銀河英雄伝説~悪夢編


 

第一話 自由裁量権って何だよ



帝国暦 489年 4月30日  オーディン  宇宙艦隊司令部 ナイトハルト・ミュラー



「閣下、これをお願いします」
俺が艦隊司令部の人事考課表を提出するとエーリッヒは無言で受け取った。顔色が良くない、疲れているのだろうか、婿養子の様なものだからな、家では結構気を使うのかも……。

「大丈夫か? 顔色が良くないぞ」
顔をエーリッヒの耳元に寄せ小声で囁いた。周囲には女性下士官達が大勢いる、あまり大声では言える事では無い。エーリッヒは俺を見るとちょっと顔を顰めた。

「フイッツシモンズ大佐、私はミュラー提督と相談しなければならない事が有ります。会議室に居ますので何かあったら呼び出してください」
「承知しました」
フイッツシモンズ大佐が答えるとエーリッヒが席を立って会議室に向かった。正直驚いたが何事も無いように後に続いた。

会議室に入り適当な場所に二人で座った。
「どうした、何が有った、トラブルでも有ったのか?」
流石に家で上手く行っていないのかとは訊けない。エーリッヒは“そうじゃない”と言って首を横に振った。

「悪い夢を見たんだ」
「悪い夢?」
エーリッヒが頷く。悪い夢? どんな夢だ? 戦争で負けた夢か? あるいはローエングラム伯のクーデターが成功した夢? まさか汚職に関わった夢とかじゃないだろうな。

「……グリンメルスハウゼン艦隊が解体されなかったらどうなっていたと思う?」
「はあ?」
「私が参謀長で卿がずっと副参謀長だったら……」
「……それは……」



帝国暦 485年 5月25日  オーディン  軍務省  尚書室  グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー



「少々拙い事態になったようだ」
「というと」
「グリンメルスハウゼン大将が次の遠征にも参加したいと希望を出している」
「冗談だろう、軍務尚書。今回だけという事で先日の遠征にも参加させたはずだ」

冗談だ、冗談に違いない、エーレンベルクは私をからかって楽しんでいるのだ。しかし軍務尚書は無情にも首を横に振った。
「冗談では無い、事実だ」
「……」
安心しろ、希望が出ただけだ。希望だけなら誰でも出せる。悲観する事は無い。だが私の希望は軍務尚書の言葉に無残に打ち砕かれた。

「陛下からは武勲も上げている故参加させてはどうかとの御言葉が有った」
「それは……」
「断る事は出来ぬ……」
溜息が出た。またこれか……。前回もそうだった。陛下の御言葉が有ってはどうにもならない。形式は打診だが内実は命令に等しい。

「現実にあれだけの武勲を上げているのだ、例え陛下の御言葉が無くとも本人から希望が有れば無碍には出来ん」
「それはそうだが……、已むを得ぬという事か」
「そういう事になるな」
また溜息が出た、私だけでは無い、軍務尚書も溜息を吐いている。

「軍務尚書、正直に言う、私はあの艦隊をどう扱ってよいか分からぬのだ」
軍務尚書が顔を顰めた。グリンメルスハウゼンが全く当てにならぬことは分かっている。だがあの艦隊はどう考えれば良いのか……。帝国軍の問題児、役立たずを集めた艦隊、どうみてもお荷物の艦隊のはずだった。ヴァンフリートでは武勲を上げたがどこまで信じて良いのか……。

「当てにせぬことだ、当てにして失敗すればとんでもないことになる。戦力としては数えず遊軍として扱う。それ以外にはあるまい」
「遊軍か、功を上げれば儲けもの、そういう事だな」
「そういう事だ」
酷い話だ、一個艦隊を遊軍として扱うか。しかし確かに当てには出来ぬのだ、となれば已むを得ぬことではある。軍務尚書の表情が渋い、おそらくは私も同様だろう。

「それよりヴァレンシュタイン大佐の事だがどうする。卿は宇宙艦隊司令部への異動を希望していたが……」
それが有ったか……、思わず舌打ちが出そうになった。
「取り下げざるを得まい、あの艦隊を少しでもまともにするためにはあの男が必要だ。当てにするわけではないが全くのお荷物では困る」
何をしでかすか分からぬところはあるが負けるよりはましであろう。軍務尚書が“その通りだな”と言って頷いた。

「ところで軍務尚書、グリンメルスハウゼン艦隊から外して欲しい人間がいる」
「ほう、誰かな?」
「ミューゼル少将だ」
「ミューゼル……、なるほど、グリューネワルト伯爵夫人の弟か。確かに外した方が良かろうな」
軍務尚書が二度三度と頷いた。

「それでどうするかな、卿の直属部隊に組み込むか」
賛成しないと言った表情だ、もちろん私もそんな事をするつもりはない。
「いや、お荷物は一つで十分だ、二つは要らぬ。持ちきれぬよ」
「それが良かろう、では留守番だな」
「うむ」
まったくどうして帝国軍にはわけのわからぬ荷物が多いのか……。口には出せぬが持たされるこちらの苦労を少しは陛下にも考えていただきたいものだ。

「司令長官、あの男、ヴァレンシュタイン大佐だが二階級昇進に異議を唱えているようだな」
「というと?」
「副参謀長を務めたミュラー中佐も二階級昇進させて欲しいと言っているらしい。そうでなければ自分の二階級昇進は受けられぬと」
「ほう」
ふむ、以前にも思ったが出世欲の塊というわけではないわけか。それがせめてもの救いだ。

「差支えなければ昇進させてはどうかな。あの二人にグリンメルスハウゼンの面倒を見させる。お守り代だ、苦労するだろうからな」
「そうだな、そうするか」
軍務尚書が頷いた……。私なら昇進よりも異動を願うだろう。そう思うと少しだけ可哀想だと思い、同時に少しだけいい気味だとも思った。



帝国暦 485年 6月 1日  オーディン  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「拙いことになったみたいだよ、ナイトハルト」
「そうだな、拙いことになったみたいだ」
「妙にこっちの要望が通ると思ったんだ」
「おかしいよな、どうみても」
目の前で男二人が顔を顰めている。一人は私が副官を務めるヴァレンシュタイン少将、もう一人はナイトハルト・ミュラー准将。二人ともまだ若い、少将は二十歳、准将は二十四歳、私より年下だ。

二人とも前回の戦いで大功を上げ二階級昇進した。帝国でもっとも注目を浴びる若い将官、前途有望な将官だ。その二人が顔を顰めている。
「あの、何が拙いのでしょう」
私の言葉に二人は答えなかった。ほんの少し私を見て溜息を吐いた。

「昇進はしたが異動は無しか。私の宇宙艦隊司令部入りの話は消えたらしいよ、ナイトハルト」
「そうか、そう言えばミューゼル少将は国内の哨戒任務に就くことになったな。次の遠征に参加したいと希望を出したが却下されたそうだ」
「グリンメルスハウゼン提督が次の遠征にも参加を希望したという噂が有る」
また二人が溜息を吐いた。

「軍内部では妙な噂が流れている。卿はミュッケンベルガー元帥、エーレンベルク元帥のお気に入りだそうだ。いずれはグリンメルスハウゼン提督の艦隊を卿が引き継ぐそうだ」
「一週間前なら笑い飛ばしたんだけどね、どうやら冗談じゃなくなったらしい」
また二人が溜息を吐いた。これで三度目だ。

「あの、良いお話ではないのですか? 上層部から高く評価されて将来も明るい、次の出兵も決まったのですよね?」
二人は私を見て四度目の溜息を吐いた。視線が痛い、お前は何も分かっていない、そんな視線だ。

「グリンメルスハウゼン艦隊は帝国でもっとも期待されていない艦隊です」
「はあ?」
どういうこと? ヴァンフリートで最大の武勲を上げた艦隊が期待されていない?

「エーリッヒの言うとおりだ。あの艦隊は帝国の問題児、役立たずを集めた艦隊なんだ。まともに戦争なんて出来る艦隊じゃない」
「武勲を上げていますが……」
恐る恐る問い掛けると二人の表情がますます渋くなった。

「運が良かった。運だけじゃないけどとにかく運が良かった」
「卿の力量もあるさ」
「だといいけどね」
「……」
信じられない、何かの間違いだと思いたい。同盟軍はそんな艦隊に敗れたの? でも目の前の二人を見ているととても間違いだとは思えない。

「グリンメルスハウゼン提督は次の出兵への参加を希望したと聞いています。そこまで悲観することはないのではありませんか?」
二人の要求するレベルが高すぎるのだ、そうに違いない。一縷の希望を込めて訊いてみたが返ってきた二人の答えは悲惨としか言いようがなかった。

「提督には軍事的才能は皆無です。だから艦隊の状況をまるで分かっていない」
「……」
「グリンメルスハウゼン提督が先の出兵に参加できたのは提督が皇帝陛下と親密な関係にあったからだ。そうでなければとっくに退役になっている」

“この艦隊の司令官はお飾りでな、それこそお前の言う貴族のお坊ちゃま、いや御爺ちゃまだ”
リューネブルクの言葉だったけどあれは本当だったんだ。帝国って信じられない……。

「時間がないな、艦隊の訓練をしなければ……」
「そうだな、俺はまだ死にたくない」
「私もだ、生き残るために努力しようか」
「ああ」
二人が五回目の溜息を吐いた。どうしよう、私とんでもない所に来てしまったみたい……。



帝国暦 485年 10月 3日  イゼルローン要塞  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



帝国軍は今イゼルローン要塞の会議室で将官会議を開いている。遠征軍約五万隻以上、イゼルローン要塞駐留艦隊も含めれば総勢約七万隻の艦隊を率いる将官が会議室に集まった。もっともその頂点に立つ総司令官ミュッケンベルガー元帥の表情は必ずしも明るくはない。彼にとって状況は不本意なものになりつつある。

「反乱軍はイゼルローン回廊の出口を封鎖したようだ。残念だが叛徒どもの勢力範囲に踏み込んでの艦隊決戦は不可能になったと判断せざるを得ない。思ったより彼らの軍の展開が速かった……」
「訓練などで時間を無駄に費やした艦隊が有りますからな、困ったものです」

ミュッケンベルガーと宇宙艦隊司令部作戦参謀シュターデン少将の会話に皆が俺達グリンメルスハウゼン艦隊の人間を見た。シュターデンは露骨に蔑むような目で俺を見ている。上等だな、シュターデン。訓練の邪魔をしたのはお前だろう、あれが無ければもっと早く訓練を終わらせることができた。大体原作だって要塞攻防戦になるんだ。それを俺達の所為にするか、ケンカ売るなら買ってやるぞ。

「シュターデン少将の仰る通り無駄に時間を費やした艦隊が有るなら問題だと小官も思います、厳重に注意すべきでしょう」
あらあら皆信じられないものを見たような目で俺を見ている。
「シュターデン少将、一体その艦隊は何処の艦隊ですか、指揮官は誰なのか、小官に教えて頂けませんか」

シュターデンが顔を真っ赤にして口籠った。ここでグリンメルスハウゼンの名前は出せないよな。何と言っても老人はフリードリヒ四世のお気に入りだ。心の内でどれだけ軽蔑して罵っても口には出せない。出せるんだったらミュッケンベルガーだって苦労はしないのだ。

爺さんを怒らせれば後々厄介なことになりかねない。皆が気不味そうに視線を逸らした、巻き添えは喰いたくない、そんなところだな。何人かはシュターデンを蔑むように見ている。皇帝の寵臣を愚弄した思慮の足りない愚か者、そんなところだろう。

「両名とも止めよ」
ミュッケンベルガーが不機嫌そうな表情で俺達の諍いを止めた。シュターデンがホッとしたような表情を見せたがミュッケンベルガーに“言葉を慎め”と注意されると顔を蒼白にして“はっ”と答えた。言葉を慎め、意味深だな。

ミュッケンベルガーはシュターデンの発言を否定はしていない、言い過ぎだって事だ。運がいいよな、シュターデン。グリンメルスハウゼンは何も気付いていない、或いは気付いていない振りをしている……。隣に座っているミュラーに視線を向けたが微かに笑みを浮かべていた。しょうがない奴、そう思ったかな。

「反乱軍が回廊の出口を封鎖している以上、こちらとしてはイゼルローン要塞を利用した攻防戦に持ち込むのが最善だろう。おそらくは反乱軍もそれを望んでいるはずだ」
その通りだ、同盟軍はミサイル艇でのイゼルローン要塞攻略を考えている。

「各艦隊は適宜に出撃して反乱軍を挑発、イゼルローン要塞へ誘引せよ」
ミュッケンベルガーの言葉に皆が頷いた。さて、俺達はどうするべきかな、勝手に動くのは怒られそうだが……。多分予備かな。

「グリンメルスハウゼン提督」
「なんですかな、総司令官閣下」
「貴官には自由裁量権を与える。我が軍の勝利に貢献して欲しい、期待している」
会議室がざわめいた。なんだって? 自由裁量権? ミュラーを見た、愕然としている。俺の聞き間違いじゃない!

「自由裁量権! 有難うございます、総司令官閣下、御信頼に必ず応えます!」
喜んでいる場合か! 皆が驚く中ミュッケンベルガーだけは無表情にこちらを見ていた。最初からそのつもりか! 背筋に寒気が走った!

将官会議の終了後、旗艦オストファーレンの参謀長室でミュラーと話をした。ミュラーの顔色は良くない、おそらくは俺も同様だろう。俺達は以前からミュッケンベルガーは自由裁量権をグリンメルスハウゼンに与えるつもりだったのだという推測で一致した。

「自由裁量権か……。一つ間違えば指揮権の分割だな。どう考えても有り得ない話だ。そうだろう、エーリッヒ」
「……」
ミュラーの言う通りだ。どんな指揮官でも指揮権の分割を嫌う、自ら言い出すなど有り得ないしそれを言い出したのがミュッケンベルガーというのも有り得ない。となるとどう受け取るべきか……。

「勝手にやれ、勝とうが負けようが自分は関知しない、そんなところかな?」
「そうだろうね、そう考えるとミューゼル少将が異動になった理由も分かるような気がする。皇帝に縁の深い人間を一挙に二人失うのは将来に差支える、元帥はそう判断したんだと思う」
「なるほど、俺達を失うのは想定内か……」
「そういう事になるね」

これ以上俺達に振り回されるのは御免だというわけだ。ヴァンフリートであれだけの武勲を上げた以上信頼して自由裁量権を与えた。俺達が勝てば問題はない。負けた時は信頼に応えられなかった、そういう形で俺達を葬り去ろうとしている。あくまで責任はグリンメルスハウゼンにある……。

厳しい戦いになるな。味方は何処にもいない、そう考えるべきだ。自由裁量権、こいつをどう使うか……。使い方次第では大きく役に立つが一つ間違うと大きな損害を受けることになる……。諸刃の剣と言って良いだろう、問題は誰が切られるかだ。俺達か、それとも同盟軍か、或いはミュッケンベルガーか、三つ巴の戦いになりそうだ……。



 

 

第二話 余計なことはするんじゃない



帝国暦 485年 10月 10日  オストファーレン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「参謀長、出撃しなくとも良いのかのう?」
「……」
「自由裁量権を頂いたのだし多少はそれらしい事をせねば……」
指揮官席に座っているグリンメルスハウゼンが目をしょぼしょぼさせながら問い掛けてきた。

分かってないよな、そんなことをして大負けしたらどうするんだよ。ミュッケンベルガーの思う壺だろう。俺はそんなことをするつもりはない。大体この艦隊の練度だが決して良くない。多少はましになったが艦隊戦は不安だ。兵力差が有るならともかく同数では結構きついだろう。俺だけじゃない、司令部要員は皆そう思っている。

「確かにその通りですが余り勝手を致しますと総司令官閣下も御不快に思われるかもしれません」
「ふうむ、そうかのう」
「いずれ反乱軍は要塞に押し寄せてきます。こちらから敵を求めなくても向こうからやってくるのです。それを待ちましょう」
「ふうむ」

不満なのかと思ったがそれ以上は何も言ってこなかった。ミュラーに視線を向けると彼が微かに頷いた、俺も頷き返す。出来る限りミュッケンベルガーの目の届くところで戦う、それが俺とミュラーの考えた基本方針だ。いくら自由裁量権を与えたからと言って目の前で劣勢にある俺達を見殺しにする事は無いだろう。

もっとも周囲にはそうは言っていない。司令部要員のクーン中佐、バーリンゲン中佐、アンベルク少佐には艦隊戦には不安が有るから単独行動は避けようと言っている。連中も反対はしていない、不安が有るのは事実だし何と言っても俺がミュッケンベルガーのお気に入りだと思っている。

遠征軍内部ではあの自由裁量権はミュッケンベルガーの俺に対する信頼の証と噂されているらしい。将官会議で俺とシュターデンの諍いで叱責されたのはシュターデンだけだった。普通は宇宙艦隊司令部の権威を保つために俺に対しても一言有って良いんだがそれが無かった。お気に入り説は真実となりつつある。そのうち俺まで信じてしまいそうだ。

妙な事は俺達が動かない事に宇宙艦隊司令部が何も言ってこない事だ。普通なら戦意不足とか難癖付けて無理矢理出撃させてもおかしくはないんだがな。積極的にこちらの敗北を望んでいるというわけではないのかもしれない。ただ関わり合いになりたくない、そんなところか……。

気持ちは分からないでもない、俺だってこれ以上グリンメルスハウゼンと関わり合いになりたいとは思わない。誰かこの老人に現役引退を勧告してくれないかと思うのだが後ろにいるのが皇帝だからな、なかなか難しいのだろう。軍上層部に同情はするが現場に皺寄せを押し付けるのは止めて欲しいものだ。

戦況は良くない、要塞付近に誘引するのが目的ではあるが出撃した帝国軍が劣勢に陥るケースが多いのだ。ラインハルトがいない所為だな、その影響がここで出ている。ミュッケンベルガーも頭が痛いだろう、あまりに劣勢だと遠征軍の士気にも関わる。さて、どうなるかな……。



帝国暦 485年 10月 13日  オストファーレン  ヘルマン・フォン・リューネブルク



厄介な事になった。シェーンコップが俺を挑発している。強襲揚陸艦で敵艦に接触、乗り込んで占拠すると通信装置で俺を名指しで呼び出すのだ。ヴァレンシュタイン参謀長は気にするなとは言っているが、周りの俺を見る眼は決して好意的なものではない。

今俺はオストファーレンの艦橋に向かっている。宇宙艦隊司令部からオストファーレンに通信が入った。俺を呼べと言っているらしい。多分この件についてだろう。嫌な予感がするが行かざるを得ない。

驚いた事に艦橋のスクリーンにはミュッケンベルガーは映っていなかった。シュターデン少将とオフレッサー上級大将が映っている。二人とも嫌な笑みを浮かべていた。益々嫌な予感がする。そしてグリンメルスハウゼン艦隊司令部の人間も皆が揃っていた。

「ヘルマン・フォン・リューネブルク、参上しました」
『うむ、リューネブルク少将、卿も反乱軍が聞くに堪えぬ悪罵を放って卿を呼び出している事は知っているな』
「はっ」

『聞けば彼らはローゼンリッターと呼ばれる裏切り者どもらしい』
『卿の昔の仲間だな、リューネブルク少将』
嫌な事を言うな、オフレッサー。こいつら二人一体何を話していた? 嫌な予感が益々募った。

『リューネブルク少将、宇宙艦隊司令部は反乱軍との戦いに総力を挙げて対応しようとしている。卿ならずとも、たかだか一少将の身上などにかかわってはおられんのだ。総司令官たる元帥閣下を悩ませるようなことは控えるべきではないかな』
「では小官にどうせよと仰いますか」

シュターデンが嫌な笑みを頬に浮かべチラっとヴァレンシュタインに視線を向けた。なるほど、シュターデンの真の狙いは先日の会議の意趣返しか。俺とヴァレンシュタインが親しいとみているのだ。そしてオフレッサーは俺を危険視している。手を組んでこちらを痛めつけようというわけらしい。

『知れた事だろう。卿自身の不名誉、卿自身の力を以て晴らすべきであろう』
「なるほど……」
俺はこの艦隊の弱点と見られている、これまでか…。

突然クスクスと笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタインがいかにも可笑しいといった表情で笑っている。
『何が可笑しい!』
シュターデンが怒声を上げたがヴァレンシュタインは可笑しそうに笑うのを止めようとしない。

「いえ、この程度の挑発でおたおたするとは宇宙艦隊司令部も頼りにならない、そう思ったのですよ」
艦橋が凍りついた。皆が信じられないといった表情でヴァレンシュタインを見ている。

『貴様、愚弄するか!』
「愚弄? 愚弄しているのはそちらでしょう。元帥閣下はこの程度の事で悩むような器の小さな方では有りません。自分の器量で元帥閣下を量るとは……、シュターデン少将、いささか僭越ではありませんか」

上手い言い方だ、正直感嘆した。シュターデンが顔を真っ赤にして口籠っている。
「元帥閣下を悩ませているのは頼りにならない何処かの司令部参謀でしょう。その程度の事も分からないとは……、元帥閣下も嘆いておられるでしょうね、部下に恵まれないと」
『き、貴様……』

シュターデンが怒りでブルブルと震えている。止めを刺された、そんな感じだな。それにしてもヴァレンシュタインは度胸が有る。以前から思っていたがただの秀才参謀ではない。シュターデン、残念だがお前じゃこの男の相手は無理だ。

『しかし、帝国軍の名誉が貶められているのだ。無視はできまい』
唸るような口調でオフレッサーが助け船を出した。シュターデンもようやく態勢を立て直して“そうだ、名誉だ”と続ける。突破口を見つけた、そんな感じだ。

「名誉? 冗談は止めてください。戦争は勝つためにやるものです。負けても名誉が保たれたなどというのは馬鹿な参謀の言い訳ですよ。歴戦の勇士であるオフレッサー閣下ならこの程度の事はお分かりでしょう。小官をからかっているのですか?」
ヴァレンシュタインが呆れた様に言うと今度はオフレッサーが言葉に詰まった。馬鹿な参謀と当て擦られたシュターデンはまた顔を真っ赤にしている。

「グリンメルスハウゼン提督」
「何かな、参謀長」
「宇宙艦隊司令部は少々困っているようです。我々の手でそれを解消して差し上げたいと思いますが提督は如何お考えでしょう?」

オフレッサーとシュターデンの表情が強張った。何時の間にか立場が逆転していた。これでは二人がグリンメルスハウゼン艦隊に何とかしてくれと泣き付いた事になっている。前代未聞の珍事だ、俺だけじゃない、皆が目を丸くして見ている。

「そうじゃのう、味方が苦しんでいるときは助けるのが当然の事じゃ」
本心からか、それとも皮肉か、多分本心だろうな。だがスクリーンの二人には何ともきつい皮肉にしか聞こえまい。
「分かりました、ではこれから出撃します」
「うむ」
提督とヴァレンシュタインの遣り取りに艦橋の空気が緊張した。

「オフレッサー閣下、シュターデン少将、グリンメルスハウゼン艦隊はこれより出撃します。これは貸しですよ、いずれ返して頂きます。お二方は元帥閣下に事の経緯をきちんと説明してください」
『……』
二人とも苦虫を潰したような表情だ。それを見てヴァレンシュタインがにっこりと笑みを浮かべた。また何か考え付いたな。

「戻り次第小官から元帥閣下に報告を致します。その際、お二方が自由裁量権を得た艦隊の士官に対して押し付けがましく指示に従うように強要してきた等と言いたくなるようなことが無いようにお願いしますよ」
『……』

オフレッサーとシュターデンの顔が引き攣った。つまり頭を下げて頼んだと説明しろという事だ。それ以外は認めないと言っている。当然だがミュッケンベルガーはグリンメルスハウゼンに感謝する事になるだろう。屈辱以外の何物でもないはずだ。

「元帥閣下は総司令官の権威を冒すような行為をした人間を不愉快に思われるはずです。お分かりですね」
『……』
駄目押しだな、ぐうの音も出ない。

これで二人に残っているのはミュッケンベルガーの権威を踏み躙るような行為をしたとして叱責されるか、ミュッケンベルガーのためを思って余計な事をしたとして叱責されるかだ。どちらを選ぶかは彼らの自由だが大体想像はつく。

通信はこちらから切った。本来なら上級者である向こうから切るのが礼儀だが何も言って来なかった。二人にはミュッケンベルガーからの厳しい叱責が待っている。おそらくはその事で頭が一杯だったのだろう。今頃二人の間で責任の擦り合いでもしているかもしれない。

「参謀長に助けられましたな、礼を言います」
「余り気にされることは有りませんよ」
危うい所だった、この男がいなければ俺は死地に追いやられていただろう。俺の謝意に対してヴァレンシュタインは柔らかく笑っている。そうしていると穏やかな若者にしか見えない。

「しかし大丈夫ですか、あの連中を止める手段が有りますかな。探すのも容易ではないと思いますが……」
探し続ければ反乱軍との遭遇も頻繁になる。場合によっては奥深く入り込まないとならないだろう。艦隊戦に自信のないこの艦隊には危険が大きいはずだ。

「策は有ります。ただリューネブルク少将の協力が必要です」
「それは当然の事ですが、一体何を?」
ヴァレンシュタインがにっこりと笑みを浮かべた。いかん、どうやら碌でもないことのようだ、寒気がしてきた……。



帝国暦 485年 10月 15日  オストファーレン  ナイトハルト・ミュラー



グリンメルスハウゼン艦隊は三千隻程の反乱軍と遭遇、これを撃破しつつある。艦隊戦に自信がないとはいえ、戦力にこれだけの差が有れば勝つのは難しいことではない。艦橋の中央にリューネブルク少将が立った。そろそろあれが始まるか……。

「自由惑星同盟軍の兵士諸君。小官はヘルマン・フォン・リューネブルク帝国軍少将、かつてはローゼンリッター第十一代連隊長を務めた男だ。これから話すことをローゼンリッター第十三代連隊長、ワルター・フォン・シェーンコップ大佐に伝えてもらいたい」
反乱軍は驚いているだろうな。いや、ある程度は予測しているか。これで三度目だからな。

「悪いことは言わない、帝国に亡命しろ。ローゼンリッターは上層部から疎まれている。そのことは誰よりも俺が理解している。同盟では貴様は所詮連隊長止まりだ、それ以上の出世は難しいだろう。だが帝国なら武勲を上げれば正当に評価してもらえる。俺を見れば分かるだろう、少将閣下だ。貴様なら中将、いや大将も可能だ」

「貴様だけではないぞ、シェーンコップ。なんなら連隊ごと亡命しても良い、帝国軍は喜んで受け入れてくれるはずだ。別に同盟軍の作戦などを手土産にする事は無い、身一つで亡命しろ。帝国軍はヴァンフリートで善戦したお前達を高く評価しているのだ」

「良く考えろ、シェーンコップ。貴様だけの問題ではない、ローゼンリッター連隊隊員すべて、いや亡命者全体の問題でもあるのだ。俺は貴様と肩を並べて戦える日が来ることを望んでいる。待っているぞ」
流石に三度目ともなると上手いものだ。なかなか情感が籠っていた。

まあこれで反乱軍は連中を前線に出すのは躊躇うだろうな。リューネブルク少将の話ではローゼンリッターは必ずしも良い待遇を受けていないらしい。本人達が前線に出たがっても上層部は逆亡命を恐れて許さないはずだ。

しかし何ともえげつない手だな。オフレッサー、シュターデンを手玉に取った事といい司令部内では皆がエーリッヒを畏れている。おそらくは宇宙艦隊司令部でも同様だろう。まあウチは今微妙な立場にあるからな、侮られるよりはましな筈だ。

さて、この後はイゼルローン要塞に帰還か。ミュッケンベルガー元帥は今頃何を考えているかな。シュターデンの更迭か、それとも俺達が全滅してくれればとでも思っているか……。

あの二人、元帥にどう説明したのだろう……。自業自得ではあるが多少は気の毒だな。まあこれであの二人も理解しただろう。エーリッヒに喧嘩を売る事は止める事だ、碌なことにならないからな。


 

 

第三話 俺達は同志だ



帝国暦 485年 10月 16日  オストファーレン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「功績を充分に立てさせるか……」
「どう思う?」
「うーん、そうかもしれないな、可能性は有ると思う。問題はどうやって功績を立てさせるかだが……」

イゼルローン要塞への帰還途中、俺とミュラーは先程から参謀長室で話をしている。おそらく他の参謀連中は話の内容に興味津々だろう。次の戦いの作戦についてとでも思っているかもしれない。しかし俺達にはそれ以上に重要な話題が有る。すなわち、いかにしてグリンメルスハウゼンから逃れるかだ。

方法は二つだ。一つは異動願いを出す事。しかしこの方法では先ず間違いなく俺もミュラーも逃げる事は出来ないだろうという判断で一致している。軍上層部は俺達二人にあの老人の面倒を見させるつもりだ。異動願いなど出すだけ無駄だろう。理由もある、功績を立てている司令部をむやみにいじる必要は無い。誰も反論出来ない立派な理由だ。

もう一つの方法はグリンメルスハウゼンを退役させることだ。だがこいつがなかなか簡単にはいかない。何と言っても爺さんは皇帝フリードリヒ四世のお友達だからな、軍上層部が退役させようとしても本人が嫌だと言えばちょっと難しい。

となると次善の策はグリンメルスハウゼン提督が負けることだ。それを理由に問答無用で退役させる。皇帝も反対は出来ないはずだ。おそらくは軍上層部もそれを望んでいるんじゃないかと思うがわざと負けるというのは……。自分達がグリンメルスハウゼンから逃げるために大勢の人間が戦死するのだ、どうも気が引ける。

残された手段は本人から退役したいと言わせるしかない。つまり充分に功績を上げさせ自分は満足だ、軍人には未練が無い、そう思わせるしかないと思うのだ。考えてみればヴァンフリートでは功績は上げたが本人は戦ったという意識が少なく不満だったのかもしれない。

最後は戦場から離れた場所に追放されたし補給基地の攻略も参謀達が勝手に戦った、そう思った可能性はある。自分の力で勝ったと思えれば退役するんじゃないか、いや退役してくれるんじゃないかと思うんだが……。

「……難しいかな?……」
「難しいだろうな」
「無駄だと思うか?」
「……いや、無駄とは思わない。しかし難しいだろうと思う」

ミュラーが溜息を吐いている。まあその気持ちは分からないでもない。グリンメルスハウゼンには残念だが軍事面での才能はまるで無い。余程に上手くお膳立てしないと艦隊が混乱するだけだ。勝利どころか敗北しかねない。

「とにかく何か考え付いたら試してみようと思うんだ、どうかな?」
「そうだな、試すだけは試さないと……」
ミュラーの言葉は後半が無かった。おそらくは“このままだ”とでも言いたかったのだと思う。

「イゼルローン要塞に戻ったらミュッケンベルガー元帥に相談してみようと思っている」
「元帥に?」
ミュラーが訝しそうな表情をした。今のところ元帥とは全然友好的ではないからな、訝しく思うのも無理はない。

「勝手な事をするな、余計な事をするなと掣肘されては何も出来なくなる。こちらの真意を伝えておかなければ」
「なるほど」
「受け入れられるかどうかは分からないが少なくとも我々があの老人を担いで好き勝手をしているという誤解を受ける事は避けられるだろう」
「それも有るか……、確かにそうだな」

渋い表情だな、ミュラー。だがこのままいけば何時かはそういう非難が出るだろう。今の内に身の潔白を表明しておかないと危なくなる。幸い戻ったらミュッケンベルガー元帥に報告するとオフレッサー、シュターデンに言ってある。半分以上は連中に対する脅しだったが利用できるだろう。

ミュラーが艦橋に戻った後、俺は一人参謀長室に残った。確かにミュラーの言う通りだ、難しいだろう。しかし要塞攻防戦が原作通りに行くのであれば向こうの手の内は読めている。そしてラインハルトが居ない以上、放置すれば同盟軍の作戦は成功しかねない。そこをグリンメルスハウゼン艦隊が防ぐ!

ラインハルトの艦隊は三千隻に満たなかった。それに対してグリンメルスハウゼン艦隊は一万三千隻の兵力を持つ。こちらが同盟軍を混乱させればミュッケンベルガーは必ず塵下の艦隊を出撃させるはずだ。勝利を得るのは難しくない。後はグリンメルスハウゼンに攻撃手順を教え込むだけだ。不可能ではないと思うんだが……。出来の悪い俳優を使う映画監督みたいだな、頭が痛いよ……。



帝国暦 485年 10月 17日  オストファーレン  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



『そちらからの報告書は読ませてもらった、シュターデンからも事情は聞いている。どうやらグリンメルスハウゼン提督の手を煩わせてしまったようだ、礼を言わねばならぬ』
「いやいや大した事はしておりませぬ。それよりも総司令官閣下の御役に立てた事、これ以上の喜びは有りませぬ」
『そうか……』

スクリーンに映っているミュッケンベルガー元帥は帝国軍総司令官の威厳に満ちている。でも残念な事はどことなく表情が硬い。そしてグリンメルスハウゼン提督、彼はどう見ても公園のベンチで日向ぼっこが似合いそうな老人にしか見えない。ここまで両極端な取り合わせも珍しいだろう。

「自由裁量権を頂きながらこれまで無為に過ごした事、心苦しく思っておりました」
『無用な事だ、ヴァレンシュタイン少将の報告では反乱軍の艦隊を小勢とはいえ三個艦隊も撃破したとのこと、十分過ぎるほどの働きであろう』
「おお、恐れ入りまする」
感無量、そんな感じね。

『いずれ反乱軍がイゼルローン要塞に押し寄せてこよう。グリンメルスハウゼン提督、卿の一層の活躍に期待させてもらう』
「はっ、必ずや期待に応えまする」
『うむ、頼もしい事だ。ではこれで失礼する』
スクリーンから元帥が消えるとグリンメルスハウゼン提督が感慨深そうにスクリーンを見詰めた。

「提督、総司令官閣下は提督の御働きに感謝し期待していると……」
「そうじゃのう、参謀長。次の戦いでは不甲斐ない戦いは出来んのう」
「はい、目覚ましい武勲を上げなければ」
「うむ、このような事は初めてじゃ、嬉しいのう」

あーあ、お爺ちゃん大喜び。もう泣き出しそうになってる。そして周囲は何も映さなくなったスクリーンに???な状態。そりゃそうよね、皆ミュッケンベルガー元帥がグリンメルスハウゼン提督に何の期待もしていない事を知っている。それが“提督の活躍に期待させてもらう”だなんて……。

当然だけどこれは偶然じゃない、ミュッケンベルガー元帥の頭がおかしくなったわけでもない。これを演出した人間が居る。この状況を驚いていない人間、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン少将、私の直属の上司だ。全ては先程、イゼルローン要塞で始まった……。



グリンメルスハウゼン艦隊がイゼルローン要塞周辺に戻るとヴァレンシュタイン少将は直ぐに私を連れて要塞に出向いた。ちょっと驚きだった、オフレッサー上級大将、シュターデン少将には自ら報告に行くとは言っていたけどあれは脅しだと思っていた。

作戦そのものはあざといと言うかえげつないと言うか碌でもない作戦だと思う。よくもまあこんな酷い作戦を考えついたものよ。だけど効果は満点としか言いようがないわ。あれじゃ同盟軍はローゼンリッターを前線には出せない。私としてはワルターとリューネブルク少将が殺し合うなんて事にならずにホッとしている。

多分リューネブルク少将も同じ思いだと思う。帝国に亡命した時、いずれはワルター達と戦う事になると思っただろうけど実際に戦うとなれば色々としがらみが有って遣り辛かったはずだ。少将にとってヴァンフリートは決して戦い易い戦場では無かったと思う。

報告に関して言えば問題は無いはずだった。オフレッサー上級大将、シュターデン少将はミュッケンベルガー元帥にグリンメルスハウゼン艦隊に独断で依頼したと報告して元帥に叱責されたってアンベルク少佐が教えてくれた。

少佐は宇宙艦隊司令部に知り合いが居る。最近私に色々と教えてくれるけど私を通してヴァレンシュタイン少将に取り入ろうとしているらしい。どうやら少将に直接取り入るのはちょっと気が引けるようだ。もっともそれはアンベルク少佐だけじゃない、クーン中佐、バーリンゲン中佐も似た様な事をしている。まあ情報が入るのは嬉しいのだけれど下心が有るのはちょっと……。

要塞内に入って廊下を歩いていると吃驚するような出来事に遭遇した。ヴァレンシュタイン少将を認めた士官十人程が一斉に道を譲って脇に控えたのだ。上級者とすれ違う下級者は上級者に道を譲って敬礼する。これは同盟でも帝国でも同じ。見たところ皆佐官だったから彼らが少将に道を譲った事はおかしな事ではない。

問題は距離よ、距離。普通は大体三メートルから五メートルぐらいの距離で道を譲る、それ以内だと敬礼がおざなりだと相手に取られかねない。それ以上になると余程階級に差が有るか、相手が実力者だと認識した場合になる。でもって少将の場合なんだけど、どう見てもあれは五メートル以上前から道を譲っていたわ……。

ミュッケンベルガー元帥は自分に用意された執務室で人払いをして少将を待っていた。機嫌は良くない、苦虫を潰したような表情だ。その表情で私をジロッと見た。背筋が寒い。
「少将閣下、小官は外で控えております」
「その必要は有りません」
「……」

こんな所に居たくないと思ったけどミュッケンベルガー元帥も不機嫌に黙り込んだまま何も言わない。仕方なく部屋に残った。少将が言葉を続ける。
「元帥閣下、報告書はお読みいただけたでしょうか?」
「……」

元帥が口を開いたのは三十秒ほど経ってからだった。
「報告書は読んだ。シュターデンからも事の経緯は聞いている。手数をかけたようだな」
「ローゼンリッターに対する猜疑心を利用しました。おそらく反乱軍は彼らを前線に出す事は避けるはずです。当分閣下を苛立たせるようなことは無いと思います」
「……」

重いわ、空気が重い。ミュッケンベルガー元帥を苛立たせているのはワルターよりも少将なんじゃないの? ヴァレンシュタイン少将が元帥のお気に入りというのは絶対嘘。私はその証明現場に居る。
「グリンメルスハウゼン提督も総司令官閣下のお役に立てた事を非常に喜んでおいででした。これまで自由裁量権を頂きながら十分に活用出来なかった事を申し訳なく思っていたようです。後程総司令官閣下より親しくお言葉を頂ければより一層の働きをする事でしょう」
「……」

顔が、顔が引き攣ってる……。お願いです、もう止めてください。とばっちりは私にも来るんですよ、少将。でも少将はそんな私の願いを無視して言葉を続けた。
「小官としましては今回の出兵でグリンメルスハウゼン提督に大きな武勲を立てていただきたいと思っております。軍人としての名誉が満たされれば今後は出兵に拘る事は無くなるのではないでしょうか」
「……」

なるほど、そう言う考えも有るんだ……。あ、ミュッケンベルガー元帥が考え込んでいる。
「小官は元帥閣下も同じ事を御考えなのではないかと推察しておりました。それ故グリンメルスハウゼン提督に自由裁量権を与えたのだと。これは小官の思い違いでしょうか?」

元帥が唸り声をあげた。
「……いや、そうではない、卿の言う通りだ」
「小官の思い違いではないのですね」
「うむ」

二人が見詰め合っている。功績を立てさせて満足させて退役させる……。つまりこの時点でグリンメルスハウゼン提督に対する扱いについて合意が出来たって事? 上手いもんだわ、何時の間にか元帥と少将は同志になってる。この場面だけ見ればヴァレンシュタイン少将は確かに元帥の信頼厚いお気に入りよ。

「しかし上手く行くかな?」
「もちろん、功を上げても提督が次の出兵を望む可能性は有ると思います」
少将の答えにミュッケンベルガー元帥が顔を顰めた。

「そうだな。いや、それも有るが肝心なのは武勲を上げる事が出来るかどうかだ。それなしでは話が進まぬ……」
「分かっております、尽力に努めたいと思っております」
ヴァレンシュタイン少将が神妙に答えるとミュッケンベルガー元帥が溜息を吐いた。

「卿の才覚に期待するしかないか……、あの老人を補佐するのは大変だろうが宜しく頼む」
「はっ」
確かに大変よね。傍で見ていて本当にそう思う。性格はかなり悪いけどそうじゃなきゃグリンメルスハウゼン艦隊の参謀長は無理よ。時々少将が可哀想に思えるときも有る、時々よ。

「後程私の方からグリンメルスハウゼン提督に連絡を入れる。今回の件、改めて礼を言う事にしよう」
「有難うございます」
「全く、敵よりも味方の方が厄介とは……、皮肉な事だな」
元帥が自嘲気味に呟き少将が頷いた。

同感よ。グリンメルスハウゼン提督だけじゃない、オフレッサー上級大将、シュターデン少将だって敵と戦う事よりも味方を陥れる事を考えている。何だってこんなに面倒な味方ばかりいるのか……。こんなので本当に勝てるのかしら……。思わず溜息が出そうになって慌てて堪えた……。


 

 

第四話 芸を仕込むのも容易じゃない



帝国暦 485年 11月 10日  オストファーレン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ようやく同盟軍がイゼルローン要塞の前面に押し寄せてきた。俺としてはもう少し早く来るかと思ったんだがな。……いよいよこれからイゼルローン要塞攻防戦が始まるわけだ。オストファーレンの艦橋は静かな緊張に包まれている。

要塞攻防戦は兵力が同数なら守る側に分が有る。守る要塞がイゼルローン要塞ともなればなおさらだ。しかしそれでもオストファーレンの艦橋は緊張している。前回の要塞攻防戦では味方殺しが発生したからな。今頃要塞主砲トール・ハンマーには膨大なエネルギーが充填されているだろう。帝国軍は要塞を守る為ならどんなことでもする。味方だからといって安心は出来ない。

同盟軍の兵力は約五万隻、原作より一個艦隊多く動員されている。どうもロボスは焦っているようだな。原作と違って昨年末に元帥に昇進できなかったらしい。シトレとの出世争いで追い付こうと必死なのだろう。ヴァンフリートでも原作より多い兵力を動員したのもそれが理由のようだ。

そのヴァンフリートで負けたにもかかわらずロボスがイゼルローン要塞攻防戦を挑んだのは要塞攻略に関して自信が有るからだ。ウィレム・ホーランド、アンドリュー・フォークが考案したミサイル艇による攻撃案のはずだ。

同盟軍は、いやロボスは自信満々で挑んでくるに違いない。そこを帝国の秘密兵器グリンメルスハウゼン提督が粉砕する。同盟の脂ぎったロボス親父の汚い野心を帝国の居眠り老人グリンメルスハウゼンのピュアな心が打ち砕くのだ。正義は常に勝つ!

この会戦のクライマックスだろうな。そしてグリンメルスハウゼンは名声を手に入れ心置きなく軍を退役する。俺達は涙を流して提督を見送るのだ。皆は俺達が名将グリンメルスハウゼン提督との別れを惜しんでいると思い感動するに違いない。それでいい、感動とは往々にして誤解から生まれるもの、真実は常に滑稽だ。

帝国軍の兵力だがこちらも約五万隻、同盟とほぼ互角だ。イゼルローン要塞駐留艦隊、グリンメルスハウゼン艦隊、ミュッケンベルガー元帥率いる直率部隊。このうち要塞駐留艦隊とグリンメルスハウゼン艦隊が要塞の外で同盟軍に対峙している。元帥の直率部隊は要塞内で待機だ。

同盟軍が動き出した。「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」、同盟軍が血の教訓によって得た艦隊運動の粋だ。ミサイル艇は……、まだ配置されていない。もう少しこちらがダンスに疲れるのを待ってからさりげなく配備するのだろう。同盟軍も前線に配備されているのは約三万隻、後方に予備が二万隻、戦力配備はほとんど帝国と変わりはない。

前線に配備された同盟軍が要塞主砲“トール・ハンマー”の射程限界の線上を軽快に出入りして帝国軍の突出を誘う。タイミングがずれれば、トール・ハンマーの一撃で艦隊が撃滅されてしまう。一方帝国軍は同盟軍をD線上の内側に引きずり込もうとする。

その際、自分達まで要塞主砲に撃たれてはならないから、退避する準備も怠らない。互いに砲撃戦を行いながら相手を牽制するのだ。虚々実々の駆け引きが続くが、これは兵士たちにとって恐ろしいほどの消耗を強いる事になる……。

という事でこんな難しい運動はウチの艦隊には無理だ。ゼークト提督の駐留艦隊に任せてグリンメルスハウゼン艦隊は要塞付近で待機している。おそらく多くの帝国軍兵士が高みの見物かと俺達を白い目で見ているだろう。でもな、最も激しく踊るものが最も激しく疲れるって言うからな。誰が言ったんだっけ? ロイエンタールだったか。まあ誰でも良いか、ウチは省エネ艦隊なんだ、効率よく勝つ。
 
二時間程過ぎた頃、ミサイル艇がこっそりと前面に出てきた。来たか……、待ちかねたぞ、ロボス。こちらの手順をグリンメルスハウゼン提督に説明するか。あくまでこの戦いの主役は指揮官席で座っている老人だ。俺は黒子に徹さないと……、老人の傍に近付いた……。



帝国暦 485年 11月 10日  オストファーレン  ナイトハルト・ミュラー



エーリッヒがグリンメルスハウゼン提督の傍により耳元で何かを囁いている。提督は不思議そうな表情でその言葉を聞いている。時折首を傾げ問いかけるがエーリッヒは諭すように提督に話しかけている。ようやく納得したのだろう、グリンメルスハウゼン提督が二度、三度と頷いた。

「何を話していたんだ」
戻ってきたエーリッヒに問いかけると小さな声で
「もう直ぐ反乱軍が攻撃をかけてくる、その対処法を説明していた」
と答えた。

おいおい、本当か? エーリッヒの顔を見たが生真面目な表情だ、どうやら本当らしい。“どんな方法だ?”今度は俺も声を潜めて問い掛けたがエーリッヒは首を横に振って答えなかった。答える必要が無いという事か、それとも答える暇がないという事か……。

「上手く行くのか?」
「最初は」
「最初は?」
問い返すとエーリッヒは厳しい表情で頷いた。
「その後は味方がどう動くかで変わる」

味方? 敵ではなく味方なのか……。
「反乱軍のミサイル艇から目を離さないでくれ。正面の艦隊の動きは陽動だ」
「……ミサイル艇?」
「ミサイル艇の攻撃が始まった時が勝負だ」

慌ててスクリーンに視線を向けた。ミサイル艇、ミサイル艇は何処だ? 居た! 一か所に集まっている、三千隻程か。あそこは……、あそこはトール・ハンマーからは死角の位置だ! ミサイル艇がスルスルと動き出した! 一斉に要塞に向けて多頭ミサイルを発射する! 要塞の表面に白い爆発光が湧き上がり砲台、銃座が吹き飛ぶのが見えた。連中、ミサイル攻撃で要塞を破壊しようとしている。これが反乱軍の作戦か!

「全艦隊に命令、前進し前方のミサイル艇の側面を攻撃、撃破せよ」
艦橋が反乱軍の攻撃にどよめく中、グリンメルスハウゼン提督が命令を出した! 皆が驚いて提督を見ている。
「はっ、全艦隊に命令、前進し前方のミサイル艇の側面を攻撃、撃破せよ!」
エーリッヒが復唱するとオペレーターが慌てて命令を艦隊に伝えた。さっき話していたのはこれか……。

グリンメルスハウゼン艦隊が前進しさらに要塞を攻撃しようとするミサイル艇の側面を攻撃する。兵力的にこちらが圧倒的だ、そしてミサイル艇は防御力が弱い、側面を突かれたミサイル艇がたちまち爆発した。艇内のミサイルが誘爆したせいだろう、眩しい程の閃光を発して爆発していく。あっという間に反乱軍のミサイル艇部隊は壊滅状態になった。

「艦隊を天底方向に移動し反乱軍を攻撃せよ」
またグリンメルスハウゼン提督が命令を出した。皆が困惑したようにエーリッヒを見ている。命令に従うべきかどうかエーリッヒに確認しようということだろう。
「はっ、艦隊を天底方向に移動し反乱軍を攻撃せよ!」

エーリッヒが復唱するとオペレーター達が驚きつつ命令に従った。艦隊が天底方向に移動すると上方にある反乱軍に攻撃を開始した。攻撃を受けた反乱軍は混乱している。なるほど、そうか、こちらを攻撃するには艦隊を回頭するか陣形を広げなければならない、だがそれを行えばトール・ハンマーの射程内だ。

反乱軍は現状のままで、トール・ハンマーの死角の範囲の中で対応しなければならない。反乱軍の兵力は三万隻だが極端に細長い紡錘陣形を取っている、そのためグリンメルスハウゼン艦隊の攻撃に対応できるのは先頭の部隊だけだ。こちらが圧倒的に有利な形で攻撃している。いや先頭部分を叩き潰している。戦況は一方的だ。

スクリーンに映る戦況に皆が感嘆している。そして皆が不思議そうな表情でグリンメルスハウゼン提督を見ている。エーリッヒが作戦を教えたとは思わないらしい。まあそうだな、教えたとしたら反乱軍の作戦を見破っていたことになる。そんな事は普通有り得ない。ヴァンフリート以来、こいつには驚かされてばかりだ。

「エーリッヒ、お見事」
小声で話しかけるとエーリッヒは溜息を吐いた。
「なんとか提督に満足してもらわないと……」
グリンメルスハウゼン提督に視線を向けた。ごく平静な表情でスクリーンを見ている。分かっているかな、この艦隊の働きで帝国軍が有利な状況にあると……。

「これからどうなる、味方次第と言っていたが」
「駐留艦隊と元帥の直率部隊があの敵を叩こうと動けばトール・ハンマーは使えなくなる。そうなれば向こうも予備を出してくるだろう、混戦になるな、戦局の収拾は難しいだろう」
「混戦か、面白くないな」

混戦になれば艦隊運動に不安のあるグリンメルスハウゼン艦隊は危険だ。エーリッヒも表情が渋い。
「このままの状況を保ってくれれば良いんだが……」
「止めることは出来ないか」
エーリッヒが渋い表情のまま首を振った。

「我々の事を見殺しにする、あくまで反乱軍はトール・ハンマーで叩き潰す。そのくらいの冷徹さを発揮してくれればとは思うが……、側面を突けば簡単に反乱軍を分断出来るんだ、難しいだろうな」
こっちまで表情が渋くなった。

三万隻の反乱軍を分断できる、抗し難い魅力だろうな。そうなったら一旦兵を退くしかないか。混戦に巻き込まれず遠距離からの砲撃戦に専念する。その方が行動の自由を確保できる。上手く行けば予備として最終局面での勝利を演出できるだろう。

「駐留艦隊、反乱軍の側面を突こうとしています!」
「イゼルローン要塞から味方が出撃してきます!」
オペレーターが報告すると艦橋に歓声が上がった。誰もが勝利を確信したのだろう……、溜息が出そうだ。

「反乱軍、予備部隊を出してきました!」
やはり予備を出してきたか……。オストファーレンの艦橋がどよめいた。敵味方の全戦力が戦闘に入ろうとしている。今度は決戦、とでも皆は思ったか……。残念だがこれから始まるのは混戦だ。

駐留艦隊が反乱軍の側面を突く、そして要塞から出撃した帝国軍が反乱軍の予備部隊と交戦し始めた。それを見てエーリッヒがグリンメルスハウゼン提督に声をかけた。
「閣下」
「何かな、参謀長」
暢気な声だ、何も分かっていない。

「艦隊を後退させては如何でしょうか、このままでは混戦に巻き込まれ艦隊行動の自由を失ってしまいます」
皆が顔を見合わせている。不安そうな表情だ、混戦には自信が無いのだ。グリンメルスハウゼンはスクリーンをじっと見た。

「総司令官閣下はどう思うかのう」
「我が艦隊が総司令官閣下の予備になるのです。自由に動かせる部隊が有るというのは何よりも心強いはずです」
“そうするかのう”と呟いてグリンメルスハウゼン提督が頷いた。

エーリッヒがオペレーターに後退命令を出すと艦橋には残念そうな空気と安心した様な空気が流れた。グリンメルスハウゼン艦隊からの攻撃が無くなると反乱軍は駐留艦隊との戦闘に専念出来る事になる。もっともこちらから受けた損害は決して小さくない。

短時間だが一方的だったのだ。最低でも五千隻以上は失ったはずだ。そして駐留艦隊には側面を突かれている。艦隊を再編しつつ駐留艦隊と戦うのは容易ではないだろう。

「これからどうする?」
このままではグリンメルスハウゼン提督の功績は中途半端だ。そして戦況も混沌としかねない。
「一応手は考えて有る。だがそれを行うにはミュッケンベルガー元帥と打ち合わせをする必要が有る」
「元帥と? ……トール・ハンマーを利用するという事か?」
俺の問いかけにエーリッヒが頷いた。なるほど、俺と似た様な事を考えているらしい……。



帝国暦 485年 11月 11日  オストファーレン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



スクリーンにはミュッケンベルガーが映っている。こちらは味方を放り出して後退したのだがミュッケンベルガーは特に文句は言わなかった。面白くは無かっただろうが自由裁量権は与えて有るし大事な予備戦力でもある。今となってはミュッケンベルガーの唯一の武器なのだ。俺達をどう使って勝利を得るか、彼の頭の中はそれで一杯だろう。

『では提督の艦隊を以て反乱軍の後背を突くと言うのか』
「その通りでございます、如何でしょうか」
『うむ、……反乱軍は後退しようとするであろうな。そこを叩く、いやトール・ハンマーで一撃を加える、そういう事だな』
「そういう事でございます」

ミュッケンベルガー元帥とグリンメルスハウゼンが話している。スクリーンに映るミュッケンベルガーの表情は必ずしも明るくはない。戦況は酷い混戦状態になりつつある。グリンメルスハウゼン艦隊だけに任せていれば勝てたかもしれないという思いが有るのかもしれない。

或いはグリンメルスハウゼンと作戦を話し合っているのが不本意なのか……。でもな、この爺さんを退役させるには爺さんを活躍させる必要が有るんだ。爺さんの作戦で勝ったとなれば最高じゃないか。ミュッケンベルガーも大声で爺さんを褒め称えるはずだ。爺さん、喜ぶぞ。

ミュッケンベルガーがチラっと俺に視線を向けてきた。お前の提案かと言いたいらしい。その通りだ、俺の提案だよ。混戦状態にある両軍を遠回りに迂回し同盟軍の後背に出る。それを防ぐには同盟軍は兵を退かざるを得ないんだが結構これが難しい。

今戦っている帝国軍を引き連れながら後退しなければならないのだ。帝国軍の後退を許してはトール・ハンマーの一撃を受けかねない。かと言って後退が遅れればグリンメルスハウゼン艦隊に後背を突かれる……。原作でラインハルトがやった事の真似だ。もっともこっちの方が兵力が多いからな。より効果的だし安全でもある。

グリンメルスハウゼンに教えるのは大変だった。とにかく呑み込みが悪いんだ、ミュラーと二人で根気よく教え込んだんだが戦争よりもこっちで疲れそうだ。早くこの老人から離れないと、そのためにもここで勝利が必要だ……。

ミュッケンベルガーが俯いて考え込んでいる。二度、三度と頷いてからこちらを見た。
『提督の提案を採ろう。各艦隊に作戦を周知しなければならぬ、作戦開始は三時間後としたい』
「承知しました」

まあこの混戦状態じゃ通信は傍受されかねない、連絡艇を使うのが無難だろうな。通信が切れる前、もう一度ミュッケンベルガーがこちらを見た。上手くやれ、そんなところだろう。分かっているさ、上手くやる。だからそっちも上手くやってくれ、爺さんを持ち上げるのを忘れるなよ。爺さんをおだてて気持ちよくさせて退役させる、それこそがこの遠征の最終目的なんだから……。



 

 

第五話 呆れてものが言えん



帝国暦 485年 11月 13日  イゼルローン要塞  グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー



イゼルローン要塞の会議室、戦闘前に将官会議を開いた会議室だがその会議室に今また大勢の将官が集まっている。
「第六次イゼルローン要塞攻防戦は卿らの奮戦により帝国軍の勝利に終わった。御苦労であった」

会議室の将官達が一斉に敬礼した、私も礼を返す。私の言葉に嘘はない、第六次イゼルローン要塞攻防戦は誰が見ても帝国軍の圧勝に終わった。酷い混戦のなか、グリンメルスハウゼン艦隊が戦場を迂回して反乱軍の後背に出ようとすると慌てた反乱軍は混戦状態を維持したまま後退しようとした。要塞主砲トール・ハンマーの攻撃を受ける事を恐れたのだろう。

だが反乱軍は混戦状態の維持に失敗した。イゼルローン要塞駐留艦隊、私の直率艦隊の後退を許してしまいトール・ハンマーの斉射を受け戦意喪失、潰走した。駐留艦隊、私の直率艦隊は潰走する反乱軍を追撃、かなりの損害を与えた。グリンメルスハウゼン艦隊は退路を断つ事よりも駐留艦隊、直率艦隊と協力して後方より反乱軍に損害を与えた。反乱軍の損害は二万隻に近いだろう。充分過ぎるほどの勝利、いや大勝利だ。

「グリンメルスハウゼン提督」
「はい」
私が声をかけるとグリンメルスハウゼン老人はキョトンとした表情を見せた。さてもう一仕事だ。

「この度の要塞攻防戦におけるグリンメルスハウゼン艦隊の働き、真に見事であった」
「おお……」
「帝国軍が勝利を収めたのもグリンメルスハウゼン艦隊の働きに因る処が大きい。その武功、並ぶ者無しと言って良かろう」

会議室がどよめいた。“その武功、並ぶ者無し”、つまり武勲第一位というわけだ。会議室の将官達は殆どが納得した表情をしているが一部に口惜しそうな表情をしている人間が居る。もっともその人間達も不平を言う様子はない。当然だ、公平に見て武勲第一位は至当と言える。私も選ぶ言葉には苦労しない。

もっとも私は老人の武勲を第一位とは言っていない。老人の艦隊の武勲を第一位と言ったまでだ。あの艦隊を動かしたのは目の前で喜んでいる老人ではない、参謀長のヴァレンシュタインだ。今は老人の後ろで大人しく控えている。表情は明るい、笑みが有る。もう一押ししてやろう。

「グリンメルスハウゼン提督、この事をお知りになられれば皇帝陛下もさぞかしお慶びであろう」
「おお、陛下が……」
グリンメルスハウゼンが感極まっている。

いいぞ、喜べ、喜べ、喜ぶのだ、満足だろう。だが分かっているかな、私は卿に今後の働きを期待しているとは言わない。そんなものは無いからな。いかん、どうにも顔が綻んでしまう。いや構わんか、私が老人の武勲を喜んでいると老人を含めて皆が思ってくれるだろう。

「オーディンに戻るのが楽しみで有るな、グリンメルスハウゼン提督」
「総司令官閣下……」
「陛下も卿が戻るのを楽しみにしておいでであろう」
グリンメルスハウゼンが泣きそうな表情をしている。そうか、私も涙が出そうだ。ようやく頭痛の種から解放される。

「このグリンメルスハウゼン、これまで生きて来て今日ほど嬉しい一日は有りませぬ。もはや我が生涯に思い残す事無し……」
その言葉が聞きたかった……。そうか、そう思ってくれるか……。
「この上はなお一層粉骨砕身し、陛下の御宸襟を安んじる事、それだけが我が望みにございまする」
「……」

それは、戦場に出るという事か……。いや、私の思い過ごしだ、卿は一言も戦場に出るとは言っていない。そうだな、グリンメルスハウゼン? 泣いてないで答えろ! 陛下の御名を出したのは拙かったか? いや間違ってはいない、老人を感極まらせるには必要だったはずだ。

そうだろう、ヴァレンシュタイン? ……ヴァレンシュタインは無表情に私を見ている。もしかすると私を責めているのか? 皆が勝利に沸き立つ中、天国から地獄に突き落とされた私だけが、いや私とヴァレンシュタインだけが喜べずにいた……。



帝国暦 485年 11月 20日  オーディン  軍務省  エーレンベルク



「戦闘詳報は読ませてもらった。見事な勝利だ、先ずは目出度い」
『うむ、反乱軍にはかなりの損害を与える事が出来たと思う』
ミュッケンベルガー元帥の口調は満足そうだが表情は幾分硬い。私も同様だろう、目出度いとは言ったが本心からは喜べずにいる。

「こちらに戻るのは何時頃になるかな」
『明日、イゼルローン要塞を発つから早ければ年内にはオーディンに戻れるだろう』
「それは良い、将兵達も喜ぶだろう。新年を家族と共に祝えるのだからな」
『うむ』

将兵達もクリスマスと新年くらいは家族と共に祝いたいだろう。クリスマスは無理だったが新年はそれが出来る。しかも帝国軍の大勝利だったのだ、喜びは大きいだろう……。

「気になっている事が有りそうだな、例の老人の事か」
私が話を向けるとミュッケンベルガー元帥は渋い表情で頷いた。
『どうも上手く行かぬ』
「武勲を上げたようだな、あの老人が帝国軍の勝利を決定づけた様だが」
ミュッケンベルガー元帥の顔が益々渋くなった。

『いや、それは良いのだ』
「?」
『あの老人に十分な功を立てさせ心置きなく軍を退役させる、そう思ったのだ……』
「なるほど、面白い案だが卿の発案かな?」
ミュッケンベルガー元帥が首を横に振った。

『いや、ヴァレンシュタイン少将の発案だ。あの老人が出兵に拘るのは周囲に認められたいからかもしれぬ、そう思い試してみる価値は有ると思ったのだが……』
「上手く行かなかったか……」
『上手く行かなかった』
ミュッケンベルガー元帥が渋い表情で頷いた。

『もはや我が生涯に思い残す事無し。そう言ったのだがな、その後でこの上は陛下の御宸襟を安んじる事だけが望みだと……』
「……御宸襟を安んじるか、それは出兵を望むということだろうな」
ミュッケンベルガー元帥が溜息を吐いた。気持ちは分かる、出来る事なら我らの宸襟も安んじて欲しいものだ。

『ヴァレンシュタイン少将が悲鳴を上げている、これ以上は勘弁してほしいと。……異動を希望している』
「それは……」
難しいと言おうとしたがミュッケンベルガー元帥が先に言葉を続けた。

『戦闘終結後、熱を出して倒れた。……あの艦隊と老人は帝国軍にとってはお荷物でしかない。背負わせるのはもう限界であろう』
「……」
なるほど、ミュッケンベルガー元帥の表情が暗いのはそれも有るか……。溜息が出た。

「しかしヴァレンシュタイン少将の異動を認めたとして後任はどうする。戦場に出さぬのなら誰でも良いがあの老人が出兵を求めている以上、それなりの人物が必要だが……」
私の言葉にミュッケンベルガー元帥が首を横に振った。

『無理であろうな』
「……」
『あの艦隊がお荷物であることは皆が知っている。その艦隊を背負って少将は大功を立てたのだ。後任者は当然だが比較される事を覚悟せねばならぬ』

「それは厳しい……」
気が付けば呻き声が出ていた。
『誰も引き受けようとはすまい。無理に押し付ければ逃げ出すだろう、後任者を選ぶなど無理だ』

常に無く力の無い声だ、思わず溜息が出た。確かにミュッケンベルガー元帥の言う通りだ。私だとてその荷物を背負いたいとは思わない。それを一年も背負わせたか……。
『なんとかあの老人を退役させねばならん、或いは出兵を諦めさせるか……』

「しかし、手が有るかな」
私の問いかけにミュッケンベルガー元帥が頷いた。手が有るか……。
『畏れ多い事ではあるが陛下を上手く利用出来ぬかと考えている』
「陛下を?」
これまで陛下を利用してきたのはグリンメルスハウゼンだ。それを今度はこちらが利用する?

『グリンメルスハウゼンが傍におらぬのは寂しいと言って貰う事は出来ぬかな。陛下のお言葉が有ればあの老人も出兵するとは言えぬはずだ』
「なるほど」
上手い手だ。その上で侍従武官長にでもしてしまえば良いだろう。大将、上級大将であれば階級的にもおかしくはない。

『或いは今回の武勲の恩賞として領地を与えるか……』
「領地?」
『うむ、その上で領地の発展に努めよとでも言っていただければ……』
上手い! あの老人を領地に縛り付けることが出来る!

「なるほど、それであれば出兵は出来ぬな」
声が弾んだ。ミュッケンベルガー元帥も頷いている。
『希望してもそれを口実に却下できよう。領地を与えてもおかしくないだけの功績は立てている』

「上手い手だ、考えたのはヴァレンシュタインかな? 司令長官」
私が問い掛けるとミュッケンベルガー元帥が苦笑を浮かべた。
『その通りだ、あの男も逃げるのに必死でな』
私が笑うとミュッケンベルガー元帥も声を上げて笑った。ようやく笑うことが出来た。

「リヒテンラーデ侯に相談してみよう、侯も我らの苦衷には薄々気付いている。正直に話せば力になってくれるはずだ」
『宜しくお願いする。それとシュタインホフ元帥にも話していただきたい』
「統帥本部総長にもか」
ミュッケンベルガー元帥が頷いた。あの男とは決して関係が良好とは言えぬが……。

『リヒテンラーデ侯には帝国軍三長官からの頼みとした方が良いと思うのだ』
「なるほど」
『それに万一出兵となって功績を挙げればあの老人は帝国元帥という事になる』
あの老人が元帥、悪夢だ。ミュッケンベルガー元帥も同様だろう、スクリーンに映る彼の表情は渋い。

『その場合、何処にあの老人を押し込むか……。一艦隊司令官という訳には行くまい?』
「確かにそうだな、それが有ったか……」
『軍務次官、統帥本部次長、宇宙艦隊副司令長官、或いは帝国軍三長官の一つを占めるかもしれぬ』
思わず顔が引き攣った。

「冗談は止せ、司令長官」
ミュッケンベルガー元帥が首を横に振った。
『冗談ではない、現実にそうなりかねぬのだ、軍務尚書。幕僚総監でも良いがその場合はクラーゼン元帥をどうするかという問題が起きるだろう』
「……」
『もはや私と軍務尚書だけの問題では無い。軍、そして帝国の問題として対応すべきだ』

ヴァレンシュタインだな、あの小僧がミュッケンベルガー元帥に吹き込んだ。あの老人を自分だけに押し付けるな、上で対応しろという事だろう。だが確かに此処までくれば帝国の問題として対応しなければならぬのも事実……。

「分かった、シュタインホフ元帥に話そう。彼も分かってくれるはずだ、その上でリヒテンラーデ侯に相談してみよう」
『宜しくお願いする』
「うむ」
やれやれだ、あのようなボケ老人一人に帝国が振り回されようとは……。悪夢以外の何物でも無いな。



帝国暦 486年 1月 15日  オーディン  新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



オーディンはようやく新年の喧騒から解放されつつある。遠征軍は昨年の暮れにオーディンに戻ってきた。皆は新年を家族の元で過ごせると喜んでいたが俺にはどうでもいい話だ。オーディンが賑やかな中、俺は年末年始を家でひたすら惰眠を貪る事で過ごした。非難は受け付けない、当然の権利だ。俺はもう精神的にも肉体的にも限界だ。

昨年のイゼルローン要塞攻防戦の戦功に対する総括と賞罰は未だ終わっていない。新たな人事はまだ発表されていないのだ。悪い兆候だ、おそらくはグリンメルスハウゼン老人の扱いをどうするかの調整が上手く行っていないのだろう。勝ち戦なのだ、それも大勝利だと言って良い。恩賞など大盤振舞いでも良い筈だ。それが出来ないのはあの老人の扱いをどうするかで揉めているからとしか思えない。

悪い兆候は他にも有る。俺が新無憂宮に呼ばれた事だ。呼び出したのはミュッケンベルガー元帥、待ち合わせ場所は紫水晶の間と黒真珠の間を隔てる通路だ。俺は馬鹿面を下げて廊下に立っている。……なんか視線が煩わしいんだよな。皆が俺を見ている。

「ヴァレンシュタイン少将」
声がした方向を見るとラインハルトだった。そうか、新年だからな、オーディンに戻っていたのか……。ここに来たという事はあれかな、新年だからアンネローゼに会いたいとでも頼みに来たのかな、それとももう会っていて御礼言上に来たのか……。

「久しぶりですね、ミューゼル少将」
はてね、近付いて分かったのだがラインハルトの表情はあまり明るくない。どうやら頼み事は却下されたらしい、いや謁見そのものが却下された可能性も有るな。皇帝陛下は飲み過ぎで直ぐに病気になる。新年だからな、飲み過ぎは良く有る事だ。

「イゼルローンでは目覚ましい武勲を上げられたとか、羨ましい事だ」
新年の挨拶よりもそっちか、ラインハルトらしい。もっとも余り戦争の話はラインハルトとはしたくない、当たり障りなく答えるか。
「運が良かったと言えるでしょう。艦隊戦に自信が無いから混戦を避ける事が出来ました。結果的にそれが武勲を上げる事に繋がったと思います」

「運が良かったというのは謙遜だろう、卿の力量は皆が認めている」
「有難うございます、今日は謁見ですか?」
「ああ、次の遠征に自分を加えて欲しいと頼んできたところだ」
話題を変えたつもりだったが意味が無かったな。まあラインハルトから戦争を取ったら何も残らない事が証明されたわけだ……。

「次の遠征は決まったのですか?」
俺が問い掛けるとラインハルトがちょっとバツの悪そうな表情をした。
「いや、未だの様だ。だが私はまた哨戒任務で辺境に行かなければならない。だから今の内に頼んでおこうと思ったのだ……」
「なるほど」

辺境任務は出世を目指す若い士官にとっては島流しも同然だ。基本的に帝国では上級者にお願いをする時は直接会って頼むのが礼儀だ。となれば辺境に送られるのはそれ自体の機会を失うという事でもある。縁故や後ろ盾のない士官にとっては絶望その物だろう。姉が皇帝の寵姫であるラインハルトはまだ恵まれている方だ。もっとも本人はそんな事は認めないだろうが……。

「卿は何故ここに?」
「呼び出しを受けました」
「呼び出し?」
訝しげな表情だ。詮索されるのも面倒だ、適当に答えておくか……。

「ええ、ミュッケンベルガー元帥からです。総括と賞罰はまだ終わっていません、多分前回の戦いの戦果で不明な部分が有るのでしょう。ウチの艦隊は色々と問題が有りますから……」
「なるほど……」
ラインハルトが不得要領に頷いた。まるっきりの嘘でもない、あの老人をどうするかが決まらなければ総括と賞罰は終わらないのだから……。


 

 

第六話 そんな事を言ってるんじゃねえよ!



帝国暦 486年 1月 15日  オーディン  新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



納得したとも思えなかったがラインハルトは深く追求する事も無く離れて行った。これからヴェストパーレ男爵夫人の邸でアンネローゼと会うらしい。俺なんかに構っている暇はないわけだ。正直ホッとした。次の遠征では呼んでくれとか言われるんじゃないかと内心ヒヤヒヤだったからな。

暫く待っていると女官が俺に声をかけてきた。
「少将閣下、皆様がお待ちでございます。こちらへ」
女官と言っても五十歳を超えた樽みたいな腹をした女だ。多分甘い物の食べ過ぎだろう。宮中の女官は四十を過ぎると急激に太ると聞いた事が有る。出入りの業者達が何かにつけて甘い物を持ってくるかららしい。若い頃は新陳代謝が激しいから太らないが年を取ると覿面に出る様だ。

「皆様と言うと?」
「皆様でございます」
馬鹿にしてんのか、樽女。若造だと思って舐めんなよ。思いっきり眉を寄せて女を睨んだ。

女官は地位は低いが色々と宮中の秘密に通じている事が有る。そのため機嫌を損なうと厄介だという判断からチヤホヤする奴が多い。その所為だろう、女官の中には慇懃無礼な態度を取る者も居る。ふざけるなよ、樽女。俺は出世なんか興味ないんだ。お前らの機嫌なんか損ねたって全然怖くない。

女が穏やかに笑みを浮かべた。
「誤解なされませぬよう、皆様と申し上げましたのは御名をお伝えするのを憚る上(かみ)つ方(かた)の皆様がお待ち故にございまする。周囲に聞こえましては閣下にとっても御為にならぬかと」

なるほど、そういう意味か……。多分俺を待っているのは帝国軍三長官とリヒテンラーデ侯、そんなところだろう。まあ、あやされている様な気もするが素直に受け取るか。
「分かりました、案内をお願いします」
「こちらへ」
女がまた笑みを浮かべた。手強い女だな、宮中の女官ってのはこんな女ばかりなのかな。

女官は廊下を南苑の方向に歩いて行く。良いのかな、そっちは皇帝のプライベートなんだが。困惑しながら後を歩いていると彼女が
「閣下はミューゼル少将と御親しいのですか?」
と彼女が話しかけてきた。あらあら、このおばさんラインハルトに興味が有るのか。もてるんだなあ、若い女だけじゃなく熟女もメロメロか。

「ヴァンフリート星域の会戦で一緒でした。特別に親しいというわけではありませんが同じ戦場で苦労を共にしましたから……」
「左様ですか。……副官のキルヒアイス少佐が昇進したのは閣下のお口添えが有ったと御聞きましたので」
良く知っているな。もしかするとラインハルトじゃなくてキルヒアイスのファンかもしれない。感じの良い好青年だもんな。

「私の二階級昇進の代わりに彼を昇進させて欲しいと頼んだのです。良くやってくれましたからね。ですがどういうわけか私も二階級昇進しました」
「それはそれは……」
女官が首だけを回して俺を見た。穏やかな笑みを浮かべている。……妙な感じだな、ただの好奇心じゃないようだ。

「失礼ですが貴女をここへ寄こしたのはどなたかな?」
「さあ、それは……」
また女が笑った。
「軍人ですか?」
「……いいえ、違いますわ」

なるほど、リヒテンラーデ侯か……。どうやら俺とラインハルトの関係が気になるらしいな。それでこの女を使って俺に探りを入れに来たか……。皇帝の寵姫の弟、微妙だよな。軍ではまだ少将だがこれから出世すれば厄介な存在になる、そして協力者が居れば……。

「この先の突き当たりを右に御曲がり下さい。そのまま進みますと奥に部屋がございます。そこで皆様がお待ちでございます」
「有難うございます」
礼を言って先に進む。突き当たりを右に曲がる時、さりげなく来た方向を見ると女官が丁寧に頭を下げるのが見えた。

指定された部屋は何とも薄暗い部屋だった。五メートル四方程の部屋に四人の男が居た、軍人が三人、文官が一人。予想通りだ、帝国軍三長官とリヒテンラーデ侯、どいつもこいつも不機嫌そうな表情で疎らに置かれた椅子に座っている。“座ってくれ”とミュッケンベルガーが言ったから一礼して適当な所に座った。

「来て貰ったのは他でもない、あの老人の件だ」
ミュッケンベルガーが“あの老人”と言った。口調が苦味を帯びている。どうやら調整は不調だったか……。予想通りだが気が滅入った。
「どうも上手く行かぬ、そこで卿の考えを聞きたい、そう思ったのだ。不本意ではあろうがな」
「……」

その通り、不本意だ。分かっているなら俺に振るな。お前らがあの爺さんの首に縄を付ければ済む話だろうが。俺が押し黙っているとエーレンベルクが口を開いた。
「陛下にお願いする事も領地の件も上手く行かぬ。あの老人の処遇が決まらねば今回の戦いの総括も賞罰も出来ぬ。身動きが取れぬのだ」

泣くなよ、全く。泣きたいのは俺の方だ。
「陛下へのお願いは何故駄目なのです?」
皆がリヒテンラーデ侯に視線を向けると侯が顔を顰めた。
「別に寂しくないと仰せでの。正直に卿らの苦衷を訴えたのだが勝っているのだから問題あるまいと。残り少ない人生、好きにさせてやれとの仰せだ。……少々鮮やかに勝ち過ぎたの」

嫌味か、このジジイ。他人事みたいに言いやがって。勝たなきゃ負けるだろう、どれだけの犠牲者が出ると思っている。残り少ない人生だから好きにさせてやれ? 俺の人生の方が残り少なくなりそうだ。敗北か、或いは疲労か、目の前に死神が迫っている気がするよ!

「領地は如何です?」
ジジイが首を横に振った。
「それも駄目だ。領地は本来他に与えるべき賞が無い時に与えるものだ。元帥になってからならともかく現時点では大将であろう、上級大将に昇進させるのが至当だ」

馬鹿野郎、そんな事を言ってるんじゃねえよ!
「何が至当かなんてどうでもいいんです。あの老人に領地を与えて軍から遠ざけろと言っています。このまま軍に置いておけばとんでもない事になりますよ」
「……」

黙り込んでどうする! 段々腹が立ってきた。
「戦争で負ければ何十万、何百万という人間が死にます。グリンメルスハウゼン提督の存在がそれを引き起こしかねないと言っているんです。それでも恩賞には昇進が至当だと言うのですか!」

ジジイども四人が顔を見合わせた。
「そう怒るな、一応あの老人に領地を与える事を非公式に打診はしたのだ。だが要らぬとの事での……、無理に与えても返上しかねぬ。それでは意味が無かろう」
リヒテンラーデ侯が不機嫌そうに答えた。

「昇進が至当と言うのもその時にグリンメルスハウゼン提督が言ったものだ。正論ではあるな、無理押しは出来ん」
シュタインホフが後に続いた。皆がウンザリした様な表情をしている。ウンザリなのは俺の方だ、つまりあの老人を軍から引き離す事は出来ないってことだ。じゃあ俺を呼んだのは何故だ? 御守りを続けさせようってのか?

「小官の異動はどうなりますか」
おいおい、帝国軍三長官が顔を見合わせてどうすんだよ。押し付け合いか?
「後任者が決まらん、何人かに当たってみたのだが皆辞退した。無理に押し付ければ軍を辞めるだろう」
エーレンベルクが伏し目がちにボソボソ答えた。他の連中も俺と視線を合わせようとしない。

「小官はもう無理です。それは副参謀長のミュラー准将も同様です。一年も務めたのです、異動は当然でしょう」
俺は引き受けんぞ、断固断る。この問題で妥協は無い、このまま済し崩しにズルズルなんて断じて御免だ。

部屋に気不味い空気が充満した。
「負ければ良いではないか? その責めを取らせて退役させる。それしか有るまい」
おいおい、とんでもない事を言いだしたな。正気か、リヒテンラーデ侯。

「簡単に言わないで頂きたい。グリンメルスハウゼン提督一人に責めを負わせて済む問題ではありませんぞ」
エーレンベルクが反駁した。
「その通りです、敗北が小さければ叱責が精々でしょう。退役させる程の敗北ともなればミュッケンベルガー元帥にも責めは及びます」
今度はシュタインホフだ。仲が悪い筈だけどな、政治家達の理不尽には協力できるか……。

でもまあミュッケンベルガーに責めが及ぶと言っても叱責が精々だろう。軍からはグリンメルスハウゼンは重荷だとフリードリヒ四世に言ってあるのだ、重い咎めは出来ない筈だ。むしろ彼らが反発しているのは負けるという事だろうな。それを文官が事も無げに言う、その事が不快なのに違いない。

俺も不愉快だ、わざと負けろというが兵を無駄死にさせろというのと同じだ。軍人の考える事じゃないし人間としても間違っている。悪い意味で権力者の考えそうな事だ、人を人とも思わない、踏み躙る事に慣れた権力者の考え……。

「ヴァンフリート、イゼルローン、勝つ事で反乱軍に大きな損害を与えました。帝国は優勢を保持している。負ければその優位が消し飛んでしまいます。軽々しく負けろなどと口にしないで頂きたい」
リヒテンラーデ侯が不機嫌そうな表情をしている。だがミュッケンベルガーの言う事は正論ではある。皮肉なのはその勝利をもたらしたのがグリンメルスハウゼン艦隊だという事だな。

「損害が小さければ良かろう、負けたという形を作るのだ。それを以ってグリンメルスハウゼンを退役に追い込む。それしか有るまい、なんとかならんか」
帝国軍三長官が渋い表情をした。勝手な事ばかり言う、そんな表情だ。

損害は小さく負けた形か。負けた形を作るのは難しくは無いだろう。敵が大軍だと言って撤退すれば良い。しかしそれでは退役に追い込めないしグリンメルスハウゼンも戦場に出る事を諦めないだろう、大体爺さんの責任に出来るのか、そこが問題だ。

いや、待てよ……、退役でなくても構わんわけだ。戦場に出さない事でもかなり違う、それなら可能かな……。戦場に出さない、いや戦場に出ても無駄だと思わせる、帝国のためにならないと思わせる……。可能性は有るな、グリンメルスハウゼンはヴァンフリート、イゼルローンで大功を立てた。同盟軍もあの老人に注目しているはずだ。

やるなら今かな。メッキが剥げる前にピカピカのグリンメルスハウゼンを同盟軍の前に放り出す……。このジジイどもを助けるのは不本意だがこれ以上あの老人に振り回されるのはもっと不本意だ。やってみるか……。



帝国暦 486年 1月 15日  オーディン  オストファーレン  ナイトハルト・ミュラー



新無憂宮から戻ったエーリッヒは直ぐに俺を参謀長室に誘った。新無憂宮に行く時は憂欝そうだったが今は表情が明るい、どうやら例の件は上手くいったようだ。ようやくこれでこの艦隊から離れられる……。席に座るなりエーリッヒがニコニコしながら話しかけてきた。

「昇進が決まった。私は中将に、卿は少将に昇進だ」
「なるほど、それで」
「グリンメルスハウゼン提督も上級大将に昇進だ。退役は無い」
退役は無い、にも拘らずエーリッヒの表情、口調は明るい。

「では俺達は異動か」
思わず声が弾んだ。エーリッヒが声を上げて笑う。
「いや、異動は無い。我々はグリンメルスハウゼン艦隊に所属する」
「……」
大丈夫か? 何でそんなに明るいんだ。とうとう壊れたなんてことは無いよな。

「次の出兵が決まった」
「……」
「遠征軍の総司令官はグリンメルスハウゼン上級大将だ」
「おいおい、正気か。俺をからかってるのか」
エーリッヒがまた声を上げて笑った。

「からかってなどいないさ、気が狂ってもいない、本当だ」
「しかし」
俺が言い返そうとするとエーリッヒが手を上げて遮った。
「まあ聞いてくれ。グリンメルスハウゼン提督が率いる戦力は一個艦隊、二万隻だ。反乱軍はどう出るかな?」

一個艦隊、二万隻? どういうことだ、随分と中途半端だが……。
「……叩き潰す良い機会と思うだろうな」
「それで、どうする」
「そうだな、二個艦隊、いや最低でも三個艦隊は迎撃に出すだろう」
反乱軍の正規艦隊は一万二千隻から一万五千隻程度だ。確実に勝利を求めるなら最低でも三個艦隊は動員する。俺ならそうする。エーリッヒも同感なのだろう、頷いた。

「では反乱軍の三個艦隊を相手に我々はどうする?」
「さてどうするかな。反乱軍は我々の倍近い兵力を持っている。正直勝利を収めるのは厳しいだろう」
俺の答えにエーリッヒが笑い出した。

「厳しい? 不可能だよ。我々は撤退する」
「撤退?」
「ああ、撤退だ」
「しかし……」
「撤退後、帝国軍三長官は皇帝陛下に次のように奏上する」
「……」

「ヴァンフリート、イゼルローンで大功を上げたことによりグリンメルスハウゼン提督は反乱軍に酷く恨まれている。今後戦場に出れば集中的に反乱軍の攻撃を受けかねない。提督を戦場に送る事は危険である……」
「それは……、つまり狙いはそれか」
エーリッヒは笑みを浮かべて頷いた……。



 

 

第七話 儀式なんだ、さっさと終わらせよう


帝国暦 486年 2月 24日  オーディン  オストファーレン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「明日出兵か、忙しかったな、あっという間だった」
「そうですね、あっという間でした」
俺が答えるとアルベルト・クレメンツ准将は感慨深そうに頷いた。まさかなあ、この人が俺の下に来るとは……。世の中、何が起きるか分からんな。

忙しかった、冗談抜きで忙しかった。あの一月十五日の会合の後、帝国は新たな人事を発令しグリンメルスハウゼン提督による出兵を大体的に発表した。もちろん、狙いは自由惑星同盟に報せるためだ。フェザーンが恩着せがましく報せただろう。

こっちも派手に演出した。グリンメルスハウゼンがボンクラだと見破られては堪らない。昇進もただの発令だけじゃない。黒真珠の間で双頭鷲武勲章を皇帝フリードリヒ四世がグリンメルスハウゼンに授与、その上で上級大将に任ずるという式典付きだ。内実を知らない人間が見ればグリンメルスハウゼンは皇帝の信頼厚い武勲赫々たる名将に見えるだろう。

艦隊の陣容も新たにした。元々の連中を連れて行ったら役立たずどもをまとめて処分するつもりかなんて言われかねない。グリンメルスハウゼン提督率いる遠征軍は帝国の精鋭部隊でなければならんのだ。実際かなりの面子が揃ったと思う。

遠征軍総司令官:リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン上級大将
参謀長:エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将
副参謀長:アルベルト・クレメンツ准将
参謀:ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン中佐
参謀:フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー中佐
参謀:ブルーノ・フォン・クナップシュタイン中佐
参謀:アルフレット・グリルパルツァー中佐
分艦隊司令官:オスカー・フォン・ロイエンタール少将
分艦隊司令官:ウォルフガング・ミッターマイヤー少将
分艦隊司令官:ナイトハルト・ミュラー少将
分艦隊司令官:ヘルムート・レンネンカンプ少将

ラインハルトを呼ぼうかとも思ったんだけどな、ミュッケンベルガーが嫌がった。皇帝と関わり合いが強い人間はもうたくさんと言うわけらしい。分からないでもない、グリンメルスハウゼンには散々手古摺らされている。トラウマになっているのだろう。だとするとこの先どうなるんだろう、なんか原作とはかなり流れが違うんだけど……。

ミュラーには分艦隊司令官になってもらった。参謀よりも実戦指揮官の方が力を発揮するだろうからな。他にはロイエンタール、ミッターマイヤー、レンネンカンプ、いずれも一線級の指揮官だ。ロイエンタール、ミッターマイヤーを呼んだのはもう直ぐクロプシュトック侯の反乱事件とかが有るからだ。ラインハルトは辺境警備の一少将だしあの事件に巻き込まれないようにこっちに引っ張った。

そして参謀にはベルゲングリューン、ビューロー、クナップシュタイン、グリルパルツァー。これだって悪くない。クナップシュタイン、グリルパルツァーは今の時点では有能な士官だ。若手ではなかなかの有望株が揃ったと思う。

人事発令から艦隊編成、そして訓練、これらを一カ月半で終わらせた。本当に忙しかった。何故そこまで急いだか? おそらくこの遠征に参加する将兵の殆どが疑問に思っているだろう。この艦隊は戦わない、それを知れば更に疑問は深まったに違いない。

この艦隊が遠征から戻った後、帝国は再度遠征を行う。新たな遠征軍の総司令官はミュッケンベルガー元帥だ。帝国は今有利に戦争を進めている。同盟軍の敗戦の傷が癒える前にたたみ掛けたいのだ。だからグリンメルスハウゼンの遠征は出来るだけ早く終わらせたい、その事が準備を急がせている。

そしてこの遠征軍は遠征終了後に解体されミュッケンベルガーの遠征軍に組み込まれる事になっている。だから訓練が必要なのだ。分艦隊司令官はミュッケンベルガーの直率艦隊に組み込まれ参謀は宇宙艦隊司令部に編入される。それなりの人材を集めたのはその為でもある。

ついでに言えば本来なら参謀は作戦、情報、後方支援の分担を決めるのだが今回は無い。宇宙艦隊司令部では作戦参謀だけで十分だと言っているからだ。だから作戦能力の高い人間だけを集めた。情報、後方支援は協力してやってもらおう。もっともそれほど難しくも無いだろう、戦わずに退くのだ。

「それにしても前代未聞の珍事だな、これは」
クレメンツ准将の声は笑みを含んでいる。俺を見る目は悪戯小僧め、そんな感じだ。多分この人にとって俺は士官学校の候補生時代から変わっているようには見えないんだろう。悪戯したのは俺じゃなくフェルナーだけどな。

宇宙艦隊司令部入りはこの人にとっての夢だったようだ。その夢が叶う。忙しいが遣り甲斐のある仕事でもあっただろう。この人と仲の悪かったシュターデンは今回の人事で昇進することなく辺境警備に回された。ミュッケンベルガーをかなり怒らせたらしい。もっとも軍内部では俺との出世競争で負けたのだという噂が有るそうだ。俺はそんなものには興味無いぞ。

分艦隊司令官も参謀達もこの艦隊が戦わずに退く事を知っている。ミュッケンベルガーの遠征軍に組み込まれる事もだ。皆呆れていたな。でもなあ、他に手が無かったんだ。俺が提案したら爺様連中は飛びついたよ。エーレンベルクは“神算鬼謀だ”なんて叫んでた。

まあ確かに原作のアスターテ会戦を利用して撤退ってのはちょっと小細工が過ぎるかとも思うが今の同盟なら確実に勝利を求めて来るはずだ。大軍を出してこちらを叩こうとするから撤退はし易い。何処からも不信は抱かれ無い筈だ。

知らないのはグリンメルスハウゼンだけだ、それに関してはちょっと胸が痛む。でもこれ以上は無理だ、このままいけば何処かでとんでもない敗北を招く。戦死者は何十万、いや百万以上になるだろう。そんな事は許されない筈だ。俺自身とても耐えられない。グリンメルスハウゼンは軍事から身を引くべきなんだ……。



宇宙暦795年 2月 24日  ハイネセン  統合作戦本部  アレックス・キャゼルヌ



「やれやれ、帝国軍がまた出兵してくるか。連中、最近やたらと張り切っているな」
「ヴァンフリート、イゼルローン、勝ち戦が続いていますからね、勢いが有りますよ」
統合作戦本部に有るラウンジで俺はコーヒーを、ヤンは紅茶を飲んでいた。

「敵は一個艦隊、二万隻か。ちょっと中途半端の様な気がするな」
「そうですね、確かに中途半端だと思います」
「しかし無視は出来ない……」
「ええ、相手が相手です。無視は出来ません」

ヤンが憂欝そうな表情で紅茶を飲んでいる。リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン上級大将か……。
「どういう人物なんだ、良く分からんのだが」
俺が問いかけるとヤンは首を傾げた。
「グリンメルスハウゼン提督ですか? さあ、私も良く分かりません。皇帝の信頼厚い人物のようですが……」
「いや、そうじゃなくて用兵家としてだ、有能なのかな」

ヤンが困ったような表情を見せた。
「武勲は上げていますね、それもかなりのものです」
「老人だと聞いたが……」
「ええ」
「年をとってから急に武勲を上げ出すとか有るのかな? これまでは殆ど名前を聞いた事が無かっただろう」
ヤンが曖昧な表情で頷く。

どうも良く分からない。ヴァンフリート、イゼルローン、どちらもグリンメルスハウゼン提督の率いる艦隊の働きによって同盟軍は敗れた。鮮やか過ぎるという評価も同盟軍からは出ている。戦果から判断すれば宇宙艦隊司令長官、ミュッケンベルガー元帥よりも厄介な相手だろう。シトレ本部長も首を傾げている。

「まぐれとは思えません。参謀に出来る人物が居るのかもしれませんね」
「本人は飾りか」
「ええ、だとすると辻褄は合います」
「しかし今度勝てば元帥だろう、飾り物の元帥か?」
ヤンが“うーん”と呻き声を上げた。

「あるいは帝国軍は勝とうとはしていないのかもしれませんよ」
「勝とうとしていない?」
「ええ、だから遠征軍は二万隻などという中途半端な兵力なのかもしれない」
「……良く分からんな、帝国軍は負けるために出てきたという事か?」
俺が問いかけるとヤンが頷いた。

「中途半端に二万隻という兵力を与えて送り出した。同盟軍が大軍で迎い撃てば遠征軍は敗北するか戦う事無く撤退する……」
「何の意味が有るんだ?」
「さあ、分かりません。ですがどう見ても勝とうとしているようには見えないんですが……」
頭を掻いている、自信が無い時、思うようにいかないときのヤンの癖だ。

「それとも自信過剰になったかな」
「参謀がか?」
「グリンメルスハウゼン提督という可能性も有ります。だから兵力が中途半端なのかもしれない」
自信過剰か、だとすれば帝国に一矢報いるチャンスだろう。二万隻を撃破出来れば戦果としては結構大きい。

「或いは権力争いか……」
「権力争い?」
「ええ、ミュッケンベルガー元帥が邪魔になったグリンメルスハウゼン提督を我々の手で始末しようとしている」
おいおい、紅茶を飲みながら物騒な事を言うんじゃない。俺も一口コーヒーを飲んだ。

「しかし飾り物だろう、そこまでやるか?」
「邪魔になったのは参謀かもしれません。その参謀がグリンメルスハウゼン提督を利用してミュッケンベルガー元帥を追い落とそうとしたとすれば……」
何時の間にかお互いに小声で話していた。ヤンが俺を見ている、分かるだろうという眼だ。

「ミュッケンベルガー元帥は同盟軍を利用して彼らを始末しようと考えた……」
「ええ」
「おどろおどろしい話だな」
「……」

有り得ない話では無いだろう。同盟でもシトレ元帥とロボス大将の競争は熾烈だ。シトレ元帥が圧倒的に有利なだけにロボス大将は必死になっている。シトレ元帥を引き摺り下ろす為ならどんなことでもするに違いない。

「それで、勝てるかな」
「まあ油断しなければ兵力差で勝てるでしょう」
「四個艦隊か……、随分と奮発したな」
「ロボス閣下は負けられませんからね」
さりげない口調だったが厳しい事実だ。ここで負ければロボス大将は間違いなく更迭されるだろう。

だが最善を尽くしているとは言い難いのも事実だ。動員するのは第二、第三、第四、第十一の四個艦隊。精鋭と言える第五、第十、第十二を使おうとしない。ビュコック、ウランフ、ボロディンの三提督が大功を立てると競争相手になりかねないと見ている……。
「今度こそ勝って欲しいよ。負け戦はもうたくさんだ」
「そうですね、自分もそう思います」



帝国暦 486年 4月 12日  オストファーレン  ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン



「そろそろ報告が有ってもおかしくはありませんが……」
「そうですね、そろそろ有ってもおかしくはありません……」
ヴァレンシュタイン参謀長とクレメンツ副参謀長が話している。我々参謀が頷く中、グリンメルスハウゼン提督は指揮官席で居眠りをしていた。なんとも長閑な光景だ。反乱軍が迫っている等とは欠片も思っていないのだろう。

遠征軍はヴァンフリート星系を通過しアスターテ星系に向かっている。偵察部隊を出しているが今のところ反乱軍の動きは分からない。しかしそろそろ何らかの動きが有るだろうという事は皆が分かっている。アスターテはエル・ファシル、ダゴン、ドーリア、パランティアの各星系へと通じているのだ。反乱軍は我々がアスターテに行く前に迎撃したいと思っているはずだ。

おそらくは大軍をもって迎撃してくる。二倍、いや三倍だろうか……。だが旗艦オストファーレンの艦橋には大敵を前にした緊張は無い。寛いでいるわけではないが穏やかな空気が流れている。この艦隊が実際に戦うことは無い。だから提督が居眠りしていても誰も問題にしない。これは儀式のようなものだ、皆そう思っているのだろう。

そんな中で俺とビューローは何処となく居心地の良くない思いをしている。まさかあの時のヴァレンシュタイン少佐がヴァレンシュタイン中将になるとは思わなかった。しかも俺達の直属の上司になるとは……。クレメンツ副参謀長が居てくれるから良いがそうでなければ神経性の胃炎にでもなっていたかもしれない。

この艦隊に配属されて分かった事はグリンメルスハウゼン上級大将は全くのお飾りだという事だ。おそらく宇宙で一番暇な司令官だろう。今も居眠りをしているがその実務の殆どをヴァレンシュタイン中将に任せている。中将が御膳立てをして提督に許可を請う、提督はそれに対して無条件に許可を与える。それがこの艦隊の指揮運営の実情だ。この艦隊の事実上の指揮官はヴァレンシュタイン中将なのだ。

普通ここまで酷ければ何処かでグリンメルスハウゼン提督に対し侮りが出る。だが中将からはそのような姿はまるで見えない。誠実に提督を補佐している。しかし、今回の作戦でワザと撤退するというのも中将が発案したのだと言う。彼は決して誠実なだけの男ではない、そんな彼が我々をどう思っているか、寒気がする……。偵察部隊からの報告が入ったのはそれから程無くしての事だった。


 

 

第八話 なんでそうなるの?


帝国暦 486年 4月 13日  オストファーレン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「如何思われます?」
「さて……」
クレメンツ副参謀長が問い掛けてきたが俺にも“さて”としか言いようがない。参謀達は皆不安そうな表情か困惑した様な表情を浮かべている。

面白そうに俺を見ているのはリューネブルクだけだ。こいつはオーディンに残れば良いのにどういうわけか志願して付いて来た。前回の戦いで中将に昇進している。理由は反乱軍を混乱させる事に功が有ったと評価されての事だ。あの碌でもない通信が評価されたらしい。

装甲擲弾兵を一個師団任される立場になったんだがどうもオフレッサーと上手く行っていないらしい。こっちの方が居心地が良いようだ。困った奴だよ、この艦隊は無くなるというのに……。それを話したのにこっちに来ると言うんだから……。

「参謀長」
「はっ」
「その“皇帝陛下御不例”と言うのは本当かのう」
指揮官席からグリンメルスハウゼン提督が不安そうな表情と声で問い掛けてきた。頼むよ、指揮官なんだから周囲を不安にさせるような発言はしないでくれ。皆が顔を顰めているだろう。ヴァレリーだって呆れてるぞ。

「今、皆でそれを話し合っています。少しお待ちください」
「そうか……」
溜息が出そうになったが堪え参謀達に視線を向けた。
「どう思いますか」
俺が話しを振ったが参謀達は顔を見合わせたままだ。判断が着かない、そんなところか……。

偵察部隊が情報を持ってきた。それによって分かった事は同盟軍の動員兵力は四個艦隊という事だった。四方向からこちらを包囲するように進んでいる。兵力は約五万五千隻。その後方に五千隻ほどの艦隊が有る、おそらくはロボスの直率部隊だろう。合計すると六万隻の大部隊だがその事自体は問題無い、元々戦わずに撤退するのが目的だ、兵力が三倍なのも包囲しようとしているのも有難いくらいだ。誰もが撤退を妥当な判断だと言ってくれるだろう。

だが情報を収集しているうちに偵察部隊は妙な情報も拾ってきた。“銀河帝国皇帝フリードリヒ四世重態”、この情報が俺達を悩ませている。
「謀略、でしょうか」
「……」
「オーディンから何の連絡も有りませんし……」

クナップシュタインの意見に皆が顔を見合わせた。有り得るかな、グリンメルスハウゼンは皇帝の信頼厚い臣下。かなりアピールしたからな、フェザーンが同盟に伝えた可能性は十分にある。それを利用しようと考えたとしても不自然ではない。

本当ならオーディンに問い合わせれば良いのだが誰もそれを提案しない。“反乱軍が銀河帝国皇帝フリードリヒ四世重態と言っています、本当でしょうか?”とは訊き難いのだ。間違いの場合”馬鹿かお前は“と叱責されるだろう。

第一、それほどの重大事ならオーディンが報せて来ないはずはないという思いもある。しかしこの遠征軍は戦わずに撤退する事が決まっている。ならば敢えて知らせる必要は無いとオーディンは判断した可能性も有る……。皇帝陛下御不例による撤退ではグリンメルスハウゼンを軍から引き離せないのだ。

「勘違い、ではないかな」
今度はベルゲングリューンだ。髭を撫でながら周囲を見回している。何処か困ったような表情だ。
「陛下はその、何と言うか、時折体調不良になられるだろう、それをフェザーンが反乱軍に伝え、連中は大袈裟に受け取った」
皆が困ったような表情で頷いた。これも有り得ないとはいえない、二日酔いが何時の間にか重態になった……。

謀略説、勘違い説、どちらも有るな。しかし……、
「もし事実だとしたら、如何です」
俺が問い掛けると皆が深刻そうな表情をした。フリードリヒ四世は後継者を決めていない。場合によっては内乱になるだろう。拙いな、もし事実なら極めて拙い事態になる……。同盟軍がそれに付け込んでくれば……。放置は出来ない。

「オーディンに確認を取りましょう」
「宜しいのですか」
クレメンツが俺を気遣ってくれた。嬉しいけど俺が言わなきゃならんだろう。グリンメルスハウゼン老人は頼りにならん。

「グリンメルスハウゼン提督、小官がオーディンのミュッケンベルガー元帥に確認を取ります、宜しいですか?」
「ああ、それが良い、頼む」
もし間違っていたら怒られるんだけど分かって無いだろうな……、世の中は鈍い方が生き易く出来てる。

オペレーターに命じてオーディンのミュッケンベルガー元帥を呼び出した。スクリーンに元帥が映ったが表情は厳しい、良くない兆候だ。
『どうしたかな、反乱軍と遭遇したか』
「偵察部隊が反乱軍の情報を収集してきました。四個艦隊、約六万隻の大艦隊です」
俺の報告にミュッケンベルガーがホッと息を吐いた。知らない人間が見たら溜息にも見えるだろう。だが俺から見ると予定通り、そんな感じだな。

『そうか、では撤退だな』
「それを決断する前に教えて頂きたい事が有ります」
ミュッケンベルガーが訝しげな表情を見せた。予想外、かな。
「偵察部隊が収集した情報の中に反乱軍が皇帝陛下御不例と通信しているという物が有りました」
『馬鹿な……』

愕然としている。
「事実なのですね、閣下」
『……』
「司令長官閣下、では陛下は……」
グリンメルスハウゼンが悲痛としか言いようのない声を出した。ミュッケンベルガーが溜息を吐く。

『事実だ』
ミュッケンベルガーの答えに今度は皆が溜息を吐いた。
「おお、おお、何故教えて下されぬのです」
『……卿らの心を乱したくなかったのだ、提督。戦場ではほんの少しの油断、気の緩み、混乱が命取りになる』
グリンメルスハウゼンの非難めいた問い掛けにミュッケンベルガーは弁解がましい口調で答えた。まあそう言うしかないよな、負けて帰って来るのを待っていたとは言えん。

『お倒れになられてからもう五日になる』
「皆が知っているのでしょうか」
ミュッケンベルガーが渋い表情で頷いた。
『隠し通せたのは最初の二日だけだ。後は已むを得ず宮中において公表した』

宮中において公表したか……、貴族どもを集めて状況を説明した、そういう事だな。しかし三日で同盟にまで知られている、早すぎるな、早すぎる。宮中内部にフェザーンに通じているネズミが居るのかもしれん。或いはネズミは貴族の中に居るのか……。

「オーディンは混乱しているのしょうか」
周囲の人間が緊張した。
『いや、今のところは大丈夫だ』
じわりと空気が緩む。誰かがホッと息を吐く音が聞こえた。
『地上部隊もこちらの味方だ。今のところは問題は無い。しかし綱渡りではあるな、何かきっかけが有れば暴発しかねん』

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が何処まで自制できるかだな。お互いにかかっているものが大きい。娘を皇帝に出来れば帝国を手中にする事が出来る。だが失敗すれば破滅だろう。お互い引けない所まで来ている。ミュッケンベルガーの懸念は杞憂では無い。

「参謀長、撤退した方が良くはないかのう。反乱軍は大軍じゃし、陛下が御不例では……」
『そうだな、提督の言う通りだ。撤退するべきであろう』
「……撤退は出来ません。現時点での撤退は危険です」
周囲がざわめいた。皆が何を言っているのだという様な表情で俺を見ている。

『どういうことだ、ヴァレンシュタイン。ここは撤退するべきであろう』
言外に話しが違うという響きが有った。気持は分かる、だが前提が狂った。もう撤退は出来ない……。
「このまま撤退すれば反乱軍がイゼルローン要塞に押し寄せる危険性が有ります」
皆が凍りついた。艦橋の空気が痛いほどに緊張している。

「反乱軍は皇帝陛下御不例を知っているのです。おそらく帝国が内乱の危機の有る事も推測しているでしょう。四個艦隊を動員した彼らが我々の撤退だけで満足するとは思えません。これを機にイゼルローン要塞攻略を再度行う可能性が有ります」
彼方此方で呻き語が起きた。ミュッケンベルガーも呻いている。

当初はグリンメルスハウゼン艦隊の撃破が目的だっただろう。だがフリードリヒ四世が重態だと知った、だからこちらに情報を流している……。要塞を攻めたいと政府に言っても先日負けたばかりだ、許される可能性は小さい。だがこちらが撤退するのを追う形で要塞攻防戦に持ち込めれば……。俺の考え過ぎだろうか?

『イゼルローン要塞での防衛戦はどうか?』
「無理です。指揮系統が確立していない以上混乱するだけでしょう。閣下がオーディンから増援を引き連れ総指揮を執るのであれば別ですが……」
それでも一カ月は指揮系統がグチャグチャなままで戦う事になる。それがどれだけ危険かは第五次イゼルローン要塞攻防戦を思えば良い。

『無理だ、そんな余裕は無い』
ミュッケンベルガーが力無く首を横に振った。そうだろうな、そんな余裕は無い筈だ。そしてグリンメルスハウゼンにはミュッケンベルガーの様にイゼルローンの防衛体制を一つにまとめ上げるだけの力も権威も無い。

「この場にて戦うしかないと思います。反乱軍に痛撃を与える。それが出来れば反乱軍に皇帝陛下御不例はデマだと思わせる事が可能でしょう。例えそうでなくてもイゼルローン要塞攻略には二の足を踏ませる事が出来ると思います」
沈黙が落ちた。誰も口を開こうとしない。二万隻で六万隻の大軍に達向かう、内心では運命を呪っているだろう。

『卿の言う事はもっともだと思うが……、出来るのか、そんな事が?』
「……難しいと思います。しかし、やらなければ帝国は危険な状況に陥ります」
ミュッケンベルガーは眼を閉じて考えている。色んな事を思っているだろう、帝国の事、グリンメルスハウゼンの事……。

『分かった、已むを得ん事だ、卿の判断に任せる』
「有難うございます」
『だが、無理はするなよ』
「はっ、それと念の為ですがイゼルローン要塞に周辺で哨戒任務に就いている艦隊を集めて頂きたいと思います」
『良いだろう』

これでラインハルトとシュターデンがイゼルローンで一緒になるな。お互い不本意だろうが俺だって不本意だ。なんでこんな事になったのか、帝国はグリンメルスハウゼンとフリードリヒ四世という呪縛霊に祟られているとしか思えない。通信が切れ何も映さなくなったスクリーンを見て思った。

「グリンメルスハウゼン提督、これより作戦会議を開きます。各分艦隊司令官に旗艦への集結を命じますが」
「ああ、分かった。なるべく早く帝国に戻れるように頼む」
「はっ」
気楽でいいよな、爺さん……。泣きたくなってきた……。



帝国暦 486年 4月 13日  オストファーレン  オスカー・フォン・ロイエンタール



艦橋の空気は痛いほどに強張っている。皇帝陛下御不例、六万隻の反乱軍との戦闘。予想外の事態、そして理不尽とも言える戦力差。しかも戦って勝たなければならないという圧力。状況は極めて厳しい。そんな中、リューネブルク中将だけが不敵な笑みを浮かべている。

「このまま反乱軍に包囲されるのは愚策ですね」
ヴァレンシュタイン参謀長の言葉に皆が頷いた。
「となると急進して各個撃破、ですか」
「ええ、それが最善だと思うのですが……」

ヴァレンシュタイン参謀長とクレメンツ副参謀長の会話に皆が顔を見合わせた。言うは容易い、しかし現実に可能なのか……。戦術コンピュータには四方から進んでくる反乱軍とそれに対して進む帝国軍が表示されている。

「リューネブルク中将、笑うのは止めて頂けませんか。いささか不謹慎だと思うが」
レンネンカンプ少将が眉を顰めて注意した。
「これは失礼。だが本気の参謀長を見られると思うとつい嬉しくてな。悪く思わんで頂きたい」
皆がヴァレンシュタイン参謀長に視線を向けると参謀長は迷惑そうに眉を顰めた。

「変な事を言わないでください、私はいつも本気です」
「そうですかな、参謀長は苦しい時ほど力を発揮する。そう思っているのですが」
「買い被りですね」
参謀長が溜息を吐くとリューネブルク中将が軽く一礼した。妙な二人だ、皆が顔を見合わせた。

「……反乱軍は通信を制限している様子は有りません。自分達が大軍で有る事をこちらに教えようとしているようです」
「こちらが撤退すると想定しているという事かな……。ならば不意を突く事は可能かもしれない」
ビューロー中佐、ミュラー少将の発言が続いた。

「しかし上手く行きますかな、反乱軍に待ち受けられれば包囲殲滅されますが」
「中央は危ないな、レンネンカンプ少将の言う通り包囲される危険が有る。しかし両端ならどうだろう、どちらか一方の艦隊を叩いて離脱する、上手く行けば隣の艦隊も叩けるかもしれん。出来ない事ではないと思うが」

ミッターマイヤーの言葉に皆が頷いた。
「確かにミッターマイヤー少将の言う通りです。二個艦隊はきついかもしれませんが一個艦隊なら上手く行く可能性は高い」
俺の言葉に皆がヴァレンシュタイン参謀長に視線を向けた。参謀長は戦術コンピュータのモニターを見ている。

はて、何を考えているのか。ヴァンフリート、イゼルローンでグリンメルスハウゼン艦隊が圧倒的な存在感を示したのは参謀長が居たからだと聞いている。実際俺が見てもそう思う、指揮官席のグリンメルスハウゼン提督はどう見てもただの老人だ。軍の指揮などとてもできまい。

「反乱軍の本隊は叩けませんか」
「本隊?」
皆が唖然とした表情で参謀長を見た。
「ええ、迂回して本隊を叩く。五千隻ほどの部隊です、勝利を得るのは難しくは無い。本隊を撃破出来れば、ロボス司令長官を補殺出来れば反乱軍は兵を退かざるを得ないと思うのですが」

彼方此方で唸り声が起きた。なるほど参謀長は勝つ事よりも兵を退かせる事を考えていたか。一個艦隊の撃破では反乱軍が退かない可能性が有ると見た……。
「宇宙艦隊司令部が壊滅、一から再建となれば……」
「かなり時間を稼げるな」
クナップシュタイン、グリルパルツァーが興奮した様な声を出した。

「しかし敵中奥深く入るのは危険ではありませんか。無理をせず、一個艦隊か二個艦隊を撃破した方が良いのではないかと思いますが……」
クレメンツ副参謀長の言葉に参謀長は首を横に振った。
「普通ならそうしたいのですが今回は少々事情が特殊なのです」

妙な言葉だ、皆が参謀長に視線を向けた。
「反乱軍の総司令官、ロボス大将はヴァンフリート、イゼルローンで大敗し後が無い、今度失敗すれば更迭されるのではないかと思います。となると多少の損害を与えても兵を退かない可能性が有る。二個艦隊潰せれば良いですが一個艦隊ならこちらを追ってくるのではないかと思うのです」
彼方此方で唸り声が起きた。リューネブルク中将が嬉しそうに笑みを浮かべている。なるほど、本気のヴァレンシュタインか……。

「どう思う、可能だと思うか?」
「やってみる価値は有るだろうな、敵の本陣を急襲か、面白くなりそうだ」
ミッターマイヤーに問い掛けると楽しそうな声を出した。皆の顔を見ると同意するかのように頷いている。皆が自然と参謀長に視線を向けた。参謀長が頷く。
「反乱軍の本隊を叩きましょう」
皆が一斉に敬礼した。

 

 

第九話 お願いだから退役させて



宇宙暦795年 4月 13日  総旗艦アイアース  ラザール・ロボス



「まだ報告は入らないか」
「各艦隊からはまだ帝国軍発見の報告は有りません」
「そうか」
グリーンヒル参謀長が軽く頭を下げて参謀達の元に戻った。

焦るな、予想会敵時間には未だ二時間も有るのだ、焦る必要は無い。敵は二万隻、味方は六万隻、しかも味方は四方向から敵を包囲する陣形を取っている。最初に中央の二個艦隊が帝国軍に正面から接触、そして両翼の二個艦隊が側面から接触、最終的には敵を三倍の兵力で包囲する。このままでいけばダゴン殲滅戦の再現になるだろう。味方の勝利は間違いないのだ。

問題は帝国軍がどう動くかだ。あの艦隊は帝国でも最も厄介な艦隊だ。ここ最近の戦いでは常にあの艦隊にしてやられている。大人しく包囲されてくれるだろうか……。そうは思えん、こちらの思惑に気付かないほど愚かではあるまい。

先ず考えられる事は撤退だな、敵わないと見てイゼルローン要塞に撤退する。その場合は追撃しつつ要塞攻防戦に持ち込むしかない。グリーンヒル参謀長は反対するかもしれんが皇帝フリードリヒ四世が重態であるなら帝国軍は積極的な軍事活動は行えない筈だ。要塞への増援は無いと見て良い。攻略は出来ずとも帝国軍の艦隊に大きな損害を与える事が出来れば……。

負ける事は出来ない。今度負けたら間違いなく更迭だろう。そして帝国軍を無傷で撤退させることも出来ない……。これまで勝ち戦続きなら問題ない、しかし負け戦続きなのだ。三倍の兵力を用意しながら無傷で帝国軍に撤退を許したとなれば何と言われるか……。

ロボスは頼りない、ロボスは戦争が下手だと言われるだろう。必ず更迭論が出るはずだ。シトレもそれを後押しするだろう。ここはどうしても敵を撃破しなければ……。

「正体不明の艦隊が急速に接近してきます!」
何? どういう事だ? 正体不明? オペレーターは一体何を言っている?
「艦艇数約二万! おそらくは帝国軍と思われます!」
「馬鹿な、どういう事だ、それは! 敵は前方に居るのでは無かったか!」
立ちあがって周囲を見渡した。誰もが顔を強張らせている。

正面スクリーンに映像が映った。夥しい光点が映っている。そして近付くにつれて大きく、そして多くなっていく。
「閣下、どうなさいますか?」
グリーンヒルが問い掛けてきた、顔色が良くない。しかし、なんなのだ、その質問は!

「どうなさいますかとはどういう事だ! 参謀長」
「戦うのか、それとも後退するのかです!」
互いに怒鳴り合いになった。指示を出せと言う事か。ならば最初からそれを言え! 出す指示など決まっているだろう、イライラさせるな!

「全艦戦闘準備! 各艦隊に帝国軍と接触したと連絡しろ!」
オペレーターがコンソールを操作しているが直ぐに顔を上げて私を見た。表情が強張っている。
「駄目です! 帝国軍の妨害電波で味方に通信が出来ません!」
「ええい、連絡艇を出せ! 各艦隊に二隻、八隻を出すのだ!」

「帝国軍攻撃してきます!」
「こちらも攻撃だ! 持ちこたえるんだ、味方が来れば挟撃できる!」
彼方此方から力の無い声が上がった。駄目だ、将兵達は持ちこたえる事が出来ないと見ている……。

スクリーンに映る帝国軍は圧倒的な威容を見せている。そして味方は為す術も無く打ち砕かれている……。何故だ、何故こうなった。三倍の兵力で帝国軍を包囲するはずだった。だが気が付けば四倍の兵力でこちらが攻撃されている……。負けるかもしれない、絶望が胸に込み上げてきた。



帝国暦 486年 4月 13日  オストファーレン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



帝国軍は奇襲に成功した。戦況は一方的と言って良い。艦橋は歓声で爆発しそうだった。だが皆が喜ぶ中ヴァレリーだけは表情を消している。辛いんだろうな、小さな声で話しかけた。
「部屋で休んではどうです?」
「いえ、大丈夫です」
「無理はしなくても良いですよ」

ヴァレリーは笑みを浮かべた。大丈夫って言いたいんだろうけど引き攣ってるよ。このまま帝国に留めるのは可哀想だ。いずれ同盟に返してやらないと……。結構俺の事を気遣ってくれるんだ。前回の戦いで倒れたからな、心配してくれてるらしい。

捕虜交換か、或いはフェザーン経由でこっそり返すか、難しいな。後でミュッケンベルガーにでも相談してみようか? 随分貸しが有るよなあ、少しはこの辺で返してもらわないと……。でも戻しても大丈夫かな、スパイ扱いされたら可哀想だし……。

「兵力差も有りますが一方的ですな」
「そうですね」
クレメンツ副参謀長が話しかけてきたので頷いた。やっぱり双璧は凄いわ、動きがまるで違う。容赦なく同盟軍を叩き潰している。レンネンカンプも良い、練達、そんな感じだな。ミュラーも良くやっている。始めての艦隊指揮なのにあの三人に遅れることなく着いて行っている。

この艦隊、帝国でも精鋭部隊と言って良いだろうな。あの問題さえなければ……。その問題を見た、指揮官席で嬉しそうにスクリーンを見ている。溜息が出そうだ。
「提督、そろそろ反乱軍に降伏を勧告したいと思いますが」
「おお、そうじゃのう。弱い者苛めは可哀想か」
「……降伏を勧告します」

弱い者苛めじゃなくてさっさと終わらせて撤退しないと危ないだろう。同盟軍の方が俺達より兵力は多いんだ。連中が戻ってくる前にこの戦場から離脱しないと……。オペレーターに命じて降伏を勧告するとそれほど間を置く事無く同盟軍は降伏を受諾した。オストファーレンの中で爆発したかのような歓声が上がる。良いよな、喜べる奴は。俺は少しも喜べん、この爺さんが元帥だ。帝国はどうなるんだろう……。

捕虜を帝国側の艦船に移乗させると直ぐに戦場を離脱した。そろそろ同盟軍の艦隊は俺達が予想宙域に居ない事に気付いた筈だ。最初に考えたのは撤退だろうな。だが本隊に連絡を取ろうとして不可能だとなれば真実に気付く。慌ててこちらに向かって来るのは目に見えている。捕捉される前に逃げないと……。



「捕虜の引見ですが如何しますか」
「引見?」
クレメンツ副参謀長が小声で話しかけてきたのは戦場を離脱して一時間も経った頃だった。そういうの有ったな、形式だけど捕虜の代表と捕えた側の代表が直接会う。“宜しくね、乱暴しないでね”、“分かったよ、安心して良いよ”、そんなところだ。

「反乱軍の方はロボス大将になりますが……」
そう言うとクレメンツは困ったような表情で視線をグリンメルスハウゼンに向け、そして俺に向けた。意味ありげな仕草と表情だ。
「……私ですか? 若過ぎると向こうが傷付きませんか?」
「他にはいないと思います」

そうだよな、この爺さんに任せたらロボスはもっと傷付く。いやそれ以上にこの爺さんの正体を同盟側に知らせる事は出来ない。居眠り爺さんが元帥になる、帝国軍の最高機密だ。なんでこうなったんだろう、溜息が出た。“お気の毒とは思いますが宜しくお願いします”、クレメンツの声が聞こえた……。



帝国暦 486年 4月 24日  イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



遠征軍が戻ってきた。六万隻の大軍に包囲されそうになったが敵の本隊を降伏させて戻ってきた。反乱軍に与えた艦艇の損害は少ないが人的損害はかなりのものだ。宇宙艦隊司令長官を始め司令部要員を丸ごと捕虜にした。反乱軍は頭脳を失ったのだ。連中は暫くの間は積極的な軍事行動を控えざるを得ないだろうと皆が言っている。

遠征軍は今日から一週間要塞に駐留し補給、修理を行うらしい。俺達イゼルローンに集められた哨戒部隊もそろそろお役御免だろう。元の辺境警備に戻るはずだ。有難くもあり残念でもある。これ以上シュターデンの顔を見ずに済む事は有難いが反乱軍が押し寄せてくれば武勲を上げる機会だった。中央に戻る事も出来たかもしれない。それなのに……。

グリンメルスハウゼンは元帥か……。どう考えても不条理だ、あの居眠り老人が元帥で俺が辺境警備の少将……。
「どうなさいました、ラインハルト様。溜息を吐かれるとは」
キルヒアイスが心配そうな表情をしていた。最近は何時も心配させてしまう。

「いや、何時まで辺境に居なければならないのかと思ったのだ」
「……一度ヴァレンシュタイン中将に相談してみてはどうでしょう。ラインハルト様の力になってくれるのではないでしょうか」
「……止めておこう、気が進まない。それに向こうは向こうで大変だろうしな」
良く出来るものだ、あの老人の参謀長など俺には到底耐えられない……。



帝国暦 486年 6月 25日  オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



オーディンに戻ると皇帝フリードリヒ四世は回復していた。死んでいてくれればあの老人に遠慮はいらなくなる。しかし帝国は内乱に突入しただろう。多くの人間がフリードリヒ四世の快癒を喜んでいるが本当に目出度い事なのかどうか、俺は今一つ判断が出来ずにいる。

ラザール・ロボスを始め同盟軍の宇宙艦隊司令部要員は全て捕虜になった。しかしヤンとキャゼルヌは居なかった。どうやらシトレに近い事でロボスによって追い払われたらしい。ロボスにしてみればあの二人は冷めた目で自分を批判的に見ている嫌な奴なのだろう。余計な事を……。

代わりに捕えたのがグリーンヒル中将とフォーク中佐だ。同盟軍の癌をごっそり削ぎ取ったって感じだよ。これじゃあ馬鹿みたいな帝国領出兵もクーデターも起きる可能性は皆無に近いんじゃないだろうか。一つ躓くと滅茶苦茶になるという見本だな、これは。

ミュッケンベルガー元帥に新無憂宮に来いと呼び出された。そしてまたあの女官に案内されてあの部屋に向かった。待っていたのはあの時と同じ面子、帝国軍三長官とリヒテンラーデ侯だ。四人とも渋い表情をしている。多分俺も同様だろうな。

「今回の遠征、御苦労だった。卿の危惧した通りだった。反乱軍のロボス大将はイゼルローン要塞の攻略を考えていたらしい。危ない所であった、卿が気付かなければ帝国は酷い混乱に陥ったであろう。良く防いでくれた」
「はっ」
エーレンベルクが俺を褒めた。気を付けろ、この程度で油断すると足元を掬われるぞ。大体誰一人として笑顔を浮かべていない。

「グリンメルスハウゼン上級大将は元帥に昇進する」
まあしょうがない事だな。そうは思っても気が重い。帝国は一体何処に行くのか……。
「そして宇宙艦隊副司令長官に就任する」
「はあ?」
正気か? 思わず四人の顔をまじまじと見た。冗談を言っているようには見えない。いや待て、権限の無いお飾りという事か。それなら納得できる。今後はオーディンで御留守番だな。

「ヴァレンシュタイン中将、卿は大将に昇進する」
「はっ」
「そして宇宙艦隊総参謀長に就任する」
「はあ?」
なんだ、それは。俺が総参謀長? 良いのか、そんな事して。古参の大将クラスで総参謀長をやりたがっている奴は幾らでもいるだろう。俺なんか総参謀長にしたらブウブウ言い出すぞ。

俺が戸惑っているとミュッケンベルガーが後を続けた。
「卿の最初の任務はグリンメルスハウゼン副司令長官率いる遠征軍に同行し反乱軍を撃破する事だ」
「……それは、もう一度アレをやるという事でしょうか?」
俺が問い掛けるとミュッケンベルガーは溜息を吐いた。え、違うの? 俺の疑問に答えてくれたのはシュタインホフだ。咳払いをして答え始めた。

「今回捕虜から尋問して分かったのだが反乱軍は相当にグリンメルスハウゼン提督を危険視しているようだ。つまり彼の存在は反乱軍に対し抑止力足り得る。積極的にこれを用いるべきだろう」
はあ? あの爺さんが抑止力? 積極的に用いる? 正気か? 頭おかしいんじゃないのか?

「ヴァレンシュタイン」
「はい」
「今後、遠征軍の総指揮は私ではなくグリンメルスハウゼン提督が採る事になる」
「……ミュッケンベルガー元帥、よく分からないのですが、それは何の冗談です?」
ミュッケンベルガーが顔を顰めた。飲み込み悪くて済みません、でも本当によく分からないんです。どうなってるんだ?

「冗談ではない、陛下の御健康は必ずしも安定していない。私はオーディンを離れるわけにはいかんのだ」
「……」
なるほど、あれは一時的な物ではないという事か。つまり何時フリードリヒ四世が倒れるか分からないと……。となるとだ、俺が総参謀長と言うのは……。

「分かるな、卿は総参謀長として全軍を指揮し、反乱軍を撃破するのだ」
「冗談でしょう、小官には到底無理です」
声が震えた。冗談じゃない、あの老人の面倒を見ながら全軍の指揮を執れ? 俺を過労死させる気か? 帝国軍は何時からブラック企業になった!

「退役します! 昇進は要りません、年金も辞退します、だから退役させてください!」
「それは認められぬ。帝国軍は卿の用兵家としての力量とあの老人をあやす才能を必要としているのだ」
勝手な事を言うな、エーレンベルク。俺は介護士じゃない!

「ヴァレンシュタイン中将、既に次の出兵に関しては陛下の御内意を得てある。グリンメルスハウゼン元帥を総司令官に、卿を総参謀長にだ。断る事は許されぬ」
「リヒテンラーデ侯……」
このクソジジイ共、俺を嵌めやがったな。全部俺に押し付けるつもりか! 絶対辞めてやる! 絶対にだ!



帝国暦 489年 4月30日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「そういう夢を見た」
「……」
「最悪だろう?」
「確かに……」

顔色が悪いな、ミュラー。でもな、俺は目が覚めたときに夢だと分かって嬉し涙が流れたよ。そして眠るのが怖くなった、多分これからは毎日そう思うんだろうな。なんだってあんな夢を見たんだか……。疲れてるのかもしれない……。

「エーリッヒ」
「うん?」
「夢はそれで終わりなんだな、他には無いんだな」
ミュラーがじっと俺を見ている。まさかな、こいつ、俺と似た様な夢を見たんじゃないだろうな。その先を見たとか……。

「……無い!」
そんなものは無い! ベーネミュンデ侯爵夫人の馬鹿げた騒動に巻き込まれかかっただの、どっかの貴族の令嬢に想われて貴族の馬鹿息子に嫉妬されただのそういう事は一切無い! そんな夢は見なかった!

「ナイトハルト、私は仕事に戻る。卿も仕事に戻るんだな」
「ああ、そうするよ」
そうだ、仕事だ。こんなところでお喋りをしてるなんてどうかしている。俺には仕事が有るのだ。先ずはこのミュラーが持ってきた人事考課、こいつを片付けよう……。


 

 

第十話 どうして俺を頼るんだ


帝国暦 489年 4月30日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ミュラー艦隊の人事考課を見ているが調子が出ない。嫌な事は忘れて気分を切り替えて、と行きたいところだが嫌な事というのは悪霊みたいなもんでとりついたら離れないんだな、これが。あの後も酷かった、いやあの後の方が酷かった。祟りというか呪いというか、俺にとってグリンメルスハウゼンはまさに祟り神だった……。



帝国暦 486年 7月 5日  オーディン  新無憂宮  黒真珠の間  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「帝国軍中将、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン殿」
控室に居る俺を式部官が呼ぶ声が聞こえた。しょうがないな、行くか。
「閣下、お先に」
「おお、気を付けてな」
「はっ、有難うございます」

グリンメルスハウゼンが俺を気遣ってくれた。でもなあ、気を付けてって言われても……。ここで迷子になるなんてわけがないだろう。まあ転んだら皆の笑い者か、それは有るかもしれんな。気付かれないように溜息を吐きながら控室を後にした。

大勢の文官、武官、貴族が並ぶ中、皇帝フリードリヒ四世を目指して歩く。俺ってどう見ても前途洋々なエリート中のエリートだよな。二十一歳で大将に昇進して宇宙艦隊総参謀長に就任。おまけに二つ目の双頭鷲武勲章を授与される……。大体この年で二つ目の双頭鷲武勲章なんて有り得ないだろう。

……いらない。勲章なんていらないし総参謀長にもなりたくない、昇進もしなくて良い。だから俺をグリンメルスハウゼンから解放してくれ。退役だって構わない、出世なんて興味無いんだ、俺は。大体何で俺がグリンメルスハウゼン元帥府の事務局長なんだ、どう見てもイジメだろう。あのクソ爺ども“他に人がいない”、“艦隊はましになったのだから良いだろう”なんて言って全部俺に押し付けやがった……。

あー、何時の間にか着いたか。膝を着いて頭を下げたけど馬鹿馬鹿しくてやってられないよな。
「今度の武勲、まことに見事であった」
生気の無い抑揚の無い声だ。本当は見事だなんて思っていないだろう、そう感じさせる声だよ。俺のモチベーションは急降下爆撃機だ。下がりっぱなしだし誰かの頭を爆撃してやりたい。
「恐れ入ります」
「その武勲を賞しそちを帝国軍大将に任じ双頭鷲武勲章を授ける。立つが良い」

立ち上がると皇帝フリードリヒ四世が俺の胸に勲章を付けた。名誉なんだろうけど少しも嬉しくない。お前が余計な事をしなければ俺はこんな苦労をしなくても済んだんだ。睨みつけたくなるのを必死に我慢した。……不公平だよな、皇帝とかって何してもOKなんだから。俺も皇帝になりたい……。美女を侍らせて仕事はみんな下に押し付ける。男のロマンだな。絶対出来ないけど……。今度転生するならフリードリヒ四世になりたい。

勲章の授与は終わったが未だグリンメルスハウゼンの元帥杖授与式が有るから帰る事は出来ない。参列者に割り込んで式典に参加しなければならないのだ。割り込む場所を見つけるのはそれほど難しい事では無い。参列者は階級順に並んでいる、新任の大将の俺は大将の一番最後に並べばいい。

もっとも並んで直ぐにウンザリした。傍に居るのはクライストとヴァルテンベルク、第五次イゼルローン要塞攻防戦の味方殺しコンビだった。二人とも厭な目で俺を見ている。俺の所為で閑職に回されたと思っているのだろうしまさか三年で歯牙にもかけなかった中尉が大将に昇進するのは理不尽だとも思っているのだろう。自業自得だろう、馬鹿共が。

この二人が最後尾に居たのは何となく分かる。軍事参議官になって三年、おそらくは何の音沙汰も無いはずだ。本来は皇帝の諮問機関として軍事参議会が有るんだが開かれた事なんて無いだろうし……。普通ならなんかの役職に着いてる。どう見ても飼い殺し、左遷だよ。

大体イゼルローン要塞司令官、駐留艦隊司令官というのは大将が任じられるんだが大将としては上がりのポストだ。異動になる時は上級大将に昇進する。最前線勤務を四年から五年は務めるのだから容易なことではない。大きな戦闘も一回は有るだろうし小競り合いは頻繁にあるだろう。昇進は妥当と言える。それなのにこの二人は昇進していない。なかなか前の方には行き辛いだろうな。だからと言って俺を睨むのは筋違いだ。こっちだって酷い目に有っているんだから。

「グリンメルスハウゼン子爵、リヒャルト殿」
式部官の声が黒真珠の間に響いた。控室から出てきたグリンメルスハウゼンがよたよたしながら歩いて来る。大丈夫かな、老人。頼むから転ぶなよ。彼方此方からクスクス笑い声がした、クライストとヴァルテンベルクも笑っている。

笑うんじゃない! この老人のために俺がどれだけ苦労していると思っている! お前らなんかに笑われてたまるか! 思いっ切り咳払いをして笑っているクライストとヴァルテンベルクを睨みつけてやった。二人が沈黙したのを見て次に馬鹿貴族共を睨みつける。文句あんのか? この馬鹿共が!ブリュンヒルトの主砲で吹き飛ばしてやろうか。俺は最高に機嫌が悪いんだ!

戦艦ブリュンヒルトは皇帝陛下よりグリンメルスハウゼン元帥に下賜された。どっかの誰かがオストファーレンは宇宙艦隊副司令長官の乗艦には相応しくないとか言ったらしい。何と言っても相当に古い艦だからな。老人は有難くも純白の貴婦人を授かったわけだ。どうせなら本当に人間の女なら良かったのに……。

爺さんはブリュンヒルトを貰って大喜びだけどな、俺は全然嬉しくない。宇宙空間であんな真っ白な艦を旗艦にするなんて何考えてるんだか、目立ってしょうが無いだろう。有視界戦闘になる可能性を考えれば灰色か黒、或いは同盟の様にダークグリーンに塗るのが妥当なんだ、それなのに……。色を塗り替えましょうって言ったんだけどグリンメルスハウゼンは白のままで良いとか言うし……。

俺の苦労など何も分かってくれない。あんたを司令官に担ぐだけでハンデを負っているんだ。その上に真っ白な旗艦? どう見ても苛めとしか思えないだろう。誰かが俺を苛めて喜んでいる、俺が苦しむのを見て喜んでいるんだ。

あんな真っ白い艦なんて貰って喜ぶのはラインハルトみたいな天才か何も戦場の事を知らない阿呆だけだ。オストファーレンの方がグリンメルスハウゼン老人にはぴったりなのに……。あの古ぼけてカビ臭いオストファーレン……。

元帥府をどうするかな、皆グリンメルスハウゼンが無能だって事は分かっている。誰も幕下には入ろうとしないだろう。ミュラー達は元帥府に入ると言ってくれたけど俺の方から断った。元帥府に入るメリットは元帥の政治力、影響力を当てにできるという事だ。残念だがグリンメルスハウゼンにはそれは無い。多分、貧乏籤を引くだけだ。一生の問題だからな、無理をして俺に付き合う事は無いさ。大体爺さんが何時まで生きているかも分からないんだから。

俺と老人の二人だけでもいい……。一応ヴァレリーもメンバーに入るのかな、だとすると三人か。形だけの元帥府だ、元帥府に使う建物も小さいもので良いだろう。出征の準備は宇宙艦隊司令部の参謀にやらせれば良いし問題はない筈だ。問題なのは正規艦隊司令官だな。一応ミュッケンベルガーは九個艦隊をグリンメルスハウゼンの指揮下に置いていいと言ってくれているんだけど……。

今の所正規艦隊司令官にするのはミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー、レンネンカンプの四人だけだ。問題は後五人をどうするかだ。ワーレン、ルッツ、ケンプ、ビッテンフェルト、ケスラー、メックリンガー、シュタインメッツ、ファーレンハイト、アイゼナッハ……。
一杯候補者いるんだけど皆階級が低いんだ、准将とか大佐だ。取りあえずは該当者無しで空席かな。訳の分からん人間を司令官にしても仕方ないし……。

ミュラー達に元帥府に来るなと言ったのも一つはそれが有る。分艦隊司令官に任命する人間が居ない。彼らに艦隊編成を手伝ってくれと言われても……。ちょっと狡いかもしれないが彼らに頑張って貰うしかない。俺は爺さんの面倒を見るだけで手一杯だ。

つらつら考えていたら何時の間にか元帥杖の授与は終わっていた。ワルキューレは汝の勇気を愛せりが流れる中をグリンメルスハウゼン老人がよたよたと歩いて来る、今度は嬉し涙を流しながらだ。頭が痛いよ、何だってこんな式典をやるのか……。この後は翠玉(すいぎょく)の間で祝勝パーティだったな。あれ、嫌いなんだよな、益々頭が痛くなってきた。今日は最悪の一日になりそうだ……。



ちょっと早めに行った所為だろう、翠玉(すいぎょく)の間にはまだそれほど人は居なかった。中央にダンス用のホール、少し離れた場所に料理を置いたテーブル、壁際には歓談用のテーブルが配置されている。俺は適当な歓談用テーブルの所に行った。適当と言うのは他に人が居ないという事だ。

皆俺と話したがらないんだよ、一緒に居たがらない。このパーティ、出席者は黒真珠の間に出席できる人間だけだ。つまり爵位を持った貴族、政府閣僚、高級官僚、軍人なら将官以上の階級に有る者だ。年は若いし平民出身の高級軍人とは誰も話したがらない。ということでいつも俺の居るテーブルには理由が有って他者と関わりたくない人間とかが数人いるだけだ。当然だが話しなんてしない。

ノイケルン宮内尚書の挨拶でパーティが始まった。皇帝陛下は御疲れとかで出てこないしグリンメルスハウゼンも同様だ。主役二人が欠席ってどういうパーティだ? 普通こういうのは敵を撃破した名将とその労をねぎらう皇帝の麗しいシーンに皆が喜ぶってものだろう。それなのに……、遣る意味が有るのか? 俺にはさっぱり分からん。

「ヴァレンシュタイン大将」
リューネブルクが声をかけて近付いてきたのはパーティが始まって三十分も経った頃だった。牛肉とパプリカを煮込んだグラーシュとカトフェルサラダが美味い。

「グリンメルスハウゼン元帥が元帥府を開くそうですな、閣下が事務局長とか。他には一体どなたが来るのです? 先ずミュラー提督は当然として……」
「誰も来ませんよ。ミュラー中将達は私の方から断りました」
「……」

そんな困惑するなよ。
「私とフィッツシモンズ少佐と元帥閣下だけです」
「……それはまた、……困りましたなあ」
リューネブルクが笑い出した。おいおい、勝手に俺のカトフェルサラダを食べるんじゃない。何がいけますな、だ。困ってるんじゃなかったのか。

「実は小官もそちらの元帥府の御世話になろうかと思っていたのですよ」
「……」
「どうもオフレッサー閣下の所は居辛いのですな。理由はお分かりでしょう?」
リューネブルクが俺の顔を覗き込んだ。まあね、例の一件でミュッケンベルガーに叱責されたと聞いている。元凶としては居辛いだろうな。

「如何です、責任を取って小官を引き取って頂けませんか」
「……」
「悪い買い物ではないと思いますが」
良い悪いじゃないんだ、元々買う気が無いんだよ、リューネブルク君。それに俺はお前さんを助けただけだ。責任なんて欠片も無い。問題は君がオフレッサーに嫌われた事だ。責任転嫁はいけないな。

「三人でお茶を飲むより四人でお茶を飲んだ方が楽しいと思いますよ」
なるほど、それは有るな。あの老人の茶飲み相手を俺とヴァレリーの二人だけで務めるのは結構きついかもしれない。ついでに出征中はこいつに元帥府の留守番をやらせるか。番犬代わりには使えるだろう。

「その御茶会には我々も入れて頂きたいですな」
声のした方を見るとロイエンタール、ミッターマイヤー、レンネンカンプ、ミュラー、クレメンツが居た。何でだ? ウチの元帥府は政治力とかまるで期待できないんだぞ。ミュラー、お前にも言ったよな……。



帝国暦 486年 7月 5日  オーディン  新無憂宮  翠玉(すいぎょく)の間  オスカー・フォン・ロイエンタール



「ウチの御茶会に参加してもメリットは何もないですよ。政治力とか影響力はまるで期待できませんから。貧乏籤を引くのが関の山です。止めた方が良いですね」
にべもない言葉だ。総参謀長の答えに皆が苦笑を浮かべた。

「いや、それなのですが総参謀長。我々は既に貧乏籤を引いてしまったようで……」
「いまさらお茶会に参加しても失うものは無いのですな」
ミッターマイヤーと俺が答えると総参謀長は訝しげな表情をした。

「ナイトハルト、卿も同様らしいがどういう事かな?」
総参謀長の問いかけにミュラー中将が肩を竦めた。
「上手く行かないんだ。我々は皆上層部に伝手が無いんでね、正規艦隊司令官にしてもらったのは有難いんだが分艦隊司令官、司令部要員の選抜さえ上手く行かない」
総参謀長が我々の顔を困ったように見ている。

「クレメンツ教官に士官学校の教え子から適任者を紹介してもらおうと思ったのだが教官にも無理だと言われて……」
ミュラー中将が視線を向けるとクレメンツ少将が首を横に振った。
「私が推薦できるのはほんの数人だ、しかも果たして来るかどうか……。元帥府に所属してない正規艦隊では消耗品扱いされると敬遠されるかもしれん」
総参謀長は我々の顔を見渡してから溜息を吐いた。

「それでグリンメルスハウゼン元帥の元帥府に入りたいと? 他の元帥府はどうなのです? どうせなら帝国軍三長官の元帥府の方が色々と便宜を図ってもらえると思いますが……」
「それも駄目なんだ。他の元帥府は貴族達の力が強くてね、我々は歓迎されない。年が若いからやっかまれている節も有る」

ミュラー中将の言葉に総参謀長はまた溜息を吐いた。しかも今度の方が溜息は大きい。しかし現実に我々は非常に困難な状況にある。正規艦隊司令官とはいえ階級は中将、しかも後ろ盾が無いとなれば何かと軽視されがちだ。そこに嫉妬が入ればさらにややこしくなる。

「それで皆で相談してね、やっぱりグリンメルスハウゼン元帥府に入るのが良いだろうと。宜しく頼むよ」
ミュラー中将がニコニコと頼むとリューネブルク中将が嬉しそうに後を続けた。
「楽しくなりそうですな、総参謀長閣下。あまり周囲の受けは良くありませんが実力は有ります。いかにもグリンメルスハウゼン元帥府に相応しい顔ぶれでは有りませんか」
総参謀長が三度目の溜息を吐いた。



帝国暦 486年 7月 5日  オーディン  新無憂宮  翠玉(すいぎょく)の間  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



何が楽しいんだ? 俺は全然楽しくないし嬉しくない。また俺に負担がかかるじゃないか。皆で俺を苛める、どう見てもそうとしか思えない。さっきまで美味しかったカトフェルサラダも全然美味しいとは感じられない。何でこうなる? オーディンの馬鹿野郎、お前なんか大っ嫌いだ。

皆が俺を見ている、期待に溢れた視線だ、断られるとは思っていないんだろう。まあ実力は有るし頼りになるのも確かだ。それに一緒に戦ったんだから困っているのを知らぬ振りは出来ないか。受け入れるしかないな……。つまり彼らの艦隊編成を手伝う、いや俺が責任を持つという事になる。頭が痛いよ、なんでこんな事になるのか……。

「分かりました、歓迎します」
俺が答えると皆が嬉しそうな表情を浮かべた。良いよな、気楽で……。しようがないな、あの連中を呼ぶか。元帥府も大きな建物が必要だ、物件を探しに行かないと。俺、過労死しそうだ……。



 

 

第十一話 困ったときには原作知識



帝国暦 486年 8月15日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「なかなか決まらんな」
「そうですね、ヴァレンシュタイン大将はどうするつもりでしょう」
「さあどうするのかな、このままではどうにもならんのだが」
そんな顔をしないで下さいよ、クレメンツ少将。

「皆も心配している、年内には出兵せねばならんのだがこのままでは何時出兵できるのか、まるで目処が立たない」
「そうですね」
「取りあえず大将からは兵の訓練だけはしておいてくれと言われているが……」
クレメンツ少将が溜息を吐いた。私も溜息を吐きたい……。

グリンメルスハウゼン元帥府が開府されて約一カ月が経った。忙しかったわ、元帥府の場所の確保、人員の確保、とんでもなく忙しかった。最初に集められたのが佐官級の士官。続いて辺境警備に就いていた士官、主に将官達が続々とグリンメルスハウゼン元帥府に集められた。

集まって来た将官はシュムーデ少将、リンテレン少将、ルーディッゲ少将、ルックナー少将、ケスラー准将、メックリンガー准将、ケンプ准将、アイゼナッハ准将、ルッツ准将、ファーレンハイト准将、ワーレン准将、ビッテンフェルト准将。

佐官級になるとシュタインメッツ、ブラウヒッチ、アルトリンゲン、カルナップ、グリューネマン、ザウケン、バイエルライン、トゥルナイゼン、グローテヴォール、マイフォーハー、ヴァーゲンザイル……。はっきり言って覚えきれない、それほどの数の士官が集められてる。

集めたのは私の上司、宇宙艦隊総参謀長ヴァレンシュタイン大将。大将の作業を手伝ったクレメンツ少将が驚いていた。よくまあこれだけの人材を集めたものだって。その人材リストがインプットされていた大将の頭の中ってどうなっているのだろうと思ってしまう。帝国軍の人事データベースに直結してるんじゃないかしら。クレメンツ少将にそれを言ったら真面目な顔で頷かれた。“私もそう思う”。

グリンメルスハウゼン元帥府には二つの特徴がある。一つは平民、下級貴族出身の士官で構成されている事だ。門閥貴族出身の士官も何人か来たのだけれどヴァレンシュタイン大将が自ら面接して拒否した。理由はどれも同じ、使えない、それだけだった。

もう一つは高級士官が比較的若い事。御蔭で階級があまり高くない士官ばかりが集まっている。ヴァレンシュタイン大将の話では能力の優れた士官を選んだらしい。つまり、上には馬鹿しかいないって事かしら。でもその所為でグリンメルスハウゼン元帥府はまだ半身不随の状態だ。

本来ならグリンメルスハウゼン副司令長官は九個艦隊を編成する権利を持っているのに未だ四個艦隊しか編成できていない。しかもその四個艦隊さえ編成途中なのだ。若い士官が多い所為で分艦隊司令官を務める士官がどうしても足りない。

艦隊司令官はレンネンカンプ、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラー中将。そしてその配下に副司令官としてシュムーデ、リンテレン、ルーディッゲ、ルックナーの各少将が配属されている。でもその後が続かない、本来なら各艦隊にあと二名は少将クラスの分艦隊司令官が居るのだけれど……。いや何よりグリンメルスハウゼン元帥の直率艦隊でさえクレメンツ少将が副司令官に決まっているだけだ。どの艦隊も中途半端になっている。

適当に数合わせで選ぶというのも有るんだろうけどヴァレンシュタイン大将は頑としてそれを拒んでいる。ミュッケンベルガー元帥が国内の治安維持に専念するため今後、遠征には出られないらしい。そのためグリンメルスハウゼン元帥配下の艦隊がこれから前線に出る事が多くなる。だから適当な士官を配備して損害が多くなることは避けたいと言っている。

結構頑固なのよね、ヴァレンシュタイン大将は。でも損害を少なくしたいというのは好感が持てる。わりかし部下思いなのよ、この人。性格は悪いし油断は出来ないけどグリンメルスハウゼン元帥が頼りにならないからこの人が全部背負って苦労している。時々可哀想になって抱きしめてあげたいとか頭を撫でてあげたいとか思うんだけど実際にやったら馴れていない猫みたいに嫌がるわよね、それはそれで可愛いんだけど。

「准将達に千隻程率いさせるしかないな」
「はあ」
「それでも足りない、どうすればよいのか……」
「どうすればいいんでしょう」
私と少将は溜息しか出ない。

「一日に一つ、奇跡が起きないとどうにもならないな、年内出兵は無理だろう……」
「そんな……」
「そのくらい深刻だよ、フィッツシモンズ少佐」
「……」

分かっています、クレメンツ少将。ヴァレンシュタイン大将、どうするんです、この事態……。憲兵隊本部なんかに行ってる場合じゃないと思うんですけど……。



帝国暦 486年 8月20日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



元帥府の一室、事務局長室のTV電話が鳴った。受信ボタンを押すとスクリーンにキスリングが映った。緊張した表情だ、やれやれだな、ようやく起きたか……。
『エーリッヒ、大変な事が起きた』
「と言うと?」
『今夜、ブラウンシュバイク公爵邸で皇帝陛下御臨席による高級士官と貴族達の親睦会が有った』
「……」

俺は黙って頷いた。有難い事にグリンメルスハウゼン元帥府の人間には招待状は来ていない。理由は簡単だ、ブラウンシュバイク公はグリンメルスハウゼン元帥府を敵だと認識している。先日、ブラウンシュバイク公と血縁関係に有る士官が元帥府に入りたいと言って来たが断った。

無能だから役に立たないというのが理由だが真の理由は別にある。あれはこちらへの打診だ、味方にならないかとブラウンシュバイク公が声をかけてきたのだ。連中、必死らしい、翌日にはリッテンハイム侯の血縁者がやってきた。阿呆が、お前らなんかと組めるか!

『パーティの最中に爆発が起きた。多くの貴族、高級士官が犠牲になっている。即死者は十人以上、負傷者は百人を超えている。そのうち半数は助からないだろうな。ブラウンシュバイク公も負傷した、軽傷だがな』
「そうか」

周囲の人間が息を呑むのが分かった。ヴァレリー、クレメンツ、メックリンガー、リューネブルク、ミュラー。他にも兵站統括部から後方支援のために来てもらった人間が二十名ほどいる。皇帝暗殺が謀られた、生死はどうなのか、そう思ったのだろう。安心していい、あのジジイは悪運には恵まれ過ぎる程恵まれている。皇帝にまでなったのだからな。もっともその事が本人にとって幸か不幸かは分からんが……。

『幸い陛下は御気分が優れず御臨席は取り止めになったから大事にはならなかったが……』
ほらな、心配は要らんのだ。誰かがホッと安堵の息を吐いた。まあ今死なれたら内戦まっしぐらだ。吐息ぐらいは吐きたくなるだろう……。

ブラウンシュバイク公も負傷したか、死んでくれればな、リッテンハイム侯に罪を擦り付けて両家の勢威を叩き潰してやれたんだが。そうなればグリンメルスハウゼンもお払い箱だ、俺も御守りから解放されただろう。悪運に恵まれているのは皇帝だけではない様だ。それとも俺が恵まれていないだけか……。いやもう一人恵まれていない奴が居るな。クロプシュトック侯、あんたが一番恵まれていない。俺にも利用されるのだから。

「犯人は誰かな?」
『クロプシュトック侯らしい。彼が忘れ物をして帰った事が判明している。しかも爆発は忘れ物の有った辺りで起きた。それにあの御仁が社交界に現れたのは三十年振りだ、余程に深い恨みが有ったらしいな』
皮肉か、キスリング。お前に冷笑は似合わないぞ。どうやらクロプシュトック侯の事を良く知っているらしいな、調べたか……。

「そうか、有難う、ギュンター。報せてくれて」
『いや、何か有ったら教えてくれと言われていたからな。まさかこんな事を報せる事になるとは思っていなかったが』
「私もだ、こんな悪い報せが来るとは思わなかったよ」
キスリングが微かに笑みを浮かべた。

『卿に頼まれてから一週間と経っていない、偶然かな?』
「偶然だよ、ギュンター。私が心配したのは血迷って暴発する貴族が居るんじゃないかという事だった」
『居たじゃないか』
「確かにね、だが予想とは違った」
キスリング、お前の言う通りだ。偶然じゃないさ、全て予想通りだ。ウィルヘルム・フォン・クロプシュトックの動きは逐一押さえていた……。

キスリングとの通信が終わると皆が話しかけてきたが後にしろと言って遮った。そしてグリンメルスハウゼンを呼び出す、こっちが先だ。老人はいつも朝九時に元帥府に来て夕方五時になると自宅に帰る。最初に執事が出たが直ぐに老人に替わった。

『どうしたのかな、総参謀長』
「今夜、ブラウンシュバイク公爵邸で皇帝御臨席による親睦会が行われた事は御存じでしょうか」
『うむ、聞いておる。招待状が来なかった故行かなんだが』
残念そうな表情だな、老人。

「公爵邸で爆弾テロが有りました。犯人はクロプシュトック侯のようです」
『おお、クロプシュトック侯! なんという事を……』
眼が飛び出しそうになっている。

「幸い陛下は御臨席を取り止めておられました。しかし一つ間違えば大変な事になるところでした」
『おお、御無事か、御無事であられたか』
爺さん、今度は目をショボショボさせているな。うん、まあこういうのは嫌いじゃない。ここからが本番だ。

「直ちに新無憂宮へ、陛下の元に参内をなされるべきかと思います」
『う、御見舞いかな。それなら明日でも良かろう。今夜はもう遅い』
まだ八時にもなっていない! 皇帝が無事だったからと言って怠惰な老人になるな! 腹立たしかったがそれを押さえてもう一度要請した。

「いえ、直ちに参内を。陛下の御命を狙った反逆者は討伐されなければなりません、それは閣下が為されるべきです。そうでなければ陛下の御宸襟を安んじる事は出来ませんぞ」
『おお、そうじゃの』
ようやくやる気を出したか。俺の周囲からも多少のざわめきが聞こえる。

「まだクロプシュトック侯と断定されたわけではありませんが討伐隊の指揮官は決める必要が有ります。帝国軍三長官にも参内していただきましょう。小官より連絡いたします。閣下は新無憂宮へお急ぎ下さい」
『おお、分かった』

通信が切れると皆が期待に満ちた視線を向けてきた。話は後だ、元帥府のメンバーを至急会議室に集めるように指示すると直ぐに帝国軍三長官に連絡を入れた。流石に三長官は違うな、三人ともまだ職場に居たよ。
「ブラウンシュバイク公爵邸での事件、既にご存知かと思いますが」
俺が問い掛けると三人が頷いた。

「グリンメルスハウゼン元帥が間もなく参内し討伐隊の指揮官を願い出る事になっています。帝国軍三長官の御口添えを頂きたいと思います」
『我らにも参内しろと言うのか』
「はい」

不満そうだな、シュタインホフ。爺さんは俺に押し付けて関わり合いたくない、そんなところだろう。今度はエーレンベルクが口を開いた。
『しかし犯人はまだ分かっておるまい。クロプシュトック侯が怪しいとは言われているが……』
怪しいんじゃなくて犯人だよ。

「今回の凶行、ブラウンシュバイク公爵邸で行われました。大勢の貴族に死傷者が出ています。いわばブラウンシュバイク公は顔を潰されたのです。必ずや討伐隊の指揮官を願い出るでしょう」
『……』

「それが許されれば、ブラウンシュバイク公はこのオーディンに大軍を集結させます。それでよろしいですか」
三長官の顔が強張った。ミュッケンベルガーが唸り声をあげている。事務局長室も空気が緊迫した。皆、危険だと分かったのだろう。

『卿はブラウンシュバイク公がクーデターを起こすと思うのか?』
「そうは思いません。しかし威を示そうとして出来る限りの軍を集めたとしてもおかしくは有りません。先走る馬鹿者が出る可能性が有ります」
俺がミュッケンベルガーの問いに答えると三人とも顔を顰めた。馬鹿者に心当たりが有りそうだ。

「それに陛下に万一の事が有れば大軍を擁したブラウンシュバイク公がどう動くか、予断を許しません。帝国は極めて危険な状況に陥ります。彼らに大軍を指揮する機会を与えるべきではありません。それを防ぐためにもこの反逆は軍が討伐するという事を犯人が分かる前に予め決めておくべきです」
スクリーンの三人が顔を見合わせた。

『総参謀長の危惧はもっともと思うがどうかな? 統帥本部総長、司令長官』
『私ももっともだと思う』
『私も同意見だ』
エーレンベルクの問い掛けにシュタインホフ、ミュッケンベルガーが答えた。

『ではこれから参内するとしよう』
『うむ、この際だ、国務尚書にも同行してもらった方が良かろう』
『なるほど、良い案だ。軍だけでなく政府からも口添えが有れば陛下も否とは申されまい』
『確かに、妙案だな』
ミュッケンベルガーの提案にシュタインホフ、エーレンベルクが同意した。流石だな、伊達に歳は取っていない。

「では我らは出撃の準備を整えます」
『うむ、頼むぞ』
「はっ」
俺が敬礼するとスクリーンの三人も敬礼した。ようやくこれで分艦隊司令官の問題も解決するわ……。


 

 

第十二話 ちょっとやりすぎたよね


帝国暦 486年 9月 10日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲)  オスカー・フォン・ロイエンタール



「それにしても鮮やかだったな、ロイエンタール」
「ああ、鮮やか過ぎるほどだ」
ゼーアドラー(海鷲)はまだ時間が早い所為だろう、それほど多くの客は居なかった。テーブルもまばらに空いているのが見える。

ブラウンシュバイク公爵邸で起きた爆弾テロ事件は早い時点でクロプシュトック侯の大逆未遂事件ではないかと推測された。グリンメルスハウゼン元帥は事件発生直後に帝国軍三長官、国務尚書リヒテンラーデ侯と共に参内、討伐隊の指揮官を願い出てそれを許された。

グリンメルスハウゼン元帥はすぐさま討伐軍を発進、クロプシュトック侯を追った。侯が犯人とは確定されていない時点でだ、クロプシュトック侯が大逆未遂事件の犯人と確定されたのは討伐軍発進の一時間後、さらに自領へ逃亡中の侯が討伐軍に捕捉され逃げ切れないと悟って自殺したのがその二時間後だった。

グリンメルスハウゼン元帥はクロプシュトック侯の領民達に侯が大逆罪を犯した事、そして自殺した事を通信で伝えると領民達は大人しく降伏した。大逆事件は発生から半日と経たずに解決したのだ。討伐軍はそのままクロプシュトック侯領に進駐、後始末の後オーディンに帰還した。三日前の事だ。

鮮やか過ぎるとしか言いようがない。ブラウンシュバイク公が討伐軍の指揮官を願い出た時にはクロプシュトック侯は既にこの世には居なかった。それを皇帝より教えられたブラウンシュバイク公は驚きのあまり皇帝フリードリヒ四世の前で“馬鹿な”と呟いたと言われている。

「皆、恐れている。軍人も貴族も……」
「……総参謀長殿をか」
「そうだ、元帥閣下に出来る事じゃないからな。誰が仕切ったかは分かっているさ」
俺の言葉にミッターマイヤーが頷いた。チーズをクラッカーに乗せてつまみワインを一口飲む。美味い、酸味のある白ワインにフレッシュチーズが良く合う。

「分艦隊司令官の不足も解消したな」
「そうだな」
俺が答えるとミッターマイヤーがちょっと身を乗り出す仕草をした。そして声を潜めて話しかけてきた。

「タイミングが良すぎるな。総参謀長は事前にあの事件を知っていたんじゃないかという噂が有るが……」
「噂だ、いくらなんでも有るわけがない」
俺が否定すると
「そうだよな」
とミッターマイヤーが頷いた。

確かにタイミングが良すぎた。だがそれ以上に事が起きてからの手配りが鮮やか過ぎるのだ。その事が様々な憶測を生んでいる。今回の一件を利用してグリンメルスハウゼン元帥府の力を周囲に知らしめたのではないか、その一方で元帥府の人間達を昇進させ、分艦隊司令官の不足を解消したのではないか……。

討伐軍の帰還後、皆が昇進する中で総参謀長だけは昇進しなかった。しかしその事に不満そうなそぶりを見せた事は微塵も無い。どうやら自分の昇進を捨てて周囲の昇進をと軍上層部に願ったらしい。その姿が更に周囲の憶測を生んでいる。総参謀長は大逆未遂事件をあらかじめ知っていて利用したのではないか……。いかんな、俺まで埒も無い事を考えている。話を変えた方が良いだろう。

「まさか俺の所にあの二人が来るとはな」
「予想の範囲外だったか、ロイエンタール」
「そうだな」
俺が答えるとミッターマイヤーはクスクスと笑い声を上げた。こいつ、面白がっているな。もう一口ワインを飲んだ。

討伐軍として動員されたのはグリンメルスハウゼン元帥の直率部隊、他に准将の地位にある八人が率いる艦隊だ。帰還後八人の准将はいずれも少将に昇進し分艦隊司令官として配属された。レンネンカンプ艦隊にはケンプ、アイゼナッハ少将。ミュラー艦隊にはルッツ、ファーレンハイト少将。ミッターマイヤー艦隊にはケスラー、メックリンガー少将。そして俺の所にはワーレン、ビッテンフェルト少将……。まさか士官学校の同期生二人が俺の配下になるとは思わなかった……。

「まあワーレンに問題無い、問題はビッテンフェルトだな」
「卿に反発して猪突するかな?」
ミッターマイヤーが首を傾げた。
「どうかな、それも有るかもしれんがあいつ、防御が下手だからな、その方が心配だ」
「なるほど……」

遣り辛いと思っているのは俺だけではないだろう。ミッターマイヤー、ミュラーも遣り辛いと思っているはずだ。二人とも自分より年上の分艦隊司令官達に囲まれているのだ。決して楽では無いだろう、常にその能力を分艦隊司令官達に試されるはずだ。それを突破しなければ侮りを受けるだけだ……。

「卿の参謀長は如何だ?」
「ビューロー准将か、能力も有るが誠実で信頼できる男だ。良い男を貰ったよ。そっちこそ如何なんだ?」
「ベルゲングリューンか、こっちも信頼できる人物だと思う。割と剛直な所が有るな、そこも気に入っている」
ミッターマイヤーが笑い声を上げた。俺も笑い声を上げた。

「艦隊の編制も終わった、後は訓練だな」
「ああ、十一月になる前にはオーディンを発てるだろう。今回は俺と卿がグリンメルスハウゼン元帥の両脇を固める。楽しみだな」
ミッターマイヤーが“ああ”と頷いた。



帝国暦 486年 10月 15日  オーディン  新無憂宮  グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー



新無憂宮にある南苑の一室に四人の男が集まった。帝国軍三長官、そして招集をかけた国務尚書リヒテンラーデ侯。国務尚書の表情は苦みを帯びている。わざわざ呼び出したのだ、難事が起きた事は間違いないだろう。一体何が起きたのか……。軍務尚書、統帥本部総長も不安そうな表情を隠そうとしない。

「想像は付いているだろうが厄介な事が起きた」
「……」
「今回の遠征軍だが陛下よりグリンメルスハウゼン元帥にクライスト、ヴァルテンベルクの両大将を遠征に加えるようにとの御言葉が有った」
クライスト! ヴァルテンベルク! 何の話だ? 軍務尚書、統帥本部総長も驚いている。

「それはどういう事ですかな、国務尚書」
軍務尚書が問い掛けるとリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。
「ブラウンシュバイク公の差し金だ。陛下にあの二人を遠征軍に加えるようにと吹き込んだらしい。有為な人材を遊ばせておくのはもったいないと……」

「馬鹿な……」
思わず言葉が漏れた。あの二人が有為な人材? 味方殺しをしたばかりか事実を隠蔽しようとしたあの二人が……。もっと早くに予備役に編入しておくべきだったか……。

「軍務尚書、あの二人、最前線より戻ってから飼い殺しと言って良い状態だが、それはヴァレンシュタインと関わりが有るのか?」
一瞬だが軍務尚書が私とシュタインホフ元帥に視線を向けた。
「……いささか」
「そうか、なるほどな……」
国務尚書は頷くと言葉を続けた。

「ブラウンシュバイク公は大分腹を立てている様だな。顔を二重、三重に潰されたと周囲に言っているらしい」
侯が分かるなと言うように我々を順に見た。分かっている、屋敷を爆弾テロで破壊され多くの客、使用人を殺された。それが一つ目。

そして討伐軍の指揮官になれなかった事、それが二つ目。そして三つ目は討伐軍の指揮官を願い出た時には既にクロプシュトック侯は自殺し反逆は終結していた事……。ヴァレンシュタインの鮮やかさに比べて不手際ばかりが目立った。

貴族社会では何よりも面子を潰されることを不名誉とする。ブラウンシュバイク公はその面子を二重三重に潰されたのだ。クロプシュトック侯が死んだ今、その憎悪はヴァレンシュタインに向かっている。何らかの動きが有るとは思っていたが……。

「あの二人が武勲を立てれば当然だが昇進しそれなりの職に就く事になる。ブラウンシュバイク公は軍内部に味方を作る事になるな」
「敗北すれば?」
「敗北の責めをヴァレンシュタインに負わせる。或いはグリンメルスハウゼンにもかな。あの二人を始末出来るのであればクライストやヴァルテンベルクなど使い捨てても十分元が取れるであろう。そうではないかな、統帥本部総長」

なるほど、国務尚書の言う通りだ。勝てば上級大将が二人味方になる、その意味するところは大きい。そして敗北すればヴァレンシュタインが失脚する。そうなればグリンメルスハウゼンなど何の役にも立たぬ存在になるだろう。ブラウンシュバイク公はこちらの弱点を突いてきたわけだ。

「グリンメルスハウゼン元帥は受け入れたのですか?」
「陛下からの御言葉だ、否と言うはずが無かろう。というより何も気付いてはおらぬようだな」
軍務尚書の問いかけに国務尚書は溜息を吐きながら答えた。全くあの老人は何を考えているのか! ……いや何も考えてはおらぬのだろうな、溜息が出た。軍務尚書、統帥本部総長も溜息を吐いている。

「あの男の才覚に頼むしかないな」
「いささか厳しいですな、三個艦隊の内二個艦隊が敵では……」
「遠征軍の規模を大きくは出来ぬか、味方を増やせば……」
「年内出兵が難しくなります、金もかかりますな」
軍務尚書が首を振りながら答えるとリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。

「もし敗北すれば、連中は必ずヴァレンシュタインの処罰を求めてこよう。となると彼の後釜が要るな」
リヒテンラーデ侯が我々に視線を向けてきた。誰が居るかと問い掛けている。非情な事だ、所詮ヴァレンシュタインもこの老人にとっては駒の一つなのだろう。

あの老人を補佐出来る者、野心を持たぬ者と言えば……、メルカッツしかおらぬ。ヴァレンシュタインに比べればいささか臨機応変の才に欠けるが……、今は辺境だな、早急にオーディンに呼び戻すか……。



帝国暦 486年 10月 15日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン



グリンメルスハウゼン元帥府の会議室には正規艦隊の司令官、参謀長が集められていた。会議室の空気は硬い。会議室の参加者はただ一人を除いて皆表情が強張っている。
「そういう事での、ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督、今回の遠征はクライスト、ヴァルテンベルク大将に譲って貰わなければならんのじゃ。悪く思わんでくれ」

グリンメルスハウゼン元帥の言葉にロイエンタール提督が
「承知いたしました」
と答えミッターマイヤー提督が無言で頷いた。皇帝陛下の御意向が有っては否などと言えるはずもない。どれほど不本意で有ろうともだ。それにしてもクライスト、ヴァルテンベルクとは……、あの味方殺しの一件以来閑職に回されていた。日の出の勢いの総参謀長を快くは思っていまい。

「総参謀長、後は頼んで良いかの」
「はっ」
グリンメルスハウゼン元帥は満足そうに頷くと席を立って会議室を出て行った。呑気な老人だ、欠片も危機感が感じられない。自分がどれほどの厄介事を抱え込んだのか分からないのだろう。

「どういう事かな、唐突だが」
「誰かが皇帝陛下の耳元に吹き込んだ。それが出来るだけの人物が動いた、そういう事だろう」
ミッターマイヤー提督とロイエンタール提督の遣り取りに皆が頷いた。おそらくその人物も想像が付いただろう。

「どうやらブラウンシュバイク公にしてやられたようです。かなり不満を持っているとは聞いていましたが……」
「何を呑気な事を、あの二人は卿に恨みを持っているんだ。とんでもない事になるぞ」
普段穏やかなミュラー提督が声を荒げて総参謀長に忠告した。言葉使いも上位者に対する物では無くなっている。それにしても恨み? 何か有るのか……。

「分かっている、分かっているよ、ナイトハルト。その事は誰よりも私が分かっている」
「拒否する事は出来ないのか」
総参謀長が首を横に振った。
「無理だね、陛下の御言葉が有った、そしてグリンメルスハウゼン元帥はそれを受け入れている。もう取り消しは出来ない……」

「余計な事を……。役に立たないばか……」
「ミュラー中将! 言葉を慎みなさい」
「はっ、申し訳ありません」
総参謀長の叱責にミュラー提督が慌てて謝罪した。危ない所だ、もう少しで上官の批判をするところだった。総参謀長が溜息を吐いた。

「ナイトハルト、心配してくれるのは分かるが気を付けてくれ。私達には敵が多いんだ」
「済まない、つい興奮した」
ミュラー中将が項垂れている。それを見て総参謀長がまた溜息を吐いた。
「各艦隊司令官は訓練を行い艦隊を鍛え上げてください。いずれ戦う時が来ます」


総参謀長が所用が有ると言って会議室を退室しても残された人間達は誰も動こうとはしなかった。暫くの間沈黙が有ったがロイエンタール提督がそれを破った。
「ミュラー中将、先程卿はあの二人、クライスト、ヴァルテンベルク大将が総参謀長を恨んでいると言ったがあれはどういう意味かな? 嫉んでいるなら分かるのだが何か有るのか」
皆の視線がミュラー中将に向かう。誰もがあの言葉に不審を感じていたのだろう。

「……」
「ミュラー提督?」
沈黙するミュラー提督にミッターマイヤー提督が声をかけるとミュラー提督がビクッと身体を震わせ大きく息を吐いた。どういうことだ、怯えているのか、その様子に皆が顔を見合わせた。

「申し訳ありません、今は話せないのです」
「……」
「何時かは話せる時が来ると思いますが……」
苦しげな声だ。
「それは何時になるかな?」
「……五年先か、十年先か……」
皆が驚いている、五年先? 十年先?

「どういう事かな、ミュラー提督。クライスト、ヴァルテンベルク大将の事なのだろう」
レンネンカンプ提督が訝しげに問いかけた。
「確かにあの二人が関係しています。しかしそれだけでは済まないのです」
それだけでは済まない?

「一つ間違えば軍はとんでもない混乱に陥るでしょう。そうなれば帝国は、……内乱状態に突入しかねません」
振り絞るような言葉に会議室が凍りついた。




 

 

第十三話 馬鹿な科学者だったんです

帝国暦 486年 10月 20日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  アルベルト・クレメンツ



事務局長室には総参謀長とフィッツシモンズ少佐が居た。他の人間はもう帰ったらしい。夜八時過ぎ、今度の遠征でグリンメルスハウゼン元帥府から出撃する艦隊が直率艦隊だけになったせいで事務方の業務が軽減された。その所為で早く帰れるようになったようだ。

「これは兵站統括部第三局第一課に送れば宜しいのでしょうか」
「いえ、これは第二課ですね。ヴィーレンシュタインから先がイゼルローン方面として第一課の扱いとなります」
少佐に仕事を手伝わせているらしい。多分教育を兼ねているのだろう。近付いて声をかけた。

「まだお仕事ですか?」
「いえ、もう直ぐ終わりますが」
「では待たせて貰って宜しいでしょうか、少しお話ししたい事が有るのですが……」
ヴァレンシュタイン総参謀長はちょっと考えるそぶりを見せたが“十五分ほど待って欲しい”と言って作業に戻った。

待ち時間は十五分かからなかった。十分ほどで作業は終わり総参謀長がこちらを見た。
「それで、話とは」
「私は失礼したいと思いますが」
「いや、少佐も居て欲しい。話を聞いて欲しいのだ」
俺の言葉に少佐が戸惑った様な表情で総参謀長を見たが彼が頷くとそのまま席に座った。

「先日、クライスト、ヴァルテンベルク両大将が遠征に加わるとの話が有った時の事です。小官は不在でしたので詳しくは知らないのですがミュラー中将が両大将は閣下を怨んでいると言ったそうです。理由を尋ねた同僚達にも影響が大きすぎる、一つ間違うと内乱になりかねないと言って話さなかったとか。何が有ったのか、教えて頂けませんか」
「……」

「興味本位で訊いているのではありません。ミュラー中将の言う事が事実なら閣下は、艦隊は非常に危険です。元帥閣下はあの通り、当てには出来ません。少しでも閣下の傍に居て力になる人間が必要だと思っての事です」
「ナイトハルトも余計な事を……」
苦笑を浮かべる総参謀長を“閣下!”と言って窘めた。冗談事にされてはたまらない。だが総参謀長は益々苦笑を深めた。

「お話しいただけませんか?」
俺の問いかけに総参謀長はフィッツシモンズ少佐を見た。
「どうします? 聞けば同盟には帰れなくなりますが」
「……」
どういう事だ? 訝しむ俺に総参謀長が笑いかけた。

「少佐は正確には亡命者じゃありません、捕虜なんです。女性の捕虜は危険ですからね、亡命者という形で私が預かりました」
「預かった?」
「ええ、リューネブルク中将から預かったのです」
驚いて少佐を見た。少佐は困ったような表情をしている。

「どうします? 退席した方が良いと思いますが……」
「……いえ、小官も聞かせて頂きます」
「帰れなくなりますよ?」
「ええ、それも良いかと最近思えてきました。同盟に戻っても所詮はオペレーターで終わりですし……。今の仕事の方がやりがいが有ります」
少佐の言葉に総参謀長は感心しないと言った様に溜息を吐いた。

「話してみますか……、でも条件が有ります」
「と言いますと」
「私を閣下とか総参謀長と呼ぶのは止めて貰えませんか、クレメンツ教官」
「それは」
「もうウンザリですよ。二十歳そこそこの若造に総参謀長なんて何を考えているのか。老人達はこっちに荷物を丸投げして知らぬ振りです。いい加減にして欲しいですよ、私は尻拭いばかりさせられている」
吐き捨てる様な口調だった、かなり鬱憤が溜まっている。

「しかし軍は上意下達です。そうでなければ機能しません。その為には……」
「分かっています。今だけで良いんです」
「……今だけだぞ」
「ええ」
嬉しそうな表情と口調だった。少佐がそんなヴァレンシュタインを見て苦笑を浮かべている。困った奴だ、総参謀長の職に有るのに駄々っ子の様な事をする。

「少佐、お水を用意して貰えますか、結構長くなると思います。少佐とクレメンツ教官の分も」
「分かりました」
フィッツシモンズ少佐が三人分のグラスを用意した。ヴァレンシュタインが一口水を飲む。それを待ってから声をかけた。

「それで、何が有った」
「……第五次イゼルローン要塞攻防戦は要塞主砲、トール・ハンマーによる味方殺しで終了しました」
「……」
「反乱軍は撃退しましたが味方をも要塞主砲の巻き添えにした責任を問われクライスト、ヴァルテンベルク両大将は職を解かれ閑職に回された、そう思われていますがそれは真実ではありません」
「……」

「イゼルローン要塞は何としても守らなければならないんです。あれを守るためなら味方殺しなど許容範囲ですよ。昇進は無理でも閑職に回される事は無かった。いやほとぼりが冷めたころに昇進させていたでしょう」
「まさか……」
俺が呟くとヴァレンシュタインが冷笑を浮かべた。

「そうでなければ次に反乱軍が並行追撃作戦を実行した時、帝国軍は要塞主砲を撃つ事を躊躇いかねません。それがきっかけで要塞が落ちかねないんです。その方が味方殺しよりも被害が大きい、そうではありませんか?」
「確かにそうだが……」

「反乱軍が第六次イゼルローン要塞攻防戦でミサイル艇による攻撃を選んだのも並行追撃作戦は有効だが最終的には味方殺しを実行されればイゼルローン要塞を落せないと判断したからです」
となると更迭の理由は何だ?

「あの時、私はイゼルローン要塞に居ました」
「イゼルローンに? しかし卿はイゼルローン要塞勤務になった事は無いだろう。あの当時は兵站統括部に居た筈だが……」
俺の言葉にヴァレンシュタインが頷いた。

「ええ、そうです。ですがあの時は補給状況の査察でイゼルローン要塞に居たのですよ。そして補給物資の状況をもっともよく知る士官として作戦会議に参加しクライスト、ヴァルテンベルク両大将に反乱軍が並行追撃作戦を行う危険性が有ると進言したのです」
「まさか……」
フィッツシモンズ少佐と顔を見合わせた。少佐は驚愕を顔に浮かべている。私も同様だろう。

「本当です、しかし受け入れられなかった。実戦経験の無い後方支援の若い中尉の意見等誰もが無視しました。あそこで行われたのは当てこすりと嫌味、皮肉の応酬です。それが彼らの作戦会議でした。呆れましたよ、あまりの馬鹿馬鹿しさに。最前線で戦うという事の意味が分かっているのかと疑問に思いました。そしてあの事件が起きた」
「味方殺し……」
少佐が呟くとヴァレンシュタインが“そうです”と頷いた。

「全てが終わった後、クライスト、ヴァルテンベルク両大将は味方殺しは不可抗力だったという戦闘詳報を統帥本部に出しました。彼らが怖れたのは事前に並行追撃作戦の危険性が指摘されたという事、それを無視したため惨劇が起きたという事が中央に伝わる事です。軍上層部に知られたならとんでもない事になる。幸いあの戦いではオーディンからの援軍は有りませんでした。二人とも揉み消す事は難しくないと考えたのでしょう」
ヴァレンシュタインがまた冷笑を浮かべた。

「しかし卿が居るだろう」
ヴァレンシュタインが声を上げて笑い出した。
「今の私じゃありません、無名の兵站統括部の新米士官ですよ。しかもまだ十八歳、子供です。誰も相手にしない、そう思ったとしてもおかしくは有りません」
「なるほど」
まして実戦経験が無いとなれば猶更だろう。笑い声が止んだ、また水を飲んでいる。

「あの二人から戦闘詳報を受け取った統帥本部は当然ですが内容を確認したと思います。味方殺しが起きている、日頃不和にもかかわらず要塞司令部、駐留艦隊司令部は不可抗力を主張している。戦闘詳報は信用して良い、そう判断したのだと思います」
つまりあの二人は軍上層部を欺いたのだ。その事が露見したという事か。いやそれだけでは無いな、他に何かが有る。そうでなければ内乱という言葉をミュラーが口にする筈が無い。

「それで、卿は如何したのだ?」
「兵站統括部から補給物資の確認、要塞防壁の破損状況、修理状況、戦闘詳報を報告しろとの命令が来ました。ただ兵站統括部の主目的は補給物資と要塞防壁だったようです、戦闘詳報はおまけですね」
「報告したのだな」
肩を竦める仕草をした。

「ええ、戦闘詳報には並行追撃作戦のことを書きました。危険性を指摘した事、無視された事。そして味方殺しが起きた事。今後のイゼルローン要塞防衛に関しては並行追撃作戦の事を常に考慮する必要があると記述しました。ハードウェア、ソフトウェアの観点から防ぐ手段の検討が必要であると……」
「……つまり真実が明るみになった……」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「二重に失敗でした」
「二重?」
問い返すとヴァレンシュタインが頷いた。
「あんな事を書くべきでは無かったんです。あれがどれほど危険な内容を含んでいるか、ちょっと考えれば分かる事でした。それを書いてしまった。多分初めて書く戦闘詳報に舞い上がっていたんでしょう。自分が何を作りだしたか分からない科学者と一緒ですよ、出来上がったものは人類を滅ぼしかねない核兵器だった……」
口調が苦い。

「もう一つの過ちは?」
「提出する時期が遅れた事です。あの二人は早い段階で戦闘詳報を統帥本部に出しました。だが私は遅れました。補給物資の確認、損害状況の確認で遅れたんです。私が兵站統括部に報告書を提出し、その報告書が統帥本部に届けられた時には統帥本部はあの味方殺しは不可抗力だったと判断し公表した後でした」

溜息を吐く音がした。フィッツシモンズ少佐が首を横に振っている。
「統帥本部は混乱しただろうな」
「パニックになったでしょうね。おそらくイゼルローン要塞に問い合わせ事実関係を確認したはずです」
「真実を知って激怒しただろう、上層部というのは嘘を吐かれるのを、騙されるのを何よりも嫌がる」
「でしょうね」
今度は俺が溜息を吐いた。

「それで卿の作成した戦闘詳報はどうなった?」
「握り潰されました」
「馬鹿な、戦闘詳報を握り潰したのか?」
「ええ、そうです」
ヴァレンシュタインは水を飲みながら事もなげに肯定した。有り得ない、また溜息が出た。

「あの戦闘詳報が公になればイゼルローン要塞の防衛体制の見直しという事になります。具体的には要塞司令官と駐留艦隊司令官の兼任です。この要塞司令官と駐留艦隊司令官の兼任案ですがこれまでにも何度か提案され却下されてきました」
「高級士官の司令官職が一つ減る事になるからな」
最前線の司令官職、軍人にとってこれほどの役職は有るまい。それが一つ減ればどれだけの影響が有るか……。

「却下した人間には現在の帝国軍三長官も入っています。となれば味方殺しの一件、最終的な責任は帝国軍三長官にも及ぶでしょう」
「なるほど、ミュラーが沈黙した理由はそれか……」
ヴァレンシュタインが頷いた。現時点でもその一件が公になれば帝国軍三長官は失脚するだろう。そうなれば誰がブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を抑えるのか、帝国は内乱に突入しかねない……。まさに核兵器並みの爆弾だと言えるだろう。それをヴァレンシュタインは作ってしまった。

「帝国軍三長官が激怒したのもそれが大きいでしょう。クライスト、ヴァルテンベルクの両大将が私の意見を真摯に受け止めていればあの惨劇は防げたはずです。そうなれば最前線の司令官職の兼任案の却下は間違いでは無かったと主張する根拠になったんです。それをあの二人は潰してしまった、それどころか三長官の責任問題にまで発展させてしまったんです」
「なるほど」
あの二人が隠蔽しようとしたのも当然だ、そして三長官が激怒したのも当然だろう……。

「帝国軍三長官は本当ならあの二人を軍法会議にかけたかったでしょう。しかしそれをやれば自分達も危うくなる、だからあの戦闘詳報を握り潰した、そうする事で自らの保身を図ったんです。そしてあの二人をオーディンに戻し昇進させずに閑職に回した。しかしそれが精一杯だったのだと思います。それ以上やれば自分達に撥ね返ってくる危険性が有った」
「……だろうな」

「あの二人もそれは分かっている、だから大人しくしている。今の帝国軍三長官が居なくなるのを待っているんです。新しい三長官の下でなら再起は可能だと考えているのだと思います。言ってみればお互いに急所を握り合っているようなものですよ。潰すことも出来なければ放す事も出来ない、互いに握り合う事でしか安心できない……」
疲れる話だ、一口水を飲んだ。

「今、三長官達は怯えていると思います。あの二人とブラウンシュバイク公が接触した。あの秘密がブラウンシュバイク公に漏れればどうなるか……」
「クライスト、ヴァルテンベルクの両大将が漏らす事は無いだろう、漏らせば自分達も失脚する」
俺の言葉にフィッツシモンズ少佐も頷いた。

「ええ、でも怯えているはずです。そしてそれはクライスト、ヴァルテンベルクにも言えます」
「どういう事だ?」
「私はあの二人の急所を握っているんです。何時でも握り潰せる。でもあの二人はそれを防ぐ術を持ちません」
「……」

「まああの二人を潰すときは帝国軍三長官も潰す事になりますからそんな事はしません。でも怯えているはずです」
つまり三長官もヴァレンシュタインに対して怯えているという事になる。卿はそれを理解しているのか。

「今度の戦いがどういうものになるかは分かりません。ですがあの二人は必ず私に恩を着せようとするか私の急所を見つけ握りに来るはずです。勝つ事よりもそちらを重視するでしょう。酷い戦いになりそうですよ」
ヴァレンシュタインが憂欝そうな表情をしている。

「しかし、あの二人にとっても今度の戦いは正念場だろう。失敗は出来ない筈だ。となれば勝つために協力するのではないかな」
気休めでは無かった。だがヴァレンシュタインは苦笑を浮かべている。まるでお前は何も分かっていない、そう言いたげな苦笑だ。

「馬鹿な平民出身の若造の所為で三年間干されたんですよ。あれが無ければ上級大将に昇進しそれなりの役職に就いていたはずです。今頃は次期帝国軍三長官の候補者として名前が挙がっていたかもしれない。その全てを馬鹿な若造に奪われた」
「……」

「そしてその若造はたった三年で大将に昇進し総参謀長にまでなっている。納得できますか? 先日の元帥杖授与式で彼らに遭遇しましたが厭な目でこちらを見ましたよ。勝つために彼らが私の指示で戦うなどと考えていると足元を掬われますね」
また溜息が出た。確かに分かっていなかったようだ。気が付けば時間は夜九時を過ぎていた……。




 

 

第十四話 変な髪形をした奴は嫌いだ



宇宙暦795年 10月 25日  ハイネセン  統合作戦本部 アレックス・キャゼルヌ



「良いのか、こんなところで時間を潰していて」
「準備は殆ど終わっています。後は出撃するだけですからね」
そう言うとヤンは紅茶を一口飲んだ。統合作戦本部のラウンジには疎らに人が入っている。

「今度は勝てるかな」
「さあ、簡単に勝てる相手じゃありませんからね」
苦笑を浮かべながらヤンは答えた。まあそうだな、そんな簡単に勝てる相手じゃない。俺も思わず苦笑した。

前回の戦いで同盟軍は惨敗としか言いようのない敗北を喫した。あれほどの惨めな敗戦は宇宙暦七百五十一年に有ったパランティア星域の会戦以来だろう。あの戦いではジョン・ドリンカー・コープ宇宙艦隊副司令長官が戦死した。そして前回の戦いで同盟軍は宇宙艦隊司令部の中枢を根こそぎ失った。

ロボス司令長官、そして司令長官を支える参謀達、その全てが帝国軍の捕虜になった。その参謀達の中にはいずれは統合作戦本部長にと目されたグリーンヒル中将も含まれている。あの一戦で我々は同盟軍を支えてきた頭脳を瞬時に失ってしまったのだ。

帝国軍の三倍の兵力、そして皇帝フリードリヒ四世不予。その二つが同盟軍を油断させた。同盟軍は帝国軍が撤退すると思い込み周囲に対する注意が散漫になった。そこを帝国軍に突かれた。同盟軍の各艦隊が気付いた時には帝国軍はロボス司令長官率いる本隊を降伏させ撤退した後だった。各艦隊は慌てて追ったが帝国軍を捕捉する事は出来なかった……。

「新司令長官になって初めての出撃だ、勝って欲しいよ」
「それはそうですけど」
「酷いショックだったからな、なんとか払拭して欲しいんだ。本部長もそれを願っている」
「そうですね」
俺もヤンも渋い表情になった。

会戦後、前代未聞の敗北に同盟軍は大混乱に陥った。そして市民からも政治家からもその不甲斐なさ、無様さを非難された。軍の信頼は失墜したと言って良い。シトレ本部長も辞任を覚悟し国防委員会に辞表を提出したがむしろ国防委員会からは本部長の辞任は混乱を助長しかねないと慰留されたほどだ。

トリューニヒト国防委員長とシトレ本部長の関係が親密とは言い難い事を考えれば本来なら有り得ない事と言って良いだろう。しかしシトレ本部長が辞任すれば責任論はトリューニヒト国防委員長にまで飛び火しかねない、本部長に辞められては困ると言うのがトリューニヒト国防委員長の本音だったようだ。

新たな宇宙艦隊司令長官にはアレクサンドル・ビュコック中将が選ばれた。本来なら士官学校を出ていないビュコック中将が選ばれることは無かった。だが同盟市民の軍への信頼を繋ぎとめるには叩き上げの宿将であるビュコック中将を宇宙艦隊司令長官にするのが最善だった。他に選択肢は無かっただろう。ビュコック中将は大将に昇進し宇宙艦隊司令長官に就任した。

「厄介な相手だな、エーリッヒ・ヴァレンシュタインか」
「ええ、ようやく姿を現しました」
ようやく姿を現した……、その通りだ。これまでグリンメルスハウゼン元帥の陰に隠れていて姿の見えなかった切れ者の参謀。

「宇宙艦隊総参謀長か……、まだ若いのだろう?」
「二十歳をちょっと超えたばかりの筈です。異例の事ですね」
「異例か、それだけ出来るという事だ」
「宇宙艦隊司令部でも彼には注目しています。なかなか派手な経歴のようです」

ヤンが一口紅茶を飲んだ。口調とは裏腹な寛いだ姿だ。溜息が出た。
「気を付けろよ、油断しているとロボス大将のようにやられるぞ」
俺が注意するとヤンは苦笑を浮かべた。ヤンは作戦参謀として総旗艦リオ・グランデに乗り込むことが決まっている。

「分かっています。幸いビュコック司令長官は前任者の様に出世欲に囚われているわけじゃありません。無茶をすることは無いでしょう。勝敗は分かりませんが前回のような悲惨な事にはならないと思います」
「そうだといいんだがな、とにかく気を付けろ」
念を押すとヤンは黙って頷いた。



帝国暦 486年 12月 15日  イゼルローン要塞  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



十一月初旬にオーディンを出た遠征軍は今日、十二月十五日にイゼルローン要塞に到着した。俺達が到着すると要塞司令官シュトックハウゼン大将と駐留艦隊司令官ゼークト大将が殊勝な表情でメインポートまで迎えに出て来ていた。まあ当然だな、グリンメルスハウゼンは宇宙艦隊副司令長官なんだから。もっとも胸の内は如何だろう? あまり面白くは無いかもしれない。

「御無事の到着、お慶び申し上げます」
「お疲れでありましょう、ゆっくりと御休息ください」
前者がゼークト提督、後者がシュトックハウゼン要塞司令官だ。どう見ても遠方から来た爺さんを迎える言葉だな。宇宙艦隊副司令長官への言葉とは思えない。俺の考え過ぎかな?

「おお、済まぬの。少しの間厄介になる」
こっちは明らかに遠方から来た爺さんの声だ。二人に案内されて司令室に行く。俺達の後にクライスト、ヴァルテンベルクの一行も続いた。直ぐに“平民が我らの前を歩くのか”と不満そうな声が聞こえた。なるほど、ゼークトとシュトックハウゼンのあの言葉は老人にではなくあの連中に向けての言葉か、それなら納得がいく。

この遠征には八人の貴族が同行している。フレーゲル男爵、ラートブルフ男爵、カルナップ男爵、コルヴィッツ子爵、ヒルデスハイム伯、シャイド男爵、コルプト子爵、シュタインフルト子爵。フレーゲル、シャイドはブラウンシュバイク公の甥だ。

その他の連中も公の縁戚かその与党だ。連中がクライスト、ヴァルテンベルクの艦隊に同乗している事を考えればあの二人の後援者が誰かは一目瞭然だ。クライストの旗艦リッペにはフレーゲル男爵、ラートブルフ男爵、カルナップ男爵、コルヴィッツ子爵。ヴァルテンベルクの旗艦オーデンヴァルトにはヒルデスハイム伯、シャイド男爵、コルプト子爵、シュタインフルト子爵が乗っている。

司令室に着くと改めて挨拶をした。挨拶を受けるのは爺さんだが実務を仕切るのは俺だ。
「イゼルローン要塞には二十日までの滞在を考えています」
「問題ありません」
要塞司令官シュトックハウゼンが答えた。うん、これで滞在許可が出たわけだ。

「その間休養はもちろんですが修理、補給をお願いします」
「承知しました」
と今度は駐留艦隊司令官ゼークトが答えた。戦闘もしていないのに修理というのも妙だがここに来るまでにエンジントラブルを起こしている艦や兵装関係で支障をきたしている艦が幾つかある。戦闘前に最終調整だ。それと休養と言うのは体調不良を訴える奴はもちろんだが戦闘前の緊張で精神的に問題を起こしている奴が居る。そいつらのケアも含んでいる。

その後は多少の確認事項(どっちに向かうのかと問われてティアマト方面に向かうと答えた)が有った後、皆が用意された部屋に向かった。もっとも俺とヴァレリーは司令室に残った、まだ確認する事が有る。連中が司令室を出る間際に“平民が偉そうに”と言う声が聞こえた。一々貴族だということを主張しないと自分が貴族だという事を実感できないらしい。困った奴らだ。

バツが悪そうにしているシュトックハウゼンとゼークトには気付かない振りをして要件に入った。
「ここ最近の反乱軍の動向は如何でしょう」
「いえ、前回の戦いから大人しいものです。回廊内はもとより出口の周辺でも反乱軍の活動は認められません」
「なるほど」

ゼークトの言う通りなら同盟軍はかなり混乱したようだ。連中の活動が認められないのは偶発的な遭遇戦が大規模な戦闘に進展するのを恐れたのだろう。そこまでの体制が整わなかったのだ。しかし何時までも混乱しているわけはない、宇宙艦隊司令部が全滅したと言ってもビュコックが宇宙艦隊司令長官に就任したのだ、再建はしたはずだ。となるとこちらの出兵計画を知って敢えて控えたかな?

「手強いですね」
「と言いますと?」
訝しげな表情でシュトックハウゼンが問い掛けてきた。
「反乱軍の権威は失墜しました。普通ならその権威を回復させるためにどんな形でも勝利を欲しがるはずですがそれを押さえている。新司令長官、ビュコック提督に焦りはないようです。彼は名将と評価されていますが流石と言うべきでしょう」
「なるほど」
ゼークトも頷いている。

あいつらの居ない所で話して正解だな。同盟軍は手強いなんて言ったら大騒ぎだろう、まともな話が出来る相手じゃないんだから嫌になる。顔を顰めるとシュトックハウゼンが問い掛けてきた。
「総参謀長、顔色が宜しくないが……」
「昨日、熱を出して寝込みました」
俺が答えるとシュトックハウゼンとゼークトが顔を見合わせた。

「それは……、大丈夫なのですかな」
「大丈夫です、ゼークト提督。それにここで十分に休ませていただきますので」
「それなら宜しいのだが……」
「大丈夫です」

俺が敢えて大丈夫だと言うと二人とも何も言わなかった。……大丈夫じゃねえよ。あの馬鹿共が旗艦に乗っているという事はだ、クライスト、ヴァルテンベルクの二個艦隊はまるで役に立たないという事が確定したという事だ。あの二人が自分達の力で勝とうとしてくれるならまだましだ。俺は後ろに引っ込んでいて連中に全てを委ねるという方法も有る。だがあの馬鹿共が一緒に乗っている以上それは無い。

連中は軍事の事など何も分からない、そのくせ自分達で艦隊を動かそうとするだろう。そしてクライスト、ヴァルテンベルクはそれを拒否できない。“誰の御蔭で艦隊司令官になれたと思っている、遠征に参加できたのは誰の力の御蔭だ”連中はそう言いだすだろう。クライストもヴァルテンベルクも最終的には遠征に出た事を後悔するだろうな、原作のシュターデンを見れば分かる事だ。俺が熱出して寝込んだって全然おかしくないだろう!

話が終わって司令室を出たが与えられた部屋には向かわず医療室に向かった。イゼルローン要塞には医療室が幾つかあるが行くところは決まっている。ヴァレリーには付いて来なくて良いと言ったんだが無理やり付いて来た。昨日寝込んだのが相当気になるらしい。

医務室の前に来たが中には入らなかった。壁に背中を預け周囲をゆっくりと見る。そんな俺をヴァレリーが気遣ってくれた。
「中に入らないのですか?」
「……三年前、ここは地獄でした。手足の無い負傷者、手当ての最中に死んでいく重傷者。辺り一面の血の臭いで何度も吐きました」

ヴァレリーが驚いたように周囲を見回した。ごく普通の通路、そして医務室への入り口だ。だが俺の目には今でも焼き付いている光景が有る。ストレッチャーで運ばれてくる血だらけの重傷者。そして軽傷者がそこらじゅうで蹲りながら呻いていた。あの壁もこの壁も入口もそして廊下も血に染まって真っ赤だった。俺が背を預けた壁も汚れていた。まるで小さな子供が赤のペンキで悪戯でもしたかのようだった……。

あの戦闘詳報を書いたのはあれを見たからかもしれない。戦争に真摯に向き合わない奴らの所為で俺は地獄を見せられた。あの地獄を見せられた怒りがあの戦闘詳報を書かせたのだと思う、もう見たくないと思った気持ちが書かせた……。多分あれは俺の悲鳴なのだろう、もうあれを見たくないという……。あれ以来戦争を出世の一手段と見做す奴らにどうにも違和感を感じる俺が居る……。

「これはこれは、忠勇無双の帝国軍人、華麗なる天才児がこのような所に居るとは……」
嫌な声だ、他者を馬鹿にしたような声……。声のした方をヴァレリーは見たが俺は見なかった。誰が来たかは分かっている。こんなところで会うのだ、偶然ではあるまい。誰かに俺の後を尾行(つけ)させたのだろう。当然だが絡むために違いない、暇な奴だ。

「おやおや、振り向いてもくれぬのか、ヴァレンシュタイン大将。総参謀長ともなると我ら貴族とは口も利いて貰えぬらしい。それとも卑しい平民ゆえ礼儀を知らぬのかな。……そうか、畏れ多くて言葉が出せぬのか、直答を許すぞ」
笑い声を上げたが声には間違いなく無視された事に対する怒りが有った。馬鹿な奴、礼儀を知らないんじゃない、お前が嫌いなだけだ。特にその髪型がな。

「失礼しました。小官に話しかけているとは思わなかったのですよ、フレーゲル男爵」
「卿の他に誰が居るのだ!」
フレーゲルが声を荒げた。
「独り言だと思ったのです。小官は華麗なる天才児などではありませんから」
前半は嘘だが後半は本音だ。俺なんかに使うとラインハルトに使う言葉が無くなるぞ。

「私を馬鹿にしているのか!」
「そんな事は有りません、本当ですよ、男爵閣下。少佐、戻りましょうか。では閣下、失礼します」
俺が挨拶するとフレーゲルが厭な笑い声を上げた。
「良い御身分だな 、戦場に女連れとは。卿の情人か」
冗談抜きでそう見えるのかな? 俺より背も高いし年も上なんだけど。

「違いますよ、彼女は軍人です。戦場に出ても問題は有りません」
「だが女だろう、帝国軍では戦場に出るのは男だけだ」
「そうですね、しかし素人の男が出るよりはずっと良い、そう思っています」
一瞬何を言われたのか分からなかったようだ。一拍間をおいてからフレーゲルの顔面が紅潮した。それを見ながら歩き出した。ヴァレリーが後に続く。

「貴様……」
フレーゲルが悔しそうに呻いた。
「素人は邪魔しないで下さいよ、迷惑ですから。クライスト提督を困らせるような事はしない事です」
敢えて哀れむような視線でフレーゲルを見た。フレーゲルが身体を震わせた。

「つけあがるなよ、小僧! いずれ貴様とは決着をつけてやる、忘れるな!」
「戦う相手を間違えないで欲しいですね。小官は味方ですよ、フレーゲル男爵。味方殺しは御免です」
「煩い!」

フレーゲルが見えなくなるとヴァレリーが不安そうな表情で話しかけてきた。
「宜しいのですか? あのような事を言って。まるで挑発しているような……」
「構いません。どうせ彼は、いえ貴族達はクライスト、ヴァルテンベルク提督の指揮に口を出しますからね」
「そんな事は……」
有り得ない、いや許されないかな。ヴァレリーはそう言おうとしたようだ。

「有り得ますよ。彼らはそれが許されると思っているんです。この戦い、酷い戦いになりそうです。素人が指揮をするのですから……」
どうせなら思いっきり連中に暴走させ敗北させる事だ。そして連中にその責めを負わせる、その方が良いだろう。問題は如何すればこちらにまで責めが来ないように出来るかだ。そこが問題だな。



 

 

第十五話 悪い予想は良く当たる


帝国暦 487年 1月 3日  ティアマト星域  旗艦ブリュンヒルト エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



帝国歴四百八十七年は戦争で始まることが決まった。同盟軍は帝国軍から一日ほど離れた距離の宙域に居る。たまには同盟軍と戦争抜きで新年のパーティとかどんちゃん騒ぎを出来ないものかね。そうすれば少しは相互理解が進むと思うんだが。

しかし現実には旗艦ブリュンヒルトの会議室で同盟軍をいかにしてぶん殴るかの相談をしているというわけだ。参加者は各艦隊の将官以上、そしてグリンメルスハウゼン艦隊の司令部要員、さらに何で居るのか分からないが居るのが当然と言った表情で座っている門閥貴族の馬鹿共が八人。

ちなみに会議室の人員構成比はグリンメルスハウゼン艦隊の司令部要員が圧倒的に多い。グリューネマン大佐、ヴァーゲンザイル大佐、アルトリンゲン大佐、カルナップ中佐……。他にも二十名ぐらい居る。皆原作じゃ一個艦隊を率いるか分艦隊司令官、参謀長とかを務めた人間なんだけどこの世界じゃ未だペーペーなんだ。バイエルラインが中佐とか勘弁してほしいよ。早く出世させないと……。

グリンメルスハウゼン艦隊にも影響が出ている。少将の分艦隊司令官が居ないのだ。クレメンツ副司令官が中将、他はシュタインメッツ、クナップシュタイン、グリルパルツァー、ブラウヒッチ、グローテヴォール。いずれも准将の階級だ。それぞれ千隻を率いている。

「敵の降伏を認めず、完全に撃滅し、もって皇帝陛下の栄誉を知らしむる事が我らの使命である。左様心得られよ」
グリンメルスハウゼンが声を張り上げたがあんまり威勢は良くない。何て言ってもハアハア息を切らしているんだから。この次は俺の番か。

「総参謀長」
「はっ、反乱軍は我々より一日ほど離れた宙域に居ます。彼らの兵力は我々とほぼ同数、約四万五千隻です。我々はこのまま此処に留まり反乱軍を待ち受ける事とします」
俺が説明すると一部の人間を除いて頷いた。もちろん一部の人間とは軍事知識の無い素人達だ。不満そうな表情をしている。何処にでもいるよな、敵に攻めかからないのは臆病だとか言う奴。遊びじゃないんだぞ。

「続けて各艦隊の配置を説明します。中央にヴァルテンベルク提督、左翼にクライスト提督、元帥閣下の直率部隊は右翼に配置します」
会議室にざわめきが起きた。まあそうだよな、普通ならグリンメルスハウゼンの艦隊が中央に来るんだから。

ざわめきはグリンメルスハウゼン艦隊の司令部要員からも出ていたが俺が睨みつけると押し黙った。そうだ、黙ってろ。
「ヴァルテンベルク提督」
「はっ」
「元帥閣下は卿の才覚に期待しておられる。宜しいかな?」
「はっ、必ずや御期待に応えまする」

嬉しそうにしているのはヴァルテンベルク艦隊に同行しているヒルデスハイム伯、シャイド男爵、コルプト子爵、シュタインフルト子爵だ。クライスト艦隊に同行しているフレーゲル男爵、ラートブルフ男爵、カルナップ男爵、コルヴィッツ子爵は面白くなさそうにしている。おそらく競争心剥き出しでクライストに圧力をかけるだろうな。

そしてヴァルテンベルク、クライストの両名は表情が硬い。特に中央を任されたヴァルテンベルクにそれが顕著だ。気持ちは分かる。布陣においては中央は非常に重要な役割を果たす。そのため能力的にも実力的にも信用できる部隊が置かれるのが常だ。通常本隊が後方に置かれるか中央に置かれる事が多いのはそのためだ。誰よりも自分が信頼できる。

ヴァルテンベルクもクライストも俺に信用されていない事は十分に分かっているだろう。にも拘らず俺がヴァルテンベルクを中央に置いたのは何故か? 当然疑問に思ったはずだ。そして考えただろう、中央を任されても命令は俺から出る。無茶な攻撃、防御を命じられ消耗させられるのではないか。自分達を犠牲にする事で勝利を得ようとしているのではないか……。

中央を任された以上崩れることは出来ない、そんな事になれば敗戦の責任はヴァルテンベルク一人に押し付けられるだろう。嫌でも耐えなければならないのだ。ヴァルテンベルクは今自分がとんでもない貧乏籤を引かされたのではないかと思っているだろう。

少しは怯えろ。こちらを畏れてくれればその分従順になる可能性は有る。問題は連中が俺を畏れるか、それとも貴族を畏れるかだ。難しいよな、どうしてもこっちの分が悪い。俺の命令に従うならそれほど酷い事にはならない。だが連中の圧力に屈すれば悲惨な事になるのは目に見えている。そしてそれはクライストも同じだ。

「では他に意見も無い様であるし戦勝の前祝いとしてシャンパンをあけ陛下の栄光と帝国の隆盛を卿らと共に祈るとしよう」
グリンメルスハウゼンが声を上げると歓声が上がった。シャンパンが用意され皆が右手に持ったシャンパングラスを高々とかかげた。
「皇帝陛下のために!」
手向けの酒だ、誰のための酒かは大神オーディンが決めるだろう……。


会議が終わり参加者が解散した後クレメンツが近寄ってきた。そして周囲を気にしながら小声で問い掛けてきた。
「宜しいんですか、あれで」
「ヴァルテンベルク艦隊を中央に置く事ですか?」
「そうです」

「両脇に彼らを置くと我々の艦隊が身動き出来なくなる可能性が有ります。むしろ端において機動性を確保した方が良いと思うのです」
「なるほど、両脇に引き摺られますか……」
「ええ、それに中央に置いた方が多少は自重するかもしれません。そうなれば損害は少なくて済む」
「……」

「今回の戦い、勝てるとは思えません。四分六分なら上々、三分七分の敗戦ならまあまあと考えざるを得ないでしょう。そうは思いませんか?」
クレメンツが溜息を吐いた。中央よりも端の方が機動性が確保できるのは事実だ。そして自重についても出来るだけの事はした。後はクライスト、ヴァルテンベルク次第だ。あの二人が貴族達を抑えることが出来るかどうか……。過度に期待するのは危険だろうな。俺も溜息が出た。



宇宙暦796年 1月 4日    ティアマト星域  総旗艦リオ・グランデ   ヤン・ウェンリー



「ホーランド提督から連絡です。帝国軍の一部が戦わずして後退しつつある。我が軍の勝利は目前に有り」
オペレーターの報告にビュコック司令長官が眉を顰めた。司令長官の気持ちは分かる。楽観的に過ぎる、そう思っているのだろう。オペレーターが報告を続けた。

「閣下、第十艦隊のウランフ提督より通信が入っています」
「繋いでくれ」
スクリーンに浅黒いウランフ提督の顔が映った。
『閣下、ホーランドの跳ね上がりを制止してください。奴は旧い戦術を無視する事は知っていても新たな戦術を構築できるとは思えません』

ビュコック司令長官がチラッと戦術コンピューターのモニターを見た。そこには同盟軍の一部、第十一艦隊が他の味方を無視して前方に躍りだし帝国軍に攻撃を加えている状況が映し出されている。
「だがウランフ提督、今のところ彼は順調に勝ち続けている様だ。或いはこのまま勝ち続けてしまうかもしれん」

ウランフ提督が顔を顰めた。
『その今のところと言う奴が何時まで続くか……。限界は目前に迫っていますぞ。帝国軍にほんの少し遠くが見える指揮官がいれば後退して逆撃の機会を狙うでしょう。今ここで彼を制止しなければ我が軍はとんでもない損害を受けます』
「……」

今度はウランフ提督が皮肉そうな笑みを表情に浮かべた。
『ホーランドは自らをブルース・アッシュビー提督の再来と目しているそうです』
「三十五歳までに元帥になればアッシュビー提督を凌ぐわけだ。しかしな、ウランフ提督。帝国軍にも遠くが見える指揮官が居るらしい。一部の艦隊が戦わずして後退している様だ」

『グリンメルスハウゼン、いやエーリッヒ・ヴァレンシュタインですな』
「おそらくそうだろう」
二人が少しの間見詰め合った。
『……妙ですな』
ウランフ提督が考え込む姿を見せるとビュコック提督が片眉を上げた。

『帝国軍は本体ではなく右翼が後退している』
「なるほど、確かに妙だが……」
『とにかく、彼を後退させないと……』
「そうだな、後退するように命令を出そう」

通信を終えるとビュコック司令長官が第十一艦隊に後退命令を出した。しかし素直に後退するかどうか……。予想外の事が起きている、後継者戦争としか言い様のない事態だ。同盟軍は同盟市民の軍に対する信頼を繋ぎとめるために宿将と言えるビュコック提督を宇宙艦隊司令長官にした。

しかしビュコック司令長官は士官学校を卒業していない。そしてかなりの高齢でもある。その事が一部の人間にはビュコック司令長官は次の司令長官が決まるまでの中継ぎだと取られている。これは一時的な処置だと取られているのだ。功績を挙げれば軍の信頼も回復する、そうなればビュコック大将が司令長官職に有る必要は無い。直ぐには無理でも一年もすれば功績を挙げた人間が司令長官に就任するだろう……。

ホーランド提督が功に逸るのもその所為だ。ここで巧を上げ司令長官に就任すれば三十代前半の宇宙艦隊司令長官が誕生する。ブルース・アッシュビー提督を凌ぐのも難しくはないだろう。問題は功を上げられるかどうかだ。あの非常識な艦隊運動が何時までも続くはずが無い、限界点に達するのが早くなるだけだ。

あの後退している艦隊、あの艦隊がそれを見逃すとも思えない。必ず一撃を加えてくるだろう。それにしてもあの艦隊、グリンメルスハウゼン元帥の本隊なのか? 動きからすればそう思えるのだが配置は右翼だ。どういう事だろう……。



帝国暦 487年 1月 4日  ティアマト星域  旗艦ブリュンヒルト エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



同盟軍の一部が訳の分からない艦隊運動をしている。そこらじゅうを走り回って帝国軍をかき乱し攻撃を加えている。なるほど、同盟軍第十一艦隊ウィレム・ホーランド中将か……。疑似天才、先覚者的戦術だな。ビュコックも苦労するだろう。

「反乱軍、こちらに向かって来ます」
オペレーターが緊張した声を出すと皆が俺を見た。
「元帥閣下、艦隊を後退させます、宜しいでしょうか?」
「うむ」
「艦隊を後退させよ」

俺の出した命令に従ってグリンメルスハウゼン艦隊が後退するとホーランドの艦隊は方向を変えてヴァルテンベルク、クライストの方向に向かった。
「閣下、このままではヴァルテンベルク、クライスト両艦隊に被害が増大します。反乱軍の攻撃を避け後退せよと命じたいと思いますが」
「うむ、そうしてくれるか」

多分無駄だろうな、オペレーターに命じながらそう思った。二十分もしないうちにその予想が現実になった。後退しないヴァルテンベルク、クライスト両艦隊に同盟軍第十一艦隊が襲い掛かっている。そしてヴァルテンベルクもクライストもそれに対応できずに損害を増やしている。世の中、悪い予想は良く当たる。良い予想はまるで当たらない。ビュコックと俺、どっちが苦労しているのだろう。

「ヴァルテンベルク、クライスト両艦隊が後退しません!」
「馬鹿な、何を考えている!」
「命令違反だぞ、抗命罪で処罰されたいのか!」
オペレーターの声にアルトリンゲン、バイエルラインが声を上げた。他の連中もざわめいている。溜息を堪えながらグリンメルスハウゼンに再度後退命令を出す事の許可を貰った。

「オペレーター、以下の命令を伝えてください」
「はっ」
「反乱軍の狙いは我が軍の混乱を誘いそれに付け込んで被害を増大させる事にある。現時点では無用な交戦を避け反乱軍が前進すれば同距離を後退せよ。反乱軍の攻勢限界点を待って反攻に移るべし」

司令部要員が俺の言葉に頷いている。ちょっと考えれば分かる事だ、ヴァルテンベルク、クライストが分からないとは思えない。となるとあの二人は指揮権を殆ど奪われたような状況なのだろう。俺の命令を上手く利用して連中を説得出来ればと思ったが結局無視された。無力感だけが心に溜まっていく。

ヴァルテンベルク、クライスト両艦隊は相変わらず同盟軍第十一艦隊に翻弄されている。ブリュンヒルトの艦橋には重苦しい空気が漂った。おそらく司令部要員の誰もがヴァルテンベルク、クライスト両艦隊で何が起きているか理解はしているだろう。

馬鹿げている。ホーランドが相手なら楽に勝てるのだ。後退して攻め込んできたところを、疲労のピークに達したところを叩けばいい。そうすれば二人とも上級大将に昇進しそれなりの役職にも就くことも可能だろう。せっかくのチャンスなのに……。

「どうするかのう、困った事じゃが……」
グリンメルスハウゼンが情けなさそうな声を出して俺を見た。勘弁してくれよ。司令部要員達はウンザリした様な表情している。俺もウンザリしたがウンザリばかりもしていられない。世話の焼ける奴らだ。

「閣下、これ以上の命令違反を許す事は軍組織の崩壊をもたらしかねません。もう一度後退命令を出します。もし後退を拒否すれば抗命罪で軍法会議に告発すると警告しましょう」
「厳しいのう」
「命令違反は許される事ではありません」
「……」
「閣下!」
「……総参謀長に任せる」

三度目の警告も無視された。あの馬鹿貴族共にとっては抗命罪も軍法会議も何の意味も無いのだろう。ヴァルテンベルク、クライストが何をしているのか……。後悔しているのか、それともブラウンシュバイク公の名前を出せば軍法会議など恐れる必要は無いと思っているのか、……或いは殺されている可能性も有るか……。予想通りいや予想を超える酷い戦いになった。

帝国も同盟も言う事をきかない部下が戦場を滅茶苦茶にしている。原作通りなら後二時間と経たずにホーランドは攻勢限界点を迎えるはずだ。そこで一撃を加える事でこの戦争を終わらせよう。四分六分かと思ったがどうやら五分五分以上に持って行けそうだ。問題は命令違反の後始末だな、頭が痛いよ……。



 

 

第十六話 たまには無力感を感じてくれないかな



帝国暦 487年 1月 4日  ティアマト星域  旗艦ブリュンヒルト エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



旗艦ブリュンヒルトの艦橋は戦闘中とは思えないほどの静かな沈黙に包まれていた。クライスト、ヴァルテンベルクに対して三度に亘って出された後退命令は全て無視された。それ以降は一切ブリュンヒルトからは命令を出していない。抗命罪まで出して命令に従う事を求めても従わないのだ。これ以上は何を言っても無駄だろう。

クライスト、ヴァルテンベルクからも連絡はない。後は連中を処罰するだけだ。司令部要員もそれが分かっている。だから誰も命令違反について話そうとしない。ただ黙って戦況を見ている。第十一艦隊に叩きのめされるクライスト、ヴァルテンベルク艦隊を……。そしてヴァレリーは時々俺の顔色を窺うが敢えて俺は無視している。予想が当たっても全然嬉しくない。

皆冷たい視線で戦況を見ているな。どう見てもあれが味方だとは思っていないだろう。まあ仕方ないな、命令無視で損害だけを出しているんだ。馬鹿共が馬鹿をやっている、そんな気持ちだろう。リップシュタット戦役で貴族達が負けたわけだよ、まともな脳味噌を持っていれば一緒に戦うのが嫌になるだけだ。俺なら絶対に御免だな。

グリンメルスハウゼンも指揮官席で大人しく座っている。爺さん、大丈夫か? 無力感とか感じてるんじゃないか。まあ今回は特別だからあまり気にする必要は無いさ。いや、無力感を感じて軍を退役してくれても全然良いぞ。それならあの馬鹿共も存在価値が有ったと言えるだろう。俺だけじゃない、帝国軍三長官も認めてくれるはずだ。

クライスト、ヴァルテンベルクは同盟軍第十一艦隊の馬鹿踊りに躓きながら一緒に踊っている。そして無意味に叩きのめされている。ホーランドは自信満々だろうな、帝国軍を一方的に叩いているのだから。帝国征服の夢でも見ているかもしれん。そしてビュコックは顔を顰めているだろう。彼にとっては刻一刻と敗北が近づいている気分の筈だ。

馬鹿げているな、自分の能力とは関係ないところで勝敗が決まってしまう。不本意の極みだろう。俺も不本意だ。本当ならもっと楽に勝てた、それなのに……。グリンメルスハウゼンでは統率力に期待が出来ない。ミュッケンベルガーの半分でもいいから総司令官としての威が欲しいよ、そうであればもっと楽が出来るのに……。

愚痴っていてもしょうがないな。そろそろ開戦から四時間か、準備をした方が良いだろう。グリンメルスハウゼンの傍から離れ参謀達の傍に寄った。参謀達が何事と言った表情で俺を見た。
「短距離砲戦の準備をした方が良いかと思うのですが卿らは如何思いますか?」

参謀達が顔を見合わせた。言葉は無い、目で会話している。ややあってアルトリンゲンが答えた。
「宜しいかと思います」
うん、まあ当然の答えだ。参謀連中の傍を離れグリンメルスハウゼンの傍に戻った。

「元帥閣下、短距離砲戦の準備をしたいと思います。許可を頂けますでしょうか?」
「短距離砲戦?」
爺さんが不思議そうな表情をした。頼むよ、今俺が皆に訊いてたろう。指揮官席からでも十分に聞こえたはずだ。少しは俺のやる事に関心を持って聞いててくれ。

「あの跳ね回っている艦隊を攻撃するには短距離砲戦に切り替えた方が得策だと思います」
「おお、そうか。分かった短距離砲戦の準備を」
「はっ」
無力感感じて辞めてくれないかな。いや、その前に俺がもう辞めたいんだけど。最近無力感が凄いんだ……

オペレーターに指示を出したけど参謀連中は皆呆れていた。これって問題あるよな、そろそろ限界だ。何とかしてもらわないと……。オーディンに戻ったら上に直訴してみるか。この状態で総参謀長は全くもって罰ゲームだ。いかんな、埒もない事ばかり考えている。この後の手順を考えよう。

ホーランドの艦隊の動きが止まった時点で主砲斉射三連だ。原作では二回だがこっちは三回だ。ホーランドの艦隊を完全に叩きのめす。そしてクライスト、ヴァルテンベルク艦隊に追撃は不要だと命令しよう。多分無視するだろうな、そして追撃してビュコックから逆撃を喰らうに違いない。そこを助ける。その時にはもう一度長距離砲戦に切り替える必要が有るな。早めに切り替えるか……。



宇宙暦796年 1月 4日    ティアマト星域  総旗艦リオ・グランデ   ヤン・ウェンリー



戦場を無原則に動いて帝国軍に損害を与えてきた第十一艦隊の動きが止まった。恐れていた攻勢限界点がついに来たのだ! 早急に第十一艦隊を撤退させそれを援護しなければならない。
「第十一艦隊に後退命令を出せ、急げ! ウランフ提督に援護を!」
「帝国軍右翼部隊、攻撃してきました!」
「何!」

ビュコック司令長官の命令とオペレーターの報告が交差した。これまで動きを見せなかった帝国軍右翼部隊が第十一艦隊に対して主砲を斉射していた、三連! 総旗艦リオ・グランデの艦橋に悲鳴が上がった。
「馬鹿な!」

たちまち第十一艦隊が火達磨になった。スクリーンが白い光点に包まれた。そしてさらに右翼部隊からの攻撃が続く、もう一度斉射三連! さらに白い光点が第十一艦隊を飲み込む、止めに近い一撃だった。統制を失った第十一艦隊はもう艦隊としての態をなしていない。やはりあの艦隊こそが帝国軍の本隊、グリンメルスハウゼン元帥、いやヴァレンシュタイン総参謀長の率いる艦隊か……。

「第十一艦隊旗艦ヘクトル、爆散しました! ホーランド提督、戦死!」
オペレーターの悲鳴のような報告にリオ・グランデの艦橋が凍りついた。そして艦首を翻して遁走に移ろうとする第十一艦隊の残骸に帝国軍右翼部隊が無慈悲なまでに主砲を三連斉射した。猛烈なまでの爆発がスクリーンを白く染め上げた……。

潰滅……、完膚なきまでに第十一艦隊を叩きのめした。時間にして僅か三分程だろう。帝国軍右翼部隊の攻撃で一瞬にして第十一艦隊は潰滅状態になった。半数以上を失い、残存部隊もバラバラな状態だ。呆然とする総司令部にオペレーターが警告の声を上げた。

「帝国軍中央、左翼部隊、前進してきます!」
「これ以上の攻撃を許すな、第十一艦隊を収容するのだ!」
「はい!」
ビュコック司令長官の叱咤に皆が答えた。これ以上は好きにさせない、皆が気力を取り戻した。

「前面の帝国軍に攻撃、撃て!」
第十一艦隊を追って押し寄せる帝国軍に同盟軍の砲撃が襲い掛かった。たちまち帝国軍が混乱する。その姿に歓声が上がった。“見たか”、“思い知ったか”、そんな声が艦橋に上がった。

第五、第十艦隊が後退しつつ押し寄せる帝国軍中央、左翼部隊に攻撃をかけ足止めする。そして第十一艦隊の残存部隊を守りつつ後退する。混乱を収めた帝国軍中央、左翼部隊が攻撃を仕掛けてくる。そしてそれをまた撃退する。撃退する度に歓声が上がった。帝国軍に出血を強いつつ撤退する。それを数回繰り返した時だった。

「帝国軍右翼部隊、前進しています!」
オペレーターの報告に瞬時にしてリオ・グランデの艦橋が緊張に包まれた。それと時を同じくして第十艦隊のウランフ提督から通信が入って来た。スクリーンにウランフ提督が映った。表情が硬い、明らかに緊張している。理由は言うまでもないだろう。

『厄介な敵が動き出しましたな』
「うむ、しかし今になって動き出すとはどういうつもりか」
「帝国軍右翼部隊は迂回しています!」
オペレーターの声が響いた。確かに帝国軍右翼部隊は遠回りに迂回している。こちらの側面、或いは後方に出ようとしているのか。しかし……。

『随分とゆっくり動いていますな』
「そうだな、我々に遊んでいないでさっさと後退しろと言っている様だ。何時までも遊んでいると後ろを遮断するぞと脅しているのではないかな」
その言葉にウランフ提督が苦笑した。

『どうやら向こうも言う事を聞かぬ部下がいるようですな、随分と手を焼いている様です』
「そのようだ」
『如何します?』
ビュコック司令長官が“フム”と考える姿勢を見せた。

「折角の警告だ。素直に後退しよう」
ビュコック司令長官の言葉にウランフ提督が頷いた。
『では一気に?』
「うむ、一気に」
『はっ』

通信が切れるとビュコック司令長官が新たな命令を下した。
「全軍に命令、主砲斉射三連、目標、帝国軍中央部隊、続けて左翼部隊、撃て!」
同盟軍から帝国軍に向かって光の矢が降り注いだ……。



帝国暦 487年 1月 4日  ティアマト星域  旗艦ブリュンヒルト エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



クライスト、ヴァルテンベルクの艦隊が同盟軍の攻撃を受け混乱している。そして同盟軍は後退を始めた。それを見てオペレーターが報告の声を上げた。
「反乱軍、急速後退をしています」
酷く冷めた声だな。クライスト、ヴァルテンベルクをどう見ているかが分かるような声だ。もっとも司令部の人間は皆白けた様な表情をしている。似た様な思いなのだろう。

「元帥閣下」
「う、何かな、総参謀長」
「これ以上の戦闘は無意味と思います。全軍に集結命令を出すべきかと思いますが」
俺の言葉にグリンメルスハウゼンがスクリーンを見た。スクリーンには遠ざかる同盟軍が映っている。

「そうじゃのう」
気が抜ける声だ。分かっているのかな、爺さん。これからの方が厄介だという事に……。分かってないだろうな。内心でウンザリしながらオペレーターに集結命令を出すように命じた。

「総参謀長」
「はっ」
「勝ったのか? それとも負けたのか?」
「……反乱軍は撤退しました。我が軍の勝利と見てよろしいかと思います」

何を言い出すのかと思ったら……、皆が呆れているだろう。まあ兵の損害は五分五分かな、いや少し向こうが多いか。だが向こうはあの潰走振りからするとホーランドは戦死しただろう。それに向こうが撤退したのだ、六分四分で勝った、そう見ても的外れじゃない。上出来だよ、最初は負けると思っていたのだからな。それからすれば大勝利と言っても良いくらいだ、口には出せないが……。

「元帥閣下、クライスト、ヴァルテンベルク両提督は戦闘中再三再四にわたり総司令部の命令を無視しました」
「ああ、そうじゃのう」
ブリュンヒルトの艦橋の空気が変わった。皆が俺とグリンメルスハウゼンを見ている。

「これは抗命罪に該当します。軍法会議はオーディンにて行うとしても彼らに艦隊をこのまま指揮させることは出来ません。司令官職を解任し拘束する必要が有ります」
俺の言葉にグリンメルスハウゼンは眼を瞬いた。

「あー、総参謀長」
「分かっております。元帥閣下は余り厳しい処分を御望みではない、そうですね」
「ああ、そうじゃ」
また眼を瞬いでいる。溜息が出そうだ。

「残念ですがこれは軍の統制の根幹にかかわる問題です。閣下の御意に従うことは出来ません」
「……」
「これからの事は小官が致しましょう。お任せいただけますか?」
「あー、良いのかのう」
本当に良いのかと眼で訊いている。良いんだ、爺さんが居ると反って混乱しかねない。

「はい、閣下は自室にて少しお休みください。全て終わりましたら御報告いたします」
「うむ、では頼む」
爺さんがよたよたしながら自室に向かった。一仕事終わった気分だ。司令部要員が皆軽蔑した様な表情をしていた。もう限界だな。

戦術コンピューターを見ると艦隊は徐々にだが集結しつつあった。流石に諦めたか、世話を焼かせる連中だ。参謀達を見た
「混乱を起こしたくありません。陸戦隊を用意してください」
「はっ」
アルトリンゲンが答えた。他の連中は顔を見合わせているが驚いている様子はない。必要だと思っているのだろう。

「それと全員ブラスターの携帯を命じます」
「……」
「どうしました、用意しないのですか」
「直ぐ用意します」
何人かが慌てた様子で席を立った。他の奴は携帯しているのだろう。俺とヴァレリーは常に携帯している。俺を嫌っている奴は結構多いしヴァレリーは女だからな。携帯した方が安全だ。

「オペレーター、クライスト、ヴァルテンベルクの両名にブリュンヒルトへの出頭を命じなさい」
「は、はい」
俺がクライスト、ヴァルテンベルクを呼び捨てにした事、そして来艦では無く出頭と言った事に気付いたようだ、オペレーターは蒼白になっている。ところであの二人、生きているよな? 殺されたとか自殺したとか無いよな?

「直率艦隊に命令、クライスト、ヴァルテンベルク両艦隊には不審有り。別命あるまで警戒態勢を取れ」
「は、はい」
今度はオペレーターだけじゃない、参謀連中も顔を強張らせた。場合によってはここで帝国軍同士で戦闘が始まる、そう思ったかもしれないな。まあそんな事にはならないだろうとは俺も思う。だが帝国というところは有り得ない事が頻繁に起きるのだ、油断はしない方が良いだろう……。

 

 

第十七話 お前、今何を言ったか分かっているのか?


帝国暦 487年 1月 4日  ティアマト星域  旗艦ブリュンヒルト エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



旗艦ブリュンヒルトの艦橋にクライスト、ヴァルテンベルクが八人の貴族、俺が密かに名付けた馬鹿八人衆と共に現れたのは出頭命令を出してから一時間も経ってからの事だった。なかなか来ないんで二人は死んでるんじゃないかと思ったよ。ヴァレリーも心配したくらいだ。

どうやら中身の無い脳味噌を捻くり回して善後策でも考えていたらしい。大体どんな案を考えたかも想像がつく。馬鹿八人衆が付き添っているのだ、どうせこいつらの権威に縋ろうとでも言うのだろう。どうしようもないクズ共だ。いっそ死んでくれた方が多少は罪悪感を持つことが出来たかもしれない。

クライスト、ヴァルテンベルクは表情が硬い、艦橋には陸戦隊も三十名ほど控えているからな。だが馬鹿八人衆はふてぶてしい笑みを浮かべていた。余裕だな、クライスト、ヴァルテンベルクの無罪放免に自信が有るらしい。貴族というだけで全てが思い通りになると考えているのだろう。クライスト、ヴァルテンベルクが俺の前に立った。馬鹿八人衆は少し離れた所に居る。
「クライスト大将、出頭しました」
「ヴァルテンベルク大将、出頭しました」

二人は指揮官席を見てグリンメルスハウゼンが居ない事を訝しんだようだ、或いは不安に思ったか、クライストが俺に問い掛けてきた。
「元帥閣下はどちらに?」
「元帥閣下は自室で御休みになられています。後の事については小官に任せるとのことでした」

クライスト、ヴァルテンベルクが顔を見合わせた。幸先が良くない、そう思ったか。相手がグリンメルスハウゼンなら誤魔化すのも容易いとでも思っていたのかもしれない。だが相手が俺となれば面倒になるとでも思ったのだろう。もっとも馬鹿八人衆は気にする様子もない。俺なんて大したこと無いんだろうな。なんてったって平民だ。

さてと、始めるか。嫌な仕事はさっさと終わらせよう。
「クライスト大将、ヴァルテンベルク大将。今回の戦い、何とか勝つ事が出来ました。だからと言って卿らが犯した複数回に亘る命令違反を見過ごすことは出来ません。弁明が有れば聞きましょう、もっともそんなものが有ればですが」
「……」

二人とも無言だ。まあそうだろうな、言い訳なんて出来るわけがない。そして馬鹿八人衆が滅茶苦茶にしたとも言えないよな。連中に助けて貰うのだから。こちらにしてもこの二人が馬鹿八人衆の口出しを証言しなければ連中には手出しできない。つまりこの二人が助かるためには馬鹿八人衆は善意の第三者である事が必要になるわけだ。善意の第三者か、笑えるぜ。

“そんなに厳しくしなくても良いでしょう、幸い勝ったのだから”そんなところだろう。だとすると馬鹿八人衆が助けに出るのはもっと後だな。最後に助けて恩を着せる、そんな事を考えているかもしれん。劇的な事が好きな連中だからな、その段取りで一時間かかったか。

「卿らの行動は軍の統制上許される事ではありません。軍法会議で裁かれることになります」
「……」
「有りませんか。……抗命罪、特に敵前、戦闘中の抗命罪は死罪も有り得ます。この場で話す事が無いのなら後は軍法会議の場で自らを弁明されるが宜しかろう」
僅かだが二人の表情が歪んだ。多少は恐怖が有るか。

「クライスト大将、ヴァルテンベルク大将。卿らの艦隊司令官としての職責を解く。武装を解除の上卿らの身柄はオーディンまでブリュンヒルトにて拘束する」
俺が陸戦隊に視線を向けると四人の陸戦隊員がクライスト、ヴァルテンベルクに向かった。

「ヴァレンシュタイン大将」
出たよ、最初はシャイド男爵か。余裕たっぷりの笑顔だな。
「幸い戦いは勝ったのだ、そのように厳しくしなくても良いのではないかな。二人とも久しぶりの戦いだったのだ、つい間違いを犯したという事は誰でもあるだろう」

もう少しで吹き出すところだった。ヴァレリーは呆れ顔だ。間違いってのはお前らを艦に乗せた事だ。それ以上の間違いが有るとしたらお前らみたいな馬鹿が貴族に生まれた事だな。いや元々馬鹿だったが貴族に生まれたからそこまで馬鹿が酷くなったのかな? 参謀連中も呆れた様な表情をしている。

陸戦隊が戸惑っている。立ち止まって俺と馬鹿八人衆を交互に見ている。やっぱり貴族ってのは怖がられている。
「残念ですがそれは出来ません」
「しかし……」

わざと大きな溜息を吐いた。
「シャイド男爵。これは軍の統制の問題なのです。貴族が口を出す事では有りません。貴族が軍の統制を乱す、そんな事は有ってはならない事なのです。……早くしなさい、何をしているのです」

俺が陸戦隊員を睨むとようやく四人の陸戦隊員が動き出した。クライスト、ヴァルテンベルクの顔が強張った。俺が何を言おうとしているのか理解したのだろう。絶望的な表情で俺を見ている。そして馬鹿八人衆を見た。連中には助けを求めているように見えたはずだ。シャイド男爵が慌てた様に声を出した。

「待て、ヴァレンシュタイン」
「口を出すなと言いました」
シャイド男爵が口籠るとフレーゲル男爵が
「待て、ヴァレンシュタイン」
と声を出した。

「……今度はフレーゲル男爵ですか」
ワザとウンザリしたように言った。フレーゲルの顔が屈辱に歪むのが見えたが直ぐにその顔に嘲笑が浮かんだ。
「彼らは私達の指示に従っただけだ。それなら問題は有るまい」
「……」

一瞬だが呆然として馬鹿みたいにフレーゲル男爵の顔を見た。俺だけじゃない、皆がだ。拘束に動いた陸戦隊員も立ち止まっている。ヴァレリーも目が点だ。帝国では有り得ない事が起きる。まさか口に出すとは……。お前、今何を言ったか分かっているのか? 分かっていないだろう?

いや分かっているよな、つまり自分は何をしても良い存在だと思っているわけか。信じられんがそうなんだろうな。なるほど、ブラウンシュバイク公がヴェスターラントへの核攻撃を行うわけだ。俺が呆然としているのをどう思ったか、フレーゲル男爵は勝ち誇った顔をしている。

「クライスト大将、ヴァルテンベルク大将。フレーゲル男爵の言った事は事実ですか?」
俺の問い掛けに二人が身体をブルっと震わせた。二人とも俺とは視線を合わせようとしない。顔面は蒼白だ。誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。それくらい艦橋は静まり返っている。

「もしそれが事実なら卿らは総司令部よりも彼らの方を上位に置いたという事になります。抗命罪どころではありませんよ、軍の命令系統から離脱した、軍組織から外れたのですから」
「……」
初めてフレーゲル男爵が不安そうな表情を見せた。阿呆、もう遅い。

「何らかの見返りとの引き換えに彼らの指示に従った、そういう事ですか? 或いは彼らに司令部を乗っ取られた、已むを得ず彼らに従わざるを得なかった、そうなのですか? どちらです?」
「……」
答えようが無いか。だがな、沈黙はこの場合一番最悪だぞ。俺にとっては願ったり叶ったりだが。

「そこの貴族諸卿を全員拘束しなさい」
俺の言葉に皆が驚いた。馬鹿八人衆も参謀達も陸戦隊もオペレータ達もだ。
「軍の命令系統に介入し今回の戦いを混乱させた疑いが有ります。場合によってはそれが原因で敗北する危険性も有った、利敵行為です。見過ごしには出来ません、拘束しなさい」

俺の言葉に顔を見合わせた陸戦隊員がおずおずと動き出した。すこし喝を入れるか。
「早くしなさい!」
「待て、ヴァレンシュタイン。我らを逮捕だと!」
「拘束ですよ、ヒルデスハイム伯」
「似た様なものではないか、無礼だろう!」
馬鹿八人衆の身体に陸戦隊員が手をかけた。クライストとヴァルテンベルクは既に手錠をかけられている。貴族達が“触るな”、“無礼者”とか騒いだ。

「こんな事をしてただで済むと思うのか、ヴァレンシュタイン! 伯父上に言い付けてやる!」
出たよ出たよ、“伯父上に言い付けてやる”が。でもこの場合は逆効果だな。
「それはどういう意味です、フレーゲル男爵」
「馬鹿め、その程度の事も分からんのか。伯父上がお前に思い知らせてくれるという事だ!」

勝ち誇ったように叫ぶ姿が滑稽だった。分かってないのはお前だ、お前にとってブラウンシュバイク公はトランプのジョーカーのような物だろう。無敵のカードだ、どんな劣悪な状況でもひっくり返してくれる最強のカード。でもゲームによっては最悪のカードになる。今のお前は愚かにも最悪のカードを自ら使ったのだ。

「なるほど、この一件裏に居るのはブラウンシュバイク公ですか。クライストとヴァルテンベルクの両名を遠征軍に加えたのは公爵でしたね。そして貴方達を使って命令違反を犯させ遠征軍を敗北させようとした」
「な、何を言っているのだ」
眼が飛び出しそうになっている。フレーゲル男爵だけじゃない、他の七人もだ。

「隠さなくても良いでしょう。狙いは軍の権威の失墜、そういう事ですか。先日の皇帝陛下御不例、あれ以来軍の存在が目障りだというのですね。しかしこれは反逆罪ですよ、例えブラウンシュバイク公といえども許される事ではない」
「ち、違う、そんな……」
もう遅いんだよ。クライストとヴァルテンベルクの顔は蒼白どころか土気色だ。今度こそ助からない、そう思ったのだろう。

「拘束が終わったらそれぞれ個別に部屋に監禁しなさい。一切外部、並びに彼ら同士の接触は許しません。これを犯すものは何者と言えどその場で拘束しなさい、抵抗した場合は射殺する事を許します」
「はっ」
陸戦隊が答えたが大丈夫かな、こいつら皆蒼白なんだが。いや陸戦隊だけじゃないか、艦橋に居る人間皆が蒼白になっている。

艦橋から連れ出される連中を見ていたが溜息が出た。馬鹿八人衆が最後まで見苦しく騒いでいた。クライスト、ヴァルテンベルクはもう終わりだな。問題は馬鹿八人衆と親玉のブラウンシュバイク公だ。リヒテンラーデ侯と帝国軍三長官がどう出るか……。取り潰しは無理だろうがそれなりの処罰はするだろう。どんな形で決着が着くのか、御手並み拝見だ。

さてと、クライスト、ヴァルテンベルクの艦隊の掌握をしなくてはならん。幸い参謀連中は沢山連れてきた。それぞれ五名ほど送るとするか。あの二人の艦隊司令部の制圧をするとなると陸戦隊の護衛が必要になるな。抵抗はしないと思うが念のためだ。司令部の連中も拘束した方が良いかな? 一応そうしておくか、積極的にあの馬鹿共に協力した奴もいるかもしれん。

その後はグリンメルスハウゼン老人に報告だな、こいつが一番厄介だろう。ああ、その前にオーディンに一報入れておいた方が良いな。全部終わったらタンクベッド睡眠でもとるか、少し疲れたわ……。敵ばっかりで味方なんて居ないんだから……。



帝国暦 487年 1月 4日  オーディン  新無憂宮  グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー



国務尚書の執務室に四人の男が集まった。国務尚書リヒテンラーデ侯、そして帝国軍三長官。時刻は二十二時を僅かに過ぎている。誰も口を開こうとはしない、無言で五番目の男を待っている。その男が国務尚書の執務室に入って来たのは予定の時間、二十二時を十分程過ぎてからだった。おそらくはわざとだろう。

「遅くなって申し訳ない」
「いや、夜遅くに公を呼んだのは我ら。公がお気になされることは無い」
「国務尚書にそう言って貰えると有難い、それで夜遅くにわしを呼んだのは何故かな? 明日ではいかんのか」

言外に詰まらぬ事で呼び出したのなら許さぬという響きが有る。相変わらず傲慢な事だ。だが何時までその傲慢を維持出来るか……。
「先程遠征軍から連絡が有った。遠征軍はティアマト星域にて反乱軍と戦い勝利を収めた様だ」
「それは目出度い、陛下の御威光の賜物であろう」

国務尚書の言葉に目出度いとは言ったが表情には不満の色が有る。それだけで夜遅くに呼んだのかという思いが有るようだ。
「確かに目出度い、しかし問題も有る」
「……」

「クライスト、ヴァルテンベルクの両名が命令違反を犯した。そのため遠征軍は一時危うい状況になった。今両名は司令官職を解かれ拘束されている。オーディンに戻り次第軍法会議が開かれるであろう」
「……」
ブラウンシュバイク公の表情が微かに強張っている、良い傾向だ。

「あの両名を遠征軍に参加させるようにと陛下に進言されたのはブラウンシュバイク公であったな」
「それは……」
国務尚書の指摘にブラウンシュバイク公が絶句した。

「あの二人の行動に責任は持てぬかな? 推薦者としてそれは些か無責任であろう。それに他にも問題が有る」
「他にも?」
驚いたような表情で国務尚書から我ら三長官に視線を移した。そしてまた国務尚書に視線を戻した。傲慢は消え去り不安そうな表情をしている。
「どういう事かな、国務尚書」

「同行した貴族達が居た。フレーゲル男爵、ラートブルフ男爵、カルナップ男爵、コルヴィッツ子爵、ヒルデスハイム伯、シャイド男爵、コルプト子爵、シュタインフルト子爵。このうちフレーゲル男爵、シャイド男爵は公の御身内であったと思うが」
「……いかにも、両名とも我が甥であるが」
「その他の貴族達も公の親しい貴族ばかりだ」
「……」

リヒテンラーデ侯が頬に冷たい笑みを浮かべた。
「どうやらクライスト、ヴァルテンベルクの命令違反には同行した貴族達が関係しているらしい。強要したか、或いは何らかの取引をしたか」
「まさか……」
ブラウンシュバイク公の声が震えた。

「彼らは今拘束されている。それでも信じぬかな」
「拘束……」
ブラウンシュバイク公は驚いている。まあ連絡を受けたこちらも最初は驚いたが。あの若者、相手が貴族であろうが容赦せぬところが有る。あるいは余程に憤懣が溜まっているのか。

「彼らが拘束されるとき容易ならぬ事を言ったようだ」
「容易ならぬ事?」
「いかにも。ブラウンシュバイク公、彼らは公の名前を出した」
「馬鹿な、何を考えている」
蒼白になっている。無関係か、おそらくはあの二人を自分の手ゴマにするだけで良しと思っていたようだな。しかし馬鹿な貴族達が先走った……、不本意ではあろうが無関係で済む話ではない。

「ブラウンシュバイク公、我らは公に対して有る疑いを抱いている」
「……」
「説明の必要が有るかな?」
国務尚書の問い掛けにブラウンシュバイク公が首を横に振った。

「……いや、無い。しかしわしは何の関わりも無い、それだけは明言しておく」
「そうであって欲しいものだ。いやそうでなければならぬ。陛下の女婿である公が反逆者だなどと陛下がどれほどお悲しみになるか」
ブラウンシュバイク公が唇を噛み締めた。

「陛下に御目にかかりたい。身の潔白を証明する機会を頂きたい!」
「残念だがそれは許されぬ」
「国務尚書!」
ブラウンシュバイク公が一歩詰め寄ったが国務尚書は首を振って拒絶を意思表示した。

「既にこの件は陛下に奏上した。陛下は例えブラウンシュバイク公でも反逆は許されぬと仰せられた。この件の調査が終わり身の潔白が証明されるまで屋敷にて謹慎せよ、出仕には及ばぬとの仰せだ」
「……なんと……」
「確かに陛下の御言葉を伝えましたぞ、ブラウンシュバイク公。屋敷にて謹慎されよ。間違っても貴族達を呼んで謀議を行っている、そのような疑いを我らに抱かせぬ事だ、宜しいな」
「……」


ブラウンシュバイク公は悄然として執務室を出た。今頃はフレーゲル男爵達を呪っているだろう。
「危うい所であったが切り抜けたか」
「そのようですな」
「しかしフレーゲル男爵達を拘束とは……、いささか厳しいの」
「元々貴族には良い感情を持っておりますまい。両親の事も有ります」
「なるほど、少々気になるの。まあ野心はそれほど無いか」
国務尚書と軍務尚書が話している。

「ヴァレンシュタインが悲鳴を上げております。グリンメルスハウゼン元帥ですが、やはり遠征軍の総司令官は難しいですな。部下の統率力が皆無に等しい。クライスト、ヴァルテンベルクも総司令官がグリンメルスハウゼンでなければ今回の様な事はしなかった可能性が有ります」
私の言葉に皆が顔を顰めた。“またか”とは誰も言わない。あの老人がどうにもならない事は皆が分かっている。

「しかし他に人が居らん、どうしようもあるまい。何か良い手が有るかな」
「それが有れば苦労はせんよ、シュタインホフ元帥」
私とシュタインホフ元帥の会話に軍務尚書が溜息を吐いた。まったくどうにもならない。馬鹿を担ぐのがどれだけ大変かは私も若い頃多少の経験が有る、これほど酷くは無いが……。

「グリンメルスハウゼンは動かせぬ。ヴァレンシュタインを上級大将に昇進、それでは無理かな。平民では異例であるが」
「……年が若いですからな、侮る者はいるでしょう」
私の答えに国務尚書が二度、三度と頷いた。

「となると今回の軍法会議、あの若者が強硬に処罰を主張した、そういう形にするしか有るまい。どうかな?」
国務尚書が我々の顔を見回した。厳罰、妥協はしないと言う事は既に決まっている。誰からも異論は出なかった。


 

 

第十八話 最近よく夢を見るんだ




帝国暦 487年 4月 15日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



オーディンの四月は良い。桜の花が彼方此方で咲いている。グリンメルスハウゼン元帥府の庭にも桜の木が何本か有る。いずれも大体五分咲きといったところだ。その気になれば花見を楽しめるがこっちには花見なんて習慣は無いし俺は酒が飲めない。少々物足りないが煩く騒ぐ奴が居ないと考えればそれも悪くは無い。というわけで俺は桜の木の下で寛ぎながらぼんやりと一人花見を楽しんでいる。寂しくは無いぞ。

今回の会戦、帝国軍の勝利と認められた。同盟軍の第十一艦隊を潰滅状態にしているしフェザーン経由で入った情報によれば艦隊司令官ウィレム・ホーランド中将が戦死している。量的にも質的にも同盟軍の方が損害が大きかったと判断された。帝国軍三長官からは二個艦隊が統制から外れた状態で勝利を収めたのは見事だとも言われた。本当ならもっと楽に勝てた、それを思うと素直には喜べないが……。

戦勝に伴い上級大将に昇進した。平民で上級大将、そして宇宙艦隊総参謀長。帝国の歴史の中でも初めての事だそうだ。宮中では来年あたりは貴族になるんじゃないかと言われているらしい。馬鹿馬鹿しい話だ、そんなものに誰がなるか! 俺の頭の中では貴族なんて馬鹿と同義語だ。好んで馬鹿になる奴が何処にいる?

もう暫くは桜の花を楽しめるだろう。残念だな、今年は梅の花を楽しめなかった。香りその物は梅の方が俺は好きなのだが……。仄かに漂う梅香には何とも言えない風情が有ると思う。春が来たなと思うんだ。……盆栽でもやってみるか、それで宇宙に持って行く。そうなれば宇宙でも梅香を楽しめるだろう。心身のリフレッシュにも役立つはずだ。

あれって面倒なのかな。盆栽とか今の帝国には無いけど桜や梅の木の世話の仕方を知っている人間なら居るはずだ。ミッターマイヤーの親父さんがそっちの仕事をしていたな。今度訊いてみるか、上手く出来たら皆にも勧めてみよう、メックリンガーとか嵌りそうだよな。そのうち帝国でも盆栽が流行るかもしれない。新たな平民文化の誕生か、うん、良いね。

もう少し経てば風が吹く、そして桜の花が舞うように散り始めるだろう、桜吹雪の到来だ。早くあれを見たいな。あれを見ると何とも言えず物哀しくなる。散り際の哀しさの中に美しさが有る。咲くも桜なら散るも桜、ただその哀しさ、美しさに切ないほど引き付けられる……。

一瞬の完璧な美か……。桜だから出来る事だな、人間には絶対出来ない。人間は何処かで足掻く。美しさを保とうと、権力を維持しようと。だから哀しいまでの美しさ、潔さは感じられないのだ。……馬鹿げているな、桜と人間を比べるなんて……。人間は足掻くからこそ進歩してきたのだ。足掻く事を否定すべきではない、それは人間その物を否定するに等しい事だろう……。

最近よく夢を見る。一昨日見た夢は母さんの夢だった。夢の中で母さんは
“可哀想なエーリッヒ、皆に虐められて”
と言って泣いていた。俺も泣いた。
“そうなんだ、皆で俺を虐めるんだ”
そんな俺を母さんが優しく抱きしめてくれた。妙なんだけど俺は五歳くらいの子供になってた。朝起きたら枕が濡れてたな。あの夢はどういう意味なんだろう。

昨日見た夢はとんでもない夢だった。俺は狭い一本道を歩いていた。反対側から鍔の広い帽子を深く被った老人が杖を突きながら歩いて来る。そして俺が進もうとするのを邪魔するんだ。どういうつもりだとムッとすると
“返れ、元の世界に返れ”
と老人が言う。驚いて
“お前、誰だ”
って訊くと老人が顔を見せたんだが片目が無かった。

“オーディン! 大神オーディン!”
驚いて俺が叫ぶとオーディンはニヤッと笑った。はっきり言って嫌な笑い方だった。かっとなってそこからはオーディンと怒鳴り合いになった。最近ジジイには腹が立っているんだ。

“お前は邪悪なる存在、この世界に居てはならない”
“ふざけんじゃない、俺を利用してる奴の方が邪悪だろう、帰らないぞ! そこをどけ、俺は向こうに行かなくちゃならないんだ!”
“ほう、向こうへ行きたいだと? 馬鹿者が! ならば苦しめ!”

そう言うと哄笑しながらオーディンは俺を杖で引っ叩いた。凄い衝撃が有って俺は叩きのめされた。そこで目が覚めた。なんと俺はベッドから転げ落ちていたよ。なんか凄い意味深な夢だった。最後の苦しめって言葉が妙にリアルだったな。

疲れてるのかな。カウンセリングとか受けた方が良いのかも。でもなあ、宇宙艦隊総参謀長が母さんの夢見て泣いてたとかオーディンに引っ叩かれた夢見てベッドから転げ落ちたとかって相談された方は如何思うだろう。“大丈夫か、帝国軍。総参謀長はマザコンでオーディンに呪われているぞ”、そんな噂が広まったら将兵は皆逃げてしまうだろう。 軍人ってのは妙な所で迷信深いからな、この手のオカルト話は厳禁だ。

「どうされました、こんなところで」
突然声がした、クレメンツだった。大将の階級を示す軍服を身に付け桜の木に手をかけて俺を見降ろしている。見降ろされるのは好きじゃないがまあ俺が座っているのだし相手がこの人じゃな、見降ろされても文句は言えん。多分心配して見に来たのだろうし……

「桜を見ていました」
「それは分かっています。昨日も見ていましたな、一昨日もです。皆不安がっております」
「……」
何でだ、俺が桜を見ると何で不安がるんだ。俺だって元は日本人だ。桜を見て物の哀れを感じたっておかしくないぞ。

「冷徹非情な宇宙艦隊総参謀長、当代きっての知将と謳われている閣下がぼんやりと桜を見ている。しかも三日続けてです。天変地異の前触れではないかと心配しておりますよ」
「……何を馬鹿な」

クレメンツが笑うのを必死に堪えている。こいつには夢の話は出来ないな、それこそ天変地異の前触れだと騒ぎだすだろう。そして逃げ出す奴を笑うに違いない。それにしても冷徹非情な宇宙艦隊総参謀長? 俺はオーベルシュタインか! 碌でもない。

「周囲に心配をかけるのは良くありませんな。……後悔しておいでですか」
「……後悔?」
「クライスト、ヴァルテンベルクの事です」
「……まさか」
冗談かと思ったがクレメンツは酷く生真面目な表情で俺を見ていた。まさか、後悔などするはずが無い。あの馬鹿共の所為でどれだけ無益な犠牲が出た事か……。

「後悔などしていません」
「なら宜しいですが、……閣下は優しい所がお有りですからな。あの二人を自分の命令に従わせる事が何故出来なかったのかと後悔しているのではないかと思ったのです」
なるほど、そういう意味か。まあそう思った事も有ったけどな。

「私が思っているのは第五次イゼルローン要塞攻防戦の直後にあの二人を処罰しておくべきだったという事です。そうであれば今回の様な事は起きなかったはずです。ですが当時の私には力が無かった……。正義を貫くのにも力がいる。理不尽ですよね」
「理不尽ですか……、確かにそうですな」
クレメンツが頷いた。

あの会戦の後、オーディンへの帰還までの航海は馬鹿共への事情聴取で終わった。馬鹿八人衆は取り調べとはどういう事だと抗議したが素直に話さないとクライスト、ヴァルテンベルクの主張だけが報告される事になる、そう言うと皆積極的に話しだした。お互い信頼関係なんて欠片も無かったのだろう。貴族達の間でも擦り合いが有ったほどだ。

連中の話を総合するとこういう事になる。例のクロプシュトック侯の反乱でブラウンシュバイク公が面目を失した。なんとかそれに対する報復をと言うのが事の発端だったようだ。クライスト、ヴァルテンベルクを利用しようと考えたのはシャイド男爵らしい。元帥杖授与式で俺とあの二人が反目しているのを目撃し、利用できると判断したようだ。

シャイド男爵はフレーゲル男爵に話しそこから残りの六人に話しが伝わった。充分いけると考えた彼らはブラウンシュバイク公にあの二人を利用して自家の勢力を拡大しようと提案したようだ。提案その物は悪くは無い、ブラウンシュバイク公もやってみるかとその気になった。

クライスト、ヴァルテンベルクに話しを持ちかけると当然だが喜んで話しに乗った。どうもこの時点ではあの二人に功積を立てさせ俺を押さえるのが目的だったようだ。上手く行けば帝国軍三長官の内二つのポストをブラウンシュバイク公派で押さえられる、そんなところだったのだろう。

問題はその後だった。軍人としてそれなりの能力を持っているクライスト、ヴァルテンベルクはどう見てもボンクラにしか見えないグリンメルスハウゼンに従うのが馬鹿らしくなった。それ以上に俺から出る命令に従うのが我慢出来なかった。オーディンからイゼルローン要塞までは四十日有る。その間、あの二人は自分達の力で戦闘に勝つ、俺の指示には従わないと決めたらしい。問題はそれをあの馬鹿八人衆の前でぶちまけた事だった。

馬鹿八人衆はそれを自分達にも指揮権が有るのだと受け取った。クライスト、ヴァルテンベルクにしてみれば予想外の事だっただろう。二人にとっては馬鹿八人衆はあくまで観客だった。それが何時の間にか自分達はプレイヤーだと主張し始めたのだから。

彼らは口出しを防ごうとしたが無駄だった。誰のおかげで此処に居られると思っていると言われては言い返せない。戦闘開始後は馬鹿八人衆の遣りたい放題だった。馬鹿な話だ。総司令部の指示に従っていれば馬鹿八人衆に対してそれが軍の決まりだと言って口出しを防げたはずだ。自分に決定権が有る等と言うから付け込まれた。

結局あの二人には指揮権など無かった。ただ馬鹿共が損害を出し続けるのを黙って見ているだけだった。実際その指揮ぶりはかなり酷かったらしい。司令部要員の証言によれば四人がそれぞれ整合性のとれていない命令を出し、どれに従って良いか分からないのが実情だったらしい。結局はただひたすらに混乱した、そういう事の様だ。

戦闘時間は四時間を超え五時間近かったがクライスト、ヴァルテンベルクの二人にとっては拷問に近い五時間だっただろう。彼らは軍人として命令違反がどれほどの重罪かは分かっている。それを延々と犯しているのだから。自分が徐々に徐々に死んでいくような気分だっただろう。

オーディンに戻ると早速軍法会議が開かれた。遠征軍がまとめた調書をもとに憲兵隊が再捜査しそれが軍法会議の調書として使用された。今回の軍法会議は軍人、貴族が被告というちょっと変わった形での開催になった。俺も証言を求められた。別に隠す事は何も無かった。それに三長官からも思う所を存分に述べよと言われたから正直に話した。馬鹿共が命令違反を起こすだろうと思った事、だから本隊を中央に置かなかった事。そしてこのような事が二度と起きないように処分は厳しくするべきであると。

判決はそこそこ厳しかった。クライスト、ヴァルテンベルクに対しては抗命罪が適用され死罪となった。但し、温情を以って自裁が許された。そして馬鹿八人衆に対してはその行為は反逆罪と認められるが無知によるものとして情状酌量が認められた。本来なら死罪だが領地、爵位の取り上げの処罰が下された。つまり今後は爵位を持たぬ貴族、帝国騎士になるわけだ。まあ生活に困る事は無いだろう、領地以外にも利権とか持っているだろうからな。

しかし私設艦隊を維持する事は不可能だろうし収入も大幅減だ、何より面目丸潰れだ。馬鹿だから助けてやると言われたのだからな。それに爵位を持つ貴族達は帝国騎士など貴族とは認めていない。つまり連中にとっては人間から猿にでもなったようなものだろう。

今後、新無憂宮で連中の姿を見る事は無いだろう。それでも命は有るんだ、文句を言える筋合いではない。俺に全権が有るなら死刑にした、実際そう主張もした。馬鹿八人衆は不当だと騒いだ。おそらくはブラウンシュバイク公のとりなしを望んだのだろうが公は動かなかった。それどころではなかっただろう、自分自身に反逆の嫌疑がかかっていたのだから。

ブラウンシュバイク公にも処罰は下った。不適切な進言をして軍に損害を与えた事に対する処罰だ。ただし馬鹿八人衆が犯した罪には無関係であると認められた。処罰の内容は帝国に対し一千億帝国マルクを納めるようにとの罰金刑だった。大金だがブラウンシュバイク公爵家にとっては大した事は無いのだろう。判決の翌日には納めたようだ。もう一週間が経つだろう。

「艦隊の方は如何ですか、訓練は順調に進んでいますか」
「今のところ問題は有りません。しかし宜しかったのですか? あの三人を頂いてしまって」
クレメンツが俺の顔を覗き込んだ。
「構いません。こちらはグリューネマン、ヴァーゲンザイル、アルトリンゲン准将を配備します。シュタインメッツ、グローテヴォール少将と組ませれば十分でしょう」

今回、クレメンツを正規艦隊司令官にした。これで正規艦隊は五個艦隊、グリンメルスハウゼンの直率艦隊を入れれば六個艦隊が動員可能だ。クレメンツ艦隊には副司令官にブラウヒッチ少将、分艦隊司令官にクナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将を配備した。今回昇進した連中だ。そしていずれも元帥府の若手士官では評価が高い男達でもある。まあクナップシュタインとグリルパルツァーは俺の傍よりもクレメンツの下の方が安全のような気がする。何が安全かは言うまでも無い。

「そろそろ戻られませんか」
「いや、もう少しここに居ます。考えたい事が有るんです」
「なるほど、ただ桜を見ているというわけではないのですな」
「……」

敢えて答えなかった。本当は考えなければならない事が有るんだが花見に逃げていたんだ。碌な事になりそうもないからな。
「小官で相談になれますか?」
「うーん、如何でしょう。……でも聞いてもらいましょうか。実は……」


事の発端は先日行われた戦勝祝賀パーティだった。翠玉(すいぎょく)の間で行われたのだがお世辞にも盛会とは言えなかった。軍法会議が終わるのを待ったため間延びしたという事も有るが軍法会議で貴族、軍人に処罰された人間が出たという事が大きいだろう。特に八人も犠牲者を出した貴族達にとって素直に喜べる戦勝祝賀パーティでは無かったのだ。

俺も決して居心地は良くなかった。何と言っても処罰を強硬に主張したのは俺なのだ。皇帝は相変わらずドタキャン、という事で俺も早々に引き揚げようとした時だった。新無憂宮の廊下を歩いていると見た事のある女官と出会った。樽みたいな腹をした女官だ。その女官が俺を待っている人間が居るからついてきてくれと言う。相手はリヒテンラーデ侯だと思ったから素直について行った。

女官が俺を案内したのは東苑の中にある小さな隠し部屋の一つだった。俺自身はそんなところに小部屋が有るなどとは全然気付かなかった場所だ。そして中で待っていたのはリヒテンラーデ侯ではなかった。二十代後半に見える美しい女性だ。初対面だ、だが誰かは直ぐ分かった。ベーネミュンデ侯爵夫人、シュザンナ……。



 

 

第十九話 トリップするのは止めてくれ



帝国暦 487年 4月 15日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「そなたがヴァレンシュタインか。平民ながら宇宙艦隊の総参謀長とか。なかなかの出世ぶりじゃな」
艶やかな笑みを浮かべてはいるが明らかにこちらを蔑んでいる。侯爵夫人とは名乗っているが元は貧乏貴族の娘だろう。大体皇帝の寵を失った寵姫なんて羽を失った鳥と一緒だろうが。何様のつもりだ。

「如何したのじゃ、口が無いのか?」
「申し訳ありません、どちら様でしょう。初対面だと思うのですが」
「妾の事を知らぬと申すか!」
あらあら怒ったよ。プライドズタズタかな。でも初対面なのは事実だ。出来れば会いたくなかったがな。

「何分平民ですので宮中の事は疎いのです。知らない人が多くて困っています」
「なるほど、宮中の事は知らぬか。平民では無理も無い」
侯爵夫人が可笑しそうに笑った。機嫌が直ったようだ。まあ知らない人が多いのは事実だ。もっとも知らなくて良い人間が多いのも事実だが。あんたはその筆頭だな。

それにしてもあの樽女、リヒテンラーデ侯に繋がっているのかと思ったがこの女に繋がっていたのか。あの時俺とラインハルトの関係をしきりに探ってきたがこの女の差し金か。なるほどな、リヒテンラーデ侯がいくら皇帝の寵姫の弟とはいえ辺境警備の一少将の事等気にするわけが無いか。この世界のラインハルトは未だ微小なのだ、俺は過大評価していたようだ。

「妾はベーネミュンデ侯爵夫人じゃ」
「それはそれは、始めて御目にかかります。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン上級大将です」
ちょっと驚いた様な表情を浮かべてみた。じゃないと嫌がらせをしていたとバレるからな。侯爵夫人は満足そうに頷いている。単純だな、オバサン。

「そなたに頼みが有るのじゃ」
「はあ、頼みですか。小官に侯爵夫人のお力になれる様な事は余りないと思いますが……」
厄介事の臭いがぷんぷんする。出来るだけ無力な平民を演じよう。

「ラインハルト・フォン・ミューゼル少将をそなたの元帥府に入れて欲しいのじゃ」
「はあ?」
思わず間抜け声が出た。ウチの元帥府に入りたがっている奴は結構多い。何と言っても昇進が早いのだ。おまけに若い奴が多いから風通しも良い。人気急上昇なのだがこの女がラインハルトの口利きをする? 有り得んな、何が目的だ?

「どうじゃ」
「どう、と言われましても……、小官が勝手に御約束できる事では有りませんし」
俺が答えると侯爵夫人は苛立たしそうに首を振った。
「何を惚けた事を……。グリンメルスハウゼン元帥府を仕切っているのはそなたではないか。グリンメルスハウゼン子爵、あのボンクラに何が出来よう、居眠りぐらいしか能が有るまい」
そんな事は、と反論したいんだが周知の事実だからな。

「失礼ですが伯爵です、今回の武勲によりグリンメルスハウゼン伯爵になりました」
出来るだけ生真面目に答えたが侯爵夫人は気にした様子を見せなかった。自己中な女は苦手だよ。

「辺境などに居られては不便ではないか。オーディンに呼び戻すのじゃ」
「……」
「あの小僧を捻り潰し、あの女に苦しみを与えてやる」
なるほどな、それなら納得できる。それにしても目がいっちゃってるぞ。宙を見つめながら恍惚としてるんだ。何かを想像してトリップしているようだが何を想像しているのかは知りたくない。薬無しで飛べるとは、とんでもない女だな、いや健康的なのか。

「あの女が猫を被って……、陛下の御心を盗んで、そして私に優越感を誇示しようとしている! ああ、あの女に私が味わった苦しみを十倍にして与えてやりたい……」
ウンザリだった。少しは桜の潔さを見習え。そうすれば惜しんでくれる人間も居る。今のお前はただ厄介で鬱陶しい存在でしかない。

侯爵夫人が俺の方を見て寒気のするような笑みを浮かべた。ギョッとした、まさか俺の考えが分かったとか無いよな。
「どうじゃ、次の出兵であの小僧を連れてゆき戦闘のどさくさに紛れて殺してはくれぬか?」
「!」
何言ってるんだ、この馬鹿。

「そなたの様に武勲を上げてその地位を得た者にとってはあの女の弟というだけで出世している小僧など許し難い存在であろう」
「……」
「どうじゃ、叶えてくれるのなら謝礼はするが」
部屋に瘴気が漂った様な気がした。人が毒を吐くってのはこれか……。

「侯爵夫人、小官は軍人なのです。軍人の仕事は帝国の安寧を守りそれを脅かすものを打ち払う事。ミューゼル少将は味方です。少なくとも今のところは帝国の敵ではない」
俺の言葉に侯爵夫人の顔が変わった。眼が吊り上がり憎悪で燃え上がっている。常軌を逸しているな。

「妾のいう事は聞けぬと言うか! そなたは分からぬのか? 何時かあの女は陛下を惑わしあの小僧を今以上の地位に就けるであろう。そうなっては遅いという事がそなたには分からぬのか! それともあの女の味方をするというのか!」
胸を喘がせ息を切らしながら言い募った。

「味方? 誤解なさらぬように。宮中の諍いを軍に持ち込むなと言っております。先日の軍法会議をお忘れか? 軍に宮中の諍いを持ち込んだが故に多くの将兵が無意味に死にました」
「所詮は卑しい平民ではないか!」
俺も卑しい平民だよ。だがな、本当に卑しいのはお前らの心だろう。その顔を見て見ろ、心の卑しさが滲み出ている。

「貴族も処罰を受けましたよ、侯爵夫人。爵位を削られ領地を没収されました。それが貴族にとってどういう意味を持つか、お分かりでしょう」
「……」
なるほど、そうか。フレーゲルは失脚した。この女は宮中に協力者を失ったのだ。その代わりに選んだのがこの俺か、ラインハルトを元帥府に呼ばない事で仲が悪いと思ったのだ。馬鹿馬鹿しいにも程が有るな。

「宜しいか? 軍に宮中の諍いを持ち込むのはお止めいただきたい。警告はしました、では失礼させていただきます」
侯爵夫人が何か騒いでいたが気にせずに部屋を出た。一生その部屋に居ろ、ドアに御札を貼って封印してやる……。



「それで、どうなさったのです?」
「帝国軍三長官に報告しました。それとミューゼル少将にも連絡を。暫くは辺境に居ろ、念のため身辺に注意しろと伝えました」
「グリンメルスハウゼン元帥には」
「一応は」
「なるほど」
クレメンツが頷いている。そして俺を見た。

「では何を御考えなのです。問題はないと思いますが」
「余計な事をしたかなと。あの夫人の話に乗る者などいないでしょう。勝手に夢を見させておけば良い。それより下手に騒ぐと暴発するかもしれない、その方が危険だったかと思ったのです」
“うーん”とクレメンツが唸った。

「しかし大人しく夢を見ているでしょうか、夢と現実の区別がつかなくなるのも危険です。お話を伺うと侯爵夫人は夢を見ているというより現実が見えなくなっているようにも思えますが」
「……」
なるほどなあ。原作の暴発は周囲があの女をつつき回したから起きた、つつく奴が居なければ起きないと思ったんだが……。

「閣下の身辺警護を厳しくしましょう」
「今の警護で十分ですよ……」
「念のためです。リューネブルク中将にも協力してもらいます。それでなくても閣下は貴族達から恨みを買っているのです。軽視すべきではありません」
やれやれだな、溜息が出た。



宇宙暦796年 4月 15日    ハイネセン  統合作戦本部  ヤン・ウェンリー



「ヤン准将、ビュコック司令長官から話しは聞いた。イゼルローン要塞を攻略するか」
「はい、このままでは司令長官は弱いままです。宇宙艦隊を統率出来ないでしょう。それがどれだけ危険な事か」
「確かにそうだな」
私の言葉にシトレ本部長は苦い表情で頷いた。本部長室には私と本部長以外は誰も居ない。本部長は執務机に、そして私はその前で立っている。

前回の戦いは第十一艦隊司令官、ウィレム・ホーランド中将の命令違反により同盟軍は敗れた。それが無ければ勝てただろうという意見が軍内部では出ている。実際帝国軍でも命令違反としか思えない行動をしている艦隊が有ったのだ。ホーランド中将の馬鹿げた行動が無ければ勝てたと言うのは根拠のない意見では無い。

ビュコック司令長官の統率力が弱過ぎる、いやそれ以上に各艦隊司令官がビュコック司令長官の権威を認めようとしない、今後もそれが軍事行動に影響を与えるのではないかと宇宙艦隊司令部では危惧されている。そしてその危惧は宇宙艦隊司令部だけのものではない……。

「帝国では軍法会議が有ったそうだ。命令違反をした司令官二名は死刑になったらしい、それに関与した貴族も何名かが処罰を受けている」
「帝国では違反者が生きていました。だから処罰を下す事で権威を保てます。しかし同盟は……」
私が口籠ると本部長が後を続けた。

「ホーランド中将は戦死したからな、同盟軍はそれが出来んというわけだ」
「はい」
シトレ本部長の表情が益々苦いものになった。
「だからイゼルローン要塞を攻略する事でビュコック司令長官の権威を上げるか……」
「そうです、すでに準備は殆ど終わっています」
後は本部長の決断次第だ、それを言外に滲ませた。本部長が私を見て溜息を吐いた。

「ビュコック司令長官からは君の作戦案で攻略させて欲しいと要望が出ている。失敗すれば辞任する覚悟のようだ。司令長官である事の意味が無いと言っている」
「……」
「……失敗は許されん、良いね?」
「はい」



帝国暦 487年 5月 13日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「妙な事になりましたな」
「そうですね」
「随分と急な事ですが」
「全くです。余程に怒ったらしい」
元帥府の事務局長室でリューネブルクと二人、顔を見合わせた。

ベーネミュンデ侯爵夫人がオーディンから追い出される事になった。当初俺が帝国軍三長官に報告した時にはそんな事になる気配はまるで無かった。三人とも気でも狂ったかと言いたそうな顔だったからな。事実統帥本部総長シュタインホフ元帥はそれを口に出した、“馬鹿に付ける薬は無いな、放っておけ”。俺も全くの同感だ。

実際あの女が辺境に居るラインハルトを殺せる可能性は無かった。三長官が放置したのも間違いとは言えない。それにラインハルトを辺境に置いておく理由にもなる。馬鹿女が夢を見てトリップしているだけなら何の問題も無かった。鬱陶しくは有るが害は無いと判断したのだ。

ところが帝国軍三長官が国務尚書リヒテンラーデ侯に報告した辺りから雲行きが怪しくなったらしい。リヒテンラーデ侯は俺や帝国軍三長官と違いこの一件をかなり重視したのだ。その理由は例の馬鹿八人衆だ。あいつらの所為で軍は七十万人以上の死者を出した。そのほとんどが平民達だ。

クライスト、ヴァルテンベルクが死刑になったとは言え元はと言えば貴族達の余計な口出しが原因だ。平民達の間に貴族に対する不満が高まったと国務尚書が判断してもおかしくは無い。そんな彼にとってはこれ以上の貴族の不祥事は有ってはならない事だった。

ましてそれが皇帝の寵姫の争いとなればどうだろう、非難は直接皇帝に向けられかねない。国務尚書が最も恐れる事態の発生だ。国務尚書が侯爵夫人に注意を与えたのも無理は無かった。だがこれはあくまで注意だった、排斥では無かった。言ってみれば少し大人しくしろ、そんなところだっただろう。

ところが馬鹿女の方が過剰反応した。アンネローゼが国務尚書を動かした、自分を排斥しようとしていると思い込んだ、典型的な被害妄想だな。だが怒り狂った馬鹿女がアンネローゼを殺してやると騒ぐのを聞いて出入りの宮廷医、グレーザーが怯えた。正確に言えば耐えきれなくなった。何時か自分も捲き込まれるのではないか……、そうなれば一体自分はどうなるのか?

グレーザーは例の侯爵夫人が伯爵夫人を殺そうとしているという手紙を何人かの人物に送った。彼から見て侯爵夫人を止めてくれるだろうと思えた人物にだ。国務尚書、軍務尚書、統帥本部長、宇宙艦隊司令長官、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、そして俺。グレーザーはグリンメルスハウゼンには出さなかった。宮廷医にもグリンメルスハウゼンは頼りにならないと見えたらしい。やれやれだ。

事態は急激に動いた、俺が動く暇など全く無かった。警告を無視された国務尚書が誰よりも先に動いたのだ。皇帝の寵を失った寵姫など無用の長物、ひっそりと大人しく過ごすならともかく分をわきまえずに騒ぎ立てるとは何事か! 国務尚書にしてみればベーネミュンデ侯爵夫人は帝国の安泰を揺るがす反逆者に等しかった。その憎悪がもろに侯爵夫人に叩きつけられた。何時まで過去の幻影に縋りつくのか、現実を見ろ、そんな気持ちだっただろう。

直ちに領地に戻りその発展に努めるべし。それが彼女に与えられた皇帝の命令だった。それに先立ちオーディン、或いは周辺星域に有った彼女の荘園が全て取り上げられ代わりに辺境星域に新たに荘園が与えられた。事実上の流刑に等しい。頭を冷やせ、殺されぬだけましだと思え、そんなところだろう。

問題はあの馬鹿女が大人しく辺境に行くかだな。暴発してアンネローゼを襲わなければ良いんだが。ラインハルトが居ないからな、アンネローゼは無防備と言って良い。一応リヒテンラーデ侯には注意しておいた。キスリングにも言っておいたから問題はないと思うが……。全く何で俺がこんな事を心配しなくてはならんのか、馬鹿馬鹿しい。

そろそろ帰るか、資料を作っていたら今夜も九時を過ぎた。原作だとヤンのイゼルローン要塞攻防戦が始まる頃だ。だがこの世界ではアスターテ会戦が起きていない。つまりシトレの立場はそれほど悪くない、となると起きない可能性も有る。先日の戦いも損害だけで言えば帝国と同盟に大きな差が有るわけじゃない。起きるかな、どうも起きないんじゃないかと思うんだが……。

念のため注意喚起だけはしておこう。今じゃなくてもいずれは起きる可能性は有る。資料は出来ている、明日グリンメルスハウゼンに提出しその上で三長官に報告する……。紙に書いておかないとあの爺さんすぐ忘れるからな、おまけに呑み込みが悪い、困ったもんだ。


 

 

第二十話 返しすぎだ、馬鹿野郎!




帝国暦 487年 5月 18日  オーディン  帝国軍中央病院  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



身体が上手く動かない、もどかしい思いを覚えつつ目が覚めた。真っ白い天井が視界に入った。綺麗だ、天井が高い、なんともいえない開放感がある。此処は何処だ? グリンメルスハウゼンの元帥府ではない、俺の官舎でもない様だ。だが何処かで見た事があるような気がする、ここは……。いや、それ以前に俺の身体はどうなっている? ほとんど動かない、何が有った?

「閣下、目が覚めたのですか」
心配そうな女性の声だ。近寄ってきたのはヴァレリーだった。心無し目が赤い。右手にギブスが付けられているのが分かった。左手は? 左手は動く。
「まだ、動く事は出来ない筈です。大人しくしてください。今、元帥府に連絡を取ります」

ヴァレリーが俺に動くなと言うように身体を手で押さえてから部屋を出て行った。個室、多分病院だろう、少なくともホテルではない、あまりにも殺風景だ。何故俺はここに居る? 暫くするとヴァレリーが戻ってきた。
「ここは?」
「帝国軍中央病院です」
「帝国軍中央病院……」
やはりそうか、俺は怪我をして病院に居るらしい。しかも状況からするとかなり酷い怪我をしているようだ。

「一体何が有ったのです?」
「覚えていらっしゃいませんか?」
「確か元帥府から官舎まで車で送ってもらったと覚えていますが……」
「その途中で襲われたのです」
「襲われた?」

記憶にない。覚えているのは酷い衝撃が有った事だけだ。いきなりドアに叩きつけられたような感じがしたが、あれは事故じゃなかったのか……。その後を覚えていないという事は俺は気を失ったのか……。
「水を下さい」
「はい」
ヴァレリーが差し出してきた水差しを口に含み一口水を飲むと猛烈な渇きを感じた。二口、三口と水を飲む。飲む度に美味いと感じた。

水を飲んで一息ついた時だった。部屋に入ってきた人間が居た。目を向けると白衣を着ているのが見える。女性、医者のようだ。
「目が覚めたのですね、私はクラーラ・レーナルトと言います。閣下の担当医です。ご気分は如何ですか?」
「問題ありません。私は一体どういう状態なのです? かなりの怪我をしているようですが……」

レーナルト女医の表情が曇った。年の頃は三十代半ばだろうか、余り背は高くない。美人というよりは可愛らしい感じの女性だ。髪は茶色、目は優しそうな明るい青だった。彼女がちょっと困ったような表情をしてヴァレリーに視線を向けた。ヴァレリーが頷くと彼女も頷いた。

「事件の詳細はフィッツシモンズ中佐にお聞きください。閣下は地上車の後部座席、右側に座っておられました。T字路で閣下の地上車に左側面から別な地上車がかなりの勢いで突っ込んだのです。閣下の地上車の左側面は大きく凹みました。そして右側面は壁に押し付けられこちらも凹んだのです。閣下の御怪我は右側に集中しています」
なるほど、ギブスも右側だ。待て、左側にはリューネブルクが居たはずだ、奴はどうなった?

「状態は良くありません」
「それは死にかけているという事ですか?」
「いいえ、そうでは有りません」
「では軍には戻れないと?」
「いいえ、それも有りません。怪我が治れば軍への復帰は問題ありません」
「ならば問題は有りません。続けてください」
リューネブルクも怪我をしてるのかな、多分そうだろう。看護婦に手を出すんじゃないぞ。

「右肩を骨折、そして下腕部を複雑骨折しています。残念ですが下腕部の複雑骨折は治っても以前の様に重いものは持てなくなると思います」
「問題ありません、元々重いものなど持った事は有りませんから」
レーナルト女医がまた困ったような表情をした。やせ我慢とでも思ったか。だが俺の言葉に嘘はない、ペンとナイフとフォークが持てれば十分だ。俺は肉体労働者じゃない。

「それと閣下の右足首から先は失われました」
「失われた?」
「前部座席に挟まれ抜けなくなったそうです。そのため已むを得ず切断したと聞いています」
腕の無い軍人や足の無い軍人は幾らでもいる。俺もそれの仲間入りという事だ。今更驚く様な事じゃない。

「痛みが有りませんが?」
「痛み止めを閣下に投与しています。今果義足を用意しています。後五日ほどで出来上がるでしょう。それと右大腿骨骨幹部を骨折していましたので手術で対応しました。今閣下の右足には髄内釘が入っています。今後快癒しても歩行に多少の不自由を感じるかもしれません」
「分かりました」

良く分からんが右足の太腿の骨が折れた、だから何かを入れてくっつけてるって事だろう。こいつも問題ない、宇宙艦隊総参謀長が旗艦の中をうろうろ歩き回るようでは負け戦だ。俺は負けないように頑張ればいいだけだ。簡単だな、言葉にすると。実際に行うのは至難の業だが。

「他には?」
「右側の肋骨が三本折れています。そのうち一本が肺に突き刺さりました。そのためかなり危険な状況になりました。足首の切断を躊躇えば危ないところだったと思います」
やれやれだな、どうやら本当に死にかけたらしい。

「他には?」
何が来ても驚かんぞ、そう思ったがレーナルト女医は首を横に振った。
「有りません、それだけです」
「どのくらいで退院できますか」
俺が問い掛けるとレーナルト女医が少し考えるそぶりを見せた。

「入院そのものは一カ月ほどになります。ただ退院後もリハビリに通っていただかねばなりません。大体それが一カ月とお考えください」
「分かりました」
二カ月か、ちょっとかかるな。それにしても随分と派手に痛めつけられたものだ。誰がやったのかは分からんがきっちりとお返しはさせてもらう。いかん、もう一つ訊くのを忘れていた。

「今日は何日です?」
「今日は十八日です」
「十八日……」
俺が負傷したのは十三日、今日で五日目か……。五日間、何が有った?

レーナルト女医が安静にするようにと言って部屋を出て行くと入れ替わりにクレメンツ、ミュラーが入って来た。二人とも心配そうな表情をしている。
「気が付かれましたか、心配しました。皆が来たがったのですが大勢で押し掛けては御迷惑かと思い私達だけできました」
「済みません、心配をかけたようです。一体何が有ったのです」

クレメンツがヴァレリーに視線を向けるとヴァレリーが首を横に振った。“話してないのか”、“話していません”、そんな感じだな。
「閣下を襲ったのはベーネミュンデ侯爵夫人の意を受けた者達です。彼女は今回の一件の背後に閣下が居ると思ったようです。閣下が国務尚書を動かしたと思った……」
「馬鹿な……」
有り得ない、あの女なら背後に居るのはアンネローゼだと思うはずだ。それが何故俺になる?

「それで侯爵夫人は如何しました?」
クレメンツとミュラーが顔を見合わせた。
「自殺しました。飲み物に毒を入れて……、服毒自殺だと思われます」
「違う、自殺じゃない……」

あの女が自殺などするはずが無い。自殺とは罪を認めるか絶望した者がとる行為だ。あの女は自分が被害者だと信じていた、罪など認めるはずが無い。そしてアンネローゼが居なくなればフリードリヒ四世は自分の所に戻って来ると信じていたのだ。絶望などするはずが無い。

「殺されたと?」
「そうだよ、ナイトハルト。彼女の狙いはグリューネワルト伯爵夫人だったはずだ。それを私にすり替えた人間が居る。その人物が侯爵夫人を殺した。多分屋敷の誰かを買収して飲み物に毒を入れさせた。そんなところの筈だ」
誰だ? 馬鹿八人衆か? 或いはブラウンシュバイク公? 他の貴族の線も有るな、随分と手際よくやったものだ。余程俺を殺したかったらしい。

「確かに捜査に当たった憲兵隊の話では幾つか不審な点が有るそうですが……」
「ギュンターを、いやキスリング中佐を呼びますか?」
「いや、今の私は動けない。暫くは向こうの芝居に付き合うしかない。他言はしないでください」
クレメンツとミュラーが頷いた。

「他には?」
「……イゼルローン要塞が落ちました」
「いつです」
「十六日です。侯爵夫人の事件の所為で軍は混乱しました。小官はあれを十四日には上に出したのですが……」
クレメンツが首を横に振った。

「後回しにされたのですね」
「はい……」
一つ躓くと全てが駄目になるという事だな。ヤンが動いたか……、となると問題は帝国領出兵が有るかどうかだ。宇宙艦隊の編成が急務になるな。どうにかしないと、それなのに俺は動けない……。

「その責任を取ってミュッケンベルガー元帥が辞任しました」
「……後任は?」
「グリンメルスハウゼン元帥です」
溜息が出た。そんな俺をクレメンツとミュラーが辛そうな表情で見ている。溜息も自由に出来なくなったか……。

「ところでリューネブルク中将は如何しました?」
俺の問い掛けにクレメンツとミュラーがヴァレリーを見た。ヴァレリーは俯いている。
「話していないのか、中佐」
「申し訳ありません、ミュラー提督」
まさかな、確かに酷い衝撃だったが衝突事故だ、死ぬなんて事は無い筈だ。

「どういう事です、彼は何処にいるのです?」
「……リューネブルク中将は死にました」
クレメンツが俺に答えた。
「馬鹿な、所詮は衝突事故でしょう。私だって生きている」

「それだけでは有りません。衝突の後、動かなくなった地上車に連中は銃撃を加えたのです。後から付いて来た護衛が直ぐに連中を追い払ったので僅かな時間でしたが……」
「……」
気付かなかった、いや俺には記憶が無い。失神していたからか……。

「リューネブルク中将自身、衝突の衝撃で足を骨折していました。外に出て敵を追い払うことは出来なかった。それでとっさに閣下を庇って……。その御蔭で閣下は奇跡的に無傷だったのです」
「馬鹿な……」

馬鹿野郎、リューネブルクの大馬鹿野郎。大方借りがあるとか詰まらない事を考えていたんだろう。返し過ぎだ、その所為で今度は俺の方が借りを作ってしまった。それなのにどうやって返せばいいのか俺にはさっぱり分からん。どうして皆俺が困るような事ばかりするのか、リューネブルクの大馬鹿野郎!



帝国暦 487年 5月 18日  オーディン  帝国軍中央病院  アルベルト・クレメンツ



部屋を辞去して廊下を歩いていると沈痛な表情でミュラーが話しかけてきた。
「平静を装っていましたが総参謀長にはかなりのショックだったようです」
「そうだな」
フィッツシモンズ中佐は病室に泊まってゆく。今夜は彼を一人にしない方が良いだろう。

「ミュラー、例の侯爵夫人の一件、キスリング中佐に報せておけ。閣下の疑念の真実を確認させるんだ」
「宜しいのですか? 総参謀長は今は動けないと言っていましたが」
「このままでは真実が闇に埋もれかねん。極秘にだぞ、卿がキスリング中佐に話す事も彼がその真実を確認する事も、誰にも知られてはいかん」
「はい」

暫く歩くとまたミュラーが話しかけてきた。
「オフレッサー装甲擲弾兵総監の事、お聞きになりましたか?」
「いや、何かあったか」
「リューネブルク中将の装甲擲弾兵第二十一師団を自分の子飼いの部下に与えたようです。軍務尚書に直に頼んだとか」
「……」

ミュラーが俺の顔を見ている。
「まさかとは思いますが……」
「この一件に絡んでいると?」
「装甲擲弾兵総監は総参謀長の事もリューネブルク中将の事も好んではいません」
「……」

「今後、総参謀長が戦場に出続ければリューネブルク中将も戦場に出る事になる。当然武勲を上げるでしょう、昇進もする。自分の競争相手になる、そう思ったとしたら……」
「……或いはそう囁いた人物がいるか」
「はい」
「そのこともキスリングには伝えておけ」
「はい」

厄介な事になった。何処を見ても敵だらけだ。そして帝国の状況は僅か五日の間に驚くほど不安定になってしまった。前回の戦い以来平民達の間には貴族に対する大きな不満がくすぶっている。そんな時に今回の事件が起きた。ベーネミュンデ侯爵夫人の馬鹿げた嫉妬から総参謀長が重傷を負った。多くの平民達が皇帝に対して寵姫一人抑えられずに平民出身の総参謀長を危険な目に遭わせた愚か者、そう思っている。

そしてイゼルローン要塞が陥落した。総参謀長が無事だったら防げた可能性は十分に有った。今はまだ軍の一部、グリンメルスハウゼン元帥府でのみ囁かれているがいずれは皆が知ることになるだろう。そうなれば帝国の安全保障そのものに大きな損害を与えたと非難されることになるのは必定だ。

国務尚書がどう出るか……、全てが国務尚書にとっては裏目に出た。当然だが何らかの手で平民達の不満を払拭しようと図るはずだ。当然だがこちらを利用しようとするに違いない。一体どんな手を使ってくるのか……、帝国の内も外も敵ばかりだ、厄介な事になった……。


 

 

第二十一話 さっさと片付けてこい!




帝国暦 487年 5月 28日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲)  オスカー・フォン・ロイエンタール



「順調に回復しているそうだ」
「そうでなければ困る。これで閣下に何か有ったら宇宙艦隊はぼろぼろだ」
「全くだ。それにしてもキナ臭くなってきたな」
「そうだな」
俺とミッターマイヤーは互いに顔を見合わせて頷いた。

ゼーアドラー(海鷲)には大勢の客が居た。だが賑わっているという雰囲気ではない。皆が周囲を憚るようにしている。顔を寄せ合い小声で話し合う姿が目立つのだ。そうなったのは総参謀長が負傷してからだ。既に二週間が経ったが周囲を憚るような雰囲気は日に日に強くなっている。

「あの噂は本当かな? 如何思う、ロイエンタール」
「さあ、何とも言えん。有り得ない話ではないと思うが……」
「このまま有耶無耶という事かな」
「有耶無耶じゃないさ、一応侯爵夫人の暴走という事で片付いている」
「まあ、そうだが」
ミッターマイヤーが不満そうな表情で一口グラスを呷った。

総参謀長襲撃事件はベーネミュンデ侯爵夫人の暴走という事で決着が着いた。侯爵夫人は自殺、襲撃犯はその殆どが警察に捕まり犯行を自供している。それによれば彼らは金で雇われたらしい。彼らには協力者が居た事も分かっている。それらの人間は捕まっていない……。

襲撃のターゲットは当初はグリューネワルト伯爵夫人だった。だが急遽、総参謀長に切り替えられたという。その命令は協力者から侯爵夫人の命令だと伝えられたらしい。襲撃の手順はその協力者の手で整えられた。実行者達はその手順通りに行ったと供述しているようだ。

侯爵夫人は自分を排斥しようとしているのがグリューネワルト伯爵夫人だと思い殺そうとした。しかし警備の厳しい伯爵夫人を殺すのは容易ではないと思い急遽彼女の協力者である総参謀長に標的を変えた、そう警察は考えているようだがオーディンでは侯爵夫人は利用されたのではないか、そういう疑惑が流れている。

グリューネワルト伯爵夫人と総参謀長が協力関係にあるなどと荒唐無稽としか言いようがない(この点については警察も侯爵夫人の思い込みだろうと判断している)し、標的が急遽変わったと言うのもいかにも怪しい。寵姫同士の争いを何者かが利用したのではないか、そういう噂が流れているのだ。

フレーゲル、シャイド達爵位を失った貴族達、或いはそれにブラウンシュバイク公も関与したのではないか? 或いは他に総参謀長を邪魔だと思う貴族が居たのか? 平民である総参謀長が軍の実力者になっていくのを面白く無いと感じている人間は貴族だけではない、軍内部にも真犯人が居る可能性は有る。そして侯爵夫人を自殺に見せかけて殺す事で罪を擦り付けた……。

「イゼルローン要塞が落ちた。本来なら帝国軍三長官が辞任してもおかしくは無かった。まして総参謀長があんな目に合わなければ要塞は落ちなかった可能性が有る。軍上層部の失態は明らかだろう。だが辞任したのはミュッケンベルガー元帥だけだ。あれで責任を取ったと言えるのか?」
「そうだな」

ミッターマイヤーの言う通りだ。ミュッケンベルガー元帥が責任を取って辞任したとはいえ内実は心臓に疾患が見つかったため辞任した事が分かっている。本来なら貴族達が他の二人の辞任を求めて騒いでもおかしくはない。だがそれが無い、或いは政府上層部、貴族達の間で密かな取引が有ったのではないか、そう思わせる曖昧さが有る。

「皆、不満を持っている。平民だけが何故酷い目に合うのかと。実際にこの国を守っているのは俺達の筈だと」
「下級貴族も変わらんさ。お偉いさんからはまるで相手にされていない」
「卿が言うと実感がこもっているな」
「からかうな、ミッターマイヤー」
一口ワインを飲んだ。どうにも苦みを感じる。心の底から美味いと感じられない。

「いずれ反乱軍が攻め寄せてくるぞ、それなのにこの状態で戦えるのか?」
「全くだ、宇宙艦隊もまだ編成途上だ。今のままでは到底戦えん」
「総参謀長閣下はどう考えているのかな?」
「さて、俺にも分からんな」

分かっている事は貴族達が宇宙艦隊の司令官職に自分達の息のかかった人物を就けようとしたこと、そしてそれを総参謀長が防いだことだ。グリンメルスハウゼン老人なら容易く操れると思ったらしい、姑息な事を。そしてもう一つはメルカッツ大将がグリンメルスハウゼン元帥府に加わる事になった事だ。ミュッケンベルガー元帥が退役した事で遠慮がいらなくなったという事だろう。

だが現時点では宇宙艦隊は六個艦隊しか編成されていない、グリンメルスハウゼン元帥の直率艦隊を入れても七個艦隊だ。ミッターマイヤーの言う通り不安は有る。果たして総参謀長は如何するつもりなのか……

「良いニュースと言えばカストロプ公が死んだことくらいだな。あの男が死んで少しは政治も良くなるだろう」
「そうだな」
汚職政治家の宇宙船での事故死か……。さて本当に事故なのか、疑えばきりがないが怪しくは有るな……。



帝国暦 487年 5月 30日  オーディン  帝国軍中央病院  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「それでカストロプ公爵家はどうなりました」
「マクシミリアンのカストロプ公爵家相続が延期になったそうです。帝国政府は財務省の調査が終了した時点で先代カストロプ公が不当に取得した分を除いて相続を認めるとか」
ベッドに横になっているヴァレンシュタイン総参謀長がクレメンツ提督の言葉に頷いた。

財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵が宇宙船の事故で死んだ。十五年近く財務尚書を務めたらしいけど酷い汚職政治家らしい。他の同僚からも嫌われていたらしいから相当なものよ。不当に蓄財した分を返して貰おうという事らしいけどそんな上手く行くのかしら。

「平民達の間で不満が高まっています。国務尚書もその不満を解消しようと大変のようです。事故死というのも怪しいものですな」
クレメンツ提督が冷たく笑った。ちょっと怖い。
「資産調査など貴族にとっては屈辱でしかありません。マクシミリアンが素直に従うかどうか、見物ですね。もっとも従わなければ反逆という事になるでしょうが」
拙い、こっちのが怖かった。そんなしらっとした表情で怖いこと言わないでください。

「国務尚書はそのあたりも考慮済みでしょう。評判の悪いカストロプ公爵家が潰れれば平民達の不満もかなり解消される、そう考えているのかもしれませんな」
「財政的にも大きいでしょう、大分貯め込んでいますからね。接収できればちょっとした臨時収入です。多少の減税が出来るかもしれない。平民達は喜ぶでしょう」
あらあら、この人、軍事だけじゃないの? そっちも分かるわけ? とんでもないわね、溜息が出そうよ。

「なるほど、となると国務尚書の狙いは資産の返還よりもカストロプ公爵家の取り潰し、閣下はそうお考えですか」
総参謀長が頷いた。という事は事故死と言うのは……、怖い話だわ、私は帝国の暗黒部を見ている……。

「その方が他の貴族に対する見せしめにもなります。カストロプ公爵家を存続させるメリットなど何処にも有りません」
平静な表情と口調だ。冷徹、若いけどこの人には冷徹と言う言葉が似合うと思う。でも非情ではない、そう思いたい……。

「では反乱が起きますな」
「これを機に二個艦隊程新たに編成します。そうなれば取りあえず九個艦隊が動員可能になる。反乱軍が攻め寄せて来ても対処できるでしょう」
クレメンツ提督が頷いた。

「動員計画は私とフィッツシモンズ中佐で作ります。クレメンツ提督はカストロプの軍事力について調べて下さい」
「分かりました」
二人の話はそれで終わり元帥府に戻るクレメンツ提督を病院の出口まで見送る事にした。

「どうかな、閣下の様子は。大分良さそうに見えたが」
「表面上は良さそうに見えます。リハビリも熱心にしていますし……」
「……気になる事でも?」
「時々じっと何かを考えています。そして笑みを浮かべるのですが……、怖いと思います」
「そうか……」
クレメンツ提督が溜息を吐いた。

「帝国は今、内憂と外患に揺れている。どちらも軍の動きが大きな意味を持つだろう。司令長官がグリンメルスハウゼン元帥である以上、総参謀長である閣下が何を考えるかが重要になって来るはずだ。周囲がそれをどう思うか……」
「不安に思うと?」
私が問い掛けるとクレメンツ提督が頷いた。

「宮中はもちろんだが政府も軍も上層部は貴族だ。平民出身の閣下を快くは思っていない。これまではミュッケンベルガー元帥が居たから閣下の事をそれほど恐れなかった。だが今は違う、宇宙艦隊は閣下の掌握下にある。本来なら総参謀長職から解任したいだろうが……」
「出来ないのですね」
クレメンツ提督が“そうだ”と言ってまた溜息を吐いた。

「イゼルローン要塞が陥落した。閣下がその危険性を指摘したにもかかわらず宮中の混乱により対応が遅れた所為だ。この状態で閣下を解任するなど到底できない。一つ間違えば軍に暴動が起きるだろう」
「……」

「それだけに閣下の動向は皆が注目している。自重して頂きたいのだが……」
今度は私が溜息を吐いた、到底可能だとは思えない。あの日、閣下が目覚めた日の夜、閣下は静かに泣いていた。ほんの微かだけど嗚咽が聞こえた。そして“あのクズ共を絶対許さない”そう呟く声が聞こえたのだから……。



帝国暦 487年 6月 28日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  アルベルト・クレメンツ



元帥府の会議室に何人かの男達が集まった。メルカッツ大将、レンネンカンプ中将、ミッターマイヤー中将、ケンプ少将、ケスラー少将、そして俺。命令伝達者はメルカッツ提督と俺、命令受領者がレンネンカンプ、ミッターマイヤー、ケンプ、ケスラーになる。

「既に知っていると思うがカストロプの反乱を鎮圧せよとグリンメルスハウゼン元帥府に勅令が下った」
メルカッツ大将の言葉に命令受領者四人が頷いた。
「この勅令にヴァレンシュタイン総参謀長閣下はケスラー少将を司令官、ケンプ少将を副司令官とする討伐軍を編成すると決定した」

四人が驚いたように顔を見合わせた。ややあってレンネンカンプ中将が口を開いた。
「宜しいでしょうか?」
「何かな?」
「マクシミリアン・フォン・カストロプは難攻不落と言われるアルテミスの首飾りをもって自領を固めています。二人の能力を危ぶむわけではありませんが混成軍では危険ではありますまいか。正規艦隊をもって討伐に当たらせるべきかと愚考します。再度の御検討を総参謀長閣下にお願いするべきかと」

レンネンカンプ中将の言葉に他の三人が頷いている。それを見てメルカッツ大将が手に持っていた書類をレンネンカンプ中将に差し出した。
「作戦計画書だ、見たまえ」
一瞬戸惑ったが“失礼します”と言って中将は作戦計画書を受け取った。

作戦計画書をめくるにつれレンネンカンプ中将の顔に驚愕が浮かんだ。そして読み終わると大きく息を吐いた。中将の顔には畏怖の色が有る。訝しげにしているミッターマイヤー中将に気付くと無言で計画書を差し出した。受け取ったミッターマイヤー中将は読み始めると“これは!”と驚きを声に出した。そして私達を、次にレンネンカンプ中将を見ると何も言わずにケスラー少将に作戦計画書を渡した。

ケスラー少将、ケンプ少将も似た様な反応を示した。無理もない、俺もメルカッツ大将も同じような反応をした……。
「質問は有るかね」
メルカッツ大将の問い掛けに皆無言だった。
「ではケスラー少将、ケンプ少将、準備にかかってくれ。卿らが武勲を上げる事を祈っている」
「はっ」

「待て」
敬礼して出て行こうとする四人を呼び止めた。
「ケスラー少将、ケンプ少将、十日で片付けろとのことだ」
「……」
誰がとは言わなかった。言わなくても分かる事だ。

「手間取ることは許されない。反乱鎮圧後、卿らは正規艦隊司令官になる。イゼルローン要塞が陥落した以上、反乱軍が帝国領に攻め入るのは時間の問題だ。我々は早急に宇宙艦隊を整備する必要が有る、分かるな?」
四人が頷いた。

「卿らが正規艦隊司令官になれば宇宙艦隊は九個艦隊の動員が可能だ。本来の半数だが反乱軍の撃退は十分可能だろう。卿らの凱旋を待っている」
「はっ」
改めて敬礼すると会議室を出て行った。

「驚いていたな」
「まあそうでしょう、私達も驚きました」
「そうだな、……それにしてもあの時のヴァレンシュタイン少佐が宇宙艦隊総参謀長か……。あっという間だな、クレメンツ提督」
「まことに」
メルカッツ大将が感慨深げな表情をしている。確かにそうだ、アルレスハイムから僅か三年半しか経っていない。

「いささか心配だな」
「メルカッツ提督もそう思われますか」
「うむ、実力が有るのは良い。だが有り過ぎる平民など帝国では疎まれるだけだ。それにあの作戦案、皆が不安に思うだろうな」
メルカッツ大将が厳しい表情をしている。

「イゼルローン要塞が奪われ反乱軍が何時押し寄せるか分からない状況です。カストロプはオーディンに近い、早期鎮圧が必要な以上あの作戦は已むを得ません。それに帝国は総参謀長を必要としていると思いますが」
「そうだな、それが救いだ。皮肉だが反乱軍の存在が総参謀長の安全を保障していると言えるだろう」
その通りだ、皮肉だが反乱軍の存在が彼の安全を保障している。危うい均衡と言って良いだろう。問題はその均衡が崩れた時だ、その時は……。溜息が出た。


 

 

第二十二話 俺にも矜持という物が有る


帝国暦 487年 7月 4日  オーディン  新無憂宮   エーレンベルク軍務尚書



「ではもう鎮圧したと?」
「はい」
「信じられぬ」
国務尚書リヒテンラーデ侯が首を振って呻くように呟いた。気持は分かる、報告している私自身信じられぬ思いが有る。同席しているシュタインホフ元帥も同様だろう。

「オーディンを発ったのは今月の一日だったはず。僅か四日ではないか、四日でアルテミスの首飾り(あれ)を攻略したと言うのか」
「いえ、攻略それ自体は半日もかかっていないようです。残りは移動時間ですな」
「……」
シュタインホフ元帥の答えに国務尚書が沈黙した。国務尚書リヒテンラーデ侯の執務室に重苦しい沈黙が落ちた。

「マクシミリアン・フォン・カストロプは領民達に殺されたそうです。余程に恨みを買っていたと見えます。父親が父親なら息子も息子ですな……」
私の言葉に国務尚書が面白くなさそうな表情をした。
「領民達が領主を殺したと言うのか……、自業自得とはいえ面白くないの、喜べることではない」
まあ確かにそうだ。貴族にとっては面白い話では無い。だがもっと面白くない話をしなくてはならない。

「討伐軍が戻ってくるのは大体十日頃になるでしょう、如何します?」
「どういう意味かな、軍務尚書」
「彼らの昇進は当然ですが作戦案を考えたのはヴァレンシュタインです。どう酬いるかとお尋ねしています」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。

「損害はどの程度なのかな? それ次第だが……」
「損害は有りません」
「有りません? 無いのか! 統帥本部総長」
「はい」
「あれは反乱軍が難攻不落と称しているのだぞ、それを無傷で……」
国務尚書が目を見開いて絶句した。それを見てシュタインホフ元帥が溜息を吐いた。

「信じられぬ事ですが事実です。統帥本部では当代無双の名将と言う声が上がっております」
「軍務省も同様だ」
「おそらくは宮中でも同じような声が上がるであろうな」
皆が顔を見合わせた。いささか厄介な状況になりつつある。その事が反乱鎮圧を素直に喜べなくしている。イゼルローン要塞が陥落した以上国内の騒乱の鎮圧は何よりも喜ばしい事の筈だが……。

「本来なら昇進ですがそうなれば初の平民からの元帥という事になりますな」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。
「それは認められぬ。それを認めればブラウンシュバイク公をはじめとする貴族達の反発が酷かろう。混乱が激化しかねん」

「では勲章ですかな、或いは思い切って貴族にするか……」
「勲章だ、貴族にするのも反発が有る」
「帝国騎士でも反発が生じますか」
「あの馬鹿共と同じになるのだぞ、軍務尚書。反発が無い筈が無かろう!」
眉を顰め吐き捨てる様な口調だった。なるほど帝国騎士ではフレーゲル、シャイドと同列になるか……、騒ぎ立てるのは必定だな。

「それより宇宙艦隊は大丈夫なのか? イゼルローン要塞が無くなった今、帝国領内での戦いは必至じゃが艦隊の半分以上は司令官が決まっていないと聞いているが」
国務尚書が心配そうな表情で私達を交互に見た。シュタインホフ元帥と顔を見合わせた。彼が頷くと国務尚書に視線を戻し問いに答えた。

「まあ今回の昇進で最低でも二人は艦隊司令官にするでしょう。そうなれば九個艦隊は動員可能です」
「ふむ、九個艦隊か……、大丈夫か、平民と下級貴族ばかりだが……」
「実力本位で選んだと言っておりますな」
シュタインホフ元帥の答えに国務尚書がまた顔を顰めた。

「貴族には使える者はおらんのか」
「まあ、そう判断されても仕方のない所は有ります」
“役に立たぬの”と国務尚書が吐き捨てた。実際、役に立たぬのが多い。筆頭はグリンメルスハウゼンだ。

「あの若者、妙な事は考えておるまいな?」
「と言いますと?」
「軍の力を使って帝国の実権を握ろうとか……」
またシュタインホフ元帥と顔を見合わせた。今度は私が頷く。

「大丈夫だと思います。確かに貴族嫌いではありますがあれはどちらかと言えば生真面目な男でしょう、政治的な事には関わろうとしません。と言うより政治や貴族が軍に介入する事を酷く嫌っております。グリンメルスハウゼンの件では随分と苦労しておりますからな。その所為で少々危険視されるのでしょう」
「なら良いが……」

「反乱軍はいずれ攻め寄せて来る事は間違いありません。これからは帝国領内での戦いになるのです、負ける事は許されません」
「軍務尚書の言う通りです、その時にはヴァレンシュタインの力がどうしても必要です」
「分かっている、あれが勝てる男だということはな」
国務尚書が溜息を吐いた。少し話を変えるか。

「最近は如何ですかな、宮中の様子は」
私が問い掛けるとリヒテンラーデ侯が面白くなさそうにジロリとこちらを見た。
「グリューネワルト伯爵夫人を責める声が大きいわ」
意味深な言葉だ、シュタインホフ元帥に視線を向けた。彼は眉を寄せている。

「伯爵夫人に罪は無い、しかしベーネミュンデ侯爵夫人は死んでいるからの、これ以上は責めようがない。となれば必然的に非難は彼女に向かおう」
「……」
あの馬鹿げた騒動の所為で軍の重鎮が負傷しイゼルローン要塞が陥落した。本来なら侯爵夫人を何時までも放置した皇帝こそが責められるべきだろう。だがそれを言う事は出来ない、国務尚書の言う通り必然的に非難は伯爵夫人に向かう。強力な後ろ盾を持たぬ以上、非難を受けやすいという事も有る。

「宮中にも居辛かろう」
「では?」
「そうじゃの、陛下にも多少は責めを負うて貰わなければ……、これだけの大事になったのだからな。……ふむ、それも有るか」
そう言うと国務尚書は何かを考え始めた。



帝国暦 487年 7月 12日  オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



久しぶりに元帥府に出仕した。医者の話ではもう少しリハビリを続けなければならないらしい。リハビリのために週に二回、軍中央病院に来るようにと言われた。だが残りの五日は仕事に出るか休息を取るかは自分で決めて良いそうだ。疲れが出ない程度に仕事をしろと言われた。有難い話だ、リハビリはもう沢山だよ、あれをやると疲れて他の事は何もしたく無くなる。

俺が出仕するとグリンメルスハウゼンは大喜びだった。まあそうしていると憎めない爺さんなんだが……、それ以外は何の役にも立たん。頼むから退役して欲しいよ。何と言っても事務処理は全く出来ないんだ、おかげで決裁文書が病院まで押し掛けてきた。俺は右手を骨折してるんだぞ! 少しは労わってくれ。

今日はこれから新無憂宮で国務尚書に会うことになっている。理由はよく分からないんだが国務尚書の執務室に来てくれと言われた。あんまり嬉しくないんだよな、新無憂宮ってやたらと広いんだ。怪我をしている俺にはちょっときつい。義足にはようやく慣れた、最初は違和感が有ったが慣れればそれほどでもない。問題は折れた部分だ。杖を使っているがそれでも長時間歩く事が出来ない、痛みで動けなくなってしまうんだ。

元帥府から新無憂宮に行くまで、護衛の地上車が前後に十台以上並んで俺の乗る地上車を警備した。なんか大袈裟なような気がするんだけどな、実際に一度襲われているから文句は言えん。まあ俺が嫌がっても周囲がそれを許さない。クレメンツが怖い顔で睨むからな。

表には出さないが随分とクレメンツは参っているみたいだ。彼がリューネブルクに護衛を頼んだ、それがリューネブルクの死に繋がったと考えている。確かにそうだ、だがリューネブルクの死はクレメンツ一人が背負う物じゃない。誰よりも俺が背負うべきものだ。一人で背負うな、そう言ったんだけどな……。

多分俺とクレメンツはずっとリューネブルクの死を背負って行く事になるんだろう……。馬鹿げているよな、戦場ではもっと多くの将兵を死なせている。それなのにたった一人の死に拘るなんて……。でもこればかりはどうにもならない、どうにもならないんだ……。

新無憂宮に着いた。杖を突きながらゆっくりと歩く。何の用件かな、反乱鎮圧の恩賞の件かもしれない。勲章を授与すると言うから要らないと断ったんだが……。怪我してるから授与式なんて迷惑なんだ。ケスラー達を昇進させてくれれば十分だ。

ケスラーとケンプを正規艦隊司令官にした。艦隊の編成が終了次第辺境星域へ訓練に行くことになっている。ケスラー艦隊にはグローテヴォール少将を副司令官、グリューネマン少将、シュラー准将、ディッタースドルフ准将を分艦隊司令官として配属させた。

ケンプ艦隊にはアルトリンゲン少将を副司令官、ヴァーゲンザイル少将、マイフォーハー准将、ゾンネンフェルス准将が分艦隊司令官だ。そしてケスラー、ケンプを引き抜いたレンネンカンプ、ミッターマイヤー艦隊にはカルナップ准将、ザウケン准将、バイエルライン准将、ドロイゼン准将を補充した。まあまあだろう。

視線が鬱陶しいな。新無憂宮の廊下を歩く俺を皆が見ている。こうもじろじろ見られると休息を取り辛い。うんざりしていると正面から大柄な男が近づいてきた。背後には何人かの御供をつれている。
「おお、ヴァレンシュタイン上級大将。久しぶりだな、もう体の具合は良いのかな」
「見ての通り、杖を突きながらであれば歩く事が出来るようになりました。もっとも長い距離を歩くのは少々堪えます。ここへの呼び出しは出来れば遠慮したいものです」
俺の答えに大柄な男、ブラウンシュバイク公は痛ましそうな表情を見せた。周囲の視線が益々強まったな。皆興味津々か、好い気なもんだ。

「それにしてもカストロプの反乱の鎮圧は見事なものだ。まさに当代無双の名将だな、頼もしい事だ」
「有難うございます」
「卿なら反乱軍に奪われたイゼルローン要塞の奪回も容易いのではないかな」
「……」
唆す様な口調だ、思わず苦笑が漏れた。

「何が可笑しいのかな、ヴァレンシュタイン総参謀長」
「いえ、貴族の方々は人を唆す、失礼、人をその気にさせるのが上手だと思ったのです。これまで何人がその気にさせられたか……、そして失敗したか……」
「……」
ブラウンシュバイク公の表情が強張った。後ろの御供達もだ。思い当たるフシは幾らでもあるだろう。

「国務尚書閣下を待たせておりますのでこれにて失礼いたします」
「おお、そうか。気を付けて行くがよい」
「お気遣い有難うございます、公爵閣下」
「うむ」
ブラウンシュバイク公を置いて先を急いだ。背中に視線を感じる、何時かまとめて皆片付けてやるさ。何時かな……。

国務尚書の執務室に行くとリヒテンラーデ侯の他にも人がいた。ノイケルン宮内尚書だ、俺が執務室に入っても迷惑がるそぶりも帰る様子も無い。先客というわけではないらしい、俺を待っていたようだが一体何だ?
「済まぬの、ヴァレンシュタイン総参謀長。どうしても卿に来てもらわなければならぬ事が有った」
「……」

俺が無言で一礼すると国務尚書がノイケルン宮内尚書に視線を向けた。
「ヴァレンシュタイン総参謀長、今回の反乱鎮圧、まことに見事ですな、陛下も御喜びであられます」
「恐れ入ります」
ニコニコしながら言われても全然嬉しくない。こいつらの笑顔くらい信用できないものは無いのだ。

「近年、総参謀長の御働きにより帝国は内に外にその武威を輝かせております」
何の冗談だ、外はともかく内に武威を輝かす? 内乱鎮圧で忙しいなんて国家としては末期だろう。もう少し考えて喋れよ。リヒテンラーデ侯も顔を顰めているぞ。

「そこで陛下は総参謀長の御働きを嘉み、グリューネワルト伯爵夫人を総参謀長に遣わすと仰せられました」
「……遣わすとは一体……」
良く意味が分からん。不自由してるだろうから看護させるとでも言うのか? 問い掛けると宮内尚書はちょっともったいぶるそぶりを見せた。

「総参謀長に伯爵夫人を御下賜されるとの事です」
「……陛下の御寵愛の方を拝領する等怖れ多い事です、御辞退申し上げます」
何考えてるんだ、この馬鹿! ラインハルトと義理の兄弟になれってか? 元帥に出来ないからってそんなわけの分からん物を押付けるな!

「そう申されますな、お二人に御子が出来ればその子はグリューネワルト伯爵、貴族になるのです、喜ばしい事ではありませぬかな。それに伯爵夫人は豊かな所領をお持ちです」
ノイケルンが卑しい笑みを浮かべた。反吐が出そうな笑みだ。

「誤解なさらないで頂きたい、小官は平民に生まれた事を愧じてもいなければ悲しんでもいません。貴族に生まれたいと望んだことも無い。伯爵夫人がどれほど豊かな所領をお持ちなのかは知りませんが何の興味も有りません。御辞退申し上げると陛下にお伝えください」
言い終わってすっきりした。ノイケルンと国務尚書が鼻白んでいる、ざまあみろ。このクズ共が!

国務尚書がきまり悪そうに咳払いした。
「誤解してもらっては困る。宮内尚書は卿の出自を卑しんだわけではない。そうであろう?」
「も、もちろんです。そのようなつもりは有りません」
その割には品の無い笑顔だったがな。

「伯爵夫人を卿に下賜するというのは夫人を卿に託したいという陛下の願いなのだ。伯爵夫人本人も了承している」
なんだ、また妙な事を言いだしたな。
「例の一件で卿は重傷を負いイゼルローン要塞が奪われた。あの一件さえ無ければイゼルローン要塞の陥落は防げた事だ、違うかな?」
「否定はしません、その可能性は有ったと思います」
俺が肯定すると国務尚書が頷いた。

「あの一件、グリューネワルト伯爵夫人に罪はない、責められるべきはベーネミュンデ侯爵夫人であろう」
「……」
俺にはあの馬鹿女を放置した皇帝と刺激したあんたも責められるべきだと思えるけどね。

「しかしベーネミュンデ侯爵夫人が死んだ今、責められるべき者はおらん。だがイゼルローン要塞が失われた事で皆が不安を募らせている。誰かを悪者にして責めたい、その事で不安を紛らわせようとしているのだ」
「なるほど、生贄を欲しているという事ですか?」
「うむ」
沈痛な表情をしている、まあ真実かもしれんがその表情は芝居だろうな。

「本人が望んだわけではないがグリューネワルト伯爵夫人があの一件で利益を得た事は間違いない、あの小煩いベーネミュンデ侯爵夫人を自らの手を汚す事無く始末出来たのだからの。だがそれだけに周囲からは非難を一身に受ける事になった。悪い事に伯爵夫人には後ろ盾が無い、その事も非難に拍車をかけた……」
ノイケルンも頷いている。嘘では無いようだ、実際責め易い立場ではある。それにしても小煩いか……、本音が出たな、御老人。

国務尚書が口を噤むとノイケルンが後を続けた。
「このままいけばいずれは宮中において伯爵夫人を追放しろという声が上がるでしょうな。そうなっては陛下も夫人を庇いきれませぬ。言い辛い事ではありますが元はと言えば陛下の寵を争っての事、それを突かれれば陛下と言えども口を噤まざるを得ないのです。おそらく伯爵夫人は流罪に近い様な扱いを受ける事になりましょう。そのような事になれば陛下は面目を失する事になります」
元々面目なんて有るのかね、あの老人に。

「それ故陛下は卿に伯爵夫人を託すというのじゃ」
「……」
「卿はあの事件の被害者、皆は陛下からの卿に対する贖罪とみるであろう。そして卿は軍の実力者でもある、いずれ反乱軍が攻め寄せた時には卿がそれを打ち払う、そうなれば誰も伯爵夫人を責める事は出来ぬ筈じゃ」

なるほどな、このままではフリードリヒ四世にまで非難が及ぶ。国務尚書はアンネローゼが邪魔になったか。フリードリヒ四世が俺に託したと言うのは嘘だな、真実は国務尚書が皇帝を説得した、皇帝はそれを拒否できなかった、そんなところだろう。だとするとこの話を拒否するのは無理だろうな、だいたい皇帝から寵姫の下賜というのは名誉なのだ。ここまで言われては拒否は出来ない……。だがな、俺にも矜持という物が有るのだよ、平民の矜持がな。お前達がそれを踏み躙る事は許さない。

「分かりました、有難くお受けいたします」
「おお、そうか」
「ですが、条件が有ります」
「……」
喜んだのも束の間、国務尚書の顔が疑い深い表情になった。

「グリューネワルト伯爵夫人が爵位、所領など陛下から頂いたものを全て返上する事、その上でならお受けいたします」
「……」
「夫人への周囲の非難も止みましょうし、何より夫よりも妻の方が財力が有るなど御免です。不和の原因以外の何物でも無い。そうでは有りませんか?」

俺の言葉に国務尚書とノイケルン宮内尚書が顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
「なるほどの、確かにその通りじゃ。宮内尚書、伯爵夫人を説得してくれんか」
「私がですか? これはまた厄介な……」
ノイケルン宮内尚書が顔を顰めた。

「幸い伯爵夫人は物欲は強くない、何とかなるであろう。何よりこのままでは惨めな未来が待つだけじゃ、その事は夫人も分かっておるはず」
「まあ、それはそうですが……」
「ではヴァレンシュタイン総参謀長、陛下には卿がお受けしたと御伝えするが良いかな」
「はっ、先程の条件が守られるのであれば」
「うむ」

やれやれだな、これでラインハルトと兄弟か……。それにしてもアンネローゼは俺の事を如何思っているのか……。心の内ではキルヒアイスの事を想っているのだろうしな。仮面の夫婦になりそうな予感がする。よくもまあ厄介事ばかり俺の所に集まるものだ、美しい妻を貰ったというのに少しも喜べない……。


 
 

 
後書き
主人公に癒しをと思って凄い美人と結婚させました。 

 

第二十三話 ガキの相手は御免だな



帝国暦 487年 7月 12日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



閣下が新無憂宮から帰って来た。歩くのが辛そう、急いで傍によって身体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「新無憂宮は広いですね、流石に疲れました。それに右手に力が入らない、疲れてくると杖を上手く使えないんです」
「お一人で行かれるからです、小官が一緒なら……」
「総参謀長が杖ならともかく、女性に支えられていては皆が不安に思うでしょう」

閣下が苦笑を浮かべている。本当は嘘だ、また襲撃されて私を巻き込むのを怖れているのだと思う。特に私の事はリューネブルク中将から預かったと閣下は思っている。それだけに過敏になっている。
「応接室に行きます、話したい事が有るのでクレメンツ提督を呼んで貰えますか。中佐も話しには加わってください」
「はい、分かりました」

閣下を応接室に押し込むと急いでクレメンツ提督を呼んだ。三分ほどでクレメンツ提督が現れたので一緒に応接室に入った。閣下はソファーに座り足を投げ出して右足の太腿の部分を摩っていた。痛々しい光景だ。私達が入室すると摩るのを止めた。クレメンツ提督がソファーに腰掛けながら尋ねた。
「お疲れのようですが大丈夫ですか?」
「ええ、新無憂宮は苦手です。やたらと広いんですから」
クレメンツ提督が頷いた。

「それでお話とは?」
「結婚する事になりました」
「ほう、それは目出度い。で、お相手は?」
「グリューネワルト伯爵夫人です」
クレメンツ提督が目を剥いた。私も吃驚、グリューネワルト伯爵夫人って皇帝の寵姫のはず、どういうこと? 冗談?

「真実(まこと)ですか?」
クレメンツ提督の問いかけに閣下が頷いた。本当なんだ、信じられないけどこんなことって有るんだ。
「例の一件で伯爵夫人は大分責められているようですね」
「そのような話は聞いております」
「国務尚書はその非難の矛先がこのままでは陛下に向くのではないかと恐れているようです」
クレメンツ提督が頷いた。

「つまり国務尚書はグリューネワルト伯爵夫人が邪魔になったと、そういうわけですか」
「そういうわけです」
溜息が出た。ちょっとそれ酷くない? さんざん弄んどいて邪魔になったから他の奴にくれてやるとか。女をなんだと思っているのよ。大体何で受けて来るの? 断れば良いじゃない。

「閣下、御断りする事は出来ないのですか?」
「一度は辞退したのですけどね、まあこのままでは伯爵夫人が宮中から排斥される、酷い目に遭うだろうと言うのですよ。これ以上は宮中には置いておく事は出来ないと」
そこまで酷いの? ベーネミュンデ侯爵夫人、グリューネワルト伯爵夫人、皇帝の寵姫も楽じゃないわね。また溜息が出た。

「中佐、中佐には分からんだろうが皇帝が寵姫を下賜するというのは臣下に対する信頼の証なのだ。断る事は出来ん」
クレメンツ提督に諭された。私が不満を持っていると思ったらしい。まあ理屈は分かるんだけど感情では納得出来ないのよ。ベーネミュンデ侯爵夫人もグリューネワルト伯爵夫人もちゃんと面倒見られないなら寵姫になんかするなって言うの。

「負傷した閣下に償え、そういう意味も有るのでしょう」
「それも有りますが平民に下賜されるのですからね、グリューネワルト伯爵夫人を快く思っていない人達にとっては溜飲の下がる思いでしょう」
「なるほど、不満を散らそうというのですな」
「そうだと思います。そして寵姫を下賜するのだからしっかり帝国を守れという事でしょう」
クレメンツ提督が何度か頷いた。

「伯爵夫人を妻とされますか……」
「もう伯爵夫人では有りませんよ」
「というと?」
「迎え入れる条件として爵位、領地など陛下から頂いたものを返上する事を約束させましたから」
え? ビックリ。クレメンツ提督も目を見開いている。閣下が悪戯っぽい表情で笑い声を上げた。

「今では無一文に近いかもしれませんね」
「それは……」
クレメンツ提督が絶句してから苦笑を浮かべた。そんな幾らなんでも無一文は酷い、そう言おうとした時だった。

「私は平民である事に満足しているんです。あんな馬鹿共と一緒にして欲しく無いですね。爵位とか領地などで懐柔される等と思われたくない。私の息子がグリューネワルト伯爵になる? だから喜べ? 愚劣にも程が有る!」
もう閣下は笑っていなかった。見えたのは抑え切れない怒気。応接室の空気が一気に重くなった。

どれほどの時間が経ったのか、閣下がすっと怒気を収めた。
「私は疲れましたので今日は帰らせて貰います」
「分かりました」
「明日はリハビリに行きますから次に元帥府に来るのは明後日になります。何か有りますか?」

「面会希望者が一人います。パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐、出来るだけ早くお会いしたいと」
「パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐? 中佐、それは……」
「はい、例の敵前逃亡者です」

クレメンツ提督が驚いた様な声を出した。気持は分かる、私も彼が訪ねてきた時は驚いた。パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐、イゼルローン駐留艦隊から逃げ出した男……。顔色の悪い暗い表情の男性だった……。閣下が少しの間考えた。会うのだろうか? 印象から言えばあまり会う事を薦めたく無い人物だ。

「急ぐのであれば今日は自宅に居ると伝えてください。急がないのであれば明後日、元帥府に居ると」
「分かりました、大佐に連絡を取ります……」
閣下は会う事に決めた。何を考えたのか……。


閣下が帰宅した後、クレメンツ提督と少し話しをする機会が有った。
「爵位、領地を返上させたか……、国務尚書も当てが外れたかな」
どういう意味だろう、私が疑問に思っているとクレメンツ提督が笑みを浮かべた。
「平民達の多くは閣下に憧れの様なものを抱いている。国務尚書にとっては閣下は少々厄介な存在になりつつあるんだ」
「はい……」
私もそうだと思う、貴族に一歩も譲らない姿は平民達にとっては英雄の様に見えるかもしれない。

「伯爵夫人を下賜する事で貴族の仲間入りをさせる、いや仲間入りをしたと平民達に思わせる、そういう狙いが有ったと思う」
「つまり平民達に失望させる狙いが有ったという事ですか?」
「そうだ」
溜息が出た。この世界は魑魅魍魎の世界だ。

「ですが閣下は返上させました」
「そうだな、平民達は喝采を送るだろうな。だが国務尚書がどう思うか……。段々難しくなるな、難しくなる……」
提督は“難しくなる”と二度繰り返した……。



帝国暦 487年 7月 13日  オーディン  新無憂宮   マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ



新無憂宮の南苑に向かって歩いていると彼方此方で宮廷雀達の囀る声が聞こえた。柱の陰で三人の男が熱心に話している。
“御聞きになりましたかな、グリューネワルト伯爵夫人の事”
“ええ、聞きましたぞ。ヴァレンシュタイン総参謀長に下げ渡されるとか”
“驚きですな、伯爵夫人が総参謀長とはいえ平民にですか”
“罪を償え、そんなところですかな”
“なるほど”
笑い声が上がった。

無視して先を歩くと今度は着飾った女達が四人ほどいた。
“御聞きになりまして、グリューネワルト伯爵夫人の事”
“ええ、聞きましたわ。ヴァレンシュタイン総参謀長にお下げ渡しになるとか”
“総参謀長は爵位も財産も全て返上するならお受けすると言ったそうですわ。自分より金持ちの女など御免だと言ったとか”
笑い声が上がった。

“総参謀長も迷惑に思っていらっしゃるのでは有りませんの? 総参謀長が怪我をしたのも元はと言えばあの方の所為、それにあの方、総参謀長よりも御年上でしょう?”
“そうですわね、それでそんな事を言ったのかも。伯爵夫人から断って欲しいという事かもしれませんわ”
“陛下に縋りついてちょっと涙を見せれば簡単ですものね“
口調からは露骨なまでの侮蔑が感じられた。思わず言い返しそうになったが堪えた。先ずはアンネローゼに会わなくては、それに私がここで彼らを叱責しても彼女のためにはならない、むしろ陰にこもってネチネチと攻撃するだろう。

南苑の奥にアンネローゼの住居は有った。決して華美では無い、穏やかで繊細な感じのする部屋。部屋は住人の性格を表すというのが良く分かる。アンネローゼは一人ポツンとベランダに居た。いつもそうだ、この部屋には客は少ない。
「アンネローゼ」
「男爵夫人」
声をかけると微かに笑みを浮かべた。ゆっくりと彼女に近付く。並んで立ちながら庭を見た。外は眩いほどの夏の光に満ちている。

「聞いたわ、あれは本当なの?」
「ええ」
「陛下がそのように?」
「いいえ、国務尚書と宮内尚書が……」
アンネローゼが首を振った。なるほど、この件の仕掛け人は国務尚書リヒテンラーデ侯か、陛下は説得された、拒否出来なかった、そういう事ね。

「どうするの」
「……総参謀長の所に行こうと思います」
「いいの、それで? あの事件は貴女の所為じゃないわ、イゼルローン要塞が落ちたのも」
私の問い掛けにアンネローゼは視線を伏せた。

「確かにそうかもしれません、でも無関係ではないと思います。そして総参謀長が怪我をされたのも事実です」
「……」
「それに、これ以上宮中に居るのは危険だと言われました。いずれ反乱軍が攻め寄せて来る、そうなれば私を責める声、いえ処罰を求める声が出るだろうと。そうなった時、陛下は私を庇いきれないだろうと……。元々は私と侯爵夫人、そして陛下の問題なのですから……」
溜息が出そうになった。

「爵位と所領は如何するの?」
「全部お返しします」
「爵位はともかく所領は……、貴女、無一文になってしまうわ」
「多少の現金はあります。それに元々無一文でした。それに比べれば……」
クスッとアンネローゼが笑った。

「それにその方が安全だと……」
「安全?」
「ええ、無一文になって宮中を出ればもう責められることは無いだろうと。総参謀長が仰られたそうです」
「そうかもしれないけど……」

「明日、総参謀長と一緒に陛下に御挨拶をします、そして宮中を出ます。これからは総参謀長の官舎で暮らす事になります」
「官舎?」
「ええ」
皇帝の寵姫から軍人の妻、新無憂宮から官舎、我慢できるのだろうか?

「良いのね、それで。後悔しないのね?」
私が問い掛けるとアンネローゼが頷いた。愚問だったかもしれない、ここに居る事自体望んだ事ではなかっただろう。だとすればここを出る事になんの未練が有るだろう……。

「ラインハルトには報せたの?」
「いいえ、任務中ですから」
「報せた方が良いわ、私の方でやっておきましょう」
「でも……」
「きちんと報せない方が危険よ、変に敵意を持つ人間に教えられたらどうなるか……」


アンネローゼと別れ自邸に戻ると宇宙艦隊司令部にラインハルトと連絡を取る事の許可を申請した。本来なら任務中の艦隊に部外者が連絡を取ろうとすることなど許されない。だがラインハルトの任務は辺境警備、それほど重要というわけではない。許可を得る事は難しくなかった。

スクリーンにラインハルトが映った。
『男爵夫人、どうしたのです』
「アンネローゼの事で報せなければならない事が有って」
私の言葉にラインハルトの表情が歪んだ。

『知っています、ヴァレンシュタイン総参謀長に下げ渡されたという事でしょう。総参謀長から直接連絡が有りました』
「……そう……」
『理不尽だと思いました、許せないと。……気付いた時には総参謀長に色々と言っていました。非難したかもしれませんし、或いはもっと危険な事を言ったかもしれません』

「それで、総参謀長は?」
『黙って聞いていました』
「……」
『私が喋り終ると気が済んだかと言いました。そして気が済んだら二度と口に出すなと……』
「……」

『今のお前は皇帝の寵姫の弟ではない、これまでは許された事も今後は許されなくなる。憤懣に任せて口を開くなどと言う贅沢はこれが最後だ、肝に銘じろと……』
「……そうね、確かに最後だわ」
総参謀長は私以上にラインハルトの事を知っている。たかが辺境警備の一少将を? 怖いと思った。

『アンネローゼにお前を守る力はない、自分もお前を守るつもりは無い。己の身は己で守れと』
「己の身は己で守れ……」
スクリーンに映るラインハルトが頷いた。そうね、だから私も連絡したのだけど必要なかったようだわ。冷酷なまでに現実を教えてくれた人が居る。

『失敗すれば何かを失う。自分はリューネブルク中将と足首から先を失った。お前が何を失うかはお前の愚かさとオーディンが決めるだろうと……』
「……」
『まるで相手にされませんでした』
ラインハルトが悄然としていた……。


 

 

第二十四話 そのベッドは俺のだぞ


帝国暦 487年 8月 20日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ヤン・ウェンリー少将か……。原作よりは出世していないな。しかし宇宙艦隊司令部の作戦主任参謀? 嫌な所に居るな。上司受けの悪い男が宇宙艦隊の中枢部に居る、分かっていた事だがシトレだけじゃなくビュコックからの評価も高いみたいだ。

同盟軍の新たな陣容がフェザーン経由で分かった。情報が遅いよな、俺が見ている資料は七月二十日発令の人事だぜ。それを一カ月も過ぎてから分かるなんて……。戦争が慢性化しているからな、相手の陣容なんてもうどうでもいいんだろう、とにかく出て行ってぶん殴って帰ってくる、そんな感じだ。

同盟軍がイゼルローン要塞を奪取した方法は原作通りだった。違うのはビュコックが自らの艦隊でそれを実施した事だけだ。あの作戦が成功したんだからな、ビュコックのヤンに対する信頼が厚いのも当然ではある。ビュコックは元帥昇進か、兵卒上がりで元帥、帝国じゃ有り得んな。士官学校卒業の平民だって難しいんだから。

その代り爵位持ちの貴族なら馬鹿でも元帥になれるのが帝国の良い所だ。グリンメルスハウゼンだけじゃない、コルネリアス帝は親しい人間を元帥にしまくった。おかげで二個小隊近い元帥が出来たくらいだ。笑えるよな、何考えてるんだか。飴玉でもくれてやる感覚だったんだろう。

原作だとそろそろ帝国領出兵が有るんだけど、今のところそれが無い。このまま無いのかな? フォークとかロボスとか出世欲に固まった馬鹿共をまとめて捕虜にしてしまったからもしかすると起きないかもしれん。しかし同盟市民は帝国領出兵を望んでいると思うんだが……。

レベロやホアンが反対しているのかな、だとすると帝国領出兵は結構遅くなる可能性が有る。いや規模その物も小さくなるかもしれん。とりあえず様子見で出兵とか……。しかしヤンがそんな事をするかな、意味が無いと言って反対しそうなもんだが。決定権が無いから関係ないか、……さっぱり分からん……。

オーベルシュタイン大佐が仕事をしている。根暗な奴なんだけど仕事は出来るんだな。本当なら敵前逃亡で死罪が相当だったんだが上層部と掛け合ってグリンメルスハウゼン元帥府に配属した。今は事務局長補佐という立場で仕事をしている。

俺に会いに来た時には色々と言いたそうだったが遮った。訳の分からん恨み節を聞かされて同志扱いされるのは御免だ。二つだけ約束させた。一つ、味方を見捨てない、切り捨てない事。二つ、俺に隠れてコソコソ動かない事……。何でこいつを受け入れたのかとも思うが、まあ何処かで役に立つ事も有るだろう。実際事務処理は達者だ。結構助かっている。

グリンメルスハウゼンの相手も時々させているが爺さんの春の陽だまりのような声とオーベルシュタインの冷徹な声のバトルは笑える、話しが全く噛み合わないんだ。今のところ爺さんの方が優勢だな。俺の苦労を少しでも軽減してくれているんだ、役に立っていると判断しよう。

結婚して一カ月が過ぎた。アンネローゼは慣れたようだ、結構楽しそうに家事をこなしている。元々貧乏な家に生まれたからな、召使いとか居なかったわけだし主婦業は苦にならないんだろう。良い傾向なんだが料理は今一つだな。不味くは無いがレパートリーが少ないんだ。十五で後宮に入ってからは菓子作りが精々だ、今後に期待、そんなところだろう。

夜の方はお預けだ。皇帝から寵姫を下賜された場合は三ケ月間は同衾を禁止するんだそうだ。要するに誰の血を引いているのか分からない子供を作るなという事らしい。DNA検査をすれば分かるじゃないかとも思うんだが人間ってのは想像力が豊かだからな。妙な噂が流れると混乱の基になる。

最初にアンネローゼに済まなさそうに言われた時には後継者が決まっていないから用心深くなっているのかと思ったがエーレンベルクやシュタインホフからも冷やかされたから貴族社会では常識らしい。なるほどなあと思ったよ。でもなあ、三ケ月お預けって虐めに近いよな。おかげで俺はベッドをアンネローゼに譲りソファーで寝ている。この時期で良かったよ、冬だったら寒くて風邪をひいていた。あと二カ月我慢しないと……。

ラインハルトに教えたら気が狂ったみたいにキャンキャン騒ぎ出した。姉には罪が無いとか侮辱するのかとか、どうしてお前は断らないんだとかお前なんか姉には相応しくないとか言ってた。余計な御世話だ、俺だって望んだわけじゃないぞ。わざわざ状況を教えてやったのにそれも分からないんだから……。本当なら姉を宜しく頼むとお前が頭を下げるところだろうが、この馬鹿たれ。

あんまり腹が立ったんで二度と口を開くなと言ってやった。これまで自分が優遇されてきたってのが分かって無いらしい。寵姫の弟じゃ無くなったから呼び戻す事は可能だがトラブルの元凶になりそうだ。当分辺境で頭を冷やさせよう。そこで耐えるという事を学んで来い、期待薄だけどな。



宇宙暦796年 8月 20日  ハイネセン  宇宙艦隊司令部  ヤン・ウェンリー



「どうもおかしな具合になったな、ヤン少将」
「はい、全くもって同感です」
私の答えにビュコック司令長官が顔を顰めた。
「軍人よりも政治家達の方が好戦的になるとは、いや好戦的なのは同盟市民か……」

まったくおかしなことになった。イゼルローン要塞を攻略して一息つけると思ったのだが同盟市民の間から帝国領へ侵攻すべきだという声が出ている。自ら好んで戦争など一体何を考えているのか……。戦えば死傷者が出るし必ず勝てると決まったわけでもない、その事を市民は忘れているらしい。イゼルローンで鮮やかに勝ち過ぎたのだろうか……。

「政治家達もそれに便乗する様な発言をしていますね」
「そうだな、不祥事が有ったから市民の目を逸らしたいんだろう。勝利を得られれば支持率も上がる……」
情報交通委員長が企業から不当な利益を受け取っていた事が公になり先日辞任した。政府は同盟市民の目をそこから逸らしたいと思っているのだろう。

政治家達のお得意の手だ、国内に問題が有る時は対外的な問題を起こして市民の目を逸らし国内を纏め上げる。国家というものが成立した時から行われてきた常套手段だ。だが政治家達は分かっているのだろうか? それに失敗すれば国を失う事さえあるという事を。人間という生き物は利益に目が向くとリスクというものが見えなくなるらしい。

「実際に政府は何と言ってきているのです?」
「出兵を検討せよ、そういう事だな。それを受けて今統合作戦本部で検討している」
「規模は?」
問い掛けると司令長官が顔を顰めた。
「ふむ、具体的には言わなかった。だが大きな戦果を求めている、それが可能な規模という事になるだろう」
つまり大規模な出兵か……。

「狙いは何でしょう、帝国軍の撃破でしょうか?」
「さあ、或いは星系を占領とか考えているかもしれんよ」
「まさか……、維持にどれだけの費用がかかるか。それにイゼルローン回廊の出口付近は帝国でも辺境と呼ばれる地域です。占領するメリットが有りません」

イゼルローン要塞の奪取とともに要塞に有った帝国の情報も同盟の物になった。星域情報、航路情報、補給基地の所在地などだ。そこで分かったのは帝国の辺境星域は極めて貧しいという事だった。あそこを占領しても何の意味も無い、むしろデメリットの方が多いだろう。帝国は痛みを感じないだろうし同盟は維持費に金がかかるだけだ。

「恒久占領でなくても良いのかもしれん。一時的に占領し市民を満足させる。その後で放棄する。理由は貴官が言ったように金がかかると言えば市民も納得するだろう。誰だってこれ以上の増税は望むまい」
皮肉そうな口調だった。政治家を皮肉ったのか、それとも同盟市民に向けられたのか……。

「出兵は決定なのでしょうか?」
「……政府は軍部からの出兵案の提出を受けて是非を検討した上で決定するそうだ、茶番だな」
司令長官が嘆息した。全く同感だ、茶番でしかない、自分達が戦争を主導したと言われたくないらしい、疾しいのだろう。

「政治家の中にも出兵に反対する人間はいる、レベロ財政委員長とかな。シトレ本部長とは親しいらしい。幼馴染だと言っていた」
「……」
「なんとか出兵せずに済む方法は無いかと相談しているそうだが……」
「良い方法が有れば良いのですが」
“そうだな”と司令長官が頷いた。そしてこちらを見た。

「軍の中にも出兵に賛成する声が有ると聞くが……」
「冬の時代が来る、そう思っているようです」
「冬の時代? 何かねそれは」
ビュコック司令長官が不思議そうな表情をした。どうやら司令長官はあまりTVを見ていないらしい。

「先日ある報道番組でこれからは軍人にとって冬の時代が来るだろうと言っていたのですが、結構それが軍内部に広まったようです」
「と言うと」
「これまでは定期的に帝国軍が攻め寄せ同盟軍はそれを撃退してきました。帝国軍が攻め込んでくる以上同盟軍は否応なく戦わざるを得なかったのです。政治家達も同盟市民もそれに掣肘をかける様な事はしなかった。軍人達はその中で武勲を上げ昇進してきた」
「ふむ」
司令長官が頷いている。半世紀を帝国との戦いで過ごしてきたのだ、そして兵卒から元帥にまで昇進した。思い当たるところが有るだろう。

「ところがイゼルローン要塞を奪取した事で戦争の主導権は同盟側に移りました。となると戦争をするか否かはその時の財政状況や政治状況が大きく影響する事になります。これまでのように自由に戦争をする事が出来なくなったのです。当然ですが昇進する機会も減ります」
「なるほど、それが冬の時代か……。皆が冬が来る前に肥え太ろうというわけだ」
「はい」

面白い意見だと思うしその通りだと思う。元来戦争とは非常に金がかかるものだ。物資も消費するが人命も消費する。その事にどれだけ金がかかるか……。現状では借金をしながら戦争しているが国家としては健全な姿とはいえない。国家としての健全性を取り戻そうとすれば当然だが政府は無駄な出費を削減しようとするだろう。その筆頭が軍事費になるのは目に見えている。

これまではそれが出来なかった。だが今はイゼルローン要塞が有る。イゼルローン要塞を利用しての防衛戦を展開すれば軍事費の削減は可能だろう。実際に政治家達の中にはそれを唱える者もいる。ジョアン・レベロ、ホアン・ルイ等だ。彼らは財政面、人的資源面から戦争の縮小を唱えている。

「肥え太れれば良いのだがな、冬を前に痩せ細れば冬を越せなくなる。冒険する前にその事に気付いて欲しいものだて」
ビュコック司令長官が溜息交じりに呟いた。全く同感だ、一文無しになって冬を越せずに凍死等というのは御免こうむりたい……。



宇宙暦796年 8月 30日  ハイネセン  統合作戦本部 シドニー・シトレ



目の前のTV電話が受信音を鳴らした。待っていた連絡だ、一つ息を吐いてから受信ボタンを押した。スクリーンにレベロの顔が映った、顔色が良くない、不吉な兆候だ。
「どうだった、レベロ」
『駄目だった、出兵に決まった』
呻く様な口調だった。

「あの出兵案が採用されたと言うのか?」
思わず声が掠れた。
『そうだ、採用された』
「分かっているのか、八個艦隊だぞ、八個艦隊! 動員兵力は三千万を超える!」

『ああ、分かっている! 皆に言ったよ、そんな金は無い! そんな金は何処にも無いってな!』
吐き捨てるような口調だった。レベロにとっても私にとっても予想外の事が起きた、一体何が起きた、何故あの出兵案が採用される……。

ここ近年同盟軍は敗戦続きだ、休養しなければ兵の練度を保てない、度重なる戦闘による消耗で兵は新兵ばかりになっている。そして政府は借金に喘いでいる。なんとか軍事費を削減し民力の休養に努めなければ国が疲弊してしまう。私とレベロは出兵を阻止するべきだという意見で一致した。

八個艦隊、動員兵力三千万、馬鹿げた出兵案だ。だがだからこそ最高評議会を説得できる、私とレベロはそう思った。中途半端な出兵案では可決されるか或いはより規模を大きくした出兵案を要求されるだろう。ならば最初から無謀なまでの出兵案を提示して阻止する。それ以外の出兵案は意味が無いとして拒否する……。

政府が眼に見える戦果を求めているのであれば帝国軍の大軍を撃破するのが一番だ。だが帝国軍は簡単には出てこないだろう、だとすれば辺境星域を占領する。そして占領地の奪回を図る帝国軍を待ち受け撃破する。そのためには占領地を維持しつつ帝国軍を待ち受けるだけの戦力が必要だ。八個艦隊、動員兵力三千万はおかしな数字ではない。そして同盟の国力から言って認められる数字でもない筈だった。

『出だしは悪くなかった。皆が出兵案の規模に鼻白んでいたからな。私が財政面から出兵に賛成出来ないというと頷く人間も居たほどだ。ホアンも反対した、あのまま行けば出兵案は否決されるか再検討という事になったはずだ』
「だが可決された、トリューニヒトか?」
私の問い掛けにレベロは力無く首を横に振った。

『違う、彼は出兵案に反対した』
「反対した?」
『ああ、最後まで出兵に反対したのは私とホアン、トリューニヒトの三人だ』
トリューニヒトが反対した……。

『コーネリア・ウィンザーが馬鹿げた事を言ったんだ』
「……新任の情報交通委員長か」
私の言葉にレベロが頷いた。
『犠牲無くして達成された大事業など無い、どれほど犠牲が多くても、例え全市民が死に至っても為すべき事は有ると……』
「馬鹿な、それが政治家の言葉か……」

『君の言う通りだ、馬鹿げている、政治の論理ではない。だが彼女の言葉は出兵を望んでいる連中に大義名分を与えた様なものだ。あれで空気は変わってしまった……』
「なんて事だ……」
そんな馬鹿げた意見で出兵が決まったというのか……。

『シトレ、出兵して勝てるか?』
スクリーンのレベロがじっとこちらを見ていた。
「分からない、戦いは相手が有る事だ。だが難しいだろうな、ここ近年同盟軍は帝国軍に負け続けている。帝国軍は手強い」
レベロが頷いた。

「それに勝てばさらに戦火は拡大するだろう、同盟にとっては勝っても負けても地獄だ」
勝ってはいけない時に勝ったのだろうか? イゼルローン要塞攻略は間違いだったのだろうか?

『シトレ、良く聞いて欲しい』
「何だ」
『出来るだけ損害を小さくして負けてくれ』
「……負けろと言うのか」
レベロが泣き出しそうな表情をしていた。

『軍人の君にこんな事を言うのは酷い事だと分かっている。だが勝てば君の言う通り戦果は拡大する、財政破綻は確実だ。そして大敗すれば同盟は悲惨な状況に陥るだろう。財政破綻もだが人的損失が痛い、ホアンは社会基盤の維持が危機的状況に陥るだろうと言っている』
「……」
『頼む、シトレ……』
「……ビュコック司令長官に話してみよう」
『済まん……』
責任は取らざるを得まい、あの出兵案を出したのは私だ。ならば私が指揮を執るべきだ、ビュコック司令長官には後ろに退いてもらおう……。



 

 

第二十五話 尻を蹴飛ばしてやろう



帝国暦 487年 9月 5日  オーディン  グリンメルスハウゼン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



グリンメルスハウゼン元帥府の会議室に艦隊司令官達が集められた。メルカッツ、クレメンツ、レンネンカンプ、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラー。このほかに辺境星域で訓練中のケスラー、ケンプが居る。なかなかのものだ。メックリンガー、ルッツ、ワーレン達の顔が無いのが寂しいがいずれはここに顔を並べる事になる。その時が楽しみだ。

「フェザーンのレムシャイド伯爵からの連絡で反乱軍が攻め寄せて来る事が分かった。宇宙艦隊はこれと戦い撃破せよとの勅命が下った」
グリンメルスハウゼン伯爵が告げると会議室がざわめいた。うん、皆やる気満々だな。爺さんが俺を見た、後はお前がやれってことか、楽な司令長官だよな。皆も俺を見ている。挨拶が終わったから早く本当の会議をしよう、そんな感じだ。

「反乱軍の兵力ですが詳細は分かりませんが三千万人を超えるのではないかと思われます」
“三千万”、またざわめきが起きた、興奮しているな。
「詳細については統帥本部に確認をしてもらっていますが反乱軍もかなりの覚悟で臨んでくるはずです、油断は出来ません」
皆が頷いた。

「どのように対応すべきか、遠慮なく意見を述べてください」
俺が促すと早速ミッターマイヤーが口を開いた。
「イゼルローン回廊の出口付近で迎撃してはどうでしょう。戦場を固定できますし回廊から出てくる部隊を順次撃破出来るという利点が有ります……」
まあ出るべき意見ではあるな。

「しかし反乱軍もそれは警戒しているのではないかな。先頭部隊は精鋭を送り込んでくるだろう、簡単にはいかない可能性が有る。それよりは反乱軍を帝国領奥深くに引き摺り込んではどうだろう。三千万人と言えば途方も無い数だ、補給は容易ではあるまい。引き摺り込んで補給を断つ、そうなれば一気に反乱軍は混乱するはずだ、組織だった抵抗など出来まい」
うん、良い事を言うじゃないか、レンネンカンプ。皆も頷いている。

「小官もレンネンカンプ提督の意見に賛成です。しかし問題は時間がかかる事でしょう。反乱軍もそれなりに補給は整えて来る筈です」
「已むを得ぬことだと思うが」
「いやレンネンカンプ提督、我々は軍人だ、それは理解できる。しかし理解できぬ人達が帝国には居るからな、臆病とか騒ぎそうだ」

ロイエンタールの言葉に皆が顔を顰めた。しかしグリンメルスハウゼンの前でそれを言うか、度胸有るよな。もっともかなりソフトな言い方ではある、グリンメルスハウゼンも発言に含まれた毒には気付かなかったようだ。分からない振りをしているのか、本当に分からないのか、こういう時は助かる。

「確かに敵を見て戦わないのは臆病だとか言いそうですね」
「無理に戦わされては堪らん。それなら回廊付近で戦った方がましだ」
「だとすると早急に発たなければなるまい、忙しいな」
皆が口々に話しだした。いかんな、何時の間にか回廊付近での戦いを選択している。

「時間の問題、口出しの問題、その二点を解決できれば反乱軍を引き摺り込んだ上で叩いた方が効果的だと思いますが、どうですか?」
俺が問い掛けると皆が顔を見合わせた。皆を代表する形でメルカッツが答えた。
「それはそうですが、良い手段が有りますか?」
「まあ試してみたい事は有ります。多分上手く行くでしょう」
多分、大丈夫だよな。俺の答えに皆が納得したように頷いた。

「ではケスラー、ケンプの両名をオーディンに戻しましょう」
「いや、それには及びません、クレメンツ提督」
会議室がまたざわめいた。
「あの二人には少々やってもらいたい事が有ります。時間がかかりますからオーディンに戻る余裕は無い、シャンタウ星域辺りで合流する事になるでしょう。早急に出撃準備を整えてください」
全員が頷いた、これで良し。

同盟軍は原作通り帝国領侵攻作戦を実施する事にした。詳細は分からないが動員兵力も原作とほぼ同様だろう。やはり同盟市民は戦争を望んだという事だ。帝国との和平等というのは同盟市民には受け入れられない。百五十年も戦っているんだ、或る意味当たり前だな。

問題はロボスとフォークの馬鹿が居ない事だ。あの二人がいれば何も考えずに占領地を拡大してくれる、打ち破るのも難しくは無い。だが今回はそうは行かない、ヤンとビュコックが遠征軍を率いて来るのだ。あの二人は名将だ、帝国領侵攻が危険な事は十分過ぎるほど分かっているだろう。

おそらく無闇に占領地を広げる様な事はしない筈だ。ゆっくりじっくり足元を固めつつ進んでくるだろう。こちらに引き摺り込まれるよりもこちらを引き摺り出そうとするはずだ。そして艦隊決戦を挑む。皆が危惧していた展開に持ち込もうとするだろう。

焦土作戦を展開しても辺境の人間が苦しむだけで終わる可能性も有る、それでは意味が無い。工夫が居るな、ビュコックとヤンに野放図に占領地を拡大させる工夫が……。


四日後、新無憂宮にある国務尚書の執務室で俺はリヒテンラーデ侯、エーレンベルク軍務尚書、シュタインホフ統帥本部総長に迎撃作戦の内容を説明した。グリンメルスハウゼン司令長官には既に説明済みだ。特に何の問題も無かった、“分かった”の一言だったな。本当に分かったのかどうか……。

「反乱軍を帝国領奥深くに引き摺り込むか……」
リヒテンラーデ侯が小首を傾げた。不満かな、帝国領に入れるのは。
「反乱軍は三千万を超える大軍です。消費する補給物資は膨大なものになるでしょう。帝国領奥深くに誘引し補給の負担を増加させる、その上で補給線を断ち反乱軍を撃破する、そう考えています」

俺が説明するとリヒテンラーデ侯はエーレンベルク軍務尚書、シュタインホフ統帥本部総長に説明を求めるかのように視線を向けた。
「総参謀長の作戦案は極めて理に適っていると思います」
「小官も軍務尚書の意見に同意します」
二人の意見を聞いてリヒテンラーデ侯が頷いた。

「暫くの間、軍事行動の拠点をシャンタウ星域に移します。オーディンを長期にわたって留守にする事になりますがその間は辺境星域を哨戒中の艦隊を呼び戻しオーディンに置くべきかと思います」
「なるほど、辺境星域が戦場になる以上、哨戒部隊は邪魔か。であればオーディンの警備にという事だな」
「はい」
俺が軍務尚書に答えると三人が顔を見合わせた。

「良いだろう、そちらから命令を出してくれ」
「はい」
ラインハルトも姉に会えるんだ、喜ぶだろう。問題はシュターデンだな、あいつはフェザーンにでも追い払うか。その方が安全だな。

「こちらからお願いが有ります」
「何かな」
国務尚書が身構えた。露骨に警戒心を出してるよな、俺への信用度はかなり低い、要注意だ。
「反乱軍を帝国領に引き入れる事になります。そうなれば占領される星域もでるでしょう、その事で騒ぎ立てる貴族も出るかと思いますが軍の作戦に関しては小官に一任して頂きたいと思います。指揮系統の混乱は敗北に直結します」
三人が微妙な表情をした。やはり難しいか。

「卿の危惧は尤もとは思うが占領が長期に亘れば貴族達の声を抑え切れなくなるだろうな」
シュタインホフが唸る様な口調で答えた。
「反乱軍の早期撃退を目指し辺境星域で焦土戦術を行う事を考えています」
三人が眼を剥いた。咎める様な視線で俺を見ている。

「実際に食料を奪う事はしません、彼らに隠させます。反乱軍に帝国軍が焦土戦術を行っていると思わせたいのです。それによって彼らの用意した食料を辺境星域の住人に吸収させる。反乱軍の補給計画の早期破綻を図ろうと考えています」
ほうっと息を吐く音が聞こえた。国務尚書だった。他の二人もホッとしたような表情をしている。

「脅かすな、本当に焦土戦術を行うのかと思ったぞ」
エーレンベルクが俺を咎める様な声を出した。悪かったな、脅かして。年寄りの心臓には悪いか、でもラインハルトは本当にやったぞ。
「そういう事ですので国務尚書、辺境星域に対して軍の指示に従うようにと政府から通達を出して頂きたいと思います」
「うむ、分かった」

「それとシュタインホフ元帥、反乱軍の情報を可能な限りこちらに提供して下さい。軍の編成、動員する艦隊、総司令部の陣容……」
「うむ、分かった」
「それと反乱軍の国内の状況もです」
「国内の状況?」
俺の頼みにシュタインホフが訝しげな声を出した。

「反乱軍の補給計画が破綻すれば軍は必ず政府に泣き付きます。それが政府の動きに出る、撤退か或いは物資の追加か……、それが反攻の一つの目処になると思うのです。それを逃したくありません」
「なるほど、分かった。情報部に命じよう」
「国務尚書、フェザーンの弁務官事務所にもお願いします」
「分かった」
老人二人が頷いた。

「それと……」
「まだ有るのか?」
「これが最後です、国務尚書」
俺が宥めるとフンと鼻を鳴らした。貴族らしくない下品さだ。勝ちたくないのか? 戦争なんだ、遊びじゃないんだぞ。

「反乱軍がイゼルローン要塞に集結したらですがフェザーン経由で帝国軍が辺境星域を放棄した、辺境星域の住人は同盟軍の進攻を待っている、そういう噂を流して欲しいのです」
シュタインホフが国務尚書と顔を見合わせ頷いた。
「良いだろう、その方が早期に反乱軍が奥深くまで攻め込む筈だ」

ビュコックもヤンも帝国領奥深くに侵攻するのは危険だと思うだろう。だから二人の尻を政府に蹴飛ばさせよう。嫌でも前に行かせるようにする。あの二人は涙目かもしれんが馬鹿共は大喜びの筈だ。俺は親切な男なのだ、最低でも一回ぐらいは喜ばせてやる。二回は無いけどな。

「ここまで協力を求めるのだ、勝てるのであろうな」
「勝つために尽力は致しますが御約束は出来ません。多少有利かとも思いますが……」
「頼りないの」
国務尚書リヒテンラーデ侯がまた鼻を鳴らした。文句有るのか? お前は分からないだろうがビュコックやヤンと戦うんだぞ。甘い相手でもなければ柔な相手でも無いんだ。

「場合によっては反乱軍は不利を悟り早期に撤退する可能性も有ります。その時は戦闘が起きる事無く戦争は終結するでしょう」
「……」
「戦う事無く反乱軍を撤退させたのです。犠牲無しで勝利を得た、御理解頂きたいと思います」
不満そうだな、爺さん。しかし一番可能性が有ると俺は思っている。

「分かった、反乱軍が撤退する、つまり敵わぬと見て退くのであろう、ならば問題はない」
「有難うございます」
「何時オーディンを発つ」
「一週間後には」
三人が頷いた。

シャンタウ星域で同盟軍が飢えるのを待つ、そしてシャンタウならオーディンからも近い。貴族共に対する抑えになるだろう。その内にラインハルト達がオーディンに到着する。その頃には同盟軍は飢え始めるはずだ……。



帝国暦 487年 9月 16日  オーディン  アンネローゼ・ヴァレンシュタイン



目の前で夫になった男性が夕食を摂っている。ザウアーブラーテンとフラムクーヘン。ザウアーブラーテンは本当なら馬肉を使う。でも今日は牛肉を代用した。料理の本を読みながら作ったのだけれど上手く出来た方だと思う。十年近く料理を作ることなく過ごしてきた私には毎日が練習のようなものだ。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、私の夫……。私より三歳年下の二十二歳でありながら階級は帝国軍上級大将、宇宙艦隊総参謀長の職にある。若くして軍高官になったにもかかわらず武ばったところ、荒々しいところはない。華奢で物静かな所は学究の徒と言われれば皆が納得するだろう。

夫は仕事の内容、宮中での事などを家では一切口にしたことは無い。夜は別々に休んでいるがそれに不満を表す事も無い。あの事件で大怪我をしたがその事で私を責める事も無い。私の事を嫌っているのか、関心が無いのかと思う時も有るが仕事から帰ってくれば“困った事は無いか”、“分からない事は無いか”と訊ねてくる。私にはまだこの夫がよく分からずにいる……。

食事が終わりかけた時だった。ジンジャーエールを飲んでいた夫が話しかけてきた。
「アンネローゼ、先日も話したが明日、出撃する」
「はい」
「年内には帰って来られると思う」
「はい」
反乱軍が攻めてくる、兵力は三千万を超えるのだと言う。イゼルローン要塞が落ちた所為だと皆が言っている……。

「勝つための手は打った。多分勝てるとは思うが万一の事も有る」
「万一?」
「私が戦死する事だ」
平然とした口調だった。表情も全く変わっていない、まるで他人の事を話している様だ。

「ゲラー法律事務所にハインツ・ゲラーという弁護士が居る。私の父と親しかった人だ。その人に私の遺言書を預けてある」
「遺言書ですか……」
「そう、その人に相談しなさい」
「はい」
「心配はいらない、これからの生活に困ることは無い。それだけの蓄えは有る」
「はい」
何てもどかしいのだろう、ただ“はい”と答える事しかできない。夫は私の事をどう思っているのか……。

「一カ月もすればミューゼル少将がオーディンに戻って来るだろう」
「ラインハルトが……」
ラインハルトが戻って来る? ではジークも?
「キルヒアイス少佐も一緒だ。会うのは久しぶりだろう、楽しみなさい」
夫が私を見ていた。感情の見えない眼だった。思わず眼を伏せて“はい”と答えた。時々夫はそんな眼をする、決まって私が感情を読まれたくない、そう思う時だ。偶然だろうか……。

「あ、あの、今夜は」
「?」
「今夜は私の所でお休みになりますか?」
思わず口走っていた、顔から火が出る思いだ。夫がじっと私を見ている。恥ずかしくて顔を伏せようとした時だった。

「その必要はない、私は帰ってくる」
「……はい」
私は一体何を言っているのだろう? 夫には私が自分が帰ってこないと思い込んでいる妻のように見えたに違いない。縁起でもない、とんでもない女、そう思ったかもしれない。今度こそ恥ずかしさに顔を伏せた……。


 

 

第二十六話 青天の霹靂って知ってるか


宇宙暦796年 10月 10日  イゼルローン要塞 遠征軍総司令部  ヤン・ウェンリー



「まさか本部長が自ら遠征軍の総司令官に就任されるとは思いませんでした」
私の言葉にシトレ元帥が軽く笑い声を上げた。
「自ら蒔いた種だ、ビュコック司令長官に刈らせるわけにはいかんよ。ましてどんな草が生えるか分からん種ではな」
自嘲だろうか、声には苦い響きが有った。

「まあそれに八個艦隊、動員三千万の大兵力だ、軍人として一度は率いてみたい、そうは思わないかね?」
「まあ、それは。しかしキャゼルヌ少将は大変でしょう」
「そうだな」
今度は翳の無い笑い声がイゼルローン要塞の司令室に上がった。

帝国領侵攻が決定され動員される兵力が八個艦隊、将兵三千万と聞いた時、とても正気とは思えなかった。一体それだけの兵力を使って何をしようと言うのか……。そしてその侵攻作戦を提案したのがシトレ元帥と聞いて唖然とした。本部長までが馬鹿げた出兵案に賛成したのかと……。

だがシトレ元帥から事情を聞いた時、私は何も言えず溜息を吐く事しかできなかった。出兵を諦めさせる事を目的に作られた出兵案、当然だが現在の同盟にとっては馬鹿げたものだがそれが最高評議会において否決されずに正式に認められてしまった……。

「大きな声では言えんが私は戦果を求めてはいない。出来るだけ最小限の犠牲で敗北する事を望んでいる。補給物資の浪費で済むなら万々歳だな」
「キャゼルヌ少将は御存じなのですか?」
「もちろんだ、知っている。その上で補給を担当してくれている。もっとも三千万将兵を食わせるのは容易ではない、キャゼルヌ以外に人が居ないのも事実だ」
やれやれだ。政治家達の馬鹿げた判断の所為でこんなとんでもない出兵が起きたとは……。

遠征軍の総司令部はイゼルローン要塞に置かれ実戦部隊八個艦隊は既に帝国領に向かって侵攻を開始している。遠征軍の陣容は以下の通りだ。

総司令部
総司令官:シトレ元帥
総参謀長:オスマン中将
作戦主任参謀:コーネフ中将
情報主任参謀:ビロライネン少将
後方主任参謀:キャゼルヌ少将

私は五名いる作戦参謀の一人としてこの作戦に参加している。他に情報参謀、後方参謀がそれぞれ三名ずつ置かれる事になっている。そして彼らを助ける高級副官、通信・警備その他の要員が加わって総司令部を構成する。

実戦部隊
第二艦隊:パエッタ中将
第三艦隊:ルフェーブル中将
第四艦隊:モートン中将
第七艦隊:ホーウッド中将
第八艦隊:アップルトン中将
第九艦隊:アル・サレム中将
第十艦隊:ウランフ中将
第十二艦隊:ボロディン中将

同盟領内には第一艦隊:クブルスリー中将、第五艦隊:ビュコック元帥、第六艦隊:チュン・ウー・チェン中将、第十一艦隊:ルグランジュ中将の四個艦隊が留守部隊として残っている。もっとも第十一艦隊は前回の戦いで半壊している。現状では再編中と言うのが実情だ。

総参謀長のオスマン中将が近づいてきた。
「閣下、間もなく第十艦隊が回廊の出口、帝国領に入ります」
「そうか、第十二艦隊は直ぐ後ろに居るのだな?」
「はい、何時でも援護は可能です」
「分かった」
シトレ元帥が頷いた。

「総参謀長、帝国軍は我々を待ち受けていると思うかね?」
「可能性は有ると思います、しかし小官なら同盟軍を帝国領奥深くに誘います」
「そうだな。私もそうする……」
私もそうするだろう、同盟軍がもっとも嫌がる作戦だ。
「ゆっくりと進ませてくれ、急ぐことは無い」
「はっ」
シトレ元帥が大きく息を吐いた。

第十艦隊、ウランフ提督から連絡が有ったのは二時間後だった。
『回廊の出口付近に帝国軍艦艇は見当たりません。どうやら帝国軍はここでの防衛戦は考えていないようです』
「そうか」
やはり帝国軍は同盟軍を奥深くに引き摺り込もうとしている。

『それより総司令官閣下、妙な通信を受信しています』
ウランフ提督が困惑した様な表情をしている。
「妙な通信?」
『救援要請ではないかと。どうもダンクからではないかと思うのですが、受信状態が悪いためはっきりとは分からないのです。向こうの出力が弱いのだと思いますが……』
今度はシトレ元帥が表情に困惑を浮かべた。ダンクは出口付近に存在する惑星の筈だが……。

「総参謀長、貴官の意見は」
「帝国軍の罠の可能性が有ります。出口で待ち受けず油断させる。その上で救援要請を出し同盟軍を誘き寄せて叩く。この場合、帝国軍は少なくても二個艦隊以上は居るはずです」
「うむ」
オスマン中将の意見にシトレ元帥が頷いた。

「ウランフ提督、総参謀長の言う通り罠の可能性も考えられる。よって単独で進むのは止めてくれ。ボロディン提督の到着を待って通信の発信元に向かってほしい」
『了解しました、第十二艦隊の到着を待ちます』
「うむ」
ウランフ提督の第十艦隊とボロディン提督の第十二艦隊は同盟軍でも精鋭と言われる艦隊だ。たとえ帝国軍が待ち受けていたとしても十分対処は可能だろう。



宇宙暦796年 10月 15日  イゼルローン要塞 遠征軍総司令部  ヤン・ウェンリー



「占領したクラインゲルト、ダンク、ハーフェン、モールゲンにはいずれも帝国軍の姿は有りませんでした。そしてどの惑星も食料を帝国軍によって接収されています。現状では軍から食料を供出しています……」
オスマン参謀長の言葉に会議室の空気が重くなった。

「どうやら帝国軍は辺境星域において焦土作戦を行おうとしているようです。今後同盟軍が進攻すれば敵意を露わにした帝国軍では無く、腹を減らした辺境領民が我々を歓迎するでしょう。食料を求めてです。占領地の住民は現状で約七百万人。進めば進む程この数字は増えます。そして補給計画にも影響を与えるでしょう」
彼方此方で呻き声が聞こえた。現時点でも同盟軍は侵攻している、占領地は広がり続け数字は増え続けている。

「住民を無視して進むと言うのは出来ませんか?」
「それは出来ない、我々は帝国の圧政から住民を救う解放軍なのだ。無視すればそれを否定する事になる」
ある参謀とオスマン中将の会話にまた呻き声が上がった。何処からか“卑怯な”との声が上がる。

確かに卑怯だと言いたくなる作戦だ。民間人を利用して同盟軍の補給を破綻させようとしている。だがこちらの弱みを的確に突いてきているのも事実だ。おそらくはヴァレンシュタイン総参謀長の作戦だろう。彼はこちらの補給が破綻するのをじっと待っている。そして反撃する時をこの宇宙のどこかからじっと窺っている……。

「キャゼルヌ少将、貴官の意見を聞きたい。後方主任参謀として、この遠征の補給計画の責任者として、如何思うかね?」
シトレ元帥も顔色が良くない、その元帥に促されキャゼルヌ少将が起立した。こちらも顔色は良くない。

「事態は深刻と言って良いでしょう。占領地からは住民を飢餓状態から恒久的に救うには百八十日分の食料が必要だと言ってきております。さらに食用植物の種子百種、人造蛋白製造プラント四、水耕プラント四……」
彼方此方で溜息、呻き声が聞こえた。

「七百万人に百八十日分の食料を与えるだけでも二百万トン近い穀物を必要とする事になります。それを運ぶ輸送船も要る……」
「……」
「小官は三千万将兵の補給計画については自信を持っておりますが占領地に対する食料の供給については到底計画を立てる事も責任を持つことも出来ません」
「……」

「何故なら占領地が広がるにつれて養う住民が増えるからです。それにつれて食料だけでなく食用植物の種子、人造蛋白製造プラント、水耕プラント、輸送船の規模が増えます。キリが有りません。もし、それでもやれと言うのであれば辺境星域住民二億人を対象とした食料の供給計画を作るしかありません。その場合食料だけでも四千万トンを超えます、それを運ぶのに二十万トン級の輸送船が二百隻は必要になる」
また呻き声が上がった。今度は“馬鹿な”という声も聞こえる。

「その通りです、馬鹿げています、現実的に不可能と言って良い。しかしこのまま侵攻作戦を続ければその不可能に直面するのです」
「……」
「補給計画の破綻は敗戦に直結します。小官はこれ以上の侵攻は不可能と判断し撤退を進言します」
言い終わってキャゼルヌ少将が着席したが誰も反論しない、本来なら作戦参謀辺りが反論してもおかしくないが皆押し黙っている。

「キャゼルヌ少将」
「はっ」
「今の意見をレポートとしてまとめてくれ。政府に私の名前で提出する。撤退を進言しよう」
「閣下!」
「総参謀長、早い方が傷口は浅くて済む。そうじゃないかな」
「……」

シトレ元帥がオスマン中将を諭すと中将は無言のまま俯いた。どうやらシトレ元帥とキャゼルヌ少将は帝国軍の作戦を逆手に取って遠征の中止を政府に進言するようだ。政府も今度こそは眼を覚ますだろう、二億人の難民救助など誰にとっても悪夢に違いない。



帝国暦 487年 10月 30日  シャンタウ星域  帝国軍総旗艦ブリュンヒルト   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「反乱軍は徐々にですが辺境星域を占領しています」
「作戦は順調に進んでいると見て宜しいのではないでしょうか? このままいけば遠からず反乱軍の補給は破綻するはずです」
アイヘンドルフ大佐、パトリッケン大佐の言葉に他の参謀達が頷いた。皆、満足そうな表情をしている。

多分皆が上機嫌なのは作戦が順調に進んでいると感じている事の他にグリンメルスハウゼンが居ない事も有るだろう。爺さんは部屋で昼寝中なんだが爺さんが艦橋に居ると皆気詰まりらしい。どう扱って良いのか今一つ分からないんだろう。敵襲以外は起こさなくて良いそうだ。これってロボスと一緒なんだけどな、ロボスは無責任って言われたけど爺さんは皆から喜ばれている、爺さんの人徳かな。

「どのくらいで破綻するかな?」
「そうだな、後二カ月といったところか」
「やれやれ、また新年を戦場で迎えるのか」
艦橋に笑い声が上がった。暢気な奴らだ、俺は全然笑えん。年内に帰ると言ったのに帰れない、それどころか戦争自体終わっていないに違いない。アンネローゼは俺の事を嘘吐きだと思うだろう。

同盟軍の動きがやはり鈍い。総司令官がシトレって知った時から嫌な感じがしたんだがそれが当たった。原作だと侵攻一カ月ぐらいで同盟軍は五千万人の民間人を抱え込んでいる。それなのにこっちでは同じ一カ月で二千万人程度の民間人しか抱え込んでいない。辺境の住人達は同盟軍が来るのを首を長くして待っているはずだ。侵攻してきた同盟軍には隠していた食料で食い繋いでいたと説明するだろう、哀れっぽい表情を浮かべて……。

この分で行くと補給が破綻するまで確かに後二カ月ぐらいはかかりそうだ。五千万人を超えればかなり圧迫できるんだけどな。そこまで行くには後一カ月かかるだろう。問題はそこからだな、進むか退くかでかなりの葛藤が出るはずなんだが……。

シトレはかなり警戒しているな、フォークやロボスのような阿呆とは違うというわけだ。ヤンも居るしな、そう簡単には引き摺り込まれないか……。もしかするとこのまま撤退という事も有りえる。出来ればある程度叩きたいんだが……、シュタインホフ、リヒテンラーデ侯に頼んで色々と工作したんだが駄目かもしれないな。どうも落ち込みそうだ。

原作だと皇帝はもう死んでいるんだよな、でもこっちじゃまだ生きている。アンネローゼが居ないからな、女色を絶って寿命が延びたのかもしれん。まあその方がこっちも助かる、この状況で皇帝崩御は最悪だ。しかし何時まで持つかな? どうにも不安だ。

それと貴族の動きだな、あの堪え性の無い阿呆共がそろそろ騒ぎ出すんじゃないかと思っている。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥、口出しはしないと言ったが何処まで約束を守れるか……。不安要素が多いな、当たり前だけど楽に勝てる戦いは無い。

「閣下、オーディンのシュタインホフ統帥本部総長から通信が入っています」
考え込んでいるとオペレーターが声をかけてきた。シュタインホフ統帥本部総長? 何か起きたな。スクリーンに映すように指示するとシュタインホフ統帥本部総長の顔が映った。

『グリンメルスハウゼン元帥はおらぬのか?』
「今休息を取っておられます、お呼びした方が宜しいですか?」
『いや、それには及ばぬ』
あらあら、そんなに嫌わなくても良いだろう。俺なんか一日に一回はあの老人と話をするのに。

「連絡を頂いたという事は何かが起きたという事でしょうか?」
『うむ、妙な事が起きた』
妙な事?
『反乱軍の総司令官、シトレ元帥が総司令官を解任された』
「……」
艦橋がざわめいた。参謀達が騒いでいる、手を上げて喋るのを止めさせた。

「解任の理由は何でしょう」
俺の問いにシュタインホフ元帥が首を横に振った。
『公式発表ではシトレ元帥には統合作戦本部長の職に戻ってもらい帝国領侵攻作戦を全体から見てもらうという事になっている。一番厄介なイゼルローン回廊から帝国領への侵攻を無事果たしたシトレ元帥の功績は大きいと言っているな』
「……」

嘘だな、難しいのはこれからだ。そういう形で誤魔化す必要が有った、そういうことだ。
『もっともフェザーンでは別な噂も出ている。政府の命令に従わず解任されたと。統合作戦本部長に戻ったのはそれを誤魔化す為だと……』
多分その方が正しいだろう。

「それで後任の総司令官は誰が?」
『ドーソン大将という男だ、あまり聞かぬ名だな』
「……そうですね」
『反乱軍の動きに変化が出ると思うか?』
「多分そう思います」
俺が答えるとシュタインホフが頷いた。

『オーディンも大分騒がしくなってきた、急かすわけではないが余り時間は無いぞ、我らが抑えるにも限度がある』
「分かりました、出来るだけ急ぐようにします」
『うむ、頼んだぞ』
通信が切れた。参謀達が俺を見ているが敢えて無視した。

シトレの後任がビュコックと言うなら公式発表が正しい可能性が有る。或いはシトレは病気だ。だが後任がドーソンとなるとフェザーンの噂が正しいだろうな。シトレは侵攻を故意に遅らせた、原作と比べてみれば一目瞭然だ。その事が政府に知られた、そんなところだろう。或いは撤退でも進言したかもしれん。

大規模な戦果を求めている政府には面白く無かった、シトレでは戦果が得られないと思った。そこで解任して自分達の言いなりになるドーソンを選んだ、そんなところだろう。リヒテンラーデ侯、シュタインホフ元帥に頼んだ工作が同盟の政治家達を強気にさせたかもしれん。

どうやら勝ったようだ。なんとか年内に戦争を終わらせることが出来るだろう。後はあの老人達にオーディンで踏ん張ってもらうだけだ……。


 

 

第二十七話 そろそろ先が見えたかな




宇宙暦796年 11月 15日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



「撤退するべきだ。既に占領地の住人は五千万人を超え、七千万人に達しようとしている、億を超えるのも間近だろう。遠征軍からは補給が破綻する、いや既に破綻していると悲鳴が上がっているのだ。これ以上帝国領奥深くへ侵攻を続けるのは無理だ!」
私が周囲を見渡すと皆バツが悪そうな表情をした。見返したのはホアンを含め数人だ。

「撤退は出来ん。これは帝国の重圧に苦しむ民衆を救うのが目的の遠征だ。人道上からも飢餓に苦しむ民衆を救うのは当たり前の事だ。それ以上にここで同盟軍が彼らを救えば帝国の民心は帝国政府にではなく同盟に傾くだろう。政治的な意義からも軍の要請に応じて物資を送るべきだ」

出兵賛成派の一人が強気の意見を述べた。もっとも言葉の割には何処となく後ろめたそうな表情をしている。自分の言った事を自分でも信じられずにいるのだろう。馬鹿が、信じてもいない事を口に出すんじゃない! 少し痛めつけてやる!

「自分の言っている事が分かっているのか? 帝国はそれを利用しているのだという事が何故分からない? このまま侵攻を続ければ我々は億を超える飢えた民衆を抱えることになるだろう。その負担に耐えかね力尽きたところを帝国軍に袋叩きにされるのは見えている。敗北した我々に帝国の民衆が一体何を期待するのかね?」
「……」

「当初の予定だけでも必要経費は二千億ディナールを超えている。軍事予算の一割を超えるのだぞ! そのうえ更に七千万近い民衆に食料の供給? 君らは正気か? しかも侵攻を続ければ救済する民衆の数は際限なく増えるのだ。このまま侵攻作戦を続ければ同盟の財政が破綻する事は目に見えている、帝国を打倒する前に同盟が崩壊するだろう」
「……」
「そうなる前に占領地を放棄して撤退すべきだ!」

出兵賛成派が黙り込んだ。コーネリア・ウィンザーは顔を強張らせている。この女が馬鹿な事を言わなければこんな事にならなかった。今では最高評議会では誰も彼女を相手にしない。誰もがこの女の所為で政府が厄介事に巻き込まれたと思っている。出兵賛成派も反対派もだ。蔭では疫病神のような女だと言われている。

馬鹿げている、もっとシトレのいう事に真摯に耳を傾けるべきだったのだ、現状はシトレが警告した通りになっている。だがあの時ハイネセンには帝国軍が辺境星域を放棄した、辺境星域の住人は同盟軍の進攻を待っている、そんな噂が流れた。その言葉に出兵賛成派は酔ってしまった。

挙句にシトレを解任するとは……。遠征軍の中からシトレが侵攻に消極的だという声が上がったらしい。どうやら武勲を上げたいと望む愚か者が艦隊司令官の中に居たようだ。まさかシトレも味方から背中を刺されるとは思わなかっただろう……。

出兵賛成派がシトレの代わりに選んだのがドーソンだ。能力はそれほどでもないが政治家のいう事を良く聞く、それだけで選ばれた。選ばれたドーソンはイゼルローンに到着する前に、いやハイネセンを出立する時には遠征軍に対して積極的に帝国領内へ侵攻するようにと命令を出していた。シトレが消極策で首を斬られたとなればドーソンは嫌でも積極策に出るだろう。まして上の顔色を見る男なら……。

その結果がこの騒ぎだ。案の定、軍は補給が破綻しかかり政府に補給物資の要請をしてきた。そして政府はもう三日も討議を続け、未だに結論を出せずにいる。遠征賛成派も内心では頭を抱えているだろう、だが撤兵を受け入れられない、受け入れれば政治生命が絶たれると恐れている。だから訳の分からない理由を捏ね繰り回している。

シトレが指揮を執っていた時には占領地の民衆は一千万人程度だった。それでも危険だと悟って警告をしてくれた。それがあの馬鹿に代わった途端一カ月もしないうちに補給が破綻すると騒ぎ出した。本人はイゼルローン要塞に着いて一週間も経っていないだろう……。

「レベロ委員長の言う通りだ、ここは撤退すべきだろう。幸いイゼルローン要塞が有る、あれさえ確保していれば帝国の侵攻は防ぐことが出来るのだ。先ずは国内の問題に専念すべきだろう」
「……」

ホアンが私に加勢した。誰も意見を述べようとしない。出兵賛成派は渋い表情で顔を見合わせるだけだ。
「……暫く休憩しよう……」
サンフォード議長が疲れた様な表情と声で休憩を宣言した。

皆が席を立ち思い思いに散らばるとホアンが私に近付いてきた。
「どう思う、連中は諦めるかな? ホアン」
「まだまだだ、そんな甘い連中じゃないさ。ここで撤退を認めたら政治生命は終わりだと考えているはずだ」
思わず舌打ちが出た。

「連中の政治生命よりも同盟の政治生命の方が先に尽きてしまうぞ、このままじゃ」
ホアンが肩を竦めた。
「気付いているか、レベロ。トリューニヒトが何も言わない。出兵に反対した癖に今は沈黙している、何を考えているのか……」
「長引けば長引くほど出兵に賛成した連中は深みに嵌る、そう思っているんだろうよ。あのクズが!」
私の悪態にホアンが苦笑を浮かべた。

会議が再開するとサンフォード議長が“聞いて欲しい”と言った。自ら率先して口を開くなど珍しい事だ、嫌な予感がした。
「遠征軍から報告が入っている」
軍から? トリューニヒトを見た。眼を閉じて腕組みしている。

「我が軍将兵に戦死の機会を与えよ、このままでは不名誉なる餓死の危機に直面するのみ」
部屋が凍りついた。トリューニヒトは眼を閉じて腕組みしたままだ。こいつ、知っていたな。いやこいつがサンフォード議長に渡した、説得する道具として……。

「この状況では補給を送らざるを得ないと思うが?」
「そうだ、送るべきだ」
「このままでは遠征軍が崩壊する」
出兵賛成派が補給を送る事を提案した。やはりそうか、軍の報告、いや悲鳴を利用しようと言うのか!

「撤退か侵攻を続けるのかを決めるのが先だ!」
私が言うと皆が顔を見合わせた。
「……軍の行動に掣肘を加えるような事はすべきではないだろう」
「そうだ、まだ何の結果も出ていないし……」
馬鹿な、有耶無耶にする気か……。そうか、こいつら示し合わせてきたな……。トリューニヒトはその材料を与えたわけだ、よりこいつらを深みに嵌める為に……。

会議の結論は前線で何らかの結果が出るまで軍の行動に枠を嵌めるような事はすべきではない、多数決でそういう事になった……。



帝国暦 487年 11月 20日  ヴィーレンシュタイン星域  帝国軍総旗艦ブリュンヒルト   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



同盟は前線に食料を輸送するらしい。シュタインホフ元帥から連絡が有った。まあ焼け石に水だな、同盟軍の占領地の住民は既に七千万を超えている。そして愚かな事に同盟軍は依然として侵攻を止めていない。ドーソンは自分が遠征軍の総司令官になったのは積極的に帝国領へ侵攻する事を期待されての事だと理解している。期待に背けばシトレの様に解任される。おそらくドーソンは食料の輸送が来ると信じて侵攻を続けているのだろう。

こっちもドーソンが遠征軍司令官になったと聞いて艦隊をヴィーレンシュタインまで進めた。同盟軍の崩壊は間近だからな、その機を逃がさずに同盟軍に襲い掛からないと……。さてどうするか……、物資がイゼルローン要塞に届くのは一カ月後だろう、本来ならそいつを叩いて反撃に出る、そんなところなんだが……。

オーディンが大分騒がしくなってきたらしい、となると前倒しで攻めた方が良いかもしれん。同盟軍は補給問題で肉体的にも精神的にもかなり参っているはずだ。前倒しで攻めても充分に勝てるだろう。……それにしても国内問題で軍事作戦が左右されるか、帝国も同盟もやっている事は変わらんな。後継者を決めない皇帝と次期皇帝の座を巡って勢力争いをする貴族、権力維持のために三千万将兵を死地に追い込む政治家、ウンザリする。

オペレーターがオーディンから通信が入っていると言ってきた。シュタインホフ元帥かと思ったが元帥府からだと言う。オーベルシュタイン? 何か起きたな、詰まらん事で連絡をする男じゃない。死んだか、暴発したか、或いは両方か……、良くない事の筈だ。

スクリーンにオーベルシュタインが映った。相変わらず陰気な顔だよ、実物も悪いがスクリーン映りも良くない。
「何か有りましたか、大佐」
『皇帝陛下がお亡くなりになりました』
抑揚のない声だったが艦橋を凍り付かせるには十分なインパクトが有った。お前な、そんな無表情にさらっという事か?

一応敬意を払っている事には安心した。“皇帝が死んだ”なんてボロッと言うんじゃないかとヒヤヒヤしたわ。俺がホッとしている傍でグリンメルスハウゼンが“陛下が、陛下が”と呆然と呟いている。これでこの老人ともお別れか、ようやく御守りから解放されるわけだ、フリードリヒ四世には悪いがもう少し早くても良かったな。

「何時お亡くなりになったのです?」
『昨夜遅くのようです。今朝、お亡くなりになっているのが確認されました。心臓疾患ではないかと……』
昨夜遅く? 今日はもう夕刻だぞ? 何故年寄り共は俺に報せてこない? オーディンは混乱しているのか? 艦橋でもざわめく声が聞こえる、同じ疑問を持ったのだろう。

「大佐は何時知ったのです」
『二時間程前です、事実確認に時間がかかりました。確認先はエーレンベルク元帥です』
緘口令が布かれているのか……。それは理解できるがこっちには報せるべきだろう、何を考えている! 信用していないという事か、或いは俺の事など所詮は道具と見て報せる必要性を認めなかったか……。

「オーディンの状況は?」
『今のところは落ち着いていますが貴族達も疑い始めたようです。この先はどうなるか分かりません』
「分かりました。また何か動きが出たら教えてください」
『はっ』
敬礼をすると通信が切れた。指揮官席ではグリンメルスハウゼンが涙を流している。

急がないといけない。オーディンで貴族達が騒ぎ出す前に同盟軍を叩く。それによって軍の力を帝国全土に知らしめる。そうすれば貴族共も容易には動けないはずだ。
「閣下」
「あ、何かな」
いかん、グリンメルスハウゼンの爺さんは涙だけじゃなくて鼻水まで出している……。やる気が削がれそうだ……。俺の最大の敵は同盟軍よりもこの老人のような気がしてきた。

「これより反乱軍に対して反撃を開始します」
「あ、う、そうか」
「各艦隊司令官を呼んで作戦会議を開きます、閣下にも参加して頂きたいのですが」
「あ、いや、総参謀長に任せる。私は部屋で休ませて欲しい」
「分かりました」

頼むよ、泣くなとは言わない、そこまで俺は人でなしじゃない。でもな、こんな時ぐらい指揮官らしくしてくれ。“陛下の御霊を安んじるため反乱軍を打ち払え”とか檄を飛ばしてくれないか、その一言で味方の士気は上がるんだ……。無理だよな、平々凡々な爺様なんだから。溜息が出そうだ。ま、その方が助かるけどな。

各艦隊司令官は艦橋に集合させた。皆緊張している、突然艦橋に全員集められたのだ、当然だろう。
「これより反乱軍に対して反撃に出ます」
艦隊司令官達が顔を見合わせた。
「皇帝陛下がお亡くなりになりました」
また顔を見合わせた。だが今度は全員が驚愕を表情に浮かべている。

「オーディンではこの事実について緘口令が布かれているようです。しかし何時までも隠し通せるわけではない。貴族達が騒ぎ出す前に、自らの武力を使って皇位争いを始める前に我々が反乱軍を撃破する。宇宙艦隊の実力を帝国全土に知らしめることで貴族達の暴発を防ぐ」
大丈夫だ、皆頷いている。

「メルカッツ提督はリューゲン、クレメンツ提督はボルソルン、レンネンカンプ提督はアルヴィース、ロイエンタール提督はビルロスト、ミッターマイヤー提督はレージング、ミュラー提督はドヴェルグ、ケスラー提督はヴァンステイド、ケンプ提督はヤヴァンハール」
よし、間違わずに言えた。
「直ちにその地に赴き帝国領内に居座る反乱軍を撃破してください」
「はっ」

艦隊司令官達が艦橋を立ち去った。ヤンは居ないが他にも手古摺る相手は居るだろう。第四艦隊のモートンとかしぶとそうだしな。だが全体的にはこちらが優勢を保てるはずだ、取り残されれば袋叩きに合うのだし同盟軍の各艦隊司令官は後退せざるを得ない。

問題はその後だな、この世界でもアムリッツア星域会戦が起きるかどうか……。うーん、拙いな、ゼッフル粒子の発生装置を持って来てない、忘れた。後ろを機雷で塞がれると面白く無いな、正面からの攻撃だけになる。まあそれでも勝てるだろうけど……。

ここで勝てば皇帝が死んだ以上リヒテンラーデ侯が手を組もうと言ってくるのかな。しかしなあ、あの爺さん信用出来ないし……。それに宇宙艦隊司令長官はどうなるんだ? 皇帝が死んだんだからグリンメルスハウゼンはお払い箱だろう。本人も辞めると言うかもしれない。グリンメルスハウゼン元帥府は解散だな、俺も事務局長から解放だ。

後任は誰かな、俺は平民だし精々勲章で終わりだろう。となるとメルカッツという手も有るか……。政治的な面での野心も持たないしリヒテンラーデ侯としては組み易い相手ではある。エーレンベルク、シュタインホフも危険視はしないはずだ。そうなると連中が組むのは俺じゃなくメルカッツか……。メルカッツなら今の艦隊司令官を適正に評価するだろう、問題はない。

俺はどうなるかな、もしかすると総参謀長職から外れるかもしれんな。宇宙艦隊に影響力が有り過ぎるとか警戒されているだろうと思うんだ。貴族嫌いも気になるだろうし……。閑職かな、兵站統括部の部長とか幕僚総監とか……。まあ殺されることは無いだろう。……リップシュタット戦役が終わったら退役しよう。軍人なんて疎まれながらする仕事じゃない。


 

 

第二十八話 当代無双の名将? 誰の事だ?




宇宙暦796年 11月 26日  イゼルローン要塞 アレックス・キャゼルヌ



司令室に入ると遠征軍総司令部は憂色に包まれていた。オスマン総参謀長と作戦主任参謀コーネフ中将が顔を寄せ合って話しをしているが二人とも難しい表情をしている。日頃物に動じた様子を見せないヤンも顔色が良くない。戦況は芳しくないようだ。そしてドーソン総司令官は不機嫌そうな表情で周囲を睨んでいる。俺を認めると露骨に顔を顰めた。

この馬鹿がイゼルローン要塞に着いて最初にやった事は俺を司令室から追い出す事だった。何処かからか俺が撤退を提言したレポートの作成者だと聞いたらしい。俺を追いだす事で消極論者、撤退論者はいらないと周囲に宣言したつもりらしいが周囲からは呆れられただけだった。この馬鹿が来た時には補給は崩壊状態だったのだ、それなのに俺を追いだすとは……。

「キャゼルヌ少将」
オスマン総参謀長が俺を認め声をかけた。ドーソン総司令官が顔を顰めたが気付かぬ振りで総参謀長に近付いた。
「どうかな、輸送部隊は」

「難しいですね、ハイネセンを出たのが今月の二十日です。どんなに急いでも要塞に届くまで後三週間はかかります。艦隊に届くのは更に一週間はかかるでしょう、戦闘には間に合いません」
総参謀長が何かに耐えるかのように目を閉じた。隣に居たコーネフ中将は溜息を吐いている。

「第三艦隊、ルフェーブル中将が戦死。第三艦隊は潰走状態で惑星レージングから撤退しています」
オペレーターの報告に彼方此方から呻き声が上がった。潰走状態で撤退? つまり統制のとれた指揮など無いという事か、第三艦隊は指揮官を失い算を乱して逃げている。この分だと損害はさらに増えるだろう。

“どういう状況なのです?”そう聞きたかったがドーソン総司令官が近くに居る、総参謀長から離れてヤンの傍に行った。こいつもシトレ元帥に近いと見られてドーソンから嫌われている。殆ど仕事を与えられていないようだ。もっともそれを苦にしている様子も無い。小声で訊いてみた。
「ヤン、どうなっている?」

ヤンが首を横に振った。そして同じように小声でぼそぼそと答えた。
「酷いものですよ、損害を受けているのは第三艦隊だけじゃありません、第二艦隊はビルロストで包囲され降伏しました、第七艦隊もドヴェルグ星系で降伏しています。他の艦隊も降伏こそしていませんが一方的に叩かれ敗走しています。まともに立ち向かっている艦隊は有りません」

「酷い状況だな、二個艦隊が降伏、一個艦隊は潰走したのか。損害は四割を超えるんじゃないか?」
「コーネフ中将も同じような事を言っていました。私は五割近く、いや五割を超えるんじゃないか、そう思っています」
八個艦隊の五割と言えば四個艦隊、将兵だけで五百万を超えるだろう、艦艇は六万隻……。同盟軍全体の三分の一に相当する。途方も無い数字だ、眩暈がした。

「キャゼルヌ先輩、帝国軍はどうもこれまでの帝国軍とは違うようです」
「違う?」
俺が問い返すとヤンが頷いた。
「ええ、司令長官がミュッケンベルガー元帥からグリンメルスハウゼン元帥に変わりました。それに伴って艦隊司令官も代わったのだと思います。そうでなければいくら補給が苦しいからと言ってこれ程までに一方的にやられるとは思えません」

「ヴァレンシュタインか?」
「おそらくはそうでしょう。この日のために精鋭部隊を集めたのだと思います。これからの同盟軍は彼らを相手にする事になる。厄介な事になりそうですよ」
憂鬱そうな表情だ、だがそれが事実なら……、溜息が出た。

オスマン総参謀長がドーソン司令長官に意見具申をし始めた。
「閣下、第二艦隊、第七艦隊は降伏し第三艦隊はルフェーブル中将を失い事実上艦隊としての統制を失いました。その他の艦隊も帝国軍の攻勢の前に多大な損害を出しつつ後退しています。小官はこれ以上の戦闘継続は不可能と判断し撤退を進言します」

ドーソン総司令官の顔が引き攣った。
「撤退など認めん! 艦隊を分散させ過ぎた、アムリッツアに集結させろ、アムリッツアで決戦だ!」
馬鹿か、お前は。分散させたのはお前だろう。お前が味方を殺しているんだという事を少しは反省しろ!

「閣下! 今でさえ遠征軍は三割を超える損害を受けているのです。戦える艦隊は五個艦隊、しかも疲れ切り損害を受けた艦隊です。帝国軍は最低でも八個艦隊を動員しています、到底勝てる相手ではありません。このうえ敗北すれば同盟の安全保障に大きなダメージを与えるでしょう。無念ですが捲土重来を期して撤退するべきです」
オスマン総参謀長が頬を紅潮させて言い募った。総参謀長もこの馬鹿には相当頭にきているらしい。

「駄目だ! アムリッツアで決戦するのだ!」
眼は血走り、身体が震えている。まともな判断が出来ているとは思えない。総司令官がこれでは戦っている将兵が哀れだ。ヤンが溜息を吐いた。仕方ない、俺も手を貸そうか、逆効果になるかもしれんが後に続く人間が出てくる可能性も有る。総参謀長に近寄った。

「小官も総参謀長の意見に賛成です、撤退すべきです」
「貴官の意見など必要無い! どうせ補給が無いと言うのだろうが武器弾薬は有る、戦える筈だ!」
この馬鹿、兵を飢えさせたまま戦うつもりか? どうにもならんな。

「足りないのは食料だけではありません、遠征軍は医薬品も不足しています」
「何?」
ドーソン総司令官がキョトンとした表情を見せた。
「住民達は医薬品も欲しがったのです、各艦隊は彼らに医薬品も供給しました。どの艦隊でも医療班は怯えているでしょう、そのうち負傷者に投与する医薬品が無くなると、このまま戦闘が続き負傷者が増え続ければ彼らを見殺しにする事になると」
「馬鹿な……」

馬鹿はお前だ。お前が際限なく占領地を拡大させるからこうなったのだ。食料に比べれば僅かだが影響は少しも変わらない。事の重大性が理解できたのだろう、ドーソンが怯えたような表情を見せた。ドーソンだけじゃない、司令室に居る誰もが表情を強張らせている。

「イゼルローン要塞に有る医薬品を……」
「とっくに送りました!」
「……」
「送ったんです、この要塞にはもう最低限の医薬品しかない。それを前線に送っても焼け石に水です。抜本的な解決策にはなりません」
「……」
ドーソン総司令官が震えている。もっとも表情は蒼褪めている。震えている理由は恐怖だろう。

「どうします、負傷者を見殺しにしますか?」
「……」
「閣下、御決断ください!」
ドーソンが微かにビクッと震えた。勝ったな、これでもう決戦とは言えんだろう……。



帝国暦 487年 11月 27日  オーディン 新無憂宮  エーレンベルク



「では反乱軍は撤退しているのじゃな」
『撤退では有りません、後退です』
スクリーンに映るヴァレンシュタインが訂正するとそれまで上機嫌だったリヒテンラーデ侯が面白くなさそうに顔を顰めた。

「しかし優勢なのであろう?」
『はい、二個艦隊が降伏、一個艦隊が潰走状態になっています。その他の艦隊も大きな損害を出して後退し続けています。現時点で反乱軍に対して四割以上の損失を与える事が出来たと考えています』
「うむ」

『しかし油断は出来ません。現時点では反乱軍は後退していますが未だ戦闘可能な艦隊は有るのです。何処かで集結して決戦を挑んでくる可能性が有ります』
リヒテンラーデ侯が私とシュタインホフ元帥に視線を向けてきた。ヴァレンシュタインの言う通りだ、可能性は有る。黙って頷いた。リヒテンラーデ侯が分かったと言うように頷いた。

「分かった、勝っている以上問題はない、このまま勝ちきってくれ、頼むぞ」
『はっ』
通信が切れると自然と三人で向かい合うような態勢になった。
「先ずは重畳、そんなところだの」
国務尚書の執務室に軽い笑い声が満ちた。

「現時点で四割を超えるとなれば最終的には五割を超えるかもしれませんな」
「当分は反乱軍も大規模な軍事行動を控えましょう。艦と将兵だけではない、物資もかなり消耗したはずです」
私とシュタインホフ元帥が言うとリヒテンラーデ侯が嬉しそうに頷いた。

「早速皆に報せるとするか、この戦果を知れば外戚達も大人しくなろう」
リヒテンラーデ侯の声も明るい。ようやく愁眉を開いた、そんな感じだ。陛下が無くなられた後、帝国には不穏な空気が漂っている。次期皇帝の座を巡って貴族達が蠢いているのだ。例えてみれば大地震が来る前に小さな地震が連続して起きている様なものだろうか……。

「ところで次期皇帝はどなたに?」
興味本位で訊いたのではない、次の皇帝が誰かは軍の体制にも影響する。事前に知っておかなくてはならない。リヒテンラーデ侯が口に出すのをちょっと躊躇う様なそぶりを見せた。
「エルウィン・ヨーゼフ殿下を、そう考えている」

侯が私とシュタインホフを見ている。
「外戚達に帝国を委ねる事は出来ん、そうなれば我らは終わりだ」
当然そうなるだろう。退役出来れば良いがそれも危うい。あの馬鹿げた二つの事件、クライスト達の命令違反とヴァレンシュタインの襲撃事件を思えば分かる。理性など欠片も無い連中だ。

「それにあの連中に帝国を委ねたら悲惨な事になるだろう。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、あの二人には貴族達を押さえる事など到底出来まい、むしろ野放図に増長させるのがオチだ。それがどれだけ危険な事かあの連中には分からんのだ。軍人である卿らなら分かるだろう?」

当然だ、今や軍の指揮官達は爵位を持つ貴族よりも平民、下級貴族が主流なのだ。その良い例がヴァレンシュタインであり彼が編成した宇宙艦隊だ。平民達に不満は持たせても怒らせる事は出来ない、彼らを宥めながら帝国を運営していかなければならないのだ。

「となると宇宙艦隊司令長官の人事は如何します? 陛下がお亡くなりになられた以上、グリンメルスハウゼンをその地位に就けておく必要は有りません。本人も辞任を望む可能性も有ります」
私が問い掛けるとリヒテンラーデ侯が“そうか、それが有ったな”と呟いた。

「内戦になる可能性が有ります、いや内戦になるでしょう。勝てる指揮官が必要です」
「ヴァレンシュタインかメルカッツ、あるいはクレメンツですが……」
私とシュタインホフ元帥が言うとリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。

「あれは平民であろう、メルカッツは知っているがクレメンツというのは何者かな?」
「グリンメルスハウゼン元帥府に所属しています。艦隊司令官の一人ですが彼も平民です」
私の答えに侯の渋面が更に酷くなった。やはり平民を司令長官にというのは抵抗が有るようだ。まあ私も出来れば避けたい。それはシュタインホフ元帥も同様だろう。

「ではメルカッツですか、しかしやり辛いでしょうな、総参謀長がヴァレンシュタインでは……」
シュタインホフ元帥の意見に同感だ、どうにもやり辛いだろう。
「その事だがあれを宇宙艦隊から外す事は出来ぬか、いささか力を持ち過ぎたと思うのだが……」
執務室に沈黙が落ちた。三人が何かを窺うように顔を見合わせている。

「内戦が迫っております。反乱軍は今回の暴挙で大きな被害を受けたとはいえ油断は出来ません。早期に勝利を得ようとすればあの男の力が必要ですが……」
「当代無双の名将か。……しかし軍務尚書、このままでは宇宙艦隊はあの男の私兵同然になるのではないか?」
「……」

また沈黙が落ちた。確かに宇宙艦隊におけるヴァレンシュタインの影響力は大きい。反乱軍に対して鮮やかな勝利を収めた今、その影響力はさらに拡大するだろう。将兵達は勝てる指揮官を望み尊崇するものだ。そこには平民、貴族の区別は無い……。
「メルカッツ一人では勝てぬかな? ヴァレンシュタインが居なければ無理か?」

どうだろう、負けるとは思わないが時間がかかるのではないだろうか? シュタインホフ元帥に視線を向けたが彼も難しい表情をしている。しかし国務尚書の危惧も分からないでは無い……。
「しかし総参謀長から外すと言っても次のポストは何処にします? なかなか難しいと思いますが……」
シュタインホフ元帥の指摘に唸り声が起きた。確かに難しい、軍務次官か統帥本部次長くらいしか思いつかない。

「内乱が終わるまでは現状のままが宜しいかと思います。下手に組織を弄りますと混乱しかねません。それでは貴族達を喜ばせるだけです。先ずは勝つ事を優先させるべきでしょう」
「……」
私の言葉にシュタインホフ元帥が頷く、少し置いて国務尚書が“そうするか”と言って不承不承頷いた……。

「では陛下がお亡くなりになった事は何時発表されますか?」
「ふむ、反乱軍が撤退した後だな。それ以上は隠す理由が無いからの」
確かに、必要以上に隠すのは痛くも無い腹を探られることになるだろう。
「では宇宙艦隊が戦闘終結、勝利宣言を出した後という事で」
「うむ」

それで良いかというようにシュタインホフ元帥が視線で問い掛けてきた。妥当な判断だな、それ以前では反乱軍に変な勘違いをさせかねない、再侵攻等という事があってはならん。……それにしてもオーディンでは殆どの貴族達が陛下の死を知っているはずだ。今更皇帝陛下崩御を発表するのは茶番と言えば言える。

「次期皇帝の発表は如何します」
「皇帝陛下崩御を報じた後だが何時が良いかな?」
私が問い掛けるとリヒテンラーデ侯が逆に問い返してきた。
「宇宙艦隊が或る程度オーディンに近付いてからの方が宜しいでしょう。まあシャンタウ辺りですかな、……如何かな、シュタインホフ元帥」
「良いのではないかな、目途としては戦闘終結宣言から十日程の事になるだろう」

シャンタウならリッテンハイム、ブラウンシュバイクにも近い。連中の暴発を防げるはずだ。
「なるほど、では十日の間、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯のどちらを選ぶか迷う振りでもするか」
そう言うとリヒテンラーデ侯は含み笑いを漏らした……。



 

 

第二十九話 これから必要になるのは喪服だろう



帝国暦 487年 11月 30日  オーディン アンネローゼ・ヴァレンシュタイン



「戦闘は終わったようです。宇宙艦隊は戦闘終結を宣言しました」
「そう」
「最終的に反乱軍は五割を超える損害を出して撤退したそうです。一方的でした」
「そう」
「多分、年明け早々には艦隊はオーディンに戻ってくるでしょう」
「……」
年明け早々には戻ってくる……。

「あまり嬉しくはなさそうですね、姉上」
「そんな事は無いわ、ラインハルト」
「でも軍が勝ったと言っても艦隊が戻ってくると言っても嬉しそうじゃ無かった」
ラインハルトが、ジークが探る様な視線で私を見ている。

「年内には戻ると聞いていたの、年明けと今聞いたから未だ先だなと思って……、ちょっとがっかりしたのよ」
「……そうですか」
ラインハルトが不満そうな表情を見せた。この二人は私が不当な扱いを受けたと思っている。夫からも不当な扱いを受けていると思っている。そしてその事で苦しんでいると……。

宮中から不当な扱いを受けなかったとは言わない、望んで入った後宮では無かった、なぜ責められるのかと不満に思う事も有る。でも夫から不当な扱いを受けたとは思わない。確かに財産は失ったが安全を得たのも事実なのだ。爵位も財産も失った私には貴族達も関心を示さない。生活に不自由を感じているわけではない、煩わしさからは解放されたとホッとしている。

そう思うと夫はどうなのだろうと思ってしまう。あの襲撃事件で大怪我をした。右腕は重い物を持てなくなり右足は足首から先を失い歩くのにも不自由をしている。そして皇帝からは厄介者になった女を押し付けられた……。不当に扱われているのはむしろ夫の方だろう。

「これからどうなるのかしら」
「さあ、後継者を決めないまま亡くなりましたからね。すんなりとは収まらないと思います」
「……」
皇帝フリードリヒ四世が死んだ。まだ正式には発表されていないが皆が知っている。私とラインハルトにはヴェストパーレ男爵夫人から報せが有った。

何の感慨も無かった、ああ死んだのだと思った。悪い人では無かったし世間で言われている様な愚かな人でも無かった。だが強い人では無かった、酷く弱い人だったと思っている。そしてその弱さゆえに酒と女に逃げる事しか出来なかった人だった。皇帝には一番不向きな人だった……。

「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も次期皇帝の座を巡って大変なようです。有力な貴族に応援を頼み見返りは娘との結婚を提示しているとか。このままでいくと女帝夫君は何人、いや十人以上になりそうですよ」
「……」
ラインハルトが皮肉った。例えどれほど滑稽に見えようとブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も引くに引けないのだろう……。

「最終的にはリヒテンラーデ侯の決断が次期皇帝を決めるだろうと言われていますが侯はどちらを選ぶか迷っているそうです。まあどちらを選んでも選ばれなかった方は収まらないでしょう、まだまだ帝国は混乱するでしょうしそれを抑える事になる軍の存在が重みを増すだろうと思います」
「……」

「残念ですね、総参謀長は」
ラインハルトが変な笑みを浮かべている。
「何が残念なの」
「平民ですからね、元帥への昇進は無いだろうし宇宙艦隊司令長官への就任も無いでしょう」
「ラインハルト」
窘めたがラインハルトは止まらなかった。

「姉上だってお分かりでしょう、私達でさえ爵位の無い貴族として蔑まれたんです。総参謀長ならなおさらですよ。このままずっと上級大将のまま馬鹿な貴族の御守りをさせられるのかな、憐れな。退役前に御情けで元帥にしてもらえれば良いが……」
「ラインハルト! いい加減にしなさい!」
私の叱責にラインハルトが不満そうな表情を見せた。

「私は総参謀長を高く評価しているんです。私なら総参謀長を元帥に昇進させて宇宙艦隊司令長官にしますよ。平民だからといって差別などしない。それに貴族達に唯々諾々と従っている総参謀長が歯痒いだけです。私だったら……」
「ラインハルト、口を閉じなさい。辺境警備の一少将が口にする事じゃないわ、身の程を知りなさい」
口は閉じたけど不満そうな表情は消えていない。

「ジーク」
「はい」
「ラインハルトが愚かな事を言わないように注意してね」
ジークが答える前にラインハルトが口を開いた。

「大丈夫ですよ、姉上。姉上の前だから言ったんです、他では言いません。そうだろう、キルヒアイス」
「はい、御安心ください、アンネローゼ様」
「だといいのだけれど……」
溜息が出た。

この子は夫を嫉んでいるのかもしれない、蔑み憎んでいるのかも……。これまではフリードリヒ四世がその対象だった。でも私が夫に下げ渡された事で、フリードリヒ四世が死んだ事でその対象が夫に移った……。相手が皇帝だからこれまではそれを抑える事が出来たと思う。でも夫に変わった今、それを抑えられるだろうか……。



帝国暦 488年 1月 5日  オーディン 新無憂宮  国務尚書執務室 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



オーディンに戻ると俺とグリンメルスハウゼン老人は新無憂宮にある国務尚書の執務室に呼ばれた。待っていたのはリヒテンラーデ侯の他に軍務尚書エーレンベルク、統帥本部総長シュタインホフの二人の元帥だ。久しぶりに見ると懐かしい感じがしたが気のせいだろう。

「グリンメルスハウゼン伯、この度の反乱軍撃破、真に見事であった」
「有難うございます」
「最終的にはどの程度の損害を与えたのかな?」
国務尚書がグリンメルスハウゼン老人に声をかけると老人が俺を見た。答えろって事か? さっきあんたに説明したのはこのためなんだけど……。国務尚書、軍務尚書、統帥本部総長、皆が俺を見ている。仕方ない、答えるか……。

「艦隊戦力は八個艦隊の内二個艦隊を降伏させその他の艦隊にも大きな損害を与えました。五割を超え六割に近い損害を与えております。これを反乱軍の宇宙艦隊全体で見ますと反乱軍は約四割の戦力を損失したと判断できます」
執務室に満足そうな声が溢れた。アムリッツア会戦が無いから原作に比べれば少ないんだけどね、満足してくれて嬉しいよ。

「その他にも辺境星域に進駐していた陸戦部隊、通信部隊を捕虜にしました。捕虜の数は艦隊乗組員も合わせれば二百万人に近いと思います」
「二百万か……」
国務尚書が溜息を吐いた。まあ分からないでもない、辺境星域の有人惑星にはそれより人口の少ない星も有る。

「真に見事な勝利であった、亡きフリードリヒ四世陛下もさぞお喜びであろう」
国務尚書が労うとグリンメルスハウゼンが“恐れ入ります”と答えた。少し声が湿っている。あの皇帝の死を本気で悼んだのはこの老人ぐらいのものだろうな。二人の娘も何で自分の娘を後継者に選んでくれないのかと怨んだかもしれん。でも一人でも悼んでくれる人間が居たんだ、それでよしとすべきだろう。どう見たって名君とは言い難いんだから。

「卿は新帝陛下の事をどう思われるかな、新帝陛下は先帝陛下の嫡孫、唯一の男子でもあられる。皇位を継がれるべき方だと思うのだが貴族達の中には不満を漏らす者が居るので困っているのだ」
探る様な口調だ、聞いていてあまり楽しい口調じゃない。ついでに言えば不満を漏らすなんて生易しいレベルでは無いだろう。声高に騒いでいるのが事実だ。

「先帝陛下は後継者をはっきりとは決めませんでした。その事で一部の者が騒いでいるのでしょうがそれは決める必要が無かったからではないかと私は思っております」
おや、爺さんが妙な事を言いだしたな、他の三人も不思議そうな顔をしている。

「ブラウンシュバイク公爵家のエリザベート様、リッテンハイム侯爵家のサビーネ様、いずれも姫様方であられます。直系の男子を差し置いて皇位に就くなどあり得ますまい。敢えて決めなんだのはそういう事では有りますまいか」
「なるほど」
リヒテンラーデ侯がグリンメルスハウゼンの答えに一瞬虚を突かれたが直ぐに“そうであろう、いや、そうに違いない”と言って頷いた。軍務尚書も統帥本部総長も満足そうに頷いている。

なるほどなあ、そういう考え方も有るか。筋は通っているからブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も反論は難しいな。大義名分を得た、そんな感じか。リヒテンラーデ侯が喜ぶはずだよ。どうした爺さん、フリードリヒ四世が死んで覚醒したか。

「見事な伯の見識、恐れ入った。どうであろう、その見識を陛下のために役立ててはくれぬか」
「……」
「陛下はまだ幼い、陛下の御守役を卿に頼みたいのだ。そうなれば先帝陛下もお喜びであろう、どうかな、受けて貰えぬか」

上手い! 座布団二枚は上げられるな。御守役なら常に宮中に居なければならんから宇宙艦隊司令長官は辞める事になる。この爺さんには野心も無いから幼君を預けても安全だろう。年寄りには子守が良く似合う、エルウィン・ヨーゼフ二世も爺さんになついで少しは性格が良くなるかもしれん。

「有難い御話ですが私は引退したいと考えています」
「引退……」
「はい、フリードリヒ四世陛下が亡くなられて何と言うか虚しくなりまして……、この先は領地に戻り静かに余生を送りたいのです。お許しを頂きたいのですが……」
リヒテンラーデ侯が軍務尚書、統帥本部総長に視線を向けた。二人が軽く頷くとリヒテンラーデ侯がそれに答えるように頷いた。

「そうか、残念ではあるが仕方ないな」
「お許しを頂きました事、有難うございます」
皆神妙な顔をしているが内心では大喜びだろうな。まあ大喜びでは無くてもホッとしているのは間違いない。俺だってようやくこの老人から解放されたという思いが有る。大体誰も引き留めないんだから……。

「つきましては後任の宇宙艦隊司令長官ですがヴァレンシュタイン上級大将にお願いしたいと思っております」
おいおい爺さん、何を言い出すんだ。リヒテンラーデ侯もエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥も驚いているぞ。いかんな、このままだと俺が言わせていると勘違いされかねん。危険視されるのは御免だ。

「閣下、小官はその任に就ける立場では有りません。何を仰るのです」
「いやいや、卿以外に適任者はおらんじゃろう。卿が平民だという事は分かっているがその武勲は誰もが認めるところ、それに卿は先帝陛下よりグリューネワルト伯爵夫人を下賜されたのじゃ、その信任は並みの貴族など到底及ばぬ。元帥、宇宙艦隊司令長官に就任する資格は十分に有る。……如何でしょうかな」

強引だな、爺さん。あんた、本当にグリンメルスハウゼンか? 俺が驚いているとリヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥も少し驚いたような表情で顔を見合わせている。
「……どう思うかな?」
リヒテンラーデ侯がエーレンベルク、シュタインホフ元帥に問い掛けた。二人は未だ顔を見合わせている。

「小官は反対は致しません」
「小官も軍務尚書と意見を同じくします」
「なるほど、……ではヴァレンシュタイン総参謀長を元帥に階級を進め宇宙艦隊司令長官にしよう」
不承不承だな。爺さんに押し切られた、そんなところか。

こいつ等は俺が元帥になる事も宇宙艦隊司令長官に就任する事も喜んではいない。こいつ等は味方じゃない、いやむしろ敵だろう、油断は出来ない……。そして爺さん、俺は知らんぞ。あんたは俺に剣を与えた、そして敵もだ。俺は剣を抜く事を躊躇う人間じゃない、その剣に血を吸わせる事もだ。

「有難うございます」
「有難うございます、懸命に努めます」
「うむ、励むが良い」
取りあえず終わった。グリンメルスハウゼンと共に帰ろうとすると俺だけ残れと言われた。

グリンメルスハウゼン老人が立去るとリヒテンラーデ侯が表情を厳しくした。他の二人も厳しい表情で俺を見ている。侯が口を開いた。
「宇宙艦隊を早急に編成せよ、これまでの様に九個艦隊等では困る、十八個艦隊揃えるのだ」
「はっ」

「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が妙な動きをしている」
「と言いますと」
「これまで対立していたがここにきて密かに手を結んだらしい」
「なんと、真でございますか」
「うむ」
ワザと驚いて見せるとリヒテンラーデ侯が渋い表情で頷いた。

「しかし一体何をしようと言うのでしょう? まさかとは思いますが武力による簒奪でしょうか?」
「おそらくはそうであろう、本人達もその周囲も歯止めが利かなくなっておるようだ」
溜息を吐いて首を振った。出来るだけ野心の無い有能なだけの軍人に見せろ。それ以外は不要だ。

「宇宙艦隊を整えよと御命令を受けましたがそれは貴族達の暴発を未然に防ぐためでしょうか、それとも暴発した貴族達を鎮圧せよという事でしょうか?」
俺の問い掛けに三人が顔を見合わせた。答えたのはエーレンベルクだ。
「鎮圧だ、この際帝国の膿を出し切ろうと考えている」
二度、三度と頷いて見せた。それにしても膿か、適切な表現だな。

「となると反乱軍の動きが気になります」
「それ故宇宙艦隊を早急に整えよと命じているのだ! 遅れればそれだけ連中の介入の危険度が高まる!」
「はっ」
今度は畏まってみせるとエーレンベルクが満足そうに頷いた。

「ヴァレンシュタイン、卿を宇宙艦隊司令長官、元帥にするのは卿なら勝てると思うからだ、決して後れを取る事は許さん」
「分かっております、御信頼を裏切るような事は致しません」
「うむ」
最後はシュタインホフだ、好い気なもんだよな。

「早期鎮圧のために一つお願いが有ります」
三人が顔を見合わせてからこちらを見た。リヒテンラーデ侯が“何だ”と問い返してきた。
「今回の戦いで辺境星域にはかなりの負担をかけました。彼らの苦労を労って欲しいのです」

「具体的には卿は何を求めておるのだ?」
「辺境星域の開発を」
俺が答えるとリヒテンラーデ侯が渋い表情をした。金かかるからな、嫌がるよな。
「ここで彼らの負担を労わないと貴族達が暴発した時、辺境がそれに同調する可能性が有ります。反乱を早期に鎮圧するためには辺境星域の不満を解消しておく必要が有ります」
「……」

「最悪の場合は今後反乱軍が押し寄せた場合、辺境星域は本当に彼らに味方しかねません」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯がエーレンベルク、シュタインホフに視線を向けた。視線を受けてエーレンベルクが
「ヴァレンシュタインの言う通りです、今後の事を考えれば何らかの対応は必要です」
と答えるとシュタインホフが頷いた。リヒテンラーデ侯の表情が更に渋いものになった。

「言っている事は分かるが財源が……」
「今回の戦いで反乱軍の艦艇を一万三千隻以上鹵獲しました。これを売却すればかなりの金額になります。役立ててはいただけないでしょうか?」
俺が提案するとジロリとリヒテンラーデ侯が俺を睨んだ。

「簡単に言うでない。今年はそれで良いかもしれんが来年以降は……、いや内乱が終結すれば財政に余裕は出るか……」
リヒテンラーデ侯が呟き考え込んでいる。そうそう、来年以降は馬鹿貴族共の財産を没収するんだから財源は有る。開発資金の捻出は十分に可能だ。今後は同盟軍が攻め込んでくる可能性が有る、その地域を敢えて開発する。その意味は大きい、辺境も政府が自分達の事を考えてくれていると理解するだろう。

「良いだろう、卿の提案を受け入れよう。なんども言うようだが早急に艦隊を編成して貰おう、反乱軍が介入する前に内乱を終わらせなければならん」
「承知しました」


執務室を出て廊下を歩いているとグリンメルスハウゼンが居るのが見えた。どうやら俺を待っていたらしい。急ぎ足で近付いた。
「閣下、先程は御推挙、有難うございました」
「いやいや、当然の事をしたまで。礼を言われるようなことではない」
「……」

「むしろ礼を言うのはこちらの方だ。これまで良くこの老人を助けてくれた、感謝している」
「総参謀長として当然の事をしたまでです。むしろどこまで閣下を御支えする事が出来たのか、心許なく思っております」
「いや、卿は本当に良くやってくれた。礼を言う」
出来れば礼を言う前に辞めて欲しかった。悪い人物じゃないんだが、組織のトップには向かないよな。廊下を歩きだした、この老人と歩くのは悪くない、ゆっくり歩いてくれるからな。

「卿の様に能力の有る人間にとっては帝国で平民に生まれるというのは苦痛だろうの」
「……そのような事は」
「隠さずともよい、私の様な凡庸な人間でも貴族と言うだけで元帥にまでなれる。だが卿を元帥にと言えば皆が顔を顰める、面白く有るまい」
「……」
言葉に詰まると老人が笑い声を上げた。

「私に出来るのはここまでだ、後は卿自身の力で未来を切り開くがよい」
「未来ですか……」
「うむ、卿自身が望む未来をの」
「……貴族の方々にとっては面白くない未来かもしれませんが」
俺の言葉に老人がまた笑った、上機嫌だ。

「それも良い。……卿が選んだ司令官達は皆平民か下級貴族であった。貴族達が顔を顰めておったな。随分と文句を言われた」
「申し訳ありません、御迷惑をおかけしたようです」
「いや、構わん。力有る者が上に立つのは当然の事、例え貴族といえど力無き者は滅ぶしかない。どうせ滅ぶのであれば精々華麗に滅びれば良いのだ」
「……その御言葉は」
老人が三度笑った。面白そうな表情で俺を見ている。

「驚いたかの、先帝陛下の御言葉であった」
「……」
「内乱が起きる、その中で力有る者だけが生き延びれば良い、それが先帝陛下の御意志。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もリヒテンラーデ侯も先帝陛下の掌の上で踊っているだけの事……」
そして俺も踊らされる一人というわけだ、クソ爺が……。

老人二人がゲームの駒を選んだ。ゲームの名は帝国の覇権。選ばれた駒はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯、そして俺。多分ラインハルトは途中で脱落したのだろう、駒としては全くの平民である俺の方が面白いとでも思ったに違いない。元帥府を開いて俺に人を集めさせたのもそれが理由だ。

「卿自身が望む未来を作ろうとするのであれば最後まで踊る事じゃ。踊り疲れれて倒れれば未来も消える。どうじゃな、踊れるかな?」
老人が試す様な目で俺を見た。負けられない、そう思った。俺はこの老人に選ばれたゲームの参加者なのだ。
「踊ります、踊り切ります」
老人がまた笑った。

「楽しみだの、卿がどのように踊るのか。期待しておるぞ」
「はっ」
「ブリュンヒルトは卿に譲る、好きに使うがよい、私には必要ないものだ」
「御好意、有難うございます」
感謝するよ、御老人。先ずは白の貴夫人を黒く塗ってやろう。これから必要になるのは喪服だろうからな……。



 

 

第三十話 地雷女って何処にでもいるよな



帝国暦 488年 1月 15日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「帝国元帥、宇宙艦隊司令長官か。おめでとう、エーリッヒ」
「有難う、ギュンター。嬉しいよ、喜んでくれる人が少なくてね」
俺が答えるとキスリングが苦笑を浮かべた。実際全く歓迎されていない。元帥杖授与式では貴族の大半が欠席したし出席者の殆どが面白くなさそうな表情をした。軍人も同様だ、まあ二十歳をちょっと過ぎたばかりの平民の若造が元帥とかって頭くるよな。

元帥杖授与式では本当は膝をつかないといけないんだが足が不自由だからという理由で勘弁してもらった。その事も不評だったみたいだ。でも俺は気にしていない、どうせ連中のほとんどはこれから起きる内戦で居なくなる運命なのだ。ちょっとぐらいの不満は大目に見てやろう、だから最後の段階で命乞いとかするなよ、無駄だからな。

元帥府を開くことにした。グリンメルスハウゼン元帥府はそのままヴァレンシュタイン元帥府になった。使っていた建物も同じだ、今俺はグリンメルスハウゼン老人が使っていた執務室にキスリングと共に居る。

「宇宙艦隊も陣容が決まったようだな、平民と下級貴族の司令官か、反発が大きいぞ」
「実力で選んだ、それだけだよ」
「皆危険視している、気を付けろ」
気を付けろか、全くだ。今は戦場で役に立つ軍人、そう思わせる事が大事だ。

実際艦隊司令官に選んだ男達も戦場で役に立つ男達だ。アイゼナッハ、ワーレン、ビッテンフェルト、ルッツ、ファーレンハイト、シュタインメッツ、シュムーデ、リンテレン、ルーディッゲ、ルックナーが新たに中将に昇進して正規艦隊司令官になった。俺の後任の総参謀長にはメックリンガーを選んだ。

なかなかの陣容だろう、これなら何処に出しても非難などされない、出自さえ除けばな。彼らは今艦隊を編成している最中だ。使えるようになるまで後一カ月から一カ月半はかかるだろう。内戦の開始は三月だろうな、今年は梅は楽しめるが桜は楽しめそうにない……。

「良いのか、そんな危険人物と会って。卿も危険視されるんじゃないか?」
「俺はここには卿の護衛態勢について話しをしに来たんだ、問題は無い」
胸を張って言うな、それはもうヴァレリーと話しをしただろう。しかも基本的にはこれまでと変更無し、そうなったはずだ。

「それで?」
「例の事件について報告しようと思ってな」
「……」
「ナイトハルトから依頼を受けた。大本はクレメンツ教官だ。卿は動くなと言ったそうだがそれでは有耶無耶になる、密かに調べてくれと依頼を受けた」
「……」

「まあそんな顔をするな、依頼が無くても調べていただろう。あの事件はベーネミュンデ侯爵夫人の暴発で片付けられたが色々と不可解な点が有ってな、調べたかったんだが上からの命令で打ち切られた。疑問に思っていたんだ」
「危険だから関わらせたくなかったんだ」
困った奴らだ、危険だというのに手を出す……。リューネブルクが死んだ事を忘れたのか……。

「反乱軍が攻め込んできた事で皆の関心があの事件から薄れた。皇帝陛下が崩御された事で更にそれが強まった。今では誰もベーネミュンデ侯爵夫人の事を口にもしない。密かに捜査しても誰も気にしなかったよ、あの事件はもう忘れ去られている」
「……そうか」
もう過去の事件か、俺の脚は未だ時々痛むというのに……。

「痛むのか?」
キスリングが痛ましそうな表情をしていた。
「……いや、大丈夫だ」
「そうか、足を擦っているから痛むのかと思った」
「……大丈夫だよ、ギュンター。そんな顔をするな」
あの事件の事を想いだすとどうしても足を擦ってしまうんだ。そしてリューネブルクの事を想いだす……。

「ベーネミュンデ侯爵夫人は自殺じゃない、間違いなく他殺だ」
「そうだろうな、彼女は自殺する様な女じゃない」
俺の言葉にキスリングが頷いた。
「彼女は寝る前に温かいミルクを飲む習慣が有った。それに遅効性の毒を入れたのだろう。多分、彼女は何も分からないまま死んだはずだ」
「楽しい夢を見ながら死んだだろう、羨ましい事だ」
キスリングが肩を竦めた。皮肉を言ったつもりは無い、本心だ。あの女はアンネローゼが死ぬ夢を見ながら死んだはずだ。

「彼女の屋敷の使用人を調べた。事件二ヶ月後、侯爵夫人の傍近くに仕えた侍女が一人、ナイフで刺されて死んでいた。警察は通り魔による犯行と判断している。多分彼女が毒を入れたのだと思う」
「……動機は?」
「男だ」
「男?」
俺が問い返すとキスリングが頷いた。

「彼女には恋人がいたのだがこの男が酷かった。どうにもならない賭博狂いで借金を十万帝国マルク程作っていた」
長い戦争で男が少なくなっている。だからクズみたいな男でも女からは必要とされる、病んでるよな……。

「その男の借金を返すためか……」
「そうだろうな。あの事件の前後、彼はもう直ぐ大金が入る、借金は返せると言っていたらしい」
まともな話じゃない、十万帝国マルクと言えばごく平均的な家庭が得る年収の二倍の金額だ。胡散臭さがプンプン臭う。

「それで?」
「事件の後、彼は借金を返した。しかしその二ヶ月後にナイフで刺し殺されている、女と同時期だ。こちらも通り魔による犯行だと警察は判断している」
キスリングが俺をじっと見ていた。

「有り得ないな、同一人物による口封じだろう」
「ああ、どこかの有力者が手を回したのだと思う、それ以外は考えられない」
警察を意のままに操る有力者、貴族か……。
「大金に味をしめて強請ったかな?」
「そんなところだろう」
馬鹿な男だ、自業自得だな。

「それで操ったのは誰だ?」
「例の男が借金していたのはブラウンシュバイク公の息のかかった金融業者だった。敢えて野放図に貸して借金漬けにした可能性が有る」
「……」
「公自身が関与したとは思えないがその周辺が動いたのではないか、そう思っているよ」
ブラウンシュバイク公の周辺か……。

「手際が良いな、フレーゲルやシャイドに出来る事かな?」
「……」
「あそこにはシュトライト、アンスバッハ、それにアントンが居たな」
「ああ」
キスリングの顔が強張っている。まあここまでだな。

「それで捜査が打ち切られた理由は?」
キスリングがホッとしたような表情を見せた。
「イゼルローン要塞が反乱軍の手に渡った事が関係している」
「やはりそうか」
俺の言葉にキスリングが頷いた。

「あの事件の裏に貴族が絡んでいるんじゃないかという事はどんな馬鹿でも分かる事だった。だがそれを突けば国内が混乱しかねなかった。そう貴族達が脅したのさ、だからベーネミュンデ侯爵夫人の暴走で収めざるを得なかった。帝国軍三長官がミュッケンベルガー元帥の辞任だけで事を収められたのもそれが理由だ。貴族達も強く軍部を責められなかった、元はと言えば自分達が原因だからな。両者ともギリギリのところで手を引いたのさ」
俺の事などどうでもいいという事か、所詮は替えの利く駒、消耗品というわけだ……。

「有難うギュンター。良く分かったよ、危険だという事が。これ以上は動かないでくれ、卿を失いたくないからな。それにアントンを不必要に刺激したくない。どうせ戦うことになるけどね」
「分かった」
キスリングが掠れた声で答えた。やれやれだな……。



帝国暦 488年 1月 20日  オーディン  アンネローゼ・ヴァレンシュタイン



今日の夕食はチキングーラッシュと付け合せに粉ふき芋。それときゅうりとラディッシュのサラダ。ブレートヒェンとクヴァークを用意した。夫はジャガイモが好きらしい、先程から粉ふき芋を美味しそうに食べている。夫は余り量は多く摂らない、でも結構口は肥えている。美味しくないと口に出すことは無いが美味しいと思っている時とそうでない時ははっきりと分かる。今日は喜んで貰っている様だ。

夫にはお水、そして私には赤ワイン。私もお水にしようかと思ったけれど夫が自分に遠慮はいらないからワインを飲むようにと言ってくれた。申し訳ないけれど一杯だけ頂くことにした。
「この家に慣れたかな」
「はい」

私の答えに夫が頷いた。今度はブレートヒェンにクヴァークを付けて食べた。眼が和んでいるからこれも気に入ったのだろう。夫は元帥に昇進するとこれまでの官舎から元帥府の傍に有る瀟洒な館を購入して移り住んだ。理由は官舎よりもこちらの方が警備しやすいから。事実警備兵は元帥府とこの館の両方を一つの警備対象としている。それだけ今のオーディンは危険だという事だろう。

「今日、ヴェストパーレ男爵夫人とシャフハウゼン子爵夫人がいらっしゃいました」
「そうか、あの人達が住んでいる屋敷に比べれば小さな館だ、驚いていただろう」
「そんな事は……」
「冗談だ、そんな顔をするな。それでお二人は遊びに見えたのかな」
真顔で冗談だと言われても……。

「そう仰っていましたが本当はこれからの事を相談に見えられたのだと思います。一体これからどうなるのかと仰られていましたから……」
「そうか……」
夫がちょっと考え込む姿を見せた。一口水を飲む。

「内乱を避けるのは難しいだろう」
「やはりそうなりますか」
「ああ、大きな騒乱になると思う。多くの貴族が存続を賭ける事になる。中立というのは許されないだろうな、中立を願ってもどちらかに所属する事を選択させられるだろう。無理強いされる前に自らの判断でどうするか決めた方が良い、悔いの無いように」

自分達の陣営に付けとは言わなかった。
「決断は急いだ方が良いだろう、ぎりぎりになって決断しても誰も喜ばない。何を迷っていたのかと不審がられるだけだ」
冷静と言うより他人事のような口調だった。夫が粉ふき芋を口に運んだ、ゆっくりと噛んでいる。微かに笑みが頬に浮かんだ。夫はヴェストパーレ男爵家、シャフハウゼン子爵家よりも粉ふき芋に関心が有るようだ。

「御味方に付いて欲しいとは思われないのですか?」
「味方に付いて欲しい家ならリヒテンラーデ侯が声をかけている。声をかけられたと言っていたか?」
「いえ、そのような事は……」
言っていなかった。私が口籠るのを見て夫が微かに笑みを浮かべた。先程までの楽しむような笑みではない、冷ややかな笑みだ。

「おそらくリヒテンラーデ侯だけではない、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯からも声はかけられていないだろう。その事を両家とも不安に思っている……。ここに来たのは探りに来たのだろうな、自分達がどう思われているか、或いは私に味方に付いて欲しいと言わせたかったか……」
「……」
多分私が夫に相談する事も想定していたのだろう。そして何らかのアクションが有る事を期待しているに違いない。

「だからこそ自ら決断して自分を売り込むべきなのだ。その方が相手に対してずっと心証が良くなる、戦後の扱いも良くなるだろう」
「よく分かりましたわ」
溜息が出た。夫は自分で考えろと言っている。夫が一口水を飲んだ。

「シャフハウゼン子爵夫人は平民の出身だと思ったが?」
「ええ、そうですわ」
「それとあの家はもう断絶してしまったがヘルクスハイマー伯爵家とトラブルが有ったはずだ」
「ええ、良く御存じですのね」
驚いた、夫はあの事件の事を知っているらしい。ではラインハルトの決闘の事も知っているのかもしれない。

「だとするとブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯に付くのは避けた方が良いかもしれない」
「そうですわね」
突き放しているわけではないようだ、早く決断しろという事かしら、それほど時間は無いと。夫なりの好意なのかも。

「ではヴェストパーレ男爵夫人は?」
私が問い掛けると夫はクスクスと笑い始めた。
「男爵夫人が声をかけられないのはどちらも敬遠しているからではないかな、男爵夫人を味方にしたら厄介な事になると。男爵夫人の噂は私も色々と聞いている」
「まあ」
夫が声を上げて笑った。結構人が悪い。

少ししてから今度は夫が話しかけてきた。
「少し遅くなったがミューゼル少将を呼び戻す事にした。今シャンタウ星域の辺りの筈だ、来月初めにはオーディンに戻ってくるだろう」
「……」
「宇宙艦隊司令部の幕僚として務めて貰う」

宇宙艦隊司令部の幕僚……、夫の部下という事だろうか、でも……。
「これまで艦隊指揮官としての経験は有るが幕僚経験は無い筈だ、良い経験になるだろう」
「元帥府にも入るのですか?」
「無理強いはしない、彼が自分で決めれば良い」
夫はサラダを食べている。平静な表情だ。ラインハルトの事をどう思っているのか……。

ラインハルトは夫の事を快くは思っていない。夫もその事は知っているはずだ、夫に対して大分酷い事を言ったらしい、男爵夫人がそう言っていた。ラインハルトが夫に敵意を隠さないのはそれが有るからかもしれない。軍の実力者である夫に嫌われた以上、出世は難しいと思っているのかも……。大丈夫だろうか……。

「貴方、私の事を考えての事なら……」
「勘違いするな、アンネローゼ。ミューゼル少将に力量が有ると思ったから呼び寄せるだけだ。戦場で私の義弟で有る事など何の意味も無い。その事で特別扱いなどしないし周囲にさせるつもりも無い」
「はい」

口調には何の変化も無かった。誰もが夫の事を冷徹と言うけど私もそう思う。感情を露わにした所など見た事が無い。軍人なのだと思った、何万、何十万と将兵が死んでも平然と指揮を執る事を要求される職業。感情等に左右されていては指揮を執る事は出来ないのだろう。大丈夫だろうか、ラインハルトは……。感情を抑えられるだろうか……。

「あの……」
「ミューゼル少将が心配か?」
「はい、出来れば……」
私の言葉を夫が首を振って止めた。
「キルヒアイス少佐も司令部に入れる」
「はい……」
全て想定済みらしい、夫はまた粉ふき芋を食べていた。




 

 

第三十一話 オーベルシュタイン、お前は頼りになる奴だ




帝国暦 488年 2月 5日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


ヴァレンシュタイン元帥府は結構大きな建物だったが余り人が居る様には見えなかった。帝国でも一番勢いの有る元帥府の筈だけど間違えたのだろうか……。建物の前で佇んでいると口髭を綺麗に整えた身だしなみの良い軍人が出てきた。真っ直ぐに私に向かって来る。
「フロイライン、どうかされましたか? なにやらお悩みのようだが」

年の頃は三十代前半だろう、穏やかな口ぶりが誠実そうな人柄を表しているように思える。どうやら私は挙動不審と思われたらしい。元帥府の前で若い娘がウロウロしていれば無理も無いかもしれない。
「こちらはヴァレンシュタイン元帥の元帥府で宜しいのでしょうか?」
「そうです、それが何か?」
「いえ、余り人の姿が無いものですから……」

私の言葉に彼が苦笑を浮かべた。
「宇宙艦隊の各艦隊は今訓練中なのです、その所為でこの元帥府には殆ど人が居ません。本来なら人で溢れているのですけどね」
「そうでしたか、お教え頂き有難うございます」
なるほど、そういう事か。

「ところで何か元帥府に用ですかな? フロイライン」
「私はヒルデガルド・フォン・マリーンドルフといいます。マリーンドルフ伯爵家の者ですが大切な用件が有り元帥閣下とお会いしたいのです。可能でしょうか?」

彼が幾分こちらを警戒するように見ている。確かに貴族の娘がいきなり押し掛けてきてヴァレンシュタイン元帥に会いたいなどと言えば警戒しないほうがおかしいだろう。
「フロイライン、元帥閣下と面識は御有りですかな」
「いえ、有りません。ですが大勢の人の生命と希望がかかっております、どうしても元帥閣下とお会いしなければならないのです」

私がそう言うと、彼は少し考えてから携帯用のTV電話を取り出し、連絡を取り始めた。相手は女性のようだ、私の名を告げ元帥に面会を希望していると伝えてくれた。少しして相手の女性が元帥が面会に応じると答えてくれた。その会話の中で彼がメックリンガー総参謀長だと分かった。この元帥府の中でもかなりの大物だ、幸先が良い。

メックリンガー総参謀長の案内で元帥府の中に入った。もう直ぐ帝国は内乱に突入する。帝国を二分する程の内乱だ。父は当初、中立を望んでいた。争いを好まない父らしい判断だと思う。しかし今度の内乱は中立など許されないだろう。そんな甘い事が許されるはずが無い。

マリーンドルフ伯爵家は積極的に勝つ方に味方し家を保つべきだ。私は父を説得し、今ヴァレンシュタイン元帥府の中を歩いている。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、当代無双の名将、一体どんな人物なのか……。

ヴァレンシュタイン元帥は応接室で待っていた。軍服だけでなくマントまで黒一色で装う元帥は穏やかに微笑みながら、私達にソファーに座るように勧めてくれた。テーブルには既に飲み物が用意されていた、コーヒーが二つとココアが一つ、ココアは元帥に用意されたものだった。元帥がメックリンガー総参謀長に同席するようにと命じた。

「それで、私に御用とは?」
「今度の内戦に際してマリーンドルフ家は司令長官に御味方させていただきます」
「内戦と言いますと?」
「いずれ起きるであろうブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯との内戦です」
力を込めて言ったつもりだが相手はまるで反応を示さなかった。

「フロイライン、内戦が起きるかどうかは未だ分かりません。それに私が勝つとも限りませんが?」
「いえ、閣下はお勝ちになります。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は一時的に手を結ぶ事は有っても最後まで協力することが出来るでしょうか? 二人はともかく周囲がそれを良しとはしないはずです。必ず仲間割れが起きるでしょう」
「……」

「それに軍の指揮系統が一本化していません。全体の兵力で閣下に勝る事があっても烏合の衆です。閣下の軍隊の敵ではありません。また貴族の士官だけでは戦争は出来ません。実際に戦争するのは兵士たちです。平民や下級貴族の兵士達はブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯ではなく閣下をこそ支持するでしょう」

メックリンガー総参謀長が“ほう”と感嘆の声を発した。少なくとも彼には私の力量を印象付ける事が出来た。しかし司令長官の表情は変わらない。私の意見など彼にとっては取るに足らないものなのだろうか?
「見事な見識ですね、フロイライン。では具体的に何を以って協力してくれるのか、教えて頂けますか。そしてマリーンドルフ伯爵家は何を見返りに求めるのか……」

ここからが本当の勝負だ。間違えてはいけない。
「マリーンドルフ家は閣下に対して絶対の忠誠を誓い、何事につけ閣下のお役に立ちます。先ずは、知人縁者を閣下の御味方に参ずるよう説得いたしましょう」
「なるほど、では見返りは」
「マリーンドルフ家に対し、その忠誠に対する報酬として家門と領地を安堵する公文書を頂きたいと思います」

「そういう事で有れば私にでは無くリヒテンラーデ侯にお話しした方が良いでしょう。私には家門、領地安堵の公文書を発行する権限は有りませんし貴族の方々の離合集散には興味が無い。幸いマリーンドルフ伯爵領はオーディンから近い、伯爵家が味方に付く意味は大きいと思います。リヒテンラーデ侯は喜んで公文書を発行してくれるでしょう」
「……」

本気だろうか? 私が言っているのはブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯、そしてリヒテンラーデ侯よりもヴァレンシュタイン元帥を選ぶという事なのだ。それなのにこの人は何も分かっていない。……所詮は軍人で政治には関心が無いという事か……、何と愚かな……。私はこんな愚かな人物に会いに来たのか……。虚しさが胸に満ちた。

二十分後、私はまた元帥府の前に居た。あの後殆ど話らしい話も無く私は元帥府から出ていた。仕方ない、リヒテンラーデ侯の所に行こう。侯は多分私が女であると言う事だけであまり歓迎はしないだろう。それでも受け入れてはくれるはずだ。それにしても何と愚かな……。気が付けば私は笑っていた。彼の愚かさに、そんな彼を頼った自分の愚かさに……。



帝国暦 488年 2月 5日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



応接室の窓からヒルダが立去っていく姿が見えた。当てが外れて多少落ち込んでいるか、まあ人生とはそんなもんだ、ガンバレ。お前は間違ったんだ、俺とリヒテンラーデ侯の間に有る溝を理解していなかった。それを理解していればもっと違った援助を申し出ただろう。食料援助か、あるいは兵力の提供か、それなら受け取ることが出来たのに……。事前調査が不足していたな、誤った理解からは誤った解しか出てこない。まあ今回の失敗を糧に次は頑張るのだな、次が有ればだが……。

「宜しかったのですか、随分とがっかりしていましたが」
「……」
「なかなかの見識だと思いましたが……」
メックリンガーが俺に問いかけてきた。いかにも残念そうな表情をしている。戦略家の彼には惜しいと思えるのだろう。

「構いません、貴族の事はリヒテンラーデ侯に任せましょう。痛くも無い腹を侯に探られたくないんです」
「なるほど、確かにそうですな」
「迷惑ですよ、私は権力など欲していないんです」

俺が元帥、宇宙艦隊司令長官になってからリヒテンラーデ侯の俺に対する不信感が強まった。特に宇宙艦隊の司令官人事を下級貴族、平民で固めた事がその不信感に拍車をかけたらしい。まあ実戦部隊のトップだからな、何時かクーデターを起こすんじゃないかという不信が有るのだろう。そしてエーレンベルク、シュタインホフもその不信感を共有している。

平民だという事がその不信感を強めている。要するに連中から見ると俺は異分子なわけだ。原作でヤンを中心とするイゼルローン組が中央の連中に疎まれたようなものだろう。何処か自分達とは違う、そう思われたのだと思う。ヤンの場合は価値観だろう、俺の場合は帰属母体だろうな。要するに御育ちが違うということだ。

今の時点でヒルダを味方にする等あの老人達の不信感という火に油を注ぐようなものだ。百害あって一利も無い。というわけで俺は戦う事にしか興味の無い、政治には全く無関心な馬鹿な軍人の役を演じている。当然だがリヒターやブラッケと接触はしていない。だから平民達への改革案を提示する事も出来ないでいる……。

内乱は原作よりも長引くかもしれんな。だがなあ、下手に動くと俺の首が飛びかねん。最初は政治的に、次に物理的にだ。そして俺の代わりはメルカッツだろう。貴族達は恐れているのだ、平民の台頭を、平民が力を持つことを。だから俺に対して猜疑の目を向けてくる。

政治的な信頼関係など欠片も無い以上、利用出来る間は利用しろ、やられる前にやれがセオリーだ。リヒテンラーデ侯と組んでブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を潰した後は間髪いれずにリヒテンラーデ侯を潰す。帝国の内乱劇は二部構成になるだろう、油断は出来ないし、失敗も出来ない。そのためには出来るだけ相手を油断させなければ……。

ドアをノックする音が聞こえた。ドアが開きヴァレリーが姿を見せた。
「御要談中申し訳ありません。ミューゼル少将、キルヒアイス少佐がお見えですが」
「分かりました。執務室に行きます」
来たか……、メックリンガーを伴って執務室へ向かった。

俺とメックリンガーが執務室に入ると二人が敬礼で迎えた。俺とメックリンガーもそれに応えた。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル少将です。宇宙艦隊司令部への配属を命じられました」
「ジークフリード・キルヒアイス少佐です。同じく宇宙艦隊司令部への配属を命じられました」

二人とも表情が硬い、緊張している様だ。或いは面白く無いのか。どっちも有りそうだ。
「卿らの宇宙艦隊司令部への参加を心から歓迎する。言うまでも無い事だが帝国は現在内乱の危機に揺れている。内乱が起きれば宇宙艦隊は早期に鎮圧しなければならない。卿らは司令部幕僚として内乱の早期鎮圧に努めよ」
「はっ」

「私の元帥府に入るか否かは卿らの判断に任せる。以後はメックリンガー総参謀長の指示に従うように」
「はっ、宜しくお願いします」
「うむ、こちらこそ宜しく頼む」
ラインハルト、キルヒアイスが頭を下げるとメックリンガーが答えた。そして三人が部屋を出て行った。

正直ラインハルトを司令部に入れるのは迷った。だが辺境に置いておくのは危険だろう。ラインハルトの事だ、内乱が起こったら武勲を上げる機会とばかり勝手に動き出すのは目に見えている、何をしでかすかさっぱり予測がつかん。それならいっそ司令部に入れた方が良い。元気の良すぎる犬に首輪を付けて犬小屋に押し込むようなものだ。

問題は同盟だな、同盟がどう動くか……。連中は遠征失敗の衝撃から徐々に立て直しを図りつつある。ドーソンは退役した、シトレも同様だ。そして統合作戦本部長にはクブルスリーが就任している。後任の第一艦隊司令官にはラルフ・カールセンが就任した。

不思議なのは遠征に参加した将官達で左遷された人間が居ない事だ。どうやらシトレが自分の首と引き換えに庇ったらしい。そしてイゼルローン要塞にはウランフが要塞司令官兼駐留艦隊司令官として赴任している。思ったより混乱が小さい、シトレが上手く立ち回った。

帝国で内乱が起きれば同盟はそれに乗じて軍事行動を起こす可能性が有る。それを避けるためにリヒテンラーデ侯を通して同盟側に捕虜交換を持ちかけている。内乱終了後に捕虜を交換しようといっているんだが今の所同盟側の感触は悪くないらしい。

もっとも何処まで信用できるか怪しいところだ。最高評議会議長にはトリューニヒトが就任したからな。信義とか節操なんて言葉とは無縁の男だ。油断していると足を掬われかねない。同盟が帝国領に侵攻してくる可能性は十分に有る。昨年の帝国領侵攻作戦において帝国軍は原作ほど大きな損害を与えられなかった、それが響いている。

辺境鎮圧にはメルカッツが赴く。副司令官にレンネンカンプ、他にルッツ、シュタインメッツ、シュムーデ、リンテレンが同行する。合計六個艦隊、兵力は八万隻を超えるだろう。どんな事態にも対応できるだけの兵力と指揮官を用意した。大丈夫なはずだ。

それにしても敵だらけだな、貴族連合、リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ、そして同盟軍。それにラインハルトも居るか……。誰もが皆俺を潰したがっている。ここまで来るといっそ爽快だな、叩き潰す敵には不足しないし容赦する必要も無いという事だからな……。

そろそろオーベルシュタインにも指示を出しておくか。オーベルシュタインを呼ぶと直ぐに血色の悪い顔を執務室に出した。こいつ、未だ犬は飼っていない。
「オーベルシュタイン准将、おそらく来月、遅くとも四月には帝国で内乱が起きるだろう」
「はい」
「卿はオーディンに残る」
オーベルシュタインが頷いた。

「リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥の動きを見張れば宜しいのですね」
「他にも有る、リヒテンラーデ侯に味方した貴族達を調べ上げる事。一族、或いはそれに準ずる者。積極的に味方した者、已むを得ず味方したが力の有る者、已むを得ず味方したが無力な者……」
「承知しました」

オーベルシュタインが平静な表情で頷いた。流石だな、俺は処刑リストを作れと言ったんだが眉一つ動かさない。こういう時は助かる、キャンキャン騒がれると自分の非道さを責められているようで嫌になるからな。さてマリーンドルフ伯爵家は何処に分類されるか、……生き残れるかな、ヒルダ。
「私からは以上だ、質問は?」
「奥様の事は如何しますか? 護衛を増やすか、或いは安全な場所に避難させるか……」

「その必要は無い、内乱が起きればオーディンにはリヒテンラーデ侯の味方しかいなくなる筈だ。私がリヒテンラーデ侯を用心する必要は何処にも無い、違うか?」
「……承知しました」
「他には?」
「有りません」
「では下がってくれ、私は少し考えたい事が有る」

口外無用とかそんな阿呆な事は言わなかった。言えば奴に笑われただろう。オーベルシュタインが執務室を出て行く。奴がアンネローゼの事を質問してきたのは俺がアンネローゼに夢中だとでも思ったのかな、それともどの程度の覚悟が有るのか試そうとしたのか……。まさかとは思うが俺の事を心配したのかな。まさかな……、考え過ぎだな……。

アンネローゼ、悪く思うな。皆が生き残るのに必死なんだ。お前にもゲームに参加してもらう。フリードリヒ四世とグリンメルスハウゼン老人が考えたこの碌でもないゲームにな。生き残れたらお前を大事にするよ、必ずな。だから、生き残れ……。


 

 

第三十二話 待っていたぞ、お前が来るのを


帝国暦 488年 3月 5日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



艦隊司令官達が元帥府の会議室に集められた。私も元帥閣下の副官として会議室に居る。会議室は静かだったけど覇気が溢れていた。誰もが内乱が近付いている事を知っている。そしてそれが起きるのを待っている。獲物を待ち受ける肉食獣達が集まっている、そんな感じがした。

そんな中で元帥閣下だけが平静を保っている。不思議なのよね、何時興奮するんだろう。新しく事務局長になったオーベルシュタイン准将もクールだけどあの人は感情そのものが無い感じがする。ヴァレンシュタイン元帥は感情は有るのだけれど常にクール。元帥が会議室を見回した。

「既に知っているかもしれませんがブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が動き出しました」
皆が頷いた。
「リップシュタットの森に有るブラウンシュバイク公の別荘に現政府に反発する貴族、四千名近くが集結したそうです」
四千名が集まる別荘? それって要塞じゃないの、あるいは城郭とか。私にはとても別荘には思えない。やっぱり小市民なのかしら。

「彼らはリヒテンラーデ侯と私を激しく非難したそうです。ゴールデンバウム王朝を守護する神聖な使命は“選ばれた者”である伝統的貴族階級に与えられたものだとか……。残念ですね、帝国の軍事を担っているのは貴族階級では有りません。意欲は認めますが能力が伴わない、困ったものです」
会議室の彼方此方で失笑が起きた。クレメンツ提督も顔を歪めている。

「盟主はブラウンシュバイク公、副盟主はリッテンハイム侯。帝国軍の一部にも同調する者が居ます。正規軍と私兵を合わせた兵力は三千万に近いとか」
嘆声が聞こえた。兵力三千万? 貴族ってどれだけ凄いんだろう。宇宙艦隊がもう一揃え有るような物じゃない。

「大神オーディンは吾等を守護したもう。正義の勝利はまさに疑いあるなし……。そう宣言して締め括ったそうですが戦う前から神頼みというのは……、あまりいただけませんね」
元帥閣下が肩を竦めると会議室に笑い声が起きた。

「仕方が有りますまい、戦略戦術とは無縁な方達ですからな。必勝の方法と言えばそれしか知らんのでしょう」
また笑い声が起こった。発言したのはロイエンタール提督、良い男なんだけどちょっと皮肉屋、ついでに冷笑癖がある。おまけに女性関係が派手だし……。

「総司令官はブラウンシュバイク公が務めるようです。それをシュターデン少将が参謀長として支えるとか。なかなか楽しくなりそうです」
皆が意味ありげな表情を浮かべて顔を見合わせている。シュターデン少将とは色々因縁が有るのよね。元帥閣下だけじゃない、この部屋に居る若手の指揮官達は士官学校でシュターデン少将に戦術論を教わったらしいけど最悪と言っていたわ。余程嫌な思いをしたみたい。

「近日中に彼らは動くはずです、油断せずに事態に備えてください」
元帥閣下の指示に皆が頷いた。会議はそれで終わった。執務室に戻る閣下にちょっと話しかけてみた。
「三千万の兵力となると勝つのは簡単ではないと思いますが……」
閣下が頷いた。

「数が多いですからね、簡単ではありません。しかし難しくはない、所詮は烏合の衆です」
大言壮語に聞こえないのが凄い、この人が言うと本当にそうなんだと思える。
「問題は反乱軍でしょう、彼らが再度侵攻してくるようだと厄介です。こちらは専門家の集団ですからね」

「ですが捕虜を交換する事で合意が出来ているのではありませんか?」
そういう風に聞いているんだけれど違うのかしら。私の問い掛けに閣下が頷いた。
「合意は出来ています。しかし合意が守られるという保証は無い。大規模な内乱が起きればそれに付け込もうという動きは必ず出るでしょう。捕虜交換など時間稼ぎだ、実際に行われることは無い、そんな意見が出るはずです」

言われてみればそうね、無いとは言えない。
「では捕虜交換は無くなる可能性が有ると?」
「いえ、捕虜交換は行いますよ。例え同盟が約束を破っても」
思わず閣下を見た。視線に気付いたのだろう、閣下は私を見てフッと笑みを浮かべた。

「帝国は約束は守るという事でしょうか?」
「違います、約束を守った方が帝国に利が有るからです。無ければ守りません、守る必要は無い」
帝国に利が有る? 一体どんな利が……。
「いずれ分かります、いずれね」

意味深な言葉を吐いて閣下が口元に笑みを浮かべた。冷やかさが漂う笑みだ。何時も穏やかな表情を浮かべているけど最近は時折こんな笑みを浮かべる。多分冷笑なのだろうと思う。以前はあまり浮かべる事の無かった笑みだ。あの事件から浮かべるようになった……。



帝国暦 488年 3月 12日  オーディン  アンネローゼ・ヴァレンシュタイン



窓の外がざわめいている。兵士が動く足音、大声。彼方此方をライトが照らし物々しい雰囲気が私達の館を包んでいる。夫は既に軍服に着替え窓の外をじっと見ていた。物々しい雰囲気の所為だろうか、黒のマントが何とも言えず禍々しく見えた。

「貴方……」
背後から声をかけると夫が振り返った。
「どうやら私を殺しに来たらしい。おそらくブラウンシュバイク公の手の者だろう、まあ誰が来たかは大体想像は付く」
殺しに来た? それなのに夫はまるで動揺していない。

「大丈夫なのですか?」
私が問い掛けると夫は軽く頷いた。
「心配はいらない。この館はミューゼル少将とキルヒアイス少佐が三千の兵で警備をしている」
「ラインハルトが……」
夫がまた頷いた、そして苦笑を浮かべた。

「不本意だろうな、私を守る事は。今頃あの二人はお前を守るためだと懸命に自らに言い聞かせているだろう」
「そんな事は……」
「無いと思うか?」
そう言うと夫は軽く笑い声を上げまた視線を窓の外に向けた。

無いとは思わない、多分夫の言う通りだろう。恥ずかしくて思わず顔を伏せた。
「アンネローゼ、これは内乱の始まりだ」
「はい」
「鎮圧にはかなりの時間がかかる、……健康には注意しなさい」
「はい、貴方も御身体には気を付けてください」
「そうだな、……気を付けよう」
夫は窓の外から視線を外さない。でも私を気遣ってくれているのが分かった。

ドアをノックする音がしてラインハルトとジークが部屋に入って来た。夫が窓から離れ二人に近付くとラインハルトとジークが姿勢を正した。
「御苦労です、襲撃者の捕殺は出来ましたか?」
「申し訳ありません。……その前に撤退しました」
ラインハルトが口惜しげに表情を歪めた。でも夫は弟を叱責しなかった。

「撤退したか……、相変わらず状況判断が早いな」
相変らず? 声に楽しそうな響きが有った。先程“誰が来たかは想像が付く”と言っていたのを思い出した。夫は誰が襲撃者なのか想像が付いたのだろう。ラインハルトとジークが訝しげな表情をしている。

「閣下、襲撃者に心当たりが御有りなのですか?」
ラインハルトが問い掛けたが夫はそれに答えなかった。
「私は元帥府に行きます、地上車と護衛を手配してください」
「はっ、直ちに」
「アンネローゼ、コーヒーでも出して二人を労ってくれ」
二人が遠慮しようとすると夫は“次にゆっくり話せるのは随分と先の事になる、遠慮はいらない”と言って遮った。

夫が元帥府に向かった後、二人を居間に通してコーヒーを出した。今夜の事を感謝した後、以前から気になっていたことを訊いてみた。
「どうかしら、元帥府に入って。周りの人と上手くやっているの?」
「ええ、まあ」

頼りない返事だけど表情に曇りは無い。取りあえず問題無くやっているのだろう。ラインハルトは皇帝の寵姫の弟から元帥の義弟になった。その事が二人にどう影響するかが不安だったけど特に問題は無いようだ。夫はこの二人を特別扱いはしていないのだろう。

「仕事は如何、楽しい?」
私が問い掛けるとラインハルトがちょっと不満そうな表情を見せた。
「出来れば艦隊を指揮したかったです。幕僚勤務はどうも窮屈で……」
「我儘を言わないの、貴方のためなのよ」
私がそう言うと弟もジークもキョトンとした表情を見せた。

「艦隊指揮ばかりしているからこの辺りで幕僚勤務を経験させた方が貴方のためになる、そうあの人が言ったの」
もう一度“貴方のためなのよ”と言うと二人が顔を見合わせてバツの悪そうな表情をした。

「今夜だってこうして時間を作ってくれているの、少しはあの人に感謝しなさい」
「……それは、まあ」
不承不承だ、到底感謝しているようには見えない。
「貴方達、今夜もあの人を守るんじゃなく私を守るために仕事をしたの?」
「いや、そんなことは……」
図星ね、溜息が出た。

「全部分かっているわよ、あの人は。笑っていたわ、とっても恥ずかしかった」
「……」
「ちゃんとあの人に敬意を払いなさい。貴方達にとっては上官なのよ。それにラインハルト、貴方にとっては義理のお兄さんになるの」
義理のお兄さん、その言葉にラインハルトが目を瞑って身体を硬くした。前途多難だわ……。



帝国暦 488年 3月 15日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「閣下、そろそろ宜しいのではないかと」
メックリンガー総参謀長が遠慮がちに問いかけると
「……もう少し待ちましょう」
とヴァレンシュタイン司令長官が答えた。その瞬間、元帥府の会議室の彼方此方から小さな溜息が漏れた。これで何度目だろう……。

会議室には正規艦隊の司令官、そして総司令部の要員が詰めている。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がオーディンを抜け出し自領に戻った。そして帝国政府は正式に彼らを国賊と断定し宇宙艦隊に討伐の勅命を下した。既に出撃の準備は整っている。後は司令長官が出撃を命じるだけだ。しかし司令長官は未だ出撃を命じない、何かを待っている。

皆、じっと座って待っている。普通ならもっと出撃を主張する人間が出ても良い。だがそれをする人間は居ない。皆黙って司令長官から出撃命令が出るのを待っている。息苦しい程の緊張が会議室に満ちている。一体司令長官は何を待っているのか……。

五分、十分、十五分が過ぎた時だった。会議室に事務局から連絡が入った。スクリーンに事務局長のオーベルシュタイン准将が映る。
『元帥閣下、アントン・フェルナー大佐が元帥閣下との面会を望んでおります。如何致しますか?』
「こちらへ通してください」
司令長官が答えると皆が顔を見合わせた。俺だけじゃない、多分皆が思っただろう、彼を待っていたのかと、フェルナー大佐とは何者かと……。

五分ほどするとフェルナー大佐が会議室に現れた。未だ若い、大佐という事はかなり有能なのだろう。彼が現れると司令長官が嬉しそうに笑みを浮かべた。
「遅いぞ、アントン。卿を待っていて出撃を延ばしていたんだ。皆を大分苛立たせてしまった」
司令長官の言葉にフェルナー大佐はちょっと驚いたような表情をして会議室を見渡したが直ぐに不敵ともいえる笑みを浮かべた。かなり胆力のある男らしい。

「それは悪い事をした。待っていてくれたのか、もっと早く来ればよかったな」
「こっちへ来いよ、私達は親友だろう」
「ああ、そうだな」
フェルナー大佐が司令長官に近付いた。艦隊司令官達の後ろをゆっくりと歩く。

「その友人の館を襲ったのは卿だな」
この男が、あの時の……。司令長官の発言に会議室がどよめいた。彼の傍にいたケンプ、ワーレン提督が素早く立ち上がりフェルナー大佐を取り押えようとしたが司令長官が“その必要はない”と言って止めた。ケンプ、ワーレン提督が不満そうな表情を見せたが再度司令長官が“その必要はない”と言うと不承不承引き下がった。

「分かっていたのか……」
大佐が苦笑を浮かべると司令長官が声を上げて笑った。
「あんな突拍子も無い事をする人間はそうそう居ない。それに撤退を決めた状況判断の速さ、撤退の鮮やかさ、卿だと分かったよ」
そうか、司令長官は心当たりが有るような口振りだったがそういう事だったのか……。フェルナー大佐が司令長官の前に立った。

「余り褒められても嬉しくないな、失敗したのだから」
口調が苦い。
「その所為でブラウンシュバイク公からも切り捨てられた。ここに来たのは私の部下になる事を決めた、そうだな」
また、皆がどよめいた。

「ああ、そうだ。……元帥閣下、小官のヴァレンシュタイン元帥府への入府をお許し頂きたいと思います」
フェルナー大佐が姿勢を正して許可を願った。受け入れるのだろうか? 司令長官は笑みを浮かべている。

「フェルナー大佐の入府を心から歓迎する。……言っただろう、卿を待っていたと。私には卿の協力が必要だ」
会議室に三度どよめきが起きた。親友とはいえ自分を襲った人間を受け入れた事に驚いているのだろう。或いは協力が必要だと言っているから高い評価に対してだろうか……。

「ただ二つ守って欲しい事が有る。私に嘘を吐かない事、私に隠し事をしない事だ。守れるか?」
「その覚悟を決めたから此処へ来ました。それで遅くなったのです」
司令長官が頷いている。妙な言葉だ、何か有るのだろうか。

「では、例の件を話してもらえるな」
「ベーネミュンデ侯爵夫人の一件ですね、お話します」
ベーネミュンデ侯爵夫人の一件? ではあれはブラウンシュバイク公が関与しているのか……。会議室がざわめいた。皆が顔を見合わせ口々に言葉を発している。

司令長官が手を上げてざわめきを止めた。
「後で話してもらおう」
司令長官が立ち上がった。それを見て皆が立ち上がった。
「これより勅命を奉じブラウンシュバイク公を首魁とする国賊を討伐する。全軍出撃せよ!」
全員が一斉に敬礼で答えた。


 

 

第三十三話 少し頭を冷やしてこい!




帝国暦 488年 4月 2日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



少し胃がもたれるな、さっき食べた昼食の量がちょっと多かった。おまけに脂っこいし。帝国軍って男所帯だからな、食事とかって量が多めで油、塩胡椒はバンバン使いますって感じなんだな。こんなのばっかり食べてると若いうちから成人病になりそうだ、気を付けないと。

貴族連合軍は原作通りガイエスブルク要塞に根拠地を構えた。ブラウンシュバイク公が総司令官だからオーディンからガイエスブルク要塞の間に軍事拠点を設けてこっちの足止めを図るのかと思ったけど戦力はガイエスブルクに集中したようだ。シュターデン、結構いい仕事をするじゃないか。馬鹿をやってくれることを期待してるのに……。

本当なら小手調べとか言って馬鹿貴族共が出てくるはずなんだ。アルテナ星域会戦が起きても良いんだが貴族連合軍にそれらしい動きはない。ちょっと信じられないんだが貴族連合軍は意外に統制が取れているのかもしれない。という事でこれからレンテンベルク要塞の攻略をしなければ……。あの要塞は放置できない、しかし原作通りならオフレッサーが居る……。

ベーネミュンデ侯爵夫人の一件をフェルナーから聞きだした。大体想像通りだと言いたいんだが現実は俺の予想を遥かに超えた。先ずベーネミュンデ侯爵夫人は自殺じゃない、ここまでは予想通りだ。だがフェルナーの話によれば彼女の死に貴族達は全く関わっていないのだと言う。

じゃあ誰が? 俺の疑問に対してフェルナーはベーネミュンデ侯爵夫人に仕えていた十人の侍女、彼女達の合意による殺人なのだと答えた。侍女達にとってベーネミュンデ侯爵夫人は決して悪い主人ではなかった。豊かな領地を持ち領地経営にも資産状況にもまるで関心を持たない主人……。

おだてておけば上機嫌で不都合が有ればアンネローゼの所為にすれば良かった。極めて扱い易い主人だったのだ。彼女達は主人を適当にあやしながら主人の金をちょろまかして自分達の懐に入れていたようだ。正規の収入の他にも余得のある仕事、ベーネミュンデ侯爵夫人の侍女は悪い仕事じゃなかった。

不都合が生じたのはグレーザーが怯えて手紙を出した事、そしてリヒテンラーデ侯がそれに過激に反応した事だった。全ての領地を取り上げられ辺境への流刑、冗談ではなかった、とても付き合うことなど出来なかった。だが辞めると言えば侯爵夫人が自分を見捨てるのかと怒り狂うのは目に見えている。そうなれば何を仕出かすか分からない。彼女達の目から見てもベーネミュンデ侯爵夫人は常軌を逸していた。

侍女達はベーネミュンデ侯爵夫人の事を尊敬していたわけではない、敬愛していたわけでもない、そして恐れていたわけでもなかった。どうしようもない馬鹿だと内心では軽蔑していたのだ。これ以上は付き合いきれない、邪魔だから死んでもらおうという事になった。世を儚んでの自殺、そういう事にすれば良い、彼女が飲む温めたミルクに毒が入れられた……。それがベーネミュンデ侯爵夫人の死の真相なのだそうだ。

では俺の襲撃事件とベーネミュンデ侯爵夫人は無関係なのか? それに対するフェルナーの答えはイエスだった。あの襲撃事件を計画したのはフレーゲルとシャイドだったが二人はベーネミュンデ侯爵夫人の名前を使っただけなのだという。彼女には相談しなかったし接触もしなかった。

ちなみにフレーゲル達は仲間内ではいまだに爵位付で名を呼ばれているらしい。フレーゲル達がそれを要求しているのだと言う。笑えるよな、今度会ったらフォン・フレーゲルと名を呼んでやろう、或いは元男爵かな、さぞかし怒り狂って出撃してくるだろう。

フレーゲル達にとってもベーネミュンデ侯爵夫人は信用できる相手ではなかった。名前だけ使って最終的には自分達の代わりに罪を被せるつもりだったらしい。当初の標的がアンネローゼだったのも犯人が侯爵夫人だと思わせるカモフラージュで狙いは最初から俺だった。そんな事で騙せるのかと俺は思ったがベーネミュンデ侯爵夫人ならあの二人は可能だと思ったようだ。

たまたま両者の行動が同日に起きた事が事件を複雑にさせた。フレーゲルとシャイドはこれでは侯爵夫人に罪を被せられなくなるのではないかと慌てたがベーネミュンデ侯爵夫人の侍女達はむしろ好都合だと考えた。ベーネミュンデ侯爵夫人が世を儚んで自殺したと言うよりも誰かを道連れに自殺したという方がしっくりすると考えたのだ。侍女達は口を揃えてベーネミュンデ侯爵夫人はアンネローゼを殺そうとしたが警備が厳しいので標的を俺に切り替えたと証言した。

では殺された侍女とその恋人は何なのか? 当然だが侍女達は真実を知っている。誰かが侯爵夫人の名を使って俺を襲撃させたと知っていたわけだ。殺された侍女はフレーゲルが真犯人だと気付いて恋人と相談してフレーゲルを強請ったらしい。

どうやらフレーゲルは襲撃事件の翌早朝、侯爵夫人にTV電話で連絡を入れたようだ。善意の第三者として侯爵夫人に事件を教えた、そんな役割を考えていたのだろう。ところが侯爵夫人が死んだと侍女に聞かされて驚いてしまった。その時、何か不審を持たれる様な事を口走ったらしい。その侍女が殺された侍女だった。

強請られたフレーゲルは最初は金を払った。本当は殺す事で口封じをしたかっただろうがベーネミュンデ侯爵夫人の元侍女が殺されたとなれば怪しまれると考えた様だ、必要以上に危険を冒すことは無いと思ったのだろう。だが侍女達の方がそれに悪乗りした。

一度で止めておけばよいものを二度、三度と強請ったらしい。堪りかねたフレーゲルはブラウンシュバイク公に泣きついた。泣きつかれてブラウンシュバイク公は驚いたらしい。フレーゲル達は爵位を奪われている。今度騒ぎを起こせば命を失いかねない、馬鹿げた事はしないと考えていたのだ。

それにブラウンシュバイク公はあの軍法会議の後、厳しく連中を叱責したのだとフェルナーは言った。もう少しで自分まで反逆行為に加担したと言われるところだったのだ、怒りは相当に大きかったらしい。公は連中が馬鹿げた事はしないと考えていたのだ。

だから俺の襲撃事件もベーネミュンデ侯爵夫人の犯行だと信じていた、或いは信じようとしていた。これについてはフェルナーも同じ思いだったらしい。聞いた時には耳を疑ったと首を振りながら話してくれた。だがブラウンシュバイク公の思いは裏切られた。激怒したブラウンシュバイク公はフレーゲルにその二人を殺せと命じた。自分の蒔いた種だ、自分の手で刈り取れと言ったらしい。そしてその後始末は自分がすると言った……。

叱責されたフレーゲルは侍女とその恋人を自らの手で殺した。自ら殺さなければ気が済まなかったのだろう。フェルナー、アンスバッハ、シュトライトがブラウンシュバイク公の命令で後始末に動いた。警察に手を回し通り魔による殺人事件とする一方で残りの侍女達に警告を与えた……。

フェルナーが俺の館へ無謀な襲撃を行ったのも嫌気がさしたからのようだ。どう見てもフレーゲルやシャイドのような馬鹿者と一緒に戦っても勝てるとは思えない、それならイチかバチかで襲撃してみようと思ったそうだ。投降が遅れたのは自分の仕事の内容が惨めに思えて出てくる事に抵抗が有ったのだとか、気持は分かる、俺だって話を聞いているだけでウンザリするんだから。

今では司令部の中で生き生きと働いている。元々能力は有るし適応力も高い、当初は白い眼で見られることも有ったが今では十分に溶け込んでいる。まあフェルナーには後々やってもらう事が有るからな。ようやく駒が揃ってきた、そんな感じだな。



帝国暦 488年 4月 10日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エルネスト・メックリンガー



総旗艦ブリュンヒルトの会議室に有るスクリーンにはレンテンベルク要塞が映っている。貴族連合軍の重要な拠点だ。イゼルローン要塞、ガイエスブルク要塞には及ばないが百万単位の将兵と一万隻の艦艇を収容する能力を持っている。さらに戦闘、通信、補給、整備、医療などの多機能を備えているため無視は出来ない。要塞を攻略してこちらの後方支援の拠点とする必要が有るだろう。

「全力を挙げてレンテンベルク要塞を攻略します」
司令長官の言葉に会議室に参集したメンバー、各艦隊司令官、総司令部の要員が頷いた。司令長官が私を見た、作戦を説明しろという事だろう。機器を操作してスクリーンをレンテンベルク要塞の設計図の画面に切り替えた。内乱が必至と判断された時点で軍務省から提供された資料だ。

「見ての通り、レンテンベルク要塞は小惑星を利用して作った軍事要塞です。この小惑星をくりぬいて建設された要塞の中心部に核融合炉が有り、これが全要塞にエネルギーを供給している。つまりレンテンベルク要塞の駐留艦隊を排除し陸戦隊を使ってこの核融合炉を奪取すれば要塞の死命を制する事が出来る」

私の言葉に皆が頷いた。スクリーンに映る設計図は核融合炉の位置が赤く点滅している。機器を操作した、要塞外壁から核融合炉までの最短距離の通路が青い線で表示された。直線の多い通路であることが分かる。
「要塞外壁から核融合炉へ向かおうとすればこの青い線で表示された通路、第六通路を使うのが最短ルートです。ここを通って核融合炉を奪取する……」

また皆が頷いた。
「ここで問題になるのは攻略法が限定される事です。火力を集中すれば通路の制圧は難しくありません、しかし誤って核融合炉を直撃すれば誘爆を招く危険性が有る。つまり我々は白兵戦によって通路を突破、核融合炉を制圧しなければならないという事になります」

彼方此方から溜息を吐く音が聞こえた。
「総参謀長の仰る事はもっともだが敵もそれは理解しているだろう。となれば当然だが第六通路に備えは有る筈だ。陸戦隊はその備えに突っ込むことになる。被害は無視出来ない物になるのではないかな。裏をかいて別なルートを使う事は出来ないだろうか?」
ワーレン提督が意見を具申してきた。何人かが頷いている。

「その事は総司令部でも検討しました。だが別ルートはかなりの遠回りになります。そして核融合炉に行くまでの道順も複雑になる、例えばこれです」
別ルートを表示させた。黄色のルートが表示されるが明らかに青のルートに比べれば距離が長く何度も角を曲がる事が分かる。また会議室に溜息の吐く音が満ちた。

「この黄色のルートは第六通路の次に核融合炉までの距離が短い通路です。だがどう見ても攻略用のルートとしては適当とは思えません。距離が長いし何度も通路を曲がらなければならない。要塞側から見れば防御の準備がし易く伏撃もかけやすいという事になります。第六通路を使うのが最善の攻略法でしょう」

私が話し終わっても誰も意見を言う人間は居なかった。司令長官に視線を向けると司令長官が頷いて口を開いた。
「質問が無ければ第六通路を制圧する事でレンテンベルク要塞を攻略します。要塞攻略の担当者はロイエンタール提督とミッターマイヤー提督にお願いしましょう。他の司令官は待機を」
艦隊司令官達が頷いた。

もう一度機器を操作してスクリーンにレンテンベルク要塞の実物を映した。さらに或る部分を拡大する。
「外壁から第六通路に侵入するにはここが最短の場所になります。駐留艦隊を排除した後はここの外壁を破壊し要塞内に突入してください、後程データを送ります」
私の言葉にロイエンタール提督とミッターマイヤー提督が頷いた。

「ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督」
「はっ」
司令長官が呼びかけると二人が司令長官に視線を向けた。
「貴族連合軍にはオフレッサー上級大将が参加しています。余り想像はしたくありませんがレンテンベルク要塞には彼が居るかもしれません。充分に注意してください」
「はっ」
会議室の空気が瞬時に固まった……。


要塞攻略開始後、ロイエンタール、ミッターマイヤー提督は僅か一時間で駐留艦隊を排除する事に成功した。要塞の壁面を破壊すると強襲揚陸艦が接舷し陸戦隊を要塞内部に送り込む、要塞の攻略は間近と思われたがそれ以降四時間経っても要塞は、いや第六通路は制圧できずにいる。

ヴァレンシュタイン司令長官の予測が当たった。装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将が自ら第六通路を守っている。第六通路にゼッフル粒子を充満させ軽火器さえ使えない状況にしているのだ。既に攻撃側は三度の攻撃をかけたが三度とも失敗に終わった。今は四度目の攻撃を行いそれが失敗しつつあるところだ。総司令部の空気は重苦しいものになっている。

「馬鹿な、既に四時間が経っている、何故オフレッサーは交代しない? 装甲服を着用しての戦闘は二時間が限界な筈だ、いかにオフレッサーと言えど連続して四時間も戦えるはずが無い!」
「薬物を使っているのだろう、このまま何時間でも戦い続けるぞ」
ヴューセンヒュッター大佐とシュライヤー大佐の会話に彼方此方から呻き声が漏れた。拙いな、このままでは士気に影響しかねない。ここだけではない、この状況を注視しているであろう全軍にだ。

「総参謀長、ロイエンタール、ミッターマイヤー提督に無理はするなと伝えてください。それと手が空いたら私に連絡するようにと」
「直ぐ繋いだ方が宜しいのではありませんか?」
私が緊急性を訴えたが司令長官は首を横に振った
「現場は今混乱しているでしょう。あの二人にはそちらの収拾を優先させます。私への連絡はそれからで良い」
「はっ」

二人から連絡が来たのはさらに三十分程経ってからだった。二人とも面目無さそうにしている。
『申し訳ありません、第六通路は未だ攻略できずにいます』
ロイエンタール提督が報告すると司令長官が苦笑を浮かべた。
「相手がオフレッサーです、そう簡単にはいかないでしょう」
司令長官の労(ねぎら)いに益々二人が面目無さそうな表情をした。むしろ叱責された方が心の内で毒づく事が出来るだけ楽だろう。

「閣下、オフレッサー上級大将が通信を求めて来ています!」
オペレーターの言葉に皆が訝しげな表情を見せたが司令長官は平然としていた。
「如何されますか?」
問い掛けると司令長官はフイッツシモンズ大佐にスクリーンを見るなと命じた。オフレッサーは血と肉で汚れているからと。その上で私に繋ぐ様にと命じた。

『黒髪の孺子(こぞう)、スクリーンを通してでも良い、俺の顔を見る勇気が有るか!』
スクリーンにオフレッサーの巨体が映った。装甲服は人血でどす黒く汚れ各処に肉片がこびり付いている。艦橋の彼方此方で恐怖に呻く声が聞こえた。司令長官はこれを予測したのか、確かに女性に見せられる物ではない。

「有りませんね、オフレッサー上級大将。卿はあまりに不細工で私の美意識には到底耐えられない。本当に人間ですか?」
皆が驚いて司令長官を見た。私も信じられない思いで司令長官を見た。この状況で司令長官はオフレッサーを嘲弄している。

『貴様……』
オフレッサーは呻くと司令長官を罵倒し始めた。“帝室の厚恩を忘れた裏切り者”、“卑劣漢”、“背徳者”、“運が良いだけの未熟者”、だが司令長官はその罵倒を聞いて笑い出した。声を上げて笑っている。演技とは思えない、本当に可笑しそうに笑っている。皆が先程まで感じていた恐怖を忘れて呆然と司令長官を見詰めた。

『貴様……、何が可笑しい!』
「可笑しいから笑っています。もう終わりですか? もう少し続けてくれると嬉しいですね、戦場は娯楽が少ないのです」
『貴様……』
オフレッサーの顔が怒りでどす黒く染まった。だがニヤリと笑うとまた話し始めた。

『あの女を下賜されたが爵位と所領は返上したようだな、それだけは褒めてやる、分をわきまえた賢明な振る舞いだ。元々平民にも劣る貧乏貴族だからな、伯爵夫人などと片腹痛いわ。平民の卿には似合いの女だろう、精々可愛がってやるのだな』

司令長官が吹き出した。指揮官席で腹を押さえながら笑っている。オフレッサーが猶も罵倒を続けたが司令長官が通信を切らせた。
「総参謀長、笑い死にしそうです。オフレッサーがあんな愉快な男だとは思いませんでした」
そう言うとまた笑い出した。

「閣下!」
鋭い声が上がった。ミューゼル少将が顔面を紅潮させている。姉を馬鹿にされて怒っているのだろう。
「何が可笑しいのです! あの野蛮人に愚弄されたのですぞ、笑いごとではありますまい!」
斬り付けるような口調だった。良く見れば怒りで震えている様だ。

「可笑しいですね、あの程度の事で私を怒らせる事が出来ると考えているんですから」
「……」
ミューゼル少将が言葉に詰まった。顔面が益々紅潮する。それを見て司令長官が苦笑を浮かべた。だがミューゼル少将はその事に益々檄した。

「閣下! 小官を前線に派遣して下さい! あの蛮族に……」
「その必要は有りません」
ヴァレンシュタイン司令長官は少将に皆まで言わせずに却下した。口籠る少将に司令長官が言葉を続けた。もう笑ってはいない。

「ミューゼル少将、卿はロイエンタール、ミッターマイヤー両提督の力量に疑問を持っているのかな?」
平静な口調だったがヒヤリとするような冷たさが有った。少将の顔が強張った、彼だけではない、司令部の皆が肩を竦めるようにして司令長官とミューゼル少将の遣り取りを聞いている。スクリーンに映る二人の提督は明らかに不愉快そうな表情を浮かべていた。

「戦場で相手を挑発し怒らせる事など初歩の初歩、あの程度の挑発で感情を乱すなど一体何を考えているのか」
「……」
「私が卿を司令部に入れたのは卿がアンネローゼの弟だからではない、それだけの能力が有ると思ったからです。私の期待を裏切らないで欲しいですね、ミューゼル少将」
「……申し訳ありません」

ミューゼル少将の謝罪に司令長官がふっと息を吐いた。
「ミューゼル少将、自室にて二十四時間待機しなさい。自分の言動をそこでもう一度省(かえり)みなさい。その上で司令部に復帰する事を命じます」
「……はっ」
少将が顔を強張らせて艦橋から出て行った。

ミューゼル少将にとっては屈辱だろう、だが当然の処分ではある。周囲にも縁故による特別扱いはしないという意思表示にもなる、間違ってはいない。
「キルヒアイス少佐、何処に行くのです」
司令長官の言葉に皆が少佐に視線を向けた。キルヒアイス少佐が司令部から外れ艦橋の外に出ようとしている。ミューゼル少将を追おうとしたのだろう。

「ミューゼル少将の事は放っておきなさい。彼は子供ではない」
「……」
「自分の仕事に戻りなさい、ミューゼル少将の御守りは卿の仕事ではない」
「……はい」
少佐が俯いて司令部に戻った。それを見届けてから司令長官がスクリーンに視線を向けた……。



 

 

第三十四話 擂り潰してやるさ



帝国暦 488年 4月 10日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



オフレッサー上級大将が捕獲された。司令長官がロイエンタール、ミッターマイヤー両提督に“戦うのではなく獰猛な獣を捕獲するのだと思って下さい”と指示を出して直ぐの事だった。両提督は落とし穴を作ってそこにオフレッサー上級大将を誘い込んだらしい。落とし穴とかって確かに戦闘というより狩りよね。

オフレッサー上級大将が捕獲されると第六通路はあっという間に両提督に制圧され核融合炉も制圧された。それによってレンテンベルク要塞の守備部隊は降伏、要塞は討伐軍側の所有物になった。今後は討伐軍側の根拠地の一つとして機能する事になる。司令長官はオーディンと討伐軍の中継基地として役立ってくれるだろうと言っている。

降伏した守備部隊には意外な人物が居た。あの軍法会議で爵位を失ったフレーゲル元男爵達八人の貴族。なんかもうブラウンシュバイク公も完全に彼らを厄介者扱いしているらしい。そんなわけで居辛くなってレンテンベルク要塞に逃げ出したようだ。それを聞いた司令長官は溜息を吐いた。“道理であの連中が攻めてこないわけだ、これでは鎮圧に時間がかかる……”。ウンザリって感じだった。

これからオフレッサー上級大将がブリュンヒルトにやってくる。司令長官が連れてくるようにとロイエンタール、ミッターマイヤー両提督に命じたんだけど一体どうするのか……。あれだけ司令長官を罵倒したんだから或いは自分の手で殺すとか……。ニコニコしながら喉を掻っ切るとか、有りそうにも思えるし無さそうにも思える。

キルヒアイス少佐が仕事をしている。ちょっと元気がない、精彩を欠いている。まあいつも一緒のミューゼル少将が居ないから仕方ないのかな。でもね、あれはちょっと……、いくらなんでもロイエンタール、ミッターマイヤー両提督の前で俺にやらせろって……。あれを聞いた時は眼が点になったわよ、何考えてるんだろうって。

二十四時間自室で待機、已むを得ないわね。あんなの有耶無耶にしたら提督達の信頼を失いかねない。それとも少佐は自分が叱責された事で落ち込んでいるのかな。そっちも有りそうね、皆の前でお前はミューゼル少将の御守りじゃないって怒られたんだから。あの時の司令長官は冷たい眼でキルヒアイス少佐を見ていた。

それにしても閣下の口調にはヒヤリとしたわ、多分私だけじゃない、総司令部の皆がそれを感じたはず。皆、肩を竦めるようにして閣下の言葉を聞いていた。司令長官は外見からはそうは見えないけど内面にはかなり激しいものが有る。その激しさは熱い激しさじゃない、冷たい激しさだと思う、言ってみれば炎では無く氷の激しさ。

だから怒る時は冷徹な怒りになる。ミューゼル少将に、そしてキルヒアイス少佐に対してそれが出た……。例え身内でも許さない、身内だからと言って特別扱いしない、そんな感じかな。そんな事をしたら門閥貴族と同じだもの、司令長官が怒るのも無理ないわよ。

総旗艦ブリュンヒルトの艦橋にオフレッサー上級大将が現れた。両脇にロイエンタール、ミッターマイヤー両提督が付いている。上級大将は装甲服を脱ぎインナースーツのみになっていた。そして両手両足に拘束具として枷を付けている。枷の所為だろう、三人はゆっくりと司令長官に近づいて来る。それを見て司令長官が指揮官席から立ち上がった。座ったまま待つのは礼を失していると思ったのだろう。

オフレッサー上級大将に悪びれた様子はない、昂然と顔を上げて歩いて来る。殺される恐怖とかは感じていないらしい。司令長官は面白そうな表情で近づいてくる彼を見ていた。そして司令長官から三メートル程離れた位置で両脇の提督達が上級大将がそれ以上近付くのを止めた。これ以上は枷を付けていても危険だと思ったのだろう。

「ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督、御苦労でした。卿らの働きのおかげでレンテンベルク要塞を落とす事が出来ました、よくやってくれました」
司令長官が二人の提督を労うと二人がほんの少しバツの悪そうな表情を浮かべた。

「いえ、手際が悪く思ったよりも時間がかかってしまいました。司令長官に御心配をお掛けした事、恥じ入るばかりです」
「司令長官の御指示、有難うございました。あれで発想を変える事が出来ました。感謝しております」

二人が口々に礼を言うと司令長官が“自分はちょっと感じた事を言ったまで、そんなに礼を言われるようなことではありません”と言って少し照れたような表情を見せた。総司令部の皆がちょっと羨ましそうな表情をしている。司令長官に労って貰うってやっぱり羨ましいのだと思う。

司令長官がオフレッサー上級大将に視線を向けた。どういう言葉が出るのか、皆がかたずを飲んで注目した。
「オフレッサー上級大将、降伏しなさい」
司令長官の言葉をオフレッサー上級大将が一笑に付した。

「断る。誰が卿の様な儒子(こぞう)に降伏するか、殺せ。俺は勇者だ、死ぬ事を怖れてはおらん」
司令長官を侮辱された事で総司令部の士官達がざわめいた。でも司令長官本人は不愉快そうな様子は見せていない。
「殺すのは惜しい、……ではガイエスブルクに戻りなさい」
艦橋がどよめいた。ロイエンタール、ミッターマイヤー両提督が反対しようとしたけど司令長官が手を軽く上げて制した。

「どういうつもりだ、儒子(こぞう)?」
オフレッサー上級大将が唸るような口調で問い掛けた。
「言った通りです、卿のように愉快な人間を殺すのは惜しいと思うのですよ。悪態を吐いた揚句落とし穴に落ちる……、笑わせて貰いました。卿は装甲擲弾兵の指揮官としては二流ですが道化としては一流だったようです。職業を間違いましたね」
司令長官がクスッと笑うと上級大将が顔面を朱に染めた。

「貴様……」
「ガイエスブルクに戻りなさい。そこで私を待つのです、オフレッサー上級大将」
「……後悔するぞ、儒子(こぞう)」
オフレッサー上級大将が喰い付きそうな目で司令長官を睨んでいる。
「卿も落とし穴に落ちないように気を付けるのですね」
「……俺を殺さなかった事を必ず後悔させてやる! 必ずだ!」

司令長官はシュトラウス准将、レフォルト准将を呼ぶとオフレッサー上級大将に連絡艇を与えて解放するようにと命令した。二人がロイエンタール、ミッターマイヤー両提督からオフレッサー上級大将を受け取った。上級大将を両脇から挟みこんで艦橋から連れ出す。その間、オフレッサー上級大将は何度も首を後ろへ回し司令長官を見た。

「閣下、宜しかったのですか?」
「オフレッサーがガイエスブルク要塞に居るとなれば厄介な事になりかねませんが……」
ロイエンタール、ミッターマイヤー両提督が問い掛けてきたのはオフレッサー上級大将が艦橋から立ち去ってからだった。

司令長官がメックリンガー総参謀長に視線を向けると総参謀長も
「小官も賛成できません。今からでも取り止めては如何でしょう」
と提案した。うん、取り消しはちょっと酷いけどあの狂戦士が暴れまくったら確かに大変、気持ちは分かる。でも司令長官は苦笑を浮かべると別な事を話し始めた。

「例の八人は何処に」
「レンテンベルク要塞に留めておりますが」
「ブリュンヒルトに移送してください。他の捕虜はオーディンに移送を。ロイエンタール艦隊、ミッターマイヤー艦隊はレンテンベルグ要塞で十分な休息を取ってから戦列に復帰するように。本隊は先に進みます」

司令長官の指示にロイエンタール、ミッターマイヤー両提督が頷いた。でもちょっと不満そうだ、オフレッサー上級大将の件が納得出来ないのだろう。
「総参謀長、例の八人を受け取ったら個別に監禁してください。それとガイエスブルク要塞にその八人を処刑したと伝えてください」

三人が、いや皆が訝しげな表情をしている。
「貴族が八人殺されたにもかかわらずオフレッサーだけが戻ってきた。しかも逃げて来たのではなく解放されて戻ってきた。猜疑心の強い貴族達がどう思うか……」
「……」
「オフレッサーは、いや貴族達は私の仕掛けた落とし穴を避ける事が出来るかな」
皆が沈黙した。司令長官は薄い笑みを浮かべている。

「オフレッサーをここで殺してしまえば貴族達にとっては殉教者になりかねません。彼らの結束が強まりかねないのです。しかし裏切り者として処分されれば元々が寄せ集めの貴族連合はさらに結束が弱まります。いささか小細工ではありますが出来るだけ損害を少なくし短期間に勝利を収めるためには戦闘以外にも謀略をしかけて相手を弱める必要があります」

三人が頷いている。
「閣下の御深慮、恐れ入りました」
ロイエンタール提督が三人を代表する形で発言すると司令長官は“深慮なんかじゃありません、ただの小細工です”と苦笑を浮かべた。いや十分凄いわ、小細工なんかじゃない、そんな事考え付くなんて。

「では例の八人は如何します? ずっとブリュンヒルトに拘留するのでしょうか?」
総参謀長が小首を傾げている。
「オフレッサーが裏切り者として処断されたらガイエスブルクに帰しますよ、彼らに自分達が騙されたのだと分からせないと」
「なるほど」

「騙された事が分かればプライドの高い彼らの事です。怒り狂って攻め寄せて来るでしょう、そこを叩く。……今のままではガイエスブルクで要塞攻防戦になりかねません。時間もかかるし損害も大きくなるでしょう、それは避けたいと考えています」
なるほどねえ、感嘆しか出ないわ。皆もうんうんって何度も頷いている。

ロイエンタール、ミッターマイヤー両提督が帰った後、司令長官はオーディンのエーレンベルク軍務尚書にレンテンベルグ要塞の攻略を報告した。その際、オフレッサー上級大将が寝返った事も報告した。もしかすると軍務省に貴族連合に通じている人間が居るかもしれないから念には念を入れようという事らしい。まあなんて言うか敵も味方も自在に操っている感じがするわ。当代無双の名将か、確かにそんな感じよ、この人相手に勝てる人なんて思いつかない……。



帝国暦 488年 4月 20日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「久しぶりですね、元気でしたか」
「……」
感じ悪いな、押し黙ったままとか。元気ですとか具合が悪いですとか色々あるだろう。それなのに俺の目の前に居る馬鹿八人衆は蒼白になって黙りこくっている。まあ全員非武装だし周囲を屈強な男達に囲まれているからな、殺されるんじゃないかという不安は有るだろう。

メックリンガーとヴァレリーも連中を冷たい目で見ている。でもまあ二人は例の事件の真相を知らないからな、疑ってはいるだろうが確証はないはずだ。フレーゲルとシャイドも内心では怯えているだろう。俺は何も知らない振りをする、フェルナーにも席を外させた。

「……我々をどうするつもりだ」
「どうしたものか、それを考えているのですよ、フォン・ヒルデスハイム」
「ヒルデスハイム伯爵と呼べ!」
予想はしていたが吹き出してしまった。生死の狭間でそこまで爵位にこだわるって俺には良く分からん精神だな。いや或いは生死の狭間だからこだわるのかな、ヒルデスハイム伯爵として死にたいと……。

「正確には元伯爵ですね」
「貴様!」
顔を真っ赤にして怒っている。可愛い奴。
「相手の姓名、役職、爵位は正しく言わないと失礼ですよ。それに爵位の偽称、僭称は犯罪です。重罪ですよ、これは」
「……」
あらあら皆黙り込んじゃった。まあからかうのはここまでにしておくか。

「解放しますからガイエスブルク要塞に戻りなさい」
俺の言葉に八人が顔を見合わせた。
「嬲るのか、我々を」
「そんな事はしませんよ、フォン・ヒルデスハイム。帰すと言ったら帰します。連絡艇を用意しますのでそれで戻ると良いでしょう」
フォン・ヒルデスハイムと言ったら嫌な顔をしたな。でも帰すと言った事については信じられないといった顔をしている。

「我々は軍人なんです、非戦闘員を殺す様な事はしません。ガイエスブルク要塞に戻るのですね」
「非戦闘員? 我々を侮辱するのか!」
今度はカルナップ男爵だ。こいつも顔を真っ赤にしている。

「レンテンベルク要塞で戦ったのはオフレッサー上級大将でしょう。卿らが戦ったと言う報告は聞いていません」
「……」
俺は嘘を言っていない。装甲服を着用しての戦闘は酷く辛い。装甲服の中は三十度以上有る。一度着用すると汗やかゆみ、排泄の困難を防ぐ事が出来ないから着用時間は二時間が限界だ。おまけに白兵戦ともなればトマホークで殺し合いをする。

そんな辛い戦闘を貴族のボンボン共が出来るわけがない。こいつ等は俺達に攻め込まれて震えあがって隠れていたのだ。核融合炉を制圧されてこれ幸いとばかりに降伏した。フレーゲルとシャイドは例の事件があるから戦おうとしたらしいが他の六人に馬鹿な事はするなと取り押さえられたらしい。メックリンガーとヴァレリーが連中を冷たい目で見ている訳はこいつらがオフレッサーだけに戦わせたからだ。

「ガイエスブルク要塞に戻りなさい。非戦闘員と言われた事が不満なら次は戦闘員として戦場に出てくれば良いでしょう」
「……」
誰も喋らなかった。俺を睨んではいたが内心では助かったとも思っていただろう。特にフレーゲルとシャイドはな。

八人が艦橋から出て行くのを見送った。ここに来る時には足取りが重かった、だが今は軽い。助かった事が嬉しいのだろう。腹立たしい事だ、本当ならこの場で殺してやりたい。フレーゲルとシャイド、お前達二人だけでも殺してやりたい。

俺に大怪我を負わせた、そしてリューネブルクの命を奪った。お前達は絶対許さない。だがな、ただ殺すだけじゃ満足できないんだよ。どうしようもない愚か者として後世まで汚辱にまみれさせてから殺してやらないと満足できないんだ。だからガイエスブルク要塞に戻してやる。

オフレッサーは裏切り者として殺された、狙い通りだ。そしてお前達がガイエスブルク要塞に戻ればブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は自分達が嵌められた事に嫌でも気付くだろう。そして戻ってきたお前達を疎むに違いない、何故戻って来たのかと、何故死んでいないのかと……。

お前達は出撃を望むだろう、そうする事でしか自分の居場所を確保できないからだ。出撃してこい、勝たせてやるよ、最初の内はな。そうする事でお前達の立場を良くしてやる。勝てるとなればお前達だけじゃなく他の連中も出撃してくるはずだ。

そうなったら全部纏めて叩き潰してやる、情け容赦なくな。それこそ擂り鉢で擂り潰すように潰してやるさ。その時お前達は自分達が俺に利用されたのだと気付くだろう、俺の怒りの深さもだ。絶望しろ、嘆き苦しめ、俺を恨むと良い。俺はその姿を見て笑ってやる、心の底から笑ってやる。



 

 

第三十五話 負けたら死ぬ、勝ったら……




帝国暦 488年 5月 10日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  ジークフリード・キルヒアイス



帝国軍はゆっくりとシャンタウ星域に向かっている。レンテンベルク要塞を落とした後、帝国軍はフレイア星域に進攻し貴族連合軍に参加した貴族領を攻略した。これから向かうシャンタウ星域を攻略した後は一隊を以てトラーバッハ星域を攻略、本隊はリッテンハイム星域に向かう事になっている。現時点ではガイエスブルク要塞から貴族連合軍が出撃してくる様子はない。

辺境ではようやくメルカッツ提督が攻略に取り掛かるようだ。六個艦隊を擁してはいるが攻略そのものには三カ月から四カ月ほどかかるだろうと総司令部では想定している。もっとも自由惑星同盟を名乗る反乱軍が辺境星域に押し寄せてくれば辺境星域の攻略だけでなく貴族連合軍の鎮定そのものに影響が出るはずだ。

そうなった時、司令長官は一体どうするつもりなのか……。司令長官に視線を向けた。司令長官は指揮官席にゆったりと座って足を擦っている。例の襲撃事件で怪我をした箇所だろう。時々同じ行為を見る事が有る、まだまだ具合は良く無いようだ。歩く速度も決して早くはない。右の足首から先が義足だと聞いているがそれを見た事の有る者はごく一部の人間だけの様だ。総司令部では副官のフィッツシモンズ大佐ぐらいだろう。

……アンネローゼ様が司令長官に下賜された。不当としか思えない、アンネローゼ様には責められる咎は何もなかった。ベーネミュンデ侯爵夫人、あの女の愚かな執着とフリードリヒ四世の優柔不断があの事件を起こしたのだ。皇帝の寵を失った寵姫などそれまでに貰った領地に逼塞するのが当然なのにそれを放置するから……。

その事があの事故とイゼルローン要塞の陥落に繋がった。そして貴族達は皆がアンネローゼ様を責めた。ベーネミュンデ侯爵夫人は死に皇帝フリードリヒ四世は責められない、だからアンネローゼ様を責めた。アンネローゼ様を責める事で暗にフリードリヒ四世を責めた。

だからアンネローゼ様は司令長官に下賜された、平民である司令長官に。貴族達には皇帝から自分の代わりにアンネローゼ様を罰したのだというメッセージだった。そして司令長官には自分の身代わりとして差し出したのだ。悪いのはこの女で罪はこの女に有る、償いをさせると……。

不当だと思う、司令長官は断るべきだった。一度下賜するという話を出した、それだけで十分だったはずだ。後は寵を失ったとして宮中を下がらせれば良い。皇帝の寵を失った寵姫、罰としては十分な筈だ。それなのに司令長官はそれを受け入れあまつさえ爵位と領地の返上をさせた。

アンネローゼ様は爵位や領地に拘る方ではない。だから不当とは思っていらっしゃらないがどう見ても不当だ。司令長官は何故そこまで貴族達に阿ってアンネローゼ様を貶めるのか。アンネローゼ様の安全のために返上させたそうだが宮中から離れただけで十分だったはずだ。

先日のレンテンベルク要塞の攻略の時もそうだ。オフレッサーは司令長官だけではなくアンネローゼ様も侮辱した。だが司令長官は心底可笑しそうに笑っていた。何故笑っていられるのか……。司令長官はアンネローゼ様を愛してはいない。本当に愛しているのならあの侮辱を笑う事など出来ないはずだ。

ラインハルト様は確かに過ちを犯した。ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督の前で言うべきではない事を言ったのは事実だ。でも司令長官があの時笑わなければあんな事にはならなかったはずだ。オフレッサーに怒りを表してくれれば……。

軍人としては挑発に乗るなど愚かという事は分かっている。でも人としては如何だろう? 正しいのだろうか? 司令長官にとってはアンネローゼ様などどうでもいい存在なのだろう、所詮は押付けられた厄介者、そう思っているのだ。だからあんなにも冷静でいられる……。

そして総司令部の要員は皆がそんな司令長官を称賛しラインハルト様を未熟者と嗤うのだ。
“あれは無いよな”
“ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督は面白くなさそうだった”
“そりゃそうだろう、碌に実績の無い少将にお前らじゃだめだ、俺がやるって言われたようなもんだからな。聞いてて目が点になったぜ、どっからそんな言葉が出るんだって”

“司令長官にしてみれば満座で恥をかかされた様な物だろう、総司令部に入れた義弟にそんな事を言われては……。なんでこいつが総司令部に居るんだって皆が思ったはずだ。情実人事だと思われても仕方ないよな”
“司令長官、かなり怒ってたな、ヒヤリとしたよ”
“俺だってヒヤリとしたよ”

“期待を裏切るなって言われてたけどミューゼル少将は応える事が出来るかな?”
“どうかなあ、ああも感情が制御出来ないんじゃ難しいんじゃないの”
“でもなあ、少将なんだぜ。それじゃ困るよ”
“皇帝の寵姫の弟だからな、出世も早いのさ。武勲なんて何処で上げたんだよ”
“皆腫れ物にでも触るように接してたんだろう、出世させて遠ざけて。だからああなのさ”

“それに比べると司令長官は凄かったよな”
“ああ、オフレッサーを笑い飛ばしたんだからな、吃驚したよ”
“おまけに最後は裏切り者として処断されている。きっちりケリはつけた、そんな感じだ”

“オフレッサーを捕えた後、司令長官はかなりロイエンタール、ミッターマイヤー両提督を労っていたよな、あれは謝罪も入っていたんじゃないのかな”
“そうだなあ、確かにそんな感じがするよ”
“少しはわきまえてもらわないと。もう皇帝の寵姫の弟じゃないんだから。司令長官に迷惑をかけるなんて論外だよ”
“わきまえるだろう、司令長官がガツンと言ったんだから”
“だといいけどね”

ラインハルト様は決して皇帝の寵姫の弟であることを利用したことなどない。アンネローゼ様に迷惑をかけるようなことなどしてこなかった。何よりもそれを願ってきた、それなのに……。あのまま辺境に居た方が良かったかもしれない。辺境で貴族連合の領地を制圧し、メルカッツ提督に協力する。

慣れない幕僚勤務で神経を擦り減らすよりもずっと良かったはずだ。司令長官はこれまでラインハルト様を辺境に打ち捨てておいたのに突然総司令部に招き入れた。本当にラインハルト様のためなのだろうか。本当はもっと別な意図が有るのではないだろうか……。



帝国暦 488年 5月 10日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ここまでは順調かな、あの馬鹿八人衆が攻めてこない事を除けば討伐軍は順調に制圧を進めている。連中が出てくるのももうそろそろだと思うんだけど計算が狂ったかな、まさかとは思うがあの連中殺されていないよな。……考え過ぎだよな、クライストとヴァルテンベルクだって殺されなかった。

いや、でもオフレッサーが死んでいるからな。ブラウンシュバイク公が激高してあの八人を衝動的に殺したという可能性は有る。もしそうだとするとちょっと話が違ってくるな。シャンタウ星域を制圧しても攻めてこないようなら一度挑発してみたほうがいいかもしれない。特にオフレッサーが裏切っていないという事を強調する事だ。連中の罪悪感を抉る事で激発させる。しまったな、オフレッサーが死んだ時点でやっておけば良かったか……。

ラインハルトが仕事をしている、結構結構。だが周囲とは打ち解けていない、何処か浮いている。こいつはキルヒアイスも同様だ、キルヒアイスも何処か浮いている。良くないな、この二人、どうにも異分子なんだ。周囲から浮いていると言うより周囲に溶け込もうとしない。

例の一件で馬鹿をやったからな、周りが避けているというのも有る。俺が罵られている時は何も言わないでアンネローゼが罵られて反応するとか完全に私情で動いた、感情を制御出来ないと周囲から思われたのだろう。安心して付き合えない、そうも思われたはずだ。

ラインハルトはあの一件の二十四時間待機後に俺の所に謝罪に来た。“申し訳有りませんでした、興奮して愚かな事を口走りました。軍人として有るまじきことでした”なんて言ってた。まあ見栄えが良いからきちんと謝ればそれなりには格好が着く。でもね、誠意とかは感じないんだよな、何処か白々しいんだ。

こういうのって分かるんだ、理屈じゃなくて感覚でな。どうせ心の奥底では俺がアンネローゼを不当に扱っているとか思っているんだろ、そういう負の感情をこっちも感じるのさ。以後は気を付けろ、ロイエンタールとミッターマイヤーに謝罪を入れておけ、そう言って切り上げた。

俺が思うにこの二人の欠点は二人だけで完結している事だな。互いに相手を必要とし他者を必要としない。この関係が長く続いたせいで二人ともそれを不自然だと感じていない、自然な事だと受け止めている。二人にとっては自分達以外は役に立つか役に立たないかの存在でしかない。

いや少し違うな、これまで周囲には敵しかいなかった。だから打ち解ける事も味方を作る事も出来なかったという事かな。あるいは皇帝の寵姫の弟という事で周囲からは腫れ物の様に扱われたか、敬して遠ざけられたか、どちらにしても面白くは無かっただろう。だから周囲との接触を必要としなかった、そんなところか……。

辺境から戻しておいて正解かな。本人達はそうは思わなくても周囲は俺の義弟、宇宙艦隊司令長官の義弟という事で遠慮するだろうからな。それをあの二人は周りは当てにならないと判断して好き勝手にやり出したはずだ。……寒気がするな、どうなったかと考えると。

艦隊司令官にはさせられない、周囲も艦隊司令官には不向きと見たはずだ。辺境警備も無理だな、当分は総司令部に置いておくか……。しかしまあ使い勝手が悪いな、一度二人を引き離してみるか。そうなれば自然と他者に関心を持つかもしれない。ラインハルトは総司令部に置いてキルヒアイスを何処かに移す……。

何処が良いかな、ラインハルトとの接触を断つならオーディンの外へ出した方が良いだろう。フェザーンの駐在武官か、或いは巡察部隊。……誰かの副官というのも有るか。いやでもその相手に関心を持たざるを得ないし接触せざるを得ない。うん、それが良いかな。ラインハルトは文句を言うだろうが他者に心を開かないと歪なままだ。これまで二人一緒というのが異常だったんだから受け入れさせよう。それで駄目なら……、まあ色々考えるさ、色々な。

オペレーターがオーディンから通信が入ったと声を上げた。スクリーンに映すように命じると表れたのはエーレンベルク軍務尚書だった。難しい顔をしている。挨拶もそこそこに本題に入ってきた。
『ヴァレンシュタイン、反乱軍が動き出そうとしている』
艦橋がざわめいた。やれやれだ、来て欲しい方は来なくて来て欲しくない方が来る。オーディンのクソ爺、嫌がらせばかりしやがる。次に夢で有ったら引っ叩いてやる。年寄りだからって手加減しないぞ。前回はちょっと油断しただけだ。

「出兵は決定なのでしょうか?」
『いや、未だ決まったわけではないらしい。だがフェザーンからの報告ではそういう動きが有るそうだ。シュタインホフ統帥本部総長からもかなりの確度で出兵になるのではないかと報告が来ている』
「……」

弁務官事務所、情報部、ともに同盟が出兵すると報告してきたか。やはり帝国領侵攻作戦で与えたダメージが少なかったな、シトレが慎重だった事が影響している、フリードリヒ四世があそこで死んだのも痛かった。もう少し引き摺り込めれば……、一つ躓くと全てが上手く行かなくなるな。考えても仕方ないか……。

『捕虜交換では連中の動きを止める事は出来なかったようだな』
皮肉か? 役に立たないとでも思っているのだろう。全く俺の周囲は碌でもない奴ばかり揃っている。
「内乱終結までの時間稼ぎと思われたのかもしれません。内乱が終結すれば反故にすると思ったのでしょう」

『どうする、メルカッツだけで対処出来るのか? 貴族連合と挟撃されれば厄介な事になるが』
どうするって、嫌味言う前に少しは考えてくれ。俺はずっと考えて来たぞ。一応有効かなと思える案も有る。

「どの程度の兵力を動員するのでしょう?」
『ふむ、昨年の帝国領出兵でかなり痛い目に有っているからな、二個艦隊か三個艦隊、そんな事を考えているようだ。辺境星域の解放ではなく帝国軍に打撃を与え内乱を長引かせるのが目的らしい』
エーレンベルクが顔を顰めた。

なるほどな、前回のような泥沼には嵌りたくないか。二個艦隊か三個艦隊となると前回の戦いで国内待機に回った艦隊が主体だろう。帝国軍を疲弊させ同盟軍の回復を図ると言う事か……。
「用意して頂きたいものが有るのですが」
『何かな』

俺がそれを言うとエーレンベルクが妙な顔をした。彼だけじゃない、総司令部の人間は皆妙な顔をしている。
「量が要りますから人海戦術で集めて頂く必要が有ります」
『それは構わんが、……役に立つかな?』
「相手を混乱させる事が出来ると思うのですが……」
エーレンベルクが唸り声を上げた。

「用意して頂けますか?」
『分かった、用意しよう。メルカッツに送れば良いのだな?』
「はい、出来るだけ早くお願いします」
『分かっておる』
不機嫌そうにエーレンベルクが答えて話しは終わった。

格下の俺に急かされたからってそんな不機嫌になる事は無いだろう。まあ感情をそこまで露わにするって事はこっちを警戒してはいないって事だな。悪く無い兆候だ、侮っている相手に警戒心を抱く事は無い。傲慢と馬鹿は同義語だって分かっていないようだな、エーレンベルク。そろそろこっちも準備にかかるか……。

自室に戻るとフェルナーを呼んだ。
「お呼びですか、元帥閣下」
「二人だけだ、そんな畏まらなくて良い。昔通りで行こう」
フェルナーが苦笑を浮かべた。そして“不用心だな”と言った。

「良いのか、俺は裏切り者だぞ。自室で二人きりなど危険だろう」
「そうだな、裏切り者だが馬鹿じゃない。この場で私を殺す事は無いだろう」
俺の答えにフェルナーの苦笑が更に大きくなった。
「それで、何の用だ」

「ブラウンシュバイク公が信頼する側近は誰かな、卿から見て能力的にも信頼できる人間だが……」
「シュトライト准将とアンスバッハ准将だろう」
即答だな。まあ分かっていた事ではある。

「連絡は取れるかな?」
「多分、可能だと思う。二人ともポータブルのTV電話を持ってガイエスブルクに行った筈だ。番号は知っているから連絡は取れるはずだ……」
「……」
「連絡を取りたいのか?」
フェルナーがこちらをじっと見ている。やばい仕事だと思ったかな。

「いずれ取ってもらう事になる。女の子を二人、助けたいんだ」
「女の子を二人……。なるほど、そういう事か」
「皇族が少ないからな、保護しておきたい。内乱が終結した後なら二人には力は無い。こんな事は考えたくは無いが万一の時の事も考えないと……」
フェルナーが頷いている。悪いな、フェルナー、今話せるのはここまでだ。

「皇族が少ないか……。確かにそうだな、女子供ばかりだ。有力な成人男子が皇族に居ればこんな内乱は起きなかったはずだ」
「陛下は未だ幼い、後継者は当分得られない。これ以上後継者を巡っての騒乱は沢山だよ」
「なるほど」

「こちらが優位にたった時点で、向こうの敗北が見えた時点で話をしようと思っている」
「分かった」
話しは終わった、切り上げようとした時だった。フェルナーが“ちょっと良いか”と話しかけてきた。

「この内乱が終わったら卿はどうするつもりだ?」
「終わったらか……、負けたら死ぬな」
「……勝ったら?」
「アンネローゼと子作りに励むさ」
フェルナーが唖然としている。もう少しからかってやるか。
「彼女も二十六だからな、子供は早い方が良いだろう」

フェルナーが咳払いをした。
「卿、分かっているのか? 自分が危険だという事を」
「分かっているよ、さっきのは冗談だ。しかし自由惑星同盟が有りイゼルローン要塞も向こうに奪われた。当分は私の力が必要だ」
「……」
考えているな、釘を刺しておくか。今動かれると迷惑だ。

「アントン、馬鹿な事は考えるな。私は大丈夫だ」
「……」
「適当な時期に軍を辞めて弁護士になる。リヒテンラーデ侯も安心するだろう。それが私の夢なんだ」
「……分かった」
フェルナーが部屋を出て行った。弁護士か……、所詮は夢だ、夢でしかない……。




 

 

第三十六話 来たよ、来た来た、ようやく来た



宇宙暦797年 5月 18日  宇宙艦隊司令部  アレックス・キャゼルヌ



「忙しそうですね、先輩」
「そういうお前さんは相変わらず暇そうにしているな、何時仕事をするんだ?」
俺が皮肉を言うとヤンは“まあ、そのうちに”と言って頭を掻いた。困った奴だ。

「また出兵だからな。補給の手配をしなければならん」
「先輩は何処に行ってもそれですね」
「当たり前だ、補給無しで戦えると考えるのはドーソンの阿呆くらいだ。あれが大将だからな、同盟軍も人材不足だよ」
俺がそういうとヤンは苦笑を浮かべた。

「皮肉ですね、軍の混乱が小さかったことが出兵を可能にしました」
「そうだな、もう少し負けているかもう少し軍の混乱が大きければ戦争は起きなかったかもしれん。出兵を望む声も小さかっただろう」
「ええ」
ヤンが神妙な表情で頷いた。

帝国領侵攻作戦は最終的には遠征軍の六割に近い損失を出して終結した。動員した八個艦隊の内二個艦隊が帝国軍に降伏、一個艦隊は指揮官の戦死により指揮系統が崩壊し潰走、残りの五個艦隊も三割以上の損害を出した。ここ近年帝国軍に圧され気味の同盟軍だがそれでも稀に見る大敗だった。宇宙艦隊は全体で見れば四割を超える戦力を失ったのだ。当然だが政府、軍はその責任を取る事になった。

サンフォード議長を始め最高評議会のメンバーは全員辞表を出した。今回の遠征に賛成した主戦派はその無責任な行動を徹底的に叩かれた、二度と政治家として浮上することは無いだろう。新たに最高評議会議長に就任したのはヨブ・トリューニヒトだった。あの遠征までは散々主戦論をブチ上げながら遠征には反対した男……。立ち周りの上手い男だ、とても信用は出来ん。俺だけじゃない、ヤンもそう思っている。

そして軍ではシトレ元帥とドーソン大将が退役した。ドーソン大将は無謀な積極策を採り軍に大きな損害を与えたのだ、その退役に同情する人間は居ない。しかしシトレ元帥は違う、政府に対し侵攻の危険性を指摘し早期の撤退を進言し、そして解任された。

シトレ元帥の進言に従っていれば同盟軍は物資の損失だけで撤退することが出来たはずだ。皆がドーソン大将の退役は当然と考える一方でシトレ元帥の留任は当然と考えたが元帥自身がそれを望まなかった。元々計画を立てたのは自分である事、そして軍内部の混乱を最小限で留めたいと訴え大きな処分は自分とドーソン大将の退役のみとし、他の処分を軽減して欲しいと政府に訴えた。そして受け入れられた。

実際に遠征軍内部でも殆どが進攻に反対していたのをドーソンが無理やり占領地を拡大させた、そしてそれは政治家の意向を汲んでの事だった。政治家達が軍に無理をさせた事が被害を大きくしたという事は皆が分かっている。政府も軍に強く処分を迫る事は出来なかった。そういうわけでシトレ元帥の副官でもあった俺は左遷される事も無く宇宙艦隊司令部に参謀として招き入れられ補給問題に取り組んでいる。

「幸い食料は前回の遠征で使わなかった分が有る。そいつが使えるからな、必要なのは兵器とエネルギーだ」
「では多少は楽ですか」
「遠征軍の規模も小さいしな、楽と言えば楽だ。だが小さいと言っても二個艦隊、三百万近い人間を喰わせねばならん」
「大変ですね」
お前が溜息を吐くな。溜息を吐きたいのは俺の方だ。

「それにしても捕虜交換は反故か……」
「マスコミが煩いですからね。同盟市民の間でも捕虜交換については本当に行われるのかと疑問の声が上がっています」
「そうだな」

「実際捕虜交換は同盟側にメリットが多いでしょう。疑問の声が出るのは当然とも言えます」
その通りだ、俺も頷いた。同盟軍は前回の遠征における損害で圧倒的に将兵が不足している。そして早期回復を図ろうにも新兵の徴集だけでは数は揃えても錬度の低下は避けられない。捕虜が戻ってくればその効果は大きい。

当初帝国と同盟は内乱終結後に捕虜交換を行う事で合意していた。昨年の帝国領侵攻作戦で大きな損害を受けた同盟としては願ったり叶ったりだった。帝国が内乱で混乱する間、同盟は国力回復に努める。そして内乱終結後は捕虜交換で将兵を補充する……。だが実際に帝国内部で内乱が発生すると同盟市民の間から出兵論が出始めた。

“焦土戦術を使う様な敵が捕虜交換などするだろうか、民衆を飢餓に追い込むような帝国が捕虜を気にかける事等有り得るはずもない。捕虜交換は時間稼ぎだ。ここは出兵して帝国の混乱を助長すべき、それこそが同盟の国力回復に役立つだろう”

出兵を求める声は日に日に強まり政府はそれに押し切られる形で出兵を決めている。動員兵力は二個艦隊、第一、第十一艦隊が帝国領へ攻め込む。
「しかし俺はどうかと思うな、一度約束しておきながら反故にするというのは」
「私もどうかと思いますよ、例え帝国相手の約束でも守るべきだと思います」
ヤンが肩を竦めて息を吐いた。

「ヴァレンシュタイン元帥はどう思うかな?」
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥、帝国初の平民出身の元帥、そして宇宙艦隊司令長官……。焦土作戦を実施する様な男だ、まだ若いが勝つためには手段を選ばない、冷酷な男なのだろう。だが実力は本物だ、彼も彼が率いる宇宙艦隊も。だから平民でも元帥、宇宙艦隊司令長官に就任した。

「さあ、面白くは無いでしょう。ただ辺境星域はメルカッツ上級大将が担当する様です。直接彼と戦う事は無いと思います」
「せめてもの救いだな」
「まあ油断は出来ませんが……」
ヤンは憂欝そうな表情をしている。油断は出来ないか……。

「内乱終結後が怖いですね、当然ですが彼は報復に出るはずです。それがどんなものになるか……」
「厄介だな、ウランフ提督もいい迷惑だろう。今回の出兵もいざとなれば支援するようにと言われているんだから……」
万一の事も有る、補給はウランフ提督の分も含めて用意しておいた方が良いだろう。


帝国暦 488年 6月 15日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「最前線を哨戒中のワーレン提督より入電! 貴族連合軍と接触したとの事です!」
オペレーターが声を張り上げた。艦橋にもざわめきが起きた。現在、帝国軍はシャンタウ星域を攻略中だ、もう直ぐ終わるだろう。ワーレンはシャンタウ星域の更に前方に出て哨戒活動を行っていたんだがそのワーレンが貴族連合軍と接触した。来たよ、来た来た、ようやく来た。

「敵艦隊はほぼ一個艦隊、ワーレン提督は事前の指示に従い後退しております」
「……」
一個艦隊? 一個艦隊なの? さっきまで艦橋に有ったざわめきは急速にしぼんでいる。俺もちょっと、いやかなりがっかりだ、せめて三個艦隊くらいは出てきて欲しかった。

「ようやく喰い付いてきましたな、しかし一個艦隊というのは少々少ない様な気がしますが……」
メックリンガーが困惑を浮かべている。口髭を綺麗に整えている、相変わらず身だしなみが良いよな。女性から見て美男子ではないが好男子ではある。きっともてるだろうな。

「あの八人が出てきていると思うのですが……」
「小官もそう思います」
「領地を失っていますからね、艦隊の保持は難しいのかもしれません。だとすると八人で一個艦隊というのはおかしくは無いのかもしれません」
「なるほど、そうかもしれませんな」
一個艦隊か……、あの八人の他は誰も一緒に付いて来ないみたいだ。やはり浮いているようだな、馬鹿八人衆は。……あいつらなんだよな、出てきたのは……。

ワーレン艦隊の後退と貴族連合軍の追撃は二時間ほど続いた。終了後、ワーレンから状況報告の通信が入った。
「一個艦隊と聞きましたが?」
『はい、一万隻は超えていましたが一万五千隻には達していなかったと思います』
なるほど、一人当たりなら二千隻に満たない戦力か……。

「艦隊の動きはどうでしょう?」
『統制はとれていませんでした。我先に追って来ると言う感じで……』
ワーレンが苦笑を浮かべている。逆撃を喰らわすのは難しくなかった。そう思っているのだろう。

『こちらがわざと後退しているというのにも気付いていないのでしょう。二時間も追い回すというのは戦闘慣れしていないとしか思えません』
「なるほど」
艦隊の錬度も低いし指揮官も戦闘慣れしていないか……。原作同様、貴族連合の特徴だな。

『小官はこの後、どのように』
「これまで通り、味方の最前線で哨戒活動をお願いします」
『承知しました』
そう言うとワーレンは敬礼をして来た、こちらも敬礼を返してから通信を切った。良いよな、地味な仕事でもきちんとこなしてくれる男は。

「総参謀長」
「はっ」
「あの艦隊がガイエスブルク要塞に戻るのは何時頃と思いますか?」
「さて、ざっと十日というところでしょうか」
「十日ですか」
十日か、だとするとシャンタウ星域の攻略は終わっているな。

「トラーバッハへの攻略のために一隊を回すのを止めてガイエスブルク要塞の攻略に全力を注ごうかと思うのですが総参謀長の考えは?」
俺が問い掛けるとメックリンガーがちょっと考えた。参謀連中は皆固唾をのんでメックリンガーを見ている。

「宜しいのではないでしょうか、幸い貴族連合軍は動きを見せております。それに辺境星域の事を考えますと周辺宙域を攻略するよりも一気に貴族連合軍の本拠地を叩いた方が得策だと思います」
方針変更、貴族連合軍の本拠地を攻略。メックリンガーの言葉に艦橋がざわめいた。

「ではシャンタウ星域の攻略が終了した時点で一度作戦会議を開きましょう。全軍にそれを通達してください」
「承知しました」
さて、俺はあの馬鹿共を挑発する言葉でも考えておくか……。



宇宙暦797年 6月 25日  イゼルローン要塞  ウランフ



「ようこそ、イゼルローン要塞へ。御二方とも始めてでしょう」
「まあ、確かに」
「そうですな」
イゼルローン要塞のメインポートまで出迎えたがカールセン提督、ルグランジュ提督とも何処か余所余所しかった。

その後も司令室に案内するまで時折話しかけたが二人とも口数が少なく余り話そうとしない。自然と会話は途絶え殆ど話す事無く司令室に着いた。一体どういう事か……。司令室に着くとルグランジュ提督が話し始めた。
「今後の作戦についてはカールセン提督とは打ち合わせを済ませております」
「そうですか」
カールセン提督に視線を向けたが特に反応は無い。

「出来るだけイゼルローン要塞駐留艦隊には迷惑をかけないようにするつもりです」
「御配慮、痛み入ります」
「では」
え、と思ったがルグランジュ提督は私とカールセン提督をその場に残して司令室を出て行った。

呆然としていると溜息を吐く音が聞こえた。カールセン提督が首を振っている。
「カールセン提督?」
「いや、失礼」
「一体何が?」
「まあ、面白くないのでしょうな」
「はあ?」

カールセン提督が笑い出した。
「面白く無いのですよ、全てが」
「……全てが、ですか」
よく分からない、全てが面白く無いとはどういうことなのか。私が困惑しているとカールセン提督が更に笑った。

「先ず兵卒上がりの私と一緒に軍事行動を起こすというのが気に入らない」
「……馬鹿げていますな、ビュコック司令長官もモートン提督も兵卒出身ですが私はその事を気にしたことは有りません。カールセン提督に対しても同様です」
「それは有難いですな。しかし面白く思わない人もいる、ルグランジュ提督もその一人です」
「……」

「他にも私が第一艦隊の司令官という事が面白く無いようです」
「なるほど、第一艦隊ですか……」
第一艦隊には首都警備の役割も有る、いわば近衛部隊のようなものだ。兵卒上がりのカールセン提督が司令官では面白く無いという事か……。その裏には自分こそがという思いも有るのだろう。

「面白く無い感情はウランフ提督に対しても有りますぞ」
「私にですか?」
カールセン提督が頷いた。はて、彼とはほとんどトラブルなど無かったが……。
「いけませんな、お分かりでないとは。嫉んでいるのですよ、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官、ルグランジュ提督も狙っていたのです」
「なるほど、そういう事ですか」

そういう事か、あの敗戦の後、近衛部隊である第一艦隊の司令官職と最前線のイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官が空席になった。そのどちらもルグランジュ提督は得ることが出来なかった。その事を面白く無い、そう思っている。まして俺はあの遠征では三割以上の損害を出した。敗軍の将を何故最前線に、そんな思いも有るだろう。

どうりでルグランジュ提督がそそくさと消えたはずだ、一番顔を見たくない二人が居たのだから……。溜息を吐くとカールセン提督がまた笑った。
「まあ彼は今度の任務で成果を上げて上層部や政治家達にアピールしたい、そう思っているでしょうな」
「そう上手く行きますか、作戦は既に打ち合わせ済みと聞きましたが?」
私が問い掛けるとカールセン提督は苦笑を浮かべた。

「まあそれぞれ別個に動こう、そういう事です」
「別個? 協力はしないという事ですか?」
「そういう事ですな」
ルグランジュ提督は一体何を考えているのか……。

「それほど悪い考えではないでしょう。今回の出兵、目的は帝国の混乱の助長です。別々に動いて帝国領内を荒らし回った方が効率が良い。そう考えることも出来る」
「まあ、そういう考えも有りますか」
「ええ、そういう考えも有ります」
やれやれだ、気が付けば溜息が出ていた。そしてカールセン提督がまた笑い声を上げた。






 

 

第三十七話 俺って役に立つだろう




帝国暦 488年 6月 30日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



討伐軍はシャンタウ星域を制圧し、ガイエスブルク要塞の有る方向に向かっている。貴族連合もそれには気付いているだろう。さてと、そろそろ始めるか。
「総参謀長、ガイエスブルク要塞と回線を繋いでもらえますか」
「ガイエスブルク要塞にですか?」
「ええ、挨拶をしておこうと思うのです」
「分かりました」
メックリンガーもだけど他の参謀達も不思議そうな表情だ。まあ今更挨拶でもないよな、でも出来る事はやっておかないと。

少し待ったがオペレーターが繋がったと声を上げた。スクリーンにブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を始めとして貴族達が映った。馬鹿八人衆の中からもフレーゲル、シャイドの顔が見える。シュターデンはブラウンシュバイク公の傍にいた。

「ガイエスブルク要塞に引き篭もる臆病で愚かな貴族達に告げます」
『臆病で愚かだと!』
顔も見たこと無い男が騒いだ。
「臆病でしょう、これまでまともに戦ったのはオフレッサーだけです。貴方達は安全な場所で遊んでいるだけだ」
スクリーンから呻き声が聞こえた。皆がこちらを睨んでいる。

「そして勇敢に戦ったオフレッサーを貴方達は裏切り者だと疑って殺してしまった、愚かじゃありませんか、否定できますか?」
また呻き声が聞こえた。いやあ気持ち良いわ、あの馬鹿共の悔しそうな顔! 癖になりそうだ。

「なかでも一番の愚か者は領地と爵位を失った八人ですね。帝国騎士になったにもかかわらず未だに伯爵、男爵と呼ばせているとか、一体何を考えているのか……」
俺が笑い声を上げるとスクリーンから“貴様”という呻き声が聞こえた。フレーゲルだな、今の声は。

『そちらこそ我らに追われて逃げたではないか、臆病なのはそちらだろう!』
顔面を主に染めてフレーゲルが喚いた。そんな大声を出さなくても聞こえてるって。
「逃げたのではありません、避けたのですよ、フォン・フレーゲル。貴方達が近付くと馬鹿がうつるから避けろと命じていたのです」
『何だと!』
もう一度笑い声を上げた。

「馬鹿というのは伝染病なのです、だからあっという間に馬鹿は増えていく。心当たりが有るでしょう? 貴方の友人達は皆爵位と領地を失った。貴方も含めてかなりの重症ですね、フォン・フレーゲル」
艦橋で失笑する音が聞こえた、結構受けた様だ。
『おのれ、無礼だろう!』
フレーゲルだけじゃない、シャイドも叫んでいる。

「ルドルフ大帝も嘆いているでしょうね。帝国を護るエリートとして作った貴族が平民を前に何も出来ずに要塞で震えている。そのくせ味方を疑って殺してしまう、愚劣にも程が有ると。貴方達の先祖に爵位を与えた事を後悔しているかもしれません」
また呻き声が聞こえた。そろそろ限界だろうな、もう一押しだ。

「今からでも遅くはありません、大人しく降伏したほうが良いでしょう。降伏すれば殺しはしません。リヒテンラーデ侯に頼んで生きて行くのに困らないだけの財産を貰えるように口添えしてあげます。命は一つしか有りませんから良く考えて行動してください。平民の口添えなど要らないなどと無意味に強がる事はありませんよ、子供じゃないんですから」
スクリーンから怒号と悲鳴が聞こえたが無視して通信を切らせた。

「なかなか辛辣ですな」
苦笑を浮かべながらメックリンガーが問い掛けてきた。司令部の参謀達も苦笑を浮かべている。笑っていないのはラインハルトとキルヒアイスだけだ。まあ挑発されて暴発するとかこの二人には笑えんよな。もうちょっとで暴発しかかったんだから。

「堪え性の無い貴族達です、必ず出撃してくるでしょう」
メックリンガーが頷いた。笑みは消えている。
「最前線にはワーレン、ルックナー中将がいます。接触するのは早くて十日後と思われます」
連中が遮二無二出撃してくれば十日後だろう、だが要塞付近でこちらを待ち受けてだともう少しかかる。二週間では無理だが三週間はかからないはずだ。

「二人には作戦会議で説明したとおりに動くようにと伝えてください。他の艦隊司令官にも手筈を間違うなと」
「はっ」
まあこっちはこれで何とかなるだろう。問題は辺境星域だな、メルカッツ達が上手くやってくれればいいんだが……。



帝国暦 488年 7月 12日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エルネスト・メックリンガー



艦橋には微かに緊張が漂っている。予定では今日、貴族連合軍とこちらの先鋒部隊二個艦隊が接触する。おそらく向こうも全軍では有るまい、精々三個艦隊か四個艦隊か……。参謀達は落ち着か無げだがヴァレンシュタイン司令長官はいつも通りの平静さを保っている。

今回は前哨戦、決戦はまだ先だ、今から焦ることは無い。参謀達も少しは司令長官を見習えば良いのだが……。まあそうは言っても昨日からはタンクベッド睡眠で貴族連合軍の敵襲に備える事になった、緊張するなと言う方が無理なのかもしれない……。

接触した場合は敗走するかのように後退する事が命じられている。貴族連合軍を驕慢ならしめるためだ。二度、三度と繰り返せば慢心した貴族連合軍は全軍を上げてガイエスブルク要塞から出てくるだろう。その時が勝負になる、今日が前哨戦と言うのはそういう意味だ。ワーレン、ルックナー艦隊が貴族連合軍を引き付け残りの艦隊が作成した縦深陣奥深くまで引き摺り込む。そして貴族連合軍を側面から寸断して撃破する……。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が出撃してきた時、その時が全軍で動く時になる。一気に貴族連合軍を片付けられるはずだ、勝敗はそこで決するだろう。出来れば早く内乱を片付けたい、反乱軍が出兵を決めた以上彼らが辺境星域に攻め込んでくるのは間近だ。何時までも内乱に手を取られていては厄介な事になる。辺境にはメルカッツ提督がいるがだからと言って任せきりにするのは無責任というものだろう。

最前線のワーレン提督から貴族連合軍との接触を告げてきたのは七月十二日も半分が終わろうとする時だった。艦橋の空気が一気に緊迫した。
「ワーレン、ルックナー艦隊は当初の予定通り現在後退しております。なお貴族連合軍は十五万隻を超える模様」

“十五万隻!”彼方此方で声が上がった。皆が顔を見合わせている。私も司令長官を見た、司令長官は唖然としていたが直ぐに苦笑を浮かべた。
「少し挑発が過ぎましたか……」
「閣下、そのような事を言っている場合ではありますまい。如何します?」
落ち着いているのは頼もしいが、この緊急事態を面白がるのは後にしてもらわないと。

「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は出撃していますか」
司令長官の問い掛けにオペレーターがワーレン、ルックナー艦隊に問い合わせをかけたが直ぐに不明だと答えが返ってきた。相手は十五万隻を超えている。両艦隊ともそこまでは見届けていないらしい。もっとも十五万隻を超えるとなれば二人が出撃している可能性は高い。

司令長官は少し考えていたが
「確証はないか……、已むを得ませんね」
と呟いた。
「では?」
「各艦隊に命令してください。作戦を繰り上げ、貴族連合軍を撃破します。ワーレン、ルックナー艦隊には改めて貴族連合軍を引き摺り込むようにと連絡してください」

艦橋が大きくざわめいた。司令長官の指示を受けてオペレーター達が各艦隊に作戦の繰り上げを連絡し始めた。
「総参謀長、直ちに反転攻撃の地点の特定と貴族連合軍の遁走ルートを想定してください。それと各艦隊の配置を」
「はっ」

参謀達がワーレン、ルックナー艦隊の現在位置を確認すると口々に反転攻撃の地点を言いだした。無理せずに貴族連合軍を引き摺り込めるであろう地点が反転攻撃の地点となる。そしてそこに至るまでの貴族連合軍の進撃ルートを想定する。彼らの進撃ルートがそのまま遁走ルートになる。後は各艦隊の配置地点を決定し連絡するだけだ。

三十分程で反転攻撃の地点が決まると各艦隊の配置が決まった。第一陣にロイエンタール大将、ミッターマイヤー大将、第二陣にミュラー大将、クレメンツ上級大将、第三陣にケンプ大将、ケスラー大将、第四陣にアイゼナッハ中将、ルーディッゲ中将、第五陣にビッテンフェルト中将、ファーレンハイト中将、そして我々司令長官直率艦隊はワーレン、ルックナー艦隊と共に後方から貴族連合軍を追撃する……。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が追撃に加わっているかどうかは分からない。しかし十五万隻以上の艦隊だ、全てとは言わないがその大部分を撃破すれば一気にこちらが優位になるだろう……。



帝国暦 488年 7月 12日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



帝国軍総旗艦ブリュンヒルトの艦橋は大勝利に沸き立っていた。
“逃げたのは二割、いや三割程度かな、大勝利だ!”
“ブラウンシュバイク公は逃したが副盟主リッテンハイム侯は戦死した”
“惜しかったな、ブラウンシュバイク公ももう少しだったのだが”

“第五陣がもう少し頑張れば”
“無理だよ、あれ以上は”
“そうは言うけど最終陣を任されたんだから”
“まあ、それはそうだけど……”

或る者は頬を上気させ、或る者は興奮して艦橋をうろうろと歩き回っている。そんな中、ラインハルトとキルヒアイスだけが興奮を共有していない。自分達ならもっと上手くやるとか思ってるんだろうな。まあオリジナルはラインハルトだ、否定はしない。

貴族連合軍は十五万隻で攻め寄せてきたがこちらの縦深陣に捕まり逃げ帰ったのは四万隻に満たない兵力の筈だ。それ以外は大部分を撃破した。戦場から逃亡したのはほんの少しだろう。リッテンハイム侯は第四陣の辺りで戦死したようだ。アイゼナッハとルーディッゲだな。二人ともいい仕事をした、後で誉めておかないと。

オペレーターがビッテンフェルト、ファーレンハイトから通信が入っていると報告してきた。まあ大体何が言いたいかは想像がつく。繋ぐ様に命じるとスクリーンにビッテンフェルトとファーレンハイトが映った。二人とも多少面目なさそうな表情をしている。しょうが無いな、先手を打つか。

「良くやってくれました、ファーレンハイト提督、ビッテンフェルト提督」
俺が声をかけると二人が驚いたような顔をした。艦橋の人間も驚いたような表情をしている。
『あ、いや、我ら両名最終陣を任されながらブラウンシュバイク公を撃ち漏らし……』
ファーレンハイトがもごもご言いだしたが手を振って止めた。

「気にする事は有りません、ブラウンシュバイク公はガイエスブルク要塞に戻るしかありません。それにこの会戦の勝利で貴族連合軍の敗北はほぼ決定しました。慌てる必要は無いのです」
『ですが辺境では反乱軍が……』
「そちらはメルカッツ提督に任せましょう。手に余るようならば救援要請が来るはずです。……ファーレンハイト提督、ビッテンフェルト提督、良くやってくれました」
『はっ』

残敵を掃討するように命じて通信を切った。艦橋の皆が俺を見ている。
「ブラウンシュバイク公が逃げ延びたのは我々討伐軍全体の責任です。第五陣は十分にその役目を果たしました。明らかな失態が有るならともかくそうでないなら味方を不用意な発言で責めるのは止めなさい。傲慢ですよ」
俺の言葉に皆がバツの悪そうな表情で頭を下げた。

こういうのはきちんと言っておかないとな。ブラウンシュバイク公を逃がした事で責められる人間はいないよ。原作では結構各個撃破で貴族連合軍の戦力を削いでいる、それとメルカッツが居たからブラウンシュバイク公は逃げた。こっちではそれが無い。メルカッツは居ないが兵力が多い分だけ撃ち漏らしが有ったという事だ。ファーレンハイトもビッテンフェルトも良くやった。

全軍に残敵の掃討を命じるとオーディンのエーレンベルク軍務尚書、シュタインホフ統帥本部総長、リヒテンラーデ侯に連絡を取らせた。スクリーンに三人の顔が映った。
『何用かな、ヴァレンシュタイン司令長官』
「本日、貴族連合軍十五万を超える兵力と会戦し勝利しました。ブラウンシュバイク公は撃ち漏らしましたがリッテンハイム侯は戦死、十万隻以上を撃破したと思います」
俺がエーレンベルクに答えると三人は驚いたようだ。“ほう”とか“なんと”とか言っている。艦橋の人間はそれを見て嬉しそうにしている。

『リッテンハイム侯が戦死したか……。良くやったと言いたいがブラウンシュバイク公を打ち漏らしたのはいただけぬな』
「申し訳ありません、統帥本部総長。ですが貴族連合軍は大きくその戦力を失いました。内乱の終結も目処がついたと思います」
『うむ』
素直に褒める事は出来ないのかな、爺さん連中は。もしかすると面白く無いのかもしれん。孫みたいな歳の俺に嫉妬してどうするんだよ。

「一つ確認しておきたい事が有ります。アマーリエ様、エリザベート様、クリスティーネ様、サビーネ様ですが如何いたしますか。このまま反逆者の一味として死を迎えさせて宜しいのでしょうか?」
俺の問い掛けに三人が顔を見合わせた。三人とも口を開こうとしない。艦橋の人間も皆顔を見合わせている。

「小官が心配する事ではありませんが陛下は未だ御幼少、当分御世継ぎは望めません。皇族の方々が少ない事を考えますと……、御指示を頂きたいと思います」
暗に助けるべきではないかと言うとスクリーンから唸り声が聞こえた。三人とも渋い表情をしている。

『卿の言いたい事は分かるが素直にこちらに引き渡すかな? 連中にとっては自分達の正義の拠り所でもあるはずだ』
リヒテンラーデ侯が渋い表情のまま首を傾げている。
「難しいとは小官も思います。おそらく正面からブラウンシュバイク公に申し入れても周囲が許さないでしょう。裏から極秘で交渉するしかないと思います」
「……」

まだ答えは出ない。迷っているな、娘はともかく母親は煩いと見たか。娘二人だけに絞れば良かったかな。もう一押しするか。
「このまま何もせずに見殺しにしますと後々非難を受ける事になるかもしれません。そう思って御相談しているのですが……」
『なるほど、それは有るかもしれん』

益々リヒテンラーデ侯の表情が渋くなった。ラインハルトが俺を軽蔑するかのような目で見ている。貴族達にペコペコして、そう思っているのだろう。お前は表情が読み易いんだ、いや隠すのが下手なんだ。アンネローゼに守られてきたからな、多少の事は許されてきた。だから駄目なんだ。

「交渉しておけば例え失敗に終わっても助けようと努力した、見殺しにしたわけではないと言えます。駄目元という言い方はおかしいですが交渉するべきではないでしょうか、尽力するべきだと思うのですが……」
『なるほど』
リヒテンラーデ侯がウンウンと頷いた。役に立つだろう、俺は。

『分かった、司令長官に交渉は任せよう。但し、ブラウンシュバイク公の助命は認められん。それとブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家の存続もだ』
「つまり新たに爵位と領地を与える、そういう事でしょうか?」
『うむ』
「分かりました。では小官が交渉に入ります」
それを最後に通信は終了した。ガンバレぐらい言えよ、頼むぞとか。

さてと、これで向こうと交渉が可能になった。勝手にやると内通とか疑われそうだからな。いやそれを理由に粛清される可能性も有る。こういうのは公明正大にやらないと……。
「フェルナー大佐」
「はい」
「私の部屋に来てください」
仕上げにかかろうか、フェルナー、この内乱の仕上げに……。


 

 

第三十八話 傍に置くのには理由が有るんだ



帝国暦 488年 7月 12日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



フェルナーが俺の自室からアンスバッハに連絡を取っている。なかなか繋がらない。目の前の小型のスクリーンは暗いままだ。
「繋がらないな、アントン」
「知らない番号からのアクセスだからな、用心しているのかもしれない。特に今は敗北した直後だ……」
「有るかもしれないな、なんとか繋がって欲しいんだが」

コールを一旦切って今度はシュトライト准将に連絡を取って見た。こちらも同じだ、繋がらない。十分程してからもう一度コールしてみようという事になった。そして時間潰しにフェルナー持ち出したのはラインハルトとキルヒアイスの事だった。

「あの二人、周囲から浮いているな。今じゃ俺の方が総司令部に溶け込んでいるだろう」
「まあそうだね」
お前は特別だ、異星人とだって仲良くなれるだろう、言葉が通じなくても。
「気になるのはあの二人が時折卿の事を冷たい目で見ている事だな」
「……」

フェルナーがフッと笑みを浮かべた。
「気付いているんだろう」
「まあ、ね」
「能力は有るようだな、妻の弟だから司令部に入れたわけじゃ無いようだが……」
「有るよ、二人とも有能だ」
問題は有能だが役に立っているとは言い難いところだ。

フェルナーがじっと俺を見ている。
「しかし卿に好意を持っていない、むしろ敵意を持っている」
「アンネローゼが不当に扱われている、そう思っているらしいね」
フェルナーがウンウンというように頷いた。
「……領地、爵位の返上か、しかし返上したのは正しいだろう。俺もその事を聞いた時には驚いたが悪くないと思った。伯爵夫人は不本意だったかもしれんが……」

「アンネローゼは何も言わないよ。不当だと思っていないんじゃないかな。だがあの二人は不当だと思っている。下賜そのものが気に入らないらしい、恥をかかされた、そう思っているんだろう」
さんざん罵られたからな、あの二人の気持ちは分かっている。まあ俺にも多少意地が有った。それが爵位、領地の返上になったのは事実だ。しかし公平に見てフェルナーの言うように間違っていたとは思えない。

「なるほどな、……外に出したらどうだ。元々辺境星域で哨戒任務に就いていたんだろう、戻した方が良さそうに見えるが……」
「……そういう意見が出てるのかな、総司令部で」
「まあそうだな、卿の負担にしかならないんじゃないか、そんな声がチラホラ出ている」
「……」
こいつが口に出すと言うのは無視できるレベルじゃないという事か……。俺が黙っているとフェルナーが苦笑を浮かべた。

「不同意か、……よく分からんのだが何故ミューゼル少将は辺境星域で哨戒任務に就いていたんだ。皇帝フリードリヒ四世の寵姫の弟だろう、もっと良い任務が有ったはずだが……」
思わず苦笑が漏れた。

「寵姫の弟だからさ。前線に出して戦死されては困る、だからといってオーディンに置くのは目障りだ。それで辺境星域の哨戒任務に回された。ヴァンフリート星域の会戦の後、軍上層部の間でそう決まったらしい」
俺が答えるとフェルナーが口笛を吹いた。“特別扱いだな、それとも厄介者扱いか”と言った。その通りだ、その両方だろう。俺自身持て余している部分が有る。

寵姫の兄弟なんてこれまでにも幾らでも居ただろう。だが有能で国家の役に立ったなんて話しは聞いた事が無い。大体が姉か妹を利用して権力を振るうか蓄財に励むのが精々だった筈だ。間違っても軍人として戦場で武勲を上げて出世しようなんて考える奴は居なかっただろう。軍上層部は目障りだ、寵姫の弟ならそれらしく安全な所に引っ込んでろ、そう思ったに違いない。

「フリードリヒ四世陛下が亡くなったから総司令部に入れたのか? 皇帝との関係は切れたと」
「前半は正しい、だが後半は違う。それならアンネローゼが寵姫で無くなった時点で元帥府に入れている」
「……」
フェルナーが訝しげな表情をしていた。自然と溜息が出た。

「内乱が起きるのは必至だった。私はミューゼル少将を辺境に置いておくのは危険だと思ったんだ。能力も有れば覇気も有る、おまけに感情の制御が上手く出来ない。何を仕出かすか分からない不安感が有った。だから総司令部に入れたんだ。表向きは幕僚任務に就く事で彼の見識を高めさせると周囲には説明してね」
「なるほど、そういう事か」
フェルナーが頻りに頷いている。

「義弟だから入れたわけではないという事か」
「そういう事だ」
コール音が鳴った。気が付けば時間は十分を過ぎ十五分に近くなっている。
「番号に心当たりはないな」
「俺も無い」
「卿が出てくれ、もしかするとアンスバッハ、シュトライト准将の可能性が有る」
「分かった」

スクリーンに映ったのは黒髪の中年男、アンスバッハ准将だった。俺はスクリーンの横に居るから向こうから見えるのは正面に座ったフェルナーだけだろう。
『フェルナー大佐、卿か。心当たりのない番号だ、誰かと思ったぞ』
「それはこちらもです」

『シュトライト准将、我々に連絡を入れてきたのはフェルナー大佐だ』
『ああ、そのようだな。ところで何の用だ、卿はヴァレンシュタイン元帥に付いたと聞いた。我々とは敵の筈だが』
スクリーンに男がもう一人映った。なるほど、相談してこちらに連絡を入れてきたか。フェルナーがチラっと俺を見た。代わるかという事だろう、首を横に振った。

「そちらの艦隊が敗北したというのは御存じですか?」
『知っている、先程リッテンハイム侯も戦死したと連絡が有った。手酷い敗北だな』
シュトライトが言うとアンスバッハ目を瞑った。
「もうそちらには勝ち目はないと思いますが?」
『……我々に降伏しろと言うのかな』
シュトライトの声には興奮は無い。アンスバッハも静かなままだ。この二人は現実を見ている、貴族連合に勝ち目はないと判断したようだ。

「アマーリエ様、エリザベート様、クリスティーネ様、サビーネ様……」
『なるほど、その事か……』
「如何思われます?」
フェルナーの問い掛けにスクリーンの二人が顔を見合わせた。そしてシュトライトが息を吐いた。

『正直、何も考えてはいなかった。大敗の連絡が有ってその後始末で大変だったからな。酷い混乱だった』
『そちらではどう考えているのかな、アマーリエ様達の処遇を。教えてくれないか』
アンスバッハがこちらの意見を聞きたがっている。敗北は必死と見てこの反乱をどう幕引きするのか、こちらの意見を聞いて考えようというのだろう。問題はブラウンシュバイク公にどう受け入れさせるのか……。

「アントン、代わろう。アンスバッハ准将、シュトライト准将、エーリッヒ・ヴァレンシュタインです」
フェルナーの隣に座って向こうからも見える位置に移動した。アンスバッハとシュトライトは驚いたようだ。顔を見合わせている。
「私はアマーリエ様達を助命するべきだと考えています。リヒテンラーデ侯とも相談しました。侯もアマーリエ様達の助命については同意しておられます」
また顔を見合わせた。

『ブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家の存続は』
「残念ですが反逆を起こした以上、それは認められません。ですが新たに爵位と領地を与えるとの事でした。これまでの様な贅沢は出来ないかもしれませんが生活に不自由する事は無いでしょう」

俺の回答を聞いた二人がそれぞれ頷いている。酷な提案では無いだろう、受け入れは可能なはずだ。第一、この二人はブラウンシュバイク公の助命を口にしていない。反逆に失敗した以上、ブラウンシュバイク公の死は必然と思っているに違いない……。

だが妻二人、娘二人はフリードリヒ四世の血を引いている。そして皇族も少ない、だからこちらは彼女達の命を助けようと言っているのだ。もし皇族も多く、皇帝が厳しい人物なら問答無用で殺されている筈だ。酷な提案どころかかなり寛大な提案と言って良い。

『分かりました。その条件でお願いします』
口を開いたのはアンスバッハだ。
「ブラウンシュバイク公はこの条件を受け入れるでしょうか?」
『……受け入れざるを得ないでしょう。敗戦の連絡が有ってから要塞からは離脱者が続出しています。戻ってくる艦隊からも離脱者が出ているようです。これ以上は戦えません』

少しの間沈黙が部屋に満ちた。逃げ出す人間が出たか、こうなると早い者勝ちで逃げ出すだろうな。ガイエスブルク要塞はガラガラだろう。この二人、ブラウンシュバイク公には自裁を勧めるつもりだろうが、拙いな、俺を殺せとか言い遺しそうだ。まあ良い、大事なのはこれからだ。

「分かりました。では残された方々の事で少々御相談が有ります。アンスバッハ准将、シュトライト准将、卿らの協力が必要なのですが……」
二人がちょっと顔を見合わせた、フェルナーも訝しげな表情をしている。
『我々で出来る事なら』
シュトライトが答えた。
「実は……」



宇宙暦797年 7月 15日  宇宙艦隊司令部  アレックス・キャゼルヌ



昼食を食べ終わりラウンジでコーヒーを飲みながら寛いでいるとヤンの姿がラウンジの入り口に見えた。誰かを探すようなそぶりをしている。俺を見つけると真っ直ぐに近付いてきた。珍しく表情が険しい、それに早歩きだ。どうやら悪い事が起きたらしい。何が起きたかは大体想像がつく……。

ヤンが俺の正面の席に座ると直ぐにウェイトレスが注文を取りに来た。当然だがヤンは紅茶を頼んだ、残念だな、ブランデーが無くて。ウェイトレスが立ち去るのを見送りながら訪ねた。
「食事は済んだのか?」
「ええ」

「それで、何が起きた。ここまで追いかけてくるとは」
「追いかけたわけじゃありません、紅茶を飲みたくなっただけです」
「ほう、随分と険しい表情だが」
ヤンの表情が歪んだ。
「……第十一艦隊が敗れました。先程イゼルローン要塞のウランフ提督から連絡が……」

周囲には人が居なかったがヤンの声は小さかった。
「やはりそうか」
「損害は四割を超え五割に近いそうです」
「五割? 一方的だな、大軍にでも遭遇したのか、奇襲を受けたとか」
俺の問い掛けにヤンは首を横に振った。違うのか……。

「帝国軍は一個艦隊だったそうです」
「一個艦隊……」
「両軍は正面からぶつかったとか……」
互いに一個艦隊で正面からぶつかって五割の損害を出した? ルグランジュ提督はそんな無能な男なのか? これまで特に悪い噂は聞いたことが無かったが……。

考えているとウェイトレスが紅茶を持ってきた。ヤンの前に紅茶が置かれウェイトレスが立ち去るのを待つ。十分に離れてからヤンに問い掛けた。
「どういう事だ? 敗北は分かる、勝つ事も有れば負ける事も有るだろう。だが損害が五割? ちょっと信じられんな」
ヤンが一口紅茶を飲んで顔を顰めた。余り美味いと感じられないらしい。

「戦闘が始まった直後、帝国軍から通信が送られてきたそうです」
「……」
「捕虜の映像だったとか」
「捕虜?」
俺が問い掛けるとヤンが頷いた。

「官姓名と所属部隊、そしてどの戦いで捕虜になったかを告げたとか。それと家族への一言……」
「家族への一言?」
「ええ、“もう直ぐ帰れる”とか“皆元気でいるか”とか帰れる事を喜ぶ一言です」
「……」
馬鹿な、そんな事を聞いたら……。

「それが何十人、何百人、延々と続いたとか……」
「……なんて事だ……」
気が付けば声が震えていた。
「ええ、第十一艦隊はパニックになったそうです。攻撃する艦も有れば逃げ出す艦も有る。多分、一つの艦の中でも攻撃を主張する人間と撤退を叫ぶ人間が出たでしょう。とても組織だった戦闘など出来なかった筈です」

溜息が出た。
「それで五割の損害か……」
俺が呟くとヤンが言葉を続けた。
「ビュコック司令長官はクブルスリー本部長と相談の上、第一艦隊に撤退命令を出しました」

撤退は妥当な判断だろう。第一艦隊のカールセン提督は猛将と評価されている人物だがそんな事をしかけて来る敵と戦いたがるとは思えない。
「してやられましたよ、先輩」
「そうだな」
ヤンの表情は苦い、多分俺も同様だろう。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、あの男だ、おそらく今回の一件を高笑いしながら見ているに違いない。

「帝国軍は最初から二段構えだったのでしょう。こちらが捕虜交換を重視すれば帝国領侵攻は無い、しかしそうでない場合には捕虜の声を聞かせる事で混乱させる……」
「なるほど」
溜息が出た。さっきまで楽しんでいたコーヒーももう味わって飲む事は出来ない。ただ苦いだけだ。

「何の益も無い出兵でした。ただ損害だけを受けてきた」
「そうだな」
「問題になりますよ、これは。成果が出たならともかく被害だけを一方的に受けて敗退したんです。これなら捕虜交換が行われる事を信じた方が良かった、そんな声が上がるはずです。実際、帝国が約束を反故にすればそれを非難する事で国内を纏める事も出来たでしょう」
またヤンが紅茶を一口飲んだ。こいつも味わって飲んでいるようには見えない。

「軍も非難を受けるだろうが政府の方が酷いだろうな、出兵を決めたのは政府だ」
「ええ、政争が起きるだろうと司令長官と本部長は思っているようです。どうやら帝国よりも同盟の方が混乱しそうですよ……」
ヤンが溜息を吐いた。俺も溜息を吐いた。どうやら同盟は憂欝な時間が多くなりそうだ。



 

 

第三十九話 赤かったから吃驚したよ


帝国暦 488年 8月 25日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前にガイエスブルク要塞が有る。この要塞を囲んで既に二日が経った。降伏勧告を一度出したが未だ返答は無い。アンスバッハ、シュトライトの二人はブラウンシュバイク公の説得に手間取っているようだ。もう勝敗は決定したのだがな。

あの大勝利の後、辺境を除けば戦いらしい戦いは起きていない。ガイエスブルク要塞を包囲しても敵が出て来る様子は無い。もう戦えるだけの戦力は無いのだろう、多くの貴族が逃げ去ったようだ。彼らがフェザーンを目指したのだとすれば賢明な選択だと言える。

馬鹿な奴は自領に戻ってリヒテンラーデ侯に命乞いをしているだろうな。無理やり誘われて本意では無かったとか弁明しているに違いない。そんな事で許されると思っているのなら愚かな話だ。弁明など多分一顧だにされずに終わるだろう。今からでも遅くはない、フェザーンに逃げる事だ。俺も許す気はないのだから。

オーディンではあの会戦以降、リヒテンラーデ侯に露骨に擦り寄る貴族が増加したそうだ。内乱の勝利者がリヒテンラーデ侯に確定したと判断したのだろう。これまでは普通の味方だったがこれからは積極的な味方にランクアップしようとしている。

リヒテンラーデ侯も上機嫌のようだ。エーレンベルクとシュタインホフは侯に対して臣従のような態度を取っているらしい。貴族連合が敗北し軍が自分に忠誠を誓っている、帝国の実権は自分が握ったと確信が出来たのだろう。リヒテンラーデ侯の一族もこれ見よがしに侯との関係を強調するようになったようだ。オーベルシュタインからの報告には聞き覚えのある名前が有った、コールラウシュとか……。

辺境星域の平定も終わりメルカッツ達もこっちに合流した。同盟軍とは一度シュタインメッツが戦ったが圧勝した。捕虜の映像を流し混乱したところを叩く事で同盟軍を潰走させた。相手に五割近くの損害を与えたらしい、同盟軍も分が悪いと見て撤退したようだ。約束を破ると痛い目を見るという良い教訓になっただろう。

トリューニヒト達も同盟市民への言い訳に大変だろうな、何よりも大切な支持率は急降下のはずだ。まあ内乱が終わるのを待っていろ、俺が捕虜交換を実施してやる。人道を全面に出してだ。そうすれば少しは同盟市民も喜ぶだろう。返還される捕虜の人数は大体三百万を超えるはずだ。

返すときにはお前達が彼ら捕虜を見殺しにしようとしたことをちゃんと教えておくよ、見苦しい嘘を吐かなくても済むように。彼らは帰るときには反政府感情に溢れた立派な同盟市民になっているだろう。でも俺の所為じゃない、お前達の自業自得だ。

捕虜達はお前達を恨む一方で俺に感謝するだろう。もしかするとお前達への好感度よりも俺への好感度の方が高いかもしれないな。お前達は心の中で俺を恨み、捕虜達に悪態をつきながらも表面では笑顔を浮かべながら俺に感謝するはずだ。俺は誠実さと慈悲深さを表面に出しつつ心の中でお前達を嗤ってやる。楽しいよなあ、本当に楽しい。

最近心の中がどす黒く、いや闇色になってきたような気がする。多分、気のせいじゃ無いだろうと思う。マントも黒だしブリュンヒルトも黒にした、心が闇色になったっておかしくないさ。血だって黒ずんでいるだろう、ラズベリー色だ。そのうち変なマスクをかぶって不気味な呼吸音を立てるようになるかもしれない。それも悪くない……。

同盟軍が帝国領侵攻を諦めた以上、ガイエスブルク要塞の攻略を急ぐ必要は無い。無理攻めすれば不必要な損害が増えるだけだ。包囲して向こうの戦意が萎えるのを待とう。あれ以降、あの二人には連絡を取っていない。向こうからも連絡は来ない。だがアンスバッハ、シュトライトの二人は必ずブラウンシュバイク公を説得すると言明した。実際抗戦して滅ぶよりも降伏する方がメリットは多い。

あの二人を信じて降伏してくるのを待つ。あと二日待ってそれでも返事が無ければ一度連絡をしてみよう。もしかすると例の件で手間取っているのかもしれない。あれが上手く行くかどうかはアンスバッハ達にとっても重要な筈だ。上手くやってくれればいいのだが……。

アンネローゼからビデオレターが届いた。あの会戦の前に作られた物らしい、レンテンベルク要塞攻略の事には触れていたがあの会戦の事には何も触れていなかった。元気でやっていると言っていたな。足の具合はどうかと俺の事を心配していた……。

俺は大丈夫だ。ブリュンヒルトの中では指揮官席に座っているからな、それほど疲れる事は無い。だがなあ、多分お前はラインハルトとキルヒアイスの事が心配なんだろう。レターでは触れていないが心配な筈だ。俺に迷惑をかけてるんじゃないかと……。

二人にもビデオレターを送っているんだろうな。俺に迷惑をかけるな、ちゃんと仕事をしろ、そんな事を言っているんだろう。残念だがアンネローゼ、お前の心配は杞憂じゃない、ラインハルトとキルヒアイスは総司令部に全く溶け込んでいない。いや溶け込もうとしない。だから周囲から信頼されずに浮きまくっている。

今のままじゃ俺との縁故で総司令部に入った、そう周囲から見られるだけだろう。根本的に幕僚勤務とか向いていないんだな。周囲との間に最低限必要な信頼関係を築けない。だから周囲はどう接して良いか分からずに困惑している。メックリンガーも持余し気味だ。結局は艦隊指揮官でしか使えないという事なのだろうな……。

シュタインメッツが同盟軍に対して勝利を収めたと報告が有った時も少しも喜んでいなかった。周囲が歓声を上げたのにあの二人だけ反応しなかった。俺に反感を持つのは腹立たしいが理解出来なくもない。だがな、味方が勝利を収めた事に対して素直に喜べないっていうのはおかしいだろう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いか? シュタインメッツが負けて俺の顔が潰れた方が良かったのか? お前は味方じゃないのか? 何考えてるんだかさっぱり分からん。俺の我慢にも限度が有るぞ。

「足が痛むのですか?」
ヴァレリーが心配そうな表情で俺を見ている。何時の間にか右足を摩っていたらしい。
「いや、大丈夫です」
「ですが」
「癖になっているのでしょう、考え事をしていると何時の間にか摩っている時が有ります」

今度は困惑を浮かべた。気が付けばメックリンガーも困ったような表情をしている。大丈夫だ、そんな心配しなくても……。
「ガイエスブルク要塞が降伏を申し出ています!」
オペレーターが興奮した声を上げると艦橋に爆発したかの様な歓声が上がった。メックリンガーとヴァレリーが幾分興奮した様な口調で“おめでとうございます”と俺に言うと他の皆も口々に“おめでとうございます”と言ってくれた。

嬉しいよな、こういうのは。でもな、あの二人だけは喜んでいない。そして“おめでとうございます”と言うのも口でモゴモゴ言っただけだ。気付いているか? 俺だけじゃない、他の連中もそんなお前達を見ているぞ。何が気に入らないのか知らないが不貞腐れている奴、そう見ている。

「ガイエスブルク要塞に降伏を受け入れると伝えてください。総参謀長、ルッツ提督、リンテレン提督に先に要塞に入り安全を確認するようにと、特に核融合炉などの安全を確保するようにと伝えてください」
「はっ」
俺が指示するとメックリンガーがオペレーターに指示を出し始めた。さて、内乱劇第一幕の幕引きに行くか。そして第二幕の幕開けだ。



帝国暦 488年 8月 25日  ガイエスブルク要塞  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



ガイエスブルク要塞は思ったより静かだった。司令長官はリンテレン提督の先導で司令部要員、そして護衛の兵達と共に司令室に向かっている。ブラウンシュバイク公爵夫人達投降者はそこで待っているらしい。所々に警備の兵が居た、こちらを見ると姿勢を正して敬礼してくる。
「意外に廊下は綺麗ですね」
「と言いますと?」
「要塞内部で戦闘は無かったようです」

私と司令長官の会話に同行している皆が廊下の彼方此方に視線を走らせた。なるほど、確かに綺麗だと思う。要塞内で戦闘は無かった、逃亡者は居ても裏切り者は居なかったのかもしれない。或いは逃げるのに忙しかったか、逃亡者を止めるだけの兵力が無かったのか……。

司令室には二組の母娘(おやこ)と軍人が約五十名ほど居た。宇宙艦隊の司令官達、そして護衛兵達。彼らが司令長官を敬礼で迎え、司令長官がそれに答礼で答えた。そして少し離れた場所に居たブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人に向かって一歩踏み出した時だった。

「クリスティーネ!」
制止する声とリッテンハイム侯爵夫人が司令長官に駆け寄ろうとして護衛兵に取り押さえられるのが同時だった。
「放しなさい!」
険しい声でリッテンハイム侯爵夫人が言い放つが護衛兵達は侯爵夫人を放さない。

「放して差し上げなさい」
護衛兵だけじゃない、皆が司令長官を見た。司令長官がもう一度“放して差し上げなさい”と言った。護衛兵達が顔を見合せながらおずおずと手を離すとリッテンハイム侯爵夫人がゆっくりと歩いて司令長官の前に立った。そしてじっと司令長官を睨んだ。

司令室に激しい打擲音が響いた。一回、二回、三回、四回……。
「クリスティーネ! 止めなさい!」
止まらない。
「クリスティーネ!」
二度目の制止でリッテンハイム侯爵夫人は司令長官を叩くのを止めた。荒い息を吐いて司令長官を睨んでいる。

「何が可笑しい! (わらわ)を愚弄するのか!」
リッテンハイム侯爵夫人が激昂した。確かに叩かれたのに司令長官は笑みを浮かべていた。口元からは血が流れている……。
「愚弄などしていません、羨ましかったのです」
羨ましい? 皆が訝しげに顔を見合わせた。司令長官を叩いた侯爵夫人も困惑している。

「十一年前、私は両親を貴族に殺されました、私が十二歳の時です。でも私は何も出来ませんでした、泣き寝入りする事しか出来なかったのです。私達親子が平民だというだけで、相手が貴族だというだけで警察は何もしなかった。私は沈黙するしかなかった……」
驚いた、司令長官にそんな事が有ったなんて……。でも誰も驚いた様な表情はしていない、もしかすると私が知らないだけで結構有名な事件だったのかもしれない。

「今は戦うだけの力を得た。リッテンハイム侯爵夫人、私が貴方を殴っても誰も私を責める事は無いでしょう」
「何を……、そなた、(わらわ)を殴ると言うのか、この(わらわ)を」
侯爵夫人が愕然とした表情をしている。でも司令長官は何の反応もしなかった。そして左手で右手を擦り始めた。

「でも私の右手はあの事件以来力が入らなくなりました。殴っても貴女に痛みを与えられるかどうか……、そして走る事も出来ない。……侯爵夫人、私は貴女のように憎い相手に走り寄って殴りつけ、憤懣をぶつける等という事はもう出来ない身体なのです」
「そなた……」
侯爵夫人の声は微かに震えを帯びていた。

「羨ましいですよ、貴女が。貴女は自分を抑える等という事はした事は無いでしょう。私は自分を抑える事しか出来なかった、そうする事でしか生きていくことが出来なかった。そして今は憤懣をぶつけたくても出来ない身体になっている……」
「……」
「気が済みましたか? 侯爵夫人」
皮肉では無かった。司令長官は本当に羨ましそうに侯爵夫人を見ている。そして侯爵夫人は明らかに怯えていた。

「クリスティーネ、下がりなさい」
「お母様」
ブラウンシュバイク公爵夫人の声と侯爵令嬢の声にリッテンハイム侯爵夫人が一歩下がった。そしておずおずと元の場所に後ずさっていく。司令長官はその様子を黙って見ていた。そして口元に手をやり血を拭う。その血の付いた手を見てクスクス笑い出した。皆が驚く中ヴァレンシュタイン司令長官が“赤いな、まだ赤かったか”と楽しそうに呟いた。心臓が止まるかと思うほどぎょっとした、一体自分の血が何色だと思っていたのだろう。

「侯爵夫人、これからは母娘(おやこ)で大人しくお暮し為される事です。力を失った事を受け入れなさい。憤懣を漏らせばそのこと自体が貴女達母娘(おやこ)に危険をもたらすという事を理解するのです」
「……」
司令長官の声が司令室に流れた。リッテンハイム侯爵夫人も不満そうな表情は見せているが黙って聞いている。

「ベーネミュンデ侯爵夫人が何故死ななければならなかったか……。先帝陛下の寵を失ったにもかかわらず、それを認められずに不満を持ち続けた、自分こそが寵を受けるべきだと。そしてその不満を利用されて死んだ……。貴女が死ぬ時はフロイラインも道連れになる、その事を良く覚えておいた方が良いでしょう」
リッテンハイム侯爵夫人が悔しそうに唇を噛み締めた。でも司令長官の言う通りだと思う。リッテンハイム侯爵夫人は力を失った。力を失ったものが不満を口にする事ぐらい危険な事は無い。

「アンスバッハ准将、シュトライト准将」
「はっ」
司令長官が声をかけるとブラウンシュバイク公爵夫人の傍に居た二人の軍人が一歩前に出た。多分この二人が司令長官の交渉相手だったのだろう。
「ブラウンシュバイク公の御遺体はどちらに?」
「霊安室にて保存しております」
黒髪の軍人が答えるとブラウンシュバイク公爵夫人とその令嬢が身体を硬くするのが見えた。

「メックリンガー総参謀長、御遺体を確認後ブリュンヒルトに移送してください。先帝陛下の女婿であられた方です、丁重に」
「はっ」
「そちらの方々もブリュンヒルトに同乗してください」
司令長官はブラウンシュバイク公爵夫人達に言うと私に彼女達の部屋を用意するようにと命じた。

これで終わりかな、後はオーディンに戻るだけだと思った時だった。司令長官が
「アンスバッハ准将、シュトライト准将。例の件はどうなりました?」
と問い掛けた。例の件? 他にも何か有るのだろうか、疑問に思っていると
「閣下の御推察の通りでした」
と黒髪の士官が答えた。

「証拠は?」
「シュトライト准将」
司令長官の問いかけに黒髪の士官が隣に居た士官に声をかける。ようやく分かった、黒髪の士官がアンスバッハ准将、もう一人がシュトライト准将だ。そしてシュトライト准将が上着のポケットから何かを取り出した。何それ? レコーダー?



 

 

第四十話 抜いた以上容赦はしない


帝国暦 488年 8月 25日  ガイエスブルク要塞  エルネスト・メックリンガー



『どうかブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家の存続を御認め下さい』
『……』
『ヴァレンシュタイン元帥に何度も御頼みしましたが一顧だにされません、この上はリヒテンラーデ侯におすがりするしかないと思い、こうしてお願いしております』
『……』

レコーダーから声が流れている、アンスバッハ准将の声だ、声の調子は随分と切迫している。相手の声が聞こえないから誰と話しているかは分からない。だが話の内容からすればリヒテンラーデ侯ということになるが……。
『ブラウンシュバイク公爵家もリッテンハイム侯爵家もルドルフ大帝が帝国の藩屏として設立した名誉ある家柄です。しかしヴァレンシュタイン元帥にはそれが分からぬのです。ただ存続は許さぬと言うだけで……』

『反逆をした以上、存続を許されぬのは当然であろう。クロプシュトック侯爵家、カストロプ公爵家も廃絶となった』
冷酷と言うより無関心に聞こえた。確かにこの声はリヒテンラーデ侯だ。しかしこの会話は一体何を意味するのだ? 反逆をした以上両家が廃絶になる事は当然だろう、リヒテンラーデ侯とて許すわけが無い、頼むだけ無駄だ。

話の流れからすると司令長官がアンスバッハ准将を使ってリヒテンラーデ侯に接触させたようだが司令長官はブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家の存続を考えているのか。ならば何故自らリヒテンラーデ侯に頼まないのだ? どうにもよく分からない。自分だけではない、司令室に居る皆が訝しげな表情をしている。

『なにとぞ我らに御慈悲を……』
『くどい、話がそれだけなら聞くに及ばぬ、切るぞ』
『お待ちください! ならば、こちらから提案がございます。両家の存続をお許しいただけるなら閣下の御望みの物を用意いたします……』
『……随分と思わせ振りな事を言う、私が何を望んでいると思うのだ』
何を提案した。皆がアンスバッハ准将を見たが准将は無表情に立っている。

『ヴァレンシュタイン元帥の命……』
レコーダーから流れる声に皆がざわめいたが司令長官が右手を上げて鎮めた。大丈夫なのか、アンスバッハとシュトライトは信用できるのか、密かに気付かれぬようにブラスターに手をかけた。フィッツシモンズ大佐もブラスターに手をかけ油断なく周囲に視線を送っている。

『馬鹿な事を、……卿は一体何を言っているのだ?』
『馬鹿な事、でしょうか?』
『……』
『平民出身の元帥、平民出身の宇宙艦隊司令長官。閣下はそれを受け入れられますのか?』
『……』
『これを受け入れれば平民は軍だけでなく官界、政界にも進出しますぞ、宜しいのですか』
アンスバッハ准将の問い掛けにリヒテンラーデ侯は沈黙している。嫌な沈黙だ、一体何を考えての沈黙なのか……。

司令室の空気が一気に重くなった。皆が険しい表情で周囲を見渡している。罠に嵌ったのではないのか、そう思っているのだろう。
『……出来るのか、あれは無双の戦上手だが』
『降伏して要塞内に招き入れます、そこでなら可能でしょう。ヴァレンシュタイン元帥は例の事故で身体を動かすのに支障が有るようです。成算は十二分に有ります』

痛いほどに皆が張りつめている。今此処で誰かが我々を襲うかもしれない、そう思うと心臓が押し潰されそうな圧迫感を感じた。
『……ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は廃絶する、それは動かせぬ。だが事成就の暁には二年を目処に両家の再興を許す』
『おお』
裏切ったか、リヒテンラーデ侯……。

『……しくじるなよ』
『有難うございます、必ずやヴァレンシュタイン元帥を』
『うむ』
声が途切れた、どうやら終わったらしい。
「殺しなさい! ヴァレンシュタインを殺すのです! アンスバッハ、シュトライト!」

声を上げたのはリッテンハイム侯爵夫人だった。だがアンスバッハ、シュトライト准将は無言で動こうとしない。
「アンスバッハ、シュトライト!」
「それは出来ません!」
尚も司令長官を殺す事を命じる侯爵夫人の声をシュトライト准将の強い声が討ち消した。唖然とする侯爵夫人にシュトライト准将が言葉を続けた。

「リヒテンラーデ侯に貴女様達の運命を委ねる事は危険です。もしそうなればリヒテンラーデ侯は必ずエリザベート様、サビーネ様に御自身の一族から配偶者を押し付けるでしょう。御二方は子を産む道具として扱われるだけです。そうする事で皇家の血をリヒテンラーデ一門で囲い込む。宮廷政治家であるリヒテンラーデ侯にとっては皇帝と密接に繋がる事こそが権力を維持する手段だからです」
「……」

「万一、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下が邪魔になった時には陛下を廃し、自らが権力を維持するためにエリザベート様、サビーネ様が御産みになった御子を皇位に就けようとするでしょう。その後は、エリザベート様もサビーネ様も用済み、いや邪魔者でしか有りません。御二方が御子を利用して権力を振るう事を防ぐために厳しい監視下に置かれる、或いは御命を奪われるという事も有りえます」
「……そんな、馬鹿な」
喘ぐような侯爵夫人の声に今度はアンスバッハ准将が首を振りながら答えた。

「クリスティーネ様、貴女様がリッテンハイム侯爵家で重んじられたのは先帝陛下が後ろ盾しておられたからです。残念ですがエリザベート様、サビーネ様にはそのような方はおられません。となればシュトライト准将の言うようにその御身体に流れる血のみを必要とされる事になりましょう」
「……」

二人の少女が怯えた様な表情を見せた。そして黙り込むリッテンハイム侯爵夫人にブラウンシュバイク公爵夫人が
「クリスティーネ、私達は負けたのです。その事を受け入れなさい」
と声をかけた。静かな諦観を含んだ声だ、そしてリッテンハイム侯爵夫人が嗚咽を漏らし始めると公爵夫人は彼女を抱き寄せた。……憐れな事だ、だがブラウンシュバイク公爵夫人の言う通りだろう。現実を直視し敗北を受け入れなければ危険だ。

「良くやってくれました、アンスバッハ准将、シュトライト准将。そのレコーダーをこちらに」
司令長官が声をかけるとシュトライト准将が司令長官に近寄った。
「御約束は守って頂けますな」
「もちろんです、私の覇権が続く限り、彼女達に新たな爵位と新たな領地を与え平穏に暮らせるように手配します。そして私は彼女達に或る一定の敬意を払い、肩身の狭い思いをさせる事はしない。ここに居る皆が証人です」

シュトライト准将が大きく頷いてレコーダーを司令長官に渡した。
「だから貴女達も約束して欲しい。これ以降は政治的野心を持たず、帝国の一貴族として生きて行くと。その事がこれ以後、貴女達の安全を保証する事になる」
司令長官の言葉に公爵夫人達が頷いた。

……そういう事か、司令長官は両家の安泰を条件にリヒテンラーデ侯の本心を探るようにアンスバッハ准将達に依頼した。いやむしろ裏切るように仕向けた。司令長官にとってもアンスバッハ准将達にとってもリヒテンラーデ侯は信じられる存在では無かった。だから手を組んで追い落としを図った……。

司令長官がこれまで政治的な動きをしなかったのは権力に関心が無いからではない、むしろ逆だ。権力の恐ろしさを知っているからだ。権力者の猜疑心の恐ろしさを知っているからこそ政治的な動きをしなかった。関心を示せばリヒテンラーデ侯は必ず司令長官の排除に動いただろう。

貴族連合を下し宇宙艦隊を直接率いている今こそリヒテンラーデ侯を廃す時、司令長官はそう判断しリヒテンラーデ侯を罠に嵌めた……。司令長官に視線を向けた。穏やかな表情をしている、興奮も無ければ怒りも無い。司令長官にとっては全てが予定通りなのだろう。最初からリヒテンラーデ侯を始末して帝国の覇権を握るつもりだったのだ。

「リヒテンラーデ侯が我々を裏切りました。侯にとっては我々平民、下級貴族は消耗品でしかないようです。役に立つ間は利用するが邪魔になれば排除する、所詮は道具でしかない」
「……」
皆が黙って聞いていた。

「これより帝都オーディンに向けて進撃します。帝国は一部特権階級の私物に非ず。リヒテンラーデ侯、そして彼に与する者達を排除し帝国を彼らから解放します」
言い終えて司令長官が皆を見渡した。反対する人間は居ない、皆がそれぞれの表情で賛意を示した。

「総参謀長」
「はっ」
「帝都オーディンに連絡してください。貴族連合軍は降伏したが投降者を受け入れる際に私が襲われ負傷した。襲撃者はシュトライト、アンスバッハ准将の二人、両名はその場にて射殺。私は頭部に重傷を負ったため意識不明で回復は難しいと」
「はっ」

「全軍、オーディンに向けて進撃せよ!」
司令長官の命令に全員が敬礼で答えた。



帝国暦 488年 8月 27日  帝国軍総旗艦  ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



艦隊はオーディンに向けて進撃している。俺がテロに遭ったと聞いたリヒテンラーデ侯は俺の状態よりも犯人の事を確認したそうだ。射殺したとメックリンガーが答えるとホッと息を吐いたとか。秘密がばれることは無いとでも思ったのだろう。そして俺が意識不明の重体、回復は難しいと聞くと“惜しい事だ”と呟いた。喰えない爺だよな。

いや、喰えないのは俺も同じか、アンスバッハ達を使ってあの老人を嵌めたのだから。分かるか、ラインハルト。剣を抜くのは一度でいいんだ。そして抜いたら躊躇わずに必ず斬る! お前の様に常に抜身の剣を手に持っているような奴はいたずらに危険視されるだけだ。覇権を握った俺を甘く見るなよ、何時までも我儘が許されるとは思わない事だ。

制圧するべき場所はリヒテンラーデ侯邸、エーレンベルク元帥邸、シュタインホフ元帥邸、軍務省、統帥本部、新無憂宮……。オーディンから逃げ出す事が出来ないように三個艦隊は宇宙空間にて待機……。指示は出した、手抜かりは無い。……いやもう一つあったな、やっておく事が。

「フェルナー大佐」
「はっ」
指揮官席に座る俺にフェルナーが近寄って来た。嬉しそうな表情だな、特別任務だとでも思ったか。その通りだ、喜べ、楽しい任務だからな。傍に居るメックリンガーとヴァレリーは微妙な表情だ。危険物が近付いたとでも思っているのだろう。

「陸戦隊を指揮してください」
「承知しました。で、どちらに?」
「皇帝陛下の身柄を確保する任務を頼みます」
俺の言葉にフェルナーが頷いた。

「先にリヒテンラーデ侯の手の者が陛下の御傍に居た時は如何します。或いは血迷った馬鹿者が陛下の御命を盾に逃げ延びようとした場合は」
嬉しそうに言うな、俺を試して喜んでいるのか? メックリンガーもヴァレリーも心配そうに俺達を見ている。

「その場合はリヒテンラーデ侯は大逆罪を犯す事になります。一族皆殺しですね」
「それは」
声を上げたのはメックリンガーだった。ヴァレリーは引き攣っているしフェルナーは無言だった。フェルナー、満足か、これで。何時の間にか周囲の人間もこちらに注意を向けていた。その中にはアンスバッハ、シュトライトもいる。

「そう警告してください。陛下を盾にする事が反って危険だと理解させればいいでしょう。諦めるはずです」
誰かが息を吐いた。メックリンガーもヴァレリーもホッとしたような表情をしている。

「それでも陛下を放さない場合は? 或いは自暴自棄になった場合……」
「フェルナー大佐、私は警告と言いました。警告は一度だけです、二度は無い。望み通り大逆罪を犯させてやってください、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下の代わりは居ます」

周囲が息を飲んだ、フェルナーが俺を見ている。俺は本気だよ、フェルナー。だから目は逸らさない。剣を抜いた以上血を見る事無しに鞘に納める気はない、ここまで来て中途半端な事は出来ないんだ、満足したか?
「……分かりました、愚か者が大逆罪を犯さないように注意いたします。しかし万一の場合、後継はどなたに?」
チラとアンスバッハ、シュトライトに視線を向けた。言外にエリザベート、サビーネは駄目だと言っている。旧主だからな、酷い事はしたくないか……。安心しろ、俺も約束は守る。人間、信用が第一だ。

「先々帝オトフリート五世陛下の第三皇女の孫にあたる方がいらっしゃいます。父親はペクニッツ子爵、その方に皇位を継いでもらいましょう」
フェルナーがちょっと驚いたような表情を見せた。俺がそこまで調べているとは思わなかったらしい。安心しろ、原作知識も有るがちゃんと確認もしている。その人物は間違いなく存在する。

「お名前は?」
「まだ決まっていません」
「決まっていない?」
フェルナーが眉を上げた。
「その方は未だペクニッツ子爵夫人のお腹の中に居ます」
艦橋の彼方此方でざわめきが起きた。

「しかし、未だ生まれていないのでは……」
「問題は有りません、総参謀長」
「しかし」
そんな不安そうな表情をするな、メックリンガー。安心させるために笑いかけた。
「既に前例は有るのです」
俺の言葉に皆が訝しげな表情を見せた。そんな例は無い、そう思っているはずだ。

「ゴールデンバウム王朝ではありませんけどね。かつて地球上の或る帝国で誕生前に皇帝位に就かれた例が有ります」
「それは?」
「ササン朝ペルシアのシャープール二世陛下です。名君と言って良いだけの業績を上げました。戴冠式は妊娠中の母親の腹に王冠を置く事で解決したそうです。問題は有りません」
「はあ」
ラインハルトは生後八カ月の幼児を帝位に即けたが俺は生まれる前だ、勝ったな。……いかん、未だエルウィン・ヨーゼフ二世は死んでなかった。

アンスバッハとシュトライトが不安そうな表情をしていた。多分ブラウンシュバイク公爵夫人達の事を思ったのだろう。手当をしておくか。
「アンスバッハ准将、シュトライト准将」
「はっ」
「あの方達を利用する事はしません、私は約束を守ります」
「はっ、有難うございます」
二人が安堵したような表情を見せた、これで良し。

「フェルナー大佐、他に確認事項は」
「いえ、有りません」
「結構、では準備をお願いします」
「はっ」
オーディンへの到着予定時間は九月十四日午前二時、俺を見た時のリヒテンラーデ侯の驚きが楽しみだ。お互い、忘れられない一日になるだろう、色んな意味でな……。



 

 

第四十一話 助けてくれ、過労死しそうだ



帝国暦 488年 9月 14日  オーディン  オスカー・フォン・ロイエンタール



リヒテンラーデ侯爵邸を七百の兵で囲むと僅かばかりいた警備兵を排除した。容易(たやす)いものだ、襲ってくる者などいないと思っていたのだろう、まるで警戒していなかった。自分達の権力に自信が有ったようだがいささか自信過剰だな。ドアを壊して三十名ほどの兵と共に邸内に入った。騒音に気付いたのだろう、寝ぼけ眼の老人が目の前に現れた。

多分執事だろう、取り押えてリヒテンラーデ侯の居所を問うと震えながら二階だと答えた。案内させると“殺さないでくれ”と何度も言いながら二階の一番奥の部屋の前へと案内した。ドアには鍵がかかっている。兵達と共にドアを蹴破って中に侵入した。

「何事だ、お前達は何者だ?」
ベッドに半身を起こした老人がいた。目を覚ましたか、もっともこの騒ぎでは寝ている事など出来んだろうな。
「夜分恐れ入ります。国務尚書リヒテンラーデ侯爵閣下ですな、貴方を逮捕させていただきます」
「何を言っている、お前達は何者だ」
どうやらリヒテンラーデ侯は未だ頭が寝ぼけているらしい。そう思うと思わず笑い声が出た。

「失礼、小官はオスカー・フォン・ロイエンタール大将です」
老人の顔に驚愕が現れた。ようやく頭が動いてきたらしい。
「罪状は? 一体何の罪状で私を逮捕するというのだ」
「宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン元帥暗殺未遂事件の犯人としてです。覚えが御有りですな」
老人の目が見開いた。

「馬鹿な、私がヴァレンシュタイン元帥の暗殺を謀ったという証拠が有るのか、大体卿らは誰の命令で動いている?」
声が掠れている。
「証拠? 誰の命令? 愚問ですな、国務尚書閣下」
駄目だ、どうしても笑い声が出る。俺だけじゃない、兵達も笑った。一頻り笑ってから命じた。
「国務尚書閣下を拘禁しろ」
兵達が老人に襲い掛かった。


新無憂宮は既にクレメンツ提督、シュムーデ提督率いる一万八千の兵によって占拠されていた。近衛部隊も武装解除されている。彼方此方に拘束された兵達、そして貴族が居た。それらを見ながら黒真珠の間に赴く。そこには既にヴァレンシュタイン司令長官がメックリンガー総参謀長、副官フィッツシモンズ大佐と共に居た。

他にもミッターマイヤーを含む何人かの司令官達。ブラウンシュバイク公爵夫人母娘、リッテンハイム侯爵夫人母娘がアンスバッハ、シュトライト准将と共に居た。そして軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥が拘禁されていた。口惜しそうな表情をしている、さぞかし不本意だろうな。俺も不本意だ、一番最後らしい。

「元帥閣下、国務尚書リヒテンラーデ侯を拘禁しました」
両手を後ろ手に手錠をかけたリヒテンラーデ侯を突き出すと“御苦労様でした、ロイエンタール提督”と労を労ってくれた。そしてリヒテンラーデ侯に視線を向けた、侯も司令長官を見ていたがすっと視線を外した。視線の先にはアンスバッハ准将が居た。

「私を裏切ったのかアンスバッハ、それとも嵌めたのか」
「嵌めたのは私ですよ、リヒテンラーデ侯。アンスバッハ准将に侯を嵌めるようにと命じたのです。もっとも侯が私を殺せと命じた事は事実です、録音もしてあります、冤罪ではありません」
ヴァレンシュタイン司令長官が答えるとリヒテンラーデ侯が視線を司令長官に戻した。

「……卿、何が目的だ、こんな事をしてただで済むと思っているのか」
低い声だ、言外に怒りが滲み出ている。
「目的? それを聞いて如何します? これから先の事はリヒテンラーデ侯には関係ない事です。それにしても疲れました、侯の前で政治にはまるで無関心な軍人の振りをするのは。なかなか上手かったでしょう、貴方達は皆騙された」
「貴様、愚弄するのか!」
司令長官が苦笑を浮かべた。

「まさか、そんな事はしません。それよりも私達は話さなければならない事が有ります。何故この内乱が起きたのか、その真実を……」
「真実だと? 何が言いたい」
リヒテンラーデ侯が訝しげに問いかけると司令長官が頷いた。

「何故この内乱が起こったと思います?」
「……後継者が決まっていなかったからであろう、卿は何を言っている」
リヒテンラーデ侯が顔を顰めると司令長官は声を上げて笑った。
「違いますね、この内乱が起きたのは先帝陛下がそれを望んだからです」
妙な事を言う、皆が訝しげな表情をした。

「後継者などその気になればいつでも決められたはずです。ブラウンシュバイク、リッテンハイム、そのどちらかと組んで残った方を潰せばいい。その際、軍の力を温存して両家で潰し合いをさせる。勝ち残った方も傷を負うでしょう。そのまま後継者として認めるか、軍に潰させてエルウィン・ヨーゼフ二世陛下を後継者とするか、先帝陛下の意のままです。違いますか?」
「……」
なるほど、確かにそうだ、頷かざるを得ない。俺以外にも頷いている人間が居る。

「先帝陛下は皇帝としては凡庸でしたが批評眼は有りました」
「口を慎め!」
リヒテンラーデ侯が叱責すると司令長官は肩を竦めた。
「批評眼が有ったと褒めているのですよ、私は。しかし惜しむらくは皇帝としての力量は無かった。だから皇帝としては何も出来なかった、いやむしろ故意に何もしなかったのだと思います」
「……」

「リヒテンラーデ侯、批評眼の有った先帝陛下に帝国はどう見えていたと思います?」
「……どう見えたというのだ?」
逆にリヒテンラーデ侯がヴァレンシュタイン司令長官に問い返した。探るような目をしている。

「貴族達は私利私欲のままに動き政府はそれを抑えるだけの力を持たない。帝国は未来に対して何の展望も持たず少しずつ崩壊に向かっている、緩慢な死を迎えようとしている……」
「……」
リヒテンラーデ侯は何も言わなかった。反論しないのは思い当たるフシが有るからだろう。俺から見ても帝国の未来が明るいとは思えない。

「先帝陛下は帝国をこの緩慢な死から救う方法を考えました。方法は一つ、絶対的な権力を持つ人物を作り出し、その人物にこの帝国を預けるというものです。絶対的な権力を持つ人物だけがこの帝国を再建できる、そう考えたのですよ」
「馬鹿な、……卿は一体何を言っているのだ」
リヒテンラーデ侯の声が震えている。いや、声だけじゃない、身体も震えていた。

「分かりませんか? この内乱は先帝陛下とその協力者であるグリンメルスハウゼン元帥が作った壮大なゲームなんです。平時では絶対的な権力を持つ人物を作り出す事は出来なかった。だから内乱を起こす事で作り出そうとしたんです。ゲームの名は帝国の覇権、覇権を握った人物には帝国の再建が委ねられる。いや必然的に帝国を再建せざるを得ない立場になる……」
「馬鹿な……」
リヒテンラーデ侯が呻いた。

「選ばれたプレイヤーは四人です。門閥貴族からブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯。宮廷政治家からリヒテンラーデ侯、そして軍人からは平民である私……。良く選んだものですよ、立場も違えば価値観も違う」
司令長官が笑い出した。皆が呆然と司令長官を見ている。ゲーム? プレイヤー? グリンメルスハウゼン元帥が協力者?

「有り得ない! そんな事は有り得るはずが無い! 卿の考え過ぎだ!」
国務尚書が叫ぶように否定した。司令長官が更に笑い声を上げた。
「グリンメルスハウゼン元帥が何故あんなにも軍人である事に、戦場に出る事に拘ったと思います?」
「……」
司令長官の問い掛けにリヒテンラーデ侯が黙り込んだ。

「周囲がグリンメルスハウゼン元帥を退役させるようにと懇願したにもかかわらず何故先帝陛下はそれを退けたのか?」
「……」
「最後に選んだプレイヤーである私の立場を引き上げる為ですよ。それ以外には無い」
「……馬鹿な」

「元帥府を開き、私に人を集めさせ、そしてそれを私に譲り渡した。元帥、宇宙艦隊司令長官に推挙してです。それでも信じられませんか?」
リヒテンラーデ侯が呻き声を上げた。侯だけではない、彼方此方で呻き声が上がっている。そして皆が顔面を強張らせていた。怯懦とは無縁のミッターマイヤーでさえ顔面を蒼白にしている。

「グリンメルスハウゼン元帥は先日亡くなられたそうですね。病死とのことですが本当にそう思いますか……」
「どういう意味だ?」
「貴族達が大勢死にましたからね、その事に罪の意識を感じたのかもしれません……」
自殺、という事か……、あの老人が自殺……。指揮官席でただ座っている事しかできなかった、あの老人が……。

「力有る者が上に立つのは当然の事、例え貴族といえど力無き者は滅ぶしかない。どうせ滅ぶのであれば精々華麗に滅びれば良い」
「そ、その言葉は……」
リヒテンラーデ侯が絶句している。それを見て司令長官が意味ありげに含み笑いをした。

「先帝陛下の御言葉だそうです、グリンメルスハウゼン元帥から聞きました。リヒテンラーデ侯も似たような言葉を聞いたことが有るのではありませんか?」
「……」

リヒテンラーデ侯が目を閉じて呻いている。司令長官の言う通り、リヒテンラーデ侯も聞いたことが有るのだろう、おそらく侯に言った相手は先帝陛下だ。つまり今回の内乱がゲームというのは事実、そしてそのゲームに司令長官が勝ち残った……。

「理解できましたか、リヒテンラーデ侯」
「……」
「貴方は私が勝利者になった事に不満だったようですが私は正当な権利を行使したに過ぎないんです。私達は先帝陛下に選ばれた対等なプレイヤーだった、格下だと貴方が勝手に思っていただけだ」

呻き声だけが聞こえる黒真珠の間に司令長官の声が流れた。
「リッテンハイム侯は死にました、ブラウンシュバイク公も死んだ。帝国は一つ、覇者も一人です。リヒテンラーデ侯、貴方にも死んでもらう。それがこのゲームのルールだ。私が創る新たな帝国のために肥やしになりなさい」
「……」

「ヴァルハラで先帝陛下に伝えてください。確かに帝国は預かりました、私は私の帝国を創る。いずれヴァルハラにて報告させて頂きますと……」
「卿、まさか、卿は……」
リヒテンラーデ侯が怯えた様な声を出した。
「オーベルシュタイン准将、リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥を別室にお連れしなさい。名誉ある自裁をしていただく」

事務局長が来ていたのか……。オーベルシュタイン准将が兵に命じて三人を黒真珠の間から連れ出した。リヒテンラーデ侯が“簒奪など許さん!”、“帝国の恩顧を忘れるな!”と叫ぶ声が聞こえたがヴァレンシュタイン司令長官は何の反応も示さなかった……。

リヒテンラーデ侯の姿を見送ってからミッターマイヤー達の傍に行ったが皆、何処となくぎこちない。未ださっきの話が尾を引いている様だ、チラチラと司令長官に視線を向けている。気付いたのだろう、司令長官が俺達の方を見て苦笑を浮かべた。そして正面を向くと小さく溜息を吐いた……。



帝国暦 488年 9月 14日  オーディン  新無憂宮 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



あのクソジジイ、余計な事ばかり言いやがる。黙って死んでいけばいいものを……。お蔭で皆が俺を見ているじゃないか。帝国に恩顧など受けた覚えはない、遺恨は有るけどな。給料分の仕事はした、恩着せがましい言い方をするんじゃない。……簒奪か、悪いがそいつは既定路線だ、変更はない。別に銀河帝国の皇帝になりたいわけじゃない、皇帝にならざるを得ないのだ。

これから国内の政治改革を行う。貴族達の特権を抑え平民達の権利を拡大する、貴族の存在は認めても良いが政治的特権は認めない……。改革派の人間を登用し辺境の開発と合わせて内政の二大方針とする。そして同盟、フェザーンを征服して宇宙を統一しフェザーンに遷都する。まあほとんどはラインハルトの真似だ、難しい事じゃない。

俺はこの政治改革を一時的な物にしたくない。いや、してはいけないと思っている。この政治改革がゴールデンバウム王朝の政治方針に逆行するような事が有れば旧同盟領で反乱が起こり統一帝国はあっという間に崩壊するだろう。また分裂して戦争が起きる事になる。

戻しちゃいけないんだ。そのためにはゴールデンバウム王朝を完全に終わらせる必要が有る。何故なら王朝というのはどうしても開祖の影響を引き摺り易いからだ。こいつは江戸時代の大名を見てみれば分かる。藩祖の影響を強く受けている。藩祖は藩を創った人間だ、当然だが藩の運営方針も決めてしまう。二代目以降はその運営方針を守る事が仕事になってしまうのだ。会津藩が典型だ、それで藩を潰したようなものだ。

銀河帝国も同様だろう、晴眼帝と呼ばれたマクシミリアン・ヨーゼフ二世は劣悪遺伝子排除法を有名無実化した。しかし廃法にすることは出来なかった、何故なら開祖であるルドルフが制定した法だからだ。開祖の影響力というのはそれくらい大きい。あれを廃法にしたのはラインハルトが帝国の実権を握ってからだった。

ゴールデンバウム王朝が続けば俺の改革は一時的なもので終わりかねない。簒奪して新しい王朝を創る。遷都する事によってゴールデンバウム王朝の全てを完全に否定する。そして憲法を創り皇帝の役割を明確にし暴君が出ないように、暴政が起きないように制限をかける……。

最低でも三十年は皇帝をやる必要が有るな、そして善政を布く必要が有る。それによって俺の創った王朝を帝国臣民に受け入れさせる。……前途多難だな、過労死しそうだ、溜息が出た……。






 

 

第四十二話 オーベルシュタイン、俺が可愛がってやるぞ



帝国暦 488年 9月 15日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



“如何でしょうか”とでも言ってくれれば良いのにオーベルシュタインは無言、無表情で俺の前に立っている。彼は例のリストを持って来たのだがこいつが結構分厚いのだ。リヒテンラーデ侯の一族、或いはそれに準ずる者、積極的に味方した者、已むを得ず味方したが力の有る者、已むを得ず味方したが無力な者……。それとは別に中立を保った者も居たらしい、それのリストも有る。それともう一つ、良く分からんリスト……。

それぞれ一覧表と明細票に分かれている。俺の執務机はこの一覧表と明細票で占領されてしまった。一覧表には官姓名、生年月日、年齢、性別が載っている。明細票には家族や血縁者、交友関係、財産状況……、何時の間に調べたんだ? 大変だっただろう。思わず溜息が出そうになって慌てて堪えた。一生懸命作ったんだろう、失礼な事はするべきじゃない。

ヴァレリーが俺とオーベルシュタインを見ている。一体何をしているのかと思っているのだろう。本当は席を外して貰おうかとも思ったが執務室で二人で何を密談しているのかと勘繰られるのも面白く無い。いずれは分かるのだ、隠す必要も無いと思い同席させている。

「如何でしょうか?」
なるほど、こいつタイミングが悪いのかな? それとも空気が読めないのか。だから周囲と上手く行かないのかもしれない。有能なだけに余計にそれが酷く感じるのだろう、端的に言えば人付き合いが下手なのだ、新たな発見だな。
「オーベルシュタイン准将、確認したい事が有ります、これは?」

俺が一つの資料を指し示した。俺が頼んだ分類とは別の物、良く分からんリストだ。しかも他は表紙に題名が付いているのにこいつには題名が付いていない。一覧に記載されている名前から見れば或る程度の想像は付くが……。
「閣下に確認して頂きたい者達です。一度閣下に御味方しようとしたようですが……」

やはりそうか、マリーンドルフ、キュンメル、ヴェストパーレ、シャフハウゼン、リストには他にも幾つか聞き覚えのない名前が有った。マリーンドルフは分かる、しかしヴェストパーレ、シャフハウゼンはどうやって調べた? 彼らはアンネローゼに粉をかけてきた程度なんだが……。それに聞き覚えのない名前も有る……。

「ヴェストパーレ、シャフハウゼン、キュンメルは問題無いと思います。しかしマリーンドルフは……」
「あそこのフロイラインが幾つかの貴族と連携を取ろうとした……」
「はい、その通りです。連携を取ろうとした貴族達もそのリストに載せています」
オーベルシュタインが答えるとヴァレリーがちょっと驚いたような表情をした。この聞き覚えのない名前は連携を取ろうとした貴族か……。

満足できなかったんだな、今の立場に……。リヒテンラーデ侯は歯牙にもかけなかったんだろうが……。
「如何しますか?」
気が重いがやらねばならん。俺が選んだ道なんだ。

「リヒテンラーデ侯の一族、或いはそれに準ずる者については二十歳以上の男子は死罪、それ以外は財産の九割を没収の上国外追放。積極的に味方した者、已むを得ず味方したが力の有る者は財産の九割を没収の上国外追放。已むを得ず味方したが無力な者については財産の半分を没収の上国外追放とします。中立を保った者は現状のままとしましょう」

財産の九割を没収しても手元には相当の財産が残るはずだ。フェザーンで交易でも始めるか、或いは質素に暮らせば十分にやっていける。甘いよな、俺も。
「このリストについてはマリーンドルフ、ヴェストパーレ、シャフハウゼン、キュンメルは現状のまま。但しマリーンドルフ伯爵父娘は此処に呼んでください、釘をさす必要が有ります。それ以外は財産の半分を没収、国外へ追放とします」

「承知しました」
これでマリーンドルフと組むという貴族は現れないだろう。オーベルシュタインが甘いと言うかなと思ったがそれだけだった。もっともヴァレリーは懸命に驚きを隠している。こっちは多分俺の事を酷い奴と思ったのだろうな。

「オーベルシュタイン准将、良くやってくれました。おかげで非常に助かりました」
「恐れ入ります」
「今回の一件で准将は少将に昇進します、次は私の艦隊で分艦隊司令官を務めてもらいたい」
あ、ちょっと目が大きくなった、吃驚しているのかな。

「小官は出来れば……」
何か言おうとしたが右手を上げて遮った。
「准将の得意とするところが軍政、組織管理、運営に有る事は分かっています。しかし軍人というのはどうしても実戦経験の有無を重視する。軍官僚だけの経歴では軽んじられてしまう。一度分艦隊を率いて武勲を上げる事です。その後で軍政に進んだ方が良いと思います」

「小官は他者の評価を気にしませんが……」
こいつらしいよな。思わず苦笑してしまった。オーベルシュタインとラインハルトは似ているのだろうな。ラインハルトは周囲を馬鹿だと思っているから周囲に配慮しない。オーベルシュタインは周囲が自分を忌諱するから自分も周囲に配慮しない。基本的に他者を必要としないわけだ、おかしなくらい似ている。

「それでは今後の仕事が遣り辛くなります、それに他者の評価を気にしないと言うのは立派ではありますが一つ間違うと独りよがりな仕事になりかねません。違いますか?」
「……」
あれ、オーベルシュタインが目をパチパチしている。困惑してるのか。

「元帥府の事務局長はそのまま務めてもらいます。しかし長期に亘ってオーディンを留守にする事が多くなりますから代理を任命しましょう。誰が適任だと思いますか?」
「……グスマン大佐では如何でしょうか」
「良いでしょう、大佐には准将から伝えてください」
「はっ」

期待している、と言うとオーベルシュタインが“はっ”と答えたんだけど顔面をちょっと紅潮させてた。もしかして感激してるのか? 俺はこいつがどういう人間か分かっているけど他の人間は分からない、気味が悪い、陰気とか思って親しく声をかける事は無かったはずだ。冷徹非情じゃなくて周囲から気味悪がられて冷徹非情に徹しようとしていたのかな。だとすると新たな発見だな。顔を紅潮させるオーベルシュタインなんて想像も出来なかった、これからは俺が可愛がってやろう。有能で可愛い感激屋のオーベルシュタインにしてやる。

オーベルシュタインを分艦隊司令官にすると副官が要るが……、キルヒアイスにするか、いや止めておこう。オーベルシュタインを親身に補佐してくれるとは思えん。誰が良いかな、物怖じしない奴で明るい奴が良いだろう、それに性格の素直そうな奴……。

うん、リュッケが居たな、あいつをオーベルシュタインの副官にしてやろう。あいつは副官向きだからな、なかなか良い組み合わせになりそうな感じがする。リュッケにとってもオーベルシュタインの政略家、戦略家としての見識には得るものが有る筈だ。

オーベルシュタインが執務室を出て行くのを見送ってからヴァレリーに席を外してくれと言った。彼女が訝しげな表情をするからアンネローゼに電話するのだと言うと益々妙な顔をした。俺だって女房に電話くらいするぞ、オーディンに戻って来たのに未だ帰ってもいないし連絡も入れていないんだ。夫婦の会話を聞くのは止めてくれ。

アンネローゼに連絡を入れると待つ事無くTV電話のスクリーンにアンネローゼが現れた。
「元気か?」
『はい、貴方は?』
「元気だ、心配はいらない」
俺が答えるとアンネローゼが頷いた。

「ヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫人から連絡が有ったか?」
『……』
アンネローゼは困った様な表情をしている。連絡が有ったか。
「安心していい、両家には何もしない」
『有難うございます』
アンネローゼがホッとした様な表情を見せた。

「勘違いするな、お前の友人だからじゃない。処分する必要が無いからだ」
『はい』
「二人に私の所に連絡するように伝えてくれ、二人一緒にだ。二度手間は御免だからな」
『分かりました』

「それから、今日も帰れそうにない。こちらの状況はミューゼル少将に聞くと良いだろう」
『はい、そうします。貴方も御無理はなさらないでください』
「分かった、気を付ける」

アンネローゼは変わってなかったな、まあ大丈夫だろうとは思ったがホッとした。権力者の妻になったからといって変わるようなら離婚しなければならん。後はあの二人に釘を刺しておかないと……。電話が終わってヴァレリーを呼び戻すと彼女が“宜しいでしょうか”と声をかけてきた。

「処分が少し厳しいのではないでしょうか、本人だけでなく家族にまで処分が及ぶのは……」
「甘いくらいですよ。本当に厳しければ後腐れなく全部処断しています」
「……」
納得していないな。俺だって好きでやっているんじゃないんだが……。そうか、俺が恨みで処分を厳しくしているのではないか、そう思っているのか……。

「貴族という特権階級を無力化しなければならないんです。酷いと言われてもやらざるを得ません。あの馬鹿げた連中の復活を許してはならない、大佐だってあの連中の酷さは分かっているでしょう」
「それは……」
渋々といった感じで頷いた。

「酷い目にあったからといって恨みでやっているわけじゃありません。自由惑星同盟に生まれた大佐には少し受け入れ辛いかもしれない。しかし同盟には身分制度が無く特権階級が無かった、その弊害も。だから今一つ理解できないのだと思います。これに関しては口出しは無用です。大佐も口外しない方が良いでしょう」
「それはどういう意味でしょうか」
訝しげな表情だ、やっぱり分かっていないんだな。

「多くの平民達は貴族達に泣かされてきたんです。その期間は五百年ですよ、五百年。平民達は連中の没落をいい気味だと思っています。それを弁護するような事を口にするのは大佐のためにならない、そう言っているのです」
俺の言葉にヴァレリーは少し表情を強張らせて“分かりました、以後は気を付けます”と言った。

やれやれだな、そう思っているとTV電話から受信音が流れてきた。番号は二つ、どうやら連中か。受信するとヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫人がスクリーンに映った。二人が口々に俺に礼を言う、どうやらアンネローゼから処分は無いと聞き出したのだろう。

「貴女方に処分が無いのはアンネローゼとは無関係です。私は私情で処分を下す様な事はしない。私は貴女方のアンネローゼへの友誼が偽りの友誼だとは思いたくない。だから貴女方にお願いしたい、アンネローゼを政治的に利用する事はしないで欲しい。そしてこれからもアンネローゼの良き友人でいて欲しい」
俺の言葉に二人は必ずそうすると答えた、決して彼女を利用する事はしないと……。

通信が切れると思わず溜息が出た。ヴァレリーが俺を変な目で見ている。
「何です、大佐」
「いえ、権力者になるのも大変だと思ったのです」
本当は冷やかしたいんだろう、俺がアンネローゼを心配していると。拝領妻だけど仲がいいじゃないかと。

「決して楽では無いし楽しくも無い。それを理解できない人間は権力など求めるべきではないと思いますね」
女房の交友関係にまで気を配らないといけないなんて馬鹿げているだろう。でもその馬鹿げた事が権力者には必要なんだ。権力者が公平である事、私情で動く事は無いと知らしめる事が。特に女性関係は気を付けなければならない、男にとって一番弱いところだからな。

俺はアンネローゼに極めて満足している。浪費家じゃないし権力欲も無い。料理もそこそこ上手だし美人で素直だ。年上なのも悪くない。唯一の欠点は小舅が居る事だな。しかも強力で二人もいる。小姑一人は鬼千匹にむかうと言うがアンネローゼの場合は鬼二千匹、三千匹だな。あとで鬼退治をしないといかん。

皇帝になっても寵姫なんて持つ気にはなれん、アンネローゼ一人でも苦労しているんだ、好んでトラブルを背負う必要は無いさ。男が浮気をするかどうかは女を面倒だと思うかどうかによる。俺は良心的で模範的な夫だと言われなければならん、面倒臭がり屋だったと非難される事が無いようにしないと、小舅が煩いからな……。



帝国暦 488年 9月 15日  オーディン  アンネローゼ・ヴァレンシュタイン



「帝国軍最高司令官?」
「ええ、帝国軍三長官の上位者になります。メックリンガー総参謀長が統帥本部総長を兼任し、メルカッツ提督が軍務尚書に就任しました。宇宙艦隊司令長官はそのまま自分が務める様です」
「……」

「それと司令長官、いえ最高司令官は政治改革を行うようです」
「政治改革?」
「ええ、改革派、開明派と呼ばれる人間達を呼び協力を求めました。自らは帝国宰相に就任し彼ら開明派を閣僚に任命して実行する様です」
「そう……」

最高司令官と宰相を兼任、夫が帝国の第一人者になった。皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世が幼少であるからには夫の持つ権力は皇帝に等しいと言って良いのかもしれない……。
「ずっと以前から考えていたようですね、昨日今日考えた事じゃないようです」
「……」

ラインハルトは面白くなさそうな表情をしている、ジークも同様だ。この二人は夫のやる事に反対なのだろうか……。
「貴方達は反対なの?」
「……そうじゃありませんが、……姉上は最高司令官からそういう事を聞いた事がおありですか?」
「いいえ、あの人は家では仕事の話はしないから……」
「そうですか……」

夫は家では仕事の話をしなかった。政治に関しても関心の有るそぶりを見せた事は無い。権力に関しても無関心だった。私に見せていたのは純粋なまでに軍人としての姿だけだ。多分、政治に関心を示す事は危険だと思ったのだろう。少しでも話せばそれが漏れる、そうなれば命が危ういと怖れていた……。リヒテンラーデ侯は夫を殺そうとしたのだ、杞憂とは言えない。

その一方で夫は自分が帝国の第一人者になった時の事を考えていた。いずれは自分がリヒテンラーデ侯を排除して政権を取る、そう思っていたのだろう。リヒテンラーデ侯達に従順に振る舞う姿は擬態だった。油断させ一撃で打ち倒す機会を得るための擬態……。

夫はヴェストパーレ男爵家、シャフハウゼン子爵家に対して処分をしなかった。その事で礼を言っても“お前には関係ない”と言った。あれは私が頼んでも処罰する時は処罰する、情を絡めることは無い、口出しは無意味だという事なのだと思う。夫は私に政治に関わるなと言っている。冷徹で非情、そして用心深い、それが夫の本当の姿なのだ。

ラインハルトは夫が貴族達に良い様に使われている、阿っていると言った、そして歯痒いと。夫がそれを知ったらどう思ったか……。叱責しただろうか? 私は何らかの処罰をしたのではないかと思う。そして心の中で、思慮分別の無い愚か者、そう思ったのではないだろうか。

ラインハルトに視線を向けた。面白くなさそうな表情は変わらない。もしかするとラインハルトは自らが帝国の第一人者になって改革を行いたかったのかもしれない。ラインハルトには夫が競争相手に映っているのだろうか……。考え込んでいるとラインハルトが“姉上”と声をかけてきた。

「どうしたの?」
「今度の論功行賞で自分は昇進出来ないそうです」
口惜しそうな表情をしている。
「どういう事? 勝ったのに昇進できないって」
「……」
問い掛けても無言のまま唇を噛み締めている。ジークに視線を向けても目を伏せて私を見ようとしない。

「それとキルヒアイスと離れる事になりました」
「ジークと?」
「ええ、キルヒアイスは中佐に昇進して巡察部隊の司令になる事が内定しています」
「……一体何が有ったの?」

二人の事を決めたのは夫だろう、一体何が有ったのか……。二人は何も答えない。多分、この二人は夫を怒らせた、失望させたのは間違いない。一体何が有ったのか……。



 

 

第四十三話 一度はっきりさせようよ




帝国暦 488年 9月 19日  オーディン  アンネローゼ・ヴァレンシュタイン



元帥府に泊まり込んでいた夫が帰ってきたのは朝十時をちょっと過ぎた頃だった。突然だったのも驚いたが二人の軍人、一人は副官のフィッツシモンズ大佐、もう一人はクレメンツ上級大将に両脇から支えられながら家に入って来たのにはもっと驚いた。どうやら夫は動けないらしい。二人は夫を寝室に運びベッドに寝かしつけた。寝室に他人を入れるなど恥ずかしかったが幾ら華奢とはいえ動けない夫を私一人で寝室に運び込むのは無理だ。私には傍で見ている事しかできなかった。

事情を聞くことが出来たのは夫を運び終わった二人を応接室に案内してからだった。
「少々忙しすぎたようです。タンクベッドで睡眠をとりながら仕事をしていたのですが疲労が体に溜まったのでしょう。突然右足が動かなくなりまして……」
フィッツシモンズ大佐の言葉に胸が潰れる思いだった。あの事件の所為で夫が苦しんでいる、後遺症が出ているのだ。フィッツシモンズ大佐も時折私を見ながら言い辛そうにしている。

「失敗でしたな、宇宙艦隊司令長官の人事を受けておけば良かった」
「……」
「最高司令官閣下から宇宙艦隊司令長官にという打診が有ったのですけどね、実戦部隊の指揮系統は一本化しておいた方が良い、紛らわしい事はすべきではないと思いお断りしたのですよ。良かれと思って断ったのですが反って負担をかけてしまったのかもしれません」
クレメンツ提督の口調は冗談めいたものだった。

二人に気遣われている、そう思った。おそらく軍内部では私を非難する声も出ているのかもしれない。
「申し訳ありません、私の所為で……」
「いや、あの事件はフラウ(奥様)には関係ありません、お気になさらない事です。大佐も言いましたが忙しすぎるのですな。問題は新しい帝国の国家像が最高司令官閣下の頭の中にしかない事です。物が物だけに事前に文書化しておくことが出来ませんでしたから……、皆がどう動いてよいか分からずにいるのですよ」
クレメンツ提督が言い終るとフィッツシモンズ大佐が後に続いた。

「ですがそれもようやく出来上がってきました。大まかな概要だけですが後は下の人間に任せれば良い筈です。閣下もそのために無理をなさったようです、出来上がったと思った途端動けなくなってしまって……。御本人は緊張の糸が切れたと仰っていました」

「そうですか、……ご迷惑をおかけしました」
私が頭を下げると
「いえ、こちらこそ最高司令官閣下の体調に注意を払うべきでした。申し訳ありません」
と言ってクレメンツ提督とフィッツシモンズ大佐が頭を下げた。そして今日はゆっくり休ませて欲しい、明日以降は必ず帰宅させると言って元帥府に戻って行った。

夫が目を覚まし、寝室から出てきたのは夕方六時を過ぎた頃だった。顔色は悪くない、歩行も特に異常は感じられなかった。
「もう起きて大丈夫なのですか?」
「ああ、大丈夫だ。心配をかけて済まない」
「お腹が空いていませんか、食事は直ぐ出来ますけど」
「そうだな、一緒に食べようか」

牛肉のルラーデンに茹でたジャガイモの付け合せ、アジの甘酢漬け、カボチャのクリームスープ、それにパンはライ麦パンを用意した。飲み物は夫がジンジャーエール、私は赤ワイン。夫はカボチャのクリームスープが気に入ったらしい、美味しそうに飲んでいる。

夫は私を恨んでいないのだろうか。身体が動かなくなった時、如何思ったのだろう。目の前に居る夫は私の料理を美味しそうに食べている。そこからは私への不快感はまるで感じられない。本当に信じて良いのだろうか……。私が考えていると夫が話しかけてきた。

「吃驚したか?」
「ええ、歩けなくなるなんて思っていませんでしたから」
夫が首を横に振った。
「いや、そうじゃない。私がこの国の覇者になった事だ」
「……よく分かりません。驚いたような、驚いていない様な……」
「そうか……」

驚いたような気もするが何処かで当然と思った様な気もする。ただ、目の前の夫には昂りも無ければ喜びも無い。夫にとっては已むを得ない事だったのだろう、権力奪取は野心では無く義務だったのかもしれない。
「お前に言っておくことが有る」
「はい」

ラインハルトの事だろうか、そう思ったが違った。
「私はこの国の覇者になった。当然だが私を利用して私利私欲を得ようとする人間が居る。そういう人間はお前をも利用しようとするだろう。私はその手の不正を許すつもりは無い、注意してくれ」
「はい」

分かっている。先日、ヴェストパーレ男爵夫人とシャフハウゼン子爵夫人から聞いた。夫は二人に私を利用するなと言ったらしい、いかにも夫らしいと思う。虚栄心の強い女達にとって夫程詰まらない男性は居ないだろう。夫の愛人になりたいなどとは思わないに違いない。夫では虚栄心を満たすことは出来ないはずだ。

でも誠実で聡明な女性なら夫を愛するかもしれない。ただこの人に愛人というのも私には想像が出来ない。この人に女性を口説くとか出来るのだろうか……。無心にアジの甘酢漬けを食べている夫を見ているとあまりそういう事が得意だとも思えない。私には可笑しなくらい生真面目な男性にしか見えない夫なのだ。

「どうした、何か有るのか?」
気が付けば夫が不思議そうな表情をしていた。
「いえ、アジの甘酢漬けを美味しそうに食べていたので」
「うん、美味しいと思う。それが何か?」
「いえ、それだけです……」
夫は小首を傾げたが何も言わずにまたアジの甘酢漬けを食べだした。やはり愛人は無理だろう。

「あの、お聞きしたい事が有ります」
「ミューゼル少将の事かな」
こういう事には夫は鋭い。
「はい、昇進しないと聞きました。いえ、その事に不満は無いんです。貴方が不当な事をするとは思いません。ただ理由を教えて頂けないでしょうか、弟たちに訊いても答えてくれなくて……」

怒るか、嫌がるかと思ったが夫は少し考えるそぶりを見せると“そうだな、説明した方が良いだろう”と言った。やはり弟の一件にはそれなりの理由が有るのだ。
「問題が起きたのはレンテンベルク要塞を攻略した時だった。向こうにはオフレッサー上級大将が居た……」

夫はオフレッサー上級大将が夫を挑発した時の様子を教えてくれた。最初は侮辱の対象は夫だった、だがオフレッサー上級大将は侮辱が夫に通用しないと見ると侮辱の対象を私にまで広げた。夫は笑い飛ばしたがラインハルトはそれに反応してしまったらしい。

「お前が侮辱された事が許せなかったのだろう。自分にオフレッサーの相手をさせろと言いだした。ロイエンタール、ミッターマイヤー両提督が通信で繋がっている時にだ」
「……」
「皆が思っただろう、私情で動く奴、周囲に配慮出来ない奴と」
夫の言う通りだ、溜息が出た。

「オフレッサーだがあの男は裏切り者として味方から処刑された。本人は不本意の極みで死んだだろう」
どういう意味か判断が出来なかった。もしかすると受けた侮辱は返した、私の事を大事に思っているのだという事なのだろうか。

「ミューゼル少将を昇進させることは出来ない。そんな事をすれば皆が私に不信を抱くだろう、軍の統制にも影響が出る。それに中将に昇進すれば一個艦隊を指揮する資格を持つ。百万人以上の人間の命に責任を持つ立場に立つのだ。皆が言うだろうな、彼にそんな資格は無いと……」
「……」
厳しい言葉だ、夫は憂鬱そうな表情をしている。

「能力は有ると思うのだがその能力を使いこなせていない、使いこなすだけの冷静さに欠けていると思う。それを身に着けるまでは昇進はさせられない、危険すぎる」
夫が首を横に振った。やはりそうかと思った。ラインハルトには何処か危ういところが有ると思っていた。それが夫の前で出てしまったのだ。

夫にはそれは許せない事なのだろう。ラインハルト達が私に話さないのもオフレッサー上級大将が侮辱したのが私だから、そして非はそれに反応した自分達に有ると理解しているからに違いない。彼らはそれを言えば私が傷付くと思ったのだ。

「ジーク、いえキルヒアイス少佐と離れ離れにすると聞きましたが……」
抑え役に必要ではないのか、そんな思いで聞いてみた。だが夫はまた首を横に振った。夫の判断ではジークは抑え役にならないらしい。
「手元に置いてみて分かった。あの二人は互いに寄りかかっている。その所為で他者を必要としない。……総司令部でもあの二人だけが浮いていた、他者に関心を向かせるには離した方が良いだろうな」
「……」

「私に不満を持つのは許せる、面白くは無いがな。だが自分が総司令部の一員であるという自覚は持って欲しいと思う。個人的感情から軍の勝利を喜べないなど何を考えているのか……」
ごく平静な口調だったが内容は厳しかった。夫は弟達を組織の一員としての自覚が無いと言っている。だが未だ見捨ててもいないのだろう。

「申し訳ありません、弟達が……」
私が謝ると夫は首を横に振った。一度口を開きかけ、私を見て口を閉じた。そして視線を皿に落としフォークとナイフを置くとライ麦パンを一切れ口に運んだ。
「どうかしたのですか、遠慮せず仰ってください」
私が言うと夫はちょっと困ったような表情を見せてから“話しておいた方が良いか”と呟いた。

「多分あの二人は軍幼年学校に入ってからは周囲から受け入れられなかったのだと思う、皇帝の寵姫の弟として色眼鏡で見られその所為で自然と自分達は周囲から受け入れられない存在なのだと思ってしまった、周囲には敵しかいないと思い込んだ……。十歳の子供には厳しい環境だ」
「そんな……」
夫が首を横に振った。

「アンネローゼ、お前の所為じゃない。周囲が敵だらけなら用心深くなるか攻撃的になるかだ。あの二人は攻撃的になる事を選んだ、お前が選ばせたわけじゃない」
夫は私を労わってくれている。でも間違いなく責任は私にも有るだろう。あの二人を軍幼年学校に入れるように頼んだのは私なのだ。

「申し訳ありません、弟達には私から注意しておきます。貴方にも敬意を払うように言っておきます」
「……多分、言っても無駄だろうな」
「!」
驚いて夫を見た。夫は無表情にジンジャーエールを飲んでいた。

「あの二人にとってお前と過ごした時間は何物にも代えがたい時間だった。だがそれを先帝陛下に奪われた、許せなかっただろうな。あの二人はお前を取り戻すと決めた、そして幸せにすると……。そうする事であの時間が返ってくると思っているのではないかな」
「……」

夫は茹でたジャガイモを口に運んでいた。何時もなら美味しそうに食べるジャガイモを無表情なまま食べている。その事が二人に対する夫の感情を表していると思った。あの二人が夫に対して面白く無い感情を持っているとすれば当然だが夫も二人の事を面白く思っていないのだろう。“私に不満を持つのは許せる、面白くは無いがな”。いつか許せなくなる日が来るのだろうか……。

「あの二人にとって私はお前を不幸にしている悪い夫でしかないのだ。多分、私から奪い返して自分達の手でお前を幸せにする、そう考えていると思う。説得をするのは良いがあまり期待はしない事だ、辛くなるだけだろう」
夫が大きく息を吐いた。夫は私を気遣っているのだろうか、それとも現実を見ろと言っているのだろうか。胸が潰れそうだった、私の存在があの二人を狂わせている……。

「呪縛だな、あの二人にとっては何よりも大切なものかもしれないが今となってはあの二人を縛り付ける呪縛でしかない……」
「……」
「そんな顔をするな、誰にでも大切な物は有る。私だって両親を殺されなければ帝国を変えようとは思わなかった」
十一年前の事件だったと聞いている。十一年前、私が後宮に入った年でもあった。私は十五歳、夫は十二歳、そしてラインハルトとジークは十歳……。

「皮肉だな、オーディンはミューゼル少将では無く私を選んだ。逆でも私は少しも構わなかったのだが……」
「……」
「そんな顔をするな、……ああ、さっきからこればかりだな。あの二人を引き離せばまた違ってくるだろう」
夫が今度は私を労わるような笑みを見せた。

「ジークは昇進して巡察部隊の司令に内定したと聞きましたが……」
「貴族が居なくなって逆に治安が悪化する星系も有るだろう、巡察部隊の果たす役割は大きい。ミューゼル少将に頼ることなく自分の判断で仕事をする事になる、少しは変わるんじゃないかな。私も中佐に昇進した時に巡察部隊の司令を務めたが色々と勉強になった。楽しかったな」
「……」

「ミューゼル少将については未だ検討中だ。総司令部に置くか、それとも外に出すか……。フェザーンに行かせるのも良いかもしれない、帝国とは全く違うところだ、視野も広がるだろう……」
本当にそうだろうか……、目障りな二人を遠ざけるのが目的では……。思い悩んでいると夫が“アンネローゼ”と私の名を呼んだ。

「アンネローゼ、あまり自分を責めるな」
「……」
夫は視線を伏せカボチャのクリームスープを飲んでいた。
「あの時はああするしかなかったんだ。お前には他に選択肢は無かった。その事を悔やむんじゃない」
「……はい」
十一年前、後宮に入った事だろう。確かに他には選択肢は無かった……。

「ここに来たこともだ」
「……」
「お前には他の選択肢は無かった。そして私にも選択肢は無かった。誤解の無い様に言っておくが私はあの事件に関してお前に責任が有ると思ったことは一度も無い。そういう意味では私の所にお前が来たことは不当だったと思っている。ミューゼル少将のいう通りだ、お前は加害者じゃない、犠牲者だ」
「……」
夫はもうスープは飲んでいない。でも下を向いたままだ、何を言おうとしているのだろう。

「不当である以上、それは解消されるべきだと私は思う」
「それは、どういう意味で仰っているのです?」
私の問いに夫は視線を上げて私を見たが直ぐに逸らせた。
「こんな事は言いたく無かったが一度はっきりさせた方が良いだろうと思う」
「……」

「お前が今でも不当だと思っているなら、私と別れる事を望むのなら私はお前の意思を尊重する。今ではお前を束縛するものは何もない。例えお前が私と別れる事を選択しても誰にも非難はさせない。あの二人を不当に扱うこともしないしお前が今後の暮らしに困らないようにもする。だからこれからどうするか、お前自身の意思で決めてくれ」
夫は視線を逸らせたままだった……。



 

 

第四十四話 これで俺もバツイチだ




帝国暦 488年 9月 22日  オーディン 宰相府 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ



「閣下、ケスラー憲兵総監が面会を希望していますが?」
私が問い掛けると上司、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン帝国宰相は決裁する手を止める事無く
「直ぐ通してください」
と言った。そしてケスラー憲兵総監が宰相執務室に入ってくると決裁する手を止めて彼が要件を切り出すのを待った。

「例の国外追放処分を受けた貴族達ですがようやく目処が立ちましたので御報告に伺いました」
「そうですか、で、どうなります?」
憲兵総監が資料を渡した。宰相閣下が資料を読みながらパラパラとめくる。

「着のみ着のままとも行きませんので大体準備にあと三日はかかるようです。その後は順次フェザーンへ送り出します。一週間以内には全て送り出します」
「なるほど……。まあ良いでしょう、後は彼らがフェザーンで大人しく暮らしてくれる事を祈るだけです」
どうだろう、果たして彼らにそれが出来るだろうか……。憲兵総監がチラっと私を見るのが分かった。背筋がざわめく、出来るだけ平静を保たないと……。

「しかし貴族の殆どがフェザーンに移る事になりますな」
「民族大移動、それともエクソダスかな、まあ反乱軍のロンゲスト・マーチに比べれば大したことは無いでしょう」
「確かにそうですが……」
憲兵総監が苦笑を浮かべた。

「就任早々、面倒な仕事を押し付けてしまいましたが良くやってくれました。後はフェザーンでの動きに注意してください」
「はっ、抜かりなく行います」
宰相閣下が頷くとケスラー憲兵総監は踵を返して執務室を出て行った。

二人とも私には声をかけない、だが声をかけられる以上に緊張した。国外に追放された人間の中には少なからず私が関わった人間がいる。彼らは今、私の事を裏切り者と思っているだろう。マリーンドルフ伯爵家は何ら処分を受けず、私は帝国宰相秘書官に抜擢されているのだ。裏切ってはいない、だが結果としてそうなった。そうさせたのは……。

「不満かな、フロイライン。それとも罪悪感か……」
宰相閣下が私を見ていた。
「いえ、そのような事は……」
「くどいようですが私は新たな権門の誕生を許すつもりは有りません」
「はい、分かっております」
ヒヤリとする様な冷たさ、厳しさが語調に有った。

“貴女は間違ったのです、私を見誤った。そして何よりも自分の野心を優先させた、マリーンドルフ伯爵家を大きくしたいという野心……。私は政治勢力としての貴族の存続を許すつもりは無い。それなのに貴女は自分が声をかけて味方を増やすと言った。新たな政治勢力の誕生ですね。そんな味方は必要ありません、だから貴女の申し出を断ったのです。どうせなら兵力、補給物資の提供、或いは自らの参戦を申し出るべきでした。そうであれば私は貴女を信じる事が出来た。だが貴女がやった事はいかにも貴族らしい事だった……”

“マリーンドルフ伯爵家には処分は下しません。やり方は間違いましたが貴女が私の味方をすると言った事を評価します。但し、貴女が声をかけた貴族に関しては処分をします。貴女を中心とした政治勢力の誕生を防ぐために財産の半分を没収し国外へ追放します”

あの日、父とともに元帥府に呼ばれて言われた。何も言い返す事が出来なかった……。政治に関心の無い、いや関心を持たない愚かな軍人。私が彼に対して下した評価は全くの誤りだった。むしろ誰よりも政治に強い関心を持っていた、その恐ろしさも理解していた……。彼にとっては私など失笑の対象でしかなかっただろう。

マリーンドルフ伯爵家は政治的信頼を失った。権力の恐ろしさを軽視した代償だった。貴族達が復権する様な事が有ればマリーンドルフ伯爵家は間違いなく没落するだろう。それを逃れるにはマリーンドルフ伯爵家は宰相閣下に協力するしかない。彼から宰相秘書官の提示を受けた時、私には断る事は出来なかった……。

彼の決裁を手伝う。捕虜の待遇改善、辺境星域への開発の指示、憲法制定に向けての準備委員会の発足……。そしてブラウンシュバイク、リッテンハイム家への対応……。両家とも子爵の爵位と小規模だが比較的富裕な荘園を三カ所ずつ所有する事になった。そして毎年百万帝国マルクの年金を政府から受け取る……。

所有する領地は決して大きくは無い。しかしこれからは貴族も課税される事を思えば年金として百万帝国マルクを受け取れる事は大きい。領地も比較的富裕な荘園から成り立つのだ。両家とも経済面で困る事は無いだろう。そして政府から年金を受け取るという事は政府に従属する度合いが強まると言う事でもある。

また両家にとっては政府からの優遇の証でもある。両家が反政府活動を行う可能性はかなり低くなるはずだ。反政府活動の象徴として利用される危険性を考えれば二百万帝国マルクの出費は決して高くは無い。後は両家の名前を決めるだけだ。近日中に両家から希望の名前が届くだろう。

午前中は元帥府で仕事を、午後は宰相府で仕事をする。もっとも仕事の内容に軍政の区別は無い、緊急度の高い物が来る。呼び出し音が鳴った、受付からフラウ・ヴァレンシュタインが来ていると連絡が入った。宰相閣下に確認を取ると通すようにと指示が出た。

フラウ・ヴァレンシュタイン、私にはグリューネワルト伯爵夫人の名の方が印象に有る女性だ。先帝陛下の寵姫であったがあの事件により宰相閣下に下賜された。その時、爵位、所領は全て帝国に返上している。かつて皇帝の寵姫として権力の近くに有り、今は帝国宰相夫人として権力の傍に有る。余程に権力と縁の有る女性なのだろう。

夫人が執務室に入って来た。金色の髪が美しい儚げな佳人だった。先帝陛下の寵愛を十年に亘って独占したのも納得が行く。
「御仕事中に申し訳ありません」
「いや、気にしなくていい。アンネローゼ、ここに来たという事は決心は変わらないのだな」
「はい、これにサインをお願いします」
夫人は執務机の前に立つと上品な赤のショルダーバックから書類を取り出し宰相閣下に渡した。

書類の内容を確認すると閣下は執務机の引き出しから書類を取り出した。夫人に差し出す。夫人は幾分躊躇したがそれを受け取って視線を走らせた。
「貴方、これは」
夫人が驚いている。
「爵位、領地の返上が私達の結婚の条件だった。離婚する以上、お前に返還するのが筋だろう」
離婚! 驚いて二人を、そして夫人が出した書類を見た。あれは離婚届……。

「ですが……」
「お前を無一文で放り出しては皆が騒ぐだろう、私の事を酷い男だと非難するに違いない。私はこれでも良い格好しいなのでな、お前がそれを受け取るのが離婚に同意する条件だ」
「貴方……」
「幸いお前は物欲の強い女では無かったようだ。返上した所領は少ない、お前に返しても騒ぐ人間はいないだろう。……受けてくれるな」

夫人は必死で何かを堪えていたが頷く事で同意した。それを見て宰相閣下が胸ポケットから何かを取り出した。
「それと、これを受け取りなさい」
「貴方、これ以上は……」
「良いから受け取りなさい」

強い口調に夫人はおずおずと手を伸ばして受け取った。そしてカードに視線を落とす。
「いけません、貴方。こんな、二百万帝国マルクなんて、私受け取れません」
夫人が激しく首を振って拒絶した。閣下の方にカードを突きだす。二百万帝国マルク? 銀行の預金カード?

「勘違いするな、お前のためじゃない。これはお前が治める領民達への贈り物だ。
これからはお前にも領内統治、開発をしっかりやってもらう。その為の資金だ。慰謝料としてお前に払うからそれを使って領地を発展させなさい」
「……」
「私が持っていても何の役にも立たない、お前が使いなさい」
「……貴方、……済みません」
夫人が口元に手をやり嗚咽を堪えながら頭を下げた。

「住居はどうするのだ?」
「暫くは、男爵夫人の所へ……」
「そうか、……今の家も譲ろうかと思ったが伯爵夫人の住まいとしては聊か狭すぎる様だ。それに元帥府にも近い、お前には迷惑かと思って止めた」
「……」

「面白くなかったか、冗談だったのだが」
「……以前にも似たような事を」
「そうか、私は詰らない男だな。離婚されるのも当然か」
宰相閣下が苦笑を浮かべた。夫人がそうではないというように首を横に振った。本当に離婚するのだろうか? どう見ても宰相閣下は夫人を愛している、気遣っているとしか思えない。そして私には夫人が宰相閣下を嫌っているようには見えない。

「本当に済みません、私の我儘なのに……」
「……お前が自分で考えた上で決めた事だ。私はお前の意思を尊重する」
「……」
「お前が爵位、領地を返還されたと知ればお前の周囲にはお前を利用しようとする人間が群がるだろう。困った事が有ったら遠慮せずに私に相談しなさい。ゲラー弁護士にもお前の事は話してある。彼はお前の顧問弁護士になっても良いと言っていた。一度会って話をしなさい」
「はい」

宰相閣下が離婚届にサインをした、そして夫人に渡す。受け取る夫人の手は微かに震えていた。
「さっきの書類をアイゼンフート典礼尚書に見せなさい。お前をグリューネワルト伯爵夫人として貴族名鑑のデータベースに登録してくれるはずだ。領地もお前の物として登録される」
「はい」
夫人が答えると宰相閣下は頷いた。

「私からは以上だ、何か有るか?」
「いいえ、有りません。これまでお世話になりました」
夫人が頭を下げた。
「いや、世話になったのは私の方だ。感謝している」
少しの間二人が見詰め合った。やはりこの二人は愛し合っているとしか思えない。

「御身体にお気を付けてください」
「そうだな。お前、いや、伯爵夫人も気を付けられよ。オーディンはこれから寒くなる」
「……はい」
夫人はもう一度頭を下げると静かに部屋を出て行った。それを見届けてから宰相閣下は文書の決裁作業に戻った。

「宜しいのですか?」
「……」
私が問い掛けても宰相閣下は視線を文書に落したままだった。サインをして次の文書に手を伸ばす。
「閣下?」
文書から視線を上げた。いつもと変わらない。

「もう終わった事だ、気付かなかったのかな、フロイライン」
本当に終わったのだろうか? 二人とも愛し合っているのに? 伯爵夫人と呼ばれた時、夫人の身体は微かに強張った。夫人にとって“伯爵夫人”と呼ばれることは予想外だったのだ。偶然か、故意か、宰相閣下は“伯爵夫人”という呼びかけでもう夫婦ではないのだと夫人に伝えたのではないだろうか、或いは自分自身を納得させたのか……。

決裁を手伝いながら考えていると宰相閣下がミューゼル少将を呼ぶようにと命じた。ミューゼル少将は夫人の弟の筈だったはず、御自身で離婚を説明するのだろうか? 不審に思いながら元帥府に連絡を取りミューゼル少将の呼び出しを依頼した。

決裁を続けていると十分程でミューゼル少将が現れた。直ぐに執務室に通され宰相閣下の前に立つ。宰相閣下も若いがミューゼル少将も若い。二人とも帝国軍でも最も若い将官だろう。宰相閣下はミューゼル少将が執務机の前に立っても決裁は止めなかった。

「妻と離婚しました」
「は?」
「私の妻、少将の姉であるアンネローゼと離婚しました。理解出来ましたか、ミューゼル少将」
文書から視線を上げた。じっとミューゼル少将を見ている。そして少将は戸惑っていた。宰相閣下がフッと笑った。

「期待外れですね、喜ぶか怒るか、どちらかと思って楽しみにしていたのですが」
「閣下!」
「私は怒るだろうと思っていました。姉を侮辱するのか、権力を得た途端姉を捨てるのかと……、想定外の反応です」
からかっている口調ではない、淡々としていた。

「理由を教えて頂きたいと思います」
「別れると決断したのは彼女です、理由は彼女に聞けば良いでしょう。彼女はヴェストパーレ男爵夫人の所に行く事になっています」
ミューゼル少将が唇を噛み締めた。憤懣を抑えている。

「ミューゼル少将、卿の新しい任務を決めました。フェザーン駐在弁務官事務所の首席駐在武官です」
「フェザーン? 首席駐在武官?」
ミューゼル少将の顔が歪んだ。そして宰相閣下を睨むように見ている。

「左遷ですか、本来首席駐在武官は大佐が任命されるはずです。離婚されたから意趣返しに私をフェザーンに左遷する! 卑劣な!」
吐き捨てるような口調だった。
「皆がそう思うでしょうね」
「……」
「友達が一杯できるでしょう、フェザーンには私を嫌っている人間が大勢います」

思わず宰相閣下の顔をまじまじと見た。私だけじゃないミューゼル少将も閣下を見ている。
「ようやく話のできる顔になりましたか、ミューゼル少将」
宰相閣下は笑みを浮かべていた。背筋が凍りつく様な恐怖が身体に走った。閣下は夫人を愛していた、愛していたはずだった。それなのに離婚を利用しようとしている、しかも道具として使うのは夫人の弟……。

「小官に貴族達を探れと……」
「一つはそうです」
「では他にも?」
「フェザーンの動きを探って欲しいと思います」
「フェザーンの?」
ミューゼル少将が訝しげな表情をすると宰相閣下は苦笑を浮かべた。

「少将はフェザーンをどう思っています? 言葉を飾らずに言ってみてください」
「……商人の国、金の亡者、拝金主義、そんなところでしょうか」
ミューゼル少将が考えながら答えると宰相閣下が“表向きはそうですね”と続けた。
「表向き、ですか?」
「そう、フェザーンには裏の顔が有ると私は考えています」
少将がチラッと私を見た。分かるか? と言うのだろう。私にはとても分からない。視線を逸らす事しかできなかった。

「それを探れというのでしょうか?」
「いえ、商人の国、金の亡者、拝金主義、それを信じるなと言っています。探って欲しいのはフェザーン自治領主府の動き……」
「……」
「アドリアン・ルビンスキーが何を考えるか……」
私とミューゼル少将が困惑する姿を見て宰相閣下がまた苦笑を漏らした。ミューゼル少将は反発しない、ただ唇を噛み締めている。

「内戦により帝国は門閥貴族が滅び政府の力が強くなりました。このまま改革を続ければ帝国の国力は間違いなく増大します。そして自由惑星同盟は敗戦続きで国力は低下している。両者の中間で利益を得ているフェザーンは何を考えるか……」
「……」

そういう事か、改革の実は未だ上がっていない。国力の増強が感じられるのは早くても来年以降の事だ。だから私にもミューゼル少将にもよく分からなかった。だが来年以降は間違いなく三者の勢力比は変わるだろう。宰相閣下はそれにフェザーンがどう反応するかを今から探れと言っている。

「ミューゼル少将」
「はっ」
「フェザーンには高等弁務官は派遣しません。帝国は当分の間国内問題に専念する」
「それは……」
「つまり卿の行動に掣肘を加える人間は居ない」
ミューゼル少将の顔が強張った。宰相閣下は自由にやれと言っている。

「少将が私を嫌っている事は知っています。彼らと組んで私に敵対しても良い」
「……」
「但し、帝国の覇権が欲しければ誰かの力をあてにするのではなく自らの力で行う事です。失敗したくなければね」
硬直するミューゼル少将を前に宰相閣下が微かに含み笑いを漏らした……。


 

 

第四十五話 俺は宇宙一のヘタレ夫だ




帝国暦 488年 9月 22日  オーディン ヴェストパーレ男爵婦人邸  アンネローゼ・フォン・グリューネワルト



弟達がヴェストパーレ男爵婦人邸にやってきたのは夜八時を過ぎたころ、食事が終わって男爵夫人に用意して貰った部屋で寛いで、いや何をするでもなく呆然としていた時だった。考える事と言えばあの人の事、もう帰宅しただろうか? 私の作った粉ふき芋とカボチャのクリームスープを食べてくれただろうか? ニシンの塩焼きは気にいってくれただろうか? そんな事ばかり考えていた。

多分、二人は食事時を外して来たのだろう。来るだろうとは思っていたが実際に来られると溜息が出た。あの人との思い出に浸る事も出来ない……。男爵夫人に案内されて二人が部屋に入ってきた。四人でコーヒーを飲みながら話しをする事になったが何とも重苦しい雰囲気が漂う。男爵夫人も場を和ませようとはしない、しても無駄だと思っているのだろう。彼女には私の気持ち、そして今日何が有ったのか、大凡のところは話してある。

ラインハルトとジークが窺うように私を見ている。そしておずおずとラインハルトが切り出した。
「姉上が最高司令官と離婚されたと聞きましたが……」
「ええ」
「姉上からそれを望まれたとか……」
「そうよ」
私の答えに二人が顔を見合わせた。

「何か嫌な事が有ったのでしょうか、我慢出来ない事が……」
「いいえ」
また二人が顔を見合わせた。
「アンネローゼ様、私達に本当の所をお話し頂けませんか、一体何が有ったのです?」
「何も有りません。私の方から別れて欲しいとあの人にお願いしただけ」
二人が困惑している。ヴェストパーレ男爵夫人が痛ましそうな表情をした。彼女の目にもこの二人があの人を不当に貶めようとしている、そう見えたのだろう。

「内乱が終結した後、あの人から言われたの。一度はっきりさせた方が良いだろうって」
「はっきり、ですか、姉上」
「そう、自分達の結婚は上から押し付けられた不当なものだった。お前が今でも不当だと思っているなら、別れる事を望むのなら自分はお前の意思を尊重するって……」

誰も私を人としては見なかった、私の意志が尊重された事は無かった。後宮に入った時からずっとそうだった。あの人に下賜されるまでずっと物として扱われてきたのだ。あの人だけが私を物として扱わなかった……。私を物から人に戻してくれた……。

今でも覚えている。あの人は眼を逸らしたまま私を見ようとはしなかった。珍しい事だ、多分自信が無かったのだと思う。あの人は私が別れると言うのではないかと怖れていた。いや多分別れると言い出すと思っていたのだ。それでもあの人は私の意志を尊重すると言ってくれた。私を物ではなく人として扱うと言ってくれた。辛かっただろうと思う、それだけにあの人の誠実さと勇気が身に沁みる。

「本当は何か酷い事をされたのではないのですか」
「いいえ」
「ですが」
「アンネローゼ様」
「ラインハルト、ジーク、本当に何も無いの」

私が否定してもこの二人はあの人に非が有ったのだとしたがっている。あの人の言う通りだ、私の存在がこの二人を縛り付けている。この二人も私の意志を尊重しようとしない、物としてしか見なかった人達とどう違うのだろう……。溜息が出そうになって慌てて堪えた。

「では何故離婚を? もしかするとあの事件の所為ですか? あの件で責められたとか」
「違います、失礼な事を言わないで、ラインハルト。一度だってあの人に事件の事で責められた事は有りません」
少し強い口調になったかもしれない。二人ともバツが悪そうな表情をしている。でもあの人は一度だって私を責めた事は無かった。逆に私の方が不思議に思ったほどだ。あの人は本当に私に罪は無いと思っていた。

「不当だと思ったのよ」
「不当?」
二人がまた顔を見合わせた。
「私にとってもあの人にとっても私達の結婚は不当だと思った。御互いの意思を無視して行われたのだから。だから私から結婚を解消して欲しいと頼んだの、それだけよ」

あのまま一緒に居たらどうなっただろう? 弟達はあの人に敵意を持ち続け、あの人も私もその対応に苦しんだと思う。あの人は私と弟達の間で板挟みになり私はあの人と弟達の間で板挟みになるはずだ。あの人が公正で有ろうとすればするほど弟達の立場は悪化するだろう。

あの人はその事で私に負い目を持つ筈だ。そして私はあの人が正しいのだと思いつつも何処かであの人を怨むに違いない。そしてあの人はその事で苦しむだろう……。あの人が酷い人ならいい、我儘で冷酷な人なら怨んでも構わない。でもあの人はそんな人じゃない。そんな人なら私を人間として扱おうとはしない筈だ……。

冷徹、非情、皆があの人をそう評している。でも本当はそうじゃない、冷徹、非情なのは表面だけ、その奥には温かく優しい心が存在している。あのまま一緒に居たらいつか私はあの人の優しさに甘えてあの人の心を傷つけ壊してしまうだろう。それどころかあの人の心が壊れるのを望んでしまうかもしれない……。

一緒には居られない、そう思った。あの人にもそれを正直に話した。それが私なりのあの人への誠意だと思った。そして私の事は諦めて欲しいと思った。あの人は一言も口を挟むことなく黙って私の話しを聞いていた。そして私に“それでも私はお前に傍に居て欲しいと思う。よく考えてくれ”と言ってくれた。

私は泣き出してしまった、ずっと心を殺して生きて来た、泣く事など無かった、それなのに泣き出してしまった。あの人が私を必要としてくれているのが嬉しかった。私はこの人の前でなら泣けるのだと思った……。だから一緒には居られないと改めて思った。この人の前では感情が溢れてしまうから、いつか酷い事を言ってしまいそうだから……。

ラインハルトとジークが困惑した表情を浮かべている。この二人を私が縛ってしまった、狂わせてしまった。あの人は私の所為じゃないと言ってくれた。でも私が原因で有る事は否定できない、そこから眼を逸らすのは正しい事ではない……。

「姉上、これからどうされるのです?」
「そうね、住むところを決めなければならないし領地も見て回らなければ……、忙しくなるわ」
「……姉上がグリューネワルト伯爵夫人に戻られたのは知っています。しかしお金は有るのですか?」

“伯爵夫人”、その言葉に胸が痛んだ。あの人に“伯爵夫人”と呼ばれた時、一瞬何の事か分からなかった。自分の事だと分かった時どうしようもないほど動揺している自分がいた。どうして“アンネローゼ”、“お前”と呼んでくれないのか……。そう思っている自分がいた。

三つも年下の夫に“お前”と呼ばれる、最初は抵抗を感じたことも有る。でも“伯爵夫人”、その言葉のなんと余所余所しい、寒々しい事か。それに比べれば“お前”という呼びかけはなんて温かみのある呼びかけなのだろう。私は“お前”と呼んでくれる人を失ってしまった。私はもうあの人にとっての“お前”では無くなってしまったのだ。私は一人になってしまった、他人になってしまったのだとあの時思った。

「大丈夫よ、あの人が二百万帝国マルクをくれたから。金銭面で心配はいらないの」
二人が驚いている。
「私はもう大丈夫なの、誰にも束縛されていないし不当にも扱われていない。だから、貴方達も自由に生きなさい。私のためにでは無くて自分のために生きて。良いわね?」
二人が困惑したように頷いた。

「それと当分私達は会わない方が良いと思うの」
「姉上!」
「アンネローゼ様!」
「それぞれが自分の道を見つけ歩き始めるまでは会わない方が良いわ、そう思うの」
ラインハルト、ジーク、私から解放してあげる。だから自由に生きなさい。そしてあの人も自由に生きて欲しい……。ヴェストパーレ男爵婦人が頷くのが見えた……。



帝国暦 488年 9月 22日  オーディン ヴァレンシュタイン邸  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



一人減っただけで随分と広く感じるな。それになんとも寒々しい。部屋に温かさが感じられない、こんな家だったかな? なんか昨日までとは別な家に居るような感じがする……。広すぎるな、売り払って官舎に移るか……。その方が良さそうだな。

アンネローゼは夕食の用意をしてくれていた。最後の手料理だな、味わって食べないと……。ニシンの塩焼きに粉ふき芋の付け合わせか、それとカボチャのクリームスープ。ニシンの塩焼きは温めてからレモン汁をたっぷりかけた。うん、美味いな、アンネローゼの料理の腕は随分と上達した。うん、美味い、お世辞じゃなくそう思える。ゆっくり味わいながら食べよう。

お前の意思を尊重するなんて言わなきゃ良かった。そのままでいれば良かったんだ、それなのに……。俺ってどうしようもない馬鹿だ、でもなあ、一度は言わなきゃならんだろう。俺はアンネローゼの気持ちを聞いていないんだから……。あのままじゃ俺達は何時までも中途半端だった。……粉ふき芋、美味しいな。

別れたいって言われて動転した。俺、何時の間にかアンネローゼを愛していた、いや愛していたんじゃない、強く愛していた。ずっと傍に居て欲しいって思ってたんだ。俺を傷つけたくないって言ってた、苦しめたくないって。そんなこと言われたら何にも出来ん、彼女は俺の事を思ってくれているんだ、切ないよ。

アンネローゼがグリューネワルト伯爵夫人の称号とか領地とか欲しがるとは思えん。でもなあ、俺にはそのくらいしかしてやれる事が無いんだ。彼女が生活に困らないようにしてやるしか……。権力なんて何の役にも立たん、俺って無力だ。

金を渡すのだって領民のためとか何言ってんだか……。素直に俺の気持ちだって言えば良かった、このヘタレの根性無しが。……リメスの祖父さんも許してくれるよな、俺は彼女に何かしてやりたかったんだ。祖父さんだって祖母さん相手にそういう気持ちになった事は有るだろう。

もっともリメスの祖父さんもちょっとヘタレっぽいからな、俺がヘタレなのはリメスの祖父さん似かもしれん……。それでも俺よりはましだ、リメスの祖父さんは祖母さんとの間に母さんを作ったんだから。俺なんて何もない、空っぽのこの家だけが残った……。

風邪引いたかな、鼻水が出てきた。おまけに粉ふき芋が滲んで見える。季節外れの花粉症かな……。考えてみれば新婚旅行もしていないし買い物にも付き合ってやれなかった。風呂にも一緒に入ってない。写真一枚残っていないじゃないか。忙しかったし重い物は持てないし右足がアレだから……、情けない夫だ、間違いなく宇宙一のヘタレ夫だ。……彼女との思い出ってこの家の中にしかないんだな、……売るのは止めだ、絶対売らない。他に残っている想い出は執務室だけだ、とてもじゃないがあれは懐かしいなんて思えん。

それなのに俺の印象に残っている彼女は執務室を出て行く彼女の後姿なんだ。ゆっくり静かに執務室を出て行った。服の色は覚えていない、色を覚えているのは離婚届を出した赤のショルダーバックだけだ。それだけは鮮明に覚えている……。笑顔なんて殆ど見た事が無い、印象に残っているのは最後の後姿、俺って不幸だ。

ヒルダが“宜しいのですか”なんて訊いてきたが宜しいわけがないだろう。だがな、離婚届にサインしているんだ、どうすればいいんだ。傷口に塩を擦り付ける様な真似をしないで黙って仕事をしろって言うんだ。怒鳴りつけてやりたかったが相手がヒルダだからな、諦めた。なんてったって原作世界では屈指の恋愛音痴のお嬢様だ、しょうが無いさ。もっとも俺は恋愛音痴を超える恋愛白痴、手の付けられない阿呆だ。

いかんな、落ち込むだけだ、仕事の事を考えよう。ラインハルトをフェザーンに送る、フェザーンに居る不平貴族は必ずラインハルトに接触するだろう。ケスラーには何も知らせないようにしよう。ケスラーからの報告とラインハルトの報告を突き合わせる事で情報の信憑性を確かめるとしよう。

問題はフェザーンの動きだな、連中がどう動くか。不平貴族という駒は幾らでもある、果たして何を企むか。ラインハルトが何処まで探れるかは疑問だな。いや、或いはフェザーンが直接ラインハルトに接触する可能性も有るか……。フェザーンにとっては利用しやすい駒だろう。可能性は有る。

原作通り皇帝誘拐を企むかな、実行者がヘボ詩人とラインハルト? 嗤えるな、そいつは。ラインハルトが一体どんな選択をするか、楽しみでもある。警告はしておいたからな、馬鹿はやらないだろう。だが馬鹿をやりそうになったらアンネローゼを不幸にするなと叱り飛ばしてやる。彼女との約束だからな、但し一度だけだ、二度目は無い。

駒が増えれば選択肢も増える、或いはフェザーンが接触するのはブラウンシュバイク、リッテンハイムという事も有るだろう。こっちも警戒が必要か……。国内の隙を連中に見せることは出来ない。金だけでは足りんな。ブラウンシュバイク、リッテンハイムの新たな名前が決まったら政府主催による親睦パーティーを開く。その時、俺はブラウンシュバイク、リッテンハイムに挨拶をし、彼女達と親しく話をする。かつて敵対したことなど無かったかのように話をするのだ……。

帝国宰相兼最高司令官が両家に礼を尽くす。百万帝国マルクの年金と合わせて両家のプライドを十二分にくすぐることが出来るだろう。人間、何が屈辱かと言って無視されることほど大きな屈辱は無い。そういう事をしてはせっかくの百万帝国マルクが何の意味も無くなる。

誰の目から見ても優遇されていると分かれば国内での反政府勢力に担がれる危険性は少なくなる筈だ。フェザーンの接触も可能性は低くなる。失敗は出来ん、アンスバッハ、シュトライトと打ち合わせをする必要が有るな。一度やっておけば二回目、三回目は一回目をアレンジすればいい、それほど難しくは無い筈だ。

ダンスを要求されるかもしれん。難しいな、右腕が弱っているから相手を支えられないし右足も駄目だ。ダンスは無理だな、代理で誰かに頼むか。若くて女性受けのする奴……、ミュラーとロイエンタールだな、この二人に頼もう。後はロイエンタールに馬鹿をするなと釘を刺しておかないと。

……アンネローゼは、……来ないだろうな、だがヴェストパーレ男爵婦人、シャフハウゼン子爵夫人は来るだろう。彼女達とアンネローゼの事を話せば良い。近況を知ることも出来るし、俺が彼女の事を気にかけていると皆が理解するはずだ。離婚はしたが関係は良好だと思うだろう。そうなれば彼女の立場も強化されるはずだ。

後は同盟だな。まず捕虜の待遇改善を行う。帝国の支配者が変わった事でこれまでの帝国とは違うという事を捕虜の心に刻みつけるんだ。その上で捕虜交換を行う。その際、捕虜達には同盟政府が捕虜達を見捨てようとしたことを伝える……。捕虜達は一体誰を信じるかな、同盟政府か、それとも……。まあ同盟政府はちょっとした爆弾を抱える事になる。俺が唆さなくても反乱が起きるかもしれないな……。

スープが冷めてしまったな、もう一度温め直すか……。この家に一人で居るのは辛すぎるな、でもこの家を失うのはもっと辛い。ここを失えば俺に残るのは執務室での記憶、立ち去る後ろ姿だけになってしまう。ここに居よう、地獄かもしれない、だが甘美な地獄だ、冷酷非情と言われ内実はヘタレな俺には相応しい居場所だろう……。



 

 

第四十六話 俺ってそんなに嫌な奴か?



帝国暦 488年 9月 28日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲) アルベルト・クレメンツ



「久しぶりだな、こうして二人で飲むのは」
「そうだな、内乱が始まる前に飲んだのが最後だ、半年ぶりかな?」
「ああ、半年になるな」
俺が答えるとメックリンガーが頷いた。

「先ずは元帥昇進、おめでとう」
「有難う、卿も大将昇進、統帥本部総長就任、おめでとう」
「ああ、有難う」
互いにグラスを掲げ一口飲んだ。美味い、ごく自然にそう思えた。こいつと飲む酒の味は格別だ。

「元帥府は開かないと聞いたが」
「ああ、その方が変な派閥意識が出来なくて良いと思ってな。メルカッツ元帥と相談してそう決めた」
「そうか、……まあ卿は宇宙艦隊司令長官も辞退したからな。そうではないかと思っていたが……」
本当は元帥への昇進も辞退したかった。だが最高司令官はそれを許してくれなかった。妙な物だ、辺境で燻っていた俺が元帥とは……。いや、俺だけじゃないな。

「卿が統帥本部総長というのは驚いたぞ、大将が統帥本部総長になるのは初めてだろう。しかも総参謀長と兼任か」
「らしいな、だがそれなりに理由が有る」
「理由?」
俺が鸚鵡返しに問い掛けるとメックリンガーが頷く。そして周囲を見渡してから顔を貸せと言うように手で合図した。俺も周囲を見渡してから身を乗り出す、幸いな事に今日は客が少ないようだ。メックリンガーも身を乗り出した。

「最高司令官閣下はイゼルローン、フェザーン両回廊を使った二正面作戦を考えている」
小声で囁かれたが雷鳴よりも耳に響いた。
「本当か?」
「本当だ」
メックリンガーが頷いた。思わず唸り声が出た。最高司令官はもう次の戦争を考えているのか、しかも二正面作戦? 決戦か?

「規模は?」
「全軍を上げて、そういう事だな」
決戦だ、また唸り声が出た。
「それで卿が総参謀長と統帥本部総長を兼任するわけか。責任重大だな」
「押し潰されそうだ」
“何を言っている”と笑う事は出来なかった、メックリンガーは生真面目な表情をしている。

「時期は?」
「早ければ来年後半、そんなところだ。まあ決定は国内状況、フェザーンの状況、反乱軍の状況を確認しつつの事になるだろうが……」
なるほど、フェザーンには追放された貴族達がいる。侵攻するための口実に困ることは無いだろう。しかし……。

「来年か……、早過ぎないか?」
無意識にグラスを口に運んでいた。ワインの味が良く分からなくなっている。多分メックリンガーも同じだろう。
「門閥貴族が滅んだ事で彼らの持っていた財産が没収された。国家の財政状況は一気に改善されたようだ。来年以降の税収もかなりの増収となる、大規模な出兵に十分耐えられるだろうと閣下は見ている」
補給面は問題無しか、戦争の基本は補給と戦略、昔から少しも変わっていない。

「国内状況は問題無しか……」
「改革が順調に進めば問題無しだ」
「改革か……」
以前から考えていたのだろう、帝国の実権を握ると最高司令官は直ぐに改革を始めた。

これまで誰も為し得なかった劣悪遺伝子排除法を廃法とし、改革派、開明派と呼ばれる人間達を集めて貴族達の特権を抑え平民達の権利を拡大しようとしている。順調に進めば平民達の支持は絶大な物になるだろう。これまでは軍人として支持されていたが今後は国家指導者として支持される事になる。出兵も支持されるだろう。

「メルカッツ軍務尚書とケスラー憲兵総監が艦隊を維持しているのもそれが理由だ。出兵が決まれば彼ら二人の艦隊が国内の留守部隊になる」
「なるほど……」
着々と進んでいる、そう思った。多くの将兵が昇進と新たな任務に一喜一憂している時、最高司令官は既に前に進んでいる。ぞくりとするものが有った。彼にとっては帝国の覇者というのは最終目標ではないのだろう。

「分かっているか?」
「うん?」
俺が生返事で返すとメックリンガーが含み笑いを洩らした。
「二正面作戦の一方は卿が総司令官だぞ」
「俺か……」
メックリンガーが“そうだ”と言って頷いた。なるほどメルカッツ軍務尚書が国内に残る以上、総司令官は俺だろう。

「どっちだ?」
「フェザーンだ」
「ではフェザーン方面は助攻か……」
「違う、フェザーン方面が主攻だ。動員兵力もそちらが多くなる」
「……」
思わずまじまじとメックリンガーを見た。彼がゆっくりと頷く。

「イゼルローン要塞は閣下が自ら攻める。反乱軍は防衛のために戦力をイゼルローン要塞に集中するはずだ……」
「そこを突く、そういう事だな」
「そういう事だ」
言い終えてメックリンガーがグラスを呷った、俺も残りを一気に飲み干す。そして互いのグラスにワインを注いだ。

「反乱軍が慌てふためいて軍を返した時、イゼルローン要塞を攻略し回廊を突破する、最高司令官はそう考えている」
「反乱軍はイゼルローンとフェザーンの間で右往左往すると言う事か」
「効果的な迎撃は出来まい」
「うむ」
なるほど、しかし……。

「イゼルローン要塞はそう簡単に落とせるとは思えんが……」
俺の問いかけにメックリンガーが首を横に振った。
「要塞攻略については最高司令官閣下が責任を持つ。攻略案は有るようだ、心配はいらないと言われた」
「そうか……」

攻略案は有る、つまり一旦作戦が発動されればフェザーン、イゼルローン両回廊を突破して帝国軍艦隊が反乱軍の勢力圏に雪崩れ込むと言う事だ。
「統一は間近か?」
「そうなるな、この宇宙から戦争は無くなるだろう。最高司令官は反乱軍の領土の統治案を検討するチームを密かに発足した。検討メンバーには軍人だけでなく文官も含まれている」
俺が溜息を突くとメックリンガーも溜息を吐いた。

「とんでもない話だな」
「とんでもない話だ」
「……リューネブルク中将が言っていたよ」
「リューネブルク中将が? 何をかな……」
「恒星だと」
「恒星? なるほど、恒星か……」
メックリンガーが頷いた。

「今は未だ小さいがこれから何処まで大きくなるか、楽しみだと。あの事件の直前の事だが……」
笑っていた、良く俺に頼んでくれたと喜んでいた。ようやく借りを返せると言っていた。そして最高司令官を守って死んでいった……。

「……彼が守った恒星は人類史上最大の恒星になるさ。宇宙の隅々まで照らす存在になるだろう……」
「ああ、そうだな」
「……クレメンツ、乾杯しようか?」
「良いな、乾杯しよう」
リューネブルク中将、何時か報告する。卿が守った恒星が何処まで大きくなったかを、きっと喜んでくれるだろう……。



宇宙暦797年 9月 30日  ハイネセン  アレックス・キャゼルヌ



「マダム・キャゼルヌの作る料理は美味しいですね、ついつい食べ過ぎてしまう」
「俺は何時もそれを注意しているぞ、ヤン。健康診断という強敵がいるからな」
俺の言葉にヤンが笑い声を立てた。気楽な奴だ、俺にとっては笑い事では無い、なかなか深刻な現実なのだが……。水割りを用意してサロンに移った。ここからは大人の時間だ。妻は洗い物を、娘達はユリアンと遊んでいる。少しの間言葉を交わす事無く水割りを飲んだ。

「内乱が終結したな、勝ち残ったのはヴァレンシュタイン元帥か……」
「一番嫌な相手が勝ち残りましたよ、先輩」
「そうだな、一番嫌な相手が勝ち残った……」
「しかも最悪の勝ち残り方です。全ての権力が彼に集中しました」
ヤンの表情は渋い、多分俺も同様だろう。同盟にとっては厄介な事態になりつつある。

「あっという間でしたね、内乱がはじまってから半年で帝国の実権を握りました。ちょっと鮮やか過ぎるな」
小首を傾げている、感心している場合じゃないだろう。
「リヒテンラーデ侯と組んで門閥貴族を斃す、間髪を入れずにリヒテンラーデ侯を粛清した。鮮やかと言うより非情、容赦がない、俺にはそう見えるがな」
ヤンが頷いた。そしてグラスに口を付けようとして手を止めた。

「正しい戦略ではあります、リヒテンラーデ侯と組むことで門閥貴族達を反乱軍として討伐する。その後でリヒテンラーデ侯を斃した。一番弱い立場に居た彼が帝国の覇者になるにはそれしかありません。ああもあっさりと斃されるという事はリヒテンラーデ侯は全く油断していたんでしょう。信頼できる軍事指揮官、そう思わせていたのでしょうね」
「……リヒテンラーデ侯が彼を殺そうとしたと言われているが……」
俺の言葉にヤンが首を横に振った。

「権力を握ってしまえば口実など何とでもなりますよ。機を見るに敏と言うか、戦機を捉えるのが上手いと言うか、手強いですね。戦略だけじゃない、政略面でも手強いです」
「そうだな……」
「……」
水割りを一口飲んだ、どうも苦い、気持ち良くは酔えないかもしれない。

「殆どの貴族が殺されるか帝国から追放されたらしい。今、商船でフェザーンに向かっているようだが中には同盟への亡命を希望している貴族も居るらしいな」
「そうですか……」
いかん、どうも会話が途絶えがちだ。

「受け入れるのでしょうね」
「それはそうだろう、向こうの生の情報が入るんだ」
ヤンが微かに頷いた。
「聞きたいですね、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、どんな人物なのか」
「逃げ出したくならなきゃ良いけどな」

ヤンが苦笑を浮かべた。“そうですね”と言って一口水割りを飲む。実際彼の人物像など碌な物ではないだろう。貴族達の殆どが殺されるか財産を没収された上で帝国から追放されているのだ。冷酷、非情、狡猾、残忍、俺にはそんなイメージしか湧かない。権力欲の強い嫌な男にしか思えない。

「帝国軍最高司令官兼帝国宰相か、皇帝が幼い以上彼が皇帝の様なものだろうな」
「彼より力の無かった皇帝は沢山いますよ、むしろ彼以上に力の有った皇帝なんてほんの僅かでしょう。劣悪遺伝子排除法を廃法にしたんです。実力はルドルフ並みかな」
「確かにな」

劣悪遺伝子排除法、ルドルフ大帝が制定した悪法だ。この悪法の所為で自由惑星同盟が生まれたと言っても良い。銀河帝国の代々の皇帝達もこの法が悪法であるという事は理解していただろう。だが初代皇帝であるルドルフが作った法であるだけに廃法には出来なかった。晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世でさえ有名無実には出来ても廃法には出来なかった。

「簒奪とか考えているのかな? 如何思う?」
俺が問い掛けるとヤンは髪の毛を掻き回した。
「可能性は有りますね。軍は押さえている、簒奪を阻むとすれば貴族ですが既に内乱で力を失っています。改革が上手く行けば平民達の支持は絶大な物になるでしょう。不可能とは思えません」

それに比べて同盟は……。前回の出兵が失敗した事で政府は躍起になって責任回避を図ろうとしている。政府だけを責めるのはおかしい、出兵は市民が望んだ事だと責任を同盟市民にも押し付けようとしているのだ。ネグロポンティ国防委員長の辞任で幕引きを図っているが政府の支持率は低下しガバナビリティの低下は否めない……。余りにも対照的な両者だ。

「しかし彼は平民だろう、実力者として受け入れるのと皇帝として受け入れるのは違うんじゃないのか? つまり皇帝になるには権威が要るんじゃないかと思うんだが……。その辺りは如何なのかな? 帝国人は彼を皇帝として受け入れられるのか? 大体貴族にもなっていない……」
俺が問い掛けるとヤンは“権威ですか”と言ってちょっと考えるようなそぶりを見せた。

「さあどうなんでしょう、何とも言えませんね。……ところでブラウンシュバイク、リッテンハイム両家の娘達はどうなったんでしょう、殺されたとは聞きませんが……」
「俺も聞いていないな。……生きているんじゃないか、二人とも。一時は女帝候補者だったんだ、殺されれば騒ぎになるだろう」
ヤンが二度、三度と頷いた。

「だとすると反発が有るのであれば彼女達のどちらかと結婚するという方法が有りますね。女系でゴールデンバウム王朝と繋がるんです。現皇帝を廃して女帝夫君としてゴールデンバウム王朝を存続させながら実質的に乗っ取るか、簒奪してから妃に迎えて前王朝と繋がっているとアピールするか……、権威的な面での反発はかなり軽減できると思います」
「なるほど……」
そういう抜け道が有ったか、確かにそれなら可能かもしれない。

「彼、結婚していましたか?」
「していたんじゃないのか? 皇帝の寵姫を下賜されただろう、あれって結婚じゃないのかな?」
「なるほど、下賜って結婚でしたか……」
ヤンが頭を掻きながら苦笑を浮かべた。俺も苦笑いだ、帝国では人を物の様に遣り取りする。

「あとは自らの力で権威を確立するという方法も有ります」
「というと?」
「外征により圧倒的な戦果を挙げる。同時に政治改革で帝国民衆の圧倒的な支持を得る。ナポレオン一世はそれによって皇帝になりました。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムだって連邦市民の圧倒的な支持で皇帝になったんです。彼も同じことをするかもしれない」
「なるほどな」

どっちを取るのか……。結婚によって帝位を得るか、それとも軍事、政治的な成果により皇帝への道を選ぶか……。或いは皇帝にならず実力者で終わるという事も有るだろう……。
「厄介な相手だな」
「ええ、厄介な相手です」

水割りを飲もうと思ったがグラスは空になっていた。もう一杯飲むか、悪酔いしそうだが、素面では居られそうにない。……エーリッヒ・ヴァレンシュタインか、……厄介な相手だ。


 

 

第四十七話 俺はロリコンじゃない!



帝国暦 488年 10月 7日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



俺は宇宙で一番、ヘタレと呼ばれた男……。心の中で呟きながら決裁文書にサインをする。最近はこの文句がお気に入りとなった。帝国の実力者なんて言われていい気になる資格は俺には無い、俺はどうしようもないヘタレ男なのだ。その現実を受け入れる事が大事だ。ルドルフみたいに神聖不可侵とか馬鹿な事を言い出さずに済む。

決裁文書をじっと見た、おそらく周囲は俺が文書の内容を確認していると思うだろう。残念だな、俺が確認しているのは決裁文書の内容じゃない、そんなものはとっくに確認済みだ。確認しているのはサインだ。問題ないな、サインには毛ほどの乱れも無い。

サインに乱れが有れば俺が精神的に動揺していると思う奴も出るだろう。俺がヘタレである事は誰にも知られてはならない帝国の最高機密なのだ。そう自分に言い聞かせている。辛いよな、ヘタレである事は認めても知られてはいけないなんて……。実際ヴァレリーに一度サインが乱れていると指摘された。その時は腕が痛むと誤魔化したが気付いているかもしれん、彼女も離婚歴が有る、油断は出来ない。

執務室にはヴァレリーとヒルダが居る。以前は元帥府はヴァレリーの管轄で宰相府はヒルダと別々にしていたのだが不便なので区別せずに常に俺に同行させている。もっともこの二人、必ずしも打ち解けていない。まあ片方は貴族のお嬢様で片方は亡命者だ。おまけにマリーンドルフ伯爵家が妙な動きをして俺に釘を刺された事をヴァレリーは知っている。要注意人物ぐらいに思っている可能性は有る。

次の決裁文書を取った、内容は艦隊訓練? オーベルシュタインか、なるほど、直属の上司は俺だからな。訓練期間はカストロプ星系で一カ月か、……良いんじゃないの、何か有ればすぐに戻って来られるしな、反対する理由はない。しっかりとサインをして次の決裁文書を取ろうとした時だった、TV電話の受信音が鳴った、受付から連絡が入ったようだ。

ヴァレリーが連絡を受け話している。俺の方を見た。
「閣下、アンスバッハ、シュトライト准将が面会を求めておりますが……」
「通してください」
「分かりました」
ヴァレリーが“直ぐ通してください”と言った。

アンスバッハ、シュトライトか、何の用かな。例のパーティーの御礼かな、律儀な事だ。政府主催の親睦パーティーを翠玉(すいぎょく)の間で開いたのは四日前の事だ。新たに誕生したシュテルンビルト子爵家、ノルトリヒト子爵家の御披露目パーティー……。シュテルンビルト(星座)、ノルトリヒト(オーロラ)、妙な名前だがブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人が新たに選んだ名前だ。

下手に地名や人名を付けるよりは政治色が無くて良いだろうという事らしい。いかにも女性らしい感性の命名だと思う、それにかなり慎重になっている。今回の内乱で権力の持つ恐ろしさ、自分達の血の持つ危うさを認識したという事だろう。良い傾向だ。

パーティーは十分に上手く行った。俺はあの二人の夫人に丁重に挨拶したし挨拶した順番も一番最初だ。話していた時間も十分以上は有った。誰が見たって俺があの二人、そして二人の令嬢に気を遣っている事は理解できただろう。あの二人だって満足そうにしていた。力は無いが政府から一定の敬意を受ける名門貴族の誕生だ。

俺だって努力した、あの時は軍服じゃなくてロココ・スタイル? そんな感じの服を着てパーティーに参加したんだ。軍服だとあのガイエスブルク要塞での事を思いだすかもしれないからな。向こうに不快感とか恐怖感を与えては意味が無い、だから慣れない服を着た。ミュラーに言われたよ、軍人には見えない、何処かの貴族の若殿様みたいだって。全然嬉しくなかった。だがそこまで努力したんだ、上手く行って貰わなければ困る。

あの両家が満足してくれれば少なくとも帝国内で反政府勢力の旗頭に使われることは無いだろう。それと他の貴族達にも必要以上に俺が貴族を迫害することは無いというメッセージになるはずだ。俺が連中に理解して欲しいのはこれまでのような特権は許さないという事だ。節度を守り政府に協力するなら問題は無い。後はあの両家が俺に協力してくれれば他の貴族達もその辺りを自然と理解してくれるだろう。

執務室にアンスバッハ、シュトライトの二人が入って来た。口を開いたのはアンスバッハだ。
「御多忙の所、恐れ入ります」
「いえ、構いません、何か有りましたか?」
「先日のパーティーでは。シュテルンビルト、ノルトリヒト両子爵家に色々と御配慮頂き有難うございました。子爵夫人達が最高司令官閣下に大変感謝しておりました」
やはり御礼言上か。

「両子爵夫人にお伝え頂きたい。丁重な御挨拶、痛み入ります。これからも政府への協力をお願いしますと」
「はっ、そう御伝えいたします」
「アンスバッハ准将、シュトライト准将、お二人にも随分と手伝って頂きました、礼を言います。これからも色々と御願いする事が有るかもしれませんが宜しくお願いします」
俺が礼とこれからの協力を要請すると二人とも恐縮したように頭を下げた。

この二人には随分と働いてもらった。あのパーティーが成功したのはこの二人の尽力のお蔭でもある。これからも色々と調整が必要な事が発生するだろう、その都度協力して貰う事になる筈だ。得難い存在だよ、二人とも変な小細工をしない誠実さが有る。こういう調整事は才気よりも誠実さの方が大事だからな、相手に信頼されないと駄目なんだ。

用件は済んだな、そう思ったがアンスバッハ、シュトライト、二人とも帰ろうとしない。二人で顔を見合っている。なんだ? 他にも何か有るのか? 年金は百万帝国マルクじゃ足りないとか言ってるのかな。知らんふりも出来ん、こちらから話を向けるか。

「どうかしましたか? 遠慮は要りません、言って下さい」
二人はもじもじしていたがシュトライトがおずおずと話し始めた。
「閣下は結婚について如何お考えでしょうか?」
「結婚?」
何だ、一体。シュトライトもアンスバッハも俺を窺うように見ている。今度はアンスバッハが口を開いた。

「閣下がエリザベート様、サビーネ様との結婚を望んでいるのではないかと……、いえアマーリエ様、クリスティーネ様はそのような事は無いと信じておられます。閣下が御約束を破るような事は無いと……」
「……」

はあ? 何言ってんだ、二人とも。エリザベートもサビーネも子供だろう、俺はロリコンじゃないぞ。……いや、待て、これってもしかすると打診か? うちの娘と結婚しない? そういう打診なのか……。いかんな、向こうの考えが分からん、とりあえず当たり障りなく答えるか。

「シュテルンビルト、ノルトリヒト両子爵夫人が何を心配されているのか良く分かりませんが私はシュテルンビルト、ノルトリヒト両子爵家を不当に扱うつもりは有りません。信じて頂きたいと思います」
俺が答えるとアンスバッハとシュトライトが顔を見合わせた。納得した表情じゃないな、腑に落ちない、そんな感じだ。

「ここ数日、あの親睦パーティーに参加した貴族達から最高司令官閣下がエリザベート様、サビーネ様のどちらかと結婚を望んでいるのではないかと両子爵夫人に問い合わせが来ているのです。いきなり祝辞を述べる貴族もいるとかで……」
「お二方はその事に非常に戸惑っておられます」
「……」

何だ、それは……。相手は戸惑っているらしいが俺もびっくりだ。なんでそうなる。パーティーでお披露目しただけだろう。それで結婚? 貴族ってのは何考えてるんだ? 俺にはさっぱり分からん。俺が困惑していると
「宜しいでしょうか」
とヒルダが声をかけてきた。

「ここ数日、貴族達の間で閣下がシュテルンビルト、ノルトリヒト両子爵家の令嬢との婚姻を望んでいるのではないか、そのような噂が流れているのは事実です」
「どういう事です、それは」
俺が問い掛けるとヒルダが少し困ったような表情をした。ヴァレリーも困ったような表情をしている。この二人は知っているらしいな。

いや、分からなくはないんだ。俺は独身だからな、そんな話が出てもおかしくは無い。だが何で急に出たのかが分からん。それにシュテルンビルト、ノルトリヒトから出た話じゃない、他の貴族達が噂している。あのパーティーが両家の御披露目を目的に開かれた事は皆が分かっていたはずだ。お見合いパーティーじゃないぞ。何処で変わった?

「閣下が奥様と離婚されたのが原因です」
「……」
そんなの当り前だろう。結婚してれば出るはずもない話だ。俺が知りたいのは何でその話が急に出てきたのかだ。もう少し分かり易く言え! ヒルダに視線を当てた。彼女がちょっと気まずそうな表情を見せた。
「皆が不審に思っています。多くの貴族達が財産を取り上げられ追放される中、奥様だけが爵位、所領を戻されています」

「当たり前の事でしょう、爵位、所領の返上は私が下賜の条件として受け入れさせたのです。言ってみれば私の不当な要求だった。結婚を解消した以上、彼女の身分、財産は旧に戻すのが筋です。それと彼女はもう私の妻じゃない、グリューネワルト伯爵夫人と呼びなさい」
「申し訳ありません」
俺が注意するとヒルダが頭を下げた。

胸を張って言えるぞ、俺はやましい事はしていない。領地だってそんな多くは無かった。ラインハルトの事を想ってだろうが無欲で害のない女に徹していたようだ。本人の性格も有るだろうがな。大体それが何で俺がエリザベート、サビーネと結婚したがっているという事になるんだ?

「それと閣下は伯爵夫人に資金の援助もされています」
「援助じゃありません、慰謝料を払ったのです。それにあれは私の預金から彼女に譲ったもの、帝国政府が彼女に払ったわけではない。公私混同などしていませんし依怙贔屓もしていませんよ」
「もちろん、それは分かっています」
慌てたようにヒルダが答えた。段々不愉快になって来たな、一体何が言いたいんだ? はっきり言え! 怒鳴りつけてやろうか。

「貴族達の多くは閣下が上から押付けられた伯爵夫人を離縁した、そう思っていました。爵位、所領、それに資金の援助も伯爵夫人が離婚の条件としてそれを望んだと思っていたのです」
「馬鹿馬鹿しい、彼女はそんな人間じゃない!」
反吐が出そうだ、馬鹿共が何を考えている。向かっ腹が立ったがヴァレリーが“閣下”と声をかけてきたので慌てて抑えた。いかん、少し興奮したか。皆、気不味そうな表情をしている。

「それで、どうしたのです、フロイライン」
俺が先を促すとヒルダが“はい”と小さな声で答えた。なんだかな、俺ってそんなに暴君か?
「先日のパーティーで閣下はヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫人とグリューネワルト伯爵夫人の事をお話になられました」
「……」

話したよ、必要以上に彼女の立場を悪くさせることは無いからな。喧嘩別れしたんじゃないって周囲には教えておかないと。いかん、赤のショルダーバックを想い出した。そしてセピア色の後ろ姿……。ここは元帥府の執務室だ、宰相府の執務室じゃない! 想い出すな!

「その事でお二人が喧嘩別れしたのではない、閣下は今でも伯爵夫人に好意を持っている、貴族達はそう思ったのです。そしてヴェストパーレ男爵夫人達の応対から伯爵夫人も閣下の事を嫌っていないと思った」
「……」
なるほどな、段々分かってきた。まあ続きを聞こうか。

「お互いに嫌っていないのに離婚した。貴族達はお二人の離婚は偽装離婚ではないかと疑っているのです」
溜息が出た。何を考えている……。
「つまり離婚した理由は私が皇族と婚姻関係を結びたがっているからだという事ですか。伯爵夫人もそれに協力していると」
俺が答えるとヒルダが“その通りです”と言って頷いた。

「皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世陛下を廃しフロイライン・シュテルンビルト、フロイライン・ノルトリヒトのどちらかを女帝とする。そして私は女帝夫君として帝国を支配する。伯爵夫人が爵位、領地を返還されたのはそれへの協力に対する代償という事ですか、馬鹿馬鹿しい」

ウンザリした。俺はエルウィン・ヨーゼフ二世を廃立する、だが皇帝になるときは自らの力で皇帝になる、ゴールデンバウムの血など必要としていない。ゴールデンバウムの血に頼ればそれだけ旧勢力に配慮しなければならなくなる。それでは内乱に勝ち残った意味が無い。俺がシュテルンビルト、ノルトリヒトを優遇するのは国内統治に役立てるためだ。

「御不快になるのは承知の上で申し上げます。一部には結婚後、伯爵夫人を愛人とされるのではという声も有るのです」
「馬鹿な! 度し難いにも程が有る!」
貴族ってのは血にしか関心が無いのか? それしか誇るものが無いのか……。ルドルフの馬鹿が血に拘るからだ、だから貴族達も血に拘っている。

罵ってばかりもいられないな、アンネローゼとの離婚はタイミングが悪かった。連中の価値観からすれば俺の行動は疑ってしかるべきものだったのだ。また溜息が出た。権力者って結婚どころか離婚するのも自由にならないんだな、まったくウンザリする……。

「アンスバッハ准将、シュトライト准将。もうお分かりかと思いますが私の離婚はあくまで私個人の問題です。シュテルンビルト、ノルトリヒト両子爵家には関係ありません。そちらとの約束を違えることは有りません。両子爵夫人にはそう御伝えしてください」
俺が答えるとアンスバッハとシュトライトが恐縮したような表情で頷いた……。



帝国暦 488年 10月 7日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



アンスバッハ、シュトライト准将が帰った後、最高司令官閣下はまた決裁作業に戻った。でも明らかに最高司令官は怒っている、ムッとしながらサインをしている。まあ怒りの対象は私やフロイライン・マリーンドルフにじゃなくて貴族達に対してだから気にすることは無いんだけど……。でもちょっと気不味い、それに空気がとっても重い。

確かに皆不思議に思っている、離婚した奥さんに手厚すぎるって。最高司令官はベーネミュンデ侯爵夫人の事件の所為で酷い怪我をしている。あの事件にグリューネワルト伯爵夫人は直接は関係ない、だけど無関係とも言えない。最高司令官に責められても仕方のない立場と言える。

離婚したっておかしくは無いし何の補償無しで追い出しても誰も非難はしないと思う。それなのに爵位と所領の返還、それに慰謝料二百万帝国マルク、……有り得ないわ。これじゃどう見たって最高司令官の方に非が有る様にしか見えない。私が最高司令官の母親なら“あんた馬鹿じゃないの”と怒鳴りつけているところよ。

あのパーティーでヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫人と話していた事は殆どが伯爵夫人の事だった。元気にしてるか、困ったことは無いか、自分に援助できることが有ったら何でも言うように伝えて欲しい……。誰だって思うだろう、何で離婚なんかしたのかって。さっきだって伯爵夫人の事を言われると感情がモロに出た。普段の冷徹振りからはとても想像出来ない言動だった。誰がどう見ても最高司令官は伯爵夫人の事を想っているとしか見えない。

まあ人間なんだからそういう部分が有ってもおかしくは無い。それに誰かに当たり散らすわけでもないから許せる範囲だとは思う。でも身体も弱いのだし右半身が不自由なんだからプライベートで支えてくれる女性が必要よ。出来る事なら伯爵夫人とやり直した方が良いと思うんだけど……、どちらかが嫌っているというならともかくお互いに想っているんだから……。

「閣下、どうされるのですか?」
「……」
「このままではあの話が独り歩きしかねません。何らかの手を打つべきかと思いますが」
フロイライン・マリーンドルフが話しかけると最高司令官は決裁の手を停め、彼女に視線を向けた。

「何か良い手が有りますか?」
「……それは」
フロイラインが口籠った。
「手は二つしかない、私が結婚するか、あの二人が結婚するかです。私は結婚する予定は無いし恋人も居ない、あの二人は未だ子供です、当分無理ですね」

まあ政略結婚とかでもなければちょっと難しい、困ったものだと思っていたら最高司令官がフッと笑みを洩らした。
「まあ暫くはこのままでいましょう。あの二人と結婚する気は無いが不都合な噂では無い。それなりに利用できそうです」
あらあら、なんか悪だくみしている。離婚してから元気が無かったけどどうやら復活かしら……。


 

 

第四十八話 感情がモロ見えなんだよね




帝国暦 488年 10月 31日  フェザーン  帝国高等弁務官府  ラインハルト・フォン・ミューゼル



フェザーンの帝国高等弁務官府に着いて最初に行った事は帝国宰相兼帝国軍最高司令官へ着任の報告をする事だった。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル少将です。ただ今高等弁務官府に着任しました」
俺の報告にスクリーンに映った最高司令官は黙って頷いた。命令では十月三十一日までに着任せよ、となっている。十一月一日から俺は高等弁務官の首席駐在武官だ。

ぎりぎりの着任だ、やる気が無い、この人事に不満を持っている。向こうはそう思ったかもしれない、実際俺はこの人事に不満を持っている、否定はしない。だがヴァレンシュタイン最高司令官はそれについては何も言わなかった、不満そうな表情も浮かべていない。だがこの男くらい表情と腹の中が違う男はいない、リヒテンラーデ侯もエーレンベルク、シュタインホフ元帥もまんまと騙された。油断は出来ない。

『そちらの状況は? ミューゼル少将には高等弁務官府はどのように見えましたか?』
「着任したばかりですが規律が少し緩んでいるように見えました」
最高司令官が微かに頷いた。前任の高等弁務官レムシャイド伯は最高司令官が帝国の支配者になると職を放り捨てフェザーンで隠遁生活を送っている。トップが逃げ出したのだ、弁務官府の士気が下がり規律が緩むのは止むを得ないだろう。他にも何人か逃げ出した人間がいるようだ。

『基本的に人員の増員は出来ません。帝国は当分国内問題に専念する、分かりますね』
「分かっております」
帝国はフェザーンに関心を持っていない。周囲にそう思わせるためには増員は出来ない、当然だが入れ替えも無理だろう。つまり現有戦力で何とかしろという事だ。結構きつい任務になる、まずは職員の士気の回復から始めなければならない。キルヒアイスが居てくれれば……。

『最近帝国では面白い噂が流れています。ミューゼル少将も知っておいた方が良いでしょう』
「……はい」
教えてくれると言うのか、知りたくもないが相手が上司だと思えば無碍に断ることも出来ない、いやわざわざ教えるという事は任務に関わりが有るという事だろうか……。

『私が離婚した理由は皇族と結婚するためだそうです。シュテルンビルト子爵令嬢、ノルトリヒト子爵令嬢との結婚を考えているとか。ああ、シュテルンビルト子爵家というのは元はブラウンシュバイク公爵家、ノルトリヒト子爵家というのは、まあ説明するまでも無いですね』
「……」

聞いているのが苦痛なほど不愉快な話だった。姉と離婚したのはあの皇族である事しか取り柄の無い小娘と結婚するためだと言うのか……。
『怒りましたか?』
「……いえ、そのような事は」
『怒るのは未だ早いですよ、続きが有ります』
楽しそうな口調だ、俺を挑発して楽しんでいる、嫌な奴だ。

『いずれ私は皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世陛下を廃するそうです。そして自らが皇帝になるとか、……簒奪ですね。皇族との結婚はその為に必要なのだそうですよ。皇妃にして少しでも簒奪色を薄めるのだそうです』
なるほど、吐き気のする様な話ではあるが有りそうな話だ。しかし最高司令官は楽しそうに話している。馬鹿げた噂を面白がっているのか、それとも俺がどう反応するのかを楽しんでいるのか……。どちらも有りそうだ、性格の悪い奴だからな。

『この件にはミューゼル少将の姉君、グリューネワルト伯爵夫人も協力していると噂されています』
「姉が?」
思いがけない言葉だ。思わず俺が問い掛けるとヴァレンシュタイン最高司令官が頷いた。
『私が皇帝になった暁には彼女は私の元に寵姫として戻るのだとか。皇妃は居ますが所詮は形だけのもの、真の皇妃は伯爵夫人になるだろうと言われています。その為に離婚にも同意したのだと……』

「馬鹿な、姉はそんな事は」
俺が反駁しようとすると最高司令官が笑い声を上げた。
『噂ですよ、所詮は。それがどれ程あてにならないかは少将も理解しているでしょう』
「……」
『ですがその噂が事実となればミューゼル少将はまた寵姫の弟と呼ばれる事になりますね』

最高司令官は楽しそうな笑みを浮かべている。思わず拳を握りしめた。嫌な奴だ、目の前に居たらぶん殴ってやりたい。
『これから少将に多くの貴族、フェザーン人が接触してくると思いますが必ずその事を言うでしょう。憤慨するか、それとも自慢するか、どちらを選ぶかは少将が決めれば良いでしょう。ですがあまり感情的にならない事です、冷静にね……』
「分かっております」

分かっているさ、分かっているとも。これを上手く利用すれば貴族達を油断させる事も引き寄せる事も出来るって事はな。噂もあんたが流したんだろう、この根性悪のロクデナシが。姉上は騙せても俺は騙せんぞ。最高司令官がクスッと笑った。まさか、俺の思いに気付いたのか?

『自由惑星同盟のヘンスロー弁務官と接触しなさい』
「ヘンスロー弁務官ですか?」
反乱軍の動向を探れという事か? 何か動きが有るのだろうか、亡命した貴族達の事だろうか、或いは反乱軍は出兵を考えている?

『ヘンスロー弁務官はアドリアン・ルビンスキーの飼い犬です。餌は酒と女。彼を上手く利用すれば彼からルビンスキーに少将の事が伝わるでしょう。ルビンスキーが少将に関心を持てばフェザーン自治領主府の誰かが少将に接触してくるかもしれない』
「……」

最高司令官が含み笑いを漏らした。ぞっとするような笑いだ、この男は根っからの陰謀家なのだ、誰かを操り陥れる事に喜びを見出している。姉上が離婚した事は正解だった。それなのに何でこんな奴を庇うのか、騙されているとしか俺には思えない。

それにしてもヘンスローを使って反乱軍を利用するのは無理だな、精々フェザーンの黒狐を引き付ける道具が良いところか……。
『何と言っても現状に不満を持つ元義弟と言うのは利用しやすい存在ですからね、可能性は十分に有るでしょう』
元義弟と言われるだけで吐き気がする。

『私は年内に捕虜交換を反乱軍に提案するつもりです、交換自体は来年になるでしょうね。交渉はフェザーン経由ではなくイゼルローン要塞経由で行います。既に使者も出してある。つまりミューゼル少将を信用していない、当てにしていないという事です』
「……」
俺を信用していないというのは半分以上本心だろうな、不愉快な奴だ。気に入らない、俺をコケにして喜んでいる、嘲笑っている。

『材料は差し上げました、上手く利用してください』
「はい」
手助けしてくれるというわけだ。これで失敗したら役立たずの阿呆、そういう事だな。失敗は出来ない、しかしどういうスタンスを取ればいいのか……。正直頭が痛くなってきた。



宇宙暦797年11月 25日  ハイネセン  ジョアン・レベロ



「イゼルローン要塞に帝国から使者が来たそうだ」
「帝国から使者が来た? どういう事かな? レベロ」
周囲を見たが幸い人は居ない。だが声を低めて話しかけた。
「捕虜を交換したいという事らしい」
チラッとホアンは私を見たが直ぐに鹿肉のローストを一口食べた。咀嚼しながら“フム”と声を出した。

「レベロ、この店の鹿肉料理は絶品だな」
「それについては全く同意する、異議無しだ」
レストラン白鹿亭の鹿肉料理はハイネセンでも有名だ。
「それで、その情報は何処から出たんだ。初めて聞く話だが」
ホアンも声を低めている。お互い財政委員長、人的資源委員長を辞めてから情報を得辛くなっている。彼が訝しむのも無理はない。

「ビュコック司令長官からだ。シトレが退役する時、政治家にも知り合いがいた方が良いと私との間を取り持ってくれたんだ。それ以来色々と話をしている」
「なるほどな、という事はその情報は真実という事か」
「そういう事だ、今も交渉中らしい」
ホアンが驚いた様な表情を見せた。

「……それは、現在進行中と言う事か。……驚いたな、例の出兵で潰れたと思っていたが」
「私もそう思っていたが生きていたようだ。勝ったのは帝国だからな、余裕が有るのだろう」
「なんとも羨ましい話だな、レベロ」
「羨ましい話だ」
ホアンが二度、三度と頷いた。そしてちょっと考えるそぶりをした。

「フェザーンではなくイゼルローン要塞か。交渉の窓口は軍という事だな……」
「それが違うらしい」
「違う?」
「相手は帝国宰相の委任状を持っているそうだ」
ホアンが驚いたような表情を見せた。帝国は同盟を国家として認めていない。それなのに軍では無く政府が前面に出てきた、ホアンにとっても予想外の事だったようだ。

「政府、という事か……」
「人は同じだがな」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン……」
「うむ」
帝国宰相兼帝国軍最高司令官、政軍のトップ、つまり帝国そのものと言って良い人物が敢えて帝国宰相として捕虜交換を提案してきた……。

「気に入らんな」
「確かに気に入らない、いや引っかかると言うべきかな」
ホアンが私の言葉に頷いた。
「しかし公表されていない、例の出兵が響いているのかな」
「まあそうだろう、ネグロポンティの首を切ってようやく落ち着いたところだ、政府としては余り触れられたくないところだろうな」
「癒えかかった傷口に塩を擦り付けられるようなものか、痛みで飛び上がりかねんな」

国防委員長ネグロポンティの辞任で例の出兵失敗の幕引きを図ったが政府の支持率は間違いなく低下した。トリューニヒト最高評議会議長の手腕にも疑問を投げかける声が上がっている。それでもようやく落ち着いてきた。そんなところに捕虜交換だ。ホアンの言う通り、癒えかかった傷口に塩を擦り付けられるようなものだ。

「公表しないのには他にも理由が有る」
「……というと?」
「出兵の件、帝国は同盟政府に謝罪しろと要求しているらしい」
「それは……」
ホアンが絶句した。そして鹿肉のローストを一切れ口に入れた。ゆっくりと咀嚼しながら何か考えている。

「他に条件は?」
ホアンが更に声を低めて訊いて来たが私が首を横に振ると“無いのか?”と言って顔を顰めた。
「使者はイゼルローン要塞で同盟政府の回答を待っている。もう二日になるそうだ」
ホアンが唸り声を上げた。

「政府は回答を出せずにいる、そういう事だな」
「一度は金で解決しようとしたらしい」
「金で? 金で謝罪するという事か」
「こちらの方が返還してもらう捕虜が多い。帝国に対しては謝罪金だが国内に向けては多く返して貰う分の代償だと説明するつもりだったようだ」
ホアンが“姑息な”と呟いた。

「帝国側は受け入れなかったんだな?」
「一顧だにしなかったそうだ」
「あくまで謝罪を要求してきたか……」
「うむ」
ホアンが難しい顔をして“うーん”と唸った。二人ともナイフとフォークを持ったまま動かそうとしない。

「こちらに非が有ると認めさせようとしているわけだな……」
「政府としては受け入れがたいところだ。受け入れればまた政治的混乱が発生するだろう」
「確かにそうだな。……それが狙いかな?」
ホアンが首を傾げている。
「可能性は有るだろう。油断出来ない相手だ、これまで何度も煮え湯を飲まされてきた」
ホアンが私を見た。私が頷くとホアンも頷いた。

「どうするつもりだ?」
「帝国側の使者は交渉時間は四十八時間だけだと言っている」
「四十八時間? まさかとは思うが時間切れを狙っているのか?」
「かもしれない。交渉は纏まらなかった、時間が足りなかった、そういう事にしたいのかもしれん……」
「しかしそうなれば捕虜交換は……」
ホアンが口籠った。じっとこちらを見ている。

「帝国の使者が妙な事を言ったらしい」
「妙な事?」
「ヴァレンシュタイン元帥が帝国の実権を握って以来、帝国では捕虜の待遇を改善しているようだ。その経費が馬鹿にならないらしいな」
ホアンが眉間に皺を寄せた。

「では帝国が交換を提案してきたのは……」
「経費削減、それも有るのかもしれない」
「考えられなくは無いな……」
ホアンの言う通り有り得る話ではある。同盟側も捕虜の扱いには困っているのが現状だ。しかも抱える捕虜の数は帝国側の方が圧倒的に多い。

「政府はここで交渉を蹴っても再度帝国は交渉をしてくるだろうと踏んでいるようだ」
「なるほど……」
「引き延ばせば謝罪では無く金銭、或いは何のペナルティも払う事無く捕虜交換が成立するかもしれないと考えている」
私が言い終わるとホアンが首を横に振った。

「そう上手く行くかな。君はどう思うんだ?」
「ビュコック司令長官には謝罪して一日も早く捕虜交換を実施した方が良いと言ったよ。君の言う通り、そう上手く行くとは思えない。傷を負うなら出来るだけ浅手にすべきだ」
「……」

「しかし政府は傷口に塩を擦り付けられるんじゃないかと恐れているようだ。残念だが大胆な行動が出来る様な状況じゃない、まず受け入れられる事は無いだろうな」
ホアンが溜息を吐いた……。ホアン、溜息を吐かないでくれ、気が重くなる。

政治家は支持率に気を取られ上手に負ける事が出来なくなっている……。昨年の帝国領遠征があそこまで酷い結果になったのも負け方が下手だからだ。シトレはあの遠征が失敗に終わると分かっていた。だから自ら指揮を執る事で最小限の傷で終わらせようと考えていた。上手に負けようと考えていた、それなのに……。

嫌な予感がする、今回の政府の判断も気付かないうちに下手な負け方を選んでいるんじゃないだろうか……。ホアンだけじゃない、私も溜息を吐いていた……。


 

 

第四十九話 本当は臆病だったのかも


帝国暦 488年11月 28日  オーディン 宰相府   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



『交渉は物別れに終わりました。今はイゼルローン回廊を抜けて辺境星域に達したところです』
「御苦労様でした、シャフハウゼン子爵」
俺が労うとシャフハウゼン子爵はホッとしたような表情を見せた。安堵感一杯、そんな感じだな。

『御指示通り、こちらは反乱軍の謝罪を求めましたが反乱軍はそれを拒否しました。出来れば金で決着を図りたいと……』
「まあ向こうにしてみればそんなところでしょうね。捕虜の待遇改善で経費が馬鹿にならないという事は言って頂けましたか?」
『もちろんです、さりげなく言えたとは思いますが……』
あらあら自信無さげだな、まあ良いか。

「御苦労様でした、シャフハウゼン子爵。無理なお願いを聞いて頂けた事、感謝しています。ヘルクスハイマー伯が強奪したハイドロメタル鉱山の採掘権、約束通りすべて子爵にお返しします」
『有難うございます、宰相閣下』
今度はニコニコの恵比寿顔だ。

「但し、税は払って貰いますよ」
『もちろんです。しかし、宜しかったのですか? 交渉は決裂したのですが……』
「良いのです、反乱軍がこちらの要求を受け入れてくれれば一番良いのですが、決裂しても交渉したという事実が残ります。今回はそれが欲しかったのですから」

“そうですか”と言ってシャフハウゼン子爵は不得要領顔で頷いた。気にしなくて良いんだよ、予定通りだからな。気を付けて戻って来るようにと言って通信を切った。ヴァレリーにクレメンツと連絡を取るように頼むと直ぐに繋がった。スクリーンにクレメンツが映る。
『クレメンツです、何事でしょうか?』
「シャフハウゼン子爵の交渉ですが決裂しました」
クレメンツが微妙な感じで眉を片方上げた。

『では?』
「予定通りにお願いします」
『了解しました。ルーディッゲ大将、ルックナー大将とともにイゼルローン要塞に向かいます』
「宜しくお願いします、十分に注意してください」
『はっ』
まあ、クレメンツなら大丈夫だろう。イゼルローン要塞に着くのは年が明けてからかな。来年は始まりから忙しい年になりそうだ。

「宜しいのですか?」
「何がです、フロイライン」
ヒルダが俺の顔色を窺っている。
「シャフハウゼン子爵にハイドロメタル鉱山の採掘権を返還すると子爵夫人がグリューネワルト伯爵夫人に近いからだと噂が出ます。例の噂の信憑性が高まってしまいますが……」

煩いな、良いんだよ。これが噂になってフェザーンに届けばラインハルトの価値は上がるじゃないか。餌に食いつかせるためには餌を美味しそうだと思わせなければならないんだ。
「構いません、ヘルクスハイマー伯が強奪したものをシャフハウゼン子爵に返しただけです。仕事もお願いしましたからね、それに対しては代価を払わないと。……ただ働きが好きという人は何処にもいません」

あそこは奥さんが平民だから結婚する時に大分散財している。おまけに今度は税も取られるし頭が痛いだろう。大体ヘルクスハイマーが死んだ後、その財産が国に返還されるならともかくリッテンハイム侯爵家の物になってるのはおかしいだろう。門閥貴族ってのは本当にやりたい放題だったな。あと五十年、連中の天下が続いたらシャフハウゼン子爵家なんて潰されていたかもしれない。

鉱山の採掘権が戻ればシャフハウゼン子爵家も少しは楽になるはずだ。それに他の貴族達も政府に協力すればそれなりに恩恵が有ると分かれば協力的になるだろう。シャフハウゼン子爵には採掘権を返還したが他の貴族は勲章の授与と褒賞金で解決だな。勲章の授与の回数が或る一定の回数に達すれば爵位を上げても良い、いやそれも褒賞金で解決するか、喜ぶだろう。もっとも役に立つ貴族がいるかどうか、そこが問題だが……。

「しかしシャフハウゼン子爵も言いましたが反乱軍との交渉はまとまりませんでした」
「まとめる気が有りませんでしたからね、そのためにシャフハウゼン子爵を選んだんです」
シャフハウゼン子爵は臆病な善人だ。決して自己主張の強い人物ではないし交渉の上手な人間でもない。俺が命じた事だけを忠実に果たしてくれた、というよりそれ以外は出来なかった。

同盟側も首を捻っただろう、交渉者としては全くの不適格者な人物を出してきた、帝国は本気で捕虜交換を纏める意志が有るのかと疑問に思ったに違いない。おそらく今回の交渉は予備交渉みたいなものと思っただろう。だが交渉者が誰であろうと帝国宰相の代理人なのだ。そして条件を拒否したのは同盟だ、責任は同盟政府に有る。

ヒルダが俺を見ている。感心しない、そんな感じだな。依怙贔屓だと思っているようだ。
「ミューゼル少将の件も有ります、少しは援護してあげないと」
俺が言うとヒルダがなるほどというように頷いた。ヴァレリーは無言だ、何を言っているのか分からない筈だが問い掛けてこないのは必要と有れば俺が話すと思っているのだろう。煩くない女ってのは良いよな。

「フロイライン・マリーンドルフ」
「はい」
「私は統治に有効だと思うからシュテルンビルト、ノルトリヒト子爵家を優遇しています。しかし彼らの身体に流れる血には権威など認めていない。だから私が彼らとの政略結婚を望むなど有り得ません」
ヒルダの顔が少し強張った。

分かったか? 俺はゴールデンバウムの血に権威など認めないし敬意など払わないと言ってるんだ。当然だがエルウィン・ヨーゼフ二世にも権威など認めないし敬意も持たない。権威か……、必要な時も有れば不必要な時も有る、そして時によっては作り出す事も……。俺は今それを捨てようとしている。

「フロイライン・マリーンドルフ、フィッツシモンズ准将、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは何故自らを神聖不可侵なる銀河帝国皇帝と称したと思います?」
俺が問い掛けるとヒルダは困ったような、ヴァレリーは訝しげな表情を見せた。あ、呼び捨ては拙かったかな、まあいいか。

「フロイラインには答え辛いかな。准将、如何です?」
「権力を得て思い上がったから、傲慢になったから、同盟ではそう言われています」
そうだろうな、同盟市民ならそう思うに違いない、当たり前の事だ。だが帝国臣民にしてみればルドルフを非難するのは難しい。

「閣下は如何思われるのです?」
ヒルダが問い掛けてきた。好奇心、だけではないだろう。将来俺がどんな皇帝になろうとしているのか、どんな政治体制を目指すのか、それを示す手がかりになると思っているのかもしれない。

「私も思い上がりから、傲慢になったからだと思っていました」
「思っていました? では今は違うのですか?」
ヴァレリーが不思議そうな表情をしている、ヒルダも同様だ。どうやら彼女もルドルフは思い上がりから、傲慢から神聖不可侵を唱えたと思っている様だ。本当にそうなら楽なんだがな、ルドルフを軽蔑するだけでいい。

「今は違うかもしれないと思っています」
「……」
「彼は元々は銀河連邦の一市民でしかありませんでした。当時の銀河連邦は民主共和政による統治を行っていましたが民主共和政は衆愚政治と化し政治的、社会的混乱は酷いものになっていました。准将ならその辺の事は良く知っているでしょう」
俺が言うとヴァレリーが頷いた。

「彼は首相になり本来なら許されない国家元首を兼任し終身執政官になりました。そして神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝になった。もし終身執政官で止めておけば多少の批判は有っても連邦を再生させた大政治家として称えられたと思います。それなのに何故銀河連邦を廃し銀河帝国を創立したのか、何故神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝になったのか……」
ヴァレリーもヒルダも困惑している。

「何故ルドルフは一線を越えたのか? ただの野心、虚栄心がその理由だったとは思えないのですよ……。彼を皇帝にしたのは連邦市民でしたが彼の周辺には大勢の協力者がいた、彼と共に国家を健全な姿にしようとした人達です。何故彼らは連邦を裏切るような行為をしたルドルフに協力したのか……。騙されたのだとは思えません、知っていて協力したのではないか、私はそう思うのです」

新説だな、ヴァレリーもヒルダも驚いている。無理もない、当時の政治指導者達が皆で銀河連邦を裏切った、いや民主共和政を捨てた、俺はそう言っているのだ。だが自分が権力者になってみるとルドルフを簡単に非難出来ないんだ。或いは俺はルドルフじゃなくて自分を弁護しているのかもしれないが……。

「彼らが恐れ、憎んだのは何だったのか? 分かりますか?」
俺が問い掛けるとヴァレリーとヒルダが顔を見合わせたがおずおずとヴァレリーが答えた。
「……衆愚政治の復活、でしょうか」
「そうですね、衆愚政治だけとは限りませんが政治的、社会的混乱だと思います」
俺が肯定すると二人が頷いた。

「彼らは銀河連邦末期の政治的、社会的混乱をルドルフ・フォン・ゴールデンバウムというカリスマの出現によって解消し安定させることが出来ました。但しそれは本来なら許されない首相と国家元首の兼任、そして終身執政官というこれも本来なら有り得ない役職を創設しての事です。言ってみれば非合法な手段によってルドルフに権力を集中させ政治的、社会的安定を作り出した、それ無しでは為し得なかった……。その事は誰よりも彼ら自身が分かっていたのだと思います」
「……」

フリードリヒ四世が似た様な事を考えている。門閥貴族、政府、軍、身動きできない中敢えて後継者を決めずに内乱を誘発した。そうする事で唯一無二の権力者を作り出した。絶対的な権力を持つ人間を作り出す事でしか帝国を再建できないと考えた……。

民主共和政は一人の人間に権力を集中させない政治制度だ。複数の人間、組織に権力を分かち与え互いにチェックさせる事で権力の暴走を抑えている。しかしそれだけに思い切った政策が採り辛い、大胆な改革がし辛い制度でもある。衆愚政治に陥った銀河連邦がルドルフ無しではそこから抜け出せなかったのも止むを得ない事だったともいえる。

「もしルドルフ亡き世界において衆愚政治、いや衆愚政治だけではありませんが政治的、社会的混乱が発生したらどうするか? 彼らはその事を悩んだと思います。混乱収拾の方法は有ったのです、もう一度首相と国家元首の兼任を認めるか、終身執政官を作り出せば良い。しかし、両方とも非合法な手段です。彼らは連邦市民がそれをもう一度許すかどうか確証が持てなかった。そしてルドルフ程のカリスマ性に溢れた人物が、連邦市民の支持を得られる人物がその時に現れるという希望も持てなかった……」

皮肉だった。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが強力なリーダーで有れば有るほど、終身執政官という職が有効であればあるほど当時のルドルフとその周囲は本来あるべき政治体制、首相と国家元首の分離、つまり権力と責任の分散に疑問を抱かざるを得なかっただろう。それは衆愚政治の温床ではないのだろうかと……。

「最終的に彼らが選んだ道は現在の政治体制を常態化させる事だったのだと思います」
「……それが銀河帝国の成立ですか……」
ヒルダが呟いた。ヴァレリーは溜息を吐いている。
「私はそう思います。彼らに野心が無かったとは言いません。しかし野心や虚栄心だけで帝国を創ったのではないと思うのですよ」

俯いて考え込んでいたヴァレリーが顔を上げた。
「……帝国を創りださなくても終身執政官を常態化する事で対応は出来なかったのでしょうか?」
「最初はそれを考えたでしょうね、しかし彼らはそれを諦めざるを得なかったのだと思います」

「何故でしょう?」
「終身執政官には独裁の臭いと非常時の職というイメージが有ります。合法化には強い反発が出たでしょう。例え終身執政官という役職を合法化しても常態化は認められなかったと思います。そして非常時において終身執政官になろうとしても強い反発が出たはずです。無意味なものになりかねなかった」
「なるほど」

「民主共和政を維持しようとすれば権力を分散しなければならない、終身執政官は常態化しない。それは政治的、社会的安定の維持においてリスクを背負うという事ではないのか。ならば民主共和政ではなく別な政体、つまり君主独裁政により政治的、社会的安定の維持を図るべきではないのか、彼らはそう考えたのだと思います」

皇帝になったルドルフは直ぐには貴族階級を作り出してはいない。彼が貴族階級を作り出したのは劣悪遺伝子排除法を発布した頃、帝国歴九年頃からだ。ルドルフの周囲が権勢や虚栄心から帝政を推し進めたのなら貴族階級の成立はもっと早くていいはずだ。ルドルフが帝国歴九年頃から貴族を作り出したのはそうではない事を示していると思う。

では何故ルドルフは貴族階級を作り出したか? 切っ掛けは劣悪遺伝子排除法だが理由はやはり帝政の維持に有ると思う。この悪法が発布された時、共和政政治家達がルドルフに非難を浴びせている。ルドルフにとっては彼らが自分では無く帝政そのものを非難しているように思えたのだろう。

議会を永久解散し貴族階級を作ったのは連動しているのだ。帝政の敵を潰し帝政を守る組織を作る、そういう事だったのだと思う。全ては帝国の安泰、いや正確には政治的安定と社会的安定のためだとルドルフは考えたに違いない。俺の思うルドルフは傲慢で思い上がった男ではない、むしろ臆病な男ではなかったかと思う。だからこそ政敵の弾圧に熱中せざるを得なかった……。

女性二人がウンウンと頷いていたがヒルダが“神聖不可侵と唱えたのは何故でしょう”と質問してきた。
「自信が無かったのだと思いますよ。彼らは自分達が連邦市民を騙したのだと理解していた。ルドルフの死後も帝政を続けるには自分達の正当性を唱える事が必要だと思っていたのでしょう。そうする事で連邦市民から帝国臣民になった国民に対して帝政を否定する事は間違いなのだと思い込ませようとしたのだと思います」

俺が答えると二人ともちょっと呆れた様な顔をした。そんな顔をしなくても良いだろう、ルドルフにとっては自己神聖化は虚栄では無く義務だった。度量衡の単位を変えようとしたのもそれが理由だとしたら、悲劇と取ればいいのか喜劇と取ればいいのか、俺にはとても判断できない。

だが少なくともゴールデンバウムの血による帝政の維持は五百年に亘って有効だった。時に皇位継承を巡る争いが有ったとはいえ帝国はゴールデンバウムの血の元に五百年間維持されてきたのだ。分裂する事も無ければ崩壊する事も無かった。様々な貴族、軍人が権力を得て専横を振るったが彼らは皆ゴールデンバウムの血の下で専横を振るったに過ぎなかった、皆が皇帝の権威を必要としたのだ。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの唱えた神聖不可侵はそれなりに有効だったと言って良い。

俺はゴールデンバウムの権威など必要としない。問題はその後だ、新たな権威をどうやって作り出すか……。神聖不可侵とか唱えるのは御免だな、もっと別な形で権威を作り出す必要が有る。その事が俺の作る王朝の性格を決めるはずだ……。




 

 

第五十話 誠心誠意嘘を吐く



帝国暦 488年12月 5日  巡航艦 ツェルプスト  ジークフリード・キルヒアイス



「先行する駆逐艦ラウエンより入電。異常無しとの事です」
「うむ、了解と伝えろ」
艦長席に座って副長のルイ・フェルム少佐とオペレーターの遣り取りを聞きながら何でこんなに暇なのだろうと私は考えた。

「キルヒアイス司令、異常無しとのことです」
「分かりました」
私が第一巡察部隊司令として任務について以来、特に問題も無く単調な毎日が続いている。良いのだろうか、こんな事で……。ラインハルト様は一体何をしておられるのか、フェザーンで苦労されているのでは……。

暇なのはおかしな話では無い。第一巡察部隊が巡察するのは、ヴァルハラ、カストロプ、マリーンドルフ、マールバッハ、ブラウンシュバイク、フレイアの帝国の中心部だ。内乱の所為でブラウンシュバイク、フレイアの治安が多少乱れていると聞くが辺境に比べればはるかに治安は良い筈だ。トラブルは今のところ何も無い。

第一巡察部隊は四隻の艦で編成されている。巡航艦ツェルプスト、駆逐艦ラウエン、同じく駆逐艦オレンボー、軽空母ファーレン。いずれも新鋭艦ではないし新造艦でもない。艦齢二十五年を超え三十年に達しようという艦ばかり、私が生まれる以前から存在する廃艦寸前の老朽艦達だ。

帝国は慢性的に反乱軍と戦争状態にある。毎年二回は戦争をしている。そんな状況で艦齢二十五年を超えた。良く生き残ったとは思うがもう前線で使う事は出来ない。廃艦にするか国内の警備ぐらいにしか使い道は無い、巡察部隊に来るべくして来た艦だと言える。つまり巡察部隊は廃艦寸前の老朽艦が集まる場所なのだ。

艦齢二十五年以上の老嬢達で編制された第一巡察部隊。ヴァレンシュタイン最高司令官の命令で私は宇宙艦隊司令部からそんなところに異動させられた。正式辞令は巡航艦ツェルプスト艦長兼第一巡察部隊司令……。最高司令官も一度務めた事が有る、勉強になった、楽しかったと言っているとアンネローゼ様から伺った。確かに副官ばかりの私には始めての任務だ、それなりに得るところは有る。しかし楽しい? 毎日が同じ一日で退屈だ。露骨な左遷人事としか思えない。

おまけに私の巡察担当範囲を思えば、最高司令官の考えはもっとはっきりするだろう。昇進に値する武勲など与えない。ずっと巡察をしていろ、そんなところのはずだ。最高司令官は私を嫌っているのだ。いや、正確に言えば私とラインハルト様を嫌っているのだ。私達を宇宙艦隊司令部から叩き出しアンネローゼ様も叩き出した。

それなのにアンネローゼ様は最高司令官を庇うかのような発言をする。離婚の条件が良かった事で感謝しているのかもしれないがそんな必要は無いのだ。領地は帝国政府からの返還だしお金だって最高司令官は元帥なのだから年額二百五十万帝国マルクもの大金が支給されている。案外金で片が付いたとホッとしているのかもしれない。

噂ではアンネローゼ様は帝国宰相の執務室から出てきた時、泣いておられたとか……。それに対して最高司令官は動じる事なく仕事をしていたそうだ。短期間でも夫婦で有ったのに、ましてアンネローゼ様を妻としていたのに、何の愛情も持たなかったのだろう……。冷酷非情な権力の亡者なのだ、最高司令官は。多分、例の子爵令嬢達と結婚するのだろう。

先行きに展望が見えない、もしかするとずっとこのままだろうか……、思わず溜息が出た。
「退屈ですか、キルヒアイス司令」
ルイ・フェルム少佐が私を見ていた。彼の表情にはこちらを咎めるような色は無かった、内心でホッとした。彼には随分と助けられている、不愉快な思いはさせたくない。

「そういうわけではありませんが……」
「まあ異常が無いというのは良い事ですよ」
そう言うとルイ・フェルム少佐が笑い声を上げた。
「そうですね、そう思わなければ……」
溜息が出そうになるのを慌てて堪えた。

「昔は臨検に抵抗した商船も有ったそうです。トラウンシュタイン産のバッファローの毛皮の密輸事件、御存じでしょう?」
「知っています、最高司令官閣下が摘発した事件でしょう」
私が答えると少佐が頷いた。

「あの一件、ビーレフェルト伯爵が黒幕で商船の船長はそれを盾にかなり抵抗したそうです。まあ表沙汰になればとんでもない事になります、必死だったんでしょう。しかし最高司令官に手酷くとっちめられて最後は泣きながら謝ったそうですよ」
「……そうですか」
性格が悪いのは昔からなのだ。人を追い詰め痛めつける事に何の痛痒も感じないのに違いない。いやむしろそれを楽しんでいる。

「そういう情報は直ぐ広まります。巡察部隊の臨検に抵抗するような商船は有りません」
「なるほど……」
「まして今は貴族は没落したと言って良い状況ですからね。後ろ盾になる存在が無くなりました。抵抗など到底無理ですね」
つまり武勲を上げる機会等全くないという事か……。当分、いやずっとこのままかもしれない……。また溜息が出そうになった。



宇宙暦798年 1月 15日  イゼルローン要塞司令室  ヤン・ウェンリー



「内乱が終わってそれほど経っていません、にもかかわらず出兵してくるとは……」
「余裕が有るのだろう、戦力は三個艦隊ほどらしい。その程度なら無理なく出兵出来るのだろうな」
「こちらとはえらい違いですな」
「全くだ」

提督達が話している。宇宙艦隊司令長官ビュコック元帥、第一艦隊司令官カールセン中将、第六艦隊司令官チュン・ウー・チェン中将、そしてイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官ウランフ中将……。昨年の十二月の初旬、フェザーンから帝国軍三個艦隊がイゼルローン要塞に向けて出兵したと連絡が有った。今度こそ負けるわけにはいかない、同盟軍は万全の態勢で待ち受けている。

確かに帝国軍が出兵してくるとは思わなかった。最低でも年内は国内の安定に努めると思ったのだが……。どうやら帝国はこちらの予想以上に国内が安定しているようだ。或いは司令長官達が話しているように三個艦隊なら国内状況に関係なく出兵出来るという事か……。

帝国宰相兼帝国軍最高司令官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、戦争だけでなく内政も出来るらしい。彼は帝国内で改革を行っているが極めて開明的なものだと同盟にも伝わってきている。帝国は彼の下に軍だけでなく民衆も纏まりつつある……。

今回帝国軍を率いているのはヴァレンシュタイン総司令官では無いらしい。あくまで今回は小手調べ、そんなところだろうか。或いはこちらへの威圧が目的かもしれない。自分が前線に出なくても帝国軍はそれなりの戦果を上げる事が出来る……。いや自分が出ないと帝国軍は勝てない、そう将兵に思わせて自分への信頼を厚くさせる……、どちらも有り得る事だ。

「哨戒部隊から連絡が入りました! 帝国軍と接触、兵力、約五万! 約八時間後には要塞からも目視出来ます!」
上ずった様な声でオペレーターが報告すると皆が顔を見合わせた。五万隻、フェザーンからの通報通り帝国軍は三個艦隊を動かして来たらしい。司令室の空気が変わった、皆が緊張している。

「如何しますか?」
ウランフ提督が問い掛けると司令長官は少しの間考えるそぶりを見せた。
「ウランフ提督は要塞に残って欲しい、他の部隊は出撃する。要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内で帝国軍を待ち受けよう」
司令長官の言葉に異論は出なかった。帝国軍を要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内に引き摺り込んで一撃を与える。先ずはオーソドックスに対応する様だ。



宇宙暦798年 1月 15日  同盟軍総旗艦 リオ・グランデ  ヤン・ウェンリー



八時間後、要塞付近で待ち受ける同盟軍の目の前に帝国軍の艦隊が現れた。確かに大きな艦の集まりが三つ有る、三個艦隊か……。兵力ならこちらは四個艦隊、約六万隻に近い。イゼルローン要塞防衛の利点も入れれば戦力差はさらに開くだろう。帝国軍は一体どう出て来るか……。

「帝国軍から通信が入っています」
帝国軍から? オペレーターからの報告にビュコック司令長官とオスマン総参謀長が顔を見合わせた。直ぐに司令長官が“繋いでくれ”と指示を出した。スクリーンに帝国軍人が映った。金の肩章と緑色のマントを身に付けている。帝国元帥だ。

『帝国元帥、アルベルト・クレメンツです』
「同盟軍宇宙艦隊司令長官、アレクサンドル・ビュコック元帥です」
司令長官が名乗るとクレメンツ元帥が頷いた。アルベルト・クレメンツ元帥、三十代半ばくらいか。平民でありながら若くして元帥になった、ヴァレンシュタイン体制ならではだろう。

『先ず申し上げる。帝国軍はそちらを攻撃する意思は有りません』
「攻撃する意思は無いと……」
『いかにも、ここには交渉のために来ました』
クレメンツ元帥は妙な事を言いだした。どういう事だ、皆顔を見合わせている。

『捕虜交換、それを交渉したい』
艦橋がざわめいた。捕虜交換?
「交渉にしては随分と大軍だと思いますが?」
『已むを得ません、こちらは三百万の捕虜を連れて来ている。三個艦隊を動かしたのは彼らの護衛です』
ざわめきが大きくなった。三百万の捕虜を同行している?

『そちらとは捕虜交換を条件に帝国の内乱には介入しないという約束をしたはずですがそちらはそれを反故にした。帝国との約束など守るに値しないもの、帝国には信義等不要と思われたようだ。哀れですな、捕虜達が。帰国できるという希望を持ったが祖国が与えたものは絶望だった』
皮肉が溢れた口調だ。司令長官は反論出来ずにいる。

『昨年、帝国政府はそちらの政府に対して捕虜交換の交渉を行ったのですが交渉は決裂した。御存じでしょう、ビュコック司令長官』
ざわめきが止まらない。皆が顔を見合わせている。そんな交渉が有った事等聞いていないのだ。しかしビュコック司令長官の表情は渋い物になった。否定しないのだ、おそらく事実だろう。極秘の交渉だったようだ。

『改めて提案します、政府間交渉では埒が明かないので互いの軍で捕虜交換を実施したい。如何ですかな?』
「交渉に入る前に捕虜を確認させていただきたい」
『どうぞ、彼らは我々の艦隊の後ろに居る輸送船に乗っています。輸送船に移って確認してもらって結構です』

こちらから駆逐艦を五隻送って輸送船を確認する事になった。三十分ほどでクレメンツ元帥の言葉に嘘が無い事が分かった。確かに輸送船には捕虜が乗っている。
「条件は」
『有りません、お互いに抱えている捕虜を全て交換する、それだけです』
クレメンツ元帥の返答にビュコック司令長官の片眉が上がった。予想外だったのだろう。私も予想外だ、交渉の経緯から見て謝罪を要求すると思ったが……。

「少しお待ち頂きたい、一旦通信を切らせていただく」
ビュコック司令長官は一旦通信を切ると直ぐにクブルスリー統合作戦本部長に連絡を取った。そして本部長に帝国軍が条件無しでの捕虜交換を提案してきた事を説明した。本部長も驚いている。

『条件無しですか、しかもそこに連れてきている……』
本部長が呟くと司令長官が頷いた。
「捕虜を持て余していたのかもしれませんな」
『維持費がかかるという事ですか? 前回の交渉者もそれを言っていたようですが……』
「……ここまで連れてきているのです、断る事は出来ませんな。……政府に了承を取る必要が有ると思いますが」
『そうですな、直ぐ取りましょう、暫くお待ちください』

通信が切れたが十分ほどで今度はクブルスリー本部長から通信が入った。
『アイランズ国防委員長と話しました。条件が無いのが事実なら問題は無いそうです。捕虜交換は軍に任せるとの事でした』
「ではこれから交渉に入る事にしましょう」
『宜しくお願いします』



宇宙暦798年 3月 1日  ハイネセン  宇宙艦隊司令部  アレックス・キャゼルヌ



宇宙艦隊司令部のラウンジは人が少なかった。しかし何処となく浮き立つような空気が有る。俺とヤンはラウンジでお茶を飲みながら話していた。
「トリューニヒト議長だが最近上機嫌らしいな、よくTVにも出てる」
「そうらしいですね、捕虜交換も終わって支持率も上昇しましたから……」
「そうだな」

「例の政府間交渉だが何を話したと思う?」
「さあ何でしょう。ただ政府の発表ではあの時点で交渉を妥結しなかった事が今回の無条件の捕虜交換に繋がったと言っていますが……」
「自画自賛、と取れなくもないな」
「ええ」
二人で顔を見合わせた。俺が肩を竦めるとヤンは軽く笑った。

昨年の内乱に付け込んだ出兵が失敗に終わった事でトリューニヒト政権の支持率は一時、危険な程に下落した。しかし今年になって捕虜交換が行われた事でトリューニヒト政権の支持率は上昇した。今では昨年の出兵を非難する声は何処からも聞こえない。結果良ければ全て良し、そういう事らしい。ラウンジの時計が午後二時を指した。

「そろそろかな」
「そうですね」
ラウンジに置いてある巨大スクリーンに黒髪の若い男が映った。ラウンジの彼方此方で声が上がる。帝国軍最高司令官、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥……。今日、この時間に彼が広域通信で映像を流すと何度か帝国から放送が有った。メディアはイゼルローン要塞方面に通信の中継艦を送って放送している様だ。皆、彼を見る事を楽しみにしている。一体どんな男なのか、何を話すのか……。

『勇戦虚しく敵中にとらわれた忠実なる兵士達よ、私は貴方達に約束する。捕虜となったことを罪とし、それを責めるが如き愚かな慣習はこれを全面的に廃止するものである』
彼方此方でざわめきが起きた。声は男性にしては高めだが柔らかい感じがする。それに容貌は誠実そうで穏やかでもある。“意外だな”というとヤンも“ええ”と頷いた。

『貴方達に恥じるべき物は何も無い。恥じるべきは貴方達を前線に駆り立て、降伏もやむなき窮状に追い込んだ旧軍指導者達である。貴方達は胸を張って堂々と帰国せよ。帝国は貴方達を英雄として迎えその労に報いるであろう。帝国は貴方達にその事を約束する』

『帰国した貴方達全員に一時金と休暇を与える。しかる後、希望者は自らの意思をもって軍に復帰せよ。全員一階級を昇進させる。また退役を希望する者も一階級昇進させたうえで退役させる事を約束する』
「やれやれだ、こっちとはえらい違いですね」
「そうだな」
トリューニヒト議長が戻ってきた兵士達を迎える時に行った演説は同盟政府の人道主義と外交政策の成果の自画自賛と兵士達に戦場への復帰を命じる物だった。

『私、帝国軍最高司令官ヴァレンシュタイン元帥も貴方達に感謝し、かつ詫びなければならない。これまで兵士として帝国のために戦い、捕虜としての境遇に耐えられた事に心から感謝と敬意を送る。そしてこれまで貴方達を救出する事無く無為に過ごしてきた事を愧じ衷心から謝罪する。兵士諸君、どうか、これを受け入れて欲しい』
ヴァレンシュタイン元帥が頭を下げた。ラウンジの彼方此方でどよめきが起きた。帝国最大の権力者が頭を下げている。驚いているのだろう。

「本心かな?」
「さあ、……しかし演技ならまさに宇宙随一の名優ですね、完璧ですよ。何処かの誰かとはえらい違いだ」
「おいおい、後半は余計だぞ。……まあ同感だがな」
俺がヤンを窘めるとヤンは頭を掻いて苦笑した。

『最後に一言言わせて貰いたい。私は自由惑星同盟政府の対応に強い憤りを覚えざるを得ない。彼らは不実にも捕虜交換の約束を破り帝国の内乱に付け込もうと出兵した。幸いその邪な野心は我が軍によって打ち破られたが彼らは帝国との約定を破り帝国内に居る捕虜を、そして同盟領内に居る捕虜を見捨てたのだ』
ざわめきが消えた、ラウンジが静まり返った。

『両国の捕虜達は見捨てられた、捕虜交換の約定は同盟政府によって破棄された……』
ヴァレンシュタイン元帥が俯いた。そして顔を上げた。
『帝国に非は無い。しかし帰国という希望を奪われた多くの捕虜達の呻吟、そして残された家族の悲しみを思えば捕虜交換を打ち捨てるのは余りにも非人道的な行為であり無情でもある』
今度は首を横に振っている。

『非は同盟にある。だが私は帝国宰相としてイゼルローン要塞に使者を送り同盟政府に対して捕虜交換を申し入れた。当方の条件は唯一つ、同盟政府の謝罪、私が要求したのはそれだけである。ただ一言、あれは過ちだったと謝罪してもらえれば良かった。だが彼らはそれを拒否したのだ。過ちを認めることを拒否し、そして交渉は打ち切られた。何という傲慢! 何という不実! 何という無情! これが同盟市民によって選ばれた政府のする事なのか、彼らは自らの手で同胞を切り捨てたのだ……』
ヴァレンシュタイン元帥の目から涙が一筋落ちた、また一筋……。

『もはや同盟政府は信じるに値せず。私は同盟政府ではなく同盟軍に対して捕虜交換を打診した。そして同盟軍は人道をもって捕虜交換に応じてくれた。私はその事に心からの感謝を表したい、有難う、本当に有難う、心から感謝する。銀河帝国軍最高司令官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥』

映像が切れた。だがラウンジは静まり返ったままだ。誰も動こうとはしない。
「厄介な事になったな」
「そうですね」
ヤンは憂鬱そうな顔をしている。
「このままじゃ済まんだろうな」
「ええ、季節外れの嵐が来そうですよ」
全くだ、結果良ければ全て良し、とはいかなくなった。同盟全土を飲み込む大嵐が近付いている……。



 

 

第五十一話 暫くそこでもがいていろ




宇宙暦798年 3月 10日  ハイネセン  ジョアン・レベロ



「酷い状況だな、まさかここまで酷くなるとは……」
「同感だ、乗り切れるかな?」
「さあどうかな、状況はなかなか厳しいんじゃないか」
私が答えるとホアンは“そうだな”と言った。

お互い視線を交わすことは無い、窓から外を見ている。ホアンの事務所の窓からはデモ隊が通りを練り歩いている光景が見えた。参加人数は二千人を超えるだろう、彼らはいずれも手に警戒杖や警棒の類を持っている。彼らの掲げる横断幕には“トリューニヒトの嘘吐き野郎”、“お前達は俺達を切り捨てた”、“国家のためになど二度と戦わない”等の言葉が書かれていた。そして口々に政府を誹謗する言葉を叫んでいる。此処だけでは無いだろう、おそらくは他の場所でも同じようなデモが起きているはずだ。

あのヴァレンシュタインの放送はまさにメガトン級の爆弾だった。捕虜交換を自画自賛していたトリューニヒト政権はその爆弾の直撃を喰らった。マスコミ、議会、そして帰還兵達から捕虜を見殺しにした、それを隠して皆を欺いたと激しい非難を浴びせられたのだ。そして政府はそれに対し効果的な弁明を出来ずにいる。

捕虜交換直後のトリューニヒト政権への支持率は七十パーセントを超えていたが今では五十パーセントを大きく割り込み四十パーセントを何とか維持しているのが精一杯の状況だ。そして不支持率は四十パーセントを超え五十パーセントに近付きつつある。支持者よりも不支持者の方が多いのだ。

「ホアン、トリューニヒトはアイランズを切り捨てないらしいな」
横目でチラリと窺うとホアンが頷くのが見えた。
「一度ネグロポンティを切り捨てたからな、流石に二度目は拙いという事だろう」
「おかげでアイランズは集中砲火か」
「ノイローゼ気味だという噂が有る。本人は辞めたがっているようだ。クビではなく病気で辞任というのは有るかもしれない」
切ない話だ、私が溜息を吐くとホアンも溜息を吐いた。

「その話は私も聞いたが後任者はいるのかな?」
私が問い掛けるとホアンが首を横に振った。
「引き受け手がいないようだ、この状況じゃ国防委員長は戦死覚悟でないと引き受けられん……、まあそれも有ってトリューニヒトはアイランズのクビを切れなければ辞任も認められないらしい」

戦死覚悟とは穏やかではないが現状を見れば大袈裟とは思えない。アイランズは四面楚歌の状態だ。周囲から叩かれまくってフラフラになっている。これがボクシングならとっくにレフェリーが試合を止めているだろう。
「アイランズも災難だな」
「已むを得ない、帝国との交渉の窓口はアイランズだった。例えトリューニヒトの言いなりでも責任は有るだろう」

政府は必死に弁明している。軍は政府の了承を得て帝国軍と交渉したのであり、政府が捕虜交換に消極的だったのではないと言っている。しかし実際に謝罪を拒んで交渉が一度決裂したのは事実だ。政府はそれも駆け引きの一部だと弁明しているが面子を守るために捕虜を見殺しにしたと非難されても仕方が無いところは有る。政府はあの放送は帝国の卑劣な罠で有り騙されてはいけないと言ってはいるが……。

「ヴァレンシュタインは冷酷非情な陰謀家、人の皮を被ったケダモノ、残虐な冷血漢か……」
「ネーミングセンスは今一つだな、大体今じゃ同盟政府がそう言われている。連中にヴァレンシュタインを非難など出来んだろう」
「同感だな」
ヴァレンシュタインを責めれば責めるほど自分達のとった行動の非道さが際立つ、そんな悪循環に政府は陥っている。

「反戦派は政府間交渉を纏めておけば帝国との間に新しい関係が結べた可能性が有ると言っているが……、ホアン、君はどう思う?」
私の問いかけにホアンが首を傾げた。ソーンダイクを中心とする反戦派はヴァレンシュタインが改革を進めている以上帝国を敵視すべきではない、むしろ彼との間に和を結ぶべきだと主張している。

確かに帝国では改革が急ピッチで進められているようだ。劣悪遺伝子排除法が廃法になった事は改革の象徴だろう。帝国は民主共和政ではないが上からの改革で開明的な国家になりつつある。政治評論家の中にはヴァレンシュタインを啓蒙政治家と評価する人間も出始めた。彼らは帝国との戦争は改革を否定しルドルフを肯定するに等しい行為だと言っている。

反戦派以外からも今は帝国との間に和を結んで戦力の整備に努めるべきだという意見が出ている。こちらは理性的な主戦派とでも言うべき存在だろう。そして彼らが口にするのはトリューニヒトは帝国に信頼されていない、同盟市民からも信頼されていない、政権を交代すべきだという意見だ。支持率が五十パーセントを切った以上無視は出来ない。政府は追い詰められている。

「難しいだろうな。今回の一件だが明らかに帝国は同盟を罠に嵌めたと私は考えている」
「と言うと?」
私が問い掛けるとホアンは一つ大きな息を吐いた
「交渉者のシャフハウゼン子爵だが自分の要求を言うだけで交渉力は皆無に等しかったと政府は言っている。だから政府は帝国側の真意が掴めず交渉に積極的に取り組めなかったと……。言い訳だと皆から非難されているがあながち嘘じゃないんじゃないかと思う」
「……」

「もちろん、同盟側に甘さが有った事は事実だ、交渉を同盟が打ち切った形になったのは何とも拙かった。非難されても已むを得ないんだがヴァレンシュタインはそういう風に持って行ったのだと思う。何とも狡猾なやり方だよ。同盟が内乱に介入した時からこれを狙っていたのだろう、強烈なしっぺ返しだ」
「……」
ホアンが顔を顰めた。

「彼は同盟との和平など望んでいないんじゃないかな。むしろこれ幸いと同盟を陥れ痛めつけたんじゃないかと思う」
「私も同感だ。出来る事なら帝国と和を結びたいと思うが……、ヴァレンシュタインが相手では難しいかもしれん」
「……」
ホアンが溜息を吐いている。私も出そうになったが慌てて堪えた。

帝国からの亡命者から聞くヴァレンシュタインの人物評は決して良くは無い。もちろん亡命者からの情報である以上追い出した人間を良く言う筈が無い。しかし多くの人間が冷酷非情で油断のならない陰謀家、野心家と彼を評しているのは根拠が無いとも思えない。現実に同盟はあの放送により酷い混乱に陥っているのだ。

そして帝国では彼の政敵の殆どが死んでいる。穏やかで誠実そうな外見の下に獰猛なまでの苛烈さと酷薄さを秘めていると見て良い。そして当代無双と称される軍才。今改革を進めているのも権力の地盤固めを狙った人気取りという事は十分に有るだろう。

「ホアン、私は彼が簒奪を考えているんじゃないかと思うんだが……」
私が話しかけるとホアンが頷いた。
「私も同意見だ。簒奪するには民衆の支持が要る。それを得るためには国家指導者としての成果が必要だ。内政面ではドラスティックな改革を、外政面では軍事的な大勝利を必要としているんじゃないかと見ている。今回の捕虜交換もそのためだろう」

「国内の権力基盤を固める間、同盟が国力を回復させるのを阻もうとした、そういう事か……」
「そういう事だ」
ホアンの顔色は良くない、多分私も同様だろう。同盟はとんでもない野心家を敵にしている。ヴァレンシュタインの狙いは同盟の征服だろう。国内が安定すれば必ず戦争を仕掛けてくるはずだ。

「ビュコック老人に聞いたのだが捕虜交換の所為で軍と政府の関係もおかしくなってきているそうだ。頭を痛めているよ」
「どういう事だ?」
「軍だけが良い子になっている、そういう事だ」
「なるほど」
私の答えにホアンが顔を顰めて頷いた。

ヴァレンシュタインは政府を非難する一方で軍の対応を称賛した。その所為で政府側には軍が自分だけ良い子になっている、都合の悪い部分は全て政府に押し付けている、そんな感情が有るらしい。もっとも軍側にとっては早く捕虜交換をして貰いたかったのに交渉を決裂させたのは政府なのだから軍を恨むのは筋違いだという思いが有る。ヴァレンシュタインは両者の間に亀裂を生じさせたのだ。着々と手を打ってきている、そして同盟は彼の打つ手に翻弄されている。

「頭が痛い問題は他にも有る」
「……」
「帰還兵達は軍に復帰しようとしない。三百万人の将兵の補充を目論んでいたのに復帰したのはほんの僅かだ、一万人にも満たない」
私の言葉にホアンがまた溜息を吐いた。

「三百万人の帰還兵というより三百万の反政府分子を抱え込んだようなものだな」
「その通りだ、連中は彼方此方でデモを行っている。危険なのは自分達は政府に、同盟市民に捨てられたと恨んでいる事だ。世論に押される形で出兵した、捕虜交換を反故にした事で連中は同盟市民に強い反感を持っている。政府だけではなく同盟市民に対しても不信を抱いている……」
「憂国騎士団も有るな……」
「ああ、それも有るな」

憂国騎士団、主戦派の跳ね上がり共の集団、バックにはトリューニヒトが居るともっぱらの噂の集団だ。デモ隊を非難し彼方此方で衝突している。互いに武装して流血沙汰を起こしているのだ。そして警察はデモ隊を取り締まるのには熱心だが憂国騎士団の取り締まりには消極的だ。デモ隊は国家が、同盟市民が自分達を排斥しようとしているのではないかと疑っている……。

「帰還兵だけじゃない、軍内部の将兵にも政府への不満は高まっている」
「本当か?」
「本当だ」
捕虜を切り捨てる様な政府のために誰が戦えるだろう。兵士達はヴァレンシュタインと自分達の指導者を比較し不満を感じている。政府には付いていけないと感じているのだ。私がその事を言うとホアンが“どうにもならんな”と言って顔を顰めた。

「かなり酷いのか?」
ホアンが気遣わしげな表情をしている。
「ビュコック司令長官は非常に危険視している」
「……」
「彼は兵卒上がりだ、それだけに前線で戦う将兵の気持ちは誰よりも分かっている。今の政府のために戦えと言っても兵士達は納得できないだろうと言っていたよ。彼はクーデターが起きる危険性をも指摘した……」
「なんて事だ……」

政府、軍、同盟市民、帰還兵、……それらが入り混じって反発しあっている。劣勢にある同盟が一つになる事が出来ず分裂しているのだ。このままでは帝国と戦う前に同盟内部で内乱が起きかねない。その時帝国は、いやヴァレンシュタインは一体どう動くか……。
「厄介な事になったな、レベロ」
「ああ、全くだ」



帝国暦 489年 3月 15日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲) オスカー・フォン・ロイエンタール



「最近賑やかだな」
ミッターマイヤーが店内を見回した。 ゼーアドラー(海鷲)の中は大勢の客で溢れている。
「帰還兵だろう。何年ぶりかに再会して旧交を温めている、そんな連中が多いそうだ」
ミッターマイヤーが“なるほど”と言ってもう一度店内を見回した。

「一カ月の休暇が与えられているのだがその前に軍への復帰願いを出す兵士が多いらしい」
「あの放送の影響かな?」
「だろうな、これまでの帝国なら捕虜を労う等無かったはずだ。最高司令官の言葉で多くの兵士達が最高司令官の指揮下で戦いたい、そう思ったようだ。帰還兵だけじゃないぞ、一般の兵士達もだ。最高司令官は自分達の事を考えてくれている、皆がそう思っている」
ミッターマイヤーが“そうだろうな”と言って頷いた。

「そう言えばエヴァが言っていたな。税が軽減された所為で買い物を楽しむ主婦が増えたらしい。皆暮らしが楽になったと言っているそうだ、以前はそんな余裕は無かったのにな」
「なるほど、改革の成果か」
「うむ」

最高司令官は帝国宰相に就任すると開明派、改革派と呼ばれる人間を集め政治改革を行い始めた。直接税、間接税の軽減、貴族達の特権の剥奪と平民達の権利の拡大。そして辺境星域の開発。これまで常に貴族に、政府に虐げられてきた平民達、中央から見捨てられてきた辺境星域がようやく脅える事無く生活できるようになってきた。

帝国は明らかに良い方向に動いている。動かしているのはヴァレンシュタイン最高司令官だ。彼に対する将兵の信頼は厚い、そして将兵以外の平民達も最高司令官を支持している。“改革者ヴァレンシュタイン”、“解放者ヴァレンシュタイン”、平民達にとって最高司令官は自分達の代表者で有り、庇護者なのだ。平民達が最高司令官を讃えるのは当然とも言える。

帝国の平民達は最高司令官がこのままずっと帝国を統治する事を望んでいる。それこそが自分達の生活を、権利を、繁栄を守る事だと理解しているのだ。エルウィン・ヨーゼフ二世が成人して親政を望んだとしても誰もそれを支持するまい。徐々に、徐々にだが帝国は皇帝の物から最高司令官の物になりつつある……。

簒奪か……、あの時、リヒテンラーデ侯が“簒奪など許さん”と叫んでいた。だが最高司令官は何の反応も示さなかった。むしろ俺やミッターマイヤーの方がどう受け取って良いか分からずオドオドしていただろう。最高司令官はそんな俺達を見て微かに苦笑していた、そして溜息を吐いた……。

今でも良く覚えている。まるで事態に付いていけずにいる俺達を憐れんでいるようだった。平民から皇帝か、ゴールデンバウムの血を持たない皇帝、フォンの称号を持たない皇帝……。外見からはそうは見えないが彼は誰よりも力の信奉者なのかもしれない。五百年に亘って続いたゴールデンバウム王朝の血を完全に否定した冷徹な実力主義者。

“力有る者が上に立つのは当然の事、例え貴族といえど力無き者は滅ぶしかない”、その言葉は貴族だけではなく皇族にも当てはまるのだろう。最高司令官にとって簒奪は既定路線なのだ、彼はその路線を気負いも覇気も見せずに平然と歩んでいる、至極当然の様に……。

俺とは違うと思わざるを得ない。不条理を不満に思っても俺には行動出来なかった。自らが皇帝になる等考えられなかったのだ。俺がもしグリンメルスハウゼン老人に選ばれたならどうしただろう、皇帝への道を歩めただろうか? それとも……。分からない、何度考えても答えが出てこない。だがそれは俺だけの事だろうか……。目の前でミッターマイヤーがグラスを口に運んでいる。訊いてみたいと思ったが訊けずにいる。これまでも訊けなかった、そしてこれからも訊けないのだろう。

だが皆一度は俺と同じ想いを抱いた筈だ。そして最高司令官が皇帝への道を歩み始めた事を分かっている筈だ。だが誰もその事を口にしない、ただ黙って見ているだけだ。いや見ているのではない、その後に続いている。それは彼が皇帝に相応しいと認めたから、そして自分が皇帝の器ではないと認めたからだろう。つまり俺達は臣下の道を歩き始めたのだ。

だがそれも悪くない、少なくともなんの能力も無い馬鹿共に仕えるよりもはるかにましだ。最高司令官なら俺達を十二分に使いこなしてくれるだろう。彼と共に新しい帝国を創る。そして俺達は何時か彼を“閣下”では無く“陛下”と呼ぶのだ……。






 

 

第五十二話 良い思い出が無かったな




帝国暦 489年 4月 3日  オーディン  帝国宰相府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



お仕事お仕事ルンルンルン、今日も明日もルンルンルン。最近俺は毎日が楽しい。捕虜交換で戻ってきた帰還兵達はその多くが帝国軍に復帰した。良いねえ、実に良い。内政面でも改革が順調に進んでいる。貴族達も改革に協力している、順調、順調。人間成果が出ればやる気も出る、俺は仕事がとっても楽しい。

帝国が順調なのに比べて同盟は滅茶苦茶らしい。そうだろう、そうだろう、一生懸命演技したんだ。ヒルダとヴァレリーは俺が同盟を嵌めたのを知っているからな、呆れた様な目で見ていたがこれは戦争なのだ。相手を叩きのめす機会を見過ごすべきではない。

順調じゃないのはフェザーン方面だな、ラインハルトは貴族共とは何とか繋がりを持ち始めたようだがフェザーンとは未だ接触できずにいる。もしかするとルビンスキーもルパートも用心しているのかもしれん。元妻の弟、左遷人事、少しあからさまだったか。

このままいけば同盟へ攻め込むのは今年の暮れから来年にかけて、そんなところかな。出来れば同盟で内乱でも起きてくれればベストなのだが……。そろそろシャフトにガイエスブルク要塞を移動要塞ガイエスブルクに改修するように命令するか。その前にシャフトとフェザーンの繋がりをケスラーに洗わせないと……。

いつも通り、午前中は元帥府で仕事をし午後は宰相府で仕事をしているとオスマイヤー内務尚書が面会を求めてきた。執務室に入ってきたオスマイヤーの顔面は蒼白だ。良く無い兆候だ、どうやら何か有ったらしい、豪胆とは言わないがそれなりに肝は座っているはずだが……。

「どうかしましたか、内務尚書」
「はっ、実は残念な御報告をしなければなりません」
「……」
残念、何処かの星域で改革が上手く行っていないのかな。一番拙いのは辺境だな、あそこは被害者意識が強いから扱いには注意が必要だ。それとも警察の不祥事でも明らかになったか、でかい官庁だからな、不祥事なんて幾らでもあるだろう……。

「グリューネワルト伯爵夫人が亡くなられました」
「……」
何だ? アンネローゼが死んだ? 嘘だろう? いやオスマイヤーが俺に嘘を吐く筈が無い。落ち着け、慌てるな、先ずは死因の確認だ。

「病死ですか? それとも事故死?」
俺が問い掛けるとオスマイヤーがちょっと困ったような表情を見せた。どうやら違うらしいな、いや内務尚書が自ら知らせに来るんだ、何らかの事件に巻き込まれたという事か。ヒルダとヴァレリーが固まっている、お前達が緊張してどうする、阿呆。

「言い難い事ですが伯爵夫人は殺されました。犯人はエルフリーデ・フォン・コールラウシュ、彼女は……」
「リヒテンラーデ侯の一族でしょう、そんな名前が有ったのを記憶しています」
「はい、彼女の母親がリヒテンラーデ侯の姪でした」
エルフリーデ・フォン・コールラウシュ、嫌な名前だ。原作を読んでも俺にはあの女が何をしたかったのかさっぱり分からなかった。その嫌な女がアンネローゼを殺した……。

「理由は何です?」
「宰相閣下に対する怨恨です、一族を殺され没落させられた事への復讐だと……」
「……」
「本当は宰相閣下を殺害するのが目的でした。しかし警護が厳しく襲うのは無理だと判断し代わりに伯爵夫人を狙ったそうです。閣下に苦痛を与えたかったと言っています」
やはりな、そんなところだと思った。オスマイヤーもようやく落ち着いたようだ、顔色が戻っている。

「国外追放にしたのです、戻るのは難しい筈ですが?」
憲兵隊はフェザーンに人を出しているはずだ、その監視の目をすりぬけたか。ケスラーも面目丸潰れだな、後で慰めてやらないと……。頭でも撫でてやるか。
「偽名のパスポートを持っていました」
「偽名のパスポート? ではフェザーンに協力者が居ると?」
「おそらくはそう思われます」

ヒルダとヴァレリーが顔を見合わせていた。厄介な事になったと思っているのだろう。俺も同感だ、フェザーンの蛆虫共が動き始めた。ラインハルトの阿呆、何をやっている! お前が仕事をしないからアンネローゼが死んだだろうが! 肝心な時に役に立たん奴だ、このヘナチョコが!

「エルフリーデは何か言いましたか?」
俺の問いかけにオスマイヤーが首を横に振った。
「残念ですが、“殺せ”と言うだけで……」
「ここへ連れて来てください、私が彼女に会いましょう」
「ここへですか?」
オスマイヤーは多分反対なのだろう、眉を寄せている。“お願いします”と言うと“分かりました”と答えて部屋を出て行った。

馬鹿な女だ、フェザーンで大人しく暮していれば良いものを……。俺の処分が不服か? だがな、原作に比べれば遥かに寛大な処分の筈だ。流刑に比べれば国外追放の方がましだろう。それに無一文で国外に放り出したわけじゃないし処刑したのは二十歳以上の男子だけだ。甘かったのかな、手厳しくやるべきだったのか……。だがなあ、必要以上に人を殺すなんてのは気が進まない……。やはり甘かったんだな、俺は……。

殺らなければ殺られていた、殺られたくないから殺った。その事を後悔はしていない。エルフリーデ、お前に恨まれる様な事じゃない、恨むのなら俺では無く油断したリヒテンラーデ侯を恨むべきなのだ。だがお前には分からなかったようだ。仕方ない、お前にその事を後悔させてやる。ヒルダとヴァレリーが俺を気遣わしげに見ている。心配しているのだろうが鬱陶しい視線だ。気付かない振りをして決裁文書に視線を向けた。

アンネローゼ、離婚なんかするんじゃなかった。お前の意思なんて無視して傍に置いておけばよかった。そうすればお前は死なずに済んだんだ。俺が馬鹿だから、意気地なしで良い格好しいだったからお前を手放してしまった。阿呆な話だ、離婚だけじゃなくて永久にお前を失ってしまった……。

幸せなんて無縁な一生だったな。ずっと籠の中の鳥で籠から出たと思ったら殺されてしまった。一度でいいから屈託なく笑うお前を見たかった。何時かはそんな日が来ると思っていたんだが……。オスマイヤーが戻ってきた、正直ホッとした。思考がぐるぐる回るだけで馬鹿な事ばかり考える自分をようやく振り切る事が出来た。

エルフリーデは両腕を男に押さえられている。多分内務省の人間だろう。自由は奪われているのだが彼女は意気軒昂だった。勝ち誇ったような表情で俺を見ている。馬鹿な女だとまた思った。人を殺して喜ぶなどどう見ても正常とは思えない。この女に同情など欠片も必要ない。

「エルフリーデ・フォン・コールラウシュ、協力者は誰です?」
俺が問い掛けると微かだが嘲笑する様な表情を見せた。上等だ、もっと俺を怒らせろ、俺が後悔しないように……。
「答えなさい、誰に協力して貰いましたか?」
「お前に話す事等何も無い、殺しなさい」

嬉しそうだな、エルフリーデ。安心しろ、国外追放の身でありながら偽名を使って入国、伯爵夫人を殺したのだ、間違いなく死刑だ。
「口惜しいか、ヴァレンシュタイン。身の程知らず、成り上がりの卑怯者! 大切なものを奪われる気持ちが分かったか! 私達の悲しみが、怒りがどれほどのものか、思い知るが良い! 分不相応な野心を持った報いだ」

勝ち誇ったように喋るエルフリーデが可笑しかった、思わず笑い声が出ていた。この女は何も分かっていない。フェザーンに居る何者かに操られた駒でしかないのに自分が悲劇のヒロイン、復讐を果たしたヒロインにでもなったつもりでいる。

「何が可笑しい!」
身悶えして激昂する女の姿がさらに俺を笑わせた。皆が不安そうに俺を見ている。情緒不安定、そう思ったのだろう。残念だな、俺は今最高にクールだ。この女を痛めつける事に何の罪悪感も感じずに済みそうだと分かったからな。思いっきり残虐になれるだろう。

「お前が可笑しいのだ、エルフリーデ。私に苦痛を与えたと喜んでいるようだがその後の事を当然考えているのだろうな。私の怒りを受け止める事になるが……」
「殺せ!」
「殺す?」
簡単に死ねると思っているのか? また笑い声が出た。俺は信長じゃないし家康でもない。啼かないからといって殺したりしないし待ってるだけなんてのも御免だ。無理やり啼かせて見せるさ、俺のやり方でな、いやお前に相応しいやり方でだ。

「人を殺して喜ぶなど下劣な事だ。お前にはその下劣な精神に相応しい物を与えてやろう。死は時として安らかな眠りでしかない、私はそのようなものをお前に与えるほど優しくは無い。私がお前に与えるのは絶望と屈辱だ、己を呪い私を呪い、そしてこの世に生まれてきた事を後悔させてやろう。お前は泣きながら私に死を請い願う事になる」

エルフリーデが微かに怯えを見せた。
「内務尚書、この女をオーディンの売春宿に叩き込みなさい。もっとも劣悪な売春宿にです」
皆がギョッとしたような表情で俺を見た。そしてエルフリーデが“卑怯者”、“人でなし”、“殺せ、殺しなさい”と怯えた表情で喚いた。もう遅い……。

「エルフリーデ、平民達に貴族の女というものがどういうものか教えてきなさい。内務尚書、連れて行きなさい」
俺の言葉にエルフリーデが“話すから止めて”と言って人に名前を言い出したが“明日聞く”と言って追い出した。馬鹿が、しっかり働いてこい。少しは根性も入れ替わるだろう。

ラインハルトに連絡するか……、気が重いが俺の役目だろうな。どうせまた俺を罵りだすだろう、俺の所為で死んだ、疫病神だと言うに違いない。その通りだ、アンネローゼもリューネブルクも俺の所為で死んだ、俺は疫病神だ、碌でもない現実だが認めざるを得ない。

葬儀は後にしなければならん、フェザーンがこの一件に絡んでいる可能性が有る以上ラインハルトはフェザーンから動かせない、不満を持つだろうが我慢してもらわなければ……。暫くの間は遺体は内務省で冷凍保存しておく必要が有るだろう。寒いだろうがアンネローゼにも我慢して貰おう。

ヴァレリーとヒルダが俺を非難するような目で見ていた。文句あんのか? 俺だって好きでやってるんじゃないぞ! 全く何も分かってないんだな、次に狙われるのはお前達、裏切り者の宰相秘書官と亡命者の副官になる可能性は高いんだ。それを防がないと……。ケスラーに連絡しなければ、警護を頼まないといかん。目の前の二人の他にシュテルンビルト、ノルトリヒトの両子爵家、ミッターマイヤー、ケンプ、アイゼナッハ、ワーレン達の家族……。

いや文官達にも必要か、今あいつらを失うのは痛い、改革が頓挫しかねない。憲兵隊だけじゃ負担が大きいな、武官は憲兵隊、文官は内務省が警備するようにしよう。先にケスラーに連絡だな、その次にオスマイヤー、ラインハルトは最後だ。嫌な仕事はどうしても後回しになるな……。



帝国暦 489年 4月 5日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ



エルフリーデ・フォン・コールラウシュが元帥府に現れた。二日前の意気軒昂とした様子は微塵も無い、両腕を内務省の捜査官に押さえられおどおどと怯えた様子で目を伏せている。余程に酷い目に有ったらしい。見るに堪えない、私だけでは無い、フィッツシモンズ准将も彼女からは眼を背けがちだ。オスマイヤー内務尚書、ケスラー憲兵総監は表情が硬い。宰相閣下だけが無表情にエルフリーデを見ている。

昨日も彼女はここへ来た。宰相閣下の最初の問いに彼女は答えなかった。精一杯の虚勢だったのだろう。もう一度問えば、脅せば彼女は口を開いた筈だ。だが宰相閣下はもう一日彼女を働かせろと命じた。エルフリーデが悲鳴を上げて話し始めても相手にしなかった。彼女は元帥府を泣き喚きながら連れ去られた。私とフイッツシモンズ准将はいささか酷いのではないか、そう宰相閣下を諌めたが口出し無用と言われ相手にされなかった。

宰相閣下がエルフリーデに近付いた、手には紙を持っている。その姿をエルフリーデが一瞬見たが直ぐに視線を逸らせた。
「エルフリーデ、これが何か分かるか? お前を相手にした男達が感想を書いたものだ。酷いものだな、金を返せと書いてある。あの世界では貴族である事等何の意味も無いらしい。他の感想も聞きたいか?」

エルフリーデが激しく首を横に振った。
「遠慮するな、今日も働く事になるかもしれないのだ。参考になるだろう、少しはまともな感想が書かれるかもしれない」
「止めて、お願いだから、それだけは止めて……」
エルフリーデが涙を流しながら哀願した。

「死にたいか?」
エルフリーデが頷いた。
「殺して欲しいか?」
また頷いた。
「では私に殺して下さいと頼むのだ」
「……殺して下さい」

満足だろうか、そう思ったが宰相閣下の表情には何の変化も無かった。相変わらず無表情にエルフリーデを見ている。
「フェザーンで偽のパスポートを用意した人間は?」
「……アルバート・ベネディクト」
「どういう人間かな?」
「商人だと言っていたわ」

宰相閣下がオスマイヤー内務尚書、ケスラー憲兵総監に視線を向けた。二人が頷く、既に何度か彼女がその名前を口にしているから調査済みだ。フェザーン自治領主府と関係の深い人物らしい、余り評判の良くない人物である事も分かっている。
「フェザーンの自治領主府との関係は?」
「分からない、何も言わなかった」

「コールラウシュ家と関係の有る商人か?」
エルフリーデが首を横に振った。
「ではリヒテンラーデ侯爵家との関係は?」
こちらの問いにも首を横に振った。
「面識は有ったのか?」
エルフリーデが三度首を横に振った。どうやら関係は全くないようだ。

「どちらから近付いた、お前から近付いたのか、それとも相手から近付いたのか?」
「向こうから……」
「何と言って近付いてきた?」
「帝国に戻してやると……」
「それだけか?」
エルフリーデが頷いた。宰相閣下が僅かに考えるようなそぶりを見せた。

「お前はフェザーンで私を殺したいと言ったか?」
エルフリーデが躊躇うそぶりを見せた。
「言ったのか?」
「……言ったわ」
「大勢の人の居る所でか?」
またエルフリーデが頷いた。アルバート・ベネディクトはそれを知ったのだろう。そしてエルフリーデを帝国に送り込んだ。明らかに彼の狙いは宰相閣下の命だった。エルフリーデはその道具にしか過ぎない。

「アルバート・ベネディクトが接触したのはお前だけか? 他に接触した人物は居なかったか?」
「……分からない」
「……エルフリーデ、あの店に戻りたいか?」
エルフリーデが激しく首を振った。

「分からないの! 本当に分からないの、居るかもしれないけど、私には……」
声が怯えている。
「分からないか」
「ええ」
エルフリーデが“本当に分からない”と必死に訴えた。宰相閣下は不満そうな表情だ。多分一番知りたい事なのだろう、もしかすると第二のエルフリーデが既にオーディンに入り込んでいるかもしれない、その可能性を懸念しているようだ。

「私が聞きたい事は他に有りません、後は内務尚書と憲兵総監で情報収集をして下さい。彼女の身柄は内務省の管轄とし情報収集が終了した後は法に照らして処分を」
宰相閣下の言葉にオスマイヤー内務尚書、ケスラー憲兵総監が頷いた。

エルフリーデが連れ去られオスマイヤー内務尚書、ケスラー憲兵総監が退出しようとすると宰相閣下が未だ話が有ると言って二人を引きとめた。
「オスマイヤー内務尚書、今回の一件、全て包み隠さず帝国、そしてフェザーンに公表してください」
えっと思った、私だけでは無い皆が驚いている。

「全て、といいますと……」
「全てです。エルフリーデが何をしたか、私が何をしたか、私とエルフリーデの会話も全て公表してください」
皆が顔を見合わせた。
「それでは閣下に対して恐れを抱くものが増えます、良くない風評も立ちますが……」
オスマイヤー内務尚書が反対すると宰相閣下が微かに笑みを浮かべた。

「構いません。エルフリーデを殉教者にするよりはずっと良い。あの女が惨めに死を請い願ったと公表してください。後に続く者はかなり減るはずです」
また皆が顔を見合わせた。
「閣下はそれが狙いであの様な事を……」
フィッツシモンズ准将が問い掛けたが宰相閣下の答えは無かった。オスマイヤー内務尚書が“御指示通りにします”と頷いた。

「内務尚書、国内に周知してください。今後国外追放者を帝国内で見かけたものは必ず帝国内務省に申し出るようにと。もしそれを怠った事が判明した場合は厳罰に処すると」
「はっ」

「フロイライン・マリーンドルフ、貴女はシュテルンビルト、ノルトリヒトの両子爵家に出向き直接彼らに伝えてください。間違っても馬鹿共に同情などするな、庇う様な事はするなと」
「はい、分かりました」

宰相閣下が私を見ている。同情するなというのは私に対する忠告でもあるのだろう。エルフリーデの件で閣下を諌めた事は軽率だった、あれはテロ行為を防ぐためのものだったのだ。フィッツシモンズ准将も決まり悪げだ、彼女も私と同じ事を考えているに違いない。

「それとフェザーンに対してアルバート・ベネディクトを引き渡すようにと声明を出して要請してください」
「フェザーンが素直に引き渡すとは思えませんが……」
「その通りです、具体的にベネディクトの関与を示す物証は有りません。エルフリーデの自供だけです。フェザーンは関与を否定するでしょう」

オスマイヤー内務尚書とケスラー憲兵総監が懸念を表明した。公式声明を出してしまえば引き返せなくなる、引き渡しが無ければ面子が潰れる、そう思ったのだろう。だが宰相閣下は退かなかった。
「構いません、何度でも執拗に要請してください。こちらが怒っていると帝国にもフェザーンにも理解させたい」
オスマイヤー内務尚書とケスラー憲兵総監が顔を見合わせた。賛成は出来ないがこれ以上の反対も出来ない、そんな感じだ。

「ケスラー憲兵総監」
「はっ」
「フェザーンに居る憲兵隊の人間を使ってアルバート・ベネディクトを殺して下さい」
「それは」
皆が顔を見合わせた。引き渡しを要求しながらその対象者を殺す……。
「どんな手段をとっても構いません、必ず殺して下さい」
重苦しい空気が執務室に満ちた。

「アドリアン・ルビンスキーが口封じをした、フェザーン人にそう思わせる事でフェザーン人とルビスキーの間に不和を生じさせる、ルビンスキーの蠢動を抑える、そういう事でしょうか」
ケスラー憲兵総監が顔を強張らせている。宰相閣下が苦笑を浮かべた。

「それが最善ですが帝国が動いた、そう知られても構いません。帝国にちょっかいを出すのは危険だとルビンスキーとフェザーン人に理解させるのが目的です。追放者とフェザーン人を大人しくさせましょう」
「分かりました」

ケスラー憲兵総監の返事に宰相閣下が頷いた。そして私達を見渡す。
「帝国の安全を守り皆の安全を守るためなら私は悪評など恐れはしません。権力者に必要なのは信頼される事であって愛される事では無い。その覚悟の無い者は権力など求めるべきではない、私はそう思っています」

厳しい、そう思った。そして正しいのだとも思った。権力者の座に着くという事がどういう事なのか、今私は理解し始めている。かつて持っていた権力への憧れなどと言うものは今の私には無い。権力者というものは孤独で寂しい存在なのだ。得た権力が大きければ大きいほど孤独と寂しさは強まるだろう。

「伯爵夫人の御遺体は如何されますか? ミューゼル少将はフェザーンですが……」
オスマイヤー内務尚書が幾分か遠慮気味に問い掛けた。宰相閣下とミューゼル少将の関係が思わしくない事を知っているのかもしれない。

「私はここ一、二年の内に大規模な遠征軍を起こすつもりです。フェザーンを占領し、同盟を降伏させる。その後はフェザーンに遷都しフェザーンを基点に宇宙を統治します」
えっ、と思った。フェザーンに遷都、まさかそんな事を考えているなんて……、皆が驚いている。

「そのためにはもうしばらくは平穏が必要です。フェザーンにも同盟にも大人しくしてもらわなければ……」
そういう事かと思った。捕虜交換はその為に行ったのだ。宰相閣下が宇宙統一を考えたのは最近の事では無い、もうずっと前から考えそれを前提に動いている……。

「伯爵夫人の遺体はフェザーンで埋葬します。ミューゼル少将もそれを望むでしょう、オーディンではいささか遠過ぎる。それに彼女にとってもオーディンを離れた方が良いと思います、ここは辛い想い出が多すぎる……」
ハッとして宰相閣下の顔を見た、哀しそうな顔だった。慌てて視線を逸らした、見てはいけないものを見てしまった、そう思った。


 

 

第五十三話 忠告は遅かった




帝国暦 489年 4月 8日  オーディン  カール・グスタフ・ケンプ



家に帰ると妻が“お帰りなさい”と言って出迎えてくれた。
「子供達は眠ったのか」
「ええ、ほんの少し前まで貴方の御帰りを待っていたのですけど……」
「そうか、残念だな」
少し飲み過ぎたか、いや話しが弾み過ぎたな。次はもう少し早めに切り上げよう。上着を脱ぎ、居間で寛いでいると妻が冷たい水を持ってきてくれた。

「今日も憲兵隊が来ていたのか?」
「はい」
「そうか、色々と不自由かもしれんが我慢してくれ」
「いいえ、守って頂けるのですもの、有難い事だと思っています。それより貴方は大丈夫なのですか?」
妻が不安そうな表情をしている。

「まあ心配はいらん。俺達は殆ど一人になるという事が無いからな。それに一応は白兵戦技を学んでいる。女子供に負ける様な事は無いさ」
「それなら宜しいのですけど」
いかんな、良い女房なのだがちょっと心配性なところが欠点だ。それだけ情が濃いという事なのだろうが。

「何時まで続くのでしょう?」
“護衛の事か”と訊くと妻が頷いた。
「はっきりとしたことは言えん。帝国はアルバート・ベネディクトの引き渡しをフェザーンに対して要求した。フェザーンがそれに従えば警備は解除されるのではないかと思うが……」

妻の表情が曇っている。そうそう簡単にフェザーンがベネディクトの引き渡しに応じることは無いと考えているのだろう。その通りだ、何と言っても海千山千のフェザーンなのだ、一筋縄では行かない。引き渡しを要求しているのはオスマイヤー内務尚書だがフェザーンの対応にかなり手古摺っていると聞いている。

「最高司令官閣下は如何お過ごしですか?」
「うん……」
「伯爵夫人がお亡くなりになられて……」
「まあ心配はいらん、執務に精を出しておいでだ」
心配はいらない、ケスラー憲兵総監も言っていた。最高司令官は極めて冷徹だと。

「ですが、あのような……」
「已むを得ん事だ。お前は女だから酷い事だと思うのかもしれんが、最高司令官閣下はあれを行う事であの女の後に続く者を防ごうとしたのだ。我々を守るために行った事、非難は許さんぞ」
「はい、申し訳ありません」

“帝国の安全を守り皆の安全を守るためなら私は悪評など恐れはしません。権力者に必要なのは信頼される事であって愛される事では無い。その覚悟の無い者は権力など求めるべきではない”
ケスラー憲兵総監から聞いた、最高司令官はそう言ったそうだ。海鷲(ゼーアドラー)で飲んでいる時だったが皆が沈黙した事を覚えている。閣下の言う通りだ、俺は最高司令官を信頼している。いや、信頼出来る。

「身辺には注意しろ、気が付けば俺も上級大将だ、お前や子供達が狙われる可能性は有る」
「はい、気を付けます。子供達にも注意しておきますわ」
「うん……」
「貴方?」
妻が訝しげに俺を見ている。

「いや不自由になったものだと思ったのだ」
「……」
「昔は出世したいと思ったが今思えば何も分かっていなかったな」
俺の言葉に妻が頷いた。妻も出世する事の窮屈さを感じているのだろう……。



帝国暦 489年 4月 10日  フェザーン 自治領主府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



「ケッセルリンク補佐官、アルバート・ベネディクトの引き渡しの件、フェザーンはどのようにお考えかな?」
俺が言葉をかけると正面に座ったルパート・ケッセルリンクは愛想の良い笑みを顔に浮かべた。もっとも目には何処かこちらを馬鹿にしたような光が有る。慇懃無礼という言葉を人間にすれば目の前の男になるだろう、好きになれない奴だ。応接室に通されてもこいつが相手かと思うとウンザリする。

「帝国政府からの要請ですから当然重く受け止めています。それにミューゼル少将にとってはグリューネワルト伯爵夫人はたった一人の肉親と聞いています。なんとかお気持ちに沿いたいとは思いますが……」
「……」
「少々難しいと言わざるを得ません」

少々? 物は言い様だな、ケッセルリンク。姉上の事を口にしたのは俺を挑発するつもりか? 今回でお前と話すのが何度目だと思っている、もうその手には乗らん。というより今では姉上を殺された悔しさよりお前に対する腹立たしさの方が上だ。
「難しいと言うと?」

「エルフリーデ・フォン・コールラウシュですか、いささか取り調べが強引ではありませんかな。自白したという事ですが信憑性に欠けます、それだけで引き渡す事は……」
ケッセルリンクが首を横に振っている。

「つまり引き渡しは出来ないと」
「そうは言いません。アルバート・ベネディクトが伯爵夫人の殺人に関与しているのであれば帝国に御引渡しします。そのためにもこちらでベネディクトを調べたいと思います。もう少しお時間を頂きたい」

ようするに帝国は信用できないというわけだ。アルバート・ベネディクトに冤罪を着させようとしている、そう言いたいのだろう。確かにあの捜査方法は非道だと非難されても仕方ない部分は有る。いかにもあの根性悪の最高司令官が行いそうな手段だ。

しかし自白が嘘だとは思えない。俺が調べてもアルバート・ベネディクトとフェザーン自治領主府は密接に繋がっている形跡が有る。フェザーンの依頼で最高司令官を暗殺して帝国を混乱させようとしたのは間違いない。連中にとって予想外だったのはあの女が姉上を標的にした事だろう。

いずれ証拠不十分、或いは冤罪だとして引き渡しを拒否するか、正面から帝国に敵対するのは拙いと考えてアルバート・ベネディクトを反乱軍の領内に逃亡させるか、そのどちらかだ。おそらくは後者だろうな。一つ釘を刺しておくか……。

「ケッセルリンク補佐官、忠告しておこう」
「忠告、ですか」
「あまり帝国を、ヴァレンシュタイン最高司令官を甘く見ない事だ。敵対する者に対しては容赦のない方だからな。今の反乱軍の混乱ぶりを見ればよく分かるはずだ」

ケッセルリンクがこちらをじっと見た。負けるものかと睨み返す。お前達も性格が悪いだろうがあの男の性格の悪さには及ばない。舐めてかかると痛い目に遭うぞ。
「……御忠告、確かに受けたまわりました。気を付けましょう」

応接室に沈黙が落ちた。お互いに相手の顔を見ている。どちらかが視線を外すか、言葉を出すべきなのだろうが黙って目を逸らすことなく相手を見ていた。どのくらい睨みあっていたか、暫くするとトントンとドアをノックする音が聞こえた。二人ともドアに視線を向けそしてまた相手を見た。

「申し訳ありませんが少し席を外します」
そう言ってケッセルリンクが席を立った。彼がドアを開け外に出るのを見てから大きく息を吐いた。何が起きたのかは知らないが奴が困る事なら大歓迎だ。意地悪くそう考えているとケッセルリンクが部屋に戻ってきた。顔が幾分強張っている。良い兆候だ。

ケッセルリンクが俺の前に座った。眼が据わっている、何が有った?
「ミューゼル閣下、残念ですがフェザーンはアルバート・ベネディクトを帝国に引き渡す事が出来なくなりました」
「……どういう事かな、ケッセルリンク補佐官」
帝国を完全に敵に回すつもりか、思わず声が低くなった。

「アルバート・ベネディクトが死んだのです」
「死んだ?」
「そうです、彼が乗っていた地上車が爆発しました。粉々に吹き飛びましたから遺体をお渡しする事も出来ませんな」
死んだ? 爆発? 自然死じゃない、暗殺……。

「口封じか! 卑怯な……」
俺の言葉にケッセルリンクが首を横に振った。
「自治領主府は何もしていません、何者かが我々の仕業に見せかけて謀殺したのだと思います。ベネディクトは敵が多かったですから」

フェザーンでは無い? 信じられんな。しかしアルバート・ベネディクトに敵が多かったのは事実だ。ケッセルリンクが俺をじっと見ている。何だ?
「思い当たる節が有るのではありませんかな、ミューゼル少将」
思い当たる節? ……まさか、帝国だというのか?
「帝国にはそのようなものは無いな。卿こそ思い当たる節が有るのではないか?」

またケッセルリンクが首を横に振った。
「私にも有りません、妙な言いがかりは迷惑です」
「卿に無くてもフェザーンが無関係だという事にはなるまい。違うかな、ケッセルリンク補佐官」
“補佐官”、その言葉に多少力を込めるとケッセルリンクが俺を睨んだ。
「それについては帝国も同様では有りませんかな、ミューゼル少将」

多少の睨みあいと嫌味の応酬を交わした後、自治領主府を後にして高等弁務官府に戻った。アルバート・ベネディクトを殺したのは誰か? ケッセルリンクの言葉が事実なら帝国という可能性も有る。俺が指示を出していない以上、命じたのはオーディンのあの男だろう。あの男ならやりかねない。

しかし俺の指摘した可能性も有るはずだ。ケッセルリンクは補佐官であって自治領主では無い。ルビンスキーが全ての秘密をケッセルリンクと共有しているとも思えない。そういう意味では腹立たしい事だが俺もケッセルリンクも帝国とフェザーンの駒の一つでしかない。

部下達にベネディクトの爆殺の事実確認を命じてからオーディンに通信を入れた。直ぐにあの男がスクリーンに映った。この男が姉上に護衛を付けていれば姉上は死なずに済んだはずだ。最初に報せてきた時は気が付けば罵声を浴びせていた。上官に対する対応では無かっただろう。

しかしこの男は何も言わなかった。黙って聞いていただけだ。何故、この男は何も言わないのか? いや何故この男は必ず自分で連絡を入れるのか? 嫌な仕事なら部下に押し付けても良さそうなものだが……、まさかとは思うが俺の反応を楽しんでいる?

『どうかしましたか?』
「アルバート・ベネディクトが死にました」
俺の言葉に最高司令官は僅かに考える様なそぶりを見せた。驚いた様子は無い、それを見ればスクリーンに映るこの男が暗殺の指示を出したようにも思える。もっとも俺はこの男が驚いた所を見た事が無い。また思った、一体誰がベネディクトを殺したのか……。

『自然死ですか?』
「いえ、爆殺です。地上車ごと爆破されたそうです」
『……間違い有りませんか?』
「?」
『地上車に乗っていたのはアルバート・ベネディクト本人だったのかと訊いています』

なるほど、身代りという可能性も有るか。
「小官もケッセルリンク補佐官から聞いただけで見たわけではありません。現在、事実確認をさせています」
『なるほど』
相手が頷いた。

『事実なら口封じ、という事ですね』
「ケッセルリンク補佐官はフェザーンでは無いと言っていました。むしろ帝国ではないかと疑っておりましたが……」
俺が探りを入れると最高司令官が笑みを浮かべた。
『自分が殺したなどと素直に認める人間がいるとも思えませんが』
確かにそうだ。もう一歩踏み込んでみるか。

「閣下は何者の仕業と思われますか?」
『さて、フェザーンか、帝国か、或いはそれ以外か、何とも言えませんね』
ヴァレンシュタイン最高司令官は帝国を外さなかった。自分が手を下した可能性を否定していない……。

「それ以外、と言いますと?」
『例えば商売敵やフェザーンに居る門閥貴族の遺族が考えられます。エルフリーデ・フォン・コールラウシュが利用されたと知って報復した、可能性は有るでしょう』
ベネディクトを殺したがっていた人間は俺が考えるより多いようだ。

『ミューゼル少将は何もしていませんね?』
俺? 驚いて最高司令官を見た。相手は笑みを浮かべて俺を見ている。
「小官を疑っておいでですか?」
『アルバート・ベネディクトが死んだ以上、エルフリーデ・フォン・コールラウシュを生かしておく必要は無くなりました』
「……」
『少将にとっては一石二鳥ですね。ベネディクトを始末する事で実行犯であるエルフリーデも始末することが出来る……。動機は有るでしょう』

そうか、そういう見方も有るのか……。先程帝国を外さなかったのは自分では無く俺を疑っての事か……。
「小官はこの件に関しては一切無関係です」
幾分強い口調で言うと最高司令官が軽く笑い声を立てた。

『そうですね、ミューゼル少将は本件には関係無い、分かっています』
分かっている? スクリーンに映る最高司令官は笑みを浮かべているがその笑みが意味有り気に見えるのは気のせいだろうか。俺を見張っていた? 或いは暗殺の指示を出したのはケッセルリンクの言う通り……。最高司令官が笑みを消した。

『帝国の立場ははっきりとしています。今回の一件、フェザーンがアルバート・ベネディクトを利用して帝国を混乱させようとした。それを闇に葬るためにフェザーンが口封じをした、そういう事です』
「……」
強くは無いが冷たい口調だった。

『まあこれで自治領主府に協力する馬鹿な商人は減るでしょうし貴族達も危険だと認識するでしょう。そうは思いませんか』
「小官もそう思います」
全てが分かった。この男はフェザーンがアルバート・ベネディクトの事を引き渡すなどと期待してはいなかったのだ、最初から奴を殺すつもりだった。

引き渡しを要求したのはフェザーンが口封じをしたと皆に思わせるためだ。フェザーンが引き渡しを渋れば渋る程ベネディクトが事件の黒幕であると、フェザーンがそれに関与していると皆は思うだろう。そして口封じの疑いは強くなる。ケッセルリンク、どうやら俺の忠告は少し遅かったようだな。お前達はこの男を怒らせてしまった。これからどうなるかはオーディンのみが知る事だろう。



 

 

第五十四話 所詮は帽子の羽飾り


帝国暦 489年 4月 12日  オーディン  新無憂宮 翠玉の間 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ



久しぶりに行われた政府主催の親睦パーティ、新無憂宮翠玉の間は大勢の人で賑わっていた。もっとも出席者の顔ぶれは内乱以前に比べればかなり違う。以前は貴族が主体だった。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、そしてその取り巻きの貴族達……。しかし今は出席者の大部分が下級貴族、平民だ。軍人、政府閣僚、高級官僚。かつて栄華を誇った貴族は少数派と言って良い。

それも仕方が無い、パーティの主催者が平民なのだ。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、帝国軍最高司令官兼帝国宰相、この国の最高権力者。彼は実力でその地位に就いた。その気になれば貴族になる事も簡単だ。だが彼はその事に何の関心も払わない。爵位に等何の興味も無いのだろう。誰かが貴族になる事を勧めれば冷笑するに違いない。

「久しぶりですね、シュテルンビルト子爵夫人、ノルトリヒト子爵夫人。お元気でしたか?」
宰相閣下がシュテルンビルト子爵夫人、ノルトリヒト子爵夫人に和やかに声をかけた。元はブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人だった。反逆者の妻だったとはいえ二人ともフリードリヒ四世の娘、皇族だ。

「お陰様で私も妹も元気にしております。宰相閣下には何時もお気遣い頂き感謝しております」
シュテルンビルト子爵夫人が笑みを浮かべて答えた。ノルトリヒト子爵夫人も笑みを浮かべている。帝国最大の権力者が一番最初に声をかけた。その事はこの二人が帝国でもっとも大事な、敬意を払うべき存在である事を意味する。彼女達にとってこれほど自尊心をくすぐる事は無い筈だ。多くの出席者も注目している。

「フロイライン達はお元気ですか?」
「はい、エリザベートもサビーネも元気にしております」
「それは良かった。生活環境が変わって苦労しているのではないかと心配していたのです。難しい御年頃ですからね」
「有難うございます宰相閣下。娘達も閣下のお気遣いを知れば喜ぶでしょう」
「シュテルンビルト子爵家、ノルトリヒト子爵家は大切な存在ですから当然の事です」

和やかに宰相閣下とシュテルンビルト子爵夫人が話している。知らない人にはかつてこの二人が敵対し子爵夫人達が夫を殺された等とは信じられないだろう。だがここで交わされた会話は一つ一つに意味が有る。この場には居ない二人の娘について話したのがそうだ。当代だけでなく次代の当主にも関心を持っている、そして両子爵家は大切な存在と言った。次代になってもその待遇は変わらない。両家にとってこれ以上の保証は無い。

「領地経営で困った事は有りませんか?」
「今のところは特に有りません、そうでしょう、クリスティーネ」
「ええ、お姉様」
「そうですか、何か困ったことが起きたら遠慮なく言って下さい。何時でも相談に乗ります。シュトライト准将、アンスバッハ准将、宜しいですね」
宰相閣下が声をかけると子爵夫人達の傍にいた二人の准将が一礼し子爵夫人達が“重ね重ねのお気遣い、有難うございます”と答えた。

宰相閣下は両子爵夫人に気遣っている。政治的な配慮では有るがその配慮に偽りはない。そのためだろう、両夫人の宰相閣下を見る目は優しい。そして私を見る目は冷たい。宰相閣下は敵だった。だが今では手を取り合う関係だ。マリーンドルフ家は敵ではなかった。しかし味方でもなかった。マリーンドルフ家は裏切り者だ。信用は出来ない、そう思っているのだろう。そしてそれは貴族達の殆どがそう思っている事だ。

「グリューネワルト伯爵夫人の事、残念な事でございました。お悔やみ申し上げます」
「御胸中、お察し致します」
両子爵夫人が伯爵夫人の事で宰相閣下を労わった。閣下が微かに寂しそうな笑顔を見せ、“お気遣い、有難うございます”と言った。そしてパーティを楽しんでくれと言って丁重に礼をしてテーブルを離れた。ここまで約十五分、十分な時間だろう。誰もがシュテルンビルト子爵家、ノルトリヒト子爵家に敬意を払うに違いない。

閣下がテーブルを廻る。参列者に挨拶をし軽く会話をして別れる。そうやって幾つものテーブルを廻った。私とフイッツシモンズ准将はその後を付いていく。一人の士官がポツンと立っていた。周囲には誰も居ない。血色が悪く白髪の多い髪。パウル・フォン・オーベルシュタイン少将。宰相閣下の艦隊の分艦隊司令官をしている人物だ。閣下が傍に寄った。

「オーベルシュタイン少将、楽しんでいますか?」
「はい」
クスクスと閣下が笑った。
「嘘はいけませんね。本当は詰まらないのでしょう」
「正直に言いますとその通りです」
宰相閣下が更に笑う。本当に楽しそうだ。気を遣わずに済む相手なのかもしれない。

「フェザーンの件、如何思います?」
「……」
少将が私と准将を見ている。
「心配いりません。彼女達は全てを知っています」
「……なるほど。ではやはりあれは閣下の御指示ですか。……小官は宜しいかと思います。フェザーンに対して十分な警告になるでしょう」
抑揚の無い声。本当に賛意を表しているとは思えない口調だが宰相閣下は気にする様子も無い。

「少将にそう言って貰えると嬉しいですね。及第点を取れたかな」
「……」
少将は返事をしなかった。そして宰相閣下も気にする事無く話し続けた。
「フェザーンには常に武力を示そうと思います。あそこは軍事力が無い、だからこそ武断的に対処する。その方が脅しとして効果が有る。そうは思いませんか?」

「同意します。しかし反発は有るでしょう。閣下の御命を狙うかもしれません」
「成功すれば良いですね。万一失敗すればどうなるか、今度はルビンスキー自身が自らの命で代償を払う事になる」
少将は無言、そして宰相閣下も無言。少しの間沈黙が落ちた。居心地が悪い。でもそう思っているのは私と准将だけの様だ。閣下も少将も自然体で寛いでいる。

「艦隊の方は如何です。十分に練度は上がりましたか?」
「はい。後は実戦を待つだけです」
オーベルシュタイン少将の答に宰相閣下がにこやかに頷いた。
「楽しみにしていますよ、少将」
宰相閣下が少将の肩に軽く手をかけて立ち去った。私と准将が後を追う、少将はまた一人になった。



帝国暦 489年 4月 13日  オーディン  帝国宰相府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



世の中には書類というものが無くなる事は無い。理由は簡単、お馬鹿な官僚達が自分は仕事をしていますと証明するためにやたらと報告書を書くからだ。そしてその表紙に“部外秘”、“極秘”、“最高機密”などと訳の分からんスタンプを押して自己満足を満喫する。迷惑な話だ。おかげで書類とそれをしまう書庫は可笑しいくらい増殖する。兵站統括部の物置部屋が良い例だ。

幸い俺は書類を読むのを苦にはしない。パーティで浮かべたくもない笑顔を浮かべながら談笑するくらいなら書類の山に埋もれている方が好きだ。俺の仕事を手伝っているヴァレリーとヒルダだが俺への報告書を選別する仕事も行っている。読むに値する書類、値しない書類。今のところ不都合は感じていない。まあヒルダは原作でも同じ事をしているからな。ヴァレリーは長い付き合いだ。軍で同じ仕事をして慣れている。

そして今日も俺は二人が選別した書類を読んでいる。楽しい一日だ。だがその楽しい一日をヒルダが破った。昨日パーティで疲れているんだ、少しは察しろよ。
「閣下、宮内尚書ベルンハイム男爵が至急お会いしたいとの事ですが」
「……分かりました。待っていると伝えてください」

宮内尚書が至急会いたい? 何だろうな、心当たりが無い。昔は宮内省は重要官庁だった。宮内尚書が至急会いたいと言って来たら重大事件発生と同義語だ。何と言っても皇帝一家の生活の管理、それに愛人達の管理もしていた。愛人達の勢力争いや妊娠騒動、皇族達のスキャンダルの揉消し、神経を使う問題は多かった筈だ。パーティ等の運営も宮内省だったな。大貴族達の顔を潰さないように行うのは大変だったろう。だが今は違う。今の宮内省はそれほど重要な官庁とは言えない。

何と言っても皇帝は未だ幼児だ。皇妃もいなければ愛人もいない。女性問題は起こしようがない。おまけに大貴族達は俺が潰してしまった。宮内省が気を使わなければならない貴族は例の子爵夫人達だけだがそれは俺に任せておけば良い。暇な筈だ。

宮中の官女達も整理した。人件費が馬鹿にならないんだ。若くて美人なのは退職金を与えて追っ払った。さっさと仕事を見つけるか男を見つけて結婚しろ、ガキに美人は不要だ。その所為で宮中は老人ホームかお化け屋敷かと陰口を叩かれているらしい。だからどうした? 俺は全然気にしないぞ。老人ホームなら官女達から入居料を取るしお化け屋敷なら宮中に入る人間から入館料を取るまでだ。公務員の増加と人件費の増加、これには目を光らせる必要が有る。

でも人間というのは愚かな生き物なのだ。俺の決定は軍や改革派のメンバーからは不評らしい。折角出世して宮中にも入れるようになったのに若くて美人な官女が居ないと文句タラタラらしいのだ。俺にはヴァレリーとヒルダが居るから美人が身近にいない寂しさが分からないのだとか。

馬鹿も休み休み言え。ヴァレリーはずっと年上だしヒルダは恋愛音痴の欠陥品だろう。皆遠くから見てるだけだからな、そういうのは分からんらしい。美人が欲しければ自分で揃えれば良いのだ。ただで目の保養をしようとか甘えるな。身銭切って遊ぶ分には文句は言わん、美人の居る店にでも行け。……あの官女達、ゼーアドラー(海鷲)で雇うという手も有ったな。阿呆な事を考えているとベルンハイム男爵が入ってきた。顔色が悪い、汗を頻りに拭っている。余り良くない状況だな。

「如何しました、ベルンハイム男爵」
「宰相閣下、御人払いをお願いします」
ベルンハイム男爵が邪魔だと言わんばかりにヴァレリーとヒルダを見た。こいつ、貴族だからな。男尊女卑の傾向が有るようだ。
「問題ありません。彼女達は私の信頼する部下です」

ベルンハイム男爵がチラッとヴァレリーとヒルダを見た。外してくれという事なんだろう。それを受けて二人が俺を見た。こっちは外しましょうかって感じだが俺は無視した。お前らは俺のスタッフなんだから俺の意思が最優先だろう。この程度の事でおたおたするなよ。

「如何しました、男爵」
ほら、さっさと話せよ。俺が促すと男爵が諦めた様な表情をした。
「実は、……」
「実は?」
「陛下の事なのですが……」
「……」

歯切れが悪いな。エルウィン・ヨーゼフ二世が如何した? 寝小便する癖が直らないってか。或いは夜泣きでもするようになったか。夢遊病を発症して夜中に歩き出しても俺は別に驚かんし不都合でもない。所詮は傀儡でお払い箱にするんだからな。むしろ皇帝不適格の烙印が押せるし好都合だ。

「その、陛下は……」
ベルンハイム男爵の汗が酷い、頻りに拭っているがそれでも汗が出ている。妙だな、そんな重大事が宮中に、あの幼児に有ったかな。俺にはとんと思いつかん。銀河帝国版宮中某重大事件だな、これは。

「その、陛下は……」
「如何したのです、ベルンハイム宮内尚書。陛下の事は平民の私には話し辛いですか?」
敢えて嫌味に言ってやるとベルンハイム男爵が慌てて首を振った。おい、汗が飛び散るだろう。さっさと話せよ。お前だって俺が貴族に良い感情を持っていないのは知っているだろう。ぐずぐずしていると更迭するぞ。

「その、陛下は……、ゴールデンバウムの血を引いていないのです」
「……」
はあ? 何だ、それは。血を引いていない? ヴァレリーとヒルダは目が点だ。俺も似た様なもんだろう。逆に男爵は話して気が楽になったのか落ち着きを取り戻した。

「先日、宰相閣下からの御命令で陛下の血液、遺伝子を御調べしました」
そう、調べさせた。男爵は不敬罪になるとか言って嫌がったが無理やりやらせた。名目は未だ幼い皇帝に病気が無い事を確認する事。万一病気が有れば次の皇帝を早急に選定する必要が有る。そういう事だった。本音は違う、エルウィン・ヨーゼフ二世は血液に異常が有る可能性が有った。それを確認する事。遺伝子を妄信したルドルフの末裔が遺伝子に異常を持つ。廃位の十分な理由になるだろう、そう思ったんだが……。

「血液、遺伝子に異常は有りませんでした。その際先帝陛下、皇太子殿下との遺伝子とも比較したのですが……。親子関係、親族関係は認められなかったのです」
「……なるほど」
まさに銀河帝国版宮中某重大事件だ。この男が人払いを願った筈だよ。無視したのは失敗だったかな。

「如何しますか?」
如何しますか? ベルンハイム君、君は何も分かっていないのだな。見事な武勲だよ、これは。これで俺があの幼児を廃しても誰も文句を言えなくなったんだから。帝国臣民も納得するだろう。ベルンハイム君、喜びたまえ。俺が皇帝になっても君は宮内尚書だ。野心家ならこれを取引材料にする筈だ。君はそれをしなかった。偉いぞ、褒めてやる。頭を撫でてやりたいくらいだ。

「報告書を提出して下さい。科学的根拠を示すデータも含めてです」
「はっ、分かりました。……その、陛下の本当の父親については……」
「捜す必要は無いでしょう。前の内乱で死んでいるかもしれませんしね。如何でも良い事です」
「……ですが、……では公表は……」
「いずれ時期を見て行います。それまでは他言無用です」
「はい」
不安そうな顔をしているな。

「安心してください。陛下には地位を退いてもらいます。一度は皇帝になられた方です。或る程度の年金を与えて経済面で苦労する事が無いようにします。幼児を虐待しているなどと言われるのは私としても本意ではありません」
安心したのだろう、ホッとした表情で男爵は帰って行った。心外だな。男爵は俺が残虐な男だとでも思っているらしい。俺は必要な事をしただけだ。残虐な事を楽しんでいるわけじゃない。

「閣下、あの、これは……」
ヒルダが困惑した声を出した。お嬢様だからな、托卵なんて考えた事は無いんだろう。
「エルウィン・ヨーゼフ二世の母親はルードヴィヒ皇太子以外の男性と性交しその男の子供を産んだという事です」
分かったか? ヒルダがモゴモゴしながら顔を赤らめた。ヴァレリーも顔が幾分赤い。

「閣下、陛下の父親は……」
「さあ、陛下の母君は既に亡くなっていますから……」
ヴァレリー、母親が生きていれば確認出来るが死人に口無しだ。確認のしようが無い。……自然死だよな? まさかとは思うが口封じか?

殺したのは相手の男かな。ただの火遊びのつもりだったがエルウィン・ヨーゼフが自分の子供だと分かった。女の口から自分の存在が周囲にばれるのを恐れ殺した。表沙汰になれば死刑は免れない、それどころか家族にも類が及ぶ。已むを得ないと思ったか。

いや、その前に法律上の父親、ルードヴィヒだがあれも自然死なのかな。ルードヴィヒが怪しんだので殺したって事は無いかな? 確かルードヴィヒが死んでその直後に母親が死んだ筈だ、逆だったか? いずれにしても前後して死んだ筈だ。ルードヴィヒが先に死んだとするとルードヴィヒを殺したのが母親でその母親を殺したのが父親? 逆だとするとルードヴィヒが母親を殺してそれを知って怯えた父親がルードヴィヒを殺した? 二人の遺体を確認させた方が良いかな?

しかし父親は誰だ? 宮中に出入り出来る男、それだけなら貴族だが皇太子の愛人にも近付ける男となると単純に貴族とは言えないだろう。ルードヴィヒは身体が弱く最後は寝たり起きたりだったと聞いた覚えが有る。となると貴族も訪ねるのを遠慮したんじゃないかと思う。そんな病人の傍にいるのは……、宮廷医か? 医者なら怪しまれずに近付けるし毒を盛って殺すのも簡単だ。となると今も宮中に居る可能性は有るな。

フリードリヒ四世は知っていたかもしれん。エルウィン・ヨーゼフはゴールデンバウムの血を引いていないと。だから皇太孫にしなかった。そしてこのままではブラウンシュバイクとリッテンハイムの後継者争いで内乱が生じ帝国はボロボロになると思った。だからあんな事をした……。

考え過ぎかな、しかしそれが事実ならエルウィン・ヨーゼフの父親と母親はフリードリヒ四世が始末した可能性もあるな。息子の死に不審を感じ極秘に調べた。そして真実を知り二人を始末した。エルウィン・ヨーゼフを殺さなかったのはどうせ皇帝にはなれないと思ったのだろう。誰が権力を握っても殺されるか廃立されると思ったから殺さなかった。エルウィン・ヨーゼフまで死んでは流石に怪しまれると思ったのかもしれない。

「閣下?」
気が付けばヒルダとヴァレリーが俺を見ていた。俺を呼んだようだがどっちだ?
「何度もお呼びしたのですが」
「ああ、すみません、准将。ちょっと考え事をしていました」
なるほど、道理で二人とも不安そうな顔をしているわけだ。俺は思考の海に沈没していたらしい。悪い顔でもしていたかな。

銀河帝国には皇位を継ぐ男子が居なくなった。例の子爵家は反逆者の家系だ、皇位は望めんし望む事も無いだろう。危険は分かっている筈だ。となるとペクニック子爵家の幼児か。あれを皇帝にするしかないが……。それともこのままあのエルウィン・ヨーゼフを皇帝にしておくか……。

「宜しいのですか? 陛下を、その、このまま……」
ヒルダが言い辛そうに訊いてきた。
「……構いませんよ、フロイライン。帽子の羽飾りの色が何色だろうと、汚れていても私は興味が無い。フロイラインは気にしますか?」
ヒルダが顔を強張らせて首を横に振った。

このままにしておこう。ヒルダも気にしないって言っているしな。いずれ簒奪する、その時の理由の一つになるだろう。誰が皇帝でも傀儡なんだ、放っておけば良い。所詮は帽子の羽飾りだ。



 

 

第五十五話 強かな男の狙い



帝国暦 489年 5月 13日  オーディン  新無憂宮  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



最高司令官閣下が新無憂宮の一室に政府閣僚を集めた。閣下は帝国宰相を兼任しているからその事に問題は無い。そしてシュテルンビルト子爵夫人、ノルトリヒト子爵夫人、ペクニッツ子爵にも召集をかけた。閣僚達は皆居心地が悪そうな表情をして椅子に座っている。

三人の貴族はいずれもゴールデンバウムの血を引いている。本来なら呼び付けられるような存在ではないし下座に坐る様な存在でもない。その事を考えているのだろう。そして三人の貴族達も居心地が悪そうに椅子に坐っている。彼らは以前と違って絶対的な権力、権威を保持していない事を席の位置で改めて示された。何故ここに呼ばれたのか不安なのだ。

そして私とマリーンドルフ伯爵令嬢も会議への参加を命じられた。宰相閣下の両脇に並ぶ。マリーンドルフ伯爵令嬢の顔は強張っていた。おそらくは私も同様だろう。これから何が話されるか、あの三人が呼ばれた事で想像がつく。それを考えると胃が痛くなる様な感じがする。

「皆、揃ったようですね」
最高司令官が口を開くと皆が彼に視線を集中した。それを気にかける事も無く最高司令官が言葉を続けた。
「少々厄介な問題が発生しました。それについて我々は話し合わなければなりません。宮内尚書、皆に話してください」

ベルンハイム男爵が困惑した表情でノロノロと立ち上がった。皆の視線が集まる中、気不味そうに三人の貴族に視線を走らせる。
「先日、宰相閣下の御命令で陛下の遺伝子、血液を調べました」
皆が顔を見合わせ、そして最高司令官閣下をちらっと見た。しかしそれだけだ。誰も口を開こうとしない。

「理由は陛下は未だ御幼少、当分御世継ぎを儲ける事は出来ません。もし陛下の遺伝子、血液に異常が有りそれが陛下の御命に係わる場合、我々は早急に後継者を選定しなければならない。それが宰相閣下の御考えでした」
ベルンハイム男爵が沈痛な表情で話す。話しの内容はおかしな事ではない。しかし閣僚達、貴族達は凍り付いた様に動かない。宰相閣下が“厄介な問題が発生した”と言った事を思い出したのだろう。

「陛下の遺伝子、血液を調べた結果異常は見当たりませんでした。陛下は至って健康であらせられます」
彼方此方で身体の力を抜く姿が見られた。甘いわよ、貴方達。厄介な問題が発生したと言ったのを忘れたの? フロイライン・マリーンドルフも微かに冷笑を浮かべている。第一、発言者のベルンハイム男爵は頻りに汗を拭いているのが見えないのかしら。

「その際、ある事実も確認されました。陛下は亡くなられたルードヴィヒ皇太子殿下の御子ではありません」
“馬鹿な”、誰かが呟いた。
「事実です。先帝陛下とも血縁関係が無い事が確認されました。陛下はゴールデンバウムの血を引いていないのです」
ベルンハイム男爵が首を横に振って答えた。また皆が凍り付いた。

「ご苦労でした。ベルンハイム宮内尚書。質問は有りませんか」
最高司令官の言葉に男爵がノロノロと椅子に座った。そのまま視線を避けるかのように俯いている。誰かがゴクッと喉を鳴らす音が聞こえた。どう受け取れば良いのか分からないのだろう。最高司令官閣下も無言のままだ。多分、皆の反応を確認しているのだろう。

「その、よく分からんのだが、このような場合どうなるのかな。宮内尚書、御存じなら御教示願いたい」
困惑しながら宮内尚書に問い掛けたのはオスマイヤー内務尚書だった。ベルンハイム宮内尚書が顔を顰め大きく息を吐いた。多分、宮内尚書という職に就いた事を今ほど後悔した事は無いだろう。

「このような事は前例が有りませぬ。どうなるかと言われても……、お答えしかねます」
「しかし卿はこの問題を一番最初に知った筈。如何すべきかも考えたのではないかな」
内務尚書の問いに何人かが頷く姿が見えた。宮内尚書がまた顔を顰めた。本音を言えば知った事かと言いたい気分だろう。

「本来であれば畏れ多い事では有りますが廃立され新たな皇帝が即位されるべきだと考えます」
何人かが頷いた。そして三人の皇族が身体を強張らせるのが見えた。新たな皇帝は三人の家から選ばれるだろう。だがその事を喜べない現実が有る。三人はそれを理解している。

「現時点で廃立は考えていません」
「……」
静かな口調だった。だが最高司令官閣下の言葉に誰も反駁しない。ただ何人かが顔を見合わせたのが見えた。“現時点で”、意味深な言葉だ。最高司令官は廃立を否定はしていない。

「文武百官が陛下の御即位を寿いだのです。それに陛下の御即位に伴い内乱が発生し大勢の人間が犠牲になりました。今更あれは間違いでした、新しい皇帝をとは言えません。ですがこの事実は公表します」
今度は閣僚の殆どが顔を見合わせた。物問いたげな視線を最高司令官閣下に向けている。

「良からぬ者が陛下を利用しようとするかもしれません。例えば陛下を誘拐して新たな政府を樹立する。それによって現政府に反対する人々を結集する」
ざわめきが起きた。なるほど、最高司令官に反発する人間、特にゴールデンバウム王朝に忠誠を誓う人間なら行う可能性は有る。伯爵令嬢が大きく頷くのが見えた。

「私の顔を潰すという意趣返しの意味でも行うかもしれません」
「……」
「しかし陛下がゴールデンバウムの血を引いていないなら誘拐の対象にはなりません。至って安全です」
酷い言い方だ。要するに皇帝なんか誰でも良い。でもゴールデンバウムの人間が皇帝だと誘拐されるかもしれないから別な人間を皇帝にしておこう、そう言っている。閣僚達も頷いてはいるけど複雑な表情だ。でも明確に反対を表明する人間は居ない。傀儡の皇帝なのだ、その事を誰もが理解している。

「事実が表明されれば危険なのはそちらの方々です。いずれも後継者は女性ですからね、帝国を私物化する悪い宰相から姫君を助けだす。そして帝国を正しい姿に戻す。そんな事を考える馬鹿が出るかもしれません」
三人の顔が大きく強張った。そんな事になれば如何なるか、それを考えたのだろう。

「オスマイヤー内務尚書」
「はい」
「そちらの方々に警備、護衛の手配を御願いします」
「承知しました」
内務尚書が答えると最高司令官が頷いた。そして視線を三人に向けた。

「多少御不自由をおかけする事になりますが御理解頂きたいと思います」
「お気遣い有難うございます」
「御配慮感謝いたします」
「有難うございます」
三人の貴族が口々に礼を言った。多分警備、護衛と言うのは監視も含まれている筈。三人もそれを理解しているかもしれない。それでも不満を言わないのは誘拐されるよりはましだと思っているからだと思う。最高司令官を怒らせる怖さを彼らは良く知っている。

最高司令官はペクニッツ子爵とベルンハイム宮内尚書に残る様に指示を出すと会議を終わらせた。子爵と宮内尚書の顔が強張っている。二人だけが残る様に言われた、明らかに怯えている。あまり良い事とは思えない。
「ペクニッツ子爵、正直に答えて下さい。金銭的な問題を抱えていませんか?」
「は、あの、いえ」
ペクニッツ子爵があたふたしている。もう無理、諦めて正直に話なさい。

「金銭面での問題で馬鹿共に付け込まれても良いのですか?」
「実は、ぞ、象牙細工の……」
「借金が有るのですね。幾らです?」
「その、七万五千帝国マルクです」
情けなさそうに子爵が言うと最高司令官が頷いた。

「他には有りませんね」
「有りません」
「分かりました。宮内尚書、予備費から払って下さい」
「承知しました」
宮内尚書はほっとした様な表情をしている。子爵も情けなさそうだけどほっとしている。

「シュテルンビルト子爵家、ノルトリヒト子爵家には帝国政府から百万帝国マルクが年金として支給されています。ペクニッツ子爵家に何も無いと言うのは少々不公平ですね。いずれ時期を見て同じ待遇にしましょう」
「有難うございます」
あのね、喜んでるけど分かってる? 時期を見て、そう言ったでしょ。つまりその時期ってのはゴールデンバウム王朝が滅ぶ時だと思うんだけど……。気付いてないわね。これじゃ滅ぶはずだわ……。



宇宙暦798年 6月 13日  ハイネセン  統合作戦本部  アレックス・キャゼルヌ



お茶の一時、ラウンジに置いてあった週刊誌を手に取った。表紙は若い女性が微笑んでいる写真を使っている。しかしその表紙には帝国の皇帝がゴールデンバウムの血を引いていないとタイトルが書かれていた。表紙とタイトルがなんとも不似合いな事だ。

銀河帝国は皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世がゴールデンバウム皇家の血を引いていない事を発表した。しかもDNA鑑定の結果も公表している。それが本当にエルウィン・ヨーゼフ二世のDNAなのかという疑問は有る。だがそれを除けば鑑定結果におかしな点は無かった。それが医学関係者の評価だ。

皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世はゴールデンバウム皇家の血を引いていないのかもしれない。だがそれだけだった。皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世は廃立されるわけでもなく今も皇帝の地位にある。そして帝国は混乱する事無く存在している。

おそらく彼はゴールデンバウム王朝最後の皇帝になるだろう。だがその皇帝が実はゴールデンバウム皇家の血を引いていないとは何と皮肉な事か。エーリッヒ・ヴァレンシュタインがゴールデンバウム王朝の幕を閉じる前に既に幕は閉じられていたのだ。

この問題に関しては同盟政府もはっきりしたコメントを出していない。エルウィン・ヨーゼフ二世が皇帝に相応しくないと言えば血統による皇位継承を認める事になる。ルドルフの遺伝子妄信を認めかねないのだ。皇帝に相応しいとは言えないが相応しくないとも言えない。

せめてエルウィン・ヨーゼフ二世に実力が有ればとは思っているだろうがそれを言えばヴァレンシュタインの簒奪を認めかねない。傀儡、しかも正当性の無い傀儡の皇帝。誰のための、何のための皇帝なのか。不思議な存在だ。こんな奇妙な存在がこれまで存在しただろうか……。

「それ、見てるんですか」
聞きなれた声だ。顔を上げるとヤンとアッテンボローが居た。
「休憩か、二人とも」
二人ともおかしそうに笑いながら同じテーブルの席に着いた。
「まさかキャゼルヌ少将がゴシップ記事に興味があるなんて思いませんでしたよ」

「ゴシップだと思うか、アッテンボロー」
「そう思いますね。簒奪する前にゴールデンバウム皇家の権威を落としておこう、そんなところでしょう」
アッテンボローが肩を竦めた。元々ジャーナリスト志望だからな、詰まらんゴシップ記事には拒否感が有るのだろう。だが……。

「俺はそうは思わんな」
二人が俺を見た。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン。嫌な奴だが詰まらん嘘を吐くような奴じゃない。DNA鑑定なんて簡単に出来る、嘘を吐いても直ぐばれるんだ。この記事、多分事実だろうな」
アッテンボローとヤンが顔を見合わせた。

「ヤン、お前さんは如何思う?」
「さあ、何とも言えませんね」
ヤンが髪の毛を掻き回した。
「ですが確かに嘘だとは決めつけられない。これが嘘ならちょっと底が浅過ぎるのは確かです」
アッテンボローは幾分不満そうだ。

「しかしこれが事実だとしてわざわざ公表する意味は何です、先輩」
「そうだな、……反ヴァレンシュタイン勢力を混乱させられるだろう。本来皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世は彼ら反ヴァレンシュタイン勢力の忠誠心の向かう先だった。皇帝への忠誠心が彼らを一つに纏める筈だった」
「……」
ヤンがまた髪の毛を掻き回した。

「ところがエルウィン・ヨーゼフ二世はゴールデンバウムの血を引いていない。皇帝になるべき人間じゃないんだ。反ヴァレンシュタイン勢力は誰に忠誠を捧げるか、そこから始めなければならなくなった。混乱するだろうし一つに纏まるかどうか……。時間がかかるだろう。それだけでもヴァレンシュタイン元帥は有利だよ」
「なるほど」
アッテンボローが頷いた。

「廃立しないのはその所為ですか。廃立すれば新たな皇帝を立てなければならない。当然だがその皇帝はゴールデンバウムの血を引いている。つまり反ヴァレンシュタイン勢力が新たな皇帝の名の元に纏まり易い」
「その可能性は有ると思うね」
“強かだな”とアッテンボローが溜息を吐いた。

「そう、強かだよ、アッテンボロー。彼は驚くほど強かだ」
「……」
「ヤン、お前さんの言う通りかもしれない。だがな、俺はヴァレンシュタイン元帥の狙いがそれだけとは思えない。別な事も考えているんじゃないか、そう思っている」
二人が俺を見た。

「皇帝が誰であろうと関係ない。帝国を統治しているのは自分だ。そう帝国人達に宣言しているんじゃないかな。エルウィン・ヨーゼフ二世が皇帝の地位にあればある程ヴァレンシュタイン元帥の影響力、支配力は強まる。彼がエルウィン・ヨーゼフ二世を廃して自らが皇帝になった時、それを簒奪と言えるのか? 真の実力者が偽の皇帝を廃して皇帝になっただけだ。帝国を正しい形にした、そうなるんじゃないか」
今度はヤンが溜息を吐いた。

「有りそうですね、それ」
「……」
「今のヴァレンシュタイン元帥にとっては敵の撃破以上に足元を固める事が大事なのかもしれない。エルウィン・ヨーゼフ二世はそのための道具か。情け容赦ないな」
ヤンが嘆息した。沈黙が落ちた。その沈黙を振り払うかの様にアッテンボローが頭を振った。

「父親、誰なんでしょうね」
「貴族だとは思うけどね、生きているか死んでいるか」
「死んでいれば幸いだな。生きていれば地獄だろう」
自分の不義の息子が帝国を終わらせる道具になっている。苦しいだろう、だが誰にも話す事は出来ない。話せば身の破滅だ。心の中に秘めて生きて行くしかない……。