デート・ア・ライブ〜崇宮暁夜の物語〜


 

プロローグ

 
前書き
感想くださると嬉しいです! 

 
空間震--発生原因不明、発生時期不安定、被害者規模不確定の爆発、振動、消失、その他諸々の広域振動現象の総称であり、空間の地震と称される突発性広域災害。地震や津波よりもタチの悪い災厄。何も分からないか、対策しようがなく、シェルターに避難するしかない。

これが、一般人に知られている情報だ。だが、空間震の本当の原因は『精霊』と呼ばれる特殊災害指定生命体。 謎多き存在。透明な訳ではなく、外見は『美しい少女』の姿をしている。パッと見は人間と変わらない。 但し、少女が持つ圧倒的な戦闘能力を除けばだ。

何故、圧倒的な戦闘能力を少女、『精霊』が持つという情報を知る事が出来たのか。それは簡単だ。実際に人が戦ったからだ。正しくは《対精霊部隊(Anti Spirit Team)》通称、《AST》と呼ばれる陸上自衛隊所属の特殊部隊がだ。幾度となく繰り広げられてきた精霊対人の戦いは圧倒的な差で人側の敗北ばかり。討滅すること以前に、傷もつけられない。ただ、『精霊』に痛くも痒くもない悪あがきをするので精一杯の現況。人がどれだけ頑張っても、精霊と人の力量差が覆ることはない。決して届かぬ領域に『精霊』は位置している。

それならば、と。 一人の男性がとある策を思いついた。それは、他の人からすれば、愚かで恐ろしくましてや、罪にもなりえる禁断の策。

『■■■■を対精霊兵器にする、というのはどうかな?』

その言葉に、誰もが驚愕し、反論を口にした。しかし、その言葉は予想通りだといいたそうな愉快な笑みを口元に刻み、男性が両手を開いた。

『皆さんが反対するのは分かります。ですが、安心してください。 ■■■■には既に許可はもらっていますので』

男性がそう告げたタイミングで、一人の青年が顕現した。まるでタイミングを見計らっていたかのように、唐突に突然に青年は現れた。

『お初にお目にかかります。DEMの皆様。私は--■■■■と申します。 以後、お見知り置きを』

光の差さない紅闇色の瞳に、色素が少し抜けた薄い青髪の童顔の青年、■■■■は、恭しく頭を下げた。

これは、精霊と■■■■の物語である。


4月10日、月曜日。大抵の学校が夏休みを終える時期になった。要するに、新学期の始まりだ。ただ、夏休みが終わったとはいえ、暑いのには変わりがない。外には、くたびれたスーツを着た人や、学生服を着た少年少女達が夏休みを惜しむように歩いている。そんないつもの日常の中で、一人の青年はとある学校の屋上で、仰向けに寝転がっていた。

瞼は閉じられており、色素の薄い青髪は陽の光で艶やかに輝いている。両耳にはイヤフォンが挿してあり、ポップ系の曲を口ずさんでいた。年齢はおよそ17歳。白のカッターシャツに学生ズボンを身につけ、室内シューズの後ろ側に『崇宮(たかみや)暁夜(さとや)』と青年の名前らしき文字が書かれていた。

ガチャ

と、屋上の扉を開く音がした。但し、青年の耳に届くことはない。別段、屋上に誰かが来るのが珍しいという訳では無いし、ましてや青年の所有する土地でもない。

カツカツ

と、今度は鉄格子を歩く音が響く。その音は徐々に、青年が眠る位置まで近づいてくる。やがて、その足音がすぐ近くで止まると、そのタイミングを見計らったように、青年は瞼を開いた。

「・・・白か」

開いた視界の先、そこに見えたのは陽の光ではなく、白。わかりやすく言えば、白色の下着。別に青年が見たくて見た訳では無い。見せられているのだ。被害者は青年。加害者は白パンを履いた目の前の人物だ。

「よく見つけられたねー、折紙ちゃん」

「当然。 あなたがいる所は、屋上と教室のどちらかに絞られる。そして、確率が高いのは屋上」

白パンを履いた人物、鳶一折紙。 容姿は綺麗な銀色の髪を肩まで伸ばしており、普通に可愛い分類に入る。ただ、かなりの肉食系だ。しかも、普通の肉食系よりもタチの悪い物静かな肉食系だ。 クラスメイトの殿町宏人の話によれば、『恋人にしたい女子ランキング』で三位に入る実力者らしい。 しかし、クラスではいつも一人で友達のいない孤高の少女。 のはずなのだが、崇宮暁夜がASTに所属した事で、何故か彼につきまとうようになったのだ。

「・・・よく知ってるね。 俺のこと」

「これだけじゃない。 年齢およそ17歳。血液型はA型。身長は174cm。体重62Kg。 座高91.2cm。 上腕31.4cm。 前腕24.9cm。 B83.2/W70.5/H88.5。 視力/右:0.8/左:0.8。 握力/右:45.6kg、左:43.5kg。 血圧128~74。 血糖値87mg/dl。 尿酸値4.1mg/dl。 風呂で最初に洗う部位は右胸。テストはいつも学年三位。小さい頃の夢はヒーロー。休日は、ジムに通っている。趣味はサッカー。 好きな食べ物は唐揚げ。苦手な食べ物は寿司。苦手なタイプはグイグイとくる女性。好きなタイプは、物静かで自分に合わせてくれる女性。要するに私」

「・・・うん、まぁ、途中から普通の方法では知ることの出来ない俺の個人情報があった訳なんだが、どういうルートでそれ知ったの?」

若干、と言うよりかなりドン引きした表情で、暁夜はイヤフォンを外した。その質問に対して、折紙は、

「一緒に住んでいるのに、あなたの事を知らないわけがない」

首を傾げ、そう答えた。

(首を傾げたいのは俺の方なんだけど!?)

「それより、そろそろ教室に戻った方がいい」

折紙はそう言うと、先にハシゴを降りていく。暁夜は短く返事をして、イヤフォンと携帯端末を懐に押し込み、大きな欠伸とともに少し遅れてハシゴを降り、一緒に教室へと向かった。

彼らが通うのは来禅高校。 意外と生徒数が多い学校だ。廊下を歩く度に、男共の嫉妬の視線と女子からの好意の視線に晒されながら、暁夜と折紙は自分達の教室へと向かう。やがて、『二年四組』の札が掛けられた教室に辿り着く。 どうやら、ここが自分達がこれからお世話になる教室の様だ。折紙が扉を開け、続けるように中に入る。と、ベランダ側の窓際で談笑する知り合いを視界に捉えた。

「よっす、殿町と士道」

「よっす、暁夜」

「あぁ、おはよう。 暁夜」

暁夜の声に、逆立てられた髪型をした青年と、青髪に童顔の青年は挨拶を返した。この二人は、暁夜の1年生の時からの親友だ。

「まぁた、お前は鳶一と仲良く登校してきやがったのか? このイケメン!」

と、何故か嫉妬の炎を瞳に灯らせる逆立てられた髪型をした青年の名は、殿町宏人。 ノリが良く、面白い。

「なぁ、鳶一って、誰なんだ?」

一人だけ話についてこれていない青髪に童顔の青年の名は、五河士道。 とにかくイケメンで、中二臭さが微かにある。

「お前知らないのか? 鳶一折紙といったら、うちの高校が誇る超天才で超優等生なんだぜ」

「それに、『恋人にしたい女子ランキング・ベスト13』では三位に入る美少女だ」

「因みに、『恋人にしたい男子ランキング・ベスト356』もあるぞ。暁夜はダントツで一位。士道、お前は真ん中ぐらいだな」

「そういうお前は何位だったんだ?」

殿町の言葉に、士道が尋ねる。それに対し、殿町は、フッ、と鼻で笑い、

「そんなに聞きたいか? 俺の順位を」

「あぁ、聞かせてくれ」

「いいだろう。 聞いて驚くなよ! 俺の順位は---三百五十六位だ!」

胸を張り、そう告げた。

「最下位かよ!? まさか、お前が主催したのか!?」

「まぁ、このランキングはマイナスポイントの少なさで勝負だったからな」

「どうやら、俺にはマイナスポイントが無かったんだ。寧ろ、プラスポイントが沢山だった」

肩を落として悲しげに答えた殿町に、士道が哀れみの目を向ける中、ダントツ一位の座を余裕で手に入れた暁夜は、自慢げというより普通の口調で答えた。

「おっかしいだろ!! 頭も良くて運動神経も抜群でモテモテとか、どこのギャルゲー主人公だよ! お前はァァァアアアッ!!」

最下位の殿町は、血涙を流さん勢いで飛びかかろうとしたタイミングで、教室の扉が開いた。入ってきたのは、線の細い眼鏡をかけた小柄の女性だ。

「あれ?タマちゃんだ」

「やったー、タマちゃんだ」

「ラッキー、タマちゃんだ」

生徒達からそんな声が聞こえた。この女性は、生徒達から相当人気のある先生だ。

「はい、皆さんおはよぉございます。 これから一年、皆さんの担任を務めさせていただきます、岡峰 珠恵です」

前の教壇に立ち、そう自己紹介するタマちゃんこと、岡峰珠恵。

「ほら、先生も来たし、そなへんにしろって殿町」

「あぁ、そうだな」

士道、殿町、暁夜の3人はそれぞれの席に腰を下ろした。暁夜の席の位置は、折紙の座る席の前だ。その後も、クラスメイトが順番に簡単な自己紹介をしていく流れとなり、今日も今日とて退屈で平和な当たり前の日常が始まったなぁ、と暁夜は胸中で呟いた。



夏休みが終わった初日の学校ということもあり、始業式だけが本日の日程となるため、午前中で終わった。 それもあり、昼で終わった生徒達は騒いでいる。確かに、午前中で帰れるのはテスト期間ぐらいのものでめったにないからだ。

「五河〜。 どうせ暇だろ? 飯行かね〜?」

殿町がそんなことを言いながら、士道に声をかけてきた。

「悪い、先約があるんだ」

「マジか!」

士道に断られたことで残念がる殿町。

「もしかして琴里ちゃんとか? いいよなー、あんな可愛い妹と一緒に住めて」

「いや、そうでもないぞ。 あれは妹という名の生物だと俺は思う」

「そんなわけねえだろ〜。 でも、次は付き合えよ〜、五河」

「あぁ、今度は空けとくよ。 またな」

士道はそう言って、誰よりも早く教室を出ていこうとすると、

ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーー

街中に危険を知らせるサイレンが鳴り響いた。

『これは訓練ではありません。 これは訓練ではありません。 前震が観測されました。空間震の発生が予想されます。近隣住民の皆さんは速やかに最寄りのシェルターに、避難してください』

と、遅すぎないほどの速さで聞き取りやすいような大きさでアナウンスが流れる。

「おいおい、マジかよ」

殿町がアナウンスに顔を青くする。ただ、誰一人、そのサイレンに慌てることもない。というのもこの日のために幾度となく訓練を行ってきた為、何をすればいいのか分かっているのだ。

「さーて、俺達も動きましょうか。 折紙ちゃん」

「ええ」

クラスメイト達がシェルターに向かう中、暁夜と折紙だけは気配を悟られないように逆の扉から出て、シェルターとは別の場所へと向かった。

数分後、教室からかなり離れた屋上にて。ワイヤリングスーツを着こみ、CRユニットと呼ばれる特別な対精霊装備を纏う一人の銀髪の少女と、片手に白塗りの片手剣を持ち、耳に通信機を付けた薄い青髪の青年が立っていた。

「あー、こちら、暁夜。 オペレーターちゃん、命令プリーズ♪」

『オペレーターちゃんはやめてください。暁夜さん。そこに折紙さんもいるようですので、手短に上からの命令を伝えます。 今回の討滅目標は、識別名『プリンセス』です』

「ふーん。 『プリンセス』かぁ。なら、意外と早く片付けそうだね」

暁夜は床にしゃがみこみ、足をブラブラとさせながら告げる。と、通信機から、オペレーターが溜息をつく音が聞こえた。

『ふざけるのも大概にしてくださいよ。暁夜さん。また、日下部隊長に叱られますよ?』

「おっと、告げ口される前にお仕事でもしますかねー。てなわけで、座標データおねがーい」

『分かりました。頑張ってくださいね、暁夜さん』

「ありがと。無事任務達成したら、デートしない? オペレーターちゃん」

腰に取り付けられている特殊な端末を手に、送られてきた座標データをチェックしながら、そう話しかける。

『私は構いませんが、折紙さんに怒られますよ?』

「別に付き合ってるわけじゃないし、だいじょ--ぐぇッ!?」

いきなり、首を後から絞められ、押しつぶされたカエルのような声を上げる。

「何するのさ? 折紙」

「あなたこそ、私の前で他の女性を口説くとはいい度胸をしてる」

「冗談だって。 そんなことよりも早く仕事始めよーぜー。 早くしないと『プリンセス』逃げちゃうよ?まぁ、俺的には、このまま折紙ちゃんのお胸を枕に寝ててもいいんだけど、お仕事しないと、上からドヤされちゃうからねー」

「確かにそれはいい案。仕事が終わり次第、家でこの続き」

折紙はそう言って、一度、暁夜から手を離す。開放された暁夜は、大きく伸びをした後、屋上から飛んだ。飛行する道具は一切使わず生身で。一瞬、暁夜の身体が屋上から見えなくなるが、直ぐに淡い青の光に包まれた暁夜が現れる。これは、DEMが開発した特殊な代物。現代の科学と、魔術が融合した白塗りの片手剣から発せられる光だ。この片手剣から発せられた光により、暁夜の身体は浮くことが出来る。

「お? あれって、士道?」

ふと、視界を下げた時に、学校の外に出ていく親友の姿を捉える。どこかへ向かうようだが、方向的に空間震が起こった方だと少し遅れて理解する。

「あいつ、どうする?」

白塗りの片手剣を肩に置き、CRユニットを纏う折紙に指示を仰ぐ。

「彼に危害がおよばないとは限らない。それに、バレるのもまずい。 だから、少し離れた位置から尾行する」

「りょ〜か〜い♪ んじゃ--」

暁夜は白塗りの片手剣を構えて、

討滅(デート)を始めようか♪」

不敵な笑みを口元に刻んでそう告げた。 

 

プリンセス

暁夜と折紙が屋上で士道を視界に捉えた頃。彼らより先に空間震の発生地へと向かっていたワイヤリングスーツを着こみ、CRユニットを纏う沢山の女性達の中の一人、『AST』の隊長である日下部燎子は、青筋を立てて、ご機嫌ななめだった。

「あぁ、もう! まだあの二人は来ないの!?」

『申し訳ございません、日下部隊長。 ただいま、向かっておりますので、もうしばらく待ってあげてください』

オペレーターがそう宥めにかかるが、日下部の苛立ちが静まることはない。というのも、アナウンスが放送されてから、約20分ほど経っていた。今回の空間震発生地点は、暁夜と折紙の通う高校からそう遠くない場所だ。武装する時間と合流時間を合わせれば約10分かかる?かからない?ぐらいで本隊と合流出来るはずなのだ。だと言うのに、未だに二人の姿が見えることはない。オマケに、暁夜に通信機で話しかけても返事がない。

「ったく、暁夜は毎回毎回遅刻するし、折紙も暁夜(あのバカ)のせいで最近は遅刻ばっかりだし!ストレスが溜まって、禿げそうよ!」

燎子がわぁわぁとこの場にいない二人に向けて喚き散らす。その時だ。

空間震の発生予測地点の建物はおろか周辺の空、木々、生き物等をまとめて白光が包み込んだ。そして、同時に大きな爆音と衝撃波が発生した。数距離離れていた《AST》メンバー達のところまでその衝撃波は影響を及ぼす。吹っ飛ぶことはないが、微かにバランスが崩れる。

「く・・・ッ!全員、戦闘準備! 速やかに任務を遂行するわよ!」

燎子は全員にそう指示して、オペレーターに通信を繋げる。

『はい。 こちら、オペレーターの藍鳴(あいな)です。 どうしましたか? 日下部隊長』

「藍鳴。 暁夜と折紙に言伝をお願い」

『了解しました。一字一句間違えないように伝えておきます』

「ありがとう、藍鳴」

燎子はそうお礼を言って、言葉を紡いだ。

『言伝、承りました』

「じゃあ、あとはお願いね」

『お気をつけて、日下部隊長』

ブツと、通信が切れる音がした。燎子はそれを確認した後、武装を構えて空間震発生地点へと向かった。



空間震によって生み出された爆発は、建物はおろかその場に存在する全てを吹き飛ばしていた。まるで、映画のワンシーン。 隕石によって破壊されたかのごとく中心にクレーターが生まれていた。妹の琴里を探しにたまたま通りかかった士道は、突然の衝撃波で吹き飛ばされ、地に尻餅をついていた。既に士道が尻餅をついてから約五分以上経っていた。否、見惚れていた。 というのも、士道の目の前には美しい少女がいた。

大きな剣を持ち、紫色のドレスのようなものを身に纏い長い黒髪をしている美しい少女。 その少女は、まるで、戦乙女を連想させるような姿をしていた。ただ、この時の士道は、衝撃波のせいで、頭がおかしくなっていたのかもしれなかった。

「な、なぁ。 君はいった--」

誰もが、少女をひと目見れば普通じゃないと判断する中で、士道は声をかけた。が、言い終えるより早く、目の前の少女が、士道目掛けて、大きな剣を横薙ぎに振るった。まるで、羽虫を殺すごとく、躊躇いもなくだ。

横薙ぎに振るう動作に視界が追いつく頃には、間に合わない。何故なら、人間はすぐには身体が動くことが出来ない。視界に捉え、動くまでに僅かなタイムラグが生じる。そのタイムラグを解消するとなれば、人間をやめるしかないだろう。だから、士道の身体は一瞬で、真っ二つにされる。

(・・・ッ!?)

士道が死を覚悟した瞬間、

キィィッン!

と金属音が鳴り響いた。そして、遅れて爆発音が響く。 士道は、恐る恐る瞼を開けると、そこには見知らぬ青年がいた。

鼻から下を灰色の布で覆い、右手に白塗りの片手剣を構えた青年。彼の持つ片手剣は、淡い青の光を振り撒いており、まるで星が瞬いているようだ。 服装は、来禅高校の制服。

「大丈夫だったか?」

目の前の男が振り返って、士道に声をかけてきた。光の差さない紅闇色の瞳に、色素が僅かに抜けた薄い青髪をした親友に似た男の顔に、士道は驚く。

「なっ・・・!? 暁夜! お前こんな所で何してんだよ!?」

しばしのフリーズ後、目の前の親友に声をかける。 が、暁夜と呼ばれた青年はとぼけた表情を浮かべた。

「暁夜? 誰だそれ? 俺は、正義の味方だ。 少年」

大きな剣を振るうことで生じる斬撃を白塗りの片手剣で全て撃ち落としながら、目の前の青年は少し声音を下げて答える。と、その青年の隣に、銀髪の少女が舞い降りた。

「無駄話はそこまで。彼は私が運ぶ。 暁夜は精霊の撃退を」

「ちょっ!? 名前バラしてどうすんのさぁ!? 折紙ちゃん!?」

「別に隠すようなことではない。あなたの嘘は誰にでも見破られるほどに下手」

「・・・さいですか」

折紙にそうトドメを刺されて、落ち込む正義の味方こと暁夜。 目の前で繰り広げられる同級生同士の茶番に、士道は唖然とする。

「んじゃ、まぁ、士道の事お願いね」

「任せて。 あなたも気をつけて」

「はいよー」

暁夜は、飛んでくる斬撃を的確にさばきながら、折紙が士道を連れていくまでの時間を稼ぐ。やがて、二人が離れていくのを確認し、最後の斬撃を吹き飛ばす。そして、白塗りの片手剣をブラブラと揺らしながら、目の前の精霊に視線を向ける。

「お前は何者だ?」

クレーターの中心に立つ少女。 歳は恐らく17歳ぐらいだろう。膝まであろうかという黒髪に、愛らしさと凛々しさを兼ね備えた貌。 その中心には、まるで水晶に様々な色の光を多方向から当てているかのような、不思議な輝きを放つ双眸が鎮座している。 装いは、これまた奇妙なものだった。 布なのか金属なのかよくわからない素材が、お姫様のドレスのようなフォルムを形作っている。 さらにその継ぎ目やインナー部分、スカートなどにいたっては、物質ですらない不思議な光の膜で構成されていた。そしてその手には、身の丈ほどあろうかという巨大な剣が握られている。

「おいおい、俺の名前を忘れるなんてひどいじゃねえかよ。 お前とは結構、殺し合い(デート)してる仲じゃねえかよ。 なァ、『プリンセス』?」

『プリンセス』に対して、暁夜は大仰なリアクションをとる。

「再度問う。 お前は何者だ?」

ズサっと、大きな剣を暁夜に突きつけて、最後と通告を言い渡す。その言葉に対し、暁夜は、白塗りの片手剣を構えて、ニヤリと笑って、

「人に名前を尋ねる時は自分から名乗れって、ママに教わらなかったのか? 『プリンセス』」

挑発としか取れない言葉を告げた。その言葉に、『プリンセス』は不機嫌そうに表情を歪め、今度は大きな剣ではなく、両手を振り上げて光の球を作り出した。

「--っべ!?」

慌てて地を蹴り、右方に転がる。危うく、黒球で殺されるところだった。

「おいおい、失礼極まりない奴だなぁ。そんなに--死にたいのか? 精霊」

瞬間、暁夜の纏う雰囲気が変わる。 先程までのおちゃらけた雰囲気ではなく、誰も近づかせない鋭き刃のごとく憎悪に満ちた雰囲気へと。白塗りの片手剣の周囲をはためいていた淡い青の光が、今は紅闇色の光を放っている。

殺し合い(デート)の準備は出来てるか? 精霊」

紅闇色の光を纏った白塗りの片手剣を、『プリンセス』に突き付け、暁夜はそう宣言した。

「お前も・・・か」

『プリンセス』はそう悲しげな表情で大きな剣を構えた。

そして、精霊と崇宮暁夜の殺し合い(デート)が始まった。



クレーターの中心で、激闘を繰り広げる精霊と暁夜の姿に、ビルの一角まで避難していた士道は、ここまで連れてきてくれた折紙に声をかける。混乱と不安が入り交じった声音で。

「な、なぁ。 暁夜は大丈夫なのか? あんな危ない奴に勝てるのか?」

先程から、暁夜に振り下ろされる大きな剣は普通の人間では容易く死んでしまうような代物だ。それをその剣よりもサイズも長さも劣る白塗りの片手剣で応戦するのは無謀な筈だ。恐らく、重心を下げて、当てる場所をずらしているのかもしれないが、それでも数分も持たないだろう。だが、折紙から返ってきた問いの答えは想像していなかったものだった。

「大丈夫。 彼は--人でありながら、これまでに他の討伐対象を、この装備無しで始末してきた。彼が負ける確率はゼロに等しい」

「始末・・・って。 まさか、あの子と同じような存在をか!?」

士道は驚愕に顔を歪める。確かにあの力は化け物だ。 ただし、あの少女は、剣を振るう時、悲しげな表情をしていた。まるで、人を殺すことに苦痛を感じているみたいに。

「くそっ!」

士道はそう吐き捨てて、屋上の扉を開け、ビルを出て、あの戦いを止めるために階段を駆け下り始めた。それを見た折紙は、己が犯した失態に顔を顰め、後を追い始めた。

同時刻。

「なかなかやるじゃねえかよ。精霊」

「ふん。お前もなかなかやるではないか」

暁夜の白塗りの片手剣と、『プリンセス』の大きな剣がぶつかり、火花を散らす。何度も何度も薙いで払って、振り下ろしを繰り返し続ける。 止まない攻防。

「不思議な剣を使うようだな」

「あぁ、これか? すげぇだろ。 この剣はな、お前ら、『精霊』を殺すために製造された特注品。 対精霊武装《アロンダイト》。 神話に出てくるようなあのアロンダイト()の名前から拝借しただけで、特別な意味はない。ただ、カッコイイと思った。 それだけだ」

大きな剣による振り下ろしを、白塗りの片手剣《アロンダイト》で叩き飛ばして、笑った。

「んじゃ、まぁ。 あんたの為に特別サービスだ。ビビって小便漏らすなよ、『プリンセス(お嬢ちゃん)』」

連続で襲いかかる大きな剣を受け止めるのと同時に、その反動で距離を取る。そして、《アロンダイト》を構え、言葉を紡ぐ。

「擬似天神(てんし):『アタランテ』解放」

そう呟いた瞬間、紅闇色の光が、白緑の光へと変化し、《アロンダイト》に収束する。

殺し合い(デート)第2ラウンドと行こうか、精霊」

白緑の光を纏わせる《アロンダイト》の切っ先を『プリンセス』に向けて、そう告げる。

「ふん。 貴様らがどれだけ足掻こうと私には無駄だということを思い知らせてやろう」

『プリンセス』は大きな剣を暁夜に向け、振るった。 刹那、鼻先スレスレに斬撃が落ちる。もう少し前にいたら、頭頂部から真っ二つに切断されていた。

「んじゃ、次は俺の(ターン)だな!うまく防げよ! 『プリンセス』!!」

暁夜がそう叫び、地を蹴った。瞬間、踏み抜いた地面が抉れ、爆発的な加速が生まれる。暴風とも台風とも呼べるような激風が暁夜の全身を覆う様に流れ出す。まるで風で出来た道。

「ふん、小賢しい」

『プリンセス』はそう鼻で笑い、大きな剣を横薙ぎに振るった。 その攻撃により生み出された激風が、暁夜を覆う激風に激突し、強烈な爆破音が響き、霧散した。パラパラ、と激風で抉れた大地や木々が吹き飛び、へし折れ、砂煙がクレーターを覆い尽くす。『プリンセス』は、砂煙で見えなくなった暁夜が死んだことを悟り、大きな剣を地面に突き刺した。そして、悲しげな表情を浮かべ、青空を見上げて、呟いた。

「また・・・私は・・・殺めてしまった」

自分の犯した過ちに胸が締め付けられる様に痛くなる。彼女は、人を傷つけることに痛みを感じていた。本当は殺したくない。傷つけたくない。 でも、自分がどれだけそう思っても、人間は自分を殺しにくる。彼女の話は聞かず、見た目だけで危険な奴だと決定づけて。 そして--今日殺めた男も彼女を見て殺意を向けた。本当は、あの男が誰なのか?知っていた。否、覚えていた。幾度となく、彼女に、奇怪なメカニック衣装を着ていないながらも剣ひとつで戦う男。武器の名前も知ってはいた。ただ、毎回知らないふりをしていたのは、皮肉にもきっとどこかで会話をしてくれる人間がいることに喜びを感じたからかもしれない。

「・・・崇宮暁夜」

『プリンセス』は、死に体となった男の名前を呼んだ。刹那--

「やめろ・・・ッ! 暁夜!!」

背後から青年の声が響いた。『プリンセス』がその声に反応し背後を振り返ると、《アロンダイト》の先端が鼻先スレスレに突き出されていた。その剣から視線をずらしていくと、柄を握る手が見え、徐々に全体像を視界に捉える。

風により飛んできた尖った石に額を割かれ、《アロンダイト》を握っていない方の腕がありえない方向にへし折れた紅闇色の瞳に色素の薄い青髪の青年が立っていた。

「はぁ...はぁ...」

荒い息を吐きながら、乱れた呼吸を治す暁夜。先程までの元気の良さが嘘のように無くなっていた。 というのも、先程の攻防の中で、暁夜は咄嗟に風を腕に纏わせ、『プリンセス』の放った激風にあろう事か左手で触れ、その反動で方向転換したのだ。その時に、腕に覆われていた風が吹き飛び、『プリンセス』の激風の威力を殺しきれずに腕がへし折られたのだ。だが、あの時、咄嗟にその行動に出なければ、腕だけではすまなかった。

「なぜ、止めた? 崇宮暁夜」

「はぁ・・・はぁ・・・。 アイツがやめろって言ったんだよ。ありがたく思え」

暁夜は乱れた息を整え終えて、《アロンダイト》の擬似天神を解除する。すると、白塗りの片手剣を覆っていた白緑色の光は霧散し、淡い青の光が再び放出される。そして、折れた左腕を気にすることなく、『プリンセス』に背を向けた。

「今日はもうやめだ。そろそろお前も消失(ロスト)する時間だろうしな」

《アロンダイト》を肩に乗せ、そう告げた。それと同時に、『プリンセス』の全身を淡い光が覆った。 否、『プリンセス』の身体が足元から順に淡い光の粒となって、消失しているのだ。

「また会う時は、俺とまた殺し合い(デート)しようぜ、『プリンセス』」

「ふっ。 今度こそ徹底的に叩きのめしてやろう。 崇宮暁夜」

その会話を最後に、『プリンセス』の姿はこの世界から消失(ロスト)した。言葉の綾ではなく現実に。

「さーて、報告の前に--」

暁夜は大きく伸びをしたあと、先程の攻撃を言葉で制止させた青年の方に視線を移す。

「なぁ、士道。 どうして、止めたんだ?」

士道は緊張のあまり唾を飲み込んだ。今まで 見たことのない親友の表情に動揺する。紅闇色の瞳は輝きが無い。いつもの笑みはそこになく、親の敵を見るような、赤の他人を見るような、そんな表情。

「そ、それは・・・」

「それは? まさか、可哀想だ、悲しそうだったとか言わないよな? あいつが・・・『精霊』が、何をしてきたか、お前がよく知っているはずだ。 真--」

『こちら・・・オペレ・・・ー。 暁夜さ・・・ん。 声が・・・きこえ・・・ら・・・へん・・・くださ・・・願いします』

「あぁ、こちら暁夜。 先程まで『プリンセス』と交戦及び消失(ロスト)。これより、鳶一一曹と共に帰還する」

通信機から聞こえてきた声に、暁夜はそう尋ねる。少し遅れて、

『了解しました。お二人の帰りをお待ちしております』

「ありがと、オペレーター」

その礼を後に、通信機を切った。 そして、士道の方に振り返り、

「士道。 今日の事は内密で頼む。この事は一般市民にはバレちゃいけない件だ。ただでさえ、空間震で怯えてるんだ。 そこに『精霊』なんて化け物が原因だなんて教えたら、パニックが起こるからな」

「あ・・・あぁ」

士道は首を縦に振った。

「それじゃ、また明日、学校でな」

暁夜は、士道の知る親友の笑顔を浮かべて、メカニックな衣装を纏う折紙と共にその場を立ち去っていった。 

 

誘い



「ふぅ、疲れたぁ」

陸上自衛隊・天宮駐屯地の一角に位置する格納庫にあるロッカーに、白塗りの片手剣《アロンダイト》を格納し終え、ベンチに座りながら暁夜は呟いた。彼の視界には、ワイヤリングスーツにCRユニットを纏う女性達が映っていた。 整備待ちの者、CRユニットを解除する者等。今回、『AST』に負傷者は出なかった。 というのも、CRユニットを纏う彼女達が到着するよりも前に、暁夜が『プリンセス《精霊》』に遭遇し消失させた。これが真実だが、上の人間には表上、撃退という内容で報告しなければならないと、燎子が嘆いていたのを聞いたことがある。ただ、この報告の前にあった『ナイトメア』と呼ばれる精霊を討伐した回数は『AST』のエースと同等だ。ちなみに『ナイトメア』の討伐数や能力は、DEMのお偉いさんと暁夜、ASTのエースしか知らない。要するに極秘情報なのだ。

「そうえば、あのままアイツ置いてっちまったけど大丈夫かなぁ」

オレンジの缶ジュースのプルタブを開けて床を見つめる。と、頭に影が差した。視線を上にあげると、CRユニットを解除し、ワイヤリングスーツを脱いだ折紙が、下着姿で目の前に立っていた。

「上も白か」

暁夜はどこぞの童貞よろしく赤面するわけでも、目を逸らすわけでもなく、平然な表情でボソリと下着の色を呟く。一応、彼が座っているベンチはAST隊員のロッカールームの中の設備だ。となれば必然的に、下着姿でロッカー室に戻ってくるのも不思議ではない。ただ、折紙以外のAST隊員は、ちゃんと着替えを持って更衣室に向かっている。その件については何度も折紙にお願いしている訳だが、毎回返事をするだけで実行しようとしない。しかも、決まってその時の言い訳が-、

「ごめんなさい。忘れてた」

という言葉だ。恐らく、否、何度聞いた言い訳に、ついには折れ、今となっては誰一人、折紙を注意する者はいなくなった。他にも理由はあり、折紙の家に住んでいることで下着姿や全裸を見たことのある暁夜からすれば、見慣れてしまったのだ。

「ちょっと、今日は寄り道して帰るから。 先に帰っててくれ、折紙」

「どこに行くの? 何時に帰ってくる? 夕飯は何時にする?」

「学校に忘れモンしたんだ。すぐには帰ってくるよ。 夕飯は帰ったらすぐ食べるから、家着く前には連絡するよ」

暁夜はそう言って、空の缶ジュースをゴミ箱に捨て、歩き始めた。

「分かった。 家で待ってる」

その言葉を背に、暁夜はロッカー室を後にし、来禅高校がある方向へと向かった。



天宮市にある来禅高校の教室。 既に時刻は午後四時あたり。シェルターに避難していた生徒や教師達は既に帰った後だ。窓の外を軽く覗くと、相変わらず荒々しい地の獄のようなクレーターが強調されていた。見慣れて来たとはいえ、憎悪が消えることはない。暁夜は教室の扉を開け、中へと入る。少しだけグチャっとなっている教室を見渡し、後ろのロッカーから忘れ物の財布と鍵を取り出し、懐にしまう。

「よし、帰るか」

暁夜は大きく欠伸をした後、教室を出て、廊下を歩き、階段を降り、下駄箱で、室内シューズから靴に履き替えていると、

「いきなりすみません。 崇宮暁夜さんですね?」

「人に名前を聞く前にアンタらが先に言えよ。常識だろ?」

「申し訳ありません。ここではなんですので、場所を移させてもらってもよろしいでしょうか?」

「ここで名乗れよ。 見ず知らずのアンタらの言葉に、はいそうですか、なんて言うわけねえだろ。それでも名乗らないってんなら、警察でも呼ぶか?」

暁夜は、黒い服を着た巨漢二人の真ん中に立つ金髪の男性に、携帯をチラつかせながら煽る。金髪の男性は小さく溜息をつくと、

「では、少々手荒ですがお許しください」

「は? なにいっ--」

その言葉を最後に、暁夜と三人組の男達は、下駄箱前から姿を消した。

数秒後、

次に視界に映ったのは、淡色で構成された機械的な壁に床だ。 暁夜はなんとなく、スペースオペラなんかに出てくる宇宙戦艦の内部や、映画で見た潜水艦の通路を思い出した。隣には先程、暁夜に話しかけてきた金髪の男性と黒い服を着た巨漢二人の姿があった。

「これは・・・拉致ってことでオッケーか?」

「いえいえ、滅相もございません。私達は貴方様を歓迎したのです。色々と聞きたいこともあるかもしれませんが、私についてきてください」

金髪に長身の男性が、執事のような調子で軽く礼をする。 そして、巨漢二人を連れて歩き始めた。暁夜は小さく溜息をつき、金髪に長身の男性と巨漢二人の間に挟まれながら面倒くさそうな表情で歩きはじめる。

そして、どれくらい歩いた頃だろうか。

「・・・ここです。崇宮暁夜さん」

通路の突き当たり、横に小さな電子パネルが付いた扉の前で足を止め、金髪に長身の男性が言った。 次の瞬間、電子パネルが軽快な音を鳴らし、滑らかに扉がスライドする。

「さ、お入りください」

金髪に長身の男性が中に入っていく。 暁夜もその後に続いた。

「なんだ? ここ?」

そして、扉の向こうに広がっていた光景に、首を傾げる。 一言で言うと、船の艦橋のような場所だった。 暁夜がくぐった扉から、半楕円の形に床が広がり、その中心に艦長席と思しき椅子が設えられている。 さらに左右両側になだらかな階段が延びており、そこから降りた下段には、複雑そうなコンソールを操作するクルー達が見受けられた。 全体的に薄暗く、あちこちに設えられたモニタの光が、いやに存在感を主張している。

「司令。崇宮暁夜さんをお連れしました」

金髪に長身の男性が声をかけると、こちらに背を向けていた艦長席が、低いうなりを上げながらゆっくりと回転した。

そして。

「ご苦労。 もう下がっていいわよ、神無月。 そして--」

『司令』なんて呼ばれるには少々可愛らしすぎる声を響かせながら、真紅の軍服を肩掛けにした少女の姿が明らかになった。

大きな黒いリボンで二つ二括られた髪。小柄な体躯。どんぐりみたいな丸っこい目。 そして口にくわえたチ○ッパチ○プス。

「歓迎するわ。 ようこそ、《ラタトスク》へ」

と、可愛らしい少女が不敵に笑った。

「おいおい。 冗談はよせよ。なんでこんな所に、士道の妹がいんだよ」

暁夜は無駄に大仰なリアクションをとった。それに対し、『司令』と呼ばれた少女は、チ○ッパチ○プスの棒を口から抜いて、笑った。

「へぇ、よく覚えてたわね。 改めて自己紹介といきましょうか。私はここの司令官、五河琴里よ」

「はぁん。 要するに、司令官ごっこって所か? そんな事のためだけに俺は拉致られたと? アンタらのお遊びに」

不機嫌な表情を浮かべ、暁夜は後頭部を掻く。しばしの沈黙。その沈黙を破ったのは、暁夜ではなく琴里だ。

「ふぅん。お遊びねぇ。 逆にあなたに聞きたいのだけれど、こんな手のかかるごっこ遊びがあるかしら? 」

「--まぁ、そうだろうな。 で? 俺に用ってのは?」

分かってましたよ、と手のひらをブラブラと振る暁夜。

「ありがとう。 じゃあまずは--精霊の事について知ってる?」

「知ってるぜ。 恐らく、あんたら以上に。 けど、悪いな。 その件については、お偉いさんに口止めされてんだ。 ほかの質問にしてくれると助かる」

口元に人差し指を当てて、暁夜はウインクする。それに対して、琴里は苛立ちを募らせていく。

「じゃあ次の質問。 貴方は、何者?」

「何者・・・かぁ。 そんなの決まってんだろ。 一般市民様だよ」

大きな欠伸を噛み殺して、適当に答える。

「これが最後の質問よ。 貴方はなぜ、CRユニット無しで精霊と互角に戦えるの?」

この情報こそが琴里の知りたい事なのだろう。暁夜はその考えを見透かし、適当にはぐらかす事にした。

「あれだ、あれ。まぁ、人には色々あんだよ。 色々な」

緊張感もクソもない態度の暁夜。 琴里は我慢の限界だと言わんばかりに、

ダン!

と床を靴底で叩いた。半端ないほどにご立腹である。

「おいおい、拉致られた俺が言うことじゃないと思うんだけどさぁー。人様にあれこれ質問するよりも先にアンタらの事や『ラタトスク』について説明しろよ。 それ次第では、答えてやるよ。 琴里ちゃん♪」

そう告げてヘラっと笑う暁夜。立場をわかっていない行動と態度に、《フラクシナス》内の人々は唖然とする。大して、琴里は青筋を立てて、苛立ちのこもる声で告げた。

「ええ、教えてあげるわよ! 耳の穴かっぽじってよーく聞きなさい! 」

「その前に、椅子に座っても構わないか?」

「ええ、いいわよ。神無月。 彼に椅子を持ってきて」

琴里は、金髪に長身の男性、神無月恭平にそう指示する。暫くして、椅子を持ってきた神無月にお礼をし、暁夜は腰を下ろす。それを確認した後、琴里は説明を始めた。

「私達は《ラタトスク》。 精霊を殺さず空間震を解決するために結成された組織よ」

「精霊を殺さず? そんな方法があるなら、こんなにも犠牲は出ていないはずだ」

「ええ、そうね。でも、私達には秘密兵器があるのよ」

「・・・」

暁夜は眉をひそめて考えを巡らせた。精霊を殺さない二つ目の対処法、そんなものを思いつくような馬鹿みたいな組織があるとは想像していなかった。だが、彼女は秘密兵器があると言った。 なら、それを聞くべきだろうと暁夜は考えた。

「・・・で、その秘密兵器ってのはどんな代物なんだ?」

「残念だけど、貴方が思っているような代物じゃないわよ。 ましてや、物ではないかしら」

「物では無い? って言うと、ロボットか?」

「それも違うわ。 正解は--貴方もよく知っている人間よ」

琴里はそう言って、チ○ッパチ○プスの口にくわえていた部分の方を突きつけて、フフンと笑った。 その言葉に、暁夜は瞬時に誰の事かを理解する。それは許されることではない。暁夜に教えることは禁句とされる人物の名前だ。

「まさか--本気なのか? お前は、それで平気なのか? 琴里」

「ええ、平気よ。 それにもう、本人から許可は降りたもの」

そう告げたタイミングで、見計らった様に、背後の扉がスライドする音が聞こえた。そちらに顔を向けると、制服姿の士道が立っていた。暁夜はすぐさま、士道に駆け寄り、胸倉を掴んだ。

「なぁ、士道。 俺の質問に答えろ。琴里(アイツ)が言っている精霊を殺さずに救う秘密兵器ってのはお前の事でいいのか?」

「あ、あぁ」

暁夜の言葉に士道は揺れる瞳をこちらに向け、首を縦に振った。その頷きに対し、暁夜はギリッと下唇を噛み締める。チクッとした痛みが生じ、唇の皮が裂け、血が流れる。ただ、それに気を止める暇はない。それ以上に思考がドス黒い怒りの感情に塗りつぶされていく。

「・・・けるな」

暁夜からボソリと小さな声が漏れた。

「・・・え?」

「・・・ッけるな!! 精霊を救う? なんの力も持たない一般人のお前が? どうやって! また、お前はそうやって精霊を救うのか? 助けるのか?」

暁夜の口から怒りの感情をのせた言葉が滝の如く吐き出されていく。

「・・・あぁ、そうだ。 暁夜が俺を心配してくれるのはありがたいと思ってる。 でも、俺はあの子を助けたいんだ!例え、それで死んだとしても、それよりも助けれなかったことの方が死ぬことより辛い!でも最も辛いのは、お前が・・・親友が!その手で、あの子を殺す事なんだよ!!」

士道は自身の胸倉に伸びている暁夜の腕を掴んで、そう叫んだ。その言葉は、暁夜にとっては重く心にのしかかるものだ。あの時の末路はもう見たくない。それでも、士道は、何があっても精霊を救うと宣言した。

「・・・ッ。 好きにしろ」

暁夜は舌打ちし、椅子に座る。そして、視線だけを琴里に向け、話の続きを促す。

「怒り心頭なところ悪いけど、安心なさい。士道は特別なのよ。そうそう簡単に死んだりしないわ」

「その根拠は?」

鋭い刃のように目を細め睨む。しかし琴里は不敵に笑うと、肩をすくめる仕草をして見せてきた。

「まぁ、理由はそのうち分かるわ。 それよりも士道がどのようにして精霊を救うかの点を説明するわ」

琴里はそう言って一度を間を開ける。

「--精霊との対話よ」

「対話? それならいつも俺がしてる事だが?」

「残念だけど、貴方がやっている対話とは別のやり方よ」

「・・・俺とは違う対話?」

言うと、琴里は小さく笑みを浮かべた。

「それはね」

そして顎に手を置き、

「精霊に--恋をさせるの」

ふふんと得意げに、そう言った。

・・・・・・。

しばしの間のあと。

「・・・・は?」

どんな言葉が返ってくるのかと思えば、お巫山戯も甚だしいクソみたいな内容に暁夜は苛立ちのこもった瞳で琴里を見る。

「それが精霊を殺さずに救う方法って事か?」

「ええ、そうよ。ただ、貴方が思っているように、士道じゃなくてもいいのでは?という考えは否定させてもらうわ。 何故なら、この方法は士道にしかできないことだからよ」

「--話はなんとなく理解したが、なぜ俺をここに呼んだ?」

「決まってるでしょ。 貴方にも私達を手伝って欲しいのよ」

琴里は真剣な眼差しで暁夜を見る。暁夜は椅子から立ち上がって、口を開いた。

「悪いが、お断りだ。 俺は精霊を救わない。誰がなんと言おうと、『精霊』を全員殺す。例え、それで親友(おまえ)やこれまで培ってきたいろんな人達との関係が消えるとしても、俺はやめない。お前も言ってただろ。 助けれなかったら後悔するって。 だから、俺はアイツらを殺す」

悪いな、と最後に士道に謝って、悲しげに微笑んだ。

「そういう訳だから、帰してくれないか? 同居人が待ってるんだ」

「そう、残念。貴方ほどの戦力がいれば、もう少し楽に精霊の力を封印する事ができると思ったのに。 まぁ、いいわ。 神無月、彼をお願い。 後、これ一応、受け取ってもらえる」

琴里は残念そうにそう告げて、インカムを暁夜に渡し、神無月に指示する。暁夜はそのまま神無月に連れられ、部屋を退室して行った。
 

 

無抵抗タイム

五河琴里が司令官を務める戦艦《フラクシナス》から地上へと戻った暁夜は、携帯を取り出して、同居人の折紙に連絡を取るために液晶画面をつけた。 それと同時に、顔が引き攣る。 というのも、いざ、液晶画面を付けれみれば、折紙からの電話が百件。 メールが二百件以上。一瞬、呪いのメールかと思って焦ってしまう。

「やれやれ、これは無抵抗タイム決定かな」

暁夜は苦笑を零して、折紙に電話をかける。数秒ほど、着信メロディが鳴り、やがて--

『もしもし』

と、折紙の声が聞こえてくる。暁夜は一度軽く深呼吸をして、口を開く。

「折紙。 暁夜だけど、今から帰る」

『分かった。後でどこで何をしていたのか、問いただす』

「あぁ、了解だ。 じゃ、また後で」

『ええ、気をつけて。 暁夜』

その言葉を最後に電話は切れ、暁夜は液晶画面を消し、懐にしまい込む。 既に時刻は夕方も終わる頃で闇夜に星が瞬き出すだろう。家へと続く帰りの道を歩きながら、暁夜は、琴里から受け取ったインカムを手の平で弄びながら、大きく欠伸をする。

「・・・精霊を救う、ねぇ」

最後に握りしめた拳の親指の上にインカムを乗せ、上空に弾いた。クルクルと回って、重力によって落ちてくるインカムを再び掴み、

「--馬鹿馬鹿しい」

そう不機嫌に答えて、ポケットに押し込む。 恐らく、否、必ず《ラタトスク》とDEMは敵対する。それは暁夜と士道もだ。大切な存在だとしても精霊を救うというのであれば、それより先に精霊を殺す。士道を精霊に近づけてはならない。かつてのあの末路に再び遭うのは、もう耐えられない。だから、遠ざける。 士道が彼女(・・・)の事を何も覚えていないうちに。

「澪・・・お前だけは、絶対に士道に近づかせない」

胸ポケットから、写真を入れるネックレス(チェーン無し)を取り出し、カパッと開く。 そこには、一枚の集合写真が入っていた。

一人は暁夜。

その前に青髪に童顔の士道。

暁夜と士道によく似た雰囲気を持ち、後頭部で括った髪に利発そうな顔、左目の下の泣き黒子が特徴の少女。

その少女の後ろに、長い髪を風にたなびかせた端正な顔立ちながら、どこか物憂げで陰を帯びた表情の少女。

この写真は、暁夜達家族がまだ離れ離れになる前の、楽しかった最後の一日だ。

「そうえば--真那は元気にしてるかなぁ」

写真に写る、後頭部で括った髪に利発そうな顔、左目の下の泣き黒子が特徴の少女の太陽のような笑顔を見て、暁夜は星が瞬く闇色の空を見て呟いた。

暁夜が目覚めた時、その場には士道も真那も彼女もいなかった。あの時、士道が彼女を連れてきた時に、断ればよかった。嫌われても恨まれてもいいから、彼女を家から追い出していればよかった。後悔ばかりが、暁夜の心を占め、やがてその後悔は醜くドス黒い憎悪に変貌した。

『---』が、いるから--

『精霊』が、いるから--

いつからか、憎悪の対象が『--』という個体から、『精霊』と呼ばれる全体に向けられるようになった。 それがいつなのか今となってはどうでもいい事。結局、遅かれ早かれ暁夜の憎悪は『精霊』に向けられるからだ。そんな事を考えている間に、いつの間にか高級マンションのとある一室の扉前に辿り着いていた。

「・・・辛気臭いのはここまでだな」

暁夜はそう告げ、頭を切り替える。そして、正面に取り付けられた暗証番号を入れる機械に番号を入力する。 4桁の番号を入力し終えると、ピッ、と電子音がなり、扉の開く音が鳴った。ドアノブを回し、中に入ると、スリッパを履き、メイド服を身に纏った同居人の折紙が立っていた。少し怒っているように感じるのは、長く住んでいた事で身につけた賜物だろう。折紙はあまり表情を変えたりしない。無表情率が高い。その為、『ウ○ーリーを探せ』並みに難易度が高い。いや、それ以上かもしれない。

「ただいま、折紙」

「おかえりなさい、暁夜」

「夕飯ってもう出来てる?」

「ええ、とっくに。それよりも暁夜の服から別の女の匂いがする」

暁夜が靴を脱ぎながら尋ねると、メイド服姿の折紙が、スンスン、と鼻を鳴らして言った。ドラマでよく見る浮気疑惑の展開。男からしたら、女の嗅覚どうなってんの!?って度肝を抜かれる場面。 ただ、折紙の場合は確実に当てる。これは、暁夜の経験則だ。何度、仕事関係で異性と食事や会議をしているのがバレた事か。驚きを通り越して、恐ろしい。 その為、暁夜は彼女に対して嘘をついたり、はぐらかしたりはしないようにしている。ただ、多少は端折っているが。

「学校に忘れもん取りに行った帰りに、士道と妹の琴里に会ったんだ。 それで少し話してたら、遅れたって理由(わけ)

「そう。 五河士道の妹なら大丈夫。 でも、私からの電話に気づかないのはおかしい」

折紙は一瞬納得しかけたが、一番の疑問点に気づく。確かに、会話の際中でも、電話やメールに気づくことは出来る。どれだけ熱中に会話した所で、ポケットに入れた携帯が振動又はメロディが鳴れば気づくのが当たり前。 気づかない方が稀だろう。今回は後者だ。 ただ、その理由を言うことは出来ない。恐らくあの船の事や琴里の事、士道の事は極秘情報の筈だ。それに口外していいと許可も出ていない以上、他の人間に教えることは不可能。例え、同居人でも同じだ。

「結構、話が盛り上がってさぁ。 電話に気づかなかったんだ。 今度からは気をつけるから、許してくれ」

両手を合わせて懇願する。対して、折紙は少しだけ表情を緩ませ、

「分かった。 その代わりに、今日は無抵抗タイムを行使する」

「・・・・あぁ、了解」

暁夜は、やっぱりな。という顔で了承する。先程からあがっている『無抵抗タイム』とは、折紙が何をしてきても、暁夜は抵抗しないという時間だ。因みに、r18行為は無しと約束している。 今までに何十回も『無抵抗タイム』が行使された。例えば、添い寝、風呂、時には女装させられ、膝枕させられたり、抱きつかれたり。そんなことをされても、手を出さない暁夜はヘタレと思われるかもしれないが、仕方ない事だ。何故なら、恋愛事にうつつを抜かす暇がないからだ。だから、折紙がどれだけ好意を寄せ、誘ってきても、手を出すことはない。建前はそうだが、本音は、折紙の事を愛している。今すぐにでも恋人関係になりたいと思っている。その為にも、一刻も早く『精霊』全員を始末しなくてはならない。暁夜は再度、そう決意して、折紙と共に夕飯を取ることにする。

今日の夕飯のメニューは、白米と味噌汁、唐揚げだ。普通と思うかもしれないが、唐揚げは暁夜の大好物だ。大抵、唐揚げが夕飯に出る時は、暁夜が『精霊』を撃退した時だ。いわゆる、お祝い料理みたいなものだ。

「「いただきます」」

床に置かれた丸型の木造のテーブルの前に腰を下ろし、合掌し終え、夕飯が始まった。暁夜は、茶碗に沢山盛られた大盛りの白米を唐揚げと共に頬張る。その向かいで、折紙は、こちらを凝視しながら、白米を口に入れていく。ふと、折紙の箸が唐揚げに伸び、暁夜に突き出される。

「どうしたんだ? 折紙」

「・・・あーん」

「・・・あ、あーん」

折紙のやろうとしている事に気づき、それに応えるように口を開くと、唐揚げが口の中へと運ばれる。よくある彼女が彼氏に食べさせるあの恥ずかしシチュエーション。 実際にやるととんでもないほどの恥ずかしさが心を襲う。暁夜は仕返しと言わんばかりに、唐揚げを折紙に突き出すと、

「・・・手で、食べさせて」

とんでもない頼みをしてきた。箸で食べさせることよりも難易度が倍増している気がしてならない。ただ、『無抵抗タイム』実行中の暁夜に拒否権はない。

「はぁ、分かった。ほら、あーん」

箸を置き、手で唐揚げをひとつ摘んで、突き出す。 と、

「あーん」

折紙は唐揚げと共に暁夜の指をパクッと咥えた。 そして、暁夜の指に舌を這わせてくる。ペろ。 ぺろぺろ。 ぺろぺろぺろ。 じゅるじゅる。 ぴちゃぴちゃ。 ずずっ。

「あ、あのー、オリガミサン? 確かに、『無抵抗タイム』ではあるんだけど、さすがにやり過ぎでは?」

顔を微かに引き攣らせながら声を出すと、数秒以上舐め続け満足したらしい折紙は指から口を離した。暁夜の指と折紙の唇を繋ぐように、きらきらと光る唾液の線が伸びる。・・・なんとも言えない淫靡な光景。 思わず、ゴクリと唾を飲み込む。

「ごちそうさま」

と、折紙が口元を拭ってから手を合わせ、空になった茶碗と味噌汁のお椀を手に、洗面台に向かった。

「これから風呂に入る。暁夜も食べ終わったら、来て」

洗面台に茶碗やお椀を置き、メイド服を脱ぎながら、折紙がそう告げる。暁夜は、小さなため息と共に『分かった』と、返事をしてゆっくりと食事を取る。折紙が出る頃に食べ終わるように調整する。シャワーの音が響く。

家に取り付けられているテレビでは、バラエティ番組が放送されている。よく分からないおそらく知名度もそこまでないお笑いコンビの面白くないコントに目を通しながら、味噌汁を啜る。暫くして、風呂場の扉を開ける音がし、ペタペタと床を歩く音が部屋中に響き渡る。徐々に足音が近づいてくる。 やがて、その足音の主がリビングに現れた。

「どうして、来なかったの?」

裸身にバスタオルを巻き付けただけの姿で折紙が尋ねてきた。しかも全身に水分を帯びていたためか、タオル地がしっとりと張り付き、身体のラインを浮かび上がらせている。なんとも蠱惑的な美しさが漂っていた。

「・・・ちょうど、食べ終わったんだ」

何でもないように答え、暁夜は食器を洗面台に置く。そして、伸びをした後、脱衣所に向かう。扉を開け、鍵を締める。制服と下着を脱ぎ、風呂場に向かう。

ガチャ、

と扉を開け、中に入ると、むわっとした熱気が全身に吹きつけられる。思春期真っ只中の男子高校生であれば、美少女の後に入る事は緊張というより、どこか興奮するようなシチュエーションだろう。 残り湯でも飲もうか。美少女の匂いが立ち込める風呂場は最高だとか。そんな変態思考の残念男子ではない暁夜は気にすることもなく、湯に浸かる。微かに冷えきった身体の芯に熱が入り、温かくなったことで眠くなっていく。天井を見上げ、湯に浸かること数分。 湯から出て、身体と頭を洗い、風呂場を出て、脱衣所で、下着を履き寝間着を身につける。そして、歯磨きをし、脱衣所を出る。

リビングに戻ると、バスタオル姿からパジャマに着替えた折紙がいた。薄い水玉柄のワンピース型パジャマ。 暁夜以外の男性が見たら、ドキリとしてしまうほどの可愛さと美しさ。 バランスの整った貌はアイドルよりも可愛い。 これで笑顔を浮かべてくれたら、どの男子でもイチコロだろう。

「もう寝る?」

折紙が小首を傾げる。暁夜は蛇口を捻り、コップに水を入れながら、首肯する。グイッと一気に飲み干し、洗面台に置き、折紙と共に寝室に向かう。

幾つかある部屋のうち、奥の方にある六畳ぐらいのスペース。 そこが、折紙と暁夜の寝室だ。中央にダブルベッドが置かれ、その隣に洋服棚が二つ置かれている。いつも寝る位置は決まっており、左を折紙、右が暁夜。 背中合わせで寝るようにしているのだが、『無抵抗タイム』の時は、折紙が暁夜の背中に密着して寝る事に決まっている。二つの柔らかいアレがむにゅうと暁夜の背中で潰れる為、ヘタレ童貞ならお顔真っ赤になるだろう。 それに比べて、暁夜は慣れすぎたことで平然とした態度で寝ることに専念できる。

「明日も早いから寝るぞ、折紙」

「分かった」

電気を消し、布団に二人して潜り込み、先程挙げた通りに折紙に抱きつかれるような態勢のまま、暁夜は瞼を閉じた。



数時間前の《フラクシナス》。 五河琴里は、チ○ッパチ○プスを咥えながら、不機嫌そうに椅子の肘掛を指でトントンと叩く。彼女がここまで怒っているのは、先程までここに居た我が兄の知り合いのせいだ。あの見透かしたような、人を小馬鹿にしたような話し方と態度に苛立ちを覚えるなと言う方がどうかしている。あんな態度を取られれば誰だって怒り心頭だ。ただ、それ以外にも琴里が苛立っている理由がある。それは、崇宮暁夜が帰った後、彼の事について尽力を注いで情報を詮索したはいいものの、極一般的な個人情報しか載っておらず、琴里達が欲しい情報はひとつも見つからなかった。

「あぁ、もう! どうして、暁夜の情報が見つかんないのよ! なんなの、あの剣は! どうして、CRユニット無しで精霊と戦えるのよ!」

苛立ちが限界を突破した琴里は、変態金髪男、神無月に手招きする。

「どうしましたか? 司令」

「いいから、しゃがみなさい」

「はっ!」

琴里に指示されたとおり、神無月はしゃがむ。 それを確認した琴里は、神無月の目にチ○ッパチ○プスの棒を発射した。グサッと、失明しかねないほどの勢いで飛んだ棒が目に刺さり、神無月は悶える。頬を赤らめて。彼のことを知らない人が見たら、警察に通報するレベルだろう。

「はぁ。 本当に彼は何者なのよ」

神無月が目に刺さったチ○ッパチ○プスの棒を大事に保管するのを視界の端に捉えながら、モニターに映る『崇宮暁夜』の個人情報データを見て、そう呟いた。
 

 

再び


精霊と一戦を交え、五河琴里が司令官を務める《フラクシナス》での誘いを断った翌日の朝。暁夜と折紙は、来禅高校の自分達の教室にいた。時間的に今は生徒達の登校時間。 何故こんなにも早く学校にいるのか?という疑問に対して答えるとすれば、何となくだ。 別に補修でも呼び出しでもなくただ単に何となく早く来ただけ。たまたま、早く起きて、たまたま登校したのが早かっただけ。 要するに偶然が何度も重なった結果だ。

「・・・ふあぁ、ねむ」

椅子にもたれかかり、机に足を乗せた状態で大きく欠伸をする暁夜。 その隣では折紙が、パシャパシャとカメラのシャッター音を鳴らしている。傍から見たら、こいつら何してんだ?と思われるかもしれないが、暁夜と折紙にとってはこれが普通だ。写真を撮られる側も撮る側もごく普通の日常の一コマとして、この写真撮影を含めている。 逆に問うが、毎日ジムで体を鍛えている人に、なぜ毎日鍛えるの?なんて聞くのはおかしいだろう。 それと一緒で、折紙が暁夜をカメラで撮ろうが、それが日課であれば、ごく普通の日課なのだ。

「そうえば、今日の昼はどこで食べる? 折紙」

「暁夜に任せる。私はアナタの行きたいところにただついて行くだけ。だから、アナタが私を襲いたいなら、襲えばいい。 むしろ、襲って」

「・・・じゃ、昼は屋上って事で。さてと、授業始まるまでまだ時間あるし、寝るかな」

何も聞こえていなかったようにそう返事をして、瞼を閉じる暁夜。 昨日は疲れていたということもあり、すぐに眠気が襲ってきた。あと少しで完全に眠れるという所で、むにゅうと、顔に柔らかい何かが押し付けられた。暁夜は小さな溜息を漏らし、

「何してんだ? 折紙」

柔らかい何かもといそこそこある胸を暁夜の顔に押し付けている折紙に呆れた口調で尋ねる。 それに対し、

「その体勢だと身体を痛める。だから、私の胸を枕に使うか、私の膝枕で眠るといい。 特に膝枕がオススメ。 ひんやりしてて気持ちがいい」

折紙は、自身の椅子を少し後ろにずらし、自身の太ももを叩く。

「じゃあ、遠慮なく」

暁夜は椅子から起き上がり、折紙の膝に頭を乗せる。 体勢的には、折紙の胸を真下から眺める形だ。なんというか、眼福な光景だ。これが膝枕の眺めなのか、と思うと恋人関係もいいもんだと感じた。

「じゃ、HR始まる前には起こしてくれ」

「ええ、分かった」

「おやすみ、折紙」

「おやすみ、暁夜」

暁夜はその言葉を最後に瞼を閉じた。それを確認した折紙は優しい手つきで、色素の微かに抜けた青髪を撫でる。口元に小さな笑みを作って。


HRが終わり、午前の授業後。 大半の生徒達は中庭や教室等で、仲良し同士で昼食をとっている頃だろう。暁夜と折紙は中庭や教室ではなく、屋上で昼食タイムに耽っていた。

今日の昼食のメニューは、折紙お手製の愛情たっぷりの弁当だ。敷き詰められた白米の上に、ふりかけでハートが描かれている。 おかずは、昨日の唐揚げと厚焼き玉子。サラダと少量のパスタ。それと、温めたまま持参できる味噌汁の入った水筒に、ペットボトルのお茶。

「もぐもぐ」

白米を口にかきこむ暁夜。 その向かいに座って、上品にお弁当のおかずを食べる折紙。 二人の関係を知らない者からすれば、イケメン美女のカップルに見られるだろう。だが、付き合っているわけではない。それもあり、周囲からは羨ましがられたり妬まれたりするが、虐めやハブられるといった陰湿な愚行にあったことは無い。

「そうえば、一限終わった頃に士道連れてどこ行ってたんだ?」

「・・・嫉妬?」

「ではなくて、ただ純粋に何してたか聞きたいだけだ」

ジト目を折紙に向けて言う。

「そういうことにしておく。五河士道には、昨日の事を誰にも話してないかを確認しただけ」

「・・・さいですか。 で? 士道の答えは?」

「・・・言っていないと、答えた」

「あ、そう」

暁夜は予想していた通りの答えに素っ気なく答え、弁当の白米とおかずを平らげる。そして、カチャカチャと弁当箱を片付ける。

(話したんだろうな。 あの船で)

《フラクシナス》と五河琴里の事を知らない折紙には分からないことだが、暁夜には分かる。恐らく、士道が言わなくても、琴里が彼に教えているだろう。『AST』の事も『精霊』の事も一般人は知らない極秘情報を。

「んじゃ、教室戻るか、折紙」

「ええ、分かった」

折紙は空の弁当箱を片付け、風呂敷で包み終える。 そして、風呂敷を手に、暁夜と共に屋上を出た。

教室へと向かう際中、窓の空いた教室で昼食を摂る女生徒達や、トイレ帰りの女生徒、廊下で談笑する男子生徒達から、各々好意や妬みの視線を、暁夜と折紙に向ける。

(うへぇ。 俺、こういう妬みや好意の視線って嫌いなんだよなぁ)

当の本人は、うんざりした表情で歩くスピードをあげる。 やがて、二年四組の教室に辿り着き、扉を開ける。中に入ると、士道と殿町が昼食を摂っているのを視界に捉えた。暁夜は軽く手を振り、自身の椅子に腰を下ろす。そして、五限目の準備をし、懐から携帯を取り出し、弄り始める。

「ふーん、なるほどねぇ」

ネットニュースを流し読みしながら、時折、相槌を打ちながら、操作する。ピタリと、とある記事の部分で指が止まった。

その記事は何ら変哲もないただの事故現場の写真が載ったものだ。 ただ、その写真の奥側に見覚えのある少女の後ろ姿が写っていたのだ。

後頭部で括った青髪の少女、崇宮真那の後ろ姿が。

「・・・生きてたのか」

ホッと安堵し、小さく言葉を漏らす。まだ真那かはわからないが、生きているかもしれないと思えたら、心に突っかかっていた何かが消えた感覚になれた。暁夜はすぐに、携帯を操作し、とある人物に電話をかける。着信メロディが暫くなり、

『どうしたんだい?君から電話をかけてくるなんて珍しいじゃないか。暁夜』

若い男の声が電話越しから聞こえてきた。

「あぁ、久しぶり。 いきなりで悪いがちょっとお願いしたいことがあってな」

『お願い? あぁ、構わないとも。 君にはよく助けられているからね。 聞いたよ、また精霊を撃退したんだってね?』

「悪いが、その話はまた今度。 後でメールに添付しておくから、早めに頼むぞ。 アイク」

『任せたまえ。 我が友よ』

その言葉を最後に、通話が切れる。それを確認した後、メールを開き、先程見た事故現場の画像を添付し、電話相手の携帯に送信する。送信中のマークが消え、メールを閉じ、液晶画面を消した携帯をポケットにしまい込む。そのタイミングで、五限目の担当教師が教室に入ってくる。今日の五限目は物理だ。

無造作に纏められた髪に、分厚い隈に飾られた目、あとは白衣の胸ポケットに傷だらけのクマの縫いぐるみを入れた姿の女性、村雨令音。 今日から二年四組の副担及び物理担当になった新しい女教師だ。だが、本当の彼女は、五河琴里と同じく《ラタトスク》のメンバーである。それを知る暁夜と士道は、HR(ホームルーム)時に思わず大声を出しかけたものだ。

「・・・初めてで何かと迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼む。とりあえず、教科書を開いてくれ」

令音は眠たそうなぼうっーとした声で、教科書を開くよう指示する。

(・・・あの人、大丈夫なのか?)

呆れた表情で、暁夜はそう告げた。



放課後。 村雨令音の初授業はグダグダな感じで終わりを迎えた。 もちろん、六時間目のタマちゃん先生の授業も大して変わらなかった。暁夜はクラスメイトや他クラスの生徒達が談笑しながら帰路につく光景を退屈そうに眺めていた。ぞろぞろと生徒達がいなくなっていき、二年四組の教室に残ったのは、暁夜と折紙だけとなった。 士道は先生に呼ばれて、少し前に教室を出ている。

「あー、折紙」

「なに?」

隣の席に座る折紙が首を傾げる。

「ちょっと悪いんだけど、先に帰っててくれるか?」

「・・・また女?」

「違ぇよ!? てか、またってなんだよ! またって!!」

「昨日は五河士道の妹と会っていた。その前は日下部隊長と。その前の前も他のAST隊員と。その前の前の前も--」

「うん! 悪かった! ちゃんと説明するから、やめてくれる? それ以上、そんなドス黒い怖いオーラ出さないでくれますぅ!?」

折紙の口から呪詛のように垂れ流されていく暁夜の女事情(いかがわしい意味ではない)。その度に、折紙の背後からドス黒いオーラが大きくなり、瞳から光が消えていく。暁夜は悲鳴にも似た声でヤンデレ化していく折紙をおしとどめる。少しだけ、アニメでよく見るハーレム系主人公の気持ちが理解出来た。

「話して」

「さっき、物理の授業があっただろ? その授業のプリントを提出しに行くだけだ」

「そう。 でも、なぜ最初からそう言わなかったの? 隠すようなことではないはず」

「・・・いや、その」

視線をさまよわせながら、折紙の鋭い質問への適切な答えを導き出すために思考をフル回転させて考える。と言っても、答えが出ることはない。 どれだけ考えたところで答えなんてものは導き出されない。例え、嘘をついた所で折紙にはすぐにバレる。逆に真実を伝えれば、《ラタトスク》や士道の秘密がバレてしまう。どうすれば、と答えあぐねていると、ガララッと扉が開き、士道を呼んだはずの令音が教室に入ってきた。

「・・・おや? 確か、君は・・・さんたろう、だったかな?」

「暁夜です。 『さ』しかあってませんよ、村雨先生」

令音の勘違いを適切に訂正しながら、暁夜は溜息をつく。

「・・・君を探していたんだ、暁夜」

「俺を・・・ですか?」

「あぁ、そうだ。 すまないが、彼を借りていってもいいかな? えーと・・・」

「鳶一折紙。 私の名前。 先生の呼び出しなら構わない」

折紙は少し渋々と言った感じで答えて、鞄を手に教室を出ていった。 とりあえず助けてもらえた暁夜は軽くお礼だけしておき、本題に入ることにする。

「それで? 俺に用ってのは?」

「その話は後でしよう。 とりあえず、ついてきたまえ」

「もし、断ったら?」

「・・・そうだねえ。 君の黒歴史ノートをこの学園の生徒の下駄箱に入れるというのはどうかな?」

令音は少し考えた後、そう提案する。それに対し、暁夜は鼻でフッと笑い、

「残念だが、俺に黒歴史ノートは存在しない! ましてや、誰かに見せて恥ずかしいものなんて俺にはない!」

「ふむ。 では、先程の・・・折紙と言ったかな? あの娘に、君が浮気をしていたと伝えておこうか?」

「--それだけは勘弁してください! 先程は調子に乗って申し訳ありませんでしたっ!!」

挑発じみた態度から一変、見事なまでの土下座を恥ずかしげもなく披露する暁夜。 ましてや、教室で先生に対して。 他の生徒や教師が見たら、ドン引きだ。

「では、行こうか」

「わかりました」

令音は暁夜の土下座を気にすることもなく、というか何も無かったかのように華麗にスルーを決め込む。 暁夜はのたのたと歩いていく令音のペースに合わせながら、黙って歩き続ける。 やがて、東校舎四階、物理準備室の前に辿り着く。

「さ、入りたまえ」

「あ、えーと、はい」

令音に促され、暁夜はスライド式のドアを滑らせた。 そしてすぐに眉根を寄せて目をこする。

「・・・は?」

思わず間抜けな声を零す。 しかし、それは無理もない。 何故なら--物理準備室とは掛け離れた構造をした部屋だったからだ。

コンピュータにディスプレイ、その他見たこともない様々な機械で部屋中が埋め尽くされていた。さらに驚くことにその中心に、負のオーラを漂わせた見慣れた青年の背中と、殿町がやっているようなギャルゲー?と呼ばれる恋愛シミュレーションゲームの画面があった。

「なぁ、あいつ何してんの?」

「ん? あぁ、彼は今、訓練中さ」

少し引き気味の声音と表情で、令音に尋ねると、そんなアホくさい答えが返ってきた。ふと、視界をずらすと、チ○ッパチ○プスを咥える琴里を見つける。と、琴里もこちらに気づき、咥えていたチ○ッパチ○プスを手に、口を開く。

「遅かったわね、崇宮暁夜」

「前も言ったが、お前らを手伝う気は無いからな」

「ええ、それは分かっているわ」

琴里は足を組み替えて、不敵に笑う。

「なら、なんで俺を連れてきた? 理由があってのことなんだろう?」

「それはもちろんよ。 ただ、あなたには私達がどのようにして『精霊』の力を封印するのか見ててほしいのよ。 それで、もし、『精霊』の力を封印できたら、私達を手伝ってくれるかしら?」

「はぁ。 結局、勧誘じゃねえか。 無理なもんは無理なんだよ、バーカ。夢物語は寝て言え。ガキ一人でどうにかなるもんじゃねえ事ぐらい、士道(あいつ)でも知ってるはずだ。現実はアニメや漫画みたいに上手くいかねえんだ」

暁夜はそう吐き捨てる。

ヒーローは誰だってなれるわけじゃない。

これは当たり前。

人は魔法や超能力なんて使えない。

これも当たり前。

結局、この世はそうやって出来ている。確かに魔術師がいるのは知っている。だからって、空を飛ぶ事や瞬間移動する事が当たり前にできるとは限らない。人には向き不向きがあり、限界がある。 『精霊』を救うか、殺すか、一か八かの対話より討滅の方が成功率は高い。力を持たぬ者が、身に余る選択を取るのは無駄死にと変わらない。

「だから大丈夫って言ってるじゃない。 士道は特別だって」

「特別? 特別なら人間一人、犠牲にしてもいいと? お前には人の心がないのか?妹が、兄を危険な目に? お前、それを家族って呼べるのか? そんなもの家族なんて言わない。 お前がそうだと思っても俺は否定する。家族ってもんは、金や地位よりも大切で、一度失ったら二度と戻らない絆で繋がった存在の事を言うんだ。 決して、お前が思うような大切な人を危険な目に合わせる関係を『家族』だとは言わせない」

暁夜は鋭い目つきで琴里を睨み告げる。誰よりも『家族』を失う辛さと痛み、後悔を知る彼だからこそ言える事。なぜ、弟が生きているのかは分からない。だけど、今、彼がまた新たな人生を歩んでいる。五河士道と名乗り、とても楽しそうに『--』のいない人生を謳歌している。その第二の人生をまた精霊に奪われることは耐えられない。だから、少しでも士道を精霊に関わらせないように、やってきた。だが、そんな暁夜の行為も無駄に終わってしまう。それだけは防がなければならない。

「あなたには関係ないことでしょ。それに、そういうあなたも身勝手だとは思わないの?」

「は?」

「あなたが士道を危険な目にあわせたくないのは分かる。 けど、『プリンセス(彼女)』を助けたいと言ったのは士道本人よ。私じゃないわ」

「--っ! そんなわけ--」

ウゥゥゥゥゥゥゥーーー

琴里の言葉を否定しようと暁夜が口を開いた瞬間、空間震警報が鳴り響いた。今の所、この学園には生徒は暁夜と琴里、士道のみ。教師の大半は既におらず、残っていたとしても今ここにいる令音ぐらいだろう。

「--ちっ。 こんな時に」

暁夜は苛立たしげに舌打ちして、物理準備室を出て、屋上の壁に取り付けられた機器を操作する。 すると、箱型の機器がガパッと開き、そこから折り畳まれた白塗りの片手剣《アロンダイト》が現れる。それの柄を掴み、勢いよく振るった。

ブゥン!

と風を薙ぐような音がなり、折り畳まれていた《アロンダイト》が変形する。それを手に、箱型の機器から小型の特殊な端末を取り出し、腰に装着する。そして、通信機を耳につけ、屋上に出る。

「こちら、暁夜。 オペレーター、座標データ頼む」

『こちら、オペレーターの藍鳴です。『プリンセス』の座標データを送ります』

数秒後、腰に取り付けられた特殊な端末に座標データがインプットされ、それを操作しながら、

「これより、討滅を開始する」

『お気をつけて、暁夜さん』

その言葉を最後に通信を切り、暁夜はとある教室へと屋上から飛び降りた。
 

 

再び


精霊と一戦を交え、五河琴里が司令官を務める《フラクシナス》での誘いを断った翌日の朝。暁夜と折紙は、来禅高校の自分達の教室にいた。時間的に今は生徒達の登校時間。 何故こんなにも早く学校にいるのか?という疑問に対して答えるとすれば、何となくだ。 別に補修でも呼び出しでもなくただ単に何となく早く来ただけ。たまたま、早く起きて、たまたま登校したのが早かっただけ。 要するに偶然が何度も重なった結果だ。

「・・・ふあぁ、ねむ」

椅子にもたれかかり、机に足を乗せた状態で大きく欠伸をする暁夜。 その隣では折紙が、パシャパシャとカメラのシャッター音を鳴らしている。傍から見たら、こいつら何してんだ?と思われるかもしれないが、暁夜と折紙にとってはこれが普通だ。写真を撮られる側も撮る側もごく普通の日常の一コマとして、この写真撮影を含めている。 逆に問うが、毎日ジムで体を鍛えている人に、なぜ毎日鍛えるの?なんて聞くのはおかしいだろう。 それと一緒で、折紙が暁夜をカメラで撮ろうが、それが日課であれば、ごく普通の日課なのだ。

「そうえば、今日の昼はどこで食べる? 折紙」

「暁夜に任せる。私はアナタの行きたいところにただついて行くだけ。だから、アナタが私を襲いたいなら、襲えばいい。 むしろ、襲って」

「・・・じゃ、昼は屋上って事で。さてと、授業始まるまでまだ時間あるし、寝るかな」

何も聞こえていなかったようにそう返事をして、瞼を閉じる暁夜。 昨日は疲れていたということもあり、すぐに眠気が襲ってきた。あと少しで完全に眠れるという所で、むにゅうと、顔に柔らかい何かが押し付けられた。暁夜は小さな溜息を漏らし、

「何してんだ? 折紙」

柔らかい何かもといそこそこある胸を暁夜の顔に押し付けている折紙に呆れた口調で尋ねる。 それに対し、

「その体勢だと身体を痛める。だから、私の胸を枕に使うか、私の膝枕で眠るといい。 特に膝枕がオススメ。 ひんやりしてて気持ちがいい」

折紙は、自身の椅子を少し後ろにずらし、自身の太ももを叩く。

「じゃあ、遠慮なく」

暁夜は椅子から起き上がり、折紙の膝に頭を乗せる。 体勢的には、折紙の胸を真下から眺める形だ。なんというか、眼福な光景だ。これが膝枕の眺めなのか、と思うと恋人関係もいいもんだと感じた。

「じゃ、HR始まる前には起こしてくれ」

「ええ、分かった」

「おやすみ、折紙」

「おやすみ、暁夜」

暁夜はその言葉を最後に瞼を閉じた。それを確認した折紙は優しい手つきで、色素の微かに抜けた青髪を撫でる。口元に小さな笑みを作って。


HRが終わり、午前の授業後。 大半の生徒達は中庭や教室等で、仲良し同士で昼食をとっている頃だろう。暁夜と折紙は中庭や教室ではなく、屋上で昼食タイムに耽っていた。

今日の昼食のメニューは、折紙お手製の愛情たっぷりの弁当だ。敷き詰められた白米の上に、ふりかけでハートが描かれている。 おかずは、昨日の唐揚げと厚焼き玉子。サラダと少量のパスタ。それと、温めたまま持参できる味噌汁の入った水筒に、ペットボトルのお茶。

「もぐもぐ」

白米を口にかきこむ暁夜。 その向かいに座って、上品にお弁当のおかずを食べる折紙。 二人の関係を知らない者からすれば、イケメン美女のカップルに見られるだろう。だが、付き合っているわけではない。それもあり、周囲からは羨ましがられたり妬まれたりするが、虐めやハブられるといった陰湿な愚行にあったことは無い。

「そうえば、一限終わった頃に士道連れてどこ行ってたんだ?」

「・・・嫉妬?」

「ではなくて、ただ純粋に何してたか聞きたいだけだ」

ジト目を折紙に向けて言う。

「そういうことにしておく。五河士道には、昨日の事を誰にも話してないかを確認しただけ」

「・・・さいですか。 で? 士道の答えは?」

「・・・言っていないと、答えた」

「あ、そう」

暁夜は予想していた通りの答えに素っ気なく答え、弁当の白米とおかずを平らげる。そして、カチャカチャと弁当箱を片付ける。

(話したんだろうな。 あの船で)

《フラクシナス》と五河琴里の事を知らない折紙には分からないことだが、暁夜には分かる。恐らく、士道が言わなくても、琴里が彼に教えているだろう。『AST』の事も『精霊』の事も一般人は知らない極秘情報を。

「んじゃ、教室戻るか、折紙」

「ええ、分かった」

折紙は空の弁当箱を片付け、風呂敷で包み終える。 そして、風呂敷を手に、暁夜と共に屋上を出た。

教室へと向かう際中、窓の空いた教室で昼食を摂る女生徒達や、トイレ帰りの女生徒、廊下で談笑する男子生徒達から、各々好意や妬みの視線を、暁夜と折紙に向ける。

(うへぇ。 俺、こういう妬みや好意の視線って嫌いなんだよなぁ)

当の本人は、うんざりした表情で歩くスピードをあげる。 やがて、二年四組の教室に辿り着き、扉を開ける。中に入ると、士道と殿町が昼食を摂っているのを視界に捉えた。暁夜は軽く手を振り、自身の椅子に腰を下ろす。そして、五限目の準備をし、懐から携帯を取り出し、弄り始める。

「ふーん、なるほどねぇ」

ネットニュースを流し読みしながら、時折、相槌を打ちながら、操作する。ピタリと、とある記事の部分で指が止まった。

その記事は何ら変哲もないただの事故現場の写真が載ったものだ。 ただ、その写真の奥側に見覚えのある少女の後ろ姿が写っていたのだ。

後頭部で括った青髪の少女、崇宮真那の後ろ姿が。

「・・・生きてたのか」

ホッと安堵し、小さく言葉を漏らす。まだ真那かはわからないが、生きているかもしれないと思えたら、心に突っかかっていた何かが消えた感覚になれた。暁夜はすぐに、携帯を操作し、とある人物に電話をかける。着信メロディが暫くなり、

『どうしたんだい?君から電話をかけてくるなんて珍しいじゃないか。暁夜』

若い男の声が電話越しから聞こえてきた。

「あぁ、久しぶり。 いきなりで悪いがちょっとお願いしたいことがあってな」

『お願い? あぁ、構わないとも。 君にはよく助けられているからね。 聞いたよ、また精霊を撃退したんだってね?』

「悪いが、その話はまた今度。 後でメールに添付しておくから、早めに頼むぞ。 アイク」

『任せたまえ。 我が友よ』

その言葉を最後に、通話が切れる。それを確認した後、メールを開き、先程見た事故現場の画像を添付し、電話相手の携帯に送信する。送信中のマークが消え、メールを閉じ、液晶画面を消した携帯をポケットにしまい込む。そのタイミングで、五限目の担当教師が教室に入ってくる。今日の五限目は物理だ。

無造作に纏められた髪に、分厚い隈に飾られた目、あとは白衣の胸ポケットに傷だらけのクマの縫いぐるみを入れた姿の女性、村雨令音。 今日から二年四組の副担及び物理担当になった新しい女教師だ。だが、本当の彼女は、五河琴里と同じく《ラタトスク》のメンバーである。それを知る暁夜と士道は、HR(ホームルーム)時に思わず大声を出しかけたものだ。

「・・・初めてで何かと迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼む。とりあえず、教科書を開いてくれ」

令音は眠たそうなぼうっーとした声で、教科書を開くよう指示する。

(・・・あの人、大丈夫なのか?)

呆れた表情で、暁夜はそう告げた。



放課後。 村雨令音の初授業はグダグダな感じで終わりを迎えた。 もちろん、六時間目のタマちゃん先生の授業も大して変わらなかった。暁夜はクラスメイトや他クラスの生徒達が談笑しながら帰路につく光景を退屈そうに眺めていた。ぞろぞろと生徒達がいなくなっていき、二年四組の教室に残ったのは、暁夜と折紙だけとなった。 士道は先生に呼ばれて、少し前に教室を出ている。

「あー、折紙」

「なに?」

隣の席に座る折紙が首を傾げる。

「ちょっと悪いんだけど、先に帰っててくれるか?」

「・・・また女?」

「違ぇよ!? てか、またってなんだよ! またって!!」

「昨日は五河士道の妹と会っていた。その前は日下部隊長と。その前の前も他のAST隊員と。その前の前の前も--」

「うん! 悪かった! ちゃんと説明するから、やめてくれる? それ以上、そんなドス黒い怖いオーラ出さないでくれますぅ!?」

折紙の口から呪詛のように垂れ流されていく暁夜の女事情(いかがわしい意味ではない)。その度に、折紙の背後からドス黒いオーラが大きくなり、瞳から光が消えていく。暁夜は悲鳴にも似た声でヤンデレ化していく折紙をおしとどめる。少しだけ、アニメでよく見るハーレム系主人公の気持ちが理解出来た。

「話して」

「さっき、物理の授業があっただろ? その授業のプリントを提出しに行くだけだ」

「そう。 でも、なぜ最初からそう言わなかったの? 隠すようなことではないはず」

「・・・いや、その」

視線をさまよわせながら、折紙の鋭い質問への適切な答えを導き出すために思考をフル回転させて考える。と言っても、答えが出ることはない。 どれだけ考えたところで答えなんてものは導き出されない。例え、嘘をついた所で折紙にはすぐにバレる。逆に真実を伝えれば、《ラタトスク》や士道の秘密がバレてしまう。どうすれば、と答えあぐねていると、ガララッと扉が開き、士道を呼んだはずの令音が教室に入ってきた。

「・・・おや? 確か、君は・・・さんたろう、だったかな?」

「暁夜です。 『さ』しかあってませんよ、村雨先生」

令音の勘違いを適切に訂正しながら、暁夜は溜息をつく。

「・・・君を探していたんだ、暁夜」

「俺を・・・ですか?」

「あぁ、そうだ。 すまないが、彼を借りていってもいいかな? えーと・・・」

「鳶一折紙。 私の名前。 先生の呼び出しなら構わない」

折紙は少し渋々と言った感じで答えて、鞄を手に教室を出ていった。 とりあえず助けてもらえた暁夜は軽くお礼だけしておき、本題に入ることにする。

「それで? 俺に用ってのは?」

「その話は後でしよう。 とりあえず、ついてきたまえ」

「もし、断ったら?」

「・・・そうだねえ。 君の黒歴史ノートをこの学園の生徒の下駄箱に入れるというのはどうかな?」

令音は少し考えた後、そう提案する。それに対し、暁夜は鼻でフッと笑い、

「残念だが、俺に黒歴史ノートは存在しない! ましてや、誰かに見せて恥ずかしいものなんて俺にはない!」

「ふむ。 では、先程の・・・折紙と言ったかな? あの娘に、君が浮気をしていたと伝えておこうか?」

「--それだけは勘弁してください! 先程は調子に乗って申し訳ありませんでしたっ!!」

挑発じみた態度から一変、見事なまでの土下座を恥ずかしげもなく披露する暁夜。 ましてや、教室で先生に対して。 他の生徒や教師が見たら、ドン引きだ。

「では、行こうか」

「わかりました」

令音は暁夜の土下座を気にすることもなく、というか何も無かったかのように華麗にスルーを決め込む。 暁夜はのたのたと歩いていく令音のペースに合わせながら、黙って歩き続ける。 やがて、東校舎四階、物理準備室の前に辿り着く。

「さ、入りたまえ」

「あ、えーと、はい」

令音に促され、暁夜はスライド式のドアを滑らせた。 そしてすぐに眉根を寄せて目をこする。

「・・・は?」

思わず間抜けな声を零す。 しかし、それは無理もない。 何故なら--物理準備室とは掛け離れた構造をした部屋だったからだ。

コンピュータにディスプレイ、その他見たこともない様々な機械で部屋中が埋め尽くされていた。さらに驚くことにその中心に、負のオーラを漂わせた見慣れた青年の背中と、殿町がやっているようなギャルゲー?と呼ばれる恋愛シミュレーションゲームの画面があった。

「なぁ、あいつ何してんの?」

「ん? あぁ、彼は今、訓練中さ」

少し引き気味の声音と表情で、令音に尋ねると、そんなアホくさい答えが返ってきた。ふと、視界をずらすと、チ○ッパチ○プスを咥える琴里を見つける。と、琴里もこちらに気づき、咥えていたチ○ッパチ○プスを手に、口を開く。

「遅かったわね、崇宮暁夜」

「前も言ったが、お前らを手伝う気は無いからな」

「ええ、それは分かっているわ」

琴里は足を組み替えて、不敵に笑う。

「なら、なんで俺を連れてきた? 理由があってのことなんだろう?」

「それはもちろんよ。 ただ、あなたには私達がどのようにして『精霊』の力を封印するのか見ててほしいのよ。 それで、もし、『精霊』の力を封印できたら、私達を手伝ってくれるかしら?」

「はぁ。 結局、勧誘じゃねえか。 無理なもんは無理なんだよ、バーカ。夢物語は寝て言え。ガキ一人でどうにかなるもんじゃねえ事ぐらい、士道(あいつ)でも知ってるはずだ。現実はアニメや漫画みたいに上手くいかねえんだ」

暁夜はそう吐き捨てる。

ヒーローは誰だってなれるわけじゃない。

これは当たり前。

人は魔法や超能力なんて使えない。

これも当たり前。

結局、この世はそうやって出来ている。確かに魔術師がいるのは知っている。だからって、空を飛ぶ事や瞬間移動する事が当たり前にできるとは限らない。人には向き不向きがあり、限界がある。 『精霊』を救うか、殺すか、一か八かの対話より討滅の方が成功率は高い。力を持たぬ者が、身に余る選択を取るのは無駄死にと変わらない。

「だから大丈夫って言ってるじゃない。 士道は特別だって」

「特別? 特別なら人間一人、犠牲にしてもいいと? お前には人の心がないのか?妹が、兄を危険な目に? お前、それを家族って呼べるのか? そんなもの家族なんて言わない。 お前がそうだと思っても俺は否定する。家族ってもんは、金や地位よりも大切で、一度失ったら二度と戻らない絆で繋がった存在の事を言うんだ。 決して、お前が思うような大切な人を危険な目に合わせる関係を『家族』だとは言わせない」

暁夜は鋭い目つきで琴里を睨み告げる。誰よりも『家族』を失う辛さと痛み、後悔を知る彼だからこそ言える事。なぜ、弟が生きているのかは分からない。だけど、今、彼がまた新たな人生を歩んでいる。五河士道と名乗り、とても楽しそうに『--』のいない人生を謳歌している。その第二の人生をまた精霊に奪われることは耐えられない。だから、少しでも士道を精霊に関わらせないように、やってきた。だが、そんな暁夜の行為も無駄に終わってしまう。それだけは防がなければならない。

「あなたには関係ないことでしょ。それに、そういうあなたも身勝手だとは思わないの?」

「は?」

「あなたが士道を危険な目にあわせたくないのは分かる。 けど、『プリンセス(彼女)』を助けたいと言ったのは士道本人よ。私じゃないわ」

「--っ! そんなわけ--」

ウゥゥゥゥゥゥゥーーー

琴里の言葉を否定しようと暁夜が口を開いた瞬間、空間震警報が鳴り響いた。今の所、この学園には生徒は暁夜と琴里、士道のみ。教師の大半は既におらず、残っていたとしても今ここにいる令音ぐらいだろう。

「--ちっ。 こんな時に」

暁夜は苛立たしげに舌打ちして、物理準備室を出て、屋上の壁に取り付けられた機器を操作する。 すると、箱型の機器がガパッと開き、そこから折り畳まれた白塗りの片手剣《アロンダイト》が現れる。それの柄を掴み、勢いよく振るった。

ブゥン!

と風を薙ぐような音がなり、折り畳まれていた《アロンダイト》が変形する。それを手に、箱型の機器から小型の特殊な端末を取り出し、腰に装着する。そして、通信機を耳につけ、屋上に出る。

「こちら、暁夜。 オペレーター、座標データ頼む」

『こちら、オペレーターの藍鳴です。『プリンセス』の座標データを送ります』

数秒後、腰に取り付けられた特殊な端末に座標データがインプットされ、それを操作しながら、

「これより、討滅を開始する」

『お気をつけて、暁夜さん』

その言葉を最後に通信を切り、暁夜はとある教室へと屋上から飛び降りた。
 

 

対話


二年四組の教室。前から四番目、窓際から二列目--ちょうど士道の机の上に、不思議なドレスを身に纏った黒髪の少女が、片膝を立てるようにして座っていた。幻想的な輝きを放つ目を物憂げな半眼にし、ぼうっと黒板を眺めている。 半身を夕日に照らされた少女は、見る者の思考能力を一瞬奪ってしまうほどに、神秘的。だが、その完璧にも近いワンシーンは、すぐに崩れることとなった。

「--っ!?」

少女が何かに気づき飛びず去る。それと同時に、先程まで少女がいた空間が切断された。まるで物体ではなく空気を切り裂く一閃。 机が紙のように容易く切れ、床が抉り取られる。爆風が生じ、壁に貼り付けられた掲示物が吹き飛んでいく。

「ちっ。 外したか」

モクモクとたつ砂煙の中に映る人影の方から若い青年の声が響く。

ブゥン!、と。

その人影が『何か』を横に一閃した瞬間、砂煙が吹き飛び、姿が現れる。

光が差さない紅闇色の瞳に、色素が微かに抜けた青髪。 童顔に高身長の青年。右手に白塗りの片手剣を構えて、こちらを睨んでいる。

少女はその青年を見て、唇を動かす。

「--崇宮暁夜」

幾度となく剣を交え、退いてきた不思議な青年。メカニックな変な格好をした少女達とは違い、白塗りの片手剣のみを装備した変わった青年。そして、少女に何度も話しかけてきた唯一の人間。

「昨日ぶりだな、『プリンセス』」

《アロンダイト》の切っ先を『プリンセス』に突きつけ、目つきを鋭い刃のように尖らせる。

「悪いが、今回は時間が無い。最初から全力で行かせてもらうぞ」

暁夜は《アロンダイト》の刀身に手を添え、

「擬似天神:『トール』解放」

スライドさせる。瞬間、淡い青の光を帯びていた刀身が、白黒色の火花を迸らせる。

「死ね、『プリンセス』」

ひゅん、と。

暁夜が告げた瞬間、空間転移が起こったかのように、『プリンセス』の目の前に姿を現す。視認できないほどの移動速度を生み出し、瞬間移動のように近づく接近方法。それを可能にするのは、《アロンダイト》によって呼び出した『雷神トール』の力のおかげだ。人間が超越することの出来ない領域に暁夜は一歩二歩と踏み込んでいる。それにより絶大的な力を手に入れることができる。ただし、力を得れば、代償は必ず所持者の身体を蝕む。肉体損傷という形で。その為、自動的に抑制能力を有した擬似天神が起動するように設定されている。

「ふん。その程度か」

『プリンセス』は、空間移動とも思わせる接近に驚くこともせず、蚊を払うかのように右腕を振るった。刹那、激風が生まれ、暁夜の身体がくの字に折れ曲がるかの如く、壁に激突した。バキャバキィと、机がへし折れ、壁に亀裂が走り、窓がパリンと割れる。硝子の破片が宙を舞い、数個の破片が暁夜の背中や腕、脚などに突き刺さる。

「・・・っう」

熱々の鉄板に背中を押し付けられているような激痛に顔をしかめる。木の破片で裂けた額から血が流れ、鼻を伝い、床に落ちる。ふと、頭に影が差す。 暁夜が視線を上に上げると、いつの間にか、巨大な剣を構えた『プリンセス』がこちらを見下ろしていた。どこか哀しげな瞳で。微かに巨大な剣を握る手が震えていた。まるで、私にお前を殺させないでくれ、と訴えているみたいだ。

「なぜ・・・おまえは、私を殺そうとする?」

寂しげな瞳を暁夜に向け、巨大な剣の切っ先を向けたまま、尋ねてくる。それに対し、暁夜は鼻で笑った後、

「誰が教えるかよ、バーカ」

と、『プリンセス』に向かって中指を立てた。その意味を知らない少女だが、侮辱されたということは雰囲気的に気づいた。

「--そうか」

『プリンセス』は寂しげにそう呟き、巨大な剣を掲げ、暁夜の身体を切り裂くように振り下ろそうとした・・・瞬間、

「ま・・・待ってくれ!!」

激風で破壊された二年四組の扉の方から、暁夜とは別の青年の声が響いてきた。その声に、ピタリと、巨大な剣を振り下ろしかけていた少女の動きが止まる。 ギロりとした瞳ではなく、相変わらず寂しげな瞳を、声のした方へと少女は向ける。勿論、暁夜もだ。

「な、なんで・・・来たんだ? 士道」

暁夜は扉の前に立つ青年の名を呼ぶ。

青髪に茶色の瞳。 童顔でどちらかというとイケメン枠に属する親友、五河士道。

彼は緊張したような面持ちで『プリンセス』と暁夜を見つめていた。

「おまえは--何者だ?」

暁夜に巨大な剣を向けたまま、士道を片目で睨む。そのひと睨みだけで身体がすくんでしまう。だが、逃げない。彼女を救いたいから。きっと、彼女は悲しんでいたのだ。 頼れる人はおらず、敵ばかりがはこびる世界で。たった一人で、泣いていたのだ。だから、士道は背中を見せない。

「お、俺は--」

士道は意を決して、名乗りを上げる瞬間、

『待ちなさい』

耳に取り付けたインカムから、琴里の制止の声が聞こえた。



<フラクシナス>艦橋のスクリーンには今、光のドレスを纏った精霊の少女が、バストアップで映し出されていた。愛らしい貌を刺々しい視線で飾りながら、カメラの右側―――士道の方を睨みつけている。
 そしてその周りには『好感度』を始めとした各種パラメータが配置されていた。令音が顕現装置(リアライザ)で解析・数値化した、少女の精神状態が表示されているのである。すでに《フラクシナス》に搭載されているAIが、士道と『プリンセス』の会話、そして暁夜と『プリンセス』の会話もタイムラグ無しで、恋愛ゲームによくあるログのようにテキストが残され、現在の会話文が下部に記載されていた。

『お、俺は--』

士道が名乗りをあげる瞬間、画面が明滅し、艦橋にサイレンが鳴り響いた。

「こ、これは!?」

そのサイレン音と画面状況に、《フラクシナス》のクルーの一人が狼狽した声を上げる。それと同時に、明滅していた画面中央にウィンドウが出現する。

①「俺は士道。五河士道。君を救いにきた!」
 
②「と、通りすがりの一般人です。 やめて殺さないで」
 
③「人に名を訊ねる時は自分から名乗れ」

④「誰が教えるかよ、バーカ」

それは、恋愛ゲームによくある今後の展開を左右するセーブ不可避のターニングポイント。

要するに選択肢だ。

少しの選択ミスでバッドエンド直行ルートの恐れもあるロード不可避の運命の分かれ道。ゲームであれば、セーブ&ロードも可能だが、人生にセーブ&ロードは存在しない。言葉や行動が一度失敗すれは、それは一生、人生の汚点として残り続ける。死にたいほどの恥も失敗も。

「選択肢--っ」

司令席に座る五河琴里は、チ○ッパチ○プスの棒をピンと立てた。

令音の操作する解析用顕現装置(リアライザ)と連動した<フラクシナス>のAIが、精霊の心拍や微弱な脳波などの変化を観測し、瞬時に対応パターンを画面に表示したのだ。

これが表示されるのは、精霊の精神状態が不安定である時に限られる。つまり、正しい対応をすれば精霊に取り入ることが出来る。だがもし間違えれば―――

 琴里はすぐさまマイクを口に近づけると、返事をしかけていた士道に制止をかけた。

「待ちなさい」

『―――っ?』

士道の息を詰まらせるような音が、スピーカーから聞こえてくる。恐らく、なぜ制止させられたのか理解出来ていないのだ。それは仕方ないことだ。なぜなら、士道側から選択肢は見えない。

「これだと思う選択肢を選びなさい!5秒以内!」

琴里は即座にクルー達にそう指示する。その指示に瞬時、各自手元のコンソールを操作し、これだと思う選択肢を選び取る。 その結果は自動的に、司令官である琴里のコンソールに表示された。 そのなかで最も多いのは--③番。

「―――みんな私と同意見みたいね」

琴里がそう言うと、クルー達は一斉に頷いた。

「①番は一見王道に見えますが、向こうがこちらを敵と疑っているこの場で言っても胡散臭いだけでしょう。それに少々鼻につく」
 
 直立不動のまま、神無月が言ってくる。

「・・・④番は論外だね。ログに暁夜()が発言した後、とてつもなく彼女が不機嫌になったデータを確認した。 その状況下で再び挑発すれば、シンは終わり。 勿論、②番も同じだ」

次いで、艦橋下段から令音が声を発してきた。

「そうね。その点③番は理に適っているし、上手くすれば会話の主導権を握ることも出来るかもしれないわ」

琴里は小さく頷くと、再びマイクを引き寄せた。



「………お、おい、何だってんだよ………」
 
 少女の鋭い視線に晒されながら言葉を制止された士道は.気まずい空気の中、そこに立ち尽くしていた。

「あいつ、一人で何喋って・・・?」

琴里の言葉を不思議に思いながらも、士道の方に視線を向ける暁夜。 ただし、警戒を解くことはない。少しでも変な動きをすれば、巨大な剣によって殺される。例え、暁夜が『精霊』相手に生身で戦える人間だとしても、現在の状況下では即死確定だ。

「・・・もう一度訊く。 お前は、何者だ?」

少女が苛立たしげに言い、目を更に尖らせた。その瞬間、漸くインカムから琴里の声が聞こえた。

『士道。聞こえる?私の言う通りに答えなさい』
 
「お、おう」
 
『―――人に名を訊ねる時は自分から名乗れ』
 
「―――人に名を訊ねる時は自分から名乗れ・・・って」

そう言ってしまってから、士道は顔を青くした。
 
「な、何言わせてんだよ………っ」
 
 だが時既に遅し。士道の声を聞いた『プリンセス』は途端、表情を不機嫌そうに歪め、今度は両手を振り上げて光の球を作り出した。

「ぃ・・・・!?」

士道は咄嗟に地を蹴り、回避動作に入る。だが、間に合わない。士道の動きより早く、光の球が放たれる。 殺さんと迫る『死』の暴力。身体に当たれば終わりだ。

「--クソっ!」

巨大な剣から『プリンセス』が手を離した事で、距離をとるチャンスを得た暁夜は、擬似天神『トール』を再び解放し、士道と光の球の間に姿を現す。 そして、《アロンダイト》で光の球を切り裂こうとするが、振り抜き動作が間に合わない。その為、毒づくと共に、左手に白雷を纏わせ、手の平で受け止める。

バチィッ!

と、火花を散らし、光と白雷が爆発した。砂煙がモクモクとたち、暁夜と士道の姿が見えなくなる。『プリンセス』は、暁夜の妨害に舌打ちをし、巨大な剣を振るった。刹那、激風が生じ、砂煙が吹き飛び、暁夜と士道の姿を露わにさせる。

左腕がへし折れ、左手首から指の先までの皮膚が焼け爛れており、乱れた呼吸をする暁夜と、顔を腕で覆い尻餅をつく士道の姿が。

「--っ」

焼けるような痛みに顔を顰めながら、暁夜は《アロンダイト》を構える。士道の盾になるように。対する『プリンセス』は、巨大な剣を突きつけ、睨む。

「崇宮暁夜。 そこをどけ」

ゾクッとその言葉に寒気が身体を襲った。 先程までとは格段に違う本当の殺意。悲しみや情けの一切ない殺意。思わず、足がすくんでしまう。

「ハッ! やだね、バーカ」

恐怖を振り払うように暁夜は鼻で笑い、挑発としかいいようのない言葉を吐き出す。

「そうか。 では--」

『プリンセス』が小さく息を吐き、

「死ね」

そう呟いた瞬間、暁夜の身体が吹き飛んだ。教室の壁を突き破り、硝子に全身を貫かれ、おびただしい量の血が流れる。 だが、致命傷は免れた。『プリンセス』の視認できないほどの動きに間一髪、暁夜は後ろに下がることで衝撃の威力を緩和させていたのだ。ただ、両腕両足背中に突き刺さる硝子片は避けることが出来なかった。

「ま、まぁ・・・死ぬよりはマシか」

二年四組の教室から吹き飛ばされて、先程の教室より遠めのというより、校舎から落とされ、地面の瓦礫に背中を預けるような格好で倒れながら、暁夜は口元の血を拭う。なんとか瓦礫に激突する前に、特殊な端末に備え付けられた機能の一つ、随意領域(テリトリー)を展開した事で、叩きつけられるような痛みは無かった。 ただ、《アロンダイト》は吹き飛ばされた際に校舎内で落としてしまったらしく、手元にない。要するに丸腰。

「あー、身体痛てぇ」

暁夜はそう呟いて、立ち上がろうとする。 そのタイミングで、通信機に通信が入る。

『こちら、日下部。 暁夜聞こえる? さっきすごい衝撃があったみたいだけど、まだ生きてる? これが聞こえたら返事しなさい、暁夜(バカ)!!』

「あーい、聞こえてますよー。 日下部隊長〜」

全身の痛みを堪えながら、暁夜は通信に応じる。その言葉に、安堵したのか、ほっ、と、燎子が息を吐いた。

『現在の状況を詳しく教えてくれる? 暁夜』

「了解。 先程まで『プリンセス』と交戦。現在も『プリンセス』は最初の座標地点から動く気配はなし。一般人が一名、『プリンセス』の人質になっています」

腰に取り付けられた特殊な端末を操作し、座標データを確認しながら誤った状況ではなく、正確な状況を報告する。

『分かったわ。 所でアンタは今どこにいるの?』

「・・・校舎裏です」

随意領域(テリトリー)で無重力の空間を形成し、痛む身体を浮かし校舎内に移動しながら、そう答える。

『え? どういう事? あんた、先程まで『精霊』と戦ってたはず・・・』

「だったんですけど、吹き飛ばされまして、負傷しました。できれば、二人ほど隊員をこちらに連れてきてくれると助かるんですけど・・・」

『それなら大丈夫よ。 数分前に折紙が向かったわ。いい? そこから動いちゃダメよ。私達はこれより、『プリンセス』を迎撃するから』

「は? ちょ、迎撃って--」

暁夜が燎子の最後の言葉に声をあげた瞬間、突如、校舎を凄まじい爆音と震動が襲った。
まるで、地震が起こったかのように。

「--ちっ。」

即座にオペレーターに通信を入れる。

『こちら、オペレーターの藍鳴です。 いかが致しましたか? 暁夜さん』

「いかが致しましたか?じゃねえよ。なんで、迎撃を開始した? 先程、人質が一名と報告したはずだが?」

苛立ちのこもった声で、オペレーターに尋ねる。だがそれに対し、

『申し訳ございません。 報告は入っていましたが、上の方から、今すぐ迎撃しろとの事でしたので』

冷静沈着な声音でオペレーターは答える。

「つくづく思ってたが、オペレーターちゃんはお偉いさんの命令には従順だな」

『ええ、軍の人間として当たり前のことです。暁夜さんの場合は仕事に私情を持ち込みすぎなのでは?』

「--っ」

オペレーターの言葉にぐうの音も出ない。確かに『軍人たるもの戦争に私情を持ち込むべからず』というのが、当たり前だ。動物一匹、建物一つ、人一人。 犠牲が一つなら、関係ない。犠牲を最小限にする事が《AST》の仕事で、市民全員を救う事が《AST》の役目ではない。

「--」

暁夜は下唇を噛み締める。痛みが生じ、皮が裂け、一筋の血が口元を伝い、床に落ちる。命令違反を起こせば、軍はクビになる。それは『精霊』を殺す事が出来なくなるという事だ。本来、暁夜は半精霊に属すが、《アロンダイト》とセットにすることで初めて力を発揮する。《アロンダイト》がなければ、数秒も保ずに死に至る。多少は精霊として力を発揮出るが、それは半分だ。 半分の力では、精霊に属する存在には勝つことは不可能。

暁夜が打開策を考える間にも、ガガガガガガガッ、と二年四組の教室付近の壁を弾丸が貫く音が響く。 このままでは、士道が死んでしまう。それだけはなってはならない。

「なぁ、オペレーターちゃん」

『はい、何でしょうか?』

「万が一、俺が命令違反を今から起こすって言ったら、止めるか?」

『--いいえ、止めません。 あなたがしたいようにすればよろしいかと思います』

オペレーターの返答に、暁夜は、やっぱりな。という息を吐き、随意領域(テリトリー)を解除する。 それにより無重力の空間が消え、全身が重りを身につけたかのように重くなる。先程まで緩和され忘れかけていた痛みが全身を襲う。気を抜けば一瞬にして、意識を失ってしまいそうだ。

「・・・っ」

ズキズキと痛む頭を片手で押さえながら、もう片方の手で壁に触れ、二年四組の教室まで戻り始めた。
 

 

デートの誘い


壁やら窓が何かによって破壊された来禅高校の二年四組の教室より上。わかりやすく言えば上空。ワイヤリングスーツを着込み、CRユニットを纏うAST隊員及び燎子は、ガトリング砲やアサルトライフル、サブマシンガンといった銃火器類を握り、引き金を引き続ける。彼女らの目に映るのは、巨大な剣を手に持つ、不思議なドレスを纏うポニーテールの少女だ。その奥には学生が一人。本来、人質がいる状態で銃火器類を扱うのは控えるべきだが、今回は仕方ない。精霊を討滅する部隊《AST》とはいえ、上司の命令には逆らえない。気は引けるが、引き金を引くしかない。被害を抑え、犠牲を少なく。それが《AST》の役目である以上、犠牲の一つは少ないの枠に入る。

「全員、弾が無くなるまで撃ち続けなさい!」

燎子は、他のAST隊員にそう指示をし、自分も弾をリロードし、引き金を引き続ける。部下である暁夜から報告が来て、折紙が向かってから既に五分が経っていた。ふと、不思議なドレスを纏うポニーテールの少女、『プリンセス』がこちらに顔を向ける。 それだけで、燎子とAST隊員達は怖気を感じた。銃火器類のトリガーに添えている指の震えが止まらない。引いた瞬間、あの巨大な剣で殺されるという未来が見える程の怖気さに、トリガーに添えていた指が離れていく。だが、その中で燎子は、すぅ、と息を吸い、

「トリガーを引きなさい!今ここで手を離した奴は、『精霊』に屈したって事よ! 『精霊』に敗北したという事は無関係の人達が次々と死んでいくという事よ! あなた達はその責任を取れるの? 無理なら、嫌でもトリガーを引きなさい!殺せないなら、退かせれば構わないわ! 分かったら、トリガーを引きなさい!アンタ達!!」

「は、はい!」

「りょ、了解です!」

と、燎子の喝に怖気づいていたAST隊員達が、トリガーを引く。ガガガガガガガッ、とけたましい音が鳴り響き続け、いつの間にか、二年四組の教室の壁は無くなっていた。それは必然的に、『プリンセス』を隠す障害物がなくなったことを表している。

(・・・ほんと、この仕事も嫌になるわね)

上からの命令には逆らうことの出来ない隊長の立場の燎子はそう毒づいて、引き金に添えた指を引いた。



「くそっ、どうなってるんだ?」

外から放たれる銃弾から身を隠すように体勢を屈め、壁に背をあずけ尻餅をつく士道は意味の分からない現況に疑問を抱く。

『外からの攻撃みたいね。精霊をいぶり出すためじゃないかしら。 --ああ、それとも校舎ごと潰して、精霊が隠れる場所をなくすつもりかも』

その疑問に答えたのは、『プリンセス』ではなく、士道の妹である琴里だ。

「な・・・ッ、そんな無茶苦茶な・・・!」

『今はウィザードの災害復興部隊がいるからね。 すぐに直せるなら、一回くらい壊しちゃっても大丈夫ってことでしょ。 --にしても予想外ね。 士道(一般人)がいるのは知っているはずなのに、こんな強攻策に出てくるなんて』

と、そこで、士道は顔を上に向けた。

『プリンセス』が、先ほど士道に対していたときとはまるで違う表情をして、ボロボロになった窓の外に視線を放っていた。 無論、彼女には銃弾はおろか、窓ガラスの破片すら触れてはいない。 だけれどその顔は、ひどく痛ましく歪んでいた。

「---十香ッ!」

思わず、士道は名を持たぬ『プリンセス』の為に与えたその名を呼んでいた。

「・・・っ」

ハッとした様子で、十香が視線を、外から士道に移してくる。 未だ凄まじい銃声は響いていたが、二年四組の教室への攻撃は一旦止んでいた。 外に気を張りながらも身を起こす。 と、十香が悲しげに目を伏せた。

「早く逃げろ、シドー。 私と一緒にいては、あいつらに討たれることになるぞ」

「・・・」

士道は、無言で唾液を飲み込んだ。 確かに、逃げなければならないのだろう。

だけれど--

『選択肢は二つよ。 逃げるか、とどまるか』

琴里の声が聞こえてくる。 士道はしばしの逡巡の後、

「・・・逃げられるかよ、こんなところで・・・ッ」

押し殺した声で、そう言った。

『馬鹿ね』

「・・・なんとでも言え」

『褒めてるのよ。--素敵なアドバイスをあげる。 死にたくなかったら、できるだけ精霊の近くにいなさい』

「・・・おう」

士道は唇を真一文字に結ぶと、十香の足元に座り込んだ。

「は--?」

十香が、目を見開く。

「何をしている? 早く--」

「知ったことか・・・っ! 今は俺とのお話しタイムだろ。 あんなもん、気にすんな。 --この世界の情報欲しいんだろ? 俺に答えられることならなんでも答えてやる」

「・・・・・!」

十香は一瞬驚いた顔を作ってから、士道の向かいに座り込んだ。



銃火器類により発せられるけたましい音が未だに鳴り響く来禅高校の廊下。来禅高校の制服に身を包んだ暁夜は、右の手の平を壁につけ、痛む身体を支えながら歩いていた。手元に愛剣の《アロンダイト》は無いため、擬似天神の力で肉体損傷に対する抑制能力も治癒能力も発動できない。特殊な端末『擬似記憶装置(ムネモシュネ)』による随意領域(テリトリー)展開も利用時間を超えた為、使用出来ない。要するにジリ貧丸腰。

「・・・相変わらず、中途半端のモンばっかりだ」

暁夜はそう毒づきながら、二年四組の教室へと向かう。数分前に、燎子とのインカム越しでの会話の内容によれば、折紙が少し前に校舎裏に向かったという知らせを聞いたが、恐らく行き違いになっただろう。

悪いことしたかな。と苦笑いを浮かべた。

『暁夜? いまどこにいるの?』

耳に取り付けた通信機から、折紙の声が聞こえてくる。

「・・・・」

『暁夜?』

「・・・・」

聞こえなかったのか、と折紙がもう一度問いかけてくるが、暁夜は無視を決め込む。 別に、折紙が嫌いという訳ではなく、これからやる事に巻き込むことは出来ない。通信機に取り付けられているスイッチを切ろうと、通信機に触れた瞬間、

『返事をしないと暁夜の下着をまたクンカクンカする』

とんでもない爆弾を投下してきた。それは思わず、反応せざる負えない発言だ。

「--人様の下着に何してんの!? お父さん悲しいよ!」

『ごめんなさい。 あ・な・た』

「娘を叱るお父さん目線の筈なのに、奥さんに叱ってるお父さん目線にされてるぅ!? しかも演じるなら棒読みやめてよ!」

『・・・いまどこ?』

「人の話を聞いてくれませんか!?」

先程までの爆弾発言と夫婦漫才(?)が無かったように話を進める折紙に、痛む身体のことも忘れて、大声を張り上げる。

『いまどこ? 教えないと、下着をクンカクン--』

「校舎の一階です!! もっとわかりやすく言えば、一年二組の教室前の廊下です!ですので、下着のクンカクンカはやめて!」

『そこで待ってて。すぐに向かう』

「下着クンカクンカキャンセルの返事は!? まだ聞いてませ--」

暁夜がそう叫ぶ瞬間、ブツッ、と通信の切れる音が鳴った。しばしの静寂。

「--あいつ、切りやがった」

通信機に添えていた指を離し、ポツリと呟く。少しというよりかなり落ち込むが、頭を振って、思考を切り替える。そして、先ずは《アロンダイト》を探そうと、特殊な端末『擬似記憶装置(ムネモシュネ)』を腰帯から外し、操作する。液晶画面をタップし、いくつもの二桁の数字で形成されているID番号登録の中から、《アロンダイト》の位置座標の画面を開く。するとマップが現れた。 そこには幾つもの黄色のマークと赤色のマーク、そして青色のマークと黒のマーク。

幾つもある黄色のマークは、使用者と仲間で今回は暁夜と《AST》隊員を指す。

赤色のマークは、討滅目標の『精霊』を指す。

青色のマークは、一般人で今回は士道を指す。

黒のマークは、《アロンダイト》等といったID登録された物資を指す。

「《アロンダイト》の場所は、二年一組の教室の廊下付近か」

黒のマークの位置を確認し、『擬似記憶装置(ムネモシュネ)』の画面を消し、腰帯に取り付け直す。その際、どっと痛みと疲れが身体を襲った。 先程まで忘れていたが、そんな事で傷が修復しているわけがなかった。

「あー、痛ってぇ」

ズキズキと痛む身体を休ませるために、自身の背中を壁に預け、腰を下ろす。その体勢で、折紙がここに到着するまで待機することにした。懐から、イヤフォンと携帯を取り出し、画面をつけてみる。 パッと明かりがつき、壊れていないことに安堵し、通信機がハマっていない方にイヤフォンを挿し、音楽を選択し、流す。軽快なポップ系の音楽を口ずさみながら、待つこと数分。

「見つけた。 暁夜」

「折紙ちゃーん」

フリフリと片手を振って、暁夜は微笑みを口元に刻んだ。視界に映るのは、ワイヤリングスーツに身を包んだ銀髪の少女、折紙。 片手にはレイザーブレイド《ノーペイン》が握られていた。

「ちょ、ちょいと悪いんだけど、随意領域(テリトリー)の展開お願いしていいか?」

「分かった。 所であなたの武器は?」

「ちょいと、落としちまってな。 場所は分かるんだけど、身体が痛くて動けなかったら、折紙が来てくれて助かったよ。 マジで本当に」

随意領域(テリトリー)を展開した折紙の肩を借りながら、二年四組の教室であったことを説明しながら、二年一組教室の廊下付近に辿り着く。 そして、再度、『擬似記憶装置(ムネモシュネ)』を起動すると、右側から反応音が鳴る。右方向に視線を向けると、白塗りの片手剣が二年一組教室の扉に突き刺さっていた。

「うんしょっ、と」

折紙に身体を支えてもらいながら、《アロンダイト》の柄を握り引き抜く。すると、すぐさま、暁夜の全身を淡い青の光が包み込んだ。 それにより、徐々に焼け爛れていた左手が治癒していく。先ほどまで痛々しいほどにグロテスクなグジュグジュな肉が皮膚に包まれていき、綺麗な皮膚となり、焼け爛れる前の腕に戻った。 二度三度手の平を開いたり閉じたりした後、《アロンダイト》を折り畳んで腰帯にしまう。

(しっかし、相変わらずこの修復の力がなんなのか分かんねえなぁ)

擬似天神の力で抑制するとはいえ、修復は別の力だ。《アロンダイト》と暁夜が揃った時しか発動しないという不便な力。推測では、半精霊としての力と《アロンダイト》が共鳴やら何やらしているのだろう。

とりあえず、と調子を取り戻した暁夜は、折紙の肩から手を離し、自身の二の足で歩き始める。

「所で人質というのは本当に五河士道?」

「あぁ、そうだ。それと俺はやる事があるから先に日下部隊長の所に戻ってくれるか?」

「分かった。 でも、暁夜を置いてはいけない」

暁夜の提案に折紙は首を横に振った。 いつもは暁夜が言ったことには文句を言わずに従ってくれる折紙だが、久しぶりに反抗された。彼女は暁夜が危険な場面では必ず手伝ってくれるたり助けてくれる。 ただ、今回は折紙に手伝わせられない。

「はぁ。 なら明日、デートしよう。 それで今回は従ってくれないか? 折紙」

仕方ない。と暁夜は溜息をつき、折紙にそう提案を持ちかける。それに対し、折紙は一瞬、頬をぴくりと動かし、ずいっと顔を寄せてきた。

「嘘ではない?」

「あ、あぁ。 俺がお前との約束を破った事があるか?」

「・・・ある。去年の冬は私とクリスマスを過ごすって言ったのに、どこぞの女と食事をしていた」

「--確かに破ったことありましたねっ!? でもあれはノーカンでしょ!? アイクの指示やら今後の方針やらをエレンと話してただけで、プライベートな食事ではないって、説明したじゃん!!」

暁夜は悲痛にも似た大声をあげた。折紙のいう去年のクリスマス。 その日は、朝からクリスマスを折紙と過ごすの最高と喜んで一日を過ごし、いざクリスマスプレゼントを買いに行こうと家を出た所で、エレン・M・メイザースから電話が来て、近場の個室ありの料理店に来るよう言われ、アイクからの言伝や方針の件だと聞いて、向かった為、結局、折紙とクリスマスを過ごすことが出来ず、一週間ほど話しかけてくれなかった。

「じゃ、また後でな」

「気をつけて」

「あぁ、気をつける」

暁夜は折紙の言葉を背に受け、歩き始めた。その背を見送って、折紙は随意領域(テリトリー)を展開したままで、校舎を飛び出し、燎子達の元へと合流しに向かった。



銃弾が吹き荒れる二年四組の教室。十香の展開する不可思議な障壁(バリア)に守られながら、士道はお話しタイムに耽っていた。視界をチラッと十香の後ろに向けると、ASTの人間達が銃口を未だにコチラに向けているのが分かる。怖くないといえば嘘になる。それでも士道は十香を助けたい。救いたい。既に会話を始めてから数分ほど経っている。内容は至って普通の日常会話のようなものだ。この世界には美味しい食べ物があるやら、学校のことや自分の事。他にも、十香が誰にも質問できなかった疑問に士道が答える等だ。気づけば、十香にも微かだが口元に微笑が浮かんでいるのが目に見てとれた。そして、どれくらいか話した頃、耳に嵌めたインカムから、琴里の声が聞こえてきた。

『―――数値が安定してきたわ。もし可能だったら、士道からも質問をしてみてちょうだい。精霊の情報が欲しいわ』

その言葉に、少し考え込んで、士道は口を開いた。

「なぁ、---十香」

「なんだ?」

微かに口元に浮かんでいた微笑が消え、十香は少し警戒した表情で首を傾げる。

「おまえって・・・結局どういう存在なんだ?」
 
「む?」

士道の質問に十香は眉を顰める。

「知らん」

「知らん、て………」
 
「事実なのだ。仕方ないだろう。―――どれくらい前だったか。 私は急にそこに芽生えた。それだけだ。記憶は歪で曖昧。自分がどういう存在なのかなど、知りはしない」

「そ、そういうものか………?」

士道が頬を掻きながら言うと、十香は「そうだ」と言わんばかりに息を吐いて腕組みした。

「そういうものだ。突然この世に生まれ、その瞬間にはもう空にメカメカ団が舞っていた」

「め、メカメカ団・・・?」

「あのびゅんびゅん煩い人間達のことだ」

どうやらASTのことらしい。士道は思わず苦笑した。

次いでインカムから、クイズに正解した時のような、軽快な電子音が鳴った。
 
『!チャンスよ、士道』
 
「は・・・?何がだ?」

士道は訳分からない声を出す。
 
『精霊の機嫌メーターが70を超えたわ。一歩踏み込むなら今よ』
 
「踏み込むって・・・何すりゃいいんだ?」
 
『んー、そうね。取り敢えず・・・デートにでも誘ってみれば?』

「はぁ………!?」

予想していなかった琴里の言葉に、士道は思わず大声を上げた。

「ん、どうしたシドー」
 
 士道の声に反応して、十香が目を向けてくる。
 
「ッ―――!や、気にしないでくれ」
 
「……………」
 
 慌てて取り繕うも、十香はジトッとした訝しげな目で士道を見つめてきた。

『誘っちゃいなさいよ。やっぱ親密上げるためには一気にこう、さ』

「・・・んな事言われても、出てきたとしてもASTが--」

『そんなの何処か大きな建造物に隠れてもらえばいいんじゃない。水族館でも映画館でもなんでもいいわ。 ASTだってそんな所に入ることは叶わないわ。ただ、暁夜は別だけど』

「なら、結局ダメじゃねえか」

「さっきから何をブツブツ言っている。・・・!やはり私を殺す算段を!?」

「ち、違う違う!誤解だ!」

視線を鋭くし、指先に光球を出現させた十香を、士道は慌てて制止する。 まじで警戒モードの十香。 ここで機嫌を損ねれば、振り出しに戻る。それだけはできない。 折角、お話しタイムの邪魔をする人がいないのだ。それに早くしなければ、暁夜が戻ってきてしまう。彼が帰ってきたら、十香が一気に不機嫌になるのは確実だ。

「なら言え。今何と言っていた」
 
「ぐぬ・・・」

士道が頬に汗を滲ませながら呻くと、囃し立てるかのような声がインカムに響いてきた。

『暁夜の事はこちらで何とかるするから、観念しなさいよ。 デートっ! デートっ!』

そこで艦橋内のクルーを煽動でもしたのだろう、インカムの向こうから、遠雷のようなデートコールが聞こえてくる。 ある意味、拷問だ。士道にとってデートというのは縁遠いものだ。これまで付き合ってきた異性はおらず、惚れた異性もいない。いつの間にか、殿町とラブなのでは?という根も葉もない噂が広がるほどに異性に縁のない生活を士道は送ってきた。そんな彼に『デートに誘え』などというのは酷である。 これは虐めと見なしても許される気がする。だが、そんな士道の気持ちを知ってか知らずか、琴里を含めた《フラクシナス》クルー達が『デ・ェ・ト』コールを叫び続ける。 これ程、嫌なことはないだろうと、士道は溜息をつく。 ただ、嫌だと言っても、十香は可愛い部類に入る。では何が嫌なのか? それは--

断られることだ!!

男も女も心は繊細で、ましてや好きな人にデートを断られたら、それは誰だって落ち込むに決まっている。寧ろ、落ち込まない人はどうかしている。それでも、ここで十香を救うにはこれしかないのだろう。 士道は、「あー、もう分かったよっ!」と呟き、観念したように口を開いた。

「あのだな、十香」
 
「ん、何だ」
 
「そ、その………こ、今度俺と」

士道は頬を掻き、照れくさそうにしながら、
 
「ん」
 
「で、デート………しないか?」

人生初のデートのお誘いを口にした。
 

 

デート開始!


折紙と別れ、二階の廊下を歩く暁夜は、徐々に二年四組の教室へと辿り着こうとしていた。現在は銃撃の音が止み、先程までが嘘のように静かだ。 破砕した壁の瓦礫や割れた窓の破片が廊下に散乱し、それを跨ぎ超えるのは一苦労だ。 今朝まで普段と変わらない学園風景だったが今となっては廃墟にしか見えない。 しばらく休校だな。と暁夜は胸中で感想を零す。感傷に浸りたいところだが、今はそれどころではない。少し歩くスピードをあげる。腰帯に取り付けられた(スキャバード)の解除装置(指紋認証)部分に触れるか触れないかぐらいの辺りに右手を添え、カツカツという靴音を殺しながら二年四組の教室に歩み寄っていく。殺気が悟られないように心を殺し、すぅ。と息を吸い、吐く。無心による一刀は対象に気配を悟られず、ましてや切った事を対象に気づかせない。無駄な動きはなく、対象の命を一撃で屠る必殺の一刀。 この一刀を身に付けるために何度も剣道場や訓練場で木刀を振り続けた。暇があれば木刀を振り、無駄な筋肉と脂肪をトレーニングで無くし、持久力やバランス感覚、動体視力を磨いてきた。そして、身につけた。

無心による必殺の一刀を。

ただ、この一刀は初撃が大事だ。初手が失敗すれば、次はない。熟練の武闘家や剣の達人相手であるなら、容易い。だが今回の対象は、人ではない。 人が足を踏み入れることの出来ない『精霊』と呼ばれる化け物の領域に存在する者。銃火器類は一切効かず、顕現装置(リアライザ)搭載の対精霊装備で傷をつけるのがやっとの存在。 勝ち目やまして精霊討滅数の多いAST隊員は暁夜のみ。もう一人は陸自のトップエースだが、今は『ナイトメア』討滅の任務にあたっているため、宛にできない。結果、まともに『精霊』と戦えるのは暁夜一人のみだ。彼の雇用人兼親友のアイザック・レイ・ペラム・ウェストコットからの指示は、『特殊災害指定生命体『精霊』をASTと共に討滅せよ』という内容だ。まぁ、そのおかげで士道と折紙に会えた。その件に関しては深く感謝している。 ただ、DEM社とは対照的に、『精霊』を救おうとする組織が日本にあるとは想定外だった。ましてや秘密兵器が士道ときたものだ。胸糞悪い事この上ない。

「--すぅ」

息を肺にため、呼吸を一旦止める。それにより、呼吸の音を殺す。緊張により、喉が乾き、思わず生唾を飲み込みそうになる。しかし、その音さえも殺す。足音、服の擦れる音、呼吸音、咀嚼音、風の音、全ての音を殺す。耳に聞こえる音はもう存在しない。視界に映るのは、二年四組の教室。 あと数歩で、攻撃範囲に『プリンセス』を捉える。目を閉じ、腰帯に取り付けられた(スキャバード)の解除装置(指紋認証)部分に親指の腹を当てる。 すると、モスキート音に似た電子音が解除装置から鳴り、《アロンダイト》が音を鳴らさず滑らかな動きで変形していく。やがて、折り畳まれた形状から、白塗りの片手剣の形状になった。その柄に手を添えて、この数年で身につけた気配察知を使用する。透明な蜘蛛の糸が張り巡らされた空間。否、意識空間。実際には蜘蛛の糸など張り巡らされていないが、暁夜には蜘蛛の糸が見えている。気配を教えてくれる糸が。これは、気配察知能力を身につけた暁夜だからこそ出来る技術。

(・・・いた)

暁夜にしか見えない蜘蛛の糸が揺れ、対象がいることを知らせる。揺れの具合によって、数と性別がわかる。二回、蜘蛛の糸が揺れた。

(『プリンセス(目標)』発見)

残り数秒で教室内に到着する。足を教室内に踏み入れた瞬間、必殺の一刀を放つ。

(5...4...3、2、1...0!)

カッと閉じていた目を見開き、目にも止まらぬ速さと無駄のない動きで《アロンダイト》を横向きに一閃。 それと同時に激風が生じ、殺していた音達が一斉に暁夜の五感に流れ込む。風の音や呼吸音、服の擦れる音といった全てが。しかしその中に、悲鳴や苦鳴の音はなく、ましてや金属と金属のぶつかる甲高い音や火花の散る音さえも響かない。ただ、暁夜の耳にするりと真っ先に入ってきた音は、少女の声だった。

「---無粋」

それは穏やかな声でも悲しげな声でも、ましてや歓喜の声でもない。

その声は--音は--

静かな『怒り』だった。

「・・・・っ」

ギリッと歯を食い縛り、暁夜の身体が吹き飛ばされる。--が、壁に背を直撃するより早く、《アロンダイト》を床に刺し、衝撃を殺しつつ、柄を握る手を一瞬離し、壁に足裏を当て、完全に衝撃を殺しきり、着地してみせた。

「ち―――また、貴様か」

必殺の一刀を容易く受け止め殴り飛ばした十香は、唾棄するように言う。 暁夜は士道を一瞥すると、安堵したかのように小さな息を吐いた。しかしすぐに《アロンダイト》を構え直し、十香に鋭い視線を送る。

「……………」
 
 その様子を見た十香は、ちらと士道を一瞥してから、自分の足下の床に踵を突き立てた。
 
「―――<鏖殺公(サンダルフォン)>!」
 
 瞬間、教室の床が隆起し、そこから玉座が現れる。

「ちっ。 天使か!」

舌打ちし、《アロンダイト》の柄を強く握り床から引き抜くと共に、加速。淡い青の光を帯びた刀身が紅闇色の光に染まり、不気味な輝きを放つ。グァンッ、と下方向と上方向から同時に<鏖殺公(サンダルフォン)>と呼ばれる巨大な剣と《アロンダイト》が激突し、火花を散らした。 さらに激風が生じ、その場にいた士道が校舎の外へと吹き飛んでいく。

「のわぁぁぁッ!?」
 
『ナイスっ!』

インカム越しから琴里の声が響くと同時に、士道の身体が無重力に包まれる。不思議な浮遊感を感じながら、士道は<フラクシナス>に回収された。その不可思議な現象を視界の端に捉えながら、暁夜は《アロンダイト》の上にのしかかる<鏖殺公(サンダルフォン)>を打ち上げるために、右腕に力を込め、唸るような咆哮をあげた。

「--っらあぁぁぁぁ!」

「--甘い」

静かな声が聞こえた瞬間、重力に押し潰されるような衝撃が右腕を襲った。 ミシミシと骨の軋む音が鳴り、気を抜けば折れかねない。 暁夜は小さく舌打ちをし、十香の鳩尾に蹴りを叩き込む。カツンと鉄を蹴った感触を足に感じながら、距離を取った。

「・・・っぶねぇ」

荒い息を吐き、額から汗が流れる。ポタポタと床に一滴一滴と鼻筋を伝い落ちていく。 右腕は先程の鍔迫り合いの際に動かなくなりダラんとした状態。《アロンダイト》は床に落ちたまま。 それでも鋭い目を十香に向けて放つ。

「ふん。 これで終わりだ」

十香は<鏖殺公(サンダルフォン)>を消失させ、告げる。

「はぁ・・・はぁ。 今度こそ殺してやるよ、『プリンセス』」

「あぁ、楽しみにしている。それと私の名は十香だ。 崇宮暁夜」

その言葉を残した後、十香は光の粒子となり、消失《ロスト》した。その幻想的な光景を眺めながら、暁夜は崩れた天井を見上げ、

「十香・・・か」

先程光の粒子と化し消失した『プリンセス』が名乗った名前を呟いた。それ同時に、ポケットにしまっていた携帯が震える。誰からだ?と携帯を取り出し、表示されている名前を確認する。

「エレン?」

そこには、『ポンコツちゃん』と表示されていた。『ポンコツちゃん』とは、アイクの秘書であるエレン・M・メイザースの渾名だ。因みに『ポンコツちゃん』と名付けたのは暁夜であり、そう呼ぶのは暁夜ただ一人だけである。とりあえず、と画面をスライドし、耳に寄せ、口を開く。

「どったのー? ポンコツちゃん♪」

『だ、誰がポンコツですか! 上司に向かって何たる態度を!あなたは昔から生意気でお調子者で楽観的で何度私を怒らせれ--ゴホンッ。まぁ、いいでしょう。それよりもアイクからの言伝です』

若い女性の声がスピーカー越しから響いた。

「アイクから? また任務か?」

『いえ、今回は任務ではありません。今回の件は貴方が彼に依頼した事の途中結果です』

スピーカー越しから紙を捲る音が微かに聞こえる。

「途中結果って事は、真那の手がかりとか分かったのか!?」

『ええ。 と言っても、多少ですが』

「多少でも構わない。 教えてくれ」

『崇宮真那の居場所ですが、天宮市にいます。恐らく、あなたの通う学校からそこまで遠くはないはずとの事です』

エレンは紙を捲り告げる。 恐らく、アイクが纏めた書類に目を通しながら読んでいるのだろう。

「分かってるのはそんだけか?」

『ええ、そうです。また手がかりを見つけ次第、連絡するのでもうしばらく待っていてください。 暁夜』

「あぁ、分かった。 また手がかりを見つけたら連絡してくれ。 ありがとな、エレン」

『お礼はいりませんよ。あなたの為ではないので。 それでは、また』

酷く冷たい態度でエレンは通話を切った。 暁夜は小さく溜息をつき、立ち上がる。左手で《アロンダイト》を掴み、AST隊員達に合流し、その場を後にした。

そして、『プリンセス』消失後の夜。高級マンションのような出で立ちの折紙と暁夜が借りている一室。駐屯地から家に帰る途中のスーパーで夕飯に必要な材料であるカレーライスの具材と市販のルーが詰め込まれたレジ袋を両手に引っ提げた暁夜は、既にキッチンの前にエプロン姿で立っている折紙の目の前にレジ袋を置いた。

「暁夜、お疲れ様」

「ホントだよ〜、折紙ちゃん」

あー疲れた。と呟き、料理も手伝わずにソファに寝転がる暁夜。 ただし、折紙が注意を告げたり、文句を言うことはない。というのも、この同棲生活を始めた頃に、料理当番は折紙と決まっているからだ。その代わりに、洗濯物や食器洗い、買い出しなどは暁夜が任されている。机に置かれたテレビのリモコンを手繰り寄せて電源を入れ、適当にチャンネルを変えていく。どれもこれもニュースやバラエティ番組、クイズ番組、子供向けアニメ等ばっかりで退屈だ。暫く適当に切り替え、仕方ない、と妥協してバラエティ番組をつける。

「ふあぁあ」

大きな欠伸をし、人気のなさそうなお笑い芸人が漫才している光景を眺めながら、夕飯が出来るのを待つと共に、明日のデートについての話を持ちかける。

「ところでさー、折紙は明日のデート、どこ行きたい?」

「ドリームランド」

水族館や映画館といった天宮市モールかと思ったら、全く知らない単語だった為、暁夜は一瞬、思考が停止した。

「・・・? そんなテーマパーク、この辺にあったか?」

「ある。ちなみに、男と女が一緒に行くと永遠に結ばれるとても楽しい所」

「・・・木の下で告白したらとか、観覧車でキスしたらみたいな恋のジンクス的な?」

「違う」

折紙はルウを溶かしながら首を振った。

「じゃあ、なんだよ?」

「男と女が身も心も混じりあ--」

「それ以上はアウトっ!」

「男と女が交b--」

「言葉変えたらいいってわけじゃねえぞっ!?」

再び爆弾発言を告げようとする折紙の声を掻き消すほどの大声で暁夜は叫んだ。そして、ソファに座り直して、

「却下だ却下。明日は、街をブラブラします! はい、決定!もう変更は許されません!」

腕を組んで暁夜は告げた。その様は頑固親父といった感じにしか見えない。それに対し、折紙は渋々といった感じで頷き、カレーライスの盛られた皿を手にキッチンを出て、机に二人分のカレーライスの盛られた皿を置いた。暁夜はソファから腰を下ろし、床に座り込み、折紙が座ったのを確認して食事を始めた。暫く、他愛もない会話や何時にデートに行くかなどを話して風呂を終え、ベッドに入り、眠りに入ったのだった。



「………そりゃそうだよな、普通に考えりゃ休校だよな………」
 
 士道は後頭部を掻きながら、高校前から延びる坂道を下っていた。士道が、精霊に十香という名をつけた次の日。普通に登校した士道は、ぴたりと閉じられた校門と、瓦礫の山と化した校舎を見て、自分の阿呆さに息を吐いた。
 まさに校舎が破壊される現場にいたわけだし、普通に考えれば休校になることくらい推測出来たのだろうが………その余りの非現実的な光景に、無意識下で自分の日常と切り離して認識していたのかもしれなかった。それに、昨日の夜ずっと十香との会話ビデオを見ながら反省会をさせられていたため、寝不足で思考力が落ちていたというのもあるかもしれない。

「はぁ・・・ちょっと買い物でもしていくか」

ため息をひとつこぼし、家への帰路とは違う道に足を向ける。確か卵と牛乳が切れていたはずだったし、このまま帰ってしまうというのも何だった。―――が、数分と待たず、士道は再び足を止めることになった。道に、立ち入り禁止を示す看板が立っていたのである。
 
「っと、通行止めか………」
 
 だがそんなものがなくとも、その道を通行出来ないことは容易に知れた。何しろアスファルトの地面は滅茶苦茶に掘り返され、ブロック塀は崩れ、雑居ビルまで崩落している。まるで戦争でもあったかのような有り様だったのだから。
 
「―――ああ、ここは」
 
 この場所には覚えがあった。初めて十香に会った空間震現場の一角である。まだ復興部隊が処理をしていないのだろう。10日前の惨状をそのままに残していた。

「……………」
 
 頭中に少女の姿を思い浮かべながら、細く、息を吐く。
 ―――十香。昨日まで名を持たなかった、精霊と、災厄と呼ばれる少女。昨日、前よりずっと長い時間会話をしてみて―――士道の予感は確信に変わっていた。
 あの少女は確かに、普通では考えられないような力を持っている。国の機関が危険視するのも頷けるほどに。今士道の目の前に広がる惨状がその証拠である。確かに、こんな現象を野放しにはしておけないだろう。
 
「………ドー」
 
 だけれどそれと同時に、彼女がその力をいたずらに振るう、思慮も慈悲もない怪物だとは、到底思えなかった。

「………い、………ドー」
 
 そんな彼女が、士道が大嫌いな鬱々とした顔を作っている。それが、士道にはどうしても許容出来なかったのである。
 
「おい、シドー」
 
 ………まあ、そんなことを頭の中にぐるぐる巡らせていたものだから、気づいて当然の事態に思考がいかず、校門前まで歩く羽目になってしまったのであるが。
 
「………無視をするなっ!」
 
「―――え?」
 
 視界の奥―――通行止めになっているエリアの向こう側からそんな声が響いてきて、士道は首を傾げた。
 凛と風を裂くような、美しい声。どこかで………具体的には昨日学校で聞いたことのあるような声。………今、こんなところでは、聞こえてくるはずのない、声。
 
「え、ええと―――」
 
 士道は自分の記憶と今しがた響いた声音を照合しながら、その方向に視線を集中させた。そしてそのまま、全身を硬直させる。
 視線の先。瓦礫の山の上に、明らかに街中に似つかわしくないドレスを纏った少女が、ちょこんと屈み込んでいた。
 
「と―――十香!?」
 
 そう、士道の脳か目に異常があるのでなければ、その少女は間違いなく、昨日士道が学校で遭遇した精霊だった。

--同時刻--

高級マンションの一室の扉前に暁夜はいた。

「ふあぁ、眠い」

白いシャツに紺のジーンズを履いた暁夜が、両腕をあげて欠伸をする。身体の節々から小気味のいい骨の鳴る音が聞こえた。

「お待たせ、暁夜」

ガチャと扉が開き、白のワンピースを着た折紙が小さな両手鞄を手に現れる。

「うっし。 じゃあ、行くか」

暁夜がそう言って手を差し伸べると、

「・・・」

コクリと頷き、折紙は微かに微笑んで暁夜の手を掴んだ。 

 

デート 前編


様々な店が軒を連ねる大通り。
白のシャツに紺のジーンズを履いた暁夜の二の腕あたりに、白のワンピースを着た折紙が身を寄せるように腕を組み、歩いていた。今日は学校もなく同年代の少年少女やお年寄りに仕事場に向かう大人、それに車が多く、腕を組んだり手を繋いでいなければ、はぐれてしまいそうになる。

「なぁ、折紙」

「・・・どうしたの?」

腕に自身の腕を絡みつけたまま、折紙が暁夜を見上げるように顔を上げた。 身長差もあり、至近距離にならない所は救いだと暁夜は胸中で一人安堵する。というのも、暁夜は折紙の事が好きだ。普段は隠しているが、実はとても大好きだ。しかし、表情に出さないのは、自分にはやるべきことがあるから。そして--

(俺の正体を知れば・・・嫌われるからな)

「--暁夜?」

折紙が首を傾げた。

「いや、なんでもない。それよりもアレ見てみろよ」

暁夜はそう言って、オモチャ屋やレストランなどの店が立ち並ぶ所に一際目立つ群衆を指さす。 そこでは、子供達がわーきゃーと何やら物珍しいものを見て騒いでいた。

「へー、あのピエロすげぇな。ジャグリングしてるぜ、ジャグリング!」

無邪気な笑顔を浮かべはしゃいだ声を上げる暁夜。 折紙はその群衆の輪に囲まれているピエロの化粧と格好をした大人が三つのボールを投げては取っ手を繰り返すのを見て、少しムッとした表情で暁夜の二の腕を抓った。

「痛っ!? 何すんだよ、折紙!」

「あなたがあのピエロに熱中していたから。 アレぐらい私だってできる。ボールも三個じゃなくて四個でもいける」

なぜかピエロに対抗心を抱く折紙。彼女がこうなると面倒だ。暁夜はそう思い、話を変えるために周囲を見渡し、ハンバーガーショップを視界に捉えた。

「な、なぁ、あそこのハンバーガーショップに行かないか? そろそろ昼食の時間だしよ」

それに対し、

「分かった」

コクリと首肯した。それに安堵して暁夜は、ほぅ、と安堵の息を吐いた。そして、ハンバーガーショップに入る。店内は昼食時ということもあり結構混んでいた。ただ、運良く席が二人分空いており、そこで待つように折紙に告げ、財布を手にカウンターに向かう。注文はあらかじめ折紙からも聞いておいたため、困ることはない。列は多少あり、自分の番が来るまで数分程時間がある。ふと、外を見やると、向かいの通りに見慣れた青髪の青年と長い黒髪の少女を見つけた。

「あれって・・・士道と・・・『プリンセス(十香)』?」

一緒にいるはずのない二人の姿に思わず瞼を擦り、再度見やる。 しかし、そこにはもう士道と十香はいなかった。 暁夜は少し考えた後、

「--なわけないか」

そう自己解決する。 やがて、自分の番になり、カウンターの上に置かれたメニューを眺める。少し眺めた後、

「ハンバーガーセットとテリヤキバーガーのセットをそれぞれ一つずつで、ドリンクは烏龍茶とコーヒーをそれぞれ一つずつ」

「以上でよろしいでしょうか? お客様」

「ええ、大丈夫です」

「ありがとうございます。 お会計は1110円です」

暁夜は言われた通りに財布から千五百円を取り出し支払う。そして、番号表を受け取り、隅による。数分してカウンターの天井に取り付けられたモニターに『6番』と記された画面が映し出された。暁夜はその番号表を店員に渡し、引き換えに注文した料理が載ったトレイを手に、折紙の待つ席に向かった。



「あ、令音ー。それいらないならちょーだい」
 
「………ん、構わんよ。持っていきたまえ」
 
 琴里がフォークを伸ばして、令音の前に置いてあった皿のラズベリーを突き刺した。そのままそろそろと口に運び、甘酸っぱい味を堪能する。
 
「んー、おーいし。何で令音これ駄目なんだろねー」
 
「………酸っぱいじゃないか」
 
 そう言って、令音は砂糖をたっぷり入れたアップルティーを一口啜った。
 今二人がいるのは、天宮大通りのカフェだった。琴里は白いリボンに中学校の制服、令音は淡色のカットソーにデニム地のボトムスという格好をしている。

いつも通り中学校に登校した琴里だったのだが、昨日の空間震の余波で琴里の通う学校も多少の被害を受けたらしく、休校になっていたのだ。何かそのまま帰るのも癪だったので、電話で令音を呼び出し、おやつタイムを楽しんでいたのである。
 
「………そうだ、丁度いい機会だから聞いておこう」
 
 令音が思い出したように口を開いた。
 
「なーに?」
 
「………初歩的なことで悪いのだがね、琴里、なぜ彼が精霊との交渉役に選ばれたんだい?」
 
「んー」
 
 令音の問いに、琴里は眉根を寄せた。
 
「誰にも言わない?」
 
「………約束しよう」
 
 低い声音のまま、令音が頷く。琴里はそれを確認してから首肯し返した。村雨令音は、口にしたことは守る女である。
 
「実は私とおにーちゃんって、血が繋がってないっていう超ギャルゲ設定なの」
 
「………ほう?」
 
 面白がるでも驚くでもなく、令音が小さく首を傾げる。ただ速やかに琴里の言葉を理解して「それと今の話に何の関連が?」と訊ねてくるかのような調子だった。
 
「だから私は令音のこと好きなんだよねー」
 
「………?」
 
 令音が、不思議そうな顔を作る。
 
「気にしなーい。………で、続きだけど。何歳の頃って言ったかな、それこそ私がよく覚えてないくらいの時に、おにーちゃん、本当のおかーさんに捨てられてうちに引き取られたらしいんだ。私は物心つく前だったから余り覚えてないんだけどさ、引き取られた当初は相当参ってたみたい。それこそ、自殺でもするんじゃないかってくらいに」
 
「……………」
 
 何故だろうか、令音がぴくりと眉を動かした。
 
「どしたの?」
 
「………いや、続けてくれ」
 
「ん。ま、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけどねー。年齢一桁の子供からしてみれば、母親っていうのは絶対的な存在だし、おにーちゃんにとっては自分の存在全てが否定されるような一大事だったと思う。―――まあ、一年くらいでその状態は治まったらしいんだけどねー」
 
「ふう」と息を吐いてから、続ける。
 
「それからなのかなー。おにーちゃん、人の絶望に対して妙に敏感なんだ」
 
「………絶望に?」
 
「んー。みーんなから自分が全否定されてるような―――自分はぜーったい誰からも愛されないと思っているような。まあ要は当時の自分みたいなさ。そんな鬱々とした顔をした人がいると、全く知らない人でも無遠慮に絡んでいくんだよね」
 
 だから、と目を伏せる。
 
「もしかしたら、と思ったんだ。―――あの精霊に勇んで向かっていくようなの、おにーちゃんくらいしか思いつかなかったからさー」
 
 琴里がそう言うと、令音は「………成る程」と目を伏せた。
 
「………だが、私が聞きたいのはそういう心情的な理由ではないね」
 
「……………」
 
 令音の言葉に、琴里はぴくりと眉を動かした。
 
「っていうと?」
 
「………惚けてもらっては困る。君が知らないとは思えない。―――彼は一体何者だね」
 
 令音は<ラタトスク>最高の解析官である。特注の顕現装置(リアライザ)を用い、物質の組成は当然として、体温の分布や脳波を計測して、人の感情の機微さえもおおよそ見取ってしまう。―――その人間に隠された能力や特性すら。
 
琴里は「ふう」と息を吐いた。
 
「ま、令音に、おにーちゃんを預けた時点でこうなるのは大体分かってたけどねー」
 
「………ああ、悪いが、少し解析させてもらったよ。………明確な理由もなく一般人をこの作戦に従事させるなんて可笑しいと思ったのでね」
 
「ん、別に構わないぞー。どうせそのうち、みんなも知ることになるだろーし」
 
 カランカラン、という扉の音と、

「いらっしゃいませー」

という店員の声を聞きながら、琴里は肩を竦めた。

そして手元のコップに刺さっていたストローを咥え、残っていたブルーベリージュースを一気に吸い込む―――
 
「ぶふぅぅぅぅぅぅッ!?」
 
 今店に入ってきたと思しきカップルが令音の後ろの席に腰掛けるのを見て、口の中に収めていたジュースを勢いよく吹き出した。
 
「……………」
 
 どうやらカップルには気づかれなかったようだったが、琴里の目の前にいた令音はその被害をモロに受けていた。 要はびしょ濡れである。

「ごめっ、令音………」
 
「………ん」
 
 声を潜めて琴里が謝ると、令音は何事もなかったかのように、ポケットから出したハンカチで顔を拭っていった。
 
「………何かあったのかね、琴里」
 
「ん………ちょっと非科学的かつ非現実的なものを見た気がして」
 
「………何だね?」
 
 令音の問いに答えるように、琴里は無言で、令音の後ろを指差した。
 
「………?」
 
 令音は首を回し―――ぴたりと動きを止めた。そして数秒の後、ゆっくりと首を元の位置に戻し、アップルティーを口に含んだ。それから「ぶー」と琴里に紅茶を吹き出す。
 
「………なまらびっくり」
 
 何故か北海道方言だった。令音なりに動揺しているのかもしれない。
 それはそうだろう。何しろ令音の後ろには、琴里の兄・五河士道が女の子を連れて座っていたのだから。しかもそれだけではない。その女の子は―――琴里達が災厄と、精霊と呼ぶ、あの少女であったのだ。

「これは一大事ね」

ポケットから黒いリボンを取り出し、髪を結い直す。琴里なりのマインドセットだった。これで琴里は、士道の可愛い妹から司令官モードへとトランスフォームする。そして携帯電話を開くと、<ラタトスク>の回線に繋いだ。
 
「………ああ、私よ。緊急事態が発生したわ。―――作戦コードF-08・オペレーション『天宮の休日』を発令。至急持ち場につきなさい」
 
 そう言うと、令音がぴくりと頬を動かした。琴里が電話を終えるのを待って、声を発してくる。
 
「………やる気かね、琴里」
 
「ええ。指示が出せない状況だもの。仕方ないわ」
 
「………そうか、この状況からだと―――ルートCというところか。………ふむ、では私も動くとしよう。早めに店に交渉してくるよ」
 
「お願い」
 
 そう言って琴里はポケットからチュッパチャプスを取り出し、口に咥えた。



暁夜と折紙はハンバーガーショップを後にし、アクセサリーショップに足を運んでいた。店内はどこもかしこもカップルや今時の女の子達で大半を占められていた。なんとなく場違いな気がして暁夜はげんなりするが、折紙に片腕を拘束されているため、逃れることが出来ない。オマケに、女子中学生や他校と同校の女子高生に男子高校生等が嫉妬や好意の視線を送ってくる。ホントにこそばゆく嫌になる。正直言って帰りたい。と暁夜が嘆いていると、グイッと袖を引っ張られた。それにより、身体の重心が下がり、顔が折紙の顔と同じ高さまで移動する。しかも、顔の距離がとてつもなく近い。折紙の髪の毛に鼻先が触れるか触れない辺りでぎりぎり留まり、ほぅ、と安堵の息を吐いた。すると、ピクっと折紙の肩が震え、

「・・・んっ」

とどこか悩ましげな声をあげた。そして、折紙が顔をこちらに向ける。気のせいか少しだけ頬が紅くなっているような気がした。暁夜は意表を突かれ、顔を背けようとするが、ガシッと後ろに回された手で頭を固定され、自分の意志に関係なく顔を折紙の顔に向けさせられた。

「・・・・」

「・・・・」

折紙の透き通ったガラス玉のような水色の瞳が真っ直ぐに紅闇色の瞳を射抜くように見つめ、綺麗で柔らかそうな唇の動きやそこから漏れる吐息。 銀色の髪からはシャンプーのいい香りがして、思わずゴクリと唾を飲み込む。ただでさえ、美少女なのにそれが好きな人であればなおさらこの状況下は言葉に出来ないほどにヤバい。暁夜は視線をさ迷わせ、どうしたらと思考をかけ巡らせていると、首筋辺りにぞわりとした感触を覚え、

「・・・ふぁっ!?」

と、思わず高い声を上げる。それと同時に、アクセサリーショップ内の客や店員の視線が暁夜と折紙の方に向ける。主に暁夜の方に。ただ、本人はその視線に気づかずに、折紙にジト目を向けていた。先程の高い声をあげる羽目となった元凶の少女に。

「いきなり何すんだ、折紙」

小声でそう問いかけると、

「先にやったのは暁夜の方。私はただやり返しただけ」

反省の色なんて一切ない表情で、折紙は至極当然のように言ってのけた。

「ったく、いきなり首筋を指で撫でるなよ。 ・・・スされるかと思って焦っただろ」

「・・・今、なんて言ったの?」

「な、何でもねえよ!それよりもさっさとアクセサリー買うなら買うで早く決めろよ!お、俺、ちょっと、トイレ行ってくっから!」

「あっ...暁夜」

折紙がそんな声を漏らすが、暁夜は逃げるようにアクセサリーショップを飛び出した。

「・・・あっぶねぇ! マジで恥ずいぞ!さっきの俺!」

紅くなっている顔を隠すように右手で覆いながら、トイレのある建物へと駆けて行った。そして、一人残された折紙は、

「・・・残念」

自身の唇を指先でなぞってポツリと呟いた。 

 

デート 後編


「えーと、福引き所………あれか」
 
 士道と十香が大通りのカフェで何故か店員の格好をしていた令音に渡された『サポートする。自然にデートを続けたまえ』と記されたレシートと福引券を渡された後、店を出て道なりに進むと、赤いクロスを敷いた長机の上に、大きな抽選器 が置かれたスペースが見えてきた。

ハッピを羽織った男が、抽選器のところに一人、商品渡し口に一人おり、その後方に、賞品と思しき自転車やら米やらが並べられていた。既に数名、人が並んでいる。
 
「・・・・」
 
 士道は頬を掻いた。うろ覚えではあるが、ハッピを着た男達は勿論のこと、並んでいる客の顔もまた、<フラクシナス>内部で見たことがある気がしたのだ。

「おお!」
 
 しかしそんなもの十香に関係あるはずがない。士道から受け取った(というか、物凄く物欲しそうに見るものだから持たせてやった)福引き券を握り締め、目を輝かせる。

十香が特殊災害生命体『精霊』であるとは到底思えないな。と士道は苦笑いを浮かべる。

「ほら、じゃあ並んで」
 
「ん」
 
 十香が頷き、列の最後尾につく。前に並んだ客が抽選器を回すのを見ながら、首と目をめまぐるしく動かしていた。
 すぐに、十香の番がくる。十香は前の客に倣って券を係員に手渡し、抽選器に手を掛けた。よく見ると係員は<早過ぎた倦怠期(バッドマリッジ)>川越だった。

「これを回せばいいのだな?」
 
 そう言って十香は、ぐるぐると抽選器を回す。数秒後、抽選器から赤いハズレ玉が飛び出した。
 
「・・・っと、残念だったな。赤はポケットティ―――」
 
 士道が言いかけた時、川越が手に持っていた鐘をガランガランと高らかに鳴らした。
 
「大当たり!」
 
「おお!」
 
「は、はあ………?」
 
 士道は眉を顰め、間の抜けた声を発したが・・・川越の後ろで別の係員が、後ろに貼ってあった賞品ボード『1位』のところに書いてある金色の玉を、赤いマジックペンで塗り潰しているのを目撃し、声を出すのを止めた。

「おめでとうございます!1位はなんと、ドリームランド完全無料ペアチケット!」
 
「おお、何だこれはシドー!」
 
「・・・テーマパークか?聞いたことない名前だけど・・・」
 
 興奮した様子でチケットを受け取る十香に、士道が訝しげな調子で返す。すると川越が、ずずい、と顔を寄せ、
 
「裏に地図が書いてありますので、是非!これからすぐにでも!」
 
「・・・っ、は、はあ」
 
 気圧されるように一歩下がりながら、チケットの裏を見る。確かに地図が書いてあった。というか物凄く近かった。
 
「こんなところにテーマパークなんてあったか・・・?」
 
 士道は首を捻ったが、まあ、<ラタトスク>の指示である。何かあるのだろう。
 
「・・・行ってみるか?十香」
 
「うむ!」
 
 十香も乗り気なようなので、取り敢えず足を運んでみることにする。
 場所は本当に近かった。この福引き所から路地に入って数百メートル。また両側には雑居ビルが並んでおり、とてもではないがテーマパークがあるようには思えない。

だが―――

「おお!シドー!城があるぞ!あそこに行くのか!?」
 
 十香が今までになく興奮しながら、前方を指差す。士道は、そんな馬鹿なと思いつつチケットの裏面から視線を外して顔を前に向ける。
 
「・・・ッ」
 
 瞬間、士道はその場に凍りついた。
 確かに小さいながらも、西洋風のお城である。看板にドリームランドとも書いてある。
ついでにその下に『ご休憩・二時間4000円~ ご宿泊・8000円~』という文字も書いてあった。まあつまりは、大人しか入ってはいけない愛のホテルだった。

「も、戻るぞ十香・・・っ!俺ってばうっかりさんだから道を間違えた!」
 
「ぬ?あそこではないのか?」
 
「ああそうだ。ほ、ほら、早く戻るぞ」
 
「あそこにも寄っていかないか?入ってみたいぞ」
 
「・・・ッ!い、いやいやいや。今日のところはやめとこう!な!?」
 
「むう・・・そうか」
 
 残念そうに言う十香には悪かったが、流石にあそこは無理である。 士道は、恐らく上空から一部始終を見ているであろう琴里に睨みをくれてやってから道を戻っていった。



「ふぅ、落ち着いたし戻るか」

アクセサリーショップからかなり離れた雑居ビル付近の自販機から二人分の飲み物を取り出して息を吐く。折紙のせいでドクドクと早鐘を打っていた鼓動は今は治まっていた。携帯で現時刻を確認し、飲み物両手に歩いていると、少し小さめの西洋風のお城の前に見覚えのある青年と少女がいるのを視界に捉える。

「・・・士道? それにあの女は・・・ってそんなわけないか」

暁夜は頭を振って、止めていた足を動かそうとして、

「やべっ!?」

ズサっと、建物の陰に隠れた。というのも、西洋風のお城の方から暁夜のいる方向へと士道と十香に似た少女が歩いてきたからだ。息を潜め、気配を殺す。徐々に士道達の姿がハッキリと見え、驚きに目を見開いた。

「やっぱり・・・『プリンセス(精霊)』。それにしても空間震を起こさずに来れる方法があるのか?でも、なんで今日だけ空間震を起こさなかったんだ?とりあえず、報告だな」

暁夜は士道と十香がいなくなったのを確認し、携帯を取り出し、アドレス帳から番号を選択して電話をかけた。

そして。

「--AST、崇宮暁夜二曹。 A-3108」

自分の所属と識別コードを小声で告げ、

「観測機を一つ、回してくれ」

そうお願いして、通話を切る。

「よし、折紙ん所に帰るか。なにか分かれば連絡来るだろうし」

二人分の飲み物の内、自分用のサイダーのペットボトルキャップを外し、微かに渇いた喉を潤してから隠れていた建物から出て、アクセサリーショップへと向かった。 その際に、士道達の後ろをついていくのはあちらが気づいた時にめんどくさいと考え、西洋風のお城方面へと歩くことにする。本当の理由は、西洋風のお城がどんな所なのか見てみたいという好奇心がくすぐられたからとは恥ずかしくて口に出して言えないが。サイダーを飲みながらトボトボとのんびり歩いて近づき、看板に目をやる。

その瞬間--

「ぶふぅぅぅぅぅぅッ!?」

思い切り口に含んでいたサイダーを吐き出した。看板を見て吹き出すなんて失礼かと思われるかもしれないが、仕方の無いことである。 何故なら、その看板には--

『ドリームランド』

と、書かれていたからだ。その名前は折紙が行きたいと言っていたラブホだった。 確かに場所も名前も知らないはずだ。というか折紙はどうしてこの場所を知っていたのか今度問いただした方がいいのかもしれないと暁夜は一人思った。

「早めにドリームランド見つけといてよかったぁ。 これでここの道は行かないように誘導すればこっちのもんだな」

暁夜は、良かった良かった。と胸をなで下ろして、口元を拭い、今度こそアクセサリーショップに向かった。

数十分後。

「待たせて悪い、折紙」

アクセサリーショップの自動ドアの左側の壁にもたれ掛かり、片手に紙袋を携えた折紙に謝罪の声をかける。

「問題ない。私もちょうど買い物を終えたとこ」

そう言って、紙袋から二つのアクセサリーを出す。 それは、二つが揃って初めて形をとるハート型のアクセサリー。 折紙はその片方を暁夜に差し出す。

「わざわざ俺の分まで買ったのか? 別に気を使わなくても・・・」

「違う。これはデート記念のプレゼント。 後は暁夜からお返しのプレゼントを貰うだけ」

「あー要するにお前も買えって事か。そのアクセ何円したん? 一応、お金も返しとくし」

暁夜は、折紙から片方のアクセサリーを受け取り、財布を取り出し、尋ねる。 それに対し、折紙は首を横に振って、

「お金はいらない。その代わりに、キスして」

そう告げた。

「キス? キスって、魚の?」

「違う。ベーゼまたは、接吻のこと」

「・・・拒否します。お前には、キスではなく、他のものを送ります」

「それは・・・子だn--」

「違うからな!? そんなお前が考えてるような卑猥なワードじゃねえからな!?」

折紙の言葉を遮り、暁夜は叫んだ。油断も隙もない発言に、暁夜は冷や汗を浮かべる。公共の場だというのに、全然ブレない折紙にある意味尊敬するがそれ以上に呆れてしまう。全然ブレない折紙にある意味尊敬するがそれ以上に呆れてしまう。公共の場などお構い無しの発言と態度に。

「じゃあ何をくれるの?」

「あー、と。 服とか?」

「服よりも下着の方が私は嬉しい」

「・・・はぁ。 分かったよ」

暁夜は大きな溜息をつき、妥協する。何となく、ここで断ったらそれ以上の無理難題が飛んでくる気がした。

「そうと決まれば、すぐに買いに行く」

「ちょ、引っ張らなくてもついてくから離してくれよ!?」

暁夜は、折紙に引っ張られていきながらそんな声を上げた。



「はぁ………はぁ」
 
 走ったわけでもないのに、妙に息が切れていた。様々な店が建ち並ぶ通りに出たところで、歩調を緩める。
 
「気分でも悪いのか、シドー?」
 
「や、そういうわけではないんだが・・・」
 
「ではどうした?」
 
 十香が首を傾げて問うてくる。

「・・・少し、お空にいる妹に思いを()せていたんだ」
 
「お空にいるのか」
 
 少し驚いたような顔を作る十香。

「ああ。可愛い妹だったんだがなあ・・・」
 
 まさかあんな二重人格だったとは、と嘆息する。

「そうか・・・」
 
 何故か十香がしんみりした空気を発するのを見て、士道ははたと気づいた。今の言い方では、まるで琴里が死んでしまっているみたいではないか。

「ああいや。違うんだ十香。それは―――」
 
 士道はそこで言葉を止めた。
 
「お願いしまーす」
 
 急に目の前に、女がポケットティッシュを差し出してきたからだ。咄嗟に手を出してそれを受け取ると、女は小さく会釈をしてどこかへ去っていった。
 
「シドー?何だそれは」
 
「ああ、これはポケットティッシュっていって―――」
 
 そう言いかけて、士道は首を捻った。
 街頭で配っているポケットティッシュは普通、企業の広告用だ。なのにこのティッシュのパッケージには、手を繋いだ男女のイラストと、『幸せなら手を繋ごう』というフレーズしか 書かれていなかったのだ。何かの宗教団体だろうか?

士道が不思議に思っていると、今度は右手にある電話店から、どこかで聞いたような声が聞こえてくる。店頭に並べられたいくつものテレビに、奇妙な番組が映し出されていた。
 
「な・・・ッ!?」
 
 士道は眉根を寄せて声を上げた。昼間にやっている情報番組のようなセットに、何人かコメンテーターのような人物が確認出来るのだが、それらが全て<フラクシナス>で見た顔だったのだ。
 
『やっぱり初デートで手を握ってくれないような人は嫌ですよぉー』
 
『そうですよねえ。男ならガッといかないとねえ』
 
「・・・」
 
 士道が黙っていると、不自然なほど周囲にカップルが増え始めた。しかも皆仲睦まじく手を繋いで、時折「手を繋ぐのっていいよね!」やら、「心が通じ合う感じがするね!」やらと、わざとらしく言ってくる。

士道は軽い目眩のようなものを感じて額に手を当てた。―――これは、やっぱり、そういうことだろうか。
 大きく息を吐いて、暫しの後。士道はティッシュをポケットに仕舞うと、動悸を抑えながら十香に目を向けた。
 
「な、なあ、十香………」
 
「ん、何だ?」
 
 十香が不思議そうに首を傾げる。士道はごくりと唾液を飲み込んでから手を前に出した。
 
「その、手・・・繋がないか?」
 
「手を?何故だ?」
 
 まるで悪気なく、純粋な疑問符を浮かべながら十香が問うてくる。何かもう、ただ拒絶されるより恥ずかしかった。
 
「・・・そうだな。何でだろうな」
 
 実際、説明出来るようなものでもない。士道は目を泳がせながら手を引っ込め―――
 
「ん」
 
 ―――ようとしたところで、十香が、士道の手を取った。
 
「・・・っ」
 
「ぬ?何だその顔は。シドーが繋ごうと言ったのだろう」
 
「あ、ああ」
 
 士道は軽く頭を振ってから、道を歩き出す。
 
「ん、悪くないな、これも」
 
 そう言って十香が笑い、きゅっと手を握る力を少しだけ強くした。
 
「・・・っ、そ、そうだな」
 
 何かもう、小さくて柔らかくて少し士道よりも体温の低い、ひんやりとした手を触っていると、自然と顔が赤くなるのが自覚出来た。出来るだけ感触に気がいかないよう、別のことを考えながら歩いていく。

どれくらい進んだ頃だろうか、進行方向上に、工事中を示す黄色と黒の立て看板が見えた。ヘルメットを被った男達が、齷齪(あくせく)と働いている。
 
「っと・・・ここ通れないのか。じゃ仕方ない、こっちに・・・」
 
 士道が足の向きを変え、右側に向くと、今度はその通路に立ち入り禁止の看板が置かれた。
 
「あ?」
 
 不審に思いながらも、仕方なく元来た道を戻ろうとする。だが今度は、今まで士道達が歩いてきた道が、看板で塞がれた。
 
「・・・・」
 
 幾らなんでも不自然に過ぎる。士道は目を凝らして作業員の顔を睨めてみた。案の定、その内数名の顔に見覚えがあった。

<フラクシナス>クルーだ。
 
士道は無言のまま、高台の方に向かう、左手に延びた通路に目をやった。通れる道はそこしかなかったのだ。

「・・・こっちに行けってことかね」
 
「ぬ?どうしたシドー」
 
「や、何でも。・・・取り敢えず、こっち行ってみるか?」
 
「ん、いいぞ」
 
 十香は、もう歩いているだけで楽しいというような顔を作りながら首肯してきた。
 
「さて、では行くかシドー」
 
「お、おう・・・」
 
 士道は、ぎこちない様子で、左手の道を歩いていった。



大通りを抜けた先にあるショッピングモール内のランジェリーショップ。 女性ばかりがたむろする中で暁夜は一人、試着室の前にある椅子に座り居心地悪そうに視線を床に向けていた。といのも、ランジェリーショップというのは女性の下着類が売られている。 男にとっては縁のない場所だ。恐らく、カップルだとしても、恥ずかしくて入りずらいのが当然の気持ちだ。勿論、暁夜だって同じだ。カップルではないが、傍から見ればカップルに見られるかもしれないが、それでも入るのは躊躇う。しかし、デート相手が折紙だったのが運の尽きだろう。

因みに、当の彼女は、暁夜の前にある試着室で、自分で選んだ下着を試着している。この数分前に、折紙に試着室に引きずり込まれそうになったのはトラウマにしかならなかった。

(・・・早く帰りたい)

未だに周囲から刺さってくる好意的な視線が痛い。 暁夜は好意的な視線があまり好きではない。特に初対面の人だ。仲良くもなく、関わったこともないのに顔だけで人を判断し、好意的な視線を送ってくる。上部だけでしか見ない人は『精霊』の次に嫌っている。ただ、折紙の場合は、自分のことを知り尽くした上で、好意を送ってくるため、不快にならない。それに、暁夜も折紙と関わってから好きになった。 当初は綺麗な女の子だなぁ。としか思っていなかったが、関わり始めてから、色々と折紙のことを知っていき、惚れた。

(あー、早く終わって帰りてぇー!)

と、心の中で叫んだのと同時に、ズボンのポケットに入れていた携帯から、着信がきたことを伝えるメロディが鳴った。 暁夜は携帯を取り出し、画面を見ると、『燎子さん』と映し出されていた。 暁夜は軽く操作して、耳にあてがう。

「暁夜ですけど、なにか分かったんですか? 燎子さん」

『ええ、あなたの言う通り、あの少年の隣にいたのは『精霊』だったわ。 存在一致率98・5パーセント。 流石に、他人の空似や偶然とかで説明できるレベルじゃない』

「って事は、上から討滅許可は?」

『残念だけど出てないわ。お偉方が協議中なんでしょ』

「そう、すか」

落胆する訳でもなく安堵したわけでもなく、呆れた様子で返事を返す。いま現在、暁夜には対精霊武装がなく、ましてや『プリンセス(十香)』の居場所もわからない。多少は精霊の力を使用可能だが、本物の精霊である十香に勝てる程の力はない。もって三分。

「所で観測機の方で精霊の居場所は分かるんですよね?」

『ええ、まあね』

「その場所って教えてもらったりできますか?」

『--駄目よ。たとえ、成果を上げているからって、アンタは私の大切な部下よ。危険な目に遭わせる訳にはいかないわ』

その言葉には有無を言わせないものがあった。部下のことを大事に思っていることにはとても感謝している。それでも、暁夜にも譲れないものがある。

「--分かりました。 協議が終わったら、結果だけ教えてください」

『ごめんなさいね。 アンタが『精霊』の事を恨んでいるのは知ってるのに。でも、それ以上にアンタには死んで欲しくないの』

「ええ、分かってます。 燎子さんが俺達のことを大切に思っていることは。でも今回は恐らくですが危険な目には遭わないと思いますよ。『プリンセス』の隣には一般人である士道がいるので」

『どういうこと?』

燎子が疑問を浮かべる。

「そのままの意味です。士道は『プリンセス』の枷みたいなもの。もう少しわかりやすくいえば、精霊を制御できるというわけです」

『『精霊』を制御出来る?でもおかしいわよ。 今までにそんな情報はなかったわ』

「そりゃそうですよ。 俺も昨日知りましたからね。ですんで、場所だけ教えてください。 討滅はしません。どうやら今は何もしないみたいなので監視だけでも」

『はぁ、分かったわ。一応、武装だけ送ってあげるから、今から高台に来なさい。 そこで合流とするわ』

「ええ、迷惑かけます」

暁夜は最後に謝罪の言葉を残して、通話を切る。そして、携帯をしまった後、試着室の中にいる折紙に声をかける。

「おーい、そろそろ決まったか〜?」

「--ちょっと来て」

「・・・どうしたんだ? 折紙」

折紙の声に試着室に近づくと、試着室の中から手が伸び、

「・・・へっ!?」

変な声を上げた瞬間、引きずり込まれた。その勢いそのまま、硬い何かに顔面をぶつけ、顔中に熱を帯びた。暁夜は顔面を押さえながら、立ち上がると共に、背後を振り返ると、

「な、なんて格好してやがんだ・・・っ!? 折紙!」

そこには、上半身は何も身につけず下半身を黒の下着で覆った姿の折紙が立っていた。しかも恥ずかしげもなく、柔らかそうな胸を隠そうとしない。 寧ろ、見てと言わんばかりに折紙が近づいてくる。暁夜は自身の身体が頭が熱くなっていくのを嫌という程に感じた。慌てて逃走を図るが、シュパッ、と風を切るような音と共に、片腕を絡め取られ、床に叩き伏せられる。

「・・・んぎゃっ!?」

「--逃がさない」

後ろから跨り、折紙が耳元でそう囁いた。

「あの・・・その・・・まっ--」

「大丈夫。 すぐ楽になる」

折紙のその声を最後に、暁夜の悲鳴というよりなにかイケないような声がランジェリーショップに響き渡った。
 

 

届かなかった手


時刻は18時。
 天宮駅前のビル群に、オレンジ色の夕日が染み渡る。そんな最高の絶景を一望出来る高台の小さな公園を、少年と少女が二人、歩いていた。

少年の方はさほど問題ない。普通の男子高校生だ。しかし、少女の方は―――

「………ふぅ」

CRユニットもワイヤリングスーツも纏わず私服姿の暁夜は自分の身長よりも長い対精霊ライフル<クライ・クライ・クライ>のスコープから目を離して乾いた唇を舐めた。因みに、腰帯に差してある白塗りの片手剣《アロンダイト》から放出されている淡い青の光によって、射撃によって起こる反動を抑制している為、人体に被害は及ばない。

「今んところは怪しい動きなし、か」

精霊。世界を殺す災厄。三十年前にこの地を焦土とし、五年前には大火を呼んだ最凶最悪の疫病神(カラミティ)と同種の少女。

「ところで、暁夜。 あんた、昨日よりやつれてないかしら?」

背後の方で他のAST隊員に指示を仰いでいた燎子が、暁夜を見てそう尋ねる。それに、と燎子が折紙の方に視線を移して、

「アンタは肌がツヤツヤしてない? エステでも行ってきたの?」

「違う。 エステではなく、暁y--」

「マ、マッサージです! エステではなく、マッサージに行ってました! 因みに俺は歩き疲れただけです! はい、この話は終わり!」

暁夜はそう有無を言わせない感じで告げて、話を強制終了させる。

「マッサージではない。 暁夜成分を摂s--」

「この話終わりって言ったじゃん!? お前はどんだけマイペースなの! この世界は君のワールドじゃないからね!?」

余りにもマイペース&フリーダムな折紙に暁夜は悲痛な叫びをあげる。しかも、先程よりもワード数が長い為、聞かれてはいけない部分まで燎子に聞かれてしまった。

「あ、アンタ達って、そ、そういう仲だったのね」

「なんで息子の部屋で特殊性癖なエロ本を見つけた母親みたいな反応するんですか!?」

「だ、大丈夫よ。 あなた達もいい歳だものね。でも、少しは弁えた方がいいわよ」

「誤解しないでくださいよ! 燎子さんが考えているようないかがわしい事なんて起こってませんから! それよりも、精霊の監視に移りましょうよ!!」

目線を暁夜から逸らして勝手に納得してしまう燎子にそう否定の言葉を叫んで、話を無理矢理変える。 後で折紙にはお説教だな。と暁夜は少し不機嫌になりながら、《クライ・クライ・クライ》のスコープを覗く。

『こちら、オペレーターの藍鳴です。 暁夜さん、今よろしいでしょうか?』

と、突然、暁夜が耳に取り付けた通信機にオペレーターの通信が入ってきた。

「こちら、暁夜。 話してどーぞー」

『相変わらず巫山戯た返しですね、暁夜さん。まぁ、その方が話しやすくて私的には助かります』

「オペレーターちゃんも力抜いたら〜?そんな堅苦しいマニュアル通りの話し方は似合わないよ〜」

暁夜はスコープ越しから見える十香と士道の様子をしっかりと確認しながら、返答を返す。

『そうしたいのも山々なのですが、これも規則ですので。所で・・・そろそろ話を進めてもよろしいですか? 暁夜さん』

「どうぞどうぞ、先に進めて〜」

『・・・では。 先程、協議会が終わりました。結果は、精霊討滅の許可。これにより、全AST隊員は武装の使用が許可となりました。あなた風に言うなら、精霊をぶっ殺してOKという事です』

「了解。 これよりASTは精霊の討滅を開始する」

暁夜はその言葉を最後に通信を切った。そして、《クライ・クライ・クライ》のスコープから目を離し、燎子と折紙に指示を仰ぐ。

「燎子さんは上空で待機中のAST隊員に合流し、折紙と俺の援護をお願いします。 それと折紙はここで、《クライ・クライ・クライ(こいつ)》を使って狙撃。 因みに、俺が合図するまで狙撃はしないこと」

「分かった」

「どうやら許可が降りたのね。 分かったわ、ここはアンタに任せるわ」

暁夜の指示に、折紙と燎子は了承し、それぞれの持ち場に動いていく。それを確認した後、ついでにと燎子との通話の際に持ってきてもらうようお願いをした双眼鏡を目に当て、士道と十香の様子を確認しながら、狙撃のタイミングを見計らい始めた。



夕日に染まった高台の公園には今、士道と十香以外の人影は見受けられなかった。時折遠くから自動車の音や、カラスの鳴き声が聞こえてくるだけの、静かな空間。
 
「おお、絶景だな!」
 
 十香は先ほどから、落下防止用の柵から身を乗り出しながら、黄昏色の天宮の街並みを眺めている。 <フラクシナス>クルー達が巧妙(?)に誘導するルートを辿ってきたところ、丁度日が傾きかけた頃に、この見晴らしのいい公園に辿り着いたのである。
 
士道も、ここに来るのは初めてではない。というか、密かなお気に入りの場所でもあった。終着点にここを選んだのは・・・まあ、きっと琴里だろう。

「シドー!あれはどう変形するのだ!?」
 
 十香が遠くを走る電車を指差し、目を輝かせながら言ってくる。

「残念ながら電車は変形しない」
 
「何、合体タイプか?」
 
「まあ、連結くらいはするな」
 
「おお」
 
 十香は妙に納得した調子で頷くと、くるりと身体を回転させ、手すりに体重を預けながら士道に向き直った。夕焼けを背景に佇む十香は、それはそれは美しくて、まるで一枚の絵画のようだった。
 
「―――それにしても」
 
 十香が話題を変えるように、んー、と伸びをした。そして、にぃッ、と屈託のない笑みを浮かべてくる。
 
「いいものだな、デェトというのは。実にその、なんだ、楽しい」
 
「・・・っ」
 
 不意を突かれた。自分からは見えないけれど、きっと頬は真っ赤に染まっている。

「どうした、顔が赤いぞシドー」
 
「・・・夕日だ」
 
 そう言って士道は、顔を俯かせる。
 
「そうか?」
 
 すると十香が士道の(もと)に寄り、見上げるようにして顔を覗き込んできた。
 
「ぃ―――ッ」
 
「やはり赤いではないか。何かの疾患か?」
 
 吐息が触れるくらいの距離で、十香が言う。

「や・・・ち、違う、から・・・」
 
 視線を逸らしながらも―――士道の頭の中には、デェト、という言葉が渦巻いていた。
 漫画や映画の知識ではあるけれど。たぶん、恋人達がデートの終盤でこんな素敵な場所を訪れたなら、やっぱり―――
 自然と士道の目は、十香の柔らかそうな唇に向いていた。

「ぬ?」
 
「―――――ッ!」
 
 別に十香は何も言っていないのだが、自分の(よこしま)な思考が見透かされた気がして、再び目を逸らしながら身体を離す。

「何だ、忙しい奴だな」
 
「う、うるせ・・・」
 
 士道は額に滲んだ汗を袖で拭いながら、ちらと十香の顔を一瞥した。10日前、そして昨日、十香の顔に浮かんでいた鬱々とした表情は、随分と薄れていた。
 士道は、鼻から細く息を吐き、一歩足を引いて十香に向き直る。
 
「―――どうだ?おまえを殺そうとする奴なんていなかっただろ?」
 
「・・・ん、皆優しかった。正直に言えば、まだ信じられないくらいに」
 
「あ・・・?」
 
 士道が首を捻ると、十香は自嘲気味に苦笑した。
 
「あんなにも多くの人間が、私を拒絶しないなんて。私を否定しないなんて。―――あのメカメカ団・・・ええと、何といったか。エイ・・・?」

「ASTのことか?」
 
「そう、それだ。街の人間全てが奴らの手の者で、私を(あざむ)こうとしていたと言われた方が真実味がある」
 
「おいおい………」
 
 流石に発想が飛躍し過ぎていたが・・・士道はそれを笑えなかった。だって十香にとっては、それが普通だったのだ。否定されるのが、され続けるのが、普通。なんて―――悲しい。
 
「・・・それじゃあ、俺もASTの手元ってことになるのか?」
 
 士道がそう言うと、十香はぶんぶんと首を振った。
 
「いや、シドーはあれだ。きっと親兄弟を人質に取られて脅されているのだ」
 
「な、何だその役柄・・・」
 
「・・・おまえが敵とか、そんなのは考えさせるな」
 
「え?」
 
「何でもない」

士道が問い返すと、今度は十香が顔を背けた。表情を無理矢理変えるように、手で顔をごしごしとやってから、視線を戻してくる。
 
「―――でも本当に、今日はそれくらい、有意義な1日だった。世界がこんなに優しいだなんて、こんなに楽しいだなんて、こんなに綺麗だなんて………思いもしなかった」
 
「そう、か―――」
 
 士道は口元を綻ばせて息を吐いた。

だけれど十香は、そんな士道に反するように、眉を八の字に歪めて苦笑を浮かべた。
 
「あいつら―――ASTとやらの考えも、少しだけ分かったしな」
 
「え・・・?」
 
 士道が怪訝そうに眉根を寄せると、十香が少し悲しそうな顔を作った。士道が嫌いな鬱々とした表情とは少しだけ違う―――でも、見ているだけで胸が締め付けられてしまいそうな、悲壮感の漂う顔だった。
 
私は………いつも現界する度に、こんなにも素晴らしいものを壊していたんだな」
 
「―――――っ」
 
 士道は、息を詰まらせた。
 
「で、でも、それはおまえの意思とは関係ないんだろ………ッ!?」
 
「だがこの世界の住人達にしてみれば、破壊という結果は変わらない。ASTが・・・崇宮暁夜(あの男)が私を殺そうとする道理が、ようやく・・・知れた」
 
 士道は、すぐに言葉を発せなかった。十香の悲痛な面持ちに胸が引き絞られ、上手く呼吸が出来なくなる。

「シドー。やはり私は――いない方がいいな」
 
 そう言って――十香が笑う。今日の昼間に覗かせた無邪気な笑みではない。まるで自分の死期を悟った病人のような――弱々しく、痛々しい笑顔だった。

ごくりと、唾液を飲み込む士道。いつの間にか喉はカラカラに渇いていた。張り付いた喉に水分が染みていく軽い痛みを感じながら、どうにか口を開く。
 
「そんなこと・・・ない・・・ッ」
 
 士道は声に力を込めるために、ぐっと拳を握った。
 
「だって・・・今日は空間震が起きてねえじゃねえか!きっといつもと何か違いがあるんだ・・・ッ!それさえ突き止めれば・・・!」
 
 しかし十香は、ゆっくりと首を振った。
 
「たとえその方法が確立したとしても、不定期に存在がこちらに固着するのは止められない。現界の数は減らないだろう」
 
「じゃあ・・・ッ!もう向こうに帰らなければいいだろうが!」
 
 士道が叫ぶと、十香は顔を上げて目を見開いた。まるで、そんな考えを全く持っていなかったというように。
 
「そんなことが―――可能なはずは・・・」
 
「試したのか!?一度でも!」
 
「・・・」

香が、唇を結んで黙り込む。
 士道は異様な動悸(どうき)を抑え込むように胸元を押さえながら、再び喉を唾液で濡らした。咄嗟に叫んだ言葉だったが―――それが可能ならば、空間震は起こらなくなるはずである。
 確か琴里の説明では、精霊が異空間からこちらの世界に移動する際の余波が空間震となるという話だった。そして、十香が自分の意思とは関係なく不定期にこちらの世界に引っ張られてしまうというのなら、最初からずっとこちらに留まっていればよいのだ。

「で、でも、あれだぞ。私は知らないことが多すぎるぞ?」

「そんなもん、俺が全部教えてやる!」

十香が発してきた言葉に、即座に返す。

「寝床や、食べるものだって必要になる」
 
「それも・・・どうにかするッ!」
 
「予想外の事態が起こるかもしれない」
 
「んなもん起きたら考えろッ!」
 
 十香は少しの間黙り込んでから、小さく唇を開いてきた。
 
「・・・本当に、私は生きていてもいいのか?」
 
「ああ!」
 
「この世界にいてもいいのか?」
 
「そうだ!」

「・・・そんなことを言ってくれるのは、きっとシドーだけだぞ。崇宮暁夜(あの男)やAST、他の人間達だって、こんな危険な存在が、自分達の生活空間にいたら嫌に決まっている」

「知ったことかそんなもん・・・ッ!!ASTだぁ!?暁夜だぁ!? 他の人間だぁ!?そいつらが十香!おまえを否定するってんなら!それを超えるくらい俺が!おまえを肯定するッ!」

そう叫んで。士道は、十香に向かってバッと手を伸ばした。
 十香の肩が、小さく震える。
 
「握れ!今は―――それだけでいい・・・ッ!」
 
 十香は顔を俯かせ、数瞬の間思案するように沈黙した後、ゆっくりと顔を上げ、そろそろと手を伸ばしてきた。
 
「シドー―――」
 
 士道と十香の手と手が触れ合おうとした瞬間。
 
「―――――」
 
 士道は、ぴくりと指先を動かした。何故か分からないけれど―――途方もない寒気がしたのだ。ざらざらの舌で全身を舐められるような、嫌な感触。
 
「十香!」
 
 士道の喉は、意識してもいないのにその名を呼んでいた。そして十香が答えるより早く。
 
「・・・っ」
 
 士道は、両手で思い切り十香を突き飛ばしに駆け出すが、それよりも早く十香の身体が大きく痙攣し、前のめりに倒れ込む。 まるで、背中に強い衝撃を受けたみたいに。そしてその背中からはおびただしい程の赤い液体が漏れ出ていた。それが遅れて血だ、と気づいた士道は咄嗟に動くことが出来ず、思考がフリーズした。

「・・・あぇ?」

目の前で十香が死んだ。士道は自分の服に飛んできた血を気にすることもなく、ズサっと尻餅をついた。

先程まで、楽しくデートをしていた十香が死んだ。先程まで、あんなに美味しそうに黄な粉パンを頬張っていた十香が死んだ。先程まで、あんなに笑顔を浮かべていた十香が死んだ。死んだ。 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。

「と、おか」

士道は四つん這いの体勢で、すがりつくように十香だったものを揺らす。しかし、反応はない。 涙が零れた。憎悪や怒りなんてない。心に穴が空いてしまったかのような状況下。 士道は十香の身体を抱き締め声にもらない声で泣いた。

その時--

「・・・シ、ドー」

耳元に十香の声が聞こえてきた。もう聞こえないはずの声。あぁ、ついに自分は幻聴を聞くようになったか。と士道は自嘲する。だが、その後に柔らかく温かい手のひらが士道の髪に触れた。

「と、おか?」

士道はか細い声で十香の名を呼んだ。それに対し、答えは--返ってきた。

「にげろ・・・シドー」

ただ、返ってきた答えはどこかを変だった。 まるで何かに怯えているかのような、切羽詰まった懇願だった。

「はやく・・・制御、できな」

「なにいっ--」

十香の意味不明な懇願に聞き返そうとする瞬間、足が地から離れ、暴風に身体を軽々と吹き飛ばされていき、木の枝の上へと背中を打ち付けた。否、背中を貫いた。何とか心臓や肺の部分は免れたが、鋭い木の枝は易々と士道の背中を貫いていた。

「・・・かふっ!?」

遅れてやってきた痛みに血を吐く。意識は薄れていく。 まず、音が消えていき、次に痛みが、そして--世界が視界から消えていく。その時、一瞬だけ見えた彼女の瞳は……光を失っていた。 

 

半精霊:明星堕天(ルシフェル)


「なんでだよ・・・」

信じられない光景に暁夜はポツリと言葉を漏らした。数秒前に、《クライ・クライ・クライ》から放たれた弾丸は的確の十香の背中を撃ち抜いた。おびただしい程の血が噴出するのを双眼鏡で捉えていた。致命傷を与えたはずなのだ。だというのに--なぜ

「--嗚呼、嗚呼。 貴様らだな、貴様らだな」

目の前にいる。 その精霊は今まで戦った精霊よりもやばいと直感する。十香の手には、金と黒で彩られた柄と鍔に、不思議な光を放つ刀身の両刃剣<鏖殺公(サンダルフォン)>ではなく、闇色に彩られた柄に鍔、そして刀身を持つ片刃の巨大な剣が握られていた。

「はっ。 だったらなんだってんだよ!」

暁夜は即座に、(スキャパード)の解除装置に触れ、白塗りの片手剣《アロンダイト》を抜剣して、恐怖を押し殺すように声を張り上げた。

「殺して壊して消し尽くす。 死んで絶んで滅に尽くせ」

十香は冷静に、狂う。--刹那、地面が砕け散った。否、闇色の巨大な剣によって、両断されたのだ。

「っぶねぇ!? 無事か? 折紙」

「暁夜のおかげで助かった」

砂煙が舞う中、寸での所で躱していた暁夜と折紙は警戒を解かぬままお互いの安否を確認する。パラパラと砂粒が落ち、やがて砂煙は消え、それと共に十香の姿も消えた。否、移動したのだ。

「・・・っ!?」

「おあぁあああああああああ---ッ!!」

まるで涙に濡れた泣き声のような咆哮を上げ、十香が巨大に過ぎる剣を振り下ろす。が、間一髪、《アロンダイト》の刀身で受け止める。ただ、その判断は余りにも甘かった。前回とは比べ物にならない威力。明らかに格が違う。CRユニット無しで戦える自分と比べることすら、攻略法を考えることすら冒涜に思える、暴虐なる王の鉄槌。時間にすれば、僅か二・五秒。

《アロンダイト》が。

絶対の力を誇るはずの暁夜の武器が。

「---」

甲高い音をあげて、刀身の半分を残して砕け散った。そして、流れるように浅く肩から脇へと剣が振り抜かれ、真っ赤な血が噴き出した。

「--かはっ!?」

「暁夜ッ!」

折紙の声が、どこか遠く感じる。《アロンダイト》が半壊された為か、抑制されていた痛みが徐々に全身を蝕んでいく。少しでも気を抜けば、意識を手放しかねない。 いや、もう楽になりたい。 それが、暁夜の本心だった。 アレは止まらない。 アレには勝てない。アレは人間がどうこうできる次元を超えている。無意識に脳がそう訴えかけてくる。

ただ、それでも--

「まだ・・・終わらねえ。この身を引きずってでも『精霊』を殺す。殺さなきゃ・・・駄目なんだ。もう・・・守れなくて・・・後悔で涙を流すのは・・・嫌だから--ッ!!」

半壊した《アロンダイト》を手に突撃する。

「擬似天神:『クニノサギリ』解放ッ!!」

「おあぁあああああああああ!!」

半壊した《アロンダイト》と<鏖殺公(サンダルフォン)>が激突し、ほんの数秒で《アロンダイト》諸共、暁夜の身体が両断された。赤黒い血が噴出し、暁夜だったモノがゆっくりとゆっくりと左右に倒れ--なかった。

「・・・ッ!?」

初めて、十香が動揺を顔に浮かべた。切り伏せたはずの暁夜の肉体が目の前で霧状になり、消失していく。まるで、元からそこに暁夜がいなかったかのように。

「あの男、何処に」

静かな怒りが篭った声で周囲を見渡す。ただ、そこに気配は感じず、ましてや服のこすれる音や傷口から地面に伝う血の音も、足音さえもが聞こえない。あるのは濃い霧だけ。オマケに、暁夜以外にもう一人いた人間の姿が消えている。先程までずっとそこにいたというのに。

「どこへ行った! 崇宮暁夜!!」

十香が怒りのあまり大声をあげた。それと共に彼女の身体を包む紫色のドレス型霊装を中心に衝撃波が生じた。それに伴い、木々がへし折れ、地面に小さなクレーターを作った。 このままでは、この場所だけでなく、ここ周辺の建物が犠牲になる。どうやら、数分前に避難警報があったらしく住民達は避難しているだろうが、それでも建物を犠牲にはできない。

「・・・くっ!? 化け物め!」

「隊長、このままじゃ、被害が!」

「隊長、指示を!」

上空で待機していた燎子及びAST隊員達は、『精霊』によって生み出された衝撃波による目の前の惨状に恐怖した。今すぐにでも逃げたい。そればかりが頭の中で乱反射する。だが、それでも彼女達には揺るがないモノがあった。それは誰にも譲れないモノ。例え、この身が滅んでも消えないモノ。人から人へと伝染していくモノ。それは--

大切な人をこの国を守りたいという『心』だ。

人は守りたいモノがあれば強くなる。その存在が大きければ大きいほどに。

精霊に自分達が勝てないことぐらい知っている。CRユニットも対精霊武装でも時間稼ぎ程度にしかならない事も分かってる。そんなことは百も承知。 それでも--

暁夜・折紙(バカ二人)が戦ってんのに、黙って見ていられるわけがないでしょ--ッ!!」

燎子はそう叫んで、顕現装置(リアライザ)搭載の対精霊高周波ブレード《ノーペイン》を手に下降を開始した。それに合わせて、他のAST隊員達も震える身体を誤魔化すように喉が張り裂けんばかりの声を上げ、《ノーペイン》を手に、続くように下降を始めた。



「司令・・・ッ!」

「分かってるわよ。 騒がないでちょうだい。 発情期の猿じゃあるまいし」

琴里は口の中で飴を転がしながら、狼狽した様子の部下に言葉を返した。

《フラクシナス》艦橋。 正面モニタには身体を木の枝に貫かれた士道と、精霊・十香の戦闘映像が表示されている。

部下の動揺も分からなくはなかった。

状況は、圧倒的に、絶対的に、破滅的に、絶望的だった。ようやく空間震警報が鳴り始めたようだが、住民の避難はほとんど終わっていない状態で、十香と暁夜の戦闘が始まってしまったのである。 人の住んでいない開発地で、というのが唯一の救いだが--十香の一撃は、そんな楽観を容易く打ち砕いた。

今までの十香が可愛く見える、超越的な破壊力。

たったの一撃で開発地は二分され、中心に深淵を作ってしまった。 そして--《ラタトスク》の最終兵器であったはずの五河士道の突然の死。 琴里達は、考える限りの最悪の状況に立たされた格好になっていた。

だが、

「ま、あれぐらいなら大丈夫そうね」

琴里はさほど深刻そうな調子も見せずにそう言って、キャンディの棒を動かした。そんな琴里に、クルー達が戦慄したような視線を向けてくる。まぁ、仕方あるまい。 今まさに兄が死亡したばかりなのである。 だがそんな中にあって、令音と神無月だけは違った反応を見せていた。

令音は、平然とした様子で十香と暁夜の戦闘をモニタリングし、データを採取している。

神無月の方は相変わらずの様子だ。

「とう」

「はうッ!?」

相変わらずの神無月のすねを蹴り飛ばすと、その場に立ち上がった。 そしてフンと鼻を鳴らしながら、半眼を作って告げる。

「いいから自分の作業を続けなさい。 士道が、これで終わりなわけがないでしょう?」

そう。

ここからが、士道の本当の仕事なのだ。

「し--ッ、司令! あれは・・・!」

と、艦橋下段の部下が、画面左側--公園が映っているものを見ながら、驚愕に満ちた声を発してきた。

「---来たわね」

キャンディの位置を変え、にやりと口元を歪ませる。

画面の中には、のしかかる体重によってへし折れて木の枝から落ちた士道が映っていたのだが--着ていた制服が、突然燃え始めたのである。

精霊の生成物が消失しているとか、太陽光によって火がついたとかでは、ない。 だって、燃えていたのは制服ではなかったのだから。制服が燃え落ち、綺麗に数カ所を貫かれていた士道の身体が露わになる。

そこで、《フラクシナス》のクルー達は再び驚愕の声を上げた。

「き、傷が--」

そう、傷口が。 ドス黒い貫かれた穴が、燃えている。その炎は士道の傷を見えなくするくらいに燃え上がってから、徐々にその勢いを無くしていった。 そしてその炎が舐めとったあとには、完全に再生された士道の身体が存在していた。

『---ん、』

画面の中に横たわった士道が、

『ん・・・・・・ぉ熱っちゃぁぁぁッ!?』

と、未だ背中に燻っていた火を見て、跳ね起きた。慌てた様子でバンバンと背中を叩き、火を消し止める。

『て--あ、あれ? 俺・・・なんで』

艦橋内が、騒然とする。

「な、し、司令、これは--」

「言ったでしょ。 士道は一回くらい死んだって、すぐニューゲームできるって」

琴里は唇を舐めながら、部下に返した。 クルー達は一斉に訝しげな視線を向けてきたが、無視しておく。

「すぐ回収して。 --彼女を止められるのは士道だけよ。 それと神無月」

「はっ! お呼びですか? 司令」

「ええ。 あなたには他の事を任せるわ」

琴里はそう言って、キャンディの棒を神無月に突きつけるような仕草をして、ニヤリと笑った。



暴走した精霊『十香』を覆うように漂う濃霧。それは暁夜が形成した『幻覚の霧』。 十香だけに見える幻霧。その為、上空から突撃してくる燎子及びAST隊員達には暁夜と折紙の現在地が何処か確認することが出来た。

精霊『十香』の背後にある草木に身を隠し、息と気配を殺した暁夜と折紙の姿を。ただ、暁夜の方は白のシャツが真っ赤に染まっており、彼の専用武器である《アロンダイト》が半壊していた。対する折紙の方もCRユニットが故障し、ワイヤリングスーツの所々が破れていた。互いに危険な状況。 ふと、暁夜の視線と燎子の視線が合わさる。それを確認した暁夜は、指の動きで何かを伝えてくる。 燎子は即座に何を伝えたいのかを理解し、全AST隊員を手で制止させた。 そして、暁夜の伝えてきた指の動きを真似てAST隊員達に伝達する。それを理解したAST隊員達は、《ノーペイン》を納め、顕現装置(リアライザ)無しの普通の銃火器類を構えた。そして燎子自身も銃火器を構え、

「全員、一斉射撃!!」

「「了解!!」」

大声に対して大声で返して、燎子とAST隊員達は銃火器類の引き金を引いた。目標は『プリンセス(十香)』。 しかし、人を容易く貫く弾丸は精霊の前では無力。弾丸は精霊の体に触れることなく、見えない障壁(バリア)に当たっては金属音をあげて弾かれていく。だが、それでいい。狙いは『精霊』を倒すことではなく、気をこちらに一瞬、向かせること。その一瞬の時間は約一秒にも満たないかもしれない。無駄な足掻きだと理解しても引き金を引く指は止まらない。仲間を信じているからこそ、彼女達は引き金を引き続ける。やがて、弾かれた弾丸が木々を貫き、床を抉り、砂煙が舞う中、それを払うかのように、『プリンセス(十香)』を中心に激風が生まれた。 その風は全ての砂煙を吹き飛ばし、光の灯らぬ瞳が上空の燎子とAST隊員達に向けられた。その瞳に身がすくみ引き金を添えた指が止まった。その瞬間、『プリンセス(十香)』の姿が燎子とAST隊員達の真ん中に現れた。瞬きを一度しただけの数秒で移動した『プリンセス(十香)』に、全員が驚き、身体と思考を固まらせた。

「---終われ」

そう『プリンセス(十香)』が呟いた瞬間、黒い輝きを放つ光の粒のようなものがいくつも生まれ、剣の刃に吸い寄せられるように収束していく。やがて、剣の刃が闇色の輝きを帯び、握る手に力を込め、振り下ろした。

そして--燎子達の悲鳴が響き・・・

「--させるかってんだ! 化物!!」

暁夜の声が響き渡り、右手に《アロンダイト》ではなく黒紫の片手剣を握り、下方向から叩き上げる。全身全霊の力を込めた暁夜の一撃。闇色の剣の刃と黒紫の片手剣の刃が触れた瞬間、火花が散り、爆風が生じた。大気が揺れ、木々がミシミシと悲鳴をあげる。

「まだ生きていたのか。 崇宮暁夜!!」

「あいにく、案外しぶといんでねっ!!」

ギュオン!

と、暁夜の握る黒紫の片手剣が眩い紅色の光の粒によって染まっていく。それに伴い、手当をしていない状態の切り裂かれた傷口から血が噴出した。とてつもないほどの痛みが頭を襲い、意識を刈り取ろうとする。それは、理性の枷を壊そうと心の中で獣が暴れる感覚。また、灼熱に身を焼かれるような感覚。色々な痛みが身体を襲い、その度に黒紫の片手剣に紅色の光粒が収束していく。それは痛みを贄とし肉体を強化させる暁夜が生み出した《精霊》の力。

黒紫の片手剣【明星堕天(ルシフェル)】。 暁夜の体内に眠る《精霊》の力によって生み出された武器(天使)の名前。但し、半精霊の為、真の精霊の力の半分しか使用出来ない。オマケに、空間震や精霊反応はない。弱すぎるのだ。精霊としての力が。彼の中に眠る精霊の力をレーダーで捉えるのは、広大な砂漠の中で指輪を探すようなものだ。そういう訳で、半精霊の力を補うために、『擬似記憶装置(ムネモシュネ)』の幾つもある機能のひとつ【擬似強化】を同時に発動していなければならない。但し、一時的にしか強化できないため、五分も持たずに天使は機能を失う。現在の最高持続時間は三分。

本来は、短期戦の際にしか発動しない切り札のひとつだったのだが、今回は仕方ない。と暁夜は妥協したのだった。

「どうして『精霊()』を憎む!どうして『精霊()』を殺そうとする! どうして『精霊()』を嫌う!貴様らに『精霊()』の気持ちがわかるか? いつも独りで・・・訳も分からずこの場所に現れては、貴様らに命を狙われ、その命を奪うことがどれほど『精霊()』にとって辛いことか!!命を摘むという行為が・・・命を狙われるという事が、どれだけ『精霊()』の心を殺してきたのかを!!」

十香は吠える。なんで分かってくれないのかと。何故、自分は目覚めた時から不幸なのかと。 何故、自分は死なねばならないのかと。

「・・・だからって、人の命を奪っていい理由にはならねえだろうが--ッ!!」

暁夜は、ふざけるな。という怒りの感情を
明星堕天(ルシフェル)】に込めて薙ぎ払った。
ただただ憎悪の感情をのせただけの一撃。
心と頭の中を『憎悪』だけが埋めていく。

「じゃあ、どうすればよかったのだ! どこで私は選択肢を間違えた!? 知っているなら教えろ! 崇宮暁夜!!」

十香は泣くように吠える。それと共に、闇色の剣を幾度となく振り下ろす。

「--間違えた? あぁ、そうだな。間違ってるよ。生まれた時点で間違えなんだ。この世にいちゃいけない存在なんだよ。 お前も・・・俺も(・・)。 だから--」

と、息を吐くのと同時に十香の攻撃を避け、【明星堕天(ルシフェル)】を握る手に力を込め、

「--死んでくれ」

その言葉を最後に、容赦も躊躇いもなく、十香目掛けて【明星堕天(ルシフェル)】を振り下ろした。
 

 

序章が終わり


<フラクシナス>艦橋。正面モニタには、AST所属の暁夜と精霊『十香』の戦闘映像が表示されていた。そしてそれを何することもなくただ見守ることしか出来ない士道は自分の無力さに顔を歪ませる。

暁夜の握る黒紫の片手剣と、十香の握る闇色の長大な剣がぶつかる度に、激風が生まれ、大気が揺れ、木々がミシミシと悲鳴をあげる。それは人同士の喧嘩でも戦争でもない。人の枠を超えた化け物同士による殺し合いだ。一撃一撃とぶつかる回数が増える度に、周囲の地形が削れ凹み抉れていく。 その際に出来る地形の損傷は空間震が起こったかの様に悲惨だ。ただ、この台地にいたのがASTだけで良かった。彼女達なら随意領域《テリトリ-》を使えば身は守れる。しかし、住民達は違う。彼らは、精霊が剣をひとふりするだけで即死する脆い存在だ。

『どうして『精霊()』を憎む!どうして『精霊()』を殺そうとする! どうして『精霊()』を嫌う!貴様らに『精霊()』の気持ちがわかるか? いつも独りで・・・訳も分からずこの場所に現れては、貴様らに命を狙われ、その命を奪うことがどれほど『精霊()』にとって辛いことか!!命を摘むという行為が・・・命を狙われるという事が、どれだけ『精霊()』の心を殺してきたのかを!!』

モニターからは十香の怒りと悲しみの入り混じった叫び声が響き渡る。その言葉は十香がこれまで自身の心に押し込めていた感情だということが分かった。誰かに頼りたくても、誰からも恐れられ恨まれて、孤独だけが心を占めていた。士道は、自分ならどう答えるんだろう、と頭を悩ませた。 ここで綺麗事を言えば十香は納得するのか?それで、十香は幸せなのかと。

「・・・・っ」

士道はギリッと、下唇を噛み締めた。針が刺さるような痛みが生じ、裂けた所から赤い血が一筋伝って、床に落ちた。今すぐ暁夜と十香の元に行って、止めなければと思い、そして、自分に何が出来るんだ?という苛立ちに葛藤し、最善の答えを選択できない。それでも、彼女と約束した。 絶対に救うと。 そして、親友には伝えた。彼女を殺して欲しくない、と。だから、そんな葛藤は捨ててしまえばいい。 どうするかは後で決めればいい。

だってこれ以上の『絶望』を二人に味わって欲しくないから。

「最初から不安なことばかり考えてること自体がアホな話だよな。なぁ、琴里」

士道は背後の司令席に腰を下ろし足を組んでいる自身の可愛い妹、琴里の方に振り返った。それに対し、キャンディの棒をピコピコさせながら、不敵に笑って口を開く。

「あら、チキンな兄にしては意外と早く覚悟を決めたようね。後、少しで大気圏に転送するところだったわ」

さらり、と恐ろしい事を言う琴里に、苦笑いを返し、

「どうしたら、あの二人を止められる?」

「あら、あなたならその方法をもう知っているはずよ」

「---や、やっぱ、アレしかないのか」

「ええ、アレしかないわ。まぁ、あんたのサポートは私達全員に任せな--」

「し、司令・・・ッ!? も、モニターを!」

突如、琴里の声を遮って、クルーの一人が狼狽した声を上げた。その声に一旦、士道との話を中断し、琴里はクルーの言った通りにモニターに視線を向けると、そこには信じられない光景が映し出されていた。

白のシャツに紺色のジーンズを身につけていたはずの暁夜の全身から赤黒い血が噴出し、その血が吸収されていくように黒紫の片手剣の刀身へと収束されては、絶対的力を持つ精霊『十香』が圧されていた。否、圧倒的な差で十香が負けていた。

そして--続けざまにそれは起こった。

『じゃあ、どうすればよかったのだ! どこで私は選択肢を間違えた!? 知っているなら教えろ! 崇宮暁夜!!』

モニタ越しで暁夜に叫んでいる十香。 それに対し、暁夜はどこか悲しげな表情を浮かべて、

『--間違えた? あぁ、そうだな。間違ってるよ。生まれた時点で間違えなんだ。この世にいちゃいけない存在なんだよ。お前も・・・俺も。 だから--』

と、呟いて、同時に十香の攻撃を避け、黒紫の片手剣を握る手に力を込め、

『--死んでくれ』

その言葉を最後に、容赦も躊躇いもなく、十香目掛けて振り下ろされ、その刃は紙切れを裂くように、精霊の霊装を破壊した。それと共に、十香の胸から赤い血が噴出し、先程まで妖しく輝いていた闇色の長大な剣が光を失い霧散し、身体中を纏う紫色の霊装が光の粒となりながら徐々に消えていき、落下していく。 クレーターと化した台地に。

その光景に誰もが驚愕した。たったの一人の人間がCRユニット無しで精霊を致命傷まで追い詰めた事実に。

「・・・は? あ、あいつ何して・・・ッ。 琴里!! 今すぐ俺をあの二人の元に転送してくれ!!」

「だ、ダメよ。今、士道が向かっても怪我するのは目に見えてるわ」

「その為に、あの炎があるんだろ。だから転送してくれ、琴里」

珍しく司令官モードの琴里が不安げな顔をして、士道を制止する。 それに対し、士道はそう言い返して、

「安心しろって。 お兄ちゃんは必ず帰ってくるから」

そう琴里に向けて笑った。

「司令・・・ッ!! このままでは・・・暁夜君に十香ちゃんが殺されてしまいます!」

クルーがそう叫び、琴里はギリっと歯を噛み締め、渋々といった表情で、

「<フラクシナス>旋回!戦闘ポイントに移動!誤差は1メートル以内に収めなさい!」

どこかやけくそ気味な声で、クルー達に指示を仰いだ。その指示に反応し、操舵手と思しきクルー数名が操作を開始する。 次いで、重苦しい音と共に、微かに<フラクシナス>が震動した。

「士道」
 
「ん、なんだ?」

「封印の方法は分かってるわね?」

「あぁ、分かってるよ。 覚悟は決めた」

士道はそう言って、転送(ワープ)装置に足を踏み入れる。それを確認した琴里が

「戦闘ポイントに移動は出来てる?」

「はい!準備万端です!いつでも彼を送れます」

操舵手のクルーのうちの一人がすぐさま返答する。
 
「オーケイ、上出来よ。じゃあ、転送をお願い」

「了解!」

クルーが返事をしたタイミングで、ワープ装置が起動し、士道の全身を光が包み、消える間際、

「頑張ってね、おにーちゃん」

「あぁ、おにーちゃん頑張ってくる」

と、士道は琴里の言葉にそう返し、<フラクシナス>内から消えた。



空間震警報のサイレンが騒がしく鳴り響き渡る天宮市付近の開発地帯だった台地。 木々はへし折れ、地面は巨大なスプーンで抉り取られた様なクレーターが生じていた。オマケに、所々にベッタリとした赤い血が付着し、そのクレーターの中心には、仰向けで自身が作り出したと思われる血溜まりに倒れ込んだ状態の『精霊』と呼ばれる人ならざる存在(少女)と、右手に握られた黒紫の片手剣の切っ先を倒れ込む彼女の眼前に向けて、酷く憎悪に満ちた深く暗い両の瞳で見下ろした格好で立つ、人でありながら人を辞める手前まで足を踏み入れてしまった存在(少年)の姿があった。

既にこの場にいるのは少年と少女二人のみ。数分前までいたAST隊員達は退避した後だ。

「--これで、終わりだ」

黒紫の片手剣【明星堕天(ルシフェル)】を高く振り上げ、暁夜は憎悪で染まりきった瞳を不安や悲しみに変えることなく、底冷えた声を上げた。

その瞳に対し、十香は何処か哀しげなそして嬉しそうな表情で、

「あぁ・・・。 これで解放されるのだな。辛いことや・・・悲しいことからも・・・」

と呟いて両腕を広げた。無抵抗の意思を暁夜に見せつける十香。 その態度に答えるように、右手に握る【明星堕天(ルシフェル)】の柄を両手で握り込み、

「さよなら、十香」

「初めて私の名前を呼んでくれたな。 暁夜」

その言葉を最後に、黒紫の刀身が十香の両胸の中心部を貫い--

「暁夜・・・ッ!!」

背後から、聞き覚えのある青年の声が響いてきた。それに伴い、振り下ろしかけていた黒紫の片手剣の動きが止まる。 暁夜は視線を十香に向けたまま、口を開いた。

「何しに来たんだ? 士道」

その言葉に対し、士道は拳を握り締め、息を吸い、そして答える。

「お前を止めに来た!」

「--俺を? 何のために?」

「そんなの決まってんだろ。十香を救うためだ!

士道は、普段とは違う雰囲気を醸し出す親友の少年にそう言葉を返す。既に喉は乾き、身体は震えている。 きっと、声も震えてるはずだ。

「『精霊』を守るのか? 士道」

暁夜が初めて、視線を十香から士道に移した。ただ、士道に向けられた眼光は鋭かった。声音は怒りと憎悪に満ちていて、どこか悲しそうにも見えた。

「あぁ、そうだ。 俺は『精霊(十香)』を救う。例え、それでお前と対立したとしても、俺は俺なりのやり方で『精霊(十香)』を救う」

「俺なりの・・・やり方? 馬鹿な事は寝て言えよ。お前みたいな一般人に何が出来るんだ? 最近、知り合ったからって、情でも湧いたのか? この十香(化け物)に」

明星堕天(ルシフェル)】を十香の顔ギリギリまで突きつける。 その行動は普段の親友とはまるで違う。 親友の皮を被った化け物のように見えた。

「確かに数日前に出会っただけの関係だ。だけど、暁夜(お前)以上に精霊(十香)の事を知っているつもりだ」

「俺以上に、か。 で? 止めに来たってことは俺をどうにかする策があるって事か?」

暁夜の質問に、士道は首を横に振る。

「はぁ。 やっぱりお前は馬鹿だよ。・・・昔から」

暁夜は懐かしむように笑って、

「分かったよ。俺の負けだ。 士道」

暁夜はそう言って、腰に備え付けられた『擬似記憶装置(ムネモシュネ)』の電源を切る。すると、先程まで禍々しい程に紅色の光粒を纏っていた黒紫の片手剣【明星堕天(ルシフェル)】が徐々に小さくなっていき、そして、消失した。それに伴い、全身に刻まれた生々しい傷口がみるみる内に修復し、カサブタに変化した。切り裂いたような傷は最後まで治ることなく、少し痛々しい姿に戻った。

「・・・ふぅ」

暁夜は小さく息を吐き、耳にはめてあるインカムで通信を行う。

「こちら、暁夜。 『プリンセス』の討滅完了。 これより帰還します」

『任務お疲れ様でした。 次も期待していますね。 暁夜さん』

「適当に頑張るよ〜」

『では、また後ほど』

その言葉を最後に通信が切れ、暁夜は大きく伸びをした。そして、半壊した《アロンダイト》を地面から引き抜き、(スキャバード)に納める。

「そんじゃまた明日、学校でな」

「は? おまえ・・・なにいって--」

「なにって。言葉の通りだけど。 精霊は討滅完了しただろ?」

暁夜がそう告げて、横たわる十香を顎で指す。

「言ってなかったけど、さっきの黒紫の剣な。 精霊の力を三分間だけ封じ込める力があるんだ。だから、お前ら、《ラタトスク》のやり方で十香(こいつ)を救えよ。出来るんだろ? 精霊を殺さずに精霊を救う方法。 じゃなきゃこんな所にお前が来るわけないしな」

そう言葉を残して、暁夜は『擬似記憶装置(ムネモシュネ)』を起動し、地を蹴った。すると、暁夜の身体を青い光が覆い、重力に逆らうように地から足が離れ、徐々に空へと浮いていく。そして、今度は宙を蹴り、加速を生み出してその場を後にした。



「--以上です」

司令たる琴里しか立ち入ることの許されない<フラクシナス>特別通信室。 その薄暗い部屋の中心に設えられた円卓につきながら、琴里はそう言って報告を締めくくった。

精霊の攻略・回収に関する報告を。

円卓には、琴里を含めて五人分の息づかいが感じられた。

だが--実際に<フラクシナス>にいるのは琴里のみである。 あとのメンバーは、円卓の上に設えられたスピーカーを通してこの会議に参加していた。

『・・・彼の力は本物だったというわけか』

少しくぐもった声を発したのは、琴里の右手に座ったブサイクな猫のぬいぐるみだった。 まぁ、正しくはぬいぐるみのすぐ前にあるスピーカーから声が発せられているのだが、琴里から見ればブサ猫が喋っているようにしか見えない。 先方はこちらの映像が見えていないはずなので、琴里が勝手に置いたものである。 おかげで<フラクシナス>の最奥に位置するこの部屋は、妙にファンシーな空間になっていた。 まるで不思議の国のアリスのマッド・ティーパーティーである。

「だから言ったじゃないですか。 士道ならやれるって」

琴里が得意げに腕組みすると、今度は左手に座った泣き顔のネズミが静かに声を発する。

「--君の説明だけでは、信憑性が足りなかたのだよ。 何しろ自己蘇生能力に・・・精霊の力を吸収する能力というんだ。 にわかには信じられん』

琴里は肩をすくめた。 まぁ、仕方の無いことなのだろう。 様々な観測装置を使って、士道の特異性を確かめるために要した時間は--およそ五年。 とはいえ、その間に<フラクシナス>が建造され、クルーが集められたのである。 タイミングとしてはちょうど良かったのだろう。

『精霊の状態は?』

次いで声を発したのは、ブサ猫の隣に座った、涎をだらっだらに垂らした間抜け極まるデザインのブルドッグだ。

「<フラクシナス>に収容後、経過を見ていますが--非常に安定しています。空間震や軋みも観測されません。どの程度力が残っているかは調べてみないとわかりませんが、少なくとも、『いるだけで世界を殺す』とは言い難いレベルかと。 ただ、崇宮暁夜によって付けられた傷は未だ残ったままですが」

琴里が言うと、円卓についた四匹のぬいぐるみのうち、三匹が一斉に息を詰まらせた。

『では、少なくとも現段階では、精霊がこの世界に存在していても問題ないと?』

明らかに色めき立った様子で、ブサ猫が声を上げてくる。 琴里は視線を嫌悪感に滲ませながらも口調は穏やかに「ええ」と答えた。

「それどころか、自力では隣界に消失(ロスト)することすら困難でしょう」

『--では、崇宮暁夜とはどういう人間なんだね。精霊とあそこまで戦える・・・ましてやCRユニットも無しで『プリセンス』を追い詰めるとは。 君は知っているか?』

今度は、泣きネズミが問うてくる。

「その事でしたら、現在、部下に調べさせております。 ですので、分かり次第ご報告申し上げます」

『そうか。だがあの力は・・・きっとこの先、我々の脅威となりえるだろう。くれぐれも気をつけろ』

「ご忠告感謝します」

琴里はそう言って、頭を下げた。 そして数秒の後、今まで一言も喋っていなかった、クルミを抱えたリスのぬいぐるみが、静かに声を発した。

『--とにかく、ご苦労だったね、五河司令。 素晴らしい成果だ。 これからも期待しているよ』

「はっ」

琴里が初めて姿勢を正し、手を胸元に置いた。



『プリンセス』討滅完了から三日後の朝。とある高校の上空にソレはいた。人というよりノイズに近い『何か』。

『--見つけた。 やはり君が持っていたんだね』

男なのか女なのか、低いのか高いのか、それすら分からない奇妙な声音を響かせている。言葉の内容は認識出来るのに、その特徴が一切聞き取れないのだ。

その『何か』は、校舎を見下ろすような形でそう呟いていた。その『何か』が向けているであろう視線の先には――椅子に座り眠たそうにしている薄い少し色素の抜けた青髪の青年の姿があった。

『・・・どうやらまだ上手く扱えていないようだが、あまりその力は使っていけないよ。 でないと--』

『何か』は首を振るような動作を見せ、

()んでしまうよ』

そう呟いた。その際に漏れた言葉には、親が子を心配するような思いが込められていた。そして、

『君がいなくなっては彼を守る者がいなくなってしまう。 それに、君と彼、そして--私と彼女が揃わなければ■■じゃないからね。 だから--』

『何か』は、薄い少し色素の抜けた青髪の青年と青髪の青年が黒髪の少女の登場に驚いている光景を眺めて、

あの男(・・・)を、手遅れになる前に思い出す事を願っているよ。暁夜(さとや)

それだけを言い残して、『何か』の姿は消失したのだった。
 

 

日常

元・精霊である十香が来禅高校に転校してから数日が経った。

「今回はクッキー作りか」

「私達の得意分野。 余裕」

猫のイラストが刺繍されたエプロン姿に三角巾を頭に巻いた暁夜と、同じく可愛らしい猫のイラストが刺繍されたエプロン姿に三角巾を頭に巻いた折紙の二人は、調理台を前にそんなことを告げた。

現在の時間は調理実習の授業。 ほかの調理台には同じクラスの人達が暁夜達と同じようにエプロンを身につけ頭に三角巾を巻いた姿で立っていた。

「調理器具は折紙が洗ってるし、材料取ってくるかな」

「暁夜に任せる」

各班に配られたレシピ表を眺める暁夜に、調理器具を洗いながら折紙は答える。他の班も調理に使う器具を洗い始めている。

「さてさて、C班は・・・と」

前に配置されている横長の台に載っている各班の番号が記されたトレイから『C』の紙が張られたのを手に調理台に戻る。既に調理器具を洗い終えたらしい折紙は静かに待機していた。

「お待たせー、材料持ってきたよ〜」

「お疲れ様」

調理台の上に材料の載ったトレイを置き、暁夜と折紙は手を洗う。 そして、軽く手を拭いたあと、二人は腕まくりをして、

「うっし。 やりますか」

「準備は万端。 いつでも行ける」

と、意気込んでトレイに載った材料に触れる瞬間、

「・・・暁夜君! なんで女子の調理実習にいるんですか! 男子は教室で自習でしょう!!」

調理実習の女性教諭が大きな声を上げた。その声に一年生の頃の暁夜を知るクラスメイト達は、「気づかなかった」、「いつもいるから普通だと思ってた」、「女装して来れば良かったのに」等と各々感想を零していた。 それに対し、当の本人は反省や悪びれる素振りもなく屈託のない爽やかな微笑みを浮かべて、

「なんでって・・・調理実習したい気分だったから?ですよ」

「なんで疑問形なんですか!? 自分のことでしょう!」

適当な返答をすると、調理実習の後に配られる感想や気付いたことを書くプリントの束で、頭を(はた)かれた。だが、その間にも暁夜は泡立て器でボウルの中身を掻き混ぜ、調理実習をやめようとしない。その行動に更に怒りを買ってしまい、女性教諭はこめかみを引くつかせて、無理矢理ボウルを奪い、暁夜の首根っこを掴み、調理実習室の扉を開けて放り出した。

「・・・・」

放り出された暁夜はしばしテディベアのような格好で廊下に座っていた。

(あの先生・・・力強かった)

そんな感想を零し、立ち上がる。制服のホコリを払い、エプロンと三角巾を外して、教室へと向かった。



「はぁ、たまには精霊の事なんて忘れて温泉で疲れを癒したいわねぇ」

天宮駐屯地にあるとある一室。そこはASTの隊長である日下部燎子が使用する部屋だ。今は、書類作業の際中。その為、燎子の眼の前の机上には、何十枚もの紙束が散乱していた。その中の一枚を眺めながら、燎子は溜息をつく。昨夜、上から渡された人員補充の紙だ。ただ、補充理由といい、派遣元が気に食わない。

「DEMからねぇ。しかもトップ直々の命令・・・怪しさしかないわね。 それに・・・」


燎子はその補充要員の名前を見て、

「リンレイ・S(セラ)・モーガン。 よりにもよって、暁夜の元上司とはねぇ」

先程よりも深いため息をついた。

リンレイ・S・モーガン。 DEM社のトップであるアイザック・レイ・ペラム・ウェストコットの秘書のエレン・M・メイザースの部下だ。階級は燎子よりも上のはずなのだが、AST隊員として補充する、上の考えがよく分からない。

「オマケに、CRユニットの扱いに長けてて、対人戦で負け無し。でも・・・これが真実なら、暁夜(あのバカ)の上司だってことも頷けるわね」

燎子は用紙を机に置き、

「また面倒事が増えるなんて・・・」

とても疲れたような表情で呟き、その疲れをごまかすように、書類作業に戻った。



女子の調理実習と男子の自習が終わった小休止。 暁夜と士道、殿町の三人は、

「俺はハートの1を取る!」

「はっはっは!暁夜、お前に俺のハート1が取れるかな?」

「・・・ははは」

無駄にテンションの高い暁夜と殿町に若干引きながら、士道が笑う。同じクラスになってからというもの、トランプやらUNOやらオセロやらと暁夜が持参してきたゲームで遊ぶのが日課となっていた。そして毎度のように、最後は暁夜と殿町のドベ争いとなり、士道は審判をしている。現在、暁夜の手持ちが一枚。殿町の手持ちが二枚。ここで暁夜がハートの1を取れば暁夜の勝ち。取れなかったらチャンスは殿町へ。既にこのハート1争奪戦は十回以上繰り返されていた。

「ほらほら、どうしたんだ? ギャルゲー主人公」

「そういうお前こそビビってんのか? 非モテ(最下位)

「ふっ。 さぁ、早く取ってみろ!」

「あぁ、取ってやるよ! ハートの1を!!」

更に暁夜と殿町のテンションが上がり、空気状態になりつつある士道はというと、携帯をいじっていた。

「これだァァァァああああ!!」

暁夜の叫び声と共に、殿町の手から引き抜かれたトランプのカード。そのカードのマークと数字は--

「はっはっは! 俺の勝ちだな!! 暁夜!!」

「なん・・・だと」

ハラリと暁夜の手持ちから落ちたのは、ハートの1ではなくジョーカー。そして、その片方のカードを殿町が取り、勝敗が決した。

「って事で罰ゲームな」

「・・・また負けた」

暁夜はとてつもないほどに絶望した表情で呟いた。 というのも毎度のように、ゲームを持ちかけてくる暁夜が最下位を取りまくるのだ。わかりやすく言うと、一位が士道、二位が殿町、最下位が暁夜。 因みに、暁夜は全て黒星だ。

「今回の罰ゲームは、『女装』だ」

そう言って殿町が来禅高校の女子制服を自身の鞄から取り出した。しかもご丁寧にブラと下着、ニーソックス、ウィッグにパッドも準備されている。それを平気で鞄から取り出した殿町に、暁夜と士道は思わず後ずさる。片手に携帯を握って。

「し、親友のためにも、通報した方がいいかな!?」

「待っ、待てって。 アイツにもなにか理由があるんだろ! ほら、えーと、女装が趣味とかさ!」

ガタガタと身を震わせながらそんな相談をする暁夜と士道に、殿町は軽く笑った後、

「これは暁夜が1番知っている人から支給された制服さ。 ほら」

と、制服のポケットから手紙を取り出し暁夜に投げる。それを拾い、中身を開いて書かれていることに目を通す。

『あなたにこれを託す。 by 折紙』

たった1行分しかない内容と差出人の名前に、暁夜は涙が出そうだった。

「あいつ・・・マジか」

同居人のイカレぶりに呆れてしまう。

「ほら、早く着替えてこいよ、暁夜」

「あ・・・ああ」

とてつもないほどの悲壮感を漂わせながら、暁夜は女装アイテムを手に男子トイレへと向かった。

それから数分後。

ガララっ、と二年四組の教室の扉の開く音がした。無意識に全員(殿町と士道以外)が音のした方に視線を向けると、笑いをこらえるような表情を浮かべた。というのも、教室に入ってきたのは、クラスメイトの暁夜だったからだ。

薄い少し色素の抜けた長い青髪に、紅闇色の瞳。顔立ちは童顔。 肌は白磁の陶器の如く綺麗で、スラリとした高身長。 白のカッターシャツの上からカーディガンを纏っている。そして、短めに履いたスカートと黒のニーソックスで作り出された肌の露出の黄金比も完璧だ。

そんな完璧高身長スレンダー系美少女(笑)がそこにはいた。

「ぷっ、あははは!に、似合いすぎて、腹痛い!」

「と、殿町。笑うなっ・・・ぷっ、あははは!」

元凶者の殿町と士道が笑い出したのをきっかけに、クラスメイト達が笑い始めた。しかも、

「美少女! 美少女!」

という『美少女コール』まで始まった。 当の本人である暁夜は、こめかみを引くつかせていた。これほどまでの屈辱は初めてだ。ただ、調理実習終わりの女子達がまだ帰ってきていないのが幸いか。

「はい、終わり! もう十分だろ!!」

暁夜は頭につけたウィッグを掴み外そうとすると、ガララっと先程、暁夜が入ってきた扉の開く音がした。その音に殿町達は申し訳なさそうな表情を浮かべて、視線を逸らした。対する暁夜は冷や汗を大量にかきながら、背後を振り返った。

そして--暁夜の最初の黒歴史が刻まれた。



放課後。日が傾き始める住宅街の道を、足腰の弱ったお爺ちゃんのような足取りで進んでいく。顔は疲労の色に染まり、目に掛かるくらいの髪にも、心なしか艶がない。歳はまだ17だったが………実際何歳か老けて見えた。だが、それも無理からぬことだろう。

「・・・はぁ」

溜め息をもう一つ。小休止の女装事件以来、クラスメイト達からは『暁子(さとこ)』ちゃんと呼ばれていじられていた。ソレは学校が終わっても続いていき、定着されてしまった。

「どうしたの? 暁子」

「・・・その名前、やめてくれ」

「どうして? 私はあなたが女性になった方が嬉しい。 同性同士なら何をしても許されるから」

「同性同士でも許せないことはあるからな!? てか、そもそも、お前が殿町に制服を渡してなかったら、こんなことには・・・はぁ、もういいや」

どうせ怒っても無駄だと自己解決して、暁夜はどんよりしたまま折紙と一緒に家へと向かう。暫くして、

「・・・冷たっ」

首筋に触れた冷たさに、空を見上げる。

「あぁ、これはやばいな」

呻くように言って、顔を顰める。いつの間にやら、空がどんよりと雲っていたのだ。

「まぁ、念の為に傘持参してたからいいけど」

暁夜は鞄の中から折り畳み傘を取り出して開く。と、そのタイミングで折紙が寄り添うように傘の中へと入ってきた。

「お前、また傘持ってこなかったのか?」

「違う、わざと忘れてきた。あなたと相合傘をしたかったから」

「はぁ。 お前、俺が用事があったり、休んだりしたらどうしてたんだよ?」

「その時は、暁夜の用事が終わるまで待つ。休んだ場合は、私も休む」

「・・・さいですか」

暁夜は、何を言っても無駄だと諦める。と、ズボンのポケットに入れていた携帯が震えた。だれからだ?と疑問に思いながら、携帯を取り出し、液晶画面に映し出されている名前を見る。 そこには、『リンレイ先輩』と記されていた。確認した後、折紙に一言言ってから、軽く操作して、通話ボタンを押す。するとメロディが止まり、

「暁夜です。 お久しぶりですね、リンレイ先輩」

『久しぶりね、暁夜君』

若い女性の声が携帯越しから響く。

「三年ぶりですかね? こうやって電話するの」

『そっかぁ。 君がいなくなってもう三年も経つのね』

「ええ、そうなりますね。ただ、今回電話してきたのは思い出話のためだけじゃないですよね?」

『ふふふ、流石は私の元優秀な部下なだけはあるわね。けど、思い出話もしたいと思ってるわ』

暁夜の先を見越したような質問に、リンレイは驚くことも無く、余裕のあるお姉さんっぽく笑った。

『今回、君に電話したのは伝えておきたい事があったからよ』

と、次に発せられた声音は真剣なものに変わっていた。

「伝えておきたい事?」

『ええ。 これはあなたにとって重要な事よ』

「はぁ。 それで伝えたい事と言うのはなんですか?」

そう尋ねると、

『アイクの命令で、君を監視する為にASTに所属することになったわ。よろしくね、暁夜君』

リンレイはそう返して、通話を切った。切られた後、暫く思考がフリーズした。しかしそれは一瞬、我に返った暁夜は冷や汗を浮かべる。

「・・・マジか」

「誰と電話してたの? 暁夜」

「俺の元上司だった人。飴と鞭の差が激しいのが特徴かな」

「という事はまた女?」

暁夜がそう説明すると、折紙の瞳からハイライトが消えた。オマケに、背後からドス黒いやばげなオーラがダダ漏れしている。あまりの怖さに傘を落としてしまい、冷たい雨が暁夜と折紙を濡らしていく。ただ、そんなことに気を止める暇は2人にはなかった。

「名前は? 年齢は? 暁夜とはどういう関係?」

折紙が暁夜の顔をハイライトのない瞳で見つめ、ズバズバと問い詰めてくる。ズリズリと後退するたびに、詰め寄ってくるため、逃げ場がない。やがて、壁に追い込まれ、ドンと折紙に壁ドンされる。

(・・・壁ドン、怖い!?)

恋愛マンガやドラマのような壁ドンに憧れていた純心青年、暁夜は恐怖の色を顔に表しながら胸中で叫んだ。それに対し、

「答えないと、暁夜の着る服全部を女性物にする」

「・・・はな、します」

流石に罰が重すぎたため、暁夜は白状することにした。ポツポツと冷たい雨が降る中で、暁夜は正座させられ、折紙にハイライトのない瞳で見下ろされる光景は他の人から見たら、異様でしかない。

「--というわけです。黙っていてすみません出した」

「理解した。つぎ隠し事をしたら、本当に女性物の下着に入れ替える」

瞳にハイライトが戻った折紙は、そう答えて地面に落ちている折り畳み傘を拾い、暁夜に手渡す。それを受け取り、暁夜は、

(折紙に逆らうのやめよう)

身の危険を守るために、心に決意した。 

 

空間震警報再び


「あー・・・びしょびしょだ」

暁夜はそうぼやきながら高層マンションのエレベーターが降りてくるのを待つ。

「早くシャワーを浴びたい」

「あぁ、そうした方がいい」

濡れて肌にベッタリとくっついた制服越しから覗く折紙の程よい大きさの胸とそれを覆う下着が透けていて目に悪い。というか、気になって仕方がない。その事を折紙が、気づいてないのか、気づいているのかと、問われれば、気づいているから、なおタチが悪い。

(・・・気まずい)

そんな事を心の中で思っていると、エレベーターが降りてきて、扉が開いた。そして、中に入り、自分達の部屋のある階のボタンを押して、閉める。目的の階に着くまでの間、エレベーター内はとても居心地悪く感じて仕方の無い暁夜。 ただでさえ、好きな人が同じ空間にいるだけで緊張するというのに、濡れ透け状態は反則である。たった数分の時間帯が暁夜にとってとても長く感じた。

目的の階に辿り着き、扉が開く。そして、自分達の暮らす部屋が見えてくる。 ただ、そこにはいつもはない光景があった。

暁夜と折紙が暮らす部屋の前で、キャリーケースを手にウロウロとする怪しげなノルディックブロンドの短髪が特徴の美少女。 細身で、か弱く見えなくもないが、何処か他者にそう感じさせない様な絶対的威圧のある雰囲気を纏っていた。

(・・・すっごい見覚えあるんだけど)

暁夜はノルディックブロンドのを短髪が特徴の美少女の姿に顔を青くする。

「顔色悪いけど、大丈夫? 暁夜」

折紙が心配そうに顔を覗き込んでくる。暁夜は、

「あ、あぁ。 大丈夫大丈夫」

そう無理矢理笑って、顔を上げた。このままここで突っ立っていても仕方がない。 暁夜は折紙に少し待つように声をかけてから、ノルディックブロンドの短髪か特徴の美少女に声をかけた。

「こんな所で何してんですか? リンレイ先輩」

その声に、ノルディックブロンドの短髪が特徴の美少女が振り返り、そして、

「久しぶりー! 暁夜君!!」

抱きついてきた。ドサッと学生鞄が手から落ち、暁夜の思考が一瞬フリーズする。髪から漂う甘い香りと手のひらサイズほどの胸が暁夜の胸でムニュンと押し潰されて、心臓が破裂しそうな程に顔が赤くなる。折紙との過剰なスキンシップで慣れていたつもりだったが、それは折紙だったからだと、暁夜は身に染みて理解した。

「・・・ん? 顔赤いけど、熱でもあるの?」

リンレイはキョトンとした顔で、真っ赤な顔をした暁夜に尋ねる。

「あ・・・いや、その」

我に返った暁夜は、違う。と口に出そうとするが思うように言葉が出ない。すると、

「んしょ、っと」

リンレイは、暁夜の額に自身の額をくっつけた。そして、しばらく、『うーん』と小さく唸った後、額を離し、

「熱はないみたいだけど・・・本当に大丈夫? 疲れてるなら、昔みたいに私の膝で寝る? 子守唄歌ってあげるよ?好きだったでしょ?私の子守唄と膝枕」

顔真っ赤状態の暁夜の頭をナデナデしながら、折紙には聞かせてならない爆弾発言を投下した。

「・・・な、何言っt--」

命の危険を感じ暁夜が否定しようとするが、それよりも早く、背後から殺気というより、なんというか言葉では到底言い表せれない程のドス黒いオーラを全身に纏わせた折紙の気配を感じた。

「あ、あ・・・お、落ちついt--」

暁夜は、折紙を宥めようと声をかける瞬間、頬スレスレを何かが通過し、リンレイの髪を掠って壁に突き刺さった。ゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る壁に突き刺さった物を確認すると、そこには--白色の箸があった。

「・・・嘘だろ」

暁夜は思わず言葉を漏らした。 それは仕方ないことだ。 普通に考えて、箸が壁に突き刺さる現象はありえない。それはメジャーリーガー級の野球選手が、壁を野球ボールで貫くことに等しい。

「・・・暁夜?」

「はひっ!?」

低い底冷えた声音で折紙に名前を呼ばれ、カミカミの返事を返す。完全に折紙の瞳からハイライトが消えており、少しでも逆らったら口に出せないような恐ろしい展開が起こる気がしてならない。

「その女の言ってる事はほんと? 膝枕? 子守唄? また、ってどういうこと?」

と、いつも通りの表情で尋ねてくる。 普段通りの表情なのに怖く見えるのは、瞳にハイライトがないからだろう。

「ほ、ほら。 は、話しただろ? 昔お世話になった、リ、リンレイ先p--」

ドン!

と暁夜の言葉を遮り、折紙が壁に拳を叩きつけた。そして、赤くなった手を気にすることなく、

「そんなことは聞いていない。 暁夜はイエスかノーで答えればいい」

「・・・す、すみませんでした」

「謝らなくていい。 イエスかノーで答えて」

「イ、イエス!!」

折紙のなんとも言えない威圧に、暁夜は反射的に真実を口にした。

「そう。 じゃあもうひとつ質問。 暁夜はこの女と私、どちらが好き?」

「それはもちろん、おm--」

「私だよ! 昔、暁夜君から告白されたからね!」

即座に答えようとすると、暁夜の肩あたりから顔をひょっこりと出して、リンレイが余計な一言を放った。

(・・・馬鹿野郎!? 確かに告ったけど!!)

暁夜は、ふざけるな!、と心の中で叫んだ。

過去に一度だけ、リンレイに惚れて告白したことはあったがあの時は断られている。その為、仕事に専念することで忘れるようにしていた。そして、日本に帰った頃に、ASTで折紙に出会い一目惚れした。 よって、今はリンレイに対して1ミリも恋愛感情はない。

「・・・どういうこと?」

ハイライトのない折紙が、首を傾げた。

「ど、どういうことと言われましても・・・事実だから・・・否定しようがないというか若さ故の過ちというかなんというか・・・」

暁夜は視線を泳がせながら、言い訳ばかりを言葉にして並べる。男として情けないが、ヤンデレ化手前の折紙に正直に話すと恐ろしい事が起こる気しかしなくて言えない。

「・・・あなたは暁夜のなに?」

暁夜の方からリンレイの方に視線を移し、折紙は敵意むき出しの目(暁夜以外気づいていない)で尋ねた。それに対し、折紙と暁夜の関係を何となく理解したリンレイは不敵に笑い、

「--こういう仲、かな?」



暁夜の制服のシャツの中に手を突っ込み、腹筋あたりを撫でた。

「ひゃう!?」

突然の不意打ちとこそばゆい感覚に、暁夜は思わず声を出した。

「ふふふ。 相変わらず、暁夜君は可愛い反応してくれるわね」

少し頬を紅らめて、腹筋に触れている手を胸部あたりに動かしたり、耳に息を吹きかけたりする度に、良い反応をしてくれる暁夜を弄ぶリンレイ。

「・・・・」

その度に、折紙のドス黒いオーラが増していく。

「・・・私だって」

ボソリとそう呟くと、折紙は暁夜の首筋に顔を寄せ、伝う汗を舐めた。その行動に暁夜は思わずビクンっと身体を震わせた。

「や、やめ・・・んぅ!?」

暁夜が二人を止めようとすると、リンレイが(うなじ)あたりに息を吹きかけ、折紙が首筋付近を中心に舌を這わせてきた。二人して暁夜の弱い所を的確に攻めてくるため、引き剥がそうにも引き剥がせない。

(は、早く引き剥がさないと、やばい)

暁夜は溶けそうになる理性を何とか(もた)せながら身体を動かそうとするが、少しでも動く気配を見せると、それよりも早く、攻めてくる為、動くことが出来ない。先程まで二人が争っていたはずなのに、協力するのはおかしい気がする。

(あ、や・・・ばい)

身体中が熱くなり、マトモになにも考えられなくなっていく。もう少しで、理性が溶けていく瞬間、携帯の着信メロディが響いてきた。

「あ、私のだ」

リンレイがそう言って、暁夜から離れる。そして携帯の通話相手を確認して、

「エレン先輩からだ。 というわけでこれで私帰るね〜♪ また遊ぼうね、暁夜君、それに折紙ちゃんも。 じゃ、またねー!!」

リンレイはそう言い、エレベーターのある方へと向かっていった。 その背が見えなくなった後、

「な、何しにきたんだ、あの人?」

溶けかけていた理性を完全に取り戻した暁夜は首筋辺りに未だ舌を這わせる折紙を引き剥がし、大きなため息をついた。



翌日の朝。お気に入りの場所である来禅高校の屋上で睡眠に耽る暁夜。 心地よい風が吹き、昼寝ならぬ朝寝には丁度いい。 まだ始業が始まる1時間前のため、学校に来る生徒は少ない。

「・・・♪」

両耳に挿しているイヤフォンから流れるポップ系の曲を口ずさむ。

昨日は、リンレイと別れた後、折紙に無抵抗タイムを言い渡されて朝5時まで眠ることが出来なかった。口に出しては言えないような、あんな格好やあんな体勢であんな事やこんな事をされた後に、平気で眠れる男なんてそうそういない。勿論、R18行為まではいかなかったがあともう2〜3歩ぐらいで到達していたかもしれない。 そう思うと、身が震えてしまう。

ガチャ

と、屋上の扉を開く音がした。暁夜はうっすらと瞼を開けて、身体を起こして大きな欠伸をする。最近は、折紙による夜這いならぬ朝這いがあるため、扉が開いたタイミングで起きる習慣癖をつけるようにしている。それに伴い、曲の音量も下げている。

「んしょ、と」

ズイっと身体を前のめりにして、下を見下ろし、
「もう時間? 折紙ちゃん」

綺麗な銀色の髪を靡かせて、こちらに振り返り、首を縦に振った。

「ちょっとまってて」

暁夜はそう声をかけて、ハシゴを降り、折紙と共に教室へと向かう。教室の前につき扉を開けるタイミングで、

「ち、違うぞ皆、私とシドーは、一緒に住んでなどいないぞ!?」

聞き覚えのある少女の声が聞こえた。暁夜は扉をスライドさせ中に入ると共に、

「朝から大声出すなよ、十香」

先程、大声を出した少女の名前を呼んだ。

「む・・・? う、うむ、すまなかった。 暁夜」

長い黒髪をポニーテイルに結い上げた少女、夜刀神十香は少しシュンとした表情で頷いた。

十香は元々『精霊』と呼ばれる暁夜達ASTの敵だったが、精霊の力は封印したと、士道と琴里から事情を聞いた為、討滅対象から外した。 それにより、今は普通の人間として認識しているので、普通に接している。折紙はまだ納得していないが、暁夜が十香に対して敵意を向けていないので、今は討滅を保留にしているとの事。

(まぁ、琴里(チビ)のドヤっとした電話は腹立っけどな)

暁夜は数週間前にきた琴里からの電話の内容を思い出して少し怒りに顔を歪める。が、すぐにその表情をやめて、

「で? お前らが同棲してる事に何か問題でもあんのか?」

と疑問を口にする。

「ど、同棲してるわけないだろ!? な、なぁ、十香!」


そう答えたのは、男子達にもみくちゃにされていた士道だ。言い訳のつもりだろうが、顔があまりにも引きつっており、信じられない。

「う、うむ。 シドーの言う通りだ!」

苦しい無理ある言い訳に十香は口裏を合わせて、頷く。色々と無理のある言葉だから、普通であれば有り得ないと思うだろう。ただし、既に暁夜と折紙というクラスメイトが同棲しているため、士道と十香の同棲もありえると、クラスメイト達は考える。が、

(まぁ、奥手な五河が同棲なんて有り得ねぇわ)

という最終的にそう結論づけて、各々散らばっていった。



四限目の授業終了のチャイムが鳴り響き、昼休みの開始が示される。それと同時に、

「シドー!昼餉だ!」

「士道!一緒に昼しようぜ!」

士道の机に左と前から机がドッキングされた。左は十香、前は暁夜でその隣に折紙。

「・・・ぬ、なんだ、貴様。 暁夜は構わんが貴様は駄目だ。 鳶一折紙」

「それはこちらの台詞」

士道と暁夜の斜めから鋭い視線が放たれた。そのやりとりに士道は視線を泳がせるが、暁夜は気にした様子もなく、士道の弁当からオカズをかすめとる。

「ま、まぁ・・・落ち着けって。 てか、暁夜は俺のオカズを盗ってないで、折紙を止めてくれよ!」

「・・・んぐ。 面白いからほっとけばいいって。 どうせいつもみたいに折紙に言い負けて十香が泣いて終わるからさ」

士道にバレているにも関わらず、オカズを盗むのをやめず暁夜は、白米を口にかき込む。

「お、お前なぁ、この前の事忘れたのかよ。折紙に十香が泣かされて、二人で十香のご機嫌取りで一万円飛んだだろ!」

「・・・そうえばそんなこともあったな。けど、一万ぐらい俺は安いもんだから気にしねえけどな。 っと言うわけで、頑張りたまえ、少年!」

暁夜は、グッ、と親指を立てた後、士道が十香と折紙の口喧嘩を止める光景を面白そうに眺めながら、食事を再開する。

数分後、十香と折紙の口喧嘩を何とか終了させた士道が大きくため息をついて、箸を手に取った。そして、弁当箱のオカズを取ろうと箸を動かしたが、空を切る。

「ん? オカズがとれな--」

士道は弁当箱に視線を移すと、そこにはあるべきはずのオカズが全てきれいさっぱり消えており、白米しかない光景だった。

「おい、暁夜。 おまえ・・・」

「ん? どったの、士道?」

お茶を飲む我が親友、暁夜が不思議そうな顔でこちらに視線を移す。

「俺のオカズ全部食っただろ!!」

「おん。美味かったぞ」

「お、おう。 それは良かっ・・・じゃねえよ! 確かに俺のオカズ食ってんの見たけど、全部食べるとか普通ありえるか!? お前、本当は馬鹿だろ!? 」

「そんな褒めてもなんも出ねえぞ? 士道」

大声をあげる士道に、HAHAHA、と笑う暁夜に士道は、

「はぁ。 もういいよ」

大きなため息をついて、残っている白米を口に入れた。その後、昼食を終え、雑談をしていると、

ウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ―――――

街中に、けたたましい警報が鳴り響いた。
 瞬間、ざわついていた昼休みの教室が、水を打ったように静まり返る。―――空間震警報。凡そ三〇年前より人類を脅かす、最悪の災厄。空間震と称される、災害の予兆である。
 
「行くぞ、折紙」

「--分かった」

暁夜は隣で弁当箱を片付ける折紙にそう声をかけ、教室を飛び出していった。 

 

兎を狩る獣


空間震警報により市民の避難が完了した頃、暁夜と折紙は出撃準備を済ませ、燎子率いるAST本隊との合流のために雨の降る灰色の空の下を飛んでいた。

「昨日も雨だったけど、今日も雨か?」

「それはおかしい。天気予報には晴れとなっていたはず」

「あー、確かに朝は晴天だったもんなぁ。ってか今回の討滅対象ってどんな精霊(やつ)?」

淡い青の光を纏わせながら暁夜は、CRユニットを装備した折紙に尋ねる。それに対し、通信機でオペレーターに繋げてしばし話した後、

「今回の対象は識別名《ハーミット》」

折紙がそう答える。

「それなら納得だわ。雨が降んのも」

「《プリンセス》よりも楽な仕事。早く済ませて、シャワー浴びたい」

「ほんとそれ。二日連続びしょ濡れはキツい。明日は替えの制服だな、これは」

雨により水を吸いすぎて重い制服の感触に不快感を味わいながら、暁夜は呟く。

「さて、もう少しスピード上げるか。じゃないと--」

グンっとスピードをあげる瞬間、通信機のスイッチが入る音がし、

『あんたら、早く来なさい!遅いのよ毎回毎回!!』

燎子の怒鳴る声が響いてきた。

「いいタイミングっすね、日下部隊長」

『いいタイミングっすね、じゃないわよ! 分かってんなら、早くしなさい! 今、こっちは大変なのよ!』

「大変? なんか問題でも起こったんですか?」

焦った声で怒鳴る燎子に尋ねる。

『ええ、新しく配属されたあんたの元上司が独断で《ハーミット》のいるデパートに突入しちゃったのよ』

「は? それマジですか?」

『マジよ』

「い、今すぐ足止めに向かってください! 俺も急いで向かうんで、それまでリンレイ先輩を《ハーミット》に近づかせないでください!」

暁夜は、最悪だ。と胸中で毒づいて、燎子にそうお願いする。

『ちょっと、どういうことよ?』

「いいから早く! あの人を止めないと手遅れに--」

ザーザー

と砂嵐のようなものが突然、耳に響いた。暁夜は大きく舌打ちして、

「遅かったか。スピード上げるぞ、折紙!」

腰に取り付けられた(スキャパード)にある加速装置に触れ、スピードを上げる。それに合わせるように折紙も飛行速度を上げた。

(間に合ってくれ!)

暁夜は、燎子達が無事なのを祈りながら、デパートへと向かった。



燎子が暁夜に通信を繋いでいる頃。

「〜~~♪」

白銀の機械鎧(オートメイル)に、精霊の血と霊力を糧に威力が増幅する対精霊レーザーブレード<クラレント>を主武装とする近接特化型CRユニット<モルドレッド>を装着した美少女、リンレイ・S・モーガンは鼻歌を交えながら、デパートの中を歩いていた。

「久しぶりのお仕事だから、楽しまないとね♪」

<クラレント>をクルクルと回しながら、ツカツカと歩く。《ハーミット》の現在位置は霊波で分かっているため、迷うことはない。

「それにしても、今回の討滅対象が《ハーミット》なんてガッカリだよねー。どうせなら、《ナイトメア》辺りが来てくれると私的には嬉しいんだけどな〜」

そんな事を告げながら、階段を上っていく。やがて、子供向けのジャングルジムなどが設置された玩具コーナーのある階で足を止め、相変わらず鼻歌を交えながら、玩具コーナーの中で一際目立つジャングルジムに向かう。薄暗いため、少しの警戒も解くことの出来ない状況にいる中、声が聞こえた。

『別に十香ちゃんが悪いって言ってるわけじゃないのよぅ?たぁだぁ、十香ちゃんを捨ててよしのんの下に走っちゃった士道くんを責めることもできないっていうかぁ』

「う、うるさい!黙れ黙れ黙れぇっ!駄目なのだ!そんなのは駄目なのだ!」

「落ち着けって、十香!!」

陽気な声と少し困ったような声。片方は聞き覚えがある。がもう二人の声だけは聞き覚えがない。

「《ハーミット》と、あと二人は・・・」


リンレイは声のする方へと向かう。暫くして、声の居所である三人を見つける。

一人は、ウサギの耳のような飾りのついたフードを被った、青い髪の少女だ。歳は十三、四だろうか。大きめのコートに、不思議な材質のインナーを着ている。そしてその左手には、コミカルな意匠の施された、ウサギの人形(パペット)を装着していた。

もう一人は、青髪に童顔の青年だ。歳は十六、七だろうか。 来禅高校の制服を着ている。

さらにもう一人は、長い黒髪をポニーテイルに結い上げた少女で、青年と同じ来禅高校の制服を着ていた。

(・・・あの少年、暁夜君に似てる)

リンレイは青髪に童顔の青年の顔や髪色などを見てそんな感想を抱いた。髪色は暁夜よりも濃いが、顔立ちといい、雰囲気がとても似ていた。

「君達は・・・なんで精霊といるの?」

穏やかな表情で、尋ねる。

「え・・・AST」

「うるさい!いま私は貴様に構っている余裕などないのだ!」

青年が呟いた。まるでここにいるはずのない存在に驚いているように。十香の方は《ハーミット》を睨んで叫んだ。

「へー、ASTのこと知ってるんだ。って事は君達、ただの一般人じゃないよね?」

先程までの穏やかな雰囲気が霧散し、リンレイの目つきが鋭くなった。それは敵に向けるような警戒の目。青年と少女を一般人から警戒対象へと移したということだ。

「な、なぁ、琴里。 ASTは屋内での戦闘に向いていないんじゃなかったのか?」

青髪に童顔の青年は、小声で耳につけたインカムに話しかける。が、

『・・・・』

砂嵐のようなものが響くだけで、返答がない。

「誰かと話そうとしてたみたいだけどさ、無駄だよ。 私のCRユニットから発せられるジャミング波で通信機器は全て機能しないからね」

「き、気づいてたのか? コイツに」

青年は耳の穴に嵌められているインカムをつついて、ひきつった笑みを浮かべた。それに対し、

「ううん、気づいてなかったよ。ただ、空間震警報が聞こえていながら避難せず、精霊の元に来るってことは、バックに何かしら精霊を知る組織があると想定して、お仲間を呼ばれないようにジャミングしただけだよ。 ちなみに、《ハーミット》は、そこから動かない方が身のためだよ? じゃないと--」

「・・・!?」

「・・・え?」

「・・・ぬ?」

リンレイの言葉がかけられると同時に、風が吹き抜けた。その風はそよ風と呼べるレベルではなく、暴風の塊が吹き飛んできたようなレベルだ。青年と十香の視界にコミカルな意匠の施された、ウサギの人形(パペット)が映った。その下には何も無い。ただ、人形(パペット)だけがそこにあった。

「・・・よ、よしのん!?」

青年が先程まで隣にいたはずの少女に振り返る。 が、そこに少女はいない。暫く周囲を見渡すと、

「よしのん!?」

デパートの壁に激突し、額から血を流した《ハーミット》の姿があった。青年は直ぐに駆けつけようとするが、

「邪魔をするなら、君も殺すよ」

首に強い衝撃を受け、耳元でそう囁かれた。

(く、首が・・・締まっ)

機械の手で首を鷲掴みにされ、呼吸がしにくくなり、青年は悶える。その時、

「貴様! シドーから離れろ!!」

十香がそう叫んで、リンレイの纏うCRユニット<モルドレッド>の機械鎧(オートメイル)を叩く。が、人の力で何とかなるような代物ではない。

「に、逃げろ・・・と、十香」

「君も私の邪魔をするんだ? それって私に殺されても文句は言えないよねえ?」

そう告げた瞬間、<モルドレッド>の機械鎧(オートメイル)が紅闇色に輝き、ジャキンと音を上げ、十香の腹部辺りに位置する背中装甲が左右に開き、拳大の針が射出された。

「--っ!?」

十香はその針をギリギリのタイミングで躱すが、脇腹を掠り、制服に血が滲んだ。普段の彼女であれば、霊装で防ぐことも出来たが、今は精霊の力を封印されたただの人間だ。

「このままでは・・・シドーが!」

ギリギリと力を込められ首を絞めあげられていく士道の姿に十香は歯軋りする。どうしようもない状況下。 その時、

「・・・【氷結傀儡(ザドキエル)】・・・っ!!」

壁に激突し、額から血を流していた《ハーミット》からそんな声が響いてきた。

「--ちっ。 天使出される前に始末したかったのに。君達のせいで面倒事が増えたよ」

リンレイは不機嫌そうに呟いて、士道を壁に投げつけた。ドガッと大きな音をあげ、背中を強打する。さらに肺が圧迫されるような痛みに咳き込む。

「ほら、そこの君も。あの子連れてここから離れなよ。 巻き込まれて死んでも知らないよ?」

<クラレント>の切っ先を士道に向け、十香にそう声をかける。十香は悔しそうに、リンレイを睨んだ後、士道を連れて階段を降りてく。それを確認して、リンレイは視線を《ハーミット》に向ける。

「いやー、相変わらず不細工な人形だねー。それに大して強くもない図体デカイだけの雑魚天使。 アレ使うまでもないよ」

全長三メートルはあろうかという、ずんぐりした縫いぐるみのようなフォルムの人形。 体表は金属のように滑らかで、所々に白い紋様が刻まれていた。そしてその頭部と思しき箇所には、長いウサギのような耳が見受けられる、それを見て、リンレイは酷くつまらなそうに告げた。

「・・・・!」

《ハーミット》は、自分の足の下から出現した人形の背にぴたりと張り付くと、その背に明いていた二つの穴に両手を差し入れた。次の瞬間―――人形の目が赤く輝き、その鈍重そうな体躯を震わせながら、

グゥォォオオオオオオオオオォォォォ―――

と、低い咆哮を上げる。

それに伴い、人形の全身から白い煙のようなものが吐き出された。

「<クラレント>起動」

リンレイがそう呟くと、白銀のレーザーブレードに紅闇色の雷が迸った。

「・・・・!!」

《ハーミット》が小さく手を引いたかと思うと、人形―――<氷結傀儡>が低い咆哮と共に身を反らした。すると、デパート側面部の窓ガラスが次々と割れ、フロア内部に雨が入ってくる。
 否―――正確に言うのなら、少し違う。窓が割れて雨が入ってきたのではなく、まるで、雨粒が凄まじい勢いで以て、外部から窓ガラスを叩き割ったかのような感じだった。

「・・・雨の弾丸か」

微かに口元に笑みを刻み、コチラに殺到する雨の弾丸を全て<モルドレッド>の機械鎧(オートメイル)で受け止める。 そして、それと共に地面が砕ける音が響き、

「・・・!?」

巨大なウサギの人形の右側腹部分に強力な衝撃が打ち込まれた。

ドズン!

という鈍い音。ウサギの人形に乗っていた《ハーミット》ごと、信じられない速さで吹き飛び、デパートの壁を砕き、外へと放り出された。大気が揺れ、電灯が砕け散り、ジャングルジムなどの玩具が破壊された。風圧だけでこの威力。では、モロに攻撃を食らった《ハーミット》の方はどれほどのダメージを受けているのかというと、

巨大なウサギの人形にヒビが入り、それに乗る《ハーミット》は口から血を吐いていた。

人間の癖に強すぎる少女。

「冥土の土産に教えてあげる。 私のCRユニット<モルドレッド>は、近接特化の対精霊殺しの武装。他のCRユニットの倍、性能が上げられていてね、この世界にたった一つの私だけの専用機なの」

動けず怯えたような目でコチラを見る《ハーミット》に、リンレイは狂った獣のような笑みを顔に張り付けて、

「バイバイ。 <ハーミット(化け物)>」

紅闇色に輝く<クラレント>を容赦も躊躇いもなく、振り下ろした。が、そこに<ハーミット>の姿はなく、ただ抉られた地面だけがそこにあった。

「ちぇ。 逃げられちゃったかぁ」

リンレイは残念そうに呟いて、<クラレント>の起動を止める。そして、通信をオペレーターに繋ぐ。

「こちら、リンレイ。 《ハーミット》消失したので、これより帰還します」

『ご苦労様。単独行動も程々にしなよ、リンレイ』

「はいはい。説教は家に帰ってからね、シス」

『はぁ。 そうするわ』

「んじゃ、また後で」

リンレイはそう言葉を返して、通信を切る。そして、天宮駐屯地へと帰還した。 

 

<フラクシナス>に再来訪


第二の精霊《ハーミット》による空間震と、DEMからの派遣社員リンレイのCRユニットによる被害で悲惨な姿と化したデパートとその他のビル群。

「結局、間に合わなかった上に、後始末やらされるとわ」

「仕方ない。 遅れた私達が悪い」

暁夜と折紙は災害復興部隊と共に壊れたデパートとビル群の修理を行っていた。

「んな事言ってもよー。 ってか、その手に持ってる変な人形(パペット)なに?」

「落ちてるのを見つけて、気に入ったから拾った」

「成程成程。汚いから捨てよーな、折紙ちゃん」

()だ。 この人形(パペット)は持って帰る」

「ダメです! 早く捨ててきなさい!例え、明日から俺の服が全て女性物になろうと、童貞を散らされようと、襲われようとも、お兄さんは許しません!」

白い生地で兎という事は分かるが、なぜか右目が黒いボタンらしき物で隠れていて、まるで眼帯をしているようになっている人形(パペット)を胸に抱き寄せて、折紙は首を横に振った。

「それの何が良いの!? もっと可愛い人形(パペット)買ってあげるからそれはやめよ!?」

「この良さが分からないなんて、貴方の感性はとても残念」

「お前にだけは言われたくないよ!?」

と、兎型人形(パペット)を捨てる捨てないで言い合っていると、

「そこの二人! 遊んでないでテキパキ動く!」

上空から崩壊したビルを修復する災害復興部隊隊員、瀬戸(せと) 李衣菜(りいな)が怒声を上げる。

「暁夜、怒られた」

「俺が悪いみたいな言い方やめて!? 半分以上お前が原因だからね!?」

少しムスッとした表情で暁夜にジト目を向ける折紙に、暁夜は大声を張り上げた。

「まだ遊んでんの!! アンタらの隊長に全然役に立たなかったって伝えるわよ!!」

「それだけは勘弁!」

「それは困る」

暁夜と折紙は、李衣菜の脅迫に逃げるように修理を再開する。ただ、CRユニットを纏う折紙と違って暁夜の方は随意結界(テリトリー)展開を数分ほどしかできないため、修理ではなく、瓦礫などの撤去作業しか出来ることが無い。よって、暁夜は折紙が修理する箇所の瓦礫を撤去していくしかないので、中々修理は進まない。

「暁夜、遅い」

「これでも頑張ってる方なの!焦らさないで!!」

思わず女みたいな言葉遣いでキレる暁夜。

「もう少し速度を上げて」

「注文の多い同居人様ですこと!」

パッパっと瓦礫を掴んでは投げ掴んでは投げを先程より速い動きで繰り返す。その度にストレスが溜まっていく事は折紙に内緒である。

それから数時間後。

「はぁ〜、つっかれた〜!」

復興作業を終えた災害復興部隊と暁夜は天宮駐屯地の格納庫に各々武装を格納し終え、ロッカー室で疲れをとるために、ひんやりしたタオルを顔に当て、休憩をしていた。

因みに、災害復興部隊の方々と折紙はシャワーに行き、暁夜はシャワー待ち。AST隊員だけが使用できるシャワー室は計三部屋。 その中の一部屋は暁夜専用のはずなのだが、使用中になっていた。微かに漏れてきた鼻歌から恐らく女性だろうと推測し、暁夜はロッカー室に戻ったのだ。

(あのままあそこにいたら、覗きと勘違いされるしな)

暁夜はベンチから立ち上がり、壁に備え付けられた自販機にお金を入れる。そして、三段ある内の1番上の左から二列目のスポーツ飲料水のボタンを押し、下から受け取り、ベンチに再び腰掛けた。

「ふぅ。 気持ちよかったぁ〜」

と、裸身にバスタオルというスタイルの茶髪に褐色肌の約20代ほどの女性がロッカー室に現れた。

(・・・誰だ、あの人?)

暁夜は下心とかそういう感情ではなく、見知らぬ人が誰なのかという純粋な疑問の感情を抱きながら、スポーツ飲料水のペットボトルに口をつける。その視線に気づいたのか、茶髪褐色肌にバスタオルと不可思議スタイルの女性がこちらを見た。

「すみません。 やっぱ男に見られるのは誰だって嫌ですよね」

暁夜は即座に頭を下げて謝罪する。 が、

「いえ、気にしなくて結構です。崇宮 暁夜二曹」

恥ずかしがることもなく、平然とした態度で大人の対応を見せるバスタオル女性。

「あの、どうして俺の名前を?」

「ああ、すみません。 あなたの事はアイザック社長から聞いておりましたので」

「って事は、DEMの人ですか?」

「ええ、はい。 そうえば、自己紹介してませんでしたね」

バスタオル女性はゴホンと軽く咳払いした後、

「私は、シス・D(ダーナ)・ハート。 リンレイ・S・モーガンのオペレーターとCRユニットの管理及び整備を担っているDEM派遣社員の一人よ。 これからよろしく、崇宮二曹」

そう名乗った。

「こちらこそよろしくお願いします。 シス・・・さん?」

「シスでいいわ。 私、さん付けされるの苦手なのよね」

「それじゃあ、俺も呼び捨てにしてくださいよ。 堅苦しいの嫌いなんで」

「ええ、分かったわ。 暁夜」

シスはそう言って握手を求めてきた。暁夜はその手を握り、

「これからよろしく、シス」

微笑みを浮かべた。

「それじゃあ、またね」

「あ、その前に聞きたいんですけど。 一番左のシャワー室空いてましたか?」

「ええ、私がさっきまで使用してたから、空いてるよ。それがどうかしたの?」

「あ、いえ。なんでもないです」

暁夜は、シスから視線を逸らす。それは無理もないこと。自分の使用しているシャワー室に先程まで女性が入っていたのだ。男ならドキドキしないわけが無い。例え、折紙に対する免疫を持つ暁夜であろうと、それは折紙限定だ。世界中の女性に対する免疫を持っている訳がない。

(それに、今からシャワー浴びるなんて言えない)

シスが使用していた時点で、『今からシャワー浴びるんだ』という言葉は変態に思われる可能性がある。確か、DEMにいた頃に、既婚者の男性上司(あだ名は兄貴)が『女性がトイレやシャワーに入った後、五分ほど経ってから男性は入らなくてはならないんだ。理由は匂いが消えるまで待ってほしいからなんだ』とうんざりした顔で語っているのを聞いたことがある。だから、すぐに入るのはダメだ。五分後に入らなくては。

(ありがとうございます、兄貴)

暁夜は胸中で感謝の言葉を述べる。

「連絡先渡しておくわ」

「あ、ありがとうございます」

暁夜は携帯を取り出し、シスが連絡先を言葉で伝える。

「それじゃ、今度こそまたね」

「はい、また」

シスは暁夜にそう言って、更衣室へと消えていった。 暁夜はその背が消えたのを確認して、大きくため息をついた。

「 はぁ〜。 シャワー浴びるか」

グッと伸びをして、着替えをロッカーから取り出し、シャワー室へと向かった。



天宮駐屯地第二格納庫。 巨大な白銀色の機械鎧(オートメイル)と、刃部分がない剣の柄が幾重の特殊な透明ケースに覆われている。 他にも、幾つもの透明ケースがあり、そのどれにも形や色は違うものの機械鎧(オートメイル)と武器が納められていた。

それ以外は格納庫と言うより家のリビングに近い。

巨大なソファーとドでかいテレビ。透明の机の上には、テレビリモコンとペットボトルのコーラ2本にお皿に大量に盛られたフライドポテトが置かれていた。

そんな格納庫とは思えないこの部屋の利用者は、先日、DEM社から派遣された二人の社員、リンレイとシスだ。ただし、ここに住んでいる訳ではなく、わかりやすく言えば別荘に近い。

「あ〜、おふァひぇり〜」

英語のロゴが胸元に刺繍されているダボッとしたシャツに白いパンツ一枚の姿で、口の中にポテトを沢山入れ、ソファーの上で足をパタパタさせながらリンレイは手を振った。

「はぁー。 下もちゃんと履きなさいよ。ここに私以外来ないからって、不用心すぎ」

グレーのシャツにデニムを履いているシスは、小脇に挟んだ書類を机に置いて、まだ飲まれていない方のコーラのペットボトルのキャップを外し、口をつける。シュワッとした刺激と甘み、冷たさが喉を通っていく。

「んなこと、気にしにゃい気にしにゃい」

口の中一杯に含んだポテトを飲み込み、手についた塩を舐めとる。

「それより今日、貴女が壊した建造物の修理代は給料から引いておくからね」

「ちょ、それはないでしょー。 私は精霊を殺すためにがんばっただけじゃんかー! ていうか、アレはほぼ《ハーミット》のせいじゃんよ〜!」

シスの報告にリンレイはソファの上で駄々をこねる。 だが、シスにとっては日常茶飯事の光景のため放置して、話を先に進める。

「んで、二つ目は、崇宮暁夜の件の確認よ」

机に置かれた幾つもの書類の中から、ホッチキスで留められた六枚分ほどの紙束を手に取る。

「まず今回、私達がアイザック社長から日本に行くように命じられた理由は覚えてる?」

「暁夜君の監視でしょ〜」

「まぁ、多少はあってるけど。 正しくは、崇宮暁夜がまだ私達の味方かどうかの監視。 万が一、敵対するなら--」

「処分、でしょ?」

先程まで、ダラダラしていたリンレイが、酷く冷めきった声音で答える。

「ええ、そうよ。 ただ、元部下だからって殺すのを躊躇ったりしないわよね? リンレイ」

「 当たり前でしょ。アイクの命令なら、暁夜君と仲良くなるし、殺せというなら暁夜君を殺すし、死ねと言われたら私は快く死ぬ。それほどまでに私はアイクを敬愛してる。とても好き」

「ほんと、病んでるわね。 アンタ」

「ははは。それほどでもないかな」

酷く冷めきった声音から普段の明るい声音で答え、リンレイは携帯ゲームをし始める。シスは書類を手に、第二格納庫から外に出る。

数時間前まで降っていた雨は止み、満点な青空になっていた。シスはそんな青空を見上げて、

「【明星堕天(ルシフェル)】が暁夜の中に眠っているなんて・・・残念だわ」

手に持っていた『崇宮暁夜に関する情報』が記されている書類の束をグシャリと握りつぶした。



翌日の早朝。暁夜と折紙が暮らすマンションの部屋の前に黒いスーツを着た怪しい男性二名がいた。 周囲からイタイ視線が刺さる中、その男性二名は耳に取り付けられているインカムで通信を繋げる。

「こちら、D2。司令、標的の家の前に到着しました」

『そう。 今の時間帯は二人ともいないとの事だからちゃっちゃっと奪ってきなさい』

「了解」

男性二名は通信を切り、扉を開ける。ガチャっと呆気なく開き、

「鍵、空い--」

「いらっしゃーい!ラタトスクの構成員さぁぁあん!!」

一人がそう呟いた瞬間、バケツを手にした暁夜がいたずらっ子の様な笑顔を浮かべて男性の頭に被せた。そして、急な事に呆然としているもう一人の男性の方を見やり、

「あなたもいらっしゃーい!!」

「へっ? まっ・・・むぎゃ!?」

二個目のバケツを頭に被せた。

「くっ、周りが見えない!」

「おい、どうなってんだよ!? 誰もいないんじゃなかったのかよ!」

バケツを被り周りが見えない暗闇状態のラタトスク構成員二名が悲鳴と怒声を上げる。と、そんな2人の耳に、

「あ、そこ危ないよ」

暁夜の忠告が聞こえた。ただし、時すでに遅し。 声に気づいた瞬間に、ラタトスク構成員二名の全身を感電死まではいかないが病院送りにされるほどの電流が流れた。

「ギィャャヤヤアアア!?」

「あばばばばばばばば!?」

ラタトスク構成員二名はそんな苦鳴を上げ、倒れ伏す。

「うっし。ご報告と行きましょーか!!」

暁夜は両手に持ったスタンガンを棚においてからインカムを取り、自身の耳につけて、通信を繋げる。

「やぁ、おはよう!!いい朝だね! 琴里ちゃん!!」

『・・・・』

「あれあれあれ〜? もしかして聞こえてなぁい? それともスルーかなぁ? まぁ、繋いであってもなくても、これだけはいいます。えー、琴里ちゃんは、士道君の下着を毎夜クンカクンカしてます!」

『--んなこと、してないわよ!? このバカ!!』

「あ、間違えた。 士道君の下着で毎夜いかがわしいことしてま--」

『あんた、ほんとにぶっ殺すわよ!?』

「無視するのが悪いんです」

暁夜は悪びれることも反省する気もない声音で答える。それに対し、琴里はとてつもないほどにお怒りモードだ。

『当たり前でしょう! ノコノコ敵さんに挨拶すると思ってんの!?』

「現に俺がしてるじゃん」

『アンタは単に馬鹿なだけでしょ!!』

インカム越しから何かを蹴る音が聞こえた。相当ご立腹のようだ。

「へいへい。俺、こう見えて学年順位毎回3位の秀才ですよ? そんな秀才が馬鹿ってことは、君のお兄さんは大馬鹿者って事になるけど、そこん所どうよ?」

『さっきから揚げ足とるのやめてくれないかしら!?』

「は〜い、司令官の仰せのままに〜!」

暁夜がそう返事を返すと、『絶対殴ってやる』という琴里の恐ろしい脅迫が聞こえたが華麗にスルーして、本題に入る。

「とまぁ、悪ふざけはこんぐらいにしてっと。 何しに来たん? 俺たちの部屋に」

『ふん、教えるわけないでしょ』

「琴里ちゃんが○○○してるって言うよ?」

『もう言ってるじゃない!! てか、そ、そんなことしてないわよ!! ば、バカ! 変態!!』

インカム越しの為、様子が見えないが、恐らく顔をトマトみたいに紅くして叫んでいるであろう琴里に、暁夜は満足気な笑顔を浮かべる。

(琴里をからかうのは楽しいなぁ)

と、謎の気持ちよさに浸っていると、

『申し訳ありません。司令の代わりに、この神無月が説明します』

「あー、うん。 帰れ」

琴里の声に変わり、神無月の声が聞こえた為、暁夜は最大限まで声のトーンを落として言い放つ。

『さ、暁夜君!? あ、当たりが強くないですか!?』

「お前をからかっても楽しくないんだよ!帰れ、ド変態パツキン!!」

『ド変態パツ・・・っ!? でも司令にそう罵られるのはさいこ--ぎゃうん!?』

暁夜の罵倒を、脳内で琴里の声に捏造してハァハァと悶え始めた神無月が、物でもぶつけられたのか苦鳴を上げ、そして声が途絶えた。

暫くの沈黙。

『すまないね。 二人の代わりに私が説明しよう』

「あ、どうもです。 令音先生」

今度はインカム越しから令音の声が聞こえてきた。

『ああ、おはよう。 さ、さとる?』

「暁夜ですよ。 さ・と・や!」

『ああ、すまないね。暁夜』

「まぁ、いいですけど。 それで? 俺の家に何か用っすか?」

『その事なんだがね--』

暁夜の質問に令音が要件を話し始めた。

内容は--


『折紙が拾ってきた兎型人形(パペット)の回収』

との事だった。

「あー、あれの事ですね。今、折紙いないんで渡しますよ。 ってことで転送お願いします」

『それは助かる。 準備が出来たら呼んでくれ』

暁夜は一度部屋に戻り、兎型人形(パペット)を棚の上から取り、

「転送お願いします」

『ああ、了解した』

令音が転送装置を操作し、<フラクシナス>へと転送された。 

 

情報交換


<フラクシナス>艦橋に転送された暁夜は、兎型人形(パペット)を手に、司令席に座る琴里に声をかけると、

「おーい、持ってきてやったぞー!むっつりスケベガーぶァはッ!?」

フルスイングで投げられたチュ○パ○ャ○スが頬に直撃した。思わず、頬を突き破ると思ってしまうほどの投球スピードだった。勿論、それをやってのけたのは、むっつりスケベガールこと、五河琴里司令である。

「おま、チュ○パ○ャ○ス投げちゃダメでしょうよ!? ママから教わらなかったのかい!?むっつりスケベガーるヴァ!?」

二本目のチュ○パ○ャ○スが腹部に直撃した。物の見事にクリティカルし、体力ゲージを大幅削られる。ノリで大仰なリアクションをとり、倒れ込む。 チラッと視線を琴里に向けると、司令席と現在の位置の高さの差で必然的に、足組む琴里の縞パンが見えた。

「琴里さんよ、おパンツ見えて--」

「何か言ったかしら?」

「・・・何でもございませぬ」

三本目のチュ○パ○ャ○スを構えた琴里に睨まれ、暁夜はムクリと起き上がり、降参の意思を示すため両手を上げる。

「はぁ。 そろそろ本題に入ってもいいかしら?」

「ん? ことリンがお兄ちゃんのパンツをクンカクンカしてるかしてないかの話?」

「違うわよ、バカ!!」

ブンッ!!

と、三本目のチュ○パ○ャ○スが放り投げれられた。 が、

「甘いわ!」

べシっ!

と、手刀でチュ○パ○ャ○スを叩き落とした。ちなみに、痛かったことは言うまでもない。

「くっ!弾くんじゃないわよ!!」

「フッ、フハハハ!!3度も同じ目は喰らわぬわ!!」

勝ち誇った笑みを浮かべる暁夜。 涙目なのは内緒である。

「ぐぬぬ。 もう許さないわよ!」

「かかってこいよ! むっつりスケベガール!!」

両指の間に三本ずつチュ○パ○ャ○スを挟み構える琴里と、兎型人形(パペット)を手に煽る暁夜。 そんな一触即発の空気の中、令音の軽い咳払いが聞こえた。

「落ちつきたまえ、二人とも」

「そ、そうね。ありがとう、令音」

「も、申し訳ありませぬ」

令音の言葉に、一瞬にして、一触即発のムードが霧散した。流石は、大人の女性だ。思わず惚れてしまいそうになるが、折紙に殺される気がしたので惚れるのはやめた。

「今度は話の腰おらないでよ? つぎ折ったら、上空に転送するわよ」

「オーケイオーケイ! もう話は折らない。ただ弄るのはオケ?」

「それもダメよ。というか何もしないで」

「・・・ぜ、ぜん・・・ぜんし・・・善処します」

苦渋の決断と言わんばかりの表情で頷く暁夜。それに対し、琴里は気にすることもなく話を始める。

「その人形(パペット)をこちらに渡してくれないかしら?」

「理由を求めます」

「それもそうね。 理由もなく渡せというのはおかしいわね」

暁夜の言葉に頷き、琴里はクルーにモニターをつけるよう指示する。 暫くしてモニターが映り、<ハーミット>の姿が映し出された。背景からして昨日のデパートの中だろう。

「<ハーミット>がどうかしたのか?」

「ええ。 あなたが持ってるその人形(パペット)は彼女の物なのよ」

「・・・成程な。 だから返してくれと?」

「ええ、そういうことよ」

兎型人形(パペット)をブラブラと左右に振りながら尋ねると、琴里は頷く。

「だったら、最初から構成員の方達を呼ばずに俺に連絡すればよかったのに」

「ふん、嫌よそんなの。どうせ、アンタに連絡しても素直に渡してくれるわけないわ」

「おいおい、俺だって人の心ぐらいあるんだぜぇ? まぁ、ことリンの言ってる事は合ってるけど」

「予想通り過ぎて、反応に困るわ」

否定することもなく素直に認める暁夜に、額に手を当てる琴里。

「それで? この人形(パペット)で<ハーミット>を誘き寄せて、ザクッてか?」

暁夜は見えない空間に、剣を突き刺す動作をしながら、尋ねる。

「アンタ達、野蛮人と一緒にしないで。私達、<ラタトスク>は精霊を殺さずに救うのがモットーよ」

「ふむ。 てことはまた士道を使って、精霊の力を封印か? 十香の時みたいに」

「ええ、そうよ」

「ひとつ質問していいか? これに答えてくれたらこの人形(パペット)を渡してやる」

先程まで巫山戯ていた暁夜がいきなり、真面目モードになる。

「いいわ。 何が聞きたいの?」

「士道について・・・と言うより、精霊の力を封印するのは士道にとって安全なのか?どうか?についてだ」

「その安全というのは封印する際の事?それともその後?」

「出来れば両方聞きたい」

「別に構わないわよ。但し、私からもあなたに聞きたいことがある。まぁ、その件はこの話を終わらせたあとにじっくり聞かせてもらうわ」

琴里はそう言って、説明を始めた。

「まず結論から言うと私達も精霊の力を封印する術をなぜ士道が持っているのかは知らないわ。で、封印方法ってのが、精霊とのキスよ」

「それで、精霊に恋をさせる、って言ったのか、あん時」

「あら、ちゃんと覚えてたみたいね。ウチのバカ兄と違って優秀ね」

「そういうのいいから、話進めろ」

暁夜はそう話の続きを促す。

「次に、封印後の話だけど。 封印された精霊の力は士道の中にあるわ」

「成程な。どおりで、十香から精霊の力を感じないわけだ」

と、納得する暁夜だが、とある疑問点に気づき、

「ちょっと待てよ。 士道に封印されたって事は、今のアイツは天使を顕現できるって事か?」

琴里に尋ねる。

「悪いけど、その点に関しても不明よ。ただ、監視はしてるから士道が天使を顕現させたら、あなたの憶測通りってことでしょうね」

「成程な。 悪いが、もうひとつ質問していいか?」

「いいけど、こちらの質問も2つにさせてもらうわ」

その答えに、了解し、暁夜は疑問を投げかける。

「万が一、封印した精霊の力が暴走したらどうする?」

「・・・その時は、適切な対処をするわ」

「--殺すってことか?」

暁夜の言葉に、<ラタトスク>クルー達が、驚愕に顔を歪める。それに対し、琴里は覚悟しているのか、苦しげな表情で頷く。

「その役目、俺に任せてくれないか?」

「・・・は? 何言って--」

「何って、士道を殺す役目だよ。俺なら殺しなんて慣れてるからさ、罪悪感感じねえんだ」

「でも・・・あなたは・・・それでいいの?」

琴里が悲しげな瞳で暁夜を見つめる。

「あぁ、平気だ。お前は罪悪感なんて抱かなくていい。妹に実の兄を殺せなんて言えるか? 俺は言えない。それにさ、アイツは俺の親友だ。だったら、俺がアイツを救ってやらねえと」

そう言って、笑顔を浮かべる暁夜。 傍から見ればサイコパスのように思われるかもしれないが、琴里は気づいていた。

彼は、自分に兄を殺させないために、汚れ役を憎まれ役を買って、無理矢理笑顔を浮かべているのだと。

「・・・分かったわ。 あなたに任せる」

琴里は、視線を暁夜に向けず、下唇を噛み締めて呟いた。

「うっし。 じゃあ、次はことリン、お前の質問だ」

重苦しい空気を取っ払うように暁夜は告げた。その声に、琴里は頭を振って、いつも通りの司令官モードに戻った。 足を組み直し、チュ○パ○ャ○スを舐めながら、口を開いた。

「私からの質問は2つ。 リンレイ・S・モーガンの件と、この映像についてよ」

そう告げると共に、モニターに映像が映し出される。 それは、黒紫色の片手剣に紅色の光粒を収束させている暁夜と、闇色に彩られた柄に鍔、そして刀身を持つ片刃の巨大な剣を握る十香の姿だ。

(・・・撮られてたのか)

暁夜は頬をポリポリとかいて、胸中で呟く。

「その様子だと、言いたくない事かしら?」

「あー、まぁ、アレ使ったのはDEMにいた頃以来だからな。それにいつかはバレるって分かってたし、教えてもいんだけど、内緒にしてくれる?」

「万が一、誰かに話したら?」

「んー、DEMを敵に回す事になるかな」

暁夜はケロッとした態度で恐ろしいことを告げる。

世界規模で事業展開を行っている大企業、DEMに敵対するということは、世界を敵に回すようなものだ。それは琴里達も避けたい展開だ。

「オーケー。 分かったわ」

琴里は、チュ○パ○ャ○スの棒をピコピコさせながら頷く。 それを確認した後、暁夜は説明を始めた。

「まずあの力は精霊と同じ天使(・・)だ」

「せ、精霊と同じ!?」

クルーの一人が大声をあげるが、琴里はそちらをひと睨みして黙らせる。

「続けていいか?」

「ええ、続けて」

「あの天使は【明星堕天(ルシフェル)】。 識別名は【アヴェンジャー】。 因みにこれを知ってるのはDEMの社長と秘書に数名、そしてお前らのみ」

「アヴェンジャー・・・『報復者(・・・)』か」

暁夜が告げた識別名に、令音が自身の顎に手を当てて呟いた。まるで一言一言を記憶に刻み込むように。その仕草に暁夜は既視感を覚えるが、人違いだと思考を切り替えた。

「ちょっと待って。あなたが精霊? じゃあ元から人じゃなかったってこと?」

「それは違う。 俺は元々お前らと同じ人間だ。 要するに十香や<ハーミット>みたいに元から精霊の奴と違って、俺は半分人で半分精霊と言ったところだな」

「ふむ、半人半霊か。興味深いね」

「でもおかしくないかしら? どうして精霊の力を得たあなたが精霊を憎むの? 一応、同胞ってことじゃないの?」

琴里がそう尋ねる。 確かに疑問だろう。 人であり精霊である暁夜が、なぜ精霊を殺そうとするのか? というのは。

「それってさ、言わなきゃダメか?」

「・・・どうしても言いたくないことかしら?」

「あぁ、特にお前には」

暁夜は琴里を見て、頷いた。

「はぁ、分かったわ。 じゃあ、彼女のことを教えてくれる?」

「大した情報はないけどいいか?」

「別にいいわよ。 私達よりは知ってるはずだから」

「分かった」

その後はリンレイについての情報提供だ。とりあえず説明したのは、

『対精霊特化のCRユニットを持つ』

『敵味方関係なく邪魔するもの全てを攻撃する』

『暁夜が対人戦で勝ったことは無い』

の三つだ。

「なるほどね。あんたよりもバケモノだって事は把握したわ。もしかしてDEMにはアンタらみたいな化け物しかいないの?」

「あー、と。 それは残念ながら否定できない」

暁夜は視線を横に逸らして苦笑いを浮かべる。

「とりあえずこれで聞きたいことは終わりよ」

「じゃあ、約束通り人形(こいつ)返すわ」

暁夜は右手にはめていた兎型人形(パペット)を外し、琴里に投げた。それをキャッチして、

「ありがとう、暁夜」

琴里はお礼を言う。

「お礼はいらねえよ。俺も知りたいこと教えて貰ったし、元々、折紙に内緒で捨てようと思ってたからな」

「そう、それなら良かったわ。 神無月、転送の準備お願い」

琴里は横で直立不動で待機する神無月に声をかける。

「了解しました、司令!」

神無月は敬礼した後、部下に転送の準備をさせる。 クルー達が複雑そうなコンソールを操作し、転送装置が起動させた。

「準備完了。 いつでもいけます!」

「分かったわ」

指示を待つクルーに首肯する。その間に、暁夜は転送装置の中心に立つ。

「出来れば家の前で頼むわ」

転送座標を伝えて、待つこと数分、暁夜の身体を淡い光が包み込んだ。そして--次の瞬間には、扉の前に立っていた。オマケに騒がしい警報が鳴り響いている。

「精霊出てくんの早すぎだろ」

暁夜は後頭部を掻き、そう文句を垂れると扉が内側から開き、

「・・・むぎゅ!?」

「・・・うっ!?」

胸あたりから可愛らしい声と衝撃が同時にきた。 不意打ちということもあり、倒れそうになるが、なんとか踏みとどまる。そして、視線を下に向けると、視界一面に銀色の髪が見えた。その銀髪がサラリと動き、それに合わせて胸あたりに埋もれていた顔があらわになる。

「・・・暁夜?」

アイドル顔負けの無表情銀髪美少女がそう言葉を零した。

「よ、よぉ。 お、おり、折紙さん」

吐息のかかるほどの顔の距離にドキドキしながら、暁夜は言葉を返す。

「そうえばこんな所で止まっている場合ではない」

「は?」

意味不明な折紙の言葉に、はてなマークしか浮かばない暁夜。

「空間震警報聞こえなかったの?」

「あぁ、そういう事ね」

「早く現地に行く」

「あ、ああ」

暁夜の手を引っ張り、折紙は目的地へと走り始めた。

同時刻の天宮駐屯地第二格納庫。

「よーし、準備完了、っと」

CRユニット<モルドレッド>を装着したリンレイは右手に<クラレント>を握り、告げる。

「気をつけてね、リンレイ」

「うん、任せて。 シス」

格納庫の扉を開けたシスがリンレイにそう声をかける。

「うん、じゃあ、まぁ。 精霊ぶっ殺しに行くとしますか!」

と、口元に獰猛な獣の笑みを刻み、血に飢えた獣のような瞳を妖しく光らせながら、<ハーミット>が現れたという出現地へと飛び立っていった。 

 

兎と騎士と獣

無数のビルに囲まれた所で、四糸乃は目を覚ました。ひんやりとした空気が頬を撫で、続けて全身の毛が粟立つ様な視線を感じた。

「・・・ぁ」

四糸乃は怯えながらもその視線の方に顔を向けた。そして自然と口から、

「・・・ひぅ」

そんな声が漏れた。それは仕方ないことかもしれない。なぜなら、そこに、


「やっほ〜、 〈ハーミット(化け物)〉♪」


全身を近接特化型CRユニット〈モルドレッド〉で包んだノルディックブロンドの髪色をしたリンレイがこちらに嘲笑を浮かべて立っていたのだから。

「・・・どう・・して」

か細い声で疑問を口にする四糸乃に、リンレイは口の端をさらに吊り上がらせ、対精霊レーザーブレード<クラレント>を引き抜いた。

瞬間、ひんやりとしていた空気が熱を帯びたかのように熱くなる。 まるで鉄板の上に裸で寝転がっているかのような熱さに四糸乃は苦しそうな表情を浮かべた。無理もない、彼女にとって熱さは天敵だ。

「あは、苦しそうだね? ハーミット」

「・・・・っ!?」

近くで不意に聞こえたリンレイの声に、四糸乃は息を詰まらせ、地面を蹴って後ろへ下がった。その数秒後、四糸乃が先程までいた地面が割れた。

「ちっ。 外したか」

リンレイが〈クラレント〉を横に払って、舌打ちする。そんな彼女の殺意の一撃に四糸乃は逃走を始める。

「逃がすかってんの!」

リンレイは無線機でこの場に向かっているASTに援護するように合図を送り、機械鎧の手甲中心で紅く光る宝石に触れた。瞬間、〈クラレント〉が銃形態へと変化した。

「--追え」

その言葉と共に引き金が引かれ、幾つもの紅い光弾が放たれた。それぞれが致死の力を持つ、必殺の一撃。霊装がなければ、四糸乃を一〇〇回殺しても釣りが出るであろう、悪意と殺意の化身。

「・・・!・・・!」

四糸乃は、錯乱気味に空を舞いながら、声にならない叫びを上げた。

動悸が激しくなって、

お腹が痛くなって、

目がぐるぐると回る。

誰かに悪意を、殺意を向けられていることが、四糸乃には許容しきれなかったのだ。

いつもは--違う。 いつもなら、四糸乃の左手には『よしのん』がいてくれる。強くて頼りになる『よしのん』がいたから、平気だった。みんなを傷つけずにいられた。

でも、今は--

「きゃ・・・・!」

四糸乃は、左肩に凄まじい衝撃を感じ、短い悲鳴を上げながら地面に落ちていった。霊装を容易く貫いた一撃。その一撃に四糸乃の心が恐怖に支配されていく。

ガチガチと歯が鳴って、

ガタガタと足が震えて、

グラグラと視界が揺れる。

もうどうしようもないくらいに、頭の中がグシャグシャになる。

「ぅ、ぁ、ぁ・・・」

ざぁ、ざぁと。晴れていた空が暗くなり、雨が降る。その雨は〈クラレント〉が放出する熱を勝る勢いで強くなる。

「--〈クラレント〉、出力最大」

バチィと電気が迸る音が響き、〈クラレント〉の一撃が襲いかかる。それが身体に触れる直前。 四糸乃は、天高く右手を上げていた。

--そして。

「・・・〈氷結傀儡(ザドキエル)〉・・・ッ!!」

災厄(てんし)の名とともに、それを、振り下ろした。



銀世界と化した天宮市。無数のビルの屋上を疾走する二つの影。そのふたつの影から時折、白い装甲が見え隠れする。地から見上げたとしても、その一瞬の出来事を視認することは出来ないだろう。それほどまでの速さ。

「暁夜、もっとスピードを上げて」

影のひとつがもうひとつの影にそう催促する。

「これが限界!我慢しろ、折紙!」

暁夜と呼ばれた影は、もうひとつの影の折紙に反論の声を上げた。彼らは、忍者のように屋上を駆けては次の屋上に飛び移るのを繰り返しながら、ここまで言い争っていたのだ。

「ってか走るより飛んだ方が速くない?」

暁夜はそう何度も尋ねてきたが、

「だめ。暁夜は長時間飛べない。それにいつも精霊と戦う前から微かに疲労してるのを知っている」

と言って折紙は拒否するのだ。

「だから何度も言ってんだろ。あれくらいの疲労なんて大したことないって」

「いつもそう言って、無茶ばかりしている。わたしは暁夜がいないと生きていけない」

その言葉は、折紙の過去を知る暁夜だからこそ理解出来る言葉。過去を知らない人からしたら愛の重い人間と思われるだけだ。だから、この言葉を、彼女の思いを踏みにじることは出来ない。

「はぁ。俺の負けだ」

「・・・ん」

降参の意を示すために両手を上げる暁夜を1度見てから、折紙は走る速度を上げた。暁夜もそれに合わせて速度を上げる。暫くして、暁夜達の視界に巨大な兎と白銀の機械鎧を纏う女性を捉えた。

「もうおっぱじめてんのかよ!」

暁夜は心の中で舌打ちして、腰の鞘に納められた〈アロンダイト〉を抜剣した。そして続けざまに、

「擬似大天神『トールΩ』解放ッ!!」

刀身に手を添えスライドさせた。瞬間、暁夜の全身を白黒色の火花が迸る。

本来の『擬似天神』は刀身に収束させることしか出来ない。だが、今回の『擬似大天神』は全身に纏うことが出来る。その代わり、代償は大きい。この機能を使用した後、三日ほどとてつもない疲労で動けなくなる。それもあり普段は使用しないようにしていたのだが、〈ハーミット〉とリンレイが戦うあの地に向かうにはこれしか無かった。〈ハーミット〉だけなら余裕で対処できた。しかし、リンレイは違う。彼女は化け物だ。敵味方関係なく邪魔するものは蹴散らす。それがリンレイ・S・モーガンという女性だ。

「ちゃっちゃと仕事終わらせてくるかッ!!」

屋上の地面を踏み抜き、瞬間移動したかのように、距離を詰めていく。そんな彼の背を見て、折紙は、

「気をつけて、暁夜」

そう呟き、AST本体へと合流を始めた。



『四糸乃の元に向かう準備は出来た?士道』

インカムに聞こえる琴里の声。士道は1度だけパペットに視線を送り、覚悟を決めたように頷く。

「あぁ、覚悟は出来た。暁夜にもASTにも誰にも四糸乃は殺させない。俺が・・・四糸乃を救う!」

『--よろしい。右手に真っ直ぐ、大通りに出るまで走りなさい。四糸乃木の進行方向と速度から見て、およそ五分後にそこに到達するわ。その位置からなら先回りできるはずよ』

「了解・・・っ!」

指示を受け、士道はインカムを外した。ここからは自分だけの言葉で、やり方で、四糸乃を救う。

「待ってろよ、四糸乃」

凍りついた路面に足を取られながら、速度を維持して走っていく。 やがてひとけのない大通りに差し掛かり--足をグッと踏みしめた。

「逃げるなああぁぁぁ!!」

女性の怒声が響きその数秒後、遠くに、鈍重なシルエットが見えてくる。

滑らかで無機質なフォルム。頭部には、ウサギのような長い耳。間違いない。四糸乃の顕現させた天使•〈氷結傀儡〉だ。

士道は喉を潰さんばかりに声を張り上げた。

「--四糸乃ぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

「・・・・・」

猛スピードで迫る人形の背に張り付いていた四糸乃が、ぴくりと反応を示す。どうやら士道に気づいてくれたらしい。凍り付いた路面を滑る様に移動していた〈氷結傀儡〉が、士道の目の前に停止する。そして鈍重そうな人形が身を屈めたかと思うと、その背に張り付いていた四糸乃が涙でグシャグシャになった顔を上げた。

「お、おう、四糸乃。久しぶりだな」

「・・・士道さ、ん・・・!」

四糸乃が身を起こし、うんうん動物タワー首を縦に振る。 その際、四糸乃が〈氷結傀儡〉の背に開いた穴に差し込んでいた腕が抜かれる。四糸乃の指にはそれぞれ指輪のようなものが輝いており、そこから〈氷結傀儡〉の内部に、細い糸のようなものが伸びていた。もしかしたら、操り人形のように〈氷結傀儡〉を動かしているのかもしれない。

「四糸乃、おまえに渡したいものがあるんだ」

「・・・?」

四糸乃が、涙を袖で拭ってから、問うように首を傾げる。

「ああ、これを--」

と、士道がポケットにしまっていたパペットを取り出そうとした瞬間。

「避けろ!士道!!」

聞き覚えのある声が響くと同時、士道の後方から四糸乃目がけて、一本の紅い何かが放たれた。それは四糸乃の肩口を浅く掠め、後ろへ抜けていく。ツーと四糸乃の肩から血が垂れた。

「な・・・っ」

士道は声を詰まらせ、バッと振り向いた。 そこには、白銀の機械鎧に身を包んだ女性と私服姿の青年が、鍔迫り合いしながら浮遊していた。

「さ--暁夜・・・ッ」

士道が青年の名前を呼んだ。

「何でここに来たんだ!士道!!」

リンレイによる高速の連撃を何とか防ぎながら、暁夜は士道に尋ねる。

「き、決まってるだろ!お前らに四糸乃を殺させない為だ!」

「あぁ、そうかよ!」

士道の言葉に微かな苛立ちを込めて答える。

「暁夜君、何で!私の邪魔をするの! ASTに所属してる君が--なんで、精霊を守る?!」

リンレイが怒声を上げ、〈クラレント〉の出力を上げていく。その度に一撃一撃の重さが代わり、腕が折れそうになる。このままでは落とされる。

「ぐっ…精霊を守る? ち--違いますよ、リンレイ先輩。 俺は・・・アンタの攻撃から民間人を守ってるだけです!!」

ギリぃと歯を食いしばり、擬似大天神『ヘラクレスα』を解放する。それにより、全身に力が漲っていく。

「チッ、少しはやるようになったみたいじゃない!でも--その程度で調子に乗らないでよねッ!!」

「--が・・・ッ!?」

先ほどよりも強烈な一撃に、強化したはずの暁夜の身体が容易く地面へと落下した。地面が抉れ、灰色の砂煙が出る。微かに赤色の液体--血が瓦礫を伝っているのが見えた。

「暁夜!!」

士道は暁夜に駆け寄ろうした瞬間、

「ぅ--ぁ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ・・・ッ」

すぐ近くからそんな声がして、そちらに視線を向けた。 四糸乃が、リンレイの姿を見て、ガタガタと身体を震わせている。

「・・・・っ」

士道は、眉をひそめて息を詰まらせた。

「ぁ、っぁああ、ぅああああっぁぁぁぁぁ-っ!」

叫び、四糸乃が再び両腕を〈氷結傀儡〉に差し入れる。 そして凄まじい冷気をあたりに撒き散らしながら、後方へと滑っていった。

「ッ、四糸乃・・・!待ってくれ!」

士道の懇願も届かない。

四糸乃に操られた〈氷結傀儡〉は、ゴォォォォォォォォォ--という音を立てながら、周りの空気を吸い込んでいった。 

 

堕ちた精霊の降臨

「あ--あれは・・・っ!」

凍り付いた街を走っていた十香は、視界の先に見えた光景に戦慄した。開けた道路の上に、士道と、先日見た青い髪の少女、それに暁夜とAST達の姿が確認できたのである。

そして、人形を駆る少女が後退し、周囲の大気を吸い込むように仰け反らせる。

「---っ」

十香は、腹の底がゾクッと冷えるのを感じた。それは、なんとなく、危険だとわかる。本能が訴えている。 この感覚は、十香が〈鏖殺公〉で渾身の一撃を放とうとする寸前と、非常に良く似た空気の震え方をしているのである。

「・・・っ、シドー!」

十香は声を張り上げた。だがそんなことをしても意味が無いのは分かりきっている。 十香は、踵を地面に突き立てた。

「〈鏖殺公〉・・・ッ!」

そして、その名を呼ぶ。十香の最強の剣であり、玉座。 形を持った奇跡の名を。

「・・・っ、く--」

しかし、何も起こらない。十香は顔を歪めた。それもそのはず。十香の精霊の力は士道によって封印されている。今の彼女はただの人間と変わらない。最初は戸惑った。 だけれど、士道と共に人間としての生活をするために必要な事だということが理解出来てきた。

正直--十香は、今の生活がたまらなく楽しい。

折紙は未だに鼻持ちならないし、暁夜や琴里、令音も、信用に足る訳では無い。でも、士道と一緒に過ごす日常は、今まで感じたことがないくらい輝きに溢れていた。

--だが。

「〈鏖殺公〉--〈鏖殺公〉っ!〈鏖殺公〉・・・ッ!」

士道を救うために、今、要らないはずの力を再度求めなければならなかった。幾度も幾度も、地面に踵を突き立てるが、〈鏖殺公〉は顕現しない。

「く--頼む・・・出てくれ、〈鏖殺公〉・・っ!」

歯を噛み締め、眉根を寄せ、泣いてしまいそうになりながらも、地面を蹴り続ける。

--その瞬間、少女が〈氷結傀儡〉の頭部を、元の位置に戻す。

「・・・っ!」

ゆらゆら、ぐらぐらと、十香の精神状態が、不安定になる。意識が飛んでしまいそうなほどのストレスが、十香の頭の中を蹂躙する。

「く--ぁ、ぁああああああああッ!」

そして、〈氷結傀儡〉がその口元から凝縮された冷気を発した瞬間--




「くっ…!?」

「なっ…!?」

互いに己の武器をぶつけ合っていた暁夜とリンレイが、四糸乃の天使〈氷結傀儡〉から放たれた凄まじい冷気の奔流に驚きの声を上げる。周囲に展開したAST隊員達の攻撃は周囲の雨に阻まれ、四糸乃にかすりもしない。ただ、彼らよりも驚いたのは、彼女のそばにいた士道だ。

「な--」

放たれた冷気の奔流。それが士道の命を刈り取る一撃だと予想がついたからだ。このタイミングと速度では-到底避けられない。暁夜の精霊の力をもってしても、間に合うかどうか。ましてや、暁夜の天使は顕現するのに多少の時間がいる。不完全な状態で顕現することも可能だが、その場合は大きなリスクを伴う。それでも、この時の暁夜はそんなことは考えなかった。ただ、士道を助けたい一心で、己の精霊の名を叫ぶ。

「〈明星堕天《ルシフェル》〉ッ!!」

瞬間、暁夜の全身を紅黒い霧が覆い始めた。それに伴い、近接特化型CRユニット<モルドレッド>を装着しているリンレイが容易く吹き飛ばされた。まるで新聞紙のように。そして--暁夜の全身を覆う紅黒い霧が球体に姿を変えた。

宙に浮く黒い球体。それは目を瞑る士道を守るように移動した。そして直撃。冷気の奔流により、黒い球体が砕け散る。壊されたのではない。それを待っていたかのように黒い球体は自ら砕けたのだ。

「ぐ--ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!」

砕け散った球体から獣のような叫び声が発せられた。そして、その日その地に堕ちた精霊が降臨した。 

 

真実は時に残酷で

〈氷結傀儡〉により生み出された銀色の世界に無数の黒と白の羽が舞っている。更には禍々しい程に紅黒色に染まった六本の槍を背に浮かせ、片手に剣を装備した男とも女ともとれるような中性的な外見をした人ならざる存在が君臨していた。

「・・・精霊?」

上空にて日下部やAST隊員達と共に待機していた折紙は、視界を妨げる銀世界に突如現れた存在を見て呟く。その姿は〈プリンセス〉や〈ハーミット〉といった精霊の姿に似ていた。然し、今までで1度も見た事がない。恐らく、日下部でも知らないだろう。もしかしたら、暁夜なら知っているのでは・・・そう思い、折紙は通信を繋げる。

「・・・暁夜? 聞こえる?」

『・・・・・』

声は帰ってこない。代わりに砂嵐のような耳障りな雑音だけが響いてくる。普段ならすぐに返事をしてくれるはずだった。なのに返事がない。精霊と戦闘中なのか、それともただ通信機器が壊れただけなのか。いずれにせよ不穏な事に変わりはない。突如、現れた見たことの無い精霊といい、 暁夜の安否不明。偶然にしてはタイミングがよすぎる。折紙は何度も通信で呼びかけるが返ってくるのは静寂。こうなったらと、折紙は暁夜にプレゼントしたアクセサリーに仕込ませておいたGPSマーカーを自身の携帯で確認する。そしてそのGPS座標を見つけた折紙は目を見開いた。それは無理もない。

「・・・あの精霊と同座標に? なぜ?」

少し近くとかそういう些細な誤差ではない。綺麗にズレひとつなく見知らぬ精霊のいる超ど真ん中に重なった暁夜のGPS座標があった。その瞬間、折紙の頭に嫌な予感が過ぎった。

「暁夜が死・・・そんなことはありえない」

直ぐにその最悪な考えを否定し、一旦、冷静さを取り戻す為に深呼吸する。そして対精霊高周波ブレード《ノーペイン》を強く握り、見知らぬ精霊の元へと下降していく。否定した。それでも不安は消えない。いつも最後は笑って帰ってくる暁夜が死ぬわけが無い。折紙にとっての崇宮暁夜という人間はそういう存在だ。徐々に見知らぬ精霊に近づくにつれ、銀世界が気にならないくらいに視界がクリアになる。それに伴う様に、死の匂いが身体に纏わりついてくるような感覚が折紙を襲う。

「--!?」

不意に見知らぬ精霊の視線が折紙へと向けられた。そのひと睨みだけで金縛りにあったかのように動きが止まる。

「・・・・・」

見知らぬ精霊は暫く折紙を見つめた後、視線を外す。その動きは『こいつじゃない』と思わせる。この精霊は誰かを探しているのだろう。幸いにも自分ではないと安堵する折紙だが、そんな事よりも暁夜の安否が最優先だ。

「どこにいるの?暁夜」

ポツリと呟いた言葉。一瞬、見知らぬ精霊が反応した。単に小さな雑音を捉えたのかもしれない。もしくは暁夜という単語に反応したのか。どちらにせよ、GPSマーカーは見知らぬ精霊の元から微動だにしていない。という事はこの精霊が暁夜を見つける手がかりとなる。折紙は息を吸い、そして吐く。身体を支配する恐怖心を誤魔化すように。落ち着かせるように。

「・・・・」

折紙はその場から微動だにしない見知らぬ精霊とその付近を観察する。そして見つける。暁夜の手掛かりを。最悪な形で。

「アレは--私があげた…」

見知らぬ精霊の腰帯に引っ掛かっている銀色の欠けたハート型のネックレス。それは折紙にとって見覚えのある物。暁夜とのデートの日にプレゼントした自身が持つハート型ネックレスの片側。血が付着しているものの見間違えるわけが無かった。然し、それでも折紙は見間違いだと思いたかった。でなければ、最悪な答えが真実となってしまうから。

「・・・あの精霊が--」

嘘だと言って欲しい。そう信じて。

「--暁夜を?」

その問いかけに。見知らぬ精霊は何も答えない。もう興味はないと。その場を離れていく。遠さがっていく。目的地が何処なのかは折紙には分からない。ただ、残酷にも最悪な答えは真実となる。
見知らぬ精霊の腰帯に引っ掛かっていたアクセサリーが落下する動きと共にGPSマーカーも動いているという証拠として。



遡ること数分前。士道は尻もちをついた状態で先程の光景を思い出していた。前に建物内で殺そうとしてきたノルディックブロンドの女性と親友の暁夜の仲間割れ。そして、四糸乃の天使による冷気の奔流と黒い球体。更には消えた暁夜と入れ替わる様に現れた見知らぬ精霊。それに存在しないハズの〈鏖殺公(サンダルフォン)〉の出現と〈氷結傀儡(ザドキエル)〉を操り、逃げ出した四糸乃。余りにも濃い出来事が数分の間に起きすぎて、頭の整理が追いつかない。耳元のインカムから妹の琴里の声が聞こえてくるが、何を言っているのか分からない。それ程に情報量が多過ぎた。そんな彼の元に身体の要所が美しい光の膜で揺れている十香が降りてきた。

「シドー!」

士道は自身の名を呼ばれて、ハッと目を見開いた。

「えっと・・・十香? お前…その姿」

「ぬ?」

士道の言葉に、十香は目をぱちくりとさせて自分の身体に視線を落とした。

「おお!? なんだこれは! 霊装か!?」

指摘されて初めて自分の様子に気づいたらしい。十香が驚きの声を上げる。そしてしばしの間、光の膜を興奮した子供のように触った後、ハッと顔を上げて、士道へと視線を戻してきた。

「そんなことより--シドー、無事か?怪我はないか?」

「あ・・・ああ」

士道は突然消えた親友の背中を思い浮かべながら答えた。あの時、暁夜が駆け寄ってきた気がしたのだが、視界がはれた頃には彼の姿はなく、後に現れた見知らぬ精霊も姿を消した。

「聞こえるか?琴里」

ズボンに着いた砂埃を払いながら士道は立ち上がる。そして、インカムに向かって声をかける。

『やっと反応したわね、バカ!!今後は直ぐに返事しなさい!さもないとアンタの全黒歴史を世界中に流すわよ!』

グワァンッと琴里の怒声が士道の耳に響く。あまりの大きさに鼓膜が破れたんじゃないかと錯覚してしまう。それはともかく、黒歴史を世界中に流されるのは流石に死にたくなる士道は必死に琴里を宥める。暫くして、何とか怒りを鎮めてくれた琴里は士道に現状起きている事を全て分かりやすく伝える。あの見知らぬ精霊の正体や、十香と〈鏖殺公(サンダルフォン)〉について、四糸乃の居場所等を。

「暁夜が・・・精霊!? どういうことだよ!アイツはどう考えたって人げ--」

士道は最後まで言葉を言いきれなかった。ふと思い出したのだ。彼がいつもASTが装備しているCR-ユニットを使用せずに十香やリンレイと戦っていた事を。その理由が精霊の力を持っているからだというのなら納得ができる。ならば何故、彼は憎んでいる精霊の力を手にしたのか。それは暁夜自身から聞き出すべきことなのだろう。いや、聞くべきだ。

(アイツを・・・救うにはそれしかない)

士道には暁夜の本心なんて分からない。これがエゴだと言われたら否定できない。ただエゴだとしても、親友の暁夜にこれ以上、血で手を染めて欲しくない。

「なぁ、琴里。暁夜の居場所は分かるか?」

『えぇ、一応ね。それで?もしかして彼も救いたいとか強欲なこと言わないわよね?』

琴里の言葉に、士道は苦笑いする。流石は妹というべきか。兄の気持ちを察するのが得意だ。

「はは…悪いな、琴里。俺は四糸乃も暁夜もどっちも救いたいんだ」

『はぁ…。いい?両方救うなんて絵空事は誰でも口に出来る。でも、両方を本当に救える人なんてその中のごく少数の人間だけよ』

それは士道も理解している。戦う力なんて自分にはない。あるとすれば不思議な治癒能力と精霊の力を封印することだけ。だからといって諦める道理にはならない。1人で無理なら、2人で。二人が無理ならその倍だ。要するに全部救いたきゃ、その絵空事を叶えれるだけの仲間に頼ればいい。

「確かに俺だけじゃ無理だ。でも俺には、十香やフラクシナスの皆、そして頼りになる妹がいるだろ?だから、1人じゃなんも出来ないお兄ちゃんを助けてくれないか? 琴里?」

『・・・・・』

士道の言葉に琴里は歯噛みする。自分から士道を精霊対処の為に利用したとはいえ、辛くないわけが無い。暁夜との対話の時に、『平気なのか?』と問われた時、『平気』と答えた。然し、それは嘘。

(大好きなお兄ちゃんを危険な目に遭わせて平気なわけが無いでしょ)

琴里はあの時のことを思い出して、拳に力を込める。ただ士道は止めたところで止まらない。

『・・・分かったわ。全力でサポートする。だから、ちゃんと帰ってきてね。お兄ちゃん』

「あぁ。ありがとな、琴里」

士道は感謝を告げたあと、深呼吸する。ここから先は1度の失敗も許されない。士道は十香に視線を移動させ、手を差し出す。そして--

「十香!二人を救う為にお前の力を貸してくれ!!」

「・・・う、うむ!任せろ!」

十香はその手を勢いよく掴む。

「さぁ、俺達のデートを始めようか!」

士道はそう告げて、〈鏖殺公(サンダルフォン)〉をボートのように倒した十香と共に銀世界を滑走し始めた。