戦闘携帯への模犯怪盗


 

OPENING:アローラ、僕の一番好きな海

「アローラには、五つの海がある」

 夜。灯台もなければマンタインサーフの人も集まらない、真っ暗なメレメレの海辺に少年の声が波の音のように静かに響いた。
 四つの島からなるアローラの海は、島に住むポケモンによって色が違う。
 その中でも彼は、リリィタウンのそばのメレメレ海が二番目に好きだ。
 週に一度、昼間から日が沈むまで見るのが彼の習慣。砂浜にシートは引かずに、Tシャツと半ズボンのまま。ほとんど黒に近い緑色の髪に砂がつかないように、頭の後ろで手を組んでビーチに寝転がってうとうとしながら。
 メレメレの海は澄んでいるから、昼間は空の色を映したように青く。夕方になると落ちる太陽の色で赤く。そして水平線の中に沈んだ夜の海は闇そのものになる。声を出さなければ、闇に染まった浜辺に少年が寝そべっていることにも気づけないだろう。
 青、赤、そして闇。これは彼にとって欠かせない色なのだ。その理由は──

「ちょっと、まだ海見てるの? 後一時間で予告の時間でしょ、クルルク」
「んー、そろそろ行くよ。ラディは海見てかないの?」

 少年、クルルクは寝転がったまま顔だけをラディと呼んだ少女のほうに向ける。
 肩にかかる程度の金髪。背はほとんどクルルクと変わらないが、顔たちは少しばかり幼い。格好はハイビスカスの絵がいくつも描かれたスカート。お腹の周りにベージュのリボンを巻いた白地のデザインカットソー。首に巻かれた大きめのシルクのスカーフが胸の周りまで垂れている。
 クルルクとは正反対の女の子らしい気合の入ったコーディネートをした彼女は、やれやれとため息をついた。

「あのね。もう夜七時よ。こんな真っ黒な海見て喜ぶのはあんたくらいでしょ」
「真っ黒だけど、それだけじゃないよ。波の音がよく聞こえるし、砂浜はひんやりするし。というかまた服買ったの? お金もったいなくない?」

 ラディはクルルクと幼馴染だ。物心ついたあたりから大体一緒にいて、同じスクールに通っている。今日はスクールも半日だけだったのだが、お昼に見た時とは服が変わっている彼女に疑問符を投げる。

「お金について聞く前に私に言うべきことがあるんじゃないの?」

 幼いながらに凛とした声。夜になったというのにその視線の強さははっきりと感じ取れる。が、それはそれとして。

「あーうん可愛い……って言ってあげたいところだけど正直暗くてよく見えない。別に今わざわざ着なくてもいいんじゃないかな。明日とかで……」
「うっさい!とにかく、遅れたら承知しないからね!もう警備の人たちも来てるんだから!」

 ラディは怒ってビーチから離れて行ってしまう。理不尽だ、とは思ったが心配して見に来てくれたのだろう。もう少しのんびりしていたかったが仕方ない、と彼は砂を払って立ちあがる。
 ポケットの中のスマートフォンを出し、アローラのニュースを見る。最新記事には、二つの写真が添付されていた。一つは、透明なガラスに複雑な線の意匠が施された、女性用の小さな靴。

「これが『移ろいの靴』……ラディに一回履かせてみたいなあ。壊れたら嫌だけど……あいつ綺麗な靴とか好きだし」

 『移ろいの靴』とは非常に珍しいポケモンの体の一部を使用して作った靴で、これを履いた人は普段我慢している感情が解放されると言われている。が、ガラスに近い材質の靴なので壊れるのを恐れて滅多に履こうとする人はおらず、ブティックにひっそりと保管されている幻の靴である、と記事に書かれている。
 そしてもう一つの写真。赤青の水玉模様の便せんにゴシック体で文字が書かれている。

「本日夜八時、ハウオリシティのブティックにある『移ろいの靴』を頂きに参上する。怪盗クール・ピーター・ルーク」

 クール・ピーター・ルーク。このアローラ地方に3年前から現れ、ポケモンを巧みに操り様々な貴重品を盗み出す彼は、怪盗だ。
 貴重品を盗むためにわざわざ予告状を出して警備を集め、衆人環視の中で派手に盗むことを生業とする。そんな人間は昼も夜も電気の光で溢れ、眠る前布団に入っている時ですら端末一つで世界と繋がれるようになった今、過去の遺物となったと思う人もいるかもしれない。
 だが、違う。
 闇はいつでもすぐそこにある。端末では発信できない浪漫がある。それを信じ、求める人間がいる限り怪盗は消えてなくならない。
 【自分の】本名が書かれた予告状を見て、クルルクの口の端が歪む。

「よーし、ちゃんと届いてるみたいだね。僕の予告状」

 彼は来ていたTシャツと半ズボンを放り投げる。そして次の瞬間には赤いジャケットに黒のデニムパンツ。シルクハットまで身に着けた彼は、本の中に出てくる怪盗そのものの姿になっていた。腰には、六つのモンスターボールまで装着されている。その中の一つから、アローラ地方を象徴するポケモンの一匹、ライチュウを呼び出す。こげ茶色の丸い体を自らの尻尾に乗せた彼は、待ちくたびれたと言いたげな顔で周りに電磁波を走らせる。

「今日も頼むよ、ライアー」
「ライライアー!」

 ライチュウのニックネームを呼び、クルルクは頭のシルクハットを指でくるくると回す。薄い鉄で作られた特注品のそれは、四回転ちょうどで真っ平に凹んでから大きく横に伸びた。帽子の上の部分が伸縮する高枝切りバサミのようにたくさんのより薄い鉄板を収納しているのだ。それをスケボーのように足に乗せ、準備は完了。ライチュウの発した電気が、鉄のスケボーに磁力を帯びさせ、周りの磁場と引き合う力と反発する力が作用し、水上スキーのようにライチュウの後についていく。

 そして二人は、夜空へと上っていく。リリィタウンの民家が、真っ暗な海が小さくなる。まばらな人の姿が目視できないほどの上空で、ハウオリシティのブティックへと進路を向ける。
 アローラにはスマートフォンやロトム図鑑など技術はもたらされたものの、まだ工場などが少なく空気は綺麗だ。その夜空は、無数の星を隠すことなく映し出す。

 メレメレ、アーカラ、ウラウラ、ポニ。アローラの全ての夜が見せる、輝く星の海。それがクルルクの一番好きな海だ。そんな海を見ると、いつだって、なんだってできる気分になる。昔からずっとだ。

 だから少年は、怪盗として叫ぶ。夜の星全てに響かせるように。

 
「始めようか、退屈を盗み出す、模犯的な夜を!!」
  

 

STAGE1:こんばんは、僕が模犯怪盗だ

 予告時間まであと十分。ハウオリシティのブティックはたくさんの警察によって入り口もその周りも警備されていた。怪盗クルルクが予告状を出してくるのは初めてではないのだから当然のことだが、猫一匹通さないという気迫が伝わってくる。屈強な男たちに加え、その手持ちであるゴローンやゴーリキーが隊列を組んでいる。さらにその周りには、怪盗を見るためにテレビ局のカメラマンやメレメレの島民が待ち構えている。

「ライアー、ここでいったん止まってくれ」
「ライライアー」

 アイアイサー、の掛け声と同じ抑揚で答え停止するアローラライチュウと一緒に夜空に滞空するクルルク。一瞬でもライアーと名付けた彼が磁場を作るのをやめればスケートボード(特注のシルクハットが変形したもの)ごと真っ逆さまだが全くその心配はしていない。ひとまず彼らから見えないほどの上空で見下ろしているが、入る隙間はない。店の中にも警備員は待ち構えていることだろう。

「ま、いつものこと。前座の警備員さんたちにはこれで遊んでてもらおうかな」

 クルルクは六つのうちの一つ、ハートボールの中からポケモンを呼び出す。
 ピンク色の髪のような渦巻く触覚の上に、三角帽。足から下はすっぽりとお椀のようなもので覆われている。そのポケモンは無邪気な女の子のような瞳とは裏腹に、雨粒みたいに小さく見える人間たちを見て不安げに黒い両腕でクルルクを背中から抱きしめる。
 アローラの守り神であるポケモンの一角、カプ・テテフだ。
 
「大丈夫さ。テテフ、今日もみんなを楽しませてあげておくれよ」

 クルルクは姿勢をかがめ、頭の三角の部分と自分の額を合わせる。彼はカプ、の呼び名をつけない。ニックネームをつけるでもない。何故ならカプとは禁忌、恐ろしいものを指す言葉だから。

「テテフの力は危なくなんかない。そうだろ?」

 クルルクはカプ・テテフと呼ばれたこの子の力は決して禁忌ではないと信じている。その気持ちが伝わり、テテフはそっと腕をクルルクから離し、両腕を夜空に掲げる。
 夜空の星をその手に集めるように、きらきらとした粉がテテフに集まっていく。ほんの一分そうするだけで、星の輝きを鱗粉に変えたような不思議な粉がテテフの周りに集まった。
 
 準備は整った。クルルクは往年のポケモントレーナーたちがそうしてきたように、勢いよく指令する。

「いけっ、テテフ!『アロマセラピー』だ!」
 
 テテフ最大の特徴であり、カプの名を関するポケモンの中でも最狂とさえ言われることのある触れたものに元気を与える鱗粉を、エスパータイプとしての力で風に吹き散らされぬよう指向性をもって飛ばす。それは警備員に、やじ馬たちに、カメラマンたちに平等に降り注いだ。
 ほんの少しして、下の彼らは自分の体の異常に湧いてくる力、普段以上の注意力、精神の高ぶりに気付く。

「力が湧いてくる……やつが来るぞ!」
「一瞬たりとも気を抜くな!」

 警備員たちの号令。それに合わせるように、【ブティックの二つ隣にあるショッピングモールの屋上から】怪盗クルルクの声が響いた。


『お待たせしたね警察諸君!僕を捕まえられるというのなら、ここまで来るがいい!!』


 どよめき。警備員が、それに従うポケモンが、野次馬達が一斉にショッピングモールへと向かう。現れた犯罪者と周囲の期待の高まりという熱に浮かされたように、一人残らずだ。

「おいお前じゃまだ、どけ!」
「野次馬は職務の邪魔だからどいていろ!」
「クルルクに最初に会うのは私よ!」

 入り口で押し合いへし合いしながらも、みんな中へ入って屋上に向かうのを確認し──クルルクは夜空から、ライアーとテテフと一緒に悠々と地面に降り立つ。スケートボードは着地するとボタン一つで元のシルクハットに戻り、斜めに被りなおした。
 屋上で声がした仕掛けはなんのことはない。午前中の時点で、タイマーをセットしたレコーダーを屋上の隅に隠しておいただけのことだ。 
 警備員のいなくなったブティックに、クルルクは胸を張って侵入する。
 中にいるのは、ブティックの店員たち。それと業を煮やした警備員のボスだった。中年の男性で、生え際の後退し始めた額まで真っ赤になっている。テテフがちょっと不安そうにクルルクの後ろに隠れた。

「こんばんは、グルービー警部。予告通り、『移ろいの靴』をいただきに参上したよ」
「ええいあいつら、毎度あっさり釣られおって……」
「はは、部下の教育が足りないんじゃないかなあ」

 丁寧な一礼をする怪盗に、警部は忌々しげに舌打ちする。いつもこうだからだ。警部がどれだけ事前に見え透いた誘導に乗るなと言い聞かせても、警備員たちは声のするほうに猪突猛進してしまう。
 本当はテテフの鱗粉には力を与えるだけでなく、強いお酒を飲んだ時のような酩酊状態にする効果があり、判断力を失わせるからなのだが、わざわざ手品の種を明かすマジシャンはいない。クルルクはけろりとした顔で警部を笑った。もっと言えば効果が消えると一時的に反動で体の力が抜ける副作用もあるので、あっちの屋上へ着いたが最後ここへ戻るのは時間がかかる。

「どうする? 警部が僕をポケモンバトルで止めてみせるかな?」
「するか!」
「なら、いつも通りお宝はいただいていくよ」

 クルルクは店内を見渡す。いつもなら大事そうにケースにでも入れてお宝を保管しているはずだ。だが、どこを見てもない。

「……あれ?」
「フン、いつも同じ手が通用すると思うなよ!『移ろいの靴』は俺がこの店のどこかに隠した!見つけられるものなら見つけてみろ!」
「そういうことか……ライアー、テテフ、手伝ってくれ!」

 ここはブティック。当然のことながら、ところせましと洋服や靴、アクセサリが並べられている。この中から目的の靴一つ見つけるのは、かなり難しい。
 とはいえ予告時間まであと五分もない。クルルクとライアー、テテフは店内を走り回って必死に探す。
 天井の照明のそば。暑いアローラでだれが着るのか知らないファーコートのポケット。カラフルな靴の並んだ場所。折りたたまれたズボンの隙間。店員のスカートの中……(見たのはテテフであり断じてクルルクではない)試着室のカーテンを開けても見つからなかったところで、時間は予告時間の八時となってしまった。

「どうだ!さすがに部下たちも戻ってくるだろう。神妙にお縄につくか、宝をあきらめて帰るんだな!」
「……そうだね、探すのはもうやめるよ」

 あっさりと諦めるクルルク。テテフがびっくりしてクルルクに近づき、諦めないでと言わんばかりに首を振った。だが、クルルクはテテフをボールに戻してしまう。

「どうやら潔く捕まることにしたようだな……貴様の盗人生活も、今日で終わりだ!」
「それはどうかな。出てこいバーツキング!」

 グルービー警部が手錠を取り出す。だけど、それは勘違いだ。クルルクが宝を諦めるなどあり得ない。
 六つのボールの中から一つポケモンを呼び出す。蝙蝠のような羽根。スピーカーのように丸く大きな耳。そして誇り高き竜の瞳を持つポケモンを呼び出す。バーツキング、蝙蝠の王の名をつけたそのポケモンの名はオンバーン。

「闇雲に探すのはやめるってだけさ。こいつで直接、『移ろいの靴』のありかを教えてもらう」
「な、何!貴様、俺を脅す気か!」

 鋭い牙で噛みつかれればどんな人間もひとたまりもないだろう。大口を開けたオンバーンに警部は慄く。クルルクはその様をまた笑った。

「全然違う。間違いだらけだよ。僕は怪盗だ。人を脅して宝をもっていくなんて、強盗のようなことはしない。バーツキング、『超音波』だ!」
「ーーーーーー!!」

 オンバーンの口から、人間には聞こえない音波が発生する。それでも感じ取れる衝撃に警部も店員も耳をふさいだ。音波が消えたとき、オンバーンは自分の羽根で試着室を指さす。

「そこはさっき……いや、そういうことか!」

 クルルクは急いで試着室のカーテンを開ける。当然さっきと同じ、ただ正面のガラスが彼を映すだけで何もない部屋だ。そしてクルルクは、そのまま入って中からカーテンを見た。

「ば、馬鹿な!」
「僕が来るのは時間ギリギリ。試着室のカーテンの裏、鏡でも映らない高さに留めておけばじっくり探す余裕のない僕は見つけられない……考えたね」
 
 カーテンの裏側に、不自然な布のふくらみ。それを剥がすと中から盗むと予告状を出したガラスのように透明な『移ろいの靴』が確かにあった。布に包んでから丁寧に抱え試着室から出る。

「なぜ今の一瞬で隠し場所がわかったんだ!」

 警部は狼狽える。クルルクはオンバーンの羽根とハイタッチした後、応用問題を解く優等生のようにすらすらと答える。

「オンバーンの出す超音波は、何も攻撃のために使うだけじゃない。むしろ本来は音を出して、暗い夜でも障害物の位置を正確に割り出すのが目的なんだ」
「……!」
「わかったよね? そう、さっきの超音波でこの店のどこにどんな形のものがあるか、一瞬でバーツキングにはわかった。そして、不自然な場所にある靴は一個だけ。ならそこに『移ろいの靴』が隠されてるってことさ!!」
「貴様……逃がさん!」

 時間はちょうど八時一分。予告時間を終わったクルルクは、怪盗として台詞を決める。


「警部の『宝をどこに隠したか?』という問題に、ただ片っ端から探して見つけるだけなら時間をかければ誰でも解ける。だけど僕は仲間のポケモンの力を借りて、華麗に効率よく回答を出す。それが怪盗クルルク、模犯怪盗だ!じゃあね警部!」


 手錠を構えて捕縛しようとする警部に、トランプを一閃。真ん中から手錠を断ち切って、怪盗クルルクとその仲間のポケモンたちはブティックを出る。
 再びシルクハットをたたんでスケートボードに変化させ、ライチュウの磁場で夜空へ飛ぼうとした時──ブティックの正面から、銃声がした。クルルクの足元に、レゴブロックのような四角い弾丸が突き刺さる。


「待てよ怪盗。この島で誰かを傷つけるのは、このオレが許さない」


 アニメでよく聞くような、高い少年らしい声。灰色のヘッドギアに、両手両足、それと胸の部分を赤いプロテクターが覆っている。お腹の中心についている青い輝きのボールが異彩を放っている。そんな人物が右手に灰色の銃を持ち、クルルクに向ける。
 クルルクは足を止め、丁寧に一礼した。

「今日は君のお出ましか。まあこの島での犯行である以上わかっていたけど……遅かったね。お宝はいつも通りいただいたよ」
「なら置いて帰れ」
「はいわかりました、なんて言うとでも?」

 そんな会話をしているとグルービー警部が銃を撃った人物を見て指をさす。

「島キャプテン……メレメレライダー!来てくれたのか!」
「………………安心しな。オレが来たからには、こいつに宝は奪わせない」

 返事をする前、カッコワル……と密かに呟いたのをクルルクだけは聞き逃さなかったが、余計な口出しはしない。いきなり銃を向けた物騒な人物は、アローラの島の代表者なのだ。クルルクは何度もこうしてことを構えたことがある。

「で、奪わせないってどうするのかな?」
「わかっているくせに……」

 銃を腰に戻し、メレメレライダーはモンスターボールを構える。クルルクも、対応するようにボールを構えた。

「このアローラでの決闘の方法はただ一つ……ポケモンバトルだ。お前が勝てばその宝は好きにしろ。だがオレが勝てば宝は返してもらう!行け、ルカリオ!」
「いいよ、今回も負けないけどね!頼むよバーツキング!」

 ルカリオとオンバーンが向かい合う。宝を盗み出して終わりではない。何故ならここはアローラ。ポケモンバトルで力を見せなければ、目的は果たせない。ここはそういう場所なのだから── 

 

STAGE2:禁忌の神、オレはお前を許さない

 ブティックのお宝、『移ろいの靴』を見事盗み出した怪盗クルルク。脱出しようとしたところを待ち構えていたのはアローラ地方の代表者の一人、メレメレライダーだった。160cmほどのクルルクより少し小さい体を頭、手足、胸を赤い装甲で覆った相手の実力は本物だ。レゴブロックで作った玩具のような銃から放たれる、舗装された地面さえ抉る弾丸が端的に示している。
 とはいえ、クルルクにひるむ理由はない。本物の実力を持っているのは、自分も同じことだからだ。相手のルカリオがボールから出てスタートを切る前に、オンバーンに指示を出す。

「先手はもらうよ。バーツキング、『竜の波動』!」
「『影分身』でかわせルカリオ!」

 口から放つ渦を巻く波動がルカリオを貫く。だがそれはすでに分身となっており、空を切るだけに終わった。

「ルカリオ、受け取れ!そして『メタルクロー』だ!」

 メレメレライダーが鋼鉄で出来たプレートを投げる。オンバーンよりも高く移動したルカリオがキャッチすると波動の力により変形し、鋼のかぎ爪となってオンバーンの翼を傷つけた。

「素早いね。だけどその程度のダメージなら『月の光』だ!」
「その隙に叩き込め、『メタルクロー』!」

 オンバーンが宙へ飛びあがり、月に近づいて光を浴びる。だがルカリオもブティックの壁を駆け上り、さらに跳躍してその体を引き裂いた。

「オオオン!!」
「『月の光』で癒しきれてない……!」

 回復を終えてなお鋼の爪による傷は残っている。本来の『メタルクロー』の威力はそこまで高くないはずだ。しかし。

「この星が生まれる時にできた十八種の結晶の一つ、鋼鉄プレートを装備したルカリオの攻撃力は1.2倍にアップする!さらに!『メタルクロー』による攻撃が成功した時、自身の攻撃力を1.5倍にすることができる!つまり2回目の攻撃力は…………」
「1.8倍、ってわけか。やってくれるね」
「……そういうことだ」

 言葉に詰まったメレメレライダーの説明を補足しつつ状況を把握するクルルク。しかも2回目の攻撃成功で威力がさらに上がった可能性もある。『メタルクロー』による攻撃力上昇の確率は低いとはいえ、油断はできない。

「だけど、攻撃力を上げられるのは君だけじゃない!バーツキング、『爆音破』!」
「バアアアアアン!!」

 宙から降りたルカリオに、オンバーンは耳と口から強烈な音波を放つ。頭上から衝撃をたたきつけられ、ルカリオの立つコンクリートがめきめきと音を立てて沈み、体がよろけた。
 『爆音波』は威力は高いがオンバーンとタイプの一致しないノーマル技。鋼タイプのルカリオには効果今一つ。だが決して小さくないダメージが刻まれる。

「威力を上げる技を使う暇はなかったはずだが……」
「君と同じ、持ち物の力さ。二回の『メタルクロー』が直撃した後、体力回復と同時にバーツキングは『ヤタピの実』を食べていたんだ」
「体力が大きく減少した際に効果を発揮する特殊攻撃力を上げる木の実……攻撃力上昇を知りながら回復技を使ったのはこのためか!」
「そういうことさ!バーツキング、『竜の波動』!」
「もう一度『影分身』だ!」

 初撃より威力の上がった波動を、再び分身を作りかわすルカリオ。
 オンバーンは攻撃範囲の広い『爆音波』で攻撃を仕掛けようする。

「だが威力が上がっても当てられなければ意味はないだろう!捉えられるものならとらえてみな!」
「『影分身』がこんな広範囲に……!」

 オンバーンの真下に、メレメレライダーの真横に、ブティックの屋上に、ショッピングモールの壁面に、戦いを見ている警部の頭の上に。『爆音波』ですら一度にはとらえきれないほど散り散りに分身したルカリオにオンバーンは標的を見失う。この規模の分身は今までの戦いでは出来なかったはずだ。
 困惑し、きょろきょろと本体を探すオンバーンに、クルルクは落ち着いて笑いかけた。

「大丈夫だよ。むしろこんな時こそ蝙蝠の王、バーツキングの本領発揮だろ?」
「オ……ーーーー!!」

 不安な顔に自信が戻り、途中から人の耳には聞こえない超音波を放って周りの物体を探る。場所のわからない『移ろいの靴』を見つけ出したように、ルカリオの本当の居場所を探すことも可能だ。
 オンバーンは狙いを定める。それはメレメレライダーの真横のルカリオ。あれが本体だという確信をもって、最大の力を込めて『竜の波動』を放つ。

「果たして当たるかな?」
「うん、バーツキングの超音波が狂うことはあり得ないからね!」
「その信頼、さすがだと言いたいが……甘いぞクルルク!」
「!!」

 波動の渦は、三度ルカリオをすり抜けた。クルルクの目が見開き、オンバーンも驚愕する。

「忘れたか?波動を操るルカリオ最大の特徴を。そっちが超音波で探る時にルカリオ自身が波動を放ち、音波を歪めたんだ」

 本物のルカリオは、メレメレライダーの後ろから現れた。フルパワーの攻撃を放ち、隙の出来たオンバーンに放つのは──

「『竜の波動』だルカリオ!!」
「バーツキング!」

 意趣返しのように同じ技が放たれ、宙を飛ぶオンバーンに直撃する。オンバーンの体が落ち、地面に膝をついた。瀕死にはなっていないが、体力はあとわずかだ。

「とどめを刺せ、『バレットパンチ』!」
「交代だ!頼むよテテフ!」

 一気に距離を詰め、波動によって鋼鉄プレートのかぎ爪が今度はナックルダスターに変化し拳を叩き込む直前、オンバーンはボールに戻る。そして出てきたのはピンクの守り神、テテフだ。目にもとまらぬ速さの拳は、テテフの前で寸止めされる。ルカリオが自分の意志で止めたのではない。
 テテフはフィールドに出たときサイコフィールドという空間を作り出す。そこでは本来の素早さを超えた先制技の発動を許さないのだ。

「……引けルカリオ!」
「そうはさせないよ!『ムーンフォース』、だテテフ!」

 本来太陽の光を反射するだけの月が、自らの意思で輝いたようにさえ見えた。夜空から降り注ぐ銀色の光線は後ろに下がろうとしたルカリオを吹き飛ばし、昏倒させる。
 瀕死になったルカリオをボールに戻し、メレメレライダーは舌打ちした。
 テテフはほっとして振り返り、クルルクも右手をあげてテテフの黒い腕とハイタッチする。 

「忌々しい、盗人のお前らしいカプの力だ」
「……僕にもテテフにも失礼だね。どうせ別名をつけるならこの子のことは『サイコメイカー』って呼んであげてくれよ。怪盗である僕を超能力で助けてくれるテテフにふさわしい名前だろ?」

 涼しげなクルルクの態度にも少し真剣みが混じる。テテフはカプ、と呼ばれたことにびくりと震え、バトル中だというのにクルルクの後ろに隠れた。
 だが、メレメレライダーは納得しない。罪状を突き付けるかのように銃を向ける。

「ふざけるな。お前がブティックに侵入するために使った粉。カプ・テテフを象徴する力だが……かつてあの粉がもたらした悲劇を知らないとは言わせない」
「へえ、テテフが何をしたっていうんだい?」
「確かにあの粉は人間の力を引き出す。だが反動として酩酊、効果が切れた後の脱力感、そして何よりひどい中毒性……それが引き起こした惨劇でかつてアローラの一つの島は壊滅状態になった!!」
「……そのことか。もちろん知ってるよ、痛ましい事件だったね」

 テテフの鱗粉は人間にも傷を癒したり力を与えることができる。それを過剰に求めた人間たちの戦いによって人々もポケモンも大きく傷つき、島民の半分は戦いで亡くなり、残りの半分が中毒に侵されたとさえ伝えられる逸話がアローラにはあった。そして、事実だ。クルルクはテテフから直接そのことを聞いている。だからこそ、彼はテテフを手持ちに加えたのだから。

「ぬけぬけと……あの惨劇を知りながらカプの力を盗みに使う貴様は外道中の外道だ、怪盗クール・ピーター・ルーク!!」

 クルルクの屋上にセットした声につられて警備や野次馬が移動した人たちは粉の効果が切れて屋上からクルルクの戦いを見ている。みんなの視線がテテフに集まっている。クルルクと、テテフに、何かを求める目だ。
 
「……テテフ、ありがとう。いったん休んでて」

 視線におびえてしまったテテフをクルルクはボールに戻す。メレメレライダーは続けて言った。

「バトルをやめるのか? だがそんなことをしても、貴様が禁忌の力を使っていることに変わりは──」
「それは違うね」

 闇に差す閃光のような、鋭い声。メレメレライダーの声が止まる。有無を言わさない、怒りを含んだ言葉だ。

「テテフは、みんなと楽しく過ごしたかっただけなんだ。テテフと人間には力の差がありすぎるから、少しでも一緒に遊ぶために粉を渡してた」

 決して大きな声ではないのに、その言葉はよく通る。屋上の観衆たちも自然と耳を傾けた。

「だけど、昔の人間たちはそれがあればもっと仕事の効率が上がると。獲物がたくさん採れると。戦いで強くなれると。そんなことのためにテテフの粉を求めた。だけどテテフでも、島民全員分の粉なんて作れない。だから人間たちは……テテフの粉と同じ効果がある薬を、自分たちで作ろうとしたんだ」

 苦労の甲斐あって、アローラの植物と別の地方から貿易で手に入れた薬でそれは叶った。だけどその粉はテテフの自然の力とは根本的に異なるものだった。

「飲んだ直後の効果は同じでも、それには強い依存性……一度使ってしまうと自分の意志でやめられない恐ろしい毒だったんだ。まがい物の粉で中毒に侵された人たちは、もっと粉を求めた。だけど貿易でしか手に入れられない材料は高価でやっぱり足りなくなった。そして争いが起こって……あとは君の言った通りだよ。それがあの惨劇の真実なんだ!」
「……」

 メレメレライダーが押し黙る。あの事件でテテフはカプの名前を持ち、その中でも特に恐ろしいと言われるようになってしまった。本当は無邪気に人と遊びたかったのに、祠に祀られ、まるで腫物を扱うように人は接触を避けてしまった。クルルクと一緒にいるようになった今でも、そのトラウマは消えていない。

「だが、それはテテフの粉が危険でないという根拠には……」
「だったら見てみればいいさ。屋上にいる人たちを!」

 クルルクがショッピングモールの屋上を指さす。そこでクルルクを見る人たちは、口々にこう言った。

「どうしたー!早くバトルの続きを見せてくれよー!」
「テテフちゃん、今まで誤解しててごめんねー!」
「怪盗を助けるサイコメイカー、サイコーだぜ!!」

 人々は口々に気ままな声援を送っている。警備員も含めてだ。宝は盗まれ、島の代表者が決闘を挑んだ時点で警備の役目は終わりというアローラ島民のお気楽さが表れている。そこには、テテフの粉を無理にねだるものは一人もいない。

「さ、メレメレ決闘の基本ルールは2対2だったよね。続けるかな?」
「……当然だ!出てこいハッサム!」

 メレメレライダーと似た赤い装甲をまとったハッサムが表れる。テクニカルな動きにパワー、そして防御力はかなり高い。

「じゃあ頼んだよサイコメイカー・テテフ!」

 ボールの中のテテフにウインク。テテフが笑ったのを確認して、ボールから出す。テテフは屋上の人たちに少しはにかんで。手を振った。屋上の人たちも手を振り返す。

「完全にこっちが悪者みたいだな……だが宝は置いて帰ってもらう!」
「そうこなくっちゃね。だけど、速攻で終わらせる!行くよテテフ!」

 クルルクの右腕のZパワーリングが光る。両手を体の前に伸ばして、腕でハートのマークを作る。そして片足を上げ、肩をすくめるような奇抜なポーズをとった。屋上の子供たちが大笑いするが──それはすぐさま、驚きの声に変わることになる。

「これがアローラの守り神の力!『ガーディアン・デ・アローラ』!!」
「『シザークロス』だ!」

 テテフの後ろに、黄色い巨人が出現する。巨大すぎる腕で、ハエでも叩くようにハッサムを上から押し潰した。アローラの4体の守り神にしか使えない、特別なZ技だ。
 だが、それだけで落ちるほどメレメレ代表者のハッサムも甘くはない。硬い体ですぐさま反撃に移り、テテフ本体を両方の鋏で切りつける。
 お互い体力は少ない。次の一撃を先に決めたほうが決闘の勝者となる。

「だがこの勝負もらったぞ!テテフに鋼タイプの攻撃は効果抜群、そしてハッサムの『バレットパンチ』より早く行動することはできない!」

 勝利を確信するメレメレライダー。銃弾のような速度の拳がテテフに迫る。しかし、クルルクの笑みは崩れない。
 テテフに近づく拳はどんどん遅くなり、スローモーションのようにハッサムの動きが鈍り、最後には止まってしまった。

「どうしたハッサム、早くとどめを!」
「どうしたって? 答えてあげるよ。『サイコメイカー』・テテフの特性が生み出したサイコフィールドでは先制技は発動できない!テテフ、『自然の力』だ!」

 テテフの特性によって発生するサイコフィールドの効果は三つ。一つは先制技の発動禁止。二つ目はエスパータイプの威力を上げる。そして『自然の力』という技を『サイコキネシス』に変更する。

「おのれ怪盗クルルク……だが、次は負けないぞ!それがオレの、メレメレライダーとしての使命……」
「ははっ、また遊ぼうね町のヒーローさん!テテフをバカにしなかったら、もう少し遊んであげるよ」

 タイプ一致、フィールドの効果もあいまった強力な念力はハッサムを覆い、動きを完全に封じる。ついでにメレメレライダーも一緒に念力で覆った。

「え!?ちょっと!なにすん……何をするつもりだ!」
「吹っ飛ばせテテフ、あの夜空の向こう、星の海へ!」

 そのままテテフは、天空へと吹っ飛ばした。見えなくなった二人の代わりに星の一つがきらりと輝く。
 戦いに勝ったクルルクは抱きしめてくるテテフに抱擁を返し、オンバーンも出して二体に木の実を渡す。シルクハットを変形させ、スタンバイしたアローラライチュウの磁場に乗った。

「それじゃあ『移ろいの靴』は頂いていく!また今度、君たちの退屈と一緒にお宝を盗みに来るからね!その日までごきげんよう!」

 バトルを見ていたすべての人に、屋上よりも高い空からクルルクは叫ぶ。アローラライチュウ、オンバーン、テテフと一緒にクルルクは星の海に乗ってハウオリシティを後にするのだった。 

 

STAGE3:おやすみ、私はもうたくさん

 怪盗クルルクのアジトは、リリィタウンそばの海岸にある。
 砂浜の半分ほどを占める広いコテージはドアの前に立つと波が引く音が聞こえるほどだ。
 白く塗られた洋館なのだが建ってから相当な年月が経っておりくすんでおり、明かりもついていないので夜は黒っぽく見える。でもそこがクルルクがこのコテージを好きなところだ。

「ただいまー!!」

 アローラライチュウ、オンバーン、テテフをボールに戻してから中に入る。そこには誰の姿もない。ここに住んでいる人間は諸事情あって現在クルルクと、砂浜で声をかけに来た少女、ラディだけだ。
一旦クルルクはコテージ二階の右端、自分の部屋に戻って怪盗服からラフな半そで半ズボンに着替える。ついでに言うとラディの部屋は二階の一番左端だ。それから一階のキッチンへ向かい、夜食の支度を始めた。
 夕方浜辺に寝転がっているときに大きいマラサダを食べているので腹ペコというわけでもないのだが、やはり怪盗として仕事とポケモンバトルをした後は消耗するからおいしいものが食べたくなる。

「やっぱり怪盗した日の締めはポケ丼だよね。ライアー、手伝ってくれる?」
「ライライアー」

 ボールの中で敬礼のポーズをしたライチュウに出てきてもらって、夜食の準備。
 冷蔵庫から新鮮な魚介と海藻、それとアローラの食卓に欠かせないヤドンの尻尾を一口サイズに切ったものがパック詰めされた袋を取り出す。
 ライアーには冷凍してあるご飯をレンジで解凍してもらって、クルルクは袋を沸騰させたお湯にいれて温める。
 袋の中の魚介は醤油ベースで味付けされているので、あとは温めたご飯の上に袋の中の具材を載せるだけだ。アローラの一般的な家庭料理であり、スーパーに行けばレトルトカレーと同じくらい手軽に買って作ることができる。クルルクの大好物だ。
 ご飯の解凍が終わるまでにクルルクはデザートのアップルマンゴーをカットする。ついでにボールの中で物欲しそうに見るテテフをボールから出して、皮をむいたアップルマンゴーを三つほど渡してあげた。テテフはクルルクのモンスターボール二つを念力で持っていってキッチンから出ていく。一緒に食べながらお喋りするのだろう。
 その間にライチュウは盛り付ける食器を用意してくれていた。正直手伝ってもらうほどの料理でもないのだが、ライチュウはクルルクが幼いころからの付き合いなので、いつも調理の時はこうしている。

「できたけど……そろそろあっちも帰ってくるかな?」

 どんぶりにはほかほかのご飯の上に醤油漬け魚介たっぷりのポケ丼が二つ、ライチュウ用に魚介だけをお皿に載せたものが一つ、デザートの大きなお皿も用意してテーブルへと運ぶ。縦に長く、十人は食卓につけそうな大きなものだ。
 テーブルの中央に向かい合わせにポケ丼を置いたところで、ちょうどドアの開く音がした。

 クルルクはライチュウと一緒に出迎えにいく。
 金髪のショートヘアに、両腕両足と胸を覆う赤いプロテクターとお腹に青く輝くボール。首に大きめのシルクのスカーフが巻かれている。
 右手に握られたレゴブロックで作ったような銃は、さっき戦った島キャプテンと同一人物であることを示している。

「お帰り、そっちも『メレメレライダー』の仕事お疲れ様ー」
「……怪盗中でもないのにその名前で呼ばないでくれる」

 とはいえ、クルルクに警戒心を持たない。何故なら。


「わかったよラディ。でも今日のルカリオの影分身はすごかったね。バーツキングもびっくりしてたよ」

 砂浜で声を掛けに来た時と格好こそ変わっているが、彼女はこのコテージのもう一人の住人、ラディで間違いない。島キャプテン『メレメレライダー』の正体は彼女なのだ。クルルクはねぎらいの言葉をかけ、彼にとっては昔からそうしていたように頭を撫でようとする。しかし。
 ズドン!!という物々しい銃声がコテージに響く。ラディがクルルクの頭の上に一発撃ったのだ。慌てて飛びのくクルルク。

「危ないよ!?」
「女の子の髪に勝手に触んな!」
「…………そうだね、ごめんね。ポケ丼作ったんだ。一緒に食べよう?」 

 発砲はやりすぎじゃないかと思ったが、本気で嫌がっているみたいなので素直に謝るクルルク。そして食事を用意していることを告げた。

「いらない。七時くらいに食べたし」
「でもポケモンバトルの後って体力消耗するし、何かお腹に入れといたほうが……」
「い ら な い」

 なおも食事を勧めるその顔に銃を突きつけるラディ。クルルクは両手をあげてホールドアップ。
 このままでは埒が明かないしポケ丼も冷めてしまうので、ラディのポケモンに助けを求めることにする。

「ツ、ツンデツンデ。ちょっと助けておくれよ~」
「レイ、玩<ガン>解除しなくていいから」

 玩<ガン>とはラディ、メレメレライダーの持つ銃及びプロテクターのことである。数秒の沈黙の後。ラディのお腹にある青いボール──ウルトラボールが輝いた。銃、そしてプロテクターが一つ一つの立方体へと分解されていき、さらにボールから出た本体と合体して姿を現す。レンガの煙突のような大きなポケモン、UB:LAY、通称ツンデツンデだ。
 ツンデツンデの体はブロックのような一個一個が一つの生命体であり、普段は灰色だがそれぞれの意志で赤や青になることができる。その性質を利用しラディのプロテクターや銃として変化しているのだ。
 直接言葉を発することのないツンデツンデだが、剣呑な彼女の様子にラディやクルルクが顔と認識する一部を赤く変えて意思表示した。

 ×■■■×
 ■×■×■
 ・■×■・
 ■×■×■
 ×■■■× 

 大体こんな感じである。拒否するときは×、同意するときは〇の形になったり、ほかにもいろいろ状況次第で変化する。慣れているラディは表情の変化だけで会話が成立するのか、一対一でしゃべっている時もあるほどだ。

「もう……」

 プロテクターが外れ黒いボディスーツとスカーフ姿になったラディは、ため息をつく。さすがに銃を向けるのはやりすぎな自覚があるのか、それ以上文句は言わなかった。 

「でも、本当にご飯はいらないの。明日食べるから冷蔵庫に入れといて」
「わかったよ。お風呂は?」
「自分で入れるからいい。あんまり子ども扱いしないで。……今日はテテフの事があるから大人しく負けたけど、次は勝つから」
「楽しみにしてるよ」
「それじゃいこ、レイ」
「アローラ、ラディ」
「……無神経なんだから。はいはい、アローラ」

 一応おやすみなさいの返事をした後、ラディはシャワールームに向かう。クルルクも大広間に戻ってちょっと冷めてしまったポケ丼を食べた。それでも十分に美味しいので構わないのだが。
 食器の片付けをしてポケ丼とデザートの一部を冷蔵庫に入れてから、クルルクは再び砂浜に寝転がる。考えるのは今日のこと。

「……ラディ、最近変わってきたな」

 ポケモンバトルに負けると不機嫌になるのは、いつものことだ。でもしばらく前までは文句を言いつつも一緒にご飯を食べたり、そばにいることが多かった。
 一年位前からよくブティックに行くようになって。クルルクともちょっと距離を取るようになった。
 昔はとても気に入っていたメレメレライダー、という通称も最近はどこか嫌がってる節がある。

「子ども扱いしないで……か。子どものままでもいいと思うんだけどな、僕は。ライアーもそう思わない?」
「ライ」

 ボールの中のライチュウに話しかける。短い頷きが返ってくる。

「『移ろいの靴』も渡せる雰囲気じゃなかったし、あの感じだと明日渡しても嫌がるんだろうし……」

 クルルクは予告状に書かれた宝を簡単にあきらめないが、盗んだ宝にさほど執着はしない。もしラディが気に入ったなら、そのままあげるつもりだった。
 まあ、折に触れてプレゼントしようと深く考えないことにする。 

「次に予告状が届くのはいつかなあ」

 彼は、宝が欲しくて怪盗になったのではない。
 予告状も、自分が書いて出しているのではない。予告状が届いたらそれを盗む……それがクルルクがこのコテージの主と交わした約束だ。
 クルルク──本名クール・ピーター・ルークには、両親がいない。顔も覚えていない。いわゆる孤児だ。だから、このコテージに住んでいる。
 もともとこのコテージは、親のいない子供たちが住まう孤児院だったのだ。

 孤児院が建てられた理由は百年ほど近く前にさかのぼり、異なる地方とのポケモントレーナーどうしの関りが爆発的に増えた結果、本来価値観の違う男女の間に子供が生まれ、結果育てることができず捨てられる事例が後を絶たなかったらしい。
 だがそうした事態の解決に世界中が取り組んだ結果、ポケモントレーナー、及びそれを養成する原因となるポケモンリーグが廃止され。結果として孤児も減っていき、ここに住む孤児もクルルクだけになったというわけだ。

「クール・ピーター・ルーク。お前はアローラを股にかけ、ポケモンバトルで人々の心をつかむ怪盗になれ!!って言われた時はびっくりしたなあ」

 ポケモンバトルも、人々の行きかう場所で恒常化してしまうと不慮の事故のもとということで特に理由なく行うことは禁止された。だが『ポケモンバトル』という文化を残したかった人たちが、自分や島キャプテンのような人間を特別に用意して、直接観戦したりテレビで見るエンターテイメントで一般に提供することになったそうだ。今日もテレビ局の人がカメラを用意していたし、このアローラでは少なくともそうなっている。
 ラディは孤児ではないのだが島キャプテン、メレメレライダーを務めている理由は同様、ここに住む代わりにコテージの主に頼まれたからである。今回止めに来た本当の目的は、宝を守ることではない。
 今回二人は、あらかじめ指令が届いていたのだ。

「『カプ・テテフの惨劇の真実を世に再び知らしめよ』。ちゃんと僕が勝って、模範解答を示したよ」

 アローラの歴史にとって、テテフの粉(の、まがい物)が引き起こした争いは禁忌と呼ぶべき汚点だ。そしてその影響で、テテフ自体を嫌い、恐れる人々が少なくない。
 でも、それは間違いだ。悪いのはテテフというポケモンではなく、その力を過剰に求めた人々。事実から目を背けさせてはいけない。
 だからポケモンバトルというエンターテイメントを通してわかりやすく示させたのだ。怪盗と島キャプテン、という存在を利用して。
 ポケモンバトル自体はどちらが勝てとも指示されていなかったが、クルルクが勝ったほうが好都合だったろう。ラディもそれは察していたはずだ。

「ラディ、だから機嫌がよくなかったのかな……うん、きっとそうだよね」

 彼女は手加減はしていなかったと思うが、ゼンリョクは出しづらかったのかもしれない。それで消化不良だったんだろう、とクルルクは結論づけた。
 アローラの夜風は冷たすぎず気持ちがいい。ラディがお風呂を確実に済ませるであろう時間まで、クルルクはまだ真っ黒な海を見つめることにした。 











「はあ……」

 シャワーから上がった島キャプテン・ラディ──本名アッシュ・グラディウスは自分の部屋まで戻ると大きなため息をついた。
 ドアには彼女の名前、それに『勝手に開けたら撃つ』と書かれている。さらにドアを閉めるとツンデツンデの一部がドアノブのに引っ付いて鍵をかけ、外から開けられないようにする厳重っぷりである。
 薄桃色のパジャマに着替え、柔らかいベッドに寝転ぶ。部屋の中にはメリープや白いロコンのぬいぐるみが置かれ、本棚には少女漫画が並んでいる。
 今の彼女が腰にモンスターボールをつけていても、その中に入っているのがルカリオやハッサム、ツンデツンデだとは誰も思わないだろう。彼女自身、もう似合うとは思っていない。
 今日のポケモンバトルで負けたことを思い出す。思えばルカリオが相手が交代したからといって『バレットパンチ』を止めるはずないのだ。あの時点で、特性を看破してしまうべきだったかと考える。

「でも、今日勝ったらあいつがクルルクに嫌味を言うかもしれないし……あーもー」

 今日の指令を出した人の事を思い浮かべ、その人にもクルルクにもそれを心配する自分自身にもむしゃくしゃする。一連の心の波動をキャッチして、ボールの中からルカリオが出てきて頭を下げた。ハッサムやほかのポケモンたちも、心配そうに見ている。

「ううん、ルカリオやみんなのせいじゃないのよ。……ごめんね」
「ルゥ……」
「ルカリオにウソついても意味がないから正直に言うけど……あなたたちの事は大好きよ。でもメレメレライダー、なんて男の子向けの変身ヒーローみたいな名乗りとしゃべり方でいるのはちょっと疲れるな、って思っちゃっただけ」

 島キャプテンメレメレライダーの立場をもらった時はそうじゃなかった。実の母を物心つく前に亡くした昔の自分は、義理の姉と母親にいじめられて女らしいことをするのが嫌いで。ヒーローとしてかっこよく振る舞えるのが何より楽しかった。
 意地悪な家族から離れて、この家でクルルクが温かいご飯を作ってくれたり、何かと気にかけてくれると嬉しい気持ちになった。
 でも、一年前くらいからかわいい服を選んだりすると楽しいと思うようになった。昔は着飾った姉たちが大嫌いだったのに。
 子供たちの声援を受けるのは嬉しいけど、男の子っぽい声を作って自分を偽るのが苦しくなってきた。自分が女という正体を知ってて声をかけてくる大人が気持ち悪いと思うようにもなった。
 クルルクが自分を子ども扱いしたり妹のように扱うと、ちょっとイラっとくるようになってしまった。別に邪険にしてくるわけでもないし、嫌だといったことはやめてくれるのに。

「……ねえ、みんなは今日のバトルどうすれば勝てたと思う?」

 このまま考えていても堂々巡りなので、仲間たちと別の話題にする。ハッサムをメガハッサムにしたとしてもテテフのZ技『ガーディアン・デ・アローラ』によって体力を四分の一にされていた以上、サイコキネシスに耐えられたとも思えない。
 ルカリオの波動を仲介して手持ちのポケモンと相談し、ここでバトルの話題になるあたりやっぱり自分はポケモントレーナーの子供なんだなと思いながら。眠気が来るまで、次はこうしよう、もっとこんなことができるようになろうと話し合うことにした。そうすれば、気分も晴れると願いながら。 

 

OPENING2:アローラ、俺にとっての平凡な異世界

 アーカラ島、コニコシティ。コンクリートではなく石によって舗装された地面と、木造の建築物が並ぶ町。
 その外れ、海を見下ろすことのできる広場で一人の青年が竹刀を振っていた。薄い紺色の胴着をつけ、よく使いこまれた武器を振るう様は青年の鋭い目つきと相まってただの素振りなのに対戦者が彼の前にいるような気迫を感じる。ウォーキングをしている町の人も、自然とその広場に入ることを避けている。
 上段から振り下ろし前頭部を。手首のスナップを利かせて腕を。踏み込みを入れつつ横から銅を。まるで槍でも扱うかのように前に突き出し、その首を。何もない空間にいる相手を、青年は一本一本時間をかけて、確実に捉えている。
 もう一時間以上青年はそうしている。まだ朝九時であるがアローラの日差しと相まって額には汗がいくつも流れ、呼吸も熱くなっているが、太刀筋は揺るがない。
 そんな彼に、一人の少女がぱたぱたと音を立てて声をかけてきた。

「し、島キング様~!大変です、お手紙から怪盗さんです!!」
「……ふう。逆だ、アネモネ」

 ふんわりした桃色の髪を背中まで伸ばした、青年より頭一つ以上小さな女性──アネモネは、右手に手紙、左手に水筒を持っているせいか走る挙動が危なっかしい。案の定派手にけつまづいたのを、すでに予測して前に出ていた青年が体で受け止める。

「あ……ごめんなさい。また迷惑をかけてしまって……」
「いつものことだ。……それと、リュウヤでいい。家にいる時と同じように」

 アーカラの島キングである青年──ウラシマ・リュウヤはアネモネが立ち直るのを支えて、訂正する。

「でもリュウヤを……島キング様を外で呼び捨てにしたら、周りが何というか」
「何か言われたとして気にする必要がない。アネモネは……俺が選んだ人だ」

 無表情のまま、彼女の頭を撫でるリュウヤに対し、花が咲いたように嬉しそうな笑みを見せるアネモネ。そんな様子を、行きかう人々は今日もお熱いねーとか島キングの大将も大変だな、みたいな目で見ている。少なくともアネモネに対し不快の色を示す人はいない。
 リュウヤとアネモネは婚約を結んでおり、二人は小さなジュエリーショップを経営している。リュウヤがディグダトンネルで鉱石を掘り起こし、アネモネが鑑定と研磨(こっちはリュウヤも手伝う)をする役割を担っている。そして休みの日、リュウヤはああして竹刀を振っているのだ。

「いきなりこの世界に飛ばされて右も左もわからない、あげく島の代表者を決める戦いに巻き込まれた俺を一番助けてくれたのはアネモネだ。俺がこのアローラで一生傍にいたいと思う人もアネモネだ。……自信を持て、とは言わない。俺に近い存在であることに、遠慮はしないでくれ」
「……はい、誓って」

 リュウヤは、本来この世界の人間ではない。既に違和感を覚えているかもしれないが、アローラには剣道というスポーツも、竹刀という道具もない。
 二年ほど前、リュウヤ……いや、浦島竜也はいつものように部活の剣道場で稽古を終えた後、先輩から頼まれごとをして古い蔵からもう使われていない面や籠手を運び出そうとした。
 その時、丁度一つの籠手の中に、一枚の汚れた熨斗らしきもので飾られたくすんだ紙が入っていた。
 何かのお祝いでもらったものか。もしかしたら中にお金が入っていまいか。そんな軽い気持ちで竜也は紙に手を触れた。
 その瞬間くすんだ紙は真っ白に、汚れた熨斗は輝かしい金色に変化し。

「突然空に開いた穴に吸い込まれた俺は、目が覚めたらここにいた……そしてこれからも、この島が俺の居場所だ」
「今聞いてもすごいことですよね。リュウヤ、あの時さえ驚いていなかったけど……」
「……よくある話だったからな」

 二年間、いろんなことがあった。いきなり見知らぬ異世界に飛ばされ、ひょんなことから代表者争いに巻き込まれ、しかもほかの候補者が何の因果か自分とそこまで年の離れていない女性ばかり。はてはその女性たちの何人から好意を向けられると来たものだ。
 この世界の誰がどう聞いても無茶苦茶な話だが、リュウヤにとってはその全てが驚きに値しない。
 予想していたかといえば全くそうではない。
 状況をなんとかするための苦労だってたくさんした。
 悩みがなかったと言えば嘘になる。
 だがそれでも、彼にとって、彼のいた世界にとっては今の一連など、ありがちな物語でしかない。きっとどんな出来事が起こったとしても、彼にとっては『よくある話』でしかないのかもしれない。それくらい、彼のいた世界はたくさんの情報で溢れていた。

「それで、怪盗からの手紙は?」

 平坦な声で、リュウヤは話をもとに戻す。アネモネの握りしめている手紙を受け取って、中を見た。
 赤と青の水玉模様の便せんには、こう書かれている。

『本日午後三時、コニコシティジュエリーショップ秘蔵のお宝、『黄金の竹の鉄扇』をいただきに参上する。怪盗クール・ピーター・ルーク』

 結局何で出来ているのか名前からさっぱり読み取れない宝は、確かにリュウヤとアネモネの家にあるものだ。

「どうしましょう、警察に連絡をしたほうが」
「役に立つとは思えんが、一応な」

 見た目は金色の扇だが、材質は金属ではない、しかし鉄のように固い謎の物質で出来ており、貴重品だが売値をつけるのも難しい品なのだ。あの怪盗は値段云々よりも珍しいものを欲しがる傾向にあるため白羽の矢が立ったのかもしれない。  
 アネモネからもらった水筒のお茶を飲み、一息つく。そして

「……今日の稽古はやめておくか。どうせポケモンバトルになるだろう」
「では、いったん帰りますか?」
「そうだな。時間まで体力は温存しておきたい」

 リュウヤはアネモネの手を握り、広場から自宅へ帰ろうとする。アネモネもはにかんでその手を握った。
 この世界に転移してから二年、右翼曲折あって手に入れた島キングとしての立場。傍にいたい人。守りたい居場所。己が主人公の物語を終えた青年は。

 冷静に、アネモネと繋ぐ手を狙って放たれた一本の矢を、片手で持つ竹刀で受け止めた。矢は竹刀にめり込み、鈍い音を立てる。即座にモンスターボールからピジョットを出し、アネモネの小さな体を抱き寄せた。

「フォトショップの上だ、ピジョット!」
「ジョオ!!」

 矢の飛んできたほうへ即座に『エアスラッシュ』を放つピジョット。一見何もない虚空だが、確かに物の動く気配がした。見えない気配は移動して、リュウヤとアネモネの前に立つ。

「何の真似だ。島キャプテン・マズミ」
「ふふふっ、さっすがあたしとお姉ちゃんとその他大勢を押しのけて島キングになったおにーさん。おっとりアネモネちゃんと違って反応がいいね。でもわざわざアネモネちゃんを抱きしめる必要ってあったのかな? どさくさに紛れて変なとこ触ってない? あ、あたしはおにーさんにならまんざらでもないからいつでも言ってね?」
「聞こえなかったか? 何の真似だ、と聞いたんだ」
「マズミ、お姉さま……その……」

 名前を呼ばれると気配は姿を現し、ジュナイパーとその背に乗る少女、アネモネの姉であるマズミが悪戯な笑みをして現れる。
 リュウヤは突然の襲撃にも動揺せず、鋭い目でマズミを睨む。彼女の見た目はアネモネとそう変わらない小柄だが、草食動物のような焦点を合わせるより全体を見まわす瞳からはいまいち感情が読み取りづらい。そして行動も奔放だった。
 突然抱きしめられ赤面したままのアネモネが、なんといっていいか言葉を選んでいるのを、マズミは待つことなくしゃべる。

「別に手を狙ったのはおにーさんとアネモネちゃんが手をつないでるのが妬ましかったとかそんなんじゃないよ? あたしはおにーさんが構ってくれればそれでいい。特別な一番になれなくてもいいけど、無視はされたくないの。アネモネちゃんもそれはわかってるしおにーさんもわかってるから真剣に『何の真似だ?』って聞いてくれるんだよね?」
「あの、リュウヤはこれから怪盗さんの相手を……」
「知ってるよ? アネモネちゃんがお手紙を見つけてから慌てて出ていこうとしたけどお茶をもっていってあげようとして水筒の用意して、その時にお茶ちょっとこぼしちゃったから床拭きしてそれから走って出てきたのあたし見てたもん。そしたら転ぶんだからほんと実はわざとやってるんじゃないの?それ」
「そ、そんなことありません!」

 マズミの言葉は、アネモネと対照的に脊髄反射でしゃべっているかのように澱みなく、かつ長ったらしい。わざとらしいくらい子供っぽい口調も、相手の気を好悪の関係なしに引こうという意思が感じられる。
 まだリュウヤの質問に対する返事が返ってきていないが、理由はわかっている。要するに、構ってほしいのだ。構ってくれなければ、嫌なのだ。
 空色の髪に、真っ白な薄いワンピースを着た彼女は、晴れ渡る空のように明るく。照り付ける日差しのように、悪意なく他人に厳しい。それがマズミという女性だ。

「やってくる怪盗君と遊ぼうかと思ったけど、あの子はなきむしラディちゃんの面倒を見てもらってる恩? もあることだし、やっぱりおにーさんに遊んでもらおうかなって。あの子もそろそろ昔のあたしたちみたい難しい年ごろだろうしね。というわけでおにーさん。あたしとバトルしてくれるよね?」
「そんな言い方……なきむしって……」
「あれあれー? おかしいぞー? 昔ラディちゃんに意地悪してたのはアネモネちゃんもだよね? ラディちゃんをかばえば、自分があたしとおねーちゃんにいじめられるかもしれないから。だけどそれでも、間違いなくあたしたちの側についてたよね? なのに、今更──」


「止めろ」


 ぴしゃりとした、リュウヤの声。マズミの焦点が一瞬彼にフォーカスして言葉が止まる。

「お前の望み通り、ここでポケモンバトルだ。余計な口をたたくのは勝手だが、それを負けの言い訳にはするなよ」
「……ふふふふふっ、やっぱりおにーさんは面白いね!いいよ、始めよっか!」

 マズミがジュナイパーから降り、二体の飛行タイプのポケモンが空中で激突する。怪盗クルルクがやってくるまでは、まだ何時間はある。予定は違ったが、想定外ではない。かつて島の代表者の座を争った二人が、激突した。


 

 

STAGE2-1:いらっしゃいませ、私の宝を頼みます。

怪盗クルルクの予告状が届いたことにより午後二時半、ジュエリーショップの周囲には大量の警備員が手配された。普段はあまり人通りの多くないこの町も、怪盗クルルクが来るとあっては訪れるものが増える。遊園地で人気のアトラクションを待つように、周りには人だかりができていた。アローラの日差しが強く輝くこの時間は、喉も乾きやすくトロピカルジュースを売り歩く人もいる。

「本日午後三時、コニコシティジュエリーショップ秘蔵のお宝、『黄金の竹の鉄扇』をいただきに参上する。怪盗クール・ピーター・ルーク……間違いなくヤツの予告状ですな」

 店内ではさっき到着した警備員のボス、中年の男性で生え際の後退し始めた額が寂しいグルービー警部が予告状を睨む。この店の持ち主であるアネモネと店員が心配そうに予告状に書かれた宝を見ている。高価な宝石を扱う商品ということもあり、今回は隠すことなく宝石を陳列する棚から離れたところにはっきりと『黄金の竹の鉄扇』が古めかしい木箱に入れられている。  
 警部は喉が渇いたのか小さな霧吹きを口に当て渇きを癒した。アネモネが不安げに声をかける。

「あ、すみません……お茶をお入れしたほうがよかったでしょうか?」
「いえ、職務中ですので。アネモネさんは、いつこの予告状を?」
「朝ごはんの洗いものをすませて郵便受けをのぞいた時ですから……朝九時くらいでしょうか」
「なるほど、それから近くで様子の変わった人を見かけませんでしたか? 奴は変装もしますからな。朝直接郵便受けに予告状を入れたということは既にこの町にクルルクがいたことになります。例えば見慣れない店員がいたりしませんか?」

 アネモネは改めて雇用している店員を見る。そして首を振った。

「大丈夫です、小さくとも宝石店ですので信用のおけるなじみのある方にしか任せていませんから……顔は覚えていますし皆さん変わりありません。今朝会った姉も、本当にいつも通りで……」
「……お姉さんと何か?」
「いえ、怪盗さんとは関係のないことです……ごめんなさい」

 はあ、とため息をつきふわりとした髪を揺らすアネモネ。その様は春風に吹かれ散り落ちる一片の花びらのように可憐だ。グルービー警部の目線が、しばらくアネモネに固定される。

「よろしければ、詳しくお聞かせ願えませんか? もしかしたら、手掛かりがそこにあるかもしれません」
「そういうこと、でしたら……」

 アネモネは今朝島キングに手紙とお茶を渡しに行った時、姉のマズミにジュナイパーの弓矢で狙われたことを話す。それをリュウヤがポケモンバトルで諫めたこと。義理の妹であるラディに自分とマズミ、そして長女と母親そろって冷たくしていたこと。マズミはそれがラディを深く傷つけたと認めた上で。

「リュウヤがバトルで勝った後、姉は私に言いました。『意地悪姉さんがいい顔してよりを戻そうとしても、シンデレラ姫には迷惑なだけでしょ?』って……私は謝って仲良くできればと思っていたんですけど姉の言う通り、私が彼女に何を言ってもあの子を傷つけるだけなのでしょうか……」

 肩を落とすアネモネ。グルービー警部は少しの間悩まし気に考えた後、懐に手を入れる。

「ご心配なくアネモネさん。アローラ警察は住民のトラブルも解決いたします。怪盗騒ぎが終わったらぜひご連絡を」

 グルービー警部は名刺をアネモネに渡す。彼女が受け取ると、仄かにハーブの香りがした。緊張をほぐすそれにアネモネの表情が、明るくなる。

「大丈夫です。私にはリュウヤがいてくれますから……怪盗さんのことも、主人が捕まえてくれると思います」
「あれ!? いや、私らの存在意義は!?」
「警戒の手間が減るから一応呼んでくれ、と言われまして……」

 正直なアネモネにガクッ!とよろけるグルービー警部。
 よろよろと立ち上がり、警部が聞く。

「そういえば、彼はどこに?」
「リュウヤなら店の屋根です……怪盗さんがどんな手段で来ようと見逃さないように、とのことで」
「なるほど、彼らしい……しかしこれで警備は万全ですな!外には屈強な警備員が並び立ち!内にはベテラン警部のこのグルービーが目を光らせ!何より上には冷静沈着な若き島キング様が空からくる怪盗を見逃さない!前門のライコウ後門のエンテイよりも強固な布陣!!怪盗の手を出す隙などありません!!」

 ははは、と笑いながら警部は時間が過ぎるのを待つ。時折霧吹きで喉を潤しながら。
 二時四十分、五十分、五十五分……。
 三時になっても、怪盗クルルクがやってくることはなかった。
 ほっと胸をなでおろすアネモネと店員たち。店内にどっと安堵の息が下り、外の野次馬達からはブーイングが上がる。

「ふふん、さすがの怪盗クルルクも、この鉄壁の守りを前に諦めたようだな……」
「なら、よかったです……警部さん、ありがとうございました」
「いえいえ、これがわれらの務めですから」

 アネモネが礼儀正しく頭を下げる。警部も敬礼で返した。
 そのあと、警部がためらいがちに聞く。

「……ところでアネモネさん。この店、トイレはありますかな?」
「え、トイレですか……店の中にはありませんが、二階の私の住まいなら……」 

 ジュエリーショップでは、清潔感が重視される面もあるためトイレはついていない。警部は慌てて手を振る。

「いえいえ失礼しました。怪盗も諦めたようですし、少し席を外します。そして引き上げるとしましょう」
「よろしいのですか? 時間通りに来ないことを油断させて、いなくなった隙をついてくるかも……」
「それはあり得ません。何しろ奴は『模犯怪盗』ですから」

 断言するグルービー警部。そこには絶対の確信があった。

「予告状を出しておいて時間を破るなど、テストの時間が終わってからこっそり記入欄に答えを書くようなもの。そんな真似は、あやつはしません。盗むなら、予告した時間には宝はあいつの手にあるということです」
「怪盗さんのこと、信用してらっしゃるんですね……」
「……いえ、これでも長年敵対してきましたからな。では失礼!」 

 よっぽど我慢していたのか慌てて店を出る警部。アネモネは小さく手を振ってそれを見送った。





 ジュエリーショップから出た警部は、警備員たちに解散の命令を出した。そして店から離れコニコシティの船着き場に向かおうとする。

「予告状が届いたんじゃなかったのか!?」
「せっかく熱い中ここに来たのにー!」
「もう喉からからだよお……」

 そんな人々の声を聴きながら、海のほうへ。コニコシティの光景を知る人ならご存知かもしれないが、そっちにトイレなどない。あるのは木で出来た停留所だけだ。
 店内に注意が向かう人込みに逆流していく彼の様子は【上からよく見える】。


「海まで行って、立ちションでもする気か? 警部さん」


 屋根の上からした青年の声に、人々がどよめいた。警部は突然かけられた声にびっくりして立ち止まる。
 振り向くと、鋭い目で屋根の上から警部をはっきりととらえる島キング、リュウヤの姿が。ピジョットを隣に携え、日差しに照らされ汗の滴る彼は精悍という言葉がよく似合う。

「これはこれは島キング様……店内の声、聴いておられたのですか?」
「アネモネには携帯のスピーカーをオンにしてもらっていたからな。筒抜けだったよ」
「そうでしたか……しかし道を間違えたようですな。おっと、失礼──」
「ピジョット、『風おこし』!」

 警部はまた霧吹きを喉にあてようとする。しかしそれを突風が弾き飛ばし、霧吹きが雑踏に紛れ手の届かないところへ。

「『模犯怪盗』に倣って一つお前の間違いを訂正してやる」
「ほお……」
「お前は俺が上を見張っているのは空からくる怪盗を見逃さないためだと言ったな。だが俺の狙いは逆だ。どこからきてどんな手段を使おうが、怪盗は宝を盗んだ後そこから脱出しなければいけない。三十分もあそこにいれば注意の緩んだ隙に木箱から宝を取り出すなどお前なら造作もないよな? グルービー警部……いや、怪盗クルルク!!」

 リュウヤは竹刀で警部を差す。グルービー警部の顔をした彼は、ふっと笑みを浮かべた。
 頭にまだ残っている髪をぎゅっと掴み引っ張る。べりべりと顔ごとマスクがはがれ、警部の服が上に舞った。
 

「さすがだね。僕の変装を見破ってくるとはさ!怪盗クルルク参上、『黄金の竹の鉄扇』は確かに頂いているよ!!」


 ギャラリーが、大きくどよめいた。宙へ舞った服に一瞬気を取られた隙に現れたのは赤いジャケットに黒のデニムパンツ。黄金の扇を開いて見せつける怪盗クルルクと、その横に守るように立つソリストポケモン、アシレーヌだった。アシレーヌのバルーンには歌声を変える力がある。それを霧吹きに中に入れて、定期的に喉にあてることで声を変えたのだ。既にその声は、中年の警部のものから若い少年のものに戻っている。
 リュウヤはピジョットの足をつかんで降下し、地面に降り立つ。ギャラリーが突風に慌てて離れ、怪盗と島キングがコニコシティの道路に向かい合った。

「決闘だ怪盗クルルク。三対三のポケモンバトルでお前が勝てば、宝は好きにしてくれて構わない。だが負けたら、宝を返して、ついでに本物の警部の居場所を教えてもらう」
「ああ、警部なら近くのトイレでちょっと居眠りしてもらってるよ。ほっといてもあと三十分もしないうちに目が覚めるんじゃないかな? もちろん決闘には乗るよ!挑まれたポケモンバトルは拒まない。それが僕、『模犯怪盗』だからね!」
「相変わらず話が早いな……なら行くぞ。先鋒は頼むピジョット!」
「かかってきなよ、島キング!まずは君に任せたよ、ヴァネッサ!」

 ヴァネッサとニックネームをつけたアシレーヌの泡を、ピジョットが吹き散らしにかかる。アローラの日差しの下で、宝を賭けた戦いが今日も始まる。
 

 

STAGE2-2:アローラ、日差しが今日も強いね

「ピジョット、『エアスラッシュ』」
「ヴァネッサ、『バブル光線』だ!」

 午後三時、炎天下のコニコシティで始まったバトル。島キング・リュウヤのピジョットが放つ風の刃を、怪盗クルルクによってヴァネッサと名付けられたアシレーヌが泡を爆発させて相殺する。さらに泡を自分の周囲に纏い、風の攻撃から守る態勢に入った。

「ようやく始まったか!待ちくたびれたぞ!」
「早いことやっつけしまえ島キング!」
「がんばって怪盗クルルクー!」

 ギャラリーは始まったバトルに熱のこもった歓声をあげる。クルルクは声援に手を振ってから指示をだす。

「ピジョットのスピードは侮れないからね、ヴァネッサ『凍える風』!」
「上に逃げろピジョット!」

 アシレーヌの口から、冷しげな歌声が鳴り響く。それを爆発しない泡が運び、本当の冷気となって石畳の熱い地面に吹きわたった。ピジョットは旋回して空高くへ回避する。

「さて、クールになったところで……ヴァネッサ、『うたかたのアリア』でいこう!」
「ピジョット、『暴風』で泡を吹き飛ばせ」

 儚い歌声は大きな泡となった確かな力に。だがピジョットにぶつかる前に激しい風で空へ吹き飛ばした。空中ではじけ、細かい水が霧となってギャラリーの喉を潤した。

「もう一度『エアスラッシュ』」
「なら、『アクアリング』!」

 もう一度宙から放たれる刃を周囲の泡の爆発で守り、アシレーヌを覆う水のリングが受けた軽微なダメージを癒していく。さらに小さな木の実を口に入れて喉を癒す。俗に『たべのこし』と言われることもあるポケモンの道具だ。

「ヴァネッサ、『バブル光線』で守りをまた固めよう。君の喉が痛んじゃいけないからね!観客のみんなも、応援は嬉しいけど熱中症や喉には気を付けて!」
「レ~~♪」

 アシレーヌが周囲を泡で満たしながら歌う。その姿はさながら泡だらけのバスルームに入って歌う女優のようだ。冷気に霧、さらに空中を舞う泡で満たされた空間はもはやアローラの強い日差しと熱をものともしていない。ギャラリーたちがクルルクの言葉に気づいて水分を補給したりするのを見て、リュウヤは苦笑しながら言った。

「至れり尽くせりだな……バトルしながら野次馬のためにそこまでするとは、怪盗のわりにずいぶんと優等生なんだな」
「なんたって僕は、『模犯怪盗』だからね!それにこれで守りは万全。君とのポケモンバトルにも、しっかり怪盗してみせるつもりだよ」

 ただ盗む、ただ戦うのでなくクルルクは『模犯怪盗』としての誇りを持っている。炎天下、人の密集する場所で声を張り上げていれば熱中症で倒れる人が出るかもしれない。それを無視することは出来ない。警部に変装した時アネモネを気遣っていたのも、そういう信条からなのだろう。

「だが俺も島キングとしておまえを倒すことがやるべき仕事なんでな……その心遣いを台無しにするようで悪いが。ピジョット、『霧払い』だ」
「……ヴァネッサ、泡を爆発しないように切り替えて!」

 ピジョットが引き起こすのは風の刃ではなく、穏やかだが大きな風の動き。それはアシレーヌの纏う泡を爆発させずに吹き飛ばしていく。観客に泡がぶつかる前に、アシレーヌの歌声でただの泡となってシャボン玉のごとく消えていく。『凍える風』による冷気も吹き飛ばして周囲にまた強い日差しの熱気が戻った。 

「これじゃヴァネッサの守りが……!」
「これでお前の守りは消え去った。さらに『霧払い』が発動によりこちらの技の命中率は上がる」

 『霧払い』には相手の回避率を下げる効果がある。鉄壁の守りを一瞬にして崩した島キングにギャラリーから拍手が起こった。

「いいぞ大将!」
「戦いってのは周りに気遣うんじゃなくて相手を真剣にぶっ倒すためにやるもんだ!」
「もっとやっちまえ!スカした怪盗にアーカラ島キングの強さを見せてやれ!」
「……決めろピジョット。『暴風』」

 命中率は高くないが威力の高い『暴風』ピジョットがより大きく翼を羽ばたかせる。……が、変化はない。『霧払い』と同じく穏やかな風がゆっくりと吹くだけだ。
 リュウヤの鋭い目が、怪訝に細まる。状態異常にするような技を受けたタイミングはなかった。ピジョットはまだ何のダメージも受けていないはずだ。

「どうした!もっとやれ!」
「MOTTOMOTTO!!」
「ピジョットがんばれー!!」

 不自然なまでに集まる応援。クルルクがにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。リュウヤはそこで気づいた。

「これは……『アンコール』か」
「その通り、だけどもう遅いよ!ヴァネッサ、『冷凍ビーム』!」

 襲いくる蒼の光線。『霧払い』以外の技の使用を禁じられたピジョットは抵抗のすべなく氷漬けにされる。大人しくピジョットをボールに戻すリュウヤ。

「観客へのわざとらしい気遣いはこれのためか……」
「わざとらしいとは心外だね。熱中症とかになってほしくないのはほんとだよ」

 つまり、こういうことだ。宙を自在に舞い、様々な風を操るピジョットに地上で歌うアシレーヌが『うたかたのアリア』や『冷凍ビーム』を直撃させるのはそううまくいかない。
 だからクルルクは守りを固め、ピジョットの行動を誘導した。観客への気遣いを装う形で。
 誘導されていることに気づかず守りをどかすための特殊な手を打ったタイミングに合わせて『アンコール』を発動することで、ピジョットの行動は大きく制限され、『冷凍ビーム』を直撃させることができたというわけだ。
 優しさの裏にある確かな戦略。それを感じ取り、無表情なリュウヤの口角がわずかに上がりほかのだれにも聞こえないほど小さく呟いた。

「そういうところはあの人譲り、か……」
「さあ、次のポケモンは何で来る? あんまり遅いとライアーで逃げちゃうよ」
「そうだな……なら出てこい、アバゴーラ!」

 リュウヤの出した二体目、化石からよみがえった亀のようなポケモン・アバゴーラは登場と同時に唸り声をあげる。そして自身の体に大きく力を込めると、殻が軋み始めた。

「これは……!ヴァネッサ、『うたかたのアリア』!」
「ゴゴゴゴ……アアアアアアアッ!!」

 アシレーヌの放つ泡がアバゴーラに直撃し、殻にどんどん罅が入っていく。まるで戒めの鎖を解き放つように殻が破壊される。瞬時にリュウヤの命令が飛んだ。

「アバゴーラ、『ストーンエッジ』」
「ゴアア!!」

 アバゴーラは自身の粉砕された殻を鷲掴み、アシレーヌにぶん投げる。最高速度のピッチングマシーンが放ったような重さと速さはよける暇もなくアシレーヌの胸へ打ち込まれた。アシレーヌが胸を押さえ、歌声が止まる。張り手で胸をどつかれたようなものだ。とても歌えない。

「これでイーブンだ、『アクアジェット』」
「下がってヴァネッサ、来てテテフ!」

 今度は自ら水の噴射で肉薄するアバゴーラを、クルルクは即座にポケモンチェンジで躱す。『サイコメイカー』の特性を持ちフィールドに出た瞬間先制技の発動を許さないテテフがアシレーヌを守るように立ちはだかった。

「先制技を封じるフィールドは厄介だが……『殻を破る』の効果により速度が倍加したアバゴーラなら速さで負けることはない。『アイアンヘッド』!」
「だけど、一撃でやれるほど僕のテテフは甘くはないよ!『自然の力』!」

 アバゴーラが首をのけぞらせてヘッドバッドをしようとするのに対し、テテフは自然の力をフィールドの力を借りて念力に変える。アバゴーラの特性は相手の攻撃を必ず一発耐える『がんじょう』だが既にアシレーヌの攻撃はヒットしている。素の速度で負けようと耐えられれば返り討ちにできる。
 だが、クルルクは近づいたアバゴーラを見て気づいた。破壊した殻のうちに隠れていた、その腹に巻かれた布に。

「残念だがこの展開は読んでいる。この瞬間アバゴーラに持たせた『達人の帯』の効力が発揮される」
「『殻を破る』に加えて『達人の帯』!?」
「この道具を持つポケモンが相手の弱点を突いた技による攻撃を命中させるとき、そのダメージを1.2倍にする。この一撃で戦闘不能だ」
「くっ……仕方ない、テテフ『気合の襷』の力を使って!」

 テテフの頭にリボンのように巻いておいた襷の力が発動される。テテフは特性『がんじょう』と同じ効果を持つ道具で体力ギリギリでヘッドバッドに耐え、カウンターでの念力をその腹に叩き込む。アバゴーラの体が吹き飛ばされ、腹を天に向けて倒れたまま起き上がることができない。
 テテフはぎりぎり戦える状態ではあるが、ヘッドバッドを直接受けた額の部分は赤くなり、目には涙が溜まっているのがクルルクにははっきり見て取れた。

「……テテフ、痛かったね。 ありがとう、後は休んでて」
「これで二対二……そういうことでいいんだな?」
「ヴァネッサもテテフもあれ以上ダメージを追わせたくないからね。もちろんいいよ」
「相変わらず、瀕死になるまで戦わせることをしないな。お前は」

 ボールにテテフを戻したクルルクに、瀕死になったアバゴーラを戻しながらリュウヤは言う。リュウヤの知る限り、クルルクは自らの意志でぎりぎりまで戦わることをしない。よほど不測の事態にならない限り、そうなるまでにある程度ダメージを受けた段階でポケモンを戻している。たとえその結果敗北し、宝を逃すことになったとしてもだ。

「宝は欲しいけど、この子たちの命には代えられないしね……万が一のことを考えて、無茶はさせたくないんだ」
「それも『模犯怪盗』としてのプライドか」
「いいや、これは僕の個人的なバトルスタイルさ」
「そうか。臆病者──と言われたら、お前はどう思うんだ?」

 返事は、スナップを利かせて投擲されたトランプだった。リュウヤは眉一つ動かさず、竹刀でトランプを受け止める。ポケモンの技を受けても粉砕されない強度を持つ竹刀に、ただの紙のはずのトランプは刃のように食い込んだ。
 クルルクの表情は、図星を突かれて慌てるわけでもなければ、心にもないことを言われて憤慨するでもない。島キング・リュウヤの挑発を受けて、楽しそうに笑みを浮かべながらトランプを構えている。

「僕が臆病かどうか、試してみればいい。島キングもう一つの決闘スタイルで。このトランプで受けて立つ」
「なら、そうしよう。最後の一体……招来せよ、俺をこの世界に招きし者よ!」

 リュウヤ左の籠手の中から右手を一枚の紙を引き、竹刀を地面に置く。それと同時、クルルクとリュウヤの頭上。天と地を遮るように、空間に渦のようなホールが出現した。
 彼の呼び声によって空いた穴から降り立つのは、まるで折り紙をいくつも合わせて作ったがごとく薄い剣。しかしリュウヤの手元に納まったそれは、まるで古代の英雄が持つ神器のように淡い金の光を放ち、三十センチほどの短剣とは思えないほどの存在感を放っている。
 クルルクもそれに合わせ六つのうちの一つからポケモンを呼び出し、自分で持っていた『黄金の竹の鉄扇』を投げ渡す。桃色の着物に身を包んだような華やかさを持ち、袖に隠れた腕で扇を開くその様はまるで丁半博打に命を懸ける博徒のような気迫が備わっている。
 二人は、お互いのポケモンの名を呼び合う。ただ出すのではなく、今から行われるもう一つの決闘にふさわしい名乗りで。

「ウルトラホールより俺の存在に応え現れろ。世界の隔たりを切り裂く神剣──カミツルギ!!」
「頼むよ、僕のトランプ師匠にして作り手!美しき花の姿に潜む鋭き勝負師──ラランテス!!」

 リュウヤの右腕に握られる、熨斗に近い金の装飾が施された異世界の剣。クルルクへ鋭い木の葉を仕込んだトランプを、マジシャンのように離れたところに一束渡す華の蟷螂。
 序盤のお互い堅実な動きから一転、一気に動いたうえ、始まろうとするもう一つの戦いにギャラリーたちが大騒ぎする。それをリュウヤが神剣を握る腕を振るって制し、島キングとして宣言する。

「諸君!今から行われるのはアローラもう一つの決闘法。ただのポケモンバトルではない、人間である俺たち自身がポケモンとともに斬り合う勝負、【戦闘携帯】だ……覚悟はいいか、怪盗クルルク!」
「僕から挑んだ決闘だからね……来い、島キング・リュウヤ!」

 リュウヤが踏み込み、神剣を大上段から振り下ろす。それをバックステップで躱し、トランプを二枚リュウヤの腹に投げつけた。それを手首の返しのみで神剣で一薙ぎ、トランプを真っ二つにするリュウヤ。
 このアローラのポケモンバトルの形は一つではない。今この時、決闘はトレーナー自身の力を示す戦いに移り始めた── 

 

STAGE2-3:戦闘携帯への模犯怪盗

このアローラに伝わる通常のポケモンバトルとは異なるもう一つの決闘法、【戦闘携帯】。一匹のポケモンの力を携えトレーナーどうしが直接ぶつかり合うそれは、ポケモンバトルそのものが限られた人間だけが行うものになった今ではなかなか行われることはない。
 ラランテス特製の鋭い木の葉を仕込んだトランプがリュウヤの視界を狭めるように二枚投げつけられ、それを右手に持つカミツルギそのもので過たず切り裂きながら余力でクルルクの体を狙うが、剣の間合いに入らないようにクルルクも距離を取りながらトランプを手札に補充する。

「すげえ……トレーナーどうしで直接斬り合ってる……」
「私、こんなの初めて見た!」
「決闘のルールとして聞いたことはあったが、まさか生きている間に目にするとは思わなんだ……」

 島キングのリュウヤ自身、前に行ったのは島キングに即位するための最終試練の時だ。その時は一般の目には触れないところで行ったため、一般の島民は存在すら知らないものも多い。
 今度は三枚のトランプが飛んでくる。リュウヤは一つ一つ受け止めず、大振りの一閃による風圧だけで薙ぎ払った。
クルルクは投げつけた分を手首に仕込んだ山札から補充し、また五枚のトランプが握られる。

「何度トランプをちまちま投げようと、俺の体には届かない。それとも、その程度の数しか一度に投げられないのか」
「たくさん投げる必要がないからね。これで役はそろった!僕の手にはスリーカード……『リーフブレード』!!」

 手札にそろった三枚のジャックを見せつけると、絵札に描かれた三つの長剣が具現化してリュウヤに飛んでいく。さすがにカミツルギ一本では捌けない攻撃を、大きく横に飛んで躱すリュウヤ。体勢が崩れたところに補充したトランプを四枚投げつけ、カミツルギを振り払うが一枚のトランプがリュウヤの肩を切り裂く。痛みに顔をしかめるリュウヤ。

「スインドルのトランプには魔法がかけてあってね。手札にそろったポーカーの役が強ければ強いほど、威力の高い攻撃ができるってわけさ」
「投げるトランプをカードチェンジに見立てた細工か。面倒な技だな……」
「だろう? 自慢の神剣でも簡単には防げないはずさ。さあ、さらにワンペアの『葉っぱカッター』!」

 ハートとダイヤの4を公開し、投げつけるクルルク。それはただのトランプではなく分裂して八枚の刃となってリュウヤを襲う。

「いいや、そういうことじゃない」
「え?」
「わざわざ手札に役を揃えなければ技を発動できないまわりくどさを言っているんだ。『リーフブレード』!!」

 リュウヤの手にしたカミツルギが輝き、金色の熨斗が曲線を描いて伸びた。すべての木の葉を細切れにし、さらに。

「『スマートホーン』!」
「うわっ!!」

 紙の体をより細く鋭く変えた突きを繰り出す。クルルクはとっさに身を低くして躱すが、被るシルクハットを貫通し穴を開けた。クルルク側と同じ技を使ったリュウヤはカミツルギをもとに戻して構えなおす。

「怪盗としての見栄え意識からか知らないが、命がけの【戦闘携帯】で悪ふざけが過ぎたな、怪盗クルルク。お前がカードゲームごっこをしている間に、こちらはいつでも好きな技を使える。それで勝てると本気で思ったのか」

 クルルクは穴を開けられたシルクハットを握りしめる。その肩は震えていた。

「お前の移動に使うシルクハットは潰した。どのみちここから逃げることはできない。諦めてお縄につくんだな」

 レイピアのようになった紙の神の剣をクルルクに突きつける。クルルクは涙を零し、絞り出すように言った。

「ああ……!これ高くて作ってもらうのお金かかるのにー……!」
「……」

 人の話聞けよ!!という突っ込みが野次馬達から入るが、リュウヤは特に驚くこともなく平然と受け入れている。クルルクはため息をついて穴あきのシルクハットを被りなおす。

「リュウヤ、君の間違いを訂正するよ。僕もスインドルも悪ふざけなんかしてない。本気のギャンブルを仕掛けてるんだ」
「ポケモンと人の真剣勝負でギャンブルなどする意味がない……不要なギャンブルに手を出したお前の未来は破滅だ」
「まだまだ、勝負の行方は分からないよ」
「ならばそのギャンブルごと終わらせてやる、『リーフブレード』!」

 金の熨斗が曲線を描いて伸び、クルルクの胴を狙う。身をひねって躱そうとするが、さらにクルルクの体の前で熨斗が曲がり──トランプを持つ方の手首を貫いた。

「ぐっ……!!」
「引き寄せろ神剣!そしてこのひと振りで終わりだ、怪盗!」

 手首を貫いたまま、熨斗の長さを戻すカミツルギ。するとクルルクの体がリュウヤの方に引っ張られていき、飛び込んでくるクルルクを切り伏せようとする。
クルルクは苦悶の表情を浮かべながら、右手に握ったカードを放った。

「手札にあるのはすべてハート……フラッシュの『光合成』!!」
「くっ……」

 リュウヤの視界が眩み、振った一撃は脇腹を掠めるに終わる。そしてクルルクはバックステップで距離を取り、『光合成』の力で傷を癒した。

「たまたま回復の役がそろっていたのか……姑息な真似を」
「姑息でもなんでも、首の皮一枚、骨一本繋がってれば続けられるからね。それがスインドルから教わった、勝負師の心得だよ」

 クルルクはちらりと後ろに控えるラランテスを見る。扇を広げ、細めた目の彼女は今の主のピンチに全く動じていない。
 回復したとはいえ、一度手首を貫かれたクルルクの表情にはすでに笑みが戻っている。

「……大したポーカーフェイスだ」
「どんな展開にも驚かない君ほどじゃないさ。僕にトランプをやめさせたかったら手ごと斬り落とすべきだったね、リュウヤ」
「……なら、次はそうしよう。元に戻らなくなっても恨むなよ」

 リュウヤが剣を構える。その時、クルルクがシルクハットを大きく天に放り投げた。全員の目線がシルクハットに向き、落ちてくるそれをキャッチして一礼するクルルクにみんなが注目する。

「残念だけど、次はないんだよ。このドローで終わりにするからね」
「……できるものならやってみればいい」
「もちろん、このチェンジに全てを賭けるよ!お集りのみなさん、もし奇跡の役を引き込めましたら拍手御喝采のほどを!!」

 フラッシュで五枚のカードを手放したクルルクの手札はない。ポーカーとは手札をチェンジして役を揃えるものだ。五枚全てをチェンジした後で強い役がそろうことなど、限りなく可能性は薄い。だがクルルクは自信に満ちた表情で、カードの束に傷の塞がった右手を据える。リュウヤも突きの構えを取った。

「これで僕が勝ったら、驚いてくれるかな?島キング」
「何も驚く理由がない。怪盗がトランプで戦う。派手なはったりをかます。最後の最後で奇跡を起こす。珍しくもなければ意外でもない。よくある話だ。だが俺はその奇跡を上回って勝つ」

 アローラの陽ざしをものともしない絶対零度の揺るぎない無表情。どうせ奇跡など起こらない、とタカをくくりはしない。確率がどれだけ低かろうと目の前の怪盗はそれを起こすと確信している眼。

「つれないなあ……さて、君の異世界の剣が勝つか。僕の勝負師の魂が勝つか……これが決着の、ディステニードロー!!」

 五枚のトランプを一気に引く。同時にリュウヤが動いた。
クルルクの手札にそろったダイヤの10、ジャック、クイーン、キング、エース。ロイヤルストレートフラッシュのカードたちが強烈な光を放ち、クルルクの両手が太陽に掲げられその手に光の大剣が握られる。
 リュウヤのカミツルギが強い金色に染まり、神話の聖剣のような鋭さを持って突き出される。技をして放たれる名前は、奇しくも同じだった。

「「『ブルームシャインエクストラ』!!」」

 クルルクの大上段からの振り下ろしと、リュウヤの突き。二つの太陽がぶつかり合ったような激しい閃光が巻き起こり、すべての人間の視界を眩ませた。
 同じ草タイプのZ技なら、威力の高いほうが勝つのは必然。そしてウルトラビーストに名を連ねるカミツルギとあくまで一般的なアローラのポケモンであるラランテスでは前者の方が明確に攻撃力は上。
閃光が消え、視界が戻った時には、当然決着がついていた──

 

 

REST STAGE :灰被りの憧憬

「じゃあアッシュ。私たちはお出かけするからその間にお掃除とお洗濯をお願いね。お昼ご飯は冷蔵庫の中に入ってるから」
「はい、かあさま……」

 これがDVDなら擦り切れるほどに見た、記憶の映像。五年ほど前に実母を亡くしたラディ──アッシュ・グラディウスは父の再婚した義母とその娘たちにいいように使われていた。
 全員がラディと年の離れた義姉になる三姉妹が、綺麗な民族衣装を着てラディに命じる。

「……今度私の洋服地面に落としたらただじゃおかないわよ」
「おねーちゃんこわーい。この前も散々ひっぱたいてたじゃない」

 長女のリンドウがぎろりとマズミを睨む。マズミは目をそらして口笛を吹いた後、ラディに言った。

「あたしの部屋は掃除していいけど動かしたものは元に戻してね!」
「マズミ姉さんの部屋は物が散らかりすぎてて元に戻すより整頓したほうがよろしいのでは……」
「アーアーキコエナーイ。せっかくだから何かアッシュちゃんに頼んどいたほうがいいよ。ほら、あたしと昨日決めたでしょ?」
「…………では、アッシュちゃん。お父さんと私たちの洗濯物は、分けてもらってもいいですか……?」

 アネモネがうつむいて、ラディに命じる。三者三様、ラディに対する調子は違うが。まだ幼いラディにとっては全員等しく自分を虐める人たちでしかなかった。

「……はい、おねえさま」
「それじゃあ、行ってくるわね。くれぐれも、さぼっちゃだめよ」

 義母と義妹たちは家から出ていく。行先など知らないが、恐らくはパーティーだろう。綺麗な衣装を着て、美味しいものを食べて、楽しくおしゃべりするのだと聞いている。
 自分はぼろぼろの服を着て、毎日部屋の掃除と洗濯。ご飯もたいていは、彼女たちの昨晩の残飯である。
 父親は仕事でアローラにいないことが多い。電話も与えられていないラディには、だれも味方がいなかった。
 毎日、毎日。皿を割ってしまえば食事を抜かれ、洋服を汚せば平手打ちを食らう。
 特にいやだったのが、ある日つい私もパーティーに行ってみたいとこぼしてしまってから始まった『着せ替え遊び』だ。

「そっかあ……そーだよね、アッシュちゃんも女の子だもんね!いいよ、あたしとアネモネちゃんの服着させてあげる!コーディネートは、あたしがするから!」

 最初は、マズミのその言葉が嬉しかった。だが、年の五歳以上離れた相手の服が自分の体に合うはずがない。
 着させられる衣装は当然ぶかぶかで、しかもマズミは面白がってわざと似合わない組み合わせを選ぶのだ。

「あははははははははっ!似合わなーい!変なの!アッシュちゃんがちんちくりんだからだー!」
「マズミお姉さま……かわいそうですよ……」
「えー何がかわいそうなの? アッシュちゃんが、着てみたいっていったんだよ? ばれたらあたしもおねーちゃんとおかーさんに叱られるかもしれないけどこっそり着せてあげるんだから、感謝してほしいくらいじゃない?ねえアッシュちゃん」
「ううう……」

 せっかく着た綺麗な洋服を似合わないと笑われ、まるでおもちゃにされてるみたいで恥ずかしかった。涙をぼろぼろ零す自分を、マズミはわかっているのかわかっていないのか。

「ほら、アッシュちゃんもうれしくて泣いてるー。だから、アネモネちゃんは気にしなくていいよ。それとも、替わってあげる? あたしは、それでもいいよ」
「……いえ、それなら……いいです……」

 そんな日々が、二年続いた。
 それが終わりを告げたのは、ある月の綺麗な夜だった。満ちても欠けても綺麗な月は、ぼろぼろの服がみすぼらしく、綺麗な服を着てもちっとも似合わない自分とは正反対で。

「お母さん……わたし、お母さんのところに行ってもいい……?」

 ほかの家族がパーティーに出かけた夜。ラディは二階の洗濯物を干すベランダで夜空を見上げたあと、下を向いた。この家は大きく。二階からでも十分な高さがある。落ちれば、命の保証はない程度には。
 こんな家族とは一緒にいたくない。お空の上で、お母さんに会えるなら……そんな思いがラディの胸を占める。
 手すりから身を乗り出し、全てを投げ出そうとしたとき。

 ズン!!と音を立てて家が、地面が揺れた。とっさの出来事に慌てて体を戻し、屈め、揺れが収まるのを待つラディ。地震などそう起こらないアローラで、ラディの人生の中では初めての経験だった。

「あ……お洋服が……!!」

 干された洗濯物は地面に落ち、無残に土で汚れていた。衝撃で飛んで行ったものもあるかもしれない。
 みんなが帰ってきたら絶対に怒られる。何日も食事を抜かれるかもしれない。死のうとしていたことも忘れ、一階に降りて慌てて服を拾おうとする。
 階段を降り、ドアを開けたラディ。
 そこには、一人の女性が立っていた。雪原のような白い肌、磨いたフォークの先端よりも細く銀色の髪。アローラでは珍しい、長そでに手袋、長ズボンに黒いブーツ。
 頬に施した青い三角ペイントの上にある目が、監視カメラのように鋭くラディを見つめていた。

「質問です。貴女が、アッシュ・グラディウス様ですね?」
「誰……?」
「回答です。スズ・ブルーヒルデと申します。請願です。あなたを助けてあげる代わりに、あなたに助けてほしい人達がいます」
「あの、今かあさまが家にいないのでまたあとで……!」

 早くしないと洗濯物がさらに汚れてしまうかもしれない。ラディはそれだけ言って離れる。
 洗濯物を抱えようとしたとき、

「あ……!待って!」

 風で飛んで行ってしまうのだとラディは思った。言葉で止まるはずもなく、洗濯物は上に舞い上がり──二階の、ベランダに戻った。見上げれば、土も払われ綺麗になっている。
 ぽかんと見上げていると、さっきの女性、スズが後ろから歩いてきた。

「再開です。スズは、貴女を助けに来ました。だから、助けてほしい人がいます」
「あなたは……誰?かあさまの知り合い?」

 スズは首を振る。

「回答です。スズが誰か、は難しい質問です。後ほどゆっくりお話しします。説明です。さっきの地震で、貴女の姉たちのいる建物が大きく崩れました。貴女が彼女たちを助けてほしいのです。そのために必要な力は、スズが用意しています」
「えっ……!?」

 驚く。でも揺れがすごく強かった。建物が壊れてもおかしくないのかもしれない。だけど。なんで自分に頼むのか、とか必要な力って何、とか思うところもあるけれど。

「……いやよ。あんな人たち、助けたくない」

 それが当然の本心だ。自分にさんざんひどいことをした人たちを、どうして助けないといけないのか。

「あんな人たち……死んじゃえばいいんだわ」

 ひどいことを言っている、と思う。自分が向けられたこともある言葉を口にしてラディの胸が傷んだ。
 スズと名乗る女性は、自分の言葉に苦しむラディに表情一つ変えずに言った。

「同意です。そうかもしれません」
「……じゃあ、帰って」
「反論です。しかしだからこそ、そんな姉たちのことも助ける貴女はヒーローです。ヒーローとなった貴女は、こんなところでなくもっとふさわしい居場所があります。その場所も、スズは用意しています」
「ヒーロー……」

 昔、まだ実母と一緒に暮らしていた時にテレビで見た、かっこいいヒーロー。ほんとは男の子が見るものよ、なんて笑われることもあったけど、好きなように見させてくれたあの頃を思い出す。

「質問です。今の家族を見捨てて誰の味方もいないまま生きていくか。嫌いな人達を助けてからさよならしてヒーローとして生きていくか。どちらがいいですか?」

 スズの目は、氷のように冷徹だった。ラディがもう一度帰ってといえば、本当に帰っただろう。
 ラディの答えは、決まっていた。

「感謝です。約束は守ると誓います。召喚です。UB:LAY、出なさい」

 スズが青いボールを開くと、巨大な煙突を灰色のブロックで作ったようなポケモンが現れた。面を一つこちらに向けて、中心にある二つの点が目のように自分を見つめる。そのポケモンを見て、ラディは直感する。

「あなたが……洗濯物を、元に戻してくれたの?」

■■■■■
■■■■■
■・■・■ 
■■■■■
■■■■■

  ↓

■〇〇〇■ 
〇■■■〇
〇・■・〇 
〇■■■〇
■〇〇〇■ 

「……ありがとう!」

 そのポケモンは、喋らない。だがブロックのような部分の色が一部青色に変わり、全体でも〇の形になる。

「命令です。ではUB:LAY、彼女の声に合わせて【戦闘携帯】にしてあげてください」
「せんとうけいたい……?」
「肯定です。貴女がヒーローになるための力です。大きな声で、『変身』!!と言ってください」
「えっ……へ、へんしん」

 恥ずかしさから、蚊の鳴くような小さな声。それにスズは首を振る。

「却下です。もっと大きな声でお願いします。貴女が憧れたヒーローのように」
「で、でも……大きな声なんかもうずっと出してなくて……」

 この家に来てからは、泣くとき以外はずっと声を潜めて、姉たちに聞こえないようにしていたから。大きな声で叫ぶなんて忘れていた。つもりだった。

「否定です。貴女は今さっき、UB:LAYに大きな声で感謝をしています」

◆□◆□◆
◆□◆□◆
◆・◆・◆ 
◆□◆□◆
●□●□●

「レイ……頑張って、って言ってくれてるの?」

 UB:LAYの顔のブロックの色が電光掲示板のように変化する。ラディにはそれが激励に見えた。
  
「再開です。貴女の声で、UB:LAYは貴女をヒーローにする力を与えます。あとは、あなたの意志だけです」 
「……!」

 ラディは、自分の纏うぼろぼろの服を見る。こんな格好は、嫌だ。でも、姉たちのような、綺麗な女の子の恰好も、似合わない。笑われるのが怖い。
 だけど、テレビの中のヒーローのようになれるなら。顔も体も装甲を纏い、敵を倒し人を憎まずみんなを助ける存在になれるのなら……


「私は……いや、オレは!お前の力を求める!『変身』!!」


 それは、為った。レイの体がばらばらのブロックになり、ラディの体を覆っていく。頭を、胸を、腕を、足を。灰色と赤で構成された装甲となり、さらに彼女の手には、おもちゃの様に角ばって大きく、それでいて中から実弾以上の力を感じる銃が握られていた。

「素敵です。では行きましょう。案内はスズがします」
「……ああ!」

 彼女は駆けた。助け出し、決別すべき人たちのもとへ。









「ラディ、朝だよー!朝ごはんだよー!起きてよー!」
「んん……今起きるから待って」

 その半年後、家族と訣別したラディはクルルクの住む孤児院で暮らしていた。クルルクのノックに、寝ぼけた声で返事をする。
 ベッドから降りて、パジャマのままドアを開けると半そで半ズボンの上からエプロンをつけたクルルクが立っていた。

「今日は僕が目玉焼き二つ作ったから、早く食べないと冷めちゃうよー」
「……固ゆで?」
「もちろん!だってラディ半熟嫌いでしょ」
「うん。ありがと」

 最初は、また年上の子どもがいてまたいじめられるんじゃないかと怖かった。でも、彼は穏やかで優しく、ラディをいじめもしなければ何かを押し付けることもしない。
 家事は基本ポケモンたちに任せているが、時折こうしてご飯を作ってくれたりする。ラディもたまにマネするが、彼の方がうまい。
 最初は家のことを何もせず住まわせてもらっていることを申し訳なく感じたけど。スズも、クルルクも、まだ子供なんだからそんなこと気にしなくていいと笑った。その笑顔を見ていたら、なんだかそれでいい気もした。
 テーブルに着き、二人とポケモンたちで朝ごはんを食べる。

「今日はメレメレに予告状が届いてるからねー。今日で四回目の勝負だよ」
「じゃあ、今日で二勝二敗に追いついて見せるわ!」
「ふふん、そううまくいくかな?こっちは新技を開発したからね!」
「私だって……レイの力を引き出す戦法を考えたんだから!絶対追いつくわ!」

 子供らしい意地の張り合いがしばらく続く。その後クルルクはちょっと真面目な顔になった。

「……でも、ほんとに無理はしないでね。僕とラディの勝負はこれからずっと続くんだし……ラディがポケモンバトルを頑張って覚えてるの、知ってるからさ」
「わ、わかってる……」

 スズにメレメレを守るヒーローとしての地位を渡されてから、ラディは一生懸命ポケモンバトルを覚えた。もともとあの家で厳しい仕事を強いられてきた彼女は、多少の無茶を無茶と思えない。勉強や特訓のしすぎで熱を出して倒れることもたびたびあった。あの家では誰も看病などせず(アネモネがちらりと見に来ることはあったが、大したことはしなかった)、ただ寝ていればその分仕事を押し付けられなくてよかったから熱などむしろありがたいくらいだったけど。

「僕……心配だよ。ラディとはライバルだけど、妹みたいな人でもあるから」

 今は、クルルクがとても心配してくれる。氷水を持ってきたりおかゆを作ったりしてくれる。それはとても心が温まるけど、同時に病気になりたくないとも思うようになった。

「だいじょうぶ!今は加減を覚えたし……怪盗クルルク、お前は自分が怪我しない心配でもしておくんだな!今日のオレは容赦しないぞ!!」

 怪盗クルルク、のところから声音を変え、ヒーローとしての口調で言い放つ。クルルクはそんな彼女の様子に安心したように笑って。

「ふ……そうだね。メレメレライダーには余計な心配だったね」
「そうだ!オレはこの島を守るために……応援してくれる子どもたちのためにも負けたままでは終わらない!」
「あはは!やれるものならやってみなよ!」
「うん!」

 そういうと、ラディはにっこりと笑った。今の自分はヒーロー、メレメレライダーだ。昔自分がテレビのヒーローにあこがれたように、本物のヒーローになって子供たちを楽しませるんだ。クルルクやスズ、他のキャプテンや島キングとずっとずっと……その時十歳の彼女は、そう思っていた。

 いや、信じていた。 

 

STAGE3-1:スズ、裏々だらけの偶像少女



『出かけてくる、帰ってくるまで私の分のご飯はいらない』

 ラディとマズミが再開した翌朝、クルルクが朝食を取りに行くとテーブルには書置きが残されていた。

「帰ってくるまで……か」

 今までなら夕ご飯までには帰ってくるとか、戻る時間の予定をちゃんと書いていた。彼女の傷ついた顔を思い出し、クルルクはため息をつく。

「ポケモンバトルも僕と同じくらい上手になって、もうずっと心置きなく楽しめると思ってたんだけどな……ラディ、どうしたんだろう」

 私にはずっと続けるのは無理だと、はっきり彼女は言った。一年ほど前からメレメレライダーと呼ばれるのを恥ずかしそうにしていたり、少年っぽい演技をすることにどこか疲れているような気はしていた。だけど、まさかあんなことを言われるなんで思ってもいなかったのだ。
 キッチンに行ってライチュウと朝食を作る。クルルクは目玉焼きを担当し、ライチュウはサラダやシリアルの準備を始めた。ついでにテテフが出てきて冷蔵庫の中の果物を物色する。アシレーヌやラランテスと三匹で食べるためサイコキネシスで何個もふわふわと浮かべていく。

「ラディ、ヒーロー辞めちゃうのかな……子供たちがっかりするんだろうな……」
「……ライ、ライイラ!」
「へっ!? あ、ああごめんごめん!」

 ぼんやり考えていたところを、オイ、クルルク!というニュアンスで呼ばれ意識を戻される。焦げ臭いにおいとともに、目玉焼きは焦げ付き始めていた。慌てて火を切るクルルク。

「あーあ、ラディいないのに固ゆでになっちゃったや……」
「ライィ、ライライ?」
「……んー、そりゃ気になるよ。あんな泣き方してるの初めて見たし」

 口を開けばラディのことを心配している自覚はある。バトルに負けて悔しくて泣くとき、悲しいドラマや漫画を見て泣いたとき、もう三年の付き合いになるので色んな涙を見てきたはずだが、昨日マズミと会ったときの涙はそのどれとも違っていた……ように見えた。
 またぼんやりしそうになるクルルクに、テテフが不安そうに果物を一個差し出してきていた。

「大丈夫だよ。ちょっと焦げたけど卵は十分食べられるし……それよりみんな。今日はラナキラマウンテンに行くよ!」
「!!」

 テテフの目が輝く。ボールの中にいるオンバーン、アシレーヌ、ラランテスもその言葉に反応してクルルクを見た。

「ラナキラマウンテン頂上にあるポケモンファクトリー。壊れちゃったシルクハットを直せる場所だし……そこにいる島クイーン・スズならラディのことで相談に乗ってくれるはずだからね!ご飯を食べたらすぐ出発しよう!」

 ボールの中とテテフから元気のいい返事が聞こえてくる。その間淡々と準備を進めていたライチュウが全員分の食事を出してくれたので、クルルクたちは朝ごはんを食べ始めた。

 

 

 ラナキラマウンテン頂上、ポケモンファクトリーへの道は、現在山の麓から数本のロープウェイが出ているのみだ。昔は徒歩で登っていくこともできたが、現在はその道は封鎖されている。
 しかし、通行にそこまで不便ということはない。何故ならそこへ行く人はめったにおらず、そこから人が下りてくることもまたそうはないからだ。
 クルルクは怪盗としてのジャケット姿でロープウェイに乗り込む。別に何かを盗みに行くわけではないのだが、要件はシルクハットを直してもらうことで怪盗がらみではあるからだ。

「あと、ちょっとあそこは寒いからね……さてライアー、発進だ!」
「ライライアー」

 アイアイサーの返事をして、ライチュウが発進ボタンを押す。クルルクの両隣にライチュウとテテフが座った状態で、ロープウェイが出発した。ゆっくりと動き出すと同時に、中に設置されたテレビが映る。到着までの間、ポケモンファクトリーがどういうところなのかを紹介する内容だ。クルルクは何度か見ているため特に目新しいということはないが、おさらいとしていつも眺めている。

『……ポケモンファクトリーができる前、ラナキラマウンテン頂上はアローラポケモンリーグにおけるチャンピオンを決める場所でした』

 ウラウラの島クイーンであり。アローラの人とは対照的な真っ白な肌、プラチナの髪をした彼女が画面の中で紹介を始める。声ははっきりとしているが、表情はわずかに悲しげだ。

『アローラポケモンリーグの開設によりアローラにはたくさんのトレーナー、バトルを見に来る観光客が訪れ、その影響でポケモンバトルを始める人も増えたことで一時は大いに賑わいました。しかしポケモンバトルをする人が増えすぎたことと、それが世界中で共有されるようになったことは、大きな災いとなってしまいました』

 災い、の部分でテテフはぶるりと体を震わせる。クルルクはそっとテテフの頭の帽子を撫でた。

『ポケモンで無暗に他者を傷つける人が増え、傷ついたポケモンを癒す施設と人員の不足したり。世界単位で実力が競われることになった結果、そのレベルの差についていけなくなり絶望した無気力な若者が続出したり。アローラにおいては、大切な守り神たちに遊び半分で手を出す人が増え、神罰が起こることにより関係のない人まで傷ついたり……様々な事柄がこのアローラを苦しめることになりました』

 昔々の、悲しい歴史を読み上げるスズ。何度聞いても、クルルクにはそれが自分のことのように苦しく感じられた。まるで、自分がそれを直接経験したような気さえする。テテフもライチュウも、難しい顔をしていた。

『ポケモンという力は、不必要にぶつけ合うべきではない。ポケモンバトルという行為は禁止されるべきだ。世界中でそういった声が高まった結果。このアローラでは一つの解決策を打ち出しました。それが、このポケモンファクトリーです』

 ポケモンファクトリーの外観が映る。ラナキラマウンテンの一部を削って立てられた赤いドームは、半分埋まった巨大モンスターボールのようにも見える。かつてポケモンリーグチャンピオンを決める場所が改築され、その役目は。

『一般人のポケモンバトルを禁止した後、アローラで一定以上の力を持つポケモンをすべて監視・管理できる場所としてポケモンファクトリーは作られました。力あるポケモンが人々に害をなそうとした場合、すぐに止めるための機関として』

 クルルクはあまり詳しく知らないが、ポケモンは陸海空そして不定形や霊、多種多様な生態を持ちながらポケモンというくくりの生き物たる所以はやはり同一の力を持っていることが理由らしい。人間がマッチで擦った火とポケモンの技の『火の粉』は限りなく似ていても別物ということだ。ポケモン特有の力が許可なく一定量を超えた場合、すぐにそれを鎮圧できるようになっていたそうだ。

『この施設を中心に少しずつポケモントレーナーは姿を消していき、今では鎮圧の用途は必要なくなりました。しかし、ポケモンバトルが完全になくなってしまうことに大きな不満を持つ人々がいるのもまた事実です。そこで、ポケモンファクトリーには新たな役割が持たれました』

 ここから先は、クルルクも知っているしお世話になっている部分だ。悲しい歴史が終わり、今新しい時代へというテロップとともにスズの顔も明るくなる。

『皆さんご存知の通り、今アローラでは島キャプテンや島キング、クイーンといった限られた人のみが皆さんの前で時折ポケモンバトルを行うようになっています。彼らの持つポケモンは、全てこのポケモンファクトリーで管理・教育を施したものなのです!』
「それと、怪盗である僕のポケモンもね」
「……ライ」

 ライチュウがゆっくり頷く。ラディや自分が持つポケモンたちは、ほとんどポケモンファクトリーから与えられたものなのだ。ラディがメレメレのヒーローとして抜擢された後すぐ高レベルのポケモンが使えたのも、そういう事情がある。紹介はされていないが、クルルクも例外ではない。違いがあるとすれば、それは。

『昔のポケモンバトルはどんな人間・ポケモンがいつどこで戦い始めるかわからない危険な遊びでしたが。今は我々が選定した素晴らしき人達が、力の使い方を教育したポケモン達とともに!決められた場所と時間で、皆様に安全で楽しいポケモンバトルというエンターテイメントを提供できる時代になりました!では到着までしばらく、そんな彼らのバトルビデオをご覧になってください!』

 島キャプテンや島キング・クイーン同士の勝負は予め日時場所がバトルファクトリーに決められている、いわば平和なスポーツ観戦のようなものだ。クルルクは予告状という形で日時を知らせるものの、それは表向きはクルルクが自分の意志で突発的に出した犯行名声であり非日常的な捕り物で。安全である代わりに少し退屈にも思われるポケモンバトルの現状への回答なのだった。
 この後いつもは最近行われた島キャプテン同士のバトルが映るのだが、一瞬画面が暗転したかと思うとまたスズの顔が映った。数年前に撮られたさっきの映像と全く同じ顔だ。

「あれ? 何か補足でもするのかな?」
「否定です。これはリアルタイムの映像です。久しぶりですね、クルルク」
「うわあ!?」

 テレビの中の人が、返事をした。突然のことにクルルクの肩が跳ねる。テテフもびっくりして目を丸くしていた。

「意外です。ただ話しかけただけでここまで驚かれるとは思いませんでした」
「まあ、テレビ電話くらい今どき驚くことじゃないけどさ……スズって、本当に変わらないよね」
「当然です。スズはアイドルですから。アイドルは顔に小じわなどできないのです」
「いやそんなアイドルはうんちをしないのですみたいに言われても……」
「失礼です。スズがロボットだからと言って、女性に対してそのような汚い言葉を口にするのか感心しません」
「あ、ごめん……でも最初からロボットだから変わらないっていえばよかったよね!?」
「気のせいです」

 スズの顔は、クルルクやラディが初めて出会ったときから全く変化していない。それもそのはず、彼女は人間ではないから。傷一つない銀色の髪も、アローラの日に一切焼けていない白い肌も、彫像のように整ったプロポーションも、多少見たり触れたくらいでは全くわからないが人間のそれとは違う。
 安全なポケモンとの暮らしと、ポケモンバトルというエンタメを提供するポケモンファクトリー。それに対する人々の支持を受ける偶像<<アイドル>>が彼女、スズ・ブルーヒルデなのだ。
 
「ともかく、壊れたシルクハットを直してもらいに来たんだけど……でも、僕が今これに乗ってるってなんでわかったの? 」

 穴あきになってしまったシルクハットを取り出して彼女に見せる。スズは考えたあと、ニヒルな表情を浮かべて返事をした。

「回答です。アローラの輝く太陽を見ていたら、あなたが来るような気がしましてね……」
「……ラナキラマウンテン頂上って、たいてい吹雪いてるよね。日がめったに差さないよね」
「肯定です。今日も良い積雪具合です」
「……」
「残念です。固くなった空気をほぐすエスプリの利いた冗談のつもりだったのですが」

 薄いほほ笑みとともにあっけらかんと答えられて閉口するクルルク。こういう言い方をすれば失礼かもしれないが、彼女はすごく人間らしいロボットである。冗談も言うし、空気を読んだ言動もする。感覚がずれているのは否めないが、何も知らない人間が見れば彼女がロボットだといわれても信じないだろう。変わったしゃべり方をしているのは彼女曰く『ロボットとわかりやすくするためのキャラ付け』らしい。アイドルとして公の場所で話すときはかなり畏まった言動もするが、クルルクやラディのようなポケモンファクトリーが選定した人間と話すときはこんな感じだ。

「イライラ……」

 クルルクの調子を外しまくる彼女に、ライチュウが頬から電気を迸らせ威嚇した。

「ライアー、いつものことだしそこまで怒らなくても……」
「こほん。切替です。あなたが来るだろうという予測はしていました。シルクハットが壊れた時の映像は見ていましたから」
「でも、今までロープウェイに乗ってるときに話しかけてきたことなんてなかったよね?」
「肯定です。今日はスズから少し聞きたいことがありまして。……ラディの様子で何か変わったことはありませんか?」
「……!うん、つい昨日のことなんだけど……」

 渡りに船とは正にこのこと。相談しようと思っていたことを向こうから持ち掛けられて、クルルクは素直に昨日ラディとマズミとの会話、及びその時のラディの様子について話した。

「すごく傷ついた顔をしてた……今日も朝起きたらもう出かけてて、まるで僕と顔を合わせたくないみたいでさ……心配だよ」
「感謝です。……しかしラディもクルルクも最初あった時からずいぶん変わりましたね」
「そう? 昨日ラディにクルルクは変わらないよねって言われたばかりなんだけど……」
「否定です。人間は変わるものですよ。特にあなたは──」
「ライ!」

 会話を遮るようにライチュウが尻尾でロープウェイの窓をぱしんと叩く。スズが会話に入ってからずいぶん苛立った様子にどうどう、とクルルクはなだめに入る。スズは意味深にライチュウに微笑んだ。

「……重畳です。あなたがいればクルルクは心配いりませんね、『ライアー』」
「……ライライアー」
「感謝です。スズはサーではなくマムですが。……さて、そろそろ到着です。シルクハットを直すのでしたら第三棟に入ってください。そこでお待ちしています」
「別に盗みに来てるわけじゃないし、バトルなんてしないよ。じゃあ行こうライアー、テテフ!」

 ロープウェイが止まり、ドアが開く。吹雪の冷気が吹き込みクルルクたちの体が震えた。幸いにして、ロープウェイ乗り場からポケモンファクトリーは歩いて一分の距離。テテフが真っ先に飛んでいき、そのあとをクルルクとライチュウが駆け込んだ。第三棟は、左斜め前だ。入ってすぐまた四つの入口に分かれているのはポケモンリーグとしての建物だった名残らしい。
 シルクハットを直してくれるというので工場らしい場所を想像していたのだが──扉を開けたクルルクを待っていたのは、闘技場のリングのような殺風景で見渡しのいい空間と。その正面に立つ変身ヒーローのような赤い装甲をつけた、顔を見なくてもわかる見知った少女だった。

「ラディ……なんでここに?」
「怪盗……クルルク……」

 メレメレライダーとしてのヒーローとしての少し低い少年の声。だけど、昨日マズミに服の装飾を奪われたのを見られて泣いていた時と同じ声。
 思わず彼女に歩み寄ろうとする。普段の怪盗クルルクであれば、メレメレライダーとして振舞う彼女<<ヒーロー>>に不用意に近づくなどまずしない。だがそんな声を聞かされては、ともに暮らすものとして心配せずにはいられなかった。 

「ラディ、どうしたの? 君も何か用が……」
「オレと……オレと、戦え!この前の負けのリベンジだ!オレが買ったら、この前盗んだ『移ろいの靴』は返してもらう!!」

 彼女はモンスターボールを突き付ける。でも明らかに様子がおかしい。
 そもそも先にラディが来ているならなんでさっきスズは自分にあんな質問をした?

「待って、スズと何か話をしたの? なんで突然こんな場所で──!」
「うるさいっ!これはスズが決めたことなの!だから私は……オレは……ヒーローとして戦わなくちゃいけないんだ!ルールはウラウラの決闘ルール、4対4のダブルバトル!出てこい、グソクムシャ!ルカリオ!」
「待って、スズと話をさせて……」
「カッ!!」

 出てきたルカリオから彼女の心の波導が伝わってくる。壊れそうなものを必死に繋ぎとめようという決意。そして、今自分が本気で戦わないとそれが壊れてしまうことも……!

「なん、で……」
「ラァイ!!」
「……っ、どうしていきなり、こんなことに!頼むよライアー、テテフ!」
「……フゥ!!」

 ライチュウが自分に檄を飛ばし、戦闘態勢に入るクルルク。予告状にない新しい戦いが、始まろうとしていた。  

 

STAGE3-2:オレと私の離別戦闘




ラナキラマウンテン頂上、ポケモンファクトリー。ラディのことを相談しに行ったはずの場所で待ち受けていたのはほかでもないアッシュ・グラディウスだった。灰と赤のプロテクターに身を包み、グソクムシャとルカリオを前に出して怪盗クール・ピーター・ルークを倒そうと戦意を露わにしている。

「スズ!いったい何があったのさ!どういうことか説明してくれないと僕も『模犯怪盗』としての振舞いようがないよ!」

 ラディは頑なにクルルクと戦おうとしている。本気で戦わないといけないこともわかる。だがクルルクの本気は怪盗でありながら相手の戦術や状況に模範的な回答で返すことにある。盗む宝も目指すべき状況も提示されていなければ怪盗も回答もない。
 ただ説明を求めてもスズは性格柄答えることはしないと踏んで、クルルクは自分の立場を利用した。

「承諾です。では、手短に。あなたが来るより二時間ほど前にラディはここを訪ねてきました。相談があると言いましてね」

 スピーカーによるスズの返事が部屋に響く。

「曰く、島キャプテンをやめたいと。もう男の子の真似はしたくない……ラディも年頃の女の子ですから。気持ちは無碍に出来ません。だから、クルルクとバトルして。ラディが勝ったらやめてもいいですよと条件を出しました」

 スズは優しいでしょう?とクスクス笑いながら聞いてくる。だがクルルクはそれどころではない。ヒーローのヘルメットを着け、表情を見せないラディに問う。

「本当に、やめるつもりなの? あの時、ずっと楽しくバトルしようっていう約束は……」
「……何年前の話。クルルクは変わらなくても、私は……あの頃の私じゃない」

 ラディはグソクムシャをボールに戻して、身に着けた装甲も解除した。手にしていた銃も分解されていき、無数のブロックが集まってUB:LAY・ツンデツンデになる。

「……ねえ、クルルク。その約束って『メレメレライダー』との約束なの? 『ラディ』と勝負したって、つまらない?」
「それは……」

 クルルクは言葉に詰まる。そもそも今までバトルするときは島の代表者であるヒーローとの戦いだった。孤児院に迎え入れ、妹のように大切に扱ってきた彼女と勝負したことはない。戸惑いを隠せないクルルクにラディは堰を切ったように本心を吐き出す。

「あんなヒーローごっこをしなくたって私はもう戦える! 私はもう男の子の恰好しても区別がつかないちんちくりんじゃない! だから……これからは私のまま勝負する! スズも、それを認めてくれた!」

 勝負は始まってもいないというのに、ラディは肩で息をして紅潮した頬には涙がうっすらと流れている。

「そんな……ヒーローごっこ? ちんちくりん? ラディにとって……僕やほかの島キングたちと戦ってきた日々はそんなものだったの?」
「そうじゃない!でも……でも、私はもう苦しいの! したくない男の子のふりをするのも、それを隠してクルルクと勝負するのも! 私は私のままクルルクに向き合いたいって思うと、胸が苦しくて痛いのよ!」
「……」

 ここしばらく少しラディの様子がおかしいことはわかっていた。だが彼女の抱えていた本心を目の当たりにして思わず絶句するクルルク。

「昔は楽しかった……ポケモンバトルは今でも好きだしクルルクとこれからも勝負はしたいわ、本当よ。だけど……でも……私は!」
「大丈夫ですよ、ラディ。あなたが勝ったなら、スズがちゃんととりなしてあげます。だから今は、彼に勝つことだけ考えてください」

 熱に浮かされながらも、なんとか自分の気持ちを伝えようとするように途切れ途切れに話すラディ。そこでスズが音声で割って入り落ち着かせた。
 クルルクも、少しずつ冷静さを取り戻し模犯怪盗としてラディに向き合う。

「……わかった。もっと早く言ってほしかったけど……なら、いくよラディ。手加減はできないからね」
「いらない! 私は私のままクルルクに勝つ……その後で、話を聞いてもらうから!」

 勝負が始まる。相手の場にはグソクムシャとルカリオ。クルルクは即座にライアーとテテフにアイコンタクトをした。

(テテフの『サイコメイカー』の効果でグソクムシャは『であいがしら』を発動できない。まずはライアーの電撃でそっちを叩く!)

 直接言葉を出さずとも、ライチュウは尻尾にためた電気をグソクムシャに放つ。だがグソクムシャはすでに体を丸め、分厚い装甲で守りの体制に入っていた。先制攻撃ではなく『守る』だ。

「ルカリオ、『ラスターカノン』!」
「戻れテテフ!頼むよヴァネッサ!」

 そしてフェアリータイプのテテフの弱点を突くべく鋼の波導がテテフを襲うのを、クルルクは察知してすぐさま水タイプのアシレーヌに交代した。泡をまとった彼女が代わりに受け止める。効果が今一つであるためダメージは軽微だ。

「テテフを下げられた……」
「メレメレライダーの得意技は本来の速度を無視した先制攻撃が多いからね。テテフの特性は君と戦うためのな強力なカードだ。やすやすと戦闘不能にはさせられないよ」

 グソクムシャ、ルカリオ、そして前の戦いで出たハッサム。速度に優れないポケモン達だが、『であいがしら』や『バレットパンチ』はその認識を凌駕する。道具や技で強化しつつ撃ち込まれる攻撃は銃弾のように速く、重い。それを可能な限り防ぐためにクルルクはテテフを先出ししてすぐ戻した。
 アシレーヌが破裂するバルーンを自分とライチュウの周囲に出して守りを固める。ライチュウはいつでも念力で相手の攻撃をそらせる態勢を取り、背後には先制技を無効化するテテフが控える。

「さあ、見せてもらうよ。ラディのポケモンバトルを!」
「戻ってルカリオ!……お願い、レイ!」
「ツンデツンデ……普通のポケモンバトルで戦うのは初めてだね」

 メレメレライダーとして戦う時はいつも彼女を守る装甲となり、敵を撃ち抜く銃となっていたため、『戦闘携帯』以外では戦うのを見たことがない。だがどういった技で攻撃してくるかは予想がつく。

「得意技はジャイロボールやロックブラストによる遠距離の物理攻撃……ならライアー、『電光石火』!」
「ライライアー!!」
「グソクムシャ、『ミサイル針』!」

 泡の守りから飛び出すライチュウを波導が迎え撃つ。だがその姿が、残像となって消えた。『影分身』だ。一気に横に旋回して──目にもとまらぬ速さ後ろに回り込み──反転してツンデツンデに突っ込んでいき──肉薄し──届きそうになるまで──

「え……!?」
「ラ、ライ!?」

 一向に、ツンデツンデに届かない。近づけば近づくほどスロー再生されているかのように減速していく。驚愕に目を見開くクルルクに対しラディはツンデツンデを見やる。

「これがレイの本当の力よ……『トリックルーム』!!」

 ツンデツンデから放たれる、強烈な空間の歪み。ポケモンではなくフィールド全体に作用し、この効果が維持される限りすべての技の速度は入れ替わる。それはつまり、ライアーの素早さを殺し、かつグソクムシャやツンデツンデの遅さが凶悪な武器となるということで──

「グソクムシャ、『アクアブレイク』!」
「ヴァネッサ、『ハイドロポンプ』!」

思うように動けないライチュウに、水を纏った爪を振り上げるグソクムシャ。それを横からアシレーヌの激流が間一髪弾き飛ばして事なきを得る。
 クルルクはすぐにボールをライチュウに向けて次の手を打つ。

「ライアー、戻すよ!スインドル、任せた!」

本来優れた素早さを持つライチュウやオンバーンはトリックルームの影響下では仇となる。比較的遅めのラランテスとアシレーヌに戦線を託すクルルク。

「ラランテス……なら『シザークロス』!」

グソクムシャが両爪を交差させ、鈍重な一歩を踏み出す。

「……っ!」

 地面が縮んだ。そうとしか認識できない。
 高速でも巨大でもないはずの一歩が『トリックルーム』の効果で一瞬にしてラランテスとグソクムシャの距離を零にする。

「『花吹雪』! 『バブル光線』!」

 打ち合いなど到底望めない、理不尽なまでの遅さに対し大量の花と泡でグソクムシャにたたらを踏ませる。もう一撃斬りつけられれば躱しようもないが──

「随分逃げ腰な戦略ね……!」
「そっちの特性を利用した危機回避といってほしいかな!」

 グソクムシャの体が一気に後退しボールへと戻る。とにかくダメージを与えることで『危機回避』の特性を発動させて凌いだのだ。
 だが、トリックルームを活かせる遅さを持つのはグソクムシャだけではない。

「レイ、『ロックブラスト』!」

 機関銃。体を倒し照準を合わせたツンデツンデから放たれたのはもはや目視不可能な岩の乱射だった。アシレーヌの体がフィールドの奥まで一気に吹き飛ばされる。トリックルームはあくまでも空間の歪みによって技の速度を入れ替える技。どれだけ速い技に見えようとも、威力は本来のものと変わっていない。理屈はわかっていても目視不能の速度と巨大な岩の質量を仲間が受けたことでクルルクの気持ちが逸り、思わず意識がそちらに向かう。

「……ヴァネッサ、すぐに戻って! テテフ、ツンデツンデを警戒するんだ!」
「よそ見をしている余裕があるの!? ハッサム、『シザークロス』!」
「……っ、スインドル、『ソーラーブレード』!」

 ラランテスが両腕を天に掲げ、光を集める。強力な威力を持つ代わりにかなり溜めの時間がかかる技、本来はZ技と併用することで高い威力だけを利用する技だが。

「この瞬間『パワフルハーブ』の効果発動!技の相性は悪いけど、これで攻撃を相殺することが……」
「出来ないわ、先に攻撃が届くのはこっちよ!」
「ハッサムよりもラランテスは素早さが遅いはずだよ!なら今のフィールドなら僕たちの速度の方が勝る!」

 結果は、ラディの言う通りだった。ラランテスが光の剣を振り下ろす前に、ハッサムの鋏が桃色の振袖のような腕を切り裂き、その光を霧散させる。

「スインドル!?」
「私も持たせてたのよ、技の速さ……いえ、遅さを増す道具を!そのまま『なげつける』!」
「『なげつける』……まさか!?」

 ハッサムが鋏に隠し持っていたのは素早さを半減させ、『なげつける』の技の威力を最大限発揮できる『黒い鉄球』。ラランテスの反撃を防ぎ、そのままツンデツンデに対抗するための念力を練っていたテテフの後ろに一気に回り込む。
 さらに、ツンデツンデも自身の体の一部を野球ボール程度の弾に変え、さらにそれを高速回転させる。

「レイ、『ジャイロボール』!……いくらテテフでも、これなら!」

 ゴンッ!!という鈍い音。真後ろから砲丸、正面から高速回転するレイの体の一部を叩きつけられ、悲鳴を上げる暇もなくテテフはばたりと倒れて気絶した。

「……戻って、二体とも」
「どう、クルルク。これが私とレイの……『メレメレライダー』であることをやめた本気の戦略よ!」

 今まではバトルするときは必ずツンデツンデを体を纏っていた。それはつまり普通のポケモンバトルで出せなかったということで。素早さの遅さを先制技でカバーするだけでなく、協力な武器にすらできる『トリックルーム』による戦略が使えなかったということである。

「これで残りはライチュウだけ! しかも『トリックルーム』の発動した状態じゃ誰よりもライチュウは遅いわ! 私の勝ちよ! 私は……私のままでも、クルルクと同じように戦える!」

 ラディの言う通りだ。アローラ特有の進化をしたライチュウの速度を超えるポケモンは数えるほどしかいない。それが逆に枷になる上に、ラディのポケモンはまだ四匹とも戦う余力がある。ダブルバトルである以上、これ以上戦うなら相手二匹をライチュウ一匹で戦わなくてはいけない。絶体絶命というほかないだろう。
 勝ち誇る……いや、訴えるようなラディの言葉に、クルルクは首を振った。

「まだ勝負はついてない。ラディがイヤだったとしても、僕は『模犯怪盗』だからね。こんなピンチも、きっちり切り抜けて見せるさ」
「……クルルクは、やっぱり私がメレメレライダーじゃないとだめなの?」
「少なくとも、他でもないラディに僕たちの戦いをごっこ扱いされたまま黙って負けるつもりはないよ」

 その言葉に滲んだのは、怒りか、あるいは矜持か。その区別をつけられないまま、クルルクはライチュウを出す。

「行くよライアー、この絶体絶命のピンチに対する模犯怪盗を始めよう!」
「そうじゃない……そうじゃないけど……レイ、勝つよ!ここで勝ってクルルクに認めてもらえなきゃ……何も変われない!力を貸して!」

 怪盗になった子供は子供のままあろうとし。ヒーローになった子供は大人へと変わろうとする。昔々から繰り返されてきた御伽噺をなぞる様に、戦いはまだ続く。 

 

STAGE3-3:模犯怪盗の向こう側へ

クルルクとラディと初めてのバトル。ツンデツンデを直接出し、『トリックルーム』で素早さを入れかえる戦術から生まれる異常な速度差によりクルルクは圧倒されて、ライチュウ一匹を残すのみにまで追い詰められていた。

(ラディのポケモンはまだ四体とも残ってる、だけどここまででその四匹ははっきりしてる)

 グソクムシャ、ルカリオ、ハッサム、ツンデツンデ。攻撃力が高く、ライチュウよりも大きく速度が劣るポケモンたち。

「……いくらクルルクでも、この状況から逆転なんて不可能よ! レイが発動させた『トリックルーム』の効果はまだ続く! ハッサム、『シザークロス』!」
「それはどうかな。ライアー、『十万ボルト』!」

 ハッサムが両鋏を交差させる。だがそれよりも遥かに速く──、ライチュウの電撃が、ハッサムの体を感電させ吹き飛ばした。

「え……!? レイ!『ロックブラスト』!」
「ライアー、『影分身』!」

 大砲のように、照準を合わせ岩の砲弾を放つ。だがその速度はクルルクの目にもはっきり見てとれた。瞬時にいくつもの分身を作り出したライチュウの影を撃ち抜くに終わる。
そして本体は、ツンデツンデとハッサムのちょうど中心へ。


「『放電』だ!」

 放射状の電撃は二体に避ける暇を与えず襲い掛かり。ハッサムを戦闘不能に追い込む。

「な……なんで! レイのトリックルームの効果はまだ切れないはず!」
「確かにね、だけどトリックルームの効果を解除する手段が一つだけあるだろう?テテフがゼンリョクで作ってくれた、君の戦術への回答だよ」
「まさか……」
 
 トリックルームを解除する方法、それは。
 【もう一度】トリックルームを発動すること。
 何もできずに倒されたかに見えたテテフが残した、勝利への一手。

「だとしても! テテフはもう戦闘不能よ!グソクムシャの『であいがしら』をエスパータイプのライチュウは耐えられない!」

 新しい戦術の根幹を崩されたラディの表情に焦りが生じる。それでもまだ勝つ方法はいくらでもある。『サイコメイカー』なしの状況で先制の強力な虫技を使えば確実に勝てると、装甲を身に纏ったそのポケモンを出す。

「確かに、耐えられない。でもそれは当たればの話さ」
「そうか、影分身が……」
「まだ分身は四体残っている。その中の本体を当てられたら君の勝ちだ。だけど外したら……逆にライアーの電撃がグソクムシャを襲うよ」
「そんなことを言って惑わせようとしても無駄よ!グソクムシャ!」
 
 グソクムシャがボールから出ると同時に最高速の突進を繰り出す。この状況で一番よくないのはクルルクの言葉に迷い、みすみす先制攻撃の機会を逃すこと。素早い指示からグソクムシャはライチュウに自身の巨体をぶつけるが──それは、影を通り抜けたように、すり抜けた。
 ロックブラストを躱す際に使用した『影分身』が、敗北必至の一撃を覆す。
 そして初撃さえ躱してしまえば。トリックルームの効果さえなくなってしまえば。
 水タイプのグソクムシャと電気タイプのライチュウの相性差は明らかで──
 ラディの表情に、微かな笑みが浮かぶ。

「今よレイ!『トリックルーム』!」

 クルルクは今を好機とグソクムシャを倒すはず、その隙にもう一度発動しなおしてしまえば今度こそ負けはない。目に見えた必勝の一撃をクルルクは必ず回避してくる。模犯怪盗である彼を信頼したが故の罠。

 天井からグソクムシャに突撃を仕掛けようとしていたライチュウにそれを止める術は最早ない。が。
 クルルクの顔に、勝利を確信した笑みが浮かぶ。

「これが君の戦術への本当の【模犯怪盗】だ。『スピードスワップ』!!」
「『スピードスワップ』……?」
「効果は単純、フィールドにいる二体の素早さを入れ替える! 僕が入れ替えるのはライアーとツンデツンデ……この二体の素早さが逆転する!」

 ラディが今まで見たことがない技、クルルクが一度も実戦で使ったことのない技だ。それも当然。滅多に速度で負けないアローラのライチュウが、自分の素早さと相手の素早さを入れ替える技を使う理由など本来皆無と言っていいからだ。
 だがこの時この場所、ラディが初めて『トリックルーム』による戦術を使った状況において。
 最速のライチュウと最遅のツンデツンデの素早さが入れ替わることの意味は甚大だった。
 それはもう、絶対に覆せないほどの速度差がついたということで──

「これで僕の勝ちだラディ!『放電』!」

 ライチュウが力を溜める。

頬袋と尾に電気が溜まっていき、元々黄色いその体が金色に染まっていき。

大きく伸びをして、溜め込んだ電撃全てを放とうとする、その動きは。

 コマ送りのスローモーションビデオのように、異常なまでに遅かった。

「え……?」
「……やっぱり、クルルクはすごいね。あんな状況からでも、怪盗も、回答もできる……初めて会った時から、ずっと憧れだった」

 クルルクに、ラディがほほ笑む。だがおかしい。ツンデツンデとライチュウの速度を入れ替えたうえで『トリックルーム』が発動していれば今こうしてしゃべる間もなくライチュウの電撃は二体を撃ち抜くはずなのに。

「クルルクなら、私のどんな作戦も、罠も、見透かせるって信じてた。だから……」

 ツンデツンデがキューブ状の体をバラバラに分裂させ、無数のブロックとなってライチュウの真上に滞空する。それが自分の体を降り注がせるツンデツンデ特有の『いわなだれ』だとクルルクには看破できる。だが肝心のライチュウはツンデツンデ本来の遅さにとらわれて動けない。

「……ラアアアアイ!!」

 降り注ぐ前に、ぎりぎりでライチュウの電撃が放たれ、ツンデツンデの体を覆う。すでに一撃浴びせているから特防が高くない相手ならこれで倒しきれる可能性もあるはず。だが──キューブ状の体のひとかけらたりとも、戦闘不能にはならなかった。
 
「レイが二回目に発動させたのは、素早さじゃなく防御と特防を入れ替える『ワンダールーム』!これで……終わりよ!」
「!!」

 立方体のブロックが、L型のブロックが、凸型が、凹型が。ライアーの周りに降り注ぐ。ライチュウは必死に体をひねって躱すが、降り積もるブロックでどんどん動ける範囲は狭くなっていく。

「『ワールズエンドフォール』!!」

 最後に長い棒のようなブロックがライアーを押しつぶし──降り注いだすべてのブロックが光り輝き、一斉爆発が起きた。攻撃力も高いツンデツンデの岩タイプ一致のZ技を耐えきるのはライチュウには不可能で──ダブルバトルの決着は、疑いの余地なくラディの勝ちで終わった。
    

「勝った……私の力で、あなたに!」
「……」


息を荒げて、動悸を抑えるように自分の服を握りしめるラディ。心臓の鼓動が部屋中に響きそうなほど興奮している。

「……そう、だね。君の……ラディの勝ちだ」

対するクルルクは力が抜けたように、安堵したように笑った。ラディがヒーローであることをやめてしまうとわかった上で。

「聞いてもいいかな。……どこまで読んでたの?」
「どこまで、って?」

肩で息をしておうむ返しをする彼女は普段の、ここ一年くらいでクルルクに見せていた強張りが溶けた昔のような顔をしていた。

「僕の最後の手持ちがライアーになること。テテフがトリックルームを解除すること。『スピードスワップ』でスピードを入れ換えること。……すべて計算してた?僕がトリックルームを使われる前にツンデツンデを倒しきりにくるとは思わなかった?」
「……そんなこと、わかるわけない。『スピードスワップ』なんて技始めてみたのよ?」

やろうと思えば変化技ではなくライチュウ専用のz技で戦闘不能にしにいくこともできた。それに成功した場合、恐らくはラディに勝ちの目はなかったはずだ。

「……クルルクは、私みたいにやられる前にやるみたいなことはしない。必ず私に『トリックルーム』を使わせた上で勝ちに来るって……今まで勝負してて、そう思った」
「……!」

それは、誰よりもクルルクと一緒にいた彼女にしかできない戦法。そして何より、クルルクを信じていなければできないこと。

「……わかった。ありがとう」

ラディに対して、懺悔でもするように膝をつき頭を垂れる。

「今までのこと、ごめんね」
「……なんで、クルルクが、謝るの?」

「僕は……ラディはだんだん僕のことを避けてるんじゃないかって……嫌いになってるんじゃないかって、不安だった。だから……君に『模犯怪盗』を否定されてしまうんじゃないかって……本気で、邪魔をしてしまった。妹みたいに思ってる、なんて僕に言う資格なんてなかったよね……」
「そんなことない!」

ラディが叫ぶ。喉だけでなく全身を震わせて。

「だって……私だって、私のことなのに自分がどうしたいのかわからなかった!一緒にいたい、あなたみたいになりたい、でもそれを伝えたら……今のヒーローをやめたらクルルクとの日々も終わりになるんじゃないかって……嫌われちゃうんじゃないかって……人前で女の子らしくしようとしたって、笑われるだけなんじゃないかって……いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって、何もわからなくなってた!」

瞳に涙を浮かべて、絞り出すように叫ぶ。

「だから……クルルクは悪くない。私自身にもわからなかった心が、クルルクにわかるはずがないんだから」
「……ありがとう」

クルルクは部屋のモニターに写るスズの方に向き直り、頭を下げる。

「スズ、勝負はついた。約束通り……ラディの願いを叶えてあげて」
「了解です。……あなたも、納得してくれたようで何よりです。正直のところ、勝ち負け以上にラディがどうありたいか気づけるか、あなたがラディの心境の変化を理解してもらえるかが不安でしたから」

人間の感情はままなりませんからねえ、と呟くスズに二人は笑った。なんだかとても久しぶりに、一緒に笑えたような気がした。

「ではラディ、スズはポケモンファクトリーの管理者として約束どおりあなたがメレメレの島キャプテンを辞めることを認めます。……その上で、どうしたいですか? 人前に立つのをやめ、ポケモンバトルの世界から離れ普通の女の子に戻ってもいいですし、あなたが今後もポケモンバトルを続けたいというのであれば、できる範囲で叶えましょう」
「えっと……わたしは……ッ」
「あ、息は整えてからで結構です。どうせ一年待ったことですし、存分に落ち着いてくださいな」

ラディは言われるまま、ゆっくりと深呼吸をする。爆発した感情が収まるのに、たっぷり十五分はかかったが。その間クルルクは勿論、スズも、一言も口を開くことはなかった。

「私は……クルルクに並べるような人になりたい。私らしく、彼のような『怪盗』になりたい……今なら、そうだってわかる」

ゆっくりと、ラディがスズにこうありたいと告げる。

「では……クルルクと共に、これからは二人一組の『模犯怪盗』となりますか?クルルクがそれでいいというならですが」
「……僕は勿論それでも構わないよ。ラディと一緒に夜の退屈を盗むのは、とても楽しそうだしね」

二人はそれを、肯定はしても決定はしない。

「……ううん。そうしたい…ってさっきバトルしなかったら言ってたと思うけど、今は違うわ」
「……聞きましょう」
「私がなりたいのは、クルルクと対等に競える怪盗。クルルクが全ての問題に答える『模範怪盗』とは別の『怪盗』に……なる!」

スズは目を閉じる。しばらく考えるように眉をよせたあと、御言葉を伝える天使のように優しく、そして命じた。

「わかりました……では、あなたはこの地方における二人目の怪盗。クルルクへのスポイラーとしてこの地方のために、貴女自身の表現したいポケモンバトルを皆に見せてください」
「……ありがとう、スズ!」
「ラディがこの一年思い悩んでいるのはわかっていたのでこちらから何か代案を出すこともかんがえていましたが……やはり、あなたが自分から言い出してくれるのを待って正解でしたよ」

クルルク同様、島の代表者同士のポケモンバトルとは違う突発的なエンターテイメントを提供する立場として、そしてクルルクの好敵手としての怪盗に任命する。ラディの望みどおりに。

「さて、では考えないといけませんね。ラディの怪盗としての名前を」

クルルクが『模犯怪盗』を名乗っている以上、それに対抗するラディがただの怪盗では味気ない。そこへクルルクが口を挟んだ。

「それじゃあ……『怪盗乱麻』はどうかな」
「『快刀乱麻』。難しい状況もたちまち捌ききる様……ですね。いいと思いますよ? ラディが憧れた怪盗から名前をもらうというのも素敵ですしね」
「かっこいいと思うけど……どうしてその言葉を?」

ラディの疑問に、クルルクは頷いて答える。

「ラディの名前……グラディウス、は剣を意味する言葉だからさ。剣に関わる言葉でふと思い浮かんだだけだから、全然別のにしてくれて構わないんだけど──」

珍しく気恥ずかしそうに言うクルルクに、ラディは首を振る。

「『怪盗乱麻』グラディウス……うん、私、気に入った。スズ、これでいいわよね?」
「貴女が満足できるのなら、なんら問題ありません──では話もまとまったことですし、しばらくラディはここにいてくださいね? いろいろやることがありますから」
「やること?」
「はい、怪盗として色々教えておくこともありますし、何より必要な衣装や道具を貴女用に作らないといけません」
「衣装……!」

せっかく自分らしく怪盗をやるのに、何から何まで私が用意するだけじゃつまらないですよね?とスズはラディに向けて柔和な笑みを浮かべる。

「というわけでしばらくラディにはこちらにいてもらいますので、クルルクはお帰りくださいな」
「うん、わかったよ。……頑張ってね」

自分と対等の立場を望んだ彼女に言葉をかけて、踵を返す。その背中に、ラディが叫ぶ。

「……ありがとう、クルルク!初めて会った時から優しくしてくれて、何かあったら心配してくれて……今日だって、私のためにここに来てくれたってスズが言ってて……それなのに私、自分勝手で、甘えてばかりで……だけど、これからは!いつでも同じ立場だからね!」
「うん……そうだね。じゃあ、また会おうラディ。次会うときは……お互い怪盗として!」
「ええ!」

クルルクはバトルファクトリーを後にする。ラディがどんな怪盗として自分やアローラの人々の前に現れるのかを楽しみにしながら。そして、形は変わっても自分とラディの関係はこれからも続くことに安堵して、大きく伸びをして、両手を広げた。

「帰ろう、みんな。怪盗になったらラディに負けないように、僕たちも『模犯怪盗』として頑張らないといけないからね!お楽しみはこれからだよ!」 

 

STAGE3-3:模犯怪盗の向こう側へ

クルルクとラディと初めてのバトル。ツンデツンデを直接出し、『トリックルーム』で素早さを入れかえる戦術から生まれる異常な速度差によりクルルクは圧倒されて、ライチュウ一匹を残すのみにまで追い詰められていた。

(ラディのポケモンはまだ四体とも残ってる、だけどここまででその四匹ははっきりしてる)

 グソクムシャ、ルカリオ、ハッサム、ツンデツンデ。攻撃力が高く、ライチュウよりも大きく速度が劣るポケモンたち。

「……いくらクルルクでも、この状況から逆転なんて不可能よ! レイが発動させた『トリックルーム』の効果はまだ続く! ハッサム、『シザークロス』!」
「それはどうかな。ライアー、『十万ボルト』!」

 ハッサムが両鋏を交差させる。だがそれよりも遥かに速く──、ライチュウの電撃が、ハッサムの体を感電させ吹き飛ばした。

「え……!? レイ!『ロックブラスト』!」
「ライアー、『影分身』!」

 大砲のように、照準を合わせ岩の砲弾を放つ。だがその速度はクルルクの目にもはっきり見てとれた。瞬時にいくつもの分身を作り出したライチュウの影を撃ち抜くに終わる。
そして本体は、ツンデツンデとハッサムのちょうど中心へ。


「『放電』だ!」

 放射状の電撃は二体に避ける暇を与えず襲い掛かり。ハッサムを戦闘不能に追い込む。

「な……なんで! レイのトリックルームの効果はまだ切れないはず!」
「確かにね、だけどトリックルームの効果を解除する手段が一つだけあるだろう?テテフがゼンリョクで作ってくれた、君の戦術への回答だよ」
「まさか……」
 
 トリックルームを解除する方法、それは。
 【もう一度】トリックルームを発動すること。
 何もできずに倒されたかに見えたテテフが残した、勝利への一手。

「だとしても! テテフはもう戦闘不能よ!グソクムシャの『であいがしら』をエスパータイプのライチュウは耐えられない!」

 新しい戦術の根幹を崩されたラディの表情に焦りが生じる。それでもまだ勝つ方法はいくらでもある。『サイコメイカー』なしの状況で先制の強力な虫技を使えば確実に勝てると、装甲を身に纏ったそのポケモンを出す。

「確かに、耐えられない。でもそれは当たればの話さ」
「そうか、影分身が……」
「まだ分身は四体残っている。その中の本体を当てられたら君の勝ちだ。だけど外したら……逆にライアーの電撃がグソクムシャを襲うよ」
「そんなことを言って惑わせようとしても無駄よ!グソクムシャ!」
 
 グソクムシャがボールから出ると同時に最高速の突進を繰り出す。この状況で一番よくないのはクルルクの言葉に迷い、みすみす先制攻撃の機会を逃すこと。素早い指示からグソクムシャはライチュウに自身の巨体をぶつけるが──それは、影を通り抜けたように、すり抜けた。
 ロックブラストを躱す際に使用した『影分身』が、敗北必至の一撃を覆す。
 そして初撃さえ躱してしまえば。トリックルームの効果さえなくなってしまえば。
 水タイプのグソクムシャと電気タイプのライチュウの相性差は明らかで──
 ラディの表情に、微かな笑みが浮かぶ。

「今よレイ!『トリックルーム』!」

 クルルクは今を好機とグソクムシャを倒すはず、その隙にもう一度発動しなおしてしまえば今度こそ負けはない。目に見えた必勝の一撃をクルルクは必ず回避してくる。模犯怪盗である彼を信頼したが故の罠。

 天井からグソクムシャに突撃を仕掛けようとしていたライチュウにそれを止める術は最早ない。が。
 クルルクの顔に、勝利を確信した笑みが浮かぶ。

「これが君の戦術への本当の【模犯怪盗】だ。『スピードスワップ』!!」
「『スピードスワップ』……?」
「効果は単純、フィールドにいる二体の素早さを入れ替える! 僕が入れ替えるのはライアーとツンデツンデ……この二体の素早さが逆転する!」

 ラディが今まで見たことがない技、クルルクが一度も実戦で使ったことのない技だ。それも当然。滅多に速度で負けないアローラのライチュウが、自分の素早さと相手の素早さを入れ替える技を使う理由など本来皆無と言っていいからだ。
 だがこの時この場所、ラディが初めて『トリックルーム』による戦術を使った状況において。
 最速のライチュウと最遅のツンデツンデの素早さが入れ替わることの意味は甚大だった。
 それはもう、絶対に覆せないほどの速度差がついたということで──

「これで僕の勝ちだラディ!『放電』!」

 ライチュウが力を溜める。

頬袋と尾に電気が溜まっていき、元々黄色いその体が金色に染まっていき。

大きく伸びをして、溜め込んだ電撃全てを放とうとする、その動きは。

 コマ送りのスローモーションビデオのように、異常なまでに遅かった。

「え……?」
「……やっぱり、クルルクはすごいね。あんな状況からでも、怪盗も、回答もできる……初めて会った時から、ずっと憧れだった」

 クルルクに、ラディがほほ笑む。だがおかしい。ツンデツンデとライチュウの速度を入れ替えたうえで『トリックルーム』が発動していれば今こうしてしゃべる間もなくライチュウの電撃は二体を撃ち抜くはずなのに。

「クルルクなら、私のどんな作戦も、罠も、見透かせるって信じてた。だから……」

 ツンデツンデがキューブ状の体をバラバラに分裂させ、無数のブロックとなってライチュウの真上に滞空する。それが自分の体を降り注がせるツンデツンデ特有の『いわなだれ』だとクルルクには看破できる。だが肝心のライチュウはツンデツンデ本来の遅さにとらわれて動けない。

「……ラアアアアイ!!」

 降り注ぐ前に、ぎりぎりでライチュウの電撃が放たれ、ツンデツンデの体を覆う。すでに一撃浴びせているから特防が高くない相手ならこれで倒しきれる可能性もあるはず。だが──キューブ状の体のひとかけらたりとも、戦闘不能にはならなかった。
 
「レイが二回目に発動させたのは、素早さじゃなく防御と特防を入れ替える『ワンダールーム』!これで……終わりよ!」
「!!」

 立方体のブロックが、L型のブロックが、凸型が、凹型が。ライアーの周りに降り注ぐ。ライチュウは必死に体をひねって躱すが、降り積もるブロックでどんどん動ける範囲は狭くなっていく。

「『ワールズエンドフォール』!!」

 最後に長い棒のようなブロックがライアーを押しつぶし──降り注いだすべてのブロックが光り輝き、一斉爆発が起きた。攻撃力も高いツンデツンデの岩タイプ一致のZ技を耐えきるのはライチュウには不可能で──ダブルバトルの決着は、疑いの余地なくラディの勝ちで終わった。
    

「勝った……私の力で、あなたに!」
「……」


息を荒げて、動悸を抑えるように自分の服を握りしめるラディ。心臓の鼓動が部屋中に響きそうなほど興奮している。

「……そう、だね。君の……ラディの勝ちだ」

対するクルルクは力が抜けたように、安堵したように笑った。ラディがヒーローであることをやめてしまうとわかった上で。

「聞いてもいいかな。……どこまで読んでたの?」
「どこまで、って?」

肩で息をしておうむ返しをする彼女は普段の、ここ一年くらいでクルルクに見せていた強張りが溶けた昔のような顔をしていた。

「僕の最後の手持ちがライアーになること。テテフがトリックルームを解除すること。『スピードスワップ』でスピードを入れ換えること。……すべて計算してた?僕がトリックルームを使われる前にツンデツンデを倒しきりにくるとは思わなかった?」
「……そんなこと、わかるわけない。『スピードスワップ』なんて技始めてみたのよ?」

やろうと思えば変化技ではなくライチュウ専用のz技で戦闘不能にしにいくこともできた。それに成功した場合、恐らくはラディに勝ちの目はなかったはずだ。

「……クルルクは、私みたいにやられる前にやるみたいなことはしない。必ず私に『トリックルーム』を使わせた上で勝ちに来るって……今まで勝負してて、そう思った」
「……!」

それは、誰よりもクルルクと一緒にいた彼女にしかできない戦法。そして何より、クルルクを信じていなければできないこと。

「……わかった。ありがとう」

ラディに対して、懺悔でもするように膝をつき頭を垂れる。

「今までのこと、ごめんね」
「……なんで、クルルクが、謝るの?」

「僕は……ラディはだんだん僕のことを避けてるんじゃないかって……嫌いになってるんじゃないかって、不安だった。だから……君に『模犯怪盗』を否定されてしまうんじゃないかって……本気で、邪魔をしてしまった。妹みたいに思ってる、なんて僕に言う資格なんてなかったよね……」
「そんなことない!」

ラディが叫ぶ。喉だけでなく全身を震わせて。

「だって……私だって、私のことなのに自分がどうしたいのかわからなかった!一緒にいたい、あなたみたいになりたい、でもそれを伝えたら……今のヒーローをやめたらクルルクとの日々も終わりになるんじゃないかって……嫌われちゃうんじゃないかって……人前で女の子らしくしようとしたって、笑われるだけなんじゃないかって……いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって、何もわからなくなってた!」

瞳に涙を浮かべて、絞り出すように叫ぶ。

「だから……クルルクは悪くない。私自身にもわからなかった心が、クルルクにわかるはずがないんだから」
「……ありがとう」

クルルクは部屋のモニターに写るスズの方に向き直り、頭を下げる。

「スズ、勝負はついた。約束通り……ラディの願いを叶えてあげて」
「了解です。……あなたも、納得してくれたようで何よりです。正直のところ、勝ち負け以上にラディがどうありたいか気づけるか、あなたがラディの心境の変化を理解してもらえるかが不安でしたから」

人間の感情はままなりませんからねえ、と呟くスズに二人は笑った。なんだかとても久しぶりに、一緒に笑えたような気がした。

「ではラディ、スズはポケモンファクトリーの管理者として約束どおりあなたがメレメレの島キャプテンを辞めることを認めます。……その上で、どうしたいですか? 人前に立つのをやめ、ポケモンバトルの世界から離れ普通の女の子に戻ってもいいですし、あなたが今後もポケモンバトルを続けたいというのであれば、できる範囲で叶えましょう」
「えっと……わたしは……ッ」
「あ、息は整えてからで結構です。どうせ一年待ったことですし、存分に落ち着いてくださいな」

ラディは言われるまま、ゆっくりと深呼吸をする。爆発した感情が収まるのに、たっぷり十五分はかかったが。その間クルルクは勿論、スズも、一言も口を開くことはなかった。

「私は……クルルクに並べるような人になりたい。私らしく、彼のような『怪盗』になりたい……今なら、そうだってわかる」

ゆっくりと、ラディがスズにこうありたいと告げる。

「では……クルルクと共に、これからは二人一組の『模犯怪盗』となりますか?クルルクがそれでいいというならですが」
「……僕は勿論それでも構わないよ。ラディと一緒に夜の退屈を盗むのは、とても楽しそうだしね」

二人はそれを、肯定はしても決定はしない。

「……ううん。そうしたい…ってさっきバトルしなかったら言ってたと思うけど、今は違うわ」
「……聞きましょう」
「私がなりたいのは、クルルクと対等に競える怪盗。クルルクが全ての問題に答える『模範怪盗』とは別の『怪盗』に……なる!」

スズは目を閉じる。しばらく考えるように眉をよせたあと、御言葉を伝える天使のように優しく、そして命じた。

「わかりました……では、あなたはこの地方における二人目の怪盗。クルルクへのスポイラーとしてこの地方のために、貴女自身の表現したいポケモンバトルを皆に見せてください」
「……ありがとう、スズ!」
「ラディがこの一年思い悩んでいるのはわかっていたのでこちらから何か代案を出すこともかんがえていましたが……やはり、あなたが自分から言い出してくれるのを待って正解でしたよ」

クルルク同様、島の代表者同士のポケモンバトルとは違う突発的なエンターテイメントを提供する立場として、そしてクルルクの好敵手としての怪盗に任命する。ラディの望みどおりに。

「さて、では考えないといけませんね。ラディの怪盗としての名前を」

クルルクが『模犯怪盗』を名乗っている以上、それに対抗するラディがただの怪盗では味気ない。そこへクルルクが口を挟んだ。

「それじゃあ……『怪盗乱麻』はどうかな」
「『快刀乱麻』。難しい状況もたちまち捌ききる様……ですね。いいと思いますよ? ラディが憧れた怪盗から名前をもらうというのも素敵ですしね」
「かっこいいと思うけど……どうしてその言葉を?」

ラディの疑問に、クルルクは頷いて答える。

「ラディの名前……グラディウス、は剣を意味する言葉だからさ。剣に関わる言葉でふと思い浮かんだだけだから、全然別のにしてくれて構わないんだけど──」

珍しく気恥ずかしそうに言うクルルクに、ラディは首を振る。

「『怪盗乱麻』グラディウス……うん、私、気に入った。スズ、これでいいわよね?」
「貴女が満足できるのなら、なんら問題ありません──では話もまとまったことですし、しばらくラディはここにいてくださいね? いろいろやることがありますから」
「やること?」
「はい、怪盗として色々教えておくこともありますし、何より必要な衣装や道具を貴女用に作らないといけません」
「衣装……!」

せっかく自分らしく怪盗をやるのに、何から何まで私が用意するだけじゃつまらないですよね?とスズはラディに向けて柔和な笑みを浮かべる。

「というわけでしばらくラディにはこちらにいてもらいますので、クルルクはお帰りくださいな」
「うん、わかったよ。……頑張ってね」

自分と対等の立場を望んだ彼女に言葉をかけて、踵を返す。その背中に、ラディが叫ぶ。

「……ありがとう、クルルク!初めて会った時から優しくしてくれて、何かあったら心配してくれて……今日だって、私のためにここに来てくれたってスズが言ってて……それなのに私、自分勝手で、甘えてばかりで……だけど、これからは!いつでも同じ立場だからね!」
「うん……そうだね。じゃあ、また会おうラディ。次会うときは……お互い怪盗として!」
「ええ!」

クルルクはバトルファクトリーを後にする。ラディがどんな怪盗として自分やアローラの人々の前に現れるのかを楽しみにしながら。そして、形は変わっても自分とラディの関係はこれからも続くことに安堵して、大きく伸びをして、両手を広げた。

「帰ろう、みんな。怪盗になったらラディに負けないように、僕たちも『模犯怪盗』として頑張らないといけないからね!お楽しみはこれからだよ!」 

 

NEVER ENDING:二人の怪盗

ラディが怪盗になることを決意してから一ヶ月後。アローラに届いた予告状に、四つすべての島が騒然とした。

『今夜八時、メレメレ島の【悪色王の胆石】を怪盗乱麻・アッシュが頂戴させてもらうわ』

 模犯怪盗に続く、新しい怪盗が現れる。島民たちはそれを見ようと各島から集まり、祭りのようにごった返していた。

 そんな光景を、クルルクは町の遥か上空からどこか心配そうに見つめていた。

「いよいよ、か。ラディは時々頑張りすぎるから……この一ヶ月で無理して体調崩してないといいんだけど。怪盗以外にも新しいことの連続だろうし」

 例えば今までは同じ孤児院で暮らしていたが、兄と妹のような関係ではなく競い合うライバルが同じ家で暮らすのは格好がつかないとのことでスズがラディの荷物をまとめて持っていった。アーカラ島の家に住んでいるらしいが、まだ住所は教えてもらっていない。ポケモン達がいるとはいえ、数年ぶりに一人になった孤児院は、少し寂しかった。

「アネモネさんとリュウヤの家の近くらしいけど……うまくやれてるかな、またマズミさんともめたりしてるかもしれないし」
「……ライライ」

 傍らにいるライアーが持っていたオレンの実をクルルクに投げる。
 それを反射的にキャッチしてライアーを見ると心配しすぎと言いたげな顔をしていた。

「そう……だね。僕達に勝って怪盗になったんだ。信じてあげなきゃ」
「ライ」

 時間まではあと少し。クルルクとライアーは満天の星空から双眼鏡で街灯りを見下ろす。自分とともに過ごし、自分の誇りである怪盗に憧れてくれたあの子の活躍を祈って。

 予告された場所はメレメレ島唯一のデパート。その周囲にはやはり大勢の警官が警備しており、猫の子一匹通すまいとしていた。指揮するグルービー警部も、デパート唯一の入り口で目を光らせたり、変装を警戒してか警官同士で、頬をつねり合っている。いつからそうしているのか、頬は真っ赤になっていた。

「はは、ピカチュウみたいだね。ライアーも昔はあんなふうだった?」
「……」

 からかわれたと思ったのか、ライアーにはそっぽを向かれてしまった。ごめんごめん、と謝りながらもう一度デパートを見下ろすと、ふと違和感を覚えた。

「そういえばあのデパート、屋上に煙突なんてあったっけ?」







 

 デパート内部。予告された品は掘り出し物売り場のショーケースの中に収まっていた。
 その中には予告の品以外にも藍色の玉や、濃紫色の壺、古代ポケモンの一部らしい黒いキューブが入っているがあくまで目的は【悪食王の胆石】のみらしい。
 予告時間間際になった今、グルービー警部と数人の警官がガラスケースの周りを見張っている。

「ここまで何も異常なし……俺含め警官の変装もなし……どう出てくる気だ、新たな怪盗め……」

 警部が唸るように呟く。その直後、突如耳をつんざく金属音がデパート中に鳴り響いた。

「なんだ、警報ベルか!?」
「怪盗の襲撃か!?」
「落ち着けお前たち!これは怪盗乱麻の罠だ!どこから来るかわからん、周囲に気を配れ!」

 音そのものはすぐに止んだ。素早い指示のもとガラスケースを取り囲んだ警官達が一斉に前方を警戒し、隙なく周りを見渡す。だが、怪盗はどこにも現れない。ついに予告時間になったその時。


「どこを見ているの?予告された品から目を離すなんて、随分雑な警備」 


 その声は、外からではなく警官達の中央から響いた。全員が振り向く。そこには、まるで忍者の様に黒装束に見を包んだ金髪の少女がガラスケースに座って【悪食王の胆石】を手にしていた。

「なっ……いつの間に!」
「一瞬あれば十分よ。サイドチェンジ、私のポケモンなら簡単だもの」
「何を馬鹿な……いくら高レベルのポケモンとてそんな事は不可能だ!」
「なんで?」

 ショーケースに座ったまま、つっけんどんに聞く少女。

「サイドチェンジという技は、あくまで自分の近くにいるポケモンとの位置を入れ替えるもの。だがついさっきまでポケモンの姿は影も形もなかったし、そもそもこのデパートに不審人物がいないことは全員で確認済みだ!」 

 直接ポケモンを使わない警部とて、ポケモンを操る犯罪者を相手取る以上技の知識は十分にある。その指摘そのものは正しい。少女は口元で薄く微笑む。

「そう。なら今後もこのやり方でいけそうね」
「な……!?」

 聞くだけ聞いて、答えは言わずに去ろうとする。驚く警部に、冷ややかな声で告げる。

「何? 私は模犯怪盗じゃないもの。あなたの疑問になんて親切に答えてあげない。私はどんな状況からでも獲物を盗み出す怪盗乱麻……それだけ覚えてくれればいいわ。じゃあね、間抜けな警部さん」 
「……間抜けは貴様だ!宝を手にしたところで、我々に包囲された状態からどうやって逃げるつも……」
「じゃあ、さようなら。せいぜい次に盗みに来るときには対策の一つでも立てておけばいいわ」

 そう言い残し──怪盗乱麻は、現れたとき同様、一瞬で消え去った。その場に、一欠片の黒いキューブを残して。

 





「ふう……上手く、いったねレイ」

 先の冷淡ですらある態度とは裏腹に、自身の緊張をほぐすようなため息を付き、怪盗乱麻である少女──アッシュ・グラディウスは呟いた。
 瞬間移動で現場から消え去り、今いるのは、デパートの屋上。
 だが、その姿は屋上にいる警備員の目に映らない。
 何故なら彼女のいる正確な場所は屋上の隅の煙突……に、擬装したツンデツンデの中だ。
 
「レイ…体を別々のところで動かすの、平気?」

 ツンデツンデ内部が小さく発光し、マルの形を作る。
 怪盗乱麻として初めての犯行に臨むラディは、クルルクが様子を見に行くよりも、警備が始まるよりも更に早くデパートに潜入していた。作戦の鍵となるのが彼女の相棒、ツンデツンデだ。
 ツンデツンデは巨大な石垣のような姿のポケモンだが、その実態は小さな同じ生き物が集まってできているもの。その特性をラディは大いに利用した。
 犯行を纏めると、このようになる。
 まず昼間に何食わぬ顔で掘り出し物市場に行き、品物を見るフリをしてツンデツンデの一匹を商品に紛れ込ませる。
 そして屋上に向かい、石垣のような姿を前もって決めておいた煙突のような形に変形させ、その中にラディは入り込み、犯行予告時間まで待つ。
 時間になると同時、ツンデツンデがサイドチェンジを発動させ、ラディと商品に紛れ込ませた自分の体を入れ替え──ラディが言うべきことを言い終えた後、再びここに戻ってきたと言うわけだ。
 
「私は平気。ずっとレイがそばにいるんだもの、自分の部屋にいるのと同じよ」

 昼間からおよそ五時間ほどラディはツンデツンデの中で待機しており、狭い空間の中で待ち続けるのは本来尋常ではないストレスがかかるものだが、ラディの表情に苛立ちはない。ひとえにツンデツンデとの信頼関係によるものだ。今も緊張は保ったまま、ツンデツンデの岩壁のような体に優しく手を当てている。
 計画では後は警備員が去るのを待ち、自分の家があるアーカラ島へと帰るだけ、だが。

「まっくろどろぼうでておいでー!でないと警察つきだすぞー! ……うーん、でもどうせ出てきても突き出すからこれじゃ意味ないかな? ツンデツンデはそもそも体全体が目玉みたいなものだからほじくれないしね。とにかくはやくきて〜はやくきて〜」

 屋上に響き渡る、無神経にとにかく思いつくまま口に出しているような声。その内容はラディがここに隠れていることを看破したものだったが、彼女の顔に驚きはなかった。
 ものの見事に現場から退場し、これにて無事初めての怪盗としての活動は終了……とはならないことは、最初からわかっていたこと、むしろここからが怪盗になってやりたいことの本番だからだ。

「かくれんぼしてもお姉ちゃんにはお見通しだぞー!早く出てきてくれないと──煙突ごと潰すからね?」
「レイ、『鉄壁』!」

 無邪気な声とともに、何か巨大なものが鳴動する音。同時にラディの指示でツンデツンデが体を硬化させる。
 直後、お寺の鐘をハンマーで殴りつけたような凄まじい金属音とビリビリとした衝撃がラディを襲う。ツンデツンデは体をいったん分解し、ラディはその中から出て一気に後ろに下がる。

「ラディちゃん、みーっけた!あれ、今は怪盗乱麻って呼んであげた方がいいんだっけ? お姉ちゃんは悲しいぞー。可愛い妹が悪者さんになったなんて……」

 ラディを襲ったのは、水色の髪をした年上の少女。その右腕にはびっしりと深緑色の植物が絡みつき、その植物が伸びる先には巨大な錨に舵輪をくっつけた巨大なポケモン、ダダリン。
 そしてその少女はかつて一緒に住んでいた頃ラディを動く着せ替え人形のように扱って、心にトラウマを植え付けた張本人、マズミだった。マズミはそのことに何も思ってないような、アローラのきつい日差しのように明るい笑みを変わらず向けている。

「……心にもないこと言わないでくれる? いなくなったメレメレライダーに代わる、島キャプテンのマズミ」
「うわっ、よそよそしー。まあ早速始めちゃおっか!あたしのダダリンちゃんも勇気リンリン海のイカリが有頂天だからね!悪い子は海に代わっておしおきだー!」
「……いくよレイ、みんな! マズミに勝って……私は、私らしくアローラの怪盗乱麻になる!」
「『アンカーショット』!!」
「『ジャイロボール』!!」
 
 再び鋼どうしが激突し、ゴングのように金属音がメレメレ島に響き渡る。









「マズミさん……そうか、ラディが島キャプテンをやめたから……」

 無事に宝を盗み出したらしいラディに安堵したのもつかの間、二人の激突を空から眺めるクルルクは今にも二人のところへ飛び込んでいきそうだった。隣のライチュウが制止していなければそうしていたかもしれない。
 マズミとラディの関係はクルルクも知っているし、以前マズミがうちに来てラディを傷つけることをしたのも見ている。会話までは聞こえないが、今も和気あいあいには程遠い状況にしか見えない。
 今回は手出し無用とスズに言い含められているとはいえ、割って入るべきなのでは。そんな焦燥に襲われていると、夜空の向こうからピジョットに乗った青年がやってきた。

「……その様子だと、どうやら来て正解だったようだな」
「リュウヤ? ……どうしてここに?」

 アーカラの島キングであり、マズミやラディの義姉と深い親交がある青年は、相変わらずの平然とした表情を浮かべている。クルルクの問いに、ため息をついて答えた。

「スズの性格を考えると、お前にあの二人の事の成り行きを教えていない気がしたからな……急いで来てみれば案の定、今にも飛び込んでいきそうなお前を見つけた、というところだ」
「この一ヶ月の間に、また何かあったの?」
「ああ。……だが、先に言っておく。今から話す内容を聞いてマズミを許してやってくれとは言わない。あいつも、それを望んでいない」
「どういう意味……?」

 少しの間、リュウヤはデパート屋上で戦う二人を見てしばし沈黙した。三メートルはあるダダリンを藻が絡みついた左手で轟音を鳴らしながら振り回すマズミに、ラディはツンデツンデを盾にして凌いでいる。それはある意味細身のカミツルギを剣とするリュウヤやラランテスの葉っぱカッターをトランプに貼り付けて投擲するクルルクよりダイナミックだった。

「ラディが今俺とアネモネと同じコニコシティに住んでいることは聞いているだろうが……最初はアネモネと関わるのを嫌がった。あいつは自ら訪ねてきて、あまり会いたくないから自分の家には来ないでほしいと。……当然だがな」
「自分を虐めていた、姉の一人だから……だよね」
「ああ、心情はどうあれアネモネが加害者であることに変わりはない。だからあいつも受け入れようとしたが……そこへ、マズミがスズと共に現れたんだ、それから──」

 リュウヤは語り始める。この一ヶ月間で彼女達姉妹にどんなことがあったかを。そして今、どういう関係にあるのかを。







(……私は、この人を絶対に許せない)
 
 デパート屋上。マズミが振り回すダダリンの猛威を、ツンデツンデの体を大きな盾にして守り続けながら気持ちを固める。
 三人の義姉の中でも一番自分を苦しめたのがマズミだし、女の子らしい格好で人前に出ることにトラウマを抱えたのもマズミが自分のドレスをまだ小さいラディに無理に着せて似合わないと嘲笑ったからだ。
 クルルクと一緒に過ごすようになった後も会う度嫌な気分にさせられた。勝手に体を触って好き勝手に大きくなっただのトラウマを傷つけるようなことをしてきた。
 怪盗になると決めてコニコシティに引っ越したときも……わざわざ顔を出しにやってきた。
 
(私の気持ちなんてわかろうともしないで……アネモネちゃんはラディに酷いことしてないから許してあげてって……アネモネ姉さんとリュウヤさんの前で、私に向かって土下座までして……)

 『あたしのことは、一生許さなくていいから。いつでも、どこででも、私のことを罵って頭を踏みつけても構わないから』と。自分を一番傷つけた人が贈る、心に折り合いをつけるための免罪符。
 ……なんて卑怯なのだろう。それを臆病が故に自分を助けず、虐めもしなかったアネモネの前で言われてなお頑なになることなんて出来なかった。
 なし崩しに取り持たれたアネモネとの仲は、ぎこちないながらも大きな問題なく続いている。クルルクのもとを離れた一人暮らしは、彼女の助けが無ければもっと難しかったとも思う。だからこそ、それを助けようとしたマズミが許せない。
 あれだけ自分を虐めて、辱めて、嘲笑った人が──ヒーローであることを辞めたい気持ちに気づき、それをクルルクの前でじゃれつくことで煽り。辞めてしまうことによって空いてしまう島キャプテンの座を代わりに務めることをスズと約束したなどと。
 なんで今更、そう聞いても、マズミは相変わらず何も考えていないような笑顔でこういうのだ。

『だって、こうすればこれからもラディちゃんは私のこと無視しないでいてくれるでしょ? 昔はあたしも子供だったけど今は酷いことをしたってわかるしー、でもだからって許してほしいなんて思わないからさ、意地悪お姉ちゃんのまま、罪滅ぼしができたらいいなーとかそんな感じ!!』

 それ以上、何も聞けなかった自分に彼女はあっさり手を振って去って行ってしまった。今でも、彼女が自分のためにした事についてどう折り合いつければいいのかわからない。それでも。

(それでも私は、ここにいる以上は怪盗乱麻として戦う! 例え世界で一番嫌いな人の助けがあっての今だとしても……これがクルルクと向かい合う為に選んだ、私の本心だから!!)

「さあ、いつまでも守ってばっかりだとあたしも野次馬さんも退屈だよ!怪盗乱麻の力、見せてよ!」

 マズミは砲丸投げの選手のように、ダダリンの遠心力を利用してぐるぐると回転を始める。『アンカーショット』だけではツンデツンデの守りを突破できないと判断してより威力を高めるためだ。
 
「……ええ、それを待ってたわ。レイ、『トリックルーム』!」

 もう、マズミや振り回されて耐えるのは終わり。その決意を込めてラディは叫ぶ。発動された摩訶不思議な空間が、ダダリンを振り回すマズミの動きをスローモーション再生のように不自然に遅くする。

「かーらーだーがーうーごーかーなーいー!おーかーしーいーぞー!?」

 わざとらしく間延びした驚きをする彼女に向けて、ラディは人差し指と親指を立ててピストルの形を作る。

「これが私だけの、全てを断ち切る力……いくよ!レイをこの手に、OVERLAY!!」

 盾になっていたツンデツンデの体がバラバラに分解され、ラディのピストルの形を真似るようにレゴブロックで作ったような拳銃の姿を形づくる。そしてその照準は──ダダリンの錨でもマズミでもなく、それを繋ぐ蔦のような藻。

「『ラスターカノン』!!」

 放たれた弾丸は藻を断ち切り、錨とマズミの繋がりを無くす。それも『トリックルーム』の効果でゆっくりと離れていくが、錨が屋上から飛び出た瞬間一気に早回ししたように吹っ飛んでいき、ハウオリの海へと突っ込んでいった。

「あ、あらららら……」

 そして、ダダリンの重みで回転していたマズミもそれを失ったことで体の制御を失う。いわば遊園地のコーヒーカップから放り出されたようなものだ。ふらふらと回りながら屋上の端へと吸い込まれるように落ちていく。野次馬から悲鳴が上がる──前に、ラディはその手を掴んで止めた。

「……ラディちゃん?」
「……勘違いはしないで。目の前で人が死ぬのを黙って見過ごすのは怪盗のやることじゃないから、それだけ。……自殺ならなおさらよ」

 掴まれたままぽかんとするマズミに、ラディは苦々しげに言った。マズミは今、明らかに自分から屋上から落ちようとした。

「……なんで? あたし、ラディちゃんにたくさんたくさんひどいことしたんだよ? 死んじゃえばいいって、思わないの?」
「思ったわよ、何度も。あの夜も。この前も。……でも、それをやったら、私はスズやクルルクに顔向けできない」

 自分の人生に絶望してベランダから身を投げようとした自分をスズは助け、姉達なんて死んでしまえばいいといいながらそれはいけないことだ思う心をスズは見込んでヒーローと島キャプテンの役割を与えた。クルルクは与えられた役割のために頑張りすぎたり、過去に苦しむ自分にいつだって模犯怪盗として向き合ってくれた。

「……あーあー、ラディちゃんの目の前で落ちれば一生記憶に残るって思ったのになー」
「……うるさい、性悪女」

 目を逸らしていつもどおり嫌われることで関心を持たれようとするマズミをさっさと引っ張り上げる。

「そんなことしなくても、私は一生マズミ姉さんが私にしたことを忘れない。だから、今度合うときも私が勝つから。……またね」
「……ありがとう、ラディちゃん」
「レイ! 引き上げるわ!」

 最後の言葉は無視して、レイを一枚のサーフボードのような姿に変形させる。それに飛び乗り、ラディは怪盗乱麻として、見ている人全てに宣言する。

「私は全ての困難を断ち切る怪盗乱麻! 私に盗み出せない宝はない──よく覚えておくことね!」

 そう言い残し、ツンデツンデに乗って夜空を消えていく。夜空の向こうにはクルルクとリュウヤの姿が見えたが、今日は会うべきときではない。ただ、明日になったらリュウヤに挨拶してから、クルルクの住む孤児院へ行こう。そして、一ヶ月でどんなに自分が頑張ったか話して、私はあなたに負けないと言おう。その為に、まずは夜空に叫ぶ。

「帰りましょうレイ! 私達はこれから───模犯怪盗に負けない怪盗になる!」 








「うん……君からの予告、確かに受け取ったよ」

 夜空にてラディの叫びを聞いたクルルクは体を翻し、孤児院の方角へ向けた。彼女の戦いと言葉で気持ちは十分伝わってきた。今の彼女なら、姉達とも上手くやっていけるだろう。落ちようとするマズミの様子を察知したリュウヤがデパートの下へ飛んでいったのだが、その必要もなかったようだ。

「さて、帰ろうライアー。これからは、忙しくなりそうだしね」
「ライライアー」

 クルルクは夜空を飛びながら両手を広げ、天の星々に向けて自分たちを誇る様に謳う。

「アローラに二人の怪盗あり!模犯怪盗と怪盗乱麻、まだまだお楽しみは終わらないよ!!だって──僕と彼女こそが一番、この関係を楽しみにしてるんだからね!僕達の戦闘携帯〈ポケモンバトル〉はこれからだ!!」

 これで一件落着、この話は終わり。だけど物語は終わらない。ポケモンバトルが禁止された世界でその楽しさを忘れさせないために、まだまだ自分たちの怪盗は続くのだから──

 

 

あとがき

最終話までお読みくださった方、まことにありがとうございます。じゅぺっとです。
『戦闘携帯への模犯怪盗』はこの話で最終話となりますが、彼らの物語はまだ終わりません。

 これからしばらくはポケモンバトルが禁止された世界で人々に高度な戦いを見せる彼らのお話を書こうと思っています。

こちらのサイトにも感想などくれば載せると思います。

 そういうわけで次の長編は『戦闘携帯』シリーズ第二巻として、主人公がアッシュ・グラディウスの物語になります。
 また、『戦闘携帯への模犯怪盗』を読んでいなくても問題なく楽しめる作りにするつもりです。
 
 簡単なあらすじとしては、
『戦闘携帯への模犯怪盗』から約一年後、アローラで活動をしていたアッシュ・グラディウスのもとへ一通の手紙が届く。
 そこにはホウエン地方唯一のポケモンバトルが許される場所・バトルシャトレーヌにある宝玉、藍色と紅色の珠を盗み出してほしいと書かれていた。
 送り主の真意と、ホウエン地方に渦巻くポケモンバトルの闇とは?
 怪盗乱麻アッシュ・グラディウスはどう盗み出すのか?
 元祖怪盗である模犯怪盗クルルクに出番はあるのか?
 こうご期待くださいませ!……とさせていただきます。

 個性的なキャラクターたちの楽しいポケモンバトル、そして人間関係や心情の変化を書いていくつもりですので、よろしくお願いいたします。