 絶対に……
 絶対に、
 絶対にプロ声優になるんだから!
 頑張るぞお! 

 

第四章 暗闇の亜空間

     1
 暗闇の亜空間に、オタの鼓動が響いていた。
 加えて、すぴすぴフンフンとオタの荒い鼻息が。 

 (やま)()(さだ)()(なし)(とうげ)(けん)()(ろう)()()()()(ひこ)の、三人。
 彼らがいつも集まる、定夫の部屋である。

 何故ことあるごとこの部屋に集まるのかというと、なんのことはなく、定夫の家はトゲリンと八王子の家のちょうど中間にあるからというただそれだけである。

 暗闇、といっても漆黒の闇ではない。
 パソコンモニターからの灯りによって、室内はぼーっと照らし出されている。
 フィギュアやアニメポスターバリバリのオタ部屋が。

 そのパソコンモニターには、アニメ映像が流れている。
 彼らが作っているアニメである。

 映像部分の進行具合は、残るは編集での微調整のみということで、音無しでもいいから一回通して観てみよう、どうせなら映画鑑賞のような気分を味わいたいので部屋を暗くして観てみよう、ということで、部屋を暗くしていたのである。

 実質三畳ほどの暗闇空間の中にデブ二人とガリ一人が、まるでブロイラーの鶏のごとくひしめき合ってハアハアいっている。

 鶏と異なるのは、彼らがみな、なんだか充実したような、幸せそうな顔をしているというところくらいであろうか。

 いや。
 ような、ではない。彼らは充実感、達成感、幸福感を、間違いなくその胸に味わっていた。
 みなで作品を作り上げていくという喜びと幸せを。

 さて、アニメの物語部分がすべて終了して、黒背景に白文字のエンドロールが流れている。
 といっても、一画面に余裕で収まる程度のものを小出しにしているだけであるが。


 総監督 山田定夫
 コンテ 山田定夫
 キャラクターデザイン 梨峠健太郎
 作画監督 梨峠健太郎
 CG作成・編集 土呂由紀彦
 演出 山田定夫・梨峠健太郎・土呂由紀彦

 制作 スタジオSKY


 と、これだけしかないのだから。
 なおスタジオSKYであるが、定夫、健太郎、由紀彦、の頭文字だ。
 一昨日、八王子の思いつきでグループ名を決めようということになり、考えて出され、急遽エンドロールに組み込んだのだ。

 クレジットが本名であるが、これは伏せるべきか検討中だ。
 伏せる場合はおそらく、レンドル、トゲリン、八王子、だろう。

 黒背景の中で文字が完全に流れ終えたことで、部屋は光源を失って真っ暗闇になった。
 しばらくそのまま、余韻に浸る三人。

 やがて、定夫は腕を伸ばし、勝手知ったる我が部屋の電灯紐を迷いなく掴み、引っ張った。
 ぱちぱちと蛍光灯が瞬きし、部屋に白い灯りがついた。

 三人は、パソコンモニターの前であまりに密着し合っていたことに気が付いて、慌てたように距離を取った。

「いや、なかなかいい感じに仕上がってきたね」

 八王子は、ベッドへと這い上ると、ガリガリの小柄な身体を小さくぼよんと弾ませた。

「いい感じどころではなあい! 感動、感動の嵐がっ、拙者の胸の中を吹き荒れているでござるっ!」

 一体どんな身体の震わせ方をしているのかトゲリン、黒縁眼鏡がカタカタカタカタ、ずり下がるのではなく反対にずり上がっていく。よい機会だとばかり、滲む涙をティッシュで拭い、ぶちぶびいっと勢いよく鼻をかんだ。

 定夫も、なんともいえない嬉しさ、こそばゆさが、全身を駆け巡っているのを感じていた。
 泣き出したり、振動で眼鏡ずり上げるほどではないが。

 とにかくこの嬉しさを次のステップへの原動力にして、さて、なにをすべきかであるが、

 映像はほとんど完成した。となると……

「あとは、音をどうするか、だな」

 音、つまり鼓膜に入る情報、つまり声と背景曲そして効果音である。

 現段階では、音が出来ているのはオープニング曲のみ。
 本編部分はまだなにも取り組んでおらず、完全なる無声無音だ。

 まずは映像、ということで後回しにしてきたため、仕方がないところである。

 でもこれからは、むしろ音響こそが作業の中心になるのだ。
 映像がほとんど終わったいま、本腰を入れて取り掛からねばならないものだ。

「それじゃあ、おれ音響監督やるよ。絵を作ったり動かしたりにはまったく関わってなかったからさ」

 自分の、ネット掲示板への呟きから生まれた企画だというのに、なのに蚊帳の外的な、そこはかとない寂しさを感じていた定夫である。
 常々、自分もなにか技術的に担当出来るような部分を持ちたいと考えていた。
 総監督、という一応の身分ではあるが、結局お話はみんなで相談して作り上げてしまったわけであり、自分だけなにもしていないという気分は否めなかった。
 音ならば、やれるんじゃないか。
 と、いまふと思って、提案してみたというわけである。

「そうだね、音の製作指揮もいないとね」
「しからば、レンドル殿に音響は任せたでござる」
「でも、どんなふうにしていくつもり?」
「ああ、ええと、まず効果音だけど、これはネットからフリーのを拾って使い、足りない部分は自分で作ろうかと」
「自分で?」
「ほら、有名なのに、小豆で波の音というのがあるだろ。そんな感じに、なんか工夫してやれないかと。あとは、なんか適当に録った音を、パソコンのエフェクターソフトで加工して違う音に作り上げるとか。……音のデータって、アニさくで何個でも置けるんだっけ?」
「同時発声は、九十九ファイル。一つのプロジェクトにつき、配置音声は十万ファイル」

 八王子は、即答した。

「必要充分なスペックだな。音は、おれが作ってみる。手伝ってもらうこともあると思うけど、とりあえず取り掛かってみる。じゃあ、効果音はそんな感じで決定で。次は……」

 定夫は口を閉ざし、数秒の沈黙の後、

「声を、どうするか」

 閉ざした口は一つであるが、開いた口は三つであった。
 見事なハモりに、三人は思わず苦笑した。

「まずは、登場キャラを整理してみよう」

 定夫は、床にノートを置き、登場人物の名を書き出していった。

「女女女女男男。という比率」
「要するに、女性の声をどうするかが最優先課題、ってことだよね。主人公もそうなわけだし」

 という八王子の言葉に、定夫は小さく頷いた。

「雇うか。……歌の時のように」

 トゲリンが、何故だかかっこつけた口調で呟いた。
 眼鏡デブの甲高いネチョネチョ声なので、まったく様になっていなかったが。

「誘うか。……学校で」

 定夫も、その口調を真似してみるが、

「無理無理無理」

 と、二人に一瞬で否決された。

「分かってるよ。冗談でいっただけだって」

 冗談、というよりははかない願望であろうか。
 自分の気持ちながら、よく分からないが。

 学校では、空き缶や石を投げつけられるなど日常茶飯事の、女子たちから猛烈に嫌われている彼らである。そんな場所で、いや、そんな場所でなくとも、女子生徒の手など借りるのはまず不可能というものであろう。

「では作るか。……メグで」

 八王子もおかしそうに口調を真似した。

 メグとは、(うた)()メグミという音声合成ソフトのことである。
 定夫がネットを通じて曲の提供を受け、八王子がこのソフトで歌声部分を作成したという、振り返ればそれが、この物語が動き出すきっかけであった。

「でも結局、メグではなんか物足りないということで、生身の歌い手に依頼することになったわけだからなあ」

 また合成音声に戻していては、本末転倒というものであろう。
 メグへの好き嫌いは、また別のこととして。

 そもそも、歌とアニメ本編のどちらかを合成音声にせねばならないのであれば、誰がどう考えても歌であろう。数分程度の紙芝居のようなアニメならいざしらず。
 歌は「狙い」だと思わせさえすれば、合成だろうと、下手だろうと、変な声であろうと、問題ないが、アニメの口パクましてや美少女の声ともなれば、そうはいかない。「変」では、絶対に成り立たない。「狙い」では絶対に成り立たない。

 そう考えると、歌を肉声にした以上は、声優も肉声でないと違和感が生じてしまう。
 だが、ならばどうするという明白確固たるアイディアは出なかった。

「ではこの議題に関しては宿題として各々で考えて、明日、意見をつき合わせることにしよう。ほかに、声のことで、なんか議題に上げとくことあるかな」

 という定夫の言葉に、八王子が小さく手を上げた。

「変身時の掛け声はどうしよう。なんて叫ぶ?」

     2
「マギマギ大変身、カレーーライス!!」

 (さわ)(はな)(あつ)()の元気な大声が、部屋中に轟いた。
 変身ヒロインの、声の練習をしているところである。

 これは、教育テレビで放映しているアニメ「料理魔女クックドゥドゥー」の、()()()ククルちゃんが変身する時の掛け声だ。

 ククルちゃんはその回に出てくる料理パワーを使って変身する。
 レシピ魔法で食材オーラを飛ばして敵を倒し(大根などの食材で殴り掛かったこともあったが)、
 戦闘後は、アニメから実写にいきなり切り替わって、子役の()(ぐち)(まな)()演じる実写版ククルちゃんが「今日の料理」を実際に作って、番組は終わる。

 この作品の、変身シーンの特徴を一つあげるなら、バンクシーンを一切使わないことであろう。
 つまり、毎回異なる変身シーンが作画される。

 その回の料理パワーにより戦闘コスチュームのデザインが異なるため、当然といえば当然であるが、調理道具をかざして叫ぶところから毎度描いているのだから徹底している。

 四回、五回、とククルちゃんの声を叫んだところで、変身掛け声練習は次のお題だ。
 敦子は、そっと目を閉じる。
 頭の中にいるキャラクターを、入れ替えた。

 指をパチンと鳴らすと、目を開き、笑顔で勢いよく右腕を振り上げた。

「よおしみんな、変身だっ! レッツトライ、今日も張り切ってえ、いっくぞおおお! 精霊マジック発動レベルワン、磁界制御、力場制御、魔動ジェネレーターブーストアップ! チェック完了、内圧良好! ワン、ツー、スリー、フォー、へえんっっしいいいいん!」

 これは、「めかまじょ」の主人公、()(とり)()()()の変身時の台詞である。

「変身完了三振残塁、メカ魔女ナンバーワン、ミヤ参上! 悪い子はあたしがおしおきだあい!」

 「三振残塁」の口上は、第七話。「目指せ官僚」、「阪神完敗」、「極道撲滅」など、韻を踏んだものか、もしくは語呂のよい台詞が使われる。野球、阪神に関する台詞が多いのは、監督が兵庫出身のためであろう。

 「めかまじょ」は、飛行機墜落事故で瀕死の重傷を負った女子高生である小取美夜子が、肉体の大半をメカにされることにより奇跡的に一命を取り留め復活し、いじわるな人を科学魔法で改心させたり、悪いやつらをこらしめたりするアニメ作品である。

 友人のお好み焼き屋復活のため尽力するなど、初期は人情ものストーリーが主体。
 飛行機事故が仕組まれたものであったことが判明してから物語はちょっとハード路線へと進んでいくのだが、変身シーンは変わらず爽快で楽しいものだ。ユーロビートのリズムで、クラブDJがノリノリで喋っているかのようなビート感に溢れた独創的な口上で。

 変身時のギミックもユニークだ。
 無骨な右腕に鍵穴があり、鍵を差し込みぶるるんエンジンをかけて魔道ジェネレーターを始動させるのだから。

 一話目からずっと変わらず、変身はバンクである。

 敦子は、アニメのバンクシーンを見るたびに、つい色々と考えてしまうことがある。
 キャラの心情を、どう演じるべきなのかを。
 バンクシーンとは、要するに同じ映像の使い回しだ。特撮ヒーローのメカ合体や、戦うヒロインアニメの変身などが有名だろう。

 もともとは、予算削減効果を狙っての、いわば苦肉の策。
 制作現場としても、使わなくて済むのであれば使いたくなかったのではないか。

 しかし、長い歴史の中で価値観も変わり、一種歌舞伎の口上と同じような扱いになっている部分も、現代では間違いなくあるだろう。

 つまり、バンクにすることにより、観る者の魂が熱くなるのだ。
 お約束化されることにより、熱くなれるし安心して盛り上がれるねという効果もあるだろう。
 合体や変身バンクの直後にメインキャラが死ぬことはまずなく、「さあ、これから反撃だ」という痛快な気分への切り替えスイッチを入れてくれるものだからである。

 敦子が悩んでしまうのは、「だったら声の演技もまったく同じ方がいいのかな」ということ。
 それとも、その時その時のキャラの心情を想像した上で、微妙な演じ分けを心がけるべきなのか。

 結論の出る類の問題でないこと、分かってはいる。
 分かっているけど、バンクシーンを見るたびについつい考えてしまうのだから仕方ない。

 まあ、そんなシーンのあるアニメで自分がかかさず観ているのは、日曜朝の一本くらいなものだが。ああ、あと「めかまじょ」もそうか。

 自分はまだプロ声優ではないし、声優だとしてもどうするべきかは監督の判断。
 でも、このように色々と想定していくことは大切なことのはず。

 想定、つまりイメージすることは、役者の肥やしになりこそすれ、無駄になることなんかないんだから。
 自分はただ色々なことを考えて日々チャレンジして、トレーニングを積んでいくだけだ。

 明日のために。
 未来のために!
 未来のわたしが声優として活躍することが、色んな人たちに笑顔や夢を与えることになる。
 そう信じて。

「よおし、たくさんイメージ練習するぞお! めかまじょ変身バンクシーン、吹き替え百本ノックだあ。まずは不良少女風! ……てめえらあっ今日もはりきってえ、レッツトライでぶっちぎるぜえええっ!」 

     3
「あーーーーーーーーー」
「あーーーーーーーー」
「ひぇあーーーーーーーーー」

 なんだか頼りない情けないみっともない奇声が、騒音の中に溶け消えてゆく。

 中央公園にてその奇声を張り上げているのは、定夫、トゲリン、八王子、アニオタ三人組である。
 自動車の騒音が声をかき消してくれるのを利用し、こうして大声を出しているわけであるが、それでもやはり近くを歩く人たちが奇異の目を向けて過ぎて行く。
 まあ、声など出さずとも、見た目だけでも奇異の目で見られるに充分な彼らではあるが(特に定夫とトゲリン)。

 何故ここで声を張り上げているのか。
 要は、発声練習のためである。
 単なる奇声にしか聞こえずとも、目的としては純然たる発声練習である。

「あーーーーーーーっ」
「あーーーーーーーーーーーー」
「ひぇわーーーーーーー」

 では、どうして発声練習などをしているのか。
 自主制作アニメの、吹き替えのためだ。

 もちろん自分たちで担当可能な部分つまり男性キャラの、である。
 女性キャラに関しては、どうするかまだまったく決まっていない。

 結局のところ、合成音声を使うのか、誰かに声の依頼をするのか、このどっちかになるのだろうが。

 とりあえず現在やれるところをやろう、一つずつ確実にピースを埋めていこう、と、公園にて情けない奇声を……いや、発声練習をしているわけである。

 自分たちで声を当てたいと思った理由は、予算削減の意味もあるが、自分たちで作品そのものにより参加したいからという思いが大きい。

 特に定夫は、その思いが強い。
 トゲリンのように上手な絵など描けないし、八王子のようにアニメ作成ソフトを扱いこなす技量もないからだ。

 総監督を任されている身分とはいえ、これまで自分だけ蚊帳の外的な寂しさを感じていた。
 でも声ならば、自分だって参加が出来る。
 演技はおそらく酷いものだろうけれど、でも、いくら酷かろうとも何度も何度も自分にリテイクを出せば、まぐれで上手に聞こえる声になることだってあるだろう。アニメ視聴で鍛えられた耳で、そうしたまぐれの声だけを拾っていけば、それなりのものに仕上がるはずだ。

 生での芝居ではなく、録音なのだ。忍耐力さえあれば、充分に可能なはずだ。
 声の仕事を甘くみるつもりは毛頭ないが、しかし、作品作りという意味では、絵を描くことと比べて遥かに参加しやすいのは事実。

 そう。声ならば、素人でもなんとかなるのだ。
 劇場アニメなど、プロが作る興業作品での素人起用は、客を舐めきった最低最悪の所業だが。

 とはいえ、そうした作品に出る素人だって、この「無限リテイク大作戦」を使えば、そこそこよいクオリティの声が録れると思うのだが。なのにどこの映画も、どうして毎度毎度ああも演技が酷いのだろう。
 リテイク一回も出していないような、そんな声を何故そのまま採用してしまうのだろう。
 宣伝目的なら、タレント起用以外に他にいくらだって方法はあるだろうに。
 素人タレントどもも、声の仕事がきても辞退すればいいのに。
 そうだよ。アニメ好きを公言して人気取りなんてしなくていいから、アニメが好きなら辞退しろよ。
 ゴミカスどもが!

「もっと腹からっ! あーーーーー」
「ああーーーー」
「ひぇあーーーーーーーー」
「トゲリン、さっきから、なんであーーーーがヒヤーーーーになるんだよ!」
「失敬な、なってないでござるよ! ヒヤーーーーーーーー。ほらこの通り」
「あああああ」
「あーーーーーー」

 日々ボロクソけなしまくっている俳優やタレントよりも、遥かに遥かに酷い定夫たちであった。

     4
 定夫の部屋は、普段と様子が違っていた。
 あ、いや、オタ臭プンプンという意味では、まこと普段通りであるが。

 では、なにが違うのか。
 窓枠に、べたべたと目張りをしてあるのだ。

 音漏れ防止のために、隙間という隙間を埋めているのである。
 厚手のビニールテープを何重にも貼って、その上に防音性能を持つシートを貼り、さらにテープを貼っているという徹底ぶりだ。
 三人みんなでゴーゴーやパラパラなどを踊った日には、三十分と経たずに残らず窒息死してしまいそうなくらいに、びっちり隙間なく。

 なんのためか。
 防音のためであるが、どうして防音が必要なのか。
 それはアニメの吹き替えにあたり、近所迷惑防止と、情報漏洩阻止を狙ってのものである。

 窓枠だけではなく部屋のドアにも毛布を置くなどの防音対策がされているが、これは単に山田一家に聞かれてしまうことの恥ずかしさ防止のためである。

 六畳間、そこから学習机とベッドの面積を除いた三畳分ほどの中央には、ダンボール箱が胸の高さほどに積まれており、その上にマイクが置かれている。
 音声収録のために、三人でお金を出し合い購入したマイクだ。本体からUSBケーブルが伸びており、パソコンに繋がっている。

 価格は、九千円。
 割り勘とはいえ、アルバイトもしていない高校生には高級過ぎるマイクだ。プロの現場用途ならば、安物過ぎる低ランク品なのだろうが。


「だからひと、ひとりにてこずってい……」
「だまれー、ちゃくちゃくとこちらにゆうりなじょう、きょうはととのいつつあるのだー。ビ、ベ、ヴェルフ、ヴェルフはいるか」
「はっ」


 彼らは今、男性キャラだけのシーンの、吹き替えに挑んでいた。
 練習と、録音環境シミュレートを兼ねてのものであり、本番ではない。

 しかし、もしも偶然であれよい音声が録音出来たならば、その音声をそのまま採用するつもりでいる。

 自分たちはどう考えても下手くそであり、何十回も、何百回も、納得いく演技が出来るまでチャレンジするつもりであり、納得いく演技などおそらくそうそうは出来ないだろうからだ。

 つまり、そういう意味において既に収録本番は始まっているのである。
 始まってはいるが、しかし、くどいようだが三人とも演技力はさっぱりであった。

 くどくもなる。

 酷い。
 あまりにも酷い演技であった。

 録音を聞いてみるまでもない。
 収録している最中に、自分のあまりの棒読みに、もうどうしようもなくもどかしく情けない気持ちになってくる定夫であった。

 定夫は、耳が肥えているということには自信がある。
 だてに長年アニメオタクをやっていない。
 だてに声優の演技や声質にこだわりを持っていない。
 利き酒ならぬ、利き声も得意中の得意だ。
 たまにナンバとミツヤの声がどっちか分からなくなるが、女性声優なら取り違えたことは一度もない。
 カナイとコーロギの聴き比べも楽勝だ。

 などとそんな、最近のライトなアニメファンが知るはずもない声優のことなどはどうでもよくて、なにがいいたいのかというと、耳は間違いなく肥えているのだから「自分たちのなにが悪いのか、どう悪いのか」、は誰にいわれるまでもなく分かっており、分かっているのにそれをまったく改善に生かせない、そんな自分が情けなくなってくる、ということなのである。

 とにかく、トライアンドエラーを繰り返し、少しずつ経験を積んでいくしかないのだろう。
 プロ声優を目指すつもりなどはないが、「たまたままぐれの名演技」が生じる可能性を少しでも高めるためにも。
 しかし……

「はー」

 定夫はふと虚しい気持ちになり、ため息を吐いていた。
 まことどうでもいい話かも知れないが、ため息を吐くに至ったプロセス、その心の機微についてとりあえず説明すると、

 まず、アニメの主人公は女の子であり、その友達も当然ながら女の子であるということ。
 ジャンルとしてはバトルものだが、脚本的に力を入れているのは主人公と友達との掛け合いであるということ。

 つまり、
 自分たち担当分の音声は、要するに枝葉の部分、切り捨てても惜しくない部分、ということ。

 名のあるキャラとはいえ、視聴者にとってはキャラAキャラBキャラCといっても過言でない、そんな声を延々ひたすら練習していることに、不意に虚しさが込み上げてしまったのだ。

 主人公との掛け合いならば、俄然やる気が出ようというものだが、如何せん女の子の声をどうするかはまだなにも決まっていない。
 という理由あってのため息だったのであるが、

「お」

 定夫は、突然なにかピンときたような表情になって、手を叩いた。

「そうだよ、八王子が作ってた音声あるじゃんか。あれ、当て込んで、やってみようぜ」

 名案なりーっ、という顔で提案をした。

 そう、女子キャラの音声データは、あるにはあるのだ。
 八王子が、唄美メグを使って実験的に作ってみたデータが。

「全然作り込んでない音声だけど。遊びで、ちょっとやってみようか?」
「や、や、やってみよう!」

 初の、女子との掛け合いシーンの収録に、定夫は俄然やる気になっていた。

 収録の段取りは、次の通りである。
 まず八王子が、アニメ動画に女子声データを配置する。
 それをカラオケでいうオケのようなものとして、合間合間に自分たちの(おとこ)(ごえ)を吹き込んでいくのだ。

 ついに、ついに、女子と、話せる。
 と脳内仮想現実を妄想して心わくわく踊らせながら、収録に挑む定夫であったが、

 しかし……
 終えてみると、
 声を入れたアニメをいざ再生してみると、
 それはとても視聴に耐えられるレベルに程遠い、実に最低最悪な代物に他ならなかった。作品と呼ぶのもおこがましいほどの。

 すぐ気付く大きな理由としては二つ。

 一つには、合成音声の質。
 まだ作り込まれていないせいもあるが、とにかく女の子の声が無味乾燥抑揚皆無。
 文字にするならすべてカタカナ、といった喋り方だ。

 もう一つは、定夫たちの声。
 滑舌悪く、また、合成音声以上に棒読みの酷い演技。
 この掛け合い部分の吹き替えが本日初めて、ということ考慮に入れても擁護出来ないレベルだ。

 今後のためにテンションを高めようと思っただけなのに、逆にドン底のドン底にまで落ち込んでしまう定夫なのであった。

 おれには、声すらもないのか、と。

「まさかここまで酷いものになるとは。……ヘタウマ絵のアニメとかならば、おれたちみたいな声でも、味があると思わせることが出来るんだろうけどなあ」

 深夜アニメ、五分アニメ、などでよく使われる手法だ。
 作り手がまるでアニメを愛していないから出来る最低愚劣の行為と思うが、妙な味わいがあると褒めてしまう一般人が多いのも事実ではある。

 だからといって、いま作っているアニメをヘタウマ絵に作り直すわけにもいかないし、そんなつもりも毛頭ないが。

「メグの質については、ごめん、まだあまりいじってないから。だって使うかも分からないし。……ぼくたちの声に関しては、少しずつよくなっている実感はあるんだけどね。でも、他人が聞いたら酷い演技なのかなあ。とりあえず、メグちょっといじってみようかな」
「いや。八王子殿が本気でチューンすれば、メグ殿はもっと美声を輝かせてくれるとは思う。だがしかし、やはり女性キャラは肉声にこだわった方がいいと思うのでござる。生身本物というだけでなく、しっかりした演技力を持った人で」
「そうね。じゃあ、歌の時みたくさ、誰かにやってもらうってことで決定しちゃおうか?」
「実質その二択しかないんだけど、でも、それもなんかなあ……」

 定夫は、なんとも複雑そうな感情を顔に浮かべた。

「レンドル殿の心の葛藤、拙者には理解出来るでござる。外注ならば、ああ確かに上手ではあろう。しかしキャラへの思い入れがない。つまり、魂がこもっていない」
「そういうこと。歌を頼んだ時は、歌の歌詞に対しての魂はこめてくれたと思うけど、アニメのキャラに対してとなってくると、感情の入れ方はまた別だからな。ささっと器用に演じてはくれるかも知れないけど、おれたちと思いを共有してくれることは絶対にないわけで」

 むー。と、また渋い顔を作る定夫。
 腕を組んだ。

 なんだかんだと、アニメ制作はここまできたのだ。
 作画はほぼ終わって、後は音を入れるだけ。
 つまり、残るはダルマの目に黒を入れるだけ。
 いや、龍の目に一筆を入れるだけ。
 それだけで、龍は雲間を突き抜けて、無限に広がる青空へと飛び立つのだ。

 ここまで、きたのだ。
 ここまできて、いまさらアニメ制作をやめるつもりなどは毛頭ない。

 やめられない。
 絶対に、続ける。
 絶対に、完成させる。

 と、胸に宿る決心に濁りは微塵もなかったが、ただ、あまりのままならなさに途方に暮れてしまっているというのも現在の間違いない感情であった。

 どうすればよいのだろうか。
 どうすれば、この現状を打破することが出来るのだろうか。

 自然にヒントが浮かぶまでしばし休憩を、というわけにはいかない。そのままになってしまい、魂に埃がかぶってしまう。

 常に進み続けないといけない。
 考え続けないといけない。

 しかし……
 ぐるぐる回る思考。

 この、なんとも惨めな気持ち。それを作ったきっかけは、自分たちの演技の下手くそさにある。
 そこから、女性声優を使いさえすればいいのだろうかという自分たちのモチベーションの話になっていっただけで、気持ちの根本は演技の酷さ。

 千回もリテイクすればいくらだっていい演技の声など出せるだろう、
 などと、なんと声優をあまく見ていたことか。

 ガッデム畜生、と自分のバカさ加減に文句をいわずにいられない。

 だが、まだ彼らは知らなかった。
 女神は、すぐそばにいたのである。

     5
 次は四時限目。
 視聴覚室で英語のヒアリングである。

 (さわ)(はな)(あつ)()は、視聴覚室のある北校舎に移動すべく、中庭を突っ切っているところであった。
 いつもの面々、(はし)(もと)()()()(どう)()()(おお)(しま)(えい)()、三人のクラスメイトと一緒に。

 などと述べるとまるで敦子が存在感一番のように感じるかも知れないが、正反対もいいところで彼女は一番目立たない。
 この中で最も背が低く埋もれてしまっていることもあるが、なによりほとんど喋らないからだ。
 眼鏡、しかも地味な黒縁、ということも要因の一つだろうか。

「そしたら、本田と山崎がぶつかりそうになってさあ」
「えー、仲悪いじゃんあいつら。お金の貸し借りで、親友から一気に憎み合う仲になったとか。で、どうなったの?」
「うん。同じ方向に避けようとして、右、左、右、左、避けて避けて、そのうちチッチッチッチッってお互い舌打ちしながら、で、おんなじタイミングで『真似すんなよ!』」
「友情を再認識するパターンか」
「うーん。でもね、そしたら結局、怒鳴り合い殴り合い蹴り合いの大バトルが始まった」

 そういうと橋本香奈は他人事のように、ははと笑った。

 いつも通りの、他愛のない雑談である。
 いつも通りに、敦子以外の三人で会話を回している。

 敦子は、いつもは聞くだけ聞いて相槌頷き担当なのだが、今日は聞いてすらいなかった。
 本日発売のコミックス、「誰もいない学級」の内容が気になって仕方なかったから。

 いつも目立たないのは喋らないからで、なぜ喋らないのかは、自分に合う話題がないからであるが、今日はいつもと違うそのような理由によって、いつもと同様に目立っていなかった。

 目立ってはいないが、心の中ではそわそわせかせか、むずむずむずむず。

 早く、放課後がきて欲しい。
 早く、本屋に行きたい。

 どう話が展開するのか、謎が解明するのか、気になって気になって仕方がない。
 気になって仕方ないからこそ、早く知りたいからこそ、これまで雑誌連載の情報が入ってこないよう慎重に行動してきた。
 辛い日々だったけど、でもそれも、あと少しだ。
 四時限目、そして昼休み、五時限、六時限、そして本屋へ、「誰もいない学級」へ直行だ。

 果たして、次元の神は誰なのか、(かど)(くら)先生なのか、(しん)(いち)なのか、()()なのか。
 前巻の終わり方からして、たぶんそれが明かされるのだろう。

 普通に考えて、やっぱり由貴かな。
 表情の死んでるように見えるコマが多くなっていた彼女だけど、それが画風の変化ではなく、意図的なのだとしたら、たぶん。

 しかし、漫画家に付き物である絵柄の自然な変化までをも読者への謎かけに利用してしまうとは、みたあおや先生の発想力にはほんと脱帽する。

 読者を楽しませようといういたずら心で一杯なんだろうな。
 漫画家と、声優。違いこそあれども、わたしにも同じように、ドキドキやワクワクをみんなに届けられるような、そんな人間になれるのだろうか。

 なりたいな。

 そんな爽やかな願望を胸に呟きながら、北校舎へと入り、廊下を歩いていると、不意にその目が驚きに見開かれた。

「あーーーーーーーーっ!」

 絶叫していた。

「どうした、敦子!」
「日本脳炎かあ?」
「今日も背がちっちゃいぞお!」

 香奈たちに囲まれ頭をぐりぐりやられる。

 いたたっ!
 ち、違う、日本脳炎ではない。
 ついに、
 ついに、わたしは……
 発見したのだ。
 遭遇したのだ。
 遭遇っ、したのだあああ!

 などと興奮気味モノローグを続ける敦子の視線の先にいるのは、
 ()()であった。
 ぶくぶく肥満したオカッパ頭の男子が二人、挟まれたようにガリガリ男子が一人。

「うわ、イシューズだ」
「最悪!」
「おえーっ」

 香奈たちも彼らに気付いたようで、嫌悪感満面の渋い顔になっていた。苦虫を口の中ぎっちり詰め込まれたかのような。

 そう、
 敦子は久々に、イシューズさんたちと巡り会えたのである。
 初めて見かけて以来の、二度目の出会いを果たしたのである。
 そのことに敦子は感激、興奮していたのである。

 イシューズとは、学校で有名らしい、アニメオタク三人組だ。
 敦子が、アニメ仲間がいて羨ましいな、と思っていた三人組だ。

 会えただけで感激するくらいなら、彼らのいる教室に行けばいつでも拝むことは出来ただろう。
 それでは運命の遭遇にならないから自重していたのであるが、まさかこんな予期せぬタイミングで会えるとは。

 まあ、運命の遭遇といっても、恋愛感情とかそういうものでは勿論なく、どちらかといえばレアアイテムゲットという程度の、流れ星を見たという程度の、茶柱が立ったという程度の、そんな感覚であったが。

 それにしても、イシューズさんたち、今日はなんの話をしているのだろうか。
 気になるなあ。

「ちょっとごめんっ、先に行ってて!」

 彼らの背中から視線をそらすことなく、追うように早足で歩き出していた。

「えー、もう時間ないよお!」

 須藤留美が大声で呼び止めるが、敦子は振り向かなかった。
 聞こえてはいたが、一瞬でも彼らから視線を逸らしたら、もう二度と遭遇しないような気がして。だって彼らは、もしかしたら妖精さんかも知れないのだから。

 大丈夫、どんな人たちなのか、どんなこと話しているのか、妖精じゃないのか、ちょっと見てみるだけだから。
 もしも授業にちょっと遅れたとしても、(ます)()先生だっていつも五分遅れてくるし。
 そんなことよりもっ、

 と、敦子は三人の背中を早足で追って、三メートルほどの距離にまで近付いた。
 三人のうちの、ガリガリ男子が、

「トゲリンさあ、フラボノマジカとか担当した(むら)()(しゆう)(えい)氏のタッチ、あれをかなり参考にしたでしょ」

 やった、アニメの話だ! って、まあ当たり前か。
 村井修栄さん、わたしの好きなアニメーターだ。
 ほのぼの系のキャラデザが得意なんだよ。
 フラボノマジカ、好きだったなあ。

「やはり見抜かれていたでござるか。たまたま影響を受けつつあったので、むしろ開き直って、あえてぐっと近づけてみたでござる。以前よく参考にしていた、(はる)(かぜ)(ぐん)()氏のタッチもひたすら繊細では……」

 ()、とかいってるよ。
 まあ、当たり前か。
 ん、当たり前……かな?
 まあいいや。

「『はにゅかみっ!』のキャラデザを担当するかも知れないって噂を聞いた時は、これは違う、観てはみたいけど、でも、って思ったけどなあ」
「好きだけど違う、ってね」

 そうかなあ。
 わたしはむしろ、春風さんがやるべきだったと、今でも思っている。
 だって、「はにゅかみっ!」って原作が本来アニメ向きじゃないよ。なら春風さんの方が、微妙にマッチしたものが作れたかも知れない。かわりに、あそこまでの人気アニメにはならなかっただろうけど。だから是非とも、春風さんでOVA作って欲しいなあ。

「……は、ルクシュプリルのキャラデザの時だよね。で、そっちが受けたもんだから、『ももいろものみち』も第二部からキャラデザが変わった」
「いや、単に事務所の圧力と聞きましたぞ」
「古くさい絵柄が飽きられてて事務所内でもともと揉めていたのを、強行していただけ。圧力というなら、その、第一部の強行こそ圧力だったんだよ。案の定、不人気だったから、だから第二部から変わったんだよ。契約問題とか圧力じゃないよ」

 わたしはそうは思わないぞ。
 まったく飽きてないぞ。
 国民の総意みたいに、でしょとか決め付けないで欲しいなあ。
 圧力とかよく分からないけど、でも、飽きられたからでもないよ。

「さすが八王子、『ももいろものみち』のことだけは、トゲリンより詳しいな」
「関連記事が出てる雑誌、全部買っているからね」
「そうか、拙者の知らぬ、さような問題が制作現場にはあったのでござるな。しかし、第一期と第二期、変わらぬはエンディングの秀逸さでござるな」

 うんうん、そうそう、そうなのでござる。
 ほんと、いい歌なんだあ。
 特に二期のはよか……

「特に二期のはよかったよね」

 かぶったあ!

「編曲が最高でござるよ。ニンニン」

 うお、本当にニンニンとかいってる!
 香奈ちゃんのいってた通りだあ。
 つ、次っ、次はっ、やぶさかでないとかっ、とかっ、いいそうっ!

「まあトゲリンと八王子のいう秀逸さは、曲の調べ、に関していうのであれば、おれも同意するにやぶさかではないが」

 ほんとにいったああああ!
 って、一人で興奮しちゃったよ。バカか、わたしは。
 ……しかし、やっぱりこの三人は目立つなあ。初めて見たきり全然出会わなかったけど、いざこうして遭遇してしまえば、本当に目立つ。
 存在感は、あんまりなさそうなんだけど。日陰が似合いそうな感じで。わたしもだけど。
 矛盾してるけど、そう思う。
 こうしていつもいつも、熱く楽しそうに、アニメの話なんかしているんだなあ。
 いいな。
 混ざりたいなあ。

「『ふ、甘いな、なぜ気付かない? 神はすでに死んでいることに』ってとこだよね、確かそれ」
「その通りだが、しかし違うでござる、抑揚がまるで。『神はすでに死んでいることに』でござるよ」
「もっと似てない!」

 いやいや、もっともなにも、二人とも抑揚まったくダメでしょ。
 ああ、いいたい、わたしもその台詞、いってみたい。ゼフィル様のその台詞、いってみたいっ。

 しかしこの人たち、よくここまで自分を開放できるよなあ。
 わたしには、無理だ。
 生徒行きかう学校の廊下で、ござるとかニンニンとかいいながら大声でアニメキャラの話をするだなんて、とても。

 漫画やアニメの話なんて、周囲は誰も興味のない人ばかりというのもあるけど、そうでないとしても、つまりそういう仲間がいたとしても、さすがにここまでは出来ないな、わたし。

 声優になりたい一心で、家では必死に練習している。それを家族は知っている。という、それにしたって、恥ずかしいから家族にはなるべく聞かれないようにしているくらいだというのに。
 まあ、「アイドリ」を観る時だけは、つい家族みんながいる居間でハイテンションに手を振り回して大声で歌ってしまったりもしちゃいますけどお。

「抑揚といえば、ほのかちゃんのさあ」

 出た!

 敦子の小さな胸が、どん、と高鳴った。

 例の、あれだ。
 あの、たぶん自主制作の、たぶんアニメ、の話だ。もしかしたらゲームとか芝居とか他のなにかかも知れないけど。
 でも、自主制作という言葉はよく聞くけれど、高校生にそんな技術なんかあるのかな。
 漫画の同人誌ならそりゃ描けるだろうけど、それがアニメになるとハードルが一気に数千倍も跳ね上がりそうな気がする。それを作っちゃうだなんて、そんな技術があるのかな。
 この人たちがというより、一介の高校生に出来るものなのかな。
 仮に、確固たる技術力を持っているとしても、セルを何千枚カラーを何百本と買っていたら、お金だっていくらあっても足りないでしょう。

「うーん」

 難しい顔で、小声を発する敦子。
 現在でもアニメはセル画の裏を塗って動画作りをしている、と思い込んでいる敦子なのであった。

「あの掛け合いのところ、でござるか?」
「うん。絵そのものは、あのままでとりあえずは問題ないんだけど、抑揚というか、まあその元の台詞がさ、もっとしっくりくるものがあるような気がしてさあ」
「おれたちの声が酷かったせいで、掛け合い自体が最悪だったからな。だからこそ台詞をいじってみれば、というのは分からなくはないけど、でも、だからこそなにも考えが沸かないんだよなあ」
「掛け合い、だからね。だから、ぼくらどうこうではなく、反対に、ほのかちゃんの声がはっきり決まればいいんだよね」

 こ、こ、声っ、声の話が出たあっ。
 ……ごくり。

     6
 山田定夫、トゲリン、八王子の三人は、北校舎一階の廊下を歩いている。
 先ほどまで英語の授業を行なっていた視聴覚室から、南校舎にある自分たちの教室へと戻るところだ。

「……だよなあ。メグの声は、どうにもしっくりこなかったからなあ」

 いついかなる時であろうとも、彼らが口にするのは、やはりアニメや漫画の話。

 しかしいま、彼らの表情は実に真面目であった。
 なんとなくのほんわか雑談ではなく、職人のような真剣な表情であった。

「もうさあ、決めちゃおうか。メグは使わない、人を探す方向で行くってまず決定しちゃおうか。ここで悩んでちゃ、進まない」

 なんの話かというと、自主制作アニメの話である。
 声をどうするかで制作が行き詰まっており、ついはぐらかすように一般アニメの話などをして盛り上がってしまうのだが、避けて通れない問題であるという認識は持っており、やがてこのように戻ってくる。

 だが考えても論じてもまとまることなく、やがて現実逃避。
 つまり一般アニメやゲームの話などを始める。

 と、このところの彼らの言動パターンは、すっかりぐるぐる回ってしまっていた。
 だからこそ八王子は、その状態から抜け出すべく即決を促したのであろう。

「拙者たちも、そう決めたいところであるが。……いや、人に演じてもらう、ということに関しては賛成なので、決定にはなんら問題ないのでござるが。ただ、そうなると必然ぶつかる壁が……」
「どういう人に、どう依頼をするか、とどのつまり、そこなんだよな」

 と、定夫が言葉を続けた。
 要するに、愛のない作品にしたくないのだ。

「女性声優の必要なキャラって、名のあるところだと、ほのか、香織、かるん、ないき、らせん、だよね」
「改めて列挙してみると、かなりバラエティに富んでいるでござるなあ」
「そうなんだよね。でもだからって、何人もの人に頼むなんて、現実的に無理だよね。そうなると必然的に……」
「演じ分けの出来る器用な一人に、依頼するしかない」
「器用で、なおかつ情熱のある人だな。それぞれのキャラに、しっかり魂を込めてくれる。ここ、絶対に譲れない」
「そうでござるな。我々の演技の酷さを棚にあげて、なんでござるが」
「プロでなくとも、卵でもいいから、そんな女性声優が、どこかにいないものかな。この世界、いや、出来ればこの学校にいたりなんかして、引き受けてくれたりしないかな」

 願望を語る定夫。ここの女子生徒はみな自分たちに石を投げてくると思っているくせに。
 まあ、だからこその願望である。
 だが……
 あり得ぬ夢を語ったことが、天へと届き神の奇跡を呼んだのか、



「はい、あたしやります!」



 彼らは、神の声を聞いたのである。
 天から雲間からではなく、すぐ背後から投げ掛けられた声に、定夫たちは、三人まったく同じタイミングでびっくん肩をすくませると、そろーーっと恐る恐る振り向いた。

 すぐそばに立っていたのは、一人の女子生徒であった。
 やや小柄な、痩せているとも太っているともいえない体型で、あどけないまん丸顔に黒縁眼鏡、おさげ髪で、ニキビとソバカスがちょっと目立つが、これといった特徴という特徴のない、すぐ記憶に溶けて忘れてしまいそうな、地味な外見の、女子生徒であった。

 視線が合ったその瞬間、定夫は硬直していた。
 まるで、蛇に睨まれたカエルのように。

 これまでの人生で経験のない理解不能な状況に、すっかり混乱してしまっていたのである。
 罵倒や嫌悪の言葉以外に、女子生徒が自分に声を掛けてくることなど、想像したこともなく、実際これまでただの一度たりともなかったから。

 心臓が、どっどっ、どっどっ、と激しい鼓動を刻んでいた。

 ごくり、
 と、つばを飲んだ。

 対する女子生徒の側も、なんだかはにかんだように顔を赤らめている。
 仁王立ちのようにちょっと足を広げて立っているのも、どっしり構えているというよりは、そうしないと倒れてしまうのを踏ん張っているように見える。

「あ、あ……」

 女子生徒の口から声が漏れる。
 つい声を掛けてしまったものの、言葉続かないといった感じであろうか。

 お互い、何故だかはあはあ息を切らせながら、しばしの間、見つめ合っていた。
 沈黙の作り出す異様なムードに耐えられなくなったか、女子生徒は右手をゆっくり動かし、自分の胸にそっと手のひらを当てた。

「マ、マイネームイズ、あつこ」

 なぜ英語なのかは分からないが、とにかく彼女はそう名乗ると、強張った笑みを顔に浮かべた。

「う……う」

 後ずさる定夫たち。
 と、突然くるり踵を返した。

「うわあ!」

 三人は同時に悲鳴を上げると、どどんと背中を押されたかのように全速力で逃げ出したのである。
 いまにも泣き出しそうな、それは情けなくみっともない、恐怖の形相で。 

 

第五章 じょじょじょ

     1
「あああああああああああ!」

 まるで断末魔のような凄まじい悲鳴をあげながら、(やま)()(さだ)()は腕を振り全力で走っている。
 魂と、お腹の肉を、ぶるぶる震わせながら、他の生徒らの視線も気にしない、なりふり構わぬ全力で。

 トゲリンと八王子、二人の親友とともに。
 学校の廊下を、ただ全力で。

「な、なんで逃げるんですかあ!」

 という背後からの声に、定夫は肩とお腹をびっくんぶるんっと震わせた。
 女子生徒が、追い掛けてきているのだ。

 殺されるっ。
 きっと、捕まったら殺される。
 もしくは、辱められる。一生消えない心の傷をつけられる。

 これまでは陰からひそひそと、クズとか、死ねばいいとかいわれたり、遠くから石を投げつけられるとか、そんな程度だった。
 正面きって堂々と声を掛けられたり、追い掛けられたことなどはなかった。

 きっと、女子たちの総攻撃が始まったんだ。
 もう我慢できない、オタを駆逐しろ、殺戮しろ、撲滅せよ、と。
 そうに違いない。

 ということは、捕まったらきっと殺される。
 殺される。
 殺される。

 まだ、
 まだっ、
 まだ、「トーテムキライザー」の第二部も観ていないのにっ!

 校内で女子生徒に話し掛けられたことのない定夫は、すっかりパニック状態。パニック状態ゆえに、この通り思考の悪循環に陥っていた。
 生命の危機に、必死に走っていた。

 両隣のトゲリンと八王子も恐怖に泣き出しそうな顔。おそらく定夫と同じような心理状態なのだろう。

「うああああああああ」
「ああああ」
「ひぃえええええ」

 中央公園での発声練習のように、いや、それ以上に、実に情けない声をあげ、泣き出しそうな顔で、三人は全力で走る。

 自由を求めて。
 生を求めて。

 しかし、そうはさせまいと、
 女子が、
 女子が、追い掛けてくる。

「なんで逃げるんですかあ。……あ、あなたたちがっ、一体なにをしたっていうんですかあ」

 普通ならば、「わたしがなにをしたんですか」だろう。気が狂っているのか、あの女子は。
 きっとおれたちオタへの総攻撃において、鉄砲玉として一番ヘンな女子が選ばれたのだ。

 つまり、捕まったらなにをされるか分からない。
 つまり、絶対に捕まるわけにはいかない。

 ライフ オア デッド。
 逃げのびねば、生はない。

「むああああああああああ!」

 ブレーキかけずコーナリング、定夫たちは運動ダメなくせにこういう時だけ神のごときの高等テクニックを見せ、上履きのままで玄関から外へと飛び出した。

 飛び出し、そのまま外を走り続ける。
 レンガ道、そして校庭へ。

 神の高等テクニックを披露しようとも、いかんせん元の体力がない。さしたる距離など走っていないというのに、彼らはみな、すっかりバテバテで、ゴール直前のマラソン選手のような苦悶の顔になっていた。

 はひい、はひい、と犬の咳のような呼気を吐き出しながら、なんとか前へ進む定夫。
 惨めさと死への恐怖にすっかり涙目であった。

 背後からぱたぱたと足音。

「ちょっとお話したいだけなんですうう!」

 女子がなんかわけの分からないこといってる。

「がああああああああ」
「あああああ」
「ひいいいいいいい」

 腕をぶんぶん振り(その割に速度は出ていないが)、必死に走る三人。

「待ってくださあい!」

 背後から、女子生徒がぴったりついてくる。

 捕まって、たまるか。
 おれは、
 おれたちは……
 生きる!

 定夫は、残る力を振り絞って、走る速度を上げた。

 と、その瞬間、
 激しく転倒していた。

 三人、もつれあうように、どどっと。
 砂場にさしかかっていたことに気付かずに、足を取られてしまったのだ。

 口の中に、はねた砂が入った。
 昨日降った雨のために濡れていた重い砂が、水底の藻のように彼らの身体をからめとった。

「うぐううう」
「まあああ!」

 三人は、みな必死の形相で、這いつくばり、
 からみあうように。
 押しのけ合うように、
 神にすがるように手を伸ばし、
 身体をくねらせ、
 なおも逃げ、進む。

 いや、進もうと頑張っているだけで、湿った砂をただ手でかいているだけ。
 砂まみれ、泥まみれの、実に酷い有様であった。

 這いつくばったまま、顔を起こして後ろを振り返った定夫は、ひっ、と息を飲んだ。
 余裕で追いついた女子生徒が、彼らのすぐ足元に立っていたのである。

 定夫は、涙をぼろぼろ流し、泣いていた。

「もう、もう勘弁してくださあああい!」

 泣き叫びながら、なおも砂をじゃりじゃりかいて進もうとする、抗おうとする。

 定夫だけではない。
 トゲリン、八王子、
 我助かろうと三人は押しのけ合いながら、涙を流し、絶叫し、手で、足で、砂をかき続ける。
 まさに阿鼻叫喚の地獄絵図であった。

「助けてくださあい!」
「トーテムキライザーーー!」

 泣き叫ぶ八王子とトゲリン。

「たっ、助けるって、なにをですか? そもそも、どうして逃げるんですかあ!」

 女子も、少し息が上がってしまっているのか、それとも単にイラついているのか、興奮したような声を出した。

「じょ、じょん、じょじょっ、じょしっ、女子にっ、ははぱぱぱぱぱなしかけられると思ってなかったむでえええ!」

 恐怖に歯をガチガチならす定夫。いや、トゲリンと八王子もだ。ガチガチカチカチ地獄の大合唱であった。

「だからって、どうして逃げるんですかあ。一体あなたたちが、なにをしたっていうんですかあ」

 だだ、だからそのへんな台詞をやめろお!

「もうおしまいだあああ!」

 絶望絶叫八王子。
 砂場の砂に、だすっと拳を叩き付けた。

 その横では、

「すいへいりーべ、すいへいりーべ、すいへいりーべ」

 トゲリンが歯をガチガチならしながら上半身を起こしたかと思うと、肥満したお腹を両手でむにょむにょつまんで、なにやら口ずさみ始めた。

 意味不明の行動だが、何年もの付き合いである定夫にはどういう心理状態によるものなのか想像が出来る。
 トゲリンは「ひょっとしたら、もしかしたら、敵ではないのかも」、というこの女子と、なんとか話そうと、なんとかコンタクトしてみようと、まずはなんとか落ち着こう、と精神統一しているのだ。

「ががががが、ががががが」

 八王子が、頭を振りながらエレキギターをピックで弾くようなポーズをとったかと思うと、右腕をぶんと斜めに振り上げ「ぎょいーーん」と叫んだ。と、突如ポケットから小型ノートを取り出し、がりがりなにやら書きなぐっていく。

 その八王子の行動、何年もの付き合いである定夫には分かる。
 トゲリンの人間を捨てたような情けない様子に、他人の振り見てなんとやらで恥ずかしくなり、よし、ここは落ち着くんだ。落ち着いて、この女子へ話し掛けてみるんだ。しかし女子と話をしたことなどなく、しかもこのシチュエーション。なんとか冷静にならねば、とデスリストへの写経によって精神統一を図っている、というわけだ。

 女子生徒は、錯乱したような三人の姿にあっけにとられ立ち尽くしていたが、やがて、すっと軽く息を吸うと、ゆっくり口を開き、尋ねた。

「あの……イシューズさんですよね」

 違う!
 定夫は、胸で即答していた。
 あ、いや、そう呼ばれていることに違いはないのだが。

     2
 宇宙があり、
 銀河系があり、
 太陽系があり、
 三つ目だか四つ目だかに地球があり、
 成層圏があり、
 アジアがあり、
 日本列島があり、
 本州があり、
 東日本があり、
 関東地方があり、
 東京都があり、
 武蔵野市があり、
 都立武蔵野中央高等学校があり、
 校門近くに植えられたケヤキの木を、ぐるり取り囲むように三つのベンチがあり、
 そのうちの二つに、彼ら四人は腰を降ろしていた。

 山田定夫と、トゲリン。
 八王子と、先ほどいきなり声を掛けてきた女子生徒。

 定夫たち二人は超肥満なので当然のことぎゅうぎゅうで見ているだけでも暑苦しい状態、反対に八王子たちは空間スッカスカ、何故このような組み合わせなのか。

 それはさておき、定夫たちは現在ようやく落ち着きを取り戻していた。

 先ほどの阿鼻叫喚絵図を、もしも誰かが動画に撮っていて彼らに見せたならば、あまりの恥ずかしさに自ら命を絶つ者が出たとしても不思議ではなかっただろう。

 と、それほどに狼狽していたわけであるが、繰り返すが現在は落ち着いて完全におとなしくなっていった。

 女子生徒の掛けた言葉、「いつもアニメの話をしているから、ちょっと興味を持って」という、それにピクリ反応して、じたばた暴れ泣き叫んでいたのが嘘のようにすーっと収束したのである。

 おとなし過ぎるくらいであるが、反動というよりは単に女子との接し方が分からないからであろう。

 とにかく、
 「そこで座って、ちょっと、お話しませんか?」と恥ずかしげに顔を赤らめる女子生徒に促されるまま、ケヤキの木の下のベンチにこうして腰を降ろしているというわけである。

「とと、問うが、何故、せ、拙者どもが、アニメファンであると。あいや、結果的には事実関係としてなんら相違ないわけではあるが、いわゆる、その論理的判断に至った過程が気になり」
「ですから、廊下でそういう話をしていたのを聞いたからですってば」
「ああ、そうでござった」

 日本語を無意味にこねくり回すわりに、人のいうことはあまり聞いていないトゲリンであった。

 今度は女子生徒が、質問の口を開いた。

「あの、あなたたちが、イシューズと呼ばれている有名な三人組さんなんですよね」
「い、いわれては、いるらしけど……。どど、どゆっ意味なのかなあ」

 八王子がカチコチ笑いで尋ねた。
 みな、女子と喋り慣れていないのである。

「ええと、なんでも精神的悪臭を放っているからだとか……あ、あ、いえっ、わたしは別にそうは思っていませんけど、世間的にっ」

 前へ突き出した両の手のひらを、ひらひら振る女子生徒。

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、定夫たち三人は寸分の狂いもなく同じタイミングでがばっと腰を上げ立ち上がっていた。

 彼女から数メートル離れたところで、顔を突きつけあった。
 今にも泣き出しそうな、情けない表情の顔を。

「やっぱり、そういう意味だったのか」
「靴とか、そういうことではないのでござろうな、とは思っていたが。うすうす」
「しかし、あの女子もさあ、本人たちの前でいうかなあ。精神的悪臭とかさあ」
「空気を読めないタイプなのかも知れないな。我々以上に」
「どうやら敵ではなさそう、と思っていたが、分からなくなってきたでござるな」

 ひそひそこそこそ。
 こそこそひそひそ。

「あ、あの、なにか」

 女子生徒がベンチに深く座ったまま、黒縁眼鏡の奥でちょっと困ったように微笑んでいる。

「いやいやいやいやいやいやいやいや」

 三人は、右手をぱたぱたしながらベンチへと戻り、先ほどと同じフォーメーションで座った。つまり、定夫とトゲリンでベンチぎっちぎち、女子生徒とガリガリ八王子はスッカスカだ。

「どっどっ、どのように呼ばれているかは別として、せせっ拙者たちがっ、そのその三人であることは、事実としては相違ないようではあるが」

 トゲリンが代表して返答。つっかえつっかえであるが。

「でもなあ、有名な三人、とかいわれてもな。ぼくたち、ただアニメの話をしているだけなのにね」
「だよなあ」

 ぼそぼそぼやく八王子と定夫。

 それを聞いた女子生徒は、ニコリ微笑みながら、

「他の人たちがどう思っているかは知りませんけど、その、アニメの話をしているというのが、いいなーって思ってたんですよねえ、あたし。……羨ましいなあって」

 定夫の胸に、ズンだかガガーンだか、衝撃の旋律が走った。要するに、驚いたのである。

 アニメを嫌悪していないということに。
 自分達にそうした嫌悪の感情を向けないどころか、どちらかといえば好意的であるということに。

 だが、驚くのはまだ早かった。
 ズンでもガガーンでも表し足りない衝撃的な言葉を、女子生徒は続けたのである。

「あと、アニメを自分たちで作っているなんて、凄いなあって」

 と。
 眼鏡の奥の彼女の瞳、本当に心から凄いなあっと思っているような純粋な眼差しであった。

「よ、よ、よ、よく、そそっく創作っ、してしているなどるどっ」

 驚きの表情で、座ったままぐいっと身を乗り出そうとする定夫であるが、腹の脂肪が引っ掛かって乗り出せず、諦めて立ち上がった。
 じろ、と額から脂肪の汗が滲み出て、袖で拭った。

「ああ、あたしの知識にない人名が出ていたから、じゃあ、ひょっとして、作っているのかなあ、っと」

 えへへ、と女子生徒は笑い、頭をかいた。

 彼女のその言葉に、トゲリンと八王子は素早く立ち上がり、既に立っていた定夫とともに、ベンチから飛び退いた。
 何故だか知らないが横っ飛びで、たんっ、たんっ、たんっ、と。

 三人は、顔を突きつけあって、こそこそひそひそ。

「知識にないから、即、創作系」
「事実としては、まことその通りではあるが」
「アニメ知識に相当な自信がある、ということだよね。実際あるかは別として、自信は凄い」
「すなわち、アニメ好きだということか」
「すなわち、同じ……畑」
「すなわち、拙者どもを壊滅させる部隊の先陣、鉄砲玉、ではない、ということでござるのか」

 トゲリンのこの言動、やはり彼も定夫とまったく同じ思考であったようである。まあそうでもなければ、あんなに必死の形相で逃げるはずもないが。

 ちら、と三人は、女子生徒の顔を見た。
 殺される恐怖もなくなり、アニメ好きであることも分かると、なんだか、急に彼女に対して親近感がわいてきた。

 同時に、何分か前まで阿鼻叫喚の雄叫びを張り上げて、大号泣しながら地面を這いつくばり命乞いしていたことが、たまらなく恥ずかしい気持ちになる定夫であった。

 おそらくは、トゲリンも同じような気持ちだったのであろう。
 ごまかすように、大きなネチョネチョ声を彼女へと張り上げた。

(じよう)っ、し、しからば問おうっ!」

 と、女子生徒へ、おずおずと踏み出す。まだ、()()()と踏み出す勇気はないようである。様々な意味において。

「はい」

 女子生徒が、微笑したまま小首を傾げた。

「『ほのよいサクラ』の、劇場版の監督は?」
()(たか)ヤッ太さん」

 女子生徒、即答であった。
 トゲリンは、定夫と八王子のいる位置へと戻ると、また三人で顔を寄せ合ってひそひそ。

「まさか即答されるとはな」
「い、いや、ま、まだ、安心は出来ないでござる」

 トゲリンは顔を上げ、またおずおずと、何故か内股で女子生徒へ踏み出して、

(なな)(もり)(なな)()の所属事務所は?」
「ハイテンション」

 またもや即答に、一瞬たじろぐトゲリンであったが、気を取り直し、ニチョニチョ声で大昔の野球ラブコメの物まね。

「も、もうっ、動かないんだぜえ」
「第26話」

 問題の意味を先読みしたようで、またもや即答であった。

 ぐ、と一歩引くトゲリンであったが、強気になって一歩(内股で)踏み出し、

()(じよう)()(おり)(やま)(ざき)やまねが共演しているアニメは、あるか、ないか?」
「ある。OVAの『ゲートボーイ』と、『なつきトワイラル』の予約特別特典パイロット版。ゲーム内のアニメシーンでもいいなら、『モナクシティ3』に、山崎やまねが(むね)(みせ)(いや)()名義で出演している」
「か、完璧だっ!」

 トゲリンは、がくり膝をつき、手をつき、四つん這いになった。

「そして、完敗でござる……」

 と、打ちひしがられているトゲリンの前に、八王子が立った。
 き、っと女子を睨み付ける。

「じゃあ、じゃあ、次はぼくの攻撃だ! 人気がなくてすぐ絶版……」
「『ずうっとクズクイズ』」
「なんで分かったあ!」
「分かりますよお。作品を読んだことある人は、ほとんどいないでしょうけど、不人気ぶりが騒がれたじゃないですかあ」

 クイズをテーマにしたライトノベルで、八王子の問題通り、すぐ絶版になっている。
 人気作家である(むら)(かみ)(さい)()の、黒歴史的な作品だ。

「くそお。なら次だ。『魔王少女ララ』で、一回だけ…」
「レインボーカスタネット」
「なはんで分かったぬあああ!」

 レインボーカスタネット、ララのパワーアップアイテムの一つだ。あまりの人気のなさに、一回しか劇中に登場することはなかった。

「ぼくの負けだあ。畜生! 畜生!」

 八王子は、トゲリンの横で四つん這いになると、地面を殴り、そして、まるで甲子園の土のようにガリガリと引っかき始めた。

 一人残り、女子生徒と相対している定夫。

 残るはおれだけ、か。
 戦わねばならぬ宿命ならば、戦おう。
 受け入れねばならぬ運命ならば、受け入れよう。
 幻魔に、おれは勝つ!

 ごくりとつばを飲むと、サイオニクス戦士レンドルは毅然と顔を上げ口を開いた。
 ハルマゲドンを阻止するために。

「こ、こっこっこっこっこここここ、これならっ、分かるまるまいっ! 受けてみろ! 『アニモン』の、クーリキと、ガイオウと、ホッカ…」
()(ぶし)(よう)()さん」
「…の、誕生日と血液型は」
「八月八日。オフィシャルプロフィールにはA型と書かれているけど、検査したらB型だったと、『今夜もアニメオウ』第247回で話していた」
「お、お、同じ畑だっ!」

 定夫は驚愕に目を見開き、叫んでいた。
 自分たち側だ。彼女は自分たち側の存在だ、と。

 まさか、本当に実在していたなんて。
 この滅びゆく世界に、生存者は自分たち三人だけだと思っていたのに。
 滅びの世界というかなんというか都立武蔵野中央高校で。

 しかし、なんたる知識量か。
 特に、声優のことに関しては、かなり詳しいようだ。

「ル、ル、ルプフェルをっ、(とり)(ごし)まなみの声でえ」

 定夫は、ちょっと無茶振りしてみた。

「なーんでなーんで、なーんでこうなるーー。あたしの天才頭脳の勝利の方程式があああ」
「めかまじょの追加戦士、(みや)(もと)()(なえ)の変身の声」
「ほな今日ものっりのりで、行っくでーーーーっ! ワンツースリーフォー」

 本当に、物凄い知識量であった。
 まあ細かいこと細かいこと。いわれて気付くような、細部までが完璧だ。

 負けた……

「完敗じゃああああい!」

 定夫はゴツイ声を作って叫ぶと、トゲリンと八王子の間に肥満した肉体を割り込ませて、目の幅の涙を流しながら自らも甲子園の土を掘り始めた。

 ざくざくざくざくやっている三人を見ながら、女子生徒が苦笑し、後ろ頭をかいている。

「あのお、完敗、とかなんとか、意味が分からないんですがあ」

 分からずともよい。
 負けは、負けだ。
 老兵は潔く散ろう。
 しかし本当に凄いな、この女子。
 特に、声関連。
 知識だけじゃない。
 演技力も素晴らしい。
 無理して喉で声を作ることなしに、キャラを演じ分けている。特徴の把握がしっかり出来ているということなのだろう。
 ああ、そういえば……
 先ほど、廊下で声を掛けられた時、
 そ、そうだっ……

 定夫は立ち上がり、不細工な顔を女子生徒の方へと向けた。
 乾燥して粘っこくなっている口を開いた。

「こ、こここ、こっこっこっこっ、ここ声っ、ややや、ゆゆゆ、やらやる、とかとか、とかとかっ」

 女子と話すこと意識しすぎるあまり、またしどろもどろに戻ってしまう悲しい山田レンドル定夫であった。

 きょとんとしていた女子生徒であったが、やがて、柔らかな微笑を浮かべると、自分の胸にゆっくりと右手を当てた。

「あたし、声優志望なんです。あなたたちが以前に廊下で話していたことが気になって、ネットで検索したりして、たぶんこのアニメを作っている人たちなんだろうなーって思ってました。さっき、後ろで会話を聞いていて、声優を探しているとか。きっと、そのアニメのことなんだろうな、って。興味あることだったものだから、あたしつい無意識に叫んじゃったんです。……すごく恥ずかしかったですけど」

 そういうと、にんまりと笑みを浮かべた。

「やっといえたあ」

 と、すっきり笑顔、

 の女子生徒へと、定夫はずいずいっと威勢よく迫っていた。
 迫ったはいいが、女子を前にすっかり強張った顔。
 なんとか口を開き、声を発した。

「ど、どんどど、ど、じじじらせさく、あににににめっ、かわかかかい、こえこここえこえ、るりるまま、こりっ、こりっ」

 山田帝国の使用言語であるレンドル語を日本語に翻訳すると、「どうして自主制作アニメであると見抜いたのかは分かった。確かに我々は声をどうするか困っている。こりっ、こりっ」ということだ。なお最後の部分は翻訳不可のため原文ママである。

「さっきの演技、とても上手だったし、やってくれる?」

 八王子は、定夫のレンドル語を通訳することなく、定夫の言葉を続けた。

「面白そうですね。それに、自分の将来の夢にも繋がりそうで、ご迷惑でなければ是非とも参加したいです。……あ、改めて自己紹介します。あたし、(さわ)(はな)(あつ)()といいます。一年生です」

 そういえば先ほど、アツコとか名乗っていた気がする。何故か英語で。

「ええと……」

 女子生徒、沢花敦子が頭に手を当てながら、三人を見る。

 視線が合った瞬間、定夫はびくり飛び上がるくらい大きく肩を震わせた。

 ま、まずは、自分が自己紹介せねばならないのだろう。目が合った手前。
 でも、なんていえばいいんだ。
 名前だけ、いっておけばいいか。とりあえず。
 よしっ。

 意を決し、お腹に手を当て一呼吸、二呼吸、
 口を開いた。

「お、お、おりっ、おりおれっ、おられはっ、ややや山田っ、ミラノフ、じぇなくてっ、れれんレンドルっ、さっさっ、さっ、ばっ、おっ!」

 緊張のあまり、つい昨年までのミドルネームを名乗ってしまう定夫であった。
 どのみち、つっかえるわ間違えるわまともに聞き取れていないだろうが。

 続いて、

「せっ、せっ、拙者はっ、梨峠っ、その名っ、健太郎。あっ、トゲリンと呼ばれているでごぅざあるぅーっ!」

 定夫よりは遥か格段にマシだが、やはり相当に緊張してしまっているトゲリン。
 途中から腰落とし首振って手のひら突き出しカブきまくっているのは、その緊張のためなのかどうなのか。

「ぼ、ぼくは、土呂由紀彦。みんなから八王子って呼ばれている。出身地なんで。ぼくたちみんな二年生。よろしく」
「なに普通に喋ってんだあ。気取るなあ!」

 女子に対して順応してきているのかすらすら喋る八王子に、定夫はなんだか悔しい気持ちになって、思わず掴みかかっていた。

 がっぷり四つ。
 体格差は熊と子犬。
 しかしお互い異様な非力で押し押され。

「別に気取ってないよ!」
「さっきまで砂の海を、助けてーって泣きながら泳いでいたくせに!」
「レンドルの方が酷かったろ!」
「むまーーっ!」

 ぎゅいーと力を入れる定夫。

 などと不毛極まりない争いをしている彼らの頭上に、キンコンカンコンとチャイムの音が鳴り注いだ。
 四時限目の終了を告げるチャイムに、さあっ、と四人の顔は青ざめるのだった。

     3
 ここは、(やま)()(さだ)()の自宅である。

 と、これまでに何度このような描写をしてきたであろうか。

 だけど今日は、今回は、これまでとちょっと違うのである。
 なにがどう違うのか、
 とりあえず、話を進めよう。

 玄関の扉を開けて家へ入ってきた山田定夫、と、トゲリンたち客人は、なんだか、やたら、とっても、かなり、緊張したような面持ち。要するに表情カチカチ関節ギクシャクであった。

「お、お邪魔するべござーる!」

 トゲリンの上擦ったニチョネチャ声が響く。

 一同は、靴を脱いで、玄関を上がり、ぞろぞろ階段を登っていく。

 山田家の二階には、部屋が二つ。
 定夫の部屋と、妹の部屋だ。

 行列先頭の定夫が自分の部屋のドアノブを回した、と、その瞬間であった。
 妹の(ゆき)()が、定夫たちに気付かずドアを開け部屋から出てきたのは。

 つまりは、兄の客人であるトゲリンたちと遭遇し、目が合ったわけであるが、しかし幸美にはまったく慌てた感じはなかった。

 それも当然で、そもそも人間扱いをしていないからである。
 兄の定夫、その友人たちのことを。

 ブタが、またオタ友どもを連れてきたか、と、普段通りにあざけりの視線をちらりと向ける幸美。
 完全に、彼らを下に見た、生物として上に立つ者の表情であった。

 侮蔑しきったその視線が、すっと横に動く。

 ブタオタ、
 ネチョネチョブタオタ、
 ガリガリチビオタ、

 次の瞬間、幸美の目が驚愕に見開かれていた。
 ひっ、と息を飲んだ。

 その反応も無理はあるまい。
 普段ならば、侮蔑の視線を受けて肩を縮めてぞろぞろ電車ごっこのように兄の部屋に逃げていくのは、三人だけ。「デブ デブ ガリ」「男 男 男」「オタ オタ オタ」「黒縁眼鏡 黒縁眼鏡 無眼鏡」「デカ デカ ガリクソチビ」表現レパートリーなどどうでもいいが、とにかくキモオタ列車三連結である。

 ところが、ガリクソチビに続くのは制服を着た女の子ではないか。

 幸美の精神を、一体どれほどの驚きが襲ったことであろうか。
 ぺったん力なく床にへたり込んでしまったことからも、想像は容易というものであろう。

 突然アメリカ軍が日本全土に大空爆をしかけ、主要都市がすべて壊滅してしまった、それに匹敵する、いやそれ以上の衝撃であろう。

「じょっ、じょじょじょじょっ、じょっじょっ女子いいいっ」

 どどーん!
 どどーん!

 幸美の脳内に響いているのはこんな音だろうか。B-25やB-29が投下する爆弾の。

「じょっ、じょっ、じょおっ!」

 どどどーん!

 もうお分かりとは思うが、女子とは、すなわち(さわ)(はな)(あつ)()であった。
 定夫たちと同じ高校に通う、プロ声優になりたいという夢を持つ一年生。
 自主制作アニメの女性声優を担当してくれることになり、さっそくきてもらったものである。

「はじめまして。お邪魔してます」

 さすがは声優志望といった可愛らしい声に、幸美はさらに驚いたか、へたり込んだままびくびくうっと激しく肩を震わせた。
 瞳孔の開きかけたようなとんでもない顔で、

「ブッブッ、ブスでもないっ、太ってもいないっ、異臭オーラも発していない、ぱっと見のごくごく普通な女子があっ。ブッブッ、ブサイクでっ、太っていてっ、気持ち悪い髪型でっ、不潔でっ、ネクラでっ、キモオタなっ、あっ兄貴の部屋にいいいいい。じょっじょじょっ、女子がああ! なんだかいい感じな声の、女子があああああ!」
「つつ、連れてきちゃ悪いのかよ!」

 と、文句をいいながらも、実は胸にちょっとした優越感を覚える定夫なのであった。

 そう、定夫のぶくぶく肥満した体内には、女子を家に連れてくるということについて、緊張とは別に、妹に対しての優越感が芽生えていたのである。
 異性を連れてきたことの一度もない妹に対して。

 そこからくる余裕から、じょじょじょって新流行語大賞にならないかな、などとしょうもないことを考えてしまうくらいに、気持ち舞い上がっていた。

 まあ、舞い上がるのも無理はないことかも知れない。
 だって、生涯そういうことと無縁と思って生きてきたのだから。
 周囲も、おそらく誰しもがそう思っていたであろう。

 一番そう思い自分を見下してきたのは、妹の幸美。
 真性重度のアニメオタクで、しかも激烈猛烈に太っており、不潔で、死ぬまで彼女が出来ないどころか、女性とまともに話も出来ない、どうせ生涯童貞であろう、と思っているに違いない妹に対して、ちょっと自慢げな、痛快な気分にもなるというものだろう。

 まあ、なにがどうであれ生涯童貞の可能性は非常に高いということに変わりないわけだが。

 さて、廊下でぺたんと座り込んで口をぱくぱくしている幸美をそのままに、定夫たちは部屋に入り、ドアを閉めた。

 20××年。九月某日。
 築十四年の一軒家。二階の、このレンドル部屋に、初めて家族以外の女性が入ってきた瞬間であった。

     4
「ここがアニメ制作スタジオなんですねえ」

 沢花敦子が、山田家に起きた奇跡に協力した自覚もなくほわんとした表情で、室内をぐるり見渡して感慨深けな声を発した。

「いやっこ、ここはっ、さくせくっ作戦っ会議室ちょっ、視聴部屋部屋っ」

 ここは作戦会議室と視聴部屋。
 と、まだまだ通訳翻訳が必要な酷いものではあるが、定夫の敦子への喋りの固さは出会った当初と比較すると相当に取れてよくなっていた。

 二時間ほど前ならば、「い、いい、いやぅ、こ、こかっ、こかっ、こかっ」などと声を絞り出すだけで精一杯だったことだろう。

 たったの二時間でここまで固さが取れたのは、実は、敦子の気遣いのおかげであった。

 八王子以外、なんともギクシャクギクシャクの彼らであったのだが、敦子がトゲリンの真似をして()()()言葉を使ってみたところ、まずトゲリンが恥ずかしがりながらも段々と調子に乗って口数が増えて順応。それはそれで鬱陶しいものではあったが。

 集団心理で強気に、というわけではないが、八王子とトゲリンが普通に話をしているものだから定夫としても入り込みやすく、かなり馴染んできたところで、敦子がござる言葉を解除。

 と、このような流れである。
 馴染んだといっても、この通り定夫一人だけまだまだ相当に酷いものではあったが。

「す、少し狭いが、楽にっ」

 トゲリンが、くつろぐよう敦子を促した。他人の部屋で偉そうに。

 まあ確かに、窮屈な部屋である。
 部屋自体はごく普通の六畳間であり、広くもなければ、狭いものでもない。
 しかし、ベッドと机で部屋の半分以上を使用しており、残りは三畳弱。

 定夫とトゲリンは超肥満体であり、八王子と敦子も足せば面積定夫一人分は使うわけで、窮屈なのは当然であろう。
 しかも、音声収録のためのマイク台として、みかんの段ボール箱を床に積み上げてあるのだから、なおさらだ。

 窮屈なスペースに四人は腰を降ろし、車座になった。

「でででで、ではではっ」

 定夫は、総監督として口を開いた。

 敦子を加えて四人体制になってからの、初めての話し合いである。

     5
 まず定夫たちは、今日学校で敦子へと簡単に伝えたことを、あらためて説明した。

 アニメを作ることになった経緯を。
 映像はほぼ完成したものの、声へのこだわりから、制作進行が滞っていたことを。
 女性声優を求めていたこと。演じ分けが出来る器用さを持ち、キャラに愛情を持って演じてくれる、そんな女性声優を。

「器用、というのは自信はありません。でも、そうあるべく日々の練習はしていますし、そこそこは、やれるんじゃないかと思います。キャラへの愛情に関しては、もちろん感じた上で演じたいと思っているので、まずは作品を見せて頂けますか?」

 視聴希望する敦子に、定夫は、作品の背景設定などを簡単に説明した上で、パソコンの動画データを再生した。

 オープニングが始まった。
 歌と、映像。

 続いて本編パートに入ると、一転して無声無音になった。

 主人公の少女の、登校シーン、学校生活。
 アルバイト先の神社で、仲間たちと楽しそうに会話。
 敵が出てきて、主人公、変身。
 戦闘。
 勝利。
 友達らとの場面に戻って、どたばた騒ぎ、笑顔で終幕。
 黒背景の、エンドロール。

 敦子は床に背筋伸ばして正座して、食い入るような真面目な表情で映像を観ていたが、エンドロールが終わって黒い画面になると同時に、ぶるっと肩を震わせた。

 頬を、光るものがつっと伝い落ちた。
 眼鏡レンズの奥、彼女の瞳は、たっぷりの涙が溜まって潤みに潤んでいた。
 伝って濡れる涙を袖で拭ったが、またすぐに次の涙がこぼれ落ちる。

「凄いです、これ」

 そういうと、泣き顔を隠すように下を向き、ふーっと息を吐いた。
 でも、涙を流す恥ずかしさより感情の爆発の方が上回ったか、次の瞬間には顔を上げて、潤みながらも真剣な力強い目で定夫たちを見つめた。

 ぎゅう、っと両の拳を握り締めながら、

「感動しました! こんな、パワーや愛に満ちた作品を、自主制作してしまうだなんて、ほんと凄いです」
「みやっ、そ、そそっ、そんな」

 褒められて、つっかえつっかえ言葉を返す定夫。褒められずともつっかえつっかえであろうが。

 八王子も、ちょっと恥ずかしそうに鼻の頭をかいた。

 トゲリンも、やはりなんとも照れたような笑みを浮かべている。

「これ、何万枚のセルを使ったんですかあ?」
「いいいまろきシェルはちきわないッ!」

 いい、今時セルは使わないッ。
 心の中でだけいちいち訂正する定夫。

「えー、そうなんですか? 知らなかったあ。……え、え、でも、それじゃあ、どうやって描いているんですか?」

 うーむ。
 定夫は思う。
 これは、素でボケているのだろうか、と。アニメ作品自体への知識は、三人を凌駕するほどなのに。素か、狙いか。
 仕方ない、一応簡単に説明しておくか。と、定夫は口を開く。

「せ、せせ、せせっせせっ、セルっ、セルっ、がしっ、がしゅ、がっしゅ、し、しっ、ががっ……」

 簡単に説明しようにも、そもそも言葉出ず。

「セル画はすべてコンピュータ着色になったんだよ。取り込んでパソコンデータにしてから、マウスクリック一発で指定の色を塗るんだ。まあ、それすら過去のものになりつつもあるけど。ちなみにぼくたちのアニメは、全部3Dで作ってから、それを2D化しているんだ」

 人の言葉をさらり奪い取って、すらすら女子へと説明する八王子に、敵意殺意にも似た、ちょっとしたイラつきを覚える定夫であった。

「そうだったんですか! 無知だなあ、あたし」

 敦子は、自分の頭をコツンと叩いた。

「でもこのアニメ、本当にいい出来ですね。まず、絵がとっても丁寧で、綺麗。表情もバリエーションに富んでいるし、それと、指の描き方もしっかりしていて。あたし、中学生の頃に何度か、漫画を描くのにチャレンジしたことあるんです。顔はなんとかごまかせても、指はごまかしがきかないんですよね。開き直って雑に描こうものなら、作品全体の質が下がってしまう」
「そう、そう、そうなのでござる! いやまさか指の苦労を理解してくれるとはぁヒデキカンゲキでござるべし!」

 感極まって、目に涙を滲ませるトゲリンであった。

 アニメそのものは最終的にコンピュータで動かしているとはいえ、データ化するために相当量の絵を描いている。その努力が報われた思いなのだろう。

「漫画の場合は止め絵ですから、顔なんかはついつい得意な角度からばかり描いてしまって、それでもなんとなく作品になってしまったりもしますよね。でも、アニメはそうはいかない。確固としたデッサン技術がないと作れない。そういう意味でも、この絵は凄いです。それだけでなく、お話も楽しそうで。後はこれに音声を入れることで、作品に魂が入る。……この女性キャラたちの声を、あたしが担当すればいいんですね」

 敦子は微笑みながらも力強い真剣なまなざしで、自らの小さな拳をぎゅっと握った。

 その言葉に、
 その仕草に、
 その表情に、
 定夫は、ついに制作段階最終章に入ったのだなあ、としみじみ感じていた。

 感じているうちにだんだんと現実感が増していき、いつしか脂肪だらけの心臓は、どっくんどっくんと激しく高鳴っていた。
 そっと胸を押さえた。むにょんむにょんの、お相撲さんのような胸を。

 音、つまり効果音と、曲、声を入れれば作品は完成する。
 特に大事なのは、声。
 その良し悪しが、全体を左右する大きな要素になる。

 つい数時間前までは、不安いっぱいの定夫であったが、現在の彼にそうした気持ちは微塵もなかった。
 きっと、よい作品になる。
 確信めいた思いがあるばかりであった。

 作品を愛してくれそうな、そんな女性声優を求めていたところ、声優志望でアニメ好きの女子が目の前に現れた。
 これを神の采配といわずに、なんといおう。

 神でないならば、七天から見下ろしている吉崎かなえの霊力か。
 いずれにしても、よい作品にならないはずがない。

 あと少し。
 頑張るぞ。

 やるぞ!
 やるぞおおお!

 ヒーハーッ!
 ヒーッハーッ!

     6
「あ、あの、いいですか?」
「ははっ、ははひはいっ!」

 心の中でヒーハーヒーハー雄叫んでいた定夫は、敦子に話し掛けられていたことに気付き、驚いて肩を震わせた。

「すみません、ちょっと失礼します」

 なおもびくびくしている定夫の前で、敦子は立ち上がると、うーんと難しい表情を作りながら部屋の壁や窓を調べ始めた。

「窓枠の目張り、音漏れ対策ということなんでしょうけど、それはそれでいいんですが、この部屋じゃあまり声が反響しないかなあ」

 難しい顔のまま呟くと、くるり定夫たちへ向き直った。

「引越しでガラガラになった部屋って、とても音が反響しますよね。反対に、物があると、音を吸ってしまうんです」

 物、すなわちベッド、すなわち学習机、パソコン、テレビ、コンポ、エアコン、カーペット、テレビゲーム機、壁にかけた学生服、めかまじょ一号()(とり)()()()のフィギュア、「はにゅかみっ!」の、(こと)(のり)(こと)()のフィギュア、本棚の漫画本、雑誌、アニメDVD、CD。

「とりあえずはこのままで進めていって、でも最終的には大きなシートを壁に張ったり、机やベッドを覆っちゃいましょうか。または一日だけスタジオを借りちゃうか。シートも安くはないので」
「いひ、えやっ、おお、おれたちたちっ、ええ演技下手だからからっ!」

 拝むような片手を、顔の前でぶんぶんぶんぶん振るうレンドル定夫。
 言葉が聞き取れなかったのか、意味が理解出来なかったのか、敦子は黒縁眼鏡のあどけない顔に小さな疑問符付きの笑みを浮かべた。

「下手だから日数をかけて何千回でも録り直して、よい音声を選んで使おう。かような考えでいたのでござるよ」

 トゲリンが補足する。

「ああ、なるほどですねえ。そういうことでござるか。じゃあ、とりあえずのところ、これからも発声のトレーニングだけはしっかりやって、どうするかは結果で判断しましょう、ということで、いまのところ部屋はこのままでいいですね」

 そういうと敦子は元の位置へ戻り、座り直した。

「あたしの担当するキャラクターのこと、把握したいんですが。まずは主人公。どんなタイプの声にするか、もう一度、キャラの背景や関係性を整理したいので、設定資料を見せてください」
「あう、どど、どむどぞっ」

 定夫はいわれるまま、印刷した資料を両手に持って敦子へ差し出した。

 敦子は、定夫から受け取った資料をぺらぺらめくりながら、うーん、と唸った。
 眼鏡を外し、レンズを拭いて、眼鏡をかけ直すとまた、うーん、と渋い顔。

 ぽかんとしている三人の視線に気付くと、「すみません」と笑いながら頭をかいた。

「あたし一人では、『これしかないっ』って思える声がなかなか浮かんでこなかったので、考え込んじゃいました。……まず、主人公のほのかちゃんですが、どんな声にしましょうか」
「え」

 問いの意味が分からず、定夫はきょとんとした顔になっていた。

 誰だって、そうなるのでないか。
 現にトゲリンも八王子も、不思議そうな表情になっている。

 それはそうだろう。
 どんな声もなにもない。もうタイプは決まっているのだから。

 設定資料にだって、どんな性格なのかしっかり書いてあるわけで。
 ただそれに従って演じればいいだけではないのか。
 それとも演技の世界には、さらに進んだ、突き詰めた、なにかがあるというのだろうか。

 そんな彼らの表情、疑問を察したか、彼女はにこり微笑み、答えた。

「声の出し方、といっても、色々とあるんです。性格が明るい、暗い、無邪気、大人、子供、とか、そういう分け方でひと括りに出来るものではないんです。性格と年齢、顔のタイプ、それが分かれば声が作れる、というわけじゃないんです」

 分かったような、分からないような、いわれてみれば当然な気もするが、考えてみたこともなく……

 定夫も、他の二人も、頷くことすらも忘れて黙ってしまっていた。

 敦子はちょっと間を空けて、話を続けた。

「考えてみて下さい。世の中には同じような性格で、似た感じの容姿の人はいっぱいいます。声帯も同じようなものだとして、ならば声も同じはず、と思いますか?」

 八王子は、首をぷるぷる横に振った。

「そうですね。喋り方の癖、喉の使い方つまりどこから声を出すか、人それぞれ違いますよね。同じ声帯で同じ性格であっても、高く喋る人、ぐっと押さえた低い越えを出す人、ゆっくり喋る人、喉にこもるような発声をする人、お腹から突き上げるように声を出す人、逆に全然腹筋を使ってなさそうな人」
「分かったような」

 定夫。

「分からないような」

 トゲリン。

「お二人。レンドルさんと、トゲリンさんって、声の感じはまったく違いますよね。でも、たぶん声帯は似てますよ。声の出し方が違っているだけで」
「えひ?」

 そう、なのか?
 そんな似てないと思うが。
 いや、まったく似てない。
 でも、達人がいうのだから……

 似てないとは思うけど、
 ちょっと、試してみるか。

 定夫は、すぶぶぶっと息を吸い込むと、

「おっすオラトゲリン! 今日もコミケにバイセコー!」

 トゲリンのニチョネチャ声を真似して叫んでみた。なお台詞自体にはなんの意味もない。

「確かに、そっくりだ」

 と驚いている八王子の声を掻き消すように、

「失敬な! そんなニチニチした声などしていないでござる! しからば、それがしも……アニメ好きなだけでぇ、石ぃぶつけてくんなよう」
「そこまで暗い喋り方などしていないっ!」
「でも、似てるなあ」

 そんな三人に、敦子はにっこり微笑んで、

「分かりました? 声は、声帯だけじゃないということなんです。周囲環境、歴史、縦の繋がり横の繋がりで、いくらでも変わってくる」
「いや、おみそれしたでござる。あれ、違うな」

 八王子が、トゲリンのニチョニチョ声を真似しようとしてみるが、まったく似ていなかった。

「単なるこだわりかも知れませんが。あまりに細かいところまで意識しても、実際の発声にまったく影響はないかも知れない。でも、常にたくさんのことをイメージしておくことで、演じる際に無意識に滲み出てくるものが絶対あるはずなんです。と、あたしは信じています。……では、とりあえず、キャラごとにいくつかの声を考えて、それぞれを当ててみましょうか。まずは、主人公の台詞ですが……」

 と、敦子はあらためて台本を開きめくって、声の確認に使えそうな台詞を探し始める。

「つっ、ツンデレで」

 ごくり唾を飲みながら、個人的な趣向性癖を解放するトゲリンであった。

 隣でも、ごくり唾を飲む音。
 定夫である。
 身体を震わせながら、両の拳をぎゅっと握り締めている。

 これからいよいよ本格的に音声収録への挑戦が始まるということに、覚悟を決めると同時に、襲う緊張や重圧と戦っていたのである。

 同時に、今日という日を忘れぬよう心の奥に日付をカリカリ書きとめていた。

 何故ならば、ついにこの部屋に、生身の、2Dの、リアリアリアルじょじょじょじょじょしじょじょっ、
 いやいやいや、そうではなくっ、

 スピーカーからの音ではない本物のアニメ声が、初めてこの部屋へとやってきた日だからである。

 それにより自分のアニメ作りの情熱が再度高まり、そして改めて、自分はアニメや声優が好きなのだと再確認させられることになった日だからである。

 さあ、やるぞ。
 アニメ制作の、最終章だ。

 絶対に、後世に残るような名作を作り上げてやる。

 定夫は、熱い闘志を燃やしていた。これで脂肪も燃えてくれたら、というほどに、静かだが熱い熱い炎であった。 

 

第六章 オールアップ

     1
 上手い。

 (さだ)()は、(さわ)(はな)(あつ)()の技術力に感心していた。
 動画に、ピタリ一発で声を当てはめてしまう、その技術力の高さに。

 先ほど、無声のまま一通りを見せてはいるが、だからといって誰でも簡単に出来るものではない。

 タイミングだけでなく、演技力も完璧だ。
 抑揚もしっかりしており、キャラの表情に頼ることなく声だけで喜怒哀楽とその度合いが分かる。

 定夫は常々、いわゆるジャパニメーションにおいて声優の抑揚こそが一番大切なものであると信じている。
 大袈裟過ぎるほどのメリハリを付けて喋らないと、むしろ違和感はなはだしいものになってしまうものなのだ。

 素人声優に対して常々そうした不満を感じている定夫であるが、しかし沢花敦子に関しては、そのような心配はまったくの無用であった。

 プロ顔負けの演技力。
 この部屋にもついにじょじょじょっ、とかそういうこと関係なしに、純粋清らかな感動が、定夫の胸に生じていた。
 まあ、そういうことに関係ある感動も、あるにはあったが。

 ともかく、「これは」と間違いなくいえること、
 それは、



「うるさいぞ、惚笛(こつぶえ)! 全然反省しとらんな! 次の関《せき》先生の時間も、ずっと立っとれ!」
「えーーーーーっ」
「惚笛、手、大丈夫か? 重いだろ」
「ありがとうございます。なんとか、まだ、耐えられそうです」
「しかしお前なあ、ほんと最近遅刻が多いぞ。そりゃあ怒られるって」



 それは、
 定夫たちの、高揚感。
 自分たちの演技は相変わらずの酷さであったが、主人公の声が決まったことにより、そしてその声優が抜群の演技力を発揮してみせたことにより、定夫の中で張り合いが生じていた。

 おそらくトゲリンたちも、同じ気持ちでいるのだろう。
 同じネチョネチョ声でも、なんかよりツヤがかかっているとでもいえばいいのか。

 沢花さん、凄いな。
 声優志望、卵、というだけで、ここまでハイレベルの演技が出来るものなのか。
 それとも反対に、そういう方面への能力がもともと高く自信があるからこそ声優を目指すことになったのか。

 分からない。
 分からないけど、
 分からないけどっ……



「お前たちって、なんでそう三人集まると、どうでもいい話しかしないの?」
「どうでもよくない話って、なんですかあ」
「例えばさあ、進路のこととかあ。恋愛の話とかあ。えっと、あとなんだ」



 ユニヴァァァァァァス!
 これこそ、アニメの声だ!
 そう、アニメとはかくあるべし!

 愚民どもよ、聞けい。
 心して聞けい!

 アニメ声というのは、アニメがあるからアニメ声か?
 否である!
 千年前、一万年前、一億年前に生まれていようとも、アニメ声はアニメ声なのだ!
 ビッグバンで宇宙が創生された時からの、永遠の法則なのだ!



「告白しちゃえば、いいんじゃないですかあ?」
「んな正直にいえるわけないだろ」
「いつもひねくれているんだから、こういう時くらい素直にならなきゃあ。わたしが伝えてあげますから」



 しかし凄いな、沢花さん。一人で何役もの演じ分けが出来ているし、一役一役にしっかり魂が込められているのが分かる。
 素晴らしい演技だ。

 見習えい!
 優れてもいないのに声()などといわれているバカ者ども!
 見習う気が毛頭ないのなら、せめて声劣といいかえろ。

 ……などと心に吠えてみるものの、自分たちがまさにその声劣なわけだが。

 定夫は、ちらと沢花敦子の横顔を見た。
 台本を片手に、完全に入り込んでいる彼女の真剣な顔を。
 黒縁眼鏡に、ちょっとニキビやソバカスが目立つという程度の、他に特徴という特徴のないどこにでもいそうな、ごくごく地味なその顔が、なんだかちょっぴりほんのりほんわか天使に思えてきた山田レンドル定夫、十七歳の秋であった。

     2
「沢花さん、やっぱり別録りにする?」

 休憩の最中に、八王子が不意に敦子へと尋ねた。

「ああ、はい、それでお願い出来ますか? まだまだ修行の身。感情移入には、妥協したくないですから」

 なんの話かというと、もちろん吹き替えの話であるが、複数キャラを同時に吹き替えてしまうのか、それともキャラごとに一回ずつ吹き替えて重ねていくか、どちらにするかということだ。

 先ほどは担当全キャラ並列で器用に吹き替えていた彼女であるが、本番ではもっとしっかり魂を込めたいということなのだろう。

 野菜のような名前の宇宙人が主人公の格闘冒険アニメの担当声優のように、まるで混乱することなく楽々と複数キャラを演じられる神のような人もいるが、彼女にはまだそこまでの経験も自信もないし、別録りにすることで、しっかり感情移入をしているんだという自覚を持ちたいのだろう。

 沢花敦子のプロ顔負けのこだわりに、地味ながら清々しい感動が熱く全身の血管をめぐる定夫であった。

 その清々しい感動を、興奮したようなネチョネチョ声がすべて吹き飛ばした。

「さ、さわっ、あ、敦子殿っ! これ、このイラストの声っ、なんかっ、アドリブでっ」

 がさごそバッグから取り出したノートを広げると、なにやら鉛筆描きの女性のイラストが。
 水着アーマーを着て、大刀を背中に佩いた女戦士が、荒野の中、巨岩に腰掛けている。すぐ横には、ボールのような毛むくじゃらの妖精。

 沢花敦子は難しい顔になって、うーんと考えたが、整いましたとばかりすぐ笑顔になると、抑えた低い声で語り始めた。

「わたしの名前はオーロラスカイ。アリフェルドを旅する女剣士だ。このもさもさしているのが、相棒のモーラ。神にいたずらしてこんな姿だが、もと人間、わたしの幼馴染だ。今日ここに……しっ、モーラ、どうやらきたみたいだぞ。覚悟? とっくに決めているさ。神殺しになるか、神に殺されるか。サイはもう投げられている。いい目が出ていると信じて、進むだけさ」
「おーーっ!」

 拍手喝采の三人。

 ただ定夫はそれよりも、トゲリンが沢花さんを下の名前で呼ぶことにチャレンジしてみていることの方が遥かに気になっていたが。青春、一歩リードされたみたいで。

「魂入ったああああ!」

 トゲリンは自筆イラストを高く持ち上げてネチョネチョ声で絶叫した。

「では敦子殿っ、これはどうだっ」

 八王子も、トゲリンの真似をして敦子殿。
 床に置かれているアメアニ最新号を手に取り広げると、豹の毛皮を着たぼさぼさ髪の野生少年キャラを指差した。
 深夜の五分アニメ「ともアニマ」の、ギャチンパだ。

「あーあーだ、あーあーっ暇だ。おっ、これはなんだっ。おいっ、ムイムイ、なんか落ちてるぞ。人間世界の、ガラスとかいうのの入れ物に、赤い砂が入ってる。綺麗だな。食べ物かなあ。オラちょうど腹ァ減ってたから丁度い……ウギーーー、口の中が焼けたアアアア!」

 少年役もかなり器用にこなす敦子であった。

 先ほどは、声を低くすることで渋い女性キャラを演じたが、今度はもっと声は高く、少しガラガラさせることで男の子であることを上手く表現している。
 なるほど、声が低いから男の子、ではないのである。

「おーーーっ」

 トゲリンと八王子が拍手をしている横で、山田レンドル定夫は一人ドギマギ焦っていた。
 順番からして、次は自分がお題を出さなければならないのではと思って。

 な、なにを出せばいい。
 というか、どう喋りだせばいいんだ。
 迷っていても仕方ない。
 くそっ、やってやる。

「ではっ、あ、あつ、あつ、あつっ、あつ、あつ、ちょっちゅ、ちょっちゅ」

 トゲリンや八王子のように冗談ぽく敦子殿と呼ぼうとするが、つっかえつっかえで言葉にならず。
 焦りが焦りを呼んで、すっかり頭は真っ白。
 適当に床を這わせていた手が、ベッドの下にある本のようなものに触れた。

「これはどうでござる!」

 何故かトゲリン語で叫びながら、その表紙を敦子へと突き出した瞬間、手にしたそれが女子に見られてはいけない類の雑誌であることに気付き、びっくりして目玉が飛び出しバリンと眼鏡レンズを突き破った。

「まおおーーっ!」

 定夫は必死に隠そうと雄叫びをあげながら、手にした本を身体の中に巻き込むようにして回転レシーブよろしくごろり床に転がった。

 ボギリ。

「手ギャハイヤアアア!」

 以前に不良生徒に蹴られねじられ、バレーボールのスパイク直撃を受け、ようやく治りかけていた手に、肥満した自らの全体重をかけてしまったのであった。

     3
 落ち着かない。
 落ち着きがない。

 そわそわ、そわそわ。

 パソコンに繋がっていないマウスのボタンを、意味なくカチカチ押したり。

 肩を左右に揺らしたり。

 落ちたフケを下敷きで集めたり。

 鼻毛を抜いて数えたり。

 逆でもなんでもないのに、言葉の頭に「ぎゃ、逆にいうとっ」などと無意味に付けてしまったり。

 なぜ落ち着かないのかというと、理由は明白。
 沢花敦子と二人きりだからである。

 女子と二人きり、しかも自分の部屋、という生まれて初めての体験に、定夫は興奮し、緊張し、すっかり落ち着かない精神状態に陥ってしまっていたのである。

 ここはアニメ制作本部である、山田定夫司令官の自室。

 沢花敦子が声の収録のために仲間に加わってから、はや数日が経過していた。

 八王子は池袋の本屋へ行くため、今日はここへこられない。
 トゲリンは、用事を済ませてからくる予定。

 つまり、現在この部屋にいるのは、定夫と敦子の二人だけ。

 壁を破壊して部屋を拡張して構わないなら、その壁の向こうに現在もう一人いるはずだが、代わりに定夫が地球の果てまで吹っ飛ばされることになるだろう。

 つまり、やはりここには二人きりで、そうである以上は興奮緊張してしまうのも仕方ないのである。

 仕方ないといっても、対する敦子の方はそんな心の機微とは一切無縁のようで、先ほどから学校の制服姿で床に正座して、パソコンモニターに映るアニメ動画をじーっと観ている。

 彼女にお願いされて定夫が再生したものだが、なんでも自分の演じるキャラをもっと理解したいためとのことである。

 これで何度目の観賞であろうか。
 その都度、定夫はびくびくしてしまうのだが。

 敦子が仲間に入ってからまだ日も浅く、役割としても声のみの参加。他人、という関係では既にないものの、少し離れた存在であることに違いはない。

 という関係性の彼女に、自分たちの作ったアニメをじーっと観られているということが、どうにもダメ出しされているような気がしてしまって、つい緊張してしまうのである。

 まあ定夫の場合は単に、じょじょじょっという緊張の方が大きいのかも知れないが。

 さて、パソコンに映っていた動画の本編部分が終了して、黒い背景にスタッフ紹介の字幕が表示されている。

 音は無い。
 完全な無音である。

「うーん」

 敦子は正座したまま、腕を組むと首を小さく捻った。

「ど、どどどむっ」

 作画や演出のダメ出しでもされるのか、と、焦る定夫。
 敦子はハッと我に返ると、笑みを浮かべ、

「あ、あ、すみません、また、あたしの中のほのかが、少し変化したなあと思って。でも、どこが変わったのか、言葉に出来なくて、考えてしまってたんです。……マイクを前にすれば分かるかも知れないので、後で録り直してみてもいいですか?」
「わ、わ、わかっ、分かたぬん」

 ダメ出しでなくてよかった。定夫は脂肪まみれの胸をなでおろし、頷いた。

「ありがとうございます。ああ、それと、一つ気になったことがあるんですが」
「な、なな、なな、なにがでしかっ」
「もしかしたら、失礼なこと聞いちゃうかも知れないんですけど。……オープニングは、曲も歌もしっかりしてて、作画もキャラは可愛らしく演出も凝ってて、とても力が入っているのを感じるんですが、どうしてエンディングはこのように地味なんでしょうか?」
「んぬ? あっ、ああ、ああ、ももっ、そそっ、そるは単に、うう歌をっ作る能力が、我々に、ないから。……オップ、オプニングは、人から貰えたものだし、きょく曲へのっ感動がアニメをつつつる作るきっかけ、原動力になり、ひっ必然、気合の入った出来になったのだが」
「ああっ、そういえば以前に教えてもらいましたね、その経緯」

 音がない以上は、なにか小細工をするよりは、開き直ってあえて地味にすることで、手作り感、アマチュア作品としての味が出るのではないかと定夫たち三人は考えた。
 要するに、苦肉の策なのである。この、無音でテロップのみというのは。

「つまり、ちゃんとした歌があるなら使いたい、ということですか?」
「ま、まあ、まあっ、そそそそそそそれはっ」

 エンディングテーマがあった方が、より作品は引き締まるに決まっている。

 OVAなども黎明期を除いては、わざわざ三十分ものの尺で分割して話を作り、それぞれにオープニングにエンディング、アイキャッチ、次回予告、とわざわざテレビアニメ風に仕立てているくらいなのだから。

「だったら……」

 敦子は顔を赤らめ、ちょっと恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

「こ、こんな歌はどうかな、というのがあるんです。たまたま、ほのかのエンディングとして合いそうな歌が」
「え。うっ、うっ、うた?」

 豚といわれたと思ったわけではない。
 聞き取れていたが、返す言葉が浮かばず聞き返しただけだ。

「はい。……あたしが中学生の頃に、作ったものなんですが」

 なおも恥ずかしそうな顔の敦子、自分の携帯電話を操作してメモ帳アプリで自作の歌詞を表示させると、定夫へと渡した。

「べったべたの、クサい歌詞なんですけど」

 敦子は照れたように笑う。

「でで、でではでは拝見」

 携帯画面に表示されている歌詞に、目を通していく。
 女子の携帯に触っていることにドキドキしながら。



『そっと目を閉じていた
 波音ただ聞いていた

 黄昏が線になって
 すべてが闇に溶け

 気付けば泣いていた
 こらえ星空見上げる

 崩れそうなつらさの中
 からだふるわせ笑った

 生きてくっていうことは
 辛く悲しいものだけど

 それでも地を踏みしめて
 歩いてくしかないよね

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 もう迷わず

 輝ける場所がきっと
 待っているから

 星は隠れ陽はまた登る
 暖かく優しく包む

 永遠の中

 出会えたこの奇跡に
 どこまでも飛べる きっと』



 確かに、本人のいう通りクサさい。
 クサいというか、単なる直球ストレートというべきか。

 内容としては、人生の応援歌であろうか。

 ひねていない。
 敦子殿らしい、嫌味のまったくない素直な詞だ。

 我々の作るアニメは、古く懐かしいものを最新のセンスで作る、ということを目指している。そう考えると、これは確かに良いかも知れない。
 この歌詞が、一体どんなメロディに乗るのだろうか。

「あ、あのあのっ、きょ、曲はっ、どどっ、どどっ」
「ああ、そうですね。……ちょっと恥ずかしいけど、ここで歌ってみてもいいですかあ?」
「ど、どっ」

 定夫は頷いた。

「メロディは繰り返すだけなので、一番だけ歌います。……では、行きます」

 そういうと敦子は、腕を小さく振ってリズムをとりながら、歌い始めた。
 敦子っぽくない、ちょっと低めの声で。

 定夫は、携帯電話に表示されている歌詞を見ながら、その歌声を聞いた。

 なんといえばいいのだろうか。
 この懐かしい感覚を、なんと表現すればいいのだろうか。

 バラードはバラードなのだが、昔のアニメ的というよりは、
 なんだろう。
 そうだ、合唱コンクールの歌のような、とでもいえばいいだろうか。
 ゆったりとして、奇をてらわない、シンプルなメロディライン。

 普段は高くほんわかした声の敦子であるが、この歌に合わせてということなのか低く抑えており、それがメロディに深みをもたらしいてる。
 うっとり聞き惚れている間に、歌が終わっていた。

「お粗末でしたあ」

 アカペラが終了し、高い地声に戻って恥ずかしそうな笑みを浮かべ頭を下げる敦子であったが、すぐその顔に疑問符が浮かび、小首を傾げた。

「あ、あのっ、どうかしました?」

 ガタガタブルブルと震えていることに対してであろう。定夫の肩が、全身が、そして黒縁眼鏡のフレームが、傍目にも分かるくらい激しく。
 敦子の問いに、ようやく定夫は口を開き、震える声を発した。

「すすっ、すっすっ、すっすっ、凄いっ。ぎゃ、逆にっ、逆に凄いっ」

 なにが逆なのかは分からないが、感動に打ち震えていることに違いはないようである。と、そんな彼の反応に、敦子は改めて照れたように笑い、頭を掻いた。

「いやあそんな、ただ自分で歌を作ってみたというだけで、ええと編曲っていうんですか、カラオケみたいな、ああいうのはないんですけど」
「かっ、きゃっ、かっ、構わないっ! つつっ作ろう、このこの曲きょくっ、絶対にいい! つつっ使いたい! ……どっどどどどうにかして、へへ編曲を、したいところであるが」
「こんな感じかなーという伴奏の音色は、頭の中にはしっかり入っています。譜面に起こすことくらいなら、出来ると思います。以前に、ちょっとだけかじっていたことあるので。といっても楽器は全然ひけませんけどね。小さい頃にピアノを習っていたくらいで」
「なら、う、う、打ち込みで、やろう。あ、あつっ、あつっ、あう敦子殿にががが楽譜だけ、作ってもらっれ、うち打ち込みじぇ。八王子が、コンポーザーソフト、もも持ちてるっ」
「なんですか、それ」
「かっ簡単にいうとっ、るいるいっ、音楽を、プログラム演奏させさせるソフト。八王子、『はにゅかみっ!』のパッションエブリデイとか、みっ耳で聞いてコピーして打ち込んで、かっかなり忠実だったし、そ、そ、そ、それだけでなく、きっ器用にアレンジなんかも、していたし。ああ後でほほっ本人に相談して、みるけど、おっおそらく技術的には問題ないかと」
「うわ、凄いんですねえ、八さんって」
「たたたた確かに。パ、パッコン使わない創作系は、おれ同様に、てんでダメだけど、パソコン使ってのての作業だと、一人でなななんでもハイレベルでこなしてしまうところはある」
「期待大ですね。引き受けてくれるといいなあ」
「それで、歌は、あ、あつっ、あつ、あつっ、あつっ、敦子殿っががっ歌う、と」
「え? あ、あ、あたしがですかあ?」

 曲を提供するだけのつもりだった。ということなのだろう。

「さっきの歌、上手だったし、もっ問題ない、思うけど。主人公の、声優でも、あっあるわけで」
「うーん。それじゃあ、挑戦してみようかなあ。ちょっと緊張しちゃいますね。……あのお、実は曲だけじゃなくてえ、エンディングの映像も頭に浮かんでいるものがあるんですよね」
「映像?」
「はい。モノクロ水彩画の止め絵で、なにか着ているのか裸なのか分からないような、シーツにくるまったほのかが丸くなって眠っているんです。でも最初はアップで、なんの映像か分からなくて、ゆーっくりカメラが回りながら引いて、だんだんと全体が映っていくような。あ、あの、は、裸といっても、全然いやらしい感じじゃないですからね」

 敦子は顔を赤らめ、笑った。

「かか、かか、かなり合う気がっ、するな、さ、さっき聞いた歌の、イメージにっ。でででは、では、その絵は、トゲリンに依頼しよう。水彩で美少女をかか描いてみたいとかとか以前いってたたら、きっとやってくめるかとっ」
「はあ、凄いんですねえ、トゲさんも」
「まっ、まっ、まっ、まっその」

 八王子とトゲリンばかりが褒められて、ちょっと傷つく定夫。だから田中角栄の真似をしているわけでもないが。

「労力的にも、お二人には大変な作業を強いることになっちゃいますね。あたしに画力とか楽器ひく才能とかあれば、あたしがやっちゃうんだけどなあ。残念ながら、そういうのさっぱりなんで」
「へ、へけっ、編曲はっ、コピープーストも多いし、作業が波に乗ってしっしまえば早い、とか以前に八王子がいてたっ。絵も絵で、止めだから、い、一枚描いてもらえればいいし。とは、とはいってもっ、トゲリンのことだから、相当にきっ気合を入れたもの描いてしまいそうな気も、す、するするけどっ」
「監督のレンさんと、三人組とも凝り性だから、あそこまでの作品が出来たんですものね」
「いや、おれなんか、ぜ、全然で。‥‥でも、でも、エ、エンディングの、アイディア、出してくれたことは、た、たつ、たたっ、助かたっ。確かに、字幕だけのエンディングの味気なさ、いいのだろうかという、複雑な気持ちもあったから。な、な、な、なんか、これで、すべてのピースがかっ噛み合いそうな、気が、するよ」

 定夫は脂汗いっぱいの顔面を、ティッシュで拭った。

「そういっていただけて、ようやく少しだけお役に立てた気がします、あたし」

 敦子はちょっと嬉しそうな表情で、ふふっと笑った。

     4
 いっちにっ、
 いっちにっ、
 いっちにっ、
 いっちにっ、
 ふぁいとっ、
 ふぁいとっ、
 いっちにっ、


 河川敷沿いのサイクリングコース兼散歩道を、四人はジャージ姿でジョギングしている。
 このような程度の運動負荷をジョギングといえるのならば、であるが。

 定夫、
 トゲリン、
 八王子、

 へとへとばてばて、ぜえはあぜえはあ、数秒後にでも死んでおかしくない苦しそうな表情。
 酔っぱらいのような千鳥足のため余計に体力を消耗しているようにも見えるが、さりとてどうしようもないのだろう。

 しかし酷い走りである。
 疲れているということは鍛えられている。とでも思わねば、とてもやっていられないレベルだ。

 唯一まともなのは、先頭を走る(さわ)(はな)(あつ)()だ。
 一人元気に、大きな声を発している。
 先ほどの掛け声は、ほとんどが彼女によるものだ。

 十メートルほども先行した彼女は、くるり後ろを振り返ると、もも上げをしながら、

「いい作品、作りたくないんですかあ!」

 ぶんと両腕を振り上げた。

「そ、そりゃあ……」

 ふらふらひらほれ朦朧とした意識の中で、定夫は口を開こうとした。
 しかし口の中が粘っこくなっており、疲弊しきった現在の筋力で開ききること容易ではなかった。

 普段は、誰に聞かれずともアニメの話をぺらぺらぺらぺら、ゾンビ並みに口の筋力だけは発達しているのではないかという定夫なのだが。

 そ、そりゃあ、作りたい。

 口が開かない代わりに、心の中でツィッター。

 作りたいけど、
 しかし、死んだら作れない。
 休まねば。
 せめて少しだけでも休まねば、多分そろそろ心臓が止まる。間違いなく、カウントダウンは始まっている。
 心臓が止まったら、たぶん、死ぬ。「気づいたらゾンビになってましたザデッド」の(なか)(じよう)(ゆき)()()でもない限り。

「すっ、少しっ、休ませて、くれ、敦子殿っ」

 定夫は、はあはあひいひいの中、なんとか懇願の言葉を絞り出した。

 「敦子殿」が出たついでに説明しておくが、
 定夫の言葉がつっかえつっかえ聞き苦しいのは、疲労に息切れしているからであり、敦子に対してのお笑いメガトン級な喋りの固さは、この一週間でかなり取れていた。

 トゲリンたちのように敦子をなんとか下の名前で呼ぶことが出来るようになってからというもの、好きなアニメを語り合うなど雑談も増え、とんとん拍子とまではいかないもののわずか数日間で普通に喋れるようになったのだ。

 普通に喋る、といっても一般人健常者的な普通ではなく、あくまで素の自分を解放出来るようになったというだけのことであるが、出会ったばかりの時の喋り方を思えば格段の成長であろう。

 だが、
 しかし、

 同じ高校に通う女子生徒と話せるようになったことによるわくわくライフなどは、これっぽっちも待ってなどいなかった。

 最初はちょっぴり期待したけど、その期待は一瞬にして蹴り砕かれた。

 声の担当になった敦子の指導が、かなり厳しいのだ。
 鬼コーチなのだ。

 演技指導は勿論のこと、なにより辛いのがこの体力作り。
 腹から声を出すためにも、そして息切れしない声を出すためにも、最低限の体力はなければならない、という考えのもと、その最低限の体力をつけるのが目的だ。

 最低限、であり、敦子にしてみればそれほどのことはしていないのだろう。
 だがそれ以上に、定夫たちに元々の体力がないのだ。
 だからこその体力作りなのであるが。

 しかし、
 ほんの一分走っただけで死にそうなのに。
 自宅から遥々と川まで行って、土手を走って、戻ってくるなど、正気の沙汰じゃない。
 休ませてくれ……
 でないと、死ぬ。

 
 いっちに、
 いっちに、
 いっちに、
 いくぞお、おーっ


 相変わらず、元気よく声を出しているのは敦子だけで、残る三人は、


 ひっひはいいあああ、
 いっひひゃっひ、
 いっひりっひゃ、


 親が見たら泣きたくなるであろう、実に情けない有様だった。

「があ、あ、あつっ」

 敦子殿はっ、はしりる、走れる、から、いいけど……
 くそ、喉が焼ける……

 敦子は、声優を目指すためにジョギングと筋トレを日課にしているくらいだから、しっかり走れるのは当然というものだろう。日々の努力が偉いわけであり、ズルイとは違うのは定夫にも分かるが。

 とはいえ別に彼女もアスリートを目指しているわけでなし、やはり定夫たち三人があまりにも酷いというのが、この能力差を生み出している主要因だろう。

 酷いのも当然である。なにせ定夫たち三人は、CDケースを持ったり、USBメモリを挿し込んだり、リモコンのスイッチを押したり、せいぜいそんな程度にしか自らの筋肉を使ってこなかったのだから。

 苦しいのも、走れないのも、千鳥足なのも、当然なのである。

 敦子の指導による体力作りを始めてから、もう一週間。少しくらいは体力がついているのかも知れないが、回復しないうちに翌日のトレーニングを迎えるものだから、ぱっと見には日々酷くなってさえ行く有様であった。

「しょうがないなあ」

 また敦子は振り向いて、しばらくもも上げを続けていたが、三人が右に左にふらふらしているだけで一向に近寄ってこないことに、諦めたか動くのをやめた。

「じゃあ、ちょっと休憩しますか。それから、ついでというわけじゃないけどここで発声練習をしましょう」

 と、女神様から救いの言葉が投げ掛けられた、その瞬間である。

 三人の男たちは同時に、路上にぶっ倒れていた。
 頭から。
 ごちっ、と凄まじい音を立て、額をアスファルトに打ち付けていた。

 受け身を取る体力すらも、残っていなかったのである。
 痛みを感じる体力すらも、残っていなかったのである。

 定夫はごろり上を向くと、大の字に寝転がった。
 トゲリンも、八王子も、同じようにごろり。

 ぜいはあ、
 ぜいはあ、
 はあ、
 はあ、
 はあ、

 広がる空を見上げ、いつまでも苦しそうな表情で酸素を求める定夫たち。

 はあ、
 はああ、
 ぜいぜい、
 ぜい、



 ……そして十五分の時が経過した。



 ぜいぜい、
 うおお、
 はあ、
 はあ、はあ、
 がああ、
 ぜいぜい、
 ぜい、

「いい加減、回復してくださあい!」

 青空の下に、敦子の怒鳴り声が轟いた。

「いつまでぜいはあやっているんですかあ。三人とも、体力なさすぎですよお」
「あ、あ、あと、三十分」
「ダメですっ。あと三十秒にしてください!」

 鬼であろうか。
 三十秒間、精一杯ゼイハアした定夫たちは、観念し、よろけながらなんとか立ち上がった。
 相変わらず足元ふらふらで、肩を大きく上下させている状態であるが。

「ここまで回復しないほどスタミナがないのに、よく最初の一分で倒れませんでしたね。というか、よく最初の一歩を踏み出すことが出来ましたね」
「ア、ア、アニメ作るんだ、って、頑張って、しまったから。後さき考えず」

 息切れ切れ八王子。

「あ、あ、後さき考えて、ささ、最初の一歩で、倒れておけばよかったでござる」

 ト、ト、トゲリンも息切れ切れだ。

「だから、そうならないよう、しっかり鍛えて下さあい!」

 というと敦子は気を取り直した様子で、道路脇にあるコンクリートの階段を降り始めた。
 散歩道から河川敷へ入り、舗装路を歩いて川の方へ。

 ふらふらと、三人も続く。
 舗装路を外れ、草を踏みつけ、川の流れぎりぎりのところで、敦子は立ち止まり、くるり振り向いて定夫たちと向き合った。

「それじゃあ、発声練習を始めます。お腹に両手を当てて。はい! フフフフフ!」


 フフ フフフ、
 フフ フフ フー、
 フー、


 疲労が抜けておらず、へろへろだ。

「もっとしっかりと、お腹から声を出す! フフフフフ、はい!」

 敦子はぽんぽん手を叩きながら、三人の前を行ったりきたりしていたが、
 不意に定夫の前で、足を止めた。

「はい、続けて、フフフフ」

 いいながら、ゆっくりと手を伸ばして、定夫のむにょんむにょんのお腹に手のひらを当て、ぐっと押した。
 ゆっくりと手を引いた、その瞬間に、拳を突き出していた。
 腹にズブリめり込んで、ぐほごほっ、と定夫はむせ返った。

「お腹が全然動いてません! レンさんお腹を使っていないから、跳ね返せなくて、そうなっちゃうんです! 声は腹式で! これ出来ると、出る声がまるで違ってきますから。しっかり意識していきましょう! 分かりましたか?」
「イーーッ!」

 定夫は右腕振り上げ奇声を張り上げた。
 なお、いまさらではあるが、レンさんとは定夫のことである。山田レンドル定夫、のレンさんだ。

「トゲさんもっ!」

 ズドッ!

「グハでござるっ!」
「八さんもっ!」

 ズドン。

「ぐぶう!」
「みんな、もっとお腹を使って! じゃあ次は、ハッヒッフッヘッホッ、でやりましょう。ハッヒッフッヘッホッ! はい!」


 ハッヒッフッヘッホッ、
 ハッヒッフッヘッホッ、
 ハッヒッフッヘッホッ、 


「お腹をよおく意識して。ハヒフヘホは腹筋使いますからね。自宅でもよおくトレーニングして、自分の身体に覚えさせて下さい。考えるんじゃなくて感じて下さい!」


 ハッヒッフッヘッホッ、
 ハッヒッフッヘッホッ、
 ハッヒッフッヘッホッ、 


「終了! では次、あめんぼあかいな。はいっ!」


 あめんぼあかいなあいうえお
 うきもにこえびも……


「舌自体はだいぶ柔らかく、回るようになってきましたね。滑舌、とてもよくなってきましたよ。……あとは、やっぱり腹式呼吸かなあ。……はい、では腹筋運動しましょう。みなさん、寝っ転がって下さい。あたしの真似をして、こんな感じに」

 四人、川に足を向けて、横ならびに寝っ転がり、後頭部で両手を組んだ。

「開始っ! はい、いーち!」

 ぐいー、と上体を起こすのは、敦子だけであった。
 定夫たちは、顔を真っ赤にしてうんうん唸っているばかりで、ぴくりとも上半身を起こすことが出来なかった。
 敦子にしてみれば、冗談なのか、というところであろうか。

 しかし、冗談ではなかった。
 いくら待てども、彼らはただの一回すらも上体を起こすことが出来なかったのである。

「うーん。……どうしても起き上がれないのなら、うつ伏せになって腕立て状態を維持、でもいいです。では、やってみましょう。あたしの真似をして下さい」

 敦子は、仰向けに寝転んだ姿勢から、くるり身体を反転させて、腕立て状態を作った。
 三人も、真似をする。ただ身体を反転させるというだけでドタンバタンかなり大変そうであったが、なんとか腕立ての姿勢になった。

「そう、そのままそのまま。こうしているだけでも、少し腹筋を使うでしょう?」
「ぐおおお!」
「ぬはあっ!」
「ぐーっ、ぐうーっ」

 少しどころか、相当腹筋にくるようで、五秒ともたず潰れてしまう三人であった。

「みなさんしっかり! 千里の道もなんとやら。もっともっと鍛えて、立派な腹式呼吸を身につけましょう! それでは腕立て腹筋もう一回っ、行っくぞおおお!」
「ぐむおおおううう」
「ぎゅぎゅるりぎゃあああ!」
「ひびいいい!」

 定夫は、ぎゅぎゅるりぎゃあなどと意味不明の絶叫を放ちながら、そして疲労と苦痛に半ば朦朧としながら、残る意識の中、考えていた。

 これは果たして、有意義な時間の使い方なのであろうか。
 ここまで肉体をいじめ抜くことに、なんの意味があるのだろうか。

 分からない。
 それは分からないけれど、
 でも、
 やらなければ、始まらない。
 始まらなければ、始めなければ、なにも成せない。

 だから、やるしかないんだ。
 やるしかないのならば、やるぞ。

 おれは、やるぞ。
 それがきっと、夢へと繋がる。
 ザ・アニメ!

「レンさんっ! 表情だけなんだか満足げになってて、お腹ついて休んじゃってますよ! さぼってる罰で、レンさんだけあと三十秒!」

 ぎゅぎゅるりぎゃあ!

 現実に戻され悲鳴絶叫の定夫であった。

     5
 それからさらに二週間、
 沢花敦子コーチによる過酷なボイスアクタートレーニングは、一日の休みもなく続いた。

 小学校四年生程度の運動負荷のどこが過酷か、と思われるかも知れないが、もとがあまりに軟弱なので。

 三途の川を渡る寸前といった必死の形相で特訓を続けた割には、三人の体力はさしたる向上を見せなかった。

 しかし、多少はよくなったことと、発声のコツをそこそこ掴めてきたこともあって(少なくとも最初よりは格段の進歩)、いよいよ本格的な吹き替えを開始することになった。


 何日かけてでも納得行くものにしたいということと、慣れ親しんだ環境の方が緊張しにくいだろうという理由で、スタジオは借りずに定夫の部屋での収録である。

 声が反響しやすいよう改良した部屋で、積まれた段ボール箱に置かれたマイクを四人で取り囲み、パソコンモニターに映るアニメの動きに合わせて、声を吹き込んだ。

 何日も、何日も、かけて。

 敦子は、主人公を含め自分の担当するキャラの音声を一日で完璧に録り終えていたが、男性声との掛け合い部分は、みんなに付き合って何回も新たに録音をした。

 収録を続けていくうちに、敦子の中でキャラへの新たな気付きも生じて、彼女だけのパートを録り直しすることもあった。

 音響監督は定夫のはずであったが、いつしか敦子が完全に監督。妥協を許さぬ姿勢でリテイクの嵐。

 リテイク、リテイク、演技指導、リテイクという日々を、彼らは送るのだった。

 学校の休み時間には、みんなで生徒の観察をしてリアルな学生を追求し、アニメにも共通する感覚についてを話し合って、
 学校帰りには、神社を見学して、神社の空気を感じ、
 そしてついでに必勝祈願。



 素晴らしいアニメが完成しますよーに!



 定夫の部屋で、あらためて反省点や勉強したことを話し合い、本日の吹き替えに挑み、リテイク、リテイク、演技指導、リテイク。
 一つの台詞について、五百回以上は録り直しをしたであろうか。

 同時進行でもう一つ大切な仕事が、エンディングテーマ曲の作成である。

 敦子が作詞作曲し楽譜に起こしたものを、八王子がパソコンに打ち込み、オケを作り、敦子が吹き込む。
 納得いかず、二人で何度、曲の修正や歌い直しを行っただろう。

 そんな日々を送るうちに、さらに二週間、三週間、と時は流れ、
 ついに、


 オールアップの日を、迎えたのである。

     6
 定夫の部屋で、作品を観ている。

 完成した、作品を。

 四人で作り上げた、映像も、声も、効果音も、オープニングも、敦子が作って歌ったエンディングも(打ち込みは八王子)、すべてが仕上がった、技術的には拙いかも知れないがこれ以上に込める魂はないという作品を。

 もう一回観ると、続いて作品をDVDに焼いて、ポーブルプレイヤーを持って外へ出て、河川敷の土手で四人、顔を寄せ合った。

 場所を変え、駅前の喧騒の中で、
 場所を変え、住宅街の公園ベンチで、
 彼らは作品鑑賞を続けた。

 作品はいつ誰がどんな環境で観るか分からないので、様々な環境で視聴チェックするのだ。という名目であるが、実際のところ、気分を味わいだけであった。
 色々な場所で観ることで、初めて気分を、何度でも。

 飽きるほど観ても、飽きはこなかった。

 飽きはこないが、しかし空がすっかり暗くなってしまったので、再び定夫の自宅へ戻……と、その前にコンビニに寄って、サンドイッチや、唐揚げ殿、ポテトチップス、烏龍茶、ジュースなどを買い込んだ。
 映像を観ながら、製作完了の打ち上げをするためだ。

     7
 レジ袋をそれぞれ両手に提げて、定夫の家に到着。
 玄関から入ったところで、「じょじょ女子っ!」と一向に敦子の存在に慣れない(やま)()(ゆき)()の驚く顔を尻目に、二階の部屋へ、いや血と汗と涙の染み込んだ制作本部へ。

 これまでずっとマイク置き場として段ボール箱を置いていた部屋の中央に、ちゃぶ台をセッティング。
 コンビニで買ってきた物をレジ袋から取り出して、片っ端から置いていった。隙間もないほどぎっちりである。

「実は拙者、先ほどこっそりノンアルコールビールなど購入してしまったでござる!」

 トゲリンが、嬉し恥ずかしといった表情で、金色の缶を四本、ちゃぶ台の隙間にねじ込んだ。

「おおーっ、大人っ!」

 八王子が、なんだかハイテンション気味に激しく拍手し、両腕を万歳のように振り上げた。

「あたしっ、あたしもっ、シガレットチョコ買っちゃいましたああ!」

 大人といえばという対抗意識か、敦子もハイテンション気味に声を大きくし、がさごそ袋から取り出した物を高く掲げてみせた。

「うおおおおお」

 と、トゲリンがネチョネチョ声で雄叫びをあげる。

 そこまでハイにはなれないが、定夫も内心かなり興奮していた。
 そして、やっと完成したんだなあ、と嬉しいような寂しいような気持ちをしみじみ胸の奥に味わっていた。娘が結婚する時の、父親の心境であろうか。

「そろそろ始めますか」

 という八王子の言葉に、みなは顔を見合わせ恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

 それぞれ、ノンアルコールビールの缶に指かけぷしゅり、
 一応、紙コップにもオレンジジュースを注いで、
 パソコンモニターに、自分たちの作ったアニメを再生させ、
 そして、

「ほら、総監督っ」

 と八王子に背中を叩かれ、定夫は口を開いた。

「ででではっ、こるまでの長い間、お疲れ様でした! 『魔法女子ほのか』の完成を祝して、そして成功を祈って、乾杯!」
「乾杯!」

 一応の総監督である定夫の音頭に、トゲリン、八王子、敦子は、手にした缶をぐいと突き出した。

 定夫は、缶に口をつけ、一口含んだ。
 ぐびりごくごく大人の世界。
 ノンアルコールだというのに、なんだか酔いが……

 定夫と同様みなも気持ちに酔ったのか、誰からというわけでもなく敦子の選んだシガレットチョコを手に手に、肩を並べて片足をベッドに乗せて、霧笛が呼んでるぜポーズ、ぷはーーーーっ。

 うわ恥ずかしい。我に返って、笑い合い、宴会再開。
 みな、これまでの苦労や、作品への夢、はたまた関係ないアニメの話などで、大いに盛り上がったのだった。

     8
 一時間ほどが経過したであろうか。

「おのおのがた、そろそろ……」

 トゲリンの声に、みなの表情がきりり引き締まった。
 定夫は、こくと頷いた。八王子と敦子も続く。

 なにをするのか?
 これから、ついに作品をアップロードするのである。
 彼らの作成したアニメ、「魔法女子ほのか」を。
 インターネットという名の無限の荒野に、解き放つのだ。

「あー、なんかドキドキするう」

 敦子が希望と緊張のない混ぜになった笑みを顔に浮かべながら、両手で小さな胸を押さえた。

「もも、もれも」

 真似したわけではないのかも知れないが、定夫もそっと手を胸にあてた。敦子より遥かに脂身たっぷりの、お相撲さんに匹敵するようなむにょんむにょんの胸であるが。

 ごくり。
 定夫は、唾を飲んだ。

 ……既にネットで一定以上の反響は得ている。
 そもそも、その反響こそが本格的制作への原動力になったのだから。
 従って、そこそこはイケる気がする。

 だが、どうなのだろうか。
 果たして、世の反応は。

 それは分からない。
 でも、だからこそ、やるんだ。
 分からないからこそ、やるんだ。

 これまで頑張ってきたんだ。
 そうだ。
 きっと素晴らしい結果に繋がる。

 などと心に呟きながら、定夫はパソコンのマウスをカチカチ、データアップロードの準備を進める。

 準備は完了。
 後は、送信ボタンを押すだけだ。

 あらためて、定夫はマウスにそっと手をかぶせた。
 その手の上に、トゲリンが自分の手を重ねる。
 さらに八王子が、
 最後に敦子が、そおっと小さな手を置いた。

 無言で、頷きあう四人。

 定夫は、指先に軽く力を入れた。
 カチリ、という微かな音が、しんとした部屋に響いた。 

 

第七章 魔法女子ほのか

     1
 きらーん、
 小さな星が現れて、瞬きながらくるくる回転し、青い画面内をあちこち跳ね回る。

 ぽむ、と弾んで画面からはみ出て、消える。

 イントロが流れ始めるのと同時に、画面全体に少女の顔が、すうっと浮かぶように現れる。
 伏せるように、目を閉じている、赤い髪の少女。
 顔を上げながら、すっと目を開ける。

 先ほど消えた星が、くるくる回りながら戻ってくる。

 カメラがぐーっと引いて、少女の姿は一瞬にして豆粒のように小さくなって、山と海とに囲まれた町が、そして青空が。
 青空に、タイトルロゴが浮かび上がる。


 魔法女子ほのか


 カッチリした紺色の文字で「魔法女子」、その右下には、黄色を赤く縁取った大きな丸文字で「ほのか」。
 画面内を跳ね回っていた星は、ほのかの「ほ」の字の右下、くるんとしたところで瞬きながらゆっくりと回転している。

     2
 歌が始まった。

 赤毛の少女が学校の制服姿で、友達と笑いながら廊下を歩いている映像。



  ♪♪♪♪♪♪

 ねえ 知ってた?
 世界は綿菓子よりも甘いってことを
 ねえ 知ってた?
 見ているだけで幸せになれる

  ♪♪♪♪♪♪



 場面切り替わり、
 神社でアルバイトをしている赤毛の少女。
 巫女服を着て、掃除をしたり、仲間と楽しそうにお喋りしたり。



  ♪♪♪♪♪♪

 わたしって、天才音楽家
 かもね
 だってこんなにも
 ほらね
 ときめきのビートを刻んでる
 こんなのはじめて YEAH! YEAH!

  ♪♪♪♪♪♪



 画面全体が、ぼやけた縁に囲まれている。

 ご馳走を食べてるところや、気球で空を飛んでいるところ、テストで百点とって羨望の眼差しを浴びたり。

 男の子のシルエットと、赤毛の少女。
 顔がぐーっと接近し、
 あとちょっと、というところで、
 夢から覚めた。
 がっくり。

 机の上のテストも、十点。



  ♪♪♪♪♪♪

 もしもこの世が終わるなら
 後悔なんか したくないから

  ♪♪♪♪♪♪



 牛頭人馬の魔物が現れて、街を破壊して回っている。
 立ちふさがる赤毛の少女。

 腕を振り、呪文を唱え、学校の制服から赤い戦闘服へと変身。

 攻撃を受けて吹き飛ばされるが、
 超変身で、さらに真っ赤な姿になり、燃える炎のパンチで敵を倒す。

 右手を上げて、勝利のポーズ。



  ♪♪♪♪♪♪

 たどり着いた世界
 それ本物だと思っている
 偽物だって構わないでしょ
 自分で見つけた宝なのだから
 The world is full of treasure!!

  ♪♪♪♪♪♪



 教室。
 先生に怒られて、肩を縮めてしゅんとしている。

 ひらひらと、画面の上から紙が落ちてくる。テストの答案だ。十点。

 体育館。
 低い跳び箱も飛べず、ガラガラ崩してしまう。
 恥ずかしさに涙目、友達に慰められ、笑顔。



  ♪♪♪♪♪♪

 君と一緒にいられるなら
 どんなパワーだって出せそうだよ

 なんにもない世界、上等
 わたしと君で全部作れるから
 偽物だって構わないでしょ
 自分で見つけた宝なのだから
 The world is full of treasure!!

  ♪♪♪♪♪♪



 赤毛の少女、空を見上げる。

 再び、青い空に「魔法女子ほのか」のタイトルロゴ。

 曲、フェードアウト。

     3
 山と、海と、澄み渡る青空。
 細い坂道、ガードレール越しに、きらきら光る海が広がっている。
 のんびり緩やかな風景。

 それをぶち壊すような、慌ただしい足音と、はあはあ苦しそうな息遣い。

「遅刻遅刻遅刻!」

 寝癖のようなぼさぼさ赤毛の少女が制服姿で、通学カバン片手にその坂道を下っている。
 はあはあと息を切らせながら、必死に走っている。


 少女のモノローグ。

『私、(こつ)(ぶえ)ほのか。
 高校一年生。
 なんの取り柄もない、普通の女の子です。

 実は私、誰にも話せない、
 ちょっとした秘密を持っているのだけど。

 ……って、それどころじゃないっ!。
 急がないと。
 今日、遅刻するわけにはいかないのだから。

 でも、
 でも……』


 はあ、
 はあ、

「もう、体力……限界ですう……」

     4
 学校の廊下。

 (こつ)(ぶえ)ほのかが、立たされている。
 水のたっぷり入った金属バケツを両手に持って。

「結局、間に合いませんでした」

 バケツを持ったまま、がくりうなだれた。
 頭の中の映像が、ぽわーんと画面一杯に広がる。
 回想シーンだ。



 先生が、丸めた本をパシパシ自分の手のひらに打ち付けながら、怒鳴っている。

「惚笛、お前はここのところ遅刻ばかりして、たるんでいる! いいか、明日も遅刻をしたら、バケツを持って廊下に立ってもらうからな!」



 ぽよよよよ、と回想映像は消えて、残るは廊下に一人立つほのかの姿。

「はーあ」

 うなだれたまま、大きなため息をついた。

「この学校、相変わらず宿題が多いというのに、課外活動(まものたいじ)も最近やたら多いし。……ちょっと遅刻するくらい、多目に見てくれてもいいじゃないですかあ」

 独り言で愚痴っていると、ほのかの眼前に、いきなり眩い光が。


 ぼむ。


 魔法使いのような黒のローブに、すっぽりフードを被った、ちょっと小太りのトラ猫、のようなものが宙に浮いていた。
 妖精、ニャーケトルである。

「お、予想してた通り遅刻して立たされたか。ニャハハ」

 低く野太い笑い声。

()()()に、家で宿題だってやっているんだから、仕方ないじゃないですかあ」
「まあ、お前の頭じゃあ大変だろうな。せめて、他の女子の半分のオツムもありゃよかったのにな」

 という妖精の言葉が矢になって、ほのかの胸にぐさっ! と突き刺さり、背中に突き抜け、がくりよろける。
 なんとかこらえ、矢を引き抜いて捨てたほのかは、ちょっとむっとした表情で、

「じゃ、最初からそういう人に頼めばよかったじゃないですか」
「そうしたかったよ。でも、お前にしかやれねえんだから、仕方ねえだろ。だったらせめて、普段から少しでも勉強頑張って、宿題ごときで寝坊しないようにしとけよ」
「他人の成績のことなんだから、ほっといてください」
「あんな程度の宿題に必死になって、肝心な時に『ほのかなんだか眠いですー』じゃ、こっちの命がいくつあっても足りねーんだよ!」
「だ、だからって、だからって、いまそういう嫌味をいう必要ありますかあ!」

 涙目になって抗議の声を張り上げるほのか。
 教室内でのドスドスという足音に、ニャーケトルのフードの下にある耳がピンと立って、フードを押し上げた。

「あぶね。じゃ、またな」


 ぼむ。


 猫の妖精は、一瞬にして光の中に溶け消えた。
 と、ほとんど同時に、ドアがガラリ激しく開いた。
 そこには、普通にしていても怖そうに見える(ごう)()先生の、怒った顔があった。

「うるさいぞ、惚笛! 一人で騒いで、バカか? 全然反省しとらんじゃないか! 次の(せき)先生の時間も、ずっと立っとれ!」
「えーーーーーっ」

 大きな口を開け、おもわずバケツを落としそうになり、とと、っと慌てて持ち直す。


『確か今日の占いは総合運絶好調のはずなのに。
 嘘もいいとこじゃないですかあ』


 はあ、がっくり。
 などとため息を吐いていると、校内にチャイムの音が鳴り響いた。

 教室の中で号令の声が聞こえ、静かだったのが一転どっと賑やかになって、生徒たちがわらわら廊下へと飛び出してきた。
 ほのかは相変わらず廊下で、バケツ両手に立ちっぱなしである。

 面白くなさそうにしている彼女へと、二人の男子が近寄っていく。

 なんだか運動も勉強も得意そうな、そんな見た目というかオーラの(たか)()(ゆう)()に、
 背の低い、悪ガキ小学生みたいなのが(しま)()(さとる)である。

「おい惚笛、手、大丈夫か? 重いだろ」

 心配そうな表情で、高木雄也が声を掛ける。

「ありがとうございます。なんとか、まだ、耐えられそうです」

 誰にでも敬語の、ほのかである。

「しかしお前なあ、ほんと最近遅刻が多いぞ。そりゃあ先生に怒られるって」
「はあ。そういわれましても」

 ほのかは、困ったように視線を泳がせる。


()()()()のことなんか、いえないしなあ』


「つうか、バケツ持って立たされるやつなんて、おれ初めて見たよ。漫画かよ」

 島田悟はネチョネチョ声でそういうと、ギャハハと笑った。
 小馬鹿にされたほのかは、ちょっとむっとした表情になった。

「親の仕事を手伝わなきゃいけないとか、なんか事情があるんなら、おれでよければ相談に乗るからさ」

 雄也の優しい言葉に、ほのかの表情がほわんとやわらぐ。

「無駄無駄あ。遅刻癖のあるやつはなにしても治らねえって。そもそもの常識感が欠落してんだから」

 下品なネチョネチョ声に、またむっとした表情に。

「いまの時間も、ノート取れなかったろ。よければ、あとで写させてやるからさ」

 ほのかの顔、ほわわん。

「バカはなにやってもバカ。一たす一はなーんだ?」
「あのお、交互に喋るのやめてもらえませんかあ! 感情が端から端で疲れるんですけどお」

 確かに、ほのかの表情筋はピクピクひきつけ起こしそうになっていた。

「ああ、ごめんな」

 などとやっているうちに、少し遅れて隣のクラスも授業が終わったようで、教室から、ほのかの友人である()()ないきが出てきた。青髪ポニーテールの、元気そうな女子生徒だ。
 出てくるなり、ほのかたちがいることに気付いて、

「こらあ、島田悟っ、またほのかをからかってやがんのかっ!」

 怒鳴りながらささっと素早く近寄った。

「散れっ! この男どもが!」

 追い払おうとぶんぶんと手を振り、二人はトイレ行こうぜっと立ち去ってしまった。

「あーーーー! 雄也君まで散らさなくてもっ」

 つい本音の漏れてしまうほのかに、ないきは、ははーんとニンマリ顔になって、

「連れ戻してきてやろうか?」
「結構です!」

 ヒマワリぎっちり詰め込んだハムスターのように、ほっぺたを膨らませるほのかであった。

     5
 輝く太陽。
 青空の、遥か遥か下には、
 山と海とに囲まれた町。
 学校。
 校舎、校庭。
 体育館。

 その、体育館の中で、男女生徒たちが大声を出している。
 男女とも白いシャツに紺の短パン、体操服姿だ。

 女子たちは体育館の真ん中に集まって、マット運動と跳び箱を。
 男子たちは壁際で、跳躍力や反復横飛びなどの体力測定だ。

(こつ)(ぶえ)、行きまーす」

 ほのかは右手を高く上げると、マットへとゆっくり走り出す。
 飛び込み前転、
 をしようと、マットへ手をつきごろんと回転しようとするが、腕力がなくて頭をごっちん。うぎゅっ、と詰まったような悲鳴をあげて、背中を硬いマットに思いきり打ち付けてしまった。

「ちょっと大丈夫、ほのかっ」
「ごっちんだけでなく、首がグキってなってたけど」

 心配そうな表情の女子たちに取り囲まれているほのかであるが、突然がばっと跳ね起きて、

「なんともありません。痛かったけど。とにかく、次は跳び箱で挽回です」

 と、跳び箱へと走り出すが、てっぺんどころか真ん中あたりにドカンと頭からぶつかって、ガラガラ崩してしまった。

「い、い、いまのはウォーミングアップ!」

 崩れた跳び箱の中から起き上がり、素早く組み立て直し、特別にお願いっと再度チャレンジするほのかであるが、今度は踏み切り板に蹴つまづいて、アゴをガッチン、結局またガラガラと崩してしまった。
 これはさすがに猛烈に痛かったようで、ごろごろ転がり悶絶している。

「いやあ、ひさびさの合同授業だけど、相っ変わらず酷えなあ、ほのかは」

 はっはっ、と笑っている青髪少女の()()ないき。
 の眼前に、ほのかドアップ。

「そんなに、おかしいですかあ?」

 さらに顔面ズーーーム。

「あ、いやあ、その」
「私だって、落ち込んでいるんですからあ」
「悪い悪い」

 ないきはごまかすように、ほのかの背中をばんばん叩いた。
 面白くなさそうに叩かれているほのかであったが、


『あれ?』


 不意に、心の中で疑問の声を発した。

 (しま)()(さとる)の、視線に気付いたのだ。

 自分に対しての視線ではない。まったく別の方向だ。
 ぴぴぴぴぴ、と見ている先を目で追うと、そこに立っているのは、ないきと同じクラスの(はや)(かわ)()(おり)
 長い黒髪が印象的な女子生徒である。

 彼女の周囲には、他に誰もいない。
 つまり島田悟は、早川香織を見ていると考えて間違いないだろう。

「うーむ。惚れてんな、あの表情は、間違いなく」

 ないきも気が付いたようで、腕を組んでニヤニヤと笑っている。

「そうですねえ」
「おー、鈍感なほのか君もさすがに感じますか」
「いまなんか聞き捨てならないことを、さらりといわれたんですがあ」

 などとふざけたような真面目なようなやりとりをしながらも、そのまま島田悟の様子を遠目から観察し続ける二人。

「おっ、なんか早川さんに話しかけてっぞ」
「ほんとだ」
「告白したりなんかして」
「なんかドキドキしちゃう。って、こんな場所で告白するわけないゃないですかあ」
「分かってるよ。いってみただけだよ。……つうかさあ、告白、どころか……」
「なんだか、喧嘩しているような…‥」
「ほのかもそう思う?」
「はい」

 声ははっきりとは聞こえないが、
 おそらく、

 悟の言葉にカチンときたのか、香織がいい返して、
 香織の言葉に、悟がムキになってからかいはじめて、
 悟のからかいに、香織が怒って、
 怒った香織に、悟が、

「ばーかばーか!」

 はじめてはっきり聞こえた声は、そんな子供じみた捨て台詞。肩を怒らせながら、男子たちの群れの中に戻ってしまった。

「うーむ。惚れてると思ったのは、あたしらの気のせいだったのだろうか」

 ないきは、鼻の頭をかいた。

     6
 暗闇がどろどろと渦をまいているような不気味な空間に、うっすらと浮かぶ黒い人影が二つ。

「なぜ、あの町にこだわる」

 大きい方の人影から、言葉が発せられた。筋骨隆々を思わせるシルエットから想像出来ないほどに、ネチョネチョと粘液質な声である。

「愚問だな。魔道スポットが多く存在するからに決まっている」

 もう一つの影。
 なにをいまさら、とでもいいたげにフンを鼻を鳴らした。

「それがために守護者も配置されており、迂闊にも覚醒させてしまったわけだが。そうなること分かっていただろうに、毎回ぶざまにやられていては世話はないな」

 ネチョネチョ声が、ふっと呼気のような笑い声を漏らす。

「世話にはならんさ。少なくとも、お前の世話にはな。そもそも、なにもないところを征服してなんの意味がある?」
「こんなところでぺらぺら舌を動かしていても状況は変わらんぞ。守護者一人に手こずっているお前だが、感じないか? あらたな波動を」
「とっくに。いくら増えようとも、倒せばいいだけのこと。守護者の肉体魂魄から流れされた血の分だけ、それは我が極悪帝ヤマーダさまにとって極上の甘露となるであろう」
「お前は喜劇役者の才能があるな。たった一人にいつも破れて……」
「黙れ! こちらに有利な状況は着々と整いつつあるのだ。ヴェルフ、ヴェルフはいるか?」
「はっ!」

 どろどろとした暗闇の中、まるで獣のような人影がすっと降り立ち、そして跪いた。

     7
 住宅街の、ごく普通の一軒家。
 二階の窓から(しま)()(さとる)が、うつろな視線のまま遠くを見つめている。

 悪戯好きな小学生、といった見た目の彼であるが、なんだか現在の彼は非常におとなしく、なんだか寂しそうな表情であった。

「お兄ちゃん」

 幼い声を背中に受けて、ゆっくりと振り向いた。
 部屋の入り口に、小学一年生くらいの小さな女の子が立っている。

「ん?」
「もう、お姉ちゃんこないのかなあ」
「さあ」

 悟はさびしそうな声で返事をすると、また窓の外へとうつろな視線を戻した。

     8
 神社の境内に、七、八人ほどの参拝客。
 ぎらぎらと、暑いくらいの陽光が空から降り注いでいるが、この境内は木々の枝葉にほどよく覆い隠されて気持ちよさそうである。

 その枝葉の向こう、遥か遠く眼下には青く広がる海が陽光を受けてキラキラと輝いている。

 (こつ)(ぶえ)ほのかは、竹箒を両手に境内の落ち葉かきをしている。
 巫女さんの服装だ。

 参拝客とすれ違うたびに、丁寧に頭を下げている。

 少し離れたところから、若い女性の声。

「五百八十円、お納めください」

 社務所で、()(ない)らせんが、女性にお守りを渡している。
 らせんは、大きな眼鏡をかけた黄色髪の少女である。ほのかとは、同じ中学出身の友人だ。 

 掃除しているほのかの前を、お守りを授かった女性が通る。

「ありがとうございました」

 軽く頭を下げるほのか。
 その女性の、お腹が大きいことに気付き、


『ふえ、赤ちゃん、いるんだあ』
『どうか元気な子が、無事に産まれますように』


 などと、頭の中で安産祈願などをしていると、いきなり風が強く吹いた。
 巫女装束がばたばたなびいた次の瞬間、

「あああああ!」

 ほのかは大きな悲鳴を上げていた。
 せっかくかき集めた葉っぱが、くるくる巻き上げられて境内中に散らばってしまったのだ。

 ショックにがくりうなだれていると、

「今日もよい天気じゃな」

 宮司の()(ぐれ)(とし)(ぞう)が、シワだらけの顔にニコニコと笑みを浮かべながら近づいてくる。
 ほのかは会釈しながら、

「いい天気ですけど、そう素直に褒めたくないほどに風が意地悪なんですがあ」

 散らばった木の葉を、指差した。


『というか小暮さんがくると、いつも風とか雨とか自然に意地悪をされる気がするんですけどお。小暮さんというか、かるんちゃんがくると、かな。……ということは、近くにいるのかなあ』


 と、キョロキョロ見回していると、

「お疲れさん。いやあ秋も近いねえ」

 幼い顔、幼い声、の割に妙に落ち着いた口調の、橙髪の少女。
 小暮かるん、歳三の孫娘である。
 この近くにある中学校の、女子制服を着ている。

 境内脇にある自宅に入り巫女装束への着替えを済ませたかるんは、箒を手に取って、ほのかと一緒に掃除を始める。

 が、すぐに手を動かすのを休めて、境内をぐるり見回して、ため息を吐いた。
 不満そうな顔で、ほのかに向かってボソリ、

「ねえ、ほのかさん、ひょっとしていまきたばかり? 落ち葉が酷すぎなんだけど」
「えーーっ! もう完璧ってくらいだったのに、かるんちゃんのせいで突風が起きて全部飛んじゃったんじゃないですかあ! この前は大雨を降らせてたから、今度も濡れるのかなって覚悟していたら、意表ついて風で飛ばすだなんて酷い!」

 苦労の報われなさにか、少し涙目になって抗議をするほのか。

「はあ? わけの分からないことを。人を天候操るモノノケみたいに」
「そっちの方がマシですよ。倒せばいいだけですもん」
「小ネズミくらいのモノノケなら、ほのかさんにも倒せるかもね。無理か」
「も、もう少しくらい大きいのだって倒せますう!」

 そんな軽口というか何というかを叩き合って落ち葉かきを続けているうちに、日も暮れかけて参拝客の姿も見えなくなっていた。

 二人は、ちょっと休憩とばかり社務所の中へと入った。
 社務所とは、要するにお守りを参拝客へ受け渡すところである。

 ほのか、かるん、もともと中にいた須内らせん、三人は横座りになった。
 となると当然のごとく始まるのが、いつもの雑談タイムである。

「宇宙とはなんだろうか」

 小暮かるんが難しそうな顔で、そんな一言を発した。
 これが今日の議題のようである。

「う、うちゅう、ですか?」

 非日常的なことをいわれて、思わずたじろぐほのか。
 隣の須内らせんは、なんともおかしそうに笑顔で、

「昨日は、シロクマはなんで白いのか。で、本日は宇宙とはなんぞや、か。それで、今日はどうしてまたそんなことを」

 外した眼鏡のレンズを布で拭き拭き尋ねた。

「べっつに、さしたる意味などはないよ。宇宙という言葉ってさ、量子力学とか光子力とか相対性理論とか、そんな感じの言葉が合ういわゆるSF的なもののようでもあり、しかし哲学そのものでもあるよね。宇宙なんかの存在を知り得るはずのない古代インド人も、独自に宇宙の概念は思い描いていたわけで。日本の、かぐや姫なんかもそうだよね。また、単に言葉として、表現手法として、よく使われるものでもある。恋愛小説や漫画なんかでもさ。そんな宇宙という存在を、ひっくるめて一言でいうとなんなのだろうか。と、ふと思っただけ」
「じゃあ恋愛ってことでいいです」
「ほのかさん、あたしの言葉から適当に抜き出して答えただけでしょ。しかも『じゃあ』とか『ことでいい』とか投げやりだな」
「だあってえ。宇宙があ、とか考えたことないですし」
「かるん、ほのかに難しいこと振るのが間違いだよ。ほんのちょこっとでも難しいと、すーぐキャパオーバーで、頭が爆発しちゃうからなあ。シロクマとか、その前のマカロニの穴の話とかには、妙に食いついていたけど、それらは知識なくても空想だけで適当に語れるものだからね」

 須内らせんが、眼鏡をかけ直しながら、ほんわか顔でズバリ痛烈な一言を吐いた。

「ほんのちょこっと難しい程度じゃ爆発なんかしませんよ、分かりませんけどお! ……じゃあ、じゃあ、らせんちゃんは、宇宙ってなんだと思ってるんですかあ。バカな私にも分かるように、説明して下さあい」
「巨大なタコ焼き、かな」
「タコ焼きい?」

 脱力したような表情の、かるんとほのか。

「どんどん膨張を続ける大きな風船のようなもの、って聞いたことない? だからって風船とか答えても、まんますぎでしょ? だからちょっとアレンジを加えてみたんだよ」
「ああ、タコ焼きといえばあ、最近駅前に、お店が出来たらしいですねえ」

 食べてみたーい、といった、いまにもよだれ垂らしそうな、ほのかの顔。

「ほのかさん、すぐ脱線する」

 かるんが、不満そうに腕を組んだ。

「ほのか以前に、かるんの振る話題が、いつも最初から脱線しているんだって。それよりさあ、そのタコ焼き屋さん、美味しかったよね」
「雑談に脱線はないと思うけどなあ。でもまあ、確かにあのタコ焼きはかなり美味しかった」
「えーーーっ! らせんちゃんも、かるんちゃんも、もう行ってるんですかあ? ずるいなあ」
「だって、こんな田舎だもん。新しいお店がオープンしたってだけで、イベントじゃん」
「そうですけどお。……誘ってくれればよかったのにい」
「宿題たっぶり出されちゃったからダメですーとかいってたの、ほのかでしょ。半額セールが最後の日だったから、仕方なくあたしとかるんで行っちゃったよ。行く道で、ないきと出会ったから、三人で食べた」
「は、半額……」

 ほのかがショックに呆けた表情で頭をふらふらとさせていると、

「ちわっす!」

 元気のよい大声とともに、青髪ポニーテールの少女がやってきた。
 家の仕事の手伝いで雑貨配達に訪れた、()()ないきである。
 華奢そうな身体と裏腹に怪力なのか、重そうな木の箱を楽々と肩に担いでいる。

「なんだあ、また食べ物の話かあ? 昨日は確か、シロクマの肉って食べたら美味しいのかなとか、そんな話していたよな」
「してないよ! 純粋に北極の王者のロマンを語っていただけだよ」

 かるんが、ムキになって否定した。 

「いや、途中からそんな話になってた気がする。シロクマの肉の味の話に。確か脱線させたのは、ほのか」
「ほのかあ、またお前かあ!」

 かるんは、二学年上のほのかを呼び捨てお前呼ばわりしながら、さらにはぎゅうっと首を締め上げた。

「ぐるじ。またっ、て、さっきのわたし犯人じゃなかったじゃないですかあ!」

 ほのかは、かるんの首を締め返した。

「なぜ反撃する?」
「こっちの台詞ですう」

 本気顔で、ぐいぐい締め合う二人。

「なあ、お前たちって、なんでそう三人集まると、どうでもいい話しかしないの?」

 ないきが、あまりのバカなやりとりに、ちょっと引いてしまっている。

「どうでもよくない話って、なんですかあ」

 ほのか、首を締めつ締められつつなんとか言葉を絞り出す。

「例えばさあ、進路のこととかあ。恋愛の話とかあ。ええと、あとなんだ、あっそうそう、学校で(しま)()(さとる)の元気がなかったなあ、とかあ」
「誰それ? ないきさんやほのかさんの通ってる学校の男子?」

 かるんの言葉に、ないきは「そ」と頷いた。

「まあ、そりゃあ元気がなくて心配といえば心配ですけどお」

 ほのか、ようやく首の締め合いが終わり、げほげほむせながら言葉を発する。

「なんかあったら、高木雄也との仲を取り持ってもらう作戦が台無しになるもんな」
「か、かか、考えたことないですよ! 私はただっ、純粋にクラスメイトとして心配しているだけでえ」
「ま、そういうことにしといてやるよ」

 ないきは苦笑した。

     9
 ほのかが、学校の制服姿で歩いている。
 巫女さんバイトの帰り道である。

「タコ焼きタコ焼きタッコタコタコタッコ焼き♪」

 即興タコ焼きソングを口ずさみながら、木々に囲まれた緩い坂道を下り終えて、街へと出た。
 タコ焼き屋に行くわけではない。
 別の坂道を、今度は登って、自宅へと帰るだけである。

「あれ?」

 ほのかは、足をとめた。
 前方に、制服姿の(しま)()(さとる)を発見したのだ。

 ゆっくりと歩いている悟。
 ほのかは、背後からそーっとそーっと近づいていく。

 脅かすような手つきをしながら前へと回り込もうとしたほのかは、悟の表情がおかしいことに気づき、顔に疑問符を浮かべた。

 なんだか、ぽわんとしているのだ。
 悟の、表情が。

 その理由は、すぐ分かった。
 さらに前方に、同じく制服姿の(はや)(かわ)()(おり)がいる。
 どうやら、彼女が気になって仕方ないのだろう。

「悟くん」

 ほのかは声をかけるが、反応なし。

「悟くんってばあ。どうしたんですかあ?」

 顔の前で手のひらをふるふる振るが、反応なし。

「わっ!」

 耳元に口を近づけ、大声で脅かした。

「うわああああ!」

 ガチン!

「あいたっ!」

 ほのかの悲鳴。
 驚いた悟が、何故かほのかの方へ飛び退こうとして、頭と頭が衝突したのだ。

「あいてて。(こつ)(ぶえ)っ、お前、ふざけんなあ!」
「こっちの台詞ですう! 驚いたなら普通は反対方向に飛ぶんじゃないですかあ?」
「うるせえっ! どこに飛ぼうがおれの勝手だ」
「それで頭がゴッチンしたんじゃないですかあ」
「お前が驚かすからだろ!」
「だって声かけても無視するんだもの! ……早川さんのこと、見ていたんですよね?」
「ば、ばかいうな! あんなの!」
「好き、なんですか?」

 ほのかは、尋ねた。

 あまりの直球質問に調子が狂ったか、悟は視線を落としながら、素直に頷いていた。

     10
 (とも)()、妹が、足をくじいたんだ。
 野犬だかなんだか、とにかく犬に襲われて。

 といっても、大きな犬じゃなかったらしいけど。ま、妹には大きく見えたのかな。まだ五歳だからな。
 襲われたといっても、別に噛まれたわけじゃない。
 うーと唸られ、勝手に怖がって泣き叫んで逃げ出しただけ。
 一緒にいた友達の話では、そういうことらしい。

 犬は別に追ってこなかったらしいけど、妹にそんな冷静な判断力はなく、喚きながらひたすら全力で走って、坂で転んで、右足を捻ってしまった。

 今度はその痛みにわんわん泣く朋美。
 そこに通りかかって、家まで運んで、手当てしてくれたのが、早川だったんだ。

 妹と遊んでくれているうちに、おれが帰ってきて。
 あれ、確か隣のクラスの早川だよな、ってびっくりしたよ。

 おれん家、たまたま数日間、両親が不在で。うち貧乏だし食材を買い込んでなんとか自分で作るしかないかなあ、なんて思っていたんだけど、早川が買い物に付き合ってくれて、それどころか作ってもくれてさ。

 朋美のためなんだろうけど。怪我したその日、おれが帰ってきた時には、もう妹はすっかりなついていたから、だから放っておけなかったんだろうな。

 理由はともかく、そんな事情から、両親が帰るまでの数日間、早川がおれたち兄妹の面倒を見てくれてさ。
 気が付いたら、
 すっかり、おれ、あいつのこと、


 好きになってた。

     11
「告白しちゃえば、いいんじゃないですか?」
「んな正直にいえるわけないだろ」
「普段ひねくれているんだから、こんな時くらい素直にならなきゃあ。あ、だったら、私が気持ちを伝えてあげますから」
「バカ! 余計なことすんな! バカ! 分かったな!」

 悟は走り出し、街の中へ姿を消した。
 一人残ったほのかは、しばらく無言で立っていたが、やがて、

「なんか、いつも私だけが、バカバカいわれてるんですけどお」

 と、ぼそり。


『でも、確かに、いまのはちょっとデリカシーがなかったかもなあ』


 こつん、と自分の頭に拳をぶつけた。

     12
 夜空に浮かぶ薄黒い雲の隙間から、三日月が見え隠れしている。

 その遥か下、木々茂る坂道の途中に、ぽつりと建っている一軒家がある。
 (こつ)(ぶえ)ほのかが、父母と暮らす家である。

 二階の、道路に面している洋室が、ほのかの部屋だ。

「と、いうことがありましてえ」

 ほのかは、パジャマ姿でベッドに腰掛けている。
 ローブをすっぽりかぶった小太り猫である妖精ニャーケトルが、宙にふわふわ浮いて、

「へー」

 ろくに聞いておらず、ほのかの漫画本を読んでいる。
 カバーの絵からして恋愛もの少女漫画のようであるが、どこにそのようなシーンがあるのかニャーケトルは突然「ぎゃはははは!」と大笑い。
 ほのかは無言で、すっと立ち上がった。
 机の上に置いてあるペットの毛づくろい用ブラシを手に取ると、宙に浮くニャーケトルの身体を片手で押さえて、

 バリッザリザリッ!

 肉も裂けよとばかりの力でブラッシング。

「ニャギャーーーーーッ! なにすんだてめえええ!」
「そっちが話をまったく聞いていないからじゃないですかあ!」
「だからって、普通こういうことするかあ? お前、ちょっと性格悪くなったぞ」

 ドタドタドタドタ、階段を慌しく駆け上がってくる音。

「なんかあったんかっ! ほのかあっ!」

 ドアがバンと開いて、ぼさぼさ髪に無精髭の中年男、ほのかの父である(こつ)(ぶえ)(へい)(はち)が飛び込んできた。

「やべっ!」

 ニャーケトルは、光の中に溶けるように一瞬にして消えた。

「な、なんでもないですよー」

 手をひらひら、ごまかし笑いをするほのか。

「いや、なんか気色の悪い叫び声が聞こえたぞ。野郎の声だった」
「きき、気のせい気のせい」

 冷や汗たらたら、手のひらぱたぱた。

「そっかあ?」
「それよりもお、いきなり入ってくるのやめて下さあい。着替えているかも知れないじゃないですかあ」
「ガキが着替えてるからなんだってんだよ。まあいいや。もう遅いから、とっとと寝ろや」
「はあい。おやすみなさあい」

 バタン。

 ボン。

 ドアが閉まるのと同時に、ニャーケトルがまた宙に姿を現した。
 ぐっと堪えているように、身体をぷるぷる震わせている。

「あ、あの男ーっ、俺様の声を気持ち悪いだの抜かしやがってえ」
「そんなどうでもいいことより、大きな声を出すのやめて下さい。家族に知られちゃうとこだったじゃないですかあ!」
「大きな声を出させたのは誰だよ! つうか、どうでもいいってなんだ、てめえええ!」

 ドタドタドタドタ、ドタドタドタドタ、
 バタン!

「ほのかあっ!」

 ボンッ。

     13
 青い空。
 山に、
 海に、
 そして学校。
 廊下。
 教室。
 授業を受けている生徒たち。

 いつも落ち着かず騒がしい島田悟であるが、今日は自席でおとなしい。
 なんだか寂しそうな、なんだか落ち込んでいるような、彼の表情である。

 そんな彼の顔を、惚笛ほのかは胸の詰まるような心配そうな顔で見つめていた。
 両手にバケツを持ちながら、廊下の窓から。

 今日もまた遅刻してしまい、廊下に立たされているのだ。

 授業の終了を告げるチャイムの音が鳴り、号令の声。
 教室からぞろぞろがやがやと、男女生徒たちが出てきた。

 高木雄也と、それにくっついて島田悟も。
 悟は先ほどと変わらず、元気のなさそうな表情である。
 雄也は、ほのかの前に立つと、苦笑しながら、

「惚笛え、お前はまあた遅刻してえ。こう続くと、さすがに俺も擁護出来ないぞ。昨日は、宿題だってそんなに出なかったんだし」
「そうなんですけどお、色々と考えることがありましてえ」

 えへへと、ごまかし笑いするほのか。

「ふーん。悟が元気ないなー、とかかあ?」

 という雄也の言葉に、びくりと肩を震わせたのは悟である。
 震わせ、続いてほのかの顔をキッと睨みつけた。

「え、え、違う、私、誰にもなんにもいってませんよ!」

 バケツ両手に、言葉と表情で必死に弁解するほのか。
 雄也は、ははっと笑って、悟の顔を見る。

「早川さんが好き、ってことだろ。誰にいわれなくたって、気付くに決まっている。俺とお前と、知り合って何年経つと思ってんだ」

 その台詞に、疑いの晴れたほのかはほっと胸をなでおろしながら、

「はあ、それじゃあ雄也くんには隠しても仕方ないですね。実はその通りで、昨日、告白しちゃえば、っていったんですけど、私」
「こらあ、惚笛っ! 雄也はああいったけど、俺、まだ認めてなかったじゃんかよ。でもいまのお前の台詞で、なんだか事実確定みたいになっちゃったじゃねーかよ!」
「でも、好きなんだろ」
「でも、好きなんですよね」

 ハモるように、雄也とほのかの口が動く。

「うん」

 つられてしまったのか、開き直ったのか、悟は素直に頷いた。

「惚笛のいう通り、告白しちまえばあ?」
「いや、そ、そ、そ、そんなっ。この前、喧嘩しちゃったし」
「好きだからつい、とかいやいいじゃん」
「でも、あのっ、そのっ、しかしっ、おお、俺なんかっ、チビで不細工で性格悪いし、だから、ふつ不釣り合いでっ」
「そんなことないですよ。悟くんは、ちょっと口は悪いけど、でも本当は純情で、いい人です」

 ほのかはニコリ笑った。

「惚笛。いいやつだな。俺いつもお前のことバカバカいったり、足をかけて転ばせたり、スカートめくったりしてるのに。こっそり宿題のノートを隠したりとか」
「あれ悟くんだったんですかああ!」
「ああっ、最後のは嘘。ノリでいっちゃっただけだ」
「ほんとかなあ」

 ほのか、疑惑の眼差し。

「そんなことより、悟のその話だろ。告白するなら早くしないと、モタモタしてっと誰かに取られちゃうかも知れないぜ」
「そうですよ」

 という二人の言葉に、悟はしばし俯いて考えていたが、やがて、意を決したか、拳をぎゅっと握り、顔を上げた。

「よおし、告白だあっ!」

 握った拳を、高く突き上げた。

「おーーーーっ!」

 雄也とほのかの二人が続く。……いや、三人だ、輪の中に青髪の女子生徒()()ないきが加わっていたのである。

「都賀、お、お前え、いつの間にいいい!」
「さっきからいたじゃんかよ」

 ないきは、両手を頭の後ろで組むと、ははっと笑った。

「まあいいや、ここまできたら関係ねえ。お前も『悟くん告白応援隊』に入れ。今なら年会費は無料だあ」


『うん。やっぱり悟くんは元気じゃなきゃあ』


 ほのかは嬉しそうに、ニコリ微笑んだ。

「よおっし、今日の放課後に決行だぜーーーーっ!」

 再び腕をぶうんと振り上げる悟。

「おーーっ」

 全力で応援だあ。と、ほのかも元気よく右腕を振り上げた。


 バシャア!

 バケツを持っていることをすっかり忘れていたほのか。
 滝のような水を浴びて、全身水浸しになるのだった。



     14
 晴れた空。
 のどかな町の中。
 商業地と住宅地との間に大きな公園があり、入り口近くに高校制服姿の惚笛ほのかが立っている。

 電信柱に隠れるように半分顔を出して、公園内にある噴水の方へと視線を向けている。
 噴水そばのベンチ前では、島田悟と早川香織が立ったまま向かい合っている。

 ごくり。

 ほのかは唾を飲んだ。


『たまたま。そう、これはたまたまなんです』


 ほのかは公園の様子から目をそらすことなく、しかし気まずそうな顔で、心の中でいいわけを始めた。


『どやどや付いて行ったりとか、こそこそ付いて行ったりとかせずに、ただ遠くから成功を祈るだけにしよう。雄也くんたちとそういう話をしたというのに、まさか神社へアルバイトに向かう途中にたまたま見かけてしまうとは』
『……これから、告白するのかな。それとも、もう告白したのかな。……見ちゃいけないのは分かるけど、つい、つい……。ごめんなさい、悟くん』


 謝りながらもじーっと様子を見ているほのか。
 ずっと見つめ合っているだけの二人であったが、不意に状況が進展、悟が顔を真っ赤にしたまま、早川香織へと一歩踏み出したのである。

「お、お、おっ、おっ」

 なにかいおうとしているようだが、言葉にならずつっかえつっかえになってしまっている。


『きっとこれから告白するんだ。俺はっ、とか、お前がっ、とかいおうとしているんだ。頑張れ、頑張れっ!』


 などとほのかがドキドキしながらも両拳を握って応援している中、ついに悟が言葉を吐き出した。

「おっぱいっ!」

 ゴッ、とほのかは電信柱に顔面を強打し、「あいたっ!」と悲鳴を上げた。
 涙目で鼻をすりすりしながら、心の中で文句をいう。


『なんでですかあ? 私がいよいよ告白するんだとか思ったからですかあ? いつもいつも、いちいちヒネクレたことをしないでいいから、早く告白しちゃってくださあい!』


 なおも鼻をすりすりさせて、見守っていると、島田悟はうろたえるように後ろ頭を掻きながら、

「すまん、いまのは心を落ち着かせるためのギャグだっ。……つうか全然落ち着いてねえけど、まあいいや。そ、それじゃあ、いい、いうぞ、俺の気持ち。お、俺っ、おおおお俺はっ! ……お前のことをっ!」

 悟は真っ赤な顔で、早川香織を見つめた。
 数秒の、沈黙。
 なんとか再び口を開こうとした、その瞬間であった。

「その感情、美味なりっ!」

 穏やかであった公園に、突然吹き荒れる黒い旋風。
 ドロドロしたようなその渦の中から、狼のような、人のような、怪物があらわれた。

 電信柱に隠れて見ていたほのかは、

「マーカイ獣!」

 驚き、叫んでいた。
 悟と香織も、未知の生物の出現に、悲鳴をあげていた。

 特に悟など腰を抜かしているのではないかというほどの狼狽ぶりであったが、
 だが、

 ちらり、と香織の顔を見ると、拳をぎゅっと握り、
 そして、

「早川っ、逃げろっ!」

 叫びながら、香織の身体をどんと突き飛ばしていた。
 悟は身体をぶるぶる震わせながらも彼女を守るように立ち、マーカイ獣と向き合い、睨み付けた。

「騎士気取りか知らんが、俺の狙いは最初からお前だ」

 マーカイ獣の鼻から、ふふっと息が漏れた。

「な、なにをいって……」
「いただくぞ!」

 しゅん、とマーカイ獣は風のような速さで、悟の脇を擦り抜けていた。
 その右手には、青く輝くエネルギーの球体が握られていた。

 ぐ、と悟は苦痛に呻き、よろめいた。

「島田くん!」

 香織が、悟へと駆け寄り心配そうに顔を覗き込んだ。
 彼女の顔が、はっと驚きに変化した。
 悟が、焦点の定まらない、うつろな表情をしていたのである。焦点定まらないどころか、その顔からはどんどん生気が失われ、やがて、

「邪魔」

 ちらり香織を見た瞬間、鬱陶しそうにどんと胸を突き飛ばした。

「はあ。もうすべてがどうでもいいや。バカバカしい。もう、恋なんかしねえ。つうか生きているのも面倒くせえ」

 ぶつぶつ呟きながら、光の消えた目で、ふらふらした足取りで、歩き始めた。

「島田くん、島田くん!」

 香織が前に立ちふさがり、呼び止めようとするが、またどんと突き飛ばされて、よろけ尻もちをついた。
 悟はつまらなそうな顔でふんと鼻を鳴らすと、ふらふらと歩き続ける。

「ぐふふふ。こいつの『純』は、すべてこの中よ」

 マーカイ獣は、手の中にある青い球状のものを、目の前にかざしてみせた。
 突然、黒い風が吹いた。
 黒装束の男が、マーカイ獣の横に立っていた。


「どうだ? マーカイ獣ヴェルフよ」
「は。極上、とまではいきませんが、まずはそこそこのを一つ」

 マーカイ獣ヴェルフ、と呼ばれた怪物は、牙をむき出し笑い、手の中のものを黒装束の男に見せた。

「な、なんなの、あなたたちっ」

 早川香織、恐怖に怯えた表情であったが、悟がさらに何かをされると思ったか、庇うようにマーカイ獣と黒装束の男の前に立った。

「畏怖に満ちた、気持ちのよい視線だ。だが、安心するがいい。今日起こったことはすぐに忘れるだろう。安心して普段の生活に戻り、この小僧のように純な心をその胸に育てるがいい。我らが魔王への、供物とするためにな」
「なにわけの分からないこといってるの。コスプレ変態っ!」

 香織は怯えつつも毅然とした表情を作り、黒装束の男を睨んだ。

「へ、変態ではないっ! 我は極悪帝ヤマーダの副将軍コスゾーノ。貴様、我を愚弄するつもりかあ!」

 怒気満面、香織へと詰め寄る黒装束の男、副将軍コスゾーノ。

 離れたところから、電信柱の陰でその様子を見ていたほのかが、

「たたっ、大変ですう!」

 と、おろおろしていると、

 ぼむ。

 ローブのフードをすっぽりかぶった小太りトラ猫、ニャーケトルがあらわれた。
 ほのかの頭上にふわふわ浮きながら、

「おい、マーカイ獣が出現しそうな気配を感じるぜ!」
「とっくに出現しちゃってますよお! 五分遅いんですよ、いつもいつも! なんの役にも立たない!」
「ち、遅刻ばっかりしてるお前にいわれたかねえよ! 何様だあ!」
「私の遅刻とマーカイ獣とお、なにか関係あるんですかああ!」
「そのすっとろい喋り方やめろ、バーカ!」
「ど、どこっ、どど、どこがとろいんですかああ!」

 聞き捨てならんと涙目で詰め寄るほのか。

「全部だあ。つうかバカか、こんなことやってる場合かよ。逃げられちまうだろ!」
「あ、そそ、そうでしたっ!」

 ほのかは通学カバンを投げ捨てて、公園の中に入り、噴水の方へと全力で走り出した。



 アイキャッチ パターンA

 ほのか、ないき、かるん、らせん、
 制服姿の四人が、押し合うようにカメラへ寄って、みんなで楽しそうに笑う。 

 

第八章 魔法女子ほのか (Bパート)

 アイキャッチ パターンB

 ほのかがお風呂の浴槽、気持ちよさそうにしている。
 猫型妖精のニャーケトルが、何故かノラ猫に追われて浴室に乱入。
 びっくりしたほのか、顔を真っ赤にしながら怒ってタライを投げるが、壁に跳ね返って自分の頭を直撃。


     15
 (しま)()(さとる)が、うつろな表情でふらふらと歩いている。
 少し離れたところに、気を失って倒れている(はや)(かわ)()(おり)

 香織の傍らには黒装束の男、副将軍コスゾーノ。冷酷そうな笑みを浮かべて、彼女を見下ろしている。

「目が覚めた時には、すべてを忘れ、平和な日常の中に戻る。我が帝に捧げるための純を育む、ただそのために。いつか訪れる、真の恐怖のために」

 ちらり、とマーカイ獣の、その手に握られた青い光の球へと視線を向けると、

「手柄である。マーカイ獣ヴェルフよ。だがまだまだ、計画の序章に過ぎない。まずはこのようにして、人々の純粋な気持ちを食い尽くしていくのだ」

 副将軍コスゾーノは、マーカイ獣ヴェルフの肩をぽんと叩いた。

「さすれば人々は笑顔をなくし、奪ったパワーは極悪帝ヤマーダ様の美味なる供物となる」

 くくく、こらえ切れずといった笑い声を漏らした。

「ひとだび力の均衡が崩れ闇寄りに傾けば、まだ覚醒しきっていない上に力場という後ろ盾を失った魔法女子など、もう造作ない。一撃のもとに屠ってやろう」
「に、に、ニ撃くらいはっ、耐えられますう!」

 制服姿の女子高生、(こつ)(ぶえ)ほのかが、立っていた。

「わわ私っ、それなりにタフなんでっ!」

 身体も言葉も、ガタガタ震えている。

「強がってるくせに、いってること無茶苦茶情けねえんだよ、てめえ!」

 宙に浮かぶ、ローブのフードをすっぽりかぶった小太りトラ猫ニャーケトルが、ほのかの頭をぼかんと殴った。

「だ、だって、だって、なんか怖いんだもん! 強そうなんだもん! ニャーちゃん直接戦わないから分からないんですよお」

 ほのかは涙目になって、コスゾーノと半人半狼のマーカイ獣を指差した。

「魔法女子、か」

 コスゾーノはぼそり呟くと、口元に、ふっ、と薄い笑みを浮かべた。

「こんな小娘に、これまで何度も苦汁を飲ませられてきたのかと思うと。だが、それもすぐ過去のことになる。今日こそは貴様を倒し、この町の魔道スポットをすべて占拠する。それは、世界を闇に染め上げるための前進基地となるだろう」
「ほのか、あの野郎なんかかっこつけたことペラペラ喋ってるぞ。おめえも負けずに、ビシッとなんか決めたれ!」
「えーっ? ……わ、分かりました」

 すーっと息を吸うと、きっ、と黒装束の副将軍を睨みつけ、口を開いた。

「へ、へ、平和な、まちっ、をみだ乱す者、例え天が、たたっ例え地が、にゅるそうとも、この私が許しませんっ!」

 つっかえつっかえ、最後など怯えきった金切り声であった。

「なんか凄まじくダッせえ口上だけど、まあいいだろ。よおし、ほんじゃあ行くぜほのかっ、変身だあっ!!」
「いやあ、それはちょっとお……」

 頭を掻きながら、えへへと笑うほのか。
 ニャーケトルは宙からひゅんと逆さに墜落し、地面に顔面強打した。

 猫型妖精は、よろよろ上体を起こしながら怒りの形相で、

「じゃあなんでここにきたああ? てめえ変身しないと小学生より弱えじゃねえかよ!」
「だって、だって」
「なあにが、この私が許しませんだよ」
「いえ、あの、許さないという気持ちは本当なんですがあ、変身もしたくないというか……。そんなことよりも、小学生より弱いというのは、いい過ぎだと思いますう」
「弱えじゃねえかよ、実際! 泣かされてたじゃねえかよ! つうか、そんなことより、って、そっちの方が大事だろうがよ!」

 二人のやりとりを黙って見ていたコスゾーノであったが、

「遊んでやれ、マーカイ獣ヴェルフ」

 飽きたということか、そういい残すと突然巻き起こった黒い旋風の中に自らを消し去った。

「仰せの、ままにっ!」

 マーカイ獣ヴェルフが、邪悪な目を光らせた。
 次の瞬間には、目にも止まらぬ速さでほのかへと飛び掛かっていた。

 だが、ヴェルフの恐ろしい爪は、空気を切り裂いただけであった。
 ほのかが横っ飛びで転がって、紙一重でかわしたのだ。

 ニヤリ、マーカイ獣ヴェルフは、口の両端を釣り上げた。お楽しみはこれから、といったような表情であった。

 その邪悪な顔が、驚きと怒りに歪んだ。
 先ほど地上に墜落していたニャーケトルが、土を蹴り上げて目潰しを見舞ったのだ。

 その隙に、ほのかとニャーケトルは逃げ出していた。

 公衆トイレの裏側。
 木々の枝葉が鬱蒼と覆うところに隠れると、きょろきょろと、ほのかは辺りを確認する。

 マーカイ獣よりも、別のことを気にしているように見える。

「ここなら、……変身、出来るかな」

 ぽ、と顔を赤らめた。

 と、ここでいきなりナレーションの声が入る。


『なぜ隠れる必要があるのか。
 説明しよう。
 魔法女子へと変身する際、ほのかの衣服は全部溶け、魔道着へと分子レベルで再構成される。
 早い話が、一瞬だが全裸になる。
 ほのかは、それが恥ずかしいのである』


「誰だって恥ずかしいです!」

 ナレーションに突っ込みを入れるほのか。
 まあ、変身は一瞬であるとはいえ、スロー再生で三十秒ほども尺があるので、仕方ないところか。

 ほのかの脳裏に、悟と、香織の姿が浮かんだ。
 恥ずかしそうに赤らんでいたほのかの顔が、変化していた。
 真面目な、凛とした表情へ。

「絶対に……守ります、生命、戻します、笑顔」

 右の手のひらを、そっと自分の胸に当てる。
 ふわり柔らかな光が右腕を包んだかと思うと、その右腕に、赤を貴重とした石のような金属のような、不思議な器具が装着されていた。

 異世界古代の腕時計「アヴィルム」である。
 前へと突き出すと、添える左手でアヴィルムの表示盤側面にあるボタンを押した。

 ほのかの両腕に、真っ赤な炎が突如現れて二匹の龍のようにからみついた。
 そっと目を閉じ、そして、唱える。

「トルティーグ、ティ、ローグ。
 二つの世界を統べる者。
 炎の王よ。
 汝、きたりていにしえよりの契約を果たせ。
 その名、ザラムンドル!」

 
 まばゆい輝きに全身を包まれながら、ほのかは両腕を振り上げた。

     16
 ハープと、太鼓。
 神秘的幻想的、かつ、力強い躍動感、音色。

 学校の制服姿のほのかが、毅然とした表情で、立っている。
 背後には、激しく燃える無数の炎が、うねりうねって渦をなしている。
 まるで、炎の龍のようである。

 その、炎の龍が、もたげた鎌首を振り下ろす蛇のように、次々と、ほのかへとシャンと伸びて、身体に撫でまとわりついていく。

 全身から、足元のアップへと映像が切り替わる。視点が、ぐるぐる回りながら、上へ上へと、ほのかの姿を映し出していく。

 ごう、と炎が腕を撫でると、制服の袖がなくなって、肩から伸びる細い腕が、根から先端まであらわになった。

 ごう、と炎が身体を包み回るように上ると、靴、靴下、スカート、ブラウスが燃え、パチリはぜたその瞬間に空気の中に溶け消えた。

 白い下着だけの姿になったほのかへと、頭上から迫る二匹の炎の龍がぐんと伸びて交差した。

 下着さえも燃え溶けて、生まれたままの姿になったほのかの背後で、うねる炎の渦が大爆発、爆音とともに四方八方に飛び散った。

 四散した炎がすべて、吸い付くようにほのかの肉体へとまとわりついた。
 身体に、
 腕に、
 足に。

 めらめら燃える炎に全身を包まれているというのに、ほのかの顔は涼しげで苦痛の色は微塵もない。
 炎の中で、ほのかはすうっと右腕を、そして左腕を軽く振るった。
 まとわりついていた炎が散って消えると、ほのかの腕は、白を基調に赤や薄桃色で装飾された布地に包まれていた。

 続いて、今度は身体を覆う炎が、弾けるようにすべて吹き飛んだ。
 胴体部分も腕と同じような色合いであるが、質感が違う。鎧の役割を果たしているのか、皮のように硬そうだ。

 古代日本風の現代アレンジというべきか、中世ヨーロッパファンタジー風というべきか、いずれにせよ見る者に幻想感を与える服装であった。
 コルセットでもしているかのように細く硬そうな上半身に比べ、膝上丈のスカートはふんわり柔らかそう。
 いつの間にか手足には、赤いグローブに、ブーツ。

 もともとが赤毛髪質の彼女であるが、それがさらに燃えるような色へと変わっていた。


『これが魔道着によって真の能力が開放された、ほのかのバトルフォームである』


 変身を終えたほのかは、常人には信じられない跳躍力を発揮し、目の前の建物を軽々と飛び越えて、マーカイ獣の前にすたっと着地。
 軽く屈んだ姿勢から、ゆっくりと立ち上がった。

「魔法女子……」

 と、牙をむき出しぐるると唸るマーカイ獣を、ほのかは顔を上げて、毅然とした顔で睨みつけると、口を開いた。

「紅蓮の炎、世界にあり! 我、魔法女子ほのかが、炎を己が刃とし、蒙昧にゃる、間違った、蒙昧なる、ああ悪、悪の、し、しし、使徒どども、じゃなくて、どど、どぼのっ」

 上手くいわねば格好がつかない、と焦りが焦りを呼ぶ悪循環の、最低な口上であった。

「噛みまくるくらいなら、黙ってろよ!」

 口上はお約束か、とおとなしく聞いていたマーカイ獣も、さすがに忍耐の限界に達してしまったようで、イラつき隠さず牙をむき出し怒鳴った。

「きき、昨日は練習でちゃんといえたもん!」

 ほのかは恥ずかしさをごまかすように、声をひっくり返して叫んだ。

「変身してもバカはバカ、って噂は本当だったんだな」

 マーカイ獣ヴェルフは、肩をすくめ苦笑した。見下しているどころか、哀れみすら浮かんでいる表情であった。

「ほのかーっ!」

 怒鳴り声を張り上げたのは、ニャーケトルである。ふわふわと、ほのかの眼前へと迫り、ぽかんと頭を殴り付けた、

「アホな噂を立てられてんじゃねえよ! 舐められっだろがあ!」
「バカっていう方がバカなんですう!」
「てめえを見てりゃあ誰だっていうぜえ!」
「こ、これから戦いだというのに、そんな人の気持ちを盛り下げることいって、なにかいいことあるんですかああ!」
「うるせえな、いちいち涙目になってねえで、とっとと狼野郎を倒せよ!」
「いわれなくても……あれ? いないっ!」

 きょろきょろ周囲を見回すが、マーカイ獣の姿が見えず。
 風を切る音に、ふと見上げると、

「死ねえ!」

 マーカイ獣が、ほのかへと落ちてきた。
 丸太のような太い腕をぶんと振って、ほのかの顔へと、鋭い爪を打ち下ろした。

     17
 まるでパワーショベルで掘ったかのように、大きく深く、えぐられていた。

 地面が。
 マーカイ獣ヴェルフの、鋼のように硬く巨大な爪が、砂場の砂をかくように見るも簡単に切り裂いたのである。

 本来こうなるべきは、ほのかの肉体であったが、彼女は間一髪、横っ飛びでかわしていた。

 マーカイ獣は、逃した獲物へ向き直ると、地を蹴り風のような速さで跳び、再びほのかを攻撃した。

 だが巨大な爪が切り裂くは空気。

 単発では終わらず、さらに、ぶん、ぶん、と巨大な爪が襲うが、ほのかは、横へ、後ろへとステップを踏んでなんとかかわし続ける。

 大振りの一撃を身を屈めてかわすと、その隙をついて、ひゅん、と大きく後ろへと跳躍して木陰へと身を潜めた。
 木陰を使って見えないようにしながら、さらに後ろの木、後ろの木へと跳ぶ。

「くそ! ちょろちょろしやがって! どこ行きやがった!」

 地を震わすような叫び声が、公園内の空気を轟かせた。

「だって、動かなかったら切り裂かれちゃうじゃないですかあ。ちょっと様子見です」

 生来ののんびり口調で、こそり唇を動かすほのか。

 足元、地面に不意に生じた小さな影に、ぴくり肩を震わすと、瞬時に真顔になって空を見上げた。
 影、巨大な金属の塊であった。
 頭上から落ちてきたそれは、一瞬にしてほのかの視界をすべて塞ぎ、地面へと落ちた。

 どおおん、という音とともに、土が爆発したかのように激しく吹き飛んだ。同時に、ぎしゃああ、と金属のひしゃげる、耳を覆いたくなるような不快な音。

 間一髪のところで横っ飛びでかわしていなかったら、ほのかの肉体はぐしゃぐしゃに押し潰されていたかも知れない。魔道着が身を守っているとはいえ。

 土煙、視界が晴れる。
 空から落ちてきた金属の塊は、自動車、タクシーの車体であった。ひっくり返って、屋根が完全に潰れてしまっている。

 先ほどから公園脇に一台停車していたが、その車体であろうか。
 マーカイ獣が、ほのかのいる場所の見当をつけて、野球ボールのごとく軽々と放り投げた、ということだろう。

 青ざめている、ほのかの顔。
 ぶるぶると震えている、ほのかの全身。

 自分が下敷きになっていたかも知れない、という恐怖のためではない、
 それよりも、自分のことよりも、むしろ、

「も、もしも中に人が乗っていたら、どうなっていたと思うんですかああ!」

 そう、ほのかの震えは、人の生命を大切に思う優しさからくる怒りのあらわれだったのである。
 マーカイ獣の冷血無情っぷりに、憤り、怒鳴り声を張り上げていた。

「お、おい、ほのか!」

 ニャーケトルの呼び声に、示す視線に、彼女は屈み込みながらタクシー運転席を覗き込んだ。

「人がいたああああ!!」

 ひしゃげた隙間から見える運転席に、ヒゲ面の中年男の姿があったのである。

「だだ、だいじょう……」
「グガーーッ」

 気持ちよさそうな大イビキに、ほのかとニャーケトルは仲良く車体に顔面強打。

「あいたあ。なんか気持ちよさそうに寝てるんですけど……って、お父さんじゃないですかああ! なに仕事さぼってるんですかああ!」

 そう、タクシーの運転手は、ほのかの父、(こつ)(ぶえ)(へい)(はち)だったのである。

「もう、こんな状況になっても眠り続けているなんて、どれだけ鈍いんだか」
「遺伝か」

 ニャーケトルがぼそり。

「なにがですか? 私は鈍くなんかないですよ」
「悪い悪い。分かってるよ、本当はウスノロなんだってこと」
「そうですよお。私はウスノロなんですから。……ところでウスノロってなんですかあ?」

 などと軽口投げ合いながら、ほのかはタクシーの車体に両手をかけると、

「よいしょ」

 華奢そうに見える細い身体の、どこにそんな力があるのか、ひっくり返って逆さまになっていた巨大な金属の塊を、ごろり一回転させて起こしてしまった。

「お仕事を怠けていたこと、お母さんにいいつけた方がいいのかなあ。……それとも、黙っていてあげるかわりに、なんか買ってもらおうかな。……って、それは後の話。それよりも、いまは……」

 ほのかは木陰から、舗装路へと出た。
 ようやく居場所を探り当てたか、正面からマーカイ獣が歩いてくる。

 ばちり火花を飛ばし合う合う二人。
 ほのかは、ぎゅっと拳を握った。


『いまはとにかく、マーカイ獣を倒すこと。たまたま悪運の強いお父さんだったからよかったけど、普通の人だったら絶対に大怪我してたよ。……なんだか今回の相手はやたら凶暴そうで怖いけど、でも、だからこそ……』

     18
 ほとんど同じタイミングであった。
 マーカイ獣ヴェルフが咆哮を上げながら走り出すのと、ほのかが意を決した表情で走り出すのは。

「ファイアリーロッド!」

 走りながら叫ぶほのかの右手に、鼓笛隊のバトンのような、きらびやかに装飾された棒状の物体が握られていた。

 魔法女子の基本装備である、ファイアリーロッドだ。ほのかの一声で、いつでも思念を実体化させて取り出すことが出来るのである。

 ぎゅっと握りしめ、走り続ける。
 風を切って走る二人の距離は、一瞬にして密着するほどに接近していた。
 ぶん、と爪が唸りをあげる。
 ほのかは、身体をひねって紙一重でかわしながら、ファイアリーロッドの先端でマーカイ獣の腹部をついた。

 どおん、と爆発し、二人の姿は真っ赤な爆炎に包まれた。
 マーカイ獣は後ろへ吹っ飛ばされ、技を放ったほのかも自らの爆風によって地面に身体を叩きつけられた。

 ゆっくりと、注意深く、ほのかは起き上がる。
 ふわふわと、ニャーケトルが近付いてくる。

「効果、あったのか……」
「分かりません」

 というほのかの顔に、驚きの表情が浮かんでいた。
 もうもうとした煙が晴れると、そこにはマーカイ獣ヴェルフが、平然とした顔で立っていたのである。

「蚊にさされた方が、よっぽど効くぜえ」

 余裕そうな口調に、表情。
 強がりなどではなく、確かにまったく効いていない様子であった。
 マーカイ獣は、言葉を続ける。

「だけどよ、お前さあ……すっトロそうな顔してるくせに、さっきからチョロチョロと動きやがって、あったまくんだよなあ!」

 吠えた。
 空間どころか時をも揺るがすような、凄まじい吠え方であった。

 どむ!
 一瞬にして、マーカイ獣の上半身が大きく膨らんでいた。ただでさえ凄まじい筋肉量であったのが、数倍に増していた。

 ほのかは、ひいーーっと情けない声を上げ、おどおどした表情で後ずさった。

「や、やっぱり逃げてもいいですかっ?」

 涙目で、ニャーケトルに尋ねる。

「いいわけねーだろ!」
「だだ、だって、なんだかっ、だってだってっ」

 筋肉の塊になったマーカイ獣を指差しながら、必死になにか訴えようとしている。あんな怪物に勝てるわけない、ということだろう。
 だが、その指差す先に、マーカイ獣の姿はなかった。
 消えていた。
 そして、上空でなにかが風を切った。

「くたばりやがれえっ!」 

 情けなく怯えているほのかを、頭上から、マーカイ獣ヴェルフのさらに凶悪さを増した爪がぶぶんと唸りをあげて襲った。
 紙一重、なんとかかわすが、そこへマーカイ獣ヴェルフの、着地ざまの一撃。

 それすらも、とんとつま先で地面を蹴ってかろうじてかわすほのかであったが、だが、攻撃の勢いはあまりにも凄まじく、風圧によって吹き飛ばされていた。

「ぐっ」

 大木に、背中を打ち付けた。
 バキバキと音がして、大木は見るも簡単にへし折れ倒れた。
 それだけの攻撃を受けたというのに、ほのかは痛みに顔をしかめつつも、すぐに立ち上がり、きっ、と前を向いた。

 マーカイ獣ヴェルフが残忍そうな笑みを浮かべ、獲物を仕留めるべく雄叫びあげながら身体を突っ込ませてくる。
 ほのかは、距離を取って体制を立て直すべく、大きな跳躍で後方へ下がった。
 しかし……

「逃さねえ!」

 ぶぶんっ、
 ぶぶんっ!

「え、え……」

 ほのかの目が、驚きに見開かれる。
 マーカイ獣が腕を振るたびに、ほのかの身体が、胸ぐらを掴まれ引っ張られているかのように、引き寄せられていく。

「なにやってんだ、ほのか!」

 ニャーケトルの叫び声。

「吸い寄せられるんです!」
「俺は本気を出せば、このように空間そのものを切り取り、消滅させることが出来るんだよ! お前も空間ごと存在自体を切り取ってやるよ、魔法女子ほのか!」

 喜悦の叫び声、その破壊的壊滅的な攻撃から逃れようと、必死の跳躍を試みるほのかであるが、下がった距離の分以上に空間を切り取られてしまい、二人の間はだんだんと近づいていく。
 あとわずか数メートルというところで、

「武器っ、武器を作れっ!」

 思い出したように、ニャーケトルが叫んだ。

「そ、そうでしたっ!」

 ほのかは必死に抗いながらも、目を閉じて、なんとか集中。念じ、右手に握ったファイアリーロッドを天へと掲げた。

 ごう、と炎の龍が宙をうねり、消えたかと思うと、すーっとなにかが落ちてきた。
 思念を具現化させて、無から武器を生み出す。前回の敵であるマーカイ獣ゾコルピオンとの激闘によって引き出された、ほのかの魔法女子としての新たな力だ。

 ほのかはファイアリーロッドを心の中に戻して、代わりに落ちてきた新たな武器を掴んだ。……のであるが、

「にゃんだ、そりゃあ!」

 ニャーケトルの、なんともいえない間抜けな声。

「え、ええっ! ああっ、これピコタンハンマーだっ!」

 真っ赤な、合成樹脂製で柔らかい、叩くと中の笛でピコッと音が出る。ほのかが手にしていたのは、そんな幼児用の玩具であった。

「ひょっとしてえ……」


 ぽわわわん、とほのかの回想シーン。
 デパートの玩具売り場で、幼児と一緒になって玩具を振り回して遊んでいるところ。


『つ、次っ、次はあ、私がシャラシャラの役ですう。いきますよー、ひっさーつピコタンハンマーーっ!』


 回想シーンの画面にヒビが入り、ガラスのようにバリンと割れ、

「んな幼稚なことばっかりしてっから、そんなもんが出来ちまうんだよ!」

 激怒した表情のニャーケトルが、割れたガラスから顔を出した。

「そ、そんなこといわれてもっ!」
「クソの役にも立たねえもん作りやがって」
「でも、なにか隠された力があるかも知れない。ええいっ!」

 ピコン。

 あと一歩の距離にまで吸い寄せられたほのかの、先制攻撃。ピコタンハンマーで、マーカイ獣ヴェルフの頭を叩いたのだ。

「えいっ!」

 もう一回、ピコン。

「お前なあ……」

 マーカイ獣ヴェルフ、すっかり呆れ果てたか、ぶんぶん腕を振るうことも忘れて棒立ちであった。

 しばし見つめ合う、二人。
 の、間に流れる非常に気まずい空気。
 沈黙。

 その沈黙に、先に耐えられなくなったのは、マーカイ獣の方であった。

「舐めてんのかそれはあ! ふざけてないで、真面目に戦えええ! 俺までバカだと思われるだろうが!」
「ごご、ごめんなさあい。だって、まさかこんな武器が出るなんてえ」
「ごめんだあ? 謝る気持ちがあるなら、まずは誠意を込めて地面に手をついてもらおうか」
「ええーっ! そこまでしなきゃならないことですかあ? じゃあ……ふざけてしまって誠に申し訳ござい……」

 渋々ながらも地面に膝をつき、手をつき、頭を下げて土下座をした……ところを、

「バカめ!」

 グシ、と後頭部を思い切り踏みつけられ、

「むぎゃ!」

 かなり硬い地面なのに、顔面どころか頭部まで完全陥没。
 ずぽんっ、と土まみれの汚れた顔を上げたほのかは、ぷるぷる首を振ると、恨めしそうな涙目をマーカイ獣へと向けた。

「ず、ずるい……」
「てめえがバカなだけだーーーっ!」

 相棒のあまりの情けなさに、ニャーケトルまで涙目であった。

「デブ猫のいう通りだっ! バカは死ねえ!」

 と、マーカイ獣ヴェルフは目の前にひざまずいているほのかへと、ぶんぶんと両手の爪を振り下ろした。
 だが、ほのかのいた場所にほのかはいなかった。

 空中であった。
 ぎりぎりで、大きく跳躍してかわしていたのである。

 華麗にトンボを切って、そして着地。

 どぼお、
 と、不快な音がした。

 道の端の排水溝に、たまたま蓋がされていない箇所があり、運悪くそこに思い切り片足を突っ込んでしまったのである。
 慌てて足を引き抜くが、ブーツはすっかり汚泥まみれであった。

「さ、さ、さっきから卑怯な攻撃ばっかりっ!」

 これで何度目であろうか、ほのかは目に涙を浮かべて、非難轟々マーカイ獣を睨みつけた。

「……単に、お前がバカなだけだろうが。そのデブ猫がいってたこと、聞いてなかったのかよ……」

 聞いていなかった。
 ただし、デブ猫のいっていたことを、ではない。マーカイ獣のいっていることを、である。
 何故ならば、

「私、もう怒っちゃいました……」

 そう、ほのかは静かに激怒していたのである。

 仁王立つ彼女の後ろに、どおおん、と炎の龍がうねうねとうねる。
 ほのかの顔がアップになる。
 自分の感情を押さえ込むように、ぼそり、小さく口を開いた。


「ほのかの、ほのかな炎が……いま、激しく燃え上がります!」


 どどどおおおん、と炎の龍が待ってましたとばかり激しく暴れうねり狂うが、しかし、ここでほのかは突然のテンションダウン、現実に戻って、

「ちょ、ちょっと待ってて下さいねっ。覗いちゃダメですからねっ! 逃げたりしませんから、私」

 と、意表を突かれて唖然としているマーカイ獣へ、ほのかはお願いしながら後ずさり、大きな木の後ろに隠れた。

 ここでナレーション、


『要は、これからパワーアップするつもりなのだが、最初の変身と同様に、やはり服がいったん全部溶ける。ほのかは性格は幼児だが、そういうところだけは恥ずかしいのである』


「幼児じゃないもんっ!」

 などとまたもやナレーションに文句をつけるほのかであったが、最後にギャーッという悲鳴が繋がって語尾がモンギャーになってしまっていた。

 何故にモンギャーと絶叫したかについて説明すると、先ほどからの戦闘による爆音轟音騒ぎを聞きつけたのか、浮浪者たちがわらわら集まっていたのである。

「あっちに行っててくださーい! えい、眠れっ!」

 ファイアリーロッドをひゅんと一振り。
 魔法で浮浪者のおっさんたちを夢の世界へ送ったほのかは、まだいやしないかと辺りをキョロキョロ確認すると、ふうっと息を吐きいた。

 ロッドを持った手を天へと振り上げた。
 詠唱。


「ティル、フィル、ローグ。二つの世界を統べる存在よ。我、契約せし者ほのかが願う。悪を滅し、調和を守護する、さらなる力を!」

     19
 炎の龍が再びあらわれて、ほのかを取り囲み、うねうねと舞い踊る。
 包囲の輪が狭まって、ほのかの身体が完全に覆い隠された。

 龍が離れると、ほのかの魔道着はすべて燃え散り一糸まとわぬ姿になっていた。

 龍の炎の色が、さらに赤く赤く変化したかと思うと、突然ごうと唸りをあげて、ほのかの柔らかそうな肉体を包み込んだ。
 ぐるぐると、炎の龍はほのかの身体を踊るように這い回り、突然、ぱあっと四散して消えた。

 そこには、真紅の魔道着に身を包んだほのかの姿があった。
 スカーレットフォームと呼ばれる、彼女の強化形態である。

「なんでいちいち服が溶けるんですかあ!」

 強化変身のバンクシーンが終了するや否、顔を赤らめて文句をいうほのか。

 その問いの、答えを述べるは簡単だ。


『お約束だからである』


 はーあ、とため息を吐いたほのかは、まだまだ吐ききれていないようであるが、キリがないと諦めたようで、

「まあ、いいや。……行きますっ!」

 たーん、と跳躍して巨木を軽々楽々と飛び越えていた。
 変身のために身を隠していただけであり、マーカイ獣は木の裏側にいるので、別に飛び越える必要もないのだが。

 それはさておき巨木を飛び越えたほのかは、マーカイ獣の前にすたっと着地。ぴしっとポーズとりながら決め台詞だ。

「パワーアップに勇気も無限。魔法女子ほのかスカーレット! この正義の炎をにゃみに、闇に、びゃっこする、ちみりょ……ちりみょ、えと、ちり、ち、ちみっ……」
「だから、噛みまくるくらいなら無理していうんじゃねえよ!」

 魑魅魍魎をいえず悪戦苦闘しているほのかにイライラしたか、マーカイ獣は怒鳴りながら、振り上げた腕をあらん限りの力で振り下ろした。

 がつっ!
 骨の砕けるような、鈍く不快な音が響いた。

 マーカイ獣ヴェルフの鋼のような爪が、ほのかの顔面に打ち下ろされたのである。

 空間を切り取り消滅させるほどの威力を持った、恐ろしい一撃を、ほのかはついに受けてしまったのである。

 ほのかの顔面に爪を食い込ませたまま、ニヤリ笑みを浮かべるマーカイ獣ヴェルフであるが、その笑みが驚愕に変わるまで一秒もなかった。

「それで、終わりですか?」

 ほのかが、まるでなんともない様子で、口を開いたのである。
 実際、ほのかの顔には傷ひとつ、かすりキズすらも、ついていなかった。

「バ、バカなっ! 俺の、俺の死の爪を受けて、なんともないはずが……」

 ずっず、とマーカイ獣は後ずさる。
 恐怖の形相で。

「終わりなら、今度は、こちらの番です」

 ほのかは、そっと目を閉じ、念じる。
 小さく口を動かし呪文の詠唱。

 いつの間にか、右手にグローブがはめられていた。
 デコボコとしたいびつな形状で、いたるところ機械仕掛けの、大人の頭部なみに巨大なグローブが。

 その得体の知れぬものに本能が危機を察知したか、マーカイ獣は息を飲み、後ろへと跳んだ。

 距離を空けようとしたのだろうが、しかし、その距離は跳躍前と寸分も変わらなかった。ほのかが、その分前進して詰めていたのである。

 光一閃。
 魔法のグローブによる一撃を頬に受けて、その圧倒的な破壊力にマーカイ獣ヴェルフはひとたまりもなく吹き飛ばされていた。

 だが、どこまで飛んで行くのかというくらいの勢いで吹き飛ばされたはずなのに、次の瞬間には、ぐん、と方向が変わって吸い寄せられるようにほのかへと戻っていく。

 吸い寄せられるように、というよりも、実際に吸い寄せられていた。
 パンチの勢いが作り出す真空によって。

「お、俺と似たような技でっ」
「お返しですう」

 ぶん、ぶん、右手のグローブが唸りをあげるたびに、マーカイ獣ヴェルフの身体がぐんぐん引っ張られて、あっという間に二人の距離は目と鼻の先。
「くそおおお!」

 空中で、体制不利ながらもマーカイ獣ヴェルフが爪を振り上げた瞬間である。

 ほのかの、天に穴を穿つような燃える炎のアッパーカットが、マーカイ獣の身体を捉えていた。

「ぐあああああ!」

 地獄の業火に全身を焼かれながら、
 断末魔の絶叫をあげながら、
 火山の爆発のように噴き上がりながら、
 マーカイ獣ヴェルフの肉体は、ぼろぼろと崩れて空気に溶けていった。

 それを見上げていたほのかは、戦いが終わったことを確信すると、グローブをはめたままの巨大な手を高く掲げて、


「ほのか、ウイン!」


 にっこり笑って自画自賛の勝利ポーズを決めた。

     20
 (こつ)(ぶえ)ほのか、
 ()()ないき、
 (たか)()(ゆう)()

 公園の中で三人は、茂みに身を潜めている。
 噴水の前に立っている二人を、固唾を呑んで見守っている。

 島田悟と、早川香織、数歩の距離でお互いを見合っている二人を。

「なんかさあ、こそこそしてて、後ろめたいなあ」

 雄也がぼそり。

「でも島田の奴が、見ててくれ応援しててくれ俺にパワー送ってくれ、ってこうしてあたしらを呼びつけたんだぜえ」

 ないきは、むしろありがたく思えといわんばかりの口ぶりである。

「愛の告白、成功するといいですねえ」

 ほのかは、他人のことながらドキドキしてしまって、笑顔が真っ赤っかだ。

「大丈夫っしょ。って確証はないけど、でも大丈夫」

 純情百パーセントのほのかと違って、娯楽百パーセントなのか平然とした表情口調のないきである。

「お、いうぞっ!」

 雄也のこそっと小さな叫び声に、ないきたちは口を閉ざし、耳を澄ませた。

「お、お、お、お」

 前回同様、相変わらずつっかえつっかえの悟であった。前回はこのあと、ほのかの顔を真っ赤にさせるとんでもないことをいったのだが。

「お、お、おれ、おれっ、おれっ」

 今回は大丈夫のようである。

「頑張れっ!」

 ほのか、両の拳を強く握り締めながら、茂みの陰からぼそりこそり。

「負けんなあ。うおーっ」

 ないきも、バレない程度の大声で、右手を天へと突き上げた。
 彼女らの応援が届いたのか、ついに悟が、

「おれっ、おれっ、おれとっ、とっ、つきっ、つきっ、付き合っ!」

 告白の言葉が喉元に出掛かった。
 だが、
 しかし……
 付き合「って」、の口の形になったタイミングであった。

「おい、香織、なにやってんだよ?」

 えんじ色のブレザー、他校の制服を着た、すらり背の高い男子があらわれたのは。

「ああ、孝一(こういち)くん」

 香織は、ニコリ笑顔を作った。
 知り合いのようである。

「だ、だだっ、だだっ、だだっ、だれ誰っ?」

 悟はすっかり狼狽した様子で、両手の人差し指をぶんぶん振り回した。
 つっかえつっかえようやく発した質問であるが、答えが返るまではほんの一瞬であった。

「彼氏だけど」

 それがなにか? といったような香織の表情。
 悟は、あまりの驚きに、張り裂けそうなほどの大口を開けていた。

「か、かかっ……」
「それよりも、島田くんの用ってなんなの? 私たち、これからデートだから、早く済ませたいんだけど」
「あ、ああっ、えとっ、えとっ、妹がさっ、お、お前のこと気にいっちゃって。たまたま近くにきたから、とか、なんとなあく、とかでいいから気が向いたらまた遊んでやってくれよな。って、それだけ。ただそんだけっ」
「うん、分かった」

 香織は笑顔で頷いた。

「学校でっ、たたっ頼んでもよかったんだけど俺はっ、なんか勘違いされてもお前が困ると思って。んじゃあなっ、デート楽しんでこいよ!」

 呆けた表情ながらも格好つけた台詞を吐いて、ぶんぶんぶんぶん手を振って香織たちカップルを公園から送り出したはいいが、いつまでも、その表情のまま、立ち尽くしている悟であった。

 茂みの陰から見ていたほのかは、同情禁じ得ないといった、ちょっと悲しそうな顔で、

「まあ、そういう関係も、ありですかねえ。でもなんだか、かわいそお……」
「いやあ、ありもなにも、あいつにはそういう関係程度しかありじゃないでしょ。アホでスケベで悟のくせに、彼女を欲するだなんて、百億年早いんだっつーの」

 ないきはそういうと腹を抱えて、わははははと大笑いを始めた。

「ちょ、ちょっと、ないきちゃんっ、そんなに笑わなくてもお! 目の前で、人が失恋したんですよお! フシンキンだと思いますう」
「だあって、おかしいんだもん。それとそれいうならフキンシンな。ああ、しかしおかしい最高っ!」

 と、ないきが、なおも振られっぷりに大爆笑していると、

「そんなにおかしいか?」

 いつからいたのか、悟がすぐ前に立っていた。
 恨めしそうな顔で。
 ないきは、びっくん肩を震わせると、一瞬浮かべたやべっという表情を、ごまかすような笑顔で隠しながら、

「あ、あっ、いや、ごめんね悟くーん。落ち込むなよお。元気出せーっ」

 と、しゃかしゃか悟の頭をなでるが、

「もうおせーーーっ!」

 叫ぶが早いか、悟はないきの制服スカートを両手でがっし掴んで、はぎ取らんばかり全力全開容赦なく躊躇いなくめくり上げていた。
 ないきの顔が隠れてしまうくらいに、目いっぱい限界まで。

 ないきの顔に「!」が浮かんだ瞬間には、悟は既に横へステップを踏んでほのかも同様の毒牙にかけていた。

「てめ、なにしやがる!」
「なんで私までえ!」

 二人は裏声で絶叫しながら、スカートを両手で押さえ付けた。

「うるせーっ、ブァーカ!」

 悟はあかんべえをすると、掴みかかろうとするないきの手をかいくぐって、お尻ペンペン挑発した。

「待てえ!」

 追いかける女子二人であるが、悟はすばしっこく、なかなか捕まらない。

 なんとなく雄也の方を見たほのかは、彼の顔が赤くなっていることに気づき、自らもぽあっと燃えるように真っ赤になった。まるで自分の髪の色のように。

「雄也くん、さては見ましたねえ!」

 標的変更、ほのかは雄也へと詰め寄った。

「べべ別にっ、な、なんにも見てないっ!」

 雄也は、踵を返して逃げ出した。

「怪しいっ!」
「怪しくないっ!」
「白状しなさあいっ!」

 逃げる雄也に、追うほのか。

「わはははは!」

 いつの間にか、ないきと悟が、取っ組み合って脇腹をくすぐり合っている。
 ほのかは、雄也を追いかけながらちらり横目で悟たちを見て、思わず微笑んでいた。


『やっぱり悟くんは、こうでなくっちゃダメですよねえ』


 ぽわわわわん、という音とともに映像範囲が急速に狭まって、画面左上の、ほのかの顔だけが丸い枠で残り、他の部分はすべて青い色になった。
 いわゆる丸ワイプである。
 その中で、振り向いたほのかが、カメラ目線になって口を開く、

「まっ、とりあえずは、めでたしめでたしってことで、いいのかな?」

 ふふ、
 と微笑んだその瞬間、

「ひゃあっ!」

 びっくり顔になって悲鳴を上げていた。
 ワイプの枠がぐーっと広がって、ほのかの全身が映る。
 背後から寄った悟によって、またスカートを豪快にめくられて下着全開になっていた。

「お前はあっ」

 と、都賀ないきが背後から悟の首根っこをがっしと掴んだ。

「いい加減にっ、しろおおお!」

 怒鳴りながら、画面へ向かって容赦なく顔面を叩きつけていた。

 むちょーーーっとガラスに押し付けられたような悟の顔。
 画面にピシパシと無数の亀裂が入り、そして、ガシャアンと砕けた。

     21
 ストリングスの、伸びやかで、少し物悲しい音色。


 暗い空間に、
 なにかが丸まっている。


 接近しすぎており、なんだかよく分からないが、


 あたたかそうな、
 やわらかそうな。


 画面中央に、ぼーっと白い文字が浮き上がった。


   脚本


 しばらくすると、その文字はぼーっと消えて、
 続いて、


    レンドル


 続いて、


   キャラクターデザイン


    トゲリン


 暗闇に丸まっているものを映しているカメラが、ゆっくりと回りながらゆっくりと引いていく中、女性の、力強くも寂しい、優しい、歌声が流れ始めた。


   声の出演


   惚笛ほのか


    あつーん


 中央で切り替わっていくクレジットとは別に、画面下には歌詞が表示されている。



  ♪♪♪♪♪♪

 そっと目を閉じていた
 波音ただ聞いていた

 黄昏が線になって
 すべてが闇に溶け

 気付けば泣いていた
 こらえ星空見上げる

 崩れそうなつらさの中
 からだふるわせ笑った

 生きてくっていうことは
 辛く悲しいものだけど

 それでも地を踏みしめて
 歩いてくしかないよね

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 もう迷わず

 輝ける場所がきっと
 待っているから

 星は隠れ陽はまた登る
 暖かく優しく包む

 永遠の中

 出会えたこの奇跡に
 どこまでも飛べる きっと




 幸せは大きいより
 ささやかがいいよね

 胸のポケットに入れて
 大切に育てられる

 もし見失って
 立ち止まっていたら

 そのまま耳を澄ませば
 必ず呼んでいるから

 この世にいることに
 意味があるかは分からない

 それでもその笑顔を
 守りたいと思うから

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 強がらずに

 優しさを分かち合おうよ
 意味など考えずに

 見上げれば青い空
 大地には花 風は静か

 信じてるから

 もう二度とない奇跡に
 また歩き出せる きっと




 この世にいることに
 意味があるかは分からない

 それでもその笑顔を
 見ていたいと思うから

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 この懐かしい

 地図を確かめながら
 風になでられながら

 悲しくても笑うんだね
 嬉しくても泣くんだね

 生きているから

 生まれたこの奇跡に
 小さな花が心に咲いた

  ♪♪♪♪♪♪



 薄いシーツにくるまり丸まっている、ほのかの安らかな寝顔。


 映像が、すーっと闇に溶けていく。


 真っ暗になった画面。


 やがて、ぼーっと白い文字が浮かび上がる。


   制作 スタジオSKY&A 

 

第九章 伝説のはじまり

     1
 ぶーー。

「お、またきたっ」

 定夫たち四人の携帯電話が、一斉に振動した。
 メールが届いたのだ。

 アニメに対しての感想であった。ストーリーと作画、及びほのか役の声優についてベタ褒めの内容だ。

 ぶーー。
 また、携帯が振動する。
 今度は、ダメ出し及び続編要望だ。

 ここは(やま)()(さだ)()の部屋である。

 定夫、トゲリン、八王子、(あつ)()殿、の四人は、なんともいえない幸せ極楽な気分で、携帯電話の画面を眺めていた。
 毎日毎日大量に届いているというのに、いささかも飽きることなく。

 アニメを発表してから、今日でちょうど一週間。
 反響は実に大きく、公開しているアドレスに毎日、大量のメールが届く。

 ごちゃんねるなどのインターネット掲示板も、専用のスレが立てられ、賑わっている。オープニングのみを投稿した時も凄い反響だと思っていたが、それを遥かに上回っていた。

 話題が話題を呼んで、Webサイト「コノアニメヲミロ!」に、アマチュアの自主制作物にもかかわらず異例のランクインを果たしてからというもの、話題が話題を呼ぶ好循環が急加速、現在とてつもない賑わいになっているのである。

「お、おっ、ネットニュースにもなってむんぞ!」

 マウスカチカチWebチェックしていた定夫が、びっくりしたような大声を出すと、「え?」と、三人ともモニターへ顔を寄せた。

「うわ、本当ですね。トップページの、エンタメ欄の記事になってる」
「『自主制作アニメ、話題が話題を呼んでアクセス殺到! 記録破る快進撃!』 ……うう、感無量でござーる!」
「コメント欄があるね。読んでみようよ」



 「おれもみてみた。さわいでっから」

 「すげーな。」

 「なにこれ。」

 「こんなアニメあったっけ」

 「知る人ぞ知る『神アニメOP』で、結構騒がれただろが。」

 「お前がイバルことじゃない。」

 「あのオープニグ、女の子が転んでるだけで、てっきり神社でゆるゆるトークしてるだけのかと思ったらバトルものだったんだな。」

 「パイロット版の時の、オレのダメ出しがかなり生きている。だから、これ作ったの実質オレ。」

 「なんか、懐かしい雰囲気のアニメだよね。」

 「だってOPの曲からしてモロ大昔のオシャレアニソンだもんな。」

 「ぽよよよと円形の窓型に画面が残って終わる、って昭和かと思った。『なんでこーなるの!』みたいな。」

 「野郎の声はヘボでクソでしゃーないけど、女の子の声、かなりイイ!」

 「女子の声、全部一人なんだろ、エンドロールによると。『あつーん』って人。みんな違って聞こえるんだけど、エフェクトかけてんのかな。」

 「エンディングもその女なんだろ。あの歌も、かなりいいよな」

 「全体的に古臭い。センスない。つまらん。みる価値なし」

 「センス分からんお前に贈る言葉がある。『市っ 根っ』」

 「むしろ、技術的には素人なのを、それをセンスだけであそこまでに高めてんだよ。」

 「そうそう。時代逆行もいいとこな内容を、それを最先端センスでやってんだよな。だから、ありそうでない作品になってる。」

 「女の子の声、とってもイイ!」

 「確かに。」

 「あつーんモエズム!」

 「有名な声優だったりして。実は。」

 「映像もだよ。ほんとにアマチュアの作品なのかな。」

 「チャチといえばチャチなんだよな。でもプロが、わざと制限された環境でのアニメ作りにチャレンジしているようにも思える。」

 「どこかの企業の、ドッキリ企画とか。」

 「そうでなくとも、ゼンダイとか佐渡川とかが飛び付くかもなこれ。」

 「ありそう。やりかたによっては、こんな美味しいシチュエーションないからな。ネット生まれというのも含めて。」

 「も一回アニメみよーっと。」

 「つか混んでてまともに再生されないんだが」

 「ローカルに落とせよ。負荷凄くて新規さんがかわいそうだろが」

     2
 アニメ部門アクセスランキング、トップ独走。
 ごちゃんねるアニメ板、一日書き込み数最高記録達成。
 その他の掲示板や、アニメ評論家からの高評価。
 絶えることなく届き続ける、感想や激励のメール。


 とくれば、そう、


 続編、
 テレビアニメ化、
 OVA化、
 サントラ発売、
 劇場版制作決定、
 アニメアワード受賞、

 メディアミックス、


 つまり、


 ゲーム、
 コミック、
 小説、
 ミュージカル、


 そして、


 世界進出!


 夢ドリームッ!!


 と、胸の奥の夢ドリームが無限に膨らんでゆく四人であった。
 天井を見上げ、みんな呆けたような変な顔で。

「でもとりあえずのところ、続きどうしようか。真面目な話」

 定夫が素に戻り、問う。
 膨らむ夢はそれはそれとして、まずしっかり地に足をつけないことには始まらない。

 にまにま顔で携帯電話を握り締めていた八王子が、ぷるぷるっと顔を振って、

「この野望をどんどん大きく広げていくのだったらさあ、誰か他に、絵を描ける人を探したいよね。トゲリンの負担を減らす意味で」
「そうでござるな。負担云々というより、得意分野の住み分けということで、背景を上手に描ける人を。拙者はキャラ以外はとんと苦手で、今回の製作では写真を撮って上からなぞってみたりするなど、相当な苦労を要したところであるので」

 最初は、撮影した背景用写真を取り込んで、手書き風のエフェクトをかけてみたのだが、合わせてみるとどうにもキャラクターの絵柄になじまず、最終的にはすべてトゲリンが自らの手で描いたのだ。「下手だが味がある」といったいわゆるヘタウマ風にすることにより、なんとかごまかして。

「声なら、あたしの知り合いが何人か紹介できるかもです」

 敦子にアニメファン仲間はいないが、以前に短期ボイトレなどを受けた際に知り合った、声優を目指している女子とメールアドレスを交換してあり、いつでも連絡は取れるとのことだ。
「キャストの変更はしたくないから、新キャラ次第ではお願いするかも知れない」
「続編、と簡単にいってもさあ、同じような内容のをダラダラやるだけじゃ、なんだよね」
「そうでござるな。いくら昔のテレビアニメを目指したからといっても、昔のように四クールも見させらては飽きるでありござるからなあ」

 トゲリン、語尾が奇妙になってしまったのをごまかすように、はははとニチョニチョ声で笑った。

「そこは別に、現代っぽく一クールものでいいんじゃないか? 五十話作るなんて、どのみち無理だし。今回作ったのを第三話くらいとして、前と後ろを考えよう」
「どうせなら、ショッキングな展開がいいなあ。観る人を驚かせたいし」
「ほのかの正体は異世界古代のロボットだった、とかでござるか? 自分も親も、その事実を知らずに普通の人間と思って生きてきた」

 トゲリンが、八王子の案に食いついた。

「でもお、体内に機械の部品があれば、気づくと思いますよ」

 敦子がささやかなツッコミを入れる。

「しからばそこは、空間元○固定装置のパターンで。まあとにかく、そういうのは設定でいくらでもごまかせるでござるよ」
「そんなもんですか。人類こそが実は侵略者だったあ! とかそんな感じですかね。ありがちですけど」
「ありがちでいいんだよ。で、衝撃の事実を知ったほのかは、仲間に反旗を翻し、血みどろの戦いの上、最後は共倒れで消滅、とか」

 八王子。自分の発言した、ショッキングという言葉に、どんどんイメージを膨らませているようである。

「いやいや、さすがに悲しすぎるだろ! 却下却下」
「でも素人が無難にインパクトを狙うには、最低これくらいやらなきゃあ」
「ならば、少しそのテイストを残しつつも、根本からしっかり練り直そう。といっても既存作品の修正はもう無理だから、矛盾なく詰め込めた設定を膨らませる感じで」
「背景設定を熟考するより前に、残りメンバーの変身のモチーフ。水と風と地、誰が誰でというところを考えようではござらぬか? ここが適当なままであったから」
「適当過ぎて、色々やっちゃったところがあるもんね。髪の色からして、らせんは水なんだけど、性格的にはどう考えても火だもんね」
「『ほのかのほのかな炎が』、って超パワーアップのところの台詞やイメージから入ったからな、キャラ作りが。だからほのかは炎キャラで赤なんだけど、でもそのシーンどうしても敬語で喋っているところ以外想像出来なくて、そのせいで、ほのかが炎のくせに敬語キャラになっちゃったんだよな。みんなで掛け合いするところは、敬語ということにいまだ違和感あるけど、まあ四人の個性を出すという意味では、よかったのかな」

 キャラ作りの苦労を語るは山田レンドル定夫総監督。

「レンドル殿、不意に一つ気になったのでござるが、『かるんには、ひょっとして精霊の姿が見えているのか』、のようなオチにするといっていたが、なっていなかったでござるな。いかような理由での変更であったか」
「ああ、あれな。確かに最初は、バイト先の神社で四人がゆるゆるの掛け合いをしながら終る予定で、脚本も起こしたんだよ。だけど、その前の悟の香織への告白のとこが『うやむや』『期待あり?』『ひょっとして?』という感じだった初稿が、どんどん変わってしまって最終的には『明確な失恋シーン』になってしまった。なら、そこをオチに持ってきてしまった方がいいのかな、古いアニメっぽく終わらせられるし、ってことで予定していた最後の掛け合いがなくなり、従ってかるんのそのシーンもなくなった」
「得心いったでござる。ところで反旗を翻して云々という八王子殿の案であるが、それを膨らませるとするならば、まず対立関係をはっきりさせたい。ほのかが、残り三人の魔法女子と戦うということなのか、それとも二人と二人に分裂するのか、それとも新魔法女子もしくはヒューマンタイプ女性タイプのマーカイ獣などを出して、ほのかたち四人全員が人類の敵ということでその新キャラと戦うことにするのか」
「そりゃあ当然…………どうしようか」

 八王子が腕を組んでうんうん考えていると、敦子がおずおずと小さく右手を上げてぼそり、

「あのお、一つ確認をしておきたいんですが、今回ネットに公開したお話、作品が完成したその時点では、いま皆さんがおっしゃっているような設定はまだまったくなかった、ということでいいんですよね? 戦い合うとか、人類の敵とか」
「そうだね」

 野郎三人を代表して、八王子が答えた。

「ならあたしは、続編の構想が固まるまでは、単なるほんわかバトルヒロインアニメだと思うことにします。もちろん最終的な決断に従いますけど、それまでは好きなイメージに浸らせてください」

 というと敦子は、自分の胸にそっと手を当てて柔らかく微笑んだ。

「そういうふうにも思えるラスト、って出来ればいいんだろうけど、どこかで斬り捨てはしていかないとな」
「そうだね。よくさ、ラストをうやむやにするという手法があるじゃない? でもさ、そういう終わらせ方を嫌う人も多いんだよね。だから、『視聴者全員の期待に沿う』というのは無理だよね」
「そうでござるなあ」

 などと四人が話し合っている間にも、彼らの携帯がぶーっぶーっとひっきりなしに振動し、メールの到着を知らせている。

 定夫がなんとなくパソコンの掲示板を更新させてみると、ほんの五分ほどの間に、もう三百件近い書き込みがされていた。

 ネット上に、大きな掲示板やコメント欄は一つではなく、また、ほのかを語るはネットのみにあらず。
 現在どれだけの人が、「魔法女子ほのか」を語っているのだろうか。

「続きをどういった展開にするか、なんか責任重大な気がしてきたよ」

 定夫は、ごくり唾を飲んだ。

「気がする気がしない、ではないでござるよ。続きを作るのであれば、これだけの人がいることをしっかり受け止めて、よりよい作品を作る義務があるでござるよ。ニンニン」

 モニターに映る掲示板のメッセージへと、トゲリンは脂肪まみれの手のひらを差し出した。

「な、なんか凄いことになってきましたね。本当に」
「ぼくたちのように、グループとして小さいからこそ可能な、視聴者とキャッチボールが出来るような、そんなものを作れたら最高だよね」
「いやいや、既に半分それだろ。だってネット民たちの反響が、本編を作る原動力だったんだから。……しかし返り見るに、ほんと凄いアニメを作ってしまったんだなあって思うよ。我ながら。いや、我々ながら」
「アニメマニアのアニメマニアによるアニメマニアのためのアニメでござるな」
「そうだね。もちろん一般も歓迎だけど。なんかやる気が出てきたあ! よおし、しっかりプロット固めて、矛盾点も吸収して、後世に残るような凄い作品を作るぞお!」

 八王子、すっかりハイテンションであった。

「伝説を作るでござるでばざーる!」

 そのハイテンションっぷりを受けて、トゲリンもネチョネチョ声を張り上げ絶叫した。

「ほのか、ウイン!」

 敦子が唐突に右腕を突き上げた。ほのかの勝利ポーズだ。

「あたしの、生涯の代表作です!」
「ウイン!」

 八王子とトゲリンが同時にズバッと、ちょっと遅れて慌てたように定夫も腕を突き上げ、敦子と腕を並べた。

「ほのかあ、ウインッ!」

 三銃士とダルタニャンの大声が、むさ苦しいオタ部屋にバリバリ轟くのだった。

     3
 ある晴れた日の晩。
 まあ家の中なので天気はあまり関係ないが、(さわ)(はな)(ゆう)(いち)は家の居間でソファに腰掛けのんびりテレビを観ていた。

 アニメではない。健康情報バラエティだ。
 彼は別に健康オタクというわけではないが、この番組は出演者や演出の面白さが好きで、よく観ている。

 テレビの音声に混じって階段の方から、

「ふんふんふーん」

 と、微かな鼻歌が聞こえてきた瞬間、祐一の顔がピクリ痙攣した。
 ふーーっ、とため息、条件反射的にげんなり顔になっていた。これが漫画なら、顔に無数の縦線入っているくらいの。

 鼻歌が大きくなってきた。
 二階から降りてきた妹の敦子が、すーっと滑るように軽やかな足取りで居間へと入ってきた。

 ふっふふっふふーん、笑顔鼻歌、祐一の前を行ったりきたり。祐一の膝とテーブルとの、狭い間を強引にスキップで抜けようとして突っ掛かって思い切りコケたり。

 この数日、いつもこんな調子である。

 尋ねて欲しいのだろう。
 聞いてもはぐらかして教えないくせに。

 絶対に無視してやる、と思っていた兄であったが、目の前でくるくるくるくる回り出すなど妹のあまりのうっとうしさに忍耐限界、

「機嫌がいいじゃんかよ」

 結局、話しかけてしまった。畜生。

「いやあ、普通だよお」

 にまあーっ。敦子は、まるで加熱したバターのようにとろける笑みを浮かべた。

「ちょっといいことあったとかあ、そんなこと全然ないよお。だってあたしまだ夢のスタートラインにも立ってないしい」

 ふんふん、くるくる、スキップでコケると、ぐおっと勢いよく立ち上がり(兄の視界を完全に塞ぐように)、

「さーて今日もはりきって発声の特訓だああ! まずはキャラ百本ノック! 『なにやってんだよお』を、女子大生でえ、なにやってんだっよーーっ!」
「テレビ観てんだよ! 邪魔だあ!」

 怒鳴り声を張り上げながら、妹の頭を容赦なく二度ほど殴り付けると、部屋から叩き出した。

 どうせまた三十秒くらいで、何事もなかったようにニヤニヤしながら戻ってくるのだろう。うおーっ、とか部屋の中を小走りしたりして。
 ふーー、とため息ひとつ。


 三十秒後、祐一の予言は的中した。

     4
 「魔法女子ほのか」という壮大な物語を完成させるべく、四人は日々集まっては、着々と構想を練り続けていた。

 四人、
 レンドル (やま)()(さだ)()
 トゲリン (なし)(とうげ)(けん)()(ろう)
 八王子 ()()()()(ひこ)
 敦子殿 (さわ)(はな)(あつ)()

 構想の大枠は、もうだいたい固まりつつあった。
 まず決定事項としては、大きく次の三つ。

 続編構想会議の初期に八王子が提案した、血で血を洗うドロドロ展開で行こうということ。

 四人の魔法女子は、異世界しかも既に滅んでいる古代人が作り出した元素種(エレメンタルシード)から生じた人造人間(アンドロイド)であるということ。

 対立の構図としては、「ほのか、ないき」対「らせん、かるん、ありむ(魔法女子の新メンバー)」。

 現在検討中なのは、シリアル路線への移行タイミングと、ラストである。
 特にラストが喧々囂々、いくら話し合ってもなかなか方向が定まらない。

 地球が滅び、宇宙すらも消滅してすべて無に帰すのが、定夫の案。

 ほのかたちは滅ぶが、地球は救われて終わるのが、ネチョネチョの案。

 地球もマーカイも魔法女子も滅ぶが、ほのかたちの起こした奇跡に、地球が異世界と融合を遂げて復活するのが、八王子の案。

 敦子は、自分で考えた案はないが、どれかを選ぶのであれば八王子派だ。姿形こそ別物とはいえ、元気なほのかたちを見ることが出来るからだ。

 会議初期には、「それは悲しすぎるだろう」と、八王子案を否定していた定夫であるが、救いのなさという点では定夫の案が一番酷い。
 その救いのなさから、何を学ぶかだ。と定夫は思っている。

 第一作目(エピソード3)であるが、設定が完全でないまま見切り発車で作り上げてしまったものだから、振り返って見るまでもなくかなりの矛盾点を含む作品になってしまっている。

 その矛盾を解消するのみならず、むしろ昇華させるような、巧みかつ斬新な設定を作ること、
 ラストをどうするかということ、
 ほのか側にも新魔法女子を作るべきか否か、

 と、いった点をはっきり決めきってから、コンテ作りやビジュアルデザインに取り掛かろう。と、日々熱く語り合いながらシリーズとしての概要を煮詰めていく定夫たちであったが、


 青天の霹靂に、彼らのアニメ作り(ものがたり)は急転直下の展開を迎えることとなった。


 いや、予見出来ないものでは、決してなく、むしろこの活動の真っ直ぐな延長上に用意されていたもなのかも知れない。
 いずれにしても、彼らを驚愕させる衝撃が襲ったのは間違いのないことだった。

 なにが起きたのか、説明しよう。
 ある一件のメールが届いたのである。
 もう三日も前のこと、ただ、気付いたのはほんの少し前だ。

 ほのか制作委員会(正式名称は、スタジオSKY(スカイ)&A(アンドエー))として取得公開しているメールアドレスが一つあり、それを各々の携帯電話に転送して各々閲覧しているのだが、毎日毎日あまりに膨大な件数が届くため、四人ともすっかり見落としていたのだ。

 気が付いたのは、敦子である。
 新キャラのキャスティングに備えて、知り合いからのメールを検索していた際に、たまたま発見したものだ。

 差出人は、あるアニメ制作会社の担当者であった。
 メール内容を単刀直入に説明すると、



 魔法女子ほのかを、テレビアニメ化したい。



 どむっ!

 涙目で狂乱したように慌てふためく敦子に急かされるようにメールを目にした瞬間の、定夫の、心臓の音であった。

 とてつもなく分厚い脂肪の奥なので、聞こえるはずもないかも知れないが、でも確かに定夫は、自身の胸のたかなりを聞いたのである。

 どむっ!
 どむっ!

 続いて、トゲリンと八王子の、心臓が爆発した。
 他人の心音がこうして聞こえてしまうくらいだから、自分の音が聞こえるくらいは当然というものであろう。

 心臓の音などかわいい方で、トゲリンなどギョンと槍のように鋭く飛び出した目玉が眼鏡のレンズを突き破っていた。咄嗟に避けなければ、定夫の脳天はほぼ間違いなく槍に貫かれて即死していただろう。

 現実に心が戻るまでに、どれだけの時間を要したであろうか。
 定夫は、そおっと手を伸ばし、トゲリンの腕をぎゅうっと思い切りつねってみた。

「痛い!」

 ネチョネチョした悲鳴が上がる。
 夢じゃない。
 ごくり、と定夫は唾を飲み込んだ。

 ネットでの高評判を受けて、テレビアニメ化という野望は夢として抱いてはいたが、そう簡単にかなうようなものではないことも理解していた。
 続編を作るにしても、あくまで同人誌のような、分かる人に分かってもらえばよい、というそんなレベルの代物であろうと心の奥では思っていた。

 それが……
 こんなにあっさりと、他から展開の話が来て、
 しかも、それがいきなりテレビアニメとは。
 ネットでもOVAでもない、王道の中の王道であるテレビアニメ。

 夢としか思えないが、だが現実なのだ。
 このメールを信じるのであれば、という前提付きではあるがこれは現実なのだ。

 嗚呼、
 テレビアニメ化。

 どこだろう。東京TXかな、やっぱり。深夜枠かな、やっぱり。贅沢はいっていられないが。

 意外と人気が出て、一期、二期、三期、とシリーズ化したりして。
 OVA化、したりして。
 劇場アニメに、
 ゲーム化、
 スピンオフ、
 漫画、
 落語、
 意表ついて紙芝居、人形劇、
 カード入りほのかスナック、
 トレーディングカード、
 山手線で、車体広告、
 小説、
 フィギュア発売、
 制作者インタビュー、
 海外で放映、
 つまり、
 世界征服!


 伝説の、始まり……


 そんな言葉を胸に唱えながら、
 定夫は、
 ぎゅっと、脂っぽい拳を握りしめたのである。

     5
「おお、押す、押すでござるよっ」

 震える定夫の声。トゲリンのようなサムライ言葉になっているのは、いかなる理由か。

 同じ長椅子にぎゅうっと肩寄せひしめき合うように座っているトゲリン、敦子、八王子が、緊張した面持ちで定夫の言葉にこくこく頷いた。
 定夫を含め四人とも、バリンバリン割れそうな顔だ。

 テーブルの反対側には一人掛けの椅子が二台並んでおり、うち一台に、薄い色のサングラスをかけた背広姿の中年男性が座っている。

 その隣は空席。サングラスの男性が、「こっち空いてるから」と促したのに、定夫たちが「メッサーラ、じゃなくてメッソーもないっ!」と、首と手をぶんぶん振って断固拒絶したのである。

 と、そのようなわけで定夫たちは現在、米も餅になりそうなほどにぎゅううーっとくっつき合っているのであった。

 ここは東京都杉並区和田にある、小さなビルの四階。

 星プロダクション。
 日本アニメが好きな現代人ならば知らない者はいないくらいに有名な制作会社の、自社ビルだ。

 代表作は、「(ばく)(おう)(でん)ガイ」「くじゃくピーコック」「はにゅかみっ!」など。

「おお、押すっ、押すでござるよ」

 定夫は、もう一度いうと、ぶっとい指につままれた判子を、ゆっくりと下ろしていった。

 緊張した表情でトゲリンたちが見守っているが、四人の中で一番緊張しているのは、間違いなく判子を手にしている定夫自身であろう。
 指先どころか全身が、雨に濡れた子猫の身震いのようにぶるぶるぶるぶる。子猫と違うのは、撒き散らすのが雨粒ではなく汚らしい脂汗というところか。

 ちょっと気を落ち着けよう。ふーっ。落ち着こう。ふーっ。と、いったん手を引っ込めると、ポケットからハンカチを取り出して、眼鏡の下にもぐらせて顔面をぐりぐり拭った。

 拭っても拭っても、脂汗がとめどなく滲み出て来る。
 緊張からの汗だ。
 脂肪に揉まれながらどくどく動く心臓が、その脂肪をぶちゅぶちゅ押し出しているのだ。そうかどうかは分からないがおそらく間違いない。

 定夫は、この杉並区の地に降り立ったのは、今日が初めてだ。通り過ぎて秋葉原に行くのはすっかり慣れっこだが、地に降りたのは初めて。
 世田谷とか、渋谷、新宿、池袋など、いわゆる山手線の西側やその近辺といったオシャレゾーンはただの一度も利用したことがない。いつも行くのは秋葉原、上野。行く用事はないが一番心が落ち着くのが新橋と巣鴨。

 という事情というか性癖というか、からくる緊張もなくはなかったが、彼を現在襲っている緊張は、また別の、もっと、格段に、遥かに、とんでもないものであった。
 何故ならば定夫たちは、


「『魔法女子ほのか』の著作権を譲る」


 という契約書に判を押しに、ここまできたのだから。

 譲渡にあたっては満場一致で即決したものではなく、色々と揉めた。
 当然だろう。著作権を譲り渡すということは、自分たちに制作・発表の権利がなくなる、自分たちの所有物ではなくなる、ということなのだから。
 せっかく続編構想を練っていたというのに。

 定夫は最初から譲渡賛成派であったが、葛藤もあった。
 だが彼は、こう考えた。

 「コノアニメヲミロ!」で、ネット配信アニメながらもその他一般のアニメを抜かしてランキング一位を獲得してしまった時から、テレビアニメ化は夢ではなく現実に起こるのではないか、と考えていたはずだよな、と。
 そうであればこそ、まずは地に足をつけて一本ずつ前進しようということで、続編計画に乗り気であったのだから。
 つまりは、花開くのが予想していたよりも早くなっただけなのだ。

 作品が産みの親である自分たちの手を離れるのは寂しくもあったが、「魔法女子ほのか」をよりたくさんの人々に知ってもらえる喜びが勝り、反対派の八王子を説得、中立派の二人を含む四人全員が、最終的には賛成の方向で一致し、かような地にてかような運びと相成ったわけである。

 さて、
 キャラクターや舞台背景などの設定書、前後のストーリー展開、などはもう向かい合っている星プロの(ます)()さんに差し出してあり、後は判子を押すばかり。

 定夫はいよいよ決心したか、南無と小さく呟くと、判子を持った右腕をぶいんと高く勢いよく振り上げた。
 その際にガスッと敦子の頬に思い切りパンチをくれてしまったが、定夫も敦子も凄まじいまでの緊張のためか全然気付いていなかった。

「ままよっ!」

 人生で一回いってみたかった、ままよの叫びの勢いと裏腹に、定夫の手はそおーーっと静かに降りていき、
 そして、
 ついに、


 契約書に、判子が押されたのであった。
 それは、「魔法女子ほのか」のテレビアニメ化がほぼ決定した瞬間でもあった。

     6
 なお彼は高校生つまり未成年であるため、あらかじめ自宅で保護者の判子も押してある。そんな得体の知れぬ物に誰が押すか、と父親が渋りに渋って、説得には相当な苦労を要したのだが。

 とにかくそんなこんなも苦労は昔、これにて契約は締結。
 作品に関する権利の譲渡は確約された。
 なお、定夫たちへ支払われる契約金は五十万円。


「妥当なのか、少ないのか」

 契約処理をすべて終えて、星プロのビルを後にしながら、八王子が呟いた疑問である。

「多くはない、と思う。でも、ふっかけるってことをしたくなかったんだよなあ」

 と、定夫は遠い視線で、故郷武蔵野よりほんのちょっぴり微妙に汚れているであろう青空を見上げた。

 かっこつけでいったのではなく、本心だ。
 でないと、「ほのか」という作品、その存在が汚れてしまう気がして。
 自分たちの血と汗、涙が、すべて台無しになってしまう気がして。

「ま、そうだよね。ワクワクしたかったから、作品を作ったんだもんね」
「ワクワクどころじゃないです! あたしは途中からの参加ですけど、自分たちの作ったものがテレビアニメになるんだから、こんな素敵なことはないですよ。普通の高校生には、そうそう出来ない体験です」

 敦子は、ふふっと満足げに笑った。

「ある意味、五十万は悪くないでござるよ。自主制作アニメをブルーレイ販売しようものなら、流通経路の確保に相当な投資が必要になり、運がよくても儲けは些細、下手をすれば大損でござるからな。ネットに投稿というだけならば、コストはサーバーレンタル代だけであるため、有料アクセスにすれば幾らかの儲けは出るかも知れないが、視聴者がぐっと減ること間違いない」
「観てもらえなきゃ、なんのために作ったのか分からないからな。テレビアニメならば、観たい人はみんなが観ることが出来る。ということは、テレビアニメ化でみんなが観てくれる上に、こっちからお金を払うどころか逆に五十万円も貰えるんだから、トゲリンのいう通り悪くない話ということだよな」
「そうだね」

 八王子が頷く。

「で、お金をどう分配するかなんだが。アニさくとUSBマイクで四十万円近くかかっているから、これを必要経費ってことでそこから払って、残りの十万を四分割ってことでいいと思うんだが。少し余るけど、それは祝テレビ化の打ち上げに使うってことで」
「うん。いいんじゃない、それで」

 快諾する八王子とトゲリンであるが、

「いえいえいえっ、いただけませんっ! どうか三人で分けて下さい。あたし、なんにもしてないですからっ! 参加させて貰えただけで充分に満足なんです!」

 と猛烈に拒絶しまくるのは敦子殿である。両手と首とをぶんぶん振って足元バタバタさせて、まるで滑稽なダンスを踊っているかのようであるが。

「なんにもしてないことないだろ。そもそも敦子殿の声がなかったら、ここまでの作品にはならなかったんだから。おれたちに声のトレーニングだってしてくれたし、エンディングだって歌ってくれた」

 敦子に対して、なんだかかっこつけた台詞をぺらぺら吐いている定夫。
 ほんの数ヶ月前まで、じょ女子イイィヒィなどと泥まみれで砂場を這っていたのが嘘のようである。

「でも……」

 と、なおも渋る敦子に八王子が、

「生涯の代表作、って自分でいっていたじゃんか。その代表作で、プロアマ関係なく声優人生初の報酬をゲット、ってことでなんの問題もないんじゃない?」

 その言葉に少し考え込む敦子であったが、やがて、申し訳なさそうに微笑んで、

「そう考えると、いただかなきゃならないのかなって気持ちになってきました」
「よし。じゃあ報酬分配の件はこれで解決だね。……でもさあ、よくよく考えると、権利を譲渡するのではなくて、放棄しないままで印税の話とかに持っていってもよかったのかもね」
「いやいや、これでよかったんだよ」

 我々の生んだ作品を、プロがしっかりとしたものに作り直して世に送り出してくれるのだ。
 ならばそれを信じて、我々は放送される日を楽しみに待とうではないか。
 種を蒔いた、という誇りを胸に。

 定夫は再び、東京の汚れた青空を見上げたのだった。
 澄んだ瞳で。
 鼻からは、ちょっと濃い目の鼻水が垂れていたが。



 ちょっと遠回りして帰ろうか、という八王子の提案に、中央総武線で山手線の輪っかをぶっちぎって秋葉原へ直行。

 それぞれ好きなグッズを買い、そのまま徒歩でぶらぶら雑談しながら神保町へ。
 そこで本を買い、雑居ビル二階の古本屋奥にある有名な欧風カレー店へ寄り、テレビアニメ化について希望期待を熱く楽しく語り合い、それから帰路に着いたのであった。

     6
 そして、時は流れる。
 長いような、短いような、半年という月日が。 

 

第十章 風が吹いている

     1
「な、なんだよこのカッコはっ!」

 あおいは、両の腕を持ち上げてびっくりおろおろと、自分の服装を見下ろしていた。
 白を基調にところどころ青いラインやポイントの入っている服を。

 上半身は舞踏会の貴婦人のようにぎゅっと詰まった硬い感じで、反対に下はふわっとしたスカート。
 青いグローブに、ブーツ。

 高校の制服が、水に溶けるように消えたかと思ったらこのような服装になっているのだから、驚くのも無理はないだろう。

 驚いているのは、あおい本人だけではなかった。 

「……ああ、あおいちゃんが、二番目の、魔法女子だったなんて……」

 赤い服に、赤い髪の毛、魔法女子ほのかである。

 二人きりでいるところをマーカイ戦闘兵に襲われ、正体がばれることをいとわず変身し、あおいを守り戦っていた。しかし今日は敵の数が多く、もう守りきれない、というところで、あおいの能力が覚醒し、二人目の魔法女子が誕生したのだ。

 新たな戦士の出現に動揺していたマーカイ戦闘兵たちであるが、気を取り直した先頭の一人が襲い掛かる。

 あおいは、ぎりぎりで攻撃をかわすと同時に、相手の顔面に拳を叩き込んでいた。

「ギギャッ!」

 マーカイ戦闘兵の悲鳴。
 四散、消滅。

「すげえ……」

 無意識の反撃だったのであろうか。
 あおいは、ぽかんとした表情で、爆発的なパワーを発揮してみせた自分の両手を見つめていた。

 ゆっくり顔を上げると、ほのかへと視線を向けた。
 二人は無言で、力強く頷きあった。

 その瞬間、さらに二体のマーカイ戦闘兵が悲鳴とともに闇夜に溶け消えた。ほのかの拳と、あおいの回し蹴りが、それぞれ炸裂したのである。

 ならば、と束になって飛びかかる十数体のマーカイ戦闘兵であるが、すべて闇へと還るまでに、ものの一分とかからなかった。

「こやつらはしょせんザコ。はなから頼りになどしておらんわ!」

 先ほどから様子を見守っていた、巨大な蜘蛛の背中から女性の上半身が生えているような不気味な怪物が、突如沈黙をやぶって、ざざざっと走り出した。 
 マーカイ獣。魔界で製造された合成獣である。

「死ねい!」

 ぞわぞわ動く触手のような脚が、一本、二本とあおいに襲いかかる。

「おっと」

 すすっとかわし、今度はこちらの番とばかりにその脚を蹴るあおい。
 しかし、さすがに戦闘兵とは違うということか、まるでダメージを受けている様子がない。

「上! 気を付けて!」

 ほのかの叫びに、あおいは素早く後ろへ飛び退いた。寸前まで立っていた空間を、鎌のような爪が切り裂いたのは、その刹那であった。

 しかし、
 口からぷっぷっと糸が吐き出され、あおいの両手は手錠のように呪縛されていた。

「蜘蛛のくせに口から糸を吐くのかよ!」

 叫び、必死に抗うが、それも虚しく一方的にぐいぐいと引っ張られていく。

「我はマーカイ獣ズヴァイダ。蜘蛛ではない」
「んなこと知るかっ! それよりも……てめえは、絶対に許さねえからな。卑怯な真似ばかりしやがって。ほのかとの仲を、切り裂こうとしやがって」

 精神を狂わす毒粉を撒き散らして人々を仲違いさせる、という作戦のため、町の住人は大混乱。ほのかたちも例外でなく、親友である二人は大喧嘩をしてしまったのだ。

 といっても、毒粉の効果薄くぽけーっとしているほのかを、あおいが一方的に責め立てただけであるが。

 あおいの身体は、蜘蛛の糸にずるずると引きずられ、お互いの距離はもう目と鼻の先であった。

 マーカイ獣の本体である蜘蛛の方が、鋭い歯をガチガチと打ち鳴らした。

「許さなければ、どうするというのだ」

 蜘蛛の背から生えている女性の、口から喜悦の声が漏れた。
 だが、次の瞬間、その笑みは一転して憤怒の表情へと変わっていた。

「こうすんだよ!」

 と、あおいが渾身の力を手に集中させ、糸を引きちぎったのである。
 とっ、と後ろに下がったあおいは、仁王立ちになり、そっと目を閉じると、拳を握りしめた。



「あおいの、青い水のせせらぎが、いま、激流になる!」



 目をかっと開き叫ぶと、どどおおんという重低音が鳴り響く。

 すべてを飲み込むかのような濁流が、数匹の青い龍になってぐねぐね舞い踊る。

 カメラズームで、あおいの腕がアップになった。白い魔道着の短い袖から伸びている、細くしなやかな腕が。

 すうっ、と青い龍が通ると、袖もグローブも溶け消えて、肩から先は完全に素肌になり、もう一度青い龍が通るとその腕は、青い袖と、細かな装飾の入った青いグローブとに覆われていた。

 周囲をぐるり回りながらカメラが移動し、今度は下半身がアップになる。風にぱたぱたなびく白いスカートの前を、龍がうねりながら舞い通ると、布地の色が白から青へと変化していた。

 それまで全体的に白を基調に青い装飾のある服装だったのが、反対に、青を基調に白や赤の混じる服装へと変わっていた。

 金色のオーラを全身にまといながら、あおいは力強く微笑み、拳をぎゅっと握った。



「パワーアップで限界突破、魔法女子あおいアクア! 子供の涙は聖なる流れ。乙女の祈りは清らかなせせらぎ。それを笑うは邪悪な魂。からんでほどけぬ糸ならば、この激流でぶっちぎる!」



 握った右拳を、ぶんと正面へと突き出した。

「うおおお、ほのかと違って噛まずにいえてるぞ!」

 ふわふわ宙に浮かぶ猫型の妖精ニャイケルが、びっくりした顔をしている。

「なんですかそれえ!」

 小馬鹿にされ、胸の前に両の拳を握ってやきもき抗議するほのか。その腕に、しゅるり蜘蛛の糸が巻き付いていた。

「ひゃあああ!」
「ひゃあじゃねえよ! ボケッとしてんなあ!」
「そんなこといわれても……あれ、切れないっ!」

 縛られた両腕を引きちぎろうとするほのかであるが、糸が想像以上に硬いのか、力を込めども呪縛は解けず、いたずらにもがくばかり。

「あたしに任せとけ!」

 あおいが、右手を前へかざす。
 その指先から水が勢いよく噴き出し、ほのかを傷つけることなく、蜘蛛の糸のみをいとも簡単に切断していた。

「あおいちゃん、ありがとう」
「なあに。こいつの毒で我を忘れてガーッと怒鳴っちまったお詫びだよ。……だから、こいつのとどめは、あたしがさす!」

 あおいは、マーカイ獣ズヴァイダの乗用車ほどもある巨体を、きっと睨みつけた。

「世迷い言を。貴様ごときにやられる我と思うのか!」

 ズヴァイダの本体にある蜘蛛の口、そこから数本の糸が、突き刺すような凄まじい勢いであおいへと伸びる。

 あおいは、避けるのも面倒とばかりにパシパシと叩き落とすと、前へと走り出していた。
 ぶっ、と襲う糸を高く跳躍してかわし、華麗にトンボを切ると、

「あおいアクアスパイラル!」

 ぐるぐるスピンしながら急降下。
 いつの間にか右足に、魔装具と呼ばれる無骨な武器が装着されており、それがマーカイ獣ズヴァイダへの巨体へと突き刺さっていた。

 爆発、
 闇の合成獣の巨体は雲散霧消、闇に還り、そこにいるのは青い色の魔法女子あおいだけであった。

 己が放った凄まじい技の威力で地面が削られすり鉢状になったその中心で、片膝を着いている。

 はあ、はあ、と息を切らせていたが、
 やがて、
 さすがにちょっと疲れたあ、と、そんなほっこり笑顔で立ち上がると、拳をぎゅっと握り、



「あおい、ウイン!」



 右腕を突き上げた。

     2
 すっかり暗くなった、夜の公園、
 高校の制服姿の、ほのかと、あおい。
 二人の間に、ふわふわ浮かぶ猫型妖精、ニャイケル。

「あおいちゃんが、魔法女子だったなんて」

 まだ信じられない、といったような、ほのかの表情。

「うん。あたしも、自分のことながらまだ信じられないや。変身しただけじゃなく、あんな強そうな怪物をやっつけちゃったなんてさ。……最近ほのかの周りに、たまにチラチラと変なのが見える気がしてたんだけど、こいつだったんだな」

 あおいは、ニャイケルを指差した。

「変とかこいつとかいうんじゃねえ! つうか指をさすんじゃねえよ! ほのかの友達のくせに、口も態度も悪いな、てめえ! まあ、ほのかはかわりに頭が悪いけどな」
「口が悪いのは、お前だろ! それと、正体秘密なんだろ、隠れるならもっと上手く隠れろよ、間抜け! ……それはともかく、さっきの怪物、マーカイ獣っていうの? やり口の超卑劣な奴だったな。ほのかと危うく絶交しちゃうとこだったよ。改めて謝るよ。あたしが悪いのに怒鳴っちゃって、ごめんな、ほのか」
「いえ、その……私が、食べちゃったというのも、本当で……」

 ほのか、困ったように、視線を右に左に泳がせている。
 ぽわわわわん、と回想シーン。



 「ほにゃ、こんなところにケーキがっ。ひょっとしてあおいちゃん、私のために残しといてくれたのかなあ。それじゃ遠慮なく、いっただきまあす!」



 回想シーンの画面を、バリンと鉄拳がぶち割って、顔面ドアップになったあおいが叫ぶ。

「えーーーっ! 食べてないっていってたじゃねえかああ!」
「だって、だって、あの剣幕で迫られて食べましたなんていえるわけないじゃないですかああ!」
「行列すっごーく待って、あたしでちょうど最後だったという奇跡的に買えた一個だったんだぞ! もうっ、もうっ、ほのかとは一生クチ聞かねーーーっ!」
「ごご、ごめんなさあい」
「知らん」
「そんなあ」
「許さん」

 ぺこぺこ謝るほのかと、回り込まれるたびにぷいっとそっぽを向くあおい。

 宙にふわふわ浮きながらそれを見ていた太った黒猫ニャイケルが、振り向いてカメラ目線で、

「こいつら、マーカイ獣がなんにもしなくても、チーム結成初日で崩壊の危機を迎えてたんじゃねえの?」

 はあああ。もうやだ。と、うなだれ、ため息。

 すーっとカメラの角度が上を向いて、夜空の月を映し出した。
 雲間に見え隠れする、満月を。



 そして、エンディングテーマへ。

     3
「はふーーーーっ」

 山田レンドル定夫は、赤、青、黄、緑、四人の魔法女子が笑顔で踊る3DCGアニメによるエンディングを観ながら、ため息を吐いていた。
 ため息といっても、感動感激感無量のため息だ。

 魔法女子ほのか、第三話。
 今回も満足納得の、素晴らしい内容だった。作画、ストーリー、どちらを取っても。

 納得不納得というならば、()()ないきが、(しい)あおいというまったく別の名前に変えられてしまったのは不本意であったが。
 放送開始前から分かっていたこととはいえ。

 小説ならば文字だけなので、「ないき」などは地の文に溶け込んで見ずらいためと理解出来るが、アニメなら音だからあまり関係ないはずなのに。

 おそらくは、ラノベ化のためなのだろう。と、これまでは漠然と思っていたのだが、今日の話を観て、考えが変わった。

 ラノベのためもあるかも知れないが、おそらく「ほのかのほのかな炎」という言い回しをフォーマットとして生かすためなのだろう。

 まさか「あおいの青い……」などという台詞が飛び出すなど、思ってもみなかった。これは嬉しい演出であり、このためならば名前を変えたのも納得だ。

 主人公ほのかが、いつも名乗りを噛むという演出も、そのまま生かしてくれて嬉しいところ。
 戦う変身ヒロインは威勢よく滑舌よくきっちり名乗る、という当たり前を逆手に取ったもので、とても気に入っていたものだったから。

 さて、テンション高まったところで、早速、ネット掲示板でオンエア直後の感想をチェックだ。

     4
 678
 20××/05/23/18:32 ID:966802 名前:電光ホジリン

 蒼たん萌



 695
 20××/05/23/18:32 ID:265870 名前:なっしー

 名乗り口上はセンスいまひとつだけど、変身シーンの作画はホノタソより気合入ってるよね。



 703
 20××/05/23/18:32 ID:555292 名前:こき侯爵

 次はいよいよ、ヒカチューが変身かあ。楽しみ。



 739
 20××/05/23/18:33 ID:309118 名前:腰ミノ
 >>703
 ヒカチュー嫌い。



 753
 20××/05/23/18:34 ID:966802 名前:電光ホジリン
 >>739

 俺も嫌い。来週も、ホノタソ蒼たん二人の話でいいよ。てかそれぞれ親密になる過程をしっかり描いて欲しかったけど、みんな一話から仲良しなのがなんかなあ。



 785
 20××/05/23/18:35 ID:851777 名前:さるげし

 位置クールやぞ。仕肩ないやん。



 788
 20××/05/23/18:35 ID:645433 名前:ぐしけんポリマー

 皮下チュー可愛いやろが。タソにギャグの無茶振りしといて、自分が振られたら顔真っ赤で涙目って最高だろがい。



 799
 20××/05/23/18:36 ID:534579 名前:仮包真正

 アメアニ今月号の表紙さあ、ヒカチューの後ろのシルエット、なんだろかねえ。ヒカ抜かす三人のうちの誰にも見えないんだけど、五人目? それとも、ズシーンが髪型変えるの? それかズシーンが実は変身しないキャラとか。



 826
 20××/05/23/18:37 ID:853231 名前:さなだむし
 >>799

 変身するだろ。名前がもう名前だし。今日のを見たら、頭シーンも「しずかの静かな」ってなる決まってる。



 837
 20××/05/23/18:37 ID:645433 名前:ぐしけんポリマー

 つうか変身した四人が肩を並べているところ、公開されてんじゃん。バカか。つうか、エンデングがもう、まんまじゃねえかよ。



 853
 20××/05/23/18:38 ID:755489 名前:ななもたん

 するとやはり、五人目か。



 860
 20××/05/23/18:38 ID:354323 名前:ぽしひち

 ニャイケルの人間体だったり。



 893
 20××/05/23/18:39 ID:853231 名前:さなだむし

 男の魔法女子かよ。



 896
 20××/05/23/18:41 ID:764512 名前:ぽーちんでっかい

 味方とは限らんがな。地水火風の四大元素、既にみんな使われてるし。



 905
 20××/05/23/18:43 ID:159438 名前:なるみ萌

 敵とすると、やはり四人かな。最終的に。



 908
 20××/05/23/18:45 ID:825461 名前:魔法女子りずむ

 相性悪い属性の敵を相手に苦しめられながら奇跡の大逆転の黄金パターン希望。



 909
 20××/05/23/18:46 ID:742585 名前:やさぐれ大将

 ホノタソの寝癖みたいな髪型、モーレツにカワイイ。


 966
 20××/05/23/18:48 ID:954624 名前:60年代生まれ

 さて録画したの診よっと。



 978
 20××/05/23/18:50 ID:345826 名前:ダイバダッタ

 おりも診よ。



 980
 20××/05/23/18:51 ID:853231 名前:りこちん

 来週もみんなでリアルタイム視聴しようぜ! 会社なんか早退して。



 994
 20××/05/23/18:53 ID:847896 名前:ぶす

 おう



 998
 20××/05/23/18:55 ID:191943 名前:でぶくそん

 ニートであることがこんな嬉しい34歳


     5
 さすが夕方の大手民放だけあって、オンエア直後の掲示板は大盛り上がり。
 自分の考え出したアニメが、と思うと、嬉しさ恥ずかしさに鼻の頭がなんともむずがゆくなってくる定夫であった。

 なお、「ないき」の名がテレビアニメ化にあたって「あおい」に変更されたことは前述したが、それだけでなく、ほのか以外のレギュラー陣は全員名称が変更されている。


 ()()ないき → (しい)あおい
 ()(ぐれ)かるん → (くれ)()ひかり
 ()(ない)らせん → (おり)()しずか
 ニャーケトル → ニャイケル


 ことごとく変えられたのは作り手の端くれとして不本意といえば不本意だが、これがプロのセンスということなのだろう。

 まあ、確かに分かりやすくなっている。
 それに先ほど気付かされた「ほのかのほのかな」の口上のこともあるのだろうし。

 名前の話が出たついでに、いま定夫が見ているようなオタ向け掲示板でよく使われている、キャラクターのニックネームについても説明しておこう。


 ホノタソ → ほのか
 (あお)たん → あおい
 ヒカチュー → ひかり
 ズシーン → しずか


 なるほど、と定夫が思わず唸ってしまったのがズシーンだ。
 シズカのシとズを入れ替えたのみならず、地水火風の地ということでの大地を思わせる響きが加わっている。誰が考え出したのか、もの凄いセンスである。

 その後も掲示板のチェックを続ける定夫であるが、ふと、先ほど話題に上がっていたことが気になって、ベッドの上のアメアニ今月号を手に取ってみた。

 アメアニ。アニメと声優の月刊情報誌だ。

 表紙にデカデカ描かれているのは、黄色髪の少女つまり三人目の魔法女子である暮田ひかり。
 その後ろに、新キャラとしか思えないような、撫でつけたようなピッチリショートカットの、おそらく女子と思われる、シルエット。

 これは、誰なのだろうか。
 敵なのか、味方なのか。

 はがゆく、そして、ちょっと悔しい気持ちになる定夫であった。
 魔法女子ほのかは、自分が生み出した作品のはずなのに、と。

 でも、キャラデザインを担当したトゲリンの方が、きっと遥かに悔しい気持ちなのだろう。ほのかたち四人の魔法女子は、ほとんどトゲリン画がそのまま採用されているというのに、「原案」の注記もなく、完全に他人名義になっているのだから。

 大人たちの技量とパワーで作り直してもらえたからこそ、ここまでの大人気アニメになったのだ、と思って諦めなければいけないところなのだろうが。

 そう、魔法女子ほのかは大人気であった。

 大きなお友達向けの要素満載でありながら、夕方の大手民放だけあって小さなお友達も多数観ており、第一話、第二話と、かなりの高視聴率を弾き出していた。今回の第三話も、上回りこそすれ下ることはないだろう。

 放送予定は一クールだが、既に第二期制作決定の噂も出ている。
 月刊少年ジャンジャン今月号から、人気作家であるアキヨシモトオ先生による連載が開始され、
 同誌来月号からはスピンオフである「魔法女子ゆうき」も同時掲載され、
 つい先日、ブレイブステーションと、(りん)(てん)(どう)Witch(ウイツチ)でのゲームソフト化も決定した。

 ソーシャルゲームとして売り込むためにキャラクターを大幅に増やしたい()()(がわ)書店と、ストーリーを重視したいアニメ制作会社とで、熾烈な争いが繰り広げられているらしい。

 破竹の勢いの快進撃、になってもなんら不思議でない、大いなる可能性を秘めた作品。それが、「魔法女子ほのか」なのである。

 といっても現在のところは、裏で大人によって作り上げられた人気なのだろう。佐渡川書店が関わっていることから、巷ではそのように認識されている。

 佐渡川書店とは、メディアミックスで有名な大手出版社だ。
 金の匂いを嗅ぎ付ける能力が非常に高く、「魔法女子ほのか」もアニメ化が決定されると、まだそれが公になるより前に、ぞわぞわ触手を伸ばしてあれよあれよと様々な権利を買い取って、まるで自分たちが発掘した作品であるかのように制作発表を行い、いつの間にか制作全体を牛耳る立場になってしまっている。

 佐渡川が、「Webから生まれたアニメ」という「魔法女子ほのか」の特徴を大々的に宣伝し、大いに注目度を集め高めた上で、アニメ放映が開始されたというわけだ。

 もちろん面白くなければ人気が出るはずもないが、スタートラインの地点で有利であったことに違いはないだろう。

 佐渡川の体質、暗躍ぶり、あくまで噂であり真偽のほど定夫には分からないが、ビジネスと考えれば当然のことなのかも知れない。
 だから定夫は、特に気にしていない。
 汚れているとも思わない。

 作り上げられた人気というのが本当だとしても、我々の作った原作への高評価があったからこそ、テレビアニメ化の話もきて、佐渡川が接触してきたわけで、自分たちがうしろめたい思いをする必要などはまったくない。

 キャラの名称をことごとく変えられた件に関しても、先ほど説明したような理由で、納得は出来たことであるし、従ってテレビアニメ化に関しての不満は現在まったくない。

 一視聴者として、毎週毎週を楽しみに待つだけだ。

 まあ、ひとつだけいわせてもらうなら、自分たちの作った、いまやパイロット版ともいえるWeb版、これの公開を完全に禁止されているのは、ちょっと納得いかない。ということくらいか。

 佐渡川が、この過去作品をどう市場活性に生かすかを現在検討中ということかも知れないが。どうであれ、いま感じているこのわくわくした気分に比べれば、取るに足らない些細なことだ。

 テレビ版「魔法女子ほのか」、最高である。
 なんといっても、ほのか役の声優が()()(ゆい)()さんなのが素晴らしい。「はにゅかみっ!」の主人公、(こと)(のり)(こと)()の声を演じている女性だ。

 最初そのキャスティングを知った時には、信じられなくて頭が真っ白になって、作ったばかりのデカ盛りカップを落として床に麺をブチまけてしまったくらいだ。

 ほんわかしながらも芯の通った声、という声優であることは認識していたが、ほのかというキャラにまさかここまでハマるとは思わなかった。

 テレビ版のほのか、本当に、最高だ。
 ああ、来週が待ち遠しい。
 毎日が木曜日ならいいのに。

     6
 都立武蔵野中央高等学校。

 (さわ)(はな)(あつ)()は、北校舎三階から四階への階段を上っている。
 なにやら本を二冊、小脇にかかえて。

 階段を上り終えて廊下に出ると、すぐ目の前が目的地である三年三組の教室だ。

 業間休みでたくさんの生徒らが談笑しながら行き交う喧騒の中、廊下側の窓から室内を確認する敦子。

 教室の中央に、クマのような大柄な身体をちんまりさせてアニメ雑誌を読んでいるオカッパ頭の男子生徒、山田定夫の姿を発見した。

 敦子は曲げた指の節でコツコツと窓を叩くと、勢いよく開……こうとしたがロックされてて開かなかったので、既に少し開いている隣の窓を、ちょっと恥ずかしそうな顔で今度こそ大きく開いた。

「レンさんっ!」

 ぶんぶん手を振りながら、元気な笑顔で呼び掛けた。

 ざわざわっ。

 という擬音がこれほど似合うシーンもあるまい、というほどに、三組の教室がざわめいていた。

「やは、敦子殿」

 すっと立ち上がった定夫は、超肥満のくせに足取り軽く机の間をすっすっと抜けて、窓を挟んで敦子と向き合った。

 どおおおおおっ、と、どよめく教室。

「ヲタヤマがっ、じょじょ女子とっ!」
「あ、あのヲタヤマがあ!」

 この男子たちのリアクション。これで何度目であろうか。

 あの山田定夫が、女子生徒とっ。

 何千回何万回目撃しようと慣れるはずもない、というのがまあ自然な反応なのかも知れないが。

 ヲタヤマいや山田定夫は、まあヲタヤマでもいいが、は自らの作り出した騒然とした空気の中で向き合う女子生徒へと話し掛ける。

「どうしたんだよ、休み時間にわざわざ」

 喋ったあ!
 じょ女子にっ。
 ヲタヤマがあ、じょじょ女子にっ!
 普通にっ!
 普通に喋ったああ!

 と、ざわつく教室。

「コミカケ返しにきましたあ。どうもありがとうございました。面白かったです」

 敦子はライトノベルと思われる本を、そっと両手で丁寧に差し出した。

 思われる、というか実際ライトノベルである。「おれがコミケにかける情熱を読みきれなかったお前は敗者」、タイトル通りの、同人誌に夢中になっているアニオタの話だ。

「別に放課後でもいいのに」
「いやあ、お返しに、これを持ってきたのでえ。もしかして早く読みたいのかなーなんて思って」

 と、もう一冊の本を差し出した。
 細い目で睨む不気味な表情の子供のカバー絵。発売したばかりの「異界グルメ」第一巻。
 少女漫画雑誌に連載開始時から敦子が大絶賛していた漫画で、単行本化にあたり、もともと興味は示していた定夫に、今度持ってくるからと約束していたものだ。

「おお、サンキュ。さっそく読んでみるよ」

 定夫はイカグル第一巻を受け取った。

「どんなのかなあ」
「ぜーーったいに面白いですよお」

 自然に、楽しげに、会話をしている二人。
 を、見ている教室内の生徒たちは相変わらず、

「お、おおっヲタヤマがあ!」
「じょんじょじょ女子とっ!」
「ふ普通にっ」
「会話しているう!」
「逆にキモチわりいいい!」
「だ、誰かあいつらに水爆を発射しろーっ!」

 今日初めての、こうしたやりとりではないのに、まるで今日初めて見たかのように驚きまくり騒ぎまくっている三組の生徒たちであった。

「ちょ、ちょっとあたしっ、確認してみるっ!」

 今日初めての光景でないのに信じられないのか、何故か声を裏返らせながら茶髪の女子生徒、(あん)(どう)(かず)()が慌ただしく、定夫の無駄にデッカイ背中へとささっと近づいて行った。

「ねえヤマダくうーん」

 半歩の距離にまで寄ると、しなつくるような声で、呼びかけた。

 身体をくりんと回転させて振り向いた定夫は、クラスの女子生徒に密着されていることにびっくりして「ほめらあ!」とわけの分からない叫びを上げながら、頭を激しく後ろへのけぞらせた。

「あいたっ!」

 敦子の悲鳴。
 のけぞった定夫の後頭部がイナバウアーで窓枠を飛び出して、廊下側に立つ彼女の鼻っ柱をズガッと直撃したのだ。

「な、な、なっ、おっ、おーーっ、おーーっ」

 わけの分からない叫び声を発しながら、ぶるんぶるんぶるんぶるん大きく頭を振っているヲタヤマ。
 女子に話しかけられたことに、パニックを起こしているのであろう。

「よおし、いつも通りのヲタヤマだあ! つうか気安くこっち見てんじゃねえ!」

 安藤和美の容赦ない右ストレートが、ヲタヤマの顔面をぶち抜いていた。
 ぐらり揺らめくヲタヤマの巨体。と、っと足を踏み出し、一瞬持ち直したように見えたが、

「まおーっ!」

 という不気味な叫びと同時に、どっばああっと鼻から血を噴き出し、地響き立てて床に沈んだのであった。

 安藤和美、ウイン!

     7
「本当に大丈夫なんですかあ?」

 敦子は心配そうに、定夫の顔を覗き込むように見上げた。

「ほがあ、いつものことだからっ」

 定夫は、ついっと自分の鼻を人差し指で撫でた。
 ほがあの意味はよく分からないが、少なくとも若大将の真似をしているわけではないのだろう。
 いじめられっ子というわけでもないが、クラスで一番底辺の身分であることに違いなく、カンペンで意味なく頭をカンカン叩かれるとか、クラス委員で一番嫌な係を押し付けられるなどは、日常なのである。
 こっち見たというだけの理由で女子に右ストレートをぶち込まれて鼻血を出して倒れるなどは初めての経験であったが。

 定夫と敦子の二人が歩いているのは、南校舎の四階つまり三年生の教室がある廊下。

 何故に三年生の廊下などを歩いているかというと、定夫が三年生だからである。

 そう、これまで説明する機会を逃してしまっていたが、時は流れて定夫たちは三年生、敦子は二年生に、それぞれ進級しているのだ。「魔法女子ほのか」のテレビアニメ化が決定した、その数か月後に。

 とはいっても、最上級生の風格オーラなど定夫には皆無であったが。一年生にカツアゲされていても、誰も不思議に思わないだろう。

「ごきげんよう」
「うおっす」

 五組の教室から、トゲリンと八王子が出てきた。廊下を歩いている敦子たちが、窓から見えたためだろう。

「ごっきげんよおおおっ!」

 敦子はぴょんと跳ねて着地ざまズッガーンと右腕を突き上げた。これほど、ごきげんように相応しくない言い方もないだろう。

「なんの話してたのさ」

 八王子が尋ねる。

「鼻血の話が終わって、敦子殿に借りた漫画の話をしようかと思ってたとこだよ」
「ああ、異界グルメでござるな。略してイカグル、アキナイ堂出版の週刊カチューシャに去年より連載中、先週火曜日にコミックス第一巻が発売されたばかりの」
「そう」
「ぜーーったいに面白いんだから。トゲさんも八さんも、よろしければお貸ししますから読んでみてくださあい」
「しからば、レンドル殿の次に拙者が」

 というトゲリンの顔を、改めてじーっと見ながら八王子がぼそり、

「あのさあ、まったくどうでもいい話なんだけどさあ、年度が変わったというのにトゲリン、キャラ変えてないよね」

 質問というよりは、気付いたことをつい口に出したという感じだ。

 なにをいっているのか、八王子に変わって説明しよう。
 トゲリンはいつも自分にキャラ設定をかして、そのキャラを演じている。
 そして、時々キャラが変わる。
 といっても喋り言葉が変化する程度であるが。

 なにかの影響を強く受けてある日いきなり、ということもあるが、これまで必ず変化していたのが心機一転の進級タイミング。

 だというのに、いまだ去年からのサムライ言葉のままだよね。と、八王子は疑問に思ったわけである。

「いやあ、いわれてみれば。なんだかすっかり固まってしまったでござるなあ。生まれた時分からこんな喋り方している気がするでござるよニン。五十年後もこうだったらどうしようという不安もありつつ」

 トゲリンは、ネチョネチョ声で笑いながら、後ろ頭をかいた。

「ザンス言葉使ってたこともあったくせになあ。半年間くらい」

 定夫が茶化す。

「えー、トゲさんが? 信じられない。……聞きたいっ!」
「といわれても、いまさら恥ずかしいザンスよ。ミーももう最上級生ザンス」

 ぷーーーーーっ。

 敦子は吹き出していた。
 お腹抱えて指差して、あはははは大爆笑だ。

「これを聞いてて本当になんとも思ってなかった当時の自分たちの感覚ってなんなんだろうな、って思うよ」

 と、定夫がぼそり。

「あの頃トゲリンが一番いじめられてたのって、その喋り方が原因だったんだよね」
「知らない! なんで教えてくれなかったザアアアンス! あの時、あの時っ、ミーは(はす)(もと)(しん)()に足掛け転ばされ顔を蹴られて、鼻の骨を折ったんザンスよ! てっきりキャラ立ちが甘いから殴られるんだと思って、日々必死にザンスの練習をしていたんでござるぞうおおおお!」
「お、戻った。ござるに」
「ザンスに違和感というところに、二年という歳月を感じるなあ。おれたちの成長ということかも知れないな。たちというか、おれと、八王子の」
「ほかっ、ほかに、なんかトゲさんの面白い喋り方ってないんですかあ?」

 トゲリンの魂の絶叫そっちのけで、三人が盛り上がっていると、

「敦子いたああ!」

 階段から、一人の女子生徒が姿を見せた。

「あ、香奈。どうしたの?」

 女子生徒は敦子の友達、(はし)(もと)()()であった。

「物理の教材。あたし一人に全部運ばせる気なんかよ」
「いけない、忘れてたっ! ごめんね」
「これからだから、まあいいんだけど、もう行かないと。物理室反対だから」

 橋本香奈は敦子の手を掴み、軽く引き寄せながら、定夫たちを一瞥。

「敦子借りますね。というか返してもらいますね。ほら、行くよっ」

 階段へと、ぐいぐいと引っ張って行く。

「ちょっと香奈っ、階段で引っ張ると危ないよっ! そ、それじゃレンさんたち、またねっ!」

 敦子はぐいぐい引っ張られながらも階段の途中で振り返り、腕を振り上げて「ほのかウイン!」のポーズを作った。

 慌ててウインポーズを返しかけていたオタ三人の姿は、踊り場を折れたことで完全に敦子の視界から消えた。

 と、そこで不意に橋本香奈は足をとめて、くるり振り返ると、敦子のコラーゲンたっぷりのやわらかなほっぺたを左右に引っ張った。

「まったくもう。まあた三年生のところなんかにきてんだからなあ」
「えへへえ」

 敦子はほっぺた引っ張られたまま、頭のてっぺんをこりこりとかいた。

「へへーじゃないでしょ。アニメの声当てを手伝うんだとかいって、あたしたちとの友達付き合いがすっかり悪くなっていたけど、でも、もうそれとっくに終わってんでしょ」
「うん。でもアニメの話をしているのが楽しくて、つい」
「ついもなにも、わざわざ四階まできてんじゃん。よりによってイシューズなんかのとこにさあ。……あんたまさか、あの三匹のどれかと、付き合ってたりなんかしてないでしょうね」
「それはないよお」

 敦子はおかしそうな顔で、手首返して縦にぱたぱた振った。腕を広げたムササビのように、むにょんとほっぺの伸びた顔のままで。

「じゃあ今日の放課後は久々にあたしたちに付き合いなさい。セカンドキッチンと、ジターグズでカラオケ、どっちがいいか選ばせてあげよう」
「ジダーグズでカラオケ! あそこのギガ唐揚げポテト美味しい! それと、『ポータブルドレイク』のエンディングが入ってるかも知れないし」
「あんた最近、すっかりオタを隠さなくなったわね」
「うん、まあ事実だから。でも、もともと隠してはいなかったよ」

 わざわざ主張しなかっただけ。
 「主張しない」を最近やめただけだ。
 それが周囲には、大きな変化と取られるということなのだろう。

 今日は久々のカラオケか。
 「ポータブルドレイク」の歌、入っているかなあ。

     8
 乾いた風が、吹き抜けている。
 太陽が、じりじりと荒野を焦がしている。
 ハゲタカは……飛んでいない。何羽かスズメが見える程度だ。残念。

 ここは都立武蔵野中央高等学校の、校舎前のレンガ道である。であるからして当然サボテンも生えてはいないが、

 ざっ、
 ざっ、
 ざっ、
 ざっ、

 でもなんだかそんな雰囲気に浸っちゃったりなんかしてる感じに、山田レンドル定夫、トゲリン、八王子の三人は、肩を怒らせながら歩調を合わせて横並びに歩いている。

 ひゅううー、

 つむじ風が、土埃や落ち葉をくるくる運んで行く。

 ざっ、
 ざっ、

 彼らは歩く。
 くるくる舞うつむじ風の向こうに、(なか)()(しゆう)()の姿が見えた。
 今日も女子生徒と歩いている。

 しかも今日は、三人もいる。
 先日出くわした時とは、完全に別の女子たちに入れ替わっているというのに、女子たちは相も変わらず中井にからみつくように密着している。

 中井修也と、三人の女子たちは、楽しそうにお喋りしている。

 中井修也、勉強優秀スポーツ万能眉目秀麗実家金持エトセトラな三年生である。
 アニメ好きのくせに、こっち側ではなくあっち側な人間である。
 線引きをするまでもなく、見た目やにおいで一瞬で分かる、あっち側の人間である。
 北緯三十八度線を渡った、あっち側の。
 定夫が勘違いして渡ろうものなら、銃殺間違いなしの。

 だが、しかし、
 定夫は、彼らへとちらり視線を向けた。

 おずおずとした、上目遣いの、自信のない、捨てられた子犬のような……ではなく、顔をまっすぐ前に向けたまま、中井との身長差の分むしろ少し視線を下げて。

 視線を向けた、というよりは、そらさなかったというのがより正しい表現かも知れない。

 そう。
 中井修也を見る定夫の目つきや態度は、かつてとはまったく異なっていた。

 定夫だけではなく、それは、トゲリンたちも同様であった。八王子は背が低いので少し見上げる格好にはなってしまうが、首を下げての上目遣いではなく、顔はしっかり真正面を向いたままだ。

 いつもとなんら変わらぬ、女子と楽しげに話している、人生謳歌しているような、人生殿様キングのような、しかしなにも知らぬ、中井。

 そう。
 中井は変わっていない。
 なにも変わっていない。

 中井を見る、おれたちが変わった。
 中井は変わっていない。女子にモテモテの、普段通りの中井だ。中井ハーレム株式会社だ。

 そんな中井を、ちょっと下に見ている。

 そう。
 変わったのはおれたち。
 中井は変わっていない。

 おれたちが、変わった。
 中井は変わっていない。
 むしろ変わるな。

 変わったのは、おれたち。
 確実に、変わった。

 知っているぞ、中井。
 お前、この間、「ほのかハマってるんだあ」とか、いってただろ。ボーイズラブみたいなその鼻声で。

 誰が作ったと思っている。
 ほのかを、誰が生み出したと思っている。

 顔がいいから女子にチヤホヤされているだけの、お前に出来るか?
 顔がいいからアニメ好きのくせに女子に気持ち悪がられない、お前に出来るか?

 おれを、おれたちを、誰だと思っている。
 お前に出来るか?
 中井い、お前に出来るかあ?

 と、同じようなことを、トゲリンたちも考えていたのだろうか。
 考えていたのだろう。
 いつしか、誰からともなく笑い声が漏れて、三人で、ふっふっふと声を合わせていた。

 中井アンド女子たちと、すれ違った。

 汚物でも見るかのような彼女らの視線などまったく気にせず、ふっふっふ。
 振り返り、去りゆく奴らの背中へ目掛けて、ふっふっふ。

 モテろ。
 お前はモテろ。中井。
 小市民的な優越感に浸っているがいい。

 ふっふっふ。

 などとやっているうち、一人の女子が定夫たちの視線に気付いた。
 彼女は、道の外れに転がっている、小石と呼ぶにはちょっと大きな石を拾い、両手に持ち、ゆっくりと振りかぶった。

「クソの分際で中井くんを見るんじゃねえ!」

 定夫の頭にゴチ!

「石ギャアア!」 

 

第十一章 遥か、はるか

     1
「はるかの、遥かな力が、神の雷となり正義の鉄槌を下す!」


 魔法女子はるかの、両手にはめたグローブが、彼女のまとう魔道着と同じダークシルバーの鈍い輝きに包まれた。

 自らの手に宿るオーラのゆらめきを、じっと見つめていたかと思うと、たん、と不意に地を蹴っていた。
 蹴ったその瞬間には、駆け抜けていた。
 四つの、影の中を。

 ばりばり空気をつんざく雷鳴のような轟音、そして爆風。
 四人の魔法女子、ほのか、あおい、ひかり、しずか、は、その圧倒的な攻撃力の前に成す術なく、巨人の手にすくい上げられるかのように軽々吹き飛ばされていた。

 どさりどさり、と受け身すらも取れず地面に落ちた。

 激痛に呻きながらも、なんとか起き上がろうとする彼女たちであったが、ままならず、ただその顔を歪めるばかりであった。

 はるかはその様子を見ながら、端整な顔に苦笑を浮かべた。
 薄灰色の髪の毛の、前髪に人差し指をくるくる巻きつけながら、

「弱いなあ。いくら正義は勝つものとはいえ、こうも悪がだらしないんじゃなあ。物語が盛り上がらないじゃないか」

 不満げにぼやいた。

「な、なに、勝手なこと、ぬかしてんだ、てめえ……」

 青髪の魔法女子、あおいの、震える声。
 ぎりぎりと歯を食いしばりながら、地に、片膝に、手をつき、よろめきながら、必死の形相で立ち上がった。

 ほのか、ひかり、しずかも続く。
 なんとか立ち上がった四人であるが、みな、はあはあ息を切らせ、膝はがくがくぶるぶる生まれたばかりの鹿のようで、放っておいても倒れてしまいそうであった。

「私、たちは……」

 ほのかは、肩を大きく上下させながら、気力を振り絞り意識をたもち、きっ、とはるかの笑顔を睨み付けた。

「てめえ、なんかに……」

 あおいが、やはりはるかを睨み付けながら、ぎりと歯をきしらせた。

「ぜえーーったいにっ!」

 ひかりが、両手の握り拳で天を突き、続いてはるかへと突き出した。逆境下で気合を入れる時にいつもとるポーズである。

「負けない!」

 しずかが、静かに闘志を爆発させた。

「うっしゃああ、いくぞみんなあ! 四人の絆パワーで、一気に決めるぜえ!」

 あおいが腕を突き上げ絶叫すると、他の三人は、こくりと頷いた。


「母なる静かな大地よ……その静寂を、いま、破れ!」


 しずかは、普段のおとなしくはかない態度から信じられないくらいの、大きな叫び声をあげた。
 黄金色のオーラが右拳を包み込むと、その拳を、屈みながら足元へと打ち付けた。

 地が揺れた。
 重低音の唸りを上げて、ぐらぐらと、激しく。

 打ち付けた箇所から、まるで稲妻のような亀裂が走り出す。地が裂け、その裂け目から、凄まじいエネルギーが間欠泉のように噴き上がった。


「この風に、光よ、輝けえ!」


 ひかりが、タクトを振るうようにすっと左右の腕を振り上げた。

 きらきら光る粒子が、ふわり風に舞って、しずかが生じさせた地からのエネルギーへと溶け込んだ。
 融合し、触れば弾かれそうな、明らかな質量を持ったエネルギーは、うねり、風を起こし、砂塵とともに、あおいとほのか、二人の魔法女子を宙へ舞い上げていた。


「この、胸にたぎる激流とっ!」


 上空で、あおいの全身が光り輝いた。

 ぶん、と振るう両手から放たれた青い光が、ほのかの全身を包み込んだ。

 輝く、ほのかの身体。
 落ち始める、ほのかの身体。
 自由落下ではない。身体から赤い粒子が噴き出したかと思うと、一瞬にして、目で追えないほどの凄まじい速度へと達していた。


「胸の奥で、ほのかに燃えているからこそ、絶対に消すことの出来ない、この炎でっ!」


 ジェット機を超える速度で急降下しながら、ほのかは、魔装具を装着した右手を振り上げて、叫んだ。

 黄、緑、青、赤、四匹の龍が、まとわりつくように周囲をぐるぐる這うようにうねる。

 ほのかは一匹の、長い長い、巨大な龍になっていた。


「エレメンタルエクスプロージョン!」


 魔法女子四人の、魂の絶叫に、龍が大きな口を開け、咆哮した。

 なにをする気だ、と、驚きと興味に立ち尽くしている、魔法女子はるかの頭上へと、それは落ちたのである。

 すべてが白い光の中に溶け、
 わずかに遅れて、


 どどおおおおおおおん、


 鼓膜どころか脳味噌すらぐちゃぐちゃにされそうなほどの、凄まじい轟音。
 爆風に、光の粒子が激しく噴き上がり、雲を焼いた。

 ごご、ご、と低く唸る振動。それは、やがて小さくなり、
 視界が少しずつはっきりしてくると、
 そこは、それまで立っていた荒れた平原ではなく、巨大隕石いや小惑星が激突したかのように、大きく半球状にえぐられた、広大な地面であった。

 ほのかたちの超必殺合体技、エレメンタルエクスプロージョンの破壊力である。

「や、やったんか?」

 うつ伏せに倒れていたあおいは、顔を上げ、四つん這いになり、よろめきながらなんとか立ち上がった。

 すぐ近くで、ほのかが、ぜいぜい息を切らせ立ち上がりながら、

「て……手応えは、ありました」

 息を吸うのも苦しそうな、痛みや疲労に歪んだ顔。
 四人の合体技とはいえ、超高速落下で実際の攻撃を放ったほのかが、一番消耗が激しいのは当然だろう。

 ただ、彼女の表情から読み取れるのは、苦痛よりはむしろ不安であった。

 爆煙、砂塵が晴れ、さらに視界がはっきりしてくる。

「く」

 あおいが呻いた。

「そんな……」

 ほのかの目が、驚愕に、大きく見開かれていた。
 少し離れた場所に立っている、しずか、ひかりも、ほのか同様に驚愕の……いやそれどころか恐怖感、絶望感さえ、その顔には浮かんでいた。

 当然だろう。
 四大精霊大爆発により、周囲のすべてが燃え、溶け、吹き飛んだのだ。そこまでの、攻撃を放ったのだ。だというのに、爆発ですり鉢状になった地の中心に、ダークシルバーの魔道着、はるかが平然と、薄笑いさえ浮かべ、立っているのだから。

 く、
 かぼそく呼気を漏らすと、ほのかは指先を震わせた。

 はるかは、ゆっくりと、ほのかへと近づいていく。

「いい加減に、してくれないかなあ」

 顔に浮かんだ薄笑いは、余裕を示すものというよりは、苦笑いのようであった。目元や眉が、自分の感情をどう持っていけばいいのかなんとも困ったような、そんな複雑な表情を作っていた。

 だが、その揺れる感情の方向性が定まるまで、さしたる時間はかからなかった。

「なに、手を抜いてるのかなあ。 ……バカにしてんのかああああ!」

 怒りの絶叫が、地を、空気を、激震させた。

 ぼふっ、という鈍い音とともに、ほのかの身体が後ろへ吹っ飛んでいた。
 はるかの膝蹴りを、腹部に受けたのだ。

 激痛に顔を歪めながらも、なんとか意識を保ち、とっ、と足をついて踏ん張り勢い殺すほのかであったが、そのすぐ眼前に、瞬時に距離を詰めた、はるかの顔があった。

 ごぎん、となにかが砕けるような鈍い嫌な音とともに、ほのかの身体は、高く宙へ飛んでいた。
 はるかの強烈なアッパーカットが、炸裂したのである。

 だというのに、既にはるかは、ほのかよりもさらに上空へと舞い上がっていた。そして、組んだ両手をハンマーのようにして振り下ろし、ほのかの背中を叩き潰した。

 ひとたまりすらあろうはずなく、ほのかは受け身も取れず地に激突し、地を砕きつつ小さくバウンドした。

 頭上から無数の光弾が、雨あられと降り注ぐ。光、爆煙、巻き上がる砂塵に、ほのかの姿は完全に見えなくなった。
 それでもさらに容赦なく上空から光弾が注ぎ続けられた。

 はるかの、あまりの圧倒的な戦闘力に、しずか、あおい、ひかり、三人の魔法女子は動くことを忘れて、小さく口を開いて立ち尽くすことしか知らなかった。

 青髪の魔法女子、あおいが、なにかを感じたように目を見開くと、同時に腕を軽く上げて身構えた。
 その本能的な勘は素晴らしいものであるが、ただ、この場においてはまるで意味をなすものではなかった。

 巻き起こる爆煙砂塵の中から、はるかが、目にも止まらぬ速さで飛び出したかと思うと、圧倒的パワーの回し蹴りを放って、あおいをガード体制のまま真横へと吹き飛ばしたのである。

 ごうと唸りをあげて飛ぶ、あおいの身体であったが、次の瞬間、その身体は慣性の法則を完全に無視して、真下へ。巨大なハンマーで叩かれた巨大な杭のように、足先から肩まで、地面へと突き刺さっていた。
 あおいの頭部へと、はるかが真上から踵を振り下ろしたのである。

 タフなあおいもさすがにたまらず、地面から顔だけを出した状態で、すっかりぐったりとなってしまった。

「あおいちゃん!」

 しずかの叫び声。
 だが、声の発せられたその地点に、既にしずかの姿はなかった。

 何故ならば、発したその言葉が終わらぬうちに、顔面を殴り付けられ、音速を遥かに上回る速度で吹き飛ばされていたからである。

 落ち、倒れ、ごろごろ転がるしずかに、ひかりが駆け寄ろうとするが、寄れなかった。後ろから襟首をぐいと掴まれ持ち上げられ、地面に叩き付けられていたから。顔面を、激しく。

 ひかりは、恐ろしい力で強制的に起こされると、今度は後頭部を押さえられ、再び地へと叩き付けられた。

 二回、三回、何度も顔面を打ち付けられて、地面がえぐれて亀裂が走った。

 はるかは立ち上がり、意識朦朧としているひかりの髪の毛を掴み引き起こすと、掴んだまま腕を振るってポイと投げ捨てた。

 どさり、頭から落ちたひかりは、ぐっと呻くとそのまま気を失った。

「どいつもこいつもさあ。そんなカス!みたく弱いくせに、なんで本気を出さない? あたしはさあ、舐められるのが一番ムカムカすんだよね! 格下のくせに! こんな世界に、せっかく、わざわざ、このあたしが、降りてきてやったってのにさあ!」

 イラつきを爆発させ、獣のように吠えるはるかであったが、
 次に爆発したのは、彼女自身であった。

 どおん、という爆音、顔に疑問符を浮かべる暇もなく、はるかの身体は吹き飛んでいた。

 爆音の中から、ほのかの叫び声、

「だったら(てん)(きゆう)(かい)へ帰れええ!」

 ほのかが、自らの全身を爆発させながら、はるかへと体当たりしたのである。

 はるかは、不意をつかれながらも、とん、とんと地につま先をつき、飛ばされる勢いを殺した。
 しかし、その瞬間、がつっ、という音とともに、顔がのけぞっていた。
 頬に、ほのかの拳が炸裂したのである。

「あなたなんか、誰も呼んでないっ!」

 よろけるはるかの顔に、さらに左、右、左と、炎に包まれた拳が打ち込まれていく。

「勝手な正義を、押し付けるなああ!」

 かつてない力を込めた、ほのか渾身の一撃であったが、だがそれは、はるかの手のひらに、受け止められていた。

 はるかは、受けた拳をそっと握ると、ゆっくりと、ぎりぎりと、力を込めていった。

 痛みに顔を歪めながら、ほのかは、はるかを睨み付けた。

「信じて、いたのに。……はるかちゃんが、転校、してきて、すぐ仲良くなって、変身して、五番目の、魔法女子、一緒に世界を守るんだ、って、信じていたのに」
「度し難いバカだな、本当に。こんな世界、守るに値しないだろう。だけど、天生中的には存在させておかねばならない。ならば、守るに値する世界に作り変えてやるしかないだろう」
「それがっ! それが勝手な正義だというんです!」
「勝手な正義? (あたし)のいうことが正義に決まっているだろう。じゃあ正義にはむかう方が……」

 口を動かしながら、はるかはふと、視線を自分の胸元へと向けた。

 ダークシルバーの魔道着が、腹から胸にかけて、焦げ、破れ、穴が空いていた。
 ぴくり、と肩を震わせると、左手の甲で口元を拭い、その甲へと目をやった。
 血がついていた。

 はるかは、ほのかの手を払うように離すと、一歩下がり、口の端を釣り上げながら、ふっと呼気を漏らした。
 軽く、頭を下げた。

「これまでの失礼を詫びよう。魔法女子ほのか。ようやく本気を出してくれたようで、嬉しいよ」

 ほのかは、ぜいぜいと息を切らせながら、なにをわけの分からないことをいっているんだとでもいいたげな、いぶかしげな表情を、その顔に浮かべた。

 はるかは、続ける。

「それと、さっきの発言を訂正しよう。舐められるのが一番ムカムカする、といったこと。もっと我慢ならないことがあったよ」

 はるかは、ただ微笑み続けているだけ。
 しかし、明らかにその微笑みの質が変わっていた。

 ほのかの身体に、ぞくり鳥肌が立っていた。

「それは、この身体が傷つけられること。ええと……つまり、覚悟している、ってことでいいんだよね? あたしを傷つけたってことはさあ。……ねえ!」

 はるかの顔が、一瞬にして、狂気憎悪に満ちたものになっていた。なったというよりは、開放したというのが正しいだろうか。そして、一歩、踏み出した。

 無意識に、じりと一歩引くほのかであったが、その瞬間、顔面がどおんと爆発した。はるかが瞬時に距離を詰めて、頬へと拳を叩き込んだのだ。

 惑星をも砕くような重たい一撃であったが、だというのに、ほのかの身体は飛ばされることなく、同じ位置に存在していた。何故ならば、打ち込まれた瞬間、はるかに胸ぐらを掴まれて、引き寄せられていたからである。

 次の一撃がほのかを襲った。今度は膝である。
 はるかの膝が、腹にめり込んでいた。

 あまりの激痛、嘔吐感に、ほのかの顔が醜く歪んだ。
 ふらりと崩折れた。

 いや、崩折れ膝を付く寸前、髪の毛を掴まれて、ぐいと張り付けされるように持ち上げられていた。
 ほのかの身体は、そのまま地面へと叩き付けられた。

 はるかは身を屈め片膝を付くと、ほのかの顔面を鷲掴みにして、再び地面に叩き付けた。怒りと喜悦のないまぜになった表情で、何度も、何度も、何度も。

 立ち上がりながら、ほのかの髪の毛を掴んで引っ張り起こすと、すっかりぼろぼろになって意識朦朧としているその顔へと、拳を叩き込んだ。
 二発、三発、と容赦なく叩き込んだ。

 ぺしり、

 ほのかが、朦朧としながらも頬を叩き返していた。

 が、次の瞬間、ほのかの鼻っ柱を、突き出されるはるかの拳がぶち抜いていた。

 よろけるほのかの腹部に、はるかの膝が再びめり込んでいた。
 激痛と、こみ上げる気持ち悪さとに、ほのかは顔を歪めて前かがみになる。

 その背中に、はるかの両拳がハンマーのように打ち下ろされて、ほのかの身体は地に崩れた。

 はるかの攻撃は終わらない。
 倒れているほのかの背中を、何度も何度も踏み付ける。

 どおん、どおん、と、その都度、大地震のように地面が激しく振動する。
 ほのかの身体の半分以上が、地面にめり込んでいた。

「飽きた」

 はるか、不意につまらなさそうな顔になって、ぼそり。

 地面に陥没しているほのかの魔道着を掴んで引っ張り起こすと、その身体を、紙くずか木ぎれかのように宙へ軽々高々と放り投げていた。

 空高くに浮くほのかの身体であるが、いつ追い越したのか、それよりも遥かに高く、はるかの身体はあった。

 はるかは、口を開く。

「汝に贄を与える。存分に血を吸うがいい、デスアックス。契約者は、我、はるかなり!」

 宙を舞うはるかの右手に、幼児の身体ほどもある巨大な、黒い斧が握られていた。

 すぐ眼前には、すっかり意識をなくしている、ほのかの身体。
 はるかは微笑みをたたえたまま、巨大な斧の柄を改めて両手で握り直すと大きく振りかぶり、そして、振り下ろした。



 映像画面が切り替わる。
 オレンジ背景の、シルエット画へと。
 からみあう、二つの黒い影。
 影の一つが、両手にした巨大な武器のようなものを、振り下ろした。
 もう一つの影が、真っ二つに分かれていた。



 通常の映像画面に戻る。
 たん、と、空から舞い降りて軽々と着地したのは、ダークシルバーの魔道着、魔法女子はるか。

 続いて、どさりとなにかが地面に落ちた。
 それは赤毛の魔法女子、ほのかであった。

 落ちた痛みも感じないのか、ほのかは意識混濁といった様子で、薄目で天を見上げていた。
 ごぼり、と口から大量の血を吹き出した。

 どさり、少し手前に、また、なにかが落ちた。
 ぼやけた映像から、ゆっくりと手前にフォーカスが合うと、それは、
 ふんわり赤いスカートからすらり伸びた、女性の足であった。

 再び、ほのかの顔にフォーカスが合う。

「まも、れなか、った、ごめん……ごめん、みんな」

 ごぼごぼと血を吐き続けながら、ほのかは、小さく口を動かし、かすかな、かすれるような、声を出した。
 どこを見ているのか、まったく焦点の合わない視線で。

 やがて口の動きがとまり、
 ゆっくりと、まぶたが閉じる。
 ほのかの視界は、完全に真っ暗になった。



 真っ黒な画面。
 無言無音の音無し状態。

 画面中央で、つまり、遠くで、なにかが小さく光った。

 人の……女性の声が、静寂を破った。

「勇気。……君に、あるかな?」



 ぱっ、と画面が明るくなり、軽快な音楽が流れ、
 ほのか、あおい、ひかり、しずか、の四人が踊る3DCGによるエンディングが始まった。

 笑顔楽しげで始まって、
 星を見上げてちょっと寂しげに終わると、

 続いて、次回予告。

 予告については、その音声だけを抜き出して紹介しよう。
 何故ならば今回は、回想シーンや、顔面アップなどばかりで、次回の話を想像出来るような要素が完全に排除された予告だからである。



 ひかり「えーーーっ、こ、これどうなっちゃうのお!」

 しずか「来週までのお楽しみ」

 ひかり「待ちきれないよお。というか、お楽しみとかいう状況では、ないような……」

 あおい「だよなあ。しっかしハードな展開やなあ、ほんまにい。このあと半からの『ひぽぬらぴたん』と、雰囲気違いすぎますやろ」

 しずか「な、なぜ関西弁」

 ひかり「というわけでっ、次回、魔法女子ほのか、第八話」

 三人「『勇気』」

 しずか「みんな、みてねー」

 ひかり「チャンネルそのままで、『ひぽぬらぴたん』もよろしくー」

 あおい「いいよ別に変えちゃっても。あんな変なアニメ」

 しずか「しーっ! しーっ! スポンサー一緒! スポンサー一緒!」

 あおい「え、ええーーっ! ひひ、ひぷぱらぽんもヨロシクう!」

 ひかり「いえてないし」

     2
 居間で、
 山田レンドル定夫は、
 提供紹介が映っている大型テレビの画面を見ながら、
 身体をガタガタと震わせていた。

 心と肉体、あまりのガタガタ相乗作用に、黒縁眼鏡がずり下がるどころかずり上がっていく。
 これはトゲリンオリジナルの妖術であったはずだが、いつの間にか定夫も会得していたようである。

 そんなどうでもいいことよりも、

「なんなんだ、この、終わり方は……」

 一体、なんなんだ、この展開は。
 どうなってしまったんだ。
 ほのかは、どうなってしまったんだ。
 つうか、助かるのか? あれで……

 まさか五番目の魔法女子であるはるかと、あそこまで壮絶な殺し合いをするとは。

 しかも負けるとは。

 どう捉えればいいんだ、この状況を。
 どう持っていけばいいんだ、おれの、気持ちを。感情を。

「そそ、そうでしっ」

 定夫はソファから立ち上がり、慌てたように居間を出ると、何故だか四足でドタバタ這うように階段を上って、自室へ。

 パソコンをスリープ解除させ、ごちゃんねるインターネット掲示板を開いた。

     3
 245
 20××/07/07/18:36 ID:766659 名前:ホのルる

 いいのかよ、これ。



 246
 20××/07/07/18:36 ID:825439 名前:陳大使

 両断、されてたよな。間違いなく。



 258
 20××/07/07/18:38 ID:285493 名前:くまさわ
 >>246
 されてた。ぼかしてたけど。



 263
 20××/07/07/18:39 ID:825439 名前:陳大使

 いや、ぼかしてないも同じだろ。



 264
 20××/07/07/18:39 ID:766659 名前:ホのルる

 次どうなるのか、予告もまったくちっともワカランかった。



 269
 20××/07/07/18:40 ID:252687 名前:へろへろ

 わざとだよな。予告。まくしたてるような声優のしゃべくりでごまかして、内容が想像つくような映像は、いっさい見せなかったからな。



 271
 20××/07/07/18:40 ID:196473 名前:しずる感

 アメアニの謎のシルエットは、敵キャラであるハルビンだったわけだけど、今度の水曜発売のアメアニに、またシルエット出んじゃねえの。



 276
 20××/07/07/18:42 ID:395658 名前:ちむちむ

 来週のサブタイトル「勇気」って、もしかしてスピンオフのユウキが本伝に出るのかな。



 282
 20××/07/07/18:44 ID:195468 名前:しじまるくん
 次からいきなり主役じゃねえの。ゆうき。



 288
 20××/07/07/18:45 ID:269575 名前:遠藤健一
 >>282
 だとすると、最後の、暗闇の声がそれってことだろ。でもエンディングのキャスト紹介で、ゆうきとも、謎の声とも、なかったよな。



 296
 20××/07/07/18:47 ID:567589 名前:さだきよ先生
 >>288
 なるほど。話の冒頭で、女子生徒らの会話シーンがあったけど、あの中に、その声優がいるってことだな。



 300
 20××/07/07/18:48 ID:945682 名前:女教授

 あの会話シーン、かなりうざったかった。
 キャスト紹介の時に想像されるのをごまかすために、ムリクリ冒頭のシーンを作った気がする。



 310
 20××/07/07/18:51 ID:156865 名前:ぽこみち
 >>300
 そうだな。まあ、あの謎の声は、考えるまでもなく七森七未だけどな。



 318
 20××/07/07/18:53 ID:568579 名前:びんはる
 >>310
 だな。女生徒C、と今回は出ていたが、それだけのために、ななもっタンを使うわけなし。



 322
 20××/07/07/18:54 ID:567589 名前:さだきよ先生

 ななもっタン、ゆうきの声にピッタソ。



 324
 20××/07/07/18:55 ID:528567 名前:じゅぴてる

 1クールを折り返したばかりで、もう主役交代かよ。



 333
 20××/07/07/18:57 ID:945682 名前:てる
 >>324
 まあ、死んだしな。



 339
 20××/07/07/18:59 ID:132325 名前:きゅあふり

 いや、なんかあんだって。こんなにも早くに、タイトルにもなってる主人公が死んで、タイトルと違う名前のキャラが主役になるわけないだろ。



 349
 20××/07/07/19:01 ID:854632 名前:ぷっち

 ダン○インの後の、ビ○バインの例があるだろが。



 359
 20××/07/07/19:03 ID:132325 名前:きゅあふり
 >>349
 知らんザマショ。



 364
 20××/07/07/19:05 ID:356895 名前:角ふ市

 そもそも死んでねえって。死ぬんなら、最後のシーンはなんなんだよ。視界が狭くなって、真っ暗になって、謎の声が聞こえて、って、ホノタソの体験だろ?



 372
 20××/07/07/19:07 ID:952382 名前:しがにー
 >>364
 そう思わせとくこと、つまり生きてるはずとリスナーに思わせるところが、ラストへの伏線になってくわけよ。ラストで意外な場所でホノタソの白骨死体か見つかって、ああ、あのことごとくのピンチから護ってくれていたのは、タソの霊だったんだ。って、ジーンとくる終わり方になるわけだ。



 386
 20××/07/07/19:10 ID:956852 名前:らすかる先生
 >>372
 それはない。つうか、死んでない。
 そもそも、「リスナー」ではない。



 388
 20××/07/07/19:10 ID:525536 名前:さだやす

 死んでないだろ。第二期の制作が決まってるのに。まだ7話が終わったばかりだぞ。



 396
 20××/07/07/19:11 ID:365687 名前:はむさら
 >>388
 じゃあ第二期は、タイトルが違うんだよ。順繰りで4期までやんじゃないの。死んで一人ずつ減ってく。



 403
 20××/07/07/19:14 ID:965781 名前:たそもえ
 >>396
 「魔法女子あおい あと三人」「ふたりは魔法女子」「最後の魔法女子ひかり うえ~ん」



 405
 20××/07/07/19:15 ID:483156 名前:しど

 おれも死んでる派だなあ。きっとホノタソは、魂になって、残りの3人をパワーアップさせるんだよ。で、合体技で今度こそハルビンを倒す。



 407
 20××/07/07/19:17 ID:675213 名前:ますおくん

 ハルビン仲間になんじゃないの?



 412
 20××/07/07/19:19 ID:457632 名前:スネークモンキー
 >>407
 無理だろおおお。仮に誰かに操られていた設定にしようとも無理だろ。主人公の胴体を真っ二つにぶった切って殺してるんだぞ。



 414
 20××/07/07/19:20 ID:825436 名前:さだむ

 つうかさあ、いいのか、これ。放送しちゃって。衝撃的すぎるぞ。



 416
 20××/07/07/19:22 675213 名前:ますおくん

 ビデオ録画の時代とはいえ、18時からテ○東でやるアニメでやる内容じゃあないよな。



 420
 20××/07/07/19:23 ID:945682 名前:吉田ぶりふ

 そうだよな、子供もたくさん見ているんだぞ。



 422
 20××/07/07/19:25 ID:625699 名前:えひむ男爵

 俺の妹、ショックで泣いてたよ。



 428
 20××/07/07/19:28 675213 名前:だしまきたま
 >>422
 かわいいな、その妹。くれ。



 436
 20××/07/07/19:31 ID:625699 名前:えひむ男爵
 >>428
 43才だが、いいのか?



 443
 20××/07/07/19:35 ID:124578 名前:ごーまだむ

 しかしすげーものを生で見てしまったなあ。
 クレーム殺到して再放送出来ないアニメになりそうだから、第二期、なくなるんじゃない?



 449
 20××/07/07/19:37 ID:834216 名前:やすはる

 クレームは必至だろうな。
 ほとぼりさめたころに、タイトル変更してパート2開始かな。



 457
 20××/07/07/19:39 684562 名前:ずっちゃまくん

 格闘魔女ほのか。とか。



 466
 20××/07/07/19:43 ID:284132 名前:インド
 >>457
 なくはないタイトルだな。魔法といいながらも本○ひろし顔負けの、殴る蹴る砕くの格闘アニメだからな。とはいえ、今日の話ほど凄まじいのは見たことないな。



 470
 20××/07/07/19:44 ID:468549 名前:ずししのすし

 ほのかさえかろうじて生きてれば、結局のところ劇中では誰も殺してないんだしハルビン仲間になれるよね。



 477
 20××/07/07/19:47 ID:795798 名前:まっすー
 >>470
 なんないだろ。最近はきっちり数やフォーマットを合わせることが、別に主流ではない。子供三人の中に、一人大学生が混じってたりとか、当たり前だからな。



 485
 20××/07/07/19:50 ID:525362 名前:もにぷに

 もし当初から仲間になるはずだったんなら、五人だし、はるか、ひかり、ほのか、「はひふへほ」で合わせたんじゃないかな。ふうか、とか。



 493
 20××/07/07/19:52 ID:365687 名前:はむさら
 >>485
 女で、へで始まる名前なんか無理だろ。



 502
 20××/07/07/19:54 ID:251346 名前:あおもりじん
 >>493
 へ○るがいるだろが!



 510
 20××/07/07/19:58 ID:365687 名前:はむさら
 >>502
 そんな古い声優知らねえよ。



 511
 20××/07/07/19:58 ID:525362 名前:もにぷに
 >>502
 ほのかのほのかなフォーマットに合わせるのが難しいぞ、それは。



 513
 20××/07/07/19:58 ID:457521 名前:ほーぷろもーど

 外人キャラでヘーコックとか、いいんじゃない? 「ヘーコックの怒り爆熱ヘーコック」、とか叫んで、いきなり後ろを向いてブーッとかます。



 520
 20××/07/07/20:00 ID:628596 名前:ソドム

 いねえよ、そんな外人。つうか、主人公死んだのにふざけたこと言ってんじゃねえよ。




「死んでないっ!」

 山田定夫は大声で叫びながら、脂肪まみれのぶっとい指でキーボードをガチャガチャガチャガチャ叩いた。
 送信!




 530
 20××/07/07/20:03 ID:854861 名前:レンドル

 両断などされていない。あれはトリック。マネキンの足だ。もしくは勝利を確信したハルビンの、思い上がりからの幻覚。ほのかは絶対にこの絶体絶命の危機から見事復活を果たし、そして、勝利するのだァァァァ! ほのかウイン!




「ふーーーっ」

 書き込みを送信すると、背もたれに背を預け、長い太いちょっと臭いため息を吐いた。
 二十秒ほどおいて、掲示板の表示を更新する。




 541
 20××/07/07/20:06 ID:795798 名前:まっすー
 >>530
 でも予告に、ほのかの声優、出てなかったじゃんか。つまり、よーするに、そーゆうことだろ。




「いいっ、イチオチはむかうなあああ!」

 定夫は立ち上がり、右腕振り上げ怒鳴った。

「イチイチはむかうなあ!」
 言い直した。他に誰もいないのに。
 再びぶっとい指でキーボードをカタカタ。



 550
 20××/07/07/20:09 ID:854861 名前:レンドル
 >>541
 そのキャスティングから次週を推測させる作り手の思惑にハマっていることに何故気づかんっ! 状況からの先読み理論ではなくアニオタの勘を働かせろ! どう考えても、ほのかパワーアップ復活の布石だろうがハァ!



「ふーーーーっ」

 書き込みを送信すると、長い太いちょっと臭いため息を吐いた。

「しかし……」

 ぎぎぎい、っと背もたれに背中を預ける。
 バキリと凄い音がして、背もたれの支えが折れて、後ろにひっくり返って、後頭部を床に強打した。

「びちゅびかちゅううううん」

 あまりの激痛に、頭を押さえて妙な呻きを発したきり、しばらく身動きの取れない定夫であった。

 痛みがおさまると、這うようにベッドへと上って、ごろり寝転がった。

「くそ、また椅子を壊してしまった。もっと頑丈なのじゃないとダメだな」

 ダイエットするつもりは毛頭ないようである。

「しかし本当に、なんだかドエライ展開になってしまったなあ」

 ほのかのことである。
 どう持っていくつもりなのだろう。

 実は異世界古代の科学者が、とかおれたちが考えた設定を生かすつもりなのだろうか。設定資料は渡してあるのだから、あり得ない話じゃないよな。
 そのための布石となる話が、今回ということなのだろうか。

 でも、どうするつもりなのだろうか。
 どう展開させていくにしても、まずは、ほのかがどうやって助かるのか。あんなことになってしまって。

 緊急用に下半身が別に作ってあって、そっちとパイルダーオンするとか。

 上半身だけでなんとか根性でハルビン倒して、そっちの下半身を奪っちゃうとか。

 でもそんな遊星からの物体みたいなことが出来るくらいなら、分断された自分の下半身と再び合体すればいいだけだよな。

 いやいや……つうか分断されてなどいないっ!
 視聴者をただ驚かせたいだけの演出で、なーんだそうだったのかハハハというカラクリが、きっとあるに違いない。

 ふと、携帯電話にメールの着信があるのに気付いた。
 表示させる。


 「レンさん、みた? ほのかが死んじゃったよおおお! やだああああああ!」


 敦子殿からであった。番組が終わって、すぐに送信されたものだ。
 定夫は、ぱぱっと指を乱れ打ち、


「死んでぬい!」


 返信した。
 ふーっ。
 ん?
 打ち直し、


「死んでない!」


 もう一回送った。

 そうだ、ほのかは死んでなんかいない。
 胴体両断なんかされていない。
 と、思う。
 思いたい。
 思いたいけど……

 ただ、
 不謹慎かも知れないが、胸のうちを誰にいうわけでもないので、ちょっと自分の気持ちに素直になってみると、定夫は、ちょっとわくわくもしていた。
 魔法女子ほのかという物語が、これからどんな展開を迎えるのか。

 ピンチ、というかピンチを通り過ぎてもう結果が出てしまったかのような状況に陥ったほのかが、どうなっていくのか。奇跡の大逆転があるのか。それともまた別の、予想しない展開が待っているのか。

 好きなキャラを襲った悲劇を純粋に悲しんでいる敦子殿と違って、間違いなく、少なからず、期待にわくわくしていたのである。
 
     4
 夜の、沢花家。
 まあ家の中でのことなので、昼でも夜でもどっちでもいいのだが。

 沢花祐一は、居間でテレビを観ている。
 クイズ番組だ。

 いつも観ている番組ではない。
 たまたま興味をひかれる問題が出たところから、チャンネル変えるのも面倒だしそのまま惰性で、というだけだ。

 のめり込んでいるわけでもないが、さりとてつまらない退屈だと感じているわけでもなく、テレビというアイテムを有効活用してのんびりを地味に堪能していた。

 とまあ、どちらかといえば楽しいくつろぎタイムであったわけだが、だがそれも、あの音が聞こえるまでだった。


 とん、
 とん、


 階段を降りてくる元気ない足音が耳に入った瞬間、祐一は本能的にげんなりとした表情になっていた。

 はーあがっくし、といった雰囲気に満ちたため息が聞こえてきたことで、本能に間違いなかったことを確信した祐一は、顔に浮かぶげんなり感をさらに強めた。

 さあ、くるぞ。
 あいつが。

 3
 2
 1

 カチャリ。
 すうーーっ、と妹の敦子が、居間に入ってきた。

 生気を完全になくした、青ざめた顔で。
 よろりよろりとした、幽霊やゾンビといった、そんな足取りで。

 テーブルと、祐一の膝との間に、強引に足を割り込ませて、狭いところをぐいぐいぐいぐい強引に通り抜けようとする敦子。テーブルの反対側なら、スペースたっぷりだというのに。

 なんとか通り抜けたかと思うと、くるり踵を返して、また隙間に強行侵入してきた。

「はーあ」

 肩を落とし、ため息を吐きながら、ぐいぐいぐいぐい強引に、祐一の膝にごつごつごつごつ強引に、通り抜けた。

 飽きずにまだ繰り返すつもりなのか、くるん、と身体を回転させる敦子。足をもつれさせて、後ろによろけて壁にズガンと後頭部を強打。

「うぎい」

 敦子は、ひざまずき、呻き声を絞り出しながら後頭部をおさえた。

 兄、祐一は、視界の片隅にそんな妹を捉えつつも、テレビから目をそらさなかった。
 少なくとも、「大丈夫か?」などとは、絶対にいいたくなかった。絶対に声を掛けたくなかった。

 演技に決まっている。
 なにかあったのか、と尋ねて欲しいだけだ。
 「なんにもないよお」などととぼけてくるだけなんだから。

 なにも構わないでいても、「辛いよお」などと独り言が始まるのだろうが、そっちのがまだましだ。構ってアピールモードになった敦子とは、接したくない。あまりに鬱陶しいから。

 兄のそんな気持ちを知ってか知らずか、壁に頭を強打した痛みに呻いていた敦子であるが、涙目で後頭部をおさえたまま立ち上がると、また、よろりよろりと歩き始めた。

 祐一は、ふんと小さく鼻を鳴らす。
 さして痛くもないくせに。最近、演技で涙を流せるようになってきたからって、よくやるんだよ。
 暇なら自分の部屋でアニメでも観てろよ。

「辛い。辛いよう」

 ほら出た、独り言。

 祐一は、小さく舌打ちした。
 敦子は、床にけつまづいて転びそうになるが、咄嗟に片足を出して持ち直すと、ふらふら歩きを再開する。
 歩きながら、ちらりとこちらへ視線を向ける。

 その、察してアピールやめろよ! 察してっから絶対に話し掛けたくないんだよ!
 腹立つなあ、本当に。「なにがあったんだ?」なんて、聞かないからな。絶対に聞かないぞ。
 ほんと鬱陶しいな、このオタク女は。

「そ、そうだあっ! めかまじょだって、新アイテムのハイパーキーで、マジックジェネレーターをフルスロットル始動させてパワーアップしたじゃないか!」

 また、なんだかわけの分からないことをいい出したよ。
 なんだよ、メカマジョって。つうか、お前の脳味噌だろ、フルスロットル迷惑全開なのは。

 そんな怪訝そうな迷惑そうな、祐一の露骨な表情にもてんでお構いなし、敦子は彼のすぐそばに立つと、叫びながら両腕を高く振り上げた。

「ワン ツー ワンツースリーフォー! じゃじゃじゃじゃじゃーーん」

 両腕をすっと下げて、両の拳を祐一の眼前数ミリのとこにまで突き出した。
 プチリ、と祐一の脳の血管が切れ掛かる。

「ハイパーキー! マジックジェネレーター始動フルスロットル!」

 右の二の腕に、鍵を差し込んで回すような仕草、腕と身体をぶるんっと震わせた。

「新変身シーンはあ、この捻った瞬間の、ぶうんって高く低く震えるアクセル全開な感じがミソなの」
「ミソでもなんでもいい。出てけえ!」

 ついに、切れた。
 うおおお叫びながら、ソファから立ち上がるや否や敦子の脳天に空手チョップ。ぐらりよろけた彼女の胸に、水平チョップを連打。
 スエットの布地をがっしと掴み、ソファ目掛けてブレーンバスターで叩き付けると、ううーんとのびてる彼女に容赦なくパワーボムで追撃。

 ダンゴムシのように丸まっている妹の身体を、そのままゴロンゴロンと転がして、部屋から追い出しドアを閉めた。

「ふーっ」

 虚しい勝利に、虚しいため息。
 どうせ三十秒もしないうちに、何事もなかったようにまた戻ってくるのだから。


 さすがクイズ番組好きというべきか、その予想、大正解であった。

     5
 湯気のもうもうけむる中、沢花敦子は湯船の中で横たわるように身体を浅くして、鼻のすぐ下までお湯に浸かっていた。
 珍しく、眼鏡を外した敦子である。お風呂なので当然だが。

 ふと思い出したように、右手を後頭部にあて、なでた。

「いやあ、さっきはまいったなあ。壁にゴツンと思い切りぶつけちゃったからな。もう痛みはないけど心配だあ」

 兄に魂全力のブレーンバスターをかけられていたことの方が、よほど心配事な気もするが。

「ふいーーーっ」

 どんどん浅い角度になって沈んでいく上半身を、いったん起こすと、浴槽の縁に肘をかけて、長い息を吐いた。

 気持ちは、だいぶ落ち着いた。
 お風呂に入り、湯船に浸かったことで。

 つい先ほどまでは、本当に酷い状態だったのだから。
 あたふた狼狽してレンさんたちにメールを送ったかと思うと、今度はどんより鬱のような状態になってしまって。
 まだ、悲しみが癒えたわけではないが。

 なんの話かというと、つい先ほどまで観ていた今週の「魔法女子ほのか」のことだ。

 早い話が、主人公が胴体両断されて殺されてしまったのだ。
 巨大な斧で、スパッと。兄貴のブレーンバスターと同じくらい、躊躇なく容赦なく。

 シルエットなので、両断されたという確証はないが、ほぼ間違いないだろう。

 アニメには約束事というものがあり、もし「シルエットを使った視聴者に対してのトリックで、実はピンピンしてましたあ」では、それこそルール違反というものだ。

 つまり、普通に考えて主人公のほのかが真っ二つにされたことに間違いない。
 つまり、普通に考えてほのかは助かりっこない。

「あたしが、変なことばかり考えていたからかなあ」

 ほのかが、無残な最後を遂げることになったのは。

 変なこと、とは、次のようなものである。
 ほのかの声、元祖は敦子であるが、テレビアニメ化にあたり()()(ゆい)()に変更されている。大人気アニメ「はにゅかみっ!」の主人公で有名な、人気声優だ。
 敦子としては、自分の持ちキャラを取られてしまったという、相当に悔しい思いがあった。
 その思いが、無意識のうちに怨念になっていたのではないか、ということだ。

「でも……」

 那久さんの演技を素晴らしく思い、尊敬し、勉強しようと思っていたことも間違いのない自分の気持ち。
 だから別に、わたしが呪ってこうなったわけではない……はず。

 だいたい、もしもそんな能力があるくらいなら、持ちキャラを死なせて仕事奪ってやれとか、そんなセコセコしたことじゃなくて、那久さん本人に呪いが行くのが当然ではないか。

 だから、わたしはなんにもしてない。
 変なパワーなんか発していない。
 無実、そう、無実だ。

「とはいうもののなあ……」

 後味がよくないのも確かだ。
 ほのかの一ファンとしても、
 ほのかの初代声優を務めた身としても。
 こんなことを考えていて、なにがどうなるものでもないけれど。

 わたし自身の気持ちは、それはそれとして置いといて、この先、一体どうなるのだろうか。
 ほのかは。

 残った最後のパワーをあおいたちに分けて、自らは朽ち果てて、とか、せいぜいその程度の結末しか考えつかない。……あんな倒され方では。

 そうなったら、もう、出てこないのかなあ、ほのか。
 だって、どう考えても、助かりっこないものな。

 それとも、なにかあるのか。カラクリが。
 死んだのは影武者だった、とか。

「いやいやいや、だとしたらその影武者こそが物語の主人公であって、そのキャラの死んだ重みに変わりはないでしょう」

 武士道戦隊チャンバラファイブで、殿の正体が殿の影武者だったけど、それと同じだ。

 でも……
 死んじゃった、と決め付けて勝手に悲しい気持ちになっていたけど、考えてみれば生きている可能性だって充分にあるんだよな。

 作品タイトル、「魔法女子ほのか」だぞ。

 それと、さっき観た話の最後、「勇気あるかな?」って、ほのかへの問いかけだものな。あの、七森さんの声。

 でも、でも、それじゃあ、どうやって助かるんだろう。助かるとして、どうやって。

 もともと魔法っぽい魔法がばんばん出ているアニメならば、魔法で肉体が戻るのかなという期待も出来るけど、ほとんど殴る蹴るの火力アップにしか使ってないからなあ。
 でも、なら、どうやって……
 ほのかは……

「ダメだ。あたし程度の頭では、思い付かない」

 考えども考えども、納得いく筋書きは浮かばなかった。

 ルプフェルならば天才頭脳でさらり解決の方程式を導き出してしまうのかも知れないが。いや、ダメか、「あたしの勝利の方程式があ」と、自滅するのがルプフェルのお約束だからな。

 などといつまでも考え続けていたものだから、敦子はすっかり長湯になってのぼせてしまった。

 ぐええ、と呻きながら浴室を出た。

 身体をバスタオルで拭きながら、ふと洗面鏡を見ると、元気のない自分の顔が映っている。

 眼鏡をかけていないので、ちょっとぼやけた敦子が鏡の中。
 そんなぼやぼやとした自分を見ているうちに、なんだか情けない気持ちになってきた。

 プロ声優を目指しているくせに、と。

 自分が関わったキャラに感情移入することはよいが、割り切ることが出来なければだめだろう。
 いちいち落ち込んでいたら、周囲に迷惑がかかるというものだ。

 沢花敦子、お前は、なにを目指しているんだ。
 こんなことで、いいのか。
 情けない。
 情けないぞ、敦子っ。
 このバカッ。

 鏡に映る自分へ、拳を突き出しコツと当てた。
 すーっと息を吸う。
 吐いて、吐き切って、もう一回吸った。

 強がり、にっと笑みを浮かべてみせた。

 そうだ。
 笑顔。
 その笑顔だ、敦子っ。

「元気出すぞおお!」

 敦子は大声で叫び、右腕をぶんと振り上げた。

「磁界制御! マジックジェネレーターフルスロットル始動! ワンツースリーフォー! って、なんで『めかまじょ』なんだああああ!」

 まあ、まほのの次にお気に入りのアニメだからであろう。
 変身シーンのノリが最高なので、このようになにかにつけて真似して元気をもらってしまうのだ。

「ほのかも意外と、メカになって復活したりして」

 ……それどころか、「めかまじょ」とコラボ企画して、それで助かったりとか。黄明神博士が、変な機械を取り付けちゃうとか。

 ありえないか。
 スピンオフの「魔法女子ゆうき」とは、わけが違うからな。

 制作会社も、放映のキー局も違うし。

 でも、もし実現したら、どんな変身になるんだろうか。
 ちょっと、やってみようかな。
 誰もいないし。恥ずかしくない。

「トル ティーグ ローグ、古代に埋められし精霊たちよ、ここへ集えっ! 魔道ジェネレーター、フルスロットルで発動っ! 混ぜただけやーん! って、なんでなんで関西弁? あたしはめかまじょナンバーフォーの、(みや)(もと)()(なえ)かああああ。でも、でも、おかげでえ、ちょっとだけ辛さが紛れたあああ! よおし、キラキラスパイラルでも歌って、もっともっとお、ぶうっ飛ばすぞおおおおっ! キラキラキラキラキラキラキラキラ…」
「風邪ひくから! バカやる前にパンツの一枚でも履きなさい!」

 いつの間にかドア開け立っていた母に、怒鳴られる敦子であった。

     6
「というわけで、お風呂あがりにいつまでも素っ裸でいて、風邪をひいてしまいました」

 へくちんっ。
 くしゃみとともに、ずるんと勢いよく鼻水が出た。

「ティ、ティッシュ、ほら」
「ず、ずびばせん」

 敦子は慌てたように定夫から一枚受け取り、ずびむと勢いよくかんだ。

 ここはおなじみ、山田レンドル定夫の家である。
 メンバーもおなじみ、定夫、トゲリン、八王子、敦子殿。

「プロ声優になることを志す者として、情けない限りです。風邪対策をおろそかにしていたことも、この身体の弱さも、発端となったメンタルの弱さも」

 はーあ、などと脱力のため息を吐いていると、また、ずるんと濃いのが垂れて、慌てて定夫からティッシュを受け取った。

「おれも、なんか鼻がむずむずしてきた。風邪ひいたのかな」

 定夫は鼻をおさえようとするが、その瞬間、どおっ、となにか垂れて、口へと伝った。
 指で拭ってみたところ、それは鼻水ではなく、

「レ、レンさんっ、すっごい鼻血が出てるっ!」
「ちち、違うしっ、鼻血じゃないしっ。そう、鼻水っ、なんかっ、赤い鼻水が出たあ!」

 風呂あがりにずっと全裸でいたという敦子の話に興奮したと思われたくなくて、必死にごまかそうとするレンドル定夫なのであった。
 実際問題、鼻血の原因は百パーセントそれであったが。

「ふがあ!」

 大慌てで、ティシュを尖らせて鼻にねじ込む定夫。

 鼻水や鼻血の話をいつまで続けていても仕方ないので、そろそろ進めることにしよう。
 今日四人が集まったのは、「ほのかは、どうなったのか」を論じるためである。
 あと数日で次の話が放映されるわけであるが、四人とも、それまでとても待ちきれなかったので。

 事実を知るためには放映まで待つしか選択肢はないが、みんなと語り合うことによって、各々の心に納得が見つかればよいのである。
 次回放映まで乗り切るための、パワーを充電することさえ出来ればよいのである。

 パワーといっても、元気活力といった前向きなものではなく、狂わぬための精神防壁を維持するためのパワーだが。

 彼らは現在、例の「ほのかの胴体両断シーン」と、その前後部分を繰り返し繰り返し観ていた。
 そこからなにかを見出そう、と。
 それを語り合って、よい予測を導き出して、みんなで元気を出そう、と。

 しかし、

「やはり、映像だけからの判断は不可能なのであろうか」

 何回目かの視聴で、トゲリンが不意にネチョネチョ声でぼやき、ため息を吐いた。

「そうだね。まあ、そうとしか考えられないように、映像を作って見せているからねえ」

 そのようなことは理解した上での、それでもなにか発見出来ることがあるかも知れない、という今日の集まりだったわけだが、

 結局、
 なにも分からなかった。
 シルエットから想像出来ることがおそらく事実なのだろう、ということくらいしか。

 なお、この件、こうして騒いでいるのは定夫たちだけではない。
 全国のオタたちの間で、騒動になっていた。

 大人気テレビアニメの主人公が、ストーリー半ばにしてあっさり胴体を両断されたのである。当然というものだろう。

 ネットニュースや情報ワイドによれば、夕方に放映している大手キー局の全国区アニメとあって、視聴者からの猛烈な抗議が殺到したらしい。

 また、ほのかファンによる、助命嘆願運動もあちこちで起きているということだ。
 定夫たちには、そうした運動に参加するつもりは毛頭なかったが。

 来週の話など、とっくに完成しているわけで、運動を起こしてなにが変わるはずもないからだ。
 第二期への要望というなら、分からなくはないが。

 事実を捻じ曲げようということでなく、ただ次回放映までの間に、少しでも安息を得たいだけなのだ。定夫たちは。

 結局、トゲリンのいう通り映像からはなにも分からなかったが。

 結局、もう出尽くしている話を、いたずらに繰り返すことしか、心を慰める術がなかった。

 ほのかは主人公である、だから死ぬはずがない。
 ラストで誰かがほのかに語り掛けているのに、死ぬはずがない。
 魔法使いなんだ、なんとかなる。
 主役交代なら、アメアニにシルエットが乗るはずだ。
 多分、だから、ほのかは死んでいない、もしくは復活する。

 と。
 果たして、どうなるのであろうか。
 惚笛ほのかの、生命は。

 判明するまで、あと数日。
 次の木曜日、午後六時。 

 

第十二章 魔法女子ほのか最終回 そして

     1
 ごろごろと、はるかの身体が横に転がる。
 転がる勢いで上体を起こし片膝をつくと、素早く顔を上げ、歯をぎりと軋らせながらきっと前方を睨み付けた。

 だが、その視線は空をきった。ほんの一瞬前までそこに存在していたはずのものが、存在していなかったためである。

 上!
 何かを察したその瞬間、大きく横っ飛びしていた。

 ほんのわずかでも判断が遅れていたら、はるかの頭は叩き潰されていたかも知れない。

 真っ赤なブーツの踵が、ぶうんと風を切って振り下ろされてきたのである。

 どむ。
 低く重たい爆音。
 地面が粉々に砕けて、間欠泉のように高く噴き上がった。

 さらさら落ちる砂の雨の中、ダークシルバーの魔道着を着た魔法女子はるかは立ち上がると、改めて目の前に立つ()()を睨み付けた。

 真紅の魔道着。
 魔法女子、ほのかを。

 唸る獣のように、鼻に筋を立て顔を歪めるはるかであるが、反対に、ほのかの顔にはまったく戦意というものが浮かんでいなかった。

 地が噴き上がるほどの、とてつもない破壊力を見せたばかりだというのに。
 それすら無意識の反応に過ぎなかったかのように。

 赤毛の魔法女子、ほのかは、不思議そうな顔で、自分自身の手や足を眺めている。手を顔に近づけて、握ったり、開いたり。

「……全然、違和感がない。なんだか、生まれた時から、この身体だったみたい……」

 呆けたような表情で、ほのかはぼそり呟いていた。
 はっとしたように顔を上げると、その顔を、横へ向けた。

 視線の先、地面になにかが落ちている。
 倒れている、といった方が正解に近いだろうか。

 何故ならそれは、赤いスカートから伸びる、ひからびて黒く変色した、人の足だったのである。
 はるかのデスアックスに両断され、生気を吸い尽くされた、ほのかの下半身であった。

 少し離れた場所には、やはりミイラ化して赤毛が頭皮から完全に抜け落ちた、ほのかの上半身が転がっている。

 ほのかは目を見開き、瞳を潤ませた。
 目をぎゅっと閉じ、顔をそむけるが、すぐ振り払うように首を左右に振ると、はるかへと向き直った。

 はるかは肩を大きく上下させながら、唸り声をあげる狼のようにけわしく顔を歪ませていたが、ほのかの視線を受けると、にいっと唇の両端を吊り上げた。

「ディル バズム ラ ローグ」

 小さく口を動かし、ぼそり呪文の詠唱をするはるかの右手に、いつの間にか不気味な黒光りを放つ幼児の身体ほどもある巨大な斧が握られていた。
 はるかの魔装具、デスアックスである。

 巨大な金属の塊だというのに、はるかは右手だけで楽々と柄を握り締めている。

「またさあ、おんなじ目にあわせてあげるよ。何度、別の肉体に入ろうと、片っ端から破壊してやるよ」

 柄に左手も添えると、凄まじい雄叫びを上げた。地を蹴って、ほのかへと飛び掛かっていた。

 消えていた。
 はるかの姿が。
 空気に溶けるように。

 ほのかは、仁王立ちのまま微動だにせず、少しだけ視線を上に向けた。

 上。
 はるかが、両手にした巨大な斧を、ぶんと振り下ろした。
 デスアックス、先ほどほのかの胴体をバターを切るよりたやすく両断してみせた魔装具を。

 だが、
 なにも、起こらなかった。

 破壊力が爆発を生むこともなければ、
 風が巻き起こることすらも、
 ましてや、ほのかの頭部や胴体が再び両断されることも。
 なにも、起こらなかった。

 斧の刃を、ほのかが受け止めていたのである。
 右腕一本。いや、人差し指と親指、たった二本の指で。

 宙から降り立ったはるかは、ちっと舌打ちすると、再びデスアックスを振り上げようと両腕に力を込める。

 だが、ほのかの二本の指に軽くつままれたように見える黒い斧は、そこにいかほどの力が加わっているのか、振れどもひねれども、引き抜くことが出来なかった。

 苛立つ声を上げて、両手に握った柄をさらにぶんぶん振って、なんとか奪い返すと、

「死ねえ!」

 はるかは両手に握った斧を、渾身の力を込め、ほのかの頭部へと振り下ろした。

 ほのかは、避けなかった。
 まだ肉体に馴染んでおらず反応出来なかったのか、理由は分からないが、分かっていることが一つ。

 直後、はるかの顔に浮かんだのが、喜悦の笑みではなく、驚愕の表情であったということ。

 握っていた柄が、折れたのである。
 ほのかの額に刃を叩きつけた、その瞬間に、ミリバキと音を立てて、見るもあっさりと。

 斧が、くるくる回り、どおんという重たい音とともに落ちた。どれほどの重さがあるのか、周囲の地面が粉々に砕け砂塵になって舞い上がった。

「あたしの……デスアックスが……」

 じいいんと襲うしびれに手を振りながら、唖然とした顔のはるか。ほのかが一歩踏み出したことに、すっと腕を上げて身構えた。

 二歩、三歩、ほのかは、地面に落ちた斧へと近寄ると、

「もう、終わりにしましょう」

 寂しそうな声、表情で、軽く屈み斧を拾った。

 いや、
 拾ったのではなかった。

 くっついていた。
 ほのかの右腕に、斧の刃が。
 皮膚と金属が、お互い溶け合うように。まるで、最初からそういう右腕であったかのように、ほのかの右腕から黒光りする巨大な斧が生えていたのである。

 信じられない光景に、はるかは、目を見開いて、ひっと息を飲んだ。

(しん)()(ゆう)(ごう)。……古代に失われた技術のはずなのに」

 一歩、二歩、と後ずさるはるかであったが、ぶるぶるっと身体を震わせると、その顔に笑みを浮かべた。作り物めいている、強張った笑みを。

「お前ごときに扱える神魔融合ではない。どこで技の存在を知ったか知らないが、そんなハッタリに、このはるかが、恐れをなして退くとでも思ったかああっ!」

 はるかは絶叫しながら、地を蹴ってほのかへと飛び掛かっていた。
 その残像も消えぬうち、骨の砕けるような嫌な音と、地も裂けるような悲鳴が上がっていた。

 どさり地面に叩き付けられて、顔を苦痛に歪めているのは、はるかであった。彼女のまとっているダークシルバーを基調とした魔道着、その胸部が、ざっくり深くX字に切り裂かれていた。

「そ、そんな、そんなバカなあ! あたしがっ、神に等しい存在である、この、はるかがっ、お前ごときにっ、お前ごときにいいいい!」

 身を襲う激痛と、受け入れがたい現実とに、はるかは顔を醜く歪ませて、ばたんばたんとのたうち回っている。

 ほのかは、そんなはるかを、無表情に近い顔でただ見つめていた。
 やがて、そっと右腕を振った。
 ぬるーう、と融合が解除されて、巨大な斧が足元に落ちる。どおんと低く震える音とともに、斧が地面にめり込んだ。
 ほのかは、そっと目を閉じる。

「ティル トーグ ラ ローグ」

 小さく口を開いて、ささやくような呪文詠唱が始まった。

 地に倒れているはるかの、激痛と自尊心崩壊に醜く歪んでいる顔に、変化が起きた。表情の構成要素が追加された、といった方が正しいだろうか。
 加わった表情とは、驚愕、そして焦り、であった。

 手を、足を、動かそうと力を込めるダークシルバーの魔法女子であるが、四肢に枷をはめられて台にがっちり固定されているかのように、まったく動かすことが出来ないのである。

 呪詛の言葉を吐きわめきながら、腰を捻って必死にもがいているうちに、またその顔に変化が起きていた。
 今度は感情表情の追加ではなく増幅、読み取れる驚愕感情が桁違いに膨れ上がっていた。まぶたが張り裂けんばかりに見開かれていた。

 上空に輝いている太陽が、どんどん、大きくなっているのだ。

 当然だが太陽は遥か上空どころかまったく異なる天体。だというのに、まるで、すぐ頭上にあるかのように、どんどん、どんどん、それは大きく膨れ続けていた。いまにも落ちてきそうなほどに。

 はるかのダークシルバーの魔道着から、ぷちぷちという音がしていた。あまりの高熱に、耐えきれず焦げ始めているのだ。

 絶叫。
 耐え難い苦痛と、恐怖に、はるかは身を暴れさせながら絶叫していた。

 炎すらも溶かすほどの業火の中で、ほのかは、平然と立っている。
 苦痛に顔を歪めるはるかと正反対の、涼しい顔で。

 はるかの顔や手足、皮膚の露出した部分は、すっかり水分がなくなってがさがさになり、それどころか、ところどころが黒く焼け焦げていた。
 ダークシルバーの魔道着がすっかり防御力を失って、まとっている者の身体を守れなくなっているのだ。

 どれほどの苦痛が身を襲っているのか、はるかは意味をなさない言葉をでたらめに叫びながら、ばたばたともがき続けた。

 腰をぐいぐいと捻って、なんとか逃れようと必死に暴れるが、だが彼女の四肢は透明な枷でがっちりと固定されて、どうあがいても逃れることが出来なかった。

 彼女の身体が、ひからびていく。
 水分を失ってがさがさになった黒い部分など、いつ燃え始めても不思議でないくらいであった。

 その黒い部分が、どんどん広がっていく。
 どんどん、醜くなっていく。
 朽ちていく。

 冷たい表情でダークシルバーの魔法女子の滅びを見つめ続けていたほのかの目が、はっとしたように見開かれていた。

「ほのか……ちゃん」

 はるかが、あどけない、苦悶の表情で、救いを求めるように、ほのかを見つめていたのである。

 それは、転校してきたばかりの、
 ほのかたちに溶け込んで、仲良くなった頃の、
 あの顔であった。

 そんな、無邪気な彼女の顔が、今、黒くすすけ、ひからびて、業火に焼かれている。
 滅びようとしている。

「はるかちゃん……」

 ほのかは、ぎゅうっと目を閉じ、首を小さく左右に振った。

 青い空。
 太陽が、遥か遠く、遥か高くに、さんさんと輝いている。
 まるでずっとそうであったかのように。

 だが、地上に視線を落とせば、そこには現実があった。
 ダークシルバーの魔道着と、その下の肉体がすっかり焦げ、ただれ、身を襲う地獄の苦痛に、うずくまり、涙目ではあはあと息を切らせている、魔法女子はるかの姿が。

 痛みと惨めさとがないまぜとなった表情で、ぎぎゅっと強く地面をかきむしった。

 と、その時である。

 一陣の、旋風が巻き起こると、
 そこに立っていたのは、黒装束の男と、半身半馬の怪物。

 魔帝ジャドゥーグに仕える副将軍サーガイトと、その手下であるマーカイ獣である。

 黒装束、サーガイトのマントにくったりした様子でくるまれ、はるかはかぼそく呼吸をしている。

 現在、はるかたちの天《てん》(きゆう)|界と、魔帝は、共同戦線を張る関係なのである。
 とりあえず助けにきた、ということであろう。

「やれっ、マーカイ獣ヒヒンマ!」

 サーガイトの命令と同時に、馬に似た怪物であるマーカイ獣ヒヒンマが、ほのかへと襲いかかる。
 凶暴そうないななきを発しながら、上体を起こして前足二本を高く振り上げた。

 ほのかは、表情一つ変えることなく、自らすっと一歩踏み込んだ。立ち上がったことであらわになったマーカイ獣の腹部に、ぱしり払いのけるように手の甲を打ち付けていた。

 ただそれだけに見えたというのに、一体どれだけの威力がその打撃に込められていたのか。
 マーカイ獣ヒヒンマは、悲鳴を上げる余裕すらなく地に叩き付けられており、叩き付けられたその瞬間には、既に身体が完全に潰れてのし紙のようにぺちゃんこになっていた。そして、砂になって消えた。

 ほのかは、そんなことよりも、と首を軽く振って、左右を小さく見回した。

 サーガイトと、はるかの姿が、消えていた。

 風に乗って、声が聞こえてきた。息も絶え絶えといった、女性の声が。

「バカな、やつ、だ。いまのが、あたし、を、倒す、最後の、チャンス、だった、のに。今日は油断しただけ。次は、遊ばず、最初から全力で、一撃で、一瞬で、殺してやるよ。魔法女子……ほのかあ!」

 絞り出すような狂った笑い声。それがだんだんと小さくなって、風の音に消えた。

 ほのかは空を見上げ、ぎゅ、と拳を握った。
 その顔に浮かんでいるのは、不安よりは、寂しさであっただろうか。

 そっと顔を下ろすと、その表情が変化した。悲しそうであることに変わりはないが、質、ベクトル、といったものが明らかに異なっていた。
 ほのかの視線の先には、

 あおい、
 しずか、
 ひかり、

 青、緑、黄、三人の魔法女子が、うつ伏せに倒れている。

 ほのかは、ためらうような小さな足取りで、ゆっくりと近寄っていく。

 三人は、ぴくりとも動かない。
 彼女たちはみな、地に頬をつけ、まるで眠っているかのように、すべてをやりきった満足げな表情で横たわっていた。

 ほのかは、悔しそうな、寂しそうな、苦い表情で唇を噛んだ。
 ぎゅっと拳を握った。

「私なんかを、助けるために……」

 瞳が潤んだかと思うと、一条の涙が、頬を伝い落ちていた。
 うくっ、としゃくりあげると、もう感情を抑えることが出来ず、立ったまま、両の拳を握ってわんわんと泣き続けた。
 空を見上げ、涙をぼろぼろとこぼし続けた。
 どれだけ、続いた頃だろうか。

 くく、
 という声に、
 ほのかの肩が、ぴくり震えた。

 顔を落とし、泣きはらした真っ赤な目で、きょろきょろ見回した。
 震えたのは……震えているのは、ほのかの肩だけではなかった。うつ伏せに倒れている、あおいの青い魔道着が、全身が、細かく震えていた。
 細かい震えは、すぐにぶるぶると大きなものになった。

「ええっ!」

 ほのかが驚きに目を見開いた、その瞬間であった。

「わはははははは!」

 大爆笑。
 あおいが苦しさと可笑しさの混じった顔で、大声で笑いながら地面をがりがりと引っかいた。

 やがて仰向けになり、スカートだというのに足を広げてバタバタ、両手で腹を押さえてなおも笑い続けた。

「あおい、ちゃん……」

 状況が理解出来ずすっかり呆けた顔になっているほのかの、肩がまたびくりと震えた。

「し、しずっ……」

 いつの間にかしずかが上体を起こし、おままごと座りで、静かに微笑んでいたのだ。
 さらには、

「よっと」

 掛け声とともに、黄色い魔道着の魔法女子が元気よく跳ね起き、地に立った。

「ひか……」

 まだぼおーっとしているほのかに、とどめの一撃が炸裂した。

「ひでえめにあった畜生っ! でっ、倒したのかあ?」

 地中から、猫の妖精ニャイケルがぼこおんと飛び出してきたのである。

 なにがなんだか分からず、きょとんとしているほのかであったが、やがて、目を白黒させはじめ、そして、

「え、え……ええーーーーっ!」

 アゴが地面に突き刺さりそうなほど大きく口を開き、叫んでいた。
 仰向けゴロゴロようやく爆笑のおさまったあおいが、まだおかしそうな顔で、立ち上がった。
 青い髪の土埃を、両手で払いながら、

「バカだなあ。あたしらが、あんな程度で死ぬわけ……って、お、おいっ、ほのかっ!」

 あおいの青い魔道着に、ほのかが飛びついて、ぎゅうっと抱き締めたのである。

 ほのかは両手を伸ばし、しずかとひかりをそれぞれ掴んで引き寄せると、大きく腕を回して、三人全員をまとめて抱き締めた。

 笑っていた。
 ほのかは、笑っていた。

 あおいたちに、頬をすり寄せ、
 ぼろぼろと、大粒の涙をこぼしながら、
 空気にとろけてしまいそうなほどの、幸せそうな笑顔で、笑い続けていた。

 澄み渡る青い空に、太陽がやさしく輝いている。

 ピアノ、弦楽器の音が静かに流れ出し、
 画面に、「声の出演」と字幕が表示された。

 エンディングである。

 画面下に歌詞が出る。



  ♪♪♪♪♪♪

 そっと目を閉じていた
 気付けば泣いていた

  ♪♪♪♪♪♪



 自分の家の、二階の窓から、ほのかが両手にほっぺたを乗っけて、夜空を見上げている。
 なんだか、寂しそうな顔で。



  ♪♪♪♪♪♪
 
 崩れそうなつらさの中
 からだふるわせ笑った

  ♪♪♪♪♪♪



 セピア色の画面。

 雨が降っている。
 制服姿の男子女子が、傘を差して道路を歩いている。
 ほのかもその中の一人であるが、彼女だけカラーで描かれている。

 肩を落とし、辛そうな顔。
 前方に、あおい、しずか、の二人を見かける。
 声を掛けようとするが、どうしても掛けることが出来ず、電信柱に隠れてしまう。
 俯いて、胸をそっとおさえる。



  ♪♪♪♪♪♪

 生きてくっていうことは
 辛く悲しいものだけど

  ♪♪♪♪♪♪



 子供の頃の、ほのかと、あおい。
 まだ幼稚園くらいか。

 走り回って、
 落書きして、怒られ、
 川で遊び、
 男の子にいじめられるほのかを、あおいが庇い、
 蜂の巣をつついて、刺されて二人で泣き、
 ぎゅっと手を繋ぎ、満天の星空を、二人で見上げる。



  ♪♪♪♪♪♪

 それでも地を踏みしめて
 歩いてくしかないよね

  ♪♪♪♪♪♪



 雨が上がっている。
 ほのかは傘を閉じ、元気の無い足取りでまた歩き出す。
 水たまりだらけの道を。



  ♪♪♪♪♪♪

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 もう迷わず

 輝ける場所がきっと
 待っているから

  ♪♪♪♪♪♪



 はっとした顔で、ほのかは立ち止まる。
 笑顔のしずか、ひかり、
 気まずそうな顔の、あおい。

 あおいは、しずかに背中を押され、とと、と前に出る。
 真っ赤な顔になって、ほのかへと深く頭を下げると、照れを隠すように笑った。



  ♪♪♪♪♪♪

 見上げれば青い空
 大地には花 風は静か

 永遠の中

  ♪♪♪♪♪♪



 どうしていいか分からず、一瞬、顔をそむけるほのか。
 俯いていた顔を上げ、微笑む。
 瞳を潤ませながら、傘を投げ捨て走り出す。
 溶けるような笑顔で、あおいの胸の中へと飛び込んだ。

 夕暮れ、
 逆光に浮かぶ、四つのシルエット。



  ♪♪♪♪♪♪

 出会えたこの奇跡に
 小さな花が心に咲いた

  ♪♪♪♪♪♪



 フェードアウト。画面が、すーっと真っ黒になる。

     2
「ふーーーーーーーーーっ」

 山田レンドル定夫は、長い長いため息を吐いた。
 ラーメン屋の換気のような、妙に脂ぎった息が噴き出して、オカッパの前髪をぽそぽそっと揺らした。

 ここは、山田家の居間。
 横付けされたソファには、妹の(ゆき)()が座っている。
 二人で、今週のほのかを観ていたところだ。

 定夫については、どうでもいいどころかハンマーで頭を叩き潰したいくらいに嫌悪している幸美であるが、その兄の生み出した作品が企業に買われてテレビアニメになったともなれば、こうした光景もまあ不思議でもないだろう。

「ふーーーーーーーーっ」

 兄貴、レンドル定夫が長いため息もう一発。
 幸美は、ぎろりと兄の顔を睨み付けた。

「くさいよ兄貴! 歯を磨いて沸かしたての熱湯でうがいするまで呼吸すんな!」

 相変わらずの、兄への毒舌。
 一メートルは離れているが、精神的に臭うのであろう。

「ふーーーーーーーーーっ。嗚呼、感無量」
「このブタ全然聞いてねえーっ!」
「エンディング曲が、敦子殿の作った、おれたちのオリジナル曲に変わったか。……凄いな、テレビアニメの曲に採用されちゃうなんて」
「アツコってえ? ああ、オタ仲間の?」
「その通り。えややっ、違うっ、敦子殿はアクトレスでありアーティストなのだ、お前ごときと一緒にするなあ!」
「『おれごときと一緒』でしょ! あたしがオタクかのようないい方すんなバーカ!」
「まあ、おんなじ血は流れているわけだが。まるまる入れ替えて問題ないくらいの、互換性のある血液が」

 フッ、と笑う定夫。

「あー、抜きたい! この血を全部入れ替えたいっ! ()(ぐれ)(しゆん)()君とかキンジャニの(たか)(しろ)(かね)(とし)君とかとっ」

 なんの話をしているのかというと、オタ兄と同じ血液が妹にも流れているということだが、大事なのはそこより一つ前の部分。

 定夫がいった通り、「魔法女子ほのか」のエンディングテーマが変わり、なんと定夫たちが作ったオリジナル版の曲が使われたのである。
 沢花敦子が作詞作曲を手掛け、歌った、原盤をそのままだ。

 フルサイズと、テレビアニメ用サイズ、契約時に二つの音源を渡しているが、当然今回使われたのはテレビアニメ用サイズだ。

 定夫は、録画していた今回の話を再生、エンディングを頭出しして、流れるテロップを改めて確認した。


 「作詞 作曲 編曲 歌 ほのか制作委員会」


 ちょっと残念といえば残念か。
 権利譲渡の契約をするにあたり、設定資料と動画データだけでなく、効果音や、歌など、あるものはすべて渡している。「甲がすべての権利を有する」という契約をかわしている以上は、なにをどう名乗り、どう使うおうとも、それは向こうの自由。仕方ないというものではあるが、残念というか、ちょっと悔しい。

 しかしまさか、曲を原音のままで、まるまる使うとは思ってもいなかった。
 選んだ楽器の数が少なくて、しっかりした編曲を組みやすかったにせよ、それ以前、それ以上に、いかに敦子の曲作りの才能が優れているか、歌声が優れているか、ということなのであろう。
 また、実際に打ち込みを担当した八王子の力量が優れているということなのだろう。

 ぶーーーっ、ぶーーーっ!

 携帯電話が振動し、メールの着信を知らせた。


「ほのか、生き返りましたああああ! 別の体というのはちょっと複雑な気持ちですけどお。あとっ、あとっ、聞きましたかあ? EDっ、私の歌が、使われちゃいましたあああああ! 恥ずかしいけど嬉しいいいい! どんなこらえても顔がにやけちゃうよおお」


 敦子殿からであった。
 定夫、トゲリン、八王子への同報送信だ。

 もっと狡猾に契約しとけばよかったー、などという邪心の微塵も伺えない、ただ純粋に喜んでいるような文面に定夫まで微笑ましい気分になって、すぐに「聞いた。おめでとう」と返信した。

「しかし、肝心のストーリー展開であるが、まさか、こうくるとはなあ……」

 前話で、ほのかの肉体は滅んだ。
 はるかのデスアックスで、胴体を両断されたのだ。

 だが、新たな肉体を得て、復活する。
 新たといっても、いわば「ほのかゼロ」だ。

 古代、異世界の科学者によってこの地球へ転送されたもの。
 あまりの強大なパワー故に、不安視され、封印されていた、ほのかの真の肉体だ。

 簡単に復活出来たわけではない。
 精神世界側から語り掛けてきた「魔法女子ゆうき」に、真の肉体のこと、乗り換えにより復活出来ることを、精神体のほのかや、他の三人は聞かされる。

 しかしそのような処置を施せる科学設備は、もうどこにも存在しておらず、残された可能性は、ゆうきの超魔法「導魂」のみ。しかし術が成功する可能性は極めて低く、失敗すれば魂は消滅する。

 それを聞かされた上で、ほのかは、ゆうきの魔法にすべてを委ねた。

 あおいたち三人は、成功確率を少しでも上げるために、残る全魔力全体力を、ゆうきに差し出すことを志願する。

 「やめといた方がいいよ。ほんの少ししか確率は上がらないし、失敗したらほぼ間違いなく超魔法に魂自体を持っていかれるから。割、合わないでしょう?」と、ゆうきは制止するが三人は聞かない。
 呆れ顔と苦笑の混じった、ゆうきの顔。

 こうして始まった、導魂の術。
 あと少しで終わる、というところで、はるかが精神世界で起きている異変を察知。「ゆうき、やはり裏切ったか!」、舌打ちし、魔力探査の魔法で、ほのかの精神体から伸びている魂緒を辿り、地下遥か深くに埋もれている古代遺跡へ。

 古代異世界人の研究施設、カビ臭い部屋の中にカプセルが四つ並んでいる。はるかはその中の一つに狙いを定め、喜悦の笑みを浮かべながらデスアックスを振り下ろした。

 だがその瞬間、カプセルを突き破って腕が伸び、はるかは頬に拳の一撃を受け、吹き飛ばされ壁に叩き付けられていた。

 カプセルは割れ砕け、真っ赤な魔道着を着た赤毛の少女が、上体を起こしていた。

 これぞ、ほのかの真の肉体。
 見事、導魂の術が成功した瞬間であった。

 魔法女子ゆうきは、「ま、あとは任せた」と、すべてを見届けることなく姿を消し、
 真ほのかは、地上ではるかと戦い、圧倒的パワーで撃退する。

 三人の友を失って、涙を流すほのか。
 だが、三人は生きていた。

 喜び、抱き合う四人。

 というのが、今回の内容である。

「おれの考えた設定を、さらに捻ってきたな。つうかスピンオフのキャラまで絡めてきて、ゴージャスだな畜生」

 定夫は腕組みしながら、満足げに、ぶいいいいっと息を吐いた。

 先日ついに、第二期制作決定が正式に発表されたのだが、まだ第一期の途中なのにこうである、きっと次々と新キャラ新魔法が増えていくのだろう。

 ソーシャルゲームやトレーディングカードゲームを作りたい佐渡川書店の目論見通りになっているが、まあいいだろう。商業主義との相乗効果で素晴らしいアニメが出来ることもある。

 それはそれとして、パワーインフレの度が凄すぎやしないか?
 地球が粉々に砕けるぞ、そろそろ。

 発表された第二期のフルタイトルが「魔法女子ほのか 神降臨編」と知って、大袈裟だなと思っていたが、今回の話を見て、神々とも余裕で渡り合える気がしてきた。

 とはいえ、敵のレベルが行き着くとこまで行き着いちゃって、第三期は一体どうなるんだ。三期があるかどうか知らないが、あるとしてどうなるんだ。

 神々を作った者とか、宇宙そのもの、時そのものと戦うしかないじゃないか。

 ほのかの、さらなるパワーアップか。
 それとも今度は仲間がパワーアップするのかな。そうなれば、エレメンタルエクスプロージョンだって宇宙ふっとばすような破壊力になるはずだからな。神とも悪魔とも戦える。

「地下の研究室みたいなとこに、真ほのかが入っていたの以外に、幾つかシェルターみたいなのあったけど、あれが、すなわちそういうことなのかな。悪くないけど、出来ればもっと視聴者を驚かすように、制作会社のマスちゃんにちょっとアドバイスしとこうかな、制作会社のマスちゃんに」

 定夫は肥満した腹をむにょぽんと叩いて、わははと笑った。
 権利は完全に売り渡しているため、そんな発言権など微塵もないが、妹の前で格好つけてみせたのである。

「はあ? えっらそうに。このブタっ」

 まだソファに座っている妹の幸美が、嫌悪たっぷりの視線で兄を睨みつけた。

 兄は余裕の表情で受け流し、ふふんと笑いながら、

「ならば、芸術でも記録でも、なにか一つでも後世に残し、この偉大な兄という存在を抜いてみせえええい!」
「やだよ面倒くさい。アホか。……でもまあ、確かに快挙だよなあ。兄貴たちのやったこと」

 幸美は、コーラをストローでちょっと吸うと、ソファにぐーっと背中を沈めた。

「……オタの情念、岩をも砕く、か。兄貴のこと生き物として完全に見下していただけに、なんか悔しいけど、でもちょっと学校で自慢しちゃったもんね」

 兄を褒めてしまったことを誤魔化すかのように、ずずーっ、とコーラを飲み干した。

     3
 真っ白な光がダークシルバーの魔道着を包み込んだ瞬間、肩、胸、腹が、どん、どん、と弾け飛ぶように爆発した。
 はるかは、端整な顔を苦痛に歪ませながら、がくり膝を落とした。

 ように、ではなく実際に弾け飛んだのである。はるかの、服と、肉、骨が。

 彼女のすぐ後ろには、真紅の魔道着、ほのかが倒れている。

 はるかは、魔帝ジャドゥーグからほのかを庇おうと、超破壊エネルギーをその身に受けたのである。

 昼も、夜もない、真っ暗な空が広がり、無数の星が、またたきもせず、ささやかな光を主張しあっている。

 ここは、宇宙空間に浮遊する島、天《てん》(きゆう)|界の遺跡。
 魔法女子ほのかたちと、魔帝との、最終決戦が行われているのである。

 遺跡の、一角が爆発した。
 高い塔がガラガラ崩れて、浮遊島の下に待ち構えるように広がっている黒く光る不気味な輝きの中へと落ちていった。『次元の裂け目』、吸い込まれたら二度と戻れない、一種のブラックホールである。

 ごぼり。
 身体を砕かれたはるかの口から、大量の、黒い血が噴き出した。

 彼女は前方を睨みつけ、口元を袖で乱暴に拭うと、よろよろと立ち上がった。

 前方、視線の先には、銀の刺繍が入った黒マントの男、魔帝ジャドゥーグの、涼し気な顔があった。

 どおん。
 また爆発が発生し、ぐらぐら揺れた。

 地面が崩れ、建物や、自動車や飛行船のような乗り物などが、次元の裂け目へと、次々と落ち吸い込まれていった。

 はるかは、口元をもう一度拭うと、力なく、しかし眼光は鋭く、震える唇を開いた。

「ほのかは……天窮界と人間の世界を結ぶ架け橋。絶対に、殺させは、しないっ!」

 両手の間に気を練り、振り上げた。
 その瞬間であった。

 爆発。
 はるかのすぐ頭上、自身の両腕が、なくなっていた。肘から先が、跡形もなく。
 魔帝ジャドゥーグが、はるかの気弾を打ち抜いたのだ。

 はるかは顔をしかめ、舌打ちする。その瞬間、目が驚きにかっと見開かれていた。
 光の槍が、胸から背中へと突き抜けていたのである。

 がくりよろめくはるかへと、さらに、二本、三本と、突き刺さり、突き抜けていく。

 がはっ、と血を吐きながら、なんとか踏ん張るはるかであるが、もうその足に力はなく、よろよろ後ろへと下がっていく。

 遺跡の崖っぷちになんとか踏みとどまったが、そこまでが限界であった。
 次の光の槍が胴体を貫くと、はるかはよろめき足を踏み外し、落ちた。

「はるかちゃんっ!」

 いつ意識を取り戻したのか、駆け寄ったほのかが、地に伏せながら素早く手を伸ばした。
 ほのかの手が、はるかの身体に触れた。
 だが、どこも掴むことが出来ず、はるかは、落ちていった。

 次元の裂け目へと吸い込まれていきながら、はるかは、目を閉じ、微笑んでいた。
 心の中で、ほのかへと語りかけていた。


 『ありがとう。ほのか。
 あたしなんかを、助けようとしてくれて。
 もっとずーっと早くに、出会えていたらなあ。
 本当の友達に、なりたかったなあ』


 次元の裂け目に飲み込まれていくはるかを見下ろしながら、ほのかは涙を流し、はるかの名を叫んだ。
 願い届かず、はるかの姿は裂け目に吸い込まれ、消えた。

 悔しがり、言葉にならない声を発し、ほのかは地面を拳で何度も叩いた。

 後ろに、魔帝ジャドゥーグが立っていた。
 ぼそ、と口が開く。

「残るはお前一人だ。魔法女子ほのか」

 マントを翻し、にやりと冷淡に笑った。
 ほのかは、ジャドゥーグへと背を向けたまま、ゆっくりと、立ち上がった。

「私は……」

 ほのかの背中が、ぶるぶると震えている。
 振り返ると、涙を溜めながらも毅然とした表情で、魔帝を睨みつけた。

「私は、一人じゃないっ!」

 背後で、赤い炎が爆発した。

「炎の技など我には通じぬこと、もう理解しているだろう。無能者には、死を持って分からせるしかないのか。選ばせてやろう。苦しんで死ぬか、苦しまずに……なにっ!」

 ほのかの背後で、青い光が燃えていた。
 それは、魔法女子あおいの能力である、水の力であった。

 それだけではない。
 緑の、風、しずか。
 黄色の、大地、ひかり。
 そして赤い、ほのかの、炎、
 四つのパワーが、混ぜ合わさり、ほのかの身体を包み込んでいた。

 さらに、
 闇の力、はるか、
 霊の力、ゆうき、

 ほのかの小さな身体を包む光に、これらの輝きが加わって、いつしか、惑星すら飲み込むほどの巨大な龍になり、宇宙を縦横無尽にうねり疾走っていた。

 がくり。ほのかは膝を崩しかけるが、持ち直し、疲労しきった顔を上ると、魔帝ジャドゥーグを睨みつけた。

「いくよ、みんな……。エレメンタルエクスプロージョン!」

 ほのかは軽く膝を曲げると、跳躍していた。
 高く、高く、浮遊島のすべてが見渡せるほどに、高く。

 ジャドゥーグへと落下を開始した、次の瞬間には、その速度は既に光を超えていた。

「これが最後っ、私たちのおっ、全身っ、全霊っ、全力だああああああ!」

 大きな口を開き咆哮を放つ巨大な龍の中で、ほのかは右手にはめた巨大な魔装具を、ジャドゥーグへと、渾身の力で突き出し叩き付けた。

 すべては、真っ白な中に包まれていた。
 地球の上に浮かぶ天窮界の遺跡、浮遊島に、これまでにない規模の大爆発が起こり、巨大な島は、真っ二つに引き裂かれていた。

「バッ、バカな! この私が、この、私があぁぁ……」

 ジャドゥーグの身体は、さらさらと塵へ還りながら、島から砕け分離した地面とともに落下して、黒く不気味な光を放つ次元の裂け目へと吸い込まれていった。

 マーカイ皇帝が消滅したことにより、力場や形状を支える力を失った浮遊島の、崩壊が始まった。
 あちこちで建物が崩れ、地が割れ火が噴き出し、爆発し、島が分離して、小さな物から次々と引力による落下をしていく。

 いつしか次元の裂け目は消滅していたが、それはつまり、遺跡が地球へと落下していくということであった。

 ほのかの立っている地面も、いつしか砕けて小さくなって、浮力を失い、地球への落下を始めていた。

 はあはあ、と息を切らせているほのかであったが、がくり膝をつくと、うつ伏せに倒れた。

 地球の引力に引き込まれ、周囲の温度が上がって真っ赤な地獄のようになった中で、ほのかは柔らかく微笑んでいた。
 眼下に大きく広がる、青く輝く惑星を見つめながら。


 『この星を、守ったこと、
 間違ってなんか、ないよね。
 だって地球は、こんなにきれいなんだから』

     4
 『このお話は、もうちょっとだけ、続くんです』

     5
 穏やかな波の音に、ゆっくりと目を開いた。
 (こつ)(ぶえ)ほのかは、砂に片頬をつけ、うつ伏せで、万歳するように倒れていた。
 ごろり仰向けになるが、降り注ぐ陽光が眩しく、手で目元を隠す。しばらくそのまま横になっていたが、やがてゆっくりと上体を起こした。

 薄緑のジャケット、タータンチェックのスカート。
 高校の、制服姿である。

 ふと気づいたように、首を動かして、周囲をきょろきょろ見回した。
 あおい、しずか、ひかり、
 親友の姿は、どこにも見えなかった。
 いるはずが、ないのだ。
 もちろん、はるかも。

「そっか」

 ほのかは、両膝を抱えると、間に顔をうずめた。

「私だけ、残っちゃったのか……」

 寂しげに呟くと、顔をちょっと持ち上げて、海を見た。
 陽光にきらきら輝く海。
 押しては返す波の、さやさやと、小川のせせらぎにも似た優しい音。

 空を見上げながら、右手で砂を軽くなでた。
 と、その時であった。

 地が、揺れ始めたのは。
 ぐうらぐうらと、かなり大きな地震だ。

 ほのかは、あまり興味なさそうに海を見続けているが、
 その揺れは、おさまるどころかどんどん激しさを増していく。

 ばっ、とほのかは慌てたように立ち上がっていた。
 その顔には、驚きが満ちていた。

 地震の恐怖に、ではない。揺れに押し上げられるように、地中から巨大な金属の塊が出現したのである。

 それは、天窮界の遺跡、つまり先ほどまで戦っていた宇宙の浮遊島で見た、飛行船のような乗り物であった。次元の裂け目に、はるかよりも少し前に飲み込まれて消えたはずの。

 見間違えようはずがない形状のものであるが、ただ、これはどうしたことか、外装が先ほど見た時とはまったく異なるものになっていた。
 全体があますところなく激しいサビにおおわれて、ボロボロの状態なのである。
 外壁を指でつつけば、簡単に穴が開いてしまいそうだ。

 地中に埋もれたまま、数千年、いや数万年の時を眠っていれば、このようになるだろうか。
 ということは、さっき見たのとは別のもの?

 そんな疑問が浮かんだのか、ほのかは、ちょっといぶかしげな顔になって、ゆっくりと、その巨大な飛行船へと近づいていった。

 びくっ、と肩を縮ませた。
 一メートルほどの距離にまで近寄って外壁の観察をしていたところ、ハッチと思われる扉が、劣化をまるで感じさせることなく、シュイと小さな音を立てて瞬間的に開いたのだ。

 警戒心を満面に浮かべ、そおっと中へ入った。
 ベージュ色の壁がぼーっと淡く発光している通路を、足音を消して進む。

 すぐに行き止まりになった。

 扉が一つある。
 その前に立つと、扉脇にある認証装置のようなものに手をかざしてみた。

 なんにも、起こらなかった。
 と思われたその瞬間、ぷしゅーーーーーっと気体の漏れる音が聞こえ、また、びくりと肩を震わせた。

 扉の隙間から、もわもわと白い気体が漏れ出てきた。その、あまりの冷たさに、ほのかは、自分の身体を抱くようにして腕を組んだ。

 その扉が、
 シュイ、と一瞬で開き、

「うわ」

 と、ほのかは驚き後ずさり、通路の壁に背中をぶつけた。

 開いた扉から、恐ろしく冷えた空気が、通路へと流れ込んできた。
 おそらく先ほど部屋の中から聞こえたのは、冷気を抜いている音だったのであろう。
 つまり少し前までこの部屋は氷の世界だったのだ。

 部屋は真っ暗であったが、突然、壁や天井が青白く発光して、闇を照らし出した。
 壁と扉だけの、他になにもない部屋であった。

 いや、
 調度品や、機器装置といったものは、確かになにもないが、
 床の中央に、
 小さな、おそらく女の子、が一人、
 身体を丸めて横たわっているのに、ほのかは気付いた。

 四歳か、五歳くらいだろうか。
 びっくりしたが、驚きおさまると、不安そうな顔でそおっと近寄って、四つん這いになり横顔を覗き込む。

 すー、
 すー、

 寝息。
 ほのかは、胸をなでおろし、ふーっと安堵のため息を吐いた。

 改めて、その横顔を見る。
 人形のように可愛らしい、寝顔であった。

 そおっと伸びるほのかの手。女の子に触れる寸前で、ぴたりと止まっていた。
 女の子の目が、ぱっちりと開いていたのである。

 くい、と首が動いて、真上から覗き込んでいるほのかと、目があった。
 その瞬間、ほのかの目は驚きに見開かれていた。

「はるか、ちゃん……」

 しばらく呆然としているほのかであったが、苦笑すると、首を横に振った。

「お姉ちゃん、誰?」

 女の子は、上体を起こしながら、愛嬌のかけらもないぶすっとした表情で尋ねた。

「私は、ほのか」

 名乗り、微笑んだ。

「ほ の か」

 女の子は、ゆっくり腕を持ち上げて、ほのかの顔を指さした。

「そう。ほのか」

 ほのかも、自分の顔を指さして、改めてにっこり微笑んでみせた。

「あなたは、だあれ? お名前は?」

 と、今度は、ほのかが尋ねた。

 女の子は、ぶすっとした顔のまま、壁を見つめている。
 呼吸が、段々と荒くなっていた。
 突然、狂乱したように叫び、立ち上がった。
 泣き始めた。
 大声で、言葉にならないような言葉を吐き出しながら。

「ずっと、ずっと、ずっと、ずっとっ、暗い、暗い、暗いところにいた。一人きりで、ずっと、ずっとっ! 怖かった。怖かった! 怖かった! 怖かった!」

 ぼろぼろ大粒の涙をこぼし続けている女の子を、ほのかは優しく微笑みながら、ぎゅっと抱きしめた。

「大丈夫。もう、大丈夫だから。私が、いますから」

 と。
 女の子も、ほのかを強く強く抱きしめ返し、そのままわんわんとむせび泣き続けた。
 やがて、狂乱したような状態もだいぶ落ち着くと、目をこすりながらえくえくとしゃくり上げている女の子に、ほのかは尋ねた。

「名前、思い出せないんですか?」

 問いに、女の子は無言で首を縦に振った。

「なら、思い出すまでの名前を考えないとな。……はる、じゃなくて、ええと、こはるちゃんというのは、どうですか?」
「こはる?」

 女の子は、小さく首を傾げた。

「似てるんです。はるかちゃんという、素敵な女の子に。そこからちょっと分けてもらって、こはる。……いやですか?」
「悪くはない」

 女の子は、首をぷるぷる横に振ると、つまらなそうな仏頂面のままそう呟いた。
 なんとも不器用そうな態度がおかしくなったか、ほのかは声を出して笑った。

「いきましょうか、こはるちゃん」

 ほのかは、女の子……こはると手を繋ぎ、部屋を出、ボロボロの飛行船から外へと降りた。

 降りて、ふと振り返ると、そこにはもう、飛行船は存在していなかった。

 砂浜の上に、錆びた金属粉がさらさら散っていたが、風にかき混ぜられて、それがそこにあったという痕跡を残すものは、もうなにもなく。
 ただ二人が手を繋いで砂浜に立っているという現実があるばかりであった。

 優しく輝いている太陽を、ほのかは見上げた。



 エンディングテーマが、流れ始めた。
 後期より使用されている、「素敵だね」である。



 砂浜を歩くほのかたち。


 場面が、ほのかの家に切り替わる。


 小さな家に、父、母、ほのか、こはる。


 こはるは、相変わらずぶすっとしたつまらなそうな顔をしている。


 日曜大工をする父を見ているこはる。


 こはるは真似して、真似どころか素晴らしいテーブルを作り上げてしまう。


 料理を作る母を見ているこはる。


 掃除しているほのかを見ているこはる。


 ほのかの、手編みのニット帽をかぶせてもらうこはる。


 あまりの下手さに、ほつれてボロボロだが、ほのかのはもっとボロボロだ。


 笑い、謝るほのか。編み直そうと、返してもらおうとするが、こはるは渡さす、かぶり続ける。


 なお流れているエンディングは、最終回ということでフルバージョンである。



  ♪♪♪♪♪♪

 そっと目を閉じていた
 波音ただ聞いていた

 黄昏が線になって
 すべてが闇に溶け

 気付けば泣いていた
 こらえ星空見上げる

 崩れそうなつらさの中
 からだふるわせ笑った

 生きてくっていうことは
 辛く悲しいものだけど

 それでも地を踏みしめて
 歩いてくしかないよね

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 もう迷わず

 輝ける場所がきっと
 待っているから

 星は隠れ陽はまた登る
 暖かく優しく包む

 永遠の中

 出会えたこの奇跡に
 どこまでも飛べる きっと



 幸せは大きいより
 ささやかがいいよね

 胸のポケットに入れて
 大切に育てられる

 もし見失って
 立ち止まっていたら

 そのまま耳を澄ませば
 必ず呼んでいるから

 この世にいることに
 意味があるかは分からない

 それでもその笑顔を
 守りたいと思うから

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 強がらずに

 優しさを分かち合おうよ
 意味など考えずに

 見上げれば青い空
 大地には花 風は静か

 信じてるから

 もう二度とない奇跡に
 また歩き出せる きっと



 この世にいることに
 意味があるかは分からない

 それでもその笑顔を
 見ていたいと思うから

 笑えるって素敵だね
 泣けるって素敵だね

 この懐かしい

 地図を確かめながら
 風になでられながら

 悲しくても笑うんだね
 嬉しくても泣くんだね

 生きているから

 生まれたこの奇跡に
 小さな花が心に咲いた

  ♪♪♪♪♪♪



 ほのか、ほのかの父、母、みんなに囲まれている幸せに、何故か泣き出すこはる。


 やがて泣き止み、そして、笑った。


 それはとろけるような、天使の笑顔であった。



「なんで毎日毎日、こんなに落ち葉が出るのかなあ。毎日毎日かいているのになあ」

 ほのかは、腕を組んで難しい顔をしている。
 巫女装束。
 神社でアルバイト中である。

 目の前には、枯れ葉が積み上がっている。
 手にしたほうきで、かき集めたばかりだ。

「ほのか、これはここでいいのか?」

 離れたところで、ぶすっとした顔の女の子、こはるがキャスター付きの椅子をがらがら転がしている。ほのかのお手伝いをしているのだ。

「はい、そこに置い、って持ってきてるものが違いますう! 脚立ですってばあ!」

 まったくもう、と駆け出そうとした瞬間、
 突然吹いたつむじ風が、ようやくかき集めた落ち葉を、くるくる巻き上げ境内中にぶちまけてしまった。

「あああーーーーーっ! ……あーあ」

 しょんぼりがっくりのほのかであったが、次の瞬間、その顔に驚きが満ちていた。

 顔を上げた。


 『いまの風、まさか……』


 きょとんとしているほのかであったが、その顔に、じわじわと、笑みが浮かんでいた。

「どうかしたの?」

 こはるが、不思議そうに首を傾げている。

「なんでもないっ!」

 元気な声を出すと、
 ほのかは笑顔を上げ、
 こはるへと、走り出した。


 魔法女子ほのか
 第一部
 完

     6
「うおおおおおーーーーーーーっ! うおおおーーーっ!」

 トゲリンが、込み上げる感情をこらえられず、魂を吐き出すかのような凄まじい轟音絶叫を解き放っていた。
 最終回に感動しているわけではない。既に完結から一週間が経過している。

 ここは、とある書店の中である。

「おううーーーーっっ! うおおおおおおおっ!」

 他の客が露骨に迷惑そうな顔をしているというのにトゲリン、まったく気付くことなく叫びまくっている。

「もるもるもるもる!」

 うおおおおっ、の惰性余韻なのか分からないが、不気味で意味不明の雄叫びまで張り上げ始めた。

「うるせえクソデブ!」

 ついに他の客に後頭部をゴチと殴られたのであった。
 なお気付かず吠え続けるトゲリンに、頭のおかしい奴と思ったか(あながち間違いではないが)、客は舌打ちしながら店を出て行った。

 ここは神保町にある大型書店である。
 出入口付近に平積みコーナーがあり、「魔法女子ほのか」関連の雑誌、ムック、漫画、小説、サントラ、サウンドドラマ、謎本、などがところ狭しと置かれ積み上げられている。

 数えることなど不可能なほどの、ほのか、あおい、しずか、ひかり、はるか、ゆうき。
 店内のスピーカーからは、後期エンディングテーマである「素敵だね」。
 コーナーには、小さな液晶画面がいくつか設置してあり、本編の映像や、発売予定であるゲームの宣伝映像などが流れている。

 トゲリンは、このあまりの壮観圧巻に感極まって不気味な絶叫を解き放っていたのである。

「う、ううっ、うーっ」

 突き抜けたか、今度は泣き始めてしまった。
 眼鏡を外し、袖でレンズをごしごし拭いながら、めひめひとむせび続けている。
 トゲリン大暴走であった。

 山田定夫も、気持ちとしては同じようなものだった。さすがに恥ずかしいので、ここまで感情は出さないし、もるもる叫んだりなどしないが。

 八王子も、敦子殿も、おそらく同様だろう。
 じわじわ込み上げるものに思わずニヤけそうになるところを、なんとかこらえて平静を装っているような、二人ともそんな分かりやすい顔になっている。

 今日は四人ではるばる神保町を訪れているわけであるが、その目的はなにかというと他でもない、この「魔法女子ほのかフェア」のためであった。

 関連書籍、グッズなどは、とっくに購入して所持しているが、盛り上がりを肌で感じたかったからだ。

 昨日は昨日で、()()(ゆい)()など声優を招いてのイベントに四人で参加してきたのだが、チケット完売ダフ屋横行の超絶満員ぶりで、あわや客がどどっとステージに乱入しかけて声優たちが一時退避するなど、騒然となるシーンがあった。

 魔法女子ほのかは、この通り現在人気大爆発中であった。

 まだ第一期が終了した直後だというのに、もう深夜枠で再放送が開始している。
 CSでも、五つのアニメ専門チャンネルで放映中だ。

 放送開始時から異例の高視聴率を叩き出してきたアニメではあったが、ここまでの人気作になることを決定付けた分岐点は第七話であろうといわれている。

 子供も観る時間帯のアニメだというのに、映像をぼかしているとはいえあまりにも過激な人体破壊描写。世論から「やりすぎ」と叩かれ騒がれたのだが、それによって認知度が急上昇したのだ。

 あれよあれよという間に、アニメファンならずとも名前を知っているアニメへと成長。

 単なる格闘アニメだろ、と揶揄する者もいるが、人気を否定する者は誰もおらず。

 世の熱狂ぶりは、まさに社会現象といって過言ではなかった。

 アニメ第二期が制作されるだけでなく、テレビゲームは発売間近、さらには劇場アニメ化も決定している。
 もはや完全に、定夫たちの手を離れた作品であった。

 だから昨日の声優イベントも、単なる一ファンとして楽しんだし、この書店でのフェアも然りである。

 もう関われない、ということが、寂しくないといえば嘘になる。
 だけど楽しみ、わくわくの方が、遥かに勝っている。

 そのわくわくを味わうのに、もう労力はいらない。黙っているだけで、プロの作り手と、大きなお友達が、勝手に大きく育て上げてくれるのだから。

 などと定夫が、現在と未来の興奮を肌と脳とにしみじみ感じていると、また自動ドアが開いて新たな客が入ってくる。

 バンダナに黒縁眼鏡の、肥満した二人組。トートバッグ肩に下げて。

 ほのか、はるか、のTシャツをそれぞれ着て(ボンレスハムのようなっており、キャラ判別が難しいが、おそらく)、定夫たちがいるほのかフェアの平積みコーナーへと寄ってきた。

「あざーーーーっす! おいあざーーーーーっす!」

 トゲリンが、マシンガンのごとき猛烈な勢いで、その二人組へと深く頭を下げまくっている。深くといってもお腹の脂肪がつっかえて、健常者ほどは下げられないのだが、可動限界まで深く。

 ボンレスハムの二人組だけでなく、他にも男性女性、学生社会人、オタっぽいの普通っぽいの、色々な人が足を止めて、本を手に取っている。

 定夫は、そうした様子をじっと見ている。
 胸の奥から湧き上がる、なんともいえない感情、なんとも分からぬままぞくぞくするような高揚感。
 来店時から、ずっとそんな気持ちに心身包まれていた。
 「魔法女子ほのか」がどんどん育ち、広がっていることに対して、
 興奮していた、
 ちょっとだけ、誇らしい気持ちになっていた。
 でも、誇らしく思ったとして誰がそれを責めようか。

 自分がいなければ、「魔法女子ほのか」は存在していなかったのだ。
 最近ヒット作を生み出せていなかった佐渡川書店の、株式がうなぎ登りの高騰を見せているらしいが、それもおれのおかげなのだ。

 日本を征服しそうな、ほのかの勢い、
 海外進出は間違いなく、そのまま爆進を続けて世界を熱狂の渦に巻き込めば、
 すなわち、世界制覇、世界征服、
 つまり、
 おれは、影の皇帝。
 株式市場にまで影響力を放つ、皇帝様だあ!

「カイザーーーーーーーーーーっ! せいっ、せいっ、せえええい!」

 つい我を忘れて右拳左拳を突き出し、世界へ轟けとばかりの絶叫を放った。

 高揚感爆発の沸点が低いのはトゲリンであるが、最終的に変態行動を取るという意味ではどちらも同じであった。

「あの、お客様方っ、先ほどからちょっとお声があ……」

 女性店員の声。トゲリンとひとくくりで注意され、我に返り恥ずかしそうに肩を縮こませる皇帝様。
 と、その時であった。

 聞き捨てならない会話が聞こえ、レンドル皇帝の耳がピクンと動いたのは。

「安田氏、知ってる? 第二期は、遥か未来が舞台らしいね」
「えー、そうなん?」
「決定事項かは不明であるが、かなり信憑性あるらしい」
「キャラ総入れ替えかな。子孫とか」

 カーキ色迷彩服上下の男と、赤青チェック柄シャツをジーンズに押し込んでいる男、年齢不詳だがこの二人が、ほのかの本を手に手にそんな会話をしていた。

 第二期が、未来?
 知らないぞ、そんなことは。

 定夫は疑問を感じたその瞬間に、迷彩とチェック柄の二人へと近付き話し掛けていた。

「おたく、いまご友人に、なんと発言されておりましたか? いや、『未来が』とか聞き捨てならない言葉が鼓膜を震わせたような気が致しまして」

 初めて敦子と話した時の狼狽ぶりとは大違い、オタク男子が相手なら初対面であろうとペラペラ饒舌な定夫であった。

「ああ、まほのの第二期について、いわゆる未来が舞台であるらしいということを、友人に話していたのです。なんでも、復活した神属との戦いがメインで、太刀打ち出来る存在がその時代にいないので、ホノタソたちがコールドスリープで未来へ飛ぶとか」

 「まほの」とは、最近定着しつつある「魔法女子ほのか」の略称である。
 それよりも……

「ソースは、どこにあるのでしょうか」

 情報源はなにか、ということを定夫は尋ねたのである。

「最新号のアメアニに、書いてありました」

 アメアニ? 確か発売日は、明後日のはずだが。
 ああ、そうかっ!
 定岡書店か!

 神保町から少し離れた小川町にある、雑誌や漫画が早く発売されることで知られた小さな書店だ。

 ……確かめねばなるまい。事の真偽を。

「ありがとう。ごきげんよう。ほのかウイン!」

 定夫はニッコリ不気味に微笑み、右腕を上げると、ウインのままくるんと身体を回転させ、トゲリンたちへとひそひそ耳打ち。
 この場を立ち去ると、

 いざ、と定岡書店へと向い、アメアニを発売日より前に購入。

 そして……
 四人を、凄まじい衝撃が襲ったのであった。 

 

第十三章 神は降臨するのか

     1
 強烈なスパイスの香りが、ぷんぷんと漂っている。

 各階に古本屋が入っているビルの、二階奥にあるカレー屋だ。
 ごく普通の欧風カレー店であるが、場所が場所なのでオタ率高し。

 その数値の高さに貢献している、レンドル定夫、トゲリン、八王子、敦子殿。
 彼らは薄暗い空間の中で、四人がけのテーブルに着いて、なんだか難しい顔でそれぞれに雑誌を広げている。

 全員、同じ雑誌である。
 ほのか、あおい、しずか、ひかり、はるか、ゆうき、六人の魔法女子が肩を寄せ合って楽しそうに笑っている。

 「アメアニ」最新号。
 魔法女子ほのか第二期について、事の真偽を確かめねばいられないような情報が載っていると聞いて、さっそく買い求めたものだ。

 情報収集目的なら一冊で充分のはずだが、なのにそれぞれで買って持っているのは、どのみちいつもそれぞれで買っている雑誌だからである。

「神々との戦いがメイン。……本当に書いてあるな。まあ、これはよしとしよう。(かみ)(こう)(りん)(へん)の副題は、第二期の制作が正式発表された時から分かっていたことだし」

 と、定夫。

「新たな魔法女子が続々? とあるでござるな」

 眼鏡のフレームつまみながら、ニチョニチョ声でトゲリンが。

「未来の危機を予知するものの、時を超える魔法を使える者がおらず、最終手段、現在に永遠の別れを告げてコールドスリープで未来へ。と」

 八王子、笑みを浮かべてはいるが、楽しいという感情からではないこと明白であった。

「第二期のキャラ原案はほとんど仕上がっており、入手情報が事実であれば、十二神や二十四魔将など、おそらく膨大な数の魔法女子が画面を賑わせることになるのだろう。……定かではないが、とは書かれていますが」

 敦子は本を閉じ、膝の上に置くと、ふうと小さなため息を吐いた。

「ガセじゃないのかなあ」

 八王子は笑みを浮かべたまま、氷と水の入ったコップを意味なく回している。

「まあ、そう考えるしかないような内容だよな。……みんなは、どう思う? この展開が本当だったら」

 定夫が尋ねる。

「いやあ、これはちょっと……」

 トゲリンが、オカッパ頭の下でなんとも苦々しそうな表情を作った。

「完全にSFになったいますよお。……なっちゃいますよ」

 困ったような怒ったような敦子。滑舌悪くなってしまったのを、ちょっと恥ずかしそうにわざわざいい直した。

「もう、別の作品だよね。新規アニメなら構わないけど、まほのでやるなよ、って思う。せめて、一話限りの特別編、お江戸が舞台でござる的な番外編でやってよね」

 八王子は、まだコップくるくる回している。

 定夫は、みんなの顔を見て、一呼吸、ゆっくり口を開いた。

「だよな。どんなに宇宙規模の超絶バトルになろうとも、最後にはほのぼの日常に還る。それが、まほのというアニメなんだ」

 どこかに明記されているわけではない。定夫にとって当然というだけのこと。
 だから、確認したのである。みんなの思いを。

「友達と喧嘩したり、誰かを好きになったり、失恋して落ち込んだり、テストで赤点取って補習受けたり、カラオケ行ったり、お料理したり、お正月には神社でお餅つきい……」

 もともとほのかにそうした日常要素を求めていた敦子が、楽しげに妄想しながら天井を見上げている。

「風呂を覗かれたり、スカートめくられたり、風のいたずらでめくれるのもまた風流かな。ほっほ」

 興奮妄想にニヤけるトゲリン。

「買い物先で選ぶ服が合うの太ったのと揉めたり、宿題終わらなくて泣きついたり、道端でどうでもいい雑談を延々としていたり、犬のウンコ踏んだり」

 八王子も続く。

「そう。そういう日常が、『魔法女子ほのか』の原点なんだ。元々、ほのぼの学園ものか、退魔ものか、ってことで企画作りだって始まっているんだし。だというのに、この一方通行の時間遡行、というか単なる氷漬けで未来に行って神々とバトルって、なんなんだ」
「だよね。次元の裂け目に落ちて転生しつつ過去に戻ったはるかのように、最終的に現在に戻ってくる可能性はそりゃあるだろうけどさあ、メインの舞台が未来世界というのは、なんかなあ。未来に行ってしまったら、ずっとバトルと冒険でやるしかない」
「キャラ数を増やすのが目的、って気がしませんか?」
「確かに。()()(がわ)の考えそうなことでござる!」

 トゲリンが苦々しげに言葉を吐き捨てた。
 佐渡川書店とは、魔法女子ほのかアニメ化にあたり、バックについている超大手企業だ。メディア展開に精を出す会社として知られている。

「カード、玩具、ゲームをどんどん出して儲けたいんだけど、でも一般的に、その原作となるアニメ、まあ特撮も同じ傾向なんだろうけど、昔はともかく現代では主人公と同じフォーマットのキャラにしか注目がいかないんだよね。モノとして売れない。つまり『怪獣の人形』よりは『変身アイテム』、ということ。『正義の怪獣』よりは、『悪のラ○ダー』、『悪のガ○ダム』、ということ」
「日常路線にすると、せいぜい数話に一回しかそういうキャラを出せないが、未来、つまり非日常を舞台にしてしまえば、一話に何人も出すことが出来る。さっき敦子殿がいっていた通りなんだ。カードゲームなどを作るためには、相当数のキャラが必要だから」
「なんか、愛のない話ですよねえ。それが大人の世界というのなら、あたし、大人になりたくないなあ」
「企業としては、正しいのかも知れないでござるが。たくさんの社員を抱え、それぞれに家庭もあるのであろうし」

 などと世知辛さをしみじみ語り合っていると、女性店員がやってきて皿をテーブルに置いた。
 切れ込みにバターが差し込まれている熱々のジャガイモだ。

「ここいつも、最初にこれが出るんですよね。すぐ手をつけるとそれでお腹一杯になっちゃうし、必ず口の中をやけどするから、カレーが美味しく食べられなくなっちゃうんですよね。だからあたし、いつも最後までとっておくんです」

 と、経験を語っている敦子の隣で、

「ぐあああ、あ、あふっ、あふっ、うっ、上顎の皮がめくれたああああ!」

 トゲリンの絶叫。
 なんだか二人羽織芸に見えるのは、単に太っているからであろうか。

「だから敦子殿がいってたのにい。ほら、トゲリン、水」

 八王子が、コップを滑らせトゲリンの前に差し出した。

「あたし三回くらいやっちゃって、もう骨身に染みてますからね」

 えへへ、と笑う敦子、のテーブルを挟んで、

「舌ギャアア! あふっ、皮っ、むけっ、むけっ!」

 周囲から学習することを知らない山田レンドル定夫であった。
 というかそもそも、この四人で来たのも二回目だというのに。

     2
「権利は当社にあるということですので」
「しし、しかしっ!」

 と、食らいつく定夫であったが、

「失礼致します」

 ブツ。
 プーップーッ。

 切られてしまった。
 定夫は受話器を手にしたまま、まるで時が止まったように呆然として、動かなかった。
 本当に時が止まっているわけではないことは、ずるりと垂れた真緑のぶっとい鼻水が振り子のように揺れていることから瞭然であったが、とにかくそれほどのショックを受けていたのである。

 可能性の一つとして想定には入れて、ある種の覚悟はしていたのだが、まさかここまで見事に門前払いを食らうとは思っていなかったのだ。

 なんの話か。
 神保町のカレー屋に、ジャガイモの熱さについて苦情を訴えたわけではない。

 「魔法女子ほのか」の全権を売った相手、星プロダクションというアニメ制作会社に電話をしてみたのだ。
 第二期の構成について、原作者として思うところを糺すために。

 要するに、アメアニに掲載されている情報が真実だとしたら、フザケンナコノヤローと文句をいってやるために。

 権利譲渡の際に名刺を受け取っていたので、その担当の名を告げ取り次ぎをお願いしたのであるが……
 しかし、担当者は多忙を理由に電話に出ず。
 三分ほど保留にされた挙句が、先ほどの会話だ。

 面倒くせえ、とにかく突っぱねろ、ということで受付嬢に門前払いを指示したのだろう。

 こちらが権利を手放した以上は、どんな些細な口出しをすることも許されないということか。
 定夫たちのオリジナル作品があるWebサイトを、権利譲渡の際に閉鎖させられたのだが、それがつまり、そういうことだったのであろう。
 まったくもって釈然としないが。

 そもそも第一期の制作発表では、ネット発祥の作品であることを強く前面に押し出していたはずではないか。
 だったら、「しょせん素人の作った物だが、しかし原点ここにあり」としてオリジナルはそのまま残して閲覧出来るようにし、かつ、原作者とのやりとりを上手に利用して、さらに作品を盛り上げていくという手法だってあるだろうに。
 手作り感を生かすという方法があるだろうに。
 育て作り上げたのはみなさんです、という雰囲気に持っていくことだって出来るだろうに。

 オリジナル版は現在も闇サイトより入手は可能で、いまだ高い評価を受けているのではあるが、そのようなことにのみ心慰められなければならないとは、悔しいを通り越して、これはなんという気持ちなのか自分でも分からない。

 権利譲渡の契約が成立した直後のこと、八王子は金銭的なことについてもっと上手く交渉しておけばよかったと愚痴をこぼしていた。
 定夫は現在でも金銭云々という気持ちはあまりないが、ただ、発言権をある程度主張しておくべきだったかと強く後悔していた。

 ずーっと呆けたような顔をして、家の中で北風に吹かれていた定夫であったが、ようやく、はっと気付いたように受話器を置いた。
 ねろねろと、鼻水が顎まで垂れていたので袖で思い切り拭った。

 顔中にねろねろが拡散されただけだった。

     3
「もち聖地巡礼っす。ホノキュン萌え萌えー」
「第一巻初版本のカバーに、神主さんのサイン頼もうと思って持ってきちゃいましたあ! 関係ないけどズシーン最高!」
「ゆうきウイン!」

 眼鏡をかけた三人の若者が、境内ではしゃいでいる。一人は、ほのかのフィギュア、一人は漫画本を手にして振っている。
 みな肥満体型なのにカメラにやたら寄るため、画面はぎゅうぎゅうである。

 夕方ワイド番組で、現在日本のアニメ界に大旋風を巻き起こしている「魔法女子ほのか」の特集を放送しているのだが、それを、いつもの四人で視ているのだ

 特集の取材場所は、鳥取県にある神社だ。
 ほのかたちは作中で巫女のアルバイトをしているのだが、そのモデルらしいということで、この神社は聖地認定されているのである。

 彼ら三人以外にも、それと思しき風体の若者たち、はたまた中年たちまで、カメラは捉えている。どうでもいいが肥満率高し。

 「魔法女子ほのか」、その人気はこの通り衰えることを知らなかった。

 ラジオドラマも近々開始予定で、「君の作った魔法女子が戦うぞー」などと、アニメ雑誌やWebでキャラを募集している。「『○○ウイン係』まで、どしどし応募してくれ!」

 なるほど、ラジオつまり音声だけであるため、いくらでもキャラ増産が可能という、おそらくは佐渡川書店からのアイディアなのだろう。

 一般からの募集ということで、一種同人誌的な存在のキャラになるため、やり過ぎると興ざめや違和感のもととなる。しかし、佐渡川の関わる作品はそのあたりのバランス感覚が絶妙なので、今回も、まず問題になることはないのだろう。

 嗚呼、さすがは佐渡川書店。
 夢のある素敵な企業。
 金儲けの達人。

 そんな話はどうでもいいが、いや、ついでなのでどうでもいい話を続けるが、

 先週、「魔法女子ほのかチョコ」という、シール入りのスナック菓子が発売された。一個五十円、税抜き。
 いずれ、シールだけ抜き取ってチョコを食べずに捨てる輩が現れるのだろう。

 DHA入りの、「ほのかがバカにならないパン」。炎上商法を狙っているとしか思えない衝撃的なネーミング。「なんで私ばっかりこういう扱いなんですかあ」、と涙目で怒っている包装イラストの可愛らしさも手伝って、売れ行き好調ということである。

 好調といえば、女児向け玩具である変身アイテムを忘れてはならない。

 一クールアニメだというのに、放映期間中に大企業からしっかりした玩具が出て、しかもそれが売れに売れてしまう、大きいお友達の購入率も非常に高い、と異例づくめであった。
 だからこそ、つまり大手スポンサーに充分な旨味があったからこそ、過激な暴力描写でけしからんと騒がれつつも早々に第二期制作が決まったのだろう。

 魔法女子ほのかは、もう巨大ビジネスなのである。
 日本経済の一翼を担う存在なのである。

 もちろんまだ一過性のブームという可能性は捨て切れないが、既にして巨額の金が動いていることに違いはなかった。

 さて、
 夕方ワイドに話を戻そう。というよりも、それを視ている四人に。

「アホだなあ、こいつら」

 八王子がポテトチップスをつまみながら、うふふっと笑った。

「まほのに、決まった舞台などないというのにな」

 定夫。ポテトチップスの袋に、見ずに手を入れようとして、トゲリンの指と触れ合ってしまいお互い慌てて引っ込めた。

「拙者が、背景の参考にするためネットで探した写真は、伊豆とか、三重がほとんどナリよ。自分で撮影した学校や町の風景、家などは、全部この近所でござる」

 つまり東京武蔵野市。

「テレビアニメ版も、おそらくモデルは多摩のあたりと、伊豆を混ぜたものであろうな」
「なのに、なのに、鳥取で萌えーとかいってんの。もうやんなっちゃう」

 定夫は、もにょもにょ肥満したお腹をばしばし叩いた。

 愚痴である。
 要するに。

 愚痴を愚痴として認めたくないので、このように上から小馬鹿ないい方になっているだけで。

 彼らは最近、集まってはこのように愚痴ばかりこぼしていた。
 テレビアニメ化された当初は、単純に嬉しく、自分たちが誇らしく、文句など出ようはずがなかったのだが、第二期の噂が出てからというもの。

 次の舞台は遥か未来の世界であるというふざけた噂が出たことにより喜びちょっと冷めてしまい、真偽を確認すべく制作会社の担当に話を聞こうとしたが、「もううちの作品だから」と、門前払いを食らった。それにより、定夫たちの不満は一気に爆発したのである。

 それでも最初は、「もうそれは、まほのじゃない!」、という、一種作品愛からの憤りであったのだが、愚痴をこぼし続けているうちに、「作品を作ったのは自分たちなのに!」と、いつしか思いが歪んでしまっていた。

 本人たちにも、自覚はある。
 真っ直ぐでないことは分かっている
 さりとて心のことゆえ、どうしようもなかった。

 既に権利は譲り渡しているため、現実面としてもまたどうしようもなかった。もしも、星プロダクションや佐渡川書店に法的措置などをとられたら、太刀打ち出来るはずもない。

 腹を立てても、どうしようもない。
 どうしようもないが、腹立たしい。

「くそ、ムカムカすっから、ごちゃんにまほのの裏設定を書き込んでやる」

 山田レンドル定夫は、パソコンのキーボードをぶっとい指でカタカタ叩き出す。
 巨大インターネット掲示板ごちゃんねるに、カタカタカタカタ。

 原作者と知り合いで色々な話を聞いて知っているんだけどー、というていで制作裏話を書き込んだ。

 ほのかたちは異世界の機械体、単なる科学的魔法触媒に意思が芽生えたもの、という設定にまとまりつつあったこと、

 ほのかたちが人類の敵で、半分に別れて殺し合う構想もあったこと、
 それが、「魔法女子はるか」というテレビアニメ版の新キャラに受け継がれているだろうということ、

 資料はすべて制作会社に渡してあり、テレビアニメ版も随所随所でその設定を生かしていること、つまり、テレビ版ほのかが「魔法触媒という機械体」である可能性も充分考えられること、

 会議で即効ボツになったが、物語はすべてアニオタの一夜の夢であった、

 などなど、定夫は魚肉ソーセージのようなぶっとい指で、器用に素早く書き込んでは送信して行く。「喰らえーーっ!」などとキョウ様の真似で叫びながら。

「最初は嬉しいという感情だけだったのに、色々と複雑な感情が芽生えてしまったでござるなあ」

 なおも一心不乱にカタカタやっている定夫を見ながらトゲリンが、思えば遠くへきたもんだとばかりしみじみ呟いた。

 敦子が、その呟きを受けて、

「あたしも最初は、プロの演じ方と自分とを比較出来て勉強になるなあ、って喜んでいたんですけどね。なんかこう、やっぱりもやもやが溜まりますね。……お恥ずかしい話なんですけどこの間、『プロト版の声の方がよかったよね』なんて、自分で書き込んじゃいましたよ。はあ、なんかむなちいいい」
「まあ、おれらより敦子殿が一番悔しいのかも知れないよなあ。ほのかの個性って、敦子殿から誕生しているんだから」

 定夫。画面から視線そらさずキーボード叩きながら。

「ええっ、そうなんですかあ?」
「ほら、その喋り方」
「あ、ああ……なるほどですね」

 定夫たちと敦子が知り合った日のこと。
 見知らぬ女子に追われて、涙と鼻水と阿鼻叫喚の悲鳴を撒き散らしながら逃げる定夫たち。追う敦子の投げ掛ける、「な、なんで逃げるんですかああ」「なにをしたっていうんですかあああ」という言葉、それがヒントとなり、間延び敬語のほんわか主人公というアイディアが生まれ、台本を修正したのだ。
 もともと敬語が多いという設定ではあったが、それを徹底的にしたのだ。

 主人公に魅力がなければアニメのヒットは有り得ない。つまり、まほののヒットは敦子のおかげといって過言ではないのである。

「ほのかの喋り方だけじゃないよ。歌が原音そのまんま使われて、しかもスマッシュヒットを飛ばしているというのに、お金が出ないどころか名前も出ないんだよ」

 八王子。自分のことのように悔しそうな表情だ。

「いえ、それは別にいいんです。たくさんの嬉しさドキドキを貰ったことは事実なので。でも、確かにちょっと悔しいような気も。……あたし、嫌な子だあ」

 両手で頭を抱える敦子。
 その仕草の可愛らしさに、ちょっとドキっとしてしまった定夫は、ごまかすように、

「そそ、そういやっ、ほのか以外のキャラがテレビ版で一斉にリネームされたけどさ、あれもどう考えても敦子殿の歌からヒントを得ているよなあ。あおいとか、風が静かとか」
「やけ酒だああ!」

 敦子は、ペットボトルのオレンジジュースをぐいーっと一気に飲み干した。

「なんか、むなしいでござるなあ。色々と」

 ニチョニチョぼやくトゲリン。

「あれ……おい、さっきの書き込みに、こんなレスがきたぞ」

 という定夫の言葉に、みんなでパソコン画面に顔を寄せた。



 724
 20××/××/××/××:×× ID:877245 名前:つっく

 それは、ほのかへの冒涜だからな。
 分かってんのかてめえ。
 てめえ、夜道には気をちけろよな。
 どうせちょっと注目浴びたいクソオタが、デタラメを書いただけなんがろうけどな、
 だからって、なんでも許されるわけじゃぬえんだよ。
 仮にてもえの言うことが本当だとしてもな、
 そんなん、どーでもいいんだよ。
 もうな、テレビのほのかが、本物のほのかなんだよ。
 ほのかはもうな、テレビのぬかで息をしているんだよ。
 はあ、それがなんだあ?
 ゆうにことかいてなんだあ?
 触媒の機械だあ?
 オタの夢オチだあ?
 殺すぞ、てめえ、ほんとに。
 ぶっ殺すぼ
 お前は、ほのかを穢したんだぞてめえ。



 先ほど定夫が裏話を書き込んだのだが、それについてのレスである。
 他のごちゃんねらーに、「ネタにマジレス。バカじゃねえの」「落ち着け」「ぶっ殺すぼ、ってどこの方言ですか?」などとからかわれている。

 定夫、トゲリン、八王子の三人は、顔を見合わせると、誰からともなくニヤリと笑った。

「キエーーッ!」

 八王子は、怪鳥のような奇声を張り上げて定夫の前のキーボードをくいと自分へと引き寄せると、両の人差し指で不器用そうにガッシャガッシャと叩き始めた。



 796
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 うるせーバーカ
 ネタじゃねーよバーカ



 貧弱な語彙で書き込み、送信した。
 すると定夫も、キーボードを奪い返してカタカタ、



 797
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 俺は神。
 お前のが冒涜だろうが。愚か者め。



 続いてトゲリンも、



 799
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 まほのが無かったらなんにも残らない、人生それっきりの真性オタク野郎!
 ござる!



「だっ、だめですよう、みなさん、この人たちだってファンなんですからあ。ファン同士で喧嘩してどうするんですかあ」

 真面目な敦子が、この流れにすっかりオロオロとしてしまっていた。

「敦子殿も、はい」

 八王子に背中押されて、敦子の前にキーボード、

「では、お言葉に甘えて」と、キーを叩こうとする敦子であったが、はっと目を見開き首を横にぶんぶん、「で、ですからっ、だめですってばああ!」
「ダメもナニも、もう引けんのじゃーい! ハルマゲドーン!」

 わけの分からないことを叫びながら、定夫は掲示板の更新ボタンをクリックした。

 もう、レスがきていた。



 803
 20××/××/××/××:×× ID:877245 名前:つっく

 過去ログは、全部とってあるぞ。
 そのコテハンを使った、ほか掲示板のもな。
 お前のことなんか、すぐに特定出来るんだからな。
 住んでいるとろこなんか、すぐ分かるんだからな。
 俺にそうゆう態度とって、覚悟は出来ているってことででいんだよな。
 もう一回言うぞ。お前の住んでるとこなんか、すぐ分かるんだからな。



「こやつ、脅しをかけてきたでござるぞ」
「オタの分際で」
「バトルスタート!」
 かくして、定夫、トゲリン、八王子の三人は、順繰り順繰り連続書き込みによる爆弾投下を開始したのであった。



 809
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 ふーん。


 810
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 へー。


 812
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 そーなの?


 813
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 つうか、「住んでいるとろこ」ってなんだよ?


 815
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 ばーか


 816
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 なあにが、覚悟出来てるだよ。


 818
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 通報しますた


 821
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 実はプロト版からのファンで、こっちは適当に三重とか福島とか登別とか言ってただけなのに、聖地巡礼とかいって、全部まわってんだろ。


 822
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 ばーか。


 824
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 「お前のこと」もなにも、おれたち三十五人いるんですけどお。


 825
 20××/××/××/××:×× ID:618574 名前:ほのたそオリジナル委員会

 特定してみてくださーい。



 その異様なムードに、すっかり涙目になっていた敦子が我慢限界で泣き出してしまうまで、順繰り連続書き込みは続けられたのである。

     4
 夜。
 曇り空に、街灯りがほのかに反射している。

 住宅街の中を、黒縁眼鏡オカッパ肥満体型の男が歩いている。
 山田レンドル定夫である。

 駅前にある浜野書房で、アニメ情報誌「アメアニ」と、ライトノベル「女子小学生で勇者なんだけど文句ある? ③」を買った帰りだ。

 異変を察知したのは、真っ直ぐの道に入ってすぐのことだった。
 後ろの足音に気が付いたのである。

 誰かが、ついてきている。

 まあ、右も左も一軒家で、ここに自分の家がない限りは真っ直ぐ進むしかないわけだが。

 というわけで、別段おかしいこともないだろう、と自分を納得させ、歩き続ける。

 ちょっと気になり始めたのは、自分が止まった時であった。

 抜かさせてしまおうと止まったわけではなく、右手に持った本屋の包みを落としかけたので、持ち替えようと止まっただけ。
 ところが、後ろの足音もぴたり止まったのだ。

 不安になった定夫は、無意識に歩調を速めていた。
 すると後ろの足音も、真似するように急ぎ出した。

 もしかしたら後ろに人などおらず、静かな夜道に自分の足音がこだましているだけなのだろうか。

「しずかっ」

 確かめようと思ったわけではないが、ふと気づけばそんな囁き叫ぶ声を発していた。
 すると背後から、

「ゆうきっ」

 男の、やはり囁き叫ぶような声が返ってきた。
 こだまでは、なかった。

 怪しくはあるが、まほののファン、ということだろうか。
 本屋でアニメ雑誌を買う自分を見かけて、友達になろうと跡を追ってきたのであろうか。

 考えても埒はあかない。
 しずかっゆうきっ、と声をかわし合った以上は、無視するわけにはいかなかった。
 足を止め、振り返った。

 腹になにか、鋭い物を突き付けられていた。
 目の前に立つ、パーカーのフードを目深に被った男に。

 ごくり。
 定夫は、唾を飲んだ。

 そおっと、視線を下ろす。
 街灯に照らされ、きらりなにかが光った。

 そして、定夫は知った。
 自分の腹に突き付けられているのは、サバイバルナイフだか包丁だか、片手持ちの刃物だったのである。
 一瞬で、さあっと血の気が引き、頭が真っ白になっていた。

「が…」
「声出すなよ!」

 男が、囁くような小ささながら、しゅっと鋭い呼気を吐いた。
 目深に被ったフードの中で、眼鏡のレンズが、街灯を反射してきらり光った。

「アマチュア発信のアニメってことで、別にてめえが作者でもおかしくはねえよ。絶対にそんなはずはない、なんて無意味な否定はしねえよ」

 唐突に、パーカーの男は語り始めた。

 定夫は涙目になっていた。
 はあはあ呼吸が荒い。

 男は続ける。

「でもな、お前が作ったとか、どうでもいいんだよ。テレビの中で、もう完成している、息をしている、そんなキャラクターたちがいるんだよ。もう、生きているんだよ。分かるか?」

 はあ、はあ。

「はあはあじゃねえよ! 聞いてんのか!」
「ひひひひひーっ、そそそそっ」

 そそそそんなこといわれましてもっ。

「つまりな、お前がごちゃんでほざいていたことが真実であれ嘘であれ、冒涜なんだよ。神に逆らってるんだよ」
「ががっ」
「それを神が裁かないというのなら……おれが裁く!」

 男は刃物を振り上げた。

「はひいいいいい!」

 吸い込むような悲鳴を上げる定夫。
 急に大きく息を吸い込んだためか、ボタンがぶっつん弾けてズボンがずるり膝まで落ちていた。

「ゆゆゆぶしてくださあい!」

 定夫は、ブリーフまる出しのまま土下座、頭をこすりつけ、尻を高く持ち上げた。
 ぶい、と屁が漏れた。

「作品を、世界を、ほのかたちを、そして愛する者たちを冒涜したこと、謝れっ!」
「はひっはひっはひぃぃぃ」

 定夫は、アスファルト工事のランマーのように、がすがすがすがす頭を地面に打ち続ける。

 その時、前方から灯りが。
 それは、だんだん強くなってくる。

「次はほんと殺すぞ」

 男はそういい残して、走り去った。

「なにしてんの? 君い」

 灯りは、パトカーのヘッドライトであった。

     5
 警察官が、二人。
 そのうちの一人が、車載無線で会話をしている。

「ええ、ええ、アニメマニア同士の、アニメキャラが好きとか嫌いとかいう争いらしいんですけどね、ええ、はい、はい。いえ、一人でした。少年がブリーフまる出しで……」

 警官の横には、ズボンを上げた山田定夫。
 あまりの辱めを受けて、肩を縮めてなんともいえない表情でずっと下を向いていた。

     6
「好きなアニメを流行らせるために、被害を偽装したりしてないよね。とかいわれたんだよ。するわけねーだろ。ほっといたって流行ってるんだよ。あんな変なのがわいてくるくらい充分に!」

 山田レンドル定夫は「殺人拳蜘蛛の糸!」と、オカマダム祐介の必殺技名を叫びながら、壁をアチョーと殴り付けた。
 ぼぎん、と手の砕け散る衝撃激痛に、

「手るギャアアアアアアップ!」と、悲鳴絶叫、涙目で手を押さえた。

 痛みをごまかすため腕の皮膚をつねって、ちちちちちーーっなどと不気味な声を発している定夫に、

「だだっ大丈夫ですか? これで紛れますかあ?」

 敦子が心配そうな表情で、定夫のもう一方の腕をぎゅーっとつねった。

 ここはお馴染み、定夫の部屋である。
 お邪魔しているのはいつもの面々、トゲリン、八王子、敦子殿。

 そのいつもの面々に定夫は、連日のように溜まりに溜まる不満をぶちまけまくっていた。
 感極まりすぎて、ぼぎんと自らの腕を破壊してしまったわけだが。

 なんの不満かというと、刃物を持った男に脅されて警察沙汰になったことについてである。

 事件当日の夜はメールで、翌日からは朝から晩まで、今日も朝から今の今まで、口を開けばずっと罵詈雑言をぶちまけ続けている。

 犯人に対して、そして警察の対応に対して、ぺらぺらぺらぺら、身に遭遇したことを語っては、ナメンナコノヤロウと拳を振り上げている。
 語る内容の、半分は嘘であったが。

 刃物に負けずやり返し押し問答になっているところ、警察がきたから見逃してやった、とか。
 ブリーフ丸出して屁をこいたことなども、相手のことにしてしまったし。

 事実は、定夫が刃物で脅されて、はひいはひいしか声が出ず、ブリーフ姿で土下座して、尻をくいと上げた瞬間に屁が漏れた。
 偶然パトカーが通り掛かったことで男は逃げ、おかげで命が助かったものの、警官にはアニオタのしょーもない争いと思われ、挙句の果てには事件の捏造を疑われ。

 定夫にも五分だか五厘だかの魂というものがあり、そんなみっともないことを正直に白状出来るわけもなく、ごまかし続けるしかなかったのである。

 犯人への憤りなどは本物であり、味わった恐怖の分だけ強がってしまっているのである。無意識に殺人拳蜘蛛の糸を壁に叩き込んでしまうくらい。

 ネットを見る限りでは、特にニュースにはなっていないようで、ほっとしたような、はたまた腹立たしいような、複雑な思いの定夫である。

 ニュースもなにも、そもそも事件として扱われていないのかも知れないが、それもそれで悔しい。犯人が裁かれないどころか、警察がまともに取り合っていないというだから。

 こっちはナイフだかなんだか脅され、危うく殺されるところだったというのに。ちっとも市民の役に立ってねーじゃねえかクソ警察。仕事しろや!

「でも、どうやってレンさんのことが分かったんですかねえ」

 敦子が首を傾げる。
 さも始めて口にした疑問のような態度だが、実はもう十回目だ。

「ネットの書き込みから、色々と分かることがあるんだよ。名前、地域の情報とか、ハンドル名なんかから他の掲示板が分かったり。IPアドレスの一部、または全部が晒されているような掲示板もあるし。そういう情報からあたりをつけて、絞り込んでいくんだ。個人でやるとは限らない。見ず知らずの物凄い数の他人同士が協力してあっという間に調べ上げてしまう、ってこともある」

 定夫のパソコンでウェブサイト閲覧をしていた八王子が、マウス握る手を休めて親切に説明してあげた。

「うーん。なるほどですねえ」

 よく分かっていないこと表情から明白であるが、敦子はとりあえずうんうん頷いた。

「でもそんな情報くらいで個人の特定が出来ちゃうなんて。怖いよー」
「怖くないっ! あのパーカー野郎、ムチャクチャ弱そうだったから、今度また現れやがったら返り討ちにしてやっから」

 定夫は強がって、指をぽきぽき鳴らそうと手を組んだ。脂肪のためか、まったく鳴らなかったが。

 代わりにではないが定夫の指ではなく八王子の喉が、ぎゅむと鳴った。唾を飲み込もうとして、つっかえて喉が動いた、ということのようだ。

「ねえ、なにこれ……」

 八王子はすっかり青冷めた顔で、パソコンモニターを指差した。

「いかが致した?」

 トゲリン、敦子、レンドルの三人は、パソコン画面に顔を寄せた。
 表示されているのは、知る人ぞ知る有名な裏サイト「うおんてっど」だ。要するに、腹立たしい者をネットに晒すためのサイトである。

「えへーーっ!」

 敦子が、ひっくり返った声を張り上げた。
 モニターの中には、西部劇によくあるようなお尋ね者の貼り紙が四枚横に並んでいる。顔の部分がくり抜かれて、ウォンテッドされている者の顔写真が貼り付けられているのであるが、それは、

 レンドル定夫、
 トゲリン、
 八王子、
 敦子殿、

 の四人だったのである。
 顔写真の下には、それぞれの情報が書かれている。


  名前 山田定夫(やまださだお)
  住居 東京都武蔵野市
  学校 武蔵野中央高校
  体臭 臭い
  罪状 神への反逆、および、原作者を詐称し、魔法女子ほのかのファンを執拗なまでに愚弄嘲笑したこと。


「なんだよこれ。どこで、こんな写真を手に入れたんだ」

 定夫は黒縁眼鏡のフレームを摘まみながら、ぐいっと画面へさらに顔を寄せた。

 ガツ!

「あいたっ!」

 敦子の即頭部に、思い切り頭突きをかましてしまった。

「すまんっ、トゲリン」
「あたし敦子ですう」

 敦子は涙目でいうと、自身も画面へ顔を近付けて、うーんと難しい表情を作った。

 使われている四人の写真は、なんだかまとまりがない。

 定夫のは比較的こまかな画質だが、
 八王子は、印刷物を取り込んで、荒い網点をデジタル加工で修正したような、
 敦子は、学校の集合写真を思い切り引き伸ばしたような、しかも妙に顔立ちが幼いような、

「あたしの、たぶん四年前。中一の時。入学直後の、集合写真です」
「ぼくのは、去年の学内報かな。教育実習の授業風景で、脇にちょいと写っているの使ったんだな」
「つうか八王子が投稿したんじゃないか? いまパソコンいじってたし。古い写真だって色々と持ってるし」

 定夫は、ぼそり疑惑の言葉を口にした。

「なんでぼくがそんなことしなきゃならないんだよ!」
「犯人、あのパーカー野郎の背丈、低くて、ガリガリして弱そうな感じだった」
「ふきゃーーー!」

 八王子は髪の毛逆立て怪鳥のような奇声を張り上げた。

「もうやめましょうよ、疑心暗鬼になったら負けです。この中にはそんなことする人は絶対にいません」

 敦子が定夫と八王子の間で、踏切遮断棒のように右手を上げたり下げたり。仕草の意味は不明だ。

「すまん八王子。酷いこといってしまった」

 定夫は、オカッパ頭をガリガリ。ばらばら粒塩のように大きなフケが落ちた。

「いや、分かればいいんだ。そもそも、ぼくは中二の途中で引っ越してきたんだし、四年前の敦子殿の写真なんか手に入るわけないでしょ。中学校だって違うんだし。……とはいえ、アルバムをその筋の業者に売るような人もいるくらいだから、その気になれば写真の入手は可能なんだろうけど。でも、あまりに早いよね」
「早い、というと?」

 トゲリンがネチョネチョ声で尋ねる。

「犯人が、掲示板でレンドルとやり合ってムカっときて、それから調べて写真を入手したにしては、ちょっと早いよね、ってこと」
「確かにそうでござるな。つまり、とっくに調べられていたということナリか」
「ごちゃんでのやりとりだと、あいつは、まだおれたちのことを知らなかったよな。調べれば分かるんだとか凄んでたから。つまり、誰かが既におれたちのこと調べていて、そこから教えてもらったり、写真を入手したんだろうな」
「えー、それ動機が分からないですよ。誰かが既に調べて、って、その調べる動機が」
「ぼくらの作ったオリジナルが、ネットアニメとしてまず話題になって、それで、テレビアニメ化の話がきたわけじゃない? その話題になっていた時に、『原作、誰が作ってんのかな』と興味を持ったやつがいた、ということじゃないかな」
「なるほど。でもなあ、素人が根性でアニメを一本作っただけだぞ。それをそこまで調べようとするかな」
「推測だけど、まずそいつは敦子殿に興味を持ったのかもね。女性キャラ全員の声、そしてエンディングも担当している。そこにハアハアしてしまい、調べ上げたんだ」
「ハアハアって……」

 なんとも情けない敦子の顔。
 八王子は続ける。

「もしくは、テレビアニメ後かも。あのエンディング曲はテレビでも使われて大ヒットしただろう? でもアニメキャラならいざ知らず、歌を気に入っただけでそこまで入れ込んで調べようというのも妙な話。だから、その歌へのちょっとした興味が、オリジナル版への興味へ、そしてオリジナル声優への興味ということで、敦子殿に繋がった、と」
「なんでことごとく、あたしなんですかあ?」

 怖さと情けなさの混じったような、複雑な表情の敦子であった。

「だから、メインキャラの声と歌をやっているからだよ」
「でも実際に襲われたのは、レンさんじゃないですか」
「いや、それはそれ、これはこれだよ。きっかけは、敦子殿。それにより、我々のことを調べたやつがいる。そいつから、あの掲示板野郎が情報を聞き出したと」
「レンさん襲った人が、この『うぉんてっど』の人なのかなあ」
「おそらくね。冒涜がどうとか、使うワードに独自性があることから、可能性は高い。というわけで、レンドルを襲ったのは掲示板のあいつということでほぼ決まりなんだろうけど、それはそれとして、この写真を入手したやつというのは……」

 アニオタ探偵八王子が、推理や問題点をぺらぺら披露しているところ、マウスカチカチいじっていた定夫が不意に素っ頓狂な声を上げた。

「つうか、『うぉんてっど』消されてるぞ!」

 と。
 残る三人は、パソコン画面に顔を寄せた。

「本当だ」

 確かに、定夫たち四人のウォンテッド分が、綺麗に一覧から削除されていた。

「よく気付いたでござるな、レンドル殿」
「管理人に削除依頼出すか、警察に訴えるか、その前にとりあえずこの野郎のIPアドレスとかなんか情報が調べられないかなと思って色々いじっていたら気が付いたんだ」
「下手すると自分が捕まるわけだし、閲覧履歴とIPアドレスから、ぼくたちがおそらくここを見ただろうと判断して、目的達成ということで削除撤退したのかもね。まあ、犯人はまったくの別人という可能性もあるわけだけど」
「つうかさあ、だんだんと腹立たしくなってきたんだけど」

 定夫は、ぼそり呟いた。

「拙者もでござる」

 トゲリンと定夫は、しばし見つめ合うと、「同志!」と、がっし手を組み合った。
 腹立たしくなったといっても定夫の場合、もともとメーター振り切りっぱなしではあったので、好戦的な感情が強くなって恐怖不安を上回ったというのが正しい表現かも知れない。

「こいつらこそ、まほのを冒涜している! おれは断固戦うぞ!」

 定夫は、右腕を突き上げ、叫んだ。

 ブリーフ姿でガタガタ震えながら土下座して、ぶいと屁を漏らしたという、凄まじくみっともない姿を狼藉者に晒してしまったという、その恥ずかしさの反動による感情大爆発なのであるが、本人はまるで気付いていなかった。「ふふ、気付かなければ正義の怒りだと思っていられるよね」「ああ、君は賢いな、アンドリュー」。

「ぼくもっ、こんな酷いことされて黙ってられないよ!」

 八王子も声を荒らげる。

「黙ってはいられないが、さりとて高らかに声を上げればレンドル殿のように刺し殺されるわけで」
「おれ別に刺し殺されてはいないが……」

 その寸前ではあったが。

「でも、どうするんですかあ? 戦うって」
「簡単だ。『やつらの大好きな魔法女子ほのか』を、否定してやるんだ」
「はにゃ?」

 わけが分からず目が点になっている敦子に対し、八王子とトゲリンの二人は、

「なるほど」

 ニヤリ笑った。

「どうして、まほのを否定することが、犯人へやり返すことになるんですか? それに、否定って……」
「つまりだな、もともとこの問題は、まほの第二期への不満から始まっているということなんだ。それに対しておれが色々と掲示板に書き込んだことから、肯定賛美しか許さないという思考放棄の信者野郎を怒らせてしまった」
「ということで、つまりは一石二鳥というか、ことのついでというか、原点回帰、ということなのでござるよ。まほの否定は」

 と、トゲリンが補足する。

「そういうことだ。……みんな、あんな未来が舞台の完全SFのまほのなんか嫌だよな。だから今回の事件は、我々が大きく声を上げる、反撃の狼煙を上げるきっかけを作ってくれたものでもあるんだ」

 今回の事件 = ブリーフで屁をこいたこと。
 墓場まで持っていきたい秘密を胸に、定夫はぶんと右腕を振り上げた。そして、叫ぶ。

「取り戻そうぜ! おれたちの『魔法女子ほのか』を!」
「拙者たちのホノタソをっ!」

 トゲリンも、右腕を振り上げた。

「テレビアニメをぶっ壊そう!」

 八王子も続いた。

「そう、世界をすべて破壊するんだ」
「おばあちゃ…いや、はるかがいっていた。破壊なくして創造はない」

 定夫は突き上げている右手の、人差し指をぴっと立てた。

「そのはるかすらも、ぶち壊そう」
「おー!」
「テレビ生まれのキャラでござるからな」
「ちょっとお、やめましょうよおお」

 軍靴の音が聞こえそうな、なんとも物騒な雰囲気になっていく部屋の中で、すっかり涙目の敦子が必死になだめようとしている。

 しかし、そんな彼女を尻目に、
 三人は案を出し合い計画を練っていく。
 ばれたら罪に問われておかしくないような、数々の案を。

 イベント会場に乗り込んで、黄色いヘルメットに拡声器で佐渡川のやりくちを訴えるとか、
 そこでさらに、星プロダクション担当に冷酷非情に突っぱねられた話をするとか、
 週刊誌に裏設定と裏話を売り込むか、
 星プロダクションの下請けに対する黒い噂を聞いたことがあるが、そうした横暴と絡めて訴えるのもいいだろう。

 罪に問われておかしくはないものの、なんともセコイことばかりであった。
 しかし彼らは真剣に話し続ける。

「『真・魔法女子ほのか』の設定を作り上げて、ぶつけるか」
「そうでござるな、オリジナルはこっちなのだから」

 法的所有権は微塵もないわけだが。

「そう。オリジナルはこっち、つまり正義は我らにあり。偽物の、金欲にまみれた作品をぶちこわして、あらたな世界を創造するんだ!」
「おーー!」

 すっかりハイテンション。ドーパミンを分泌しまくる三人であった。

「我ら、生まれた時は違えども、死す時は同じ」

 腕を剣に見立てて、その剣先を、三人は高くかかげ突き合わせた。三国志だか三銃士だか分からないが。

「ささ、敦子殿も恥ずかしがらず」
「いやだようう」

 トゲリンに腕を掴まれ掲げられ、強引にダルタニャンにされる涙目の敦子であった。 

 

最終章 フフフフフ

     1
 定夫の部屋では、秘密会議が続けられていた。
 「魔法女子ほのか」の原作者であり、作品を愛する一ファンでもある身として、我々になにが出来るか。

 最初は勢いのまま恨みつらみ混じりの言葉を並べ立てているだけの彼らであったが、思いが非現実に暴走するでもなく、むしろ段々と、現実的に可能なことへ会話は絞り込まれていた。原動力が恨みつらみという点においては、なにも変わらなかったが、それはそれとして。

「その中からだと、まずは、デモかなあ」

 八王子が腕を組んでうーむと首をひねる。

「左様でござるなあ」
「おれもそう思うが、でもどこで? というか、どっちで?」

 どっち、とはデモの場として制作会社である星プロダクションか、裏に付いている大企業の佐渡川書店、必然的にどちらかに絞られる、ということだ。
 なお、いま定夫はデモどこでとダジャレをかましたのであるが、誰も反応する者がいなかったので、恥ずかしそうにゴホンと咳払いをしてごまかした。

「星プロでしょ」
「星プロであろうな。可能かどうかという話なのであれば」
「まあ、やっぱりそうなるよな。絶対に成功するという確証があるのなら、()()(がわ)なんだけど」
「佐渡川は、昼夜問わずガードマンが表にも裏にもたくさんいるからね」
「物騒なことへの対応にも慣れているであろうから、あっという間に取り押さえられ、なにもなかったことにされるのがオチでござるよ、ニン」
「というわけで、現実的に星プロ、と」
「あそこ小さなビルで、特にガードマンもいなかったしね。抗議活動を、長く続けられそう」
「仮に上手く事が運ばないとしても、騒ぎを大きくすれば、マスコミが取り上げてくれる可能性もあるでござるよ。大ブームのアニメなので、関連ニュースは喜んで流すのでは」
「ああそっか、粘って演説をしていれば、こちらの意見に耳を貸すほのかファンの通行人も出てくるかもと思ってたけど、報道の人が来るんならそっちの方がいいね。そうなったら、あることないことぶちまけてやるぞお」

 うふふ、と笑う八王子。

 輪に入れず焦れったそうにもじもじしていた沢花敦子であったが、ここでようやく口を開いた。

「もうやめましょうよお。というか、あることないこと、って、ないことはダメでしょ」
「いいんだよ。マスコミが面白おかしく書いて、問題が有名になればそれで。だいたいさあ、敦子殿だって大損害、というか大儲けし損なったんだぞ」

 彼らの作ったオリジナル版アニメのエンディングテーマとして使われた「素敵だね」という曲がある。

 敦子が作った曲だ。
 作詞、作曲、編曲、歌、すべて彼女が担当している。

 テレビ版でも後期からそのエンディングを採用したのだが、新たな編曲や別歌手による収録はせず、音源そのまま。

 敦子が作ったその曲は、歌の良さとアニメ人気とが合わさって、月間アニメソング売り上げランキング一位を達成、総合売り上げランキングでも最高五位。いわゆるスマッシュヒットを飛ばしたというのに、敦子に一円も支払われることもなければ、名前すらもどこにも出ていない。

 と、八王子はそうした現状をいっているのである。

「最初の契約の問題で、どうしようもないことです。でも、あたしは別に不満はありません。現在のままで、充分に幸せなんです」

 敦子はそういうと、にこり微笑んだ。

「でもさあ、名が世に出れば、そこからとんとん拍子にプロ声優への道が開けたかも知れないじゃないか」
「確かにおっしゃる通りかも知れないですけど。でも、いいんです。あたしは実力でプロ声優になりますから」

 敦子は、さらに力強く微笑むが、その顔には、少しイラつきが浮かんでいるようにも見えた。

「こういうチャンスを逃さない、ということも実力なんだよ。そういう意味では、実力ないってことじゃん。もっと貪欲じゃなきゃあ、よほどラッキーがない限り声優になんかなれないよ。だって声優になりたい人って、五万といるんだよ」
「こっ、ここで今あたしのそういう話をして、なにがどうなるんですかああ?」

 夢を見る資格を否定された、と思ったのか、敦子は怒気満面、八王子の顔へ自身の顔をぐいと近付けて睨んだ。
 ぼろり涙がこぼれると、敦子の顔は一転してぐしゃぐしゃに崩れ、声を立て泣き出してしまった。

「あ、あ、ごめん。いい過ぎたっ」

 我に返って、謝る八王子。
 えっくひっくと泣き続ける敦子。
 なんともいえない空気の重さが、どんよりと部屋を包み込むのだった。

     2
 ジャーン!
 ジャンジャジャンジャーン!
 ジャガジャンジャカジャンジャンジャン……


 軍歌のイントロのような曲が流れ出した。
 右翼の街宣車のような、いさましい音が。

 黒い画面はムラがあり、保管状態の悪い大昔のフィルムのようになんだか汚らしく、古臭い。すみには、チラチラ糸くずが映っている。

 軍歌が始まるとともに、ぼわーっとぼやけた白文字が浮かび上がる。
 文字が出ては、溶けるように消えていく。


 還れ。

 還れ。

 原点へ。

 恨む。

 怨む。

 魂魄、雲星霜を突き抜け幾千里。

 見ているぞ。

 見ているぞ。

 魔法女子ほのか
 原点回帰委員会

 九月弐拾四日

 まほのへの

 作品への、

 観る者への、

 愛すべき者への、

 愛を無くした

 金欲亡者どもへ、

 原点回帰委員会が

 いや、

 否

 天が

 地が

 入が

 天誅を下す

 裂けよ

 落ちよ

 見よ

 見よ

 金欲亡者どもの末路を


 突然、映像が切り替わる。黒背景からセピア色に。
 これまた古臭い映像だ。
 セピアの画面の中に、戦車が映っている。
 ヨーロッパだろうか。外国の、街の中だ。
 BGMに、エ○ヤのヒット曲が流れ始める。


 ♪タッタタタッタ
 フェゼアシャドウ……♪


 曲の中、戦車に追われ、逃げ惑う人々。
 戦車が突進で建物を破壊するシーンを集めた映像である。
 壊す、壊す、建物に突っ込み、砕き、突き抜け、破壊の限りを尽くしている。
 ○ンヤの曲が終わるまで、それが延々と続けられた。


 エン○の曲のフェードアウトに合わせて、画像もすうっと溶け消えて、画面は真っ暗に。


 真っ暗に。

     3
 東高円寺駅。
 杉並区にある、東京地下鉄の駅である。
 一日の平均乗降者数、三万五千人。

 周囲、特に有名なものはない。
 だがそれは、一般人にとっては、である。

 ここには、星プロダクションがあるのだ。
 日本のアニメ好きなら知らない者はいない、アニメ制作会社である。

 男たちは、
 その星プロダクション自社ビルの前で抗議活動をするため、遥々とこの東高円寺駅までやって来ていた。


 三人の、男たちが。


 (やま)()(さだ)()
 通称、レンドル。

「うおーーーっ」

 両手に持った(ほう)(てん)(げき)を頭上で振り回し、とんと石突を地に置き、身体は正面、顔はビシッと横向き決めポーズ。


 (なし)(とうげ)(けん)()(ろう)
 通称、トゲリン。

「はいーーーーーっ」

 ババッ、ババッ、と拳を突き出し、ぶぶんと回し蹴り。燃えよデ○ゴン。
 軽く腰を落とし、左右の腕を構えた。


 ()()()()(ひこ)
 通称、八王子。

「イヤーーーーッ」

 如意棒をプロペラのように回したかと思うと、くるんとバク転、孫悟空。


 イメージシーンで三人を紹介してみただけで、本当にこんなことをしているわけではないが。

 なお、ここに沢花敦子の姿はなかった。最近、彼らといつも一緒だった彼女であるが、今日はどこにもその姿はない。

 怒らせてしまったからだ。

 と、定夫は思っている。
 そんなんじゃプロの声優にはなれない、など散々にいってしまったからだ。
 罪悪感はあるが、それはそれ、ここまできたら突き進むしかなかった。
 まあ、声優云々ボロカスいって彼女を怒らせたり泣かしたりしていたのは八王子一人だけだが、それもそれ、連帯責任による罪悪感というものである。

 彼ら三人は、この東高円寺駅に、数分前に到着したばかりだ。
 現在ここでなにをしているかというと、着替えである。
 といっても脱ぐ衣服はなく、普段着の上から着込んでいるだけだ。
 「アニメイラスト的な白虎隊」をイメージした、白装束を。

 お金をかけて仕立てた、装飾豪華な服である。
 着ている者が美系アニメキャラではないどころか、超肥満黒縁眼鏡にガリガリちび、台無しもいいところではあったが。

 彼らの足元には、三本の白いのぼりが置かれている。


 「ほのぼのなくして」
 「『未来』なし」
 「原点回帰  新撰組」


 太く、大きく、書きなぐったような筆文字。
 白虎隊なのに新撰組とはいかに。おそらくは単なるノリ、勢いというものなのであろうが。

 白装束の、上をもそもそ袖を通し終え、

「あっ、おのおのがたぁ」
「いざっ、いざあ」

 などと、とりあえずそれっぽい言葉を発して、戦意を高め合っている、その時であった。

 怒鳴るような大声が、彼らの鼓膜を震わせたのは。

「あいつらだっ!」
「きっとそうだっ!」

 定夫たちは、びくり肩を縮ませて声の方を向いた。
 そこに立っているのは、リュックを背負った五人の若者であった。
 全員、眼鏡にデブ。

 なんの関係もない、通りすがりのオタか、
 それとも、関係ないといえば関係ないが、たまたま星プロダクションへ聖地巡礼に訪れていた、まほのファンのオタか、
 それとも、回帰委員会の宣戦布告動画に賛同し、やってきたオタか。

 この選択肢の、いずれかのオタではあろうが。
 そう考えてみて気付いたのだが、回帰委員会動画の賛同者が当日に参加してること、充分に想定出来ることだったのに、まったくその可能性を頭に入れていなかった。

 我らは決起するぞ、という意志こそ動画で表明したものの、具体的に指定したのは日付だけであり、どこでなにをするとは、一言も触れていなかったからだ。
 あんなに苦労して動画を作ったのに。

 でも、きっと、その動画を見た者が、まほのファンとしての勘を働かせて、わざわざ東高円寺まで足を運んでくれたのだ。

 定夫は、そう思った。
 であれば、ここにまだ人が集まるかも知れない。
 であれば、ここで布教をして、仲間を増やし、思いを語り合い、戦意を高め合い、それから宿敵である星プロダクションへ乗り込むのもよいだろう。
 ここで同志と出会えたこと。
 天の采配なり。
 ほのかウイン。

 定夫は軽く屈み、のぼりの棒を握った。
 同じ気持ち考えを抱いていたようで、トゲリンと八王子も、屈んでのぼりを手にしていた。

 ほのぼのなくして
 未来 なし
 原点回帰 新撰組

 三人それぞれのぼりを手にし、出会ったばかりの同志の顔を見る。
 同志が、こちらへと近付きながら、口々に叫んだ。

「ふざけやがって!」
「たたっ殺せ!」

 同志、いや男たちの顔に浮かんでいたのは、発する言葉通りの、間違いようのない怒気殺気であった。

 男たちの歩調が早まった。
 定夫たちはその雰囲気に押され、ずい、と後ずさる。

 この男たちは同志などではない。と、ようやく定夫は気付いた。
 おそらくは、トゲリンも、八王子も。

「あっ、おのおの…」

 殺気に負けてなるかと、トゲリンがうわずった声を発した、その瞬間であった。

 男たちが、殺気満面のまま、こちらへと走り出したのは。
 どむどむどむどむ、
 デブ五人が、けたたましい足音を立て、定夫たちへと迫る。アスファルトをぐらぐら揺らしながら、走り、迫る。

 定夫、
 トゲリン、
 八王子、

 三人は、

「ははあああん!」

 くるり踵を返すと、それぞれのぼりをぎゅっと握りしめ高く掲げたまま、全力で走り出していた。
 上だけ装束を着て下は普段着という、なんとも情けない格好で。


 「ほのぼのなくして」
 「『未来』なし」
 「原点回帰  新撰組」


 いざという時の武器に、と、のぼりを握り振り回しているわけではない。
 手放して逃げた方が効率的、という当然の思考すら出来ないほどに、頭がパニックを起こしていたのだ。
 男たちの、満ち溢れる殺意に。

 定夫たちは通行人をかき分けながら必死に走り、道を折れて、住宅地へ入り込んだ。
 星プロのビルまでは遠のくが、生命がなければ星プロもない。

 はあ、
 はあ、

 苦しそうに息を切らしながら、三人は必死に走る。

 と、
 不意に定夫は足を止めた。苦しさのあまり、ではない。

 伝説を、作るため。
 真のほのかを、守るため。

「おれがっ、おれが敵を引き付ける! せめて、お前らだけでもっ、星プロへ行けえええ!」

 魂の絶叫を放った。

「ありがとう、レンドル」
「無駄にしないでござるっ!」

 泣きそうな顔で走り去るトゲリンたちに、定夫は、

「先に(なな)(てん)で待ってるぞーーーっ!」

 叫び、そして、くるり振り返った。
 男たちの方へと。

 たり、と額から脂肪の汗。
 ……なんだか、追っ手が増えていないか?

 五人だったのが、六、七、……十人以上いないか?
 動画を見てやってきた他の連中と合流した、ということだろうか。

 どうでもいい。
 負けてたまるか。
 無事にトゲリンたちを星プロに行かせなければ。
 七天で、(よし)(ざき)かなえに会わせる顔がないっ!

 定夫はぎゅっと拳を握り、深呼吸、

「勇気 本気 素敵」

 ぼそりと呟いた。
 覚悟、完了だ!

「きゅやあああああああああっ!」

 怪鳥のような叫びを、全身から放った、

 その瞬間、くるり踵を返して逃げ出していた。

 恐怖に耐えられずに。
 走り出していた。

 先行する八王子たちが、背後の足音に振り向いて、びっくりしたように目を見開いた。

「なんでついてくんだよおお!」
「とっとと七天へ行くでござるう!」
「はっ、薄情なお前らこそ、七天へ行けえええ!」

 結局、七天もへったくれもなく。
 わずか数秒遅れで定夫がトゲリンたちの背中を追うという、三人揃って男たちから逃げ続けるという、ただそれだけのことであった。

「むわああ」
「あひゃいやあああああ」
「こーーーーっ」

 非力な身体に鞭を打ち、のぼりを振り振り、

 走る、
 走る、
 走る。

 あと少しでこの物語も終わりを迎えるというのに、一体なにをやっているのか、この三人は。


 「『未来』なし」

     4
 はあ、
 はあ、

 のぼりを振り回しながら、全力で走っている三人の男たち。
 その名、アニオタ新撰組。

 はあ、
 はあ、

 金欲の亡者どもに天誅を、と野望に燃えていた新撰組も、いまや野望どころか生命が風前の灯火。
 ひいはあ、死にそうな顔で、泣きそうな顔で、逃走を続けていた。


 「ほのぼのなくして」
 「『未来』なし」
 「原点回帰  新撰組」


 のぼりを両手にぶんぶん振り回しいるのは、捕まれば八つ裂き決定なんのその、と余裕こいているわけではない。ただ脳内が真っ白で、手放せばよいのではという正常な思考回路すらが働いていないというだけであった。

 はあ、
 はあ、
 はひい、
 はひい、
 ぶひい、

 すっかり息も切れ切れ。
 心臓、止まりそうである。

 いつ誰かの、いや全員の心臓が止まっても、不思議ではない状態であった。
 まほのの音声収録にあたり敦子殿にジョギングトレーニングを施され鍛えられていなかったならば、とっくに倒れていたかも知れない。

 もし倒れれば、追っ手に捕まること間違いなく、肉体を八つ裂きにされることもほぼ間違いないだろう。

 鍛えている、といっても、一般高校生からすれば底辺レベルもよいところであろうが、それでもなんとか捕まらず逃げ続けることが出来ていたのは、追う側もまた、定夫らと似たりよったりのデブで、すっかりバテバテだったためであろう。
 お相撲さんたちが追いかけっこをしているようで、ある意味の大迫力ではあったが。

 しかしこの、追いかけ続ける男たちが見せる執念の凄まじさはどうか。はひはひいいながらも、怨念情念が身体を突き動かしている。

 この男たちの方こそ、いつ心臓が止まってもおかしくないのではないか。ラーメンばかり食べて血管もドロドロであろうし。

 そもそもアニメの内容をめぐる対立という因縁程度で、初めて会ったいわば他人を何故こうまで執拗に追えるのか。
 定夫には不思議でならない。

 「はにゅかみっ!」の主人公(こと)(のり)(こと)()を演じる()()(ゆい)()の声がダサくて嫌い、とブログで発言していた者へ、定夫も、千件を超える苦情レスを書き込んだことがあるが、思考の方向性としては、まあ似たようなものなのではあろうが。

 「めかまじょ」の変身シーンが、いかにアニメ的リアリティを無視した最低なものであるかを、掲示板ごちゃんねるでとうとうと説明している輩に、いかにアニメ的リアリティに忠実でなおかつ視聴者を楽しませる素晴らしい演出に満ちたものであるかをとうとう説いたこともあるが、それもまた同様か。

 そう考えてみると、結局、おれとやつらは同じ穴のムジナだったのかも知れない。
 おれたち、いい友達になれたかも知れないのに、どこでどう、出会いを間違っちまったんだろうなあ。

 などとカッコつけている余裕など定夫には、いや、定夫たちには、これっぽっちもなかったのであるが。
 何故ならば、

 ついに、追い詰められてしまったからである。

 定夫たちは、
 住宅街の、狭い袋小路に。

 通り抜けられると思って曲がったはいいが、そこで道が終わっていたのである。

 はあ、
 はあ、
 はあ、
 はあ、

 男たちと、定夫たち三人、全員で汗をだらだらだらだら、はあはあはあはあ。ふらふらふらふら。いまにもぶっ倒れそうである。

 ここにいるみんながみんなバテバテなので、だからこの場この瞬間さえ逃れることが出来れば、そのまま逃げおおすことも可能かも知れない。だが、この狭い道は太った男たちがびっしりと塞いでおり、そもそもの逃げるスペースがまったく存在していなかった。アリすらも逃げるのは難しいであろう。

 はあ、
 はあ、

 と、息を切らせ肩を上下させながら、追っ手と逃亡者、デブ同士で見つめ合うしかなかった。

 はあ、
 はあ、

 この状態になってから、どれくらい経過した頃であろうか。

「お前、らかあ」

 男の中の一人が、はあはあ以外を口から発したのは。
 その言葉を受けて、隣のデブが続いて、

「原作者、を、詐称しっ、ファン、を、愚弄したのはっ!」

 その言葉がきっかけとなり、ついに、不満爆発猛抗議の火蓋が切って落とされた。
 どどどわわわーーーっ、と一斉に定夫たちへ向けて怒声が投げ付けられた。怒声というか、抗議というか、殺害宣言というか。

「舐めやがって!」
「クソ野郎!」
「全身の皮をはいで、ドブ川に流してやろうかあ?」
「ホノタソみたく胴体両断してやろうか? 少しはファンの痛みを知れ!」
「そうだ! 善良なファンを小馬鹿にしやがって。ファンの気持ち考えたことあんのか!」
「なにさまだ!」
「なあにが『聖地巡礼ごくろうさんバーカ』、だよ!」
「憐れな諸君に裏話を教えてやろうか、とか上からデタラメばかり書きやがって」
「挙句の果てに天誅だあ?」
「お前らみたいのがいるから、まっとうなアニメファンがバカにされんだよ」
「デブ!」
「むなくそ悪い面ァしやがって」
「覚悟出来てんだろうな!」
「なんとかいえよおい!」

 無数の男たちに口々すごまれて、じりじり後ずさるアニオタ新撰組の三人。
 どぅ、と背中に壁が当たった、その瞬間であった。

「ひきいいいいいっ」

 涙目でガタガタ震えていた定夫は、大きな口を開けて、幼児の金切り声のような奇声を張り上げると、
 巨体を宙へ天高く舞わせ、着地と同時に正座姿勢で両手をついて、

「許してくれえええい!」

 頭をぐりぐりぐりぐりアスファルトへとこすりつけ始めた。
 俗にいうジャンピング土下座である。
 頭をこすりつけ、尻をくいくい振りながら高く上げた瞬間、

 ぶーーーーーっ!

 大きな屁が漏れた。
 定夫は恥らっている余裕もなく、というか気付く余裕すらもなく、なおもぐりぐりがすがす頭をこすり、叩きつけ続けた。

「たたっ」
「助けてくれえい!」

 トゲリンたちも、定夫の両脇で土下座に参加。同じように頭をこすりつけた。同じようにといっても、屁は漏らさなかったが。

「バカにしてんのか!」
「謝って許されることじゃねえんだよ!」
「屁ぇこいてんじゃねえよ!」
「覚悟出来てんのかって聞いてんだろ? 早く答えろよ!」

 土下座や、定夫のガス漏れは、男たちの怒りには火に油だったようで、彼らの怒声はより激しく殺気に満ちたものになった。

「まほのをバカにしたこと謝れ!」
「謝った上で、死ね!」

 わめき叫びながら、地に頭をこすり付け続ける三人へと、ずいっずいっと近付いていく。

 定夫は、死を覚悟した。

 死体になって、石神井池にでも捨てられるのかなあ。
 無数のブルーギルにたかられつつかれてるとこ発見されるのかなあ。
 トーテムキライザーのラスト、どうなるんだろう。
 めかまじょも、()(とり)()()()()()()()(おり)が解体されるとか聞いたけど、ひょっとして合体への伏線なのかな。ストロ○グザボ○ガーみたいに。
 そうだ、コーラ飲みかけだったっけ。もう気が抜けてるんだろうなあ。

 迫りくる死への恐怖から脳が現実逃避を始めていた、そのためであろうか、
 聞こえるはずのない声が、鼓膜を震わせたのは。
 ここにいるはずのない声が、脳裏に反響したのは。

「もも、もうやめましょう! こんな、無意味な争いは!」

 幻聴?
 いや。

 男たちも、それぞれ背後を振り返っている。
 ということは、つまり……

 定夫は、顔を上げた。
 男たちが肉の壁になって向こう側が見えないので、土下座を解除して立ち上がっていた。肥満にかかわらずジャンピングまでしてしまったので、足はずきずき痛んだが構わず。

 定夫は、小さく口を開いた。

「敦子……殿」

 やはり、男たちの向こうに立っているのは、沢花敦子であった。
 この殺伐とした雰囲気のためであろうか、彼女はすっかり涙目になっていた。

 心配で東高円寺駅まできてみたはいいが、このようなとんでもない事態になっており、警察を呼ぶ暇などないと恐怖をこらえて男たちへと声を掛けたのだろう。
 しんと静まり返った中、敦子は、いまにも泣き出しそうな震える声で、続く言葉を発した。

「みなさんも、ほのかのファンじゃないですかあ」

 かすれ消え入りそうな、情けない声で。

 なんなんだこいつは、部外者が口を出すな、というような、殺意に興奮しきった男たちの態度であり表情であったが、不意に彼らのその表情に変化が起きた。
 一人の、疑問の言葉をきっかけに。

「なんか、オリジナル版の声に似てないか?」

 その、言葉に。

「た、確かにっ」
「ほわんとした頼りない感じが酷似しているかも。あつーんに」
「確かに、あつーんっぽい」
「え、あの新エンディングの人?」

 新参古参、色々なファンがいるのであろう。
 ぼそぼそがやがやする中、デブの一人が、一歩前に出て、敦子へと問い掛ける。

「ひょ……ひょっとして、本人、ですか?」
「え、ち、ちが…」

 慌てて否定しようとする敦子であったが、

「その通り!」

 定夫たちは、アニオタ肉の海をもにゅむにゅ素早くかき分け泳ぎ、通り抜け、敦子の前へと立った。

「ひかえいひかええい!」

 トゲリンが叫ぶ。
 八王子が続いて、

「ここにおわすは、ほのかオリジナル声優なるぞ!」
「水戸の黄門様、いや、あつーん様であらせられるぞ!」

 肛門様において色々やらかしてるのは、むしろ定夫の方であったが。

「うおおーっ!」
「降臨!」
「キター!」

 怒り殺意もどこへやら、いま男たちの顔に浮かんでいるのは歓喜の表情であった。
 こうして敦子と家来たちは、十八人のデブに取り囲まれ、キラキラ眼差しを受けることになったのである。

 定夫とトゲリンを入れて、デブ二十人。単なる住宅街の袋小路にデブ率九〇パーセント強の、まさに異様な光景であった。

 だが、まだまだ。
 むしろここからが、異様な光景の始まりだったのである。

「なな、なんかっ、プリーズ、ホノタソの声で喋ってくれプリーズ!」

 野球帽をかぶったデブが、息をはあはあ興奮しきった顔を、敦子へと寄せた。

「プププリーズ」

 周囲の男たちが続く。
 いまにも敦子へ飛びかかって頬にすりすりしたり舐め回したりしそうな興奮具合である。

「え、えっ……そんなこといわれても」

 真面目な敦子は、困った様子で考え込んだ。

「じゃあ、いきます。……『そういう嫌味をいまいって、どうなるんですかああ?』」

 やり込められて涙目になっている時の、ほのかの台詞である。
 どどおおおおん、と男たちは大爆発した。

「ハッピーラッキー!」
「もう一声っ、プリーズ。一声っ。あつーん、プリーズ」
「ハニー! ハニー、お願いっ!」

 飢えた子犬のように懇願する男たち。
 まほの大ブームは、テレビアニメ版によりもたらされたものであるが、その影響によって、裏サイトで視聴出来るオリジナル版も有名であり人気なのである。

 つまり敦子の声は、彼らの知る「正真正銘の裏ほのかの声」なのである。
 はあはあするなという方が無理というものなのであろう。

 とはいえ振られて困るのは、敦子である。
 難しい顔で考えている。

「ええと、弱ったなあ。どうしよう。……あ、じゃあ、これいきます、『ほのかの、ほのかな炎が、いま激しく燃え上がります!』」

 うおおおおおおお!
 吠える燃える十八人のデブ。

「ポーズ、やってポーズやって!」

 デブが一人、右の握り拳を天へ突き上げた。

「ほのかウイン!」

 敦子は叫び、彼と同じように右拳を突き上げた。

「ウイン!」

 デブ全員が声を合わせて、ウインポーズ。

「ウイン!」

 頼まれていないのに、敦子もういっちょ。

 果たして誰が気付いたであろうか。
 敦子の顔に、なんともぞくぞくとした、喜悦にも似た表情が浮かんでいることに。

「う、う、歌もっ!」
「そ、そうだ、歌を聞きたいっ!」

 懇願する男たち。

「えー、歌ですかあ? それじゃ、『素敵だね』を歌います。アカペラでもいいですかあ?」
「はーい。もちろんでーす」

 こうして敦子は、自分の右拳をマイクに見立て、歌い出したのである。


  ♪♪♪♪♪♪

 そおっと目を閉じていた
 波音、ただ聞いていた……

  ♪♪♪♪♪♪


 二十人近いデブたちは、すっかりノリノリで、敦子の歌声に合わせて肩を大きく左右に揺らしている。
 押し寄せる感動をこらえきれず、涙目になっている者もいる。

 いつしかみな、まるでコンサートのペンライトのように、掲げた右手をゆっくり大きく左右に振っていた。

 「素敵だね」は、歌手不詳の曲であり、イベントで誰かが代理で歌ったりしたことは一度もないはずなのに、なぜこうまで見事に合わせることが出来るのか。
 これがオタの本能というものなのだろう。

 曲の一番が終わり、続いて二番に入った。

 敦子、先ほどの涙目もどこへやら。
 実に楽しそうな顔で歌っている。
 すっかり、ハイになっているようであった。
 魔法女子ほのかの歌手として、ファンの前で歌っているという、この現実に。

 盛大な拍手が起きた。
 曲が終了したのだ。

 敦子、ぺこりと深く頭を下げる。
 その顔には、にんまりとした幸せそうな笑みが浮かんでいた。
 彼女はすぐさま、

「では次の曲はあ、挿入歌用に考えていた未発表曲です。『キラキラスパイラル』、聞いてくださあい!」

 誰も曲をリクエストしたわけでもないのに、勝手に歌い出したのである。


  ♪♪♪♪♪♪

 きらきらきらきら
 きらきらきらきら
 きらきらきらきら
 きらきらきらきら

 素敵な連鎖がとまらなーい

 すきすきすきすき
 すきすきすきすき
 すきすきすきすき
 すきすきすきすき

  ♪♪♪♪♪♪


 おおおおおおお!
 吠える燃えるデブたち。

 未発表曲に対して思っていたより受けがよかったためか、敦子はさらにさらにハイテンションになって、スカートめくれるのも気にせずぴょんぴょん跳びはねながら歌い続ける。
 一番が終了し、

「続いて二番、いっくぞおーーっ」

 どっかん右腕を突き上げた。

「うおーーーっ!」

 デブたちの大絶叫。何故か定夫たち三人まで一緒になってペンライト、いや腕を振り回している。

「君たちっ! そこで、なにをしてるんだっ!」

 野太い声に振り向けば、パトカーから降りてきた、警察官が、三人。


 こうして、アニオタ新撰組の生命をかけた(つもりの)デモ活動は、結局のところなにも成すことなく終了したのであった。

     5
 職員室のドアが、ちょっと頼りない感じにこそーっと開いた。

「失礼しましたああ」

 語尾伸ばし。といっても敦子ではなく定夫である。

 定夫がのろーっと廊下へ出てきて、続いてトゲリン、八王子、敦子殿。
 みな、肩を縮めてしょんぼりした顔である。

 ドアを閉めようとした敦子は、中にいる(さだ)(むら)先生と目が合って、びくりとさらに肩を縮こませた。

「もうやんじゃねえぞ!」

 定村先生の(ハゲ頭でけっこう怖い)、低いガラガラ声。
 敦子は涙目で肩をぷるっと震わせると、恥ずかしそうな顔で深く頭を下げ、ドアを閉めた。

「はーあ。怒られちゃった」

 八王子が、ふうーっと小さくため息を吐いた。

「本当に、すみませんでした」

 元気ない四人の中で、最も肩を縮こまらせ、申し訳なさそうな顔をしているのが、敦子であった。

「なにいってんだよ。敦子殿がいなかったら、おれたち間違いなく生皮剥がされて殺されてたから」
「そうそう、命の恩人だよ」

 定夫と八王子が慰める。

「でも……」

 敦子はなおも、申し訳なさそうに俯いている。
 一番テンション高くノリノリで歌い騒ぎ踊っていた、その絶対値の分だけどんよりと落ち込んでしまっているようであった。

 なんの話をしているのか。
 順を追って説明しよう。

 

 昨日、定夫たちは、かねてより画策していたアニメ制作会社への抗議活動のため、東高円寺駅に集結した。

 たち、といっても三人だけで、敦子は参加しなかった。
 もとより反対派だったこともあるが、一番大きな理由としては、夢をめぐって喧嘩してしまっことだろうな、と定夫は思っていたのであるが、後で本人から聞いたところ本当にその通りだったらしい。

 ただし、怒っていたからではなく、単に顔を合わせにくいという理由とのことであった。

 とはいえ色々と心配で、こっそり東高円寺駅を訪れて、こっそり遠くから様子を見ていたのであるが、ところがなんたること、定夫たちがまほのファンに怒声罵声を浴び、追われ、逃げ出して行くではないか。

 慌ててあとを追う敦子であるが、見失ってしまった。
 どうしようかと考えた末、まずは警察に連絡した。
 追う男たちのただならぬ様子に、本当に定夫たちが殺されかねないと思ったからだ。

 アニメファンの狂気、というのもそれなりに理解しているつもりだったし。

 警察に連絡したあとも、土地勘のない中、自分の足で定夫たちを探し続けた。

 そして、見付けた。

 ぶーーーっ、という放屁の音が風に乗って微かに届いてきたのだ。それがなんの音だったのか敦子は分かっていなかったし、定夫も教えてはいないが。

 とにかく音の方へと走ってみれば、なんだかとんでもないことになっていた。
 駅では四人か五人くらいだった男たちの数が、なんと二十人ほどに増えているのだから。

 住宅街の袋小路。
 太った男たちが、びっちりぎっちりとひしめき合って、それぞれ怒号怒声を放っている。
 その隙間から、ちらり見えるのは、

「助けてくれえええい!」

 やはり定夫たちであった。
 土下座して、頭をぐりぐり道路にこすり付けている。

 警察に、彼らはここだと伝えたわけではないし、到着を待っている暇はない。

 凄まじい怒気殺気に、怖くて、怖くて、涙が出てきたが、敦子は袖で涙を拭い、顔を上げ、拳をぎゅっと握ると、飛び出していた。
 震える身体ながらも足をぐっと開いて立ち、男たちの背後から、叫んでいた。

「もも、もうやめましょう! こんな、無意味な争いは!」

 と。
 ここからは皆様もご存知の通り、沢花敦子リサイタルショーである。

 つまり、
 結果的には、
 警察を呼ぶ必要は、まったくなかったのだ。

 むしろ、呼んでしまったがために、署に連れていかれ、事情徴収まで受けることになったのだから。

 男たちに追われ、囲まれ、殺されそうになったことを、であればまだいい。格好はつく。
 二十人で住宅街で大騒ぎし、歌い踊ったことについて、取り調べられ、厳重注意を受けたのだ。
 逮捕するほどのことでないとはいえ明らかな近隣迷惑行為、学校に伝えるから、と。

 というわけで本日、職員室に呼ばれて生活指導の先生に怒られていたのである。



 廊下を歩き続ける、四人。
 まだ敦子は、どんよりしょんぼり肩を落としている。

 他の者もしょげ具合としては同じようなものではあるが、さすがに敦子がここまで酷いと、必然、慰め役に回らざるを得ない。

「いやあ、だからさあ、呼んでくれてなかったら、そもそもおれら三人、生きてここにいなかったから」
「そうでござるニンニン。縛られ川に沈められていたか、もしくは土左衛門になって川を流れていたか」

 もしも定夫とトゲリンがそうなっていたら、日本の川に迷い込んだ久々のアザラシか、などとニュースになって騒がれていたことだろう。

 四人はふらふら力ない足取りで階段をのぼり、校舎の屋上へ出た。
 フェンスの向こうには、武蔵野の眺望が広がっている。
 すぐ眼下、グラウンドでは野球部が練習している。

「ふーーっ」

 定夫は、フェンスの格子を両手で掴み、ため息を吐いた。
 いつもの癖だが、下アゴを突き出してため息を吐くものだから、油っぽいオカッパ前髪が、バサバサと汚らしくなびいた。

「なんか、むなしくなっちゃったよなあ。これまでの、色々なことが」

 作品への愛情があったからこそ、物心両面さんざんに叩かれたわけで。
 終着地点がそこか、と思うと、本当にむなしくなってくる。

「拙者も同じ気持ちでござる」

 ネチョネチョ声のトゲリン。
 表情がやり場なく、寂しそうに微笑んでいる。

「いや、同じじゃないよ。多分、おれなんかよりトゲリンの方がつらい気持ちだと思うよ」

 だって、あれだけ魂を込めて作り出したキャラたちなのだから。
 最終的には作品作りを大人にバトンタッチしたとはいえ、彼が生み出したキャラクターであることに間違いはないのだから。

「なんかさあ、報われなさに生きる目的もなくなっちゃった感じだよね」

 八王子も、寂しげに笑った。
 恨みつらみをデスリストに書く気力もない、というところか。

「そうだよな。一週間ぶっ続けでやってたロープレをクリアしちゃって、かつてのその時間帯の使い方を忘れてしまって、途方に暮れるみたいな感じだよな」
「いやそれまったく違うと思うけど」

 そんなやりとりをしている中、ずっとどんより落ち込んでいた敦子が、すっと顔を上げた。
 フェンスへと近寄り、がしゃっと両手で掴んだ。

「わーーーーーーーーーーーっ!」

 絶叫。
 顔をフェンスにぐりぐり押し付けながら、思い切り、魂のすべてを吐き出すかのような、絶叫。

 肺の中の空気を吐き出しきり過ぎて、げほっとむせる。
 げほごほ咳き込みながら、ゆっくりと振り向いた彼女。
 口についたつばを袖で拭うと、彼らへと視線を向ける。
 先ほどまでのどどんと落ち込んでいた様子とは別人かと思えるほどに、すっきりした表情になっていた。

「生きる目的が、ない? ……目的は、作るものですよ」

 そういうと、彼女は笑みを浮かべた。

「作る、もの……」

 八王子は、敦子の言葉を反芻した。

「そうですよ。とりあえず、またなにか作ればいいんじゃないですか? 熱い作品を」

 あっけらかんという沢花敦子の言葉に、定夫たちは顔を見合わせた。

「レンさん、トゲさん、八さん、これからがみなさんという物語の新章じゃないですか。あたしは声優養成所のこと考えるとか、色々あって、参加出来るか分かりませんが、なんらかのお手伝いはしますから」

 敦子は、少し間を空けると、

「いい機会なので、ちょっと恥ずかしいけどいいます。……みなさん、今日まで最高の時間をありがとうございました! とっても楽しくて、わくわくする、素敵な日々でした! 本当に、本当にありがとうございました!」

 敦子は、深く深く頭を下げた。

 顔を上げると、恥ずかしそうにふふっと笑った。

「あ、ああ……」

 しばらくぽかんとしている三人であったが、どれほど経った頃か、定夫は、

「こちらこそ、ありがとうございましたあ!」

 大きな声で、叫んでいた。
 顔を上げると、照れたようにふふふうと笑い声を上げた。

「それ、発声練習の時のじゃん」

 八王子がからかう。

「え、そんないい方はしてないだろ」
「したでしょ。フフフフ、って」
「違うっ。ふふっ、って敦子殿と同じようにさわやかに笑っただけで、フフフフフはいってないだろ、フフフフフは」
「いったでしょ。つうかさわやかじゃないよ全然」

 などと、どうでもいい下らない争いをしているうちに、

「フフフフフ、フフフフフ」
「フフフフフ」

 何故だか理由は分からないが、二人はお腹に手を当て発声練習を始めていた。
 素晴らしいアニメ作品を作るんだ、と熱意を燃やして、四人で、川原や公園でさんざんにやった、腹式を鍛えるための発声を。

「フフフフフ」
「フフフフフ」

 いつしか八王子と敦子も加わって、四人はいつまでも声を出し続けていた。
 こみ上げるおかしさに、にこにこにやにや笑いながら、
 腹の底からの、大きな声で。

 フェンスの向こう、眼下のグラウンドでは、なんだなんだと野球部員たちが見上げている。

 どんな顔で見上げているのか。

 どうでもいい。
 他人などどうでもいい。
 笑いたければ笑え。
 オタと罵りたいなら罵れ。
 これがオタの青春。
 オタの生き様。
 文句あるか。
 文句あるなら挑んで来い。掲示板で受けて立つ。


「フフフフフ」
「フフフフフ」
「フフフフフ」

     6
 歳月は流れ、半年。

 定夫たちは高校を卒業して大学生に、
 敦子は高校三年生になった。

 大学進学と並ぶ、いや、ある意味でそれ以上に大きいといえるイベントがやってきた。

 「魔法女子ほのか」第二期の放映開始である。

 結局、
 というか、
 なんというか、「魔法女子ほのか」は、定夫たちも大満足の、最高の第二期が開始された。

 未来が舞台ということもなく、現代日本で。
 あおい、ひかり、しずか、が戻ってきて、そこからは第一期の前半と同じで、家庭や学校、バイト先の神社が舞台のほのぼの路線。

 だんだんとハードな展開になって行くらしい。第二期は二クール放送ということを生かした、贅沢なシリーズ構成なのである。

 半年前に起きた騒動の発端となった、未来を舞台にしたSF作品になるという噂は、新キャラクターとして「魔法女子みらい」が出るという、そこから誤解されたものだった。
 どうも、星プロダクションが偽のリーク情報を出して、アメアニ編集部がうっかり飛び付いてしまったものらしい。

 第一期終了後も、再放送やラジオドラマ、ゲームでかなりの盛り上がりを維持していた本作であるが、第二期開始によって、かつての比ではないくらいの大爆発。
 連日の話題独占、視聴率独占。

 どの公園でも、変身アイテムを持った女の子たち。
 全国の各イベント会場ではどこもかしこも、ほのかTシャツを着たおっきなお友達。
 グッズの売れ行き好調、タイアップ多数。
 関連CMを見ない日はなく、
 劇場版の公開も近い。

 まほのブームは、まだまだ衰えることを知らないようである。


 ほのか、ウイン! 

 

カーテンコール

 会場には、満員の観客。
 拍手の嵐、そして歓声が、場内に響いている。

 どれだけ拍手が続いただろうか。
 降り閉まっていた幕が、突然ゆっくりと、静かに、巻き上がり始めた。
 場内の歓声が、より大きくなった。

 すーっ、と上がっていく幕の隙間から、ステージ上に立っている人の足元が見える。
 さらに、幕は上がっていく。

 ステージに立っているのは、

 定夫、
 トゲリン、
 八王子、
 敦子、

 の四人であった。
 だんだん拍手はおさまって、やがて場内は、しんと静かになった。

 定夫は、右手に持っているマイクを自らの口に近づけた。



 定夫「みなさま、この作品に最後までお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました!」

 一同「ありがとうございましたーーっ!」

 定夫「いやあ、それにしても、なんとか無事にラストを向かえることが出来ましたね」

 敦子「緊張したあ」

 トゲ「拙者、ござる言葉が抜けなくなったでござるよ」

 八王「長かったからなあ。この物語が始まってから。じゃあ、終わった今それぞれどんな気持ちか、順番に。はい、レンドルから」

 定夫「いやあ、別になんもない。走り終えたなあ、という漠然とした充実感があるだけかな。しいてなんかいうなら、そうだなあ……『まほの』のシナリオを書いていく中で、どんどんキャラが立っていくのが面白かったかな」

 八王「ほのかなんて、最初の構想と随分違うもんね」

 定夫「ほのかが、あんなに頭が悪いなんて設定、最初はなかったもんな。妖精猫との掛け合いが面白くて、どんどんエスカレートしちゃって、キャラが出来上がっていって、だから最初の方ほど随分と書き直したんだよな。なんか違う、ほのかはもっとバカだぞ、って」

 八王「敦子殿と出会って、その喋り方に影響を受けて、それでさらにほのかのキャラが変わったのもあるよね」

 敦子「ああ、それ作中でも説明してましたね。……えっ、えっ、それひょっとして、あたしがバカってことですかあ?」

 定夫「あ、いやっ、そういうわけではないが……ではっ、次はトゲリン!」

 敦子「ごまかさないでくださあい!」

 トゲ「なんだろうか。いま改めて問われると、一番苦労したのはやっぱ背景かなあ。……で、ござるっ、でござる、やはり、断然、背景でござるっ」

 定夫「別に慌てて『ござる』を付け足さなくてもいいんだぞ」

 トゲ「いやあ、もうこれがないとみなさん納得しないと思うので」

 敦子「八さんは?」

 八王「そりゃ大変だったのはデータ化や編集作業だけど、でも、一番印象に残っているのは、発声トレーニングかなあ」

 定夫「鬼軍曹が、厳しかったからなあ」

 敦子「誰が鬼軍曹ですかあ! そもそもみなさん、体力がなさすぎなんですよお」

 八王「そんな敦子殿は?」

 敦子「わたしはですねえ、『魔法女子ほのか』という素晴らしい作品のオリジナル版に参加出来たことが、とっても幸せでしたあ。でも、というか、とにかく印象に残っているのは、レンさんたちが星プロを襲撃しようとしてた時の、たっくさんのまほのファンの前で歌ったことかなあ。あれ、すっごいゾクゾクしたああ。気持ちよかったあ」

 定夫「別に襲撃したわけではないのだが」

 トゲ「あれはまことに、敦子殿の独壇場でござったなあ。腕を振り回して、ぴょんぴょん飛び跳ねたり、端から端まで走ったり、びしっと敬礼ポーズを決めたり」

 八王「キラキラスパイラルの『君もひーとつぶ』の歌詞のとこで、前に大きくマイク代わりの手を突き出しながら、もう片方の手を耳に当ててんの、あれいま思い出しても笑っちゃう」

 敦子「えっ、えっ、わたしそんな恥ずかしいことしてたんですかあ?」

 八王「してたよ。こう、拳を突き出して『みんなあ、いっくぞおお!』」

 敦子「やめてーーっ!」

 八王子「『うみだーせ地球! キラキラキラ ヘーイ!』」

 敦子「ほんとやめてーーーーっ!」

 トゲ「似てる」

 敦子「似てません!」

 定夫「さ、そろそろ時間かな。ちょっとぐだぐだになってしまったが、まあいい頃合いだ」

 トゲ「そうでござるな」

 八王「それでは、みなさん! 改めて、長々とこの作品にお付き合いいただきまして、ありがとうございました!」

 敦子「もし機会があれば、またお会いしましょう!」

 一同「ありがとうございましたハーーーーン」



 四人は、深々と頭を下げた。
 頭を上げて、全員で繋いだ手を高く上げる。

 場内、拍手。

 そして、
 ぴーぴーきゃーきゃーの歓声が飛ぶ。

 とげりーん!
 八ちゃーん!
 ナイスバルク!
 もーーーっ!

 拍手と、普通の歓声と、意味不明の叫びが轟く中、そーーーっと幕が降りてくる。

 鳴り止まぬ拍手の中、歓声の中、四人の笑顔は完全に幕の向こう側へと消えた。 

 

カーテンコール2

 いつまでも鳴り止まぬ拍手に、
 叫び声に、
 アンコールに、
 すうーーっと、幕が上がり始めると、
 場内の拍手が爆発した。

 ステージの上には、そう、

 定夫、
 トゲリン、
 八王子、
 敦子。

 四人は大きく手を振り、観客の声に応えている。

 やがて彼らが深く頭を下げると、すうっと消え入るように場内が静かになった。
 ボッ、と定夫マイクを吹いてしまう。



 定夫「ア、アンコールにお応えして、戻って参りました」

 八王「ましたハアーン、とかいって終わらせといてあっさり戻ってきちゃって、すっごい恥ずかしいんだけど」

 敦子「それではっ、みなさんからの感想を紹介しまあす」

 トゲ「唐突過ぎるのだが」

 敦子「先ほどはわたしたちの感想だったので、今度は、みなさんからのということで」

 定夫「それで手紙をずっと握ってたのか」

 敦子「はい。では読みます。()()()市の『むにむねむね』さんからです。『あなたたち四人は、世に虐げられている気持ち悪いオタクですが、これまでさぞかし経験したであろう理不尽な目の、これは一番というのを教えて下さい』だそうです。うーん、なんだろうなあ。……って、これ感想じゃないじゃないですかあ!」

 八王「知らないよ! 自分で選んでおいて。いうしかないんじゃない? じゃあ敦子殿からだね、当然」

 敦子「えーーっ! はあ、しかたないですね。……わたし、中一の頃すっごいイジメられっこだったんですがあ」

 定夫「え、知らなかった」

 敦子「各クラスの花瓶が全部割られていてえ、全部わたしのせいにされたんですよね。証拠はないけどきっとそうだ、だってやってない証拠がないもん。って。先生にも散々に怒られて、正座に反省文ですよ」

 トゲ「酷い」

 敦子「数週間後には、教室に新しい花瓶も置かれたんですが、まだモヤモヤした気持ちがおさまらなかったわたしは、だったら本当に犯人になってやれば事実になるわけだからスッキリするのかなあ、って誰もいないはずの教室で花瓶を掴んで振り上げたところを、写真撮られて証拠にされて、前回の件もぶり返されて、死ぬほど怒られました」

 定夫「理不尽だなあ。というか、本当に花瓶を割って犯人になってやれ、とか敦子殿ってそういう性格だったのか」

 敦子「違いますよお! たぶん、振りだけで、やらなかったと思いますよ。……では次、トゲさんは、どうですかあ?」

 トゲ「子供の時分、四歳上の姉に『てめえこれ履いてみろ』ってスカート履かされたことがあり」

 敦子「想像したくないんですが」

 定夫「というか、お姉さんいたこと知らなかった」

 八王「ぼくも」

 トゲ「抵抗したが、ぼこぼこに殴られて仕方なく、泣く泣く履いたのであるが……」

 定夫「まだ続きがあるのか」

 敦子「すでにお腹いっぱいなんですけど」

 トゲ「その姿を見た両親に、『ふざけた格好してんじゃねえ出てけ』、とその服装のまま家を閉め出され、たまたま家の前を通りかかったクラスメイト二人に、『気持ち悪いことしてんじゃねえよ』と石をガスガスぶつけられたのでござる。一個、風呂のガラスに当たってヒビが入ってしまい、親には『お前のせいだ』と怒鳴られて、それから一年間、小遣いなし」

 八王「くだらないけど、ものすごい理不尽だなあ」

 トゲ「くだらなくない!」

 八王「ぼくは、八王子市での中学生活が、とにかく理不尽の連続だったなあ」

 定夫「アゴを蹴り砕かれたんだものな」

 敦子「それが原因で転校することになったんでしょう?」

 八王「そう。親に泣きついて引っ越し志願したんだ。先生も含め、誰もぼくを守ってくれないと絶望したからね。そのアゴ砕かれた件なんだけど、ぼくが一人で大暴れして階段でダジャレ叫びながら頭からダイブしてアゴを打ったことにされてんだよね。そんなわけの分からないことするはずない、と、先生も分かってはいたけど面倒事を大きくしたくなかったんだろうね」

 定夫「まあ、それがあり転校し、出会いあり、そして『ほのか』があるわけだが」

 八王「いや、いまはほんと、そう思っているよ。あいつらの家に水爆を落としてやりたい、というのと同じくらい」

 定夫「どんくらいなのか、よく分からないのだが。逆に」

 敦子「レンさんは?」

 定夫「高一の冬、ある日のこと、おれは駅のホームに立っていた。白息が真横に流れて、隣のヤクザみたいな男の顔に軽くかかってしまったみたいで、『ふざけんじゃねえよ』って殴られた」

 八王「トリが、随分としょぼい話だなあ」

 定夫「いいんだよ。で、まだ続きがあってだな、数日後、またホームでその男と会ったんだ。気付いたら隣にいたから、避けようがなかった。おれは慌てたように、やつの裏を回って、立ち位置を前回と逆にした」

 敦子「逃げればよかったのに」

 定夫「逃げたことにムカつかれて、背中を蹴飛ばされると考えたのだな。で、場所を入れ替えたもんだから、そいつの白息がおれの方にもあーっとかかってきたんだ」

 八王「そうなるように位置を変えたんだからね。でもおかげで、殴られなくてよかったんじゃない?」

 定夫「いや、殴られた。『このデブ、おれの息を勝手に吸ってんじゃねえよ!』って」

 敦子「理不尽……」

 トゲ「四人全員が理不尽話を語ったので、では、次のおたよりに参る。今度は、拙者が読むでござる。()(ろう)|市の『ふゆなん』さんから。『素敵だね、動画アップされているの見つけて聞いちゃいました。これは名曲ですね。何度聞いても、じんわり涙が浮かんじゃいます』」

 敦子「ありがとうございます! 嬉しいです!」

 八王「編曲を担当したぼくも!」

 敦子「でもよく見つけられましたね、その動画」

 トゲ「『ただ、歌詞の中で分からないことがあります。この世にいることに意味があるかは分からない、それでもその笑顔を守りたいと思う、というところです』」

 敦子「そのまんま、だと思いますが」

 トゲ「『これはつまり、君は生きる価値のない劣った人間だけど、そんな君を守りたいと思う奇特な人もいるんだから頑張れ、ってことでしょうか。だとしたら上から目線でムカつくんですが』」

 敦子「うえーーーっ、違いますよおお! 歌詞のどっちの部分も、この語り手自体のことですよお。『人が生きていること、自分が生きていること、それに意味があるかは分からないけど、守りたい笑顔があるんだから、きっと意味はあるんだ』ということなんです」

 トゲ「なるほど」

 敦子「合唱祭のクラス創作曲で、生徒一人ずつ歌詞を考えたんですが、その時に作ったものなんですよね」

 定夫「ああ、そうなんだ。中一の時に作ったとは聞いていたけど」

 敦子「うん。中一の、ちょうど酷いイジメを受けていた時で、自己肯定したかったんですよね。でもそのせいか、暗い内容になっちゃって、発表の際には一番最初に弾かれちゃいましたけど。『生きる意味が分からない』、など退廃的すぎるだろ、とか先生に注意されちゃったり」

 トゲ「前後の文を見れば、いやそもそも全体が、優しく前向きに素敵に生きるためのメッセージなのに、一つの言葉だけを捉えてしまっているのでござるな。……しかし敦子殿がイジメを受けていたなんて、まだ信じられないでござるよ」

 定夫「確かに」

 敦子「わたしの幼少期から声優になるまでを綴ったスピンオフ作品、『敦子ナンバーワン!』を読んでいただければ、そのあたりは詳しく書かれているはずですよ。って、宣伝しちゃいましたあ。にゃはあ。発表はまだまだ先らしいですけどね」

 八王「いや、あれ作者の冗談じゃなかったっけ?」

 定夫「だよな」

 敦子「えーーーーーっ! そ、それ、ほんとうですかあ?」

 八王「って聞いたけど、ぼく。面倒だから書くのヤダとか、敦子なんかダセーとか、誰か酔狂な人が代わりに書いてくれねーかなあ、とか」

 敦子「にゃーーーっ! 誰かあ、書かせてっ! ムチ打って書かせて! 他のっ、他の酔狂な人でもいいのでえ、どなたかあ、書いて下さあい!」


 天井から、すーーっ、と幕がゆっくり降りてくる。


 定夫「今度こそ、本当に閉幕だ。では、敦子殿の悲痛な叫びとともに……」

 一同「バーイ!」



 場内に響く拍手の音。
 幕は、完全に降りた。 

 

カーテンコール3

 幕が上がった。


 八王「バーイとかいって、またあっさり幕が上がるの。ほんと恥ずかしいんだけどお」

 敦子「わたしよりは恥ずかしくないですよ、みなさん。わたし、スピンオフが本当に発表されると疑ってなかったんですから」

 定夫「機会あれば誰か書いてくれるさ。

 トゲ「うおーーっ! ()(ろう)市の『はもへも』さん、『むしたけ』さん、『桑矢』さん、()(べつ)()市の『笹村』さん、レビューありがとうでござる! 作者も励みになったと喜び感謝しているでござる!」

 定夫「さて、『終えての感想』、『おたより紹介』、ときたから、今度は、どうしよう、自分たちで感じる、まほのの疑問点でも語るか」

 八王「ほのかがなんでバカなのか、とか?」

 定夫「さっきいったような、だんだん筆が滑っていったのもあるけど、あえて設定を考えるならば、『変身前は充電時間』ってことじゃないかな」

 トゲ「運動ダメ勉強バカな分、変身後は火力ダントツというわけでござるな」

 敦子「あんまりバカバカいわないでほしいんですが」

 定夫「シンクロしてたからなあ。女性キャラ全部担当したとはいえ、特にほのかには」

 敦子「はい」

 八王「疑問そのニ。ほのかたちは、どう生まれたのか」

 定夫「オリジナルは、話の一部分だからいいとして、テレビアニメもそこまったく触れてないんだよな」

 トゲ「それぞれ普通の人間の両親がいるわけで、でもほのかたちは古代技術で作られた存在なわけで」

 八王「その古代技術によって、どんな形状になっていたものが、いつ、どんなふうに生まれ、いまの両親に育てられることになったのか。両親は知っているのか知らないのか」

 敦子「エネルギー体みたいなものが宿って、本当にお母さんの体内から産まれたか、それとも魔法の力が働いて、両親は自分たちの子供だと思って育てているか」

 トゲ「そんなところであろうか。それか実は、両親こそ単なる子育てロボット」

 敦子「いやだなあ、それ」

 トゲ「変身、強化変身、と都度全裸になるオリジナル版だが、吹き替える敦子殿は恥ずかしくなかったのか」

 敦子「恥ずかしかったですよ! 当たり前じゃないですかあ! でもプロ声優への試練だと思って耐え切りました。それよりもトゲさんたちこそ、描いてて恥ずかしくなかったんですかあ?」

 トゲ「正直なところ申し上げると、かなり恥ずかしかったでござる。描くのも、描いたのを見られるのも」

 八王「トゲリンは、ああいうのをいつも夜な夜な描いているからまだいいんだけど、ぼくは本当に恥ずかしかった」

 トゲ「夜な夜な描いてはいない!」

 定夫「そういや、オリジナル版の主題歌を作った人って、結局、誰だったんだろうな」

 八王「作品がブレイクしたというのに、全然『わたしの楽曲だ』って名乗り出てこなかったもんね」

 定夫「あの曲が、すべての始まりだったんだなあ」

 トゲ「いや、すべての始まりと申すならば、レンドル殿が『航女』で玉砕したところからでござるな」

 定夫「いやいや、それいうなら、八王子がアゴを砕かれたことかな」

 八王「ぼくがアゴを蹴り砕かれた話は、もうやめようよ!」

 敦子「とにかく、三人の出会いがあったからこそ。ですよね」

 トゲ「そういう過去があり、そこから未来で敦子殿に会えたこと。過去と未来が繋がって、生まれた作品なのでござる」

 敦子「ちょっと強引ですが、綺麗にまとめましたねえ」

 八王「あっ、そういえば敦子殿さあ、初めて会った時なんだけど、自己紹介がなんで英語だったの?」

 敦子「え?」

 トゲ「いわれてみれば」

 敦子「記憶にないんですが。なんですか、それ」

 定夫「はあはあ息を切らせながら、マイネームイズアツコっていってたよな」

 八王「うん。カチコチに強張った笑顔で」

 敦子「えーーーっ。ほんとに知らないですう。うわあ、恥ずかしいーーっ」

 トゲ「お、幕が降りてきたでござる」

 八王「敦子殿にはナイスタイミング」

 敦子「確かにそうなんですが、なんで毎度あたしの恥ずかしいタイミングなんですかあ!」

 定夫「まあまあ。今度こそ、終幕かな」

 トゲ「では、みなさまっ!」

 定夫「長いことお付き合いいただきまして!」

 八王「本当に!」

 敦子「ありがとうございましたーーっ!」

 一同「ほんとにほんとにさようならーーーーーっ、かな?」 

 

カーテンコール4

 すー、と幕が上がるが、
 ステージには、もう誰もいない。

 いや、
 どたどた慌てたように、脇から現れた。

 定夫、トゲリン、八王子、敦子殿の四人が。



 八王「な、なんで、なんで幕があくの? 誰、操作してるの? もう帰りたいお客さんもいると思うんだけど」

 定夫「でもまあ、せっかくなんだし。じゃあ、さっき読まなかった読者からの、もとい視聴者からのお便り。()(ろう)市の、『あつーん大好き』さん。『第二期って、どんな感じなんですか?』」

 八王「多いよねえ、その質問。教えられるなら、教えてあげたいけど……」

 トゲ「二クールで最初はほのぼの路線、としか、作中で説明してないでござるからな。でも、我々もよく知らないのでござるでバザール」

 八王「そういうこと」

 定夫「ああ、おれが説明するよ。こないだ、星プロのマスちゃんから話を聞いたから。ここにいるお客さんにだけは話しても構わない、っていってたから問題ない」

 八王「えーっ、いつ聞いたんだよお」

 敦子「門前払いした人でしょ? よく教えてくれましたねえ」

 定夫「あの時は、本当に忙しくて不在だったみたい。電話で話せたら、色々と親切に教えてくれたよ。お、その案もいいね、とかいって、おれの話も聞いてくれた」

 八王「おいー、それ、なんでいわないのお? ぼくたちにさあ」

 定夫「すまん。この場で初めて話そうかと思って秘密にしていたんだ」

 トゲ「それで、どうなるのでござる? 舞台や、キャラは」

 定夫「舞台は変わらず現在日本。メインキャラはほのか、あおい、しずか、ひかり、こはる。途中で、こはるは大きくなるし、変身もする。まあ、ほのかをぶった切ったことの禊ぎが済んで、はるかに戻るわけだな」

 八王「超変身は? ほのかスカーレットとか、あおいアクアみたいな」

 定夫「勿論する。『魔法女子はるかグラファイト』だ」

 八王「おー、かっこいい」

 敦子「新キャラは?」

 定夫「魔法女子みらい、魔法女子かなた、魔法女子ひびき。あと、何人かいるらしいけど聞けなかった。敵か味方かも」

 トゲ「新必殺はあるのでござるか?」

 定夫「合体技は、エレメンタルエクスプロージョンの順番入れ替え、というか、とどめを誰に刺させるかというバリエーション」

 トゲ「なるほど」

 定夫「ほのか個人の新必殺技は、『テラドライブ』。宇宙へ飛び、冥王星から地球まで一瞬で駆け抜けてすべての天体エネルギーを吸収しつつ、敵へと超速降下して、そのエネルギーで敵にパンチくれる技だ」

 トゲ「惑星間超速移動、まるでクトゥルーでござるな」

 敦子「凄すぎるっ。地球が壊れちゃう。なんかっ、神様よりも強そうっ」

 八王「なのにバカ」

 (会場、笑い)

 定夫「一生に一回しか使えない技で、再び使おうとすると魂が砕けるらしい」

 八王「つまり、使うってことだな」

 定夫「そんな気がする。おれが星プロの人から聞いた話はここまで。さて、では今度は……」

 敦子「ちょっと趣向を凝らして、会場にいるお客さんに質問をリクエストしてみましょうか」

 八王「お、いいねっ」

 敦子「では、えーっと、そこの……そうそう、いま自分を指差したあなたです。黒縁眼鏡の、ふくよかな体型の、キャラTシャツの方。なにかありますかあ? ……うんうん……え? 作中にちょっと出た『キラキラスパイラル』、どんな歌か聞いてみたいから、歌ってみて欲しい? ええーーーっ!」

 八王「いいんじゃない。ほら、歌用マイク」

 敦子「歌わなきゃだめですかあ? ああーーっ、質問を聞くんじゃなかったああ。恥ずかしいよーーっ」


 会場内のスピーカーから、ズンダンズンダンというスネアドラム、ノリのよい響きの曲が流れ出す。


 敦子「うえーん。やっぱり歌わなきゃだめなんですよねえ? 心の準備があ。……では、歌いますう。ほのかオリジナル版の挿入歌用に作った未使用曲『キラキラスパイラル』、久々なので、歌詞間違ったらごめんなさい」


 伴奏の、だだだだーん、に合わせて敦子は右腕を上げ、そして、ステップ踏んで歌い出した。



  ♪♪♪♪♪♪

 きらきらきらきら
 きらきらきらきら
 きらきらきらきら
 きらきらきらきら

 素敵な連鎖がとまらなーい

 すきすきすきすき
 すきすきすきすき
 すきすきすきすき
 すきすきすきすき

 なんでこんなにとまらなーいのか
 考えてみたことないけれど
 考えてみればやっぱりやっぱり

 むむっ
 これはキラキラスパイラル

 だって感じるもん
 みんなの視線
 サイコーなんだもん
 みんなの温度 気持ちいい

 一粒一粒小さいけれど
 砂は石になり岩になる
 地になり球になれば、あっ地球じゃん

 キラキラキラキラ
 キラキラキラキラ

 あたし一粒 あたし一粒
 きみも一粒 きみも一粒

 たくさんたくさん
 のなかからたくさん
 きらきらきらきら
 きらきらきらきら

 とんでもないパワー
 うーみだせっ地球!

  ♪♪♪♪♪♪



 敦子「みんなあ、ノッてるねっ。でえも、でえも、まだまだあ、元気が足りないぞおおおっ! みんなで声を出して、さあ二番、いっくぞおおおおおっ!」

 トゲ「また我を忘れてすっかりハイテンションになっているでござる」

 定夫「予想はしていたが」



  ♪♪♪♪♪♪

 なんでこんなに熱くなれるのか
 考えること必要? 不必要?
 まあ決まっているけどほらやっぱりね

 むむっ
 これはキラキラスパイラル

 好きと好きが
 手を取り合えば
 サイコーだよそれは
 溶けちゃうくらいね

 一人ひとりは小さいけれど
 みんなで蹴れば地球も動く
 地球が動けばどこにでもいける
 輝く砂はぜんぶあなたのあたしの心の中

 キラキラキラキラ
 キラキラキラキラ

 あたし一粒 あたし一粒
 きみも一粒 きみも一粒

 たくさんのなかから
 きらきらきらきら

 手を取り合ったさいきょうのパワーで
 うみだせ地球!
 うごかせ地球!

 笑顔の連鎖がとまらない
 素敵な連鎖がとまらない

 キラキラキラキラ

 あたし一粒 あたし一粒
 きみも一粒 きみも一粒

 笑顔の連鎖がとまらない
 素敵な連鎖がとまらない

  ♪♪♪♪♪♪



 幕が、すーっと降りてきた。


 敦子「みんなっ、今日はわたしのコンサートにわざわざきてくれてえ、どうもありがとおおおおおおっ! また会おうねーーーーーっ!」

 定夫「ほんとーーーにこれで最後かと思いますが、ほんとーーーにみなさんどうもありがとうございました。この物語は、みなさんで作った物語です!」

 トゲ「もしも縁あらば、また会いましょうでござる」

 敦子「ほのかウィン! ついでにめかまじょサイコーーーッ!」

 八王「敦子殿、また酔いから醒めたら恥ずかしさに落ち込みそうだなあ。……ではっ、ありがとうございましたあ!」

 三人「そーれーでーはーー」

 敦子「あ、ああっ、あの、あの、えとっ、すっ、すみませんでしたあ。わけ分かんなくなっちゃって。どうもごめんなさあい。あ、あ、あ、ありがとうございましたあ!」

 定夫「最悪なタイミングで醒めたな。では、改めてっ」

 全員「そーれーでーはーーー」



 幕が完全に降りた。

 拍手の音が会場内に鳴り響いた。



 それではみなさま、
 お気を付けてお帰り下さい。
 長い間、本当にありがとうございました。
 お気を付けてお帰り下さい。 

 

おまけ  これがほんとうのえんでぃんぐ?

 空は青。
 やわらかな陽光の差し込む教室。
 寝ぐせのようにぼさぼさな、赤毛の女子生徒が一人。

 窓際の席に座って文庫本を読んでいる。

 楽しげに微笑を浮かべながら、ぺらりページをめくる。
 唐突に、ぷ、と吹き出した。

 そっとページを戻すと、また、ぷふっと吹いた。

 あははと笑いながらちょっと足をバタつかせていると、突然、後ろのドアが開いた。

「おっ、まだ帰ってないのか」

 ポニーテールの女子生徒が教室に入ってきて、赤毛女子の横に立った。
 ちょっと目の吊り上がった、キツイ感じに見える女子である。

「読書なんて珍しいな。なあにを読んでんだあ?」

 その質問に、赤毛女子は人差し指で本にしおりをしながらポニーテールの女子を見上げる。

「知ってますかあ、ファイトモデルっていうジャンルの若い人向けの小説なんですけど」
「それいうならライトノベルだろ」
「そ、そうともいうかも知れませんが」
「いや、そうとしかいわないから。んで、どんなタイトル読んでんだよ」

 ポニーテールの女子生徒は、赤毛女子の手にしている文庫本のカバーを覗き込んだ。

 太った丸文字で、「いたくないっ!」とタイトルが書かれている。

 文字同様に丸々と太った、オカッパ頭で黒縁眼鏡のブッサイクな詰襟制服姿の男子が二人と、ガリガリに痩せた男子が一人、どこにでもいそうな地味顔で小柄な眼鏡女子が一人、背景に女性戦士のようなシルエットが数人、というカバー絵だ。

「クラスの子に借りたんです。オタクとかそういうの、私よく分からないんですけど、でもこれ、読むとなんか笑っちゃうんですよねえ」
「へえ。……つうか、文字読めるのか? こないだ国語赤点だったろ? ひらがなカタカナのとこだけ読んで内容分かるの?」
「そ、そーっ、そうやってえっ、いま私をバカにすることに、なんの意味があるんですかあああ!」
「ムキになるなよ。ごめんごめん。冗談だってば。なに涙目になってんだよ。泣くなよ高校一年にもなってさあ」
「泣いてません。目が疲れただけです。……ちゃんと、読めてますよ。漢字もひらがなもカタカナも数字も。あと数ページで、終わりなんですから」
「おー、そっかそっか。悪かったな、読書タイムを邪魔しちゃって。そんじゃ、あたし先に帰るわっ」

 ポニーテールの女子が後ろのドアから出ていって、一人に戻った赤毛の女子生徒は読書を再開。

 ぺらり、ページをめくり、
 時折、ぷっと吹き出しながらも、読み進め、
 そして、読み終えた。

 ふふ、と微笑みながら、

 ぱたん

 本を閉じると、



 すべては、真っ暗になりました。



 おしまい。