楓の人さらい


 

第一章

                楓の人さらい
 中国の山東省の話である。
 漢代この省がまだ青洲という名であった頃に石屯と玉花という若い夫婦がいた、石屯は面長で太い眉を優しい顔立ちをした背の高い男で玉花は小柄で楚々とした外観である。二人は街で店を開いていて働き者だったが。
 同居している石屯の母が非常に問題で。
 働きもせず夫婦をいびることが好きでかつ金遣いも荒く近所と揉めごとばかり起こしていた、それでなのだった。
 石屯は困った顔でだ、妻に言った。
「もうあんな人の面倒を見きれないよ」
「だからなのね」
「うん、もうね」
 それでというのだ。
「お母さんを放っておいて」
「それでなのね」
「他の街に行って」
 そうしてというのだ。
「暮らそうか」
「そうするのね」
「売るものは僕が作るから」
 それを売っているからだというのだ。
「何処に行ってもね」
「お仕事が出来て」
「暮らせるから」
 それでというのだ。
「それでだよ」
「お義母さんを置いて」
「行こう、どうせこの街でしか生きられないというか」
「私達がいないと」
「働きもしない人だからね」 
 そうした母だからだというのだ。
「もうね」
「お義母さんを置いて」
「そして行こう」
 夫婦でこう話してだった。
 二人で夜逃げした、行く場所も決めてそうした。共に馬に乗って荷物も家具も全部持ってそうしたが。
 紅山というところを越えたると朝日が昇った、石屯はそれを見て言った。
「少し休もうか」
「そうね」
 妻は夫の言葉に頷いた。
「ずっと馬に乗ってきたし」
「そうしよう」
「ええ、側に泉もあるし」
 見れば楓の木に囲まれたそれがあった、泉の上には楓の赤い葉達がある。
「あの泉でね」
「お水を飲もうか」
「馬達にも飲ませましょう」
「そうしよう」
 夫婦で話してだった。
 馬達を連れてその泉の水を飲んだ、そのうえでその場を去り。
 二人で向かう先の街まで行ってそこで店を開いた、やがて二人の間には子供が出来ていき最初は男の子が生まれ。
 次には娘が生まれたがある日だった。
 家に赤ら顔の角を生やした太った男が来てまだ赤子の娘をさらって何処かに行ってしまった、夫婦はこの事態に仰天してだ。
 町中を探したが何処にもいない、それで途方に暮れていると店の馴染みの客である老婆が言ってきた。
「あんた達若しかして紅山の泉の水を飲んだかい?」
「はい、この街に来る時に」
「そうしました」 
 夫婦は老婆に正直に答えた。
「この街の少し先にある」
「あちらで」
「それだよ、あの山には楓の木の精がいてね」
「ではあの赤ら顔の男は」
「楓の精だったのですか」
「そうだよ、あの精は自分の根から水を滲み出させてね」
 そうしてというのだ。 

 

第二章

「あの泉を作ってるんだよ」
「だからあの泉の水面には楓の葉があったのですね」
「そうだったのですね」
「それで秋になると山全体が楓の葉で赤くなるからね」 
 老婆はさらに話した。
「紅山って呼ばれてるんだよ」
「そうだったのですね」
「あの山は」
「それで人間から嫁を迎えているけれど」
 それでもというのだ。
「木の精と人間じゃ寿命が違うだろ」
「ですね。何百年とか千年生きるのが木の精で」
「人間は七十生きたら凄いです」
「古稀っていう位だからね」
 古来稀というのだ、七十まで生きれば。
「それじゃあね」
「そうですね」
「人間は」
「それであの泉のお水を飲んだ恩あの人から一番の別嬪さんをだよ」
 その女性をというのだ。
「前の奥さんが亡くなったらね」
「妻に迎える」
「そうですか」
「どうやらあんた達の娘さんは将来凄い美人さんになるから」 
 だからだというのだ。
「攫ってね」
「妻にするのですか」
「私達の娘が大人になったら」
「そのつもりだね、奥さんが水を飲んでから娘さんが生まれたから」
 そうなったからというのだ。
「娘さんも飲んだのと同じだね」
「そんな、娘はまだ赤子ですよ」
 石屯は眉を顰めさせて老婆に言った。
「それに相手はです」
「私達が親として話して」
 玉花も言った。
「決めるもので」
「相手に奪われてだとだね」
「認められません」
「それに私達の娘ですから」
「ちゃんと息子と一緒に育てます」
「そうします」
「そう思うなら助けに行くといいよ」 
 老婆は二人に提案した。
「暫くお店と息子さんは人に任せてね」
「はい、そうします」
「それで行って来ます」
「じゃあね、頑張ってくるんだよ」
 老婆は決意した二人にこう言ってだった。
 夫婦と共に信頼出来る人を探して二人が留守の間店と息子を預けた、そのうえで夫婦は馬を飛ばして紅山に向かってだった。
 泉のところに行くとあの男が出て来て言ってきた。
「娘を取り返しに来たのか」
「はい、そうです」
「娘を返して下さい」
「娘はまだ赤子です」
「私達が育てます」
「そして娘が年頃になってです」
「私達がいいと思った人の妻にします」
 二人で男、楓の木の精に言うのだった。
「そうしますので」
「どうかここはです」
「娘を返してくれませんか」
「私達としても困ります」
「しかしわしも今の妻に先立たれ妻を迎えねばならん」 
 木の精は太く低い声で応えた。 

 

第三章

「だからだ」
「返してくれる」
「そうだというのですか」
「しかしそなた達わしが娘を返さねば思い切ったことをしそうだな」 
 二人を見てこうも言った。
「見ておった、酷い親を避けて馬で今の街まで逃げたな」
「それが何か」
「どうしましたか」
「随分と思い切ったことをした、そうした者達の申し出を断ると何をするかわからぬ」
 木の精は確かな声と顔で言った。
「この山を少しでも荒らされるとわしは困る、ではだ」
「娘を返してくれますか」
「そうしてくれますか」
「しかし条件がある」
 木の精は強い声で言った。
「娘を石に変えて返そう」
「石に」
「それにですか」
「その石をそなた達の今の家まで背負って帰るのだ、馬を使わずにな」
 ここまで乗って来たそれをというのだ。
「そしてだ」
「そのうえで、ですか」
「街までですか」
「帰るのだ、家まで着けば娘は石から元の姿に戻る」 
 そうなるというのだ。
「そしてそなた達は元の暮らしに戻れる」
「そうですか、ではです」
「そうさせて頂きます」
 夫婦は木の精に即座に答えた。
「私達としては」
「その様に」
「石は極めて重いぞ」
 木の精はこのことも言ってきた。
「普段の娘の十倍はだ」
「重い」
「そうなのですか」
「特別な石でな、それを馬を使わず家まで持って行けるか」
「必ず」
「そうします」
 夫婦は強い決意を以て答えた。
「そしてです」
「娘を返してもらいます」
「そこまで言うならだ」
 木の精も応えた、そしてだった。
 石になった娘を二人に渡した、すると木の精の言う通り極めて重かった。だがそれでも夫婦はだった。
 娘を交代でおぶって帰りだした、途中馬達二人が今住んでいる街に夜逃げをする時から一緒の彼等がだ。
 顔を向けて自分達が運ぼうかと目で言ってきたが。
 二人共だった、その重い石を背負いながら二人で言うのだった。 

 

第四章

「大丈夫だ」
「代わりでしているしね」
「しかもこれで家まで帰らないとな」
「娘は元に戻らないから」
「だからだ」
「このままいくわ」
 こう言ってだった、馬達はそのまま自分達の横を歩かせそうしてそのうえで夫婦で一緒に街に帰った。
 その間二人は交代で娘が姿を変えられた石を背負ってだった。
 そのうえで進んでいった、そして。 
 遂にだ、家に着くとだった。
 娘は元の姿に戻った、それを見た夫婦は泣いて喜んだ、そうしてそれからは一家で仲良く暮らしていった。
 やがて二人はその中で実家の老婆石屯から見れば実母玉花から見れば義母にあたる彼女が野垂れ死んだと聞いたがもう何も思わなかった。
 そして木の精はというと。
 二人に自分のことを教えた老婆が泉に来た時にこう言われた。
「あんたも約束は守ったね」
「約束は守らないとな」
 木の精は強い声で答えた。
「やはりな」
「だからか」
「うむ、娘はしっかりとだ」
「石から元の姿に戻し」
「そしてだ」
 そのうえでというのだ。
「妻にすることは諦めた」
「そうなのじゃな」
「しかし考えてみればな」 
 木の精は腕を組みこうも言った。
「人間を妻に迎えてもな」
「それでもか」
「寿命が違うからな」
 それでというのだ。
「どうしても先に旅立たれてな」
「お主はその都度妻を迎えておるのう」
「正直その都度別れて」
 木の精は悲しい顔になって述べた。
「辛い思いをしている」
「そうなのか」
「だからな」
 それでというのだ。
「もう人間の妻でなくな」
「あんたと同じか」
「木の精の妻を迎えるか」
「そうしたらいい、そうしたら今回みたいなこともじゃ」
 老婆は木の精に笑って応えた。
「なくなる」
「そうだな、正直あの夫婦には迷惑をかけた」
 木の精は反省もして述べた。
「ならな」
「これからはじゃな」
「木の精霊の妻を迎える」
「ではわしはどうじゃ」
 ここでだ、老婆は。
 姿形はそのままだが黄色の服になって彼に話した。
「わしも木の精であるしな」
「お主は銀杏のな」
「丁度いいであろう、お主もわしも近い歳じゃろ」
「そうだな、ではな」
「それではだな」
「一緒にな」
 それでというのだ。
「これから暮らそうぞ」
「それではな」
 二人で楽しく話した、そしてだった。
 以後木の精は人に何かすることはなくなった、中国に古くから伝わる話である。木にはこうした話もあるということか。


楓の人さらい   完


                   2023・4・15