魔術QBしろう☆マギカ~異界の極東でなんでさを叫んだつるぎ~


 

第1話 約束は果たすとしよう

――体は白く出来ている
――耳毛は長くて瞳は(くれない)
――幾らかの年月を超えて不老
――ただの一度も希望を与えず
――ただの一度も絶望させない
――彼の獣は常に独り
――(わざわい)の巣で、呪いを狩る
――故に、生涯を知る者はなく
――その体は、きっと獣で出来ていた



 山々の稜線を、光が走っていく。円蔵山(えんぞうざん)の山頂で朝日を浴びながら、英霊エミヤ(アーチャー)は最後の瞬間を待っていた。その体は、既に消滅の間際だ。それにも関わらず、胸の内を満たすのは安らかな満足感だ。
 その理由は、眼前に立つ自分を召還した己が元マスターである少女、遠坂(とおさか)(りん)と、そして自分たちは別人だと叫び、無様で尊い戦いの果てに自分に勝利したかつての自分(えみやしろう)のおかげだろう。

――まったく、つくづく甘い
 心底からそう思う。初心である自分殺しは達成できず、逆にその相手を救っていながらこうも心穏やかでいられる自分が。そして、二度も裏切った自分のことを今尚気に掛けてくれる凛が。これこそ、彼女曰く“心の贅肉(ぜいにく)”に他ならないだろう。
 もっとも、それがあるからこそ、自分は彼女に憧れたのだと思う。心根の甘さと、圧倒的な才能と、多大なうっかりを持つ、この赤い魔術師に。

「凛。私を頼む。知っての通り、頼りない奴だからな。君が支えてやってくれ」
 だからこそ、この時代の衛宮(えみや)士郎(しろう)を彼女に託す。彼女がいてくれるならば、彼は自分と同じ道など歩むまい。その道へ足を踏み入れても、凛がガンド1発で別方向に連れ出してくれる。
 そんなアーチャーの言葉を、凛はどう受け止めたのだろうか。暫しの間視線を外すと、涙の浮かんだ瞳のまま笑顔を作ってみせた。

「うん、わかってる。わたし、頑張るから。アンタみたいに捻くれたヤツにならないよう頑張るから。きっと、あいつが自分を好きになれるように頑張るから……!」
 自分を鼓舞するかの様な泣き笑いで、真摯な想いが口にされていく。その姿を、アーチャーは素直に美しいと感じた。誰かのために、誰かを救うために浮かべる笑顔。改めて思い出す。自分は、誰かを救う姿が綺麗だったから、この笑顔を浮かべたかったから、“正義の味方”に憧れたのだということを。

「だから、アンタも……」
 昂った感情が声を詰まらせたのか、そこで凛の言葉は途切れた。それでも、構わない。彼女の想いは、言葉を超えて伝わっている。
「答は得た」
 だからアーチャーは、その想いに応える。
「大丈夫だよ遠坂。俺も、これから頑張っていくから」
 その1つの約束とともに、アーチャーは現世を去った。その時に浮かべた笑顔が、自分の望んだ笑顔であることを願いながら。

 そして、アーチャーの殻を捨てて現界を止めたエミヤの精神は、英霊の座へと引き戻されていた。きっと、座に戻ればこの聖杯戦争での出来事は、記憶でなく記録となるのだろう。自分が得た答も、感情を伴わないただの知識と化してしまうのだろう。
 それでも、大丈夫だと思った。例え今の自分が感じているものが一時のものであるとしても、その記録が座にいる本体に刻まれるのであれば、きっと自分は頑張っていける。その未熟だったころの自分の様な楽観的な考えに、不思議とエミヤは確信を持っていた。

「……?」
 しかし、その途中で怪訝に思う。確かに座へと向かっていたはずの自分の精神が、いつの間にか現世へと逆戻りしているのだ。しかも、どうやら聖杯戦争のサーヴァントとしてでも、守護者としてでもないらしい。
<貴方に、お願いがあります>
「っ!?」
 突然、声が聞こえてきた。そのことに、心底から驚愕する。その声が、何処から聞こえてきたのかはわからない。声の調子からして、少女のものらしいことがわかる程度だ。しかし、現世と英霊の座を繋ぐこの場は座と同様に現世の空間や時間から隔絶されている。そんな場所に、一体何が声を届けられるというのだろうか。

<お願いしてもいいですか?>
「何者だ?」
 質問に答えず、逆に問い返す。未熟だったころならばまだしも、正体不明の相手からの問い掛けに答える義理はない。姿の見えない相手を探りながら、返答を待った。
<ごめんなさい>
 一拍おいて、声の主が言葉を返してくる。
<今はまだ、貴方に私のことを詳しく話せないんです>
 心底申し訳なく思っているのだろう、その声音は何処か沈んでいた。

 そこで、ふと気が付く。今聞いているこの声の気配に、覚えがあることを。
――そうだ、この声、音自体や雰囲気はまるで違うが……
 それは、摩耗した記憶の果て、遥か遠き生前の日。世界からの契約を求められた時、“アラヤの抑止力”からの呼び掛けと気配がよく似ていた。しかし、似ているだけで完全に同じではない。即ち、この声の主はアラヤの抑止力と似て非なる存在。それに該当するものは、エミヤの知る限り1つだけだ。
「お前は、“ガイアの抑止力”なのか?」
<いいえ>
 しかし、エミヤの推論はあっさりと否定された。

<でも、あえて言うんでしたら、“マギカの抑止力”っていうところでしょうか?>
「マギカ?」
 聞いたことがなかった。怪訝に思っていると、弱腰気味に言葉が続けられる。
<その、私、抑止力としては新人で……>
「いや、抑止力に新人もクソもあるのか?」
 思わず突っ込む。抑止力とは、世界を存続させるための安全装置だ。エミヤが知っているのは人類の破滅回避のためのアラヤと星自体の生命延長のためのガイアの2つであるが、それに新しく加わった抑止力ということだろうか。
<その辺りは、色々複雑な事情があるんです>
 その言葉には、かなりの重みを感じた。軽々しく話せることではないということか、それとも先程言った様に自分のことを詳しく話せない事情があるためか。

<……その、私の方の質問にも答えてもらっていいですか?>
「む、それは構わないが」
 そう答えた後で、疑問に思ったことを続ける。
「願いがあるといわれても、そもそもそれがなんなのか知らなければ答えられないんだが?」
<あっ>
 今気付いたとばかりの声に、エミヤは溜息をついた。抑止力という割には、威厳も貫録もまるでない。何よりも、やたらと人間臭い。新人だからといえばそれまでだが、どうにも調子が狂う。
<じゃあ、言いますね>
「とりあえず、聞くだけは聞こう。言ってみたまえ」
 では、と、マギカの抑止力は願いを口にした。

<助けてほしい人たちがいるんです>
「何?」
 意外な言葉に、思わず聞き返す。
「抑止力ともあろう者が、特定の人間の救済に手を出すのかね?」
<特定といえば、確かに特定なんですけど……その人たちを助けることで色んな時代の色んな人たちを救えるかもしれないんです>
「くっ、それはまた壮大だな」
 苦笑が漏れる。抑止力が絡むだけに、それなりにスケールの大きい話の様だ。鵜呑みにできる話ではないが、無視もできない。

<信じられないかもしれませんけど、本当のことなんです>
「……ふむ」
 声の調子に、少し力が入れられた。その声音に、何かが引っ掛かっる。
「その人物たちに、何か思い入れでもあるのかね?」
<っ……>
 息を呑むような気配が伝わる。抑止力に呼吸という概念があることにも驚きだが、そもそもここまで感情表現豊かな抑止力というのもどうなのだろう。
<……はい>
 益体のないことを考えていると、肯定の答えが返された。それについて、ふと考えてみる。

「それで、そもそも何故私に頼むのかね?」
 そこがよくわからない。ガイアやアラヤに比肩し得る、少なくとも抑止力を名乗れる存在である以上、手駒くらいはあるだろう。何故別種の抑止力、霊長の守護者である自分に助力を乞うのだろうか。
<その、ですね……>
 何処かばつの悪そうな声で、マギカの抑止力は答える。
<私、部下みたいな人がいないんです>
「……は?」
 思わず、間の抜けた声が出た。耳を疑い、次の言葉を待つ。
<えーと、私、さっきも言いましたけどガイアさんやアラヤさんに比べるとずっと新人で、精霊種とか守護者とか、そういう直接的に行動してくれるタイプの部下の人がいないんです。役目がある時は、自分でやりに行ってますから>
 その告白には、開いた口が塞がらなかった。つまり、マギカの抑止力というカウンターガーディアンは、この声の主以外に存在しないらしい。分身を送り出すことくらいはできると思うが、抑止力とは単体で成り立つものなのだろうか。そして、ガイアやアラヤはさん付けするものなのだろうか。

<私、抑止力としての仕事がすごく限定的で、その分世界への干渉もすごく限られているんです>
「だから、別の抑止力の力を借りたい、と?」
<それだけじゃないんです>
 言って、マギカの抑止力が少しの間を置いた。
<何よりも、貴方が自分でない自分の可能性を信じた人だったから>
 その言葉に、眉が反応する。
<自分とは違う生き方を、もう1人の自分に示してあげられた人だから>
「それは、他にも自分でない自分を持つ人物に心当たりがあるということかね?」
<……はい>
 弱々しく返された肯定の声に、なんとなく察しがついた。
「それが、君が救ってほしい相手の中にいるわけか」
<……すっかり、お見通しみたいですね>
「これだけ聞けば、見通すなという方が無理だと思うがね」
<そうですね>
 マギカの抑止力が苦笑したように言った。

<これは、私のわがままなのかもしれません>
 自嘲気味の声で、新人の抑止力は語る。
<その人が出した決断は、間違ったものじゃないって、そう思ってます>
 けど、とマギカの抑止力は続けた。
<その人が別の選択をしたら、他の形で皆を救う選択ができたら、そんな世界も見てみたいなって、そう思ってしまったんです>
 そこまで語られると、そこで声の調子が少し変わった。
<そんな時、貴方のことを知りました。自分の過去と対峙して、過去の自分がこれから歩いていく道に希望を見出した貴方なら、きっとその人たちの新しい希望になってくれると思うんです>
 僅かに熱を感じさせる声の調子に、苦笑を漏らす。
「抑止力ともあろう存在にそう買われるとは、私も捨てたものではないな」

 言って、聞くべきことを確かめる。
「君に力を貸したとして、私は私として行動できるのかね?」
 それだけは確認しなければいけなかった。霊長の守護者の様に、己の意思もなく動く触覚などは願い下げだ。
<それは大丈夫です。皆には、貴方自身に会ってほしいですから>
 つまり、守護者の様に意思を剥奪されはしないらしい。そのことに、思わず安堵の息をつく。
「魔術の方はどうなる? 別種の抑止力として派遣されるとなると、力の行使に影響は出ないのか?」
<そうですね。貴方に行ってもらいたい世界に魔術は存在しませんが、使うだけなら問題ないようにできます。ただ、固有結界、でしたっけ? あれを展開すると、どうしても修正力が働いてしまうと思います>
「そうか」
 仕方がないといえば、仕方がないだろう。通常、固有結界の展開には世界からの修正力が常に働く。英霊であるエミヤは世界の一部となっているためにそれを免れているが、本来とは別の抑止力によって人間性を与えられるというイレギュラーの中ではそうはいかないらしい。

「救えというが、具体的には何をどうしろというのだ?」
<ある女の子たちに、手を貸してあげてほしいんです。どうすればいいかは、きっと自然にわかっていくと思います>
「それはまた、アバウトだな」
 曖昧な説明に軽く呆れると、<ごめんなさい>と謝られた。
「では、最後の質問だが」
 一息おいて、尋ねる。
「私で力になれるというのかね? 正義の味方になりそこなった掃除屋に?」
 皮肉を利かせて尋ねてみれば、優しい声で返答を受けた。
<貴方だからこそですよ。掃除屋になっても、正義の味方を頑張っていくって笑うことのできた貴方だから>
「くっ、了解した」
 そこまで言われれば、自分の答えは1つだ。

「わかった。私に何ができるか知らんが、力を貸すとしよう」
<本当ですか!?>
 気色に満ちた声に、何度目かの苦笑いが浮かぶ。
「そこまで期待されたのなら、その期待に応えるのも悪くはなかろう」
 それに、と付け加えて言葉を続ける。こんな時に、あの未熟者ならばこう言っただろう。
「救える者がいるのであれば、救うのが当然ではないかね?」
 そう皮肉気に笑って見せた。少しの沈黙が流れ、やがて穏やかな声が返ってくる。
<やっぱり、貴方に頼んでよかった>
 その言葉が終わるが早いか、強い引力を覚える。どうやら、現世へと送られるらしい。マギカの抑止力が救済を望む人々のいる世界へ。

<今からあなたを送る世界は、貴方が生きてきた世界と似ているようで全く異なる世界です>
 頷く。そもそも、魔術が存在しないという時点で別物だろう。
<そして、その世界では私は全く干渉できません。というか、私が干渉しないからこそあり得る世界ともいえるんですけど>
 さもありなん。言っていることは完全には理解できないが、そもそも自身で干渉できるのならばわざわざ自分に助力を乞わないだろう。
 そうして話している間にも、自分が現世へ近づいていることを実感していく。

<あ、それから言い忘れてました>
 今にも現界しようというその時に、マギカの抑止力が言った。その声音に、何やら嫌な予感がする。どうにも、そこから感じられるのはあかいあくまのうっかりと同質のものに思えてならない。
<向こうへ行くと、貴方は人間の姿じゃなくなっていると思います>
「……なに?」
 そして、あっさりととんでもない事実が告げられた。
<詳しいことは、解析の魔術というものを使ってもらえばわかると思いますから>
「いや、ちょっと待て! 人間の姿ではなくなるって、一体何になるというんだ!?」
<大丈夫ですよ、見た目はとっても可愛いですから>
「ちょっと自信あり気に言うな! 余計不安になるわ!」
 本人に悪気はなさそうだが、それがかえって始末が悪く思える。
<えーと、説明しにくいですから、詳しくは着いてからのお楽しみということで>
 可愛い声に似合わず無慈悲な宣告に、愕然とせずにいられるだろうか。そうこうする間にも、とうとう現界の時間が来てしまう。
<それでは、皆のことをお願いします。いってらっしゃい>
「な、なんでさー!」
 そして、マギカの抑止力の言葉を背に、かつての口癖を叫びながら、エミヤは新たな世界へと旅立った。この上なくシュールな旅立ちだった。



「むっ」
 小さく呻きながら、眼を開く。最初に目に入ったのは、コンクリートの床だった。次に視界に移るのは、鉄の柵と何棟かのビル、そして空。そこで、どうやら何処かのビルの屋上にいるらしいことと、そういえば聞いていなかったがこの世界が以前の世界とそう変わらない時代であることを確認する。
 しかし、今はそれよりも気に掛かることがあった。
「何故こんなに目線が低いんだ?」
 呟いてみると、口から出た声は女性の様な高い声だった。更に言うならば、自分が今4本足でしゃがんでいることも気になる。しかも、その体制にまるで違和感がない。ついでにいうのならば、耳のあたりから生えているらしき手のような感覚で動かせる毛の様なものはなんなのだろうか。

 嫌な汗が体に浮かぶのを感じる。それを必死に堪えていれば、視界の隅に昇降口と、銀に光る窓が映った。それは半ばマジックミラーの様になっているらしく、ほとんど鏡の様に周囲の光景を映している。恐る恐るそこに近づき、意を決してそれを覗き込む。
「……な、ななな」
 すると、ガラスの向こうから、白い猫に似た、ぬいぐるみの様な生き物がこちらを見返してくるのだった。
「なんでさああああぁぁぁぁ……!」
 本日2度目の英霊の叫びは、天をも揺るがす程だったかもしれない。

「――解析、開始(トレース・オン)
 落ち着いた後、エミヤは自分の体を解析した。そして、自分がインキュベーターという地球外生命体になっていることを知る。本来ならこの生物に存在しないはずの魔術回路があること、それも本来の自分と同じ27本あることは、恐らくマギカの抑止力によるものなのだろう。
「それにしても……」
 解析を進める中で、このインキュベーターという生物の役割を知っていく。いや、その在り方は生物というよりも機械に近いだろう。

 この体の最大目的は、宇宙の寿命を延ばすことだ。時を追うごとに目減りしていく宇宙全体のエネルギー量を賄うために開発された、感情をエネルギーに変えるシステム。生物単体から、その生存に必要なエネルギーよりも膨大なエネルギーを抽出することができる画期的な仕組み。希望が絶望へと変わる、その時に感情が起こす変動をエネルギーに変える無慈悲な技術。それを用い、インキュベーターの属する星の者たちは宇宙のエネルギー危機を救おうとした。
 しかし、そこで問題が生じる。それは、開発した彼ら自身に感情というものがなかったためだ。そのため、彼らはこの地球の人類に注目した。その中でも、特にエネルギー収集に効率がいいとされたのは、第二次性徴期の少女たちだ。

 インキュベーターは、彼女たちの願いを叶えるという奇跡と引き換えに、彼女たちを“魔法少女”と呼ばれる存在へと変える契約を交わす。魔法少女となった彼女たちはその魂を“ソウルジェム”と呼ばれる宝石へと変えられ、そこに詰まった希望をエネルギー源に魔法という力を行使する。そして、ソウルジェムは魔法を使う毎に、あるいは魔法少女たちが負の感情をため込む程に黒く濁っていく。その濁りが限界に達した時、ソウルジェムの希望は絶望へと変わり、ソウルジェム自体も“グリーフシード”と呼ばれる呪いの塊と化す。グリーフシードとなった魂は人間としての記憶も感情もなくし、“魔女”と呼ばれる怪物へと変貌してしまう。それこそが魔法少女の行きつく先であり、そこへ導くのがインキュベーターの役目。
 願いを叶えるという甘言を用いて年端もいかない少女たちを誘惑し、宇宙を延命させるためのエネルギー資源として利用する命ある機械。個体ごとに意思を持つのではなく、全体で1つの意識を共有して行動する生体端末。それがインキュベーターだ。

「えげつないな」
 宇宙という大いなる存在を、そのスケールから見れば(ちり)にも等しい犠牲で延命させる。それは1を捨て9を救ってきたエミヤの人生に似ているかもしれない。しかし、今のエミヤは、それにはっきりと嫌悪感を抱いていた。
 そのことに気が付き、思わず笑いがこぼれる。これも、あの聖杯戦争で答を得た影響だろうか。
「しかし、魔法少女か」
 何やら、異常に不吉に感じるフレーズだ。生前に何かあった様な気がするが、恐らく気にしない方がいいことだろう。「あはー」という独特な笑い声の幻聴がするが、即刻忘れるべきに違いない。とりあえず、誰かにその名の役目を押し付ける存在にろくな者はいないということの様だ。

 不意に、背後に気配を感じる。
「急に精神共有(リンク)が途切れたけど、一体どうしたんだい?」
 今の自分の声と、全く同質の声が聞こえた。振り向けば、先程窓に映した自分と寸分違わない姿の生物がそこにいる。
「インキュベーターか」
「? 君もそうだろう」
 首を傾げながら聞き返されるが、その声にはまるで感情というものが感じられなかった。それでいて、確かに疑問に思っているだろうことはわかる。ここまで感情を伴わずに思考できる存在を前に、エミヤは妙な感心を抱いた。

「ああ、なるほど」
 益体のないことを考えていると、何やら目の前の相手は勝手に自己完結をする。
「つまり、君は精神疾患に(かか)ったんだね」
 精神疾患――インキュベーターたちの間では感情はそう扱われていることは、解析により知っていた。それに思い至ると同時に、エミヤは改めて今の状態に気付く。どうやら、自分はインキュベーターになったというよりも、インキュベーターの内の1つの活動機能を乗っ取っている状態にあるらしい。いや、魔術回路まで搭載されているのだから、むしろ改造というべきか。
 相手に自意識があるのなら罪悪感の1つも覚えたかもしれないが、この種族の場合種族全体で1つの体の様なものなのであまりそういう気にならない。

「やれやれ、それじゃあ君は処分しないといけないね」
 実際には何も思っていないだろうに、面倒そうな声を上げてインキュベーターがこちらに耳毛を伸ばしてくる。
「くっ、感情を持ったと判断すれば、いきなりそれかね?」
「当然だろう? 僕たちは魔法少女と契約し、エネルギーを採取しなければならないんだから」
 別の方向から、目の前の相手と同じ声が掛けられる。
「精神疾患を持つ個体なんて不安定な存在を放置するリスクは、冒す意味がないと思うな」
 見回せば、何処から現れたのか新たに2体のインキュベーターがこちらに耳毛を伸ばしていた。なるほど、インキュベーターはそれぞれ全くの無個性な存在。その力が全く同一である以上、その処分には多数が集まる必要があるわけだ。そして、それには3体もいれば十分と判断したのだろう。
 普通ならば、その考えは間違いではない。ただ、今回はその“普通”ではなかった。

投影開始(トレース・オン)
 舌に馴染んだ呪文を詠む。次いで、体内の魔術回路に魔力が巡り、蠕動(ぜんどう)する。悪寒を伴う苦痛に耐えながらも、心は静かに思考を重ねていく。
――基本骨子、解明
――構成材質、解明
全工程完了(トレース・オフ)
 その言葉を告げた時には、耳毛に二振りの中華剣を握っていた。もはや自身の一部の様に身体に馴染んだ、白と黒の夫婦剣、“干将(かんしょう)莫耶(ばくや)”だ。
 突然武器が出現したことにインキュベーターたちが驚いた様子を見せるが、それに構わず行動を起こす。

 最も近くにいた最初のインキュベーターを干将の一撃で唐竹割りにし、莫耶を最も遠い位置に立つインキュベーターへ投擲した。白刃が獲物を貫く瞬間を見るより先に、残ったインキュベーターが自身と莫耶を繋ぐ直線上になる位置まで駆ける。
 そして、互いに引き合う夫婦剣の性質が発揮され、莫耶が宙を舞って干将の許へ、即ちエミヤの許へと飛んでくる。当然、それは途中にいるインキュベーターを貫くコースだ。
 最後のインキュベーターは間一髪で莫耶の刃をかわすが、それは想定内のこと。よけた方へと干将の一太刀が閃き、インキュベーターの首を飛ばした。

「ふむ、どうやら投影も宝具も問題なく使えるようだな」
 口に出し、確認する。もはや投影のための詠唱すらいらない程に手慣れた陰陽剣だったが、今の自分は本来の身体ではない。念のために呪文を詠唱し、制作プロセスを踏んでじっくり投影したが、剣製自体はサーヴァントだった頃と特に変わらないようだ。干将・莫耶の能力も変化は見られない。他の宝具がどうかは未知数だが、それは後で試していけばいいだろう。
「しかし、やはり身体が変わってしまっているのは痛いな」
 苦々しい思いで言葉を吐く。この貧弱な肉体では、強化したところで高が知れている。何よりも、構造自体が全く変わってしまったことが厄介だ。自分の戦闘経験は、当たり前だが2本足の人間の身体であることを前提としている。4本足の小動物では、とても十全には活かせないだろう。腕代わりになっている耳毛については、自由関節な上にかなり長く伸びることが魅力といえば魅力だが、使いこなせるまでに時間を要するだろう。

「全く、問題だらけだな」
 溜息を吐く。自身の経験が当てはめにくいひ弱な身体な上に、救うべき対象が何処の誰かもわからない現状。正直に言って、アクションに困る。
 少しこの状況の一因だろうマギカの抑止力に恨みを向けそうになるが、苦笑とともにそれを引っ込めた。想定外にも程がある事態なのは確かだが、どの道あのまま座へと帰還したところでただの記録になるしかなかった身だ。それならば、多少の苦労はあっても人格を持っている現状はそう文句を言えたものでもない。答を得た、その時のままの気持ちで再び歩いているのだから。
「それに、約束はしてしまったからな」
 自分の主だった赤い少女には、これからは頑張っていくと。自分をこの場へ導いた抑止力には、彼女の救いたい者たちを救うと。
「ならば、約束は果たすとしよう」

 そこで、おもむろに空を仰ぎ、宣言する。
「悪いがね、インキュベーターたちよ。君たちの計画は邪魔させてもらおう」
 このインキュベーターという生物の役割を考える限り、マギカの抑止力の言っていた少女たちとは魔法少女のことに間違いないだろう。問題はそれが誰かということだが、自然とわかると言っていた以上現在地から遠い場所にいることはないと見ていい。
 そして、魔法少女を救うのならば、インキュベーターたちの思い通りにさせていいはずがない。
「貴様らのやり方は、ああ、確かにいつかは宇宙の多くの者を救うのだろうさ。だが、その過程でどれだけの命が理不尽に奪われる? どれだけの者が絶望に沈む?」
 知らず知らずの内に、声に怒りがこもっていた。そのことを自覚し、エミヤは不思議なものだと思う。聖杯戦争前の自分なら当然だと思っただろうに、まるであの未熟者の様ではないか。何よりも、それを悪くないと思ってしまうのだから、我がことながらつくづく理解しがたい。

「だから、私は貴様らに弓を引くことにしよう」
 言いながら、聖骸布の外套を投影する。体自体がサイズも形状もかなり変わっているため、投影品も以前のコートタイプではなく完全なマントタイプに形状を構成しなおした。
「何故なら、私の名は“孵卵器(インキュベーター)”などではなく」
 それを羽織りながら、英霊エミヤの意思と能力を持つインキュベーターは最後の言葉を言い放つ。
「“正義の味方(えみやしろう)”なのだから」

 この時、裏切り者にして最強の孵卵器、“しろう”が誕生した。

~続く~ 
 

 
後書き
 以上、今回はここまでです。

 アーチャーと正体ばればれでしょうがマギカの抑止力の口調、再現にすごい苦労しました。似てないと思った方はごめんなさい。

 まどマギの方はともかく、型月の設定は把握しにくいものが多いので、おかしいと思う所がございましたらどしどし指摘いただければ幸いです。

2013/01/08 一部修正
2013/04/13 一部修正

 それでは、また次回。 

 

第2話 これだけは伝えておこうかな

 風景が不気味に歪んでいる。ありえざる光景が、周囲に満ちている。
 幾つもの通路や階段が、エッシャーの騙し絵の如く三次元の法則を無視して配置されていた。壁という壁には、抽象画の様な模様が毒々しく描かれていた。中空には、無数の意味不明な記号が浮かんでいた。

 ここは魔女の結界。絶望をもたらし、呪いをまき散らす怪物、魔女が隠れ潜む場所。魔女の分身、使い魔が無数にひしめき合い、人間をおびき寄せて餌食(えじき)とする(わざわい)の巣。
 その最奥に、赤い外套を羽織ったインキュベーターが立っていた。手、もとい耳毛に握るのは黒塗りの洋弓。紅い瞳が見据える先にいるのは、この結界の主たる存在。

 その姿は、あえて言うならばカマキリに似たシルエットをしていた。ただし、頭に当たる部位は羅針盤の様な形になっており、手に当たる部分は巨大な矢印の形をした刃。10メートルはあろうかという胴体は古びた木彫り細工の様で、黒くて針金の様に細い足が何十対も生えている。
 およそ既存の生物とは全く異なる、無機質な姿。それにもかかわらず、それは凄まじい悪意を放っている。

 それこそが魔女と呼ばれる存在。祈りと希望を見失った、魔法少女の成れの果て。人間であった頃の面影を全く残さないその怪異を、白い獣は鷹さながらに鋭い(まなこ)で捉えている。

 先に動いたのは、魔女の方だった。矢印型の剣になっている右腕が振りかぶられ、インキュベーターへと一刀が放たれる。金属的な輝きに反して鞭の様にしなやかな動きを見せるその刃は、その刀身を伸ばしながら真っ直ぐ獲物へと迫っていく。
 一方、狙われる側はその太刀筋を静かに見つめていた。そして、魔女の兇刃がインキュベーターを捕らえんとした、その刹那、インキュベーターはその身を(ひるがえ)す。それだけの動きでインキュベーターは魔女の右腕を逃れ、獲物を見失った刃は床に深々と突き刺さる。よけられたことを認めた魔女は、新たに左腕で斬り掛かった。それを赤い外套のインキュベーターは、耳毛で後ろにとんぼをきって回避する。2度も攻撃をかわされ、魔女はしゃにむに刃の腕を放つが、とんぼ返りを続けるインキュベーターを捕らえられない。

 何度目かかわしたところで、いつの間にかインキュベーターの右前足に弓が、尾には武骨な剣が握られていた。とんぼ返りの途中、耳毛を地に着けて体を上下反転させた格好で、インキュベーターは弓に矢を番えて放つ。しかし、その一矢は魔女をそれ、その足元に突き刺さった。それを気にした風もなく、鷹の眼のインキュベーターは間合いを取りながら弓を引き続け、何処から出しているのか剣の矢を飛ばし続ける。文字通りに矢継ぎ早の勢いで射られる矢は、その何れもが魔女ではなく見当違いの場所に刺さり続けた。

 その有り様に魔女は何かを思っているのか、いないのか、それまでとは違った動きを見せる。矢印型の刃を掲げたかと思えば、それをインキュベーターへと突きつける。刹那、周囲に浮いていた幾つかの記号が動き出し、矢印が指す方へ、即ちインキュベーターの方へと殺到する。弾丸もかくやという勢いで飛んでくるそれらを見て取れば、インキュベーターはとんぼ返りを止めて鋭く前を見据える。その前足と尾には弓と剣は既になく、代わりに耳毛に黒と白の中華剣を握っていた。
 そして、魔女の弾丸が赤い外套のインキュベーターを撃ち抜かんとした瞬間、インキュベーターの刃が閃きを見せる。剣舞さながらに振るわれる双剣は、記号の弾丸を易々と打ち落としていき、一切その身に寄せ付けない。魔女はその攻撃が通じないことを見て取ると、再び腕を掲げてインキュベーターに突きつける。すると、先刻同様に宙を漂う記号がまた動き出した。しかし、その規模は大きく違う。戦い合う両者の周りに浮かぶ記号、その全てが動き出したのだ。

 流石にその数を捌くことは無理だと判断したのか、インキュベーターはすぐさま身を翻し、魔女から離れんと走り出す。間をおかず、その小さな体を追うようにして記号の群れが飛び出す。脱兎のごとく駆けていくインキュベーターは、進行方向から来る弾を潜り抜けたものの、窮地を脱していない。よけた記号は途中で反転し、インキュベーターを追う弾丸の群れに加わってしまうためだ。そして、いつの間にか魔女の凶弾は、全てが赤い外套の背を追う形になっていた。それを確認すると、インキュベーターはおもむろに振り返り、耳毛を突き出す。
I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)――」
 その口が言霊を紡ぎだした時、その奇跡は形を成し、顕現した。
「“熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)”!」
 刹那、巨大な赤い花が咲く。突き出された耳毛から7枚の赤い花弁が壁の様に展開され、インキュベーターを守護する盾となった。魔女の放った無数の魔弾は、花弁の盾に阻まれて1発たりとも通り抜けることができない。
「ふむ、他に攻撃手段はないようだな」
 確認するように、鷹の眼のインキュベーターが呟いた。鉄の刃の如き無機質で冷たい眼差しを向け、一言口にする。

壊れた幻想(ブロークンファンタズム)
 その言葉が放たれた瞬間、空気が変わった。紅い外套のインキュベーターが放った矢、魔女を囲むように突き刺さっていた剣が、一斉に爆発したのだ。耳をつんざく轟音と高熱を帯びた爆風が虚空を震わせ、その威力は魔女に噛みついていく。
 甲高い悲鳴が上げられた。苦痛に満ちた声が、爆音を覆わんばかりに鳴り響く。それを認めるが早いか、インキュベーターはまた黒塗りの弓と2振りの剣を耳毛に握り、矢として射る。

 すると、先程は全く当たっていなかった矢は見事に魔女の両腕を捕らえた。その狙いの正確さは、明らかにそれが偶然でなく実力によるものであることを告げている。先程までの狙撃は、当たらなかったのではなく魔女に当てるつもりがなかったのだ。魔女への牽制のため、そして罠を仕掛けるために。
 そして、それを放ったインキュベーター自身は魔女へと駆け出し、跳躍する。
壊れた幻想(ブロークンファンタズム)
 そして、先程と同じ言葉が告げられ、魔女に刺さった剣が爆発した。その爆風をパラシュートの如くインキュベーターの外套が受け、その跳躍を更に高める。

「―― I am the bone of my sword(我が骨子は捻じれ狂う)
 魔女の頭上5メートル辺りを舞うインキュベーターが、耳毛に新たな剣を握る。螺旋状に捻じれた、大振りの歪な西洋剣。魔女を眼下に見据えながら、それが弓につがえられる。途端、強大な威力がその剣に集中していった。
「“偽・螺旋剣(カラドボルグ)”!」
 言葉とともに、矢が射られた。烈しい雷電をまといながら、放たれた剣は魔女へと一直線に突き進む。魔女にそれを防ぐ手段はなく、螺旋状の刃は魔女の頭を突き破った。
 荒れ狂う雷は魔女の身体を噛み千切り、着弾の衝撃は魔女の血肉を吹き飛ばしていく。そして、魔女の身体を貫いていく刃がその体の中心に達すれば、その刀身が爆ぜた。大爆発により魔女を粉微塵に砕け散り、主を失った結界も揺らいで消えていく。その揺らぎが収まった時、周囲は何の変哲もない夜の公園へと変わっていた。

 後には、勝者たる鷹の眼のインキュベーターと、そして黒く、絶望の気配を漂わせる結晶の様なものが残される。そして、インキュベーターはその結晶を耳毛で拾い上げた。その丸く、下側に針状の棘、上側に取っ手の様なものが付いた結晶、“グリーフシード”を見て、インキュベーターは僅かな憐憫の色を瞳に浮かべられる。しかし、それも一瞬。すぐにその眼は鷹の様なそれに切り替わる。
同調、開始(トレース・オン)
 短く告げられた言葉とともに、グリーフシードの放つ気配が変わった。そこに秘められた絶望の深さとでも呼ぶべきものが、より強まっている。

「あー!?」
 耳毛の中のグリーフシードの変化をインキュベーターが確かめていると、彼の背後に新たな影が現れた。
「もう、また先越されちゃった」
 それは、1人の少女だ。10代前半と思わしき、ドレスと軍服の中間の様な格好をした少女が、憮然とインキュベーターに駆け寄ってくる。少女とインキュベーターの距離が縮まる中で、少女の服が俄かに光に包まれだした。やがて、少女が外套のインキュベーターのすぐ傍まで来ると、彼女の服は何処かの学校の制服らしきものに変わっており、その手には卵型の宝石が握られていた。魔法少女の証たるその宝石、“ソウルジェム”を握りながら、少女はインキュベーターに恨めし気な視線を送る。それに対し、赤い外套のインキュベーターは肩ならぬ耳毛をすくめて見せた。

「別に競争しているわけではないと思うがね?」
「そうだけど、苦労して使い魔倒してきたと思ったら、ボスはもう倒されてるんだよ? 釈然としないじゃない」
「くっ、それは悪かったな」
 少女は腹立たしげに言うものの、インキュベーターは獣の顔にシニカルな笑みを浮かべることで応じるだけだ。そして、先程手に入れたグリーフシードを少女へ差し出す。
「では、お詫びとして進呈しよう」
「もう、ならありがたく受け取っておきますよ」
 暖簾に腕押しの様なインキュベーターの態度に、少女は溜息を吐きながら苦笑した。そして、彼女がソウルジェムにグリーフシードを近づけると、ソウルジェムから濁りの様なものが抜け出て、グリーフシードに吸い込まれていく。すると、ソウルジェムは眩いばかりに輝き、逆にグリーフシードは僅かに暗い気配を濃くさせた。その両者を、少女はしげしげと見比べる。
「いつも思うんだけど、何で貴方からもらうグリーフシードだと穢れがよく取れるの?」
「企業秘密、と言わせてもらおう」
「ケチ」
 インキュベーターのはぐらかしに、少女は不満げな声を上げた。それから、少女は何処か躊躇うような表情を見せる。

「あのさ」
「む?」
「実は私、引っ越すことになったんだ。お父さんの転勤で」
 神妙な態度で言う少女に、インキュベーターは感情をうかがわせない顔になる。
「そうか」
「そうかって、それだけ?」
「それだけとは?」
「だけとはって……もっと、ほら、寂しくなるなとか、何かないの?」
 そこまで言うと、少女の表情はしまったと言わんばかりのものに変わる。
「ほう? つまり、私に何か言ってほしかったということか」
 そして、インキュベーターは眉毛のない顔ながら表情を意地悪く歪めた。一方で、少女はその頬に赤みを差す。
「そ、そういうわけじゃなくてね」
「くっ、君が私との別れを惜しんでくれるとはな」
「もうっ、違うって言ってるでしょ!?」
 少女の憤慨を受け流し、インキュベーターは表情を引き締める。

「決して、膝を屈するな」
「え?」
 唐突なインキュベーターの言葉に、少女は虚を突かれた声を上げた。
「新しい土地では、その土地や近辺で活動している魔法少女もいるだろう。日常においても、新しい環境には戸惑いがつきものだ。だが、決してそれに挫けるな」
 真摯な態度で言葉を続けるインキュベーターに、少女もまた真面目な顔で聞き入る。
「だが、どうしても進むべき道を見失ってしまうのなら、一度自分の原点を振り返ってみるといい」
「原点?」
「そうだ。もし今の自分の姿に絶望することになったのなら、今ではない過去にも、一度目を向けてみればいい。それで過去の己の無知に苛立つこともあるだろう、自己嫌悪も覚えるはずだ」
 しかし、とインキュベーターは続けた。
「無知であるからこそ、かつての自分の姿に何かを見出せることもある。きっと忘れていた何かを、答を得られるかもしれんぞ?」
 そう言って締め括ったインキュベーターの言葉を受け、少女は頷く。
「うん、解ってる」
 そう言った少女の表情は、力強い笑顔だった。

「私は、魔女から皆を守る魔法少女だもの。絶望なんかに、負けたりしない」
「ふ、ならばいいのだがね」
「もう、ちょっとは信用してよ!」
 不満気に少女は言うが、やはりインキュベーターが返すのは皮肉気な言葉だ。
「いや、なに。なんだかんだで君の戦闘経験は多いとは言えんし、色々と不安なのでね」
「もう! それはいっつも先回りして魔女倒しちゃうからでしょ!」
 そう彼女が怒ると、一転してインキュベーターは優しい目を向けてくる。
「だが、君は強い。私の指導にも、挫けずについてきた。君なら、何処へ行ってもそうそう後れを取ることはあるまい」
「え?」
 不意打ちの賞賛に、少女の紅潮した頬が更に熱を持つ。
「も、もう! そう思ってるなら、いちいち皮肉言わなくてもいいのに!」
「いやなに、これからは私が手助けするわけにもいかんのだからね。あまり甘やかすことばかり言うわけにもいくまい?」
「まったく、もう……」
 諦めたような溜息を吐きながらも、少女が浮かべるのは笑顔だった。そして、少女は踵を返しながら外套のインキュベーターに別れを告げる。
「それじゃあ、元気でね、しろう。あんまりキュゥべえと喧嘩しちゃダメだよ?」



投影開始(トレース・オン)
 呪文を詠んだしろうの耳毛に、一振りの剣が現れる。黄金色に輝く、下方に同じ長をした三叉の短い刃を、上方に中心だけ長く伸びたやはり三叉の刃を持つ剣。その銘は“倶利迦羅剣(くりからけん)”。仏道における明王の中心、不動明王が持つという諸悪魔を降伏(ごうぶく)し、一切衆生を煩悩より救うという降魔(ごうま)の利剣。本来は仏尊、神霊に近い存在が持つ剣だが、信仰の伝承上は人間に使われることもあるとされる。そのため、魔力は比較的多めに使うものの投影は可能だった。

 その人々を苦しみから救うという特性から、正義の味方に絶望していた頃には使う気になれなかった剣だが、今は特に抵抗なく手にできる。答えを見つけてからは、我ながら色々なところで変わったものだと思う。微笑を口許に浮かべながら、しろうはその霊剣を振りかぶった。刹那、倶利迦羅剣の刀身が炎に包まれる。それがこの剣の能力の1つ。不動明王の光背である火炎、迦楼羅焔(かるらえん)を宿し、魔に属するものや悪しき存在を焼き払うことができるのだ。

 そして、しろうはその燃え盛る霊剣を以って――薪に火をつけた。

 瞬間、4リットルの空き缶に詰まった木材の破片が、激しく燃え上がる。仏教において最強クラスの霊剣を100円チャッカマン扱いできるところが魔術使いの神経である。何処かであかいあくまの咆哮が聞こえるのは、気のせいだと思いたい。そして、その中に投影した粘土と山地まで行って採ってきた蓮の葉で隙間なく包んだ、ハトの肉を入れる。そうすることで、粘土に覆われた鶏肉が蒸し焼きされるのだ。

 乞食鶏(こじきどり)という中華料理の技法で昼食を作りながら、しろうは自分の現状に思いを馳せる。
 この肉体に押し込められてから、既に2年以上経っていた。そのため大分この身体の使い方にも慣れてきたが、やはり筋力やストライドなどの点で英霊の肉体よりも大きく見劣りする。しかし、その一方で自分の現状を引き起こした張本人、マギカの抑止力にしてみれば、こうするより他になかっただろうことも解っていた。

 通常、英霊の現界には膨大な魔力を要する。幾ら抑止力といっても、私的なことでその膨大な魔力を用意することはできなかったのだろう。しかし、英霊を押し込める器があるとすれば話は別だ。ギルガメッシュが受肉したこと、つまり現世で活動するための殻を手に入れたことで現界を続けられたように、霊体でない現実的な身体さえあれば英霊を長期間現世で維持することは不可能でない。聖杯戦争のマスターの様な外部の依代(よりしろ)ではなく、完全にその内部へ英霊を宿す新たな肉体。そのような器の条件として、このインキュベーターという生物はぴったりだった。生き物でありながら、種族全体で1つの意思を共有しているために個々の魂が希薄なこの生物は、新たなる魂を肉体に上書きすることが比較的容易だったと思われる。

 そして、しろうはこの小動物じみた身体で新たな生を受けた。今では、耳毛だけでなく尾まで器用に手の代わりとして使える。何か元人間として大事なものを失くしているような気がするのは、そっと目を背けた。嗚呼、血潮は鉄でも心は硝子。それはともかくとして、インキュベーターの肉体に慣れてきた一方、しろうはこの身体のある機能だけは使えずにいた。それは、魔法少女との契約だ。英霊の魂という異物が込められたせいか、魔術回路をむりやり植えつけた影響なのか、あるいはマギカの抑止力が改造したのか、しろうは何故か人間の少女と契約する能力を発動できなかった。

 もっとも、それで何か不都合があるわけではないので、特段問題視もしていない。少女たちにいつか魔女と化す運命を負わせるつもりはない上に、宇宙人の技術というわけのわからない代物で第三魔法を魔術に貶めたりしたら、それこそ某遠坂家6代目当主に殺されかねない。そのついでに、今の自分の姿をどれだけ笑われることだろうか。

 横道にそれかけた思考を軌道修正して、しろうは今日までの戦いを思い返す。ある程度まで戦闘用の動きができるようになってからは、しろうは魔女との戦いに赴いていった。初めの内は使い魔との小競り合いで経験を積んでいき、それから大した間を空けることなく魔女そのものとも戦うようになった。あまりに多種多様で脈絡のない能力を持つ者が多い魔女たちとの戦闘は楽なものではなかったが、投影宝具が魔女に対して十分に有効だったため不利な戦いは多くなかった。

 その上、幸いだったことが1つある。それは、投影した宝具にほとんど劣化が見られないことだ。これは、恐らくこの世界に魔術が存在しないことに起因しているのだろう。しろうの投影した魔術には、どうしても世界の修正力が働く。魔力により無から新たな物体が生み出されることによる修正力に加え、宝具という規格外の代物が2つ存在するという矛盾から更に大きな修正力が掛かる。そのため、しろうの投影する宝具はどうしてもランクが最低1つ落ちてしまうのだ。

 しかし、この世界に魔術のような神秘はなく、英雄たちの伝説は本当の意味で伝説でしかない。そのため、そもそも宝具の真作というものが存在しないのだ。それはつまり、しろうの投影する宝具が唯一無二の真作となることを意味する。元々宝具は人間の幻想により作り上げられ、人間の信仰を力とする武装。真作がない以上、宝具ごとの知名度に応じただけの信仰を、しろうの投影品は独占することができるのだろう。それ故に、この世界でしろうの投影品に掛かる修正力は最低限のものにとどまっており、真作と比べてほぼ遜色のない性能を発揮できるのだ。

 しかし、問題がないわけではない。しろうの頼みにしている宝具の1つである“赤原猟犬(フルンディング)”が、魔女との戦いでは通じないのだ。元々、赤原猟犬はベオウルフ叙事詩に語られる剣である。叙事詩に曰く、怪物グレンデルを倒した英雄ベオウルフにデネの王フロースガールが赤原猟犬を下賜し、それを携えてベオウルフはグレンデルの母親である水魔との戦いに赴いた。しかし、水魔にはこの名剣が全く通用しなかったのだ。赤原猟犬が戦いにおいて役に立たなかったのは、この時が初めてだったという。

 この伝説が、赤原猟犬のネックになっていた。太陽剣グラムがファフニール竜を退治した逸話から竜殺しの概念を帯びたのとは逆に、水魔との戦いでダメージを与えられなかった赤原猟犬は怪物が相手だと攻撃力が著しく下がるのだ。その上、グレンデルもその母親も世界最初の殺人者であるカインの末裔、即ち人間にその起源を持つ。人間から変異した怪物である魔女との相性は、ますます悪いだろう。事実、矢として赤原猟犬を放った際には、ほとんど傷つけることができなかった。

 強力な武器を1つ失い、英霊であった頃はおろか衛宮士郎であった頃と比べてさえ遥かに脆弱な身体で、しろうは戦わなければいけなかった。正直に言って、宝具が真作並の力を見せてくれなければ既に死んでいたかもしれない。そうして戦い続けるうちに、しろうは幾人かの魔法少女と出会うことになった。最初に降り立った見滝原をはじめ、隣町の風見野といった周辺地域で魔女を狩り続けるうちに、遭遇していったのだ。

 彼女たちには、自らを“しろう”と名乗っている。別にエミヤやアーチャーでもよかったのかもしれないが、インキュベーターたちが魔法少女に名乗っている名である“キュゥべえ”に合わせた方が受け入られやすいかと思い、その名を選んだ。そのせいで、どうやら自分が四男でキュゥべえが九男の兄弟だと思われているらしい。漢字にすると“士郎”であって“四郎”ではないのだが。

 そして、出会った魔法少女たちにはせめて自分の戦闘技術を伝えるようにしてきた。しろうには彼女たちを元の人間に戻す術はない。ならば、せめて生き残る可能性を高めてあげたかった。そして、自身が魔女を狩り、グリーフシードを手に入れたときは、それを魔法少女たちに譲渡している。グリーフシードは絶望を糧とする魔女の卵であると同時に、その特性によってソウルジェムの穢れを吸い取ってくれる。しろうはその絶望を吸収するという概念を強化の魔術で強め、より多く、より長期間穢れを吸ってくれるようにしたものを渡してきた。そのことから、しろうは皮肉屋なところを多少嫌がられているものの、魔法少女たちからは比較的好意を持たれている。

 そんな風に、魔法少女たちと交流しながら戦い続けているが、未だしろうはマギカの抑止力の言った救ってほしい者たちが誰か解らずにいた。溜息まじりで肉に火が通るのを待っていると、不意に背後から気配を感じる。
「何の用だ?」
 振り返らずに、後方にいる存在へ声を掛けた。間をおかず、明るさの割に無感動な声が返される。
「君にも教えておこうと思ってね」
 背後の相手、キュゥべえの言葉に、しろうは振り返った。

「この町の魔法少女がもうすぐいなくなることは、君も知っているだろう?」
「父親の転勤だと、昨夜聞いた」
 短くしろうが答えれば、キュゥべえは言葉を続ける。
「そのこともあって、新しく魔法少女と契約することにしたんだよ。なかなか素質がありそうな子が見つかってね」
「必要ない。この町の魔女ならば私だけで対処できる」
 しろうにぴしゃりと言い放たれ、キュゥべえが溜息を吐いてきた。
「僕たちの目的は、魔女を狩ることじゃないだろう?」
 キュゥべえの言葉に、しろうは視線を鋭くする。

「年端もいかない少女たちを甘言で躍らせ、消耗品にすることが目的だというのなら、尚更賛成できんな」
「まるでこの星の人類の様な台詞だね」
 そう返したキュゥべえの言葉は、感情が感じられないにもかかわらず不可解さが滲んでいた。
「僕たちは奇跡の代償に魔法少女になってくれと、きちんとお願いしているよ? 実際の姿がどういうものかは説明を省略しているけれど、別に知らなくても不都合のあることじゃないと思うな」
「戦闘によるものならばともかく、たかだか感情の浮き沈みが命に直結する身体にされることが、省略すべき些事だというつもりか?」
 声に怒りがこもる。今目の前に座り込んでいる相手にとって、事実それは些事にすぎないのだろう。60億人以上という膨大な数の内の一個体の生命が失われる可能性が高まることなど、この生物にとっては大した問題ではないのだ。そもそも、魔法少女にした時点で相手に自ら死刑宣告の判を押させているのだから。

「人類は絶望して自分から生命活動を放棄する者が大勢いるだろう? そんな習性を持っていることを鑑みれば、ソウルジェムが絶望で濁れば死ぬことに特別説明の必要があるのかい?」
「人間は、自らの選択を尊ぶ。その選択の権利を剥奪され、絶望したというだけで命を奪われていい道理などない」
 守護者として、選択の余地なく殺戮を強いられてきたしろうだからこそ、その言葉には強い感情が乗せられる。確かに、世界との契約を選択したのは自分だ。しかし、自分が自分でないものとして戦い続ける運命を強要されるとは、あの時は思っていなかった。自分が浅はかだったといえばそれまでだが、それでも納得する気にはなれない。そうだからこそ、しろうは魔法少女たちに魔女という代償を隠して奇跡を売り歩くキュゥべえの姿が認められなかった。

「君の言うことは、本当に理解に苦しむな。ただの精神疾患とは思えない、まるでこの星の人類と話しているようだよ」
 実はその通りなのだが、それを話してやる義理はない。
「私も、虫に理解してもらおうとは思わん」
 苦々しく吐き捨てる。その“虫”という呼び方は、なにも単なる侮辱として言ったわけではない。実際に、このインキュベーターという生物の精神構造は、地球の生物の中では虫に類似点が多いと思えるのだ。群体で1つの意識を共有しているところはアリやハチ等と似通っているし、契約相手をあっさりと犠牲にする冷淡さは交接相手さえ捕食するカマキリに通じるところがある。感情的な行動を見せず、生存本能のみで動いているその様は、正しく知恵のある虫という表現がぴったりだった。

「そうかい」
 虫呼ばわりにもやはり思うことはないらしく、キュゥべえが淡々と立ち上がった。
「それじゃあ、最後にこれだけは伝えておこうかな」
 次の魔法少女候補の名前なんだけどね、と、踵を返しながらもキュゥべえは話し続ける。
(ともえ)マミっていうんだ」

~続く~ 
 

 
後書き
 以上、今回はここまでです。

 と、いうわけで、今回はほとんど状況説明になってしまいました。冒頭に出てきた魔女は、完全にオリジナルです。自分がまどマギポータブル持っていないもので、アニメ本編以外の魔女をあまり知らないもので……他にもオリジナル魔女が出てくると思いますが、ご容赦を。

 フルンディングが怪物に効かないというのはFate本編では言及されておりませんが、そう的外れな考えではないと思っております。多分、ライダー相手だとあまり通じなかったでしょうね、赤原猟犬。また、オリジナル宝具の倶利迦羅剣は多分焚火関係以外では出番ないかもしれません。

 最後の最後でキュゥべえ以外の原作キャラの名前がようやく出てきました。マミがまだ契約前である通り、この時点だとアニメ本編より数年前だったりします。

2013/04/13 一部修正

 次回は幼マミ登場です。