映写機の回らない日 北浦結衣VS新型ウイルス感染症


 

第1話 映画館で働くことが好きだった

「ねえ、結衣、この前さ、テレビで変な映画を見ちゃって」
「どんなの?」
「なんかね、アメリカのどっかの町がウイルス兵器に汚染されちゃうの。それで、どうがんばっても学者には見えない、いかついオジサンが科学者なのに格闘技でテロリストと戦うっていう」
「あー、はいはい。スティーブン・セガールの『沈黙の陰謀』か。また、くだらないのを見るね」
「大学の卒論を書いてる最中の気分転換になるかと思ったんだけど、見てる最中も見たあともずっとモヤモヤして、見るんじゃなかった。主人公はなぜかまったく感染しないし、街を消毒もしないし、最後も特効薬がどっかのお花だってわかって、そしたらヘリコプターで街中にそのお花をばら撒いて終わり。ウイルスとか感染とか詳しくない私でも、これはちょっと適当だなと」
「涼子はハズレを引くよね。たまたま見た映画がたいていひどいっていう」
「うん、映画館でも隣の人がずっとイビキかいてたり、前の人の頭で字幕が見えなかったり。本当に映画運が悪くて。映画館で働いてる結衣に運をもってかれてるのかも」

 涼子から素朴な映画の感想を聞くのが好きだ。仕事柄、周囲には映画に詳しい人が多く、専門的な批評を聞かされる。そういう話も興味深いが、なんかもっと、こう純粋に受け止めるだけじゃだめなんだろうか。

「結局、タイトルの『沈黙の陰謀』はどういう意味なの?」と涼子が聞いてくる。
「それは、日本向けの邦題だから、本来のタイトルは別にあるよ。同じ俳優の出てる映画は日本ではだいたい、沈黙のなんとかって邦題で売られるんだ」
「ふうん。でも、陰謀は普通、黙ってるものなんじゃないのかな。なのにわざわざ、沈黙とか」
「そういう、みなまで言っちゃうところが涼子らしいよね」
「えっと、それはバカにしてるんですかね?」
「いやいや、思ったことを素直に言う、いい子ってことだよ」

 暖冬でコートの要らない十二月のとある夕暮れ。私たちは、しょうもないウイルスパニック映画をネタに談笑をして過ごした。

 × × ×

 異変に気づいたきっかけはノドの渇きだった。やたらとノドが渇いた。仕事中にむやみと飲み物を飲むわけにはいかないから我慢していると今度は熱っぽい感じもしてきた。早退し、だるい体でふらつきながら帰宅後、検温すると三十七度ほどの微熱。いつもこの時期は花粉症に苦しんでいるが、くしゃみや鼻水は特にない。これは新型のウイルス感染症ではないのか。一気に不安が押し寄せた。接客商売だから、勤務中も私用の外出時も常にマスクをし、手洗い、消毒も欠かさなかったのに。
 
 不要不急の外出を自粛するようにとの政府の要請もあり、二月下旬頃から映画館への来客数も日に日に減った。それでも来てくれるお客さんはいた。あの人たちにとって、映画を見に行くことは、決して不要な用ではなく、重要な行いなんだろう。私もその気持ちに応えたかった。だからこそ、感染リスクを極力減らすように映画館も私自身も気をつけていた。

「僕ら二人で来てるんですけど、やっぱり、隣同士では座っちゃだめなんですよね……」
「はい、大変申し訳ございませんが、すべての座席が隣り合わないように一席分の間隔を空けて、チケットを販売しております」

 私が早退した日、話しかけてきた常連の若い男女のペア客に心苦しい説明をした。サービスデーの水曜日に訪れることの多い二人は、よく一番大きいサイズのポップコーンを一つ買い、仲むつまじく劇場に入って行く。感染対策の措置に残念がるも映画は好きなのだろう、その日も一つ空けた横並びの座席を買ってくれた。

 映画館で働くことが好きだった。もちろん、映画を見ることは好きだが、マニアというほどではない。ジャンルも芸術映画や、いわゆる通好みのものより、わかりやすいエンターテイメント志向の作品がいい。映画好きが高じてというより、日常の中でわずかな時間の非日常を届ける空間に惚れたのだ。遊園地やライブハウスは私にはテンションが高すぎる気がして、映画館くらいがちょうどよかった。大学も退学してしまうくらいのだめな自分だが、映画館のバイトは三年近く続いていた。

 だから、自分が新型のウイルス感染症に罹ったことを知ったとき、なにより心配だったのは、自分の健康より、映画館とお客さんのことだった。同僚やお客さんを経由して感染した可能性など考えもしなかった。自分が他の人たちにうつしてしまっていたら。想像するだけで震えた。

「県内五十七例目となる、新型ウイルスの感染者が確認されました。新たに感染が確認されたのは、映画館に勤める二十代の女性で、現在入院中とのことです。市は女性の行動歴の確認を急いでいます。働いていた映画館は、女性が陽性と判明した翌日より臨時休館中です」

私は五十七番目の女か。

(続く) 

 

第2話 五十七番目の症例患者

「県内五十七例目となる、新型ウイルスの感染者が確認されました。新たに感染が確認されたのは、映画館に勤める二十代の女性で、現在入院中とのことです。市は女性の行動歴の確認を急いでいます。働いていた映画館は、女性が陽性と判明した翌日より臨時休館中です」

 五十七番目の女か。匿名とはいえ、自分がこんな形で全国に報道される日が来るとは思わなかった。もし実名報道されていたら、もの凄い攻撃を受けてしまうんじゃないか。そう思うと、感染したことを自ら公表する一部の著名人たちは勇気がある。トム・ハンクス、オルガ・キュリレンコ、イドリス・エルバ、私が好きな映画でよく見る俳優たちだ。当然、会ったことなどないが、一方的でも自分の知る人が同じ症状であることには、何か勝手に戦友のような意識を感じてしまう。共に早く回復しよう。

「市の担当の人にも説明したんですけど、海外なんて行ったこともないし、普段からマスクも手洗いも徹底してます。本当にわからなくて……」
「北浦が悪いわけじゃないから気にしなくていい。劇場は臨時休館中だが、しばらく様子を見てから再開するつもりだ。君は回復することだけを考えて」

 電話で支配人と話をした。私が働く映画館は、三つのスクリーンを持つミニシアターで、客席数は一番小さいところが約五十席、大きいほうは一〇〇席程度だ。開館してから一〇年くらい経つ。いまの支配人は五十台の男性で、二年前にホテル業界から転身してきた。ミニシアターながら、映画の特色に合わせた応援上映等のイベントや映画館独自のセレクションによるオールナイトを企画したりと大手シネコンに囲まれる中、気を吐いている。私も歳は若いが、いまのスタッフの中では古参のほうで、イベントなんかの仕切りを任されてもいる。

「あと、言いにくいことだが先に伝えておきたい。北浦を含めたアルバイト契約のスタッフには、休館中の給与は支払えないんだ。本当に申し訳ない。普段も経営が苦しい中で、この状況だから……」と支配人は慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりした口調で言う。
「仕方がないと思います。少なくとも私は何も言える立場ではありませんし」

 元々、映画館なんて儲かる業種じゃない。大手ではなく、小規模のシアターなら尚更。それでも携わり続ける人がいるのは、やっぱり映画への思いなんだろう。平時でも厳しいのに、今回の追い打ち。ダメージを受けたのは映画業界だけじゃない。涼子も旅行会社から内定を取り消されてしまった。

「前に結衣が勧めてくれた韓国映画の『悪女』、観たよ。外には出られないからDVDの郵送レンタルで。専門的にはなんて言うんだろ、最初の、ずっと主人公の視点で進んでいって、どんどん敵をやっつけていくところが凄いなあって」
「<POV>って言うんだけど、別に覚えなくていいよ。そうだね、あの映画は途中、昼ドラみたいにタルい展開もあるけど、最初と最後のバトルは見物だよね」
「うん、急に主人公の性格が変わったみたいで、あれって。でも、面白かった。暴力的なシーンが多くて、ちょっと恐かったけど。こういう世の中の空気だからって、変に絆や希望がどうこうとか逆に違和感があったりするし、少しスッキリしたよ。他の韓国映画も見てみようかな」

 指定の医療機関に入院中、涼子とは何度も連絡を取り合った。彼女には何度謝っても足りない。私の陽性が判明したあと、同僚は皆、検査を受けて結果は陰性。涼子にも症状はなかったものの、一人暮らしの私の周囲では彼女だけが十四日間の自宅待機を要請されてしまったのだ。お互いの家を行き来して、同居と変わらぬほどに身体の接触があったためらしい。

「そんな気にしないでいいからね。大学も卒業して、内定もなくなったからやることないし。トイレットペーパーとティッシュもこの前、買えたから大丈夫」
「ありがとう」

 涼子の気遣いに救われる。

「また面白そうな映画があったら教えて。POVだっけ? 覚えちゃったよ。あの撮り方が気に入ったから、それ系のやつとか」
「オッケー。白石晃士っていう、POVというか、フェイクドキュメンタリーの映画をよく撮ってる人がいて、すごく面白いんだ。今度また話すよ。そろそろ食事の時間だから」
「しっかり食べて、免疫力をつけてね。私もイベントに戻ろうっと」
「イベント? 外出できないし、それにイベントなんてどこも自粛なんじゃない?」
「ああ、オンラインゲームの話。結衣はゲームやらないもんね」
「そっか、ゲームは自粛なんて関係ないからいいね。運営とか開発してる人たちはテレワークとかで大変かもだけど」

 涼子はゲーム好きで、去年までオンラインゲームのカスタマーサポートのバイトもしていた。いまの時代、遊びや文化も多様になっている。映画もこのご時世を踏まえて、劇場公開とネット配信を同時に行う事例も増えている。映画館側の興行としては苦しいだけだが。

「じゃあ、またね」と言って、涼子は電話を切った。

 食事を終え、スマホを見ると、メッセージが着ている。職場の先輩からだ。それにはこう書いてあった。

「お前のせいだ」

(続く) 

 

第3話 『病は気から 病院へ行こう2』

「お前のせいだ」

 このメッセージが意味するところ。岸田さんもバイト契約だから、私と同様に食い扶持が絶たれてしまっている。それに、来週には彼が企画した上映イベントが行われる予定だった。上映権の取得が難しい案件を粘り強い交渉でなんとか、その期間だけ許可を得た。さらに関係者にも苦労の末、ゲストとして来てもらえることになった。この状況でも企画を実現させるため、人同士の距離を空けた間隔や消毒の徹底で細心の注意を払い、イベントの実施に向けて動いていた矢先での、臨時休館。どういう心理状態でこのメッセージを送信してきたのかは知る由もないが、彼の無念さは想像に難くない。

「急に咳き込むようになって、あまりいい傾向ではありません。しっかり食べないと。自分の体のことなんですよ、わかってますか?」

 真剣な表情の医師にそう言われた。先輩からのメッセージを読んでショックを受けたのが直接の原因ではないにしても、その日の夜から咳の回数が増え、夜もなかなか寝つけなかった。食欲も減り、憂鬱な気分になる。涼子や両親とも電話をする気にはなれず、メッセージで簡素な状況報告をする程度だ。体調がそう悪くない状態では、隔離措置もそこまで辛くなかった。映画館への迷惑も、支配人のはげましもあって、自分を納得させられた。だが、先輩のメッセージを受け取った瞬間に、ギリギリ保っていたバランスが崩れ、精神的にも肉体的にもしんどくなった。健康は取り戻したいとはいえ、回復したところで……そう考えてしまう自分がいた。

「映画館で働いてる北浦さんなら知ってるかな。昔、『病は気から 病院は行こう2』という映画があって、看護師の私から見ても、面白かったわ。真田広之もカッコよかったし。でも、前作はあまり好きじゃなかったな」
「はい、知ってはいるんですけど。その前作のほうしか見てないですね、私は。続編はDVDがなくて」
「そうなのよ! VHSしか出てないから。家のビデオデッキは処分しちゃったし、なんとか見られないかな」

 年配の看護師が言う映画は、ホスピスを舞台に、がん患者と担当医が織り成す恋のドラマを描いたものだ。一時期に流行した、いわゆる難病ものよりずっと前の作品なのに、それらとは一線を画し、重たいテーマながらも笑いが散りばめられて、それでいてしっかり命の重みも描写する娯楽作品になっているらしく、前作よりも評判がいい。

「いい映画だから、もし機会があったら、見てちょうだい。で、私が言いたかったのは、その映画の題名にもある『病は気から』。使い古された言葉だけど、実際そうなんだよ。症状のこと以外にも何かいろいろ落ち込んでるみたいだし、ムリに元気を出してとも言えない。それでも、気の持ちようで、よくも悪くもなるのよ、心も体もね」
「心配かけてすみません。食事もちゃんと食べます。私の自炊より何倍も美味しいですし」
「そう言ってもらえてうれしいわ。献立担当の人が『孤独のグルメ』好きで、栄養価とは別軸に美味しさそのものの患者さんへの影響をいつも考えてるの。いまの言葉、彼女に伝えておくわね」

 気さくないい人だ。フランクに話ができるのは、それだけで落ち着ける。でも、彼女には黙っていた。私が映画館を退職する決意をしていることは。


「詳細をお伺いしたいので可能であれば当アカウントをフォローしていただきDMにてやりとりさせて頂けますでしょうか。ご検討の程よろしくお願い致します」

 退院後、私のツイッターアカウントに取材申請ツイートがあった。どこでどう知ったのだろうか。本名は載せておらず、ウイルスのことも触れていないのに。だいたい、他の人にも閲覧できるツイートを送ってくるなんて匿名の意味がないじゃないか。何を考えているんだ。私はリアルな知り合いとしかフォローし合っていないから、バレたところで被害はないにしてもだ。それに、ツイート内容も「いただき」と「頂き」が混在していたりと、とてもメディアの人間とは思えない。私はツイートを無視した。

「退院おめでと! いまからそっち行くね!」

涼子からのメッセージはたくさんの絵文字で彩られていた。


(続く) 

 

第4話 いまのあんたはジョーカーと同じ

「退院おめでと! いまからそっち行くね!」

 涼子からのメッセージはたくさんの絵文字で彩られていた。

 涼子は私が退院する数日前に、濃厚接触者としての自宅待機が解除されていた。退院してから数日後、メッセージを送るとすぐに返事があった。が、正直会いたくない。退院してすぐに連絡をしなかったのもそのためだ。帰宅して、まずやったことは映画館への退職連絡だった。はじめは数日程度の臨時休館の予定だったが、再開予定をWEBで告知すると、応援の声以上にクレームが多く寄せられ、抗議の主が映画館に行く人たちなのかは定かではないが、状況を鑑みた結果、休館期間を延長することになり、いまも閉まったままでいる。

「そうか、わかった。いまバタバタしてるからまた連絡する」
「はい、すみません。失礼します」

 支配人とのやり取りは簡潔だった。お互いに余計なことは何も言わない。実は、引き止めてくれることを多少期待していたから、チクリと胸が痛かった。この数日はひどい心理状態だった。症状は薬で改善し、陰性が認められたため、退院を許された。あの看護師は「病は気から」とアドバイスをくれたが、それに照らせばいまの私はいつまた病気になってもおかしくない状態だろう。家から出ず、適当なもので食事を済ませ、ただ寝ていた。映画からは離れたく、動画配信サービスで映画を見ることもない。涼子みたいにゲーム好きなら、独りでも楽しく過ごせたかもしれない。いまの気分で慣れない趣味に手を出すのは億劫だった。


「なんかもう疲れた。隔離されるのってきっついよ。今度、再発したらどうしようかな。街に出て、色んな人と触れ合ってウイルス撒いちゃおうか」
 何もかもがどうでもよくなり、半ば自暴自棄になった私は不謹慎でつまらない、最低の冗談を涼子に言った。もちろん本心ではないが、そんなことを口にするなんて、どうしようもない人間だ。訪ねてきた涼子と会いたくなかったから、顔を会わせることも拒絶した。玄関を隔てた電話での会話を涼子に強いているのも、彼女に対してひどい仕打ちだと思う。

「バカなこと言わないで!」

 涼子が吠えた。外からの声が玄関ドアを通して、部屋の中でも聞こえる。

「そんなキャラじゃないよね! 去年、一緒に『ジョーカー』を見に行ったときのこと、覚えてる? 私が主人公の気持ちがなんとなくわかるかもって言ったら、あんたは『まったく理解できない。メソメソしすぎ。世の中恨みすぎ』って一蹴したんだよ。カチンときたから記憶してる」

 涼子の気迫に圧倒される。彼女は続けた。

「いまの結衣はジョーカーと同じだよ。映画のジョーカーは好きだけど、病的なジョークを言うあんたは好きじゃない!」

 <あんた>と呼ばれて動揺した。涼子は本気で怒ると、私のことを<あんた>と呼ぶ。最後にそう呼ばれたのはいつだったか。中学生の頃、転校する友達のサプライズパーティーのやり方をめぐって対立したときだったと思う。茜に仲裁してもらって、仲直りできたが、あのときの涼子は怒りながらも悲しい表情をしていた。あの顔は忘れられない。いまもあのときと同じ、怒りと悲しみを顔ににじませているのだろうか。

「自分のことを要らないとか、そういうのはもうやめよ?」と涼子が震える声で言った。

 私はひどいやつだ。不要不急の外出は控えろと言われている中でも、心配で来てくれた友達にくだらない冗談を言い、怒らせ、そして悲しませてしまった。

「怒らせちゃったかな、菩薩の涼子を。謝るよ」

 もっとちゃんと謝らないといけないのに、変にカッコつけた言い回しになってしまう自分が情けなかった。


 あのあと、涼子は引き篭もっている私のためにトイレットペーパーやティッシュを手に入れようと奔走した。詳しいことは話してくれなかったが、店の物資の争奪戦で大変な目に遭ったのだろう。近所のドラッグストアで店員と客の間で、入荷した物資の販売タイミングを巡る騒乱があったことを翌日、ネットで知った。その場に涼子もいたのだろう。食料品しか手に入らなかったと涼子は口にしたが、彼女のことだ、きっとトイレットペーパーやティッシュを手に出来るチャンスがあったとしても、他の人に譲ったんじゃないだろうか。

「でも、本当に美味しかったね、あのドーナツ。結衣が淹れてくれたコーヒーも心が温まったよ」
「インスタントだけど、隠し味を入れてるからね」
「なんだろうな。いまだに教えてくれないんだもん」
「こういうのは、これだ!っていうタイミングのときに明かさないと」

 涼子が争奪戦から帰還したあと、私たちはひと時の和みを味わった。昨年より世界的に流行りだした、アメリカのカンザス州発祥のスイーツ、<カンザスドーナツ>を食べながら。心底、安らげるひと時だった。不思議なくらいに荒んだ心がすーっと癒されていった。すべて涼子のおかげだ。

 あの日から状況はさらに悪くなっている。感染者数の増加は止まらず、海外では医療崩壊と呼ばれる事態になっている国もあるという。メディアの伝え方には問題もあるだろうが、緊急事態であることは事実だろう。メディアといえば、聞き慣れない用語が飛び交うのには、苦笑してしまう。<パンデミック>はまだ、映画に親しみがあれば聞き覚えがある。だが、<クラスター>、<オーバーシュート>、<ロックダウン>はなんのこっちゃだ。映画館に勤めていたこともあって、昔の興行の勉強をした際、<サーカムサウンド>だの<ビジュラマ方式>だの<ダブルテンションシステム>だのといった、意味不明のシステム名による上映方式がかつてあったことを知り笑ったが、あれと変わらない。こんな冗談を言うと、涼子に怒られるかもな。そんなことを考えていたとき、電話がかかってきた。

「岸田です。いま、話せますか?」

 かつてのバイト先の先輩、岸田さんからだった。

(続く) 

 

第5話 今日、この街で映写機は回らない

「岸田です。いま、話せますか?」

 かつてのバイト先の先輩、岸田さんからだった。

「はい、大丈夫です。どうしました?」
「まず、謝らせてください。この前はすみません」

 先輩はかしこまった口調で言う。彼は基本的に私に対してタメ口だったが、いまは敬語だ。

「何も言いわけをするつもりはありません。傷つけるメッセージを送ってしまい、申し訳ないです」
「えっと、その、とりあえず敬語やめませんか。なんか逆に変な感じで、うまく話せないというか」
「……うん、じゃあ、わかった」と先輩はやや納得しない様子で口調を切り替えた。

「あのメッセージのことですけど、確かに受け取ったときはショックでした」
「当然だよな……」
「でも、事実だし。私が悪くないとしても、私が感染しなければ閉めないで済んだし、お給料のことだって、先輩ががんばってたイベントのことも」
「自分を責めないでくれ。北浦は何も悪くない。どんなに気をつけてたって、誰がいつ感染してもおかしくないんだ。それなのに、おれはひどすぎた。動転してたとはいえ、口にした以上、あのときはそれが本心だったんだろう。症状に苦しんで、一番辛いのは君なのに。悪かった」

 私は目を閉じた。少しの間、考える。そして、スマホを口から離し、軽く深呼吸する。

「入院してるときも先輩には救われたんですよ」
「それはどういう……」
「私は前向きな映画が好きなんで、先輩からいろいろ教えてくれた映画から結構勇気をもらってたんですよ。映画館のバイトを始めるまで、スティーブ・マックィーンの存在すら知らなかったけど、あそこの上映企画で初めて見た『パピヨン』には感動しました。先輩の企画ですよね、あれ」
「北浦が入って二、三ヶ月くらいの頃だったかな」
「そうそう、確か『不屈の闘志』特集とかそんな企画で」

 話しながら当時のことを思い出す。『パピヨン』は六十年代の古い外国映画で、殺人の濡れ衣で刑務所送りになった男が何度も脱獄を繰り返し、最後は自由を掴む物語。かなり脚色されているらしいが、実話が基だそうだ。

「独房に入れられたパピヨンが言うじゃないですか。『バカヤロウ! おれはここにいるぞ!』って。隔離されてるときにあのシーンを思い出して、耐えてたんです」
「北浦……」
「字幕ではそんなセリフでしたけど、原語は違うんでしたっけ?」
「いや、『Hey, you bastards, I'm still here』だから、ほぼ同じ意味だよ」と先輩は暗記しているセリフを即、口に出した。
「よく覚えてますね。あ、あと、もちろん、耐えてたっていっても、医療施設にはまったく問題ありませんよ。先生も看護師の人たちも激務の中、私なんかに本当によくしてくれました。パピヨンみたいに、五秒で診察が終わったりしないし」
「冗談を言えるくらいに元気になったんだな」
「口は悪いですけど、根は明るいですから」と私は微かに笑いながら言う。

 先輩は少し間を置いてから、あらためるように、「今日、電話したのは謝罪のことだけじゃないんだ」と言った。

「なんですか?」
「支配人に退職を告げたんだろう?」
「そう……ですね」
 休館中とはいえ、知っていても不思議ではないか。

「それを知ってから支配人と話をしたんだ。あと、他のスタッフにも。こういうのは君の好きな物語じゃないかもしれないが、おれをクビにしてもいいから、北浦を復帰させてやってくれって」
「いや、それは」と言いかけた私を遮り、先輩は続ける。
「何も言わないでくれ。皆も納得してくれた。誰も北浦に出て行ってほしいなんて思ってない。支配人は『去る者は追わず』の人だから冷たく感じたろうけど、戻りたいなら、それもまた『来る者はそんなに拒まず』の人だ」
「私も『そんなに拒まず』の中に入ってますかね?」
「もちろん」
「ありがとうございます。でも、考えさせてもらってもいいですか?」
「わかった。再開に向けて動いてるが、まだ具体的なスケジュールは立ってない。こっちにも動きがあったら、逐一連絡するよ。この週末はどこの映画館も臨時休業に入るくらいの厳戒態勢だから、気をつけてくれ」
「先輩もムリはしないで」
「ありがとう。それじゃあ」と言って岸田先輩は電話を切った。
 
 木曜日の夜、県の知事から週末は不要不急の外出は極力控えるようにとのあらためての徹底要請があった。私の街にあるすべての映画館も急遽、臨時休業のアナウンスを出した。こんなことは、この街では初めてだろう。用がなければ私も出る気はなかったが、実家にマスクが不足していると聞き、ストックのあった私の家の分を発送するために出かけた。
 
 郵便局と買い物のついでに周辺の映画館を回ってみた。いつも老若男女でにぎわうシネコンも、年配者や本格的な映画好きが集う名画座も、カフェと併設された女性に人気のあるオシャレなシアターもすべて休館している。この日、この街では、どこの映画館でも映写機は回らない。深い悲しみを覚えた。劇場がなくてもテレビやネットで映画は楽しめる。映画自体がなくても、他に娯楽はたくさんある。アナログやノスタルジーへの固執には否定的なほうだが、それでもなんだろう、この喪失感は。

 世界を覆うこの災難は、映画業界を含めたあらゆる仕事をする人に影響を与えた。その中で、それぞれが戦い方を模索している。医療等の命に関わる最前線にいる人たちとは比べられないが、娯楽産業に携わる人も奮闘中だ。私に大切な多くを教えてくれた、あの映画館も復活を目指している。以前、一緒にバイトしていた映画監督志望の赤木君は、苦労を重ね、今年ようやく、小規模ながらも初の商業映画の監督をするはずだったが、今回のことで中止になってしまった。だが、彼はスタッフ、キャストそれぞれが接触することなく、自宅にいながら遠隔で映画を撮るという自主制作の映画作りを企画し、これから挑戦しようとしている。彼は「人助けでもないし、いま、こんなことをしても意味はないかもしれない」と前置きをしつつ、「でも、これが自分にできることだから」と決意を語った。

 自分にできること。私にできることは……そんなことを考えながら、季節はずれの大雪の中、積雪を踏みしめて歩き続けた。

(続く) 

 

最終話 私たちにできること

「ポップコーンにバターかけていいよね?」と涼子に聞かれた。
「うん、大丈夫だよ」

 週が開けてからの水曜日、私と涼子はとあるシネコンにいた。営業時間は短縮されたものの、ここは週明けから営業を再開した。県から行動自粛要請のあった土日と、今日とで何がどう違うのかわからないが。いまも不要不急の外出は控えるべきだろう。しかし、どうしても今日だけは涼子と一緒に映画を楽しみたかった。月が変わり、今日は四月一日、映画の日だ。それにエイプリルフールでもある。冗談を言うことも憚れるいまの世の中で、作り物の映画を、いわばおとぎ話を涼子と共に見たかったのだ。お互いにマスクをして、館内に入るときにも消毒をする。防備は徹底。自分が感染しないためにも。他の人にうつさないためにも。

「この前、『ジョーカー』のことで感情的なことを言っちゃったけど、それから間を置かずにこれを見るのも何かの縁かも」と涼子がロビーを歩きながら、ポップコーンを頬張って言う。

 見に来た映画は『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』。『バットマン』の世界の中で、ジョーカーの彼女であるハーレイ・クインを主人公としたものだ。悪いやつらばかり出てくるアンチヒーローな映画だが、こんなセレクトでも涼子はついて来てくれた。

「でも、いまから見る映画は去年見た『ジョーカー』とは関係ないんだよね」
「そうだよ、ややこしいけど。『スーサイド・スワッド』っていうイマイチな映画があって、それの世界の話で、そっちに出てくるジョーカーは、涼子と一緒に見たジョーカーとはまったく違うんだ」
「へえ。どんなジョーカーなの?」
「なんだろう、存在感が薄くて血色の悪いパンク? 少なくとも涼子はあのジョーカーには共感しないと思う」
「なるほどね。映画に詳しい友達がいてよかったよ」

 友達。私たちにとって、今日の映画は、映画館で一緒に見る最後の作品かもしれない。昨日、私と涼子は電話で話し合った。自分たちにできることは何か。私たちには人命を救う技能はない。エンターテイメントで人々を笑顔にすることもできない。寄付できるようなお金もない。守るべき、養うべき人のために働いてもいない。ならば、いまできることといえば、感染しないこと、人にうつさないことだ。涼子は、私に会うことを「要も急もある」と言ってくれた。私にとっても、涼子と会うことは、不要不急なんかじゃない。でも、私たちが外で出会おうとすることで、感染拡大を加速させてしまうとしたら。話し合った末、私と涼子は明日からしばらくの間、外で会うことも、互いの家に行くことも、控えることに決めたのだ。政府の要請などは関係ない。自分たちで考えた結論だ。お互いに直接顔を会わせるのは、もしかしたら今日で最後。だから、今日は大事な日なんだ。映画の日で、レディースデーでもあるが、私たちには、涼子と結衣の日だ。

「本当は結衣と隣同士で座りたかったな」

 この映画館も感染拡大防止のため、座席は一つ空けてしか売ってくれない。私と涼子は間に一席おいた横並びで座った。そのことを忘れてポップコーンは一つしか買わなかったことを悔やんだ。

「私はあんまりお腹すいてないから、涼子が食べなよ。実はバターないほうが好きだし」
「え! じゃあ、バターかけるのが好きな私に合わせてくれてたの? これまでずっと」
「いやいや、別にたいした話じゃないでしょ。なんか、いい話みたいにしないでくれる?」
「ちょっと感動」
「そんなことで感動されても。言わなきゃよかったなあ」

 場内が暗くなる。予告編の間、ふっと横を見た。涼子はポップコーンをパクつきながら、スクリーンを見つめている。隣同士じゃない分、じっと見てても気づかれない。この子と仲良くなれて本当によかった。私はウイルスに感染した。重症ではなかったけれど、辛く苦しい経験だった。だが、いまは回復し、前を向いている。いろんな人に助けてもらったが、特に涼子がいなければ、だめだったに違いない。

「ねえ、結衣」
「うん?」
「今日は誘ってくれて、ありがとね」
「こっちこそ、来てくれてありがとう」

 症状はまた再発することもあり得る。世の中もこれからもっと厳しくなるかもしれない。でも、それでもだ、いま私には確信がある。だめになりそうになっても、また前を向けるという強い確信が。涼子が友達なら、なんとかなるんだ。映画館だから声には出せないが、私は心の中で叫んだ。

「バカヤロウ! 私たちはここにいるぞ!」

                
戦いは続く。打ち勝つその日まで

×××


あとがき

 この短編小説の連作は、二〇二〇年三月一八日から一九日の二日間をかけて書いた『私には要も急もある 羽田涼子VS新型ウイルス感染症』に登場したキャラクター、結衣を主人公としたものです。『私には要も急もある』は三月一九日前後に私が見聞きし感じたことを投影しましたが、それから日に日に状況は変化しております。そのため、あらためて状況の変化を見据えながら、今度は連作という形で日々感じたことを更新しつつ書いていきました。涼子や結衣の置かれている状況は、他の場所や立ち位置、特に一部の外国に住む方々に比べれば非常に甘いものかもしれません。ただ、ある状況において涼子や結衣のような感覚を持ち、日々を不器用ながらも実直に生きる人たちはいるだろうと、その思いを想像し、創作の形で描写したつもりです。

 本作の最終話を書き終えたのは、二〇二〇年四月一日です。つまり、その時点までの世の中の情勢を踏まえての私の考えと感覚にすぎません。これから先の変化によって、まったく異なる状況の訪れや価値観の変容もあるでしょう。そうなれば、本作で描かれた思いや価値基準は意味をなさなくなる可能性もありますが、いつかゆっくりとこの災難を振り返れるときには、本作に込めた、当時の感情を一つの記録として眺めたいと思います。私自身、多少混乱しながら書いたもので、私小説とエッセイが混在したいびつな作品になってしまい、お見苦しい部分もあったかと思います。それでも、最後までお読みいただけましたら大変うれしく、感謝いたします。

二〇二〇年四月一日 日本のとある街より 

 

追加の「あとがき」(に近いもの) 振り返りではなく、災難の渦中にいながら小説を書くということ 映画館の自粛に思いを馳せたこと

いま日本を含め、世界を覆っている災難について、小説という形で気持ちを吐き出してみたいと思ったのが、今年の三月十九日。
そこから二日間をかけて書いたのが『私には要も急もある 羽田涼子VS新型ウイルス感染症』です。
ある平凡な女子大生とその友人が直面した状況、それに対する彼女らの思いと行動を描写しました。
当時の日本国内では、自粛の是非と物資の買い占めへの問題提起が話題の中心だったと感じたため、それを中心テーマにしました。

書き上げた日から、地域にも寄りますが、日々状況は困難になっていくように思えます。
『私には要も急もある』は、投稿した三月二十日頃では有効でしたが、数日も経てば、作品の持つ説得力が持続しないと感じるようになりました。

本来、こういった未曾有の災難は、ドキュメンタリーを除けばある程度、時が経過してから、物語が作られていくものです。
戦争、災害、革命等、それらを経験した方たち、あるいは徹底して当時のリサーチをした人たちによる優れた作品は多く残されています。

この感染症の災難も、これから世界中の作り手たちによって、小説、漫画、アニメ、映画、舞台と多くのジャンルにて発表されていくことでしょう(「それらを作り上げるだけの余裕」=「災難の終息」はいつか必ず訪れるものと信じております)。

日々状況が変化し、俯瞰することのできない、いまの段階で物語ることは時期尚早とも言えます。
実際、商業作品として発表したとしたら、批判に晒される可能性があります。


ただ、私は創作を仕事にしているわけではないこともあり、こういった即時性のある無料閲覧の小説投稿サイトを利用して、気持ちを外に出してみたいと思いました。
特段の宣伝もしておりませんが、それでもお読みいただけた方がおり、また大変にうれしいご感想や評価をお寄せくださった方もおります。
本当にありがとうございます。


『私には要も急もある』が一気に書き上げた短編小説だったため、今度は連作短編という形で、毎日の状況を肌で感じ取りながら、思いと価値観をアップデートしつつ、それを物語に落とし込んでいきたいと思い、『映写機の回らない日 北浦結衣VS新型ウイルス感染症』を書き始めました。

一部地域のほとんどの映画館で週末臨時休業となったニュースに悲しみを感じ、そこに至るストーリーとして、『私には要も急もある』に登場した、映画館勤務のサブキャラクターを主人公に立て、物語を進めました。

感染リスクは本人だけの問題ではなく、無症状で他の人にうつしてしまいかねないリスクのあることがメディアやSNSで取り沙汰され、それに対する主人公たちの決断を物語の着地点としました。

『映写機の回らない日』は四月一日に書き上げました。この作品に私が込めたものはまだ有効性があると判断しております。
しかし、それも今後の状況次第で、容認できないものになりかねません。

それでも、振り返りではなく、災難の渦中にいる身(と言えるほどには健康被害、経済被害は受けておらず、ものを申せる立場ではありませんが)として、
日記やエッセイとは異なり、物語るという形での気持ちの吐き出しをやってみたかった。そして、それはやってよかった。

これからも、暮らしの変化を肌で感じ取りつつ、何らか文章の形で自分の思いを綴ってみたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。


二〇二〇年四月上旬