ザンの言葉


 

第一章

             ザンの言葉
 明和八年のことである。
 琉球の海ではこの時も漁師達が漁をしていた、彼等はその中で話していた。
「今日は大漁だな」
「そうだな」
「昨日に比べてな」
「随分多く獲れるな」
「今日食えるものは食ってな」
「余ったのは売るかな」
 それかというのだ。
「干物か燻製にするか」
「そうして後で食うか」
「いつも通りな」
「これだけあったら干物も燻製も結構出来るぞ」
「いざって時に困らないぞ」
「正直有り難いな」
「本当にな」
 こんな話をしながら漁をしていた、その中で。
 ふとだ、若い猟師の一人である安吉が言った。
「おい、凄いのが網にかかったぞ」
「凄いの?」
「凄いのって何だ」
「見ろ」
 仲間達に自分の網、海の中にあるそれを見ろと言った、仲間達はそれを受けて彼の網を見るとそこにだった。
 下半身は魚だが上半身は長い黒髪の裸の若い女だった、顔立ちは実に整っている。
 安吉はその魚と娘の間の子を指差して言った。
「ザンだよな」
「ああ、間違いない」
 漁師の中で一番年配の勘一が答えた。
「これはな」
「そうだな」
「わしも話は聞いたがな」
 それでもとだ、勘一は安吉に話した。
「見るのははじめてだ」
「爺さんでもか」
「ああ、ザンは食うもんじゃない」
「食えないか」
「ヤマトの方では食うと長生きすると言われているが」
「じゃあ食えばいいか」
「何百年も生きるんだぞ、その間女房も子供も孫も先に死んでいくんだぞ」
 そうなることもだ、勘一は話した。
「知り合いがどんどん先に死んでだ」
「何百年もか」
「生きていくんだぞ」
「それは辛いな」
「そうなりたいか」
「それは嫌だな、わしも長生きしたいが」
 それでもとだ、安吉は言った。そしてそれは他の猟師達も同じでだ。勘一の言葉に対して頷いていた。
「そこまではな」
「したくないな」
「長生きして楽しく生きたい」
 これが安吉の本音だった。
「何といってもな」
「そうじゃな」
「だからな」
「ザンは食わんほうがいいか」
「しかもこの身体だぞ」
 勘一は今度はザンのその姿について話した。
「奇麗なおなごじゃ」
「人だな」
「人を食いたいか」
「とんでもない、人を食うなぞな」
 それこそとだ、安吉は勘一に全否定する言葉で答えた。
「誰がしたいか」
「そう思うならな」
「ザンは食わん方がいいな」
「何百年も一人でいていいと思って人を食っても平気ならだ」
「食えるか」
「そうじゃ、そんな奴が人かどうかはともかくとしてな」
 勘一はこの言葉は厳しい顔で述べた。
「そうした奴でもないとな」
「ザンは食うものではないか」
「皆食わんな」
「とてもな」
「そういうことでな、とにかくな」
 勘一は仲間達にあらためて言った。 

 

第二章

「網にかかったからにはな」
「網から外さないとな」
「そうしないとな」
 食わないことにしてもとだ、こう話してだった。
 安吉達はまずはザンがかかっている網を船にあげた、するとザンはすぐに安吉達に対して願い出た。
「あの、どうか」
「ああ、あんたをどうかするつもりはないからな」
 安吉は勘一に言われたことをそのままザンに話した、見れば他の漁師達も彼と同じ表情になっている。
「だからな」
「それでは」
「すぐに海に戻れ」
 安吉はザンに告げた。
「いいな」
「それでは」
「ああ、もう二度と網にかかるな」
 ザンにこう告げた、すると。
 ザンは安吉達に深々と頭を下げてから自分から海に飛び込んだ、そのうえで姿を消した。安吉はそれを見守ってから勘一に言った。
「これでいいな」
「ああ、本当にな」
「ザンは食うものじゃないな」
「人は適当に長生きすればいいんだ」
「下手に何百年も長生きするとか」
「いいことはない」
 自分が言った通りにとだ、勘一は話した。
「それこそな」
「爺さんの言うこと聞いたらそうだな」
「向こうではそうして一人寂しくずっと暮らしていた尼さんがいたらしい」
「ヤマトにはか」
「ああ、何百年もな。その話を昔聞いてな」
 そうして戸田、勘一は安吉に話した。
「わしも思う様になった」
「何百年も生きる様じゃないか」
「ああ、そしてな」
「ザンは人間の姿をしているからか」
「余計に食うものじゃない」 
 そうも言うのだった。
「本当にな」
「そういうことだな」
「ああ、だからな」
「それでか」
「これでよかったんだ」
「ザンは食わずに海に帰してやることか」
「海にあるものでも何でも食ってもいいものでないしな」
 勘一はこうも言った。
「そうだろ」
「それもそうだな」
「そうだ、じゃあ漁を続けるか」
「そうするか」
 安吉は勘一の言葉に頷いた、そのうえで。
 仲間達と漁を再開した、この日は大漁を喜び村に帰った。その後も漁を続け数日経った時にだった。
 漁をしている安吉達の船のところに何かが来た、それはというと。
「あんたは」
「はい、先日は有り難うございました」
 数日前助けたザンが海から顔を出して言ってきた。
「お陰でこうしてです」
「海でか」
「暮らせています」
「それは何よりだな」
 安吉がザンに応えた。
「それは」
「はい、それでお礼にです」
「いや、何もいらんぞ」
 笑ってだ、安吉は貰いものはいいとした。
「大したことはしていないからな」
「いえものではないです」
「そういうのではないか」
「はい、実はお知らせに来まして」
 この度はというのだ。 

 

第三章

「先日のお礼はそちらです」
「わし等に知らせたいことがか」
「そうなります」
「そうか、ではそれは何だ」
 安吉はザンに問い返した、見れば勘一達他の船に乗っている漁師達も集まって彼女の話を聞いている。
「一体」
「もうすぐこの辺りで大津波が起こります」
 ザンは漁師達に真剣な顔で話した。
「ですから先にです」
「逃げろか」
「はい、高いところに」
「山にか」
「そうして下さい、間もなくなので」
 ザンは安吉達にさらに話した。
「漁から港に戻られますと」
「すぐにか」
「村の人達にお話して」
 そしてというのだ。
「そのうえで、です」
「逃げろというのか」
「そうされて下さい」
「ザンは嘘は言わんという」
 ここで勘一が安吉達に言ってきた。
「だからな」
「今言っていることはか」
「間違いない、だからな」
「漁から帰るとか」
「いや、いますぐにだ」
 それこそとだ、勘一は安吉に答えた。
「漁を止めてな」
「そしてか」
「戻った方がいい」
 村にというのだ。
「そしてだ」
「村の連中に話してか」
「すぐにだ」
「山に逃げるか」
「そうするぞ」
「その方がいいです」
 ザンも勘一の考えをよしとした。
「ですから」
「今すぐにか」
「はい、お逃げ下さい」
 こう言うのだった。
「高いところに」
「わかった、じゃあな」 
 安吉が頷いて答え他の漁師達もだった。
 彼等は即座に漁を止めてそのうえですぐに村まで戻った、そうして村の者達に話すと信じる者は信じたが。
 信じない者は信じない、安吉達はこのことに焦った。
「何とか家族は皆信じてくれたが」
「嘘言えとか言う奴いるな」
「村一の嫌われ者の尚久とかな」
「あと村の端の一人暮らしの婆とかな」
「そうした奴はもう仕方ないな」
 勘一は焦る彼等に難しい顔で答えた。
「だから信じてくれた奴だけをな」
「連れてか」
「そうして今すぐにか」
「山に逃げるか」
「そうするぞ、家のものも持てるだけ持ってな」 
 そうしてというのだ。
「すぐに逃げるぞ」
「そうするか」
「じゃあ今すぐにだな」
「山に逃げるか」
「家族や信じてくれた奴を連れて」
「そうするぞ」
 こう言ってだった。 

 

第四章

 漁師達はそれぞれの家族と自分達の言うことを信じてくれた者を連れて村の傍にある高い山に家のものを持てるだけ持ってだった。
 すぐに逃げた、そして彼等が頂上まで行くとだった。
 そこで海から大津波が来た、大津波は村もその周りもあっという間に飲み込んだ。海に泊めてあった船達も。
 そういったものを全て飲み込むのを見てだ、安吉達は言った。
「本当だったな」
「そうだったな」
「ザンの言ったことは」
「本当に大津波が来たな」
「若しおら達がまだ村にいたら」
「海にいたら」
 どうなったかというのだ。
「お陀仏だったな」
「間違いなくな」
「そうなっていたな」
「危ないところだった」
「本当にな」
「若しもな」
 安吉はここで言った。
「俺達があの時ザンを逃がさないと」
「ああ、その時はな」
 勘一が彼に答えた。
「わし等もな」
「津波に飲み込まれてな」
「間違いなく死んでいた」
「そうなっていたな」
「あの時ザンを助けてよかったな」
 勘一は心からしみじみと思いこの言葉を出した。
「本当に」
「そうだな」
 安吉は勘一のその言葉に頷いた。
「そう思うとな」
「あの時ああしてよかったな」
「ああ、後はな」
「これからだな」
「何とかしてな」
 それこそというのだ。
「村も元に戻して」
「船ももう一度造ってな」
「やっていくか」
「命があるんだ」
 何とかそれを拾ったからだというのだ。
「だからな」
「ここはか」
「ああ、やりなおすぞ」
「そうだな、死ななかったんだ」
 それならとだ、安吉は勘一に応えた。
「もう一度やりなおすか」
「そうしていこうな」
 勘一も言う、そしてだった。
 漁師達は家族それに自分達の言葉を信じてついてきた者達と共に村があった場所に戻り村を一から復興させはじめた、船も漁の道具も作りなおさねばならず大変であったが彼等は命がありそれなりの数があり何とかなった。そしてだった。
 村は時をかけて元に戻りかつての漁村として生きていくことが出来た。そうなったものザンの言うことを聞いたからだと村人達は後世になっても話した。明和八年にあった実際の話である。


ザンの言葉   完


                     2020・3・13