魔法使いの知らないソラ


 

プロローグ

 
前書き
どうも、エロリテラスことIKAです。

魔法使いの知らないソラを暁で連載させました。

これは二次創作とクロスオーバーさせるためでもあり、私の小説幅を広げるのが目的です。

コラボ等も考えておりますのでご期待下さい。 

 
季節は、厚手のコートをしても寒い冬。

古風で西洋の雰囲気のある建物や、レンガで作られた家がある町。

小中高がエスカレーター式の学校が多く存在し、この町の人口は学生とその学校の卒業生が占めていると言っても過言ではない。

学校が多くあると言う理由から、学生寮・学生用アパートが多く存在する。

学生が多いと言う理由から、様々な『噂』が絶えない。


――――――喋る黒猫

――――――空飛ぶ少女

――――――人食い狼

――――――謎の金属音


気づけば皆、その噂の数を数えるのをやめた。

そんな噂にだって、原因がある。

この町は、深夜に様々な事件が発生している。

その事件が学生の間で広がり、噂は噂を産み出し、何度も変化していった。


そんな町で俺は、新たな日常を過ごす。

そして始まった新たな日常で、俺は様々な事件に巻き込まれていく。

事件を通して出会っていく、過去に苦しみ、未来に迷う少年少女。

迷いの中、見つけていく答え。


――――――俺たちは、あのソラを求めていたんだ―――――― 

 

第一話

<AM06:30>

―――ピピピッ!!ピピピッ!!!


「ん‥‥‥っ」


ベットの脇に置いてある黒いスマートフォンから、聞き覚えのあるアラーム音が聞こえる。

この音が聞こえたということは、目覚めのときなのだろうと気づいて意識を覚醒させていく。


「‥‥‥ふぁぁぁ~」


季節は冬。

朝は氷点下近くまで気温が下がるため、三重にも重ねた毛布の温もりから離れるのはとても名残惜しい。

冬の布団は魔性のアイテムとも言え、少し油断すれば再び夢の世界に墜ちる。


「ぅ‥‥‥ぁ」


喉の奥から鈍い声を出しながら、温もりから離れる。

白のジャージを着ているが、寒さの前では無力にも感じる。


「っ‥‥‥」


そして彼はジャージを脱ぎ、ダンボールを一つ開けると、中から出てきた学生服を手に持って着替える。

黒をベースにしたブレザー、白と黒の細かいストライプ柄のズボン、そして赤一色のネクタイを首に巻いて結ぶと、彼はスマートフォンのカメラ機能を使って自分の服装がちゃんとしているかを確認する。

ネクタイはしっかり結べているのか、ボタンは締め忘れていないのかなど、細かい部分まで確認する。

冬にも関わらず、不慣れに制服を着ているのは、彼がこの制服を着るのはこの日が初めてだからだ。

そう。彼――――――相良翔はこの日、この町にある高校『私立灯火高等学校』‥‥‥通称『|灯高(ともこう)』に転校生として入学することになる。

理由は後々語るとして、主には家庭の事情と言うのが多い。

そのこともあり、一人暮らしでこの町にやってきて、これからは一人で生活していくことになった。

月に一度、仕送りは送られてくるが、それだけでは心もとないので近いうちにアルバイトをと計画もしている。


「さて、行くか‥‥‥」


説明をしている間に彼は着替えを終え、新品の鞄を手にして玄関に向かう。


「‥‥‥行ってきます」


誰かにいう訳ではない。

だが今までの癖みたいなものがあったため、つい言ってしまった。

まぁ別に悪いことではないだろうかと思った翔は、このことを保留にして家を出て、鍵をかけたのだった――――――。



                  ***


「寒‥‥‥」


翔が歩いているのは、通学路となっている長い一本道。

横幅20m。一本道の距離1kmにも及ぶ長く広い一本道を歩く。

冬の冷たさのせいで地面は軽く凍結しており、油断すれば滑って怪我をするだろう。

この長い一本道は、別の高校の学生たちも利用しており、途中にあるいくつもの分かれ道を通ることで各々の学校に向かうことができる。

相良翔の向かう灯高は、この長い道をまっすぐ一直線に進めばいいだけであるため、道を覚えるのは簡単だ。

それよりも問題は、この寒さである。

冬真っ只中、特に今日はスマートフォンで確認したのだが、どうやら今季一番の冷え込みと言うことらしい。

そのため、翔は制服の上に白のトレンチコートを羽織り、さらに白と黒のストライプ柄のマフラー、白い手袋を着用と、完全防寒装備にした。

だが、それをもってしても手は裂けるかのような冷たさと痛み、頬を掠める冬風は全身を細かく震わせる。

できれば学校には暖房があって欲しいと心底願うばかりだった。


「(‥‥‥にしても、やっぱり転校初日って言うのは緊張するな)」


寒さを紛らわせようと、何か話題を自分の中に出してみた。

思いつくのはやはり、今日が転校初日と言うこと。

どんな理由にせよ、始めと言うものはどうしても緊張してしまうものだ。

人付き合いの苦手な彼は、緊張とともに不安と言うのもある。

人付き合いが苦手、と言うよりは人と会話をするきっかけなどを上手くつかめないのだ。

そのため、タイミングを何度も逃し、結果的には孤立してしまう。

中学生のころは、上手く人に声をかけられず、友達と呼べるものはできなかった。

今回も同じになってしまわないように、なるべく人と話せるようになりたいと思っている。


「(転校生って言うこともあるし、転校生をきっかけに色んな人が話しかけてくれると嬉しいけどな)」


そんなことを考えながら歩いていると、自分と同じ学生服を着て歩く学生たちがちらほらと見え出した。

知らない人ばかりが歩くため、そわそわとした緊張感を隠せない。

翔はそんな緊張を無理やり抑えながら、しばらく歩き続けると、学校の校門に辿りついた。


「ここが‥‥‥」


資料では何度も見たことのある光景だが、やはり実際の目で確認するとまた凄いの一言だった。

校門を真っ直ぐ30m程先に全生徒が入る下駄箱があり、校門入って右手を数mに教師や関係者などが入る玄関が配置されている。

そして学校の形状だが、レンガ色が目立つ校舎。

校舎は屋上も含めると5階建てとでかい。

体育館と校庭もそれなりに広く設備されているらしい。

そんなこの学校は、全校生徒3000人以上といるマンモス校で、理由は小中高一貫となっているからだ。

つまりこの学校には、俺たちのような高校生以外には、小学生や中学生も普通に通っているのだ。

だが、そうと分かっていてもこの人数には流石に圧倒されてしまう。

そう考えつつも、翔は取り敢えず職員室に用があるので下駄箱の方には向かわず、教師用玄関に向かって歩きだした。



「そこの君、そこは教師用玄関です。 一般生徒が無断で入るのは校則違反ですよ」

「ッ!?」


すると背後から女性の声が聞こえ、翔は不意を突かれたようにビクッと体を震わせて後ろを振り向く。

そこには、仁王立ちして腕を組み、いかにも年上と言う雰囲気漂わせる女性がいた。

黒く、腰まで垂れ下がり、冬風に靡く髪は彼女の凛々しさを強く印象付ける。

目は補足、モデルのようなすらっとした脚。

美しく、凛とした姿はまさに大人の女性と言ったところだろう。

教師かと一瞬だけ思ったが、この学校の制服を着ているため、どうやら先輩だろうと理解した。


「あれ?  見ない顔ですね?」

「あ、今日からこの学校に転入する一年の相良翔って言います」


少し慌ててしまったため、早口での挨拶になってしまったが、ちゃんと聞き取ってくれた彼女は『なるほど‥‥‥』としばらく考えると軽く頭を下げて言った。


「それは申し訳ない事を言いました。私は三年一組の『井上(いのうえ) 静香(しずか)』です。この学校の生徒会長を務めているものです」


優しく透き通った声が、彼の耳の中を通る。

凛とした雰囲気とは相反して、優しい姉を思わせるような声に翔は最初の緊張感が少し和らぐのを感じた。


「ここの学校の校長から―――『学校に来たら先に校長室に足を運んで欲しい』と言われていたので、ここから行こうと思ったんですけど?」

「そうでしたか、分かりました。 校長室は、職員室の隣にあります。 それでは、これからよろしくお願いします」

「はい。 よろしくお願いします」


彼女に一礼した翔は、職員玄関から学校に入り、校長室へ向かったのだった。



                  ***


この学校の校長は、女性だった。

容姿からして50代といったところだろう。

祖母のような優しい雰囲気を醸し出す校長は、相良翔の転入を歓迎してくれた。

しばらく、校長からこの学校での説明を受けた。

とは言え、校則系に関しては校長からもらった生徒手帳に記されていたので主に話されたのは部活動やこの学校そのものの説明や歴史だった。

校長と言えば面倒に長い話と言うイメージがあったが、この校長は少し違い、長く話さず要点だけをまとめて話していた。

説明を終えた校長は、翔のクラスと担任の教師の説明をすると、『これから卒業まで頑張ってください』と一言言って話しは終わった。


そして翔は今、担任の女教師『柚姫(ゆずき) (かなで)』と共に教室に向かって廊下を歩いていた。

既に|HR(ホームルーム)が始まっているため、廊下は人一人おらず、静まり返っていた。

翔は柚姫先生のあとを追うように後ろを歩きながら会話をしていた。


「私のクラス、1-1組は55人いるの。多いから不安も多いと思うけど、すぐに慣れるわよ」

「はい‥‥‥」


流石はマンモス校、ひとクラスの人数もそれなりに多い。

しかも、廊下を歩き始めてすでに1分は経過している。

ペースは少し速歩にも関わらず、未だに『1-1』と書かれたプレートが見つからない。

 
「(というか1-6組って‥‥‥多いな)」


どこの学校も基本的には一学年4クラスか3クラス編成だ。

翔の通っていた中学校も4クラス編成になっていた。

その上、今は少子高齢化と言われている。

そのため、6クラスある学校は珍しい。


「さて、ここよ」

「‥‥‥」


そんなことを考えていると、1-1と言うプレートの真下に辿りついた。

ドアを開ければ、きっとこのクラスの全生徒が自分を見るだろう。

そのプレッシャーとも言える空気に、彼はどう言う挨拶をすればいいのかと不安に思った。


「それじゃ、入りましょう」

「‥‥‥」


翔の耳は、柚姫先生の声を聞き入れてはいなかった。

決してあがり症というわけではないが、冬の寒さと言葉にできない程の緊張感から、全身が氷のように冷え、脚がガクガク震える。

そして吐き気や過呼吸になりそうなのを無理やり押さえ込むと、柚姫先生と共に教室の中に入っていくのだった。


「はい皆、HRの前に今日は転校生と紹介します」


柚姫がそう言うと、翔は生徒達の視線から逃れるかのように、背を向けて黒板を見る。

そして白いチョークを右親指と中指でつまみ、人差し指を指差すように支えて安定させるように持つと黒板に自分の名前を一番後ろの生徒にも見えるであろうとも言えるような大きさの文字で書く。

書き終えた翔は意を決したように再び生徒達の方を向くと、軽く挨拶をする。


「相良翔です。 今日からこのクラスでお世話になりますのでよろしくお願いします」


軽く会釈をし、挨拶をすると生徒たちは歓迎するかのように笑顔で拍手をしてくれた。

その光景に、翔は『ふぅ~』と、安心したように溜まった息を吐き出す。

もしも真面目な人たちが集まって、暗い空気になっていたらどうしようかなと不安だったが、どうやら明るいクラスのようだ。

そのことに安堵すると、柚姫先生が書類に書かれていた程度の情報で相良翔の説明をする。


「相良君は昨日、|灯火町(ここ)に引っ越してきたばかりだから何も知らない。 だから皆さん、相良君に色々と教えてあげてくださいね」 


先生の話に、生徒は『は~い!』と快く受け入れた。

そんな明るい光景を眺めていると、翔は教室の隅っこ‥‥‥窓側一番後ろの席に座って窓の外を眺めている一人の女子生徒がいることに気づいた。


「(あの人‥‥‥綺麗だな‥‥‥)」


女子の中では少し背が高く、穢れなき黒く艶やかな髪を腰まで垂れ流し、蒼い瞳はまるでソラの色そのものに見える。

清楚で、ポーカーフェイスの彼女の姿は、どこか翔の中で気になるところだった。

‥‥‥そんな彼女に目が行っていると、クラスの女子生徒が一人手を挙げて、翔に転校生に対して恒例とも言える質問をする。


「相良君の好きなタイプはどんな子ですか!?」

「え‥‥‥っと」


恒例といえど、されたことのない質問に対してはどう答えればいいのか分からない。

実際、恋愛には価値はあるだろうが興味がないため、好きなタイプと聞かれると答えに迷う。

翔は少し唸ると、取り敢えず妥当と言えるような答えをする。


「優しくて、積極的な人かな‥‥‥?」


そう答えると次の女子生徒が手を挙げて別の質問をする。


「相良君の趣味って何ですか!?」

「う~ん‥‥‥趣味って程かどうかは分からないけど、散歩かな? 知らないところを見つけに散歩に出たりすることが多いかな」


本人曰く、趣味と言うよりは癖のようなものだ。

親から聞いた話では、小学生の頃から放浪癖が強く、少し時間があれば勉強・ゲームよりは散歩をしていたらしい。

それで帰りが深夜になったときはこっぴどく叱られたのを、未だに彼は覚えている。


「相良くんは――――――!」

「(まだ続くのか‥‥‥)」


それから数分間、彼は女子生徒中心に際どい質問からぶっちゃけた質問まで、まるでデータを取るかのような勢いで質問を続けたのだった――――――。



                  ***


翔の席は、先ほど窓の外を眺めていた女子生徒の右隣になった。

視力は平均並みなので、別に一番後ろでも特に困ることはない。

朝のHRで質問が終わっているため、特に生徒に囲まれることはなかったは彼にとっては救いとも言えるだろう。

そして今、翔の周りに3名の男女が話しかけてきた。

どうやら3人とも、友人同士らしい。


「俺は『|三賀苗(みつがなえ) |(たける)』。 こっちは『|桜乃(さくらの) |春人(はると)。 そんでこいつが『|七瀬(ななせ) |紗智(さち)』」

「よろしく、相良!」

「よろしくね」

「あ、ああ。 よろしく」


武が一人で二人の名前を代表して言ったところを見ると、どうやら3人組のリーダー的存在なのだろう。

黒く、所々逆だっている髪がある武と、黒く少し髪の長い春人はフレンドリーなかんじを出すが、少し青みがかかったポニーテールの少女、紗智はどうやら内気なようで、初対面の翔に対して少し距離を置いたかんじの挨拶をする。

そんな彼らはどうやら彼と友達になりたいようで‥‥‥


「という訳で相良! 俺たちと友達になろうぜ!」

「どういう訳だ!?」


どこかの少年漫画で登場する主人公のようなセリフを臆面もなく翔に言った武に、反射的にツッコミを入れてしまった。

取り敢えず友達になりたいと言うのは理解した翔は、別に断る理由もない上にむしろこちらからお願いしたい程のため、快く了承した。


「と、取り敢えず、友達になろうって話だけど、こちらこそよろしく」

「おう! よろしく!」

「よろしく、相良」

「よろしくね、相良君」


転入初日から友達が3人もできたのは、翔にとってはとても大きな結果と言える。

この面々となら、きっと楽しい日々になるだろうと期待に胸をふくらませたのだった。

‥‥‥だが、不意に隣の席の女子生徒‥‥‥彼女がいないことに気づいた。

そろそろ授業が始まるが、どこにいるのだろうか?


「そういえばさ」

「なんだ?」

「俺の左隣の席‥‥‥女子だったと思うけど、どんな人なんだ?」


翔は3人にそう聞くと、意外にも紗智が答えた。


「隣にいるのは『ルチア=ダルク』っていうの」

「知ってるのか?」


紗智が自ら率先して発言するイメージがなかった分、翔は少し驚いていた。

だが、彼女がルチアと何らかの関係があるのであればそれも当然だ。

翔の予想通り、紗智は小さく頷いて答える。


「小学生の頃から、クラスが同じであんまり話しはしないんだけど、知ってるよ」

「へぇ‥‥‥」


翔が納得すると、紗智は少し振り返ったようにルチアと言う女子のことを話す。


「ルチアちゃん、小学生の頃から人と接してないの。 いつも人と話さないでソラを眺めてるから、人も寄ってこなくなってて」

「‥‥‥」


少しだけ、ルチアと言うあの人がどう言う人なのかなんとなく見えてきた気がした。

誰かと接するよりは、ソラを眺めている方がずっと自由に感じる‥‥‥そんな感じは、わかる気がした。


「そうなんだ。 ありがとう、七瀬」

「う、うん。 私で役に立てたならよかった」


照れくさそうにはにかむ紗智を見たときに、丁度チャイムが鳴り、皆は席に戻って授業が始まった。

そのときには、気づかぬうちにルチアも席に戻って、再びソラを眺めていたのだった――――――。


                  ***


お昼休みに入り、翔は武達を連れて購買に向かっていた。

マンモス校と言う理由もあり、購買はよくある購買戦争勃発状態になる。

そのため4人は現在、廊下を全力疾走している。


「今日はカツサンドとコロッケパンが半額だ! 絶対にゲットするぞ!」

「当然だ!」

「わ、私はチョココロネで‥‥‥」

「(弁当、作ってくればよかったかな‥‥‥)」


後の祭り、ということわざを翔は思い出していた。

今の自分の考えたことはまさにそれだろうなと後悔する。

財布はあるし、金はある。

だが、購買戦争で体力を浪費するよりは弁当を作った方が経済的にも体力的にもいいのではないかと思ったのだ。

もっと計画的に行けばよかったと後悔しつつも、取り敢えずこの空腹を満たすがために廊下を駆け抜ける。


「相良! 購買はあそこだ! そんじゃ俺が行く!」

「武! 死ぬなよ!」

「「(購買なのに‥‥‥)」」


4人の中で武が先陣を切ろうとすると、春人が武に敬礼をする。

その光景に翔と紗智はついつい心の中でツッコミを入れてしまう。


「行くぜ‥‥‥うおぉぉぉぉぉ!!!!!」


今一度言おう。ここは購買である。


「ぬぅぉぉぉおおおおおおお!!!!」


もう一度言おう。ここは購買である。


「ぎゃあああああああああ!!!」


最後に言おう。ここは購買である。


「武ぅぅぅ!!!」

「あ、あはは‥‥‥」

「死亡フラグ、いつ建てたんだ?」


結果から言うと、武はぎゅうぎゅうになっている購買に単身切り込んだが、まるでゴムの力のように跳ね返されてこちらにヘッドスライディングのように倒れてきた。

それを春人が抱きかかえて、武の意識を確かめる。


「おい、しっかりしろ!?」

「っく‥‥‥流石、購買だぜ‥‥‥へっ、手も足も出やしない」

「吹っ飛んだしな」

「カウンターだよね」


なぜそんなにカッコつけるのかは不明だが、とりあえず購買の恐ろしさを理解した翔はさてどうするべきかと少し思考を巡らす。


「‥‥‥(人が多すぎて、隙間がない。まるで通勤ラッシュの満員電車。そこに飛び込むのは無謀だよな。人をどかそうにも、運動部の人が多いから、俺たちの体じゃ太刀打ちできない。となると―――)」


考え事をし、ある答えを導き出した翔は右手で前髪をたくし上げる仕草をする。

これは翔の癖の一つで、推理モノで探偵役が顎に手を当てたり、髪を触ったりするように、翔も髪をたくし上げる行為をする。


「‥‥‥七瀬。 ちょっと失礼」

「へ?」


翔は七瀬の横に立つと、膝の裏と背中の裏に腕を回し、彼女を持ち上げる。


「キャッ!?」

「「おお~」」


驚きのあまり、高く短い悲鳴をあげた七瀬。

その光景を見て唸る二人。

なぜ翔がそういう事‥‥‥お姫様抱っこをしたのか、理由は今からする彼の行動にあった。


「三賀苗、頼みがある」

「なんだ?」

「あの人ごみに向かって走ってくれ。 ただし、中に突入する必要はない」

「‥‥‥よく分からないけど、とりあえず走ればいいんだな?」

「ああ。 頼む」

「分かった。 行っくぜ!!!」


そう言うと武は再びドドドドっと音を立てながら走り出す。


「よし、桜乃。 俺のあとに続いてくれ」
 
「‥‥‥ああ、わかった」


その時、翔は勝利を既に確信した笑みを浮かべていた。

何を狙っているのか不明だが、彼の指示に従ったみることにした。

腕に包まれて顔を紅潮させる紗智を無視して、翔は走り出す。

その背後を追いかけるように春人も走る。


「ぬぅぉぉおおおおおお!!!!」


先ほど同様、全力で突っ込む武。

それに追いついた翔はそのまま武の背中に飛ぶ。


「よっ!」


タンッ!と音を立てて飛んだ翔はそのまま武の背中‥‥‥を飛び越して、武の頭に右足を置いた。


「ぐあっ!?」

「俺も行くぜ!」

「ぎゃっ!!」


さらに春人も同じように武の頭に飛び乗り、それを踏み台にもう一度飛ぶ。

飛んだ二人はそのまま大量の生徒を飛び越えて購買の一番先頭に着地する。

これが翔の狙い。

隙間がないのなら、空いてる場所‥‥‥ソラを飛べば良い。

丁度、武と言う踏みだ‥‥‥もとい、友達がいたので苦労はない。


「さて、おばちゃん、チョココロネ2つ、コロッケパン3つ、焼きそばパン3つください!」


七瀬を下ろし、春人と二人でパンを確保させ、翔はお会計を済ませておいた。

購買には出口が存在し、購入した人はそこから出る。

これは戦争から離脱させるためである。


「さて、飲み物は自販機のでいいから、とりあえず教室に戻ろう」

「ああ。そうだな」


翔の言葉に春人は頷く。


「うぅ‥‥‥」


そして未だに顔を紅潮し、頭から湯気を出す紗智を連れて翔と春人は教室に戻るのだった。

‥‥‥武を忘れたと気づいたのは、お昼を終えたあと、なぜかコロッケパンと焼きそばパンがひとつずつ余っていることに気づいてからだったのは余談である――――――。



                  ***



午後の授業も終え、放課後になった。

武と春人は部活動があるため、ここで別れることとなる。

翔は紗智を連れて、共に教室を出る。


「七瀬、帰るぞ」

「う、うん」


先に教室へ出た翔を小走りで追いかける紗智。

翔と紗智は肩を並べて、夕暮れの廊下を歩く。

男女が二人きりで歩くことに不慣れな翔は少しだけ違和感を持つ。

それは七瀬も同じようで、普段は一人で帰るはずが、転校してきた翔の存在によって変わった。

出会ったばかりで、さらに大胆にもお姫様抱っこまでされたこともあり、武や春人とは違う意味で翔を意識してしまう。


「‥‥‥七瀬」

「はい!?」


ビクッと不意を突かれたかのように驚いて返事をする紗智に、翔は頭に『?』を浮かべながら質問をする。


「あのさ、お昼休みの時だけど‥‥‥あの時はごめん、いきなりあんなことして」

「え‥‥‥あ、うん」


突然、謝ってきた翔に少し驚いて、フリーズした紗智。

理由はなんにせよ、罪悪感はあったのだなと紗智は少し安心した。

‥‥‥なんだかんだ言って、まんざらでもなかった自分がいたのも事実であったため、せめたりはしない。


「いいよ。 相良君のおかげでパンも買えたんだから。 相良君がいなかったら、お昼はあまった少ないパンだけになってたから‥‥‥」


むしろ、感謝するべきだと紗智は思った。


「――――――ありがとう、相良君」

「‥‥‥ああ」


翔は静かに頷いた。

それは、始めて見せた紗智の笑顔があまりにも綺麗だったから。

夕暮れの光に照らされ、芸術的な美しさを感じられる程に綺麗だったその笑顔に、翔は見惚れていたのだ。


「‥‥‥?」


再び歩きだした二人は、下駄箱で靴に履き替えると校門まで歩いていた。

校門まで歩くと、一人の女子生徒が3人の男子生徒に囲まれている光景を見つけた。

‥‥‥翔は、その女子生徒に見覚えがあった。


「あれは‥‥‥井上静香先輩か?」

「そうみたいだね‥‥‥なにかあったのかな?」


生徒会長、朝に翔に声をかけてきた最初の生徒だ。

その会長は、服装・頭髪ともにだらしない所謂『不良』と呼ばれる3人と負けない威圧を放ちながら、対立していた。

だが、どう見ても男子の方が数が多い。

もし暴力に発展したら、まず勝てないだろう。

そう思った翔は鞄を紗智に渡すと、会長のもとへ走り出す。


「あ、相良君!?」


紗智は翔の突然の行動に呆気を取られる。

翔のあとを追おうと思ったが、不良には勝てないと思った紗智はそこから動けなかった――――――。



                   ***


不良と言うのは、どこの学校にもいる。

どれだけ優秀な人が揃う学校でも、どんなに規律が厳しい学校でも、ルールが存在する場所には必ず違反者と言うのはいるものだ。

だからこそ、違反者には罰則と言うのが存在する。

罰則があるということは、違反者がいると言うことにつながる。

だが、それを一人でも減らすために生徒会や風紀委員と言うのが存在する。

彼女、井上静香もまた、その違反者を減らすために尽力を尽くしている。

そして今、その違反者を3名、取り締まっている。

とはいえ、綺麗ごとを言うつもりはさらさらなく、ただ間違っていることを指摘し続けていた。

‥‥‥そのはずなのだが、痺れを切らした男子生徒一人が彼女めがけて手を出そうとした。


「やめなさい。 あなたたち、これ以上は停学、もしくは退学になるわよ?」
 

静香は男子生徒の出した手を掴んで制止をしようとするが、聞く耳持たず、むしろ怒りを増す結果を生んでしまった。

彼女を睨みつけ、一人の生徒が彼女に向かって右拳を振るった。


「――――――止めとけよ」

「ッ!?」


だが、不良ばかりではない。

ちゃんと常識を持つ生徒だっている。

そして優しさを失わない生徒もいる。

彼女のと不良男子の間に割って入ったのは、朝に出会った転校生だった。


「相良君‥‥‥?」

「今朝はどうも助かりました、先輩」


男子生徒の拳を左手で正面から握りしめるように受け止める。

余裕な表情で翔は静香と会話をした。

そして不良の3人を見て言った。


「あなたがた、3人がかりで女1人を相手にするのは恥知らずもいいところだ。 あと、これ以上やりたいのなら、俺が相手をしますが‥‥‥どうしますか?」


翔は自身の持つ握力で握っている拳に力を込めると、その生徒は激痛のあまりに悲鳴を上げる。

静香の耳には、メキメキと痛そうな音が聞こえる。


「相良君、そこまでにして」

「‥‥‥分かりました」


静香の制止に従い、翔は手を離すと3人は怯えて走り去っていった。


「ふぅ‥‥‥。 先輩、怪我はないですか?」

「ええ。 助けてくれてありがとうございます。 けれど、無茶はしないでください」


いくら助けてくれたとは言え、一人で立ち向かうのは無謀だ。

それを指摘すると、彼は苦笑いして言い返す。


「先輩に言われたくはないですよ。 無茶しないでください」

「む‥‥‥」


反論のしようがない。


「それじゃ俺は友人を待たせているので、これで失礼します。 何かあったら、呼んでください」


一礼して、翔は紗智のもとへ走っていった。


「‥‥‥始めて、でしたね」


残された静香は一人、この感覚をどう表現するべきかわからなかった。

静香は、先ほどのように助けられたのは初めてだった。

いつも全てを一人で解決させてきたからだ。

しかもそれを後輩に助けられるとは、思ってもみなかった。


「‥‥‥」


静香は右手で左胸を抑える。

なぜなら、緊張しているかのように心臓の鼓動が早いからだ。

胸が高鳴る、とでも言うのだろうか?

この表現のできない感覚が、最後まで残り続けるのだった――――――。



                  ***



不良とのいざこざを手短に解決させて、翔は再び紗智と共に下校する。

歩くのは、登校の時に通ったあの長い道。


「さっきは驚いたよ」

「ああ。でも、あの光景を見たら流石に助けたいと思うだろ」

「そ、そうだけど‥‥‥実際に助けようとは、思わないかも」

「‥‥‥そう、だな」

「?」


不意に、翔の表情が沈む。

まるで過去の辛いことを思い出すかのように。


「‥‥‥でも、あの時に俺が行かなかったら、怪我をしていたのは先輩のほうだ。それに――――――」


翔は立ち止まり、夕焼け空を眺めて言った。


「――――――誰かが傷つくくらいなら、俺が傷ついたほうがずっとマシだ」

「‥‥‥」


それは、自己犠牲だ。

自己満足で、自己犠牲。

彼自身、それは自覚しているのだろう。

だけど、なぜだろう。

彼が言った言葉には、なぜか重みがあった。

ずっしりと、離れようのないほどの重みが‥‥‥。


「‥‥‥さて、俺はこっちの道だからこの辺で」

「うん。また明日」


そう言って二人は別れて各々帰っていく。


「‥‥‥」


だが紗智は、一人で背を向けて帰っていく翔の姿を‥‥‥ただじっと眺めていた。

この、頭から離れない思いをどう表現すればいいのか、紗智にはまったくわからなかった。

こんなにも、彼のことを心配になってしまう気持ちは‥‥‥一体なんなのだろうか。

それが今日の夜、紗智が悩むことだった――――――。






そしてその夜、相良翔は事件に巻き込まれることとなるのであった――――――。 

 

第二話

<PM22:00>

満月が雲一つないソラで一際目立つ夜。

外は街灯の僅かな光で照らされる。

人一人歩いておらず、皆家で徹夜で勉強か、疲れを取るように眠りについている時間。

そんな時間に相良翔は、灯火町を歩き回っていた。

学校に行く時に着ていた白いコートを着て、黒いズボンを履いた姿の彼は両手をポケットの中に突っ込んだ状態だった。


「‥‥‥しまった、もうこんな時間か」


いつもの黒いスマートフォンを起動させて、時刻を確認すると既に夜の10時。

かなり歩きこんでいた。

それもそのはず、相良翔が外出したのは夜8時。

つまり4時間は軽く歩き込んでいるのだ。

彼をそうさせる原因、それは彼の放浪癖にあった。

相良翔は孤児院と言う狭い空間しか知らなかったため、外に出て自由になって以降、放浪癖が身についてしまった。

そのせいもあり、退屈を感じると外に出てのんびりと散歩をしてしまう。

気づけば数時間も歩き込んでいる。

そして今日も、引っ越してきたばかりの町に対しての好奇心と、家にいる退屈さが相まって町を散歩してしまっているということになる。

だが、流石に夜の寒さと僅かながらの睡魔もあるため、そろそろ家に戻ろうと提案する。


「明日も学校だし‥‥‥さっさと帰るか」


そう言うと翔はスマートフォンの画面を右親指でスライドさせて画面を変える。

変わった画面にあるアプリ『マップ』をスライドさせていた親指で軽くタッチすると、アプリは起動して現在地を地図にして表した。

そして登録してある、自分の自宅を探すと自分の自宅から現在地までのルートを翔は確認する。


「結構歩いたな‥‥‥」


そうぼやきながら、翔は帰り道に足をすすめる。

早く家に戻り、暖房の恩恵に縋りたい気持ちを抱えつつ足を運ぶ。

そして明日の授業はなんだったのだろうと思い出そうとしていた‥‥‥その時――――――!!

 ギィィィンッッ!!

不意にどこからとなく、金属が擦れ合うかのような音が夜の町を木霊する。

黒板を爪で引っ掻いた時のような、背筋が疼いて鳥肌が立つ。


「な‥‥‥なんだ!?」


灯りの少ない真夜中、ということもあり恐怖感を隠しきれない翔はキョロキョロと辺りを見渡す。

だが、翔の視界の中には特に音の原因となるものがなく、恐らくここから遠くなく、なおかつ翔から近い距離からのものなのだろうと考える。


「‥‥‥」


このまま家まで走って帰ろう‥‥‥普通ならそう考えるはずだ。

翔自身、最初はそう考えて歩きだそうとした。

だが、その考えを揺るがす程の強烈な胸騒ぎが翔を襲っていた。

 ドクンッ!ドクンッ!ドクンッ!

はっきりと聞こえる、心臓の鼓動。

緊張感、不安感、恐怖感、それらが相まって心臓の鼓動はいつもの倍以上に速い。

その感覚はきっと今、家に帰っても消えることはないだろう。

つまり、翔がしなければいけないことはただ一つ。

――――――この音の真相を、明らかにすること。


「‥‥‥行くか!」


自分自身に呆れるかのように苦笑いすると、翔はその脚を今までよりも力強くして駆け出す。

この胸騒ぎが、何かの間違いであることを願いながら、真冬の夜の世界を走る。



                  ***



 ギィィィンッ!!ギィィィンッ!!

最初に聞いた金属が擦れるかのような音が、連続して、さらに大きな音量で聞こえてくる。

工場や工業学校が金属を使って何かをしているのであれば納得が行く。

だが、この町にはそんなものは一つもない。

工事作業にしては、五月蝿すぎる。

この胸騒ぎの理由の一つなのだろう。

だが、それを超える程の不安があった。

それは‥‥‥何かを失ってしまうのではないかと言う、そんな不安。

まるで余命わずかの大切な人が側にいるかのような不安。

心臓の鼓動は抑制されることを知らないかのように、さらに激しくなる。


「はぁっ、はぁ、はぁ‥‥‥」


走り出してから約5分‥‥‥辿りついたのは、真夜中の廃墟地だった。

古びて崩壊寸前のマンションがたくさんあり、そこに人一人いるはずはなかった。

灯火町からも少し離れていたため、恐らくここは跡地か何かなのだろう。


「‥‥‥ッ!?」


辺りを見回すと、奥から黒い人影が現れる。

月明かりだけが頼りのこの場所で、その存在を目視するのに苦労した。

こちらに向かってゆっくりと歩いてきているのがわかる。


「ッ‥‥‥ぁ‥‥‥」


その時、翔は全身が動かないことに気がついた。

まるで金縛りにあったかのように、全身が指先すらも動かせない。

蛇に睨まれた蛙のようなものだろう。

呼吸すらもままならない。

なぜかはわからない。

とにかく、今の無防備な状態ではあの人影が危険な人物だった時に対応できない。

逃げることも、戦うことも、交渉することも‥‥‥何もできない。

まさに絶体絶命と言えるだろう。

‥‥‥そして人影は月明かりに照らされ、徐々にその姿を明らかにさせる。


「―――あなた、ここで何してるの?」

「ッ!?」


声が聞こえたと同時に、その人影もはっきりとした姿を見せた。

 黒く腰まで垂れ、夜風に靡かせた髪。

 黒一色で冬用のカシミヤコートとデニムを着ている。

 細く、スラッとした長い脚はまるでモデルのよう。

 その細く、滑らかで綺麗な肌は、金縛りのように動けない彼が見惚れる程だった。

知らない人‥‥‥と思いきや、その少女には見覚えがあった。

翔は金縛り状態であるにもかかわらず、無理やり声を張り、その少女の名を言った。


「ルチア=ダルク――――――」

「‥‥‥」


合っていると答えるかのように、彼女――――――ルチア=ダルクは無言で縦に首を動かした。

それを聞いた途端、翔にかかった金縛りはなくなり、全身が動くようになった。

話せるようになった翔は、聞きたいことを聞いた。


「お前は、どうしてここにいるんだ?」

「それはこっちのセリフ。 どうしてあなたがここに?」


翔の質問には答えず、逆に質問をされた。

そのことに不満を持ちながらも、とりあえず翔が質問に答えることにした。


「ここで、何かがあったみたいなんだ。 変な音が聞こえて、胸騒ぎがしたからここに来た」

「――――――音?」
 
「ああ。 でも、なんでお前もここに?」


今度こそは、ルチアも翔の質問に答えた。


「私はこの場所で、“ある人”を探しているの」

「ある人?」


こんな時間に人探し、それは普通の事情ではない。

ただの人探しではないのだと、翔はすぐに察した。

一体それはどんな人物なのか‥‥‥と、考えていたその時――――――

 ワォォオオオオンッッ!!!!


「「――――――ッ!?」」


天を貫かん程に響き渡る、狼の遠吠え。

夜天に輝く満月があるため、翔は古くから言い伝えられている『狼男』を思い出す。

そして遠吠えを放った狼を探すために翔とルチアは周囲を見渡す。

お互いの背を守るように背を向け合い、襲われないように意識を集中させる。

夜闇により、狭まる視界の中で翔は、五感全てを集中させる。

たった一つの見落としが命取りになると悟った翔は、散歩の疲れ、ここまでの移動での疲れ、金縛りなどの疲労を無理やり押し殺した。


「――――――相良君」

「なんだ?」


そんな翔に、背後にいるルチアは声をかけた。

翔は反射的にルチアの方をに顔を向けると、ルチアは何かを見つけたようにただ一点を見つめる。

そして左人差し指を真っ直ぐ伸ばして、翔に伝える。


「あそこに‥‥‥10匹」

「――――――ッ!?」


翔は、彼女の言葉を疑った。

なぜなら、翔には何も見えないからだ。

ルチアが指差す方向は、翔から見れば先の見えない闇だ。

だが、ルチアが視る世界は翔とは別次元のものだった。

ルチアが視る世界に、闇は存在しない。

‥‥‥いや、闇すらも光のように世界を照らすものと同等になっている。

つまり、今の彼女が視ている世界は昼間と何一つ変わらない。

ただ一つ違うものがあるとすればそれは、ソラだけだろう。

そしてルチアの視界に写ったのは、10匹もの狼の姿。

 血のように紅い瞳、青白く鋭い毛並みに、鋭く光る爪と牙。

 こちらに向かって息を荒げながら威嚇してくる姿はまさに、獲物を狙った野獣そのもの。

 野生の本能が相良翔とルチア=ダルクを捕食するものと判断したのだろう。


「‥‥‥なら、逃げるぞ!」


狼に狙われたとなれば、ここにいれば即襲われて終わるだろう。

目に見えない恐怖に囚われた翔はルチアの右手首を自身の右手で握ると、ルチアが指差した方向とは逆の方向に背を向けて走り出そうとする。


「ダメ」

「え‥‥‥」


だが、ルチアはその場から動こうとしない。

一歩も‥‥‥狼から、逃げようともしない。


「ごめん。 私は逃げない」

「何言ってるんだ!? 相手は野生の狼だぞ!? いくら夜目が利くからってどうにかなるわけじゃない! 俺たちじゃあの爪にやられて、最後は食われて終了だ!」


‥‥‥相手の数が多すぎる。

戦う武器も持たない無力な人間である二人に、出来ることなんてない。

ならば無様でも、逃げるしかない。

逃げて、助けを求めるしかない。

翔はそう思っていた。

いや、翔のみならず普通の人なら誰でもそう思うことだろう。


「‥‥‥」


だが、この絶望的な状況下で尚、立ち向かうこと‥‥‥抗うことを諦めない少女がいた。

 逃げる、助けを求めると言う選択肢なんて最初から存在しないかのような真っ直ぐな瞳。

 その瞳が見据える先にあるのは、彼らを喰らわんとする10もの野獣。

 たった一人の彼女は、月明かりに煌く黒い髪を靡かせながら‥‥‥その獣の先へ一歩ずつ歩き出す。


「待てッ! 無茶だ!!」


翔は必死に制止を呼びかける。

一度掴んだ右手首からも、握力を込めて離さないようにする。

‥‥‥だが彼女は、翔を引きずるかのような力で前に強引に進もうとする。


「死にたいのか!?」

「‥‥‥」


翔の言葉に、ルチアは視線を変えずに答える。


「死ぬことなんて、怖くない。 だけど今逃げたら、死ぬよりもずっと辛いから逃げない」

「どうして‥‥‥」


――――――どうしてそこまで命を賭けられる?

翔がそう聞くのをわかっていたかのように、ルチアは言った。


「あの狼は、私達の学校の生徒を何人も襲ってる。 私達の日常を壊そうとしてるの。 私は、それが許せない」

「お前‥‥‥」


ルチアが立ち向かう理由、それは傷つく人がいるから。

自分の知らない誰かが傷ついて、苦しんでいるのを見ているだけなのが嫌だったから。

そして、消えて欲しくないから。

その想いが、彼女を前に進ませていた。


「あなたは別に逃げても構わない。 逃げても、あなたを責める人なんていないから‥‥‥」


そう言うと彼女は、こちらに向かって威嚇する狼に向かって走り出した。

翔の手を、振り払って。


「待てッ!!」


翔は必死に手を伸ばす。

だが、その手をルチアは握り返そうとしない。

そのまま翔からルチアは遠ざかっていく。

そして翔はただ一人、逃げずに立ち向かう少女の勇姿を眺めていることしかできなかった。



                  ***



駆け出した少女は、先ほどの少年‥‥‥相良翔の言葉を思い返していた。

無茶だ‥‥‥確かに、今の自分がしていることは無茶・無謀なんて言葉がお似合いだ。

普通だったら逃げるべきだ。

助けを呼べばいい。

‥‥‥だけど、逃げる気なんてなかった。

逃げるなんてことは、絶対にしたくなかった。

なぜなら彼女は、守りたい日々があるから。

たった一人で過ごす学生生活だけど、クラスメイトの名前は全員知っている。

もちろん、全学年の生徒一人一人の顔と名前も、しっかり覚えている。

それでも接していないのは、単にきっかけが掴めないだけ。

別にみんなから距離を置いているわけでも、嫌っているわけでもない。

むしろ、みんなのことが大好きだ。

個性的で、優しくて、笑顔でいるあの学校のみんなが大好きだ。

その中の誰かが傷つけられた。

それを知って、何もしないわけにはいかない。


「だって私は‥‥‥私は――――――ッ!!」


ルチアは狼に近づくと、足を止め、全神経を集中させる。

胸の奥に存在する、人間が持たない‥‥‥異能の力を――――――発現させるために。


「私は――――――“魔法使い”だからッ!!!」


天に向かって叫んだ。

その声を高らかに、はっきりと出す。

すると、彼女の全身を闇が包み込む。

まるで竜巻を生み出すかのように、闇が彼女に集結していく。

――――――闇が消えると、ルチアの服装が変わる。

 一枚の黒い羽衣が彼女の全身をウェディングドレスのように包み込み、キメの細かい肌が月明かりに照らされて神秘的な姿を見せる。

 そしてその美しさとは対照的に、左手には自身の身長の倍近くある長さの黒き鎌があった。

 死神を連想させるその鋭く鋭利な鎌は、無力な人間だった彼女を一転、戦に身を投じる戦姫にする。

 彼女のその姿を一言で表すのならそう――――――『戦乙女』。

そして彼女は、自らの持つその姿の名を言った。


「――――――|戦女神の戦慄(ワルキューレ)」


 神話時代に存在した、戦死者を運ぶ女戦士。

 その名を持つ魔法使いこそ、ルチア=ダルク。


「‥‥‥!」


 ルチアは左手で鎌の半分程の一を両手で握ると、すっと重心を前に移動させながら右足を前に出す。

  刹那、ギィィィンッ!!と言う激しく金属が擦れ合う音が響き渡ると同時にルチアの姿が消えた。

 翔の瞳にはきっと、彼女の太刀筋は見えなかっただろう。

 腰を軸に左に捻り、それを戻す勢いと鎌の重みを合わせて一閃を放つ。

 その一閃で全ての狼を切り裂いた。


「‥‥‥出てきなさいよ。 狼達の主さん」


狼を一撃に一掃した彼女は、その狼をこちらに仕向けた張本人を呼ぶ。

ルチア同様に、異能の力を持つ‥‥‥魔法使いの存在。

あの数を操るということは、この場所からそう離れていない場所に主はいる。

そう考えたルチアは主を探す。

‥‥‥そのルチアの行動をの手間を省くかのように、暗い影から一人の男性が姿を現す。

 髪がトゲのように立っていて、鋭い目つきをしている。

 黒いジャンバーと黒いジーパンの姿でこちらに向かって歩いてくる。


「まさか一撃で全滅とは思わなかったぜ。お見事」


賞賛しながら歩いてくる彼こそ、狼使いなのだろう。


「それで、俺に何の用かな?」

「あなた、私の学校の生徒を襲ったわよね?」

「さて、どうだろな?」


シラを切る彼の態度に、ルチアは苛立ちを覚えた。

鎌を握る左手に、力が込もる。

彼女にとって、その態度がどれほど許せないものなのか、言葉で説明することもできない。


「‥‥‥いいわ。 どちらにしても、私はあなたを倒さなきゃいけない」


そう言うとルチアは、鎌を引きずるようにもって構える。

 重心を前に落とし、ダンッ!!と音を立てて走る。

一瞬にして狼使いの懐に飛び込むと、そのまま鎌を上に向けて振り上げる。


「はぁっ!!!」


気合一閃、刃は半月を描くように振り上げられる。

その一閃は先ほどの狼のように、切り裂かれる――――――はずだった。

 ガシッッ!!


「ッ!?」


だが、刃の流れは途中で止まった。

そしてルチアは、その光景に目を疑った。

 狼使いの右手が、ルチアの鎌を握っている。

ただの素手じゃない。

異能の力を纏った手だった。

その姿に、ルチアは驚く。


「狼‥‥‥男」


 全身は青白い毛並みに包まれ、両手は鋭利な爪と強靭な肉体となっている。

 鋭い牙に、血のように紅い瞳。

 その姿は、まさしく『狼男』

 そしてその姿となり、強靭な肉体を得た彼はルチア/ワルキューレの刃を握り締めた。


「俺の魔法は肉体強化と召喚の二つだ。  さぁ、始めようぜ?」

「くっ‥‥‥!」


ルチアは右足を軸に体を回転させ、狼男の顔面に回し蹴りをして怯ませると、その隙に鎌を握ってバックステップをとって後ろに下がり、彼と距離を取る。

そして距離を置き、武器を構えて隙を作らないように意識を集中させる。

油断なんてできない。

ここからは、本当の殺し合いが始まる。

刈るか、喰われるかのどちらか。


「‥‥‥!」


覚悟を決めたルチアは、再び走り出す。

そして彼の真上に飛ぶと、左に一回転して鎌を振り下ろす。

その鎌に、闇の力を込めて切り裂く。

 闇を纏わせた一閃――――――『|漆黒を刈り取る者(デス・シュトラーフェ)』

闇の一閃は真っ直ぐに狼男へと迫る。


「ぐあっ‥‥‥っ!」


狼男はその一撃を両手で受け止めようとしたが、うけきれずに切り裂かれる。

切り裂いたとはいえ、斬撃は直撃を避けて浅めに入った。


「‥‥‥ッ!?」


一撃を入れたルチアは、表情を歪める。

なぜなら、切り裂いた瞬間、ルチアの両腕を鋭い激痛が襲いかかったからだ。

両腕を見ると、先ほどの狼が二匹、ルチアの両腕に噛み付いていた。

背後から襲われているところを見ると、恐らく仕込んでいたのだろう。


「ぅ‥‥‥ぁ‥‥‥ッ」


噛み付いた狼たちは、振り払っても離れない。

無理に引き剥がせば、両腕を持っていかれるだろう。

だからこそ、無理な抵抗はできない。


「‥‥‥それなら!」


ルチアは瞳を閉じて、心を鎮める。

そして脳からPCの情報のように流れ出る『魔法文字(ルーン)』を組み合わせていく。

組み合わさったルーンを、一つの名とした詠唱する。


「夜天より降り注げ、闇の聖槍!!」


詠唱の瞬間、天から漆黒の太く鋭い槍が二本落下してきた。

その槍はルチアの腕を喰らう狼二匹を貫いて、消滅させた。

 ルチアの持つ魔法、天から降り注ぐ闇の聖槍――――――『|夜天貫く闇の聖槍(シュメルツ・ぺネトレイト)』


「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥っく」


両腕に力が入らない。

狼に噛み付かれたからだろう、出血して血が止まらない。

さらに麻痺したかのような痺れ。

これでは武器が持てない。


「さっきの狼には、麻痺毒の効果があってな? 噛まれたら数時間は痺れるぜ?」

「なっ!?」


致死性はないといえど、それは武器を主体として戦うルチアにとって大きなダメージとなる。


「さて、トドメは俺の下僕達にでも任せようか?」


そう言うと狼男が右手を前に出すと、何もない空間から再び10匹もの狼が出現する。

状況は絶対絶命。

武器を持てない彼女にとって、魔法だけで応戦できる実力がない。


「くっ‥‥‥」


それでも彼女は、諦めない。

最後まで抗う。

それが、彼女のアイデンティティだからだ。

戦うのなら、死ぬまで諦めない。

だから彼女は、再び脳の情報にある|魔法文字(ルーン)を組み合わせて、詠唱する。

それも、先ほどのような一体一体を倒すような魔法ではなく、一度に全体を倒す広域系の魔法。

それには先ほどよりも長い魔法文字を組み合わせなければならない。


「無駄だ! 喰らえ!!」


狼男は勝利を確信して笑をこぼして狼たちに指示を出す。

その指示に答えるように、10匹の狼はルチアを喰らわんとして飛びかかる。

だが、ルチアは詠唱をやめなかった。

最後まで、抗う。

チャンスはあるはずだと信じて。


「ルチアッ!!!」


そんなルチアの耳には、非力な少年の声が響き渡るのだった――――――。



                  ***



「ルチアッ!!!」


非力な少年は、走っていた。

ルチアに向かって、走っていた。

先ほどまで、ただずっと眺めていた。

ルチア=ダルクという少女の勇姿を見ていた。

何もできず、無力に、ただ立ち尽くしているだけの自分とは別に、生きることに懸命な彼女の姿はとても美しく、輝いて見えた。

自分には、何もできないのだろうか?

そう考えていた時、ルチアに危機が訪れた。

だから翔は走り出した。

迷わず、ただ真っ直ぐに走っていた。

非力でも、何か出来ることがあると信じたからだ。

死にたくない。けれど、見捨てたくない。

翔はルチアのもとへ、全力で走る。

もう二度と、過ちを犯さないために――――――。


「ルチアッ!!!」


彼女の名を叫ぶ。

守りたい、助けたい。

だから、強く願う。

心の、魂の底から願う。

――――――この非力な俺に、力を――――――。

あのソラに願う。

どこまでも、どこまでも‥‥‥


「はぁぁぁぁッ!!!!」


翔は叫んだ。

天を貫かんとするほどの大きな声。

全身から溢れ出る力を抑えず、爆発させる。


「届けぇぇッ!!」


ルチアに迫る10の狼。

そこに彼は飛び込む。

そして溢れ出た力を今、具現化させる。

 ズバァァンッッ!!


「「ッ!?」」


その場にいた、誰もが驚愕した。

 白銀の軌跡が音を立て、ルチアを襲おうとした狼をことごとく薙ぎ払う。

 あざやかな手さばきで一瞬にして狼たちを退けた、あまりに印象的なその姿。

 白銀のレザーコートに、同色のズボンを履いた姿。

 黄金色に光る瞳はまるで、全てを視ているかのよう。

 白銀に包まれた少年の右手には、白く光る二尺ほどの長さを持つ一刀の刀があった。


「‥‥‥天叢雲」


彼――――――相良翔は、その刀の名を言うと、右手に持つその刀を地面に真っ直ぐ突き刺して狼男に言う。


「俺の名前は相良翔。 ここから先は、俺が相手だ!」


そう言って彼は、ルチアを背に刀をもって、駆け出した。

真夜中のソラの下、白銀に光る刃は狼男を斬らんとして迫るのだった――――――。 

 

第三話


 「―――お前を、倒すッ!!」


鋭い呼気と共に吐き出しながら、彼は大地を力強く蹴る。

 遠い間合いから右手に持つ刀を横薙に繰り出す。

 狼男はそれを、魔法によって強化された右手に生える爪でぶつかり合わせる。


「はぁぁぁっ!!」

「おぉぉぉっ!!」


二人の雄叫びが混ざり合うかのようにして響き渡る。

刃と爪がぶつかり合うと、火花が散って二人の顔を一瞬、明るく照らす。

金属が擦れ合うような音が響き渡る。

そして、その一撃を始めとして二人の攻撃は加速していく。

最初の一撃は、恐らく一般の人でも肉眼で捉えられただろう。

だが、二回目、三回目と繰り出される二人の一閃は速度を増して、もう何度ぶつかっているのか数えることができない。

そして、肉眼では捉えられない程の速度で二人はぶつかり合う。

一本の刀と、両手の爪がぶつかり、激しい火花を散らす。


「ぐっ‥‥‥!」

「チッ!」


二人の一撃の衝撃で、二人は数m程距離を置いた。

すると狼男は右手を前につき出す。


「行けッ! 俺の下僕達!!」

「ッ!?」


再び狼男は10もの数の狼を召喚する。

狼は素早く翔に襲いかかる。

翔は狼達を一撃で切り裂こうと刀を大きく振りかぶる。


「夜天より降り注げ、闇の槍雨!!」


‥‥‥だが、翔が刃を振り抜こうとしたその時、天から降り注ぐ漆黒の槍によって全ての狼が貫かれて消滅する。

漆黒の槍は、雨のように降り注ぐ。

先ほど放たれた『|夜天貫く闇の聖槍(シュメルツ・ぺネトレイト)』の上位魔法。

――――――『|夜天貫く闇の槍雨(シュメルツ・ドゥーシェ)』

翔はその魔法を使った彼女の方を向く。


「ルチアッ!?」

「狼たちは、私が倒すから‥‥‥相良君は、主をお願い」

「‥‥‥任せろ」


真っ直ぐな瞳で、翔に全てを任せるルチア。

その瞳に見惚れてしまった彼は、返事をするのに少し遅れた。

我を取り戻した翔は狼男の方を向き、再度刀を握りなおす。


「覚悟しろ。 お前のやったことは決して、容易に償えるものじゃない。 だからこそ、俺達が裁いてやる!」


そう言うと翔は、脳からPCの情報のように流れ出る『|魔法文字(ルーン)』を組み合わせていく。

そして組み合わさったとき、力強く大地を蹴った。


「うぉぉぉッ!!!」

「チッ! なら、俺の下僕達d――――――ッ!?」


迫る翔を迎え撃つために、再び狼を召喚しようと右手を前に出したが、狼は召喚できなかった。

なぜなら、突き出した右手は突如、真上から落下してきた漆黒の槍によって貫かれたからだ。

そんなことをするのは、ただ一人――――――ルチア=ダルクだ。


「てめぇぇッ!!」


恨めしそうな声をルチアに向けて放つが、ルチアは無関心の表情で翔に言う。


「トドメを刺して。 相良君」

「ああッ!」


翔は遠い間合いから、狼男のもとへ走ると刀身が白く光りだす。

そして光を纏った刀を、翔を面の構えから振り下ろす。


「せいッ!!!」


気合一閃、翔は狼男の懐に飛び込むと、魔力の溜まった刀を横薙ぎに繰り出す。

 繰り出された刀からは、白い光の残影が残る。

それほどの速度で放たれた一閃は、狼男の防御を抜けて一気に切り裂く。

 光り輝く裁きの一閃――――――『|天星光りし明星の一閃(レディアント・シュトラール)』


「ぐ‥‥‥ぁ‥‥‥」


切り裂かれた狼男はその場で、力なく倒れた。

翔は男から背を向けると、刀は光の粒子となって消えていった。

そしてルチアのもとに歩み寄る。


「ルチア、大丈夫か?」

「大丈夫よ。問題な‥‥‥ッ」


ルチアは、先ほど狼に噛まれた部分の痛みで表情を歪める。

そして激痛のあまり、その場で膝をつく。


「‥‥‥少し、じっとしててくれ」

「え‥‥‥?」


翔は静かにそう言うと、両手に意識を集中させる。

呼吸を静かに、ゆっくりと行ない、集中力を高める。

ここからは難易度の高い業をするからこそ、油断は許されない。

脳に流れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせ、新たな魔法を発現させる。


「湖より求めよ、癒しの光!」


そう言うと、翔の両手は水色の魔力光に包まれる。

そして両手で、ルチアの両腕の傷口を抑える。


「ッ!?」


すると不思議なことに、全ての傷がシュウウ!と音を立てて塞がっていく。

 湖が与える救済の加護にして、治癒や修復能力を持つ高等魔法――――――『|水星癒す聖なる(ハイルミッテル)

みるみるうちに癒えていく傷口に、ルチアは驚きが隠せなかった。


「相良君‥‥‥どうして‥‥‥」

「え?」


魔法を知るルチアには、翔の発現させた力はあまりにも異常だった。

 魔法使いは一人一つの魔法を使う。

武器を使うか使わないか、攻撃か防御か癒しかなど、それは一つのみだ。

だが相良翔は攻撃と、回復までもを使う魔法使いだった。


「なんで、治癒魔法を使えるの?」

「なんでって言われても‥‥‥なんか頭の中に傷を癒す方法があったから、戦いが終わったら使おうかなって思っててさ」

「‥‥‥」


本人にも分からない、異能の力。

それを初見で使いこなす彼、相良翔。

彼の魔法は、ルチア=ダルクの知る今までの魔法で一番異能だった。


「‥‥‥とにかく、助けてくれてありがとう。 助かったわ」

「いや、魔法で援護してくれてたから、貸し借りなしだ」

「ええ。 そういうことにしてもらえると嬉しいわ」


そう言うとルチアは安堵したように小さく微笑む。


「ッ‥‥‥」

「‥‥‥? どうかした?」

「いや、なんでもない」

「?」


その微笑んだ表情を始めて見た翔は、しばらく見惚れてしまった。

我を取り戻したあとでも、彼女の微笑んだ表情が頭から離れず、言葉にできない不思議な感覚に囚われてしまった。


「‥‥‥と、とにかく、あの男はどうするんだ?」


気を紛らわすために、話題を出すとルチアは冷静に答える。


「警察に出すわ。 警察には、魔法使いを取り締まる部署もあるから」

「‥‥‥そうなのか?」


魔法使い、そんな非現実的な存在を信じて、さらにそれを取り締まるような部署が警察に存在するとは驚きだった。

とりあえず、その部署とやらに連れていけば万事解決と言うことらしい。

それを理解した翔はルチアと共に狼男の方を向いた。


「「え――――――ッ」」


だが次の瞬間、二人の目に映った光景に言葉を失う。

狼男は間違いなく、翔がその手で斬った。

少なくとも起き上がることなんてできるわけがない。

それが常識で、そうでなければむしろ異常だろうと思っていた。

‥‥‥だが、その理解は“人間であることを前提とした常識”であったわけで“魔法使いであることを前提とした常識”ではない。

その違いが、今の現実を驚きのものへと変えたのだ。


「グゥゥゥオォォォッ!!!」

「「ッ!?」」


 全身は黒の毛で覆われ、太く筋の多い筋肉。

 暗闇でもはっきりとわかる、紅く光る二つの瞳。

 鋭く列をなす牙と、長く鋭い爪。

 大地はその存在を支えきれず、穴が空く。

 黒く染まりあがった姿は、まさに黒き野獣。

 その野獣が放つ雄叫びは、大気を揺るがし、空気を振動させる。


「なんでだ!?あいつは倒したはずじゃ‥‥‥!?」

「でも、あの狼男からは意識を感じられない‥‥‥。 多分、魔法そのものに飲み込まれたんだ」

「どう言うことだ?」


ルチアの経験からでた答えは、翔にとって驚くべき内容だった。


「魔法は決して万能なものじゃないの。 使用者の心で強くも弱くもなり、脆くも強固にもなる。 あの人は魔法と言う大きな力に心が負けて、魔法そのものに食われて‥‥‥暴走してる」

「ッ‥‥‥それじゃ今、あそこにいるのは魔法使いじゃなくて、文字通り狼男ってことか!?」

「ええ、そうなるわね」


狼男は魔法を操れず、逆に操られてしまった。

ミイラ取りがミイラになったような話だ。

なんとも哀れな光景だと翔とルチアは思った。

だが、暴走したとなれば哀れんでいる場合ではない。


「とにかく、あの暴走した狼男を止めないと」

「なら、迷うことはないな」


翔がそう言うとルチアは頷いて返し、二人は肩を並べて狼男の方を向く。

そして二人は再びその手に刀と鎌を持ち、各々動きやすい構えを取る。

遠い間合いから、暴走した狼男の出かたを伺う。

‥‥‥そして、その時は来た。


「グォォォッ!!」

「せいッ!!」

「はぁっ!!」


狼男が大地を蹴り上げてこちらに飛びかかったところで、二人も同時に大地を蹴り上げる。

遠かった間合いは一瞬のうちに近距離へと変わり、狼男の両爪と翔とルチアの刃がぶつかり合う。

重なる二人の呼気に、二人は互いの息があって戦えていることを実感する。

だが、その途方もない衝撃に翔とルチアはジリジリと押されていくのを感じる。


「なんて力だ‥‥‥!」

「重い‥‥‥ここまでなんて」


ルチアも、流石にここまでとはと、予想外の力に驚きを隠せなかった。

暴走状態、魔法に飲み込まれてとはいえども、二人がかりでぶつかってここまで押されるとは思わなかった。

ここまで力が増大する要因は恐らく、魔法の力で強化された彼の体にある。

 彼の魔法は、『狼』と言う存在の召喚ともう一つ。

 狼と言う存在を自分の力に加えること。

 先ほどまで戦っていた狼男は、自らを狼と同化させることで並以上の力を発揮していた。

 だがそれは、魔法使いの許容範囲内での力であって、決して限界を超えた力ではないのだ。

 人間が筋力の20%以上も出せないのと同じように、魔法使いにも限度がある。

 ‥‥‥だが、現在戦っている狼男は恐らく暴走状態にあるため、その限界を超えて発揮している。

 先ほどの倍以上の力を発揮しているのも、恐らく暴走しているから。


「‥‥‥ならッ!」


ルチアは鎌を地面に突き刺し、それを軸に逆さまになって独楽のように回転しながら狼男の顔に回し蹴りを食らわせる。

顔面ならば脳に振動を与えて倒せばいけると考えたのだ。


「グ、ゥゥゥアアアア!!!」

「ッ!?」


だが、狼男の体はルチアの想像の数手先にあった。

その暴走状態の狼男は、その全身が鋼以上の強度を誇っていたのだ。

当然、ルチアの蹴りは通用せず、狼男は何もなかったかのような表情で、空いた爪でルチアを突き刺そうとする。


「このッ!!」


迫る爪を、隣にいた翔は飛び蹴りで軌道を逸らす。

その隙にルチアは鎌をもって狼男と一旦距離を取る。


「ありがとう、相良君」

「どういたしまして!」


そう言うと翔は狼男とは距離を取らず、迫る両爪を一本の刀を光速で振って対応する。

防戦一方になるのを予想していたルチアだが、翔は防戦一方どころか攻めと防御の両方をこなして戦っていた。

狭る爪を避け、いなしつつ、隙を作っては魔力を刀身に込めて一撃を放つ。

右から左、左から右、それを繰り返しているうちにもはや目で見るのが辛くなってくる。

それほどまでの速さで翔は刀を振るい続ける。

まるで、昔から剣の道を歩んできていたかのような、そんな熟練者のような素早い動きで。

そして翔自身、自分がここまで対応していることに終始驚きを隠せなかった。

光速の域に達しているであろう速度の攻防を正確に見切り、対応して攻撃まで当てている。

甲高い金属音が何度も響き、白銀の火花を散らしていく。

何度も剣撃を阻まれながらも、諦めることなく振るい続ける。

一度でも動きを止めれば刺されるか切られるかして終わる。

その間に、ルチアが立ち入ることはできない。


「‥‥‥それなら」


ならば、ルチアにできるのは、ギリギリの戦いをする相良翔を離れた場所から支援すること。

たった一人で戦わせたりはしない。

そう心に決め、ルチアは再び意識を集中させる。

脳に流れる膨大な|魔法文字(ルーン)を組み合わせていく。

先ほどよりも強力な一撃のために、先ほどよりも膨大な|魔法文字(ルーン)を組み合わせる。

ここからは、一度のミスも許されない。

速く、丁寧に、正確に作り上げる。


「夜天より舞い降り、我らが敵の尽くを打ち払わん!!」


詠唱を唱えるうちに、足元にルチアを中心に円形の魔法陣が現れる。

紫色に光輝く魔法陣は時計回りに回転していき、力を高める。

そして左手を狼男の方向に真っ直ぐ向ける。

すると手のひらに黒い闇が渦を巻いて集結していく。

そして円形の球体を作り出す。


「(お願い‥‥‥相良君‥‥‥!)」


ルチアは、相良翔の可能性に賭けた。

魔法使いとしては未熟で、まだ何も理解できていないけれど、可能性に満ちている。

彼の力は、あまりにも未知のものだからこそ、賭けるにたる存在なのだ。

そしてルチアは信じる。

今、ルチアが作り出した強力な一撃を直撃させるための隙を作ってくれると信じて――――――。



                  ***



「ぅ‥‥‥ぉぉぉおおおおッ!!」


翔は一人、狼男の左右から迫る爪をたった一本の刀で捌ききっていた。

限界なんてとうの前に超えている。

だが、止まるわけにはいかない。

止まれば間違いなく貫かれて殺される。

一切の雑念を払い、魔法と剣撃に全ての意識を集中させる。

今の速度では、一撃を当てるに達しない。

だから翔は、激しいぶつかり合いの中で、なんと詠唱を始めた。

脳に流れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせて、魔法を作り出す。

目にも止まらぬぶつかり合いの最中にそれを行えるのは、熟練者をおいてほかにいないだろう。

だが翔は、今の状況ではこれしか生き残る手段がないと判断し、限界まで力を込めて発現させた。


「雷より求めよ、神速の光!!」

「ガウッ!?」


その瞬間、狼男の爪が翔の眼前まで迫った。

だがその一撃は当たることなく、空を貫く。

そして翔を金色の光が包み込み、閃光の如く移動する。

相良翔の持つ、もう一つの力。

金色の雷を纏い、閃光のように駆け抜ける高速移動の魔法――――――『|金星駆ける閃光の軌跡(ブリッツ・ムーブ)』


「せいッ!!」

「ガァァァッ!!??」


そして狼男の背後から、翔の刀が振り下ろされる。

切り裂かれた狼は右膝を地面につけて怯む。

‥‥‥隙ができた瞬間、ここしかない。


「今だ―――ルチアッ!!」

「ええ!」


翔はルチアとは反対方向に下がり、遠い間合いを取る。

距離をとったのを確認したルチアは、その手に集めた魔法を、怯んだ狼男に向けて放った。


「はぁぁぁああああッ!!」


力強い声と共に、黒く収束した闇が真っ直ぐ狼男に向けてレーザーのように放つ。

ルチアのもつ、長距離系魔法。

収束し、放たれる闇――――――『|夜天撃つ漆黒の魔弾(ヴォーパル・インスティンクション)』


「グ‥‥‥ガァァァァッ!!!!」


大地を削り取りながら迫る闇は、狼男に直撃すると、狼男は苦しそうな悲鳴を上げる。

この魔法は破壊力に長けており、強化された狼男の肉体であろうと、容赦なく破壊していく。

そして削がれた強化体は脆くなっていった。


「相良君、決めるわよ」

「分かった!」


左右から挟み撃ちで、翔とルチアは刀身に魔力を込めながら大地を蹴り出す。

魔力を込めた刃は、二人が持つ魔力色の光を放ち、夜の世界を照らす。


「「はぁぁぁぁッ!!!」」


二人の声が重なると、両サイドから同時に剣撃を繰り出す。

翔が放つ、光り輝く裁きの一閃――――――『|天星光りし明星の一閃(レディアント・シュトラール)』

ルチアが放つ、闇を纏わせた一閃――――――『|漆黒を刈り取る者(デス・シュトラーフェ)』


「せいッ!!」

「はぁッ!!」


気合一閃、翔とルチアは左右から斜め斬りを放つ。

完璧と言えるほど、絶妙なタイミングで二人の剣撃がシンクロすると、二筋の光の帯を引いて狼男の体を切り裂く。

激しい衝撃と狼男の悲鳴が響き渡る。


「グ、グォォオオオオッ!!!!」

「行くぞッ!!」

「トドメッ!!」


狼男は最後の力を振り絞って両腕の爪に魔力を込めると翔とルチアを貫かんとばかりに一直線に放つ。

翔とルチアは眼前に迫る一撃を、二人の持つ強力な一撃を対抗させる。

このタイミングのために、二人はすでに脳の中で|魔法文字(ルーン)を組み合わせていた。

別に作戦を立てたわけでもないにもかかわらず、二人は瞳を交わすだけでそれを理解した。

以心伝心と言わんばかりの一体感に、翔とルチアは言葉にできないような官能的な感覚を覚える。

そして二人の一撃は交錯し、新たな一撃を作り出す。


「「はぁぁぁッ!!!」」


白銀と漆黒が交わり、二つの一閃は重なって強力な一閃となる。

交差して放たれたのは、星と闇の一閃。

全てを産み出し、全てを飲み込む、決して交わることのないもの同士が重なり合って放たれる軌跡の一閃。

二人の魔法の合わせ技――――――『|星屑討つ漆黒の一閃(フェアニヒテン・クロイツ)』

放たれた一閃は、十字架を作るように切り裂き狼男を消滅させた。

そして、消滅した狼男を見届けて、翔とルチアの戦いは終わった――――――。



                  ***



戦いを終えた翔とルチアは、元の冬服に姿を戻し、武器も消滅した。

疲れのあまり、二人はしばらくその場に座って動かなった。


「終わった‥‥‥んだよな?」

「ええ。 私達の勝ちよ」


冷静に淡々と翔の質問に答えるルチア。

疲れているにもかかわらず、何事もなかったかのように涼しい表情で答えるルチアに翔は流石は熟練者だと思った。


「‥‥‥さて、そろそろ帰ろう」

「ええ。 そうね」


ある程度疲れが取れた二人はゆっくりと立ち上がり、その場を去ろうとした。


「――――――待ってください」

「「ッ!?」」


突如聞こえた、女性の声に翔とルチアは再び警戒態勢を取る。

今まで気配がなかったが、突然現れたことに驚きながらも暗い影から現れる女性の姿を確認する。


「‥‥‥え?」


だが、翔はその人物に目を大きく見開く。

忘れもしない、この町の学校で始めて声をかけてきた人。


「井上‥‥‥静香、さん?」

「放課後はありがとうございました、相良君」

「生徒会長‥‥‥?」


ルチアもまた、彼女の登場に驚いた。

灯高の生徒会長である井上静香の登場は、二人にとって予想外だった。

そして彼女は恐らく、翔とルチアの戦いを見ていた。

全てを知っている。


「魔法使いになったんですね、相良君」

「は、はい。 その、色々あって」

「分かってます。 お二人とも、激しい死闘でお疲れでしょうけど、申し訳ありませんが私と来てくれませんか?」

「「?」」


静香の誘いに、翔とルチアは頭に疑問符を浮かべた。

どう言う事情なのか、聞く前に先に答えた。


「あなたたちに、会わせたい人がいます。 魔法使いとして、あなたたちには是非会わせたいです」
 
「‥‥‥会長も、魔法使いなんですか?」

「はい。 ルチアさんよりも前から、私は魔法使いでした。 あなたたちに会わせたいのは、私の尊敬する魔法使いです」

「‥‥‥」


ルチアの質問に答えた静香は、二人に背を向けると先に歩きだした。

翔とルチアは互いに見合って、とりあえず会いにこうと決めて、無言で頷くと二人は静香のあとに続いていった。


二人の夜は、まだまだ続くのだった――――――。 

 

第四話

<AM2:30>

 冬の冷たさが頬を掠め、全身を凍えさせる。

吐息ははっきりと見えるほど白く、現在の気温が低すぎるのを感じさせる。

そんな真冬の夜の世界を歩く、相良翔とルチア=ダルクは先頭を歩く井上静香のあとに着いて行っていた。

気づけば森の中を歩いており、道なき道を迷うことなく進んでいる。

進んで辿りついた先にあったのは、古い西洋の雰囲気漂う洋館だった。

濃セピア色のレンガで作られ、左が二階、中央が三階、右が二階建ての左右対称の構造となっている。

古びた雰囲気を出しながらも、決してボロいわけではなく、それなりに手入れがされているようで周囲の庭には、雑草や木がなく、綺麗な花が咲いていた。

さっと周囲を眺めていると、静香が二人の方を向いて言った。


「ここに、あなたたちに会わせたい人がいます。 さ、入りましょう」

「「はい」」


ほぼ同時に返事をすると、2mはある大きく白い扉を引いて開けた。

そして中に入った翔とルチアは再び奥に進む静香のあとを追ったのだった――――――。



                  ***



洋館の中は様々な彫刻が壁に刻まれ、天井にはシャンデリアがあり、高級感を出していた。

階段は螺旋階段となっており、ぐるぐるとしながら登っていく。

恐らく移動しているのは外から見た、中央一階から三階なのだろうと思った翔は最上階の部屋にいる人こそが、会わせたい人なのだろうと察した。

三階に来ると、たった一本の道になっていた。

横幅約4m、天井との間6m、そして一番奥にある部屋までの距離約25mと、随分と広く長い道となっていう。

その奥にある部屋こそ、会うべき人がいる場所なのだろう。

そう思いながら奥に進み、ドアの前につくと静香は軽くノックを二回する。


「“瞳さん”入ります」


瞳さん、という人名を言うと静香は左ドアノブを捻って引いて開ける。

そして翔とルチアは共に中へ入った。


「いらっしゃい。 待ってたわ」

「‥‥‥」


透き通るような声に、少し低い音程の声が彼らの耳に入る。

 淡く金髪の入った首まで伸びた髪

 黒いボーダーワンピース姿

 そして全てを見透かしているかのようなエメラルド色の瞳。

その女性こそ、井上静香があわせたかった女性。


「私は『|斑鳩(いかるが) |(ひとみ)』。 今は警察の『魔法使い対策本部』の署長をしているわ」 


魔法使い対策本部、それは恐らく前回、静香が話していた魔法使いを取り締まる警察内の部署のことだろう。

その署長を務めているお偉いさんらしい。

‥‥‥だが、署長と言うイメージとは程遠い容姿に翔は疑問を抱く。

彼女は身長からいえば翔と変わらないほど。

大人びた雰囲気はあるものの、年齢は想像でも20代前半と言ったところだ。

そんな彼女が署長とは、凄い人なんだなと思った。

そんなことを考えていると、静香が翔とルチアをそばにあるクリーム色のソファーに誘導したので二人は従ってそこに座った。


「紅茶を用意してきますから、瞳さんはお二人にお話しを先にしててください」

「ええ。 ありがとう、静香」


二人はそう言うと、静香は側にある小さな小部屋サイズの台所に向かっていった。

残った瞳は、翔とルチアに軽く微笑みながら、自己紹介に付け足しをするように話す。


「二人も静香と同じ高校なんでしょ? 私もあそこのOBなの」

「へぇ‥‥‥先輩とはどう言うご関係で?」

「私も、元は魔法使いでお二人のように戦っていたの。 静香とはその時に知り合ってね‥‥‥彼女が魔法を使い始めたときは、私が手ほどきをしてあげたのよ」


つまり瞳さんと言う存在は、静香にとって師匠とも言える存在となる。

二人の関係になっとくすると、ルチアが質問をする。


「‥‥‥私達に用があると聞きましたが、なんですか?」


ルチアは、恐らく瞳さんの聞きたいことを既に察している。

それを察していながらも聞いたのは、今の時刻が既に2時を過ぎていることにあるのだろう。

あと6時間もしないうちに学校が始まる。

睡眠の時間も惜しんで着ているので、さっさと聞きたいというのが本音なのだろう。

それを察したのだろうか、瞳さんは苦笑いしながらごめんなさいと謝ると、静香が紅茶を持ってきたと同時に本題に入った。


「実はこの頃、魔法使いによる事件が多発しているの。 ルチアは気づいているみたいだけど、事件はここひと月の間に倍増している」

「ええ。 それは、私も感じていました」

「‥‥‥」


ここまでの話で、翔はまったく会話に参加できなかった。

まだ3日しか、この場所に来てから経過していないのだから、何も知らないのは当然なのだろう。

だが、それならば自分がここにいる意味なんて‥‥‥と、少なからず寂しさを感じていた。

そう思いながらも、話は進んでいく。


「今までは私と静香、あとは別にいる魔法使いの人達がいたからどうにかなっていたのだけれど、今は人手不足なの。 おかげで‥‥‥何人も、助けられなかった人がいる」

「‥‥‥」


瞳さんの表情が、暗く辛いものとなる。

これは、後悔の表情。

何もできなかった事への後悔。

それが、こちらに伝わってくる。


「だから、私があなたたちを呼んだのは、あなたたちの力をかしてほしいからなの」

「‥‥‥それは、私達も魔法使い対策本部の一員になって欲しい、ということですか?」

「ええ。 その通りよ」


ルチアの答えに頷くと、静香が自分の意見を述べた。


「ルチアさんの魔法も、相良さんの魔法も、どちらも高レベルの魔法でした。 特に相良君の魔法はかなり貴重な――――――|純系魔法使い(ピュア・マジシャン)の類に入ります。 それはとても頼もしい力となります」

「やっぱり、純系‥‥‥」

「?」


静香の言った単語に、ルチアが大きく反応する。

翔は逆に、まったく知識がないだけに頭にハテナマークを浮かべる。

瞳さんもへぇ~と興味深そうに反応すると、何も知らない翔に説明をする。


「魔法使いは、大きく4つ。『武器系魔法使い』一番多い種類で、何かしらの武器を手に持つか装備する魔法使い。静香やルチアがその類に入るわね。

『生物系魔法使い』比較的珍しい種類で、魔法使い自身は短剣や拳銃などの小型武器で、『魔獣』と呼ばれる魔法を使う生物を操って戦うことができるの。

『精霊系魔法使い』とても稀少的な種類で、この世に存在するとされている精霊と契約した魔法使いのことを指す。精霊の加護を受けて戦う。

‥‥‥そして『|純系魔法使い(ピュア・マジシャン)』。 全ての魔法の根源にして基準となる魔法であり、現代では精霊系よりも稀少な魔法使い。 自らの体内にある魔力を使い、魔法を使う。 武器系などの全ては、この純系から変化して生まれたものとなっていると言われているわ」

「俺に‥‥‥そんな力が‥‥‥」


翔は不意に、自分の両手を見つめる。

思い出すのは、先ほどの戦いで魔法を使った自分の姿。

刀を使い、雷を纏い、湖の加護を使ってなど、思い返せば自分の魔法は色々と万能で種類が多いなと思った。

ルチアの魔法は鎌を使うか、遠距離からの魔法の二つだけだった。

それに比べて自分は‥‥‥と、深く考えた。


「相良君には才能がある。 私も静香も、その力が必要よ。ルチアの力も、かなり強い。 私は二人の力に期待しているの」


瞳さんがそう言うと、ルチアは少し考えて‥‥‥はっきりと頷いた。


「はい。私にできることがあるのなら、力を貸します」

「ええ。ありがとう」


嬉しそうに瞳さんは頭を下げると、残された翔に三人の視線が一気に向く。


「俺は――――――っ」


翔は『俺も力を貸します』と言おうとして、口を噤んだ。

その場の流れに飲まれそうだった彼は、自分の過去の記憶を思い出してその流れから脱した。

そして冷静に考えて、ちゃんとした答えを出す。


「俺は――――――」


静かに立ち上がり、出口に向かって歩き出す。

そして扉の前で振り向き、3人に向けて頭を深く下げて答えた。



「俺は手伝いません。 では、俺は帰ります」




そう言って翔は、扉を開けて洋館から立ち去っていく。


「相良‥‥‥君」

「‥‥‥」


残された3人は、ゆっくりと去っていく翔の背中を、ただ眺めていることしかできなかった。

そして頭から離れないのは、不意に見せた――――――相良翔の、辛く苦しい表情だった。



                  ***




<AM4:00>


「げ‥‥‥もう朝じゃん」


家に帰宅した翔は、壁に吊り下げられている円形の時計に目をやった。

時計の針は四時丁度になっており、すでに睡眠の時間が2時間も残されていないことを知る。


「夕飯食べ損ねて、寝る時間もないなんて‥‥‥地獄だ」


頭を抱えながらも、翔はとりあえず疲れを抜くためにベットに倒れこむ。

仰向けで寝転がると、真っ白の天井を見つめた。


「‥‥‥期待、か」


そしてボーっとしながら、先ほど瞳さんが言っていた言葉を思い返していた。

期待、その単語が翔の中で木霊する。


「‥‥‥俺は、期待されないためにここに来たんだ」


そう言うと翔は、力強く拳を握る。

そして一気に脱力すると、今までの疲れがどっと溢れてきたので、それに身をゆだねて眠りについたのだった――――――。

意識が落ちる前に翔が思い返したのは、小さく微笑んだ、ルチア=ダルクの姿。



‥‥‥そして夢に見たのは、翔の辛い過去のエピソードだった――――――。 

 

第五話

<PM12:00>


「おい、相良! どうしたんだぁ~!」

「ん‥‥‥っ」


耳を通って脳を貫くような、騒音に近い声が聞こえる。

この声で彼は意識を覚醒させる。

彼とは、つい12時間ほど前まで命懸けの戦いを繰り広げ、さらには魔法使いになった少年『相良 翔』その人である。

そして彼は今の今まで、午前中の教科全てを睡眠と言う時間に使っていた。

本人曰く、人生初の授業を堂々とサボる行為である。

教科の先生に悪いことをしたなと罪悪感を抱きつつも、今日だけは許してくださいと心の中でそっと祈るのであった。

そして翔は今、つい先日に友人となった少年、『三賀苗 武』によって目を覚まし、現時刻がお昼の12時であることを理解していた。

武の両隣には、彼の友人でありクラスメイトの『桜乃 春人』と『七瀬 紗智』の二人がいた。

二人共、翔が目覚めるのを待っていたらしい。


「翔、お昼だ。 昼飯買いに行こうぜ!」

「お‥‥‥おう」


まだ半覚醒状態の翔は、購買に行くこと以外は考えるのが苦しい状態になっていた。

そのため、返事もどこか力なく覇気のないものとなっていた。

とりあえず意識を取り戻すために、体を動かそうと思った翔は席を立つと、武を先頭に教室を出た。

今日もまた購買で苦戦するのだろうなと、取り戻しつつある意識の中で思った。


「相良君、元気ないけど‥‥‥どうかしたの?」


翔の右隣を歩く紗智は、翔の顔を覗き込むようにしてそう聞くと、翔は逃げ笑いしながらその質問に答えた。


「ああ、昨日ちょっと夜ふかししてさ。 俺、引っ越してきたばかりだから色々と環境に慣れなくて眠れなくてさ」

「そうなんだ‥‥‥大変だね」

「ああ。 そうだな」


魔法使いとなって戦っていた、なんて言ったところで信じてもらえるはずもないと思った翔はそれらしい嘘をついて紗智たちを納得させた。

そして廊下の窓から、外の景色をのんびりと眺める。


「(‥‥‥さっきまで、俺は命懸けで戦ってたのか)」


あまりにも実感が沸かないのはなぜなのだろうか、と翔は一人で悩んでいた。

『狼男』と呼ばれる魔法使いの男との戦いは、あまりにも壮絶だった。

わずかでも気を抜けば、間違いなく死んでいた戦いは翔の中でも一番記憶に残ってしまうであろう経験だった。

人生で始めて刀を握り、魔法と言う未知の力を使って激しい戦いを繰り広げたにも関わらず、今はその実感が沸かない。

あれは全て夢だったのだろうかと感じてしまうほど、現実味がない。


「(まぁ、魔法を使うのは多分これきりになるだろうけどな‥‥‥)」


そう、彼はこれ以上、魔法を使うことは極力避けようと思っていた。

数時間前、『井上 静香』に連れられた訪れた建物に住んでいた女性『斑鳩 瞳』からの勧誘、人々を苦しめるような魔法使いの制圧をする人たちの一員になって欲しいと言うものを翔は断っている。

そのため、魔法使いによる事件に翔が関わることは今後はないであろうと考えていたのだ。

断ったことへの罪悪感は今だ拭いきれずにいるとしても、とりあえずは再び平凡な日常に戻れるのだろうと思った。


「―――相良君」

「ッ!?」


‥‥‥そう。この瞬間までは、平凡な日常が続くと思っていたのだ。

彼女の声を、聞くまでは――――――


「ルチア‥‥‥」

「相良君、話しがあるの」


翔たちの背後から声をかけてきたのが、相良翔が魔法に出会うきっかけだった少女にして、翔と同じクラスで隣の席の『ルチア=ダルク』である。

彼女は、いつもと変わらないポーカーフェイスで翔に声をかける。


「ルチアちゃん‥‥‥」


ルチアと何年も同級生だった紗智は、彼女が翔に声をかけたことに驚いた。

武と春人もまた、ルチアと言う少女が人と接しないと言うことを知っているからこそ、目を大きく見開いて翔とルチアを見ていた。


「話しってなんだ?」

「‥‥‥ここでは話せないような話題だから、ついて来て」

「‥‥‥分かった」


ルチアの一言で、これが魔法に関するような話題なのだろうとすぐに察した翔は、真剣な表情になると廊下を歩いていくルチアのあとを追いかける。


「七瀬、三賀苗、桜乃。 悪いけど今日は昼、行けそうもないから俺抜きで頼む」

「分かった。 それじゃ二人共、行くぜ」


武は何も聞かずに頷くと、紗智と春人を連れて購買に向かっていった。

どこか納得がいかない様子の紗智は、翔とルチアが見えなくなるまでその背中を眺めているのだった。



                  ***




「寒‥‥‥っ」

「そう? いつもと変わらないわよ?」


辿りついた|人気(ひとけ)のない場所に、翔は全身を震わせる。

ルチアは全く表情を崩さず、平静としている。

翔とルチアがたどり着いた場所とは、この学校の屋上だった。

お昼休みだが、冬の真っ只中のため、屋上で休憩と言う考えの生徒は一人もいないらしく屋上は翔とルチアの人影しかない。

涼やかな風が吹き抜ける中、翔とルチアはまるで決闘でもするかのように向かい合っていた。


「なんでこんな寒い場所なんだ? もっといい場所があっただろう?」

「|人気(ひとけ)のない場所、私はここしか知らないから」

「‥‥‥まぁいい。 それで、話しっていうのはやっぱり」

「ええ。 昨日の件の続きよ」


予想通り、と言う結果に翔は小さくため息をついた。

外れていて欲しかったと内心思っていたからだろう。

ため息をついている翔を見て、ルチアは少し間を置いてから話しをした。


「‥‥‥昨日、翔が帰ったあと私は斑鳩さんの勧誘を受け入れたわ。 今後は井上さんや他の魔法使いたちと共に事件を解決させていく予定よ」

「そうか。 なら、これからはルチア達に任せれば事件の心配はいらなそうだな」

「‥‥‥」


不意にルチアは無言で、翔の瞳を覗き込むように見つめた。

翔は突然のことに警戒して、半歩後ろに下がった。

しばらく見つめると、ルチアは聞いた。


「どうして? どうしてあなたは誘いを断ったの?」

「それは‥‥‥」


躊躇う様子の翔に、ルチアは半歩踏み込む。


「死ぬのが怖いから? 負けるのが嫌だから?」

「‥‥‥」

「あなたの答えを、聞かせて」

「‥‥‥」


無言の翔に、ルチアはさらに半歩詰め寄る。


「あなたの力は特殊で極めて稀なの。 その力があれば、私も井上先輩でも守れない人達をたくさん守れる。 それだけの力があるのに、どうして使おうとしないの?」

「‥‥‥」


次第にルチアは、翔の顔のそばまで詰め寄っていた。

そこまで来たところで、翔は大きなため息をつくと|(うめ)くように答える。


「言いたいことは、それだけか?」

「そうね。 私が言いたいのは一つ――――――あなたの力を貸してほしい」


ルチアは姿勢を変えず、真っ直ぐな瞳で翔を睨むようにそう言った。

その強い視線に、翔は内に溜め込んでいた思いの一部を放った。


「いい加減にしてくれ。 俺は別に、知らない誰かのために魔法使いになろうと思ったわけじゃない」

「誰かのためなんて考えなくていい。 ただ、事件解決のためだと思ってくれるだけでいいから、力を貸してほしい」 

「断る。 俺は、普通の高校生活を送って普通に大人になりたいんだ。 魔法使いなんて訳のわからない世界に身を置くつもりはない」


翔は、どうしても断りたかった。

今の、紗智達と過ごす日々を選んでいたからだ。

あの3人と過ごす日常が、とても眩しくて憧れていた関係だからだ。

冬の寒さも忘れられそうなほどに温かい関係を、いつまでも長く続けたかった。

それを壊すように、魔法の世界に身を染めようとは思わない。


「‥‥‥それが本音なの?」

「え?」


だが、ルチアは全てを見抜いていた。

今の言葉が、本音ではないということを見抜いていた。

だから翔は言葉を詰まらせて、半歩下がった。

だが、ルチアは逃がさなかった。

再び翔に詰め寄っていく。


「何を隠してるの? あなたに、何があったの?」

「それは‥‥‥」


屋上のフェンスに背をぶつけ、これ以上下がれない翔は目を逸らす。

だが、絶対に逃がすまいと両手で翔の両頬を押さえつけて顔を向けさせる。


「悪いけれど、話してくれないと私も引き下がれないわ。 みんなを、守るためだもの」

「‥‥‥」


ルチアは、表情を変えないけれどその瞳から感情を読み取ることができる。

真っ直ぐに翔を見つめるその瞳は、ルチアが翔に対する強い想いを感じさせた。

力を貸してほしい、一緒に戦って欲しい。

その想いが、たった二つの瞳から見れる。

だから翔は、負けを認めた。


「‥‥‥分かった。 話すよ」

「ありがとう」


そう言うとルチアは後ろに下がって、最初と同じ距離にたった。

再び向き合うと、翔は一度深呼吸して話しを始めた。


「俺、全部をやり直すためにこの町に来たんだ」

「え‥‥‥?」


ここからは、相良翔がこの灯火町に来るまでの経緯である。


 相良翔は六歳の頃から孤児院で育ち、とある少女と出会ったことがきっかけでその少女の一家に引き取られることになった。

翔はすぐにその環境に慣れたが、家族と言う距離からは少し離れていた。

それは、家族として接することに僅かながら抵抗があったからだ。

原因は孤児院にいる自分と同じ一人の人の境遇を何度も聞いたからだ。

そのほとんどの原因が、育児放棄。

それを何年も見て、聞いてきた翔にとって家族はどこか遠ざけたい関係でもあった。

だが、その家は想像とは違い暖かかった。

父母共にいつも相良翔のことを気にかけ、何かあれば助けてくれるような、そんな人たちだった。

だが、それでも翔は慣れることはできず、いつもある程度の距離を置いて接していた。

関係が壊れないちょうどいい距離、それを保つのは容易だった。

そして中学に入り、中学生でも働けるバイトを探した。

見つけたのは、新聞配達だった。

一応、明確な理由とツテや親の許可があればできるとのことだったので、彼はすぐに始めた。

時間厳守などの面があったが、なんとかやりくりしていった。

中学では友達はほとんど少なかったが、それでも僅かにできた友達とうまくやるために頑張った。

そして義妹とも、仲良く過ごしていた。

勉強、バイト、家族関係、兄妹関係、友人関係、学校、成績、受験・・・相良翔はそれら全てを上手く

こなしていた‥‥‥はずだった。

皆も気づいての通り、これら全てを中学生がこなすのは容易ではない。

いくら器用でも、体力があっても、順応性があっても、いつかはガタがくる。

そして、翔にもガタがきた。

その後、翔は倒れて3日ほど入院したことがある。

それに心配した義妹は、翔が倒れたことが原因で人生が変わってしまったのだった――――――。



「俺はそのことで()

「悪い、忙しかったか?」


通話に出たルチア。

だが、それには30秒ほどかかっていた。

普段なら10秒以内には出るはずだが、ルチアは通話に出るのが極めて遅かった。

何か手が離せない用事があったのだろうと、翔は一言謝った。


《べ、別に構わないわよ。 それで何か用?》


その上、どこか慌てているような口調だった。

そう思った翔は、とりあえず手短に話しを済ませようと前置き抜きで本題に入った。


「明日、友達と親睦会をしようって話しになったんだ。 ルチアも来るか?」

《わ、私も!?》


通話越しで伝わってくる、ルチアの表情に翔は苦笑いしてしまう。

きっと目を大きく見開いて口をパクパクしているのだろうなと、失礼だが勝手な想像をしてしまう。


「みんなはOKだって言ってたから、あとはルチアが行けるかどうかによる」

《えっと‥‥‥》


それから約10秒ほど、無言の状態が続いた。


《‥‥‥ええ。私も、行こうかな》

「そうか! じゃ明日、服装とか荷物は自由だから」

《分かったわ》

「それじゃ明日!」


そう言って翔は電話を切った。


「‥‥‥明日は、楽しくなりそうだな」


そういう期待を込めて、翔は走って帰っていくのだった――――――。



                  ***





<その頃、ルチアの部屋では>


「ど、どうしよう‥‥‥」


2LDKの一人部屋の、黒いカーペットに小さなガラス張りのテーブルに置いた携帯を眺めながらルチアは女の子座りで悩んでいた。

つい数秒前まで、ルチアは相良翔と電話をしていた。

人生初の、同級生との電話である。

初めてかかってきた同級生からの電話に動揺して、通話に出るのが遅くなった。

そのこともあるが、何よりも遊びに誘われたと言うことには一番動揺した。

なぜなら、そういうことに誘われたのも人生で初めてだからだ。


「服、どれにしよう‥‥‥派手じゃダメだし、地味だと笑われそうだし‥‥‥」


などと、黒いクローゼットの中にある服を見ながらそうぼやくルチア。

人生で初めて友達と言うものを作り、初めての友達と共に遊びに行く。

そんな、誰もが経験することを、ルチアは初めてする。

今思えば、なぜ今まで経験しなかったのだろうかと疑問にも思うほどだ。


「‥‥‥相良、翔」


ルチアは、人生最初の友達である彼の名を思い出した。

不思議な人だった。

隣の席になった転校生で、夜に偶々出逢って、魔法使いになって一緒に戦って。

今日は彼の過去を聞いて、彼が自分とよく似ているのを知った。

親近感と言うものを、初めて知った瞬間だった。

全てが、初めての明日‥‥‥思うことはただ一つ。


「幸せになってるのよね‥‥‥」


初めて感じる、本当の幸せ。

だからこそ、日々を大切にしたいと思う。

明日も、明後日も‥‥‥この先も――――――。


だからルチアは、これからも戦う。

魔法使いとして‥‥‥一人の人間として。


それが、ルチア=ダルクの存在理由なのだから―――――。 

 

第一話 迷い猫の噂

――――――相良翔が灯火町に来て、一週間が経過した。


クラスの空気に馴染み、話せる人、話せない人が分かり出してきた時期、翔はいつもの友達と様々な話題に花を咲かせていた。

真冬の寒さも忘れるほどの賑やかさ、その中で話すことは些細でも楽しいものだった。

気づけばみんなが皆のことを名前で呼ぶようになって、仲は確かに深まっていた。

そんな、友達の一人である『桜乃(さくらの) 春人(はると)』は、ある話題を持ち出してきた。


「そういえば最近、ちょっとした噂があるんだけどさ」

「噂?」


それを相良翔は聞く。

噂、と言う単語に黒く長い髪を靡かせる少女『ルチア=ダルク』も反応して耳を傾ける。


「――――――『喋る黒猫の噂』って言うのが最近、校内でちょっとした話題になってるんだ」

「喋る猫?」

「喋る猫ですって?」


翔とルチアは同時に反応すると、春人はビクッと驚きながら、少し後ろに下がって答える。


「あ、ああ。 なんでも、どこにでもいる小さな黒猫だけど、それを見た人はその黒猫の声を聞けるらしいってさ」

「どんな声?」


翔の質問に春人は少し上を向き、腕を組んで思い出すと、声の質を女子が出すような|高音(ソプラノ)にして答える。


「――――――『私の主を守って』。 多分、死んだ猫が怨念となって‥‥‥ってやつだろ?」

「心霊現象か‥‥‥」

「こ、怖いね」


翔と春人がう~んと頷くと、紗智が縮こまって小刻みに全身を震わせる。

その光景を見てルチアが無言で肩を叩いで落ち着かせる。

翔は紗智のことをルチアに任せると、春人と話しを続ける。


「春人は、その猫を見たことはあるか?」

「いやいや、俺は噂を校内で聴いてるだけだ。 まぁあれだ。小さな噂が広がるときに変化して今になったってやつだろう」

「‥‥‥確かに、よくあることだけどな」


そんな会話が、翔達の中であった。


後にこの噂が、相良翔とルチア=ダルクを新たな戦いに巻き込むこととなる――――――。。



                  ***





――――――時を同じくして場所は変わり、灯火町の西側にある5階建ての病院『灯火病院』の5階にある個室。

最新式のフル介護型ベッド。

白く、清潔感漂う病室の奥の窓からは最上階だけに高い場所ならではの景色が見られる。

灯火町全域が見えるほどだ。

その病室のベッドに一人、幼き少女が上半身だけを起き上がらせた状態で窓の外を眺めていた。

 マルーン色の肩まで伸びたミディアムヘアーの髪。

 汚れとシワのない綺麗な、手首まである長い病人服。

 丸く大きめの瞳と、小さく丸みのある顔は、少女を幼く見せる。

そんな少女は、何も置かれていない病室で一人、ソラを見上げていた。

青く澄んだソラはどこまでも広がり、時折見せる雲は複雑な形をしている。

そんな、誰もが見ているソラを彼女は誰よりも長い時間、眺めていた。

一時間、二時間、三時間‥‥‥ずっと、ずっと眺めていた。

何の目的もなく、ただずっと‥‥‥ずっと。

遠い目で、どこまでも‥‥‥どこまでも、遠くを眺めていた。

まるで、自分の新たな居場所を探すかのように。

その瞳は、新たな居場所を求めているのだった。

この、白で染まる小さな籠の中から抜け出したい思いを抱いて――――――。


「‥‥‥ぁ」


そんな少女のいる病室の窓から、“黒く小さな影”が現れる。

その“影”は徐々に姿を現すと、少女は花が咲いたように笑顔になってベッドから降りて窓を開ける。

開いた窓からその“黒い影”は入ると、少女の座っていたベッドに飛び乗って丸くなって寝転がる。

可愛らしいその姿に少女は微笑みながら再びベッドに戻る。

先ほどと同じように上半身だけ起こした姿勢でベッドにつくと、白い毛布にかけられた膝の上に“黒い影”は乗っかり、再び丸くなって寝転がる。

その愛くるしい姿に少女は己の衝動を止められず、“黒い影”を両手で触れる。

気持ちよさそうに全身をクネクネとさせるその光景に少女は幸せを感じていた。

伝わる生命の温もりを感じながら、丁寧に触っていく。

そして少女は、そんな“黒い影”に自身の持つ欲を言った。


「私‥‥‥早く、この場所から出たいな。学校にも行きたいし、友達も作りたい。 なのに‥‥‥どうしてだろうね? まだ一回も、外に出たことがないの」


気づけば少女の頬は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。

自分の世界の狭さ、広げていきたい夢。

夢を邪魔する現実の籠。

籠の中に閉じ込められた小鳥のように、彼女はその小さな世界でしか生きたことがなかった。

その()


そして、この黒猫『ショコラ』もまた、この籠の中に閉じ込められた少女のことを誰よりも大切に思っていた。

自分にはただ、笑顔を与えることしかできない。

ただ、それだけしかできない。

それがショコラにとって、大きな辛さだった。

自分の命に変えてでも、この主人の笑顔と幸せを守りたくて、与えたくて‥‥‥。

ただ、それだけの思いだった。

自分以外の誰でもいい。

――――――この、孤独の籠に閉じ込められたご主人様を‥‥‥守ってあげて。

その想いだけが、ソラに木霊していくのだった――――――。



                  ***





<放課後>


学校が終わった翔達は、いつもの道を通って帰る。

綺麗な夕日が広がるソラに、いつものように黄昏る翔。

そんな翔の空気を壊すように騒ぐ武達。

それを見て笑う紗智。

どこか距離を置くように歩くルチア。

そんな関係が、彼らの間には生まれていた。

その関係にも慣れてきている彼らはそれに違和感を持たず、普通に歩いていた。


「おっと、それじゃ俺と春人はここで」

「ああ。 また明日」


春人と武は分かれ道で翔達と別れる。

また明日と言って手を振り、二人は走り去っていく。


「それじゃ私、ここで」

「また明日、紗智」

「うん。 また明日」

「‥‥‥またね、七瀬さん」

「うん。 ルチアちゃん」


紗智も途中で別れ、残りは翔とルチアの二人となった。

紗智の影が消えたところで、翔とルチアは“こちら側の話し”をする。

そう。魔法使いとしての話しを。


「相良君は黒猫の噂を、魔法に関するものって考えてるのかしら?」

「さぁな。 でも、死んだ猫がご主人様のことを願ってこの世界に霊として現れたって言うなら別におかしな点は存在しない気もする。心霊現象なんていうのは昔からよく言われていることだしな」


話題の内容は当然、今日の休み時間の間に春人が話した『喋る黒猫』のことだった。

これが魔法使いの手によるものであれば、すぐに捜査しなければならない。

それがいたずらか、はたまた何かの目的があるかのどちらかなども不安である。

場合によっては前回のような戦いになることもある。

そう思ったルチアは同じ魔法使いである翔にも意見を聞いた。


「そうね。 確かに心霊現象そのものは異常な現象だけれど、それ自体は対して大きな問題ではないわね。 幽霊だったら除霊の人を呼べばいいだけだし‥‥‥」

「ああ。 まぁ魔法使いという考えであっても、気になる点はあるけどな」

「‥‥‥気になる?」

「‥‥‥俺が初めて魔法使いとなって戦った相手も、獣を使ったよな?」

「ええ」


翔は自らの体験を踏まえて、その気になる点というのを話した。


「あの時の狼男が放った獣は、主が召喚して主の指示に忠実なものだった。 だけど、今回の噂は少しおかしい。忠実に従う獣が、『私の主を守って』なんてお願い事をするか?」

「‥‥‥やっぱり、あなたもそこが気になる?」


ルチアも同じ考えだったらしく、翔は深く頷いて自分の意見を再びいう。


「仮に今回の喋る黒猫が魔法使いに関係するものだったとしたらそれは、黒猫が自らの意思で行動をとっている‥‥‥ということになる」

「‥‥‥つまり、|魔法使い(わたしたち)へのメッセージ?」

「その可能性もあるし、別に魔法使いに問わず、誰でもいいから守ってほしい‥‥‥そういう願いなのかもしれない」


いずれにしても、魔法使いである可能性も兼ねて、猫の主を探す必要がある。

今はまだなにも発生していないが、もしものことも考えて早期解決の必要がある。


「ありがとう、相良君。 とても貴重な意見だったわ」

「別にそうでもないさ。 それに、俺はこの件には関わる必要もないみたいだしな」

「ええ、ここからは私達に任せておいて」


私達というのは、『魔法使い対策本部』‥‥‥罪を犯す魔法使いに対して作られた組織である。

ルチアはそこの一員として、日夜働いている。

翔も一度はスカウトされたのだが、様々な事情によって断った。

だが、翔は必要な時があれば手伝うというボランティア、民間協力者という形でいる。

今回は単に主の発見というシンプルなもののため、現段階では必要がないだろうというものだった。


「‥‥‥それで話しは変わるけど、あなたは自分の魔法について何かわかったの?」

「ああ、それなんだけどな」


次の話題は、相良翔の魔法についてだ。

数多の能力を使いこなす異質の力、それが相良翔の魔法だ。

だが、魔法は一人一つの能力となっているため、相良翔の能力はあまりにも異質と言える。

翔は自分の能力に対しての興味があったため、人気のない場所で何度も使ってその能力を解明しようとしていた。

ルチアも魔法使いとして、いくつかの仮説を立てて翔に話していた。


「何度か使ってて分かったんだけど、俺の能力は多分、一つの能力に複数の機能がついたものだと思うんだ」

「でも‥‥‥」


本人の意見だったが、ルチアはそれでも納得のいかないことがあった。


「仮にそうだとしても、能力には何らかの共通点があるはずよ。けれどあなたの能力にはその共通点がないわ。それはどう説明するの?」

「‥‥‥分からない。 流石に共通点は見つけられなかった。 まだまだ、謎だらけってことだな」

「そう‥‥‥。 でも、あなたの出した仮説は確かにそれが一番可能性が高いわね」


一つの能力についた複数の機能。

そう言われれば納得も出来る。

あとは、その能力の共通点を見つければいいだけ。

それを見つければ、今後の彼の魔法に近い存在が出ても理解出来る。


「それじゃ引き続き、その解明はよろしく」

「ああ、了解」


そう言って翔とルチアは別れて各々自宅に向かって歩き出したのだった――――――。







そしてこの日の夜、迷い猫が巻き起こす小さな事件が――――――始まる。 

 

第二話 迷い猫の痛み

<PM22:00>

満月が輝くソラの下、相良翔は灯火町から離れた場所にある廃墟を訪れていた。

学校の広い校庭のような広さを誇る廃墟の空間は、元々マンションがあったのだろうと思われる跡が数多く残されている。

人気のない場所は、とても静かでまさに翔だけの空間と言えた。


「‥‥‥ッ!」


右手に意識を集中させ、魔力を込めると右手の空間は歪み、歪んだ空間からは白銀に光る一本の刀が姿を現す。

相良翔が魔法使いとして使用する武器――――――『|天叢雲(あまのむらくも)

手首に伝わる、ずっしりとした重み。

これこそ、命を奪う武器と責任の重みなのだろうと改めて理解する。

そして翔はその刀を上段の構えから勢いよく振り下ろし、空虚を切り裂く。


「せいッ!!」


気合一閃、大気と刃が摩擦する音が空間に響き渡る。

翔は動きを休めず、振り下ろした刀を払い上げる。

そして右へ左へと横薙に振るい、再び払いあげると、そのまま勢いよく刀を振り下ろした。


「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥」


だが、翔には違和感があった。

綺麗な動き、迷いなく振り下ろされている刀。

にもかかわらず、あの時――――――初めて魔法使いとして戦った時の感覚とは遠く及ばないものだった。

あの時は、大気を切り裂く感触があり、翔の体と脳はそれをはっきりと覚えている。

暴走した狼男との戦い、命を賭けた激しいぶつかり合い。

あの時に味わった、限界を超える速度で放った斬撃の感触。

あの感触と同等、そしてそれを超えるものを繰り出したいと言う願いが翔にはあった。

だが、先ほど放った斬撃は大気を切り裂くものとは違った。

そう‥‥‥引きちぎるような、そんな感触だった。

全然違う‥‥‥その苛立ちが、翔の中で募っていた。


「‥‥‥はぁ」


翔は一度頭を落ち着かせるために大きく深呼吸をした。

すると自然と全身から無駄な力が抜け、思考も心も落ち着く。

よし‥‥‥と、再び気合いをいれた翔は再び刀を握る。

そして下段から一気に切り上げる。


「せいッ!!」


気合一閃、空虚を切り裂いた一閃はあまりの勢いに突風を巻き起こす。

突風は砂煙を広範囲に発生させ、翔を瞬く間に包み込む。

視界の悪い空間の中、翔は振り上げた刀に力を込め、勢いよく振り下ろす。

振り下ろされた一閃は砂煙を真っ二つに切り裂き、消滅させる。


「‥‥‥よし。 いいぞ」


両手から、全身に伝わっていく確かな感触。

あの時、狼男と戦った時の感触と同じものを感じた。

調子が出てきた翔はそれからも、何度も刀を振るい続けるのだった。



                  ***






「ふぅ‥‥‥」


それからしばらく、翔は様々な技の練習をした。

翔の魔法は、複数の能力を持ち合わせている。

刀を使って発動するもの、武器を使わずに発動するものなど、様々。

その様々を使いこなすため、翔は日々魔法の特訓をしていた。

魔法使いとして関わることから避けるつもりだったにも関わらず、彼はこうして魔法に手をつけた。

恐らく、麻薬のようなものなのだろう。

この力に手を染めれば、身を滅ぼすことになるかも知れない。

それでも、自分に秘められた可能性があるのなら、その限界まで見てみたいと言う強い欲求があったのだろう。


「さて、帰るか」


そう言うと右手に持たれた刀は空間が歪むと同時に消えた。

夕飯のことを考えながら、廃墟を去ろうと後ろを向いてあるきだそうとした。


――――――『そこの少年、聞こえますか?』

「ッ!?」


その時、背後から女性の声が聞こえた。

反射的に翔は振り向くと同時に右手に天叢雲を召喚して握る。

気配が今までなかったからこそ、もしかしたらと思ったからだ。


「‥‥‥な」


だが、そこにいたのは翔の予想の斜め上に行くものだった。

そこにいたのは、黒い毛並みをした四本足の動物‥‥‥黒猫だった。

翔を見つめながらその猫は、喋ったのだ。

翔は思い出す。

朝、友人の桜乃春人が話した『喋る黒猫の噂』だ。

その噂の猫が間違いなく目の前にいる猫なのだろうと理解した。

そして猫は翔に向けて言う。


『私の主を守って』

「主‥‥‥やっぱりお前が、噂の」


春人から聞いたものと全く同じ内容だった。


「お前の主って‥‥‥誰だ?」

『‥‥‥』


翔の質問には答えなかった。

ただ、自分の伝えたいことだけを伝えたかっただけのようだ。

そして無言で翔に背を向けると、猫は走り出す。


「あ、おい!」


翔はその黒猫のあとを追いかけだした。

もしかしたらあの猫は、主のもとに向かっているのではないかと思って――――――。



                  ***




<AM0:00>


「ここは‥‥‥」


走り出してかなりの時間が経過した。

気づけば翔はこの町で一番大きな病院『灯火病院』にたどり着いていた。


「まさか‥‥‥ここに主が」


黒猫は病院に向かって走ると、なんと白い壁にジャンプし、爪を壁に引っ掛けてロッククライミングの如く登っていった。


「なんと!?」


忍者か!?などとツッコミどころ満載な光景だが、黒猫は難なく最上階の五階にあるとある病室の空いている窓の中に入っていった。


「‥‥‥あそこに主が?」


そう考えるべきだろうと思った翔は、灯火病院の中に入る。

意外にも電気がついており、女性の看護師の人が受付を行っていた。


「あの、こんな時間で悪いんですけど‥‥‥」


翔はそれっぽい嘘をとりあえず話し、この時間にこの病院に来た理由を話す。

交渉にはそれほど時間がかからず、『この町じゃ若い子がよく喧嘩して運ばれてくるから君のような子は珍しくないわ』と笑ってそう言った。

翔は苦笑いしながらも、許可がもらえたことに感謝すると、奥にあるエレベーターを使って五階に上がった。



                  ***





翔はエレベーターの中で、魔法使いとしての力を発動させていた。

それは、魔法使いが感じるセンサーのようなものだ。

 近くに魔力反応があれば、それを感知して位置を特定すると言う、極めて便利な能力だ。

 ただし、本人の魔力量で範囲は変動する。

だが、相良翔の魔力量は平均のそれを超えており、その範囲で病院全体の中にある魔力反応を特定するのは簡単だった。


「‥‥‥あっちか」


エレベーターから降りた翔は、左右に長く伸びた廊下に出ると、右から魔力反応を感じて右に進んだ。

しばらく歩くと、行き止まりについた。

その左にある扉。

‥‥‥507号室。

ここから感じる、魔力反応。

恐らくここに黒猫の主がいる。

そう思った翔は、縦に伸びる手すりのようなドアノブを右手で握り、右にスライドさせて開ける。


「――――――ッ」


開けた瞬間の光景に、翔は言葉を失った。

ふわっと、柔らかく甘い香りが鼻をくすぐる。

空いた窓から吹く風が香りを乗せてきたのだろう。

病室のベッドは最新式の介護ベッドで、所々機械的なパーツが見える。

白く、汚れのないベッドに上半身だけを起こした上体で窓の方を向いた少女。

その少女に翔は、“ある人物”の面影を重ねていた。

あまりにもそっくりなその姿に、翔は言葉を失ったのだ。


「‥‥‥だ‥‥‥れ?」


翔の存在に気づいた少女は翔の方を向く。

その顔も、あまりにも似ていた。

翔の知る‥‥‥とても、とても大切な存在――――――『義妹』に。


「‥‥‥あ、えと」


我を取り戻した翔は、少女の質問に少し言葉を詰まらせてしまった。

なんといえばいいのだろうかと、言葉が見つからないのだ。

それを察してかないのか、少女は自己紹介をした。


「私、『|小鳥遊(たかなし) |猫羽(みょう)』‥‥‥ミウって呼んでください」


可愛らしい子供のような声だった。

柔らかく、幼さを感じさせる少女の声に翔はどことなく懐かしさを覚えた。


「俺は相良翔。 ここに黒猫が来てるはずなんだけど、知らないかな?」

「あ‥‥‥もしかして、この子の飼い主ですか?」


先ほどの喋る黒猫は、少女の膝の上で丸まっていた。

ミウと言う少女の右手が、黒猫の体を優しく撫でて気持ちよさそうにしている。


「いや、違うんだ。 ちょっと色々あって‥‥‥」

「そ、そうなんですかぁ‥‥‥う~ん、困っちゃったなぁ‥‥‥」

「どうして?」

「この子‥‥‥ショコラって言うんですけど、ショコラはいつも勝手に私の病室に入ってて、きっと飼い主がいるんだと思うんですけど‥‥‥」


翔はここで、ミウがこの猫の正体を知らないことに気づいた。

恐らく、黒猫が勝手に主だと認めたのがミウなのだろうと理解した。

そしてその主‥‥‥ミウを守ってほしいと言うのが、この猫の願いだろう。


「そうだったんだ。 俺、その猫を追いかけてきたんだ」

「ショコラを?」

「ああ。 いきなり俺のところに来て、ついてきたらここについたんだ」

「そうなんだぁ‥‥‥でも、ごめんなさい。 何もない部屋で」

「いや、別に‥‥‥!」


その言葉に、翔はあることを思った。

何もない部屋、ただ真っ白だけがある空間。

ベッドの上だけで過ごす一日。

それが一体、どれだけ退屈で‥‥‥辛い時間なのだろうかと。


「君‥‥‥ミウちゃん。 ミウちゃんはこの病院にどれくらいいるの?」

「う~んとね、ずっと!」


可愛らしく首をかしげて考えて答えたのは、ずっとと言うものだった。


「どれくらいずっとなのかな?」

「えっとね‥‥‥生まれてから、ずっと」

「え――――――ッ!?」


背筋が、ぞっとした。

――――――生まれる前から、ずっと?

頭の中で、何度も復唱する。

怖すぎる‥‥‥あまりにも、怖すぎる。


「そんな‥‥‥ミウちゃんは、ずっと‥‥‥」

「うん。 ずっと‥‥‥ずぅ~っと」

「‥‥‥」


想像もしたくない、現実がそこにはあった。

何もない、真っ白な空間。

花瓶の一つも置かれてなく、点滴と心拍などを表示する機械が置かれている程度の病室。

その場所に‥‥‥ずっと、最初からずっと。

そんな世界しか、この少女は知らない。

目の前にいる少女は、その世界しか知らないのだ。

その世界を変えてくれているのが、ここにいる黒猫で、それしかなかったのだ。


「そう‥‥‥だったんだ」


それしか言えなかった。

ほかに、かけられる言葉がなかった。

想像したくもない現実を味わってきた彼女にかけられる言葉は存在しなかった。

あったとしても、相良翔にそれを伝える勇気はなかった。

なぜなら、自分は経験していないからだ。

見たことも、触れたこともないからだ。

彼女にとって、あまりにも幸福者である翔は何も言ってあげられないのだ。


「ねぇ‥‥‥さが‥‥‥ら‥‥‥さん?‥‥‥」


言い終えてから難しい顔をして、しばらくうつむいて考え出す。

翔はその表情を見て、彼女が相良と言う苗字を言いづらいのだと察した。


「呼びづらいなら、好きな呼び方でいいよ?」


とはいえ、翔は今まで呼び方を自分で決めたことはない。

みんなが好きな呼び方をして、翔はそれを素直に受け入れると言う感じだった。

だから今回も、彼女に全てを委ねるしかなかった。


「えと‥‥‥それじゃ‥‥‥」


そしてミウは、翔をある呼び名で呼ぶことにした。


「――――――お兄ちゃん」

「ッ!?」


綺麗な花が咲いたような笑顔で、彼女はそう言った。

ミウの姿と、翔の義妹の面影が再び重なり合う。

義妹も、同じ呼び方をしていた。

その笑顔と、その言葉が、綺麗に重なって見えた。

そして翔は、言葉にできない衝動に襲われた。

彼女は一体、どんな想いで翔を兄と呼んだのだろうか?

この世界に存在しない兄を求めて‥‥‥そう呼んだのだろうか?

そんな答えを探すよりも先に、翔の体が動いていた。


「ああ。 お兄ちゃんだよ。 俺は、ミウのお兄ちゃん」


堪えきれない嗚咽に近いものを抑え込むように笑顔を見せ、ミウの小さく華奢な体を優しく抱きしめた。

そして右手をミウの頭において、そっと優しく撫でてあげた。


「温かいね、お兄ちゃん」

「ミウは、少し、冷たいな‥‥‥」


うまく言葉が続かない。

それはきっと、泣いているからだろう。

顔は涙などでぐしゃぐしゃになっているだろう。

だからそれを見せないように、彼女の顔を胸に埋めるように抱きしめた。

泣くべきなのは、翔じゃない‥‥‥本当は、ここにいる小さな少女なのだから。


「‥‥‥ぅ」

「‥‥‥どうした?」


その時、ミウは小さな体が小刻みに震えだした。

翔は涙を勢いよく拭い、抱きしめていた体を話して、彼女の顔を見る。


「痛‥‥‥いよ‥‥‥お兄、ちゃん」

「ミウッ!?」


ミウの顔は、青白くなり、大量の汗をかいていた。

荒い息、心臓のほうを左手でギュッと握る。

見ただけでわかる、これがミウをこの世界に閉じ込める病なのだと。

翔は左腕で彼女の体を包み込み、右手でベッドのそばに置いてあったナースコールの赤いボタンを力強く押す。


「うぐぅ!」

「ミウ! 大丈夫だ! 今すぐ医者が来るからな!」


とはいえ、ここは病院の最上階である5階の、さらに一番端にある病室。

医者が道具を持ってこちらに駆けつけるまでそれなりに時間がかかる。


「(俺は‥‥‥その間、何もせずにいろってことなのか!?)」


ただ無力に、彼女のそばにいることしかできないのだろうか?

翔は‥‥‥嫌だった。

義妹とよく似てる少女‥‥‥翔は、守りたいと思った。

そんな少女が今、生死の境目にいる。

ここで何もできないのは‥‥‥嫌だった。


「‥‥‥大丈夫。 お兄ちゃんが絶対に守る」


――――――もう二度と、大切なものを失わないために。


「‥‥‥」


翔は目を閉じ、魔力を込める。

脳に流れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせ、魔法を発現させる。

病魔と言う苦しみに耐える大切な人を救う、魔法。


「神聖なる湖より求めよ、癒しの加護!!」


翔の全身は水色の魔力光に包まれる。

そしてそのまま翔は苦しみに耐えるミウを、そっと抱きしめた。


「お兄‥‥‥ちゃん」


すると、ミウの心臓の痛みは徐々に無くなっていく。

彼女にとっては、奇跡的な瞬間だったと言えるだろう。

相良翔が発動させたのは、治癒魔法『|水星癒す聖なる(ハイルミッテル)』より更に上位の魔法。

湖の更に奥にある、神聖なる湖より得た、湖の精霊の加護――――――『|水星癒す神聖なる光(ウンディーネ・ハイルング)』

完全治癒を目的とした魔法で、この魔法を受けたものの傷・病は全て完全に癒されていく。

癒されたミウは、気持ちよさそうに頬を緩めて翔に優しく囁く。


「お兄ちゃん‥‥‥天使、みたい」

「天使?」

「優しくて‥‥‥かっこよくて‥‥‥私を助けてくれて‥‥‥私のお兄ちゃんで、天使みたい」

「‥‥‥そう、か」


その言葉で、救われた気がした。

誰でもない、自分自身が‥‥‥救われた気がした。

とにかく、助けることが出来て良かった。

大切な‥‥‥大切な、女の子を――――――。




――――――『フザケルナ』




「ッ!?」



だが、ミウの病室を飲み込むほどの巨大な爆発が、翔とミウを包み込んだ。

病室は爆発して、残ったのは――――――巨大な姿になった、黒猫のショコラだった――――――。 

 

第三話 迷い猫の怒り

<PM0:30>


「雷より求めよ、神速の光!!」


突如、ミウがいた部屋が大きな爆発を起こす。

爆風に飲み込まれる翔とミウだが、翔は魔法の力を使って爆風から逃れる。

全身に雷を纏わせ、目にも止まらぬ速度で移動する魔法――――――『|金星駆ける閃光の軌跡(ブリッツ・ムーブ)』

翔は間一髪、ミウを抱きしめながら魔法を使い、屋上に避難した。

そして屋上には、翔とミウ、そして――――――凶暴化した黒猫のショコラがいた。

 黒く、針のように逆立った毛。

 刀のように鋭く長い爪。

 黄金色に光る眼光。

 そして圧巻なのは、人間の更に倍、その更に倍以上に巨大化したショコラの姿だった。

不幸中の幸いと言うべきか、ミウは先ほどの病の疲れで意識を失っている。

もし、今の光景を見たら恐怖に震えてしまうだろう。


「ショコラ! どうしたんだ!?」


翔は声を上げてそう聞くと、ショコラの声は濁ったように聞こえ出す。


『どうして‥‥‥どうして今まで、その子をここの人は助けられなかった!? あなたのようなただの子供ごときに助けれたのに‥‥‥どうして!!!』

「ッ!?‥‥‥お前‥‥‥まさか」


暴走するに至った原因、それは――――――この病院にいる人たちへの怒りだった。

ショコラは誰よりも、小鳥遊猫羽と言う少女のことを知って、誰よりもそばにいた友達だ。

だからこそ、誰よりも、いつまでも願っていたはずだ。

この子が、自由に生きられますようにと‥‥‥何度も、何度も願っていたはずだ。

それなのに、いつまで経っても体の調子は良くならず、病と言う運命に必死に抗うように生きている。

相良翔よりも若い少女が、ずっと耐え続けてきた。

それをそばで、ただじっと見ていることしかできないショコラの気持ち。

それがどれほど苦しいものだったのだろうか、想像するのも辛かった。

なぜなら翔自身も、先ほどまで病魔の苦しみに耐えていたミウの姿を見ていることしかできなかったのだから。

もしそれが毎日、何年も続いていてそれを見続けていたとしたら‥‥‥きっと気が狂ってしまうだろう。

そんな、狂いそうな気持ちを抑えてくれたのは紛れもなく、彼女の笑顔だったのだろう。

だから、この優しい笑顔を守ってあげたかったのだろう。

‥‥‥だが、そんな彼女を救ったのは、まだ出逢って間もなく、どこにでも普通の高校生だった。

これといった医療知識・技術を持ち合わせていないただの高校生が、何年も苦しんでいた彼女をあっという間に救ってしまった。

救うこと自体は決して悪いことではない。

問題は、医者が何もしてくれなかったことだった。

たかが高校生で救える体を、どうしてもっと早く救ってくれなかったのか?

もっと早く手を打てば、今頃彼女は、もっと自由にはばたけていたはずだ。

それなのに、どうして‥‥‥。

それが、黒猫『ショコラ』の怒りなのだろう。

そして今の姿は、今まで抑えてきた怒りと苦しみが解き放たれた姿なのだろう。


『フザケルナ‥‥‥フザケルナァァァ!!!!!!』

「まずいッ!」


ショコラは右手を大きく振り上げると、勢いよく病院の屋上に叩きつけようとした。

翔はミウを離れた位置を優しく置くと、再び雷を身に纏い、叩きつけられる地面に向けて走る。

そしてたどり着いた翔は、脳に流れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせて、魔法を作り出す。

迫る大きな力を抑え、病院を破壊させないための力。

今まで見せたこのない、新たな魔法の力を翔は発現させた。


「大地より求めよ、巨人の力ッ!!」

『ッ!?』


その時、迫るショコラの右手の動きが止まった。

だが、病院にも被害はなかった。


「ぐ‥‥‥ぉ、ぉおおおおお!!!」


それは、翔によるものだった。

全身に魔力を均等に分け与え、地面もショコラもダメージを与えないようにした。

翔の全身は茶色い魔力を鎧のようにまとっていた。

過去にいた、大地の巨人のように圧倒的な怪力の力をその身に与える身体強化魔法――――――『|土星与えし巨人の鎧(ウィルダネス・シュラーク)』


「やめろショコラ! この病院を壊しても、何の意味もない!!」

『うるさい! お前に何が分かる!? ずっと、ずっと何もできずに、ただ苦しみに耐える主の姿を見ていることしかできないこの気持ちを、お前なんかに分からないでしょ!?』

「ショコラ‥‥‥」


最初は、翔のことをあなたと呼んでいたが、今は怒りと暴走のせいでお前になっていた。

それだけ、怒りが溜まっていたということになる。

‥‥‥だが、翔には理解できることがある。

翔もまた、何もできなかった人の一人だから。


「分かるよ。何もできない‥‥‥無力な自分を感じる日々、俺もそんな日々があったからさ」

『なら、止めないで!!』

「いや、だからこそ止める!!」


翔は思った。

ミウが自分の義妹だと言うのなら、ショコラは‥‥‥相良翔自身なのではないのかと。

どんなに辛くても、辛いことを笑顔で話す姿を何度も見ても、その苦しみを共有できなくて、それをただ見ていることしかできない無力さ。

そんな日々は、翔も経験したことがある。

だからこそ、翔とショコラは似た者同士なのだと思った。

そして、そんな苦しみも、痛みも、怒りも、全部理解できてあげられる翔だから、ショコラを止めると決意できた。


「ショコラがここで病院を破壊すれば、病院にいる人は傷ついて、それを心配する家族や仲間がでる。 その人たちもきっと、俺やショコラと同じ気持ちになって、同じ日々を過ごすことになる。 そんなこと、絶対に繰り返しちゃいけないんだ!!」


翔はそう言うと、右手の空間を歪ませ、魔法使いとしての武器である刀――――――『天叢雲』を召喚する。

そして両手で柄を絞るように握り、ショコラを睨みつける。


「だから俺は、お前を止める! お前と同じ苦しみを知る者として、ミウを守るため、そして――――――魔法使いとして!!」


翔は沈み込んだ姿勢から一気に走り出す。

地面ギリギリを滑空のように突き進む。

右手に持った天叢雲に魔力を込め、脳の中で膨大に広がる|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせて魔法を発動させる。

ショコラは両手の爪に力を込める‥‥‥込めると、色を紅く変化させる。

恐らくあれは、魔力。

魔力を纏わせて、翔と同じように魔法を発動させようというのだ。

そして魔力を纏わせたショコラは地面に爪を食い込ませて大きな穴を開けながら翔に向かって走り出した。


「せいッ!!」


翔は上段の構えから勢いよく刀を振り下ろす。

白い残影を残し、その一閃は真っ直ぐに振り下ろされる。

 光り輝く裁きの一閃――――――『|天星光りし明星の一閃(レディアント・シュトラール)』

ショコラは対するように、両手の爪を勢いよく振り上げ、交差させるようにして振り下ろした。

翔とショコラの一撃は、激しい火花を散らしながらぶつかり合う。


「ッ!? ぐあッ!!」


だが、翔は力負けしてショコラの一撃を受けると、遠くに飛ばされて地面に叩きつけられる。

更に容赦なく、次の一撃が翔に迫る。


「くっ‥‥‥なら」


翔は刀を片手だけで握る。

利き手の右手で握ると、手のひらでくるりとペン回しのように回転させ、持ち方を変える。

柄が上に出て、刀身が下を向く‥‥‥逆手持ちと呼ばれる持ち方だ。

ナイフなどを使った近接格闘などでなどく見られる持ち方だが、刀で逆手持ちと言うのは珍しい。

ただでさえ片手でもって振り回すのが難しい刀を、逆手持ちと言う持ち方で振るうのだ。

だが、翔は何度も片手・逆手持ちの練習をしていた。

だからこそ、この持ち方をしても戦える自信があった。

そして翔は迫るショコラの攻撃をひらりと避け始める。

右、左、右、左、上、下、斜め、真ん中、様々な方向から迫る攻撃を翔は一つ一つ丁寧に見切りながら避ける。

‥‥‥そして、ショコラの右手のストレートを避けた瞬間、待っていたかのようなタイミングに翔は刀身に魔力を一気に込めて、ショコラの懐に潜り込む。


「喰らえッ!!」


翔は大量の攻撃系魔力を外へ撒き散らしながら『|土星与えし巨人の鎧(ウィルダネス・シュラーク)』によって強化された腕力で自身の体をコマのように回転させる。

更に刀身に纏った白銀の技『|天星光りし明星の一閃(レディアント・シュトラール)』が撒き散らされた攻撃系魔力と激しく擦れ合い、膨大な摩擦を発生させて白銀の竜巻を発生させる。

天星と土星を組み合わせた超高等魔術。
 
 全てを飲み込み、切り裂いていく白銀の嵐――――――『|天星吹き荒れる龍嵐(レディアント・シュトゥルム)』

白銀の竜巻は、ショコラの懐を切り裂きながら天に伸びていく。

ショコラは回転しながら宙を舞い、苦しそうに地面に落下していく。


「‥‥‥」


翔は、悲しそうな表情をしながら刀を両手で握りなおす。

そして魔力を刀身に込めながら、魔法――――――『|天星光りし明星の一閃(レディアント・シュトラール)』を発動させる。

いつもなら、勢いよく走り込んで切り裂くはずの動きを、翔はゆっくり‥‥‥ゆっくりと歩きながら発動させていた。

それは、この一撃を放てば確実にショコラを倒せると確信しているからこその迷いだった。

今、この暴走状態のショコラにトドメを刺さなければ、病院が壊れるどころの騒ぎではなくなる。

そうなれば、悲しむ人が増える。

それは絶対に止めたい。

だが、止めるためには、ミウの大切な友達をこの手で倒さなければいけなくなる。

そうなればきっと、ミウは心を痛めるだろう。

そう考えるのは容易だった。

翔の中には、様々な葛藤があったのだ。

そして葛藤は行動にも現れ、翔の進む足を遅くしていたのだ。


「‥‥‥」


だが、翔は決心した。

ここで、ショコラを倒す決意。

翔は勢いよく駆け出し、地面に倒れるショコラに向かって一直線に向かう。

このままなら、間違いなくショコラは切り裂かれる。

そう‥‥‥思っていた――――――。


――――――「ダメェッ!!!」



だが、翔は切り裂くことができなかった。

目の前に来たところで、翔は動きを止めたのだ。

聞こえた、少女の声と‥‥‥目の前に現れた、その少女の姿で。


「ミウちゃん‥‥‥」

「やめて‥‥‥お兄ちゃん」


翔の前に立ちはだかったのは、つい先ほどまで意識を失っていた少女、小鳥遊猫羽だった。

ミウが翔を止めたのは問題ではない。

問題は――――――魔法で強化された翔の脚力を超える速度で翔よりも早くショコラの前に移動できたこと。

病室生活で運動なんて皆無のはずのミウ。

そんな彼女が、年上の男子、しかも魔法使いの速度を上回ることなんてできない。

できるとしたらそれは、彼女が魔法使いとして覚醒したと言うこと。


「そこをどいてくれ。 ショコラを止めないといけないんだ」

「ダメだよぉ! 絶っ対にダメぇ!!」

「ッ!? ‥‥‥ミウちゃん‥‥‥」

『ミウ‥‥‥』


翔もショコラも、ミウのその姿に呆然としてしまう。

弱々しく、脆い体で必死に大切な友達を守ろうとする、その姿。

両腕を左右に広げ、自分よりも大きな友達を守ろうとしている。

恐怖なのか、疲れなのか、ミウの全身はガクガクと震えて、立つのもやっとの様子だ。

そんな彼女を踏ん張らせているのはきっと、大切な友達を失いたくないという、強い気持ちなのだろう。


「ショコラは、私の一番大切な友達なの! 私の、友達なのッ!!!」

「ぐっ!」


叫ぶミウに答えるように、ミウの全身から蒼い光――――――魔力が溢れ出て翔は後ろに吹き飛ばされる。

なんとか着地すると、ミウが蒼き魔力に包まれていくのを目の当たりにする。


「誰も、お兄ちゃんでも、ショコラを傷つける人は許さない!!私が、絶っ対に許さないッ!!!」


ミウを包み込む蒼い魔力の光は螺旋のように渦を巻き、天まで伸びる。

そして天まで伸びると魔力の光は一旦、姿を消す。

‥‥‥だが、しばらくすると天から巨大な竜巻がミウに向かって落下してくる。


「ミウちゃんッ!」


翔は高速移動魔法――――――『|金星駆ける閃光の軌跡(ブリッツ・ムーブ)』でミウのもとへ走り出す。

‥‥‥だが、竜巻の速度は相良翔の移動速度を大きく上回り、あっという間にミウを飲み込むと、翔は落下してきた衝撃と爆風によって吹き飛ばされる。


「ぐ‥‥‥ミウちゃん‥‥‥」


ミウがどうなるのか、それは竜巻が消えなければ分からない。

だが翔は、万が一のことを考えて天叢雲をしっかりと握り、立ち構える。

そして、竜巻が消えると‥‥‥翔の前、とんでもないものが現れた。


「なっ‥‥‥嘘‥‥‥だろ‥‥‥」


ミウを守るようにミウを囲むように渦を巻く巨大な生物。

蛇のように長い胴体と尻尾、肌は鋭く大きな鱗がびっしりと付けられ、まさに鎧のようだった。

そしてその大きな体をソラへと羽ばたかせるための大きく、力を感じさせる翼。

鋭い眼光からは圧倒的な威圧感を感じさせる。

その姿は、まさに伝説上の生物――――――『龍』だった。

その龍は、小鳥遊猫羽と言う小さな存在を守るように翔を睨みつける。

つまり、あの龍はミウが魔力を使って出したもの。


「お兄ちゃん。 お願い‥‥‥ショコラに手を出さないで」

「‥‥‥それでも、俺はショコラを倒さないといけない。 その姿のショコラを、俺はこの手で‥‥‥」


ミウの願いを断ると、ミウは残念そうな表情をした後、全てを覚悟した表情になる。

――――――人を殺す覚悟を決めた表情に。


「だったら、私とお兄ちゃんは敵同士だね‥‥‥」

「ミウちゃん‥‥‥」


翔の剣先が震える。

刀を安定して持つことができない。

心が動揺して、集中できない。

全身から、力が抜けていく。

ミウによるものではない。

龍でも、ショコラでもない。

ただ、相良翔自身が、怯えているのだ。

今、目の前に立ちはだかっているのは‥‥‥相良翔の義妹によく似た少女だ。

そして彼女もまた、翔のことを兄と慕ってくれた。

今も、敵同士である中、相良翔のことを兄と慕って呼んでいる。

翔にとってその姿は、まさしく義妹そのものだった。

相良翔と言う少年の、人生を変えてくれて、人生を変えさせてしまった少女に。

そんな少女、ミウを斬ることなんて翔にはできなかった。

ショコラに対してあった斬ると言う決意もまた、ミウによってかき消された。

文字通り、戦意喪失状態なのだ。


「私、お兄ちゃんが相手でも本気だからね」

「‥‥‥」


ミウはそう言うと、右手を天に掲げる。

すると龍は口を僅かに開ける。

龍の口の中は蒼き光――――――魔力によって光りだす。

光は徐々にその輝きを増し、超高密度の魔力体となっていく。


「天より舞い降りし龍よ、我が命に従い、仇なす敵を倒して」


ミウは脳に溢れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせ、龍に魔法を与える。

初めて使う魔法にして、最強の魔法。

龍の口から放たれる、逆鱗の焔。

全てを燃やし、打ち倒す――――――『|龍放つ獄炎の焔(アオフ・ローダン・ボルケーノ)』

龍は溜め込んだ焔を一気に吐き出した。

蒼く光る火線が、長い尾を引いて宙を駆ける。


「‥‥‥」


翔に向かって真っ直ぐに迫るそれを、翔は避けることができなかった。

そして放たれた焔は翔の足元にぶつかると、巨大な爆発を起こして翔を巻き込んで吹き飛ばした。

吹き飛ばされた翔は低空に飛ばされると、地面に転がるようにして倒れた。

その手から天叢雲は離れ、地面に音を立てて転がる。


「ぅ‥‥‥ッ」


どうすればいいのか、翔は分からなくなっていた。

今ここで起き上がる意味、立ち上がる意味、武器を手にする意味、戦う意味。

全部‥‥‥分からなくなっていた。

名も知らない誰かのために、目の前にいる大切な人を斬ることへの疑問。

それが翔の中で募り、起き上がる力を削いでいた。

周囲は蒼い炎で包まれ、まさに焼けた戦場のようだった。

その場所で翔は、無力に倒れていた。


「お兄ちゃん‥‥‥ごめんね」


トドメと言わんばかりに、龍は再び口に魔力を集結させていく。

翔はそれを分かっていても、起き上がれなかった。

もう、どうすることもできなかった。

そして――――――再び蒼き焔が翔に向けて放たれた。

全てを諦めた翔は、力なく瞳を閉じて、全てが終わるのを待った――――――。



――――――「夜天より舞い降り、我らが敵の尽くを打ち払わん!!」




「ッ!?」


だが、耳に聞こえたミウとは別の女の声に翔は再び目を開けた。

聞き覚えのある、女の声。

そして翔の真上を通り抜けるように漆黒の闇がレーザー砲のように放たれ、龍の放った蒼き焔とぶつかり合って相殺させる。

収束し、放たれる闇――――――『|夜天撃つ漆黒の魔弾(ヴォーパル・インスティンクション)』だった。


「相良君、まだ諦めてはダメ。 まだ――――――諦めないで!」

「ッ!?」


その言葉に、翔は再び奮い立たされた。

全身に力が湧いてくる。

魔力も、満ち溢れてくる。

そして翔は、立ち上がった。


「理由なんていくらでも見つけられる。 大事なのは、諦めないこと‥‥‥見失わないこと」

「‥‥‥ああ。 そう、だったな」


翔は立ち上がると、 地面に転がったままの刀の柄頭を踏む。

刀は音を立てて回転しながら垂直に飛び上がる。

白銀の光を引いて落ちてくる柄に向け、右手を横薙に振るうと重い音とともに刀が翔の手に収まる。


「見失ってたな。 彼女は、|義妹(いもうと)じゃない。 全く違う子なんだ‥‥‥だから、これ以上の迷いはいらないはずだった。 俺は、魔法使いとしてあの子を止める。 手伝ってくれ――――――ルチア」

「ええ。 もちろん」


翔の声に答えるように、翔の左隣に立つのは、黒い衣を身にまとい、死神のように大きく鋭い鎌を持った――――――ルチア=ダルクだった。

‥‥‥そして、もう一人。

 
「私も協力します。 3対3なら、フェアです」

「井上‥‥‥静香先輩」

「ええ。 及ばずながら、私も戦いましょう」


右隣に現れたのは、白と桜色を強調した騎士風の戦闘服。

左腰には剣を収める白に桜色のラインが入った鞘。

右手には、その鞘に収められていたであろう剣があった。

刀よりも細身の、エストック型の形状をした‥‥‥レイピアだった。

圧倒的な存在感と威圧感。

その美しく、戦場に現れるその存在はまさに――――――『女帝』だった。


「ありがとうございます、先輩」

「いいえ。 それよりも、詳しいお話しを後でじっくりとお聞きしますから」

「‥‥‥はい」


尋問よろしく、長く話しを聞かされ言わされるのだろうなと思い、苦笑いをする。

だが、静香がミウのほうを向いた瞬間、表情は凛として真剣な表情になり、それに釣られるように翔も意識を集中させる。


「私があの龍のお相手をします。 相良さんは大きな黒猫の相手を。 ルチアさんはあの魔法使いのお相手をお願いします」 

「「はいッ!」」


静香の指示に覇気のある返事をすると、静香は嬉しそうにふっと笑い、声を出した。


「行きますッ!!」

「はいッ!」

「ええッ!」



そして3人は、強大な力を持つ少女に向けて走り出したのだった――――――。 

 

第四話 迷い猫の涙

 
――――――古い文献を読むと、龍と言うのは遥か昔に複数体、この世界に存在していたとされている。

あるときは虎と対立する龍、あるときは朱雀・白虎・玄武と言う3体の神とともに守護する龍、あるときは九つの頭を持ち、災いと呼ばれた龍、あるときは天から舞い降りて人を災害から救った龍などがいた。

このように、龍には様々な種類が存在する。


「龍を見るのは初めてですが、まさかこれほど大きいとは思いませんでした」


そして彼女、井上静香は蒼き龍の前にたっていた。

龍の眼光から放たれる殺気を、静香はものともせずに冷静に物事を受け入れていた。

そして右手に握ったレイピアを水平に構え、刀身に魔力を込める。

レイピアは魔力によって淡い桜色の光を纏う。

龍は静香を一撃で仕留めるべく、口に魔力を集結させていく。

そして溜め込んだ魔力を炎へと変え、龍は静香に向けて放った。

 全てを燃やし、打ち倒す――――――『|龍放つ獄炎の焔(アオフ・ローダーン・ボルケーノ)』

蒼く光る火線が、長い尾を引いて宙を駆ける。


「‥‥‥驚きました」


そう言うと静香は水平に構えていたレイピアを軽く振り上げ、軽く払い下ろす。

するとどういうことだろうか、龍の一撃は振り下ろされたレイピアに巻き込まれて軌道を大きく逸らされ、屋上から遠く離れて飛んでいき、徐々に消えていった。

そしてそれを通り過ぎるのを確認した静香は冷静に言った。


「龍は元々神様が作り出したものだとも聞いたことがありました。 ですから私程度の存在を殺すことなど造作もないことだと思いました。ですが、正直驚きました」


静香はレイピアは左腰にある鞘に収めて再び話し出す。


「ここまで弱いとは、正直驚きました。 まさか、魔法も発動させていない私のレイピア如きに彈かれる程度の力しかないなんて‥‥‥本当に驚きました。 理由は恐らく、主であるあの少女の実力不足でしょう」


冷静に分析した意見を述べるが、龍は静香の言っている言葉を理解できていないのか、話している最中にすでにもう一発、攻撃を放つ用意をしていた。

静香は呆れたようにため息をつくと、レイピアを抜かずに、ゆっくりと龍に向かって歩み寄る。

龍の殺意も、龍の一撃も、全てを気にせず。

龍は再び『|龍放つ獄炎の焔(アオフ・ローダーン・ボルケーノ)』を静香に向けて放つ。


「無駄です」


そう言うと言葉通り、龍の放った一撃は静香に当たる瞬間に爆散して消滅した。

龍も流石に今の現象には驚きを隠せず、迫る静香から離れる。


「龍が逃げないでください。 いくら主が弱くても、あなたは伝説の龍なのですから‥‥‥私程度の存在から逃げないでください」


それは、龍に対して高い期待を抱いていた静香からの願いだった。

龍には主以外の人が喋る言語を理解できないので、その願いも聞き入れてもらえないのだが。

だが、静香にはもう一つ、ある興味があった。

それは、誰もが知る龍に存在するある部分。


「少し、失礼しますね」


そう言うと静香は両脚に魔力を集め、踏み込みと同時に爆発させ、それを繰り返して速度を上昇させて龍の目の前に高速移動させる。

そして両脚に一気に魔力を込めて爆発させ、跳躍力を上げて龍の顎まで飛ぶ。

右手を伸ばし、龍の顎の鱗の一つに触れようとする。


――――――龍の鱗は80+1、合計81個存在する。

その1つとは、全ての鱗と逆向きの鱗――――――逆鱗のことである。

静香は無謀にも、その逆鱗に触れようというのだ。

『逆鱗に触れる』と言う言葉を知っているだろうか?

龍は元々温厚で普段は人を襲わないのだが、逆鱗に触れるのを嫌い、触れたときは災いを起こすとされている。

このようなことを日本人は、目上の人たちに逆らって激しい怒りを買うと言う意味に置き換えて使われている。

そのように、逆鱗に触れると言うことは龍を本気にさせてしまうと言うこと。

つまり今、静香が行っている行為は自殺行為に近いものなのだ。

だが、それでも静香がそれをするのは、龍への期待を潰さないためだ。

龍は最強であって欲しい。

今だ本気を出していない静香に負けて欲しくないのだ。


「私に見せてください。 龍と言う存在の、本気を」


そう言って静香は、龍の逆鱗に触れた。


『グガアアアアアアアッ!!!!』

「ッ!?」


一瞬の出来事だった。

逆鱗に伸ばした手の爪先が掠る程度での反応だった。

鼓膜が破裂しそうなほどの音と、大気が震えるほどの衝撃が響く。

それらは全て、龍が発生させたものだった。

静香は瞬時に地面に着地すると龍から離れるように後ろに下がった。

そして鞘に収まっているレイピアの柄を握り、居合切りに近い構えのまま、龍の出かたを伺う。

龍は鱗と鱗の隙間から膨大な魔力を放出させる。

膨大な魔力は龍の全身を包み込み、まるで鎧のように纏う。

先ほどとは比べものにならないほどの殺気と威圧感が、静香に襲いかかる。


「これが、龍ですか‥‥‥期待通りですね。 だからこそ、倒しがいがあると言うものです」


そう言うと静香は鞘からレイピアを抜き、龍に向けて真っ直ぐ構える。


「井上静香、参ります!!」


ダンッ!!と力強く地面を蹴ると静香は龍に向かって突撃した。

静香は龍との距離ギリギリで再び地面に両脚を付け、魔力を一気に込めて爆発させると、瞬間的に加速速度を更に倍にしてレイピアを伸ばして攻撃する。

無数の矢のように静香の突き技は光速で龍の全身を突く。


「ッ!?」


だが、無数に放ったレイピアは全て尽く弾かれ、傷一つ付けることはできなかった。

すると龍は全身を目にも止まらぬ速度で回転させると、一瞬にして竜巻を発生させて静香を飲み込んで雲の上まで飛ばす。

龍はソラから落下していく静香に向かって真下から口を大きく開けて向かってきた。

間違いなく、静香を喰らうつもりだった。


「龍が本気ならば、私も‥‥‥本気を見せましょう!」


そう言うと、静香は脳に流れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせて、全身からレイピアにかけて、全体に行き渡らせる。

――――――漆黒のソラに、静香の持つ淡い桜色の魔力が花火のように放出されて輝く。

まるで季節外れの桜が、夜のソラに舞い散るかのように‥‥‥


「はッ!!」


気合一閃、桜色の閃光が尾を引いて地上に落下した。

龍を真っ直ぐに貫き‥‥‥地上に落として。


「地上でもソラでも、私は戦えます。 全ての世界が、私の|戦場(いくさば)です!」


凛々しいまでの姿。

誰もが従ってしまうほどの、圧倒的な存在感。

弱き敵を寄せ付けず、強き敵を求めて探求する心。

弱きをいたわり、守る想い。

誰にでも厳しく、優しく接する力。

それを知る学園の生徒たちは皆、彼女のことをこう呼ぶ。


――――――『桜女帝(さくらじょてい)


そして桜女帝の持つ魔法もまた、彼女の素材にとても相応しいものだった。

大地も、ソラも、海も、彼女にとっては大きな壁にはならない。

彼女の進み道を邪魔することはできない。

 彼女の持つ魔法の力は、弱きものを受け入れず、ただ己が認めたもののみ、その力の覚醒を許す女帝の鎧――――――『|女帝纏いし神聖の鎧(エンプレス・クロイツ)』

最強の龍と桜女帝の戦いが始まる。


「参ります!」


駆け出した瞬間、静香の全身を淡い桜色の光、魔力が包み込む。

そして光の尾を引いて、文字通りの閃光のように龍に向かって迫る。


「閃光よ、全てを貫く槍となれ!!」


真っ直ぐ、振れることなく放たれた突撃魔法。

 全てを貫く、閃光の槍――――――『|龍討つ閃光の桜槍(エンプレス・シュトラール)』

桜色の槍となった一撃は、龍を腹部から真っ直ぐ突き刺し、通り抜けると、桜が舞い散るかの如く、ゆっくりと地上に落ちて着地する。

全てが一瞬の出来事で、龍の強固な鱗をも貫かれ、龍は悲鳴を上げて地面に倒れこむ。


「では、これで決めます」


そう言うと静香はレイピアを両手で持ち、顔の横に構える。

刀身に魔力が勢いよく集結していく。

脳に溢れ出てくる膨大な|魔法文字(ルーン)を今まで以上に複雑に組み合わせていく。

大技を放つ用意である。

それを察してか、龍もまた最強の一撃のために全ての魔力を口に集結させる。

この一撃で、決着をつけるつもりなのだ。


「桜花大乱、我が刃に乗せ、天まで貫け!!」


刀身を淡い桜色の光が包む。

光/魔力はレイピアと同じ形状に変化し、魔力のレイピアとなる。

そして全身にも魔力を流し、身体能力を上昇させる。


対する龍の口の中では、集結していく魔力は更に収束していき、超高密度の魔力砲を作り出す。

‥‥‥攻撃は、同時に放たれた。

龍が放つ最強の技。

 世界を破滅させる終焉の焔――――――『|世界討つ終わりの焔(ツェアシュティーレン・ブレイカー)』



静香が放つ奥義。

無限を切り裂き、無限を貫く、最速にして最強の剣撃。

 閃光の刃――――――『|桜舞う無限の桜槍(ロイヒテン・シュペーア)』


二つの攻撃は同時に、夜のソラでぶつかり合う。

当たった瞬間、激しい火花を散らす。

桜色に光る、花火のように――――――


「‥‥‥龍との戦い、とても心躍るものでした。 人生であと何度経験できるか分かりませんでした」


そう言った瞬間、龍の攻撃がまるでシャボン玉のように弾けて消えた。

龍はありえないと思ったのか、全身を後ろに下げて怯む。

だが、静香はそのまま真っ直ぐ龍に突進した。

静香の攻撃は、まだ終わっていない。


「ありがとう、ございました!」


そう言うと、静香は目にも止まらぬ速度で龍の腹部を何度も何度も同じ場所を突く。

これこそ、『|桜舞う無限の桜槍(ロイヒテン・シュペーア)』の真の能力。

この攻撃は、一度放って終わる魔法とは違い、静香が自ら解除するまで永遠に放たれる特殊な魔法。

つまり静香は、龍の最強の一撃を破壊し、更に龍本体までもをその魔法で倒したのだ。

そして龍は蒼い光の粒子に包まれて、その姿を消滅させる。


「召喚された魔獣は、時が経過すればその姿を再び取り戻します。 もっとも、召喚する主が生きていて、魔力がまだあるということが絶対条件ですが‥‥‥」


そう言うと静香は、ミウと対決しているルチアの方を向きながら、レイピアを鞘に収める。


「それを決めるのは、私ではなく‥‥‥あの二人です。 だから、全てをあの二人に託します」


龍に向けて、そしてこの戦いの結末に向けて、静香はそう言った。

そして戦いを終えた静香は龍との戦いで荒れ果てた病院の屋上の修復を、魔法の力で始めるのだった。



                  ***





「あなたが、あの龍と黒猫の主なのね?」


静香が龍と戦い出した頃、ルチアは少女『小鳥遊 猫羽』と相対していた。

ミウは砂汚れなどがついた白い病人服姿だった。

裸足で、この寒い季節に腕は露出しており、彼女の服装から暖かさは感じられない。

そんな彼女は、鎌を向けられている恐怖にも、この寒さにも震えることなくルチアの質問を聞いて静かに頷く。


「ショコラは私の友達なの。 あの龍は、私が何度も夢で見た、夢の中の友達」

「夢の中‥‥‥なるほど。 あなたには最初から生物系魔法使いの素質と、覚醒のきっかけがあったのね」


ルチアは、ミウの魔法使いとしての素質を見極めてからそう言った。

――――――召喚を主として戦う魔法使い、生物系魔法使いは極めて珍しい。

なぜなら、召喚する生物『魔獣』を呼ぶのが簡単ではないからだ。

召喚はそもそも、魔法使いのイメージ上に存在する魔獣が実際に存在する・存在したことが条件である。

本で読んでみたのをイメージするだけではなく、映像で見たものをイメージするだけでも足りない。

本当に、心そのものがイメージする魔獣こそが存在するものであることが素質なのだ。

そんな中でも、ミウは特殊な例である。

魔獣は基本的に一人一体とされていた。

なぜなら、心が求め、イメージする魔獣が一体が限界だとされていたからだ。

だがミウは、厳しい環境下に置かれていたため、心が求める魔獣が多かったのだ。

生まれてから、病室と言う籠の世界しか知らない彼女だからこそ、その素質を得たのだ。


「お兄ちゃんは、私の友達を傷つけたの。 だから私は許さない‥‥‥お姉さんも、敵?」

「‥‥‥ええ。 私はあの人‥‥‥相良翔の味方。 だからあなたは敵、ということになるわね」


ルチアはつい、彼女のその姿に悲しい表情を浮かべてしまう。

敵を殺すと言う、戦士の表情の中でも体は戦うことを拒絶するかのように瞳の奥は怯えていた。

怯えていても、大切な友達を失うが嫌だから、守るために戦うと言う決意。

二つの想いがぶつかり合って生まれた彼女の表情に、ルチアは先ほどまでなぜ相良翔が彼女との戦いで力を出せなかったのかを理解した。

彼の性格を考えれば、彼女のような少女を攻撃できるわけもない。

そこが彼の弱さであり、弱点である。

だがルチアはそれを、弱さとは思わない。

それは弱さではなく、優しさだと思った。

仮にそれが弱さだとしたら、ルチアはこう考える。

――――――彼の弱さを、私の強さで補う。

なぜならルチアにとって相良翔とは“そういう存在”だからだ。


「お姉さんも敵なら、私がショコラを守る。 絶対に!」

「‥‥‥無理よ。 あなたじゃ、私には到底及ばない。 それにあなたは、間違ってる」


ルチアは淡々にそう言うと、左手に持つ鎌を消滅させる。

武器を持たず、素手と魔法で相手をしようというのだ。


「私は間違ってない! 友達を守るんだもん、間違ってないでしょ!?」

「いいえ! あなたは間違ってる! だから私達の敵になってるの!」

「間違ってない!!」


そう言うと、ミウは魔法使いとしての武器を両手に持った。

右手には刃渡り60cmほどの短剣、左手には回転式の拳銃、形状からしてM1873‥‥‥ピースメーカーだろう。

短剣に拳銃、どちらも持つのであれば片手で持てる武器だ。

これもまた召喚をする魔法使いの特徴である。

生物系魔法使いは、召喚にその膨大な魔力を消費する。

そのため、自身が使用する武器には魔力を多く使えない。

相良、ルチア、静香の三名は武器や魔法そのものに魔力を使えるため、武器も合わせた大きさにできるがミウにはそれができない。

そのため、召喚を使う魔法使いは決まって武器は片手で持てるものとされている。

だがルチアは怯むことなく、左手を前に出して詠唱を始める。


「闇よ守れ、我が前に迫る敵の全てを飲み込む盾となれ!」


左手を立てて唱えると、闇が手のひらに収束していき、薄く丸いディスク状に変化する。


「友達を守るのが友達‥‥‥だから私は、守るの! そのなにが間違ってるの!?」


そう言いながらミウは、銃口に魔力を収束させ、小さな魔力の弾丸を作り出す。

そして一発、音を立てて放った。

 魔力を使って放つ銃弾魔法――――――『|撃ちし者の光(ウン・エントリヒ・シーセン)』

弾丸は真っ直ぐ、ミウの狙い通りにルチアの額めがけて向かっていく。

だがルチアは動じず、ディスク状に変化した闇の魔力を突き出すように構え、盾にする。

 迫る全てを飲み込む闇の盾――――――『|夜天飲み込む無の闇盾(アオス・シュテルベン)』

ミウの放った弾丸は全て闇の盾に触れた瞬間、粉々に砕けて盾に飲み込まれて消滅した。


「この盾に触れたものは全て砕いて飲み込む。 その場所で私を狙う限り、永遠に私は倒せないわ」


ルチアには、魔法使いとしての経験と知識がある。

そのため、生物系魔法使いの弱点と言える部分を知っている。

だが、何も知識のないミウはルチアにとって大きな敵ではないと思っている。

そしてルチアは、ミウの間違いを正さなければいけない。

相良翔にできないことを、やらなければいけないのだから。


「あなたは、あの黒猫がやっていることを手伝いたいの?」

「そうだよ。 ショコラは間違っていることはしないもん。 私は友達だから、それを手伝うの――――――」

「――――――違うわッ!!」

「ッ!?」


ルチアは、怒りを露わにした。

声を上げ、怒鳴るとミウは怯えて一瞬だけビクッと震える。

そしてルチアは怒りながら言った。


「それは友達じゃないわ! あなたは友達としても、飼い主としても、魔獣の主としても失格よ!!」

「なんで‥‥‥なんで、お姉さんにそう言えるの?」


ミウもまた、否定されたことに対して怒りを露わにする。

銃口をルチアの額に向け、短剣に魔力を集める。

脳に溢れる膨大な|魔法文字(ルーン)を、脳が焼けてしまうかと思うほどの勢いで組み合わせていく。


「ずっと独りぼっちだったの。 朝も、お昼も、夜も、起きるときも、寝るときも、ご飯を食べるときも‥‥‥たまにお医者さんが笑顔で挨拶にくるけど、すぐにいなくなって、私はまた独りになってたの。 ずっと、ずっと。 お姉さんに、その気持ちがわかる? そんな寂しさを助けてくれたのがショコラで、ショコラは私の全てを変えてくれたの。 だから私はショコラの味方でいたいの! 友達でいたいの! だから私は、お兄ちゃんもお姉さん達も、みんなみんな倒すの!!」


短剣を真っ直ぐ、槍のようにミウは投げる。

更に弾丸を放ち、短剣の柄頭に当たり、速度と威力をあげる。

今度は、ルチアの盾を貫こうと考えたのだ。

 剣を銃弾のように放つ――――――『貫く死の銃剣(デス・ヴォ―パル)

放たれた剣はルチアを貫かんを放たれていく。


「私には分からないわ。 全くわからない‥‥‥そして、分かりたくない」


そう言うとルチアは左手に発動していた『|夜天飲み込む無の闇盾(アオス・シュテルベン)』を解除して、左手を真っ直ぐ伸ばす。

そして迫る剣を――――――人差し指と中指の間に挟んで抑える。


「う‥‥‥そ」


ミウは、渾身の一撃を呆気なく止められたことに、全身が力なく崩れていく。

そしてルチアは指に挟んだ短剣を地面に投げ捨てると、ゆっくりとミウに向かって歩み寄る。


「独りがどれだけ辛いかを理解できても、それを理由に全てを破壊しようだなんて私は思わない。 誰かを悲しませることが、誰かを苦しめることが、孤独を理由に許されるわけがないでしょ!? それにあなたは友達と言う意味を理解できてない」


ルチアはミウに伝える。

友達と言うものを知ったからこそ言えることがある。

それを、友達を知らないミウに教える。


「友達は決して、過ちの手伝いなんてしない。 間違った道を、そのまま進ませるようなことはしない。 どんなに辛くても、悲しくても、例え喧嘩になったとしても、止めなければいけない! だって、友達は友達をどんな手段を使ってでも正しい道に戻してあげるために存在するから!」


ルチアにとって、友達はいつだって助けてくれる存在だった。

――――――相良翔、彼は最初の友達で、彼のおかげでルチアは孤独という日々から救われた。

彼がいたからこそ、今の人生が幸せだと感じた。

だから今度は、彼が苦しんだときは助けたいし、守ってあげたいと心の底から思っている。

そしてもしも彼が間違った道に進もうとしていたら、全身全霊で彼を正しい道に戻そうとする。


「今、どうして相良君があなたやあなたのお友達と戦っているかわかる? どうして敵対するか、わかる?」

「お兄ちゃんが邪魔をする理由‥‥‥」


ミウはわからなかった。

彼女にとって、相良翔はショコラを傷つける存在という認識しかなかったからだ。

だがルチアは答えられる。

相良翔と言う人物が、どう言うものなのかを知っているからだ。


「彼にとってあなたも、ショコラと言う黒猫も、あなたの魔獣のあの蒼い龍も友達なの。 だから彼は友達が間違ったことをしているから止めてる。 魔法使いとしてでもあるし、兄と慕われたからでもあるけれど、彼があなたを止める最大の理由は――――――あなたが、友達だからよ」

「え‥‥‥」


ルチアの言葉を聞いた瞬間、ミウはショコラと翔の方を無意識に向いた。

今、翔はショコラと何か話しをしながら刀と爪をぶつけ合って戦っていた。

きっと今もなお、ショコラを止めようとしているのだろう。

その表情は、真剣そのものだった。

必死に、必死に言葉をかけながら戦う彼の姿にミウは見惚れていた。


「私はあの人と出会ってまだ一週間しか経ってないけれど、その間に彼の色んなところを知ったわ。 彼は真面目で、努力家で、お人好し。 誰にでも優しいのに、誰かと接するのが少し苦手。 いつもみんなのことを大切に思っていて、助けてあげたり、守ったりしてあげてる。 それって、本当に普通のことで、誰でもやろうと思えばいくらだって出来ることだけど、今時それをできる人間は珍しい。 時代性による人の変化なのでしょうけれどね」


ルチアはミウの目の前まで歩み寄ると、優しい笑顔で彼女に言った。


「それでも、あんなに必死になって友達を止めようとする人、きっと稀な存在でしょうね。 自分以外の誰かのために傷ついて、恨まれて、憎まれて、嫌われて、殺されかけて‥‥‥それでも止めようとする彼は本当に凄いと、私は思うわ。 そして私達は、そんな彼の姿を見たから助けたいと思ったの。 彼のあの姿を見せつけられたら、黙っていられなかった」


彼には、不思議な力がある。

周囲の人を惹きつける何かを持っている。

今はまだ小さな力だが、日に日にその力は増している。

現に今、ルチアだけでなく学園の生徒会長までもを動かしている。

それは紛れもない、彼の力だ。


「私は相良翔の友達。 だから、正しいことをしていたら手伝う。 一人ではどうしようもなく苦しんでいるなら、助ける‥‥‥友達って、そういうものって私は思うわ」

「‥‥‥」


うつむきながら、真剣に考えているミウの姿にルチアは微笑みながら左手をそって彼女の頭のうえに乗せた。

ミウがどう言う結論を出すのか、ルチアにはわからない。

だが、ルチア=ダルクにできることは全て行ったつもりだ。

あとは、彼女が自分だけの結論を出すこと。

それがルチアや静香や翔と相対するものであれば、ルチアが責任をもって‥‥‥この場でトドメを刺す。

それが、相良翔の友達として魔法使いとしてルチアのできることなのだから。


「‥‥‥お姉さん」

「何?」


そしてミウは、答えを出した。


「お姉さん。 ショコラを止めるには、どうしたらいいの?」


それは紛れもなく、相良翔達と同じ想いである証だった。

その答えにルチアは安堵の息を漏らすと、自分の知る知識をミウに言った。


「生物系魔法使いは、主の意思に魔獣が従うものとされてる。 今回は魔獣の意思が主の意思よりも強かったから暴走した」


前にルチアは言った。

魔法使いは、その人の心や意思次第で強くも弱くも、脆くも強固にもなりうるものだと。

魔獣もまた同じだ。

魔獣の意思次第で、主の意思を上回ることもできる。

今回がその例だ。

今は魔獣の意思がミウの意思を上回った。

だが逆にいえば、ミウがその意思を上回ることができれば暴走は止められるはずだ。


「あなたが心の底から祈るのよ。 あの黒猫を、ショコラを助けたいと強く思うの。 魔法は、強い意思に答えるから」

「うん!」


力強い返事をするとミウは瞳を閉じ、ショコラのことだけを考える。

それ以外のものは全て雑念と考え、ただショコラと言う大切な友達を助けたいと言う想いに費やす。


「‥‥‥相良君、あとはあなただけよ」


ルチアもまた、相良翔が生きて戦いを終えることを祈った。

気づけばルチアにとって、相良翔は大きな存在となっていたからだ。

人生にとって、最初の友達‥‥‥新たな世界を見せてくれた友達。

そばにいるだけで、何かが起こる予感や期待。

今まで感じなかった想いを、彼は与えてくれた。

きっとこれからも、たくさんをそれを感じることができるだろう。

だがそれは、彼がいないと感じることができない。

だから彼には、勝ってほしい、生きて欲しい。

その願いが、ルチアの心の中で木霊するのだった――――――。



                  ***





翔とショコラの戦いは、両者互角に続いていた。

だがそれは、相良翔が本気を出していないからだった。

倒すと言う目的と助けたいと言う想いがせめぎ合い、本気を出せずにいた。

だが、負けるわけにもいかない翔は動いた。


「せいッ!!」


気合一閃、ショコラの右足に飛び込んだ翔は引きずるように構えた刀を勢いよく振り上げて切り裂く。

更に上段の構えに瞬時に切り替えて刀を一気に振り下ろす。


「まだだ!」


そう言うと翔は左足を軸に全身を反時計回りに回転させ、横薙に刀を振るって今度は右手を切り裂く。

するとショコラは立つことができなくなって右に転がるように倒れる。

翔は瞬時にショコラと距離を取り、ショコラが動けないのを確認すると、ルチア達の方をチラリと確認する。

すでに二人共、戦いを終えてこちらを見ている。

ルチアはどうやらミウにはトドメを刺さなかった。

そしてミウは、戦いの意思を捨てて今は祈りを込めている。

恐らく、ショコラを救うためだろう。

今、みんながショコラが救われることを祈っている。

ミウだけでなく、静香もルチアもだ。

そして‥‥‥翔もまた、ミウとショコラの幸せを祈っていた。

だからこそ、翔は本気を出せないのだ。


「ショコラ、もう終わりにしよう。 これ以上はミウが望んでない。 ミウが悲しむだけだ」

『ミウ‥‥‥』


ショコラもまた、ミウの方を見る。

ミウの姿を見て、ショコラは徐々に落ち着きを見せていく。

それはミウの想いが伝わってるからだろう。

すると、ショコラから殺気が消えていく。


「落ち着いたか?」

『ええ。 なんとか』


だが、姿は巨大化のままで暴走姿のままだった。


『ごめんなさい。 私も、頭に血が上っていたとはいえ、あなたを苦しめた』

「別に構わない。 怒ってないしな」


そう言って翔は右手の空間を歪めて刀を消滅させた。

そして武装を解除して、私服になる。


「それよりも、その姿‥‥‥どうにかならないのか?」

『わからない。 私の意思をもってしても、この体は元に戻ろうとしない』

「おい‥‥‥それ大丈夫なのか?」

『‥‥‥』


翔は心配そうにそう聞くと、ショコラは目を閉じてその場に倒れこむ。


「ショコラ!?」


翔は慌てて駆け寄った。

そして情景反射で魔法使いとしての姿、白銀のコートを羽織る姿となる。

魔法でショコラを助けるためだ。

だが、翔の想いを否定するようにショコラは言った。


『ごめんなさい。 私に、トドメを刺して』

「な‥‥‥なに、言ってるんだ‥‥‥」


翔は言葉を詰まらせる。

ショコラは、自らの死を望んだのだ。


『この体は、元に戻りそうもない。 このままじゃまた暴走して、ミウを傷つけてしまう。 そうなる前に早くこの体を‥‥‥』

「馬鹿を言うな! そんなこと、出来るわけないだろ!?」

『お願い! あなたにしか頼めない! ミウの友達の、あなたにしか!』

「でも‥‥‥そんな‥‥‥」


翔はできない。

ショコラにトドメを刺すと言う決意を、最初はしていたはずなのに。


『私はミウに幸せになって欲しい。 それを邪魔するものは全て排除する。 例えそれが、自分自身であったとしても』

「ショコラ‥‥‥」


翔は今一度思う。

ショコラは、なんでここまで自分に似ているのだろうかと。

翔も同じ想いがある。

大切な友人や義妹には幸せになって欲しい、それを邪魔するものは全て排除する。自分であってもだ。

翔も同じで、その想いを変えたことはない。

ショコラは、本当に自分に似ている。

似た者同士だ。

‥‥‥似た者同士だからこそ、この場でトドメを刺す権利があるのだろうか?

暴走した魔法がどうなるか、翔は経験している。

だからこそ、今ここでトドメを刺すことの意味を理解している。

ショコラを倒さなければ、他の誰かが傷つく。

今ここでトドメを刺さなければ、誰かが傷つく。

それは絶対に嫌だった。

――――――だからショコラを斬るのは当然、仕方のないことだ。

‥‥‥違う。


「‥‥‥ふざけるな。 ふざけるな!!」

『ッ!?』


翔は全身の魔力を両手に収束させる。

自分の持つ、最大量の魔力を‥‥‥限界まで。


「誰かのために何かを犠牲にする。 それは仕方のないことなのかもしれない。 だけどな、仕方ないことを仕方なしと出来るわけないだろ!! 突きつけられた事実に対して分かりました、なんて言えるわけないだろ!! 俺は絶対に認めない!! 最後まで、最後まで足掻いて足掻いて足掻いて!! 奇跡なんてものを起こすに決まってるだろ!!!!」


翔は脳に溢れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に、何度も何度も組み合わせる。

組み合わせたものを、更に組み合わせたものと組み合わせて複雑に、更に複雑に変化させる。

そして生み出されるのは、誰も成し得ない奇跡の魔法。


「最期まで生きろ! ミウの側で、ミウの笑顔を何度もみろ!! 俺はそれを友達として手伝う!! だから最期まで足掻けぇ!!!!」


翔は両手を一つに重ね合わせ、ショコラの額に勢いよくぶつけ、魔法を放つ。

白銀の光が、ショコラを包み込む。

優しく、暖かな光。

痛みも苦しみも、全部包み込んで溶かしていく。

暴走させていた魔力すらも、徐々に消えていく。

 全てを助ける救済の光――――――『|月光救いし祝福の光(アオフ・エアシュテーウング・レクイエム)』


『これは‥‥‥』

「ぐ‥‥‥ぉぉぉおおおおおおおおッ!!!!」


確実にショコラを襲った暴走の魔力は浄化されていく。

だが、この魔法は奇跡。

奇跡は簡単に使えない。

膨大な魔力、限界を何度も超えて発動しなければいけない。

翔は苦しみながら声を上げる。


「まだだ!!! まだ足りない‥‥‥もっと、もっとだぁぁああああ!!!」


泉のように溜まっている魔力。

それを徐々に出すなんて方法では、足りない。

ならば、泉ごと持ってくればいい。


「ぉぉぉおおおおおおお!!!!!」


翔とショコラを包む白銀の光が、更にその輝きを増していく。

激しい光、月にも勝るとも劣らない光。

それは奇跡となりて、ショコラを元の姿に戻してあげるのだった――――――。



                  ***






「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥はぁ」


全てが終わり、翔たちはショコラを囲むように集合して、その場に座りこむ。

翔は仰向けに大の字に倒れ、ルチアと静香は涼しい表情のまま正座、ミウは両足の間にお尻を落として座る。

翔は疲れのあまり、しばらくは息を荒げていた。


「はぁ、はぁ、取り敢えずショコラは、大丈夫だ‥‥‥はぁ。 今はまだ暴走の後遺症が残って、しばらくはまともに動けないだろうけど、大丈夫だ」

「お兄ちゃん‥‥‥ありがとう」


涙を流しながら、ミウは笑顔で翔にそういうと、翔は笑顔で頷く。

するとルチアはむぅ~と顔を小さく膨らませながら言った。


「相良君、幼い子が趣味なのね」

「俺をロリコンみたいに言うな。 というかルチア、何起こってるんだ?」

「別に怒ってないわ。 ただ、あなたがそういう趣味だったことにがっかりしただけよ」

「怒ってるじゃないか?」

「怒ってないと言ってるわ」

「怒ってるって」

「怒ってないわ!」

「はい二人共ちょっと黙って頂けませんか?」

「「はい、すみません‥‥‥」」


翔とルチアが言い合いになると、静香が側に転がっていた岩を勢いよく叩き割り、二人は黙った。

恐らく言い争えば、ああなるらしい。

それにしても、笑顔と敬語でそうやると、本当に怖い。


『‥‥‥ミウ』

「っ‥‥‥ショコラ!」


すると、ショコラが意識を取り戻し、ミウはショコラを抱き寄せて膝の上に乗せた。


『ミウ‥‥‥ごめんなさい。 大変な思いをさせてしまって』

「ううん‥‥‥いいの。 だって私、ショコラの‥‥‥友達だもん」


その言葉に、ショコラは言葉にならないほどの感情が溢れ出ていた。

衝動にも近いそれは、抑えきれずにいた。

そして抑えきれない思いは、ショコラの瞳から涙を溢れ出させる。


『私は‥‥‥幸せ。 こんなに最高の主に出会えて‥‥‥幸せ』

「うん‥‥‥うん!」


ミウもまた、涙を流しながら何度も頷く。

その光景を、翔とルチアと静香は優しい笑で眺めていた。

自分達が行ってきたことは、間違っていなかったと実感する。

この小さな二つの命と、大きな笑顔を守れた。

それだけで、三人は満足だった。


「‥‥‥さて、そろそろここから離れましょう。 もうすぐ警察や消防が駆けつけるでしょうし」

「はい。 ミウとショコラは私が看護師の人にうまくごまかして保護してもらいます」

「ええ。 では行きましょう」


静香とルチアがそう言うと、ルチアはミウをおんぶして静香とともに屋上の出口に歩いて行った。


「ちょっ!? お、俺はどうするんだ!?」


今だに疲れのあまりに動けない翔は、その場から起き上がれずにいた。

すると振り向いて静香が言う。


「男性を背負うなんて女性にはできませんから、自力でどうにかしてください」

「え‥‥‥いや、ちょっと‥‥‥」


その通りなのだが、笑顔でそう言われると何とも言えない。

そしてルチアもまた言った。


「ロリコンはしばらく真っ白な病室で反省してなさい」

「だから、違ああああああう!!」


翔の反論を無視して、三人は去っていくのだった。


「え、嘘‥‥‥ほんとに置いていかれた!?」

『友達って色々あるんだね~』


残ったショコラは倒れて動けない翔の左頬をペロペロと舐めながらそういう。


「‥‥‥友達って、なんだろね」

『さぁ?』


その後、翔は消防の人たちに強制的に救助され、灯火病院の二階にある病室にしばらく入院することとなったのでした。



――――――それから、三日が経過した。 

 

第五話 迷い猫のソラ

<AM11:00>


「はぁ‥‥‥退屈」


真っ白な空間、真っ白なベッド、真っ白なカーテン。

全てが真っ白の空間こと病室で、相良翔は上半身を壁に預けるようにしてベッドにいた。

頬や腕は包帯や絆創膏などが貼られていた。

――――――三日前の事件以降、翔は怪我の心配をされて入院することとなった。

大した傷ではないのだが、大事をとって五日間は入院することになってしまった(本人のあずかり知らぬところで)


「しかも、誰も見舞いにこないし‥‥‥」


問題はそこだった。

ルチアを始め、紗智達すら一度も見舞いにはこなかったのだ。

もしや、『相良翔は風邪で欠席しています』とでも言われているのではないだろうか?


「‥‥‥ルチア、まだ怒ってるのかな」


ロリコン扱いされる上に、怒られたままで終わっている。

流石にもう冷めているだろうけれど、弁解はしておきたいと思っている。


『やっほ~! お見舞いに来たよ~』

「‥‥‥なんだ、黒猫か」

『なんだとはなんだよ~! 一人侘しくソラ見てる友人のお見舞いに来てあげたのに~』


窓の外から現れたのは、黒猫のショコラだった。

小さく細い体に、黒い毛並み。

優しく丸い黄金色の瞳。

そんな可愛らしい猫は床に着地すると、再びジャンプして翔の膝の上で丸く寝転がる。

事件以降、ショコラは翔に懐いている。

毎日お見舞いに来ているとすれば、この猫と‥‥‥あと、もう一人。


「あ、ショコラ! またここにいた~!」

「いらっしゃい、ミウちゃん」


隣の病室に移動することになった、小鳥遊 猫羽だ。

彼女の体は翔の魔法の力もあり、順調に回復している。

早ければ来週にも退院できるらしい。

医者曰く、奇跡だったそうだ。

そして今の彼女はリハビリも兼ねて病院の外に出ることが増え、今や自由に走り回れるまでに回復した。

体力面は今だ不安が残るが、それ以外は問題ないらしい。


「お兄ちゃん、ごめんね。 またショコラが入っちゃって」

「構わないよ。 どうせ一人で侘しくソラを見ていたところだからさ」


そう言うとミウはクスクスと笑いながら側に置いてあったパイプ椅子に座って翔と話しをする。


「お兄ちゃん今日ね、私、朝ごはんの人参残さずに食べれたんだよ!」

「おお、偉い偉い」


そう言ってミウの頭をなでると、ミウは幸せそうに目を細める。


『ロリコン爆発だね~』

「原因これか!?」

『い、今更‥‥‥』


可愛いものを見ると撫でたくなる衝動、これがロリコンの原因なのかと翔は今更理解した。


「お兄ちゃん。 ロリコンって何?」

「え!? ‥‥‥え、ええっと‥‥‥それはだな‥‥‥」


さてどうしたものかと翔は悩む。

うまく説明出来る気がしないうえに、説明できたとしたらミウは翔のことを嫌うだろうと思った。


「お、大人になったら分かるよ」

「へぇ~。 大人って色々あるんだね~」

「‥‥‥そう、だな」


一瞬、翔は大人になりたくないと思ってしまった。

そんな話しを、この三日間していた。


「‥‥‥さて、ショコラの散歩にでも行くか」

「うん!」

『それじゃ私は先に外行ってるね~!』


ショコラはベッドから飛び降りると、窓の外にでて行った。

翔とミウは互いを見合って笑うと、翔はベッドから出て、ミウは椅子から立ち上がって病室を出た。



                  ***






「お~い! 相良!!」

「三賀苗!?」


外に出ると、三賀苗 武、桜乃 春人、七瀬 紗智の三人と、ルチア=ダルクの計四人が来ていた。


「なんだ元気そうじゃね~か!」

「明日退院らしい。別に昨日でも良かったんだけどな」


バシバシッ!と背中を叩きながら話す武に呆れながらも翔は会話をする。


「その子がミウちゃん?」


紗智が彼女の存在に気づくと、しゃがんでミウに挨拶をする。


「初めましてミウちゃん。 私は七瀬紗智っていうの。 お兄ちゃんのお友達なんだよ」

「紗智さん?」

「うん!」


挨拶をすると紗智はミウの頭を撫でてあげた。

どうやらすぐに仲良くなれたようだ。


「んで、ルチアはそこで何してるんだ?」

「‥‥‥何もしてないわ」


春人は、何故か木陰に隠れようとするルチアを捕まえると、無理やり引っ張って翔のもとに連れて行く。


「‥‥‥」

「‥‥‥」


二人の間に、言葉にできないほどの沈黙が襲う。

それに気づいた武はニヤニヤと笑いながら春人達に言った。


「さて、俺たちはお邪魔のよ~だし、ミウとも仲良くなりたいから遊びに行くか!」

「そうだね。 行こ、ミウちゃん♪」

「うん!」

「行くぞ!」


そう言うと武たちはミウを連れてその場から去っていった。


「‥‥‥」

「‥‥‥」


残された翔とルチアは、再び沈黙。


「‥‥‥と、取り敢えず俺はロリコンじゃない!」

「‥‥‥」

「え、何その冷たい目は!?」


疑いは晴れず、今だに冷たい目でこちらを見続けていた。

だが、しばらくするとふぅーとため息をつくとゆっくりと口を開いた


「どうして‥‥‥なのかしらね」

「何がだ?」

「あの時、何故かモヤモヤしたの。 自分でも制御しきれないくらい、イライラして‥‥‥ごめんなさい」

「そうだったのか‥‥‥」


彼女のモヤモヤとしたものが一体なんなのか、翔にはわからない。

けれどそれは、ルチアにとって今まで感じたことのない感覚なのだろう。

それはいいことであり、いつかそれがなんなのだろうかと知る日がくるのだろう。


「それで、あの子の様子はどうなの?」

「医者がドン引きするくらい順調だってさ。 体力面に不安があるけれど、それ以外は何の問題もないってさ。 中学校にも行けるらしい」

「‥‥‥彼女、中学生だったの?」

「ああ。中学一年生らしい。 年齢13歳。身長130cmなんだってさ」

「‥‥‥ロリコン」

「だから違うってば!!」


どうやらしばらくの間は、この誤解は消えなさそうだった。


「‥‥‥それよりも、聞かせてくれるかしら?」

「ああ。 少し長くなるけど‥‥‥話すよ」


翔とルチアはそばにあったベンチに座りと、澄み渡った青いソラを見上げながら話しだした。


「小さな女の子と、優しい黒猫の話しを――――――」


孤独に過ごしていた小さな少女と、主想いの優しい黒猫の話し。

きっといつまでも忘れることのないその話を、翔はいつまでも話し続けた。



――――――そして数日後、ミウは病院を退院し、新しい人生を歩みだした。

彼女の幸せを願いながら、翔たちもまた寒い冬の日々を過ごし続けるのだった――――――。 

 

第一話 兄妹・焦りと再会

――――――相良翔が灯火町に訪れて気づけば二ヶ月が経過していた。

この町に慣れた、学校に慣れた、クラスに慣れた、生徒に慣れた、友達に慣れた。

そして‥‥‥魔法使いにも慣れた。

この町に来てからの時間は、彼にとっては怒涛の二ヶ月だった。

転校初日から、人知を超えた魔法と言う力に出会い、それをきっかけに様々な事件に関わった。

その事件に巻き込まれた被害者や、様々な事情で事件を起こしてしまった人まで。

時には力及ばず、失った命もあった。

彼は、そんな日々で様々なことを学んできた。

今もたまに、被害者と加害者の中で魔法使いとして覚醒しつつも、平和な日常を過ごす人と連絡をとったり、会って色んな話しをしている。

そして失った人の墓に行っては後悔の涙を流すときもあった。

そんな日々を過ごして、気づけば二ヶ月が経過した。

冬の寒さが一段と増して、早朝や深夜は氷点下を更に下回る程になっていた。

三年生は就職活動や進学が近づいており、日に日にピリピリとした空気を出していた。

そして一年生も春には終わる相良翔達は、この時期から既に『進路』を考えた授業が始まった。

簡単にいえば、進路相談の時期だ。

一年生から毎年行っているらしく、教師曰く『三年生から考えても遅い』との理由らしい。


「はい、それではこの用紙に第一希望~第三希望までの進路を書いて、後ろの席の人は回収してください」


そして彼、相良翔のクラスもまた、進路に関しての授業を行っていた。

翔は右手に持ったシャーペンを器用にクルクルと回転させながら、白紙の紙になんと書くべきかと頭を抱えて考える。


「‥‥‥」


翔以外の全員、スラスラと用紙に書き込んでいる。

左隣のルチアのほうも見ると、既に第二希望を書き込んでいた。

翔だけが、白紙のままでいた。


「‥‥‥はぁ」


どれだけ考えても答えの出ない翔は、誰にも聞こえないほど小さな声でため息をつく。

周囲の生徒がスラスラと書ける理由を、ため息ついでに考えてみた。

家の事情、子供の頃からの夢、部活動をきっかけにする人もいるだろう。

そういえば、と翔は、武と春人がサッカー部に所属していたと聞いたことを思い出す。

今は冬の大会も終わって一時的に休止しているそうだが、また近いうちに再開されると聞いていた。

そう言う意味でも違いと言うのはあるのだろう。

中学の頃は部活動はやらず、勉強、バイト、家族関係に必死だったために、未来ではなく現在のことで精一杯だった。

そう考えると翔は、周囲のみんなが羨ましかった。

隣の芝生は青く見えるものなのだと、改めて感じる瞬間でもあった。


「それでは一番後ろの席の人は用紙の回収をお願いします」


時間になると、翔やルチアは席を立って縦の列の生徒の用紙を集めた。

全員、第三希望まで全て埋めていた。

先頭の席まで全員が同じように第三希望まで書いてあることに翔は、自分だけ置いていかれていると言う不安を感じる。


「ほんと‥‥‥どうしようかな」


焦りが少しずつ募っていた。

焦りの中、翔は中学生の頃よりも前、孤児院にいた頃のことを思い出した。

まだ‥‥‥全てが崩れ去る前のこと、翔は夢を持っていた。

それは――――――世界を旅することだ。

幼い頃から孤児院で育てられ、外には滅多に出ることはなられなかった。

義妹の一家に引き取られるまでの間、狭い空間で翔は似た境遇を持つ孤児院の友達と、世界一周などを夢見たことがあった。

孤児院の職員の人が持ってきた地球儀や世界地図、ガイドブックなどを一目見たときの衝撃を、翔は今も覚えている。

――――――世界は、こんなにも広いんだ!

その時の衝動は、そのまま現在の彼にある放浪癖に影響した。

それから翔や、翔の友人は何度も世界地図を広げては指差した国には何があるのか予想したり調べたりする日々が続いた。

予想‥‥‥いや、妄想と言うべきだろう。

妄想は尽きることなく、いつまでも話し込んだ。

だから翔は孤児院を出るとき、いつかこのメンバーで世界を旅しようと約束した。

‥‥‥だが、義妹の一家で生活することになった翔は、学校、バイト、家族との距離などを両立させるために努力しているうちに、いつしかそんな約束を思い出さない日々が続いた。

今は、夢のために耐えるときだと思っていたからだ。

夢のための資金、家族を養うための資金‥‥‥結局のところ、金だった。

金がなければ何もできないのだと悟り、理解したときから翔は必死だった。

そして‥‥‥“あの時”事件が起こってしまって――――――


「相良君、ちょっといいかしら?」

「‥‥‥あ、ああ」


翔は呆けていると、隣の席にいるルチアが声をかけてきて、返事が遅れる。

我を取り戻した翔は慌てて席を立つと、教室を出ようとするルチアの後を追いかけた。

その表情で、なんとなく事情は察した。

恐らく魔法使いとしての話しなのだろう。

となると屋上になるだろうと考えながら、ルチアについていった――――――。



                  ***






「‥‥‥ここは、生徒会室?」

「ええ。 要件は中で話すわ」


たどり着いたのは予想とは違い、生徒会室だった。

生徒会室は、この学校の一階の一番窓際にあり、あまり目立たない場所にある。

先生から聞いた話しでは、生徒会役員の人数に大きな規定はないそうだ。

選挙に立候補し、投票率が基準値を超えれば生徒会に入れると言うシステムらしい。

とはいえ、小中高一貫ということもあり、生徒会に入れるのは中学に上がってからとなる。

あとは生徒会長が勧誘して生徒会にいれると言う制度もあるらしいが、これが特権と言うものだろう。

まぁ、職権乱用と勘違いされることもあるらしく、この制度に関しては毎年討論とが行われているということらしい。


「さ、入るわよ」

「ああ。 そうだな」


などと考えていると、ルチアは引き戸となっている生徒会室のドアを開けた。

その瞬間、生徒会室の空気が翔の頬を掠める。

懐かしいような和の香りが鼻腔を擽る、

生徒会室のなかは、驚きにも畳がある広い大部屋のようになっていた。

‥‥‥いつか前に翔は、生徒会室は数年前だけ大きくリフォームしたと聞いたことがあるのを思い出した。

その時に校長や生徒会の意見でとある旅館の広い和室をイメージした空間にしたというのを聞いた。

確か広さは20畳‥‥‥一体何を考えているのだろうかと疑問を当初抱いていたが、以外とこの空間も悪くないと思う自分がいた。


「待っていましたよ。 ルチアさん、相良さん」

「井上先輩‥‥‥?」


横長に広がる木製の丸いテーブルの前に正座で待っていた女性。

この学校の生徒会長にして、魔法使い――――――井上静香だ。

どうやら要件は彼女直々の話のようだった。


「どうぞ、座ってください」

「はい」

「失礼します」


静香の言葉に従い、二人は隣同士に座り、静香と向かい合う位置に正座で座った。

二人が座るのを確認した静香の表情の表情が鋭くなり、この部屋一帯の空気がピリピリとする。

その空気に翔とルチアは反射的に背筋を伸ばす。

そしてその空気のまま、静香は話しを始める。


「お二人を呼んだ理由は、お察しの通りです。 この町で新たな事件が発生しました」


そう言うと静香はブレザーの内ポケットの中から三枚の写真を出して翔とルチアのほうに向けて広げるように見せた。

 一枚目に写っていたのは、夜に撮影した証の黒い背景、そこに写る黒いロングコートを着た緑色のナチュラルショートの男性と、黄色いロングテールの髪をしたブロンドのカーディガンに黒いロングスカートの女性と、黒いショートヘアーに白いコートと黒いスカートの女性の三人が写っていた。

夜闇のせいで表情までは見えないが、三人とも20~30代であるのはその細くてスラリとした体型と身長である程度読み取れた。


 二枚目の写真は少しショッキングなものだった。

衣服はボロボロで傷ついた肌を露出させ、紅い血を流して倒れる数名の体格のいい男性。

そして一枚目の写真に写っていた男性が倒れる男性の頭を踏み、まるで高笑いしている姿が写っていた。


 三枚目の写真に写っていたのは、炎に飲まれている三階建ての一軒家の光景だった。

それを見る野次馬達の様子がはっきりと写されていた。

アングル的に見て、恐らく撮影場所は家の真正面だろう。


写真を見た後、静香が話しを続ける。


「この写真は別の学園の魔法使いから、この町一帯の魔法使い対策本部である魔法使いに渡りました。 報告としては、一枚目の写真の男性が今回の事件を起こしている犯人です。 二~三枚目は彼らが発生させている事件の写真です。 全て、この町の外で起こっている事件です。 ですがつい先日、この男性が灯火町に来たと言う情報が私達に入りました」

「‥‥‥」


翔は大体の事情を理解した。

魔法使いは灯火町だけにいるわけではない。

全世界にいて、彼らは独自の情報網をもって全世界の魔法使い達に情報を提供・交換している。

当然、この日本全国に魔法使いがいる。

そしてルチア達のように魔法使い対策本部を作って影で治安を守っていると言うわけとなる。

この写真は灯火町から少し離れた場所にある場所から送られてきたものだ。

その魔法使いが手をつけられなかった相手が今、この町に来た。


「この三名の実力は今までの魔法使いを遥かに上回ります。 それは、この二枚目の写真でわかると思います」

「‥‥‥つまり二枚目の写真で倒れているこの男性達は、魔法使いと言うことですね?」

「そうです」


ルチアの質問に頷く静香の表情は、どこか悔しそうだった。

恐らくそれは、自分と同じ治安を守る魔法使いが何人も倒されているにも関わらず、自分には何もできなかったことに対する悔しさだろう。


「灯火町にいる魔法使い対策本部に所属する魔法使いはこの三名の捜査に入っています。 恐らくこの戦いは想像を超える激しさになることでしょう。 ですが、負けるわけにいきません。 だから相良さんのお力をお借りしたいのです」 

「‥‥‥分かりました。俺も手伝います」


翔は答えに迷わなかった。

今回の敵は様々な場所でその力を間違った方向に使っている。

もしかすれば、この町の全ての人が危険に晒されるかもしれない。

今までに出会ってきた、大切な人達。

翔は、それを守りたかった。

だからこそ、決断をしたのだった。

翔の返答に、静香は安堵した様に頬を緩ませると、話しを勧めた。


「ありがとうございます。 では、私達の今後の動きを話します。 今回は一学園一人の魔法使いを倒します。 私たちはこの緑色の髪の男性、彼を見つけ次第、私達の力をもって倒します。 残り二名は別の隊が倒します」

「分かりました」

「でしたら今日~明日が勝負ですね」

「ええ。 そうなりますね」


ルチアの言う通り、今日と明日の夜までに見つけて倒さなければ恐らく事態は深刻になる。

もしかしたら‥‥‥今日が最後の日常になるかもしれない。


「では今日の午後22:00に斑鳩さんのいるあの場所に来てください。 そこで話しがあるはずです」

「「はいッ!」」


覇気のある返事に静香はニコリと微笑んだ。

その笑顔を見るのも、この日が最後にならないことを‥‥‥相良翔は祈るのだった。


                  ***


<PM12:30>


「‥‥‥」

「おい相良、どうかしたのか?」

「え? 何が?」

「いや、なんか心ここにあらずみたいだからさ」

「ルチアちゃんも大丈夫?」

「え、ええ。 大丈夫よ」


お昼休み、春人、紗智、武の三人と共にいつも通りのお昼を食べていた。

購買戦争に勝って入手した焼きそばパンを口にする翔。

だが、食べる速度はあまりにもゆっくりで、まるで食欲なんて感じられないものだった。

ルチアもまた、食パンを少ししか食べておらず、二人の様子の変化に春人と紗智はすぐに気づいた。

だが、翔とルチアはそれを答えることができない。

なぜならそれは、彼らが魔法使いとの関わりがないからだ。

――――――関わり無き者、巻き込むべからず。

これは魔法使いの掟とされている。

魔法使いになった人は必ずこの掟に従って生きていく‥‥‥と言うものなのだが、魔法使いとなった人で一般人にそれを言う人は滅多に居ない。

信じてもらえない、巻き込みたくないと言う気持ちがあるからだとされている。

だから翔とルチアは、この不安を言えずにいた。

‥‥‥すると、この5人組のリーダー的存在の三賀苗 武が勢いよく席から立ち上がって翔とルチアを指差していった。


「ったく、お前ら! 放課後はゲーセンではっちゃけて元気出せよ!!」

「おいおい、今日もゲーセンか?」

「うっせぇ!! この前、“翔”に格ゲーで負けたんだ! 今日はリベンジしてやるぜ!!!」

「全くお前は‥‥‥って、翔?」


相変わらずテンションの高い武に対して、相変わらず冷静にツッコミをいれる春人。

だがその会話の中、武が翔を名前で呼んだことに四人は反応する。


「そろそろ名前で呼んでもいいんじゃねぇかって思ってな。 いつまでも翔だけ苗字ってのは良くねぇだろ?」

「確かにそうだな。それじゃ俺も、今から翔って呼ぶかな」


武の言葉に春人も笑顔で頷く。

確かに、この五人の中で翔だけが名前で呼ばれていない。

翔もまた、皆のことは苗字で呼んでいた。

友達を作った経験がほとんどない翔にとって、他者を呼び捨てにするのは違和感だったのだ。


「てなわけで、翔も俺たちのことは名前で呼んでくれ!」

「え‥‥‥あ、ああ。 それじゃ‥‥‥武」

「おう!」

「‥‥‥春人」

「ああ! 改めてよろしく!」

「紗智‥‥‥」

「う、うん。 よろしく、翔」

「‥‥‥ルチアは今までどおりだな」

「‥‥‥別に気にしてないわ」


ぷいっと拗ねたようにそっぽを向くルチアに、四人はつい可愛らしくて笑ってしまった。

気づけば翔とルチアの中で、不安は消えていた。

そして、決意がはっきりとした。

この三人を守るために、これからも大切な日常が続くために絶対に負けられないということ。

そして二人は、この三人との絆が確かなものだと感じたのだった。


                  ***




<PM16:30>


放課後、翔達は五人でいつもの長い通学路を歩いていた。

途中の曲がり角を曲がり、真っ直ぐ歩くとゲームセンターのある商店街に辿り着く。


「さて、今日こそは翔をボコボコにするぜ!!」

「そこだけ聞くと俺の危機だよな」


気合を全身から溢れ出ている武の姿に翔は冷静なツッコミをすると、三人はまるで漫才を見る客のように笑い、春人が言う。


「武は負けず嫌いだからな‥‥‥それにしても、最初は全くゲームできなかった翔が、今やランキングの上位に入るまで格ゲーを極めるなんて驚いたな」

「才能だよね。 私もびっくりした」


春人に続いて紗智も翔の実力を賞賛する。

ゲームなんてこの町にくるまで全く経験がなかった翔は、当初はコンボなども理解できなかった。

だが二週間ほどすると、その才能を発揮させて高難度のコンボを決め、ランキングに名前が乗るほどに成長した。

この五人組最強の格ゲーマスターが翔になっていた。


「だがしかーし! 俺は負けないぜ!!」

「‥‥‥望むところだ」


武の挑戦状に対して翔は、どこか切なそうな表情で返事をした。

まるで、この日が今生の別れかのように‥‥‥そんな、終わりを見ているかのような笑顔だった。

ルチアの右隣で肩を並べて歩く翔の後ろを歩いていた紗智は、彼の右隣に寄り添った。

それは、あまりにも切ない笑顔を見せた翔が、今にも消えてしまいそうだったからだ。

相良翔はここにいる‥‥‥それを確かめたかったのだ。


「‥‥‥ッ!?」


その時、翔は突然その場で立ち止まる。

左右にいるルチアと紗智は遅れて急ブレーキをかけて止まると、慌てるように翔の方を向く。


「翔、どうかしたの?」


紗智がそう聞くと、翔は無言で通学路の先にいる一人の少女を見つめていた。

茶髪のサイドポニーテールの髪にスクエア型のメガネをした少女。

白いワイシャツの上に青いカーディガンを着て、下は白と黒のストライプ柄の膝下まで丈のあるスカート。

身長は紗智(158cm)より少し低いと言ったところだろう。

その少女はこちらを‥‥‥相良翔を優しい表情で見つめながらこちらに向かって歩いてくる。


「なんで‥‥‥お前が‥‥‥」

「翔‥‥‥あの子は?」


どう見ても歳下、恐らく中学三年生程の年齢だろう。

この町で、翔に後輩で紗智やルチアの知らない後輩はいないはずだった。

まして、翔が動揺するような人なんてこの町にはいない。

とすると彼女は、この町とは別の場所、そして相良翔がいた場所。

そこまで推理したところで、ルチアは感づいた。

翔から聞いたことのある、翔の過去。

その中にいる登場人物で唯一、この場に現れて相良翔を動揺させることのできる少女。

推理出来た時、少女は走り出し、翔の胸に飛びついた。

そして嬉しそうな声で少女は言った。


「久しぶり――――――お兄ちゃん!」


その一言ではっきりした。

彼女は‥‥‥相良翔の守りたい、大切な人。

そして、相良翔がこの灯火町に来る最大のきっかけを与えた少女。


――――――|護河(もりかわ) |奈々(なな) 

 

第二話 兄妹・友情と決意

 
相良翔に抱きついてきた少女は、相良翔がこの灯火町に来るきっかけとなった少女――――――護河奈々だった。

相良翔の義理の妹で、今は中学三年生。

受験の時期にも関わらず、何故か彼女はこの町に来た。

そのあまりの驚きに、翔は混乱して喉に言葉を詰まらせて何も言えなかった。

今、目の前で起こっていることが翔にとってはあまりにも衝撃的なことだったのだ。


「えっと‥‥‥翔。 その子、誰なの?」


混乱する翔に声をかけたのは、紗智だった。

紗智の質問で軽く混乱がなくなり、紗智の質問に答える。


「俺の|義妹(いもうと)の、護河奈々」


そう答えると、紗智、武、春人の三人は驚いた様子で翔に聞いた。


「翔って妹いたのか!?」

「妹って言っても義理だ。 血は繋がってない」

「そ‥‥‥そうか」


ここで三人は、質問を止めた。

他にも色々と聞きたいことはあるだろう。

だが、義理であること。血が繋がっていないこと。その二つが出た瞬間、三人は相良翔と護河奈々の関係には様々な経緯があると言うことを悟り、これ以上は踏み込まなかった。

翔自身、これ以上のことを聞かれることはなるべく避けたかったため、三人が気を使ってくれたのは救いだった。

三人に意識を向けていたおかげか、先ほどの混乱はスッキリとしたため、翔は奈々に質問をした。


「奈々。 どうしてお前がこの町にいるんだ? もうすぐ受験だろ?」


奈々は今、中学三年生でもうすぐ受験だ。

それがどれだけ大切なことなのかは今の翔の通う学園の空気感からも察しがつく。

その上、翔は“護河奈々の事情”を知っているため、その心配は誰よりも大きかった。

翔の質問に奈々は顔を上げ、翔の見つめながら答える。


「うん。 でも、受験をする前にお兄ちゃんに会いたかったの」

「なんで?」


更なる疑問に、奈々は翔から少し離れて右手を差し出すと、真剣な表情で答えた。


「お兄ちゃん‥‥‥帰ろう? 私達のところに‥‥‥もう一回、家族をやり直そう?」

「ッ!?」


その言葉に、翔は言葉を失い、全身を僅かに震わせた。

鳩が豆鉄砲を撃たれたかのように目を見開き、奈々の言った言葉を脳内で何度も再生させる。

再生させる度に、混乱が大きくなっていく。

翔の中で、奈々の言った言葉を納得できずにいた。

それに気づいてか奈々は話しを続ける。


「お父さんもお母さんも、お兄ちゃんが帰ってくるのを待ってるよ。 反省して、また(はじめ)から全部やり直そうって言ってたから‥‥‥私、迎えに来たの」

「‥‥‥」


言葉が出なかった。

全てをやり直す‥‥‥翔にとってその言葉を聞くには、まだまだ早すぎた。

なぜなら、灯火町に来てからまだ二ヶ月ほどしか経過していないからだ。

その言葉は、もっと‥‥‥一年以上はかけないと聞けない――――――聞いてはいけない言葉だった。

それを僅か二ヶ月で聞くことになった翔は、その混乱から抜け出せなかった。


「‥‥‥翔。 話の間に入って悪いけど」


すると、翔の心境を悟ってルチアが二人にある提案をする。


「こんな寒い場所で話してるよりも、温かい場所で部外者のいない場所‥‥‥翔の家にでも場所を変えない?」

「‥‥‥そう、だな。 奈々、それでいいか?」

「うん。 急いでるわけじゃないから」


なんとか言葉を発した翔は無言でいつもの帰り道を歩き出す。

それに続いて奈々も荷物の入ったアタッシュケースをもって歩き出す。


「三人はどうするの?」


ルチアは紗智達の方を向き、翔についていくかを聞いた。

本当は聞く必要なんてなかった‥‥‥と言うよりも、聞かずともNO以外の選択肢は紗智達にはない。

なぜなら、この六人の中で部外者なのは紗智達なのだ。

悪い言い方をすれば、翔の何も知らないただの友人だからだ。

だからこそ、彼のあとを追うこと‥‥‥彼の過去に踏み込むことは、ただ友人であると言うだけであるなら不可能だ。

それ以上、彼の過去に踏み込めば、二ヶ月で築き上げてきた関係に支障をきたすのはおそらく免れない。

それでも踏み込むと言うのであれば、生半可な覚悟‥‥‥友達だからなんて理由は捨てるべきだ。

本当の意味で、相良翔の理解者になり、本当の意味で友達になろうと思う覚悟がなければこれ以上踏み込むことはルチアが許さないだろう。

それを紗智、武、春人はルチアの表情で察した。

今、背を向けて帰る選択をしたとしても、誰も責めたりはしない。

それを理解した上で、三人は自分の答えを出す。


「俺は――――――」

「私は――――――」

「俺は――――――」


三人はまるで最初から練習していたかのように同時に答えた。


「――――――翔の友達だから」


そう言って三人は――――――踏み込んだ。

相良翔の過去を、受け入れる覚悟を見せた。

たった二ヶ月で生まれ、築き上げてきた絆は確かに小さいものなのだろう。

だが、その小さなものの価値は大きな絆よりも確かなものだった。

友達思いで、優しくて、いつも助けてくれる。

だけど、いつも自分の辛いことや悲しいことは巻き込まないために話さない。

そんな彼に三人は惹きつけられていた。

だからこそ彼らは、ルチアに無言で頷くとルチアも無言で頷き、翔と奈々の後をついて行った――――――。



                  ***




<PM17:00>

――――――相良翔の家は二階建て6部屋あるアパートの二階一番奥にある206号室である。

広さは2DKで玄関入って目の前がダイニングキッチンとなっている。

玄関入って左側にトイレや浴槽がある。

玄関入って奥には6畳の洋式の部屋が勉強部屋となっており、その左隣に同じ6畳の寝室がある。

ひとり暮らしにしてはとても広い部屋は護河奈々の両親が翔に必要以上の苦労をかけないようにするためだった。

ルチア、奈々、紗智、武、春人は翔の部屋にある縦長の長いこたつに足を入れて座っていた。

畳の感触やこたつの温もり、テーブルの上に置かれてあるみかんは、どこか懐かしさを感じさせた。


「みんな麦茶だけど、どうぞ」


そういうと翔はお盆の上に置かれた温かいお茶の入ったコップを五人の座る位置に置くと床の間に正座で座り、お茶を少しだけすする。


「ふぅ‥‥‥。 さて、何から話せばいいかな」


自嘲的な笑を漏らしながらそう聞くと、ルチアはいつものポーカーフェイスで翔を見つめてながら答えた。


「紗智達もいるから、義妹さんとの本題に入る前に話したほうがいいと思うわよ? あなたに起こったことの全てを‥‥‥。 まだ、私にも話していないことだってあるでしょう?」

「‥‥‥ああ」


全てを見透かしたような言葉に、翔はなんの言い訳もできずに頷いてしまった。

ルチアの言う通り、翔はまだルチア達に全てを話していない。

自分の過去を誰かに言いふらす趣味はもちろんなかった。

同情してもらうつもりも、慰めてもらうつもりも、過去を理由に優しくしてもらうつもりもなかった。

だからこそ、翔は誰にも言わなかった。

だが、今こそ話すときのようだ。

全てを、相良翔と言う人間を話すときが来たのだ。

嘘偽りのない、最低な人間である‥‥‥自分自身を、曝け出すときなのだろう。


「俺‥‥‥」


そう思った翔は俯きながら、叱られた子のように弱々しく、途方に暮れた声で話しだす。


「俺は一年前、ここにいる奈々の人生を、狂わせた」

「っ‥‥‥」


分かっていたかのように奈々は下唇を噛んで、翔と同じように俯きながら話しを聞く。


「‥‥‥ルチアには“途中まで”話したことがあるけれど、俺には両親がいないんだ。
 俺は孤児院の前に捨てられていたらしい。
 だから生まれて奈々の両親に引き取ってもらえるまでの12年間以上は俺と似たような境遇の男女と共に、孤児院で過ごしてきたんだ。
 奈々の両親に引き取られるきっかけは、ある日に奈々の両親が孤児院に仕事で来たときに奈々と俺が仲良くなったことだ。
 それから俺は奈々の両親‥‥‥特に母親には好かれて、中学入学と同時に奈々の一家の一員になったんだ。
 だけど俺は、奈々の一家に慣れなかった‥‥‥なぜなら、孤児院にいる子の大半が両親による虐待や捨て子だったから、俺は知らないうちに父と母と言う存在を信頼できなかったんだ。
 それでも奈々とは仲良くした‥‥‥と言っても、義兄としてのことは何もできなかったかもしれない」


その時の事は、今もなお覚えている。

奈々は甘えん坊で、いつも『お兄ちゃん、お兄ちゃん!』と義兄である翔を頼った。

勉強するにも、運動するにも、遊ぶにも、寝るにも、風呂に入るにも、何をするにも奈々は翔にべったりだった。

恐らく、兄と言う頼りになる存在に甘えたかったと言う欲が一人っ子の奈々にはあったのだろう。

今思えば、もっと優しくしてあげるべきだったと思う。

今思えば、もっと奈々のことを考えてあげるべきだったと思う。

今思えば、もっと信頼するべきだったのだろう。

そうすれば、奈々の人生を狂わせることはなかったのだから‥‥‥。


「俺は中学に入って、すぐにアルバイトを始めた。 俺なんかのために家族に苦労をかけたくなかったからだ。 極力、家事全般も自分の分は自分でやるように努力した‥‥‥と言っても、孤児院では自分のことは自分でやるようにと決められていたから今更苦労はしなかったけどな」


そう言うと、ルチア達は確かに‥‥‥と関心したように頷く。

それは翔の部屋を見ればわかるからだ。

ダイニングキッチンはまるで新築のように綺麗に掃除され、床もホコリはなかった。

この部屋も、本棚や机などもきれいに整理整頓されており、文字通り出来る男だった。

だが、ルチア達が何より驚くべきは、彼の過密なスケジュールにある。

相良翔の成績や身体能力は、魔法使いになる前から高かった。

それは当然、日々の努力の賜物だ。

だが、たった12歳の中学生がアルバイト、家事全般、学業、勉強、対人関係、その他もろもろをこなすのは容易ではない。

その上、三年生になれば受験まである。

いくら器用であろうと、天才であろうと、無茶にもほどがあった。


「だけど、俺は馬鹿だった。 そんな無茶すれば倒れることくらい、分かってたのにさ」

「‥‥‥倒れたの?」


紗智の質問に、翔は自嘲的な笑を見せながら、力なく頷いて続けた。


「中学三年生の冬‥‥‥丁度俺が高校の受験を終えたくらいかな。 俺は倒れて、三日くらい入院した。 当然、学校・バイトは休んだ。 それだけだったら、何の問題もなかった。 ここまでが、ルチアに話したことだ」

「ええ‥‥‥そうだったわね」


そして、ここからが相良翔の過去の全貌となる。

相良翔が、自分を嫌う最大の理由‥‥‥今、全てが明かされる。


「その日、奈々も学校を休んだんだ。 俺の看病がしたかったから‥‥‥だったと聞いたことがある。 だから奈々は両親には内緒で、無断欠席をしたんだ。 その日は両親が帰ってくるまで、奈々が俺の世話をしてくれた。 嬉しかったよ‥‥‥倒れるなんて経験ないから、看病してもらうのも初めてで嬉しかった‥‥‥本当に、嬉しかった」


翔の声が、一段と小さく、弱々しくなっていく。

その瞳からは光が消え、宙を茫洋と彷徨っていた。


「――――――親に奈々が休んだと言う事実が聞かされた瞬間、奈々の父が俺を殴った」


その一言を聞いた奈々以外の全員は、目を大きく見開いて翔を疑問を抱きながら見つめる。

――――――なぜ殴った? なぜ殴られなければいかなかった?

その疑問は、4人全員が抱いていたものだ。

翔はその時のことを思い出したのだろう、目を大きく開いて全身を小刻みにガクガクと震わせ、呼吸を荒くした。


「両親は‥‥‥特に父親は、奈々の将来のために色んな努力をしてきていたんだ。 塾や家庭教師、体調管理ももちろん、学校生活にも厳しい人だった。 だから奈々は、今まで小学中学の間、皆勤だった。 それは高校進学のためだ‥‥‥だけどそれを、俺が全て無駄にさせた」


つまり、奈々の父親からすれば、翔は父親が今までしていたことと、奈々の努力を全て無駄にさせた奴として見ただろう。

そして翔はその時、父親の本音を聞かされてしまった。


「その時に、俺に言ったよ。 俺を異物のように見ながら、軽蔑したような無表情で――――――」


――――――『所詮、捨てられるようなガキが、俺たちに関わろうとしたことが間違いだったんだ! やはりこんなガキ、拾ってやるんじゃなかった!!』


その言葉は、翔の信じてきた全てを崩壊させ、それと同時に、翔の中で何かが切れた瞬間だった。


「その後、翔はどうしたの?」

「‥‥‥俺は、父さんを殴った。 父さんも殴り返してきた。 俺は更に殴った‥‥‥その繰り返しだ」


その話しを聞いたルチアたちは、ゾッとしたように全身を震わせた。

ルチア達には、そのときの光景が浮かんだ。

きっと、見ている母親と奈々は辛かっただろう、見ていられなかっただろう。

怒りに任せ、怒号を上げながら鈍い音を立て、激しく血を流しながらぶつかり合う光景。

あの明るく優しい翔からは全く想像もつかなかった。

ましてや怒りに任せて我武者羅に殴るなんて、イメージのかけらもなかった。

そんな彼は、話しを続けた。

そう‥‥‥まだ、話しは続いていたのだ。


「意識が朦朧とするまで殴りあった。
 当然、体調も万全じゃない俺は勝てなくて、しばらくすれば、奈々の父親に一方的に殴られているだけになった。
 そして俺は胸ぐらを掴まれて、渾身の拳を受ける――――――はずだった」


だがその時、護河家と相良翔の間に鼓膜が破れるほどの高い叫び声が響き渡った。


――――――『やめてぇええええええええええッ!!!!!!』


その声のおかげで、奈々の父も翔も我を取り戻した。

そして全員、その声の主の方を向いた。


――――――「だ‥‥め‥‥‥だめ、だよ‥‥‥」

――――――「奈々‥‥‥」


声の主は、奈々だった。

自分が学校を休んだせいで、大切な義兄が傷つけられてしまった。

自分のせいで、家族がぐちゃぐちゃになってしまった。

自分のせいで、義兄が苦しんでしまった。

自分のせいで、自分のせいで、自分のせいで、自分のせいで――――――。

全てが、当時はまだ11歳だった奈々に襲いかかった。

そのことを考えれば、ああなることは必然だったのだろう。


――――――「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい‥‥‥ごめんなさい、ごめんなさい」


瞳から光を失い、目の焦点はどこにも合わず、ガクガクと全身を震わせ、呼吸を荒げた奈々は――――――その場で意識を失い、病院に搬送された。

――――――それが、相良翔の全てを変えた。


「奈々は、精神に負担がかかって‥‥‥俺が中学を卒業するまで、ずっと意識を失ったんだ」

「‥‥‥」


奈々はゆっくりと頷いた。

翔の記憶では、中学卒業までなので約2~3ヶ月の間だったとされる。

それまでの間、奈々は意識を取り戻さなかった。

病室に置かれた点滴が一滴ずつ流れる光景、日に日に白く細くなっていく奈々の体、ピッ、ピッ、ピッ、と聞こえる穏やかな電子音。

全てが翔の中にはトラウマのように残っている。


「‥‥‥俺がもっと奈々の両親を、奈々を信頼のことを理解して、信じていればこんなことにはならなかった。 だから俺は、全部をやり直すためにこの町に来た。 学生の町で、色んな人と触れ合って、世界を知って‥‥‥今度は『|護河(もりかわ) |(しょう)』と名乗れる俺になるために俺はここにいるんだ」


全てを話し終えた翔は、既に冷め切った冷たいお茶を一口だけ飲んで一息つく。

ルチア達の方を見ると、皆暗く俯いていた。

当然だろうと翔は思い、そして最後に言った。


「俺は最低野郎だよ。 義妹一人守れないでなんでもやれると勘違いしていたんだからさ。 家族と喧嘩するような最低野郎なんだよ‥‥‥俺はな」


再び自嘲的な笑みを零すと、翔は本当の本題に入ろうと奈々に聞く。


「まぁ俺の話しはこれくらいにして、奈々‥‥‥本題に入ろう」

「え‥‥‥あ、うん」


急に話題を振られて驚く奈々はビクリと反応すると、頷いて最初の話しに戻す。

それは、相良翔を迎えに来たと言うことの意味。

なぜ今、こんなにも早く迎えに来たのか。

色々と聞きたいことがあった。


「お兄ちゃんがいなくなってから、私はお父さんとお母さんとでちゃんと話し合ったの。お兄ちゃんのこと、もっと真剣に考えてあげて欲しいって」


それはとても小さく、そして大切な願い。

気兼ねなく甘えることが出来、優しく答えてくれる兄と言う存在の暖かさを感じることができた、一人の少女の小さな願いだった。

親が仕事で忙しく、帰ってこない日々に感じた胸を締め付ける孤独感。

もしかしたら自分は、この家族のお荷物なのではないかと感じ、その不安に押しつぶされそうだったこともあった。

本当は、生まれてはいけない子なのではないだろうかと、何度も迷っていた。

気づけば小学6年生になる頃には、親の気を使うことばかり考えていた。

親が心配しないために、勉強やスポーツを必死に覚えて、それ相応の結果を残し、親を安心させてきた。

甘えることなんてせず、むしろ遠慮がちになっていた。

知らないうちに、両親との間に壁を作り、その壁からは乗り越えないようにしてきていた。

そんな壁を壊したのは、相良翔だった。

偶々、母親の友人が孤児院で働いている人で、社会勉強の一貫と言うのも兼ねて奈々はその孤児院に行った。

そこで出会った一人の少年‥‥‥それが、相良翔だった。

その孤児院は十数名の若い男女が生活していて、その中で相良翔は奈々にとって異彩を放つ存在だった。

自分とは違い、誰にでも隔てなく接している彼に奈々は憧れのようなものを持っていた。

そして奈々は勇気を振り絞って、相良翔に声をかけた。

それから奈々は何度も翔に会いに来たりしたため、護河家に引き取られて義兄になった。

――――――だが結局、彼を苦しめてしまった。

自分の事情をもっと早く、彼に話していれば彼が父に殴られることはなかった。

彼が傷つき、家を出ていくことはなかった。

その責任を感じていた奈々は、初めて自分の欲を強く言った。

たった一人の義兄と、もう一度仲良く過ごしたいと。


「そしたらね、お父さんも反省してたみたいで凄く後悔してた。 もう一度、全部やり直したいって思ってるんだって。 お母さんも、お兄ちゃんが帰ってくることを心待ちにしていたよ?」

「そう‥‥‥だったのか」


奈々は翔の隣に寄り、彼の左手を優しく両手で包み込んだ。

死んでいるかのように冷え切ったその手を温めながら、奈々は言った。


「私もお父さんもお母さんも、お兄ちゃんを待ってる。 あの日のことはなかったことにはできないけど、私たちはやり直したい。 お兄ちゃんに帰ってきて欲しい‥‥‥お願い」

「奈々‥‥‥」


力強く握り締められた翔の左手は、徐々に温もりを取り戻していった。

伝わってくる、義妹の温もりと想い。

二ヶ月、たった二ヶ月だけしか会っていなかったにも関わらず、たったそれだけの期間で、奈々は大きく変化していた。

大きくなり、強くなった。


「強いな。 俺はまだ、あの日のことが夢に出て、その度に涙が止まらない。 弱いんだ俺は‥‥‥奈々のこと、守ってあげられないダメダメな兄さんだよ」

「そんなことない‥‥‥そんなことないよ」


奈々は優しく微笑むと、翔の瞳を覗き込むように見つめながら言った。


「お兄ちゃんは、私の自慢のお兄ちゃんだよ。 我侭で甘ん坊の私なんかに、お兄ちゃんはいつも優しくしてくれた。 今ここにいるみんなだって、お兄ちゃんのことが大切で優しい人だから全てを聞こうって決意したんだと思う」


奈々の言葉に、この部屋にいる翔の友達が全員力強く、笑顔で頷いた。


「お前にどんな過去があっても、俺たちは別に気にしねぇよ。 そんなことでお前を嫌ったりしねぇよ、絶対にな」

「武‥‥‥」


武は翔の右隣に来ると左腕を肩に回して体を強引に寄せ、右手でゲンコツを作って翔の頭をぐりぐりとやる。


「それにな、嫌なことの一つや二つ、あって当然なんだよ。 俺なんて親から高校を卒業したらとっとと働け!! ってうるせぇんだぜ? 面倒ったらねーぜ」

「お前は頭悪いんだから仕方ないだろ?」

「うるせぇ! お前よりは上だろ!」

「んだと!?」

「何言ってる? 五十歩百歩よ」

「「‥‥‥」」


言い争う武と春人に、ルチアが氷の矢のように鋭く冷たい言葉を浴びせると、二人は撃沈してその場で膝と手をついて凹んだ。


「‥‥‥ふふ」


だが、笑いを堪えていた紗智が我慢しきれずに笑いを零した。


「はははッ」

「あははッ」

「ふふ‥‥‥」


それに釣られて翔、奈々、ルチアの三人も笑いを零す。

気づけばその空気は、いつもと何ら変わらい、だけど大切で幸せな空気となっていた。

まるで今まであった、翔の不安を嘲笑うかのように、翔の過去を受け入れた。

それでもまだ、友でいてくれると言ったことに翔は驚いて、嬉しくて、涙が溢れてくる。

そして翔は、そんな彼らのいるこの場所に、もう少しいたかった。

別れるのが、嫌だった。

だから翔は‥‥‥奈々が言った。


「奈々‥‥‥悪いけど、俺はまだ、まだここにいたい。 こいつらと、この町で、色んな思い出を作っていきたい。 だから‥‥‥まだ俺は帰ることはできない」


気づけばこの灯火町は翔にとって、とても価値のある場所になっていた。

当初、この灯火町は相良翔が護河翔になるために来た場所だった。

自分と同じ年代の学生が多く生活する学生の町で、色んな人と接することで今度こそ人を信じることを学ぼうと思っていた。

だから転校初日に出会った時の武たちもまた、翔の中では自分を変えるために利用する存在でしかなかった。

だが、魔法使いとして命を賭け、様々な事情を抱える人と出会うことで翔にとっての彼らの存在の意味は大きく変わった。

武のように、馬鹿で大雑把で元気な熱血野郎。

春人のように、熱血野郎を抑える人。

紗智のように、そんな二人を影で支えて見つめる人。

この三人の存在は翔にとって、大切な日常となっていた。

そして同じように、命懸けで戦ってくれる仲間であるルチア=ダルクや井上静香、それだけでない、この町の魔法使いたち。

彼らとの出会いで、様々な絆を生み出した。

その絆を知るうちに、彼らと過ごす日々があまりにも大切なものになっていた。

だからこそ、翔は彼らを守りたいと思った。

大切な日常を、大切な人を守りたい‥‥‥そう思い、頑張ってきた。

今はまだ、その途中なのだ。

だからこそ、こんなところで全てを投げ出して帰るわけにはいかなかった。


「‥‥‥やっぱり、そう言うと思った」

「え‥‥‥?」


それは、驚きの返事だった。

甘えん坊の彼女が、翔の拒否を受け入れ‥‥‥それだけではなく、分かっていたと言った。

微笑みながら、ゆっくりと頷いた奈々はここに来るときに持ってきていた茶色のアタッシュケースを開ける。

その中にあったのは、大量の衣服だった。

まるで旅行に来ているか、どこかに泊まるかのように‥‥‥


「だから、お兄ちゃんが帰る日まで、私もこの町で過ごします!」

「――――――は!?」


一瞬、世界が静止した気がした。

この少女の言葉は、翔を動揺させるには十分過ぎる破壊力を持っていたのだ。


「な、な、なな、なんでそういう事になるんだ!?」

「だってお兄ちゃんがいなくて寂しいんだもん! 一緒にいたいんだもん! お父さんとお母さんには許可も貰ってるし、灯火学園に来年度は入学するから良いの!」

「なんと!?」


翔の預かり知らぬところで、話しはかなり飛躍していた。

もしや、翔の家がここまで広いのは最初からそうなることを予知していたのではないだろうかと推理してしまう。

しかも奈々は、灯火学園への受験を既に済ませているらしい。


「お前、もっと良い高校いくんじゃなかったのか!?」

「私は、お兄ちゃんと一緒がいいって‥‥‥ずっと思ってたから、何があっても絶対にお兄ちゃんのそばにいるよ」

「奈々‥‥‥」


翔は奈々の言葉に、つい頬が緩む。

やはり、奈々は奈々だったのだと改めて感じた。

甘えん坊で、いつもお兄ちゃん、お兄ちゃんと言ってついてくる‥‥‥そんな奈々が再びそばにいてくれる。

それは、あの頃の再現‥‥‥そして、新たな始まりなのだろうと翔は察した。


「‥‥‥みんな、改めて紹介するよ」


そう言って翔は、みんなに笑顔で、胸を張って紹介した。

大切な――――――義妹を。


「俺の義妹の、護河奈々だ。 これから、仲良くしてくれ」


皆は笑顔で頷いてくれた。

これが、相良翔と護河奈々の再会。

そして、相良翔の友情が確かなものと感じたときだった――――――。



その日の夜、そして全て守る戦いが――――――始まる。 

 

第三話 兄妹・約束と絆

<PM22:00>

話しが終わり、紗智たちが家に帰った。

最終的に、護河奈々は翔の家に居候することになった。

奈々の通う中学校は現在、自由登校期間となっており、卒業式前には一旦戻るが、それまでの間は翔の家でお世話になることととなった。


――――――そしてその日の夜、翔とルチアは夜の森を歩いていた。

奈々には、ルチアの家が遠いから家まで送ると言うことにしておいた。

帰りが遅くなったら、寄り道してたと言い訳ならどうとでもなる。

嘘をつくことへの罪悪感があったが、守るためと言う言い訳で罪悪感を包んだ。

翔とルチアが向かうのは、灯火町の外れにある広く深い森の奥にある洋館‥‥‥魔法使い対策本部の基地である。

今日はそこで、この町に現れた三人の魔法使いのことについての話しがある。

今までの魔法使いでもっとも強力な力を持つとされ、準備は十二分に行わなければいけない。

他にも色々と聞くことがあるらしく、翔とルチアは胸騒ぎと不安を胸に洋館に向かった。

そして洋館の三階に辿りつき、翔はゆっくりと扉を開けた。


「失礼します。 相良翔とルチア=ダルクです」

「お二人共、待ってましたよ」


童話の世界に入ったかのような古き良き西洋の雰囲気漂う部屋の奥に、淡く金髪の入った首まで伸びた髪にエメラルド色の瞳をした女性――――――斑鳩 瞳がいた。

彼女以外にも、四人の男女がいた。

翔とルチアと同い年くらいの容姿の四人は翔を見るやいなや、こちらに向かって走ってきた。


「皆‥‥‥久しぶり」


懐かしさ、再会の嬉しさが翔の表情を柔らかく笑顔にする。

なぜなら彼らは、相良翔の古い友人だからだ。

一人は若干白が混ざった黒い髪。

茶色のライダースジャケットに青いジーパンを着た、藍色の瞳の翔と同じくらいの身長の少年。

相良翔と同じ孤児院で育った相良翔の親友――――――『|朝我 (ともがれい)』。

一人はラベンダー色のロング・三つ編みカチューシャサイドアップ。

白い絹とレースをふんだんにあしらった衣服を身に纏っている、蒼く澄んだ瞳の相良翔より少し低い身長の少女。

朝我と同じく孤児院で育った相良翔の親友――――――『|皇海(すかい) |涼香(りょうか)』。


「四年半ぶりくらいだな。 やっぱり翔も、魔法使いになってたんだな」

「ああ。 でもまさか、こんな形で再会するなんてな」


朝我の声は、四年半前‥‥‥孤児院にいた頃よりも大人びて、低い声になっていた。

学校で、静香が言っていた別の学校にいる魔法使いの一人だろう。

朝我は連れの少女を翔達に紹介する。


「こいつは俺のパートナーの『|喜多川(きたがわ) |結衣(ゆい)』。 俺たちと同じ一年生だ」


紅葉色の長いストレートの髪。

青いボタンなしの制服を羽織り、中の白いワイシャツからは赤いネクタイが見える。

白と青の縦ストライプの太ももの半分程度の丈しかない短いスカートの姿は恐らく朝我のいる学園の制服なのだろう。

鋭く真っ直ぐな薄緑の瞳は無表情だとまるでこちらを睨みつけているようだ。

そんな彼女――――――喜多川結衣は翔とルチアを見回すと警戒している様子で翔を睨みつける。


「え‥‥‥あ、えと‥‥‥相良翔です。 朝我とは同じ孤児院出身なんだ」

「‥‥‥それはよかった」


そう言うとふぅ‥‥‥と一息ついて警戒を解いた。

それに釣られたように翔とルチアも安堵の息を漏らすと朝我がバツが悪そうに頭を下げて謝罪する。


「悪いな。 こいつはちょっと事情持ちなんだ」

「構わないさ。 涼香姉さんもお久しぶり」


翔は話題を変え、次に翔は同じ孤児院で育った二つ年上の少女、皇海涼香に声をかけた。

彼女は孤児院で最年長の人で、翔や朝我は姉さんと呼んでいる。

彼女は翔とルチアを見てペコリと頭を下げてから挨拶をする。


「皇海涼香です。 弟君たちと同じように孤児院出身です。 弟君が元気そうで良かった」

「大丈夫だって‥‥‥全く、姉さんは相変わらずみたいだな」


心配そうな表情で翔の顔をペタペタと触って確認する涼香に翔と朝我はわかっていたように苦笑いしながら受け入れていた。

ルチアと結衣はどこかイライラしたような表情で翔と朝我をジト目で睨む。

その視線を感じ取った翔と朝我はビクッと反応すると涼香の手を離し、涼香のパートナーと思わしき少年に視線を移す。

どう見ても翔たちより歳下‥‥‥恐らく翔の義妹である護河奈々と同い年くらいの雰囲気の少年だった。

若草色の髪に白と緑のジャケットに、黒いジーパンを履いている。

瞳は外人のように細めで、肌も日本人よりも白っぽい‥‥‥フランス人と言うイメージが強い雰囲気。

だが、彼から発せられたのは完璧なまでの日本語だった。


「初めまして。 僕は涼香姉さんの義弟の『ヴァン=皇海』です。 よろしくお願いします」


後輩らしく、礼儀正しい立ち姿勢に会釈をすると翔は苦笑いしながら言う。


「そんな堅苦しくしなくていいさ。 俺たちは互いに同じ目的を持ってる仲間だ。 仲間に必要以上の礼儀はいらないさ」

「は‥‥‥はい」


ヴァンは翔を見るめると、小さく頷いた。

まだ慣れないだろうけれど、時間がたてば‥‥‥本当の意味で仲間になるだろう。

そう思いながら、翔もルチアを紹介する。


「彼女は“俺の学校の同級生”のルチア=ダルクだ」

「‥‥‥ふーん」


紹介すると、ルチアは勢いよく右足を上げ、そのまま翔のつま先にかかとを踏みつける。

更にグリグリと踏むと、翔は激痛のあまり声にならない悲鳴を上げる。


「ぐあぅう!? な、何するんだルチア!?」

「別に‥‥‥足にゴミがついてたのよ」

「ついてないだろ‥‥‥って、そろそろ足を離せよ!」

「‥‥‥ふんッ」


仕方ないように足を離すとルチアは頬を膨らませて腕を組み、いかにも怒っていると表現しながら翔に背を向けた。

訳のわからない翔は頭にはてなマークを浮かべながらルチアをなだめようとするが、ルチアはフンスカしながら翔に顔を向けようとしない。

それを微笑ましく眺める朝我や涼香達。

気づけば周囲には穏やかな空気が流れていたのだった――――――。



                  ***





しばらくして井上静香も到着し、縦に長いテーブルに全員が囲うように座ると、斑鳩瞳が全員に向けて会議を始める。


「今回の会議では、現在までに入ったこの事件の犯人の三名の情報を皆さんに報告します。 現在、この三名は二人と一人と、二手に別れて行動をしています。 なのでこちらも半分に戦力を分けて行動させてもらいます」


全員が同時に頷くと静香が立ち上がり、今回の作戦チームの発表をする。


「Aチームに、ルチア=ダルク、井上静香、喜多川結衣。 Bチームに、朝我零、ヴァン=皇海、相良翔でです。 皇海涼香さんは能力的に考えて、状況に応じて動いてもらいます」

「分かりました」


チーム分けが終わると静香は今までに入手っできた情報を話した。


「今回の敵の名前をまず説明します。黄色い髪の女性の名前は『|不知火(しらぬい) |都姫(みやび)』。黒い髪の女性は『|澄野(すみの) クロエ』。 そしてリーダーの男性が『|冷羅魏(つめらぎ) ()


ルチア達は小さく丸いテーブルを囲うように集まると、作戦について話す。

主な会話の中心は静香がする。


「私達は女性二人を相手にします。 1VS2にして行けばいいと思いますが、相手は複数を相手にしている経験があります。 恐らく複数が相手でも臆せずに戦えるでしょう。 ですから人数は大きな問題にならないと考え、私達も全力で行きましょう」


静香の言葉に2人は大きく返事をしてルチアが話す。


「私は一人でクロエを相手します。 元々私の魔法は集団戦には向きませんから」


ルチアの武器は近接戦闘が主となっている。

もちろん中距離からの魔法攻撃も可能だが、詠唱に時間がかかるため、武器のことも考えると近接戦闘となってします。

動きを考えると、サポートも邪魔になるかもしれないため、結局は1VS1が一番いいのだ。

静香もそれを理解しているため、仕方なく頷いてしまう。


「本当はあなた一人で戦わせるのは厳しいですが、私達では邪魔になるでしょう」

「すみません。 ですが、必ず勝ちます」

「ええ。 この町のためにも‥‥‥必ず」


話が終わると、静香は結衣の方を向いて話をする。


「結衣さん。 あなたの力も必要です。 私一人では辛いですから、期待してますよ」

「は、はい‥‥‥こちらこそ」


そう言って二人は握手をする。

結衣が人見知りのタイプなのは、静香もルチアも理解した。

だからこそ、そんな彼女と確かな絆を生むためにこちらから距離を詰めた。

これで少しでも変化があればいいなと言う願いもあった。

誰も失わず、必ず勝つ。

その願いだけは、誰もが一つ同じ願いであるのだった――――――。



                  ***




《BチームSide》


「まさかこのメンバーになるとは‥‥‥」


翔はBチームの二人と涼香を含めた4人で会話をしていた。

主な作戦も、近接型ばかりの全員は特に考える必要はないのだ。

だから翔たちは、この場所で絆を深めようと考えた。


「ヴァン。 互いに助け合おう 。俺がお前を助けて、お前が俺たちを助けるんだ」

「はい‥‥‥頑張ります」

「ああ。 期待してる」


翔はそう言ってヴァンの右肩をポンと叩く。

緊張が、少しでも解れてくれればなと言う思いもあった。

そう考えていると、朝我が翔と涼香に向かってある話をした。


「翔、姉さん。 覚えてるよな? 約束」

「ああ。 当然だ」
 
「大切な約束だよね」


そう。翔、零、涼香の三人が絆を固く持っているのは、この約束があるからだ。

それは‥‥‥孤児院と言う世界しか知らなかった彼らの約束。

――――――いつか、世界の全てを見る。

つまり、世界旅行である。


「高校卒業したら、全員で行こうと思ってるんだけど、どうだ?」

「どうだろな‥‥‥俺はまず、義妹の家族と色々と話さないとだからさ」

「私は来年で卒業だから、先に準備しちゃうかな」


約束は叶えたい。

だが、互いに様々な事情があるため、叶えづらいものとなっている。

これが、大人になっていくと言うことなのだろうかと‥‥‥どこか寂しく感じる。

だが、翔はそれでも信じていた。


「大丈夫だ。 どんなことがあっても、俺たちは約束したんだ。 あの日‥‥‥ずっと夢を見て、約束してあと数年で叶うかもしれないんだ。 だったら、頑張れる‥‥‥違うか?」

「‥‥‥ああ」

「ええ、もちろん」


そして彼らは再び、絆を確かめ、約束を誓う。

いつか大人になった時、必ず世界を見る。

だからこそ、今回は負けるわけにはいかない。

守りたいもの、叶えたい夢、それらがあるからこそ、負けられない。

そう誓い、彼らは夜のソラを出る。




――――――全てが始まるのは、日付変更AM0:00――――――

 

 

第四話 兄妹・護り、護られる存在

 <AM0:00>

外で出す吐息は、いつにも増して白く見える。

天気予報の話では、深夜の気温は0度を下回るとさえ言われていた程だ。

ここまで寒いのは年に数回程で、恐らくこの頃が冬の最低気温なのだろう。

そう思いながら夜の灯火町を歩くルチア=ダルクは、先頭を歩く井上静香の後を追うようにしていた。

右隣には喜多川結衣がいて、私と同じ速度で歩いていた。

ルチア、静香、結衣の三人は今、二人の魔法使いを探して夜の町を歩いていた。

静香は歩きながら魔法使いのいると思われる場所へ向かっている。

今までに入手された情報には今日、二人の魔法使いが向かう場所が判明されていた。

もしその場所にいなければ、捜査は降り出しに戻るかもしれない。

そうでないことを祈りながら、彼女たちは警戒心を高めて歩く。

『――――――ルチア。 もし危ないと思ったら、迷わず俺を呼んでくれ。 必ず助けに行って、守るから』

先ほど、外に出る前に相良翔が囁いた言葉が耳元に甦る。

不思議とその言葉は、戦いへの緊張感を緩和させる力を持っていた。

それこそ、魔法にでもかかったかのように、不思議と安心出来る。

きっとそれは、彼の過去を知り、彼の言う『守る・助ける』がとても大きな意味を持っていると知ったからだろう。

彼にとってそれは、命懸けで、自分の全てを賭けているものだ。

自分の全てを賭けて守ってくれる‥‥‥そんなことを言ってくれる人は、彼が初めてで、それはとても嬉しいものだった。

‥‥‥振り返ってみれば、彼に出会ってから、日常は一気に変わっていた。

隣に誰かがいることが当たり前になっていた。

学校に行く時も、教室にいるときも、お昼の時も、下校の時も、隣には必ず誰かがいた。

その中で相良翔は、一番隣にいる人だった。

変化のきっかけで、全てを変えてくれた人。

彼のことを考えていると肩の力が抜け、少しだけ頬が緩む。


「ルチアさん。 随分と嬉しそうですけど、何かいいことでもありましたか?」


即見抜いたのは、静香だった。

どうやら頬の緩みに気づいたようで、何か感づいたように不敵に笑いながらルチアに話しかける。

ルチアは逃げるように目をそらして静香に返事と返す。


「い、いえ。 なんでもありません‥‥‥」

「‥‥‥ふふ。 そういう事にしておきましょうか」


不敵な笑みを崩さず、クスクスと笑いながら再び歩き出す静香に、ルチアは羞恥から顔を少し紅く染めて俯いてしまう。

頭から湯気が出てしまうのではないかというくらいに熱を帯びたルチアは何度も深呼吸をして冷たい空気を取り込み、体温を下げることに集中した。

そんなルチアに、結衣は真剣な眼差しで聞いてきた。


「ルチアは、好きな人がいるの?」

「ぁ‥‥‥」


その質問にルチアは反射的にある人物の姿を思い浮かべてしまった。

それは当然‥‥‥相良翔だった。

ルチアは再び顔をカァァァッと紅潮させて口をパクパクさせてしまう。


「い、いないわよそんな人! いるわけないじゃない!」


不意に、どこかでクシャミをしている相良翔の姿がルチアの頭を過ぎる。

質問をしてくる結衣の意図を読み取ることもできず、ただ動揺だけが自分を襲う。

整理のつかない思考の中、結衣は口を開く。


「嘘つかなくてもいいよ? そんなに顔を紅くしたら余程鈍くない限り、分かるよ」

「うぅ‥‥‥」


確かに、顔は真っ赤になっていれば、それは羞恥の表情だと誰でもわかる。

女子だからこそ、それが恋愛関連に感じてしまうのも当然と言えた。

その上、自分がここまで動揺してしまえば説得力の欠片もない。

結論、ルチアは嘘が下手だった。


「好きな人ってさ、もしかして朝我の親友の相良翔?」


ストレート過ぎる質問に、ルチアは俯いて口をもごもごさせながら曖昧な返答をしてしまう。


「い、いや、好きってよく分からなくてその、彼は私の戦友であって、友達であって、私を変えてくれた人で‥‥‥その‥‥‥」

「つまり、好きってことでしょ?」

「‥‥‥」


何も言い返せない変わりに、頭からプシューと煙が噴出された。

もう限界だったようで、ルチアは力なく頷くことしか出来なかった。

勝ち誇ったように笑を零す結衣はどこか嬉しそうにルチアに言った。


「恋の相談ならいつでも受けるよ!」

「あ‥‥‥ええ‥‥‥その時は‥‥‥よろしく‥‥‥」


もはや何も考えることができないルチアは言われたことに素直に頷いた。

まさかここまで相良翔をネタにされるだけでボロボロにされるとは思わなかったルチアは、戦いが終わったら相良翔の顔を見れるのかと不安になった。

好き‥‥‥その気持ちが確かなら、ルチアはいつもの無表情で彼を見れるだろうか?

言葉にできないこの大きな感情を、抑えることはできるだろうか?

そう思うと、どうしていいのかわからなくなる。

だけど今は、そのことでは迷ってはいられない。

今は、これからの戦いに集中しないといけない。


「‥‥‥ふぅ」


そう考えると、自然と先ほどまでの動揺は消えて再び落ち着きを取り戻す。


「二人共、備えてください!」


静香の痺れるような鋭い声に、ルチアと結衣は真剣な表情になると全身に意識を集中させて魔力を全身にまとわせる。

そして魔法使いとしての姿に変わる。

ルチアの姿‥‥‥一枚の黒い羽衣が彼女を包み込み、左手には自身の身長の倍近くある長さの黒き鎌が現れる。

結衣の姿‥‥‥白いノースリーブのインナーの上に同色の白に黒いラインが入ったショートジャケッ卜。

白を主体に黒い細め縦のラインが入ったホットパンツ姿はまさに格闘系の姿。

静香の姿‥‥‥白と桜色を強調した騎士風の戦闘服に、左腰にレイピアを収まった白に桜色のラインが入った鞘の姿となる。

気配を誰よりも察知した静香は鞘からレイピアを抜き、刀身に魔力を込める。

するとレイピアは魔力の光を帯びて淡い桜色に光りだす。

周囲を見渡しても、人の姿は見当たらない。

だが静香は気配を感じ取り、どこかに隠れている魔法使いを探していた。

ルチアと結衣もまた、同じように周囲をゆっくりと見て気配を感じ取ろうとする。


「‥‥‥ッ!」


先に気配に気づいたのは――――――喜多川結衣だった。

結衣は気づいたのと同時に右拳を振りかざし、魔力を集め、その方向に向かって勢いよく放った。


「見つけた!!」


その言葉と同時に、拳に集まった魔力はビームのように長い尾を引いて人影のない廃墟に向かって真っ直ぐ放たれた。

魔力が廃墟にぶつかった瞬間、建物は直撃した箇所を中心に、まるで破裂したかのように激しい爆発音とともに壊れた。

壊れた廃墟は、しばらく砂煙で周囲の視界を見えなくさせた。

砂煙が消えると、二人の女性の影が見えた。


「あら、随分と腕をあげたようね。 結衣ちゃん」

「お陰様で、あなたの気配だけなら簡単に見つけられるようになったよ」


皮肉混じりの会話をする結衣と一人の女性。

砂煙が消えると、その姿が明らかとなった。

黄色いロングテールの女性と、黒いショートヘアーの女性の姿は間違いなく、例の魔法使い二人組だった。

結衣と会話したのは黄色いロングテールの女性‥‥‥不知火 都姫のようで、ルチアは『知り合いなの?』と質問すると結衣は苦笑いしながら答える。


「因縁って言うのかな‥‥‥あの人とは、どうも引き際って言うのが分からないみたいでね」

「‥‥‥そう」


どうやら前から戦っていた敵らしい。

恐らく、彼女の連れである朝我零と言う少年も彼女と戦っていたのだろう。

だからこそ、ルチアや静香よりも先に気配に気づいた。

だが、何よりも驚きなのは先ほど見せた魔法だった。

詠唱なしで、一瞬にして発動したにも関わらず、命中精度・破壊力は申し分ないものだった。

‥‥‥いや、詠唱がなかったわけではない。

あまりにも詠唱が速すぎたのだ。

一体どんな実戦を経験したのだろうかと気になるところだが、それを聞いている時間も暇もない。

今はただ、目の前にいる敵を倒すことだけを考える。

そしてルチアの相手は黒いショートヘアーの女性、澄野 クロエとなるだろう。

ルチアたちは各々武器を構え、戦いが始まるのを待つ。

そして、どちらからともなく同時に走り出し、戦いは始まった――――――。



                  ***





それから約数分前の別の場所――――――相良翔は朝我零とヴァン=皇海の二名を連れて灯火町の中心にある灯火学園の近くを歩いていた。

時間も時間なため、三人の足音以外の音はほとんど聞こえない。

特に会話もないため、無音の夜の世界を歩き続けていた。

ここに来る前に翔は、井上静香から対象である魔法使い『冷羅魏(つめらぎ) 氷華(ひょうか)』が現れる場所を教えてもらっていたため、迷うことなく進んでいた。

三人とも、いつ不意打ちが来るかも分からないため、周囲を警戒しながら見渡す。

地面は雨が降った後のように濡れていて、冬の寒さで凍結している可能性もあるため、足元にも注意していた。


「翔。冷羅魏ってのはここにいるのか?」

「静香先輩の話しだと、ここらしい」


朝我の質問に答える翔、そして今の周辺を確認したヴァンが更に続く。


「ですが、気配を感じません。 もしかして、僕たちがここに来るのを予想されたんじゃ?」

「‥‥‥」


ヴァンの意見には朝我も一理あったようで、静かに頷いた。

だが翔はどこか不満そうな表情を崩せなかった。

それは、翔だけが何かを感じ取っている証拠だった。


「お前、何か気づいたのか?」

「‥‥‥気づいたわけじゃない。 だけど、なんか‥‥‥」


翔は周囲を何度も見渡す。

朝我とヴァンは何も分からないまま、ただ翔を見つめていた。

何も見えない暗黒の世界の中、翔は“気配とは似て非なる何か”を感じ取り、その場所に冷羅魏がいると思い、探していた。


「‥‥‥」


翔は思考をフル回転させながら周囲を見渡す。

思考と行動を激しく繰り返す中、翔は気づいた。


「(待てよ‥‥‥そういえば昨日今日で――――――雨は降ったか?)」


翔が気づいたのは、翔たちが歩く地面だった。

雨が降った後のように湿っているが、よく考えれば昨日今日は雨なんて降っていなかった。

この濡れ具合は一体、何を意味するか‥‥‥翔は答えに辿りついた。


「はぁぁぁああああああッ!!」


そして翔は答えに辿りついたと同時に全身に意識を集中させて雄叫びをあげる。

脳に流れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせ、新たな魔法を発現させる。


「炎より求めよ、破壊の光!!」


右拳が紅く光と、超高熱を帯びる。

すると魔力は徐々に揺らめきだし、その魔力は紅き炎へと変化した。

翔は勢いよく振り上げると、そのまま力強く湿り気を帯びた地面を殴りつける。

圧倒的な攻撃力と破壊力を秘めた、炎の拳。

触れたものの全てを燃やし尽くし、破壊する一撃――――――『|火星討つ破壊の炎光(デフェール・ストライク)』


「出てこい――――――冷羅魏!!」


地面は翔を中心に紅く燃え上がり、地面の水分を全て蒸発させた。

すると水蒸気は翔たちの前で一つに集まり、徐々に人の形を作り出す。

そしてその姿は、三人が狙っている相手となった。

緑色の髪の鋭い瞳の男性――――――冷羅魏 氷華。


「へぇ~。 俺に気づいた奴はお前さんが初めてだぜ?」


不敵な笑を浮かべながら翔に言うと、翔は冷羅魏から離れる。

そして未だに状況を完全に理解していない朝我たちに翔は何に気づいたのかを説明するように言った。


「ここに来た時から、気配に近くて違う‥‥‥殺気を感じていた。 だけど殺気が周囲に散乱していて、確実な位置が特定できなかったんだ」


翔は何度も周囲をクルクルと見渡していた理由はここにあった。

朝我とヴァンは、冷羅魏の気配だけを探していた。

だが翔はそれだけではなく、殺気までもを感じ取っていた。

相手を狙うと言う時点で必ず殺気と言うものは生まれるため、殺気を見つけることができれば捜索はあまりにも簡単になる。

だが。冷羅魏はこの場所の周辺に液体としての姿と化して隠れ潜んでいた。


「そこで地面を見たときに思ったんだ。 昨日今日は雨なんて降っていないことに気づいたときにもしかしたらと思った。 もしかしたら冷羅魏の能力は単に氷を使うのではなく――――――氷にさせることができるもの全てを操れるのではないか‥‥‥ってな」


液体は凍らせることができる。

冷羅魏の能力は、凍らせることができればなんでも操れることにあるのではないだろうかと翔は考えた。

冷羅魏は、翔たちを液体としての姿で隠れ潜んでいた。

そして油断したところを、氷の能力で一気に凍結させようとしていたのだろう。


「だから俺はお前に何かされる前に一撃放った‥‥‥だが、どうやら効かなかったらしい」


翔は炎の力を解除させず、全身に鎧のように纏わせる。

凍える真冬の中で燃える炎は白い蒸気を大量に発生させていく。

先程まで寒さに震えていた朝我とヴァンは、翔の熱によって暖かくなっていた。

これは冷羅魏の能力である氷に対して発動したもの。

仲間が凍結させられようとも、助けられると言う利点も兼ね備えていると言う、冷羅魏対策の能力。

冷羅魏は驚くも、動揺はせずに嬉しそうに笑を零しながら言った。


「はははッ! やっぱり君は面白い! 噂には聞いてるよ。 世にも珍しい純系魔法使いで、複数の性質を持つ能力を使いこなすと言われている。 やっぱり噂は本当だったわけだ」


翔は灯火町だけでなく、全世界の魔法使いが知っている。

その理由は、彼の持つ能力があまりにも魔法使いとしての常識を逸脱したものだったからだ。

そして今まで、様々な事件に携わってきたため、彼の噂は広がっていたと言うわけだ。


「でも残念。 君たちは俺がここで殺さないといけないみたいだね」


そう言うと冷羅魏の全身から大量の白い煙‥‥‥冷気が流れ出て、冷羅魏を中心に地面は物凄い速度で凍結していく。

翔達に迫るところで、翔も動いた。


「俺たちも、お前を倒す。 そのためにここに来たんだ。 覚悟しろ!!」


そう言うと翔の全身から大量の白い煙‥‥‥熱気が流れ出て凍結した地面を溶かして液体に変えていく。

両者がの冷気と熱気が丁度半分の距離ぶつかり合い、激しい水蒸気を発生させる。

互いに一歩も動いていないにもかかわらず、すでに戦いは始まっていた。

朝我とヴァンは全ての事を理解すると、翔に声をかける。


「翔! 俺たちはどうすればいい?」

「‥‥‥ヴァンはそこで支援。 朝我は俺と突っ込むぞ!」

「おう!」

「はい!」


翔の指示に二人が同時に頷く、朝我は翔の左隣に立ち魔法使いとしての姿に変わる。

茶色の長袖のジャケットに青いジーパン、見るとどこか私服にも関わらず、その左腰には銀色に染まる鞘と赤い色に側面は銀色の柄があった。

つまり朝我零の武器もまた、翔と同じ『刀』と言うことになる。

ヴァンの姿は草原のような緑色のロングコートを羽織り、中は白いワイシャツ、下はコートと同色のパンツとなった。


「行くぞ!」

「おう!」


翔と朝我はほぼ同時に駆け出し、冷羅魏に襲いかかる。

迫る二人に対して冷羅魏は余裕そうな表情で右手を二人に向けてつき出す。


「――――――凍てつけ」

「「ッ!?」」


その瞬間、走る翔と朝我の足が止まった。

翔と朝我の足元が氷によって固められて足が動かせなくなっていたのだ。

翔は魔力によって発生した炎を足元に集結させて朝我と自分を止める氷を溶かした。


「まだだ!」


そう言うと冷羅魏は右手を天に掲げる。

すると翔と朝我の真上に無数の槍のように鋭く長い氷柱が出現する。


「貫け、無限の|氷槍(ひょうそう)!」


冷羅魏はすでに詠唱を終え、二人に向けて氷の槍を雨のように浴びせる。

狙った全てを飲み込み、貫く地獄の氷槍――――――『|全て貫く破壊の氷槍(アイス・ツァプフェン)』

弾丸にも近い速度で迫る氷の槍に、翔と朝我は刀を使って対応する。


「「せいッ!!」」


気合一閃、翔の持つ白銀の刀――――――『|天叢雲(あまのむらくも)』と、朝我の持つ紅く熱を帯びた刀――――――『|火車切広光(かしゃぎりひろみつ)』は一筋の剣線を描いて迫る氷の槍を全て切り裂く。

二人にとっては弾丸以下の速度なんて止まっているようにも見えてしまう程遅いものだった。

翔と朝我は勢いのままに宙を飛び、冷羅魏の方を向き直す。

冷羅魏は、体中を漂う魔力の密度をあげていた。

ここからが戦いのはじまりなのだろう。


「行くぜ!」


そう言って朝我は刀を突き出すように構え、冷羅魏に突撃する。

胸を狙ったその一撃を冷羅魏は体を捻ってかわした。

続いて翔が隙のある冷羅魏の背後を襲いかかる。

しかし冷羅魏は魔力で身体能力を上昇させると足腰に集中させ、刃が切り裂く直前にしゃがんでかわす。

そして両手を地面につけ、翔の側頭部に蹴りを入れる。

翔を蹴り飛ばした勢いをそのままにし、両手を軸に回転させて朝我の背中を左足のかかとで蹴り飛ばす。

その動きはさながら、カポエイラのようだった。


「ぐっ!」


翔はすぐさま立ち上がり、朝我の隣に行って再び刀を構える。

すると二人の全身を淡い緑色の光‥‥‥魔力が優しく包み込む。

優しい魔力は二人の体を癒し、痛みと体力の減りをなくした。


「ヴァン、助かった!」


発動したのは、ヴァン=皇海。

そして発動した能力は、対象の魔力・体力・傷を癒す能力を持った治癒系魔法。

優しく包み込み、全てを癒す救いの風――――――『|そよ風包む安息の羽(ベハンデルン・ゼファー)』


「お二人とも、|補助(サポート)は任せてください!」


後輩の力強い言葉に、二人は再び戦う意思を強くする。

そして朝我は空いた左手を開くと、空間が歪んで一本の刀が現れる。

蒼い柄と同色の刀身、そして刀身を覆うように激しい音を立てる稲妻。

稲妻の光が刀身に写り、青い閃光を放つ。

かつて雷を斬ったと言われる刀――――――『雷切』。


「まさか‥‥‥二刀流」


翔は朝我が二刀流と知った瞬間、歴史上にいた宮本武蔵を思い出した。

彼はかつて二刀流を使っていたとされ、それから現代まで二刀流は様々な変化を経て存在する。

だが二刀流は様々な問題が指摘され、現代は大学剣道などでしか使われていない。

更に扱いの難しさが懸念されており、実際に二刀流で戦う者は僅かとなっている。

更に朝我零の持つ武器は、ただの刀ではない。

魔力を秘めた特殊な刀‥‥‥妖刀の類に近いものである。

刀の重量は一般的な真剣の倍近くある。

いくら魔力で強化された肉体であろうとも、それを二刀流で使いこなすほどまではできないはずだ。

それを可能とするのは恐らく、朝我零の持つ天性の才能である。


「翔、先に行かせてもらう!」


そう言うと朝我はダンッ!と強く踏み込むとジェット機のように防風を上げて冷羅魏に迫る。


「うおっ!?」


驚きの声を上げる冷羅魏はとっさに両手に魔力を集中させて氷を発現させる。

氷は魔力によって形状を変化させ、細身の小太刀のように変化した。


「はぁっ!!」


朝我は目にも止まらぬ速度で刀を振るい始める。

速度は次第に上昇していき、地面はいなされた斬撃の痕が深く、数多く存在した。

紅と蒼、二つの光が軌跡をいくつも作り出し、その激しいぶつかり合いを物語っている。

いなし続ける冷羅魏にも遂に限界が来て朝我の一閃が冷羅魏の体を切り裂く。


「がっ‥‥‥ッ!?」


切り裂かれた冷羅魏はそのまま地面に倒れる。


「‥‥‥」


倒れたことを確認すると朝我は刀を鞘に収めて大きく息を吐く。

ヴァンもまたほっと一息つく。


「‥‥‥」


だが、翔は一人、まだどこか納得していなかった。

言葉にできないほどの胸騒ぎ、なぜそれがあるのかは分からないが、その正体は早く知りたい。

翔は念の為に遠くでこちらを見ているであろう皇海涼香に電話をするためにスマートフォンを取り出して涼香にかける。


『弟君!』

「姉さん? どうかしたのか?」


涼香の声は慌てているように息が荒かった。

こちらとは正反対の空気に翔は違和感しかなかった。


『そこにいる冷羅魏は偽物! 本物は、――――――ルチアを狙ってる!』

「な‥‥‥くっそ!!」


刹那、翔は通話を切り、炎の性質を持つ魔力を雷へ変化させる。

そして閃光の如く速度で走り去る。


「おい、翔!!」


置いていかれる朝我とヴァンは倒れる冷羅魏に目をやる。

すると、倒れていたはずの冷羅魏はまるで氷が溶けるかのようにすぅっと消えていった。


「ッ!? まさか、|偽物(ダミー)!?」

「‥‥‥先輩」


その光景を見て、なぜ相良翔があれほどまでに必死に走り去っていったのかが分かった。

相良翔が急いだ理由‥‥‥それは間違いなく、狙われているのが彼にとって大切な人であるうということ。

なぜ狙われているのか‥‥‥そんな理由は後でいい。

今はただ、その人のところに誰よりも速く駆けつけたいと言う気持ちだけが彼を動かしていた。


「‥‥‥ヴァン。 俺たちも行くぞ。 まだ戦いは終わってない」

「はい!」


そして朝我とヴァンもまた、そんな彼の力になりたいと言う想いのままに足を動かした。

魔力を両脚に込めて脚力を上昇させ、地面をえぐりながら弾丸にも劣らない速度で夜の世界を駆け抜けるのだった――――――。



                  ***





相良翔は、たまに考えることがある。

――――――なぜ、誰かの為に必死になるのだろうかと。

今、どうしてこんなにも必死なのだろうかと、考えることがある。

孤児院で、護河家で、学んだじゃないか。

結局、幸せを得るには誰かを失わないといけなくて、失われた人は絶望するしかないってこと。

相良翔の人生は、まさにそれを学ぶかのようなものだった。

孤児院では、虐待にあった人や親に捨てられたと言う人が数多くいた。

朝我零も皇海涼香も、様々な苦しみを受けて孤児院にやってきたのだ。

親がいない‥‥‥それが当たり前のように生活してきた相良翔にとって、彼らの過去は胸に来るものがあった。

そして気づいたときには、親や家族と言う存在に対して不信感に近いものを抱いていた。

それを変えようとして、翔は護河家に入った。

だが、結局どこもかしこも同じなのだろうとあの時は悟ってしまった。

誰かのためなら、平気で他の物を切り捨て、裏切る。

だから信じると言うことは、後で自分のために切り捨てるための犠牲でしかないのだと思った。


「‥‥‥違うよな」


走りながら、翔はそれを否定する。

そう‥‥‥灯火町に来てからの翔は、その考えを自ら否定するようになった。

灯火町で出会った仲間は、誰も皆素晴らしい人達だった。

どんな過去を抱えようとも、仲間と言う真実だけに従って生きている。

彼らにとって、人の過去なんてどうでもいいのだ。

過去は誰でも抱えるもので普通のこと‥‥‥それを否定しようと同情しようと、変わることはない。

本当に見るべきことは、ただ一つ。

今はただ、目の前で苦しんでいる人を疑わず、前に進むこと。


「――――――ルチアッ!!」


翔は右手に持った天叢雲に魔力を込める。

白銀の魔力、そして炎の性質を持った紅き魔力は渦を巻いて刀身を纏う。

それぞれは一本の刀でひとつに交わり――――――『白炎の力』へと進化する。

だが、それだけでは終わらなかった。


「まだ、――――――まだだッ!!!」


更に翔はそこに、雷の性質を持つ黄色い魔力を交わせる。

白炎と雷は、膨大な力を増して徐々に強大なものへと進化する。

白銀と炎の破壊力、そこに雷の速度が交わり、最速最強の力に更なる進化を遂げる。


「三つの星が交わり、目にも止まらぬ破壊を見せよッ!!」


脳に溢れる膨大な|魔法文字(ルーン)を脳内で複雑に組み合わせていく。

その速度は今までの比ではなく、その速度はすでにスーパーコンピュータの演算速度を倍以上上回っていた。

通常の人間の脳であれば、恐らく壊れていたであろう。

当然、魔法使いであったとしても、今の詠唱速度は脳に膨大な負担がかかる。

それを証明するように、翔の視界は徐々に振れていく。

これは脳に来る衝撃が視界や体の感覚にも影響を与えていたからだろう。

だが翔はそんなこと、欠片も気にしてなんかいなかった。

むしろ、そんなことはどうでもよかった。

今はただ、目の前で危険な目に会おうとしている、大切な人を自分の力で――――――守りたかった。


「とど、けぇえええええッ!!!!」


翔は刀身に込めた莫大な力を、斬撃として一気に放った。

斬撃は尾を引きながら大気を切り裂き、大地を削りながらルチアに迫る敵に放つ。

ルチアに迫る敵はクロエと冷羅魏。

すでに二人は隙をついてルチアを挟み撃ちにしていた。

だがそれよりも速く、翔の渾身の一撃は二人に迫った。


三つの星が一つになり、限界を超えた神速最強の一閃――――――『|星超えし神速の破滅(スターダスト・ブレイカー)』


夜闇を照らすほどの神々しいまでの光は、敵を全て消し去るために迫る。

そして迫った一撃はクロエと冷羅魏を直撃し、二人を破滅の光に包み込んだ。


「ルチア‥‥‥大丈夫、か?」


全ての力を使った一撃は、翔の体力と魔力がほとんどなくなるほど削った。

詠唱による脳への負担も相まって、翔はすでに立っていることも限界だった。

全身は無理やり動かしているため、プルプルと小刻みに震え、一歩一歩噛み締めているかのようだった。

激しい光が消え、クロエと冷羅魏の存在は消えているため、すでに安心していいはずだった。

朝我やヴァンの存在も近づいている‥‥‥相良翔の戦いは終わったはずだ。

だが翔は、まだどこか安心できなかった。

それはルチアが今、物凄く心配そうな顔でこちらに駆け寄ってくるからだ。

翔はわからなかった。

どうして、そんなに必死で駆け寄ってくるのだろうか?

もう、大丈夫だと言うのに‥‥‥


――――――『死ね、――――――相良翔』


ルチアが駆け寄ってくる理由、それは背後から氷の槍を持って迫る――――――冷羅魏だった。

全ての力を使い果たした翔にとって背後から迫る気配に気づき、対応することはできなかった。


「‥‥‥」


もはや声も出なかった。

だが、助けを呼ぶような気持ちにもなれなかった。

ルチア=ダルクを守れた‥‥‥その事実だけで、翔の全てが終わったようなものだったのかもしれない。

死を恐る気持ちはすでに消えていたのかもしれない。

だからなのだろう‥‥‥気づけば体は動かず、冷羅魏の一撃を受け入れようとしていた。

この一撃を受ければ、確実に隙となってルチア達がとどめを刺してくれる。

そんな安堵感からだろう。

さぁ、俺を殺せ‥‥‥そう言っているようなものだった。



――――――『光の牙よ! 我が名に置いて全てが敵を喰らい尽くさん!!』



だが、相良翔に迫る氷の槍は突如、空から飛来した純白の光――――――魔力によって砕かれた。

その光景は、まるで白き牙によって噛み砕かれたかのよう。

これは紛れもなく、魔法使いによる力。

そしてそれは、相良翔の疲れ果てた心を立ち直らせる、希望の光だった。


「お兄ちゃん!」


だが、聞こえた声の主は相良翔の心を立ち直らせると同時に、衝撃の事実を与えた。


「なん、で‥‥‥嘘だろ‥‥‥」


茶髪のサイドポニーテールの髪にスクエア型のメガネをした少女。

白いワイシャツの上に青いカーディガンを着て、下は白と黒のストライプ柄の膝下まで丈のあるスカート。

そして魔法使いとしての武器である、白と黒のブーツ。

右は白い光の魔力を帯び、左は黒く闇の魔力を帯びていた。

世にも珍しい、相対する性質を使う特殊な魔法使い。

そしてその正体は、相良翔が守りたい、大切な存在の一人。


「お兄ちゃん。 もう、大丈夫だよ。 あとは、――――――私がお兄ちゃんを守るからッ!!」


護り、護られてきた存在――――――『護河 奈々』だった。 

 

第五話 兄妹・真実のソラ

「冷羅魏 氷華。 あなたを、――――――倒します!」


鋭い呼気と共に吐き出しながら、彼女は大地を力強く蹴る。

冷羅魏に接近し、間合いを詰めると左足‥‥‥黒いブーツは禍々しいオーラを放ちながら回し蹴りを放つ。


「ッ!」


その蹴りの速度は弾丸の速度を上回るほどで、冷羅魏は避けきれず脇腹に直撃して低空を飛ぶ。

彼女は追い打ちをかけるため、飛ばされている冷羅魏に向かって超速度で走り、迫る。


「はッ!」


覇気のある声と同時に彼女は全身をコマのように回転させて、遠心力を合わせた回し蹴りを再び放ち、冷羅魏は仰向けの状態で地面に叩きつけられるように地面にめり込んだ。

そして止めを刺そうと左足に魔力を込める。

魔力は右足に装備された魔法武器であるブーツを纏うと、禍々しい闇に変化した。

ルチア=ダルクと同種である、闇の力を。

その能力は、闇の持つ『破滅』‥‥‥つまり、この一撃を受ければ間違いなく闇に飲み込まれて倒される。

彼女はなんの|躊躇(ちゅうちょ)もなく、その足を冷羅魏の頭部に向けて放つ。


「させない‥‥‥」

「ッ!?」


だが、背後から聞こえた暗く静かな声に秘められた殺意に反応した彼女は、再び超速度でその場から離れて背後から迫った敵から距離を取る。

そこにいたのは、先ほどまでルチア=ダルクと戦っていた澄野クロエだった。

右手に影で生成された漆黒の鎌を持っていた。

恐らく先ほどの戦いでルチアの鎌をコピーしたのだろう。

冷羅魏も起き上がり、二人は彼女の方を向くと冷羅魏は驚いたように喋りだす。


「驚いたね‥‥‥まさか伏兵がいたなんて。 しかも中々強いじゃないか」

「‥‥‥」


冷羅魏は高笑いしながら喋る中、彼女は無言で二人を睨みつけていた。

もう一人の敵は井上静香と喜多川結衣が相手をしているから心配はしない。

この二人に集中して、必ず倒すと言う想いで彼女は立っていた。


「まさか純系魔法使いがこんなに多いなんて‥‥‥この町は面白い」

「‥‥‥」


彼女はそんな彼の言葉にも興味を示さず、両脚のブーツに魔力を込め始めた。

脳に流れる膨大な|魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせて魔法を発現させる。

そして弾丸をも上回る速度で走り出し、二人に迫る。

一歩一歩が放たれる前にも関わらず、踏み込まれた地面にはまるで爆発でも起こったかのような小さなクレーターが生まれる。

すでにそれだけの破壊力を秘めた一撃は、迫るごとに増していく。

そして左足にある黒いブーツに魔力が一気に集結して、全ての力を持った一撃となる。


「砕き飲み込め、破壊の|闇脚(あんきゃく)


冷羅魏とクロエの目の前で右足を軸に回転して強力な蹴り技を放つ。

闇の破壊を秘めた、漆黒のブーツは魔力によってその形状を『剣』のように変化させる。

 真実を纏い、虚空を切り裂く闇の剣――――――『漆黒斬る虚空の絶剣(エアモルデン・シュバルツ)』。

虚空を切り裂きながら漆黒の一撃がまず最初に冷羅魏に迫る。


「やらせない!」

「ッ!?」


だが冷羅魏を庇うように、クロエは影で作り出した鎌を手に持って魔力を纏い、彼女の一撃と真っ向勝負を仕掛けた。

すでに勢いをつけていた一撃は今更止めることもできず、彼女の攻撃はクロエとぶつかり合った。

――――――激しい火花と衝撃波が二人を中心に広がった。

鼓膜が破れんばかりの轟音、地割れが起こり大地が抉れるほどの衝撃、全身が麻痺するかのような振動が広い範囲に広がり、そして――――――


「はッ!!」

「ッ‥‥‥ぁ‥‥‥」


クロエの武器は一瞬にして細かい日々が入り、そのまま砕け散って消える。

そして今だ消えぬ力がそのまま、虚空を切り裂きながらクロエの左肩から右腰にかけて斜めに蹴り降ろされた。

その衝撃でクロエは低空を飛ばされる。

力を失った蹴りはそのまま地面にピタリとついて彼女は直立に姿勢を直し、クロエには目もくれず冷羅魏の方を向く。


「これで残りは冷羅魏だけだよ」

「流石だね。 まさかクロエを一撃で倒すなんて‥‥‥」


未だに余裕の笑を崩さない冷羅魏は何故か不意に、ルチア=ダルクの方をちらりと見た。

そして再びこちらを向くと、全身から白い煙――――――冷気を出して、全身を包みこむ。


「今日のところは退散させてもらう。 “面白いもの”も見れたしね」

「逃がさないッ!」


冷気に包まれる冷羅魏を逃がすまいと彼女は再び弾丸を超える速度で駆け出すと飛び蹴りを勢いよく放つ。

だが一歩遅かったようで、彼女の一撃は虚空を通り、地面に着地する。


「‥‥‥」


周囲を見回すが、クロエの姿も冷羅魏の姿も完全になくなっていた。

もう一人である不知火都姫もまた、姿を消している。

冷気が消える頃には、気配も何もかもが消えていた。

手傷は負わせたとはいえ、冷羅魏はほとんどダメージがなかったことから想定すると、恐らく遠くまで逃げきれているのだろう。

そう思った彼女は深追いをするのはやめ、魔法を解除して元の私服に戻す。


「‥‥‥ふぅ」


目を閉じて熱くなった体に冷たい冬の空気を深呼吸で取り込む。

全身の熱が徐々になくなっていくのが、心地よく感じる。

そして落ち着いた彼女は、たゆたう黒い瞳の少年の方を向いて、ゆっくりと歩いていく。


「奈々‥‥‥お前、どうして‥‥‥」


未だ状況を理解していないからか、それとも理解した上で納得していないのか、彼の言葉には震えが混じっていた。

彼をよく知る者として、恐らく後者なのだろうと思った彼女は今まで隠していたことへの罪悪感から声が出なかった。

彼の質問はわかっているのに、それに答えることが怖かったのだ。

それでも、答えなければいけない。

これまで彼を傷つけたことへの償いとして、そして‥‥‥これからそれを背負っていくために、向き合っていかなければいけないことなのだから――――――。



                  ***




相良翔は、目の前にいる彼女のことを誰よりも知っている――――――と思っていた。

中学に上がる頃からずっとそばで甘えていて、翔がいなければ何もできなかったような存在だったのが記憶にいる彼女だった。

でも本当は、色んな人からの期待を背負っていて、それに応えるために必死だった。

それに気づかなかったあの頃は、彼女を苦しめてしまった。

だからこの町にきて、今度は彼女を守れる存在になりたい‥‥‥そう思っていた。

だが、そんな彼女は今――――――命懸けで戦っていた。

少女は一人、どこか怯えた表情で義兄に向かって歩いてきた。


「お兄‥‥‥ちゃん」

「‥‥‥」


怯えているためか、その声は小さく無理に出しているように感じた。

それでも彼女が翔に話そうとしているのは、なぜその力を持っているのかと――――――この灯火町に来た本当の理由なのだ。

恐らく、真実を伝えることで翔が怒るかもしれない、嫌うかもしれない。

そんな不安が彼女を襲っていると言うことは、容易に想像がついた。


「‥‥‥皆、悪い。 俺と奈々の二人だけにしてくれないか?」


翔はそんな奈々を労って、ルチア達を離れた場所に行くようにと伝えた。

ここからは、相良翔と護河奈々と言う、二人の義兄妹の話しだからだ。

そしてそれを悟ったルチアは無言で頷くと、戦い終えた井上静香や朝我零達を連れて離れた場所に移動した。

そんな気遣いをしてくれたルチア達に感謝をしつつ、翔は再び奈々の方を向いて会話を始める。


「‥‥‥奈々。 俺が聞きたいこと‥‥‥分かってるよな?」

「うん‥‥‥分かってる」


できるだけ彼女を怯えさせないように、優しい声で質問していく。

そうでなければ、彼女は我慢していた恐怖を抑えきれなくなるからだ。

先ほどまで、激しくも美しい戦いを見せてくれた彼女だが、精神的な面ではまだ幼く、今のこの状況に耐えるのは難しい。

それを理解している翔は、できるだけ冷静に彼女と話しをしようとする。

それに対して奈々は、未だに震えを抑えきれない様子だったが、遂に決心したようで目を見開くと翔に全てを話した。


「私が魔法使いになったのは、お兄ちゃんがいなくなって一週間経たないくらい。 きっかけは多分、夢でお兄ちゃんが魔法使いになって戦っているのを視た事なんだと思う」

「俺が‥‥‥魔法使いになった夢」


それはつまり、転校初日に魔法使いとして覚醒した相良翔を夢で視たということ。

それはただの夢ではなく、正夢と言うのは何よりも驚くべきことだった。


「私も、もしかしたらできるんじゃないかって思って‥‥‥そしたら本当に使えたの。 それが私の魔法――――――『天駆ける天魔の靴(ベオウルフ・フリューゲル)』」


白と黒――――――天使と悪魔の両方の力を備えた魔法が、護河奈々の能力だった。

更に相良翔と同じ、極めて稀な魔法使い、『純系魔法使い』としての覚醒だった。

そしてここからは、魔法使いとして目覚めた奈々の物語だった。


「私はそのあと、魔法使いとしてあの場所をずっと守るために戦ってきたの。 お兄ちゃんが帰ってくる場所だから、私が守ろうって思って」

「なるほど。通りで奈々が強いわけだ」


相良翔は、ルチアから魔法に関して聞いたことがある。

魔法使いの力量は経験値と言うのも当然だが、他にも様々な要因があるとされている。

その中で能力上昇の一番の要因が――――――『魔法使いの意思』とされている。

意思の強さが魔法使いの質を上げる一番の要因とされていると説明されたことがあった。

そして護河奈々の強さもまた、その強い意思によるものが多かったのだろう。


「‥‥‥それじゃ、奈々がこの町に来た理由は?」

「‥‥‥ごめんなさい」


奈々は全てを話す前に、一度深々と頭を下げた。

その理由は当然、嘘をついたことだった。

この町に来た理由として奈々は相良翔を迎えに来るためと答えた。

だが、それにしてはアタッシュケースの大きさや着替えの量が多さはまるで引越しでもするかのようだった。

その不信感は最初からあったが、特に詮索することはなかった。

護河奈々が魔法使いであれば、その理由を予想するには苦労しない。


「お兄ちゃんがいるこの町で、危険な魔法使いが現れたって情報が私にも来たの。 だから私、お父さんとお母さんに、お兄ちゃんのところに行くっていう表面上の理由でこの町に来たの」

「‥‥‥だから冷羅魏達のことを知ってたのか」

「うん。 ごめんなさい、お兄ちゃんの迎えに行くってことも本心だった。 冷羅魏達を倒すか、お兄ちゃんを守って、あわよくばお兄ちゃんが私達のところに帰ってくればって思ったの」


きっと、それだけの決断を出すのに凄く迷ってきただろう。

この場所に来るまで、果てしない苦しみを味わってきただろう。

死に近いものを何度も体験して、それを何度も乗り越えてきた。

それは全て、義兄である相良翔のためだった。

全てを知った相良翔は、言葉にできない感情が溢れてきた。

そしてその想いを彼は、行動で表した。


「バカ‥‥‥バカだよ、お前は!」

「お兄ちゃん‥‥‥!?」


翔は奈々のそばに駆け寄ると、両腕いっぱいに彼女を抱きしめた。

そして右手で奈々の頭を撫でて、左手を背中に回して密着させる。

締め付けているかのように力強く抱きしめられた奈々は、困惑して硬直してしまう。

そんな彼女に、翔は言った。


「俺を守ってくれて、ありがとう。 お前は俺の、――――――自慢の妹だ」

「ぅ‥‥‥っく‥‥‥」


不意に、そんな声が、喉の奥から出てきた。

義兄が、初めて自分を義妹ではなく、妹として認めてくれた言葉。

あまりにも強烈な衝撃が心を襲い、翔の服を握り締めて、力強く抱きしめ返した。

ずっと聞きたかった言葉、ずっと感じたかった家族としての幸せ。

そして、ずっと取り戻したかった‥‥‥大切な温もり。

今まで一生懸命に戦ってきた、そのことが全て無駄ではなかったと実感できた。

相良翔が‥‥‥兄が、自分を自慢出来る存在であると言ってくれた。

そのことが何よりも嬉しくて、嬉しすぎて‥‥‥涙が止まらなかった。

せっかく褒めてもらえた、認めてもらえたのに、また不甲斐ない姿を見せてしまう。


「ありがとう‥‥‥ありがとう‥‥‥ありがとう‥‥‥」


そんな声が聞こえると、翔はより一層強く抱きしめてくれた。

更に、頭をずっと撫でてくれた。

何度もありがとうと言って、何度も頭を撫でてくれた。

奈々が泣き止むまでずっと‥‥‥ずっと‥‥‥。

義理の兄妹ではなく、本物の兄妹であるかのように‥‥‥ずっと‥‥‥ずっと――――――。



                  ***





‥‥‥戦いから、一週間が経過した...

冷羅魏氷華達は再び行方不明になったが、彼らが事件を発生させることもなく、ここ一週間は平和そのものだった。

それでも、まだ何かを企んでいるのではないのだろうかと警戒は解かれていない。

そんな中でも彼らは平凡な日常を過ごしていた。


「奈々。 行ってきます」

「うん。 行ってらっしゃい、お兄ちゃん!」


相良翔と護河奈々も、兄妹としての日々を過ごし始めた。

奈々は中学校の卒業式までの間、相良翔の家で過ごすこととなり、翔が学校でいない間は家事担当となっている。

とはいえ、実は料理が殺人レベルなため、料理だけはやらせなかった。

それ以外なら卒なくこなせるようになっていたので、翔はそれを任せた。


「武、春人、紗智。 おはよう」

「おう! おはよ~!」

「おはよう、翔」

「今日も寒いね、翔」


通学路の途中で、三人と待ち合わせをして、ともに学校へ向かう。

彼らとの仲も、兄妹の件を通して、確かなものへとなった。

ただ、最近はルチア=ダルクと少しギクシャクしている。

翔曰く、どこか避けられているらしい。

それでも決して仲が悪いわけではなく、翔にとって大切な存在であることは確かだ。

井上静香は、今回の戦いを通して、更なる鍛錬を積んでいるらしい。

そして今回の事件で再会を果たした、朝我零と皇海涼香の二人。

彼らもまた自分たちのパートナーと共に、別々の学校で事件の捜査をしている。

連絡先なんかを交換しあっているため、たまにメールや電話で会話をしている。


「それじゃ行こうか、みんな」

「おう!」

「ああ!」

「うん!」


そして翔たちは、変わりのない日々を過ごし出す。

いつかは終わりを迎えてしまう日々を、大切に‥‥‥大切に過ごしていく。

友と過ごす日常、仲間と戦う日々、家族と過ごす日々。

全てが気づけば、この灯火町で生まれていった。

それを実感しながら、相良翔はまた成長して、この場所で得た大切なものを守る決意を固めるのであった――――――。 

 

第一話 雨にふられて

――――――相良翔が灯火町に来て、三ヶ月が経過した。


冬の寒さは徐々に引いていき、コートを着て丁度いいくらいの気温が続いている。

起床するときに襲う睡魔や、毛布の暖かさと言う魔性のアイテムの攻撃は続いているが、何とかして起きることができているような日々が続いていた。

そんな今日この頃、相良翔は義妹の護河奈々との生活を楽しんでいる。

‥‥‥相良翔はこの日、いつものように学園に登校して教室に到着する。

今日は朝から奈々が朝食を作ろうとしていたので、それを全力で止めていたら時間がかかってしまったため、友人である三賀苗 武や桜乃 春人、七瀬 紗智と共に学校に行けなかったのだ。

遅刻ギリギリに教室に辿りついた翔はクラスメイトに挨拶をし、武達3人の所へ向かう。


「おはよう。 遅くなって悪かったな」


翔は反省を込めて頭を下げながらそう言うと、みんなは笑顔でおはようと返して言った。


「気にすんな。 どうせ妹のことで色々あったんだろ?」

「え‥‥‥あ、ああ。 そうだけど」


よく分かったな‥‥‥と、翔は内心で驚いた。

彼らはたった三ヶ月と言う間で、相良翔と言う存在のことを多く知り、彼の事情を察する能力が高くなっていた。

その理由は、この三ヶ月に色んな事が立て続けに起こったからだろう。

だがそれは全て、無駄なことではなく、相良翔にとって大きな価値があることだった。


「それよりも翔。 お前最近、ルチアと喧嘩でもしたか?」

「え?」


話題は変わり、相良翔の戦友にして友人兼クラスメイト(隣の席)のルチア=ダルクのことになった。

『喧嘩』と言う単語を、ルチア=ダルクに対して使うのは一体何度目なのだろうとこの四人は考えてしまうほど、相良翔とルチア=ダルクは喧嘩をする。

‥‥‥とはいえ、翔自身はいつの間にかルチアが怒っていたとしか言えないほどに、急に喧嘩になっている。

この三ヶ月で、武が翔にいつ喧嘩をしたんだ? と言う質問をした回数はかなり多い。

そして翔はその質問に対して、もう何度目になるだろうかと思うくらいの同じ答えを返す。


「わからない。 何故か最近、またルチアが俺と距離を置くようになってさ」

「「「はぁ‥‥‥」」」


翔の返答に3人はまるで練習でもしたかのように、同時にため息をする。

この一連の流れが気づけば恒例なものになっていた。


「まぁお前とルチアの喧嘩は毎度のことだから気にしないってことにしたいんだけどさ」

「‥‥‥?」


春人が苦虫を噛み潰したような顔をしながら頭を抱える。

何か困っているようにも見えるその口調に、何も理解できない翔は頭にはてなを浮かべることしかできなかった。

その理由を、一番事情を理解しているであろう少女、紗智が代弁する。


「実はさっきルチアちゃんに聞いたの。 翔と何かあった? って。 その時にルチアちゃん、顔を真っ赤にしてこっちを睨みつけてきたの」

「え‥‥‥」


今までの喧嘩でルチアは、そんな態度や表情をしたことはなかった。

基本的にポーカーフェイスを崩さないのがルチアのアイデンティティのようなもので、翔達もそれが普通だと理解している。

例え喧嘩をしたとしても、その感情を表情に出したりはしない‥‥‥ルチアと言うのはそう言う人だとずっと思っていた。

だが、今回の件に関しては今までとは全く異なるルチアがそこにいた。


「なんでだろう‥‥‥今回はいつもよりも分からないな」


そしてそれを、世間知らずの翔が知るわけもなかった。

孤児院にいたころ、喧嘩は日常茶飯事だったが、その頃はなんでもかんでも殴り合いでどうにかしていた。

この前の事件で再会を果たした親友、『朝我 零』と義姉『皇海 涼香』がその例だ。

朝我とは小さなことで殴り合いを繰り返していた。

涼香とは喧嘩はなかったものの、言い争いをした記憶がある。

だがそれは昔の話しであり、今は事情が違う。

ルチアの事情はどうやっても、翔には理解できない。

なぜなら、ルチアと言う存在は今まで喧嘩してきた人とは異なるからだ。

彼女は感情、本音を一切表に出さないタイプで、何が好きで何が嫌いなのかを察することができない。

喧嘩をしても、なぜ怒るのかが全く分からない。

今までの喧嘩は、気づけば解消されていたが、どれもこれも理由はわからないままだった。

そして今回、ルチアが感情を表に出すほどに怒っていること、それは今まで以上に大きな問題なのだろうと言う想像はできた。


「‥‥‥翔」

「なんだ?」


すると紗智は、今までにないくらい真剣な表情になる。

そして翔の瞳を覗き込むようにして言った。


「これは多分、私達が関わっていいことじゃないと思う。 だから翔が気づくしかないんだと思う」

「紗智‥‥‥」


今までにないくらいにその言葉は力強く、そして翔に深く突き刺さるものだった。

気づかないといけないことがあり、それは他の誰にも聞いていいことではなく、自分自身で気づくしかない。

それが今の翔のやるべきことだった。


「分かった」


こうして相良翔はまた一つ、新たな試練に立ち向かうこととなるのだった。


「‥‥‥そう言えば、今日の午後は雨だったな」


翔は窓の外‥‥‥青空から徐々に生まれる、灰色の雲を見てそう思ったのだった――――――。


                 ***


――――――一方、ルチア=ダルクは複雑な感情を抱く日々が続いていた。

相良翔がこの灯火町に来て、ルチアと出会って早三ヶ月‥‥‥この三ヶ月で二人の関係は劇的に変わった気がする。

最初はただの同級生であり、それ以上でもそれ以下でもない関係になるだろうと思っていた。

だが、魔法使いとして彼と戦うことになり、様々な事件で彼と戦っていったことでそれ以上の関係となってしまった。

更に不思議なことに、彼と出会ってからルチアは退屈な時間というものを感じることが少なくなっていた。

クラスで友人を作り、魔法使いとしての戦いも戦友ができた。

その全てが相良翔と言うたった一人の存在によるものだった。

誰よりも強く、誰よりも優しく、そして‥‥‥誰よりも辛い過去を持ち、それを背負って生きていると言う、そんな現代には珍しい少年の存在が、ルチア=ダルクの日常を変えたのだ。

だが、更に不思議なことがある。

彼はいつも誰かのために必死で、自分のことは気にしない。

誰かを守れれば良い‥‥‥そんな生き方をしている。

それは、戦いにも現れている。

この前の冷羅魏達の一件でルチアは二対一と言う不利な状況に追い込まれた時、翔は自らの全魔力を使ってそれを阻止した。

魔力が無くなるなれば、自分の身だってただでは済まないことを承知の上で、そんな無謀なことをしたのだ。

別に自分が死んでもいいなんて考えてはいないだろうが、少なくとも彼は自分の事よりも仲間を優先していた。

そんな彼に、最近はイライラする。

それは当然、彼が自分を大切にできていないからだ。

無茶して、下手をすれば死んでしまうようなことを、彼はいつもしてしまう。

過去に一度、かなりの無茶をして倒れかけたことがあるというのに、彼は未だにそれをやめようとはしないのだ。

ルチアは、彼に生きて欲しいと強く思っている。

もっと自分を大切にして欲しいと思っている。

なぜならそれは――――――!?


「な、何考えてるのかしら‥‥‥私は」


今、自分はなんて恥ずかしいことを思ったのだろうかと羞恥で顔を真っ赤にさせてしまう。

全身からぶあっと熱と汗が溢れ出てくる。

こんな気持ちにさせられては、どうすればいいのか全く分からない。

それもこれも全て、彼‥‥‥相良翔のせいなのだ。


「全く‥‥‥」


ボソッと、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。

今は四時間目の授業、国語の授業だ。

国語の教師が詩を読んで、生徒たちはそれを聴いている‥‥‥一部生徒からすれば睡魔がどっと襲い来る時間である。

ルチアはその間、肘を机につけて手のひらで顔を支えながら窓の外、ソラを眺めていた。

授業をサボりたいわけではないが、今は授業を受ける気分ではない。

その理由は当然、隣の席でこちらをチラチラと見てくる彼、相良翔がいるからだ。

何を考えているのか不明だが、なぜかこちらをチラ見してきて不愉快だった。

そしてそれが気になって授業に集中できないため、気を紛らわすためにソラを眺めていた。


「(全く‥‥‥何を考えてるのか、ほんとに分からないわ)」


彼が何を考え、何を思ってこちらを見るのか‥‥‥それが好意であるのなら、少なくとも幸福に思うべきだろう。

だが、ルチアの知る限り、彼はそう言う意味で人と接することはないだろう。

つまり、儚き期待なのだ。


「(私も、何を考えてるのかしら)」


期待なんて意味がないのは分かってるにもかかわらず、期待をしてしまう自分がいて、またそれを否定する自分がいた。

そんな不毛なことをするなんて、自分らしくない。

いつからそんなふうになってしまったのだろうか‥‥‥いや、原因はわかっている。

それもこれも、全てが全て、相良翔のせいなのだ。


「‥‥‥何よ?」

「っ!?」


我慢の限界を感じたルチアは覚悟を決め、小さな声で翔の方を向いてそう聞くと、翔はビクッ! と驚きながらルチアから目を逸らした。

そしてそのままずっと、彼は何も答えずに時間だけが過ぎていった。


「(‥‥‥ほんと、なんだって言うのよ)」


結局ルチアは、彼が気になって仕方なかったのだった――――――。


                 ***


「た、確かにそれは‥‥‥気になるかも」

「でしょ?」


お昼休み、ルチアは購買で購入できるサンドイッチを口に運び、牛乳で流し飲みながら同級生で唯一の女子友達である七瀬 紗智に先ほどのことを相談していた。

紗智もサンドイッチを食べながら、苦笑いしていた。

やはり相良翔の行動は異常だった。

彼がなぜそんなことをするのか、分からなかったルチアは紗智に相談をしたのだ。

すると紗智は軽くため息をつくと、心に思っていたことをポロっとはき出す。


「はぁ‥‥‥不器用なんだから」

「え?」


その言葉は一体、誰に向けたものなのだろうか‥‥‥それは恐らく、相良翔へだ。

つまり紗智は、事情を知っている。


「紗智さん、教えて。 翔がなぜあんなことをするのか」

「‥‥‥それは」


紗智は真剣な表情でルチアを見つめると、はっきりとした声で言った。


「それは、私が答えていいことじゃないの。 間違いなくそれは、――――――二人の問題だから」

「紗智‥‥‥さん?」


初めて見た彼女の、真剣な眼差しは優しくて、そして――――――悔しそうだった。


「私達ができることなんてないよ。 ルチアちゃんと翔が出さないといけない答えだから」


そう言うと紗智は立ち上がり、再び校内に戻った。

置いていかれたルチアは一人、空を見上げて一人静かに考えた。

紗智が放った言葉‥‥‥そこに込められた想いが、ルチアに伝わってきた。

彼女もまた、何かに思い悩んでいたのだ。

そしてその何かとはきっと、今のルチアが悩んでいることと同じことで、彼女はルチアよりも先に答えを出したのだ。

そして先ほどの答えが、紗智の答えなのだろう。


「“紗智”――――――ありがとう」


答えはまだ出ない。

けれど、自分が何をするべきなのかを理解した。

それは、友達以上に――――――大切な親友である、紗智の想いを無駄にさせないために。

紗智が自分の想いを犠牲にして伝えた言葉を、絶対に無駄にさせない。

そう決意してルチアはお昼休みが終わるのだった――――――。


                ***

「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥」


息が乱れ、脇腹が痛く、いつもより多めに空気を吸い込む。

そして落ち着くと、ゆっくりと歩き出す。

放課後、紗智は一人で帰っていた。

武や翔達にはバレないように、走っていた。

あまり運動が得意ではない紗智だが、今日は体力の限界まで使ってここまで走った。

今は、一人にして欲しかったのだ。

なぜなら今は、――――――感情が抑えられないからだ。

先程までずっと溜め込んできた感情、想いを、抑えきれないからだ。


「‥‥‥っぅ‥‥‥ぁ‥‥‥」


そして紗智は一人、灯火町の南部にある人気(ひとけ)のない山あいの頂上で、その溜まりに溜まった感情を解き放った。


「ああああああああああああッ!!!」


胸が締め付けられるように痛い。

喉が貫かれたように痛い。

頭が破裂するかのように痛い。

肺に溜まった酸素全てを使って放ったあと、もう一度大きく息を吸って、再びはき出す。

瞳から雫が溢れているが、そんなことは気にしない。

きっと今、顔は紅く、涙でぐしゃぐしゃだろう。

口の中は僅かに、血の風味がした。

だけど、そんなことは気にしなかった。

今はただ、この溜まりに溜まった想いを吐き出したかった。


「あああああああああああッ!!!!」


この想いが全て、この身体(からだ)から無くなるまで‥‥‥彼女はずっと、叫び続けていた。


――――――「こんなところで、何してんだ?」

「ッ!?」


その時、背後から足音と同時に一人の男子の声が聞こえた。

聞き覚えがあるその声に紗智は叫ぶのをやめ、情景反射で振り向いた。


「武‥‥‥」

「よッ!」


いつもと変わらない明るく、元気な挨拶が紗智の耳に響く。

なぜ彼がここにいるのか? その理由は彼はすぐに答えた。


「雨が降りそうだ。 お前、どうせ傘なんて持ってないだろうからさ」


そう言うと武は、右手にもったビニール傘を紗智に見せる。

そして空を見上げると、ソラは曇天に染まっていた。

冬の寒さが相まって、今まで以上に寒く感じる。

そして気づくと、雨はポツポツと降り始めた。


「おっと‥‥‥」


武は傘を開けながら紗智の左隣に向かう。

そして紗智を傘の中に入れると、苦笑いしながら言った。


「雨が強くなる前に、帰るぞ」


そう言って武は静かに歩きだそうとした。

‥‥‥だが、その歩みは止められる。

なぜなら、紗智が武の制服の裾を摘んで立ち止まるからだ。


「‥‥‥紗智?」

「ごめん‥‥‥ね」

「‥‥‥」


武は、何も言えなかった。

こんなにズタボロの彼女を初めて見た彼は、なんと言えばいいのか分からなかったのだ。

だが、反射的に右手が紗智の頭の上に伸びた。


「あ‥‥‥」

「‥‥‥悪い。 俺には、こんくらいのことしかできねぇからさ」


そう言って武は無言で、彼女の頭を撫で続けた。

そのせいで、彼女が再び堪えていた感情を出してしまうのを、理解しておきながら。

そして感情を出した紗智は、武の手を振り払って力いっぱいに、彼を抱きしめた。

武の胸に顔を埋め、両腕を背に回した。

あまりの急なことに驚いた武は不覚にも傘を落としてしまう。

拾いたいが、彼女が離れてくれないため、雨に打たれるしかなかった。

抵抗しようにも、今の彼女を振り払うことができない。

そうこうしているうちに、雨は強くなる。

制服はすぐにずぶ濡れになってしまう。

だが、紗智の体温が伝わってくるため、寒さは感じなかった。

そして武は、紗智に聞いた。

なぜここで叫び、泣いたのかを。

理由は知っていても、聞かずにはいられなかった。


「‥‥‥翔のこと、好きだったんだな」

「うん‥‥‥」


驚くほど素直に頷いた。

今まで、内向的な人間だとばかり思っていた紗智は、相良翔と言う存在への想いだけは隠しきれなかった。

そして紗智は恐らく、翔にフラレたのだ。

いや、告白してフラレたわけではないはずだ。

恐らく紗智は‥‥‥諦めたのだろう。


「好きだった‥‥‥大好きだった‥‥‥だけど、私じゃ‥‥‥ダメなの」

「紗智‥‥‥」

「私と翔は‥‥‥全然違う世界にいて、私は全然届かなくて‥‥‥だから、ダメなの」


紗智の身体が、小刻みに震える。

紗智の顔がついた胸のあたりは、彼女の涙で熱かった。

それだけ、彼女は辛かったのだ。

諦めざるを得なかった程の高い壁と、計り知れない距離。

そう。 相良翔と言う存在とは釣り合わないと理解し、納得してしまったのだ。


「私‥‥‥悔しいよ。 でも、私じゃ翔を幸せにできない‥‥‥だから‥‥‥だから‥‥‥私‥‥‥私ぃ――――――ッ!?」

「もういい。 もう、十分だ」


武はゆっくり、そしてしっかりと、紗智を抱きしめ返した。

互いの肌が密着し合い、熱を帯びる。

互いの想いが伝わり合う感覚、そして‥‥‥切ないと思ってしまう心。


「お前はもう、十分頑張った。 お疲れ様、―――紗智」

「う‥‥‥あああ‥‥‥あああああッ!!」

「‥‥‥」


そして紗智はずっと泣き叫び続け、武はそれを受け止め続けた。

いつまでも‥‥‥いつまでも‥‥‥降り続く雨の中、いつまでも‥‥‥いつまでも――――――。 

 

第二話 桜女帝の意地

《PM12:00》

この日のお昼休みは、いつもより静かだった。

笑顔には力がなく、声にも覇気がなかった。

教室で昼食を食べる相良翔は同級生にして友人の桜乃春人と席を向かい合わせに重ねて食事を摂っていた。


「なんか、落ち着くような、落ち着かないようなだな」

「ああ。 全くだな」


互いの顔を見合い、微笑混じりに紙パックの牛乳にストローを刺してズコーっと吸い込む。

口に含んだ食材が柔らかくなり、喉のとおりをよくする。

飲み込んだところで翔はため息をしながら言った。


「まさか武と紗智が風邪なんてな」


そう。 この日、三賀苗 武と七瀬 紗智の二人は風邪で欠席している。

昨日までは元気だったあの二人が休んだことに、クラスのみんなも驚いていた。

当然、翔や春人は何も聞いていなかったこともあって驚きを隠しきれなかった。

その上、ルチアとも最近は疎遠なため、昼食には参加していない。

そのため今日は翔と春人の二人だけとなっていた。


「それにしても、俺と翔だけっていうのは初めてだな」

「あ‥‥‥確かに言われてみれば」


春人の立ち位置と言えば、暴走する武のツッコミ、内気な紗智の支えと言うイメージで、普段から彼らといる存在だった。

だから春人のそばには必ず誰かがいた。

今日という日は極めて珍しかったのだ。


「まぁとにもかくにも、今日は二人のお見舞い決定だな」

「だな。 後で二人の好きなものでも買いに行くとしよう」


翔の提案に春人は力強く頷き、一気に牛乳を飲み干すと、話題を変えて翔に言った。


「そんじゃ翔。 食い終わったことだし、ちょっと手伝ってくれ」

「え?」


丁度翔も食後のため、特に否定もせずに頷くと、教室を出る春人を少し駆け足で追いかけた――――――。


                 ***


春人に連れられ、翔が辿りついたのはもはやおなじみとなっていた生徒会室だった。

もう何度目だろうと内心で思いながら春人に疑問をぶつける。


「お前、生徒会の人だったっけ?」

「いや、別の委員会に所属してるんだけど、その活動の中で生徒会室にはよく足を運ぶんだ」


初めて知ったことだった。

そして、翔は何も知らないのだなと今一度知らされた気がした。

友人が何に所属しているのか、そんなことも知らなかったのだ。


「今日はちょっと会長に手伝いに来てくれって言われてたから、人手が欲しくてな。 翔なら適任だと思ったから」

「なるほど‥‥‥了解」


春人の推薦とあらば断ることもできず、翔は快く受け入れた。

そして二人が生徒会室に入ると、畳の上に座布団を敷いて正座で座る我らが生徒会長、井上 静香がこちらを向いて笑顔で迎えてくれた。


「待ってましたよ。 やはり、翔さんが来ましたから」

「はい。 微力ながら手伝いに来ました」


そう言って翔と春人は入口のそばに置いてあった座布団を一枚もって静香と同じように正座になる。

どうやら手伝いとは書類整理のようだ。

これも生徒会の仕事だが、卒業シーズンが近づくと卒業祝いやらなんやらで問題が多いため、生徒会の仕事が増えるらしい。

そんなわけで翔と春人はペンと印鑑を用意してもらい、静香の指示に従いながら書類整理を行っていく。


「翔さん。 そこは計算が合いませんよ?」

「え‥‥‥あ、ほんとだ。 すぐに直します」

「はい。 では直しついでにこちらのミスの修正もお願いしますね」

「あ‥‥‥は、はい」


初めての書類整理は、会計作業が主となっていた。

決して計算が苦手というわけではないにも関わらず、些細なミスが多くあり、静香に指摘され続けていた。

四苦八苦しながらも春人や静香は丁寧かつハイペースで書き進めていた。


「春人がこういうの得意なのは知らなかったな‥‥‥」

「おいおい、武といるからって俺がバカみたいな理解はやめてくれないか?」

「悪い悪い、武がいるからついな」


翔はクスクスと笑いながらそう言うと不満そうに頬をぷくっと膨らませる。

その光景に静香はお淑やかに微笑むと、書類を全て書き終えてほっと一息ついた。


「さて、そちらも手伝いますよ」

「それじゃお願い」


春人はそう言って、まだ手をつけていない書類の半分を渡す。

それに便乗して翔もそっと書類の半分を手渡そうとする。


「翔さんはもう少し頑張りましょうね」

「‥‥‥はい」

「ぷっ!」

「わ、笑うなよ‥‥‥」


見事に断られた翔はガクッと本気で落ち込み、それを見た二人はつい堪えきれずに笑ってしまう。

笑われてしまったことで更に落ち込むと、二人は笑いながら肩をポンポンと叩いた。

‥‥‥結局、落ち込む一人と笑う二人は順調に作業を続け、お昼休み終了までには全ての書類整理を終わらせることができた。


「お二人とも、ありがとうございました」

「構わないさ。 どうせ今日は暇だったんだしな」

「ああ。 ほんとに暇だったので」


春人の言葉は事実だった。

いつものメンバーと呼べる、武と紗智、そしてルチアがいない今日はあまりにも退屈だった。

騒がしいと言ってもいいくらいに賑やかだった日々がいきなり静かになると逆に物足りなくなり、寂しさを感じてしまう。

何かしたくて、もどかしい気持ちがあった。

だから生徒会の仕事を手伝うと言うことは、わずかでも気晴らしになった。


「また何かあったら呼んでください。 いつでも力になります」

「はい。 ありがとうございます」


翔はそう言うと、春人が先に生徒会室のドアを開けて廊下にでる。

彼は今日、日直を担当しているため、次の授業の用意があるらしい。

そして生徒会室は翔と静香だけの空間となった。


「翔さん。 放課後、お話しがあるので出来ればここに来ていただきたいんですがよろしいですか?」

「あ‥‥‥はい」


静香の瞳を見て、翔はすぐにその話しの内容がとても重要な内容であると悟った。

翔の予想としては当然、魔法使いに関すること。

今この場で全てを明かさないのは静香のよくすることで、その理由は学業に気持ちがいかない可能性があるからだ。

だがそれでは、普段から魔法使いの情報を聴く静香は凄い人だと思わずにはいられない。

成績トップ、生徒会長、そして魔法使い。

この三つを両立できる彼女は、本当に凄い。

‥‥‥だが、その分の責務への疲れがあるだろう。

翔も過去に我武者羅と言える程に忙しい日々を過ごしていたからこそ、静香の気持ちがわかるのだ。

痛みに耐えるしかない日々は、とても辛かった。

だけど自分の立場を考えたらそんなことは言ってられなくて、ただひたすらに耐えるしかなかった。

そんな自分と静香は、よく似ている。


「‥‥‥お疲れ様です」

「え?」

「それじゃ俺はこれで失礼します。 このあとも頑張ってください、“静香さん”」


そう言い残して、翔は静香に一礼して生徒会室をあとにした。

その後ろ姿を見つめる静香は一人、左胸‥‥‥心臓の方をギュッと握り締める。


「‥‥‥なんで」


静香は誰もいない生徒会室で、心に秘めたその本音を零す。

暖房で暖まっているはずの空間で彼女は一人、まるで極寒の世界にいるかのように震えていた。

そして声はか細くなり、この学園で‥‥‥いや、この世界で誰も知らないであろう、彼女の弱々しい心の本音が僅かに溢れる。


「なん、で‥‥‥なんで、あなたは‥‥‥いつもそうやって‥‥‥っ」


そこから先の言葉は出なかった。

そして言葉の変わりに涙が流れ、その場でガクッと膝をついた。

両手で顔を隠すように抑え、誰にも聞こえないように声を押し殺して泣いた。

誰も知らない、誰にも見せない‥‥‥女帝の涙だった――――――。


                  ***


《PM16:20》

放課後、桜乃春人は一人、夕焼けに染まる学園の屋上にいた。

たった一人、誰かを待つためにそこにいた。

その待ち人が来るまでの間、春人は武と紗智のことを考えていた。

なぜ二人が風邪で休んだのか?

それは間違いなく、昨日降った雨に打たれたからだ。

だが武は傘を持ち歩いていた‥‥‥ならば濡れるわけがない。

だけど彼は風邪をひいた。

何故と考えていると、昨日の紗智の態度‥‥‥そこに思い当たる節があった。

――――――紗智は昨日、どこか辛い表情をしていた。

翔とルチアを見て、そして話題に出すと、とても辛そうな表情をした。

何故かなんて、そんなの幼馴染であるからこそ察することができた。

彼女は‥‥‥七瀬紗智は、相良翔のことが好きだったのだ。

そしてルチアと翔の関係を見て、自分には到底及ばないのだと言う現実を叩きつけられて、泣いていたのだろう。

昨日、二人が雨に打たれたのは恐らく、どこかで泣いてる紗智のもとに武が来て、共に雨に打たれてしまったのだろう。


「‥‥‥出来れば紗智には、幸せになって欲しかったけどな」


紗智は、どこか人を避けるくせがあった。

人とは無意識に距離を置いてしまう。

そのくせに、寂しがり屋で一人でいることを嫌がってしまう。

そんな困った人だった。

だが紗智は、相良翔に対しては自分の想いのために全力だった。

不器用な彼女だけど、不器用なりに必死に頑張っていた。

そんな彼女を武と春人は心から応援していた。

‥‥‥それでも、彼女の想いが翔に届くことはなかった。

なのに、紗智は優しかった。

諦めたからこそ、まだその想いに気づいていない翔とルチアに言葉をかけた。

諦めた者だからこそ、挫折を味わい、敗北を味わった者だからこその言葉をかけた。

紗智の、最後の想い‥‥‥それは、翔とルチアが本当の気持ちに気づいてくれること。


「そうだよな、紗智」


きっと今もまだ、涙を流している紗智に向けて、春人はそう聞いた。

誰も答えてくれない。

けれどそれは、届いている気がした。

そんなことを思っていると、屋上の扉が開く音が聞こえた。

待ち人が来たのだ。


「いきなり呼んで悪かったな」

「いえ、特に用事はなかったから別に構わないわ。 それで、用件って?」


透き通った女性の声が春人の耳を貫く。

黒く綺麗な髪を靡かせ、ながらこちらに歩み寄るのは、今まさに考えていた人。

待ち人の正体は、ルチア=ダルクだった。


「単刀直入に、聞きたいことがあるんだ」

「なに?」


春人はすっと息を吸うと、吐き出すと同時にはっきりとした声で言った。


「ルチアは翔のこと、――――――好きなんじゃないのか?」

「え――――――ッ!?」


それは、核心に迫る質問だった。

なんの前置きもなく、茶番もなく、文字通り単刀直入の質問だった。

当然、ルチアは一瞬にして顔を紅潮させて春人をありえないものを見ているかのような、驚愕した目で見る。

口をパクパクさせているところを見ると、どうやら混乱しているようだ。

だが、春人は止まらなかった。


「お前たちを見ていると、焦れったいんだよ。 いつまでたっても気づかない、気づかないくせに嫉妬してすれ違って、喧嘩してさ。 そんなお前たちのせいで、誰かが傷ついてるってことに‥‥‥いい加減気づけよ!」

「ッ!?」


春人の言葉は、怒りが混じっていた。

そのせいで声は高ぶり、威圧感のあるものだった。

ルチアは気圧され、怯えながら返事をするしかなかった。


「それは‥‥‥その‥‥‥」

「気づかないわけないだろ? 悪いけど、俺たちはとっくにお前の気持ちには気づいてた。 今まで言わなかったのは、紗智の意思だ」

「紗智の?」

「‥‥‥いい加減、自分の想いに素直になれよ」


そう言うと春人は軽くため息をついて落ち着かせる。

短い間、終わるとゆっくりとルチアが答えた。


「‥‥‥出来るわけ、ないじゃない!」

「なんで‥‥‥」


次に本音をこぼしたのは、ルチアだった。

利き手である左手で胸を締め付け、痛烈なまでの想いをぶつけた。


「彼は、ずっと一人で耐えて生きてきた! 一人でなんでもできるように頑張ってきた、苦しんできた! ここに来る前から、何度も苦しんできた。 ここに来てからも、何度も傷ついた! それなのに彼は私達を守ってくれた、助けてくれた! そんな彼に、私は何もできない! 想いを伝えられないのよ!」

「ルチア‥‥‥」


ルチアは恐らく、春人達の中で一番よく相良翔を知っている。

彼の過去も、過去の苦しみも、彼の絶望も、彼の痛みも‥‥‥。

知ってしまっているからこそ、その距離の遠さ、その壁の厚さがはっきりと見えてしまう。

そして感じてしまう、彼と自分の間にある様々な過去や葛藤。

全てを理解すればするほど、彼が離れていく。


「私のこの想いは、嘘でなきゃダメなのよ。 だってこの想いを伝えたら、彼がの今までを壊してしまうかもしれない、無駄にしてしまうかもしれない! だったら私は‥‥‥私は‥‥‥」

「‥‥‥分かった」


春人は無言で頷いた。

全てを理解したわけではない、全てを納得したわけではない。

だけど、ここで話すべきことはここまでだろう。

春人自身が聞くべきことは十分聞いたのだ。

残りを聞くべき相手は、春人ではない。


「じゃぁ俺は帰る。 聞きたいことは聞いた。 武と紗智のお見舞いに行かなきゃなんないからな」


そう言って春人は少し足早に屋上を去った。

去り際、ルチアの肩をポンと叩いて言った。

そしてその言葉は、彼女にとって一生忘れられないものとなるだろう。


「間違えるなよ。 失ってからじゃ遅いんだからな」


屋上のドアは閉められ、残されたルチアは一人、薄暗く染まっていくソラを眺めていた。


「‥‥‥届かない‥‥‥わね」


ルチアはその両手を、ソラに向けて伸ばす。

届くはずのないその両手は、空虚の中で寂しそうにしていた。

願い、想い、全てが届かず、ただ無情のソラは黒く染まっていくのだった――――――。


                  ***


――――――少し時は遡り、春人が屋上に向かっている頃。

相良翔は生徒会室を訪れていた。


「会長。 いますか?」


ノックをして、会長である井上静香の応答を待つ。

‥‥‥だが、10秒程待っても返答は何一つなかった。

まだ来ていないのだろうか? と思ったが、よく見ると生徒会室の中は電気がついていた。

それは、ドアの上がガラスとなっており、そこが光っていたからだ。


「‥‥‥失礼します」


そう言ってドアノブに手をかけると、ドアノブは何の抵抗もなくひねることができた。

鍵の締め忘れを静香がするわけもなく、恐らく中にいるのだろうと思った翔はゆっくりとそのドアを開けた。


「‥‥‥あ」


ドアを開け、生徒会室に入った翔は驚き、小さく声を漏らした。

そこにいたのは、子供のように丸く踞って眠っている、井上静香だった。

無防備で、隙だらけのその姿と、可愛いと思ってしまうまでの寝息は今までの皆がしる井上静香と言うイメージとはかけ離れているものだった。


「‥‥‥やっぱり、疲れてたんだな」


翔が生徒会室を訪れた理由、それはお昼休み、静香の表情が少し疲れていたからだ。

‥‥‥いや、少しに見えたのは恐らく彼女の意地だろう。

翔と春人に、自分の弱いところを見せまいとする彼女の意地。

ほんとに彼女らしいなと、翔はつい頬を緩めてしまう。


「だから、辛いなら相談すればいいのに」


そう言うと翔はブレザーを脱ぐと、毛布替わりに静香の身体にそっと乗せてあげる。

今の今まで着ていたから、それなりに温もりがあるだろうと内心思いつつ、翔は静香のそばで正座をする。

そしてほんとに無防備な彼女の顔を見つめる。


「こうして見ると、やっぱり普通の女性なんだよな‥‥‥」


ふと、この学園で最初に声をかけてきた井上静香のことを思い出した。

あの頃の翔は、迷いだらけだった。

この先、どう生きていくのか、将来はどの道に進むのか‥‥‥。

迷いの中でこの町に来た。

そんな日に、翔は井上静香と言う女性に出会った。

彼女は翔の中でとても輝いている人だった。

誰よりも優しく、誰よしも厳しく、誰よりも誠実で、誰よりも謙虚で、誰よりも努力家で、誰よりも将来のために必死で、誰よりも意地っ張りで‥‥‥

そんな彼女は、いつしか翔の目指すべき存在、目標になっていた。

‥‥‥だが、ある日からその考えに変化が生じた。

それは、護河奈々との再会と過去との和解だった。

相良翔は護河奈々と再会することで、自分の過去を改めて再確認した。

自分がどれほど無謀で、危険な生き方をしていたのか。

そして自分はどれだけ弱く、愚かだったのかを。

それらを理解していくうちに、周囲の人々の捉え方が変わった。

井上静香‥‥‥彼女は当初、目標である存在だった。

だが現在、彼女は翔にとっては心配な存在になっていた。

誰よりも必死に努力する人は、それだけ自分を追い詰めなければいけない。

そしてそれは、自分自身を崩壊させる可能性が生まれてしまう。

事実、翔は過去に失敗をした。

自分のため、家族のためと思って我武者羅に努力をして、そして失敗した。

この灯火町にいる原因だって、自分の失敗があってのことだ。

そんな失敗さえなければこんなに傷つくことも、傷つけることもなかったのだ。

今の井上静香は、その頃の翔と似てるのだ。

そして下手をすれば、同じ道を歩むことになる。

翔は気づくと、自分と静香を重ねてみていた。

だからこそ、心配にもなるし、支えてあげたいと思ってしまう。


「‥‥‥でも、俺もあんまり人には相談してないけどな」


自嘲的な笑みを零しながらそう呟くと、眠っていたはずの静香の口が動き出した。


「‥‥‥ほんと、ですよ」

「すみません。 起こしちゃいましたか?」


そう聞くと静香はゆっくりと上半身を起こし、正座の姿勢になって答える。


「いえいえ。 それよりも、お恥ずかしいところをお見せしましたね。 おまけにブレザーまで」

「いえ、奈々に‥‥‥妹に、よくやってたことですから」


そう言って翔は静香からブレザーを返してもらうと、再び着なおすとはにかんで言った。


「可愛かったですよ。 静香さんの寝顔」

「っ‥‥‥そ、そんなことは‥‥‥」


頬を赤らめ、ゴニョゴニョと口籠る静香だが、すぐにいつもの凛とした表情になると翔に言った。


「それよりも、あなたには割れたくなかったですね。 あなただって、私達には何も相談してはくれないじゃないですか?」

「ま、まぁ‥‥‥そうなんですけど」

「けど?」

「‥‥‥すみません」


言葉が続かない翔は素直に謝ると、静香は少し怒ったような表情で翔に言った。


「誰になら相談できるんですか? 私、あなたの先輩なんですよ? 魔法使いの中でも、学園でも、私は皆さんより年上なんですよ? そんな私でも、頼りになりませんか?」

「し、静香さん!?」


急に詰め寄ってきた静香に、翔は驚きのあまり、どきっとしてしまう。

だがすぐに静香も冷静を取り戻し、羞恥のあまり即座に翔から離れる。


「‥‥‥」

「‥‥‥」


なんとも言えない空気が広がる。

しばらくの静寂の間、静香は自分の想いを解き放ってしまいそうで苦しかった。

彼を相手にしてしまうと、つい感情が高ぶってしまう。

いつもの自分ではなくなってしまう。

そして今も‥‥‥この想いを伝えてしまいそうだった。

心臓は今までにないくらいに弾み、呼吸も僅かに乱れる。

体温が急激に上昇していき、軽く目眩がする。


「‥‥‥静香さん」

「は、はい!?」

「‥‥‥大丈夫ですか?」

「は、はい。 大丈夫です。 それよりも、なんですか?」


不意に声をかけられたために、高い声が出てしまった。

取り敢えず落ち着いた静香を確認すると翔は真剣な表情で言った。


「俺は静香さんのこと、とても尊敬してます。 憧れてますし、心から慕ってます。 きっとそれは俺だけじゃない、この学園のみんながそう思ってます。 だから皆はあなたに頼ります。 だけど、俺は逆に、あなたに頼ってもらいたい。 あなたは俺からみたら、心配で仕方ないんです」

「‥‥‥また、そうやって」

「え?」


そして、静香の心はもう限界に達していた。

今まで耐え続けていた想いを、この場で解き放ってしまった。


「そうやって、また何度も‥‥‥私を惚れさせるんですね」

「え‥‥‥え‥‥‥」


今、この人はなんて言った?

翔の中で何度もリプレイされる。

何が起こったのか、さっぱり理解できない。

今の一言はそれだけの威力があったのだ。


「だから、私はあなたのことが、好きなんです。 前からずっと、あなたが私のことを思ってくれることが嬉しくて、だから次第に惚れてしまいました」

「そんな‥‥‥」


翔にとっての高嶺の花、されど触れてはいけない高貴な花。

そんな存在が、自分の好意を向けている。

そのことはとても嬉しかった。

嬉しい半面、疑ってしまう。

なぜこんな自分なのか?

静香を思う人なんて沢山いて、翔は決して特別ではないと思っていた。


「いつもいつも、私の心を見透かしたように言葉をかけてきて、私は耐えられなかった。 悔しい半面、嬉しくて。 だから、もうこの気持ちを抑えられないんです。 私は、あなたが好きです」

「静香さん‥‥‥」


静香の顔は、これまでにないくらい紅かった。

瞳は今にも泣き出しそうなほどに雫が溜まっており、全身は震える。

きっと、この好きと言う言葉を伝えるためにありえない程の勇気と覚悟を使ったのだろう。

そんな彼女に翔は、答えを出さなければいけない。


「俺は‥‥‥」


静香のことは、当然好きだった。

だけどそれは、ホントに恋愛関係としての好きなのだろうか?

尊敬する先輩に対しての好意なのか‥‥‥それとも――――――。


「‥‥‥ッ」


その時、翔の脳裏に過ぎったのは、この質問に対する答えだった。

今まで、この瞬間まで気づくことのなかった‥‥‥大切な答え。


「俺は‥‥‥」


そして翔はその答えを言った。

これで、彼女が傷つくだろうと理解しておきながらも、逃げずに言った。


「すみません。 他に、好きな人がいます。 静香さんよりも、大切な人がいます」


脳裏を過ぎったのは、黒い髪を靡かせ、凛とした美しさを持った一人の女性。

静香ではなかった。

だけど、静香のことは嫌いじゃない。

ただそれが恋愛感情ではないのだと気づいたのだ。

本当に翔が好きなのは、静香ではない。

‥‥‥そう気づいた翔は、今すぐにこの気持ちを本人に伝えたい欲求に駆られた。


「静香さん、ごめんなさい。 俺、今すぐ会わなきゃいけない人がいるんです」

「‥‥‥そうですか」


静香は、そっと微笑んだ。

最後の‥‥‥フラレた女帝の、意地だった。

泣いているところは見せない、それが彼女の意地だった。


「行ってください。 私は、大丈夫です」

「‥‥‥はい。 失礼します!」


そう言って翔は生徒会室を飛び出した。

力強く走り去る翔を見送ると、静香は堪えきれず、本日二度目の涙を流した。

だが、辛さと共にどこかスッキリとしたものがあった。

もう、この気持ちに縛られることはないのだとほっとしたからだろう。


「ぐすっ‥‥‥ぅぅ‥‥‥っ」


今までの中で、一番大量の涙を零した。

感じたことのない胸の締め付けが襲い、苦しみが彼女を包む。

だけど、この気持ちを、この痛みを忘れてはいけない。

この痛みは、相良翔も感じているのだから。

自分だけの痛みではない。

こんなにも強く、たった一人を望んだことなんてなかった。

だけど、これが好きということ。

そして胸が締め付けられ、苦しみを感じ、共有し合う。

これが――――――恋と言うものなのだと――――――。 

 

第三話 無情の真実・無情の別れ

《PM18:00》

ソラは黒一色に染まり、世界はまるで闇に包まれたように真っ暗だった。

町は、人々が生活に使う光で、暗さを凌ぐ。

そして暗くなることで、太陽の熱を失ったこの世界は極寒の空間になる。

吐息は純白に染まり、全身は芯から冷えていく。

そんな夜の灯火町の中にある灯火学園の屋上で、ルチア=ダルクは一人、何もせずにそこにいた。

生徒は恐らく、ほぼ全員下校して教師陣も残っている人は僅かだろう。

学園の電気の大半が消えているのが何よりもの証拠で、この学園にいる生徒はルチア=ダルクだけだろう。

彼女は先ほど、同級生である桜乃春人に呼び出され、ある話しをしてからずっとここにいた。

その話しのことが頭から離れず、ずっと思い悩んでいた。

春人はルチアにこう聞いた。


――――――『ルチアは翔のこと――――――好きなんじゃないのか?』


好き‥‥‥そんなこと、考えたこともなかった。

だが、好きという単語を聞いたときに、胸につっかえていたものが取れた気がした。

今まで、相良翔に対する考えの中で一つだけ、正体不明の感情があった。

心臓がドキドキして、呼吸が荒くなり、身体は熱を帯びるようなことがあった。

他の女と仲良くしているとムカムカしてくる、感情が高ぶるような感じ。

そして極めつけは、いつも彼のことを考え、気にしてしまうこと。

彼が今、何を思い、何を求めているのか‥‥‥それらが気になって仕方がなくなってしまうことがある。

そんな気持ちになるのはどうしてか?

彼女はひたすらに考えたが、結論にはたどり着けずにいた。

だが、春人の言ったようにルチアが相良翔に恋をしていると考えれば納得がいった。

その人を想い、嫉妬したりするなんて恋愛以外の何者でもない。

そんな簡単なことにすら気づけなかったと思うと少し恥ずかしかったが、おかげで自分の気持ちに気づいた。

そう‥‥‥ルチアは、相良翔のことが好きなのだ。


「でも‥‥‥」


でも、彼女はそこで言葉を失う。

好きだけど、この想いを伝えてはいけないと思った。

それは、相良翔と自分の間にある目に見えない距離。

様々な過去を経て乗り越えた彼と、ただ平凡に暮らしてきたルチアとの距離は明らかだった。

だから届かない、近づけない。

‥‥‥でも、それでも。


「私は翔のことが‥‥‥」

――――――『好きだって言いたいのか?』

「ッ!?」


だが、そんな彼女の想いを遮ったのは一人の男性の声だった。

緑色の髪、黒いコートを羽織った男は不敵な笑みを浮かべながらこの場所に現れた。

突然、気配もなく‥‥‥まるで幽霊かのように。

だが実体を持つ彼は間違いなく、ルチアの知る人物だった。


「冷羅魏‥‥‥氷華」


氷の魔法使い、冷羅魏氷華だった。

彼は今に至るまで、何もしてこなかったがようやく姿を現した。

つまり今が、彼を倒す数少ない機会。

そう考えた瞬間、ルチアは一瞬にして全身を魔法使いとしての姿にし、左手に巨大な鎌をもって構えた。

すると氷華は微笑混じりに両手を軽く上げて言った。


「待った待った! 今日は戦うために来たんじゃない」

「あなたとは戦う以外にすることはないわ。 それとも、おとなしく捕まる気にでもなったかしら?」

「いいや、そのつもりもない。 今日はお前に大切な話しがあってここに来たんだ」

「‥‥‥」


彼は魔力を一切出していない、武器らしいものもない。

翔からの情報であったように、湿り気や水らしいものも見当たらない。

恐らく彼の言っていることは本当だろう。

彼は戦う以外の目的でルチアの前に現れたのだ。

だが、何をしてくるか分からないため、ルチアは武器を構えたまま彼の話しを聞くことにした。


「分かったわ。 話して」

「武器を構えたままっていうのも変な気がするんだけどな‥‥‥まぁいいや。 それじゃ話すとしようか。 君の真実を」

「‥‥‥私の、真実?」


彼は間違いなく、ルチアのことを言った。

ルチアの真実‥‥‥ルチア自身が知らない真実だ。

彼は何を知っているのか、その言葉だけで十分に興味をそそるものがあった。

どうでもよければ、その場で彼を切り捨てると決意したルチアは彼の話しを聞き始めた。


「クロエから聞いたよ。 君は闇の魔法を使うんだってね。 それ自体は決して珍しくない。 けれど君と戦ったクロエは言ったよ。 君は普通では考えられない程の魔力量と力を秘めているって」

「それがなんだって言うの?」


ルチアにとってそれはどうでもよかった。

なぜなら魔法使いの力とは、そのものの意思次第でいくらでも上昇できるからだ。

ルチアだってその想い一つ、決意や覚悟一つでどこまでも力をつけられる。

それを知らない氷華でもないだろうが、なぜそれを言ったのか、本題はそこにあるのだろう。


「普通では考えられない。 それじゃ何で考えるかだ。 君の力は魔法使いよりも上の‥‥‥そう――――――『精霊級』の魔法使いだ」

「精霊‥‥‥」


その単語に、ルチアは衝撃を受けた。

精霊――――――かつてはこの世界に多数存在していたとされる、魔法を生み出した存在。

全ての魔法は精霊によって生み出されたとされており、精霊の持つ魔力は魔法使いの比ではないとされている。

だが現在は精霊という存在すらも伝説とされており、書物などでしかその存在を見ることはできないとされている。

ルチアの力は、その強大な力を持つ精霊並と言われたのだ。


「そしてお前は間違いなく、人間じゃなくて精霊だ」

「え‥‥‥!?」


訳がわからなかった。

自分が精霊? ‥‥‥そんなはずはない。

人として生まれ育ってきた、フランス出身だと言うのも知っている。


「嘘よ。 私は人として生まれて、父と母に育ててもらった」

「それを誰から聞いた?」

「当然、親に‥‥‥っ」


その時、ルチアはハッ!とした様子であることに気づいた。

そしてその場で俯き、驚きのあまり目を見開いてしまう。


「そんな‥‥‥うそ‥‥‥うそよ‥‥‥こんなの」


ルチアのリアクションは、氷華にとっては予想通りのものらしく、彼は笑いながらルチアを見つめた。

ルチアが驚いたのは一つ、覚えていないことだった。

親に育ててもらった記憶、生まれた場所の景色、親の顔も‥‥‥いや、そもそも彼女にはある時からの記憶が全てないのだ。

それは、赤ん坊の時から、小学生に入るまでの記憶がないのだ。

自分でもどうして今までそのことに気づかなかったのか、驚き過ぎて頭が混乱していた。

これは常識と言う錯覚に囚われたからだ。

赤ん坊の頃の記憶がないのは当然、両親が生んで育ててくれた‥‥‥それらが全て常識として捉えていたからこそ、それが嘘であると言う錯覚に囚われたのだ。

では‥‥‥本当に自分は精霊なのだろうか?

そこだけは決定的な証拠がなかった。


「君、精霊がなぜこの世で姿を現さなくなったのか知ってるかい?」

「え?」


混乱する思考の中、彼は精霊のことについて話す。

それは恐らく、ルチアの疑問を解消させるためだろう。


「精霊は人間とかつては契約し、魔法使いを支えていた。 だがあるときから人は欲に染まり、精霊を利用して文明に大きな影響を及ぼした。 それを二度と起こさないために、精霊は人の前に現れなくなった。 では現在、精霊はどう生きているのだろうか?」


それは疑問だった。

森林伐採などがあり、この世界は自然と言うものがなくなっている。

人間以外の自然生物が生きるには生きづらい世界になっているのだ。

それはもちろん、精霊も同じだ。

精霊もまた、人から身を潜めている種であるということは、どこかに隠れて生息しなければならない。

それはどこか‥‥‥それを、冷羅魏氷華は知っている。


「それは驚くことに、――――――人間に紛れて生きているんだよ」

「人間に‥‥‥それじゃ、私は‥‥‥!?」


彼の言葉で、全ての辻褄が合った。

精霊はこの現代で、なんと人の姿となって、精霊としてではなく人として生きているのだ。

そして精霊から人になるとき、精霊であるとバレないために精霊であると言う記憶を消去させ、人間としての情報を脳に与えた。

そのことで、精霊は人となり、人に紛れて生きることができたのだ。

彼女、ルチア=ダルクもまたその一人だった‥‥‥そういうわけだ。

ルチアが何も覚えていないのは、そもそも経験していないからだったのだ。


「精霊も面白いことをするよね。 木の葉を隠すなら森の中とはよく言ったものだよ。 人から隠れるために人になるなんてね」

「私は‥‥‥精霊‥‥‥」


彼の言葉はルチアの耳には入らなかった。

今はただ、その事実と現実だけが支配していた。

自分は今まで、皆を騙してきた‥‥‥皆を欺いてきたのだと思ったら、怖くなっていた。

皆のためにと思ってしてきた今までの戦い‥‥‥それも全て、偽りを隠すための大義名分だったと思うと気が狂いそうになる。

自分は、そんなに最低な存在だったのだと。


「あぁそうそう。 君はさっき、相良翔のことが好きだって言ってたね」

「ッ!?」


触れてはいけない話題だった。

今、必死に考えないようにしていた存在。

無理やり忘れようとしていた存在のことを、存在の名前を‥‥‥彼は何の躊躇もなく出した。


「彼はどう思うかな~。 人を騙すだけ騙すような精霊、そんな人に好きだって言われるのは嫌だろうね。 むしろ今までの優しさも全部全部ウソだったんじゃないかって疑われちゃうよね~」

「や‥‥‥そんなの‥‥‥いや‥‥‥」


ルチアは絶望と恐怖に襲われ、声が震え、掠れる。

全身は大きく震え、膝は力なく崩れる。

その場に力なく座り、左手にあった鎌は消滅していた。

頬を大量の涙が伝い流れ、顔はひどくグシャグシャになっていた。

瞳は光を失い、遠くを見つめているようだった。

その姿に冷羅魏氷華は口の両端を釣り上げて笑い、座り尽くすルチアの瞳を覗き込みながら言った。


「君は彼らの邪魔者でしかないんじゃないのか? そう‥‥‥俺たちといるべき、こちら側の化物でしかないんじゃないのか!」

「っ――――――」


それは、彼女の心を粉々に砕くには十分過ぎる言葉だった。

信じたくない真実、彼女は全てに絶望した。

消えていく‥‥‥友達と呼べる存在と作っていった思い出。

笑い合い、喜び合い、時には怒りあったりした。

けれどその一つ一つは、彼女にとって大切な思い出だったはずだ。

だが、その全てが崩れ去っていく。

文字通り、砂上の楼閣のように‥‥‥砂で作り上げたものが、たった一度の小さな波に飲まれて崩れ去っていくように、今までの思い出もまた一つの真実によって崩れ去っていく。

そして信じがたいことに、目の前にいる冷羅魏氷華という存在が、自分にとって味方に見えた。

なぜなら彼は『こちら側の化物』と言ったからだ。

では彼もまた、ルチアと近しい化物であるのだろう。

つまり彼はこの世界で唯一、ルチアの味方でいてくれる存在。

絶望に染まったルチアは、そう解釈してしまった。


「俺たちと共に来ないか? ルチア=ダルク」

「‥‥‥」


ルチアはコクりと、首を縦に振った。

考えて出した結論であるわけがなかった。

これは間違いなく誘導されたものだ。

だが、真実によって絶望した彼女には何が嘘で何が真実なのか、それを見切ることはできなかった。

そしてどこまでも計算通りだった冷羅魏氷華は不敵に笑うと、その場を去ろうと立ち上がる。


――――――「やめろッ!!!」


刹那、冷羅魏とルチアの間に白銀の光が横切った。

そして次の瞬間、激しい火花を散らして地面が真っ二つに切り裂かれる。

即座に冷羅魏は後ろに飛んで回避し、その時にルチアを抱き寄せて飛んだ。

着地と同時に今の白銀の光を起こした人物も彼らの前に現れる。


「やっぱり君が最初にここに来たか‥‥‥待ってたよ」


冷羅魏は笑いを崩さず、その人物を見つめる。

白銀のコートを身に纏い、右手に持たれる白銀の刀。

鋭い眼光は冷羅魏を睨みつけ、今にも殺してしまいそうな殺気を感じさせる。

その正体は、ルチアの初恋にして、冷羅魏が最後に用意したキーマン――――――相良翔。


「冷羅魏ッ! ルチアを返せ!」

「そりゃ無理な相談だな。 ルチアは今から俺たちの味方だ。 今後はお前たちの敵なんだよ」

「ふざけるな!!」


翔は左足を強く踏みしめ、地面をえぐるほどの脚力で駆け出した。

魔力で強化された脚力により、その速度は弾丸にも匹敵するものとなる。

そして1秒もかからないうちに冷羅魏の懐に飛び込むと、刀を横薙に振るう。


「ふざけてなんていないさ!」

「ッ!?」


だが、翔の一撃は突如現れた氷の盾によって阻まれる。

それでも翔は諦めず、魔法の性質を炎に変換させた。

魔力は刀身で炎へと変化し、氷の盾を溶かしていく。

高い温度差のため、激しい音を立てながら蒸発していく氷。

そしてすぐに氷の盾は溶けて消えた。


「せいッ!!」


気合一閃、刀身に纏われた炎となった魔力は敵を焼き切らんとばかりに迫る。

この一撃は全力で放つ一撃、直撃すれば間違いなく命を落とす。

それだけのものを放っているにもかかわらず、冷羅魏は不気味なまでの笑を崩さずにこちらを見つめる。

そして冷羅魏がなぜそこまで余裕でいるのか、その理由が次に起こる現象で明らかになった。


「――――――漆黒の闇よ、我に迫る全てを防ぎ飲み込め」


翔の一閃はディスク状に変化した闇の魔力で出来た盾によって防がれる。

それは冷羅魏を守るためのものだった。

そしてそれを作り出すことができるのは、一人しかいない。


「なんで‥‥‥なんでなんだ、ルチア!?」

「‥‥‥」


ルチアは無言、無表情でこちらを見ると、翔に向けて回し蹴りを放つ。

あまりの衝撃に回避が遅れた翔は脇腹を蹴られ、20m程蹴り飛ばされる。

そして倒れる翔を見て、冷羅魏は高笑いをする。


「ハッハッハ!! 実に滑稽!! 最高だよ!!」

「冷羅魏‥‥‥お前、ルチアに何をした!!」


ルチアがなんの理由もなく、こちらを攻撃してくるわけがない。

冷羅魏の味方なんてするはずがない。

だとすれば、洗脳などをされたにきまっている。

翔はそう思い、冷羅魏に原因を問う。


「俺は何もしてない。 ただ事実を教えて、彼女が自分で選んだんだ」

「嘘をつくな! ルチアが、お前なんかの味方をするわけないだろ!?」

「いいや、ルチアはこっち側の存在だ。 お前らとは訳が違うんだよ」


翔には、その言葉の意味が全く理解できなかった。

なぜルチアが冷羅魏たちの味方なのか、そしてルチアが知った事実とはなんだ?

その事実が、ルチアを変えてしまったとでも言うのだろうか?


「まぁそんなわけで、お前はルチアを諦めろ。 こいつは俺たちのものだ」

「させるかよッ!!」


翔は全身を雷の魔力で纏わせ、雷と同じ速度で大地を駆け抜ける。

閃光のように駆け抜ける高速移動の魔法――――――『|金星駆ける閃光の軌跡(ブリッツ・ムーブ)』

更に刀身は白銀の光に包まれ、強力な一撃へと変化する。

光り輝く裁きの一閃――――――『|天星光りし明星の一閃(レディアント・シュトラール)』

ルチアを解放させるため、翔は冷羅魏を殺さんとばかりに刃を振るった。


「させない」

「な――――――ッ!?」


だが、冷羅魏を庇うために身代わりとなってルチアが両手を左右に広げて自分を盾にした。

翔は瞬時に魔法を解除して擦れ擦れのところで刃を止めた。

あと少し遅ければその刃はルチアの首を切り落としていた。

そしてその行動は、翔の動きを停止させてしまう。

その隙を逃さない冷羅魏ではない。

冷羅魏は右拳を魔力で強化させ、重い拳を翔の腹部にぶつける。


「ぐあっ!?」

「ざまぁねえな!!」


殴り飛ばされた翔は低空を飛ばされる。

更に追い打ちをかけるために冷羅魏は両足に魔力を込める。

すると足元が薄い氷に変化して、周囲に広がる。

まるでフィギュアスケートのフィールドのようになった氷の地面を冷羅魏は駆け出す。

氷によって足は滑り、速度は上昇してすぐに翔の真横にたどり着く。


「おらよッ!」


冷羅魏の拳は魔力で構成された氷に覆われ、氷の拳が翔の腹部に放たれる。

そしてそのまま地面に叩きつけられ、口から大量の血をはき出す。


「がはッ!」

「無様だな。 さっきまでの威勢はどこに行ったんだよ!」


そう言って冷羅魏は右足で翔を蹴り飛ばした。

鉄柵に叩きつけられた翔はそのまま力なくその場にうつぶせで倒れる。


「ぅっ‥‥‥ぁ‥‥‥っく」


激痛のあまり、身体を動かせなかった。

恐らく骨が何本も折れているというのも理由だろう。

だが、翔は諦めなかった。

身体に鞭を打って、強引に立ち上がろうとする。


「そうこなくっちゃな!!」

「っ!?」


冷羅魏は凍った地面をスケートのように滑り、翔に迫る。

避けることができない翔は、避ける考えを捨てて迎え撃つことにした。

下段の構えから刀身の魔力を込める。

炎を纏わせ、一撃で断ち切るためである。


「炎より求めよ、断罪の焔ッ!」


刀身を纏う炎はその熱量を増していく。

大量に白い煙を発生させ、周囲の熱に弱いものがドロドロと溶けていく。

その一撃をもって、翔は冷羅魏を迎え撃つ――――――はずだった。


「夜天より舞い降り、我らが敵の尽くを打ち払わん」


その声と共に、黒く収束した闇が真っ直ぐ翔に向けて、レーザーのように放つ。

収束し、放たれる闇――――――『|夜天撃つ漆黒の魔弾(ヴォーパル・インスティンクション)』


「何ッ!? ぐっ!?」


翔は反射的に刀身に溜めた魔力による一撃を冷羅魏にではなく、先に迫ってきた漆黒のレーザーを迎え撃つに放った。

灼熱で悪を断罪する――――――『神罰切り裂く断罪の刃(グルート・コンダナシオン)』。

闇と炎がぶつかり合い、強大な衝撃波を起こす。

翔はボロボロの身体をなんとか踏ん張らせてそれに耐える。


「ぐっ‥‥‥どうして、ルチア‥‥‥ルチア!!」


この一撃は、ルチアによるものだ。

ルチアは再び、冷羅魏の味方をしたのだ。

そしてそのせいで翔は身動きがとれなくなり、冷羅魏が翔の懐に飛び込む。

右手は魔力によって氷の拳になり、蒼い魔力が漏れている。

強力な拳が、翔に迫る。


「終わりだ」

「くっ――――――」


そして拳は真っ直ぐ、翔の腹部を直撃し、激しい爆発音が空間を支配する。

言葉にできない激痛が翔を襲い、そして屋上から学園の校庭にまで隕石のように落下し、仰向けのまま叩きつけられる。

声にならない叫びと、地面を砕く音。

全身は地面にめり込み、身動き一つ取れなくなる。

あらゆる場所から血が流れ出し、呼吸もままならない。

意識も徐々に薄れていた。


「ちっ‥‥‥まだ死なないか。 随分と頑丈な身体してるじゃないか」


舌打ちをしながら冷羅魏がルチアを連れて校庭に飛び降りて着地した。

そして翔のところへトドメを刺すために歩み寄る。

冷羅魏の右手は氷の刃が生まれており、恐らく刺して終わりだろう。


「今度こそ終わりだ」

「‥‥‥」


声が出ない。

だが、その代わりに涙が溢れた。

死ぬのが怖いんじゃない。

ただ‥‥‥大切な人を、大好きな人を救えなかったことが悔しかったのだ。

敵の手に取られ、それでも何もできなかった自分。

救いたかった、守りたかった。

それなのに、何もできなかった。

全身の痛みよりも、心のほうが‥‥‥もっと痛かった。

迫る氷の刃に、翔は何もできなかった。


――――――『その辺にしなさい。 冷羅魏君!』

「ッ!?」


その時、氷の刃が一瞬で消滅した。

誰もが突然の事に、何が起こったのかを理解できなかった。

冷羅魏も最初は驚いたが、すぐにその正体を理解した。

そして現れる、一人の女性。

相良翔を守るように前に立ち、冷羅魏を睨みつける。

淡く金髪の入った首まで伸びた髪。

黒いボーダーワンピース。

そして全てを見透かしているかのようなエメラルド色の瞳。

今まで、外で戦う姿を見たことがない女性。


「翔。 遅れてごめんなさい。 もう大丈夫だから」


その声を始めとして、こちらに数名の魔法使いが接近している。

翔の仲間が‥‥‥こちらに来ている。


「冷羅魏君。 ここからは私達が相手をするけど、どうする?」

「‥‥‥はぁ」


女性の覇気のある声に気圧されることなく、彼は諦めたようにため息をつく。

そして両手をあげ、降参と言った。


「今日はこの辺にしておく。 次は殺す。 そんじゃな」


そう言うと冷羅魏は全身から真っ白な冷気を噴出して世界を冷気に染める。

そして冷気が風によって消え去ったとき、冷羅魏は姿を消していた。

もちろん‥‥‥ルチアも。


「‥‥‥翔。 もう大丈夫。 ゆっくり休んで」

「ぁ‥‥‥瞳‥‥‥さん――――――」


そこで翔は力尽きた。

そんな彼に女性――――――『斑鳩 瞳』は治癒魔法をかける。

治癒魔法の最中、井上静香、護河奈々がこちらにやってきた。

そしてボロボロになり、力尽きて倒れる翔を見つけるやいなや、慌てて駆け寄った。


「翔さん!!」

「お兄ちゃん!!」


全身から血の気が引くような感覚に囚われながら、二人は翔の両脇につく。


「大丈夫。 傷は深いけど、致命傷は避けてる。 多分、魔法で全身を強化させたから致命傷へのダメージが少なかったのでしょうね」


瞳がそう言うと、二人は安堵の息を漏らす。

とはいえ、傷が治ったとしても、彼にはもっと深い傷があることに瞳は気づいていた。

ルチア=ダルクの裏切り、それが彼にとってどれほど根深い傷を負わせたか。

恐らく冷羅魏はこれを狙っていたのだ。

相良翔が絶望に染まり、完全敗北させるために。

たとえ魔法でも癒せない、心の傷。

これから相良翔は、その傷と立ち向かわなければいけないのだと思うと、不安で仕方なかった。

‥‥‥そして瞳は皆に教えなければいけないことがある。

ルチア=ダルクの真実と――――――冷羅魏氷華の真実を。


「‥‥‥今は、ゆっくり休んで」


今はただ、夢だけでも幸せなものであってほしいと祈りながら瞳は翔に治癒魔法をかけた。

そして翌日、相良翔は病院で入院となり、斑鳩瞳は全ての真実を皆に話すこととなった――――――。 

 

第四話 恐怖と決意

《AM11:00》

灯火町の西側にある5階建ての病院『灯火病院』。

その五階東側の個室の病室に、三人の少女達がいた。

最新式のベッドで意識もなく、全身を白い包帯が巻かれてその姿はミイラ男にも近しかった。

半透明な酸素マスク、心電図モニターから聞こえる音、点滴が落ちる音。

その一つ一つを見ると、彼――――――相良翔の容態が芳しくないことが明らかだった。

そんな彼の姿を、斑鳩 瞳、井上 静香、護河 奈々の三名はパイプ椅子に座って見つめていた。

事は昨日の夜、冷羅魏の所在が明らかとなったため、斑鳩達は翔とルチアのもとに急いで向かった。

辿りついたとき、翔は重傷で意識を失っていた。

全身は血だらけで服もボロボロだった。

さらに驚いたのは、ルチアが冷羅魏側のものになってしまったこと。

それが、翔が負けた理由なのだと彼女らはすぐに察した。

幸い、命に別状はないと医者は言っていた。

それは斑鳩が翔に治癒魔法をかけていたため、致命傷となりうる箇所は治っていたのだ。

とはいえ、そのほかの傷が残るため、包帯などで巻かれているのが現状だ。

そして問題は、魔法でも治せない場所――――――心だった。

医者からの説明だと、相良翔は精神的に大きな傷を負って、そのショックもあって意識不明に陥っているらしい。

目覚めるのは明日になるかもしれない、明後日、来週、来月、来年‥‥‥もしくは――――――永遠に目覚めないかもしれない。

そう告げられた時、彼の義妹である護河奈々と、彼の先輩である井上静香の二人は恐怖に震えた。

今まで、魔法使いとして生き、魔法使いとして死ぬことを恐れたことはなかった二人にとって、目の前の現実はその覚悟を乱し、絶望させた。

死ぬなんて怖くない、そんなのは本当の現実を知らない人の高慢でしかなかったのだと、二人は思い知らされた。

自分もいつか、彼のようになってしまうのだろうか?

自分もいつか、彼のように周囲をこんなにも不安にさせてしまうのだろうか?

自分もいつか、彼のように苦しんで傷ついていかなければならないのだろうか?

真の魔法使いとは、そう言うものなのだろうか?

目の前の現実は疑問を生み出し、生み出された疑問は不安を呼んだ。

20歳にも満たない少女たちは、意識を取り戻さない彼を前に、ただ不安でいることしかできなかった。


「‥‥‥瞳さん」

「なに?」


辛い表情の中、井上静香は斑鳩に問いかけた。


「瞳さんは、こんな光景を何度も見たことがあるんですか?」

「‥‥‥もちろん、何回も見たことがある。 そしてその度に、その命は失われていった」

「ッ!?」


斑鳩は、嘘一つつかなかった。

二人に心に追い討ちをかける結果になるのを知っていながら、彼女は嘘一つつかずに真実だけを話した。

その理由、それは今だからこそ二人は命の価値を理解できると思ったからだ。

相良翔は誰よりも早く、命の価値を理解していた。

だからこそ彼は強く、たくましく、脆かった。

斑鳩は二人にそれを知ってもらうことで、理解してこれからの先のことを考えて欲しかった。


「多分、ここが分かれ道だと思う。 もう、相良翔は決断してることを、今度はあなたたちが決断しなければいけない」


失うことの恐怖を知り、得ることの価値を知った彼女たちは今こそ決断の時だった。

魔法使いとして、この先に踏み込むにはそれだけの覚悟と決意が必要なのだ。

二人は静かに俯き、しばらく考えた。


(私は‥‥‥魔法使いとして生きることが普通だと思っていました。 けれど今は、死ぬのが怖い。 失うかもしれないという光景を見るのが怖い。 目をそらしたい‥‥‥そう思ってる)

(私は‥‥‥お兄ちゃんのためなら、この命をかけることができた。 だけど今は‥‥‥死ぬのが怖いよ‥‥‥)


二人は共に、死の恐怖に怯えていた。

魔法使いとの戦い、その中で死にかけることはもちろんあった。

けれど二人はその死という運命を何度も乗り越えてきて、今があった。

何度も乗り越えていくうちに、死というのがいつも目の前にあるものだと思っていた。

だけど今、目の前で死にかけているのは二人が愛してやまない少年なのだ。

最愛の人が死ぬかもしれない、そしていつか自分もそうなってしまうのかもしれない。


(翔さん‥‥‥)

(お兄ちゃん‥‥‥)


相良翔は、こんな死の恐怖をいつの間に乗り越えたのだろうか?

魔法使いになってからまだ半年も経過していないにも関わらず、誰よりも強くなっていた。

どうして彼は、あんなにも真っ直ぐでいられるのだろうか?

どうして彼は、あんなにも優しくしていられるのだろうか?

死の恐怖に怯えれば、まず真っ先に自分の命を守ろうと思うのが普通だ。

他人なんて二の次、いやそれ以外にもなるかもしれない。

人によっては、他人を平気で裏切ってしまうかもしれない。

だが彼は、どんな死が待っていようとも、死を恐れずに誰かを守ってきた。

そんな彼はどんな答えを出していたのか。

そして彼は、何のために戦っているのか聞きたかった。


(翔さん。 私、怖いです)

(お兄ちゃん‥‥‥私、怖いよ)


二人の心の悲鳴が、静かに木霊した。

沈黙の病室、誰も動かず、誰も喋らなかった。

二人は迷いの中、相良翔の顔を見つめた‥‥‥その時。


――――――(大丈夫。 俺が、守ってみせるから!)


その時、二人には彼の言葉が聞こえた。

意識は変わらず、戻らないまま。

それでも二人には確かに、彼の声が聞こえた。

優しく、頼もく、力強い言葉と声は間違いなく相良翔のものだ。

幻聴と言えばそうなのかもしれない。

だけどその言葉は、例え幻聴であったとしても、二人の迷いを解消させる鍵となった。


(私が恐れば、翔さんは私を守るために傷つく‥‥‥私が恐れて、弱ければ、彼が傷つくことになる)

(お兄ちゃんはいつも私を守ってくれた。 私のために、いっぱい傷ついた。 私が強かったら、お兄ちゃんが傷つくことも、灯火町に来て魔法使いになることもなかった)


自分の命を顧みない彼に、二人はいつも守られてきた。

だけど、仮に自分達が強ければどうなっていただろうか?

彼は傷つくことがなかった、魔法使いになんてなることはなかったのではないだろうか?

だとしたら自分達に責任があって、それを一つずつ償っていかないとならないのではないかと、二人は思った。

彼はきっと、二人をせめたりはしないだろう。

けれどこれは守られてきた者としてのせめてものの恩返しなのだ。

命を賭けて、色んな無茶をして救ってくれた彼への感謝。

例え大義名分を振りかざしているのだろうと、蔑まれても構わない。

なぜなら自分達は、彼ほど綺麗な人間ではないから。

そして決意を固めた静香は微かに微笑みながら、斑鳩をじっと見つめて言った。


「私は何度も彼に守られ、救われてきました」


静香は魔法使いとして、一人で戦うことが多かったが、最近では相良翔と共に事件に立ち向かっているということを斑鳩は思い出していた。


「彼がいなければ、今の私はここにはいなかったでしょう。 それと同じように、私と出会わなければ彼もここで倒れることはなかったでしょう。 私は彼に生きて欲しい。 私を変えてくれた彼を、私を守ってくれた彼を、私を救ってくれた彼を‥‥‥今度は私が、守りたい」


静香に続いて、奈々は義兄である相良翔の顔を見つめながら言った。


「お兄ちゃんはいつも、私とは距離をとってて、兄妹っていうよりも友人みたいなものだった。 だけどお兄ちゃんは、私を守ってくれた。 立場がなんであっても、どんな関係でも気にしないで、いつも守ってくれた。 でも私は、お兄ちゃんには何もできなかった。 そのせいで傷ついて、苦しんできた」


彼の傷ついた姿を見るのは、これで何度目だろうかと今まで奈々は考えていた。

だけど、それは違う。

彼が傷ついたじゃない‥‥‥『彼を傷つけた』だ。

彼を傷つけたのは、これで何度目だろうか。

自分が弱かったから彼は傷つく羽目になった。

もし自分が強ければ、彼を守って家を出ていくことがなかっただろう。

まして魔法使いになって、この病院で入退院を繰り返すこともなかった。


「でも、今の私はもうあの頃の私じゃない。 もう、お兄ちゃんの背中を見ている私じゃない。 お兄ちゃんと肩を並べて、一緒に乗り越えたい。 痛みも全部、分かち合いたい」


二人の決意を聞いた斑鳩は、優しく微笑んだ。

緊張感のある空間はゆっくりと温もりを取り戻し、穏やかな空間へとなった。


「合格。 あなた達もまた、立派な魔法使いになるわね」


それが先輩としての、斑鳩の言葉だった。

三人が笑みを取り戻すと、心なしか彼の――――――相良翔の表情も、笑みを見せた気がした。


                  ***


しばらくして三人は病院にある食堂に向かい、昼食を摂った。

そして昼食を済ませ、マグカップに入った紅茶を啜りながら、斑鳩は周囲に聞こえない音量で二人に話しだした。


「さて、それじゃ二人に話さないとね。 私と彼、冷羅魏氷華の関係を」

「お知り合いだったのですか?」

「知り合いっていうか、彼は、私が魔法使いとして戦った、最後の敵」


斑鳩瞳と冷羅魏氷華の意外な関係性に、二人は口にすすっていた紅茶を吹き出しそうだった。

斑鳩は懐かしむようにさらっと言ったが、かなり重要なことだった。


「なんで、今まで黙ってたんですか?」

「ごめんなさい。 本当はもっと早くに言うべきだった。 だけど“彼”から口止めされていたの」

「彼?」

「そう。 ――――――相良翔、彼に黙っててくれと言われた」


彼の名前が出たとき、二人は即座に納得して、さらに苛立って軽く舌打ちをする。

激昂状態になり、低い声で静香はぼやく。


「全くあの人は、また一人で抱え込んでいたんですね」

「もぉ、お兄ちゃんったら!」

「ふふっ」


二人のいじけ方に、斑鳩はつい頬を緩めて笑ってしまう。

奈々はともかくとして、静香がこんなにも感情を表に出すなんて思わなかったため、驚きのあまりに笑ってしまった。

だが、二人の言い分はごもっともだった。

彼の自己犠牲は留まることを知らず、気づけば他人の過去にも首を突っ込んでいた。

彼が目覚めたら、取り敢えず説教だなと心に決めた二人は話しを戻し、斑鳩の話しを聞いた。


「私が魔法使いとして戦っていたのは二年前まで。 その二年前に、私は彼と出会って、戦った」


ここからは細かい部分を省いて話す。

――――――これは、二年前の冬の回想。

当時の斑鳩は周囲にいた魔法使いの中で最も強い存在で、彼女は単独での行動が多かった。

その時は純系魔法使いで、能力名『孤高なる魔女の魔眼《フェアデルベン・バニッシュ》』と言う魔法を使って戦っていた(能力解説は省く)。

冷羅魏と出会ったのは、彼が起こしたある事件が原因だった。

彼は一週間で数十人の二十~四十代の男女を殺害していた。

もちろん、指名手配犯となっている。

魔法使いが相手ということで、当然、斑鳩も介入することとなった。

斑鳩は彼の住所などの情報や、彼の殺害した人のパターンを調べた。

その中で判明したのが、彼に殺害された人は皆、『育児放棄』又は『虐待』をした夫婦だった。

そして彼の出身はとある孤児院だった。

彼もまた、育児放棄で孤児院に暮らしていた人だったのだ。

つまり彼は、両親と言う存在に対して恨みがあったのだ。

彼がなぜ夫婦を殺害するのか、それで納得がいった。

だが、例えどんな理由があろうと、殺人は殺人だった。

斑鳩は一人、冷羅魏と対戦することとなった。


「瞳さんは、勝ったんですか?」

「いいえ‥‥‥引き分けだった」


静香の質問に、斑鳩はそう答えると自嘲気味な笑を見せながら言った。


「冷羅魏君の能力を抑制することはできた。 だけどその代償に、私は魔法を失った」


話しを続けると、斑鳩の力を持って冷羅魏は力を失った。

だが、斑鳩もまた、その激しい死闘の末に魔法を失った。

そして冷羅魏には逃げられ、斑鳩は前線を離れることになり、現在に至る。


「あれから私は、私のような人を出さないために、皆に教えられることを教え、助けるときは助けられるためにこの職を選んだの」

「‥‥‥」


なぜ、相良翔が斑鳩に、このことを黙るように言ったのか、今ならはっきりと分かる。

それは、斑鳩瞳の過去の後悔を晴らすためだ。

そして、冷羅魏氷華と相良翔は、よく似ているからだ。

もし翔が道を踏み間違えれば、冷羅魏のようになっていただろう。

恐らく翔は、それを察したのだろう。

斑鳩の過去の後悔であり、自分の鏡のような存在。

そして、ルチア=ダルクを奪った存在。

相良翔が一人で戦う理由としては、誰もが納得がいった。


「結局、お兄ちゃんはそう言う人なんだね」


義妹はそう言うと、コップに入った紅茶を一気飲みほし、席を立つ。

その表情は、心なしか清々しそうに見えた。


「私、先にお兄ちゃんのところに戻ります」


そう言うと奈々は食堂を走って出ると、そのまま翔のいる病室へ向かった。

残った斑鳩と静香は、奈々の後ろ姿を見ながら、彼女が義兄を救ってくれることを祈るのだった。


「それじゃ、静香にはルチアのことを話すとしましょうか」

「はい。 お願いします」


そして残った二人は、ルチアの正体を話しだした。

この話しで、静香は知った。

彼が、何に苦しみ、何に悲しんだかを――――――。 

 

第五話 涙のソラ

<PM13:30>


灯火病院の病室のベッドの上で、彼、相良翔は意識を取り戻した。

真っ白な天井が、彼の視界を支配した。


「ここは‥‥‥ああ、病室か」


翔は慣れたように、今の状況を理解し、上半身だけを起き上がらせる。

薄い水色の病人服であることと、倒れてからまだ、一日も経過していないことを確認する。

翔はこの病院には何度もお世話になっている。

入退院を繰り返しているため、この光景で起きれば、灯火病院の病室なのだと、すぐに分かるようになっていた。

すると人の気配を感じた翔は咄嗟に左を向く。

左には病室の出入り口があるため、恐らく誰かが来ているのだろうと悟った。


「お兄ちゃん~!!」

「ぶあっ!?」


左を向いたその瞬間、腹部を鉛がぶつかったかのような衝撃が襲い、肺に溜まった酸素が全て一気に放出され、海老反りになる。

何事かと理解するよりも先に衝撃が襲いかかり、驚きのあまり、目を白黒させてしまう。


「お兄ちゃん‥‥‥元気そうでよかった!」


聞き覚えのある声だった。

自分のことをお兄ちゃんと呼ぶのは、この世に二人いる。

義妹の護河奈々‥‥‥いや、彼女にしては声が幼すぎる。

つまり声の本人は、もう一人の少女。


「ミウちゃん‥‥‥か」

「うん!」


翔は激痛を耐えながら、なんとか声を振り絞ってそう言った。

彼女は、一ヶ月前までこの病院に入院し、相良翔とは、過去に魔法関係で知り合った――――――小鳥遊猫羽という少女である。

みんなは愛称で『ミウちゃん』ちゃんと呼び、今は翔達とは別の学園で学園生活を送っている。

翔が彼女と会うのは久しぶりで、少し髪が伸びていたり、顔の丸みがなくなってきたりと、大人びていることに驚いていた。

とはいえ、声質はまだ変わらないようだ。


「ミウちゃんは、どうしてこの病院に?」

「それはね、ショコラが朝、私にお兄ちゃんが病院に運ばれたって聞いたから、心配できたの」


そう言うと病室の窓の外から黒猫が入ってくると、翔の頭の上に飛び乗る。

頭にかかる重みは、首に負担がかかり、首の付け根に僅かな痛みが出る。


「おお、ショコラ。 久しぶり」

《やっほ~! 今日で入院何回目だっけ~?》

「ま、まだ二回じゃないか?」

「二回×十回だよ、お兄ちゃん」

「ぅ‥‥‥」


二名のダブル攻撃に適わなかった翔は、負けを認めて俯いてしまう。

ミウともう一つの声、それはこの黒猫の声だった。

ミウの愛猫にして、パートナーの猫――――――『ショコラ』である。

この猫も翔と知り合いで、魔法使い関係の事件に関係している。

ショコラが喋れる理由は、ミウが魔法使いだからである。

この二人、知らぬうちに魔法使いとしての契約をしており、その効果としてショコラが人間の言葉を話せるようになった。


「お医者さんから聞いたんだよ? お兄ちゃん、意識不明だったって」

「そうなのか?」

《気づかないのは当然だけど、ま~た随分無茶したね~》


翔も驚いた。

まさか、意識不明にまで陥っていたとは思わなかった。

二日もかからずに目覚めたのは、やはり奇跡としか言い様がなかった。


「‥‥‥ねぇ、お兄ちゃん。 聞いてもいい?」


ミウの蒼い瞳が、真っ直ぐに翔を見つめる。


「お兄ちゃんは、何のために戦ってるの? どうしたら、そんなに無茶ができるの? お兄ちゃんが優しいのは、みんな知ってるけど、ちょっと度を超えてると思うんだ。 お兄ちゃんに、何があったの?」

「‥‥‥」


翔は窓の外、曇ソラを眺めながら、記憶の彼方を探るように語りだした。


「‥‥‥今から二ヶ月くらい前かな‥‥‥。 この町に来て、俺はすぐに魔法使いになったけど、その頃は魔法使いとして身を置くことを嫌がっていたんだ。 それは、義妹の奈々との関係をやり直すためにここにきて、それ以外の目的で何かをするつもりはなかったからだ」


何の迷いもなく、翔は口を滑るように話しをしていた。

未だ、誰にも話していない過去、彼が誰かを守ることに必死になる理由。

ミウなら、話しても同情も否定もしないと思ったからだろうか。


「そんなある日、俺は、犯罪を犯す魔法使いと戦う、魔法使いの女を助けたんだ。 彼女は俺と同じように、魔法使いになりたてで、正義感がとても強い女性だった。 その上、かなりのお節介で、助けたお礼がしたいからって、俺を家に招待したり、料理を振舞ったりしてくれた」


ミウから見た、その時の翔の表情は、とても嬉しそうで、幸せそうだった。

その表情を見ると、どこか嫉妬してしまいながらも、ミウは話しを聞いた。


「彼女は魔法使いとして覚醒したとき、すぐにこの力が、みんなを守れるものだ思ったんだ。 だからその力で、この町のみんなを守りたいって‥‥‥ほんとに正義感が強かった。 俺はそんな彼女に、憧れみたいなのがあったんだ。 誰かの為に必死に立ち向かう、それは簡単にできることなんかじゃなくて、自分自身の色んなものを犠牲にして成り立つものだから。 そんな彼女の力になりたいって、俺は彼女のパートナーになった」


その少女の力は、決して強いものではなかった。

相良翔に比べてば、足元にも及ばないような、その程度の力だった。

トンファー使いで、魔力は両腕・両足に込めることで光速移動、光速連撃ができるというものだった。

本人も、自分が弱いって自覚はあった。

だが、守りたいと言う強い正義感は、何にも勝る強さだった。

翔はそんな彼女の力になりたいと思い、彼女と戦ったりしての訓練をした。

一度、『死ぬのは怖くないのか?』と、聞いたときに彼女は笑顔で答えた。

『死ぬのは怖くない。 だが、あたしが何もせずに誰かが死ぬのは嫌なんだ。 それに、あたしには魔法しかない。 この力がなくなれば、あたしには何も残らないからな』

そんなことを言っていた。

そんな彼女は、青春を謳歌しているスポーツ選手の如く、ダイヤモンドのように輝いて見えた。

彼女への憧れ、彼女を尊敬してやまなかった。

だが、二人はある事件に関わってしまった。


「事件は、彼女と出会って三日後、この町で魔法使いの犯罪組織があったんだ 組織は五人組って小規模なものだけど、その実力は確かなものだった。 その組織を壊滅させようって、彼女は勝手に突っ込んでったんだ」


彼女の正義感を、もっと理解できればよかった。

そうすれば、彼女の『死』を、阻止出来たかもしれない。


「彼女は一人で敵陣に突撃したんだ。 俺は慌てて助太刀に入った。 戦いは拮抗したよ。 敵も突然の襲撃に驚いていたからな」


次第に均衡は崩れ、こちらと敵の人数は同じになった。

あと少しで、こちらの勝ちになると思った。


「だけど、彼女も体力がほとんど残らなくてな、本当は俺一人と敵二人だったんだ。 そうなると、俺も辛かった。 前に三人相手にしていたし、体力も魔力もほとんどなかった」


そして、翔に限界がきた。

ほんの僅かなミスで、敵の一撃が翔に襲いかかった。

避けきれない‥‥‥翔はそう思った。

けれど、そんな時――――――。


「‥‥‥彼女は、俺を庇って、その一撃を受けたんだ」


パイプ椅子の上で、ミウはビクッと震える。


「そこからは、もう一心不乱だった。 我に戻った時には、敵全員、血まみれで倒れていて、俺の全身は誰かも分からない血がぐっしょり濡れていた」


後輩に話すべきような内容ではなかっただろう。

一生、黙っているつもりでいた。

だが、全てを話したとき、あの時の痛み、悲しみ、苦しみが鮮明に蘇ってきた。

翔はそんな表情をミウに見せまいと、すぐに笑顔になってミウに言った。


「俺が戦う理由は、彼女みたいに、誰かに守られないためだ。 ミウも、ショコラも含めて、みんなを守りたいんだ」

「‥‥‥」


するとミウは無言で立ち上がると、翔から見て左から、両腕を首に巻くと、自分の胸に寄せた。

翔の頭はミウの、その小さな胸に包まれる。

感じる、人の温もりと、生きている証である心臓の鼓動。


「お兄ちゃん‥‥‥もう、いいんだよ?」

「え‥‥‥」


耳元で囁く、少女の言葉。

翔の耳を通り、そのまま心にたどり着く。

そしてミウは翔を縛る鎖を断ち切るように、その想いを伝える。


「無理、しないでいいんだよ? お兄ちゃんは、誰よりも傷ついた。 誰よりも苦しんで、誰よりも悩んだ。 お兄ちゃんはもう、十分だよ。 だから、今くらいは‥‥‥素直になっても、良いんだよ?」

「ミウ‥‥‥ちゃん」


徐々に、心に限界がきていた。

何気ない言葉なのに、こんなに心が解放されそうになる。

今、翔は泣きたい気持ちでいっぱいだった


「大丈夫。 お兄ちゃんが守りたい、義妹さんも、ルチアお姉さんも、皆いないから」

「‥‥‥ごめん、あり、がとぉっ――――――」


翔はミウを力いっぱいに抱き寄せると、彼女の胸の中で泣いた。

苦しみも、悲しみも、後悔も、悔しさも、全部が行き場なく胸の中に溜まっていた。

そんな行き場のない想いを、翔はその小さな胸の中で、声にあげて吐き出した。

そして、そんな彼に救われた少女は、その悲痛な叫びを、受け止めてあげた。


「くっそぉ‥‥‥ちくしょぉ‥‥‥くそったれぇ‥‥‥!!」


この痛みは、一生消えないだろう。

この悔しさは、一生消えないだろう。

それでも、あの時守れなかった彼女は、この雨降るソラのどこかで、翔のことを笑顔で見つめていた気がした――――――。 

 

第一話 築き上げたもの

――――――漆黒が包む、夜の世界。

二階建ての一軒家の屋根。

五階建てのマンションの屋上。

次に学園の屋上。

他にも色んな家の屋根や屋上を、道具を使わず、その身体で飛び越えて移動する。

なんでそんな移動をするかというと、地上を走って移動するよりも、建物を飛び越えて移動した方が速いと考えたからだ。

普通の人間ではなく、魔法使いである身体でならば、建物を飛び移りながらの移動は容易だろう。

そして彼は今、物凄く急いでいたのだ。


「どこだ‥‥‥どこだっ」


体力を消費し、息を荒げながら移動する。

魔力を脚力上昇と、視力上昇に使用することで、常人ではありえない移動能力と、天体望遠鏡にも勝るとも劣らない視力を手にすることができる。

高いところに移動し、その視力で探す。

見つからなければ、また別の場所に移動して同じことをする。

‥‥‥それを繰り返して、何十時間が経過しただろうか?

休憩も、睡眠もとっていない今の彼の体力は、限界をとうに超えていた。

それでも、彼は止まれなかった。

頭で考えるよりも、体が勝手に動いてしまう。

だから探し続ける。

自分の本能が赴くがままに、彼女を探し続ける。

それを続けているうちに、気づけば灯火町のほとんどの場所を探していた。

そして彼――――――相良翔は一人、自分が通う灯火学園の屋上にいた。


「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥っ」


始めての休憩をとろうと、その場で仰向けに大の字で倒れると、今までの疲れが大量の押し寄せて、関節のあらゆる場所から激痛が襲い来る。

夜に吹く、冬の冷たい風が全身の熱を奪っていく。

気持ちよさと同時に、疲労から睡魔が襲いかかってくる。


「いかん、いかんっと!」


寝てしまいそうだった翔は、上半身を起こして胡座になる。

両手を屋上の床につけると、ひんやりとした冷たさが伝わって気持ちが良かった。

しばらく翔は、風の音に心落ち着かせていた。


「はぁ~‥‥‥。 すぅ~‥‥‥はぁぁ~」


深呼吸を繰り返すと、冷たい空気が喉を通って肺に達し、内側からも熱を奪っていった。

吐息は純白で、ソラはどこまでも黒かった。

そんな当たり前のことが、今は違和感だった。

特別なものではなく、いつもの光景なはずなのに、どうして今はこんなにも心が落ち着かないのだろうか。


「ルチア‥‥‥」


そして、どうしてこんなにも、彼女のことを想ってしまうのだろうか?

今、彼女は何をしているのだろうか?

冷羅魏と仲良く会話をしているのだろうか?

冷羅魏と心を通わせているのだろうか?


「‥‥‥くっそぉっ!」


その場に落ちていた小石を、右手人差し指と中指の第一関節で挟み、ダーツのように前方に向けて、力いっぱいに放った。

指から離れる瞬間、大気を引きちぎり、放たれた小石は弾丸のように真っ直ぐに飛ぶ。

小石は屋上の出入り口である扉の鍵穴に吸い込まれるように直撃し、貫通して穴を開けた。


(器物破損で、怒られるかな‥‥‥)


微笑混じりにそう思い、心の中で軽く謝罪をした。


「――――――こんなところで、何やってるんですか?」

「え‥‥‥」


不意に、背後から聞き覚えのある女性の声が聞こえた。

反射的に後ろを振り向き、確認するとそこには井上静香がいた。


「見つからなかったんですね」

「‥‥‥はい」


静香は、翔が何をしているのかを聞くまでもなく理解していた。

――――――相良翔が退院して二日、学校を休んでまでしてルチアを探していることを、静香は分かっていた。

彼はいつものように誰にも言わなかったが、それが分からない静香ではなかった。

翔は言い訳や嘘を言わず、素直に答えていた。


「手がかりもなしに闇雲に探しても埒が開きませんよ」

「わかってます。 けど、このまま黙って何もしないなんてできない」

「‥‥‥でしょう、ね」


静香はしんみりとした表情で翔を見つめてそう言うと、彼の顔を見るのが辛くなってソラを見上げた。

翔がルチアのことを想っている‥‥‥その事実を痛感することから逃げたのだ。

逃げながらも静香は、自分の言える言葉で今できることを伝えた。


「翔さん。 たまには、お友達を頼ってみてはいかがですか?」

「‥‥‥人海戦術を使えってことですか?」

「はい。 今のあなたにとって、それが最善の選択だと思います」

「‥‥‥」


その選択を、彼は一度も考えていなかった。

なぜなら彼は、誰かに頼ると言う経験がほとんどなかったからだ。

親がおらず、甘えると言うことを覚えられず、孤児院では共同生活の中で一人で出来ることは一人でなんとかしてきた。

護河家に住むようになっても、家族になりきれず、頼ることができなかった。

それが今までの彼だ。

‥‥‥だが、今の彼は違う。


「あなたはこの灯火町に来て、様々な人と出会っていきました。 それは決して、良いことばかりではなかったでしょう。 けれど、そのおかげであなたは多くの友人を作れました。 今こそ、出会ってきた皆さんを‥‥‥私達を、信じる時なのではないですか?」


優しくも、真っ直ぐな言葉が、翔の心に突き刺さる。

「信じる」‥‥‥たったそれだけの事を、一番に知らなかったのは、紛れもなく彼だった。

だけどそれは、灯火町に来る前までの彼であって、今の彼は全く違う。

最初は理解できなかっただろう。

最初は違和感だっただろう。

だが、彼はルチア=ダルクと出会い、魔法使いとして覚醒したことで知らなかったことを多く知ることができた。

魔法使いとして様々な事件に関わる中で、人の心を多く知ることができた。

それは、とても種類が多くて、十人十色で、その一つ一つが新鮮に感じた。

どれ一つ、無駄なことなんてなかった。

そして友達、仲間、戦友、兄妹、義兄妹など、様々な人の関係性を知っていき、その大切さを知った。

大切さを知る中で、失った絆も、時にはあった。

互いの意見が食い違い、ぶつかり合うこともあった。

けれど、その度に友達や仲間と呼べる人は助けてくれた。

この灯火町という小さな場所で手に入れた大きな絆を、今こそ使うときなのだと翔は思った。


「分かりました。 皆を、信じたいと思います。 もちろん、静香さんも」

「はい。 それが良いでしょう」


その時、静香が見たのは、迷いの霧が晴れた澄空のような、清々しそうな笑顔だった。

そして、彼はもう大丈夫だと確信した。

どんな苦難があろうと、彼はこの町で築き上げてきた関係を正しく使い、乗り越えて見せるだろう。


「‥‥‥よしっ」


翔は右ポケットの中に手を入れると、中から愛用しているスマートフォンを取り出した。

画面に触れると、待受画面がついた。

翔は右手で持ちながら、その右手の親指で画面に触れ、スライドさせていく。

すると画面は切り替わり、翔は通話機能をタッチする。

そこには、今まで出会ってきた人のアドレスが大量に載っていた。

改めて見ると、ここに載っているのは全員、この町で出会ってきた人なのだと気づく。

灯火町に来る前は、人と接することをしなかったために、アドレス交換なんてやらなかった。

だけど、この町に来て、様々な事件を経験していったことで色んな人の情報を交換し合えた。

だから翔は、皆の名前を見ながら改めて思う。


「この町に来て、この場所に来て、――――――ほんとに良かった」


そして翔は迷いもなく、全員のメールアドレスをタッチする。

全員に、一斉メールを送るのだ。

メール内容はシンプルに、急ぎながらも丁寧に書いた。


『こんな時間に悪い! だけど頼む! 俺に、力を貸してほしいんだ!』


それだけの短い文を入力した翔は迷うことなく送信ボタンをタッチした。

すると今日は電波が良いようで、一斉メールは五秒もかからずに送信完了した。

それを確認した翔はスマートフォンの画面を消すと、再び右ポケットにしまう。

そして静香を見つめて言った。


「静香さん。 今から二手に分かれて、ルチアを探します。 お願いできますか?」

「もちろん。 翔さんのお願いであれば、喜んでお引き受けします」


ニコリと笑顔で返す静香に、翔はホッと胸をなでおろすと、再び漆黒のソラを眺めながら思う。

今ならまだ、間に合うかもしれない。

今ならまだ、取り戻せるかもしれない。

‥‥‥違う。


「必ず、取り戻すんだっ!」


そう言って翔は拳を強く握り締めると、両脚に魔力を込める。

魔力は脚力を飛躍的に上昇させ、翔の移動速度や跳躍力を高める。


「翔さん。 またあとでお会いしましょう」

「はい!」


そう言って翔と静香は二手に分かれ、夜の灯火町を駆け巡る。

どこにいるかは分からない。

けれど、きっと見つかる。

今日、必ず取り戻す。

この町で、相良翔の物語をの始まりのきっかけをくれた、大切な人を、必ず‥‥‥取り戻す。

翔は空気を軋ませながら、高速で駆ける。

――――――その時、右ポケットにしまいこんでいたスマートフォンがバイブレーションを起こす。

即座に右手で取り出し、画面をタッチした。

すると、そこには『メールが返信されました』と言う内容が書かれ、全員から返答がきた。


「ぁ‥‥‥。 皆、――――――ありがとう」


翔はその内容を見て、感極まって涙を流した。

そして翔は今の状況と、ルチアを探して欲しいと言うことを書いて、再び皆に一斉送信した。


「‥‥‥待ってろ、ルチア」


翔は再び走り出した。

迷うことなく、我武者羅に走り続けた。

皆の返答を思い返しながら‥‥‥。



――――――『もちろん構わないぞ! お前は、俺の親友だからな!』


――――――『うん、良いよ。 翔は私の親友だから』



                ***


 夜空で輝く、無数の星々。

周囲には何もなく、――――――三人はそこで広い規模の魔法円を描いていた。

魔法円は巨大な円の中に、魔法文字(ルーン)を刻み、その内側にさらに円を描き、その円の中に六芒星を作って完成する。

その魔法円の中心に、黒い髪の少女は立っていた。

一枚の黒い羽衣が彼女の全身をウェディングドレスのように包み込み、キメの細かい肌が月明かりに照らされて神秘的な姿を見せる。

彼女、――――――ルチア=ダルクは、この魔法円の中である儀式を執り行おうとしていた。


「さぁ、始めようか」


彼、――――――冷羅魏氷華がそう言うと、全員が頷き、ルチア以外の全員は魔法円の外に出る。

そしてルチアは目を閉じて、魔力を全身に行き渡らせると、魔法円が光りだす。

ルチアの魔力色と同じ、黒い光を発したのだ。

冷羅魏は不気味な笑を零しながら、その光景を見つめていた。

黒き光はその輝きを増していき、そしてルチアの全身を激痛が襲い来る。


「うっ‥‥‥あっ‥‥‥あああッ!!」


全身を鋼で叩かれたような激痛が支配する。

ルチアは悶え苦しみながら、魔法円の光に包まれていく。

激痛のあまり、意識が飛んでしまいそうだった。


「くっ‥‥‥あっ!」


遂に全身が激痛に負け、意識が途切れた。

全身から力が抜け、そのまま体は前に倒れていく。


(しょ‥‥‥う、‥‥‥翔‥‥‥っ)


倒れる間際、ルチアの心の中に現れたのは、白銀の光を身に纏い、笑顔でこちらに手を伸ばす、相良翔だった。

いつも彼は、自分が辛いときに助けに来てくれた。

だからきっと、その光景が再び過ぎったのだろう。

けれど、もう彼はここには来ないだろう。

なぜなら、ルチアは彼を‥‥‥裏切ったからだ。

例え会えたとしても、彼は二度と笑顔で自分を見てはくれないだろう。

憎しみの、怒りの、殺意の眼差しで自分を見るのだろう。

‥‥‥それは、とても嫌だった。


(ああ、そういう、こと‥‥‥ね)


そしてその時、ルチアは気づいた。

自分の、本当の想いと、自分が求めていることを。


(私‥‥‥翔のことが、――――――好きなんだ)


二度と伝えられない想いを胸に、ルチアは意識を失い、暗闇の世界に落ちていった。

そして、ルチアの倒れる光景をただ見つめていた冷羅魏は、儀式によってルチアの体内から出てきた、ルチアの武器――――――鎌を手に持った。


「どうやら成功したようだ!」


その鎌は冷羅魏の手に収まると、ルチアの持つ魔力色『黒』と冷羅魏の持つ魔力色『水色』と混ざり合う。

この儀式は、精霊の力を魔法使いに移し替える儀式である。

精霊は魔法の根源を生み出し、魔法使いを上回る力を持っている。

それは、儀式によって魔法使いに移すことができる。

冷羅魏の目的は、ルチアではなく、ルチアの持つその圧倒的な力だったのだ。


「さぁ、始めようか!」


冷羅魏は高らかに言った。

先ほどの儀式の光で、こちらには多くの魔法使いが来るだろう。

その者に対して宣言する。


「この町にいる魔法使い、全員を根絶やしにする!」


冷羅魏の言葉に賛同するのは、澄野クロエ、不知火都姫だった。

二人は頷くと、二手に分かれて迫る魔法使いを迎え撃ちに行った。

残った冷羅魏はその場から動かず、魔法使いを待ち構えていた。


「さぁ来い‥‥‥皆殺しにしてやる」


殺意は彼を包み込み、精霊の力を手にした冷羅魏の全身は黒と水色の魔力が渦巻いていた。


戦いの時が、――――――近づいていた。 

 

第二話 光と闇の交錯 前編

――――――力の差は歴然だった。

無傷で涼しい顔をした、闇と氷を使う魔法使い/冷羅魏氷華。

火傷、切り傷、擦り傷、骨折、打撲、出血を全身にしている魔法使い達/相良翔、井上静香、護河奈々。

その周辺は、まるで爆撃でも受けたかのように荒れ果てていた。

大地は抉れ、穴だらけになっていた。

彼ら、相良翔達はこの場所にきた瞬間から、戦いは始まった。

翔、静香、奈々による同時攻撃。

そしてそれを迎え撃つ冷羅魏。

四名の一撃はぶつかり合い、一つの衝撃を生み出した。

その結果、翔達が負けて吹き飛ばされた。

三人の奥義すらも届かず、遂に全滅に至った。


「こんなものか‥‥‥」

「くっ‥‥‥」


冷羅魏は翔の頭を踏みおろし、グリグリと地面に擦り込ませる。

全身の痛みから、立ち上がることができない。


「このッ!!」

「ん?」


翔を狙うことに集中していた冷羅魏は、背後から迫る奈々に気づかなかった。

反応が遅れたことで防御はできず、奈々の回し蹴りを直撃した。

狙い通り、後頭部に直撃した。


「効かねぇなぁ!!」

「ッ!? きゃぁっ!!」


だが、奈々の一撃は冷羅魏に一つの傷もつけず、そしてそのまま裏拳で奈々の脇腹を当てて殴り飛ばした。

奈々は地面を削りながら飛ばされ、再び倒れる。


「閃光よ、全てを貫く槍となれ!!」


それとは反対方向から、淡い桜色の魔力を纏いながら冷羅魏を襲う一人の少女。

右手に持たれるレイピアは、魔力によって槍のように変わり、光の尾を引いて冷羅魏に迫る。

井上静香により、強力な一撃だった。

全てを貫く、閃光の槍――――――『|龍討つ閃光の桜槍(エンプレス・シュトラール)』


「邪魔だッ!!」

「そんなっ――――――!?」


だが、その一撃は届くことはなく、冷羅魏は右手で漆黒の鎌を横に振って、静香を斬り飛ばす。

幸い、魔力が全身を守ってくれたため、切り裂かれることはなかったが、それでも遠くに飛ばされて意識を失ってしまう。


「こんなもんなのか? お前ら、この程度で俺に挑もうとはな!」

「くっ‥‥‥そぉ!」


翔は立ち上がるため、白銀の魔力を全身に行き渡らせると、爆発させて衝撃波を発生させる。

衝撃波で冷羅魏の足は翔の頭から離れると、翔は瞬時にその場から離れ、立ち上がる。


「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥まだだッ!!」


そう言うと、右手に白銀の刀『天叢雲』を持った翔は脳内に流れる膨大な魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせて、魔法を具現化させる。

刀身に白銀の魔力が集結し、光り輝く刀へと変化させる。


「喰らえッ!!」


気合一閃、翔は腰を低くしてそのまま一気に駆け出すと、瞬時に冷羅魏の懐に飛び込む。

そして、上段の構えから勢いよく刀を振り下ろす。

白い残影を残し、その一閃は真っ直ぐに振り下ろされる。

光り輝く裁きの一閃――――――『|天星光りし明星の一閃(レディアント・シュトラール)』


「だから、――――――効かねぇんだよ!!」


そう言うと冷羅魏は左に一回転して鎌を振り下ろす。

その鎌に、闇の力と氷の力を込めて切り裂く。

 氷結に闇を纏わせた一閃――――――『|氷結刈り取る漆黒の刃(コンゲラートデス・シュトラーフェ)』。

翔の放った斬光は漆黒の氷に飲み込まれ、粉々に砕け散った。


「何で分かんねぇんだ? こんなこと、無意味に決まってる。 とっとと逃げればいいものを」

「うるさい! 俺達は無意味だなんて思ったことはない。 ここにいるのは、ただルチアを助けるためだ!」

「それも無意味だ。 あの女の生命力も、魔力も、もうほとんど残ってない。 お前らがいくら足掻いても、あの女は死ぬんだよ!」

「だから、それをさせないためにここにいるんだろうがッ!!」


翔は自身の持つ、様々な性質の魔力を放出させる。

白銀の魔力を主体に、炎・水・土・雷・木と言った、五つの性質と五つの能力を持つ魔力を、その一刀の刀に集結させる。

その膨大な魔力は、常闇の世界で強く輝き、オーロラが翔の全身を纏うように見せる。

翔が発動させる魔法は、限界まで魔力を使った最強の一撃。

脳内に溢れ、流れる膨大な魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせ、さらに五回に渡り魔法文字(ルーン)を組み合わせ、出来上がった合計六つの魔法文字(ルーン)を一つにする。

脳はオーバーヒート寸前まで熱くなるが、翔はやめようとしない。

限界の、さらに限界を突破した一撃を、翔は冷羅魏にぶつける。


「はぁぁぁぁああああああッ!!!」


右腕を天に上げ、左腕を前につき出す。

そして魔力が溜まったところで、翔はその一撃を放つ。


「天王星の力、我が全ての力を持って、総てを破壊せよ!」


翔は一歩前に足を出すと、そのまま一気に刀を振り下ろす。

すると、刀身を纏った魔力が、光速を超える速度で放たれる。

一直線に放たれた一閃は、大地を抉り、大気を震わせ、激しい爆発音をたてる。

その一生を終えるときに起こす大規模な爆発現象――――――超新星の如き魔法。

全てを持って総てを破壊する、天の魔法――――――『星光総て斬り裂く聖刀(スターダスト・ノヴァ・ブレイカー)


「待ってたぜ! その一撃を!!」

「んだとッ!?」


迫る中、優越に浸る笑を崩さない冷羅魏は、鎌を両手で握り、上段で構える。

そして迫る翔の一撃を、全力の魔力で迎え撃つ。


「おらっ!!」


漆黒の一閃と、翔の全力がぶつかり合う。


「ぐぅぅっ!!」

「いいぜ!! もっとだ!!」


光と闇がぶつかり合い、激しい爆発の閃光が、世界を包んだ。

ルチア=ダルクを救うための戦いは、始まったばかりだった――――――。  

 

第三話 光と闇の交錯 後編

――――――俺は、いつも考える。

なぜ、誰かの為に必死になるのだろうか?

なぜ、誰かの為に命をかけるのだろうか?

なぜ、誰かの為に戦うことができるのだろうか?


灯火町に来て当初、俺は平凡な高校生活を過ごしたかった。

何より俺はその頃、護河家との一件もあったから、誰かの為に何かをする余裕なんてなかった。

そのため、魔法使いになって最初の頃は、魔法使いという世界から一線を引いていた。

誰かを傷つけると言うことに、慣れたくなかったからだ。

護河家との一件で、奈々の父親と喧嘩をしたとき。

あの時の、血が沸騰したような感覚、全身の筋肉が引き締まる感覚、呼吸が荒くなり、熱を帯びる感覚。

そして、自分が自分で無くなるような、自我が崩壊していく感覚を思い出すと、魔法使いとして戦うということが怖かった。

あの時は、奈々が止めてくれた。

だけど、奈々がいない灯火町で俺は、果たして冷静でいられるのだろうか?

その不安と恐怖で、魔法と言う異能の力を使うことができなかった。

今でこそ魔法を使うことはできるけど、まだあの時のことがトラウマで、全力で魔法を使うことができず、魔力や本気をセーブして戦っている。

この灯火町で出会う人と仲良くなり、平凡な日常を過ごすこと。

そして、立派な大人になって、再び護河家に戻ろうとしていたのが、最初の頃の俺だ。

‥‥‥変わるきっかけは、やっぱりあの日の夜だろう。

この町に来て、まだ間もない頃、魔法使いとして生きることを決意してなかった頃、俺が出会い、そして失った‥‥‥一人の魔法使いが、俺を変えたのだろう。

馬鹿なまでに誠実で、生真面目で、正義感の高い少女。

そして、俺よりもずっと死に怯え、必死に抗い続けていた。

俺は、彼女を守れなかった。

失うことを経験した俺は、彼女と同じように苦しむ人も、魔法使いも、救ってあげたい‥‥‥守ってあげたいと思った。

例え、精霊であったとしても、それは変わらない。

守れなかった人の分まで、守ってみせると誓った。

だから俺は戦ってきた。

そんな中でも、特に守りたい人がいた。

誰よりも孤高で、それ故に孤独でいる少女‥‥‥ルチア=ダルク。

彼女を一目見て、俺は綺麗だなと思った。

孤高であるが故に持つ美しさ、気高しさ、勇猛さ。

彼女の全てに惹かれて、今も変わらない。

俺は、そんな彼女を知りたかった。

彼女の全てを知りたいと思った。

それからの俺は、彼女と共に魔法使いとして戦ってきたんだ。

‥‥‥だから、ルチアが冷羅魏の味方をした時‥‥‥俺ではなく、冷羅魏を選んだ時は、絶望した。

胸が締め付けられて、呼吸ができなくなりそうで、生きてる心地がしなくて‥‥‥。

これが、嫉妬とかなんだろな。

だから‥‥‥今、俺がここで戦っている理由。

それは、とても我侭で自分勝手なことなんだ――――――。


「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥」

「ふぅ‥‥‥流石だね。 まさか同等の力にまでたどり着くなんて」


話しは今に戻り、俺は冷羅魏との戦いを続けていた。

俺の全力による一撃は、あいつの全力によって相殺された。

魔力は全部使った‥‥‥残りはない。

魔法はもう使えない。

――――――だけど、俺の持つ魔法の本領は、ここからだ!


「聖なる星よ、我が星のもとへ集い、一つとなれ!」


この詠唱によって発動されるのは、攻撃でもなく、防御でもなく、補助でもない‥‥‥特殊魔法。

皆が言うには、俺の持つ魔法は例のない、あまりにも特殊な能力を持っているらしい。

魔法とは、一人一つの能力と性質を持つ魔法しか持つことができない。

その理由は確か、一人が持つには魔法と言うのはあまりにも強大過ぎるからだそうだ。

過去に何名かの魔法使いが、二つ以上の魔法を得る実験をしたことがあるらしい。

その結果は‥‥‥魔法の持つ強大な力を制御しきれず、魔法に食われて崩壊した。

そう。 魔法とは、それだけ強大にして危険なものなんだ。

そんなことがあるにも関わらず、俺は複数の能力と性質を持つ魔法を使うことができる。

武器は『天叢雲』のみだが、魔力許容量的に言えば、もっと増やせるそうだ。

多種多様な能力を持ち、戦うことも、守ることも、救うことも出来るのが俺の魔法。

その本質は、『星』の加護を受けた魔法。

炎は『火星』、水は『水星』、雷は『金星』、木は『木星』、土は『土星』となっている。

他にも『彗星』『星屑』と言った、特殊な星の加護も存在する。

それらは全て『星』と言う共通点を持つため、俺の魔法は一つに複数の能力と性質を持つ魔法と言える。

そして、そんな特殊な能力を持つ俺の魔法は、魔力を失ってこそ、その真価を見せる。

俺が発動した魔法は、空気中に散らばっている魔力を吸収して、失った魔力を補給する能力を持つ魔法。

魔法使いの中には、治癒魔法を持つ者はいるが、それはあくまで身体に対して効果があるだけで、魔力に対しては効果を与えない。

それに比べ、俺の持つ治癒魔法は異質で、身体のみではなく魔力も回復させることができる。

俺は今、空気中に散らばった皆の魔力を吸収し、傷も、体力も、魔力をも回復させた。

恐らくこの世界で、俺だけが持つ『魔力治癒魔法』。

 散りゆく想いを、相良翔(ほし)を中心に集結させる魔法――――――『想い集う白銀の星(ハイレンリヒト・スター)』。

今まで、本気で戦ったことのない俺にとって、この魔法を使うのはこの時が初めてだった。

だけど、出し惜しみは無しだ!


「冷羅魏氷華っ! お前との戦いは、まだまだここからだ!」

「そうこなくちゃなッ! 行くぜ!」

「このぉっ!!」


俺と冷羅魏は、同時に駆け出した。

刀と鎌が夜天の下で交じり合い、激しい火花を散らす。

火花は一瞬で俺と冷羅魏を照らし、互いの表情をはっきりと見せる。

俺の瞳に映ったのは、大きく歪んだ唇に、ニヤニヤとした笑を浮かべる冷羅魏の姿だった。

この戦いを、まるで楽しんでいるかのような笑に、俺は怒りを覚えていた。

あいつの持つ鎌は、間違いなくルチアの使う鎌だ。

それを使い、傷つけることを楽しむあいつが許せない。

俺は、白銀に輝く魔力を刀身に纏わせ、冷羅魏を狙って振るう。

冷羅魏はそれをひらりとかわし、バックステップを取りながら詠唱を始めた。


「生み出すは氷、放つは槍! 全てを貫く無限の氷槍ッ!」

「ッ!?」


冷羅魏の右掌は、魔力によって巨大な氷を創り出す。

そして氷は魔力によってさらに形状を変化させ、鋭い槍へと変える。

掌で完成した氷の槍は、渦を巻くように魔力を纏い、さらに鋭くなっていく。

筋力を魔力で強化させた冷羅魏は、槍投げの要領で俺に向けてそれを放った。

放たれた槍は轟音を立てて、大気を揺るがしながらロケットの如く、俺に迫った。

狙う者の全てを貫き、凍てつかせる最強の氷槍――――――『凍て射抜く破滅の冬(ピーケシュトース・フィンブル)』。

今までの中で、恐らく冷羅魏のもつ最強の魔法だろう。

その上、あの規模の魔法であれば、俺だけじゃない‥‥‥静香さん、奈々、そしてルチアまで巻き込むことができるだろう。

そう思った俺は、迎え撃つために魔法を発動させる。

想い集う白銀の星(ハイレンリヒト・スター)』を発動させたことで、俺の持つ魔法は上位魔法へと進化している。

これによって俺は、先ほどまで強かった冷羅魏と同等に渡り合えている。

今なら、冷羅魏の魔法を防ぎ、みんなを守るっ!


「星に集え、全てを切り裂く光ッ!」


白銀の魔力が、刀身を纏ってソラまで伸びる。

夜を照らし、白銀の光が俺を包む。

全てを貫く槍に対抗するのは、全てを切り裂く刀。


「はぁああああああッ!!!」


轟くような雄叫びをあげると、それに合わせるように魔力は輝きとその質を上昇させる。

ソラまで伸びた刀の柄を両手で握り、俺は上段の構えから一気に振り下ろす。

振り下ろされた刃は、全てを貫く氷の槍と正面からぶつかり合う。

全てを持って全てを切り裂く、白銀の刃――――――『星斬り裂く白銀の聖刀(ディヴァイン・ルミエール)』。

二つがぶつかりあった瞬間、空間が歪む程の激しい衝撃波が広がった。

鼓膜が破れそうになる程の轟音、大地に細かい亀裂が入るほどの振動、全身が弾けそうになるほどの衝撃。

耐え難い現象を、俺たちは魔力で全身を鎧のように纏って防ぐ。

そんな中でも、俺と冷羅魏の魔法は、拮抗して一歩も譲らないぶつかり合いを繰り広げていた。

歯を食いしばり、吹き飛ばされそうな程の衝撃に耐える。

ここで負ければ、俺だけじゃない、皆が傷つく。

今日この時、この場所にまで辿りつけたのは、俺の背にいる皆のおかげだ。

皆がここまで連れてきてくれた。

もう二度と‥‥‥絶対に、失わせない。

今度こそ、守るんだ!


「はぁぁあああああああッ!!!」


咆哮、そして魔力がその輝きを増し、巨大な爆発を起こす。

ビックバンを思わせるような程の強大な爆発を、俺は瞬時に魔力で作り出した障壁で防ぐ。

障壁で防ぐと、大地が吹き飛んで砂煙を作り出して、視界を悪くする。

先が見えなくなる中、俺は冷羅魏ではなく、ルチア達の向く。

意識を失っている三人に、衝撃波は当たっていないことに安堵した俺は、障壁が破壊されないように意識を集中させる。

両者の一撃は結局、互角の状態が続いて、そのまま相殺された。

恐らく冷羅魏も、俺と同じように障壁を作って、衝撃波を防いでいるだろう。

衝撃波が消えれば、すぐに新しい詠唱で魔法を作り出し、戦いが再開されるだろう。

そう考えながら、俺は衝撃波が消えるのを待つ。


「‥‥‥ッ!?」


激しい死闘の痕が残る中、爆風が消えて広がった情景に、俺は衝撃を受けた。

冷羅魏氷華はすでに、詠唱を唱えていたのだ。

両手で鎌を握り、腰を右に捻り、溜めの姿勢をとっていた。

鎌には、冷羅魏の持つ氷の性質を持つ水色の魔力、ルチアの持つ闇の性質を持つ漆黒の魔力が二つの線となって渦を巻くように覆う。

先ほど‥‥‥いや、今までよりも遥かに上回る、膨大な魔力と殺気を感じる。


「まさか‥‥‥さっきまでの魔法は、この為の布石だったのか!?」


先程まで、俺たちは死に物狂いで戦った。

ついさっきのぶつかり合いは、俺と冷羅魏の全力のぶつかり合いだと思っていた。

‥‥‥だけど、それら全ては、今から発動されようとしている冷羅魏氷華の持つ奥の手の為の、布石だった。

魔法は、強力なものになればなるほど、詠唱から発動までに時間がかかる。

そして詠唱から発動までの時間がかかれば、それは敵からすれば最大のチャンス。

だが、もし発動に成功すれば、その威力は想像もつかないものとなる。


「我裁きしは裏切りの罪。 氷と闇、今交わりし時、嘆きの川より永久の地獄、与えられん!」


冷羅魏の持つ氷の性質を持つ魔力と、ルチアの持つ闇の性質の魔力が二重螺旋となって、漆黒の鎌を包み込む。

禍々しいオーラと、吐息が凍る程の冷気を放つ。

詠唱が終わり、あいつは俺を狙って奥の手である最後の一手を放つ‥‥‥。

だけど、俺は違和感を覚えていた。

ルチアや静香から教わったことだが、魔法使いは戦いの中で、相手の『気配』と言うものには極めて敏感になるらしい。

気配のみならず、五感全てが敏感になり、所謂『超感覚』を身につける。

俺も戦いの中で、超感覚と言うのがどういうものかを理解した。

これを駆使することで、敵がどこに隠れていても、五感全てが探り当てることができる。

だが、気配だけでは気づけないことがある。

いくら気配が読めても、敵が誰を攻撃するか、どんな攻撃をしてくるかまでは予測できないらしい。

‥‥‥だが、俺は特殊だそうだ。

俺は気配だけでなく、『殺気・思考』を予測することができる。

これにより、敵が誰を狙い、誰をどう攻撃するかを予測できる。

ただし、それはあくまで予測に過ぎないため、多様はできないし、信頼しきれない。

それでも、今この状況でこの予測は、信用するに足るものだと俺は思った。

だから俺はこの予測を信じ、そして行動する。


「雷より求めよ、神速の光ッ!!」


俺は脳内に駆け巡る膨大な魔法文字(ルーン)を複雑に組み合わせ、魔法を発現させる。

発現させたのは、金星の加護を受けた『雷』の魔法。

初めて魔法使いになった時から使っている、雷の如く大地を駆ける光速移動魔法。

――――――『|金星駆ける閃光の軌跡(ブリッツ・ムーブ)』。

俺は光速で駆け出し、――――――ルチアのもとへ向かった。

冷羅魏の殺気は、俺に向いていなかった。

先程まで、ずっと俺に向いていた殺気が違う方向に向いていた‥‥‥それが、俺の感じた違和感の正体。

恐らく、ルチアを狙えば俺が必ず守るために走り、庇うのを分かっていたのだろう。

そしてそこは、俺にとっての隙となり、ルチアと俺‥‥‥一度に二人を殲滅できる。

それが、冷羅魏氷華の狙いだろう。

‥‥‥悔しいけど、俺にはルチアを庇うことしかできない。

冷羅魏の企み通り、俺はルチアを庇ってこの命を失うだろう。

‥‥‥まぁ、それでも構わないか。

冷羅魏はこの一撃で、恐らく魔力の大半を失うだろう。

あとは、他の仲間に任せればいい。

俺はただ、守りたい人を守れれば‥‥‥それで、――――――それで十分だ。


「ルチアッ!!」


俺は仰向けで倒れるルチアの傍に辿りつくと、首と腰に手を回し、そっと抱き寄せる。

白く、きめの細かい肌がすぐ目の前にあった。

全身は氷のように冷たく、まるで死者のようだ。

だけど、心臓の鼓動が聞こえる‥‥‥生きている。


「よかった‥‥‥ルチア‥‥‥」


俺は安堵の息を漏らすと、白銀の魔力を体内から大量に放出させる。

白銀の魔力は強く輝き、俺とルチアを優しく包み込む。

そして、それと同時に冷羅魏の魔法が放たれた。


「二人揃って、仲良く氷漬けになれ、――――――永遠にな」


鎌を大きく振るうと、鎌に溜まった魔力が一気に放出され、尾を引きながら巨大な一閃が放たれる。

通った場所を、瞬間凍結させる光景は、まるで迫る氷河期のようだ。

死を与えず、死より苦しい地獄を与えし永久の氷河――――――『|全て裁く永久の地獄(コキュートス)

俺たちはあの氷に包まれ、死ではない永遠の地獄を味わされるのだろう。

――――――そして、その一撃は俺の背を直撃し、巨大な爆発を巻き起こした。

俺とルチアは、水晶によく似た、ダークブルー色に光る氷の中に、封じ込められたのだった――――――。


                   ***


――――――正直、悔しくないと言うと、嘘になる。

本当は、すごく悔しくて、怒りを覚えてしまう。

それは、たった一人しか守れなかったこと、冷羅魏を倒せなかったことだ。

ルチアを守れたと言っても、それは死を回避させただけであって、氷漬けにされてしまったのは事実だ。

結局俺は、何もできなかった。

そう思うと、俺の胸からは、熱く込み上げてくるものがある。

本当はもっと抗いたい。

指先一本でも動かしたい‥‥‥戦って、勝ちたかった。

だけど、俺には力が足りなかった。

氷漬けにされて、体は一ミリも動かない。

今の俺は、本当に無力だ。

こんなところで、俺の旅は、終わってしまうのだろうか?

あのソラに届かず、俺の全ては終わるのだろうか?


――――――イヤだ‥‥‥イヤだッ!!

――――――まだ‥‥‥まだ、終わりたくないッ!!

――――――こんなところで、俺の旅を終わらせたくない!!

――――――頼む‥‥‥こんな、無力な俺に、ほんの少しでいいから‥‥‥抗う力を、守る力を!

――――――力をくれるなら、鬼でも悪魔でもいい。 どんな代償でも支払って、ルチア達を守ってみせるから。


目の前には、俺に巻き込まれて氷漬けになっているルチアがいる。

彼女の姿を身ながら、俺の思考は真っ白に染まる。

怒り、後悔、絶望が俺を支配していく。

魔法使いになって、魔法を使えれば、みんなを守れると思っていた。

魔法は、どんなファンタジーの物語でも、誰かを幸せにしてくれた。

俺は、そんな魔法使いになりたかった。

皆は俺の魔法を、特別なものだと言ってくれた。

普通とは違う、特殊なものなのだと言ってくれた。

だから俺は、その特殊な力で、俺だけにしかできないことをしたかった。

――――――だけど、俺には何もできなかった。

失ってばかりの道だった。

今、ここで無力に、そして無様に殺されず、ただ凍結させられているのは‥‥‥当然の報いなのだろう。

だけど‥‥‥それでも‥‥‥俺の報いに、ルチアを巻き込みたくなかったな‥‥‥。


――――――『どうしてこんな時に、私のことを考えるのよ?』


不意に聞こえたその声に、俺は冷静に答えていった。


「そりゃそうだろ? だって俺は、お前を助けるためにここに来たんだから。 それなのに、守れず、助けられず、結局は負けた。 俺、駄目な奴過ぎるだろ?」


――――――『ええ。 ほんとに駄目な人ね。 |人じゃない存在(わたし)なんかを守るなんて‥‥‥お人好しなのか、又は大馬鹿ね』


「‥‥‥分かってる。 俺は確かに、大馬鹿だよ。 それでも俺は、命を賭けて、お前を守りたかったんだ」


――――――『何もわかってないッ! あなたは、私がどういう存在なのか、全然わかってない!! 私は、皆を騙してきたのよ!? 精霊って事実を隠して、あなた達を騙してきたのよ!? それに、私はあなたを裏切った! あなたが私を助けてくれた時、私は冷羅魏の味方をして、あなたを傷つけた!! それなのに‥‥‥どうして‥‥‥!?』


「分かってるよ。 ずっと前から‥‥‥分かってたよ」


――――――『え‥‥‥?』


「この灯火町に来て、最初の頃‥‥‥一週間もしない頃、瞳さんから、ルチアが人じゃなくて精霊であることを聞いてた。」


――――――『嘘‥‥‥それじゃ、どうして私なんかの傍に‥‥‥?』


「‥‥‥そんなこと、決まってる。 俺はその答えを、瞳さんにも言った」


あの時、斑鳩瞳さんは俺を信じていたから、ルチアの真実を伝えたんだ。

だから俺は、俺の思うことを言った。

例え精霊であっても、ルチアがルチアであることは変わらないから。

俺は‥‥‥精霊であることなんて、どうでも良かったんだ。


「ルチア。 俺は、ルチアのことが‥‥‥ルチア=ダルクのことが――――――好きなんだ」


――――――『しょ、翔‥‥‥』


「精霊でも、人でも、どっちでもいい。 俺はただ、ルチアのことが好きで、大切な人で、この町で出会った守りたい存在なんだ」


――――――『‥‥‥良いの? こんな、偽りの存在でも?』


「ああ、良いよ」


――――――『精霊でも? 裏切り者でも?』


「もちろん」


――――――『私、めんどくさいわよ? 迷惑ばかりかけるわよ?』


「知ってるよ」


――――――『‥‥‥やっぱり、あなた、大馬鹿ね』


「‥‥‥そうだな。 でも、ルチアを好きでいられるのなら、俺はずっと、大馬鹿でいい。 俺はルチアを、愛してる」


――――――『‥‥‥ほんと、大馬鹿ね。 だけど、ええ、そうね。 私は‥‥‥そんなあなたが、相良翔が、――――――嫌いじゃないわ』


「‥‥‥だったらルチア。 俺と一緒に、戦ってくれないか? 一緒に戦って、今度こそ、嘘のない真実の日常を始めないか?」


――――――『‥‥‥そうね。 こんな私でも、私を愛してくれる人がいるのなら、そんな日常も悪くないわね。 ええ、お付き合いしましょう。 どこまでも、あなたと――――――翔と一緒にッ!!』




その声は、その言葉は、遠ざかっていく俺の意識を一瞬で覚醒させた。

消えていた五感も一気に回復し、魔力も体力も全てを取り戻し、俺は目を大きく見開いた。


「ぉぉおおおおおおおおおッ!!!!!」


喉の奥から、溢れ出る咆哮。

溢れ出る想い。


「はぁぁああああああああッ!!!!!」


歯を食いしばり、永遠の地獄に抗うように叫びながら、全身へ魔力を行き渡らせる。

体を動かそうとすると、強力な魔力によって作られた氷が重く、固く、俺の動きを封じようとする。

こんな、たかが氷なんかに屈するわけにはいかない。

こんな、想いの欠片もない物体に、俺とルチアの恋路を邪魔させたりはさせない!


「はぁッ!!!」


覇気のある声と共に、俺は全身に行き渡った魔力を一気に放出し、俺を封じる氷を粉々に粉砕させる。

立ち上がった俺の足元には、砂のように砕け散った氷が散らばる。

そして俺の両腕には、お姫様抱っこされたルチア=ダルクがいた。

彼女は細める程度に目を開け、こちらを見つめていた。

俺は彼女に向かってそっと微笑み、小さな声で言った。


「やっと、お前に届いた気がする」


そう言うと、ルチアもそっと微笑み返して言った。


「そうね。 遠くて、長い道のりだったけれど、 ようやく届いた」

「ああ」


俺とルチアが見つめ合っていると、奥の手を破られた冷羅魏が驚愕の表情でこちらに言った。


「お、お前ら‥‥‥どうやって、永久の地獄を‥‥‥!?」

「俺たちなら、それくらいのことは造作もない」

「そういうことよ」


俺とルチアでそう答えると、冷羅魏は頬と眉を大きく歪め、苛立った声で罵倒するかのに言った。


「ふざけるなッ!! そんな簡単に‥‥‥俺の魔法が‥‥‥ッ!?」


俺は、訝しい顔をする冷羅魏を無視し、脳内で流れる一連の詠唱を口にした。


「『我、魔法使いの名のもとに、汝、精霊との契約を望む。 受け入れしは、魔の全てを共有せし、否定せしは魔の全てを拒絶する。 我、魔法使いは汝、精霊の返答を求む』‥‥‥ルチア、俺と一緒に戦ってくれるな?」


これは、『精霊系魔法使い』になるための、契約詠唱。

受け入れれば、俺とルチアは精霊系魔法使いになる。

その答えを、ルチアに聞いた。

彼女は、なんの迷いもなく、優しく微笑んで真っ直ぐな瞳で答える。


「ええ。 我、精霊の名のもと、汝、魔法使いとの契約を受け入れます。 私の全ては、あなたのものです、翔」

「ありがとう、ルチア」


俺は両腕を使って、ルチアを抱き寄せる。

そしてそのまま、ルチアの桜色の唇に、俺の唇を重ねた。

一瞬だけ驚いて身を固めるルチアだが、すぐに受け入れて、俺の体に腕を回して、抱きしめ返した。

すると、――――――俺とルチアの持つ、白銀の魔力と漆黒の魔力は二重螺旋を作り出して、俺とルチアを覆う。

そして俺とルチアはそのまま二つの魔力に包まれ、一つの魔力に収束する。

収束した魔力はしばらくすると、小さく爆発して、中から一人の影を作り出した。

光と闇に包まれた、黒いラインが入った白の服とズボン、そして黒い柄に、白銀の刀身を持った刀を持つ少年の姿がそこにあった。


「まさか‥‥‥精霊契約をしたのか!? ほとんど魔力を持たない魔法使いと精霊が契約をすれば、どうなるかわかってるのか!?」


未だに驚愕を隠せない冷羅魏は、精霊系魔法使いの代償を言った。

そう。 俺とルチアの魔力はほとんど残っていない。

そんな状態で契約をすれば、身体にかかる負荷は計り知れない。

下手をすれば、死を迎えるかもしれない。


「これは、俺たちの意思だ。 俺たちが望んだことで、それを実行しただけだ」


俺は右手人差し指で冷羅魏を指差して、目を見開きながら言った。


「そして、お前を、冷羅魏氷華をここで倒すッ!」


光と闇を得た魔法使いと、氷と闇を得た魔法使いの戦いは、いよいよ結末に向かう――――――。 

 

第四話 終わる夜、始まる朝

俺、相良翔が使っていた天叢雲は、黒いラインが刀身に入り、黒い柄となり――――――『天照(あまてらす)』と言う刀へと進化を遂げた。

魔法使いとしての姿である白銀の服も、黒いラインが縦に入り、新たな姿であることを証明する。

そしてルチアは、俺の中に魔力として溶け込んで一つとなった。

ルチアの声は、俺の脳にテレパシーとして伝わる。


(翔。 行くわよ!)

「ああ。 準備はできてる!」


俺は刀を立てて右手側に寄せ、左足を前に出して構える。

冷羅魏も同じ構えをとり、俺と冷羅魏は共に八双の構えとなって打ち込む機会を探り合う。

俺とあいつの間にある空間では、光と闇の魔力と、氷と闇の魔力が共に二重螺旋を作り出し、天に登りながらぶつかり合っていた。

この短い期間で、俺と冷羅魏は互いの手の内を見せ合っている。

つまり、次にどの一手を打つか、先読みされやすくなっている。

ほんの僅かな動作の気配で行動は読まれ、狙いや攻撃の意図は察知され、その動きは封じられ、隙となってしまう。

だから、この瞬間、俺と冷羅魏は同時に駆け出した。


「せいッ!!」

「おらっ!!」


気合を放ちながら駆け出した俺と冷羅魏は、丁度中央で刃と刃をぶつけ合った。

なんの技でもない、そんなひと振り同士のぶつけ合いにも関わらず、ぶつかり合った衝撃で、二人を中心に大地に巨大な地割れが発生した。

だが、その衝撃波によって俺たちが吹き飛ばされることはなかった。

衝撃波を受けながらも、俺は次の攻撃に出る。

両足に魔力を集中させ、脚力・移動速度を上昇させる。

ダンッ!! と言う音を立てながら右足で地面を蹴り、俺は一瞬にも満たない速度で冷羅魏の背後に立ち、刀を腰に添え、居合切りの構えになる。


「ルチアッ!!」

《分かってるわッ!!》


俺がルチアの名を呼ぶと、脳にルチアの返事が伝わる。

俺の持つ、精霊の為に用意された『固有空間』と呼ばれる中で、ルチアは存在している。

精霊系魔法使いとの契約の際、魔法使い側には固有空間と呼ばれる特殊な空間が作られる。

その空間は、魔力の光に包まれた宇宙空間――――――ルチア談――――――らしい。

そこで放たれる行動や声は、魔法使いの脳にテレパシーとして伝わる。

逆に魔法使い側の思考や行動も、精霊の脳にテレパシーとして伝わる。

つまり精霊系魔法使いとは、精霊と魔法使いが一心同体になると言うこと。

そして今、俺とルチアの身体能力・ステータス・魔力量・技など、全てが共有されている。

そんな俺がルチアに命令したのは、ルチアの魔法の発動だ。

精霊の使う魔法は、固有空間にいる精霊による詠唱、魔法使いによる具現化によって成り立つ。

これを――――――『共鳴魔法』と呼ぶ。


《傲慢を切り裂け、闇の|邪刀(じゃとう)ッ!!》


俺の刀は、白銀と漆黒の魔力が二重螺旋となって絡まり、そして変化して刃となる。

光と闇、決して交わることのない二つが今一つとなり、目前の敵を切り裂く刃となる。

そしてこれは、大罪を切り裂く一閃――――――『傲慢斬る堕天使の一閃(スペルビア・ルチーフェロ)』。

放たれた一閃は光の尾を引き、闇の刃が背後から冷羅魏を切り裂かんと迫る。


「がぁっ!?」


冷羅魏は魔力で全身を強化して、一瞬にしてこちらに振り向いた。

だが、それよりもルチアの魔法/俺の刃が冷羅魏の腹部を横一線に切り裂く。

彼の腹部から鮮血が飛沫をあげ、俺の刀とコートに付着する。

だけど、手応えがあまり感じ取れないところを見ると、恐らく深くは入っていないだろう。

恐らく臓器まで達することはなかっただろう。

俺は一撃の後に生まれる隙を突かれないように、再び魔力で脚力・移動速度を上昇させて後ろに飛ぶ。

離れた位置に着地すると、俺は再び八双の構えになる。

全身に魔力を行き渡らせ、全ての攻撃が来ても対応できるようにする。


「調子に‥‥‥乗るなよッ!!」


冷羅魏は怒りながらそう言うと、彼を中心に、空中に千を超える氷の槍を作り出した。

ソラは氷の槍によって見えなくなり、避けることのできない量に余裕を感じた冷羅魏は笑を見せた。


「無限の氷槍よ、天より降り注ぎ、迫る敵全てを貫けッ!!」


詠唱と共に、ソラに広がる氷の槍はマシンガンの如く音立てながら高速で落下して、俺たちに襲い来る。

天を包み、天から裁く氷の槍――――――『()

「ああ、そうだ!」


俺とルチアは、互いに理解し合っていた。

この窮地は、必ず脱することができると。

その手段は、ルチアが持っている。


《嫉妬を切り裂け、闇の|邪刀(じゃとう)ッ!!》》


俺の刀は再び、白銀と漆黒の魔力が二重螺旋となって絡まり、そして変化して刃となる。

光と闇、決して交わることのない二つが今一つとなり、無限の槍を切り裂く刃となる。

これは、大罪を切り裂く一閃――――――『嫉妬斬る堕天使の一閃(インウィディア・ルチーフェロ)』。

放たれた一閃の周囲で無数の斬線が駆ける。

それは迫り来る氷の槍を切り裂き、粒子状にして消滅させた。


「な‥‥‥に‥‥‥!?」


驚き、後ずさりする冷羅魏を無視し、俺は更に攻めに転じる。

冷羅魏の懐まで駆け、次の一撃を加えようとする。

冷羅魏の鎌がそれを受け、反撃に転じようとするが、俺はそこで動きを止めた。

俺が動こうとすると、冷羅魏の体が後ろに下がる。

俺と冷羅魏の戦いは、荒れ狂う膨大な魔力によって包まれていたのだ。

技同士のぶつかり合いによって発生する魔力の衝撃波もそうだが、それとは別の魔力がまるで生きているかのように俺と冷羅魏の上空で渦を巻き、ぶつかり合っていた。


《翔ッ! 下がってッ!!》

「ああッ!」


危険を察知したのは、ルチアだった。

ルチアの指示に従い、俺は素早く後ろに下がった。

すると上空で渦を巻いていた冷羅魏の魔力が竜巻となって先ほどまで俺のいた位置に落下してきた。

魔法ではなく、魔力のみによる攻撃――――――『|魔龍激(まりゅうげき)』だ。

魔法使いであれば誰でも使える基本技の一つなのだが、大量の魔力を消費するため、多様する人は滅多にいない。

だが、この技は発動に成功すれば中々強力な性能を持っている。

高い攻撃力、そしてもう一つが――――――追尾機能だ。

冷羅魏の魔龍激は氷の水色と闇の黒が混ざった色となり、地面から方向を変えて再び俺に迫ってきた。

この技は発動に成功させると、使用者の意思によって自由に動き回らせることができる。

ただしそれもまた、膨大な魔力を消費するので、俺や冷羅魏のように、魔力量が多い魔法使いくらいしか使わない。

恐らく冷羅魏はこの魔龍激で俺たちを追い込もうとしているのだろう。

それを証拠に、魔龍激から感じ取れる魔力量はかなり高い‥‥‥掠めただけでもダメージは大きいだろう。

ならば、やはり避けるのではなく、迎え撃つしかない。


《憤怒を切り裂け、闇の|邪刀(じゃとう)ッ!!》


俺の刀は、白銀と漆黒の魔力が二重螺旋となって絡まり、そして変化して刃となる。

光と闇、決して交わることのない二つが今一つとなり、迫る強大な魔龍を切り裂く刃となる。

これは、大罪を切り裂く一閃――――――『|憤怒斬る堕天使の一閃(イーラ・ルチーフェロ)』。

一閃はその膨大な魔力によって巨刀となって俺の手に収まり、振り下ろすと斬線の形を保った魔力の刃が進行上にある魔龍激を寸断していく。

俺は魔龍激を切り裂きながら、走り出した。

豪快な音を立てながら切り裂き、駆け抜ける俺は次の一手を考えると、それを察したルチアが無言で頷いた。

そして全てを切り裂いた後、ルチアが更に詠唱を行う。


《怠惰を切り裂け、闇の|邪刀(じゃとう)ッ!!》


俺の刀は、白銀と漆黒の魔力が二重螺旋となって絡まり、そして変化して刃となる。

光と闇、決して交わることのない二つが今一つとなり、眼前の敵を貫く槍であり、刀になる。

これは、大罪を貫く一閃――――――『怠惰突く堕天使の一閃(アケーディア・ルチーフェロ)』。

前方に向けて剣先を突き出して放つと、刃が伸びて距離を伸ばし、冷羅魏の持つ鎌の刃に直撃する。


「ぐぅっ!!」


手から武器が飛ばされてしまわないように、冷羅魏は必死に握り締める。

抵抗するために、冷羅魏は精一杯の力を振り絞って鎌を地面に叩きつける。

すると俺の突きはいなされ、軌道が逸れて冷羅魏を通り過ぎる。

俺は背後から攻められないように、素早く魔法を解除して振り返る。

そして刀をしっかりと握り直し、再び八双の構えになる。


「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥っ」


体力、魔力共にかなり消費した冷羅魏は、どうやら限界が来ているらしい。

肩まで息が上がり、脚が震えているところは、もはや立っているのが限界なのだろう。

気は抜けないけれど、最初の時よりも俺には心に余裕が出来ていた。

勝てる自信、負けない余裕、それが俺とルチアにあった。

油断なんてしていない。

けれど、俺は絶対に勝つという自信があった。

俺の大切な人が、誰よりも近くにいてくれるから、恐ることがない。

だから俺は、魔力を刀身に込めながら言った。


「決着をつけよう。 白銀の堕天使と、凍結の悪魔のな‥‥‥。 ルチア、行くぞ」

《ええ。 いつでも》

「くっ‥‥‥」


白銀・漆黒の魔力の輝きが増していくと、漆黒の鎌を携えた冷羅魏は頬に動揺の色が現れた。

そして俺が一歩進むと、一歩後退る。


「逃げるんじゃないぞ? 俺とルチアが今まで戦ってきた人は、誰一人逃げたりはしてない。 俺の知る中では、お前は誰よりも強い。 だけど今のお前は、誰よりも弱いぞ?」

「んだ‥‥‥とッ!!?」


その瞬間、冷羅魏の表情は一層大きく歪んだ。


「俺は負けてねぇ! 俺は弱くねぇ! 俺は強い、最強だ! まだまだ俺は本気じゃねぇ!!」

「強がりはその辺にしておけ。 今なら降参したって構わないんだぞ?」

「くっそ‥‥‥舐めやがってぇ!!」


冷羅魏は鎌を俺に突きつけ、更に叫ぼうとするが、全身が悲鳴を上げている冷羅魏は遂にガクッ!と音を立てながら膝をついた。


「無理して動かない方が良いと思うけど?」


立ち上がろうとする冷羅魏に、俺はそう声をかける。


「いくら魔力で強化された体であろうとも、無理をすれば筋肉が壊れるぞ?」


今でさえ、ルチアの持つ膨大にして強大な魔力を使っているんだ。

そんな状態で、身体能力、魔力量を増大させている。

人間の体にだって限界があり、無理をすれば身体が持たないという事に繋がる。


「てめぇらに、何が分かるんだ?」


全身を無理矢理、魔力で強化して起き上がらせながら冷羅魏は言う。


「生まれてすぐに親に捨てられ、生きる意味も分からない中で周囲に生きろと言われ、そして何かをしなければいけないと突き動かされてしまう気持ちは、お前らのような裕福な奴らには分からない!!」

「‥‥‥」


はっきりと言われた俺は、無言で、そして無表情で冷羅魏に言った。


「俺だって、人生の何もかもが幸せだったわけじゃない。 むしろ不幸だったらからここにいるんだ。 孤児院で育って、義理の家族が出来て、義理の家族を、義妹を傷つけたからここにいるんだ」

「‥‥‥」

「不幸だからって、被害者だからって、誰かを裁く権利を得るなんてことはない。 お前が本当にするべきだったのは、お前と同じ境遇の人を、救ってあげることだったんだ」


俺はそう言い切ると、魔力が刀身を纏い、ルチアの詠唱が終わった刀を両手でしっかりと握り締め頭上に振り上げ、上段の構えになる。


「お前は間違えた。 だからここにいて、俺と戦っている。 ただ、――――――それだけのことだ」


息が届く程の距離についた俺は、刀を振り下ろした。

白銀の光の尾を引き、その一閃は闇を纏いながら迫る。

大罪を切り裂く一閃――――――『強欲斬る堕天使の一閃(アウァーリティア・ルチーフェロ)』。


「ふざ‥‥‥っけるな!!」

「ッ!?」


その瞬間、冷羅魏は全身に鞭を打って魔法を発動させた。

上段で刀を振り下ろす俺。

斜め上から鎌を振り上げる冷羅魏。

その間で、俺と冷羅魏の間で激しい火花が散った。

互いの刃はぶつかり合い、拮抗する。

それが、冷羅魏の抵抗なのだ。


「ふざけるな! 俺は認めない! 俺が負けるなんて認めない!!」

「いや! お前は俺たちには勝てない! 絶対にだ!!」

「ぐぅぅぅッ!!」


均衡はすぐに崩れた。

俺の刃が押して、冷羅魏は力尽きて切り裂かれる。


「ぐあっ!?」

「まだだッ!!」


肩から切り裂いて、刃が地面擦れ擦れにある中、俺はさらに追撃する。

刃の向きを逆にして、下段の構えからさらに魔法を発動し、刃を振り上げる。

光の尾を引き、闇の一閃が天に昇るかの様に放たれる。

大罪を切り裂く一閃――――――『|暴食斬る堕天使の一閃(グーラ・ルチーフェロ)』。

ソラまで昇る白銀と漆黒の魔力。

そして飛沫をあげる冷羅魏の鮮血。


「ぐはぁッ!!」


右腕/左腕の付け根を切り裂いた。

だからもう、彼は武器を持てない、――――――戦えない。

これ以上は戦いにならないから、事実上では俺たちの勝ちだ。

‥‥‥だけど、冷羅魏は諦めていない。

それを証拠に、全身に流れる魔力は、その流れを止めていない。

俺も、このまま終わらせるつもりはない。

つまり、俺は今から、――――――彼を殺す。


「復讐は、誰にでもある。 だから俺は、お前の生き方を肯定も否定もできない」


両親から育児放棄によって捨てられ、俺と同じ様に孤児院で育った彼。

親というものを信じられず、そして親という存在を憎んでいた。

その憎しみは、魔法使いとなった彼をさらに外道の道に落とした。

もし、彼が両親に恵まれ、普通の人間の平凡な日常を送っていたら‥‥‥。

もし、俺が両親や家族を恨み、今ここにいたら‥‥‥。

もしかしたら、俺と冷羅魏の立場は、逆になっていたかもしれない。

俺と冷羅魏は、紙一重なんだ。

だから俺は、必要以上に彼を怒れない。

‥‥‥でも、今ここにいる俺が、彼に言える最期の言葉はただ一つ。


「俺はお前を倒す。 それが、ここにいる俺の立場だ」


呟くと、俺は刀を振り上げた。

振り上げた刀は白銀と漆黒の魔力が互いに交わり、一刀の刃へと変化する。


「詫びるつもりはない。 これで、――――――最期だッ!」


そして俺は、――――――刀を振り下ろした。

大罪を切り裂く一閃――――――『色欲斬る堕天使の一閃(ルクスリア・ルチーフェロ)』。

振り下ろされた一閃は、冷羅魏を切り裂くと、冷羅魏は白銀の光に包まれる。

そして光に包まれた冷羅魏は、その姿を消滅させた。

優しい祝福の光に包まれ、絶望の闇に飲み込まれた冷羅魏は、この世界から消滅したのだった――――――。


                       ***


<AM6:00>


「――――――終わったな」

「そうね‥‥‥」


朝日が登り、灯火町を明るく照らし出す。

光は俺と、俺の背中に背を預けて座るルチアの顔から全身に当たる。


「ようやく朝か」

「長い夜‥‥‥だったわね」

「ああ。 本当に‥‥‥長い、悪夢を見ているような気がしたよ」

「ふふっ‥‥‥そうね」


ルチアの微笑む声が聞こえた俺は、その微笑みを見たくて顔だけを振り向かせる。


「んッ!?」

「んっ‥‥‥」


振り向いた瞬間、俺の唇に、ルチアの唇が重なった。

柔らかな感触に、俺の頭の中が真っ白になる。

理性を取り戻そうとするが、ルチアの吐息が香り、それを許そうとはしなかった。


「翔‥‥‥好きよ」


ルチアの瞳から、大粒の涙が零れ落ち、朝日が反射して煌めいた。


「愛してる」

「‥‥‥俺も、ルチアのこと、――――――愛してる」


俺の返事を聞いたルチアは、そっと顔を近づける。

まるでそれが合図だったかのように、どちらからともなく唇が重なり、互いにぎこちないキスを交わした。

唇が触れるだけの、単なるキスだ。

けれどそれは俺にとって、ずっと欠けていたものを、やっと取り戻したかのような充実感を全身に与えるものだった。

そして二度と失いたくない、手放したくなくて、俺とルチアは互いにそっと抱きしめた。


「やっと‥‥‥守れた。 取り戻せた‥‥‥俺、やっと‥‥‥」

「ええ。 ありがとう、翔」


――――――『ありがとう』。

その一言が、こんなにも幸福感や満足感を与えるものだったとは思わなかった。

そして、この一言に辿りつくまで、長い道のりだったと思うと、なんとも言えない感情が奥底から溢れてくる。

だけど、今の俺が言いたいことは、ただ一つ。


「ルチア! お帰りなさい!」

「ええ、ただいま!」


守ること、取り戻すことができた、最愛の人への再会の言葉だった。

そして俺とルチア、そしてこの灯火町で巻き起こる、長い長い夜は終りを向け、新たな朝が始まるのだった――――――。



‥‥‥それから、数ヶ月後。 

 

最終話 別れのソラ

――――――相良翔が灯火町に来て、半年近くが経過し、季節は春へとなった。


「それではこれより、第**回灯火学園卒業式を執り行います」


灯火学園・体育館にて、校長先生の一言から、卒業式が始まった。

今日この日、いよいよ三年生は卒業式を迎え、この学校を卒業する。

桜が満開となり、道行く人を魅了し、気持ちを高鳴らせる季節。

彼女、井上静香を始めとする卒業生は、感極まって涙を流しながら卒業証書を受け取り始めていた。

気づけばこの日になるのはあっという間のことで、今までに起こった様々な事件は一瞬のように感じる。

そして、こう言う日だからこそ、今までに起こった過去の出来事が、滝のように溢れ出てくる。

決して良いものばかりではなかったけれど、俺たちにとってそれは、間違いなく大切な想い出だった。

それを忘れずにいることを心に誓いながら、卒業生は卒業証書を受け取る。

証書授与が終わると、卒業生代表の言葉となり、代表として静香さんが皆の前に出て一礼し、マイクの高さを調節し、優しい笑みで話しだした。


「本日はお日柄もよく、私達の門出に相応しい日となりました。 本日、この卒業式と言う日を迎えることができたのは、本日まで未熟だった私達を育ててくださいました、ご両親、教職員、地域の皆様のおかげです。 まずはそのことに深く感謝をさせていただきます」


そう言って深々と頭を下げ、さらに話しを続けた。

今日までに起こった様々な出来事、学んだこと、感謝していること。

その全てを、全卒業生を代表して語った。

誰一人、それを飽きずに聞いているのはきっと、井上静香と言う存在に対して、この学園全員が信頼して、尊敬していたからに違いない。

そしてもう二度と、彼女が前に立つ光景を見られないのだと言う事実への寂しさ。

だからこそ、最後の言葉はしっかりと聞こうと、この場にいる誰もが思っていた。

彼女の優しく、力強い言葉を、最後まで‥‥‥最後まで。


「‥‥‥では最後に、私の個人的な想いを述べます」


彼女の中でも、全生徒の中でも分かっていた。

その個人的な想いを述べ終わることが、この卒業式の終りを告げることであること。

そして、井上静香がこの学園の生徒ではなくなると言うこと。


「私はこの学園に来て、様々な人を見てきました。 それは、生徒会長と言う立場だからこそ、幅広く見れたのだと思います。 私は色んなことに必死でした。 勉学にも、生徒会にも、対人関係にも、全てが両立するように必死でした」


俺はここで思った。

多分、静香さんは魔法使いとしての活動もまた、必死で両立するべきもので、それも言いたかったのだろうなと。

それを堪えているのを、俺は察しながら聞いた。


「誰かに頼ることなんて出来ませんでした。 自分で出来ることを誰かにやらせることが嫌だったからです。 ですが、一人ですることには限界があって、本当は誰かを頼っていいのだと‥‥‥私は、ある後輩から学びました」


気のせいだろうか?

今、一瞬だけ、彼女がこちらを見つめてきた気がした。

その理由を理解することのできないまま、静香さんの話は続く。


「誰かが傍にいてくれる。 そして力を貸してくれる。 それが、どれほど気が楽になって、心に余裕ができることなのだろうか‥‥‥私はその時になって、初めて知りました。 私はその彼に感謝をしています。 私を変えてくれた、強く生きている彼に、感謝しています。 ‥‥‥だから、皆さんも誰かを頼ってください。 甘えるのではなく、頼ってください。 誰かを頼ること、信頼すること、力を貸すこと。 それらはあなたの世界を広げてくれます。 そして、あなたの未来を変えてくれます。 以上です。 卒業生代表、――――――井上静香」


彼女が語り終わり、一礼して下がると、この学園にいる全生徒が拍手をした。

最後に残した言葉が、全員の胸に届いたとは思わないけれど、きっと残るものにはなっただろう。


「――――――では、第**回灯火学園卒業式を閉会させていただきます」


そして数時間に渡って行われた卒業式は、一瞬にも感じる程、あっという間に閉会した。

卒業生は退場し、残りの在校生もしばらくして解散となり、卒業式は終了した。



                   ***


<PM13:00>

卒業式が終わって俺は、校内に戻り、廊下を歩きだした。

普段、この時間であれば教室で授業を行われているのだが、今日は卒業式だから、誰一人いない静かな廊下だった。

そんな違和感を感じつつ、俺は廊下の突き当たりに来ると、右側に一般生徒がよく使う階段があった。

俺は階段を上り、屋上に向かった。

屋上の出入り口であるドアを開けると、春風が全身に優しく当たる。

そして眼前に広がるのは、桜色に染まる灯火町全域の風景だった。

桜の花びらが風に乗って、まるで粉雪のように舞っていた。

そんな綺麗な景色の一つに、一人の少女が金網に背を預け、ソラを見上げていた。

黒く艶やかな長髪を靡かせ、左手で顔に髪が当たらないように押さえている。

ソラと同じ色をした瞳は、初めて出会ったあの日と全く変わらない、綺麗な瞳だった。

俺はその場で立ち止まり、無言で彼女を眺めていた。

愛おしくて、今すぐに抱きしめたいと言う欲求を抑えつつ、誰も寄せ付けない美しさを持つ彼女に見とれていた。

そんな美しい彼女が、今は俺の恋人だと思うと、何とも言えない幸福感があった。

少し離れて見るからこそ、再確認出来る。

彼女は本当に綺麗で、愛おしい存在なのだと。


「‥‥‥あっ」


と、不意に彼女はこちらを振り向き、俺を見つけるやいなや、花が咲いたように笑顔になる。

そう思うと、次は少しムスっとした表情になり、俺は苦笑いしながら小走りで彼女の傍に向かった。


「ごめんルチア! 遅くなった!」

「本当よ。 卒業式が終わったらすぐに屋上に来るって約束でしょ?」

「ごめん。 紗智達に捕まっててな」

「はぁ‥‥‥全く、翔は相変わらず誘いを断らないわね」

「面目次第もございません‥‥‥」


ルチアの言うとおり、俺は誘いを簡単には断われないタイプらしい。

自分の性格を的確に指摘されると、何も言い返しができない。

そう思って反省してると、ルチアがくすくすと笑いながらこちらを見つめた。


「まぁ良いわ。 翔の性格は理解してるし‥‥‥翔のそう言うところ、別に嫌いじゃないしね」

「っ‥‥‥そ、そうか」


嫌いじゃない‥‥‥遠まわしに好きだと言われると、俺の心臓はドキッと大きく弾んでしまう。

ルチアもルチアで、言い終えてから意識してしまっているようで、頬がほんのりと赤みを帯びていた。

そして互いに見つめ合うのが気恥ずかしくなってしまい、誤魔化し笑いをしながら視線を逸らす。


「えーっと、その‥‥‥、こ、この後さ」

「な、何かしら?」

「さ、紗智達がさ、この後、打ち上げってことで静香さんを誘ってカラオケに行くんだけど、ルチアも行くか?」

「え、ええ。 良いわね。 行くわよ」


どこかぎこちない会話になってしまったが、なんとか話題を出して空気を戻した。

互いに落ち着いたところで、俺はルチアの右隣で金網に背を預けてソラを見上げる。


「今日は本当に綺麗なソラだな」

「ええ、そうね‥‥‥。 静香さんの言うとおり、卒業式日よりね」

「お花見日よりでもあるだろ?」

「それもそうね‥‥‥」


他愛もない会話だった。

だけど、その一つ一つが、俺とルチアにとってはとても幸福に満ちていた。

肩と肩が触れ合う距離で、俺とルチアはしばらくの間‥‥‥本当に他愛もない会話をしていた。


「‥‥‥ねぇ、翔?」

「なんだ?」

「“あの話し”本当なの?」

「‥‥‥ああ。 本当だ」


唐突に‥‥‥いや、ようやく、本題に入った。

ルチア自身、切り出しづらい内容だっただろう。

無理に切り出させてしまったのは、俺の責任だ。

心の中で反省しつつも、俺は頷いて、本題の話しをする。


「奈々がこの町に来て、過去にけじめをつけた時から分かってたし、受け入れていたことだ。 奈々の実家に帰る日はすぐになるって」


そう。 俺は今日、静香さんの卒業式が終わった後、この町を出ていくことになっている。

そして義妹、護河奈々の実家に帰るのだ。

実は俺がこの町を出ていくことを、俺は誰にも言ってなかった。

だけどルチアが知っている‥‥‥と言うことは、間違いなく奈々がルチアに言ったのだろう。

だから俺は、ルチアが知っていることには特に驚きはしなかった。

けれど、そのあとにあったのは隠していたことへの罪悪感だった。


「ごめん。 中々言えなくてな」

「分かってるわよ。 翔は最初からそうだった。 相手を苦しめないように、悲しませないように、隠すことへの罪悪感を一人で抱え込む。 ええ、本当にあなたらしいことね」

「‥‥‥流石だな。 その通りだよ」


この町に来て、ルチアと出会って、大体六ヶ月といったところだろう。

そのたった半年の間で、ルチアは俺のことを恐らく誰よりも理解している。

彼氏彼女となって、その理解はさらに多くなった。

今では互いに分からないことは少ないだろうと言えるくらいだ。

それでも俺は、彼女に隠し事をしてしまう。

それはルチアの言った通り、ルチアを寂しがらせたくなかったからだ。

別れを告げて、離れたくないのは俺だって同じだ。

同じだからこそ、ルチアに同じ想いを抱えて欲しくなかった。


「今更、怒りはしないわ。 でも、もっと早く言って欲しかった」

「ごめん‥‥‥」

「‥‥‥もういいわ。 翔がどれだけ隠しているのが、別れが辛かったのかを考えたら、あなたを怒れないわ」

「‥‥‥そう、か」


ルチアの優しさは、逆に俺の心を締め付けていた。

でもそれが、隠していた俺への罰なのだろう。

そう思いながらルチアを見つめていると、ルチアは微笑みを崩さずに、俺に言った。


「ねぇ? 精霊がどこから現れたかって知ってる?」

「え!?」


唐突だった。

全く関係のない話題だし、あまりにも唐突だったため、俺は呆気にとられた。

そんな俺を見つめながらルチアは話し出す。


「私達、精霊はこのソラから現れたそうよ」

「――――――ソラから?」

「ええ。 この世界は、実は九つに分岐しているって知ってる?」

「九つ? ‥‥‥北欧神話にある、『九つの世界(ノートゥング)』のことなら知ってるけど?」

「そうね。 それと全く同じね。 私達の世界は、その九つの世界(ノートゥング)の世界は、あのソラと繋がっていて、精霊はそこを潜ってこの世界に来たのよ?」

「そうなのか?」

「事実は分からないわ。 けれど、調べたらそういうことらしいわ」


空のことを、九つの世界(ノートゥング)の住人は『ソラ』と読むそうだ。

そしてソラは、九つの世界(ノートゥング)を行き来するための道となっているらしい。

そこを通ってやってきたのが、精霊だった。

これが精霊がこの世界に来た始まりだということ。


「そして精霊は、この世界で生きる生物‥‥‥人間を知るうちに、惹かれていった。 そして魔法使いと契約したのが、精霊系魔法使いの始まりよ。 『恋』が魔法使いと精霊を繋いだ」

「恋‥‥‥か」


俺は無意識に、左手でルチアの右手を握っていた。

ルチアは一瞬だけ、突然の行動に驚いたが、すぐに受け入れて、指と指を絡めてきた。

そしてギュッと握り締め、互いの体温を感じる。

恋‥‥‥それはまるで、俺とルチアのことを言っている気がした。


「そして精霊は、その一生を主である魔法使いと共に過ごした。 これが精霊系魔法使いの一生」

「一生を‥‥‥か」

「そう。 精霊系魔法使いとして始まり、精霊系魔法使いとして最期を迎えるのよ」


一生、主の傍にいる。

精霊の愛と言うのは、それだけ大きなものなのだと俺は知った。

別世界の存在の、全ての文化が違い、種族の垣根を超えた愛。

それは、生と死の共有なのだと思うと、何とも言えない気持ちが溢れてくる。

‥‥‥俺はここでようやく、ルチアがなぜこの話題を出したのかを察した。

そしてルチアは俺が察したことに気づいたようで、話題を戻して、俺が奈々の実家に戻る話しになる。


「私は精霊として、(あるじ)の傍に一生いるつもりよ。 だから翔がこの町を出ていくというなら、私も一緒に出ていくわ」

「いや、でも‥‥‥この町は、ルチアにとってかけがえのない場所じゃないか! 俺なんかのために、学園を卒業もしないで出て行くなんて‥‥‥」


俺は所詮、たった半年しかいなかった新参者だ。

この町に完全に馴染んだわけでもないし、出て行ったとしてもホームシックのようなことはない。

だけどルチアは違う。

ルチアは、ずっとこの町にいる。

そしてこの半年で、様々な人たちと交流して、関係を築きあげてきた。

そんな場所を出ていくのは、ルチアにとっては苦渋の選択のはずだ。

『卒業してからでも、また会えるじゃないか』。

俺はそう思ったし、そう言いたかった。

だけど、ルチアのその瞳は、俺を逃がそうとはしなかった。

俺と別れるなんて絶対に嫌なのだと、その蒼い瞳が伝えていた。


「翔。 私は精霊として、彼女として、あなたの傍にずっといたい。 卒業まで待つなんてできないわよ」

「ルチア‥‥‥」


ルチアの答えは、二度と揺るがないだろう。

こういう時のルチアは、何を言っても無駄なのだ。

‥‥‥つまり、俺が折れるしかないということになる。


「‥‥‥分かった。 俺と一緒に来てくれ、ルチア」

「ええ。 ずっと、永遠にね」


そう言うとルチアは、俺の左腕に抱きついた。

制服を通しても伝わる、ルチアの温もりを、俺は噛み締めながら感じた。

この幸せが、これからもずっと‥‥‥ずっと続きますようにと、願いを込めながら、俺はルチアの傍にいた。

そして気づけば、どちらからともなく、俺とルチアは唇を重ねていた――――――。


                    ***


<PM15:00>


「え!? もう話してある!?」


武たちの約束を断り、俺とルチアは自宅に戻った。

ルチアを連れて帰宅した俺は、家で荷造りをしていた奈々の言葉に驚きの声を上げていた。

帰宅した俺は、まず最初に奈々にルチアを護河家に居候させたいと言うことをお願いしてみた。

そして奈々の返事に対して、俺は現在のリアクションをとっていた。


――――――『何言ってるのお兄ちゃん? とっくのとうに言ってあるよ?』。


彼女は堂々とそう答えた。

そう。 奈々は俺がルチアを連れて行こうと決断することをかなり前から分かっていたのだ。

計算高いのは知っていたけれど、まさかここまでとは‥‥‥と、俺は驚くばかりだった。

まぁ何はともあれ、ルチアは俺と共に護河家に行き、この町を出ていくことになった。


「お兄ちゃん。 さっきルチアさんの家に引越し業者の人に連絡を入れたから、その人に頼めば私の家に運んでくれるよ。 あと、電車の時刻表を確認しておいたけど、今からルチアさんの準備を含めて、三時間後の一八時に行くつもりなんだけど、どうかな?」


なんて用意の良い義妹なのだろう‥‥‥と、すごく関心してしまう。

ここまで計画的な義妹も珍しい気がする。


「分かった。 俺は荷造りが終わってるから、荷物を持ってルチアの家に行ってくる。 荷造りの手伝いに行ってくるよ」

「はいはーい」


右手を額に当てて、敬礼をする奈々に、俺はふっ‥‥‥と、鼻で笑ってしまう。

俺は家を出るために玄関に向かおうとすると、奈々が耳元で一言囁いた。


「お兄ちゃん。 ルチアさんの家に行くのは良いんだけど、時間がないから破廉恥なことはしないでね?」

「ッ!? だ、誰がするかぁッ!!!」


恥ずかしさと衝撃が俺を襲い、爆発するかのように大きな声で怒鳴ってしまった。

奈々は面白そうに笑いながら和室へ走って逃げていった。


「‥‥‥ま、全くっ。 そ、そんなことするわけないだろうがぁ‥‥‥馬鹿がっ」


頭の中がぐっちゃぐちゃに混乱しながら、俺は一人ぶつぶつと罵倒していた。

玄関を出ると、ルチアが心配そうな表情で『どうしたの!?』と聞いてきたが、俺は別に何でもないと答え、足早にルチアの家へ向かった。

その時の俺の顔は、ルチアから聞いたところでは、林檎や苺並みに真っ赤だったらしい。

ほんと、恐るべし、我が義妹――――――。

                   ***


<PM15:20>

ルチアの家の中で、俺は自分のアタッシュケースを玄関前に置いてから洋室の部屋に入った。

ルチアの家にきたことは何度もあるため、大体の物の位置は把握していた。

荷造りの作業は思いのほか順調に、効率よく進んでいた。

ダンボールに入れるもの、不必要なもの、アタッシュケースに入れるもので分けるのだが、ルチアは迷うことなくテキパキと整理していた。

まぁ、必要最低限のものくらいしかないのがルチアの部屋の特徴でもあるから、荷物整理に時間はかからないのだけど。

それでも、彼女が破棄しようとしているものの中に、本当はとっておきたいものはないのだろうかと気になってしまう。


「翔、作業しながらでいいから、聞いてくれる?」

「ああ。 なんだ?」


ダンボールの蓋をガムテープで締めながらルチアは話しだした。


「私、翔とこの町を出ること、本当に迷わなかったわ。 それは当然、翔の傍にいたいから。 そうなんだけど、もう一つ理由があるのよ」

「もう一つ?」

「ええ。 本当は私、この町に対して想い出がなかったのよ」

「え?」


ガムテープを手で破り取る音が部屋を反響する。

そして両手で底に手を添えて持ち上げ、玄関前に運びながら続ける。


「私の想い出は、このダンボール一つ分しかないの。 十七年この町にいて、たったこれだけの思い出なのよ。 その上、翔がこの町に来る前までは、このダンボールの半分も無かった」

「‥‥‥そうか。 ルチアは、人とあまり接しなかったから」

「その通りよ。 あなたがこの町に来る前の私は、誰とも接しなかった。 本当は接したくてしょうがなかったのだけれど、いつの間にか孤高の人扱いされて、近寄るに近寄れなくなってたのよ」

「なるほど‥‥‥」

「だけど、翔がこの町に来て、私と出会ってからは全てが変わった。 あなたと言う友人が、新たな友人を作って、私もその輪の中に入れた。 そして、たった半年で私もあなたも、沢山の人と交流を深めた。 それも全て、翔のおかげよ」

「いや‥‥‥そんなこと」


そう言われると、正直、照れてしまう。

俺は、そこまで感謝されるようなことをしたつもりはない。

全ては、まるで運命だったかのようなめぐり合わせだ。

俺が両親に捨てられていなければ、孤児院で朝我零や皇海涼香と出会うことはなかった。

孤児院にいる俺が、護河奈々に出会わなければ、この町にくるきっかけを失っていた。

そして俺は様々な理由を経て、この町に来て、ルチアに出会った。

ルチアに友人を与えるきっかけを、作ったのが俺であったとすれば、それは俺の運命にルチアが巻き込まれただけのことだ。


「‥‥‥翔?」

「え‥‥‥あ、いや、ごめん。 ぼーっとしてた」

「そう? ‥‥‥そっちの荷物、こっちにお願い」

「分かった。 よっと!」


俺はダンボールを持ち上げ、ルチアの指定した場所に持っていく。

ルチアは予想以上に行動が速く、俺が二つ目のダンボールを運んでいる頃にはすでに四つ目に取り掛かっていた。

ルチアの部屋は元から絵に書いたように綺麗に整理されているから、多分、整理整頓・片付けの類が得意分野なのだろう。


「翔。 そこにあるゴミ、悪いけれど捨てに行ってもらってもいい?」

「了解。 それじゃルチアはそっちの荷物を玄関前に運んでおいてくれ」

「分かったわ」


それから一時間半程で、荷造りはあっという間に終わった。

配送車が来て、一通りの荷物を運んで行ってもらったあと、俺はルチアはお互いにアタッシュケースを持って、家を出た。

名残惜しさは、やっぱりルチアにはあっただろう。

その証拠に、家の鍵を締める瞬間、僅かに手の動きが止まっていた。

恐らくその間に、色々な想い出が走馬灯のように溢れ出たのだろう。

だけどそれは、ルチアの決断だったから、俺は何も言わなかった。

言わない代わりに、そっと抱きしめてあげると、彼女もそっと抱きしめ返してきた。

泣くことはなかったけれど、きっと心のどこかで泣いていただろう。

相変わらず、弱い部分を見せないな‥‥‥。


                      ***


<PM17:00>

俺、ルチア、奈々の三人は灯火町にある唯一の駅『灯火駅』に向かって歩いていた。

あと一時間で電車が来るから、それに乗って俺たちはこの町を出ることになっている。

現在地から駅までは大体十分。

まだ余裕があるからと言う理由で、俺たちはのんびりと、灯火町を歩き回っていた。


「お兄ちゃん。 やっぱり、帰りたくない?」

「え?」

「すごく、寂しそうだよ?」

「‥‥‥寂しくないって言ったら、嘘になる。 この町は、俺の持っていない様々なものをくれた。 そりゃ辛いこともあったけど、全部が価値あるものだった。 この町に来て、本当に良かったって心の底から思う」

「そうなんだ‥‥‥」


奈々は、嬉しそうで、どこか辛そうな表情を見せた。

それは多分、俺が変わったことへの喜び、自分が俺の人生を変えてしまった後悔が混じった表情なんだ。

俺はそんな奈々の表情を、これから何度も見ることになるだろう。

それを受け入れながら、俺は話し続ける。


「だけど、俺を変えてくれたこの町だからこそ、俺はこの町に甘えちゃいけないんだ。 だから俺はこの町で得たことを生かして、前に進んでいきたいんだ」

「‥‥‥お兄ちゃんらしい答えだね」

「ほんとね。 翔なら、そう答えるわよね」

「そりゃどうも」


雑談を交わしながら、俺たちはこの町を歩き回った。

今までに行った場所は、一通り回っている。

それなのに、友人である、紗智達を見かけない。

メールや通話でも良いのだが、やっぱり直接、別れを告げたかった。

それも叶わないのなら、仕方ないか‥‥‥。


「お兄ちゃん。 そろそろ時間だから、駅に行こ?」

「‥‥‥分かった」


そして時は過ぎ、俺たちは駅に向かった。


                   ***



<PM17:50>

電車が来るまで残り十分。

駅に着いた俺たちは切符を購入し、改札口を通るとホームに設置されている椅子に座って、電車が来るのを待った。

俺たちは、どこか落ち着かなかった。

あと少しで、この町から離れてしまう‥‥‥その事実が、俺たちの心を震わせる。

今になって、この町を出たくないなんて思ってしまう。

悲しいけれど、俺たちは受け入れなければならない。

それを分かっているにも関わらず、この中で誰一人、落ち着くことができなかった。

それでも刻一刻と時が過ぎて、電車が来るまであと少しだった。

――――――その時、俺たち三人の耳に、聞き覚えのある男女の声を聞こえた。


「翔ッ!! ルチアッ!! 奈々ッ!!」


俺たちは反射的に椅子から立ち上がると、その声の方向を振り向く。

するとそこには、こちらに向かって走ってくる、仲間たちの姿があった。

三賀苗武、桜乃春人、桜乃春人、小鳥遊猫羽、井上静香、斑鳩瞳。

皆が走って、ここに来た。


「皆‥‥‥どうして?」

「どうしてはこっちのセリフだバカ野郎!! なんでなんも言わずに出ていこうとするんだ!?」


早々に俺は、武に胸ぐらを掴まれて、怒鳴られた。

恐らく他の皆も同じようで、春人や紗智もその表情は怒りに満ちていた。


「翔が何も言わないのはいつものことだけど、別れの時くらいは言ってくれてもいいんじゃないか?」

「春人‥‥‥」

「そうだよ。 それに、ルチアちゃんも、奈々ちゃんも! どうして言ってくれなかったの!?」

「紗智‥‥‥」


二人の説教に対して、ルチアは頭を下げながら言った。


「ごめんなさい。 本当は言いたかったけれど、別れが寂しくなるから、言えなかったのよ」

「ルチアちゃん‥‥‥」


紗智は頭を下げるルチアの傍に歩み寄ると、そのまま優しく、ギュッと抱きしめた。

目を見開いて驚くルチアに対して、紗智は堪えきれなかった涙を流しながら言った。


「当然、だよ! 私、ルチアちゃんと離れたくないよぉ! 翔とも、奈々ちゃんとも、離れ離れになりたくないよぉ!! ずっと一緒にいたいよぉ!!」

「紗智‥‥‥」


ルチアも、まるで伝染ったかのように涙を零した。

紗智はルチアにとって、初めての女友達だった。

時には好きな人を求めて争う関係でもあった。

それでも、大切な友達だったはずだ。

別れるのは、辛くて当然だ。


「お兄ちゃん!」

「ミウちゃん‥‥‥」


右手で胸を握り締めながら、ミウちゃんは俺に言った。


「お兄ちゃん、ありがとうね。 お兄ちゃんのおかげで、私は外の世界をでられるようになった。 世界が広がった。 それは全部、お兄ちゃんが私を助けてくれたからだよ! ずっとずっと、ありがとうって言ってたけど、これが最後だから、ちゃんと言いたかったの。 お兄ちゃん、私を助けてくれて――――――ありがとう。 元気でね」

「ああ。 ミウちゃんも、ショコラも元気で」

「うん!」


小さな花が満開に咲いたように、ミウちゃんの笑顔は綺麗で可愛かった。

俺は彼女のこの笑顔を、二度と忘れないだろう。

そして次に前に出たのは、静香さんだった。


「翔さん。 短い間でしたけど、あなたといられてとても楽しかったです」

「俺もです。 静香さんは、この町に来て何もわからない俺に、この町のことを色々と教えてくれました。 本当に感謝してます」

「いえ、私も翔さんから色々なことを学びました。 互いに、色々と大変でしょうけれど、頑張ってください。 お元気で」

「はい。 静香さんも、お元気で」


桜の花びらのように、美しくも儚い笑顔を、俺は忘れないだろう。

そして次に前に出たのは、瞳さんだった。


「翔には、色々とお世話になったね。 私の因縁にも区切りを打ってくれた。 私の我侭に付き合ってくれたこと、感謝してるよ」

「いえいえ。 俺だって、瞳さんから色々なことを教えてもらいました。 瞳さんがいなかったら、俺は間違った答えを出していたのかもしれません。 ありがとうございました」


瞳さんは、魔法使いとして未熟だった俺に、色々な知識を与えてくれた。

そして冷羅魏氷華のことや、ルチアのことも。

全部、瞳さんがいてくれたから答えが出せたんだ。


「事件は灯火町だけじゃない。 翔が行く場所にだって事件はある。 あなたはあなたにしか解決できない事件があるから、その時はあなたの力を発揮してね。 それじゃ、またね」

「はい。 お元気で」


そして瞳さんが下がると、武、春人、紗智の三人が俺の前に出た。

思えば、この三人が俺の最初の友達だった。

転入初日で何も分からない俺に、何の気兼ねもなく声をかけてきた。

すぐに友達になろうと言って、すぐに仲良くなった。

今までの俺にとって、この三人の存在はあまりにも新鮮で、価値のあるものだった。

俺が困った時、悩んだ時、いつだってこの三人が真っ先に助けてくれた。

この三人がいなかったら、俺は人知れず孤独でいただろう。

そして、そんな三人だからこそ、別れを告げるのは一番辛かった。


「‥‥‥まぁ、なんだ。 染み染みとした別れ話は、苦手なんだ。 だからうまく言えねぇけど、お前といれて、めっちゃ楽しかったぜ!」

「ああ、俺もだ!」

「武と同じく、俺も別れ話は苦手だ。 だけど、これだけは言える。 お前の友達になれて良かったぜ!」

「俺も、春人と友達になれて良かった!」


武、春人と最後の会話をし、残るは紗智となった。

俺の、最初の心の支えだった存在だ。

いつも何か時にかけてくれて、影で助けてくれた。

どこかで傷つけていたのかもしれない。

だけど彼女は、いつも俺に笑顔を見せていた。

俺はそんな紗智が、大切な存在だった。

恋愛感情ではなくて、友人として、仲間として。


「翔。 私ね、翔のことが好きだったの。 一目惚れで、初恋だった。 だけど、ルチアちゃんには勝てなかったな」

「‥‥‥ごめん」

「謝らなくていいよ。 翔とルチアちゃんが決めたことだから。 だから、幸せになってね! それが私の最後のお願いだから」

「‥‥‥分かってる。 ルチアを、絶対に幸せにする」

「うん。 一緒にいられて、幸せだったよ、翔」

「俺も、幸せだった。 ありがとう、紗智」

「――――――うん!」


涙を流しながらも、彼女は笑顔だった。

それが、紗智の最後の意地なのだろう。

俺は紗智の涙を、絶対に忘れない。

この涙を思い返すたびに、ルチアを愛するだろう。

誰かを失い、誰かを得たからこそ、今あるものを大事にできるのだと、紗智から教わったから。

それだけじゃない。

ここにいるみんなが、俺に色々なことを教えてくれた。

何も分からない俺にとって、皆は救いだった。

だから俺は、最後に‥‥‥みんなに言った。


「俺、この町に来てほんとに良かった。 仲間を作れてよかった! 仲間と色々な毎日を過ごせてよかった! 俺にとって皆は、大切な宝だ! 本当に‥‥‥ほんとに、――――――ありがとう!」


涙を堪えきれず、俺は大粒の涙を流した。

きっとその顔は、酷くグシャグシャになっているだろう。

それでも構わない。

今は、この思いが伝わってくれれば、それでいい。

きっと伝わっただろう。

だから俺は、もう心残りなんてない。

心おきなく、この町を出ていける。


「翔、行こう」

「‥‥‥ああ」


ルチアの声に返事をすると、線路の先から赤一色に染まる電車が来た。

俺たちの目の前に着き、俺はアタッシュケースを持って、皆に言った。


「それじゃ皆、またな」


皆は笑顔で、力強く頷いた。

涙を流し、鼻をかみながらも、皆は笑顔で頷いてくれた。

ルチアと奈々が先に電車に乗りこみ、俺は少し遅れて乗り込んだ。

電車のドアが締まり、ゆっくりと速度を上げて、走り出した。


「皆ッ!! またなッ!!!」


窓を開け、上半身を出した俺は、右腕を全力で振った。

みんなも振り返してくれた。

どこかの青春漫画みたいで気恥ずかしいけど、手を振りたくて仕方なかった。

その姿を、ルチアと奈々は優しく微笑みながら見ていた。

これが俺、相良翔のたった半年の短くて長い日常だった――――――。






この世界には、明るい時に人が平穏な日常を過ごしている。

けれど、寝静まる夜は魔法使いと呼ばれる存在が命を賭けて戦いを繰り広げていた。

知る人はそれを、都市伝説のように噂として広める。

この物語は、そんな噂が毎日のように広がる町で始まる、恋と友情と魔法の物語。


――――――俺たちのあのソラは、いつだって青く澄み渡っていた――――――。